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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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		<title>青森のりんご農家を支える「地方独立行政法人青森県産業技術センターりんご研究所」／青森県黒石市</title>
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		<pubDate>Mon, 20 Apr 2026 11:55:38 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/DSC_0205.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>全国でのりんご生産量が約60％を占めており、日本一のりんご王国と言われている青森県。県内では、甘さと酸味のバランスが良い「ふじ」や、果汁が多く柔らかい「つがる」などをメインに約50種類が栽培されている。りんごの収穫量を維 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/DSC_0205.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>全国でのりんご生産量が約60％を占めており、日本一のりんご王国と言われている青森県。県内では、甘さと酸味のバランスが良い「ふじ」や、果汁が多く柔らかい「つがる」などをメインに約50種類が栽培されている。りんごの収穫量を維持していくためには、病害虫対策や品種改良が不可欠となる。その研究を行うのが青森県黒石市にある「地方独立行政法人青森県産業技術センターりんご研究所」（以下、青森県産業技術センターりんご研究所）。同施設は、今や青森県のりんご農家にとってなくてはならない施設となっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">県内りんごの品質を支え、守り続ける施設</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0123.jpg" alt="" class="wp-image-54401" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0123.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0123-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0123-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>りんごの原産地は中国の天山山脈からロシアのコーカサス地方にかけてといわれている。そのりんごがギリシャやローマ、ヨーロッパ、やがてアメリカへと広がっていった。その頃、日本では明治政府が外国から様々な果樹の苗木を取り寄せ全国に配布。当時、りんごは主にアメリカやフランス、イギリスなどから輸入されており、本県に配布されたのが生食に向いたアメリカ産りんごの苗木だった。このことがきっかけとなり、青森県で、生食用りんごを主とした栽培が始まったのだ。特に県の西部に位置する黒石市や弘前市などの津軽地方は、冷涼な気候と、昼夜の寒暖差があることで糖度が高まるため、りんご栽培には適した地域となっている。</p>



<p>しかし、明治30年代から栽培が進むにつれて病害や害虫により、収穫が困難となり廃園する農家も増えてきた。そこで、病害虫の対策がしっかりと出来るように、昭和6年「西洋から渡来したりんご」という意味の「苹果（へいか）試験場」を設立。平成21年に「青森県産業技術センターりんご研究所」と名前を変え、病害虫の対策の他、新品種の開発なども行っている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">毎年一定量の収穫が出来るように、研究結果を農家と共有  </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0329.jpg" alt="" class="wp-image-54402" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0329.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0329-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0329-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>青森県産業技術センターりんご研究所は、青森県黒石市の自然豊かな環境にあり、敷地内には24.8ヘクタールの農地も保有している。「ここでは消費者の需要が高く、栽培率も高い『ふじ』『王林』『ジョナゴールド』など多種多様な（実際、数百種類のりんごを栽培しています）りんごを栽培しています。年間を通して木の状態や実の付け方、農薬の散布と虫の発生するタイミングなどの研究を行い、その結果を農家と共有することで、安定した収量を上げられるようにしています」と話すのは、所長の福田典明さん。</p>



<p>気温の変化や降水量、日照期間、積雪量を数値化し、落葉、発芽、発育状況、熟度経過、品質など細かく研究していく。「県内でも気候が違うので、地域ごとに調査しています。地道な作業ですが、とても大事な調査ですね」と話すように、細かいデータがあるからこそ、りんごの栽培方法を的確に農家に伝えることができるのだろう。</p>



<p>りんご栽培は、冬の間に日当たりを考えながら剪定を行い、春に花が咲いたタイミングで花の数を制限する。この作業をすることで、一つひとつに十分な栄養が行き渡るという。そして、秋には実に接している葉を取り、“玉回し”といって実を回転させることでまんべんなく日光を当て全体を均等に赤くする。こういった手入れを丁寧に行う事で毎年同量の収穫が出来るようになっていく。</p>



<h3 class="wp-block-heading">害虫と闘いながら農薬を減らす取り組みも</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0260.jpg" alt="" class="wp-image-54403" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0260.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0260-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0260-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「りんごは病害虫が最大の弱点で無農薬栽培は厳しいと言われています。もちろん減農薬を望む農家もいるためサポートはしていますが、温暖化などの影響でこれまで発生がみられなかった虫や病気も確認されているので、減農薬も簡単ではないですね。」と現状を話す。</p>



<p>葉に寄生して光合成を抑制してしまう「ハダニ」をはじめ、最も厄介なのが果実の中に侵入する「モモシンクイガ」だという。食害されると商品にならなくなってしまうため、農家にとって天敵だ。防除する方法として、農薬や交尾の抑制が主な対処法だが、高齢化や担い手不足により管理されず放置された状態のりんご園が増えていることで、発生源がなくならないことが現在の大きな問題となっていると福田さんは話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">これまで発生がみられなかった病気にも負けない農薬を研究し続ける</h3>



<p>害虫だけではなく、病気対策の研究も行っている。カビを発生させ亀裂や奇形を引き起こす「黒星病」への対策はもちろん、最近は温暖化の影響で、これまで青森県ではみられなかった、早期落葉や樹勢低下を招く「褐斑病（かっぱんびょう）」、果実を腐らせる病気、「炭疽病（たんそびょう）」や「輪紋病（りんもんびょう）」など暑い地域でしかみられなかった病気も出てきているという。</p>



<p>病気は気候などで変化することもあるため、常に同じ対策では農薬が効かなくなることもある。そのため、発生した病気に対しどんな農薬が効くのか、どの時期に何回散布するのが効果的かなど研究を続けていく必要があり、終わりなき闘いなのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">後継者不足の解消にも力を入れた取り組み</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0251.jpg" alt="" class="wp-image-54404" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0251.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0251-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0251-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「放任園を増やさないために、様々な取り組みもしています」と話すように、りんご研究所では、新規就農者が参入しやすいよう、農薬を散布する時期や病害虫の対策を分かりやすく明記した「りんご病害虫防除暦」を作成。これは、ベテランの農家の方からも好評で、今ではりんご農家には必要不可欠なものになっているという。</p>



<p>また一般の人にりんごをもっと身近に感じてもらい、新規就農のきっかけにもなればと、年1回「りんご研究所参観デー」を開催している。このイベントで地元も果物にも関心を持てるように、農地の一般公開や研究成果の展示、果樹栽培の相談も行っている。「少しでもりんご農家に興味を持ち、自分でもやってみたいという人が増えていけば嬉しいですね」と期待を寄せている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">味や栽培方法などをクリアし、次世代を担う品種改良にも挑戦</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0300.jpg" alt="" class="wp-image-54405" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0300.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0300-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0300-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>りんごは多くの品種があり、中でも現在は「ふじ」の売れ行きが最も良く、次いで「つがる」「ジョナゴールド」「王林」の4種類が約8割を占めているという。「この次にヒットするようなりんごを作りたい」という想いで、近年「紅はつみ」という新しい品種が開発された。味が濃くて酸味がある後味が特徴だ。</p>



<p>新しい品種ができるまでには、硬さや酸味のバランス、果汁の多さを総合的に評価しながら新品種の開発を進めていく。何年もの歳月をかけて完成した「紅はつみ」は、これからもっと生産者を増やし、消費拡大を目指して行きたいと福田さんは意気込みを見せる。栽培技術の研究や病害虫の研究、そして農家の指導など、様々なことを行っているりんご研究所。りんごの研究は緻密なものが多く、一年間で出せる成果は限られているという。しかし、その研究結果こそがりんご農家には欠かせない情報であり、次世代に繋げていくものにもなっている。現在、気候変動や病気にも強い新品種の改良が進められているので、今後どんな美味しいりんごが誕生するのか期待が高まっていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54394/">青森のりんご農家を支える「地方独立行政法人青森県産業技術センターりんご研究所」／青森県黒石市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>問いを重ね、灯りをつなぐ。「山鹿灯籠の店 なかしま」中島弘敬さん／熊本県山鹿市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 20 Apr 2026 11:42:24 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3066.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「よへほ〜、よへほ〜」。民謡・よへほ節に合わせ、約千人の女性たちが優雅に舞う「山鹿灯籠（やまがとうろう）まつり」。踊り手の頭上にゆらめく明かりの正体は、伝統工芸品である山鹿灯籠。中島弘敬さんは山鹿灯籠師の系譜を継ぐ4代目 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3066.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「よへほ〜、よへほ〜」。民謡・よへほ節に合わせ、約千人の女性たちが優雅に舞う「山鹿灯籠（やまがとうろう）まつり」。踊り手の頭上にゆらめく明かりの正体は、伝統工芸品である山鹿灯籠。中島弘敬さんは山鹿灯籠師の系譜を継ぐ4代目。伝統を礎に、時代に合わせて変化していくことも厭わない。</p>



<h2 class="wp-block-heading">踊り手の頭上にゆらめく幻想的な明かりは伝統工芸品</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3080.jpg" alt="" class="wp-image-54388" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3080.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3080-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3080-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>————骨もなけれど　肉もなし　よへほ　よへほ————</p>



<p>民謡・よへほ節に合わせ、約千人の女性たちが体をしなやかに動かして優雅に舞う「山鹿灯籠まつり」。毎年8月に開催され、例年約10万人以上が来場する、山鹿市の一大イベントだ。深い霧の中で道に迷った第12代景行天皇を、山鹿の里人たちが松明を頭上に掲げて案内したことが祭りの起源と伝わる。​​夜の闇の中、踊り手の頭上にゆらめく幻想的な明かりの正体は、伝統工芸品である山鹿灯籠の一種「金灯籠」。遠目では金属製に見えるが、実は紙製。木や金具は一切使わず、和紙と少量の糊だけで立体的に組み上げられており、重さはたったの約180グラムしかない。紙製とは思えない見た目の重厚さや豪華さを実現するためには精巧な技術を要し、「灯籠師」と呼ばれる職人が制作を担う。</p>



<p>中島弘敬さんは100年以上続く灯籠師の家系の４代目。曽祖父と祖父の代では灯籠師と時計屋を兼業していたが、父親の代から灯籠師一本となり、豊前街道沿いで灯籠専門店「山鹿灯籠の店 なかしま」を営んでいる。中島さんは灯籠師の家系の次男として生まれ、33歳までサラリーマンだった。だが、兄弟の誰一人として実家を継ぐ者がいなければ技術が途絶えてしまうと一念発起。父親の弟子となり、灯籠師の道に入って今に至る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">異業種から転職し、師匠である父のもとで技術を習得した</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2855.jpg" alt="" class="wp-image-54389" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2855.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2855-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2855-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>異業種からの転職は簡単ではなかった。幼い頃から父親の制作の様子を間近に見ており、転職前から修行はしていたものの、伝統工芸士の技術はそうやすやすと習得できるものではない。山鹿灯籠の制作は細かい作業の連続で、指先は痛み、目は疲れ、肩は凝る。並大抵ではない集中力と根気が必要だ。しかも、師匠である父親からは容赦なくダメ出しを受ける。「だけど、今思えば息子だからといって甘やかすことなく、一人の弟子として扱ってくれた父に感謝しています」と中島さんは言う。灯籠師を名乗るには、約10年の修行を積み、他の灯籠師たちから技術を認められる必要がある。中島さんが認定を受けたのは2017年、40代になってからのことだった。</p>



