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	<title>島根県 - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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	<title>島根県 - NIHONMONO</title>
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		<title>より良い暮らしのため、民藝の器づくりを実直に「出西窯」／島根県出雲市斐川町</title>
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		<pubDate>Mon, 17 Aug 2026 08:21:32 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02118__H6A1961.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日常の道具の中に美を見出す「民藝（みんげい）」。その教えを直接受け継ぎ、今も器づくりを続けているのが島根県にある出西窯（しゅっさいがま）だ。ここで生まれる器には、窯名や作り手の名前が記されていない。それでも人々に選ばれ続 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02118__H6A1961.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日常の道具の中に美を見出す「民藝（みんげい）」。その教えを直接受け継ぎ、今も器づくりを続けているのが島根県にある出西窯（しゅっさいがま）だ。ここで生まれる器には、窯名や作り手の名前が記されていない。それでも人々に選ばれ続け、70年以上も作り続けられてきたのはなぜだろうか。その背景には、器そのものだけでなく、時代の変化に応じて暮らしの在り方まで提案してきた点にある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ライフスタイルから提案する窯元･出西窯</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02093__H6A1783.jpg" alt="" class="wp-image-55126" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02093__H6A1783.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02093__H6A1783-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02093__H6A1783-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>島根県東部、出雲平野の田園風景が広がる出雲市斐川町（ひいかわちょう）に、暮らし全般を発信する複合施設「出西 くらしのvillage」がある。敷地内には器の店やセレクトショップ、ベーカリーカフェが揃い、足を踏み入れると商品がずらりと並ぶ店内へと自然と引き込まれていく。</p>



<p>運営するのは民藝運動の精神を受け継ぐ窯元･出西窯。</p>



<p>「地域の方に楽しんでもらえる場をつくりたかったんです。器を使ってもらったり、洋服を手に取ったり、パンを選んだり。暮らしそのものを体験できる場所にしたくて」と振り返るのは出西窯の代表･多々納 真（たたの しん）さん。たとえば冬のグラタン皿は、実際に使ってみて初めて良さが伝わることも多い。“いいね”となり、そのまま購入につながることは少なくないという。</p>



<p>ここでは、暮らしの中でどう使われるかまで含めて商品提案がなされている。こうした考え方の背景には、戦後に出合った考え方に端を発している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">始まりは戦後。地元で生きる道を模索して築いた共同窯</h2>



<p>出西窯の始まりは1948年。戦時中は物資が乏しく、“贅沢は敵”とされる中で、生活の中の“美しさ”は後回しにされてきた。そうした時代を経て、美しいものをつくりたいと、5人の若者が器づくりに取り組むことに。彼らは幼なじみで、いずれも農家の次男･三男。家業を継がない立場として自分たちの生きる道を模索するなかで、生活も支え合える“共同体”として窯を築く道を選んだ。</p>



<p>創業当初に目指していたのは、美術的価値の高い焼き物だった。しかし1949年、松江市在住の工芸家・金津 滋（かなつ しげる）氏から、“あなたたちには何も志がないみたいだ”と厳しい指摘を受ける。そしてこのとき、金津氏から手渡されたのが、民藝運動の父と呼ばれる柳 宗悦（やなぎ むねよし）の著書『私の念願』だった。自分たちの器づくりを見つめ直す中でこの本を読み込み、その思想に深く感銘を受けた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">民藝運動の牽引者･河井寛次郎との出会い</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02109__H6A1894.jpg" alt="" class="wp-image-55127" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02109__H6A1894.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02109__H6A1894-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02109__H6A1894-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>当時、日本では民藝運動が広がり始めていた。機械化や西洋化が進む中で、手仕事の価値や、暮らしの道具に宿る美しさを見直そうという考え方である。　</p>



<p>そうした民藝の考え方に共鳴した創業メンバーは1950年に京都へ赴き、民藝運動の中心的推進者の一人である河井 寛次郎氏を訪ねた。その後、河井氏は出西窯に足を運び、“毎日の生活道具を徹底的につくりなさい。人に喜ばれるものをつくりなさい”という考えを示し、日々使われる生活道具をつくることの大切さを伝えた。</p>



<p>さらにバーナード･リーチ氏らも、指導にあたった。リーチ氏はウェットハンドル技法と呼ばれる把手付けの技術や、洋食器づくりを伝えた。こうして出西窯は、実用の中に美を見出す「民藝」の思想を軸に据え、歩み始めた。やがて使い心地の良さが評判を呼び、次第に人々の暮らしの中へ広がっていった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">名を刻まない器に宿る価値</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02106__H6A1880.jpg" alt="" class="wp-image-55128" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02106__H6A1880.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02106__H6A1880-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02106__H6A1880-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>出西窯では商品に窯名や作者の名前を記すことはない。それは、民藝の思想に基づき、個人の名声ではなく、名もなき手仕事の積み重ねに価値があると考えているからだ。</p>



<p>1989年、出西窯は第10回日本陶芸展で優秀作品賞を受賞した。国内最大規模の陶芸公募展であり、その評価は出西窯が追求してきた用の美が認められた瞬間でもあった。</p>



<p>受賞作品・縁鉄砂呉須釉皿（ふちてっさごすゆうざら）の人気は高まり、深い青の色合いはやがて出西ブルーと呼ばれるようになる。</p>



<p>しかし、実際に賞を受けたあとも、特定の作者を前に出すことはせず、共同体としてのものづくりを続けてきた。誰か一人の作品ではなく、窯全体で生み出すものとして器を届ける。その姿勢こそが、創業時から変わらない出西窯の在り方だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日常を良くするものを手仕事で</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02166__H6A2101.jpg" alt="" class="wp-image-55129" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02166__H6A2101.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02166__H6A2101-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02166__H6A2101-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>こうして受け継がれてきた民藝の思想は、今なお息づいている。創業80年を目前に控え、職人は16人に増えた。出西窯の器には、土の質感や豊かな色合いがそのまま生きており、手に取ると形･重みがしっくりと馴染む。実用的でありながら、使うほどに愛着が深まるイメージが自然と湧いてくる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">登り窯がつくる、唯一無二の風合い</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02147__H6A2050.jpg" alt="" class="wp-image-55130" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02147__H6A2050.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02147__H6A2050-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02147__H6A2050-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>器の焼き上げには、伝統的な登り窯と現代的な灯油窯･電気窯を使い分けている。なかでも登り窯は、年に3〜4回だけ使われる特別な存在だ。登り窯は、斜面に沿って連なる薪窯で、炎の流れや灰のかかり方によって、器一つひとつに異なる表情が生まれる。だがその分、職人は数日間つきっきりで炎と向き合う必要があり、手間も負担も大きいため、使う窯元は少なくなっている。</p>



<p>「伝統をつなぐことと、炎をコントロールして窯を焚く技術を身につけるためにやっています。器づくりは、粘土から器への変化を覚えることが大事なんです」と多々納さん。窯内の温度が1,200〜1,300度になるとオレンジ色の光に包まれ、まるで神様がいるような幻想的な光景になるという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">使い手に誠実に、暮らし方の提案を多方面から</h2>



<p>1998年には、敷地内に展示販売場くらしの陶・無自性館を設けたことで、窯元に足を運ぶ人が徐々に増えた。器を売るだけでなく、暮らしの中で役立つ道具を届けるという考え方は、こうした場づくりにも受け継がれている。　</p>



