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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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		<title>「美味しい」の一言が茶栽培の原動力。「お茶の川谷園」川谷哲也さん/大分県中津市</title>
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		<pubDate>Mon, 13 Jul 2026 10:10:52 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2804.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大分県北部、険しい岩山と清流が織りなす耶馬溪町（やばけいまち）の山間地に、緑の茶畑が広がっている。ここで茶葉の栽培から販売までを一手に担うのが、「お茶の川谷園」2代目の川谷哲也さんだ。静岡以西では初めて「茶聖」の称号を授 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2804.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大分県北部、険しい岩山と清流が織りなす耶馬溪町（やばけいまち）の山間地に、緑の茶畑が広がっている。ここで茶葉の栽培から販売までを一手に担うのが、「お茶の川谷園」2代目の川谷哲也さんだ。静岡以西では初めて「茶聖」の称号を授かり、大分の茶づくりをリードする存在として知られている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">国の事業をきっかけに、山の土地でお茶を育てる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9371.jpg" alt="" class="wp-image-54855" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9371.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9371-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9371-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川谷園の茶葉生産の歴史が始まったのは、昭和49年のことだ。もともと川谷さんの祖父は山仕事をメインに、炭焼きやシイタケ栽培といった山仕事を営んでいた。そして父の代になった頃、国の事業で茶の栽培が行われることに。祖父の代の山仕事では収益が低かったことに課題を感じていた川谷さんの父が開墾された土地に入ったことがきっかけで、茶業に関わり始めた。当初は、日本の茶畑のおよそ7～8割を占める「やぶきた」をはじめとした3〜4品種だったが、川谷さんがこの世界に入って品種の勉強を重ね、さまざまな品種を取り寄せた結果、現在はさえみどり、あさつゆ、あさのか、はるみどり、やぶきた、おくみどり、さきみどりの7品種に少量の紅ふうきを加えた、計8品種を育てるまでになった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">専門家も猛反対した「あさつゆ」への挑戦</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2697.jpg" alt="" class="wp-image-54856" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2697.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2697-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2697-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そのなかでも、川谷さんの栽培への情熱を象徴する品種がある。その圧倒的な旨みと鮮やかな緑色から&#8221;天然玉露&#8221;とも称される「あさつゆ」だ。極めてデリケートで寒さに弱いこの品種を冬の冷え込みが厳しい耶馬溪で育てることは、専門家の目には「無謀」と映り、試験場の先生からも猛反対を受けたという。それでも川谷さんは耶馬溪の自然が育むお茶の可能性を信じ、その一歩を踏み出した。</p>



<p>「当時は父親も元気だったのですが、先生から頭ごなしに”無理だ”と言われたことで、我々の反骨精神に火が付いたというのも、栽培に踏み切った理由のひとつです」と川谷さん。</p>



<p>川谷園が位置するのは標高およそ550m。茶の栽培には日中の寒暖差がある土地が向いているとされる一方、霜が降りるほど寒すぎると葉がだめになってしまう。川谷園はまさにそのギリギリのエリアであり、実際に霜害に遭うこともある。しかし川谷さんは、「厳しい環境で育った茶葉はまろやかで薫り高い良い芽になる」と言う。寒さに弱いというあさつゆの特徴は、見方を変えれば、厳しい冬を乗り越えた際にとてつもない甘みとコクを蓄えるポテンシャルでもある。逆境が、味わいの深みを生むのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統を礎に、科学で進化させた肥料へのこだわり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9338.jpg" alt="" class="wp-image-54857" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9338.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9338-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9338-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>品種への探究と並走するように、川谷さんが力を注いできたのが土づくりだ。良い茶の栽培には良い土が欠かせない。そして良い土を作るのに欠かせないものといえば、栄養を与える肥料だが、父の時代は、えごまの搾りかす、菜種かす、魚かすをそれぞれ別々に畑に撒き、また新芽を出すためには硫安という窒素肥料も別に与えていた。しかし栽培面積が広がり、肥料やりを一手に担うようになった川谷さんは、すべてを別々に行うことの難しさに気づく。そこで思いついたのが、最初から全ての材料を混ぜてひとつの肥料にする方法だ。時を同じくして、「肥料の中身から、好きなようにやっていい」と父から言われたことが転機となり、自分なりのブレンドへと踏み切ったのが5年ほど前のことだ。</p>



<p>川谷さんが辿り着いた配合には、二つの大きな工夫がある。ひとつは、従来の魚かすではなく、魚の内臓や骨を含む魚粉・骨粉を使うことだ。複雑なミネラルと旨み成分を土に蓄えるためだという。もうひとつは、植物の成長に欠かせない窒素成分を補うために、マイナス196℃の液体窒素を肥料に加えることだ。それにより生まれたのが、内容物のほぼすべてが有機素材で構成された、川谷さん独自の配合肥料である。</p>



<p>さらに、茶の新芽を出す「芽出し」のために液体肥料の「ソリュブル」も取り入れている。ソリュブルは魚の煮汁を濃縮した、ミネラルとアミノ酸が豊富な有機液体肥料で、以前使っていた硫安と比べてもお茶の味の深みや濃さが変わった気がしているという。「ただ、ソリュブルは臭いんです。魚の煮汁なので、皮膚についたら2日間くらいはいくら洗っても取れません。手についていたら、食事の時に全部その味に感じられてしまうくらい強烈で」と、川谷さんは笑いながら話してくれた。</p>



<p>伝統を大切にしながらも、科学的な探究心で磨き上げられた川谷園の一杯には、耶馬溪の厳しい風土と、それに挑み続けた川谷さんの執念が凝縮されている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">一途に続ける、手もみという技</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2812.jpg" alt="" class="wp-image-54858" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2812.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2812-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2812-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川谷園では、手もみ茶も取り扱っている。機械を一切使わず人の手だけで仕上げる手もみ茶は、江戸中期に京都宇治の茶業家・永谷宗円が考案したとされるもので、茶の葉を蒸して柔らかくした後、手でほぐし、転がし、捏ねて揉んでという作業を立ちっぱなしで行った後に乾燥させて仕上げるという工程をおよそ6時間かけて行う。出来上がった茶葉は針のように細長く、機械によって余計な力をかけられていない分、湯に浮かべると摘み取ったときの茶の葉の形に戻るという。煎れた時の色はきわめて薄く、乳白色が最上とされる手もみ茶は、口に含めばその色の薄さからは想像もできないほどの濃厚なうま味が広がる。手数の多さから量産はできず、また熟練の技術が必要なことから揉み手も減っているため、市場に出回れば手もみ茶にきわめて高い値がつく。</p>



<p>川谷さんが手もみ茶と出会ったのは、高校卒業後に国立試験場の研修生として学んでいた19歳のときだった。そこで研修同期だったのが、のちに全国手もみ茶品評会で8度の日本一に輝き、日本で初めて「永世茶聖」の称号を授かった中島毅だ。同い年の2人は切磋琢磨しながら技術を研ぎ澄ませ、やがて川谷さんも品評会の舞台に立つようになる。2011年には農林水産大臣賞（1等1席）を受賞し、静岡以西では初めてとなる「茶聖」の称号を授かった。</p>



<p>手間がかかり量産もできない手もみ茶を、なぜ川谷さんは続けるのか。そこには、過去の後悔がある。これまで2度、品評会を欠場したことがある。1度目は手もみの当日朝にぎっくり腰になったとき、2度目は手もみを続けることへの諦めの気持ちが生まれたタイミングだった。しかし、欠場して楽になった気持ちを1とすれば、「やっぱり出場しておけばよかった」という悔いが50から60ほどあったという川谷さん。品評会の結果云々という話ではなく、その年のお茶がどういうものかを感覚で確かめるためにも手もみをしよう——欠場したことで、逆に手もみの存在を実感したことが、今も川谷さんを手もみ茶へと向かわせている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「お茶らしいお茶」を、一杯の中に</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2768.jpg" alt="" class="wp-image-54859" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2768.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2768-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2768-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川谷園では手もみ茶のほか、煎茶、深蒸し茶、ほうじ茶など幅広いラインナップを揃えており、そのなかには客の声から生まれた商品も少なくない。</p>



<p>川谷さんが目指す味は、「お茶らしいお茶」だ。世の中で「おいしいお茶」といえば、往々にして甘みの強いものが注目されがちで、世間の多くの人もまた、そうした甘味の強いお茶こそを「美味しい」と口にする。かつての川谷さんも、その声に応えるかのように、ひたすらに甘みを追い求める時期があった。しかしその市場で戦い続けることへの疑問が拭えず、考え方を変えた。甘いだけではなく、キリっとした渋みと爽快感が走る。その味わいを理想に据えて辿り着いたのが、上深蒸し茶「翠」だ。毎年最初に仕上げるのもこの「翠」で、前年のものと飲み比べながら納得のいくブレンドを探るため、新茶を摘んでから商品化まで最低でも2週間ほどかかるという。物流が発展した現代では、産地に近い茶舗には摘み取りから3～5日で商品として並ぶ場合もあると考えると2週間はきわめて長いが、川谷さんのこだわりの結晶だともいえるだろう。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2858.jpg" alt="" class="wp-image-54860" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2858.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2858-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2858-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一方、「作らない」と長らく決めていたにもかかわらず、客のリクエストに折れてラインナップに加えた商品もある。玄米茶だ。緑茶は50gや100g単位でパッケージとして売られているのに対し、玄米茶は500gや1kgという大容量である場合が多い。それだけの量があると、一度玄米茶を買ってしまったらしばらくの間ずっと玄米茶ばかりを飲み、緑茶を飲む機会が減るという、川谷さん流に言うと「負の玄米茶ループ」にはまってしまう。それを懸念し、玄米茶は作らないという姿勢を貫いていたものの、熱烈なリクエストを受けるうちに「自分のところで作った玄米を使えばいいのでは」という考えに至り、作ることを決意する。</p>



<p>それが、「my玄米」と名付けられた一品だ。袋を開けて驚くのは、そこに緑茶の葉が一枚も入っていないこと。文字通り、丁寧に香ばしく弾けさせた「玄米だけ」が収められている。あえて緑茶と混ぜ合わせない。この引き算の美学が生んだのは、これまでの玄米茶の常識を覆す自由度だった。玄米茶として味わうならば、緑茶は客が自分で用意する必要がある。「my玄米」においては、「玄米茶を飲み始めると緑茶の消費が減る」という川谷さんの懸念は解決された。加えて、クルトンやあられの代わりにサラダやお茶漬けに使えるという新しい提案により、既存の玄米茶のイメージを軽やかに超えていった。さらにお湯にも水にも溶けるスティックタイプの粉末玄米茶も開発し、こちらも好評を博している。</p>



<p>粉末のお茶は、東京のジェラート屋や千葉のシフォンケーキ教室でも採用されるなど、飲むだけにとどまらない新しい消費者層の開拓にもつながっている。「飲むだけに限らないところが、茶はまだまだ夢がある商品だと感じられる」と川谷さんは目を細めた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">九州のレベルを上げ、若手を育てたい</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9322.jpg" alt="" class="wp-image-54861" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9322.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9322-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9322-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>茶の有名産地といえば静岡や狭山（埼玉県）が真っ先に思い浮かぶ。大分の名はなかなか前面には出てこない。もし自分が産地の中心で茶を作っていたら、競争に勝てなかっただろうと川谷さんは率直に語る。「おそらく今の九州で、このクラスの手もみ茶を作れるのは自分だという自負はあります。しかし全国の品評会となると歯が立たないこともある。そういう時、九州のレベルがどれだけまだまだなのかを痛感します」と、川谷さん。もちろん九州にも、全国の茶品評会で上位に入る八女市や嬉野市がある。しかし、手もみ茶ではなく別部門においてだ。手もみ茶では、狭山などに遠く及ばない。&nbsp;</p>



