<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>CRAFT - NIHONMONO</title>
	<atom:link href="https://nihonmono.jp/culture/craft/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://nihonmono.jp</link>
	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
	<lastBuildDate>Wed, 08 Apr 2026 00:06:08 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=6.8.5</generator>

<image>
	<url>https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/06/cropped-favicon-32x32.png</url>
	<title>CRAFT - NIHONMONO</title>
	<link>https://nihonmono.jp</link>
	<width>32</width>
	<height>32</height>
</image> 
	<item>
		<title>100年後の森へ、今日も向き合う。「王子ホールディングス」／北海道夕張郡栗山町</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54273/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/54273/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 03 Apr 2026 01:11:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[洋紙]]></category>
		<category><![CDATA[王子HD]]></category>
		<category><![CDATA[段ボール]]></category>
		<category><![CDATA[衛生用紙]]></category>
		<category><![CDATA[製紙業]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=54273</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/7.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「日本資本主義の父」とも呼ばれ、日本初の銀行の設立、鉄道･保険･製紙など幅広い産業の基盤を作った実業家･渋沢栄一の尽力により1873年に設立された「抄紙会社（しょうしがいしゃ）」をルーツに持ち、150年の歴史を誇る王子ホ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54273/">100年後の森へ、今日も向き合う。「王子ホールディングス」／北海道夕張郡栗山町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/7.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「日本資本主義の父」とも呼ばれ、日本初の銀行の設立、鉄道･保険･製紙など幅広い産業の基盤を作った実業家･渋沢栄一の尽力により1873年に設立された「抄紙会社（しょうしがいしゃ）」をルーツに持ち、150年の歴史を誇る王子ホールディングス。国内民間最大級となる約19万ヘクタールの社有林を擁し、北海道栗山町で100年前から木を植え、森を育て、今もなお100年後の収穫を見据えた森づくりを続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">渋沢栄一から受け継ぐ、150年の「やり遂げる」意志</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/1.jpg" alt="" class="wp-image-54276" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>北海道中部に位置し、町域の約半分を森林が占める夕張郡栗山町。かつて夕張炭鉱の盛栄とともに発展し、元日本ハムファイターズ監督の栗山英樹氏が自身の名にちなんだこの地に少年野球場「栗の樹ファーム」を構え、20年以上交流を行っていることでも有名な町である。この町の山間部、見渡す限りの雪景色の中に広がる大森林。ここは王子ホールディングス（以下･王子HD）が保有する社有林だ。その歴史をさかのぼれば、1873年に明治の実業家･渋沢栄一が深く関わり、抄紙会社を設立したところに行き着く。当時の日本では和紙が主流で、西洋式の技術で大量生産できる洋紙はまだ存在しなかった。それを自分たちの手で作ることは、情報を広く伝えるための出版や新聞を支え、国家の近代化を進めるために欠かせない挑戦だった。操業当初は赤字が続く苦境に立たされたが、渋沢はそれでも諦めなかった。その「やり遂げる」精神が、150年続く同社の揺るぎない礎となっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">原料は、自分たちでも育てる</h3>



<p>創業当時の紙の原料はボロ布。その後、文明の発達に伴い、増え続ける紙の需要に対応するため、1889年には木材から紙をつくる製造技術を開発。1930年代からは将来にわたる原料の安定確保のため森林の育成に取り組んできた。現在、同社が国内に持つ森林は大阪府の総面積とほぼ同じ約19万ヘクタールに及び、民間企業としては国内最大規模を誇る。北海道ではトドマツやカラマツ、本州ではスギやヒノキなど、その地域に昔から自生していた木を中心に植え、育て、収穫する。この北海道栗山町の森を担うのが、王子木材緑化の小笠原哲彦さん、佐藤有さんだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">事業が、森を豊かにする</h3>



<p>同社が森を持ち続ける理由は、シンプルだ。「木を使うものは、木を植える義務がある」。その一点から始まった営みが、森を育て、水源を守り、川下の農業を潤すという恵みを生んでいる。森が育てば水が清くなり、川下の農業や海（漁業）にも恵みが及ぶ。数値で証明できるものではないけれど、「そういった効果はあると思います」というのが、彼らの実感だ。事業を続けた先に豊かな自然があるという事実を、150年という時間が静かに証明してきた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">マイナス20度冬の森で、収穫は最盛期を迎える</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/44.jpg" alt="" class="wp-image-54277" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/44.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/44-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/44-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>同社の北海道の社有林では、厳しい冬こそが収穫の最盛期となる。気温が氷点下まで下がり、雪が深く積もる北海道の冬こそが、質の高い木材を収穫するための適期なのだ。そこには、北国ならではの合理的な理由がある。</p>



<h3 class="wp-block-heading">冬の森が、最高の木材を生む</h3>



<p>木は冬になると休眠状態に入り、内部の水分量が低くなる。夏に伐（き）ると樹液がどっとあふれ出るが、冬の木は締まったままの断面を保ち、乾燥も早く、長持ちする良質な木材になるのだという。さらに、氷点下の冷気が地面を凍結させたり、積もった雪がクッションになることで数十トンの重機を乗り入れても土壌を傷つけずに済み、凍結しているほうが丸太が滑って運びやすいという点でも、冬は林業に適した季節だ。「木は水分を蓄えているので、活動を止めて乾燥している冬に行うほうがいい木が採れる」。そんな北国ならではの知恵を、佐藤さんたちは自然体で語る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">機械では補えない、山師の眼</h3>



<p>彼らはいわば現代の「木こり」だ。雪深い森の中で重機を操りながら、その土地の水の流れや植生のバランスをすべて把握している。「ここは切ってはいけない。ここを切ると水が枯れてしまう」。そう話すように、長年の経験に裏打ちされた五感で判断を下し、100年後の森の姿を想像しながら、今どの一本を収穫すべきかを導き出す。最新鋭の機械が導入され安全性や効率は飛躍的に高まったが、最後は彼らの眼力が森の未来を決定づけているのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">1分で丸太へ。実業が生む「無駄のない」循環</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/10.jpg" alt="" class="wp-image-54278" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/10.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/10-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/10-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>かつてはチェーンソーを手に人が命がけで斜面を歩いた現場も、現在は高度な機械化が進んでいる。安全性が高まり、若い世代も参入しやすくなったことで、深刻だった担い手不足にも変化の兆しが見え始めている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">1分で丸太になる、ハーベスタの仕事</h3>



<p>機械化を象徴するのが、伐倒（ばっとう）から枝払い、丸太の切り出しまでを一手にこなす重機「ハーベスタ」。搭載されたコンピューターは木をつかんだ瞬間に曲がりや太さを瞬時に判断し、最も価値が高くなるようなカット数を計算する。雪を蹴立てる音とともに、わずか1分足らずで規定の長さへと切り揃えられていく。人数を抑えて安全に働くための不可欠な知恵であり、残った枝の先までもがバイオマス燃料の材料として活用され、森の資源を余すことなく活用している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">紙の需要は、世界とともに広がる</h3>



<p>こうして森から生まれた木材は、建築材や家具材として、また製材には向かない低質材はチップ化して、紙をはじめ、段ボールやバイオマス燃料などさまざまな姿へと変わっていく。デジタル化が進む今、紙の役割が変わりつつあるのは確かだ。しかし新聞などの情報メディア向けの需要が縮小する一方で、そもそもその比率は王子HDの売上の中でそれほど大きくない。むしろ「包む」「拭く」という暮らしに根ざした用途の需要は世界的に高まり続けており、「段ボールや衛生用紙はなくなるどころか増えていく」とふたりは話す。ネット通販の拡大がその需要をさらに後押ししている。紙を作り、その紙をリサイクルしてまた段ボールへ。「そこまで一貫してやっているところはなかなかない」とふたりが口をそろえるように、原料育成調達から製造、リサイクルまでを自社で完結させる仕組みは、世界的にも珍しいビジネスモデルだ。現在は木からプラスチックや医薬品を作る研究にも取り組んでおり、森林資源を未来の成長産業へとつなげようとしている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">100年後のリレー。終わりのないバトン</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/55.jpg" alt="" class="wp-image-54279" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/55.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/55-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/55-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在、日本の多くの森が手入れされずに放置されている。最大の理由は、森を健やかに保つ営みがすぐには収益に結びつかないからだ。王子HDのような企業が事業として本気で森に向き合い続けることが、日本の林業全体を底から支えることにつながっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">事業としての森が、日本を守る</h3>



<p>一本の苗木を植えただけでは社会はすぐには変わらない。しかし事業として継続できる規模で植え続けることには、未来を変える力がある。木を育て、適切に収穫し、経済を回していくことが、結果として次の世代に健全な環境を残すことにつながっていく。「次の世代の人たちにも森を引き継ぎ、更に良い森づくりを行ってくれたら」と話すふたりの言葉は、静かだが力強い。確かな覚悟が、言葉の奥に宿っている。その背景には、日本の森が抱える現実がある。手入れされない森はやがて荒れ、水源が失われ、土砂災害のリスクも高まる。しかし現実には、担い手不足と高齢化により、多くの森が手入れされないまま放置されている。木は人間が意志をもって作り出すことのできる再生可能な資源だ。そして、世界中のメーカーが石油に頼ってきたモノづくりを、木材をはじめとするバイオマスに置き換えていく取り組みを加速している。王子HDが事業として森に向き合い続けることは、日本の自然そのものを守ることでもあるのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">今植える木は、孫の代へ</h3>



<p>今日植えた木が収穫されるのは、はるか先、孫の代の話だ。スギ･ヒノキで40〜50年、北海道のトドマツやカラマツは60〜70年。植えた苗木を伐るのは孫の代になる。「先代が植えたものを今収穫し、今植えるものは100年後の後輩に託したい」とふたりは話す。自分が生きている間には完結しない仕事を、それでもひたむきに続けていく覚悟がその言葉ににじむ。「森林をしっかり育てて、そこから作れるいろんな素材を研究して社会に届けるのが使命」。その言葉が示すように、150年前に渋沢栄一が描いた志は今も生きている。終わりのない「100年単位のリレー」を事業としてつないでいく。その営みが、日本が誇る豊かな水と緑を、そのままの形で未来へ手渡していく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54273/">100年後の森へ、今日も向き合う。「王子ホールディングス」／北海道夕張郡栗山町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/54273/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>琉球紅型の未来を見据えたものづくりをする、知念紅型研究所 知念冬馬さん／沖縄県那覇市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54250/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/54250/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 31 Mar 2026 06:05:52 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[琉球紅型]]></category>
		<category><![CDATA[びんがた]]></category>
		<category><![CDATA[紅型三宗家]]></category>
		<category><![CDATA[染織]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=54250</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-001.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>鮮やかで大胆な配色と図柄、沖縄にいにしえから伝わる染めの技術である琉球紅型（びんがた）。紅型は、琉球王朝の王族の着用品として仕立てられ献上されていた。那覇にある知念紅型研究所の10代目当主・知念冬馬（とうま）さんは、新し [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54250/">琉球紅型の未来を見据えたものづくりをする、知念紅型研究所 知念冬馬さん／沖縄県那覇市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-001.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>鮮やかで大胆な配色と図柄、沖縄にいにしえから伝わる染めの技術である琉球紅型（びんがた）。紅型は、琉球王朝の王族の着用品として仕立てられ献上されていた。那覇にある知念紅型研究所の10代目当主・知念冬馬（とうま）さんは、新しい風を吹き込みながら紅型と日々向き合っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">王族に紅型を献上していた、紅型三宗家のうちの一家</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-027.jpg" alt="" class="wp-image-54261" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-027.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-027-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-027-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>沖縄に伝わる伝統工芸で、唯一の染め物である紅型。古くは、着用品として琉球王朝の王族のためだけに作られていたものだが、現在は着物や帯、小物などに施され、広く親しまれている。もともとは、「びんがた」と、平仮名表記だったけれど、昭和に入り漢字で紅型と表されるようになったのだそう。</p>



<p>今から120年ほど前までの琉球王朝時代、王族への献上品として紅型を仕立てていたのは、紅型三宗家といわれた城間家、沢岻（たくし）家、そしてこちらの知念家だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">大戦による紅型の衰退と復興</h3>



<p>ところが、廃藩置県や薩摩侵攻などにより王制が解体され、450年ほど代々続いた仕事がなくなってしまった。生業としては継続できないけれど、紅型の技術を途絶えさせてはならないと、明治以降もどうにか制作を続けた家もあった。知念家は他の仕事で生計を立てながら、紅型の道具や資料を大事に守り続けた。時が経ち、昭和の戦後復興の沖縄で、冬馬さんの祖父・貞男さんが紅型を続けていた親戚に知念の紅型を教わり家業として復活させた。</p>



<p>職人たちは、舞踊の琉装やお土産品として紅型の制作をはじめ、沖縄の工芸として復興させていった。1972年頃から、本土から和装として注文が入るようになり紅型界にも活気が戻ってきた。そうして1984年には、「琉球びんがた」として経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">歴史ある琉球紅型を受け継ぐ10代目</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-053.jpg" alt="" class="wp-image-54262" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-053.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-053-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-053-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>那覇空港からほど近い場所に工房を構える知念紅型研究所。現在の当主、知念冬馬さんは、京都でグラフィックデザインの勉強をし、大阪でデザイナーとして働いた後に、アートを深めるためにイタリア・ミラノへと留学した。そこで芸術作品や当たり前に残る歴史ある建物などを日常的に目にするなかで、「自分も、消費されずに残っていくものづくりがしたい。自分の世界を表現したい」という思いがかたまったという。いつかは継ぐつもりでいた家業の紅型、自分が行き着いた想いにぴったりだった。</p>



