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	<title>高知県 - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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	<title>高知県 - NIHONMONO</title>
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		<title>人をつなぐ炭づくり「土佐備長炭一」／高知県安芸市</title>
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		<pubDate>Sat, 10 Oct 2026 03:49:55 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[備長炭]]></category>
		<category><![CDATA[土佐備長炭]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-141423.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県東部に位置する安芸市は、北に四国山地、南に土佐湾を望む。森林率は89％に達し、山が深く谷が多い地形をしている。そのため、山間部にはかつて炭焼き小屋が点在し、地域の文化を形づくっていた。しかし、燃料としての炭の需要減 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-141423.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県東部に位置する安芸市は、北に四国山地、南に土佐湾を望む。森林率は89％に達し、山が深く谷が多い地形をしている。そのため、山間部にはかつて炭焼き小屋が点在し、地域の文化を形づくっていた。しかし、燃料としての炭の需要減少や産業構造の変化により、やがて炭窯の火は消えていった。</p>



<p>一度途絶えた安芸市の製炭業に、再び火をともした若き炭焼き職人がいる。教員から転身し、2015年7月に「土佐備長炭一」を立ち上げた近藤寿幸さんだ。10年を経た現在も、安芸市で唯一の窯元として製炭を続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">かつての備長炭産地で再始動する</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-144121.jpg" alt="" class="wp-image-55354" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-144121.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-144121-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-144121-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>窯の前に立つと、まず、その綺麗さに驚く。炭焼き小屋といえば、土埃と煤にまみれた現場を想像しがちだ。しかしここは、かつて県と市が建てたものを近藤さんが10年前に手に入れ、修繕しながら守り続けてきたという。整えられた空気には、職人としての矜持が滲む。</p>



<p>炭焼き窯が囲われているのも特徴的だ。全国的にみても、雨除けの屋根が付いた窯は見られるものの、ここまで囲われている窯はなかなか無い。</p>



<p>備長炭の製造で有名な和歌山（紀州備長炭）や宮崎（日向備長炭）も窯は基本的には野ざらしだ。一方、高知（土佐備長炭）では、昔から窯を建物で囲う文化があるという。「雨風が強い高知で、湿気が入って炭が爆ぜるのを防ぐためでしょうね。特にここは僕が厳重に囲っているというのもありますけど」と近藤さん。品質を守るための知恵が形になっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">良質な備長炭の原木を伐るのは、命がけの仕事</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-160622.jpg" alt="" class="wp-image-55355" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-160622.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-160622-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-160622-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>備長炭の原木は大きく分けてウバメガシとカシの二種があり、どちらも硬く、密度の高い木ほど良い炭になる。「原木の密度が高いほど、炭の温度も燃焼時間も伸びるんです」と近藤さんは語る。</p>



<p>ウバメガシは安芸市でも一部の地域で見られるが、広く分布しているのは和歌山県、愛知県の知多半島、高知県の室戸市や東洋町など、ごく限られた地域に限られる。いずれの場所</p>



<p>も、ウバメガシの生育地は平地ではなく、岩場や急斜面といった厳しい環境だ。過酷な土地でゆっくり育つことで木の繊維が締まり、硬く強い、備長炭の原木にふさわしい密度を備えた木へと育っていく。</p>



<p>そのため、原木を伐り出す山は想像を超える険しさとなる。</p>



<p>「高知県の山は勾配がきつく、木は急斜面に生えています。伐採現場は常に命の危険と隣り合わせです」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">個性を持つ備長炭は“料理の相棒”と呼ばれる</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-144816.jpg" alt="" class="wp-image-55356" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-144816.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-144816-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-144816-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>炭には「白炭」と「黒炭」がある。土佐備長炭は白炭に分類され、焼き方と仕上げの工程が大きく異なる。白炭は、1,000度を超える高温で一気に炭化させて窯から真っ赤に焼けた状態で取り出し、灰をかけて急冷する。灰が白く付くため「白炭」と呼ばれる。一方、黒炭は400〜700度の低温でゆっくり焼き、窯の中で密閉して冷やすため炭素が黒いまま仕上がる。</p>



<p>料理の世界では、この炭の個性の違いが、決定的な差を生む。</p>



<p>「白炭は炎が立たず、高温の遠赤外線でじっくり焼けるため、表面を焦がさずに中まで火が通ります。黒炭は炎が立つので、表面が香ばしく焼けるんです。例えば、黒炭を使って焼き上げた焼き鳥は、焦げていなくてもまっ黒な色になりますよね。料理人の方に言わせると、白炭にしか出せない黄金色と、黒炭にしか出せない黒色があるようですね」と近藤さんは言う。</p>



<p>料理人は、火力や温度の上がり方、燃焼時間、香りといったそれぞれの個性を理解し、料理に合わせて使い分ける。備長炭が「料理の道具」ではなく「料理の相棒」と呼ばれる理由が、ここにある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「横くべ」という革新的な窯入れ方法が、高知を生産量日本一へと押し上げた</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-150257.jpg" alt="" class="wp-image-55357" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-150257.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-150257-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-150257-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>土佐備長炭は、製造工程において他にはない独自の窯入れ方法を採っている。和歌山や宮崎が伝統的に行う、木を立てて窯に入れる「縦くべ」に対し、高知では木を寝かせて入れる「横くべ」だ。木を寝かせて積み上げるため、大量の原木を容易に窯の中に積み上げられる。この技術は、実は面白い偶然から生まれた。</p>



<p>燃料革命で炭が売れなくなった時代、気落ちした高知の炭焼き職人が「もうやってられん」と原木を適当に窯へ入れたところ、意外にも美しい炭が焼き上がったという。職人は、そこから工夫を重ね、わずか十年ほどで「横くべ」方式を完成させたのだ。</p>



<p>「横くべ」は窯の大型化を可能にし、高知は9〜12トン級の大窯を扱う、日本最大の備長炭産地へと成長した。</p>



<p>伝統は、ただ守るだけでは続かない。時に偶然が、革新的な発想の転換を生み出す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">良い炭と悪い炭の判断基準 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-145559.jpg" alt="" class="wp-image-55358" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-145559.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-145559-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-145559-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>良い土佐備長炭とは、長さが24〜20センチほどで、叩くと「チンチン」と金属のような澄んだ音が響く、硬度16度以上の炭を指す。</p>



<p>「見ればすぐに分かります。表面がツルッとしていて、滑らかで美しいものが良い備長炭です。逆に、表面がささくれていたり、穴が空いていたりするものは良くありません。割れ目から空気が入り、燃焼時間や温度がまばらになるんです。焼き鳥屋さんや鰻屋さんのように、一定の火力を求めるお客様にとっては扱いにくい炭になってしまう。結果として、良い炭ではないという評価になるわけです」と近藤さんは語る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">障がい者の働ける場所づくりを目指して </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-145049.jpg" alt="" class="wp-image-55359" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-145049.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-145049-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-145049-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>開業して10年が経つ。前職は特別支援学校の教員だった近藤さんは、土佐備長炭を伝統産業とする室戸市にある窯元に弟子入りして2年間で技術を学び、地元の安芸市で開窯したというが、伝統産業は決して甘い世界ではない。何を原動力にここまで続けてこられたのだろうか。</p>



<p>そもそも、近藤さんは“炭”ありきで炭造の道に入ったのではなかったそうだ。教員を務めながら、障がいのある生徒たちの成長と進路に向き合う中で、高知県東部に障がい者雇用の場がほとんどないという現実に直面していた。そんな時に、趣味の剣道を通じて土佐備長炭の職人に出会い、17工程に細かく分かれた炭焼きの仕事を知る。その中に、「支援があれば障がいのある人でもできる工程がある」と気づき、炭焼き職人への転身を決意したという。</p>



<p>「周囲の反対を全て押し切ってこの世界に飛び込んだのですが、『間違えた』と思いました。もう、しんどいし、きついし、給料は少ないし、休みもない。でも、障がい者を雇用する場をつくりたいと言って学校の先生を辞めた以上、その目標を達成せずに戻ることはできない。意地でも雇用をするまでは辞めないと決めてやってきました」。</p>



<p>ようやく障がいのある人を雇うことができるようになり、しばらく経ったある日、スタッフたちが言った。</p>



<p>「障がい者として生まれてよかったです。」「ずっとネットの世界で生きてきましたが、初めて現実の世界で居場所を得ました」。</p>



<p>近藤さんの歩む道を肯定する言葉だった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">命を懸ける仕事の対価</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-160235.jpg" alt="" class="wp-image-55360" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-160235.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-160235-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-160235-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>土佐備長炭一の備長炭づくりは、伐採・運搬・窯入れ・乾燥10日・炭化10日・窯出しという一連の工程を、約30日かけて進めていく。その後、選別・梱包・出荷へと続く。 これは、近藤さんが10年かけて見つけた、工房の窯に最も適したサイクルだ。安全で習熟しやすい工程は障がいを持つスタッフが担っている。近藤さんはこれまでに障がいを持つ人を４人雇用した経験があり、現在は、５人目のスタッフが一人いて、活躍しているという。</p>



<p>近藤さんは語る。</p>



<p>「多くの人が思い浮かべる炭焼きの風景は、窯の前の静かな作業だと思いますが、備長炭づくりの山での仕事こそ伝えたいです」。</p>



<p>伐採を行うのは、斜度50〜60度の急斜面だ。片側に谷が口を開ける細い山道を、ガタゴトと揺られながら車を運転してたどり着く。スパイク付きの地下足袋をはき、梯子を登って木々の元へ。崩れやすい足場でチェーンソーを操り、木の倒す方向を誤らずに伐る。倒した木は長さ約180cmに切り揃え、１本１本斜面を滑らせて運搬車が入るところまで落とす。</p>



<p>半日で30本、約1トンの原木を運搬車に載せ、軽トラックに積み込み直し、窯へと運ぶ。 山での作業は、一つ誤れば即、命を落としかねない。実際に滑落事故も起きている。</p>



<p>「費用対効果なんて合わないですよ」と苦笑しながらも、真剣な眼差しは揺るがない。</p>



<p>それでも近藤さんが続けるのは、障がい者の働ける場所をつくり、炭を待つ料理人に応え、そして山を守りたいという強い思いがあるからだ。</p>



<p>「今の夢は、そうですね、もうちょっと障がい者の雇用を増やしたいです。現状に満足はしていなくて。僕は、目標が達成できたら、また別の目標を掲げます。自分ができることを追い求めている時が幸せだと感じます」</p>



<h2 class="wp-block-heading">炭焼きで、人と山の未来をつなぐ </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-141748.jpg" alt="" class="wp-image-55361" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-141748.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-141748-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-141748-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>近藤さんは、山の未来を守るために、紀州備長炭の生産者が実践してきた「択伐（たくばつ）」を取り入れ、10年サイクルで山を再生させる取り組みを続けている。</p>



<p>択伐とは、森の中から成熟した木だけを選んで伐る方法だ。森全体を残したまま必要な木だけを選んで伐るため、鳥や動物のすみか、水を蓄える土壌など、森が本来持つ働きを保ちながら利用できる。</p>



<p>一方、これまで一般的だった皆伐（かいばつ）は、一定の区画にある木を一度にすべて伐採する方法で、短期間で多くの木材を得られる利点がある。しかし、伐った直後は地面がむき出しになり、光や風の通り方が変わることで、森の環境は大きく変化する。そのため、伐採後には苗木を植え、森を育て直す再造林が欠かせない。</p>



<p>皆伐では、次の木が育つまでおよそ25年かかると言われている。それに対し、択伐なら10年に一度のサイクルで山に戻り、原木を得ることができる。</p>



<p>ただし、どの山でも択伐ができるわけではない。長く人の手が入らなかった山では、木が太く大きく育ちすぎていることがある。そうした大木を伐り倒すと、周りの木に引っかかったり、巻き込んで倒れたりして、重大な事故につながりかねない。安全を優先すると、結果として広い範囲を伐らざるを得ず、皆伐に近い形になる場合もあるという。&nbsp;</p>



<p>近藤さんは言う。</p>



<p>「高知でも択伐を取り入れていけば、資源がなくなることを防げると思って、僕は択伐をしています。今、世界の和食ブームもあって備長炭への問い合わせは多いです。生産者が少ない分、作れば作るほど売れる状況にはあります。ただ、原材料の木を伐りすぎたら、今度は材料がなくなって作れないということになる。資源が無くなり、技術が途絶えるようなことはしたくないので、どうバランスを取っていくかが、とても大事だと思います」</p>



<p>だからこそ近藤さんが大切にしているのは、山を長く放置しないことだ。</p>



<p>「山は、一定の周期で人が入り、木を伐り、また次の木を育てていくことで、次の世代へつないでいけるんです。炭をつくるために木を伐るだけじゃなく、木を使いながら次の山を育てていくところまでが、炭焼きの仕事だと思っています」&nbsp;</p>



