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	<title>おでかけ用第一階層（チェックNG） - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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		<title>和歌山の梅を、酒と健康の価値へ。「中野BC」90余年の探究／和歌山県海南市</title>
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		<pubDate>Mon, 17 Aug 2026 08:39:07 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/a7977f16a8ed83312134823d1b216c60.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>熊野三山（くまのさんざん）への参詣道として、多くの人が歩いた熊野古道。そのうち、和歌山を南へたどる「紀伊路（きいじ）」は、海南市にある藤白（ふじしろ）地区を通っている。 近くには、旅人が道中で参拝した「熊野九十九王子（く [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/a7977f16a8ed83312134823d1b216c60.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>熊野三山（くまのさんざん）への参詣道として、多くの人が歩いた熊野古道。そのうち、和歌山を南へたどる「紀伊路（きいじ）」は、海南市にある藤白（ふじしろ）地区を通っている。 近くには、旅人が道中で参拝した「熊野九十九王子（くじゅうくおうじ）」のひとつで、特に格式が高いとされた藤白王子の旧跡･藤白神社があり、その境内には、全国の「鈴木さん」のルーツとされる鈴木屋敷が残る。熊野から移り住んだ鈴木一族は、この地を拠点に熊野信仰を全国へ広めたと伝わり、藤白は古くから人や文化が行き交う場所だった。そんな藤白に居を構え、わずか3代で和歌山県トップクラスの生産量へと成長した酒造会社「中野BC」がある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">酒蔵への夢から始まった、挑戦の歴史</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d70e7cef71d3224f35e01531fec77151.jpg" alt="" class="wp-image-55141" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d70e7cef71d3224f35e01531fec77151.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d70e7cef71d3224f35e01531fec77151-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d70e7cef71d3224f35e01531fec77151-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>中野BCの創業は1932年にさかのぼる。代表取締役社長･中野幸治さんの祖父は酒造りへの夢を抱いていたが、当時、酒蔵を始めるには酒造免許の取得に加え、多額の資金が必要だった。そこでまず、「中野醤油店」として醤油造りを始め、事業の礎を築きながら、酒造りに乗り出す時を待った。</p>



<p>「祖父は酒造りへの憧れを胸に抱きながら、まずは醤油事業で足元を固めたそうです」と、中野さんは、簡単にはかなわなかった祖父の夢と、そのために重ねた歳月を静かに振り返る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">時代に寄り添う酒造り</h3>



<p>創業から17年を経た1949年、醤油事業を通じて酒造りに乗り出す基盤が整い、念願の酒造業へと踏み出した。最初に手がけたのは焼酎。日本を象徴する富士山と、蔵を構える海南市藤白（ふじしろ）の名を重ね、「富士白（ふじしろ）」と名付けた。醤油造りで事業の礎を築きながら、長年待ち続けた創業者の夢が、ようやく形になった。</p>



<p>それから9年後の1958年には、日本酒造りへの参入に伴い、「中野酒造」へ社名を変更。今日まで親しまれている銘柄「長久（ちょうきゅう）」が誕生した。県内で62番目の造り酒屋という後発の蔵で、 当初は販売に苦戦したという。それでも、日々の食卓で親しまれる酒を目指し、品質に磨きをかけながら地道にものづくりを重ねてきた。</p>



<p>受け継がれてきた酒造りも、時代とともにその姿を変えている。現在の日本酒が目指すのは、しっかりとしたうま味がありながら、口の中ですっとほどけるような軽やかさ。料理の味を引き立て、飲み進めても重さを感じさせない酒へと、時代の嗜好（しこう）に寄り添いながら酒質を磨き続けている。</p>



<p>やがて、酒造りの領域は梅酒へと広がり、発酵や抽出などの技術を生かした健康食品の開発にも着手した。酒造会社として積み重ねてきた知識を、酒だけにとどめず、新たな分野へと展開していったのである。</p>



<p>その姿勢を社名にも表したのが、2002年の「中野酒造」から「中野BC」への変更だった。「BC」は、「生化学の創造」を意味する「バイオケミカルクリエーション」に由来する。酒類と健康食品の両分野で研究開発を進め、和歌山の素材が持つ力を引き出し、新たな価値へとつなげていく。そこには、創業以来受け継がれてきた探究の精神が込められている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">年間1000ｔ以上の梅と向き合う</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/3a87169e1ca1ce4e887770c1a3e02fa1.jpg" alt="" class="wp-image-55142" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/3a87169e1ca1ce4e887770c1a3e02fa1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/3a87169e1ca1ce4e887770c1a3e02fa1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/3a87169e1ca1ce4e887770c1a3e02fa1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>醤油醸造から酒造りへと歩みを進めた中野BCが、紀州の梅を原料とする梅酒の製造を始めたのは1979年。現在では、梅酒や梅エキス、梅果汁などの梅関連商品が、収益を支える大きな柱となっている。 毎年1000ｔ以上の梅を仕入れ、用途や品種、収穫時期に応じて加工しているという。&nbsp;</p>



<p>品質を磨き続け、1990年には梅酒が世界的な品質審査「モンドセレクション」で金賞を受賞した。&nbsp;</p>



<h3 class="wp-block-heading">収穫の時期で変わる、梅の香りと味わい </h3>



<p>梅酒蔵に足を踏み入れると、目の前に現れるのは、40基を超える巨大なタンク。中では、梅の香りや酸味が酒へとゆっくり溶け込み、時間を味方につけながら、ひとつの味わいへと育っていく。</p>



<p>同じ品種の梅でも、収穫する時期によって香りや酸味、果実の状態は異なるという。</p>



<p>青さが残る早い時期の梅は、爽やかで若々しい香りを生む。一方、太陽を浴びて紅色に染まった梅は、より華やかで豊かな香りを持つ。中野さんは「造りたい梅酒の味わいを思い描き、それに合ったタイミングで収穫された実を選ぶことが重要だ」と話す。</p>



<p>さらに、理想の味わいだけでなく色も表現するために梅の品種も使い分ける。梅の生産量日本一を誇る和歌山県の梅の中でもとりわけ名が知れた「南高梅」だけに頼らない。梅とスモモを交配して作られ、果肉まで赤く色づく「露茜（つゆあかね）」や、果皮が鮮やかな紅紫色をした小梅「パープルクイーン」など品種ごとの特性を追究 。品種や熟成年数の異なる原酒を、ワインのブレンドのように組み合わせる「アッサンブラージュ梅酒」 の開発にも取り組んでいる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">梅の個性を引き出す、時間と技術 </h3>



<p>基本となる梅酒は、梅、砂糖、ホワイトリカーをタンクに入れて仕込む。</p>



<p>仕込みから半年ほどたったところで梅の実を取り出し、さらに時間をかけて熟成。梅に由来するえぐみが落ち着き、香りや酸味、甘みが調和した梅酒へと育てていく。中には10年以上熟成させた原酒も保管されているそうだ。</p>



<p>梅酒は甘い酒という印象を持たれやすい。しかし、ただ甘くするだけでは飲み飽きてしまう。甘みを支える酸味や、後味を引き締める要素をどのように設計するか。そのバランスに、造り手の経験と技術が表れる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">家庭の味から、世界へ広がる梅酒 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d38a8793da1d2cb5f1bf05795f2cb4b4.jpg" alt="" class="wp-image-55143" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d38a8793da1d2cb5f1bf05795f2cb4b4.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d38a8793da1d2cb5f1bf05795f2cb4b4-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d38a8793da1d2cb5f1bf05795f2cb4b4-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>梅の産地･和歌山では、収穫した梅を家庭で漬ける習慣が根付き、梅酒は長く「家で造るもの」として親しまれてきた。そのため、梅、砂糖、ホワイトリカーで仕込むだけでは自家製との違いを打ち出しにくく、商品として定着させるのは容易ではなかったという。</p>



<p>そこで中野BCは、赤じそや緑茶、果物を組み合わせるなど、家庭では造りにくい味わいを追求。2000年前後には健康志向の高まりを背景に、梅酒が女性を中心に注目されるようになり、日本酒やウイスキーをベースにしたもの、果汁を加えたものなど、楽しみ方も大きく広がっていった。</p>



<p>現在、中野BCが手がける梅酒は約30種類。梅の品種や熟成年数の違いを生かした本格梅酒から、レモンや緑茶などを合わせた親しみやすい商品まで、多彩な味わいを展開している。</p>



<p>その梅酒は、いまや海外事業を支える中心的な存在だ。中国や台湾、香港、韓国をはじめ、タイ、シンガポール、アメリカ、フランス、イタリア、ドイツなど約30カ国へ輸出。梅になじみのあるアジアだけでなく、リキュール文化が根付く欧米でも受け入れられている。</p>



<p>各家庭で育まれてきた梅酒は、造り手の工夫によって商品としての個性を備え、海外で「UMESHU」と呼ばれ、親しまれる存在へ 。和歌山の暮らしに根付いた一杯が、海を越え、新たな飲み手との出会いを広げている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本庭園と酒蔵がつなぐ、ものづくりと観光 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/59f8c19f0832350ce5387febfaaefcc5.jpg" alt="" class="wp-image-55144" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/59f8c19f0832350ce5387febfaaefcc5.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/59f8c19f0832350ce5387febfaaefcc5-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/59f8c19f0832350ce5387febfaaefcc5-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>約1万坪の敷地のうち、半分ほどを占める広大な日本庭園。庭園内にある池は、もともと焼酎を蒸留する際の冷却水を確保するために造られたものだった。その後、酒蔵を訪れる人を迎える場として整備され、現在は錦鯉や白鳥が泳ぐ、緑豊かな風景が広がっている。</p>



<p>池の広さは約3000坪。庭園は創業者自らが手を入れ、長い年月をかけて形づくってきたという。酒造りに欠かせない水を支えた池が、今では酒蔵の歴史と和歌山の豊かな自然を伝える場所となっている。</p>



<p>中野BCは、以前から酒蔵見学などの観光事業にも力を入れてきた。製造現場を開き、酒造りの歴史や技術を伝えることは、訪れる人に楽しんでもらうだけでなく、働くスタッフの意識を高めることにもつながっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">酒蔵を、地域と人が集まる開かれた場所へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/e614da490e2b5107900a5448d31250ce.jpg" alt="" class="wp-image-55145" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/e614da490e2b5107900a5448d31250ce.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/e614da490e2b5107900a5448d31250ce-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/e614da490e2b5107900a5448d31250ce-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p> 2026年4月、中野BCは直営店「長久庵（ちょうきゅうあん）」を、本社向かいに移設し、リニューアルオープンした。以前の売店は酒蔵の敷地内にあり、初めて訪れる人にとっては、少し足を踏み入れにくい場所だったという。</p>



<p>新たな「長久庵」には、日本酒や梅酒、健康食品をはじめ、直営店ならではの商品が並ぶ。試飲を楽しめるコーナーに加え、同じ海南市にある黒沢牧場が手がけたジェラートも登場。牧場のミルクを生かした「ミルク」のほか、梅やまりひめ、三宝柑、ほうじ茶など、和歌山の素材を取り入れた味わいがそろい、酒を飲まない人や子ども連れの家族も楽しめる。</p>



<p>酒を買うためだけの売店から、地域の人や観光客が気軽に立ち寄り、中野BCのものづくりや和歌山の味に触れられる場所へ。酒蔵と人との距離を近づける、新たな入り口が生まれている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自分の手で仕込み、梅の変化を楽しむ </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/fc7e63062e0b0d363f9cd6b3361c581a.jpg" alt="" class="wp-image-55146" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/fc7e63062e0b0d363f9cd6b3361c581a.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/fc7e63062e0b0d363f9cd6b3361c581a-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/fc7e63062e0b0d363f9cd6b3361c581a-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「長久庵」に隣接する梅酒づくり体験施設では、 自分だけの一瓶を仕込む体験も行っている。</p>



