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	<title>その他名所 - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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	<title>その他名所 - NIHONMONO</title>
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		<title>石の声を聴けー 石積みの里で穴太衆の技をつなぐ「粟田建設」/滋賀県大津市</title>
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		<pubDate>Sun, 18 Sep 2022 03:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[栗田建設]]></category>
		<category><![CDATA[石垣づくり]]></category>
		<category><![CDATA[大津市]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/09/main-6.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>歴史が好き、建築が好きでお城を見に行く人はたくさんいるが、石垣に注目する人はどれくらいいるだろう。比叡山延暦寺の門前町、滋賀県大津市の坂本では「石垣づくり」を専門にする職人集団「穴太（あのう）衆」の技が今も受け継がれてい [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/09/main-6.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>歴史が好き、建築が好きでお城を見に行く人はたくさんいるが、石垣に注目する人はどれくらいいるだろう。比叡山延暦寺の門前町、滋賀県大津市の坂本では「石垣づくり」を専門にする職人集団「穴太（あのう）衆」の技が今も受け継がれている。一切の技術を口伝でのみ伝えてきた穴太衆の起源と活躍、そして現在を聞いた。<br> </p>



<h2 class="wp-block-heading">石垣づくりを専門に活動する職人集団「穴太衆」</h2>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/09/kiji1-1.jpeg" alt="" class="wp-image-31997"/></figure></div>


<p> </p>



<p>琵琶湖の西岸、比叡山延暦寺の門前町である大津市坂本。「<strong>石積みの里</strong>」と呼ばれるこの町では、道を歩くと至るところで見事な石垣に迎えられる。自然にある石を加工せず、そのまま積み上げる「<strong>野面積み（のづらづみ）</strong>」を得意とする穴太衆は、戦国時代を中心に活躍した石積みの職人集団だ。高い技術で堅牢な石垣をつくる穴太衆は全国の大名に召し抱えられ、現存する城の石垣のうち7～8割が、穴太衆の手によるものだといわれている。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">ルーツは古墳時代にやって来た渡来人</h3>



<p>穴太衆のルーツは、古墳時代に朝鮮半島から日本に渡ってきた渡来人だといわれている。788年に最澄が比叡山延暦寺を開創し、僧侶たちが住む里坊などの石垣づくりを、この地に住む石組み職人たちが行った。職人たちが拠点としたのが穴太（あのう）という地区だったことから、彼らは<strong>穴太衆</strong>と呼ばれるようになった。</p>



<p>石造りといえばヨーロッパのイメージがあるが、実は西暦80年につくられたローマのコロッセオでは既に大量のコンクリートが使われている。日本は島国でセメントやコンクリートといった接着剤の技術が伝わらず、また地震大国なので、建物の下には揺れに耐えうる<strong>強い土台</strong>が必要だった。こうした日本の風土により石積みの技術は飛躍的に進歩し、独自の技となり磨かれていった。穴太衆の石積みでは、今も接着剤は一切使われていない。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">信長も惚れ込んだ石積みの技術</h3>



<p>穴太衆の名を一躍有名にしたのが、織田信長が琵琶湖の東岸に建てた<strong>安土城</strong>だ。1571年の比叡山焼き討ちの際、信長は二度と再興ができないよう焼け残った石垣の打ち壊しを命じる。ところが石垣はいくら崩そうとしても崩れず、その堅牢さに驚いた信長が、安土城の築城に穴太衆を動員したという。それ以来、穴太衆の名は全国で知られるようになり、のちに姫路城や竹田城、さらには大阪城や名古屋城、江戸城も穴太衆が手がけたといわれている。</p>



<p>穴太衆の技術は<strong>免許制</strong>で、全国各地でどれだけ腕を磨こうが必ずこの土地に戻って修行を積まなければその名を名乗れないという決まりがあった。ゆえに代替わりの際には必ずここ坂本に来て修行をし、穴太衆の名を受け継いだという。職人として、本物の技術を継承することに重きを置いてきたことがうかがえる。<br><br></p>



<h2 class="wp-block-heading">現代で唯一、穴太衆の技を継ぐ粟田建設</h2>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/09/kiji2-6.jpg" alt="" class="wp-image-31998"/></figure></div>


<p> </p>



<p>穴太衆の技術を現代に受け継ぐのが、株式会社粟田建設の粟田純徳（すみのり）さんだ。かつて穴太衆が積んだ見事な石垣が残る滋賀県大津市坂本に拠点を置き、第15代目穴太衆頭として全国で活動を続けている。</p>



<p>「最盛期には全国に何千人もいたといわれる穴太衆ですが、今ではうち粟田建設だけになってしまいました。石垣づくりといっても石を積むだけではなく、山から石を切り出す人、それを運ぶ人、そして積む人という分業制です。戦国時代が終わって新しい城がつくられなくなると、石を切り出す人は墓石などの石を加工する仕事、石を運ぶ人には飛脚など運搬の仕事に職を変え、散り散りになってしまいました。石を積む人は仕事がなくなりましたが、僕らはありがたいことに比叡山延暦寺が近くにあり、また滋賀県には神社仏閣が多い。おかげで石垣を増設したり、修復や土木工事などを請け負いながら、仕事を続けられています」。</p>



<p>石垣は一度積むと<strong>300年、400年もつのが当たり前</strong>。現代では商売として石積みを続けていくのは難しいが、それでもこの技術をどうにかして先につないでいきたいという。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">石垣の修復をして思うこと</h3>



<p>新しく城が建てられることがなくなった現代では、仕事のほとんどが地震や劣化で崩れた石垣の修復だという。</p>



<p>2016年の熊本地震で崩落した熊本城の石垣も元々は穴太衆が築いたものだが、地震によって崩れたのは、ほとんどが明治時代に穴太衆の技術を用いずに修復された部分だった。その一方で、<strong>400年前につくられた部分は崩れずに残っている</strong>。文化財の修復は「元に戻すこと」が鉄則とされるが、崩落前の明治時代に修復された状態に戻すのが本当に良いのだろうか。また、基礎を全てコンクリートで打ち直していたことも崩落の原因では、と粟田さんはいう。大きい地震が増えている昨今、近代技術だけが本当に最適な選択なのか、立ち止まって考える時が来ているのかもしれない。<br><br></p>



<h2 class="wp-block-heading">自然の石でつくる、コンクリートより強い石垣</h2>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/09/kiji3-6.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p> </p>



<p>穴太衆は、自然にある石を加工せず、そのまま積み上げる「<strong>野面積み（のづらづみ）</strong>」を得意とする。写真の竹田城（兵庫県）の石垣に見られる技法がそれである。石垣の積み方には他に、石を加工して噛み合わせながら積み上げる技法で、姫路城などでみられる「打ち込みハギ」や、石を完全に四角く切って隙間なく積み上げる技法で二条城で見ることができる「切り込みハギ」があるが、地震や豪雨への備えを考えた時、もっとも耐久性に優れているのは野面積みだそうだ。滋賀県内では安土城に行けば野面積みの石垣を実際にみることが出来る。</p>



<p>穴太衆は依頼を受けるとまずその地に出向き、行った先々でその土地にある石を使って石垣を積んだ。戦国時代の城が山の上にあるのは、石が採れる場所を選んで城を建てていたからだ。石積みは、石を選ぶことから始まると粟田さんはいう。まず頭の中で図面を描いて、石をじっと眺め「この石はここに使おう、あの石はここにはまるな」と考えて石を持ち帰る。<strong>石選びの段階で、仕事の7、8割が終わる</strong>といっても過言ではないそうだ。</p>



