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	<title>おでかけ - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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		<title>問いを重ね、灯りをつなぐ。「山鹿灯籠の店 なかしま」中島弘敬さん／熊本県山鹿市</title>
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		<pubDate>Mon, 20 Apr 2026 11:42:24 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<category><![CDATA[山鹿灯籠まつり]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3066.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「よへほ〜、よへほ〜」。民謡・よへほ節に合わせ、約千人の女性たちが優雅に舞う「山鹿灯籠（やまがとうろう）まつり」。踊り手の頭上にゆらめく明かりの正体は、伝統工芸品である山鹿灯籠。中島弘敬さんは山鹿灯籠師の系譜を継ぐ4代目 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3066.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「よへほ〜、よへほ〜」。民謡・よへほ節に合わせ、約千人の女性たちが優雅に舞う「山鹿灯籠（やまがとうろう）まつり」。踊り手の頭上にゆらめく明かりの正体は、伝統工芸品である山鹿灯籠。中島弘敬さんは山鹿灯籠師の系譜を継ぐ4代目。伝統を礎に、時代に合わせて変化していくことも厭わない。</p>



<h2 class="wp-block-heading">踊り手の頭上にゆらめく幻想的な明かりは伝統工芸品</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3080.jpg" alt="" class="wp-image-54388" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3080.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3080-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3080-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>————骨もなけれど　肉もなし　よへほ　よへほ————</p>



<p>民謡・よへほ節に合わせ、約千人の女性たちが体をしなやかに動かして優雅に舞う「山鹿灯籠まつり」。毎年8月に開催され、例年約10万人以上が来場する、山鹿市の一大イベントだ。深い霧の中で道に迷った第12代景行天皇を、山鹿の里人たちが松明を頭上に掲げて案内したことが祭りの起源と伝わる。​​夜の闇の中、踊り手の頭上にゆらめく幻想的な明かりの正体は、伝統工芸品である山鹿灯籠の一種「金灯籠」。遠目では金属製に見えるが、実は紙製。木や金具は一切使わず、和紙と少量の糊だけで立体的に組み上げられており、重さはたったの約180グラムしかない。紙製とは思えない見た目の重厚さや豪華さを実現するためには精巧な技術を要し、「灯籠師」と呼ばれる職人が制作を担う。</p>



<p>中島弘敬さんは100年以上続く灯籠師の家系の４代目。曽祖父と祖父の代では灯籠師と時計屋を兼業していたが、父親の代から灯籠師一本となり、豊前街道沿いで灯籠専門店「山鹿灯籠の店 なかしま」を営んでいる。中島さんは灯籠師の家系の次男として生まれ、33歳までサラリーマンだった。だが、兄弟の誰一人として実家を継ぐ者がいなければ技術が途絶えてしまうと一念発起。父親の弟子となり、灯籠師の道に入って今に至る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">異業種から転職し、師匠である父のもとで技術を習得した</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2855.jpg" alt="" class="wp-image-54389" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2855.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2855-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2855-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>異業種からの転職は簡単ではなかった。幼い頃から父親の制作の様子を間近に見ており、転職前から修行はしていたものの、伝統工芸士の技術はそうやすやすと習得できるものではない。山鹿灯籠の制作は細かい作業の連続で、指先は痛み、目は疲れ、肩は凝る。並大抵ではない集中力と根気が必要だ。しかも、師匠である父親からは容赦なくダメ出しを受ける。「だけど、今思えば息子だからといって甘やかすことなく、一人の弟子として扱ってくれた父に感謝しています」と中島さんは言う。灯籠師を名乗るには、約10年の修行を積み、他の灯籠師たちから技術を認められる必要がある。中島さんが認定を受けたのは2017年、40代になってからのことだった。</p>



<p>山鹿灯籠には前述の金灯籠を筆頭に、神殿や楼門、五重塔といった神社仏閣建築を題材とする「宮造り」、伝統的な日本家屋を模した「座敷造り」など、伝統的な様式がある。加えて、灯籠師自身が編み出した作品も多く、多彩で、種類が豊富だ。これらは主に、後述する「奉納灯籠」に用いられ、灯りをつけない仕様のものもある。ほか、地元の家庭では初盆の提灯代わりに飾られることも多く、家紋入りのオーダーメイドにも対応する。</p>



<p>山鹿灯籠の条件は「手漉き和紙と糊のみを使用すること」「灯籠の主な部材は空洞とすること」「曲線部分にのりしろを作らないこと」の3つ。だから、勧進帳の弁慶や電車、戦艦などが作られた例もあり、自由で多様だ。その中でも金灯籠が注視されるのは、山鹿灯籠まつりのシンボルというだけでなく、灯籠師の登竜門的様式だからだろう。灯籠師に必要とされる技術が集約されており、金灯籠を完成させてこそ、認定の第一歩とされている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">地域社会の営みに深く根差した伝統工芸</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2944.jpg" alt="" class="wp-image-54390" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2944.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2944-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2944-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>金灯籠の制作は、ミリ単位での作業が延々と続く。図面を写した厚手の和紙をカットし、組み立てる。言葉にするとたったこれだけだが、内部が空洞で骨組みがないため、和紙の貼り合わせのみで形を保ち、強度を担保しなければならない。だから山鹿灯籠は「骨なし灯籠」との異名を持つ。これが冒頭の民謡で「骨もなけれど　肉もなし」と唄われる所以である。</p>



<p>骨も肉もないから、和紙の貼り合わせがわずかにずれるだけで、崩れる。そして、ぴったりと貼り合わせるためには、和紙を寸分の狂いもなくカットしてあることが前提だ。金灯籠はおよそ200のパーツから成り、準備から完成まで3日ほどかかる。「山鹿灯籠を制作するには、集中力を欠くことなくやり遂げる根気が必要」との中島さんの言葉に、改めて頷く。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3093.jpg" alt="" class="wp-image-54391" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3093.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3093-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_3093-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>こうして作られた灯籠は踊り手の頭上に載せられるほか、奉納灯籠にも用いられる。奉納灯籠とは、祭りのために町内会などの団体ごとに灯籠師に依頼して作る灯籠のことで、祭り期間の展示を終えると地元の「大宮神社」に奉納することからこの名が付いた。形状などに規定はなく、モチーフは団体と灯籠師の相談で決まる。毎年27〜28基が作られ、奉納後は神社内にある「燈籠殿」で保管・展示。1年後の8月に新しい灯籠と入れ替えられる。「毎年のことですが、依頼主から喜んでもらえることが本当に嬉しい。頑張ってよかった、と報われる瞬間です」と中島さんは言う。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統を未来につなぐためには“問い”が必要</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2841.jpg" alt="" class="wp-image-54392" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2841.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2841-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/IMG_2841-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>山鹿灯籠は約2000年前、第12代景行天皇が筑紫路巡幸の際に深い霧に進路を阻まれた際、山鹿の人々が松明（たいまつ）で案内したことが発端と伝わる。その後、人々は景行天皇を祀る大宮神社に松明を奉納し続け、室町時代に松明が山鹿灯籠へと変わったという。そして、江戸時代には町の有力者たちが奉納灯籠の豪華さを競い合うようになり、山鹿灯籠の文化が花開いたというわけだ。</p>



<p>現在、現役の灯籠師は全体で7名。うち5名が女性で、2名が男性、50〜60代が中心だ。認定を目指す見習いは3名いる。灯籠師の数はここ数十年横ばい状態だが、見習いは全員が20代で、中島さんは「山鹿灯籠の未来は決して楽観できる状況ではないが、悲観するほどでもない」と考えている。ただし、伝統を未来につなぐためには“問い”が必要、とも。</p>



<p>「祭だけでなく、伝統工芸品として購入し、日常的に使ってもらえるシーンを増やしたい。使用環境が限られていては、先細りしていくだけだ。そのためにはどんなものが売れるのか、消費者に山鹿灯籠を身近に感じてもらうためにはどうしたらいいのか……」。</p>



<p>中島さんは、常に問いを抱くことで、新しいものを世に出していこうとしている。「時代の変化やニーズに合わせて少しずつアップデートしていくことで、守れる伝統もあるはずです」。問いを抱きながら灯籠を作り続けること。その積み重ねが、山鹿の灯りを次の時代へとつないでいく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54382/">問いを重ね、灯りをつなぐ。「山鹿灯籠の店 なかしま」中島弘敬さん／熊本県山鹿市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>福島が誇るモモを自然由来の土づくりで大切に育む樅山果樹園の樅山 和宏さん･智美さん／福島県福島市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 20 Apr 2026 11:30:18 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8232.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福島市飯坂町で、さくらんぼ、桃、りんごを生産している「樅山（もみやま）果樹園」。明治30年代から続く老舗果樹園の５代目･樅山和宏さんは、自然由来の土づくりにこだわるなど、飽くなき探求心と日々の研究を重ね、より良い果物を作 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54367/">福島が誇るモモを自然由来の土づくりで大切に育む樅山果樹園の樅山 和宏さん･智美さん／福島県福島市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8232.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福島市飯坂町で、さくらんぼ、桃、りんごを生産している「樅山（もみやま）果樹園」。明治30年代から続く老舗果樹園の５代目･樅山和宏さんは、自然由来の土づくりにこだわるなど、飽くなき探求心と日々の研究を重ね、より良い果物を作り続けている。奥様の智美さんは果樹園から届く新鮮な果物やオリジナル加工品を販売する直売所兼カフェを運営し、福島が誇るフルーツの魅力を発信。「自分たちが育てたモモやリンゴを『美味しい』と食べてもらえるのが一番うれしいです」と微笑むご夫妻の思いはひとつだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">明治時代から受け継がれてきた果樹園と家族の絆</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8241.jpg" alt="" class="wp-image-54375" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8241.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8241-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8241-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>春のイチゴ、初夏のサクランボ、夏のモモ、秋のナシやブドウ、初冬のリンゴなど、四季を通して上質なフルーツを堪能できる福島市。吾妻連峰と阿武隈高地に囲まれた盆地にあり、寒地系と暖地系、両方のフルーツを作ることができる恵まれた気候のもと、品種改良や技術革新を重ね、多種多様な果実が実る。</p>



<p>そんな果樹園が並ぶ、通称･フルーツライン沿いにあるのが樅山果樹園の直売所兼カフェ「よつ葉のクローバー FARMERS GARDEN」。のどかな風景に優しく溶け込む真っ白い建物が印象的だ。</p>



<p>明治30年代から100年以上続く老舗果樹園の樅山果樹園は、数十件の果樹園が点在する福島市飯坂町で、「さくらんぼ」「桃」「りんご」を栽培し、父であり、4代目の和一郎さんは農林水産大臣賞も受賞している。「子どもの頃から『農業はいいぞ』と父から繰り返し聞いて育ったので、家業を継ぐことに何の迷いもなかったです」と笑顔で話す和宏さん。大学卒業後、福島県農業総合センター果樹研究所の研修生として1年間学び、23歳で家業を継いだ、</p>



<h2 class="wp-block-heading">盆地特有の寒暖差が育む極上フルーツ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8379.jpg" alt="" class="wp-image-54376" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8379.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8379-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8379-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>自他ともに認める「フルーツ王国･ふくしま」。福島のモモは太陽の光をたっぷり浴びた真っ赤な見た目と糖度の高さが特徴。昼夜の寒暖差が大きいため、果実に糖分がしっかり蓄積され、甘みの強い桃が育ちやすい。生産量は全国2位だが、モモの消費量は断トツの全国1位。なんと全国平均の約7倍以上のモモを福島県民は食べているという。</p>



<p>福島市では6月下旬から9月下旬にかけて多品種のモモが作られており、樅山果樹園でも十数種類のモモを順番に育てている。早稲（わせ）の「はつひめ」から始まり、「暁星（ぎょうせい）」「あかつき」「まどか」、晩生（おくて）の「ゆうぞら」「さくら白桃」まで多彩なモモの栽培のリレーで旬の美味しさを届ける。</p>



<h3 class="wp-block-heading">福島の代表的なモモ「あかつき」</h3>



<p>かつて「あかつき」は試験栽培中にある1点の欠点を克服することができずに栽培を断念する県が続出する中、福島県だけがあきらめずに栽培を続け、見事その欠点を克服。今では福島のモモを代表する全国区の品種となった。</p>



<p>「福島の人が根気よく作り続けてきた結果、今の大きさになり、福島と言えば『あかつき』と好評です」と微笑む和宏さん。色づきが良くジューシーで、甘味と酸味のバランスが抜群な「あかつき」はお中元や贈り物としても人気を集め、毎年、お盆の前〈7月下旬～8月上旬〉の収穫を目指している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ミネラルたっぷり。自然由来の土づくり</h3>