<p>その決意を胸に沖縄へ戻り、知念紅型研究所で紅型と向き合う日々が始まった。22歳での帰郷は考えていたよりも早かったが、まずは自身の技術を磨くことを第一に考えれば最良の選択だった。しかし、その矢先、これまで工房を守っていた祖父が急逝し、工房に入って数ヶ月で経営まで自分が行わなくてはならなくなった。その数年、本当に必死だったと振り返る。</p>



<p>知念さんは、2021年には日本伝統工芸展日本工芸会の新人賞を受けるなど、いくつもの賞を受賞している。また現在は、琉球びんがた普及伝承コンソーシアムの理事、琉球びんがた事業協同組合の副理事を務めている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">沖縄独特の紅型が生まれる工程</h2>



<p>紅型の製作には、デザインをした図案を彫った型紙を用いる。その型紙を生地にあて、上から防染糊（ぼうせんのり）を塗る。乾かし、糊ののっていない箇所に段階的に顔料（がんりょう）を染め重ねる。次は染めた部分に糊をのせ、最後にそれ以外の地色を染める。色を定着させるため、蒸して水洗いをし乾かして完成だ。大まかに説明するとこうだけれど、きちんとわけると完成までに10以上もの工程がある。</p>



<p>生地の素材に決まりはないが、絹や綿などが用いられることが多い。しばりがない分、多種多様な染め方ができるのだそうだ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-007.jpg" alt="" class="wp-image-54263" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-007.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-007-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-007-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>藍色がきれいなこの図柄は「アメフィーバナ」。沖縄の言葉で雨降り花の意味で、ノアサガオが描かれている。地の青の部分は琉球藍で染められている。琉球藍は本土の藍よりも、青みが強く深みがあるという特徴を持つ。　</p>



<p>背景の地色は植物などから得る天然の染料、柄自体には顔料を用い、発色の強い顔料で紅型の力強さを表現する。染料は水溶性で生地の内部まで入り込むため下地に馴染んだ色となり、顔料は粒子として表面に付着するため、鮮やかな色が表現できる。それぞれの性質を活かした色彩のコントラストがこだわりだ。</p>



<p>知念さんは「顔料が表に出てきて、柔らかさのある染料は少し後ろに下がるんです。それでメリハリのある立体感が生まれて奥深い作品に仕上がっていきます」と語る。さまざまな顔料を使い、色自体もそれぞれの図案ごとに配合していく。</p>



<p>沖縄に戻り、本格的に紅型を始めた当初は、祖父のデザインとは違った、自分オリジナルのものを作りたいという意識が強く、実際いろいろ挑戦してきたけれど、様々な日々の制作を重ねていくごとに、代々伝わる図柄の染めやすさとか、色をつけた時の美しさなどに気づくことも多かったという。</p>



<p>昔から好まれる古典の柄は変わらず好きな人も多いので、歴史ある古典の柄は作り続け、それに加え、若い人たちも親しみやすいようなモダンな柄も意識し、時代の移り変わりとともに長く愛してもらえるような商品を制作する。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-076.jpg" alt="" class="wp-image-54264" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-076.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-076-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-076-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>型置きという、型紙を置き、防染糊をヘラで塗っていく作業を行う。糊でマスキングし、この後に染める染料の色が染まらないようにするためだ。糊をすくい、均等にのばし、そっと型紙をはがし、柄がきちんとつながるように隣に型紙を置く。スピードが遅いと、すぐそばから乾燥して目詰まりしたり、紙を剥がすと穴だらけになってしまったりするのだそう。知念さんの所作は、流れるようになめらか。この作業は、沖縄に戻ってきた年は1日に生地1本しかできなかったのが、今では1日に15本もできるのだとか。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-059.jpg" alt="" class="wp-image-54265" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-059.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-059-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-059-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>もち米やぬかで手作りする防染糊には青い顔料を混ぜている。そうすることによって、後の<s>地</s>染めの時の発色がよくなるのだそうだ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-037.jpg" alt="" class="wp-image-54266" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-037.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-037-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-037-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>細かい色をのせていく「色差し」は2本の筆を同時に持って行う。つけ筆で顔料をのせていき、刷り筆で粒子の粗い顔料を生地に浸透しやすくするために刷り込んでいく。その次の工程では、模様のイメージを強調させるために、さらに色を差しながら筆でぼかしを入れ、ここでも立体感を出していく。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-042.jpg" alt="" class="wp-image-54267" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-042.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-042-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-042-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>筆も、幾種類もあり、生地によって使うものを変える。道具は手作りのものも多い。</p>



<h3 class="wp-block-heading">倍の手間がかかる大作、朧型を毎年手がける</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-017.jpg" alt="" class="wp-image-54268" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-017.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-017-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-017-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「花降る島」と名付けられたこちらの着物は、異なる図柄の型紙を2枚重ねて染める朧型という技法で作られている。2倍の手間がかかり、高い技術が求められるので、手をつける人は多くはないのだそう。労力はかかるけれど、知念さんはこの朧型が好きで度々手がけるのだそう。この生地は近くの南風原町で作られた、シルクの薄い生地である壁上布が用いられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">SNSでの発信で紅型ファンを増やす</h3>



<p>異業種とのコラボレーションも積極的に行っていて、地元のやきものに紅型の柄を転写させたり、泡盛のラベルデザインに紅型を施したりなどと、沖縄の特産品同士のコラボも手がけている。染め物に興味がない人にも見てもらえる機会となるし、もちろんその逆もあると考える。</p>



<p>現在知念さんは、SNSでの発信を積極的に行っている。制作の工程を動画で紹介したりと、紅型に興味を持ってもらえるような投稿をしている。投稿だけでなく、動画の編集もすべて知念さんが行っているそう。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/image-54-1024x683.jpeg" alt="" class="wp-image-54253" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/image-54-1024x683.jpeg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/image-54-300x200.jpeg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/image-54-768x512.jpeg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/image-54-1536x1024.jpeg 1536w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/image-54.jpeg 1600w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>その効果か、実際、工房を見学に訪れる人の数は増え続けていて、紅型を知らなかった全国の若い世代にもSNSでの発信を見てもらえている様子。</p>



<p>それから、製品を扱ってもらっている本土の呉服屋さんには度々出向いている。接客もしながら、地元沖縄とはまた違った、その土地ごとのお客さんの好みなどを直接聞くことができる。それを持ち帰り制作に活かすことも多い。</p>



<p>現在、知念紅型研究所では、熟練の職人から、紅型職人を目指してやってきた若手まで10人ほどが勤めていて、それぞれの持ち場できびきびと手を動かしている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">琉球紅型の未来を見据えて</h2>



<p>「文化だからとか、伝統だからとか、特別なことじゃなくて、仕事として続けていく。それが歴史文化になっていくと思う」という知念さんの言葉からは、これからの琉球紅型を見据え、背負う覚悟のようなものが感じられる。</p>



<p>「楽しくないと続かないし、難しさがあるからあきずに新しい挑戦ができる。スタッフたちにも自分がチャレンジしていく姿を見せていきたいし、これからも自分を追い込みながら、現代における紅型というものを作っていきたい」とまっすぐな思いが発せられる。</p>



<p>この先も琉球紅型が発展し続けるように継承を続けながら、軽やかにストイックに挑戦を続け、琉球紅型界を明るく牽引してくれるだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54250/">琉球紅型の未来を見据えたものづくりをする、知念紅型研究所 知念冬馬さん／沖縄県那覇市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/54250/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>自宅工房で紡ぐ伊予絣。伝統工芸を未来へとつなぐ。伊予絣作家･村上君子さん／愛媛県松山市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54143/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/54143/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 08 Mar 2026 09:14:21 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸品]]></category>
		<category><![CDATA[伊予絣]]></category>
		<category><![CDATA[愛媛県指定無形文化財]]></category>
		<category><![CDATA[日本三大絣]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=54143</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-9.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本三大絣のひとつであり、愛媛の伝統工芸品の「伊予絣（いよがすり）」。54歳頃から機織りを始めた伊予絣作家の村上君子さん。伝統工芸展への挑戦、そして伊予絣に向き合う姿勢は、まさに“生きること＝織ること”を体現している。  [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54143/">自宅工房で紡ぐ伊予絣。伝統工芸を未来へとつなぐ。伊予絣作家･村上君子さん／愛媛県松山市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-9.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本三大絣のひとつであり、愛媛の伝統工芸品の「伊予絣（いよがすり）」。54歳頃から機織りを始めた伊予絣作家の村上君子さん。伝統工芸展への挑戦、そして伊予絣に向き合う姿勢は、まさに“生きること＝織ること”を体現している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">50代で出会った機織りと伊予絣</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-37.jpg" alt="" class="wp-image-54151" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-37.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-37-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-37-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>　1948年生まれ、伊予絣作家として活動する村上さん。機織りを始めたのは、意外にも50歳を越えてから。長年アートフラワー講師として活動していたが、手首の故障をきっかけに作品作りが難しくなり、その道を離れることを決意。以後は「人に教えること」からも距離を置き、自分自身が心から楽しめる、新たな表現を探し始めたという。</p>



<p>　陶芸や木彫など新たな手仕事に挑戦する中で、最も心を惹かれたのが「織り」だった。「幼い頃、通学路に絣工場があって。ちょうど石手川（いしてがわ）沿いの土手で糸を張って作業をされていたんです」。その光景は村上さんの中の原風景。藍で染められた糸を使う紺屋（こんや）たちの仕事を時にはこっそり眺め、子どもながらに遊び心を刺激された記憶が、時を経て心を動かした。機織りの作業は幸いにも、故障していた手の動きとも合っており、この先も続けられる手仕事だった。現代の伊予絣作家、白方宣年（しらかた のぶとし）氏が主宰するイオリ工芸の染織教室に入門し、5年間学んだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">手間ひまが生む、親しみやすい絣の魅力</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-12.jpg" alt="" class="wp-image-54152" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-12.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-12-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-12-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>　かつて松山を含む伊予地方では、綿花の栽培が行われており、暮らしのなかに木綿を扱う文化が息づくなかで「伊予絣（いよがすり）」は発展した。</p>



<p>　</p>



<p>　絣（かすり）は、織り出された文様の輪郭にかすれたような表情があらわれるのが特徴の織物。経糸（たていと）や緯糸（よこいと）を部分的に括（くく）ることで染料が染み込まない箇所を作り、藍染めを施す。そして白と藍のコントラストが美しい絣独特の風合いを生んでいる。伊予絣は久留米絣（福岡県）･備後絣（広島県）と並んで「日本三大絣」と称されるが、比較的に緯糸にのみ絣糸を用いて織られた絣模様「横絣（よこかすり）」を中心とした構成が多いという。</p>



<p>　「一反で17メートルの糸を仕掛けた場合、緯糸（よこいと）だけで1000ヶ所以上もの括りが必要となることもある」と村上さん。そのため、経糸（たていと）の括りには約1ヶ月程度を要するのに対し、緯糸（よこいと）の括りは2〜3ヶ月かかるなど、手間が非常にかかる工程になるそう。横絣は模様が横方向に連続して展開されるため、繊細かつ規則的な模様表現が可能となるが、その分制作には高度な技術と時間が必要とされる。この特徴が伊予絣の素朴で親しみやすいデザイン性と密接に結びついており、実用的で日常に根ざした織物としての魅力を生み出している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">好奇心をカタチに、緻密に織り仕上げる</h3>



<p>　村上さんの伊予絣制作の出発点は、花をモチーフにしたデザインが多かった。しかし、制作を続ける中で、日常生活で感動したものをデザインに取り入れるようになったという。「何度も眺めながら仕上げていく」と語るように、村上さんの作品には好奇心が色濃く反映されている。近年では、道後公園の断層や小惑星探査機「はやぶさ2」など、地球や宇宙にまつわるモチーフが新たなテーマとして登場している。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-18.jpg" alt="" class="wp-image-54153" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-18.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-18-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-18-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>　デザインが完成すると、模様を正確に織り出すために、糸の括る位置や量を細かく計算し設計する工程に移る。「仕上げる時にもズレないことを心がけています。絣はズレも味わいのひとつと言われますが、私は計算したものが計算通りに仕上げられないと悲しいんです。私の性格でしょうね」と村上さんは笑顔で話す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">工房は自宅、日常に息づく手仕事</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-34.jpg" alt="" class="wp-image-54154" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-34.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-34-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-34-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>　村上さんは工房を持たず、自宅で全工程を一人で手がけている。機織りの作業は全体の2〜3割程度で、ほとんどの時間を染色や糸の準備に費やす。自室ではデザインを考案し、ガレージでは発酵させた藍を使って染色を行う。湿度や温度、そして染液の酸性･アルカリ性を示すpHを測定しながら、藍を最適な状態に保つのも重要な仕事だ。染色は40回ほど繰り返され、仕上がりまでに約1ヶ月を要する。その後、時間をかけて糸を解き、成形していく。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-14.jpg" alt="" class="wp-image-54155" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-14.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-14-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-14-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>　そしてリビングに置かれた機織り機で織り進める。驚くことに、その機織り機はご夫妻で手作りしたもの。伊予絣会館にあった機織り機を詳しく観察し、村上さんが設計図を描き、ご主人が村上さんの身長に合わせて製作したという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統工芸展への挑戦と伊予絣の伝承</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-7.jpg" alt="" class="wp-image-54156" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-7.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-7-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-7-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>　複数の工程を同時に進めながら、村上さんが1年で仕上げる伊予絣はわずか2～3枚。長い時間をかけて織り上げた作品が完成したときは、胸が高鳴るという。</p>



<p>　2011年には「第45回 日本伝統工芸染織展」にて、伊予紬織着物《薫風の時》が山陽新聞社賞を受賞。その後も完成させた作品を、染色展や日本伝統工芸展などへ積極的に出品している。全国を巡回する日本伝統工芸展への挑戦は、伊予絣を広く知ってもらう貴重な機会。挑戦し続けることが、伝承につながっている。</p>



