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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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		<title>石鎚山の伏流水とともに。杜氏と副杜氏、二人の酒を醸す「成龍酒造」／愛媛県西条市</title>
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		<pubDate>Sat, 31 Oct 2026 08:32:01 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo003.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>西日本最高峰・石鎚山（いしづちさん）の麓に広がる愛媛県西条（さいじょう）市。成龍酒造は、豊かな伏流水に恵まれたこの地で、150年近く酒造りを続けてきた。蔵の酒造りを担うのは、杜氏・織田和明さんと、蔵元の次男で副杜氏の首藤 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo003.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>西日本最高峰・石鎚山（いしづちさん）の麓に広がる愛媛県西条（さいじょう）市。成龍酒造は、豊かな伏流水に恵まれたこの地で、150年近く酒造りを続けてきた。蔵の酒造りを担うのは、杜氏・織田和明さんと、蔵元の次男で副杜氏の首藤敏孝さん。伝統を守る酒と、新しい世代の酒。二人の造り手が紡ぐ醸造の物語をたどる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">名水の町に根付く酒蔵 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo008.jpg" alt="" class="wp-image-55522" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo008.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo008-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo008-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>愛媛県西条市。西日本最高峰・石鎚山の麓に広がるこの町は、清らかな地下水が湧き出る「名水の町」として知られている。石鎚山系に降り積もった雪や雨が長い時間をかけて地下を流れ、まちの至るところで自噴しているのだ。それは「うちぬき」と呼ばれ、全部で3000箇所もあるといわれている。</p>



<p>有名な「うちぬき」スポットでは、今も人々が水を汲んだり、野菜を洗ったりする姿が見られる。そんな豊かな水に支えられてきたのが、西条の酒造りだ。</p>



<p>明治10年（1877年）、成龍酒造はこの地で酒造りを始めた。創業者は鍵屋本家九代目当主・首藤鹿之助。江戸時代までは庄屋米蔵の鍵を預かる「鍵屋」をしていたが、庄屋制度の廃止に伴い、酒造業を営むこととなった。</p>



<p>石鎚山の伏流水と地元の米を使った酒造りは、150年近い年月を経て今も受け継がれている。</p>



<p>現在、酒造りを担っているのは杜氏の織田和明さんと、副杜氏の首藤敏孝さん。長く蔵を支えてきた杜氏と、蔵元家の次男として新しい酒造りに挑む若い世代。二人の造り手が、それぞれの視点から酒に向き合っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">長年の経験を礎に、伝統を守る杜氏</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo018.jpg" alt="" class="wp-image-55523" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo018.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo018-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo018-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>蔵の酒造りをまとめているのは杜氏の織田和明さん。先代社長であり現会長の首藤洋さんの時代から蔵に入り、長く酒造りを担ってきた。</p>



<p>成龍酒造の酒造りは、地元の米を基本としている。</p>



<p>「県内産がだいたい95％ぐらいですね。愛媛県産の松山三井としずく媛。この2つがメインです」。</p>



<p>松山三井は、愛媛県における伝統的な酒造りに適した米品種。もともとは食用米だったが、大粒で砕けにくいことから酒造りに重用されてきた。精米歩合を高められるため、淡麗辛口な酒造りに適している。一方、しずく媛は愛媛県独自に開発された酒米品種。華やかな香りと旨みがあり、やわらかな酒に仕上がるという。それぞれ性格の異なる米を使い分けながら酒を仕込む。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo025.jpg" alt="" class="wp-image-55524" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo025.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo025-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo025-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>酒造りは毎年同じようでいて、実際には年ごとに条件が変わる。近年は原料米の状態も変化しているという。</p>



<p>「仕込みの過程において、酒米はもろみの中で溶けていくのですが、その塩梅が仕上がりを大きく左右します。最近は、夏の猛暑による高温障害の影響か、米が溶けにくい年が続いています。そのため、毎年状態を見極めながら、浸漬時間を長くしたり、水の量を調整したり麹造りを工夫したりして対応しています」</p>



<p>溶けにくい米の場合は、蒸米にしっかり水を吸わせることが重要になる。しかし、吸水を増やしすぎると、米が溶けすぎて雑味につながる可能性もある。吸水の量や浸しておく時間など、細かな調整を繰り返し、ブレのない味に仕上げていくのが杜氏の腕の見せどころだ。</p>



<p>酵母は愛媛酵母が中心。中でも優良な酵母として評価されている「EK-1（愛媛酵母1号）」を多く使用している。</p>



<p>「EK-1はフルーティーで華やかな香りを引き出してくれる酵母。程よいコクのある酒に仕上がります」</p>



<p>米、水、酵母。それぞれの個性を見極めながら、その年の酒を造り上げていく。</p>



<h3 class="wp-block-heading">食事に寄り添う酒「伊予賀儀屋」</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo006.jpg" alt="" class="wp-image-55525" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo006.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo006-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo006-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>織田杜氏が中心となって醸す、蔵の代表銘柄が「伊予賀儀屋」だ。</p>



<p>香りの高い酒や甘口の酒が注目されることも多いが、伊予賀儀屋が目指しているのは食事の邪魔をしない酒だ。</p>



<p>「伊予賀儀屋は、食事と一緒に楽しんでもらえる酒を目指しています。お酒と料理がお互いを引き上げてくれるような、そんな酒が理想ですね」</p>



<p>グラスに注ぐと穏やかな米の香りが立つ。口に含むとやわらかな旨味が広がり、あとから静かに切れていく。派手な主張はないが、食事を口に運ぶともう一口飲みたくなる。</p>



<p>「多分、僕の作るお酒は少し古いタイプのお酒だと思います。でも僕はそれでもいいと思って造っています」。</p>



<p>長く蔵を支えてきた杜氏らしい、静かな自信がにじむ言葉だった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">柔軟な発想で挑む、副杜氏の酒造り</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo002.jpg" alt="" class="wp-image-55526" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo002.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo002-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo002-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一方、副杜氏として酒造りに携わるのが首藤敏孝さん。蔵元の次男であり、社長を務める兄の英友さんとともに伝統を守り継いでいる。</p>



<p>「杜氏の酒は伊予賀儀屋として完成していると思うんです。でも、それとは違う酒もあっていいんじゃないかと思い、私なりの視点で酒造りを考えています」。</p>



<p>首藤さんがそう考えるようになった背景には、コロナ禍の出来事があったという。</p>



<p>「日本酒の流れが急に止まったんです。酒屋さんも飲食店さんも大変な時期でした。あのとき、僕らも一度立ち止まって、この先どういう酒を造っていくべきか考えるきっかけになりました」</p>



<p>その思いから生まれたのが、新しいブランド「TOSHI’S」だった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">日本酒への入口を目指す「TOSHI’S」ブランド</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo005.jpg" alt="" class="wp-image-55527" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo005.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo005-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo005-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>TOSHI’Sは、従来の賀儀屋とは少し異なる発想から生まれた酒だ。</p>



<p>「若い人にも日本酒を手に取ってもらえるような、入口が広いお酒を造りたいと思ったんです。TOSHI’Sブランドでは愛媛の「さくらひめ酵母」を多く使っています。さくらひめ<s>媛</s>酵母は、愛媛県酒造組合と東京農業大学、愛媛県の産学官共同研究により、愛媛県オリジナル品種の花「さくらひめ」から分離された清酒用の花酵母。試作のときに嗅いだ香りがすごく良くて、この酵母に決めたんです」。</p>



<p>瓶内二次発酵による微発泡の酒や、新しい酵母を使った酒など、これまでの蔵にはなかった挑戦も行っている。</p>



<p>「いろんなお酒の会に足を運び、お客様の生の声を聞いて、それを蔵に持ち帰って仕込んでみるということを繰り返しています」。</p>



<p>そんな首藤さんが目指すのは、人々の記憶に残る酒。味わいがあり、もう一口飲みたくなる酒だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">地域を醸す酒「成龍然」</h3>



<p>成龍酒造にはもう一つ、土地そのものを表現する酒がある。「成龍然」という銘柄だ。</p>



<p>この酒は、西条産の松山三井を全量使用し、仕込み水も西条の伏流水。酵母も愛媛酵母という、地域の素材だけで醸す酒だ。</p>



<p>「地域を醸して地域に還す、というイメージですね」と首藤さん。</p>



<p>口に含むと、米の旨味を感じるやわらかな香りが広がる。口当たりはなめらかで、甘味と酸味のバランスが整い、最後はすっと切れる。土地の水と米が、そのまま酒になったような味わいだ。すっきりとした味わいで食中酒として優秀な「伊予賀儀屋」に対し、「成龍然」はおおらかな自然の力強さを感じる味わいといえるだろう。</p>



<p>地元の米を確保することは年々難しくなっている。農家の担い手が減り、田んぼが減少しているからだ。それでも、蔵は地元の米と水を使った酒造りを続けていきたいと考えている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">石鎚山の麓で受け継がれる味</h2>



<p>成龍酒造の蔵の一角で、もう一つの発酵の仕事が続いている。酒粕を使った味噌づくりだ。仕込んでいるのは、首藤敏孝さんのお母様である女将と、奥様。酒造りが落ち着く冬から春にかけて、家族で少しずつ仕込んでいる。</p>



<p>この味噌のルーツは、石鎚山の中腹にあった今宮地区にある。かつて石鎚山を御神体として信仰する人々が登拝する際、途中の宿で振る舞われていた味噌汁に使われていた味噌だ。</p>



<p>その作り方を知っていたのが、地域にただ一人、蔵人たちとも交流がある幸（みゆき）おばあちゃんと慕われる女性だった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">みゆきおばあちゃんの酒粕味噌</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo030.jpg" alt="" class="wp-image-55528" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo030.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo030-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo030-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>幸おばあちゃんは大正15年生まれ。今宮地区で生まれ育った。幼いころから体の弱かった母親に代わり、味噌づくりを手伝っていたことから、自然とその製法を身につけたという。</p>



<p>その後、今宮の集落を離れて西条市内に住むようになり、味噌づくりをやめていた時期もあった。しかし二十年以上の時を経て再び味噌づくりを再開。もうすぐ百歳を迎える今も、味噌の季節になると一人で仕込みを続けている。</p>



<p>この味噌づくりを受け継ぎたいと手を挙げたのが、成龍酒造の女将だ。</p>



<p>「酒粕の味噌があるという話は10年以上前から聞いていました。でも作り方を知っているのは、みゆきおばあちゃん一人だったんです」</p>



<p>縁がつながり、味噌づくりを教えてもらうことになり、「百年伝承秘境味噌」として商品化することになった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">手仕込みの味わいを守り続ける </h3>



<p>「百年伝承秘境味噌」と名付けたこの味噌の最大の特長は、酒粕を使って仕込むこと。酒粕仕込みの味噌は日本でもほとんど例がなく、その製法は特許も取得している。</p>



<p>材料は、西条産の大豆、成龍酒造の酒粕、米麹、そして塩の4つだけ。余計なものは一切使わない。酒粕のほのかな甘みと、奥行きのある味わいを出している。</p>



<p>大豆は手でつぶせるほど柔らかく煮てからペースト状にし、麹と酒粕と塩を混ぜて味噌団子を作り、桶に詰めて発酵させる。大豆の煮加減や手ごねの感触など、細かな工程にはすべてみゆきおばあちゃんのやり方が息づいている。</p>



<p>大量生産はしていない。まずは味と技術をしっかり受け継ぐことが大切だと考えているからだ。</p>



<p>「私たちの世代がやらなかったら、この味は消えてしまいますから」</p>



<p>その言葉には、石鎚山で育まれた食文化を守りたいという思いが込められている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">経験と挑戦を重ねて</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo021.jpg" alt="" class="wp-image-55529" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo021.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo021-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo021-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>成龍酒造の蔵の中には、さまざまな時間が流れている。杜氏として長年酒造りを支えてきた織田和明さんの経験と、これからの酒造りを模索する副杜氏・首藤敏孝さんの視点。そこに、女将が受け継いだ秘境味噌の仕事が重なり、蔵の営みは一つの物語のように続いている。</p>



<p>「僕たちがやりたいのは、ものづくりのストーリーを伝えていくこと。酒造りもそうですし、味噌もそう。先人が残してくれたものを、きちんと次の世代に渡していきたい」。そう首藤さんは思いを込める。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo004.jpg" alt="" class="wp-image-55530" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo004.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo004-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/seiryo004-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>酒造りの世界では、技術はデータだけでは測れない。米の状態を見て浸漬時間を決めること、蒸米の具合を手で確かめること、発酵の進み方を感じ取ること。そうした感覚は、長い時間の中で体に染み込んでいくものだ。</p>



<p>だからこそ蔵では、経験と挑戦の両方を大切にしている。織田杜氏が守ってきた酒の軸があり、その上で首藤さんが新しい発想を重ねていく。伝統を守ることと、新しい酒を生み出すこと。その両方があってこそ、蔵の酒は未来へ続いていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55511/">石鎚山の伏流水とともに。杜氏と副杜氏、二人の酒を醸す「成龍酒造」／愛媛県西条市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>海と山の恩恵をうけ、漁師の手によって丁寧に厳選される十三湖産大和しじみ「十三漁業協同組合」梶浦武也さん／青森県五所川原市</title>
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		<pubDate>Sat, 31 Oct 2026 08:20:04 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[ヤマトシジミ]]></category>
		<category><![CDATA[十三湖]]></category>
		<category><![CDATA[しじみ汁]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_326.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>青森県北西部に位置する十三湖（じゅうさんこ）に生息し、「黒いダイヤモンド」とも称される「十三湖産大和しじみ」。代々続くシジミ漁師の家に生まれ、現在は十三漁業協同組合の組合長を務める梶浦武也さん。自然との共生とこれからのシ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_326.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>青森県北西部に位置する十三湖（じゅうさんこ）に生息し、「黒いダイヤモンド」とも称される「十三湖産大和しじみ」。代々続くシジミ漁師の家に生まれ、現在は十三漁業協同組合の組合長を務める梶浦武也さん。自然との共生とこれからのシジミ漁に対する想いとは。<br></p>