<p>だからこそ川谷さんが強く意識しているのが、九州の茶づくりのレベルを上げること、そして若手を育てることだ。品評会に出るには全国組織への加盟が必要だが、大分県にはその組織がなく、川谷さん自身も福岡県・八女の組織に所属している。その八女に育ちつつある若者がいる。その人物と2人で九州の手もみ会を再び盛り上げようというプロジェクトが、今まさに動き始めている。将来的には九州各県に1人ずつ全国に打って出られる作り手を育て、品評会で九州勢が一等に並ぶような未来を、川谷さんは真剣に思い描いている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「おいしいね」の言葉に力がみなぎる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2827.jpg" alt="" class="wp-image-54862" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2827.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2827-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2827-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川谷園の初代である父が亡くなったのは、2022年のことだ。父が生きていた頃は「自分がやれることを8割の力でやる」という目標を持っていたが、家業をすべて一人でこなすようになった今は、100や120の力を出さなければ間に合わないことを痛感しているという。それは決して楽ではない。しかし、同業者や客から「川谷園のお茶は美味しい」と言われるたびに力がみなぎる。市場の変化は激しく、正解のルートなどないけれど、味わいも含めて柔軟にトライし続けていく。その姿勢を川谷さんは「客の口に入るまでが戦い」と表現した。</p>



<p>ペットボトルの緑茶ドリンクに押され、生の茶葉を売ることをやめてドリンク専用工場へ向かう茶業家も増えているのが現状だ。しかし川谷さんはそこに異を唱える。「学校に行って、茶について深く学んだじゃないか」と。茶の末端価格は野菜のような大きな値崩れが起きにくい。ならば必ず、問屋や社長ではなく茶葉を育てる農家自身が儲かるための突破口があるはずだ。そう言い続け、「生産者のやり方がまだあるはず。それを考えよう」と仲間に呼びかけてきた。</p>



<p>高校卒業後の研修で同期と笑い交じりに語り合った夢は、「みんなでベンツに乗って同窓会ができるくらいになろう」というものだった。あれからおよそ25年。その夢は今、「皆で儲けて、皆で幸せに。そして、その環境を取り巻く人たちまでも幸せにしたい」という思いへと深まっている。お茶づくりを通じて人を幸せにしたい。川谷さんのお茶は、その想いとともに今日も山の茶畑から生まれ続けている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54845/">「美味しい」の一言が茶栽培の原動力。「お茶の川谷園」川谷哲也さん/大分県中津市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>土佐備長炭の技術を守り、仲間を増やし、原料の植林に邁進する炭の達人「合同会社 炭の森生」／高知県室戸市</title>
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		<pubDate>Mon, 13 Jul 2026 09:58:52 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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		<category><![CDATA[白炭]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-085120.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県は備長炭日本一の生産量を誇る。その中心が室戸市。伐りたてのウバメガシを原料とし、20日間ほどの工程を経て焼き上げられる土佐備長炭。その第一人者の製炭士は、後継者の育成、材料の確保、そして環境保全という室戸（むろと） [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54827/">土佐備長炭の技術を守り、仲間を増やし、原料の植林に邁進する炭の達人「合同会社 炭の森生」／高知県室戸市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-085120.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県は備長炭日本一の生産量を誇る。その中心が室戸市。伐りたてのウバメガシを原料とし、20日間ほどの工程を経て焼き上げられる土佐備長炭。その第一人者の製炭士は、後継者の育成、材料の確保、そして環境保全という室戸（むろと）の未来を見据えた活動に尽力している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">炭の宝を育む、室戸の風土</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-01.jpg" alt="" class="wp-image-54836" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-01.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-01-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-01-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>かつては大型台風が再々上陸することで有名になった高知県東部、室戸市。海岸エリアは漁業の町として栄える一方、その山奥深くには、今も静かに煙をあげる土佐備長炭の窯が点在している。そのひとつに、47年以上にわたり炭を焼き続けてきた製炭士、森本生長（せいちょう）さんの仕事場がある。</p>



<p>森本さんが土佐備長炭を焼く窯場は、室戸市を流れる清らかな羽根（はね）川の上流に位置する。土佐における白炭（木炭）づくりの歴史は江戸時代まで遡る。ここ室戸は、海岸沿いや岩場といった厳しい環境で育つウバメガシをはじめ、アラカシやウラジロガシなど、重くて堅い木が自生する土地。明治時代、紀州の炭焼き職人が羽根の地に移り住んだことで、その高度な技術が伝承された。地元の職人たちはさらなる窯の改良に励み、やがて室戸は備長炭の産地として全国から注目を集めることとなる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">土窯の研究は一生終わらない</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-083908.jpg" alt="" class="wp-image-54837" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-083908.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-083908-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-083908-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2017年（公社）国土緑化推進機構より「森の名手・名人」の選定を受けるなど、今や製炭業界で著名な森本さんも、10代の頃はパイロットを志していた。高校卒業後は航空電子系の専門学校で学ぶが、途中でその夢を断念。30歳まで東京でサラリーマン生活を送った後、将来を見据えて帰郷する。</p>



<p>当時は米づくりや畜産を営む傍ら、山でウバメガシなどを伐り出し、製紙会社へパルプの原材料用として売っていたという。転機になったのは、地元で唯一備長炭をつくっていた先輩からの勧めだった。「これをパルプに持っていくのはもったいない、私が教えるから炭を焼いてみないか」との誘い。それが備長炭との出合いになった。</p>



<p>&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp;昭和30年代に入って、家電用品等の発達により木炭産業は急速に斜陽化へと追い込まれた。そのため山から離れる製炭士が多くいた。森本さんは山に残されていた土窯を修復し、先輩のアドバイスを仰ぎながら試行錯誤を重ねた。素人ながらもそこそこ出来の良い炭が焼け、「父親もビックリしたんです」と森本さんは笑う。</p>



<p>「同じ工程を続けていたのに、次第に炭の出来が悪くなっていきました。それで調べてみると、窯の壁に亀裂が入っており、熱が逃げていたんです。それを修理して再び焼いてみたところ、見違えるような上等な炭になりました。それがきっかけで窯そのものに興味を持ち、本格的な勉強を始めました」。</p>



<p>当時は周辺に炭焼きのベテランが多く、天井の形ひとつとっても、徳利（とっくり）型を得意とする人や、円形を得意とする人など、それぞれの技を参考にしていったという。森本さんは「窯底の熱を蓄える保温力、窯の気密性、そして強度。この３点が窯づくりにおいて最も肝心な要素だ」と語る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">灼熱の窯。その熱を全身で受けて立つ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others07.jpg" alt="" class="wp-image-54838" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others07.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others07-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others07-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>黒炭と白炭は、原料の木というより「焼き方と仕上げ方」の違いで分かれる。土佐備長炭が分類される白炭は、1,000度を超える高温で一気に炭化させ、窯から赤熱したまま掻き出して土と灰をかけて急冷する。この急冷でできる表面の白い灰がその名の由来であり、硬く締まって叩くと澄んだ金属音を響かせ、火力が強く長時間燃え続ける。対する黒炭は、比較的低い温度でじっくり焼き、窯を密閉して炭化させたあとそのまま窯内で冷ます。仕上がりは黒くやわらかで、火付きがよく扱いやすいため、飲食店などの専門店で愛用される白炭に比べ、レジャーや家庭用などに好んで使用される傾向がある。</p>



<p>白炭の代表格とも言える備長炭において、室戸が日本一の産地となった背景には、いくつもの条件が重なっている。原木に最適なウバメガシをはじめとするカシ類が豊富に自生していたこと、明治40年(1907年)、四国遍路で室戸を訪れた紀州の炭焼き職人・植野蔵次が、当時の土佐の未熟な窯の欠点を見抜き、紀州備長炭の製炭技術を伝授したこと、土佐の風土に合わせて窯を改良し、大きな窯で良質な炭を量産する技術が根づいたこと、など。</p>



<p>そして、何より森本さんらによる後継者育成と植林を通じた、持続可能な生産体制があったことが非常に大きい。</p>



<p>では、その土佐備長炭はどのようにして作られるのか。まず森本さんは山からウバメガシを伐採し、窯へ原木を投げ入れるように、横に並べていく。その際、あえて重なる部分を設け、空気の道をつくる。そこから火を入れて加熱し、一週間ほど蒸し込んで原木の水分を飛ばしていく。森本さんは、この段階の管理が重要だという。原木の含水率が高いままだと、後からひび割れが生じ、質の良い炭にならないからだ。水分の多い初期段階では煙突から白い煙が出るが、乾燥が進むにつれて次第に透明へと変化する。熱気に耐えながら煙に手を当て、湿るとまだで、肌触りがサラっとした状態になれば、乾燥が進んだ合図である。</p>



<p>乾燥が終わると密閉し、ごく少量の空気を送り込んで蒸し焼きにすることで炭化させる。この作業は「ねらし（精錬）」と呼ばれ、炭に含まれる不純物を燃やし切る重要な工程だ。炭化が完了し、窯の口を開けて空気を送り込むと、内部は1,000度を超える高温を生み、高炉の鉄のように真っ赤になった木を掻き出し、土と灰をまぜた「素灰（すばい）」をかけ急速に消火、急冷することで、炭の表面が白っぽくなる。</p>



<p>世界にも類がない硬質の炭は、打ち合わせると、キーンと金属のような、美しく澄んだ音を響かせる。</p>



<p>窯入れから窯出しまで、20日前後を要する。焼きあがった炭は、その形状や太さに応じて選別され、サイズを揃えたのち、除湿室に入れて、水分が戻らないように管理する。</p>



<h2 class="wp-block-heading">食文化を支える世界最高峰の炭</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others11.jpg" alt="" class="wp-image-54839" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others11.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others11-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others11-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「見た目も綺麗で、長時間燃焼するのが良い備長炭」と森本さんはまっすぐに見つめて話す。質の高い炭になれば、３時間でも４時間でも燃焼し続ける。だが、完璧な備長炭を作ることは難しいと正直に明かす。炭化させる「ねらし」をかけすぎると、見た目は美しい炭になるが、燃焼成分が抜けすぎて火力が落ちてしまう。「その微妙な加減を攻めなきゃいけない」という言葉には、長年の経験に裏打ちされた炭焼きの奥深さが宿る。そして、「この備長炭は食文化にも貢献している、世界最高峰の炭だから」と少年のように目を輝かせる。</p>



<p>備長炭は長時間燃焼するだけでなく、煙が出ないため、食材に余計な匂いがつかず素材本来の味を活かすことができる。繊細な味を求める料亭やうなぎ店、焼き鳥店などからの需要は絶えず、常に品不足の状態だ。問屋からの催促に追われるなか、今年も２か月に３回のペースで窯入れを行うという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">後継者は大歓迎</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others05.jpg" alt="" class="wp-image-54840" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others05.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others05-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-b-others05-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>もちろん、これまですべて順調だったわけではない。昭和後期から安価な中国産の備長炭が出回り始め、国内産は大打撃を受けた。まだ若手だった森本さんの炭も、売れない時期が続いたという。その後2000年代になって中国が木炭の輸出を禁止したが、この20年足らずの間に、60人程いた製炭士は、20人ほどまでに減り、全体の3分の２が窯を離れた。</p>



<p>現在は生産量に限りがある一方、国内だけでなく海外からも引き合いがあるため、備長炭不足の状況が続いている。森本さんは「備長炭を仕事にしたい若者がいれば大歓迎」と、仲間を増やしたいと考えた。新規参入者が一歩を踏み出しやすいよう、収入を得やすい省力窯の導入や機械化を推進してきた。また、室戸市長に掛け合い、2011年には後継者育成制度をつくり、毎年３人ほど研修生を受け入れた。彼らが独立した後も、原料となるウバメガシの調達を含め、フォローを欠かさない。</p>



<p>すでに30人以上が森本さんから学び、そのうち10人程が独立して、高知県内外に窯を構えている。現在室戸市には30人程の製炭士がいる。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>山の厳しさを実感する</strong></h2>



<p>森本さんの窯から車で10分ほど走ると、所有する山がある。見るからに険しい山の頂上まで行けるよう、自ら重機を操ってジグザグに道を切り拓き、４駆の軽トラなど運搬車が登れるよう整備したという。皆が頂上の奥にあるウバメガシをチェーンソーで伐り出す。運搬車が入れない場所では、ワイヤーを使って吊りあげながら搬出する。</p>



<h3 class="wp-block-heading">土佐備長炭の未来を、つなぐ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-104748.jpg" alt="" class="wp-image-54841" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-104748.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-104748-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-104748-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ウバメガシの親株の枝や幹の一部に傷をつけて発根させた「取り木」を植えるほか、森林組合などに委託して苗木の植樹もしている。製炭士1人が年間で使用するウバメガシは1ha（ヘクタール）約5000本で、40haあれば生育から伐採までのサイクルを安定させることができる。</p>