<p>　2021年には日本工芸会の正会員に認定され、2025年には伊予絣が愛媛県指定無形文化財に指定。村上さんはその技術保持者として認められた。これからも、制作に向き合いながら、伊予絣をカルチャーとして広めていく。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-33.jpg" alt="" class="wp-image-54157" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-33.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-33-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-33-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「主婦が台所仕事や掃除の合間に作業をしています。ひとりで少しずつ、楽しみながら。この歳になって打ち込めることがあるのは幸せなことですから」と、村上さんは穏やかに語る。</p>



<p>　50代から始め、「自分が心から楽しめること」を求めてたどり着いた伊予絣。暮らしの中で糸と向き合い、少しずつ仕上げていく作業は、村上さんにとって人生そのものでもある。「いい作品をどれだけ残せるかも挑戦」と語るその姿からは、確かな探究心と、受け継がれてきた伝統工芸の技を未来へとつなげていこうとする意志がにじむ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54143/">自宅工房で紡ぐ伊予絣。伝統工芸を未来へとつなぐ。伊予絣作家･村上君子さん／愛媛県松山市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/54143/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>求めるのは「触りたくなるかたち」。命の手ざわりを形にする漆芸家･笹井史恵さん／京都府向日市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54106/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/54106/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 08 Mar 2026 08:13:13 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[漆芸]]></category>
		<category><![CDATA[ビラブド]]></category>
		<category><![CDATA[空のさかな]]></category>
		<category><![CDATA[天日の舟]]></category>
		<category><![CDATA[瑠璃のさかな]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=54106</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3812.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>光を受けて柔らかく浮かび上がる曲線。まるで花がほころぶ瞬間や、しなやかに折り重なる布を思わせる質感に、思わず手を伸ばしたくなる。漆でつくる「思わず触りたくなるようなかたち」を探求する漆芸家、笹井史恵さんは、日々漆と語らい [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54106/">求めるのは「触りたくなるかたち」。命の手ざわりを形にする漆芸家･笹井史恵さん／京都府向日市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3812.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>光を受けて柔らかく浮かび上がる曲線。まるで花がほころぶ瞬間や、しなやかに折り重なる布を思わせる質感に、思わず手を伸ばしたくなる。漆でつくる「思わず触りたくなるようなかたち」を探求する漆芸家、笹井史恵さんは、日々漆と語らいながら、まだ見ぬ新しいかたちを生み出している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">漆でつくる、触れたくなるかたち</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3855.jpg" alt="" class="wp-image-54118" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3855.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3855-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3855-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>京都府向日市にある自宅兼アトリエ。漆を乾燥させるための戸棚「漆室（うるしむろ）」には、不思議な存在感のある作品が並んでいる。風を含んだようなやわらかな膨らみや、たわわに実った果実のようにみずみずしいかたち。表面は光を受けてしっとりとした艶を帯び、思わず指先を近づけてみたくなる。</p>



<p>笹井さんが手がける漆の立体作品は、一度塗っただけで完成するものではない。漆を塗り重ね、そのたびに研ぎを入れることで、わずかな凹凸を整えながらムラなく均一な塗り面をつくっていく。さらに漆は温度と湿度を管理した空間でしか硬化しないため、乾燥を待つ時間も必要だ。その反復が何度も積み重なって、初めてこのなめらかな質感や柔らかなフォルムが立ち上がってくる。</p>



<p>「触ったときの感覚を想像しながら、塗りや形を決めていきます」というのが、笹井さんの制作スタイル。塗っては研ぎ、また塗り重ねるうちに漆の厚みがふくらみになり、研ぎの精度がなめらかさを生む。そうして少しずつ育てられる造形には、笹井さんが指先で確かめながら漆と向き合った時間が折り重なっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">選んだのは「痩せない作品」</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3809.jpg" alt="" class="wp-image-54119" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3809.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3809-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3809-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>笹井さんが生まれ育ったのは、大阪府八尾市。下町育ちで父は会社員、母は専業主婦と、芸術に縁のある家庭ではなかったという。高校生のときに美術の道に惹かれ、京都の芸術大学に進学した。</p>



<p>「高校では絵を描いていたのですが、続けているうちに、自分は平面に向かうより手の内でかたちを作る方が向いてるんじゃないかな？と思うようになって。陶芸家はどうだろう？まずはやってみよう、という気持ちで芸術系の大学に飛び込みました」</p>



<p>大学に入ったら、まずは染織･陶芸･漆芸をひと通り体験。そのなかで笹井さんの心をとらえたのが、漆だった。「陶芸は焼くと縮んでしまうのが、ちょっと寂しかった」という笹井さん。逆に漆は、塗り重ねるほどにふっくらと肉付いていく。重ねるごとに表情が変わり、その変化を見ながらゆっくりとかたちを決めていけることに魅力を感じた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">誰も歩んでいない道を、自分の手で</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3876.jpg" alt="" class="wp-image-54120" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3876.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3876-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3876-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>こうして漆芸を選んだ笹井さんは、当初は工房で器をつくる未来を思い描いていた。しかし、実際に手を動かすうちに器づくりの枠を越え、自分の感覚に正直にかたちを追い求めるようになっていく。心のおもむくままに進んだ結果、行き着いたのは自分の好きなかたちを追求できる漆のオブジェだった。</p>



<p>当時はまだ、器や仏具をつくる“職人”として活動する人がほとんどだった漆芸の世界。だからこそ、あえてアートの領域に振り切れば、まだ誰も踏み入れていない新しい道を切り開けるのではないか――。そう考えたことが、アーティストへと舵を切り、自分だけの表現を模索し始める大きなきっかけとなった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">身近な自然や人との対話が、創作の源に</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3886.jpg" alt="" class="wp-image-54121" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3886.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3886-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3886-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>漆に出会って以来、笹井さんは一貫して「かたち」と向き合い続けてきた。その道のりは、自分の心に浮かぶ感覚をどうすれば漆に託せるかを探し続けてきた歩みでもある。笹井さんの作品づくりには、時間のかかる工程を楽しみ、美意識を貫く芯の強さがうかがえる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">日常の気づきが生んだ、ふっくらとした生命のかたち</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/11beff8b8299f36a57165b09de32a720.jpg" alt="" class="wp-image-54122" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/11beff8b8299f36a57165b09de32a720.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/11beff8b8299f36a57165b09de32a720-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/11beff8b8299f36a57165b09de32a720-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /><figcaption class="wp-element-caption">ビラブド（2013年）／写真：兼岡弘志</figcaption></figure>



<p>笹井さんの代表作のひとつに「ビラブド」シリーズがある。丸みを帯びた柔らかなフォルムは、赤ん坊や子どもといった「ヒトがもっとも愛情を注がれる時期の姿」を連想させ、見る人の顔を思わずほころばせる。ふっくらとした輪郭が、「触りたくなるようなかたち」という笹井さんのテーマを端的に示している作品だ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/76292e5a0da85289f3774bae2fe6212a.jpg" alt="" class="wp-image-54123" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/76292e5a0da85289f3774bae2fe6212a.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/76292e5a0da85289f3774bae2fe6212a-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/76292e5a0da85289f3774bae2fe6212a-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /><figcaption class="wp-element-caption">空のさかな- ひよく（2019年）／写真：今村裕司</figcaption></figure>



<p>もうひとつの代表作「空のさかな」シリーズは、笹井さんの作品の特徴であるふくよかな丸みと稜線の重なりが美しく調和した作品だ。</p>



<p>こうした作品には共通して、日常のささやかな気づきや、身近な自然を見つめる笹井さんの好奇心が感じられる。子どもの肌のようなみずみずしさ、水面を泳ぐ魚のようなしなやかさ。そうした生命の姿が、漆特有の深みある質感で表現されているのが、笹井さんの作品の魅力だといえるだろう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">学生と過ごす時間が、創作のエネルギーになる</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3916.jpg" alt="" class="wp-image-54125" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3916.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3916-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3916-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>笹井さんは自身の制作活動と並行しながら、京都市立芸術大学で教授を務め、漆の立体作品づくりを学生に伝えてきた。大学で若い世代に接する時間は、自身にとっても大きな刺激になるという。「ずっと制作だけに打ち込んでいたら、行き詰まっていたかも。学生さんと接することでバランスが取れて、エネルギーをもらっています。」</p>



<p>若い世代との対話は発想をひらき、笹井さんの作品づくりをより豊かにしている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">コラボレーションで開かれた、新たな世界</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3813.jpg" alt="" class="wp-image-54126" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3813.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3813-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/86A3813-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /><figcaption class="wp-element-caption">かき蓋物（2013年）</figcaption></figure>



<p>異なる分野の作家たちと作品をつくる“コラボレーション”も、笹井さんにとって表現の幅を広げる大きなきっかけとなった。漆とはまったく違う素材や考え方に触れることで、新たな可能性が生まれているという。</p>



<p>竹工芸家･四代田辺竹雲斎さんとの共作「天日の舟」はその代表例だ。青漆を使い、エッジの効いた円形で海面に浮かぶ太陽を表現した笹井さんに対し、田辺さんはその青い輪に竹の束を編み重ね、海原に太陽の光が広がる瞬間が表現された。漆でつくるシャープなラインと竹の柔らかさが融合して、新しい工芸の魅力が生み出されている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/082b5383515137e7f455a11adf02083c.jpg" alt="" class="wp-image-54127" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/082b5383515137e7f455a11adf02083c.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/082b5383515137e7f455a11adf02083c-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/082b5383515137e7f455a11adf02083c-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /><figcaption class="wp-element-caption">玻璃の魚（2019年）／写真：兼岡弘志</figcaption></figure>



<p>截金（きりかね）ガラス作家の山本茜さんとの共作「瑠璃のさかな」も、2人の作家の個性が融合した作品だ。「截金ガラス」とは、細い線状に切った金箔で模様を描き、それを溶かしたガラスの中に封じ込める山本茜さんオリジナルの技法。山本さんがつくるガラスの目に着想を得た笹井さんは、水面を跳ねるような鮮やかな青いさかなを誕生させた。</p>



<p>「いろんな工芸家の方とのコラボレーションを経て、ひとりで制作していたらたどり着けなかった世界が見えました。もちろん自分のためになるし、学生さんにも還元できるので、2倍にも3倍にも良い影響を生んでくれていると思っています」。さまざまな作家との共作は、笹井さん自身がいつの間にか作っていた“漆はこうあるべき”という無意識の思い込みをほどくきっかけにもなったという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">もっと自由に、もっと遠くへ。漆の可能性を信じて</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/742546eb5a370b789891a5850e611f8f.jpg" alt="" class="wp-image-54128" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/742546eb5a370b789891a5850e611f8f.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/742546eb5a370b789891a5850e611f8f-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/742546eb5a370b789891a5850e611f8f-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>笹井さんの作品は、美術館での展示、個展、さまざまな企画展などで展示されてきた。また、ザ･リッツ･カールトン京都では、館内のアートワークの一部として笹井さんの作品が常設展示されている。訪れた人が、宿泊や食事の時間の中で作品を目にすることができる、特別な空間だ。</p>



<p>近年では、2024年に開催した個展「風様ふわり、忽ちに雷様」での新しい挑戦が評価され、第75回芸術選奨美術部門 文部科学大臣新人賞を受賞した。さらに2025年夏にはアメリカで初めての個展を実現し、活動の舞台を大きく広げている。</p>



<p>「日本の工芸って、やっぱりクオリティが高いと思うんです。だからこそ、もっと多くの人に見てもらえる機会が増えたら、海外でももっと関心を持ってもらえるはず。実際に、海外の方が作品を見に来られることもありますし、可能性は大いにあると思っています」<br><br>2026年、イギリス・ロンドンにあるヴィクトリア＆アルバート博物館では、日本の漆芸を紹介する展覧会が予定されており、笹井さんの作品も出品が決まっている。ひとりの作家として、日本の工芸を世界に伝える入り口に立つ。その意思と未来への期待が、笹井さんの言葉から確かに感じられた。</p>



<p>次はどんな出会いがあり、どんな表現が生まれるのか。そこから生まれる作品は、きっとまた私たちの心を揺さぶってくれるだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54106/">求めるのは「触りたくなるかたち」。命の手ざわりを形にする漆芸家･笹井史恵さん／京都府向日市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/54106/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>自然がつくり出すかけがえのない美しさをそのままに。「山下真珠有限会社 L’ de pearl」／愛媛県宇和島市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54091/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/54091/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 08 Mar 2026 07:59:34 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[養殖]]></category>
		<category><![CDATA[ジュエリー]]></category>
		<category><![CDATA[宇和島真珠]]></category>
		<category><![CDATA[羽根つき]]></category>
		<category><![CDATA[バロック]]></category>
		<category><![CDATA[ドロップ]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=54091</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita013.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>真珠はこれまで“より完全な真円”であることに市場価値を求められてきた。自ら育てた真珠をジュエリーに加工し、「L’ de pearl」というオリジナルブランドで販売する山下奈美さんは、市場価値よりも、一粒ごとの個性を見極め [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54091/">自然がつくり出すかけがえのない美しさをそのままに。「山下真珠有限会社 L’ de pearl」／愛媛県宇和島市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita013.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>真珠はこれまで“より完全な真円”であることに市場価値を求められてきた。自ら育てた真珠をジュエリーに加工し、「L’ de pearl」というオリジナルブランドで販売する山下奈美さんは、市場価値よりも、一粒ごとの個性を見極め、その魅力を引き出した唯一無二の価値を創造している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">全国有数の産地で三代に渡り真珠養殖業を営んできた山下真珠</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita006.jpg" alt="" class="wp-image-54098" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita006.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita006-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita006-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>​​1963年創業の山下真珠有限会社は、日本有数の真珠の産地である宇和島市で四代にわたり家族で真珠養殖を営んできた老舗養殖業者だ。四代目にあたる山下奈美さんには、もともと家業に従事しようという明確な意思はなく、大学を出て広島県で一般企業に就職する。しかし、ちょうどその頃に新型コロナウィルスが拡大し、出社どころか郷里に帰ることも儘ならぬ状況に。そんな中、会社の上司や取引先の方々に何気なく「家業があるってすごいことだよね」と言われたことがきっかけとなり、故郷に帰って家業を手伝おう、と思うようになる。ちょうど同じ頃、県外でサラリーマンとして働いていた弟の雄平さんも宇和島に帰ってきたこともあって、家族で力を合わせて真珠養殖に取り組むことになった。</p>