<h2 class="wp-block-heading">最適な環境で育まれるヤマトシジミ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_584.jpg" alt="" class="wp-image-55503" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_584.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_584-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_584-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>青森県津軽半島の日本海側に面する「十三湖」は海水と淡水が混じり合う汽水湖。世界自然遺産・白神山地を源流とする、一級河川の岩木川が流れ込み、周囲31.4km、水深は深いところでも3mにも満たない一面遠浅の湖だ。</p>



<p>鎌倉から室町にわたる中世の時代は「十三湊（とさみなと）」と呼ばれ、奥州の藤原家の流れをくむ豪族、安倍・安東一族が拠点とし、居城であった福島城や唐川城の跡が周辺に残る。のちの藩政時代（江戸時代）から明治時代には海上交通において、北前船が往来する主要な港として、新潟や大阪からの船が行き交い、主に木材の積出港として賑わいをみせた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">栄養と旨みがたっぷりつまった黒いダイヤモンド</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_297.jpg" alt="" class="wp-image-55504" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_297.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_297-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_297-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本で穫れるシジミには、ヤマトシジミ、セタシジミ、マシジミの３種類があり、この十三湖で獲れるのは「ヤマトシジミ」だ。琵琶湖固有のセタシジミや、川にすむマシジミが淡水で育つのに対し、ヤマトシジミは川の水と海水が混ざり合う「汽水域」にすむ唯一の種。3種のなかでも殻に厚みがあり、ふっくらと丸みを帯びているのが特徴だ。&nbsp;</p>



<p>また、同種は国内で獲れるシジミの9割以上を占め、私たちが普段口にするシジミのほとんどがこのヤマトシジミだ。汽水域で育つことで旨味成分のアラニンが多く作られるといわれ、汁物にすると濃い出汁が出るのも魅力。&nbsp;</p>



<p>青森県では、プランクトン豊富な日本海の海水とミネラルを含んだ淡水が混ざった水質と、シジミの生息に適した泥質の湖底を有する十三湖と同県上北郡にある小川原湖（おがわらこ）が主な漁場となっており、漁獲量全国2位を誇る同県に於いて、ほとんどがこの二箇所で獲られるもの。</p>



<p>「十三湖のシジミの旬は年に2回。土用の丑の頃である7〜8月は産卵時期に入るため身が肥え、ぷりっとした食感が魅力です。もう一つの旬は、1〜2月の厳冬期。この時期のシジミは『寒しじみ』と呼ばれ、冬眠している間、身が引き締まり、夏に蓄えた養分が旨みとして凝縮されます。季節によって食感や味わいに違いが見られるんですよ」と話すのは梶浦武也さん。代々続くシジミ漁師の家に生まれ、現在は十三漁業協同組合の組合長を務める。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_589.jpg" alt="" class="wp-image-55505" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_589.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_589-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_589-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>肝臓の働きを助けるオルニチン、疲労回復に効果のあるタウリンなどが豊富に含まれ、栄養価が高い食材として古くから重宝されてきたシジミ。そのなかでも十三湖産のシジミは、栄養豊富な汽水域であることから、しっかりとした身と濃厚なコクのある旨みが特徴で、アミノ酸が特に高い。そのため、汁物にしたときの出汁は濃い青白で、身も食べ応えがあり、地元ではしじみ汁やしじみラーメン、バター炒めなどの料理で親しまれている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">シジミと自然を守るための独自ルール</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_307.jpg" alt="" class="wp-image-55506" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_307.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_307-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_307-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>十三湖の豊かな自然の恵みによって育まれるシジミ。昭和40年代、漁船の動力化による乱獲で漁獲量が激減した教訓から、同漁協では昭和58年に資源管理を開始。以来、資源保護と環境保全のための厳正なルールを独自に設け、時代に合わせて見直しを重ねてきた。&nbsp;</p>



<p>シジミの漁が可能となるのは漁業権を持つ漁師約160人のみで、それぞれが振り分けられた漁場を持つ。権利は家族で引き継がれることが多く、後継者が不在の場合は漁協へ返納され、新たな就業者へと渡る。</p>



<p>産卵時期を除き、一年を通して漁が行われるが、船での漁は4〜10月にかけて。冬は湖面が結氷するため、ポイントまで歩いていき、チェーンソーで氷を切り出してから漁をするのだそう。</p>



<p>朝7時になると一斉に船がスタートし、午前11時には終了となる。水揚げ量も船一隻あたり一日140キロまでと決められているのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">先を見据えた道具選び</h3>



<p>十三湖のシジミ漁は「ジョレン」という道具を使って行われる。ジョレンとは入り口に複数の爪が付いた金属製のカゴで、湖の底に潜っているシジミを爪で掘り起こす。カゴのサイズも統一され、網目の幅は4分（およそ12mm）。カゴをゆすると砂利や泥とともに、網目よりも小さな貝が落ちることで、獲り過ぎを防ぎ、小さなシジミを湖底に残しておくことを目的としている。</p>



<p>&lt;h2&gt;漁師一人ひとりの丁寧な仕事によってもたらされるブランド品質</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_522.jpg" alt="" class="wp-image-55507" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_522.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_522-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_522-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>規定量に達すると、岸へ戻り、作業場での選別作業が続く。</p>



<p>漁師それぞれが持つ作業場に運び込まれたシジミは井戸水で水洗いし、石やゴミ、空殻だけでなく、形や色の悪い貝を取り除いたあと、残った貝を手ですくい、手から手へ貝をパラパラと落としていく。その一瞬のうちに、手に持った重さと、乾いた音や鈴のような高い音、といった音の違いを聞き分けて、中身の入っていないものをさらに仕分けしていくのだ。</p>



<p>基準を満たしたものは、ふるいで大中小のサイズに分け、10kg単位でネット詰めし、荷さばき施設へと集められ出荷となる。</p>



<p>細かく集中力が必要な作業ではあるが、漁協全体で徹底して取り組まれている選別方法。漁師一人ひとりが、手の感覚と、目と耳を使い、手作業で丁寧な仕分けを行うことで、他産地との差別化とブランド力につながっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">自然の恵みに感謝し後世へとつなぐ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_304.jpg" alt="" class="wp-image-55508" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_304.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_304-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/jusangyokyo_304-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>&nbsp;荷さばき施設に集まる漁師の年代は幅広く、30〜40代も多い。梶浦さんの息子である優太郎さんもシジミ漁師として3年目を迎えた。</p>



<p>「この地域も若い人がどんどん離れてしまい、厳しい状況ではありますが、そんな中でも家族と一緒に同じ仕事ができるのはとても嬉しいことです。今後も若い漁師のみんなが安定した収入を得られるよう、十三湖のシジミとシジミにとって良好な環境を後世へ残せるような取り組みを続けていきたいです」と梶浦さん。</p>



<p>約150年間にもわたって獲り続けてきた十三湖のシジミは、資源保護と伝統的漁法を守る<s>などいう</s>梶浦さん達の取り組みが評価され、2016年に農林水産省の「地理的表示（GI）保護制度」に登録された。産地の特性が品質と結びついた産品を、国が知的財産として守る制度だ。さらにそれに先立つ2009年には、資源管理に積極的に取り組み、持続的な漁業を行う産地を認証する「マリン・エコラベル・ジャパン」を、全国で2番目に取得している。こうしたことから「十三湖産大和しじみ」としてブランド化されている。</p>



<p>「ミネラルが豊富で、日本一おいしいシジミだよ」と漁師さん達はみんな胸を張ってそう話す。そのシジミの味は、炒めても煮物にしてもぷりぷりっとした食感で、泥臭さがなく、深いコクと旨みが強いのが特徴だ。また、お吸い物にすると白濁した濃い出汁が出て、旨みがずっと後を引くおいしさなのだ。</p>



<p>この十三湖ならではのシジミを確かな品質として、次の世代へしっかり受け継がれていくようにしたいというのが梶浦さん達の想いなのである。</p>



<p>丁寧な仕事と未来を見据えた環境への取り組みを怠ることなく、想いは次の世代へしっかりと受け継がれている。十三湖産のシジミは確かな品質として、これからも消費者のもとへと届けられる。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55495/">海と山の恩恵をうけ、漁師の手によって丁寧に厳選される十三湖産大和しじみ「十三漁業協同組合」梶浦武也さん／青森県五所川原市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>海を耕せ！ 近大マグロなどの養殖に挑む「近畿大学水産研究所」／和歌山県串本町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 31 Oct 2026 08:03:10 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[養殖]]></category>
		<category><![CDATA[世耕弘一]]></category>
		<category><![CDATA[小割式網いけす]]></category>
		<category><![CDATA[クロマグロ完全養殖]]></category>
		<category><![CDATA[近大マグロ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/2961e1dcfef7ec2e3d87dc83d9c75552.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>1955年、小割式網いけすによるブリの養殖に世界で初めて成功した「近畿大学水産研究所」。以来、日本の養殖業の発展を牽引し、世界で初となるクロマグロの完全養殖を達成。この歴史的な快挙は、世界から注目を浴びた。海産魚類の養殖 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/2961e1dcfef7ec2e3d87dc83d9c75552.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>1955年、小割式網いけすによるブリの養殖に世界で初めて成功した「近畿大学水産研究所」。以来、日本の養殖業の発展を牽引し、世界で初となるクロマグロの完全養殖を達成。この歴史的な快挙は、世界から注目を浴びた。海産魚類の養殖技術と、産業の発展に大きく貢献している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本人の食糧を確保するために「海を耕す」</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="686" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/91d9cad74713ee335a7a4a0dc00095e9-1024x686.jpg" alt="" class="wp-image-55488" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/91d9cad74713ee335a7a4a0dc00095e9-1024x686.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/91d9cad74713ee335a7a4a0dc00095e9-300x201.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/91d9cad74713ee335a7a4a0dc00095e9-768x515.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/91d9cad74713ee335a7a4a0dc00095e9.jpg 1104w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>太平洋戦争直後、世耕弘一（せこう こういち）近畿大学初代総長は、「日本人全員の食糧を確保するには、陸上の食糧増産だけでは不十分。海を耕し、海産物を生産しなければ日本の未来はない」との危機感を抱いていた。1948年、世耕総長が掲げた「海を耕す」の理念のもと、和歌山県白浜町に近畿大学水産研究所（設立時は白浜臨海研究所）が設立されたのである。</p>



<h3 class="wp-block-heading">画期的な「小割式網いけす」で養殖技術が向上</h3>



<p>当時の養殖は、自然地形の湾を仕切った養魚地に魚を放し飼いにする方式が主体。この方式は、面積が広すぎて出荷時に魚を獲りあげるのが困難であった。そこで1954年、小さな区画の網いけすを多く作って養殖を行う「小割式網いけす」を開発。区切られた小さなエリアで飼うことで、収穫までの効率が飛躍的に向上した。この画期的な養殖技術によりブリの養殖に成功し、国内の養殖業の拡大に貢献することになった。</p>



<p>この時代のブリの養殖は、海で捕獲した天然の稚魚を育てていたので、完全な養殖とは言えない。そこで、1960年から天然資源に頼らないブリの人工種苗（幼魚）の生産研究を開始し、1968年にブリの人工種苗生産に世界で初めて成功した。親魚から卵を採取し、ふ化〜稚魚〜幼魚まで完全に人工で飼育した幼魚は、病気や寄生虫のリスクが少なく、安定供給や資源保護の観点からも高い評価を得ることになった。</p>



<p>また同時期に手掛けていたのがマダイの養殖。当時、天然のマダイの稚魚は漁獲制限があり、養殖の需要が高まりつつあった。“成長が早い・病気に強い・少ない餌で育つ”などの優れた特性を持つ魚を親にする「選抜育種」を取り入れたことで、天然の稚魚を使うよりも2倍の成長力を持つマダイの養殖に成功した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">世界初のクロマグロ完全養殖へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="662" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/047be1b11f689acf5a6dbeffc4d9f890-1024x662.jpg" alt="" class="wp-image-55489" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/047be1b11f689acf5a6dbeffc4d9f890-1024x662.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/047be1b11f689acf5a6dbeffc4d9f890-300x194.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/047be1b11f689acf5a6dbeffc4d9f890-768x497.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/047be1b11f689acf5a6dbeffc4d9f890-1536x993.jpg 1536w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/047be1b11f689acf5a6dbeffc4d9f890.jpg 1740w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>クロマグロ養殖の研究は、1970〜72年度の水産庁委託研究「マグロ類養殖技術開発企業化試験」に始まる。日本人が最も消費する魚であったマグロは、漁獲量が頭打ちとなり、安定供給の危機が迫っていた。</p>



<p>ブリやマダイをはじめ、カンパチ、シマアジ、ヒラメ、クエなど1990年代にかけて数々の魚種の養殖に成功していた近畿大学水産研究所は、プロジェクトへの参加に併せて和歌山県串本町に大島分室（現・大島実験場）を開設。1974年に天然幼魚からの養殖に成功し、1979年に5歳に達した約60尾（推定70 kg）が自然産卵、世界で初めてのクロマグロの採卵（さいらん）、つまり親魚から養殖用の卵を採取することに成功した。</p>



<p>ところがその後、産卵が続かない。種苗生産の研究が中断する時期もあり、ようやく再開となった1995年と1996年に採卵した320万粒の卵から育てて生き残った20尾（推定70〜120 kg）が、2002年に産卵。ふ化した幼魚を飼育・育成し、2004年に世界で初めて、完全養殖のクロマグロ2年魚（約20 kg）の出荷に至ったのである。</p>



