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	<title>FOOD - NIHONMONO</title>
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		<title>「美味しい」の一言が茶栽培の原動力。「お茶の川谷園」川谷哲也さん/大分県中津市</title>
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		<pubDate>Mon, 13 Jul 2026 10:10:52 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2804.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大分県北部、険しい岩山と清流が織りなす耶馬溪町（やばけいまち）の山間地に、緑の茶畑が広がっている。ここで茶葉の栽培から販売までを一手に担うのが、「お茶の川谷園」2代目の川谷哲也さんだ。静岡以西では初めて「茶聖」の称号を授 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2804.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大分県北部、険しい岩山と清流が織りなす耶馬溪町（やばけいまち）の山間地に、緑の茶畑が広がっている。ここで茶葉の栽培から販売までを一手に担うのが、「お茶の川谷園」2代目の川谷哲也さんだ。静岡以西では初めて「茶聖」の称号を授かり、大分の茶づくりをリードする存在として知られている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">国の事業をきっかけに、山の土地でお茶を育てる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9371.jpg" alt="" class="wp-image-54855" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9371.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9371-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9371-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川谷園の茶葉生産の歴史が始まったのは、昭和49年のことだ。もともと川谷さんの祖父は山仕事をメインに、炭焼きやシイタケ栽培といった山仕事を営んでいた。そして父の代になった頃、国の事業で茶の栽培が行われることに。祖父の代の山仕事では収益が低かったことに課題を感じていた川谷さんの父が開墾された土地に入ったことがきっかけで、茶業に関わり始めた。当初は、日本の茶畑のおよそ7～8割を占める「やぶきた」をはじめとした3〜4品種だったが、川谷さんがこの世界に入って品種の勉強を重ね、さまざまな品種を取り寄せた結果、現在はさえみどり、あさつゆ、あさのか、はるみどり、やぶきた、おくみどり、さきみどりの7品種に少量の紅ふうきを加えた、計8品種を育てるまでになった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">専門家も猛反対した「あさつゆ」への挑戦</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2697.jpg" alt="" class="wp-image-54856" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2697.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2697-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2697-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そのなかでも、川谷さんの栽培への情熱を象徴する品種がある。その圧倒的な旨みと鮮やかな緑色から&#8221;天然玉露&#8221;とも称される「あさつゆ」だ。極めてデリケートで寒さに弱いこの品種を冬の冷え込みが厳しい耶馬溪で育てることは、専門家の目には「無謀」と映り、試験場の先生からも猛反対を受けたという。それでも川谷さんは耶馬溪の自然が育むお茶の可能性を信じ、その一歩を踏み出した。</p>



<p>「当時は父親も元気だったのですが、先生から頭ごなしに”無理だ”と言われたことで、我々の反骨精神に火が付いたというのも、栽培に踏み切った理由のひとつです」と川谷さん。</p>



<p>川谷園が位置するのは標高およそ550m。茶の栽培には日中の寒暖差がある土地が向いているとされる一方、霜が降りるほど寒すぎると葉がだめになってしまう。川谷園はまさにそのギリギリのエリアであり、実際に霜害に遭うこともある。しかし川谷さんは、「厳しい環境で育った茶葉はまろやかで薫り高い良い芽になる」と言う。寒さに弱いというあさつゆの特徴は、見方を変えれば、厳しい冬を乗り越えた際にとてつもない甘みとコクを蓄えるポテンシャルでもある。逆境が、味わいの深みを生むのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統を礎に、科学で進化させた肥料へのこだわり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9338.jpg" alt="" class="wp-image-54857" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9338.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9338-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9338-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>品種への探究と並走するように、川谷さんが力を注いできたのが土づくりだ。良い茶の栽培には良い土が欠かせない。そして良い土を作るのに欠かせないものといえば、栄養を与える肥料だが、父の時代は、えごまの搾りかす、菜種かす、魚かすをそれぞれ別々に畑に撒き、また新芽を出すためには硫安という窒素肥料も別に与えていた。しかし栽培面積が広がり、肥料やりを一手に担うようになった川谷さんは、すべてを別々に行うことの難しさに気づく。そこで思いついたのが、最初から全ての材料を混ぜてひとつの肥料にする方法だ。時を同じくして、「肥料の中身から、好きなようにやっていい」と父から言われたことが転機となり、自分なりのブレンドへと踏み切ったのが5年ほど前のことだ。</p>



<p>川谷さんが辿り着いた配合には、二つの大きな工夫がある。ひとつは、従来の魚かすではなく、魚の内臓や骨を含む魚粉・骨粉を使うことだ。複雑なミネラルと旨み成分を土に蓄えるためだという。もうひとつは、植物の成長に欠かせない窒素成分を補うために、マイナス196℃の液体窒素を肥料に加えることだ。それにより生まれたのが、内容物のほぼすべてが有機素材で構成された、川谷さん独自の配合肥料である。</p>



<p>さらに、茶の新芽を出す「芽出し」のために液体肥料の「ソリュブル」も取り入れている。ソリュブルは魚の煮汁を濃縮した、ミネラルとアミノ酸が豊富な有機液体肥料で、以前使っていた硫安と比べてもお茶の味の深みや濃さが変わった気がしているという。「ただ、ソリュブルは臭いんです。魚の煮汁なので、皮膚についたら2日間くらいはいくら洗っても取れません。手についていたら、食事の時に全部その味に感じられてしまうくらい強烈で」と、川谷さんは笑いながら話してくれた。</p>



<p>伝統を大切にしながらも、科学的な探究心で磨き上げられた川谷園の一杯には、耶馬溪の厳しい風土と、それに挑み続けた川谷さんの執念が凝縮されている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">一途に続ける、手もみという技</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2812.jpg" alt="" class="wp-image-54858" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2812.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2812-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2812-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川谷園では、手もみ茶も取り扱っている。機械を一切使わず人の手だけで仕上げる手もみ茶は、江戸中期に京都宇治の茶業家・永谷宗円が考案したとされるもので、茶の葉を蒸して柔らかくした後、手でほぐし、転がし、捏ねて揉んでという作業を立ちっぱなしで行った後に乾燥させて仕上げるという工程をおよそ6時間かけて行う。出来上がった茶葉は針のように細長く、機械によって余計な力をかけられていない分、湯に浮かべると摘み取ったときの茶の葉の形に戻るという。煎れた時の色はきわめて薄く、乳白色が最上とされる手もみ茶は、口に含めばその色の薄さからは想像もできないほどの濃厚なうま味が広がる。手数の多さから量産はできず、また熟練の技術が必要なことから揉み手も減っているため、市場に出回れば手もみ茶にきわめて高い値がつく。</p>



<p>川谷さんが手もみ茶と出会ったのは、高校卒業後に国立試験場の研修生として学んでいた19歳のときだった。そこで研修同期だったのが、のちに全国手もみ茶品評会で8度の日本一に輝き、日本で初めて「永世茶聖」の称号を授かった中島毅だ。同い年の2人は切磋琢磨しながら技術を研ぎ澄ませ、やがて川谷さんも品評会の舞台に立つようになる。2011年には農林水産大臣賞（1等1席）を受賞し、静岡以西では初めてとなる「茶聖」の称号を授かった。</p>



<p>手間がかかり量産もできない手もみ茶を、なぜ川谷さんは続けるのか。そこには、過去の後悔がある。これまで2度、品評会を欠場したことがある。1度目は手もみの当日朝にぎっくり腰になったとき、2度目は手もみを続けることへの諦めの気持ちが生まれたタイミングだった。しかし、欠場して楽になった気持ちを1とすれば、「やっぱり出場しておけばよかった」という悔いが50から60ほどあったという川谷さん。品評会の結果云々という話ではなく、その年のお茶がどういうものかを感覚で確かめるためにも手もみをしよう——欠場したことで、逆に手もみの存在を実感したことが、今も川谷さんを手もみ茶へと向かわせている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「お茶らしいお茶」を、一杯の中に</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2768.jpg" alt="" class="wp-image-54859" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2768.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2768-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2768-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川谷園では手もみ茶のほか、煎茶、深蒸し茶、ほうじ茶など幅広いラインナップを揃えており、そのなかには客の声から生まれた商品も少なくない。</p>



<p>川谷さんが目指す味は、「お茶らしいお茶」だ。世の中で「おいしいお茶」といえば、往々にして甘みの強いものが注目されがちで、世間の多くの人もまた、そうした甘味の強いお茶こそを「美味しい」と口にする。かつての川谷さんも、その声に応えるかのように、ひたすらに甘みを追い求める時期があった。しかしその市場で戦い続けることへの疑問が拭えず、考え方を変えた。甘いだけではなく、キリっとした渋みと爽快感が走る。その味わいを理想に据えて辿り着いたのが、上深蒸し茶「翠」だ。毎年最初に仕上げるのもこの「翠」で、前年のものと飲み比べながら納得のいくブレンドを探るため、新茶を摘んでから商品化まで最低でも2週間ほどかかるという。物流が発展した現代では、産地に近い茶舗には摘み取りから3～5日で商品として並ぶ場合もあると考えると2週間はきわめて長いが、川谷さんのこだわりの結晶だともいえるだろう。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2858.jpg" alt="" class="wp-image-54860" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2858.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2858-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2858-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一方、「作らない」と長らく決めていたにもかかわらず、客のリクエストに折れてラインナップに加えた商品もある。玄米茶だ。緑茶は50gや100g単位でパッケージとして売られているのに対し、玄米茶は500gや1kgという大容量である場合が多い。それだけの量があると、一度玄米茶を買ってしまったらしばらくの間ずっと玄米茶ばかりを飲み、緑茶を飲む機会が減るという、川谷さん流に言うと「負の玄米茶ループ」にはまってしまう。それを懸念し、玄米茶は作らないという姿勢を貫いていたものの、熱烈なリクエストを受けるうちに「自分のところで作った玄米を使えばいいのでは」という考えに至り、作ることを決意する。</p>



<p>それが、「my玄米」と名付けられた一品だ。袋を開けて驚くのは、そこに緑茶の葉が一枚も入っていないこと。文字通り、丁寧に香ばしく弾けさせた「玄米だけ」が収められている。あえて緑茶と混ぜ合わせない。この引き算の美学が生んだのは、これまでの玄米茶の常識を覆す自由度だった。玄米茶として味わうならば、緑茶は客が自分で用意する必要がある。「my玄米」においては、「玄米茶を飲み始めると緑茶の消費が減る」という川谷さんの懸念は解決された。加えて、クルトンやあられの代わりにサラダやお茶漬けに使えるという新しい提案により、既存の玄米茶のイメージを軽やかに超えていった。さらにお湯にも水にも溶けるスティックタイプの粉末玄米茶も開発し、こちらも好評を博している。</p>



<p>粉末のお茶は、東京のジェラート屋や千葉のシフォンケーキ教室でも採用されるなど、飲むだけにとどまらない新しい消費者層の開拓にもつながっている。「飲むだけに限らないところが、茶はまだまだ夢がある商品だと感じられる」と川谷さんは目を細めた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">九州のレベルを上げ、若手を育てたい</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9322.jpg" alt="" class="wp-image-54861" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9322.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9322-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9322-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>茶の有名産地といえば静岡や狭山（埼玉県）が真っ先に思い浮かぶ。大分の名はなかなか前面には出てこない。もし自分が産地の中心で茶を作っていたら、競争に勝てなかっただろうと川谷さんは率直に語る。「おそらく今の九州で、このクラスの手もみ茶を作れるのは自分だという自負はあります。しかし全国の品評会となると歯が立たないこともある。そういう時、九州のレベルがどれだけまだまだなのかを痛感します」と、川谷さん。もちろん九州にも、全国の茶品評会で上位に入る八女市や嬉野市がある。しかし、手もみ茶ではなく別部門においてだ。手もみ茶では、狭山などに遠く及ばない。&nbsp;</p>



<p>だからこそ川谷さんが強く意識しているのが、九州の茶づくりのレベルを上げること、そして若手を育てることだ。品評会に出るには全国組織への加盟が必要だが、大分県にはその組織がなく、川谷さん自身も福岡県・八女の組織に所属している。その八女に育ちつつある若者がいる。その人物と2人で九州の手もみ会を再び盛り上げようというプロジェクトが、今まさに動き始めている。将来的には九州各県に1人ずつ全国に打って出られる作り手を育て、品評会で九州勢が一等に並ぶような未来を、川谷さんは真剣に思い描いている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「おいしいね」の言葉に力がみなぎる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2827.jpg" alt="" class="wp-image-54862" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2827.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2827-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2827-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川谷園の初代である父が亡くなったのは、2022年のことだ。父が生きていた頃は「自分がやれることを8割の力でやる」という目標を持っていたが、家業をすべて一人でこなすようになった今は、100や120の力を出さなければ間に合わないことを痛感しているという。それは決して楽ではない。しかし、同業者や客から「川谷園のお茶は美味しい」と言われるたびに力がみなぎる。市場の変化は激しく、正解のルートなどないけれど、味わいも含めて柔軟にトライし続けていく。その姿勢を川谷さんは「客の口に入るまでが戦い」と表現した。</p>



