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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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		<title>家族の想いを未来へつなぐ。「ファームベジコ」より愛を込めて／高知県高知市</title>
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		<pubDate>Fri, 19 Jun 2026 04:39:32 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-b131400-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>太平洋の恵みと山河が育む自然豊かな南国の地・高知県。なかでも高知市春野町は太平洋に面した温暖な地域だ。海から吹く風と豊かな日照、そして平野と丘陵が入り混じる地形。こうした土地の恵みを受けながら、ファームべジコは農の未来を [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-b131400-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>太平洋の恵みと山河が育む自然豊かな南国の地・高知県。なかでも高知市春野町は太平洋に面した温暖な地域だ。海から吹く風と豊かな日照、そして平野と丘陵が入り混じる地形。こうした土地の恵みを受けながら、ファームべジコは農の未来を切り拓いている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">冬にハウスで野菜を育てる、逆転の農業</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-b132415.jpg" alt="" class="wp-image-54649" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-b132415.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-b132415-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-b132415-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高知県は県土の約9割を山地が占め、四国山地から流れ出る河川は急流となって海へ注ぐ。そのため土砂が広く堆積しにくく、大規模な平野が発達しづらい地形が特長だ。では、この限られた平地をどう生かすのか。その課題に応える形で発展してきたのが、狭い面積でも高収量を得られるハウス園芸だった。夏は山間部で露地栽培、冬は平野部でハウス栽培。季節と地形を巧みに使い分けることで、この土地ならではの農業が形づくられてきた。</p>



<p>長崎朝陽さんがつくるファームべジコのきゅうりは、10月初旬に定植し、11月中旬から6月まで毎日収穫が続く。露地栽培では夏に実る作物を、冬に育てるという逆転の発想だ。寒さに耐えたきゅうりは青臭さが薄れ、甘みが増す。冬のハウスで育つきゅうりには、夏とは異なる静かで力強い味わいが宿っている。</p>



<p>しかし、寒冷地では加温費がかさむため、冬のきゅうり栽培を大規模に広げることは難しい。その点、温暖で日照に恵まれた太平洋側は、冬の実りを育むのにふさわしい土地といえる。なかでも高知県はきゅうりの収穫量が全国上位に位置し、近年は6〜7位前後を推移。重要産地として安定した地位を保っている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">土をつくり、葉を読み、実をまっすぐに育てる</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081210.jpg" alt="" class="wp-image-54650" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081210.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081210-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081210-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ファームべジコのきゅうりは、夏の3か月間のオフシーズンにすべてが決まる。米農家でもある長崎家では、稲作で出た籾殻や米ぬかを大量に土へ入れ、発酵させる。冬のきゅうりが驚くほど甘いのは、この土づくりに理由がある。ぬか漬けが甘くなるのと同じ理屈で、米ぬかで育った土が甘みを引き出す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ハウスに息づく、緑の生命力</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081916.jpg" alt="" class="wp-image-54651" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081916.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081916-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081916-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ハウスの中では、一本のきゅうりの株から伸びる“身体”と“手足”のようなつるを見極めながら、葉の枚数を調整し、光合成の量をコントロールする。葉はそれぞれ近くの実を育てる役割を持ち、葉を落としすぎても残しすぎてもいけない。</p>



<p>日本の市場では「まっすぐなきゅうり」が求められる。葉に触れれば曲がり、地面に触れれば黄色くなる。農家は一本一本の成長を見守りながら、時に摘果し、時に手で形を整え、A品へと仕上げていく。A品とは、形・色・大きさが規格どおりで、傷や曲がりが少ない正規品のことだ。もちろん曲がっていても味は変わらない。それでも市場の規格が農家の収入を左右する現実がある。</p>



<p>ハウスの中で、きゅうりのつるは空気を探るように細く伸び、まだ何にも触れていない先端が、そっと宙に揺れている。支えを求めて手を伸ばす前の、ためらいにも似た静かな動き。</p>



<p>そのわずかな気配の中に、これから命がどこへ向かうのかを選び取ろうとする、植物の確かな意志が宿っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">50年続く農園と、家族が残した遺産</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-083848.jpg" alt="" class="wp-image-54652" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-083848.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-083848-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-083848-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ファームべジコの歴史は、50年以上前に遡る。祖母の代からメロンやトマトを育ててきた農家に、旅行会社で働いていた父が養子として入り、畑を受け継いだ。農業は未経験。それでも、職人気質の父は土に向き合い、一つひとつの作業に没頭し、技を磨いていった。</p>



<p>そのそばには、同じ旅行会社に勤めていた母がいた。人と自然に関係を結ぶ力を持つ母は、「ベジタブル・コミュニケーション＆コラボレーション」という理念を掲げ、ファームべジコというブランドを立ち上げた。シェフとの対話を大切にし、きゅうりだけでなくハーブや多様な野菜を育て、料理人の声に応え続けた。さらに東京のスーパーへ自ら足を運び、品評会にも積極的に挑むことで、一般の生活者へも、ファームべジコの名を静かに、そして確かに広げていった。</p>



<p>両親が築いた農園を守り、次の世代へつなぐために、長崎さんは東京でのサラリーマン生活を経て、自ら畑に立つ道を選んだ。しかし 2025年5月、母は病でこの世を去った。長崎さんが農園に戻って4年目のことだった。直接教わった時間は長くはない。それでも、母の背中から受け取った“人の喜ぶ顔をつくる農業”という精神は、今も変わらず、この農園の中心に息づいている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">市場と直販の狭間で揺れる、農家の現実</h3>



<p>現在、ファームべジコの出荷は市場が7割、直販が3割。JA出荷はやめた。JA出荷は手数料が高く、農家の手取りは半減することもある。価格決定もJA主導で、売り先を主体的に選びにくい。一方で、集荷・選別・販売を任せられ、販路が安定する利点は大きい。</p>



<p>市場出荷は手数料が1割程度と低く、手取りが増えるのが魅力だ。ただし、仕分け・箱詰め・出荷作業をすべて自分で担う必要があり、品質の安定や信頼づくりも農家の責任となる。それでも、自らが育てるきゅうりへの愛情と誇りが、個のブランドを育てる道を選ばせた。</p>



<p>きゅうりの単価は相場で決まり、農家が値段を決めることはできない。A品でも1本30円ほど。規格外は1キロ50円という厳しい世界だ。ハウスの建て替えには3千万〜4千万円。修理だけでも毎年、百万単位の費用がかかる。若い農家が増えない理由がここにある。</p>



<p>それでも長崎さんは「農業は楽しい」と言う。</p>



<p>「親元就農で基盤があったことは幸運でした。けれど、何もない状態から始めるにはハードルが高い。国が使われていないハウスを若者に貸し出す仕組みがあれば、農業人口は増えるはずです」と語る。</p>



<p>直販を増やし、適正価格で買ってくれるシェフやスーパーとつながること。それが小規模農家が生き残る道だ。実際、2013年に野菜ソムリエサミットにて大賞を受賞して以降、ファームベジコの知名度は向上し、東京のレストランや外資系ホテルのシェフたちは、同園のきゅうりを求めて高知を訪れるようになった。なかには花のついた極小サイズのきゅうりを欲しがる海外シェフもいる。そんな料理人の感性が、農家に新しい視点をもたらしている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">これからも守りたい“味”。若き農家の想い</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="547" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081342.jpg" alt="" class="wp-image-54653" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081342.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081342-300x199.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/25nagasaki-081342-768x509.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ファームべジコのきゅうりをかじると、収穫直後から水分があふれ、みずみずしさが口いっぱいに広がる。しかも、そのみずみずしさは数日経っても失われにくい。冬にゆっくり育つことで細胞が締まり、水分を抱えたまま保つ力が強まるのだ。<br>さらに冬の寒さに耐えた実は青臭さが少なく、驚くほど甘い。</p>



<p>長崎さんは言う。「父がいなくなっても、味が変わったと言われるのが一番嫌なんです」。ハウスを増やすつもりはない。規模を追わず、味を守る。そして、自分たちの作物を正当に評価し、適正価格で買ってくれる人たちとつながる。それがファームべジコのこれからの形だ。</p>



<p>高知の冬に育つ一本のきゅうり。その背景には、家族の歴史、土地の気候、土の記憶、そして人と人のつながりがある。静かなハウスの中で、今日もまた、まっすぐに伸びようとする小さなつるが、支えを探して手を伸ばしている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54642/">家族の想いを未来へつなぐ。「ファームベジコ」より愛を込めて／高知県高知市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>人と環境にやさしい農法で、旬のおいしい野菜を追求する「ニッケイファーム」大竹英世さん／福島県郡山市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 19 Jun 2026 04:26:50 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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		<category><![CDATA[農業]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0469.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「虫も出ない畑を子どもたちには見せたくないから、農薬は使いません」ときっぱり話すのは、「ニッケイファーム」代表の大竹秀世さん。農業を志して17年あまり。農薬を一切使用せず、有機肥料での野菜作りにこだわり、今では年間100 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0469.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「虫も出ない畑を子どもたちには見せたくないから、農薬は使いません」ときっぱり話すのは、「ニッケイファーム」代表の大竹秀世さん。農業を志して17年あまり。農薬を一切使用せず、有機肥料での野菜作りにこだわり、今では年間100種類もの野菜を栽培する、福島県郡山市の農業の未来を担う1人だ。2024年の「野菜ソムリエサミット」で最高金賞を受賞した「レジェンドほうれん草」でも知られ、全国からも注目される存在に。農業に従事しながら自社直売所での販売を担当する奥様の志保さんやスタッフとともに、人を喜ばせる野菜作りを追求している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">美容師から農業へ転身。人を喜ばせる意味では同じだった</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0444.jpg" alt="" class="wp-image-54636" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0444.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0444-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0444-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>実は大竹さんは、高校卒業後に最初についた職業は美容師だったそう。「高校時代、ある美容師さんに自分の髪の悩みを解決してもらえた時、自然に『ありがとうございます』という言葉が出たんです。自分もいつか美容師として人を喜ばせたいと思い、弟子入りしました」。</p>



<p>当時から、大竹家では畑を所有して野菜を育てていたが、農業に携わっていたお母様が病気のために畑に出られなくなったことで、農業に携わることに。美容師の道に進めたことへの感謝の思いもあり、その後、悩みながらも美容師から転身し、農業の道を志すことになった。</p>