<p>強い石垣をつくる秘訣は、表には見えない「<strong>栗石（ぐりいし）</strong>」にあるという。石垣の中に栗石と呼ばれる細かい石を丁寧に詰めておくことで、地震が来た時のクッション材になり、また水はけも良くなって崩れにくい石垣ができる。石の積み方にも工夫があり、石を横長方向に積むことで全体の重みを広い底辺で支え、表面から3分の1くらい奥に重力がかかるように設計することで崩れにくい石垣を組み上げている。 穴太衆が積んだ石垣とコンクリートブロックの耐荷力実験では、コンクリートは220トンで亀裂が入ったのに対し、石垣は<strong>250トンの重さにも耐え続けた</strong>というから驚きだ。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">「石の声を聴け」</h3>



<p>石垣を積んでいて、石を置くとその場所にぴたっと収まる瞬間があるそうだ。「そんな時は、石の声が聴けた気がして嬉しい」と粟田さんはいう。「<strong>石の声を聴け</strong>。自分たちの采配で積むのではなく、<strong>石の行きたいところに行かせてやれ</strong>」とは、粟田さんが先代からずっと言われてきた言葉だ。石も世の中と同じ。どんな形の石にも必ず役割があって、無駄なものはひとつもない。見た目や性格など、一つひとつに個性があり、その組み合わせで成り立っていると言い聞かせられてきた。</p>



<p>「石垣は、積む人によって全く違う仕上がりになります。性格が出るんですね。例えばうちの祖父は繊細で、石の形に沿って緻密に組んでいくスタイル。父はどちらかというと荒々しく、大きな石をドン、ドン、と積んで間を小さい石で埋めていく積み方をしていました。僕は石積みを祖父に習ったので、細かく組んでいくやり方を受け継いでいます」。修復現場などで石垣を見ていると、どんな人が積んだのか何となくわかってくるという。「ここはちょっと手を抜いてるな」「もう少し丁寧にしたら崩れなかったのにな」と思うこともあるが、戦国時代の城は、<strong>いかに早く完成させるか</strong>が何よりも重要。本来なら組み上げるのに半年、下準備を含めたら1年以上かかる石垣を、当時は1、2ヶ月で完成させていた。戦国の世で、穴太衆が城づくりに与えた影響は計り知れない。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">400年を口伝でつなぐ石積みの技術</h3>



<p>穴太衆の石積みは、すべてが<strong>口伝</strong>。文書などはいっさい残されていない。お城や石垣の設計図は、今でいう<strong>軍事機密</strong>。万が一敵に伝わると、城内に施した仕掛けから有効な攻め方まで全てが露呈してしまう。機密情報が敵方に渡らないよう、技術を伝える文書はもちろん、家系図すら残さなかったという。1000年以上続いてきたとされる粟田家がいまだ15代を数えるのみなのも、その辺りに理由がある。</p>



<p>戦国時代の当時、穴太衆の指揮で石積みを手伝ったのは、現地に暮らす<strong>農家の人々</strong>だった。当時の主な運搬手段は牛や馬。その牛や馬を持っている農家の協力は不可欠だったため、農業が忙しい春と秋には城はつくられなかったという。同じものは二つとない自然の石を組み合わせる上、限られた職人にだけ極秘で伝えられてきた穴太衆の技術ゆえに、文字にして残すのが難しかったということもあるのかもしれない。<br><br><br></p>



<h2 class="wp-block-heading">息子や孫の代で崩れるような石垣はつくらない</h2>



<p> </p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/09/kiji4-6.jpg" alt="" class="wp-image-32000"/></figure></div>


<p> </p>



<p>「僕らの仕事はすごく特殊で、400年、500年もつ物をつくって、それで崩れたら『下手くそだ』と言われるんです。何年もたせたら上手いと言われるんだろうと気が遠くなることもありますが、だからこそ<strong>強さにはこだわりたい</strong>という思いがあります。今は石垣も見た目がきれいな方がいい、自分が生きている間もてば十分、と思う人が多いかもしれませんが、粟田の名がその石垣にずっと残って、何百年か先に崩れた時、『粟田の15代目は下手くそだった』とは言われたくない。うちは<strong>穴太衆で最後の1軒</strong>。地震や災害に強いと信頼されて続いてきたこの技で、僕の息子や孫の時代になって崩れるような石垣はつくりたくないと思っています」と粟田さん。</p>



<p>難しい仕事で、それだけの覚悟も必要だが、この技術は絶対に継承していきたいという。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">粟田さんが思う素晴らしい石垣とは？</h3>



<p>プロの目から見た素晴らしい石垣についても聞いてみた。「個人的に好きなのは、兵庫県の<strong>竹田城</strong>。この石垣も、穴太衆によって築かれたといわれています。大小さまざまな自然の石をバランス良く組み合わせた、唯一無二の石垣を見ることができますよ」。廃城から400年が経ち建物は残っていないが、石垣はほぼ当時のまま残されており、粟田家では3代にわたり修復を任せられているそうだ。「祖父や父が直したところを見ると勉強になりますし、特に思い入れがある石垣です」と粟田さんは微笑む。</p>



<p>石垣を見れば、城主の考えや当時の時代背景も知ることができるという。戦国時代、城の構造は人々の生死に関わることだった。道順を見れば「ここで待ち伏せをしたんだな」と気づくことができるし、大胆な反りのある石垣なら安土桃山時代のものかな、と予想することもできる。<strong>安土城</strong>の石段には墓石や地蔵があからさまに使われており、築城ラッシュにより石が不足していた時代背景や、城主信長の気性の荒さが垣間見られるのも興味深い。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">美しい日本の風景を残すために</h3>



<p>海外に呼ばれて石垣を積むこともあるという粟田さん。アメリカで仕事をした際、現地に住んでいる日本人の人が「<strong>この石垣を見ると日本を思い出す</strong>」と涙するのを見た時は、自分も心にくるものがあったという。</p>



<p>「僕は息子がいるが、このままいくと、息子に胸を張って「後を継げ」と言うのは難しい。苦労するのは目に見えているので。そのためには、自分が働けるうちにどうにかして道をつくってやらないといけない」と語る粟田さん。海外の仕事も積極的に受け、その石垣が注目されることで、日本でも石積みの魅力が見直される時が来たらと話す。</p>



<p>粟田建設が積んだ石垣は、東京都内では<strong>馬事公苑のオリンピック記念碑</strong>として使われているものを見ることができる。やや小ぶりだが、江戸城の石垣を再利用して全て手作業でつくられたという。石に触れ、石の声に耳を傾けながら、穴太衆がつないできた技に思いを馳せてみてはいかがだろう。 </p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/32930/">石の声を聴けー 石積みの里で穴太衆の技をつなぐ「粟田建設」/滋賀県大津市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>海上に浮かぶ軍艦ーかつて最先端技術を誇り、日本の近代化を支えた遺構の島/長崎県</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/32282/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 25 Jul 2022 13:04:18 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[軍艦島]]></category>
		<category><![CDATA[産業革命遺産]]></category>
		<category><![CDATA[端島炭鉱]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/07/main-7.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>長崎港から南西約18kmの海上に浮かぶ「通称「軍艦島」で知られる「端島（はしま）」。ここで採れた良質な石炭はかつての日本の近代化を支え、2015（平成27)年には「明治日本の産業革命遺産」の一部として世界遺産に登録された [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/07/main-7.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>長崎港から南西約18kmの海上に浮かぶ「通称「軍艦島」で知られる「端島（はしま）」。ここで採れた良質な石炭はかつての日本の近代化を支え、2015（平成27)年には「<strong>明治日本の産業革命遺産</strong>」の一部として<strong>世界遺産</strong>に登録された。石炭採掘という過酷な労働に身を投じていた当時の人々の暮らしぶりはどのようなものだったのか。生まれ育った木下稔さんに島を案内してもらった。。<br> </p>