<p>まずはボトルを消毒し、梅を一粒ずつ丁寧に拭いて、竹串でヘタを取り除く。下ごしらえを終えた梅と氷砂糖を瓶に重ね、最後にホワイトリカーを注げば、仕込みは完了。</p>



<p>ひとつひとつの作業はシンプルだが、瓶の中では、仕込んだ直後から目に見えない変化が始まる。 砂糖は甘みを加えるだけでなく、浸透圧によって梅に秘められた香りや酸味を引き出す役割も担うとのこと。</p>



<p>使う砂糖の量や種類によって、出来上がる梅酒の表情もさまざま。氷砂糖なら澄んだ甘みに、てんさい糖ならやわらかな風味に、蜂蜜を使えば、ふくよかなコクが加わる。半年後の味わいを思い描きながら仕込む時間もまた、梅酒造りの楽しみだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">味を思い描きながら </h3>



<p>仕込んだ梅酒は自宅へ持ち帰り、最初の約3カ月は瓶を時々上下に返して、砂糖と梅をゆっくりとなじませていく。その後、さらに約3カ月寝かせると、待ちに待った飲み頃に。</p>



<p>瓶の中では、氷砂糖が少しずつ溶け、透明だった液体がゆるやかに琥珀色へと変わっていく。その移ろいを見守る時間も、自分で仕込んだからこそ味わえる楽しみのひとつだ。</p>



<p>酒蔵で育つ一本にも、家庭で漬ける一瓶にも、流れる時間は同じ。梅の香りや酸味をじっくりと引き出し、ひとつの味わいへと育てていく。そこには、昔から受け継がれてきた梅酒造りの知恵が息づいている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">酒造りの技術と研究を、新たな価値へ </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/124428d7dc3f55c707eb2b56a62c8ebf.jpg" alt="" class="wp-image-55150" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/124428d7dc3f55c707eb2b56a62c8ebf.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/124428d7dc3f55c707eb2b56a62c8ebf-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/124428d7dc3f55c707eb2b56a62c8ebf-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>酒造りを通して磨いてきた技術は、酒だけに生かされているわけではない。中野BCでは、発酵や抽出、培養に関する知識を応用し、健康食品や香りを生かした商品へと事業の幅を広げている。&nbsp;</p>



<p>一見すると、それぞれ異なる分野のように見える。しかし、根底にあるのは、素材を丁寧に見つめ、研究を重ねながら、その中に眠る力を引き出そうとする姿勢だ。</p>



<p>掲げる社是は、「衆智を持って常に創造せよ」。社員一人ひとりが持つ知恵や経験を集め、新しい商品や技術、価値を生み出していく。その言葉を体現するように、酒蔵で培われた技術は、和歌山の素材を生かす新たなものづくりへとつながっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">和歌山の恵みを、酒と香りに </h3>



<p>梅だけではない。ミカンや山椒（サンショウ）、ジャバラ、スギ、ヒノキなど、和歌山には土地の風土を映す多彩な素材がある。</p>



<p>中野BCでは、それぞれの香りや味わいを酒に生かしてきた。そのひとつが、富士白蒸留所のクラフトジンだ。「槙‐KOZUE‐」にはコウヤマキを中心に、温州ミカンやレモンの皮、山椒の種を使用。「香立‐KODACHI‐」には、紀州杉や紀州ヒノキ、かんきつの皮、山椒の種などを組み合わせている。温州ミカンと山椒はいずれも、和歌山県が生産量全国一を誇る特産物。紀州杉や紀州ヒノキも、山林に恵まれた和歌山の風土を映す素材だ。 森を思わせる香りに、かんきつの爽やかさや、山椒がもたらす後味の切れを重ね、和歌山の風景を一杯の中に表現している。</p>



<p>酒だけでなく、素材から香りの成分を取り出す技術を生かし、山椒などを使ったアロマオイルの開発にも取り組む。酒では味わいと香りを、アロマでは空間に広がる香りを。それぞれ用途は異なっても、植物の個性を丁寧に引き出す姿勢は共通している。 立ち上る香りまで丁寧に見つめる姿勢は、酒造りにも健康食品にも通じている。</p>



<p>ただ「和歌山産だから」という理由で使うのではない。苦みや渋み、酸味、香りの強さまでを分析し、どのように組み合わせれば素材の魅力が最も引き立つのかを探る。そこには、地域の恵みを研究し、新たな価値へと導く、中野BCならではのまなざしがある。</p>



<h3 class="wp-block-heading">食卓に寄り添い、和歌山を映す日本酒 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d75a9d341e94412e0ffb3e26a08a4f13.jpg" alt="" class="wp-image-55148" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d75a9d341e94412e0ffb3e26a08a4f13.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d75a9d341e94412e0ffb3e26a08a4f13-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d75a9d341e94412e0ffb3e26a08a4f13-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>中野BCの日本酒を代表するのが、「長久（ちょうきゅう）」「超久（ちょうきゅう）」「紀伊国屋文左衛門（きのくにやぶんざえもん）」だ。</p>



<p>「長久」は、「長く久しく愛される酒に」との願いを込めた銘柄。日々の食卓に寄り添う酒として、長年親しまれてきた。その名を受け継ぐ「超久」は、先代を超える技術で、より質の高い酒を目指そうという思いから生まれた特定名称酒のシリーズだ。読みは同じでも、「長」を「超」に替え、酒造りへの新たな志を表している。</p>



<p>「紀伊国屋文左衛門」は、和歌山ゆかりの豪商の名を冠した銘柄。江戸へミカンを運んだと伝わる人物の物語を重ね、和歌山らしさを日本酒で表現している。</p>



<p>かつては甘みと厚みを感じさせる酒が中心だったが、時代とともに酒質も変化してきた。米のうま味やふくらみを残しながら、口の中ですっと消えるような軽やかさを追求。料理の味を引き立て、次の一口へとつながる食中酒を目指してきた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">酒蔵の枠を越え、和歌山の素材を未来へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/a0592b4d1a83701d74a1c341aefa85cb.jpg" alt="" class="wp-image-55149" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/a0592b4d1a83701d74a1c341aefa85cb.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/a0592b4d1a83701d74a1c341aefa85cb-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/a0592b4d1a83701d74a1c341aefa85cb-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>国内では、日本酒や梅酒の市場が伸び悩み、異常気象による梅の不作も続く。原料を安定して確保し、品質を守りながら、次の世代に選ばれる商品を生み出す。中野BCが向き合う課題は、決して少なくない。</p>



<p>それでも、挑戦は止まらない。熟成やブレンドによって梅酒の新たな味わいを探り、和歌山から海外へ届ける。さらに、酒造りで培った知識と技術を健康分野や新たな素材へ広げ、地域の恵みに、これまでになかった価値を重ねていく。</p>



<p>土地から受け取った素材を、造り手の知恵と技術で磨き、次の時代へと手渡す。醤油造りに始まり、酒、健康食品、香りの分野へと可能性を広げてきた中野BC。その根底にあるのは、地域の素材を見つめ、まだ知られていない力を引き出そうとする姿勢だ。</p>



<p>素材の特徴を知り、工程を読み、何度も試しながら、目指す味や香りを組み立てていく。手掛ける分野は幅広くても、どれも中途半端にはしない。そこに共通するのは、「もっと知りたい」という好奇心と、思い描いたものを形にする技術である。</p>



<p>和歌山の素材に、まだどんな味や香りが眠っているのか。その答えを探し、形にしていくことこそが、中野BCらしいものづくりなのだ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55135/">和歌山の梅を、酒と健康の価値へ。「中野BC」90余年の探究／和歌山県海南市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>より良い暮らしのため、民藝の器づくりを実直に「出西窯」／島根県出雲市斐川町</title>
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		<pubDate>Mon, 17 Aug 2026 08:21:32 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[民藝]]></category>
		<category><![CDATA[縁鉄砂呉須釉皿]]></category>
		<category><![CDATA[ウェットハンドル技法]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
		<category><![CDATA[登り窯]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02118__H6A1961.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日常の道具の中に美を見出す「民藝（みんげい）」。その教えを直接受け継ぎ、今も器づくりを続けているのが島根県にある出西窯（しゅっさいがま）だ。ここで生まれる器には、窯名や作り手の名前が記されていない。それでも人々に選ばれ続 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02118__H6A1961.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日常の道具の中に美を見出す「民藝（みんげい）」。その教えを直接受け継ぎ、今も器づくりを続けているのが島根県にある出西窯（しゅっさいがま）だ。ここで生まれる器には、窯名や作り手の名前が記されていない。それでも人々に選ばれ続け、70年以上も作り続けられてきたのはなぜだろうか。その背景には、器そのものだけでなく、時代の変化に応じて暮らしの在り方まで提案してきた点にある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ライフスタイルから提案する窯元･出西窯</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02093__H6A1783.jpg" alt="" class="wp-image-55126" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02093__H6A1783.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02093__H6A1783-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02093__H6A1783-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>島根県東部、出雲平野の田園風景が広がる出雲市斐川町（ひいかわちょう）に、暮らし全般を発信する複合施設「出西 くらしのvillage」がある。敷地内には器の店やセレクトショップ、ベーカリーカフェが揃い、足を踏み入れると商品がずらりと並ぶ店内へと自然と引き込まれていく。</p>



<p>運営するのは民藝運動の精神を受け継ぐ窯元･出西窯。</p>



<p>「地域の方に楽しんでもらえる場をつくりたかったんです。器を使ってもらったり、洋服を手に取ったり、パンを選んだり。暮らしそのものを体験できる場所にしたくて」と振り返るのは出西窯の代表･多々納 真（たたの しん）さん。たとえば冬のグラタン皿は、実際に使ってみて初めて良さが伝わることも多い。“いいね”となり、そのまま購入につながることは少なくないという。</p>



<p>ここでは、暮らしの中でどう使われるかまで含めて商品提案がなされている。こうした考え方の背景には、戦後に出合った考え方に端を発している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">始まりは戦後。地元で生きる道を模索して築いた共同窯</h2>



<p>出西窯の始まりは1948年。戦時中は物資が乏しく、“贅沢は敵”とされる中で、生活の中の“美しさ”は後回しにされてきた。そうした時代を経て、美しいものをつくりたいと、5人の若者が器づくりに取り組むことに。彼らは幼なじみで、いずれも農家の次男･三男。家業を継がない立場として自分たちの生きる道を模索するなかで、生活も支え合える“共同体”として窯を築く道を選んだ。</p>



<p>創業当初に目指していたのは、美術的価値の高い焼き物だった。しかし1949年、松江市在住の工芸家・金津 滋（かなつ しげる）氏から、“あなたたちには何も志がないみたいだ”と厳しい指摘を受ける。そしてこのとき、金津氏から手渡されたのが、民藝運動の父と呼ばれる柳 宗悦（やなぎ むねよし）の著書『私の念願』だった。自分たちの器づくりを見つめ直す中でこの本を読み込み、その思想に深く感銘を受けた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">民藝運動の牽引者･河井寛次郎との出会い</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02109__H6A1894.jpg" alt="" class="wp-image-55127" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02109__H6A1894.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02109__H6A1894-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02109__H6A1894-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>当時、日本では民藝運動が広がり始めていた。機械化や西洋化が進む中で、手仕事の価値や、暮らしの道具に宿る美しさを見直そうという考え方である。　</p>



<p>そうした民藝の考え方に共鳴した創業メンバーは1950年に京都へ赴き、民藝運動の中心的推進者の一人である河井 寛次郎氏を訪ねた。その後、河井氏は出西窯に足を運び、“毎日の生活道具を徹底的につくりなさい。人に喜ばれるものをつくりなさい”という考えを示し、日々使われる生活道具をつくることの大切さを伝えた。</p>



