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	<title>FOOD - NIHONMONO</title>
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		<title>全国から注文が入るフルーツトマト「うしの恵み」を育てる家族「眞嶋農園」／高知県香南市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 17 Aug 2026 07:25:02 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-182718.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県は、「フルーツトマト」と呼ばれる、高糖度トマトの発祥の地と言われており、県内各地で付加価値の高い高糖度トマトが生産・販売されている。県で3番目の生産量を誇る香南市で、「うしの恵」と名付けた「フルーツトマト」のブラン [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-182718.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県は、「フルーツトマト」と呼ばれる、高糖度トマトの発祥の地と言われており、県内各地で付加価値の高い高糖度トマトが生産・販売されている。県で3番目の生産量を誇る香南市で、「うしの恵」と名付けた「フルーツトマト」のブランド化に成功しているのが、眞嶋農園だ。眞嶋農園は、高知龍馬空港から約10分、高知県の東部エリアへ伸びる国道55号近くにある。住宅と畑の間に厩舎とビニールハウスが建つ、家族経営の酪農家兼農家だ。牛乳を生産し、牛糞を「濃縮堆肥」にして販売、さらに堆肥を使って旨味のある「フルーツトマト」を育てることに取り組んできた。また、同じ堆肥で、耕作放棄地を活用した青パパイヤ栽培や、飼料にする牧草を育てて、持続可能な循環型の耕畜連携を実践している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">酪農と農業の循環を築き、継承に力を注ぐ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-172203.jpg" alt="" class="wp-image-55069" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-172203.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-172203-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-172203-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>代表の眞嶋順一さんは、「うちは元々、父の代から約60年続く酪農家なんです」と語る。26年前、母の入院をきっかけに、眞嶋さんが妻と息子を連れて県外からUターンして、家業を継いだのだそうだ。</p>



<p>飼育しているのはホルスタイン種という搾乳に特化した牛で、現在は35頭を世話する。しかし、飼料の高騰や、少子化による学校給食での牛乳消費量の減少など、酪農を取り巻く環境は厳しい。「酪農は、家族経営ではだんだん厳しくなっていて、メガファームやギガファームといった大規模化、IT化が進む流れもあります」と眞嶋さんは言う。</p>



<p>そんな環境下で、眞嶋家は、自給飼料への切り替えを図るなどしてコストを下げながら、酪農と農業を循環させる工夫を続けている。今では、主に眞嶋さんが酪農を、野菜ソムリエの資格を取った妻の美加さんがトマト栽培を担い、息子の将さんが夫婦の後継として共に働いている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">超濃縮タイプの“乾燥牛糞堆肥”づくり</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-175214.jpg" alt="" class="wp-image-55070" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-175214.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-175214-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-175214-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>眞嶋さんは父から酪農を引き継いで以降、酪農の副産物である糞尿をどう活かすか試行錯誤を重ねたという。</p>



<p>父が取り組み始めていた堆肥づくりを、販売できるまでにするにはどうすればよいか。本を読むなどしていろいろ調べ、糞尿を乾燥装置で水分10％以下まで落とし、その乾燥堆肥を水分調整材として再利用する独自の手法を編み出した。</p>



<p>「一度出来上がった乾燥堆肥を混ぜることで水分を調整して、また良い堆肥ができる。これを繰り返すことで、オガクズなどを入れることなく、高品質な堆肥を安定的に製造できています。</p>



<p>並行して、父は販売を見据え2000年頃から堆肥の効き目を検証するために『フルーツトマト』栽培を始めていました。トマト農家を営む親戚から栽培について教わり、その2年後に私たち夫婦がノウハウを受け継いだんです。堆肥の投入量の適正化を含め家族で試験を重ねてきました。</p>



<p>トマトが美味しいと言われて売れるようになり、堆肥の品質の良さが証明されたことで、堆肥も売れるようになりましたが、軌道に乗るまで、5～6年かかりましたね」</p>



<p>酪農家が堆肥をつくることは珍しくない。一般的には、糞尿に籾殻やオガクズを混ぜて発酵させることで水分量が60％以上の発酵堆肥が作られている。ただ、眞嶋農園のように糞尿を乾燥させた堆肥を水分調整に用いる例は非常に珍しい。</p>



<p>眞嶋農園の牛糞99.9％という超濃縮タイプの“乾燥牛糞堆肥”は、軽くて扱い易く、肥料としての質が高い。評判が広がるにつれ農家からの注文が増えて、現在は製造が追いつかないほどだそう。</p>



<p>「農作物の肥料として少量でも十分な効果を発揮する点が自慢です」と眞嶋さんは言う。</p>



<h3 class="wp-block-heading">始めは大玉、徐々に高糖度の「フルーツトマト」に仕上げる </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-175636.jpg" alt="" class="wp-image-55071" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-175636.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-175636-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-175636-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そもそも「フルーツトマト」とは特定の品種名ではない。品種やサイズに関わらず、糖度が8以上あるものを「フルーツトマト」と呼ぶ。小ぶりな「ミニトマト」はフルーツトマトと混同されがちだが、ミニトマトはあくまでも形で分類された小さいトマトの総称。規定の糖度を越えなければフルーツトマトとして出荷することはできない。そのため、糖度を上げるための栽培方法が重要になってくる。一般的には、小ぶりな品種のトマトを選び、水分制限して育てると糖度を上げやすいと言われるが、眞嶋農園のトマトは、独自の栽培方法を確立している。</p>



<p>眞嶋農園では、品種は大玉トマトの「桃太郎ファイト」を使う。食味、柔らかさ、皮の硬さなどの観点でいろいろな品種を試した結果、最終的に選んだ。年配の人にも美味しく食べてもらえる皮の食感だという。</p>



<p>「現在も試し続けていますが、ここ数年は今の品種が一番うちの栽培方法にピタッと合っていると思います」と、美加さん。</p>



<h2 class="wp-block-heading">眞嶋流は、どこよりも時間をかける</h2>



<p>何より特徴的なのは、急がず、健康的な株を育ててから“ゆっくりと高糖度に仕上げる”という考え方だ。他所よりも時間をかけて育てるため、「他のフルーツトマトはもう店頭に並んでいるけど、おたくのトマトの出荷はまだなの？」と、お客さんから問い合わせを受けることもあるのだとか。</p>



<p>多くの農家は、根の広がりを制限して水の管理を徹底する「隔離栽培」を行うことで早く糖度を上げて「フルーツトマト」に仕上げようとするのに対し、眞嶋農園では根の広がりを制限しない。むしろ、しっかり根を張った健康的な株を育てることに時間をかける。水を制限するのも段階的だ。敢えて、最初から「フルーツトマト」にしないというのが、こだわりだ。</p>



<p>「そもそもフルーツトマト専用の種はなく、大玉トマトの品種を栽培方法でフルーツトマトに仕上げていきます。うちの場合は接ぎ木をせず、茎を太くして根がいっぱい張るように育てています。さらに堆肥の効果が後まで続くようにと考えて、最初に堆肥を少し多めに入れるため、その効き目が出て、初めは大玉がつきます。そこから、糖度を上げるために徐々に水分を制限することで、結果的に小ぶりになってはいきますが、他より大きめのトマトでも糖度が乗ったものができます。</p>



<p>単に甘いだけでは魅力を感じません。甘み・酸味のバランスを整えた上でのトマトらしい甘みであってほしいし、自家製の牛ふん堆肥による独自の旨みを大事にしています」と、眞嶋さんは言う。</p>



<h3 class="wp-block-heading">トマトの目利きは、妻と息子</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-181810.jpg" alt="" class="wp-image-55072" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-181810.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-181810-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-181810-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>糖度は、実が色づき始めた頃にはほぼ決まっており、そこから追熟が進むと酸味が旨味に変わっていき、甘みも強く感じられるようになり微妙な味わいの変化があるという。</p>



<p>「糖度が上がってくると、トマトの中の果肉が透けて見えるようになります。また、糖度が高くなるひとつの目安に、青いトマトのヘタ部分に入る『ベースグリーン』と呼ばれる濃い緑色のラインがあります。スターマークは知られるようになりましたが、そんなことも目安に日々食味しながらトマトの状態を確認しています。目利きはもう、妻と息子には敵わないです」と、眞嶋さん。続けて、妻の美加さんが言う。</p>



<p>「トマトの見極めは、家族で手分けして行っています。人を育てないと、とは思いますし、画一性を求めるなら人に任せず糖度センサーを入れればいいんでしょうけど、お客さんによって異なる好みに対して、直にお応えしたい。やはり相手の顔が見えている中で販売・やり取りしていますので、大切にしたい部分なんです」</p>



<p>「フルーツトマト」の産地として知られる高知県だけあって、競合も多い。そんな中で、眞嶋農園はきめ細かさで、顧客の要望に応えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">独自の“斜め誘引”と、5,500本を支える手仕事</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180144.jpg" alt="" class="wp-image-55073" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180144.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180144-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180144-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>トマトの圃場に入ると、まず目を引くのが“斜め誘引”という珍しい栽培方法だ。株を斜めに伸ばし、根を自由に張らせているという。「吊るし式も試しましたが、収穫姿勢が厳しく断念しました」と、眞嶋さん。</p>



<p>斜め誘引は、株が成長するにつれ収穫位置が上がり、作業がしやすい。ただし手間は膨大だ。5,500本すべてを紐でくくり、脇芽を取り、毎日手入れをする。繁忙期は家族だけでは手が足りないので、手伝ってもらう。これが最初に教わった方法だったという。以来、20年以上、眞嶋さんはずっと手間を惜しまず、斜め誘引を継承している。</p>



<p>また、ハウスの温度や湿度の管理は、コンピュータ制御ではなく、経験と経験に培われた勘で乗り越えてきた。南国・高知と言われるだけあって、冬でも日中の気温が12〜16℃あって温かい。そのうえ、気候変動でハウス内が30℃になる日も出てきたが、「自分たちの目と感覚で管理しています」と美加さん。手を抜かず、積み上げてきた経験がものを言う。</p>



<h3 class="wp-block-heading">害虫対策は、農薬の使用量を減らして天敵昆虫を使う「環境保全型農業」 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180240.jpg" alt="" class="wp-image-55074" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180240.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180240-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180240-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>さらに、トマト栽培に害をなすコナジラミの対策には、トマト苗生育中に並行して、ごまを育て、天敵昆虫のタバコカスミカメを自家採種。タバコカスミカメの餌植物であるクレオメを植えて自然繁殖させ、害虫の発生を抑制させる。農薬の使用を減らす「環境保全型農業」も実践していた。高知県は全国的に見てもこの「環境保全型農業」への意識と実践が非常に高い。JAが中心となって農薬に頼らない栽培を推進している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">野菜ソムリエ仲間の口コミから広がった、「うしの恵み」の輪</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180527.jpg" alt="" class="wp-image-55075" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180527.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180527-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180527-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>販路拡大のきっかけは、妻の美加さんの野菜ソムリエ資格の取得だった。夫に付き添ってIターンして数年後、美加さんは友人5人と毎週末、高知から香川まで通って野菜ソムリエの資格を取得する。その後に知り合った県内外の野菜ソムリエ仲間がレストランや百貨店と繋いでくれたり、SNSで発信してくれるなど気にかけてくれた。こうして口コミが広がって、県外からの注文が増えていったという。</p>



<p>「お客さんがお客さんを呼んでくれるんです」。<br>営業に出る時間がない家族経営にとって、これは大きな力になった。<br>ハウスの広さは25アール。「もっと広げたら？」と言われるが、品質を守るためにあえて増やさない。</p>



<p>「二人でしっかり見られる限界が25アールなんです」と、夫妻は言う。</p>



<p>規模よりも味。今のお客さまに喜んでもらえることが一番。その姿勢が、ファンを増やし続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">牛を可愛がることが、美味しい牛乳につながる </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-172839.jpg" alt="" class="wp-image-55076" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-172839.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-172839-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-172839-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一方、厩舎を覗くと、乳牛たちが穏やかに牧草を食んでいた。子牛が興味深そうにこちらを見てくる。「さくらちゃん、さくらちゃーん」と、美加さんが声をかける。厩舎の牛たち全頭に名前がついており、赤ちゃんの頃から「かわいいね」と声をかけ続けるのだそうだ。ストレスを与えないことが、美味しい牛乳の第一条件だからとはいえ、美加さんの声は、母親がわが子に呼びかけるように優しい。</p>



<p>牛舎にはミストと大型扇風機が設置され、暑さに弱い牛を守る。角は幼少期に焼いて除角し、怪我を防ぐ。1日4回、1頭25kgの餌を食べ、約30Lの牛乳を出す。繁殖も丁寧だ。生後14ヶ月で初めての種付け、妊娠期間は10か月。出産2か月前からは搾乳を止め、赤ちゃん牛に栄養を回す。</p>



<p>さらに、県の事業として「土佐あかうし」の受精卵移植にも協力。ホルスタインが代理母となり、地域の畜産を支えている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">“去年の美味しさ”を超えるために。続いていく家族の挑戦  </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180853.jpg" alt="" class="wp-image-55077" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180853.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180853-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180853-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>酪農から出た堆肥が、農作物を育て、乳牛たちの飼料になり、美味しい牛乳となる一連の循環が、眞嶋農園を支えている。</p>