<p>「まさか美容師をやめて農業の道に進むとは思ってなかったので自分でも驚いています。当初はやりたくなくて、泥まみれになるのはかっこ悪いと思っていました。でも、うちの野菜を食べた方からの『おいしかった。ありがとう』の一言に、美容師でも農業でも人を喜ばせる意味では同じだと気付きました。農業で人を幸せにしたいという気持ちが芽生えました」と笑顔で振り返る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">土の中にいる生き物こそ、農業に欠かせない大切な仲間</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0613.jpg" alt="" class="wp-image-54637" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0613.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0613-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0613-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>周囲からは「無農薬は難しい」と言われて悔しかった大竹さんは、まず初めにトウモロコシを1,000本植えて始まった。しかし、ハクビシンやカラス、虫の被害にあってしまいトウモロコシは全滅。その経験からハクビシン除けに電柵を張るなど工夫し、少しずつ成功率を上がっていったそう。「微生物を育てながら栽培していくと、連作（同じ場所で同じ作物を何度も繰り返し栽培すること）によって起こる野菜の病原菌感染や育ちが悪くなるなどの障害も出ないようです」と独自の有機農法に自信を持つ。</p>



<p>就農して約17年。勉強熱心で追求する性格の大竹さんは多種多彩な野菜作りに挑戦してきた。とにかく農業を知ることから始まり、先輩農家の話を聞いたり、指導を受けるなど様々な経験を積んで、失敗を重ねながら独自のスタイルを築いてきた。</p>



<p>野菜作りにおいて大竹さんが大切にしているのは、農薬を使わずに昔ながらの農業を残していくこと。ただし、決して農薬否定派ではない。その思いの背景にはご自身の幼少時代の楽しかった経験が影響していると言う。</p>



<p>「昔から虫が大好きで、カブトムシやトンボを採ったりしていました。田んぼにはカエル、畑には虫がいるのが当たり前でしたが、農薬を使い出したせいか、いつの間にか消えてしまいました。農業の実体験を通して学びましたが、野菜を育てているのは土であって、土作りのやり方を変えることで、土壌の微生物たちも変化し、健康な土になる。健康な土になれば、自然と虫も増えるんです。だから、むしろ虫たちから野菜の生育のヒントをもらいます。虫たちがいる畑は子どもたちにも誇れますから」と楽しそうに笑う。虫たちにとって畑はレストランみたいなものだと言う。人間が身勝手に殺虫するのではなく、土質をあまりいじらず、緑肥という形で少しずつ微生物を増やしている。「虫がいる土を使って野菜作りをさせていただいている」という考えで今のスタイルを築き上げた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">震災後の苦しい状況を乗り越え、熱い思いで農業を守る</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0496.jpg" alt="" class="wp-image-54638" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0496.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0496-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0496-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大竹さんは農業について勉強する中で、出荷についてもこだわりを追求してきた。無農薬野菜や多品種の希少な野菜を必要とする方に届けるための手段を検討した結果、市場やJAなどへの出荷ではなく、契約する販売店や飲食店へ直接販売する独自の農業を貫きながら、自社直売所でも旬の野菜を販売する。</p>



<p>順調に農業の道を歩んできたように思えるニッケイファームだが、17年の間には東日本大震災後の風評被害やコロナ禍を経験し、作った野菜を捨てなければならないような苦しい状況を何度も乗り越えてきた。</p>



<p>「震災前の売り上げは飲食店を専門とする仲介業者を通して東京の飲食店などに出す分が約8割、地元が2割ぐらいの比率だったので震災と原発事故の風評被害で8割分がごっそりなくなってしまいました」と振り返る。福島県民にも地元野菜が避けられたため、「当時のことを思い出すと、今でも涙がこらえられなくなります」と話す奥様の志保さん。しばらくは作っては捨てるという毎日を過ごし、心身ともにダメージが大きかった。赤字が続き、会社としては全く成立していなかったが、地元のレストランが立ち上がったことで支えられ、復興に向けて少しずつ歩んできたと言う。</p>



<p>「10年ぐらいは本当に苦しくて大変でした。しかし、震災後に農業をあきらめざるを得なかった方も多い中で、僕らは福島県、そして郡山の農業を未来へ繋いでいかなければならないと決意しました」と故郷への思いを語る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">自社直売所では、有機肥料で育てた新鮮な旬の野菜を販売</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0592.jpg" alt="" class="wp-image-54639" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0592.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0592-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/XXXX0592-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>郡山市大槻町の住宅街に静かに佇むニッケイファームの直売所では、自社の野菜を中心に、おいしい野菜を作っている生産者の野菜も多数取り扱う。小さな店舗にはカラフルな野菜や、他店では目にすることがあまりない希少な品種が並び、訪れる人を笑顔にする。農薬を使わず、有機肥料で栽培した野菜は自然の恵みをたっぷり吸収し、味も香りも濃厚。夏の時期は枝豆、ズッキーニ、インゲンなどに加え、カラフルなミニトマトやビーツ、京まんじゅう（ナス）などが登場。コロンとした形が愛らしいサラダカボチャや朝採りのトウモロコシは生でも食べられるほど新鮮だ。</p>



<p>「口頭にはなりますが、お客様には販売する野菜を使って楽しめる料理のレシピを数種類ご紹介しています。直接話せるのは楽しいし、野菜の魅力を伝えることができるのはうれしいです」と微笑むのは、直売所を切り盛りする志保さん。また、市内のレストランでニッケイファームの野菜を使用した料理を食べ、自分でも調理してみたいと来店する人も多いそう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">まるでフルーツのような甘さ。生でも食べられるトウモロコシ</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/image-7-1024x683.jpeg" alt="" class="wp-image-54632" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/image-7-1024x683.jpeg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/image-7-300x200.jpeg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/image-7-768x513.jpeg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/image-7.jpeg 1299w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>年間100種類もの品種を栽培するニッケイファームは少量多品種をベースとしているが、その中でも主力のトウモロコシは26,000本もの量を出荷している。旬を迎える夏の3か月間は毎日午前3時頃に収穫し、もぎたての新鮮な状態で出荷する。それは、トウモロコシは夜中にデンプン（糖分）を蓄え、朝が一番甘みのある状態だからだ。また、早朝に収穫したトウモロコシは水分量が多いため鮮度を保ちやすくなり、昼間の暑さによる品質の劣化を防ぐのにも役立つという。</p>



<p>ニッケイファームでは、トウモロコシは通常より10日ほど長く育てるため、甘みが凝縮し味が濃くなるそう。白いトウモロコシ「ピュアホワイト」の糖度は22.5度、黄色いトウモロコシは21.5度と高水準を維持している。</p>



<p>「トウモロコシの頭の部分を触って実がしっかりしていて、お尻を触って確認し、ひげ部分の乾燥具合や色で判断をして収穫します」とピュアホワイトを手にする大竹さん。トウモロコシの害虫として知られるアワノメイガを防ぐために茎を切ったり、葉の数を減らすなど工夫することで害虫被害は劇的に減ったと言う。</p>



<p>「白いトウモロコシは生食がおすすめです。ジューシーで新鮮な甘みを感じることができます。黄色は少し火入れをしたほうが甘みが増します」と教えてくれた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">野菜の味でたくさんの人を感動させたい</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/image-8-1024x683.jpeg" alt="" class="wp-image-54634" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/image-8-1024x683.jpeg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/image-8-300x200.jpeg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/image-8-768x512.jpeg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/image-8.jpeg 1300w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>「夢はまだまだたくさんあります」と笑う大竹さん。そのひとつが自分の農業のスタイルになっている、野菜の味でたくさんの人を感動させること。</p>



<p>野菜を食べることや食べさせることを親子で義務のように感じるのではなく、子どもがお菓子を買うように、「あそこの野菜がおいしい」「あのトウモロコシが食べたいから買ってほしい」と思われるような存在になりたいと願う。</p>



<p>「子どもの頃の農業体験を通して面白さやメッセージを届けることができれば、畑は子々孫々まで野菜を作り続けられる場所であり続けることができると信じています。また畑に遊びに行ってみたいと思われることが幸せです」。</p>



<p>また、消費者にとって野菜が安いのは当たり前という現状は決して農家が望んでいることではないため、「農家が抱える状況を理解して意識を変えてもらうことも大事なこと」と言う。</p>



<p>「様々な困難を乗り越えてきましたが、今となっては農業をやってよかったと思えます。誰かのためにできることなら僕は頑張れます」と話す大竹さん。隣で志保さんも大きくうなずく。これからも「おいしかった！」という笑顔を見るために、日々やりがいを感じながら独自のスタイルで農業の道を突き進んでいく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54628/">人と環境にやさしい農法で、旬のおいしい野菜を追求する「ニッケイファーム」大竹英世さん／福島県郡山市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>日本海に育まれ、手摘みで受け継がれてきた天然岩のり「十六島海苔」樋野峯夫さん／島根県出雲市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 19 Jun 2026 04:14:22 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[十六島海苔]]></category>
		<category><![CDATA[岩のり]]></category>
		<category><![CDATA[天然]]></category>
		<category><![CDATA[天然岩のり]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_004.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>島根県出雲市の日本海沿いにある十六島（うっぷるい）町。ここで収獲した十六島海苔（うっぷるいのり）は、冬の荒海と向き合いながら手摘みされる天然の岩のりだ。強い風と波の中で育ち、その恵みを受け取るように続けられてきた営みは、 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54614/">日本海に育まれ、手摘みで受け継がれてきた天然岩のり「十六島海苔」樋野峯夫さん／島根県出雲市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_004.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>島根県出雲市の日本海沿いにある十六島（うっぷるい）町。ここで収獲した十六島海苔（うっぷるいのり）は、冬の荒海と向き合いながら手摘みされる天然の岩のりだ。強い風と波の中で育ち、その恵みを受け取るように続けられてきた営みは、いまも変わらずこの場所に根付いている。歴史と自然が重なり合う中で、この海苔は特別な存在として受け継がれてきた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本海の岩場で育まれ、受け継がれてきた十六島海苔</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_019.jpg" alt="" class="wp-image-54621" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_019.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_019-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_019-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>島根県出雲市の日本海に面した町、十六島。その海岸は、岬の先に大岩や奇岩が連なる独特の景観を持つ。日本海の荒波に長い年月さらされてきたその風景は、山陰でも屈指の海岸美とされる場所だ。</p>



<p>その岩場に張り付くようにして育つのが、この地の特産物、十六島海苔である。天然の岩のりで、その歴史は古く、奈良・平安時代には朝廷に献上され、江戸時代には将軍家への献上品として扱われてきたと伝えられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">自然に向き合い続ける収穫の現場</h3>



<p>そんな十六島海苔が収穫できるのは12月から2月にかけての短い期間のみ。強い季節風と荒波という厳しい環境の中で育ち、その条件がそのまま海苔の質を決める。</p>



<p>かつては村内に50軒弱の十六島海苔の生産者がいたが、現在十数軒ほどにまで減少。生産量も年間1トンに満たないと言われている。また、その多くが県内で消費されるため、県外ではなかなか味わうことができない希少な海苔でもある。</p>