<p>ペットボトルの緑茶ドリンクに押され、生の茶葉を売ることをやめてドリンク専用工場へ向かう茶業家も増えているのが現状だ。しかし川谷さんはそこに異を唱える。「学校に行って、茶について深く学んだじゃないか」と。茶の末端価格は野菜のような大きな値崩れが起きにくい。ならば必ず、問屋や社長ではなく茶葉を育てる農家自身が儲かるための突破口があるはずだ。そう言い続け、「生産者のやり方がまだあるはず。それを考えよう」と仲間に呼びかけてきた。</p>



<p>高校卒業後の研修で同期と笑い交じりに語り合った夢は、「みんなでベンツに乗って同窓会ができるくらいになろう」というものだった。あれからおよそ25年。その夢は今、「皆で儲けて、皆で幸せに。そして、その環境を取り巻く人たちまでも幸せにしたい」という思いへと深まっている。お茶づくりを通じて人を幸せにしたい。川谷さんのお茶は、その想いとともに今日も山の茶畑から生まれ続けている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54845/">「美味しい」の一言が茶栽培の原動力。「お茶の川谷園」川谷哲也さん/大分県中津市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>山田町の原木椎茸を牽引し続ける。茸の匠･芳賀榮三さん／岩手県山田町</title>
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		<pubDate>Mon, 13 Jul 2026 09:46:46 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
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		<category><![CDATA[茸の匠]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi26.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>岩手県沿岸のほぼ中央に位置する山田町。太平洋に面していることから、漁業のまちとしての印象が強いが、町の特産に原木椎茸があり、全国規模で行われる品評会では、毎年のように町内から農林水産大臣賞受賞者を輩出してきた。そんな山田 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi26.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>岩手県沿岸のほぼ中央に位置する山田町。太平洋に面していることから、漁業のまちとしての印象が強いが、町の特産に原木椎茸があり、全国規模で行われる品評会では、毎年のように町内から農林水産大臣賞受賞者を輩出してきた。そんな山田町における原木椎茸の先駆者と言えるのが、全国でも数名しかいない名人格のうちの一人･芳賀榮三さんである。</p>



<h2 class="wp-block-heading">冷涼な気候と豊かな山が原木椎茸を育む</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi6.jpg" alt="" class="wp-image-54816" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi6.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi6-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi6-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>岩手県下閉伊郡（しもへいぐん）山田町は東側に太平洋、西側に北上山地の山々が連なる自然に抱かれた町だ。山にはブナやナラ、アカマツなどの広葉樹が豊富に植生していることから、原木椎茸の生育適地として、椎茸栽培が盛んに行われている。原木椎茸は直射日光が当たらず風通しがよく、適度な湿度がある場所を好むため、草木が日除けとなったり、標高による冷涼な気候や、樹木が呼吸をすることで適度な湿気が保たれる山林の環境は好条件なのだ。</p>



<p>ちなみに椎茸には栽培方法によって「原木椎茸」と「菌床椎茸」があり、スーパーなどで販売されている生の椎茸は菌床椎茸が多い。その理由として、菌床椎茸は、おがくずを固めた菌床ブロックに人工的に養分を加えて育てるため3〜6か月で収穫でき、原木椎茸に比べて成長速度も4倍近く早い。加えて設備さえ整っていれば場所を選ばず、気候にも左右されないため、生産量も安定する。</p>



<p>一方、原木椎茸は天然の木に種菌を植え付けるので、木の養分のみで育つため成長には時間を要する。種菌を植え付ける榾木（ほたぎ）さえあれば、室内でも栽培することは可能だが、条件の整った自然の中でじっくり育った原木椎茸は、特段、味も強く、傘も肉厚になるのだという。</p>



<p>山田町では、この原木椎茸を乾燥させ乾椎茸（ほししいたけ）に加工することが多い。乾椎茸の中でも傘が大きく形が良いものは贈答品や高級食材として重宝されている。&nbsp;</p>



<h3 class="wp-block-heading">高級食材でもある山田町の乾椎茸</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi5.jpg" alt="" class="wp-image-54817" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi5.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi5-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi5-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>乾椎茸には、いくつかの呼び名がある。「花どんこ」は、傘の表面に花のような白い亀裂が入ったもので、見た目の美しさから贈答用に使われることが多い 。「こうしん」は、どんこよりも傘が開きヒダがあるものを指し、よく出汁が出るため、煮物などに重宝されている 。全農乾椎茸品評会には「こうしん中葉厚肉」や「花どんこ」「どんこ」などの部門があり、色･形･大きさなどによって審査される。</p>



<p>これらの品評会で賞を取るほどの 乾椎茸は、高級食材としてホテルや料亭などで使用される。見た目もよく味も良い山田町の乾椎茸は、料理人や寿司職人などから引っ張りだこだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">原木椎茸の名人として</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi2.jpg" alt="" class="wp-image-54818" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>原木椎茸の名人･芳賀榮三さんは、山田町の中でも内陸に位置する豊間根地区にきのこ工房を構え、原木椎茸を栽培している。秋になると山に入り松茸も採る。山を知る芳賀さんがとる松茸は品質が良いと評判で、周囲からは「茸の匠（きのこのたくみ）」とも呼ばれている。</p>



<p>芳賀さんが原木椎茸の栽培を始めたのは1983年。38歳の頃だ。全国の品評会で初めて農林水産大臣賞を受賞したのは49歳の時。その後も「花どんこ」の部で農林水産大臣賞を５回受賞。最高位の常連になった芳賀さんは「名人位」を授けられた。以来、部門を変えて出品し、受賞を重ねている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">山田町に豊富にあるナラの木で原木椎茸を栽培</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi12.jpg" alt="" class="wp-image-54819" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi12.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi12-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi12-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>芳賀さんの原木椎茸は、露地栽培とハウス栽培の両方で行われる。椎茸の菌を植える榾木（ほだぎ）は、ナラの木を使う。榾木に適しているのは針葉樹ではなく、広葉樹だ。 他県ではクヌギを使うことが多いが、山田町の山林にはクヌギが生えておらず、一方でナラが豊富にあるため、ナラを使っている。ナラの木は樹皮に亀裂があり、椎茸の種菌（たねきん）を植えやすいという特徴もある。芳賀さんは「ほかの広葉樹で栽培するところもあるが、試してみてもやっぱりナラの木で作った椎茸が美味しい」と言う。 椎茸は涼しく程よい湿度がある場所で育つため、榾木には直射日光が当たらない方がいい。そこで、露地栽培と言っても背の高い樹々に覆われた山林の中で栽培される。椎茸の大きさは榾木の大きさに比例するという。太くて立派な榾木であれば、椎茸も大きくなるというわけだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">山田町の原木栽培を牽引する存在</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi11.jpg" alt="" class="wp-image-54820" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi11.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi11-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi11-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>芳賀さんが原木椎茸の栽培を始めた1983年は、ちょうど山田町が椎茸栽培に力を入れ出した頃と重なる。同じ時期に原木椎茸を始めた人たちがたくさんいた。しかし、平成に入ると安価な中国産が出回るようになり、市場価値が低下。山田町の原木椎茸も苦境に立たされた時期があった。なかにはその頃に廃業してしまった人もいるという。そのような中でも、芳賀さんは精力的に全国の品評会に出品を続けた。&nbsp;</p>



<h2 class="wp-block-heading">原木椎茸の未来に思いを馳せる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi15.jpg" alt="" class="wp-image-54821" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi15.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi15-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi15-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>芳賀さんは80歳を過ぎてもなお、精力的に原木椎茸を作る。「菌床椎茸よりも原木椎茸のほうが、歯ごたえがあって旨味もある」と言い、原木椎茸にこだわる。<br>品評会で受賞する原木椎茸は、傘の大きさ、色、形をできるだけ揃えたものを出品するのだという。同じ大きさの椎茸を数多く育てるには、榾木の大きさも揃えなければならない。榾木の直径は約18㎝。重さもあることから、高齢の芳賀さんにとって榾木の管理は重労働だ。</p>



<p>「ずっとハウスの中に入れておくと高温障害が出る。7月になればハウスの中は暑くなる。そうしたら榾木を山に置く。薬をかけるより、山に戻しておくほうが風通しも良くていい」と芳賀さん。11月。ハウスの榾木にはまだ椎茸は発生していなかったが、4月ごろになると収穫できるという。農薬をかけない榾木を使って栽培するから原木椎茸は安全･安心なのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">命ある限り原木椎茸を作り続ける</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi4.jpg" alt="" class="wp-image-54822" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi4.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi4-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi4-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>山田町で原木椎茸の栽培が盛んになった頃から、第一線を走り続けている芳賀さん。同年代の生産者が栽培をやめてもなお、椎茸栽培の最前線を行く。「1番の課題は自分の体力。これが最後の椎茸になるかもしれないと毎年思いながらやっている」と話す。しかし、そのような中でも、芳賀さんは品評会で結果を出し続けている。「長年の積み重ねなんだろうね。毎日通っていれば気候が教えてくれる。湿度が上がった時に傘が割れて白くくっきり亀裂が入り、きれいな椎茸になる。湿度が足りない時は散水する。我ながらうまいことやっている。後継者の育成もしないとね。命ある限りはがんばりたい」と話す芳賀さん。その表情には名人としての矜持があった。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54808/">山田町の原木椎茸を牽引し続ける。茸の匠･芳賀榮三さん／岩手県山田町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>粒の大きさ、味。そのすべてを操る塩職人「田野屋塩二郎」の生き様に触れる／高知県田野町</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54795/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 13 Jul 2026 09:31:47 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[太陽結晶塩 塩二郎]]></category>
		<category><![CDATA[完全天日塩]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-123024.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>火や電気を一切使わず、太陽光の熱と職人の技だけでつくる「完全天日塩」。その「生きた塩」は、国内外のトップシェフや菓子メーカーから熱い視線を浴びている。日本一の塩職人と称されるまでになった彼の人生と、塩づくりへの情熱とは。 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-123024.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>火や電気を一切使わず、太陽光の熱と職人の技だけでつくる「完全天日塩」。その「生きた塩」は、国内外のトップシェフや菓子メーカーから熱い視線を浴びている。日本一の塩職人と称されるまでになった彼の人生と、塩づくりへの情熱とは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">キャリアを捨てる勇気</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-114833-1.jpg" alt="" class="wp-image-54800" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-114833-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-114833-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-114833-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高知市から東へ約55km。土佐湾に面し、東西2.2km、南北4kmという四国で最も小さな町に、魅力がぎゅっと詰まった田野町（たのちょう）がある。その象徴のひとつが「塩の町」であることだ。町内には「田野町完全天日塩製造体験施設」があり、多くの観光客が塩づくりの見学や体験に訪れる。</p>



<p>この文化の礎となったのが、同町で創業した「田野屋塩二郎」さんの存在だ。彼が手がける塩を求めて、全国から料理人やメディアが集まり、完全天日塩は町を象徴するブランドとなった。</p>



<p>東京都港区広尾出身。学生時代はラグビーに打ち込み、前職は都内でサーフボードやスノーボードの製造販売会社に勤めていた。35歳の時、「海の側で働き、日本一になりたい」という願いから、リサーチした結果、青森県大間のマグロ漁師か、高知県の完全天日塩職人が候補となる。ただ大間のマグロ漁師になるには地元漁協が管理する漁業権や許可が必要となり参入のハードルが高かったため、消去法で塩職人の道を選んだ。これまでのキャリアを捨て、当時、日本で唯一、火も電気も一切使わない「完全天日塩」というジャンルを切り開いた吉田猛氏に弟子入りを志願したが、はじめのうちは一切取り合ってもらえなかったという。</p>