<p>眞嶋農園では、トマトの収穫は12月から6月末まで。そこで一旦区切りを設けて、次の植え付けに着手するというが、美加さんは、植え付けからの手入れ期間は「一番楽しい」と笑う。逆に収穫が始まると緊張の日々なのだとか。</p>



<p>「これまでは、良くする努力を重ねてきましたが、おかげさまで、お客さんに付いていただけるようになったので、今度は、できるだけ味を変えない努力をしています。息子が苦労している最中ですが、先の状態を想像しながら管理していくことは、気候変動の中では非常に難しいと、ここ近年感じています」</p>



<p>美加さんは、「お客さんの記憶の中の“美味しい”は年々美化されていきます。だから、それを超えるぐらいの気持ちでトマトを作って、次の年も「美味しい」と言っていただけるようにと想いを込めて作っています」と言う。</p>



<p>水の管理と玉の大きさの調整、機械に頼らずに生育状態を日々自身の目で細かく見極めるなど、味を狂わせないための数々の努力と、家族だけが可能な“目利き”が、今年もトマトを仕上げていく。</p>



<p>牛と堆肥とトマトがつくる“恵みの循環”は、家族の力でこれからも続いていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55058/">全国から注文が入るフルーツトマト「うしの恵み」を育てる家族「眞嶋農園」／高知県香南市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<item>
		<title>夢の機械を創る、100年企業が描く農業と未来。「井関農機株式会社／株式会社ISEKI M&#038;D」／愛媛県松山市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/55014/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 06 Aug 2026 10:02:18 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[農業機械]]></category>
		<category><![CDATA[スマート農業]]></category>
		<category><![CDATA[ISEKI　Dream　Gallery]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-27.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本を代表する農業機械メーカーのひとつである、井関農機株式会社。創業者、井関邦三郎氏は、北宇和郡三間（みま）村（現宇和島市）生まれであり、三間はおいしい米（三間米）の産地としても知られる農村地域である。 農家を過酷な労働 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55014/">夢の機械を創る、100年企業が描く農業と未来。「井関農機株式会社／株式会社ISEKI M&D」／愛媛県松山市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-27.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本を代表する農業機械メーカーのひとつである、井関農機株式会社。創業者、井関邦三郎氏は、北宇和郡三間（みま）村（現宇和島市）生まれであり、三間はおいしい米（三間米）の産地としても知られる農村地域である。</p>



<h2 class="wp-block-heading">農家を過酷な労働から解放したい</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-31.jpg" alt="" class="wp-image-55019" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-31.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-31-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-31-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>創業者･井関邦三郎氏、誕生の地である愛媛県。松山市にある「ISEKI　Dream　Gallery」では、井関農機株式会社の歴史や技術を展示している。井関邦三郎氏は、幼いころから家業である農業に携わっていた。当時の農作業は重労働であり、「農家を過酷な労働から解放したい」という強い想いを抱いていたという。人の手から機械へと移り変わる時代の中で、より良いものを追求する情熱が原動力となり、1926年に松山市で「井関農具商会」を創立。最初に手がけた農機は「全自動籾すり機」だった。その後も農業の機械化と近代化に貢献し、戦後の食料増産や高度経済成長を支える企業へと発展していく。</p>



<h3 class="wp-block-heading">農業の未来を動かす、松山発のモノづくり</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-5.jpg" alt="" class="wp-image-55020" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-5.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-5-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-5-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>1936年に、松山市に工場を設立。戦後の食料増産、高度経済成長を支える、農業の機械化･近代化に貢献する数々の農業機械を開発･生産してきた。1978年には松山工場にて大型トラクタ生産を開始。長い歴史を持つ同工場は、現在も「株式会社ISEKI M&amp;D」としてISEKIグループの農業機械の製造部門を担っている。ISEKIグループにおける「スマート農業」「環境保全型農業」といった取り組みにおいて、製造面から支える、モノづくりの中核拠点だ。</p>



<p>「人の手作業から機械化へと変えていくなかで、本当に役立つ機械を作りたい。“ええもんを作ろう”という創業者の理念を、今も受け継いでいます」と、株式会社ISEKI M&amp;D 代表取締役社長の酒井正弘さんは話す。</p>



<p>ISEKI M&amp;Dで製造する農業機械は小規模農地向けから130馬力の高出力トラクタまで幅広く、海外で活用される芝刈機や、雑草抑制･農薬肥料散布･土壌水分保持などを行う乗用管理機など、多様な製品を手掛ける。部品加工から塗装、組み立てまで社内で一貫して行う体制を整えているため、多品種少量の製品に素早く対応でき、農家にとって使いやすく、手に取りやすい製品づくりにつながっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">スマート農業と野菜作機械化一貫体系</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/eb49b87ebc41ecad7a20bce4a0993fcb.jpg" alt="" class="wp-image-55021" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/eb49b87ebc41ecad7a20bce4a0993fcb.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/eb49b87ebc41ecad7a20bce4a0993fcb-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/eb49b87ebc41ecad7a20bce4a0993fcb-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>農業を取り巻く現実は厳しい。従事者の高齢化や後継者不足で、人手はどんどん減少している。収穫や植え付け、管理といった作業は、季節や天候に合わせて短期間で集中して行う必要があるため、限られた人手ではとても追いつかない。こうした現場で求められているのは、少ない労力で確実に収量を確保できる農業機械の技術だ。</p>



<p>ISEKIは、農業の効率化と環境保全を両立させる「スマート農業」に注力している。ITやセンサー、GPS、ロボットといった最新技術を活用し、作物の状態やほ場の条件に応じた作業を可能にすることで、少ない人手でも高い生産性を実現する。</p>



<p>スマート農業技術を搭載したトラクタやロボットトラクタの開発･生産も行う。たとえば、GPSを利用した位置測位により、トラクタはほ場内での直進走行をアシストできる。これは作業者がステアリングで細かく舵を切る必要がなくなるため、疲労を軽減できるというものだ。また、ロボットトラクタは有人監視のもと、人と協調して作業を行うことで、作業効率の向上にも貢献している。</p>



<p>ほかにも、ほ場内の状態に応じて肥料量を調整する「可変施肥技術」を2015年に開発。肥料の無駄を抑えながら、生育のばらつきを少なくし、品質や収量の安定につなげるなど、環境負荷の軽減と生産性向上の両立を目指している。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/788A9720.jpg" alt="" class="wp-image-55022" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/788A9720.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/788A9720-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/788A9720-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p><strong> </strong>1990年頃には機械化の進展により、稲作における労働時間が1960年の4分の1となる一方で、野菜作に関しても省力化のニーズが高まる。田植機･コンバイン･乾燥機など、機械化一貫体系が進んでいる稲作に比べると、当時の野菜作は機械化が遅れており、軽労化･省力化が求められてきた。ISEKIは、全自動野菜移植機「ナウエルPV101」の商品化に始まり、「野菜作機械化一貫体系」に力を入れてきた企業でもある。</p>



<p>実は野菜作りは、地域ごとに作業のやり方が大きく異なるという特徴があるそうだ。たとえばネギの場合、一口に「長ネギ」と言っても、地域ごとに品種や栽培方法が異なる。畝（うね）の幅や植え付けの間隔にも地域性があり、ISEKIではそれぞれの地域に合わせて、畝幅や植え付け間隔を調整できる機械を開発している。</p>



<p>　さらに、だいこん･玉ねぎ･キャベツ･ブロッコリー･サトイモ･ニンジン･レタス･枝豆･ネギ･かんしょなど、幅広い作物に対応できる機械や資材をそろえ、「野菜作機械化一貫体系」を確立。苗の育成から植え付け、管理、収穫、選別まで、野菜作り全体の工程を一貫して機械化できる体制を整えている。これにより、多品種少量の生産や地域ごとの栽培条件の違いにも柔軟に対応でき、少人数でも効率的かつ品質の安定した農作業が可能になる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">創業100年、技術と人で未来の農業をつなぐ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-47.jpg" alt="" class="wp-image-55023" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-47.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-47-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-47-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現場の解決につながる技術開発を積み重ね、ISEKIはトラクタや田植機、コンバインなど農業機械の開発に関わる技術をはじめ、約2,200件の特許権を保有している 。培ってきた技術力が、スマート農業の進化を支え、現場の農業をより確実で、より負担の少ないものに変えている。</p>



<p>ISEKI M&amp;Dで製造されている新型機種もそのひとつ。GPSなどのデジタル技術を活用したスマート農業にも取り組んでいる。こうした技術は、長年の経験で培われてきた農作業のノウハウをサポートするものだ。例えば、熟練者が感覚で行っていた正確な作業を機械が補助することで、経験の浅い作業者でも一定の品質で作業しやすくなる。人から人へ受け継がれてきた農業技術を、デジタルの力で次世代へつないでいくことで、担い手不足の解消や持続可能な農業の実現を支えている。&nbsp;</p>



<p>農業現場の人手の減少や、気候変動の影響もあり、農業現場の人手は減少。効率化と環境への配慮は欠かせない。国の「みどりの食料システム戦略」も追い風となり、省力化や有機農業など、持続可能な農業への転換が求められている。</p>



<p>ISEKIは2026年に創立100年を迎え、長年の技術と経験を誇る企業としてこの課題に向き合う。大型･先端･畑作･環境対応の農業機械を開発し、省力化と環境保全を両立。電動化をはじめとする環境対応技術を拡充し、高品質な農機を通じて生産性の高い持続可能な農業を後押しする。</p>



<p>さらに次世代の技術者育成にも力を注ぐ。設計や製造、最新技術に触れる実践の場で課題解決力や判断力を磨き、長年培われた技術や知恵を学ぶ姿勢も大切にしている。こうして育まれた人と技術の力が、農業の効率化や環境配慮に直結し、より持続可能で豊かな農業を支えていく。技術と人が紡ぐものづくりは、これからも農業に新しい可能性を届けるだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55014/">夢の機械を創る、100年企業が描く農業と未来。「井関農機株式会社／株式会社ISEKI M&D」／愛媛県松山市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>世界初の地下海水を使った青のりの陸上栽培で、海藻の食文化と豊かな海の継承を目指す「合同会社シーベジタブル」／高知県高知市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54923/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 28 Jul 2026 02:40:13 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[陸上栽培]]></category>
		<category><![CDATA[すじ青のり]]></category>
		<category><![CDATA[黒海苔]]></category>
		<category><![CDATA[青のりしょうゆ]]></category>
		<category><![CDATA[シーベジスタンド]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-145615-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>近年、海水温の上昇により海藻が海で育たない「磯焼け」という現象が世界的に海洋環境の問題となり、日本国内の海の天然の藻場（もば）は年間で東京ドーム千二百個分が消えているとも言われる。海の生態系の土台が揺らぎ、漁業全体に影響 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54923/">世界初の地下海水を使った青のりの陸上栽培で、海藻の食文化と豊かな海の継承を目指す「合同会社シーベジタブル」／高知県高知市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-145615-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>近年、海水温の上昇により海藻が海で育たない「磯焼け」という現象が世界的に海洋環境の問題となり、日本国内の海の天然の藻場（もば）は年間で東京ドーム千二百個分が消えているとも言われる。海の生態系の土台が揺らぎ、漁業全体に影響を及ぼしている現状に危機感を覚えた高知県の「合同会社シーベジタブル」（以下、シーベジタブル）は、2016年に世界初となる地下海水を用いた青のりの陸上栽培をスタートさせた。全国各地に地域のパートナーと共に海藻ファームを展開して意欲的に陸上栽培と海面栽培に取り組むことで、豊かな海と海藻の食文化を残そうとしている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">四万十川から消えた青のりを陸上栽培する</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-143652.jpg" alt="" class="wp-image-54929" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-143652.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-143652-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-143652-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>青い空から降り注ぐ強い日差しと温暖な気候で知られる高知県。東西に細長い地形で、南側は太平洋に面し北側には四国山脈がそびえる。シーベジタブルの陸上拠点では、青のりの中でも最高級品種として知られる「すじ青のり」が世界初の陸上栽培技術で育てられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">大学時代から抱いた、大好きな海への想い</h3>



<p>共同代表の蜂谷潤さんは岡山県出身で、高知大学に在学中から“海洋深層水を活用したアワビ類及び海藻類の複合養殖”ビジネスプランを構想。共同代表の友廣裕一さんの協力を得て、事業化に向けた実証研究を行っていた。海洋深層水とは、高知県の室戸沖の水深320〜374メートルの深さから汲み上げるため、年間を通して約10度と低温で安定している海水だ。</p>



<p>蜂谷さんは、もともと海に潜り、間近で見る魚を獲ることが好きだったという。「毎年同じ場所に潜るたびに、魚の数が目に見えて減っていきました。魚が多く集まる場所には必ず海藻があると気づき、海に魚を戻したいという想いから海藻の研究に打ち込んでいきました」。</p>