<p>今日もまた、土佐備長炭一で一本の木が炭へと生まれ変わっていく。</p>



<p>その営みが、障がいのある人が胸を張って生きられる場所を維持し、未来の山を支えている。近藤さんにとって炭を焼くことは、人と山の未来をつなぐ仕事なのだ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55344/">人をつなぐ炭づくり「土佐備長炭一」／高知県安芸市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>1959年創業、カツオの一本釣り漁業を守り抜き、高知の食文化を支えていく「明神水産株式会社」／高知県幡多郡黒潮町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 10 Oct 2026 03:08:35 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[カツオ]]></category>
		<category><![CDATA[一本釣り漁]]></category>
		<category><![CDATA[水産業]]></category>
		<category><![CDATA[ブライン凍結一級品]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-144306-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県の県魚はカツオであり、その消費量も全国一位。カツオは、県民に深く愛されている。 そんなカツオ県でも、名の知れた存在が、黒潮町の明神水産だ。明神水産のカツオの藁焼きタタキは、ただ美味しいだけではない。一本釣りで乱獲か [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-144306-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県の県魚はカツオであり、その消費量も全国一位。カツオは、県民に深く愛されている。</p>



<p>そんなカツオ県でも、名の知れた存在が、黒潮町の明神水産だ。明神水産のカツオの藁焼きタタキは、ただ美味しいだけではない。一本釣りで乱獲から海の資源を守り、鮮度を極めるための技術は貪欲に取り入れる。タタキを作るための良質な藁を得るために農業法人を立ち上げ、町内の休耕田を再生し、使った藁灰は田んぼの肥料として還元するなど、海と山の循環型モデルを形成している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">県魚であり消費量も日本一。県民のカツオ愛</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-163512-4.jpg" alt="" class="wp-image-55309" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-163512-4.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-163512-4-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-163512-4-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高知市から西へ約90キロメートル。高知県南西部に位置する黒潮（くろしお）町では、土佐沖の黒潮に乗ったカツオを追って、古くから一本釣り漁が盛んであり、「カツオの町」のイメージが定着している。</p>



<p>また、近年は、自然資源を活かした「ホエールウォッチング」などの体験型観光や、土佐西南大規模公園を活用したスポーツツーリズムなどにより、県内外から多数の人が訪れている。</p>



<p>漁船が出航する佐賀（さが）漁港のすぐ近くにあるのが、「カツオの藁焼きタタキ」で有名な「明神水産」の本社だ。</p>



<p>代表取締役であり、一国一城の主となった現在でも、船を出し、趣味でカツオを釣りにいくという明神正一さんがカツオの「タタキ」の由来を教えてくれる。</p>



<p>「そもそもタタキは、冷蔵・冷凍がない時代に鮮度の落ちたカツオを安全に食べるための漁師町の知恵でした。酢と醤油を手のひらに乗せて、軽く炙ったカツオを刺身に切り、その上から叩いて味を染み込ませたのです。その上にネギやタマネギ、ニンニクなどの薬味を乗せていました」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">一本釣り漁をこれからも守っていく</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-163624-2.jpg" alt="" class="wp-image-55310" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-163624-2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-163624-2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-163624-2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>黒潮に乗って、2月から3月頃に土佐湾沖を北上するのが「初カツオ」。その後、千葉沖や東北あたりでたっぷりとアミ（エサ）を食べながら南下して、秋に土佐沖へ戻ってくる頃には脂が乗り、「戻りカツオ」と呼ばれる。</p>



<p>一本の釣竿でカツオを釣り上げる土佐伝統の「一本釣り漁」を土佐湾沖で行ってきたのが明神水産で、創業は1959年だ。</p>



<p>「全国的にはカツオ＝高知というイメージがあるかもしれませんが、実は水揚げ量は決して多くないんです。静岡や鹿児島など他県では、大量に漁獲できる巻き網漁が中心で、一度に100トンを超えるなど、カツオを一網打尽にして漁獲します。私たちは1日40から50トンが限界。今でも高知と宮崎は伝統的な一本釣り漁で、群れがエサを食べなければそこで終わり、他の場所を探します。獲り過ぎない、自然に優しい、持続可能な漁法です」と、明神さんは強い誇りを持って語る。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/9645000799c78b5773ecd92240a0d6c3.jpg" alt="" class="wp-image-55311" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/9645000799c78b5773ecd92240a0d6c3.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/9645000799c78b5773ecd92240a0d6c3-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/9645000799c78b5773ecd92240a0d6c3-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>返し（かえし）のない擬餌針（ぎじばり）を使い、高々と跳ね上げられたカツオは、その軌跡の頂点で針から外れるため、連続して釣ることができる。リズム良く釣り上げるには3年ほどの熟練が必要だ。大物のカツオになるほど扱いが難しく、技術の差が出てくる。</p>



<p>一本釣りは魚体を傷めず品質が良いため、網漁と比べて1キログラムあたり3〜4倍と高い単価で取引される。そのため、水揚げ自体が少なくても漁業を成立させてきた。</p>



<p>現在では自社で4隻の近海船とグループ会社で3隻の大型冷凍船を保有しており、その冷凍船は遠洋で操業できる「勝栄丸」だ。 この船は「B-1船」と呼ばれ、釣れたカツオは一匹ずつ即座に魚槽の「食塩ブライン溶液」と呼ばれるマイナス20度前後の高濃度の食塩水に投入、生きたまま急速凍結して鮮度が落ちる隙を与えない。</p>



<p>さらに、ベテラン漁師は2秒に1匹のペースで釣り上げる。釣り過ぎで魚槽をいっぱいにして冷凍スピードを落とさないよう漁労長が漁獲量を見極め、ストップをかけるという。</p>



<p>「ほんまに一気に釣れる時は１時間半から２時間もぶっ続け。重量で言うたら55トンとか60トン、キロ数にして６万キロがバンバンバンバン釣れるきね」と、長年にわたり漁労長を務めた明神さんが熱く語る。</p>



<p>一本釣りを極める明神水産のカツオは、「B-1（ブライン凍結一級品）」として、全国的に高評価を得ている。</p>



<p>一方、巻き網漁では、例えば100トン捕ったら、その100トンもの大量のカツオを一気に船内の魚槽へ入れて凍らせるため、魚体の中心温度がゆっくり下がる緩慢（かんまん）凍結になり、魚の肉質が落ちやすい。</p>



<p>明神水産では、B-1船で獲れた最高グレードのカツオをすべて藁焼きタタキにするが、それでも、自社製造のタタキに使うカツオの年間量のまだ半分くらいだという。</p>



<p>部長で広報を担当する富岡健太さんは、「例えばうちの船が釣っていて、脂の乗ったとても良いカツオだった場合、その漁場にいる他社の船の獲物も同じ品質と考えられます。それを買い付けすれば、良い原料ばかりを選んで集められます」と話す。</p>



<p>明神さんも「燃料代の高騰や後継者問題もあり、漁船も年々減ってきています。素人目からするとライバルが減って有利になると思うかもしれませんが、漁師から見ると、船が減れば余計に釣れなくなる。広大な太平洋に散らばって漁をしているからこそ、漁師同士、送られてくるデータをもとに漁場を探していくんです」という。</p>



<p>カツオ船は1日3回、今どこで漁をしていて、どれだけの漁獲高があるかを情報共有する決まりがあり、これらの情報はすべてオープンになっている。富岡さんにスマートフォンを見せてもらうと、AIS（船舶自動識別装置）を使って「勝栄丸」の操業場所がすぐに把握できた。船の安全性のこともあるだろうが、ライバルでありながら共存共栄する漁の世界は面白い。</p>



<h2 class="wp-block-heading">藁焼きの迫力と美味しさは比例する</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-162817-2.jpg" alt="" class="wp-image-55312" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-162817-2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-162817-2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-162817-2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>明神水産が水産物の加工販売、およびカツオの藁焼きタタキの製造・販売を始めたのは1986年。本場高知のタタキの美味しさを全国の人に知ってほしいという思いからスタートした。</p>



<p>藁は一気に燃え上がり、すぐに灰になるため、表面だけを焼き、中は生のままに仕上げられる。ガス焼きでは再現できない香りと食感が生まれるのだ。冷凍でありながら鮮度抜群のカツオと、その藁焼きの香りこそが、明神水産のタタキの魅力である。</p>



<p>その魅力を一気に有名にしたのが、高知市の観光名所「ひろめ市場」にある店舗「明神丸」だ。藁焼きの実演をしながら、その場で出来立てを食べてもらう。そのカツオのタタキの香ばしさ、美味しさが評判となり、今や県内外に飲食店を構えている。また、黒潮町にある「道の駅なぶら土佐佐賀」の運営も行っており、そこでも同じようにカツオの藁焼きタタキの食事ができるようにしている。</p>



<p>現在、明神水産では高知県内に6店舗、東京に5店舗、大阪・岡山に2店舗、四国に2店舗を展開している。これら飲食店では、良質な藁を得るために運営を始めた自社農園「明神ファーム」で育てた藁を使用してタタキを焼き上げ、そこで獲れた米を使っている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">巨大な藁倉庫に、スタッフの苦労が伝わる</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-160413-2.jpg" alt="" class="wp-image-55313" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-160413-2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-160413-2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-160413-2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>明神水産はカツオの確保と合わせて、藁の確保に力を注いできた。</p>



<p>当初は、スタッフが近隣の市町村をはじめ、県内、四国内の農家から藁を集めていたという。しかし、高齢化のため米作りをやめる人も多く、藁不足は深刻な課題となった。そこで明神さんが「それなら自分たちで米を作ろう」と、2014年に「明神ファーム」を立ち上げた。耕作放棄地を借り、年々規模を拡大。地域農家と協力し、伝統的な稲木干しなどの技術も継承している。</p>



<p>乾燥した藁をさらに除湿し、燃え上がりの良い状態で保管するための専用倉庫も用意した。巨大な藁倉庫に案内してもらったが、実は6か所ほど倉庫があり、そこにストックされているという。しかし、それでも年間使用量の4万束には足りないため、スタッフは高知県内で藁の確保に走り回っている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">マイナス50度のすごさを体感</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-155128-2.jpg" alt="" class="wp-image-55314" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-155128-2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-155128-2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-155128-2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>加工場を案内してもらう。鮮度を維持しているカツオを保管している超低温倉庫はマイナス50度。超低温で保管しているため賞味期限が長く、年間を通して切らすことなくカツオの提供を可能にしている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-155913-1.jpg" alt="" class="wp-image-55315" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-155913-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-155913-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-155913-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>この凍結したままの状態で、1人前、2人前などニーズに合わせてカット加工を行う。それからオリジナルの藁焼き専用機を使い、その日の気温、湿度、カツオの脂の乗り具合を確認しながら、使用する藁の量を調整して表面を5分から6分ほど焼いていく。それをギフト用、セット用などにパックし、ラインで仕分けをした後、マイナス35度の「液体瞬間凍結」を行って冷凍保管する。</p>



<p>製造の8割から9割がタタキであり、残りはマグロを使用した丼を製造しているそうだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統的な漁法「一本釣り」で未来を拓いていく</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-160737-1.jpg" alt="" class="wp-image-55316" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-160737-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-160737-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-160737-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>明神さんは「うちの強みは、役員をはじめ漁労長や飲食部門の責任者に兄弟や親せきといった身内がおり、絆が強いところですね」と話す。「船があれば頑張っていけるし、カツオの安定的な確保には自社船が欠かせない」とも言う。</p>



<p>今、新しいカツオ船の建造計画がある。海を知り尽くした会社からは、常に進化していく覚悟が感じられる。明神さんは、今の課題をこう語る。</p>



<p>「それがね、僕が28歳の時から71歳まで漁労長をやってきた中で、どう考えても海を見るたびに魚が減っていく。近年の漁場は、30代40代の時に見た群れの大きさと比べたら雲泥の差がある。魚自体が枯渇することはおそらくないとは思うけれど、少なくなっていることは確か。自社でカツオを確保していかないと、いくら「明神のたたきは美味しい」と言っても、原料が無くなったらどうしようもない。遠洋の漁をもっと増やさないと」</p>



<p>明神水産が海の資源を守る一本釣りを続けることには揺るぎが無い。海の変化に立ち向かいながら、次の世代へバトンを渡そうとしている。私たちが美味しいカツオを食べ続けられるために、この古から続く漁法が絶えることなく、むしろ広がりをみせてほしいと願わずにはいられない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55299/">1959年創業、カツオの一本釣り漁業を守り抜き、高知の食文化を支えていく「明神水産株式会社」／高知県幡多郡黒潮町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>高知の素材と人が醸す、唯一無二のクラフトビール「高知カンパーニュブルワリー」／高知県香美市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 30 Sep 2026 03:58:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[ブルワリー]]></category>
		<category><![CDATA[龍河洞]]></category>
		<category><![CDATA[和醸]]></category>
		<category><![CDATA[四万十ぶしゅかんエール]]></category>
		<category><![CDATA[日高村フルーツトマトエール]]></category>
		<category><![CDATA[クラフトビール]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b132605.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>古くから林業や農業が息づく高知県香美市。この地には、白髪山（しらがやま）を源に土佐湾へ注ぐ一級河川・物部川が流れる。上流の山々から運ばれる清らかな水、扇状地ならではの水はけのよさ、昼夜の寒暖差が大きい内陸気候。そんな恵ま [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55247/">高知の素材と人が醸す、唯一無二のクラフトビール「高知カンパーニュブルワリー」／高知県香美市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b132605.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>古くから林業や農業が息づく高知県香美市。この地には、白髪山（しらがやま）を源に土佐湾へ注ぐ一級河川・物部川が流れる。上流の山々から運ばれる清らかな水、扇状地ならではの水はけのよさ、昼夜の寒暖差が大きい内陸気候。そんな恵まれた環境に魅せられた移住者がブルワリーを立ち上げ、地域とともに唯一無二のクラフトビールをつくっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">大阪から高知へ。「暮らし」に惹かれた移住の始まり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b131708.jpg" alt="" class="wp-image-55253" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b131708.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b131708-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b131708-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>瀬戸口信弥さんが初めて高知を訪れたのは、義兄が高知大学に通っていた縁からだった。</p>