<h3 class="wp-block-heading">安定した生産と供給のために</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/303498265455dae8ca1b2785468abe9d.jpg" alt="" class="wp-image-55490" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/303498265455dae8ca1b2785468abe9d.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/303498265455dae8ca1b2785468abe9d-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/303498265455dae8ca1b2785468abe9d-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>近畿大学水産研究所の第7代所長として、海水魚の養殖や種苗生産に関係する実用的な研究を行う家戸（かと）敬太郎さん。「我々が重視していることの一つとして、安定した生産体制の維持と効率化が挙げられますね」と話す。</p>



<p>現在、マダイの種苗は全国で流通する約3割を生産・出荷しており、もし生産が滞れば多くの業者の経営に影響を及ぼしてしまう。一方で、大量出荷すると市場価格が下落してしまうため、生産量を適切に調整し、価格を安定させることも重要な役割だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">魚粉不使用の飼料で魚を育てる </h3>



<p>新たな課題として取り組んでいるのが、環境変化への対応。地球温暖化による海水温の上昇に耐えられる魚の品種開発に加え、飼料価格の高騰を見据え、魚粉を使わない飼料でもよく育つ魚の品種改良を進めている。</p>



<p>養殖魚は本来、魚を原料とした魚粉を多く含む飼料で育てられている。しかし、その原料となる魚の漁獲量は年々減少しており、将来的な供給には不安をぬぐい切れない。「魚を育てるために魚を使う」という仕組みは、持続可能とは言えないのだ。</p>



<p>そこで着目しているのが、魚粉を含まない飼料。家戸さんは「魚粉を使わないと味が落ちるのではないかと心配されることがありますが、実際には大きな違いは見られません」ときっぱり。魚粉を含まない飼料で育てた魚と従来の魚では、味に大きな差はなく、「良い魚を育てるには必ず魚粉が必要」という従来の考え方を見直すべきだと強調する。</p>



<h3 class="wp-block-heading">エサの革新で養殖魚をもっとおいしく</h3>



<p>養殖魚は「天然より味が劣る」というイメージがあるかもしれない。しかし実際には、エサを工夫することで味や品質をコントロールしやすいという大きな強みがある。</p>



<p>1980年代は、多くの養殖魚は冷凍イワシを餌として育てていた。脂の多いイワシを食べることで成長は良く、天然魚に近い味わいになる一方、脂が過剰に蓄積し、腹部に脂が溜まりすぎることがあった。魚の脂は酸化しやすいことから、独特の臭みや風味の低下につながる。</p>



<p>現在はイワシの漁獲量が減少したこともあり、養殖では栄養バランスを考慮した配合飼料が主流。その結果、かつて養殖魚特有といわれていた臭みは大幅に改善され、出荷前にエビなどを与えて風味や肉質を整えるなど、エサを工夫することで品質の向上に取り組んでいる。</p>



<p>また、養殖と天然魚を費用対効果の面で比較すると、近年は飼料価格の高騰により、養殖で大きく利益を確保することは以前より難しくなっている。それでも養殖魚は、計画的に生産・出荷できるという大きな強みがある。天然魚は、環境の変化によって不漁になる可能性もあり、価格が大きく変動する恐れもある。養殖魚は供給量を維持でき、価格も安定するなど、メリットが多い。</p>



<p>現在漁業全体では、養殖生産が漁業生産を上回っている。2024年の統計によるとタイヘイヨウクロマグロは養殖が2万4327トン、漁獲が1万1802トン。ミナミマグロ（インドマグロ）は養殖が7261トン、漁獲が19367トンとなっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">新たな魚種の養殖への挑戦</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/5ff3ca5afc960982ea64bd9e777ff975.jpg" alt="" class="wp-image-55491" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/5ff3ca5afc960982ea64bd9e777ff975.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/5ff3ca5afc960982ea64bd9e777ff975-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/5ff3ca5afc960982ea64bd9e777ff975-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本食といえば、刺身や寿司。漁獲量が減っている中で、素材を安定して供給し続ける養殖魚生産の役割はますます大きくなる。</p>



<p>「魚食は成人病の予防につながるともされ、日本人の寿命が長いことにも貢献しているかもしれない。将来にわたって維持できるようにしなければ」</p>



<p>近畿大学水産研究所は立ち止まることなく、新たな養殖魚種の研究・開発にも着手している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ノドグロの養殖成功、そしてアナゴやハモも</h3>



<p>2026年、これまで養殖が難しいとされてきたノドグロの完全養殖に成功し、新たな一歩を踏み出した。次に、アナゴやハモの養殖技術の確立を進めている。</p>



<p>アナゴは大阪湾での漁獲量が30年前との比較で約40分の1まで減少しており、深刻な資源減少が問題になっている。古くから大阪を代表する魚であるが、このままではアナゴを扱う加工業者や飲食店など地域の産業にも大きな影響が及びかねない。漁獲量の減少は、単に魚が獲れなくなるだけでなく、地域の食文化そのものが失われることにもつながってしまう。</p>



<p>そこで、アナゴの漁獲地である大阪府泉南市の岡田浦漁業協同組合と連携し、養殖技術の開発や普及に取り組むようになった。</p>



<p>「安定的に生産・流通できる仕組みを作ることが重要なんです」</p>



<h2 class="wp-block-heading">魚を育て、魚を育てる人を育てる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/34e28706e24e61422f9b07f4008ba690.jpg" alt="" class="wp-image-55492" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/34e28706e24e61422f9b07f4008ba690.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/34e28706e24e61422f9b07f4008ba690-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/34e28706e24e61422f9b07f4008ba690-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>近畿大学水産研究所で育てた養殖用種苗は、近畿大学のベンチャー企業である「株式会社アーマリン近大」（本社：和歌山県白浜町）を通じて販売し、国内の養殖業者に貢献している。また同社はレストラン経営も行い、「近大マグロ」を使用した料理を提供。2025年の売上高は、大阪・関西万博にも出店したことも功を奏し、40億円に達した。前年より約5億円増である。</p>



<p>&nbsp;「大学は経営や商売を学ぶ場」…つまり実学の精神に満ちているのが近畿大学の特徴。この考えに魅せられ、2026年度私立大学志願数のトップに躍り出た（志願者総数17万4789人）。水産学科の卒業生は現場実習を豊富に積んでいるので、水産関連の企業から即戦力として重宝されているという。就職にも強いのだ。</p>



<p>「若い人が魅力に感じる産業にしていきたい」</p>



<p>家戸さんのこの言葉には、養殖の未来は技術だけでは守れないという思いがにじむ。魚を育てる技術を磨き、その技術を担う人を育てる。どちらが欠けても、日本の食卓に魚を届け続けることはできない。</p>



<p>振り返れば、近畿大学水産研究所の歩みは、「できない」とされてきたことへの挑戦の連続だった。湾を仕切った放し飼いが当たり前の時代に小割式網いけすを生み出し、天然の稚魚に頼っていたブリの種苗を人工で育て上げた。クロマグロでは、産卵が途絶え、研究が中断する時期を乗り越え、30年以上の歳月をかけて世界初の完全養殖にたどり着いた。2026年にはノドグロの完全養殖にも成功し、いまは漁獲量が激減したアナゴやハモ、さらにはウナギの養殖にも挑んでいる。</p>



<p>戦後の食糧難のなか、世耕弘一初代総長が「海を耕し、海産物を生産しなければ日本の未来はない」と掲げてから、まもなく80年。漁獲量の減少、海水温の上昇、飼料価格の高騰。海を取り巻く課題が増えたいま、その言葉はかつて以上の重みをもって響く。</p>



<p>海を耕し、魚を育て、人を育てる。串本の海で続く挑戦は、日本の食の未来そのものを耕している。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55486/">海を耕せ！ 近大マグロなどの養殖に挑む「近畿大学水産研究所」／和歌山県串本町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>まちに人を呼び込む幻の桃「クリーンピーチ」の物語。 「株式会社夢ファーム大分」時松裕二さん／大分県豊後大野市清川町</title>
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		<pubDate>Sat, 31 Oct 2026 07:45:01 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
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		<category><![CDATA[矮化栽培]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF3409.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大分県の南西部、熊本県との県境に位置する豊後大野市清川町。山あいの静かなこの地に、「幻の桃」とも呼ばれるブランド桃「クリーンピーチ」がある。生産するのは、株式会社夢ファーム大分。独自の接ぎ木技術から生まれる、糖度が高く身 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55467/">まちに人を呼び込む幻の桃「クリーンピーチ」の物語。 「株式会社夢ファーム大分」時松裕二さん／大分県豊後大野市清川町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF3409.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大分県の南西部、熊本県との県境に位置する豊後大野市清川町。山あいの静かなこの地に、「幻の桃」とも呼ばれるブランド桃「クリーンピーチ」がある。生産するのは、株式会社夢ファーム大分。独自の接ぎ木技術から生まれる、糖度が高く身が締まった、リンゴのような食感をもつ桃の誕生には、何とも意外な物語が秘められていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">老後の小遣い稼ぎのために</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF3222.jpg" alt="" class="wp-image-55476" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF3222.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF3222-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF3222-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そもそも、大分県の気候は桃の栽培に向いているとはいえない。桃の主力産地といえば山梨県をはじめ、福島県、長野県、岡山県といった土地が思い浮かぶが、大分は気温が高く虫も多い。どちらをとっても、桃の栽培には不向きな環境だ。それでも今やブランド桃として確固たる地位を築いたクリーンピーチの栽培が、なぜここで始まったのか。</p>



<h3 class="wp-block-heading">県の取組みが幻の桃に繋がる</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF3325.jpg" alt="" class="wp-image-55477" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF3325.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF3325-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF3325-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>きっかけは、今からおよそ30年前にさかのぼる。当時はまだ「清川村」と呼ばれていたこの地域で農業に携わっていた人々が、自身の高齢化を見据え、年金に加えたもうひとつの収入源を作ろうと模索していたのだ。折よく大分県内で展開されていた「自分たちの町や村が世界に誇れるものを、自分たちで一つ作ろう」という「一村一品運動」の流れのなか、当時の村長が「桃を清川村の特産にしよう」と決断したことで、栽培への道が開いた。</p>



<p>さらに、年を重ねても無理なく作業ができるよう取り入れたのが「矮化栽培」という農法だ。樹を低く、小さく育てるこの方法により、脚立を使わずとも桃を収穫することができる。ただし、その手間は並ではない。樹の一本一本に支柱やワイヤーを施す、日光が全体に当たるよう計算して剪定するなど、絶えず人の手でコントロールする必要がある。しかしひとたび樹が形になれば、その後の作業が劇的に楽になる。とはいえ樹の生育段階で極めて手がかかるこの方法で本格的に桃を栽培しているのは、全国でも清川だけだともいわれている。</p>



<p>そんな清川の地で清算されているのが、「クリーンピーチ」。「30年前、『清川の桃』という意味を込めて、『クリーンピーチ』という名前にしたそうです」と話すのは、株式会社夢ファーム大分の時松裕二さんだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「株式会社夢ファーム大分」 の誕生</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF3256.jpg" alt="" class="wp-image-55478" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF3256.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF3256-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF3256-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>出荷を始めた当初は市場で評価されず、販売にも苦戦したという。二束三文で売らなければならないような時期もあったが、清川駅付近に直売所を設けて直接販売に切り替えると、口コミで少しずつ評判が広がっていった。ところが、当初80軒ほどいた農家が、高齢化と後継者不足による離農が相次ぎ十数軒にまで激減。人気が高まるなかで供給が細っていくという、もどかしい状況が続いた。</p>



<p>その状況を変えようと、生協や道の駅が出資して約10年前に設立されたのが「株式会社夢ファーム大分」だ。元は生協職員だった時松さんは、脱サラして参画した。</p>



<h3 class="wp-block-heading">独自手法が生み出すブランドの本質</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF9688.jpg" alt="" class="wp-image-55479" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF9688.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF9688-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF9688-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>夢ファーム大分の桃栽培が他と大きく異なるのは、「ユスラウメを台木にして桃を接ぐ」という点だ。一般的な桃の産地では、実がなるまでの時間を早くしたり、病気に強くしたりする目的で、「桃の枝を桃の根に接ぐ」のが主流だ。しかしここでは、病害虫に強い特徴をもつユスラウメを台木として使う。ユスラウメは桃と同じバラ科の植物ではあるものの、桃の近縁種ではないため木同士の相性が悪く、台木から接ぎ木の桃へ栄養が十分に届かない。</p>



<p>栄養が十分に届かないことは、木にとってストレスとなり、これによって木は大きく育たず、また、自身の生存に危機感を持った木がより良い実を残そうとするためか、糖度が高く締まりのよい果実をつけることに繋がるのだという。また、台木であるユスラウメが梅の一種だからか、「梅の香りがする」と感想を言う人もいるそうで、クリーンピーチならではのひそかな個性にもなっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">決して桃向きではない気候のなかで</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF9694.jpg" alt="" class="wp-image-55483" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF9694.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF9694-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF9694-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在、夢ファーム大分では約8種の桃を栽培している。主力は白桃品種「なつおとめ」で、糖度が乗りやすい特徴がある。一般に桃の糖度は11度で十分、12度超えは特選基準とされるが、なつおとめは選果場で14度前後という極めて高い数値を見せることも珍しくない。リンゴのような食感のため、当初は「硬い」という声もあった。しかしその硬さは、朝採れのものをその日のうちに出荷するという新鮮さの証でもある。</p>



<p>収穫の目安は、袋をかけたまま上から透かして見る「色」だそうだ。淡い白ピンクに染まっていれば、それが完熟のサイン。販売場所が近いからこそ、完熟ぎりぎりまで木に残して収穫できるのだと時松さんは語る。</p>