<p>「高知県西部にある黒潮（くろしお）町までアポなしで行き、頭を下げて弟子入りを志願したんですが、まったく相手にされなかったですね。意地もあり、諦められなくて、続けて何度か訪問して土下座して、基本だけ習わせてほしい、給料はいらないし、掃除から何でもやる、と頼み込みました。そこから2年間、みっちりと基礎を叩き込まれました」と振り返る。吉田氏の下での修業を経て、独立の地を探すなかで、高知県内の海沿いの町を探したが、どこにも相手にされず、唯一「ぜひ来てほしい。日本一の塩をつくってくれ」と応じたのが田野町長だった。当時は高速道路がなく、吉田氏の製塩所からも車で4時間ほど離れていたため、師匠に迷惑をかけないだろうという判断もあった。「師匠が『田野屋』という屋号を授けてくれたのは、受け入れてくれた町への恩返しをしろ、という意味だったんです」</p>



<h3 class="wp-block-heading">塩との会話ができるようになってから</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="549" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-132044.jpg" alt="" class="wp-image-54801" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-132044.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-132044-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-132044-768x511.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>結晶ハウスの目の前は海。満月や大潮の日に汲み上げた海水を、木箱に満たす。多くの塩業メーカーで行われるように塩を煮詰めたり、電気の力を使って海水を濃縮するのではなく、火や電気は一切使わず、ハウスの中で太陽光の熱による自然蒸発をじっくり待つのが「完全天日塩」だ。加熱処理をしないことで、海水に含まれる約80種類の豊富なミネラルを、自らの手で攪拌（かくはん）して封じ込め仕上げていく。&nbsp;</p>



<p>「人がやらないことをしようと思って、寝袋を持ち込んでハウスで塩と一緒に共同生活をしました。そんな生活を1ヶ月ほど続けた夜、塩がどんな匂いを出し、どんな音を立てるのか。対話を重ねるうちに変化がわかるようになり、それが自信に繋がって、急に納得のいく塩ができるようになりました 」</p>



<p>作業の効率と精密さを極めるため、木箱のサイズは塩二郎氏の体型に合わせてオーダーメイドされている。まさに職人と道具が一体となった空間だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「美味い塩」というよりは、「人間が必要とする塩」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-131908.jpg" alt="" class="wp-image-54802" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-131908.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-131908-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-131908-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高知県の森林率は84％で全国一位を誇る。田野町の東西には、豊かな栄養分を運ぶ奈半利（なはり）川と安田（やすだ）川が流れ込み、海には山の有機物が供給される。人口が少なく、海水浴場もないため、海水の清浄度は極めて高い。さらに土佐湾沖を流れる黒潮が、良質なミネラルを運んでくる。</p>



<p>塩二郎さんは130ほどある木箱の海水を1時間に1度のペースでチェックし、状況を見ながら攪拌を繰り返す。塩と真正面から向き合うため、よほどのことがない限りこの場所を離れない。</p>



<p>「結晶ができるのは全工程の最後。毎日見ていると『今はカリウムがこれくらい出ているな。なら海水のなかに留めて、先にナトリウムを出そう』といったコントロールができるようになります。目指すのは単なる『美味い塩』ではなく、摂取することで体内のバランスが整うような、人間が本能的に必要とする塩をつくりたいんです」</p>



<p>周辺の雑草を刈ると、塩の出来が変わってしまうという。「人間が主体ではなく、自然の循環のなかに少しだけ介在させてもらっている」という謙虚な自覚が、その味を支えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">粒の大きさも、味も、自由自在にコントロールする</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/21bd90a12d42c3fa6b657f5e9c54f7a5.jpg" alt="" class="wp-image-54803" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/21bd90a12d42c3fa6b657f5e9c54f7a5.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/21bd90a12d42c3fa6b657f5e9c54f7a5-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/21bd90a12d42c3fa6b657f5e9c54f7a5-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>塩は温度変化に極めて敏感だ。「夏の夕立ひとつで味が壊れる」と語る塩二郎さんは、天気や湿度、風の流れに細心の注意を払う。通常３〜４カ月、長いものでは４年もの歳月をかけて、ゆっくりと結晶化させていく。</p>



<p>味の五役（甘・塩・辛・酸・苦）のバランスから、結晶の大きさまで、すべてを自在に操る。その噂は口コミで広がり、今や世界中の料理人からオーダーメイドの注文が絶えない。市場にはほとんど出回らず、予約は数年待ち。ミシュラン星付きシェフも愛用する「幻の塩」と呼ばれる所以だ。最高値は1kg100万円。同ブランドでもっともスタンダードな商品として流通する「塩二郎（黒）」ですら100gで4,000円台と、量販店で販売される塩とは一線を画す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">塩は、土地の魅力そのものを表現する</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/e6f4f4c06ad44c92faeed02f90fd6cd3.jpg" alt="" class="wp-image-54804" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/e6f4f4c06ad44c92faeed02f90fd6cd3.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/e6f4f4c06ad44c92faeed02f90fd6cd3-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/e6f4f4c06ad44c92faeed02f90fd6cd3-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>開業当初に作ったのは「太陽結晶塩 塩二郎」。その2年後に粒の大きさとナトリウムの際立たせ方を変えたものを作り、現在はこれをベースに、２千種類以上のオーダーに応じている。「塩はあくまで脇役。主役の料理に溶けて一体となった瞬間、最も美味しく感じてもらえるよう、溶ける速度まで計算しています」と、職人は淡々と語る。</p>



<p>さらに、海水にフグやイチゴ、トリュフなどの素材を投入し、結晶化の段階で旨みを宿らせる「フレーバーソルトなど、既存の枠を超えた挑戦も続けている。土佐文旦の花の活用など希少価値の高い商品の構想も話題にあがった。</p>



<p>「究極の塩」を追求し続ける塩二郎さんだが、55歳の今、意外な未来像を口にした。「塩はもうやり切った感があるんです。60歳になったら、全く別の業種でまた10年かけて日本一を目指したい。飽きっぽいんですよね」と悪戯っぽく笑う。</p>



<p>田野町の海、太陽、風、そして草木。すべてと対話しながら生まれる塩二郎さんの完全天日塩は、土地の生命力をそのまま結晶化したものだ。その奥深く純粋な世界観に、私たちはいつの間にか引き込まれてしまう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54795/">粒の大きさ、味。そのすべてを操る塩職人「田野屋塩二郎」の生き様に触れる／高知県田野町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>自然の中で、命をいただくということ。「Antler Crafts」主宰･小野寺 望さん／宮城県石巻市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 29 Jun 2026 09:04:36 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[鹿肉]]></category>
		<category><![CDATA[ジビエ]]></category>
		<category><![CDATA[Reborn-Art Festival]]></category>
		<category><![CDATA[ニホンジカ]]></category>
		<category><![CDATA[狩猟]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_B_6063.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>狩猟を通して“命をいただく”という営みと向き合い続けている小野寺さん。気仙沼市で育ち、東京で料理人として働いたのち、再び宮城の地へ。狩猟から解体、販売までを手がけながら、自然と人との共生に向き合い、命の循環を未来へつなぐ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54750/">自然の中で、命をいただくということ。「Antler Crafts」主宰･小野寺 望さん／宮城県石巻市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_B_6063.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>狩猟を通して“命をいただく”という営みと向き合い続けている小野寺さん。気仙沼市で育ち、東京で料理人として働いたのち、再び宮城の地へ。狩猟から解体、販売までを手がけながら、自然と人との共生に向き合い、命の循環を未来へつなぐ活動を続ける理由とは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">島育ちから東京でフレンチの料理人へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6491.jpg" alt="" class="wp-image-54758" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6491.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6491-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6491-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>小野寺さんは、石巻市よりも北にある気仙沼市大島の出身。2019年に気仙沼大橋ができるまで、船で本土と行き来していた島育ちだ。</p>



<p>かつてマグロ漁で潤っていた気仙沼市は、大手百貨店が進出するなど、大変な賑わいを誇っていたそうだ。そんな気仙沼市で青春時代を過ごした小野寺さんは、卒業後、東京へ出る。</p>



<p>テレビや雑誌で見た憧れの都会生活。ファッションや遊びに勤しみ、フレンチの料理人として働いていたが、慣れない都会の生活や、厨房の激務により、徐々に体と心が限界を迎え、上京から3年ほどで地元へ戻ることを決めた。&nbsp;</p>



<h2 class="wp-block-heading">狩猟を通し、命との向き合い方を見直す</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6482.jpg" alt="" class="wp-image-54759" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6482.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6482-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6482-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>地元に戻った小野寺さんは、アパレルとレジャー産業を展開する会社に転職。そこで自然と向き合う仕事に携わるなか、会社の代表がハンターだったことや、叔父も趣味で猟をしていたことから、狩猟に興味を持ち始めた。当時、宮城県内ではニホンジカによる農作物や森林への被害が問題になりつつあり、害獣対策としての捕獲活動も広がっていた。そうした背景も後押しとなり、狩猟免許を取得するに至った。&nbsp;</p>



<p>当時、ニホンジカの狩猟期間は約90日であり、1日の狩猟数はオス1匹までと決められていた。狩猟はチームで行い、小野寺さんのチームは25人ほど。狩猟犬ではなく雑種の犬を連れて行ったり、銃器の性能も劣っていたりしたが、「まるっきり素人の集団だったけど、草野球チームみたいで楽しかったですよ」と笑いながら評する。</p>



<p>仕留めたニホンジカはチームメンバーで分け合ったが、お世辞にもプロフェッショナルとは言えないハンター集団が行う血抜きや内臓処理は十分ではなく、捕獲から処理まで時間も掛かってしまうため、ストレスから旨味成分であるグリコーゲンが枯渇してしまったり、身体中に血がまわってしまったり、調理しても臭みが強くおいしくなかった。</p>



<p>かつてフレンチで鹿肉を扱っていた経験から、「こんなはずじゃない……ジビエはもっとおいしいはず」と感じた小野寺さん。駆除するだけではなく、おいしく食べてあげたいという思いが芽生えたという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「なぜ獲るのか」に立ち止まり、進むべき道を定める</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6699.jpg" alt="" class="wp-image-54760" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6699.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6699-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6699-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2010年ごろ、宮城県内のニホンジカの生息数増大に伴い、農作物や森林への被害が大きくなり、狩猟による捕獲を行う計画が発表された。これにより、狩猟期間外でも捕獲をすることになった小野寺さん。しかし、1日で獲れる鹿の頭数が増えると、仲間内でも「鹿肉は要らない」という人たちが出始めた。廃棄され、腐っていくニホンジカの姿を見て、小野寺さんは「何のためにやっているんだろう」と疑問を持つようになった。</p>



<p>ニホンジカは、本能に従って子孫を増やそうとしているだけ。人間の都合で住む場所が狭まり、里に下りて来らざるを得ないものを、“人間の生活を脅かす”と駆除の対象にされる。幼いころから動物が大好きだった小野寺さんは、狩猟仲間の「かわいそうなんて思ったらダメだ」の言葉に、「自分はそんなメンタルは持ち合わせていない」と感じたのだという。</p>



<p>「せめて自分の獲った鹿は、おいしく食べられるものにしよう」。その覚悟が、小野寺さんの狩猟人生を大きく変えていった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">震災を経て、食の再生への道を辿る</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6737.jpg" alt="" class="wp-image-54761" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6737.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6737-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6737-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>鹿肉をおいしく食べられるよう、血抜きや内臓処理、沢の水や海水に漬けるなど、試行錯誤を重ねていた2011年、東日本大震災が石巻市を襲った。山から戻った小野寺さんの目に映ったのは、一変した故郷の姿だった。津波が街を飲み込み、見慣れた風景は跡形もなく消えていた。それでも小野寺さんは、できることをするしかなかった。手元にあった鹿肉を持ち寄り、避難所へ届けた。命をいただいた肉が誰かの力になる。その実感が、小野寺さんの中で静かに根を張っていった。被災を乗り越えた小野寺さんは、やがて炊き出しに訪れた東京の有名シェフたちと出会う。&nbsp;</p>



<p>「ちょっとズルい気持ちもあったんだけれど……」と振り返る小野寺さん。自身の捌いた鹿肉や鹿肉の生ハムなどを有名シェフらに試食してもらい、味の改良を重ねた。</p>



<p>そうした活動の中で縁があり、音楽プロデューサーとして知られ、東日本大震災後の復興支援にも深く関わってきた小林武史氏と出会い、氏が主宰するアートフェスティバル「Reborn-Art Festival」に携わる。小野寺さんの活動を知った小林氏は「せっかくだから処理場を作りましょう」と提案。そして2017年、現在の処理場が完成。ニホンジカの解体から販売までを一貫して行えるようになった。&nbsp;</p>