<p>あるとき奈美さんは、友人から「山下真珠の真珠はどこで買えるのか」と尋ねられたという。その何気ない一言をきっかけに、自社で育てた真珠をメーカーに持ち込み、アクセサリーに加工してもらった後、それらがどこでどのように販売されているのか把握していなかったことに気づいた。「自分たちで育てた真珠を、自分たちの手で届けたい」。そうした思いから、アクセサリーの加工から販売までを自ら手がけることを決意。そして2023年には、真珠養殖を手伝いながら、自社の真珠を使ったジュエリーブランド「L’ de pearl」（エルデパール）を立ち上げ、既存の価値観にとらわれない、真珠本来の魅力を生かしたアクセサリーをつくって販売している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">生産者だからこそわかる真珠本来の魅力を伝えたい</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita007.jpg" alt="" class="wp-image-54099" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita007.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita007-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita007-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>​​真珠はアコヤ貝がその胎内で時間をかけて育む天然の宝石であり、同じ色、形、輝きのものは一粒もない。しかし、真珠には昔から“真円であること”を至上とする評価基準があり、どんなに美しい照りや輝きがあったり、個性的でユニークな形をした真珠であっても、市場的には価値が認められることはない。真珠養殖に携わるうちに、ある意味“不遇”な扱いを受けてきた真珠たちを不憫に思うようになり、その魅力に気づいて欲しいという奈美さんの気持ちが「L’ de pearl」の立ち上げにつながっている。</p>



<p>エルデとは、ドイツ語の「erde」に由来しており、“地球、大地、特定の土地”という意味があるという。真珠養殖に適した条件に恵まれた宇和島の海だからこそ逞しく美しく育つ真珠には、アコヤ貝が持っている生命の力、そして大切に育てる人々の愛情が込められている、という思いで名付けられたブランド名だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">祖父である初代はこの地における真珠養殖のパイオニア</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita008.jpg" alt="" class="wp-image-54100" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita008.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita008-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita008-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>山下家がここで真珠養殖を始めたのは今から65年ほど前のこと。奈美さんの曽祖父と祖父の代に遡る。真珠養殖は三重県伊勢志摩地方に始まり、次第に宇和島市をはじめ全国各地へ広がっていくこととなる。三重県の真珠養殖業者が宇和海に進出、最初は、母貝採取の仕事から始まり、その後、真珠養殖のノウハウを教わった奈美さんの祖父は、この地における真珠養殖の第一世代となった。</p>



<p>近年、宇和島市を含む宇和海域では、アコヤ貝の大量死や担い手の高齢化・後継者不足などの問題により、生産量はピーク時と比べると減少傾向にある。しかしさらなる高品質化やブランド戦略などといった、新たな事業展開も進んでいるという。</p>



<p>こうした環境の変化の中で、山下家の真珠養殖を現在支えているのが、雄平さんだ。</p>



<p>現在、山下家の中心となって養殖を行っている雄平さんは「同じ母貝、同じ核、同じ海、同じ育て方でも、作り手によって差が出てきます。昔は技術やノウハウは秘密にしていたけど、今はそんな風潮も少なくなっています。僕は真珠養殖4年目の新人。新入りならではの怖いもの知らずで貪欲に聞いて回っています」と笑いながら言う。そうやって自分たちで試行錯誤しながら一生懸命に育てているからこそ、一粒ごとに異なる真珠の美しさを敏感に感じ取ることができるのかもしれない。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自然の力でしかつくり出せない豊かな色味と美しい輝き</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita043.jpg" alt="" class="wp-image-54101" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita043.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita043-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita043-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>真珠は一般的に、真円でキズやエクボがなく、テリのいいものが価値が高いとされている。しかし、そのような珠は、年間で数万粒が浜揚げされるうちの1〜2％にも満たない。そこで「L’ de pearl」では、市場的な価値は認められなくとも唯一無二の個性を持つ真珠を積極的に使用し、アクセサリーに加工している。真円に近い真珠を使うこともあるが、基本的にはバロックやドロップ、羽根つきといった、ユニークな形をしたものがほとんどだ。また、真珠の品質を保つために必要な加工処理しか施していないため、微妙に色合いが異なる自然の豊かな色味を楽しめる。個性のある真珠はそれ自体がデザインであるため、小ぶりで華奢なパーツを使用し、真珠の美しさを引き立てることを心がけている。「簡単に美しく育ち上がる真珠ではないからこそ、世代を超えて永く受け継いでもらえるものにしたい」という奈美さんの想いだ。</p>



<p>そうした想いを直接届けるため、販売方法にも工夫を重ねている。普段はオンラインショップのみでの販売だが、ポップアップストアや催事などでも販売しており、色も形も大きさもさまざまな真珠の中から、気に入ったものを選んでアクセサリーに仕立て上げるセミオーダーは特に人気が高いという。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita041.jpg" alt="" class="wp-image-54102" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita041.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita041-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita041-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>今まで価値が認められなかった真珠に日の目を当てたいという思いはあっても、老舗の真珠養殖業者であり、日々真珠に接しているプロフェッショナルとしてのプライドがある。形はいびつであってもアコヤ真珠の特徴である奥深い輝きと照り、色の美しさに対するこだわりは譲れないという。「世界にひとつしかない自分だけの真珠、また大切な人へのギフトとして、一粒ずつ選んでいただいている様を見ると嬉しくて。幸せを感じる瞬間です」という奈美さん。冠婚葬祭だけでなく、日常の装いに気軽に取り入れてもらえるよう、デザインや価格も日々試行錯誤している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">世界にひと粒しかない真珠を誰かの特別な輝きに</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita044.jpg" alt="" class="wp-image-54103" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita044.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita044-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita044-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「真珠のアクセサリーは世の中にたくさんあります。だからこそ何を特徴にするか難しいけれど、自分たちが育てた真珠を使っていること、だからこそ真珠本来の魅力をたくさん知っていて、それを生かすことができるということが一番の強みかなと思っています」という奈美さん。その考えのもと、最初はSNSなどを通じてのオンライン販売からスタートし、催事での出展販売、レンタルスペースを活用したポップアップストアでの期間限定販売など、販路も少しずつ広げてきた。</p>



<p>こうした取り組みの中で、様々な輝きを放つ真珠から、自分が好きな深い青色の粒をセレクトし、名前の奈美と海の波をかけて名付けた「NAMIOTO COLLECTION」の展開も始めるなど、ブランドとしても広がりを見せている。</p>



<p>その変化は、養殖の現場にも影響を与えている。雄平さんは「真円で白く、巻きのいい真珠を育てなければと必死でした。でも、姉がアクセサリーをつくり始めてから、既存の価値基準にこだわらなくていいんだ、活かしてもらえるんだ思うと気が楽になって。同時にもっと良い真珠を育てたいという気持ちにもなったんです」と話す。時代とともに漁業の在り様も人の価値観も変化してきている。多様性の時代と言われる今、「L’&nbsp; de pearl」のアクセサリーは年齢性別関係なく、多くの人たちに受け入れられ、愛される存在になるのかもしれない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54091/">自然がつくり出すかけがえのない美しさをそのままに。「山下真珠有限会社 L’ de pearl」／愛媛県宇和島市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/54091/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>駿府の職人魂が息づく雛人形。時を重ね、想いを纏わせる「人形工房 左京」の挑戦／静岡県静岡市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54024/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/54024/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 25 Feb 2026 14:29:19 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[きおくひとえ]]></category>
		<category><![CDATA[雛人形]]></category>
		<category><![CDATA[駿河雛人形]]></category>
		<category><![CDATA[駿河雛具]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=54024</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100832.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>静岡県の中部、日本有数の大都市である東京、名古屋、大阪を繋ぐ東海道の商圏に恵まれた静岡市。世界有数の総合模型メーカーである株式会社タミヤが本社を構えるこの街がプラモデルや模型の聖地であることは有名だが、古くから続く「伝統 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54024/">駿府の職人魂が息づく雛人形。時を重ね、想いを纏わせる「人形工房 左京」の挑戦／静岡県静岡市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100832.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>静岡県の中部、日本有数の大都市である東京、名古屋、大阪を繋ぐ東海道の商圏に恵まれた静岡市。世界有数の総合模型メーカーである株式会社タミヤが本社を構えるこの街がプラモデルや模型の聖地であることは有名だが、古くから続く「伝統工芸の集積地」としての一面は意外と知られていない。</p>



<p>県の郷土工芸品に指定されている駿河漆器、駿河蒔絵、駿河挽物（ひきもの）、そして国の伝統的工芸品に指定される駿河竹千筋細工、駿河雛具、駿河雛人形。多岐にわたる工芸がこの地で発展した背景には、徳川家康公の存在と、長い年月をかけて育まれた分業のネットワークがあった。この伝統の土壌に立ち、現代の家族の形に寄り添う新たな雛人形「きおくひとえ」を提案し、全国から注目を集める工房がある。創業から100年以上の歴史を持つ「人形工房 左京（さきょう）」だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「遊ぶ」から「飾る」へ。雛人形のルーツ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/A7_6287.jpg" alt="" class="wp-image-54041" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/A7_6287.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/A7_6287-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/A7_6287-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>雛人形のルーツには諸説あるが、そのひとつが平安時代、宮中の幼女たちが興じた「ひいな遊び」。「ひいな」とは「小さく愛らしいもの」を意味し、当時の貴族の子供たちにとって、現代でいう「おままごと」のような日常的な遊びだった。</p>



<p>この“日常の遊び”に、劇的な変化が訪れたのは江戸時代初期のこと。江戸幕府が、女の子の健やかな成長と幸せを願う行事として3月3日を「上巳の節句（※ひな祭りの正式名称）」に制定すると、それをきっかけに、人形作りの技術は飛躍的に向上。着物や顔立ちは豪華絢爛なものへと進化し、現在の雛人形に至ったと言われている。</p>



<p>その雅な姿から、雛人形の産地として京都を連想するが、じつは人形の出荷額は埼玉県さいたま市岩槻区が日本一。雛具の産地としては静岡県静岡市が日本一を誇っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">天下人が愛した街、駿府に根付く工芸文化</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A3572.jpg" alt="" class="wp-image-54042" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A3572.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A3572-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A3572-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そんな静岡市に工房を構える左京。同市の工芸の歴史に於いて徳川家康公の功績は計り知れない。</p>



<p>江戸時代初期、家康公が隠居として駿府城（現在の静岡市葵区）に入った際、全国各地から宮大工、指物師、塗師、金具職人といった腕利きの職人たちを招集。彼らが城下町に定住し、その技術が脈々と受け継がれていったことが、今日の静岡工芸の礎となっている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_4522.jpg" alt="" class="wp-image-54043" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_4522.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_4522-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_4522-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>なかでも、本物の家具調度品と同じ工程で作られる屏風や長持（嫁入り道具などを収納する木箱）、三宝（お供え物を載せるための四角い台）などの「駿河雛具（ひなぐ）」の存在は圧倒的で、最盛期には国産シェアの9割を占めていたほどだ。</p>



<p>また「駿河雛人形」が工芸として発展する基礎となった雛人形の胴体（胴柄）生産も、静岡県が全国シェアの約7割を占めていた。これは駿河雛具の起こりとは異なり、江戸時代から天神信仰が盛んだった静岡県志太郡（現在の島田市･藤枝市･焼津市の一部）で節句に用いられていた菅原道真公を模った土人形「土天神」に衣装を着せたものがルーツと言われている。特徴は衣装が上下に分かれていること。衣装が一体型になっている京都製の雛人形とは異なり、衣装製作の分業が可能になったため量産化を実現、生産量の拡大に至った。</p>



<p>1994年（平成6年）に「駿河雛具」「駿河雛人形」が、国の伝統的工芸品に指定されて以降は、ブランドとしての地位も確立されてきたが、それ以前はあくまでパーツごとを全国の問屋へ供給するOEMとしての性質が強かったため、生産シェアに相反して産地としての知名度はあまり高くなかった。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A3866.jpg" alt="" class="wp-image-54044" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A3866.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A3866-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A3866-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「静岡にはそれぞれの部品を専門で作る職人がたくさんいたんです。木地を作る人、漆を塗る人、蒔絵を描く人、金具を作る人。それを問屋が回って集めて、形にしていた。」と、同社の3代目･望月和人（もちづき かずひと）会長は話す。</p>



<p>左京のルーツもまた、この職人のエコシステムの中にあり、初代は家具や神輿に使われる金具職人だった。</p>



<p>「雛具には箪笥（たんす）や長持など40種類近い道具があり、それらには精巧な金具が必要です。とはいえ金具は単なる部品ですから、問屋次第で仕事がなくなることもある。それなら自分が雛具全体をまとめる問屋になれば事業も安定するんじゃないかと。それが左京の始まりです」。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/2409270926_10392.jpg" alt="" class="wp-image-54045" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/2409270926_10392.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/2409270926_10392-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/2409270926_10392-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>こうして静岡市内の職人と連携して雛具をまとめる問屋として財を成した初代だったが、雛飾りの主役はあくまで雛人形であり、いずれはそれらも扱いたいと考えていた。</p>