<p>手つかずの自然、身体が喜ぶ食、人情深い人々。そのすべてに心を掴まれ、「まずはこの土地に住みたい」と思ったという。</p>



<p>当時の瀬戸口さんは工業高校から大学院まで理工系学部で学んだエンジニア。電子機器を扱う仕事に携わりながらも、心のどこかで「人生を捧げられる仕事」を探し続けていた。20代後半、迷いと模索の中で出会ったのがクラフトビールだった。</p>



<p>全国のブルワリーを巡り、職人たちの姿勢に触れ、ビールが土地の文化として成立していることを知る。さらにアメリカ・ポートランドで研修を受け、帰国後は島根県の株式会社石見麦酒で1年間修行。「一生つくり続けたいもの」が確かな形を持ち始めた瞬間だった。</p>



<p>クラフトビールは、素材と向き合い、土地と向き合い、人と向き合う仕事だ。瀬戸口さんはその奥深さに魅了され、やがて「自分のビールを、自分の選んだ土地でつくりたい」と強く願うようになった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">地域に支えられた、小さなブルワリーの誕生　</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170350.jpg" alt="" class="wp-image-55254" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170350.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170350-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170350-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高知へ移住して8年後、瀬戸口さんは香美市でブルワリーを開業する。</p>



<p>最初の工房は、地域の人が「ここなら安く貸せるよ」と差し出してくれた古い居抜き物件だった。床を磨き、壁を塗り、設備を自作し、仕込みもすべてひとりでこなす。まさにゼロからのスタートだったが、瀬戸口さんは「この土地でつくる」という決意だけを胸に、黙々と作業を続けた。</p>



<p>やがて新聞やテレビで紹介されると注文が急増。１日２回仕込んでも追いつかず、疲労はピークに達した。</p>



<p>そんな時、「困っちゅうがやろ？」と地域の人が半年もの間、ボランティアでラベル貼りを手伝ってくれた。</p>



<p>移住者である彼を地域が丸ごと受け止めた瞬間だった。瀬戸口さんは「自分はひとりでビールをつくっているのではない。地域と一緒につくっているのだ」と強く感じたという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">高知でしかつくれないビールを。素材を主役に据える哲学</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170714.jpg" alt="" class="wp-image-55255" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170714.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170714-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170714-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>瀬戸口さんのビールづくりの中心には常に「素材」がある。最初に手がけたのは高知産のユズ、棚田米と山椒、土佐文旦だった。</p>



<p>「素材を隠し味ではなく主役にする」という。渋みが出る素材ならビール側の設計で包み込み、香りを立たせたい素材なら発酵温度やホップで輪郭を整える。素材の個性を尊重しながら、ビールとしての調和を生み出す。モルトは現状ドイツ産だが、糖化効率や味の相性を何度も試し、ブレンドを重ねて最適解を探す。</p>



<p>「高知でつくる意味」を素材から逆算して組み立てる姿勢が、ビールに揺るぎない芯を与えている。</p>



<p>瀬戸口さんは「素材の背景まで含めてビールの味になる」と語る。</p>



<p>生産者の想い、土地の風土、季節の移ろい。それらすべてがビールの一部だ。だからこそ、素材を主役に据えることは、高知という土地そのものをビールに封じ込める行為でもある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">コロナ禍で原点回帰「地域限定ビール」の誕生</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-173628.jpg" alt="" class="wp-image-55257" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-173628.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-173628-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-173628-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>順調に成長していたブルワリーを襲ったコロナ禍。売上は半減し、社員を休ませざるを得ない状況に追い込まれた。しかし、この「強制停止」が瀬戸口さんを原点へと立ち返らせた。</p>



<p>「地域のためにビールをつくる」という強い想いが、再び胸に灯った。</p>



<p>こうして「四万十ぶしゅかんエール」「日高村フルーツトマトエール」など地域限定ビールが誕生。新聞掲載をきっかけに県内の道の駅から依頼が相次ぎ、地域コラボビールが次々と生まれていった。</p>



<p>地域の素材を使い、地域の人とつくり、地域で飲まれるビール。</p>



<p>それは単なる商品ではなく、土地の物語を伝えるメディアのような存在だった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">和と洋の発酵文化が交差する「和醸ケルシュ」 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170137.jpg" alt="" class="wp-image-55258" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170137.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170137-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170137-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>瀬戸口さんの工房には、ビール醸造所では珍しい「甑（こしき）」がある。</p>



<p>ここでお米や芋、栗、在来種トウモロコシを「直火」で蒸し、甘酒糖化タンクで48時間かけてグルコースに変える。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-171343.jpg" alt="" class="wp-image-55259" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-171343.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-171343-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-171343-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>さらに、日本酒酵母とビール酵母を掛け合わせた独自の発酵技法「和醸」を考案。</p>



<p>これによって生まれたフルーティーな香りと、すっきりとしたキレのある後味が、ドイツ西部・ケルン地方で伝統的に造られるビールスタイル「ケルシュ」に通じるものがあったため、和醸ケルシュと名付けた。</p>



<p>日本酒酵母の繊細さとビール酵母の力強さが再構成する香りは、料理では決して生まれない発酵の魔法だ。</p>



<p>ホップの代わりに「カヤの実」を使うなど、地域素材を大胆に取り入れた挑戦も続いている。</p>



<p>和と洋の発酵文化が交差するこのビールは、瀬戸口さんの哲学そのものだ。</p>



<p>「土地の素材を使い、土地の水で、土地の人とつくる」。その姿勢が新しい発酵文化を生み出している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">龍河洞の硬水がつくる「抜けの良さ」 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-174124-1.jpg" alt="" class="wp-image-55260" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-174124-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-174124-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-174124-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ブルワリーがある山の上には、日本三大鍾乳洞のひとつ･龍河洞（りゅうがどう）もあるほど、この地域は石灰質な地層をもつ。ブルワリーの井戸水は、この山の水脈を源とするため、1億年以上の時をかけて地底を流れ、ミネラルやマグネシウムを豊富に含んだ中硬水だ。日本の多くのブルワリーが軟水で仕込む中、ここではヨーロッパのエール文化に近い水質で醸造できる。</p>



<p>瀬戸口さんは「水が味の方向性を決める」と語る。</p>



<p>ほどよい硬水は甘み・旨みだけでなく、苦味と渋味の背骨をつくる。香りから後味まで一本の線でスッと抜けていく「抜けの良さ」は、この水が支えている。</p>



<p>龍河洞とも由来を同じくする硬めの水が、高知カンパーニュブルワリーのビールに独特のキレと深みを与え、他にはない個性を生み出している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「分かち合いのビール」。物部川流域ブランド発信！ </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b134117.jpg" alt="" class="wp-image-55261" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b134117.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b134117-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b134117-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>瀬戸口さんの夢は、物部川流域全体をひとつのブランドとして育てることだ。飲食・宿泊・体験を通じて、訪れた人がこの土地の魅力をまるごと味わえる場所をつくりたいと考えている。</p>



<p>その空間に欠かせないのが、同じテーブルを囲み、笑いながら乾杯を分かち合える飲み物である。ビールが好きな人にも苦手な人にも届けられるよう、低アルコールやノンアルコールビールの開発を今後のテーマとしている。</p>



<p>動画制作チームを迎え、素材の背景や生産者の想いを発信していく準備も進む。</p>



<p>感動を共創し、伝える。その理念を胸に、瀬戸口さんは今日も、この土地でしか生まれ得ないビールを醸し続けている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55247/">高知の素材と人が醸す、唯一無二のクラフトビール「高知カンパーニュブルワリー」／高知県香美市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>柚子飲料「ごっくん馬路村」が代名詞になった辺境の村。「馬路村農協」の挑戦 ／高知県安芸郡</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 30 Sep 2026 03:40:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[柚子]]></category>
		<category><![CDATA[馬路村]]></category>
		<category><![CDATA[ごっくん馬路村]]></category>
		<category><![CDATA[ゆずの村]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/uma-N.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県は、全国生産量の約半分を占める“ゆず王国”として知られている。年間およそ1万トンという圧倒的なシェアを誇り、その存在感は群を抜く。なかでも馬路村（うまじむら）は、高知県内での生産量こそ5番目ほどだが、柚子飲料「ごっ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55231/">柚子飲料「ごっくん馬路村」が代名詞になった辺境の村。「馬路村農協」の挑戦 ／高知県安芸郡</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/uma-N.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県は、全国生産量の約半分を占める“ゆず王国”として知られている。年間およそ1万トンという圧倒的なシェアを誇り、その存在感は群を抜く。なかでも馬路村（うまじむら）は、高知県内での生産量こそ5番目ほどだが、柚子飲料「ごっくん馬路村」や、ぽん酢しょうゆ「ゆずの村」といった人気商品によって、全国的に名を馳せている。</p>



<p>かつては林業を主な生業としていた山間の小さな村は、この60年あまりで、多くの人を惹きつける“ゆずの村”へと変貌を遂げた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">森林率96％の村の分岐点 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="549" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others19.jpg" alt="" class="wp-image-55239" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others19.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others19-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others19-768x511.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>馬路村へは、高知市から東方面へ車で約1時間半。くねくねした山道を奥へ奥へと走り続け、ようやくたどり着く。日本屈指の多雨地帯だ。周囲をぐるりと1千メートル級の山に囲まれた村の森林率は96％。家々と畑は、残り4％のわずかな谷間の平地に、寄り添うように並ぶ。</p>



<p>「本当に山奥なんです」と笑うのは、村の産業を担う馬路村農業協同組合の組合長を務める長野桃太さんだ。</p>



<p>村は、戦国時代より銘木「魚梁瀬杉（やなせすぎ）」を産出し、豊臣秀吉にも献上してきた歴史を持つ。最盛期には3,500人が暮らしていたという。しかし、昭和20年代以降、戦後復興のためのダム建設、森林鉄道の廃線、輸入材の流入など、時代の波に抗えず林業は衰退した。そして、選んだ新しい道が「柚子」だった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">60年前から始まった、小さな柚子の挑戦 <strong> </strong></h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="551" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others02.jpg" alt="" class="wp-image-55240" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others02.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others02-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others02-768x513.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>長野さんによれば、そもそも柚子は高知県を含む四国に、“平家の落人（へいけのおちうど）”が種を持ち込んだと伝えられており、馬路村にもおよそ800年前に伝来したという。柚子は海沿いから中山間地まで比較的どこでも栽培しやすいが、産地によって品質が驚くほど異なるのだそうだ。</p>



<p>日照時間が短く、寒暖差が激しい馬路村では、柚子は小ぶりになる。しかし、その小ささこそが香りの濃さにつながる。皮ごと搾ったときに立ち上がる精油の量が多く、香りが強いのだ。それは、山深い土地が与えた“個性”だった。</p>



<p>村で本格的な栽培を始めたのは昭和38年。当初は苦労の連続だったという。</p>



<p><br>県内では後発組だったため販路を県外に求めたが、当時の日本では柚子はまだ広く知られた柑橘ではなく、評価されない日々が続いた。「どう提案すればいいのか」。村は悩み、考え抜き、そして生み出したのが、のちに全国区となる柚子飲料「ごっくん馬路村」や、ぽん酢しょうゆ「ゆずの村」だった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">田舎を売り出す、「ごっくん馬路村」の誕生 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others37.jpg" alt="" class="wp-image-55241" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others37.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others37-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others37-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>柚子を使った商品の開発はできたが、それから販路を広げるのにも苦労した。昭和60年代、村は大きな決断をする。都会を追いかけるのではなく、“馬路村という田舎を価値にする”方向へ舵を切ったのだ。</p>



<p>「デザイナーさんと話して、『田舎を売ろう』と決めたんです」。大きな決断だった。</p>



<p>パッケージには、馬路村の素朴な空気をそのまま閉じ込めた。ネーミングは「ごっくん馬路村」。スーパーのバイヤーからは「何のジュースか分からない」と酷評されたが、決断を貫いた。</p>



<p>材料は、柚子とハチミツと水だけ。賞味期限はわずか4ヶ月。「メーカーではなく産地であれ」という哲学が、味にも姿勢にも宿る。流通のしやすさや賞味期限の長さを優先するメーカー的な発想ではなく、柚子の本質的な品質にこだわる。それは、産地としての誇りだった。</p>



<p>すると、徐々に商品が売れ出した。やがて、資金が乏しい中で村の自然を活かしたテレビCMを制作する。それが県内で話題となり、「ごっくん馬路村」は高知を代表する飲料へと育っていった。CMは、小さな村が自分たちの暮らしを商品化した転換点だった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ファンとの、温かみのあるコミュニケーションを大切にし続ける</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/24umaji-085015-1.jpg" alt="" class="wp-image-55242" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/24umaji-085015-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/24umaji-085015-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/24umaji-085015-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「ごっくん馬路村」は販売から30年ほどをかけて全国区の商品に成長し、村のゆず加工品全体の売り上げは年間30億円になった。以来20年間、その売り上げを維持する。「村内のゆずで安定的に生産ができて、ゆず農家にも村にも還元できる目安が30億円から35億円の間ぐらいです。他産地の原料を取り寄せて生産量を増やそうは考えていません」と長野さん。農協では2006年から、製造ラインを公開する「ゆずの森加工場見学」を実施。また、顧客対応を担うコールセンターでは、電話越しの“人と人とのやりとり”を大切にしている。</p>