<h3 class="wp-block-heading">命をいただくための最低限のルール</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6488.jpg" alt="" class="wp-image-54762" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6488.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6488-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6488-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>小野寺さんは、ニホンジカの頭部または首元を狙って一撃で仕留める方法で狩猟をする。ライフル銃を手に、右目でスコープ、左目で背景を見ながら、猟犬が追ってきたニホンジカに狙いを定める。この狩猟方法は、ニホンジカに最も負担のない方法だ。傷が一カ所で済むため、使える肉の量も多くなる。とても難しい方法のように思えるが、小野寺さんは「一瞬の判断が重要なだけ。慣れれば大丈夫」と、笑顔で語ってくれた。</p>



<p>仕留めたニホンジカは、心臓が動いている間にすぐに血抜きを行う。そして自社の処理場で解体し、1カ月ほどかけて水分を無菌室で水分を抜いていく。おいしい食肉に加工することは、「命をいただく上での、最低限のルール」と、小野寺さんは穏やかに話す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">森と人の未来を見据えて</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6613.jpg" alt="" class="wp-image-54763" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6613.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6613-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6613-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在はニホンジカの駆除だけだが、「ひとつの動物だけを駆除するのではなく、森全体の生態系を考慮した解決策が必要」と見通しを立てる小野寺さん。動物だけでなく植物を含めた森の保全が喫緊の課題だ。</p>



<p>その啓蒙活動として、定期的にワークショップやアートイベントを開催している。子どもたちに「野生動物が“食べ物”に変わり、命をいただくこと」の尊さを学んでもらったり、アートをきっかけに自分の周囲にある生態系や自然に関心をもったりしてもらいたいと考えている。</p>



<p>そんな小野寺さんを慕って、多くの若者やアーティストもこの場所に集まる。<br>「まぁ勝手に集まって、好きにやってくれたらいい」と、小野寺さんも笑顔を見せて、彼らを受け入れている。</p>



<p>人間の都合で捕獲される野生動物たちを、絶品の食材に加工して、余すことなく利活用する小野寺さん。その姿は、生きとし生けるすべての命に感謝し、自然の恵みを享受する、あるべき人間の姿に思えた。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54750/">自然の中で、命をいただくということ。「Antler Crafts」主宰･小野寺 望さん／宮城県石巻市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>ゴールドバレルの頂点を目指す「しんざと果樹園」2代目の挑戦／沖縄県国頭郡東村</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 29 Jun 2026 08:48:26 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[タダオゴールド]]></category>
		<category><![CDATA[TADAO GOLD]]></category>
		<category><![CDATA[ゴールドバレル]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-001.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>海を望む丘陵地に広がるパイナップル畑。沖縄県本島北部の東海岸に位置する国頭郡（くにがみぐん）東村（ひがしそん）は、国内生産量わずか5%の高級パイナップル「ゴールドバレル」の産地。「パイナップルの王様」とも呼ばれるゴールド [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-001.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>海を望む丘陵地に広がるパイナップル畑。沖縄県本島北部の東海岸に位置する国頭郡（くにがみぐん）東村（ひがしそん）は、国内生産量わずか5%の高級パイナップル「ゴールドバレル」の産地。「パイナップルの王様」とも呼ばれるゴールドバレルと、その若き担い手の想いとは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">沖縄県のパイナップル栽培の歴史</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-022.jpg" alt="" class="wp-image-54741" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-022.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-022-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-022-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>沖縄県は国産パイナップルの生産量のほぼ100％を占めており、年間の収穫量はおよそ7,000t〜8,000tに及ぶ。1866年に石垣島沖に座礁したオランダ船から漂着した苗を植えたのがパイナップル栽培のはじまりと言われており、戦後本格的に缶詰加工用としての栽培や品種改良が行われるようになると、1960年代にはサトウキビと並ぶ2大基幹作物にまで成長した。</p>



<p>ところが順調だったパイナップル栽培は1990年の缶詰製品の輸入自由化により大打撃を受け、加工用品種として主力だったハワイ種「N67-10」の栽培は落ち込みをみせた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">付加価値の高い生食用品種への転換</h3>



<p>一時は衰退したパイナップル栽培だが、沖縄県のパイナップル栽培はより付加価値の高い生食用品種の栽培へと移行していく。そして現在では、手でちぎって食べられるスナックパイン（正式名称：ボゴールパイン）、果肉が白く小ぶりなピーチパイン（正式名称：ソフトタッチ）、甘みが強いサンドルチェ（正式名称：沖農P17）、ココナッツのような香りのあるホワイトココ（正式名称：沖農P19）、高級品種のゴールドバレル（正式名称：ゴールドバレルパイン）など、多くの生食用品種が開発・栽培され、シェアを拡大している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">高級パイナップル「ゴールドバレル」の誕生</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-009.jpg" alt="" class="wp-image-54742" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-009.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-009-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-009-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2006年に新品種として登録された「ゴールドバレル」は、東村が発祥の地。1989年に沖縄県農業研究センターで「クリームパイン」と「McGregor ST-1」を交配して得られた実生（みしょう）から、およそ20年の歳月をかけて誕生し、黄金色の果肉と樽（バレル）のような形からその名が付けられた。</p>



<p>ゴールドバレルの1番の特徴は、糖度の高さにある。一般的なパイナップルの糖度が14度〜16度なのに比べ、ゴールドバレルは17〜19度と糖度が非常に高い。また実は芯まで食べられるほどやわらかく、パイナップル独特の刺激的な酸味が少ない。口に入れると、とろけるように柔らかくジューシーで、繊維が少ないためざらざらとした食感が口に残らない。上品な甘さと芳醇な香りが楽しめ、1個当たりの重さが約1.5kg〜2kgと大きいため贈答用の高級パイナップルとして注目を浴びるようになった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「ゴールドバレル」の生みの親、玉城忠男さん</h3>



<p>この新品種の誕生に深く関わったのが、東村におけるパイナップル栽培の先駆者であり沖縄県名誉指導農業士でもある玉城農園の玉城忠男（たまきただお）さんだ。玉城さんは譲り受けた11本のか細い苗から選抜育成をくり返し、長年にわたる努力と研究によって「ゴールドバレル」をまさに黄金色の果実へと育てあげた。</p>



<p>玉城さんが自身で育てるゴールドバレルの中でも、味、色、大きさ、形など特に選りすぐりのものは「TADAO GOLD（タダオゴールド）」と名付けられ、全体の数パーセントしか選ばれないゴールドバレルの最高級品として知られている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">受け継がれるパイナップル栽培</h2>



<p>東村で「しんざと果樹園」を営む新里善幸さんと貴恵さん夫妻は、パイナップル作り一筋50年以上の玉城さんのもとゴールドバレル栽培の手ほどきを受けた担い手だ。</p>



<p>貴恵さんは玉城さんの娘さんで、幼いころから玉城さんがパイナップルを育てる姿を目にしていた。しかし、お父さんが育てるパイナップルの凄さに気付いたのは社会人になってから。那覇市でパティシエとして働きだしてからなのだそう。</p>



<p>20年近く前、働いているお店で仕入れていたパイナップルがお父さんの育てたゴールドバレルだった。周りの人から「TADAO GOLD」が美味しくて有名だという噂を聞き、その凄さを知ったという。そして「これは誰にでもできる仕事ではないのかもしれない」と、南城市のマンゴーの兼業農家で生まれ育った善幸さんと二人三脚でゴールドバレル栽培に取り組むようになった。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-019.jpg" alt="" class="wp-image-54743" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-019.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-019-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-019-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<h3 class="wp-block-heading">東村の大地に育まれるゴールドバレル</h3>



<p>しんざと果樹園がある東村は、県内有数のパイナップルの産地であることはもちろん、マングローブ林などの豊かな自然と固有の生態系が色濃く残る「やんばる（山原）」と呼ばれる地域としても知られている。赤土がのぞく広大な畑には、大人の腰ほどの背丈に育ったパイナップルが規則正しく生い茂る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">パイナップル栽培に最適な東村の赤土と気候</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-003.jpg" alt="" class="wp-image-54744" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-003.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-003-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-003-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>東村でパイナップル栽培が盛んな理由に、パイナップルが一番好む酸性で水はけのよい赤土の土壌がある。また海からのミネラルが降り注ぐ地形と、夏の30度〜35度と高い気温。これらの条件が糖度の高いパイナップルを育てる。</p>



<p>この土壌の優位性を活かす土作りはパイナップル栽培にとって非常に重要なファクターだ。</p>



<p>土づくりは、まずパワーシャベルで1メートルほどの深さまで切るように耕す。パイナップルは水が天敵のため、土の中に空洞を作り、より水はけの良い土にする。耕した土は元気を取り戻すために3ヶ月間、自然の雨にさらし土に水分やミネラルを浸透させ、同時に空気も取り込みながら休ませる。そうすることで育成不良などの連作障害も起こらなくなる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-006.jpg" alt="" class="wp-image-54745" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-006.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-006-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-006-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そして土づくりで何より大切なのが草の管理なのだそう。「お義父さんには、草を生やすなって1番言われます」と善幸さん。貝殻虫という害虫の発生を防ぐため、草取りに機械は使わずほとんど手で抜きあげる。こうして手間と時間をかけた土づくりが最終的にパイナップルの味に繋がっていく。</p>



<h3 class="wp-block-heading">植え付けから生育、収穫</h3>



<p>パイナップルの植え付けは、3月・4月の春と、9月・10月の夏の大きく2期に分けて行う。春の植え付けは、5月下旬頃の梅雨入りまでに根が張るように。夏の植え付けは台風の状況を見ながら、植えた苗が雨で腐ってしまわないように計算して行われる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-031.jpg" alt="" class="wp-image-54746" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-031.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-031-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-031-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ある程度まで育った実には、日焼け防止のために新聞で作った帽子をひとつずつ被せ、さらに上からネットで覆い強い紫外線を遮ることで皮が焼けて傷みの原因となることを防ぐ。また、実が大きく重いゴールドバレルは台風の強風で茎が折れてしまうこともあるため、茎を支えるパイプの設置も行われる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-015.jpg" alt="" class="wp-image-54747" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-015.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-015-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-015-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>手間をかけ、作物にとって最適な環境で育ったゴールドバレルは、苗の植え付けからおよそ3年でようやく収穫を迎える。パイナップルは基本的には収穫後に追熟しないため、木上（きじょう）で熟させ1番美味しいタイミングで収穫をする。収穫の時期が近づくと、毎日ひとつずつ成熟度の確認を行い、熟したものは手作業で収穫される。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ゴールドバレルに夢をのせて</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-048.jpg" alt="" class="wp-image-54748" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-048.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-048-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-048-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>しんざと果樹園で収穫されるパイナップルは、年間およそ9,000個。一般的なパイナップルが4年で2回収穫できるのに対し、ゴールドバレルは3年でようやく1回。収量が限られるうえ病気にも弱く、栽培の難しい品種にも関わらず、土づくりにこだわり、木上で熟すのを待ち一番美味しいタイミングで摘み取るなどの手間も惜しまない。</p>



<p>とはいえ、この丁寧な仕事が芯までやわらかく芳醇に香るゴールドバレルを生み出しているのだが、「お義父さんは日々研究して、80歳を過ぎてもどんどん新しいことを取り入れている。僕なんか若いのに、まだまだ負けてる」と、謙虚な善幸さん。</p>



<p>玉城さんから技術と知識を吸収しながら、生育が難しく収量も安定しにくいゴールドバレルの作付けを少しずつ広げ、いずれは安定して12,000〜13,000個を収穫できるようにしたいと生産拡大に意欲を燃やす。</p>



<p>一方、貴恵さんが見据えるのは出荷の仕組みづくりだ。木上で熟させたゴールドバレルは、収穫後の賞味がわずか3日。1個ずつ布で磨き、箱に手作業で詰めていく作業は、収穫量の多い時期には22時間に及ぶこともあるが、機械やシステムの導入など新しい仕組みを取り入れることで、この作業を効率化させ、より一層パイナップルの生育に手間をかけたいと考えている。</p>



<p>ふたりは現在、収穫したパイナップルを地域の小学校や児童養護施設へ定期的に寄贈している。これは「自分たちが小さい頃は、パイナップルは少し酸っぱくて当たり前だと思っていた。ところが、品種や育て方でこんなにも甘くなる。子どもたちにパイナップルは甘くて美味しいものだと知ってもらい、パイナップルに対する“当たり前”を変えていきたい」という想いから。</p>



