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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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		<title>世界初の地下海水を使った青のりの陸上栽培で、海藻の食文化と豊かな海の継承を目指す「合同会社シーベジタブル」／高知県高知市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 28 Jul 2026 02:40:13 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-145615-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>近年、海水温の上昇により海藻が海で育たない「磯焼け」という現象が世界的に海洋環境の問題となり、日本国内の海の天然の藻場（もば）は年間で東京ドーム千二百個分が消えているとも言われる。海の生態系の土台が揺らぎ、漁業全体に影響 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54923/">世界初の地下海水を使った青のりの陸上栽培で、海藻の食文化と豊かな海の継承を目指す「合同会社シーベジタブル」／高知県高知市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-145615-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>近年、海水温の上昇により海藻が海で育たない「磯焼け」という現象が世界的に海洋環境の問題となり、日本国内の海の天然の藻場（もば）は年間で東京ドーム千二百個分が消えているとも言われる。海の生態系の土台が揺らぎ、漁業全体に影響を及ぼしている現状に危機感を覚えた高知県の「合同会社シーベジタブル」（以下、シーベジタブル）は、2016年に世界初となる地下海水を用いた青のりの陸上栽培をスタートさせた。全国各地に地域のパートナーと共に海藻ファームを展開して意欲的に陸上栽培と海面栽培に取り組むことで、豊かな海と海藻の食文化を残そうとしている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">四万十川から消えた青のりを陸上栽培する</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-143652.jpg" alt="" class="wp-image-54929" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-143652.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-143652-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-143652-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>青い空から降り注ぐ強い日差しと温暖な気候で知られる高知県。東西に細長い地形で、南側は太平洋に面し北側には四国山脈がそびえる。シーベジタブルの陸上拠点では、青のりの中でも最高級品種として知られる「すじ青のり」が世界初の陸上栽培技術で育てられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">大学時代から抱いた、大好きな海への想い</h3>



<p>共同代表の蜂谷潤さんは岡山県出身で、高知大学に在学中から“海洋深層水を活用したアワビ類及び海藻類の複合養殖”ビジネスプランを構想。共同代表の友廣裕一さんの協力を得て、事業化に向けた実証研究を行っていた。海洋深層水とは、高知県の室戸沖の水深320〜374メートルの深さから汲み上げるため、年間を通して約10度と低温で安定している海水だ。</p>



<p>蜂谷さんは、もともと海に潜り、間近で見る魚を獲ることが好きだったという。「毎年同じ場所に潜るたびに、魚の数が目に見えて減っていきました。魚が多く集まる場所には必ず海藻があると気づき、海に魚を戻したいという想いから海藻の研究に打ち込んでいきました」。</p>



<p>温暖化による海水温の上昇は、魚の生息域を変え、高知県の海藻産業にも影響を及ぼしていた。最後の清流と呼ばれる四万十川（しまんとがわ）の河口付近の、淡水と海水が混じり合う汽水域（きすいいき）は、国内一の「すじ青のり」の天然漁場だったが、2020年には漁獲量がほぼゼロになった。河口域の水温の上昇と、水揚げの低下が比例しているとされている。<br></p>



<p>蜂谷さんは、天然で採れなくなったすじ青のりを復活させようと、立ち上がった。海域で海藻が育たなくなったのであれば、陸上で育てよう、海藻の食文化を絶やさないために挑戦をしてみようと、想いは深まっていったという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">太平洋のそばに造られた大水槽で、すじ青のりが漂う</h3>



<p>太平洋を臨む海沿いにあるシーベジタブルの陸上拠点を訪ねると、いくつも並ぶ巨大な円形水槽に驚かされる。一番大きいものは直径が約25メートルと、小学校のプール程度の長さがある。</p>



<p>すじ青のりは、成長が驚くほど早く、条件が整えば一日で倍ほどの大きさになることもあり、朝と夕方で姿が変わるほどの生命力を持つのだそうだ。水槽は4つのサイズがあり、約1週間ごとにサイズの大きな水槽へ育ったすじ青のりの移し替えを行う。</p>



<p>「収穫するサイズがこれぐらいだったら美味しいという大きさがありまして、その大きさに育つように逆算して４つのサイズの円形水槽を造りました」と、蜂谷さん。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「地下海水」を汲み上げ、攪拌を続ける</h3>



<p>水槽には「地下海水」が満たされ、海藻の成長に理想的な環境が一年を通して維持されているという。地下20メートルから汲み上げる「地下海水」は、海から砂などの地層を通ることで自然に濾過され、清浄で安定した水温を保つことができるのだ。また、雨が降れば淡水が混ざり、晴れれば光合成が進む。海と川が交わる汽水域を好む海藻にとって、この場所は自然に近い環境なのだ。</p>



<p>さらに水槽に張られた「地下海水」は、ゆっくりと円を描くように回っていた。すじ青のりは藻体の表面から栄養を吸収し、光合成によって成長するため、常に水が流れ、光が均等に当たる環境が欠かせないという。そもそも海藻は通常は石や岩などの基物に付着器を張ることで正常に育つが、ここのすじ青のりは、海藻同士を互いに付着させている。根の位置にあたる付着器を中心に放射状に広がり、まるで細い糸が束になったような姿で水中を漂わせて育てることで、均一な大きさに育っていくのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">海での栽培とは異なる可能性を秘める、陸上栽培</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/30f7a9072ee79892718673e85bbd30c0.jpg" alt="" class="wp-image-54930" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/30f7a9072ee79892718673e85bbd30c0.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/30f7a9072ee79892718673e85bbd30c0-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/30f7a9072ee79892718673e85bbd30c0-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>水槽に手を入れさせてもらうと、緑のすじ青のりが、ふわりと揺れて指先に触れた。生のまま口に含むと、みずみずしい青さが広がる。乾燥させたすじ青のりはより鮮やかな緑色に変わり生よりも香りが強いという。生のすじ青のりを天ぷらにして食べると聞いたが、いずれにしても海藻本来の清々しさが際立ちそうだ。</p>



<p>すじ青のりは、北海道から沖縄まで広く分布するため、同じ種でも温度に対する耐性や成長速度など性質が地域によって違う。シーベジタブルは、高知で陸上栽培を始めるにあたって、性質特性はもちろん、食材としての香りや食感に優れたエリートの株をにこだわり、全国のすじ青のりの中から選抜を行い、試行錯誤を重ねてきたそうだ。</p>



<p>今度は、蜂谷さんのお勧めの食べ方を試してみる。袋に入った薄い塩味のポテトチップスに陸上栽培したすじ青のりの粉末を振りかけると、磯の旨味や深い香りが感じられた。陸上で育てることで栄養管理が行き届き、香りや旨味がより濃くなるという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">青のりだけにとどまらない、未来への展望</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-155658.jpg" alt="" class="wp-image-54931" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-155658.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-155658-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-155658-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>海藻は胞子で増えるため、種類ごとに発芽や成長の条件が異なる。シーベジタブルでは一つひとつの特性を解き明かしながら、最適な育成方法を探る研究が続けられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">黒海苔の栽培も本格始動</h3>



<p>日本の食文化を支えてきた黒海苔の陸上栽培技術も確立した。2025年度には、黒海苔の陸上栽培での量産（乾燥重量300kg以上）に成功し、2026年度から量産に向けた準備に入る予定だという。</p>



<p>蜂谷さんは、「黒海苔に関しては世界に向けてすごく大きなマーケットがあるので、まず、陸上で生産する技術を確立して、その技術を沿岸部で仕事を失いつつある漁師さんや企業の方々に提供することで新たな生業を生み出したい。並行して、日本は地域ごとに独自の海藻が存在しており絶滅の危機にある種類も少なくないのですが、そうした海藻を再び陸上で種苗を育て、それぞれの地域で海に戻して養殖藻場をつくっていくことも考えています」という。最終的には、海に海藻がある状況を取り戻したいのだ。</p>



<p>ただ、日本人の一人あたりの海藻の消費量は、食の多様化とともに30年前の約半分ほどにまで落ち込んでいる。かつては和食とともに自然に食卓へ上がっていた海藻も、洋食や中華が日常に広がる中で存在感を失いつつある。蜂谷さんは「海藻の可能性は和食にとどまりません。青のりはピザにもよく合い、ポテトチップスに振りかければ驚くほど豊かな香りが広がります。これまで試してこなかったジャンルにこそ、消費の落ち込みという課題を解決するヒントがあると感じているので、いろいろ検証を行い発信していきたいです」と語る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">すじ青のりでつくる醤油を開発、海藻専門店をオープン</h3>



<p>新たな挑戦のひとつが、すじ青のりからつくる「青のりしょうゆ」だ。大豆や小麦を使わず、青のりと塩、米だけを発酵させてつくる調味料だ。淡い琥珀色を帯びている。口に含むと海の香りが立ち上がり、魚介との相性は抜群だ。グルテンフリーで大豆も不使用であることから海外からの問い合わせも多く、海藻の新たな価値を示す存在となっている。</p>



<p>東京駅近くには、海藻料理を専門に扱う「シーベジスタンド」をオープンさせた。すじ青のりポテト、熊本などで昔から食されてきた幻の赤い海藻「みりん」を使った料理、海藻を贅沢にのせたラーメンなど、海藻の魅力を多角的に伝える拠点だ。海藻を“食べる文化”を再び広げる試みが、ここから始まっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">成功の鍵を研究者が握る</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-160456.jpg" alt="" class="wp-image-54932" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-160456.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-160456-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-160456-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>シーベジタブルの事業の鍵を握るのがラボだ。ラボは、すじ青のりの陸上栽培を支える最重要な第一工程を担う。ラボで、採取・育成された青のりは約1ヶ月で陸上拠点に移り、さらに1ヶ月間育てられた後に収穫されるという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">気の遠くなるような、胞子の選り分け作業</h3>



<p>「陸上栽培を成功させるためには、まず、すじ青のりの親から出てくる胞子を安定的に取り出して、それを死なせず生き残らせて育てていくということが一番大事です。そこで死んでしまうと、当然、栽培場に送り出すものがなくなるわけですから。バクテリアとか青のりの胞子に害を与えるようなものを取り除いて、育て上げるということが重要になってきます」と話すのは研究者の和（にぎ）さん。</p>



<p>すじ青のりの栽培において最も困難なのは、年間を通じて安定して胞子を供給するために、親株を常に健康な状態で維持し続けること。そして、親株から胞子を取り出し、死なせずに安定して成長させるプロセスだという。胞子を健全に育てるためには、バクテリアなどの有害な不純物を徹底的に排除し、適切な温度管理を行う必要がある。</p>



<p>和さんが、小さなシャーレを手に言う。「最初は本当に10ミクロンぐらいの、丸いつぶつぶなんです」。10ミクロンとは、0.01ミリ。肉眼では見えない胞子も、顕微鏡を覗けば確認することができ、数日後には青のりらしい姿で生長する様子が見られるそうだ。</p>



<p>和さんは、ピペットで約10ミクロンの胞子を丁寧に吸い取ることを何度も繰り返して“純度の高い胞子”だけを取り出していく気の遠くなるような繊細な作業を行っていた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">シーベジタブルを支える研究者</h3>



<p>さらに、和さんは「天然の海苔は秋から春先までが収穫期で、夏は成長が止まるため収穫には適しませんでした。ですが、陸上栽培で施設を最大限稼働させるためにも、温度耐性の違う株を組み合わせて育てる必要があります。ですので、同じすじ青のりでも、北海道から沖縄までさまざまな株を100株ほど試し、適したものを見つけてきました」と話す。</p>



<p>一般的に陸上栽培は設備投資やランニングコストが大きく、採算性が重要になる。だからこそ、環境に強く、効率よく育つ株を選び抜くことが、産業として成立させるための鍵となる。研究者たちはその課題に向き合いながら、海藻の未来を切り開こうとしている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">海藻が戻ると、海の未来が変わる</h3>



<p>海藻は、海の生態系の土台を支える存在だ。天然の藻場が減少する中、一般社団法人グッドシーの調査報告書では、陸上で育てた種苗を用いて海面栽培を行うことで、栽培していない海域と比べて魚の個体数が最大約36倍に増加するという驚くべき結果が示されている。</p>