<p>その理由として、備長炭の炭材であるウバメガシは、伐っても切り株から芽吹く「萌芽（ほうが）更新」で、約20年をかけて再生していく。40haをその周期に合わせて区画ごとに順に伐っていけば、一巡する頃には最初の区画がじゅうぶんに育つため、植え直しも開墾も要らず、製炭士1人が仕事を続けられる環境を維持できるというわけだ。</p>



<p>「昨年は4万本、8ha植えたけれど、あと100haぐらいは植えんといかん」と話し、案内してくれたのは苗木ポットが並ぶ場所だった。「これはウバメガシ、こっちはウラジロガシ、クヌギ。この３種類を中心に植えようと思っています。ウラジロガシは薬にも使えるし、良い炭にもなる。クヌギは茶道で使われる菊炭に。どんぐりの実は動物の餌になる。自然環境を守るならやっぱり広葉樹のほうがいい。根を張って土砂崩れを防ぐし、木を伐っても元へ戻るしね」と話す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">無形文化財登録、その先の夢へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-110343.jpg" alt="" class="wp-image-54842" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-110343.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-110343-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22morimoto-110343-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>３回目の挑戦となるが、県と製炭士たちは土佐備長炭の「無形文化財登録」を目指している。森本さんは「技術の保存と品質の安定。土佐備長炭の名を冠する以上は、一定の品質を守りたい」と語る。さらに「無形文化財に指定されれば、世界遺産を目指せそうな気がする」と笑みをこぼす。「地域全体で原料のウバメガシを半永久的に持続可能にし、産業を成り立たせていく。二酸化炭素の排出を抑え、環境も守る。これほどの循環モデルは他にないと感じています」と、その想いを語った。</p>



<p>後継者育成、原料確保、そして環境保全。この3つの課題に取り組みながら、土佐備長炭と地域の未来を切り拓くベテラン製炭士の歩みは、止まることを知らない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54827/">土佐備長炭の技術を守り、仲間を増やし、原料の植林に邁進する炭の達人「合同会社 炭の森生」／高知県室戸市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>山田町の原木椎茸を牽引し続ける。茸の匠･芳賀榮三さん／岩手県山田町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 13 Jul 2026 09:46:46 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[原木椎茸]]></category>
		<category><![CDATA[茸の匠]]></category>
		<category><![CDATA[名人]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi26.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>岩手県沿岸のほぼ中央に位置する山田町。太平洋に面していることから、漁業のまちとしての印象が強いが、町の特産に原木椎茸があり、全国規模で行われる品評会では、毎年のように町内から農林水産大臣賞受賞者を輩出してきた。そんな山田 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54808/">山田町の原木椎茸を牽引し続ける。茸の匠･芳賀榮三さん／岩手県山田町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi26.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>岩手県沿岸のほぼ中央に位置する山田町。太平洋に面していることから、漁業のまちとしての印象が強いが、町の特産に原木椎茸があり、全国規模で行われる品評会では、毎年のように町内から農林水産大臣賞受賞者を輩出してきた。そんな山田町における原木椎茸の先駆者と言えるのが、全国でも数名しかいない名人格のうちの一人･芳賀榮三さんである。</p>



<h2 class="wp-block-heading">冷涼な気候と豊かな山が原木椎茸を育む</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi6.jpg" alt="" class="wp-image-54816" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi6.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi6-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi6-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>岩手県下閉伊郡（しもへいぐん）山田町は東側に太平洋、西側に北上山地の山々が連なる自然に抱かれた町だ。山にはブナやナラ、アカマツなどの広葉樹が豊富に植生していることから、原木椎茸の生育適地として、椎茸栽培が盛んに行われている。原木椎茸は直射日光が当たらず風通しがよく、適度な湿度がある場所を好むため、草木が日除けとなったり、標高による冷涼な気候や、樹木が呼吸をすることで適度な湿気が保たれる山林の環境は好条件なのだ。</p>



<p>ちなみに椎茸には栽培方法によって「原木椎茸」と「菌床椎茸」があり、スーパーなどで販売されている生の椎茸は菌床椎茸が多い。その理由として、菌床椎茸は、おがくずを固めた菌床ブロックに人工的に養分を加えて育てるため3〜6か月で収穫でき、原木椎茸に比べて成長速度も4倍近く早い。加えて設備さえ整っていれば場所を選ばず、気候にも左右されないため、生産量も安定する。</p>



<p>一方、原木椎茸は天然の木に種菌を植え付けるので、木の養分のみで育つため成長には時間を要する。種菌を植え付ける榾木（ほたぎ）さえあれば、室内でも栽培することは可能だが、条件の整った自然の中でじっくり育った原木椎茸は、特段、味も強く、傘も肉厚になるのだという。</p>



<p>山田町では、この原木椎茸を乾燥させ乾椎茸（ほししいたけ）に加工することが多い。乾椎茸の中でも傘が大きく形が良いものは贈答品や高級食材として重宝されている。&nbsp;</p>



<h3 class="wp-block-heading">高級食材でもある山田町の乾椎茸</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi5.jpg" alt="" class="wp-image-54817" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi5.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi5-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi5-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>乾椎茸には、いくつかの呼び名がある。「花どんこ」は、傘の表面に花のような白い亀裂が入ったもので、見た目の美しさから贈答用に使われることが多い 。「こうしん」は、どんこよりも傘が開きヒダがあるものを指し、よく出汁が出るため、煮物などに重宝されている 。全農乾椎茸品評会には「こうしん中葉厚肉」や「花どんこ」「どんこ」などの部門があり、色･形･大きさなどによって審査される。</p>



<p>これらの品評会で賞を取るほどの 乾椎茸は、高級食材としてホテルや料亭などで使用される。見た目もよく味も良い山田町の乾椎茸は、料理人や寿司職人などから引っ張りだこだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">原木椎茸の名人として</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi2.jpg" alt="" class="wp-image-54818" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>原木椎茸の名人･芳賀榮三さんは、山田町の中でも内陸に位置する豊間根地区にきのこ工房を構え、原木椎茸を栽培している。秋になると山に入り松茸も採る。山を知る芳賀さんがとる松茸は品質が良いと評判で、周囲からは「茸の匠（きのこのたくみ）」とも呼ばれている。</p>



<p>芳賀さんが原木椎茸の栽培を始めたのは1983年。38歳の頃だ。全国の品評会で初めて農林水産大臣賞を受賞したのは49歳の時。その後も「花どんこ」の部で農林水産大臣賞を５回受賞。最高位の常連になった芳賀さんは「名人位」を授けられた。以来、部門を変えて出品し、受賞を重ねている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">山田町に豊富にあるナラの木で原木椎茸を栽培</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi12.jpg" alt="" class="wp-image-54819" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi12.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi12-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi12-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>芳賀さんの原木椎茸は、露地栽培とハウス栽培の両方で行われる。椎茸の菌を植える榾木（ほだぎ）は、ナラの木を使う。榾木に適しているのは針葉樹ではなく、広葉樹だ。 他県ではクヌギを使うことが多いが、山田町の山林にはクヌギが生えておらず、一方でナラが豊富にあるため、ナラを使っている。ナラの木は樹皮に亀裂があり、椎茸の種菌（たねきん）を植えやすいという特徴もある。芳賀さんは「ほかの広葉樹で栽培するところもあるが、試してみてもやっぱりナラの木で作った椎茸が美味しい」と言う。 椎茸は涼しく程よい湿度がある場所で育つため、榾木には直射日光が当たらない方がいい。そこで、露地栽培と言っても背の高い樹々に覆われた山林の中で栽培される。椎茸の大きさは榾木の大きさに比例するという。太くて立派な榾木であれば、椎茸も大きくなるというわけだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">山田町の原木栽培を牽引する存在</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi11.jpg" alt="" class="wp-image-54820" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi11.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi11-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi11-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>芳賀さんが原木椎茸の栽培を始めた1983年は、ちょうど山田町が椎茸栽培に力を入れ出した頃と重なる。同じ時期に原木椎茸を始めた人たちがたくさんいた。しかし、平成に入ると安価な中国産が出回るようになり、市場価値が低下。山田町の原木椎茸も苦境に立たされた時期があった。なかにはその頃に廃業してしまった人もいるという。そのような中でも、芳賀さんは精力的に全国の品評会に出品を続けた。&nbsp;</p>



<h2 class="wp-block-heading">原木椎茸の未来に思いを馳せる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi15.jpg" alt="" class="wp-image-54821" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi15.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi15-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi15-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>芳賀さんは80歳を過ぎてもなお、精力的に原木椎茸を作る。「菌床椎茸よりも原木椎茸のほうが、歯ごたえがあって旨味もある」と言い、原木椎茸にこだわる。<br>品評会で受賞する原木椎茸は、傘の大きさ、色、形をできるだけ揃えたものを出品するのだという。同じ大きさの椎茸を数多く育てるには、榾木の大きさも揃えなければならない。榾木の直径は約18㎝。重さもあることから、高齢の芳賀さんにとって榾木の管理は重労働だ。</p>



<p>「ずっとハウスの中に入れておくと高温障害が出る。7月になればハウスの中は暑くなる。そうしたら榾木を山に置く。薬をかけるより、山に戻しておくほうが風通しも良くていい」と芳賀さん。11月。ハウスの榾木にはまだ椎茸は発生していなかったが、4月ごろになると収穫できるという。農薬をかけない榾木を使って栽培するから原木椎茸は安全･安心なのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">命ある限り原木椎茸を作り続ける</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi4.jpg" alt="" class="wp-image-54822" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi4.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi4-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/kinokonotakumi4-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>山田町で原木椎茸の栽培が盛んになった頃から、第一線を走り続けている芳賀さん。同年代の生産者が栽培をやめてもなお、椎茸栽培の最前線を行く。「1番の課題は自分の体力。これが最後の椎茸になるかもしれないと毎年思いながらやっている」と話す。しかし、そのような中でも、芳賀さんは品評会で結果を出し続けている。「長年の積み重ねなんだろうね。毎日通っていれば気候が教えてくれる。湿度が上がった時に傘が割れて白くくっきり亀裂が入り、きれいな椎茸になる。湿度が足りない時は散水する。我ながらうまいことやっている。後継者の育成もしないとね。命ある限りはがんばりたい」と話す芳賀さん。その表情には名人としての矜持があった。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54808/">山田町の原木椎茸を牽引し続ける。茸の匠･芳賀榮三さん／岩手県山田町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>粒の大きさ、味。そのすべてを操る塩職人「田野屋塩二郎」の生き様に触れる／高知県田野町</title>
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		<pubDate>Mon, 13 Jul 2026 09:31:47 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[太陽結晶塩 塩二郎]]></category>
		<category><![CDATA[完全天日塩]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-123024.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>火や電気を一切使わず、太陽光の熱と職人の技だけでつくる「完全天日塩」。その「生きた塩」は、国内外のトップシェフや菓子メーカーから熱い視線を浴びている。日本一の塩職人と称されるまでになった彼の人生と、塩づくりへの情熱とは。 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-123024.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>火や電気を一切使わず、太陽光の熱と職人の技だけでつくる「完全天日塩」。その「生きた塩」は、国内外のトップシェフや菓子メーカーから熱い視線を浴びている。日本一の塩職人と称されるまでになった彼の人生と、塩づくりへの情熱とは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">キャリアを捨てる勇気</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-114833-1.jpg" alt="" class="wp-image-54800" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-114833-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-114833-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-114833-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高知市から東へ約55km。土佐湾に面し、東西2.2km、南北4kmという四国で最も小さな町に、魅力がぎゅっと詰まった田野町（たのちょう）がある。その象徴のひとつが「塩の町」であることだ。町内には「田野町完全天日塩製造体験施設」があり、多くの観光客が塩づくりの見学や体験に訪れる。</p>



<p>この文化の礎となったのが、同町で創業した「田野屋塩二郎」さんの存在だ。彼が手がける塩を求めて、全国から料理人やメディアが集まり、完全天日塩は町を象徴するブランドとなった。</p>



<p>東京都港区広尾出身。学生時代はラグビーに打ち込み、前職は都内でサーフボードやスノーボードの製造販売会社に勤めていた。35歳の時、「海の側で働き、日本一になりたい」という願いから、リサーチした結果、青森県大間のマグロ漁師か、高知県の完全天日塩職人が候補となる。ただ大間のマグロ漁師になるには地元漁協が管理する漁業権や許可が必要となり参入のハードルが高かったため、消去法で塩職人の道を選んだ。これまでのキャリアを捨て、当時、日本で唯一、火も電気も一切使わない「完全天日塩」というジャンルを切り開いた吉田猛氏に弟子入りを志願したが、はじめのうちは一切取り合ってもらえなかったという。</p>