<p>温暖化による海水温の上昇は、魚の生息域を変え、高知県の海藻産業にも影響を及ぼしていた。最後の清流と呼ばれる四万十川（しまんとがわ）の河口付近の、淡水と海水が混じり合う汽水域（きすいいき）は、国内一の「すじ青のり」の天然漁場だったが、2020年には漁獲量がほぼゼロになった。河口域の水温の上昇と、水揚げの低下が比例しているとされている。<br></p>



<p>蜂谷さんは、天然で採れなくなったすじ青のりを復活させようと、立ち上がった。海域で海藻が育たなくなったのであれば、陸上で育てよう、海藻の食文化を絶やさないために挑戦をしてみようと、想いは深まっていったという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">太平洋のそばに造られた大水槽で、すじ青のりが漂う</h3>



<p>太平洋を臨む海沿いにあるシーベジタブルの陸上拠点を訪ねると、いくつも並ぶ巨大な円形水槽に驚かされる。一番大きいものは直径が約25メートルと、小学校のプール程度の長さがある。</p>



<p>すじ青のりは、成長が驚くほど早く、条件が整えば一日で倍ほどの大きさになることもあり、朝と夕方で姿が変わるほどの生命力を持つのだそうだ。水槽は4つのサイズがあり、約1週間ごとにサイズの大きな水槽へ育ったすじ青のりの移し替えを行う。</p>



<p>「収穫するサイズがこれぐらいだったら美味しいという大きさがありまして、その大きさに育つように逆算して４つのサイズの円形水槽を造りました」と、蜂谷さん。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「地下海水」を汲み上げ、攪拌を続ける</h3>



<p>水槽には「地下海水」が満たされ、海藻の成長に理想的な環境が一年を通して維持されているという。地下20メートルから汲み上げる「地下海水」は、海から砂などの地層を通ることで自然に濾過され、清浄で安定した水温を保つことができるのだ。また、雨が降れば淡水が混ざり、晴れれば光合成が進む。海と川が交わる汽水域を好む海藻にとって、この場所は自然に近い環境なのだ。</p>



<p>さらに水槽に張られた「地下海水」は、ゆっくりと円を描くように回っていた。すじ青のりは藻体の表面から栄養を吸収し、光合成によって成長するため、常に水が流れ、光が均等に当たる環境が欠かせないという。そもそも海藻は通常は石や岩などの基物に付着器を張ることで正常に育つが、ここのすじ青のりは、海藻同士を互いに付着させている。根の位置にあたる付着器を中心に放射状に広がり、まるで細い糸が束になったような姿で水中を漂わせて育てることで、均一な大きさに育っていくのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">海での栽培とは異なる可能性を秘める、陸上栽培</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/30f7a9072ee79892718673e85bbd30c0.jpg" alt="" class="wp-image-54930" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/30f7a9072ee79892718673e85bbd30c0.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/30f7a9072ee79892718673e85bbd30c0-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/30f7a9072ee79892718673e85bbd30c0-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>水槽に手を入れさせてもらうと、緑のすじ青のりが、ふわりと揺れて指先に触れた。生のまま口に含むと、みずみずしい青さが広がる。乾燥させたすじ青のりはより鮮やかな緑色に変わり生よりも香りが強いという。生のすじ青のりを天ぷらにして食べると聞いたが、いずれにしても海藻本来の清々しさが際立ちそうだ。</p>



<p>すじ青のりは、北海道から沖縄まで広く分布するため、同じ種でも温度に対する耐性や成長速度など性質が地域によって違う。シーベジタブルは、高知で陸上栽培を始めるにあたって、性質特性はもちろん、食材としての香りや食感に優れたエリートの株をにこだわり、全国のすじ青のりの中から選抜を行い、試行錯誤を重ねてきたそうだ。</p>



<p>今度は、蜂谷さんのお勧めの食べ方を試してみる。袋に入った薄い塩味のポテトチップスに陸上栽培したすじ青のりの粉末を振りかけると、磯の旨味や深い香りが感じられた。陸上で育てることで栄養管理が行き届き、香りや旨味がより濃くなるという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">青のりだけにとどまらない、未来への展望</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-155658.jpg" alt="" class="wp-image-54931" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-155658.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-155658-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-155658-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>海藻は胞子で増えるため、種類ごとに発芽や成長の条件が異なる。シーベジタブルでは一つひとつの特性を解き明かしながら、最適な育成方法を探る研究が続けられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">黒海苔の栽培も本格始動</h3>



<p>日本の食文化を支えてきた黒海苔の陸上栽培技術も確立した。2025年度には、黒海苔の陸上栽培での量産（乾燥重量300kg以上）に成功し、2026年度から量産に向けた準備に入る予定だという。</p>



<p>蜂谷さんは、「黒海苔に関しては世界に向けてすごく大きなマーケットがあるので、まず、陸上で生産する技術を確立して、その技術を沿岸部で仕事を失いつつある漁師さんや企業の方々に提供することで新たな生業を生み出したい。並行して、日本は地域ごとに独自の海藻が存在しており絶滅の危機にある種類も少なくないのですが、そうした海藻を再び陸上で種苗を育て、それぞれの地域で海に戻して養殖藻場をつくっていくことも考えています」という。最終的には、海に海藻がある状況を取り戻したいのだ。</p>



<p>ただ、日本人の一人あたりの海藻の消費量は、食の多様化とともに30年前の約半分ほどにまで落ち込んでいる。かつては和食とともに自然に食卓へ上がっていた海藻も、洋食や中華が日常に広がる中で存在感を失いつつある。蜂谷さんは「海藻の可能性は和食にとどまりません。青のりはピザにもよく合い、ポテトチップスに振りかければ驚くほど豊かな香りが広がります。これまで試してこなかったジャンルにこそ、消費の落ち込みという課題を解決するヒントがあると感じているので、いろいろ検証を行い発信していきたいです」と語る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">すじ青のりでつくる醤油を開発、海藻専門店をオープン</h3>



<p>新たな挑戦のひとつが、すじ青のりからつくる「青のりしょうゆ」だ。大豆や小麦を使わず、青のりと塩、米だけを発酵させてつくる調味料だ。淡い琥珀色を帯びている。口に含むと海の香りが立ち上がり、魚介との相性は抜群だ。グルテンフリーで大豆も不使用であることから海外からの問い合わせも多く、海藻の新たな価値を示す存在となっている。</p>



<p>東京駅近くには、海藻料理を専門に扱う「シーベジスタンド」をオープンさせた。すじ青のりポテト、熊本などで昔から食されてきた幻の赤い海藻「みりん」を使った料理、海藻を贅沢にのせたラーメンなど、海藻の魅力を多角的に伝える拠点だ。海藻を“食べる文化”を再び広げる試みが、ここから始まっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">成功の鍵を研究者が握る</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-160456.jpg" alt="" class="wp-image-54932" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-160456.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-160456-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-160456-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>シーベジタブルの事業の鍵を握るのがラボだ。ラボは、すじ青のりの陸上栽培を支える最重要な第一工程を担う。ラボで、採取・育成された青のりは約1ヶ月で陸上拠点に移り、さらに1ヶ月間育てられた後に収穫されるという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">気の遠くなるような、胞子の選り分け作業</h3>



<p>「陸上栽培を成功させるためには、まず、すじ青のりの親から出てくる胞子を安定的に取り出して、それを死なせず生き残らせて育てていくということが一番大事です。そこで死んでしまうと、当然、栽培場に送り出すものがなくなるわけですから。バクテリアとか青のりの胞子に害を与えるようなものを取り除いて、育て上げるということが重要になってきます」と話すのは研究者の和（にぎ）さん。</p>



<p>すじ青のりの栽培において最も困難なのは、年間を通じて安定して胞子を供給するために、親株を常に健康な状態で維持し続けること。そして、親株から胞子を取り出し、死なせずに安定して成長させるプロセスだという。胞子を健全に育てるためには、バクテリアなどの有害な不純物を徹底的に排除し、適切な温度管理を行う必要がある。</p>



<p>和さんが、小さなシャーレを手に言う。「最初は本当に10ミクロンぐらいの、丸いつぶつぶなんです」。10ミクロンとは、0.01ミリ。肉眼では見えない胞子も、顕微鏡を覗けば確認することができ、数日後には青のりらしい姿で生長する様子が見られるそうだ。</p>



<p>和さんは、ピペットで約10ミクロンの胞子を丁寧に吸い取ることを何度も繰り返して“純度の高い胞子”だけを取り出していく気の遠くなるような繊細な作業を行っていた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">シーベジタブルを支える研究者</h3>



<p>さらに、和さんは「天然の海苔は秋から春先までが収穫期で、夏は成長が止まるため収穫には適しませんでした。ですが、陸上栽培で施設を最大限稼働させるためにも、温度耐性の違う株を組み合わせて育てる必要があります。ですので、同じすじ青のりでも、北海道から沖縄までさまざまな株を100株ほど試し、適したものを見つけてきました」と話す。</p>



<p>一般的に陸上栽培は設備投資やランニングコストが大きく、採算性が重要になる。だからこそ、環境に強く、効率よく育つ株を選び抜くことが、産業として成立させるための鍵となる。研究者たちはその課題に向き合いながら、海藻の未来を切り開こうとしている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">海藻が戻ると、海の未来が変わる</h3>



<p>海藻は、海の生態系の土台を支える存在だ。天然の藻場が減少する中、一般社団法人グッドシーの調査報告書では、陸上で育てた種苗を用いて海面栽培を行うことで、栽培していない海域と比べて魚の個体数が最大約36倍に増加するという驚くべき結果が示されている。</p>



<p>海藻が増えれば魚が戻り、海が再び豊かさを取り戻す。海藻の栽培は、食文化を守るだけでなく、海の未来を支える取り組みでもある。シーベジタブルは、日本という枠を超えて、豊かな海を次の世代へ手渡す確かな力になろうとしている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54923/">世界初の地下海水を使った青のりの陸上栽培で、海藻の食文化と豊かな海の継承を目指す「合同会社シーベジタブル」／高知県高知市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>スターシェフから絶大な信頼を得る魚の目利き。「本田屋」本田満輝さん／熊本県天草市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 28 Jul 2026 02:20:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[天草]]></category>
		<category><![CDATA[鮮魚店]]></category>
		<category><![CDATA[神経締め]]></category>
		<category><![CDATA[クエ]]></category>
		<category><![CDATA[スターシェフ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4484.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>スターシェフの一皿を支える重要な要素の一つが、高品質な食材であることは間違いない。熊本県天草市には、その目利きを担う魚屋がいる。最良の魚を見極め、料理人の信頼に応えることを信条とし、地元漁師の暮らしにも目を向ける。海と厨 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4484.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>スターシェフの一皿を支える重要な要素の一つが、高品質な食材であることは間違いない。熊本県天草市には、その目利きを担う魚屋がいる。最良の魚を見極め、料理人の信頼に応えることを信条とし、地元漁師の暮らしにも目を向ける。海と厨房を繋ぐその人の名は、本田満輝さんだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">料理人を通して、天草の魚の価値を再認識</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4850-1.jpg" alt="" class="wp-image-54913" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4850-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4850-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4850-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>本田さんはもともと魚が好きで、地元の鮮魚屋に勤めていた。その時に出会った関西の料理人から影響を受け、“外”を知ることの大切さに気づいたという。「天草は島という地域性もあり、なかなか島外に出る機会がありませんでした。しかし、他の地域の魚を見たり、有名店を食べ歩いてみたりするようになり、自分の世界が広がっていくのを感じました」と本田さん。自身の生まれ育った天草の魚が料理人たちに認められていることを知り、誇らしさを感じた。</p>



<p>だが一方で、地元に向けての販売では魚を高く売ることが難しい現実にも気づく。日本の漁師は若年層を中心に減少傾向にあり、主な要因に厳しい経営環境が挙げられる。「正当な価格で取り引きしてくれる顧客を見つけられれば、漁師からも高い価格で魚を買い取ることができるようになる。そうすれば、地元漁師の暮らしを支えることにもつながるのではと考えました」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">漁師の暮らしを支えるために、独立</h3>



<p>その後、鮮魚店から独立し、自身の店「本田屋」を開く。開業の際には鮮魚店に勤務していた当時から交流のあった料理人たちから「お金がかかっても構わない。とにかくいい魚を頼む！」と熱い声援を受けたという。そこで、地元の漁師たちと話し合いを重ね、漁獲後の温度管理など一次処理の質を高めることで最終品質を担保する連携を構築した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">市場の魚を全て見て、良いものだけを競り落とす</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4578-1.jpg" alt="" class="wp-image-54914" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4578-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4578-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4578-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>熊本県南西部、大小120の島々からなる天草諸島。その中心部にある天草市本渡（ほんど）の魚市場には、有明海（ありあけかい）、不知火海（しらぬいかい）、東シナ海の3つの漁場から1日3〜5トン、多い時で約300種類もの魚が運び込まれる。朝7時、活魚の競りが始まり、競り人と仲買人の威勢のいい声が一斉に響き合う。本田さんは、淡々とした様子で、迷いなく目当ての魚を次々と競り落としていく。</p>