<p>海藻が増えれば魚が戻り、海が再び豊かさを取り戻す。海藻の栽培は、食文化を守るだけでなく、海の未来を支える取り組みでもある。シーベジタブルは、日本という枠を超えて、豊かな海を次の世代へ手渡す確かな力になろうとしている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54923/">世界初の地下海水を使った青のりの陸上栽培で、海藻の食文化と豊かな海の継承を目指す「合同会社シーベジタブル」／高知県高知市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>スターシェフから絶大な信頼を得る魚の目利き。「本田屋」本田満輝さん／熊本県天草市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 28 Jul 2026 02:20:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[天草]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4484.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>スターシェフの一皿を支える重要な要素の一つが、高品質な食材であることは間違いない。熊本県天草市には、その目利きを担う魚屋がいる。最良の魚を見極め、料理人の信頼に応えることを信条とし、地元漁師の暮らしにも目を向ける。海と厨 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54903/">スターシェフから絶大な信頼を得る魚の目利き。「本田屋」本田満輝さん／熊本県天草市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4484.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>スターシェフの一皿を支える重要な要素の一つが、高品質な食材であることは間違いない。熊本県天草市には、その目利きを担う魚屋がいる。最良の魚を見極め、料理人の信頼に応えることを信条とし、地元漁師の暮らしにも目を向ける。海と厨房を繋ぐその人の名は、本田満輝さんだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">料理人を通して、天草の魚の価値を再認識</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4850-1.jpg" alt="" class="wp-image-54913" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4850-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4850-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4850-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>本田さんはもともと魚が好きで、地元の鮮魚屋に勤めていた。その時に出会った関西の料理人から影響を受け、“外”を知ることの大切さに気づいたという。「天草は島という地域性もあり、なかなか島外に出る機会がありませんでした。しかし、他の地域の魚を見たり、有名店を食べ歩いてみたりするようになり、自分の世界が広がっていくのを感じました」と本田さん。自身の生まれ育った天草の魚が料理人たちに認められていることを知り、誇らしさを感じた。</p>



<p>だが一方で、地元に向けての販売では魚を高く売ることが難しい現実にも気づく。日本の漁師は若年層を中心に減少傾向にあり、主な要因に厳しい経営環境が挙げられる。「正当な価格で取り引きしてくれる顧客を見つけられれば、漁師からも高い価格で魚を買い取ることができるようになる。そうすれば、地元漁師の暮らしを支えることにもつながるのではと考えました」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">漁師の暮らしを支えるために、独立</h3>



<p>その後、鮮魚店から独立し、自身の店「本田屋」を開く。開業の際には鮮魚店に勤務していた当時から交流のあった料理人たちから「お金がかかっても構わない。とにかくいい魚を頼む！」と熱い声援を受けたという。そこで、地元の漁師たちと話し合いを重ね、漁獲後の温度管理など一次処理の質を高めることで最終品質を担保する連携を構築した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">市場の魚を全て見て、良いものだけを競り落とす</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4578-1.jpg" alt="" class="wp-image-54914" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4578-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4578-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4578-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>熊本県南西部、大小120の島々からなる天草諸島。その中心部にある天草市本渡（ほんど）の魚市場には、有明海（ありあけかい）、不知火海（しらぬいかい）、東シナ海の3つの漁場から1日3〜5トン、多い時で約300種類もの魚が運び込まれる。朝7時、活魚の競りが始まり、競り人と仲買人の威勢のいい声が一斉に響き合う。本田さんは、淡々とした様子で、迷いなく目当ての魚を次々と競り落としていく。</p>



<p>特定の魚を狙うのではなく、その日市場に並ぶ魚を全て見て、その中で良いと判断したものを全て購入するのが本田さんのスタイルだ。裏を返せば、注文を受けている魚種でも、品質が自身の基準に満たない場合は競り落とさず、料理人に「ない」と伝えるのも本田さんの信念。魚種にこだわって品質の基準を落として仕入れても、結局は料理人のためにならないからだ。本田さんの正直な姿勢と確かな目利きは評判を呼び、東京の予約困難寿司店「島津」、関西屈指の名店「鮨 三心」、長崎のレストラン「pesceco（ペシコ）」など、ミシュランガイドで星を獲得した&#8221;スターシェフ&#8221;からの信頼も厚い。</p>



<h2 class="wp-block-heading">最良の状態で、料理人のもとへ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4578-2.jpg" alt="" class="wp-image-54917" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4578-2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4578-2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4578-2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>さらに、本田さんは店での魚の処理の方法にもこだわる。釣り上げられた直後の魚は興奮状態で筋肉に乳酸と血が回って食味が低下し、緊張で身は固く締まっている。そのため、仕入れた活魚は一旦店のいけすに運び、ストレス症状が落ち着くまで休ませる。そして、料理人の元に届く時間を逆算して、自らの手で神経締めや血抜きを行う。「最良の魚を料理人の元に届けるのが私の仕事。競り落として送って終わりではなく、ベストな状態に調えた魚をお渡しする責任がある」と本田さんは言う。</p>



<p>この日、本田さんが試食で用意してくれた刺し身は、クエ、石垣鯛、ブリの3種。1週間ほど熟成させたもので、醤油をはじくほど脂が身に溶け込んでおり、旨みのかたまりのような味わいに驚く。活魚のコンディションの整え方や締め方など、本田さんの知識と技術を学ぶために全国から漁師や料理人が店を訪れるというのも納得だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">漁師を支えることが、海を守ることにもつながる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4502-1.jpg" alt="" class="wp-image-54918" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4502-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4502-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/IMG_4502-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「昔はとにかく量を売るという時代でしたが、今は違います。さまざまな要因で海の生態ピラミッドは崩壊し、エサとなる海藻やプランクトンが減り、魚も減少しています」と本田さん。その結果、魚の価格は年々上がっており、このままではお金を持っている一部の人だけが食べられる食材となってしまうのではと危惧している。</p>



<p>良質な魚が適正な価格で取り引きされる社会になれば、漁師も適正な収入を得られる。すると、乱獲を防ぐことができるとともに、漁業も次の世代に継承され、豊かな海を守ることにつながるはずだと本田さんは考えている。「本田屋」の開業は、そんな思い描く未来のための第一歩だった。</p>



<p>2026年、「本田屋」は開業から10年目を迎える。本田さんは「この仕事をやってきたからこそつながった人の輪が、年々広がっていくのを感じています」と目を輝かせる。</p>



<p>市場での目利き、漁師との対話、料理人への責任。</p>



<p>その一つひとつの積み重ねが、「適正な価格で魚が取り引きされる社会」という思い描いてきた未来に、少しずつ近づける道になってきた。続けて、今後もさまざまな分野の職人と出会い、学びを得たいと展望を語る本田さん。開業から10年、「第一歩」だったはずの本田屋の歩みは、いま確かな手応えへと変わりつつある。本田さんは今日も変わらず海と厨房のあいだに立ち、次の10年に向けて、自分にできることを考え続けている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54903/">スターシェフから絶大な信頼を得る魚の目利き。「本田屋」本田満輝さん／熊本県天草市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>栃木生まれの「ゆうだい21」で米づくりに向き合う「阿久津農園」阿久津政英さん／栃木県大田原市</title>
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		<pubDate>Mon, 20 Jul 2026 03:41:23 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[ゆうだい21]]></category>
		<category><![CDATA[ゆうだい21の伝道師]]></category>
		<category><![CDATA[米･食味分析鑑定コンクール金賞]]></category>
		<category><![CDATA[食用米]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3332.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>栃木県大田原市は米の生産が県内1位である。その中で「米･食味分析鑑定コンクール」での受賞歴を誇り、他にも「東洋ライス世界最高米2022」に認定されるなど、数々の評価を受ける阿久津農園･阿久津政英さん。栃木県の米があまり有 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3332.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>栃木県大田原市は米の生産が県内1位である。その中で「米･食味分析鑑定コンクール」での受賞歴を誇り、他にも「東洋ライス世界最高米2022」に認定されるなど、数々の評価を受ける阿久津農園･阿久津政英さん。栃木県の米があまり有名でない中、阿久津さんのつくる米はなぜ評価されるのだろうか。</p>



<h2 class="wp-block-heading">米の生産に適した土地･大田原市</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3249.jpg" alt="" class="wp-image-54895" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3249.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3249-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3249-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大田原市は「那須野が原」といわれる栃木県北部の那須地域にある広大な扇状地に位置する。日本三大疏水のひとつ「那須疏水」が流れる土地だ。那須連山から流れる水は、ミネラルがたっぷり含まれた伏流水。豊かな水源があるから、米作りに適している。</p>



<p>もちろん、水だけではない。肥沃な土壌があり、夏には十分な温度と日照で稲の生育を促進し、冬の寒さは害虫の発生を抑えるなどの気候条件や、水の管理がしやすくて大規模な水田を展開しやすい平坦な地形など好条件が重なり米どころになっている。</p>



<p>大田原市の語源の由来は「大俵（おおたわら）」といわれており、昔から米の生産が盛んな地域なのである。</p>



<h3 class="wp-block-heading">米の収穫量ランキング上位なのに、知名度が低い栃木県産米</h3>



<p>栃木県の米の生産は、2021年に農林水産省が発表した「水陸稲の時期別作柄及び収穫量（全国農業地域別･都道府県別）」データによると、収穫量のランキングは全国8位である。しかし、栃木産米はあまり有名ではない。それは、首都圏に近いという立地を活かして業務用米が主流になっているからだ。</p>



<p>業務用米とは、スーパーなどで販売される家庭用のお米ではなく、外食チェーンやコンビニのお弁当、給食などで使われるお米のこと。私たちが口にする機会は多いものの、食べる時に産地や銘柄を目にすることが少ないため、「栃木の米」としての認知度が広がりにくい側面がある。</p>



<p>実際、2017年の農林水産省のデータでは業務用向けの販売割合が高い上位10県で1位を記録し、7割近い数字が業務用向けになっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">知名度はないけれど、美味しい米ができる土地</h3>



<p>そんな環境で米作りをおこなう阿久津さん。実家が農家だったこともあり、大学を卒業してから農業にたずさわるようになり20年ほど経つという。今では共に米作りをおこなう父の跡を継いで5代目となった。</p>



<p>転機が訪れたのは約8年前にはじめて出品した「米･食味分析鑑定コンクール」だ。</p>



<p>阿久津さんは食味コンクールの存在は知っていたものの、それまで出品には至っていなかった。しかし、「この地域のお米は美味しい」、何より毎日食べている「自分のうちのお米はもっと美味しい！」という確かな自信はあったという。そこで、誰でも出品できることを知り、「出したら賞が取れるのでは？」と考え、楽な気持ちで出品した、と当時を振り返る。</p>



<p>しかし、初出品となる2016年「第18回米･食味分析鑑定コンクール」において、いきなり「都道府県代表 お米選手権」部門で特別優秀賞を受賞。自身の作るコシヒカリにこだわりはあったし、自信もあった。「なんだ、やっぱり出品すれば受賞できるじゃないか」と思った一方で、「コシヒカリ」での上位入賞の限界も感じたという。</p>



<p>というのも、コシヒカリは国内で最も作られている品種ゆえに、コンクールでも出品数が圧倒的に多く、全国の生産者がこぞって出品する。「コシヒカリでは、これより上を目指すのは厳しい」と限界を感じていた時、自分なりに「何かないか？」と探しはじめて出会ったのが「ゆうだい21」だった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">宇都宮大学で生まれた品種「ゆうだい21」との出会い</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3309.jpg" alt="" class="wp-image-54896" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3309.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3309-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3309-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ちょうどその頃「米･食味分析鑑定コンクール」で、ゆうだい21という品種が国際総合部門で金賞を受賞し始めた。</p>



<p>ゆうだい21は地元栃木県にある宇都宮大学の農学部附属農場で偶然発見した稲穂の株を元に、20年もの年月をかけて開発し2010年に品種登録された、国立大学生まれの米である。稲丈が伸びて倒伏しやすく、肥料や水分管理が繊細で技術を要するため、栽培難易度は高いとされているが、中山間地など手間をかけられる環境で真価を発揮し、コシヒカリ並かそれ以上の収量･品質を目指せる品種だ。さらにゆうだい21は、甘みが強く、米そのものの味がしっかりしているため、一般消費者にも受け入れられるとゆうだい21の可能性を直感し、翌年（2017年）からゆうだい21をつくることを決めたのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ゆうだい21をつくる前からの取り組み</h3>



<p>ゆうだい21をつくる前から、阿久津さんは「農薬を使わずお米をつくりたい」という思いを強め、農薬不使用栽培に取り組んでいた。きっかけは、家族のアレルギーを改善したいという考えからだったそう。</p>



