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	<title>熊本県 - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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	<title>熊本県 - NIHONMONO</title>
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		<title>香りを磨き、山を守り、酒を夢見る。「鳥飼酒造」鳥飼和信さん／熊本県人吉市</title>
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		<pubDate>Thu, 06 Aug 2026 10:13:26 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3684.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>朝露に濡れた野花のように、みずみずしく、澄んだ香りがする米焼酎がある。口に含むとやわらかな甘みが広がり、そして霧のようにスッと消える。造り手の鳥飼和信さんは約10年の月日をかけ、他の米焼酎とは一線を画す味わいを導き出した [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3684.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>朝露に濡れた野花のように、みずみずしく、澄んだ香りがする米焼酎がある。口に含むとやわらかな甘みが広がり、そして霧のようにスッと消える。造り手の鳥飼和信さんは約10年の月日をかけ、他の米焼酎とは一線を画す味わいを導き出した。その酒の名は「吟香鳥飼（ぎんかとりかい）」という。</p>



<h2 class="wp-block-heading">24歳でUターンし、400年続く酒蔵を継ぐ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3702.jpg" alt="" class="wp-image-55034" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3702.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3702-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3702-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>熊本県の南端にある人吉球磨（ひとよしくま）地方。九州脊梁山脈（きゅうしゅうせきりょうさんみゃく）に囲まれた三日月型の盆地で、夏は蒸し暑く、冬は一帯が濃い霧に包まれる。美しくも険しい山々からは良質な水が湧き出し、日本三大急流の球磨川となって盆地の中央を流れ下り、その流域に肥沃な土壌と豊かな水資源をもたらしてきた。盆地特有の寒暖差の大きな気候と豊穣な土地は熊本でも有数の米どころとなり、この米から造る焼酎「球磨（くま）焼酎」は約500年の歴史を誇る。</p>



<p>1949年、鳥飼和信さんは人吉市で400年続く球磨焼酎の酒蔵「鳥飼酒造」に生まれた。鳥飼家は平安時代に京都から移ったとされ、江戸時代には醸造酒、焼酎、酢、味噌、醤油などを製造していた記録が残る。</p>



<p>鳥飼さんは7人きょうだいの末っ子で、地元の高校を卒業後は画家を目指して東京で暮らしていた。酒蔵は次兄が継いでおり、自身が家業に関わることは考えてもいなかったのだ。ところが1973年、24歳の時に、長兄から父親が病に倒れたとの連絡を受ける。この時、家業を継いだ次兄も蔵の経営不振によりその職を退いており、誰が次兄に代わって蔵を守っていくか、兄弟それぞれが別の道を歩んでいる中で、最終的に白羽の矢が立ったのが鳥飼さんだった。こうして鳥飼さんは、​​思いがけず家業を継ぐこととなった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">吟醸香を手がかりに新たな焼酎の開発を目指す</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3222.jpg" alt="" class="wp-image-55035" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3222.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3222-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3222-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>祖父の代には当時37軒あった球磨焼酎の酒蔵の中で5番目の大きさであることにあぐらをかいていた家業は、味や品質、販路開拓などで切磋琢磨する周囲の蔵の勢いに押されていつしか経営が厳しくなっており、鳥飼さんが継いだ頃には34軒中の最下位となっていた。早朝から夜中まで休みなく働き、蔵を維持するために働く毎日が始まった。精米から製麹、仕込み、瓶詰め、空き瓶回収まで何でもやった。</p>



<p>だが、頑張った分だけ売り上げが増えるとは限らないのが商売だ。狭い盆地内での価格競争は年々激しくなり、鳥飼さんは生き残りをかけて消費者への直接販売に踏み切った。さらに、1980年前半に起きた第二次焼酎ブームで、大手との競争も激化。代々造っていた米焼酎「清球（きよたま）」は鑑評会で1位を取ったこともあるが、突出した個性がなく、他の酒蔵の商品に埋もれてしまっていた。そこで、鳥飼さんは新たな焼酎の開発を決意した。</p>



<p>開発の手がかりとしたのは吟醸香。日本酒の酵母の発酵中に生成される果実や花のような香りの元となる成分。それを日本酒の業界では吟醸香と呼ぶ。</p>



<p>「香りは味わいであり、酵母菌の醸し出す香りを蒸留酒に出来ないか」と蒸留家たちが考えた時代だった。以来、古文書や論文を読み解き、名工と呼ばれる杜氏や研究者たちを訪ね歩いて、研究と実験を繰り返した。実験が成功したと思っても、よくよく確かめると理想とする香りとは違っていたり、再現ができなかったり。ようやく求める焼酎が完成したのは1994年。開発を決意してから約10年が経っていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">再生させた自然の中で新しい焼酎を追い求める</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3486.jpg" alt="" class="wp-image-55036" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3486.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3486-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3486-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>完成した会心の作の焼酎は、自身の氏を冠して「吟香鳥飼」と名付けた。米を58％まで磨き上げた吟醸麹と自家培養の酵母から生まれる吟醸香。他に類をみない印象的な味わいの焼酎として「吟香鳥飼」は発売からすぐに注文が殺到し、1996年のモンドセレクション国際食品コンクールではジョニーウォーカーと並んで特別金賞を受賞した。</p>



<p>この反響を受け、鳥飼酒造は「吟香鳥飼」1銘柄に絞り販売を開始。こうすることでブランディング力を高め、人気を落としていた旧銘柄のネガティブも払拭できると考えた。だが、「吟香鳥飼」の完成から約30年、鳥飼さんはまた新しい焼酎を追い求め続けている。その転機となったのが「草津（そうづ）蒸留所」と「斧研（よきとぎ）麹蔵」の竣工だ。</p>



<p>草津蒸留所は、人吉盆地に僅かに残されていた清流である草津川流域に産業廃棄物処理場の計画があることを聞かされ、それをストップさせるため2000年に150haの山林を買い取った。</p>



<p>そして 、過度な森林伐採や土石流で荒廃していた自然を5年がかりで再生させたのだ。会社の事業の一環として、石を積んで護岸を築き、廃木や落石を搬出し、広葉樹を植えて清流を取り戻した。そして2005年、草津蒸留所が完成した。続いて2012年、耕作放棄地と山林を整地した15haの土地に斧研麹蔵が完成する。</p>



<p>鳥飼さんはこれらの取り組みに踏み切った理由を「環境の手入れを含むすべてが酒造りである」 と話す。山林と川を蘇らせ、清らかな水を生み出すことが、酒の品質の向上を目指す上で避けて通れない命題であるとの考えだ。今はこの2つの建物で「吟香鳥飼」のブラッシュアップと製造を続けるとともに、新しい焼酎の試作も行っている。かつては蔵の看板商品だった「清球」も、今の時代にそぐわせる形で再生産ができないかと思案している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">夢にまで見る“どこにもない酒”</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3495.jpg" alt="" class="wp-image-55037" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3495.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3495-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3495-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>鳥飼さんが案内してくれた草津川は、かつて荒廃していたとは思えないほど清らかだった。蒸留所でタンクを洗浄した水は、域外の施設に持ち出して処理している。米は麹蔵で洗ってから、蒸溜所へ運ぶ。手間としか思えない作業を繰り返すのは、たとえ浄化したとしても排水を草津川に流したくないとの思いからだ。目の前の清流はこうした選択の積み重ねによって守られているのだと実感する。</p>



<p>鳥飼さんはこれまで酒造りや自然との関わり方を感覚だけで決めるのではなく、あらゆる事象を読み解き、多角的に考え抜き、そして信念を曲げることなく前に進んできた。</p>



<p>「酒の優れたところを全て持っていて、どこにもない酒。そんな酒ができた夢を見て、眠りから覚めることがある」。</p>



<p>鳥飼さんが追い求めているのは、単なる「新しい酒」ではないのかもしれない。人吉球磨の風土と自然、人の営みや概念までもを宿した、時空を超えた一滴なのだろう。「完成はそう遠くないと思いますよ」。鳥飼さんの朗らかな声が、奥山の澄んだ空気の中に溶けていった。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55028/">香りを磨き、山を守り、酒を夢見る。「鳥飼酒造」鳥飼和信さん／熊本県人吉市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>伝統を継承し、再構築した焼きものを。「高田焼 竜元窯」江上晋さん／熊本県八代郡氷川町</title>
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		<pubDate>Thu, 06 Aug 2026 09:30:31 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4392.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>まるでガラスのような透明感。陶芸家・江上晋（しん）さんの作品群のひとつ「白磁釉象嵌（はくじゆうぞうがん）」は、焼きものでありながら透明感を湛えた表情が印象的だ。熊本を代表する伝統工芸「高田焼」の流れを汲む窯元に生まれた江 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4392.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>まるでガラスのような透明感。陶芸家・江上晋（しん）さんの作品群のひとつ「白磁釉象嵌（はくじゆうぞうがん）」は、焼きものでありながら透明感を湛えた表情が印象的だ。熊本を代表する伝統工芸「高田焼」の流れを汲む窯元に生まれた江上さんは、伝統を継承しながらも新たな可能性を探り、自分なりの表現を追究している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">父親が開いた窯を受け継いで陶芸家に</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4397.jpg" alt="" class="wp-image-54991" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4397.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4397-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4397-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>八代平野にある湧水池のほとりにある「高田焼 竜元窯（こうだやき りゅうげんがま）」。江上さんは「高田焼 竜元窯」の二代目。熊本県美術協会展や西部伝統工芸展、日本伝統工芸展などで受賞歴を持つ。</p>



