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	<title>加工品 - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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		<title>南高梅を世界へ、次世代へ。「紀州高田果園」高田智史さん／和歌山県日高郡みなべ町</title>
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		<pubDate>Sun, 18 Oct 2026 10:08:27 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/8fec976f201fa3e992d6b4659b3fae11.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>和歌山県みなべ町で、明治35年（1902年）から梅を育て続ける「紀州高田果園」。日本を代表する梅の品種・南高梅（なんこううめ）の発祥農園として、梅の有機栽培や加工を通して“本物の味”を追求する。代表取締役・高田智史さんが [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/8fec976f201fa3e992d6b4659b3fae11.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>和歌山県みなべ町で、明治35年（1902年）から梅を育て続ける「紀州高田果園」。日本を代表する梅の品種・南高梅（なんこううめ）の発祥農園として、梅の有機栽培や加工を通して“本物の味”を追求する。代表取締役・高田智史さんが、梅を世界へ、次世代へ繋ぐために重ねる挑戦とその思いに迫る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">江戸時代から続く梅の栽培地で育む、南高梅</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/703df56be39395255c6ca7df667f3b27.jpg" alt="" class="wp-image-55426" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/703df56be39395255c6ca7df667f3b27.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/703df56be39395255c6ca7df667f3b27-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/703df56be39395255c6ca7df667f3b27-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>収穫量は61年連続1位、国内収穫量の約6割を占める、梅の一大産地・和歌山県。中でも県中部に位置するみなべ町・田辺（たなべ）市一帯は、県内でも随一の梅の生産量を誇り、栽培の歴史は江戸時代にまでさかのぼる。</p>



<p>太平洋に面し、温暖な気候ながら、急傾斜の山林と岩混じりの痩せた土地が多かったことから、稲作には不向きだったみなべ・田辺エリア。江戸時代、このエリアを治めていた紀州藩田辺領主・安藤直次が、政策として、山頂付近に薪炭林（しんたんりん）を残し、山裾に梅林を開墾したのが梅栽培の始まり。</p>



<p>薪炭林が山の保水力を高め、山に生息するミツバチは梅の受粉に大きな役割を持つことから、同エリアの梅はすくすくと育ち、一大産業に。400年以上たった今もなお、地域の人々の暮らしを支える存在だ。2015年には、画期的な農法と梅産業から広がる文化・景観が評価され、「みなべ・田辺の梅システム」として、国連の専門機関・国連食糧農業機関が、世界農業遺産に認定している。</p>



<p>ほのかに紅色に染まった美しい実は大粒で、厚い果肉と柔らかな皮、フルーティーな香りが特徴のみなべ・田辺エリアの主力品種・南高梅。和歌山県が生産する梅の約８割が南高梅で、全国的にも知名度の高い品種だ。</p>



<p>その南高梅の“生みの親”が、1902年からみなべ町で梅栽培を続ける「紀州高田果園」。代表取締役・高田智史さんは、「私の祖父である、創始者・高田貞楠（さだぐす）が植えた梅の苗木が、南高梅の始まりです」と。</p>



<h3 class="wp-block-heading">梅農家が植えた１本の木が、日本を代表する品種「南高梅」に</h3>



<p>南高梅が誕生するまでのみなべ・田辺エリアでは、各農家で栽培する梅の品種は異なり、その数は多岐にわたった。「高田果園も、祖父が植えた梅の木の中でも、美しく大粒の梅が豊かに実る1本を“高田梅”と呼び、接ぎ木をしながら数を増やし、大切に育てていました」と高田さんは振り返る。</p>



<p>そんな中、1950年、産地のブランド力の向上や高品質の梅を安定して生産するため、この地に適した品種を一本化することを目的に「梅優良樹調査委員会」が設立。当時、地域で栽培されていた114種類の品種を対象に、「収穫量の安定性」や「実の品質」「みなべ・田辺エリアの風土への適応性」「栽培のしやすさ」などの観点から、同委員会が優良品種を調査。5年にも及ぶ審査の結果、「最も風土に適した最優良品種」と評価されたのが高田梅だ。その後、繁殖のための母樹（ぼじゅ）選定に協力した地元の高校「南部（みなべ）高校」の“南”と「高田梅」の“高”から、新たな品種は「南高」と名付けられ、1965年に種苗名称が登録。高田果園の1本の梅の木が、いまや「梅干といえば南高梅」といわれるほどの知名度にまで広がった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">南高梅発祥農園として、有機栽培で極上の一粒を</h2>



<p>梅の栽培から加工、販売まで手掛ける高田果園では、10年以上前から有機栽培に取り組み、現在は約9ヘクタールある自社農園の8割で、化学肥料や農薬を使用せず梅を栽培。同社の梅は、自然の力を生かして育てられた農産物に与えられる国家規格「有機JAS」の認証を受けている。</p>



<p>有機栽培を続けるのは、「南高梅発祥農園として、極上の一粒を届けたい」という、高田さんの強い思いからだ。手作りの堆肥で土壌を育て、実に日光が当たるよう剪定し、細かな手間を惜しまず栽培された木には、大粒で美しい実が豊かに実る。</p>



<p>高田果園では、まだ実が固い状態の青梅と、黄色に変わり柔らかな完熟梅の両方を収穫し、それぞれの特性を生かして加工する。例えば、主力商品である梅干には、まろやかな味わいと滑らかな食感に仕上がる完熟梅を。梅酒にはさわやかな香りの青梅とコクを生む完熟梅をブレンドしている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">塩漬けまでのスピードが命。完熟梅の梅干</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/74bfd974ecc7bb2fbdc983a48a0320e2.jpg" alt="" class="wp-image-55427" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/74bfd974ecc7bb2fbdc983a48a0320e2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/74bfd974ecc7bb2fbdc983a48a0320e2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/74bfd974ecc7bb2fbdc983a48a0320e2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>梅干に使用する梅は、木から捥（も）いだものではなく、熟れて自然落下した実だけを使用する。その理由を、高田さんは「樹上でギリギリまで育ち、熟して落ちた瞬間が、我々にとっては“完熟”のサイン。香り・皮・果肉どれをとっても別格です」と話す。生の実を食べてもほのかに甘みを感じるほどだという完熟した梅は、桃のような甘い香りが漂い、薄い皮と柔らかな果肉を併せ持つ。梅干しにすると、まろやかさが際立ち口当たりも滑らかな仕上がりに。</p>



<p>しかし、果肉が柔らかいということは、その分、実が傷むのも早いということ。高田さんたちは、落下した梅を「1秒でも早く」という思いで、天候に関わらず収穫し、必ずその日のうちに塩漬けする。梅農家に言わせると、完熟梅は生ものと同じくらい足が早いものだそうで、スピーディーな収穫と塩漬けが品質に直結する。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/04f3a30ff298fcc5f245d3533e53fbb5.jpg" alt="" class="wp-image-55428" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/04f3a30ff298fcc5f245d3533e53fbb5.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/04f3a30ff298fcc5f245d3533e53fbb5-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/04f3a30ff298fcc5f245d3533e53fbb5-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>梅干は、天然塩だけで仕上げる「蔵出し白干梅」をはじめ、自社で有機栽培する紫蘇（しそ）に挟んで漬けた「昔ながらのしそ梅干」、大粒南高梅とアカシアはちみつを使用した「絹梅」、百花はちみつを使用した「真心」など、全8種類を製造。昨今、保存技術の向上や嗜好の変化から、塩分濃度が低いものや、はちみつ、だしなどの調味液で漬けた調味梅干が好まれる傾向にあるが、同社では蔵出し白干梅や昔ながらのしそ梅干もリピーターが多い人気商品。有機梅のおいしさが際立つよう、ともに塩分は18％。酸っぱさの中にもまろやかなコクが感じられる逸品だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">海外の品評会でも高評価。世界に通用する梅酒を目指して</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="639" height="426" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/ae972e1c4c4254459ffa73181be35f8e.jpg" alt="" class="wp-image-55430" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/ae972e1c4c4254459ffa73181be35f8e.jpg 639w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/ae972e1c4c4254459ffa73181be35f8e-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 639px) 100vw, 639px" /></figure>



<p>2008年、みなべ町は「梅酒特区」に認定。みなべ町産の梅を使って町内で梅酒を作る際は、酒製造免許に必要な最低製造量が緩和されたことをきっかけに、高田果園は2011年から梅酒造りを始めた。</p>



<p>梅酒造りで高田さんが大切にしているのは、素材の味わいがストレートに感じられるシンプルなおいしさ。製造する梅酒は一貫して味・色・香りなどの調整はせず、自社栽培の有機梅と砂糖、アルコールだけを使用。同じ年に収穫した梅だけで仕込むので、香りや酸味、コクなど、製造年ごとの変化が楽しめるのが特徴だ。</p>



<p>現在、同社で製造する梅酒は4種類。その中でも、有機梅と国産のブランデー、氷砂糖で仕込み、7年以上熟成させた「熟成梅酒 高田 TAKADA」は、フランスで開催される、日本の酒類を対象とした品評会「Kura Master（クラマスター）」の梅酒コンクールで、2025年度にプラチナ賞と優秀賞を獲得した自信作の一つ。高糖度による“重み”が強い梅酒が多い中、「熟成梅酒 高田 TAKADA」はしっかりと最後にキレが現れるのが特徴。雑味のない有機梅の良さがブランデーに溶け込んでいる。</p>



<p>高田果園では、2023年以降、自社の梅酒を積極的に国際的な品評会へ出品している。高田さんはその理由を「梅酒は世界で通用するのか？という疑問から」と。ヨーロッパで活躍するソムリエやシェフ、一流ホテルの関係者らが味や香りを審査する「Kura Master」は、欧州市場への発信力が強い品評会でもある。今回、上位３銘柄に与えられる優秀賞に「熟成梅酒 高田 TAKADA」は選ばれたものの、高田さんは「世界の人に梅酒を飲んでもらえているかといえば、まだまだ。常にさらにいい味を求めて、チャレンジは続けていきたいですね」と、さらなる高みを見据える。</p>



<p>そんなチャレンジ精神から生まれたのが、最高級ラインの梅酒「貞楠」だ。創始者の名前を冠した同酒は、有機梅・ブランデー・氷砂糖をオーク樽で熟成させた原酒に、さらに新たな梅を漬け込む二段仕込みを採用。「梅酒の概念を変える一杯」をコンセプトにした、樽由来のバニラ香を感じる、ふくよかで深い味わい。こちらの銘柄は、イタリア人のソムリエらが、イタリア料理との相性・デザインなどを多角的に審査する日本の酒類の国際品評会「ミラノ酒チャレンジ2025」で最上位の「マニフィカ賞（各酒カテゴリーのプラチナ賞の中でも最も優れた一本に贈られる特別賞）」 を受賞している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">本物の味を世界に、次世代に。</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/70464bd542a33091daa8e0620195c8dc.jpg" alt="" class="wp-image-55431" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/70464bd542a33091daa8e0620195c8dc.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/70464bd542a33091daa8e0620195c8dc-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/70464bd542a33091daa8e0620195c8dc-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本では古くから食文化の一つとして親しまれてきた梅だが、その価値は世界でまだ十分に知られていない。南高梅の発祥農家として、梅の魅力を世界へ伝えていくことが、高田さんの大きな夢だ。</p>



<p>梅の木は、植えてすぐに豊かな実を成すものではない。長期熟成の梅酒もまた、完成までに長い年月を要する。今始めた取り組みの成果を、すぐに自身が目にできるとは限らないが、「これからに繋がる仕掛けはどんどんしていきたい」と高田さんは意気込む。実直に梅と向き合い、新たな商品を生み出し、国内外に南高梅の魅力を伝えていく。その挑戦は、梅の木を大切に育ててきた祖父・貞楠の思いを受け継ぎ、次の世代へ渡していくことにも繋がる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/703df56be39395255c6ca7df667f3b27-1.jpg" alt="" class="wp-image-55432" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/703df56be39395255c6ca7df667f3b27-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/703df56be39395255c6ca7df667f3b27-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/703df56be39395255c6ca7df667f3b27-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>南高梅の礎となった母樹は、樹齢130年を超えた今も、高田果園の農園で毎年花を咲かせ、実を結ぶ。一本の梅の木から始まった南高梅の物語は、その枝を世界へ、そして次の時代へと伸ばし続けている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55418/">南高梅を世界へ、次世代へ。「紀州高田果園」高田智史さん／和歌山県日高郡みなべ町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>柚子飲料「ごっくん馬路村」が代名詞になった辺境の村。「馬路村農協」の挑戦 ／高知県安芸郡</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 30 Sep 2026 03:40:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[柚子]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/uma-N.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県は、全国生産量の約半分を占める“ゆず王国”として知られている。年間およそ1万トンという圧倒的なシェアを誇り、その存在感は群を抜く。なかでも馬路村（うまじむら）は、高知県内での生産量こそ5番目ほどだが、柚子飲料「ごっ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/uma-N.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県は、全国生産量の約半分を占める“ゆず王国”として知られている。年間およそ1万トンという圧倒的なシェアを誇り、その存在感は群を抜く。なかでも馬路村（うまじむら）は、高知県内での生産量こそ5番目ほどだが、柚子飲料「ごっくん馬路村」や、ぽん酢しょうゆ「ゆずの村」といった人気商品によって、全国的に名を馳せている。</p>