<p>山鹿灯籠には前述の金灯籠を筆頭に、神殿や楼門、五重塔といった神社仏閣建築を題材とする「宮造り」、伝統的な日本家屋を模した「座敷造り」など、伝統的な様式がある。加えて、灯籠師自身が編み出した作品も多く、多彩で、種類が豊富だ。これらは主に、後述する「奉納灯籠」に用いられ、灯りをつけない仕様のものもある。ほか、地元の家庭では初盆の提灯代わりに飾られることも多く、家紋入りのオーダーメイドにも対応する。</p>



<p>山鹿灯籠の条件は「手漉き和紙と糊のみを使用すること」「灯籠の主な部材は空洞とすること」「曲線部分にのりしろを作らないこと」の3つ。だから、勧進帳の弁慶や電車、戦艦などが作られた例もあり、自由で多様だ。その中でも金灯籠が注視されるのは、山鹿灯籠まつりのシンボルというだけでなく、灯籠師の登竜門的様式だからだろう。灯籠師に必要とされる技術が集約されており、金灯籠を完成させてこそ、認定の第一歩とされている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">地域社会の営みに深く根差した伝統工芸</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2944.jpg" alt="" class="wp-image-54390" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2944.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2944-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2944-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>金灯籠の制作は、ミリ単位での作業が延々と続く。図面を写した厚手の和紙をカットし、組み立てる。言葉にするとたったこれだけだが、内部が空洞で骨組みがないため、和紙の貼り合わせのみで形を保ち、強度を担保しなければならない。だから山鹿灯籠は「骨なし灯籠」との異名を持つ。これが冒頭の民謡で「骨もなけれど　肉もなし」と唄われる所以である。</p>



<p>骨も肉もないから、和紙の貼り合わせがわずかにずれるだけで、崩れる。そして、ぴったりと貼り合わせるためには、和紙を寸分の狂いもなくカットしてあることが前提だ。金灯籠はおよそ200のパーツから成り、準備から完成まで3日ほどかかる。「山鹿灯籠を制作するには、集中力を欠くことなくやり遂げる根気が必要」との中島さんの言葉に、改めて頷く。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3093.jpg" alt="" class="wp-image-54391" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3093.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3093-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3093-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>こうして作られた灯籠は踊り手の頭上に載せられるほか、奉納灯籠にも用いられる。奉納灯籠とは、祭りのために町内会などの団体ごとに灯籠師に依頼して作る灯籠のことで、祭り期間の展示を終えると地元の「大宮神社」に奉納することからこの名が付いた。形状などに規定はなく、モチーフは団体と灯籠師の相談で決まる。毎年27〜28基が作られ、奉納後は神社内にある「燈籠殿」で保管・展示。1年後の8月に新しい灯籠と入れ替えられる。「毎年のことですが、依頼主から喜んでもらえることが本当に嬉しい。頑張ってよかった、と報われる瞬間です」と中島さんは言う。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統を未来につなぐためには“問い”が必要</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2841.jpg" alt="" class="wp-image-54392" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2841.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2841-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2841-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>山鹿灯籠は約2000年前、第12代景行天皇が筑紫路巡幸の際に深い霧に進路を阻まれた際、山鹿の人々が松明（たいまつ）で案内したことが発端と伝わる。その後、人々は景行天皇を祀る大宮神社に松明を奉納し続け、室町時代に松明が山鹿灯籠へと変わったという。そして、江戸時代には町の有力者たちが奉納灯籠の豪華さを競い合うようになり、山鹿灯籠の文化が花開いたというわけだ。</p>



<p>現在、現役の灯籠師は全体で7名。うち5名が女性で、2名が男性、50〜60代が中心だ。認定を目指す見習いは3名いる。灯籠師の数はここ数十年横ばい状態だが、見習いは全員が20代で、中島さんは「山鹿灯籠の未来は決して楽観できる状況ではないが、悲観するほどでもない」と考えている。ただし、伝統を未来につなぐためには“問い”が必要、とも。</p>



<p>「祭だけでなく、伝統工芸品として購入し、日常的に使ってもらえるシーンを増やしたい。使用環境が限られていては、先細りしていくだけだ。そのためにはどんなものが売れるのか、消費者に山鹿灯籠を身近に感じてもらうためにはどうしたらいいのか……」。</p>



<p>中島さんは、常に問いを抱くことで、新しいものを世に出していこうとしている。「時代の変化やニーズに合わせて少しずつアップデートしていくことで、守れる伝統もあるはずです」。問いを抱きながら灯籠を作り続けること。その積み重ねが、山鹿の灯りを次の時代へとつないでいく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54382/">問いを重ね、灯りをつなぐ。「山鹿灯籠の店 なかしま」中島弘敬さん／熊本県山鹿市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>福島が誇るモモを自然由来の土づくりで大切に育む樅山果樹園の樅山 和宏さん･智美さん／福島県福島市</title>
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		<pubDate>Mon, 20 Apr 2026 11:30:18 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[さくら白桃]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8232.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福島市飯坂町で、さくらんぼ、桃、りんごを生産している「樅山（もみやま）果樹園」。明治30年代から続く老舗果樹園の５代目･樅山和宏さんは、自然由来の土づくりにこだわるなど、飽くなき探求心と日々の研究を重ね、より良い果物を作 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8232.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福島市飯坂町で、さくらんぼ、桃、りんごを生産している「樅山（もみやま）果樹園」。明治30年代から続く老舗果樹園の５代目･樅山和宏さんは、自然由来の土づくりにこだわるなど、飽くなき探求心と日々の研究を重ね、より良い果物を作り続けている。奥様の智美さんは果樹園から届く新鮮な果物やオリジナル加工品を販売する直売所兼カフェを運営し、福島が誇るフルーツの魅力を発信。「自分たちが育てたモモやリンゴを『美味しい』と食べてもらえるのが一番うれしいです」と微笑むご夫妻の思いはひとつだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">明治時代から受け継がれてきた果樹園と家族の絆</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8241.jpg" alt="" class="wp-image-54375" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8241.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8241-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8241-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>春のイチゴ、初夏のサクランボ、夏のモモ、秋のナシやブドウ、初冬のリンゴなど、四季を通して上質なフルーツを堪能できる福島市。吾妻連峰と阿武隈高地に囲まれた盆地にあり、寒地系と暖地系、両方のフルーツを作ることができる恵まれた気候のもと、品種改良や技術革新を重ね、多種多様な果実が実る。</p>



<p>そんな果樹園が並ぶ、通称･フルーツライン沿いにあるのが樅山果樹園の直売所兼カフェ「よつ葉のクローバー FARMERS GARDEN」。のどかな風景に優しく溶け込む真っ白い建物が印象的だ。</p>



<p>明治30年代から100年以上続く老舗果樹園の樅山果樹園は、数十件の果樹園が点在する福島市飯坂町で、「さくらんぼ」「桃」「りんご」を栽培し、父であり、4代目の和一郎さんは農林水産大臣賞も受賞している。「子どもの頃から『農業はいいぞ』と父から繰り返し聞いて育ったので、家業を継ぐことに何の迷いもなかったです」と笑顔で話す和宏さん。大学卒業後、福島県農業総合センター果樹研究所の研修生として1年間学び、23歳で家業を継いだ、</p>



<h2 class="wp-block-heading">盆地特有の寒暖差が育む極上フルーツ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8379.jpg" alt="" class="wp-image-54376" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8379.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8379-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8379-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>自他ともに認める「フルーツ王国･ふくしま」。福島のモモは太陽の光をたっぷり浴びた真っ赤な見た目と糖度の高さが特徴。昼夜の寒暖差が大きいため、果実に糖分がしっかり蓄積され、甘みの強い桃が育ちやすい。生産量は全国2位だが、モモの消費量は断トツの全国1位。なんと全国平均の約7倍以上のモモを福島県民は食べているという。</p>



<p>福島市では6月下旬から9月下旬にかけて多品種のモモが作られており、樅山果樹園でも十数種類のモモを順番に育てている。早稲（わせ）の「はつひめ」から始まり、「暁星（ぎょうせい）」「あかつき」「まどか」、晩生（おくて）の「ゆうぞら」「さくら白桃」まで多彩なモモの栽培のリレーで旬の美味しさを届ける。</p>



<h3 class="wp-block-heading">福島の代表的なモモ「あかつき」</h3>



<p>かつて「あかつき」は試験栽培中にある1点の欠点を克服することができずに栽培を断念する県が続出する中、福島県だけがあきらめずに栽培を続け、見事その欠点を克服。今では福島のモモを代表する全国区の品種となった。</p>



<p>「福島の人が根気よく作り続けてきた結果、今の大きさになり、福島と言えば『あかつき』と好評です」と微笑む和宏さん。色づきが良くジューシーで、甘味と酸味のバランスが抜群な「あかつき」はお中元や贈り物としても人気を集め、毎年、お盆の前〈7月下旬～8月上旬〉の収穫を目指している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ミネラルたっぷり。自然由来の土づくり</h3>



<p>父の和一郎さんとともに、パートさんたちの手を借りながら愛情を込めて果実の手入れをしている和宏さんは、「作業の妥協はしないことを信念しています」と穏やかに話す。自然由来の土づくりにも力を入れており、ミネラル豊富な三陸産の牡蠣殻をくだいたものを土に撒き、微生物の力を引き出しながら自然に優しい取り組みをしている。</p>



<p>春の作業は花の前の蕾（つぼみ）の時点で数を減らす「摘蕾（てきらい）」から始まり、100％から30％位まで蕾を落としていく。その後は実が小さいうちに不要な実を取り除く「摘果」を行う。幼いうちに摘み取る摘果は品質の良い果実を得るためには欠かさない作業の一つだ。さらに、冬の剪定による健康な木づくりも大事にしている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">多彩なモモのリレーで旬の美味しさを届ける</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8336.jpg" alt="" class="wp-image-54377" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8336.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8336-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8336-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>果樹園で果実に袋（スカート）をかぶせているものを見かけることがある。これは、晴天続きで土壌が過乾燥した状態で急に多量の雨が降った時に果実が割れてしまうような「雨焼け」から守るために１つずつ手作業でかけていくもので、色づく頃には袋（スカート）を外して太陽の光をあてて色づけをする。雨焼けとは、まんべんなく光があたらないと全面が赤くならないため、下には光を反射するシートが敷かれている。「葉っぱのある部分は特に色づきにくいので、時々葉っぱを半分に切ってあげると2日後ぐらいには色付いてきます」と教えてくれた。</p>