<p>「高知県西部にある黒潮（くろしお）町までアポなしで行き、頭を下げて弟子入りを志願したんですが、まったく相手にされなかったですね。意地もあり、諦められなくて、続けて何度か訪問して土下座して、基本だけ習わせてほしい、給料はいらないし、掃除から何でもやる、と頼み込みました。そこから2年間、みっちりと基礎を叩き込まれました」と振り返る。吉田氏の下での修業を経て、独立の地を探すなかで、高知県内の海沿いの町を探したが、どこにも相手にされず、唯一「ぜひ来てほしい。日本一の塩をつくってくれ」と応じたのが田野町長だった。当時は高速道路がなく、吉田氏の製塩所からも車で4時間ほど離れていたため、師匠に迷惑をかけないだろうという判断もあった。「師匠が『田野屋』という屋号を授けてくれたのは、受け入れてくれた町への恩返しをしろ、という意味だったんです」</p>



<h3 class="wp-block-heading">塩との会話ができるようになってから</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="549" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-132044.jpg" alt="" class="wp-image-54801" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-132044.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-132044-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-132044-768x511.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>結晶ハウスの目の前は海。満月や大潮の日に汲み上げた海水を、木箱に満たす。多くの塩業メーカーで行われるように塩を煮詰めたり、電気の力を使って海水を濃縮するのではなく、火や電気は一切使わず、ハウスの中で太陽光の熱による自然蒸発をじっくり待つのが「完全天日塩」だ。加熱処理をしないことで、海水に含まれる約80種類の豊富なミネラルを、自らの手で攪拌（かくはん）して封じ込め仕上げていく。&nbsp;</p>



<p>「人がやらないことをしようと思って、寝袋を持ち込んでハウスで塩と一緒に共同生活をしました。そんな生活を1ヶ月ほど続けた夜、塩がどんな匂いを出し、どんな音を立てるのか。対話を重ねるうちに変化がわかるようになり、それが自信に繋がって、急に納得のいく塩ができるようになりました 」</p>



<p>作業の効率と精密さを極めるため、木箱のサイズは塩二郎氏の体型に合わせてオーダーメイドされている。まさに職人と道具が一体となった空間だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「美味い塩」というよりは、「人間が必要とする塩」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-131908.jpg" alt="" class="wp-image-54802" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-131908.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-131908-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/22tanoya-131908-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高知県の森林率は84％で全国一位を誇る。田野町の東西には、豊かな栄養分を運ぶ奈半利（なはり）川と安田（やすだ）川が流れ込み、海には山の有機物が供給される。人口が少なく、海水浴場もないため、海水の清浄度は極めて高い。さらに土佐湾沖を流れる黒潮が、良質なミネラルを運んでくる。</p>



<p>塩二郎さんは130ほどある木箱の海水を1時間に1度のペースでチェックし、状況を見ながら攪拌を繰り返す。塩と真正面から向き合うため、よほどのことがない限りこの場所を離れない。</p>



<p>「結晶ができるのは全工程の最後。毎日見ていると『今はカリウムがこれくらい出ているな。なら海水のなかに留めて、先にナトリウムを出そう』といったコントロールができるようになります。目指すのは単なる『美味い塩』ではなく、摂取することで体内のバランスが整うような、人間が本能的に必要とする塩をつくりたいんです」</p>



<p>周辺の雑草を刈ると、塩の出来が変わってしまうという。「人間が主体ではなく、自然の循環のなかに少しだけ介在させてもらっている」という謙虚な自覚が、その味を支えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">粒の大きさも、味も、自由自在にコントロールする</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/21bd90a12d42c3fa6b657f5e9c54f7a5.jpg" alt="" class="wp-image-54803" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/21bd90a12d42c3fa6b657f5e9c54f7a5.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/21bd90a12d42c3fa6b657f5e9c54f7a5-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/21bd90a12d42c3fa6b657f5e9c54f7a5-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>塩は温度変化に極めて敏感だ。「夏の夕立ひとつで味が壊れる」と語る塩二郎さんは、天気や湿度、風の流れに細心の注意を払う。通常３〜４カ月、長いものでは４年もの歳月をかけて、ゆっくりと結晶化させていく。</p>



<p>味の五役（甘・塩・辛・酸・苦）のバランスから、結晶の大きさまで、すべてを自在に操る。その噂は口コミで広がり、今や世界中の料理人からオーダーメイドの注文が絶えない。市場にはほとんど出回らず、予約は数年待ち。ミシュラン星付きシェフも愛用する「幻の塩」と呼ばれる所以だ。最高値は1kg100万円。同ブランドでもっともスタンダードな商品として流通する「塩二郎（黒）」ですら100gで4,000円台と、量販店で販売される塩とは一線を画す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">塩は、土地の魅力そのものを表現する</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/e6f4f4c06ad44c92faeed02f90fd6cd3.jpg" alt="" class="wp-image-54804" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/e6f4f4c06ad44c92faeed02f90fd6cd3.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/e6f4f4c06ad44c92faeed02f90fd6cd3-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/e6f4f4c06ad44c92faeed02f90fd6cd3-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>開業当初に作ったのは「太陽結晶塩 塩二郎」。その2年後に粒の大きさとナトリウムの際立たせ方を変えたものを作り、現在はこれをベースに、２千種類以上のオーダーに応じている。「塩はあくまで脇役。主役の料理に溶けて一体となった瞬間、最も美味しく感じてもらえるよう、溶ける速度まで計算しています」と、職人は淡々と語る。</p>



<p>さらに、海水にフグやイチゴ、トリュフなどの素材を投入し、結晶化の段階で旨みを宿らせる「フレーバーソルトなど、既存の枠を超えた挑戦も続けている。土佐文旦の花の活用など希少価値の高い商品の構想も話題にあがった。</p>



<p>「究極の塩」を追求し続ける塩二郎さんだが、55歳の今、意外な未来像を口にした。「塩はもうやり切った感があるんです。60歳になったら、全く別の業種でまた10年かけて日本一を目指したい。飽きっぽいんですよね」と悪戯っぽく笑う。</p>



<p>田野町の海、太陽、風、そして草木。すべてと対話しながら生まれる塩二郎さんの完全天日塩は、土地の生命力をそのまま結晶化したものだ。その奥深く純粋な世界観に、私たちはいつの間にか引き込まれてしまう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54795/">粒の大きさ、味。そのすべてを操る塩職人「田野屋塩二郎」の生き様に触れる／高知県田野町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>鍛えた鉄に、暮らしの美を宿す。「鍛冶工房弘光」11代目･小藤宗相さん／島根県安来市</title>
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		<pubDate>Mon, 13 Jul 2026 09:16:20 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00798_142A2470.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本古来の製鉄法「たたら製鉄」の文化が色濃く残る島根県東部。安来市広瀬町には、江戸時代後期から続く鍛冶工房がある。刀剣鍛錬の技を礎に、いま手がけるのは花器やフライパンなど現代の暮らしに寄り添う道具。11代目･小藤宗相（こ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00798_142A2470.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本古来の製鉄法「たたら製鉄」の文化が色濃く残る島根県東部。安来市広瀬町には、江戸時代後期から続く鍛冶工房がある。刀剣鍛錬の技を礎に、いま手がけるのは花器やフライパンなど現代の暮らしに寄り添う道具。11代目･小藤宗相（ことうしゅうすけ）さんは、冷たいはずの鉄に温もりが宿る理由を、手仕事を通じて示し続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">たたらの系譜を引く、安来の鍛冶</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00612_142A9665.jpg" alt="" class="wp-image-54787" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00612_142A9665.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00612_142A9665-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00612_142A9665-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>古くから日本有数の鉄の産地として知られてきた島根県。砂鉄と木炭から鉄を生み出す「たたら製鉄」は、今なお国の選定保存技術として守られている。江戸時代に最盛期を迎えたこの技術は、日本刀の材料である「玉鋼（たまはがね）」を生み出す唯一の製法として知られ、中国山地一帯を中心に発展を遂げた。</p>



<p>鍛冶工房弘光のルーツは江戸時代後期。初代から三代目は、たたら製鉄に携わる「たたら師」として活動。その後の時代の変化のなかで打刃物や農具、日本刀鍛錬へと仕事のかたちを変えながら、10代にわたって鍛冶の火を守ってきた。</p>



<p>かつては包丁や農耕具の製造･修理を担い、地域の暮らしに欠かせない存在だった鍛冶職人。しかし戦後、機械化や大量生産が進み、農具や刃物を「修理しながら長く使う」といった暮らしは少しずつ姿を消していく。安価な製品が手軽に手に入るようになり、各地の鍛冶屋は減少。製鉄の仕事を続けるだけでも難しい時代になった。そんな中でも鍛冶工房弘光は、時代に合った鉄工芸品をつくり続け、その伝統を現代に伝えている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">作品を届ける喜びを知り、鉄工芸の道へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00573_142A9567-1.jpg" alt="" class="wp-image-54788" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00573_142A9567-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00573_142A9567-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00573_142A9567-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>鍛冶工房弘光11代目の小藤宗相さん。最初から一直線に鍛冶の道へ進んだわけではなく、大学卒業後は東京の企業に勤務し、その後は島根県内の美術館でも働いていた。鍛冶の道へ進む転機となったのは、家業の展示会を手伝った時のこと。来場者と直接言葉を交わし、自分たちが手掛けた品が誰かの日常へ渡っていく瞬間に触れるうち、つくる喜びだけでなく、使い手へ届く喜びの大きさを実感した。「いつかは継がなければ」とぼんやり考えていた家業が、自分の仕事として輪郭を持ちはじめた瞬間だったと語る。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">細部まで手仕事にこだわり、鉄に温もりを宿す</h3>



<p>現在の工房には、10代目の父･洋也さんを含め、４人の職人が立つ。手掛けているのは、刀剣鍛錬の技法を生かした燭台、花器、行灯、火廻り品といった工芸品。日本刀づくりと同じように、鉄を高温で熱し、鎚（つち）で何度も打ちながら不純物を取り除き、強度と粘りを引き出していく。わずかな温度差や打つ力の加減によって表情が変わるため、職人は炎の色や鉄の状態を見極めながら作業を進める。つくるものは変わっても、鉄を打ち鍛え、用の美へと昇華させる仕事は初代から変わっていない。</p>



<h3 class="wp-block-heading">受け継がれる伝統の鉄加工「鍛造」</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00655_142A9584.jpg" alt="" class="wp-image-54789" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00655_142A9584.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00655_142A9584-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00655_142A9584-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>彼らのものづくりの核にあるのは、木炭の火で鉄を熱し、鎚（つち）で打って成形する昔ながらの加工法「鍛造（たんぞう）」。鉄を液体化して型に流し込む鋳造（ちゅうぞう）、圧力をかけて成形する機械加工などが一般化している今、「鍛造」は手間がかかり、大量生産には向かない。しかし打ち鍛えることで強度と粘りが増し、打ち目や揺らぎによって一点一点の表情を豊かに表現できる。<br></p>



<h2 class="wp-block-heading">鉄の状態は肌感覚で見極める</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00638_142A0570.jpg" alt="" class="wp-image-54790" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00638_142A0570.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00638_142A0570-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00638_142A0570-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p><br>鉄は、熱したばかりの柔らかいうちしか動かない。作業できるのは、およそ800〜1000℃の間。熱しすぎれば鉄が溶けてしまい、熱する時間が短ければ叩いても成形できない。だから何度も炉に入れ、何度も引き出し、叩き、また熱する。その反復作業を繰り返す。</p>



