<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>伝統工芸 - NIHONMONO</title>
	<atom:link href="https://nihonmono.jp/tag/%e4%bc%9d%e7%b5%b1%e5%b7%a5%e8%8a%b8/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://nihonmono.jp</link>
	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
	<lastBuildDate>Thu, 23 Apr 2026 08:47:35 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=6.8.5</generator>

<image>
	<url>https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/06/cropped-favicon-32x32.png</url>
	<title>伝統工芸 - NIHONMONO</title>
	<link>https://nihonmono.jp</link>
	<width>32</width>
	<height>32</height>
</image> 
	<item>
		<title>問いを重ね、灯りをつなぐ。「山鹿灯籠の店 なかしま」中島弘敬さん／熊本県山鹿市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54382/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/54382/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 20 Apr 2026 11:42:24 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<category><![CDATA[山鹿灯籠まつり]]></category>
		<category><![CDATA[金灯籠]]></category>
		<category><![CDATA[灯籠師]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=54382</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3066.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「よへほ〜、よへほ〜」。民謡・よへほ節に合わせ、約千人の女性たちが優雅に舞う「山鹿灯籠（やまがとうろう）まつり」。踊り手の頭上にゆらめく明かりの正体は、伝統工芸品である山鹿灯籠。中島弘敬さんは山鹿灯籠師の系譜を継ぐ4代目 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54382/">問いを重ね、灯りをつなぐ。「山鹿灯籠の店 なかしま」中島弘敬さん／熊本県山鹿市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3066.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「よへほ〜、よへほ〜」。民謡・よへほ節に合わせ、約千人の女性たちが優雅に舞う「山鹿灯籠（やまがとうろう）まつり」。踊り手の頭上にゆらめく明かりの正体は、伝統工芸品である山鹿灯籠。中島弘敬さんは山鹿灯籠師の系譜を継ぐ4代目。伝統を礎に、時代に合わせて変化していくことも厭わない。</p>



<h2 class="wp-block-heading">踊り手の頭上にゆらめく幻想的な明かりは伝統工芸品</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3080.jpg" alt="" class="wp-image-54388" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3080.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3080-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3080-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>————骨もなけれど　肉もなし　よへほ　よへほ————</p>



<p>民謡・よへほ節に合わせ、約千人の女性たちが体をしなやかに動かして優雅に舞う「山鹿灯籠まつり」。毎年8月に開催され、例年約10万人以上が来場する、山鹿市の一大イベントだ。深い霧の中で道に迷った第12代景行天皇を、山鹿の里人たちが松明を頭上に掲げて案内したことが祭りの起源と伝わる。​​夜の闇の中、踊り手の頭上にゆらめく幻想的な明かりの正体は、伝統工芸品である山鹿灯籠の一種「金灯籠」。遠目では金属製に見えるが、実は紙製。木や金具は一切使わず、和紙と少量の糊だけで立体的に組み上げられており、重さはたったの約180グラムしかない。紙製とは思えない見た目の重厚さや豪華さを実現するためには精巧な技術を要し、「灯籠師」と呼ばれる職人が制作を担う。</p>



<p>中島弘敬さんは100年以上続く灯籠師の家系の４代目。曽祖父と祖父の代では灯籠師と時計屋を兼業していたが、父親の代から灯籠師一本となり、豊前街道沿いで灯籠専門店「山鹿灯籠の店 なかしま」を営んでいる。中島さんは灯籠師の家系の次男として生まれ、33歳までサラリーマンだった。だが、兄弟の誰一人として実家を継ぐ者がいなければ技術が途絶えてしまうと一念発起。父親の弟子となり、灯籠師の道に入って今に至る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">異業種から転職し、師匠である父のもとで技術を習得した</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2855.jpg" alt="" class="wp-image-54389" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2855.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2855-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2855-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>異業種からの転職は簡単ではなかった。幼い頃から父親の制作の様子を間近に見ており、転職前から修行はしていたものの、伝統工芸士の技術はそうやすやすと習得できるものではない。山鹿灯籠の制作は細かい作業の連続で、指先は痛み、目は疲れ、肩は凝る。並大抵ではない集中力と根気が必要だ。しかも、師匠である父親からは容赦なくダメ出しを受ける。「だけど、今思えば息子だからといって甘やかすことなく、一人の弟子として扱ってくれた父に感謝しています」と中島さんは言う。灯籠師を名乗るには、約10年の修行を積み、他の灯籠師たちから技術を認められる必要がある。中島さんが認定を受けたのは2017年、40代になってからのことだった。</p>



<p>山鹿灯籠には前述の金灯籠を筆頭に、神殿や楼門、五重塔といった神社仏閣建築を題材とする「宮造り」、伝統的な日本家屋を模した「座敷造り」など、伝統的な様式がある。加えて、灯籠師自身が編み出した作品も多く、多彩で、種類が豊富だ。これらは主に、後述する「奉納灯籠」に用いられ、灯りをつけない仕様のものもある。ほか、地元の家庭では初盆の提灯代わりに飾られることも多く、家紋入りのオーダーメイドにも対応する。</p>



<p>山鹿灯籠の条件は「手漉き和紙と糊のみを使用すること」「灯籠の主な部材は空洞とすること」「曲線部分にのりしろを作らないこと」の3つ。だから、勧進帳の弁慶や電車、戦艦などが作られた例もあり、自由で多様だ。その中でも金灯籠が注視されるのは、山鹿灯籠まつりのシンボルというだけでなく、灯籠師の登竜門的様式だからだろう。灯籠師に必要とされる技術が集約されており、金灯籠を完成させてこそ、認定の第一歩とされている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">地域社会の営みに深く根差した伝統工芸</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2944.jpg" alt="" class="wp-image-54390" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2944.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2944-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2944-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>金灯籠の制作は、ミリ単位での作業が延々と続く。図面を写した厚手の和紙をカットし、組み立てる。言葉にするとたったこれだけだが、内部が空洞で骨組みがないため、和紙の貼り合わせのみで形を保ち、強度を担保しなければならない。だから山鹿灯籠は「骨なし灯籠」との異名を持つ。これが冒頭の民謡で「骨もなけれど　肉もなし」と唄われる所以である。</p>



<p>骨も肉もないから、和紙の貼り合わせがわずかにずれるだけで、崩れる。そして、ぴったりと貼り合わせるためには、和紙を寸分の狂いもなくカットしてあることが前提だ。金灯籠はおよそ200のパーツから成り、準備から完成まで3日ほどかかる。「山鹿灯籠を制作するには、集中力を欠くことなくやり遂げる根気が必要」との中島さんの言葉に、改めて頷く。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3093.jpg" alt="" class="wp-image-54391" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3093.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3093-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3093-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>こうして作られた灯籠は踊り手の頭上に載せられるほか、奉納灯籠にも用いられる。奉納灯籠とは、祭りのために町内会などの団体ごとに灯籠師に依頼して作る灯籠のことで、祭り期間の展示を終えると地元の「大宮神社」に奉納することからこの名が付いた。形状などに規定はなく、モチーフは団体と灯籠師の相談で決まる。毎年27〜28基が作られ、奉納後は神社内にある「燈籠殿」で保管・展示。1年後の8月に新しい灯籠と入れ替えられる。「毎年のことですが、依頼主から喜んでもらえることが本当に嬉しい。頑張ってよかった、と報われる瞬間です」と中島さんは言う。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統を未来につなぐためには“問い”が必要</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2841.jpg" alt="" class="wp-image-54392" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2841.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2841-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2841-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>山鹿灯籠は約2000年前、第12代景行天皇が筑紫路巡幸の際に深い霧に進路を阻まれた際、山鹿の人々が松明（たいまつ）で案内したことが発端と伝わる。その後、人々は景行天皇を祀る大宮神社に松明を奉納し続け、室町時代に松明が山鹿灯籠へと変わったという。そして、江戸時代には町の有力者たちが奉納灯籠の豪華さを競い合うようになり、山鹿灯籠の文化が花開いたというわけだ。</p>



<p>現在、現役の灯籠師は全体で7名。うち5名が女性で、2名が男性、50〜60代が中心だ。認定を目指す見習いは3名いる。灯籠師の数はここ数十年横ばい状態だが、見習いは全員が20代で、中島さんは「山鹿灯籠の未来は決して楽観できる状況ではないが、悲観するほどでもない」と考えている。ただし、伝統を未来につなぐためには“問い”が必要、とも。</p>



<p>「祭だけでなく、伝統工芸品として購入し、日常的に使ってもらえるシーンを増やしたい。使用環境が限られていては、先細りしていくだけだ。そのためにはどんなものが売れるのか、消費者に山鹿灯籠を身近に感じてもらうためにはどうしたらいいのか……」。</p>



<p>中島さんは、常に問いを抱くことで、新しいものを世に出していこうとしている。「時代の変化やニーズに合わせて少しずつアップデートしていくことで、守れる伝統もあるはずです」。問いを抱きながら灯籠を作り続けること。その積み重ねが、山鹿の灯りを次の時代へとつないでいく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54382/">問いを重ね、灯りをつなぐ。「山鹿灯籠の店 なかしま」中島弘敬さん／熊本県山鹿市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/54382/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>約400年の歴史と伝統にアイデンティティーを。「小代焼ふもと窯」井上尚之さん／熊本県荒尾市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54356/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/54356/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 20 Apr 2026 11:20:59 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
		<category><![CDATA[登り窯]]></category>
		<category><![CDATA[小代焼]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=54356</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2110.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>言うならばサラブレッド。小代焼の大家とされる井上泰秋さんを父に持ち、約400年の歴史がある小代焼の中でも最大級の6基の登り窯を有する「ふもと窯」に生まれた井上尚之さん。その恵まれた環境は、誇りであると同時に、常に比較と評 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54356/">約400年の歴史と伝統にアイデンティティーを。「小代焼ふもと窯」井上尚之さん／熊本県荒尾市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2110.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>言うならばサラブレッド。小代焼の大家とされる井上泰秋さんを父に持ち、約400年の歴史がある小代焼の中でも最大級の6基の登り窯を有する「ふもと窯」に生まれた井上尚之さん。その恵まれた環境は、誇りであると同時に、常に比較と評価にさらされる場所でもあった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自分のやりたいことは、本当に陶芸なのか</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1908.jpg" alt="" class="wp-image-54362" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1908.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1908-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1908-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>パチパチと薪がはぜる音がする。登り窯の斜面を駆け上がるようにして燃え広がり、焼き物に命を吹き込む炎の様子に、約400年もの間脈々と受け継がれてきた小代焼の歩みが重なる。</p>



<p>九州を代表する陶器の一つ、小代焼。1632年に細川忠利が陶工を伴い、熊本県北西部にある小岱山（しょうだいさん）のふもとに窯を開いたことが起源とされる。鉄分や小石粒を多く含む小代粘土を用いた素朴で力強い肌合いと、藁灰釉や木灰釉といった地元の自然から作られた釉薬を流しかける大胆なデザインが特徴で、シンプルながら奥の深さを感じさせる佇まいに魅力がある。2003年には国の伝統的工芸品に指定され、現在は荒尾市と玉名郡南関町を中心に11の窯元が残る。</p>



<p>中でも荒尾市府本にある「小代焼ふもと窯」は、現存する小代焼の窯では最大級の6基の登り窯を有し、多くの弟子を輩出してきた名窯だ。初代の井上泰秋さんは日本民藝館展の最高賞受賞をはじめ数々の作品展で入賞し、熊本の伝統工芸の発展に欠かせない存在として知られる。</p>



<p>1975年に泰秋さんの長男として生まれた井上尚之さんは、約400年の歴史と伝統の中に自身のアイデンティティーを取り入れ、イギリスの古い焼きものからヒントを得た​​独自の「スリップウェア」（器の表面をスリップと呼ばれる化粧土で装飾した陶器）が評判の人気作家だ。幼少期は欠けた陶器をままごとセット代わりにして遊び、将来は焼き物をすると当然のように思っていたが、高校時代にふと足を止める。自分のやりたいことは本当に陶芸なのか。迷いながら地元のデザイン専門学校に進学するも、答えは見えない。尚之さんは当時を振り返り「はっきり言って、ふらふらしていましたね」と、眉を下げて笑う。</p>