<p>そのため、まず手始めに息子を人形の一大産地である埼玉県岩槻市（現在のさいたま市岩槻区）の職人の下へ修業に送り出した。</p>



<p>その息子こそ、後に2代目となる和人会長の父。2代目は修業先で雛人形作りを学びながら、初代の思惑通り、「雛具だけではなく、雛人形もうちで取り扱えばいいのではないか？」と考えるようになっていった。</p>



<p>というのも、2代目が家業に入った当時、雛人形の胴体部分は天神人形（菅原道真を象った節句人形）作りが盛んだった静岡県内、人形の顔となる「頭（かしら）」は岩槻など、それぞれの産地から部品を調達し、東京の問屋で人形として完成させるのが一般的だったため、これを自社で組み合わせられれば、雛具も雛人形もまとめて収めることができる。</p>



<p>初代の問屋としての仕事ぶりを近くで見て学んだ2代目にとって、これに需要があると考えるのは自然な流れだろう。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_4627.jpg" alt="" class="wp-image-54046" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_4627.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_4627-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_4627-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>しかし、考えや思いつきだけではビジネスとして成立しない。そこは「修業を通じて雛人形職人との関係、一大産地である岩槻との関係が構築できる」という初代の目論見が活きた。</p>



<p>「うちの父は修業時代のツテを使って、岩槻の職人から頭を直接買えるようにしたんです。それが大きかった」と、和人会長。</p>



<p>こうして左京は静岡市ではじめて、雛飾りを一式で扱う問屋となった。</p>



<p>「東京の問屋を介さず、関西の小売業者に一式で納品できれば、関西方面のシェアが狙える。（関東と比較して）関西との距離が近いことは必ず地の利になる」という2代目の流通戦略は、時代背景とともに左京を大きく成長させていくこととなる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">第二次ベビーブームの恩恵</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_9305.jpg" alt="" class="wp-image-54047" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_9305.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_9305-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_9305-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>時代はちょうど高度経済成長期に差し掛かった頃。第二次ベビーブームの影響もあり、雛人形は飛ぶように売れた。</p>



<p>七段飾りが主流で、物量を集めることが最優先とされた時代。バラバラに仕入れることが多かった雛飾りを一式で卸すことで、小売業者にかかる経費と負担を大幅に軽減したのだ。</p>



<p>「年末になると大阪方面から業者の人たちが大きなトラックで仕入れに来るんですよ。腹巻に札束を山ほど入れて、我先にって。」と、和人会長は当時を振り返る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">多品種少量の時代へ。3代目が追求したのは「自分が欲しい雛人形」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/2409270926_10261.jpg" alt="" class="wp-image-54056" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/2409270926_10261.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/2409270926_10261-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/2409270926_10261-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>その後、和人会長が3代目として家業を継いだのは、高度経済成長期も落ち着き、国民の生活が大きく変わろうとしている時期だった。</p>



<p>この頃、あらゆるジャンルに於いて、消費者のニーズに合わせて大量生産から多品種少量生産へと潮流が変化。</p>



<p>そこで和人会長は、「（雛人形を）買う人って私と同じ世代が多いよな。だったら私がほしいものを作ればいいんだ。」と、慣例化されていた雛衣装の色の組み合わせを変えたり、衣装に静岡県の伝統工芸･遠州木綿のコーデュロイや純白の西陣織を使ったり、旧来の枠に囚われない、“自分がほしいと思う雛人形”の開発に勤しんだ。</p>



<p>時代的にも、核家族化が進み、その住宅事情とともに、主力商品も雛壇を豪華絢爛に彩る「段飾り」から「親王飾り（男雛と女雛のみ）」へと変化しており、主役となる男雛と女雛に個性を持たせたことが功を奏し、差別化にも成功。</p>



<p>とはいえ、コンパクトになるということは、セットあたりの雛人形や雛具の数も減るため、単価は下がる。</p>



<p>差別化できたとはいえ、少子化も顕著に進むなか、より明確なブランディングを行っていかなければ、いずれ立ち行かなくなるという危機感もあった。</p>



<p>そんな3代目の危機感を拭ったのが、現在、代表取締役社長を務める4代目であり、息子の琢矢さんだった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">次世代への継承。4代目が見出した新たな可能性</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/sns_profile_compressed.jpg" alt="" class="wp-image-54049" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/sns_profile_compressed.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/sns_profile_compressed-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/sns_profile_compressed-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>4代目･望月琢矢さんが家業を継ぐことになったのは、大学2年生の時。</p>



<p>「元々、左京を継ぐつもりはなかったので大学に進学したんですけど、兄が継がないことになって、『じゃあ、お前か』という軽い感じでバトンが回ってきました」</p>



<p>工房と自宅が離れていたこともあり、作業場に足を踏み入れることもほとんどなく、業界の状況もよくわかっていなかった琢矢さんにとって、雛人形は身近な存在ではなかった。</p>



<p>「伝統産業が右肩下がりだということも知らない状態で入ってしまった。周りは跡継ぎもなく『あと5年で畳もうか』という会社ばかり。そこで、はじめて焦りを感じました。」</p>



<p>大学卒業後、社会勉強も兼ねて都内の不動産関連のシステム会社で2年間営業を経験してから静岡に戻ったものの、待っていたのは前職とは比べものにならないほどアナログな現場だった。</p>



<p>そこで琢矢さんが始めたのがSNSを活用した情報発信。職人としては素人同然だったから、まずはお金をかけずに会社に貢献できることを探す、そんな気概だった。デジタル領域にも携わっていた東京での勤務経験も活きた。</p>



<p>当時、Instagramをビジネスに利用するのはまだ珍しかったこともあり、4ヶ月でフォロワー1万人を獲得。自社のこだわりを、わかりやすいビジュアルで発信しつづけたことで、メディア関係者からの問い合わせも増えていった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">捨てられない想いを形に。「きおくひとえ」の誕生</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100889.jpg" alt="" class="wp-image-54050" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100889.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100889-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100889-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>4代目ならではのビジネスビジョンが見えてきた中で新たな転機が訪れたのは、博報堂のグループ会社「SIGNING（サイニング）」のクリエイティブディレクターからの「子ども服に思い出があって捨てたくないって人が多いんだけど、飾ることもできない。この悩みと雛人形を掛け合わせられないか」という提案。</p>



<p>その人自身、3歳の子を持つ父親で、実体験に基づいた課題だった。こうして、企画から約1年半をかけて、2024年に「きおくひとえ」が誕生。</p>



<p>最大の特徴は、利用者の思い出の子ども服を雛人形の衣装に仕立て直すことだ。Tシャツやワンピース、肌着──どんな布でも、裏打ちという補強を施せば人形の生地として使える。</p>



<p>思い出の服が雛人形に生まれ変わる。その一体一体に込められた物語こそが、「きおくひとえ」の価値なのだ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100860.jpg" alt="" class="wp-image-54051" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100860.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100860-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100860-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>表衣(おもてぎぬ)、重ね、単(ひとえ)、唐衣(からごろも)、襟といった複数の層から成る雛人形の衣装に対し、どの布で仕立てるか、どの柄をどこに配置するかを、利用者と相談しながら決めていく。</p>



<p>「（利用者の）思い入れのあるものにハサミを入れ、新しいカタチにして提供する。大切な思い出ごと預かるわけですから、常に細心の注意と気遣い、そして一人ひとりの思い出に向き合う心遣いを持ってやっています」。</p>



<p>価格は男雛と女雛のセットで約15万円から。相場と比べて安くはないが、1点もののオーダーメイドとして考えれば適正価格、付加価値を考えれば利用者にとってそれ以上の価値となるだろう。</p>



<p>近年、新しい取り組みとして「きおくひとえ」を自分で製作するプランも新設した。</p>



<p>オンラインや郵送でのやり取りだけでなく、直接現地へ思い入れのある服や生地を持ち込み、その場で同社の職人と一緒に雛人形を完成させていく体験型のプランだ。</p>



<p>通常、きおくひとえは制作開始から納品まで4〜6ヶ月程度掛かるが、このプランでは打ち合わせから完成まで、わずか約半日で行う。</p>



<p>本来、複数の作業と並行して製作を行う職人が、その日に限り4～5名体制で体験プランでの作業を最優先したり、普段は外部へ委託する細かな部品の製作や縫製も工房内の職人が一貫して行うなどして、大幅にスケジュールを短縮する。</p>



<p>これらはすべて、わざわざ現地まで足を運んでくれる体験者の貴重な時間を無駄にせず、臨場感のある感動を提供したいという配慮から。</p>



<p>現場の手を止め、多くの職人のリソースをこのプランに集中させるため、通常のきおくひとえよりも高い価格設定にしているが、細かな柄行きの指示や色目のバランスなどをリアルタイムで熟練の職人と相談し、短い時間でディテールまでこだわって仕上げることができる、まさにオーダーメイド商品の極みと言えるプランだ。</p>



<p>思い出を紡ぐ雛人形に自身が手を加えるというエクスペリエンスは、特別感をより一層高める。</p>



<h3 class="wp-block-heading">伝統と革新の間で。父が押す息子の背中</h3>



<p>しかし「きおくひとえ」のような新しい挑戦には、当然ながら批判もある。</p>



<p>そんな同業者からのチクリとした声にも、望月親子は動じない。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100890.jpg" alt="" class="wp-image-54052" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100890.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100890-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100890-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「従来の雛人形を買わなかった人も、きおくひとえだから買ってくれる。慣例から少しくらい外れたって、これをきっかけに雛飾りに改めて目を向けてくれるなら、むしろ良いことではないか」</p>



<p>新しい需要の創出こそが伝統産業の未来を拓く。琢矢さんの挑戦について和人さんはそう確信しているから、どんな批判があろうと、親として、そして師として背中を押すと決めていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">次世代への展開。祝い事から日常のアートへ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A5042.jpg" alt="" class="wp-image-54053" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A5042.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A5042-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A5042-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「きおくひとえ」を軌道に乗せた琢矢さんが次に目指すのは、「雛人形」に「アート」としての需要を持たせること。</p>



<p>その際に払拭しなければいけないのが、日本に根付くアニミズム。全てのものに魂や精霊が宿るという考え方だ。一神教が入らなかった日本だからこそ残った、独特の精神性。</p>



<p>「日本人って人形を捨てられないんですよ。手放すにしたって、ゴミ箱にポイじゃなく、神社やお寺でお焚き上げをして弔う。」</p>



<p>しかし、琢矢さんは先代から「江戸時代の花街周辺には雛人形を売る屋台がたくさんあって、自分の推しに会いに行く前に雛人形を一体買って、手土産にしていた」という話を聞いたことがあった。</p>



<p>節句以外にも需要があったことに驚く一方で、フィギュアがブームとなり世界中で取引価格が高騰している現状を鑑みて、雛人形にも、その可能性があると感じた。</p>



<p>だからこそ琢矢さんは行事としてだけでなく、カルチャーの価値を高めたいと考えたのだ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/NAKA015-7514.jpg" alt="" class="wp-image-54055" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/NAKA015-7514.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/NAKA015-7514-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/NAKA015-7514-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ベンチマークとするのは、福岡県福岡市にある博多人形の老舗「中村人形」4代目を務める人形師･中村弘峰さん。スポーツや怪獣など、博多人形を独自のスタイルで表現する手法で、現在世界中から注目を集めている。</p>



<p>「中村さんの作品がまさにそうだと思うんですけど、『人形=怖い』というイメージを払拭して、アートやインテリアとして飾れるものにしたい。『BE@RBRICK（ベアブリック）』や『LLADRO（リヤドロ）』のように、アートとしてコレクションされるものへ昇華できたら良いんですけどね。」</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/ieyasu_g4.jpg" alt="" class="wp-image-54054" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/ieyasu_g4.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/ieyasu_g4-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/ieyasu_g4-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>これに向けたチャレンジもはじめている。</p>



<p>家康公没後400年の際には、フィギュア制作の権威である大阪芸術大学に家康公の顔を再現した頭を作ってもらい、家康公を象った雛人形を完成させた。また、一般流通する頭の代わりに、AIで合成した両親の顔を将来の子どもに見立てて3Dプリンターで作る構想もある。</p>



<p>このように雛人形の伝統や本質を守りつつ、時代の潮流や技術の進歩を柔軟に取り入れる左京は、徳川家康公が育んだ職人の街で、100年以上にわたり時代に応じた革新を重ねてきた。部品から問屋へ、問屋から製造卸へ、そしてパーソナライズへ。</p>



<p>「雛人形は、まだ日本古来のお祝い事を演出するツールとしての領域を抜け出せていない。もちろん本来の価値を高めていくことも大切だが、これをアートとして世界へ発信し、海外の人たちに『いいね』と言ってもらえるものを作っていくことで、その魅力はより一層高まっていくはず」。そう語る琢矢さんの言葉には、新しい価値を創造していこうという強い意志が宿っていた。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54024/">駿府の職人魂が息づく雛人形。時を重ね、想いを纏わせる「人形工房 左京」の挑戦／静岡県静岡市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/54024/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>繊細な色をたて縞で表現する小倉織。「遊生染織工房」築城則子さん／福岡県北九州市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/53991/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/53991/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 02 Feb 2026 11:53:35 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[織物]]></category>
		<category><![CDATA[小倉織]]></category>
		<category><![CDATA[小倉 縞縞]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=53991</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_406.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福岡県の北部、北九州市八幡東区にある「遊生（ゆう）染織工房」は、北九州が誇る伝統工芸・小倉織の工房。主催の築城（ついき）則子さんが、草木で糸を染め、手織りしながら、色彩豊かな小倉織を生み出し続けている。国内外の人々を魅了 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53991/">繊細な色をたて縞で表現する小倉織。「遊生染織工房」築城則子さん／福岡県北九州市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_406.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福岡県の北部、北九州市八幡東区にある「遊生（ゆう）染織工房」は、北九州が誇る伝統工芸・小倉織の工房。主催の築城（ついき）則子さんが、草木で糸を染め、手織りしながら、色彩豊かな小倉織を生み出し続けている。国内外の人々を魅了する、その創作の源とは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">地厚で丈夫。美しいたて縞で魅せる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_416.jpg" alt="" class="wp-image-53997" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_416.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_416-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_416-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>小倉織は経糸（たていと）と緯糸（よこいと）を1本ずつ交差させていくシンプルな織物。しかし、経糸を多く使い緯糸の約3倍の密度があるのが特長だ。そのため緯糸が見えにくく、たて縞が鮮明にあらわれ、見る人を惹きつける美しさを放つ。糸の色の濃淡で立体感を生み出した、なめらかな風合いの唯一無二の織物だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">江戸時代には袴や帯。明治時代には学生服として流通</h2>