<p>とはいえ、梅雨の長雨など気象の影響で思うように糖度が上がらず、悔しい思いをする年もある。そもそも、温暖な冬、夏場の昼夜の寒暖差の不足、雨量の多さや台風リスクなど、九州の気候はそもそも桃の生産に向いていない。清川町は、九州の中でも標高の高い高冷地に位置し、桃栽培における九州の弱点をクリアしているとはいえ、土づくり、剪定、木の個性を見極めながらの摘果量調整など、栽培における苦労は尽きない。毎年改善を続けていても、正解がないのが農業の難しさだ。</p>



<p>もうひとつの課題もある。相性の悪い木を接いでストレスを与えるという矮化栽培の影響で、およそ10年経つと木が枯れてしまう傾向がある。効率は悪く、コストもかかるのは明らかだが、それでも「せっかく作るなら、食べた人に美味しいと言ってもらいたい」という時松さんの思いは揺るがない。今後も植え替えを繰り返しながら、この桃を守り続けていくつもりだという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">需要に供給が追い付かない、うれしい悲鳴</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF3362.jpg" alt="" class="wp-image-55481" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF3362.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF3362-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF3362-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>クリーンピーチが抱える最大の課題は、生産量が需要にまったく追いつかないことだ。味の良さから人気が高いのはもちろんのこと、栽培農家が減少したことによる生産量の不足に加え、完熟したクリーンピーチはデリケートで発送に向かないため、近隣の道の駅でしか販売していないことも、希少価値を高めている。毎年販売の季節を迎えると、道の駅には「幻の桃」を求めて長蛇の列ができる。同じ道の駅で販売している桃ソースのソフトクリームは、売れる日には1日1,000本以上が出ていく人気ぶりだ。</p>



<p>人口約2,000人の清川町において、クリーンピーチは人を呼び込み、地域経済を支える存在となっている。夢ファーム大分の設立後、栽培面積を積極的に広げているものの、それでも生産が追いつかない。背景にあるのは深刻な人手不足だ。収穫期には正社員だけでは到底足りないが、そのためだけに通年雇用するのは難しい。パートを雇おうにも、地域に人がいない。そこで生協と連携し「援農ボランティア」を募っている。登録した人が都合のつく日に来てくれる代わりに、収穫物の一部を報酬として提供するというかたちだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「桃で食べていける」と示したい</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF9745-1.jpg" alt="" class="wp-image-55482" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF9745-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF9745-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSCF9745-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>会社設立から10年。仕事が大好きだと語る時松さんにも、もちろん苦労の時期があった。なかなか黒字に届かず、資金繰りに追われて銀行に頭を下げたことは一度や二度ではない。だが、そのころの苦労が少しずつ報われ、今は先が見えてきたと安堵の表情を見せる。</p>



<p>次の目標を尋ねると、時松さんは「従業員の給料を上げたい」と答えた。「去年くらいから昇給に手を付けられるようになりました。従業員が結婚して、子どもを大学に送れるくらいの給料を払っていきたい」。</p>



<p>そのためには生産規模の拡大が不可欠だが、そこでまた壁として立ちはだかるのが人手不足だ。</p>



<p>目立った観光施設も名所も少ない清川町で、新たな農家を増やすことは容易ではない。だからこそ、時松さんは願っている。「桃で食べていけるぞ」という姿を見せることで、Iターンや農業に憧れを持つ人が来てくれないか、と。栽培面積を広げ、クリーンピーチを増産し、その評判を聞きつけた人が就農し、この地に新しい暮らしが根づいていく、そんな未来を描いている。</p>



<p>人が桃を作り、桃が人を呼ぶ。クリーンピーチが生み出すその循環が、清川町の未来をひとつひとつ、着実に形づくっていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55467/">まちに人を呼び込む幻の桃「クリーンピーチ」の物語。 「株式会社夢ファーム大分」時松裕二さん／大分県豊後大野市清川町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>霊峰石鎚に伝わる幻の発酵茶・石鎚黒茶を守り続けるさつき会／愛媛県西条市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 18 Oct 2026 10:19:13 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[日本茶]]></category>
		<category><![CDATA[発酵茶]]></category>
		<category><![CDATA[石鎚山]]></category>
		<category><![CDATA[2段発酵茶]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki019.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>西日本一の標高を誇る石鎚山（いしづちさん）の麓に、弘法大師空海が伝えたといわれるお茶がある。その名も石鎚黒茶。石鎚黒茶さつき会では、江戸時代から続くその製法を受け継ぎ、現在もすべての工程を手作業で行っている。 日本に4つ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki019.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>西日本一の標高を誇る石鎚山（いしづちさん）の麓に、弘法大師空海が伝えたといわれるお茶がある。その名も石鎚黒茶。石鎚黒茶さつき会では、江戸時代から続くその製法を受け継ぎ、現在もすべての工程を手作業で行っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本に4つしかない「後発酵茶」のひとつ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki011.jpg" alt="" class="wp-image-55446" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki011.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki011-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki011-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>西日本最高峰・石鎚山。その山麓、愛媛県西条（さいじょう）市黒瀬（くろせ）地区。この地でつくられる石鎚黒茶は、富山のバタバタ茶、徳島の阿波番茶、高知の碁石茶（ごいしちゃ）と並び、日本にわずか4つしか存在しない後発酵茶の一つだ。</p>



<p>後発酵茶とは、摘み取った茶葉をすぐに加熱して酸化酵素の働きを止めた後、乳酸菌や麹菌などの微生物の力で発酵させるお茶のことだ。</p>



<p>なかでも石鎚黒茶は、空気に触れさせながら有機物を分解・発酵させる1次発酵（好気発酵）と、空気を遮断した無酸素状態で行う2次発酵（嫌気発酵）の「2段発酵茶」という希少な製法が特徴だ。</p>



<p>「2段階で発酵させているお茶は、世界的に見ても碁石茶と石鎚黒茶しか確認されていないと聞いています」。そう話すのは、さつき会会長の戸田久美さん。石鎚黒茶が2018年に無形民俗文化財に指定された背景には、この希少性が大きく関わっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">真夏の山で行われる、すべて手仕事のお茶づくり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki015.jpg" alt="" class="wp-image-55447" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki015.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki015-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki015-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>さつき会では江戸時代から続く製法を守り、すべての工程を手作業で行っている。効率や大量生産とは無縁の、風土と時間に委ねるお茶づくりを貫いているのだ。</p>



<p>石鎚黒茶の製造は、6月の終わりから7月初旬にかけて始まる。品種は、日本茶の代表的な品種である「やぶきた」だ。煎茶とは異なり、発酵茶には硬くなった茶葉「硬葉（こわば）」を使う。そのため、収穫時期も遅く、梅雨明け前後から真夏にかけて作業が集中する。</p>



<p>人の背丈ほどに伸びた茶木から硬葉を枝ごと手作業で刈り取り、ひとまとめにして山から担いで下ろし、軽トラックに積み込む。収穫は朝6時から8時頃まで。1日に軽トラック3台分を刈り取るのだという。なかなかの重労働だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">山の菌に委ねる、一次発酵 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki002.jpg" alt="" class="wp-image-55448" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki002.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki002-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki002-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>山から下ろした茶葉は、作業場で枝を切りそろえ、洗浄し、蒸し工程へと進む。</p>



<p>茶葉が蒸し上がったら発酵用の木桶に詰め、1次発酵（好気発酵）を行う。桶に住み着いた天然の微生物、糸状菌など酸素を好む菌が、酸素を取り込むことで分解・発酵が進んでいく。</p>



<p>お茶の味を決めるのは、その場所に住み着く菌だという。同じようにつくっても、場所が違えば味にも違いが出る。だからこそ久美さんは当時から伝わる製法に強いこだわりを持ち、「石鎚黒茶と名乗る以上、石鎚山系の茶葉、水、発酵場所でなければいけない。これだけは絶対に曲げられません」と言い切る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">石鎚黒茶ならではの揉み作業を経て2次発酵へ</h3>



<p>1次発酵を終えた茶葉は、2次発酵までの間に一度揉み作業を挟む。「揉み作業を行うのは、2段階発酵のお茶の中でも石鎚黒茶だけ。だから世界で一番手間がかかっているお茶だと思っています」と久美さんは自負する。</p>



<p>揉み作業を終えた茶葉は、再び木桶に詰め直され、空気が入らないよう蓋と重石をのせて2次発酵へ。酸素を必要としない乳酸菌による嫌気発酵により、独特の酸味と香りが生まれるのだ。</p>



<p>10日から14日ほどかけて2次発酵を終えた茶葉は、むしろの上に広げられ、太陽の下で天日干しをする。ひっくり返しながら両面を丹念に乾かしていくこの工程にも、2〜3日を要する。</p>



<p>こうして仕上がった石鎚黒茶は、できたてのフレッシュな酸味もいいが、そこから2年、3年と熟成させることで生まれる味わいの変化を楽しむのもいい。「だんだんまろやかになって、甘みが増してきます。10年ものを飲んだときは、本当に甘くて驚きました」。</p>



<h2 class="wp-block-heading">消えかけた文化をつないださつき会</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki001.jpg" alt="" class="wp-image-55449" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki001.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki001-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki001-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>今でこそ石鎚黒茶は「幻のお茶」といわれているが、かつて石鎚山の麓では、どの家庭でも当たり前のようにつくられ、飲まれていたお茶だった。</p>



<p>しかし過疎化とともにその文化は静かに失われていき、1996年当時、製造者はたった一人になっていた。「最後の一軒もやめるという話が出たとき、それではあまりにももったいないということで、地元の生活研究グループが中心になって技術を引き継ぐ話になりました」。</p>



<p>こうして誕生したのがさつき会だ。当初は久美さんの母親世代が中心となり、最後の一軒から製法を受け継ぎ、試行錯誤を重ねながら製造を始めた。</p>



<p>2012年頃からは、初期メンバーの娘世代・嫁世代である久美さんらが製造を引き継いだ。同時期には愛媛大学による研究が進み、石鎚黒茶に整腸作用や免疫力向上などの機能性があることも明らかになった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">かつてのように、暮らしに根づくお茶をめざして</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki032.jpg" alt="" class="wp-image-55450" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki032.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki032-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki032-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>石鎚黒茶は、まだ全国的な知名度が高いとは言えない。だからこそ、さつき会はさまざまな形でPRにも力を入れている。石鎚黒茶を使ったケーキやクッキーを試作する地元の洋菓子店や、商工会の女性部の協力もあるという。西条市内にある愛媛県立小松高等学校との取り組みにも積極的で、学生たちは、夏向けの商品として石鎚黒茶を使ったゼリーを開発。試作を重ね、販売まで行っている。</p>



<p>「高校生のみんなが石鎚黒茶を広めるため、いろんなことに挑戦してくれる。それが本当にありがたいんです」と久美さんは表情を綻ばせる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki021.jpg" alt="" class="wp-image-55451" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki021.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki021-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki021-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>また、地元ラジオ局・FM愛媛とのコラボレーションで誕生した「黒茶大福」も、2024年9月に販売を開始し、大きな反響を呼んだ。</p>



<p>石鎚黒茶をパウダーにして餅生地に練り込み、やさしい甘さの生クリームを包んだ一品だ。表面にも石鎚黒茶のパウダーを贅沢にまぶしている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">全国のサポーターを巻き込み「みんなの石鎚黒茶」に</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki023.jpg" alt="" class="wp-image-55452" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki023.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki023-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki023-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>さつき会では東京などで開催される展示会にも出展し、全国へ石鎚黒茶を伝えるべく動いている。近年の発酵ブームも相まって、健康に関心の高い人々からの反応は上々だ。そうして各地で結んだご縁は、消費者としての広がりにとどまらず、製造現場の助けにもなっている。</p>



<p>石鎚黒茶の製造は、すべて手作業。そのため生産量は年間300キロほどに限られる。人手不足は常に課題だ。しかし近年は、展示会などで石鎚黒茶の魅力に触れた県外の人々が体験に訪れるようになった。2023年には、延べ120人以上が製造に関わったという。「もう、さつき会だけのお茶じゃなくて、来てくれるみんなのお茶。石鎚黒茶がつなげてくれた出会いは、お金にはかえられない財産です」。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki026.jpg" alt="" class="wp-image-55453" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki026.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki026-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki026-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>茶葉の収穫から蒸し、発酵、揉みという一連の作業を体験するだけでなく、「思い出をつくって帰ってほしい」との思いから、作業の合間にみんなで冷えたスイカを食べたり、愛媛の伝統工芸品・砥部焼の絵付け体験をしに出かけたり、メンバーが一丸となっておもてなし。そのあたたかさにひとたび触れたら、きっとまた会いに来たくなるに違いない。</p>



<p>展示会に出れば、体験や過去の展示会でつながった人たちが応援に駆けつける。「私たちは体験に来てくれた方に手ぬぐいをプレゼントしているんですが、それを首に巻いて応援に来てくれたときは、涙が出るくらいうれしくって」と久美さん。東京、千葉、神奈川、京都…、石鎚黒茶を通じて生まれた人の輪が、各地に広がっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">未来を見据え、常に動き続ける</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki006.jpg" alt="" class="wp-image-55454" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki006.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki006-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki006-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>夏のわずか2カ月ほどしか製造できない石鎚黒茶を広めるために、一年を通して何ができるか。久美さんは常に考え続けている。「これで満足、って思えたことは一度もないんです。次は何ができるか、ずっと考えています」。</p>



<p>最終的にめざすのは、石鎚黒茶が特別な存在ではなく、暮らしの中に溶け込む未来。そして、次の世代が当たり前のように受け継いでいく文化だ。この想いを紡ぎ、2026年には設立30周年を迎えた。</p>