<p>かつては林業を主な生業としていた山間の小さな村は、この60年あまりで、多くの人を惹きつける“ゆずの村”へと変貌を遂げた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">森林率96％の村の分岐点 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="549" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others19.jpg" alt="" class="wp-image-55239" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others19.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others19-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others19-768x511.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>馬路村へは、高知市から東方面へ車で約1時間半。くねくねした山道を奥へ奥へと走り続け、ようやくたどり着く。日本屈指の多雨地帯だ。周囲をぐるりと1千メートル級の山に囲まれた村の森林率は96％。家々と畑は、残り4％のわずかな谷間の平地に、寄り添うように並ぶ。</p>



<p>「本当に山奥なんです」と笑うのは、村の産業を担う馬路村農業協同組合の組合長を務める長野桃太さんだ。</p>



<p>村は、戦国時代より銘木「魚梁瀬杉（やなせすぎ）」を産出し、豊臣秀吉にも献上してきた歴史を持つ。最盛期には3,500人が暮らしていたという。しかし、昭和20年代以降、戦後復興のためのダム建設、森林鉄道の廃線、輸入材の流入など、時代の波に抗えず林業は衰退した。そして、選んだ新しい道が「柚子」だった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">60年前から始まった、小さな柚子の挑戦 <strong> </strong></h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="551" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others02.jpg" alt="" class="wp-image-55240" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others02.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others02-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others02-768x513.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>長野さんによれば、そもそも柚子は高知県を含む四国に、“平家の落人（へいけのおちうど）”が種を持ち込んだと伝えられており、馬路村にもおよそ800年前に伝来したという。柚子は海沿いから中山間地まで比較的どこでも栽培しやすいが、産地によって品質が驚くほど異なるのだそうだ。</p>



<p>日照時間が短く、寒暖差が激しい馬路村では、柚子は小ぶりになる。しかし、その小ささこそが香りの濃さにつながる。皮ごと搾ったときに立ち上がる精油の量が多く、香りが強いのだ。それは、山深い土地が与えた“個性”だった。</p>



<p>村で本格的な栽培を始めたのは昭和38年。当初は苦労の連続だったという。</p>



<p><br>県内では後発組だったため販路を県外に求めたが、当時の日本では柚子はまだ広く知られた柑橘ではなく、評価されない日々が続いた。「どう提案すればいいのか」。村は悩み、考え抜き、そして生み出したのが、のちに全国区となる柚子飲料「ごっくん馬路村」や、ぽん酢しょうゆ「ゆずの村」だった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">田舎を売り出す、「ごっくん馬路村」の誕生 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others37.jpg" alt="" class="wp-image-55241" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others37.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others37-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others37-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>柚子を使った商品の開発はできたが、それから販路を広げるのにも苦労した。昭和60年代、村は大きな決断をする。都会を追いかけるのではなく、“馬路村という田舎を価値にする”方向へ舵を切ったのだ。</p>



<p>「デザイナーさんと話して、『田舎を売ろう』と決めたんです」。大きな決断だった。</p>



<p>パッケージには、馬路村の素朴な空気をそのまま閉じ込めた。ネーミングは「ごっくん馬路村」。スーパーのバイヤーからは「何のジュースか分からない」と酷評されたが、決断を貫いた。</p>



<p>材料は、柚子とハチミツと水だけ。賞味期限はわずか4ヶ月。「メーカーではなく産地であれ」という哲学が、味にも姿勢にも宿る。流通のしやすさや賞味期限の長さを優先するメーカー的な発想ではなく、柚子の本質的な品質にこだわる。それは、産地としての誇りだった。</p>



<p>すると、徐々に商品が売れ出した。やがて、資金が乏しい中で村の自然を活かしたテレビCMを制作する。それが県内で話題となり、「ごっくん馬路村」は高知を代表する飲料へと育っていった。CMは、小さな村が自分たちの暮らしを商品化した転換点だった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ファンとの、温かみのあるコミュニケーションを大切にし続ける</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/24umaji-085015-1.jpg" alt="" class="wp-image-55242" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/24umaji-085015-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/24umaji-085015-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/24umaji-085015-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「ごっくん馬路村」は販売から30年ほどをかけて全国区の商品に成長し、村のゆず加工品全体の売り上げは年間30億円になった。以来20年間、その売り上げを維持する。「村内のゆずで安定的に生産ができて、ゆず農家にも村にも還元できる目安が30億円から35億円の間ぐらいです。他産地の原料を取り寄せて生産量を増やそうは考えていません」と長野さん。農協では2006年から、製造ラインを公開する「ゆずの森加工場見学」を実施。また、顧客対応を担うコールセンターでは、電話越しの“人と人とのやりとり”を大切にしている。</p>



<p>「馬路村のファンでいてくださる方は、機械的な応答ではなく、私たちの“声”を求めてくださっていると感じます。『最近の馬路村の景色はどう？』と尋ねられることもありますし、そんな会話のキャッチボールができるのは、この村のコールセンターならではだと思います」と長野さん。</p>



<p>村は、現在もぶれることなく「田舎らしさ」を届け続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">小さな村がつくる“大きな産業”</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others40.jpg" alt="" class="wp-image-55243" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others40.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others40-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others40-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>柚子の加工品づくりは、単なる特産品づくりではない。村の雇用を生み、暮らしを支える“産業化”だった。村役場と農協、そして生産者が一緒になって、林業に代わる大きな産業にしようと取り組んできたと、長野さんはいう。</p>



<p>「原料を売るだけでは、雇用は生まれません。加工することで、村の中に仕事が生まれるんです」。</p>



<p>現在、馬路村農協の職員は約90名。人口700人台の村で、これだけの雇用を生み出しているのは驚異的だ。ポン酢、ドリンク、ジャム、マーマレード、柚子胡椒──100種類を超える商品が村の工場で生まれている。</p>



<p>最近のヒットは、缶チューハイだ。添加物なしで柚子の味を再現するという馬路村らしいこだわりで、長野さんは「自分たちが納得できる柚子チューハイを完成させました」と嬉しそうに話す。販売数はすでに1万2000ケースに到達する。</p>



<p>さらに、柚子の種から抽出した「種子油」を使った化粧品も人気だ。「使い道のなかった種を活かすことで、また農家に還元できます。無駄なく使うという取り組みは、力を入れていきたいですね」と長野さん。柚子は、村の未来を支える力になっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">有機栽培という誇り </h3>



<p>馬路村の柚子は、2001年から全量が有機栽培。化学農薬も化学肥料も除草剤も使わない。</p>



<p>「皮ごと使うからこそ、安心して食べてもらいたい。それが有機栽培を選んだ理由です」。</p>



<p>ただし、有機栽培は見た目の“黒点”が出やすく、市場では不利になることもある。それでも村は、自然に近い柚子づくりを貫いてきた。</p>



<p>「柚子茶や皮製品では、有機の価値が伝わりやすい。これからは、見た目より“安心”を選んでもらえるようにしたい」と長野さん。</p>



<p>村では、杉の外皮と柚子の搾りかすを混ぜて発酵させた堆肥も作っている。山の恵みを循環させる、馬路村らしい取り組みだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">柚子が照らす未来、村が向かう先 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="619" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others01.jpg" alt="" class="wp-image-55244" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others01.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others01-300x225.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/umaji-others01-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>柚子産業によって、馬路村は“豊かに暮らせる村”になった。現在、兼業を含めて190軒の柚子農家がいるという。柚子は加工原料として扱うため、75歳や80歳の人でも続けやすいというメリットがある。高齢者の場合、年金に加え、柚子から得られる副収入が100万〜200万円あれば、山の暮らしは十分に成り立つそうだ。村では農協や役場などで雇用があるため、若い人も意外と多いのだという。</p>



<p>「実は私もIターンでこの村に来たんですよ」と長野さんはにっこり笑う。「馬路村は人口700人台の本当に田舎です。けれど、しっかりとしたビジネスの母体がある。700人規模の市町村の中で、こんな地域はまずないのかなと思っています。中山間地での田舎暮らしとビジネス、いずれかを選んでもいいし、両方楽しむこともできます。さらに兼業で農業も可能というのは、特殊でしょう。加えて、衰退したとは言え林業もあり、若い人が山で働くようになったケースも見受けられます。暮らしやすさと、やりがいをPRしていきたいです」</p>



<h3 class="wp-block-heading">「馬路村に住んでよかった」と思える人を増やしたい</h3>



<p>しかし、人口減少は続いている。柚子だけでは解決できない課題もある。長野さんは、「これからは、農協が村の課題を解決する存在になりたい。教育や福祉にも取り組んで、村の豊かさを守っていくことが私たちの役目だと思っています。村に住んでよかったという人を増やしたいですね」と将来を見据えていた。</p>



<p>馬路温泉はスノーピークと協働でリノベーションをする計画が進んでいる。年間6万人を超える観光客をさらに集客したい。「柚子は11月だけですが、精油は一年中あります。柚子の香りを使った温泉も面白いと思います」と、長野さんの構想は広がる。</p>



<p>日本各地で過疎化に悩む山村がある。馬路村は、主要産業の転換を図り、山深い村の個性を売り出すことで豊かに暮らす道をつくった。人口700人の村の挑戦はこれからもまだまだ続く。その未来に目が離せない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55231/">柚子飲料「ごっくん馬路村」が代名詞になった辺境の村。「馬路村農協」の挑戦 ／高知県安芸郡</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>世界初の地下海水を使った青のりの陸上栽培で、海藻の食文化と豊かな海の継承を目指す「合同会社シーベジタブル」／高知県高知市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54923/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 28 Jul 2026 02:40:13 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[陸上栽培]]></category>
		<category><![CDATA[すじ青のり]]></category>
		<category><![CDATA[黒海苔]]></category>
		<category><![CDATA[青のりしょうゆ]]></category>
		<category><![CDATA[シーベジスタンド]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-145615-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>近年、海水温の上昇により海藻が海で育たない「磯焼け」という現象が世界的に海洋環境の問題となり、日本国内の海の天然の藻場（もば）は年間で東京ドーム千二百個分が消えているとも言われる。海の生態系の土台が揺らぎ、漁業全体に影響 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54923/">世界初の地下海水を使った青のりの陸上栽培で、海藻の食文化と豊かな海の継承を目指す「合同会社シーベジタブル」／高知県高知市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-145615-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>近年、海水温の上昇により海藻が海で育たない「磯焼け」という現象が世界的に海洋環境の問題となり、日本国内の海の天然の藻場（もば）は年間で東京ドーム千二百個分が消えているとも言われる。海の生態系の土台が揺らぎ、漁業全体に影響を及ぼしている現状に危機感を覚えた高知県の「合同会社シーベジタブル」（以下、シーベジタブル）は、2016年に世界初となる地下海水を用いた青のりの陸上栽培をスタートさせた。全国各地に地域のパートナーと共に海藻ファームを展開して意欲的に陸上栽培と海面栽培に取り組むことで、豊かな海と海藻の食文化を残そうとしている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">四万十川から消えた青のりを陸上栽培する</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-143652.jpg" alt="" class="wp-image-54929" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-143652.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-143652-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-143652-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>青い空から降り注ぐ強い日差しと温暖な気候で知られる高知県。東西に細長い地形で、南側は太平洋に面し北側には四国山脈がそびえる。シーベジタブルの陸上拠点では、青のりの中でも最高級品種として知られる「すじ青のり」が世界初の陸上栽培技術で育てられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">大学時代から抱いた、大好きな海への想い</h3>