<p>玉城さんが11本のか細い苗から黄金色の果実を育てあげたように、その想いと技術は、いま確かに次の世代へと受け継がれている。東村の赤土に根を張ったゴールドバレルは、ふたりの夢をのせて、これからも甘く実っていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54735/">ゴールドバレルの頂点を目指す「しんざと果樹園」2代目の挑戦／沖縄県国頭郡東村</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>補償金を返還してまで守り抜いた宍道湖。日本一のしじみ漁を未来へ「宍道湖漁業協同組合」／島根県松江市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54719/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 24 Jun 2026 10:57:07 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[新着記事]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02411_142A9550.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>島根県松江市に広がる宍道湖（しんじこ）は、日本有数のしじみの産地として知られる。朝、湖面には小舟が並び、船外機の音とともに漁が始まる。その豊かな湖を守るため、かつて漁師たちは大きな決断を下した。一度受け取った補償金を返し [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54719/">補償金を返還してまで守り抜いた宍道湖。日本一のしじみ漁を未来へ「宍道湖漁業協同組合」／島根県松江市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02411_142A9550.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>島根県松江市に広がる宍道湖（しんじこ）は、日本有数のしじみの産地として知られる。朝、湖面には小舟が並び、船外機の音とともに漁が始まる。その豊かな湖を守るため、かつて漁師たちは大きな決断を下した。一度受け取った補償金を返してまで守ろうとした、宍道湖のしじみ漁とは。漁師の営みと、その背景にある歴史を紐解く。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本有数のしじみの産地･宍道湖</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02465__H6A1427.jpg" alt="" class="wp-image-54723" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02465__H6A1427.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02465__H6A1427-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02465__H6A1427-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>島根県東部に位置する宍道湖。日本でも珍しい「汽水湖」として知られ、斐伊川（ひいかわ）などから流れ込む淡水と、日本海から入り込む海水が混ざり合う湖だ。川魚と海魚が混在する環境は、汽水域ならでは。実に100種類以上の多様な生き物が生息している。</p>



<p>宍道湖を代表する恵みが「ヤマトシジミ」。粒が大きく、旨味が濃いことで知られ、全国でも有数の漁獲量を誇る。2024年には漁獲量4590トンを記録し、11年連続で全国トップを飾るなど、日本一のしじみ産地として知られている。</p>



<p>みそ汁や佃煮など、出雲地方では古くから食卓に欠かせない存在として親しまれてきたしじみ。松江･出雲地方では宍道湖の自然とともに生きる文化が育まれており、しじみ漁はその象徴ともいえる営みだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">しじみの生育に適した好環境</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02416_142A9586.jpg" alt="" class="wp-image-54724" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02416_142A9586.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02416_142A9586-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02416_142A9586-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本に生息するシジミは、汽水域にすむ「ヤマトシジミ」、淡水産の「マシジミ」、琵琶湖固有種の「セタシジミ」の3種類が代表的。宍道湖で獲れるヤマトシジミは、海水でも淡水でもなく、中間の塩分環境を好む。淡水と海水が混ざり合い、潮の満ち引きによって塩分濃度がゆるやかに変化する宍道湖は、彼らの生育に適している。</p>



<p>栄養豊富な湖底の砂の中で育ったしじみは、粒が大きく、旨味が濃いのが特徴。まさに自然環境が育んだ恵みといえる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">湖を守り、未来へ繋げる</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02271_142A8940.jpg" alt="" class="wp-image-54725" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02271_142A8940.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02271_142A8940-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02271_142A8940-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宍道湖における漁業の管理･販売をする組織「宍道湖漁業協同組合」の福間弘幸さん。しじみ漁を生業とする約260名のうちの一人だ。</p>



<p>「大事なのは資源管理」と語るように、しじみを獲るだけではなく、湖の環境保全にも力を入れる。次の世代がしじみ漁を生業にでき、島根県の特産物として未来永劫残っていくためにも、資源を守りながら漁を続けていく大切さを訴える。</p>



<p>そのため組合では、一日の漁獲量や操業時間、休漁日などを厳格にルール化。漁獲量は一人あたり一日2箱（1箱50〜60キロ）と定められ、船を出すのは漁法によって異なるものの、およそ３〜４時間まで。直径12ミリ以下の稚貝は、湖へ戻す決まりになっている。</p>



<p>しじみ以外の漁師を含めると、約700名が組合に所属。20代前半から80代と世代も幅広いが、個々が湖の環境を第一に考え、協調性を持ってこそ、初めて漁業が成り立つのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">松江を象徴する出漁風景</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="619" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02501_DSCF9310.jpg" alt="" class="wp-image-54726" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02501_DSCF9310.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02501_DSCF9310-300x225.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02501_DSCF9310-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>朝７時ごろになると、静かな湖面に船外機のエンジン音が響き、小舟が次々と湖へと向かう。宍道湖の水深は漁場によって異なるが、およそ2〜4メートル。それぞれの漁場に着き、小舟の上で生業を始める。</p>



<p>朝霧が立ち込める宍道湖に、静かに浮かぶ小舟。松江市の朝を象徴する風物詩として、長く親しまれてきたこの光景だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">伝統の漁具「じょれん」</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02310__H6A0775.jpg" alt="" class="wp-image-54727" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02310__H6A0775.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02310__H6A0775-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02310__H6A0775-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>しじみ漁の操業方法は、ディーゼル機関船を使用した動力操業だけでなく、漁師が直接湖に入る「入り掻き」、船上から道具を操作する「手掻き」といった人力操業が今でも残っている。福間さんが採用している漁法は、手掻きにエンジンポンプを併用した「水流式手掻き」。使われるのは鋤簾（じょれん）と呼ばれる独特の形状をした漁具。熊手のような形をした金属製の道具で、湖底の砂をかきながらしじみをすくい上げる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02409_142A9538.jpg" alt="" class="wp-image-54728" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02409_142A9538.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02409_142A9538-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02409_142A9538-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>エンジンポンプからホースで水を送り、先端から勢いよく噴射することで、湖底の砂を耕しながらしじみを採れる。漁師は長さ約8メートルの竿を押して船を進め、竿を引き寄せながら船を動かす。それを繰り返しながら湖底の砂を探っていく。</p>



<p>ベテランの漁師ともなると、漁場ごとの水深や湖底の状態を熟知。自然の状態を読み取りながら行うこの漁は、まさに熟練の技が求められる仕事だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">品質を支える丁寧な選別作業</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02350__H6A1022.jpg" alt="" class="wp-image-54729" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02350__H6A1022.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02350__H6A1022-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02350__H6A1022-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>しじみが水揚げされると、船上ですぐに選別作業が始まる。機械によって大きさごとに振り分けられ、その後、人の手によってさらに丁寧に選り分けられる。漁獲量は1人2箱と決められているため、漁師としては身が入っていない貝殻は除き、より品質の良い大ぶりなしじみを残したいのだ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="619" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02505_DSCF9327.jpg" alt="" class="wp-image-54730" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02505_DSCF9327.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02505_DSCF9327-300x225.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02505_DSCF9327-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>選別作業は、漁が終わってから陸でも行われる。漁師はしじみを軽く振ったり、転がしたりして音を確かめる。音の響き方によって、身の詰まり具合が分かるという。わずかな音の違いは素人には判別できないほど繊細だが、長年しじみと向き合ってきた漁師には、その差がはっきりと聞き分けられる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">宍道湖を守った漁師たちの決断</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02496__H6A1491.jpg" alt="" class="wp-image-54731" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02496__H6A1491.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02496__H6A1491-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02496__H6A1491-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宍道湖のしじみ漁は、かつて大きな危機に直面した。1950年代、宍道湖を淡水化して農業用水として利用する計画が進められていたのである。</p>



<p>湖が淡水化すれば、汽水環境で生きるしじみは大きな影響を受ける。住民らは反対運動を始めた。実に155回もの協議を重ねた末、国の計画に抗えないと悟った漁師たちは補償金を受け取り、計画に同意したのだった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">補償金を返還して守った湖</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02437__H6A1294.jpg" alt="" class="wp-image-54732" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02437__H6A1294.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02437__H6A1294-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02437__H6A1294-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>1968年、淡水化工事がスタート。しかし、しじみへの打撃の大きさが明らかになるにつれ、宍道湖流域住民の間で再び反対の声が高まっていく。しじみ漁業者が中心となり、やがて「淡水化反対運動」が本格化。大規模な集会や漁船パレード、シジミの無料配布などの活動を精力的に実施した。</p>



<p>一度は受け取った補償金。だが宍道湖漁業協同組合は、宍道湖のしじみを守るべく、補償金を国へ返還する決断を下した。この行動が市民の共感を呼び、反対運動の機運はますます高まったという。</p>



<p>やがて1988年、国と県は淡水化事業の延期を発表。2002年には、正式に中止が表明された。宍道湖の環境としじみ漁は、こうした住民や漁師たちの強い想いによって守られたのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading">湖の恵みを未来へつなぐ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02316__H6A0814.jpg" alt="" class="wp-image-54733" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02316__H6A0814.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02316__H6A0814-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02316__H6A0814-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宍道湖漁業協同組合では、湖底清掃のほか、シジミ採苗放流などの保全活動も実施。湖心部で浮遊するしじみの幼生を採集し、生息地へ放流することで資源の維持を図っている。</p>



<p>十数年前と比べると、「湖の水が随分きれいになった」と語る福間さん。以前は沿岸に浮遊していた生活ゴミがほとんど無くなり、地域住民の意識変化が水質改善に繋がっているのではと推測している。今日もこの地域でしじみ漁が行われ、漁獲量日本一を誇っているのは、地域住民と漁師たちが湖の環境を守り続けてきた証ともいえるだろう。</p>



<p>今日も宍道湖に並ぶ小舟の風景は、湖とともに生きる人々の営みを象徴している。長い年月をかけて受け継がれてきたこの漁は、これからも漁師と地域の人々によって、未来へとつながっていくだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54719/">補償金を返還してまで守り抜いた宍道湖。日本一のしじみ漁を未来へ「宍道湖漁業協同組合」／島根県松江市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>失われゆく藻場と、育て直す未来。「高知大学･総合研究センター海洋生物研究施設」が描く海の再生／高知県土佐市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 24 Jun 2026 10:44:04 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[陸上養殖]]></category>
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		<category><![CDATA[海藻]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/26TV-133952.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>遥か遠くに見える水平線が美しい高知の海は、太陽の光を反射してキラキラと輝く。高知市中心部から車を走らせること約30分。太平洋に突き出る横浪半島の付け根、ヤシの木に囲まれた南国の風情が漂う一角に「高知大学 総合研究センター [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54708/">失われゆく藻場と、育て直す未来。「高知大学･総合研究センター海洋生物研究施設」が描く海の再生／高知県土佐市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/26TV-133952.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>遥か遠くに見える水平線が美しい高知の海は、太陽の光を反射してキラキラと輝く。高知市中心部から車を走らせること約30分。太平洋に突き出る横浪半島の付け根、ヤシの木に囲まれた南国の風情が漂う一角に「高知大学 総合研究センター」の海洋生物教育研究施設はある。<br>建物に足を踏み入れると、まず巨大な魚の標本に目を引かれる。この魚こそ、高知県を代表する日本固有の肉食魚「アカメ」。絶滅が危惧される希少種だが、高知県の四万十川河口域や浦戸湾には、現在も多くのアカメが棲息している。大きいもので2メートル近くにまで育つこの巨大魚の存在は、豊かな海や汽水域の証明とも言われてきた。しかし、今、その豊かさが大きく揺らいでいる。<br>漁師たちの「昔のように獲れない」「季節がずれてきた」という声は、海の変化が確実に進んでいることを示していた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">海藻が消えつつある海で始まった、静かな危機</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/260326_113732.jpg" alt="" class="wp-image-54714" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/260326_113732.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/260326_113732-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/260326_113732-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「世界平均では100年で0.6度、上昇していますが、高知沿岸はその約2倍のスピードで上がっています」と話すのは、海藻研究の第一人者である高知大学の平岡雅規教授。</p>



<p>高知県は温帯性の海藻の南限付近にあたり、1970〜1980年代の高知沿岸には温帯性の海藻が豊かに生い茂る「藻場（もば）」が広がっていた。藻場は海の森とも呼ばれ、稚魚が隠れ家にしたり、イカが卵を産み付けに来たりする。アワビやサザエ、ウニなどは藻場の海藻を食べて育つ。さらに、それら小魚や甲殻類を捕食する大きな魚たちがやってくる。海の生き物たちを底辺で支える海藻が豊かであることは、海の生態系の豊かさそのものを意味していた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">海水温1度の上昇が、海を劇的に変える</h3>