<p>石鎚の山が育て、人の手が仕上げる一杯のお茶。石鎚黒茶は、土地の記憶と人々の営み、さつき会の熱き思いに満ちている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55435/">霊峰石鎚に伝わる幻の発酵茶・石鎚黒茶を守り続けるさつき会／愛媛県西条市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>南高梅を世界へ、次世代へ。「紀州高田果園」高田智史さん／和歌山県日高郡みなべ町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 18 Oct 2026 10:08:27 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[紀州南高梅]]></category>
		<category><![CDATA[梅酒]]></category>
		<category><![CDATA[南高梅母樹]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/8fec976f201fa3e992d6b4659b3fae11.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>和歌山県みなべ町で、明治35年（1902年）から梅を育て続ける「紀州高田果園」。日本を代表する梅の品種・南高梅（なんこううめ）の発祥農園として、梅の有機栽培や加工を通して“本物の味”を追求する。代表取締役・高田智史さんが [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/8fec976f201fa3e992d6b4659b3fae11.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>和歌山県みなべ町で、明治35年（1902年）から梅を育て続ける「紀州高田果園」。日本を代表する梅の品種・南高梅（なんこううめ）の発祥農園として、梅の有機栽培や加工を通して“本物の味”を追求する。代表取締役・高田智史さんが、梅を世界へ、次世代へ繋ぐために重ねる挑戦とその思いに迫る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">江戸時代から続く梅の栽培地で育む、南高梅</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/703df56be39395255c6ca7df667f3b27.jpg" alt="" class="wp-image-55426" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/703df56be39395255c6ca7df667f3b27.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/703df56be39395255c6ca7df667f3b27-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/703df56be39395255c6ca7df667f3b27-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>収穫量は61年連続1位、国内収穫量の約6割を占める、梅の一大産地・和歌山県。中でも県中部に位置するみなべ町・田辺（たなべ）市一帯は、県内でも随一の梅の生産量を誇り、栽培の歴史は江戸時代にまでさかのぼる。</p>



<p>太平洋に面し、温暖な気候ながら、急傾斜の山林と岩混じりの痩せた土地が多かったことから、稲作には不向きだったみなべ・田辺エリア。江戸時代、このエリアを治めていた紀州藩田辺領主・安藤直次が、政策として、山頂付近に薪炭林（しんたんりん）を残し、山裾に梅林を開墾したのが梅栽培の始まり。</p>



<p>薪炭林が山の保水力を高め、山に生息するミツバチは梅の受粉に大きな役割を持つことから、同エリアの梅はすくすくと育ち、一大産業に。400年以上たった今もなお、地域の人々の暮らしを支える存在だ。2015年には、画期的な農法と梅産業から広がる文化・景観が評価され、「みなべ・田辺の梅システム」として、国連の専門機関・国連食糧農業機関が、世界農業遺産に認定している。</p>



<p>ほのかに紅色に染まった美しい実は大粒で、厚い果肉と柔らかな皮、フルーティーな香りが特徴のみなべ・田辺エリアの主力品種・南高梅。和歌山県が生産する梅の約８割が南高梅で、全国的にも知名度の高い品種だ。</p>



<p>その南高梅の“生みの親”が、1902年からみなべ町で梅栽培を続ける「紀州高田果園」。代表取締役・高田智史さんは、「私の祖父である、創始者・高田貞楠（さだぐす）が植えた梅の苗木が、南高梅の始まりです」と。</p>



<h3 class="wp-block-heading">梅農家が植えた１本の木が、日本を代表する品種「南高梅」に</h3>



<p>南高梅が誕生するまでのみなべ・田辺エリアでは、各農家で栽培する梅の品種は異なり、その数は多岐にわたった。「高田果園も、祖父が植えた梅の木の中でも、美しく大粒の梅が豊かに実る1本を“高田梅”と呼び、接ぎ木をしながら数を増やし、大切に育てていました」と高田さんは振り返る。</p>



<p>そんな中、1950年、産地のブランド力の向上や高品質の梅を安定して生産するため、この地に適した品種を一本化することを目的に「梅優良樹調査委員会」が設立。当時、地域で栽培されていた114種類の品種を対象に、「収穫量の安定性」や「実の品質」「みなべ・田辺エリアの風土への適応性」「栽培のしやすさ」などの観点から、同委員会が優良品種を調査。5年にも及ぶ審査の結果、「最も風土に適した最優良品種」と評価されたのが高田梅だ。その後、繁殖のための母樹（ぼじゅ）選定に協力した地元の高校「南部（みなべ）高校」の“南”と「高田梅」の“高”から、新たな品種は「南高」と名付けられ、1965年に種苗名称が登録。高田果園の1本の梅の木が、いまや「梅干といえば南高梅」といわれるほどの知名度にまで広がった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">南高梅発祥農園として、有機栽培で極上の一粒を</h2>



<p>梅の栽培から加工、販売まで手掛ける高田果園では、10年以上前から有機栽培に取り組み、現在は約9ヘクタールある自社農園の8割で、化学肥料や農薬を使用せず梅を栽培。同社の梅は、自然の力を生かして育てられた農産物に与えられる国家規格「有機JAS」の認証を受けている。</p>



<p>有機栽培を続けるのは、「南高梅発祥農園として、極上の一粒を届けたい」という、高田さんの強い思いからだ。手作りの堆肥で土壌を育て、実に日光が当たるよう剪定し、細かな手間を惜しまず栽培された木には、大粒で美しい実が豊かに実る。</p>



<p>高田果園では、まだ実が固い状態の青梅と、黄色に変わり柔らかな完熟梅の両方を収穫し、それぞれの特性を生かして加工する。例えば、主力商品である梅干には、まろやかな味わいと滑らかな食感に仕上がる完熟梅を。梅酒にはさわやかな香りの青梅とコクを生む完熟梅をブレンドしている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">塩漬けまでのスピードが命。完熟梅の梅干</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/74bfd974ecc7bb2fbdc983a48a0320e2.jpg" alt="" class="wp-image-55427" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/74bfd974ecc7bb2fbdc983a48a0320e2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/74bfd974ecc7bb2fbdc983a48a0320e2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/74bfd974ecc7bb2fbdc983a48a0320e2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>梅干に使用する梅は、木から捥（も）いだものではなく、熟れて自然落下した実だけを使用する。その理由を、高田さんは「樹上でギリギリまで育ち、熟して落ちた瞬間が、我々にとっては“完熟”のサイン。香り・皮・果肉どれをとっても別格です」と話す。生の実を食べてもほのかに甘みを感じるほどだという完熟した梅は、桃のような甘い香りが漂い、薄い皮と柔らかな果肉を併せ持つ。梅干しにすると、まろやかさが際立ち口当たりも滑らかな仕上がりに。</p>



<p>しかし、果肉が柔らかいということは、その分、実が傷むのも早いということ。高田さんたちは、落下した梅を「1秒でも早く」という思いで、天候に関わらず収穫し、必ずその日のうちに塩漬けする。梅農家に言わせると、完熟梅は生ものと同じくらい足が早いものだそうで、スピーディーな収穫と塩漬けが品質に直結する。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/04f3a30ff298fcc5f245d3533e53fbb5.jpg" alt="" class="wp-image-55428" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/04f3a30ff298fcc5f245d3533e53fbb5.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/04f3a30ff298fcc5f245d3533e53fbb5-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/04f3a30ff298fcc5f245d3533e53fbb5-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>梅干は、天然塩だけで仕上げる「蔵出し白干梅」をはじめ、自社で有機栽培する紫蘇（しそ）に挟んで漬けた「昔ながらのしそ梅干」、大粒南高梅とアカシアはちみつを使用した「絹梅」、百花はちみつを使用した「真心」など、全8種類を製造。昨今、保存技術の向上や嗜好の変化から、塩分濃度が低いものや、はちみつ、だしなどの調味液で漬けた調味梅干が好まれる傾向にあるが、同社では蔵出し白干梅や昔ながらのしそ梅干もリピーターが多い人気商品。有機梅のおいしさが際立つよう、ともに塩分は18％。酸っぱさの中にもまろやかなコクが感じられる逸品だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">海外の品評会でも高評価。世界に通用する梅酒を目指して</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="639" height="426" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/ae972e1c4c4254459ffa73181be35f8e.jpg" alt="" class="wp-image-55430" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/ae972e1c4c4254459ffa73181be35f8e.jpg 639w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/ae972e1c4c4254459ffa73181be35f8e-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 639px) 100vw, 639px" /></figure>



<p>2008年、みなべ町は「梅酒特区」に認定。みなべ町産の梅を使って町内で梅酒を作る際は、酒製造免許に必要な最低製造量が緩和されたことをきっかけに、高田果園は2011年から梅酒造りを始めた。</p>



<p>梅酒造りで高田さんが大切にしているのは、素材の味わいがストレートに感じられるシンプルなおいしさ。製造する梅酒は一貫して味・色・香りなどの調整はせず、自社栽培の有機梅と砂糖、アルコールだけを使用。同じ年に収穫した梅だけで仕込むので、香りや酸味、コクなど、製造年ごとの変化が楽しめるのが特徴だ。</p>



<p>現在、同社で製造する梅酒は4種類。その中でも、有機梅と国産のブランデー、氷砂糖で仕込み、7年以上熟成させた「熟成梅酒 高田 TAKADA」は、フランスで開催される、日本の酒類を対象とした品評会「Kura Master（クラマスター）」の梅酒コンクールで、2025年度にプラチナ賞と優秀賞を獲得した自信作の一つ。高糖度による“重み”が強い梅酒が多い中、「熟成梅酒 高田 TAKADA」はしっかりと最後にキレが現れるのが特徴。雑味のない有機梅の良さがブランデーに溶け込んでいる。</p>



<p>高田果園では、2023年以降、自社の梅酒を積極的に国際的な品評会へ出品している。高田さんはその理由を「梅酒は世界で通用するのか？という疑問から」と。ヨーロッパで活躍するソムリエやシェフ、一流ホテルの関係者らが味や香りを審査する「Kura Master」は、欧州市場への発信力が強い品評会でもある。今回、上位３銘柄に与えられる優秀賞に「熟成梅酒 高田 TAKADA」は選ばれたものの、高田さんは「世界の人に梅酒を飲んでもらえているかといえば、まだまだ。常にさらにいい味を求めて、チャレンジは続けていきたいですね」と、さらなる高みを見据える。</p>



<p>そんなチャレンジ精神から生まれたのが、最高級ラインの梅酒「貞楠」だ。創始者の名前を冠した同酒は、有機梅・ブランデー・氷砂糖をオーク樽で熟成させた原酒に、さらに新たな梅を漬け込む二段仕込みを採用。「梅酒の概念を変える一杯」をコンセプトにした、樽由来のバニラ香を感じる、ふくよかで深い味わい。こちらの銘柄は、イタリア人のソムリエらが、イタリア料理との相性・デザインなどを多角的に審査する日本の酒類の国際品評会「ミラノ酒チャレンジ2025」で最上位の「マニフィカ賞（各酒カテゴリーのプラチナ賞の中でも最も優れた一本に贈られる特別賞）」 を受賞している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">本物の味を世界に、次世代に。</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/70464bd542a33091daa8e0620195c8dc.jpg" alt="" class="wp-image-55431" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/70464bd542a33091daa8e0620195c8dc.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/70464bd542a33091daa8e0620195c8dc-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/70464bd542a33091daa8e0620195c8dc-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本では古くから食文化の一つとして親しまれてきた梅だが、その価値は世界でまだ十分に知られていない。南高梅の発祥農家として、梅の魅力を世界へ伝えていくことが、高田さんの大きな夢だ。</p>



<p>梅の木は、植えてすぐに豊かな実を成すものではない。長期熟成の梅酒もまた、完成までに長い年月を要する。今始めた取り組みの成果を、すぐに自身が目にできるとは限らないが、「これからに繋がる仕掛けはどんどんしていきたい」と高田さんは意気込む。実直に梅と向き合い、新たな商品を生み出し、国内外に南高梅の魅力を伝えていく。その挑戦は、梅の木を大切に育ててきた祖父・貞楠の思いを受け継ぎ、次の世代へ渡していくことにも繋がる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/703df56be39395255c6ca7df667f3b27-1.jpg" alt="" class="wp-image-55432" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/703df56be39395255c6ca7df667f3b27-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/703df56be39395255c6ca7df667f3b27-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/703df56be39395255c6ca7df667f3b27-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>南高梅の礎となった母樹は、樹齢130年を超えた今も、高田果園の農園で毎年花を咲かせ、実を結ぶ。一本の梅の木から始まった南高梅の物語は、その枝を世界へ、そして次の時代へと伸ばし続けている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55418/">南高梅を世界へ、次世代へ。「紀州高田果園」高田智史さん／和歌山県日高郡みなべ町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>エンジニアから蔵元へ。異例の転身で「京ひな」の名を受け継ぐ「酒六酒造」武知直之さんの挑戦／愛媛県内子町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 18 Oct 2026 09:54:39 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[酒造]]></category>
		<category><![CDATA[日本酒]]></category>
		<category><![CDATA[京ひな]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku008.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>江戸時代には植物性の天然ロウ「木蝋（もくろう）」で栄え、今も伝統的な町並みが残る愛媛県内子町（うちこちょう）に、100年以上にわたり酒を醸し続ける蔵がある。大正9年（1920）、複数の小規模酒蔵が集まり誕生した「酒六（さ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku008.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>江戸時代には植物性の天然ロウ「木蝋（もくろう）」で栄え、今も伝統的な町並みが残る愛媛県内子町（うちこちょう）に、100年以上にわたり酒を醸し続ける蔵がある。大正9年（1920）、複数の小規模酒蔵が集まり誕生した「酒六（さかろく）酒造」。「京ひな」のブランドで知られる老舗酒蔵だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">地域の酒蔵が集い、「京ひな」が誕生&nbsp;</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku003.jpg" alt="" class="wp-image-55405" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku003.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku003-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku003-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>江戸時代後期から明治にかけて、木蝋の生産で栄えた内子町。その繁栄を今に伝える白壁の街並みは、国の伝統的建造物群保存地区に選定されている。</p>