<p>熱している間は、次はどこを叩き、どう曲げるかをイメージする。長年培った感覚をもとに、鉄の状態を見極める。引き上げるタイミングは最も重要で、職人の経験が試される局面だという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">唯一無二の品に仕上がる、手仕事のおもしろさ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00584__H6A6814.jpg" alt="" class="wp-image-54791" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00584__H6A6814.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00584__H6A6814-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00584__H6A6814-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>伝統の鉄加工「鍛造」によって作られた品は、ひとつとして同じものが存在しない。しなやかな鉄の輪が印象的な「置き風鈴」は、 鉄の厚みや曲線のわずかな違いによって、同じ品であってもそれぞれ異なる響きを持つ。手仕事ならではの微細な揺らぎが音色に個性を与え、均一な工業製品にはない豊かな表情を生み出している。&nbsp;</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00591_142A2451.jpg" alt="" class="wp-image-54792" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00591_142A2451.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00591_142A2451-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00591_142A2451-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「鍛月（たんげつ）」と名付けられた鉄のフライパン。熱伝導に優れた鉄の性質を生かし、食材の中をふっくらと、表面は香ばしく焼き上げる。薬品などによる錆止めなどの処理を施さず、使い込むほどに変化する鉄の表情を楽しめる設計。鍛えることで生み出される凹凸の模様がかすかに残り、そのまま鉄の表情となって現れる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">売る力もまた、手仕事の一部</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00597__H6A6487.jpg" alt="" class="wp-image-54793" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00597__H6A6487.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00597__H6A6487-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00597__H6A6487-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>11代目の役割は、ものづくりだけではない。工房に併設されたギャラリーでは、実際に作品を手に取った来訪者との会話から、新たな受注や制作が始まることも多いという。顧客と対話を重ねながら、求められている用途や空間を読み取り、デッサンを起こして提案。異業種で培った視点は、作品の売り方だけでなく、ものづくりそのものにも生きている。 </p>



<p>また県外、都内の百貨店やギャラリーでも月に1〜2回ほど展示販売を実施しているほか、近年はパリで開かれる見本市「メゾン･エ･オブジェ」をはじめ、海外への出展も重ねている。鉄の工芸品は、木工やガラスのように一見して親しみやすい素材ではないかもしれない。それでも繰り返し足を運ぶリピーターやコレクターが少なくないのは、手仕事作品そのものの力に加え、使い手との関係を丁寧に育ててきたからだろう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">11代目が描く、鍛冶工房弘光の未来</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00681__H6A6545.jpg" alt="" class="wp-image-54784" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00681__H6A6545.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00681__H6A6545-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00681__H6A6545-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宗相さんが次に見据えているのが、炭焼きへの挑戦。鍛冶に欠かせない炭は、原材料や加熱の持続力によって品質がさまざま。自ら炭を焼くことで、良質な炭を安定して確保しつつ、素材の源流からものづくりを完結させたいという意志がある。宗相さんの飽くなき探究心が、鍛冶工房をまた新たなステージへ押し上げようとしている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54782/">鍛えた鉄に、暮らしの美を宿す。「鍛冶工房弘光」11代目･小藤宗相さん／島根県安来市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>やんばるの自然の中で俳句のように生まれる器。「螢窯」山上學さん／沖縄県大宜味村</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 13 Jul 2026 08:37:05 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
		<category><![CDATA[やんばる焼き]]></category>
		<category><![CDATA[ギャラリーTATI]]></category>
		<category><![CDATA[いぎみてぃぐま]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-004.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「小学生の頃、土器のかけらを見つけては組み合わせていくのが楽しかったんです。それがルーツ」。そう話すのは、沖縄県大宜味村田嘉里（たかざと）で「螢窯（じんじんよう）」を営む山上學さん。日本各地を巡り、やんばるの山の麓で見つ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54769/">やんばるの自然の中で俳句のように生まれる器。「螢窯」山上學さん／沖縄県大宜味村</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-004.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「小学生の頃、土器のかけらを見つけては組み合わせていくのが楽しかったんです。それがルーツ」。そう話すのは、沖縄県大宜味村田嘉里（たかざと）で「螢窯（じんじんよう）」を営む山上學さん。日本各地を巡り、やんばるの山の麓で見つけた「自分のかたち」とは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">探し続けた場所</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-003.jpg" alt="" class="wp-image-54771" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-003.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-003-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-003-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>沖縄自動車道の北の終着点許田ICからさらに北へ車で45分ほどの“やんばる”と呼ばれる自然豊かな場所に、山上さんの工房「螢窯」と併設の「ギャラリーTATI」はある。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-018.jpg" alt="" class="wp-image-54772" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-018.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-018-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-018-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大阪府出身の山上さんが陶芸家を志すようになったのは、幼い頃に家の近所で土器のかけらを見つけたことがきっかけだった。その原体験を境に土や焼き物への関心を深め、進路として陶芸の道を選ぶようになった。</p>



<p>少年時代の山上さんにとって、土器拾いは自転車や野球と同じくらい夢中になれる遊びだった。万博開発に沸く造成地を掘り起こすたび、土の中から古い土器が顔を出す。はるか昔に人の手が触れた痕跡が現れる瞬間に、胸が高鳴った。高校に上がる頃には博物館で世界各地の土器を眺めるのが習いとなり、「陶芸家とはどんな仕事なのか」と漠然と思い描くようになる。</p>



<p>打ち込んでいた野球での進学も考えたが、どこかで限界を感じていたし、美術大学という道もあったものの、受験デッサンに明け暮れる世界は自分には合わないと感じていた。そんなとき、美術に明るい父の縁で一人の陶芸家を訪ねると、「美大を出なくても陶芸家にはなれる」と背中を押された。こうして山上さんは、必要な技だけを求めて産地を渡り歩く道を選ぶ。愛知･瀬戸の窯業訓練校でろくろを学び、京都で釉薬と清水焼を、さらにウィーン工房の流れを汲む学校で研鑽を積んだ。</p>



<p>そうして腕を磨いた山上さんは、茨城県にある笠間焼の製陶所に勤務し、27歳で独立。その後、栃木県の焼き物の産地である益子を経てこの地に移り住んだのは、2004年のこと。北海道から九州･沖縄まで焼き物の産地を巡り、45歳の頃にようやく辿り着いた場所だった。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-022.jpg" alt="" class="wp-image-54773" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-022.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-022-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-022-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>沖縄の焼き物「やちむん」といえば、厚みのある形状や躍動感のある絵柄が特徴で、中でも那覇市壺屋で古くから作られる「壺屋焼」はやちむんの代名詞。「壺屋焼は独自の伝統的な作り方をするので、興味はあったけど」。そう話す山上さんがやんばるまでやって来たのは、伝統的なもの作りではなく自分のオリジナルのもの作りを目指したから。自然や光のトーン、独自の文化、部落ごとの風習や行事やに魅了され、やんばるの地でのもの作りがはじまった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">環境がものを作っていく</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-008.jpg" alt="" class="wp-image-54774" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-008.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-008-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-008-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>それまで笠間焼や益子焼きなどに携わってきた山上さんも沖縄に来た当初は、益子焼きやいわゆるやちむんをイメージさせるオーソドックスな作品を作っていた。「でも、こっちにきたらグリーンとか海の色を再現したくなったんです。“用の美”の逆があってもいいんじゃないかと思って」と、海の美しさや、きれいな夕日など感じたものを“用”（使い勝手や実用性）に落とし込むように、作品に変化が生まれた。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-038.jpg" alt="" class="wp-image-54775" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-038.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-038-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-038-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「環境がものを作っていくんだと思うんです」。その言葉には、かつて松尾芭蕉が日本各地の美しい風景や名所を旅して歩き、その地の自然を感じ俳句に残したのと相通じるものがある。「陶芸作家として技術ばかりを極めるのではなく、自然を見て感じたものを表現するための技術を極めていく。それがたまらない面白さですし、それこそが健全なもののつくり方だと思います」。自然を感じ、かたちに残す、山上さんの見つけたもの作りの姿だった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">縄文とサンゴの掛け合わせ</h3>



<p>山上さんの器作りは、海へ貝やサンゴのかけらをとりにいくところからはじまる。そして沖縄の土と美濃や信楽などいくつかの土をオリジナルの配合でブレンドした土でベースとなる器を作り、その表面に拾い集めた大小のサンゴのかけらをおしつけるように模様を付けていく。それはまるで縄文土器のような作り方だ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-053.jpg" alt="" class="wp-image-54776" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-053.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-053-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-053-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「縄文とサンゴを掛け合わせたらおもしろいと思ったんです」。縄文土器は縄を編み、土器の表面に縄をおしつけていくことで紋様を付ける。また縄で抑えることによって土を締め、割れにくくする効果もあるのだという。山上さんは沖縄の土だけで作るよりも厚みを抑えたベースの器に、縄ではなく貝やサンゴを使ってひとつずつ模様をつけ、締めていく。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-048.jpg" alt="" class="wp-image-54777" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-048.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-048-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-048-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>制作している時にイメージしているのは海の中。サンゴによって生まれたランダムな模様が、瞬く間に表情を変える自然界の美しさと儚さを映しだす。また、そこに金属製の細い筒を使って細かなバブル模様を感覚的に付け加えていく。少しだけ人工的な道具を使うことによって、まるで化学調味料のようによりリアルに作用する。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-041.jpg" alt="" class="wp-image-54778" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-041.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-041-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-041-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そして最後に、模様の一つひとつに筆で顔料を塗っていく。焼き上がりを想像しながら色の置き方や濃淡を変え、そうして山上さんの作品ができあがる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">やんばる焼き</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-067.jpg" alt="" class="wp-image-54779" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-067.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-067-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-067-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>やんばるの地に移り住み、作品を作るようになって20年あまり。「やっと形になってきた」と話す山上さんの作品は沖縄の美しい海を想起させ、ギャラリーTATIや同ギャラリーのある大宜味村にて年に一回開催される「いぎみてぃぐま」などの工芸市で山上さんの作品に触れた旅行者にも反響が大きい。「人に喜んでもらうのは嬉しいことだけれど、喜ばせるために作るのではなくて、自分が喜ぶ意識で作っていると人も喜んでくれると思う」。最近では、空洞部分に陶の玉を入れ、音が鳴るように造形したビアカップなど、実用性にプラスアルファで遊びの要素を取り入れた作品も生み出した。これらはまだ試作段階ではあるが周囲からの評判も良く、今後シリーズ化していきたいと考えている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-006.jpg" alt="" class="wp-image-54780" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-006.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-006-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/tati-006-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>これまでも沖縄の中で、伝統的なやちむんとは少し違う作品を生み出すことによって注目をされることが多かった山上さん。各地の土と向き合い、炎と対話しながら積み重ねてきた歳月は、いまこの地に深く根を張ろうとしている。</p>



<p>「これまでに日本各地で経験してきた焼き物の集大成として、この地で&#8221;やんばる焼き&#8221;を形にできたらいいなと思っています。これからまだまだやりたいことはあるんです」。</p>



<p>やんばるの森が育む土、沖縄の光と風。それらすべてを器のかたちに宿らせようとする山上さんの仕事は、まだ途中だ。その先に生まれるものを、ギャラリーTATIはこれからも静かに、しかし確かに発信し続けていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54769/">やんばるの自然の中で俳句のように生まれる器。「螢窯」山上學さん／沖縄県大宜味村</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>自然の中で、命をいただくということ。「Antler Crafts」主宰･小野寺 望さん／宮城県石巻市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 29 Jun 2026 09:04:36 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[ジビエ]]></category>
		<category><![CDATA[Reborn-Art Festival]]></category>
		<category><![CDATA[ニホンジカ]]></category>
		<category><![CDATA[狩猟]]></category>
		<category><![CDATA[鹿肉]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_B_6063.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>狩猟を通して“命をいただく”という営みと向き合い続けている小野寺さん。気仙沼市で育ち、東京で料理人として働いたのち、再び宮城の地へ。狩猟から解体、販売までを手がけながら、自然と人との共生に向き合い、命の循環を未来へつなぐ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54750/">自然の中で、命をいただくということ。「Antler Crafts」主宰･小野寺 望さん／宮城県石巻市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_B_6063.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>狩猟を通して“命をいただく”という営みと向き合い続けている小野寺さん。気仙沼市で育ち、東京で料理人として働いたのち、再び宮城の地へ。狩猟から解体、販売までを手がけながら、自然と人との共生に向き合い、命の循環を未来へつなぐ活動を続ける理由とは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">島育ちから東京でフレンチの料理人へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6491.jpg" alt="" class="wp-image-54758" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6491.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6491-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6491-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>小野寺さんは、石巻市よりも北にある気仙沼市大島の出身。2019年に気仙沼大橋ができるまで、船で本土と行き来していた島育ちだ。</p>



<p>かつてマグロ漁で潤っていた気仙沼市は、大手百貨店が進出するなど、大変な賑わいを誇っていたそうだ。そんな気仙沼市で青春時代を過ごした小野寺さんは、卒業後、東京へ出る。</p>