<p>モモは先端から赤くなってきて、1品種が10日から2週間ぐらいで食べ頃になる。</p>



<p>はっきりと赤い色のほうが、より甘くて美味しいのだそう。その作業を順番に行い、多品種のモモ栽培のリレーが完結する。旬に収穫される様々な品種のモモを味わいながら食べ比べを楽しむのも醍醐味だ。</p>



<p>「私のおすすめは、『ゆうぞら』。他品種に比べて、自然に落ちてしまう生理落下が多いので栽培は難しいのですが、果肉が緻密で果汁が多くてなめらかなのでとても美味しいです」と和宏さん。硬めのモモが好きな人にもおすすめだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">美味しいフルーツを作り、農業を未来へつなぐ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8326.jpg" alt="" class="wp-image-54378" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8326.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8326-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8326-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>和宏さんの目下の課題は、今後を見据えた果樹栽培への挑戦と、果樹園で働いてくださる方の高齢化による人手不足。「収穫時期の見極めなどは豊富な経験が重視されるため、父に手伝ってもらう以外は私が収穫をしています」。長年の経験と熟練の技が必要とされる果樹園のIOT化の難しさを実感している。</p>



<p>「今後は少し栽培面積を減らし、それぞれの個体に集中したいという気持ちがあります。同時に産地を守りたいという強い思いもあり、まわりの方が高齢でやめていく中で放棄地を作りたくないという葛藤もあります」と現在の思いを正直に語ってくれた。</p>



<p>近年は異常気象が続いているが、「自然の厳しさの中で日々努力をし、美味しいフルーツを作り上げることが果樹栽培のおもしろさであり、プロの果樹園としての誇りです」と話す和宏さん。研究を重ね、より良いフルーツを作ることに尽力しながら福島の農業の発展と継続も考慮している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">採れたての果実を絶品スイーツや加工品に</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8325.jpg" alt="" class="wp-image-54379" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8325.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8325-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8325-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「和宏さんが愛情を込めて育てた美味しいフルーツをたくさんの人に届けたい」という思いで、奥様の智美さんは2019年11月に直売所兼カフェ「よつ葉のクローバー FARMERS GARDEN」をオープン。観光果樹園が並ぶ県道「フルーツライン」沿いにあり、フルーツの収穫時期のみ営業しているが毎年県内外からたくさんの人が訪れる。</p>



<p>「私の実家も果樹農家でフルーツを栽培していましたが、朝早くから夜遅くまで働いていても購入したお客様の声を直接聞くことがなかったので、いつか直売所をやりたいと思っていました」と微笑む智美さん。念願を叶えた直売所では。和宏さんが丹精込めて育てた旬のサクランボ、モモ、リンゴを販売するほか、フルーツのうまみを生かしたジャムやジュースなどの手作りの加工品も販売している。併設するカフェスペースでは採れたてフルーツを贅沢に使ったスイーツが人気を集める。見た目も愛らしく、インパクトのある「贅沢！朝採りまるごと桃のパフェ」も大好評。晴れた日はテラス席で、周囲に広がる山々の景色を愛でながらスイーツやドリンクを楽しむことができる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">子どもたちや若い世代に福島のフルーツの魅力を伝えたい</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8252.jpg" alt="" class="wp-image-54380" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8252.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8252-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8252-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ちょっと傷のあるものや形が小さいものなど、B級品を直接販売することができるのも直売所ならでは。「お客様からも好評で、リピートしてくださった際には同じ果実で作ったジャムなどもお土産に購入していただいています」と話す智美さん。念願だった直売所とカフェをオープンして6年。「和宏さんが作る美味しいモモを多くの人に伝えられる喜びと、わが家の子どもたちに福島の農業やモモの魅力を伝えられている喜びがあります」と笑顔があふれる。「カフェを通して、若い世代が福島のフルーツや農業に興味を持ってくれるのもうれしいです」と和宏さんにも笑顔があふれる。</p>



<p>お客様からの「美味しかった」という声をエネルギーに、二人三脚で福島のフルーツの魅力を発信する樅山さんご夫妻。先祖から受け継いだ大切な果樹園をプライドを持って守り続けていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54367/">福島が誇るモモを自然由来の土づくりで大切に育む樅山果樹園の樅山 和宏さん･智美さん／福島県福島市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>約400年の歴史と伝統にアイデンティティーを。「小代焼ふもと窯」井上尚之さん／熊本県荒尾市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54356/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 20 Apr 2026 11:20:59 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
		<category><![CDATA[登り窯]]></category>
		<category><![CDATA[小代焼]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2110.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>言うならばサラブレッド。小代焼の大家とされる井上泰秋さんを父に持ち、約400年の歴史がある小代焼の中でも最大級の6基の登り窯を有する「ふもと窯」に生まれた井上尚之さん。その恵まれた環境は、誇りであると同時に、常に比較と評 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2110.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>言うならばサラブレッド。小代焼の大家とされる井上泰秋さんを父に持ち、約400年の歴史がある小代焼の中でも最大級の6基の登り窯を有する「ふもと窯」に生まれた井上尚之さん。その恵まれた環境は、誇りであると同時に、常に比較と評価にさらされる場所でもあった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自分のやりたいことは、本当に陶芸なのか</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1908.jpg" alt="" class="wp-image-54362" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1908.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1908-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1908-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>パチパチと薪がはぜる音がする。登り窯の斜面を駆け上がるようにして燃え広がり、焼き物に命を吹き込む炎の様子に、約400年もの間脈々と受け継がれてきた小代焼の歩みが重なる。</p>



<p>九州を代表する陶器の一つ、小代焼。1632年に細川忠利が陶工を伴い、熊本県北西部にある小岱山（しょうだいさん）のふもとに窯を開いたことが起源とされる。鉄分や小石粒を多く含む小代粘土を用いた素朴で力強い肌合いと、藁灰釉や木灰釉といった地元の自然から作られた釉薬を流しかける大胆なデザインが特徴で、シンプルながら奥の深さを感じさせる佇まいに魅力がある。2003年には国の伝統的工芸品に指定され、現在は荒尾市と玉名郡南関町を中心に11の窯元が残る。</p>



<p>中でも荒尾市府本にある「小代焼ふもと窯」は、現存する小代焼の窯では最大級の6基の登り窯を有し、多くの弟子を輩出してきた名窯だ。初代の井上泰秋さんは日本民藝館展の最高賞受賞をはじめ数々の作品展で入賞し、熊本の伝統工芸の発展に欠かせない存在として知られる。</p>



<p>1975年に泰秋さんの長男として生まれた井上尚之さんは、約400年の歴史と伝統の中に自身のアイデンティティーを取り入れ、イギリスの古い焼きものからヒントを得た​​独自の「スリップウェア」（器の表面をスリップと呼ばれる化粧土で装飾した陶器）が評判の人気作家だ。幼少期は欠けた陶器をままごとセット代わりにして遊び、将来は焼き物をすると当然のように思っていたが、高校時代にふと足を止める。自分のやりたいことは本当に陶芸なのか。迷いながら地元のデザイン専門学校に進学するも、答えは見えない。尚之さんは当時を振り返り「はっきり言って、ふらふらしていましたね」と、眉を下げて笑う。</p>



<h3 class="wp-block-heading">伝統的な小代焼とスリップウェアの融合</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2148.jpg" alt="" class="wp-image-54363" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2148.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2148-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2148-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>尚之さんは旅に出た。東京、栃木、沖縄と、泰秋さんの知人を訪ね、各地で焼き物やその現場を見せてもらうがピンとこない。だがなぜか、小石原だけが違った。小石原焼を代表する「太田哲三窯元」を見て、自然と「ここで勉強したい」と思えたのだという。その後、代表の太田哲三さんのもとで4年の修行期間を経て、実家であるふもと窯へ。はるか前を歩く兄弟子たちの姿に焦りを感じながら修行を重ね、ようやくろくろの前に座ることができたとき、尚之さんは途方に暮れた。いざ作れる状況に立ってみたら、自分が作りたいものが見えなかった。</p>



<p>そこでヒントとなったのが、太田さんのもとで学んだ技法の一つ「ポン描き」。釉薬を専用の容器から器の表面に流し出すことで線や模様を描く装飾技法だ。尚之さんはこの「ポン描き」に、イギリスに伝わる化粧土で装飾された陶器「スリップウェア」と近いものを感じ、古いスリップウェアや関連書物から“自分が作りたいもの”を探った。そして、小代焼とスリップウェアを融合させた独自のスタイルに辿り着いた。約400年の歴史と伝統にアイデンティティーを見出したのだった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">土地の素材と普遍の意匠から生まれるもの</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1822.jpg" alt="" class="wp-image-54364" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1822.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1822-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1822-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>尚之さんの作品は自ら採掘した小代粘土を用いる。釉薬となる灰には木や藁、焼成の燃料には松薪と、伝統的な小代焼と同様に地元の自然のものを使用。成形した粘土が乾ききらないうちに水で溶かした粘土を掛け流し、さらにその上にスポイトのような道具から水で溶かした別の色の粘土を垂れ流して模様を描く。</p>



<p>デザインは、イギリスの古い文献から選んだ普遍的な柄をベースに、独自に解釈して再構築している。「普遍的なものは人々から飽きられなかったからこそ今に伝わる」との考えからだ。波線やクロス、リボンのように見えるものまでバリエーションは多様。その伸びやかで躍動的な線からは、尚之さんの大らかで飄々とした人柄が感じられる。</p>



<p>現在でこそ多くの消費者から支持を得ている尚之さんの作風だが、作り始めた当時は「伝統的な小代焼ではない」と風当たりが強かったという。しかし、さる恩人から「十人中九人が敵でも一人は味方がいる。私は君の味方だ」との言葉をかけられたことが、尚之さんの心の支えとなり、今に繋がっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">土と炎に問い続けるものづくりの姿勢</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1757.jpg" alt="" class="wp-image-54365" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1757.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1757-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_1757-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>尚之さんは、作品の焼成に6袋の登り窯を使う。今から約50年前、1977年に泰秋さんが完成させたものだ。数日間にわたって薪を投入し続けながら温度管理をする登り窯はガス窯に比べるとコントロールが難しく、「一生かかっても分からない」「窯の調子が作品の良し悪しを決める」といわれるほど。温度や酸素量など窯の内部の状態が均一にはならないために割れや歪みなどの不良も出やすく、「小代焼ふもと窯」の場合、製品化率は6割ほどに留まる。それでも薪から出る灰と炎の力が織りなす人智を超えた美に魅了される陶芸家は少なくない。一方、尚之さんは「登り窯を作品の良さの理由にも、言い訳にもしたくない」ときっぱり。何で焼くかは重要ではなく、できた作品の品質そのものを評価されるべきだと考えているからだ。</p>