<p>江上さんは地元の高校を卒業し、熊本市内の大学へ進学。1987年に「高田焼 竜元窯」を開いた父親の元（げん）さんから窯を継ぐように言われたことは一度もなく、自宅と工房が離れていたため元さんの作陶の様子を見たこともほとんどなかった。だから、焼き物をしようと考えたこともなかったという。そんな晋さんの転機となったのは、就職活動だった。</p>



<p>「自分のしたい仕事は何かと考えてみたら、洋画家だった祖父との思い出が蘇ってきました」と江上さん。幼い頃に遊びに行ったアトリエで目にした油絵や彫塑（ちょうそ）の美しさに心を動かされた記憶から、心のどこかでものづくりへの憧れと興味を抱いていた自分に気付いた。そして、自分は陶芸をするのに最適な環境にいるのだと、初めて認識したのだった。</p>



<p>大学を卒業後は佐賀県立有田窯業大学校で陶芸の基本を学び、26歳で帰郷。「高田焼 竜元窯」で父親とともに作陶に打ち込む日々が始まった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">“肥後の御用窯”の系譜を継ぐ「竜元窯」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4248.jpg" alt="" class="wp-image-54992" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4248.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4248-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4248-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「高田焼 竜元窯」は熊本を代表する伝統工芸・高田焼の流れを汲む。高田焼の歴史は古く、江戸時代初期の1632年に尊楷（そんかい）によって現在の八代市に窯が築かれたとされる。尊楷は1602年に豊前小倉藩主・細川忠興によって召し抱えられた朝鮮の陶工で、当初は忠興が治める上野（現在の田川郡福智町）で築窯したものの、細川家の領地移転にともなって八代へ。高田焼は「八代焼」とも呼ばれ、肥後藩の御用窯として保護されてきたが、明治維新後に保護を失う。現存する高田焼の窯元は宗家である「上野窯（あがのがま）」と、「伝七窯（でんしちがま）」「竜元窯」の3つ。江上さんの父親の元さんは「伝七窯」での修行を経て、「竜元窯」を開いた。</p>



<p>高田焼は陶土から成形した素地に模様を彫り込み、そのくぼみに白土を埋め込む「象嵌（ぞうがん）」と呼ばれる技法が特徴だ。中でも代表的な作品群が青磁釉をかけて焼き上げる「青磁象嵌」で、灰色がかった青磁釉から透けて見える象嵌模様が優美な雰囲気を醸し出している。だが、象嵌技法そのものの難度が高いだけでなく、素地と象嵌部分の収縮率が異なるために焼成時に割れや歪みが生じるリスクもあり、優美さの裏側で作り手には高い技術力が求められる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">伝統を再構築し、新しいものを生み出す試み</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4464.jpg" alt="" class="wp-image-54993" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4464.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4464-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4464-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>江上さんの父親の元さんは古来の伝統技法を受け継ぎながら、型にとらわれない高田焼を目指した。そして江上さんもまた、伝統を継承しながらも高田焼の新たな可能性を探り、自分なりの表現を追究している。</p>



<p>江上さんは「高田焼を構成する“土・釉薬・象嵌”の3つの要素を守りながらも再構築することで、“今の高田焼”を見せられるのではないかと考えています」と話す。三要素は高田焼に欠かせない核であり、作品づくりの出発点でもある。</p>



<p>中でも土づくりは大きなこだわりのひとつだ。現代では市販の陶土を使う陶芸家も少なくないが、江上さんは自ら山へ行き、原土を掘り出す。原土は工房へ運び、水を混ぜ、目の細かい網に通して不純物を除去する。一連の作業は時間も手間もかかるが、自分の目で土を選び、自分の手で精製することで、市販品よりもきめの細かな粘土が生まれる。そしてその粘土が、斑点などのノイズのない作品へと姿を変える。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4419.jpg" alt="" class="wp-image-54994" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4419.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4419-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4419-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>江上さんの思想は作品群にもあらわれている。作品は「青磁象嵌」「焼締象嵌」「白磁釉象嵌」の大きく3つに分けられる。受賞作品の多くを占める「青磁象嵌」は、自作のブラウンの土と、それを引き立てる独自調合の青磁釉の対比が象徴的だ。「焼締象嵌」は象嵌を施した生地に釉薬をかけずに穴窯で焼くことで、温もりと力強さを感じられる肌合いに。そして冒頭でも触れた「白磁釉象嵌」は、白磁に施したくぼみに釉薬を流し込み、ガラスのような透明感と、くぼみ部分に表れる陰影が幽玄の美を生み出している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統とは守るものではなく、作り出していくもの</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4452.jpg" alt="" class="wp-image-54995" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4452.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4452-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4452-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>江上さんは2018年に、日本伝統工芸展で4回以上の入選を果たした作家だけに認められる「日本工芸会正会員」に認定されている。日本工芸会は、重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝を中心に構成される団体で、正会員は全国でも約1,300人ほどしかいない狭き門だ。日本伝統工芸展は国内最高峰の工芸公募展とされ、その中で4回以上の入選を果たすというのは、一時的な評価ではなく技量が継続的かつ公的に認められたことを意味する。だが、江上さんは満足することなく、今も新たな表現を模索し続けている。</p>



<p>「高田焼という枠組みの中で、“これまでにない焼きもの”を追究したい。伝統は守るものではなく、作り出していくものだと思うから」と江上さん。この言葉は、地域に根差した工芸だからこそ生まれる緊張感の中で紡がれてきたものだ。首都圏の百貨店で新作を発表する一方、地元・八代市での個展も毎年欠かすことなく続けている。そこには、約390年続く高田焼を見守ってきた地元の“目”がある。「八代には、高田焼を地元の誇りとする方々がいます。父の作品についてもよくご存知で、私よりも長い時間、高田焼を見つめてきた方々です」。新しい作風に厳しい声が向けられることもあるが、江上さんはそれを退けるのではなく、次の一歩のための学びとして受け止めている。</p>



<p>伝統工芸の世界では、変化は必ずしも歓迎されるとは限らない。だからこそ、守るべきものを見極めながら新しい表現に挑む姿勢そのものが、後に続く作り手たちの指針になる。父親の作品と自身の作品を見つめながら語る江上さんの目は、過去を敬いながらも、しっかりと未来を見据えている。地域に根ざした一つの窯の挑戦は、約390年続く伝統をどう次の世代へ手渡していくかという、工芸全体が向き合う普遍的な問いにも重なっていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54984/">伝統を継承し、再構築した焼きものを。「高田焼 竜元窯」江上晋さん／熊本県八代郡氷川町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>スターシェフから絶大な信頼を得る魚の目利き。「本田屋」本田満輝さん／熊本県天草市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54903/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 28 Jul 2026 02:20:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4484.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>スターシェフの一皿を支える重要な要素の一つが、高品質な食材であることは間違いない。熊本県天草市には、その目利きを担う魚屋がいる。最良の魚を見極め、料理人の信頼に応えることを信条とし、地元漁師の暮らしにも目を向ける。海と厨 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4484.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>スターシェフの一皿を支える重要な要素の一つが、高品質な食材であることは間違いない。熊本県天草市には、その目利きを担う魚屋がいる。最良の魚を見極め、料理人の信頼に応えることを信条とし、地元漁師の暮らしにも目を向ける。海と厨房を繋ぐその人の名は、本田満輝さんだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">料理人を通して、天草の魚の価値を再認識</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4850-1.jpg" alt="" class="wp-image-54913" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4850-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4850-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4850-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>本田さんはもともと魚が好きで、地元の鮮魚屋に勤めていた。その時に出会った関西の料理人から影響を受け、“外”を知ることの大切さに気づいたという。「天草は島という地域性もあり、なかなか島外に出る機会がありませんでした。しかし、他の地域の魚を見たり、有名店を食べ歩いてみたりするようになり、自分の世界が広がっていくのを感じました」と本田さん。自身の生まれ育った天草の魚が料理人たちに認められていることを知り、誇らしさを感じた。</p>



<p>だが一方で、地元に向けての販売では魚を高く売ることが難しい現実にも気づく。日本の漁師は若年層を中心に減少傾向にあり、主な要因に厳しい経営環境が挙げられる。「正当な価格で取り引きしてくれる顧客を見つけられれば、漁師からも高い価格で魚を買い取ることができるようになる。そうすれば、地元漁師の暮らしを支えることにもつながるのではと考えました」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">漁師の暮らしを支えるために、独立</h3>



<p>その後、鮮魚店から独立し、自身の店「本田屋」を開く。開業の際には鮮魚店に勤務していた当時から交流のあった料理人たちから「お金がかかっても構わない。とにかくいい魚を頼む！」と熱い声援を受けたという。そこで、地元の漁師たちと話し合いを重ね、漁獲後の温度管理など一次処理の質を高めることで最終品質を担保する連携を構築した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">市場の魚を全て見て、良いものだけを競り落とす</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4578-1.jpg" alt="" class="wp-image-54914" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4578-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4578-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4578-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>熊本県南西部、大小120の島々からなる天草諸島。その中心部にある天草市本渡（ほんど）の魚市場には、有明海（ありあけかい）、不知火海（しらぬいかい）、東シナ海の3つの漁場から1日3〜5トン、多い時で約300種類もの魚が運び込まれる。朝7時、活魚の競りが始まり、競り人と仲買人の威勢のいい声が一斉に響き合う。本田さんは、淡々とした様子で、迷いなく目当ての魚を次々と競り落としていく。</p>