<p>樋野峯夫（ひのみねお）さんは、そんな十六島海苔の収穫を続ける一人だ。</p>



<p>十六島海苔に携わってきたのは、およそ70年。一度は大阪へ出たものの、十六島海苔漁師である親からの声をきっかけにこの場所へ戻ってきた。</p>



<p>「十六島海苔は海からいただいているもの」</p>



<p>そう語る言葉には、自然とともにある仕事の本質がにじんでいた。人がつくるというよりも、海が育てたものを受け取る。その意識が、この営みを支えている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">荒波にさらされる岩場での収穫</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_012.jpg" alt="" class="wp-image-54622" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_012.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_012-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_012-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>海苔を摘む岩場へは、まず山道を15分から20分ほど歩いて向かう。細く険しい道を進み、その先に現れるのは、海に向かって傾斜した岩場だ。</p>



<p>遠くから見れば黒い岩にしか見えないその場所に、びっしりと付いているのが十六島海苔だ。近づくと岩は濡れて光り、波が当たるたびにその表情を変える。</p>



<p>岩には波が絶えず打ち付けてくるため、常に注意が必要だ。波は足元まで届き、ときには体にかかることもある。まさに命懸けの作業だ。</p>



<p>樋野さんはカッパと長靴を身につけ、淡々と作業を行う。波を受けても動じることなく、そのまま手を動かし続ける姿は、この場所で積み重ねてきた経験の深さを感じさせる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">長年の経験で波のうねりを見極める</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_024.jpg" alt="" class="wp-image-54623" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_024.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_024-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_024-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>天然の岩のりである十六島海苔の収穫は、自然の状態に大きく左右される。波が強すぎれば海苔はちぎれ、波が弱ければ十分に育たない。</p>



<p>必要なのは、強さと穏やかさが共存するわずかな条件だ。</p>



<p>収穫を行う11月から2月の日本海は、強い季節風によって海が大きく荒れる時期。岩場には絶えず波が打ち付け、海苔のぬめりで岩は滑りやすい。タイミングを見誤れば波に体を持っていかれる危険もあり、一歩間違えれば命に関わる作業だ。</p>



<p>樋野さんは、その波のうねりを見ながら、その合間を縫うようにして海苔を摘んでいく。自然のリズムに合わせて体を動かすその作業は、長年の経験によって支えられている。</p>



<p>この技術は、親の背中を見て覚えてきたものだという。見よう見まねで手伝いながら身につけ、いまもなお、その日の海に応じて判断を重ねている。</p>



<p>海苔を摘む手の感覚も重要だ。力を入れすぎれば繊維が切れ、短くなってしまう。やわらかく、しかし確実に摘んでいく。その繊細な作業の積み重ねが、海苔の品質を左右するのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">自然のままを、手作業で一枚ずつ仕上げる</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_046.jpg" alt="" class="wp-image-54624" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_046.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_046-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_046-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>早朝からの作業を終え、正午ごろに引き上げると、次は海苔を乾燥する工程に入る。</p>



<p>海苔簀（のりす）と呼ばれるすだれに海苔を広げ、自然の繊維や形を残したまま一枚にしていく。乾いたときの厚みを考えながら、手の感覚で均一に整えていく。</p>



<p>出来上がった海苔は黒く、香りが強い。やわらかく口どけの良い一般的な養殖海苔と比べ、天然の岩のりならではのシャキシャキとした歯応えのある食感と、強い磯の風味が特徴だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">出雲の食文化と海苔摘みの技を次世代へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_063.jpg" alt="" class="wp-image-54625" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_063.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_063-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_063-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>十六島海苔は、出雲地方では正月の雑煮に欠かせない存在だ。お餅が入った出汁に浮かべると、磯の香りが広がり、特別な一杯になる。</p>



<p>こうして、十六島海苔はハレの日の食として受け継がれてきた。</p>



<p>一方で樋野さんは、「お雑煮だけでなく、いろんな食べ方を知ってほしい」と話す。天ぷらや茶碗蒸し、おにぎりやそばなど、日常の中でもその風味を楽しむことができる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">受け継がれてきた営みを伝えていく</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_021.jpg" alt="" class="wp-image-54626" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_021.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_021-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_021-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>以前は夫婦で収穫作業を行っていたが、妻の美保子さんが足を悪くしてからは樋野さんが中心となって作業を担っている。波が打ち付ける岩場での一人作業は危険を伴うため、現在はともに作業する人が新たに加わり、支え合いながら収穫が続けられている。</p>



<p>この仕事は経験が必要で、簡単に引き継げるものではない。波の見極め、摘み方、作業の判断。そのすべてが長い時間の中で培われてきたものだ。</p>



<p>それでも、十六島海苔を次世代に繋いで行くために、人を育てていくことは欠かせない。ともに岩場に立つ中で、その感覚や判断は少しずつ受け渡されていく。</p>



<p>自然に委ねながら、必要な分だけを頂く。その向き合い方はこれからも変わらない。</p>



<p>この海で摘まれた一枚が、出雲や全国の食卓へ、そしてその先へと渡っていくように。十六島海苔の営みもまた、次の世代へと静かにつながっていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54614/">日本海に育まれ、手摘みで受け継がれてきた天然岩のり「十六島海苔」樋野峯夫さん／島根県出雲市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>牛の命が輝く場所を作るのが使命。「オオヤブデイリーファーム」大薮裕介さん／熊本県合志市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 29 May 2026 05:11:24 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[ミルコロエイジングヨーグルト]]></category>
		<category><![CDATA[MILK’ORO LAB.]]></category>
		<category><![CDATA[にっぽんの宝物レジェンドグランプリ]]></category>
		<category><![CDATA[6次産業アワード農林水産大臣賞]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_9123.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>一口目はもったりと濃厚、二口目はとろりと爽やか。２層仕立ての瓶詰めヨーグルト「ミルコロエイジングヨーグルト」は農林水産大臣賞をはじめとする数々の賞を受賞した人気商品。仕掛け人であり酪農家でもある大薮裕介さんは“選ばれる商 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54590/">牛の命が輝く場所を作るのが使命。「オオヤブデイリーファーム」大薮裕介さん／熊本県合志市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_9123.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>一口目はもったりと濃厚、二口目はとろりと爽やか。２層仕立ての瓶詰めヨーグルト「ミルコロエイジングヨーグルト」は農林水産大臣賞をはじめとする数々の賞を受賞した人気商品。仕掛け人であり酪農家でもある大薮裕介さんは“選ばれる商品開発“で牛の命が輝く場所を作っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">初めて聞く父の弱音に家業と向き合うことを決めた</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/bd378a7db158c49aaf9837a53b3a1123.jpg" alt="" class="wp-image-54596" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/bd378a7db158c49aaf9837a53b3a1123.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/bd378a7db158c49aaf9837a53b3a1123-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/bd378a7db158c49aaf9837a53b3a1123-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>熊本市のベッドタウンとして人口増加が続いている合志市。その一角に「オオヤブデイリーファーム」はある。</p>



<p>創業は1975年、日本での飼育頭数の9割以上を占める乳牛の種類であるホルスタインを飼育し、乳を搾って出荷する形で始まった。現在の代表である大薮裕介さんは実家を継ぐ形で2001年に就農。とはいえ、家業だから強制的に、というわけではなく、アメリカの研修で毎年海外旅行に行っているという酪農家の夫婦と出会い、「酪農業」を活かして自分の人生を彩り、形作っている生き方に感銘を受けたことが就農のきっかけだったという。旧来からある乳業の仕組みにも疑問を感じていたが、業界内で偉くなっていったとしても、個の力では到底変えることができない画一的な産業システムを目の当たりにし、次第にやる気をなくして悶々とした日々を過ごしていたという。</p>



<p>そんな大薮さんの心に追い打ちをかけたのが、全国的に行われていた生乳の生産調整だった。生産調整とは乳製品の在庫が過剰となった場合などに、国が生産者に対して生乳の生産を抑えるように求める施策だ。牛が生まれてから生乳を搾れるようになるまでには2年かかる。一度酪農家や飼育頭数を減らしてしまうと、生産量を短期間で取り戻すことは難しくなる。そのため、頭数の制限ではなく、生産者に生乳を廃棄させる形で在庫量を調整する。</p>



<p>休みなく働き続けて牛を育て、ようやく搾った生乳を大量に廃棄するよう命じられる生産者の心境は他人が軽々しく言葉にできるものではない。しかも、生産調整は在庫状況に応じて何度も繰り返され、その度に生産者は精神的な負担だけでなく、収益の悪化という重い負担も背負うことになる。</p>



<p>実際、2006年には生乳の大量余剰が発生し、北海道だけで牛乳パック90万本分、約900トンもの生乳が廃棄された。</p>



<p>とはいえ、牛は毎日必ず搾乳しないと乳房炎という病気になり、最悪の場合は死んでしまう。生き物への責任と愛情があるからこそ、廃棄すると分かっていても毎日世話をし、搾らざるを得ない。</p>



<p>また、牛が誕生してから初めて牛乳が搾れるようになるまで約3年を要する。もし今、牛乳が余っているからといって殺処分などで頭数制限をすれば、数年後に猛暑で全国的に乳量が落ちるようなことが起きた場合、供給が間に合わなくなる可能性もある。</p>



<p>加えて、酪農は牛舎の建設、搾乳ロボット、トラクター、そして何十頭もの牛そのものなど、数千万円から数億円の初期投資が必要な「装置産業」。その多くは長期の融資で賄われており「苦しいから明日で辞めます」ということは、なかなか叶わないのだ。</p>



<p>絶望に打ちひしがれた大薮さんは、その時初めて正勝さんの弱音を聞いた。父親の背中が小さく見えた瞬間だった。そして、いつの間にか酪農の現実から目をそらしていた自分に気づいた。</p>



<p>大薮さんは、家業と向き合うことを決めた。このまま同じやり方を続けても未来はない。搾った乳を農協に出荷するだけの酪農は価格も出荷量も自分たちでは決められない。努力が報われない構造の中に取り込まれたままでは、家族を支えることも、牧場を次の世代へつなぐことも難しい。牧場の現状に強い危機感を感じた大薮さんは、 出荷するだけの酪農から自分たちで価値をつくる酪農へと大きく舵を切ることにしたのだった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">酪農家だからこそ作れるオリジナルのヨーグルト</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_0674.jpg" alt="" class="wp-image-54597" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_0674.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_0674-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_0674-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一体、自分たちに何ができるだろうか。「オオヤブデイリーファーム」に生まれてきてくれた牛たちの命を無駄にせず、輝かせるにはどうしたらいいか。答えを探す中で、大薮さんはオリジナル性の高い自社乳製品を生み出すという考えに行き着いた。その頃、牧場でホルスタインに比べて栄養価が高く、生乳に希少性のあるジャージー牛の飼育も始めていた。酪農家の先輩たちからヨーグルトの製造技術を、熊本県の技術支援機関では菌検査方法をそれぞれ学び、2012年に牧場の敷地内に2.5メートル四方の小さな加工施設を建て、自社牧場の生乳を使ったヨーグルトの製造を開始。こうして誕生したのが「ミルコロエイジングヨーグルト」である。</p>