<p>草取りから大変な農薬不使用栽培は、先代でもある父の理解を得るのに時間がかかったが、小さい面積から始めて、少しずつ認めてもらえるようになったという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ゆうだい21でも農薬不使用栽培を取り入れる</h3>



<p>そんな経緯があることから、ゆうだい21は農薬不使用で、3反歩（テニスコート約12面分）の栽培から始めた。</p>



<p>さらに少しずつ生産量を増やし、つくり始めて4年目には主食用の米を約4ヘクタールつくっているなかでゆうだい21を半分以上栽培したという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">なぜ阿久津さんがつくる「ゆうだい21」は美味しいのか</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3320.jpg" alt="" class="wp-image-54897" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3320.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3320-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3320-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ゆうだい21の特徴は、粒が大きくてツヤがあり見た目がキレイという印象。食べてみるとうま味が強くてバランスが良く、噛むほどに甘みを感じられると評価されている。</p>



<p>実際に食した方が「美味しい」と言って年々需要が増えており、阿久津農園でも栽培面積を毎年拡大させているという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">評価される品種でも「阿久津農園」が選ばれた理由</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3291.jpg" alt="" class="wp-image-54898" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3291.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3291-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3291-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>先にも述べたが、阿久津農園がある大田原市は米をつくるのに適した土地である。米は夜の気温が下がると美味しさの養分を吸い上げて穂に運ぶといわれている。</p>



<p>阿久津農園は山に囲まれており、標高は200m。日中と夜の温度差が大きく、味に影響を与えていると考えられる。また、近くを流れる蛇尾川（さびがわ）から田んぼに水を引き込むが、この蛇尾川は阿久津農園から上流4kmほどは地面の下を流れている川になる。そのため水温が低い状態で田んぼに引き込むことができ、水温の低さで夜の温度が下がりやすく、味に影響を与えているのだそう。</p>



<p>さらに阿久津農園の田んぼは、河川敷に位置する場所にありミネラルが豊富で肥沃（ひよく）な土壌というのが、通常でも美味しいゆうだい21をさらに美味しくする理由だろう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">農薬不使用栽培がゆうだい21のポテンシャルを引き上げた</h3>



<p>しかし、それだけではない。阿久津さんが取り組んできた農薬不使用栽培も理由のひとつだろう。</p>



<p>農薬不使用栽培で一番難しいのは雑草の除草作業だという。</p>



<p>その除草を可能にするために、植え付ける株と株の間を広げて、縦横から除草できるようにしているそう。通常苗は、1坪当たり50株植えるところ、農薬不使用のゆうだい21は「37株植え」という植え方にして4割ほど株を減らしている。</p>



<p>疎植栽培で株間が広くなると穂がV字に広がる空間ができ、株元の葉まで太陽の光がしっかりとあたる。また、栄養が行き渡るため大きな穂に育ちやすい。</p>



<p>さらに、株間の風通しが良くなり「いもち病」や「紋枯病」などの病気が発生しにくく、丈夫な稲を作ることができるという。</p>



<p>もちろん除草剤は使わないが、代わりに酵母菌や納豆菌、虫が嫌うレモングラスの抽出液など天然由来のものを散布して農薬不使用栽培を実現。それでも、時期によっては毎日田んぼに入って人の手で除草するという。</p>



<p>手間ひまかけてつくり上げた阿久津さんのゆうだい21は評判も高く、三越や伊勢丹、ザ･リッツ･カールトン日光などに提供。2025年にはニューヨークやロサンゼルスに店舗を構える日本産米専門店「the rice factory 」での取り扱いがはじまった。</p>



<p>特に海外は農薬不使用栽培の需要が高く、阿久津さんの取り組みが評価されている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ゆうだい21の栽培1年目から高い評価を受ける</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3296.jpg" alt="" class="wp-image-54899" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3296.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3296-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/SOL3296-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>阿久津農園がつくるゆうだい21は、つくり始めた１年目から「米･食味分析鑑定コンクール」の都道府県部門で金賞を受賞。</p>



<p>次の年は最上位部門である国際総合部門で特別優秀賞、４年目になる「第23回米･食味分析鑑定コンクール」では国際総合部門で金賞を受賞。「米･食味分析鑑定コンクール」で金賞を受賞した玄米の中から、「金芽米」で有名な米の総合メーカーである東洋ライスが独自基準で「美味と生命力」を重視して厳選した最高級の玄米を指す、東洋ライス主催の「東洋ライス世界最高米2022」に認定され、全国でたった4名の生産者の1人になり、世界最高米の原料米に選ばれた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ゆうだい21の伝道師</h3>



<p>今後はゆうだい21の生みの親でもある宇都宮大学が市町村などと組み、ゆうだい21で町おこしをおこなう計画もあるそうだ。</p>



<p>阿久津さんは宇都宮大学から「ゆうだい21の伝道師」に任命され、地元の生産者に栽培方法などを伝えていく。</p>



<p>ゆうだい21をきっかけに栃木産の米が全国で認知され、そこから品種を限定することなくすべての栃木県産米が注目を浴びる、そんな日が訪れたら良い。</p>



<p>そのためにも、まずは「ほかの品種とはちがった美味しさを持つ米『ゆうだい21』を食べてもらいたい」と、阿久津さんは伝道師の看板と責任を背負い、今日も普及の活動を続けていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54888/">栃木生まれの「ゆうだい21」で米づくりに向き合う「阿久津農園」阿久津政英さん／栃木県大田原市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>幸せのご縁を結ぶ神社「出雲大社」／島根県出雲市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 20 Jul 2026 02:56:18 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[縁結び]]></category>
		<category><![CDATA[大しめ縄]]></category>
		<category><![CDATA[国譲り神話]]></category>
		<category><![CDATA[神在月]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01663_142A4536.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「古事記」「日本書紀」に登場する、日本を代表する古社･出雲大社。国づくりの神･大国主大神（おおくにぬしのおおかみ）を祀（まつ）るこの神社は、旧暦10月に全国の神々が集まる「神在月（かみありづき）」の地としても知られている [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54871/">幸せのご縁を結ぶ神社「出雲大社」／島根県出雲市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01663_142A4536.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「古事記」「日本書紀」に登場する、日本を代表する古社･出雲大社。国づくりの神･大国主大神（おおくにぬしのおおかみ）を祀（まつ）るこの神社は、旧暦10月に全国の神々が集まる「神在月（かみありづき）」の地としても知られている。神々が人々の「ご縁」について話し合うと伝えられるこの地には、今も年間約200万人の参拝者が訪れる。人々が足を運ぶのはなぜだろうか。</p>



<h2 class="wp-block-heading">国づくりの神話が語り継がれる、日本屈指の古社</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01540__H6A9522.jpg" alt="" class="wp-image-54877" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01540__H6A9522.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01540__H6A9522-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01540__H6A9522-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>出雲大社の起源は「国譲り（くにゆずり）神話」にさかのぼる。出雲の国を築いた大国主大神は、神々の住まう世界とされる「高天原（たかまがはら）」の天照大神（あまてらすおおみかみ）の使者から、国を譲るよう求められ、最終的にその申し出を受け入れた。その際、自らを祀るための壮大な神殿を建てることを条件として示したと伝えられている。この神殿こそが、出雲大社のはじまりだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「むすびの神」として広がった信仰</h3>



<p>出雲大社といえば、「縁結び」の神社として知られている。恋愛成就のイメージを持つ人も多いが、祀られている大国主大神は、もともと人々の暮らしを支える神として信仰されてきた存在だ。</p>



<p>「大国主大神は、農業や医療など、人々の生活そのものを支える神様なんです」と語るのは、出雲観光協会 元事務局長の小野篤彦さん。</p>



<p>生活に関わるさまざまな分野を守る神として崇められ、その信仰の広がりの中で、人と人、物事を結びつける「むすびの神」としての特性が強く意識されるようになったという。</p>



<p>境内には家族や友人、一人旅の参拝者まで、さまざまな人が行き交い、手を合わせている。恋愛だけではなく、人生の節目や新たな出会い、日々のつながりを願って足を運ぶ人も少なくない。出雲大社の「ご縁」とは、暮らしそのものに寄り添う祈りなのだろう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本最古の神社建築「大社造」の堂々たる佇まい</h2>



<p>出雲大社の本殿は、日本最古の社殿様式とされる「大社造（たいしゃづくり）」。高さ約24メートルの大規模な高床式建築で、屋根の三角形が正面から見える「切妻･妻入り」の端正な姿が特徴だ。</p>



<p>塗料や彩色を施さない「素木（しらき）造」の柱と、厚く重なる「檜皮（ひわだ）葺き」の屋根が、古代建築の力強さを今に伝えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">日本最大級の大しめ縄と、圧倒的な存在感を放つ神楽殿</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01664__H6A9996-1.jpg" alt="" class="wp-image-54879" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01664__H6A9996-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01664__H6A9996-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01664__H6A9996-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>御祈祷や結婚式、奉納などが行われる神楽殿も、出雲大社を象徴する建物の一つだ。1981年に建て替えられた際、270畳にも及ぶ大広間へと拡張。その規模にあわせて掲げられたのが、日本最大級の大しめ縄だった。</p>



<p>長さ約13.6メートル、重さ約5.2トン。拝殿のしめ縄（長さ約6.5メートル、重さ約1トン）と比べると、その規模の違いは一目瞭然だ。一般的に考えれば、メインである拝殿のしめ縄より大きいものを掲げていることに違和感を覚えるが、じつは神楽殿は、明治期に出雲大社教の神殿として本殿とは別に大国主大神を祀ったことに始まる建物で、本殿とは成り立ちが異なる。神楽殿として独立した社殿だからこそ、その規模にふさわしい大しめ縄が掲げられているのだ。実際に目の前に立つと、その巨大さは想像以上。参拝者たちは思わず足を止め、見上げながら写真を収めていく。</p>



<p>しめ縄は、神が宿る神聖な場所を示すとともに、日常の世界との境界を表す結界でもある。</p>



<h3 class="wp-block-heading">他の神社では見られないユニークな特徴</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01559__H6A9602.jpg" alt="" class="wp-image-54880" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01559__H6A9602.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01559__H6A9602-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01559__H6A9602-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>出雲大社は他の神社とは異なる独自の習わしがいくつも残っている。<br>まず神様が鎮座する「御神座（ごしんざ）」が西を向いていること。一般的な神社では、太陽が昇る「東」または陽の光が当たる「南」を向いて建てられることが多い。西向きの理由については、「西から訪れる神を迎えるため」「夕日の方向を意識した」など諸説あるが、確かな答えはない。また、しめ縄にも特徴がある。一般的な神社では左側が太くなる形で綯（な）われるが、出雲大社では「綯い始めの太い方を右」に配している。これにも明確な理由は分かっていない。こうした謎の多さもまた、出雲大社の魅力の一つといえるだろう。<br>さらに、神を祀る儀式「祭祀（さいし）」は、「出雲国造家（千家家･北島家）」が代々担い、国譲り神話に由来するこの伝統により、本殿は特別な聖域とされているのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">古代には“高さ約48メートルの巨大神殿”があった？</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01583_142A3913.jpg" alt="" class="wp-image-54881" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01583_142A3913.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01583_142A3913-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01583_142A3913-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在の本殿は1744年（江戸時代中期）に造営されたもの。だが古代には、現存建物の約2倍となる高さ約48メートルの雄大な社殿が存在したと伝えられている。それを裏付けるかのように、2000年から2001年にかけて境内から三本の巨木を束ねた直径約3メートルの柱が三カ所から出土した。巨大建築を支えるための柱だったと考えられている。</p>



<p>さらに、伝承の中には高さ約96メートルに及んだという説も残る。背後にそびえる八雲山（やくもやま）に相当する高さであり、もしそうであったなら、古代の人々が見上げた神殿は、空へと伸びる塔のようだったのかもしれない。</p>



<h2 class="wp-block-heading">次の遷宮に向け、信仰を未来へつなぐ</h2>



<p>出雲大社では、社殿の造営･修繕に伴い御神体を仮殿または新しい社殿へ移す「遷宮（せんぐう）」が約60年に一度行われる。2008年から2019年にかけて行われた「平成の大遷宮」では、本殿や摂社（せっしゃ）･末社（まっしゃ）の修造が行われ、2013年には御神体を本殿に戻す遷座祭（せんざさい）が執り行われた。約1万本の国産ヒノキを用い、広大な檜皮葺き屋根も葺き替えられた。</p>