<h2 class="wp-block-heading">通称「軍艦島」。端島炭鉱とは</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/07/kiji1-6.jpg" alt="" class="wp-image-31997"/></figure></div>


<p>長崎港から約18km、海上に浮かぶ戦艦のような姿から「軍艦島」とも呼ばれる「端島」。東京ドームの1.3倍ほどの小さな無人島は、明治時代の日本を代表する企業「三菱合資会社」により本格的な近代炭坑として開発された歴史を持つ。幕末から昭和、第二次世界大戦期にかけての日本の急速な近代化を押し進める重要な役割を果たし、<strong>2015年に文化遺産「明治日本の産業革命遺産である製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の１つとして世界遺産に登録</strong>された。<br><br></p>



<h2 class="wp-block-heading">端島炭鉱の歴史</h2>



<p>現在の端島は、南北に480m、東西に160m、面積約6.5haという小さな島だが、これは1931年までに計6回の埋め立てによって作られたもの。元は南北約320m、東西約120mの岩礁であり、現在の半分の大きさだった。つまり端島は、島の周辺を埋め立てながら形作られた<strong>人工島</strong>なのだ。拡張が必要だった理由は、当時の日本が置かれた状況とエネルギー事情にある。江戸時代まで海外との交流がなかった日本は他国に遅れを取らぬよう急速な近代化を必要としており、当時の主要エネルギーだった石炭の確保が課題となっていた。そんな折、端島で良質な<strong>海底炭脈</strong>が発見される。時代の流れによって炭鉱開発を加速させた結果、荒波に揉まれる岩礁の上に、当時の先端技術を集めた人工島が誕生したのだ。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/07/kiji2-6.jpg" alt="" class="wp-image-31998"/></figure></div>


<h3 class="wp-block-heading">端島炭鉱の始まり</h3>



<p>江戸時代末までは、近隣に住む漁師が漁業の傍ら、岩礁の表面の露出炭を採炭する「磯掘り」を行っていた。その後も佐賀鍋島藩が小規模な採炭を続けていたが、19世紀初頭、端島の海底に炭脈が発見され、さらに三菱合資会社に経営が移ったことで、端島の北に浮かぶ「高島」と共に<strong>近代炭坑の島</strong>として急成長を遂げる。<br><br></p>



<h3 class="wp-block-heading">最盛期には<strong>人口密度日本一</strong>。日本初の高層アパートが誕生</h3>



<p>三菱合資会社の運営により、本格的に端島炭鉱の歴史がスタートしたのが1890年のこと。端島には海底に炭脈があり、地下約1,000mが作業現場となる。巨大で複雑な坑道の先には機械を入れられないため、細心の注意を払いながら人力で作業を進める。常に危険と隣り合わせの過酷な環境で、鉱員たちは班ごとに分かれて効率的に採掘を行なっていた。採れる石炭はボタ（粗悪な炭）が少ない「瀝青炭（れきせいたん）」。日本一の品質といわれた端島の石炭は、主に製鉄用原料炭として八幡製鉄所へ供給され、日本の近代工業を支えた。</p>



<p>開発が進むにつれ鉱員数が増加し、社宅も次々に建設されたが、当時一般的だった木造住宅は悪天候の度に流れ込んでくる荒波によって頻繁に倒壊していた。そこで1916年、世界の最新技術を用いて<strong>日本初の鉄筋コンクリート造り高層アパートを建設</strong>。1960年頃には、当時の東京都区部の人口密度の9倍にあたる5千人以上が生活していたという。収入の良い鉱員たちの生活水準は高く、水道、電気等のライフラインは安定していた。電化製品の普及率も高く、例えば1958年当時、全国のテレビ普及率が10％であったのに対し、端島ではほぼ100％。社宅の屋上に<strong>日本初の「屋上庭園」</strong>を設けて緑に触れるスペースを確保したり、島のメインストリート「端島銀座」で定期的に青空市場を開催したりと、島内では豊かで活気ある生活が営まれていた。<br><br><br></p>



<h3 class="wp-block-heading">閉山</h3>



<p>採掘量のピークは1966年。その後、石炭から石油へとエネルギー転換が始まり、このあおりを受けて8年後の1974年1月15日に閉山。3ヶ月後の4月20日には全島民が島から出て行き、無人島となった。閉山から35年間は上陸ができない状態が続いていたが、2008年から島内の整備が進み、翌年4月からは一般の人でも上陸ができる環境に。2015年に世界遺産の構成資産に登録されると、観光地としての人気が高まった。独特な景観で人を惹きつける端島は、映画「007 スカイフォール」や「進撃の巨人」などのロケ地としても登場している。<br><br></p>



<h2 class="wp-block-heading">端島に上陸。案内は、幼少期を島で過ごした木下稔さん</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/07/kiji3-6.jpg" alt="" class="wp-image-31999"/></figure></div>


<p>長崎市南部、早朝の野々串港から沖合を眺めると、大きな戦艦のシルエットが朝日に照らされ海原に浮かんでいた。大正時代に長崎の三菱重工業造船所で作られた日本海軍の戦艦「土佐」に似ていることが、端島の通称である「軍艦島」の由来。第二次世界大戦下、アメリカ軍が日本軍の戦艦と見誤って砲撃したという逸話の理由がよく分かる存在感だ。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/07/kiji4-6.jpg" alt="" class="wp-image-32000"/></figure></div>


<p>港から漁船に同乗し、島を案内してくれるのは<strong>軍艦島コンシェルジュ</strong>のガイドである木下稔さん。 中学1年生まで端島で過ごした木下さんは、現在「<strong>元島民ガイド</strong>」として端島の歴史や当時の暮らしを伝えている。<br><br><br><br><br></p>



<h2 class="wp-block-heading">炭鉱の島での暮らし</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/07/kiji5-4.jpg" alt="" class="wp-image-32000"/></figure></div>


<p>島に近付くと外壁の一部に赤い石積みが見える。これは<strong>「天川（あまかわ）工法」の護岸</strong>。日本にセメントが普及する前の明治時代、石灰と赤土を混ぜた「天川」で炭坑施設を造ったという歴史背景が評価され、<strong>世界遺産登録の対象</strong>となった。上陸は「ドルフィン桟橋」から。この桟橋は1962年に再建された3代目であり、長さ25m、幅12m、海底からの高さ15mの人工島を作ることで耐久性を保っている。島の南側にある約230mの見学通路に沿って歩くと、主力坑だった第二竪坑跡や鉄筋コンクリートのアパート、緑が覆う半壊した建物が立ち並ぶ様子が見える。島には独特な美しさと穏やかな静けさが漂い、異世界に迷い込んだような空間が広がっていた。<br></p>



<p>「島の半分以上は鉱場。残りの土地で僕たちは生活をしていました。住居や学校、病院のほか、神社、派出所、理髪店、そして大人の娯楽のためのパチンコホール、ビリヤード場、雀荘、碁会所、遊郭まであったんですよ」と木下さん。「土がある端島神社や屋上は子どもたちの格好の遊び場。野球やビー玉遊びをして過ごしていました。アパートでかくれんぼすることも多かったです」。<br><br></p>



<h3 class="wp-block-heading">「炭鉱マン」だった父</h3>



<p>木下さんの父は端島で唯一の映画館「昭和館」の映写技師だったが、島にテレビが普及した影響で、1960年代に映画館は閉館。これに伴って鉱員、通称「炭鉱マン」として働くことになった。「島の子どもたちの父親は、ほぼ全て炭鉱マン。炭鉱での仕事は過酷であることを子どもながらにみんなしっかりと理解しており、父の休息を邪魔しないよう配慮していました」。</p>