<p>共同代表の蜂谷潤さんは岡山県出身で、高知大学に在学中から“海洋深層水を活用したアワビ類及び海藻類の複合養殖”ビジネスプランを構想。共同代表の友廣裕一さんの協力を得て、事業化に向けた実証研究を行っていた。海洋深層水とは、高知県の室戸沖の水深320〜374メートルの深さから汲み上げるため、年間を通して約10度と低温で安定している海水だ。</p>



<p>蜂谷さんは、もともと海に潜り、間近で見る魚を獲ることが好きだったという。「毎年同じ場所に潜るたびに、魚の数が目に見えて減っていきました。魚が多く集まる場所には必ず海藻があると気づき、海に魚を戻したいという想いから海藻の研究に打ち込んでいきました」。</p>



<p>温暖化による海水温の上昇は、魚の生息域を変え、高知県の海藻産業にも影響を及ぼしていた。最後の清流と呼ばれる四万十川（しまんとがわ）の河口付近の、淡水と海水が混じり合う汽水域（きすいいき）は、国内一の「すじ青のり」の天然漁場だったが、2020年には漁獲量がほぼゼロになった。河口域の水温の上昇と、水揚げの低下が比例しているとされている。<br></p>



<p>蜂谷さんは、天然で採れなくなったすじ青のりを復活させようと、立ち上がった。海域で海藻が育たなくなったのであれば、陸上で育てよう、海藻の食文化を絶やさないために挑戦をしてみようと、想いは深まっていったという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">太平洋のそばに造られた大水槽で、すじ青のりが漂う</h3>



<p>太平洋を臨む海沿いにあるシーベジタブルの陸上拠点を訪ねると、いくつも並ぶ巨大な円形水槽に驚かされる。一番大きいものは直径が約25メートルと、小学校のプール程度の長さがある。</p>



<p>すじ青のりは、成長が驚くほど早く、条件が整えば一日で倍ほどの大きさになることもあり、朝と夕方で姿が変わるほどの生命力を持つのだそうだ。水槽は4つのサイズがあり、約1週間ごとにサイズの大きな水槽へ育ったすじ青のりの移し替えを行う。</p>



<p>「収穫するサイズがこれぐらいだったら美味しいという大きさがありまして、その大きさに育つように逆算して４つのサイズの円形水槽を造りました」と、蜂谷さん。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「地下海水」を汲み上げ、攪拌を続ける</h3>



<p>水槽には「地下海水」が満たされ、海藻の成長に理想的な環境が一年を通して維持されているという。地下20メートルから汲み上げる「地下海水」は、海から砂などの地層を通ることで自然に濾過され、清浄で安定した水温を保つことができるのだ。また、雨が降れば淡水が混ざり、晴れれば光合成が進む。海と川が交わる汽水域を好む海藻にとって、この場所は自然に近い環境なのだ。</p>



<p>さらに水槽に張られた「地下海水」は、ゆっくりと円を描くように回っていた。すじ青のりは藻体の表面から栄養を吸収し、光合成によって成長するため、常に水が流れ、光が均等に当たる環境が欠かせないという。そもそも海藻は通常は石や岩などの基物に付着器を張ることで正常に育つが、ここのすじ青のりは、海藻同士を互いに付着させている。根の位置にあたる付着器を中心に放射状に広がり、まるで細い糸が束になったような姿で水中を漂わせて育てることで、均一な大きさに育っていくのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">海での栽培とは異なる可能性を秘める、陸上栽培</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/30f7a9072ee79892718673e85bbd30c0.jpg" alt="" class="wp-image-54930" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/30f7a9072ee79892718673e85bbd30c0.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/30f7a9072ee79892718673e85bbd30c0-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/30f7a9072ee79892718673e85bbd30c0-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>水槽に手を入れさせてもらうと、緑のすじ青のりが、ふわりと揺れて指先に触れた。生のまま口に含むと、みずみずしい青さが広がる。乾燥させたすじ青のりはより鮮やかな緑色に変わり生よりも香りが強いという。生のすじ青のりを天ぷらにして食べると聞いたが、いずれにしても海藻本来の清々しさが際立ちそうだ。</p>



<p>すじ青のりは、北海道から沖縄まで広く分布するため、同じ種でも温度に対する耐性や成長速度など性質が地域によって違う。シーベジタブルは、高知で陸上栽培を始めるにあたって、性質特性はもちろん、食材としての香りや食感に優れたエリートの株をにこだわり、全国のすじ青のりの中から選抜を行い、試行錯誤を重ねてきたそうだ。</p>



<p>今度は、蜂谷さんのお勧めの食べ方を試してみる。袋に入った薄い塩味のポテトチップスに陸上栽培したすじ青のりの粉末を振りかけると、磯の旨味や深い香りが感じられた。陸上で育てることで栄養管理が行き届き、香りや旨味がより濃くなるという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">青のりだけにとどまらない、未来への展望</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-155658.jpg" alt="" class="wp-image-54931" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-155658.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-155658-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-155658-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>海藻は胞子で増えるため、種類ごとに発芽や成長の条件が異なる。シーベジタブルでは一つひとつの特性を解き明かしながら、最適な育成方法を探る研究が続けられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">黒海苔の栽培も本格始動</h3>



<p>日本の食文化を支えてきた黒海苔の陸上栽培技術も確立した。2025年度には、黒海苔の陸上栽培での量産（乾燥重量300kg以上）に成功し、2026年度から量産に向けた準備に入る予定だという。</p>



<p>蜂谷さんは、「黒海苔に関しては世界に向けてすごく大きなマーケットがあるので、まず、陸上で生産する技術を確立して、その技術を沿岸部で仕事を失いつつある漁師さんや企業の方々に提供することで新たな生業を生み出したい。並行して、日本は地域ごとに独自の海藻が存在しており絶滅の危機にある種類も少なくないのですが、そうした海藻を再び陸上で種苗を育て、それぞれの地域で海に戻して養殖藻場をつくっていくことも考えています」という。最終的には、海に海藻がある状況を取り戻したいのだ。</p>



<p>ただ、日本人の一人あたりの海藻の消費量は、食の多様化とともに30年前の約半分ほどにまで落ち込んでいる。かつては和食とともに自然に食卓へ上がっていた海藻も、洋食や中華が日常に広がる中で存在感を失いつつある。蜂谷さんは「海藻の可能性は和食にとどまりません。青のりはピザにもよく合い、ポテトチップスに振りかければ驚くほど豊かな香りが広がります。これまで試してこなかったジャンルにこそ、消費の落ち込みという課題を解決するヒントがあると感じているので、いろいろ検証を行い発信していきたいです」と語る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">すじ青のりでつくる醤油を開発、海藻専門店をオープン</h3>



<p>新たな挑戦のひとつが、すじ青のりからつくる「青のりしょうゆ」だ。大豆や小麦を使わず、青のりと塩、米だけを発酵させてつくる調味料だ。淡い琥珀色を帯びている。口に含むと海の香りが立ち上がり、魚介との相性は抜群だ。グルテンフリーで大豆も不使用であることから海外からの問い合わせも多く、海藻の新たな価値を示す存在となっている。</p>



<p>東京駅近くには、海藻料理を専門に扱う「シーベジスタンド」をオープンさせた。すじ青のりポテト、熊本などで昔から食されてきた幻の赤い海藻「みりん」を使った料理、海藻を贅沢にのせたラーメンなど、海藻の魅力を多角的に伝える拠点だ。海藻を“食べる文化”を再び広げる試みが、ここから始まっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">成功の鍵を研究者が握る</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-160456.jpg" alt="" class="wp-image-54932" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-160456.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-160456-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-160456-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>シーベジタブルの事業の鍵を握るのがラボだ。ラボは、すじ青のりの陸上栽培を支える最重要な第一工程を担う。ラボで、採取・育成された青のりは約1ヶ月で陸上拠点に移り、さらに1ヶ月間育てられた後に収穫されるという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">気の遠くなるような、胞子の選り分け作業</h3>



<p>「陸上栽培を成功させるためには、まず、すじ青のりの親から出てくる胞子を安定的に取り出して、それを死なせず生き残らせて育てていくということが一番大事です。そこで死んでしまうと、当然、栽培場に送り出すものがなくなるわけですから。バクテリアとか青のりの胞子に害を与えるようなものを取り除いて、育て上げるということが重要になってきます」と話すのは研究者の和（にぎ）さん。</p>



<p>すじ青のりの栽培において最も困難なのは、年間を通じて安定して胞子を供給するために、親株を常に健康な状態で維持し続けること。そして、親株から胞子を取り出し、死なせずに安定して成長させるプロセスだという。胞子を健全に育てるためには、バクテリアなどの有害な不純物を徹底的に排除し、適切な温度管理を行う必要がある。</p>



<p>和さんが、小さなシャーレを手に言う。「最初は本当に10ミクロンぐらいの、丸いつぶつぶなんです」。10ミクロンとは、0.01ミリ。肉眼では見えない胞子も、顕微鏡を覗けば確認することができ、数日後には青のりらしい姿で生長する様子が見られるそうだ。</p>



<p>和さんは、ピペットで約10ミクロンの胞子を丁寧に吸い取ることを何度も繰り返して“純度の高い胞子”だけを取り出していく気の遠くなるような繊細な作業を行っていた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">シーベジタブルを支える研究者</h3>



<p>さらに、和さんは「天然の海苔は秋から春先までが収穫期で、夏は成長が止まるため収穫には適しませんでした。ですが、陸上栽培で施設を最大限稼働させるためにも、温度耐性の違う株を組み合わせて育てる必要があります。ですので、同じすじ青のりでも、北海道から沖縄までさまざまな株を100株ほど試し、適したものを見つけてきました」と話す。</p>



<p>一般的に陸上栽培は設備投資やランニングコストが大きく、採算性が重要になる。だからこそ、環境に強く、効率よく育つ株を選び抜くことが、産業として成立させるための鍵となる。研究者たちはその課題に向き合いながら、海藻の未来を切り開こうとしている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">海藻が戻ると、海の未来が変わる</h3>



<p>海藻は、海の生態系の土台を支える存在だ。天然の藻場が減少する中、一般社団法人グッドシーの調査報告書では、陸上で育てた種苗を用いて海面栽培を行うことで、栽培していない海域と比べて魚の個体数が最大約36倍に増加するという驚くべき結果が示されている。</p>



<p>海藻が増えれば魚が戻り、海が再び豊かさを取り戻す。海藻の栽培は、食文化を守るだけでなく、海の未来を支える取り組みでもある。シーベジタブルは、日本という枠を超えて、豊かな海を次の世代へ手渡す確かな力になろうとしている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54923/">世界初の地下海水を使った青のりの陸上栽培で、海藻の食文化と豊かな海の継承を目指す「合同会社シーベジタブル」／高知県高知市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>「美味しい」の一言が茶栽培の原動力。「お茶の川谷園」川谷哲也さん/大分県中津市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54845/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 13 Jul 2026 10:10:52 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[日本茶]]></category>
		<category><![CDATA[あさつゆ]]></category>
		<category><![CDATA[茶聖]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2804.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大分県北部、険しい岩山と清流が織りなす耶馬溪町（やばけいまち）の山間地に、緑の茶畑が広がっている。ここで茶葉の栽培から販売までを一手に担うのが、「お茶の川谷園」2代目の川谷哲也さんだ。静岡以西では初めて「茶聖」の称号を授 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54845/">「美味しい」の一言が茶栽培の原動力。「お茶の川谷園」川谷哲也さん/大分県中津市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2804.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大分県北部、険しい岩山と清流が織りなす耶馬溪町（やばけいまち）の山間地に、緑の茶畑が広がっている。ここで茶葉の栽培から販売までを一手に担うのが、「お茶の川谷園」2代目の川谷哲也さんだ。静岡以西では初めて「茶聖」の称号を授かり、大分の茶づくりをリードする存在として知られている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">国の事業をきっかけに、山の土地でお茶を育てる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9371.jpg" alt="" class="wp-image-54855" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9371.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9371-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9371-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川谷園の茶葉生産の歴史が始まったのは、昭和49年のことだ。もともと川谷さんの祖父は山仕事をメインに、炭焼きやシイタケ栽培といった山仕事を営んでいた。そして父の代になった頃、国の事業で茶の栽培が行われることに。祖父の代の山仕事では収益が低かったことに課題を感じていた川谷さんの父が開墾された土地に入ったことがきっかけで、茶業に関わり始めた。当初は、日本の茶畑のおよそ7～8割を占める「やぶきた」をはじめとした3〜4品種だったが、川谷さんがこの世界に入って品種の勉強を重ね、さまざまな品種を取り寄せた結果、現在はさえみどり、あさつゆ、あさのか、はるみどり、やぶきた、おくみどり、さきみどりの7品種に少量の紅ふうきを加えた、計8品種を育てるまでになった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">専門家も猛反対した「あさつゆ」への挑戦</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2697.jpg" alt="" class="wp-image-54856" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2697.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2697-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2697-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そのなかでも、川谷さんの栽培への情熱を象徴する品種がある。その圧倒的な旨みと鮮やかな緑色から&#8221;天然玉露&#8221;とも称される「あさつゆ」だ。極めてデリケートで寒さに弱いこの品種を冬の冷え込みが厳しい耶馬溪で育てることは、専門家の目には「無謀」と映り、試験場の先生からも猛反対を受けたという。それでも川谷さんは耶馬溪の自然が育むお茶の可能性を信じ、その一歩を踏み出した。</p>