<p>そんな歴史情緒薫る町に蔵を構える「酒六酒造」のルーツは、江戸時代までさかのぼる。</p>



<p>小田深山渓谷（おだみやまけいこく）からの良質な水と、中山間部の気候条件が古くから酒づくりに適していたことから、当時、大洲藩だったこのエリアには10数件の酒蔵が存在していた。そのうちの8軒が一緒になり、大正9年（1920）に新工場を建てたのがきっかけだ。旧内子町、五十崎町（いかざきちょう）（現在の内子町）、大洲市（おおずし）の酒蔵が合併し、喜多酒造株式会社として創業した。</p>



<p>「一つひとつは酒造家と呼ばれるほどの小さな蔵でしたから、集まってある程度の規模で酒づくりをやろうという流れになったのではないでしょうか」と話すのは、現蔵元の武知直之さん。</p>



<p>昭和16年（1941）には、県内の八幡浜（やわたはま）で綿織物業を営んでいた酒井繫一郎が蔵を買収し、「酒六酒造」を創立。創業時から続く代表銘柄「京ひな」を受け継いだ。その由来は、京都の名僧にふるまった酒が高く称賛され、その日がひな祭りであったことにちなむという。</p>



<p>「蔵に残っている看板を見ると、喜多酒造の頃は漢字表記の『京雛』（きょうびな）でした。それがいつからか『京ひな』に変わっていったのです。濁酒ではなく清酒を醸す酒蔵ですから濁点をやめたという意図があったのではないかと思います」と武知さんは話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">風土の食文化に寄り添う&nbsp;</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku012.jpg" alt="" class="wp-image-55406" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku012.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku012-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku012-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>瀬戸内の海の幸に恵まれた愛媛では、鯛や白身魚を中心に、素材を生かした料理が並ぶ。<br>「田舎の料理って足し算じゃなくて引き算なんです。素材の味をシンプルに楽しむ。そんな風土の食に合うように、うちのお酒はちょっと辛口でキレがいい。主役ではなく、黒子として食卓を引き立てる。そういうお酒が自分は好きですし、もともと京ひなの味もそうだったんです」と武知さん。</p>



<p>酒六酒造の酒は、食事とともに時間を楽しむ名脇役として愛されてきた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「京ひな」の名を守り継ぐ、武知さんの挑戦&nbsp;</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku007.jpg" alt="" class="wp-image-55407" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku007.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku007-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku007-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>武知さんは、もともと酒六酒造の跡取りではない。先代・酒井冨士夫さんの娘である美佳さんと夫婦になった縁から、蔵を引き継ぐことになったという。</p>



<p>大学を卒業後、東京の電機メーカーに勤め、エンジニアとして充実したサラリーマン生活を送っていた武知さん。そんな折、美佳さんと出会い結婚。彼女の実家が酒蔵だと知っていたが、当時は蔵を継ぐ予定など全くなかった。</p>



<p>だが、転機は突然訪れた。<br>「2010年に先代の義父が急逝しまして、親族で話し合った結果、もう僕たち夫婦が継がないと廃業してしまうということになりまして。それで一肌脱げるなら脱いでみようかということで…。正直、そのときは酒づくりの大変さをわかってなかったんです」と振り返る。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku026.jpg" alt="" class="wp-image-55408" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku026.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku026-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku026-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>酒六酒造では、西宇和郡伊方町（にしうわぐんいかたちょう）を発祥とする伊方杜氏を招き、伝統技術に基づく酒づくりを行ってきた。酒六酒造の代表に就いた武知さんは、彼らに学び、寝食をともにして技術を学んだ。</p>



<p>「とても優秀な伊方杜氏さんがいてくださったことが大きかったですね。先代からの従業員の方々と一緒に、なんとか頑張って『京ひな』を残していこう、という思いで今があります」</p>



<p>先代が大切にしていたのは、大量生産ではなく、品質を追求する手仕事の酒づくり。その姿勢を踏襲し、自らも酒づくりを担うようになった武知さん。その柔軟な姿勢とエンジニアとしての合理性が、蔵を継続に導いたといえるだろう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">継承と革新のはざまで</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku037.jpg" alt="" class="wp-image-55409" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku037.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku037-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku037-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>酒六酒造のメインブランドは「京ひな」。その下にサブブランドとして「一刀両断」や「吹毛剣（すいもうけん）」などの個性ある銘柄が名を連ねる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku009.jpg" alt="" class="wp-image-55410" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku009.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku009-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku009-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>看板は、純米大吟醸辛口「一刀両断」。原料米には愛媛県産の山田錦と松山三井を使用している。精米歩合は50％。磨き上げた米の旨味が口に広がり、後味はすっと切れる。辛口でクリアな味わいながら、ほのかに米の甘みも感じ、飲み飽きしないと評判だ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku011.jpg" alt="" class="wp-image-55411" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku011.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku011-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku011-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>さらに、大吟醸辛口「幸三郎（こうさぶろう）」、純米大吟醸「隠し剣（かくしけん）」、純米吟醸「内子座（うちこざ）」などの個性豊かな銘柄を展開。特に「内子座」は、大正5年（1916）に建てられた芝居小屋・内子座の創建100周年を記念して誕生し、愛媛独自の酵母を用いた意欲作だ。2024年には「SAKE COMPETITION」金賞、「IWC（International Wine Challenge）」SAKE部門、純米酒部門でも銀賞に輝いた。</p>



<p>「お客様が大切な人と食卓を囲み、語らう。そんな時間をつくるパーツのひとつに、うちの酒がなれたら嬉しいですね」。そんな武知さんの思いが通じ、「京ひな」は、海鮮系の居酒屋や焼き鳥屋などからの引き合いも多く、和洋の垣根を越えて幅広い食シーンに寄り添っている。</p>



<p>「ブランディングで悩むところはありますが、義父が築き上げてきたものを守りたいという思いがあり、これらの銘柄は大切に引き継いでいます」。</p>



<p>実は、先代の酒井冨士夫さんは若い頃、東京で映画俳優を目指していた。東宝ニューフェイスの13期だった。</p>



<p>「昔の写真を見るとすごくいい男なんですよ。俳優を引退して帰郷し、家業の酒蔵を継いだそうなんですが、自分にはないセンスの良さがあって。日本酒といえば男性というイメージが強かった頃から、女性が手に取りやすい酒づくりに注力していました。華やかな色のビンにしたり、ネーミングを工夫したり。当時としてはとても斬新なことに挑戦していたと思います」。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku036.jpg" alt="" class="wp-image-55412" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku036.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku036-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku036-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>武知さんは創業時からの木造蔵での手づくりにはこだわりつつ、エンジニアの経験を生かして効率化や設備投資を推し進めた。限られた人員でも安定した品質を保つために機械化を図り、一方で官能評価やもろみの管理など人にしかできない作業にはしっかりと集中できる仕組みを整えたのだ。</p>



<p>「いい酒を作るには手間がかかりますが、かけすぎて蔵が続かなくなるのは本末転倒。品質と経営のバランスを大事にしています」<br>その結果、300石規模の小さな蔵ながらも、中高価格帯の商品で安定した市場を築き、県内外に販路を広げている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">人と人との縁を大切に</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku006.jpg" alt="" class="wp-image-55413" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku006.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku006-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku006-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>酒六酒造の販売スタイルは、昔ながらの顔が見える特約店制。問屋経由ではなく、酒屋との信頼関係を重んじてきた。酒屋からの叱咤激励を糧にしながら歩んできた歴史が、今も生きている。</p>



<p>「酒屋さんから、ときに厳しいアドバイスをいただくこともありますが、はっきり言ってもらえるのはありがたいんです。商いは、やはり人と人とのご縁ですよね」と武知さんは語る。</p>



<p>東京時代の人脈を生かし、試飲会や酒の会を開くなど、蔵元自ら顧客との接点を増やしてきたことも大きい。小さな蔵だからこそ、顔の見える関係性で信頼を築いている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">次の100年を見据え、未来への課題と展望&nbsp;</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku020.jpg" alt="" class="wp-image-55414" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku020.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku020-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku020-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一方で課題もある。老朽化した蔵の建て替え、後継者問題、持続可能な経営体制の構築。酒造りは伝統産業でありながら、経営的な視点を欠かすことはできない。</p>



<p>武知さんは「いい蔵」についてこう語る。<br>「従業員も含めて、ちゃんと食べていける会社であること。100年続いてきた酒蔵の歴史を途絶えさせることなく、次の100年へとつなげていくためには、利益を出し、働く人が誇りをもって続けたいと思える環境をつくる。それが自分の役割です」</p>



<p>その言葉には、経営者としての冷静さと、酒づくりに携わる者としての情熱が込められている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku046.jpg" alt="" class="wp-image-55415" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku046.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku046-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku046-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「日本酒は絶対になくならない文化だと思っていますが、ただ厳しい状況なのは事実。各蔵がそれぞれ試行錯誤していますが、淘汰の先に残る酒は、きっと世界に認められるはず」。</p>



<p>エンジニアから蔵元へ。流れに導かれた武知さんの歩みは、偶然でありながら必然でもある。内子町の自然と人の縁に支えられた酒六酒造は、今日も「京ひな」の名のもと、新たな一歩を刻んでいる。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55392/">エンジニアから蔵元へ。異例の転身で「京ひな」の名を受け継ぐ「酒六酒造」武知直之さんの挑戦／愛媛県内子町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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			</item>
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		<title>「人と違うことをやる」。140種ものリンゴを育てるオンリーワンの果樹園「サンファーム」／岩手県盛岡市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/55364/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 10 Oct 2026 04:01:21 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[りんご狩りかもしれない展]]></category>
		<category><![CDATA[ブラムリー]]></category>
		<category><![CDATA[カルビル･ブラン]]></category>
		<category><![CDATA[ムーン･ルージュ]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[リンゴ]]></category>
		<category><![CDATA[ほぼ日]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_234_9481.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>岩手県盛岡市と紫波町（しわちょう）を拠点に、果樹やコメを生産している有限会社「サンファーム」。代表の吉田聡さんは「人と違うことをやる」を信念に、希少な海外品種を含むさまざまなリンゴを育てている。その種類はなんと、140品 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55364/">「人と違うことをやる」。140種ものリンゴを育てるオンリーワンの果樹園「サンファーム」／岩手県盛岡市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_234_9481.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>岩手県盛岡市と紫波町（しわちょう）を拠点に、果樹やコメを生産している有限会社「サンファーム」。代表の吉田聡さんは「人と違うことをやる」を信念に、希少な海外品種を含むさまざまなリンゴを育てている。その種類はなんと、140品種。まるでリンゴの博物館だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「土づくり」から岩手にこだわる「サンファーム」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_230_9451.jpg" alt="" class="wp-image-55373" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_230_9451.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_230_9451-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_230_9451-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>岩手県は、青森県、長野県に続くりんごの一大産地だ。栽培の歴史は青森･長野よりも古く、1872年に盛岡市でりんごの栽培が始まったとされる。</p>



<p>　「サンファーム」は、県内一のリンゴ生産量を誇る盛岡市と、その南隣の紫波町を拠点に、リンゴをはじめとする果樹、コメを育てる農業法人。この地で代々続く農家が母体となっており、現在は11代目の吉田聡さんが代表を務める。</p>



<p>「土作りから丸ごと岩手」をコンセプトに、岩手県内で出る堆肥や牡蠣殻を使った循環型農業を実践。リンゴとコメは、農薬の使用量を慣行農業の半分以下に抑えた「特別栽培」の認証を取得している。また、サクランボやブルーベリーの摘み取りができる観光農園も運営しており、地元はもちろん、首都圏や海外からも収穫体験に訪れるという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">元商社マンが手がける、140種のクッキングアップル</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_203_9270.jpg" alt="" class="wp-image-55374" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_203_9270.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_203_9270-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_203_9270-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>吉田さんは新潟県上越市の出身で、山形大学農学部を卒業後、養殖用水産漁具の専門商社に就職。1995年に結婚したことをきっかけに、妻･美香さんの故郷である盛岡市に移住し、義父が営むサンファームに入社した。未経験から農業の世界に飛び込み、栽培技術の習得に励む一方、観光果樹園や直販事業を立ち上げるなど経営改革にも取り組んできた。</p>



<p><br>なかでも注力しているのが、クッキングアップル（調理用リンゴ）だ。酸味の強い希少品種を中心に、約140品種を栽培。「扱う品種の数でいえば、おそらく日本一だと思います」と、吉田さんは胸を張る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">リンゴ農家としては後発。だからこそ、周りとは違うことを。</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_217_9350.jpg" alt="" class="wp-image-55375" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_217_9350.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_217_9350-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_217_9350-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>岩手県盛岡市は、「わい化栽培」を全国に先駆けて導入した地でもあり、その普及率は90%以上。「わい化栽培」とは、植物の成長を抑える性質を持つ「わい性台木」に接ぎ木し、樹高を低く仕立てて育てる栽培方法のことで、果樹がコンパクトな分、栽培管理や収穫などの作業がしやすく、樹のすみずみまで日光が届くため高品質な果実を育てやすいのがメリットだ。</p>



<p>このように、りんご栽培が盛んな土地ではあったが、吉田さんが農園の仕事を手伝いはじめた当時、同園ではりんごの栽培を行っていなかった。「うちは代々続く農家ですが、リンゴ栽培に参入したのは2009年から。周りと比べたらだいぶ後発なんです」と吉田さん。だからこそ「ほかではやっていないこと」を意識し取り組んでいると話す。</p>