<p>さらにバーナード･リーチ氏らも、指導にあたった。リーチ氏はウェットハンドル技法と呼ばれる把手付けの技術や、洋食器づくりを伝えた。こうして出西窯は、実用の中に美を見出す「民藝」の思想を軸に据え、歩み始めた。やがて使い心地の良さが評判を呼び、次第に人々の暮らしの中へ広がっていった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">名を刻まない器に宿る価値</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02106__H6A1880.jpg" alt="" class="wp-image-55128" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02106__H6A1880.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02106__H6A1880-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02106__H6A1880-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>出西窯では商品に窯名や作者の名前を記すことはない。それは、民藝の思想に基づき、個人の名声ではなく、名もなき手仕事の積み重ねに価値があると考えているからだ。</p>



<p>1989年、出西窯は第10回日本陶芸展で優秀作品賞を受賞した。国内最大規模の陶芸公募展であり、その評価は出西窯が追求してきた用の美が認められた瞬間でもあった。</p>



<p>受賞作品・縁鉄砂呉須釉皿（ふちてっさごすゆうざら）の人気は高まり、深い青の色合いはやがて出西ブルーと呼ばれるようになる。</p>



<p>しかし、実際に賞を受けたあとも、特定の作者を前に出すことはせず、共同体としてのものづくりを続けてきた。誰か一人の作品ではなく、窯全体で生み出すものとして器を届ける。その姿勢こそが、創業時から変わらない出西窯の在り方だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日常を良くするものを手仕事で</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02166__H6A2101.jpg" alt="" class="wp-image-55129" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02166__H6A2101.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02166__H6A2101-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02166__H6A2101-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>こうして受け継がれてきた民藝の思想は、今なお息づいている。創業80年を目前に控え、職人は16人に増えた。出西窯の器には、土の質感や豊かな色合いがそのまま生きており、手に取ると形･重みがしっくりと馴染む。実用的でありながら、使うほどに愛着が深まるイメージが自然と湧いてくる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">登り窯がつくる、唯一無二の風合い</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02147__H6A2050.jpg" alt="" class="wp-image-55130" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02147__H6A2050.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02147__H6A2050-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02147__H6A2050-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>器の焼き上げには、伝統的な登り窯と現代的な灯油窯･電気窯を使い分けている。なかでも登り窯は、年に3〜4回だけ使われる特別な存在だ。登り窯は、斜面に沿って連なる薪窯で、炎の流れや灰のかかり方によって、器一つひとつに異なる表情が生まれる。だがその分、職人は数日間つきっきりで炎と向き合う必要があり、手間も負担も大きいため、使う窯元は少なくなっている。</p>



<p>「伝統をつなぐことと、炎をコントロールして窯を焚く技術を身につけるためにやっています。器づくりは、粘土から器への変化を覚えることが大事なんです」と多々納さん。窯内の温度が1,200〜1,300度になるとオレンジ色の光に包まれ、まるで神様がいるような幻想的な光景になるという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">使い手に誠実に、暮らし方の提案を多方面から</h2>



<p>1998年には、敷地内に展示販売場くらしの陶・無自性館を設けたことで、窯元に足を運ぶ人が徐々に増えた。器を売るだけでなく、暮らしの中で役立つ道具を届けるという考え方は、こうした場づくりにも受け継がれている。　</p>



<h3 class="wp-block-heading">創業時のデザインを受け継ぎ、新たな可能性も探求</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02102__H6A1868.jpg" alt="" class="wp-image-55131" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02102__H6A1868.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02102__H6A1868-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02102__H6A1868-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>食器を中心に、花器や酒器など幅広い商品を手がける出西窯。なかでも人気は、バーナード･リーチ氏の指導のもとで生まれたモーニングカップだ。100年、200年経っても変わらないものをつくりなさいという教えのもと、70年以上つくり続けている定番である。年間3,000〜4,000個を製作し、すぐに使い手のもとへと渡っていく。</p>



<p>一方で、新しい器づくりにも積極的だ。複数の職人がいる強みを生かし、それぞれが“使い手にとって何が良いか”を考え、形にしている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">実用性をひたすらに追い求めて</h3>



<p>コロナ禍には、キャットボウルという新たな商品が生まれた。食べやすさや飲みやすさを追求し、食事中に猫のヒゲが当たらず、吐き戻しが起きにくい高さと形状を実現。猫にも飼い主にもやさしい器として支持を集めた。使い手に徹するのが我々の流儀で、お役立ていただける確信がありました、と開発者は迷いのない瞳で語る。今後は、障がい者や子どもなど、多様な使い手にとって使いやすい器づくりにも取り組んでいきたいという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">人々に喜ばれる器を、これからも</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02084__H6A1735.jpg" alt="" class="wp-image-55132" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02084__H6A1735.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02084__H6A1735-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02084__H6A1735-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>出西窯が目指すのは、使う人にとって心地よいかどうか。装飾や個性を競うのではなく、手に馴染み、長く使える実用性を磨き続けてきた。</p>



<p>その器は決して主張しすぎない。それでも、使うほどに良さが伝わり、気づけば食卓にあり、暮らしの中に自然と溶け込んでいく。名を掲げずとも選ばれ続けてきた理由は、そこにあるのかもしれない。</p>



<p>創業以来受け継がれてきたのは、“人に喜ばれる生活道具をつくる”という民藝の精神である。時代が変わっても、健やかで丈夫に、そして長く使い続けられる器を届ける。その思いを受け継ぎながら、出西窯はこれからも暮らしをより豊かにする器づくりを続けていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55117/">より良い暮らしのため、民藝の器づくりを実直に「出西窯」／島根県出雲市斐川町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>高瀬川のほとりで受け継がれる出雲の筒描藍染。「長田染工場」長田匡央さん／島根県出雲市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 17 Aug 2026 08:00:52 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[すくも]]></category>
		<category><![CDATA[筒描藍染]]></category>
		<category><![CDATA[藍染]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_074.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>出雲市を流れる高瀬川のほとりに、藍染の工房「長田染工場」がある。かつてこの川沿いには数十軒もの染め物屋が軒を連ねていたが、今ではその営みを受け継ぐのはこの工房のみとなった。伝統技法「筒描藍染（つつがきあいぞめ）」を守りな [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_074.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>出雲市を流れる高瀬川のほとりに、藍染の工房「長田染工場」がある。かつてこの川沿いには数十軒もの染め物屋が軒を連ねていたが、今ではその営みを受け継ぐのはこの工房のみとなった。伝統技法「筒描藍染（つつがきあいぞめ）」を守りながら、藍と向き合い続ける仕事が、今も静かに受け継がれている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">高瀬川とともに続いてきた出雲の藍染</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_055.jpg" alt="" class="wp-image-55113" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_055.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_055-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_055-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>出雲市の市街地を流れる高瀬川。その川沿いに、「長田染工場」はある。創業はおよそ130年前。現在は5代目の長田匡央さんが4代目と共に工房を守り、藍染の仕事を続けている。</p>



<p>工房の建物には長い年月の積み重ねが感じられ、作業場には染めの道具や布が並ぶ。藍染に使われるのは、島根県西部で作られた石見焼の素焼きの甕（かめ）。創業当時には四十数個の藍甕が並んでいたというが、現在残っているのは８つ。それでも当時から受け継がれてきた甕を今も使い続け、藍染が行われている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">出雲で唯一、筒描藍染を受け継ぐ工房</h3>



<p>川の水は染色の工程に欠かせず、高瀬川が流れるこの地域は染めの仕事に適した場所だった。しかし時代の変化とともに染め物の需要は減り、工房の数も次第に少なくなっていった。全国を見渡しても、伝統技法「筒描藍染」を受け継ぐ工房はわずか三、四軒ほど。そんな中、「長田染工場」は「筒描藍染」という伝統技法を創業当時から道具も技法も、大きく変わることなく受け継いでいる、全国でも数少ない工房だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">手描きの力が残る「筒描藍染」とは</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_051.jpg" alt="" class="wp-image-55104" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_051.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_051-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_051-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>&nbsp;「筒描藍染」は、生地に糊で模様を描いてから藍で染める「後染め」の技法のひとつで、染め上がった生地を水ですすぐことで糊で描かれた部分だけが白く残り、模様が浮かび上がる。同じ模様を繰り返し染められる「型染め」とは異なり、手書きならではのゆらぎとダイナミックさが特徴だ。</p>



<p>制作は、代々受け継がれてきた型紙で下絵を付けることから始まる。そこへ筒袋に入れた糊を手で絞り出しながら、線を描いていく。描き終えたあとには米ぬかを振り、糊を固める。</p>



<p>その後、生地は染めと乾燥を十数回繰り返す。藍は空気に触れて酸化することで少しずつ青く発色していくため、回数を重ねるほどに、色は濃く深くなっていく。</p>



<p>最後に目の前に流れる高瀬川で糊を丁寧に洗い落とし、生地を竹竿に広げて乾かす。もちろん、糊の材料には米粉や米ぬか、塩など自然由来のものを使用するなど、環境への配慮もなされている。こうして一枚の布が完成する。大きなものでは、仕上がりまでに三週間以上かかることもあるという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">線に宿る、筒描の繊細な手仕事</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_041.jpg" alt="" class="wp-image-55105" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_041.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_041-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_041-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>模様を描く糊は、餅米100％で作られている。描き終えたあとには米ぬかをふりかけ、染料が布に入り込まないようにする。</p>



<p>糊を均等な太さで出しながら描き続けるには、長年の経験が必要だ。少しでも力加減が変われば、線の太さが変わってしまう。</p>



<p>下書きはあるものの、その通りにただなぞるだけでは面白くない。長田さんはそう話す。「人を立ち止まらせるような、力のあるものを描きたい」その言葉からは、手描きの仕事への強い思いが伝わってくる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">出雲の暮らしに根付いていた藍染の品</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_003-1.jpg" alt="" class="wp-image-55114" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_003-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_003-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_003-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>かつて出雲の地では、藍染の布は暮らしの中で広く使われていた。とくに婚礼の際には、嫁入り道具として筒描藍染の品が用意されたという。布団や夜具、油たん、風呂敷、提灯袋、傘袋など、日常で使うさまざまな布製品が藍で染められていた。</p>



<p>布の中央には家紋が入り、四隅には鶴や亀、松竹梅などの縁起の良い図柄が描かれるのがスタンダードなデザイン。家の繁栄や夫婦の長寿を願う意味が込められていた。</p>



<p>こうした藍染の布は、暮らしの節目を彩る大切な品でもあった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">使い込むほど深まる藍の色</h3>



<p>現在では婚礼文化としての藍染はほとんど見られなくなったが、風呂敷などにはその名残が残っている。</p>



<p>藍染の布は丈夫で、虫にも強いという特徴がある。使い続けるうちに色が布に馴染み、落ち着いた風合いへと変わっていく。</p>



<p>新品のときの鮮やかな藍色も美しいが、時間とともに少しずつ色がやわらぎ、生活の中に溶け込んでいく。その変化も藍染の魅力のひとつだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">藍という生きた染料</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_037.jpg" alt="" class="wp-image-55109" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_037.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_037-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_037-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「長田染工場」の藍染の染料となるのは「すくも」と呼ばれる天然の藍だ。タデアイの葉を収穫して乾燥させ、発酵と熟成を繰り返しながら、約100日かけて作られる。</p>



<p>長田家は元々、すくもの一大産地である徳島にルーツがあり、以前は徳島産のすくもを使っていた。現在は兵庫県播磨で作られたものを使用している。播磨の藍染は古くから知られているが、かつて一度衰退し、その後約10年前に復活したという。</p>