<p>窯は使用を重ねるほどに内部が傷む。「小代焼ふもと窯」では耐用回数といわれる100回はとうに超えており、部分的な修理を繰り返しながら使い続けている。尚之さんは「登り窯にこだわりはないし、使えなくなったとしても対策は考えてあるから問題ない」とあっけらかんとしているが、「登り窯にしかない面白さはある」と、その魅力を認めてもいる。</p>



<p>長い迷いと葛藤を経て、歴史と伝統の中に自らの居場所を見つけた尚之さん。今、その隣には、鳥取県「岩井窯」での修行を終え、「小代焼ふもと窯」の三代目として2024年に実家へ戻った息子の亮我さんの姿がある。小代焼の伝統そのものだけでなく、土と炎に問い続けるものづくりの姿勢も、また次の世代へと受け継がれようとしている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54356/">約400年の歴史と伝統にアイデンティティーを。「小代焼ふもと窯」井上尚之さん／熊本県荒尾市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>沖縄でしか味わえない特別なコーヒー「豆ポレポレ」／沖縄県沖縄市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54345/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 20 Apr 2026 11:09:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[スペシャルティコーヒー]]></category>
		<category><![CDATA[ジャパン コーヒー ロースティング チャンピオンシップ優勝]]></category>
		<category><![CDATA[ワールドコーヒーロースティングチャンピオンシップ2位]]></category>
		<category><![CDATA[バリスタ]]></category>
		<category><![CDATA[焙煎]]></category>
		<category><![CDATA[アカチチ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-040.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>歴史的にアメリカ文化の影響を受け、昔からコーヒーが親しまれてきた沖縄。そんな沖縄の「コーヒー豆」の物語もまた、新たな沖縄を知る体験のひとつだ。夜明けをむかえた沖縄産コーヒーの魅力を、「豆ポレポレ」のオーナーで焙煎士の仲村 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-040.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>歴史的にアメリカ文化の影響を受け、昔からコーヒーが親しまれてきた沖縄。そんな沖縄の「コーヒー豆」の物語もまた、新たな沖縄を知る体験のひとつだ。夜明けをむかえた沖縄産コーヒーの魅力を、「豆ポレポレ」のオーナーで焙煎士の仲村良行さんが教えてくれた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">コザ、そして高原へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/8f5a6a66aed097dda2110af08cfb59a5-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-54351" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/8f5a6a66aed097dda2110af08cfb59a5-1024x683.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/8f5a6a66aed097dda2110af08cfb59a5-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/8f5a6a66aed097dda2110af08cfb59a5-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/8f5a6a66aed097dda2110af08cfb59a5.jpg 1170w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>「コーヒーは苦いだけでなく、チョコレートぽかったり、フルーティだったり、多種多様で面白い世界です」と話す仲村さん。沖縄県中部に位置する沖縄市に2010年に店舗を出して以降、新しい焙煎機を迎えるにあたり一度移転し、2024年には店舗の老朽化に伴い、同市内の高原地区に新店舗を構えた。</p>



<p>コザにあった旧店舗は、1950年代に建てられた沖縄ではじめて洋食を出したニューヨークレストランの跡地。その趣を活かし、見る人に歴史を感じさせてくれる、そんなデザインだった。あえて残したままの当時の看板や青さび、店内の奥に鎮座する焙煎機、思わず丁寧に呼吸したくなる店内に棲みつく香り。仲村さん自身、古いものと新しいもののバランスが心地よく、沖縄とアメリカの文化が混じり合った当時のままの雰囲気が味わえる空間を大変気に入っていた。もちろん、高原の新店舗にもそのテイストは引き継がれている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">鍛錬の先で世界で認められた、焙煎の腕</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-049.jpg" alt="" class="wp-image-54352" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-049.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-049-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-049-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>仲村さんは、大学の卒業旅行の際に出会ったベトナムコーヒーに衝撃を受け、帰国後バリスタとしての経験を積んだ。何かを始めたら極めるタイプの仲村さんは、独学で試行錯誤を繰り返す。沖縄県内では学べない焙煎技術を求め、日本全国に足を運んだ。そんな鍛錬の中で挑戦し始めたのが、「ジャパン コーヒー ロースティング チャンピオンシップ」（JCRC）だ。2017年に行われたJCRCで優勝、その後2019年イタリアで行われたWCRC（ワールドコーヒーロースティングチャンピオンシップ）に日本代表として出場し、初出場にして世界第2位に輝いた。</p>



<p>仲村さんは焙煎士として、飲みくちが綺麗であること、そして余韻の甘さを意識しているという。「浅煎りにしても深煎りにしても、あとくちが甘さで終わるように気をつかっています。」と語る。そんな仲村さんの豆を求め、今では日本全国から通う人もいる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">個性を引き出す、コーヒー豆との対話</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-030.jpg" alt="" class="wp-image-54353" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-030.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-030-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-030-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>コーヒーは嗜好品だ。人それぞれに好きなテイストがあり、飲む環境や時間によっても味わいの感じ方は変わる。仲村さんは焙煎士として品質を追い求めながら、そんな正解のない世界で、豆と対話し、そのポテンシャルや個性を引き出していく。</p>



<p>同じ農園の同じ品種であっても、収穫後のプロセス（工程）が違えば、それはまるで別の豆へと姿を変えるのだそう。例えば、果実のまま天日干しするとベリーのような濃厚な甘みとコクが宿り、水洗いで果肉を落とすとクリーンで澄んだ酸味が際立つ。</p>



<p>また、近年注目される発酵の工程も、味を左右する。酸素を遮断して微生物を活性化させることで、従来のコーヒーにはなかったワインやスパイスを思わせる複雑な芳香が引き出される。こうした無数の可変要素をコントロールし、一杯の物語を編み上げていくのが、コーヒーの面白さだと仲村さんは言う。</p>



<p>「コーヒー豆も、僕たち人間と同じでみんな同じじゃない。育った環境で個性が変わります。」と仲村さん。</p>



<p>焙煎の火の入れ方も、豆によって時間が違う。大きさ、硬さなど豆の状態を見極め、キャラクターを探りながらどのように仕上げていこうかイメージし、火の入れ方を決めていくのだという。豆の個性により、深煎りか浅煎りかだけでなく、飲み方まで変わってくる。ボディが強ければミルクに負けないカプチーノに、という具合だ。</p>



<p>収穫したコーヒーチェリー（コーヒーの果実）から、種子（コーヒー豆になる部分）を取り出し乾燥をさせる「精製」の工程に、栽培する農家さんのこだわりがある。そして、飲んだ時感じる風味や酸などのテイストは、その豆が育った土地の味がベースにある。豆との対話を大切にする仲村さんだからこそ、その豆がどこで生まれ、どのような環境で育ってきたのかを確認し、豆の水分値や発酵具合を確認する。</p>



<p>水分が抜けていくと音が変わってくる。<br>「豆ポレポレ」の豆は、そんなバトンリレーを経て、こだわりのドイツ製の焙煎機の中で熱を伝えられていく。</p>



<h2 class="wp-block-heading">世界に認められた沖縄のスペシャリティコーヒー</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-034.jpg" alt="" class="wp-image-54354" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-034.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-034-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-034-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そんな仲村さんに驚きを与えてくれるのが、日本ではじめてスペシャルティコーヒーの認証をとった沖縄県北部、やんばるの森にあるコーヒー農園ADAファームさんのコーヒー豆、『アカチチ』。</p>



<p>『アカチチ』は沖縄の言葉で夜明けを意味する「あかつき」が由来。これが流行りで終わらず、未来に繋がる夜明けになってほしいという思いを込め仲村さんが命名した。</p>



<p>品質のよいコーヒー豆の持つ酸の強さ、フルーツのようなテイストは、寒暖の差が生み出す。豆をぎゅっと硬くし、糖分を閉じ込め、コーヒー豆を甘くする。まさに、コーヒーも果実なのだ。しかし、沖縄は標高が低く寒暖の差が小さい。コーヒー豆を栽培する環境として恵まれているとは言えず、スペシャルティコーヒーの栽培は難しいと言われていた。では、なぜアカチチは沖縄で育ちスペシャルティコーヒーに認証されたのか。そこには、豆一粒ひと粒の完熟度にこだわるADAファーム徳田さんのこだわりと情熱がある。</p>



<p>「消費者が飲む一杯のコーヒーが、素晴らしい風味を持ち、満足できる美味しさであること」<br>日本スペシャルティコーヒー協会（SCAJ）が定義するスペシャルコーヒーの真髄は、豆の品質のみならず、生産から抽出に至る徹底した管理と持続可能性にある。その理想を体現するのが、やんばるの深い森に抱かれた「ADAファーム」の豆。 そして、生産者の想いと森の息吹を、最高の状態で私たちに繋ぐ「豆ポレポレ」の焙煎。沖縄の森で育ち、世界で認められた豆を、この島を愛する人が焙煎し、個性を引き出す。そして、それをこの土地の水を使って丁寧にドリップする。ふたりのこだわりが重なり合い、最高に贅沢な「満足できる美味しさ」が生まれる。</p>



<p>「この土地でしか作れない、世界を驚かせる一杯」を届けるために、彼らは今日も森とともに歩み、一粒の豆にその情熱を注ぎ込んでいる。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54345/">沖縄でしか味わえない特別なコーヒー「豆ポレポレ」／沖縄県沖縄市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>目指すのは瀬戸内の風土と空気を感じさせるワイン。「大三島みんなのワイナリー」／愛媛県今治市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 10 Apr 2026 10:51:13 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[ワイナリー]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[伊東豊雄]]></category>
		<category><![CDATA[ドメーヌ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_055.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>愛媛県の大三島に単身移住し、自らぶどうを栽培してワイン造りを行なっている「大三島みんなのワイナリー」の川田佑輔さん。北から南まで全国のワイナリーを巡ってワインの勉強をしてきた川田さんが大三島で造りたいのは、島の魅力を表現 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_055.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>愛媛県の大三島に単身移住し、自らぶどうを栽培してワイン造りを行なっている「大三島みんなのワイナリー」の川田佑輔さん。北から南まで全国のワイナリーを巡ってワインの勉強をしてきた川田さんが大三島で造りたいのは、島の魅力を表現する味わいのワインだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>​​</strong>ワイン産地としてのポテンシャルを感じて大三島に移住</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_001.jpg" alt="" class="wp-image-54342" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_001.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_001-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_001-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ワイン造りに興味があって日本ワインの一大産地である山梨県の大学に進学し、在学中に全国の著名なワイナリーを回って研修を重ねてきたという川田さん。大学卒業間際に建築家の伊東豊雄氏が立ち上げた「大三島を元気にするプロジェクト」に関わる機会があったことがきっかけとなり、大三島でのワイン造りに関心を持ったそう。</p>