<p>父の和一郎さんとともに、パートさんたちの手を借りながら愛情を込めて果実の手入れをしている和宏さんは、「作業の妥協はしないことを信念しています」と穏やかに話す。自然由来の土づくりにも力を入れており、ミネラル豊富な三陸産の牡蠣殻をくだいたものを土に撒き、微生物の力を引き出しながら自然に優しい取り組みをしている。</p>



<p>春の作業は花の前の蕾（つぼみ）の時点で数を減らす「摘蕾（てきらい）」から始まり、100％から30％位まで蕾を落としていく。その後は実が小さいうちに不要な実を取り除く「摘果」を行う。幼いうちに摘み取る摘果は品質の良い果実を得るためには欠かさない作業の一つだ。さらに、冬の剪定による健康な木づくりも大事にしている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">多彩なモモのリレーで旬の美味しさを届ける</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8336.jpg" alt="" class="wp-image-54377" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8336.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8336-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8336-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>果樹園で果実に袋（スカート）をかぶせているものを見かけることがある。これは、晴天続きで土壌が過乾燥した状態で急に多量の雨が降った時に果実が割れてしまうような「雨焼け」から守るために１つずつ手作業でかけていくもので、色づく頃には袋（スカート）を外して太陽の光をあてて色づけをする。雨焼けとは、まんべんなく光があたらないと全面が赤くならないため、下には光を反射するシートが敷かれている。「葉っぱのある部分は特に色づきにくいので、時々葉っぱを半分に切ってあげると2日後ぐらいには色付いてきます」と教えてくれた。</p>



<p>モモは先端から赤くなってきて、1品種が10日から2週間ぐらいで食べ頃になる。</p>



<p>はっきりと赤い色のほうが、より甘くて美味しいのだそう。その作業を順番に行い、多品種のモモ栽培のリレーが完結する。旬に収穫される様々な品種のモモを味わいながら食べ比べを楽しむのも醍醐味だ。</p>



<p>「私のおすすめは、『ゆうぞら』。他品種に比べて、自然に落ちてしまう生理落下が多いので栽培は難しいのですが、果肉が緻密で果汁が多くてなめらかなのでとても美味しいです」と和宏さん。硬めのモモが好きな人にもおすすめだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">美味しいフルーツを作り、農業を未来へつなぐ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8326.jpg" alt="" class="wp-image-54378" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8326.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8326-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8326-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>和宏さんの目下の課題は、今後を見据えた果樹栽培への挑戦と、果樹園で働いてくださる方の高齢化による人手不足。「収穫時期の見極めなどは豊富な経験が重視されるため、父に手伝ってもらう以外は私が収穫をしています」。長年の経験と熟練の技が必要とされる果樹園のIOT化の難しさを実感している。</p>



<p>「今後は少し栽培面積を減らし、それぞれの個体に集中したいという気持ちがあります。同時に産地を守りたいという強い思いもあり、まわりの方が高齢でやめていく中で放棄地を作りたくないという葛藤もあります」と現在の思いを正直に語ってくれた。</p>



<p>近年は異常気象が続いているが、「自然の厳しさの中で日々努力をし、美味しいフルーツを作り上げることが果樹栽培のおもしろさであり、プロの果樹園としての誇りです」と話す和宏さん。研究を重ね、より良いフルーツを作ることに尽力しながら福島の農業の発展と継続も考慮している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">採れたての果実を絶品スイーツや加工品に</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8325.jpg" alt="" class="wp-image-54379" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8325.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8325-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8325-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「和宏さんが愛情を込めて育てた美味しいフルーツをたくさんの人に届けたい」という思いで、奥様の智美さんは2019年11月に直売所兼カフェ「よつ葉のクローバー FARMERS GARDEN」をオープン。観光果樹園が並ぶ県道「フルーツライン」沿いにあり、フルーツの収穫時期のみ営業しているが毎年県内外からたくさんの人が訪れる。</p>



<p>「私の実家も果樹農家でフルーツを栽培していましたが、朝早くから夜遅くまで働いていても購入したお客様の声を直接聞くことがなかったので、いつか直売所をやりたいと思っていました」と微笑む智美さん。念願を叶えた直売所では。和宏さんが丹精込めて育てた旬のサクランボ、モモ、リンゴを販売するほか、フルーツのうまみを生かしたジャムやジュースなどの手作りの加工品も販売している。併設するカフェスペースでは採れたてフルーツを贅沢に使ったスイーツが人気を集める。見た目も愛らしく、インパクトのある「贅沢！朝採りまるごと桃のパフェ」も大好評。晴れた日はテラス席で、周囲に広がる山々の景色を愛でながらスイーツやドリンクを楽しむことができる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">子どもたちや若い世代に福島のフルーツの魅力を伝えたい</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8252.jpg" alt="" class="wp-image-54380" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8252.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8252-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/XXXX8252-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ちょっと傷のあるものや形が小さいものなど、B級品を直接販売することができるのも直売所ならでは。「お客様からも好評で、リピートしてくださった際には同じ果実で作ったジャムなどもお土産に購入していただいています」と話す智美さん。念願だった直売所とカフェをオープンして6年。「和宏さんが作る美味しいモモを多くの人に伝えられる喜びと、わが家の子どもたちに福島の農業やモモの魅力を伝えられている喜びがあります」と笑顔があふれる。「カフェを通して、若い世代が福島のフルーツや農業に興味を持ってくれるのもうれしいです」と和宏さんにも笑顔があふれる。</p>



<p>お客様からの「美味しかった」という声をエネルギーに、二人三脚で福島のフルーツの魅力を発信する樅山さんご夫妻。先祖から受け継いだ大切な果樹園をプライドを持って守り続けていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54367/">福島が誇るモモを自然由来の土づくりで大切に育む樅山果樹園の樅山 和宏さん･智美さん／福島県福島市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>目指すのは瀬戸内の風土と空気を感じさせるワイン。「大三島みんなのワイナリー」／愛媛県今治市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 10 Apr 2026 10:51:13 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[ワイナリー]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[伊東豊雄]]></category>
		<category><![CDATA[ドメーヌ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_055.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>愛媛県の大三島に単身移住し、自らぶどうを栽培してワイン造りを行なっている「大三島みんなのワイナリー」の川田佑輔さん。北から南まで全国のワイナリーを巡ってワインの勉強をしてきた川田さんが大三島で造りたいのは、島の魅力を表現 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54325/">目指すのは瀬戸内の風土と空気を感じさせるワイン。「大三島みんなのワイナリー」／愛媛県今治市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_055.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>愛媛県の大三島に単身移住し、自らぶどうを栽培してワイン造りを行なっている「大三島みんなのワイナリー」の川田佑輔さん。北から南まで全国のワイナリーを巡ってワインの勉強をしてきた川田さんが大三島で造りたいのは、島の魅力を表現する味わいのワインだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>​​</strong>ワイン産地としてのポテンシャルを感じて大三島に移住</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_001.jpg" alt="" class="wp-image-54342" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_001.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_001-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_001-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ワイン造りに興味があって日本ワインの一大産地である山梨県の大学に進学し、在学中に全国の著名なワイナリーを回って研修を重ねてきたという川田さん。大学卒業間際に建築家の伊東豊雄氏が立ち上げた「大三島を元気にするプロジェクト」に関わる機会があったことがきっかけとなり、大三島でのワイン造りに関心を持ったそう。</p>



<p>伊東氏は国内外で数多くの建築賞を受賞し、世界的な評価を受ける一方で、建築の枠を超えて地域再生にも積極的に取り組んできた人物。島の風景や資源を生かし、新たな産業や人の流れを生み出そうとするその構想が、川田さんの心を動かした。</p>



<p>ワイン造りをする上で良質なぶどうが採れるということは必要不可欠な条件だ。川田さんは大三島の気候が日本一のワイン産地である山梨県勝沼とよく似ていることに気が付き、この土地なら良いぶどうができるに違いないと、伊東氏らとワイン造りに取り組むことを決意したという。</p>



<p>「瀬戸内の風景は本当に素晴らしい。僕が生まれ育った静岡にも良く似ていて、海が近くて気持ちが良くて、住んでいる人もやさしい。ここでぶどうを育ててワインを造ってみたいと思ったんです」。川田さんは2015年に単身で大三島に移住してきて、島の課題にもなっていた耕作放棄地を借りて苗木を植え、ぶどうの栽培を開始した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">試行錯誤の連続は困難でもあるが面白くもある</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_009-1.jpg" alt="" class="wp-image-54335" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_009-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_009-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_009-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ワインへの造詣は深くとも、ぶどう栽培は川田さんにとって初挑戦。まずは土地を詳しく知る地元の農家さんに情報をもらって、ぶどう栽培に適した良質な畑を選ぶところから始まった。「大三島の土質は花崗岩が風化してできた真砂土で、水はけが良くてぶどう栽培には適しています。しかし一方で水持ちが悪いという面もあるのでそこは考えなきゃいけない。土中の微生物を活性化させるために堆肥を入れるとか、地元の農家さんにもいろいろ教えてもらいながらやっています」という川田さん。肥料も地元のものにこだわっているのは、土地の味わいを大切にしたいという思いがあるからこそ。ぶどう棚に使う資材も地元の造船所に協力してもらって手作りするなど、この土地にこだわったぶどう栽培を大切にしている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_008.jpg" alt="" class="wp-image-54336" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_008.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_008-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_008-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>栽培するぶどうの品種は人気の高いシャルドネを始め、日本で最初に開発されたマスカットベリーA、瀬戸内に気候が似ているスペインやポルトガルの海に近い場所を原産地とするアルバリーニョなど、さまざまな品種のぶどうが栽培されている。「シャルドネを選んだのは日本全国で栽培されているので、土地の個性がわかりやすいのかなと思って。甲州も有名な品種ですが、名前に縛られてしまう気がして今のところ作っていません。病気に強くて収量のあるもの、島に合う品種を探して色々試していますけど、答えが出るまでにはかなり時間がかかりますね」という。栽培方法も品種選びも常に試行錯誤の繰り返しだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">海辺の小さな醸造所から生まれる島育ちのワインたち</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_029-1.jpg" alt="" class="wp-image-54338" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_029-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_029-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_029-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2015年に植えたぶどうの苗木は2016年に初めての実を付けたが、残念なことに全てイノシシに食べられてしまい、翌2017年が待望の初収穫となる。収穫したぶどうは県外のワイナリーで醸造してもらい、記念すべき大三島初のワインが誕生した。さらに2019年には昔の小学校を改装した宿泊施設「大三島憩の家」の敷地内に醸造所を開設。名実ともに100％大三島産のワイン造りが可能になった。</p>



<p>設計上さまざまな制限があるなかで、醸造所には川田さんが今まで学んできたことを注ぎ込み、できる限りのこだわりを実現した。高低差を利用してタンクや熟成容器に原材料を移動させるグラビティ・フローシステムもそのひとつだ。ポンプを使うより負担が少ないため、ぶどう本来の味を引き出せるのだという。タンクもホーロー、樹脂、コンクリートなど、それぞれメリット・デメリットを吟味した上で、最終的にスロベニア製のオーダーステンレスタンクを採用した。フレンチオークの樽も5年物と3年物を導入。新しい樽は木の香りが強く出る一方、使い込むほどに香味は穏やかになり、ワインとの調和が深まっていく。年数ごとの個性を見極めながら使い分けるのも、川田さんのこだわりのひとつだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">まずはより多くの人に受け入れてもらえるワインを</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_027.jpg" alt="" class="wp-image-54339" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_027.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_027-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_027-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川田さんが目指しているのは“日本らしい”ワインだ。「欧米の基準に並ぶことを目指すよりも、日本で育てられたぶどうで、日本の風土の中から生まれる味わいを大切にしたい。そこから生まれる“日本らしいワイン”にも、確かな価値があると思っています。かつては“水のようだ”とも言われた軽やかさは、裏を返せば、どんな料理にも寄り添える柔らかさでもある。肩肘張らず、食卓の中で生きる。それが、日本らしいワインなのではと感じています。」と話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ぶどうとワインと共にある大三島での心地よい暮らし</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_035.jpg" alt="" class="wp-image-54340" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_035.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_035-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_035-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川田さんが大三島に移住してきて10年。ぶどう栽培やワイン造りにおける変化も大きいが、川田さん自身にとってもいろいろなことがめまぐるしく変わった10年間だったという。</p>