<p>また、次の遷宮を見据え、中国山地に新たな植林も実施。使える木になるまでには100年以上かかるため、植えた人がその木を使うことはほとんどない。</p>



<p>60年という節目は、人の一生にも重なる年月。遷宮では、時代に合わせて技術や方法を変えながらも、祈りの本質を次世代へ受け継いできた。社殿が新しく生まれ変わることで、地域全体にも新たな活気がもたらされると考えられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">神の存在をふと感じる</h3>



<p>「神話とか本では、神様が人間と同じ形で描かれていますよね。でも本来は、目に見えないものを感じることなんじゃないかと思うんです」。小野さんは、平成の大遷宮で体験した出来事を振り返る。</p>



<p>2013年の遷座祭の日。激しい雨が降っていたという。ところが神事が始まると、雨はぴたりとやんだ。そして神事が終わった瞬間、再び大粒の雨が降り始めた。<br>「偶然かもしれません。でも、そういう体験をすると『ああ、何かあるのかもしれないな』と思うんですよ」。</p>



<p>出雲大社には、古くから多くの人が祈りを捧げ、信仰を受け継いできた歴史がある。境内に漂う神聖な雰囲気もまた、人々がこの場所に思いを寄せる理由の一つなのだろう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日常に感謝し、心豊かな人生を願う</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01589_142A3962.jpg" alt="" class="wp-image-54882" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01589_142A3962.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01589_142A3962-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01589_142A3962-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「出雲大社に訪れる方々が信じる宗教はさまざま。でも、根本の考え方はみんな同じなんです」と小野さんは語る。</p>



<p>神社で大切にされてきた神道（しんとう）は、長い歴史の中で仏教や儒教（じゅきょう）などの思想と関わりながら発展してきた。他宗教に寛容で、土地や人々のつながりを大切にする信仰として、今も暮らしの中に息づいている。</p>



<p>参道には厳かな空気が漂い、早朝から夕方まで手を合わせる人の姿が絶えない。</p>



<p>人と人のつながり、自然の恵み、そして今ここに生きていること。出雲大社は、そんな日常の尊さを思い出させてくれる場所なのかもしれない。</p>



<p>厳かな雰囲気の中、神殿に手を合わせると、不思議と心が落ち着く。</p>



<p>だからこそ人々はこの地を訪れ、目に見えない「ご縁」に思いを重ねながら手を合わせるのだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54871/">幸せのご縁を結ぶ神社「出雲大社」／島根県出雲市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>「美味しい」の一言が茶栽培の原動力。「お茶の川谷園」川谷哲也さん/大分県中津市</title>
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		<pubDate>Mon, 13 Jul 2026 10:10:52 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[あさつゆ]]></category>
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		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[日本茶]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2804.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大分県北部、険しい岩山と清流が織りなす耶馬溪町（やばけいまち）の山間地に、緑の茶畑が広がっている。ここで茶葉の栽培から販売までを一手に担うのが、「お茶の川谷園」2代目の川谷哲也さんだ。静岡以西では初めて「茶聖」の称号を授 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2804.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大分県北部、険しい岩山と清流が織りなす耶馬溪町（やばけいまち）の山間地に、緑の茶畑が広がっている。ここで茶葉の栽培から販売までを一手に担うのが、「お茶の川谷園」2代目の川谷哲也さんだ。静岡以西では初めて「茶聖」の称号を授かり、大分の茶づくりをリードする存在として知られている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">国の事業をきっかけに、山の土地でお茶を育てる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9371.jpg" alt="" class="wp-image-54855" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9371.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9371-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9371-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川谷園の茶葉生産の歴史が始まったのは、昭和49年のことだ。もともと川谷さんの祖父は山仕事をメインに、炭焼きやシイタケ栽培といった山仕事を営んでいた。そして父の代になった頃、国の事業で茶の栽培が行われることに。祖父の代の山仕事では収益が低かったことに課題を感じていた川谷さんの父が開墾された土地に入ったことがきっかけで、茶業に関わり始めた。当初は、日本の茶畑のおよそ7～8割を占める「やぶきた」をはじめとした3〜4品種だったが、川谷さんがこの世界に入って品種の勉強を重ね、さまざまな品種を取り寄せた結果、現在はさえみどり、あさつゆ、あさのか、はるみどり、やぶきた、おくみどり、さきみどりの7品種に少量の紅ふうきを加えた、計8品種を育てるまでになった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">専門家も猛反対した「あさつゆ」への挑戦</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2697.jpg" alt="" class="wp-image-54856" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2697.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2697-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2697-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そのなかでも、川谷さんの栽培への情熱を象徴する品種がある。その圧倒的な旨みと鮮やかな緑色から&#8221;天然玉露&#8221;とも称される「あさつゆ」だ。極めてデリケートで寒さに弱いこの品種を冬の冷え込みが厳しい耶馬溪で育てることは、専門家の目には「無謀」と映り、試験場の先生からも猛反対を受けたという。それでも川谷さんは耶馬溪の自然が育むお茶の可能性を信じ、その一歩を踏み出した。</p>



<p>「当時は父親も元気だったのですが、先生から頭ごなしに”無理だ”と言われたことで、我々の反骨精神に火が付いたというのも、栽培に踏み切った理由のひとつです」と川谷さん。</p>



<p>川谷園が位置するのは標高およそ550m。茶の栽培には日中の寒暖差がある土地が向いているとされる一方、霜が降りるほど寒すぎると葉がだめになってしまう。川谷園はまさにそのギリギリのエリアであり、実際に霜害に遭うこともある。しかし川谷さんは、「厳しい環境で育った茶葉はまろやかで薫り高い良い芽になる」と言う。寒さに弱いというあさつゆの特徴は、見方を変えれば、厳しい冬を乗り越えた際にとてつもない甘みとコクを蓄えるポテンシャルでもある。逆境が、味わいの深みを生むのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統を礎に、科学で進化させた肥料へのこだわり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9338.jpg" alt="" class="wp-image-54857" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9338.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9338-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9338-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>品種への探究と並走するように、川谷さんが力を注いできたのが土づくりだ。良い茶の栽培には良い土が欠かせない。そして良い土を作るのに欠かせないものといえば、栄養を与える肥料だが、父の時代は、えごまの搾りかす、菜種かす、魚かすをそれぞれ別々に畑に撒き、また新芽を出すためには硫安という窒素肥料も別に与えていた。しかし栽培面積が広がり、肥料やりを一手に担うようになった川谷さんは、すべてを別々に行うことの難しさに気づく。そこで思いついたのが、最初から全ての材料を混ぜてひとつの肥料にする方法だ。時を同じくして、「肥料の中身から、好きなようにやっていい」と父から言われたことが転機となり、自分なりのブレンドへと踏み切ったのが5年ほど前のことだ。</p>



<p>川谷さんが辿り着いた配合には、二つの大きな工夫がある。ひとつは、従来の魚かすではなく、魚の内臓や骨を含む魚粉・骨粉を使うことだ。複雑なミネラルと旨み成分を土に蓄えるためだという。もうひとつは、植物の成長に欠かせない窒素成分を補うために、マイナス196℃の液体窒素を肥料に加えることだ。それにより生まれたのが、内容物のほぼすべてが有機素材で構成された、川谷さん独自の配合肥料である。</p>



<p>さらに、茶の新芽を出す「芽出し」のために液体肥料の「ソリュブル」も取り入れている。ソリュブルは魚の煮汁を濃縮した、ミネラルとアミノ酸が豊富な有機液体肥料で、以前使っていた硫安と比べてもお茶の味の深みや濃さが変わった気がしているという。「ただ、ソリュブルは臭いんです。魚の煮汁なので、皮膚についたら2日間くらいはいくら洗っても取れません。手についていたら、食事の時に全部その味に感じられてしまうくらい強烈で」と、川谷さんは笑いながら話してくれた。</p>



<p>伝統を大切にしながらも、科学的な探究心で磨き上げられた川谷園の一杯には、耶馬溪の厳しい風土と、それに挑み続けた川谷さんの執念が凝縮されている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">一途に続ける、手もみという技</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2812.jpg" alt="" class="wp-image-54858" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2812.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2812-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2812-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川谷園では、手もみ茶も取り扱っている。機械を一切使わず人の手だけで仕上げる手もみ茶は、江戸中期に京都宇治の茶業家・永谷宗円が考案したとされるもので、茶の葉を蒸して柔らかくした後、手でほぐし、転がし、捏ねて揉んでという作業を立ちっぱなしで行った後に乾燥させて仕上げるという工程をおよそ6時間かけて行う。出来上がった茶葉は針のように細長く、機械によって余計な力をかけられていない分、湯に浮かべると摘み取ったときの茶の葉の形に戻るという。煎れた時の色はきわめて薄く、乳白色が最上とされる手もみ茶は、口に含めばその色の薄さからは想像もできないほどの濃厚なうま味が広がる。手数の多さから量産はできず、また熟練の技術が必要なことから揉み手も減っているため、市場に出回れば手もみ茶にきわめて高い値がつく。</p>



<p>川谷さんが手もみ茶と出会ったのは、高校卒業後に国立試験場の研修生として学んでいた19歳のときだった。そこで研修同期だったのが、のちに全国手もみ茶品評会で8度の日本一に輝き、日本で初めて「永世茶聖」の称号を授かった中島毅だ。同い年の2人は切磋琢磨しながら技術を研ぎ澄ませ、やがて川谷さんも品評会の舞台に立つようになる。2011年には農林水産大臣賞（1等1席）を受賞し、静岡以西では初めてとなる「茶聖」の称号を授かった。</p>



<p>手間がかかり量産もできない手もみ茶を、なぜ川谷さんは続けるのか。そこには、過去の後悔がある。これまで2度、品評会を欠場したことがある。1度目は手もみの当日朝にぎっくり腰になったとき、2度目は手もみを続けることへの諦めの気持ちが生まれたタイミングだった。しかし、欠場して楽になった気持ちを1とすれば、「やっぱり出場しておけばよかった」という悔いが50から60ほどあったという川谷さん。品評会の結果云々という話ではなく、その年のお茶がどういうものかを感覚で確かめるためにも手もみをしよう——欠場したことで、逆に手もみの存在を実感したことが、今も川谷さんを手もみ茶へと向かわせている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「お茶らしいお茶」を、一杯の中に</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2768.jpg" alt="" class="wp-image-54859" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2768.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2768-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2768-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川谷園では手もみ茶のほか、煎茶、深蒸し茶、ほうじ茶など幅広いラインナップを揃えており、そのなかには客の声から生まれた商品も少なくない。</p>



<p>川谷さんが目指す味は、「お茶らしいお茶」だ。世の中で「おいしいお茶」といえば、往々にして甘みの強いものが注目されがちで、世間の多くの人もまた、そうした甘味の強いお茶こそを「美味しい」と口にする。かつての川谷さんも、その声に応えるかのように、ひたすらに甘みを追い求める時期があった。しかしその市場で戦い続けることへの疑問が拭えず、考え方を変えた。甘いだけではなく、キリっとした渋みと爽快感が走る。その味わいを理想に据えて辿り着いたのが、上深蒸し茶「翠」だ。毎年最初に仕上げるのもこの「翠」で、前年のものと飲み比べながら納得のいくブレンドを探るため、新茶を摘んでから商品化まで最低でも2週間ほどかかるという。物流が発展した現代では、産地に近い茶舗には摘み取りから3～5日で商品として並ぶ場合もあると考えると2週間はきわめて長いが、川谷さんのこだわりの結晶だともいえるだろう。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2858.jpg" alt="" class="wp-image-54860" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2858.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2858-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2858-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一方、「作らない」と長らく決めていたにもかかわらず、客のリクエストに折れてラインナップに加えた商品もある。玄米茶だ。緑茶は50gや100g単位でパッケージとして売られているのに対し、玄米茶は500gや1kgという大容量である場合が多い。それだけの量があると、一度玄米茶を買ってしまったらしばらくの間ずっと玄米茶ばかりを飲み、緑茶を飲む機会が減るという、川谷さん流に言うと「負の玄米茶ループ」にはまってしまう。それを懸念し、玄米茶は作らないという姿勢を貫いていたものの、熱烈なリクエストを受けるうちに「自分のところで作った玄米を使えばいいのでは」という考えに至り、作ることを決意する。</p>