<p>特定の魚を狙うのではなく、その日市場に並ぶ魚を全て見て、その中で良いと判断したものを全て購入するのが本田さんのスタイルだ。裏を返せば、注文を受けている魚種でも、品質が自身の基準に満たない場合は競り落とさず、料理人に「ない」と伝えるのも本田さんの信念。魚種にこだわって品質の基準を落として仕入れても、結局は料理人のためにならないからだ。本田さんの正直な姿勢と確かな目利きは評判を呼び、東京の予約困難寿司店「島津」、関西屈指の名店「鮨 三心」、長崎のレストラン「pesceco（ペシコ）」など、ミシュランガイドで星を獲得した&#8221;スターシェフ&#8221;からの信頼も厚い。</p>



<h2 class="wp-block-heading">最良の状態で、料理人のもとへ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4578-2.jpg" alt="" class="wp-image-54917" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4578-2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4578-2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4578-2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>さらに、本田さんは店での魚の処理の方法にもこだわる。釣り上げられた直後の魚は興奮状態で筋肉に乳酸と血が回って食味が低下し、緊張で身は固く締まっている。そのため、仕入れた活魚は一旦店のいけすに運び、ストレス症状が落ち着くまで休ませる。そして、料理人の元に届く時間を逆算して、自らの手で神経締めや血抜きを行う。「最良の魚を料理人の元に届けるのが私の仕事。競り落として送って終わりではなく、ベストな状態に調えた魚をお渡しする責任がある」と本田さんは言う。</p>



<p>この日、本田さんが試食で用意してくれた刺し身は、クエ、石垣鯛、ブリの3種。1週間ほど熟成させたもので、醤油をはじくほど脂が身に溶け込んでおり、旨みのかたまりのような味わいに驚く。活魚のコンディションの整え方や締め方など、本田さんの知識と技術を学ぶために全国から漁師や料理人が店を訪れるというのも納得だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">漁師を支えることが、海を守ることにもつながる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4502-1.jpg" alt="" class="wp-image-54918" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4502-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4502-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4502-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「昔はとにかく量を売るという時代でしたが、今は違います。さまざまな要因で海の生態ピラミッドは崩壊し、エサとなる海藻やプランクトンが減り、魚も減少しています」と本田さん。その結果、魚の価格は年々上がっており、このままではお金を持っている一部の人だけが食べられる食材となってしまうのではと危惧している。</p>



<p>良質な魚が適正な価格で取り引きされる社会になれば、漁師も適正な収入を得られる。すると、乱獲を防ぐことができるとともに、漁業も次の世代に継承され、豊かな海を守ることにつながるはずだと本田さんは考えている。「本田屋」の開業は、そんな思い描く未来のための第一歩だった。</p>



<p>2026年、「本田屋」は開業から10年目を迎える。本田さんは「この仕事をやってきたからこそつながった人の輪が、年々広がっていくのを感じています」と目を輝かせる。</p>



<p>市場での目利き、漁師との対話、料理人への責任。</p>



<p>その一つひとつの積み重ねが、「適正な価格で魚が取り引きされる社会」という思い描いてきた未来に、少しずつ近づける道になってきた。続けて、今後もさまざまな分野の職人と出会い、学びを得たいと展望を語る本田さん。開業から10年、「第一歩」だったはずの本田屋の歩みは、いま確かな手応えへと変わりつつある。本田さんは今日も変わらず海と厨房のあいだに立ち、次の10年に向けて、自分にできることを考え続けている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54903/">スターシェフから絶大な信頼を得る魚の目利き。「本田屋」本田満輝さん／熊本県天草市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>栃木生まれの「ゆうだい21」で米づくりに向き合う「阿久津農園」阿久津政英さん／栃木県大田原市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54888/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 20 Jul 2026 03:41:23 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[ゆうだい21]]></category>
		<category><![CDATA[ゆうだい21の伝道師]]></category>
		<category><![CDATA[米･食味分析鑑定コンクール金賞]]></category>
		<category><![CDATA[食用米]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3332.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>栃木県大田原市は米の生産が県内1位である。その中で「米･食味分析鑑定コンクール」での受賞歴を誇り、他にも「東洋ライス世界最高米2022」に認定されるなど、数々の評価を受ける阿久津農園･阿久津政英さん。栃木県の米があまり有 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3332.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>栃木県大田原市は米の生産が県内1位である。その中で「米･食味分析鑑定コンクール」での受賞歴を誇り、他にも「東洋ライス世界最高米2022」に認定されるなど、数々の評価を受ける阿久津農園･阿久津政英さん。栃木県の米があまり有名でない中、阿久津さんのつくる米はなぜ評価されるのだろうか。</p>



<h2 class="wp-block-heading">米の生産に適した土地･大田原市</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3249.jpg" alt="" class="wp-image-54895" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3249.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3249-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3249-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大田原市は「那須野が原」といわれる栃木県北部の那須地域にある広大な扇状地に位置する。日本三大疏水のひとつ「那須疏水」が流れる土地だ。那須連山から流れる水は、ミネラルがたっぷり含まれた伏流水。豊かな水源があるから、米作りに適している。</p>



<p>もちろん、水だけではない。肥沃な土壌があり、夏には十分な温度と日照で稲の生育を促進し、冬の寒さは害虫の発生を抑えるなどの気候条件や、水の管理がしやすくて大規模な水田を展開しやすい平坦な地形など好条件が重なり米どころになっている。</p>



<p>大田原市の語源の由来は「大俵（おおたわら）」といわれており、昔から米の生産が盛んな地域なのである。</p>



<h3 class="wp-block-heading">米の収穫量ランキング上位なのに、知名度が低い栃木県産米</h3>



<p>栃木県の米の生産は、2021年に農林水産省が発表した「水陸稲の時期別作柄及び収穫量（全国農業地域別･都道府県別）」データによると、収穫量のランキングは全国8位である。しかし、栃木産米はあまり有名ではない。それは、首都圏に近いという立地を活かして業務用米が主流になっているからだ。</p>



<p>業務用米とは、スーパーなどで販売される家庭用のお米ではなく、外食チェーンやコンビニのお弁当、給食などで使われるお米のこと。私たちが口にする機会は多いものの、食べる時に産地や銘柄を目にすることが少ないため、「栃木の米」としての認知度が広がりにくい側面がある。</p>



<p>実際、2017年の農林水産省のデータでは業務用向けの販売割合が高い上位10県で1位を記録し、7割近い数字が業務用向けになっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">知名度はないけれど、美味しい米ができる土地</h3>



<p>そんな環境で米作りをおこなう阿久津さん。実家が農家だったこともあり、大学を卒業してから農業にたずさわるようになり20年ほど経つという。今では共に米作りをおこなう父の跡を継いで5代目となった。</p>



<p>転機が訪れたのは約8年前にはじめて出品した「米･食味分析鑑定コンクール」だ。</p>



<p>阿久津さんは食味コンクールの存在は知っていたものの、それまで出品には至っていなかった。しかし、「この地域のお米は美味しい」、何より毎日食べている「自分のうちのお米はもっと美味しい！」という確かな自信はあったという。そこで、誰でも出品できることを知り、「出したら賞が取れるのでは？」と考え、楽な気持ちで出品した、と当時を振り返る。</p>



<p>しかし、初出品となる2016年「第18回米･食味分析鑑定コンクール」において、いきなり「都道府県代表 お米選手権」部門で特別優秀賞を受賞。自身の作るコシヒカリにこだわりはあったし、自信もあった。「なんだ、やっぱり出品すれば受賞できるじゃないか」と思った一方で、「コシヒカリ」での上位入賞の限界も感じたという。</p>



<p>というのも、コシヒカリは国内で最も作られている品種ゆえに、コンクールでも出品数が圧倒的に多く、全国の生産者がこぞって出品する。「コシヒカリでは、これより上を目指すのは厳しい」と限界を感じていた時、自分なりに「何かないか？」と探しはじめて出会ったのが「ゆうだい21」だった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">宇都宮大学で生まれた品種「ゆうだい21」との出会い</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3309.jpg" alt="" class="wp-image-54896" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3309.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3309-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3309-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ちょうどその頃「米･食味分析鑑定コンクール」で、ゆうだい21という品種が国際総合部門で金賞を受賞し始めた。</p>



<p>ゆうだい21は地元栃木県にある宇都宮大学の農学部附属農場で偶然発見した稲穂の株を元に、20年もの年月をかけて開発し2010年に品種登録された、国立大学生まれの米である。稲丈が伸びて倒伏しやすく、肥料や水分管理が繊細で技術を要するため、栽培難易度は高いとされているが、中山間地など手間をかけられる環境で真価を発揮し、コシヒカリ並かそれ以上の収量･品質を目指せる品種だ。さらにゆうだい21は、甘みが強く、米そのものの味がしっかりしているため、一般消費者にも受け入れられるとゆうだい21の可能性を直感し、翌年（2017年）からゆうだい21をつくることを決めたのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ゆうだい21をつくる前からの取り組み</h3>



<p>ゆうだい21をつくる前から、阿久津さんは「農薬を使わずお米をつくりたい」という思いを強め、農薬不使用栽培に取り組んでいた。きっかけは、家族のアレルギーを改善したいという考えからだったそう。</p>



<p>草取りから大変な農薬不使用栽培は、先代でもある父の理解を得るのに時間がかかったが、小さい面積から始めて、少しずつ認めてもらえるようになったという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ゆうだい21でも農薬不使用栽培を取り入れる</h3>



<p>そんな経緯があることから、ゆうだい21は農薬不使用で、3反歩（テニスコート約12面分）の栽培から始めた。</p>



<p>さらに少しずつ生産量を増やし、つくり始めて4年目には主食用の米を約4ヘクタールつくっているなかでゆうだい21を半分以上栽培したという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">なぜ阿久津さんがつくる「ゆうだい21」は美味しいのか</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3320.jpg" alt="" class="wp-image-54897" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3320.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3320-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3320-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ゆうだい21の特徴は、粒が大きくてツヤがあり見た目がキレイという印象。食べてみるとうま味が強くてバランスが良く、噛むほどに甘みを感じられると評価されている。</p>



<p>実際に食した方が「美味しい」と言って年々需要が増えており、阿久津農園でも栽培面積を毎年拡大させているという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">評価される品種でも「阿久津農園」が選ばれた理由</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3291.jpg" alt="" class="wp-image-54898" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3291.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3291-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3291-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>先にも述べたが、阿久津農園がある大田原市は米をつくるのに適した土地である。米は夜の気温が下がると美味しさの養分を吸い上げて穂に運ぶといわれている。</p>



<p>阿久津農園は山に囲まれており、標高は200m。日中と夜の温度差が大きく、味に影響を与えていると考えられる。また、近くを流れる蛇尾川（さびがわ）から田んぼに水を引き込むが、この蛇尾川は阿久津農園から上流4kmほどは地面の下を流れている川になる。そのため水温が低い状態で田んぼに引き込むことができ、水温の低さで夜の温度が下がりやすく、味に影響を与えているのだそう。</p>



<p>さらに阿久津農園の田んぼは、河川敷に位置する場所にありミネラルが豊富で肥沃（ひよく）な土壌というのが、通常でも美味しいゆうだい21をさらに美味しくする理由だろう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">農薬不使用栽培がゆうだい21のポテンシャルを引き上げた</h3>



<p>しかし、それだけではない。阿久津さんが取り組んできた農薬不使用栽培も理由のひとつだろう。</p>



<p>農薬不使用栽培で一番難しいのは雑草の除草作業だという。</p>



<p>その除草を可能にするために、植え付ける株と株の間を広げて、縦横から除草できるようにしているそう。通常苗は、1坪当たり50株植えるところ、農薬不使用のゆうだい21は「37株植え」という植え方にして4割ほど株を減らしている。</p>



<p>疎植栽培で株間が広くなると穂がV字に広がる空間ができ、株元の葉まで太陽の光がしっかりとあたる。また、栄養が行き渡るため大きな穂に育ちやすい。</p>



<p>さらに、株間の風通しが良くなり「いもち病」や「紋枯病」などの病気が発生しにくく、丈夫な稲を作ることができるという。</p>



<p>もちろん除草剤は使わないが、代わりに酵母菌や納豆菌、虫が嫌うレモングラスの抽出液など天然由来のものを散布して農薬不使用栽培を実現。それでも、時期によっては毎日田んぼに入って人の手で除草するという。</p>



<p>手間ひまかけてつくり上げた阿久津さんのゆうだい21は評判も高く、三越や伊勢丹、ザ･リッツ･カールトン日光などに提供。2025年にはニューヨークやロサンゼルスに店舗を構える日本産米専門店「the rice factory 」での取り扱いがはじまった。</p>



<p>特に海外は農薬不使用栽培の需要が高く、阿久津さんの取り組みが評価されている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ゆうだい21の栽培1年目から高い評価を受ける</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3296.jpg" alt="" class="wp-image-54899" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3296.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3296-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3296-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>阿久津農園がつくるゆうだい21は、つくり始めた１年目から「米･食味分析鑑定コンクール」の都道府県部門で金賞を受賞。</p>