<p>「単身で大三島に来ていたのが、奥さんと出会って結婚して子どもが生まれた。ぶどうの栽培とワイン造りに来ていたのが “ここで暮らす”に生きる意味が変わった10年でした。インフラ面などで不便を感じることは少しあっても、毎日が充実していて、心から大三島での生活に満足しています」という。</p>



<p>現在の島民は約5,000人。もともとの住民は減少傾向にある一方で、島外からの移住者は増えてきているという。移住の理由は人それぞれだが、瀬戸内海に住みたい、地域おこし協力隊のようにこの島で何かしてみたい、旅で来て気に入ったのでここに住みたい、というものが多いという。移住しなくとも、住所や仕事を残したままで2拠点生活をしている人もいて、そのうち島を出ていく人の数と移住してくる人の数が逆転するんじゃないだろうか？と川田さんは笑いながら言う。</p>



<h2 class="wp-block-heading">​​瀬戸内海の小さな島から発信するドメーヌワイン</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_038.jpg" alt="" class="wp-image-54341" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_038.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_038-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_038-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>たくさんの魅力がある大三島ではあるものの、一方で問題もある。近年の温暖化による気候への対応は深刻な課題だ。特に2024年の夏は命に関わるほどの猛暑で、人間もぶどうも乗り切るための苦労を余儀なくされたという。</p>



<p>さらに川田さん曰く、ぶどうもワインも品質・技術ともにまだまだ満足できるレベルには達していないという。「“大三島の味”というものをまだ自分の中に確立できていないんです。なのでまずはそれをはっきりさせたい。目指すのは大三島の空気感を表現したワイン。親しみがあって味わい深く、大三島の海や風を感じられるようなワインを目指したいんです」と話す。</p>



<p>納得できる味わいのワインを造ること、そしてワインを飲む習慣のない島の人たちに自分たちのワインを飲んでもらえるようになること。その上で、日本ワインコンクールで賞を取ることが当面の大きな目標であり、その先には海外コンクールへ挑戦してみたい。川田さんの夢は広がっていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54325/">目指すのは瀬戸内の風土と空気を感じさせるワイン。「大三島みんなのワイナリー」／愛媛県今治市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>琉球紅型の未来を見据えたものづくりをする、知念紅型研究所 知念冬馬さん／沖縄県那覇市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 31 Mar 2026 06:05:52 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[染織]]></category>
		<category><![CDATA[琉球紅型]]></category>
		<category><![CDATA[びんがた]]></category>
		<category><![CDATA[紅型三宗家]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-001.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>鮮やかで大胆な配色と図柄、沖縄にいにしえから伝わる染めの技術である琉球紅型（びんがた）。紅型は、琉球王朝の王族の着用品として仕立てられ献上されていた。那覇にある知念紅型研究所の10代目当主・知念冬馬（とうま）さんは、新し [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-001.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>鮮やかで大胆な配色と図柄、沖縄にいにしえから伝わる染めの技術である琉球紅型（びんがた）。紅型は、琉球王朝の王族の着用品として仕立てられ献上されていた。那覇にある知念紅型研究所の10代目当主・知念冬馬（とうま）さんは、新しい風を吹き込みながら紅型と日々向き合っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">王族に紅型を献上していた、紅型三宗家のうちの一家</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-027.jpg" alt="" class="wp-image-54261" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-027.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-027-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-027-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>沖縄に伝わる伝統工芸で、唯一の染め物である紅型。古くは、着用品として琉球王朝の王族のためだけに作られていたものだが、現在は着物や帯、小物などに施され、広く親しまれている。もともとは、「びんがた」と、平仮名表記だったけれど、昭和に入り漢字で紅型と表されるようになったのだそう。</p>



<p>今から120年ほど前までの琉球王朝時代、王族への献上品として紅型を仕立てていたのは、紅型三宗家といわれた城間家、沢岻（たくし）家、そしてこちらの知念家だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">大戦による紅型の衰退と復興</h3>



<p>ところが、廃藩置県や薩摩侵攻などにより王制が解体され、450年ほど代々続いた仕事がなくなってしまった。生業としては継続できないけれど、紅型の技術を途絶えさせてはならないと、明治以降もどうにか制作を続けた家もあった。知念家は他の仕事で生計を立てながら、紅型の道具や資料を大事に守り続けた。時が経ち、昭和の戦後復興の沖縄で、冬馬さんの祖父・貞男さんが紅型を続けていた親戚に知念の紅型を教わり家業として復活させた。</p>



<p>職人たちは、舞踊の琉装やお土産品として紅型の制作をはじめ、沖縄の工芸として復興させていった。1972年頃から、本土から和装として注文が入るようになり紅型界にも活気が戻ってきた。そうして1984年には、「琉球びんがた」として経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">歴史ある琉球紅型を受け継ぐ10代目</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-053.jpg" alt="" class="wp-image-54262" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-053.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-053-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-053-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>那覇空港からほど近い場所に工房を構える知念紅型研究所。現在の当主、知念冬馬さんは、京都でグラフィックデザインの勉強をし、大阪でデザイナーとして働いた後に、アートを深めるためにイタリア・ミラノへと留学した。そこで芸術作品や当たり前に残る歴史ある建物などを日常的に目にするなかで、「自分も、消費されずに残っていくものづくりがしたい。自分の世界を表現したい」という思いがかたまったという。いつかは継ぐつもりでいた家業の紅型、自分が行き着いた想いにぴったりだった。</p>



<p>その決意を胸に沖縄へ戻り、知念紅型研究所で紅型と向き合う日々が始まった。22歳での帰郷は考えていたよりも早かったが、まずは自身の技術を磨くことを第一に考えれば最良の選択だった。しかし、その矢先、これまで工房を守っていた祖父が急逝し、工房に入って数ヶ月で経営まで自分が行わなくてはならなくなった。その数年、本当に必死だったと振り返る。</p>



<p>知念さんは、2021年には日本伝統工芸展日本工芸会の新人賞を受けるなど、いくつもの賞を受賞している。また現在は、琉球びんがた普及伝承コンソーシアムの理事、琉球びんがた事業協同組合の副理事を務めている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">沖縄独特の紅型が生まれる工程</h2>



<p>紅型の製作には、デザインをした図案を彫った型紙を用いる。その型紙を生地にあて、上から防染糊（ぼうせんのり）を塗る。乾かし、糊ののっていない箇所に段階的に顔料（がんりょう）を染め重ねる。次は染めた部分に糊をのせ、最後にそれ以外の地色を染める。色を定着させるため、蒸して水洗いをし乾かして完成だ。大まかに説明するとこうだけれど、きちんとわけると完成までに10以上もの工程がある。</p>



<p>生地の素材に決まりはないが、絹や綿などが用いられることが多い。しばりがない分、多種多様な染め方ができるのだそうだ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-007.jpg" alt="" class="wp-image-54263" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-007.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-007-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-007-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>藍色がきれいなこの図柄は「アメフィーバナ」。沖縄の言葉で雨降り花の意味で、ノアサガオが描かれている。地の青の部分は琉球藍で染められている。琉球藍は本土の藍よりも、青みが強く深みがあるという特徴を持つ。　</p>



<p>背景の地色は植物などから得る天然の染料、柄自体には顔料を用い、発色の強い顔料で紅型の力強さを表現する。染料は水溶性で生地の内部まで入り込むため下地に馴染んだ色となり、顔料は粒子として表面に付着するため、鮮やかな色が表現できる。それぞれの性質を活かした色彩のコントラストがこだわりだ。</p>



<p>知念さんは「顔料が表に出てきて、柔らかさのある染料は少し後ろに下がるんです。それでメリハリのある立体感が生まれて奥深い作品に仕上がっていきます」と語る。さまざまな顔料を使い、色自体もそれぞれの図案ごとに配合していく。</p>



<p>沖縄に戻り、本格的に紅型を始めた当初は、祖父のデザインとは違った、自分オリジナルのものを作りたいという意識が強く、実際いろいろ挑戦してきたけれど、様々な日々の制作を重ねていくごとに、代々伝わる図柄の染めやすさとか、色をつけた時の美しさなどに気づくことも多かったという。</p>



<p>昔から好まれる古典の柄は変わらず好きな人も多いので、歴史ある古典の柄は作り続け、それに加え、若い人たちも親しみやすいようなモダンな柄も意識し、時代の移り変わりとともに長く愛してもらえるような商品を制作する。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-076.jpg" alt="" class="wp-image-54264" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-076.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-076-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-076-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>型置きという、型紙を置き、防染糊をヘラで塗っていく作業を行う。糊でマスキングし、この後に染める染料の色が染まらないようにするためだ。糊をすくい、均等にのばし、そっと型紙をはがし、柄がきちんとつながるように隣に型紙を置く。スピードが遅いと、すぐそばから乾燥して目詰まりしたり、紙を剥がすと穴だらけになってしまったりするのだそう。知念さんの所作は、流れるようになめらか。この作業は、沖縄に戻ってきた年は1日に生地1本しかできなかったのが、今では1日に15本もできるのだとか。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-059.jpg" alt="" class="wp-image-54265" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-059.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-059-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-059-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>もち米やぬかで手作りする防染糊には青い顔料を混ぜている。そうすることによって、後の<s>地</s>染めの時の発色がよくなるのだそうだ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-037.jpg" alt="" class="wp-image-54266" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-037.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-037-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-037-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>細かい色をのせていく「色差し」は2本の筆を同時に持って行う。つけ筆で顔料をのせていき、刷り筆で粒子の粗い顔料を生地に浸透しやすくするために刷り込んでいく。その次の工程では、模様のイメージを強調させるために、さらに色を差しながら筆でぼかしを入れ、ここでも立体感を出していく。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-042.jpg" alt="" class="wp-image-54267" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-042.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-042-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-042-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>筆も、幾種類もあり、生地によって使うものを変える。道具は手作りのものも多い。</p>



<h3 class="wp-block-heading">倍の手間がかかる大作、朧型を毎年手がける</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-017.jpg" alt="" class="wp-image-54268" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-017.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-017-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-017-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「花降る島」と名付けられたこちらの着物は、異なる図柄の型紙を2枚重ねて染める朧型という技法で作られている。2倍の手間がかかり、高い技術が求められるので、手をつける人は多くはないのだそう。労力はかかるけれど、知念さんはこの朧型が好きで度々手がけるのだそう。この生地は近くの南風原町で作られた、シルクの薄い生地である壁上布が用いられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">SNSでの発信で紅型ファンを増やす</h3>



<p>異業種とのコラボレーションも積極的に行っていて、地元のやきものに紅型の柄を転写させたり、泡盛のラベルデザインに紅型を施したりなどと、沖縄の特産品同士のコラボも手がけている。染め物に興味がない人にも見てもらえる機会となるし、もちろんその逆もあると考える。</p>



<p>現在知念さんは、SNSでの発信を積極的に行っている。制作の工程を動画で紹介したりと、紅型に興味を持ってもらえるような投稿をしている。投稿だけでなく、動画の編集もすべて知念さんが行っているそう。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/image-54-1024x683.jpeg" alt="" class="wp-image-54253" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/image-54-1024x683.jpeg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/image-54-300x200.jpeg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/image-54-768x512.jpeg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/image-54-1536x1024.jpeg 1536w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/image-54.jpeg 1600w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>その効果か、実際、工房を見学に訪れる人の数は増え続けていて、紅型を知らなかった全国の若い世代にもSNSでの発信を見てもらえている様子。</p>



<p>それから、製品を扱ってもらっている本土の呉服屋さんには度々出向いている。接客もしながら、地元沖縄とはまた違った、その土地ごとのお客さんの好みなどを直接聞くことができる。それを持ち帰り制作に活かすことも多い。</p>



<p>現在、知念紅型研究所では、熟練の職人から、紅型職人を目指してやってきた若手まで10人ほどが勤めていて、それぞれの持ち場できびきびと手を動かしている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">琉球紅型の未来を見据えて</h2>



<p>「文化だからとか、伝統だからとか、特別なことじゃなくて、仕事として続けていく。それが歴史文化になっていくと思う」という知念さんの言葉からは、これからの琉球紅型を見据え、背負う覚悟のようなものが感じられる。</p>



<p>「楽しくないと続かないし、難しさがあるからあきずに新しい挑戦ができる。スタッフたちにも自分がチャレンジしていく姿を見せていきたいし、これからも自分を追い込みながら、現代における紅型というものを作っていきたい」とまっすぐな思いが発せられる。</p>