<p>特定の魚を狙うのではなく、その日市場に並ぶ魚を全て見て、その中で良いと判断したものを全て購入するのが本田さんのスタイルだ。裏を返せば、注文を受けている魚種でも、品質が自身の基準に満たない場合は競り落とさず、料理人に「ない」と伝えるのも本田さんの信念。魚種にこだわって品質の基準を落として仕入れても、結局は料理人のためにならないからだ。本田さんの正直な姿勢と確かな目利きは評判を呼び、東京の予約困難寿司店「島津」、関西屈指の名店「鮨 三心」、長崎のレストラン「pesceco（ペシコ）」など、ミシュランガイドで星を獲得した&#8221;スターシェフ&#8221;からの信頼も厚い。</p>



<h2 class="wp-block-heading">最良の状態で、料理人のもとへ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4578-2.jpg" alt="" class="wp-image-54917" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4578-2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4578-2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4578-2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>さらに、本田さんは店での魚の処理の方法にもこだわる。釣り上げられた直後の魚は興奮状態で筋肉に乳酸と血が回って食味が低下し、緊張で身は固く締まっている。そのため、仕入れた活魚は一旦店のいけすに運び、ストレス症状が落ち着くまで休ませる。そして、料理人の元に届く時間を逆算して、自らの手で神経締めや血抜きを行う。「最良の魚を料理人の元に届けるのが私の仕事。競り落として送って終わりではなく、ベストな状態に調えた魚をお渡しする責任がある」と本田さんは言う。</p>



<p>この日、本田さんが試食で用意してくれた刺し身は、クエ、石垣鯛、ブリの3種。1週間ほど熟成させたもので、醤油をはじくほど脂が身に溶け込んでおり、旨みのかたまりのような味わいに驚く。活魚のコンディションの整え方や締め方など、本田さんの知識と技術を学ぶために全国から漁師や料理人が店を訪れるというのも納得だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">漁師を支えることが、海を守ることにもつながる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4502-1.jpg" alt="" class="wp-image-54918" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4502-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4502-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4502-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「昔はとにかく量を売るという時代でしたが、今は違います。さまざまな要因で海の生態ピラミッドは崩壊し、エサとなる海藻やプランクトンが減り、魚も減少しています」と本田さん。その結果、魚の価格は年々上がっており、このままではお金を持っている一部の人だけが食べられる食材となってしまうのではと危惧している。</p>



<p>良質な魚が適正な価格で取り引きされる社会になれば、漁師も適正な収入を得られる。すると、乱獲を防ぐことができるとともに、漁業も次の世代に継承され、豊かな海を守ることにつながるはずだと本田さんは考えている。「本田屋」の開業は、そんな思い描く未来のための第一歩だった。</p>



<p>2026年、「本田屋」は開業から10年目を迎える。本田さんは「この仕事をやってきたからこそつながった人の輪が、年々広がっていくのを感じています」と目を輝かせる。</p>



<p>市場での目利き、漁師との対話、料理人への責任。</p>



<p>その一つひとつの積み重ねが、「適正な価格で魚が取り引きされる社会」という思い描いてきた未来に、少しずつ近づける道になってきた。続けて、今後もさまざまな分野の職人と出会い、学びを得たいと展望を語る本田さん。開業から10年、「第一歩」だったはずの本田屋の歩みは、いま確かな手応えへと変わりつつある。本田さんは今日も変わらず海と厨房のあいだに立ち、次の10年に向けて、自分にできることを考え続けている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54903/">スターシェフから絶大な信頼を得る魚の目利き。「本田屋」本田満輝さん／熊本県天草市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>牛の命が輝く場所を作るのが使命。「オオヤブデイリーファーム」大薮裕介さん／熊本県合志市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54590/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 29 May 2026 05:11:24 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[ミルコロエイジングヨーグルト]]></category>
		<category><![CDATA[MILK’ORO LAB.]]></category>
		<category><![CDATA[にっぽんの宝物レジェンドグランプリ]]></category>
		<category><![CDATA[6次産業アワード農林水産大臣賞]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_9123.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>一口目はもったりと濃厚、二口目はとろりと爽やか。２層仕立ての瓶詰めヨーグルト「ミルコロエイジングヨーグルト」は農林水産大臣賞をはじめとする数々の賞を受賞した人気商品。仕掛け人であり酪農家でもある大薮裕介さんは“選ばれる商 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_9123.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>一口目はもったりと濃厚、二口目はとろりと爽やか。２層仕立ての瓶詰めヨーグルト「ミルコロエイジングヨーグルト」は農林水産大臣賞をはじめとする数々の賞を受賞した人気商品。仕掛け人であり酪農家でもある大薮裕介さんは“選ばれる商品開発“で牛の命が輝く場所を作っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">初めて聞く父の弱音に家業と向き合うことを決めた</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/bd378a7db158c49aaf9837a53b3a1123.jpg" alt="" class="wp-image-54596" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/bd378a7db158c49aaf9837a53b3a1123.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/bd378a7db158c49aaf9837a53b3a1123-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/bd378a7db158c49aaf9837a53b3a1123-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>熊本市のベッドタウンとして人口増加が続いている合志市。その一角に「オオヤブデイリーファーム」はある。</p>



<p>創業は1975年、日本での飼育頭数の9割以上を占める乳牛の種類であるホルスタインを飼育し、乳を搾って出荷する形で始まった。現在の代表である大薮裕介さんは実家を継ぐ形で2001年に就農。とはいえ、家業だから強制的に、というわけではなく、アメリカの研修で毎年海外旅行に行っているという酪農家の夫婦と出会い、「酪農業」を活かして自分の人生を彩り、形作っている生き方に感銘を受けたことが就農のきっかけだったという。旧来からある乳業の仕組みにも疑問を感じていたが、業界内で偉くなっていったとしても、個の力では到底変えることができない画一的な産業システムを目の当たりにし、次第にやる気をなくして悶々とした日々を過ごしていたという。</p>



<p>そんな大薮さんの心に追い打ちをかけたのが、全国的に行われていた生乳の生産調整だった。生産調整とは乳製品の在庫が過剰となった場合などに、国が生産者に対して生乳の生産を抑えるように求める施策だ。牛が生まれてから生乳を搾れるようになるまでには2年かかる。一度酪農家や飼育頭数を減らしてしまうと、生産量を短期間で取り戻すことは難しくなる。そのため、頭数の制限ではなく、生産者に生乳を廃棄させる形で在庫量を調整する。</p>



<p>休みなく働き続けて牛を育て、ようやく搾った生乳を大量に廃棄するよう命じられる生産者の心境は他人が軽々しく言葉にできるものではない。しかも、生産調整は在庫状況に応じて何度も繰り返され、その度に生産者は精神的な負担だけでなく、収益の悪化という重い負担も背負うことになる。</p>



<p>実際、2006年には生乳の大量余剰が発生し、北海道だけで牛乳パック90万本分、約900トンもの生乳が廃棄された。</p>



<p>とはいえ、牛は毎日必ず搾乳しないと乳房炎という病気になり、最悪の場合は死んでしまう。生き物への責任と愛情があるからこそ、廃棄すると分かっていても毎日世話をし、搾らざるを得ない。</p>



<p>また、牛が誕生してから初めて牛乳が搾れるようになるまで約3年を要する。もし今、牛乳が余っているからといって殺処分などで頭数制限をすれば、数年後に猛暑で全国的に乳量が落ちるようなことが起きた場合、供給が間に合わなくなる可能性もある。</p>



<p>加えて、酪農は牛舎の建設、搾乳ロボット、トラクター、そして何十頭もの牛そのものなど、数千万円から数億円の初期投資が必要な「装置産業」。その多くは長期の融資で賄われており「苦しいから明日で辞めます」ということは、なかなか叶わないのだ。</p>



<p>絶望に打ちひしがれた大薮さんは、その時初めて正勝さんの弱音を聞いた。父親の背中が小さく見えた瞬間だった。そして、いつの間にか酪農の現実から目をそらしていた自分に気づいた。</p>



<p>大薮さんは、家業と向き合うことを決めた。このまま同じやり方を続けても未来はない。搾った乳を農協に出荷するだけの酪農は価格も出荷量も自分たちでは決められない。努力が報われない構造の中に取り込まれたままでは、家族を支えることも、牧場を次の世代へつなぐことも難しい。牧場の現状に強い危機感を感じた大薮さんは、 出荷するだけの酪農から自分たちで価値をつくる酪農へと大きく舵を切ることにしたのだった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">酪農家だからこそ作れるオリジナルのヨーグルト</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_0674.jpg" alt="" class="wp-image-54597" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_0674.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_0674-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_0674-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一体、自分たちに何ができるだろうか。「オオヤブデイリーファーム」に生まれてきてくれた牛たちの命を無駄にせず、輝かせるにはどうしたらいいか。答えを探す中で、大薮さんはオリジナル性の高い自社乳製品を生み出すという考えに行き着いた。その頃、牧場でホルスタインに比べて栄養価が高く、生乳に希少性のあるジャージー牛の飼育も始めていた。酪農家の先輩たちからヨーグルトの製造技術を、熊本県の技術支援機関では菌検査方法をそれぞれ学び、2012年に牧場の敷地内に2.5メートル四方の小さな加工施設を建て、自社牧場の生乳を使ったヨーグルトの製造を開始。こうして誕生したのが「ミルコロエイジングヨーグルト」である。</p>