<p>天然の藍は手間も時間もかかる染料だが、独特の深い色合いを生み出す。長田染工場では、こうした天然藍を使った染めが続けられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「藍は生きている」発酵が生む色の変化</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_030-1.jpg" alt="" class="wp-image-55110" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_030-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_030-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_030-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>藍甕の中では、微生物が働き続けている。温度や湿度によって状態が変わり、染め上がる色合いも微妙に変化する。</p>



<p>藍甕の中をのぞき込みながら、長田さんはこう話す。</p>



<p>「藍は中で生きているんです」</p>



<p>染めの仕事は、藍の状態を見ながら進められる。夏と冬では発酵の進み方も異なり、色の出方も変わるという。長田さんが特に好むのは冬の「寒染め」。冬の冷たい空気の中で染めると、色がきりっと締まり、落ち着いた藍色になるそうだ。</p>



<p>同じ工程であっても、全く同じ色にはならない。その変化を受け止めながら染めていくことが、藍染の難しさであり面白さでもある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">暮らしの中で使われ続ける藍へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_014-1.jpg" alt="" class="wp-image-55111" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_014-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_014-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_014-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>長田さんは、藍染を特別なものにしたくないと話す。<br>「もともと藍染は、生活の中で普通に使われていたものなんです」</p>



<p>その言葉の通り、工房ではストールやコースター、ブックカバーなど、現代の暮らしに取り入れやすい製品づくりにも力を入れている。かつて日常の中にあった藍を、もう一度、今の暮らしへと手渡していくような取り組みだ。</p>



<p>長田さんにとって藍染は、単なる仕事ではない。人生であり、生活そのものだ。受け継いできた技法を守るだけでなく、いまの暮らしの中で使われるかたちへと少しずつ変えていく。その積み重ねが、これから先の藍染を作っていくのだ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55093/">高瀬川のほとりで受け継がれる出雲の筒描藍染。「長田染工場」長田匡央さん／島根県出雲市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>幸せのご縁を結ぶ神社「出雲大社」／島根県出雲市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 20 Jul 2026 02:56:18 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[縁結び]]></category>
		<category><![CDATA[大しめ縄]]></category>
		<category><![CDATA[国譲り神話]]></category>
		<category><![CDATA[神在月]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01663_142A4536.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「古事記」「日本書紀」に登場する、日本を代表する古社･出雲大社。国づくりの神･大国主大神（おおくにぬしのおおかみ）を祀（まつ）るこの神社は、旧暦10月に全国の神々が集まる「神在月（かみありづき）」の地としても知られている [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54871/">幸せのご縁を結ぶ神社「出雲大社」／島根県出雲市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01663_142A4536.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「古事記」「日本書紀」に登場する、日本を代表する古社･出雲大社。国づくりの神･大国主大神（おおくにぬしのおおかみ）を祀（まつ）るこの神社は、旧暦10月に全国の神々が集まる「神在月（かみありづき）」の地としても知られている。神々が人々の「ご縁」について話し合うと伝えられるこの地には、今も年間約200万人の参拝者が訪れる。人々が足を運ぶのはなぜだろうか。</p>



<h2 class="wp-block-heading">国づくりの神話が語り継がれる、日本屈指の古社</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01540__H6A9522.jpg" alt="" class="wp-image-54877" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01540__H6A9522.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01540__H6A9522-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01540__H6A9522-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>出雲大社の起源は「国譲り（くにゆずり）神話」にさかのぼる。出雲の国を築いた大国主大神は、神々の住まう世界とされる「高天原（たかまがはら）」の天照大神（あまてらすおおみかみ）の使者から、国を譲るよう求められ、最終的にその申し出を受け入れた。その際、自らを祀るための壮大な神殿を建てることを条件として示したと伝えられている。この神殿こそが、出雲大社のはじまりだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「むすびの神」として広がった信仰</h3>



<p>出雲大社といえば、「縁結び」の神社として知られている。恋愛成就のイメージを持つ人も多いが、祀られている大国主大神は、もともと人々の暮らしを支える神として信仰されてきた存在だ。</p>



<p>「大国主大神は、農業や医療など、人々の生活そのものを支える神様なんです」と語るのは、出雲観光協会 元事務局長の小野篤彦さん。</p>



<p>生活に関わるさまざまな分野を守る神として崇められ、その信仰の広がりの中で、人と人、物事を結びつける「むすびの神」としての特性が強く意識されるようになったという。</p>



<p>境内には家族や友人、一人旅の参拝者まで、さまざまな人が行き交い、手を合わせている。恋愛だけではなく、人生の節目や新たな出会い、日々のつながりを願って足を運ぶ人も少なくない。出雲大社の「ご縁」とは、暮らしそのものに寄り添う祈りなのだろう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本最古の神社建築「大社造」の堂々たる佇まい</h2>



<p>出雲大社の本殿は、日本最古の社殿様式とされる「大社造（たいしゃづくり）」。高さ約24メートルの大規模な高床式建築で、屋根の三角形が正面から見える「切妻･妻入り」の端正な姿が特徴だ。</p>



<p>塗料や彩色を施さない「素木（しらき）造」の柱と、厚く重なる「檜皮（ひわだ）葺き」の屋根が、古代建築の力強さを今に伝えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">日本最大級の大しめ縄と、圧倒的な存在感を放つ神楽殿</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01664__H6A9996-1.jpg" alt="" class="wp-image-54879" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01664__H6A9996-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01664__H6A9996-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01664__H6A9996-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>御祈祷や結婚式、奉納などが行われる神楽殿も、出雲大社を象徴する建物の一つだ。1981年に建て替えられた際、270畳にも及ぶ大広間へと拡張。その規模にあわせて掲げられたのが、日本最大級の大しめ縄だった。</p>



<p>長さ約13.6メートル、重さ約5.2トン。拝殿のしめ縄（長さ約6.5メートル、重さ約1トン）と比べると、その規模の違いは一目瞭然だ。一般的に考えれば、メインである拝殿のしめ縄より大きいものを掲げていることに違和感を覚えるが、じつは神楽殿は、明治期に出雲大社教の神殿として本殿とは別に大国主大神を祀ったことに始まる建物で、本殿とは成り立ちが異なる。神楽殿として独立した社殿だからこそ、その規模にふさわしい大しめ縄が掲げられているのだ。実際に目の前に立つと、その巨大さは想像以上。参拝者たちは思わず足を止め、見上げながら写真を収めていく。</p>



<p>しめ縄は、神が宿る神聖な場所を示すとともに、日常の世界との境界を表す結界でもある。</p>



<h3 class="wp-block-heading">他の神社では見られないユニークな特徴</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01559__H6A9602.jpg" alt="" class="wp-image-54880" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01559__H6A9602.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01559__H6A9602-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01559__H6A9602-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>出雲大社は他の神社とは異なる独自の習わしがいくつも残っている。<br>まず神様が鎮座する「御神座（ごしんざ）」が西を向いていること。一般的な神社では、太陽が昇る「東」または陽の光が当たる「南」を向いて建てられることが多い。西向きの理由については、「西から訪れる神を迎えるため」「夕日の方向を意識した」など諸説あるが、確かな答えはない。また、しめ縄にも特徴がある。一般的な神社では左側が太くなる形で綯（な）われるが、出雲大社では「綯い始めの太い方を右」に配している。これにも明確な理由は分かっていない。こうした謎の多さもまた、出雲大社の魅力の一つといえるだろう。<br>さらに、神を祀る儀式「祭祀（さいし）」は、「出雲国造家（千家家･北島家）」が代々担い、国譲り神話に由来するこの伝統により、本殿は特別な聖域とされているのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">古代には“高さ約48メートルの巨大神殿”があった？</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01583_142A3913.jpg" alt="" class="wp-image-54881" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01583_142A3913.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01583_142A3913-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01583_142A3913-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在の本殿は1744年（江戸時代中期）に造営されたもの。だが古代には、現存建物の約2倍となる高さ約48メートルの雄大な社殿が存在したと伝えられている。それを裏付けるかのように、2000年から2001年にかけて境内から三本の巨木を束ねた直径約3メートルの柱が三カ所から出土した。巨大建築を支えるための柱だったと考えられている。</p>



<p>さらに、伝承の中には高さ約96メートルに及んだという説も残る。背後にそびえる八雲山（やくもやま）に相当する高さであり、もしそうであったなら、古代の人々が見上げた神殿は、空へと伸びる塔のようだったのかもしれない。</p>



<h2 class="wp-block-heading">次の遷宮に向け、信仰を未来へつなぐ</h2>



<p>出雲大社では、社殿の造営･修繕に伴い御神体を仮殿または新しい社殿へ移す「遷宮（せんぐう）」が約60年に一度行われる。2008年から2019年にかけて行われた「平成の大遷宮」では、本殿や摂社（せっしゃ）･末社（まっしゃ）の修造が行われ、2013年には御神体を本殿に戻す遷座祭（せんざさい）が執り行われた。約1万本の国産ヒノキを用い、広大な檜皮葺き屋根も葺き替えられた。</p>



<p>また、次の遷宮を見据え、中国山地に新たな植林も実施。使える木になるまでには100年以上かかるため、植えた人がその木を使うことはほとんどない。</p>



<p>60年という節目は、人の一生にも重なる年月。遷宮では、時代に合わせて技術や方法を変えながらも、祈りの本質を次世代へ受け継いできた。社殿が新しく生まれ変わることで、地域全体にも新たな活気がもたらされると考えられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">神の存在をふと感じる</h3>



<p>「神話とか本では、神様が人間と同じ形で描かれていますよね。でも本来は、目に見えないものを感じることなんじゃないかと思うんです」。小野さんは、平成の大遷宮で体験した出来事を振り返る。</p>



<p>2013年の遷座祭の日。激しい雨が降っていたという。ところが神事が始まると、雨はぴたりとやんだ。そして神事が終わった瞬間、再び大粒の雨が降り始めた。<br>「偶然かもしれません。でも、そういう体験をすると『ああ、何かあるのかもしれないな』と思うんですよ」。</p>



<p>出雲大社には、古くから多くの人が祈りを捧げ、信仰を受け継いできた歴史がある。境内に漂う神聖な雰囲気もまた、人々がこの場所に思いを寄せる理由の一つなのだろう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日常に感謝し、心豊かな人生を願う</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01589_142A3962.jpg" alt="" class="wp-image-54882" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01589_142A3962.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01589_142A3962-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01589_142A3962-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「出雲大社に訪れる方々が信じる宗教はさまざま。でも、根本の考え方はみんな同じなんです」と小野さんは語る。</p>



<p>神社で大切にされてきた神道（しんとう）は、長い歴史の中で仏教や儒教（じゅきょう）などの思想と関わりながら発展してきた。他宗教に寛容で、土地や人々のつながりを大切にする信仰として、今も暮らしの中に息づいている。</p>