<p>それが、「my玄米」と名付けられた一品だ。袋を開けて驚くのは、そこに緑茶の葉が一枚も入っていないこと。文字通り、丁寧に香ばしく弾けさせた「玄米だけ」が収められている。あえて緑茶と混ぜ合わせない。この引き算の美学が生んだのは、これまでの玄米茶の常識を覆す自由度だった。玄米茶として味わうならば、緑茶は客が自分で用意する必要がある。「my玄米」においては、「玄米茶を飲み始めると緑茶の消費が減る」という川谷さんの懸念は解決された。加えて、クルトンやあられの代わりにサラダやお茶漬けに使えるという新しい提案により、既存の玄米茶のイメージを軽やかに超えていった。さらにお湯にも水にも溶けるスティックタイプの粉末玄米茶も開発し、こちらも好評を博している。</p>



<p>粉末のお茶は、東京のジェラート屋や千葉のシフォンケーキ教室でも採用されるなど、飲むだけにとどまらない新しい消費者層の開拓にもつながっている。「飲むだけに限らないところが、茶はまだまだ夢がある商品だと感じられる」と川谷さんは目を細めた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">九州のレベルを上げ、若手を育てたい</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9322.jpg" alt="" class="wp-image-54861" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9322.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9322-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9322-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>茶の有名産地といえば静岡や狭山（埼玉県）が真っ先に思い浮かぶ。大分の名はなかなか前面には出てこない。もし自分が産地の中心で茶を作っていたら、競争に勝てなかっただろうと川谷さんは率直に語る。「おそらく今の九州で、このクラスの手もみ茶を作れるのは自分だという自負はあります。しかし全国の品評会となると歯が立たないこともある。そういう時、九州のレベルがどれだけまだまだなのかを痛感します」と、川谷さん。もちろん九州にも、全国の茶品評会で上位に入る八女市や嬉野市がある。しかし、手もみ茶ではなく別部門においてだ。手もみ茶では、狭山などに遠く及ばない。&nbsp;</p>



<p>だからこそ川谷さんが強く意識しているのが、九州の茶づくりのレベルを上げること、そして若手を育てることだ。品評会に出るには全国組織への加盟が必要だが、大分県にはその組織がなく、川谷さん自身も福岡県・八女の組織に所属している。その八女に育ちつつある若者がいる。その人物と2人で九州の手もみ会を再び盛り上げようというプロジェクトが、今まさに動き始めている。将来的には九州各県に1人ずつ全国に打って出られる作り手を育て、品評会で九州勢が一等に並ぶような未来を、川谷さんは真剣に思い描いている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「おいしいね」の言葉に力がみなぎる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2827.jpg" alt="" class="wp-image-54862" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2827.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2827-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2827-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川谷園の初代である父が亡くなったのは、2022年のことだ。父が生きていた頃は「自分がやれることを8割の力でやる」という目標を持っていたが、家業をすべて一人でこなすようになった今は、100や120の力を出さなければ間に合わないことを痛感しているという。それは決して楽ではない。しかし、同業者や客から「川谷園のお茶は美味しい」と言われるたびに力がみなぎる。市場の変化は激しく、正解のルートなどないけれど、味わいも含めて柔軟にトライし続けていく。その姿勢を川谷さんは「客の口に入るまでが戦い」と表現した。</p>



<p>ペットボトルの緑茶ドリンクに押され、生の茶葉を売ることをやめてドリンク専用工場へ向かう茶業家も増えているのが現状だ。しかし川谷さんはそこに異を唱える。「学校に行って、茶について深く学んだじゃないか」と。茶の末端価格は野菜のような大きな値崩れが起きにくい。ならば必ず、問屋や社長ではなく茶葉を育てる農家自身が儲かるための突破口があるはずだ。そう言い続け、「生産者のやり方がまだあるはず。それを考えよう」と仲間に呼びかけてきた。</p>



<p>高校卒業後の研修で同期と笑い交じりに語り合った夢は、「みんなでベンツに乗って同窓会ができるくらいになろう」というものだった。あれからおよそ25年。その夢は今、「皆で儲けて、皆で幸せに。そして、その環境を取り巻く人たちまでも幸せにしたい」という思いへと深まっている。お茶づくりを通じて人を幸せにしたい。川谷さんのお茶は、その想いとともに今日も山の茶畑から生まれ続けている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54845/">「美味しい」の一言が茶栽培の原動力。「お茶の川谷園」川谷哲也さん/大分県中津市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>土佐備長炭の技術を守り、仲間を増やし、原料の植林に邁進する炭の達人「合同会社 炭の森生」／高知県室戸市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 13 Jul 2026 09:58:52 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[土佐備長炭]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-085120.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県は備長炭日本一の生産量を誇る。その中心が室戸市。伐りたてのウバメガシを原料とし、20日間ほどの工程を経て焼き上げられる土佐備長炭。その第一人者の製炭士は、後継者の育成、材料の確保、そして環境保全という室戸（むろと） [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54827/">土佐備長炭の技術を守り、仲間を増やし、原料の植林に邁進する炭の達人「合同会社 炭の森生」／高知県室戸市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-085120.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県は備長炭日本一の生産量を誇る。その中心が室戸市。伐りたてのウバメガシを原料とし、20日間ほどの工程を経て焼き上げられる土佐備長炭。その第一人者の製炭士は、後継者の育成、材料の確保、そして環境保全という室戸（むろと）の未来を見据えた活動に尽力している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">炭の宝を育む、室戸の風土</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-01.jpg" alt="" class="wp-image-54836" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-01.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-01-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-01-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>かつては大型台風が再々上陸することで有名になった高知県東部、室戸市。海岸エリアは漁業の町として栄える一方、その山奥深くには、今も静かに煙をあげる土佐備長炭の窯が点在している。そのひとつに、47年以上にわたり炭を焼き続けてきた製炭士、森本生長（せいちょう）さんの仕事場がある。</p>



<p>森本さんが土佐備長炭を焼く窯場は、室戸市を流れる清らかな羽根（はね）川の上流に位置する。土佐における白炭（木炭）づくりの歴史は江戸時代まで遡る。ここ室戸は、海岸沿いや岩場といった厳しい環境で育つウバメガシをはじめ、アラカシやウラジロガシなど、重くて堅い木が自生する土地。明治時代、紀州の炭焼き職人が羽根の地に移り住んだことで、その高度な技術が伝承された。地元の職人たちはさらなる窯の改良に励み、やがて室戸は備長炭の産地として全国から注目を集めることとなる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">土窯の研究は一生終わらない</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-083908.jpg" alt="" class="wp-image-54837" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-083908.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-083908-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-083908-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2017年（公社）国土緑化推進機構より「森の名手・名人」の選定を受けるなど、今や製炭業界で著名な森本さんも、10代の頃はパイロットを志していた。高校卒業後は航空電子系の専門学校で学ぶが、途中でその夢を断念。30歳まで東京でサラリーマン生活を送った後、将来を見据えて帰郷する。</p>



<p>当時は米づくりや畜産を営む傍ら、山でウバメガシなどを伐り出し、製紙会社へパルプの原材料用として売っていたという。転機になったのは、地元で唯一備長炭をつくっていた先輩からの勧めだった。「これをパルプに持っていくのはもったいない、私が教えるから炭を焼いてみないか」との誘い。それが備長炭との出合いになった。</p>



<p>&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;昭和30年代に入って、家電用品等の発達により木炭産業は急速に斜陽化へと追い込まれた。そのため山から離れる製炭士が多くいた。森本さんは山に残されていた土窯を修復し、先輩のアドバイスを仰ぎながら試行錯誤を重ねた。素人ながらもそこそこ出来の良い炭が焼け、「父親もビックリしたんです」と森本さんは笑う。</p>



<p>「同じ工程を続けていたのに、次第に炭の出来が悪くなっていきました。それで調べてみると、窯の壁に亀裂が入っており、熱が逃げていたんです。それを修理して再び焼いてみたところ、見違えるような上等な炭になりました。それがきっかけで窯そのものに興味を持ち、本格的な勉強を始めました」。</p>



<p>当時は周辺に炭焼きのベテランが多く、天井の形ひとつとっても、徳利（とっくり）型を得意とする人や、円形を得意とする人など、それぞれの技を参考にしていったという。森本さんは「窯底の熱を蓄える保温力、窯の気密性、そして強度。この３点が窯づくりにおいて最も肝心な要素だ」と語る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">灼熱の窯。その熱を全身で受けて立つ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others07.jpg" alt="" class="wp-image-54838" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others07.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others07-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others07-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>黒炭と白炭は、原料の木というより「焼き方と仕上げ方」の違いで分かれる。土佐備長炭が分類される白炭は、1,000度を超える高温で一気に炭化させ、窯から赤熱したまま掻き出して土と灰をかけて急冷する。この急冷でできる表面の白い灰がその名の由来であり、硬く締まって叩くと澄んだ金属音を響かせ、火力が強く長時間燃え続ける。対する黒炭は、比較的低い温度でじっくり焼き、窯を密閉して炭化させたあとそのまま窯内で冷ます。仕上がりは黒くやわらかで、火付きがよく扱いやすいため、飲食店などの専門店で愛用される白炭に比べ、レジャーや家庭用などに好んで使用される傾向がある。</p>



<p>白炭の代表格とも言える備長炭において、室戸が日本一の産地となった背景には、いくつもの条件が重なっている。原木に最適なウバメガシをはじめとするカシ類が豊富に自生していたこと、明治40年(1907年)、四国遍路で室戸を訪れた紀州の炭焼き職人・植野蔵次が、当時の土佐の未熟な窯の欠点を見抜き、紀州備長炭の製炭技術を伝授したこと、土佐の風土に合わせて窯を改良し、大きな窯で良質な炭を量産する技術が根づいたこと、など。</p>



<p>そして、何より森本さんらによる後継者育成と植林を通じた、持続可能な生産体制があったことが非常に大きい。</p>



<p>では、その土佐備長炭はどのようにして作られるのか。まず森本さんは山からウバメガシを伐採し、窯へ原木を投げ入れるように、横に並べていく。その際、あえて重なる部分を設け、空気の道をつくる。そこから火を入れて加熱し、一週間ほど蒸し込んで原木の水分を飛ばしていく。森本さんは、この段階の管理が重要だという。原木の含水率が高いままだと、後からひび割れが生じ、質の良い炭にならないからだ。水分の多い初期段階では煙突から白い煙が出るが、乾燥が進むにつれて次第に透明へと変化する。熱気に耐えながら煙に手を当て、湿るとまだで、肌触りがサラっとした状態になれば、乾燥が進んだ合図である。</p>



<p>乾燥が終わると密閉し、ごく少量の空気を送り込んで蒸し焼きにすることで炭化させる。この作業は「ねらし（精錬）」と呼ばれ、炭に含まれる不純物を燃やし切る重要な工程だ。炭化が完了し、窯の口を開けて空気を送り込むと、内部は1,000度を超える高温を生み、高炉の鉄のように真っ赤になった木を掻き出し、土と灰をまぜた「素灰（すばい）」をかけ急速に消火、急冷することで、炭の表面が白っぽくなる。</p>



<p>世界にも類がない硬質の炭は、打ち合わせると、キーンと金属のような、美しく澄んだ音を響かせる。</p>



<p>窯入れから窯出しまで、20日前後を要する。焼きあがった炭は、その形状や太さに応じて選別され、サイズを揃えたのち、除湿室に入れて、水分が戻らないように管理する。</p>



<h2 class="wp-block-heading">食文化を支える世界最高峰の炭</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others11.jpg" alt="" class="wp-image-54839" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others11.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others11-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others11-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「見た目も綺麗で、長時間燃焼するのが良い備長炭」と森本さんはまっすぐに見つめて話す。質の高い炭になれば、３時間でも４時間でも燃焼し続ける。だが、完璧な備長炭を作ることは難しいと正直に明かす。炭化させる「ねらし」をかけすぎると、見た目は美しい炭になるが、燃焼成分が抜けすぎて火力が落ちてしまう。「その微妙な加減を攻めなきゃいけない」という言葉には、長年の経験に裏打ちされた炭焼きの奥深さが宿る。そして、「この備長炭は食文化にも貢献している、世界最高峰の炭だから」と少年のように目を輝かせる。</p>



<p>備長炭は長時間燃焼するだけでなく、煙が出ないため、食材に余計な匂いがつかず素材本来の味を活かすことができる。繊細な味を求める料亭やうなぎ店、焼き鳥店などからの需要は絶えず、常に品不足の状態だ。問屋からの催促に追われるなか、今年も２か月に３回のペースで窯入れを行うという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">後継者は大歓迎</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others05.jpg" alt="" class="wp-image-54840" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others05.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others05-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others05-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>もちろん、これまですべて順調だったわけではない。昭和後期から安価な中国産の備長炭が出回り始め、国内産は大打撃を受けた。まだ若手だった森本さんの炭も、売れない時期が続いたという。その後2000年代になって中国が木炭の輸出を禁止したが、この20年足らずの間に、60人程いた製炭士は、20人ほどまでに減り、全体の3分の２が窯を離れた。</p>