<p>「ミルコロエイジングヨーグルト」の材料はふたつだけ。自社で育てたジャージー牛の生乳とてんさい糖で作る。一般的に生乳は乳脂肪を均一化し、品質を安定させるためのホモジナイズという加工が施されるが、「オオヤブデイリーファーム」ではホモジナイズ加工を行わず、生乳をそのまま使用する。すると、脂肪分が分離してクリームの層として浮かび上がる。ジャージー牛の乳は脂肪が多いためクリームの層が厚くなり、でき上がりのヨーグルトはクリームとヨーグルトの２層仕立てとなる。そのユニークさも商品価値につながると考え、ホルスタインではなくジャージー牛の生乳を選んだ。2層はそれぞれ味わいが異なり、クリームの層はレアチーズケーキのようにもったりと濃厚、ヨーグルトの層はとろりと爽やかな風味を楽しめる。材料がたった2つだけとは思えないほど複雑な香りと旨味がある。加えて、クリームの層が蓋の役割を持ち、ヨーグルトの層の中では日々発酵が進み、乳酸菌が増えて味わいが変化していく。だから“エイジング”と名乗っている、というわけだ。</p>



<p>「ミルコロエイジングヨーグルト」の特徴はこれだけではない。ジャージー牛は体内のさまざまな機能にとって重要な成分であるオメガ3脂肪酸が豊富なアマニを主とした飼料で育てており、その生乳にも天然のオメガ3脂肪酸が多く含まれている。さらに、牧場内での交配で品種改良を繰り返すことにより、「オオヤブデイリーファーム」のジャージー牛の乳はベータカゼインA2ミルクを生産できるようになっている。ベータカゼインA2ミルクは人間の母乳に構造が近いとされており、吸収がよく、消化管に炎症を起こしにくいため、摂取してもお腹がゴロゴロとなりにくいといわれている。</p>



<p>自社の牛乳の特徴を生かした「オオヤブデイリーファーム」の製品開発力は全国的に評価され、2019年6次産業アワード農林水産大臣賞をはじめとする数々の賞を受賞。JR九州の豪華列車「ななつ星in九州」や日本を代表する高級ホテルの朝食でヨーグルトが採用されるなど、販路を大きく拡大した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">誕生を喜ばれない命がある事実に目を背けたくない</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_9482.jpg" alt="" class="wp-image-54598" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_9482.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_9482-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_9482-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>当たり前のことだが、牛にも性別がある。乳牛のメスは乳が出るが、オスからは出ない。だからオスは、肉用牛となる。だが、ジャージー牛のオスはホルスタインと比べて体格が小さく、成長も遅いことから収益が低いなどの理由で生後すぐに殺処分されることが多い。</p>



<p>雄牛が生まれる確率は約50％。大薮さんは、牧場で生まれた子牛がオスだと分かった時に、心の底から喜べない自分がいることがずっと心にひっかかっていた。人間の都合で誕生を喜ばれない命がある事実から目を背けたくない。せっかく生まれてきてくれたのだから、雄の子牛の命にも輝く場をつくりたい。そんな思いからオスの子牛を採算ラインギリギリの生後1年まで肥育し、食肉に加工する取り組みにも着手。牧場の敷地内に新しく開いたカフェ「MILK’ORO LAB. （みるころラボ）」の食事メニューに使うことで、命のバトンをつなぐ仕組みを作った。</p>



<p>オスの子牛はメスと同様にオメガ3脂肪酸が豊富なアマニを主とした飼料で育てることで、肉からも不飽和脂肪酸の一種で、アンチエイジングの補助になる成分「ALA（アルファリノレン酸）」が検出されることが分かった。しかも、肉質がやわらかく、食味も良い。機能性があるだけでなくおいしければ、消費者から選ばれる理由となる。こうした取り組みは業界外からも話題を呼び、2025年6月に大阪万博会場で開催された地方の優れた「食」を表彰する「にっぽんの宝物レジェンドグランプリ」では2位に輝いた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">“選ばれる商品開発”がこれからの酪農の鍵となる</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="681" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/image-58-1024x681.jpeg" alt="" class="wp-image-54594" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/image-58-1024x681.jpeg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/image-58-300x200.jpeg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/image-58-768x511.jpeg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/image-58.jpeg 1381w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>「オオヤブデイリーファーム」では「MILK’ORO LAB.」を拠点に食育活動も積極的に実施。搾乳や乳製品加工など命の温かさや食の循環に触れられる体験の機会を設けており、地元の子どもたちを中心に年間で約2000人を受け入れている。<br>酪農体験で命の温かさに触れ、製造体験では、私たちは皆、誰かに生かされている事を感じて欲しいとは願っているが、そんな複雑なことはまだ伝わらなくとも、牧場に足を踏み入れて牛たちをその目で見ることで、何かを感じてもらえるはずだと大薮さんは信じている。そして、子どもたちが牛や牧場に興味を持ったときに酪農家が希望のある職業であるように、まずは「オオヤブデイリーファーム」が持続可能な事業スタイルを確率させることが重要だとも考えている。そのためには“選ばれる商品開発“がこれからの酪農の鍵となる。今後の展望を熱っぽく語るその目には、命の現場を未来へつなぐ覚悟と力強さが満ちていた。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54590/">牛の命が輝く場所を作るのが使命。「オオヤブデイリーファーム」大薮裕介さん／熊本県合志市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>山あいの窯で、光を重ねる「御船窯」 ／熊本県上益城郡御船町</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54432/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 07 May 2026 09:53:13 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
		<category><![CDATA[青磁]]></category>
		<category><![CDATA[貫入青磁]]></category>
		<category><![CDATA[焼締め]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6743.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>山あいに佇む「御船窯（みふねがま）」のギャラリーには、双子の兄弟が手がける２種の器が並んでいる。土と炎が力強い質感を生み出す「焼締め」と、塗り重ねられた釉の層に光を宿す「青磁」。弟の津金日人夢（つがねひとむ）さんは、陶芸 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6743.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>山あいに佇む「御船窯（みふねがま）」のギャラリーには、双子の兄弟が手がける２種の器が並んでいる。土と炎が力強い質感を生み出す「焼締め」と、塗り重ねられた釉の層に光を宿す「青磁」。弟の津金日人夢（つがねひとむ）さんは、陶芸のなかで最も難しいとされる青磁の道を選んだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">脱サラした父の窯。暮らしの器の時代</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6378.jpg" alt="" class="wp-image-54440" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6378.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6378-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6378-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>御船窯があるのは、市街地から少し離れた山あいの森のなか。今から40年ほど前、脱サラした父が熊本県八代市で約400年続く陶磁器・高田焼の技法を学び、独立。この地に窯を築いたのが始まりだった。高田焼は青磁で知られるが、父は青磁には取り組まず、わらや木など植物灰を原料とした釉薬による灰釉（はいゆう）陶器や粉引きといった日用の器を手がけた。焼き物ブームの中で、あちこちに窯元が乱立していた時代だったが父の器は人気を集め、週末ともなれば駐車場に入りきらないほどの人が、この窯を訪れた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">窯元から作家へ、青磁という賭け </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6513.jpg" alt="" class="wp-image-54441" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6513.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6513-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6513-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そんな環境で育った津金さんは、佐賀県有田にあった全国唯一の窯業専門の専修学校で陶芸の基礎を学び、卒業後、帰郷。卒業後は父の片腕として日用の器としての茶碗を何十個も作り、展示会が終わればまとまったお金をもらう。求められる数を、決められた形で作る“職人”的な働き方だった。しかし、窯元を続けていくには、これまでのように山あいの窯で日用の器を作って並べ、客を待つだけでは難しい時代になっていた。</p>



<p>「このままでは続かない」。</p>



<p>そう感じるようになった津金さんは、量ではなく、作品そのものと向き合う道を考えはじめる。</p>



<p>「ならば、作家として何をやるのか」。<br>そう自問したとき、たどり着いたのが青磁だった。陶芸の世界でも最も難しいと言われるジャンルで、手がける人も多くはない。だからこそ、それを極めてみたいと思ったという。青磁の起源は古代中国にさかのぼる。素地に透明釉をかけ、窯の中を酸欠状態にして焼成すると、釉薬に含まれる鉄分が青く発色する。しかし、天然原料の釉薬は鉄分量が安定せず、素地の土や炎の具合によっても、仕上がりの色は異なる。イメージ通りの青を出すのは、容易なことではない。その難しさから、青磁はかつて、「手を出すと身代を潰す」と言われ、体系的に学ぶ環境もほとんどない中で、津金さんは本を買い集め、理解できない部分は他の文献で補いながら、独学で青磁の研究を重ねていった。<br>「このままではダメだと思って始めた青磁でしたが、やってみると、どんどんのめり込んでいきました」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">厚い釉、薄い土——青磁を組み立てる技術 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6735.jpg" alt="" class="wp-image-54442" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6735.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6735-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6735-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>最初は不思議なほど順調だった。地方の展覧会で賞も取れた。だが、日本工芸会の世界へ入ると、こう言われた。「それは青磁じゃない。本物を見たことがあるのか」。</p>



<p>日本工芸会の世界では、地方の展覧会とは評価の基準がまったく異なる。作品の出来栄えだけでなく、素材や技法、歴史的な文脈まで含めて「本物の工芸かどうか」が厳しく問われる世界だ。津金さんの認識は、根本から覆された。青磁は、ただ青や緑に見えればいいわけではない。特徴は、釉薬を驚くほど厚くかけることだ。一般的な器が1ミリ未満なのに対し、青磁では2ミリ以上、場合によっては4ミリを超える。厚い釉の層の中で光と鉄分が反応し、あの深い色合いが生まれる。</p>