<p>まるで島民みんなが家族のようだったという木下さんに、島の治安について尋ねると「交番に牢屋はありましたが、犯罪で使うことはなかったと聞いています。炭鉱マンは『お酒がないと喧嘩が始まる』といわれるほどの酒豪ばかりだったので、酩酊して家に帰れなくなった人が一晩過ごすために牢屋を使っていたそうですよ」と笑顔で話す。鉱員たちは日常的に、酒を酌み交わしながら班ごとに話し合いを行なっていた。命をかけた仕事に誇りを持っているからこそ、議論が白熱した際に喧嘩に発展することも稀にあったが、仕事以外の争いはない、平和な島だったという。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/07/kiji6.jpg" alt="" class="wp-image-31997"/></figure></div>


<p>鉱員の仕事は8時から16時、16時から24時、24時から8時の三交代制。「父が夜勤の日は決まって22時半に叩き起こされ、『いってらっしゃい』と言わされていました。当時の僕はこれがとても嫌だったのですが、今では父の気持ちがよく分かります。危険を伴う仕事の前に子どもの声を聞きたかったのでしょう」。木下さんの話から、炭鉱の島に暮らす暖かな家族の日常、人々の営みや活気が伝わってくる。<br><br></p>



<h3 class="wp-block-heading">島のインフラ事情</h3>



<p>島での生活には水の確保が必要不可欠。安定した生活水を供給するため、1957年、<strong>日本で初めての海底水道</strong>を２本敷設し、1日約1,000t の水を長崎市内から引き入れた。水は一旦タンクに貯蔵され、その後各アパートの水瓶へ。各家庭にはあらかじめ「水券」が配られており、券と引き換えに1日で使用できる水を毎朝受け取るという仕組み。日々必要な量の水をしっかりと確保できていた。<br><br></p>



<p>風呂がある家は少なく、島民のほとんどが公衆浴場を利用していた。仕事が終わった鉱員はまず作業服のまま湯船に入って炭塵を落とし、次に服を脱いで湯に入り、最後にしっかりと体を洗うという三段階の工程で入浴を行なっていた。三段階目の入浴時のみ真水、他は海水を使用していたという。学校のプールは海水だった。水を始め、電気、ガスなど、島内の生活ライフラインは全て三菱合資会社が管理し、どれだけ使用しても料金が一切発生しなかった。鉱員たちが住んでいた社宅の家賃は月10円。「とても暮らしやすい環境でした。閉山後に島から出て初めて、どれだけ恵まれていたか気付きました。しょっちゅう島に帰りたい！と思っていましたよ」と木下さん。ただ、台風などの悪天候が続くと不便なことも。「台風の後の約1週間は島に船が着岸できなくなり、物資が届きません。当時は冷蔵庫がなかったため、缶詰とカンパンで過ごしていました」。<br><br></p>



<p>近代日本を支える仕事に誇りを持ち、自然災害に立ち向かいながら営まれた島の暮らし。「みんな支え合って生きていました。苦しかったからこそ、力を合わせて奮い立ち、絆を強めていたのかもしれませんね」と木下さんは話す。「<strong>生まれ故郷が世界遺産</strong>になったことをとてもうれしく思っています。世界中の人が島に興味を持ち、訪れてくれるようになりました。遺構は徐々に崩落していますが、現在の島の様子を歴史と共にみなさんに伝えていきたいです」。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/07/kiji7.jpg" alt="" class="wp-image-31997"/></figure></div>


<p>国内最古の鉄筋コンクリート造アパート「30号棟」は、2021年末の時点で、約半年後に崩落すると専門家によって予測されている。現在はかろうじて構造が保たれているが、いつ崩落しても不思議ではない状態だ。時の流れと共に刻々と姿を変える端島には、今しか出合えない風景があった。<br><br></p>



<h2 class="wp-block-heading">かつての「未来都市」が伝えること</h2>



<p>日本初となる最先端技術が集約された端島は、まさに当時の「未来都市」。そこには石炭事業だけではなく、人々の生活もあった。日本の近代化、高度成長期を支えた洋上の孤島は、自然に立ち向かい、日本の未来に果敢に挑戦した人々の軌跡を、時と共に姿を変えながら現代の私たちに静かに伝えている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/32282/">海上に浮かぶ軍艦ーかつて最先端技術を誇り、日本の近代化を支えた遺構の島/長崎県</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>世界一長い木造歩道橋「蓬莱橋」／静岡県島田市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 27 Dec 2021 01:00:00 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/12/main-7.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>世界一長い木造歩道橋「蓬莱橋」 江戸時代、東海道屈指の難所といわれ「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と詠われた大井川。静岡県・長野県・山梨県の県境に位置する標高3,000ｍ以上の南アルプスに源流を持ち、静岡 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/31215/">世界一長い木造歩道橋「蓬莱橋」／静岡県島田市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/12/main-7.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">世界一長い木造歩道橋「蓬莱橋」</h2>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">江戸時代、東海道屈指の難所といわれ「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と詠われた大井川。</span>静岡県・長野県・山梨県の県境に位置する標高3,000ｍ以上の南アルプスに源流を持ち、静岡県の中央を流れ最終的には駿河湾にそそぐ一級河川である。昔から大雨が降ると水かさが増し、川止めとなることもしばしば。</p>



<p>川幅の広さや勾配などの地形による問題から当時の技術では橋が掛けられなかったことに加え、徳川家康が隠居していた駿府城の西の守りとして機能しており、橋を架けることはもちろん渡し船も禁止されていた。そのため、大井川を渡るには川越人足（おおいがわのかわごしにんそく）に肩車をしてもらうか、輦台（れんだい）という神輿のような乗り物に乗せてもらうなどして川を渡るしかなかった。また、川の両側の島田と金谷には川会所（かわかいしょ）と呼ばれる「川越し」の料金所が設けられ、それぞれ大井川を渡河する拠点の宿場町として発展。最盛期には約1000人にものぼる川越人足が存在し、川会所や宿場町にも莫大な利権を生み出したという。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="427" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/12/06212020_tabi_0859.jpg" alt="" class="wp-image-31218" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/12/06212020_tabi_0859.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/12/06212020_tabi_0859-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">パワースポットとして親しまれる観光地「蓬莱橋」</h2>



<p>そんな大井川も明治に入ると架橋がゆるされ、各所に橋が架けられるようになると、1872(明治12)年に<a href="https://www.city.shimada.shizuoka.jp/kanko-docs/houraibasi.html">蓬莱橋</a>が架けられただ。架橋以来、何度となく氾濫の被害に見舞われてきた蓬莱橋だが、<span class="swl-marker mark_yellow">1997年、ギネスブックに「世界最長の木造歩道橋」として認定されると映画やドラマなどの撮影にも利用され、多くの観光客が訪れる観光スポットとして、また、橋の全長897.4メートル「厄なし（やくなし）」の語呂から縁起もよいパワースポットとしても人気を集めている。</span></p>