<p>テレビや雑誌で見た憧れの都会生活。ファッションや遊びに勤しみ、フレンチの料理人として働いていたが、慣れない都会の生活や、厨房の激務により、徐々に体と心が限界を迎え、上京から3年ほどで地元へ戻ることを決めた。&nbsp;</p>



<h2 class="wp-block-heading">狩猟を通し、命との向き合い方を見直す</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6482.jpg" alt="" class="wp-image-54759" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6482.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6482-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6482-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>地元に戻った小野寺さんは、アパレルとレジャー産業を展開する会社に転職。そこで自然と向き合う仕事に携わるなか、会社の代表がハンターだったことや、叔父も趣味で猟をしていたことから、狩猟に興味を持ち始めた。当時、宮城県内ではニホンジカによる農作物や森林への被害が問題になりつつあり、害獣対策としての捕獲活動も広がっていた。そうした背景も後押しとなり、狩猟免許を取得するに至った。&nbsp;</p>



<p>当時、ニホンジカの狩猟期間は約90日であり、1日の狩猟数はオス1匹までと決められていた。狩猟はチームで行い、小野寺さんのチームは25人ほど。狩猟犬ではなく雑種の犬を連れて行ったり、銃器の性能も劣っていたりしたが、「まるっきり素人の集団だったけど、草野球チームみたいで楽しかったですよ」と笑いながら評する。</p>



<p>仕留めたニホンジカはチームメンバーで分け合ったが、お世辞にもプロフェッショナルとは言えないハンター集団が行う血抜きや内臓処理は十分ではなく、捕獲から処理まで時間も掛かってしまうため、ストレスから旨味成分であるグリコーゲンが枯渇してしまったり、身体中に血がまわってしまったり、調理しても臭みが強くおいしくなかった。</p>



<p>かつてフレンチで鹿肉を扱っていた経験から、「こんなはずじゃない……ジビエはもっとおいしいはず」と感じた小野寺さん。駆除するだけではなく、おいしく食べてあげたいという思いが芽生えたという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「なぜ獲るのか」に立ち止まり、進むべき道を定める</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6699.jpg" alt="" class="wp-image-54760" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6699.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6699-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6699-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2010年ごろ、宮城県内のニホンジカの生息数増大に伴い、農作物や森林への被害が大きくなり、狩猟による捕獲を行う計画が発表された。これにより、狩猟期間外でも捕獲をすることになった小野寺さん。しかし、1日で獲れる鹿の頭数が増えると、仲間内でも「鹿肉は要らない」という人たちが出始めた。廃棄され、腐っていくニホンジカの姿を見て、小野寺さんは「何のためにやっているんだろう」と疑問を持つようになった。</p>



<p>ニホンジカは、本能に従って子孫を増やそうとしているだけ。人間の都合で住む場所が狭まり、里に下りて来らざるを得ないものを、“人間の生活を脅かす”と駆除の対象にされる。幼いころから動物が大好きだった小野寺さんは、狩猟仲間の「かわいそうなんて思ったらダメだ」の言葉に、「自分はそんなメンタルは持ち合わせていない」と感じたのだという。</p>



<p>「せめて自分の獲った鹿は、おいしく食べられるものにしよう」。その覚悟が、小野寺さんの狩猟人生を大きく変えていった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">震災を経て、食の再生への道を辿る</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6737.jpg" alt="" class="wp-image-54761" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6737.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6737-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6737-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>鹿肉をおいしく食べられるよう、血抜きや内臓処理、沢の水や海水に漬けるなど、試行錯誤を重ねていた2011年、東日本大震災が石巻市を襲った。山から戻った小野寺さんの目に映ったのは、一変した故郷の姿だった。津波が街を飲み込み、見慣れた風景は跡形もなく消えていた。それでも小野寺さんは、できることをするしかなかった。手元にあった鹿肉を持ち寄り、避難所へ届けた。命をいただいた肉が誰かの力になる。その実感が、小野寺さんの中で静かに根を張っていった。被災を乗り越えた小野寺さんは、やがて炊き出しに訪れた東京の有名シェフたちと出会う。&nbsp;</p>



<p>「ちょっとズルい気持ちもあったんだけれど……」と振り返る小野寺さん。自身の捌いた鹿肉や鹿肉の生ハムなどを有名シェフらに試食してもらい、味の改良を重ねた。</p>



<p>そうした活動の中で縁があり、音楽プロデューサーとして知られ、東日本大震災後の復興支援にも深く関わってきた小林武史氏と出会い、氏が主宰するアートフェスティバル「Reborn-Art Festival」に携わる。小野寺さんの活動を知った小林氏は「せっかくだから処理場を作りましょう」と提案。そして2017年、現在の処理場が完成。ニホンジカの解体から販売までを一貫して行えるようになった。&nbsp;</p>



<h3 class="wp-block-heading">命をいただくための最低限のルール</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6488.jpg" alt="" class="wp-image-54762" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6488.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6488-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6488-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>小野寺さんは、ニホンジカの頭部または首元を狙って一撃で仕留める方法で狩猟をする。ライフル銃を手に、右目でスコープ、左目で背景を見ながら、猟犬が追ってきたニホンジカに狙いを定める。この狩猟方法は、ニホンジカに最も負担のない方法だ。傷が一カ所で済むため、使える肉の量も多くなる。とても難しい方法のように思えるが、小野寺さんは「一瞬の判断が重要なだけ。慣れれば大丈夫」と、笑顔で語ってくれた。</p>



<p>仕留めたニホンジカは、心臓が動いている間にすぐに血抜きを行う。そして自社の処理場で解体し、1カ月ほどかけて水分を無菌室で水分を抜いていく。おいしい食肉に加工することは、「命をいただく上での、最低限のルール」と、小野寺さんは穏やかに話す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">森と人の未来を見据えて</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6613.jpg" alt="" class="wp-image-54763" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6613.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6613-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/antler-crafts_A_6613-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在はニホンジカの駆除だけだが、「ひとつの動物だけを駆除するのではなく、森全体の生態系を考慮した解決策が必要」と見通しを立てる小野寺さん。動物だけでなく植物を含めた森の保全が喫緊の課題だ。</p>



<p>その啓蒙活動として、定期的にワークショップやアートイベントを開催している。子どもたちに「野生動物が“食べ物”に変わり、命をいただくこと」の尊さを学んでもらったり、アートをきっかけに自分の周囲にある生態系や自然に関心をもったりしてもらいたいと考えている。</p>



<p>そんな小野寺さんを慕って、多くの若者やアーティストもこの場所に集まる。<br>「まぁ勝手に集まって、好きにやってくれたらいい」と、小野寺さんも笑顔を見せて、彼らを受け入れている。</p>



<p>人間の都合で捕獲される野生動物たちを、絶品の食材に加工して、余すことなく利活用する小野寺さん。その姿は、生きとし生けるすべての命に感謝し、自然の恵みを享受する、あるべき人間の姿に思えた。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54750/">自然の中で、命をいただくということ。「Antler Crafts」主宰･小野寺 望さん／宮城県石巻市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>ゴールドバレルの頂点を目指す「しんざと果樹園」2代目の挑戦／沖縄県国頭郡東村</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 29 Jun 2026 08:48:26 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[ゴールドバレル]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[タダオゴールド]]></category>
		<category><![CDATA[TADAO GOLD]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-001.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>海を望む丘陵地に広がるパイナップル畑。沖縄県本島北部の東海岸に位置する国頭郡（くにがみぐん）東村（ひがしそん）は、国内生産量わずか5%の高級パイナップル「ゴールドバレル」の産地。「パイナップルの王様」とも呼ばれるゴールド [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-001.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>海を望む丘陵地に広がるパイナップル畑。沖縄県本島北部の東海岸に位置する国頭郡（くにがみぐん）東村（ひがしそん）は、国内生産量わずか5%の高級パイナップル「ゴールドバレル」の産地。「パイナップルの王様」とも呼ばれるゴールドバレルと、その若き担い手の想いとは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">沖縄県のパイナップル栽培の歴史</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-022.jpg" alt="" class="wp-image-54741" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-022.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-022-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-022-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>沖縄県は国産パイナップルの生産量のほぼ100％を占めており、年間の収穫量はおよそ7,000t〜8,000tに及ぶ。1866年に石垣島沖に座礁したオランダ船から漂着した苗を植えたのがパイナップル栽培のはじまりと言われており、戦後本格的に缶詰加工用としての栽培や品種改良が行われるようになると、1960年代にはサトウキビと並ぶ2大基幹作物にまで成長した。</p>



<p>ところが順調だったパイナップル栽培は1990年の缶詰製品の輸入自由化により大打撃を受け、加工用品種として主力だったハワイ種「N67-10」の栽培は落ち込みをみせた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">付加価値の高い生食用品種への転換</h3>



<p>一時は衰退したパイナップル栽培だが、沖縄県のパイナップル栽培はより付加価値の高い生食用品種の栽培へと移行していく。そして現在では、手でちぎって食べられるスナックパイン（正式名称：ボゴールパイン）、果肉が白く小ぶりなピーチパイン（正式名称：ソフトタッチ）、甘みが強いサンドルチェ（正式名称：沖農P17）、ココナッツのような香りのあるホワイトココ（正式名称：沖農P19）、高級品種のゴールドバレル（正式名称：ゴールドバレルパイン）など、多くの生食用品種が開発・栽培され、シェアを拡大している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">高級パイナップル「ゴールドバレル」の誕生</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-009.jpg" alt="" class="wp-image-54742" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-009.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-009-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-009-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2006年に新品種として登録された「ゴールドバレル」は、東村が発祥の地。1989年に沖縄県農業研究センターで「クリームパイン」と「McGregor ST-1」を交配して得られた実生（みしょう）から、およそ20年の歳月をかけて誕生し、黄金色の果肉と樽（バレル）のような形からその名が付けられた。</p>



<p>ゴールドバレルの1番の特徴は、糖度の高さにある。一般的なパイナップルの糖度が14度〜16度なのに比べ、ゴールドバレルは17〜19度と糖度が非常に高い。また実は芯まで食べられるほどやわらかく、パイナップル独特の刺激的な酸味が少ない。口に入れると、とろけるように柔らかくジューシーで、繊維が少ないためざらざらとした食感が口に残らない。上品な甘さと芳醇な香りが楽しめ、1個当たりの重さが約1.5kg〜2kgと大きいため贈答用の高級パイナップルとして注目を浴びるようになった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「ゴールドバレル」の生みの親、玉城忠男さん</h3>



<p>この新品種の誕生に深く関わったのが、東村におけるパイナップル栽培の先駆者であり沖縄県名誉指導農業士でもある玉城農園の玉城忠男（たまきただお）さんだ。玉城さんは譲り受けた11本のか細い苗から選抜育成をくり返し、長年にわたる努力と研究によって「ゴールドバレル」をまさに黄金色の果実へと育てあげた。</p>



<p>玉城さんが自身で育てるゴールドバレルの中でも、味、色、大きさ、形など特に選りすぐりのものは「TADAO GOLD（タダオゴールド）」と名付けられ、全体の数パーセントしか選ばれないゴールドバレルの最高級品として知られている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">受け継がれるパイナップル栽培</h2>



<p>東村で「しんざと果樹園」を営む新里善幸さんと貴恵さん夫妻は、パイナップル作り一筋50年以上の玉城さんのもとゴールドバレル栽培の手ほどきを受けた担い手だ。</p>



<p>貴恵さんは玉城さんの娘さんで、幼いころから玉城さんがパイナップルを育てる姿を目にしていた。しかし、お父さんが育てるパイナップルの凄さに気付いたのは社会人になってから。那覇市でパティシエとして働きだしてからなのだそう。</p>



<p>20年近く前、働いているお店で仕入れていたパイナップルがお父さんの育てたゴールドバレルだった。周りの人から「TADAO GOLD」が美味しくて有名だという噂を聞き、その凄さを知ったという。そして「これは誰にでもできる仕事ではないのかもしれない」と、南城市のマンゴーの兼業農家で生まれ育った善幸さんと二人三脚でゴールドバレル栽培に取り組むようになった。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-019.jpg" alt="" class="wp-image-54743" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-019.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-019-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-019-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<h3 class="wp-block-heading">東村の大地に育まれるゴールドバレル</h3>