<p>「馬路村のファンでいてくださる方は、機械的な応答ではなく、私たちの“声”を求めてくださっていると感じます。『最近の馬路村の景色はどう？』と尋ねられることもありますし、そんな会話のキャッチボールができるのは、この村のコールセンターならではだと思います」と長野さん。</p>



<p>村は、現在もぶれることなく「田舎らしさ」を届け続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">小さな村がつくる“大きな産業”</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others40.jpg" alt="" class="wp-image-55243" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others40.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others40-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others40-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>柚子の加工品づくりは、単なる特産品づくりではない。村の雇用を生み、暮らしを支える“産業化”だった。村役場と農協、そして生産者が一緒になって、林業に代わる大きな産業にしようと取り組んできたと、長野さんはいう。</p>



<p>「原料を売るだけでは、雇用は生まれません。加工することで、村の中に仕事が生まれるんです」。</p>



<p>現在、馬路村農協の職員は約90名。人口700人台の村で、これだけの雇用を生み出しているのは驚異的だ。ポン酢、ドリンク、ジャム、マーマレード、柚子胡椒──100種類を超える商品が村の工場で生まれている。</p>



<p>最近のヒットは、缶チューハイだ。添加物なしで柚子の味を再現するという馬路村らしいこだわりで、長野さんは「自分たちが納得できる柚子チューハイを完成させました」と嬉しそうに話す。販売数はすでに1万2000ケースに到達する。</p>



<p>さらに、柚子の種から抽出した「種子油」を使った化粧品も人気だ。「使い道のなかった種を活かすことで、また農家に還元できます。無駄なく使うという取り組みは、力を入れていきたいですね」と長野さん。柚子は、村の未来を支える力になっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">有機栽培という誇り </h3>



<p>馬路村の柚子は、2001年から全量が有機栽培。化学農薬も化学肥料も除草剤も使わない。</p>



<p>「皮ごと使うからこそ、安心して食べてもらいたい。それが有機栽培を選んだ理由です」。</p>



<p>ただし、有機栽培は見た目の“黒点”が出やすく、市場では不利になることもある。それでも村は、自然に近い柚子づくりを貫いてきた。</p>



<p>「柚子茶や皮製品では、有機の価値が伝わりやすい。これからは、見た目より“安心”を選んでもらえるようにしたい」と長野さん。</p>



<p>村では、杉の外皮と柚子の搾りかすを混ぜて発酵させた堆肥も作っている。山の恵みを循環させる、馬路村らしい取り組みだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">柚子が照らす未来、村が向かう先 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="619" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others01.jpg" alt="" class="wp-image-55244" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others01.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others01-300x225.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others01-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>柚子産業によって、馬路村は“豊かに暮らせる村”になった。現在、兼業を含めて190軒の柚子農家がいるという。柚子は加工原料として扱うため、75歳や80歳の人でも続けやすいというメリットがある。高齢者の場合、年金に加え、柚子から得られる副収入が100万〜200万円あれば、山の暮らしは十分に成り立つそうだ。村では農協や役場などで雇用があるため、若い人も意外と多いのだという。</p>



<p>「実は私もIターンでこの村に来たんですよ」と長野さんはにっこり笑う。「馬路村は人口700人台の本当に田舎です。けれど、しっかりとしたビジネスの母体がある。700人規模の市町村の中で、こんな地域はまずないのかなと思っています。中山間地での田舎暮らしとビジネス、いずれかを選んでもいいし、両方楽しむこともできます。さらに兼業で農業も可能というのは、特殊でしょう。加えて、衰退したとは言え林業もあり、若い人が山で働くようになったケースも見受けられます。暮らしやすさと、やりがいをPRしていきたいです」</p>



<h3 class="wp-block-heading">「馬路村に住んでよかった」と思える人を増やしたい</h3>



<p>しかし、人口減少は続いている。柚子だけでは解決できない課題もある。長野さんは、「これからは、農協が村の課題を解決する存在になりたい。教育や福祉にも取り組んで、村の豊かさを守っていくことが私たちの役目だと思っています。村に住んでよかったという人を増やしたいですね」と将来を見据えていた。</p>



<p>馬路温泉はスノーピークと協働でリノベーションをする計画が進んでいる。年間6万人を超える観光客をさらに集客したい。「柚子は11月だけですが、精油は一年中あります。柚子の香りを使った温泉も面白いと思います」と、長野さんの構想は広がる。</p>



<p>日本各地で過疎化に悩む山村がある。馬路村は、主要産業の転換を図り、山深い村の個性を売り出すことで豊かに暮らす道をつくった。人口700人の村の挑戦はこれからもまだまだ続く。その未来に目が離せない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55231/">柚子飲料「ごっくん馬路村」が代名詞になった辺境の村。「馬路村農協」の挑戦 ／高知県安芸郡</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>全国から注文が入るフルーツトマト「うしの恵み」を育てる家族「眞嶋農園」／高知県香南市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 17 Aug 2026 07:25:02 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[フルーツトマト]]></category>
		<category><![CDATA[乳牛]]></category>
		<category><![CDATA[野菜ソムリエ]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[畜産]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-182718.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県は、「フルーツトマト」と呼ばれる、高糖度トマトの発祥の地と言われており、県内各地で付加価値の高い高糖度トマトが生産・販売されている。県で3番目の生産量を誇る香南市で、「うしの恵」と名付けた「フルーツトマト」のブラン [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-182718.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県は、「フルーツトマト」と呼ばれる、高糖度トマトの発祥の地と言われており、県内各地で付加価値の高い高糖度トマトが生産・販売されている。県で3番目の生産量を誇る香南市で、「うしの恵」と名付けた「フルーツトマト」のブランド化に成功しているのが、眞嶋農園だ。眞嶋農園は、高知龍馬空港から約10分、高知県の東部エリアへ伸びる国道55号近くにある。住宅と畑の間に厩舎とビニールハウスが建つ、家族経営の酪農家兼農家だ。牛乳を生産し、牛糞を「濃縮堆肥」にして販売、さらに堆肥を使って旨味のある「フルーツトマト」を育てることに取り組んできた。また、同じ堆肥で、耕作放棄地を活用した青パパイヤ栽培や、飼料にする牧草を育てて、持続可能な循環型の耕畜連携を実践している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">酪農と農業の循環を築き、継承に力を注ぐ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-172203.jpg" alt="" class="wp-image-55069" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-172203.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-172203-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-172203-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>代表の眞嶋順一さんは、「うちは元々、父の代から約60年続く酪農家なんです」と語る。26年前、母の入院をきっかけに、眞嶋さんが妻と息子を連れて県外からUターンして、家業を継いだのだそうだ。</p>



<p>飼育しているのはホルスタイン種という搾乳に特化した牛で、現在は35頭を世話する。しかし、飼料の高騰や、少子化による学校給食での牛乳消費量の減少など、酪農を取り巻く環境は厳しい。「酪農は、家族経営ではだんだん厳しくなっていて、メガファームやギガファームといった大規模化、IT化が進む流れもあります」と眞嶋さんは言う。</p>



<p>そんな環境下で、眞嶋家は、自給飼料への切り替えを図るなどしてコストを下げながら、酪農と農業を循環させる工夫を続けている。今では、主に眞嶋さんが酪農を、野菜ソムリエの資格を取った妻の美加さんがトマト栽培を担い、息子の将さんが夫婦の後継として共に働いている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">超濃縮タイプの“乾燥牛糞堆肥”づくり</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-175214.jpg" alt="" class="wp-image-55070" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-175214.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-175214-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-175214-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>眞嶋さんは父から酪農を引き継いで以降、酪農の副産物である糞尿をどう活かすか試行錯誤を重ねたという。</p>



<p>父が取り組み始めていた堆肥づくりを、販売できるまでにするにはどうすればよいか。本を読むなどしていろいろ調べ、糞尿を乾燥装置で水分10％以下まで落とし、その乾燥堆肥を水分調整材として再利用する独自の手法を編み出した。</p>



<p>「一度出来上がった乾燥堆肥を混ぜることで水分を調整して、また良い堆肥ができる。これを繰り返すことで、オガクズなどを入れることなく、高品質な堆肥を安定的に製造できています。</p>



<p>並行して、父は販売を見据え2000年頃から堆肥の効き目を検証するために『フルーツトマト』栽培を始めていました。トマト農家を営む親戚から栽培について教わり、その2年後に私たち夫婦がノウハウを受け継いだんです。堆肥の投入量の適正化を含め家族で試験を重ねてきました。</p>



<p>トマトが美味しいと言われて売れるようになり、堆肥の品質の良さが証明されたことで、堆肥も売れるようになりましたが、軌道に乗るまで、5～6年かかりましたね」</p>



<p>酪農家が堆肥をつくることは珍しくない。一般的には、糞尿に籾殻やオガクズを混ぜて発酵させることで水分量が60％以上の発酵堆肥が作られている。ただ、眞嶋農園のように糞尿を乾燥させた堆肥を水分調整に用いる例は非常に珍しい。</p>



<p>眞嶋農園の牛糞99.9％という超濃縮タイプの“乾燥牛糞堆肥”は、軽くて扱い易く、肥料としての質が高い。評判が広がるにつれ農家からの注文が増えて、現在は製造が追いつかないほどだそう。</p>



<p>「農作物の肥料として少量でも十分な効果を発揮する点が自慢です」と眞嶋さんは言う。</p>



<h3 class="wp-block-heading">始めは大玉、徐々に高糖度の「フルーツトマト」に仕上げる </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-175636.jpg" alt="" class="wp-image-55071" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-175636.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-175636-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-175636-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そもそも「フルーツトマト」とは特定の品種名ではない。品種やサイズに関わらず、糖度が8以上あるものを「フルーツトマト」と呼ぶ。小ぶりな「ミニトマト」はフルーツトマトと混同されがちだが、ミニトマトはあくまでも形で分類された小さいトマトの総称。規定の糖度を越えなければフルーツトマトとして出荷することはできない。そのため、糖度を上げるための栽培方法が重要になってくる。一般的には、小ぶりな品種のトマトを選び、水分制限して育てると糖度を上げやすいと言われるが、眞嶋農園のトマトは、独自の栽培方法を確立している。</p>



<p>眞嶋農園では、品種は大玉トマトの「桃太郎ファイト」を使う。食味、柔らかさ、皮の硬さなどの観点でいろいろな品種を試した結果、最終的に選んだ。年配の人にも美味しく食べてもらえる皮の食感だという。</p>



<p>「現在も試し続けていますが、ここ数年は今の品種が一番うちの栽培方法にピタッと合っていると思います」と、美加さん。</p>



<h2 class="wp-block-heading">眞嶋流は、どこよりも時間をかける</h2>



<p>何より特徴的なのは、急がず、健康的な株を育ててから“ゆっくりと高糖度に仕上げる”という考え方だ。他所よりも時間をかけて育てるため、「他のフルーツトマトはもう店頭に並んでいるけど、おたくのトマトの出荷はまだなの？」と、お客さんから問い合わせを受けることもあるのだとか。</p>



<p>多くの農家は、根の広がりを制限して水の管理を徹底する「隔離栽培」を行うことで早く糖度を上げて「フルーツトマト」に仕上げようとするのに対し、眞嶋農園では根の広がりを制限しない。むしろ、しっかり根を張った健康的な株を育てることに時間をかける。水を制限するのも段階的だ。敢えて、最初から「フルーツトマト」にしないというのが、こだわりだ。</p>



<p>「そもそもフルーツトマト専用の種はなく、大玉トマトの品種を栽培方法でフルーツトマトに仕上げていきます。うちの場合は接ぎ木をせず、茎を太くして根がいっぱい張るように育てています。さらに堆肥の効果が後まで続くようにと考えて、最初に堆肥を少し多めに入れるため、その効き目が出て、初めは大玉がつきます。そこから、糖度を上げるために徐々に水分を制限することで、結果的に小ぶりになってはいきますが、他より大きめのトマトでも糖度が乗ったものができます。</p>



<p>単に甘いだけでは魅力を感じません。甘み・酸味のバランスを整えた上でのトマトらしい甘みであってほしいし、自家製の牛ふん堆肥による独自の旨みを大事にしています」と、眞嶋さんは言う。</p>



<h3 class="wp-block-heading">トマトの目利きは、妻と息子</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-181810.jpg" alt="" class="wp-image-55072" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-181810.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-181810-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-181810-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>糖度は、実が色づき始めた頃にはほぼ決まっており、そこから追熟が進むと酸味が旨味に変わっていき、甘みも強く感じられるようになり微妙な味わいの変化があるという。</p>



<p>「糖度が上がってくると、トマトの中の果肉が透けて見えるようになります。また、糖度が高くなるひとつの目安に、青いトマトのヘタ部分に入る『ベースグリーン』と呼ばれる濃い緑色のラインがあります。スターマークは知られるようになりましたが、そんなことも目安に日々食味しながらトマトの状態を確認しています。目利きはもう、妻と息子には敵わないです」と、眞嶋さん。続けて、妻の美加さんが言う。</p>