<p>伊東氏は国内外で数多くの建築賞を受賞し、世界的な評価を受ける一方で、建築の枠を超えて地域再生にも積極的に取り組んできた人物。島の風景や資源を生かし、新たな産業や人の流れを生み出そうとするその構想が、川田さんの心を動かした。</p>



<p>ワイン造りをする上で良質なぶどうが採れるということは必要不可欠な条件だ。川田さんは大三島の気候が日本一のワイン産地である山梨県勝沼とよく似ていることに気が付き、この土地なら良いぶどうができるに違いないと、伊東氏らとワイン造りに取り組むことを決意したという。</p>



<p>「瀬戸内の風景は本当に素晴らしい。僕が生まれ育った静岡にも良く似ていて、海が近くて気持ちが良くて、住んでいる人もやさしい。ここでぶどうを育ててワインを造ってみたいと思ったんです」。川田さんは2015年に単身で大三島に移住してきて、島の課題にもなっていた耕作放棄地を借りて苗木を植え、ぶどうの栽培を開始した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">試行錯誤の連続は困難でもあるが面白くもある</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_009-1.jpg" alt="" class="wp-image-54335" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_009-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_009-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_009-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ワインへの造詣は深くとも、ぶどう栽培は川田さんにとって初挑戦。まずは土地を詳しく知る地元の農家さんに情報をもらって、ぶどう栽培に適した良質な畑を選ぶところから始まった。「大三島の土質は花崗岩が風化してできた真砂土で、水はけが良くてぶどう栽培には適しています。しかし一方で水持ちが悪いという面もあるのでそこは考えなきゃいけない。土中の微生物を活性化させるために堆肥を入れるとか、地元の農家さんにもいろいろ教えてもらいながらやっています」という川田さん。肥料も地元のものにこだわっているのは、土地の味わいを大切にしたいという思いがあるからこそ。ぶどう棚に使う資材も地元の造船所に協力してもらって手作りするなど、この土地にこだわったぶどう栽培を大切にしている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_008.jpg" alt="" class="wp-image-54336" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_008.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_008-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_008-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>栽培するぶどうの品種は人気の高いシャルドネを始め、日本で最初に開発されたマスカットベリーA、瀬戸内に気候が似ているスペインやポルトガルの海に近い場所を原産地とするアルバリーニョなど、さまざまな品種のぶどうが栽培されている。「シャルドネを選んだのは日本全国で栽培されているので、土地の個性がわかりやすいのかなと思って。甲州も有名な品種ですが、名前に縛られてしまう気がして今のところ作っていません。病気に強くて収量のあるもの、島に合う品種を探して色々試していますけど、答えが出るまでにはかなり時間がかかりますね」という。栽培方法も品種選びも常に試行錯誤の繰り返しだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">海辺の小さな醸造所から生まれる島育ちのワインたち</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_029-1.jpg" alt="" class="wp-image-54338" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_029-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_029-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_029-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2015年に植えたぶどうの苗木は2016年に初めての実を付けたが、残念なことに全てイノシシに食べられてしまい、翌2017年が待望の初収穫となる。収穫したぶどうは県外のワイナリーで醸造してもらい、記念すべき大三島初のワインが誕生した。さらに2019年には昔の小学校を改装した宿泊施設「大三島憩の家」の敷地内に醸造所を開設。名実ともに100％大三島産のワイン造りが可能になった。</p>



<p>設計上さまざまな制限があるなかで、醸造所には川田さんが今まで学んできたことを注ぎ込み、できる限りのこだわりを実現した。高低差を利用してタンクや熟成容器に原材料を移動させるグラビティ・フローシステムもそのひとつだ。ポンプを使うより負担が少ないため、ぶどう本来の味を引き出せるのだという。タンクもホーロー、樹脂、コンクリートなど、それぞれメリット・デメリットを吟味した上で、最終的にスロベニア製のオーダーステンレスタンクを採用した。フレンチオークの樽も5年物と3年物を導入。新しい樽は木の香りが強く出る一方、使い込むほどに香味は穏やかになり、ワインとの調和が深まっていく。年数ごとの個性を見極めながら使い分けるのも、川田さんのこだわりのひとつだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">まずはより多くの人に受け入れてもらえるワインを</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_027.jpg" alt="" class="wp-image-54339" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_027.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_027-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_027-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川田さんが目指しているのは“日本らしい”ワインだ。「欧米の基準に並ぶことを目指すよりも、日本で育てられたぶどうで、日本の風土の中から生まれる味わいを大切にしたい。そこから生まれる“日本らしいワイン”にも、確かな価値があると思っています。かつては“水のようだ”とも言われた軽やかさは、裏を返せば、どんな料理にも寄り添える柔らかさでもある。肩肘張らず、食卓の中で生きる。それが、日本らしいワインなのではと感じています。」と話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ぶどうとワインと共にある大三島での心地よい暮らし</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_035.jpg" alt="" class="wp-image-54340" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_035.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_035-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_035-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川田さんが大三島に移住してきて10年。ぶどう栽培やワイン造りにおける変化も大きいが、川田さん自身にとってもいろいろなことがめまぐるしく変わった10年間だったという。</p>



<p>「単身で大三島に来ていたのが、奥さんと出会って結婚して子どもが生まれた。ぶどうの栽培とワイン造りに来ていたのが “ここで暮らす”に生きる意味が変わった10年でした。インフラ面などで不便を感じることは少しあっても、毎日が充実していて、心から大三島での生活に満足しています」という。</p>



<p>現在の島民は約5,000人。もともとの住民は減少傾向にある一方で、島外からの移住者は増えてきているという。移住の理由は人それぞれだが、瀬戸内海に住みたい、地域おこし協力隊のようにこの島で何かしてみたい、旅で来て気に入ったのでここに住みたい、というものが多いという。移住しなくとも、住所や仕事を残したままで2拠点生活をしている人もいて、そのうち島を出ていく人の数と移住してくる人の数が逆転するんじゃないだろうか？と川田さんは笑いながら言う。</p>



<h2 class="wp-block-heading">​​瀬戸内海の小さな島から発信するドメーヌワイン</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_038.jpg" alt="" class="wp-image-54341" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_038.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_038-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_038-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>たくさんの魅力がある大三島ではあるものの、一方で問題もある。近年の温暖化による気候への対応は深刻な課題だ。特に2024年の夏は命に関わるほどの猛暑で、人間もぶどうも乗り切るための苦労を余儀なくされたという。</p>



<p>さらに川田さん曰く、ぶどうもワインも品質・技術ともにまだまだ満足できるレベルには達していないという。「“大三島の味”というものをまだ自分の中に確立できていないんです。なのでまずはそれをはっきりさせたい。目指すのは大三島の空気感を表現したワイン。親しみがあって味わい深く、大三島の海や風を感じられるようなワインを目指したいんです」と話す。</p>



<p>納得できる味わいのワインを造ること、そしてワインを飲む習慣のない島の人たちに自分たちのワインを飲んでもらえるようになること。その上で、日本ワインコンクールで賞を取ることが当面の大きな目標であり、その先には海外コンクールへ挑戦してみたい。川田さんの夢は広がっていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54325/">目指すのは瀬戸内の風土と空気を感じさせるワイン。「大三島みんなのワイナリー」／愛媛県今治市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>山地放牧が照らす酪農の未来。「玉名牧場」矢野希実さん／熊本県玉名市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 10 Apr 2026 10:25:36 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[乳牛]]></category>
		<category><![CDATA[山地酪農]]></category>
		<category><![CDATA[ジャージー]]></category>
		<category><![CDATA[ルミエール]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2315.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>茶褐色の土がむき出しになった小高い山を、牛たちが悠然と歩いている。野生を感じさせるその締まった体つきは、山地での完全放牧によるものだ。牧場主の矢野希実さんは元エンジニア。脱サラして10年かけて開拓した東京ドーム約3個分の [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2315.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>茶褐色の土がむき出しになった小高い山を、牛たちが悠然と歩いている。野生を感じさせるその締まった体つきは、山地での完全放牧によるものだ。牧場主の矢野希実さんは元エンジニア。脱サラして10年かけて開拓した東京ドーム約3個分の土地で、30頭のジャージー牛を飼っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">無一文状態で山に入り、土地を拓き、酪農を始めた</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2715.jpg" alt="" class="wp-image-54320" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2715.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2715-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2715-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>熊本県北部にある玉名市は、有明海、小岱山、菊池川と豊かな自然に恵まれ、気候も温暖。米や野菜、果物の栽培が盛んな農業のまちだ。この土地で矢野さんが新たな一歩を踏み出したのは2000年頃。</p>



<p>福岡県北九州市出身の矢野さんは、地元の製鉄所の設備などを設計するプラントエンジニアとして働いていたが、会社員として働き続ける人生にふと違和感を感じたという。幼い頃からアレルギー体質に悩まされていたこともあり、生活と食を根本から見直すようになった。その過程で農薬も肥料も使わない自然農法を実践する農家と出会い、食と農への関心は深まっていく。そして20代後半で脱サラし、自給自足と循環型農業を目指して現在の牧場がある山に入植することを決めた。</p>



<p>入植とは、未開の地に入り生活を始めることを指す。矢野さんは標高約200mにある雑木林と化した牧場跡地と出合い、ここでなら日本ならではの山地酪農の形を追究できると確信。2000年に牛と豚、犬を一頭ずつ連れて無一文状態で移住することを決めた。土地の片隅に小さな小屋を建て、木々を切り倒して間引き、荒れ果てた土地を耕し、玉名牧場を作った。</p>



<p>矢野さんが酪農を本格的に始めることができたのは、そこから7年後の2007年。牛乳の販売と並行してチーズの加工販売も始めて採算を取りながら、少しずつ理想とする牧場の形を作っていった。牧場の名は地名から取った玉名牧場。自然農法で育てた米や野菜、鶏の卵を売って生計を立てながら、現在の広さまで開拓するのに10年もの月日を要した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自然の摂理に沿った、力強い営みが息づく牧場</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2341.jpg" alt="" class="wp-image-54321" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2341.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2341-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2341-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>約15ヘクタールの広大な土地で暮らす乳牛は30頭。飼育する牛はジャージー種で、国内飼育の9割以上を占めるホルスタイン種に比べると、体重にして約200kgほど小さく搾乳量も少ないが、そのぶん自分の重さで膝や蹄（ヒヅメ）を痛めにくく、丘陵地での飼育に適している。</p>