<p>次の年は最上位部門である国際総合部門で特別優秀賞、４年目になる「第23回米･食味分析鑑定コンクール」では国際総合部門で金賞を受賞。「米･食味分析鑑定コンクール」で金賞を受賞した玄米の中から、「金芽米」で有名な米の総合メーカーである東洋ライスが独自基準で「美味と生命力」を重視して厳選した最高級の玄米を指す、東洋ライス主催の「東洋ライス世界最高米2022」に認定され、全国でたった4名の生産者の1人になり、世界最高米の原料米に選ばれた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ゆうだい21の伝道師</h3>



<p>今後はゆうだい21の生みの親でもある宇都宮大学が市町村などと組み、ゆうだい21で町おこしをおこなう計画もあるそうだ。</p>



<p>阿久津さんは宇都宮大学から「ゆうだい21の伝道師」に任命され、地元の生産者に栽培方法などを伝えていく。</p>



<p>ゆうだい21をきっかけに栃木産の米が全国で認知され、そこから品種を限定することなくすべての栃木県産米が注目を浴びる、そんな日が訪れたら良い。</p>



<p>そのためにも、まずは「ほかの品種とはちがった美味しさを持つ米『ゆうだい21』を食べてもらいたい」と、阿久津さんは伝道師の看板と責任を背負い、今日も普及の活動を続けていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54888/">栃木生まれの「ゆうだい21」で米づくりに向き合う「阿久津農園」阿久津政英さん／栃木県大田原市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>「美味しい」の一言が茶栽培の原動力。「お茶の川谷園」川谷哲也さん/大分県中津市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54845/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 13 Jul 2026 10:10:52 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[日本茶]]></category>
		<category><![CDATA[あさつゆ]]></category>
		<category><![CDATA[茶聖]]></category>
		<category><![CDATA[翠]]></category>
		<category><![CDATA[my玄米]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2804.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大分県北部、険しい岩山と清流が織りなす耶馬溪町（やばけいまち）の山間地に、緑の茶畑が広がっている。ここで茶葉の栽培から販売までを一手に担うのが、「お茶の川谷園」2代目の川谷哲也さんだ。静岡以西では初めて「茶聖」の称号を授 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2804.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大分県北部、険しい岩山と清流が織りなす耶馬溪町（やばけいまち）の山間地に、緑の茶畑が広がっている。ここで茶葉の栽培から販売までを一手に担うのが、「お茶の川谷園」2代目の川谷哲也さんだ。静岡以西では初めて「茶聖」の称号を授かり、大分の茶づくりをリードする存在として知られている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">国の事業をきっかけに、山の土地でお茶を育てる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9371.jpg" alt="" class="wp-image-54855" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9371.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9371-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9371-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川谷園の茶葉生産の歴史が始まったのは、昭和49年のことだ。もともと川谷さんの祖父は山仕事をメインに、炭焼きやシイタケ栽培といった山仕事を営んでいた。そして父の代になった頃、国の事業で茶の栽培が行われることに。祖父の代の山仕事では収益が低かったことに課題を感じていた川谷さんの父が開墾された土地に入ったことがきっかけで、茶業に関わり始めた。当初は、日本の茶畑のおよそ7～8割を占める「やぶきた」をはじめとした3〜4品種だったが、川谷さんがこの世界に入って品種の勉強を重ね、さまざまな品種を取り寄せた結果、現在はさえみどり、あさつゆ、あさのか、はるみどり、やぶきた、おくみどり、さきみどりの7品種に少量の紅ふうきを加えた、計8品種を育てるまでになった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">専門家も猛反対した「あさつゆ」への挑戦</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2697.jpg" alt="" class="wp-image-54856" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2697.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2697-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2697-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そのなかでも、川谷さんの栽培への情熱を象徴する品種がある。その圧倒的な旨みと鮮やかな緑色から&#8221;天然玉露&#8221;とも称される「あさつゆ」だ。極めてデリケートで寒さに弱いこの品種を冬の冷え込みが厳しい耶馬溪で育てることは、専門家の目には「無謀」と映り、試験場の先生からも猛反対を受けたという。それでも川谷さんは耶馬溪の自然が育むお茶の可能性を信じ、その一歩を踏み出した。</p>



<p>「当時は父親も元気だったのですが、先生から頭ごなしに”無理だ”と言われたことで、我々の反骨精神に火が付いたというのも、栽培に踏み切った理由のひとつです」と川谷さん。</p>



<p>川谷園が位置するのは標高およそ550m。茶の栽培には日中の寒暖差がある土地が向いているとされる一方、霜が降りるほど寒すぎると葉がだめになってしまう。川谷園はまさにそのギリギリのエリアであり、実際に霜害に遭うこともある。しかし川谷さんは、「厳しい環境で育った茶葉はまろやかで薫り高い良い芽になる」と言う。寒さに弱いというあさつゆの特徴は、見方を変えれば、厳しい冬を乗り越えた際にとてつもない甘みとコクを蓄えるポテンシャルでもある。逆境が、味わいの深みを生むのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統を礎に、科学で進化させた肥料へのこだわり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9338.jpg" alt="" class="wp-image-54857" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9338.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9338-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9338-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>品種への探究と並走するように、川谷さんが力を注いできたのが土づくりだ。良い茶の栽培には良い土が欠かせない。そして良い土を作るのに欠かせないものといえば、栄養を与える肥料だが、父の時代は、えごまの搾りかす、菜種かす、魚かすをそれぞれ別々に畑に撒き、また新芽を出すためには硫安という窒素肥料も別に与えていた。しかし栽培面積が広がり、肥料やりを一手に担うようになった川谷さんは、すべてを別々に行うことの難しさに気づく。そこで思いついたのが、最初から全ての材料を混ぜてひとつの肥料にする方法だ。時を同じくして、「肥料の中身から、好きなようにやっていい」と父から言われたことが転機となり、自分なりのブレンドへと踏み切ったのが5年ほど前のことだ。</p>



<p>川谷さんが辿り着いた配合には、二つの大きな工夫がある。ひとつは、従来の魚かすではなく、魚の内臓や骨を含む魚粉・骨粉を使うことだ。複雑なミネラルと旨み成分を土に蓄えるためだという。もうひとつは、植物の成長に欠かせない窒素成分を補うために、マイナス196℃の液体窒素を肥料に加えることだ。それにより生まれたのが、内容物のほぼすべてが有機素材で構成された、川谷さん独自の配合肥料である。</p>



<p>さらに、茶の新芽を出す「芽出し」のために液体肥料の「ソリュブル」も取り入れている。ソリュブルは魚の煮汁を濃縮した、ミネラルとアミノ酸が豊富な有機液体肥料で、以前使っていた硫安と比べてもお茶の味の深みや濃さが変わった気がしているという。「ただ、ソリュブルは臭いんです。魚の煮汁なので、皮膚についたら2日間くらいはいくら洗っても取れません。手についていたら、食事の時に全部その味に感じられてしまうくらい強烈で」と、川谷さんは笑いながら話してくれた。</p>



<p>伝統を大切にしながらも、科学的な探究心で磨き上げられた川谷園の一杯には、耶馬溪の厳しい風土と、それに挑み続けた川谷さんの執念が凝縮されている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">一途に続ける、手もみという技</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2812.jpg" alt="" class="wp-image-54858" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2812.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2812-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2812-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川谷園では、手もみ茶も取り扱っている。機械を一切使わず人の手だけで仕上げる手もみ茶は、江戸中期に京都宇治の茶業家・永谷宗円が考案したとされるもので、茶の葉を蒸して柔らかくした後、手でほぐし、転がし、捏ねて揉んでという作業を立ちっぱなしで行った後に乾燥させて仕上げるという工程をおよそ6時間かけて行う。出来上がった茶葉は針のように細長く、機械によって余計な力をかけられていない分、湯に浮かべると摘み取ったときの茶の葉の形に戻るという。煎れた時の色はきわめて薄く、乳白色が最上とされる手もみ茶は、口に含めばその色の薄さからは想像もできないほどの濃厚なうま味が広がる。手数の多さから量産はできず、また熟練の技術が必要なことから揉み手も減っているため、市場に出回れば手もみ茶にきわめて高い値がつく。</p>



<p>川谷さんが手もみ茶と出会ったのは、高校卒業後に国立試験場の研修生として学んでいた19歳のときだった。そこで研修同期だったのが、のちに全国手もみ茶品評会で8度の日本一に輝き、日本で初めて「永世茶聖」の称号を授かった中島毅だ。同い年の2人は切磋琢磨しながら技術を研ぎ澄ませ、やがて川谷さんも品評会の舞台に立つようになる。2011年には農林水産大臣賞（1等1席）を受賞し、静岡以西では初めてとなる「茶聖」の称号を授かった。</p>



<p>手間がかかり量産もできない手もみ茶を、なぜ川谷さんは続けるのか。そこには、過去の後悔がある。これまで2度、品評会を欠場したことがある。1度目は手もみの当日朝にぎっくり腰になったとき、2度目は手もみを続けることへの諦めの気持ちが生まれたタイミングだった。しかし、欠場して楽になった気持ちを1とすれば、「やっぱり出場しておけばよかった」という悔いが50から60ほどあったという川谷さん。品評会の結果云々という話ではなく、その年のお茶がどういうものかを感覚で確かめるためにも手もみをしよう——欠場したことで、逆に手もみの存在を実感したことが、今も川谷さんを手もみ茶へと向かわせている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「お茶らしいお茶」を、一杯の中に</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2768.jpg" alt="" class="wp-image-54859" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2768.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2768-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2768-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川谷園では手もみ茶のほか、煎茶、深蒸し茶、ほうじ茶など幅広いラインナップを揃えており、そのなかには客の声から生まれた商品も少なくない。</p>



<p>川谷さんが目指す味は、「お茶らしいお茶」だ。世の中で「おいしいお茶」といえば、往々にして甘みの強いものが注目されがちで、世間の多くの人もまた、そうした甘味の強いお茶こそを「美味しい」と口にする。かつての川谷さんも、その声に応えるかのように、ひたすらに甘みを追い求める時期があった。しかしその市場で戦い続けることへの疑問が拭えず、考え方を変えた。甘いだけではなく、キリっとした渋みと爽快感が走る。その味わいを理想に据えて辿り着いたのが、上深蒸し茶「翠」だ。毎年最初に仕上げるのもこの「翠」で、前年のものと飲み比べながら納得のいくブレンドを探るため、新茶を摘んでから商品化まで最低でも2週間ほどかかるという。物流が発展した現代では、産地に近い茶舗には摘み取りから3～5日で商品として並ぶ場合もあると考えると2週間はきわめて長いが、川谷さんのこだわりの結晶だともいえるだろう。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2858.jpg" alt="" class="wp-image-54860" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2858.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2858-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2858-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一方、「作らない」と長らく決めていたにもかかわらず、客のリクエストに折れてラインナップに加えた商品もある。玄米茶だ。緑茶は50gや100g単位でパッケージとして売られているのに対し、玄米茶は500gや1kgという大容量である場合が多い。それだけの量があると、一度玄米茶を買ってしまったらしばらくの間ずっと玄米茶ばかりを飲み、緑茶を飲む機会が減るという、川谷さん流に言うと「負の玄米茶ループ」にはまってしまう。それを懸念し、玄米茶は作らないという姿勢を貫いていたものの、熱烈なリクエストを受けるうちに「自分のところで作った玄米を使えばいいのでは」という考えに至り、作ることを決意する。</p>



<p>それが、「my玄米」と名付けられた一品だ。袋を開けて驚くのは、そこに緑茶の葉が一枚も入っていないこと。文字通り、丁寧に香ばしく弾けさせた「玄米だけ」が収められている。あえて緑茶と混ぜ合わせない。この引き算の美学が生んだのは、これまでの玄米茶の常識を覆す自由度だった。玄米茶として味わうならば、緑茶は客が自分で用意する必要がある。「my玄米」においては、「玄米茶を飲み始めると緑茶の消費が減る」という川谷さんの懸念は解決された。加えて、クルトンやあられの代わりにサラダやお茶漬けに使えるという新しい提案により、既存の玄米茶のイメージを軽やかに超えていった。さらにお湯にも水にも溶けるスティックタイプの粉末玄米茶も開発し、こちらも好評を博している。</p>



<p>粉末のお茶は、東京のジェラート屋や千葉のシフォンケーキ教室でも採用されるなど、飲むだけにとどまらない新しい消費者層の開拓にもつながっている。「飲むだけに限らないところが、茶はまだまだ夢がある商品だと感じられる」と川谷さんは目を細めた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">九州のレベルを上げ、若手を育てたい</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9322.jpg" alt="" class="wp-image-54861" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9322.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9322-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9322-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>茶の有名産地といえば静岡や狭山（埼玉県）が真っ先に思い浮かぶ。大分の名はなかなか前面には出てこない。もし自分が産地の中心で茶を作っていたら、競争に勝てなかっただろうと川谷さんは率直に語る。「おそらく今の九州で、このクラスの手もみ茶を作れるのは自分だという自負はあります。しかし全国の品評会となると歯が立たないこともある。そういう時、九州のレベルがどれだけまだまだなのかを痛感します」と、川谷さん。もちろん九州にも、全国の茶品評会で上位に入る八女市や嬉野市がある。しかし、手もみ茶ではなく別部門においてだ。手もみ茶では、狭山などに遠く及ばない。&nbsp;</p>