<p>もともとは島田宿と牧之原台地を結ぶ農道だったというが、いまでは、近隣にカフェや土産店が並び、いわゆる観光地のようになっている。島田宿側から見ると、向こう岸に見える山の緑に向かって、まっすぐ幅2.4メートルの橋が伸びているだけで、ゴール地点はまったく見えない。多くの観光客が通行料100円（大人）を払ってこの橋を渡っていく。ガイドブックに載るような観光地を訪ねることは珍しい中田になぜここに来たかったのか理由を訊くと、「なんとなく景色がいいんじゃないかと思って」と。歩き始めてみると、これがなかなか楽しい。手すりが低く、視界を遮るものはなにもない。確かに見事な景色だ。歩行者と自転車しか渡ることができないこの橋は、ほぼ平坦で、視界も低い。水がすぐ目の下を流れ、その音も聞こえてくる。まるで大井川の真ん中に立っているかのような感覚だ。日差しは強いが、川をわたってくる風が心地よい。特に目的もなく橋を往復するだけ。ゆっくり歩いても往復30分くらいの川の上の散歩は、新鮮な体験だった。観光地を侮るなかれ。もっというならば、数ある観光地のなかから「ここは行くべき」というポイントを選ぶ中田の慧眼に感服した。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="427" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/12/06212020_tabi_0856.jpg" alt="" class="wp-image-31219" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/12/06212020_tabi_0856.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/12/06212020_tabi_0856-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/31215/">世界一長い木造歩道橋「蓬莱橋」／静岡県島田市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>未来を描くサスティナブルファーム「KURKKU FIELDS」／千葉県木更津市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/30156/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 26 Jul 2021 11:44:45 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/07/11302019_tabi_0859-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>千葉県木更津市の「KURKKU FIELDS（クルックフィールズ）」は、有機農場や酪農場、それらの自然の恵みを享受するための飲食店や宿泊施設などを有する、循環型のサステナブルファーム＆パークです。子どもから大人まで楽しめ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/30156/">未来を描くサスティナブルファーム「KURKKU FIELDS」／千葉県木更津市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/07/11302019_tabi_0859-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p class="has-text-align-center"><strong>千葉県木更津市の「KURKKU FIELDS（クルックフィールズ）」は、<br>有機農場や酪農場、それらの自然の恵みを享受するための飲食店や宿泊施設などを有する、<br>循環型のサステナブルファーム＆パークです。子どもから大人まで楽しめる様々な活動を通じて、<br>自然と共存する心地よさや生きる喜び、これからを生きるためのヒントなどを発信し続けています。</strong></p>



<h2 class="wp-block-heading">サステナブルファーム「KURKKU FIELDS」とは</h2>



<h3 class="wp-block-heading">都心から1時間で自然を体験できる</h3>



<p>千葉県・木更津市にあるサステナブルファーム＆パーク「<a href="https://kurkkufields.jp/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">KURKKU FIELDS／クルックフィールズ</a>」は、約30haという敷地面積をはるかに超えた可能性を感じさせてくれる施設だ。この施設を手掛けたのは、<span class="swl-marker mark_yellow">Mr.Childrenプロデュース、自らもBank Bandのメンバーとして活動をする音楽家の小林武史さん。</span>小林さんは2003年に非営利団体「ap bank」を設立し、サステナブルをテーマに自然エネルギーや環境保全活動をしている方々に対する融資や野外音楽イベント「ap bank fes」の開催、アートと音楽・食の総合芸術祭「Reborn-Art Festival」を立ち上げるなど、環境問題や復興支援を積極的に取り組んできたが、<span class="swl-marker mark_yellow">「農業」「食」「アート」の３つのコンセプトを軸に、これからの人や社会の豊かさを提案するサステナブルファームとして、2019年にKURKKU FIELDSを誕生させた。</span><br>「小林はこの施設をつくるときから、ここに完成はないと言っていました。未来につながる農業、自然と経済の新しい循環をつくるために有機的に成長していく施設にしたいと考えています。東京から１時間ほどで来られますから都心で暮らしている方々に農業や自然について考えるきっかけになればという思いもあります」（KURKKU FIELDSスタッフ・新井洸真さん）</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full is-resized"><img decoding="async" width="825" height="549" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/kiji2-1-1-1.jpg" alt="" class="wp-image-49015" style="height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/kiji2-1-1-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/kiji2-1-1-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/kiji2-1-1-1-768x511.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<h2 class="wp-block-heading">農業・食・アートを軸にサスティナブルな体験を</h2>



<p>敷地内には、居心地のいいカフェがあり、パンや加工肉、スイーツをあつかうショップがあり、敷地内に草間彌生など国内外の有名現代アーティストの作品が展示してある。それだけでもじゅうぶんに魅力的な施設だ。だがここにはさらに農場があり、ビオトープがあり、鶏舎があり、牛舎があり、さらには太陽光発電システムも整っている。なだからな丘をゆったり散歩していると、牛舎にたどり着いた。ここでは、<span class="swl-marker mark_yellow">本州で唯一水牛が飼われている</span>。南イタリアで長年チーズ作りに携わりチーズ職人の竹島英俊さんが水牛の買い付け、飼育から手掛け、本場顔負けのモッツァレラチーズをつくっている。角を生やした水牛は、旅で見てきた肉牛や乳牛よりひとまわり大きい。畜産業独特のにおいもなく、この牛舎が清潔に保たれていることが伝わってくる。水牛を横目に見ながらこの日の朝つくられたばかりのモッツァレラをいただく。<span class="swl-marker mark_yellow">水牛1頭あたりの搾乳量はホルスタイン種の1/5とずっと少なく、それだけ希少性が高い。</span>濃厚だが爽やかな味わいとモチモチとフレッシュな食感が格別だ。やはりイタリアで長年生活した中田英寿が思わずうなった。<br>「うん、おいしい！　こんなにおいしいモッツァレラを日本で食べられる日がくるとは思いませんでした」<br><span class="swl-marker mark_yellow">施設内の「KURKKU FIELDS DINING」では、このモッツァレラはもちろんKURKKU FIELDS内で採れた新鮮な野菜や卵を味わうことができる。<br></span>そのほか、ピクニックやマルシェ、ライブイベントなども定期的に楽しめるクリエイティブ・パークや、農場の営みに参加ながら自然との一体感を感じながら朝晩を過ごすことができる“タイニーハウスビレッジ”での宿泊プログラムなどもあり、ヴィラタイプの宿泊施設なども完備</p>



<p>おいしく、たのしく、気持ちよく、サステナブルについて考える。KURKKU FIELDSは、農業を軸として、接続可能な暮らしの豊かさを発信する、新しい未来を提示してくれているような気がした。</p>






<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full is-resized"><img decoding="async" width="825" height="549" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/kiji3-1-2-1.jpg" alt="" class="wp-image-49016" style="height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/kiji3-1-2-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/kiji3-1-2-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/kiji3-1-2-1-768x511.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>

<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="825" height="549" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/kiji4-1-1-1.jpg" alt="" class="wp-image-49017" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/kiji4-1-1-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/kiji4-1-1-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/kiji4-1-1-1-768x511.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>

<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/137_kao_KF_210810_0528-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-49021" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/137_kao_KF_210810_0528-1024x683.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/137_kao_KF_210810_0528-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/137_kao_KF_210810_0528-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/137_kao_KF_210810_0528.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /><figcaption class="wp-element-caption">KURKKU FIELDS シャルキュティエ 岡田修さん</figcaption></figure></div>


<h3 class="wp-block-heading">木更津の恵みを堪能</h3>



<p>「無駄をなくし、すべてを循環させて生かしていきたい」という想いを込めて、木更津の森の恵みであるジビエを取り入れたシャルキュトリーを製造しています。豚肉も、県内の下山農場でストレスなく、自然に近い状態で育てたこだわりの豚を使用。森の生命力を感じる滋味豊かな自慢のシャルキュトリーをどうぞ！</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/30156/">未来を描くサスティナブルファーム「KURKKU FIELDS」／千葉県木更津市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>首都圏を洪水から守る要。世界最大の地下放水路「首都圏外郭放水路」／埼玉県春日部市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/27957/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 14 Dec 2020 01:00:10 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[地下放水路]]></category>
		<category><![CDATA[首都圏外郭放水路]]></category>
		<category><![CDATA[埼玉県]]></category>
		<category><![CDATA[春日部市]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/12/kiji3-2.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>世界最大級の地下放水路「首都圏外郭放水路」 埼玉県春日部市にある首都圏外郭放水路は、外から見ると、ただの江戸川沿いの建物のしかすぎない。だが、その地下には約50メートルには延長約6.3kmの放水路が隠されている。施設の空 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/27957/">首都圏を洪水から守る要。世界最大の地下放水路「首都圏外郭放水路」／埼玉県春日部市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/12/kiji3-2.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">世界最大級の地下放水路「首都圏外郭放水路」</h2>