<p>「ミルコロエイジングヨーグルト」の材料はふたつだけ。自社で育てたジャージー牛の生乳とてんさい糖で作る。一般的に生乳は乳脂肪を均一化し、品質を安定させるためのホモジナイズという加工が施されるが、「オオヤブデイリーファーム」ではホモジナイズ加工を行わず、生乳をそのまま使用する。すると、脂肪分が分離してクリームの層として浮かび上がる。ジャージー牛の乳は脂肪が多いためクリームの層が厚くなり、でき上がりのヨーグルトはクリームとヨーグルトの２層仕立てとなる。そのユニークさも商品価値につながると考え、ホルスタインではなくジャージー牛の生乳を選んだ。2層はそれぞれ味わいが異なり、クリームの層はレアチーズケーキのようにもったりと濃厚、ヨーグルトの層はとろりと爽やかな風味を楽しめる。材料がたった2つだけとは思えないほど複雑な香りと旨味がある。加えて、クリームの層が蓋の役割を持ち、ヨーグルトの層の中では日々発酵が進み、乳酸菌が増えて味わいが変化していく。だから“エイジング”と名乗っている、というわけだ。</p>



<p>「ミルコロエイジングヨーグルト」の特徴はこれだけではない。ジャージー牛は体内のさまざまな機能にとって重要な成分であるオメガ3脂肪酸が豊富なアマニを主とした飼料で育てており、その生乳にも天然のオメガ3脂肪酸が多く含まれている。さらに、牧場内での交配で品種改良を繰り返すことにより、「オオヤブデイリーファーム」のジャージー牛の乳はベータカゼインA2ミルクを生産できるようになっている。ベータカゼインA2ミルクは人間の母乳に構造が近いとされており、吸収がよく、消化管に炎症を起こしにくいため、摂取してもお腹がゴロゴロとなりにくいといわれている。</p>



<p>自社の牛乳の特徴を生かした「オオヤブデイリーファーム」の製品開発力は全国的に評価され、2019年6次産業アワード農林水産大臣賞をはじめとする数々の賞を受賞。JR九州の豪華列車「ななつ星in九州」や日本を代表する高級ホテルの朝食でヨーグルトが採用されるなど、販路を大きく拡大した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">誕生を喜ばれない命がある事実に目を背けたくない</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_9482.jpg" alt="" class="wp-image-54598" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_9482.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_9482-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/IMG_9482-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>当たり前のことだが、牛にも性別がある。乳牛のメスは乳が出るが、オスからは出ない。だからオスは、肉用牛となる。だが、ジャージー牛のオスはホルスタインと比べて体格が小さく、成長も遅いことから収益が低いなどの理由で生後すぐに殺処分されることが多い。</p>



<p>雄牛が生まれる確率は約50％。大薮さんは、牧場で生まれた子牛がオスだと分かった時に、心の底から喜べない自分がいることがずっと心にひっかかっていた。人間の都合で誕生を喜ばれない命がある事実から目を背けたくない。せっかく生まれてきてくれたのだから、雄の子牛の命にも輝く場をつくりたい。そんな思いからオスの子牛を採算ラインギリギリの生後1年まで肥育し、食肉に加工する取り組みにも着手。牧場の敷地内に新しく開いたカフェ「MILK’ORO LAB. （みるころラボ）」の食事メニューに使うことで、命のバトンをつなぐ仕組みを作った。</p>



<p>オスの子牛はメスと同様にオメガ3脂肪酸が豊富なアマニを主とした飼料で育てることで、肉からも不飽和脂肪酸の一種で、アンチエイジングの補助になる成分「ALA（アルファリノレン酸）」が検出されることが分かった。しかも、肉質がやわらかく、食味も良い。機能性があるだけでなくおいしければ、消費者から選ばれる理由となる。こうした取り組みは業界外からも話題を呼び、2025年6月に大阪万博会場で開催された地方の優れた「食」を表彰する「にっぽんの宝物レジェンドグランプリ」では2位に輝いた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">“選ばれる商品開発”がこれからの酪農の鍵となる</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="681" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/image-58-1024x681.jpeg" alt="" class="wp-image-54594" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/image-58-1024x681.jpeg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/image-58-300x200.jpeg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/image-58-768x511.jpeg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/image-58.jpeg 1381w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>「オオヤブデイリーファーム」では「MILK’ORO LAB.」を拠点に食育活動も積極的に実施。搾乳や乳製品加工など命の温かさや食の循環に触れられる体験の機会を設けており、地元の子どもたちを中心に年間で約2000人を受け入れている。<br>酪農体験で命の温かさに触れ、製造体験では、私たちは皆、誰かに生かされている事を感じて欲しいとは願っているが、そんな複雑なことはまだ伝わらなくとも、牧場に足を踏み入れて牛たちをその目で見ることで、何かを感じてもらえるはずだと大薮さんは信じている。そして、子どもたちが牛や牧場に興味を持ったときに酪農家が希望のある職業であるように、まずは「オオヤブデイリーファーム」が持続可能な事業スタイルを確率させることが重要だとも考えている。そのためには“選ばれる商品開発“がこれからの酪農の鍵となる。今後の展望を熱っぽく語るその目には、命の現場を未来へつなぐ覚悟と力強さが満ちていた。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54590/">牛の命が輝く場所を作るのが使命。「オオヤブデイリーファーム」大薮裕介さん／熊本県合志市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>350年もの伝統を刃物作りに受け継ぐ「二唐刃物鍛造所」／青森県弘前市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 29 May 2026 05:02:23 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[包丁]]></category>
		<category><![CDATA[よし久]]></category>
		<category><![CDATA[二唐ブランド]]></category>
		<category><![CDATA[オピネルコラボ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_121.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>藩政時代100軒を超える鍛冶屋があったとされる弘前市のなかでも、二唐家は弘前藩から作刀を命じられて以来、350年の伝統を受け継ぐ鍛冶の「名門」として知られている。「良品は声なくして人を呼ぶ」を銘訓とした二唐（にがら）家の [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54579/">350年もの伝統を刃物作りに受け継ぐ「二唐刃物鍛造所」／青森県弘前市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_121.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>藩政時代100軒を超える鍛冶屋があったとされる弘前市のなかでも、二唐家は弘前藩から作刀を命じられて以来、350年の伝統を受け継ぐ鍛冶の「名門」として知られている。「良品は声なくして人を呼ぶ」を銘訓とした二唐（にがら）家の精神は今も刃物作りに生かされている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">刀鍛冶から農具･漁具、そして包丁作りへ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_120.jpg" alt="" class="wp-image-54584" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_120.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_120-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_120-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本刀は主に鉄よりも純度の高い玉鋼（たまはがね）で作られる。西洋の剣は「叩いて切る」のに対し、日本の刀は「切り裂く」という違いがある。その日本刀の技術を受け継いだのが和包丁だ。</p>



<p>二唐刃物鍛造所はもともと弘前城近くにあった。鍛冶屋だったのを5代目の二唐国俊氏が有限会社として、現在の場所に移したのが1949年のこと。その頃は鎌や鉈などの農具のほか、北洋サケ･マス漁船で使われる刃物も作っていたが、その需要も減って来たため、1965年頃から作り始めたのが包丁だった。</p>



<p>その一方、国俊氏は刀匠として全国にも知られ、県の無形文化財にも指定されている。刀作りは6代目二唐俊さんまで続けられていたという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「二唐ブランド」の基礎を築いた６代目</h3>



<p>俊さんは、良い包丁を作るために、職人の勘だけでなく、学問的な裏付けをしながら技術を確立した。金属工学やさまざまな理論を学び、近代化した刃物づくりの技術を遺したのである。これまで培ってきた技術とその精神を込めて和包丁「よし久」を作り世に送り出すと、その人気が高まっていった。「二唐ブランド」の基礎を築いたのである。それは「良品は声なくして人を呼ぶ」を銘訓とした二唐家の精神から生まれたものなのだ。</p>



<p>さらに1974年には建設資材関係の鉄鋼部門を設け株式会社とし、それにより溶接技術が磨かれることになる。</p>



<p>俊さんには後継がいなかったため、甥の吉澤俊寿さんが7代目として継ぐことになったという。「僕の記憶にある俊さんは寡黙な人で、正月の２日に行う『打ち初め』という神事には、父と一緒に刀を打っていました」と話すのは、現社長であり8代目の吉澤剛さん。</p>



<p>「物を創り出すことや、刃物を作る技術は文化です。技術は伝統から生まれ、その技術は先祖たちが生み出したもので、この技術を絶やすことはできません」。</p>



<p>使う人に合わせたオーダーメイドの包丁やアウトドア用のナイフなど用途を広げてきた吉澤さん。こうした二唐ブランドとその精神を今につないだ立役者でもある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">24工程もあるなかで焼き色を見極める</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_28.jpg" alt="" class="wp-image-54585" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_28.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_28-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_28-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「包丁は地鉄（ぢがね）と玉鋼（たまはがね）の２つの素材を合わせて作られるんです」と吉澤さん。それぞれ素材の弱点を補うためなのだが、完成するまで24工程もあるのだという。</p>



<p>第一工場でその２つの素材を接合するための特殊粉薬を振りかけることから始まり、1200度の炉の中に2〜3分ほど入れる。鉄がオレンジ色になったところでコバシで取り出すのだが、この時の焼き色を見極めることが一番難しく大事な工程だと吉澤さん。</p>



<p>炉から取り出した鉄を機械ハンマーで叩きながら延ばし、少しずつ包丁の形にしていく。さらに槌で叩きながら微妙な調整をし、高温で熱し、水に入れて急冷する。それを硬さと粘りのある包丁にするため再び高温で焼き戻しをしていくのだ。</p>



<p>ここまでできたところで、次は研ぎになる。「私はあまり器用な方ではないので、他人の倍以上の努力が必要でしたが、ある程度包丁の形ができるようになるまでに、人にもよりますが最低１年はかかります。でもやりがいはありますよ」と吉澤さんはキッパリ話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">切れ味を良くするための小刃づけ作業</h3>



<p>包丁の形になったところで第二工場で研ぎの工程に入る。ここでの研磨機械は、鉄構事業部の溶接部門で作られたものだという。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_24.jpg" alt="" class="wp-image-54586" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_24.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_24-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_24-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>まず回転砥石に包丁の「あご」と呼ばれる端から切先まで、指で押さえながら研いでいく。この時、包丁を25度ほど傾け、極端に力を加えないように少しずつ横にスライドさせながら研いでいくのである。両面を研いだところで「小刃（こば）づけ作業」に入る。小刃づけとは切れ味を良くするため、先端を両面角度をつけて薄く研いで二段刃にしていくことで、すべての工程が職人技だ。完成した包丁は模様が浮き出て、キラリとした仕上がりになる。</p>



<p>「現在、鉄構事業部門と刃物事業部には合わせて30名の社員がおります。それぞれ熟練度の違いがありますが、基本的に包丁１本を責任を持って一人で仕上げるようにしています。もちろん最終的には先輩職人がチェックします」</p>