<p>参道には厳かな空気が漂い、早朝から夕方まで手を合わせる人の姿が絶えない。</p>



<p>人と人のつながり、自然の恵み、そして今ここに生きていること。出雲大社は、そんな日常の尊さを思い出させてくれる場所なのかもしれない。</p>



<p>厳かな雰囲気の中、神殿に手を合わせると、不思議と心が落ち着く。</p>



<p>だからこそ人々はこの地を訪れ、目に見えない「ご縁」に思いを重ねながら手を合わせるのだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54871/">幸せのご縁を結ぶ神社「出雲大社」／島根県出雲市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>やんばるの自然の中で俳句のように生まれる器。「螢窯」山上學さん／沖縄県大宜味村</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 13 Jul 2026 08:37:05 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
		<category><![CDATA[やんばる焼き]]></category>
		<category><![CDATA[ギャラリーTATI]]></category>
		<category><![CDATA[いぎみてぃぐま]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-004.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「小学生の頃、土器のかけらを見つけては組み合わせていくのが楽しかったんです。それがルーツ」。そう話すのは、沖縄県大宜味村田嘉里（たかざと）で「螢窯（じんじんよう）」を営む山上學さん。日本各地を巡り、やんばるの山の麓で見つ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54769/">やんばるの自然の中で俳句のように生まれる器。「螢窯」山上學さん／沖縄県大宜味村</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-004.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「小学生の頃、土器のかけらを見つけては組み合わせていくのが楽しかったんです。それがルーツ」。そう話すのは、沖縄県大宜味村田嘉里（たかざと）で「螢窯（じんじんよう）」を営む山上學さん。日本各地を巡り、やんばるの山の麓で見つけた「自分のかたち」とは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">探し続けた場所</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-003.jpg" alt="" class="wp-image-54771" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-003.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-003-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-003-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>沖縄自動車道の北の終着点許田ICからさらに北へ車で45分ほどの“やんばる”と呼ばれる自然豊かな場所に、山上さんの工房「螢窯」と併設の「ギャラリーTATI」はある。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-018.jpg" alt="" class="wp-image-54772" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-018.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-018-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-018-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大阪府出身の山上さんが陶芸家を志すようになったのは、幼い頃に家の近所で土器のかけらを見つけたことがきっかけだった。その原体験を境に土や焼き物への関心を深め、進路として陶芸の道を選ぶようになった。</p>



<p>少年時代の山上さんにとって、土器拾いは自転車や野球と同じくらい夢中になれる遊びだった。万博開発に沸く造成地を掘り起こすたび、土の中から古い土器が顔を出す。はるか昔に人の手が触れた痕跡が現れる瞬間に、胸が高鳴った。高校に上がる頃には博物館で世界各地の土器を眺めるのが習いとなり、「陶芸家とはどんな仕事なのか」と漠然と思い描くようになる。</p>



<p>打ち込んでいた野球での進学も考えたが、どこかで限界を感じていたし、美術大学という道もあったものの、受験デッサンに明け暮れる世界は自分には合わないと感じていた。そんなとき、美術に明るい父の縁で一人の陶芸家を訪ねると、「美大を出なくても陶芸家にはなれる」と背中を押された。こうして山上さんは、必要な技だけを求めて産地を渡り歩く道を選ぶ。愛知･瀬戸の窯業訓練校でろくろを学び、京都で釉薬と清水焼を、さらにウィーン工房の流れを汲む学校で研鑽を積んだ。</p>



<p>そうして腕を磨いた山上さんは、茨城県にある笠間焼の製陶所に勤務し、27歳で独立。その後、栃木県の焼き物の産地である益子を経てこの地に移り住んだのは、2004年のこと。北海道から九州･沖縄まで焼き物の産地を巡り、45歳の頃にようやく辿り着いた場所だった。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-022.jpg" alt="" class="wp-image-54773" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-022.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-022-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-022-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>沖縄の焼き物「やちむん」といえば、厚みのある形状や躍動感のある絵柄が特徴で、中でも那覇市壺屋で古くから作られる「壺屋焼」はやちむんの代名詞。「壺屋焼は独自の伝統的な作り方をするので、興味はあったけど」。そう話す山上さんがやんばるまでやって来たのは、伝統的なもの作りではなく自分のオリジナルのもの作りを目指したから。自然や光のトーン、独自の文化、部落ごとの風習や行事やに魅了され、やんばるの地でのもの作りがはじまった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">環境がものを作っていく</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-008.jpg" alt="" class="wp-image-54774" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-008.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-008-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-008-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>それまで笠間焼や益子焼きなどに携わってきた山上さんも沖縄に来た当初は、益子焼きやいわゆるやちむんをイメージさせるオーソドックスな作品を作っていた。「でも、こっちにきたらグリーンとか海の色を再現したくなったんです。“用の美”の逆があってもいいんじゃないかと思って」と、海の美しさや、きれいな夕日など感じたものを“用”（使い勝手や実用性）に落とし込むように、作品に変化が生まれた。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-038.jpg" alt="" class="wp-image-54775" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-038.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-038-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-038-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「環境がものを作っていくんだと思うんです」。その言葉には、かつて松尾芭蕉が日本各地の美しい風景や名所を旅して歩き、その地の自然を感じ俳句に残したのと相通じるものがある。「陶芸作家として技術ばかりを極めるのではなく、自然を見て感じたものを表現するための技術を極めていく。それがたまらない面白さですし、それこそが健全なもののつくり方だと思います」。自然を感じ、かたちに残す、山上さんの見つけたもの作りの姿だった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">縄文とサンゴの掛け合わせ</h3>



<p>山上さんの器作りは、海へ貝やサンゴのかけらをとりにいくところからはじまる。そして沖縄の土と美濃や信楽などいくつかの土をオリジナルの配合でブレンドした土でベースとなる器を作り、その表面に拾い集めた大小のサンゴのかけらをおしつけるように模様を付けていく。それはまるで縄文土器のような作り方だ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-053.jpg" alt="" class="wp-image-54776" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-053.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-053-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-053-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「縄文とサンゴを掛け合わせたらおもしろいと思ったんです」。縄文土器は縄を編み、土器の表面に縄をおしつけていくことで紋様を付ける。また縄で抑えることによって土を締め、割れにくくする効果もあるのだという。山上さんは沖縄の土だけで作るよりも厚みを抑えたベースの器に、縄ではなく貝やサンゴを使ってひとつずつ模様をつけ、締めていく。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-048.jpg" alt="" class="wp-image-54777" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-048.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-048-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-048-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>制作している時にイメージしているのは海の中。サンゴによって生まれたランダムな模様が、瞬く間に表情を変える自然界の美しさと儚さを映しだす。また、そこに金属製の細い筒を使って細かなバブル模様を感覚的に付け加えていく。少しだけ人工的な道具を使うことによって、まるで化学調味料のようによりリアルに作用する。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-041.jpg" alt="" class="wp-image-54778" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-041.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-041-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-041-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そして最後に、模様の一つひとつに筆で顔料を塗っていく。焼き上がりを想像しながら色の置き方や濃淡を変え、そうして山上さんの作品ができあがる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">やんばる焼き</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-067.jpg" alt="" class="wp-image-54779" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-067.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-067-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-067-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>やんばるの地に移り住み、作品を作るようになって20年あまり。「やっと形になってきた」と話す山上さんの作品は沖縄の美しい海を想起させ、ギャラリーTATIや同ギャラリーのある大宜味村にて年に一回開催される「いぎみてぃぐま」などの工芸市で山上さんの作品に触れた旅行者にも反響が大きい。「人に喜んでもらうのは嬉しいことだけれど、喜ばせるために作るのではなくて、自分が喜ぶ意識で作っていると人も喜んでくれると思う」。最近では、空洞部分に陶の玉を入れ、音が鳴るように造形したビアカップなど、実用性にプラスアルファで遊びの要素を取り入れた作品も生み出した。これらはまだ試作段階ではあるが周囲からの評判も良く、今後シリーズ化していきたいと考えている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-006.jpg" alt="" class="wp-image-54780" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-006.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-006-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-006-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>これまでも沖縄の中で、伝統的なやちむんとは少し違う作品を生み出すことによって注目をされることが多かった山上さん。各地の土と向き合い、炎と対話しながら積み重ねてきた歳月は、いまこの地に深く根を張ろうとしている。</p>



<p>「これまでに日本各地で経験してきた焼き物の集大成として、この地で&#8221;やんばる焼き&#8221;を形にできたらいいなと思っています。これからまだまだやりたいことはあるんです」。</p>



<p>やんばるの森が育む土、沖縄の光と風。それらすべてを器のかたちに宿らせようとする山上さんの仕事は、まだ途中だ。その先に生まれるものを、ギャラリーTATIはこれからも静かに、しかし確かに発信し続けていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54769/">やんばるの自然の中で俳句のように生まれる器。「螢窯」山上學さん／沖縄県大宜味村</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>日本一の大しめ縄誕生の地･飯南町に受け継がれるしめ縄づくり　出雲大社勧農講社頓原支部／島根県飯南町</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54512/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 07 May 2026 10:47:39 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[出雲大社]]></category>
		<category><![CDATA[大しめ縄創作館]]></category>
		<category><![CDATA[大しめ縄]]></category>
		<category><![CDATA[注連縄]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00979__H6A7254.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>縁結びの神として知られる「出雲大社」。その神楽殿に掲げられた巨大なしめ縄は、訪れる人が思わず見上げる象徴的な存在だ。その大しめ縄を作り続けているのが、島根県飯南町にある「出雲大社勧農講社頓原支部（いずもたいしゃかんのうこ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00979__H6A7254.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>縁結びの神として知られる「出雲大社」。その神楽殿に掲げられた巨大なしめ縄は、訪れる人が思わず見上げる象徴的な存在だ。その大しめ縄を作り続けているのが、島根県飯南町にある「出雲大社勧農講社頓原支部（いずもたいしゃかんのうこうしゃとんばらしぶ）」。神話の地を支えるしめ縄づくりの技術は、町の誇りとともに受け継がれてきた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">山里の作業場から生まれる巨大なしめ縄</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00872_142A0019.jpg" alt="" class="wp-image-54520" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00872_142A0019.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00872_142A0019-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00872_142A0019-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>中国山地の山々に囲まれた島根県飯南町（いいなんちょう）。冬には雪が降り積もり、澄んだ水と豊かな田畑に恵まれた静かな土地だ。その町にある「大しめ縄創作館」で大しめ縄づくりを担っているのが、「出雲大社勧農講社頓原支部」だ。代表を務めるのは和田さん。この土地で長く続いてきた奉納の営みを支えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">山里に受け継がれるしめ縄づくり</h3>



<p>「出雲大社勧農講社頓原支部」では、日本でもひときわ大きな一本のしめ縄の制作を担っている。行き先は、全国から参拝者が訪れる出雲大社の神楽殿だ。長さおよそ13.6メートル、重さはおよそ5トン。初めて目にした人は、その大きさに思わず足を止め、見上げてしまうほどの迫力だ。だが、その壮大なしめ縄が生まれる場所は、観光地の喧騒とは無縁の山里にある作業場である。</p>



<h3 class="wp-block-heading">大しめ縄と飯南町のつながり</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00876__H6A7113.jpg" alt="" class="wp-image-54521" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00876__H6A7113.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00876__H6A7113-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00876__H6A7113-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>飯南町と大しめ縄の関係は、昭和30年代までさかのぼる。当時、この地域には出雲大社分院が置かれていた。その縁から、近隣の住民や信者たちによってしめ縄が作られ、神社へ奉納されるようになったという。</p>



<p>やがて昭和56年、出雲大社神楽殿が建立された際、新たなしめ縄の制作が依頼された。それが長さおよそ13.6メートルに及ぶ巨大なしめ縄だ。神楽殿にふさわしい大きさのしめ縄を作るため、地域の人々が協力して制作に取り組むことになる。当初は頓原小学校の講堂、その後、中学校の体育館へと場所を移しながら、しめ縄づくりは続けられ、平成27年、しめ縄づくりの拠点として「大しめ縄創作館」が完成した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">しめ縄文化を今に伝える「大しめ縄創作館」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00879__H6A7067.jpg" alt="" class="wp-image-54522" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00879__H6A7067.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00879__H6A7067-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00879__H6A7067-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そもそもしめ縄とは、神様が宿る場所と私たちの暮らす世界を隔てる「結界」の役割をもつもの。古来より神社や神棚、家の玄関などに飾られ、日本人の暮らしの中に深く根付いてきた。「大しめ縄創作館」では、そんなしめ縄の歴史を伝える写真や資料などが並び、地域で受け継がれてきたしめ縄づくりの文化を知ることができる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">熟練の技で編み上げられるしめ縄</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00881__H6A7074.jpg" alt="" class="wp-image-54523" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00881__H6A7074.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00881__H6A7074-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00881__H6A7074-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>奥へ進むと、作業場が広がる。そこでは職人たちが実際にしめ縄を編み上げる作業を行っている。編む人、芯を取る人、小さな部材を作る人。それぞれの役割を分担しながら作業が進められる。館内には乾いた稲わらの香りが漂い、束ねたわらをより合わせる音が静かに響く。職人たちはわらを手に取り、力を込めてねじりながら一本の縄へと仕上げていく。</p>