<h3 class="wp-block-heading">伝統的な小代焼とスリップウェアの融合</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2148.jpg" alt="" class="wp-image-54363" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2148.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2148-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2148-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>尚之さんは旅に出た。東京、栃木、沖縄と、泰秋さんの知人を訪ね、各地で焼き物やその現場を見せてもらうがピンとこない。だがなぜか、小石原だけが違った。小石原焼を代表する「太田哲三窯元」を見て、自然と「ここで勉強したい」と思えたのだという。その後、代表の太田哲三さんのもとで4年の修行期間を経て、実家であるふもと窯へ。はるか前を歩く兄弟子たちの姿に焦りを感じながら修行を重ね、ようやくろくろの前に座ることができたとき、尚之さんは途方に暮れた。いざ作れる状況に立ってみたら、自分が作りたいものが見えなかった。</p>



<p>そこでヒントとなったのが、太田さんのもとで学んだ技法の一つ「ポン描き」。釉薬を専用の容器から器の表面に流し出すことで線や模様を描く装飾技法だ。尚之さんはこの「ポン描き」に、イギリスに伝わる化粧土で装飾された陶器「スリップウェア」と近いものを感じ、古いスリップウェアや関連書物から“自分が作りたいもの”を探った。そして、小代焼とスリップウェアを融合させた独自のスタイルに辿り着いた。約400年の歴史と伝統にアイデンティティーを見出したのだった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">土地の素材と普遍の意匠から生まれるもの</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1822.jpg" alt="" class="wp-image-54364" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1822.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1822-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1822-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>尚之さんの作品は自ら採掘した小代粘土を用いる。釉薬となる灰には木や藁、焼成の燃料には松薪と、伝統的な小代焼と同様に地元の自然のものを使用。成形した粘土が乾ききらないうちに水で溶かした粘土を掛け流し、さらにその上にスポイトのような道具から水で溶かした別の色の粘土を垂れ流して模様を描く。</p>



<p>デザインは、イギリスの古い文献から選んだ普遍的な柄をベースに、独自に解釈して再構築している。「普遍的なものは人々から飽きられなかったからこそ今に伝わる」との考えからだ。波線やクロス、リボンのように見えるものまでバリエーションは多様。その伸びやかで躍動的な線からは、尚之さんの大らかで飄々とした人柄が感じられる。</p>



<p>現在でこそ多くの消費者から支持を得ている尚之さんの作風だが、作り始めた当時は「伝統的な小代焼ではない」と風当たりが強かったという。しかし、さる恩人から「十人中九人が敵でも一人は味方がいる。私は君の味方だ」との言葉をかけられたことが、尚之さんの心の支えとなり、今に繋がっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">土と炎に問い続けるものづくりの姿勢</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1757.jpg" alt="" class="wp-image-54365" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1757.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1757-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1757-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>尚之さんは、作品の焼成に6袋の登り窯を使う。今から約50年前、1977年に泰秋さんが完成させたものだ。数日間にわたって薪を投入し続けながら温度管理をする登り窯はガス窯に比べるとコントロールが難しく、「一生かかっても分からない」「窯の調子が作品の良し悪しを決める」といわれるほど。温度や酸素量など窯の内部の状態が均一にはならないために割れや歪みなどの不良も出やすく、「小代焼ふもと窯」の場合、製品化率は6割ほどに留まる。それでも薪から出る灰と炎の力が織りなす人智を超えた美に魅了される陶芸家は少なくない。一方、尚之さんは「登り窯を作品の良さの理由にも、言い訳にもしたくない」ときっぱり。何で焼くかは重要ではなく、できた作品の品質そのものを評価されるべきだと考えているからだ。</p>



<p>窯は使用を重ねるほどに内部が傷む。「小代焼ふもと窯」では耐用回数といわれる100回はとうに超えており、部分的な修理を繰り返しながら使い続けている。尚之さんは「登り窯にこだわりはないし、使えなくなったとしても対策は考えてあるから問題ない」とあっけらかんとしているが、「登り窯にしかない面白さはある」と、その魅力を認めてもいる。</p>



<p>長い迷いと葛藤を経て、歴史と伝統の中に自らの居場所を見つけた尚之さん。今、その隣には、鳥取県「岩井窯」での修行を終え、「小代焼ふもと窯」の三代目として2024年に実家へ戻った息子の亮我さんの姿がある。小代焼の伝統そのものだけでなく、土と炎に問い続けるものづくりの姿勢も、また次の世代へと受け継がれようとしている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54356/">約400年の歴史と伝統にアイデンティティーを。「小代焼ふもと窯」井上尚之さん／熊本県荒尾市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/54356/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>繊細な色をたて縞で表現する小倉織。「遊生染織工房」築城則子さん／福岡県北九州市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/53991/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/53991/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 02 Feb 2026 11:53:35 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[小倉 縞縞]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<category><![CDATA[織物]]></category>
		<category><![CDATA[小倉織]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=53991</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_406.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福岡県の北部、北九州市八幡東区にある「遊生（ゆう）染織工房」は、北九州が誇る伝統工芸・小倉織の工房。主催の築城（ついき）則子さんが、草木で糸を染め、手織りしながら、色彩豊かな小倉織を生み出し続けている。国内外の人々を魅了 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53991/">繊細な色をたて縞で表現する小倉織。「遊生染織工房」築城則子さん／福岡県北九州市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_406.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福岡県の北部、北九州市八幡東区にある「遊生（ゆう）染織工房」は、北九州が誇る伝統工芸・小倉織の工房。主催の築城（ついき）則子さんが、草木で糸を染め、手織りしながら、色彩豊かな小倉織を生み出し続けている。国内外の人々を魅了する、その創作の源とは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">地厚で丈夫。美しいたて縞で魅せる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_416.jpg" alt="" class="wp-image-53997" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_416.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_416-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_416-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>小倉織は経糸（たていと）と緯糸（よこいと）を1本ずつ交差させていくシンプルな織物。しかし、経糸を多く使い緯糸の約3倍の密度があるのが特長だ。そのため緯糸が見えにくく、たて縞が鮮明にあらわれ、見る人を惹きつける美しさを放つ。糸の色の濃淡で立体感を生み出した、なめらかな風合いの唯一無二の織物だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">江戸時代には袴や帯。明治時代には学生服として流通</h2>



<p>江戸時代に豊前小倉藩（現在の北九州市）で生まれた小倉織。この地が木綿の産地であったことから、武家の女性たちが木綿糸で織物を織るようになる。生地に厚みがあり丈夫だったため、次第に武士の袴や帯として織られ各地に広がっていった。徳川家康が鷹狩りで羽織として身につけたことでも知られ、「槍をも通さぬ小倉織」と称えられて重宝された。</p>



<p>明治時代には、黒と白の糸を撚ったグレーの生地「霜降小倉（しもふりこくら）」が、男子学生の夏の制服として全国に広まった。しかし、機械織で安価なコピー商品が各地でつくられるようになり、その波にのまれて小倉での生産は下火に。また小倉は製鉄所で栄える“鉄の町”となり、昭和初期には小倉織の最後の工場が閉鎖となり途絶えてしまう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">骨董店で小倉織の端切れとの運命的な出合い</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_410.jpg" alt="" class="wp-image-53998" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_410.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_410-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_410-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>北九州市八幡東区の静かな里山にある「遊生染織工房」。主宰である染織家の築城則子さんは、小倉織を復活させたその人だ。北九州市で生まれ育ち、文学が好きだった築城さんは大学で能や浄瑠璃などの古典芸能を学ぶなかで能装束の美しさに夢中になる。</p>



<p>京都で西陣織の織元を訪ねた際に、職人技の素晴らしさに感動しつつも自分が表現したいのは文様ではなく“色”なのだと気づいた築城さん。思い切って大学を中退し、染織の世界に身を投じた。北九州市内の織物研究所で糸染めや織りの基礎を身に付けた後、沖縄・久米島に渡り、琉球王国時代から受け継がれる久米島紬（くめじまつむぎ）の工房でおばあ達を手伝いながら紬織を学んだ。久米島は、紬が久米島を起点に全国へ広がったとされる「紬の発祥地」。久米島紬は国の重要無形文化財にも指定されており、染織技術を学ぶには欠かせない場所だった。しかし、なかなかこれだと思う作品はつくれなかった。</p>



<p>ある日、衝撃的な出合いが築城さんに訪れる。たまたま訪れた骨董店で、小倉織の端切れを見つけたのだ。10センチほどの小さな端切れは、織物なのにたて縞しか見えない。驚く築城さんに「江戸時代の小倉織ですよ」と店主は言うが、築城さんにとって小倉織はグレーの学生服というイメージしかなかった。たて縞の美しいグラデーション、厚みがありつつも絹のような質感は、150年ほど前のものと思えないほど新鮮なものとして築城さんの目に映った。「生まれ育った地に、自分の目指す織物があったなんて！とても幸せな出合いでした」と築城さんは目を細める。</p>



<h3 class="wp-block-heading">小倉織を復活、そして再生する </h3>



<p>当時、周囲に江戸時代の小倉織を知る人はおらず、築城さんは工業試験場で端切れを組織分解して調べてもらう。そこで、織物は経糸と緯糸が１対１の割合になるのが一般的だが、小倉織は2対1になり経糸が多いことがわかった。早速、その割合にして織ってみるが、古い端切れのようななめらかさが出ない。さらに調べると、なめらかな風合いは使い続けた経年変化であることがわかった。</p>



<p>築城さんは、経年変化ではなくはじめからなめらかな質感の生地をつくりたいと、糸を細くして本数を増やし、密度を上げることで、木綿の生地でありながら絹のような艶っぽさを完成させる。歴史ある小倉織を築城さんがさらに進化させた「再生」といえるだろう。こうして1984年に小倉織は復活。築城さんは、先人たちに敬意を込めて小倉織として作品を発表しはじめる。一目で「小倉織だ」とわかる色彩豊かな縞模様があるからこそ、多くの人に受け入れられたという。そして、最初の作品は日本伝統工芸展に入選。</p>



<p>しかし、復元に成功したと言っても、納得のゆく小倉縞の意匠を体得するのに3年かかったという。伝統的な配色にとらわれずにもっと自由に色を使いたいという思いから織った薄紅色の帯「梅の頃」は1991年に西部伝統工芸展で朝日新聞社賞を受賞。現在までに600点を越える作品を生み出し、今では北九州は小倉織の産地として認知され、新しい作り手が数人誕生している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">草木の力をかりて、透明感のある色を表現 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_467.jpg" alt="" class="wp-image-53999" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_467.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_467-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_467-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>工房周辺の草木など、自然のもので木綿糸を染める築城さん。「草木で染めるのはとても面白いんです。例えばローズマリーだと、花が咲く前は黄みがかった色に染まり、花が咲くとオリーブ味が強く染まる。同じ植物でも、時期によって色が変わるんですよ」。</p>



<p>草木染めは化学染料での染色と違って、すぐに染まらず時間がかかるため、濃淡をつくるのにとても適している。追っかけで糸を追加して薄い色にしたり、思いつきやその時の気分を反映しやすくて、人間のリズムにとてもあうのだという。「何より、自然由来のやわらかな色は透明感があります」と築城さんは話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">織る前に何千本もの経糸を準備</h3>



<p>小倉織はたて縞が浮かび上がるという特性上、チェック柄もよこ縞もできない制約が多い織物だ。「でもそれは、小倉織の特色がぶれにくいということでもあります。小倉織は経糸の色だけが見えるので、糸の色がそのまま反映できるのがいいところですね。だからどれだけ“絵の具”を持っているかが勝負になるので、糸は常に染め続けています」。</p>



<p>その糸をデザインに合わせて事前に準備する「整経」も大事な工程だ。経糸を整経機に並べて回転させながら、必要な色を組み合わせ、長さ、張りなどを考慮しながら巻き取っていく。一つの帯を織るのに約2,300本もの経糸を準備するなど、気の遠くなるような作業を重ねる。だからこそ、繊細な色が生み出されるのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">北九州の風土と気質にあった織物</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_485.jpg" alt="" class="wp-image-54000" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_485.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_485-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_485-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>築城さんが織り機で小倉織を織る時、「トントン」という軽やかな音ではなく、「ガンガン！」と大きな音が鳴り響く。繊細な美しさの織物からは、ちょっと想像できないような激しい音だ。「糸の密度を高めるために強い力を入れて織っていきます。やさしく織ると生地がふわふわになって締まりがないし、気を抜くと織りのムラが目立ってくるので、織り始めるととにかくもくもくと集中して進めます」。</p>