<p>「当時は父親も元気だったのですが、先生から頭ごなしに”無理だ”と言われたことで、我々の反骨精神に火が付いたというのも、栽培に踏み切った理由のひとつです」と川谷さん。</p>



<p>川谷園が位置するのは標高およそ550m。茶の栽培には日中の寒暖差がある土地が向いているとされる一方、霜が降りるほど寒すぎると葉がだめになってしまう。川谷園はまさにそのギリギリのエリアであり、実際に霜害に遭うこともある。しかし川谷さんは、「厳しい環境で育った茶葉はまろやかで薫り高い良い芽になる」と言う。寒さに弱いというあさつゆの特徴は、見方を変えれば、厳しい冬を乗り越えた際にとてつもない甘みとコクを蓄えるポテンシャルでもある。逆境が、味わいの深みを生むのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統を礎に、科学で進化させた肥料へのこだわり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9338.jpg" alt="" class="wp-image-54857" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9338.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9338-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9338-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>品種への探究と並走するように、川谷さんが力を注いできたのが土づくりだ。良い茶の栽培には良い土が欠かせない。そして良い土を作るのに欠かせないものといえば、栄養を与える肥料だが、父の時代は、えごまの搾りかす、菜種かす、魚かすをそれぞれ別々に畑に撒き、また新芽を出すためには硫安という窒素肥料も別に与えていた。しかし栽培面積が広がり、肥料やりを一手に担うようになった川谷さんは、すべてを別々に行うことの難しさに気づく。そこで思いついたのが、最初から全ての材料を混ぜてひとつの肥料にする方法だ。時を同じくして、「肥料の中身から、好きなようにやっていい」と父から言われたことが転機となり、自分なりのブレンドへと踏み切ったのが5年ほど前のことだ。</p>



<p>川谷さんが辿り着いた配合には、二つの大きな工夫がある。ひとつは、従来の魚かすではなく、魚の内臓や骨を含む魚粉・骨粉を使うことだ。複雑なミネラルと旨み成分を土に蓄えるためだという。もうひとつは、植物の成長に欠かせない窒素成分を補うために、マイナス196℃の液体窒素を肥料に加えることだ。それにより生まれたのが、内容物のほぼすべてが有機素材で構成された、川谷さん独自の配合肥料である。</p>



<p>さらに、茶の新芽を出す「芽出し」のために液体肥料の「ソリュブル」も取り入れている。ソリュブルは魚の煮汁を濃縮した、ミネラルとアミノ酸が豊富な有機液体肥料で、以前使っていた硫安と比べてもお茶の味の深みや濃さが変わった気がしているという。「ただ、ソリュブルは臭いんです。魚の煮汁なので、皮膚についたら2日間くらいはいくら洗っても取れません。手についていたら、食事の時に全部その味に感じられてしまうくらい強烈で」と、川谷さんは笑いながら話してくれた。</p>



<p>伝統を大切にしながらも、科学的な探究心で磨き上げられた川谷園の一杯には、耶馬溪の厳しい風土と、それに挑み続けた川谷さんの執念が凝縮されている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">一途に続ける、手もみという技</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2812.jpg" alt="" class="wp-image-54858" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2812.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2812-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2812-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川谷園では、手もみ茶も取り扱っている。機械を一切使わず人の手だけで仕上げる手もみ茶は、江戸中期に京都宇治の茶業家・永谷宗円が考案したとされるもので、茶の葉を蒸して柔らかくした後、手でほぐし、転がし、捏ねて揉んでという作業を立ちっぱなしで行った後に乾燥させて仕上げるという工程をおよそ6時間かけて行う。出来上がった茶葉は針のように細長く、機械によって余計な力をかけられていない分、湯に浮かべると摘み取ったときの茶の葉の形に戻るという。煎れた時の色はきわめて薄く、乳白色が最上とされる手もみ茶は、口に含めばその色の薄さからは想像もできないほどの濃厚なうま味が広がる。手数の多さから量産はできず、また熟練の技術が必要なことから揉み手も減っているため、市場に出回れば手もみ茶にきわめて高い値がつく。</p>



<p>川谷さんが手もみ茶と出会ったのは、高校卒業後に国立試験場の研修生として学んでいた19歳のときだった。そこで研修同期だったのが、のちに全国手もみ茶品評会で8度の日本一に輝き、日本で初めて「永世茶聖」の称号を授かった中島毅だ。同い年の2人は切磋琢磨しながら技術を研ぎ澄ませ、やがて川谷さんも品評会の舞台に立つようになる。2011年には農林水産大臣賞（1等1席）を受賞し、静岡以西では初めてとなる「茶聖」の称号を授かった。</p>



<p>手間がかかり量産もできない手もみ茶を、なぜ川谷さんは続けるのか。そこには、過去の後悔がある。これまで2度、品評会を欠場したことがある。1度目は手もみの当日朝にぎっくり腰になったとき、2度目は手もみを続けることへの諦めの気持ちが生まれたタイミングだった。しかし、欠場して楽になった気持ちを1とすれば、「やっぱり出場しておけばよかった」という悔いが50から60ほどあったという川谷さん。品評会の結果云々という話ではなく、その年のお茶がどういうものかを感覚で確かめるためにも手もみをしよう——欠場したことで、逆に手もみの存在を実感したことが、今も川谷さんを手もみ茶へと向かわせている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「お茶らしいお茶」を、一杯の中に</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2768.jpg" alt="" class="wp-image-54859" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2768.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2768-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2768-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川谷園では手もみ茶のほか、煎茶、深蒸し茶、ほうじ茶など幅広いラインナップを揃えており、そのなかには客の声から生まれた商品も少なくない。</p>



<p>川谷さんが目指す味は、「お茶らしいお茶」だ。世の中で「おいしいお茶」といえば、往々にして甘みの強いものが注目されがちで、世間の多くの人もまた、そうした甘味の強いお茶こそを「美味しい」と口にする。かつての川谷さんも、その声に応えるかのように、ひたすらに甘みを追い求める時期があった。しかしその市場で戦い続けることへの疑問が拭えず、考え方を変えた。甘いだけではなく、キリっとした渋みと爽快感が走る。その味わいを理想に据えて辿り着いたのが、上深蒸し茶「翠」だ。毎年最初に仕上げるのもこの「翠」で、前年のものと飲み比べながら納得のいくブレンドを探るため、新茶を摘んでから商品化まで最低でも2週間ほどかかるという。物流が発展した現代では、産地に近い茶舗には摘み取りから3～5日で商品として並ぶ場合もあると考えると2週間はきわめて長いが、川谷さんのこだわりの結晶だともいえるだろう。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2858.jpg" alt="" class="wp-image-54860" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2858.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2858-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2858-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一方、「作らない」と長らく決めていたにもかかわらず、客のリクエストに折れてラインナップに加えた商品もある。玄米茶だ。緑茶は50gや100g単位でパッケージとして売られているのに対し、玄米茶は500gや1kgという大容量である場合が多い。それだけの量があると、一度玄米茶を買ってしまったらしばらくの間ずっと玄米茶ばかりを飲み、緑茶を飲む機会が減るという、川谷さん流に言うと「負の玄米茶ループ」にはまってしまう。それを懸念し、玄米茶は作らないという姿勢を貫いていたものの、熱烈なリクエストを受けるうちに「自分のところで作った玄米を使えばいいのでは」という考えに至り、作ることを決意する。</p>



<p>それが、「my玄米」と名付けられた一品だ。袋を開けて驚くのは、そこに緑茶の葉が一枚も入っていないこと。文字通り、丁寧に香ばしく弾けさせた「玄米だけ」が収められている。あえて緑茶と混ぜ合わせない。この引き算の美学が生んだのは、これまでの玄米茶の常識を覆す自由度だった。玄米茶として味わうならば、緑茶は客が自分で用意する必要がある。「my玄米」においては、「玄米茶を飲み始めると緑茶の消費が減る」という川谷さんの懸念は解決された。加えて、クルトンやあられの代わりにサラダやお茶漬けに使えるという新しい提案により、既存の玄米茶のイメージを軽やかに超えていった。さらにお湯にも水にも溶けるスティックタイプの粉末玄米茶も開発し、こちらも好評を博している。</p>



<p>粉末のお茶は、東京のジェラート屋や千葉のシフォンケーキ教室でも採用されるなど、飲むだけにとどまらない新しい消費者層の開拓にもつながっている。「飲むだけに限らないところが、茶はまだまだ夢がある商品だと感じられる」と川谷さんは目を細めた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">九州のレベルを上げ、若手を育てたい</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9322.jpg" alt="" class="wp-image-54861" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9322.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9322-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9322-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>茶の有名産地といえば静岡や狭山（埼玉県）が真っ先に思い浮かぶ。大分の名はなかなか前面には出てこない。もし自分が産地の中心で茶を作っていたら、競争に勝てなかっただろうと川谷さんは率直に語る。「おそらく今の九州で、このクラスの手もみ茶を作れるのは自分だという自負はあります。しかし全国の品評会となると歯が立たないこともある。そういう時、九州のレベルがどれだけまだまだなのかを痛感します」と、川谷さん。もちろん九州にも、全国の茶品評会で上位に入る八女市や嬉野市がある。しかし、手もみ茶ではなく別部門においてだ。手もみ茶では、狭山などに遠く及ばない。&nbsp;</p>



<p>だからこそ川谷さんが強く意識しているのが、九州の茶づくりのレベルを上げること、そして若手を育てることだ。品評会に出るには全国組織への加盟が必要だが、大分県にはその組織がなく、川谷さん自身も福岡県・八女の組織に所属している。その八女に育ちつつある若者がいる。その人物と2人で九州の手もみ会を再び盛り上げようというプロジェクトが、今まさに動き始めている。将来的には九州各県に1人ずつ全国に打って出られる作り手を育て、品評会で九州勢が一等に並ぶような未来を、川谷さんは真剣に思い描いている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「おいしいね」の言葉に力がみなぎる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2827.jpg" alt="" class="wp-image-54862" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2827.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2827-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2827-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川谷園の初代である父が亡くなったのは、2022年のことだ。父が生きていた頃は「自分がやれることを8割の力でやる」という目標を持っていたが、家業をすべて一人でこなすようになった今は、100や120の力を出さなければ間に合わないことを痛感しているという。それは決して楽ではない。しかし、同業者や客から「川谷園のお茶は美味しい」と言われるたびに力がみなぎる。市場の変化は激しく、正解のルートなどないけれど、味わいも含めて柔軟にトライし続けていく。その姿勢を川谷さんは「客の口に入るまでが戦い」と表現した。</p>



<p>ペットボトルの緑茶ドリンクに押され、生の茶葉を売ることをやめてドリンク専用工場へ向かう茶業家も増えているのが現状だ。しかし川谷さんはそこに異を唱える。「学校に行って、茶について深く学んだじゃないか」と。茶の末端価格は野菜のような大きな値崩れが起きにくい。ならば必ず、問屋や社長ではなく茶葉を育てる農家自身が儲かるための突破口があるはずだ。そう言い続け、「生産者のやり方がまだあるはず。それを考えよう」と仲間に呼びかけてきた。</p>