<p>埼玉県春日部市にある<a href="https://gaikaku.jp/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">首都圏外郭放水路</a>は、外から見ると、ただの江戸川沿いの建物のしかすぎない。だが、その地下には約50メートルには延長約6.3kmの放水路が隠されている。施設の空き容量は最大67万㎥で、中川、倉松川、大落古利根川、18号水路、幸松川といった付近を流れる中小5つの河川の水を地下に取りこみ江戸川に放出するための、<span class="swl-marker mark_yellow">世界最大級の地下放水路だ。</span></p>



<h3 class="wp-block-heading">映画「翔んで埼玉」でも使用</h3>



<p>巨大な柱が立ち並ぶ神殿のようなつくりから「映画『翔んで埼玉』では、埼玉解放を目指す人々が集結するシーンでも使われています。2018年8月より施設内の見学ツアーを始めたんですが、結構人気になっています」（江戸川河川事務所 荒井満副所長:2018年）</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/12/kiji1-2.jpg" alt="" class="wp-image-27960" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/12/kiji1-2.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/12/kiji1-2-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">“地下神殿”もある首都圏外郭放水路</h2>



<p>長い階段を降りると、そこに広がるのは無数の小判型の柱が並ぶ広大な空間。多少の湿度はあるが、下水的な匂いはまるでない。外は蒸し暑かったが、地下のこの空間はひんやりとして気持ちいい。ここが全長177ｍ、幅78ｍ、高さ18ｍの巨大調圧水槽、通称“地下神殿”だ。今回のように水がないときには、特撮映画の戦闘シーンの撮影などによく使われていたのだという（現在は撮影の受け入れ休止中）。このような空間、景色は、他にはない。<br>第1立坑から第5立坑まで、全部で5本ある立坑は、深さは約70ｍ、内径約30ｍ、ここから河川の洪水を取り込み、コントロールしながら調圧水槽へ流していくというシステムだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">洪水を防ぐ活躍を見せた首都圏外郭放水路</h3>



<p>首都圏外郭放水路がある埼玉県春日部市周辺は、東京への通勤圏内として人気が高く人口の多いエリアであったが、地盤が低いことから、かつては大雨のたびに浸水を起こしていたという。治水整備を目的に首都圏外郭放水路の基本構想が策定されたのは昭和60年代。調査・設計や用地買収を経たのちの平成5年から工事に着手し、平成14年には部分的な供用をスタートさせて、平成18年に完成した。<br>令和元年10月に各地の河川で氾濫・堤防の決壊を起こし大きな被害をもたらした台風19号では、首都圏外郭放水路が稼働しながら中小河川からの洪水の引き込みと江戸川へ排水したことで、<span class="swl-marker mark_yellow">周辺地域の被害を低減させ、その活躍が多くの報道でも取り上げられた。</span></p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="480" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/12/kiji2-2-1.jpg" alt="" class="wp-image-27966" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/12/kiji2-2-1.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/12/kiji2-2-1-200x300.jpg 200w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">「調圧水槽」の見学も</h2>



<p>このような施設は、世界でも珍しく海外からの視察も多いそう。首都圏外郭放水路の役割をもっと深く知ってもらうための見学会も行われており、人気の地下神殿「<a href="https://www.ktr.mlit.go.jp/edogawa/edogawa00611.html">調圧水槽</a>」や、これまでは非公開だった作業用通路を歩き、立坑内の階段を途中まで降りていくことなどができる（内容はコースによる、2020年12月現在ポンプコースは休止中）。案内は日本語のみだが、巨大水槽に水が貯まる様子を疑似体験できるアプリや外国人観光客に対応した多言語の音声ガイドアプリも用意されている。中田英寿も過去に海外からの友人をサプライズで連れてきたことがあるとか。この地下放水路が周辺の人々の生活を守っていることはいうまでもない。<span class="swl-marker mark_yellow">機能を追求した結果、美しく神秘的な空間が生まれた。ここもまた機能美を持った空間ということができるだろう。</span></p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/12/kiji3-2.jpg" alt="" class="wp-image-27962" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/12/kiji3-2.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/12/kiji3-2-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/27957/">首都圏を洪水から守る要。世界最大の地下放水路「首都圏外郭放水路」／埼玉県春日部市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>見渡す限りの桜の里「いわき万本桜プロジェクト」志賀忠重さん／福島県いわき市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 20 Dec 2019 09:47:50 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[博物館]]></category>
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		<category><![CDATA[桜]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2019/12/fukushima6main.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>見渡す限りの桜の里へ　250年のプロジェクト 故郷の里山を9万9千本の桜でいっぱいにして、子どもたちに残そう——。いわき市で今、とてつもなく壮大な計画が進められている。その名も「いわき万本桜（まんぼんざくら）プロジェクト [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2019/12/fukushima6main.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">見渡す限りの桜の里へ　250年のプロジェクト</h2>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">故郷の里山を9万9千本の桜でいっぱいにして、子どもたちに残そう——。いわき市で今、とてつもなく壮大な計画が進められている。</span>その名も「<a href="https://www.mansaku99.com/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">いわき万本桜（まんぼんざくら）プロジェクト</a>」。世界で活躍するアーティストも名を連ねるプロジェクトの舞台を訪ねた。</p>



<p>いわきの人々の切なる思いが集まり、「いわき万本桜プロジェクト」がスタートしたのは、東日本大震災から2カ月後のことだった。活動の中心を担うのは、志賀忠重（しが・ただしげ）さん。今年、開高健ノンフィクション賞を受賞した川内有緒（かわうち・ありお）さんの「空をゆく巨人」のなかに、「いわきのすごいおっちゃん」として登場する人物だ。</p>



<p>目指す場所は、田んぼを見下ろす高台にあった。そこから先にはまるで龍のように、全長約160メートルの木の回廊が上へ上へと伸びている。入口の看板には「いわき回廊美術館」の文字。壁の展示物に見入っていた中田英寿さんが、1枚の写真の前で足を止めた。<br>「これも蔡（さい）さんの作品ですか？」志賀さんが、ええ、とうなづく。<br>「『いわきからの贈り物』という、世界各地で展示された作品です。展覧会の度に、私らいわきチームも現地に行って組み立てを手伝うんです。蔡さんは、一緒に遊びたいだけかもしれないけれどね」<br>いたずらっぽく笑うと、志賀さんは盟友・蔡國強（さい・こっきょう）さんと、ここに美術館をつくった経緯を話してくれた。</p>



<p>中国・福建（ふっけん）省出身の現代美術家、蔡國強。いわきを第二のふるさとと語り、現在はニューヨークを拠点に世界中で創作活動を続けている。今から30年前。筑波大学の留学生で、駆け出しのアーティストだった蔡さんは、いわきの画廊で個展を開くチャンスを得た。その時、志賀さんが絵を購入したのをきっかけに、ふたりは友人になる。そして、その友情は、蔡さんが世界に羽ばたいた後も続いた。<br>7年前の震災の時、蔡さんはすぐさま、いわきに駆けつけた。「万本桜プロジェクト」の話を聞き、美術館をつくろうと提案してくれた。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2019/12/fukushima201810_1.jpg" alt="" class="wp-image-25828" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2019/12/fukushima201810_1.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2019/12/fukushima201810_1-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>