<p>しかし、温暖化の影響で海水温が上昇し、今、その藻場が急速に失われているという。たとえば、アオノリや昆布などの海藻は、冬の冷たい水温で成長する。しかし、生育上限温度を超えてしまうと、光合成や代謝が困難になり細胞構造の維持ができなくなる。水温が上がって生命の危機を感じた海藻は、自分が葉を伸ばして育つ代わりに次世代を残そうと胞子を放出し、体はバラバラになって消えてしまうのだそうだ。</p>



<p>また、近年は熱帯性の海藻が急速に増えた。1970年代にはほとんど見られなかった熱帯種が、80年代、90年代、2000年代と年を追うごとに勢力を広げ、今では高知で最もよく見かける海藻が熱帯種に置きわってしまったという。</p>



<p>その代表的な例として、熱帯性のホンダワラという海藻が挙げられる。もともと生えていた温帯性ホンダワラがほぼ年中繁っていたのに対し、熱帯性は温かい時期しか生えないため、水温の低い時期に藻場を利用していた魚の生活の場が失われた。</p>



<p>そして、沿岸部の環境の変化は、沖合の魚にも影響を及ぼす。沿岸に生えているホンダワラはちぎれて沖に流されることがある。その「流れ藻（ながれも）」に、高知ではブリの稚魚が集まってくる。漁師たちは、「モジャコ」と呼ぶその稚魚たちを獲って養殖に使っている。そのモジャコ漁の時期は春先に限られるのだが、熱帯性のホンダワラ類は夏場にしか流れてこない。将来的にモジャコ漁にも影響が出ることが危惧されている。</p>



<p>さらに言うと、２メートルの長さにも成長する熱帯性のホンダワラだが、食用には向かず、産業利用も進んでいない。</p>



<p>教授は「海藻は食材である前に、海の生態系を支える“基盤”です。海藻が消えれば、魚の回遊ルートも変わり、貝類の生息環境も失われます。さらには漁業そのものに影響を与えます」と言う。</p>



<h2 class="wp-block-heading">四万十川のアオノリが消えた日</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/P3012054.jpg" alt="" class="wp-image-54715" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/P3012054.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/P3012054-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/P3012054-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>特に衝撃的なのは、県内唯一の海藻産地として知られる四万十川（しまんとがわ）河口で起きた変化だ。高知の食文化を支えてきた海藻は、四万十川河口の川と海水が混じり合う汽水域で育つ、スジアオノリとヒトエグサ（アオサノリ）だった。特にスジアオノリについては、四万十川汽水域は全国一の天然漁場として知られており、1メートル以上に育ったスジアオノリが広がる様は、高知の冬の風物詩だった。</p>



<p>スジアオノリは香りが強く、お好み焼きやたこ焼きに欠かせない高級食材として知られる。ヒトエグサは佃煮や天ぷらとして親しまれてきた。しかし、温暖化による自然環境の変化はこの二つにも打撃を与えた。かつて年間10〜20トン採れていたスジアオノリは、2020年以降、天然ではゼロに。養殖されていたヒトエグサも2021年から採れなくなり、高知で唯一の海藻産業は一度、完全に姿を消した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">高知大学が世界に誇る「陸上養殖」で、海藻産業の復活を目指す</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/26TV-141017.jpg" alt="" class="wp-image-54716" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/26TV-141017.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/26TV-141017-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/26TV-141017-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>四万十川の海藻が姿を消しはじめた頃、その変化に最初に向き合ったのは高知大学の研究者たちだった。</p>



<p>「このままでは、海藻文化そのものが途絶えてしまう」——そんな危機感が、静かに大学を動かしていった。</p>



<p>状況を変えたのが、陸上養殖の技術だ。高知大学では、高知の持続可能な海藻産業を再構築するため、2004年に高知県室戸市沖合の海洋深層水を使った陸上養殖システムを開発し、スジアオノリの生産に成功する。室戸は日本でも数少ない陸上近くから海洋の深層水を取水できる場所だ。水深320〜374メートルの深さから汲み上げた海洋深層水は、年間を通して約10度と低温で安定しており、冬に採れる海藻だった青のりを一年中育てられる環境をもたらした。</p>



<p>さらに、研究は進み、胞子を一斉に放出させて、集塊化した上で培養、浮遊させることで均一に育てるという特許技術「胞子集塊法」を開発した。それにより絡まりのない高品質な種苗を安定して生産できるようになったことは、世界レベルでみても画期的だった。胞子の生存率が劇的に向上、陸上での大量生産を可能にして、産業化への道を開いたのだ。</p>



<p>スジアオノリの陸上養殖量は、当初は1トンだったが、数年間の内に3トンへと増加。現在は10トンを超え、かつて天然で採れていた量の半分以上が陸上で再生されるまでになった。ヒトエグサ（アオサノリ）の陸上養殖も大型タンクでの生産が始まりつつあり、近い将来、安定供給が可能になる見込みだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">海藻研究と陸上養殖の最先端地域に</h3>



<p>陸上養殖は設備投資が大きく、効率的に育てる技術が不可欠だが、それでも全国20カ所以上の企業が高知大学の技術を導入し、海藻の再生に取り組んでいる。さらに、藻場の再生への応用や、高水温で消失する海藻群落の復活に貢献できる可能性に期待がかかる。</p>



<p>高知の海で起きている変化は、日本全体の縮図でもある。海藻を育てることは、食文化を守るだけでなく、海の生態系を再び息づかせるための挑戦でもある。高知の海藻がたどってきた変化と、その再生に向けた歩みは、モデルケースとしてこれからの日本の海の未来を示すひとつの指標となるだろう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">食からエネルギーまで、海藻がつくる未来──高知から始まる挑戦</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/c27a3103d1cb8ddfd90f27566c6c5c9e.jpg" alt="" class="wp-image-54717" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/c27a3103d1cb8ddfd90f27566c6c5c9e.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/c27a3103d1cb8ddfd90f27566c6c5c9e-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/c27a3103d1cb8ddfd90f27566c6c5c9e-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2004年に成功した海藻の陸上養殖に始まる研究の積み重ねは、食の領域を超えて新たな可能性を広げている。 高知では今、「しまんと海藻エコイノベーション共創拠点プロジェクト」と呼ばれる大きな取り組みが進んでいるという。行政、企業、研究者、そして地域の人々が連携し、海藻を育て、新たな産業を生み出そうという試みだ。プロジェクトリーダーを平岡教授が務める。</p>



<p>1日で3〜4倍に増える海藻を使った紙や繊維、食用ゼリーの開発、海藻由来の生分解性プラスチック、牛など反芻動物の飼料に微量添加することで牛たちのゲップに含まれるメタン排出を９割減らすカギケノリの研究など、海藻は未来の素材として期待されている。さらに、海藻1トンがCO₂を1トン吸収するという特性から、海藻を育てること自体が地球環境を守る行為にもなる。こうして現在、海藻は、食材であり、資源であり、未来をつくる素材として、世界的に注目を集めている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54708/">失われゆく藻場と、育て直す未来。「高知大学･総合研究センター海洋生物研究施設」が描く海の再生／高知県土佐市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>間口を拡げて梨の魅力を多くの人に伝えたい。「芳香園」中間朋海さん／大分県日田市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 24 Jun 2026 10:32:16 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[日田の梨]]></category>
		<category><![CDATA[梨酢]]></category>
		<category><![CDATA[晩三吉]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8479.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大分県日田市の山あいで、70年にわたり梨づくりを続ける「芳香園」。3代目の中間朋海（なかまともみ）さんが守り続けるのは、この土地の力が育む甘くみずみずしい梨と、「美味しいものをお客さんにも食べてもらいたい」というぶれない [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8479.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大分県日田市の山あいで、70年にわたり梨づくりを続ける「芳香園」。3代目の中間朋海（なかまともみ）さんが守り続けるのは、この土地の力が育む甘くみずみずしい梨と、「美味しいものをお客さんにも食べてもらいたい」というぶれない一念だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「四季を通して日田の梨」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1426.jpg" alt="" class="wp-image-54698" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1426.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1426-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1426-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大分県の北西部、福岡や熊本と接する九州の内陸に、日田という町がある。山々に抱かれた盆地の奥に広がるこの地は、古くから豊かな水に恵まれ、筑後川の源流域に近いことから「水郷」とも呼ばれてきた。江戸時代には幕府の直轄地として栄え、今もその面影を残す古い町並みや温泉が訪れる人を迎える。そんな自然豊かな日田で、人気の産品がある。梨だ。</p>



<p>「芳香園」の中間朋海さんは、この地で梨づくりに心血を注ぐ3代目だ。「自分が食べておいしいものをお客さんにも食べてもらいたい」という一念で続けてきた梨づくりは、多くのリピーターを生み出し、毎年「今年はまだ？」という問い合わせが届くほどの支持を集めている。</p>



<p>芳香園が梨の栽培を始めたのは今から約70年前の、中間さんの祖父の代のことだ。そして中間さん自身が実家の農園に就農したのは大学を出てすぐのタイミングだった。「跡を継ぐものだと思っていた」という理由からだという。若くして家業に関わり始めた中間さんが今も変わらず向き合い続けているのが、この土地ならではの梨づくりだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">様々な自然条件が梨づくりに適した土地</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8488.jpg" alt="" class="wp-image-54699" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8488.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8488-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8488-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>梨の産地というと、鳥取県や千葉県が真っ先に思い浮かぶ。都道府県別の生産量でいえば、大分県は10位前後にとどまる。しかし日田市では、7月末から12月頃まで出荷できるさまざまな品種が栽培されており、その豊かなラインナップを、地元のJA梨部会は「四季を通して日田の梨」というキャッチフレーズで表現している。</p>



<p>ではなぜ日田市では、良質な梨の栽培が可能なのか。中間さんに聞くと、「それは土地の力」という答えが返ってきた。</p>



<p>盆地である日田市は朝晩の気温差が大きく、夏場は12〜13度に達することもある。夜間の気温が低ければ低いほど、日中に育まれた糖分を果実の中に蓄えておける。これが、寒暖差の大きな土地は果物の生産に向いているといわれる所以だ。さらに水。水質も水量も豊かな日田市は「水が磨く郷」とも称されるほどで、梨の生育にとって申し分のない恵みをもたらす。そして、土。砂地ではなく赤土であるこの地には肥料を蓄える力があり、豊かな実りの土台となっている。寒暖差、水、土。</p>



<p>三つの力が重なり合うことで、日田の梨は生まれている。</p>



<p>芳香園では現在、出荷用として主に6品種を栽培している。幸水に始まり、豊水、新高、あきづき、愛宕、晩三吉（おくさんきち）と続く。特に晩生（おくて）の晩三吉は、かつては日本各地で栽培されていたが、育てるのに手間がかかるため生産者が激減した結果、現在では梨全体の1％未満程度しか生産されておらず、そのほとんどが大分県で生産されたものだそうだ。適度な酸味を内包する晩三吉に対し、最近は酸味の少ない甘い品種が消費者に好まれる傾向があり、品種選びにも時代の変化が反映されている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">梨の木が何を欲しがっているか、見極めながら</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1473.jpg" alt="" class="wp-image-54700" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1473.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1473-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1473-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「木を見て、水を欲しがっているのか、それとも人間でいうサプリメントのような栄養を欲しがっているのか。そういったところを見極めながら、何をするかを考えています」と中間さんは話す。</p>



<p>梨の苗木は植えて3年目頃から少しずつ実をつけ始める。花が咲くのは桜と同じ頃で、1つの場所から7〜8輪が開く様子は、桜の咲き方にも似ている。収穫のピークは樹齢およそ20年で、その後はゆるやかに下降していくものの、樹齢100年を超えてもなお実をつける木もあるという。果実をしっかりと大きくし、光合成で育んだ糖分を甘みへと変えるには、常に畑と木を見守りながら、細やかな配慮を重ねていくほかない。その手間ひまの積み重ねが、甘い梨を実らせる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">重要なのは土づくり</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1476.jpg" alt="" class="wp-image-54701" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1476.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1476-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1476-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>芳香園では、牛糞やノコくずを混ぜた堆肥や魚粉、菜種油粕などの有機質肥料を使っている。 使い続けることで土が柔らかくなり、排水性が上がり、微生物が元気に育つ。鶏糞堆肥を使うという選択肢もあるが、即効性はあっても長続きしないという特性を鑑み、長期的に土壌へ働きかける牛糞堆肥を選んでいる。</p>