<p>「トマトの見極めは、家族で手分けして行っています。人を育てないと、とは思いますし、画一性を求めるなら人に任せず糖度センサーを入れればいいんでしょうけど、お客さんによって異なる好みに対して、直にお応えしたい。やはり相手の顔が見えている中で販売・やり取りしていますので、大切にしたい部分なんです」</p>



<p>「フルーツトマト」の産地として知られる高知県だけあって、競合も多い。そんな中で、眞嶋農園はきめ細かさで、顧客の要望に応えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">独自の“斜め誘引”と、5,500本を支える手仕事</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180144.jpg" alt="" class="wp-image-55073" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180144.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180144-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180144-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>トマトの圃場に入ると、まず目を引くのが“斜め誘引”という珍しい栽培方法だ。株を斜めに伸ばし、根を自由に張らせているという。「吊るし式も試しましたが、収穫姿勢が厳しく断念しました」と、眞嶋さん。</p>



<p>斜め誘引は、株が成長するにつれ収穫位置が上がり、作業がしやすい。ただし手間は膨大だ。5,500本すべてを紐でくくり、脇芽を取り、毎日手入れをする。繁忙期は家族だけでは手が足りないので、手伝ってもらう。これが最初に教わった方法だったという。以来、20年以上、眞嶋さんはずっと手間を惜しまず、斜め誘引を継承している。</p>



<p>また、ハウスの温度や湿度の管理は、コンピュータ制御ではなく、経験と経験に培われた勘で乗り越えてきた。南国・高知と言われるだけあって、冬でも日中の気温が12〜16℃あって温かい。そのうえ、気候変動でハウス内が30℃になる日も出てきたが、「自分たちの目と感覚で管理しています」と美加さん。手を抜かず、積み上げてきた経験がものを言う。</p>



<h3 class="wp-block-heading">害虫対策は、農薬の使用量を減らして天敵昆虫を使う「環境保全型農業」 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180240.jpg" alt="" class="wp-image-55074" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180240.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180240-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180240-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>さらに、トマト栽培に害をなすコナジラミの対策には、トマト苗生育中に並行して、ごまを育て、天敵昆虫のタバコカスミカメを自家採種。タバコカスミカメの餌植物であるクレオメを植えて自然繁殖させ、害虫の発生を抑制させる。農薬の使用を減らす「環境保全型農業」も実践していた。高知県は全国的に見てもこの「環境保全型農業」への意識と実践が非常に高い。JAが中心となって農薬に頼らない栽培を推進している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">野菜ソムリエ仲間の口コミから広がった、「うしの恵み」の輪</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180527.jpg" alt="" class="wp-image-55075" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180527.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180527-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180527-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>販路拡大のきっかけは、妻の美加さんの野菜ソムリエ資格の取得だった。夫に付き添ってIターンして数年後、美加さんは友人5人と毎週末、高知から香川まで通って野菜ソムリエの資格を取得する。その後に知り合った県内外の野菜ソムリエ仲間がレストランや百貨店と繋いでくれたり、SNSで発信してくれるなど気にかけてくれた。こうして口コミが広がって、県外からの注文が増えていったという。</p>



<p>「お客さんがお客さんを呼んでくれるんです」。<br>営業に出る時間がない家族経営にとって、これは大きな力になった。<br>ハウスの広さは25アール。「もっと広げたら？」と言われるが、品質を守るためにあえて増やさない。</p>



<p>「二人でしっかり見られる限界が25アールなんです」と、夫妻は言う。</p>



<p>規模よりも味。今のお客さまに喜んでもらえることが一番。その姿勢が、ファンを増やし続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">牛を可愛がることが、美味しい牛乳につながる </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-172839.jpg" alt="" class="wp-image-55076" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-172839.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-172839-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-172839-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一方、厩舎を覗くと、乳牛たちが穏やかに牧草を食んでいた。子牛が興味深そうにこちらを見てくる。「さくらちゃん、さくらちゃーん」と、美加さんが声をかける。厩舎の牛たち全頭に名前がついており、赤ちゃんの頃から「かわいいね」と声をかけ続けるのだそうだ。ストレスを与えないことが、美味しい牛乳の第一条件だからとはいえ、美加さんの声は、母親がわが子に呼びかけるように優しい。</p>



<p>牛舎にはミストと大型扇風機が設置され、暑さに弱い牛を守る。角は幼少期に焼いて除角し、怪我を防ぐ。1日4回、1頭25kgの餌を食べ、約30Lの牛乳を出す。繁殖も丁寧だ。生後14ヶ月で初めての種付け、妊娠期間は10か月。出産2か月前からは搾乳を止め、赤ちゃん牛に栄養を回す。</p>



<p>さらに、県の事業として「土佐あかうし」の受精卵移植にも協力。ホルスタインが代理母となり、地域の畜産を支えている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">“去年の美味しさ”を超えるために。続いていく家族の挑戦  </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180853.jpg" alt="" class="wp-image-55077" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180853.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180853-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180853-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>酪農から出た堆肥が、農作物を育て、乳牛たちの飼料になり、美味しい牛乳となる一連の循環が、眞嶋農園を支えている。</p>



<p>眞嶋農園では、トマトの収穫は12月から6月末まで。そこで一旦区切りを設けて、次の植え付けに着手するというが、美加さんは、植え付けからの手入れ期間は「一番楽しい」と笑う。逆に収穫が始まると緊張の日々なのだとか。</p>



<p>「これまでは、良くする努力を重ねてきましたが、おかげさまで、お客さんに付いていただけるようになったので、今度は、できるだけ味を変えない努力をしています。息子が苦労している最中ですが、先の状態を想像しながら管理していくことは、気候変動の中では非常に難しいと、ここ近年感じています」</p>



<p>美加さんは、「お客さんの記憶の中の“美味しい”は年々美化されていきます。だから、それを超えるぐらいの気持ちでトマトを作って、次の年も「美味しい」と言っていただけるようにと想いを込めて作っています」と言う。</p>



<p>水の管理と玉の大きさの調整、機械に頼らずに生育状態を日々自身の目で細かく見極めるなど、味を狂わせないための数々の努力と、家族だけが可能な“目利き”が、今年もトマトを仕上げていく。</p>



<p>牛と堆肥とトマトがつくる“恵みの循環”は、家族の力でこれからも続いていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55058/">全国から注文が入るフルーツトマト「うしの恵み」を育てる家族「眞嶋農園」／高知県香南市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>世界初の地下海水を使った青のりの陸上栽培で、海藻の食文化と豊かな海の継承を目指す「合同会社シーベジタブル」／高知県高知市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 28 Jul 2026 02:40:13 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[陸上栽培]]></category>
		<category><![CDATA[すじ青のり]]></category>
		<category><![CDATA[黒海苔]]></category>
		<category><![CDATA[青のりしょうゆ]]></category>
		<category><![CDATA[シーベジスタンド]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-145615-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>近年、海水温の上昇により海藻が海で育たない「磯焼け」という現象が世界的に海洋環境の問題となり、日本国内の海の天然の藻場（もば）は年間で東京ドーム千二百個分が消えているとも言われる。海の生態系の土台が揺らぎ、漁業全体に影響 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54923/">世界初の地下海水を使った青のりの陸上栽培で、海藻の食文化と豊かな海の継承を目指す「合同会社シーベジタブル」／高知県高知市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-145615-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>近年、海水温の上昇により海藻が海で育たない「磯焼け」という現象が世界的に海洋環境の問題となり、日本国内の海の天然の藻場（もば）は年間で東京ドーム千二百個分が消えているとも言われる。海の生態系の土台が揺らぎ、漁業全体に影響を及ぼしている現状に危機感を覚えた高知県の「合同会社シーベジタブル」（以下、シーベジタブル）は、2016年に世界初となる地下海水を用いた青のりの陸上栽培をスタートさせた。全国各地に地域のパートナーと共に海藻ファームを展開して意欲的に陸上栽培と海面栽培に取り組むことで、豊かな海と海藻の食文化を残そうとしている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">四万十川から消えた青のりを陸上栽培する</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-143652.jpg" alt="" class="wp-image-54929" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-143652.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-143652-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-143652-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>青い空から降り注ぐ強い日差しと温暖な気候で知られる高知県。東西に細長い地形で、南側は太平洋に面し北側には四国山脈がそびえる。シーベジタブルの陸上拠点では、青のりの中でも最高級品種として知られる「すじ青のり」が世界初の陸上栽培技術で育てられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">大学時代から抱いた、大好きな海への想い</h3>



<p>共同代表の蜂谷潤さんは岡山県出身で、高知大学に在学中から“海洋深層水を活用したアワビ類及び海藻類の複合養殖”ビジネスプランを構想。共同代表の友廣裕一さんの協力を得て、事業化に向けた実証研究を行っていた。海洋深層水とは、高知県の室戸沖の水深320〜374メートルの深さから汲み上げるため、年間を通して約10度と低温で安定している海水だ。</p>



<p>蜂谷さんは、もともと海に潜り、間近で見る魚を獲ることが好きだったという。「毎年同じ場所に潜るたびに、魚の数が目に見えて減っていきました。魚が多く集まる場所には必ず海藻があると気づき、海に魚を戻したいという想いから海藻の研究に打ち込んでいきました」。</p>



<p>温暖化による海水温の上昇は、魚の生息域を変え、高知県の海藻産業にも影響を及ぼしていた。最後の清流と呼ばれる四万十川（しまんとがわ）の河口付近の、淡水と海水が混じり合う汽水域（きすいいき）は、国内一の「すじ青のり」の天然漁場だったが、2020年には漁獲量がほぼゼロになった。河口域の水温の上昇と、水揚げの低下が比例しているとされている。<br></p>



<p>蜂谷さんは、天然で採れなくなったすじ青のりを復活させようと、立ち上がった。海域で海藻が育たなくなったのであれば、陸上で育てよう、海藻の食文化を絶やさないために挑戦をしてみようと、想いは深まっていったという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">太平洋のそばに造られた大水槽で、すじ青のりが漂う</h3>



<p>太平洋を臨む海沿いにあるシーベジタブルの陸上拠点を訪ねると、いくつも並ぶ巨大な円形水槽に驚かされる。一番大きいものは直径が約25メートルと、小学校のプール程度の長さがある。</p>



<p>すじ青のりは、成長が驚くほど早く、条件が整えば一日で倍ほどの大きさになることもあり、朝と夕方で姿が変わるほどの生命力を持つのだそうだ。水槽は4つのサイズがあり、約1週間ごとにサイズの大きな水槽へ育ったすじ青のりの移し替えを行う。</p>



<p>「収穫するサイズがこれぐらいだったら美味しいという大きさがありまして、その大きさに育つように逆算して４つのサイズの円形水槽を造りました」と、蜂谷さん。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「地下海水」を汲み上げ、攪拌を続ける</h3>



<p>水槽には「地下海水」が満たされ、海藻の成長に理想的な環境が一年を通して維持されているという。地下20メートルから汲み上げる「地下海水」は、海から砂などの地層を通ることで自然に濾過され、清浄で安定した水温を保つことができるのだ。また、雨が降れば淡水が混ざり、晴れれば光合成が進む。海と川が交わる汽水域を好む海藻にとって、この場所は自然に近い環境なのだ。</p>



<p>さらに水槽に張られた「地下海水」は、ゆっくりと円を描くように回っていた。すじ青のりは藻体の表面から栄養を吸収し、光合成によって成長するため、常に水が流れ、光が均等に当たる環境が欠かせないという。そもそも海藻は通常は石や岩などの基物に付着器を張ることで正常に育つが、ここのすじ青のりは、海藻同士を互いに付着させている。根の位置にあたる付着器を中心に放射状に広がり、まるで細い糸が束になったような姿で水中を漂わせて育てることで、均一な大きさに育っていくのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">海での栽培とは異なる可能性を秘める、陸上栽培</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/30f7a9072ee79892718673e85bbd30c0.jpg" alt="" class="wp-image-54930" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/30f7a9072ee79892718673e85bbd30c0.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/30f7a9072ee79892718673e85bbd30c0-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/30f7a9072ee79892718673e85bbd30c0-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>水槽に手を入れさせてもらうと、緑のすじ青のりが、ふわりと揺れて指先に触れた。生のまま口に含むと、みずみずしい青さが広がる。乾燥させたすじ青のりはより鮮やかな緑色に変わり生よりも香りが強いという。生のすじ青のりを天ぷらにして食べると聞いたが、いずれにしても海藻本来の清々しさが際立ちそうだ。</p>



<p>すじ青のりは、北海道から沖縄まで広く分布するため、同じ種でも温度に対する耐性や成長速度など性質が地域によって違う。シーベジタブルは、高知で陸上栽培を始めるにあたって、性質特性はもちろん、食材としての香りや食感に優れたエリートの株をにこだわり、全国のすじ青のりの中から選抜を行い、試行錯誤を重ねてきたそうだ。</p>



<p>今度は、蜂谷さんのお勧めの食べ方を試してみる。袋に入った薄い塩味のポテトチップスに陸上栽培したすじ青のりの粉末を振りかけると、磯の旨味や深い香りが感じられた。陸上で育てることで栄養管理が行き届き、香りや旨味がより濃くなるという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">青のりだけにとどまらない、未来への展望</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-155658.jpg" alt="" class="wp-image-54931" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-155658.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-155658-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-155658-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>海藻は胞子で増えるため、種類ごとに発芽や成長の条件が異なる。シーベジタブルでは一つひとつの特性を解き明かしながら、最適な育成方法を探る研究が続けられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">黒海苔の栽培も本格始動</h3>