<h3 class="wp-block-heading">創業時のデザインを受け継ぎ、新たな可能性も探求</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02102__H6A1868.jpg" alt="" class="wp-image-55131" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02102__H6A1868.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02102__H6A1868-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02102__H6A1868-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>食器を中心に、花器や酒器など幅広い商品を手がける出西窯。なかでも人気は、バーナード･リーチ氏の指導のもとで生まれたモーニングカップだ。100年、200年経っても変わらないものをつくりなさいという教えのもと、70年以上つくり続けている定番である。年間3,000〜4,000個を製作し、すぐに使い手のもとへと渡っていく。</p>



<p>一方で、新しい器づくりにも積極的だ。複数の職人がいる強みを生かし、それぞれが“使い手にとって何が良いか”を考え、形にしている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">実用性をひたすらに追い求めて</h3>



<p>コロナ禍には、キャットボウルという新たな商品が生まれた。食べやすさや飲みやすさを追求し、食事中に猫のヒゲが当たらず、吐き戻しが起きにくい高さと形状を実現。猫にも飼い主にもやさしい器として支持を集めた。使い手に徹するのが我々の流儀で、お役立ていただける確信がありました、と開発者は迷いのない瞳で語る。今後は、障がい者や子どもなど、多様な使い手にとって使いやすい器づくりにも取り組んでいきたいという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">人々に喜ばれる器を、これからも</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02084__H6A1735.jpg" alt="" class="wp-image-55132" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02084__H6A1735.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02084__H6A1735-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02084__H6A1735-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>出西窯が目指すのは、使う人にとって心地よいかどうか。装飾や個性を競うのではなく、手に馴染み、長く使える実用性を磨き続けてきた。</p>



<p>その器は決して主張しすぎない。それでも、使うほどに良さが伝わり、気づけば食卓にあり、暮らしの中に自然と溶け込んでいく。名を掲げずとも選ばれ続けてきた理由は、そこにあるのかもしれない。</p>



<p>創業以来受け継がれてきたのは、“人に喜ばれる生活道具をつくる”という民藝の精神である。時代が変わっても、健やかで丈夫に、そして長く使い続けられる器を届ける。その思いを受け継ぎながら、出西窯はこれからも暮らしをより豊かにする器づくりを続けていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55117/">より良い暮らしのため、民藝の器づくりを実直に「出西窯」／島根県出雲市斐川町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>高瀬川のほとりで受け継がれる出雲の筒描藍染。「長田染工場」長田匡央さん／島根県出雲市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 17 Aug 2026 08:00:52 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[藍染]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<category><![CDATA[すくも]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_074.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>出雲市を流れる高瀬川のほとりに、藍染の工房「長田染工場」がある。かつてこの川沿いには数十軒もの染め物屋が軒を連ねていたが、今ではその営みを受け継ぐのはこの工房のみとなった。伝統技法「筒描藍染（つつがきあいぞめ）」を守りな [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_074.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>出雲市を流れる高瀬川のほとりに、藍染の工房「長田染工場」がある。かつてこの川沿いには数十軒もの染め物屋が軒を連ねていたが、今ではその営みを受け継ぐのはこの工房のみとなった。伝統技法「筒描藍染（つつがきあいぞめ）」を守りながら、藍と向き合い続ける仕事が、今も静かに受け継がれている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">高瀬川とともに続いてきた出雲の藍染</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_055.jpg" alt="" class="wp-image-55113" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_055.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_055-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_055-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>出雲市の市街地を流れる高瀬川。その川沿いに、「長田染工場」はある。創業はおよそ130年前。現在は5代目の長田匡央さんが4代目と共に工房を守り、藍染の仕事を続けている。</p>



<p>工房の建物には長い年月の積み重ねが感じられ、作業場には染めの道具や布が並ぶ。藍染に使われるのは、島根県西部で作られた石見焼の素焼きの甕（かめ）。創業当時には四十数個の藍甕が並んでいたというが、現在残っているのは８つ。それでも当時から受け継がれてきた甕を今も使い続け、藍染が行われている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">出雲で唯一、筒描藍染を受け継ぐ工房</h3>



<p>川の水は染色の工程に欠かせず、高瀬川が流れるこの地域は染めの仕事に適した場所だった。しかし時代の変化とともに染め物の需要は減り、工房の数も次第に少なくなっていった。全国を見渡しても、伝統技法「筒描藍染」を受け継ぐ工房はわずか三、四軒ほど。そんな中、「長田染工場」は「筒描藍染」という伝統技法を創業当時から道具も技法も、大きく変わることなく受け継いでいる、全国でも数少ない工房だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">手描きの力が残る「筒描藍染」とは</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_051.jpg" alt="" class="wp-image-55104" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_051.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_051-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_051-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>&nbsp;「筒描藍染」は、生地に糊で模様を描いてから藍で染める「後染め」の技法のひとつで、染め上がった生地を水ですすぐことで糊で描かれた部分だけが白く残り、模様が浮かび上がる。同じ模様を繰り返し染められる「型染め」とは異なり、手書きならではのゆらぎとダイナミックさが特徴だ。</p>



<p>制作は、代々受け継がれてきた型紙で下絵を付けることから始まる。そこへ筒袋に入れた糊を手で絞り出しながら、線を描いていく。描き終えたあとには米ぬかを振り、糊を固める。</p>



<p>その後、生地は染めと乾燥を十数回繰り返す。藍は空気に触れて酸化することで少しずつ青く発色していくため、回数を重ねるほどに、色は濃く深くなっていく。</p>



<p>最後に目の前に流れる高瀬川で糊を丁寧に洗い落とし、生地を竹竿に広げて乾かす。もちろん、糊の材料には米粉や米ぬか、塩など自然由来のものを使用するなど、環境への配慮もなされている。こうして一枚の布が完成する。大きなものでは、仕上がりまでに三週間以上かかることもあるという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">線に宿る、筒描の繊細な手仕事</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_041.jpg" alt="" class="wp-image-55105" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_041.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_041-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_041-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>模様を描く糊は、餅米100％で作られている。描き終えたあとには米ぬかをふりかけ、染料が布に入り込まないようにする。</p>



<p>糊を均等な太さで出しながら描き続けるには、長年の経験が必要だ。少しでも力加減が変われば、線の太さが変わってしまう。</p>



<p>下書きはあるものの、その通りにただなぞるだけでは面白くない。長田さんはそう話す。「人を立ち止まらせるような、力のあるものを描きたい」その言葉からは、手描きの仕事への強い思いが伝わってくる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">出雲の暮らしに根付いていた藍染の品</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_003-1.jpg" alt="" class="wp-image-55114" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_003-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_003-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_003-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>かつて出雲の地では、藍染の布は暮らしの中で広く使われていた。とくに婚礼の際には、嫁入り道具として筒描藍染の品が用意されたという。布団や夜具、油たん、風呂敷、提灯袋、傘袋など、日常で使うさまざまな布製品が藍で染められていた。</p>



<p>布の中央には家紋が入り、四隅には鶴や亀、松竹梅などの縁起の良い図柄が描かれるのがスタンダードなデザイン。家の繁栄や夫婦の長寿を願う意味が込められていた。</p>



<p>こうした藍染の布は、暮らしの節目を彩る大切な品でもあった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">使い込むほど深まる藍の色</h3>