<p>こうした環境適正はもちろん、ジャージー種から搾乳する牛乳は脂肪分やタンパク質が非常に高く、濃厚であるため、肝心の味でも差別化ができると考え、ジャージー牛を選んだ。</p>



<p>ちなみに、玉名牧場では一般的な酪農で用いられる穀物飼料や配合飼料は与えない。牛たちはお腹がすいたら山に自然に生える牧草を食べ、満腹になったら散歩をしたり、ウトウトとまどろんだり。</p>



<p>牧場には牛舎と呼ばれる牛を管理する小屋があるのが普通だが、玉名牧場には牛舎がなく、牛たちは年間を通して山の牧草地で自由に過ごす。当然糞尿も山でするわけだが、牧草しか食べていない牛の糞はまるで土のかたまりのようだ。水っぽさがなく、ツーンと鼻をつく悪臭もない。矢野さんがひょいと持ち上げたそれは見るからにふかふかとしていて、指の間からぽろぽろと崩れ落ちては山の土と一体となる。その様子からは、人の手を介さずとも自然に還り、この土地で循環していくことが容易に想像できる。玉名牧場のように放牧で酪農をしている牧場は全国でわずか20件ほどだという。</p>



<p>玉名牧場の牛は背骨が出て肋骨もうっすらと見えている。牛舎で管理されているホルスタインをイメージすると痩せているように感じるが、これが野生に近い姿だと矢野さんは言う。早く成長させて多くの乳を出せるように高たんぱく･高カロリーの飼料を与えることはしないので、スリムだし、一般的なジャージー牛と比べても半分以下の乳量しか採れない。だが、だからこそ健康なのだ。身体に負担がかからない食事をして、適度に運動し、よく眠り、ストレスなく暮らしているから、肥満にならないし病気にもかかりにくい。牛たちは山で自然に繁殖し、出産も人の介助を必要とせず、牛が自力で産み落とす。</p>



<p>玉名牧場には自然の摂理に沿った力強い営みが息づき、矢野さんはその循環こそ目指すべき酪農の姿であり、山地酪農こそ理想の牛乳をつくるためのベストな選択だと考えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">季節と風土を映す玉名牧場の乳製品</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2758.jpg" alt="" class="wp-image-54322" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2758.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2758-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2758-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>こうした環境で育った牛たちの乳は、ほのかに黄色味を帯びたクリーム色が特徴だ。市場に出回っている牛乳の乳脂肪分の平均はホルスタインが3%台、ジャージーが4％台とされるが、玉名牧場のものは5％に達する。この高い乳脂肪分が濃厚でコクのある味わいを生み出しているが、後味は驚くほどさっぱりとしている。また、気温や牧草の状態の影響を受けて季節ごとに味が微妙に変化するのも玉名牧場の牛乳の特色の一つ。日本では120〜130度で3秒間の熱処理を行う高温殺菌が主流だが、玉名牧場では65度で30分という低温で殺菌しているため、タンパク質の変性が少ない。だから生乳本来のクリアな風味や季節ごとの味の特徴がそのまま保たれ、飲み口はさらり。タンパク質や脂肪分が舌にまとわりつくような重さもなく、すっと消えるような余韻がある。</p>



<p>そんな牛乳で作る玉名牧場の看板商品であるシェーブルタイプのオリジナルチーズ「ルミエール」は、まず香りに驚かされる。牧草を想起させる爽やかでほのかに甘い香りがふわりと立っているのだ。口に含むと、濃厚なコクと旨味が舌にじんわりと広がるが、山の空気のような清々しさも感じる。熟成とともに味に奥行きが増し、とろりと溶けていくのも、ルミエールのポイントだ。矢野さんが自ら生産する牛乳の乳質に合う製法を模索して完成させたこのチーズには、牛たちが暮らす自然環境や季節の移ろいが閉じ込められている。2011年にはくまもと食品科学研究会大賞で最優秀賞を受賞した逸品だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">生計を立てられる持続可能な酪農を次の世代へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2791.jpg" alt="" class="wp-image-54323" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2791.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2791-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2791-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>牛乳やチーズ、バターなど、玉名牧場の乳製品は一般に向けて直販されているほか、県内外の料理人やパティシエ、自然食品店からも根強い支持を得ている。だが、矢野さんは生産量を今以上に増加させるのではなく、質を保ち続けることを目標にしている。</p>



<p>山頂を開拓した牧場は斜面が多く、日陰の部分は牧草が生えにくい。加えて、近年頻発している豪雨により土が流されることもあり、牧場内だけでは牧草を確保するのが難しくなってきているのが現実だ。そこで別の圃場で牧草を栽培して不足分を賄っているものの、牧場として使える十分な土地の確保が当面の課題である。</p>



<p>また、矢野さんは次の世代の酪農家にも責任を感じている。玉名牧場のような営農方法を目指して見学や研修に来る人は後を絶たないが、資金や土地の面でつまずくケースが少なくない。農業は生産するだけでなく、生計を立ててこそ初めて持続可能となる。そのためには若手にノウハウを伝えるだけでなく、彼らが安心して挑戦できる環境を整えることが重要だと矢野さんは考えている。これらの解決のためには、消費者が食べ物を選ぶ際の基準や意識を変えることが必要だ、とも。</p>



<p>そのために玉名牧場では、消費者と生産者双方に向けて、食や、その生産環境について考えてもらうための牧場案内やイベントを積極的に実施。その成果もあってか、矢野さんの思いに共鳴する消費者や生産者、料理人、そして自治体までもが、玉名牧場の製品の魅力、取り組みの素晴らしさを自主的に発信してくれるようになってきた。こうして、矢野さんの撒いた種は少しずつ実を結び、国土面積の約7割が山地･広陵地である日本に於ける山地酪農の可能性や価値への理解が深まるなど、活動の輪は広がりつつある。</p>



<p>矢野さんの渾身のチーズの名は「ルミエール」。フランス語で光を意味するそのチーズのように、山の営みから生まれた小さな光は今、熟成の時を迎えて次の世代を照らし始めている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54314/">山地放牧が照らす酪農の未来。「玉名牧場」矢野希実さん／熊本県玉名市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>農業を「稼げる産業」へ。地域の未来を育てる農業経営「舞台ファーム」／宮城県仙台市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 10 Apr 2026 10:14:06 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[レタス]]></category>
		<category><![CDATA[美里グリーンベース]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[農業コンサルティング]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/butai-farm_A_2005.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>宮城県北東部に位置する美里町。町の約7割が水田や畑という、農業が暮らしに根づいた地域で、大規模ハウスによるレタス生産を行っているのが「株式会社舞台ファーム」だ。農作物の栽培・生産・商品開発に加え、物流や農業コンサルティン [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/butai-farm_A_2005.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>宮城県北東部に位置する美里町。町の約7割が水田や畑という、農業が暮らしに根づいた地域で、大規模ハウスによるレタス生産を行っているのが「株式会社舞台ファーム」だ。農作物の栽培・生産・商品開発に加え、物流や農業コンサルティングも行い、多角的な農業経営を展開。全国の農家や企業と連携し、グループ連結で年間61億円の売り上げを生み出すまでに成長してきた。その背景には、従来の農業の枠にとらわれない、独自の経営戦略がある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">家族経営の枠を超えて、農業DXを切り拓いた老舗農家</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/butai-farm_A_2327.jpg" alt="" class="wp-image-54308" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/butai-farm_A_2327.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/butai-farm_A_2327-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/butai-farm_A_2327-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>1720年から農業を営んできた針生（はりう）家。15代目で、株式会社舞台ファームの代表取締役社長を務める針生信夫さんが家督を継いだ時代に、大きな転換点を迎えた。</p>



<p>家族経営が主流だった当時、信夫さんは早くから農業の高齢化や働き手不足、後継者不足に危機感を抱き、最先端技術によるDX化や設備投資を積極的に導入。固定観念にとらわれない経営判断により、家族経営の枠を超えた大規模農場への基盤づくりを進めてきた。その背景にあったのは切実な危機感だった。家業に入ってからは長時間労働を行う毎日で「このままでは、働き続けても持続可能な形にならないのではないかのではないか」。そんな思いが、経営を抜本的に見直すきっかけになったという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">約300年続く農家の15代目が考えた<strong>「</strong>持続可能な農業<strong>」</strong></h3>



<p>「15代目は22歳で結婚し、翌年には14代目から家督を継ぎました。農家は50歳くらいまで家長のもとで暮らすという慣習があるなかでは、かなり早い決断だったと思います。『徳川家も15代目で大政奉還したように、15代目は大きな転換点になりやすい。だからこそ踏ん張れ』と、よく言われていたそうです」と教えてくれたのは、16代目で、舞台ファーム取締役の針生信洋さん。</p>



<p>15代目が家督を継いだ1980年代、農業は近代化という大きな転換期にあった。個人の努力だけでは立ち行かず、大規模化に耐えうる農機や設備への投資が不可欠な時代だったという。実際、この時期に思い切った設備投資や法人化に踏み切った農家のなかには、その後規模を拡大して成長した事例もある。一方で、従来の家族経営にとどまった農家が厳しい状況に置かれたのも事実だ。信夫さんは時代の変化を直感的に捉え、「持続可能な農業」を目指して経営基盤の強化を図った。</p>



<h3 class="wp-block-heading">農業の可能性を広げる鍵は「仕組み」にあった</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/butai-farm_A_2156.jpg" alt="" class="wp-image-54309" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/butai-farm_A_2156.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/butai-farm_A_2156-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/butai-farm_A_2156-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>農業が衰退する背景には、天候や土壌、担い手不足といった複数の要因が絡み合っている。いずれも、個々の農家が「一馬力」で解決できる問題ではない。だからこそ舞台ファームでは、過去の延長線ではなく、まず5年後、10年後の日本農業のあるべき姿を描き、そこから逆算して経営や技術導入を設計してきた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">家族経営からチーム経営へ。大規模化の舞台裏</h3>



<p>舞台ファームが家族営農から大規模ファームへ移行できた背景には、家族以外の人材を巻き込み、チームとして経営できたことがある。</p>



<p>高齢化した農家から土地を借り、5〜10年単位で契約を結ぶ形で事業を拡大。単なる土地確保にとどまらず、地域との信頼関係を築くことを重視し、農家の法人化支援や販路開拓支援にも取り組んできた。その道のりは平坦ではなく、契約条件の調整や将来不安への配慮など、一つひとつ対話を重ね、地域全体で持続可能な形を模索してきた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">16代目による「経営の見える化」で、生産効率を大幅改善</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/butai-farm_A_2087.jpg" alt="" class="wp-image-54310" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/butai-farm_A_2087.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/butai-farm_A_2087-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/butai-farm_A_2087-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2020年、16代目の信洋さんが舞台ファームへ入社。信洋さんはまず簿記や会計を独学で学び、PL（損益計算書）、BS（貸借対照表）、キャッシュフロー計算書を読み、会社の状況を理解することから着手した。「経営」を見える化することで、人が担うべき仕事、機械に任せられる工程、改善すべき点を洗い出し、ひとつずつ手を打っていった。</p>