<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2019/12/fukushima201810_2.jpg" alt="" class="wp-image-25829" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2019/12/fukushima201810_2.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2019/12/fukushima201810_2-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">未来の桜景色を描いていく</h2>



<p>「桜を植樹するには、元々ある木を伐採する必要があるんです。震災前は、間伐材が一反歩あたり5〜6万円で売れたんですが、震災後は、値崩れしてしまって。赤字だよと言ったら、それならその木材で建てましょうと。手入れも楽だからということで、回廊形式になりました」<br>蔡さんのスケッチをもとに、総勢400人の有志が、半年かけて建設。現在、敷地内には、4つの蔡作品が展示され、周囲には、志賀さんらボランティアが自作した屋外ステージやツリーハウス、ブランコなどが点在。現在も、カフェスペースや、図書室などを建て増し中だという。</p>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">桜は年間400〜500本を植樹しており、現在までに4000本を数える。とはいえ、まだ目標の25分の１。このペースでは、約200〜250年はかかるでしょうねと志賀さんは笑う。<br></span>「将来的にはね。目の前の田んぼを取り囲むように、桜でいっぱいにしたいと思っているんです」<br>志賀さんの指差す先を見て、「最高の景色ですね」と中田さんが言う。<br>「ずっと進化し続ける美術館というのも面白いですし、多くの人の思いが詰まった場所だけに、もっとたくさんの人に知ってもらえる仕組みを考えてみるのはどうでしょう？」<br>「田んぼが美しい場所だから、秋の収穫祭を開催したらどうでしょうか」<br>囲炉裏（いろり）を囲んで、ふたりの作戦会議は日が暮れるまで続いた。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2019/12/fukushima201810_3.jpg" alt="" class="wp-image-25830" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2019/12/fukushima201810_3.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2019/12/fukushima201810_3-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>

<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2019/12/fukushima201810_5.jpg" alt="" class="wp-image-25832" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2019/12/fukushima201810_5.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2019/12/fukushima201810_5-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>


<h3 class="wp-block-heading">参考リンク</h3>



<p>●いわき回廊美術館<br>福島県いわき市平中神谷地曾作7</p>



<p>●いわき万本桜プロジェクト<br><a href="https://www.mansaku99.com/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">https://www.mansaku99.com/home</a></p>



<p>●いわき万本桜info（X：旧twitter）<br><a href="https://twitter.com/99000_sakura" target="_blank" rel="noreferrer noopener">https://twitter.com/99000_sakura</a></p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2019/12/fukushima201810_6.jpg" alt="" class="wp-image-25833" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2019/12/fukushima201810_6.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2019/12/fukushima201810_6-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/25827/">見渡す限りの桜の里「いわき万本桜プロジェクト」志賀忠重さん／福島県いわき市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>古今東西、手仕事の美をみる 「松本民芸館」／長野県松本市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 27 Nov 2016 11:27:08 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[工芸品]]></category>
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		<category><![CDATA[コレクション]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/11/top_mingeikan.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>世界各地から蒐集されたコレクション 松本民芸館は田園地帯のなかに伝統的な日本家屋の建物があり、門をくぐると緑豊かな庭園が広がっている。昭和37年、工芸品店を営んでいた丸山太郎が創設。民藝運動の祖、柳宗悦に共鳴したことから [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/11/top_mingeikan.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">世界各地から蒐集されたコレクション</h2>



<p><a href="https://matsu-haku.com/mingei/">松本民芸館</a>は田園地帯のなかに伝統的な日本家屋の建物があり、門をくぐると緑豊かな庭園が広がっている。昭和37年、工芸品店を営んでいた丸山太郎が創設。民藝運動の祖、柳宗悦に共鳴したことから始まった。<span class="swl-marker mark_yellow">常設展では日本各地はもとより世界各地から集めた膨大なコレクションの中から、およそ800点が展示されている。「民芸館というと日本の古いものと思われるが、世界各地、新しいものも古いものもあり、それが当館の特徴の一つ」</span>と松本市立博物館館長の窪田雅之さんは話す。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/11/1_mingeikan.jpg" alt="" class="wp-image-24359" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/11/1_mingeikan.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/11/1_mingeikan-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">薄くて軽い、シンプルだけれどユニークな茶碗</h2>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">「おばあちゃんの家にあっても現代的なマンションの食卓でも溶け込むものを」というのが食器作りのこだわりだ。</span>「お茶碗は重たいのは嫌いなので、軽くて薄いものを作りたい」と西村さん。「シンプルできれい。どこでも見たことがない」と中田も優美で卓越したセンスを称えた。漆を使った茶碗は食洗機や電子レンジは不可だが、陶器の茶碗とは違って、ぶつかった時にカツカツとした音が出ない。更に漆の上に錫を蒔いて仕上げると、それは金属のような音がするのだといい、素材から発せられる「音」もまたそれぞれに特徴があって興味深い。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/11/2_mingeikan.jpg" alt="" class="wp-image-24353" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/11/2_mingeikan.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/11/2_mingeikan-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>


<h3 class="wp-block-heading">丸山氏による卵殻の作品も</h3>



<p>コレクションの中には丸山太郎の作品も残されていた。中田も好きだという卵殻を施した小物である。<span class="swl-marker mark_yellow">卵殻は卵の殻を細かく割り貼り付ける技法だ。</span>当時使われた卵や用具もそのまま展示されていた。館内には休憩所が設けられており、版画や世界各地の民芸品に囲まれて、訪れた人が一息つく憩いの場になっている。庭と建物と世界の民芸品が一体となり、小宇宙のような不思議な調和を保っていた。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/11/3_mingeikan.jpg" alt="" class="wp-image-24354" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/11/3_mingeikan.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/11/3_mingeikan-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>

<div class="swell-block-postLink">			<div class="p-blogCard -internal" data-type="type1" data-onclick="clickLink">
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						<a class="p-blogCard__title" href="https://nihonmono.jp/article/24323/">アンティーク家具の美しさ「松本民芸家具」／長野県松本市</a>
						<span class="p-blogCard__excerpt">時代を超えて愛されるアンティーク家具 1944年創業の松本市内にある老舗家具メーカーに向かう。松本民芸家具の中央民芸ショールームで、創設者の池田三四郎の孫、常務取&#8230;</span>					</div>
				</div>
			</div>
		</div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/24344/">古今東西、手仕事の美をみる 「松本民芸館」／長野県松本市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<item>
		<title>江戸時代の建物。奈良井宿の町屋づくりを今に残す「元櫛問屋 中村邸」／長野県塩尻市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/24196/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 14 Nov 2016 09:56:57 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[奈良井宿]]></category>
		<category><![CDATA[元櫛問屋中村邸]]></category>
		<category><![CDATA[長野県]]></category>
		<category><![CDATA[塩尻市]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/11/top_nakamuraya.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>奈良井宿の町家づくり 中村邸は元は櫛問屋中村利兵衛の屋敷で、奈良井宿の典型的な町屋づくりを今に伝えている。旧楢川村有形文化財として一般公開されており、建物の二階では当時の漆櫛や資料も展示されている。邸内は整然とととのえら [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/11/top_nakamuraya.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">奈良井宿の町家づくり</h2>