<p>現在では婚礼文化としての藍染はほとんど見られなくなったが、風呂敷などにはその名残が残っている。</p>



<p>藍染の布は丈夫で、虫にも強いという特徴がある。使い続けるうちに色が布に馴染み、落ち着いた風合いへと変わっていく。</p>



<p>新品のときの鮮やかな藍色も美しいが、時間とともに少しずつ色がやわらぎ、生活の中に溶け込んでいく。その変化も藍染の魅力のひとつだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">藍という生きた染料</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_037.jpg" alt="" class="wp-image-55109" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_037.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_037-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_037-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「長田染工場」の藍染の染料となるのは「すくも」と呼ばれる天然の藍だ。タデアイの葉を収穫して乾燥させ、発酵と熟成を繰り返しながら、約100日かけて作られる。</p>



<p>長田家は元々、すくもの一大産地である徳島にルーツがあり、以前は徳島産のすくもを使っていた。現在は兵庫県播磨で作られたものを使用している。播磨の藍染は古くから知られているが、かつて一度衰退し、その後約10年前に復活したという。</p>



<p>天然の藍は手間も時間もかかる染料だが、独特の深い色合いを生み出す。長田染工場では、こうした天然藍を使った染めが続けられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「藍は生きている」発酵が生む色の変化</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_030-1.jpg" alt="" class="wp-image-55110" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_030-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_030-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_030-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>藍甕の中では、微生物が働き続けている。温度や湿度によって状態が変わり、染め上がる色合いも微妙に変化する。</p>



<p>藍甕の中をのぞき込みながら、長田さんはこう話す。</p>



<p>「藍は中で生きているんです」</p>



<p>染めの仕事は、藍の状態を見ながら進められる。夏と冬では発酵の進み方も異なり、色の出方も変わるという。長田さんが特に好むのは冬の「寒染め」。冬の冷たい空気の中で染めると、色がきりっと締まり、落ち着いた藍色になるそうだ。</p>



<p>同じ工程であっても、全く同じ色にはならない。その変化を受け止めながら染めていくことが、藍染の難しさであり面白さでもある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">暮らしの中で使われ続ける藍へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_014-1.jpg" alt="" class="wp-image-55111" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_014-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_014-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_014-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>長田さんは、藍染を特別なものにしたくないと話す。<br>「もともと藍染は、生活の中で普通に使われていたものなんです」</p>



<p>その言葉の通り、工房ではストールやコースター、ブックカバーなど、現代の暮らしに取り入れやすい製品づくりにも力を入れている。かつて日常の中にあった藍を、もう一度、今の暮らしへと手渡していくような取り組みだ。</p>



<p>長田さんにとって藍染は、単なる仕事ではない。人生であり、生活そのものだ。受け継いできた技法を守るだけでなく、いまの暮らしの中で使われるかたちへと少しずつ変えていく。その積み重ねが、これから先の藍染を作っていくのだ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55093/">高瀬川のほとりで受け継がれる出雲の筒描藍染。「長田染工場」長田匡央さん／島根県出雲市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>出雲阿国ゆかりの地に、歌舞伎の灯をともす「出雲歌舞伎むらくも座」／島根県出雲市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 17 Aug 2026 07:42:32 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[伝統芸能]]></category>
		<category><![CDATA[歌舞伎]]></category>
		<category><![CDATA[出雲阿国]]></category>
		<category><![CDATA[出雲歌舞伎]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2281.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>歌舞伎の始祖・出雲阿国（いずものおくに）ゆかりの地として知られる出雲。この地で、伝統芸能の火を守り続けている人々がいる。1975年に結成された「出雲歌舞伎むらくも座」は、一度途絶えた地域の出雲歌舞伎を復活させ、50年以上 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55081/">出雲阿国ゆかりの地に、歌舞伎の灯をともす「出雲歌舞伎むらくも座」／島根県出雲市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2281.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>歌舞伎の始祖・出雲阿国（いずものおくに）ゆかりの地として知られる出雲。この地で、伝統芸能の火を守り続けている人々がいる。1975年に結成された「出雲歌舞伎むらくも座」は、一度途絶えた地域の出雲歌舞伎を復活させ、50年以上にわたって公演を続けてきた。舞台に立つのはプロではなく、この土地で暮らす人たちだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">神話の里に残る、出雲歌舞伎の系譜</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2365.jpg" alt="" class="wp-image-55083" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2365.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2365-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2365-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>出雲神話の英雄・スサノオ伝説が息づく島根県出雲市佐田町（さだちょう）。古くから神楽や太鼓、歌舞伎など、芸能文化が人々の暮らしと深く結びついてきた。小さな山あいの町でありながら、今なお人々は祭りのたびに舞台を設け、日常の労働の合間に芸を磨いている。<br><s><br></s>歌舞伎の始祖・出雲阿国（いずものおくに）は、大社町（現・出雲市）で生まれ、京都で「かぶき踊り」を演じて一世を風靡。その後は再び故郷へ戻り、生涯を閉じたと伝えられている。現在も阿国の墓は、大社町の小高い丘に静かに佇む。</p>



<p>出雲歌舞伎の起源は江戸時代ともいわれるが、近代に大きく花開いたのは大正時代のことだ。広島出身の歌舞伎役者・嵐美里（あらしみさと）を招き、地域住民たちが本格的な歌舞伎を学んだことがきっかけとされる。祭りになれば地元の人々が舞台に立ち、農作業を終えた夜の芝居小屋には、笑い声と拍手が響いたという。</p>



<p>出雲歌舞伎と阿国を直接結びつける史料は残されていない。しかし、近代に出雲歌舞伎を伝えた嵐美里が持ち込んだ台本や演技の系譜をたどれば、その源流は京都で発展した歌舞伎文化に行き着く。阿国が京で始めた歌舞伎が、時代を超えて人から人へ受け継がれ、巡り巡って故郷・出雲に息づいたと考えると、その歴史は不思議な巡り合わせを感じさせる。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">空白の15年を越えて</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2162.jpg" alt="" class="wp-image-55084" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2162.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2162-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2162-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>戦後、時代は大きく変わる。娯楽の多様化、若者の都市流出、過疎化。さらに連合軍の占領政策により、刀剣などの小道具や台本が没収され、演目の上演は難航。そして1960年、出雲歌舞伎の灯は途絶えてしまう。</p>