<p>二唐刃物鍛造所の大きな特徴は、それぞれの職人たちがデザインなどを自由にチャレンジすることができることだ。それが「二唐ブランド」を生み出す素地にもなっているのだ。またもうひとつの自社ブランドとして言えることは、製品のバラツキがないことだという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ケーキやパイ専用の刃物を作り、さらには職人の技術をつなぐ伝承施設を</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_116.jpg" alt="" class="wp-image-54587" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_116.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_116-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_116-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「ありがたいことに、ここ近年、アジア圏や欧米からの海外需要が伸びており、約95%が輸出されています。それもほとんどは薄くて軽い、しかも切れ味がいいステンレス製の包丁に人気があります」と吉澤さんは話す。</p>



<p>ステンレス包丁もまた2種類の素材を組み合わせて作られるのだが、加工しにくく、鉄と比べて2倍近い作業時間を要するのだ。しかし、軽いうえに錆びにくいのが大きな特徴だという。</p>



<p>さらにまた大きな仕事が舞い込んだ。それはフランスのアウトドアブランド･オピネルとのコラボを組んだことだ。それは日本では初めてのことらしく、手に持つ柄の部分はオピネル、刃の部分は「二唐ブランド」の包丁で、しかも世界で2500本の限定品というものだ。</p>



<p>「今後は、ケーキやパイなどをスパッと切れる刃物に挑戦してみたい。それと将来的には失われつつある職人の技術を次に伝えていく伝承施設をつくれたらと思っています」と吉澤さんの夢は膨らんでいる。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54579/">350年もの伝統を刃物作りに受け継ぐ「二唐刃物鍛造所」／青森県弘前市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>伝統を守り、挑戦を続ける。心と記憶に残る２つの銘柄で魅了する「宮泉銘醸」の宮森義弘さん、大和さん／福島県会津若松市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 29 May 2026 04:49:48 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[酒造]]></category>
		<category><![CDATA[日本酒]]></category>
		<category><![CDATA[冩樂]]></category>
		<category><![CDATA[會津宮泉]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9584.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>品質の高さで全国の地酒ファンの人気を集める「冩樂（しゃらく）」と創業時から地元で愛されてきた「會津宮泉（あいづみやいずみ）」。二つの銘柄で理想とする酒づくりを追及し続ける「宮泉銘醸」。豊かな水源と酒造りに適した風土の中で [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9584.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>品質の高さで全国の地酒ファンの人気を集める「冩樂（しゃらく）」と創業時から地元で愛されてきた「會津宮泉（あいづみやいずみ）」。二つの銘柄で理想とする酒づくりを追及し続ける「宮泉銘醸」。豊かな水源と酒造りに適した風土の中で、４代目蔵元の義弘さん（兄・写真右）と専務の大和さん（弟・写真左）が「もっとうまい酒をつくりたい」と熱い思いで挑む。日々変わる蔵内の温度・湿度・香りを入念に確認しながら酒質を突き詰め、宮森さん兄弟を中心にチーム一丸となって酒づくりに取り組んでいる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">酒処・会津で400年にわたる歴史を受け継いできた酒蔵</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9551.jpg" alt="" class="wp-image-54563" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9551.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9551-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9551-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>東北有数の酒処、会津若松市。四方を山々に囲まれた会津盆地は季節ごとの寒暖差が大きく、冬場は寒冷で雑菌が少ないなど、日本酒づくりに適した気候風土に恵まれている。また、城下町として栄えたことで、江戸時代から多くの酒蔵が建ち、競い合うように酒づくりの技術を磨いてきた歴史がある。</p>



<p>名城・鶴ヶ城のほど近くにある風情ある蔵が、1955年（昭和30年）創業の「宮泉銘醸」。数百年の歴史を持つ酒蔵も少なくない中、歴史が浅いように思われるかもしれないが、それは違っていた。宮泉銘醸は、1718年（享保3年）創業という会津若松市でも指折りの老舗「花春酒造」から分家独立した蔵元であり、会社としての歴史は短くとも、400年にわたる酒造りの歴史が受け継がれている。</p>



<p>城下町の情緒ある街並みに溶け込む外観は歴史的景観指定物にも数えられ、蔵の敷地内も趣のある空間が広がっている。もともとは小さな造りだったそうだが、増築を重ねて今の姿が出来上がっていった。屋根の高さや壁の材質の違いも個性になり、様々な表情を見せている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">4代目として蔵の立て直しと新たな酒づくりに挑む</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9556.jpg" alt="" class="wp-image-54564" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9556.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9556-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9556-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>兄・義弘さんと弟・大和さんは大学卒業後、それぞれがシステムエンジニア（SE）として働いていたという異色の経歴を持つ。2002年、義弘さんが実家である宮泉銘醸の経営を立て直すために、SEを辞めて福島に戻ることになる。26歳の時だった。</p>



<p>「それまで行ってきた酒づくりや製造環境を一から見直しました」と振り返る義弘さん。「それまでにも全国新酒鑑評会で何度か金賞を獲得していましたが、出品酒で培った技術が他の酒に全く反映されていなかったので、通常の市販酒にも出品酒の酒づくりの知識を投入して、リニューアルしたいという思いが強くなりました」。</p>



<p>当時は、経営責任者を社長、製造責任者を杜氏が担っていたが、「経営者が酒づくりにも携わることで理想の味に近づけるのでは」と考え、自ら酒質が高いと思った全国の酒蔵を巡り、優れた技術を取入れながら新たな味の追求を進めていった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">兄弟の絆が酒蔵に新風を吹き込んだ</h3>



<p>大和さんはSEとして勤務した後、国会議員の秘書となったが、先に実家に戻っていた兄の義弘さんにある日、「大和、一緒に酒づくりをしないか」と誘われたという。「いつか兄と一緒に仕事をしてみたいと思っていたので全く迷いはありませんでした」と大和さんに笑顔があふれる。</p>



<p>「しっかりと高いレベルの酒をつくっていきたいと思い、少しずつ石数が増えていたので、「會津宮泉」という地元銘柄の質を上げていくためには弟の力が必要だと思いました」と義弘さん。そこから兄弟を中心とした酒づくりの新たな歴史が始まった。</p>



<p>近年ではおもに、義弘さんを中心に「冩樂」を、大和さんを中心に「會津宮泉」の造りを担い、二つの銘柄で理想を追い求めている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">一度は途絶えかけた「冩樂」をつないで蔵の改革を</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9598.jpg" alt="" class="wp-image-54565" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9598.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9598-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9598-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>もともと「冩樂」という銘柄は、宮森酒造一族の大元の本家であった宮森文次郎商店の流れを汲んだ蔵元「東山酒造」のものだったという。会津の人々から人気を集めていたが、東山酒造が2009年に惜しまれながら廃業することに。そこで、起源を同じくする宮泉銘醸が「冩樂」の銘柄を引き継ぐことになった。</p>



<p>「冩樂という銘柄を引き継ぎましたが、全国に通用する酒を造りたかったので、自分で培ってきた酒づくりのノウハウを注いで新しい酒を造りました」と話す義弘さん。その結果、一度は歴史が途絶えかけていた「冩樂」が全国で人気を誇る日本酒に成長。2014年には、日本で最もおいしい市販酒を決めるイベント「SAKE COMPETETION」において、純米酒・純米吟醸の両部門で1位を獲得。その確かな実力を全国に知らしめた。その後もさらなる品質向上に努め、今やさまざまな品評会において金賞受賞の常連となるほどの銘酒となっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">技術のチャレンジを続ける「會津宮泉」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9600.jpg" alt="" class="wp-image-54566" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9600.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9600-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9600-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>福島県内の出荷をメインとしている「會津宮泉」。味や出来栄えは「冩樂」に肩を並べる銘酒と言われ、2018年には「SAKE COMPETETION」の純米酒部門で全国１位、国際的な日本酒コンテストでも数々の賞を獲得するなど、輝かしい成績を収め、全国的にも注目される存在に。「代々蔵元が守り続けてきた銘柄を大切にしたい」との一心で、醸造のクオリティを底上げしてきた。</p>



<p>「會津宮泉は常に理想の酒造りを目指して、技術のチャレンジを続けていきたい」と話す大和さん。「伝統を守る」だけでなく、新たなる酒づくりへの挑戦も止まるところを知らない。酒造好適米には福島県が開発した「夢の香」や「福乃香」をはじめ、「渡船２号」「山田穂」「山酒四号」「雄山錦」などを使用し、多彩な酒づくりを行ってきた。「今後もやってみたい造りや醸造があります」と大和さんがうれしそうに笑う。</p>



<h2 class="wp-block-heading">良質な水と米で、妥協を許さない酒づくりを</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9727.jpg" alt="" class="wp-image-54567" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9727.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9727-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9727-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本酒の品質はもちろん、蔵内の衛生管理においても評価が高い。美しく磨かれた木造の廊下、存在感を放つタンク、静かに時を重ねる麹。貯蔵についても、常温貯蔵やタンク貯蔵をする酒蔵が多い中、宮泉銘醸では、空気による酸化防止と常温劣化を防ぐため、上槽後の即瓶詰、全量瓶による冷蔵貯蔵を徹底している。</p>



<p>「地下水を汲上げ、酒づくりの全ての過程で利用する仕込み水を作る工程から始まり、原材料、醪（もろみ）の管理、上槽（醗酵の終わったもろみを清酒と粕に分離する操作）、貯蔵、出荷に至るまで、酒質向上に係わる作業や環境づくりを妥協せずに行っています」と話す大和さん。</p>



<h3 class="wp-block-heading">データの管理と蓄積で高い水準の美酒を目指す</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9752.jpg" alt="" class="wp-image-54576" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9752.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9752-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9752-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>蔵内にはまるでラボのように異才を放つ空間がある。さまざまな分析機械が並ぶ「分析室」には、アルコール度数、酸度、日本酒度（糖度）、酸度など、原酒になる前の醪の発酵度合いを見極めるのに必要なデータを計れる分析器が並んでいた。</p>



<p>義弘さんも大和さんも大学は理系なので、データ化にこだわる。いつでも検証できるようにするためだ。「良い酒は積み重ねでしかできない」と考え、酒づくりをより進化させるための研究や、実際につくられたお酒の全てのデータが管理されている。これにより、宮泉銘醸はより高い水準で高品質のおいしい酒づくりを追求しているのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">世界を視野に、楽しみながら挑戦は続いていく</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9679.jpg" alt="" class="wp-image-54568" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9679.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9679-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9679-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「今の蔵が理想の規模感に達しています。以前はタンク10本分も造っていないほどの蔵でしたが、今は150本造っており、2000石ぐらいの蔵が自分たちの目が行き届くので理想的です」と微笑む義弘さん。「今後は国内だけでなく、世界の人々にもおいしいと思われるような日本酒を届けたいと考えているので輸出への挑戦も視野に入れています。世界で見つけてもらえるような日本酒になれればいいなと思っています」と新たな夢を語る。</p>