<p><a href="https://www.naraijuku.com/shop/post-51/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">中村邸</a>は元は櫛問屋中村利兵衛の屋敷で、<a href="https://www.naraijuku.com/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">奈良井宿</a>の典型的な町屋づくりを今に伝えている。旧楢川村有形文化財として一般公開されており、建物の二階では当時の漆櫛や資料も展示されている。邸内は整然とととのえられており、間口の高い天井が大きな開放感をもたらすつくりだ。案内人の方より、<span class="swl-marker mark_yellow">およそ180年前、江戸の終わり頃の建物</span>だと聞き、感嘆する中田。広々とした邸内を見渡しながら、昔の人々の暮らしに思いを馳せた。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/11/1_nakamuraya.jpg" alt="" class="wp-image-24205" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/11/1_nakamuraya.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/11/1_nakamuraya-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">中村邸の茶室</h2>



<p>室内にある箱階段を上ると小さな茶室がある。中田は座って障子戸を開き、外を眺めて、「ここで人々の往来を見るのも楽しい」と話した。茶室の上部にある戸棚には戸袋があり、きれいな絵柄が描かれている。この戸袋は下方に向いて、斜めになっており、立った状態では傾いているように見える。これはお茶をいただく時など座った姿勢で、絵柄が正面に見えるようにするためなのだという。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/11/2_nakamuraya.jpg" alt="" class="wp-image-24206" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/11/2_nakamuraya.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/11/2_nakamuraya-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">中村邸の潜り戸と猿頭の防犯対策</h2>



<p>屋外に出て中村邸の外観を見る。小屋根のようになった庇（ひさし）には、猿の頭の形状に加工した木製の猿頭（さるがしら）が使われている。<span class="swl-marker mark_yellow">屋根板を並べて、下から釘を打つというつくり方は、泥棒が乗りかかった時に壊れやすくするための工夫だという。</span>中山道でもここでしか見られない貴重なものだ。もう一つの防犯対策として挙げられるのは、やはり潜り戸になっている小さな戸口。寒い地域なので、出入りするときに寒い風が入らないようにするという寒さ対策でもある。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/11/3_nakamuraya.jpg" alt="" class="wp-image-24207" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/11/3_nakamuraya.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/11/3_nakamuraya-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/24196/">江戸時代の建物。奈良井宿の町屋づくりを今に残す「元櫛問屋 中村邸」／長野県塩尻市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<item>
		<title>沖縄の人に愛される壺屋焼 「那覇市／壺屋やちむん通り」</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/22596/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 05 Jul 2016 14:20:06 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[壺屋やちむん通り]]></category>
		<guid isPermaLink="false">http://nihonmono.jp/?p=22596</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/06/top_yachimundori.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>壺屋焼を扱う焼き物通り 国際通り近くにある壺屋やちむん通りを散策。やちむんは沖縄の方言で焼き物の意味だ。「沖縄の焼き物はちゃんと見たことがない」と中田。通りには伝統的なやちむんはもちろん、現代的にアレンジしたものを扱うと [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/22596/">沖縄の人に愛される壺屋焼 「那覇市／壺屋やちむん通り」</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/06/top_yachimundori.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">壺屋焼を扱う焼き物通り</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/image-13.png" alt="" class="wp-image-40295" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/image-13.png 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/image-13-300x200.png 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>


<p>国際通り近くにある壺屋やちむん通りを散策。やちむんは沖縄の方言で焼き物の意味だ。「沖縄の焼き物はちゃんと見たことがない」と中田。通りには伝統的なやちむんはもちろん、現代的にアレンジしたものを扱うところまで数多くのお店が軒を連ねている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">沖縄にしかない焼き物たち</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="360" height="213" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/image-14.png" alt="" class="wp-image-40296" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/image-14.png 360w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/image-14-300x178.png 300w" sizes="(max-width: 360px) 100vw, 360px" /></figure></div>


<p>しばらく歩くと、生い茂った樹木の中に南窯（ふえーぬかま）があった。南窯は首里王府の拝領窯と伝えられ沖縄県文化財指定となっている。窯は登り窯で、斜面等の地形で燃焼ガスの対流を利用するように工夫されたものだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">壺屋焼窯元 育陶園での再会</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/image-15.png" alt="" class="wp-image-40297" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/image-15.png 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/image-15-300x200.png 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>


<p>壺屋焼窯元の育陶園に立ち寄る。陶工職人の高江洲忠さんは那覇市壺屋に根を張る6代目で、壺屋焼やちむんを作り続けている。「ブルーやグリーン、茶色といった配色が沖縄らしい」と中田。高江さんは飛び鉋で皿の周りに削り柄をつける作業を見せてくれた。飛び鉋は、薄く反発性のよい刃先の鉋で連続した削り目をつける作業で、間近で見た中田から感嘆の声が出る。あっという間に魚の絵付けも終わり、壺屋やちむんが一つ出来上がった。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/22596/">沖縄の人に愛される壺屋焼 「那覇市／壺屋やちむん通り」</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>著名な彫刻家イサム・ノグチの集大成「モエレ沼公園」／北海道札幌市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 17 Jun 2016 07:11:07 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[モエレ沼公園]]></category>
		<category><![CDATA[イサム・ノグチ]]></category>
		<category><![CDATA[アート]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/06/top_-moerenumapark.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>アートと自然が整然と配された総合公園 札幌市内にあるモエレ沼公園は、世界的に著名な彫刻家イサム・ノグチが設計した総合公園だ。ガラスのピラミッド ”HIDAMARI“を中心に、モエレ山、プレイマウンテンなどを配して、イサム [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/22519/">著名な彫刻家イサム・ノグチの集大成「モエレ沼公園」／北海道札幌市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/06/top_-moerenumapark.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">アートと自然が整然と配された総合公園</h2>



<p>札幌市内にある<a href="https://moerenumapark.jp/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">モエレ沼公園</a>は、世界的に著名な彫刻家<a href="https://moerenumapark.jp/isamu_noguchi/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">イサム・ノグチ</a>が設計した総合公園だ。ガラスのピラミッド ”HIDAMARI“を中心に、モエレ山、プレイマウンテンなどを配して、イサム・ノグチがデザインした遊具126基も備えられている。<span class="swl-marker mark_yellow">コンセプトは「全体をひとつの彫刻作品とする」ということ。これら３つの施設は公園の中央にちょうど三角形になるように配置されており、高さを揃え視点が定まるようになっている。</span>イサム・ノグチのファンだという中田は、ギャラリーや自然とアートが融合した美しい景観を時間をかけて散策してまわった。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="213" height="320" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/06/1_-moerenumapark.jpg" alt="" class="wp-image-22523" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/06/1_-moerenumapark.jpg 213w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/06/1_-moerenumapark-199x300.jpg 199w" sizes="(max-width: 213px) 100vw, 213px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">意思を引き継ぎ完成した最後の作品</h2>



<p>彫刻の枠を超えて、数々のランドスケープ・デザインに携わっていたイサム・ノグチが札幌の公園を手掛けたのは、ある偶然の機会によってだった。<span class="swl-marker mark_yellow">知人を通して、「札幌は広大な土地がある」と市の緑化構想を聞き、たった3ヵ月で来日を果たした。その時、83歳の彼は、設計が完了した数ヵ月後に息を引き取る。</span>亡くなった後、「そのままのスケールと配置で」という条件のもと、その意思を引き継ぎ、彼の構想は着工に移された。本来は10年の予定だったが、従来にない方法が求められたため、完成には17年の月日を要した。「モエレ沼公園」はイサム・ノグチの最後の作品であり、集大成である。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/06/2_-moerenumapark.jpg" alt="" class="wp-image-22525" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/06/2_-moerenumapark.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/06/2_-moerenumapark-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/22519/">著名な彫刻家イサム・ノグチの集大成「モエレ沼公園」／北海道札幌市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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