<p>しんざと果樹園がある東村は、県内有数のパイナップルの産地であることはもちろん、マングローブ林などの豊かな自然と固有の生態系が色濃く残る「やんばる（山原）」と呼ばれる地域としても知られている。赤土がのぞく広大な畑には、大人の腰ほどの背丈に育ったパイナップルが規則正しく生い茂る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">パイナップル栽培に最適な東村の赤土と気候</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-003.jpg" alt="" class="wp-image-54744" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-003.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-003-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-003-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>東村でパイナップル栽培が盛んな理由に、パイナップルが一番好む酸性で水はけのよい赤土の土壌がある。また海からのミネラルが降り注ぐ地形と、夏の30度〜35度と高い気温。これらの条件が糖度の高いパイナップルを育てる。</p>



<p>この土壌の優位性を活かす土作りはパイナップル栽培にとって非常に重要なファクターだ。</p>



<p>土づくりは、まずパワーシャベルで1メートルほどの深さまで切るように耕す。パイナップルは水が天敵のため、土の中に空洞を作り、より水はけの良い土にする。耕した土は元気を取り戻すために3ヶ月間、自然の雨にさらし土に水分やミネラルを浸透させ、同時に空気も取り込みながら休ませる。そうすることで育成不良などの連作障害も起こらなくなる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-006.jpg" alt="" class="wp-image-54745" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-006.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-006-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-006-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そして土づくりで何より大切なのが草の管理なのだそう。「お義父さんには、草を生やすなって1番言われます」と善幸さん。貝殻虫という害虫の発生を防ぐため、草取りに機械は使わずほとんど手で抜きあげる。こうして手間と時間をかけた土づくりが最終的にパイナップルの味に繋がっていく。</p>



<h3 class="wp-block-heading">植え付けから生育、収穫</h3>



<p>パイナップルの植え付けは、3月・4月の春と、9月・10月の夏の大きく2期に分けて行う。春の植え付けは、5月下旬頃の梅雨入りまでに根が張るように。夏の植え付けは台風の状況を見ながら、植えた苗が雨で腐ってしまわないように計算して行われる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-031.jpg" alt="" class="wp-image-54746" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-031.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-031-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-031-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ある程度まで育った実には、日焼け防止のために新聞で作った帽子をひとつずつ被せ、さらに上からネットで覆い強い紫外線を遮ることで皮が焼けて傷みの原因となることを防ぐ。また、実が大きく重いゴールドバレルは台風の強風で茎が折れてしまうこともあるため、茎を支えるパイプの設置も行われる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-015.jpg" alt="" class="wp-image-54747" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-015.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-015-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-015-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>手間をかけ、作物にとって最適な環境で育ったゴールドバレルは、苗の植え付けからおよそ3年でようやく収穫を迎える。パイナップルは基本的には収穫後に追熟しないため、木上（きじょう）で熟させ1番美味しいタイミングで収穫をする。収穫の時期が近づくと、毎日ひとつずつ成熟度の確認を行い、熟したものは手作業で収穫される。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ゴールドバレルに夢をのせて</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-048.jpg" alt="" class="wp-image-54748" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-048.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-048-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/tamashironouen-048-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>しんざと果樹園で収穫されるパイナップルは、年間およそ9,000個。一般的なパイナップルが4年で2回収穫できるのに対し、ゴールドバレルは3年でようやく1回。収量が限られるうえ病気にも弱く、栽培の難しい品種にも関わらず、土づくりにこだわり、木上で熟すのを待ち一番美味しいタイミングで摘み取るなどの手間も惜しまない。</p>



<p>とはいえ、この丁寧な仕事が芯までやわらかく芳醇に香るゴールドバレルを生み出しているのだが、「お義父さんは日々研究して、80歳を過ぎてもどんどん新しいことを取り入れている。僕なんか若いのに、まだまだ負けてる」と、謙虚な善幸さん。</p>



<p>玉城さんから技術と知識を吸収しながら、生育が難しく収量も安定しにくいゴールドバレルの作付けを少しずつ広げ、いずれは安定して12,000〜13,000個を収穫できるようにしたいと生産拡大に意欲を燃やす。</p>



<p>一方、貴恵さんが見据えるのは出荷の仕組みづくりだ。木上で熟させたゴールドバレルは、収穫後の賞味がわずか3日。1個ずつ布で磨き、箱に手作業で詰めていく作業は、収穫量の多い時期には22時間に及ぶこともあるが、機械やシステムの導入など新しい仕組みを取り入れることで、この作業を効率化させ、より一層パイナップルの生育に手間をかけたいと考えている。</p>



<p>ふたりは現在、収穫したパイナップルを地域の小学校や児童養護施設へ定期的に寄贈している。これは「自分たちが小さい頃は、パイナップルは少し酸っぱくて当たり前だと思っていた。ところが、品種や育て方でこんなにも甘くなる。子どもたちにパイナップルは甘くて美味しいものだと知ってもらい、パイナップルに対する“当たり前”を変えていきたい」という想いから。</p>



<p>玉城さんが11本のか細い苗から黄金色の果実を育てあげたように、その想いと技術は、いま確かに次の世代へと受け継がれている。東村の赤土に根を張ったゴールドバレルは、ふたりの夢をのせて、これからも甘く実っていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54735/">ゴールドバレルの頂点を目指す「しんざと果樹園」2代目の挑戦／沖縄県国頭郡東村</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>補償金を返還してまで守り抜いた宍道湖。日本一のしじみ漁を未来へ「宍道湖漁業協同組合」／島根県松江市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54719/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 24 Jun 2026 10:57:07 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[じょれん]]></category>
		<category><![CDATA[宍道湖]]></category>
		<category><![CDATA[漁業]]></category>
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		<category><![CDATA[しじみ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02411_142A9550.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>島根県松江市に広がる宍道湖（しんじこ）は、日本有数のしじみの産地として知られる。朝、湖面には小舟が並び、船外機の音とともに漁が始まる。その豊かな湖を守るため、かつて漁師たちは大きな決断を下した。一度受け取った補償金を返し [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54719/">補償金を返還してまで守り抜いた宍道湖。日本一のしじみ漁を未来へ「宍道湖漁業協同組合」／島根県松江市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02411_142A9550.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>島根県松江市に広がる宍道湖（しんじこ）は、日本有数のしじみの産地として知られる。朝、湖面には小舟が並び、船外機の音とともに漁が始まる。その豊かな湖を守るため、かつて漁師たちは大きな決断を下した。一度受け取った補償金を返してまで守ろうとした、宍道湖のしじみ漁とは。漁師の営みと、その背景にある歴史を紐解く。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本有数のしじみの産地･宍道湖</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02465__H6A1427.jpg" alt="" class="wp-image-54723" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02465__H6A1427.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02465__H6A1427-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02465__H6A1427-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>島根県東部に位置する宍道湖。日本でも珍しい「汽水湖」として知られ、斐伊川（ひいかわ）などから流れ込む淡水と、日本海から入り込む海水が混ざり合う湖だ。川魚と海魚が混在する環境は、汽水域ならでは。実に100種類以上の多様な生き物が生息している。</p>



<p>宍道湖を代表する恵みが「ヤマトシジミ」。粒が大きく、旨味が濃いことで知られ、全国でも有数の漁獲量を誇る。2024年には漁獲量4590トンを記録し、11年連続で全国トップを飾るなど、日本一のしじみ産地として知られている。</p>



<p>みそ汁や佃煮など、出雲地方では古くから食卓に欠かせない存在として親しまれてきたしじみ。松江･出雲地方では宍道湖の自然とともに生きる文化が育まれており、しじみ漁はその象徴ともいえる営みだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">しじみの生育に適した好環境</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02416_142A9586.jpg" alt="" class="wp-image-54724" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02416_142A9586.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02416_142A9586-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02416_142A9586-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本に生息するシジミは、汽水域にすむ「ヤマトシジミ」、淡水産の「マシジミ」、琵琶湖固有種の「セタシジミ」の3種類が代表的。宍道湖で獲れるヤマトシジミは、海水でも淡水でもなく、中間の塩分環境を好む。淡水と海水が混ざり合い、潮の満ち引きによって塩分濃度がゆるやかに変化する宍道湖は、彼らの生育に適している。</p>



<p>栄養豊富な湖底の砂の中で育ったしじみは、粒が大きく、旨味が濃いのが特徴。まさに自然環境が育んだ恵みといえる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">湖を守り、未来へ繋げる</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02271_142A8940.jpg" alt="" class="wp-image-54725" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02271_142A8940.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02271_142A8940-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02271_142A8940-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宍道湖における漁業の管理･販売をする組織「宍道湖漁業協同組合」の福間弘幸さん。しじみ漁を生業とする約260名のうちの一人だ。</p>



<p>「大事なのは資源管理」と語るように、しじみを獲るだけではなく、湖の環境保全にも力を入れる。次の世代がしじみ漁を生業にでき、島根県の特産物として未来永劫残っていくためにも、資源を守りながら漁を続けていく大切さを訴える。</p>



<p>そのため組合では、一日の漁獲量や操業時間、休漁日などを厳格にルール化。漁獲量は一人あたり一日2箱（1箱50〜60キロ）と定められ、船を出すのは漁法によって異なるものの、およそ３〜４時間まで。直径12ミリ以下の稚貝は、湖へ戻す決まりになっている。</p>



<p>しじみ以外の漁師を含めると、約700名が組合に所属。20代前半から80代と世代も幅広いが、個々が湖の環境を第一に考え、協調性を持ってこそ、初めて漁業が成り立つのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">松江を象徴する出漁風景</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="619" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02501_DSCF9310.jpg" alt="" class="wp-image-54726" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02501_DSCF9310.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02501_DSCF9310-300x225.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02501_DSCF9310-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>朝７時ごろになると、静かな湖面に船外機のエンジン音が響き、小舟が次々と湖へと向かう。宍道湖の水深は漁場によって異なるが、およそ2〜4メートル。それぞれの漁場に着き、小舟の上で生業を始める。</p>



<p>朝霧が立ち込める宍道湖に、静かに浮かぶ小舟。松江市の朝を象徴する風物詩として、長く親しまれてきたこの光景だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">伝統の漁具「じょれん」</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02310__H6A0775.jpg" alt="" class="wp-image-54727" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02310__H6A0775.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02310__H6A0775-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02310__H6A0775-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>しじみ漁の操業方法は、ディーゼル機関船を使用した動力操業だけでなく、漁師が直接湖に入る「入り掻き」、船上から道具を操作する「手掻き」といった人力操業が今でも残っている。福間さんが採用している漁法は、手掻きにエンジンポンプを併用した「水流式手掻き」。使われるのは鋤簾（じょれん）と呼ばれる独特の形状をした漁具。熊手のような形をした金属製の道具で、湖底の砂をかきながらしじみをすくい上げる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02409_142A9538.jpg" alt="" class="wp-image-54728" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02409_142A9538.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02409_142A9538-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02409_142A9538-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>エンジンポンプからホースで水を送り、先端から勢いよく噴射することで、湖底の砂を耕しながらしじみを採れる。漁師は長さ約8メートルの竿を押して船を進め、竿を引き寄せながら船を動かす。それを繰り返しながら湖底の砂を探っていく。</p>



<p>ベテランの漁師ともなると、漁場ごとの水深や湖底の状態を熟知。自然の状態を読み取りながら行うこの漁は、まさに熟練の技が求められる仕事だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">品質を支える丁寧な選別作業</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02350__H6A1022.jpg" alt="" class="wp-image-54729" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02350__H6A1022.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02350__H6A1022-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02350__H6A1022-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>しじみが水揚げされると、船上ですぐに選別作業が始まる。機械によって大きさごとに振り分けられ、その後、人の手によってさらに丁寧に選り分けられる。漁獲量は1人2箱と決められているため、漁師としては身が入っていない貝殻は除き、より品質の良い大ぶりなしじみを残したいのだ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="619" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02505_DSCF9327.jpg" alt="" class="wp-image-54730" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02505_DSCF9327.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02505_DSCF9327-300x225.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02505_DSCF9327-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>選別作業は、漁が終わってから陸でも行われる。漁師はしじみを軽く振ったり、転がしたりして音を確かめる。音の響き方によって、身の詰まり具合が分かるという。わずかな音の違いは素人には判別できないほど繊細だが、長年しじみと向き合ってきた漁師には、その差がはっきりと聞き分けられる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">宍道湖を守った漁師たちの決断</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02496__H6A1491.jpg" alt="" class="wp-image-54731" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02496__H6A1491.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02496__H6A1491-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02496__H6A1491-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宍道湖のしじみ漁は、かつて大きな危機に直面した。1950年代、宍道湖を淡水化して農業用水として利用する計画が進められていたのである。</p>