<p>日本の食文化を支えてきた黒海苔の陸上栽培技術も確立した。2025年度には、黒海苔の陸上栽培での量産（乾燥重量300kg以上）に成功し、2026年度から量産に向けた準備に入る予定だという。</p>



<p>蜂谷さんは、「黒海苔に関しては世界に向けてすごく大きなマーケットがあるので、まず、陸上で生産する技術を確立して、その技術を沿岸部で仕事を失いつつある漁師さんや企業の方々に提供することで新たな生業を生み出したい。並行して、日本は地域ごとに独自の海藻が存在しており絶滅の危機にある種類も少なくないのですが、そうした海藻を再び陸上で種苗を育て、それぞれの地域で海に戻して養殖藻場をつくっていくことも考えています」という。最終的には、海に海藻がある状況を取り戻したいのだ。</p>



<p>ただ、日本人の一人あたりの海藻の消費量は、食の多様化とともに30年前の約半分ほどにまで落ち込んでいる。かつては和食とともに自然に食卓へ上がっていた海藻も、洋食や中華が日常に広がる中で存在感を失いつつある。蜂谷さんは「海藻の可能性は和食にとどまりません。青のりはピザにもよく合い、ポテトチップスに振りかければ驚くほど豊かな香りが広がります。これまで試してこなかったジャンルにこそ、消費の落ち込みという課題を解決するヒントがあると感じているので、いろいろ検証を行い発信していきたいです」と語る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">すじ青のりでつくる醤油を開発、海藻専門店をオープン</h3>



<p>新たな挑戦のひとつが、すじ青のりからつくる「青のりしょうゆ」だ。大豆や小麦を使わず、青のりと塩、米だけを発酵させてつくる調味料だ。淡い琥珀色を帯びている。口に含むと海の香りが立ち上がり、魚介との相性は抜群だ。グルテンフリーで大豆も不使用であることから海外からの問い合わせも多く、海藻の新たな価値を示す存在となっている。</p>



<p>東京駅近くには、海藻料理を専門に扱う「シーベジスタンド」をオープンさせた。すじ青のりポテト、熊本などで昔から食されてきた幻の赤い海藻「みりん」を使った料理、海藻を贅沢にのせたラーメンなど、海藻の魅力を多角的に伝える拠点だ。海藻を“食べる文化”を再び広げる試みが、ここから始まっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">成功の鍵を研究者が握る</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-160456.jpg" alt="" class="wp-image-54932" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-160456.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-160456-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-160456-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>シーベジタブルの事業の鍵を握るのがラボだ。ラボは、すじ青のりの陸上栽培を支える最重要な第一工程を担う。ラボで、採取・育成された青のりは約1ヶ月で陸上拠点に移り、さらに1ヶ月間育てられた後に収穫されるという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">気の遠くなるような、胞子の選り分け作業</h3>



<p>「陸上栽培を成功させるためには、まず、すじ青のりの親から出てくる胞子を安定的に取り出して、それを死なせず生き残らせて育てていくということが一番大事です。そこで死んでしまうと、当然、栽培場に送り出すものがなくなるわけですから。バクテリアとか青のりの胞子に害を与えるようなものを取り除いて、育て上げるということが重要になってきます」と話すのは研究者の和（にぎ）さん。</p>



<p>すじ青のりの栽培において最も困難なのは、年間を通じて安定して胞子を供給するために、親株を常に健康な状態で維持し続けること。そして、親株から胞子を取り出し、死なせずに安定して成長させるプロセスだという。胞子を健全に育てるためには、バクテリアなどの有害な不純物を徹底的に排除し、適切な温度管理を行う必要がある。</p>



<p>和さんが、小さなシャーレを手に言う。「最初は本当に10ミクロンぐらいの、丸いつぶつぶなんです」。10ミクロンとは、0.01ミリ。肉眼では見えない胞子も、顕微鏡を覗けば確認することができ、数日後には青のりらしい姿で生長する様子が見られるそうだ。</p>



<p>和さんは、ピペットで約10ミクロンの胞子を丁寧に吸い取ることを何度も繰り返して“純度の高い胞子”だけを取り出していく気の遠くなるような繊細な作業を行っていた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">シーベジタブルを支える研究者</h3>



<p>さらに、和さんは「天然の海苔は秋から春先までが収穫期で、夏は成長が止まるため収穫には適しませんでした。ですが、陸上栽培で施設を最大限稼働させるためにも、温度耐性の違う株を組み合わせて育てる必要があります。ですので、同じすじ青のりでも、北海道から沖縄までさまざまな株を100株ほど試し、適したものを見つけてきました」と話す。</p>



<p>一般的に陸上栽培は設備投資やランニングコストが大きく、採算性が重要になる。だからこそ、環境に強く、効率よく育つ株を選び抜くことが、産業として成立させるための鍵となる。研究者たちはその課題に向き合いながら、海藻の未来を切り開こうとしている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">海藻が戻ると、海の未来が変わる</h3>



<p>海藻は、海の生態系の土台を支える存在だ。天然の藻場が減少する中、一般社団法人グッドシーの調査報告書では、陸上で育てた種苗を用いて海面栽培を行うことで、栽培していない海域と比べて魚の個体数が最大約36倍に増加するという驚くべき結果が示されている。</p>



<p>海藻が増えれば魚が戻り、海が再び豊かさを取り戻す。海藻の栽培は、食文化を守るだけでなく、海の未来を支える取り組みでもある。シーベジタブルは、日本という枠を超えて、豊かな海を次の世代へ手渡す確かな力になろうとしている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54923/">世界初の地下海水を使った青のりの陸上栽培で、海藻の食文化と豊かな海の継承を目指す「合同会社シーベジタブル」／高知県高知市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>土佐備長炭の技術を守り、仲間を増やし、原料の植林に邁進する炭の達人「合同会社 炭の森生」／高知県室戸市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 13 Jul 2026 09:58:52 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[土佐備長炭]]></category>
		<category><![CDATA[森の名手・名人]]></category>
		<category><![CDATA[白炭]]></category>
		<category><![CDATA[製炭士]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-085120.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県は備長炭日本一の生産量を誇る。その中心が室戸市。伐りたてのウバメガシを原料とし、20日間ほどの工程を経て焼き上げられる土佐備長炭。その第一人者の製炭士は、後継者の育成、材料の確保、そして環境保全という室戸（むろと） [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54827/">土佐備長炭の技術を守り、仲間を増やし、原料の植林に邁進する炭の達人「合同会社 炭の森生」／高知県室戸市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-085120.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県は備長炭日本一の生産量を誇る。その中心が室戸市。伐りたてのウバメガシを原料とし、20日間ほどの工程を経て焼き上げられる土佐備長炭。その第一人者の製炭士は、後継者の育成、材料の確保、そして環境保全という室戸（むろと）の未来を見据えた活動に尽力している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">炭の宝を育む、室戸の風土</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-01.jpg" alt="" class="wp-image-54836" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-01.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-01-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-01-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>かつては大型台風が再々上陸することで有名になった高知県東部、室戸市。海岸エリアは漁業の町として栄える一方、その山奥深くには、今も静かに煙をあげる土佐備長炭の窯が点在している。そのひとつに、47年以上にわたり炭を焼き続けてきた製炭士、森本生長（せいちょう）さんの仕事場がある。</p>



<p>森本さんが土佐備長炭を焼く窯場は、室戸市を流れる清らかな羽根（はね）川の上流に位置する。土佐における白炭（木炭）づくりの歴史は江戸時代まで遡る。ここ室戸は、海岸沿いや岩場といった厳しい環境で育つウバメガシをはじめ、アラカシやウラジロガシなど、重くて堅い木が自生する土地。明治時代、紀州の炭焼き職人が羽根の地に移り住んだことで、その高度な技術が伝承された。地元の職人たちはさらなる窯の改良に励み、やがて室戸は備長炭の産地として全国から注目を集めることとなる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">土窯の研究は一生終わらない</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-083908.jpg" alt="" class="wp-image-54837" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-083908.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-083908-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-083908-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2017年（公社）国土緑化推進機構より「森の名手・名人」の選定を受けるなど、今や製炭業界で著名な森本さんも、10代の頃はパイロットを志していた。高校卒業後は航空電子系の専門学校で学ぶが、途中でその夢を断念。30歳まで東京でサラリーマン生活を送った後、将来を見据えて帰郷する。</p>



<p>当時は米づくりや畜産を営む傍ら、山でウバメガシなどを伐り出し、製紙会社へパルプの原材料用として売っていたという。転機になったのは、地元で唯一備長炭をつくっていた先輩からの勧めだった。「これをパルプに持っていくのはもったいない、私が教えるから炭を焼いてみないか」との誘い。それが備長炭との出合いになった。</p>



<p>&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;昭和30年代に入って、家電用品等の発達により木炭産業は急速に斜陽化へと追い込まれた。そのため山から離れる製炭士が多くいた。森本さんは山に残されていた土窯を修復し、先輩のアドバイスを仰ぎながら試行錯誤を重ねた。素人ながらもそこそこ出来の良い炭が焼け、「父親もビックリしたんです」と森本さんは笑う。</p>



<p>「同じ工程を続けていたのに、次第に炭の出来が悪くなっていきました。それで調べてみると、窯の壁に亀裂が入っており、熱が逃げていたんです。それを修理して再び焼いてみたところ、見違えるような上等な炭になりました。それがきっかけで窯そのものに興味を持ち、本格的な勉強を始めました」。</p>



<p>当時は周辺に炭焼きのベテランが多く、天井の形ひとつとっても、徳利（とっくり）型を得意とする人や、円形を得意とする人など、それぞれの技を参考にしていったという。森本さんは「窯底の熱を蓄える保温力、窯の気密性、そして強度。この３点が窯づくりにおいて最も肝心な要素だ」と語る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">灼熱の窯。その熱を全身で受けて立つ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others07.jpg" alt="" class="wp-image-54838" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others07.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others07-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others07-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>黒炭と白炭は、原料の木というより「焼き方と仕上げ方」の違いで分かれる。土佐備長炭が分類される白炭は、1,000度を超える高温で一気に炭化させ、窯から赤熱したまま掻き出して土と灰をかけて急冷する。この急冷でできる表面の白い灰がその名の由来であり、硬く締まって叩くと澄んだ金属音を響かせ、火力が強く長時間燃え続ける。対する黒炭は、比較的低い温度でじっくり焼き、窯を密閉して炭化させたあとそのまま窯内で冷ます。仕上がりは黒くやわらかで、火付きがよく扱いやすいため、飲食店などの専門店で愛用される白炭に比べ、レジャーや家庭用などに好んで使用される傾向がある。</p>



<p>白炭の代表格とも言える備長炭において、室戸が日本一の産地となった背景には、いくつもの条件が重なっている。原木に最適なウバメガシをはじめとするカシ類が豊富に自生していたこと、明治40年(1907年)、四国遍路で室戸を訪れた紀州の炭焼き職人・植野蔵次が、当時の土佐の未熟な窯の欠点を見抜き、紀州備長炭の製炭技術を伝授したこと、土佐の風土に合わせて窯を改良し、大きな窯で良質な炭を量産する技術が根づいたこと、など。</p>



<p>そして、何より森本さんらによる後継者育成と植林を通じた、持続可能な生産体制があったことが非常に大きい。</p>



<p>では、その土佐備長炭はどのようにして作られるのか。まず森本さんは山からウバメガシを伐採し、窯へ原木を投げ入れるように、横に並べていく。その際、あえて重なる部分を設け、空気の道をつくる。そこから火を入れて加熱し、一週間ほど蒸し込んで原木の水分を飛ばしていく。森本さんは、この段階の管理が重要だという。原木の含水率が高いままだと、後からひび割れが生じ、質の良い炭にならないからだ。水分の多い初期段階では煙突から白い煙が出るが、乾燥が進むにつれて次第に透明へと変化する。熱気に耐えながら煙に手を当て、湿るとまだで、肌触りがサラっとした状態になれば、乾燥が進んだ合図である。</p>



<p>乾燥が終わると密閉し、ごく少量の空気を送り込んで蒸し焼きにすることで炭化させる。この作業は「ねらし（精錬）」と呼ばれ、炭に含まれる不純物を燃やし切る重要な工程だ。炭化が完了し、窯の口を開けて空気を送り込むと、内部は1,000度を超える高温を生み、高炉の鉄のように真っ赤になった木を掻き出し、土と灰をまぜた「素灰（すばい）」をかけ急速に消火、急冷することで、炭の表面が白っぽくなる。</p>



<p>世界にも類がない硬質の炭は、打ち合わせると、キーンと金属のような、美しく澄んだ音を響かせる。</p>



<p>窯入れから窯出しまで、20日前後を要する。焼きあがった炭は、その形状や太さに応じて選別され、サイズを揃えたのち、除湿室に入れて、水分が戻らないように管理する。</p>