<p>高校卒業後の研修で同期と笑い交じりに語り合った夢は、「みんなでベンツに乗って同窓会ができるくらいになろう」というものだった。あれからおよそ25年。その夢は今、「皆で儲けて、皆で幸せに。そして、その環境を取り巻く人たちまでも幸せにしたい」という思いへと深まっている。お茶づくりを通じて人を幸せにしたい。川谷さんのお茶は、その想いとともに今日も山の茶畑から生まれ続けている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54845/">「美味しい」の一言が茶栽培の原動力。「お茶の川谷園」川谷哲也さん/大分県中津市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>失われゆく藻場と、育て直す未来。「高知大学･総合研究センター海洋生物研究施設」が描く海の再生／高知県土佐市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 24 Jun 2026 10:44:04 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[海藻]]></category>
		<category><![CDATA[陸上養殖]]></category>
		<category><![CDATA[研究所]]></category>
		<category><![CDATA[スジアオノリ]]></category>
		<category><![CDATA[アオサノリ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/26TV-133952.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>遥か遠くに見える水平線が美しい高知の海は、太陽の光を反射してキラキラと輝く。高知市中心部から車を走らせること約30分。太平洋に突き出る横浪半島の付け根、ヤシの木に囲まれた南国の風情が漂う一角に「高知大学 総合研究センター [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54708/">失われゆく藻場と、育て直す未来。「高知大学･総合研究センター海洋生物研究施設」が描く海の再生／高知県土佐市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/26TV-133952.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>遥か遠くに見える水平線が美しい高知の海は、太陽の光を反射してキラキラと輝く。高知市中心部から車を走らせること約30分。太平洋に突き出る横浪半島の付け根、ヤシの木に囲まれた南国の風情が漂う一角に「高知大学 総合研究センター」の海洋生物教育研究施設はある。<br>建物に足を踏み入れると、まず巨大な魚の標本に目を引かれる。この魚こそ、高知県を代表する日本固有の肉食魚「アカメ」。絶滅が危惧される希少種だが、高知県の四万十川河口域や浦戸湾には、現在も多くのアカメが棲息している。大きいもので2メートル近くにまで育つこの巨大魚の存在は、豊かな海や汽水域の証明とも言われてきた。しかし、今、その豊かさが大きく揺らいでいる。<br>漁師たちの「昔のように獲れない」「季節がずれてきた」という声は、海の変化が確実に進んでいることを示していた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">海藻が消えつつある海で始まった、静かな危機</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/260326_113732.jpg" alt="" class="wp-image-54714" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/260326_113732.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/260326_113732-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/260326_113732-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「世界平均では100年で0.6度、上昇していますが、高知沿岸はその約2倍のスピードで上がっています」と話すのは、海藻研究の第一人者である高知大学の平岡雅規教授。</p>



<p>高知県は温帯性の海藻の南限付近にあたり、1970〜1980年代の高知沿岸には温帯性の海藻が豊かに生い茂る「藻場（もば）」が広がっていた。藻場は海の森とも呼ばれ、稚魚が隠れ家にしたり、イカが卵を産み付けに来たりする。アワビやサザエ、ウニなどは藻場の海藻を食べて育つ。さらに、それら小魚や甲殻類を捕食する大きな魚たちがやってくる。海の生き物たちを底辺で支える海藻が豊かであることは、海の生態系の豊かさそのものを意味していた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">海水温1度の上昇が、海を劇的に変える</h3>



<p>しかし、温暖化の影響で海水温が上昇し、今、その藻場が急速に失われているという。たとえば、アオノリや昆布などの海藻は、冬の冷たい水温で成長する。しかし、生育上限温度を超えてしまうと、光合成や代謝が困難になり細胞構造の維持ができなくなる。水温が上がって生命の危機を感じた海藻は、自分が葉を伸ばして育つ代わりに次世代を残そうと胞子を放出し、体はバラバラになって消えてしまうのだそうだ。</p>



<p>また、近年は熱帯性の海藻が急速に増えた。1970年代にはほとんど見られなかった熱帯種が、80年代、90年代、2000年代と年を追うごとに勢力を広げ、今では高知で最もよく見かける海藻が熱帯種に置きわってしまったという。</p>



<p>その代表的な例として、熱帯性のホンダワラという海藻が挙げられる。もともと生えていた温帯性ホンダワラがほぼ年中繁っていたのに対し、熱帯性は温かい時期しか生えないため、水温の低い時期に藻場を利用していた魚の生活の場が失われた。</p>



<p>そして、沿岸部の環境の変化は、沖合の魚にも影響を及ぼす。沿岸に生えているホンダワラはちぎれて沖に流されることがある。その「流れ藻（ながれも）」に、高知ではブリの稚魚が集まってくる。漁師たちは、「モジャコ」と呼ぶその稚魚たちを獲って養殖に使っている。そのモジャコ漁の時期は春先に限られるのだが、熱帯性のホンダワラ類は夏場にしか流れてこない。将来的にモジャコ漁にも影響が出ることが危惧されている。</p>



<p>さらに言うと、２メートルの長さにも成長する熱帯性のホンダワラだが、食用には向かず、産業利用も進んでいない。</p>



<p>教授は「海藻は食材である前に、海の生態系を支える“基盤”です。海藻が消えれば、魚の回遊ルートも変わり、貝類の生息環境も失われます。さらには漁業そのものに影響を与えます」と言う。</p>



<h2 class="wp-block-heading">四万十川のアオノリが消えた日</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/P3012054.jpg" alt="" class="wp-image-54715" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/P3012054.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/P3012054-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/P3012054-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>特に衝撃的なのは、県内唯一の海藻産地として知られる四万十川（しまんとがわ）河口で起きた変化だ。高知の食文化を支えてきた海藻は、四万十川河口の川と海水が混じり合う汽水域で育つ、スジアオノリとヒトエグサ（アオサノリ）だった。特にスジアオノリについては、四万十川汽水域は全国一の天然漁場として知られており、1メートル以上に育ったスジアオノリが広がる様は、高知の冬の風物詩だった。</p>



<p>スジアオノリは香りが強く、お好み焼きやたこ焼きに欠かせない高級食材として知られる。ヒトエグサは佃煮や天ぷらとして親しまれてきた。しかし、温暖化による自然環境の変化はこの二つにも打撃を与えた。かつて年間10〜20トン採れていたスジアオノリは、2020年以降、天然ではゼロに。養殖されていたヒトエグサも2021年から採れなくなり、高知で唯一の海藻産業は一度、完全に姿を消した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">高知大学が世界に誇る「陸上養殖」で、海藻産業の復活を目指す</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/26TV-141017.jpg" alt="" class="wp-image-54716" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/26TV-141017.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/26TV-141017-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/26TV-141017-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>四万十川の海藻が姿を消しはじめた頃、その変化に最初に向き合ったのは高知大学の研究者たちだった。</p>



<p>「このままでは、海藻文化そのものが途絶えてしまう」——そんな危機感が、静かに大学を動かしていった。</p>



<p>状況を変えたのが、陸上養殖の技術だ。高知大学では、高知の持続可能な海藻産業を再構築するため、2004年に高知県室戸市沖合の海洋深層水を使った陸上養殖システムを開発し、スジアオノリの生産に成功する。室戸は日本でも数少ない陸上近くから海洋の深層水を取水できる場所だ。水深320〜374メートルの深さから汲み上げた海洋深層水は、年間を通して約10度と低温で安定しており、冬に採れる海藻だった青のりを一年中育てられる環境をもたらした。</p>



<p>さらに、研究は進み、胞子を一斉に放出させて、集塊化した上で培養、浮遊させることで均一に育てるという特許技術「胞子集塊法」を開発した。それにより絡まりのない高品質な種苗を安定して生産できるようになったことは、世界レベルでみても画期的だった。胞子の生存率が劇的に向上、陸上での大量生産を可能にして、産業化への道を開いたのだ。</p>



<p>スジアオノリの陸上養殖量は、当初は1トンだったが、数年間の内に3トンへと増加。現在は10トンを超え、かつて天然で採れていた量の半分以上が陸上で再生されるまでになった。ヒトエグサ（アオサノリ）の陸上養殖も大型タンクでの生産が始まりつつあり、近い将来、安定供給が可能になる見込みだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">海藻研究と陸上養殖の最先端地域に</h3>



<p>陸上養殖は設備投資が大きく、効率的に育てる技術が不可欠だが、それでも全国20カ所以上の企業が高知大学の技術を導入し、海藻の再生に取り組んでいる。さらに、藻場の再生への応用や、高水温で消失する海藻群落の復活に貢献できる可能性に期待がかかる。</p>



<p>高知の海で起きている変化は、日本全体の縮図でもある。海藻を育てることは、食文化を守るだけでなく、海の生態系を再び息づかせるための挑戦でもある。高知の海藻がたどってきた変化と、その再生に向けた歩みは、モデルケースとしてこれからの日本の海の未来を示すひとつの指標となるだろう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">食からエネルギーまで、海藻がつくる未来──高知から始まる挑戦</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/c27a3103d1cb8ddfd90f27566c6c5c9e.jpg" alt="" class="wp-image-54717" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/c27a3103d1cb8ddfd90f27566c6c5c9e.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/c27a3103d1cb8ddfd90f27566c6c5c9e-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/c27a3103d1cb8ddfd90f27566c6c5c9e-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2004年に成功した海藻の陸上養殖に始まる研究の積み重ねは、食の領域を超えて新たな可能性を広げている。 高知では今、「しまんと海藻エコイノベーション共創拠点プロジェクト」と呼ばれる大きな取り組みが進んでいるという。行政、企業、研究者、そして地域の人々が連携し、海藻を育て、新たな産業を生み出そうという試みだ。プロジェクトリーダーを平岡教授が務める。</p>



<p>1日で3〜4倍に増える海藻を使った紙や繊維、食用ゼリーの開発、海藻由来の生分解性プラスチック、牛など反芻動物の飼料に微量添加することで牛たちのゲップに含まれるメタン排出を９割減らすカギケノリの研究など、海藻は未来の素材として期待されている。さらに、海藻1トンがCO₂を1トン吸収するという特性から、海藻を育てること自体が地球環境を守る行為にもなる。こうして現在、海藻は、食材であり、資源であり、未来をつくる素材として、世界的に注目を集めている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54708/">失われゆく藻場と、育て直す未来。「高知大学･総合研究センター海洋生物研究施設」が描く海の再生／高知県土佐市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>日本海に育まれ、手摘みで受け継がれてきた天然岩のり「十六島海苔」樋野峯夫さん／島根県出雲市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 19 Jun 2026 04:14:22 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[十六島海苔]]></category>
		<category><![CDATA[岩のり]]></category>
		<category><![CDATA[天然]]></category>
		<category><![CDATA[天然岩のり]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_004.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>島根県出雲市の日本海沿いにある十六島（うっぷるい）町。ここで収獲した十六島海苔（うっぷるいのり）は、冬の荒海と向き合いながら手摘みされる天然の岩のりだ。強い風と波の中で育ち、その恵みを受け取るように続けられてきた営みは、 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54614/">日本海に育まれ、手摘みで受け継がれてきた天然岩のり「十六島海苔」樋野峯夫さん／島根県出雲市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_004.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>島根県出雲市の日本海沿いにある十六島（うっぷるい）町。ここで収獲した十六島海苔（うっぷるいのり）は、冬の荒海と向き合いながら手摘みされる天然の岩のりだ。強い風と波の中で育ち、その恵みを受け取るように続けられてきた営みは、いまも変わらずこの場所に根付いている。歴史と自然が重なり合う中で、この海苔は特別な存在として受け継がれてきた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本海の岩場で育まれ、受け継がれてきた十六島海苔</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_019.jpg" alt="" class="wp-image-54621" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_019.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_019-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_019-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>島根県出雲市の日本海に面した町、十六島。その海岸は、岬の先に大岩や奇岩が連なる独特の景観を持つ。日本海の荒波に長い年月さらされてきたその風景は、山陰でも屈指の海岸美とされる場所だ。</p>



<p>その岩場に張り付くようにして育つのが、この地の特産物、十六島海苔である。天然の岩のりで、その歴史は古く、奈良・平安時代には朝廷に献上され、江戸時代には将軍家への献上品として扱われてきたと伝えられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">自然に向き合い続ける収穫の現場</h3>



<p>そんな十六島海苔が収穫できるのは12月から2月にかけての短い期間のみ。強い季節風と荒波という厳しい環境の中で育ち、その条件がそのまま海苔の質を決める。</p>



<p>かつては村内に50軒弱の十六島海苔の生産者がいたが、現在十数軒ほどにまで減少。生産量も年間1トンに満たないと言われている。また、その多くが県内で消費されるため、県外ではなかなか味わうことができない希少な海苔でもある。</p>