<p>この先も琉球紅型が発展し続けるように継承を続けながら、軽やかにストイックに挑戦を続け、琉球紅型界を明るく牽引してくれるだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54250/">琉球紅型の未来を見据えたものづくりをする、知念紅型研究所 知念冬馬さん／沖縄県那覇市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>目標は、名実ともに“世界一”の蜂蜜酒･ミードを作ること「EIGHT CROWNS」代表 Maynard Plant（メイナード･プラン）さん／宮城県富谷市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 08 Mar 2026 08:42:59 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[インフューズドハニー]]></category>
		<category><![CDATA[蜂蜜]]></category>
		<category><![CDATA[ミード]]></category>
		<category><![CDATA[BTI･ World Mead Challenge金賞]]></category>
		<category><![CDATA[MONKEY MAJIK]]></category>
		<category><![CDATA[WILD FLOWER]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_A_4625.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本屈指のロックバンドとして、ミュージックシーンで輝き続けるMONKEY MAJIK。そのボーカル＆ギターのMaynard PlantさんとドラムのTAXさんが取り組んでいるのが、養蜂だ。ふたりが20年以上も暮らす宮城県 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54130/">目標は、名実ともに“世界一”の蜂蜜酒･ミードを作ること「EIGHT CROWNS」代表 Maynard Plant（メイナード･プラン）さん／宮城県富谷市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_A_4625.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本屈指のロックバンドとして、ミュージックシーンで輝き続けるMONKEY MAJIK。そのボーカル＆ギターのMaynard PlantさんとドラムのTAXさんが取り組んでいるのが、養蜂だ。ふたりが20年以上も暮らす宮城県富谷市で採蜜し、市の中心部にある観光交流ステーション「とみやど」の中で「EIGHT CROWNS」という店舗で生はちみつを販売している。ミュージシャンであるふたりが、養蜂家となったその理由とは……？</p>



<h2 class="wp-block-heading">少年時代の記憶から辿り着いた、富谷での養蜂</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_A_4022.jpg" alt="" class="wp-image-54135" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_A_4022.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_A_4022-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_A_4022-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宮城県富谷市は、かつて宿場町として栄えた、仙台市北部に隣接する人口5万人超の町。近年は「子育て世代に優しい町」として若い世帯の流入で話題となっている。そんな富谷市で20年以上も暮らしているのが、MONKEY MAJIKのMaynard PlantさんとドラムのTAXこと菊池拓哉さん。</p>



<p>このふたりが、はちみつの会社「EIGHT CROWNS」を立ち上げたのは、2018年のことだった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">カナダで出会った養蜂の世界</h3>



<p>その背景にあるのが、カナダ出身のMaynardさんの少年時代にある。Maynardさんが10代のころ、養蜂家だった伯父さんを手伝うことがあった。ミツバチ何万匹もの小さな命を育て、その受粉によって農作物が実り、人々はその恵みを口にする。自然の循環と、生き物それぞれの役割を、体感として学んだ時間だったという。その記憶が「いつか自分もやってみたい」という思いとして、心に残り続けていた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">富谷市での出会いが“点と点”をつなぐ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_A_4536.jpg" alt="" class="wp-image-54136" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_A_4536.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_A_4536-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_A_4536-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そんな中、NHKのローカル番組でナビゲーターを務めていたMaynardさんは、富谷市長の若生 裕俊氏と出会うこととなる。若生氏は、ビルの屋上で行う「都会式養蜂」に関心を寄せ、富谷市役所の屋上で養蜂を行っていた。そこに運命的なものを感じたMaynardさんは「富谷は養蜂を推進している町なんだから、自分もやってみよう！」とTAXさんと養蜂を始めることにした。</p>



<h2 class="wp-block-heading">始まりは“8つのミツバチの巣箱”</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_2624.jpg" alt="" class="wp-image-54141" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_2624.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_2624-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_2624-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宮城県中部に位置する「七つ森」という緑豊かな場所に、7つの西洋ミツバチの巣箱、そして1つの日本ミツバチの巣箱、全部で8つの巣箱を置いたことからスタートを切った。会社名のEIGHT CROWNSのEIGHTはここからくる。そしてCROWNS＝冠は、女王蜂をリスペクトする単語をつけたかったからだ、とMaynardさんは話し、「後で考えたら、EIGHTって日本語で数字の8（ハチ）だから、ちょうどよかった」と笑う。</p>



<h3 class="wp-block-heading">テロワールを生かした採蜜で独自性のあるはちみつづくり</h3>



<p>花を求めて蜂の巣箱を移動させる移動養蜂ではなく、自分たちのテロワールで採蜜したいと考えていたMaynardさんとTAXさんは、蜜源としてハゼリソウの木を植えた。ハゼリソウは、青紫色の花が特徴的でミツバチにとって最高峰の蜜源植物ということで知られている。その蜜を集めることで黄金色のフルーティーなはちみつができる。あっさりとした甘味が特徴で、紅茶やヨーグルト、チーズなどにもよく合う。採蜜量は決して多くないが、クオリティのみがこだわりだ。</p>



<p>採蜜場所を増やすことはあるとしても、巣箱を持って移動することは考えていないという。年ごとの気候や自然環境によって、はちみつの風味は微妙に変化する。その違いこそが、この土地ならではのテロワールであり、異なる味わいを楽しめることに価値を感じているからだ。　</p>



<h3 class="wp-block-heading">富谷だから生まれる“WILD FLOWER”という味わい</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3261.jpg" alt="" class="wp-image-54137" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3261.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3261-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3261-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>富谷という場所柄、ミツバチが一種類の花の蜜から集めた単花蜜を採取するのは難しく、山桜、アカシア、藤などから採蜜し、それを「WILD FLOWER」としてパッケージ。一方、単花蜜のはちみつは、彼らと同じような規模でこだわりを持っている各地の養蜂家から仕入れ、販売を行っている。</p>



<p>その単花蜜（アカシア）を使い、同社が製造に注力しているのがハバネロやレモン、サフランなどをはちみつに漬け込んだインフューズドハニー（Infused Honey）。幅広い料理に使えるほか、代謝促進や免疫力向上といった健康効果も期待できるとして、近年、海外で注目を集めているのだそう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">蜂蜜酒･ミードで富谷から世界へ挑む</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3227.jpg" alt="" class="wp-image-54138" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3227.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3227-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3227-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>さらに、彼らはWILD FLOWERから「ミード」を醸造。ミードとは、はちみつと水と酵母菌を発酵させてできあがる醸造酒で、神話にも出てくる世界最古の酒といわれている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">東北の酒蔵とともにミードを開発</h3>



<p>ミード醸造のきっかけは、MONKEY MAJIKのカナダツアーの際、飛行機の機内誌がミードを特集していたのを見たTAXさんが「ぜひやってみたい」と持ち掛けたことにある。帰国後、MaynardさんとTAXさんは世界中のミードを飲み、同じ東北の日本酒造会社に醸造を依頼することにした。国内でミードを醸造しているのは20〜30社ほどに限られ、東北地方ではこの会社のみ。ミードを造れる環境そのものの希少性にあった。日本酒造りで培った発酵技術を生かし、はちみつ本来の香りや風味を損なわずに仕上げているのが特徴だ。甘口からドライタイプまで表現の幅も広く、実際に口にしたMaynardさんとTAXさんが「おいしい」と感じたことが、醸造を託す決め手となった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">日本酒酵母×生はちみつが生む、ドライでフルーティーな一杯</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3204.jpg" alt="" class="wp-image-54140" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3204.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3204-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3204-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>EIGHT CROWNSのミードの原料には日本酒の酵母を使う。加水した生はちみつに日本酒酵母を合わせることで、少し酸味のあるドライな仕上がりになった。峰の雪酒造の社長がいろいろと試した結果、この酵母にいきついたそうで、まるでマスカットのようなフルーティーで飲みやすいミードに仕上がった。</p>



<p>Maynardさんは、自分のミードに「こんなにおいしいものができるなんて！すごく満足している」と笑う。ブドウによってワインの味が変わるように、ミードもはちみつによって味が左右される。EIGHT CROWNS の作る極上のはちみつが、極上のミードになるのは、言わずもがななのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">世界的な評価を獲得</h3>



<p>EIGHT CROWNSのミードは、 「WILDFLOWER TRADITIONAL MEAD」と名付けられ、2023年にアメリカの世界的酒品評会「BTI･ World Mead Challenge」で金賞を受賞した。酸味と甘味のバランスも絶妙で、日本酒のようなクリアな味わいも感じることができる。Maynardさんは当初、ミードの醸造にあまり乗り気ではなかったが、「様々な料理と相性抜群。ミツバチが集めた自然の恵みをそのままの状態で食卓へ届けたい」との思いから、追求を重ねたことが実を結んだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">目指すのは“世界一のミード”と、世界の養蜂家をつなぐ未来</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3290.jpg" alt="" class="wp-image-54139" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3290.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3290-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/eight-crowns_B_3290-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>Maynardさんに将来の夢を聞くと、「まずは自分のミーダリー（ミードを造る場所）を作ること」とし、さらに今でも評価の高い彼らのミードを超えた“世界一”のミードを作ること、そしてミードで地域を盛り上げていきたいと話してくれた。</p>



<p>また、養蜂家としては、日本だけでなく世界中の養蜂家とつながることのできる“ハブ”のような存在になることだ、と笑顔を見せてくれた。</p>



<p>EIGHT CROWNのはちみつは、加熱や過度な濾過を行わず、天然のビタミンやミネラル、酵素を多く含んでいる。ミツバチが花から集めてきた蜜の風味や栄養をできるだけ損なわずに届けたいからだ。それは富谷のテロワールを表現することにもつながる。</p>



<p>自然豊かな宮城県の小さなまちで生まれ、世界からも評価されるはちみつとミードは、日常に豊かさと元気を運んでくれるはず。富谷から生まれる“最高のはちみつとミード”を、ぜひ五感で味わってほしい。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54130/">目標は、名実ともに“世界一”の蜂蜜酒･ミードを作ること「EIGHT CROWNS」代表 Maynard Plant（メイナード･プラン）さん／宮城県富谷市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>創設者の想いをつなぐ、南部裂織伝承者･小林輝子さん／青森県十和田市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 02 Feb 2026 11:11:58 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[織物]]></category>
		<category><![CDATA[南部裂織の里]]></category>
		<category><![CDATA[青森県伝統工芸士]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_43.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>そのむかし雪国青森では綿の栽培は難しかったため、布は大切に使われた。着古した着物は最終的に裂き、地機で織り込んで仕事着などを作るようになるが、これが後に南部裂織(なんぶさきおり)と呼ばれるようになる。小林輝子(こばやして [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_43.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>そのむかし雪国青森では綿の栽培は難しかったため、布は大切に使われた。着古した着物は最終的に裂き、地機で織り込んで仕事着などを作るようになるが、これが後に南部裂織(なんぶさきおり)と呼ばれるようになる。小林輝子(こばやしてるこ)さんは創始者の想いを受け継ぎ、南部裂織の魅力を令和のいまに広めようと奮闘中だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">南部裂織とは</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_42.jpg" alt="" class="wp-image-53958" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_42.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_42-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_42-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<h3 class="wp-block-heading">この土地ならでは、といってもいい南部裂織の歴史的背景</h3>



<p>「物を大切にする女性たちの知恵」から生まれた南部裂織は200年以上の伝統があり、その歴史は江戸時代まで遡る。雪深い青森では綿花が育ちにくく、北前船で運ばれた木綿や古手木綿はとても貴重だったため、その頃の農家は栽培した天然繊維の麻を織物にして着ていた。はぎれも粗末にせずに重ねて刺し子にしたり、最後には裂いて繋いで一枚の布に仕上げたりしていた。南部裂織の原型だ。</p>



<p>明治26年に鉄道が開通すると木綿の着古された布がこの地方にも流通するようになり、農家たちは麻袋を解いた糸を経糸(たていと)に、そして使い古した布を細くテープ状に裂いて緯糸(よこいと)にして地機(じばた)で織り込むようになった。厚くて手触りがゴワゴワとした裂き織りは、冷たい風が吹き荒れるこの地方には親和性があり、仕事着やこたつ掛けとして使われてきたという。「このようにして、この地域の人々は寒さを乗り越えるために様々な工夫をして生きてきたんです」と小林さんは話してくれた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">多種多様であるとともに、全て一点ものという仕上がり</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_3810.jpg" alt="" class="wp-image-53959" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_3810.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_3810-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_3810-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「麻糸と1㎝くらいの幅に裂いた古い木綿を地機で織る」というとてもシンプルな織物なのにもかかわらず、織り方の種類は決して少なくない。最も基本的な平織(ひらおり)、布と糸を交互に織り込むサグリ織り、整経するときに２色の糸を掛けてできる市松織り(いちまつおり)や網代織り(あじろおり)、斜めの目が面白い引き返し織り、布の中に模様をつくる綴れ織り(つづれおり)などと、そのほかにもバリエーションは数多い。</p>