<p>「とてもかたくなな織物です」と築城さんは笑みをこぼす。「この地は、一度途絶えたとはいえ、こんなに織りにくい織物を愚直に400年も織ってきました。融通がきかなくて不器用な、北九州らしい織物ですね」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">現代的で洗練された織物が、世界を魅了</h3>



<p>手織りは生産量が少ないため、もっとたくさんの人に小倉織に親しんで欲しいと、2007年から築城さんが監修する機械織りのブランド「小倉 縞縞（こくら しましま）」も展開。手織りではできない幅広の生地をつくれるようになり、家具やインテリア、アートなど大きな作品づくりが可能になった。建築家・隈研吾氏やファッションブランド「ANREALAGE（アンリアレイジ）」の森永邦彦氏など、世界的なクリエイターとのコラボレーションは常に高感度な人々の注目の的だ。</p>



<p>しかし、築城さんの主軸はあくまでも工房での手織り。「どんなに色が重なっても、色同士が尊重しあう、協奏曲を奏でるような世界を目指しています」と語る築城さん。これまで小倉織で抽象的な世界を表現してきたが、ここ２、3年は、その中に具象性を取り入れることに挑戦している。例えばたて縞のなかに、ひとすじ斜めに雨が降るような……。「無機的なたて縞と有機的な自然界のものは相入れないように思えますが、それをたて縞の世界に持ち込みたいと思っています。まだまだ試作を重ねている段階ですが、いつかは完成させたいですね」。</p>



<p>築城さんは小倉織を復元・再生し、さらに新しい表現を模索。のびやかな感性で織り上げる築城さんの緻密で洗練された小倉織が、これからどんな新たなる美しさを見せてくれるのか、世界が待ち望んでいる。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53991/">繊細な色をたて縞で表現する小倉織。「遊生染織工房」築城則子さん／福岡県北九州市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/53991/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>着物の美しさを引き立て、伝統を後世へとつなぐ「江戸組紐 中村正」中村航太さん／千葉県松戸市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/53450/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/53450/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 27 Oct 2025 07:58:17 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<category><![CDATA[江戸組紐]]></category>
		<category><![CDATA[千葉県指定伝統的工芸品]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=53450</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>中村航太（こうた）さんは約130年の歴史を持つ組紐（くみひも）工房「江戸組紐 中村正（しょう）」4代目として、主に帯締めや羽織紐を手組みで作る千葉県指定伝統的工芸品製作者。東日本伝統工芸展での入選を重ねる実力派であると同 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53450/">着物の美しさを引き立て、伝統を後世へとつなぐ「江戸組紐 中村正」中村航太さん／千葉県松戸市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>中村航太（こうた）さんは約130年の歴史を持つ組紐（くみひも）工房「江戸組紐 中村正（しょう）」4代目として、主に帯締めや羽織紐を手組みで作る千葉県指定伝統的工芸品製作者。東日本伝統工芸展での入選を重ねる実力派であると同時に、着物の美しさを引き立てる組紐が支持され、百貨店や呉服店での実演も数多くこなす。</p>



<h2 class="wp-block-heading">和装文化を支える江戸組紐</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-2.jpg" alt="" class="wp-image-53461" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>江戸川を挟んで東京と埼玉に隣接している松戸市。市の中心部である松戸駅界隈は江戸時代に水戸街道の宿場が設けられて栄えた歴史があるが、現在の駅前はビルや商店が立ち並ぶ。そんな風景の中にありつつも、伝統工芸の歴史を連綿と受け継いでいるのが、松戸で明治時代から約130年続く江戸組紐の老舗「中村正」である。</p>



<h3 class="wp-block-heading">代々受け継がれてきた江戸組紐 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-6.jpg" alt="" class="wp-image-53462" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-6.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-6-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-6-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>組紐とは文字通り、糸を束ねた紐を複数組み合わせていくことで結びやすくほどけにくい丈夫な紐を作り上げる、約1400年の歴史があるとされる伝統工芸だ。経文を書いた巻物の紐や甲冑（かっちゅう）の紐など多様な用途に活用されてきたが、特に明治時代中頃にお太鼓結びと呼ばれる帯の結び方が流行したことをきっかけに、帯締としての需要が拡大。現代に至ってもなお、昔の町民文化で磨かれた「江戸組紐」は和装文化を支える存在としてあり続けている。</p>



<p>中村正においても帯締めや羽織紐をメインに制作している。「組紐の作り方は代々試行錯誤されてきながら伝承されてきているんです。ですのでこの組紐という仕事は、その受け継がれてきたことを忠実にやる、精度よくやるということに尽きます」と語る中村さん。奇を衒（てら）うことなく、帯や羽織をしっかりと安定させること、そして着物全体の魅力を引き立てること。そうした役割に徹した中村さんの組紐は高く評価され、今では棋士や噺家からも羽織紐の依頼を受けるなどしている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">伝統の中に新鮮さを感じさせる色 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-5.jpg" alt="" class="wp-image-53463" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-5.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-5-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-5-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>中村さんの工房で作る組紐の原料は絹糸で、無地染めのほとんどは中村さん自らが染色作業を行っている。</p>



<p>「組み上がりの形を想定しながら染める」という中村さん。「ちゃんと着物のコーディネートで使える色でないとなりません。昔からあるような色だけれども新鮮な印象も感じさせる…そんな色を常に探しています」。伝統というものを現代においてどう解釈し、ブラッシュアップしていくか。そんな静かな挑戦が、染めの現場から垣間見える。</p>



<h2 class="wp-block-heading">組紐独自の技術と道具 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-3.jpg" alt="" class="wp-image-53458" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-3.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-3-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-3-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>組紐は日本各地で作られており、地域ごとに特色がある。京都の組紐は公家文化を背景に華美な色合いを持つ。これに対し江戸組紐は、武家社会や町人文化を反映し、主張しすぎない落ち着いた色使いや糸と糸の交差から生まれる組み目が独特だ。</p>



<p>組み上げる台は、主に丸台・角台・綾竹台・高台の4種類があり、組紐のデザインや用途により使い分けている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">微細なバランス感覚を要する手組みという技 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-9.jpg" alt="" class="wp-image-53459" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-9.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-9-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-9-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>江戸組紐で最も代表的な台が「丸台」である。作業はまず、糸を紐束にして「組玉」にくくりつけるところから始まる。</p>



<p>ひと束あたりの糸の本数を少なくして、8玉、16玉、24玉…という具合に玉数を増やすほどに、組み上がるまでの時間はかかるが、より細やかな表現ができるようになる。これを中村さんは「組紐の画素数」と現代風に言い表す。</p>



<p>組玉にくくりつけた紐は丸台にかけ、対角上にある紐を交差させながら組んでいく。組むたびに下へ下へと組み上がった組紐が伸びていくのは、丸台の上板にある穴から組んだ紐を重りで吊り下げる構造になっており、そこに重みが徐々にかかっていくから。中村さんが「組紐は力学」というゆえんである。</p>



<p>良いとされる組紐は「程よい締まり加減で、しなやかさを伴った組紐」であり、機械組みの組紐は組み方が詰まりすぎて硬く仕上がってしまう傾向があると話す中村さん。「帯締めはコストや生産性とのバランスもあり、機械の割合が相当多くなりまして、流通しているのはほとんど機械組みの紐ばかり。手組の割合は本当に減っています。だからこそ、組みの技術と使用するおもりの重さの見極め、その両方が備わった手組みに価値が見出されている」のだという。</p>



<p>さらに、糸に強度をつけるための撚（よ）り加減も仕上がりの硬さに影響するため、どの程度撚るのかを一本一本指先で調整しなければならない。「組紐はこうしたさまざまな要素のバランスをどうとっていくかという難しさがあります。でも、そのバリエーションの豊富さはものづくりの面白さでもありますね」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">先人たちの知恵が詰まった道具を受け継ぐ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-8.jpg" alt="" class="wp-image-53460" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-8.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-8-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-8-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>中村さんは丸台のほか「綾竹（あやたけ）台」も積極的に活用している。綾竹台は機織りのように、経（たて）糸に緯（よこ）糸を差すことで組んでいくもの。丸台で組むと組目の美しさが際立つ一方、綾竹台の場合はヘラで打ち込んでいくため厚みがなく、端正で細やかな風合いとなるのが特徴的だ。</p>



<p>また、中村さんは引退した職人から譲り受けたという古い組台の修繕も進めている。木でできた歯車が噛み合い、半自動で紐を組んでくれるからくり構造になった代物だという。先人が残してくれた知恵をつなげていきたいと中村さんは話す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">中村さんが目指す組紐 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-7.jpg" alt="" class="wp-image-53464" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-7.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-7-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-7-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>17歳で組紐を習い始めた中村さんは工芸の専門学校で2年間在籍した後、本格的に家業に携わるようになるが、当初はひたすら紐を組むことに夢中になっていて、その色やデザインにまで深く興味を持つことができなかったという。だが、百貨店や呉服店での実演販売を行うようになってから、中村さんに心境の変化が生まれた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">着姿の美しさを引き立てる帯締め </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-4.jpg" alt="" class="wp-image-53465" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-4.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-4-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-4-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「家で組紐ばかり眺めていた環境から、実演に赴くことで実際に着物の方にお会いするようになったんです。そこからどんどん着物のコーディネートに興味が湧いてきまして、帯締めを作ることにのめり込んでいったんです」。中村さんが今、特に目指している組紐。それはしっかりと締まるという機能面に加えて「帯と組紐を合わせた時に、着姿が美しく見える帯締め」である。</p>



<p>着物や帯とのコーディネートということを念頭に置いた中村さんの帯締めづくりは「柄や色は足し算よりも引き算。色が一色でも充分に表情があると感じられる」ようにすることであり、「帯締めが主張し過ぎてしまうのではなく全体としての着姿の美しさ」が目指す着地点としてあること。そうすることで、「様々な着物に合わせやすい帯締めが生まれる」のだという。</p>



<p>その基本スタンスに現代的な感覚を取り入れるのが中村流。「今はやや細めの帯締めが好まれてます。その方が出で立ちがすっきりとした印象になるんです」。実演で得た観察眼は、自身の感性を豊かにしてくれると中村さんは語る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">組紐の文化を後世につなぐ </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-10.jpg" alt="" class="wp-image-53466" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-10.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-10-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-10-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>組紐の世界も職人がどんどん辞めてしまっていると打ち明ける中村さん。「若い世代が組紐にせっかく興味を持っても、仕事としては無理と言わざるを得ない状況はもったいない。せめて、なんとかやっていけそうなぐらいは下地作りをしたいと思っています」。伝統工芸展に挑戦し始めたのも実力のブラッシュアップにとどまらず、作品の品質の良さを認知してもらい、確かな販路につなげる意味合いもあるのだ。実際、これまではほぼ問屋との取引のみだったが、興味を持ってくれるきもの店などが増えて販路の多様化に結びついている。</p>



<p>中村さんは現在、助手の育成にも力を注ぐ。「例えば私が亡くなった後でも、後世に伝承されて同じものを作り続けられるということが、伝統工芸の素晴らしい価値だと思うんですね」。そんな中村さんの意志が宿る江戸組紐。これからも人々の装いを美しく演出し続けるに違いない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53450/">着物の美しさを引き立て、伝統を後世へとつなぐ「江戸組紐 中村正」中村航太さん／千葉県松戸市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/53450/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>伊勢崎絣の伝統と技術を伝える、群馬県ふるさと伝統工芸士･齋藤定夫さん／群馬県伊勢崎市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/53392/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/53392/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 24 Oct 2025 03:33:36 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<category><![CDATA[織物]]></category>
		<category><![CDATA[伊勢崎絣]]></category>
		<category><![CDATA[伊勢崎銘仙]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=53392</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_404.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>古くから織物の町として知られる群馬県伊勢崎市。最盛期には、全国の絣（かすり）生産量の半分を占めるほど人気の伊勢崎絣だったが、現在、製造元としての機屋（はたや）は途絶えてしまっている。そんななか「かすり⼯房さいとう」の齋藤 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53392/">伊勢崎絣の伝統と技術を伝える、群馬県ふるさと伝統工芸士･齋藤定夫さん／群馬県伊勢崎市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_404.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>古くから織物の町として知られる群馬県伊勢崎市。最盛期には、全国の絣（かすり）生産量の半分を占めるほど人気の伊勢崎絣だったが、現在、製造元としての機屋（はたや）は途絶えてしまっている。そんななか「かすり⼯房さいとう」の齋藤定夫（さいとうさだお）さんは、伊勢崎絣の伝統を絶やさぬよう、群馬県ふるさと伝統工芸士として、伝統技術を継承している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">織物の町、群馬県伊勢崎市で作られた銘仙（めいせん）</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_258.jpg" alt="" class="wp-image-53400" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_258.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_258-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_258-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>群馬県伊勢崎市は群馬県のほぼ中央にあり、利根川を挟んで群馬県と埼玉県を結ぶ、自然豊かな土地柄だ。養蚕（ようさん）地帯として栄え、織物の歴史も古く、古墳から6世紀頃の織物が出土されたことも確認されている。</p>