<p>江戸時代に豊前小倉藩（現在の北九州市）で生まれた小倉織。この地が木綿の産地であったことから、武家の女性たちが木綿糸で織物を織るようになる。生地に厚みがあり丈夫だったため、次第に武士の袴や帯として織られ各地に広がっていった。徳川家康が鷹狩りで羽織として身につけたことでも知られ、「槍をも通さぬ小倉織」と称えられて重宝された。</p>



<p>明治時代には、黒と白の糸を撚ったグレーの生地「霜降小倉（しもふりこくら）」が、男子学生の夏の制服として全国に広まった。しかし、機械織で安価なコピー商品が各地でつくられるようになり、その波にのまれて小倉での生産は下火に。また小倉は製鉄所で栄える“鉄の町”となり、昭和初期には小倉織の最後の工場が閉鎖となり途絶えてしまう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">骨董店で小倉織の端切れとの運命的な出合い</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_410.jpg" alt="" class="wp-image-53998" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_410.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_410-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_410-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>北九州市八幡東区の静かな里山にある「遊生染織工房」。主宰である染織家の築城則子さんは、小倉織を復活させたその人だ。北九州市で生まれ育ち、文学が好きだった築城さんは大学で能や浄瑠璃などの古典芸能を学ぶなかで能装束の美しさに夢中になる。</p>



<p>京都で西陣織の織元を訪ねた際に、職人技の素晴らしさに感動しつつも自分が表現したいのは文様ではなく“色”なのだと気づいた築城さん。思い切って大学を中退し、染織の世界に身を投じた。北九州市内の織物研究所で糸染めや織りの基礎を身に付けた後、沖縄・久米島に渡り、琉球王国時代から受け継がれる久米島紬（くめじまつむぎ）の工房でおばあ達を手伝いながら紬織を学んだ。久米島は、紬が久米島を起点に全国へ広がったとされる「紬の発祥地」。久米島紬は国の重要無形文化財にも指定されており、染織技術を学ぶには欠かせない場所だった。しかし、なかなかこれだと思う作品はつくれなかった。</p>



<p>ある日、衝撃的な出合いが築城さんに訪れる。たまたま訪れた骨董店で、小倉織の端切れを見つけたのだ。10センチほどの小さな端切れは、織物なのにたて縞しか見えない。驚く築城さんに「江戸時代の小倉織ですよ」と店主は言うが、築城さんにとって小倉織はグレーの学生服というイメージしかなかった。たて縞の美しいグラデーション、厚みがありつつも絹のような質感は、150年ほど前のものと思えないほど新鮮なものとして築城さんの目に映った。「生まれ育った地に、自分の目指す織物があったなんて！とても幸せな出合いでした」と築城さんは目を細める。</p>



<h3 class="wp-block-heading">小倉織を復活、そして再生する </h3>



<p>当時、周囲に江戸時代の小倉織を知る人はおらず、築城さんは工業試験場で端切れを組織分解して調べてもらう。そこで、織物は経糸と緯糸が１対１の割合になるのが一般的だが、小倉織は2対1になり経糸が多いことがわかった。早速、その割合にして織ってみるが、古い端切れのようななめらかさが出ない。さらに調べると、なめらかな風合いは使い続けた経年変化であることがわかった。</p>



<p>築城さんは、経年変化ではなくはじめからなめらかな質感の生地をつくりたいと、糸を細くして本数を増やし、密度を上げることで、木綿の生地でありながら絹のような艶っぽさを完成させる。歴史ある小倉織を築城さんがさらに進化させた「再生」といえるだろう。こうして1984年に小倉織は復活。築城さんは、先人たちに敬意を込めて小倉織として作品を発表しはじめる。一目で「小倉織だ」とわかる色彩豊かな縞模様があるからこそ、多くの人に受け入れられたという。そして、最初の作品は日本伝統工芸展に入選。</p>



<p>しかし、復元に成功したと言っても、納得のゆく小倉縞の意匠を体得するのに3年かかったという。伝統的な配色にとらわれずにもっと自由に色を使いたいという思いから織った薄紅色の帯「梅の頃」は1991年に西部伝統工芸展で朝日新聞社賞を受賞。現在までに600点を越える作品を生み出し、今では北九州は小倉織の産地として認知され、新しい作り手が数人誕生している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">草木の力をかりて、透明感のある色を表現 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_467.jpg" alt="" class="wp-image-53999" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_467.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_467-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_467-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>工房周辺の草木など、自然のもので木綿糸を染める築城さん。「草木で染めるのはとても面白いんです。例えばローズマリーだと、花が咲く前は黄みがかった色に染まり、花が咲くとオリーブ味が強く染まる。同じ植物でも、時期によって色が変わるんですよ」。</p>



<p>草木染めは化学染料での染色と違って、すぐに染まらず時間がかかるため、濃淡をつくるのにとても適している。追っかけで糸を追加して薄い色にしたり、思いつきやその時の気分を反映しやすくて、人間のリズムにとてもあうのだという。「何より、自然由来のやわらかな色は透明感があります」と築城さんは話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">織る前に何千本もの経糸を準備</h3>



<p>小倉織はたて縞が浮かび上がるという特性上、チェック柄もよこ縞もできない制約が多い織物だ。「でもそれは、小倉織の特色がぶれにくいということでもあります。小倉織は経糸の色だけが見えるので、糸の色がそのまま反映できるのがいいところですね。だからどれだけ“絵の具”を持っているかが勝負になるので、糸は常に染め続けています」。</p>



<p>その糸をデザインに合わせて事前に準備する「整経」も大事な工程だ。経糸を整経機に並べて回転させながら、必要な色を組み合わせ、長さ、張りなどを考慮しながら巻き取っていく。一つの帯を織るのに約2,300本もの経糸を準備するなど、気の遠くなるような作業を重ねる。だからこそ、繊細な色が生み出されるのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">北九州の風土と気質にあった織物</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_485.jpg" alt="" class="wp-image-54000" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_485.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_485-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_485-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>築城さんが織り機で小倉織を織る時、「トントン」という軽やかな音ではなく、「ガンガン！」と大きな音が鳴り響く。繊細な美しさの織物からは、ちょっと想像できないような激しい音だ。「糸の密度を高めるために強い力を入れて織っていきます。やさしく織ると生地がふわふわになって締まりがないし、気を抜くと織りのムラが目立ってくるので、織り始めるととにかくもくもくと集中して進めます」。</p>



<p>「とてもかたくなな織物です」と築城さんは笑みをこぼす。「この地は、一度途絶えたとはいえ、こんなに織りにくい織物を愚直に400年も織ってきました。融通がきかなくて不器用な、北九州らしい織物ですね」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">現代的で洗練された織物が、世界を魅了</h3>



<p>手織りは生産量が少ないため、もっとたくさんの人に小倉織に親しんで欲しいと、2007年から築城さんが監修する機械織りのブランド「小倉 縞縞（こくら しましま）」も展開。手織りではできない幅広の生地をつくれるようになり、家具やインテリア、アートなど大きな作品づくりが可能になった。建築家・隈研吾氏やファッションブランド「ANREALAGE（アンリアレイジ）」の森永邦彦氏など、世界的なクリエイターとのコラボレーションは常に高感度な人々の注目の的だ。</p>



<p>しかし、築城さんの主軸はあくまでも工房での手織り。「どんなに色が重なっても、色同士が尊重しあう、協奏曲を奏でるような世界を目指しています」と語る築城さん。これまで小倉織で抽象的な世界を表現してきたが、ここ２、3年は、その中に具象性を取り入れることに挑戦している。例えばたて縞のなかに、ひとすじ斜めに雨が降るような……。「無機的なたて縞と有機的な自然界のものは相入れないように思えますが、それをたて縞の世界に持ち込みたいと思っています。まだまだ試作を重ねている段階ですが、いつかは完成させたいですね」。</p>



<p>築城さんは小倉織を復元・再生し、さらに新しい表現を模索。のびやかな感性で織り上げる築城さんの緻密で洗練された小倉織が、これからどんな新たなる美しさを見せてくれるのか、世界が待ち望んでいる。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53991/">繊細な色をたて縞で表現する小倉織。「遊生染織工房」築城則子さん／福岡県北九州市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/53991/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>創設者の想いをつなぐ、南部裂織伝承者･小林輝子さん／青森県十和田市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/53950/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/53950/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 02 Feb 2026 11:11:58 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[織物]]></category>
		<category><![CDATA[南部裂織の里]]></category>
		<category><![CDATA[青森県伝統工芸士]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=53950</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_43.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>そのむかし雪国青森では綿の栽培は難しかったため、布は大切に使われた。着古した着物は最終的に裂き、地機で織り込んで仕事着などを作るようになるが、これが後に南部裂織(なんぶさきおり)と呼ばれるようになる。小林輝子(こばやして [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53950/">創設者の想いをつなぐ、南部裂織伝承者･小林輝子さん／青森県十和田市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_43.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>そのむかし雪国青森では綿の栽培は難しかったため、布は大切に使われた。着古した着物は最終的に裂き、地機で織り込んで仕事着などを作るようになるが、これが後に南部裂織(なんぶさきおり)と呼ばれるようになる。小林輝子(こばやしてるこ)さんは創始者の想いを受け継ぎ、南部裂織の魅力を令和のいまに広めようと奮闘中だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">南部裂織とは</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_42.jpg" alt="" class="wp-image-53958" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_42.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_42-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_42-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<h3 class="wp-block-heading">この土地ならでは、といってもいい南部裂織の歴史的背景</h3>



<p>「物を大切にする女性たちの知恵」から生まれた南部裂織は200年以上の伝統があり、その歴史は江戸時代まで遡る。雪深い青森では綿花が育ちにくく、北前船で運ばれた木綿や古手木綿はとても貴重だったため、その頃の農家は栽培した天然繊維の麻を織物にして着ていた。はぎれも粗末にせずに重ねて刺し子にしたり、最後には裂いて繋いで一枚の布に仕上げたりしていた。南部裂織の原型だ。</p>



<p>明治26年に鉄道が開通すると木綿の着古された布がこの地方にも流通するようになり、農家たちは麻袋を解いた糸を経糸(たていと)に、そして使い古した布を細くテープ状に裂いて緯糸(よこいと)にして地機(じばた)で織り込むようになった。厚くて手触りがゴワゴワとした裂き織りは、冷たい風が吹き荒れるこの地方には親和性があり、仕事着やこたつ掛けとして使われてきたという。「このようにして、この地域の人々は寒さを乗り越えるために様々な工夫をして生きてきたんです」と小林さんは話してくれた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">多種多様であるとともに、全て一点ものという仕上がり</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_3810.jpg" alt="" class="wp-image-53959" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_3810.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_3810-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_3810-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「麻糸と1㎝くらいの幅に裂いた古い木綿を地機で織る」というとてもシンプルな織物なのにもかかわらず、織り方の種類は決して少なくない。最も基本的な平織(ひらおり)、布と糸を交互に織り込むサグリ織り、整経するときに２色の糸を掛けてできる市松織り(いちまつおり)や網代織り(あじろおり)、斜めの目が面白い引き返し織り、布の中に模様をつくる綴れ織り(つづれおり)などと、そのほかにもバリエーションは数多い。</p>



<p>現在では地機を使った伝統的な技法を活かしながら、仕上がりがとてもカラフルなこたつ掛け、トートバック、ベッドカバー、タペストリー、スリッパなど、現代の生活にマッチした様々なアイテムが制作可能だ。</p>



<p>そして南部裂織の大きな魅力のひとつに、「世界のどこにもないオリジナルの物を作ることができる」というものがある。「たとえ同じ布を使ったとしても、どのタイミングで織り込むか、また織る際の力の入れ方によっても、全く風合いは変わってしまうんです。同じものを作ろうと思っても、二度と作れません」と小林さんは笑う。「南部裂織の一つひとつが唯一無二」と言われる所以でもある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">南部裂織保存会のはじまりは奇跡的な出会いから</h2>



<p>それは小林さんの妹、1971年当時35歳の菅野暎子(かんのえいこ)さんが、好きだった叔母の形見分けに臨んだところから始まる。ボロボロで誰もいらない、とでもいうように部屋の隅に紫の裂織の帯が置いてあったが、菅野さんはその味わいのある色と丹念に織られた風合いに強く惹かれてしまい、「誰もいらないなら…」と持ち帰ったという。そしてその帯を見れば見るほど、菅野さんは温もりのある手織りの表情に魅せられて、裂織を知りたいと強く思うようになっていった。</p>



<p>しかしその頃には「着古した衣類やボロを織ることが恥ずかしい」として南部裂織はすでに消滅しかけていたが、そのルーツと織り方を教えてくれる人を根気よく探し歩き、翌年に十和田湖町の”東山きゑ”さんと”赤坂みせ”さんに辿り着く。二人から「裂織なんかやっても一銭にもならないよ」と言われて断られていたが、誠意を持って何度も通っているうちにようやく教えてもらえるようになったという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">燃えるような情熱で南部裂織に捧げる人生</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_4336.jpg" alt="" class="wp-image-53960" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_4336.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_4336-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_4336-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>菅野さんはもう一度南部裂織の価値を見直すとともに、技術と精神を学んで自らも継承者となり、1975年7月7日の棚機の日に南部裂織保存会を設立。自宅で「さきおり教室」を始め、裂織の普及に心血を注ぐとその功労を高く評価され、「青森県伝統工芸士」に認定されるなど多くの受章に輝く。</p>