<p>また、畑に生えた草には除草剤を使わず、機械で刈る。これによって土中のミミズが豊かに生き、そのミミズの糞が、微生物の餌となる有機物を供給する。さらにミミズが動き回ることで土の中に空気が通り、微生物による有機物分解が促進される。そうして生きた土、肥えた土が出来上がっていくのだ。</p>



<p>しかし、梨づくりの様々な条件が揃ったこの地でもやはり解決しなければならない課題はあると、中間さんは語る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">梨栽培に立ちはだかる壁</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8457.jpg" alt="" class="wp-image-54702" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8457.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8457-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8457-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>梨づくりで困難を感じている点を聞くと、気候変化、木の病気、そして人手不足という三つの答えが返ってきた。</p>



<p>気候について言えば、最近の春は気温が高く、梨の開花が早まっている。花の時期は最も繊細で、このタイミングで遅霜が発生すると、めしべが黒くなって枯れ、実がつかなくなる恐れがある。暑すぎる夏、長く続く雨、そうかと思えば短期間に大量に降る雨。近年の天候はどんどん読みづらくなっており、木が弱りやすい状況に拍車がかかっている。天気を見ながら栄養を与え、水の管理をしながら臨機応変に対応するが、それでもなかなか難しいと中間さんは打ち明ける。</p>



<p>木の病気もまた、悩みのひとつだ。おいしさを追求して品種改良を重ねた結果、病気に弱い品種が増えている。農業の世界的な潮流として有機栽培への移行も検討したが、梨で試したところ病気が蔓延し、数年にわたって影響が続いた苦い経験がある。安全性を意識しながら農薬を使う、そのバランスの取り方に頭を悩ませているという。</p>



<p>そして人手不足。芳香園も例外ではない。通常、梨の実は地面からおよそ180cmのところにできる。作業中はずっと顔も手も上に向け続けることになり、首や肩、腰への負担は相当なものだ。以前は地元の年配の方や繁忙期に来てくれる専業主婦の方々に頼ることができたが、今はもう頼める人がいなくなってしまったという。現在は地域の人が数名と、繁忙期だけ県外から来てもらうというスタイルで何とかしのいでいる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">作業者の負担を考え、木の仕立て方を変える</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8494.jpg" alt="" class="wp-image-54703" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8494.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8494-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8494-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>未経験者が多い状況のなかで中間さんが変えたのが、木の仕立て方だ。「普通、木は上に伸びていきます。ただ、枝を30度〜40度くらい倒すと、以前より少し低い場所に実がなります。90cmくらいのところに実ができるようになると、未経験の人も作業がしやすいんです」。</p>



<p>誰でも収穫できる栽培方法へと変えていく。コストを抑えながら、将来的には収穫ロボットの導入も視野に入れる。人がいなくても成り立つ道を、中間さんは着実に模索している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">果物の需要が年々減るなかで</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1388.jpg" alt="" class="wp-image-54704" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1388.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1388-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1388-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>人手不足と並んで中間さんが直面しているのが、果物自体の需要減だ。特に梨は、皮をむかなければ食べられないという点がネックになっている。「梨が好き」という声は多くても、それが購入には必ずしもつながらない。特に若い世代は本当に買わないと実感しており、店頭でも通信販売でも、購入者のおよそ7割は50代以上だという。皮ごと食べられて種もないシャインマスカットのような品種が伸びる一方で、食べるためにひと手間かかるものは、嗜好品としての性質も相まって需要が落ちている。中間さんはそう分析する。</p>



<p>その打開策として中間さんが取り組んでいるのが、梨の間口を拡げる試みだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">梨の魅力を伝えるために</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1401.jpg" alt="" class="wp-image-54705" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1401.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1401-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1401-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>芳香園では新鮮な梨の販売に加えて、ジュース、ジャム、ドライフルーツといった加工品も手作りで製造している。量はさほど作れないが、年間を通して梨のおいしさに触れられるとあって人気が高い。「加工品づくりは趣味みたいなもの」と中間さんは笑うが、その言葉の裏には、梨の魅力をより多くの人に届けたいという真剣な思いが宿っている。</p>



<p>なかでも珍しいのが「梨酢」だ。その名の通り、梨を原料とした酢である。「ワインからバルサミコ酢ができるなら、梨からでも作れるんじゃないか」というシンプルな発想から生まれたという。こうした珍しい加工品が評判を呼び、芳香園がメディアに取り上げられる機会も増えた。イベントに出展する際は梨も加工品も両方持っていくが、みずみずしい梨を選ぶ人、加工品に手を伸ばす人と、それぞれの出会い方がある。その光景を見るたびに、少しずつ梨の魅力が広がっていることを実感するのだと中間さんは話す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">梨づくりの未来のために</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8481.jpg" alt="" class="wp-image-54706" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8481.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8481-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8481-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>今は日田に100件ほど梨農家があるものの、その数は年々減り続けている。15年ほど前、市場出荷だけでは生活が成り立たないほどの底値がついた時期を経験した世代が、子どもに継がせなくなっているのも一因だという。中間さん自身には息子がいるが、絶対に継いでほしいとは思っていない。「自分がある程度年を重ねて引退するときに、誰か継ぎたい人がいればその人に」というのが正直な思いだ。だからこそ、人手や経験がなくても生産・収穫ができるよう栽培方法を変えるという試みを、今から地道に続けている。</p>



<p>梨の未来がどうなっていくのか、今の時点では誰にもわからない。それでも中間さんは、将来を見据えながら今日も梨と向き合い続けている。「梨が少なくなると寂しいといった声がある限りは続けますよ。&#8221;美味しい&#8221;と買ってくれるお客さんの期待を裏切ることはできないので、絶対に手は抜きません」。</p>



<p>「四季を通して、日田の梨」。その一角を支えているのが、中間さんのような、梨づくりに思いをそそぐ農家の存在だ。今年も梨を心待ちにしている人のために、中間さんは今日も日田の畑に立っている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54687/">間口を拡げて梨の魅力を多くの人に伝えたい。「芳香園」中間朋海さん／大分県日田市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>家族の想いを未来へつなぐ。「ファームベジコ」より愛を込めて／高知県高知市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 19 Jun 2026 04:39:32 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
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		<category><![CDATA[農業]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-b131400-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>太平洋の恵みと山河が育む自然豊かな南国の地・高知県。なかでも高知市春野町は太平洋に面した温暖な地域だ。海から吹く風と豊かな日照、そして平野と丘陵が入り混じる地形。こうした土地の恵みを受けながら、ファームべジコは農の未来を [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-b131400-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>太平洋の恵みと山河が育む自然豊かな南国の地・高知県。なかでも高知市春野町は太平洋に面した温暖な地域だ。海から吹く風と豊かな日照、そして平野と丘陵が入り混じる地形。こうした土地の恵みを受けながら、ファームべジコは農の未来を切り拓いている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">冬にハウスで野菜を育てる、逆転の農業</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-b132415.jpg" alt="" class="wp-image-54649" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-b132415.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-b132415-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-b132415-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高知県は県土の約9割を山地が占め、四国山地から流れ出る河川は急流となって海へ注ぐ。そのため土砂が広く堆積しにくく、大規模な平野が発達しづらい地形が特長だ。では、この限られた平地をどう生かすのか。その課題に応える形で発展してきたのが、狭い面積でも高収量を得られるハウス園芸だった。夏は山間部で露地栽培、冬は平野部でハウス栽培。季節と地形を巧みに使い分けることで、この土地ならではの農業が形づくられてきた。</p>



<p>長崎朝陽さんがつくるファームべジコのきゅうりは、10月初旬に定植し、11月中旬から6月まで毎日収穫が続く。露地栽培では夏に実る作物を、冬に育てるという逆転の発想だ。寒さに耐えたきゅうりは青臭さが薄れ、甘みが増す。冬のハウスで育つきゅうりには、夏とは異なる静かで力強い味わいが宿っている。</p>



<p>しかし、寒冷地では加温費がかさむため、冬のきゅうり栽培を大規模に広げることは難しい。その点、温暖で日照に恵まれた太平洋側は、冬の実りを育むのにふさわしい土地といえる。なかでも高知県はきゅうりの収穫量が全国上位に位置し、近年は6〜7位前後を推移。重要産地として安定した地位を保っている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">土をつくり、葉を読み、実をまっすぐに育てる</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081210.jpg" alt="" class="wp-image-54650" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081210.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081210-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081210-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ファームべジコのきゅうりは、夏の3か月間のオフシーズンにすべてが決まる。米農家でもある長崎家では、稲作で出た籾殻や米ぬかを大量に土へ入れ、発酵させる。冬のきゅうりが驚くほど甘いのは、この土づくりに理由がある。ぬか漬けが甘くなるのと同じ理屈で、米ぬかで育った土が甘みを引き出す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ハウスに息づく、緑の生命力</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081916.jpg" alt="" class="wp-image-54651" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081916.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081916-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081916-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ハウスの中では、一本のきゅうりの株から伸びる“身体”と“手足”のようなつるを見極めながら、葉の枚数を調整し、光合成の量をコントロールする。葉はそれぞれ近くの実を育てる役割を持ち、葉を落としすぎても残しすぎてもいけない。</p>



<p>日本の市場では「まっすぐなきゅうり」が求められる。葉に触れれば曲がり、地面に触れれば黄色くなる。農家は一本一本の成長を見守りながら、時に摘果し、時に手で形を整え、A品へと仕上げていく。A品とは、形・色・大きさが規格どおりで、傷や曲がりが少ない正規品のことだ。もちろん曲がっていても味は変わらない。それでも市場の規格が農家の収入を左右する現実がある。</p>



<p>ハウスの中で、きゅうりのつるは空気を探るように細く伸び、まだ何にも触れていない先端が、そっと宙に揺れている。支えを求めて手を伸ばす前の、ためらいにも似た静かな動き。</p>



<p>そのわずかな気配の中に、これから命がどこへ向かうのかを選び取ろうとする、植物の確かな意志が宿っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">50年続く農園と、家族が残した遺産</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-083848.jpg" alt="" class="wp-image-54652" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-083848.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-083848-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-083848-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ファームべジコの歴史は、50年以上前に遡る。祖母の代からメロンやトマトを育ててきた農家に、旅行会社で働いていた父が養子として入り、畑を受け継いだ。農業は未経験。それでも、職人気質の父は土に向き合い、一つひとつの作業に没頭し、技を磨いていった。</p>



<p>そのそばには、同じ旅行会社に勤めていた母がいた。人と自然に関係を結ぶ力を持つ母は、「ベジタブル・コミュニケーション＆コラボレーション」という理念を掲げ、ファームべジコというブランドを立ち上げた。シェフとの対話を大切にし、きゅうりだけでなくハーブや多様な野菜を育て、料理人の声に応え続けた。さらに東京のスーパーへ自ら足を運び、品評会にも積極的に挑むことで、一般の生活者へも、ファームべジコの名を静かに、そして確かに広げていった。</p>



<p>両親が築いた農園を守り、次の世代へつなぐために、長崎さんは東京でのサラリーマン生活を経て、自ら畑に立つ道を選んだ。しかし 2025年5月、母は病でこの世を去った。長崎さんが農園に戻って4年目のことだった。直接教わった時間は長くはない。それでも、母の背中から受け取った“人の喜ぶ顔をつくる農業”という精神は、今も変わらず、この農園の中心に息づいている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">市場と直販の狭間で揺れる、農家の現実</h3>



<p>現在、ファームべジコの出荷は市場が7割、直販が3割。JA出荷はやめた。JA出荷は手数料が高く、農家の手取りは半減することもある。価格決定もJA主導で、売り先を主体的に選びにくい。一方で、集荷・選別・販売を任せられ、販路が安定する利点は大きい。</p>



<p>市場出荷は手数料が1割程度と低く、手取りが増えるのが魅力だ。ただし、仕分け・箱詰め・出荷作業をすべて自分で担う必要があり、品質の安定や信頼づくりも農家の責任となる。それでも、自らが育てるきゅうりへの愛情と誇りが、個のブランドを育てる道を選ばせた。</p>



<p>きゅうりの単価は相場で決まり、農家が値段を決めることはできない。A品でも1本30円ほど。規格外は1キロ50円という厳しい世界だ。ハウスの建て替えには3千万〜4千万円。修理だけでも毎年、百万単位の費用がかかる。若い農家が増えない理由がここにある。</p>