<p>江戸時代に伊勢崎の養蚕農家で、自家用として織られていた太織（ふとり）という普段着用の織物が発展し、素朴な雰囲気でありながら、粋な印象の絣模様や縞模様が注目を集めた伊勢崎絣。明治時代後半には伊勢崎に織物会社が設立され、動力式の織機を導入し一部が工場化された。時代のニーズとともに伊勢崎絣は「伊勢崎銘仙」の名で全国に知れわたり、生産量は大幅に向上していった。それは大正から昭和初期にかけて、日本女性の10人に1人が「伊勢崎銘仙」を着ていたといわれるほどの人気を誇った。</p>



<p>しかし時代は和装から洋装へ。日本人の生活様式の変化とともに生産量は減り、生産者も減少。今では伊勢崎絣を生産する機屋はなくなってしまった。そんな状況に危機感を抱き、伊勢崎絣の伝統技術を残そうと立ち上がったのが、「かすり⼯房さいとう」の齋藤定夫さんだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">分業していた作業⼯程をひとりで手がける</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_311.jpg" alt="" class="wp-image-53401" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_311.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_311-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_311-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>10代から織物業を営む家業を⼿伝い、23歳で職⼈として独⽴した齋藤さん。独立してすぐ、斎藤さんは複雑な伊勢崎絣の作業⼯程をひとりで行い、その伝統技術を守りながら広く人々に伝える活動をはじめた。</p>



<p>その理由として、「伊勢崎絣は、生産量と品質を高めるために作業工程を分業化し、それぞれの工程で人を育て技術を高めてきました。しかし生産量の減少とともに、ひとつの工程で後継者がいなくなると、商品が作れなくなるという問題が生じてきた。」と話す。</p>



<p>このまま伊勢崎絣が作られなくなることを危惧し、図案のデザインから括（くく）りや、⽷染めなど、伊勢崎絣の全工程の技術を学び、すべての工程ができる人間になって作品を作ろうと決めた齋藤さん。</p>



<p>伊勢崎絣を制作しながら、習得した全工程の技術を後進に教え、伊勢崎市内の小学生には伊勢崎絣の機織り体験を行うなど、地域が歩んだ歴史と文化を伝える活動を行っている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">厳格な定義で守られている、伊勢崎絣</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_277.jpg" alt="" class="wp-image-53402" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_277.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_277-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_277-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一時は一世を風靡した伊勢崎絣。その後、生産量は減少の一途を辿るが、このまま貴重な伝統技術が廃れてしまうことを恐れ、1975年に国の伝統的工芸品として申請し、指定される。これをきっかけに、他地域の絣と伊勢崎絣の違いを明確にするための、定義とルールが整理されていく。</p>



<p>「伊勢崎絣の大きな定義は“先染め”、“平織”、“絹糸”です。染色の工程では括り絣、板締（いたじめ）絣、捺染（なっせん）加工などの技法を使って、単純な絣柄から精密な絣模様まで、図案に沿って糸を染めていきます。染め上げた絣糸の柄を手作業で調整しながら、図案に合わせるように織り出します」</p>



<p>常に新しいデザインを表現しようと、齋藤さんは2つ以上の技法を組み合わせるなど、実験的な挑戦を行なっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">織物は糸と向き合い続ける、糸の道</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_410.jpg" alt="" class="wp-image-53403" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_410.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_410-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_410-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>10以上ある作業工程をひとりでやるには、根気強さがなければできないと齋藤さん。</p>



<p>「やっぱり辛抱強い人間じゃないと、伊勢崎絣の作業工程をひとりでやるのは難しいと思います。人真似ではなく、自分で本当に作りたいものを考えて作っていかないと、技術的なレベルは上がっていかないんじゃないかな」</p>



<p>例えばストールを作ろうと思ったとき、太い糸を入れて織ると、巻いたときにその凹凸に空気の層ができて暖かくなる。では、どのように入れたら機能的にもデザイン的にも、誰にも真似できないようなオリジナリティが出せるのか。頭の中で作りたいものを考え、自分の手で作ることでしか解決できないと齋藤さんは言う。</p>



<p>「人が教えられるのは手順ややり方であって、技術力の“力”の部分は、自分でやってみるしかないんですよね」</p>



<p>齋藤さんはこれまでに1,000枚以上の絣の図案をデザインしている。それらは実際に自分が手を動かして生み出した証として、すべて残しているという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">鮮やかな柄を織りなす、経（たて）糸と緯（よこ）糸</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_375.jpg" alt="" class="wp-image-53404" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_375.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_375-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_375-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>布を織る前に糸の段階で色を染めてデザインする先染めの技法のうち、齋藤さんが得意としているのが、括り絣という技法である。</p>



<p>「括り染めは原料糸の染色しない部分をテープなどで縛り、色が入らないようにして染める方法です。糸を括って部分的に染めない部分を作った絣糸を経糸や緯糸に使うことで、染まっていない部分と染めた部分が混ざり合い、かすれたような独特の模様になるんですよ」</p>



<p>経糸と緯糸の両方、またはどちらか一方に絣糸を使い、柄を合わせながら織ることは、高い技術と経験が必要となる。</p>



<p>「絣糸の染めの技法と、経糸と緯糸への使い方と使い所で、他の人には真似できない、絣を表現できるんです」</p>



<p>括り絣の魅力を語ってくれた齋藤さんだが、現在、伊勢崎絣において、括り絣の技術を継承しているのは齋藤さんのみとなっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">伊勢崎絣を絶やさないために</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_360.jpg" alt="" class="wp-image-53405" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_360.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_360-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_360-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>時代の流れとともに衰退してしまった織物産業だが、一時代を築いた伊勢崎絣は間違いなく、この地域の発展に貢献した産業のひとつである。その複雑な技法と手間のかかる製作過程から今では作り手が減少し、伝統的な工法で伊勢崎絣を作れる人間はほとんどいなくなってしまった。だからこそ齋藤さんは、自分の持つ技術や知識を作品に込め、多くの人に伊勢崎絣を貴重な伝統工芸として伝えようとしている。</p>



<p>「川は流れが速くなったり緩やかになったり、動きがありますよね。自然界にある動きのあるものが面白いですし、⾃然に触れるとアイデアが無限にあふれてきます。絣の滲ませ方など、規則正しくない柄を表現するよう⼼がけています」</p>



<p>伊勢崎絣に限らず、現代の効率重視の流れの中で、時間と手間のかかる伝統工芸はどの分野でも失われつつある。そんななか、手間暇のかかる工程をひとりで行い、継承していくことは無謀とも言えるだろう。それでも、地域に根付き発展した伝統技術を、ひとりでも多くの人に伝え残したいという齋藤さんの思いが、現代の「銘仙」としての伊勢崎絣には込められている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53392/">伊勢崎絣の伝統と技術を伝える、群馬県ふるさと伝統工芸士･齋藤定夫さん／群馬県伊勢崎市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/53392/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>伝統に革新を。釜師･3代目畠春斎が目指す新たな茶の湯／富山県高岡市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/52753/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/52753/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 17 May 2025 05:36:33 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[日本茶]]></category>
		<category><![CDATA[茶釜]]></category>
		<category><![CDATA[茶道具]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<category><![CDATA[Shimoo Design]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=52753</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1288_Atari_.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>富山県にある金工の町･高岡で生まれ育ち、そのルーツは加賀藩主･前田利長に仕えた鋳物師（いものし）。3代目畠春斎（はたしゅんさい）として現代解釈を加えた茶釜づくりを行う。伝統を守りながらも、あえて定石を外し、今の暮らしにな [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52753/">伝統に革新を。釜師･3代目畠春斎が目指す新たな茶の湯／富山県高岡市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1288_Atari_.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>富山県にある金工の町･高岡で生まれ育ち、そのルーツは加賀藩主･前田利長に仕えた鋳物師（いものし）。3代目畠春斎（はたしゅんさい）として現代解釈を加えた茶釜づくりを行う。伝統を守りながらも、あえて定石を外し、今の暮らしになじむ茶の湯を提案する。根底にあるのは「多くの人にお茶を楽しんでほしい」という思いだけ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統を守る。恐れずに挑戦する覚悟</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC6666_Atari_.jpg" alt="" class="wp-image-52754" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC6666_Atari_.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC6666_Atari_-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC6666_Atari_-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高岡城跡から歩いて30分ほどにある金屋町は、高岡銅器産業の中心として栄えてきた場所。溶けた金属を型に流し込んで成型する「鋳物（いもの）」や、金属を使って工芸品をつくる「金工（きんこう）」を手掛ける店が軒を連ねます。</p>



<p>その町で、茶の湯で使われる茶釜を製造する家に生まれたのが畠さん。幼い頃から祖父や父の仕事ぶりをそばで見て育ちました。その家系は、加賀藩2代目藩主・前田利長が高岡に居城した際に、金屋町に移住した鋳物師・釜屋彦兵衛（かまやひこべえ）の末裔。2010年に祖父と父が代々名乗ってきた「畠春斎」を襲名した。</p>



<h3 class="wp-block-heading">用いる素材は鉄のみ、感性と美意識が生きる茶釜</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC6670_Atari_.jpg" alt="" class="wp-image-52755" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC6670_Atari_.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC6670_Atari_-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC6670_Atari_-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>伝統を重んじる茶道の世界において、近年では茶釜にステンレス陶器などさまざまな素材が用いられている。そうしたなか、畠さんが使用するのは鉄のみ。代々鋳物を家業としてきた背景もあり、あえて素材を限定し鉄だからこそできる表現を追求。「茶室の中で際立つ、鉄ならではの存在感を示していきたいですね」と力強く語る。</p>



<p>この潔い選択が、新たな挑戦を後押しする。制約こそイノベーションの源。ひたむきに鉄と向き合い、3代目畠春斎としての歩みを止めない。</p>



<p>ここ最近の作品は、なめらかな質感と親しみやすさ、そしてどこか凛としたスタイリッシュさを兼ね備えている。鉄の多彩な表情を軽やかに引き出しているようだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">見て、触れて、感じて。常にセンスを磨く</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1245_Atari_.jpg" alt="" class="wp-image-52756" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1245_Atari_.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1245_Atari_-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1245_Atari_-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>作品づくりで大事にしているのは、さまざまなものを見て、触れて、感性を養うことだそう。茶釜はいうまでもなく、茶道道具や他の美術工芸品などから日々インスピレーションを得て、価値観のアップデートをしている畠さん。ときには遠方まで足を運び、作り手と語らいながら学びを深めることも。</p>



<p>また、祖父や父の作品を振り返ることもそのひとつ。自身の作品と見比べ、違いを自問自答し続ける。年代やジャンルを問わず多様なものに触れ、作品に少しずつ昇華させる。釜師としての矜持を胸に、毎日が試行錯誤の連続だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">コラボレーションで広げる新スタイル</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1268_Atari_.jpg" alt="" class="wp-image-52757" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1268_Atari_.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1268_Atari_-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1268_Atari_-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本人の精神と美意識が詰まった茶道。なかでも茶会は、大切な人と過ごす時間を豊かにする場として長く親しまれてきた。しかし文化庁の調査によると、茶道人口は1990年代の600万人をピークに減少し、現在は180万人以下という。</p>



<p>この現状を受け、畠さんは釜づくりに取り組む傍ら、茶道の魅力を広げる活動にも積極的だ。「格式が高くて難しそう」というイメージを払拭すべく、他の作り手と協力してさまざまなイベントを企画。ターゲットは茶道離れが進む若い人たち。興味を持つきっかけづくりを模索する。その原動力は、「多くの人にお茶を楽しんでほしい」という思いだけ。</p>