<p>現在は生産量に限りがある一方、国内だけでなく海外からも引き合いがあるため、備長炭不足の状況が続いている。森本さんは「備長炭を仕事にしたい若者がいれば大歓迎」と、仲間を増やしたいと考えた。新規参入者が一歩を踏み出しやすいよう、収入を得やすい省力窯の導入や機械化を推進してきた。また、室戸市長に掛け合い、2011年には後継者育成制度をつくり、毎年３人ほど研修生を受け入れた。彼らが独立した後も、原料となるウバメガシの調達を含め、フォローを欠かさない。</p>



<p>すでに30人以上が森本さんから学び、そのうち10人程が独立して、高知県内外に窯を構えている。現在室戸市には30人程の製炭士がいる。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>山の厳しさを実感する</strong></h2>



<p>森本さんの窯から車で10分ほど走ると、所有する山がある。見るからに険しい山の頂上まで行けるよう、自ら重機を操ってジグザグに道を切り拓き、４駆の軽トラなど運搬車が登れるよう整備したという。皆が頂上の奥にあるウバメガシをチェーンソーで伐り出す。運搬車が入れない場所では、ワイヤーを使って吊りあげながら搬出する。</p>



<h3 class="wp-block-heading">土佐備長炭の未来を、つなぐ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-104748.jpg" alt="" class="wp-image-54841" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-104748.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-104748-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-104748-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ウバメガシの親株の枝や幹の一部に傷をつけて発根させた「取り木」を植えるほか、森林組合などに委託して苗木の植樹もしている。製炭士1人が年間で使用するウバメガシは1ha（ヘクタール）約5000本で、40haあれば生育から伐採までのサイクルを安定させることができる。</p>



<p>その理由として、備長炭の炭材であるウバメガシは、伐っても切り株から芽吹く「萌芽（ほうが）更新」で、約20年をかけて再生していく。40haをその周期に合わせて区画ごとに順に伐っていけば、一巡する頃には最初の区画がじゅうぶんに育つため、植え直しも開墾も要らず、製炭士1人が仕事を続けられる環境を維持できるというわけだ。</p>



<p>「昨年は4万本、8ha植えたけれど、あと100haぐらいは植えんといかん」と話し、案内してくれたのは苗木ポットが並ぶ場所だった。「これはウバメガシ、こっちはウラジロガシ、クヌギ。この３種類を中心に植えようと思っています。ウラジロガシは薬にも使えるし、良い炭にもなる。クヌギは茶道で使われる菊炭に。どんぐりの実は動物の餌になる。自然環境を守るならやっぱり広葉樹のほうがいい。根を張って土砂崩れを防ぐし、木を伐っても元へ戻るしね」と話す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">無形文化財登録、その先の夢へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-110343.jpg" alt="" class="wp-image-54842" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-110343.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-110343-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-110343-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>３回目の挑戦となるが、県と製炭士たちは土佐備長炭の「無形文化財登録」を目指している。森本さんは「技術の保存と品質の安定。土佐備長炭の名を冠する以上は、一定の品質を守りたい」と語る。さらに「無形文化財に指定されれば、世界遺産を目指せそうな気がする」と笑みをこぼす。「地域全体で原料のウバメガシを半永久的に持続可能にし、産業を成り立たせていく。二酸化炭素の排出を抑え、環境も守る。これほどの循環モデルは他にないと感じています」と、その想いを語った。</p>



<p>後継者育成、原料確保、そして環境保全。この3つの課題に取り組みながら、土佐備長炭と地域の未来を切り拓くベテラン製炭士の歩みは、止まることを知らない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54827/">土佐備長炭の技術を守り、仲間を増やし、原料の植林に邁進する炭の達人「合同会社 炭の森生」／高知県室戸市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>山田町の原木椎茸を牽引し続ける。茸の匠･芳賀榮三さん／岩手県山田町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 13 Jul 2026 09:46:46 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[原木椎茸]]></category>
		<category><![CDATA[茸の匠]]></category>
		<category><![CDATA[名人]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi26.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>岩手県沿岸のほぼ中央に位置する山田町。太平洋に面していることから、漁業のまちとしての印象が強いが、町の特産に原木椎茸があり、全国規模で行われる品評会では、毎年のように町内から農林水産大臣賞受賞者を輩出してきた。そんな山田 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54808/">山田町の原木椎茸を牽引し続ける。茸の匠･芳賀榮三さん／岩手県山田町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi26.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>岩手県沿岸のほぼ中央に位置する山田町。太平洋に面していることから、漁業のまちとしての印象が強いが、町の特産に原木椎茸があり、全国規模で行われる品評会では、毎年のように町内から農林水産大臣賞受賞者を輩出してきた。そんな山田町における原木椎茸の先駆者と言えるのが、全国でも数名しかいない名人格のうちの一人･芳賀榮三さんである。</p>



<h2 class="wp-block-heading">冷涼な気候と豊かな山が原木椎茸を育む</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi6.jpg" alt="" class="wp-image-54816" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi6.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi6-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi6-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>岩手県下閉伊郡（しもへいぐん）山田町は東側に太平洋、西側に北上山地の山々が連なる自然に抱かれた町だ。山にはブナやナラ、アカマツなどの広葉樹が豊富に植生していることから、原木椎茸の生育適地として、椎茸栽培が盛んに行われている。原木椎茸は直射日光が当たらず風通しがよく、適度な湿度がある場所を好むため、草木が日除けとなったり、標高による冷涼な気候や、樹木が呼吸をすることで適度な湿気が保たれる山林の環境は好条件なのだ。</p>



<p>ちなみに椎茸には栽培方法によって「原木椎茸」と「菌床椎茸」があり、スーパーなどで販売されている生の椎茸は菌床椎茸が多い。その理由として、菌床椎茸は、おがくずを固めた菌床ブロックに人工的に養分を加えて育てるため3〜6か月で収穫でき、原木椎茸に比べて成長速度も4倍近く早い。加えて設備さえ整っていれば場所を選ばず、気候にも左右されないため、生産量も安定する。</p>



<p>一方、原木椎茸は天然の木に種菌を植え付けるので、木の養分のみで育つため成長には時間を要する。種菌を植え付ける榾木（ほたぎ）さえあれば、室内でも栽培することは可能だが、条件の整った自然の中でじっくり育った原木椎茸は、特段、味も強く、傘も肉厚になるのだという。</p>



<p>山田町では、この原木椎茸を乾燥させ乾椎茸（ほししいたけ）に加工することが多い。乾椎茸の中でも傘が大きく形が良いものは贈答品や高級食材として重宝されている。&nbsp;</p>



<h3 class="wp-block-heading">高級食材でもある山田町の乾椎茸</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi5.jpg" alt="" class="wp-image-54817" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi5.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi5-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi5-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>乾椎茸には、いくつかの呼び名がある。「花どんこ」は、傘の表面に花のような白い亀裂が入ったもので、見た目の美しさから贈答用に使われることが多い 。「こうしん」は、どんこよりも傘が開きヒダがあるものを指し、よく出汁が出るため、煮物などに重宝されている 。全農乾椎茸品評会には「こうしん中葉厚肉」や「花どんこ」「どんこ」などの部門があり、色･形･大きさなどによって審査される。</p>



<p>これらの品評会で賞を取るほどの 乾椎茸は、高級食材としてホテルや料亭などで使用される。見た目もよく味も良い山田町の乾椎茸は、料理人や寿司職人などから引っ張りだこだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">原木椎茸の名人として</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi2.jpg" alt="" class="wp-image-54818" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>原木椎茸の名人･芳賀榮三さんは、山田町の中でも内陸に位置する豊間根地区にきのこ工房を構え、原木椎茸を栽培している。秋になると山に入り松茸も採る。山を知る芳賀さんがとる松茸は品質が良いと評判で、周囲からは「茸の匠（きのこのたくみ）」とも呼ばれている。</p>



<p>芳賀さんが原木椎茸の栽培を始めたのは1983年。38歳の頃だ。全国の品評会で初めて農林水産大臣賞を受賞したのは49歳の時。その後も「花どんこ」の部で農林水産大臣賞を５回受賞。最高位の常連になった芳賀さんは「名人位」を授けられた。以来、部門を変えて出品し、受賞を重ねている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">山田町に豊富にあるナラの木で原木椎茸を栽培</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi12.jpg" alt="" class="wp-image-54819" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi12.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi12-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi12-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>芳賀さんの原木椎茸は、露地栽培とハウス栽培の両方で行われる。椎茸の菌を植える榾木（ほだぎ）は、ナラの木を使う。榾木に適しているのは針葉樹ではなく、広葉樹だ。 他県ではクヌギを使うことが多いが、山田町の山林にはクヌギが生えておらず、一方でナラが豊富にあるため、ナラを使っている。ナラの木は樹皮に亀裂があり、椎茸の種菌（たねきん）を植えやすいという特徴もある。芳賀さんは「ほかの広葉樹で栽培するところもあるが、試してみてもやっぱりナラの木で作った椎茸が美味しい」と言う。 椎茸は涼しく程よい湿度がある場所で育つため、榾木には直射日光が当たらない方がいい。そこで、露地栽培と言っても背の高い樹々に覆われた山林の中で栽培される。椎茸の大きさは榾木の大きさに比例するという。太くて立派な榾木であれば、椎茸も大きくなるというわけだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">山田町の原木栽培を牽引する存在</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi11.jpg" alt="" class="wp-image-54820" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi11.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi11-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi11-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>芳賀さんが原木椎茸の栽培を始めた1983年は、ちょうど山田町が椎茸栽培に力を入れ出した頃と重なる。同じ時期に原木椎茸を始めた人たちがたくさんいた。しかし、平成に入ると安価な中国産が出回るようになり、市場価値が低下。山田町の原木椎茸も苦境に立たされた時期があった。なかにはその頃に廃業してしまった人もいるという。そのような中でも、芳賀さんは精力的に全国の品評会に出品を続けた。&nbsp;</p>



<h2 class="wp-block-heading">原木椎茸の未来に思いを馳せる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi15.jpg" alt="" class="wp-image-54821" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi15.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi15-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi15-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>芳賀さんは80歳を過ぎてもなお、精力的に原木椎茸を作る。「菌床椎茸よりも原木椎茸のほうが、歯ごたえがあって旨味もある」と言い、原木椎茸にこだわる。<br>品評会で受賞する原木椎茸は、傘の大きさ、色、形をできるだけ揃えたものを出品するのだという。同じ大きさの椎茸を数多く育てるには、榾木の大きさも揃えなければならない。榾木の直径は約18㎝。重さもあることから、高齢の芳賀さんにとって榾木の管理は重労働だ。</p>



<p>「ずっとハウスの中に入れておくと高温障害が出る。7月になればハウスの中は暑くなる。そうしたら榾木を山に置く。薬をかけるより、山に戻しておくほうが風通しも良くていい」と芳賀さん。11月。ハウスの榾木にはまだ椎茸は発生していなかったが、4月ごろになると収穫できるという。農薬をかけない榾木を使って栽培するから原木椎茸は安全･安心なのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">命ある限り原木椎茸を作り続ける</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi4.jpg" alt="" class="wp-image-54822" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi4.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi4-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi4-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>山田町で原木椎茸の栽培が盛んになった頃から、第一線を走り続けている芳賀さん。同年代の生産者が栽培をやめてもなお、椎茸栽培の最前線を行く。「1番の課題は自分の体力。これが最後の椎茸になるかもしれないと毎年思いながらやっている」と話す。しかし、そのような中でも、芳賀さんは品評会で結果を出し続けている。「長年の積み重ねなんだろうね。毎日通っていれば気候が教えてくれる。湿度が上がった時に傘が割れて白くくっきり亀裂が入り、きれいな椎茸になる。湿度が足りない時は散水する。我ながらうまいことやっている。後継者の育成もしないとね。命ある限りはがんばりたい」と話す芳賀さん。その表情には名人としての矜持があった。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54808/">山田町の原木椎茸を牽引し続ける。茸の匠･芳賀榮三さん／岩手県山田町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>粒の大きさ、味。そのすべてを操る塩職人「田野屋塩二郎」の生き様に触れる／高知県田野町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 13 Jul 2026 09:31:47 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[太陽結晶塩 塩二郎]]></category>
		<category><![CDATA[完全天日塩]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-123024.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>火や電気を一切使わず、太陽光の熱と職人の技だけでつくる「完全天日塩」。その「生きた塩」は、国内外のトップシェフや菓子メーカーから熱い視線を浴びている。日本一の塩職人と称されるまでになった彼の人生と、塩づくりへの情熱とは。 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-123024.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>火や電気を一切使わず、太陽光の熱と職人の技だけでつくる「完全天日塩」。その「生きた塩」は、国内外のトップシェフや菓子メーカーから熱い視線を浴びている。日本一の塩職人と称されるまでになった彼の人生と、塩づくりへの情熱とは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">キャリアを捨てる勇気</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-114833-1.jpg" alt="" class="wp-image-54800" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-114833-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-114833-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-114833-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高知市から東へ約55km。土佐湾に面し、東西2.2km、南北4kmという四国で最も小さな町に、魅力がぎゅっと詰まった田野町（たのちょう）がある。その象徴のひとつが「塩の町」であることだ。町内には「田野町完全天日塩製造体験施設」があり、多くの観光客が塩づくりの見学や体験に訪れる。</p>