<p>しめ縄づくりは一見単純な作業のようにも見えるが、均一な太さの縄を作るには熟練の技術が必要だ。わらの束をどのくらいの力で締めるか、どの角度でより合わせるか。その加減は、長年の経験によって身につくものだという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">神楽殿に掛けられる巨大なしめ縄づくり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00897__H6A7139.jpg" alt="" class="wp-image-54524" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00897__H6A7139.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00897__H6A7139-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00897__H6A7139-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>普段のしめ縄づくりは創作館の奥のスペースで行われているが、出雲大社神楽殿に掛けられる大しめ縄を制作する際には、館内の様子は大きく変わる。約13.6mもの巨大なしめ縄を作るために、建物全体を使って制作が行われるのだ。</p>



<p>大しめ縄は一本の縄から作られるわけではない。複数の太い縄を編み、それらを組み合わせることで完成する。わらを束ね、より合わせ、さらに組み上げていく作業には多くの時間と人手が必要になる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">縄の素材となる稲づくりも飯南町で</h3>



<p>大しめ縄の制作は春、田植えから始まる。地元飯南町産の素材で作るのが基本で、町内にはしめ縄専用の田んぼが整備されている。育てるのは「赤穂餅（あかほもち）」という品種の餅米。一般的な餅米よりも粘りが強く、縄に撚ったときに千切れにくいという特徴がある。大しめ縄のような巨大な縄を作るには、こうした丈夫な稲が欠かせない。</p>



<p>食べるための米とは違い、しめ縄用の稲は実がつく前に刈り取られる。まだ青く、繊維が丈夫な状態の方が、強く美しい縄に仕上げられるからだ。刈り取られた稲は乾燥させ、束ねられ、やがて縄へと撚られていく。作りたてのしめ縄には、稲の青みがほのかに残る。時間とともに色が抜け、やがて神社で見慣れた落ち着いた茶色へと変わっていく。</p>



<h3 class="wp-block-heading">今年の夏、神楽殿で架け替えへ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00986_142A0606.jpg" alt="" class="wp-image-54525" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00986_142A0606.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00986_142A0606-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00986_142A0606-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>制作の終盤には「大撚り合わせ」と呼ばれる工程がある。何本もの太い縄を束ね、巨大な一本へと撚り上げる作業だ。機械だけでは難しいため、多くの人の力が必要になる。飯南町ではこの工程に参加する人を募集し、地域の人々や有志が力を合わせて縄を仕上げていく。大しめ縄づくりには、延べ800人もの人々が関わるという。巨大なしめ縄は、職人だけでなく町の人々の力によって完成するのだ。</p>



<p>大しめ縄はおよそ6〜7年に一度、新しいものへと掛け替えられる。神楽殿での架け替え作業は一日がかりで行われ、巨大なしめ縄がゆっくりと吊り上げられていく光景は圧巻だ。次の架け替えは今年、2026年７月。田んぼで育てられた稲が、長い時間をかけて一本の縄となり、再び神楽殿に掲げられることになる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">飯南町から全国へ広がるしめ縄づくり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00981__H6A7264.jpg" alt="" class="wp-image-54526" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00981__H6A7264.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00981__H6A7264-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00981__H6A7264-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>創作館が整備され、制作の様子が公開されるようになると、その技術が広く知られるようになった。現在では日本全国の神社や施設、そして海外からもしめ縄の制作依頼が寄せられているという。</p>



<p>そのため館内では、大しめ縄の制作がない時期でも年間を通してしめ縄づくりが続けられている。サイズも用途もさまざまで、神社に飾られるものから施設の装飾に使われるものまで、出雲で編まれた縄が各地へと届けられている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">地域の誇りを日本全国、そして次世代へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00931__H6A7525.jpg" alt="" class="wp-image-54527" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00931__H6A7525.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00931__H6A7525-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00931__H6A7525-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「しめ縄づくりはこの地域の誇りです。」と語る和田さん。ここ飯南町でのしめ縄づくりの技術は、今では全国へと広がり、日本各地の祈りの場を支える存在となっている。</p>



<p>一方で、飯南町は高齢化が進んでいる地域。しめ縄づくりの技術を次の世代へどう繋いでいくかは、大きな課題でもある。それでも、この町では今日も藁が束ねられ、縄が撚られている。その手仕事は、地域の誇りとともに日本各地や海外、そして未来へと受け継がれていこうとしている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54512/">日本一の大しめ縄誕生の地･飯南町に受け継がれるしめ縄づくり　出雲大社勧農講社頓原支部／島根県飯南町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>琉球王国時代から続く木桶仕込みの天然醸造 玉那覇味噌醤油／沖縄県那覇市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 07 May 2026 10:36:55 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[味噌]]></category>
		<category><![CDATA[天然醸造]]></category>
		<category><![CDATA[天然醸造味噌]]></category>
		<category><![CDATA[王朝みそ]]></category>
		<category><![CDATA[うっちんみそ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-036.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>沖縄本島、那覇市のなかでも、特に歴史ある古い街並みが残る首里の街。首里城のお膝元で170年もの長い歳月ずっと味噌造りを続けているのは玉那覇（たまなは）味噌醤油。創業当時の製法そのまま、年季の入る木桶で天然醸造を続けている [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-036.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>沖縄本島、那覇市のなかでも、特に歴史ある古い街並みが残る首里の街。首里城のお膝元で170年もの長い歳月ずっと味噌造りを続けているのは玉那覇（たまなは）味噌醤油。創業当時の製法そのまま、年季の入る木桶で天然醸造を続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">沖縄でも希少な、麹から手作りをする味噌蔵</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-040.jpg" alt="" class="wp-image-54503" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-040.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-040-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-040-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>今から約120年前まで、琉球というひとつの国だった沖縄。首里城を有する首里が琉球国の中心だった。このあたりも武家屋敷が立ち並んでいた場所。そして実際、士族屋敷跡であるこの場所で、琉球王府末期の1855年〜1860年に味噌と醤油を造り始めたのが玉那覇味噌醤油だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">戦禍をくぐり抜けて残った麹菌</h3>



<p>坂道をのぼっていくと、歴史を感じさせる古い石垣が見えてくる。重厚感のある立派な石垣は戦前から残るもの。建物は沖縄戦で倒壊したが、焼けずに残った柱を防空壕の中で保存し、柱についた麹菌が玉那覇の味をつないでくれたのだそう。</p>



<p>沖縄県内でも、麹から手作りをしている味噌蔵は希少。以前は醤油も醸造していたが、設備の老朽化により10年ほど前から醤油造りは休止している。</p>



<p>米軍統治下の時代に移行した後も、首里の街だけでも、味噌や醤油を造る蔵がけっこうあったのだそうだが、1972年の日本本土復帰により、県外の製品がどっと入ってきたことによって、ほとんどが廃業してしまった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">5代目が守り続けた“すべて手作業”の味噌造り</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-035.jpg" alt="" class="wp-image-54504" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-035.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-035-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-035-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在、玉那覇味噌醤油の当主を務めるのは、6代目となる大城由美さん。5代目で2025年4月に亡くなった玉那覇有紀（ありのり）さんの長女にあたる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">手入れをしながら、年季の入る木桶で醸造する</h3>



<p>味噌を仕込むのはすべて昔ながらの木桶だ。蒸した丸大豆に、米麹、そして、沖縄の海塩のみを混ぜ合わせ、発酵、熟成させる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-016.jpg" alt="" class="wp-image-54505" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-016.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-016-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-016-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>麹室の扉を開けると、むわっとした空気が流れ出てくる。麹の発酵により36℃ほどある室内で、工場長が、ずらりと並ぶ麹箱に目を凝らしていた。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-019.jpg" alt="" class="wp-image-54506" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-019.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-019-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-019-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>写真は2日前に種麹をつけたもの。同社の味噌に使う国産米を使った米麹は種麹をつけて、4日ほどで黄色っぽく変色。そこからさらに発酵が進むと、麹室内は40℃ほどにもなるという。</p>



<p>高温多湿な沖縄は微生物が活発に働き、やはり本土に比べ発酵が進みやすいのだそう。夏場は3〜4ヶ月、冬場は6〜7ヶ月ほど発酵、熟成ののち、味噌が仕上がる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-034.jpg" alt="" class="wp-image-54507" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-034.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-034-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-034-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>看板商品である「王朝みそ」は、九州の大豆を使用している。米や大豆のほどよい甘さを感じる、まろやかな口当たりだ。他には、国外産の大豆を使った「首里みそ」、ウコンを混ぜ込んだ「うっちんみそ」、米と麦の合わせ味噌の「特選みそ」を製造している。</p>



<p>直営のほか、地域のスーパーなどで販売、そしてネット販売もしてきた。一時期は製造が追いつかず、新規のネットでの注文はストップしていたが、現在では月1〜2回のペースで販売再開できるようになってきた。</p>



<p>「うちの味噌は1000円するんですけど、1200円の送料を払ってまでも本土から購入してくれる人たちがいるんです。ありがたいですね」と由美さんは話す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">菌にとって最適な環境</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-003.jpg" alt="" class="wp-image-54508" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-003.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-003-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-003-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>年間を通して気温差のあまり大きくない沖縄は、菌の働きに適した環境。大きな桶の中では、乳酸菌や酵母菌が活発に働き、味噌の熟成中だ。ずらりと並ぶ年季の入る桶は、いびつで、漏れがあったりするけれど、できる限り丁寧に修繕を繰り返し、なるべく長く使用する。買い替えの回数を極力減らすことで、創業から続く味を守り続けている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-026.jpg" alt="" class="wp-image-54509" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-026.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-026-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-026-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>管理しやすいホーローや強化プラスチックのタンクに変えるという選択肢もあったが、木は断熱性や保温性が高いため、気温に左右されずに温度を保つことができるため、手入れをしながら何十年と大事に使い続けているのだそう。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-021.jpg" alt="" class="wp-image-54510" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-021.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-021-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-021-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>製造が追いつかないとはいっても、決して効率などを優先せず、これまで大事に守られてきた製法はそのまま。</p>



<p>そんな、品薄状態が続く玉那覇味噌醤油だけれど、近くの保育園の給食で食べられる味噌は途切れることなく確保している。保育園が行う食育に賛同しているからで、すぐ近くで造られる郷里のものを食べて育ってほしいという想いがあるからだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">80年ぶりに木桶を新調</h2>



<p>そして、実は2026年2月に、80年ぶりに木桶を新調したばかり。国内でも少なくなっている本土の木桶職人により、金属を一切使用せず、スギの木の板と竹釘、そして竹で編まれたタガのみで組み上げられた。100年もつとも言われる、真新しくなった木桶での味噌造りが始まる。</p>