<p>湖が淡水化すれば、汽水環境で生きるしじみは大きな影響を受ける。住民らは反対運動を始めた。実に155回もの協議を重ねた末、国の計画に抗えないと悟った漁師たちは補償金を受け取り、計画に同意したのだった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">補償金を返還して守った湖</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02437__H6A1294.jpg" alt="" class="wp-image-54732" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02437__H6A1294.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02437__H6A1294-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02437__H6A1294-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>1968年、淡水化工事がスタート。しかし、しじみへの打撃の大きさが明らかになるにつれ、宍道湖流域住民の間で再び反対の声が高まっていく。しじみ漁業者が中心となり、やがて「淡水化反対運動」が本格化。大規模な集会や漁船パレード、シジミの無料配布などの活動を精力的に実施した。</p>



<p>一度は受け取った補償金。だが宍道湖漁業協同組合は、宍道湖のしじみを守るべく、補償金を国へ返還する決断を下した。この行動が市民の共感を呼び、反対運動の機運はますます高まったという。</p>



<p>やがて1988年、国と県は淡水化事業の延期を発表。2002年には、正式に中止が表明された。宍道湖の環境としじみ漁は、こうした住民や漁師たちの強い想いによって守られたのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading">湖の恵みを未来へつなぐ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02316__H6A0814.jpg" alt="" class="wp-image-54733" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02316__H6A0814.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02316__H6A0814-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02316__H6A0814-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宍道湖漁業協同組合では、湖底清掃のほか、シジミ採苗放流などの保全活動も実施。湖心部で浮遊するしじみの幼生を採集し、生息地へ放流することで資源の維持を図っている。</p>



<p>十数年前と比べると、「湖の水が随分きれいになった」と語る福間さん。以前は沿岸に浮遊していた生活ゴミがほとんど無くなり、地域住民の意識変化が水質改善に繋がっているのではと推測している。今日もこの地域でしじみ漁が行われ、漁獲量日本一を誇っているのは、地域住民と漁師たちが湖の環境を守り続けてきた証ともいえるだろう。</p>



<p>今日も宍道湖に並ぶ小舟の風景は、湖とともに生きる人々の営みを象徴している。長い年月をかけて受け継がれてきたこの漁は、これからも漁師と地域の人々によって、未来へとつながっていくだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54719/">補償金を返還してまで守り抜いた宍道湖。日本一のしじみ漁を未来へ「宍道湖漁業協同組合」／島根県松江市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>失われゆく藻場と、育て直す未来。「高知大学･総合研究センター海洋生物研究施設」が描く海の再生／高知県土佐市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 24 Jun 2026 10:44:04 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[研究所]]></category>
		<category><![CDATA[スジアオノリ]]></category>
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		<category><![CDATA[海藻]]></category>
		<category><![CDATA[陸上養殖]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/26TV-133952.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>遥か遠くに見える水平線が美しい高知の海は、太陽の光を反射してキラキラと輝く。高知市中心部から車を走らせること約30分。太平洋に突き出る横浪半島の付け根、ヤシの木に囲まれた南国の風情が漂う一角に「高知大学 総合研究センター [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54708/">失われゆく藻場と、育て直す未来。「高知大学･総合研究センター海洋生物研究施設」が描く海の再生／高知県土佐市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/26TV-133952.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>遥か遠くに見える水平線が美しい高知の海は、太陽の光を反射してキラキラと輝く。高知市中心部から車を走らせること約30分。太平洋に突き出る横浪半島の付け根、ヤシの木に囲まれた南国の風情が漂う一角に「高知大学 総合研究センター」の海洋生物教育研究施設はある。<br>建物に足を踏み入れると、まず巨大な魚の標本に目を引かれる。この魚こそ、高知県を代表する日本固有の肉食魚「アカメ」。絶滅が危惧される希少種だが、高知県の四万十川河口域や浦戸湾には、現在も多くのアカメが棲息している。大きいもので2メートル近くにまで育つこの巨大魚の存在は、豊かな海や汽水域の証明とも言われてきた。しかし、今、その豊かさが大きく揺らいでいる。<br>漁師たちの「昔のように獲れない」「季節がずれてきた」という声は、海の変化が確実に進んでいることを示していた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">海藻が消えつつある海で始まった、静かな危機</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/260326_113732.jpg" alt="" class="wp-image-54714" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/260326_113732.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/260326_113732-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/260326_113732-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「世界平均では100年で0.6度、上昇していますが、高知沿岸はその約2倍のスピードで上がっています」と話すのは、海藻研究の第一人者である高知大学の平岡雅規教授。</p>



<p>高知県は温帯性の海藻の南限付近にあたり、1970〜1980年代の高知沿岸には温帯性の海藻が豊かに生い茂る「藻場（もば）」が広がっていた。藻場は海の森とも呼ばれ、稚魚が隠れ家にしたり、イカが卵を産み付けに来たりする。アワビやサザエ、ウニなどは藻場の海藻を食べて育つ。さらに、それら小魚や甲殻類を捕食する大きな魚たちがやってくる。海の生き物たちを底辺で支える海藻が豊かであることは、海の生態系の豊かさそのものを意味していた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">海水温1度の上昇が、海を劇的に変える</h3>



<p>しかし、温暖化の影響で海水温が上昇し、今、その藻場が急速に失われているという。たとえば、アオノリや昆布などの海藻は、冬の冷たい水温で成長する。しかし、生育上限温度を超えてしまうと、光合成や代謝が困難になり細胞構造の維持ができなくなる。水温が上がって生命の危機を感じた海藻は、自分が葉を伸ばして育つ代わりに次世代を残そうと胞子を放出し、体はバラバラになって消えてしまうのだそうだ。</p>



<p>また、近年は熱帯性の海藻が急速に増えた。1970年代にはほとんど見られなかった熱帯種が、80年代、90年代、2000年代と年を追うごとに勢力を広げ、今では高知で最もよく見かける海藻が熱帯種に置きわってしまったという。</p>



<p>その代表的な例として、熱帯性のホンダワラという海藻が挙げられる。もともと生えていた温帯性ホンダワラがほぼ年中繁っていたのに対し、熱帯性は温かい時期しか生えないため、水温の低い時期に藻場を利用していた魚の生活の場が失われた。</p>



<p>そして、沿岸部の環境の変化は、沖合の魚にも影響を及ぼす。沿岸に生えているホンダワラはちぎれて沖に流されることがある。その「流れ藻（ながれも）」に、高知ではブリの稚魚が集まってくる。漁師たちは、「モジャコ」と呼ぶその稚魚たちを獲って養殖に使っている。そのモジャコ漁の時期は春先に限られるのだが、熱帯性のホンダワラ類は夏場にしか流れてこない。将来的にモジャコ漁にも影響が出ることが危惧されている。</p>



<p>さらに言うと、２メートルの長さにも成長する熱帯性のホンダワラだが、食用には向かず、産業利用も進んでいない。</p>



<p>教授は「海藻は食材である前に、海の生態系を支える“基盤”です。海藻が消えれば、魚の回遊ルートも変わり、貝類の生息環境も失われます。さらには漁業そのものに影響を与えます」と言う。</p>



<h2 class="wp-block-heading">四万十川のアオノリが消えた日</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/P3012054.jpg" alt="" class="wp-image-54715" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/P3012054.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/P3012054-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/P3012054-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>特に衝撃的なのは、県内唯一の海藻産地として知られる四万十川（しまんとがわ）河口で起きた変化だ。高知の食文化を支えてきた海藻は、四万十川河口の川と海水が混じり合う汽水域で育つ、スジアオノリとヒトエグサ（アオサノリ）だった。特にスジアオノリについては、四万十川汽水域は全国一の天然漁場として知られており、1メートル以上に育ったスジアオノリが広がる様は、高知の冬の風物詩だった。</p>



<p>スジアオノリは香りが強く、お好み焼きやたこ焼きに欠かせない高級食材として知られる。ヒトエグサは佃煮や天ぷらとして親しまれてきた。しかし、温暖化による自然環境の変化はこの二つにも打撃を与えた。かつて年間10〜20トン採れていたスジアオノリは、2020年以降、天然ではゼロに。養殖されていたヒトエグサも2021年から採れなくなり、高知で唯一の海藻産業は一度、完全に姿を消した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">高知大学が世界に誇る「陸上養殖」で、海藻産業の復活を目指す</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/26TV-141017.jpg" alt="" class="wp-image-54716" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/26TV-141017.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/26TV-141017-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/26TV-141017-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>四万十川の海藻が姿を消しはじめた頃、その変化に最初に向き合ったのは高知大学の研究者たちだった。</p>



<p>「このままでは、海藻文化そのものが途絶えてしまう」——そんな危機感が、静かに大学を動かしていった。</p>



<p>状況を変えたのが、陸上養殖の技術だ。高知大学では、高知の持続可能な海藻産業を再構築するため、2004年に高知県室戸市沖合の海洋深層水を使った陸上養殖システムを開発し、スジアオノリの生産に成功する。室戸は日本でも数少ない陸上近くから海洋の深層水を取水できる場所だ。水深320〜374メートルの深さから汲み上げた海洋深層水は、年間を通して約10度と低温で安定しており、冬に採れる海藻だった青のりを一年中育てられる環境をもたらした。</p>



<p>さらに、研究は進み、胞子を一斉に放出させて、集塊化した上で培養、浮遊させることで均一に育てるという特許技術「胞子集塊法」を開発した。それにより絡まりのない高品質な種苗を安定して生産できるようになったことは、世界レベルでみても画期的だった。胞子の生存率が劇的に向上、陸上での大量生産を可能にして、産業化への道を開いたのだ。</p>



<p>スジアオノリの陸上養殖量は、当初は1トンだったが、数年間の内に3トンへと増加。現在は10トンを超え、かつて天然で採れていた量の半分以上が陸上で再生されるまでになった。ヒトエグサ（アオサノリ）の陸上養殖も大型タンクでの生産が始まりつつあり、近い将来、安定供給が可能になる見込みだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">海藻研究と陸上養殖の最先端地域に</h3>



<p>陸上養殖は設備投資が大きく、効率的に育てる技術が不可欠だが、それでも全国20カ所以上の企業が高知大学の技術を導入し、海藻の再生に取り組んでいる。さらに、藻場の再生への応用や、高水温で消失する海藻群落の復活に貢献できる可能性に期待がかかる。</p>



<p>高知の海で起きている変化は、日本全体の縮図でもある。海藻を育てることは、食文化を守るだけでなく、海の生態系を再び息づかせるための挑戦でもある。高知の海藻がたどってきた変化と、その再生に向けた歩みは、モデルケースとしてこれからの日本の海の未来を示すひとつの指標となるだろう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">食からエネルギーまで、海藻がつくる未来──高知から始まる挑戦</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/c27a3103d1cb8ddfd90f27566c6c5c9e.jpg" alt="" class="wp-image-54717" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/c27a3103d1cb8ddfd90f27566c6c5c9e.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/c27a3103d1cb8ddfd90f27566c6c5c9e-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/c27a3103d1cb8ddfd90f27566c6c5c9e-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2004年に成功した海藻の陸上養殖に始まる研究の積み重ねは、食の領域を超えて新たな可能性を広げている。 高知では今、「しまんと海藻エコイノベーション共創拠点プロジェクト」と呼ばれる大きな取り組みが進んでいるという。行政、企業、研究者、そして地域の人々が連携し、海藻を育て、新たな産業を生み出そうという試みだ。プロジェクトリーダーを平岡教授が務める。</p>



<p>1日で3〜4倍に増える海藻を使った紙や繊維、食用ゼリーの開発、海藻由来の生分解性プラスチック、牛など反芻動物の飼料に微量添加することで牛たちのゲップに含まれるメタン排出を９割減らすカギケノリの研究など、海藻は未来の素材として期待されている。さらに、海藻1トンがCO₂を1トン吸収するという特性から、海藻を育てること自体が地球環境を守る行為にもなる。こうして現在、海藻は、食材であり、資源であり、未来をつくる素材として、世界的に注目を集めている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54708/">失われゆく藻場と、育て直す未来。「高知大学･総合研究センター海洋生物研究施設」が描く海の再生／高知県土佐市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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