<p>樋野峯夫（ひのみねお）さんは、そんな十六島海苔の収穫を続ける一人だ。</p>



<p>十六島海苔に携わってきたのは、およそ70年。一度は大阪へ出たものの、十六島海苔漁師である親からの声をきっかけにこの場所へ戻ってきた。</p>



<p>「十六島海苔は海からいただいているもの」</p>



<p>そう語る言葉には、自然とともにある仕事の本質がにじんでいた。人がつくるというよりも、海が育てたものを受け取る。その意識が、この営みを支えている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">荒波にさらされる岩場での収穫</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_012.jpg" alt="" class="wp-image-54622" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_012.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_012-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_012-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>海苔を摘む岩場へは、まず山道を15分から20分ほど歩いて向かう。細く険しい道を進み、その先に現れるのは、海に向かって傾斜した岩場だ。</p>



<p>遠くから見れば黒い岩にしか見えないその場所に、びっしりと付いているのが十六島海苔だ。近づくと岩は濡れて光り、波が当たるたびにその表情を変える。</p>



<p>岩には波が絶えず打ち付けてくるため、常に注意が必要だ。波は足元まで届き、ときには体にかかることもある。まさに命懸けの作業だ。</p>



<p>樋野さんはカッパと長靴を身につけ、淡々と作業を行う。波を受けても動じることなく、そのまま手を動かし続ける姿は、この場所で積み重ねてきた経験の深さを感じさせる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">長年の経験で波のうねりを見極める</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_024.jpg" alt="" class="wp-image-54623" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_024.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_024-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_024-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>天然の岩のりである十六島海苔の収穫は、自然の状態に大きく左右される。波が強すぎれば海苔はちぎれ、波が弱ければ十分に育たない。</p>



<p>必要なのは、強さと穏やかさが共存するわずかな条件だ。</p>



<p>収穫を行う11月から2月の日本海は、強い季節風によって海が大きく荒れる時期。岩場には絶えず波が打ち付け、海苔のぬめりで岩は滑りやすい。タイミングを見誤れば波に体を持っていかれる危険もあり、一歩間違えれば命に関わる作業だ。</p>



<p>樋野さんは、その波のうねりを見ながら、その合間を縫うようにして海苔を摘んでいく。自然のリズムに合わせて体を動かすその作業は、長年の経験によって支えられている。</p>



<p>この技術は、親の背中を見て覚えてきたものだという。見よう見まねで手伝いながら身につけ、いまもなお、その日の海に応じて判断を重ねている。</p>



<p>海苔を摘む手の感覚も重要だ。力を入れすぎれば繊維が切れ、短くなってしまう。やわらかく、しかし確実に摘んでいく。その繊細な作業の積み重ねが、海苔の品質を左右するのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">自然のままを、手作業で一枚ずつ仕上げる</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_046.jpg" alt="" class="wp-image-54624" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_046.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_046-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_046-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>早朝からの作業を終え、正午ごろに引き上げると、次は海苔を乾燥する工程に入る。</p>



<p>海苔簀（のりす）と呼ばれるすだれに海苔を広げ、自然の繊維や形を残したまま一枚にしていく。乾いたときの厚みを考えながら、手の感覚で均一に整えていく。</p>



<p>出来上がった海苔は黒く、香りが強い。やわらかく口どけの良い一般的な養殖海苔と比べ、天然の岩のりならではのシャキシャキとした歯応えのある食感と、強い磯の風味が特徴だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">出雲の食文化と海苔摘みの技を次世代へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_063.jpg" alt="" class="wp-image-54625" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_063.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_063-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_063-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>十六島海苔は、出雲地方では正月の雑煮に欠かせない存在だ。お餅が入った出汁に浮かべると、磯の香りが広がり、特別な一杯になる。</p>



<p>こうして、十六島海苔はハレの日の食として受け継がれてきた。</p>



<p>一方で樋野さんは、「お雑煮だけでなく、いろんな食べ方を知ってほしい」と話す。天ぷらや茶碗蒸し、おにぎりやそばなど、日常の中でもその風味を楽しむことができる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">受け継がれてきた営みを伝えていく</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_021.jpg" alt="" class="wp-image-54626" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_021.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_021-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_021-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>以前は夫婦で収穫作業を行っていたが、妻の美保子さんが足を悪くしてからは樋野さんが中心となって作業を担っている。波が打ち付ける岩場での一人作業は危険を伴うため、現在はともに作業する人が新たに加わり、支え合いながら収穫が続けられている。</p>



<p>この仕事は経験が必要で、簡単に引き継げるものではない。波の見極め、摘み方、作業の判断。そのすべてが長い時間の中で培われてきたものだ。</p>



<p>それでも、十六島海苔を次世代に繋いで行くために、人を育てていくことは欠かせない。ともに岩場に立つ中で、その感覚や判断は少しずつ受け渡されていく。</p>



<p>自然に委ねながら、必要な分だけを頂く。その向き合い方はこれからも変わらない。</p>



<p>この海で摘まれた一枚が、出雲や全国の食卓へ、そしてその先へと渡っていくように。十六島海苔の営みもまた、次の世代へと静かにつながっていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54614/">日本海に育まれ、手摘みで受け継がれてきた天然岩のり「十六島海苔」樋野峯夫さん／島根県出雲市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>琉球王国時代から続く木桶仕込みの天然醸造 玉那覇味噌醤油／沖縄県那覇市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54493/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 07 May 2026 10:36:55 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[味噌]]></category>
		<category><![CDATA[天然醸造]]></category>
		<category><![CDATA[天然醸造味噌]]></category>
		<category><![CDATA[王朝みそ]]></category>
		<category><![CDATA[うっちんみそ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-036.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>沖縄本島、那覇市のなかでも、特に歴史ある古い街並みが残る首里の街。首里城のお膝元で170年もの長い歳月ずっと味噌造りを続けているのは玉那覇（たまなは）味噌醤油。創業当時の製法そのまま、年季の入る木桶で天然醸造を続けている [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54493/">琉球王国時代から続く木桶仕込みの天然醸造 玉那覇味噌醤油／沖縄県那覇市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-036.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>沖縄本島、那覇市のなかでも、特に歴史ある古い街並みが残る首里の街。首里城のお膝元で170年もの長い歳月ずっと味噌造りを続けているのは玉那覇（たまなは）味噌醤油。創業当時の製法そのまま、年季の入る木桶で天然醸造を続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">沖縄でも希少な、麹から手作りをする味噌蔵</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-040.jpg" alt="" class="wp-image-54503" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-040.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-040-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-040-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>今から約120年前まで、琉球というひとつの国だった沖縄。首里城を有する首里が琉球国の中心だった。このあたりも武家屋敷が立ち並んでいた場所。そして実際、士族屋敷跡であるこの場所で、琉球王府末期の1855年〜1860年に味噌と醤油を造り始めたのが玉那覇味噌醤油だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">戦禍をくぐり抜けて残った麹菌</h3>



<p>坂道をのぼっていくと、歴史を感じさせる古い石垣が見えてくる。重厚感のある立派な石垣は戦前から残るもの。建物は沖縄戦で倒壊したが、焼けずに残った柱を防空壕の中で保存し、柱についた麹菌が玉那覇の味をつないでくれたのだそう。</p>



<p>沖縄県内でも、麹から手作りをしている味噌蔵は希少。以前は醤油も醸造していたが、設備の老朽化により10年ほど前から醤油造りは休止している。</p>



<p>米軍統治下の時代に移行した後も、首里の街だけでも、味噌や醤油を造る蔵がけっこうあったのだそうだが、1972年の日本本土復帰により、県外の製品がどっと入ってきたことによって、ほとんどが廃業してしまった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">5代目が守り続けた“すべて手作業”の味噌造り</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-035.jpg" alt="" class="wp-image-54504" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-035.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-035-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-035-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在、玉那覇味噌醤油の当主を務めるのは、6代目となる大城由美さん。5代目で2025年4月に亡くなった玉那覇有紀（ありのり）さんの長女にあたる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">手入れをしながら、年季の入る木桶で醸造する</h3>



<p>味噌を仕込むのはすべて昔ながらの木桶だ。蒸した丸大豆に、米麹、そして、沖縄の海塩のみを混ぜ合わせ、発酵、熟成させる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-016.jpg" alt="" class="wp-image-54505" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-016.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-016-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-016-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>麹室の扉を開けると、むわっとした空気が流れ出てくる。麹の発酵により36℃ほどある室内で、工場長が、ずらりと並ぶ麹箱に目を凝らしていた。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-019.jpg" alt="" class="wp-image-54506" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-019.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-019-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-019-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>写真は2日前に種麹をつけたもの。同社の味噌に使う国産米を使った米麹は種麹をつけて、4日ほどで黄色っぽく変色。そこからさらに発酵が進むと、麹室内は40℃ほどにもなるという。</p>



<p>高温多湿な沖縄は微生物が活発に働き、やはり本土に比べ発酵が進みやすいのだそう。夏場は3〜4ヶ月、冬場は6〜7ヶ月ほど発酵、熟成ののち、味噌が仕上がる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-034.jpg" alt="" class="wp-image-54507" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-034.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-034-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-034-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>看板商品である「王朝みそ」は、九州の大豆を使用している。米や大豆のほどよい甘さを感じる、まろやかな口当たりだ。他には、国外産の大豆を使った「首里みそ」、ウコンを混ぜ込んだ「うっちんみそ」、米と麦の合わせ味噌の「特選みそ」を製造している。</p>



<p>直営のほか、地域のスーパーなどで販売、そしてネット販売もしてきた。一時期は製造が追いつかず、新規のネットでの注文はストップしていたが、現在では月1〜2回のペースで販売再開できるようになってきた。</p>



<p>「うちの味噌は1000円するんですけど、1200円の送料を払ってまでも本土から購入してくれる人たちがいるんです。ありがたいですね」と由美さんは話す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">菌にとって最適な環境</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-003.jpg" alt="" class="wp-image-54508" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-003.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-003-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-003-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>年間を通して気温差のあまり大きくない沖縄は、菌の働きに適した環境。大きな桶の中では、乳酸菌や酵母菌が活発に働き、味噌の熟成中だ。ずらりと並ぶ年季の入る桶は、いびつで、漏れがあったりするけれど、できる限り丁寧に修繕を繰り返し、なるべく長く使用する。買い替えの回数を極力減らすことで、創業から続く味を守り続けている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-026.jpg" alt="" class="wp-image-54509" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-026.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-026-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-026-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>管理しやすいホーローや強化プラスチックのタンクに変えるという選択肢もあったが、木は断熱性や保温性が高いため、気温に左右されずに温度を保つことができるため、手入れをしながら何十年と大事に使い続けているのだそう。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-021.jpg" alt="" class="wp-image-54510" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-021.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-021-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/tamanahaajimiso-021-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>製造が追いつかないとはいっても、決して効率などを優先せず、これまで大事に守られてきた製法はそのまま。</p>



<p>そんな、品薄状態が続く玉那覇味噌醤油だけれど、近くの保育園の給食で食べられる味噌は途切れることなく確保している。保育園が行う食育に賛同しているからで、すぐ近くで造られる郷里のものを食べて育ってほしいという想いがあるからだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">80年ぶりに木桶を新調</h2>



<p>そして、実は2026年2月に、80年ぶりに木桶を新調したばかり。国内でも少なくなっている本土の木桶職人により、金属を一切使用せず、スギの木の板と竹釘、そして竹で編まれたタガのみで組み上げられた。100年もつとも言われる、真新しくなった木桶での味噌造りが始まる。</p>