<p>釉薬が厚い分、土台となる器は極端に薄く作らなければ、品が出ない。だが、薄くすればするほど、焼成の途中で土が耐えきれず、へたったり歪んだりしてしまう。<br>そこで必要となるのが、土そのものをつくる作業だ。津金さんは日本各地の土を試し、焼きに耐える強さや、成形のしやすさ、焼き上がりの安定感などを少しずつ調整し、独自に配合していった。「これでいい」と思っても、また手を入れたくなる。その繰り返しだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">時間が描く線。貫入という名の表情 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6750.jpg" alt="" class="wp-image-54443" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6750.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6750-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6750-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>釉薬のかけ方も、同じように手間がかかる。内側に3回、乾かしては重ね、外にも3回。焼く前の姿は、本当に青磁になるのか？と疑うほど、完成系からはほど遠い。しかも、窯の中の状態が少し変わるだけで、色は簡単にブレてしまう。「酸素の具合ひとつで、青磁は黄色にも傾きます。色をつくるのではなく、厚くかけた釉薬の中で、鉄分の発色を引き出す。それが、青磁という焼き物だと思います」。津金さんはそう話す。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6599.jpg" alt="" class="wp-image-54444" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6599.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6599-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6599-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>津金さんの器の中でも特徴的なのが、「貫入青磁（かんにゅうせいじ）」と呼ばれるものだ。貫入とは、焼き上がった器を窯から出し、冷ます過程で生まれる細やかなヒビのこと。青磁では、土と釉薬の収縮率のわずかな違いによって、表面の釉薬に細かな亀裂が入る。薄い氷が張ったように見えるものもあれば、ヒビにベンガラを擦り込み、赤い線として際立たせたものもある。一般的には、こうした貫入は偶然に生まれるものとされる。しかし津金さんは、釉薬の厚みや焼成、冷却の条件を細かく調整し、貫入の入り方そのものを作品の表情として引き出している。<br>貫入は、必ずしも窯から出した瞬間に入るわけではない。数日後、ときには1ヶ月ほど経って、「バキン」と音を立てて入ることもある。赤く浮かび上がる線と、後から入る透明な線。その重なりが、使い込むほどに器の表情を変えていく。</p>



<h2 class="wp-block-heading">青磁の品格を決めるもの</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6739.jpg" alt="" class="wp-image-54445" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6739.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6739-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6739-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>津金さんは、日本工芸会が主催する国内最高峰の公募展「日本伝統工芸展」に初入選して以降、作品が宮内庁に買い上げられるなど評価を高めてきた。さらに「日本工芸会賞」の受賞をはじめとする実績を重ね、青磁の分野で確かな地位を築いている。一方で、賞をめぐる価値観は、この十数年で大きく変わったという。かつては、受賞が百貨店の催事を呼び、客もそれを目印に訪れた。今は、個人の感覚で器を選ぶ人が増え、「賞がすべてを決める時代ではなくなってきた」と、津金さんはいう。<br>それでも彼の中で揺るがないのは、青磁に求められる「品格」だ。目指すのは、雨過天青（うかてんせい）と呼ばれる、水のように澄んだ青。その理想に近づくため、中国の青磁の系譜を学び、現地にも足を運ぶ。ルーツを知ることが、新しい表現への確かな土台になると考えている。</p>



<p><br>窯はガス窯を使う。窯の種類にこだわるのではなく、作品にふさわしい炎を選ぶという考え方だ。青磁には、不純物の少ない、強く安定した炎が欠かせない。</p>



<p>さらに近年は、原料そのものが失われつつある。土を掘る人が減り、長年使ってきた土が「もう出せない」と告げられることもある。<br>津金さんは、手に入る分を確保しながら次の土を探し、原料屋とも現場で会って関係をつなぐ。「土を掘る人がいなければ、僕らも作れない」。</p>



<h2 class="wp-block-heading">使われることで、完成していく</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6527.jpg" alt="" class="wp-image-54446" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6527.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6527-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_6527-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>目標は、「津金の青磁、いいな。ひとつ持っておきたい」と思わせる作り手になること。箱に入れて飾る器ではなく、食卓で使われ、ふと「それ、誰の？」と聞かれるような器をつくりたいと考えている。</p>



<p>青磁は地味で、下積みが長い。歩留まりも決して良くはない。それでも、難しさの先にある品格に惹かれ、辞めなかった。“70歳を超える名匠でさえ、捨て場に失敗作が山ほどある”。その話を聞いたとき、肩の力が抜けたという。</p>



<p>「一生やる」。その言葉を、静かに噛み締める。</p>



<p>器は、焼き上がって終わりではなく、使われることで少しずつ、完成していく。津金さんの仕事もまた、そんな風にゆっくり積み重ねられている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54432/">山あいの窯で、光を重ねる「御船窯」 ／熊本県上益城郡御船町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>問いを重ね、灯りをつなぐ。「山鹿灯籠の店 なかしま」中島弘敬さん／熊本県山鹿市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 20 Apr 2026 11:42:24 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<category><![CDATA[山鹿灯籠まつり]]></category>
		<category><![CDATA[金灯籠]]></category>
		<category><![CDATA[灯籠師]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3066.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「よへほ〜、よへほ〜」。民謡・よへほ節に合わせ、約千人の女性たちが優雅に舞う「山鹿灯籠（やまがとうろう）まつり」。踊り手の頭上にゆらめく明かりの正体は、伝統工芸品である山鹿灯籠。中島弘敬さんは山鹿灯籠師の系譜を継ぐ4代目 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3066.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「よへほ〜、よへほ〜」。民謡・よへほ節に合わせ、約千人の女性たちが優雅に舞う「山鹿灯籠（やまがとうろう）まつり」。踊り手の頭上にゆらめく明かりの正体は、伝統工芸品である山鹿灯籠。中島弘敬さんは山鹿灯籠師の系譜を継ぐ4代目。伝統を礎に、時代に合わせて変化していくことも厭わない。</p>



<h2 class="wp-block-heading">踊り手の頭上にゆらめく幻想的な明かりは伝統工芸品</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3080.jpg" alt="" class="wp-image-54388" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3080.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3080-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3080-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>————骨もなけれど　肉もなし　よへほ　よへほ————</p>



<p>民謡・よへほ節に合わせ、約千人の女性たちが体をしなやかに動かして優雅に舞う「山鹿灯籠まつり」。毎年8月に開催され、例年約10万人以上が来場する、山鹿市の一大イベントだ。深い霧の中で道に迷った第12代景行天皇を、山鹿の里人たちが松明を頭上に掲げて案内したことが祭りの起源と伝わる。​​夜の闇の中、踊り手の頭上にゆらめく幻想的な明かりの正体は、伝統工芸品である山鹿灯籠の一種「金灯籠」。遠目では金属製に見えるが、実は紙製。木や金具は一切使わず、和紙と少量の糊だけで立体的に組み上げられており、重さはたったの約180グラムしかない。紙製とは思えない見た目の重厚さや豪華さを実現するためには精巧な技術を要し、「灯籠師」と呼ばれる職人が制作を担う。</p>



<p>中島弘敬さんは100年以上続く灯籠師の家系の４代目。曽祖父と祖父の代では灯籠師と時計屋を兼業していたが、父親の代から灯籠師一本となり、豊前街道沿いで灯籠専門店「山鹿灯籠の店 なかしま」を営んでいる。中島さんは灯籠師の家系の次男として生まれ、33歳までサラリーマンだった。だが、兄弟の誰一人として実家を継ぐ者がいなければ技術が途絶えてしまうと一念発起。父親の弟子となり、灯籠師の道に入って今に至る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">異業種から転職し、師匠である父のもとで技術を習得した</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2855.jpg" alt="" class="wp-image-54389" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2855.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2855-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2855-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>異業種からの転職は簡単ではなかった。幼い頃から父親の制作の様子を間近に見ており、転職前から修行はしていたものの、伝統工芸士の技術はそうやすやすと習得できるものではない。山鹿灯籠の制作は細かい作業の連続で、指先は痛み、目は疲れ、肩は凝る。並大抵ではない集中力と根気が必要だ。しかも、師匠である父親からは容赦なくダメ出しを受ける。「だけど、今思えば息子だからといって甘やかすことなく、一人の弟子として扱ってくれた父に感謝しています」と中島さんは言う。灯籠師を名乗るには、約10年の修行を積み、他の灯籠師たちから技術を認められる必要がある。中島さんが認定を受けたのは2017年、40代になってからのことだった。</p>



<p>山鹿灯籠には前述の金灯籠を筆頭に、神殿や楼門、五重塔といった神社仏閣建築を題材とする「宮造り」、伝統的な日本家屋を模した「座敷造り」など、伝統的な様式がある。加えて、灯籠師自身が編み出した作品も多く、多彩で、種類が豊富だ。これらは主に、後述する「奉納灯籠」に用いられ、灯りをつけない仕様のものもある。ほか、地元の家庭では初盆の提灯代わりに飾られることも多く、家紋入りのオーダーメイドにも対応する。</p>



<p>山鹿灯籠の条件は「手漉き和紙と糊のみを使用すること」「灯籠の主な部材は空洞とすること」「曲線部分にのりしろを作らないこと」の3つ。だから、勧進帳の弁慶や電車、戦艦などが作られた例もあり、自由で多様だ。その中でも金灯籠が注視されるのは、山鹿灯籠まつりのシンボルというだけでなく、灯籠師の登竜門的様式だからだろう。灯籠師に必要とされる技術が集約されており、金灯籠を完成させてこそ、認定の第一歩とされている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">地域社会の営みに深く根差した伝統工芸</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2944.jpg" alt="" class="wp-image-54390" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2944.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2944-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2944-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>金灯籠の制作は、ミリ単位での作業が延々と続く。図面を写した厚手の和紙をカットし、組み立てる。言葉にするとたったこれだけだが、内部が空洞で骨組みがないため、和紙の貼り合わせのみで形を保ち、強度を担保しなければならない。だから山鹿灯籠は「骨なし灯籠」との異名を持つ。これが冒頭の民謡で「骨もなけれど　肉もなし」と唄われる所以である。</p>