<p>「兄と一緒に仕事をしていてとても充実しています。、この先に広がる面白い世界を兄の社長と見たいと思っています」と目を輝かせる大和さん。「これからどんどん人口が減り、飲酒人口も減っていく中で、世界へ発信していくことは大切だと思います。「また、宮泉が魅力あることをやっているね」と言われるように、新しいことにはどんどん挑戦していきたいです」と決意を新たにする。</p>



<p>ポジティブな挑戦が続く限り、宮泉銘醸の未来はまだまだ面白くなりそうだ。どんな日本酒ができるのか想像しただけで胸が躍る。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54554/">伝統を守り、挑戦を続ける。心と記憶に残る２つの銘柄で魅了する「宮泉銘醸」の宮森義弘さん、大和さん／福島県会津若松市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>最高の一杯を追求し、日常に寄り添うコーヒーを。門脇洋之さん・裕二さん／島根県安来市・松江市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 29 May 2026 04:24:34 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[CAFFE VITA]]></category>
		<category><![CDATA[バリスタ]]></category>
		<category><![CDATA[コーヒー]]></category>
		<category><![CDATA[ワールド・バリスタ・チャンピオンシップ]]></category>
		<category><![CDATA[CAFE ROSSO]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01340_142A2681.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>世界最大級のバリスタ競技会「ワールド・バリスタ・チャンピオンシップ」で準優勝した「CAFE ROSSO（カフェロッソ）」店主･門脇洋之さん（写真右）。島根から世界に挑み、自家焙煎による独自の一杯を追求してきたバリスタだ。 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54537/">最高の一杯を追求し、日常に寄り添うコーヒーを。門脇洋之さん・裕二さん／島根県安来市・松江市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01340_142A2681.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>世界最大級のバリスタ競技会「ワールド・バリスタ・チャンピオンシップ」で準優勝した「CAFE ROSSO（カフェロッソ）」店主･門脇洋之さん（写真右）。島根から世界に挑み、自家焙煎による独自の一杯を追求してきたバリスタだ。「CAFFE VITA（カフェヴィータ）」を営む弟の裕二さん（写真左）も国内コンテストで多数入賞、優勝までも経験し、セミナー講師や審査員としても活躍している。ふたりの拠点は生まれ育った島根県。世界で活躍できる実力を持ちながら、なぜこの地でコーヒーを淹れ続けているのだろうか。</p>



<h2 class="wp-block-heading">将来を描いたのは、コーヒーのある日常から</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01442__H6A9209.jpg" alt="" class="wp-image-54546" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01442__H6A9209.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01442__H6A9209-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01442__H6A9209-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>兄弟の実家の1階は喫茶店で、父・美己（よしみ）さんが毎日コーヒーを淹れていた。学校の行き帰りには必ず店を通る。それが当たり前の光景だった。</p>



<p>「中学2年のとき、お店のコーヒーが自家焙煎に変わって、おいしくなったんです。父と一緒にいろいろなお店を回って飲み比べるうちに、“父にしか出せない味がある”ことが面白くて」と振り返る洋之さん。</p>



<p>その父の姿から、コーヒーを生業にする未来は自然と描かれていった。ただ、進路を具体的に考えるようになると、「父のコーヒーは超えられない」という思いも芽生えていく。店を継ぐのではなく、自分にしかできない表現で、自分の店を持ちたいと考えるようになった。その思いから、高校卒業後はスイーツづくりを学ぶため大阪の洋菓子店に就職。パティシエとして6年働き、カフェとしての表現を広げるための土台を築いていった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自分だけの味を追い求めて本場イタリアへ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01403__H6A8955.jpg" alt="" class="wp-image-54547" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01403__H6A8955.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01403__H6A8955-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01403__H6A8955-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>1990年代半ば、日本に外資系コーヒーチェーンが進出し始めた。当時はまだ珍しかったエスプレッソマシンや多彩なメニュー、明るく開放的な店舗は都市部を中心に広がり、コーヒーの楽しみ方に新しい価値観をもたらしていった。それまで日本では、挽いた豆にお湯を注いで抽出するドリップコーヒーが主流。高圧で抽出するエスプレッソは、まだほとんど知られていなかった。「コーヒーの可能性が一気に広がった気がして、“これは流行る”と確信しました」。そのルーツがイタリアにあると知った洋之さんは、本場の味を体験するため現地に足を運んだ。自身のスタイルとして目指すものを見つけたのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">自分だけの軸を作り、育てる</h3>



<p>イタリアのコーヒーは、エスプレッソが主流。洋之さんは、イタリア北部から南部までたくさんのバール（カフェ）を巡り歩いた。味わいだけでなく、店のつくりや客のくつろぎ方まで観察しながら、自分のコーヒーのイメージを少しずつ膨らませていった。帰国後はエスプレッソマシンの操作を習得しながら、父親の店で自家焙煎の技術を学ぶ。そして1999年、自身の店「CAFE ROSSO」を父と同じ安来市（やすぎし）でオープンする。その姿を見ていた弟の裕二さんも、自然とコーヒーの道を志した。兄と同じように洋菓子店で働き、イタリアで自分のスタイルを模索。その後、「CAFFE VITA」を松江市でオープンする。</p>



<h2 class="wp-block-heading">バリスタ・チャンピオンシップへの挑戦</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01357__H6A8705.jpg" alt="" class="wp-image-54548" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01357__H6A8705.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01357__H6A8705-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01357__H6A8705-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>開店から数年後、転機が訪れる。「コンテストがあるので参加しませんか」と取引先から声をかけられた大会は、日本スペシャルティコーヒー協会が主催する「ジャパン・バリスタ・チャンピオンシップ」。高品質なコーヒー文化の普及を目的に開催されている国内最大級のバリスタ競技会だ。スペシャルティコーヒーとは、一定の評価基準を満たした高品質なコーヒーのことで、その味わいを最大限に引き出すにはバリスタの抽出技術が欠かせない。大会では味のクオリティや技術力、ホスピタリティなどを総合的に競う。腕試しのつもりで出場した2003年大会。なんと洋之さんは優勝、裕二さんは準優勝を飾った。自らのスキルが客観的に評価された瞬間だった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">世界大会準優勝。その裏にあった自家焙煎という選択</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01363__H6A8725.jpg" alt="" class="wp-image-54549" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01363__H6A8725.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01363__H6A8725-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01363__H6A8725-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2005年、洋之さんは「ワールド・バリスタ・チャンピオンシップ」に出場する。前述の国内大会優勝者だけが参加できる世界大会で、日本代表としての挑戦だった。審査では、味だけでなく、サービススキル、プレゼンテーションも評価される。当時、欧米のエスプレッソ文化にアジア人が挑むのは簡単ではなかった。</p>



<p>しかし、洋之さんは、自家焙煎した豆を使った独自のプレゼンテーションで準優勝に輝いた。「当時は市販の豆を使う人がほとんど。でも、私は自分で焙煎した豆を使い、オリジナルの味で挑みました」。焙煎で味の基礎をつくり、抽出でそのフレーバーを最大限に引き出したのだ。他と違う味を生み出すための選択で、その経験は、今のコーヒーづくりにも確実に生きている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">コーヒーの味を決める、焙煎へのこだわり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01424__H6A9099.jpg" alt="" class="wp-image-54550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01424__H6A9099.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01424__H6A9099-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01424__H6A9099-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>コーヒーは同じ豆でも、焙煎によって味が大きく変わる。火力や時間のわずかな違いが、酸味や甘み、コクを左右する。「以前、一流バリスタが淹れたコーヒーを飲んだとき、味わいの奥行きにびっくり。『この味を目指そう』と思いましたが、抽出だけでは足りず、焙煎で味を作る必要がありました。そこから本格的に焙煎に取り組むことに」と原点を語る。味の責任を、最後まで自分で持ちたいのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">届けたい味をデザインすること</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01346_142A2747.jpg" alt="" class="wp-image-54551" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01346_142A2747.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01346_142A2747-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01346_142A2747-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>コロナ禍以降、自宅でコーヒーを楽しむ人が増えた。ふたりが営む店でも、コーヒー豆やドリップバッグなども販売している。豆を挽いて淹れるなど、本格的な楽しみ方も広がっている。「おいしく楽しんでもらえるよう、焙煎で味をしっかり整えたものをお届けしています。お店ではバリスタが風味を最大限引き出しますが、ご自宅で同じように再現するのは難しい。そのため、誰が淹れてもおいしくなるよう火を入れるタイミングや表皮の割合を研究しています」と裕二さん。今、目指しているのは、赤茶色の豊かなクレマ（泡）と、ミルクにも負けないコクだという。</p>



<p>洋之さんもまた、「イタリアのナポリで飲んだコーヒーの感動を届けたい」と理想の味づくりにブレはない。</p>



<p>コーヒーを通じて幸せを提供する。焙煎はそのためのひとつの手段なのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">どんなシーンにも寄り添うコーヒーを作り続ける</h3>



<p>そして近年は、産地にこだわったスペシャルティコーヒーへの関心も高まっている。特定の地域で生産された豆を使うシングルオリジンコーヒーは個性が際立つ。一方、複数の産地の豆を組み合わせるブレンドは、調合により多彩な表情を見せるのが魅力。</p>



<p>店舗では、アラビカ種とロブスタ種という2種類のコーヒー豆を扱っている。華やかな香りとフルーティーな酸味を持つアラビカ種に対し、ロブスタ種は苦味が強く、深いコクが特徴。それぞれの産地や個性を見極めながら、最適な味わいをつくり出している。</p>



<p>コーヒー豆の高騰が進む今、「日常はお求めやすいブレンドでいろんな味を楽しみ、特別な日はシングルオリジンコーヒーで贅沢な気分を味わうのもいいですね」と幅広い楽しみ方も提案している。</p>



<p>ふたりが提供するコーヒーは、&#8221;すごさ”を押しつける味ではなく、「おいしい」と自然に言葉が出る一杯だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">茶の湯文化が根付く町で、コーヒー一筋に</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01353__H6A9290.jpg" alt="" class="wp-image-54552" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01353__H6A9290.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01353__H6A9290-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01353__H6A9290-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>松江市周辺は、江戸時代に藩主・松平不昧公（ふまいこう）が茶道を広めたことでも知られている。茶の湯文化が根付くこの町では、日常の一服が大切にされてきた。コーヒーもまた、日々の暮らしの中で自然に楽しむもの。彼らが追い求めるのは、驚きよりも“また飲みたくなる”味だ。</p>



<p>今後の展望を聞くと、「自分だけのコーヒーを追求して、全国へ届けたいですね。『こんなおいしいコーヒーがあるんだ』と、思ってもらえる味を目指しています」と語る洋之さん。「いろんな角度からコーヒーを楽しむ提案をしていきたいですね。カフェだけでなく、コーヒーマシンのデモンストレーションやセミナーも実施しているんです」と裕二さんも続ける。</p>