<p>茶道の魅力は、お茶を味わうことはさることながら、一期一会の交流ができること。茶席で掛け軸や工芸品を眺めたり、茶室の外に広がる景色を愛でたり、時間を共有することで心が満たされる。</p>



<p>最近では、富山の人気木作家「Shimoo Design」や現代アーティストであり造形作家のミヤケマイとの共創を実施。伝統を大切にしながら現代に即したアレンジを提案する。伝統品だから価値がある”ではなく、&#8221;本質的に魅力を感じられる”クリエーションに勤しんでいる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">茶会をより魅力的に。決して目立たず、世界観を表現する</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1276_Atari_.jpg" alt="" class="wp-image-52758" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1276_Atari_.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1276_Atari_-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1276_Atari_-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>畠さんの茶釜が放つ独自の存在感。それは、造形の美しさに加え、茶釜という道具の“役割”を深く理解しているからこそ生まれるものだ。茶会では、亭主が来客にあわせて調度品を並べる。それぞれがバランスよく存在することで、亭主は心からのもてなしができる。悪目立ちすると、世界観をガラッと変えてしまうこともある。</p>



<p>「茶釜は、家における柱のようなものだと考えています。奇を衒うものではなく、でもそれでいて気高い存在感も求められます」。<br>茶釜は茶会の中心に佇み、世界観を支える役割を担っている。個性を宿しながらも、茶会の一部として程よい存在感のある茶釜を製造する畠さんには、作品のオファーが絶えない。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統の枠を超え、自由で親しみやすい茶の湯を</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1270_Atari_.jpg" alt="" class="wp-image-52759" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1270_Atari_.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1270_Atari_-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1270_Atari_-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>歴代の畠春斎も、時代に合わせて製造を行ってきた。初代は戦争体験を通して「生きているうちに良いものを残したい」との信念を持ち、茶釜づくりに傾倒。2代目は初代の教えをもとに、斬新な感覚を取り入れて新風を吹き込んだ。そして、3代目は現代的なエッセンスを加えて、茶釜の新たな魅力を引き出す。</p>



<p>「使う素材は鉄ですが、重厚感だけではない作品を目指しています」と、やわらかな笑顔で語る畠さん。洗練されたデザインを引き立てるなめらかな質感は、あたたかみを感じさせる。茶道に明るくない人でも「素敵だな」と思わず手を伸ばしたくなるような親しみやすさを纏っているかのよう。</p>



<p>重く固いイメージを抱かれがちな鉄だが、実は強さとしなやかさを併せ持ち、熱を加えることで自在に姿を変える素材である。畠さんが行うのは、その特性を十二分に生かした作品づくり。伝統を重んじる世界に新たな作品が加わることで、これまで茶道に縁がなかった人たちの関心をひく一手になりうるだろう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">伝統は、変わりながら続いていく。茶の湯をラフに楽しむ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC6694_Atari_.jpg" alt="" class="wp-image-52760" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC6694_Atari_.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC6694_Atari_-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC6694_Atari_-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>お茶の作法には、一つひとつに意味がある。それでも、昔は武士の嗜みとされていた茶道が庶民にも普及したように、時代とともに常に変化してきた。</p>



<p>大量生産大量消費の時代は終わり、一人ひとりの要望に寄り添うことが求められる時代。生活様式や価値観の変化に柔軟に形を変えていくことが伝統継承につながる。畠さんの作品には、そうしたクラフトマンシップが深く根付いている。</p>



<p>茶の湯は元来、大切な人と楽しい時間を過ごすためのもの。作法はもちろん大事だが、根底にあるのは相手を思いやり、心からもてなすという気持ち。茶の湯の本質を捉え、若い人たちがよりお茶に親しんでもらうため、畠さんの挑戦は続く。これからもどんな作品を生み出すのか楽しみだ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52753/">伝統に革新を。釜師･3代目畠春斎が目指す新たな茶の湯／富山県高岡市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/52753/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>指物＋漆で作る漆工の世界。指物師•吉澤良⼀さんの挑戦／群馬県沼田市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/52735/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/52735/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 21 Apr 2025 08:05:35 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[藤原盆]]></category>
		<category><![CDATA[指物]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<category><![CDATA[漆工]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=52735</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_803.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>群馬県沼田市で、100年続く指物店の3代目として活躍している吉澤良一さん。指物とは釘や金具を使わずに、木を組み合わせて家具や建具を作る、日本古来の伝統技術のこと。吉澤さんはその指物に漆塗りを組み合わせた“漆工”という世界 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52735/">指物＋漆で作る漆工の世界。指物師•吉澤良⼀さんの挑戦／群馬県沼田市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_803.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>群馬県沼田市で、100年続く指物店の3代目として活躍している吉澤良一さん。指物とは釘や金具を使わずに、木を組み合わせて家具や建具を作る、日本古来の伝統技術のこと。吉澤さんはその指物に漆塗りを組み合わせた“漆工”という世界で、人とのつながりを大切にした新しいものづくりに挑戦している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">100年続く老舗指物店が挑戦する、新しい作品作り</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_799.jpg" alt="" class="wp-image-52736" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_799.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_799-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_799-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>指物師である吉澤良⼀さんの祖父が、指物を生業とするために、群馬県の北部に位置する沼田市で「吉澤指物店」を約100年前に創業した。2代目である父親の元で指物の技術を学ぶうちに、指物の木目を強調する漆の技術をプラスしようと、18歳で東京･東向島の漆屋で1年間修業。当時は木地（きじ）に生漆（きうるし）を塗って布で拭き取る“拭漆（ふきうるし）”という、指物でよく使われる木目を美しく見せる塗り方で、父親や自分が作った指物に漆を塗っていたという。</p>



<p>お客様から注文をいただき、注文通りに仕上げるというやり方で仕事を行っていた40代前半、2代目である父親が他界する。3代目として店をやっていくにあたり、自分の仕事に対するスタンスを見直そうと思っていた矢先に、東日本大震災が起こる。この震災<s>は</s>で人と人との絆の大切さを目の当たりにした吉澤さんは、今までのお客様との関係を振り返り、これからどんなふうに仕事と向き合い、どんなものづくりをしていきたいのか、自問自答し始めた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">既存の指物という枠にとらわれない、自由な発想</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_960.jpg" alt="" class="wp-image-52737" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_960.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_960-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_960-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「息子が高校3年生の進路面談で、先生から『将来どうしますか？』って聞かれて『指物店を継ぐ』って答えたんです。その一言で、一緒にやってくれるんだと思って。それなら何かいろいろなものを、一緒に楽しみながら残していきたいなって、自分の気持ちが大きく動きました」</p>



<p>お客様との関係を再構築するための仕事を考えていた吉澤さんにとって、子どもの後継ぎ宣言は否が応でも仕事に対する考え方を変えていった。</p>



<p>お得意様の多くが高齢になっていく中で、息子がこの先も良い仕事を続けていけるのか、不安もあったという。息子の未来のために、今まで通りのやり方でお得意様に向けた作品を作る方がいいのか、自分に残された職人人生で自由に作品を作ることが許されるのか。考えた吉澤さんは、自分の未来も息子の未来も一緒に作っていける方法はないかと模索し始める。</p>



<p>そこでたどり着いたのが、関わる人との対話を大切にし、お客様と一緒にアイデアを出し合いながら、一緒に作品を作っていく“過程を重視したものづくり”だった。</p>



<p>伝統的な指物の枠にとらわれず、自由に作品を作るときこそ最も楽しさを感じるという吉澤さん。職人として伝統を守るだけではなく、表現することを楽しむクリエイターへと変化する姿勢が、吉澤指物店の新たな魅力となり、新規の顧客開拓へとつながっていった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">縄文時代からある接着剤、漆の力　Made with Earth</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_796.jpg" alt="" class="wp-image-52738" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_796.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_796-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_796-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>吉澤さんが既存の指物の枠にとらわれず、自由に作品を作るために見直したのが“漆”だ。</p>



<p>「基本的には木に漆を使います。漆にはいろいろなものを有機的につなげるという役目もあり、縄文の頃は接着剤としても使われてきました。そのため思いつくままに、さまざまなものを漆で貼り付けています」</p>



<p>言葉通り、米の籾殻や石の粉、なかには木ではなく、焼き物や鉄に漆を焼き付けたものもある。拭漆だけでなく、漆に顔料を混ぜることでさまざまな色の漆を作る、“色漆”を本格的にスタートさせたのもこの頃だ。</p>



<p>「漆塗りの工芸品は“漆器”と言われることが多いですが、“漆器”というと漆屋さんの仕事になってしまうので、自分では“漆工”と言うようにしています。指物と漆塗り、どちらも同じだけ大切に考えてものづくりをしているので、私の作品は“漆工”と言っています」</p>



<p>指物と漆の出会いは、さまざまな土地のものをつなげて作品となり、その作品を通して人とものがつながっていく。そしてそのつながりは人と人とをつなげ、さらに大きなうねりとなっていく。</p>



<h3 class="wp-block-heading">お客様を絞り、やりたい仕事につなげていく</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_877.jpg" alt="" class="wp-image-52739" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_877.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_877-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_877-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>今、仕事をする上で、“誰と仕事をするか”をすごく絞るようにしているという吉澤さん。そのため国内外の料理人や建築士などと、指物師として提案をしながら一緒に作っていく仕事が増えている。</p>



<p>「これを作ってくださいという依頼先行の仕事ではなく、プロジェクトに参加して、なんかおもしろそうなの作ってくれない？みたいな、そんな仕事が増えています（笑）」</p>



<p>ものを作るにあたってお客様とたくさん会話をし、相⼿の求めているイメージをキャッチして、クリエイティブな発想で形にしていく吉澤さんのものづくりは、ターゲットを絞ったからこそ本当に自分が仕事をしたいと思う人とつながり、ジャンルを超えて広がりを見せている。</p>



<p>「技術や技法を説明するより、なんかおもしろいね、これ誰が作ったの？って言われる仕事の方が自分には合っていて、今そういう仕事ができていることが本当に楽しいです」</p>



<h2 class="wp-block-heading">人との出会いから、クリエイティブな挑戦が始まる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_807.jpg" alt="" class="wp-image-52740" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_807.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_807-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_807-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>吉澤さんがターゲットを絞って仕事をするようになるきっかけとなった料理人との出会いがある。それはイタリアでミシュランの星を2度獲得している「bistrot64」の能田耕太郎シェフが、食材を探しに利根沼田エリアに来るので案内してほしいと友人に頼まれたことから始まった。</p>



<p>もともと酒と料理と人が大好きで、若い頃から蓄積してきた知識もあった吉澤さん。能田シェフとともに2泊3日で農家を回りながら、利根沼田の農産物を案内して回った。案の定、案内している間中、大いに盛り上がり、ついにはみなかみ町のスキー場で、能田シェフが1日限定のダイニングをするという話になる。そのダイニングで吉澤さんの作品が器として使われ、能田シェフにとても気に入ってもらえたという。</p>



<p>その後も、何か新しいものを一緒に作ろうと話が盛り上がり、能田シェフの銀座資生堂「FARO」の総料理長になった折に料理を提供するのに使う漆工の箱のオーダーを受ける。イタリアと日本の文化が重なり、料理、器、空間が作り出すレストランというクリエイティブな世界。その一端を担う器をどうするか、能田シェフと対話を重ねながらアイデアを出し合い、ふたりだから辿り着ける世界観を考えている時間はとても楽しかったという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">やり過ぎないこと、やらな過ぎないこと</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_980.jpg" alt="" class="wp-image-52741" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_980.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_980-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_980-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>能田シェフとの出会いをきっかけに自分のターゲットを狭めたことで、さまざまなジャンルの料理人から相談が来たり、逆に相談に行ったりしながら、料理を彩る器を作る機会が増えている。</p>



<p>「器を製作し使うということは、自分を光らせてはいけないということだと思っています。器には必ず料理があって、料理人のクリエイティブを活かすためには器が出過ぎてはいけない。そこの塩梅が一番大切でとても難しいですね」<br><br>やり過ぎて伝統工芸の技ばかりが目立ち、“ザ･伝統”が前面にくるようなものには、あまりおもしろさを感じない。逆に足らな過ぎても「もう少し、こうしておけば」という後悔が残る。その中間くらいで仕事ができたとき、自分の中では一番しっくりくるという。</p>