<p>「岩手県内のJAが取り扱うリンゴは22品種。多くのリンゴ農家はこの22品種のどれかを栽培し、育てたリンゴは他の生産者のものとひとくくりにされて市場流通に乗っていきます。それだと独自性を発揮しにくいし、面白くないなあって。だったら全く違う土俵で戦おうと、翌年の2010年から、品種を増やし始めました」。</p>



<p>国内で栽培･流通されるリンゴの多くは、ふじやジョナゴールドなど甘みの強い生食用の品種だ。吉田さんは「あえてそれとは逆をいこう」と、酸味が強く調理に向いている品種に着目。加熱調理することで味わいが引き立つ調理用リンゴは、飲食店にこそ大きなニーズがあると考えた。そこで、メインのターゲットをシェフやパティシエに定め、彼らのニーズをつかむべく、全国各地のレストランや菓子店に足を運んだ。<br></p>



<p>「いろいろな料理人の方々に話を伺ううち、焼くなら水分が出にくいもの、ジャムにするなら煮溶けやすいものなど、作りたいメニューや用途によって求められるリンゴの特徴が違うことがわかってきて。それぞれのニーズに適した品種を探すところから始めました」</p>



<p>現在栽培している140品種は、イギリスの定番品種「ブラムリー」や「コックス･オレンジ･ピピン」、フランス原産の「カルビル･ブラン」など。海外品種が中心だが、長野県生まれの「ムーン･ルージュ」など国内の希少品種も扱う。また、園地の一部分を試験区として確保し、毎年、新たな品種を試験栽培しているという。<br><br>「海外品種の原産国の多くは、日本に比べて降水量が少なく、乾燥している気候。高温多湿の日本で育てるのは難しく、栽培を断念したものもあります」と吉田さん。果実の個性の違いを無理に技術で克服しようとするのではなく「日本の気候で育てても、その品種ならではの個性や良いニュアンスが残るものを選び、栽培しています」と話す。<br><br>さらに、栽培している海外品種を親に持つ、サンファームオリジナル品種の育種にも取り組んでいるという。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_231_9457.jpg" alt="" class="wp-image-55376" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_231_9457.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_231_9457-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_231_9457-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>これらのリンゴは、主に三つ星レストランや有名ホテルをはじめとするレストラン、パティスリーに納品されている。一軒ずつ店を回る地道な営業活動から始まり、実際にメニューに使ったシェフの口コミで評判が広がっていったという。また、規格外のリンゴは皮むきやカット、すりおろしといった業務用の一次加工品として卸しており、サンファームにとっては廃棄ロスの削減になり、顧客である飲食店にとっても作業コストの抑制につながる。これに加え、現在は食べチョクなどの産直通販サイトを通じて、一般消費者向けの販売も手がける。<br></p>



<p>「JAなどに出荷すると、流通の仕組み上、うちでやっている希少品種は評価されにくい。でも直接販売なら多品種を扱う強みを活かして細かなニーズに応えることができる」と吉田さん。シェフやパティシエからの信頼は厚く、現在、サンファームの売り上げの9割は直接取引だ。</p>



<p>また国の「ふるさと創生グローバル事業」に参加したことをきっかけに、海外における日本産リンゴの需要も実感したという。その後、フルーツ専門の流通会社と連携し、タイのショッピングセンターでの対面販売やテレビショッピング出演を経験するなどグローバルな市場での日本産リンゴの可能性も肌で感じた。</p>



<p>「特に人気なのは『紅の夢』などの赤肉品種。海外の赤肉品種は生で食べると渋みがありますが、日本のものは食べやすいと喜ばれます」</p>



<h3 class="wp-block-heading">都心でりんご狩りを体験？「ほぼ日」とのコラボレーション</h3>



<p>サンファームの多品種栽培の取り組みは、コピーライター･糸井重里氏が代表を務める「ほぼ日」とのコラボレーションにもつながった。<br><br>「ほぼ日」が、2021年から毎年開催している「りんご狩りかもしれない展」は、渋谷PARCOを会場に、擬似リンゴ狩り体験ができるイベント。サンファームはこのイベントに、毎年さまざまな品種のリンゴを提供している。<br></p>



<p>会場では、甘いものや酸っぱいもの、大きさや色もさまざまな品種を展示。来場者はその中から好きなリンゴを選んで購入し、その場で食べることができる。</p>



<p>「スーパーなどではほとんど見かけることがない品種もたくさん展示しています。お子さんは結構、酸味のあるリンゴも平気な顔で食べたりしますね。保護者の方が『それは酸っぱいよ』と止めても『これが好き』と言ってくれたり。甘い=美味しい、という先入観や価値基準に捉われず、リンゴのいろんな魅力を知ってもらえたら嬉しいなと思います」と吉田さんは笑顔を見せる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">気候変動への対応と、新たな挑戦</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_219_9361.jpg" alt="" class="wp-image-55377" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_219_9361.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_219_9361-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_219_9361-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>名だたるレストランやパティスリーをはじめ、全国各地のシェフ･パティシエの信頼を集めるサンファーム。順調に見える農園経営だが、課題もある。中でも、気候変動への対応は切実だ。</p>



<p>「リンゴもサクランボもここ数年、猛暑による果実の軟化、着色不良などの高温障害に悩まされています。また、春先の気温上昇も問題です。花芽の生育が例年より早く進み、開花と寒の戻りによる降霜のタイミングが重なるようになってきた。特にサクランボの花芽は霜に弱く、霜で花が枯れると実がつきません。そのため防霜ファンを設置したり、特に冷え込みそうな日は、火を焚いて畑全体を温める「燃焼法」を実施しています」</p>



<p>こうした努力で春の霜害を防げても、夏に猛暑が続けば高温障害を引き起こす可能性が高い。このまま温暖化が進めば、将来的にサクランボやリンゴの収量は落ちていくだろう。吉田さんはそれを見越し、モモやネクタリンなど暑さに強い果物の栽培も始めているという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「農業は儲かる」を証明し、次世代に繋げたい</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_227_9425.jpg" alt="" class="wp-image-55378" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_227_9425.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_227_9425-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_227_9425-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「農業は、トライアンドエラーの積み重ね。しかも1年に1回しか試すことができない」と話す吉田さん。サラリーマンから就農しておよそ30年。一つひとつ積み重ねてきた挑戦の先に、どんな景色を描いているのか尋ねてみた。</p>



<p>「自分の子どもたちに農園を継いでもらわなくても構いません。ただ、やりたいと思う社員や次の世代がしっかり受け継げるように、経営の形を整えたい。農業がきちんと儲かるビジネスだと証明できれば、若い人だって自然と入ってきてくれるはずだから」</p>



<p>そんな吉田さんが「今一番やりたいこと」は、この農園の中にカフェを作ることだそう。</p>



<p>「サクランボやブルーベリーの摘み取り体験にいらしたお客様が、体験後も農園に留まって、カフェでくつろいだり、散策してゆっくり過ごせるようにしたいと考えています」</p>



<p>50代半ばを迎えたいま「あと10年ぐらいで、次世代へのバトンを整えたい」と吉田さん。気候が変わっても、担い手が変わっても、この土地でリンゴを育て続けられるように。吉田さんの挑戦は、まだまだ続く。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55364/">「人と違うことをやる」。140種ものリンゴを育てるオンリーワンの果樹園「サンファーム」／岩手県盛岡市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>人をつなぐ炭づくり「土佐備長炭一」／高知県安芸市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 10 Oct 2026 03:49:55 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[土佐備長炭]]></category>
		<category><![CDATA[ウバメガシ]]></category>
		<category><![CDATA[択伐]]></category>
		<category><![CDATA[備長炭]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-141423.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県東部に位置する安芸市は、北に四国山地、南に土佐湾を望む。森林率は89％に達し、山が深く谷が多い地形をしている。そのため、山間部にはかつて炭焼き小屋が点在し、地域の文化を形づくっていた。しかし、燃料としての炭の需要減 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55344/">人をつなぐ炭づくり「土佐備長炭一」／高知県安芸市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-141423.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県東部に位置する安芸市は、北に四国山地、南に土佐湾を望む。森林率は89％に達し、山が深く谷が多い地形をしている。そのため、山間部にはかつて炭焼き小屋が点在し、地域の文化を形づくっていた。しかし、燃料としての炭の需要減少や産業構造の変化により、やがて炭窯の火は消えていった。</p>



<p>一度途絶えた安芸市の製炭業に、再び火をともした若き炭焼き職人がいる。教員から転身し、2015年7月に「土佐備長炭一」を立ち上げた近藤寿幸さんだ。10年を経た現在も、安芸市で唯一の窯元として製炭を続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">かつての備長炭産地で再始動する</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-144121.jpg" alt="" class="wp-image-55354" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-144121.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-144121-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-144121-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>窯の前に立つと、まず、その綺麗さに驚く。炭焼き小屋といえば、土埃と煤にまみれた現場を想像しがちだ。しかしここは、かつて県と市が建てたものを近藤さんが10年前に手に入れ、修繕しながら守り続けてきたという。整えられた空気には、職人としての矜持が滲む。</p>



<p>炭焼き窯が囲われているのも特徴的だ。全国的にみても、雨除けの屋根が付いた窯は見られるものの、ここまで囲われている窯はなかなか無い。</p>



<p>備長炭の製造で有名な和歌山（紀州備長炭）や宮崎（日向備長炭）も窯は基本的には野ざらしだ。一方、高知（土佐備長炭）では、昔から窯を建物で囲う文化があるという。「雨風が強い高知で、湿気が入って炭が爆ぜるのを防ぐためでしょうね。特にここは僕が厳重に囲っているというのもありますけど」と近藤さん。品質を守るための知恵が形になっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">良質な備長炭の原木を伐るのは、命がけの仕事</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-160622.jpg" alt="" class="wp-image-55355" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-160622.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-160622-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-160622-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>備長炭の原木は大きく分けてウバメガシとカシの二種があり、どちらも硬く、密度の高い木ほど良い炭になる。「原木の密度が高いほど、炭の温度も燃焼時間も伸びるんです」と近藤さんは語る。</p>



<p>ウバメガシは安芸市でも一部の地域で見られるが、広く分布しているのは和歌山県、愛知県の知多半島、高知県の室戸市や東洋町など、ごく限られた地域に限られる。いずれの場所</p>



<p>も、ウバメガシの生育地は平地ではなく、岩場や急斜面といった厳しい環境だ。過酷な土地でゆっくり育つことで木の繊維が締まり、硬く強い、備長炭の原木にふさわしい密度を備えた木へと育っていく。</p>



<p>そのため、原木を伐り出す山は想像を超える険しさとなる。</p>



<p>「高知県の山は勾配がきつく、木は急斜面に生えています。伐採現場は常に命の危険と隣り合わせです」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">個性を持つ備長炭は“料理の相棒”と呼ばれる</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-144816.jpg" alt="" class="wp-image-55356" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-144816.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-144816-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-144816-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>炭には「白炭」と「黒炭」がある。土佐備長炭は白炭に分類され、焼き方と仕上げの工程が大きく異なる。白炭は、1,000度を超える高温で一気に炭化させて窯から真っ赤に焼けた状態で取り出し、灰をかけて急冷する。灰が白く付くため「白炭」と呼ばれる。一方、黒炭は400〜700度の低温でゆっくり焼き、窯の中で密閉して冷やすため炭素が黒いまま仕上がる。</p>



<p>料理の世界では、この炭の個性の違いが、決定的な差を生む。</p>



<p>「白炭は炎が立たず、高温の遠赤外線でじっくり焼けるため、表面を焦がさずに中まで火が通ります。黒炭は炎が立つので、表面が香ばしく焼けるんです。例えば、黒炭を使って焼き上げた焼き鳥は、焦げていなくてもまっ黒な色になりますよね。料理人の方に言わせると、白炭にしか出せない黄金色と、黒炭にしか出せない黒色があるようですね」と近藤さんは言う。</p>



<p>料理人は、火力や温度の上がり方、燃焼時間、香りといったそれぞれの個性を理解し、料理に合わせて使い分ける。備長炭が「料理の道具」ではなく「料理の相棒」と呼ばれる理由が、ここにある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「横くべ」という革新的な窯入れ方法が、高知を生産量日本一へと押し上げた</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-150257.jpg" alt="" class="wp-image-55357" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-150257.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-150257-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-150257-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>土佐備長炭は、製造工程において他にはない独自の窯入れ方法を採っている。和歌山や宮崎が伝統的に行う、木を立てて窯に入れる「縦くべ」に対し、高知では木を寝かせて入れる「横くべ」だ。木を寝かせて積み上げるため、大量の原木を容易に窯の中に積み上げられる。この技術は、実は面白い偶然から生まれた。</p>



<p>燃料革命で炭が売れなくなった時代、気落ちした高知の炭焼き職人が「もうやってられん」と原木を適当に窯へ入れたところ、意外にも美しい炭が焼き上がったという。職人は、そこから工夫を重ね、わずか十年ほどで「横くべ」方式を完成させたのだ。</p>



<p>「横くべ」は窯の大型化を可能にし、高知は9〜12トン級の大窯を扱う、日本最大の備長炭産地へと成長した。</p>



<p>伝統は、ただ守るだけでは続かない。時に偶然が、革新的な発想の転換を生み出す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">良い炭と悪い炭の判断基準 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-145559.jpg" alt="" class="wp-image-55358" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-145559.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-145559-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-145559-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>良い土佐備長炭とは、長さが24〜20センチほどで、叩くと「チンチン」と金属のような澄んだ音が響く、硬度16度以上の炭を指す。</p>



<p>「見ればすぐに分かります。表面がツルッとしていて、滑らかで美しいものが良い備長炭です。逆に、表面がささくれていたり、穴が空いていたりするものは良くありません。割れ目から空気が入り、燃焼時間や温度がまばらになるんです。焼き鳥屋さんや鰻屋さんのように、一定の火力を求めるお客様にとっては扱いにくい炭になってしまう。結果として、良い炭ではないという評価になるわけです」と近藤さんは語る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">障がい者の働ける場所づくりを目指して </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-145049.jpg" alt="" class="wp-image-55359" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-145049.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-145049-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-145049-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>開業して10年が経つ。前職は特別支援学校の教員だった近藤さんは、土佐備長炭を伝統産業とする室戸市にある窯元に弟子入りして2年間で技術を学び、地元の安芸市で開窯したというが、伝統産業は決して甘い世界ではない。何を原動力にここまで続けてこられたのだろうか。</p>