<p>出雲歌舞伎が途絶えて15年、佐田町の青年団を中心に結成されたのが「出雲歌舞伎むらくも座」だ。親や近所の人々が演じていた歌舞伎を見て育った世代が、出雲歌舞伎の文化を絶やしたくないと立ち上がった。かつて大人たちが煌びやかに舞った姿は、見ていた子どもたちの記憶の中に、静かに残り続けていたのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading">若者たちが復活させた&#8221;農村歌舞伎&#8221;</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02816__H6A2427.jpg" alt="" class="wp-image-55085" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02816__H6A2427.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02816__H6A2427-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02816__H6A2427-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>若者たちは当時の資料をかき集め、古い台本を読み解き、かつて舞台に立っていた年配者から所作や台詞回しを教わる。練習場所は、廃校になった小学校の教室。仕事を終えた夜に集まり、深夜まで稽古を続けた。衣装や大道具は、手作りのものがほとんど。<br><br>古い台本の読み解き方、足の運び、視線の送り方、独特の節回し。農村歌舞伎は、文字だけでは継承できない。体で覚え、舞台で受け継ぐしかない世界だ。先人たちから直接教えを受けながら、少しずつ失われていた演目を蘇らせては舞台として甦らせていった。その過程で大切にされてきたのは、形の再現だけではない。なぜその所作をするのか、その台詞にどんな感情が宿るのか。意味を理解してはじめて、芸を次の世代へ渡せるのだ。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">小さな体育館から、世界の舞台へ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02752__H6A2206.jpg" alt="" class="wp-image-55086" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02752__H6A2206.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02752__H6A2206-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02752__H6A2206-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>若者たちの中心にいたのが、座長として長年むらくも座を支えてきた渡部良治（わたなべよしはる）さん。舞台演出から広報まで幅広く担いながら、歌舞伎を地域の文化として根付かせるために奔走してきた。この土地で生まれ育った渡部さんにとって、歌舞伎は芸能である以前に、幼少期の思い出であり、先人たちの憧れの姿そのものだったといえるかもしれない。<br><br>はじめての上演は、地元小学校の体育館。15年ぶりの復活上演とあって、会場には大勢の町内客が足を運んだという。座員が増えるとともに、会場規模も少しずつ大きくなり、やがて町内のホール約600席を埋めるまでに成長。1998年にはポルトガル・リスボン万博へ招かれ、地元ゆかりの演目「日本振袖始・簸（ひ）の川大蛇退治の段」を披露した。<br><br>以来、「むらくも座」は毎年秋に定期公演を実施。結成から51年、実に50演目を復活上演している。<br></p>



<h2 class="wp-block-heading">時代の流れを乗りこえて</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02786__H6A2351.jpg" alt="" class="wp-image-55087" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02786__H6A2351.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02786__H6A2351-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02786__H6A2351-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>渡部さんの長男・祥太郎（しょうたろう）さんは、9歳の子役の頃から舞台を踏んできた。受け継いだ芸と、この土地への愛着を胸に、現在は小学校での歌舞伎教室や子役の指導にもあたっている。親から子へ、舞台から客席へ。むらくも座の継承は、血縁と地縁が交差しながら続いてきた。<br><br>現在の座員は20代から90代まで幅広い世代で構成され、役者だけでなく衣装、小道具、舞台設営、音響、照明と、多くの地域住民やボランティアスタッフが舞台を支えている。しかし、歌舞伎人口の減少は全国的な課題であり、過疎化が進む佐田町を拠点とするむらくも座も例外ではない。座員の確保、新たな観客の開拓、県外へのPR。「むらくも座」の歴史が半世紀を越えた今もなお、乗り越えるべき壁は続いている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">笑いと迫力で、客席との距離を縮める</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/DSC_9901.jpg" alt="" class="wp-image-55088" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/DSC_9901.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/DSC_9901-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/DSC_9901-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>むらくも座が一貫して大切にしてきたのは、初めて観る人でも楽しめる演出にこだわること。普段は劇場に足を運ばない地元の人、歌舞伎に縁がなかった人にも、出雲歌舞伎に触れてほしいという意志の表れでもある。</p>



<p>源頼光（みなもとのよりみつ）による土蜘蛛退治（つちぐもたいじ）を描いた舞踊劇では、クライマックスで無数の蜘蛛の糸が舞台いっぱいに放たれる。張り巡らされた巨大な蜘蛛の巣を背景に、役者が低く腰を落とし、両腕を広げる瞬間。その迫力に、客席の子どもたちは思わず身を乗り出す。<br><br>一方、落語「詰込（つめこみ）」を題材にした人情喜劇では、空き巣の泥棒と夫婦の勘違い騒動が描かれ、会場は笑いに包まれる。演目によって表情をがらりと変えながら、むらくも座の舞台は客席との距離を少しずつ縮めてきた。<br><br></p>



<h3 class="wp-block-heading">地元の子どもたちを舞台へ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2434.jpg" alt="" class="wp-image-55089" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2434.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2434-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2434-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>演出の工夫に取り組む一方、次世代育成への取り組みも欠かせない。地元の小中学生を対象にした歌舞伎教室を継続開催しているほか、定期公演に組み込まれる「子ども歌舞伎」は今や名物となっている。<br><br>昨年上演された演目「白浪五人男（しらなみごにんおとこ）」では、出演する子ども一人ひとりに台詞が用意された。衣装をまとい、白塗りの顔で舞台に立ち、スポットライトを浴びる経験は、芸を覚えるだけでなく、子どもたちがこの土地に伝わる文化を自分ごととして捉える特別な体験でもある<br></p>



<h2 class="wp-block-heading">秋の舞台に、灯がともる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02791__H6A2373.jpg" alt="" class="wp-image-55090" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02791__H6A2373.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02791__H6A2373-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02791__H6A2373-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>毎年秋、佐田町のスサノオホールで開催される定期公演の日。会場は提灯の灯りに包まれ、まるで昔ながらの芝居小屋のような空気に変わる。舞台の上に立つのは、特別な職業の役者ではない。普段はこの地域で暮らし、働く人たちだ。だからこそ、芝居にはどこか親近感が漂う。地域の文化を守る覚悟と誇りが、舞台の熱量として静かに客席へ届いていく。<br><br>一度消えかけた出雲歌舞伎の灯は、若者が受け継ぎ、子どもたちへ渡し、地域全体で支えながら、半世紀という時間をつくってきた。出雲阿国ゆかりの地で育まれてきた伝統は、今日も静かに燃え続けている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55081/">出雲阿国ゆかりの地に、歌舞伎の灯をともす「出雲歌舞伎むらくも座」／島根県出雲市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>幸せのご縁を結ぶ神社「出雲大社」／島根県出雲市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 20 Jul 2026 02:56:18 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[縁結び]]></category>
		<category><![CDATA[大しめ縄]]></category>
		<category><![CDATA[国譲り神話]]></category>
		<category><![CDATA[神在月]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01663_142A4536.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「古事記」「日本書紀」に登場する、日本を代表する古社･出雲大社。国づくりの神･大国主大神（おおくにぬしのおおかみ）を祀（まつ）るこの神社は、旧暦10月に全国の神々が集まる「神在月（かみありづき）」の地としても知られている [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01663_142A4536.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「古事記」「日本書紀」に登場する、日本を代表する古社･出雲大社。国づくりの神･大国主大神（おおくにぬしのおおかみ）を祀（まつ）るこの神社は、旧暦10月に全国の神々が集まる「神在月（かみありづき）」の地としても知られている。神々が人々の「ご縁」について話し合うと伝えられるこの地には、今も年間約200万人の参拝者が訪れる。人々が足を運ぶのはなぜだろうか。</p>



<h2 class="wp-block-heading">国づくりの神話が語り継がれる、日本屈指の古社</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01540__H6A9522.jpg" alt="" class="wp-image-54877" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01540__H6A9522.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01540__H6A9522-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01540__H6A9522-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>出雲大社の起源は「国譲り（くにゆずり）神話」にさかのぼる。出雲の国を築いた大国主大神は、神々の住まう世界とされる「高天原（たかまがはら）」の天照大神（あまてらすおおみかみ）の使者から、国を譲るよう求められ、最終的にその申し出を受け入れた。その際、自らを祀るための壮大な神殿を建てることを条件として示したと伝えられている。この神殿こそが、出雲大社のはじまりだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「むすびの神」として広がった信仰</h3>



<p>出雲大社といえば、「縁結び」の神社として知られている。恋愛成就のイメージを持つ人も多いが、祀られている大国主大神は、もともと人々の暮らしを支える神として信仰されてきた存在だ。</p>