<p>現在では地機を使った伝統的な技法を活かしながら、仕上がりがとてもカラフルなこたつ掛け、トートバック、ベッドカバー、タペストリー、スリッパなど、現代の生活にマッチした様々なアイテムが制作可能だ。</p>



<p>そして南部裂織の大きな魅力のひとつに、「世界のどこにもないオリジナルの物を作ることができる」というものがある。「たとえ同じ布を使ったとしても、どのタイミングで織り込むか、また織る際の力の入れ方によっても、全く風合いは変わってしまうんです。同じものを作ろうと思っても、二度と作れません」と小林さんは笑う。「南部裂織の一つひとつが唯一無二」と言われる所以でもある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">南部裂織保存会のはじまりは奇跡的な出会いから</h2>



<p>それは小林さんの妹、1971年当時35歳の菅野暎子(かんのえいこ)さんが、好きだった叔母の形見分けに臨んだところから始まる。ボロボロで誰もいらない、とでもいうように部屋の隅に紫の裂織の帯が置いてあったが、菅野さんはその味わいのある色と丹念に織られた風合いに強く惹かれてしまい、「誰もいらないなら…」と持ち帰ったという。そしてその帯を見れば見るほど、菅野さんは温もりのある手織りの表情に魅せられて、裂織を知りたいと強く思うようになっていった。</p>



<p>しかしその頃には「着古した衣類やボロを織ることが恥ずかしい」として南部裂織はすでに消滅しかけていたが、そのルーツと織り方を教えてくれる人を根気よく探し歩き、翌年に十和田湖町の”東山きゑ”さんと”赤坂みせ”さんに辿り着く。二人から「裂織なんかやっても一銭にもならないよ」と言われて断られていたが、誠意を持って何度も通っているうちにようやく教えてもらえるようになったという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">燃えるような情熱で南部裂織に捧げる人生</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_4336.jpg" alt="" class="wp-image-53960" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_4336.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_4336-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_4336-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>菅野さんはもう一度南部裂織の価値を見直すとともに、技術と精神を学んで自らも継承者となり、1975年7月7日の棚機の日に南部裂織保存会を設立。自宅で「さきおり教室」を始め、裂織の普及に心血を注ぐとその功労を高く評価され、「青森県伝統工芸士」に認定されるなど多くの受章に輝く。</p>



<p>また「より多くの方々に南部裂織を知ってもらいたい」との想いから、何年にもわたって十和田市に掛け合い、2002年道の駅「とわだぴあ」の隣に十和田市の施設として、匠工房「南部裂織の里」のオープンにこぎつけた。75台ほどの地機がずらりと並ぶさまは壮観で、そのほとんどは菅野さんが集めたもの。「十和田市内･南部地方はもちろん、情報を聞きつけては福島県などを訪ね歩いて集めた機もあるようです」と、愛おしそうに地機を眺めながら小林さんは教えてくれた。</p>



<p>菅野さんは2003年10月に保存会設立30周年記念南部裂織フェスタin十和田を成功させると、2004年3月に他界した。がんを患っていたが最後まで隠していたという。享年67歳だった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">姉が想いをつなぐ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_38.jpg" alt="" class="wp-image-53961" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_38.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_38-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_38-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ボロを織るのが恥ずかしいと思われる時代だったため、当初世間体が悪く、南部裂織否定派だったという小林さん。ところが菅野さんが南部裂織に携わって10年ほどした頃、ちょっとしたきっかけで南部裂織をやってみるとすぐその魅力に取りつかれる。「織り機に座って、布に触れて織るというのが心底楽しくて、当時疲れていた私には本当に癒やしでした。気づけば夜中の1時、2時なんて当たり前。私が南部裂織に真剣に向き合うようになったのはそれからです」と小林さんは笑う。</p>



<p>現在では南部裂織保存会の会員は130名で、その多くは主婦だ。女性は子育てなど様々な悩みや苦労があるものだが、「それをここに全部捨てていきなさい」という創立者の想いを受け継いでいて、ここに来てストレスをためるようなことは一切ないように努力しているのだそう。また、何時集合･何時解散という決まりが無いという毎週水曜日開催の教室で学ぶ生徒は50名ほどで、仲が良いため常に笑いが絶えず、市の文化祭に向けて1年に1アイテムは作って全員提出できるよう進めている。</p>



<p>教室以外に体験することもでき、外国の方や児童･生徒の団体も多いのだそうだが、「特に子供たちにとっては新鮮らしく、楽しそうに織っているんですよ」と小林さんは目を細める。ここに体験に来て「お父さん、この織り機が欲しいから買ってほしい」とねだった子もいたのだそう。体験した人の数は11,000人を超えたという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">創始者の想う、南部裂織のあり方を守る</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_40.jpg" alt="" class="wp-image-53962" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_40.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_40-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_40-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>緯糸(よこいと)に使う使い古した布は、ホテルや旅館の浴衣が届いたり、相撲部屋など全国からの寄付でまかなっているのだそう。「お婆さんが亡くなった、母親が亡くなった、でも捨てるにもったいないから引き取ってくれますかと言って送ってくれる方もいらっしゃいます。だから、みんなに支えられているんです」と小林さん。</p>



<p>そうやってたくさんの人々に支えられながら南部裂織を広めたいと思っている小林さんだが、「芸術家を養成する施設ではないんです、後世に裂織を伝えてつなげていくのが一番です」とも話す。まだ菅野さんが運営していた時、愛好者が多くなった他の自治体から「コンテストをやりたいから企画して審査してください」とオファーがあったそうだが、裂織は絶対に競争するものではないとの信念から、ピシャリと断ったのだそう。小林さんは「裂織は競争するもんじゃない、全て一等賞。自由に、自分の感性で好きなようにやればいいんです。それは妹から引き継いだ強い想いのひとつでもあります」と話してくれた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">会の半世紀の軌跡とこれからの試み</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_39.jpg" alt="" class="wp-image-53963" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_39.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_39-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_39-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2025年に南部裂織保存会はちょうど50周年を迎え、その記念事業として「次世代につなぐ」をテーマに記念作品展･無料体験会を開催し、受け継いできた手技を見せる500点以上もの作品、各教室で織りつないだ50mの織布を展示するなど、様々な挑戦も試みている。「南部裂織は地元の誇るべき文化で今後の地場産業にもなりうる」との想いから、伝統的なものに加えて現代にもマッチした裂織も製作･販売中だ。フランス在住の日本人デザイナーから、男性用スーツのための藍染の裂織布地のオーダーがあったことも。</p>



<p>「今はスイッチを押すと電気で何でも動くでしょ。昔と変わらず自分の手足がエネルギーとなって物が作れる、と子どもたちに伝えていかなきゃダメだと思っています。南部裂織が色あせないのは、ものを大事にするという誰もが持ち合わせている気持ちがあるからなんでしょうね。もっとたくさんの人に知っていただくのが私の使命です」と小林さん。南部裂織の伝統と創始者の想いを引き継ぎ、また、誰もが居場所のある社会にするべく、今日も小林さんたちはいろとりどりの経糸(たていと)に、裂いた布を緯糸(よこいと)にして一段一段織りこんでいく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53950/">創設者の想いをつなぐ、南部裂織伝承者･小林輝子さん／青森県十和田市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>清里の地だからできたこと「有限会社農業法人清里ジャム」／山梨県北杜市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 02 Feb 2026 10:38:45 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[白桃のジャム]]></category>
		<category><![CDATA[コーディアル]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[ジャム]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/export1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>ペンション経営の為に移住してきたところから始まった清里ジャムは、独自の製法にこだわるジャムやコーディアルなど多くの人に受け入れられる商品を生み出した。これまで多くの開拓者を受け入れてきた歴史を持つ「清里ならではの風土があ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/export1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>ペンション経営の為に移住してきたところから始まった清里ジャムは、独自の製法にこだわるジャムやコーディアルなど多くの人に受け入れられる商品を生み出した。これまで多くの開拓者を受け入れてきた歴史を持つ「清里ならではの風土があったからできたこと」と語る社長・佐野間 芳樹（さのま よしき）さんの商品開発を続ける原動力とは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ペンション経営から始まったジャム作り</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/export3.jpg" alt="" class="wp-image-53932" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/export3.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/export3-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/export3-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>八ヶ岳南麓の山梨県北杜市清里地域、萌木（もえぎ）の村の一角にある「有限会社農業法人清里ジャム」。ここには「フルーツをそのまま食べているみたい」という感想が寄せられる程みずみずしい果実を味わえるジャムがある。</p>



<p>「余計なことをせず、素材の味を生かす」そう話すのは有限会社農業法人清里ジャムの代表取締役社長・佐野間芳樹（さのまよしき）さん。</p>



<p>製造の効率ではなく「誠実さ」を大切にすることをモットーにジャム作りを続けている。佐野間さんが「清里ジャム」の工房を立ち上げたのは2003年。30代前半でこの地へ移住し立ち上げたペンション事業の食材作りを始めたことがきっかけだった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">清里で第二の人生を</h3>



<p>群馬県に生まれ、大学進学の際に上京し、後にファッション業界を志して専門学校へ進学した佐野間さん。卒業後は某有名ファッションデザイナーの下でデザイン業務を行っていた。やりがいのある仕事だったが、常にトレンドを追いかける目まぐるしい日々に次第に行き詰まっていったという。</p>



<p>故郷のような自然の中で仕事をしたいと思い、当時ブームだったペンション経営の道に進むことを決意。八ヶ岳周辺で物件を探しているところで清里と出会い、この土地でペンション事業を行っていく事を決心した。</p>



<h3 class="wp-block-heading">農業への興味</h3>



<p>ペンションで提供する料理に必要な食材が上手く手に入らなかったことから、まずは自身で農業を始めたと当時を振り返る佐野間さん。</p>



<p>初めはハーブや野菜などの食材を作っていたが、次第に農業へのめり込むようになっていく。「仕方がないので食材を自分で作ってしまおうと始めた農業でしたが、結構うまく行ったんですよね。元々興味もあったので、勉強しながら作る物も広げていきました」。清里の土地に合う農作物を探し試行錯誤を重ねた結果、辿り着いたのがブルーベリーだった。</p>



<p>観光農園として本格的に栽培をスタートし、収穫したもので作った自家製のブルーベリージャムをペンションの食事で提供してみると、利用客から好評の声が多く寄せられるように。近隣のホテルなどからも仕入れの要望が舞い込むようになったこともあり、いよいよ本格的に製品化へ踏み切ることとなる。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">清里の受け入れる風土と拡大するジャム事業</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/export4.jpg" alt="" class="wp-image-53933" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/export4.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/export4-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/export4-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宿泊業に並ぶ柱として、加工品の市場へ事業を開拓しはじめた佐野間さん。さらにその背中を押すこととなった転機が訪れたのが2003年、当時の高根町町長の発想で始まった萌木の村内施設建設の話を持ちかけられたことだった。</p>



<p>「当時の町長が非常に意欲的で聡明な人でした。元々地域の特性として酪農やその生産物であるミルクなどに力を入れていましたが、それ以外の特産品作りや農業へ尽力してくれたんです」</p>



<p>牛乳以外の特産品を作る。佐野間さんはそのミッションを果たすべく、町長直々に推薦を受けてジャム作り事業としてエントリー。その結果見事採用され、ペンションで消費する分だけの小規模だったジャム作り事業を拡大することになり、「有限会社農業法人清里ジャム」を設立。いよいよ地元山梨の果物を使った「清里ジャム」のブランドが生まれた。これら一連の経緯を「清里だからできたこと」と語る佐野間さん。「清里は開拓者の町なので、外部からの人を受け入れる風土がありました」。事実、1938年の奥多摩湖のダム建設により沈むこととなった村の住民たちが清里地区に移住し、新たな開拓を始めたという歴史がある。厳しい寒さと飢えに耐えながら痩せた荒地を開墾するという過酷な作業に取り組み、地域を発展させてきた清里には、佐野間さんのいう「受け入れる風土」があるのだろう。移住者にも分け隔てない風土があったからこそ、こうした新しいムーブメントが起きたのだ。</p>