<p>洋之さんは“味”を磨き、裕二さんは“文化”を広げる。日常に寄り添う姿勢は通底しながらも、それぞれのこだわりで、コーヒーのある生活をよき方向へ導いている。島根から生まれる一杯が、これからも多くの人の日常を豊かにしていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54537/">最高の一杯を追求し、日常に寄り添うコーヒーを。門脇洋之さん・裕二さん／島根県安来市・松江市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>日本一の大しめ縄誕生の地･飯南町に受け継がれるしめ縄づくり　出雲大社勧農講社頓原支部／島根県飯南町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 07 May 2026 10:47:39 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[注連縄]]></category>
		<category><![CDATA[出雲大社]]></category>
		<category><![CDATA[大しめ縄創作館]]></category>
		<category><![CDATA[大しめ縄]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00979__H6A7254.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>縁結びの神として知られる「出雲大社」。その神楽殿に掲げられた巨大なしめ縄は、訪れる人が思わず見上げる象徴的な存在だ。その大しめ縄を作り続けているのが、島根県飯南町にある「出雲大社勧農講社頓原支部（いずもたいしゃかんのうこ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54512/">日本一の大しめ縄誕生の地･飯南町に受け継がれるしめ縄づくり　出雲大社勧農講社頓原支部／島根県飯南町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00979__H6A7254.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>縁結びの神として知られる「出雲大社」。その神楽殿に掲げられた巨大なしめ縄は、訪れる人が思わず見上げる象徴的な存在だ。その大しめ縄を作り続けているのが、島根県飯南町にある「出雲大社勧農講社頓原支部（いずもたいしゃかんのうこうしゃとんばらしぶ）」。神話の地を支えるしめ縄づくりの技術は、町の誇りとともに受け継がれてきた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">山里の作業場から生まれる巨大なしめ縄</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00872_142A0019.jpg" alt="" class="wp-image-54520" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00872_142A0019.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00872_142A0019-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00872_142A0019-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>中国山地の山々に囲まれた島根県飯南町（いいなんちょう）。冬には雪が降り積もり、澄んだ水と豊かな田畑に恵まれた静かな土地だ。その町にある「大しめ縄創作館」で大しめ縄づくりを担っているのが、「出雲大社勧農講社頓原支部」だ。代表を務めるのは和田さん。この土地で長く続いてきた奉納の営みを支えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">山里に受け継がれるしめ縄づくり</h3>



<p>「出雲大社勧農講社頓原支部」では、日本でもひときわ大きな一本のしめ縄の制作を担っている。行き先は、全国から参拝者が訪れる出雲大社の神楽殿だ。長さおよそ13.6メートル、重さはおよそ5トン。初めて目にした人は、その大きさに思わず足を止め、見上げてしまうほどの迫力だ。だが、その壮大なしめ縄が生まれる場所は、観光地の喧騒とは無縁の山里にある作業場である。</p>



<h3 class="wp-block-heading">大しめ縄と飯南町のつながり</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00876__H6A7113.jpg" alt="" class="wp-image-54521" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00876__H6A7113.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00876__H6A7113-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00876__H6A7113-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>飯南町と大しめ縄の関係は、昭和30年代までさかのぼる。当時、この地域には出雲大社分院が置かれていた。その縁から、近隣の住民や信者たちによってしめ縄が作られ、神社へ奉納されるようになったという。</p>



<p>やがて昭和56年、出雲大社神楽殿が建立された際、新たなしめ縄の制作が依頼された。それが長さおよそ13.6メートルに及ぶ巨大なしめ縄だ。神楽殿にふさわしい大きさのしめ縄を作るため、地域の人々が協力して制作に取り組むことになる。当初は頓原小学校の講堂、その後、中学校の体育館へと場所を移しながら、しめ縄づくりは続けられ、平成27年、しめ縄づくりの拠点として「大しめ縄創作館」が完成した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">しめ縄文化を今に伝える「大しめ縄創作館」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00879__H6A7067.jpg" alt="" class="wp-image-54522" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00879__H6A7067.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00879__H6A7067-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00879__H6A7067-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そもそもしめ縄とは、神様が宿る場所と私たちの暮らす世界を隔てる「結界」の役割をもつもの。古来より神社や神棚、家の玄関などに飾られ、日本人の暮らしの中に深く根付いてきた。「大しめ縄創作館」では、そんなしめ縄の歴史を伝える写真や資料などが並び、地域で受け継がれてきたしめ縄づくりの文化を知ることができる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">熟練の技で編み上げられるしめ縄</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00881__H6A7074.jpg" alt="" class="wp-image-54523" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00881__H6A7074.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00881__H6A7074-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00881__H6A7074-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>奥へ進むと、作業場が広がる。そこでは職人たちが実際にしめ縄を編み上げる作業を行っている。編む人、芯を取る人、小さな部材を作る人。それぞれの役割を分担しながら作業が進められる。館内には乾いた稲わらの香りが漂い、束ねたわらをより合わせる音が静かに響く。職人たちはわらを手に取り、力を込めてねじりながら一本の縄へと仕上げていく。</p>



<p>しめ縄づくりは一見単純な作業のようにも見えるが、均一な太さの縄を作るには熟練の技術が必要だ。わらの束をどのくらいの力で締めるか、どの角度でより合わせるか。その加減は、長年の経験によって身につくものだという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">神楽殿に掛けられる巨大なしめ縄づくり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00897__H6A7139.jpg" alt="" class="wp-image-54524" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00897__H6A7139.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00897__H6A7139-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00897__H6A7139-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>普段のしめ縄づくりは創作館の奥のスペースで行われているが、出雲大社神楽殿に掛けられる大しめ縄を制作する際には、館内の様子は大きく変わる。約13.6mもの巨大なしめ縄を作るために、建物全体を使って制作が行われるのだ。</p>



<p>大しめ縄は一本の縄から作られるわけではない。複数の太い縄を編み、それらを組み合わせることで完成する。わらを束ね、より合わせ、さらに組み上げていく作業には多くの時間と人手が必要になる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">縄の素材となる稲づくりも飯南町で</h3>



<p>大しめ縄の制作は春、田植えから始まる。地元飯南町産の素材で作るのが基本で、町内にはしめ縄専用の田んぼが整備されている。育てるのは「赤穂餅（あかほもち）」という品種の餅米。一般的な餅米よりも粘りが強く、縄に撚ったときに千切れにくいという特徴がある。大しめ縄のような巨大な縄を作るには、こうした丈夫な稲が欠かせない。</p>



<p>食べるための米とは違い、しめ縄用の稲は実がつく前に刈り取られる。まだ青く、繊維が丈夫な状態の方が、強く美しい縄に仕上げられるからだ。刈り取られた稲は乾燥させ、束ねられ、やがて縄へと撚られていく。作りたてのしめ縄には、稲の青みがほのかに残る。時間とともに色が抜け、やがて神社で見慣れた落ち着いた茶色へと変わっていく。</p>



<h3 class="wp-block-heading">今年の夏、神楽殿で架け替えへ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00986_142A0606.jpg" alt="" class="wp-image-54525" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00986_142A0606.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00986_142A0606-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00986_142A0606-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>制作の終盤には「大撚り合わせ」と呼ばれる工程がある。何本もの太い縄を束ね、巨大な一本へと撚り上げる作業だ。機械だけでは難しいため、多くの人の力が必要になる。飯南町ではこの工程に参加する人を募集し、地域の人々や有志が力を合わせて縄を仕上げていく。大しめ縄づくりには、延べ800人もの人々が関わるという。巨大なしめ縄は、職人だけでなく町の人々の力によって完成するのだ。</p>



<p>大しめ縄はおよそ6〜7年に一度、新しいものへと掛け替えられる。神楽殿での架け替え作業は一日がかりで行われ、巨大なしめ縄がゆっくりと吊り上げられていく光景は圧巻だ。次の架け替えは今年、2026年７月。田んぼで育てられた稲が、長い時間をかけて一本の縄となり、再び神楽殿に掲げられることになる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">飯南町から全国へ広がるしめ縄づくり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00981__H6A7264.jpg" alt="" class="wp-image-54526" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00981__H6A7264.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00981__H6A7264-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00981__H6A7264-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>創作館が整備され、制作の様子が公開されるようになると、その技術が広く知られるようになった。現在では日本全国の神社や施設、そして海外からもしめ縄の制作依頼が寄せられているという。</p>



<p>そのため館内では、大しめ縄の制作がない時期でも年間を通してしめ縄づくりが続けられている。サイズも用途もさまざまで、神社に飾られるものから施設の装飾に使われるものまで、出雲で編まれた縄が各地へと届けられている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">地域の誇りを日本全国、そして次世代へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00931__H6A7525.jpg" alt="" class="wp-image-54527" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00931__H6A7525.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00931__H6A7525-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00931__H6A7525-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「しめ縄づくりはこの地域の誇りです。」と語る和田さん。ここ飯南町でのしめ縄づくりの技術は、今では全国へと広がり、日本各地の祈りの場を支える存在となっている。</p>



<p>一方で、飯南町は高齢化が進んでいる地域。しめ縄づくりの技術を次の世代へどう繋いでいくかは、大きな課題でもある。それでも、この町では今日も藁が束ねられ、縄が撚られている。その手仕事は、地域の誇りとともに日本各地や海外、そして未来へと受け継がれていこうとしている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54512/">日本一の大しめ縄誕生の地･飯南町に受け継がれるしめ縄づくり　出雲大社勧農講社頓原支部／島根県飯南町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>琉球王国時代から続く木桶仕込みの天然醸造 玉那覇味噌醤油／沖縄県那覇市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54493/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 07 May 2026 10:36:55 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[うっちんみそ]]></category>
		<category><![CDATA[味噌]]></category>
		<category><![CDATA[天然醸造]]></category>
		<category><![CDATA[天然醸造味噌]]></category>
		<category><![CDATA[王朝みそ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-036.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>沖縄本島、那覇市のなかでも、特に歴史ある古い街並みが残る首里の街。首里城のお膝元で170年もの長い歳月ずっと味噌造りを続けているのは玉那覇（たまなは）味噌醤油。創業当時の製法そのまま、年季の入る木桶で天然醸造を続けている [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-036.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>沖縄本島、那覇市のなかでも、特に歴史ある古い街並みが残る首里の街。首里城のお膝元で170年もの長い歳月ずっと味噌造りを続けているのは玉那覇（たまなは）味噌醤油。創業当時の製法そのまま、年季の入る木桶で天然醸造を続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">沖縄でも希少な、麹から手作りをする味噌蔵</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-040.jpg" alt="" class="wp-image-54503" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-040.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-040-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-040-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>今から約120年前まで、琉球というひとつの国だった沖縄。首里城を有する首里が琉球国の中心だった。このあたりも武家屋敷が立ち並んでいた場所。そして実際、士族屋敷跡であるこの場所で、琉球王府末期の1855年〜1860年に味噌と醤油を造り始めたのが玉那覇味噌醤油だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">戦禍をくぐり抜けて残った麹菌</h3>