<p>日本が誇る発酵文化、発酵調味料である味噌。全国的にも麹から作る味噌蔵が少なくなり、木桶で仕込む蔵も数えられるくらいになっている。</p>



<p>ずっと変わらない人の手による製造方法、そして、この場所ならではの環境とが織りなすことでできあがる、ここだけの味噌の味。先祖代々大事に紡いできた味を守っていくために、小さな味噌蔵の挑戦は続く。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54493/">琉球王国時代から続く木桶仕込みの天然醸造 玉那覇味噌醤油／沖縄県那覇市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>沖縄でしか味わえない特別なコーヒー「豆ポレポレ」／沖縄県沖縄市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 20 Apr 2026 11:09:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[スペシャルティコーヒー]]></category>
		<category><![CDATA[ジャパン コーヒー ロースティング チャンピオンシップ優勝]]></category>
		<category><![CDATA[ワールドコーヒーロースティングチャンピオンシップ2位]]></category>
		<category><![CDATA[バリスタ]]></category>
		<category><![CDATA[焙煎]]></category>
		<category><![CDATA[アカチチ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-040.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>歴史的にアメリカ文化の影響を受け、昔からコーヒーが親しまれてきた沖縄。そんな沖縄の「コーヒー豆」の物語もまた、新たな沖縄を知る体験のひとつだ。夜明けをむかえた沖縄産コーヒーの魅力を、「豆ポレポレ」のオーナーで焙煎士の仲村 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54345/">沖縄でしか味わえない特別なコーヒー「豆ポレポレ」／沖縄県沖縄市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-040.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>歴史的にアメリカ文化の影響を受け、昔からコーヒーが親しまれてきた沖縄。そんな沖縄の「コーヒー豆」の物語もまた、新たな沖縄を知る体験のひとつだ。夜明けをむかえた沖縄産コーヒーの魅力を、「豆ポレポレ」のオーナーで焙煎士の仲村良行さんが教えてくれた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">コザ、そして高原へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/8f5a6a66aed097dda2110af08cfb59a5-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-54351" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/8f5a6a66aed097dda2110af08cfb59a5-1024x683.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/8f5a6a66aed097dda2110af08cfb59a5-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/8f5a6a66aed097dda2110af08cfb59a5-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/8f5a6a66aed097dda2110af08cfb59a5.jpg 1170w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>「コーヒーは苦いだけでなく、チョコレートぽかったり、フルーティだったり、多種多様で面白い世界です」と話す仲村さん。沖縄県中部に位置する沖縄市に2010年に店舗を出して以降、新しい焙煎機を迎えるにあたり一度移転し、2024年には店舗の老朽化に伴い、同市内の高原地区に新店舗を構えた。</p>



<p>コザにあった旧店舗は、1950年代に建てられた沖縄ではじめて洋食を出したニューヨークレストランの跡地。その趣を活かし、見る人に歴史を感じさせてくれる、そんなデザインだった。あえて残したままの当時の看板や青さび、店内の奥に鎮座する焙煎機、思わず丁寧に呼吸したくなる店内に棲みつく香り。仲村さん自身、古いものと新しいもののバランスが心地よく、沖縄とアメリカの文化が混じり合った当時のままの雰囲気が味わえる空間を大変気に入っていた。もちろん、高原の新店舗にもそのテイストは引き継がれている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">鍛錬の先で世界で認められた、焙煎の腕</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-049.jpg" alt="" class="wp-image-54352" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-049.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-049-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-049-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>仲村さんは、大学の卒業旅行の際に出会ったベトナムコーヒーに衝撃を受け、帰国後バリスタとしての経験を積んだ。何かを始めたら極めるタイプの仲村さんは、独学で試行錯誤を繰り返す。沖縄県内では学べない焙煎技術を求め、日本全国に足を運んだ。そんな鍛錬の中で挑戦し始めたのが、「ジャパン コーヒー ロースティング チャンピオンシップ」（JCRC）だ。2017年に行われたJCRCで優勝、その後2019年イタリアで行われたWCRC（ワールドコーヒーロースティングチャンピオンシップ）に日本代表として出場し、初出場にして世界第2位に輝いた。</p>



<p>仲村さんは焙煎士として、飲みくちが綺麗であること、そして余韻の甘さを意識しているという。「浅煎りにしても深煎りにしても、あとくちが甘さで終わるように気をつかっています。」と語る。そんな仲村さんの豆を求め、今では日本全国から通う人もいる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">個性を引き出す、コーヒー豆との対話</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-030.jpg" alt="" class="wp-image-54353" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-030.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-030-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-030-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>コーヒーは嗜好品だ。人それぞれに好きなテイストがあり、飲む環境や時間によっても味わいの感じ方は変わる。仲村さんは焙煎士として品質を追い求めながら、そんな正解のない世界で、豆と対話し、そのポテンシャルや個性を引き出していく。</p>



<p>同じ農園の同じ品種であっても、収穫後のプロセス（工程）が違えば、それはまるで別の豆へと姿を変えるのだそう。例えば、果実のまま天日干しするとベリーのような濃厚な甘みとコクが宿り、水洗いで果肉を落とすとクリーンで澄んだ酸味が際立つ。</p>



<p>また、近年注目される発酵の工程も、味を左右する。酸素を遮断して微生物を活性化させることで、従来のコーヒーにはなかったワインやスパイスを思わせる複雑な芳香が引き出される。こうした無数の可変要素をコントロールし、一杯の物語を編み上げていくのが、コーヒーの面白さだと仲村さんは言う。</p>



<p>「コーヒー豆も、僕たち人間と同じでみんな同じじゃない。育った環境で個性が変わります。」と仲村さん。</p>



<p>焙煎の火の入れ方も、豆によって時間が違う。大きさ、硬さなど豆の状態を見極め、キャラクターを探りながらどのように仕上げていこうかイメージし、火の入れ方を決めていくのだという。豆の個性により、深煎りか浅煎りかだけでなく、飲み方まで変わってくる。ボディが強ければミルクに負けないカプチーノに、という具合だ。</p>



<p>収穫したコーヒーチェリー（コーヒーの果実）から、種子（コーヒー豆になる部分）を取り出し乾燥をさせる「精製」の工程に、栽培する農家さんのこだわりがある。そして、飲んだ時感じる風味や酸などのテイストは、その豆が育った土地の味がベースにある。豆との対話を大切にする仲村さんだからこそ、その豆がどこで生まれ、どのような環境で育ってきたのかを確認し、豆の水分値や発酵具合を確認する。</p>



<p>水分が抜けていくと音が変わってくる。<br>「豆ポレポレ」の豆は、そんなバトンリレーを経て、こだわりのドイツ製の焙煎機の中で熱を伝えられていく。</p>



<h2 class="wp-block-heading">世界に認められた沖縄のスペシャリティコーヒー</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-034.jpg" alt="" class="wp-image-54354" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-034.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-034-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/mameporepore-034-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そんな仲村さんに驚きを与えてくれるのが、日本ではじめてスペシャルティコーヒーの認証をとった沖縄県北部、やんばるの森にあるコーヒー農園ADAファームさんのコーヒー豆、『アカチチ』。</p>



<p>『アカチチ』は沖縄の言葉で夜明けを意味する「あかつき」が由来。これが流行りで終わらず、未来に繋がる夜明けになってほしいという思いを込め仲村さんが命名した。</p>



<p>品質のよいコーヒー豆の持つ酸の強さ、フルーツのようなテイストは、寒暖の差が生み出す。豆をぎゅっと硬くし、糖分を閉じ込め、コーヒー豆を甘くする。まさに、コーヒーも果実なのだ。しかし、沖縄は標高が低く寒暖の差が小さい。コーヒー豆を栽培する環境として恵まれているとは言えず、スペシャルティコーヒーの栽培は難しいと言われていた。では、なぜアカチチは沖縄で育ちスペシャルティコーヒーに認証されたのか。そこには、豆一粒ひと粒の完熟度にこだわるADAファーム徳田さんのこだわりと情熱がある。</p>



<p>「消費者が飲む一杯のコーヒーが、素晴らしい風味を持ち、満足できる美味しさであること」<br>日本スペシャルティコーヒー協会（SCAJ）が定義するスペシャルコーヒーの真髄は、豆の品質のみならず、生産から抽出に至る徹底した管理と持続可能性にある。その理想を体現するのが、やんばるの深い森に抱かれた「ADAファーム」の豆。 そして、生産者の想いと森の息吹を、最高の状態で私たちに繋ぐ「豆ポレポレ」の焙煎。沖縄の森で育ち、世界で認められた豆を、この島を愛する人が焙煎し、個性を引き出す。そして、それをこの土地の水を使って丁寧にドリップする。ふたりのこだわりが重なり合い、最高に贅沢な「満足できる美味しさ」が生まれる。</p>



<p>「この土地でしか作れない、世界を驚かせる一杯」を届けるために、彼らは今日も森とともに歩み、一粒の豆にその情熱を注ぎ込んでいる。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54345/">沖縄でしか味わえない特別なコーヒー「豆ポレポレ」／沖縄県沖縄市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>やんばるの森が育む世界が認めた沖縄コーヒー「ADAファーム」／沖縄県国頭村</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 22 Mar 2026 04:44:21 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[スペシャルティコーヒー]]></category>
		<category><![CDATA[ニューワールド1号]]></category>
		<category><![CDATA[ニューワールド2号]]></category>
		<category><![CDATA[コーヒー豆]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/ada-024.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>沖縄の自然豊かな土壌と植物としてのコーヒーとの出会い、そしてコーヒーを愛する仲間とのご縁。10年以上の歳月をかけて丁寧に育まれ、情熱あふれる物語が詰まった特別なコーヒー豆を作るADAファーム。沖縄らしい風味豊かなコーヒー [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54176/">やんばるの森が育む世界が認めた沖縄コーヒー「ADAファーム」／沖縄県国頭村</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/ada-024.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>沖縄の自然豊かな土壌と植物としてのコーヒーとの出会い、そしてコーヒーを愛する仲間とのご縁。10年以上の歳月をかけて丁寧に育まれ、情熱あふれる物語が詰まった特別なコーヒー豆を作るADAファーム。沖縄らしい風味豊かなコーヒーは世界中の焙煎士やコレクターから熱い視線を注がれる稀少な存在となっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">豊かな森が育てる日本初のスペシャルティコーヒー</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/ada-006.jpg" alt="" class="wp-image-54181" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/ada-006.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/ada-006-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/ada-006-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>沖縄県北部、やんばるの森に位置する「ADAファーム」は、日本で初めて、スペシャルティコーヒーの認定を受けた農園だ。この称号は、カッピング（試飲審査）による100点満点の評価で80点以上という、極めて高いスコアを獲得した豆だけに与えられる。審査では「きれいな味わい（クリーンカップ）」や「際立つ酸味の質」「甘さ」など、10項目にわたる厳格な基準で品質がチェックされる。</p>



<p>栽培に最適とは言い難い環境にありながら、味と香りのポテンシャルが世界基準に達したことは、代表・徳田泰二郎さんの飽くなき情熱の結晶だ。その快挙は、今や沖縄コーヒー界全体の大きな希望となっている。</p>



<p>「徳田さんは常に進化されている。世界で認められてもなお挑戦をされていて、それが豆のクオリティに出ている。」そう話すのは、2017年に行われた「ジャパン コーヒー ロースティング チャンピオンシップ」（JCRC）で優勝、その後2019年イタリアで行われたWCRC（ワールドコーヒーロースティングチャンピオンシップ）に日本代表として出場し、初出場にして世界第2位に輝いた仲村良行さん。沖縄県沖縄市にある「豆ポレポレ」を営み、ADAファームの豆を愛する日本を代表する焙煎士のひとりだ。</p>



<p>徳田さんは沖縄でコーヒー栽培を始めた理由を「まずはここに素晴らしい農地、そして豊かな土があった。そして、植物としてのコーヒーに出会えた。さらに、沖縄のコーヒーを愛する仲間たちとの出会いもあった。それがすべてご縁で、気づいたらここまで来ていた」と語る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">沖縄の土と、コーヒーと共に</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/ada-030.jpg" alt="" class="wp-image-54182" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/ada-030.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/ada-030-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/ada-030-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>コーヒー栽培の適地は、赤道を中心に南北回帰線の間に広がる「コーヒーベルト」と呼ばれる熱帯地域だ。代表的な産地にはブラジルやエチオピア、インドネシアなどが挙げられるが、沖縄はその北限ギリギリの外側に位置する。台風や冬の低温、酸性の土壌など、コーヒーにとっては決して「快適」な環境ではない。</p>



<p>しかし徳田さんは、土壌改良で環境を無理に変えるのではなく、山がもたらす恵みやサイクルをそのまま活かす農法を選んだ。具体的には、周囲の原生林を残し、自然の森のサイクルを壊さずに、その中で作物を育てる画期的な農法だ。<br><br>その年の気候は、豆の個性にダイレクトに刻まれる。例えば、夏場に雨が多ければ健康的な果実がしっかりと育ち、逆に、乾燥や寒暖差が激しい年は、生命力が凝縮される。</p>