<p>だからこそ川谷さんが強く意識しているのが、九州の茶づくりのレベルを上げること、そして若手を育てることだ。品評会に出るには全国組織への加盟が必要だが、大分県にはその組織がなく、川谷さん自身も福岡県・八女の組織に所属している。その八女に育ちつつある若者がいる。その人物と2人で九州の手もみ会を再び盛り上げようというプロジェクトが、今まさに動き始めている。将来的には九州各県に1人ずつ全国に打って出られる作り手を育て、品評会で九州勢が一等に並ぶような未来を、川谷さんは真剣に思い描いている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「おいしいね」の言葉に力がみなぎる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2827.jpg" alt="" class="wp-image-54862" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2827.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2827-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2827-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川谷園の初代である父が亡くなったのは、2022年のことだ。父が生きていた頃は「自分がやれることを8割の力でやる」という目標を持っていたが、家業をすべて一人でこなすようになった今は、100や120の力を出さなければ間に合わないことを痛感しているという。それは決して楽ではない。しかし、同業者や客から「川谷園のお茶は美味しい」と言われるたびに力がみなぎる。市場の変化は激しく、正解のルートなどないけれど、味わいも含めて柔軟にトライし続けていく。その姿勢を川谷さんは「客の口に入るまでが戦い」と表現した。</p>



<p>ペットボトルの緑茶ドリンクに押され、生の茶葉を売ることをやめてドリンク専用工場へ向かう茶業家も増えているのが現状だ。しかし川谷さんはそこに異を唱える。「学校に行って、茶について深く学んだじゃないか」と。茶の末端価格は野菜のような大きな値崩れが起きにくい。ならば必ず、問屋や社長ではなく茶葉を育てる農家自身が儲かるための突破口があるはずだ。そう言い続け、「生産者のやり方がまだあるはず。それを考えよう」と仲間に呼びかけてきた。</p>



<p>高校卒業後の研修で同期と笑い交じりに語り合った夢は、「みんなでベンツに乗って同窓会ができるくらいになろう」というものだった。あれからおよそ25年。その夢は今、「皆で儲けて、皆で幸せに。そして、その環境を取り巻く人たちまでも幸せにしたい」という思いへと深まっている。お茶づくりを通じて人を幸せにしたい。川谷さんのお茶は、その想いとともに今日も山の茶畑から生まれ続けている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54845/">「美味しい」の一言が茶栽培の原動力。「お茶の川谷園」川谷哲也さん/大分県中津市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>山田町の原木椎茸を牽引し続ける。茸の匠･芳賀榮三さん／岩手県山田町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 13 Jul 2026 09:46:46 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[原木椎茸]]></category>
		<category><![CDATA[茸の匠]]></category>
		<category><![CDATA[名人]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi26.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>岩手県沿岸のほぼ中央に位置する山田町。太平洋に面していることから、漁業のまちとしての印象が強いが、町の特産に原木椎茸があり、全国規模で行われる品評会では、毎年のように町内から農林水産大臣賞受賞者を輩出してきた。そんな山田 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54808/">山田町の原木椎茸を牽引し続ける。茸の匠･芳賀榮三さん／岩手県山田町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi26.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>岩手県沿岸のほぼ中央に位置する山田町。太平洋に面していることから、漁業のまちとしての印象が強いが、町の特産に原木椎茸があり、全国規模で行われる品評会では、毎年のように町内から農林水産大臣賞受賞者を輩出してきた。そんな山田町における原木椎茸の先駆者と言えるのが、全国でも数名しかいない名人格のうちの一人･芳賀榮三さんである。</p>



<h2 class="wp-block-heading">冷涼な気候と豊かな山が原木椎茸を育む</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi6.jpg" alt="" class="wp-image-54816" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi6.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi6-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi6-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>岩手県下閉伊郡（しもへいぐん）山田町は東側に太平洋、西側に北上山地の山々が連なる自然に抱かれた町だ。山にはブナやナラ、アカマツなどの広葉樹が豊富に植生していることから、原木椎茸の生育適地として、椎茸栽培が盛んに行われている。原木椎茸は直射日光が当たらず風通しがよく、適度な湿度がある場所を好むため、草木が日除けとなったり、標高による冷涼な気候や、樹木が呼吸をすることで適度な湿気が保たれる山林の環境は好条件なのだ。</p>



<p>ちなみに椎茸には栽培方法によって「原木椎茸」と「菌床椎茸」があり、スーパーなどで販売されている生の椎茸は菌床椎茸が多い。その理由として、菌床椎茸は、おがくずを固めた菌床ブロックに人工的に養分を加えて育てるため3〜6か月で収穫でき、原木椎茸に比べて成長速度も4倍近く早い。加えて設備さえ整っていれば場所を選ばず、気候にも左右されないため、生産量も安定する。</p>



<p>一方、原木椎茸は天然の木に種菌を植え付けるので、木の養分のみで育つため成長には時間を要する。種菌を植え付ける榾木（ほたぎ）さえあれば、室内でも栽培することは可能だが、条件の整った自然の中でじっくり育った原木椎茸は、特段、味も強く、傘も肉厚になるのだという。</p>



<p>山田町では、この原木椎茸を乾燥させ乾椎茸（ほししいたけ）に加工することが多い。乾椎茸の中でも傘が大きく形が良いものは贈答品や高級食材として重宝されている。&nbsp;</p>



<h3 class="wp-block-heading">高級食材でもある山田町の乾椎茸</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi5.jpg" alt="" class="wp-image-54817" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi5.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi5-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi5-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>乾椎茸には、いくつかの呼び名がある。「花どんこ」は、傘の表面に花のような白い亀裂が入ったもので、見た目の美しさから贈答用に使われることが多い 。「こうしん」は、どんこよりも傘が開きヒダがあるものを指し、よく出汁が出るため、煮物などに重宝されている 。全農乾椎茸品評会には「こうしん中葉厚肉」や「花どんこ」「どんこ」などの部門があり、色･形･大きさなどによって審査される。</p>



<p>これらの品評会で賞を取るほどの 乾椎茸は、高級食材としてホテルや料亭などで使用される。見た目もよく味も良い山田町の乾椎茸は、料理人や寿司職人などから引っ張りだこだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">原木椎茸の名人として</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi2.jpg" alt="" class="wp-image-54818" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>原木椎茸の名人･芳賀榮三さんは、山田町の中でも内陸に位置する豊間根地区にきのこ工房を構え、原木椎茸を栽培している。秋になると山に入り松茸も採る。山を知る芳賀さんがとる松茸は品質が良いと評判で、周囲からは「茸の匠（きのこのたくみ）」とも呼ばれている。</p>



<p>芳賀さんが原木椎茸の栽培を始めたのは1983年。38歳の頃だ。全国の品評会で初めて農林水産大臣賞を受賞したのは49歳の時。その後も「花どんこ」の部で農林水産大臣賞を５回受賞。最高位の常連になった芳賀さんは「名人位」を授けられた。以来、部門を変えて出品し、受賞を重ねている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">山田町に豊富にあるナラの木で原木椎茸を栽培</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi12.jpg" alt="" class="wp-image-54819" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi12.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi12-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi12-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>芳賀さんの原木椎茸は、露地栽培とハウス栽培の両方で行われる。椎茸の菌を植える榾木（ほだぎ）は、ナラの木を使う。榾木に適しているのは針葉樹ではなく、広葉樹だ。 他県ではクヌギを使うことが多いが、山田町の山林にはクヌギが生えておらず、一方でナラが豊富にあるため、ナラを使っている。ナラの木は樹皮に亀裂があり、椎茸の種菌（たねきん）を植えやすいという特徴もある。芳賀さんは「ほかの広葉樹で栽培するところもあるが、試してみてもやっぱりナラの木で作った椎茸が美味しい」と言う。 椎茸は涼しく程よい湿度がある場所で育つため、榾木には直射日光が当たらない方がいい。そこで、露地栽培と言っても背の高い樹々に覆われた山林の中で栽培される。椎茸の大きさは榾木の大きさに比例するという。太くて立派な榾木であれば、椎茸も大きくなるというわけだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">山田町の原木栽培を牽引する存在</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi11.jpg" alt="" class="wp-image-54820" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi11.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi11-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi11-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>芳賀さんが原木椎茸の栽培を始めた1983年は、ちょうど山田町が椎茸栽培に力を入れ出した頃と重なる。同じ時期に原木椎茸を始めた人たちがたくさんいた。しかし、平成に入ると安価な中国産が出回るようになり、市場価値が低下。山田町の原木椎茸も苦境に立たされた時期があった。なかにはその頃に廃業してしまった人もいるという。そのような中でも、芳賀さんは精力的に全国の品評会に出品を続けた。&nbsp;</p>



<h2 class="wp-block-heading">原木椎茸の未来に思いを馳せる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi15.jpg" alt="" class="wp-image-54821" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi15.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi15-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi15-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>芳賀さんは80歳を過ぎてもなお、精力的に原木椎茸を作る。「菌床椎茸よりも原木椎茸のほうが、歯ごたえがあって旨味もある」と言い、原木椎茸にこだわる。<br>品評会で受賞する原木椎茸は、傘の大きさ、色、形をできるだけ揃えたものを出品するのだという。同じ大きさの椎茸を数多く育てるには、榾木の大きさも揃えなければならない。榾木の直径は約18㎝。重さもあることから、高齢の芳賀さんにとって榾木の管理は重労働だ。</p>



<p>「ずっとハウスの中に入れておくと高温障害が出る。7月になればハウスの中は暑くなる。そうしたら榾木を山に置く。薬をかけるより、山に戻しておくほうが風通しも良くていい」と芳賀さん。11月。ハウスの榾木にはまだ椎茸は発生していなかったが、4月ごろになると収穫できるという。農薬をかけない榾木を使って栽培するから原木椎茸は安全･安心なのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">命ある限り原木椎茸を作り続ける</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi4.jpg" alt="" class="wp-image-54822" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi4.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi4-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi4-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>山田町で原木椎茸の栽培が盛んになった頃から、第一線を走り続けている芳賀さん。同年代の生産者が栽培をやめてもなお、椎茸栽培の最前線を行く。「1番の課題は自分の体力。これが最後の椎茸になるかもしれないと毎年思いながらやっている」と話す。しかし、そのような中でも、芳賀さんは品評会で結果を出し続けている。「長年の積み重ねなんだろうね。毎日通っていれば気候が教えてくれる。湿度が上がった時に傘が割れて白くくっきり亀裂が入り、きれいな椎茸になる。湿度が足りない時は散水する。我ながらうまいことやっている。後継者の育成もしないとね。命ある限りはがんばりたい」と話す芳賀さん。その表情には名人としての矜持があった。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54808/">山田町の原木椎茸を牽引し続ける。茸の匠･芳賀榮三さん／岩手県山田町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>粒の大きさ、味。そのすべてを操る塩職人「田野屋塩二郎」の生き様に触れる／高知県田野町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 13 Jul 2026 09:31:47 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[太陽結晶塩 塩二郎]]></category>
		<category><![CDATA[完全天日塩]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-123024.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>火や電気を一切使わず、太陽光の熱と職人の技だけでつくる「完全天日塩」。その「生きた塩」は、国内外のトップシェフや菓子メーカーから熱い視線を浴びている。日本一の塩職人と称されるまでになった彼の人生と、塩づくりへの情熱とは。 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-123024.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>火や電気を一切使わず、太陽光の熱と職人の技だけでつくる「完全天日塩」。その「生きた塩」は、国内外のトップシェフや菓子メーカーから熱い視線を浴びている。日本一の塩職人と称されるまでになった彼の人生と、塩づくりへの情熱とは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">キャリアを捨てる勇気</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-114833-1.jpg" alt="" class="wp-image-54800" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-114833-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-114833-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-114833-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高知市から東へ約55km。土佐湾に面し、東西2.2km、南北4kmという四国で最も小さな町に、魅力がぎゅっと詰まった田野町（たのちょう）がある。その象徴のひとつが「塩の町」であることだ。町内には「田野町完全天日塩製造体験施設」があり、多くの観光客が塩づくりの見学や体験に訪れる。</p>



<p>この文化の礎となったのが、同町で創業した「田野屋塩二郎」さんの存在だ。彼が手がける塩を求めて、全国から料理人やメディアが集まり、完全天日塩は町を象徴するブランドとなった。</p>