<h2 class="wp-block-heading">食文化を支える世界最高峰の炭</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others11.jpg" alt="" class="wp-image-54839" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others11.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others11-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others11-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「見た目も綺麗で、長時間燃焼するのが良い備長炭」と森本さんはまっすぐに見つめて話す。質の高い炭になれば、３時間でも４時間でも燃焼し続ける。だが、完璧な備長炭を作ることは難しいと正直に明かす。炭化させる「ねらし」をかけすぎると、見た目は美しい炭になるが、燃焼成分が抜けすぎて火力が落ちてしまう。「その微妙な加減を攻めなきゃいけない」という言葉には、長年の経験に裏打ちされた炭焼きの奥深さが宿る。そして、「この備長炭は食文化にも貢献している、世界最高峰の炭だから」と少年のように目を輝かせる。</p>



<p>備長炭は長時間燃焼するだけでなく、煙が出ないため、食材に余計な匂いがつかず素材本来の味を活かすことができる。繊細な味を求める料亭やうなぎ店、焼き鳥店などからの需要は絶えず、常に品不足の状態だ。問屋からの催促に追われるなか、今年も２か月に３回のペースで窯入れを行うという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">後継者は大歓迎</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others05.jpg" alt="" class="wp-image-54840" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others05.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others05-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others05-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>もちろん、これまですべて順調だったわけではない。昭和後期から安価な中国産の備長炭が出回り始め、国内産は大打撃を受けた。まだ若手だった森本さんの炭も、売れない時期が続いたという。その後2000年代になって中国が木炭の輸出を禁止したが、この20年足らずの間に、60人程いた製炭士は、20人ほどまでに減り、全体の3分の２が窯を離れた。</p>



<p>現在は生産量に限りがある一方、国内だけでなく海外からも引き合いがあるため、備長炭不足の状況が続いている。森本さんは「備長炭を仕事にしたい若者がいれば大歓迎」と、仲間を増やしたいと考えた。新規参入者が一歩を踏み出しやすいよう、収入を得やすい省力窯の導入や機械化を推進してきた。また、室戸市長に掛け合い、2011年には後継者育成制度をつくり、毎年３人ほど研修生を受け入れた。彼らが独立した後も、原料となるウバメガシの調達を含め、フォローを欠かさない。</p>



<p>すでに30人以上が森本さんから学び、そのうち10人程が独立して、高知県内外に窯を構えている。現在室戸市には30人程の製炭士がいる。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>山の厳しさを実感する</strong></h2>



<p>森本さんの窯から車で10分ほど走ると、所有する山がある。見るからに険しい山の頂上まで行けるよう、自ら重機を操ってジグザグに道を切り拓き、４駆の軽トラなど運搬車が登れるよう整備したという。皆が頂上の奥にあるウバメガシをチェーンソーで伐り出す。運搬車が入れない場所では、ワイヤーを使って吊りあげながら搬出する。</p>



<h3 class="wp-block-heading">土佐備長炭の未来を、つなぐ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-104748.jpg" alt="" class="wp-image-54841" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-104748.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-104748-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-104748-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ウバメガシの親株の枝や幹の一部に傷をつけて発根させた「取り木」を植えるほか、森林組合などに委託して苗木の植樹もしている。製炭士1人が年間で使用するウバメガシは1ha（ヘクタール）約5000本で、40haあれば生育から伐採までのサイクルを安定させることができる。</p>



<p>その理由として、備長炭の炭材であるウバメガシは、伐っても切り株から芽吹く「萌芽（ほうが）更新」で、約20年をかけて再生していく。40haをその周期に合わせて区画ごとに順に伐っていけば、一巡する頃には最初の区画がじゅうぶんに育つため、植え直しも開墾も要らず、製炭士1人が仕事を続けられる環境を維持できるというわけだ。</p>



<p>「昨年は4万本、8ha植えたけれど、あと100haぐらいは植えんといかん」と話し、案内してくれたのは苗木ポットが並ぶ場所だった。「これはウバメガシ、こっちはウラジロガシ、クヌギ。この３種類を中心に植えようと思っています。ウラジロガシは薬にも使えるし、良い炭にもなる。クヌギは茶道で使われる菊炭に。どんぐりの実は動物の餌になる。自然環境を守るならやっぱり広葉樹のほうがいい。根を張って土砂崩れを防ぐし、木を伐っても元へ戻るしね」と話す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">無形文化財登録、その先の夢へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-110343.jpg" alt="" class="wp-image-54842" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-110343.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-110343-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-110343-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>３回目の挑戦となるが、県と製炭士たちは土佐備長炭の「無形文化財登録」を目指している。森本さんは「技術の保存と品質の安定。土佐備長炭の名を冠する以上は、一定の品質を守りたい」と語る。さらに「無形文化財に指定されれば、世界遺産を目指せそうな気がする」と笑みをこぼす。「地域全体で原料のウバメガシを半永久的に持続可能にし、産業を成り立たせていく。二酸化炭素の排出を抑え、環境も守る。これほどの循環モデルは他にないと感じています」と、その想いを語った。</p>



<p>後継者育成、原料確保、そして環境保全。この3つの課題に取り組みながら、土佐備長炭と地域の未来を切り拓くベテラン製炭士の歩みは、止まることを知らない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54827/">土佐備長炭の技術を守り、仲間を増やし、原料の植林に邁進する炭の達人「合同会社 炭の森生」／高知県室戸市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>粒の大きさ、味。そのすべてを操る塩職人「田野屋塩二郎」の生き様に触れる／高知県田野町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 13 Jul 2026 09:31:47 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[太陽結晶塩 塩二郎]]></category>
		<category><![CDATA[完全天日塩]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-123024.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>火や電気を一切使わず、太陽光の熱と職人の技だけでつくる「完全天日塩」。その「生きた塩」は、国内外のトップシェフや菓子メーカーから熱い視線を浴びている。日本一の塩職人と称されるまでになった彼の人生と、塩づくりへの情熱とは。 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54795/">粒の大きさ、味。そのすべてを操る塩職人「田野屋塩二郎」の生き様に触れる／高知県田野町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-123024.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>火や電気を一切使わず、太陽光の熱と職人の技だけでつくる「完全天日塩」。その「生きた塩」は、国内外のトップシェフや菓子メーカーから熱い視線を浴びている。日本一の塩職人と称されるまでになった彼の人生と、塩づくりへの情熱とは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">キャリアを捨てる勇気</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-114833-1.jpg" alt="" class="wp-image-54800" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-114833-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-114833-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-114833-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高知市から東へ約55km。土佐湾に面し、東西2.2km、南北4kmという四国で最も小さな町に、魅力がぎゅっと詰まった田野町（たのちょう）がある。その象徴のひとつが「塩の町」であることだ。町内には「田野町完全天日塩製造体験施設」があり、多くの観光客が塩づくりの見学や体験に訪れる。</p>



<p>この文化の礎となったのが、同町で創業した「田野屋塩二郎」さんの存在だ。彼が手がける塩を求めて、全国から料理人やメディアが集まり、完全天日塩は町を象徴するブランドとなった。</p>



<p>東京都港区広尾出身。学生時代はラグビーに打ち込み、前職は都内でサーフボードやスノーボードの製造販売会社に勤めていた。35歳の時、「海の側で働き、日本一になりたい」という願いから、リサーチした結果、青森県大間のマグロ漁師か、高知県の完全天日塩職人が候補となる。ただ大間のマグロ漁師になるには地元漁協が管理する漁業権や許可が必要となり参入のハードルが高かったため、消去法で塩職人の道を選んだ。これまでのキャリアを捨て、当時、日本で唯一、火も電気も一切使わない「完全天日塩」というジャンルを切り開いた吉田猛氏に弟子入りを志願したが、はじめのうちは一切取り合ってもらえなかったという。</p>



<p>「高知県西部にある黒潮（くろしお）町までアポなしで行き、頭を下げて弟子入りを志願したんですが、まったく相手にされなかったですね。意地もあり、諦められなくて、続けて何度か訪問して土下座して、基本だけ習わせてほしい、給料はいらないし、掃除から何でもやる、と頼み込みました。そこから2年間、みっちりと基礎を叩き込まれました」と振り返る。吉田氏の下での修業を経て、独立の地を探すなかで、高知県内の海沿いの町を探したが、どこにも相手にされず、唯一「ぜひ来てほしい。日本一の塩をつくってくれ」と応じたのが田野町長だった。当時は高速道路がなく、吉田氏の製塩所からも車で4時間ほど離れていたため、師匠に迷惑をかけないだろうという判断もあった。「師匠が『田野屋』という屋号を授けてくれたのは、受け入れてくれた町への恩返しをしろ、という意味だったんです」</p>



<h3 class="wp-block-heading">塩との会話ができるようになってから</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="549" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-132044.jpg" alt="" class="wp-image-54801" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-132044.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-132044-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-132044-768x511.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>結晶ハウスの目の前は海。満月や大潮の日に汲み上げた海水を、木箱に満たす。多くの塩業メーカーで行われるように塩を煮詰めたり、電気の力を使って海水を濃縮するのではなく、火や電気は一切使わず、ハウスの中で太陽光の熱による自然蒸発をじっくり待つのが「完全天日塩」だ。加熱処理をしないことで、海水に含まれる約80種類の豊富なミネラルを、自らの手で攪拌（かくはん）して封じ込め仕上げていく。&nbsp;</p>



<p>「人がやらないことをしようと思って、寝袋を持ち込んでハウスで塩と一緒に共同生活をしました。そんな生活を1ヶ月ほど続けた夜、塩がどんな匂いを出し、どんな音を立てるのか。対話を重ねるうちに変化がわかるようになり、それが自信に繋がって、急に納得のいく塩ができるようになりました 」</p>



<p>作業の効率と精密さを極めるため、木箱のサイズは塩二郎氏の体型に合わせてオーダーメイドされている。まさに職人と道具が一体となった空間だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「美味い塩」というよりは、「人間が必要とする塩」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-131908.jpg" alt="" class="wp-image-54802" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-131908.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-131908-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-131908-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高知県の森林率は84％で全国一位を誇る。田野町の東西には、豊かな栄養分を運ぶ奈半利（なはり）川と安田（やすだ）川が流れ込み、海には山の有機物が供給される。人口が少なく、海水浴場もないため、海水の清浄度は極めて高い。さらに土佐湾沖を流れる黒潮が、良質なミネラルを運んでくる。</p>



<p>塩二郎さんは130ほどある木箱の海水を1時間に1度のペースでチェックし、状況を見ながら攪拌を繰り返す。塩と真正面から向き合うため、よほどのことがない限りこの場所を離れない。</p>



<p>「結晶ができるのは全工程の最後。毎日見ていると『今はカリウムがこれくらい出ているな。なら海水のなかに留めて、先にナトリウムを出そう』といったコントロールができるようになります。目指すのは単なる『美味い塩』ではなく、摂取することで体内のバランスが整うような、人間が本能的に必要とする塩をつくりたいんです」</p>



<p>周辺の雑草を刈ると、塩の出来が変わってしまうという。「人間が主体ではなく、自然の循環のなかに少しだけ介在させてもらっている」という謙虚な自覚が、その味を支えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">粒の大きさも、味も、自由自在にコントロールする</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/21bd90a12d42c3fa6b657f5e9c54f7a5.jpg" alt="" class="wp-image-54803" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/21bd90a12d42c3fa6b657f5e9c54f7a5.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/21bd90a12d42c3fa6b657f5e9c54f7a5-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/21bd90a12d42c3fa6b657f5e9c54f7a5-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>塩は温度変化に極めて敏感だ。「夏の夕立ひとつで味が壊れる」と語る塩二郎さんは、天気や湿度、風の流れに細心の注意を払う。通常３〜４カ月、長いものでは４年もの歳月をかけて、ゆっくりと結晶化させていく。</p>



<p>味の五役（甘・塩・辛・酸・苦）のバランスから、結晶の大きさまで、すべてを自在に操る。その噂は口コミで広がり、今や世界中の料理人からオーダーメイドの注文が絶えない。市場にはほとんど出回らず、予約は数年待ち。ミシュラン星付きシェフも愛用する「幻の塩」と呼ばれる所以だ。最高値は1kg100万円。同ブランドでもっともスタンダードな商品として流通する「塩二郎（黒）」ですら100gで4,000円台と、量販店で販売される塩とは一線を画す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">塩は、土地の魅力そのものを表現する</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/e6f4f4c06ad44c92faeed02f90fd6cd3.jpg" alt="" class="wp-image-54804" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/e6f4f4c06ad44c92faeed02f90fd6cd3.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/e6f4f4c06ad44c92faeed02f90fd6cd3-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/e6f4f4c06ad44c92faeed02f90fd6cd3-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>開業当初に作ったのは「太陽結晶塩 塩二郎」。その2年後に粒の大きさとナトリウムの際立たせ方を変えたものを作り、現在はこれをベースに、２千種類以上のオーダーに応じている。「塩はあくまで脇役。主役の料理に溶けて一体となった瞬間、最も美味しく感じてもらえるよう、溶ける速度まで計算しています」と、職人は淡々と語る。</p>



<p>さらに、海水にフグやイチゴ、トリュフなどの素材を投入し、結晶化の段階で旨みを宿らせる「フレーバーソルトなど、既存の枠を超えた挑戦も続けている。土佐文旦の花の活用など希少価値の高い商品の構想も話題にあがった。</p>



<p>「究極の塩」を追求し続ける塩二郎さんだが、55歳の今、意外な未来像を口にした。「塩はもうやり切った感があるんです。60歳になったら、全く別の業種でまた10年かけて日本一を目指したい。飽きっぽいんですよね」と悪戯っぽく笑う。</p>