<p>また「より多くの方々に南部裂織を知ってもらいたい」との想いから、何年にもわたって十和田市に掛け合い、2002年道の駅「とわだぴあ」の隣に十和田市の施設として、匠工房「南部裂織の里」のオープンにこぎつけた。75台ほどの地機がずらりと並ぶさまは壮観で、そのほとんどは菅野さんが集めたもの。「十和田市内･南部地方はもちろん、情報を聞きつけては福島県などを訪ね歩いて集めた機もあるようです」と、愛おしそうに地機を眺めながら小林さんは教えてくれた。</p>



<p>菅野さんは2003年10月に保存会設立30周年記念南部裂織フェスタin十和田を成功させると、2004年3月に他界した。がんを患っていたが最後まで隠していたという。享年67歳だった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">姉が想いをつなぐ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_38.jpg" alt="" class="wp-image-53961" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_38.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_38-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_38-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ボロを織るのが恥ずかしいと思われる時代だったため、当初世間体が悪く、南部裂織否定派だったという小林さん。ところが菅野さんが南部裂織に携わって10年ほどした頃、ちょっとしたきっかけで南部裂織をやってみるとすぐその魅力に取りつかれる。「織り機に座って、布に触れて織るというのが心底楽しくて、当時疲れていた私には本当に癒やしでした。気づけば夜中の1時、2時なんて当たり前。私が南部裂織に真剣に向き合うようになったのはそれからです」と小林さんは笑う。</p>



<p>現在では南部裂織保存会の会員は130名で、その多くは主婦だ。女性は子育てなど様々な悩みや苦労があるものだが、「それをここに全部捨てていきなさい」という創立者の想いを受け継いでいて、ここに来てストレスをためるようなことは一切ないように努力しているのだそう。また、何時集合･何時解散という決まりが無いという毎週水曜日開催の教室で学ぶ生徒は50名ほどで、仲が良いため常に笑いが絶えず、市の文化祭に向けて1年に1アイテムは作って全員提出できるよう進めている。</p>



<p>教室以外に体験することもでき、外国の方や児童･生徒の団体も多いのだそうだが、「特に子供たちにとっては新鮮らしく、楽しそうに織っているんですよ」と小林さんは目を細める。ここに体験に来て「お父さん、この織り機が欲しいから買ってほしい」とねだった子もいたのだそう。体験した人の数は11,000人を超えたという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">創始者の想う、南部裂織のあり方を守る</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_40.jpg" alt="" class="wp-image-53962" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_40.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_40-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_40-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>緯糸(よこいと)に使う使い古した布は、ホテルや旅館の浴衣が届いたり、相撲部屋など全国からの寄付でまかなっているのだそう。「お婆さんが亡くなった、母親が亡くなった、でも捨てるにもったいないから引き取ってくれますかと言って送ってくれる方もいらっしゃいます。だから、みんなに支えられているんです」と小林さん。</p>



<p>そうやってたくさんの人々に支えられながら南部裂織を広めたいと思っている小林さんだが、「芸術家を養成する施設ではないんです、後世に裂織を伝えてつなげていくのが一番です」とも話す。まだ菅野さんが運営していた時、愛好者が多くなった他の自治体から「コンテストをやりたいから企画して審査してください」とオファーがあったそうだが、裂織は絶対に競争するものではないとの信念から、ピシャリと断ったのだそう。小林さんは「裂織は競争するもんじゃない、全て一等賞。自由に、自分の感性で好きなようにやればいいんです。それは妹から引き継いだ強い想いのひとつでもあります」と話してくれた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">会の半世紀の軌跡とこれからの試み</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_39.jpg" alt="" class="wp-image-53963" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_39.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_39-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_39-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2025年に南部裂織保存会はちょうど50周年を迎え、その記念事業として「次世代につなぐ」をテーマに記念作品展･無料体験会を開催し、受け継いできた手技を見せる500点以上もの作品、各教室で織りつないだ50mの織布を展示するなど、様々な挑戦も試みている。「南部裂織は地元の誇るべき文化で今後の地場産業にもなりうる」との想いから、伝統的なものに加えて現代にもマッチした裂織も製作･販売中だ。フランス在住の日本人デザイナーから、男性用スーツのための藍染の裂織布地のオーダーがあったことも。</p>



<p>「今はスイッチを押すと電気で何でも動くでしょ。昔と変わらず自分の手足がエネルギーとなって物が作れる、と子どもたちに伝えていかなきゃダメだと思っています。南部裂織が色あせないのは、ものを大事にするという誰もが持ち合わせている気持ちがあるからなんでしょうね。もっとたくさんの人に知っていただくのが私の使命です」と小林さん。南部裂織の伝統と創始者の想いを引き継ぎ、また、誰もが居場所のある社会にするべく、今日も小林さんたちはいろとりどりの経糸(たていと)に、裂いた布を緯糸(よこいと)にして一段一段織りこんでいく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53950/">創設者の想いをつなぐ、南部裂織伝承者･小林輝子さん／青森県十和田市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/53950/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>ガラスを削る、そのひと手間が自分らしさ。光を宿して魅せる表情「工房 麿」／山梨県富士河口湖町</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/53901/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/53901/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 14 Jan 2026 07:25:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[Glass]]></category>
		<category><![CDATA[Coldwork]]></category>
		<category><![CDATA[Sandblasting]]></category>
		<category><![CDATA[Honeycomb Pattern]]></category>
		<category><![CDATA[Craft]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=53901</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export16.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>約1200年前に噴火した富士山の溶岩流が冷え固まり、その上に木々が生い茂って形成された「青木ヶ原樹海」。原生林が広がる富士の麓、山梨県富士河口湖町にある工房「麿（まろ）」には、丁寧な「削り」によって生み出された繊細なガラ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53901/">ガラスを削る、そのひと手間が自分らしさ。光を宿して魅せる表情「工房 麿」／山梨県富士河口湖町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export16.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>約1200年前に噴火した富士山の溶岩流が冷え固まり、その上に木々が生い茂って形成された「青木ヶ原樹海」。原生林が広がる富士の麓、山梨県富士河口湖町にある工房「麿（まろ）」には、丁寧な「削り」によって生み出された繊細なガラス作品が並んでいる。模様や色彩豊かなガラスは、手に取る人の生活に溶け込む柔らかな光をもたらす。</p>



<h2 class="wp-block-heading">一つひとつ、時間をかけて丁寧に</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export3.jpg" alt="" class="wp-image-53910" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export3.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export3-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export3-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ガラス作家松尾一朝（まつおいっちょう）さんの作品には、「コールドワーク」と呼ばれる技法によって作り出される繊細なディティールや質感が表れている。コールドワークは熱を加えずに冷えたガラスに磨きや装飾、彫刻を施す技法で、例えばガラスをカットして模様を施していく江戸切子もそのうちのひとつだ。ガラスの表面は砂状の研磨剤を吹き付けて削る「サンドブラスト」という技法でツヤを消し、不透明な「すりガラス」状のマットな質感に仕上げる。綺麗に馴染ませてすりガラスのサラサラとした感触を活かしたものや、彫刻のように削り跡をつけたりと、作品によってその表現はさまざま。あくまでコールドワークは仕上げ段階での技法になるが、ここに至るまでの工程にも、松尾さんならではの“ひと手間”が凝らされている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ガラスの特性を活かした表現の可能性</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export17.jpg" alt="" class="wp-image-53911" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export17.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export17-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export17-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>松尾さんの作品は「ぐい吞み」「酒盃（しゅはい）」「蓋物（ふたもの）」などバリエーションは様々。これらの作品で色の付いた線や花のような模様になって見えるものは、熱して棒状にしておいた色ガラスを透明なガラスの中に入れて溶かし合わせている。色ガラスは真っすぐなものや螺旋状のものなどがあり、透明なガラスと溶け合って浮かび上がるような模様が生まれる。</p>



<p>対してシリーズ化している作品のひとつの「ハニカム模様」では、透明なガラスと境目をつけてはっきりとした模様を出すため、色ガラスを棒状へ加工する際に白いガラスの粉を付けている。ハニカム模様とは英語で「ミツバチの巣」を意味し、ガラスが溶けあう際にお互いを押し合う性質を活かしながら、美しく並んだ六角形が表れる。綺麗な六角形を作るため、事前にガラス棒の太さを測りながら使う素材を選定し、輪切りにしたガラス棒のパーツを規則的に並べ、電気炉で板状に溶かし固めていく。このようにしてパーツ作りから仕上げまで、いくつもの工程をほぼひとりでこなすという松尾さん。感触や色彩、透明感にこだわり、一つひとつ丁寧に作られた作品には根強いファンがおり、2023年に東京で開催されたガラス作品展「ひかりのいれもの」にも連日多くの人々が足を運んだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">初めて知ったガラスの感触</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export7.jpg" alt="" class="wp-image-53912" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export7.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export7-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export7-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>松尾さんがガラス工芸に興味を持ったのは31年前のこと。両親の勧めもあり、山梨県富士河口湖町からひとり離れて進学し、埼玉県の私立中高一貫校のガラス細工部で作品に触れたことが現在の道を歩むきっかけとなった。初めてガラスに触れた際、「溶ける、伸びる、丸まる、そうした一つひとつの変化が面白かった」と松尾さん。理科室にあるバーナーでガラスを溶かし、本を見ながら模様作りの技法を探る。そうした部員たちとの充実した活動にのめり込んでいく中、高校2年生の時、突如父親が他界してしまう。</p>



<p>これからは自分の力で生きていかなければならない。将来のことを考え、卒業後の進路についても大いに悩んだという。「ガラスが好きだという気持ちと、自分が作ったもので人が喜んでくれることが嬉しかった」と、ガラス工芸の道に進むことを決意。美大への進学を目指し、高校卒業後の1年間は予備校でデッサンについて学んでいくこととなる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">大学時代で学んだ“漆”</h3>



<p>デッサンの勉強をしている間もガラスへの思いが募る一方、「ガラスに熱中するあまり、他の素材に目を向けられていなかった」と自らを顧みる。まずは違う素材についても理解を深めた上で、今後さらに広い視野でガラス工芸と向き合えるよう、敢えてガラス工芸の学科がない石川県の金沢美術工芸大学を受験する。そこで松尾さんが専攻したのが工芸科の漆コースだった。</p>



<p>「漆が出す“光沢”にガラスに似たものを感じました」。石川県には輪島漆器や山中漆器などの伝統工芸品があり、漆を学ぶには最適な環境。実際に地域で活動する職人たちの元へ通いながら、漆という素材の魅力に惹き込まれていったという。</p>



<p>漆芸（しつげい）を学ぶ中で「漆はあくまでも作品の表面に装飾を施す“外側の素材”であるのに対して、透けるという性質を持つガラスは中の見え方も表現となる“内側の素材”」だと捉えるようになったそう。そこで、「ガラスの色や形、透過性を活かしながら、テクスチャーや装飾でも表現の可能性を広げることはできないだろうか」と、現在の作風に繋がる糸口を見出す。また、「自分は元々細かい作業が不得意だった」と話す松尾さんだが、工程の殆どが機械作業のガラス工芸に対し、丁寧で細やかな手作業が試される漆芸の経験が、後のガラス工芸にも活きることになったのだという。「真摯に漆と向き合った結果、自分でも気付かないうちに技術が身につきました」と、当時を振り返る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">“ガラスの町”で学んだ技法</h3>



<p>大学卒業後、富山ガラス造形研究所に進学。まず2年間は造形科で吹きガラスなどの熱で溶かして加工する「ホットワーク」や、電気炉を使った鋳造制作などを行う「キルンワーク」、そして先述した「コールドワーク」の3本柱でガラスの技法を学んだ。その後、残りの2年間で改めてガラス作家としての方向性を探る中で、「自分の手の中でガラスを削り模様が変わっていく感覚が、彫刻に似たものを感じた」。その背景には木彫家として活動していた父親の存在も大きかったという。幼い頃から“木”という素材が身近にあったこともあり、彫ると模様が表れていく木面のように、削ることで独特な模様を生み出していくコールドワークのガラス加工を、自身の作風として意識していくこととなる。</p>



<p>本格的にガラス職人として活動することを視野に入れ、在学中の2006年に初の個展となる「ガラスでできた宝物」を開催。卒業後は富山でアルバイトをしながらガラス作品の制作を続け、2010年からは神戸芸術工科大学クラフト・美術学科のガラスコースで実習助手を務めた。その間にも知人作家から作品の批評や、収益化の方法など具体的なアドバイスを仰ぎながら腕に磨きをかけ、2014年に故郷である山梨で工房「麿」を設立した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">“削る”楽しさ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export6.jpg" alt="" class="wp-image-53913" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export6.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export6-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export6-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>松尾さんの作品は複数のガラス工芸の技法を組み合わせて作られている。ホットワークでのパーツ作りから始まり、キルンワークでは器などの原型を作る作業、最後にコールドワークで作品を仕上げる。一般的に、吹きガラスなどでは職人の息使いによる偶発的な作品の良さを活かすため、松尾さんのように手を加えていこうとする作家は少ないのだそう。「ガラス作りを続ける中で“時間を掛けても最後は自分の手の中で作品を完結させること”が、大切にすべき自分のスタイルだと自覚するようになったんです」。</p>