<p>徳田さんは「その年の沖縄がどんな年だったかは、豆が語ってくれる」と話す。ADAファームのコーヒーを飲むことは、その年の沖縄の雨音や陽光を追体験することと同義だ。それは単なる飲み物ではなく、沖縄の自然の「記録」が詰まった唯一無二の一杯なのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading">熟成を待ち、１粒１粒丁寧に手摘み</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/ada-032.jpg" alt="" class="wp-image-54183" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/ada-032.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/ada-032-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/ada-032-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ADAファームのコーヒーの開花期は通常4〜7月。開花から7〜8か月かけて果実は成長・完熟となり、12月から4月までが収穫期となる。コーヒーの花は開花の期間が長いので、その分収穫の幅もあるが、本来コーヒーは雨季や乾季などメリハリがある気候の方が開花しやすい。しかし、沖縄の場合は気候が安定しないことが多く、コーヒーが開花のきっかけを掴めないこともあり、収穫の期間がより長くなる。果肉の成長だけでなく、種も成長していなければならないコーヒー豆は、種の様子を伺いながら一番いい状態を見極めていく。収穫前の気候や、コーヒーの木の個体差により、完熟した時の果実の表情や状態が変わっていくのだそうだ。収穫の際には、自分たちの目で熟度を確かめ、感触を確かめ、味わい、手摘みしていく。この丁寧さが、ADAファームの品質に繋がっている。</p>



<p>「特別なことはしていない」と徳田さんは語るが、1粒1粒のコーヒーの実に細かな手間をかけ育て上げている。</p>



<p>精製とは、収穫した実から種子（コーヒー豆）を取り出し、乾燥させる工程を指す。最高の状態で収穫されたコーヒー豆を、その豆の個性を見極め、皮を剥き、乾燥し、発酵させていく。ADAファームの精製は、常に同じではない。</p>



<p>「収穫までは同じ豆。しかし精製によって、驚くほど多様な表情を引き出せます。だからこそ、豆のポテンシャルを最大限に広げた状態で焙煎士へ託したいんです」と徳田さんは語る。目指しているのは、農園主として豆の個性を決めつけるのではなく、精製という『味の翻訳』を通じて、その豆が持つ可能性の選択肢を広げることだ。</p>



<p>また、栽培している品種にも個性がある。赤い実をつける「ニューワールド1号」は華やかな香りと明るく良質な酸味が特徴だ。一方、黄色い実の「ニューワールド2号」は、どっしりとした甘みの強さと、香ばしさとコクが際立つ。</p>



<p>数十年前に先駆者が沖縄に持ち込んだこれらの苗を、徳田さんたちは世界に認められる品質へと磨き上げた。今後は仲間と共に新種開発にも挑むという。自然に無理をさせず、土と対話しながら一粒一粒に情熱を宿す。その一杯を口にしたとき、きっと香ばしい香りとともに、生命力あふれるやんばるの森の風景が目の前に広がっていくはずだ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54176/">やんばるの森が育む世界が認めた沖縄コーヒー「ADAファーム」／沖縄県国頭村</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>目標は、名実ともに“世界一”の蜂蜜酒･ミードを作ること「EIGHT CROWNS」代表 Maynard Plant（メイナード･プラン）さん／宮城県富谷市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54130/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 08 Mar 2026 08:42:59 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[インフューズドハニー]]></category>
		<category><![CDATA[蜂蜜]]></category>
		<category><![CDATA[ミード]]></category>
		<category><![CDATA[BTI･ World Mead Challenge金賞]]></category>
		<category><![CDATA[MONKEY MAJIK]]></category>
		<category><![CDATA[WILD FLOWER]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_A_4625.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本屈指のロックバンドとして、ミュージックシーンで輝き続けるMONKEY MAJIK。そのボーカル＆ギターのMaynard PlantさんとドラムのTAXさんが取り組んでいるのが、養蜂だ。ふたりが20年以上も暮らす宮城県 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_A_4625.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本屈指のロックバンドとして、ミュージックシーンで輝き続けるMONKEY MAJIK。そのボーカル＆ギターのMaynard PlantさんとドラムのTAXさんが取り組んでいるのが、養蜂だ。ふたりが20年以上も暮らす宮城県富谷市で採蜜し、市の中心部にある観光交流ステーション「とみやど」の中で「EIGHT CROWNS」という店舗で生はちみつを販売している。ミュージシャンであるふたりが、養蜂家となったその理由とは……？</p>



<h2 class="wp-block-heading">少年時代の記憶から辿り着いた、富谷での養蜂</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_A_4022.jpg" alt="" class="wp-image-54135" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_A_4022.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_A_4022-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_A_4022-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宮城県富谷市は、かつて宿場町として栄えた、仙台市北部に隣接する人口5万人超の町。近年は「子育て世代に優しい町」として若い世帯の流入で話題となっている。そんな富谷市で20年以上も暮らしているのが、MONKEY MAJIKのMaynard PlantさんとドラムのTAXこと菊池拓哉さん。</p>



<p>このふたりが、はちみつの会社「EIGHT CROWNS」を立ち上げたのは、2018年のことだった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">カナダで出会った養蜂の世界</h3>



<p>その背景にあるのが、カナダ出身のMaynardさんの少年時代にある。Maynardさんが10代のころ、養蜂家だった伯父さんを手伝うことがあった。ミツバチ何万匹もの小さな命を育て、その受粉によって農作物が実り、人々はその恵みを口にする。自然の循環と、生き物それぞれの役割を、体感として学んだ時間だったという。その記憶が「いつか自分もやってみたい」という思いとして、心に残り続けていた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">富谷市での出会いが“点と点”をつなぐ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_A_4536.jpg" alt="" class="wp-image-54136" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_A_4536.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_A_4536-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_A_4536-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そんな中、NHKのローカル番組でナビゲーターを務めていたMaynardさんは、富谷市長の若生 裕俊氏と出会うこととなる。若生氏は、ビルの屋上で行う「都会式養蜂」に関心を寄せ、富谷市役所の屋上で養蜂を行っていた。そこに運命的なものを感じたMaynardさんは「富谷は養蜂を推進している町なんだから、自分もやってみよう！」とTAXさんと養蜂を始めることにした。</p>



<h2 class="wp-block-heading">始まりは“8つのミツバチの巣箱”</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_2624.jpg" alt="" class="wp-image-54141" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_2624.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_2624-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_2624-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宮城県中部に位置する「七つ森」という緑豊かな場所に、7つの西洋ミツバチの巣箱、そして1つの日本ミツバチの巣箱、全部で8つの巣箱を置いたことからスタートを切った。会社名のEIGHT CROWNSのEIGHTはここからくる。そしてCROWNS＝冠は、女王蜂をリスペクトする単語をつけたかったからだ、とMaynardさんは話し、「後で考えたら、EIGHTって日本語で数字の8（ハチ）だから、ちょうどよかった」と笑う。</p>



<h3 class="wp-block-heading">テロワールを生かした採蜜で独自性のあるはちみつづくり</h3>



<p>花を求めて蜂の巣箱を移動させる移動養蜂ではなく、自分たちのテロワールで採蜜したいと考えていたMaynardさんとTAXさんは、蜜源としてハゼリソウの木を植えた。ハゼリソウは、青紫色の花が特徴的でミツバチにとって最高峰の蜜源植物ということで知られている。その蜜を集めることで黄金色のフルーティーなはちみつができる。あっさりとした甘味が特徴で、紅茶やヨーグルト、チーズなどにもよく合う。採蜜量は決して多くないが、クオリティのみがこだわりだ。</p>



<p>採蜜場所を増やすことはあるとしても、巣箱を持って移動することは考えていないという。年ごとの気候や自然環境によって、はちみつの風味は微妙に変化する。その違いこそが、この土地ならではのテロワールであり、異なる味わいを楽しめることに価値を感じているからだ。　</p>



<h3 class="wp-block-heading">富谷だから生まれる“WILD FLOWER”という味わい</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3261.jpg" alt="" class="wp-image-54137" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3261.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3261-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3261-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>富谷という場所柄、ミツバチが一種類の花の蜜から集めた単花蜜を採取するのは難しく、山桜、アカシア、藤などから採蜜し、それを「WILD FLOWER」としてパッケージ。一方、単花蜜のはちみつは、彼らと同じような規模でこだわりを持っている各地の養蜂家から仕入れ、販売を行っている。</p>



<p>その単花蜜（アカシア）を使い、同社が製造に注力しているのがハバネロやレモン、サフランなどをはちみつに漬け込んだインフューズドハニー（Infused Honey）。幅広い料理に使えるほか、代謝促進や免疫力向上といった健康効果も期待できるとして、近年、海外で注目を集めているのだそう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">蜂蜜酒･ミードで富谷から世界へ挑む</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3227.jpg" alt="" class="wp-image-54138" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3227.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3227-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3227-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>さらに、彼らはWILD FLOWERから「ミード」を醸造。ミードとは、はちみつと水と酵母菌を発酵させてできあがる醸造酒で、神話にも出てくる世界最古の酒といわれている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">東北の酒蔵とともにミードを開発</h3>



<p>ミード醸造のきっかけは、MONKEY MAJIKのカナダツアーの際、飛行機の機内誌がミードを特集していたのを見たTAXさんが「ぜひやってみたい」と持ち掛けたことにある。帰国後、MaynardさんとTAXさんは世界中のミードを飲み、同じ東北の日本酒造会社に醸造を依頼することにした。国内でミードを醸造しているのは20〜30社ほどに限られ、東北地方ではこの会社のみ。ミードを造れる環境そのものの希少性にあった。日本酒造りで培った発酵技術を生かし、はちみつ本来の香りや風味を損なわずに仕上げているのが特徴だ。甘口からドライタイプまで表現の幅も広く、実際に口にしたMaynardさんとTAXさんが「おいしい」と感じたことが、醸造を託す決め手となった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">日本酒酵母×生はちみつが生む、ドライでフルーティーな一杯</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3204.jpg" alt="" class="wp-image-54140" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3204.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3204-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3204-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>EIGHT CROWNSのミードの原料には日本酒の酵母を使う。加水した生はちみつに日本酒酵母を合わせることで、少し酸味のあるドライな仕上がりになった。峰の雪酒造の社長がいろいろと試した結果、この酵母にいきついたそうで、まるでマスカットのようなフルーティーで飲みやすいミードに仕上がった。</p>



<p>Maynardさんは、自分のミードに「こんなにおいしいものができるなんて！すごく満足している」と笑う。ブドウによってワインの味が変わるように、ミードもはちみつによって味が左右される。EIGHT CROWNS の作る極上のはちみつが、極上のミードになるのは、言わずもがななのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">世界的な評価を獲得</h3>



<p>EIGHT CROWNSのミードは、 「WILDFLOWER TRADITIONAL MEAD」と名付けられ、2023年にアメリカの世界的酒品評会「BTI･ World Mead Challenge」で金賞を受賞した。酸味と甘味のバランスも絶妙で、日本酒のようなクリアな味わいも感じることができる。Maynardさんは当初、ミードの醸造にあまり乗り気ではなかったが、「様々な料理と相性抜群。ミツバチが集めた自然の恵みをそのままの状態で食卓へ届けたい」との思いから、追求を重ねたことが実を結んだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">目指すのは“世界一のミード”と、世界の養蜂家をつなぐ未来</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3290.jpg" alt="" class="wp-image-54139" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3290.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3290-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3290-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>Maynardさんに将来の夢を聞くと、「まずは自分のミーダリー（ミードを造る場所）を作ること」とし、さらに今でも評価の高い彼らのミードを超えた“世界一”のミードを作ること、そしてミードで地域を盛り上げていきたいと話してくれた。</p>



<p>また、養蜂家としては、日本だけでなく世界中の養蜂家とつながることのできる“ハブ”のような存在になることだ、と笑顔を見せてくれた。</p>



<p>EIGHT CROWNのはちみつは、加熱や過度な濾過を行わず、天然のビタミンやミネラル、酵素を多く含んでいる。ミツバチが花から集めてきた蜜の風味や栄養をできるだけ損なわずに届けたいからだ。それは富谷のテロワールを表現することにもつながる。</p>



<p>自然豊かな宮城県の小さなまちで生まれ、世界からも評価されるはちみつとミードは、日常に豊かさと元気を運んでくれるはず。富谷から生まれる“最高のはちみつとミード”を、ぜひ五感で味わってほしい。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54130/">目標は、名実ともに“世界一”の蜂蜜酒･ミードを作ること「EIGHT CROWNS」代表 Maynard Plant（メイナード･プラン）さん／宮城県富谷市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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