<p>骨も肉もないから、和紙の貼り合わせがわずかにずれるだけで、崩れる。そして、ぴったりと貼り合わせるためには、和紙を寸分の狂いもなくカットしてあることが前提だ。金灯籠はおよそ200のパーツから成り、準備から完成まで3日ほどかかる。「山鹿灯籠を制作するには、集中力を欠くことなくやり遂げる根気が必要」との中島さんの言葉に、改めて頷く。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3093.jpg" alt="" class="wp-image-54391" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3093.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3093-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3093-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>こうして作られた灯籠は踊り手の頭上に載せられるほか、奉納灯籠にも用いられる。奉納灯籠とは、祭りのために町内会などの団体ごとに灯籠師に依頼して作る灯籠のことで、祭り期間の展示を終えると地元の「大宮神社」に奉納することからこの名が付いた。形状などに規定はなく、モチーフは団体と灯籠師の相談で決まる。毎年27〜28基が作られ、奉納後は神社内にある「燈籠殿」で保管・展示。1年後の8月に新しい灯籠と入れ替えられる。「毎年のことですが、依頼主から喜んでもらえることが本当に嬉しい。頑張ってよかった、と報われる瞬間です」と中島さんは言う。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統を未来につなぐためには“問い”が必要</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2841.jpg" alt="" class="wp-image-54392" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2841.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2841-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2841-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>山鹿灯籠は約2000年前、第12代景行天皇が筑紫路巡幸の際に深い霧に進路を阻まれた際、山鹿の人々が松明（たいまつ）で案内したことが発端と伝わる。その後、人々は景行天皇を祀る大宮神社に松明を奉納し続け、室町時代に松明が山鹿灯籠へと変わったという。そして、江戸時代には町の有力者たちが奉納灯籠の豪華さを競い合うようになり、山鹿灯籠の文化が花開いたというわけだ。</p>



<p>現在、現役の灯籠師は全体で7名。うち5名が女性で、2名が男性、50〜60代が中心だ。認定を目指す見習いは3名いる。灯籠師の数はここ数十年横ばい状態だが、見習いは全員が20代で、中島さんは「山鹿灯籠の未来は決して楽観できる状況ではないが、悲観するほどでもない」と考えている。ただし、伝統を未来につなぐためには“問い”が必要、とも。</p>



<p>「祭だけでなく、伝統工芸品として購入し、日常的に使ってもらえるシーンを増やしたい。使用環境が限られていては、先細りしていくだけだ。そのためにはどんなものが売れるのか、消費者に山鹿灯籠を身近に感じてもらうためにはどうしたらいいのか……」。</p>



<p>中島さんは、常に問いを抱くことで、新しいものを世に出していこうとしている。「時代の変化やニーズに合わせて少しずつアップデートしていくことで、守れる伝統もあるはずです」。問いを抱きながら灯籠を作り続けること。その積み重ねが、山鹿の灯りを次の時代へとつないでいく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54382/">問いを重ね、灯りをつなぐ。「山鹿灯籠の店 なかしま」中島弘敬さん／熊本県山鹿市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>約400年の歴史と伝統にアイデンティティーを。「小代焼ふもと窯」井上尚之さん／熊本県荒尾市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 20 Apr 2026 11:20:59 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
		<category><![CDATA[登り窯]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2110.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>言うならばサラブレッド。小代焼の大家とされる井上泰秋さんを父に持ち、約400年の歴史がある小代焼の中でも最大級の6基の登り窯を有する「ふもと窯」に生まれた井上尚之さん。その恵まれた環境は、誇りであると同時に、常に比較と評 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2110.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>言うならばサラブレッド。小代焼の大家とされる井上泰秋さんを父に持ち、約400年の歴史がある小代焼の中でも最大級の6基の登り窯を有する「ふもと窯」に生まれた井上尚之さん。その恵まれた環境は、誇りであると同時に、常に比較と評価にさらされる場所でもあった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自分のやりたいことは、本当に陶芸なのか</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1908.jpg" alt="" class="wp-image-54362" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1908.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1908-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1908-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>パチパチと薪がはぜる音がする。登り窯の斜面を駆け上がるようにして燃え広がり、焼き物に命を吹き込む炎の様子に、約400年もの間脈々と受け継がれてきた小代焼の歩みが重なる。</p>



<p>九州を代表する陶器の一つ、小代焼。1632年に細川忠利が陶工を伴い、熊本県北西部にある小岱山（しょうだいさん）のふもとに窯を開いたことが起源とされる。鉄分や小石粒を多く含む小代粘土を用いた素朴で力強い肌合いと、藁灰釉や木灰釉といった地元の自然から作られた釉薬を流しかける大胆なデザインが特徴で、シンプルながら奥の深さを感じさせる佇まいに魅力がある。2003年には国の伝統的工芸品に指定され、現在は荒尾市と玉名郡南関町を中心に11の窯元が残る。</p>



<p>中でも荒尾市府本にある「小代焼ふもと窯」は、現存する小代焼の窯では最大級の6基の登り窯を有し、多くの弟子を輩出してきた名窯だ。初代の井上泰秋さんは日本民藝館展の最高賞受賞をはじめ数々の作品展で入賞し、熊本の伝統工芸の発展に欠かせない存在として知られる。</p>



<p>1975年に泰秋さんの長男として生まれた井上尚之さんは、約400年の歴史と伝統の中に自身のアイデンティティーを取り入れ、イギリスの古い焼きものからヒントを得た​​独自の「スリップウェア」（器の表面をスリップと呼ばれる化粧土で装飾した陶器）が評判の人気作家だ。幼少期は欠けた陶器をままごとセット代わりにして遊び、将来は焼き物をすると当然のように思っていたが、高校時代にふと足を止める。自分のやりたいことは本当に陶芸なのか。迷いながら地元のデザイン専門学校に進学するも、答えは見えない。尚之さんは当時を振り返り「はっきり言って、ふらふらしていましたね」と、眉を下げて笑う。</p>



<h3 class="wp-block-heading">伝統的な小代焼とスリップウェアの融合</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2148.jpg" alt="" class="wp-image-54363" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2148.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2148-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2148-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>尚之さんは旅に出た。東京、栃木、沖縄と、泰秋さんの知人を訪ね、各地で焼き物やその現場を見せてもらうがピンとこない。だがなぜか、小石原だけが違った。小石原焼を代表する「太田哲三窯元」を見て、自然と「ここで勉強したい」と思えたのだという。その後、代表の太田哲三さんのもとで4年の修行期間を経て、実家であるふもと窯へ。はるか前を歩く兄弟子たちの姿に焦りを感じながら修行を重ね、ようやくろくろの前に座ることができたとき、尚之さんは途方に暮れた。いざ作れる状況に立ってみたら、自分が作りたいものが見えなかった。</p>



<p>そこでヒントとなったのが、太田さんのもとで学んだ技法の一つ「ポン描き」。釉薬を専用の容器から器の表面に流し出すことで線や模様を描く装飾技法だ。尚之さんはこの「ポン描き」に、イギリスに伝わる化粧土で装飾された陶器「スリップウェア」と近いものを感じ、古いスリップウェアや関連書物から“自分が作りたいもの”を探った。そして、小代焼とスリップウェアを融合させた独自のスタイルに辿り着いた。約400年の歴史と伝統にアイデンティティーを見出したのだった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">土地の素材と普遍の意匠から生まれるもの</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1822.jpg" alt="" class="wp-image-54364" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1822.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1822-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1822-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>尚之さんの作品は自ら採掘した小代粘土を用いる。釉薬となる灰には木や藁、焼成の燃料には松薪と、伝統的な小代焼と同様に地元の自然のものを使用。成形した粘土が乾ききらないうちに水で溶かした粘土を掛け流し、さらにその上にスポイトのような道具から水で溶かした別の色の粘土を垂れ流して模様を描く。</p>



<p>デザインは、イギリスの古い文献から選んだ普遍的な柄をベースに、独自に解釈して再構築している。「普遍的なものは人々から飽きられなかったからこそ今に伝わる」との考えからだ。波線やクロス、リボンのように見えるものまでバリエーションは多様。その伸びやかで躍動的な線からは、尚之さんの大らかで飄々とした人柄が感じられる。</p>



<p>現在でこそ多くの消費者から支持を得ている尚之さんの作風だが、作り始めた当時は「伝統的な小代焼ではない」と風当たりが強かったという。しかし、さる恩人から「十人中九人が敵でも一人は味方がいる。私は君の味方だ」との言葉をかけられたことが、尚之さんの心の支えとなり、今に繋がっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">土と炎に問い続けるものづくりの姿勢</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1757.jpg" alt="" class="wp-image-54365" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1757.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1757-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1757-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>尚之さんは、作品の焼成に6袋の登り窯を使う。今から約50年前、1977年に泰秋さんが完成させたものだ。数日間にわたって薪を投入し続けながら温度管理をする登り窯はガス窯に比べるとコントロールが難しく、「一生かかっても分からない」「窯の調子が作品の良し悪しを決める」といわれるほど。温度や酸素量など窯の内部の状態が均一にはならないために割れや歪みなどの不良も出やすく、「小代焼ふもと窯」の場合、製品化率は6割ほどに留まる。それでも薪から出る灰と炎の力が織りなす人智を超えた美に魅了される陶芸家は少なくない。一方、尚之さんは「登り窯を作品の良さの理由にも、言い訳にもしたくない」ときっぱり。何で焼くかは重要ではなく、できた作品の品質そのものを評価されるべきだと考えているからだ。</p>