<p>それでも長崎さんは「農業は楽しい」と言う。</p>



<p>「親元就農で基盤があったことは幸運でした。けれど、何もない状態から始めるにはハードルが高い。国が使われていないハウスを若者に貸し出す仕組みがあれば、農業人口は増えるはずです」と語る。</p>



<p>直販を増やし、適正価格で買ってくれるシェフやスーパーとつながること。それが小規模農家が生き残る道だ。実際、2013年に野菜ソムリエサミットにて大賞を受賞して以降、ファームベジコの知名度は向上し、東京のレストランや外資系ホテルのシェフたちは、同園のきゅうりを求めて高知を訪れるようになった。なかには花のついた極小サイズのきゅうりを欲しがる海外シェフもいる。そんな料理人の感性が、農家に新しい視点をもたらしている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">これからも守りたい“味”。若き農家の想い</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="547" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081342.jpg" alt="" class="wp-image-54653" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081342.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081342-300x199.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081342-768x509.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ファームべジコのきゅうりをかじると、収穫直後から水分があふれ、みずみずしさが口いっぱいに広がる。しかも、そのみずみずしさは数日経っても失われにくい。冬にゆっくり育つことで細胞が締まり、水分を抱えたまま保つ力が強まるのだ。<br>さらに冬の寒さに耐えた実は青臭さが少なく、驚くほど甘い。</p>



<p>長崎さんは言う。「父がいなくなっても、味が変わったと言われるのが一番嫌なんです」。ハウスを増やすつもりはない。規模を追わず、味を守る。そして、自分たちの作物を正当に評価し、適正価格で買ってくれる人たちとつながる。それがファームべジコのこれからの形だ。</p>



<p>高知の冬に育つ一本のきゅうり。その背景には、家族の歴史、土地の気候、土の記憶、そして人と人のつながりがある。静かなハウスの中で、今日もまた、まっすぐに伸びようとする小さなつるが、支えを探して手を伸ばしている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54642/">家族の想いを未来へつなぐ。「ファームベジコ」より愛を込めて／高知県高知市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>人と環境にやさしい農法で、旬のおいしい野菜を追求する「ニッケイファーム」大竹英世さん／福島県郡山市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 19 Jun 2026 04:26:50 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[ピュアホワイト]]></category>
		<category><![CDATA[直売]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[トウモロコシ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0469.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「虫も出ない畑を子どもたちには見せたくないから、農薬は使いません」ときっぱり話すのは、「ニッケイファーム」代表の大竹秀世さん。農業を志して17年あまり。農薬を一切使用せず、有機肥料での野菜作りにこだわり、今では年間100 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0469.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「虫も出ない畑を子どもたちには見せたくないから、農薬は使いません」ときっぱり話すのは、「ニッケイファーム」代表の大竹秀世さん。農業を志して17年あまり。農薬を一切使用せず、有機肥料での野菜作りにこだわり、今では年間100種類もの野菜を栽培する、福島県郡山市の農業の未来を担う1人だ。2024年の「野菜ソムリエサミット」で最高金賞を受賞した「レジェンドほうれん草」でも知られ、全国からも注目される存在に。農業に従事しながら自社直売所での販売を担当する奥様の志保さんやスタッフとともに、人を喜ばせる野菜作りを追求している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">美容師から農業へ転身。人を喜ばせる意味では同じだった</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0444.jpg" alt="" class="wp-image-54636" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0444.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0444-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0444-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>実は大竹さんは、高校卒業後に最初についた職業は美容師だったそう。「高校時代、ある美容師さんに自分の髪の悩みを解決してもらえた時、自然に『ありがとうございます』という言葉が出たんです。自分もいつか美容師として人を喜ばせたいと思い、弟子入りしました」。</p>



<p>当時から、大竹家では畑を所有して野菜を育てていたが、農業に携わっていたお母様が病気のために畑に出られなくなったことで、農業に携わることに。美容師の道に進めたことへの感謝の思いもあり、その後、悩みながらも美容師から転身し、農業の道を志すことになった。</p>



<p>「まさか美容師をやめて農業の道に進むとは思ってなかったので自分でも驚いています。当初はやりたくなくて、泥まみれになるのはかっこ悪いと思っていました。でも、うちの野菜を食べた方からの『おいしかった。ありがとう』の一言に、美容師でも農業でも人を喜ばせる意味では同じだと気付きました。農業で人を幸せにしたいという気持ちが芽生えました」と笑顔で振り返る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">土の中にいる生き物こそ、農業に欠かせない大切な仲間</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0613.jpg" alt="" class="wp-image-54637" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0613.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0613-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0613-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>周囲からは「無農薬は難しい」と言われて悔しかった大竹さんは、まず初めにトウモロコシを1,000本植えて始まった。しかし、ハクビシンやカラス、虫の被害にあってしまいトウモロコシは全滅。その経験からハクビシン除けに電柵を張るなど工夫し、少しずつ成功率を上がっていったそう。「微生物を育てながら栽培していくと、連作（同じ場所で同じ作物を何度も繰り返し栽培すること）によって起こる野菜の病原菌感染や育ちが悪くなるなどの障害も出ないようです」と独自の有機農法に自信を持つ。</p>



<p>就農して約17年。勉強熱心で追求する性格の大竹さんは多種多彩な野菜作りに挑戦してきた。とにかく農業を知ることから始まり、先輩農家の話を聞いたり、指導を受けるなど様々な経験を積んで、失敗を重ねながら独自のスタイルを築いてきた。</p>



<p>野菜作りにおいて大竹さんが大切にしているのは、農薬を使わずに昔ながらの農業を残していくこと。ただし、決して農薬否定派ではない。その思いの背景にはご自身の幼少時代の楽しかった経験が影響していると言う。</p>



<p>「昔から虫が大好きで、カブトムシやトンボを採ったりしていました。田んぼにはカエル、畑には虫がいるのが当たり前でしたが、農薬を使い出したせいか、いつの間にか消えてしまいました。農業の実体験を通して学びましたが、野菜を育てているのは土であって、土作りのやり方を変えることで、土壌の微生物たちも変化し、健康な土になる。健康な土になれば、自然と虫も増えるんです。だから、むしろ虫たちから野菜の生育のヒントをもらいます。虫たちがいる畑は子どもたちにも誇れますから」と楽しそうに笑う。虫たちにとって畑はレストランみたいなものだと言う。人間が身勝手に殺虫するのではなく、土質をあまりいじらず、緑肥という形で少しずつ微生物を増やしている。「虫がいる土を使って野菜作りをさせていただいている」という考えで今のスタイルを築き上げた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">震災後の苦しい状況を乗り越え、熱い思いで農業を守る</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0496.jpg" alt="" class="wp-image-54638" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0496.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0496-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0496-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大竹さんは農業について勉強する中で、出荷についてもこだわりを追求してきた。無農薬野菜や多品種の希少な野菜を必要とする方に届けるための手段を検討した結果、市場やJAなどへの出荷ではなく、契約する販売店や飲食店へ直接販売する独自の農業を貫きながら、自社直売所でも旬の野菜を販売する。</p>



<p>順調に農業の道を歩んできたように思えるニッケイファームだが、17年の間には東日本大震災後の風評被害やコロナ禍を経験し、作った野菜を捨てなければならないような苦しい状況を何度も乗り越えてきた。</p>



<p>「震災前の売り上げは飲食店を専門とする仲介業者を通して東京の飲食店などに出す分が約8割、地元が2割ぐらいの比率だったので震災と原発事故の風評被害で8割分がごっそりなくなってしまいました」と振り返る。福島県民にも地元野菜が避けられたため、「当時のことを思い出すと、今でも涙がこらえられなくなります」と話す奥様の志保さん。しばらくは作っては捨てるという毎日を過ごし、心身ともにダメージが大きかった。赤字が続き、会社としては全く成立していなかったが、地元のレストランが立ち上がったことで支えられ、復興に向けて少しずつ歩んできたと言う。</p>



<p>「10年ぐらいは本当に苦しくて大変でした。しかし、震災後に農業をあきらめざるを得なかった方も多い中で、僕らは福島県、そして郡山の農業を未来へ繋いでいかなければならないと決意しました」と故郷への思いを語る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">自社直売所では、有機肥料で育てた新鮮な旬の野菜を販売</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0592.jpg" alt="" class="wp-image-54639" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0592.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0592-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0592-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>郡山市大槻町の住宅街に静かに佇むニッケイファームの直売所では、自社の野菜を中心に、おいしい野菜を作っている生産者の野菜も多数取り扱う。小さな店舗にはカラフルな野菜や、他店では目にすることがあまりない希少な品種が並び、訪れる人を笑顔にする。農薬を使わず、有機肥料で栽培した野菜は自然の恵みをたっぷり吸収し、味も香りも濃厚。夏の時期は枝豆、ズッキーニ、インゲンなどに加え、カラフルなミニトマトやビーツ、京まんじゅう（ナス）などが登場。コロンとした形が愛らしいサラダカボチャや朝採りのトウモロコシは生でも食べられるほど新鮮だ。</p>



<p>「口頭にはなりますが、お客様には販売する野菜を使って楽しめる料理のレシピを数種類ご紹介しています。直接話せるのは楽しいし、野菜の魅力を伝えることができるのはうれしいです」と微笑むのは、直売所を切り盛りする志保さん。また、市内のレストランでニッケイファームの野菜を使用した料理を食べ、自分でも調理してみたいと来店する人も多いそう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">まるでフルーツのような甘さ。生でも食べられるトウモロコシ</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/image-7-1024x683.jpeg" alt="" class="wp-image-54632" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/image-7-1024x683.jpeg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/image-7-300x200.jpeg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/image-7-768x513.jpeg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/image-7.jpeg 1299w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>年間100種類もの品種を栽培するニッケイファームは少量多品種をベースとしているが、その中でも主力のトウモロコシは26,000本もの量を出荷している。旬を迎える夏の3か月間は毎日午前3時頃に収穫し、もぎたての新鮮な状態で出荷する。それは、トウモロコシは夜中にデンプン（糖分）を蓄え、朝が一番甘みのある状態だからだ。また、早朝に収穫したトウモロコシは水分量が多いため鮮度を保ちやすくなり、昼間の暑さによる品質の劣化を防ぐのにも役立つという。</p>



<p>ニッケイファームでは、トウモロコシは通常より10日ほど長く育てるため、甘みが凝縮し味が濃くなるそう。白いトウモロコシ「ピュアホワイト」の糖度は22.5度、黄色いトウモロコシは21.5度と高水準を維持している。</p>



<p>「トウモロコシの頭の部分を触って実がしっかりしていて、お尻を触って確認し、ひげ部分の乾燥具合や色で判断をして収穫します」とピュアホワイトを手にする大竹さん。トウモロコシの害虫として知られるアワノメイガを防ぐために茎を切ったり、葉の数を減らすなど工夫することで害虫被害は劇的に減ったと言う。</p>



<p>「白いトウモロコシは生食がおすすめです。ジューシーで新鮮な甘みを感じることができます。黄色は少し火入れをしたほうが甘みが増します」と教えてくれた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">野菜の味でたくさんの人を感動させたい</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/image-8-1024x683.jpeg" alt="" class="wp-image-54634" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/image-8-1024x683.jpeg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/image-8-300x200.jpeg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/image-8-768x512.jpeg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/image-8.jpeg 1300w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>「夢はまだまだたくさんあります」と笑う大竹さん。そのひとつが自分の農業のスタイルになっている、野菜の味でたくさんの人を感動させること。</p>



<p>野菜を食べることや食べさせることを親子で義務のように感じるのではなく、子どもがお菓子を買うように、「あそこの野菜がおいしい」「あのトウモロコシが食べたいから買ってほしい」と思われるような存在になりたいと願う。</p>



<p>「子どもの頃の農業体験を通して面白さやメッセージを届けることができれば、畑は子々孫々まで野菜を作り続けられる場所であり続けることができると信じています。また畑に遊びに行ってみたいと思われることが幸せです」。</p>



<p>また、消費者にとって野菜が安いのは当たり前という現状は決して農家が望んでいることではないため、「農家が抱える状況を理解して意識を変えてもらうことも大事なこと」と言う。</p>



<p>「様々な困難を乗り越えてきましたが、今となっては農業をやってよかったと思えます。誰かのためにできることなら僕は頑張れます」と話す大竹さん。隣で志保さんも大きくうなずく。これからも「おいしかった！」という笑顔を見るために、日々やりがいを感じながら独自のスタイルで農業の道を突き進んでいく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54628/">人と環境にやさしい農法で、旬のおいしい野菜を追求する「ニッケイファーム」大竹英世さん／福島県郡山市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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