<p>「大国主大神は、農業や医療など、人々の生活そのものを支える神様なんです」と語るのは、出雲観光協会 元事務局長の小野篤彦さん。</p>



<p>生活に関わるさまざまな分野を守る神として崇められ、その信仰の広がりの中で、人と人、物事を結びつける「むすびの神」としての特性が強く意識されるようになったという。</p>



<p>境内には家族や友人、一人旅の参拝者まで、さまざまな人が行き交い、手を合わせている。恋愛だけではなく、人生の節目や新たな出会い、日々のつながりを願って足を運ぶ人も少なくない。出雲大社の「ご縁」とは、暮らしそのものに寄り添う祈りなのだろう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本最古の神社建築「大社造」の堂々たる佇まい</h2>



<p>出雲大社の本殿は、日本最古の社殿様式とされる「大社造（たいしゃづくり）」。高さ約24メートルの大規模な高床式建築で、屋根の三角形が正面から見える「切妻･妻入り」の端正な姿が特徴だ。</p>



<p>塗料や彩色を施さない「素木（しらき）造」の柱と、厚く重なる「檜皮（ひわだ）葺き」の屋根が、古代建築の力強さを今に伝えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">日本最大級の大しめ縄と、圧倒的な存在感を放つ神楽殿</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01664__H6A9996-1.jpg" alt="" class="wp-image-54879" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01664__H6A9996-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01664__H6A9996-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01664__H6A9996-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>御祈祷や結婚式、奉納などが行われる神楽殿も、出雲大社を象徴する建物の一つだ。1981年に建て替えられた際、270畳にも及ぶ大広間へと拡張。その規模にあわせて掲げられたのが、日本最大級の大しめ縄だった。</p>



<p>長さ約13.6メートル、重さ約5.2トン。拝殿のしめ縄（長さ約6.5メートル、重さ約1トン）と比べると、その規模の違いは一目瞭然だ。一般的に考えれば、メインである拝殿のしめ縄より大きいものを掲げていることに違和感を覚えるが、じつは神楽殿は、明治期に出雲大社教の神殿として本殿とは別に大国主大神を祀ったことに始まる建物で、本殿とは成り立ちが異なる。神楽殿として独立した社殿だからこそ、その規模にふさわしい大しめ縄が掲げられているのだ。実際に目の前に立つと、その巨大さは想像以上。参拝者たちは思わず足を止め、見上げながら写真を収めていく。</p>



<p>しめ縄は、神が宿る神聖な場所を示すとともに、日常の世界との境界を表す結界でもある。</p>



<h3 class="wp-block-heading">他の神社では見られないユニークな特徴</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01559__H6A9602.jpg" alt="" class="wp-image-54880" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01559__H6A9602.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01559__H6A9602-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01559__H6A9602-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>出雲大社は他の神社とは異なる独自の習わしがいくつも残っている。<br>まず神様が鎮座する「御神座（ごしんざ）」が西を向いていること。一般的な神社では、太陽が昇る「東」または陽の光が当たる「南」を向いて建てられることが多い。西向きの理由については、「西から訪れる神を迎えるため」「夕日の方向を意識した」など諸説あるが、確かな答えはない。また、しめ縄にも特徴がある。一般的な神社では左側が太くなる形で綯（な）われるが、出雲大社では「綯い始めの太い方を右」に配している。これにも明確な理由は分かっていない。こうした謎の多さもまた、出雲大社の魅力の一つといえるだろう。<br>さらに、神を祀る儀式「祭祀（さいし）」は、「出雲国造家（千家家･北島家）」が代々担い、国譲り神話に由来するこの伝統により、本殿は特別な聖域とされているのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">古代には“高さ約48メートルの巨大神殿”があった？</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01583_142A3913.jpg" alt="" class="wp-image-54881" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01583_142A3913.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01583_142A3913-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01583_142A3913-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在の本殿は1744年（江戸時代中期）に造営されたもの。だが古代には、現存建物の約2倍となる高さ約48メートルの雄大な社殿が存在したと伝えられている。それを裏付けるかのように、2000年から2001年にかけて境内から三本の巨木を束ねた直径約3メートルの柱が三カ所から出土した。巨大建築を支えるための柱だったと考えられている。</p>



<p>さらに、伝承の中には高さ約96メートルに及んだという説も残る。背後にそびえる八雲山（やくもやま）に相当する高さであり、もしそうであったなら、古代の人々が見上げた神殿は、空へと伸びる塔のようだったのかもしれない。</p>



<h2 class="wp-block-heading">次の遷宮に向け、信仰を未来へつなぐ</h2>



<p>出雲大社では、社殿の造営･修繕に伴い御神体を仮殿または新しい社殿へ移す「遷宮（せんぐう）」が約60年に一度行われる。2008年から2019年にかけて行われた「平成の大遷宮」では、本殿や摂社（せっしゃ）･末社（まっしゃ）の修造が行われ、2013年には御神体を本殿に戻す遷座祭（せんざさい）が執り行われた。約1万本の国産ヒノキを用い、広大な檜皮葺き屋根も葺き替えられた。</p>



<p>また、次の遷宮を見据え、中国山地に新たな植林も実施。使える木になるまでには100年以上かかるため、植えた人がその木を使うことはほとんどない。</p>



<p>60年という節目は、人の一生にも重なる年月。遷宮では、時代に合わせて技術や方法を変えながらも、祈りの本質を次世代へ受け継いできた。社殿が新しく生まれ変わることで、地域全体にも新たな活気がもたらされると考えられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">神の存在をふと感じる</h3>



<p>「神話とか本では、神様が人間と同じ形で描かれていますよね。でも本来は、目に見えないものを感じることなんじゃないかと思うんです」。小野さんは、平成の大遷宮で体験した出来事を振り返る。</p>



<p>2013年の遷座祭の日。激しい雨が降っていたという。ところが神事が始まると、雨はぴたりとやんだ。そして神事が終わった瞬間、再び大粒の雨が降り始めた。<br>「偶然かもしれません。でも、そういう体験をすると『ああ、何かあるのかもしれないな』と思うんですよ」。</p>



<p>出雲大社には、古くから多くの人が祈りを捧げ、信仰を受け継いできた歴史がある。境内に漂う神聖な雰囲気もまた、人々がこの場所に思いを寄せる理由の一つなのだろう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日常に感謝し、心豊かな人生を願う</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01589_142A3962.jpg" alt="" class="wp-image-54882" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01589_142A3962.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01589_142A3962-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih9_01589_142A3962-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「出雲大社に訪れる方々が信じる宗教はさまざま。でも、根本の考え方はみんな同じなんです」と小野さんは語る。</p>



<p>神社で大切にされてきた神道（しんとう）は、長い歴史の中で仏教や儒教（じゅきょう）などの思想と関わりながら発展してきた。他宗教に寛容で、土地や人々のつながりを大切にする信仰として、今も暮らしの中に息づいている。</p>