<p>そもそも、近藤さんは“炭”ありきで炭造の道に入ったのではなかったそうだ。教員を務めながら、障がいのある生徒たちの成長と進路に向き合う中で、高知県東部に障がい者雇用の場がほとんどないという現実に直面していた。そんな時に、趣味の剣道を通じて土佐備長炭の職人に出会い、17工程に細かく分かれた炭焼きの仕事を知る。その中に、「支援があれば障がいのある人でもできる工程がある」と気づき、炭焼き職人への転身を決意したという。</p>



<p>「周囲の反対を全て押し切ってこの世界に飛び込んだのですが、『間違えた』と思いました。もう、しんどいし、きついし、給料は少ないし、休みもない。でも、障がい者を雇用する場をつくりたいと言って学校の先生を辞めた以上、その目標を達成せずに戻ることはできない。意地でも雇用をするまでは辞めないと決めてやってきました」。</p>



<p>ようやく障がいのある人を雇うことができるようになり、しばらく経ったある日、スタッフたちが言った。</p>



<p>「障がい者として生まれてよかったです。」「ずっとネットの世界で生きてきましたが、初めて現実の世界で居場所を得ました」。</p>



<p>近藤さんの歩む道を肯定する言葉だった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">命を懸ける仕事の対価</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-160235.jpg" alt="" class="wp-image-55360" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-160235.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-160235-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-160235-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>土佐備長炭一の備長炭づくりは、伐採・運搬・窯入れ・乾燥10日・炭化10日・窯出しという一連の工程を、約30日かけて進めていく。その後、選別・梱包・出荷へと続く。 これは、近藤さんが10年かけて見つけた、工房の窯に最も適したサイクルだ。安全で習熟しやすい工程は障がいを持つスタッフが担っている。近藤さんはこれまでに障がいを持つ人を４人雇用した経験があり、現在は、５人目のスタッフが一人いて、活躍しているという。</p>



<p>近藤さんは語る。</p>



<p>「多くの人が思い浮かべる炭焼きの風景は、窯の前の静かな作業だと思いますが、備長炭づくりの山での仕事こそ伝えたいです」。</p>



<p>伐採を行うのは、斜度50〜60度の急斜面だ。片側に谷が口を開ける細い山道を、ガタゴトと揺られながら車を運転してたどり着く。スパイク付きの地下足袋をはき、梯子を登って木々の元へ。崩れやすい足場でチェーンソーを操り、木の倒す方向を誤らずに伐る。倒した木は長さ約180cmに切り揃え、１本１本斜面を滑らせて運搬車が入るところまで落とす。</p>



<p>半日で30本、約1トンの原木を運搬車に載せ、軽トラックに積み込み直し、窯へと運ぶ。 山での作業は、一つ誤れば即、命を落としかねない。実際に滑落事故も起きている。</p>



<p>「費用対効果なんて合わないですよ」と苦笑しながらも、真剣な眼差しは揺るがない。</p>



<p>それでも近藤さんが続けるのは、障がい者の働ける場所をつくり、炭を待つ料理人に応え、そして山を守りたいという強い思いがあるからだ。</p>



<p>「今の夢は、そうですね、もうちょっと障がい者の雇用を増やしたいです。現状に満足はしていなくて。僕は、目標が達成できたら、また別の目標を掲げます。自分ができることを追い求めている時が幸せだと感じます」</p>



<h2 class="wp-block-heading">炭焼きで、人と山の未来をつなぐ </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-141748.jpg" alt="" class="wp-image-55361" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-141748.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-141748-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-141748-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>近藤さんは、山の未来を守るために、紀州備長炭の生産者が実践してきた「択伐（たくばつ）」を取り入れ、10年サイクルで山を再生させる取り組みを続けている。</p>



<p>択伐とは、森の中から成熟した木だけを選んで伐る方法だ。森全体を残したまま必要な木だけを選んで伐るため、鳥や動物のすみか、水を蓄える土壌など、森が本来持つ働きを保ちながら利用できる。</p>



<p>一方、これまで一般的だった皆伐（かいばつ）は、一定の区画にある木を一度にすべて伐採する方法で、短期間で多くの木材を得られる利点がある。しかし、伐った直後は地面がむき出しになり、光や風の通り方が変わることで、森の環境は大きく変化する。そのため、伐採後には苗木を植え、森を育て直す再造林が欠かせない。</p>



<p>皆伐では、次の木が育つまでおよそ25年かかると言われている。それに対し、択伐なら10年に一度のサイクルで山に戻り、原木を得ることができる。</p>



<p>ただし、どの山でも択伐ができるわけではない。長く人の手が入らなかった山では、木が太く大きく育ちすぎていることがある。そうした大木を伐り倒すと、周りの木に引っかかったり、巻き込んで倒れたりして、重大な事故につながりかねない。安全を優先すると、結果として広い範囲を伐らざるを得ず、皆伐に近い形になる場合もあるという。&nbsp;</p>



<p>近藤さんは言う。</p>



<p>「高知でも択伐を取り入れていけば、資源がなくなることを防げると思って、僕は択伐をしています。今、世界の和食ブームもあって備長炭への問い合わせは多いです。生産者が少ない分、作れば作るほど売れる状況にはあります。ただ、原材料の木を伐りすぎたら、今度は材料がなくなって作れないということになる。資源が無くなり、技術が途絶えるようなことはしたくないので、どうバランスを取っていくかが、とても大事だと思います」</p>



<p>だからこそ近藤さんが大切にしているのは、山を長く放置しないことだ。</p>



<p>「山は、一定の周期で人が入り、木を伐り、また次の木を育てていくことで、次の世代へつないでいけるんです。炭をつくるために木を伐るだけじゃなく、木を使いながら次の山を育てていくところまでが、炭焼きの仕事だと思っています」&nbsp;</p>



<p>今日もまた、土佐備長炭一で一本の木が炭へと生まれ変わっていく。</p>



<p>その営みが、障がいのある人が胸を張って生きられる場所を維持し、未来の山を支えている。近藤さんにとって炭を焼くことは、人と山の未来をつなぐ仕事なのだ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55344/">人をつなぐ炭づくり「土佐備長炭一」／高知県安芸市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>多良木町の米農家11人で作る「こめたらぎ」。「たらぎ田んぼのチカラ研究会」尾形伸一郎さん／熊本県球磨郡多良木町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 10 Oct 2026 03:41:22 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[にこまる]]></category>
		<category><![CDATA[百太郎溝]]></category>
		<category><![CDATA[たらぎ田んぼのチカラ研究会]]></category>
		<category><![CDATA[米･食味分析鑑定コンクール4年連続金賞]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[米]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4088.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>2017年に熊本県球磨郡多良木町の11軒の米農家で結成された米の生産チーム「たらぎ田んぼのチカラ研究会」。代表の尾方伸一郎さんを中心に、農家同士で協力して品質の高い統一ブランド米を育てることで、多良木町全体の農業を盛り上 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4088.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>2017年に熊本県球磨郡多良木町の11軒の米農家で結成された米の生産チーム「たらぎ田んぼのチカラ研究会」。代表の尾方伸一郎さんを中心に、農家同士で協力して品質の高い統一ブランド米を育てることで、多良木町全体の農業を盛り上げることを目指している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">先人たちの恩に報いるために誇れる米を作りたい</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4100.jpg" alt="" class="wp-image-55338" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4100.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4100-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4100-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>&#8220;奥球磨（おくくま）&#8221;と呼ばれる熊本県球磨郡（くまぐん）の山深いエリア。そこにある多良木町（たらぎまち）は鎌倉時代初期から明治時代にかけて、武士の相良氏（さがらし）によって統治されてきた。相良氏は約700年もの長きにわたる統治の間に、灌漑（かんがい）用水路の「百太郎溝（ひゃくたろうみぞ）」や「幸野溝（こうのみぞ）」を整備。これによって領内の農業生産力が向上し、九州有数の米どころとして発展したと伝わる。</p>



<p>中でも「百太郎溝」は全長約18kmにも及び、完成までに100年がかかったという難関の大工事。農民総出での手掘りの最中に何度も洪水に襲われ、最終的に人柱となった百太郎の名が付けられている。「今の恵まれた自然環境は血のにじむような苦労をしてくれた先人たちのおかげ。恩に報いるためにはこの土地で米作りを続けなければ」と話す尾方伸一郎さん。「全国に誇れるおいしい米を作りたい」との思いから、発起人となって2017年に米の生産チーム「たらぎ田んぼのチカラ研究会」を結成。熊本県球磨郡多良木町の11軒の米農家で構成される会の代表として農家を取りまとめるほか、自らも米の生産を行っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">農業を未来へつなぐには、地域全体で発展してこそ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4226.jpg" alt="" class="wp-image-55339" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4226.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4226-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4226-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>尾方さんは代々続く多良木町の農家に生まれ、一時は地元を離れて理美容関係の営業職に就いていた。だが、インターネットや通信販売の普及とともに営業の限界を感じ、2009年に帰郷。 地元の農業法人「農業組合法人 多良木のびる」の設立に参加したことで、農家の高齢化や後継者不足などの課題に直面したという。</p>



<p>そこで、同法人の職員として働きながら、「自分にできること」を模索。「個人の農業を発展させるだけでは限界がある。地域全体で発展してこそ、農業を未来へ残せるはず」と考え、「たらぎ田んぼのチカラ研究会」の発起人となった。</p>



<p>その後、「たらぎ田んぼのチカラ研究会」では2011年頃からアドバイザーとして、米･食味分析鑑定コンクールで4年連続金賞、ダイヤモンド褒賞受賞という実績を持つ山形県高畠町の米農家･遠藤五一さんを招き、その指導のもと育苗から収穫まで細かく栽培方法を検討。化学肥料を使わず、魚粉をベースとした有機肥料を用いて、科学的根拠に基づいた栽培管理を行うなど、統一の栽培方法を確立させ、会全体で徹底して遠藤さんの教えを守ることを決めた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">コンクールで何度も優勝するブランド米「こめたらぎ」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4104.jpg" alt="" class="wp-image-55340" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4104.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4104-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4104-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「たらぎ田んぼのチカラ研究会」の主力品種は「にこまる」で、たんぱく質含有量7％未満、ふるいにかけて1.9mm以上のみ選別と、出荷規格を明確に定めるなど、独自の基準をクリアしたものだけを会のブランド「こめたらぎ」として出荷している。たんぱく質の含有量が低いほど、炊き上がりはふっくらと柔らかくなり、甘みが際立つ。粒の大きさを揃えると、炊飯時の熱の入り方が均一になる。これらの厳しい基準をクリアした「こめたらぎ」の米は大粒で食べ応えがあり、粘りがありしっとりとした食感、強い旨みと甘みが特徴だ。</p>



<p>乾燥方法にもこだわりがあり、まずは熱を加えずに一晩循環させながら乾燥させ、粒の中の水分を均一化させる。それから加熱をして乾燥させることで、全体の水分量のバラつきを防いでいる。また、デザイナーとともにブランド設計にも取り組み、ロゴやパッケージデザインにも注力。米のブランド力の向上に努めてきた。</p>



<p>その成果は、九州各地の自治体が米の食味を競う「九州のお米食味コンクール」（福岡県宮若市）にも表れている。2018年の第2回大会では九州163自治体の頂点に立ち、その後も自治体部門で多良木町が連覇を重ねてきた。4連覇を含む、通算<s>で</s>5回のグランプリ。研究会のメンバーが個人総合部門で最高金賞に輝くこともあり、にこまるの品質の高さを裏づけている。ふるさと納税の返礼品としても人気を博すなど、尾方さんは「多良木町の米の認知度が少しずつ上がっているのでは」と手応えを感じている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本の米作りのモデルとなれるように</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4246.jpg" alt="" class="wp-image-55341" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4246.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4246-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4246-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「たらぎ田んぼのチカラ研究会」では、これまで規格統一のために生産者が独自の判断で統一栽培方法から逸脱することのないよう規律を設けていた。だが、近年では「にこまる」に加え、「ぴかまる」や「くまさんの輝き」といった新しい品種の栽培を認めるなど規律を緩め、会の活動の幅を広げ始めている。また、水管理にセンサーを導入したり、米の乾燥にAIによる水分管理を適用させたりと、新しい試みにも積極的だ。会の目的は「多良木町での米の生産を次の世代へ受け継ぐこと」であり、そのためには時代に合わせて変化を続けることが必要だと考えているからだ。</p>



<p>尾方さんは「会を通してたくさんの方に多良木町の米を届けていれば、15年後には“多良木町の米”が世の中で知られる存在になるはず」と信じている。成功すれば会の活動が日本の米作りのモデルとなることも可能となり、さらには“多良木町の米”の認知度が“多良木町の農産物”を広める助けとなるはず、とも。</p>



<p>「先人たちがこの土地の農業のために拓いてくれた百太郎溝。度重なる洪水で堰は幾度となく流され、完工までに約100年を要したと言います。つまり、一代でなく、何代にも亘って築かれてきた、地域の宝とも言える用水路なんです。私たちの生活は、その上に成り立っていることを忘れてはいけない」と尾方さん。多良木町という土地が持つチカラを最大限に引き出し、次世代に受け継ぐために、町の過去と未来を見つめ続けている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55332/">多良木町の米農家11人で作る「こめたらぎ」。「たらぎ田んぼのチカラ研究会」尾形伸一郎さん／熊本県球磨郡多良木町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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