<p>窯は使用を重ねるほどに内部が傷む。「小代焼ふもと窯」では耐用回数といわれる100回はとうに超えており、部分的な修理を繰り返しながら使い続けている。尚之さんは「登り窯にこだわりはないし、使えなくなったとしても対策は考えてあるから問題ない」とあっけらかんとしているが、「登り窯にしかない面白さはある」と、その魅力を認めてもいる。</p>



<p>長い迷いと葛藤を経て、歴史と伝統の中に自らの居場所を見つけた尚之さん。今、その隣には、鳥取県「岩井窯」での修行を終え、「小代焼ふもと窯」の三代目として2024年に実家へ戻った息子の亮我さんの姿がある。小代焼の伝統そのものだけでなく、土と炎に問い続けるものづくりの姿勢も、また次の世代へと受け継がれようとしている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54356/">約400年の歴史と伝統にアイデンティティーを。「小代焼ふもと窯」井上尚之さん／熊本県荒尾市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>山地放牧が照らす酪農の未来。「玉名牧場」矢野希実さん／熊本県玉名市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 10 Apr 2026 10:25:36 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[乳牛]]></category>
		<category><![CDATA[山地酪農]]></category>
		<category><![CDATA[ジャージー]]></category>
		<category><![CDATA[ルミエール]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2315.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>茶褐色の土がむき出しになった小高い山を、牛たちが悠然と歩いている。野生を感じさせるその締まった体つきは、山地での完全放牧によるものだ。牧場主の矢野希実さんは元エンジニア。脱サラして10年かけて開拓した東京ドーム約3個分の [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2315.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>茶褐色の土がむき出しになった小高い山を、牛たちが悠然と歩いている。野生を感じさせるその締まった体つきは、山地での完全放牧によるものだ。牧場主の矢野希実さんは元エンジニア。脱サラして10年かけて開拓した東京ドーム約3個分の土地で、30頭のジャージー牛を飼っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">無一文状態で山に入り、土地を拓き、酪農を始めた</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2715.jpg" alt="" class="wp-image-54320" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2715.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2715-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2715-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>熊本県北部にある玉名市は、有明海、小岱山、菊池川と豊かな自然に恵まれ、気候も温暖。米や野菜、果物の栽培が盛んな農業のまちだ。この土地で矢野さんが新たな一歩を踏み出したのは2000年頃。</p>



<p>福岡県北九州市出身の矢野さんは、地元の製鉄所の設備などを設計するプラントエンジニアとして働いていたが、会社員として働き続ける人生にふと違和感を感じたという。幼い頃からアレルギー体質に悩まされていたこともあり、生活と食を根本から見直すようになった。その過程で農薬も肥料も使わない自然農法を実践する農家と出会い、食と農への関心は深まっていく。そして20代後半で脱サラし、自給自足と循環型農業を目指して現在の牧場がある山に入植することを決めた。</p>



<p>入植とは、未開の地に入り生活を始めることを指す。矢野さんは標高約200mにある雑木林と化した牧場跡地と出合い、ここでなら日本ならではの山地酪農の形を追究できると確信。2000年に牛と豚、犬を一頭ずつ連れて無一文状態で移住することを決めた。土地の片隅に小さな小屋を建て、木々を切り倒して間引き、荒れ果てた土地を耕し、玉名牧場を作った。</p>



<p>矢野さんが酪農を本格的に始めることができたのは、そこから7年後の2007年。牛乳の販売と並行してチーズの加工販売も始めて採算を取りながら、少しずつ理想とする牧場の形を作っていった。牧場の名は地名から取った玉名牧場。自然農法で育てた米や野菜、鶏の卵を売って生計を立てながら、現在の広さまで開拓するのに10年もの月日を要した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自然の摂理に沿った、力強い営みが息づく牧場</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2341.jpg" alt="" class="wp-image-54321" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2341.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2341-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2341-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>約15ヘクタールの広大な土地で暮らす乳牛は30頭。飼育する牛はジャージー種で、国内飼育の9割以上を占めるホルスタイン種に比べると、体重にして約200kgほど小さく搾乳量も少ないが、そのぶん自分の重さで膝や蹄（ヒヅメ）を痛めにくく、丘陵地での飼育に適している。</p>



<p>こうした環境適正はもちろん、ジャージー種から搾乳する牛乳は脂肪分やタンパク質が非常に高く、濃厚であるため、肝心の味でも差別化ができると考え、ジャージー牛を選んだ。</p>



<p>ちなみに、玉名牧場では一般的な酪農で用いられる穀物飼料や配合飼料は与えない。牛たちはお腹がすいたら山に自然に生える牧草を食べ、満腹になったら散歩をしたり、ウトウトとまどろんだり。</p>



<p>牧場には牛舎と呼ばれる牛を管理する小屋があるのが普通だが、玉名牧場には牛舎がなく、牛たちは年間を通して山の牧草地で自由に過ごす。当然糞尿も山でするわけだが、牧草しか食べていない牛の糞はまるで土のかたまりのようだ。水っぽさがなく、ツーンと鼻をつく悪臭もない。矢野さんがひょいと持ち上げたそれは見るからにふかふかとしていて、指の間からぽろぽろと崩れ落ちては山の土と一体となる。その様子からは、人の手を介さずとも自然に還り、この土地で循環していくことが容易に想像できる。玉名牧場のように放牧で酪農をしている牧場は全国でわずか20件ほどだという。</p>



<p>玉名牧場の牛は背骨が出て肋骨もうっすらと見えている。牛舎で管理されているホルスタインをイメージすると痩せているように感じるが、これが野生に近い姿だと矢野さんは言う。早く成長させて多くの乳を出せるように高たんぱく･高カロリーの飼料を与えることはしないので、スリムだし、一般的なジャージー牛と比べても半分以下の乳量しか採れない。だが、だからこそ健康なのだ。身体に負担がかからない食事をして、適度に運動し、よく眠り、ストレスなく暮らしているから、肥満にならないし病気にもかかりにくい。牛たちは山で自然に繁殖し、出産も人の介助を必要とせず、牛が自力で産み落とす。</p>



<p>玉名牧場には自然の摂理に沿った力強い営みが息づき、矢野さんはその循環こそ目指すべき酪農の姿であり、山地酪農こそ理想の牛乳をつくるためのベストな選択だと考えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">季節と風土を映す玉名牧場の乳製品</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2758.jpg" alt="" class="wp-image-54322" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2758.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2758-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2758-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>こうした環境で育った牛たちの乳は、ほのかに黄色味を帯びたクリーム色が特徴だ。市場に出回っている牛乳の乳脂肪分の平均はホルスタインが3%台、ジャージーが4％台とされるが、玉名牧場のものは5％に達する。この高い乳脂肪分が濃厚でコクのある味わいを生み出しているが、後味は驚くほどさっぱりとしている。また、気温や牧草の状態の影響を受けて季節ごとに味が微妙に変化するのも玉名牧場の牛乳の特色の一つ。日本では120〜130度で3秒間の熱処理を行う高温殺菌が主流だが、玉名牧場では65度で30分という低温で殺菌しているため、タンパク質の変性が少ない。だから生乳本来のクリアな風味や季節ごとの味の特徴がそのまま保たれ、飲み口はさらり。タンパク質や脂肪分が舌にまとわりつくような重さもなく、すっと消えるような余韻がある。</p>



<p>そんな牛乳で作る玉名牧場の看板商品であるシェーブルタイプのオリジナルチーズ「ルミエール」は、まず香りに驚かされる。牧草を想起させる爽やかでほのかに甘い香りがふわりと立っているのだ。口に含むと、濃厚なコクと旨味が舌にじんわりと広がるが、山の空気のような清々しさも感じる。熟成とともに味に奥行きが増し、とろりと溶けていくのも、ルミエールのポイントだ。矢野さんが自ら生産する牛乳の乳質に合う製法を模索して完成させたこのチーズには、牛たちが暮らす自然環境や季節の移ろいが閉じ込められている。2011年にはくまもと食品科学研究会大賞で最優秀賞を受賞した逸品だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">生計を立てられる持続可能な酪農を次の世代へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2791.jpg" alt="" class="wp-image-54323" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2791.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2791-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2791-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>牛乳やチーズ、バターなど、玉名牧場の乳製品は一般に向けて直販されているほか、県内外の料理人やパティシエ、自然食品店からも根強い支持を得ている。だが、矢野さんは生産量を今以上に増加させるのではなく、質を保ち続けることを目標にしている。</p>



<p>山頂を開拓した牧場は斜面が多く、日陰の部分は牧草が生えにくい。加えて、近年頻発している豪雨により土が流されることもあり、牧場内だけでは牧草を確保するのが難しくなってきているのが現実だ。そこで別の圃場で牧草を栽培して不足分を賄っているものの、牧場として使える十分な土地の確保が当面の課題である。</p>



<p>また、矢野さんは次の世代の酪農家にも責任を感じている。玉名牧場のような営農方法を目指して見学や研修に来る人は後を絶たないが、資金や土地の面でつまずくケースが少なくない。農業は生産するだけでなく、生計を立ててこそ初めて持続可能となる。そのためには若手にノウハウを伝えるだけでなく、彼らが安心して挑戦できる環境を整えることが重要だと矢野さんは考えている。これらの解決のためには、消費者が食べ物を選ぶ際の基準や意識を変えることが必要だ、とも。</p>