<p>農業体験と宿泊を掛け合わせた「農泊連携」にもいち早く取り組んでいた当時の高根町では、町長が青年塾という団体を作り、毎年ヨーロッパ諸国への視察を実施。農業を観光に繋げ「アグリツーリズム」や、野菜・果物の現場を学んでいたという。「非常に有意義な体験だった」青年塾の一員だった佐野間さんはそう当時を振り返る。この視察で刺激を受けた佐野間さんはペンションでも摘み取り体験やジャム作り体験などの宿泊と畑をセットにした施策を打ち出していく。</p>



<h2 class="wp-block-heading">魔法のかかった「清里ジャム」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/export7.jpg" alt="" class="wp-image-53934" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/export7.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/export7-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/export7-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「清里ジャム」の商品の中で最も人気なのが白桃のジャム。「多くの場合、一番人気といえばいちごジャムですが、うちは白桃が一番売れるんです」。その理由のひとつは、旬の時期にだけ製造・販売することで、素材本来の瑞々しい美味しさを届ける事が出来ているからだという。もちろん白桃以外のラインナップも旬のシーズン内で完売してしまう程の人気ぶりで、一つひとつ丁寧に選別した材料で作られたジャムの種類は25種類に及ぶ。</p>



<p>大きめにカットされた果物のごろっとした食感が魅力の「清里ジャム」だが、「果物の下処理に半日かかってしまって、効率が悪いんです」と苦笑いする。通常のジャム作りであれば１日に３回転製造ができるところを、ここでは１回転しか行う事ができないそうだ。具体的な1日の工程として、まず自分の目で確かめた素材の下処理を午前中に済ませる事から始まる。佐野間さんが作るジャムの糖度は37度と市販のものよりやや低い。その分酸味や香り、味の奥行きとなるえぐみが感じられ、ただ甘いだけではない素材の味を感じる仕上がりとなる。</p>



<p>ジャムの粘り気を出すための添加剤であるペクチンや香料を使わずに時間をかけて水分を飛ばす、独自の「真空低温濃縮」という製法を用い煮詰めていく。これにより、素材の風味がより濃縮され、出来上がったジャムがフルーティーで「果物そのもの」の味に仕上がるのだという。</p>



<p>この一連の工程を佐野間さんは「魔法をかける」と表現した。瓶詰めされた美味しそうなジャムの中には、試行錯誤し続けてたどり着いた「魔法」がぎっしりと詰まっているのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ここにしかない、「日本のコーディアル」 </h3>



<p>ペンション事業から始まったジャム作り。今までは主に小売店やホテルの売店などへの卸売りが多かったが、ここ数年はホテルで提供する朝食用のジャムや、ギフト用のジャムといった商品開発の依頼が増えてきたそうだ。「好反響のおかげで、認知度が少しずつ増えていっている実感はあります」と佐野間さんは胸を張って答える。</p>



<p>これを受け盛況であったペンション事業をたたみ、現在はジャム事業に専念している。その中で新たに「コーディアル」という商品が開発された。</p>



<p>コーディアルは日本人にあまり馴染みのない商品だが、イギリス発祥の希釈して使うフレーバーシロップの事だ。炭酸水で割ってノンアルコールドリンクにしたり、紅茶やヨーグルトに混ぜてその香りや甘さを楽しんだりと多彩な使い方で味わうことができる。現在日本で流通している物は輸入品が大半を占め、日本国内で作っているところはほとんど無いのだという。</p>



<p>「勿論一番の売れ筋商品はジャムですが、ジャムを作ること、果物を加工する事の延長線上には色んなものがあります。コーディアルもそのひとつで、加工をするのが好きで色々と商品開発を進めています」</p>



<p>「日本のコーディアル」として、開発以降多くの反響を呼ぶ人気商品へと成長した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">これからの「清里ジャム」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/export10.jpg" alt="" class="wp-image-53935" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/export10.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/export10-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/export10-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在有限会社農業法人清里ジャムの悩みは人手不足。佐野間さん自身も高齢となり、次の担い手がなかなか集まらないという状況がある。また果物の仕入れ先である農家も、後継ぎがおらずに閉業してしまう所も少なくない。地球温暖化が原因で不作に陥ってしまったりと、継続して同じものを仕入れられないのではないかという不安もあるそうだ。しかしそんな厳しい状況にあっても、佐野間さんにジャム作りを辞めるという選択肢は無い。</p>



<p>「それでもまだやりたい事の発想が出るんです。それは『あなたはまだ世の中の為に活動しなさい』と言われてるって事だと思います。だから動けるうちは色んな事にチャレンジしていきたいです。ジャムと良く合うパンを作るのが当面の課題ですね」</p>



<p>ジャムやコーディアル、パンと様々な商品を展開する「清里ジャム」。その根底には良いものを作ろう、山梨の農業や観光、ひいては世の中の役に立つことをやりたいという思いがある。試行錯誤し、独自製法を編み出しながら誠実に作られた商品はこれからも佐野間さんの歩みと共に、世の中に受け入れられ続けるだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53926/">清里の地だからできたこと「有限会社農業法人清里ジャム」／山梨県北杜市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>顧客の好みに合わせたオーダーメイドの魚を。未来を見つめて漁師と切磋琢磨する「塩谷魚店」／青森県青森市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 14 Jan 2026 06:37:25 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[Michelin Guidebook]]></category>
		<category><![CDATA[Coastal Craftsmen: Northern Japan Nerve-Squeezing Association]]></category>
		<category><![CDATA[Fishing Industry]]></category>
		<category><![CDATA[Nerve Squeezing]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2161.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本海、太平洋、津軽海峡、陸奥湾の4つの漁場を持つ青森県。その中央に位置する青森市で、鮮魚の卸･小売店「塩谷（しおや）魚店」を営む五代目の塩谷孝さんと息子の直紀さんは、神経締めなど高度な技術を用いて、県内外の料理人一人ひ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2161.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本海、太平洋、津軽海峡、陸奥湾の4つの漁場を持つ青森県。その中央に位置する青森市で、鮮魚の卸･小売店「塩谷（しおや）魚店」を営む五代目の塩谷孝さんと息子の直紀さんは、神経締めなど高度な技術を用いて、県内外の料理人一人ひとりの要望に合わせた魚を届けている。根底にあるのは、漁業の衰退を食い止め漁師に恩返しがしたいという強い想いだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">青森が誇る魚を、最高のクオリティで届ける</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2243.jpg" alt="" class="wp-image-53879" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2243.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2243-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2243-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>三方を海が囲む青森県は、日本海側、津軽海峡、太平洋側、そして内湾である陸奥湾の4つの異なる性質の漁場を持つ魚介類の宝庫だ。日本海側では対馬暖流が北上し、その一部が津軽海峡に入って津軽暖流になり、太平洋側へと抜けていく。津軽暖流と北からの親潮、南からの黒潮は八戸沖でぶつかる。青森県の各漁場で多種多様の漁があり、漁師たちは海と向き合い伝承してきた技術を用いて、質のいい水産物を水揚げしている。</p>



<p>そんな豊かな青森の海の恵みを、豊富な知識と高度な技術、そして何より熱い想いで最高品質の商品に仕上げて料理人や消費者に届けているのが、青森市の鮮魚の卸･小売店「塩谷魚店」だ。店を切り盛りする五代目の塩谷孝さんは、「浜の仕事人 北日本神経〆師会」の代表でもある。同会は孝さんが発起人となり、青森県、北海道、岩手県、宮城県などの神経締めに取り組む漁業関連者で結成された組織。神経締めとは、魚の鮮度を保つために魚の死後硬直を遅らせる技術のことだ。これにより、離れた場所にも鮮度の高い魚を届けることができる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">悔しさを力に変えて辿り着いた神経締め</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2377.jpg" alt="" class="wp-image-53880" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2377.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2377-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2377-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>孝さんが神経締めに取り組むようになったきっかけは、青森から遠く離れた西日本で「青森の魚は鮮度が悪く美味しくない」と言われたことだったという。1933年（昭和8年）に魚屋4軒が集まり始まった「塩谷魚店」は、孝さんが入った頃には近隣の飲食店やホテルが主な取引先だった。「美味しい青森の魚を県外の人にも食べてもらいたい」と考えた孝さんは、40代半ばを過ぎた頃、全国展開に挑戦。しかし遠方への輸送は時間がかかり、先の言葉を耳にすることになる。</p>



<p>「なんとか青森の魚を新鮮なままで全国に届ける方法がないか」と、悔しさをバネに勉強と研究を重ねて辿り着いたのが神経締めだった。さらには直紀さんとともに佐井村や深浦町など県内の漁村の漁師のもとに出向き、知識や技術を漁の現場と共有することにも力を注いだ。締めるときの魚の状態が美味しさに直結するため、いかに漁師がいい状態で魚を獲り、適切な処理を施すかが重要になるからだ。関係者が一体となって高みを目指すために、情報交換や技術向上の機会を創出しようと立ち上げたのが「浜の仕事人 北日本神経〆師会」であり、その決起のときには、愛媛や神奈川などから神経締めのプロフェッショナルがレクチャーしに来てくれたという。塩谷さん親子の熱意に心を動かされ、二人と想いをひとつにした漁師は少なくない。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ワンチームでオーダーメイドの魚を作る</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2197.jpg" alt="" class="wp-image-53881" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2197.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2197-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2197-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>独自のスタイルに進化させた技術を駆使して、青森の漁師たちと塩谷魚店がワンチームで作る魚には、いまや全国の名だたるシェフが注目している。求めた通りか、それ以上の魚が届くからだ。塩谷魚店では、注文が入るとあらかじめ信頼できる漁師に「こういう魚が欲しい」と説明をする。すると漁師は締めるタイミングが船の上のほうがいいのか活魚のまま送るのがいいのか、生簀をどんな状態にしておくのがベストなのか、要望に応えるべく都度見極める。そうして届いた魚は塩谷魚店でも管理を徹底し、その魚が何を食べているかまで考慮しながら、神経締めなど適切な処理を選択する。両者のプロフェッショナルな仕事の連携が、塩谷魚店が大切にする「お客さん一人ひとりに合わせたオーダーメイドの魚」を作ることを可能にするのだ。</p>



<p>「オーダーメイドのスーツを着るとぴったりだと満足できるように、値段以上の満足感を感じてもらいたい」と孝さんは話す。「食感重視か、それとも香りかというように、料理人それぞれに欲しい要素は異なります。私たちは魚ごとの個性を熟知したうえで、料理するタイミングまで計算してその要望に応えていく。そして食べる方が口に入れたときに最高に美味しいと思う魚を作ることが、オーダーメイドの魚を作るということ。神経締めは、そのための手段のひとつなのです」。</p>



<h2 class="wp-block-heading">魚種、状態、要望によりプロセスを変える、塩谷さんの神経締め</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2580.jpg" alt="" class="wp-image-53882" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2580.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2580-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2580-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>神経締めは脊髄を破壊する処理であり、脳を破壊する悩殺、血を抜く放血、のふたつの処理を一緒に行うのが一般的。孝さんの卓越しているのは、届いた魚の種類や状態、顧客の要望によって悩殺を優先するか放血を優先するかを見極めて、味や鮮度を調整することだ。「悩殺優先では血抜きよりも先に脳を破壊し神経締めすることで、ある程度の血を残します。あえて血を残したほうが香り、旨みがでてくるので、届いたらすぐに使うというお客様には悩殺を優先しています。一方放血優先は血抜きに特化した手法です。血が残ると身の劣化が早まるので、寝かせたいなどの理由ですぐに調理をしないお客様にはこちらで行います」と話すのは直紀さん。孝さん直伝の職人技で、悩殺をレクチャーする。</p>



<p>ワイヤーで脊髄の神経を破壊するのが神経締めだ。どこに神経が通っているかは魚種によって異なるため、経験と感覚が頼りの職人技である。「ワイヤーは螺旋状になっていて、神経をからめとるような感じ」と直紀さん。神経を抜くと、活きのいい魚では一気に色が引く。美味しい魚かどうかの目安にもなるという。​​</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2984.jpg" alt="" class="wp-image-53883" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2984.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2984-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2984-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>放血のやり方はさまざまあるが、魚の心臓の力だけで抜くのが塩谷さん流。ここでも魚がいかに元気であるかが重要になるという。活きのいい魚であれば、内部までしっかり冷やすと10分ほどで血がほとんどが抜けて、透明感ある状態に仕上がる。</p>