<p>東京都港区広尾出身。学生時代はラグビーに打ち込み、前職は都内でサーフボードやスノーボードの製造販売会社に勤めていた。35歳の時、「海の側で働き、日本一になりたい」という願いから、リサーチした結果、青森県大間のマグロ漁師か、高知県の完全天日塩職人が候補となる。ただ大間のマグロ漁師になるには地元漁協が管理する漁業権や許可が必要となり参入のハードルが高かったため、消去法で塩職人の道を選んだ。これまでのキャリアを捨て、当時、日本で唯一、火も電気も一切使わない「完全天日塩」というジャンルを切り開いた吉田猛氏に弟子入りを志願したが、はじめのうちは一切取り合ってもらえなかったという。</p>



<p>「高知県西部にある黒潮（くろしお）町までアポなしで行き、頭を下げて弟子入りを志願したんですが、まったく相手にされなかったですね。意地もあり、諦められなくて、続けて何度か訪問して土下座して、基本だけ習わせてほしい、給料はいらないし、掃除から何でもやる、と頼み込みました。そこから2年間、みっちりと基礎を叩き込まれました」と振り返る。吉田氏の下での修業を経て、独立の地を探すなかで、高知県内の海沿いの町を探したが、どこにも相手にされず、唯一「ぜひ来てほしい。日本一の塩をつくってくれ」と応じたのが田野町長だった。当時は高速道路がなく、吉田氏の製塩所からも車で4時間ほど離れていたため、師匠に迷惑をかけないだろうという判断もあった。「師匠が『田野屋』という屋号を授けてくれたのは、受け入れてくれた町への恩返しをしろ、という意味だったんです」</p>



<h3 class="wp-block-heading">塩との会話ができるようになってから</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="549" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-132044.jpg" alt="" class="wp-image-54801" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-132044.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-132044-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-132044-768x511.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>結晶ハウスの目の前は海。満月や大潮の日に汲み上げた海水を、木箱に満たす。多くの塩業メーカーで行われるように塩を煮詰めたり、電気の力を使って海水を濃縮するのではなく、火や電気は一切使わず、ハウスの中で太陽光の熱による自然蒸発をじっくり待つのが「完全天日塩」だ。加熱処理をしないことで、海水に含まれる約80種類の豊富なミネラルを、自らの手で攪拌（かくはん）して封じ込め仕上げていく。&nbsp;</p>



<p>「人がやらないことをしようと思って、寝袋を持ち込んでハウスで塩と一緒に共同生活をしました。そんな生活を1ヶ月ほど続けた夜、塩がどんな匂いを出し、どんな音を立てるのか。対話を重ねるうちに変化がわかるようになり、それが自信に繋がって、急に納得のいく塩ができるようになりました 」</p>



<p>作業の効率と精密さを極めるため、木箱のサイズは塩二郎氏の体型に合わせてオーダーメイドされている。まさに職人と道具が一体となった空間だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「美味い塩」というよりは、「人間が必要とする塩」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-131908.jpg" alt="" class="wp-image-54802" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-131908.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-131908-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-131908-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高知県の森林率は84％で全国一位を誇る。田野町の東西には、豊かな栄養分を運ぶ奈半利（なはり）川と安田（やすだ）川が流れ込み、海には山の有機物が供給される。人口が少なく、海水浴場もないため、海水の清浄度は極めて高い。さらに土佐湾沖を流れる黒潮が、良質なミネラルを運んでくる。</p>



<p>塩二郎さんは130ほどある木箱の海水を1時間に1度のペースでチェックし、状況を見ながら攪拌を繰り返す。塩と真正面から向き合うため、よほどのことがない限りこの場所を離れない。</p>



<p>「結晶ができるのは全工程の最後。毎日見ていると『今はカリウムがこれくらい出ているな。なら海水のなかに留めて、先にナトリウムを出そう』といったコントロールができるようになります。目指すのは単なる『美味い塩』ではなく、摂取することで体内のバランスが整うような、人間が本能的に必要とする塩をつくりたいんです」</p>



<p>周辺の雑草を刈ると、塩の出来が変わってしまうという。「人間が主体ではなく、自然の循環のなかに少しだけ介在させてもらっている」という謙虚な自覚が、その味を支えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">粒の大きさも、味も、自由自在にコントロールする</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/21bd90a12d42c3fa6b657f5e9c54f7a5.jpg" alt="" class="wp-image-54803" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/21bd90a12d42c3fa6b657f5e9c54f7a5.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/21bd90a12d42c3fa6b657f5e9c54f7a5-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/21bd90a12d42c3fa6b657f5e9c54f7a5-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>塩は温度変化に極めて敏感だ。「夏の夕立ひとつで味が壊れる」と語る塩二郎さんは、天気や湿度、風の流れに細心の注意を払う。通常３〜４カ月、長いものでは４年もの歳月をかけて、ゆっくりと結晶化させていく。</p>



<p>味の五役（甘・塩・辛・酸・苦）のバランスから、結晶の大きさまで、すべてを自在に操る。その噂は口コミで広がり、今や世界中の料理人からオーダーメイドの注文が絶えない。市場にはほとんど出回らず、予約は数年待ち。ミシュラン星付きシェフも愛用する「幻の塩」と呼ばれる所以だ。最高値は1kg100万円。同ブランドでもっともスタンダードな商品として流通する「塩二郎（黒）」ですら100gで4,000円台と、量販店で販売される塩とは一線を画す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">塩は、土地の魅力そのものを表現する</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/e6f4f4c06ad44c92faeed02f90fd6cd3.jpg" alt="" class="wp-image-54804" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/e6f4f4c06ad44c92faeed02f90fd6cd3.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/e6f4f4c06ad44c92faeed02f90fd6cd3-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/e6f4f4c06ad44c92faeed02f90fd6cd3-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>開業当初に作ったのは「太陽結晶塩 塩二郎」。その2年後に粒の大きさとナトリウムの際立たせ方を変えたものを作り、現在はこれをベースに、２千種類以上のオーダーに応じている。「塩はあくまで脇役。主役の料理に溶けて一体となった瞬間、最も美味しく感じてもらえるよう、溶ける速度まで計算しています」と、職人は淡々と語る。</p>



<p>さらに、海水にフグやイチゴ、トリュフなどの素材を投入し、結晶化の段階で旨みを宿らせる「フレーバーソルトなど、既存の枠を超えた挑戦も続けている。土佐文旦の花の活用など希少価値の高い商品の構想も話題にあがった。</p>



<p>「究極の塩」を追求し続ける塩二郎さんだが、55歳の今、意外な未来像を口にした。「塩はもうやり切った感があるんです。60歳になったら、全く別の業種でまた10年かけて日本一を目指したい。飽きっぽいんですよね」と悪戯っぽく笑う。</p>



<p>田野町の海、太陽、風、そして草木。すべてと対話しながら生まれる塩二郎さんの完全天日塩は、土地の生命力をそのまま結晶化したものだ。その奥深く純粋な世界観に、私たちはいつの間にか引き込まれてしまう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54795/">粒の大きさ、味。そのすべてを操る塩職人「田野屋塩二郎」の生き様に触れる／高知県田野町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>自然の中で、命をいただくということ。「Antler Crafts」主宰･小野寺 望さん／宮城県石巻市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 29 Jun 2026 09:04:36 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[Reborn-Art Festival]]></category>
		<category><![CDATA[ニホンジカ]]></category>
		<category><![CDATA[狩猟]]></category>
		<category><![CDATA[鹿肉]]></category>
		<category><![CDATA[ジビエ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_B_6063.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>狩猟を通して“命をいただく”という営みと向き合い続けている小野寺さん。気仙沼市で育ち、東京で料理人として働いたのち、再び宮城の地へ。狩猟から解体、販売までを手がけながら、自然と人との共生に向き合い、命の循環を未来へつなぐ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54750/">自然の中で、命をいただくということ。「Antler Crafts」主宰･小野寺 望さん／宮城県石巻市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_B_6063.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>狩猟を通して“命をいただく”という営みと向き合い続けている小野寺さん。気仙沼市で育ち、東京で料理人として働いたのち、再び宮城の地へ。狩猟から解体、販売までを手がけながら、自然と人との共生に向き合い、命の循環を未来へつなぐ活動を続ける理由とは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">島育ちから東京でフレンチの料理人へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6491.jpg" alt="" class="wp-image-54758" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6491.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6491-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6491-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>小野寺さんは、石巻市よりも北にある気仙沼市大島の出身。2019年に気仙沼大橋ができるまで、船で本土と行き来していた島育ちだ。</p>



<p>かつてマグロ漁で潤っていた気仙沼市は、大手百貨店が進出するなど、大変な賑わいを誇っていたそうだ。そんな気仙沼市で青春時代を過ごした小野寺さんは、卒業後、東京へ出る。</p>



<p>テレビや雑誌で見た憧れの都会生活。ファッションや遊びに勤しみ、フレンチの料理人として働いていたが、慣れない都会の生活や、厨房の激務により、徐々に体と心が限界を迎え、上京から3年ほどで地元へ戻ることを決めた。&nbsp;</p>



<h2 class="wp-block-heading">狩猟を通し、命との向き合い方を見直す</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6482.jpg" alt="" class="wp-image-54759" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6482.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6482-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6482-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>地元に戻った小野寺さんは、アパレルとレジャー産業を展開する会社に転職。そこで自然と向き合う仕事に携わるなか、会社の代表がハンターだったことや、叔父も趣味で猟をしていたことから、狩猟に興味を持ち始めた。当時、宮城県内ではニホンジカによる農作物や森林への被害が問題になりつつあり、害獣対策としての捕獲活動も広がっていた。そうした背景も後押しとなり、狩猟免許を取得するに至った。&nbsp;</p>



<p>当時、ニホンジカの狩猟期間は約90日であり、1日の狩猟数はオス1匹までと決められていた。狩猟はチームで行い、小野寺さんのチームは25人ほど。狩猟犬ではなく雑種の犬を連れて行ったり、銃器の性能も劣っていたりしたが、「まるっきり素人の集団だったけど、草野球チームみたいで楽しかったですよ」と笑いながら評する。</p>



<p>仕留めたニホンジカはチームメンバーで分け合ったが、お世辞にもプロフェッショナルとは言えないハンター集団が行う血抜きや内臓処理は十分ではなく、捕獲から処理まで時間も掛かってしまうため、ストレスから旨味成分であるグリコーゲンが枯渇してしまったり、身体中に血がまわってしまったり、調理しても臭みが強くおいしくなかった。</p>



<p>かつてフレンチで鹿肉を扱っていた経験から、「こんなはずじゃない……ジビエはもっとおいしいはず」と感じた小野寺さん。駆除するだけではなく、おいしく食べてあげたいという思いが芽生えたという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「なぜ獲るのか」に立ち止まり、進むべき道を定める</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6699.jpg" alt="" class="wp-image-54760" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6699.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6699-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6699-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2010年ごろ、宮城県内のニホンジカの生息数増大に伴い、農作物や森林への被害が大きくなり、狩猟による捕獲を行う計画が発表された。これにより、狩猟期間外でも捕獲をすることになった小野寺さん。しかし、1日で獲れる鹿の頭数が増えると、仲間内でも「鹿肉は要らない」という人たちが出始めた。廃棄され、腐っていくニホンジカの姿を見て、小野寺さんは「何のためにやっているんだろう」と疑問を持つようになった。</p>



<p>ニホンジカは、本能に従って子孫を増やそうとしているだけ。人間の都合で住む場所が狭まり、里に下りて来らざるを得ないものを、“人間の生活を脅かす”と駆除の対象にされる。幼いころから動物が大好きだった小野寺さんは、狩猟仲間の「かわいそうなんて思ったらダメだ」の言葉に、「自分はそんなメンタルは持ち合わせていない」と感じたのだという。</p>



<p>「せめて自分の獲った鹿は、おいしく食べられるものにしよう」。その覚悟が、小野寺さんの狩猟人生を大きく変えていった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">震災を経て、食の再生への道を辿る</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6737.jpg" alt="" class="wp-image-54761" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6737.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6737-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6737-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>鹿肉をおいしく食べられるよう、血抜きや内臓処理、沢の水や海水に漬けるなど、試行錯誤を重ねていた2011年、東日本大震災が石巻市を襲った。山から戻った小野寺さんの目に映ったのは、一変した故郷の姿だった。津波が街を飲み込み、見慣れた風景は跡形もなく消えていた。それでも小野寺さんは、できることをするしかなかった。手元にあった鹿肉を持ち寄り、避難所へ届けた。命をいただいた肉が誰かの力になる。その実感が、小野寺さんの中で静かに根を張っていった。被災を乗り越えた小野寺さんは、やがて炊き出しに訪れた東京の有名シェフたちと出会う。&nbsp;</p>



<p>「ちょっとズルい気持ちもあったんだけれど……」と振り返る小野寺さん。自身の捌いた鹿肉や鹿肉の生ハムなどを有名シェフらに試食してもらい、味の改良を重ねた。</p>



<p>そうした活動の中で縁があり、音楽プロデューサーとして知られ、東日本大震災後の復興支援にも深く関わってきた小林武史氏と出会い、氏が主宰するアートフェスティバル「Reborn-Art Festival」に携わる。小野寺さんの活動を知った小林氏は「せっかくだから処理場を作りましょう」と提案。そして2017年、現在の処理場が完成。ニホンジカの解体から販売までを一貫して行えるようになった。&nbsp;</p>