<p>「いろいろなジャンルのシェフと仕事をしていて思うのは、私のクライアントのシェフたちは、すごくクリエイティビティが高いことです。洋食のシェフも和食のシェフも自分の様式を理解した上で、何かワクワクするような、新しい自分の表現を求めているんですよね」</p>



<p>ターゲットを狭めつつも本当におもしろい人と出会うために、年に1回、県内外のものづくりの人々を集めて、古い酒蔵で「秋、酒蔵にて」という展示会を開催している。そこでは作品の展示はもちろん、料理人を呼んで日替わりでランチやディナーを作ってもらい、食べることと器を使うことを複合的に見て感じてもらうことで、使い方や使用感を実感してもらっているという。今では星付きとなったシェフたちも変わらず参加してくれています。</p>



<h3 class="wp-block-heading"> 還暦になってやりたいこと</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_902.jpg" alt="" class="wp-image-52742" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_902.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_902-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_902-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>冬場は豪雪地帯として知られる群馬県みなかみ町に、藤原地区というエリアがある。かつてそこで作られていた「藤原盆」という、木製の表面に放射線状の模様をノミで削った盆がある。このエリアにある豊かな木材を冬場の収入につなげようと、江戸時代の中期に始まった工芸品だという。古くは皇室に献上されていた骨董好きな人垂涎の名品も作られていました。</p>



<p>しかし数年前には継承者が亡くなり伝統が途絶えてしまっている。吉澤さんも若かりし日に見たときはその魅力が分からず、古臭い工芸に思えて、だから人気がなくなり衰退してしまったのだと思っていた。しかし40代を過ぎてからは、見る度にかっこいいと思うようになり、還暦を迎えるにあたり復活プロジェクトをスタートさせた。</p>



<p>また、ものづくりをする人は往々にして、一人称を大切にする傾向にあると吉澤さんは感じている。だからこそ二人称三人称で考える機会を作り、他者との関わりからものづくりを捉えて三人称のその先にある、新しいチャレンジについてみんなで考える場を設けている。</p>



<p>「古いものをよく見て、古いものの良さを自分なりにちゃんと解釈していかないと、新しいものはできないのではないかと思っています。今やる人はいないけれど昔あった技法とか、参考になるものがたくさんありますからね」</p>



<p>古いものや伝統的なものも表現方法のひとつとして自分の中に落とし込み、お客様との対話から導き出したイメージに合わせて提案する。自分なりの解釈で表現する“吉澤さんらしさ”には、伝統に裏付けられた確かな技術と現代的なモダンさが、直感的なかっこよさとして同居している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自分を広げてくれる仲間の存在</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_864.jpg" alt="" class="wp-image-52743" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_864.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_864-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_864-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>能田シェフとの仕事を皮切りに「食と農」について考え、話す機会が増えたという吉澤さん。新しい出会いがおもしろい人との交流を生み、刺激的なたくさんの人々とつながっていく。そうした人々とプロジェクトを通してたくさん話をすることで、自分の世界を広げてもらっているという。</p>



<p>「歳を取ってくると年下の人と話すときに、年上の役目として、その子の世界をもっと広げてあげるような会話をしたいと思っています。しかし、自分の世界を広げてくれる人がだんだんいなくなっている恐怖があります」</p>



<p>自分の知らない世界をおもしろく語り、視野を広げてくれる人との関わりは、ものを作る人間にとって絶対に必要だという。</p>



<p>伝統的な技術と仲間からの刺激が吉澤さんの中でつながったとき、またひとつ、今までに見たことのないおもしろい作品が生まれるだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52735/">指物＋漆で作る漆工の世界。指物師•吉澤良⼀さんの挑戦／群馬県沼田市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/52735/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>失われた技術を未来に繋ぐ人間国宝･祝嶺恭子さん／沖縄県那覇市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/50041/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/50041/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 29 Oct 2024 04:12:36 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<category><![CDATA[沖縄県]]></category>
		<category><![CDATA[伝統技法]]></category>
		<category><![CDATA[国宝]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=50041</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-051.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>琉球王国のころ、沖縄では漆や陶磁器、金細工、染織物といったジャンルの美しい工芸品が生み出された。なかでも染織は沖縄各地に根づき地域の歴史と文化を映し出している。そのひとつ「首里の織物」に魅せられ技術を守り未来へとつなぐ、 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/50041/">失われた技術を未来に繋ぐ人間国宝･祝嶺恭子さん／沖縄県那覇市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-051.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>琉球王国のころ、沖縄では漆や陶磁器、金細工、染織物といったジャンルの美しい工芸品が生み出された。なかでも染織は沖縄各地に根づき地域の歴史と文化を映し出している。そのひとつ「首里の織物」に魅せられ技術を守り未来へとつなぐ、人間国宝・祝嶺恭子（しゅくみねきょうこ）さんの歩みとは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">琉球の染織文化を今に伝える<strong>祝嶺染織研究所</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-010.jpg" alt="" class="wp-image-50043" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-010.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-010-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-010-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>沖縄県那覇市に祝嶺恭子さんが代表を務める工房「祝嶺染織物研究所」はある。ここは、伝統工芸の復興と発展をめざし、沖縄のゆたかな織物文化をささえる場所だ。祝嶺さんはこの研究所を拠点に、首里の織物の伝統を守りつつ、新たな作品を生み出している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">首里の織物の魅力は時代を超えて愛される美しさ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-027.jpg" alt="" class="wp-image-50044" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-027.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-027-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-027-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>沖縄は国から指定された伝統的工芸品16品目のうち染織品が13品目。全国でも有数な染織の産地といえる。とくに首里の織物は琉球王国時代から続く染め織りの技法で、多彩な色彩と複雑なデザインが特徴だ。和装をたしなむ人々にとってはあこがれの織物として知られている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-028.jpg" alt="" class="wp-image-50045" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-028.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-028-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-028-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>しかし第二次世界大戦の戦火により、首里の織物の技術はほとんど失われてしまった。祝嶺さんも首里の織物の技術の復元に取り組み、現代にその輝きを蘇らせている。</p>



<h3 class="wp-block-heading"> 七つの技法が織り成す芸術</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-045.jpg" alt="" class="wp-image-50046" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-045.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-045-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-045-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>首里の織物には、「首里花倉織（しゅりはなくらおり）」「首里花織（しゅりはなおり）」「首里道屯織（しゅりろーとんおり）」「手縞」「首里絣（しゅりがすり）」「首里ミンサー」など、七つの主要な技法がある。<br>中でも「首里花倉織」は、花織と絽織（ろおり）を市松模様に交互に織り上げたもので、沖縄の織物の中でも最も格調高いとされる。この織物は、琉球王国時代に王や王妃が夏衣として着用していたとされる。</p>



<h3 class="wp-block-heading"> 色彩とデザイン性が生む魅力</h3>



<figure class="wp-block-image"><img decoding="async" src="https://lh7-rt.googleusercontent.com/docsz/AD_4nXey8H3gjj0LLszwW1Hrp0S3FfYvoxKx85YdZzJLmBCnGn6N7HfEaowy7MfHt9EkymI0xIsU_7RX618IDxVR1gskGfEAO9LCyEE392UDm6r9JTVB7wwMga7m-p5dErKDsJKD7AZMtUpR0XxG95TkQ04tBZnw?key=tME3S6RNvlfkaIdwfYXm8g" alt=""/></figure>



<p>首里の織物の最大の魅力は、その豊かな色彩とデザイン性にある。祝嶺さんは「沖縄の人はデザインに長けているのよ」と語り、伝統的な技法を守りつつ、現代の感性を取り入れた作品を創り上げている。伝統と革新の融合が、首里の織物に新たな魅力を引き出しているのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">祝嶺恭子の歩み、織物との出会いと情熱の軌跡</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-004.jpg" alt="" class="wp-image-50047" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-004.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-004-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-004-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>那覇生まれの祝嶺さん。戦争未亡人だった母は女手一つで8人の子供を育ててくれた。「母の背中を見て、女性でも手仕事を身につけておく必要性があると思ったんです。そこで、デザインを学ぶために東京の女子美術大学へ進学しました。どちらかというと、現代の暮らしに合わせたデザインを学びたくて」。そして、人生の転機となる人物に出会うことになる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">染織の道へ。柳悦孝との出会いが紡ぐ新たな道</h2>



<p>祝嶺さんの染織の道は、手仕事で作られる日用品のなかに美を追い求める民藝運動家として知られる柳宗悦（やなぎむねよし）の甥である柳悦孝（よしたか）との出会いから始まった。「東京でデザインを学びたいと思って女子美術大学に進学したんです。そこで、沖縄の染織りに造詣の深い柳先生から色々と教えていただいたんです。それまでは、沖縄の織物の素晴らしさをまだ知りませんでした。」と語る。柳悦孝の指導を受け生まれ故郷の首里の織物の魅力に目覚め、その世界に足を踏み入れることとなった。戦争で沖縄の染織物のほとんどが戦火により消失し、見本となる織物が圧倒的に不足していたなか、祝嶺さんは首里の織物の復元に情熱を注いでいった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">技術を学ぶ側から、教える側へ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-060.jpg" alt="" class="wp-image-50048" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-060.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-060-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-060-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大学を卒業後、仕事として織物に従事するか考えていた矢先に、地元の首里高校から染織の教員のオファーが届く。ひとまえで話すことに抵抗があった祝嶺さんは、学校で教鞭を取ることに抵抗があった。自分には向かないと思いつつも、戦後失われてしまった沖縄の織物の復元などやりたいことが山ほどあったこともあり「使命」として受け入れることに。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-055.jpg" alt="" class="wp-image-50049" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-055.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-055-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-055-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>教鞭をとりながらも制作を続け、1977年に後に日本の伝統工芸に於いて最も権威ある展覧会となっていく「伝統的工芸品展」の第1回にて内閣総理大臣賞を受賞。このときに制作したのが手縞（てじま）とよばれる首里絣の古典的な技法を使った作品。</p>



<p>「この時いただいた内閣総理大臣賞がきっかけで、改めて古典に向き合おうという気持ちになったんです。」ここから伝統的な首里の織物へ、より深くのめり込んでいく。</p>



<h2 class="wp-block-heading">&lt;h2> 失われた沖縄の織物を求めて。ドイツへの旅路</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-034.jpg" alt="" class="wp-image-50050" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-034.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-034-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-034-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>戦争で失われた沖縄の織物を復元するために、祝嶺さんは見本となる織物を探す。しかし、どこへ行っても見当たらない。研究を進めるうちに、琉球王府時代の染織品がベルリンの博物館に所蔵されていることを知る。文部省在外研究員として1992年にドイツへ渡航。ドイツに点在する琉球王府時代の染織品を調査しながら収集し、織物の技術をまとめ沖縄に持ち帰り、帰国後、琉球王府時代の染織物の中から首里の織物を数点再現した。その後、さらに織物の研究を深めるため、2012年に再びドイツへ赴き、より詳細なデータや写真を収集、祝嶺さんは現地調査した内容をまとめ、技術を誰でも織れるようにまとめた報告書を執筆した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">未来への展望、祝嶺恭子が考える沖縄の染織文化</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-077.jpg" alt="" class="wp-image-50051" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-077.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-077-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/syuriori-077-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>祝嶺さんは沖縄県立芸術大学教授を定年退官後、2003年に那覇市に祝嶺染織研究所を開設。沖縄の染織の研究、教育、講演活動と並行して、伝統的な染織技法に独創性を融合させた新しい作品を生み出し続けてきた。その功績が認められ、2004年に第24回伝統文化ポーラ賞を受賞、2023年に「首里の織物」の技術保持者として人間国宝に指定された。「これは宿命だと思います」と祝嶺さんは話す。</p>