<p>現在では、国内最大級のリーフレタス工場「美里グリーンベース」の運営や、IoT・AI技術の導入など、農業の在り方をアップデートする取り組みを次々と実践している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">露地栽培の約80倍の生産効率を実現する「美里グリーンベース」</h3>



<p>信洋さんは、農業には「日々の食を支える、食べなくてはならない農業」と、「付加価値を楽しむ嗜好品的な農業」の二つがあると考えている。舞台ファームが目指すのは前者。毎日口にする野菜を、安定した品質と適正価格で届けることだ。</p>



<p>その中核を担うのが、仙台市から北へ約60km、遠田郡美里町に構える次世代型植物工場「美里グリーンベース」。奥行500メートルに及ぶ大規模ハウスで水耕栽培を行い、天候や季節に左右されることなく、一日約4万株のリーフレタスを出荷している。リーフレタスは植物工場での自動化や周年栽培との相性がよく、品質の安定と高効率生産を両立しやすい作物。生産効率は露地栽培のおよそ80倍にのぼるという。国内外の事例を調べながら、舞台ファーム独自の運営モデルを構築したのだ。</p>



<p>計画生産によって廃棄率はほぼゼロ。さらに、電力を主なエネルギー源とし、ソーラーシェアリングを導入することで、環境負荷とコストの双方を抑える仕組みを構築している。安定供給と合理性を両立させるこの工場は、「食べなくてはならない農業」を支える象徴的な存在である。</p>



<h3 class="wp-block-heading">農地で電気もつくる。ソーラーシェアリングという選択</h3>



<p>農業は本質的に、太陽光エネルギーを食料へと変換する産業だ。舞台ファームでは、農地に支柱を立てて太陽光パネルを設置するソーラーシェアリングを導入。農地で米と電気を同時に生み出す仕組みを構築し、土地を「活用されていない負の動産」から「収益を生む不動産」へと転換している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">農業を稼げる産業に、数量×単価で考えるシンプルな経営</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/butai-farm_B_1858.jpg" alt="" class="wp-image-54311" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/butai-farm_B_1858.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/butai-farm_B_1858-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/butai-farm_B_1858-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>農業経営においても基本はビジネス。家族経営だとどんぶり勘定になりがちだが、売上を伸ばすには「数量×単価」の考え方が欠かせない。そのため、土地面積の拡大や二毛作・三毛作の導入、価格決定権の確保、徹底したコスト管理が重要だという。</p>



<p>また舞台ファームでは、JAに出荷を任せきりにせず、自ら価格を設定。市場関係者の動きや取引現場を観察し、各卸売業者の売値を把握。その上で、自ら小売店へ足を運び価格交渉を行い、直接契約へとつなげていった。肥料などの必要経費についても、「良いものを、いかに安く仕入れるか」を常に検討し、輸入に頼らざるを得ない肥料であっても、中間業者を極力省く工夫を重ねている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">地域の食を、次世代へつなぐために</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/butai-farm_A_2129.jpg" alt="" class="wp-image-54312" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/butai-farm_A_2129.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/butai-farm_A_2129-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/butai-farm_A_2129-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>アメリカ留学など海外経験が豊富な信洋さんは、「日本ほど地域の食が豊かな国はない」と考える。その豊かさが、担い手不足によって失われていくことに、強い危機感を抱く。</p>



<p>地域の食を次世代につなぐために必要なものとして挙げてくれたのが、エネルギー、食料、雇用、教育という四つの柱だ。「エネルギーと食が安定的に手に入る町」を土台に、まず雇用を生み出し、次に特色ある教育を提供する。地域の農業生産者として食農教育にも積極的に取り組み、中学校などで特別授業を実施。農業の仕組みや経営の視点を伝えることでキャリア教育を推進し、人々が「ここに来たい」と思える町づくりの構想を進めている。エネルギーシェアリングを含めた仕組みづくりにより、農業を稼げる産業にし、2023年度で38％だった食料自給率を「最低でも50％以上に引き上げたい」と力強く語る。</p>



<p>その言葉の背景にあるのは、単なる数字目標ではない。地域に雇用を生み、次世代が誇りを持って農業に向き合える未来をつくるという決意だ。舞台ファームの挑戦は、一企業の成長物語にとどまらない。地域の可能性を、次の世代へ手渡すための実践である。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54302/">農業を「稼げる産業」へ。地域の未来を育てる農業経営「舞台ファーム」／宮城県仙台市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>この土地の恵みを大事に、川敬商店でしか味わえない日本酒を。「川敬商店」7代目･川名由倫さん／宮城県遠田郡美里町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 10 Apr 2026 09:51:07 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[山廃仕込み]]></category>
		<category><![CDATA[黄金澤]]></category>
		<category><![CDATA[酒造]]></category>
		<category><![CDATA[日本酒]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0108.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>川敬商店の代表兼杜氏として酒造りを行っている川名由倫（ゆり）さん。伝統を重んじながらも、新しい技術や挑戦を取り入れ、「伝統は攻めてこそ守られる」という姿勢で酒造りに向き合っている。特に主要銘柄「黄金澤（こがねさわ）」は、 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54289/">この土地の恵みを大事に、川敬商店でしか味わえない日本酒を。「川敬商店」7代目･川名由倫さん／宮城県遠田郡美里町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0108.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>川敬商店の代表兼杜氏として酒造りを行っている川名由倫（ゆり）さん。伝統を重んじながらも、新しい技術や挑戦を取り入れ、「伝統は攻めてこそ守られる」という姿勢で酒造りに向き合っている。特に主要銘柄「黄金澤（こがねさわ）」は、芳醇な香りとスムースな口当たりで、日本酒初心者から愛好家まで多くの人を魅了。選ばれる酒造りのために、由倫さんが大切にしていることとは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">創業120年。伊達家ゆかりの商家がはじめた「川敬商店」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0004.jpg" alt="" class="wp-image-54296" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0004.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0004-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0004-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>1902年、初代･川名敬治が宮城県北東部の遠田郡涌谷町（わくやちょう）で創業した「川敬商店」。そのルーツは、仙台藩･伊達家出入りの金物商にある。地租改正により自作田を得たことをきっかけに、涌谷町の南に位置する美里町へ移転。米の生産が盛んで、土地の肥沃さが古くから知られていた美里町だが、川名家が取得した土地は沼地が多く、稲作には不向きだったという。そのため、農業に頼らない生業として酒造業に着目し、蔵を構えることを決めた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">山廃仕込みでオリジナリティのある酒造りを続ける</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0587.jpg" alt="" class="wp-image-54297" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0587.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0587-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0587-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川敬商店は創業時から、自然の乳酸菌の働きを利用して酒母（しゅぼ）を育成する「山廃仕込み」にこだわってきた。酒母とは酵母を増やして発酵の土台をつくる工程で、日本酒の味わいを左右する重要な要素。時間も労力もかかり高い技術が必要とされる造り方のため、一時期は生産を6割ほどにとどめて、人工的に作られた乳酸を直接添加する「速醸造り」でまかなっていた。しかし、今では山廃仕込みの酒が生産の9割を占める。その理由を由倫さんは「山廃仕込みは蔵ごとの個性が出やすく、川敬商店らしい味わいを表現できます。今の川敬商店には欠かせないと感じています」と話す。</p>



<p>地元の米と水にこだわり、丁寧に醸された「黄金澤」は繊細で上品な味わいが特徴で、食事とともに楽しめる日本酒として高く評価されている。冷や、ぬる燗、熱燗とどんな温度でも美味しく味わえるのも人気の理由。名前の由来は、金の採取で有名な涌谷町の商人が醸したことにある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本酒離れの時代に育った一人娘の役割</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0599.jpg" alt="" class="wp-image-54298" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0599.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0599-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0599-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>由倫さんにとって子どものころから蔵が身近にあることは当たり前の風景ではあったが、そこにどのような歴史や技術が詰まっていたのか、関心を持つことはなかったという。だが、年齢を重ね、地域や家族の記憶に触れる中で、次第にその重みを理解するようになる。</p>



<p>多感な時期に日本酒の消費量が激減したこともあって、酒造りは「報われない仕事」と思っていた。しかし、その考えを変えたのは、2011年3月に発生した東日本大震災。実家が倒壊し、復旧にも時間がかかったこともあって、酒蔵を営む家の一人娘として生まれた意味を考えるようになったのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">酒造りのすべてを“一から”学び、杜氏を志す</h3>



<p>震災を機に、川敬家の一人娘である由倫さんは家業を継ぐことを考え始めた。本当に継ぐかどうかはともかく、酒造りとはいったいどういうものなのか知ってみようと、酒類総合研究所東京事務所（2015年に広島県にある本部に統合）で行われた40日間の講習会に参加した。酒類総合研究所は、酒類の品質や醸造技術を研究する国の研究機関で、全国の酒造関係者が学びに訪れる教育プログラムも提供している。「やってみたら、酒造りもけっこうおもしろかった」と笑って振り返る。</p>



<p>その感覚が酒造りをイチから学ぶ後押しとなり、2012年に「川敬商店」へ入社。最初は何もわからず戸惑ったそうだが、周囲の人々に教えてもらいながら、少しずつ酒造りの面白さに気づいていったという。そして、お父さまの亡き後、2019年に杜氏として酒造りの責任を背負うことになった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">素材の状態を見極め、おいしい酒に仕立てる</h3>



<p>由倫さんがこだわっているのは、米を手で研ぐこと。一部機械も使用してはいるが、5kgずつ手で研ぐことで、米の割れや吸水状態を細かく確認でき、狙った酒質に近づけやすいという。近年は米の硬化傾向があり、その洗い方によって酒の質も変化してしまうため、最新の注意を払う。洗う時には、食用米のように強く研ぐのではなく、優しく糠を取り除くイメージで洗うのだという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">より良い酒造りを目指し、川敬商店の新たな味を探求</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_B_6452.jpg" alt="" class="wp-image-54299" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_B_6452.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_B_6452-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_B_6452-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在の川敬商店の酒造りは、「飲んでくださる方を想い、心清らかに醸す」をテーマに掲げている。そのために、麹作りから酒母、醪（もろみ）まで、長期低温発酵させる「吟醸造り」にすることを徹底。そうすることで、きれいな味の酒に仕上がるから。</p>