<p>参道には厳かな空気が漂い、早朝から夕方まで手を合わせる人の姿が絶えない。</p>



<p>人と人のつながり、自然の恵み、そして今ここに生きていること。出雲大社は、そんな日常の尊さを思い出させてくれる場所なのかもしれない。</p>



<p>厳かな雰囲気の中、神殿に手を合わせると、不思議と心が落ち着く。</p>



<p>だからこそ人々はこの地を訪れ、目に見えない「ご縁」に思いを重ねながら手を合わせるのだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54871/">幸せのご縁を結ぶ神社「出雲大社」／島根県出雲市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>鍛えた鉄に、暮らしの美を宿す。「鍛冶工房弘光」11代目･小藤宗相さん／島根県安来市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54782/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 13 Jul 2026 09:16:20 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[フライパン]]></category>
		<category><![CDATA[たたら製鉄]]></category>
		<category><![CDATA[鍛治]]></category>
		<category><![CDATA[鍛月]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00798_142A2470.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本古来の製鉄法「たたら製鉄」の文化が色濃く残る島根県東部。安来市広瀬町には、江戸時代後期から続く鍛冶工房がある。刀剣鍛錬の技を礎に、いま手がけるのは花器やフライパンなど現代の暮らしに寄り添う道具。11代目･小藤宗相（こ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00798_142A2470.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本古来の製鉄法「たたら製鉄」の文化が色濃く残る島根県東部。安来市広瀬町には、江戸時代後期から続く鍛冶工房がある。刀剣鍛錬の技を礎に、いま手がけるのは花器やフライパンなど現代の暮らしに寄り添う道具。11代目･小藤宗相（ことうしゅうすけ）さんは、冷たいはずの鉄に温もりが宿る理由を、手仕事を通じて示し続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">たたらの系譜を引く、安来の鍛冶</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00612_142A9665.jpg" alt="" class="wp-image-54787" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00612_142A9665.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00612_142A9665-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00612_142A9665-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>古くから日本有数の鉄の産地として知られてきた島根県。砂鉄と木炭から鉄を生み出す「たたら製鉄」は、今なお国の選定保存技術として守られている。江戸時代に最盛期を迎えたこの技術は、日本刀の材料である「玉鋼（たまはがね）」を生み出す唯一の製法として知られ、中国山地一帯を中心に発展を遂げた。</p>



<p>鍛冶工房弘光のルーツは江戸時代後期。初代から三代目は、たたら製鉄に携わる「たたら師」として活動。その後の時代の変化のなかで打刃物や農具、日本刀鍛錬へと仕事のかたちを変えながら、10代にわたって鍛冶の火を守ってきた。</p>



<p>かつては包丁や農耕具の製造･修理を担い、地域の暮らしに欠かせない存在だった鍛冶職人。しかし戦後、機械化や大量生産が進み、農具や刃物を「修理しながら長く使う」といった暮らしは少しずつ姿を消していく。安価な製品が手軽に手に入るようになり、各地の鍛冶屋は減少。製鉄の仕事を続けるだけでも難しい時代になった。そんな中でも鍛冶工房弘光は、時代に合った鉄工芸品をつくり続け、その伝統を現代に伝えている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">作品を届ける喜びを知り、鉄工芸の道へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00573_142A9567-1.jpg" alt="" class="wp-image-54788" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00573_142A9567-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00573_142A9567-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00573_142A9567-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>鍛冶工房弘光11代目の小藤宗相さん。最初から一直線に鍛冶の道へ進んだわけではなく、大学卒業後は東京の企業に勤務し、その後は島根県内の美術館でも働いていた。鍛冶の道へ進む転機となったのは、家業の展示会を手伝った時のこと。来場者と直接言葉を交わし、自分たちが手掛けた品が誰かの日常へ渡っていく瞬間に触れるうち、つくる喜びだけでなく、使い手へ届く喜びの大きさを実感した。「いつかは継がなければ」とぼんやり考えていた家業が、自分の仕事として輪郭を持ちはじめた瞬間だったと語る。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">細部まで手仕事にこだわり、鉄に温もりを宿す</h3>



<p>現在の工房には、10代目の父･洋也さんを含め、４人の職人が立つ。手掛けているのは、刀剣鍛錬の技法を生かした燭台、花器、行灯、火廻り品といった工芸品。日本刀づくりと同じように、鉄を高温で熱し、鎚（つち）で何度も打ちながら不純物を取り除き、強度と粘りを引き出していく。わずかな温度差や打つ力の加減によって表情が変わるため、職人は炎の色や鉄の状態を見極めながら作業を進める。つくるものは変わっても、鉄を打ち鍛え、用の美へと昇華させる仕事は初代から変わっていない。</p>



<h3 class="wp-block-heading">受け継がれる伝統の鉄加工「鍛造」</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00655_142A9584.jpg" alt="" class="wp-image-54789" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00655_142A9584.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00655_142A9584-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00655_142A9584-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>彼らのものづくりの核にあるのは、木炭の火で鉄を熱し、鎚（つち）で打って成形する昔ながらの加工法「鍛造（たんぞう）」。鉄を液体化して型に流し込む鋳造（ちゅうぞう）、圧力をかけて成形する機械加工などが一般化している今、「鍛造」は手間がかかり、大量生産には向かない。しかし打ち鍛えることで強度と粘りが増し、打ち目や揺らぎによって一点一点の表情を豊かに表現できる。<br></p>



<h2 class="wp-block-heading">鉄の状態は肌感覚で見極める</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00638_142A0570.jpg" alt="" class="wp-image-54790" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00638_142A0570.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00638_142A0570-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00638_142A0570-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p><br>鉄は、熱したばかりの柔らかいうちしか動かない。作業できるのは、およそ800〜1000℃の間。熱しすぎれば鉄が溶けてしまい、熱する時間が短ければ叩いても成形できない。だから何度も炉に入れ、何度も引き出し、叩き、また熱する。その反復作業を繰り返す。</p>



<p>熱している間は、次はどこを叩き、どう曲げるかをイメージする。長年培った感覚をもとに、鉄の状態を見極める。引き上げるタイミングは最も重要で、職人の経験が試される局面だという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">唯一無二の品に仕上がる、手仕事のおもしろさ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00584__H6A6814.jpg" alt="" class="wp-image-54791" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00584__H6A6814.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00584__H6A6814-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00584__H6A6814-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>伝統の鉄加工「鍛造」によって作られた品は、ひとつとして同じものが存在しない。しなやかな鉄の輪が印象的な「置き風鈴」は、 鉄の厚みや曲線のわずかな違いによって、同じ品であってもそれぞれ異なる響きを持つ。手仕事ならではの微細な揺らぎが音色に個性を与え、均一な工業製品にはない豊かな表情を生み出している。&nbsp;</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00591_142A2451.jpg" alt="" class="wp-image-54792" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00591_142A2451.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00591_142A2451-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00591_142A2451-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「鍛月（たんげつ）」と名付けられた鉄のフライパン。熱伝導に優れた鉄の性質を生かし、食材の中をふっくらと、表面は香ばしく焼き上げる。薬品などによる錆止めなどの処理を施さず、使い込むほどに変化する鉄の表情を楽しめる設計。鍛えることで生み出される凹凸の模様がかすかに残り、そのまま鉄の表情となって現れる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">売る力もまた、手仕事の一部</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00597__H6A6487.jpg" alt="" class="wp-image-54793" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00597__H6A6487.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00597__H6A6487-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00597__H6A6487-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>11代目の役割は、ものづくりだけではない。工房に併設されたギャラリーでは、実際に作品を手に取った来訪者との会話から、新たな受注や制作が始まることも多いという。顧客と対話を重ねながら、求められている用途や空間を読み取り、デッサンを起こして提案。異業種で培った視点は、作品の売り方だけでなく、ものづくりそのものにも生きている。 </p>