<p>経糸と緯糸で表現する色彩豊かな織り色の世界に魅了され、過去から未来へと「首里の織物の魅力」のバトンを繋ぐために、現在もなお、祝嶺さんは、伝統と革新を織り交ぜた新たな作品を創り続けている。彼女の情熱が沖縄の染織文化に新たな息吹をもたらすことは間違いない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/50041/">失われた技術を未来に繋ぐ人間国宝･祝嶺恭子さん／沖縄県那覇市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/50041/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>かごのある里山の風景を世界の人に見せたい。竹工芸収集家･斎藤正光さん／栃木県塩谷町</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/42197/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/42197/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 22 Apr 2024 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[工芸品]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<category><![CDATA[鑑賞]]></category>
		<category><![CDATA[栃木県]]></category>
		<category><![CDATA[塩谷町]]></category>
		<category><![CDATA[コレクター]]></category>
		<category><![CDATA[竹工芸]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=42197</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/1d34275d6f27c044cac151008c6c843a.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>世界的にも有名な竹工芸品の収集家が栃木県の塩谷町にいる。古代から現代の美術品･民具･衣服･装飾品をヨーロッパ以外の世界から集めて所蔵するパリのケ･ブランリ美術館でコレクションの展覧会を開催。また、世界最大級の規模を誇るニ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/42197/">かごのある里山の風景を世界の人に見せたい。竹工芸収集家･斎藤正光さん／栃木県塩谷町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/1d34275d6f27c044cac151008c6c843a.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>世界的にも有名な竹工芸品の収集家が栃木県の塩谷町にいる。古代から現代の美術品･民具･衣服･装飾品をヨーロッパ以外の世界から集めて所蔵するパリのケ･ブランリ美術館でコレクションの展覧会を開催。また、世界最大級の規模を誇る<a href="https://www.metmuseum.org/plan-your-visit/met-fifth-avenue" title="">ニューヨークのメトロポリタン美術館</a>では竹かご展開催に協力するなどの功績が輝かしいコレクターだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>竹工芸収集家･斎藤正光さんとはどんな方なのだろうか</strong></h2>



<p>竹工芸収集家･斎藤正光さんは<s>、</s>前述の美術館の他にも、日本の竹工芸品コレクターのパイオニアであるロイド・コッツェン氏の東京や大分をはじめとする国内6カ所でおこなわれた「竹の造形 ロイド･コッツェン･コレクション展」や国内外の美術館でおこなわれる展覧会のコーディネートをおこない、多数の出版物やNHKの「美の壺」の「竹かご」編などにも携わるなど多彩な経歴をもっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">生まれ育った栃木県塩谷町</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/847234b3d33a06d20bb381ebabaccefb.jpg" alt="" class="wp-image-42199" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/847234b3d33a06d20bb381ebabaccefb.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/847234b3d33a06d20bb381ebabaccefb-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/847234b3d33a06d20bb381ebabaccefb-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>世界屈指の竹工芸コレクターである斎藤さんが生まれ育ったのは、栃木県塩谷町。周辺の日光、那須塩原、矢板にまたがる高原山（たかはらさん）のふもとに位置する塩谷町は湧水の里として知られる。高原山は「水源の森百選」に選ばれ、環境省によって名水百選の一つに選定されている「尚仁沢湧水（しょうじんざわゆうすい）」があり、日本有数の名水が湧き出ている土地だ。</p>







<h3 class="wp-block-heading">塩谷の里山に訪れたケ･ブランリの館長</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/b1c4da82ce282c60f5deca6039751d26.jpg" alt="" class="wp-image-42200" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/b1c4da82ce282c60f5deca6039751d26.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/b1c4da82ce282c60f5deca6039751d26-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/b1c4da82ce282c60f5deca6039751d26-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>緑ゆたかで里山の原風景が残るこの地に佇む古民家が、斎藤さんの栃木の拠点である。その古民家の空間に、ぴったりと似合うコレクションの数々が用意されていた。美しい竹かごを前にしてうっとりと眺めていたら、驚くことを斎藤さんは口にした。「ケ･ブランリ美術館の館長もここにきて、かごを選んでいったんですよ」。<strong>ケ･ブランリ美術館の館長自ら</strong>が、この<strong>塩谷町の古民家を訪れて</strong>、用意しておいたコレクションの中から<strong>展覧会に出す品を選んでいった</strong>のだという。まさか栃木の片田舎で、世界中が注目する展覧会のやり取りがおこなわれていたと誰が想像できようか。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>江戸時代から注目されていた日本の竹工芸</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/7bdbba6e071d1b4565508e0246521d63.jpg" alt="" class="wp-image-42201" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/7bdbba6e071d1b4565508e0246521d63.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/7bdbba6e071d1b4565508e0246521d63-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/7bdbba6e071d1b4565508e0246521d63-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>かごは古くから生活道具としてあったが、斎藤さんが収集しているかごはそれらとは別の系統のもので、室町時代に中国から渡ってきたという「花籠（はなかご）」。中国から入ってきた花籠は唐物（からもの）と呼ばれ、江戸時代の終わりから明治時代にかけて煎茶の道具として広まったが、その人気に対して数が足りなくなったため、唐物の写しをつくる日本人がでてきたとされる。「唐物より繊細につくられた花籠に、作家が名前を入れるようになったのが日本の竹工芸の始まりなのです」と、斎藤さん。生活用品から作品へと昇華した<strong>日本製のかごは、江戸時代から海外に輸出されるようになっていった。</strong>シーボルトのコレクションの中にも日本の竹かごがたくさんあり、今でもオランダのライデン国立民族学博物館、<strong>日本製のかごが世界で評価されている</strong>ことがうかがえる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">なぜ栃木県は竹工芸で有名なのか</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/320c7b089a33410c51ec727f185f2824.jpg" alt="" class="wp-image-42202" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/320c7b089a33410c51ec727f185f2824.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/320c7b089a33410c51ec727f185f2824-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/320c7b089a33410c51ec727f185f2824-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p><strong>じつは、栃木県は日本で竹工芸が盛んで有名な場所のひとつ</strong>。その理由として考えられるのは、明治23年栃木市に生まれ、戦前戦後に活躍した、<strong>飯塚琅玕斎（いいづかろうかんさい</strong>）という竹工芸の作家がいたからだ。琅玕斎の家は代々竹工をなりわいにし、近隣では知られたかご師一家だった。父は初代 飯塚鳳齋（いいづか ほうさい）、兄は二代目 飯塚鳳齋。その弟子筋の人たちが栃木にはたくさんいて、さらに広まり、栃木県が竹工芸で有名になっていったのではないかと思われる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">飯塚琅玕斎がつくるかごや竹工芸とは</h3>



<p>飯塚琅玕斎のかごとはどのようなものなのか。琅玕斎は1925年に<strong>パリ万国博覧会で銅賞を受賞</strong>。さらに、1933年に<strong>シカゴ万国博覧会に出品</strong>している。大正天皇の即位式用品や昭和天皇の大礼献上品などの製作もした作家である。斎藤さんの研究によると、琅玕斎のかごは、日本的な解釈でかごをつくった上で外国の要素を取り入れるなど、他の作家とは少しアプローチが違うという。パリ万博で有名になった琅玕斎のかごは、一躍有名になり海外からも注目された。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>無名のものを世に知らしめる仕事を竹工芸の世界に</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/099c54814c66900118ab077b9f17a26e.jpg" alt="" class="wp-image-42203" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/099c54814c66900118ab077b9f17a26e.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/099c54814c66900118ab077b9f17a26e-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/099c54814c66900118ab077b9f17a26e-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本の古い竹工芸品は文献のないものが多く、斎藤さんは収集をする一方で研究を重ねた。自ら工芸品をつくった方の遺族に会いにいきデータを収集、それらをまとめるなどして竹工芸品を美術品の域まで高めて展覧会に尽力。斎藤さんの活動があったからこそ、世界の名だたる美術館で展示される価値のあるものになったのではなかろうか。</p>



<h3 class="wp-block-heading">竹工芸との出会いから収集にいたるまで</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/163f4bff042ff3e1766b4bf8686686ea.jpg" alt="" class="wp-image-42204" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/163f4bff042ff3e1766b4bf8686686ea.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/163f4bff042ff3e1766b4bf8686686ea-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/163f4bff042ff3e1766b4bf8686686ea-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>世界で活躍する斎藤さんが、そもそも竹工芸品の収集をはじめた理由は約40年前にさかのぼり、偶然出会った一人のかご作家がはじまりだったという。「彼に見せてもらったかごがとても綺麗で、現代美術品に見えたんです」。てっきり、現代美術品をつくっている人なのかと思いきや、その作家は現代美術を知らなかった。斎藤さんは「現代美術を知らなくても、こういった美しいものが作れるのか！」と衝撃を受け、興味を持ち、そこから今にいたるまでの長い収集の道が始まった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">モノを集めるより、モノを伝えたい</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/af785dbbf64fdca3acdbcb5df90b3498.jpg" alt="" class="wp-image-42205" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/af785dbbf64fdca3acdbcb5df90b3498.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/af785dbbf64fdca3acdbcb5df90b3498-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/af785dbbf64fdca3acdbcb5df90b3498-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>はじめてかごを見た時に感じた「<strong>工作としての素晴らしくて高い技術と造形美</strong>」は、現代美術品にも勝るという確信に変わり、現代美術の文脈にこのかごを持ち込んだらおもしろいと閃いた。そこからは、竹工芸作家の展覧会を現代美術の画廊でおこなうなどの活動を開始。すると、アメリカでも同じように竹かごをたくさん集めている人たちがいて、出会うきっかけにもなった。交流を深めると彼らに影響を受けるようになり、「展覧会をやるにはもっと集めないと」とさらに収集が進んでいき、気がつけば40年の月日が流れていたそう。「展覧会をやる為には数が必要なので集めましたが、<strong>集めるより伝えたい気持ちが強かった</strong>のかもしれません」。斎藤さんは20代の頃にレコード会社へ勤めた経験からプロモーションの知識があった。そのノウハウでテレビや雑誌で特集を組むなど、意図的にメディアを使ったプロモーションを行い、展覧会などを軒並み成功させていった。今ほど有名ではない時代から、竹工芸の魅力を広められた秘訣はこのあたりにあるのではないだろうか。もちろん苦労もあったと思うが「結局は楽しいからやってこれたんです」と笑顔で話す。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>古民家を中心に里山を整備して、海外や国内から人をよびたい</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/38eafdaa18ccebb6d6cba3765ed10b94.jpg" alt="" class="wp-image-42206" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/38eafdaa18ccebb6d6cba3765ed10b94.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/38eafdaa18ccebb6d6cba3765ed10b94-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/38eafdaa18ccebb6d6cba3765ed10b94-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>しなやかで繊細な竹を工芸として扱うのは、世界を見ても日本だけだろうと話す斎藤さん。しかし、竹工芸品をコレクションするのは主に海外の方だという。それは、アメリカを中心に故ロイド･コッツェン氏のコレクションが竹工芸の素晴らしさを人々に伝えてくれたからだろう。コレクションは現在、サンフランシスコのアジア美術館に寄贈され、今も見ることができる。その影響もあり、現在はアメリカやヨーロッパ、中国をはじめとするアジアでコレクターが増えているという。それらをふまえて、竹工芸を美術品として価値を高めながら、マーケットがどこにあるかを見極めて多方面に挑戦してみたいと語る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">竹工芸とファッションや建築のコラボ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/639ae2806743886b75e4e1f3f03393db.jpg" alt="" class="wp-image-42207" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/639ae2806743886b75e4e1f3f03393db.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/639ae2806743886b75e4e1f3f03393db-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/639ae2806743886b75e4e1f3f03393db-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>竹工芸はテキスタイルや建築とも通じるとし、ファッションや建築物などとのコラボなどを考案中。作家に提案したり、オーダーしたりして、<strong>竹の可能性を無限大に探る</strong>。それでいて、身近なものであってほしいとも願う。竹工芸は技術力を必要とし、難易度が高く数がつくれない上に高価だ。それを異なる素材の組み合わせやデザインでカバーし、竹工芸を新しく身近なものにしていく。コンセプトやデザインを際立たせることで、若い人にも手にしてもらいたいとアイデアを巡らせて、竹工芸の世界を広げるという豊かな発想だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">竹かごが本来「あるべき所」にある姿</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/f05fd7afa727044d48da0294804f2023.jpg" alt="" class="wp-image-42208" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/f05fd7afa727044d48da0294804f2023.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/f05fd7afa727044d48da0294804f2023-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/f05fd7afa727044d48da0294804f2023-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>竹工芸を求めるコレクターはもちろん、興味を持っている外国人や日本人すべての人にかごの「あるべき姿」を見てもらいたいと斎藤さんは語る。本来「あるべき姿」とは、この塩谷町に残るような「里山の風景に自然と置かれる姿」。それは、昔懐かしい日本の風景。その想いを実現させるために、この古民家や敷地内を整備して人を呼べるようにしたいと考える。竹かごの世界を身近に感じてもらうための斎藤さんの夢は計り知れない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/42197/">かごのある里山の風景を世界の人に見せたい。竹工芸収集家･斎藤正光さん／栃木県塩谷町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/42197/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>日本の文化と美しい色彩をガラスに溶かし込んで。ガラス作家・花岡央さん／岡山県備前市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/42175/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/42175/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 19 Apr 2024 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[工芸品]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<category><![CDATA[岡山県]]></category>
		<category><![CDATA[備前市]]></category>
		<category><![CDATA[ガラス作家]]></category>
		<category><![CDATA[ガラス工芸]]></category>
		<category><![CDATA[ガラス]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=42175</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/5118a8c5679d122acfd13a3942fe8776.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>岡山市中心部から東へクルマで約1時間の場所に位置し、備前焼の里として知られる岡山県備前市。その穏やかな海の近くに吹きガラス工房を構える、花岡央（はなおかひろい）さん。美しい色彩と優しい雰囲気をまとった日常使いのガラスの器 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/42175/">日本の文化と美しい色彩をガラスに溶かし込んで。ガラス作家・花岡央さん／岡山県備前市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/5118a8c5679d122acfd13a3942fe8776.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>岡山市中心部から東へクルマで約1時間の場所に位置し、備前焼の里として知られる岡山県備前市。その穏やかな海の近くに吹きガラス工房を構える、花岡央（はなおかひろい）さん。美しい色彩と優しい雰囲気をまとった日常使いのガラスの器で人気を集めている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">芸術への憧れからガラスの道へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/f233166487e2b45eba778f83298734f8.jpg" alt="" class="wp-image-42177" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/f233166487e2b45eba778f83298734f8.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/f233166487e2b45eba778f83298734f8-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/f233166487e2b45eba778f83298734f8-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>花岡さんが生まれ育ったのは、岡山を代表する焼物・備前焼の産地である備前市。そのため、一番身近な存在のアートは備前焼だったという。加えて、趣味で絵を描く父親の姿に子どもの頃から憧れを抱いていた。<br><br>それらの影響から高校卒業後は、美術大学で備前焼を学ぼうと考え、倉敷芸術科学大学への進学を果たす。専門分野を決めるまでの課程では、焼物やガラス、染織などさまざまな工芸を学ぶことに。そのなかで、「焼物と違って、作った翌日には作品が完成するというスピード感が、自分の性格に合うと感じた」のが、ガラスだったという。その感覚を信じ「ガラスコース」に進み、当時、教授を務めていた倉敷ガラスの創始者・小谷眞三氏に師事する。<br><br>在学中は、早く自分が思い描くものを形にできるようになりたいと、授業以外にも時間を見つけては練習に励み、全国各地で行われていた勉強会にも参加するなど、まさにガラス作りに邁進する日々を送った。</p>