<p>どの処理を行うにしても、前提として魚の状態がよくなければならない。「漁師さんが徹底して管理する魚を扱わせてもらうから、私たちもより高みを追求できる。漁師さんあってこその仕事なんです」と、孝さんも直紀さんも、感謝の気持ちを口にする。</p>



<h2 class="wp-block-heading">魚価を上げて漁業の衰退を食い止め、食文化を繋げていきたい</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_3007.jpg" alt="" class="wp-image-53884" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_3007.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_3007-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_3007-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「全国でも通用できる魚を作りたい。ミシュランガイドブックに載るシェフたちに認めてもらえるような魚を」。当初はそんな夢を持っていた孝さんだったが、いつしか「漁師たちに恩返しがしたい」という想いが強くなっていった。「漁師さんから学んだ部分がすごく多いし、今こうしてやっているのも、一緒に歩んでくれる漁師さんあってこそ。受けた恩を返す番」と、孝さん。魚がどんどん少なくなっているのを肌で感じ、危機感を抱いているのだ。</p>



<p>「浜に行くとよく、息子が跡を継ぎたいと言っても水揚げがないと食べさせる余裕がなく断念してもらう、という残念な話を聞きます。繰り返しになりますが、私たちの生業というのは地元の漁師さんあってこそ。漁師さんによって生かされているんです。それに、この地の魚食文化も途絶えかねません。じゃあどうするのかというと、魚価を上げるしかない。特に底値を上げなければ」というのが孝さんの考えだ。「そのために、これまでに得た知識や技術を県全域に広めていって、県全体で魚の価値を高めていきたい」と考えている。</p>



<p>漁師たちがいい状況で代々続いていくことで、直紀さんの代もこの仕事を続けていける。さらには先人たちから伝わってきた食文化を守っていくこともできる。これが孝さんの描く未来だ。「最後はやっぱり青森の魚を美味しく食べてもらうこと。また食べたいと思える魚を、これからもたくさんの人に届けていきたいですね」。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53871/">顧客の好みに合わせたオーダーメイドの魚を。未来を見つめて漁師と切磋琢磨する「塩谷魚店」／青森県青森市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>歴史の中で人の手が作り出した、地下30ｍの巨大地下空間。大谷石の採掘場跡「大谷資料館」／栃木県宇都宮市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 08 Jan 2026 07:44:29 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[ロケ地]]></category>
		<category><![CDATA[凝灰岩]]></category>
		<category><![CDATA[大谷石]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2527.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>宇都宮市の大谷（おおや）地区で採掘される「大谷石」。火に強く柔らかく加工しやすいという特徴から建築資材として多く活用されている。その大谷石の採掘場跡を見学できる「大谷資料館」。地下30ｍにもなる圧巻の巨大地下空間は見る人 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53784/">歴史の中で人の手が作り出した、地下30ｍの巨大地下空間。大谷石の採掘場跡「大谷資料館」／栃木県宇都宮市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2527.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>宇都宮市の大谷（おおや）地区で採掘される「大谷石」。火に強く柔らかく加工しやすいという特徴から建築資材として多く活用されている。その大谷石の採掘場跡を見学できる「大谷資料館」。地下30ｍにもなる圧巻の巨大地下空間は見る人を魅了する。</p>



<h2 class="wp-block-heading">石と自然が織りなす、独特の風景に出会える「石のまち大谷」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2523.jpg" alt="" class="wp-image-53792" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2523.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2523-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2523-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宇都宮市の中心部から車を走らせること25分ほど。建物の多かった景色が一変、緑と山に囲まれた地域にたどり着く。山と言ってもそれは岩山のような独特の風景。ここは宇都宮市の特産物「大谷石（おおやいし）」の一大産地、「石のまち大谷」と呼ばれるエリアである。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「大谷石」とは？</h3>



<p>大谷石とは、2000万年前の火山噴出で堆積した凝灰岩（ぎょうかいがん）で、宇都宮市の大谷地区を中心に産出されたことから「大谷石」と呼ばれるようになった。</p>



<p>柔らかく加工しやすい特徴を持ち、古くから建築資材として活用され、県内の石塀や古い蔵などは大谷石造りのものが多い。また耐火性や調湿効果もあり、その自然の風合いも人気が高く、近年は一般住宅や店舗などの内装材として使われることも。「大谷石」と聞けば、栃木県で暮らす人ならほとんどは知っている非常に身近な存在の石である。</p>



<h3 class="wp-block-heading">旧帝国ホテルにも使われた大谷石</h3>



<p>大谷石の本格的な採掘が始まったのは江戸時代の中頃と言われている。その頃は機械などないので、ツルハシを使い、重たい石を人力で掘り出していた。当時は県内の神社仏閣や宇都宮城の建築、民家の塀などに使われていたが、明治時代以降は、鉄道など輸送手段の発達に伴って採掘産業も成長。東京や神奈川などにも多く出荷されるようになった。</p>



<p>1922年（大正11年）には、「近代建築の三大巨匠」と呼ばれるアメリカの建築家、フランク・ロイド・ライトが日比谷の旧・帝国ホテルの本館（ライト館）に大谷石を利用した。建築に必要な量を十分に確保できたことと、細やかな彫刻を施しやすい柔らかな石の特徴が選ばれた理由だと言われている。帝国ホテルの開業直後には関東大震災が発生したが、その際にホテルが大きな被害を受けなかったことから、耐震性や耐火性の優秀さも認められ「大谷石」の名前が広く知れ渡ることになった。</p>



<p>その後、採掘機械の導入や高度経済成長期の建築需要の増加も相まって、昭和40年代には年間出荷量は約89万t、採掘事業場は約120ヶ所にも上る最盛期を迎えた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">大谷地区の観光の中核を担う「大谷資料館」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2538.jpg" alt="" class="wp-image-53793" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2538.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2538-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2538-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「大谷石」産業の発展と並行して、大谷地区は観光地としても発展していった。1956年には、岩壁に日本最古の石仏が掘られている大谷寺の南側に位置する採掘場の壁面に、約27mもの巨大な「平和観音」が作られた。それをきっかけに多くの人が大谷を訪れ、周辺には土産物屋やレストラン、ドライブインなども増加。さらなる観光地化が進んだという。その一方で、建築資材の多様化などの影響を背景に大谷石の需要は徐々に低下。そんな中、大谷石の採掘場跡を観光客向けに公開した民間施設が「大谷資料館」だった。今から45年以上昔の、1978年のことだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">人の手によって作り出された、圧巻の地下空間</h3>



<p>「大谷資料館」の中を案内してくれたのは、館長の大久保恭利さん。</p>



<p>地下30ｍ、広さ2万㎡にもなる巨大な地下の採掘場跡は、徒歩で見学ができる。その内部は真夏でも寒さを感じるくらいヒンヤリと涼しく、年間の平均気温は8℃前後。高くそびえる岩肌には、いくつもの細かい線のようなものが刻まれており、これが石を切り出した跡なのだという。</p>



<p>大谷資料館が実際の採掘場として稼働していたのは、1919年（大正8年）から1986年（昭和61年）までの約70年間（現在は採掘は行われていない）。1960年（昭和35年）ごろまでは、ツルハシで石を掘り出し、ときには120kg近くの重い石を人が「背負子（しょいこ）」で背負って外に運び出していた。その後、チェーンソーのような採掘機械が導入され、より効率的に多くの石を切り出せるようになった。岩肌を上から下まで見ていくと、上部の岩肌は全体がぼこぼことして、中間から下部には平らな岩肌に鋭い刃物が入ったような跡に切り替わっている。</p>



<p>さらに上を見上げると、天井はすすけたような黒い色。これは温度の低い坑内で石職人たちが火を燃やし、暖を取ったためではないかと大久保さんは見ている。</p>



<p>最新の技術が反映された近代的な大規模建築ではない。しかし自然が作り出した鍾乳洞とも違う。自然の岩と、人の力が融合してできた独自の空間と歴史を体感できるのが「大谷資料館」なのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">見学だけはない、結婚式やイベント施設としての活用</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2573.jpg" alt="" class="wp-image-53794" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2573.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2573-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2573-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「大谷資料館」は1978年の開業以来、大谷地区の観光の中核を担うスポットであり続けている。大谷地区が、日光への道中に通りやすい位置にあることから、県内外の学生の遠足や修学旅行の立ち寄り先としても選ばれやすかったという。</p>



<p>また、映画やテレビ、ミュージックビデオなどの撮影などにも利用されたことで知名度は上昇。大谷石は火に強いことから、火を使った映画などの撮影にも対応してきた。坑内にはその実績の写真が多数飾られており、「あの作品はここで撮影したのか」と関心を寄せる観光客の姿も多く見られる。</p>



<p>神秘的な地下空間を利用した商品のプロモーションやイベントに使いたいと希望する企業も多く、車や時計、世界的な高級酒ブランドのレセプションなどにも活用された実績も。</p>



<p>また、非公開エリアを特別に開放して結婚式を開催することも可能。上部に空いた穴から入る自然光とろうそく明かりだけで彩られた、幻想的で厳かな思い出が作れる。ただ見学させるだけではなく多様な需要にも応えることで、大谷を代表するスポットになっていったのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">観光客の減少、震災による休館。大谷地区の衰退</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/en/wp-content/uploads/sites/3/2026/01/SOL2522.jpg" alt="" class="wp-image-53795" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2522.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2522-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2522-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>観光施設として、独自の存在感を確立していった「大谷資料館」。しかしそれは「大谷資料館」という１施設の話で、大谷地区全体としては、平成の初期から急激な衰退が始まっていた。</p>



<p>原因の１つは、1989年に発生した陥没事故。地面が大きく陥没したショッキングな映像は人々に「大谷は危険」という印象を与え、本来なら多くの自然や大谷石の岩肌の見える山など、独特の美しい景観を楽しめる地域全体に「負」のイメージが付いてしまったと。さらには、安価な外国製建材など建築資材としての需要減少も年々加速し、採石業者も減るばかり。周辺の飲食店や宿泊施設なども撤退し、見どころ・遊びどころの減った地域からは観光客の足も遠のくのは必然だった。たくさんの観光バスや道を歩く人々の姿は減少し、かつての賑わいは嘘のようになってしまっていた。</p>



<p>それでも大谷資料館は、独自性や地下の大空間を見学できるというインパクトも相まって、なんとか観光施設として営業を継続。</p>



<p>そんな最中の2011年に、東日本大震災が起こってしまう。</p>



<p>大谷資料館のある宇都宮市は震度6強の揺れを記録し、地域の被害も甚大。この未曾有の大災害をきっかけに、大谷資料館は休館することが決定された。</p>



<p>この休館の背景について「震災で物理的なダメージがあったのでは？」と誤解する人も多かったが、実はそうではない。大谷資料館の内部は、戦時中に飛行機の地下軍事工場として使われたほどの頑丈さで、震災による物理的ダメージはなかった。ただ余震も続くなか、来場客が地震に驚いてケガをしたり、不安を感じたりしないようにと当時の館長が休館へと踏み切ったという。</p>



<p>理由はどうであれ、大谷地区を代表する観光施設が休館となったことは、大谷地区の衰退に拍車をかけた。再開の目処も立たず、当時のオーナーも事業の売却を検討するように。そんな中、この資料館を再開し、後世に残すべく経営を引き継いだのが、大久保さんの父･恵一さんだったのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">観光スポットとしての再生の道筋</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/en/wp-content/uploads/sites/3/2026/01/SOL2547.jpg" alt="" class="wp-image-53796" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2547.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2547-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2547-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>それまで、大谷地区で土木・石材業を営んでいた恵一さん。目に見えて衰退していく地域で、しかも未経験の事業を引き継ぐのは、無謀なようにも見えた。しかし、恵一さんの中にあったのは「多くの人で賑わっていた、かつての大谷を取り戻したい」という強い想い。自分の育った地域が賑わっていた頃の風景を、もう1度見たいという、自らの切なる願いに背中を押されたのだ。</p>



<p>当時県外で働いていた大久保さん本人も、そんな父の想いに共感。忙しくなった父を手伝うべく、生まれ育った大谷に戻ることに。</p>



<p>父と息子ではじまった試行錯誤の日々。様々な施策を検討し、中でも華道家の假屋崎省吾氏の作品展示は話題を集め、また、人気アニメとのコラボイベントなどの開催も相まって新たに資料館を知る人が増加。また休館以前は禁止していた写真撮影を可能にしたことで、フォトジェニックなスポットとしても人気を得ることになった。（※許可なく2時間以上の長時間撮影と三脚や自撮り棒などの撮影備品を使用した撮影は禁止）</p>