<p>坂道をのぼっていくと、歴史を感じさせる古い石垣が見えてくる。重厚感のある立派な石垣は戦前から残るもの。建物は沖縄戦で倒壊したが、焼けずに残った柱を防空壕の中で保存し、柱についた麹菌が玉那覇の味をつないでくれたのだそう。</p>



<p>沖縄県内でも、麹から手作りをしている味噌蔵は希少。以前は醤油も醸造していたが、設備の老朽化により10年ほど前から醤油造りは休止している。</p>



<p>米軍統治下の時代に移行した後も、首里の街だけでも、味噌や醤油を造る蔵がけっこうあったのだそうだが、1972年の日本本土復帰により、県外の製品がどっと入ってきたことによって、ほとんどが廃業してしまった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">5代目が守り続けた“すべて手作業”の味噌造り</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-035.jpg" alt="" class="wp-image-54504" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-035.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-035-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-035-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在、玉那覇味噌醤油の当主を務めるのは、6代目となる大城由美さん。5代目で2025年4月に亡くなった玉那覇有紀（ありのり）さんの長女にあたる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">手入れをしながら、年季の入る木桶で醸造する</h3>



<p>味噌を仕込むのはすべて昔ながらの木桶だ。蒸した丸大豆に、米麹、そして、沖縄の海塩のみを混ぜ合わせ、発酵、熟成させる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-016.jpg" alt="" class="wp-image-54505" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-016.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-016-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-016-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>麹室の扉を開けると、むわっとした空気が流れ出てくる。麹の発酵により36℃ほどある室内で、工場長が、ずらりと並ぶ麹箱に目を凝らしていた。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-019.jpg" alt="" class="wp-image-54506" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-019.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-019-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-019-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>写真は2日前に種麹をつけたもの。同社の味噌に使う国産米を使った米麹は種麹をつけて、4日ほどで黄色っぽく変色。そこからさらに発酵が進むと、麹室内は40℃ほどにもなるという。</p>



<p>高温多湿な沖縄は微生物が活発に働き、やはり本土に比べ発酵が進みやすいのだそう。夏場は3〜4ヶ月、冬場は6〜7ヶ月ほど発酵、熟成ののち、味噌が仕上がる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-034.jpg" alt="" class="wp-image-54507" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-034.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-034-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-034-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>看板商品である「王朝みそ」は、九州の大豆を使用している。米や大豆のほどよい甘さを感じる、まろやかな口当たりだ。他には、国外産の大豆を使った「首里みそ」、ウコンを混ぜ込んだ「うっちんみそ」、米と麦の合わせ味噌の「特選みそ」を製造している。</p>



<p>直営のほか、地域のスーパーなどで販売、そしてネット販売もしてきた。一時期は製造が追いつかず、新規のネットでの注文はストップしていたが、現在では月1〜2回のペースで販売再開できるようになってきた。</p>



<p>「うちの味噌は1000円するんですけど、1200円の送料を払ってまでも本土から購入してくれる人たちがいるんです。ありがたいですね」と由美さんは話す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">菌にとって最適な環境</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-003.jpg" alt="" class="wp-image-54508" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-003.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-003-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-003-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>年間を通して気温差のあまり大きくない沖縄は、菌の働きに適した環境。大きな桶の中では、乳酸菌や酵母菌が活発に働き、味噌の熟成中だ。ずらりと並ぶ年季の入る桶は、いびつで、漏れがあったりするけれど、できる限り丁寧に修繕を繰り返し、なるべく長く使用する。買い替えの回数を極力減らすことで、創業から続く味を守り続けている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-026.jpg" alt="" class="wp-image-54509" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-026.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-026-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-026-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>管理しやすいホーローや強化プラスチックのタンクに変えるという選択肢もあったが、木は断熱性や保温性が高いため、気温に左右されずに温度を保つことができるため、手入れをしながら何十年と大事に使い続けているのだそう。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-021.jpg" alt="" class="wp-image-54510" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-021.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-021-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-021-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>製造が追いつかないとはいっても、決して効率などを優先せず、これまで大事に守られてきた製法はそのまま。</p>



<p>そんな、品薄状態が続く玉那覇味噌醤油だけれど、近くの保育園の給食で食べられる味噌は途切れることなく確保している。保育園が行う食育に賛同しているからで、すぐ近くで造られる郷里のものを食べて育ってほしいという想いがあるからだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">80年ぶりに木桶を新調</h2>



<p>そして、実は2026年2月に、80年ぶりに木桶を新調したばかり。国内でも少なくなっている本土の木桶職人により、金属を一切使用せず、スギの木の板と竹釘、そして竹で編まれたタガのみで組み上げられた。100年もつとも言われる、真新しくなった木桶での味噌造りが始まる。</p>



<p>日本が誇る発酵文化、発酵調味料である味噌。全国的にも麹から作る味噌蔵が少なくなり、木桶で仕込む蔵も数えられるくらいになっている。</p>



<p>ずっと変わらない人の手による製造方法、そして、この場所ならではの環境とが織りなすことでできあがる、ここだけの味噌の味。先祖代々大事に紡いできた味を守っていくために、小さな味噌蔵の挑戦は続く。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54493/">琉球王国時代から続く木桶仕込みの天然醸造 玉那覇味噌醤油／沖縄県那覇市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>東北で唯一の現存天守、弘前城跡を臨む「弘前公園」／青森県弘前市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 07 May 2026 10:24:03 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[重要文化財]]></category>
		<category><![CDATA[弘前さくらまつり]]></category>
		<category><![CDATA[鷹揚園]]></category>
		<category><![CDATA[国の史跡]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_66.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「青森県を代表する桜の名所といえば、弘前公園」と言われるほど、東北地方でも有数の桜の名所として知られる弘前公園。この公園は鷹揚園（おうようえん）ともいわれ、津軽10万石の居城「弘前城跡」でもある。総面積約50haと広い園 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_66.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「青森県を代表する桜の名所といえば、弘前公園」と言われるほど、東北地方でも有数の桜の名所として知られる弘前公園。この公園は鷹揚園（おうようえん）ともいわれ、津軽10万石の居城「弘前城跡」でもある。総面積約50haと広い園内には、天守や濠（ほり）、櫓（やぐら）、城門などが残っており、花見の時期になると約2600本の桜が見事な花を咲かせる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">弘前城の歴史</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_70.jpg" alt="" class="wp-image-54486" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_70.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_70-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_70-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>弘前城の天守は江戸時代に建てられた12棟の天守の一つで、東北･北海道では唯一の現存天守 。</p>



<p>城跡は国の史跡としてはもちろん、現存する天守、櫓、城門は重要文化財にも指定されている。弘前公園は弘前市の中心部に位置し、東西約600m、南北約1000m、面積約50haにも及ぶ広大な敷地で、園内には天守（本丸辰巳櫓）のほかに濠、土塁（どるい）に囲まれた6つの郭（くるわ）、櫓3棟、城門5棟が残されている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_01.jpg" alt="" class="wp-image-54487" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_01.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_01-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_01-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「これだけ大規模な城郭が当時の姿のまま公園として開放されている例は、全国的にも珍しいと思います」と話してくれたのは、弘前市公園緑地課弘前城整備活用推進室主査の東海林 心（しょうじ こころ）さんだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">弘前城が築城となるまでの経緯</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_60.jpg" alt="" class="wp-image-54488" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_60.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_60-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_60-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>1590年までに豊臣秀吉より津軽の領地安堵を得た津軽為信（ためのぶ）が新たな城を築くことを決意し、高岡の地を選定したのが1603年。しかしながら計画は遅々として進まないまま、津軽為信は完成を見ることなく1607年に京で病死してしまう。58歳だった。その後2代目藩主となった三男・信枚（のぶひら）が1611年に高岡城（現在の弘前城）を完成させた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">5層だった弘前城が3層になったわけ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="549" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakijyo-sakura_graph.jpg" alt="" class="wp-image-54489" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakijyo-sakura_graph.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakijyo-sakura_graph-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakijyo-sakura_graph-768x511.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「天守は築城当初5層で本丸西南隅にあったのですが、1627年に落雷で焼失してしまったんです」と話す東海林さん。天守焼失後、再建の機運が盛り上がったものの計画は途中で頓挫。その後、弘前藩の石高が10万石に高直りしたのを契機に、1810年9代目寧親（やすちか）が本丸辰巳櫓名目で再建したものが天守として残った。旧名「高岡」を現在の「弘前」に改名したのは焼失の翌年で、厄払いの意味があったという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">倒幕の混迷を経て、弘前市民のシンボルへ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="549" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/b676708decfad691aa65485106ff0a4c.jpg" alt="" class="wp-image-54490" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/b676708decfad691aa65485106ff0a4c.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/b676708decfad691aa65485106ff0a4c-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/b676708decfad691aa65485106ff0a4c-768x511.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>やがて明治維新により弘前藩も解体。弘前城は陸軍省の管理下となり、戦時中には兵器や弾薬の補給、保管、管理を担当した陸軍兵器廠（りくぐんへいきしょう）の地方出先機関である兵器支廠（へいきししょう）などに活用されたが、本丸御殿や宝物蔵など一部の施設は解体されたものの、天守や城門、櫓は保護されて残っている。また、太平洋戦争の戦災を免れて当時のまま残っている遺構が多いため、貴重な国の史跡となった。</p>



<p>そんな中、陸軍の火薬庫などとなっていた三の丸を除いた区画は、1895年に弘前公園として市民へと開放された。また、3階建ての天守の高さは約15mで、ここからの景観は素晴らしく、津軽富士とも言われる岩木山と公園内が一望できる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">歴史ある史跡は「観桜会（かんおうかい）」の場から「弘前さくらまつり」へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/3c24204e3497c1e844c1af087a3e3b69.jpg" alt="" class="wp-image-54491" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/3c24204e3497c1e844c1af087a3e3b69.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/3c24204e3497c1e844c1af087a3e3b69-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/3c24204e3497c1e844c1af087a3e3b69-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>人々が冬の重圧から開放された頃、総面積約50haと広い公園内ではソメイヨシノ、八重桜、シダレザクラなど52品種、約2600本の桜が美しく花を咲かせる。雪を頂いた岩木山が望める園内では、春を待ち焦がれた人々による数え切れないほどの車座の酒席が広がり、あちこちから聞こえてくるのは津軽民謡。築城から400年以上経った今でも、弘前城を有する弘前公園は、市民が真っ先に思い浮かべる憩いの場として親しまれ続けている</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54478/">東北で唯一の現存天守、弘前城跡を臨む「弘前公園」／青森県弘前市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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