<p>この文化の礎となったのが、同町で創業した「田野屋塩二郎」さんの存在だ。彼が手がける塩を求めて、全国から料理人やメディアが集まり、完全天日塩は町を象徴するブランドとなった。</p>



<p>東京都港区広尾出身。学生時代はラグビーに打ち込み、前職は都内でサーフボードやスノーボードの製造販売会社に勤めていた。35歳の時、「海の側で働き、日本一になりたい」という願いから、リサーチした結果、青森県大間のマグロ漁師か、高知県の完全天日塩職人が候補となる。ただ大間のマグロ漁師になるには地元漁協が管理する漁業権や許可が必要となり参入のハードルが高かったため、消去法で塩職人の道を選んだ。これまでのキャリアを捨て、当時、日本で唯一、火も電気も一切使わない「完全天日塩」というジャンルを切り開いた吉田猛氏に弟子入りを志願したが、はじめのうちは一切取り合ってもらえなかったという。</p>



<p>「高知県西部にある黒潮（くろしお）町までアポなしで行き、頭を下げて弟子入りを志願したんですが、まったく相手にされなかったですね。意地もあり、諦められなくて、続けて何度か訪問して土下座して、基本だけ習わせてほしい、給料はいらないし、掃除から何でもやる、と頼み込みました。そこから2年間、みっちりと基礎を叩き込まれました」と振り返る。吉田氏の下での修業を経て、独立の地を探すなかで、高知県内の海沿いの町を探したが、どこにも相手にされず、唯一「ぜひ来てほしい。日本一の塩をつくってくれ」と応じたのが田野町長だった。当時は高速道路がなく、吉田氏の製塩所からも車で4時間ほど離れていたため、師匠に迷惑をかけないだろうという判断もあった。「師匠が『田野屋』という屋号を授けてくれたのは、受け入れてくれた町への恩返しをしろ、という意味だったんです」</p>



<h3 class="wp-block-heading">塩との会話ができるようになってから</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="549" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-132044.jpg" alt="" class="wp-image-54801" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-132044.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-132044-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-132044-768x511.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>結晶ハウスの目の前は海。満月や大潮の日に汲み上げた海水を、木箱に満たす。多くの塩業メーカーで行われるように塩を煮詰めたり、電気の力を使って海水を濃縮するのではなく、火や電気は一切使わず、ハウスの中で太陽光の熱による自然蒸発をじっくり待つのが「完全天日塩」だ。加熱処理をしないことで、海水に含まれる約80種類の豊富なミネラルを、自らの手で攪拌（かくはん）して封じ込め仕上げていく。&nbsp;</p>



<p>「人がやらないことをしようと思って、寝袋を持ち込んでハウスで塩と一緒に共同生活をしました。そんな生活を1ヶ月ほど続けた夜、塩がどんな匂いを出し、どんな音を立てるのか。対話を重ねるうちに変化がわかるようになり、それが自信に繋がって、急に納得のいく塩ができるようになりました 」</p>



<p>作業の効率と精密さを極めるため、木箱のサイズは塩二郎氏の体型に合わせてオーダーメイドされている。まさに職人と道具が一体となった空間だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「美味い塩」というよりは、「人間が必要とする塩」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-131908.jpg" alt="" class="wp-image-54802" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-131908.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-131908-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-131908-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高知県の森林率は84％で全国一位を誇る。田野町の東西には、豊かな栄養分を運ぶ奈半利（なはり）川と安田（やすだ）川が流れ込み、海には山の有機物が供給される。人口が少なく、海水浴場もないため、海水の清浄度は極めて高い。さらに土佐湾沖を流れる黒潮が、良質なミネラルを運んでくる。</p>



<p>塩二郎さんは130ほどある木箱の海水を1時間に1度のペースでチェックし、状況を見ながら攪拌を繰り返す。塩と真正面から向き合うため、よほどのことがない限りこの場所を離れない。</p>



<p>「結晶ができるのは全工程の最後。毎日見ていると『今はカリウムがこれくらい出ているな。なら海水のなかに留めて、先にナトリウムを出そう』といったコントロールができるようになります。目指すのは単なる『美味い塩』ではなく、摂取することで体内のバランスが整うような、人間が本能的に必要とする塩をつくりたいんです」</p>



<p>周辺の雑草を刈ると、塩の出来が変わってしまうという。「人間が主体ではなく、自然の循環のなかに少しだけ介在させてもらっている」という謙虚な自覚が、その味を支えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">粒の大きさも、味も、自由自在にコントロールする</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/21bd90a12d42c3fa6b657f5e9c54f7a5.jpg" alt="" class="wp-image-54803" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/21bd90a12d42c3fa6b657f5e9c54f7a5.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/21bd90a12d42c3fa6b657f5e9c54f7a5-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/21bd90a12d42c3fa6b657f5e9c54f7a5-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>塩は温度変化に極めて敏感だ。「夏の夕立ひとつで味が壊れる」と語る塩二郎さんは、天気や湿度、風の流れに細心の注意を払う。通常３〜４カ月、長いものでは４年もの歳月をかけて、ゆっくりと結晶化させていく。</p>



<p>味の五役（甘・塩・辛・酸・苦）のバランスから、結晶の大きさまで、すべてを自在に操る。その噂は口コミで広がり、今や世界中の料理人からオーダーメイドの注文が絶えない。市場にはほとんど出回らず、予約は数年待ち。ミシュラン星付きシェフも愛用する「幻の塩」と呼ばれる所以だ。最高値は1kg100万円。同ブランドでもっともスタンダードな商品として流通する「塩二郎（黒）」ですら100gで4,000円台と、量販店で販売される塩とは一線を画す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">塩は、土地の魅力そのものを表現する</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/e6f4f4c06ad44c92faeed02f90fd6cd3.jpg" alt="" class="wp-image-54804" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/e6f4f4c06ad44c92faeed02f90fd6cd3.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/e6f4f4c06ad44c92faeed02f90fd6cd3-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/e6f4f4c06ad44c92faeed02f90fd6cd3-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>開業当初に作ったのは「太陽結晶塩 塩二郎」。その2年後に粒の大きさとナトリウムの際立たせ方を変えたものを作り、現在はこれをベースに、２千種類以上のオーダーに応じている。「塩はあくまで脇役。主役の料理に溶けて一体となった瞬間、最も美味しく感じてもらえるよう、溶ける速度まで計算しています」と、職人は淡々と語る。</p>



<p>さらに、海水にフグやイチゴ、トリュフなどの素材を投入し、結晶化の段階で旨みを宿らせる「フレーバーソルトなど、既存の枠を超えた挑戦も続けている。土佐文旦の花の活用など希少価値の高い商品の構想も話題にあがった。</p>



<p>「究極の塩」を追求し続ける塩二郎さんだが、55歳の今、意外な未来像を口にした。「塩はもうやり切った感があるんです。60歳になったら、全く別の業種でまた10年かけて日本一を目指したい。飽きっぽいんですよね」と悪戯っぽく笑う。</p>



<p>田野町の海、太陽、風、そして草木。すべてと対話しながら生まれる塩二郎さんの完全天日塩は、土地の生命力をそのまま結晶化したものだ。その奥深く純粋な世界観に、私たちはいつの間にか引き込まれてしまう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54795/">粒の大きさ、味。そのすべてを操る塩職人「田野屋塩二郎」の生き様に触れる／高知県田野町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>鍛えた鉄に、暮らしの美を宿す。「鍛冶工房弘光」11代目･小藤宗相さん／島根県安来市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 13 Jul 2026 09:16:20 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[鍛月]]></category>
		<category><![CDATA[フライパン]]></category>
		<category><![CDATA[たたら製鉄]]></category>
		<category><![CDATA[鍛治]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00798_142A2470.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本古来の製鉄法「たたら製鉄」の文化が色濃く残る島根県東部。安来市広瀬町には、江戸時代後期から続く鍛冶工房がある。刀剣鍛錬の技を礎に、いま手がけるのは花器やフライパンなど現代の暮らしに寄り添う道具。11代目･小藤宗相（こ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00798_142A2470.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本古来の製鉄法「たたら製鉄」の文化が色濃く残る島根県東部。安来市広瀬町には、江戸時代後期から続く鍛冶工房がある。刀剣鍛錬の技を礎に、いま手がけるのは花器やフライパンなど現代の暮らしに寄り添う道具。11代目･小藤宗相（ことうしゅうすけ）さんは、冷たいはずの鉄に温もりが宿る理由を、手仕事を通じて示し続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">たたらの系譜を引く、安来の鍛冶</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00612_142A9665.jpg" alt="" class="wp-image-54787" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00612_142A9665.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00612_142A9665-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00612_142A9665-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>古くから日本有数の鉄の産地として知られてきた島根県。砂鉄と木炭から鉄を生み出す「たたら製鉄」は、今なお国の選定保存技術として守られている。江戸時代に最盛期を迎えたこの技術は、日本刀の材料である「玉鋼（たまはがね）」を生み出す唯一の製法として知られ、中国山地一帯を中心に発展を遂げた。</p>



<p>鍛冶工房弘光のルーツは江戸時代後期。初代から三代目は、たたら製鉄に携わる「たたら師」として活動。その後の時代の変化のなかで打刃物や農具、日本刀鍛錬へと仕事のかたちを変えながら、10代にわたって鍛冶の火を守ってきた。</p>



<p>かつては包丁や農耕具の製造･修理を担い、地域の暮らしに欠かせない存在だった鍛冶職人。しかし戦後、機械化や大量生産が進み、農具や刃物を「修理しながら長く使う」といった暮らしは少しずつ姿を消していく。安価な製品が手軽に手に入るようになり、各地の鍛冶屋は減少。製鉄の仕事を続けるだけでも難しい時代になった。そんな中でも鍛冶工房弘光は、時代に合った鉄工芸品をつくり続け、その伝統を現代に伝えている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">作品を届ける喜びを知り、鉄工芸の道へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00573_142A9567-1.jpg" alt="" class="wp-image-54788" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00573_142A9567-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00573_142A9567-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00573_142A9567-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>鍛冶工房弘光11代目の小藤宗相さん。最初から一直線に鍛冶の道へ進んだわけではなく、大学卒業後は東京の企業に勤務し、その後は島根県内の美術館でも働いていた。鍛冶の道へ進む転機となったのは、家業の展示会を手伝った時のこと。来場者と直接言葉を交わし、自分たちが手掛けた品が誰かの日常へ渡っていく瞬間に触れるうち、つくる喜びだけでなく、使い手へ届く喜びの大きさを実感した。「いつかは継がなければ」とぼんやり考えていた家業が、自分の仕事として輪郭を持ちはじめた瞬間だったと語る。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">細部まで手仕事にこだわり、鉄に温もりを宿す</h3>



<p>現在の工房には、10代目の父･洋也さんを含め、４人の職人が立つ。手掛けているのは、刀剣鍛錬の技法を生かした燭台、花器、行灯、火廻り品といった工芸品。日本刀づくりと同じように、鉄を高温で熱し、鎚（つち）で何度も打ちながら不純物を取り除き、強度と粘りを引き出していく。わずかな温度差や打つ力の加減によって表情が変わるため、職人は炎の色や鉄の状態を見極めながら作業を進める。つくるものは変わっても、鉄を打ち鍛え、用の美へと昇華させる仕事は初代から変わっていない。</p>