<p>ホットワークやキルンワーク作品における偶然の作品性も魅力であるが、「イメージを膨らませながら自分の手で形を変えられる」ところに、削る面白さがあるのだという。削ることで表情が変わり、思いがけなかった新しい表現が生まれていく。手塩にかけた自らの作品を眺めながら、「削っている時間が楽しい」と松尾さんは無邪気に笑う。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「大切なものをしまってほしい」蓋物に込めた願い</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/BASE_photo_batch.jpg" alt="" class="wp-image-53914" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/BASE_photo_batch.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/BASE_photo_batch-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/BASE_photo_batch-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>松尾さんの代表作は、ガラスの中に柔らかな光が溜まり、透明さの中に色が滲み出す「蓋物」シリーズ。ガラスならではの魅力が詰まったこのシリーズは、美しいもの、大切なものを意味する“珠”という語を使って「珠箱（たまばこ）」と名付けられた。窓際などの日が当たる場所に置くと、内側からふんわりと優しい光が表れる。</p>



<p>「ガラスの中に光が溜まることと、蓋物の中に何かをしまうことが繋がっている気がするんです。何を入れたらいいのか聞かれることがよくありますが、例えば記念日の指輪や、子どもが拾ってきたどんぐりなど、『あなたの思う小さく大切なものを入れてください』とお答えしています」</p>



<p>以前手元供養の器として購入した人がいたそうだが、“亡き父の遺骨を入れたくなるようなものを作ること”をひとつのテーマに制作していた学生時代を思い返し、「気持ちが通じた」と感じたという。「人によって“大切なもの”は様々だけれど、自分が作った蓋物をふと見た時に、何か大切な気持ちを思い出してもらえたら嬉しいですね」。</p>



<h2 class="wp-block-heading">少しずつ見つけていった自分らしさ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export22.jpg" alt="" class="wp-image-53915" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export22.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export22-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export22-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>山梨に戻り工房を構えてからは、誰に教わることもできない環境で「試行錯誤を繰り返す毎日だった」と松尾さん。周囲の意見を取り入れながら、器としての使いやすさと、工芸品としての美しさを兼ね備えた自分らしい作品のスタイルを少しずつ磨き上げていった。</p>



<p>「ひとりになったことで、恵まれた環境であったからこそ知らぬ間にインプットできていたものや、既成概念に囚われてしまっていたことに気付くことができました。失敗もありましたが、自分のスタイルを考え直す中でどんどんとやりたいことを見出すことができたんです」</p>



<p>体調を崩してしまい制作が思うように進まない時期もあったそうだが、「自分が良いと思うものを妥協せずに作りたい」という気持ちは変わらなかった。そこで、年に何度も行っていた個展の回数を減らすことで制作ペースを調整しながら、2022年には新たにオンラインショップを開設。自身のコンディションを保ち納得のいく作品を生み出しながら、インターネットの力を借りた収益化の形も模索している。「好きなこととして、仕事として『長く続ける』こと」を目標に歩む松尾さんの挑戦は終わらない。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ガラスの魅力を知ってほしい</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export23.jpg" alt="" class="wp-image-53916" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export23.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export23-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/export23-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p><br>ガラス作家として、「作ったものを通してガラスの魅力を多くの人に知ってほしい」と話す松尾さん。積み重ねてきた経験の先にある“ひと手間”を、「無駄は多いと思うけれど、地道な作業やひと手間が“自分らしさ”」と語る姿は穏やかだ。磨きあげた蓋物を手にしながら、「今後も自分が作った作品が、他人の人生のなかに絡められたら幸せです」と微笑む表情が、印象的だった。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53901/">ガラスを削る、そのひと手間が自分らしさ。光を宿して魅せる表情「工房 麿」／山梨県富士河口湖町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/53901/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>現代性の中に見出した、原始の美しさ。陶芸家・小野澤弘一さん／栃木県芳賀郡益子町</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/53829/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/53829/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 08 Jan 2026 08:24:27 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸家]]></category>
		<category><![CDATA[益子町]]></category>
		<category><![CDATA[陶胎漆器]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=53829</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3615.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「漆塗り」と聞くと、多くの人が木の素材に漆を施したものを思い浮かべるが、陶器や磁器に漆を施す「陶胎漆器（とうたいしっき）」という技法がある。今では珍しくなった技術を活かして作陶を行う陶芸家・小野澤弘一さんの工房が陶芸のま [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53829/">現代性の中に見出した、原始の美しさ。陶芸家・小野澤弘一さん／栃木県芳賀郡益子町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3615.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「漆塗り」と聞くと、多くの人が木の素材に漆を施したものを思い浮かべるが、陶器や磁器に漆を施す「陶胎漆器（とうたいしっき）」という技法がある。今では珍しくなった技術を活かして作陶を行う陶芸家・小野澤弘一さんの工房が陶芸のまち･益子にある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">里山の原風景が残る、陶芸のまち「益子」</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/image-23-1024x683.jpeg" alt="" class="wp-image-53832" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/image-23-1024x683.jpeg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/image-23-300x200.jpeg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/image-23-768x512.jpeg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/image-23.jpeg 1372w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>小野澤さんの工房がある栃木県芳賀郡益子町（ましこまち）。栃木県の南東部に位置する自然豊かなこの町は、「益子焼」の名産地として有名だ。益子焼は江戸時代末期に、笠間で修行した大塚啓三郎が、この土地で良質な陶土を見つけ、窯を開いたことが始まり。</p>



<p>現在益子町には、大小さまざまな窯元が約160、陶器店は50軒あり、毎年5月と11月に開催される「益子陶器市」では地元の作家だけでなく、全国の陶磁器の窯元や、手芸、工芸、アクセサリー作家や飲食店まで多くの人が店を出す。普段は、静かでどこか懐かしい里山の風景を楽しめる町内も、陶器市の開催期間は県内外の車や人でごったがえすほどの賑わいだ。</p>



<p>この陶芸のまち「益子」に、小野澤さんが夫婦で移り住んだのは、2021年のことだった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">縁あって移住した栃木県で、作風のルーツに出会う </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3661.jpg" alt="" class="wp-image-53835" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3661.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3661-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3661-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>小野澤さんの生まれは東京。父が陶器を集めていたこともあり、幼少期から陶芸作品に触れることも多かったという。また、幼いころは粘土をいじったり、絵を描いたりすることも好きで、学生時代には作陶も経験。</p>



<p>心の中ではずっと「陶芸家」という仕事を意識していたそう。大学に入学し、具体的に将来の仕事を考えるようになると「陶芸家になりたい」という気持ちをより強く意識するように。「仕事をするなら、好きなことで頑張ってみよう」という気持ちが固まり、大学卒業後は岐阜県にある「多治見市陶磁器意匠研究所」でやきものに関する技術や知識を学んだ。</p>



<p>卒業後は2年ほどアルバイトをしながら作陶を続けたのち、知人から紹介されて移り住み開窯した場所が、益子から車で１時間ほど北上した場所にある、那珂川町（なかがわまち）の「馬頭（ばとう）」地区だった。</p>



<p>そもそも小野澤さんの作品は「益子焼き」ではない。当時は「関東圏内で、広く家賃の安い物件はないか」と検討していたところ、たまたま縁があったのが馬頭地区の物件だったのである。</p>



<p>しかしこの土地で暮らしたことが、現在の作風を生み出すきっかけにつながった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">縄文土器にも用いられた、<strong>陶胎漆器（とうたいしっき）</strong></h3>



<p>当初小野澤さんが手がける作品は、釉薬をかけず、高温でじっくりと焼く「焼締め」が中心。現在はその焼き締めたあとに、漆を塗って仕上げる「陶胎漆器（とうたいしっき）」という技法を用いた作品を多く生み出している。</p>



<p>当時住んでいた那珂川町の隣には、茨城県大子町（だいごまち）があり、大子町は「大子漆（だいごうるし）」と呼ばれる漆の名産地。茨城県は岩手県に次ぐ国産漆の産地であり、県産漆のほとんどは大子町で作られ、輪島塗などの高級漆器にも使われている。</p>



<p>偶然にも漆を身近に感じることになった小野澤さん。興味が湧いて調べてみると、縄文時代から漆を土器に塗る技法があったと知る。そこで、自分でもやってみようと始めたのが、今の作風のルーツになっているという。</p>



<p>2020年には、東京にもっとアクセスしやすい益子に空き工房を見つけ、2021年に夫婦で引っ越し。そこで日本画家である妻の法子さんと共に、夫婦それぞれが創作活動に励んでいる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">歴史や古いものに惹かれる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3671.jpg" alt="" class="wp-image-53836" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3671.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3671-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3671-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>小野澤さんの作品は、漆だけでなく、漆と共に錫（すず）の粉を施した作品も手がける。「陶胎漆器と言ったほうが分かりやすいので、そのように言いますが、実際はそこにこだわっているわけではありません」。</p>



<p>歴史が好きで、古いものに惹かれるという小野澤さん。特に「弥生土器」が好きで、古代の人が削ったり磨いたりしてできた形は、柔らかさと同時にシャープさも感じられ、自分の作品にも取り入れたいと思うという。「当時の作った人の指跡が残っていたりすると感動しますし、古いものには当時の人の息づかいが聞こえる気がします」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">原始性と現代性の融合を目指して</h3>



<p>作品は、まずろくろを引くところから。ほとんどスケッチはせず、作りながら考えてゆくスタイル。目指しているのは、ろくろで引いた「現代的なシャープさ」と土器のような「原始的なフリーハンドの柔らかさ」が融合したもの。</p>



<p>ろくろを引く際も、完全にシンメトリーなものは目指さない。食器は左右対称で「歪み」のないものが一般的だが、小野澤さんは、あえて歪みを出している。また、どの器も全く同じ歪み方にはせず、１つとして同じものがないように意識。さらには、表面には小野澤さんが好きな「弥生土器」の制作過程で施されていたという、割板や棒などで土器の接合跡を消したり、形を微調整したりする「ハケ調整」やハケ調整でできた線を消していく「ナデ調整」などの古の技法を施し、刷毛のあとや色の濃淡などの手仕事の風合いが残ったマットな質感に仕上げる。そこからさらに、4種5層の泥を塗っては乾かしを繰り返し、漆を塗る。そして最後は、ヤスリで表面を磨くことで、さらなる濃淡や多彩な質感を表現する。</p>



<p>非常に手間と時間のかかる作業ではあるが、機械であるろくろを使った「現代的なシャープ」なフォルムから更に、人間の手ならではの風合いや、古来からの技法を重ねることこそが、小野澤さんが思い描く「現代性と原始性」の融合した造形を実現するために、必要な作業なのだ。</p>



<p>小野澤さんは、自身の作品作りを「時間の経過を封じ込めるような感覚で作っている」と表現する。</p>



<p>実際、古びたものを再現する技術はたくさんある。一般人にも馴染み深いのはテーマパークで、その世界観を表現するために、遺跡や遺物、古い岩肌などを人工的に作り出したものが散見される。現代の技術を凝らした造形には目を見張るものがあるが、しかしそれはあくまで、限りなく本物に“似せた”模造品だ。</p>



<p>単純に古びた陶器の質感を出そうと思えば「層のように重ね塗って、まだらにしたり下地を出したりという変化を見せる技法もある」と小野澤さん。しかしそれで完成するのは、小野澤さんにとっては「表面的な古さ」でしかない。そうではなく、時を重ねた陶器や技術への尊敬を胸に刻みながら、小野澤さんの世界を通して「今」表現されるもの。まるで本当に時を重ねたかのような質感、それでいて古びず現代的な美しささえも感じさせるのは、小野澤さんだからこそ生み出せる、唯一無二の表現ではないだろうか。</p>



<h2 class="wp-block-heading">人や土地の歴史との出会い。先人たちの歩みが“師匠”</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3616.jpg" alt="" class="wp-image-53837" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3616.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3616-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3616-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>誰か特定の人に師事せず、自らの道を歩んできた小野澤さん。</p>



<p>「岐阜にいたときは、美濃の歴史の深さを感じましたし、馬頭にいたときは、益子焼よりも古い小砂焼（こいさごやき）やそれを手掛けている人にも出会いました。師匠という人はいませんが、そういうものを見聞きして、肌で感じて、先人たちがやってきたことを感じるようにしてきました」。</p>



<p>歴史が好き、土器が好きと話す小野澤さん。その言葉からは、単なる「好き」ではなく、どこまでも先人たちの歩みや、歴史への尊敬の念が感じられる。</p>



<p>「益子に実際に住んでみると、地元の人も知らないような歴史を知ることもできました。色々な歴史があって成り立っている土地だと知ることが好きだし、その好きな気持ちは、ここで作品を作るモチベーションにもなりますね」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「ろくろに感じる本質的なものを見出したい」</h3>



<p>国内の個展やワークショップ、海外まで活動の幅を広げる小野澤さんは、「40歳になったので、体力があるうちに、大きな作品を手びねりでやってみたいですね」と話す。</p>



<p>ロダンなど人体彫刻を眺め、その背景に思いを馳せるのも好きだと話す小野澤さんは、「対象を見つめる仕事がしたい」とも。小野澤さん曰く、「電動ろくろには、規則性があって、その中にも美しさがあるという。そのろくろで作ったもの（対象）を見つめながら、手びねりで作品を作りたい」とのこと。</p>



<p>二度手間では？と感じずにはいられないが、それこそが小野澤さんがやりたい「対象を見つめる仕事」なのだそう。「一旦ろくろで作ったもの（対象）をしっかりと“見つめて”、そこから自分が何かを感じ取ろうと向き合うことで、ろくろに感じる美しさの本質的なものが見出だせるのではないかと思うんですよ」。非常に感性的ではあるが、その繊細で美しい感覚や思考こそが、今と古をつなぐような作風の源泉であるのだと思わずにはいられない。</p>



<p>自身で目で見て、感じたこと。新たな学びも発見も、すべて作品へと昇華させてきた小野澤さん。きっとこれからも人類の歴史のように、止まらぬ進化を重ねてゆくことだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53829/">現代性の中に見出した、原始の美しさ。陶芸家・小野澤弘一さん／栃木県芳賀郡益子町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/53829/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
	</channel>
</rss>