<p>田野町の海、太陽、風、そして草木。すべてと対話しながら生まれる塩二郎さんの完全天日塩は、土地の生命力をそのまま結晶化したものだ。その奥深く純粋な世界観に、私たちはいつの間にか引き込まれてしまう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54795/">粒の大きさ、味。そのすべてを操る塩職人「田野屋塩二郎」の生き様に触れる／高知県田野町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>家族の想いを未来へつなぐ。「ファームベジコ」より愛を込めて／高知県高知市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 19 Jun 2026 04:39:32 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[きゅうり]]></category>
		<category><![CDATA[野菜ソムリエサミット大賞]]></category>
		<category><![CDATA[冬きゅうり]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[ベジタブル・コミュニケーション＆コラボレーション]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-b131400-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>太平洋の恵みと山河が育む自然豊かな南国の地・高知県。なかでも高知市春野町は太平洋に面した温暖な地域だ。海から吹く風と豊かな日照、そして平野と丘陵が入り混じる地形。こうした土地の恵みを受けながら、ファームべジコは農の未来を [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-b131400-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>太平洋の恵みと山河が育む自然豊かな南国の地・高知県。なかでも高知市春野町は太平洋に面した温暖な地域だ。海から吹く風と豊かな日照、そして平野と丘陵が入り混じる地形。こうした土地の恵みを受けながら、ファームべジコは農の未来を切り拓いている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">冬にハウスで野菜を育てる、逆転の農業</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-b132415.jpg" alt="" class="wp-image-54649" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-b132415.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-b132415-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-b132415-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高知県は県土の約9割を山地が占め、四国山地から流れ出る河川は急流となって海へ注ぐ。そのため土砂が広く堆積しにくく、大規模な平野が発達しづらい地形が特長だ。では、この限られた平地をどう生かすのか。その課題に応える形で発展してきたのが、狭い面積でも高収量を得られるハウス園芸だった。夏は山間部で露地栽培、冬は平野部でハウス栽培。季節と地形を巧みに使い分けることで、この土地ならではの農業が形づくられてきた。</p>



<p>長崎朝陽さんがつくるファームべジコのきゅうりは、10月初旬に定植し、11月中旬から6月まで毎日収穫が続く。露地栽培では夏に実る作物を、冬に育てるという逆転の発想だ。寒さに耐えたきゅうりは青臭さが薄れ、甘みが増す。冬のハウスで育つきゅうりには、夏とは異なる静かで力強い味わいが宿っている。</p>



<p>しかし、寒冷地では加温費がかさむため、冬のきゅうり栽培を大規模に広げることは難しい。その点、温暖で日照に恵まれた太平洋側は、冬の実りを育むのにふさわしい土地といえる。なかでも高知県はきゅうりの収穫量が全国上位に位置し、近年は6〜7位前後を推移。重要産地として安定した地位を保っている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">土をつくり、葉を読み、実をまっすぐに育てる</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081210.jpg" alt="" class="wp-image-54650" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081210.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081210-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081210-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ファームべジコのきゅうりは、夏の3か月間のオフシーズンにすべてが決まる。米農家でもある長崎家では、稲作で出た籾殻や米ぬかを大量に土へ入れ、発酵させる。冬のきゅうりが驚くほど甘いのは、この土づくりに理由がある。ぬか漬けが甘くなるのと同じ理屈で、米ぬかで育った土が甘みを引き出す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ハウスに息づく、緑の生命力</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081916.jpg" alt="" class="wp-image-54651" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081916.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081916-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081916-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ハウスの中では、一本のきゅうりの株から伸びる“身体”と“手足”のようなつるを見極めながら、葉の枚数を調整し、光合成の量をコントロールする。葉はそれぞれ近くの実を育てる役割を持ち、葉を落としすぎても残しすぎてもいけない。</p>



<p>日本の市場では「まっすぐなきゅうり」が求められる。葉に触れれば曲がり、地面に触れれば黄色くなる。農家は一本一本の成長を見守りながら、時に摘果し、時に手で形を整え、A品へと仕上げていく。A品とは、形・色・大きさが規格どおりで、傷や曲がりが少ない正規品のことだ。もちろん曲がっていても味は変わらない。それでも市場の規格が農家の収入を左右する現実がある。</p>



<p>ハウスの中で、きゅうりのつるは空気を探るように細く伸び、まだ何にも触れていない先端が、そっと宙に揺れている。支えを求めて手を伸ばす前の、ためらいにも似た静かな動き。</p>



<p>そのわずかな気配の中に、これから命がどこへ向かうのかを選び取ろうとする、植物の確かな意志が宿っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">50年続く農園と、家族が残した遺産</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-083848.jpg" alt="" class="wp-image-54652" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-083848.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-083848-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-083848-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ファームべジコの歴史は、50年以上前に遡る。祖母の代からメロンやトマトを育ててきた農家に、旅行会社で働いていた父が養子として入り、畑を受け継いだ。農業は未経験。それでも、職人気質の父は土に向き合い、一つひとつの作業に没頭し、技を磨いていった。</p>



<p>そのそばには、同じ旅行会社に勤めていた母がいた。人と自然に関係を結ぶ力を持つ母は、「ベジタブル・コミュニケーション＆コラボレーション」という理念を掲げ、ファームべジコというブランドを立ち上げた。シェフとの対話を大切にし、きゅうりだけでなくハーブや多様な野菜を育て、料理人の声に応え続けた。さらに東京のスーパーへ自ら足を運び、品評会にも積極的に挑むことで、一般の生活者へも、ファームべジコの名を静かに、そして確かに広げていった。</p>



<p>両親が築いた農園を守り、次の世代へつなぐために、長崎さんは東京でのサラリーマン生活を経て、自ら畑に立つ道を選んだ。しかし 2025年5月、母は病でこの世を去った。長崎さんが農園に戻って4年目のことだった。直接教わった時間は長くはない。それでも、母の背中から受け取った“人の喜ぶ顔をつくる農業”という精神は、今も変わらず、この農園の中心に息づいている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">市場と直販の狭間で揺れる、農家の現実</h3>



<p>現在、ファームべジコの出荷は市場が7割、直販が3割。JA出荷はやめた。JA出荷は手数料が高く、農家の手取りは半減することもある。価格決定もJA主導で、売り先を主体的に選びにくい。一方で、集荷・選別・販売を任せられ、販路が安定する利点は大きい。</p>



<p>市場出荷は手数料が1割程度と低く、手取りが増えるのが魅力だ。ただし、仕分け・箱詰め・出荷作業をすべて自分で担う必要があり、品質の安定や信頼づくりも農家の責任となる。それでも、自らが育てるきゅうりへの愛情と誇りが、個のブランドを育てる道を選ばせた。</p>



<p>きゅうりの単価は相場で決まり、農家が値段を決めることはできない。A品でも1本30円ほど。規格外は1キロ50円という厳しい世界だ。ハウスの建て替えには3千万〜4千万円。修理だけでも毎年、百万単位の費用がかかる。若い農家が増えない理由がここにある。</p>



<p>それでも長崎さんは「農業は楽しい」と言う。</p>



<p>「親元就農で基盤があったことは幸運でした。けれど、何もない状態から始めるにはハードルが高い。国が使われていないハウスを若者に貸し出す仕組みがあれば、農業人口は増えるはずです」と語る。</p>



<p>直販を増やし、適正価格で買ってくれるシェフやスーパーとつながること。それが小規模農家が生き残る道だ。実際、2013年に野菜ソムリエサミットにて大賞を受賞して以降、ファームベジコの知名度は向上し、東京のレストランや外資系ホテルのシェフたちは、同園のきゅうりを求めて高知を訪れるようになった。なかには花のついた極小サイズのきゅうりを欲しがる海外シェフもいる。そんな料理人の感性が、農家に新しい視点をもたらしている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">これからも守りたい“味”。若き農家の想い</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="547" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081342.jpg" alt="" class="wp-image-54653" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081342.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081342-300x199.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081342-768x509.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ファームべジコのきゅうりをかじると、収穫直後から水分があふれ、みずみずしさが口いっぱいに広がる。しかも、そのみずみずしさは数日経っても失われにくい。冬にゆっくり育つことで細胞が締まり、水分を抱えたまま保つ力が強まるのだ。<br>さらに冬の寒さに耐えた実は青臭さが少なく、驚くほど甘い。</p>



<p>長崎さんは言う。「父がいなくなっても、味が変わったと言われるのが一番嫌なんです」。ハウスを増やすつもりはない。規模を追わず、味を守る。そして、自分たちの作物を正当に評価し、適正価格で買ってくれる人たちとつながる。それがファームべジコのこれからの形だ。</p>



<p>高知の冬に育つ一本のきゅうり。その背景には、家族の歴史、土地の気候、土の記憶、そして人と人のつながりがある。静かなハウスの中で、今日もまた、まっすぐに伸びようとする小さなつるが、支えを探して手を伸ばしている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54642/">家族の想いを未来へつなぐ。「ファームベジコ」より愛を込めて／高知県高知市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>四万十川の清流で育てられたおいしいお米「宮内商店」／高知県四万十町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 22 Sep 2021 05:27:01 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[四万十町]]></category>
		<category><![CDATA[ブランド米]]></category>
		<category><![CDATA[にこまる]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[米]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/09/main-5.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>安心安全な「にこまる」ブランド米 高知の米と聞いても、あまりピンとこないかもしれない。だが、仁井田町でつくられる「にこまる」は、これまで米・食味分析鑑定コンクールやモンドセレクションなど数々のコンテストで賞を受賞してきた [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/30462/">四万十川の清流で育てられたおいしいお米「宮内商店」／高知県四万十町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/09/main-5.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">安心安全な「にこまる」ブランド米</h2>



<p>高知の米と聞いても、あまりピンとこないかもしれない。だが、仁井田町でつくられる「<a href="https://www.miyauchi-s.co.jp/nicomaru.html">にこまる</a>」は、これまで米・食味分析鑑定コンクールやモンドセレクションなど数々のコンテストで賞を受賞してきたブランド米だ。<br>「にこまるは、もともと<span class="swl-marker mark_yellow">長崎で生まれた暑さに強い品種です。仁井田町では、さらにこの米をおいしくする研究を重ね、63軒の米農家が有機質肥料だけを使ってこの米を栽培。精米にもとことんこだわって出荷しています。関東ではあまり馴染みがないかもしれませんが、西日本ではかなり人気があり、地元の店でも高値で取引されている</span>んです」（宮内商店・片岡源蔵社長）</p>



<p>仁井田町は土佐藩の時代から米どころとして知られてきた。米がおいしくなる理由は、高地にあるため夏場から収穫前の時期に日中と夜間の寒暖差が10度以上と大きいことと、四万十川の清流のおかげだとか。<a href="https://www.miyauchi-s.co.jp/index.html">宮内商店</a>が提携する契約農家では「安心・安全な米づくり」にもこだわっている。田植えの前に苗を育成するが、このときに種を消毒することが重要で、これを怠ってしまうと種子が病気になってしまい大きな被害が出やすくなってしまう。そのため、種を消毒することが一般的なのだが、宮内商店が契約している農家では、この<span class="swl-marker mark_yellow">消毒に農薬を使うのではなく、籾を60℃の温湯に10分間つける「種籾温湯消毒」という方法を取り入れた、環境に配慮した米づくりを行っている。ほかにも様々な工夫と研究を繰り返し、全国の産地がお米の味を競う「米・食味分析鑑定コンクール」で15年連続受賞したほか、平成28年、令和元年、令和2年には魚沼産コシヒカリと肩を並べる「特A」ランクのお米に認定された。</span></p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="427" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/09/09072019_tabi_1227.jpg" alt="" class="wp-image-30465" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/09/09072019_tabi_1227.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/09/09072019_tabi_1227-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">お米でつくったスイーツ</h2>



<p>用意していただいた炊きたてのご飯を食べると、たしかにもちもちとしていて食味がいい。高地名産のカツオのたたきなどといっしょに食べれば、どんどん箸が進みそうだ。「スイーツも作っているんですね」<br>米も好きだが、スイーツにも目がない中田英寿が目をとめたのは、仁井田米のカステラ。<span class="swl-marker mark_yellow">宮内商店では、仁井田米の米粉をつかったカステラやバームクーヘン、ロールケーキなどを販売。しっとりもちもちの食感で、こちらも土産物として人気があるのだという。</span>「2006年から米粉の菓子を作るようになったんですが、最近はグルテンフリーを求める方が多く、おかげさまで人気があがっています」<br>こだわりの米でつくったこだわりのスイーツがおいしくないわけがない。<span class="swl-marker mark_yellow">「にこまる」は、おいしくて笑顔になるというのがネーミングの理由だとか。</span>仁井田町で育った「にこまる」は、さまざまなカタチでたくさんの笑顔を生み出しているのだ。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="427" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/09/09072019_tabi_1369.jpg" alt="" class="wp-image-30466" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/09/09072019_tabi_1369.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/09/09072019_tabi_1369-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div>

<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="427" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/09/09072019_tabi_1311.jpg" alt="" class="wp-image-30467" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/09/09072019_tabi_1311.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/09/09072019_tabi_1311-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/30462/">四万十川の清流で育てられたおいしいお米「宮内商店」／高知県四万十町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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