<h3 class="wp-block-heading">受け継がれる伝統の鉄加工「鍛造」</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00655_142A9584.jpg" alt="" class="wp-image-54789" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00655_142A9584.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00655_142A9584-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00655_142A9584-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>彼らのものづくりの核にあるのは、木炭の火で鉄を熱し、鎚（つち）で打って成形する昔ながらの加工法「鍛造（たんぞう）」。鉄を液体化して型に流し込む鋳造（ちゅうぞう）、圧力をかけて成形する機械加工などが一般化している今、「鍛造」は手間がかかり、大量生産には向かない。しかし打ち鍛えることで強度と粘りが増し、打ち目や揺らぎによって一点一点の表情を豊かに表現できる。<br></p>



<h2 class="wp-block-heading">鉄の状態は肌感覚で見極める</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00638_142A0570.jpg" alt="" class="wp-image-54790" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00638_142A0570.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00638_142A0570-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00638_142A0570-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p><br>鉄は、熱したばかりの柔らかいうちしか動かない。作業できるのは、およそ800〜1000℃の間。熱しすぎれば鉄が溶けてしまい、熱する時間が短ければ叩いても成形できない。だから何度も炉に入れ、何度も引き出し、叩き、また熱する。その反復作業を繰り返す。</p>



<p>熱している間は、次はどこを叩き、どう曲げるかをイメージする。長年培った感覚をもとに、鉄の状態を見極める。引き上げるタイミングは最も重要で、職人の経験が試される局面だという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">唯一無二の品に仕上がる、手仕事のおもしろさ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00584__H6A6814.jpg" alt="" class="wp-image-54791" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00584__H6A6814.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00584__H6A6814-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00584__H6A6814-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>伝統の鉄加工「鍛造」によって作られた品は、ひとつとして同じものが存在しない。しなやかな鉄の輪が印象的な「置き風鈴」は、 鉄の厚みや曲線のわずかな違いによって、同じ品であってもそれぞれ異なる響きを持つ。手仕事ならではの微細な揺らぎが音色に個性を与え、均一な工業製品にはない豊かな表情を生み出している。&nbsp;</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00591_142A2451.jpg" alt="" class="wp-image-54792" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00591_142A2451.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00591_142A2451-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00591_142A2451-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「鍛月（たんげつ）」と名付けられた鉄のフライパン。熱伝導に優れた鉄の性質を生かし、食材の中をふっくらと、表面は香ばしく焼き上げる。薬品などによる錆止めなどの処理を施さず、使い込むほどに変化する鉄の表情を楽しめる設計。鍛えることで生み出される凹凸の模様がかすかに残り、そのまま鉄の表情となって現れる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">売る力もまた、手仕事の一部</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00597__H6A6487.jpg" alt="" class="wp-image-54793" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00597__H6A6487.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00597__H6A6487-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00597__H6A6487-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>11代目の役割は、ものづくりだけではない。工房に併設されたギャラリーでは、実際に作品を手に取った来訪者との会話から、新たな受注や制作が始まることも多いという。顧客と対話を重ねながら、求められている用途や空間を読み取り、デッサンを起こして提案。異業種で培った視点は、作品の売り方だけでなく、ものづくりそのものにも生きている。 </p>



<p>また県外、都内の百貨店やギャラリーでも月に1〜2回ほど展示販売を実施しているほか、近年はパリで開かれる見本市「メゾン･エ･オブジェ」をはじめ、海外への出展も重ねている。鉄の工芸品は、木工やガラスのように一見して親しみやすい素材ではないかもしれない。それでも繰り返し足を運ぶリピーターやコレクターが少なくないのは、手仕事作品そのものの力に加え、使い手との関係を丁寧に育ててきたからだろう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">11代目が描く、鍛冶工房弘光の未来</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00681__H6A6545.jpg" alt="" class="wp-image-54784" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00681__H6A6545.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00681__H6A6545-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00681__H6A6545-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宗相さんが次に見据えているのが、炭焼きへの挑戦。鍛冶に欠かせない炭は、原材料や加熱の持続力によって品質がさまざま。自ら炭を焼くことで、良質な炭を安定して確保しつつ、素材の源流からものづくりを完結させたいという意志がある。宗相さんの飽くなき探究心が、鍛冶工房をまた新たなステージへ押し上げようとしている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54782/">鍛えた鉄に、暮らしの美を宿す。「鍛冶工房弘光」11代目･小藤宗相さん／島根県安来市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>やんばるの自然の中で俳句のように生まれる器。「螢窯」山上學さん／沖縄県大宜味村</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 13 Jul 2026 08:37:05 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[やんばる焼き]]></category>
		<category><![CDATA[ギャラリーTATI]]></category>
		<category><![CDATA[いぎみてぃぐま]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-004.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「小学生の頃、土器のかけらを見つけては組み合わせていくのが楽しかったんです。それがルーツ」。そう話すのは、沖縄県大宜味村田嘉里（たかざと）で「螢窯（じんじんよう）」を営む山上學さん。日本各地を巡り、やんばるの山の麓で見つ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54769/">やんばるの自然の中で俳句のように生まれる器。「螢窯」山上學さん／沖縄県大宜味村</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-004.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「小学生の頃、土器のかけらを見つけては組み合わせていくのが楽しかったんです。それがルーツ」。そう話すのは、沖縄県大宜味村田嘉里（たかざと）で「螢窯（じんじんよう）」を営む山上學さん。日本各地を巡り、やんばるの山の麓で見つけた「自分のかたち」とは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">探し続けた場所</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-003.jpg" alt="" class="wp-image-54771" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-003.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-003-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-003-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>沖縄自動車道の北の終着点許田ICからさらに北へ車で45分ほどの“やんばる”と呼ばれる自然豊かな場所に、山上さんの工房「螢窯」と併設の「ギャラリーTATI」はある。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-018.jpg" alt="" class="wp-image-54772" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-018.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-018-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-018-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大阪府出身の山上さんが陶芸家を志すようになったのは、幼い頃に家の近所で土器のかけらを見つけたことがきっかけだった。その原体験を境に土や焼き物への関心を深め、進路として陶芸の道を選ぶようになった。</p>



<p>少年時代の山上さんにとって、土器拾いは自転車や野球と同じくらい夢中になれる遊びだった。万博開発に沸く造成地を掘り起こすたび、土の中から古い土器が顔を出す。はるか昔に人の手が触れた痕跡が現れる瞬間に、胸が高鳴った。高校に上がる頃には博物館で世界各地の土器を眺めるのが習いとなり、「陶芸家とはどんな仕事なのか」と漠然と思い描くようになる。</p>



<p>打ち込んでいた野球での進学も考えたが、どこかで限界を感じていたし、美術大学という道もあったものの、受験デッサンに明け暮れる世界は自分には合わないと感じていた。そんなとき、美術に明るい父の縁で一人の陶芸家を訪ねると、「美大を出なくても陶芸家にはなれる」と背中を押された。こうして山上さんは、必要な技だけを求めて産地を渡り歩く道を選ぶ。愛知･瀬戸の窯業訓練校でろくろを学び、京都で釉薬と清水焼を、さらにウィーン工房の流れを汲む学校で研鑽を積んだ。</p>



<p>そうして腕を磨いた山上さんは、茨城県にある笠間焼の製陶所に勤務し、27歳で独立。その後、栃木県の焼き物の産地である益子を経てこの地に移り住んだのは、2004年のこと。北海道から九州･沖縄まで焼き物の産地を巡り、45歳の頃にようやく辿り着いた場所だった。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-022.jpg" alt="" class="wp-image-54773" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-022.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-022-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-022-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>沖縄の焼き物「やちむん」といえば、厚みのある形状や躍動感のある絵柄が特徴で、中でも那覇市壺屋で古くから作られる「壺屋焼」はやちむんの代名詞。「壺屋焼は独自の伝統的な作り方をするので、興味はあったけど」。そう話す山上さんがやんばるまでやって来たのは、伝統的なもの作りではなく自分のオリジナルのもの作りを目指したから。自然や光のトーン、独自の文化、部落ごとの風習や行事やに魅了され、やんばるの地でのもの作りがはじまった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">環境がものを作っていく</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-008.jpg" alt="" class="wp-image-54774" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-008.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-008-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-008-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>それまで笠間焼や益子焼きなどに携わってきた山上さんも沖縄に来た当初は、益子焼きやいわゆるやちむんをイメージさせるオーソドックスな作品を作っていた。「でも、こっちにきたらグリーンとか海の色を再現したくなったんです。“用の美”の逆があってもいいんじゃないかと思って」と、海の美しさや、きれいな夕日など感じたものを“用”（使い勝手や実用性）に落とし込むように、作品に変化が生まれた。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-038.jpg" alt="" class="wp-image-54775" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-038.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-038-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-038-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「環境がものを作っていくんだと思うんです」。その言葉には、かつて松尾芭蕉が日本各地の美しい風景や名所を旅して歩き、その地の自然を感じ俳句に残したのと相通じるものがある。「陶芸作家として技術ばかりを極めるのではなく、自然を見て感じたものを表現するための技術を極めていく。それがたまらない面白さですし、それこそが健全なもののつくり方だと思います」。自然を感じ、かたちに残す、山上さんの見つけたもの作りの姿だった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">縄文とサンゴの掛け合わせ</h3>



<p>山上さんの器作りは、海へ貝やサンゴのかけらをとりにいくところからはじまる。そして沖縄の土と美濃や信楽などいくつかの土をオリジナルの配合でブレンドした土でベースとなる器を作り、その表面に拾い集めた大小のサンゴのかけらをおしつけるように模様を付けていく。それはまるで縄文土器のような作り方だ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-053.jpg" alt="" class="wp-image-54776" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-053.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-053-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-053-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「縄文とサンゴを掛け合わせたらおもしろいと思ったんです」。縄文土器は縄を編み、土器の表面に縄をおしつけていくことで紋様を付ける。また縄で抑えることによって土を締め、割れにくくする効果もあるのだという。山上さんは沖縄の土だけで作るよりも厚みを抑えたベースの器に、縄ではなく貝やサンゴを使ってひとつずつ模様をつけ、締めていく。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-048.jpg" alt="" class="wp-image-54777" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-048.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-048-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-048-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>制作している時にイメージしているのは海の中。サンゴによって生まれたランダムな模様が、瞬く間に表情を変える自然界の美しさと儚さを映しだす。また、そこに金属製の細い筒を使って細かなバブル模様を感覚的に付け加えていく。少しだけ人工的な道具を使うことによって、まるで化学調味料のようによりリアルに作用する。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-041.jpg" alt="" class="wp-image-54778" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-041.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-041-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-041-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そして最後に、模様の一つひとつに筆で顔料を塗っていく。焼き上がりを想像しながら色の置き方や濃淡を変え、そうして山上さんの作品ができあがる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">やんばる焼き</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-067.jpg" alt="" class="wp-image-54779" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-067.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-067-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-067-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>やんばるの地に移り住み、作品を作るようになって20年あまり。「やっと形になってきた」と話す山上さんの作品は沖縄の美しい海を想起させ、ギャラリーTATIや同ギャラリーのある大宜味村にて年に一回開催される「いぎみてぃぐま」などの工芸市で山上さんの作品に触れた旅行者にも反響が大きい。「人に喜んでもらうのは嬉しいことだけれど、喜ばせるために作るのではなくて、自分が喜ぶ意識で作っていると人も喜んでくれると思う」。最近では、空洞部分に陶の玉を入れ、音が鳴るように造形したビアカップなど、実用性にプラスアルファで遊びの要素を取り入れた作品も生み出した。これらはまだ試作段階ではあるが周囲からの評判も良く、今後シリーズ化していきたいと考えている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-006.jpg" alt="" class="wp-image-54780" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-006.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-006-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-006-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>これまでも沖縄の中で、伝統的なやちむんとは少し違う作品を生み出すことによって注目をされることが多かった山上さん。各地の土と向き合い、炎と対話しながら積み重ねてきた歳月は、いまこの地に深く根を張ろうとしている。</p>



<p>「これまでに日本各地で経験してきた焼き物の集大成として、この地で&#8221;やんばる焼き&#8221;を形にできたらいいなと思っています。これからまだまだやりたいことはあるんです」。</p>



<p>やんばるの森が育む土、沖縄の光と風。それらすべてを器のかたちに宿らせようとする山上さんの仕事は、まだ途中だ。その先に生まれるものを、ギャラリーTATIはこれからも静かに、しかし確かに発信し続けていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54769/">やんばるの自然の中で俳句のように生まれる器。「螢窯」山上學さん／沖縄県大宜味村</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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