<p>ただ、「他社の麹と比較すると、ややおとなしい印象があるため、今後は力強い麹造りにも挑戦したい」と話す。目指すのは、透明感としっかりとした骨格を持つ酒だという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">コロナ禍で見つめ直した「黄金澤の立ち位置」</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0027.jpg" alt="" class="wp-image-54300" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0027.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0027-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0027-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>コロナ禍で日本酒需要が落ち込む中、由倫さんはあえてブランドの見直しに時間をあてた。その結果、「黄金澤」が持つ魅力や位置づけがより明確になったそうだ。どんな料理にも合わせられる“食卓に調和する酒”を追求し、人々に寄り添う存在であり続けること。そのために、「常に新しい挑戦を続け、より美味しい酒をつくりたい」と意気込む。</p>



<p>華美ではないが、料理を引き立て、飲み手の時間を豊かにする。その積み重ねこそが、川敬商店が120年守り続けてきた価値なのだろう。「黄金澤」はこれからも進化し続け、愛され続けていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54289/">この土地の恵みを大事に、川敬商店でしか味わえない日本酒を。「川敬商店」7代目･川名由倫さん／宮城県遠田郡美里町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>100年後の森へ、今日も向き合う。「王子ホールディングス」／北海道夕張郡栗山町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 03 Apr 2026 01:11:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[製紙業]]></category>
		<category><![CDATA[洋紙]]></category>
		<category><![CDATA[王子HD]]></category>
		<category><![CDATA[段ボール]]></category>
		<category><![CDATA[衛生用紙]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/7.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「日本資本主義の父」とも呼ばれ、日本初の銀行の設立、鉄道･保険･製紙など幅広い産業の基盤を作った実業家･渋沢栄一の尽力により1873年に設立された「抄紙会社（しょうしがいしゃ）」をルーツに持ち、150年の歴史を誇る王子ホ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54273/">100年後の森へ、今日も向き合う。「王子ホールディングス」／北海道夕張郡栗山町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/7.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「日本資本主義の父」とも呼ばれ、日本初の銀行の設立、鉄道･保険･製紙など幅広い産業の基盤を作った実業家･渋沢栄一の尽力により1873年に設立された「抄紙会社（しょうしがいしゃ）」をルーツに持ち、150年の歴史を誇る王子ホールディングス。国内民間最大級となる約19万ヘクタールの社有林を擁し、北海道栗山町で100年前から木を植え、森を育て、今もなお100年後の収穫を見据えた森づくりを続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">渋沢栄一から受け継ぐ、150年の「やり遂げる」意志</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/1.jpg" alt="" class="wp-image-54276" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>北海道中部に位置し、町域の約半分を森林が占める夕張郡栗山町。かつて夕張炭鉱の盛栄とともに発展し、元日本ハムファイターズ監督の栗山英樹氏が自身の名にちなんだこの地に少年野球場「栗の樹ファーム」を構え、20年以上交流を行っていることでも有名な町である。この町の山間部、見渡す限りの雪景色の中に広がる大森林。ここは王子ホールディングス（以下･王子HD）が保有する社有林だ。その歴史をさかのぼれば、1873年に明治の実業家･渋沢栄一が深く関わり、抄紙会社を設立したところに行き着く。当時の日本では和紙が主流で、西洋式の技術で大量生産できる洋紙はまだ存在しなかった。それを自分たちの手で作ることは、情報を広く伝えるための出版や新聞を支え、国家の近代化を進めるために欠かせない挑戦だった。操業当初は赤字が続く苦境に立たされたが、渋沢はそれでも諦めなかった。その「やり遂げる」精神が、150年続く同社の揺るぎない礎となっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">原料は、自分たちでも育てる</h3>



<p>創業当時の紙の原料はボロ布。その後、文明の発達に伴い、増え続ける紙の需要に対応するため、1889年には木材から紙をつくる製造技術を開発。1930年代からは将来にわたる原料の安定確保のため森林の育成に取り組んできた。現在、同社が国内に持つ森林は大阪府の総面積とほぼ同じ約19万ヘクタールに及び、民間企業としては国内最大規模を誇る。北海道ではトドマツやカラマツ、本州ではスギやヒノキなど、その地域に昔から自生していた木を中心に植え、育て、収穫する。この北海道栗山町の森を担うのが、王子木材緑化の小笠原哲彦さん、佐藤有さんだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">事業が、森を豊かにする</h3>



<p>同社が森を持ち続ける理由は、シンプルだ。「木を使うものは、木を植える義務がある」。その一点から始まった営みが、森を育て、水源を守り、川下の農業を潤すという恵みを生んでいる。森が育てば水が清くなり、川下の農業や海（漁業）にも恵みが及ぶ。数値で証明できるものではないけれど、「そういった効果はあると思います」というのが、彼らの実感だ。事業を続けた先に豊かな自然があるという事実を、150年という時間が静かに証明してきた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">マイナス20度冬の森で、収穫は最盛期を迎える</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/44.jpg" alt="" class="wp-image-54277" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/44.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/44-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/44-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>同社の北海道の社有林では、厳しい冬こそが収穫の最盛期となる。気温が氷点下まで下がり、雪が深く積もる北海道の冬こそが、質の高い木材を収穫するための適期なのだ。そこには、北国ならではの合理的な理由がある。</p>



<h3 class="wp-block-heading">冬の森が、最高の木材を生む</h3>



<p>木は冬になると休眠状態に入り、内部の水分量が低くなる。夏に伐（き）ると樹液がどっとあふれ出るが、冬の木は締まったままの断面を保ち、乾燥も早く、長持ちする良質な木材になるのだという。さらに、氷点下の冷気が地面を凍結させたり、積もった雪がクッションになることで数十トンの重機を乗り入れても土壌を傷つけずに済み、凍結しているほうが丸太が滑って運びやすいという点でも、冬は林業に適した季節だ。「木は水分を蓄えているので、活動を止めて乾燥している冬に行うほうがいい木が採れる」。そんな北国ならではの知恵を、佐藤さんたちは自然体で語る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">機械では補えない、山師の眼</h3>



<p>彼らはいわば現代の「木こり」だ。雪深い森の中で重機を操りながら、その土地の水の流れや植生のバランスをすべて把握している。「ここは切ってはいけない。ここを切ると水が枯れてしまう」。そう話すように、長年の経験に裏打ちされた五感で判断を下し、100年後の森の姿を想像しながら、今どの一本を収穫すべきかを導き出す。最新鋭の機械が導入され安全性や効率は飛躍的に高まったが、最後は彼らの眼力が森の未来を決定づけているのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">1分で丸太へ。実業が生む「無駄のない」循環</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/10.jpg" alt="" class="wp-image-54278" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/10.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/10-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/10-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>かつてはチェーンソーを手に人が命がけで斜面を歩いた現場も、現在は高度な機械化が進んでいる。安全性が高まり、若い世代も参入しやすくなったことで、深刻だった担い手不足にも変化の兆しが見え始めている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">1分で丸太になる、ハーベスタの仕事</h3>



<p>機械化を象徴するのが、伐倒（ばっとう）から枝払い、丸太の切り出しまでを一手にこなす重機「ハーベスタ」。搭載されたコンピューターは木をつかんだ瞬間に曲がりや太さを瞬時に判断し、最も価値が高くなるようなカット数を計算する。雪を蹴立てる音とともに、わずか1分足らずで規定の長さへと切り揃えられていく。人数を抑えて安全に働くための不可欠な知恵であり、残った枝の先までもがバイオマス燃料の材料として活用され、森の資源を余すことなく活用している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">紙の需要は、世界とともに広がる</h3>



<p>こうして森から生まれた木材は、建築材や家具材として、また製材には向かない低質材はチップ化して、紙をはじめ、段ボールやバイオマス燃料などさまざまな姿へと変わっていく。デジタル化が進む今、紙の役割が変わりつつあるのは確かだ。しかし新聞などの情報メディア向けの需要が縮小する一方で、そもそもその比率は王子HDの売上の中でそれほど大きくない。むしろ「包む」「拭く」という暮らしに根ざした用途の需要は世界的に高まり続けており、「段ボールや衛生用紙はなくなるどころか増えていく」とふたりは話す。ネット通販の拡大がその需要をさらに後押ししている。紙を作り、その紙をリサイクルしてまた段ボールへ。「そこまで一貫してやっているところはなかなかない」とふたりが口をそろえるように、原料育成調達から製造、リサイクルまでを自社で完結させる仕組みは、世界的にも珍しいビジネスモデルだ。現在は木からプラスチックや医薬品を作る研究にも取り組んでおり、森林資源を未来の成長産業へとつなげようとしている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">100年後のリレー。終わりのないバトン</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/55.jpg" alt="" class="wp-image-54279" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/55.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/55-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/55-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在、日本の多くの森が手入れされずに放置されている。最大の理由は、森を健やかに保つ営みがすぐには収益に結びつかないからだ。王子HDのような企業が事業として本気で森に向き合い続けることが、日本の林業全体を底から支えることにつながっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">事業としての森が、日本を守る</h3>



<p>一本の苗木を植えただけでは社会はすぐには変わらない。しかし事業として継続できる規模で植え続けることには、未来を変える力がある。木を育て、適切に収穫し、経済を回していくことが、結果として次の世代に健全な環境を残すことにつながっていく。「次の世代の人たちにも森を引き継ぎ、更に良い森づくりを行ってくれたら」と話すふたりの言葉は、静かだが力強い。確かな覚悟が、言葉の奥に宿っている。その背景には、日本の森が抱える現実がある。手入れされない森はやがて荒れ、水源が失われ、土砂災害のリスクも高まる。しかし現実には、担い手不足と高齢化により、多くの森が手入れされないまま放置されている。木は人間が意志をもって作り出すことのできる再生可能な資源だ。そして、世界中のメーカーが石油に頼ってきたモノづくりを、木材をはじめとするバイオマスに置き換えていく取り組みを加速している。王子HDが事業として森に向き合い続けることは、日本の自然そのものを守ることでもあるのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">今植える木は、孫の代へ</h3>



<p>今日植えた木が収穫されるのは、はるか先、孫の代の話だ。スギ･ヒノキで40〜50年、北海道のトドマツやカラマツは60〜70年。植えた苗木を伐るのは孫の代になる。「先代が植えたものを今収穫し、今植えるものは100年後の後輩に託したい」とふたりは話す。自分が生きている間には完結しない仕事を、それでもひたむきに続けていく覚悟がその言葉ににじむ。「森林をしっかり育てて、そこから作れるいろんな素材を研究して社会に届けるのが使命」。その言葉が示すように、150年前に渋沢栄一が描いた志は今も生きている。終わりのない「100年単位のリレー」を事業としてつないでいく。その営みが、日本が誇る豊かな水と緑を、そのままの形で未来へ手渡していく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54273/">100年後の森へ、今日も向き合う。「王子ホールディングス」／北海道夕張郡栗山町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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