<p>日本が誇る発酵文化、発酵調味料である味噌。全国的にも麹から作る味噌蔵が少なくなり、木桶で仕込む蔵も数えられるくらいになっている。</p>



<p>ずっと変わらない人の手による製造方法、そして、この場所ならではの環境とが織りなすことでできあがる、ここだけの味噌の味。先祖代々大事に紡いできた味を守っていくために、小さな味噌蔵の挑戦は続く。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54493/">琉球王国時代から続く木桶仕込みの天然醸造 玉那覇味噌醤油／沖縄県那覇市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>東北で唯一の現存天守、弘前城跡を臨む「弘前公園」／青森県弘前市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 07 May 2026 10:24:03 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[重要文化財]]></category>
		<category><![CDATA[弘前さくらまつり]]></category>
		<category><![CDATA[鷹揚園]]></category>
		<category><![CDATA[国の史跡]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_66.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「青森県を代表する桜の名所といえば、弘前公園」と言われるほど、東北地方でも有数の桜の名所として知られる弘前公園。この公園は鷹揚園（おうようえん）ともいわれ、津軽10万石の居城「弘前城跡」でもある。総面積約50haと広い園 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_66.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「青森県を代表する桜の名所といえば、弘前公園」と言われるほど、東北地方でも有数の桜の名所として知られる弘前公園。この公園は鷹揚園（おうようえん）ともいわれ、津軽10万石の居城「弘前城跡」でもある。総面積約50haと広い園内には、天守や濠（ほり）、櫓（やぐら）、城門などが残っており、花見の時期になると約2600本の桜が見事な花を咲かせる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">弘前城の歴史</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_70.jpg" alt="" class="wp-image-54486" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_70.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_70-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_70-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>弘前城の天守は江戸時代に建てられた12棟の天守の一つで、東北･北海道では唯一の現存天守 。</p>



<p>城跡は国の史跡としてはもちろん、現存する天守、櫓、城門は重要文化財にも指定されている。弘前公園は弘前市の中心部に位置し、東西約600m、南北約1000m、面積約50haにも及ぶ広大な敷地で、園内には天守（本丸辰巳櫓）のほかに濠、土塁（どるい）に囲まれた6つの郭（くるわ）、櫓3棟、城門5棟が残されている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_01.jpg" alt="" class="wp-image-54487" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_01.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_01-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_01-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「これだけ大規模な城郭が当時の姿のまま公園として開放されている例は、全国的にも珍しいと思います」と話してくれたのは、弘前市公園緑地課弘前城整備活用推進室主査の東海林 心（しょうじ こころ）さんだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">弘前城が築城となるまでの経緯</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_60.jpg" alt="" class="wp-image-54488" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_60.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_60-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_60-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>1590年までに豊臣秀吉より津軽の領地安堵を得た津軽為信（ためのぶ）が新たな城を築くことを決意し、高岡の地を選定したのが1603年。しかしながら計画は遅々として進まないまま、津軽為信は完成を見ることなく1607年に京で病死してしまう。58歳だった。その後2代目藩主となった三男・信枚（のぶひら）が1611年に高岡城（現在の弘前城）を完成させた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">5層だった弘前城が3層になったわけ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="549" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakijyo-sakura_graph.jpg" alt="" class="wp-image-54489" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakijyo-sakura_graph.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakijyo-sakura_graph-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakijyo-sakura_graph-768x511.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「天守は築城当初5層で本丸西南隅にあったのですが、1627年に落雷で焼失してしまったんです」と話す東海林さん。天守焼失後、再建の機運が盛り上がったものの計画は途中で頓挫。その後、弘前藩の石高が10万石に高直りしたのを契機に、1810年9代目寧親（やすちか）が本丸辰巳櫓名目で再建したものが天守として残った。旧名「高岡」を現在の「弘前」に改名したのは焼失の翌年で、厄払いの意味があったという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">倒幕の混迷を経て、弘前市民のシンボルへ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="549" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/b676708decfad691aa65485106ff0a4c.jpg" alt="" class="wp-image-54490" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/b676708decfad691aa65485106ff0a4c.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/b676708decfad691aa65485106ff0a4c-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/b676708decfad691aa65485106ff0a4c-768x511.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>やがて明治維新により弘前藩も解体。弘前城は陸軍省の管理下となり、戦時中には兵器や弾薬の補給、保管、管理を担当した陸軍兵器廠（りくぐんへいきしょう）の地方出先機関である兵器支廠（へいきししょう）などに活用されたが、本丸御殿や宝物蔵など一部の施設は解体されたものの、天守や城門、櫓は保護されて残っている。また、太平洋戦争の戦災を免れて当時のまま残っている遺構が多いため、貴重な国の史跡となった。</p>



<p>そんな中、陸軍の火薬庫などとなっていた三の丸を除いた区画は、1895年に弘前公園として市民へと開放された。また、3階建ての天守の高さは約15mで、ここからの景観は素晴らしく、津軽富士とも言われる岩木山と公園内が一望できる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">歴史ある史跡は「観桜会（かんおうかい）」の場から「弘前さくらまつり」へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/3c24204e3497c1e844c1af087a3e3b69.jpg" alt="" class="wp-image-54491" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/3c24204e3497c1e844c1af087a3e3b69.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/3c24204e3497c1e844c1af087a3e3b69-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/3c24204e3497c1e844c1af087a3e3b69-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>人々が冬の重圧から開放された頃、総面積約50haと広い公園内ではソメイヨシノ、八重桜、シダレザクラなど52品種、約2600本の桜が美しく花を咲かせる。雪を頂いた岩木山が望める園内では、春を待ち焦がれた人々による数え切れないほどの車座の酒席が広がり、あちこちから聞こえてくるのは津軽民謡。築城から400年以上経った今でも、弘前城を有する弘前公園は、市民が真っ先に思い浮かべる憩いの場として親しまれ続けている</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54478/">東北で唯一の現存天守、弘前城跡を臨む「弘前公園」／青森県弘前市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>問いを重ね、灯りをつなぐ。「山鹿灯籠の店 なかしま」中島弘敬さん／熊本県山鹿市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 20 Apr 2026 11:42:24 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[灯籠師]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<category><![CDATA[山鹿灯籠まつり]]></category>
		<category><![CDATA[金灯籠]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3066.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「よへほ〜、よへほ〜」。民謡・よへほ節に合わせ、約千人の女性たちが優雅に舞う「山鹿灯籠（やまがとうろう）まつり」。踊り手の頭上にゆらめく明かりの正体は、伝統工芸品である山鹿灯籠。中島弘敬さんは山鹿灯籠師の系譜を継ぐ4代目 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3066.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「よへほ〜、よへほ〜」。民謡・よへほ節に合わせ、約千人の女性たちが優雅に舞う「山鹿灯籠（やまがとうろう）まつり」。踊り手の頭上にゆらめく明かりの正体は、伝統工芸品である山鹿灯籠。中島弘敬さんは山鹿灯籠師の系譜を継ぐ4代目。伝統を礎に、時代に合わせて変化していくことも厭わない。</p>



<h2 class="wp-block-heading">踊り手の頭上にゆらめく幻想的な明かりは伝統工芸品</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3080.jpg" alt="" class="wp-image-54388" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3080.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3080-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3080-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>————骨もなけれど　肉もなし　よへほ　よへほ————</p>



<p>民謡・よへほ節に合わせ、約千人の女性たちが体をしなやかに動かして優雅に舞う「山鹿灯籠まつり」。毎年8月に開催され、例年約10万人以上が来場する、山鹿市の一大イベントだ。深い霧の中で道に迷った第12代景行天皇を、山鹿の里人たちが松明を頭上に掲げて案内したことが祭りの起源と伝わる。​​夜の闇の中、踊り手の頭上にゆらめく幻想的な明かりの正体は、伝統工芸品である山鹿灯籠の一種「金灯籠」。遠目では金属製に見えるが、実は紙製。木や金具は一切使わず、和紙と少量の糊だけで立体的に組み上げられており、重さはたったの約180グラムしかない。紙製とは思えない見た目の重厚さや豪華さを実現するためには精巧な技術を要し、「灯籠師」と呼ばれる職人が制作を担う。</p>



<p>中島弘敬さんは100年以上続く灯籠師の家系の４代目。曽祖父と祖父の代では灯籠師と時計屋を兼業していたが、父親の代から灯籠師一本となり、豊前街道沿いで灯籠専門店「山鹿灯籠の店 なかしま」を営んでいる。中島さんは灯籠師の家系の次男として生まれ、33歳までサラリーマンだった。だが、兄弟の誰一人として実家を継ぐ者がいなければ技術が途絶えてしまうと一念発起。父親の弟子となり、灯籠師の道に入って今に至る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">異業種から転職し、師匠である父のもとで技術を習得した</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2855.jpg" alt="" class="wp-image-54389" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2855.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2855-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2855-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>異業種からの転職は簡単ではなかった。幼い頃から父親の制作の様子を間近に見ており、転職前から修行はしていたものの、伝統工芸士の技術はそうやすやすと習得できるものではない。山鹿灯籠の制作は細かい作業の連続で、指先は痛み、目は疲れ、肩は凝る。並大抵ではない集中力と根気が必要だ。しかも、師匠である父親からは容赦なくダメ出しを受ける。「だけど、今思えば息子だからといって甘やかすことなく、一人の弟子として扱ってくれた父に感謝しています」と中島さんは言う。灯籠師を名乗るには、約10年の修行を積み、他の灯籠師たちから技術を認められる必要がある。中島さんが認定を受けたのは2017年、40代になってからのことだった。</p>



<p>山鹿灯籠には前述の金灯籠を筆頭に、神殿や楼門、五重塔といった神社仏閣建築を題材とする「宮造り」、伝統的な日本家屋を模した「座敷造り」など、伝統的な様式がある。加えて、灯籠師自身が編み出した作品も多く、多彩で、種類が豊富だ。これらは主に、後述する「奉納灯籠」に用いられ、灯りをつけない仕様のものもある。ほか、地元の家庭では初盆の提灯代わりに飾られることも多く、家紋入りのオーダーメイドにも対応する。</p>



<p>山鹿灯籠の条件は「手漉き和紙と糊のみを使用すること」「灯籠の主な部材は空洞とすること」「曲線部分にのりしろを作らないこと」の3つ。だから、勧進帳の弁慶や電車、戦艦などが作られた例もあり、自由で多様だ。その中でも金灯籠が注視されるのは、山鹿灯籠まつりのシンボルというだけでなく、灯籠師の登竜門的様式だからだろう。灯籠師に必要とされる技術が集約されており、金灯籠を完成させてこそ、認定の第一歩とされている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">地域社会の営みに深く根差した伝統工芸</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2944.jpg" alt="" class="wp-image-54390" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2944.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2944-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2944-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>金灯籠の制作は、ミリ単位での作業が延々と続く。図面を写した厚手の和紙をカットし、組み立てる。言葉にするとたったこれだけだが、内部が空洞で骨組みがないため、和紙の貼り合わせのみで形を保ち、強度を担保しなければならない。だから山鹿灯籠は「骨なし灯籠」との異名を持つ。これが冒頭の民謡で「骨もなけれど　肉もなし」と唄われる所以である。</p>



<p>骨も肉もないから、和紙の貼り合わせがわずかにずれるだけで、崩れる。そして、ぴったりと貼り合わせるためには、和紙を寸分の狂いもなくカットしてあることが前提だ。金灯籠はおよそ200のパーツから成り、準備から完成まで3日ほどかかる。「山鹿灯籠を制作するには、集中力を欠くことなくやり遂げる根気が必要」との中島さんの言葉に、改めて頷く。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3093.jpg" alt="" class="wp-image-54391" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3093.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3093-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3093-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>こうして作られた灯籠は踊り手の頭上に載せられるほか、奉納灯籠にも用いられる。奉納灯籠とは、祭りのために町内会などの団体ごとに灯籠師に依頼して作る灯籠のことで、祭り期間の展示を終えると地元の「大宮神社」に奉納することからこの名が付いた。形状などに規定はなく、モチーフは団体と灯籠師の相談で決まる。毎年27〜28基が作られ、奉納後は神社内にある「燈籠殿」で保管・展示。1年後の8月に新しい灯籠と入れ替えられる。「毎年のことですが、依頼主から喜んでもらえることが本当に嬉しい。頑張ってよかった、と報われる瞬間です」と中島さんは言う。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統を未来につなぐためには“問い”が必要</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2841.jpg" alt="" class="wp-image-54392" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2841.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2841-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2841-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>山鹿灯籠は約2000年前、第12代景行天皇が筑紫路巡幸の際に深い霧に進路を阻まれた際、山鹿の人々が松明（たいまつ）で案内したことが発端と伝わる。その後、人々は景行天皇を祀る大宮神社に松明を奉納し続け、室町時代に松明が山鹿灯籠へと変わったという。そして、江戸時代には町の有力者たちが奉納灯籠の豪華さを競い合うようになり、山鹿灯籠の文化が花開いたというわけだ。</p>