<p>また県外、都内の百貨店やギャラリーでも月に1〜2回ほど展示販売を実施しているほか、近年はパリで開かれる見本市「メゾン･エ･オブジェ」をはじめ、海外への出展も重ねている。鉄の工芸品は、木工やガラスのように一見して親しみやすい素材ではないかもしれない。それでも繰り返し足を運ぶリピーターやコレクターが少なくないのは、手仕事作品そのものの力に加え、使い手との関係を丁寧に育ててきたからだろう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">11代目が描く、鍛冶工房弘光の未来</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00681__H6A6545.jpg" alt="" class="wp-image-54784" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00681__H6A6545.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00681__H6A6545-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/nih2_00681__H6A6545-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宗相さんが次に見据えているのが、炭焼きへの挑戦。鍛冶に欠かせない炭は、原材料や加熱の持続力によって品質がさまざま。自ら炭を焼くことで、良質な炭を安定して確保しつつ、素材の源流からものづくりを完結させたいという意志がある。宗相さんの飽くなき探究心が、鍛冶工房をまた新たなステージへ押し上げようとしている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54782/">鍛えた鉄に、暮らしの美を宿す。「鍛冶工房弘光」11代目･小藤宗相さん／島根県安来市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>補償金を返還してまで守り抜いた宍道湖。日本一のしじみ漁を未来へ「宍道湖漁業協同組合」／島根県松江市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54719/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/54719/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 24 Jun 2026 10:57:07 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[しじみ]]></category>
		<category><![CDATA[じょれん]]></category>
		<category><![CDATA[宍道湖]]></category>
		<category><![CDATA[漁業]]></category>
		<category><![CDATA[ヤマトシジミ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02411_142A9550.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>島根県松江市に広がる宍道湖（しんじこ）は、日本有数のしじみの産地として知られる。朝、湖面には小舟が並び、船外機の音とともに漁が始まる。その豊かな湖を守るため、かつて漁師たちは大きな決断を下した。一度受け取った補償金を返し [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02411_142A9550.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>島根県松江市に広がる宍道湖（しんじこ）は、日本有数のしじみの産地として知られる。朝、湖面には小舟が並び、船外機の音とともに漁が始まる。その豊かな湖を守るため、かつて漁師たちは大きな決断を下した。一度受け取った補償金を返してまで守ろうとした、宍道湖のしじみ漁とは。漁師の営みと、その背景にある歴史を紐解く。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本有数のしじみの産地･宍道湖</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02465__H6A1427.jpg" alt="" class="wp-image-54723" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02465__H6A1427.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02465__H6A1427-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02465__H6A1427-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>島根県東部に位置する宍道湖。日本でも珍しい「汽水湖」として知られ、斐伊川（ひいかわ）などから流れ込む淡水と、日本海から入り込む海水が混ざり合う湖だ。川魚と海魚が混在する環境は、汽水域ならでは。実に100種類以上の多様な生き物が生息している。</p>



<p>宍道湖を代表する恵みが「ヤマトシジミ」。粒が大きく、旨味が濃いことで知られ、全国でも有数の漁獲量を誇る。2024年には漁獲量4590トンを記録し、11年連続で全国トップを飾るなど、日本一のしじみ産地として知られている。</p>



<p>みそ汁や佃煮など、出雲地方では古くから食卓に欠かせない存在として親しまれてきたしじみ。松江･出雲地方では宍道湖の自然とともに生きる文化が育まれており、しじみ漁はその象徴ともいえる営みだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">しじみの生育に適した好環境</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02416_142A9586.jpg" alt="" class="wp-image-54724" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02416_142A9586.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02416_142A9586-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02416_142A9586-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本に生息するシジミは、汽水域にすむ「ヤマトシジミ」、淡水産の「マシジミ」、琵琶湖固有種の「セタシジミ」の3種類が代表的。宍道湖で獲れるヤマトシジミは、海水でも淡水でもなく、中間の塩分環境を好む。淡水と海水が混ざり合い、潮の満ち引きによって塩分濃度がゆるやかに変化する宍道湖は、彼らの生育に適している。</p>



<p>栄養豊富な湖底の砂の中で育ったしじみは、粒が大きく、旨味が濃いのが特徴。まさに自然環境が育んだ恵みといえる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">湖を守り、未来へ繋げる</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02271_142A8940.jpg" alt="" class="wp-image-54725" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02271_142A8940.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02271_142A8940-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02271_142A8940-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宍道湖における漁業の管理･販売をする組織「宍道湖漁業協同組合」の福間弘幸さん。しじみ漁を生業とする約260名のうちの一人だ。</p>



<p>「大事なのは資源管理」と語るように、しじみを獲るだけではなく、湖の環境保全にも力を入れる。次の世代がしじみ漁を生業にでき、島根県の特産物として未来永劫残っていくためにも、資源を守りながら漁を続けていく大切さを訴える。</p>



<p>そのため組合では、一日の漁獲量や操業時間、休漁日などを厳格にルール化。漁獲量は一人あたり一日2箱（1箱50〜60キロ）と定められ、船を出すのは漁法によって異なるものの、およそ３〜４時間まで。直径12ミリ以下の稚貝は、湖へ戻す決まりになっている。</p>



<p>しじみ以外の漁師を含めると、約700名が組合に所属。20代前半から80代と世代も幅広いが、個々が湖の環境を第一に考え、協調性を持ってこそ、初めて漁業が成り立つのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">松江を象徴する出漁風景</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="619" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02501_DSCF9310.jpg" alt="" class="wp-image-54726" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02501_DSCF9310.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02501_DSCF9310-300x225.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02501_DSCF9310-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>朝７時ごろになると、静かな湖面に船外機のエンジン音が響き、小舟が次々と湖へと向かう。宍道湖の水深は漁場によって異なるが、およそ2〜4メートル。それぞれの漁場に着き、小舟の上で生業を始める。</p>



<p>朝霧が立ち込める宍道湖に、静かに浮かぶ小舟。松江市の朝を象徴する風物詩として、長く親しまれてきたこの光景だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">伝統の漁具「じょれん」</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02310__H6A0775.jpg" alt="" class="wp-image-54727" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02310__H6A0775.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02310__H6A0775-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02310__H6A0775-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>しじみ漁の操業方法は、ディーゼル機関船を使用した動力操業だけでなく、漁師が直接湖に入る「入り掻き」、船上から道具を操作する「手掻き」といった人力操業が今でも残っている。福間さんが採用している漁法は、手掻きにエンジンポンプを併用した「水流式手掻き」。使われるのは鋤簾（じょれん）と呼ばれる独特の形状をした漁具。熊手のような形をした金属製の道具で、湖底の砂をかきながらしじみをすくい上げる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02409_142A9538.jpg" alt="" class="wp-image-54728" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02409_142A9538.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02409_142A9538-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02409_142A9538-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>エンジンポンプからホースで水を送り、先端から勢いよく噴射することで、湖底の砂を耕しながらしじみを採れる。漁師は長さ約8メートルの竿を押して船を進め、竿を引き寄せながら船を動かす。それを繰り返しながら湖底の砂を探っていく。</p>