<p>それらと並行して大谷エリア全体も、「昔のにぎわいを取り戻したい」という人の手によってイベントの開催や新たな店の開業などが進んだこともあり、客足は徐々に回復。現在は、年間来場数が45万人を超え、海外からの観光客を乗せたバスも連日訪れるほどのにぎわいを取り戻すに至った。</p>



<h3 class="wp-block-heading">地下という特殊な環境で、安心して見学してもらうために</h3>



<p>地下という特殊な環境を管理するには苦労も多いという大久保さん。</p>



<p>内部は湿度が非常に高く、常時80％ほど。電気系統も腐食しやすいため、漏電にも細心の注意を払わなければならない。台風など大雨の際は大量の水が流れ込んでしまうため、丸3日かけてポンプで汲み出すこともあった。</p>



<p>また車のイベントなどで車を搬入する際は一酸化炭素中毒にも注意を払う。</p>



<p>近年は地下で密になる不安を解消するため、入口で入場人数をカウントできる機械を導入。内部の滞在人数をリアルタイムで表示できる感染症対策設備も整えている。</p>



<p>そんな中、最も力を注ぐのは安全性の確保。大谷石は軽くて亀裂が入りやすい石質のため、ヒビが入っていないかどうか、熟練の職人が毎月点検を行う。地下の非公開エリアに入っているヒビの幅にも変化がないかも随時チェックし、安心して見学が楽しめる状態を保っている。</p>



<p>今では観光客が増加しただけでなく、全国の企業や団体からイベントなどの企画が続々と持ち込まれる。「火は使えるのですが、爆破はやめてほしいと言っていますね」と少し困ったように微笑む大久保さんだが、にぎわいを取り戻した資料館の姿にうれしさを感じているように見えた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">これからも大谷とともに</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/en/wp-content/uploads/sites/3/2026/01/SOL2514.jpg" alt="" class="wp-image-53797" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2514.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2514-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2514-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「ここは世界的に見ても、めずらしい場所だと思います」と大久保さん。好きな作品のロケ地として見学に来る人も多いというが、「子どもたちには、昔の人が頭を使いながら手で採掘をしていた歴史も一緒に学んでくれたら嬉しい」と語る。</p>



<p>かつては「大谷資料館」を見たら帰るという人も多かった大谷地区。ここ10年弱の間に、周辺におしゃれな飲食店やショップなどの出店も相次ぎ、大谷地区全体が楽しめるエリアとして再生してきた。それを担ったのは、大久保さん親子のような、かつての大谷の賑わいを知り、再生の可能性を信じて尽力した人たちの力にほかならない。</p>



<p>父が手を上げたことで始まった観光業としての大久保さんの人生。予想もしなかったことだが、今では色々な人との出会いにおもしろさを感じる毎日だそう。</p>



<p>「見学コースを広げたいという思いもありますが、安全性の面でも難しいことがある。でも、地下だけでなく、季節ごとの地上の風景もきれいです。資料館を見たあとは、大谷エリア全体を見て回ってほしいですね」と大久保さん。</p>



<p>「大谷資料館」だけでなく、大谷地区に多くの人が訪れて地域全体が盛り上がっていくこと。それこそが、この土地の盛衰を目の辺りにしてきた人々の願いなのだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53784/">歴史の中で人の手が作り出した、地下30ｍの巨大地下空間。大谷石の採掘場跡「大谷資料館」／栃木県宇都宮市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>日本とフィンランド。布と陶で二つの原風景を紡ぐ「Mustakivi」石本藤雄さん･黒川栄作さん／愛媛県松山市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 10 Dec 2025 06:08:51 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[フィンランド]]></category>
		<category><![CDATA[石本藤雄]]></category>
		<category><![CDATA[黒川栄作]]></category>
		<category><![CDATA[道後]]></category>
		<category><![CDATA[ライフスタイルブランド]]></category>
		<category><![CDATA[マリメッコ社]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta058.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>マリメッコ社でテキスタイルデザイナーとして活躍し、400種以上のデザインを生み出した石本藤雄さん。50年の北欧生活を経て、故郷･愛媛へ帰ってきた彼が新たな創作の地に選んだのは道後。黒川栄作さんと共に立ち上げたブランド「M [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53654/">日本とフィンランド。布と陶で二つの原風景を紡ぐ「Mustakivi」石本藤雄さん･黒川栄作さん／愛媛県松山市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta058.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>マリメッコ社でテキスタイルデザイナーとして活躍し、400種以上のデザインを生み出した石本藤雄さん。50年の北欧生活を経て、故郷･愛媛へ帰ってきた彼が新たな創作の地に選んだのは道後。黒川栄作さんと共に立ち上げたブランド「Mustakivi（ムスタキビ）」で、人と地域、暮らしに根ざした表現を届けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">二人の故郷、愛媛で生まれた「Mustakivi」<strong> </strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta063.jpg" alt="" class="wp-image-53666" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta063.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta063-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta063-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2017年、石本さんと黒川さんが故郷･愛媛で立ち上げたMustakiviは、テーブルウェアやテキスタイルなどを扱うライフスタイルブランド。Mustakiviはフィンランド語で「黒」を意味する「Musta」と、「石」を意味する「Kivi」から成る造語。二人の名前を重ね合わせた。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta059.jpg" alt="" class="wp-image-53667" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta059.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta059-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta059-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そもそも、二人はいかにして出会ったのか。それは、仕事でフィンランドを訪れた黒川さんが、フィンランド･デザインの魅力に惹かれたことから始まる。帰国後もその想いを深めていった彼は、2013年、愛媛で初個展を開催した石本さんとついに初対面を果たした。</p>



<p>立ち上げ以来、Mustakiviは日本の手仕事と協業しながら、日常生活に寄り添う器や布を制作している。</p>



<p>「単なる物販にとどまらず、文化を生み、発信する存在でありたい」と黒川さん。石本さんの作品を通して、人々が改めて地域の価値に気づく、そんな場所をつくりたいと考えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">愛媛と北欧、二つの原風景が創作の源 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta011.jpg" alt="" class="wp-image-53668" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta011.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta011-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta011-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>釉薬によるデザインが美しい器、自然にあるものをモチーフにした手ぬぐいやタオルなどのファブリック。シックな配色で自然を描いたり、ぼかしの表現を用いたりと、日本の美意識や技法を感じさせる石本さんのデザイン。その源には、故郷･愛媛の原風景がある。</p>



<p>1941年、砥部焼の産地として知られる愛媛県砥部町に生まれた石本さん。6人兄弟の5番目。実家はみかん農家だったが、家の周辺には廃業した登窯の跡や煙突があり、陶器のかけらや窯道具が転がる風景が、後の創作活動の原点となる。</p>



<p>「そのあたりにいっぱい転がっていたうつわの破片を集めては遊び道具にしていました。大人が立ったまま入れるほどの大きな登り窯が3つほどあり、その中でよく遊んだものです」と話す。幼い頃の記憶は、今も鮮明に残っている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta010.jpg" alt="" class="wp-image-53669" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta010.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta010-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta010-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>東京藝術大学で学んだのち、世界各地を旅し、最終的に行き着いたのがフィンランドだ。</p>



<p>1974年から2006年まで、フィンランドを代表するデザインハウス･マリメッコ社でデザイナーとして活躍し、400種を超えるテキスタイルデザインを手がけた。</p>



<p>大胆かつ個性的なテキスタイルデザインを展開し、創業から70年を超えてなお世界中にファンを持つマリメッコ。これまで名だたるデザイナーがマリメッコの根幹を支えてきたが、石本さんも間違いなくその一人といえるだろう。さまざまな技法やスタイルを駆使した彼のデザインは、今もマリメッコの定番として親しまれている。</p>



<p>また、1980年代より陶芸にも関心を向けた石本さんは、フィンランドの伝統的な製陶所･アラビア社のアート部門にも属し、自然のモチーフを取り入れた表現力豊かな陶芸作品を生み出した。</p>



<h3 class="wp-block-heading">故郷･愛媛でのものづくりが始まる</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta043.jpg" alt="" class="wp-image-53670" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta043.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta043-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta043-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「いつかは日本に帰って制作活動をしようと思っていた」という石本さんは2020年、半世紀ぶりに帰国を果たした。長く海外に暮らしているからこそ見えてきた、日本の暮らしに宿る美しさと、故郷の原風景。それらを故郷で表現したいとの思いからだった。</p>



<p>故郷での新たなスタートを支えたのが、黒川栄作さんだった。2021年にアトリエが完成した翌年にショップ兼ギャラリー「Mustakivi gallery&amp;（ムスタキビギャラリーアンド）」を開いた。</p>



<p>アトリエには電気窯を設置し、日々デザインや作陶など創作活動に打ち込む石本さん。「作るのは楽しい。健康のためにもいいんですよ」と笑顔を見せる。</p>



<p>実家は、砥部焼の陶祖といわれる杉野丈助が開いた窯の近くにあった。そこで生まれ育った石本さんが今、やきものに取り組んでいることに偶然とは思えないめぐり合わせを感じる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自然は、思い通りにならないからおもしろい </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta060.jpg" alt="" class="wp-image-53671" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta060.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta060-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta060-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>石本さんのデザインの源泉は、素材がもたらす制限にある。</p>



<p>「フィンランドも日本も、木がもたらしたものは大きいですよね。かつて人々は、身近な木を切り出して自分たちでお皿を作り、使っていた。だからフィンランド人の持っている“かたち”に対する感覚は木にあると思うんです。日本も、木からできたかたちが多いです」</p>



<p>自分では思い通りにならないのが自然。だからこそ、生まれるかたちがある。それは作陶も同じ。自分の意思が全面的に通るわけではない、ある種の制限から生まれるデザインの美しさを、石本さんは楽しんでいるようだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本とフィンランドに共通する、四季を慈しむ心</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta034.jpg" alt="" class="wp-image-53672" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta034.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta034-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta034-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>もうひとつ、フィンランドと日本に共通するものがある。それは四季だ。「フィンランドも四季がはっきりしていて、季節を祝おう、楽しもうという感覚がありますね」と黒川さん。</p>



<p>Mustakiviでは、3カ月に一度、新作の手ぬぐいを発表している。草花、果物、風景、色、かたちなどをモチーフにした手ぬぐいが、季節を彩る。テーブルに敷いたり、壁に飾ったり、暮らしのなかで四季を楽しむアイテムとして取り入れたい。</p>



<h3 class="wp-block-heading">暮らしと結びつき、文化が根付いていく </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta026.jpg" alt="" class="wp-image-53673" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta026.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta026-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta026-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「石本先生のデザインを見て、『愛媛出身の方だったんだ、うれしい』と地元の方に言っていただけたときは、私もうれしかったですね」と黒川さん。愛媛の風物をモチーフとした作品から、自分が住んでいる地域の美しさを改めて感じ、故郷に誇りを持てるようになる。「そんな誇りが地域をつなげる団結感の源になっていくのではないか」と考えている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta023.jpg" alt="" class="wp-image-53674" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta023.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta023-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta023-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そんな想いを込めて、2026年には松山城の近くに「石本藤雄デザインミュージアム」を開設予定だという。</p>



<p>「純粋なつながり、人と人との関係を大切に、この地域で、僕らにしかできないことをしっかり長く続けていきたいという気持ちがあります」と黒川さんは、新たな文化的拠点への想いを込める。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日常のしあわせに気づく場所</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta037.jpg" alt="" class="wp-image-53675" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta037.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta037-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta037-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>アートとデザインという二つの領域を自在に行き来しながら、日常に潜む小さなときめきをすくい上げ、デザインに落とし込んできた石本さん。その感性を丁寧に受けとめ、ブランドとして結晶化させてきた黒川さん。二人が歩んできた時間と記憶は、「Mustakivi」を通して、今も静かに広がり続けている。</p>



<p>半世紀を過ごしたフィンランドの記憶、そして愛媛の原風景を起点に生まれる作品は、どれも暮らしに寄り添いながら、私たちに新しい景色を見せてくれるだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53654/">日本とフィンランド。布と陶で二つの原風景を紡ぐ「Mustakivi」石本藤雄さん･黒川栄作さん／愛媛県松山市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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