<p>現在、現役の灯籠師は全体で7名。うち5名が女性で、2名が男性、50〜60代が中心だ。認定を目指す見習いは3名いる。灯籠師の数はここ数十年横ばい状態だが、見習いは全員が20代で、中島さんは「山鹿灯籠の未来は決して楽観できる状況ではないが、悲観するほどでもない」と考えている。ただし、伝統を未来につなぐためには“問い”が必要、とも。</p>



<p>「祭だけでなく、伝統工芸品として購入し、日常的に使ってもらえるシーンを増やしたい。使用環境が限られていては、先細りしていくだけだ。そのためにはどんなものが売れるのか、消費者に山鹿灯籠を身近に感じてもらうためにはどうしたらいいのか……」。</p>



<p>中島さんは、常に問いを抱くことで、新しいものを世に出していこうとしている。「時代の変化やニーズに合わせて少しずつアップデートしていくことで、守れる伝統もあるはずです」。問いを抱きながら灯籠を作り続けること。その積み重ねが、山鹿の灯りを次の時代へとつないでいく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54382/">問いを重ね、灯りをつなぐ。「山鹿灯籠の店 なかしま」中島弘敬さん／熊本県山鹿市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>福島が誇るモモを自然由来の土づくりで大切に育む樅山果樹園の樅山 和宏さん･智美さん／福島県福島市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 20 Apr 2026 11:30:18 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8232.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福島市飯坂町で、さくらんぼ、桃、りんごを生産している「樅山（もみやま）果樹園」。明治30年代から続く老舗果樹園の５代目･樅山和宏さんは、自然由来の土づくりにこだわるなど、飽くなき探求心と日々の研究を重ね、より良い果物を作 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54367/">福島が誇るモモを自然由来の土づくりで大切に育む樅山果樹園の樅山 和宏さん･智美さん／福島県福島市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8232.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福島市飯坂町で、さくらんぼ、桃、りんごを生産している「樅山（もみやま）果樹園」。明治30年代から続く老舗果樹園の５代目･樅山和宏さんは、自然由来の土づくりにこだわるなど、飽くなき探求心と日々の研究を重ね、より良い果物を作り続けている。奥様の智美さんは果樹園から届く新鮮な果物やオリジナル加工品を販売する直売所兼カフェを運営し、福島が誇るフルーツの魅力を発信。「自分たちが育てたモモやリンゴを『美味しい』と食べてもらえるのが一番うれしいです」と微笑むご夫妻の思いはひとつだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">明治時代から受け継がれてきた果樹園と家族の絆</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8241.jpg" alt="" class="wp-image-54375" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8241.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8241-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8241-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>春のイチゴ、初夏のサクランボ、夏のモモ、秋のナシやブドウ、初冬のリンゴなど、四季を通して上質なフルーツを堪能できる福島市。吾妻連峰と阿武隈高地に囲まれた盆地にあり、寒地系と暖地系、両方のフルーツを作ることができる恵まれた気候のもと、品種改良や技術革新を重ね、多種多様な果実が実る。</p>



<p>そんな果樹園が並ぶ、通称･フルーツライン沿いにあるのが樅山果樹園の直売所兼カフェ「よつ葉のクローバー FARMERS GARDEN」。のどかな風景に優しく溶け込む真っ白い建物が印象的だ。</p>



<p>明治30年代から100年以上続く老舗果樹園の樅山果樹園は、数十件の果樹園が点在する福島市飯坂町で、「さくらんぼ」「桃」「りんご」を栽培し、父であり、4代目の和一郎さんは農林水産大臣賞も受賞している。「子どもの頃から『農業はいいぞ』と父から繰り返し聞いて育ったので、家業を継ぐことに何の迷いもなかったです」と笑顔で話す和宏さん。大学卒業後、福島県農業総合センター果樹研究所の研修生として1年間学び、23歳で家業を継いだ、</p>



<h2 class="wp-block-heading">盆地特有の寒暖差が育む極上フルーツ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8379.jpg" alt="" class="wp-image-54376" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8379.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8379-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8379-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>自他ともに認める「フルーツ王国･ふくしま」。福島のモモは太陽の光をたっぷり浴びた真っ赤な見た目と糖度の高さが特徴。昼夜の寒暖差が大きいため、果実に糖分がしっかり蓄積され、甘みの強い桃が育ちやすい。生産量は全国2位だが、モモの消費量は断トツの全国1位。なんと全国平均の約7倍以上のモモを福島県民は食べているという。</p>



<p>福島市では6月下旬から9月下旬にかけて多品種のモモが作られており、樅山果樹園でも十数種類のモモを順番に育てている。早稲（わせ）の「はつひめ」から始まり、「暁星（ぎょうせい）」「あかつき」「まどか」、晩生（おくて）の「ゆうぞら」「さくら白桃」まで多彩なモモの栽培のリレーで旬の美味しさを届ける。</p>



<h3 class="wp-block-heading">福島の代表的なモモ「あかつき」</h3>



<p>かつて「あかつき」は試験栽培中にある1点の欠点を克服することができずに栽培を断念する県が続出する中、福島県だけがあきらめずに栽培を続け、見事その欠点を克服。今では福島のモモを代表する全国区の品種となった。</p>



<p>「福島の人が根気よく作り続けてきた結果、今の大きさになり、福島と言えば『あかつき』と好評です」と微笑む和宏さん。色づきが良くジューシーで、甘味と酸味のバランスが抜群な「あかつき」はお中元や贈り物としても人気を集め、毎年、お盆の前〈7月下旬～8月上旬〉の収穫を目指している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ミネラルたっぷり。自然由来の土づくり</h3>



<p>父の和一郎さんとともに、パートさんたちの手を借りながら愛情を込めて果実の手入れをしている和宏さんは、「作業の妥協はしないことを信念しています」と穏やかに話す。自然由来の土づくりにも力を入れており、ミネラル豊富な三陸産の牡蠣殻をくだいたものを土に撒き、微生物の力を引き出しながら自然に優しい取り組みをしている。</p>



<p>春の作業は花の前の蕾（つぼみ）の時点で数を減らす「摘蕾（てきらい）」から始まり、100％から30％位まで蕾を落としていく。その後は実が小さいうちに不要な実を取り除く「摘果」を行う。幼いうちに摘み取る摘果は品質の良い果実を得るためには欠かさない作業の一つだ。さらに、冬の剪定による健康な木づくりも大事にしている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">多彩なモモのリレーで旬の美味しさを届ける</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8336.jpg" alt="" class="wp-image-54377" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8336.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8336-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8336-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>果樹園で果実に袋（スカート）をかぶせているものを見かけることがある。これは、晴天続きで土壌が過乾燥した状態で急に多量の雨が降った時に果実が割れてしまうような「雨焼け」から守るために１つずつ手作業でかけていくもので、色づく頃には袋（スカート）を外して太陽の光をあてて色づけをする。雨焼けとは、まんべんなく光があたらないと全面が赤くならないため、下には光を反射するシートが敷かれている。「葉っぱのある部分は特に色づきにくいので、時々葉っぱを半分に切ってあげると2日後ぐらいには色付いてきます」と教えてくれた。</p>



<p>モモは先端から赤くなってきて、1品種が10日から2週間ぐらいで食べ頃になる。</p>



<p>はっきりと赤い色のほうが、より甘くて美味しいのだそう。その作業を順番に行い、多品種のモモ栽培のリレーが完結する。旬に収穫される様々な品種のモモを味わいながら食べ比べを楽しむのも醍醐味だ。</p>



<p>「私のおすすめは、『ゆうぞら』。他品種に比べて、自然に落ちてしまう生理落下が多いので栽培は難しいのですが、果肉が緻密で果汁が多くてなめらかなのでとても美味しいです」と和宏さん。硬めのモモが好きな人にもおすすめだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">美味しいフルーツを作り、農業を未来へつなぐ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8326.jpg" alt="" class="wp-image-54378" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8326.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8326-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8326-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>和宏さんの目下の課題は、今後を見据えた果樹栽培への挑戦と、果樹園で働いてくださる方の高齢化による人手不足。「収穫時期の見極めなどは豊富な経験が重視されるため、父に手伝ってもらう以外は私が収穫をしています」。長年の経験と熟練の技が必要とされる果樹園のIOT化の難しさを実感している。</p>



<p>「今後は少し栽培面積を減らし、それぞれの個体に集中したいという気持ちがあります。同時に産地を守りたいという強い思いもあり、まわりの方が高齢でやめていく中で放棄地を作りたくないという葛藤もあります」と現在の思いを正直に語ってくれた。</p>



<p>近年は異常気象が続いているが、「自然の厳しさの中で日々努力をし、美味しいフルーツを作り上げることが果樹栽培のおもしろさであり、プロの果樹園としての誇りです」と話す和宏さん。研究を重ね、より良いフルーツを作ることに尽力しながら福島の農業の発展と継続も考慮している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">採れたての果実を絶品スイーツや加工品に</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8325.jpg" alt="" class="wp-image-54379" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8325.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8325-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8325-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「和宏さんが愛情を込めて育てた美味しいフルーツをたくさんの人に届けたい」という思いで、奥様の智美さんは2019年11月に直売所兼カフェ「よつ葉のクローバー FARMERS GARDEN」をオープン。観光果樹園が並ぶ県道「フルーツライン」沿いにあり、フルーツの収穫時期のみ営業しているが毎年県内外からたくさんの人が訪れる。</p>



<p>「私の実家も果樹農家でフルーツを栽培していましたが、朝早くから夜遅くまで働いていても購入したお客様の声を直接聞くことがなかったので、いつか直売所をやりたいと思っていました」と微笑む智美さん。念願を叶えた直売所では。和宏さんが丹精込めて育てた旬のサクランボ、モモ、リンゴを販売するほか、フルーツのうまみを生かしたジャムやジュースなどの手作りの加工品も販売している。併設するカフェスペースでは採れたてフルーツを贅沢に使ったスイーツが人気を集める。見た目も愛らしく、インパクトのある「贅沢！朝採りまるごと桃のパフェ」も大好評。晴れた日はテラス席で、周囲に広がる山々の景色を愛でながらスイーツやドリンクを楽しむことができる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">子どもたちや若い世代に福島のフルーツの魅力を伝えたい</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8252.jpg" alt="" class="wp-image-54380" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8252.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8252-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8252-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ちょっと傷のあるものや形が小さいものなど、B級品を直接販売することができるのも直売所ならでは。「お客様からも好評で、リピートしてくださった際には同じ果実で作ったジャムなどもお土産に購入していただいています」と話す智美さん。念願だった直売所とカフェをオープンして6年。「和宏さんが作る美味しいモモを多くの人に伝えられる喜びと、わが家の子どもたちに福島の農業やモモの魅力を伝えられている喜びがあります」と笑顔があふれる。「カフェを通して、若い世代が福島のフルーツや農業に興味を持ってくれるのもうれしいです」と和宏さんにも笑顔があふれる。</p>



<p>お客様からの「美味しかった」という声をエネルギーに、二人三脚で福島のフルーツの魅力を発信する樅山さんご夫妻。先祖から受け継いだ大切な果樹園をプライドを持って守り続けていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54367/">福島が誇るモモを自然由来の土づくりで大切に育む樅山果樹園の樅山 和宏さん･智美さん／福島県福島市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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