<h3 class="wp-block-heading">誰に向けて、どう作るか</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/92cbb4b1a09a77058ec609bda7b58f06.jpg" alt="" class="wp-image-42178" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/92cbb4b1a09a77058ec609bda7b58f06.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/92cbb4b1a09a77058ec609bda7b58f06-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/92cbb4b1a09a77058ec609bda7b58f06-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大学卒業後は、大阪でガラス作家・辻野剛氏の吹きガラス工房「fresco」に就職。その工房は、ガラスの器を使う人の生活にどう取り入れてもらうかまでをトータルデザインして、世に出していくというスタンスを大切にしていた。「誰に向けて作るのか、手に取ってもらう相手をイメージしながら作る。まずそこを固めてから制作をスタートする。そういうやり方を学べたことが自分にとってかけがえのない経験となりました」と花岡さんは当時を振り返る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「自分ならでは」「この地ならでは」のガラスを</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/3ca644c0bf6d0897f4afe6c8fa3e85d4.jpg" alt="" class="wp-image-42179" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/3ca644c0bf6d0897f4afe6c8fa3e85d4.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/3ca644c0bf6d0897f4afe6c8fa3e85d4-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/3ca644c0bf6d0897f4afe6c8fa3e85d4-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>9年間「fresco」に勤務した後、2013年に独立。故郷・備前市に戻り、ギャラリーを併設した<a href="https://www.hiroyglass.com/" title="">吹きガラス工房「HIROY GLASS STUDIO」</a>を構えた。</p>



<p>花岡さんが用いるのは、吹き竿に息を吹き込み、型を用いずに整形していく「宙吹き」の技法。「宙吹きだと、その日によって『これがいい』が違ってくる。体調や気分によって、よくも悪くもなるというところが、吹きガラスのおもしろさだと思うんです」と、楽しそうにその魅力を教えてくれた。</p>



<p>自身の工房を構えてから軌道に乗るまでは、ガラス教室を開催する傍ら、作品を携えてギャラリーやショップを回り、少しずつ販路を開拓していったという。</p>



<p>そのなかで、花岡さんが大切にしたのは、「これを作りたい」「これを売りたい」という自分の思いだけを優先させるのではなく、先方の要望を聞いて作品に取り入れること。そうした柔軟な姿勢が、結果として作品の幅を広げていくことにつながっていったのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">スリットが印象的な代表シリーズ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/8bd955afa472f40d047d7236d8e8a89e.jpg" alt="" class="wp-image-42180" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/8bd955afa472f40d047d7236d8e8a89e.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/8bd955afa472f40d047d7236d8e8a89e-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/8bd955afa472f40d047d7236d8e8a89e-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>昔から日本の伝統的なものに美しさを感じて育った、花岡さん。その感性を生かして誕生したのが、古い日本家屋に見られる「連子（れんじ）格子」をイメージしたスリット模様が印象的な「ren（レン）」シリーズだ。多彩な色彩と、光を受けて落ちる影をも楽しめるだけでなく、スリットがもたらす境界線のあいまいさによって、どこに置いてもしっくりとなじむ不思議な魅力をたたえている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">人がやらないことに挑戦</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/5082531cf1ad4524b78866057a5df756.jpg" alt="" class="wp-image-42181" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/5082531cf1ad4524b78866057a5df756.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/5082531cf1ad4524b78866057a5df756-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/5082531cf1ad4524b78866057a5df756-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「ren」シリーズは、一見、切子ガラスのように見えるが、その製法はまったく異なる。まず透明ガラスに色ガラスをかぶせて温めてガラス玉を作り、いったん冷ます。その後、表面を線状に削り落とした上で磨きをかけるという工程を経て、再び熱を加えて吹いて成形していく。このやり方は、スウェーデンで生まれた「グラール技法」を参考しているという。「削ってから吹くという点が、切子とは大きく違います。それにより、切子ではできないような部分にまでカット模様を入れられるんです」と花岡さん。一般的な吹きガラスよりは工程が多いため、完成までに手間も時間も要する。人がやらないことにあえて挑戦することで、花岡さんならではの作品が誕生したのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">この地とのつながりのある作品を</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="835" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/47efa2667da9d57d07b3edd87819ac65.jpg" alt="" class="wp-image-42182" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/47efa2667da9d57d07b3edd87819ac65.jpg 835w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/47efa2667da9d57d07b3edd87819ac65-300x198.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/47efa2667da9d57d07b3edd87819ac65-768x506.jpg 768w" sizes="(max-width: 835px) 100vw, 835px" /></figure>



<p>そしてもうひとつ、花岡さんが大切にしたかったのは、地元とのつながり。自身が親しんで育った備前焼のように、この地ならではのガラス作品を生み出せないかと模索していた。</p>



<p>そんなある年、米作りを行う両親が作った米が不作の年があった。そこで、捨てられてしまう米を溶かして作品に取り入れてみることに。普段、口にしている米をガラスに取り入れることで、使う人にも身近に感じてもらえるのではという狙いもあった。そうして誕生したのが、「GRICE（グライス）」。淡い青色が美しい人気のシリーズだ。現在は、粒が小さいものや色選別ではじかれた、市場に出回らない米を灰にして、ガラスに溶かし込んで制作している。</p>



<p>実は、工房を構える備前市穂浪井田地区は、江戸時代に入り江を干拓して作られた土地。そこに、岡山藩直営の庶民のための学校・旧閑谷学校の学校田「井田（せいでん）」が広がっていたのだ。「GRICE」を通じて、そうしたこの地に息づく歴史にも思いを馳せてほしいとの願いも込められている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">美しい色へのこだわり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/db9843c9b25e1dd70a6b7bcbfdde1265.jpg" alt="" class="wp-image-42184" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/db9843c9b25e1dd70a6b7bcbfdde1265.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/db9843c9b25e1dd70a6b7bcbfdde1265-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/db9843c9b25e1dd70a6b7bcbfdde1265-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>花岡さんが日々ガラス作りに励む工房へ足を踏み入れると、窓際につり下げられた色とりどりのガラスの玉が目に飛び込んでくる。一見、作品のようだが、実は約300色にものぼるガラスの色見本なのだ。彩色には粉ガラスを用いるが、粉の状態とガラスになった時の色が異なるものもあるという。そこで、一目でわかりやすいように、あらかじめガラスの状態にしているのだとか。「日本はもちろん、ドイツやアメリカのメーカーの粉ガラスを使っています。透明のガラス部分はスウェーデン製の原料を使用していて、ここまでくると、もはや僕の趣味のようになっていますね」。花岡さんの作品の美しい色彩は、ここから生まれている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">季節に合わせて楽しめる器を</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/2058c32627918fe727d744c547b04934.jpg" alt="" class="wp-image-42185" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/2058c32627918fe727d744c547b04934.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/2058c32627918fe727d744c547b04934-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/2058c32627918fe727d744c547b04934-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /><figcaption class="wp-element-caption">PHOTO by Tomoko Osada</figcaption></figure>



<p>そんな花岡さんの色へのこだわりが光る最新シリーズは「Dusty（ダスティ）」。くすんだカラーの落ち着いた雰囲気で、日々の暮らしのさまざまなシーンにマッチする。「ガラスの器は夏のもの」というイメージを払拭するべく、透明感だけではないガラスの魅力を表現している。<br><br>「最近では、季節に合わせてガラスの器を使い分けて楽しんでくださる方もいらっしゃるんです」と、うれしそうに教えてくれた花岡さん。そんな使い手との交流こそ、彼にとって一番幸せなひとときなのだとか。</p>



<h2 class="wp-block-heading">柔軟な姿勢が新しい作品を生み出す</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="823" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/8679935028234143667441da6fede805.jpg" alt="" class="wp-image-42191" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/8679935028234143667441da6fede805.jpg 823w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/8679935028234143667441da6fede805-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/8679935028234143667441da6fede805-768x513.jpg 768w" sizes="(max-width: 823px) 100vw, 823px" /></figure>



<p>独立し、工房を構えてから10年。器作りはひととおりやってきたので、今後はオブジェにも力を入れていきたいと考えている。もともとは、造形的な作品はあまり得意ではなかったという花岡さん。アート作品よりも、日常で使えるものを作りたいという思いが胸にあったからだ。</p>



<p>しかし、オブジェを手がけ始めたことで、新たな気づきが。オブジェに興味を持ってくれた人が器を購入してくれたり、その逆があったり。「『これはやらない』って突っぱねるのではなく、やってみたことが新しい出会いにつながり、作品にもさらに広がりが生まれたように思います」。こうした柔軟さこそが花岡さんの強みであり魅力なのだろう。</p>



<p>そして今後は、これまで手がけてきたさまざまなシリーズをかけ合わせた作品にも挑戦してみるつもりだ。日本の文化を大切にする思いと美しい色をガラスに溶かし込みながら、花岡さんはこれからもガラスを吹き続けていくのだろう。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="823" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/d7fd04808990a5cbe67d6a1f99751e70.jpg" alt="" class="wp-image-42192" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/d7fd04808990a5cbe67d6a1f99751e70.jpg 823w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/d7fd04808990a5cbe67d6a1f99751e70-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/d7fd04808990a5cbe67d6a1f99751e70-768x513.jpg 768w" sizes="(max-width: 823px) 100vw, 823px" /></figure><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/42175/">日本の文化と美しい色彩をガラスに溶かし込んで。ガラス作家・花岡央さん／岡山県備前市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/42175/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
	</channel>
</rss>