<p>そのために玉名牧場では、消費者と生産者双方に向けて、食や、その生産環境について考えてもらうための牧場案内やイベントを積極的に実施。その成果もあってか、矢野さんの思いに共鳴する消費者や生産者、料理人、そして自治体までもが、玉名牧場の製品の魅力、取り組みの素晴らしさを自主的に発信してくれるようになってきた。こうして、矢野さんの撒いた種は少しずつ実を結び、国土面積の約7割が山地･広陵地である日本に於ける山地酪農の可能性や価値への理解が深まるなど、活動の輪は広がりつつある。</p>



<p>矢野さんの渾身のチーズの名は「ルミエール」。フランス語で光を意味するそのチーズのように、山の営みから生まれた小さな光は今、熟成の時を迎えて次の世代を照らし始めている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54314/">山地放牧が照らす酪農の未来。「玉名牧場」矢野希実さん／熊本県玉名市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>秘境 白川源泉 山荘「竹ふえ」／熊本県南小国町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 29 Mar 2021 09:07:10 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/03/main-1-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>秘境 白川源泉 山荘「竹ふえ」 熊本県・白川温泉は、阿蘇くじゅう公園の北、南小国町にある小さいが自然豊かな温泉郷。三大美人泉質と呼ばれる、“炭酸水素塩泉”・“硫黄塩泉”・“硫黄泉”のうち、炭酸水素塩泉と硫黄泉が含まれてお [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/29068/">秘境 白川源泉 山荘「竹ふえ」／熊本県南小国町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/03/main-1-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">秘境 白川源泉 山荘「竹ふえ」</h2>



<p>熊本県・<a href="https://kumamoto.guide/yubijin/onsen/detail/60">白川温泉</a>は、阿蘇くじゅう公園の北、南小国町にある小さいが自然豊かな温泉郷。<span class="swl-marker mark_yellow">三大美人泉質と呼ばれる、“炭酸水素塩泉”・“硫黄塩泉”・“硫黄泉”のうち、炭酸水素塩泉と硫黄泉が含まれており、近くには名水百選に選ばれた『白川水源』があるなど、良質な泉質で人気が高い。</span></p>



<p>その白川温泉にある 「<a href="https://www.takefue.com/">竹ふえ</a>」は、知る人ぞ知る秘境の宿。約5,000坪の広大な敷地に数万本の竹林があり、その中にわずか12の客室が点在している。</p>



<p>客室は古民家風で落ち着いた空間、柱や部屋のいたるところに種類の異なる竹をあしらっているほか、窓の外の竹林風景を美しくみせるように壁や天井の色、照明の明るさにもこだわった造りをしていて、家具や小物、ワインクーラーにも竹が使われている。すべての部屋に和室と食事をいただく囲炉裏、趣の異なる自家源泉かけ流しのお風呂がついているのだが、どの部屋の内風呂も大きな窓があって竹林が眺められるし、8室ある離れにはさらに露天風呂がついていて、竹林に囲まれながら気持ちよく入浴することができる。</p>



<p>竹笛にはパティシエがいて、部屋でいただくウェルカムスイーツのバームクーヘンもパティシエの手によるもの。しっとりとした口当たりがよく甘すぎず、部屋に備え付けられている石臼挽きのコーヒーとともに楽しみたい。</p>



<p>夕食は各部屋にある囲炉裏で、旬の素材や地元の海の幸、山の幸をふんだんにつかった懐石料理が提供される。山に囲まれながらも毎朝別府湾から水揚げされた新鮮な魚を使った料理や、熊本黒毛和牛のしゃぶしゃぶ、馬刺しや辛子蓮根など、品数も多くかなりのボリュームだ。翌日の朝食も土鍋炊きのごはんに卵料理や呉汁のほか、囲炉裏であぶる焼き魚などを楽しめる。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="426" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/03/kiji1-7.jpg" alt="" class="wp-image-29070" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/03/kiji1-7.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/03/kiji1-7-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div>

<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="426" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/03/kiji2-7.jpg" alt="" class="wp-image-29071" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/03/kiji2-7.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/03/kiji2-7-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">竹林に囲まれた美しい露天風呂</h2>



<p>敷地内には、<span class="swl-marker mark_yellow">野趣あふれる趣の異なる３つの貸し切り風呂『古久庵』、『小夜』、『紫炎庵』と、『別邸天空』に宿泊したゲストのみが利用することのできる特別空間『竹城の間』がある。特筆するべきは『竹城の間』。7m×5mと見たこともないほどの大きさの露天風呂で、日中は竹林の自然な美しさを、夜にはライトアップされた幻想的な景色を味わいながら心ゆくまで寛ぐことができる</span>だろう。ゆっくり休みたい時にはスピーカーやグラスルーチェを備えた部屋でひと休みすることもできるし、浮き輪ボートの用意もあるので、お風呂でプールのように楽しむことも可能だ。</p>



<p>客室や貸し切り風呂、スパなどをひと巡りする回廊のいたるところでも、美しい景色やフリーのラムネ、地元産のアイスクリームなど、ゲストへのおもてなしがいたるところにあった。チェックアウトの際には、宿を紹介するオリジナルの書籍と共に、ウェルカムでもいただいたバームクーヘンのお土産が。「竹ふえ」は名湯なだけでなく、また訪れたいと思わせられる宿である。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="426" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/03/kiji3-8.jpg" alt="" class="wp-image-29072" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/03/kiji3-8.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/03/kiji3-8-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/29068/">秘境 白川源泉 山荘「竹ふえ」／熊本県南小国町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>釉薬を使わない手法“焼締”と神品と呼ばれた“青瓷”／熊本県御船町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 22 Jul 2015 00:26:20 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[青瓷]]></category>
		<category><![CDATA[焼締]]></category>
		<category><![CDATA[熊本県]]></category>
		<category><![CDATA[御船町]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸品]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/07/nihonmono_logo-1024x512.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>釉薬を使わない独特の手法“焼締” 「陶苑 御船窯」は父・津金貞機さんと双子の息子の3人で陶芸作品を作る窯元。しかし、その作風はそれぞれ異なる。兄の津金日人詩さんは釉薬を使わず焼きあげる“焼締（やきしめ）”の作家。“焼締” [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/21714/">釉薬を使わない手法“焼締”と神品と呼ばれた“青瓷”／熊本県御船町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/07/nihonmono_logo-1024x512.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">釉薬を使わない独特の手法“焼締”</h2>



<p>「<a href="https://kumamoto.guide/spots/detail/12938" target="_blank" rel="noreferrer noopener">陶苑 御船窯</a>」は父・津金貞機さんと双子の息子の3人で陶芸作品を作る窯元。しかし、その作風はそれぞれ異なる。兄の津金日人詩さんは釉薬を使わず焼きあげる“焼締（やきしめ）”の作家。<span class="swl-marker mark_yellow">“焼締”は、焼物の表面に使う釉薬を使わず、窯で薪を使い焼くことで素地に灰が降りかかり、その灰が釉薬の代わりとなって模様となる焼き方で独特な風合いが特徴だ。</span></p>



<h3 class="wp-block-heading">静かで柔らかい風合いの“青瓷”</h3>



<p>弟の津金日人夢さんは“青瓷”作家で、日人夢さんは有田で陶芸の基礎を学び、青瓷については独学で習得し、現在は食器や杯などを作っている。<span class="swl-marker mark_yellow">“青瓷”とは、青瓷釉を施して焼いた器のことで、薬をかけて焼くことによって様々な色を出すことが可能になる。</span>鉄分を多く含む釉薬は高温で焼き上げるとなんとも美しい青緑色を生み出す。<br>「青瓷の色に魅かれて、こちらの道に進みました。静かで柔らかい青瓷独特の色合い。何よりも品がありますよね」日人夢さんは青瓷の魅力を教えてくれた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">青瓷の上品な透明感を引き出す職人技</h2>



<p>“青瓷”は素焼きが終わった段階の陶器に粘土や灰などを水に溶かした釉薬をかけていく。釉薬をかけて焼くことによって様々な色を出すことが可能になる。釉薬を厚めにかけていくが、一回ではかけきれないため、何度かに分けて丁寧に作業をする。<br>釉薬は顔料というよりは染料に近く、陶器が釉薬を吸い込む力で吸着させる。吸着させる量が多過ぎると逆に水を吐き出そうとして色が付かないこともある。器の表面と釉薬が触れている時間の長さで色合いに濃淡が出るが、色付けの作業がうまくできているかどうかは焼き上がるまでは分からない。何度も何度も作品作りを繰り返して感覚を身につけていく。<span class="swl-marker mark_yellow">あの美しい青緑色を均一に発色させるのはまさに職人技だ。</span></p>



<h2 class="wp-block-heading">神品と呼ばれた青瓷を発信していく</h2>



<p>「絶対的に支持する人がいたわけではないのですが、中国時代の作品や現代の日本人作家の作品から様々な刺激を受け、徐々に自分独自の色や形を作り出してきました。これまでもたくさんの人たちから様々なお話を伺いました。青瓷を作っている先輩や仲間たちと切磋琢磨しながら前に進んでいる感じです」と日人夢さんは笑顔で語ってくれた。<br>古くは“神品”と呼ばれた中国の“青瓷”。先人から引き継いだ “青瓷”の魅力を、現代の若手陶芸家が新しい見せ方で日本へ、世界へ発信して行く。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/21714/">釉薬を使わない手法“焼締”と神品と呼ばれた“青瓷”／熊本県御船町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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