<h3 class="wp-block-heading">命をいただくための最低限のルール</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6488.jpg" alt="" class="wp-image-54762" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6488.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6488-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6488-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>小野寺さんは、ニホンジカの頭部または首元を狙って一撃で仕留める方法で狩猟をする。ライフル銃を手に、右目でスコープ、左目で背景を見ながら、猟犬が追ってきたニホンジカに狙いを定める。この狩猟方法は、ニホンジカに最も負担のない方法だ。傷が一カ所で済むため、使える肉の量も多くなる。とても難しい方法のように思えるが、小野寺さんは「一瞬の判断が重要なだけ。慣れれば大丈夫」と、笑顔で語ってくれた。</p>



<p>仕留めたニホンジカは、心臓が動いている間にすぐに血抜きを行う。そして自社の処理場で解体し、1カ月ほどかけて水分を無菌室で水分を抜いていく。おいしい食肉に加工することは、「命をいただく上での、最低限のルール」と、小野寺さんは穏やかに話す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">森と人の未来を見据えて</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6613.jpg" alt="" class="wp-image-54763" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6613.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6613-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6613-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在はニホンジカの駆除だけだが、「ひとつの動物だけを駆除するのではなく、森全体の生態系を考慮した解決策が必要」と見通しを立てる小野寺さん。動物だけでなく植物を含めた森の保全が喫緊の課題だ。</p>



<p>その啓蒙活動として、定期的にワークショップやアートイベントを開催している。子どもたちに「野生動物が“食べ物”に変わり、命をいただくこと」の尊さを学んでもらったり、アートをきっかけに自分の周囲にある生態系や自然に関心をもったりしてもらいたいと考えている。</p>



<p>そんな小野寺さんを慕って、多くの若者やアーティストもこの場所に集まる。<br>「まぁ勝手に集まって、好きにやってくれたらいい」と、小野寺さんも笑顔を見せて、彼らを受け入れている。</p>



<p>人間の都合で捕獲される野生動物たちを、絶品の食材に加工して、余すことなく利活用する小野寺さん。その姿は、生きとし生けるすべての命に感謝し、自然の恵みを享受する、あるべき人間の姿に思えた。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54750/">自然の中で、命をいただくということ。「Antler Crafts」主宰･小野寺 望さん／宮城県石巻市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>ゴールドバレルの頂点を目指す「しんざと果樹園」2代目の挑戦／沖縄県国頭郡東村</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 29 Jun 2026 08:48:26 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[タダオゴールド]]></category>
		<category><![CDATA[TADAO GOLD]]></category>
		<category><![CDATA[ゴールドバレル]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-001.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>海を望む丘陵地に広がるパイナップル畑。沖縄県本島北部の東海岸に位置する国頭郡（くにがみぐん）東村（ひがしそん）は、国内生産量わずか5%の高級パイナップル「ゴールドバレル」の産地。「パイナップルの王様」とも呼ばれるゴールド [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-001.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>海を望む丘陵地に広がるパイナップル畑。沖縄県本島北部の東海岸に位置する国頭郡（くにがみぐん）東村（ひがしそん）は、国内生産量わずか5%の高級パイナップル「ゴールドバレル」の産地。「パイナップルの王様」とも呼ばれるゴールドバレルと、その若き担い手の想いとは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">沖縄県のパイナップル栽培の歴史</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-022.jpg" alt="" class="wp-image-54741" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-022.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-022-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-022-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>沖縄県は国産パイナップルの生産量のほぼ100％を占めており、年間の収穫量はおよそ7,000t〜8,000tに及ぶ。1866年に石垣島沖に座礁したオランダ船から漂着した苗を植えたのがパイナップル栽培のはじまりと言われており、戦後本格的に缶詰加工用としての栽培や品種改良が行われるようになると、1960年代にはサトウキビと並ぶ2大基幹作物にまで成長した。</p>



<p>ところが順調だったパイナップル栽培は1990年の缶詰製品の輸入自由化により大打撃を受け、加工用品種として主力だったハワイ種「N67-10」の栽培は落ち込みをみせた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">付加価値の高い生食用品種への転換</h3>



<p>一時は衰退したパイナップル栽培だが、沖縄県のパイナップル栽培はより付加価値の高い生食用品種の栽培へと移行していく。そして現在では、手でちぎって食べられるスナックパイン（正式名称：ボゴールパイン）、果肉が白く小ぶりなピーチパイン（正式名称：ソフトタッチ）、甘みが強いサンドルチェ（正式名称：沖農P17）、ココナッツのような香りのあるホワイトココ（正式名称：沖農P19）、高級品種のゴールドバレル（正式名称：ゴールドバレルパイン）など、多くの生食用品種が開発・栽培され、シェアを拡大している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">高級パイナップル「ゴールドバレル」の誕生</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-009.jpg" alt="" class="wp-image-54742" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-009.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-009-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-009-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2006年に新品種として登録された「ゴールドバレル」は、東村が発祥の地。1989年に沖縄県農業研究センターで「クリームパイン」と「McGregor ST-1」を交配して得られた実生（みしょう）から、およそ20年の歳月をかけて誕生し、黄金色の果肉と樽（バレル）のような形からその名が付けられた。</p>



<p>ゴールドバレルの1番の特徴は、糖度の高さにある。一般的なパイナップルの糖度が14度〜16度なのに比べ、ゴールドバレルは17〜19度と糖度が非常に高い。また実は芯まで食べられるほどやわらかく、パイナップル独特の刺激的な酸味が少ない。口に入れると、とろけるように柔らかくジューシーで、繊維が少ないためざらざらとした食感が口に残らない。上品な甘さと芳醇な香りが楽しめ、1個当たりの重さが約1.5kg〜2kgと大きいため贈答用の高級パイナップルとして注目を浴びるようになった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「ゴールドバレル」の生みの親、玉城忠男さん</h3>



<p>この新品種の誕生に深く関わったのが、東村におけるパイナップル栽培の先駆者であり沖縄県名誉指導農業士でもある玉城農園の玉城忠男（たまきただお）さんだ。玉城さんは譲り受けた11本のか細い苗から選抜育成をくり返し、長年にわたる努力と研究によって「ゴールドバレル」をまさに黄金色の果実へと育てあげた。</p>



<p>玉城さんが自身で育てるゴールドバレルの中でも、味、色、大きさ、形など特に選りすぐりのものは「TADAO GOLD（タダオゴールド）」と名付けられ、全体の数パーセントしか選ばれないゴールドバレルの最高級品として知られている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">受け継がれるパイナップル栽培</h2>



<p>東村で「しんざと果樹園」を営む新里善幸さんと貴恵さん夫妻は、パイナップル作り一筋50年以上の玉城さんのもとゴールドバレル栽培の手ほどきを受けた担い手だ。</p>



<p>貴恵さんは玉城さんの娘さんで、幼いころから玉城さんがパイナップルを育てる姿を目にしていた。しかし、お父さんが育てるパイナップルの凄さに気付いたのは社会人になってから。那覇市でパティシエとして働きだしてからなのだそう。</p>



<p>20年近く前、働いているお店で仕入れていたパイナップルがお父さんの育てたゴールドバレルだった。周りの人から「TADAO GOLD」が美味しくて有名だという噂を聞き、その凄さを知ったという。そして「これは誰にでもできる仕事ではないのかもしれない」と、南城市のマンゴーの兼業農家で生まれ育った善幸さんと二人三脚でゴールドバレル栽培に取り組むようになった。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-019.jpg" alt="" class="wp-image-54743" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-019.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-019-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-019-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<h3 class="wp-block-heading">東村の大地に育まれるゴールドバレル</h3>



<p>しんざと果樹園がある東村は、県内有数のパイナップルの産地であることはもちろん、マングローブ林などの豊かな自然と固有の生態系が色濃く残る「やんばる（山原）」と呼ばれる地域としても知られている。赤土がのぞく広大な畑には、大人の腰ほどの背丈に育ったパイナップルが規則正しく生い茂る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">パイナップル栽培に最適な東村の赤土と気候</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-003.jpg" alt="" class="wp-image-54744" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-003.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-003-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-003-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>東村でパイナップル栽培が盛んな理由に、パイナップルが一番好む酸性で水はけのよい赤土の土壌がある。また海からのミネラルが降り注ぐ地形と、夏の30度〜35度と高い気温。これらの条件が糖度の高いパイナップルを育てる。</p>



<p>この土壌の優位性を活かす土作りはパイナップル栽培にとって非常に重要なファクターだ。</p>



<p>土づくりは、まずパワーシャベルで1メートルほどの深さまで切るように耕す。パイナップルは水が天敵のため、土の中に空洞を作り、より水はけの良い土にする。耕した土は元気を取り戻すために3ヶ月間、自然の雨にさらし土に水分やミネラルを浸透させ、同時に空気も取り込みながら休ませる。そうすることで育成不良などの連作障害も起こらなくなる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-006.jpg" alt="" class="wp-image-54745" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-006.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-006-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-006-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そして土づくりで何より大切なのが草の管理なのだそう。「お義父さんには、草を生やすなって1番言われます」と善幸さん。貝殻虫という害虫の発生を防ぐため、草取りに機械は使わずほとんど手で抜きあげる。こうして手間と時間をかけた土づくりが最終的にパイナップルの味に繋がっていく。</p>



<h3 class="wp-block-heading">植え付けから生育、収穫</h3>



<p>パイナップルの植え付けは、3月・4月の春と、9月・10月の夏の大きく2期に分けて行う。春の植え付けは、5月下旬頃の梅雨入りまでに根が張るように。夏の植え付けは台風の状況を見ながら、植えた苗が雨で腐ってしまわないように計算して行われる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-031.jpg" alt="" class="wp-image-54746" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-031.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-031-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-031-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ある程度まで育った実には、日焼け防止のために新聞で作った帽子をひとつずつ被せ、さらに上からネットで覆い強い紫外線を遮ることで皮が焼けて傷みの原因となることを防ぐ。また、実が大きく重いゴールドバレルは台風の強風で茎が折れてしまうこともあるため、茎を支えるパイプの設置も行われる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-015.jpg" alt="" class="wp-image-54747" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-015.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-015-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-015-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>手間をかけ、作物にとって最適な環境で育ったゴールドバレルは、苗の植え付けからおよそ3年でようやく収穫を迎える。パイナップルは基本的には収穫後に追熟しないため、木上（きじょう）で熟させ1番美味しいタイミングで収穫をする。収穫の時期が近づくと、毎日ひとつずつ成熟度の確認を行い、熟したものは手作業で収穫される。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ゴールドバレルに夢をのせて</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-048.jpg" alt="" class="wp-image-54748" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-048.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-048-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-048-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>しんざと果樹園で収穫されるパイナップルは、年間およそ9,000個。一般的なパイナップルが4年で2回収穫できるのに対し、ゴールドバレルは3年でようやく1回。収量が限られるうえ病気にも弱く、栽培の難しい品種にも関わらず、土づくりにこだわり、木上で熟すのを待ち一番美味しいタイミングで摘み取るなどの手間も惜しまない。</p>



<p>とはいえ、この丁寧な仕事が芯までやわらかく芳醇に香るゴールドバレルを生み出しているのだが、「お義父さんは日々研究して、80歳を過ぎてもどんどん新しいことを取り入れている。僕なんか若いのに、まだまだ負けてる」と、謙虚な善幸さん。</p>



<p>玉城さんから技術と知識を吸収しながら、生育が難しく収量も安定しにくいゴールドバレルの作付けを少しずつ広げ、いずれは安定して12,000〜13,000個を収穫できるようにしたいと生産拡大に意欲を燃やす。</p>



<p>一方、貴恵さんが見据えるのは出荷の仕組みづくりだ。木上で熟させたゴールドバレルは、収穫後の賞味がわずか3日。1個ずつ布で磨き、箱に手作業で詰めていく作業は、収穫量の多い時期には22時間に及ぶこともあるが、機械やシステムの導入など新しい仕組みを取り入れることで、この作業を効率化させ、より一層パイナップルの生育に手間をかけたいと考えている。</p>



<p>ふたりは現在、収穫したパイナップルを地域の小学校や児童養護施設へ定期的に寄贈している。これは「自分たちが小さい頃は、パイナップルは少し酸っぱくて当たり前だと思っていた。ところが、品種や育て方でこんなにも甘くなる。子どもたちにパイナップルは甘くて美味しいものだと知ってもらい、パイナップルに対する“当たり前”を変えていきたい」という想いから。</p>



<p>玉城さんが11本のか細い苗から黄金色の果実を育てあげたように、その想いと技術は、いま確かに次の世代へと受け継がれている。東村の赤土に根を張ったゴールドバレルは、ふたりの夢をのせて、これからも甘く実っていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54735/">ゴールドバレルの頂点を目指す「しんざと果樹園」2代目の挑戦／沖縄県国頭郡東村</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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