<p>ベテランの漁師ともなると、漁場ごとの水深や湖底の状態を熟知。自然の状態を読み取りながら行うこの漁は、まさに熟練の技が求められる仕事だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">品質を支える丁寧な選別作業</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02350__H6A1022.jpg" alt="" class="wp-image-54729" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02350__H6A1022.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02350__H6A1022-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02350__H6A1022-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>しじみが水揚げされると、船上ですぐに選別作業が始まる。機械によって大きさごとに振り分けられ、その後、人の手によってさらに丁寧に選り分けられる。漁獲量は1人2箱と決められているため、漁師としては身が入っていない貝殻は除き、より品質の良い大ぶりなしじみを残したいのだ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="619" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02505_DSCF9327.jpg" alt="" class="wp-image-54730" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02505_DSCF9327.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02505_DSCF9327-300x225.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02505_DSCF9327-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>選別作業は、漁が終わってから陸でも行われる。漁師はしじみを軽く振ったり、転がしたりして音を確かめる。音の響き方によって、身の詰まり具合が分かるという。わずかな音の違いは素人には判別できないほど繊細だが、長年しじみと向き合ってきた漁師には、その差がはっきりと聞き分けられる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">宍道湖を守った漁師たちの決断</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02496__H6A1491.jpg" alt="" class="wp-image-54731" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02496__H6A1491.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02496__H6A1491-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02496__H6A1491-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宍道湖のしじみ漁は、かつて大きな危機に直面した。1950年代、宍道湖を淡水化して農業用水として利用する計画が進められていたのである。</p>



<p>湖が淡水化すれば、汽水環境で生きるしじみは大きな影響を受ける。住民らは反対運動を始めた。実に155回もの協議を重ねた末、国の計画に抗えないと悟った漁師たちは補償金を受け取り、計画に同意したのだった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">補償金を返還して守った湖</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02437__H6A1294.jpg" alt="" class="wp-image-54732" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02437__H6A1294.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02437__H6A1294-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02437__H6A1294-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>1968年、淡水化工事がスタート。しかし、しじみへの打撃の大きさが明らかになるにつれ、宍道湖流域住民の間で再び反対の声が高まっていく。しじみ漁業者が中心となり、やがて「淡水化反対運動」が本格化。大規模な集会や漁船パレード、シジミの無料配布などの活動を精力的に実施した。</p>



<p>一度は受け取った補償金。だが宍道湖漁業協同組合は、宍道湖のしじみを守るべく、補償金を国へ返還する決断を下した。この行動が市民の共感を呼び、反対運動の機運はますます高まったという。</p>



<p>やがて1988年、国と県は淡水化事業の延期を発表。2002年には、正式に中止が表明された。宍道湖の環境としじみ漁は、こうした住民や漁師たちの強い想いによって守られたのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading">湖の恵みを未来へつなぐ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02316__H6A0814.jpg" alt="" class="wp-image-54733" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02316__H6A0814.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02316__H6A0814-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih9_02316__H6A0814-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宍道湖漁業協同組合では、湖底清掃のほか、シジミ採苗放流などの保全活動も実施。湖心部で浮遊するしじみの幼生を採集し、生息地へ放流することで資源の維持を図っている。</p>



<p>十数年前と比べると、「湖の水が随分きれいになった」と語る福間さん。以前は沿岸に浮遊していた生活ゴミがほとんど無くなり、地域住民の意識変化が水質改善に繋がっているのではと推測している。今日もこの地域でしじみ漁が行われ、漁獲量日本一を誇っているのは、地域住民と漁師たちが湖の環境を守り続けてきた証ともいえるだろう。</p>



<p>今日も宍道湖に並ぶ小舟の風景は、湖とともに生きる人々の営みを象徴している。長い年月をかけて受け継がれてきたこの漁は、これからも漁師と地域の人々によって、未来へとつながっていくだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54719/">補償金を返還してまで守り抜いた宍道湖。日本一のしじみ漁を未来へ「宍道湖漁業協同組合」／島根県松江市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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			</item>
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		<title>伝統を守り、日本酒の魅力を世界へ届ける。「李白酒造」5代目･田中 裕一郎さん</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 24 Jun 2026 10:03:12 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[酒造]]></category>
		<category><![CDATA[日本酒]]></category>
		<category><![CDATA[出雲の酒造り神話]]></category>
		<category><![CDATA[李白]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01202_142A2039.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>一杯の酒が、大切な人と過ごす時間をより豊かにしてくれることがある。そんなひとときを、島根から世界へ届け続けているのが李白（りはく）酒造だ。創業140年を超える老舗でありながら、その歩みは常に挑戦とともにあった。海外展開が [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54656/">伝統を守り、日本酒の魅力を世界へ届ける。「李白酒造」5代目･田中 裕一郎さん</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01202_142A2039.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>一杯の酒が、大切な人と過ごす時間をより豊かにしてくれることがある。そんなひとときを、島根から世界へ届け続けているのが李白（りはく）酒造だ。創業140年を超える老舗でありながら、その歩みは常に挑戦とともにあった。海外展開がまだ珍しかった時代から販路を拡大し、近年では花酵母を使った酒造りや、時代に合わせた商品展開にも取り組み、日本酒の可能性を広げている。その根底にあるのは、「日本酒を通して楽しい時間をつくる」という一貫した思いである。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「出雲の酒造り神話」が語り継がれる地で酒造り一筋に</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01220__H6A8609.jpg" alt="" class="wp-image-54665" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01220__H6A8609.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01220__H6A8609-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01220__H6A8609-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>島根県松江市。古くから酒造りの文化が息づくこの地には、神々が酒を醸したとされる「出雲の酒造り神話」が語り継がれている。そんな土地で、良質な水と、地元・島根県産米を中心に用いて、土地に根差した芳醇（ほうじゅん）な酒を醸し続けてきた。現在では、自社で造るすべての銘柄に酒造好適米（しゅぞうこうてきまい）を使用し、原料米にこだわった酒造りをしている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">時代の変化とともに歩みを重ねて</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01216_142A2655.jpg" alt="" class="wp-image-54666" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01216_142A2655.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01216_142A2655-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01216_142A2655-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>創業は1882年。封建社会が終わり、日本が西洋文化を取り入れ始めた明治時代に、田中竹次郎が「田中本店」という屋号で酒造りを始めた。当時は現在のような銘柄展開ではなく、近隣の人々が酒器を持って酒を買いに訪れるような、小さな商いだったという。大正から昭和に入ると、全国的に日本酒の流通が整備され始め、各蔵が独自の銘柄を掲げるようになる。このとき、田中本店では「李白」の銘柄を掲げる。その命名は、松江市出身で内閣総理大臣を務めた若槻礼次郎氏。田中本店の酒を愛飲していた若槻氏が、「時代を越えて親しまれる酒であってほしい」という願いを込めて、中国・唐代の詩人に由来する「李白」と名付けた。</p>



<p>そして、戦後は日本酒需要の高まりを背景に、大手メーカーへ原酒を供給する「桶売り」を主体に成長し、1950年に「田中酒造」として法人化。1970年代、まだ大量生産が主流だった時代に、田中酒造は“量より質”へと舵を切る。酒造りに適した米だけを使用し、味わいをとことん追求した自社ブランド「李白」の展開を本格化。試行錯誤を重ねながら品質を高め、やがて数々の賞を受賞するなど評価を獲得し、現在へとつながる基盤を築いた。</p>



<p>その後、1980年代に輸出をスタート。当時はまだ日本酒の輸出が珍しい時代だったが、先代当主が日本酒文化を海外へ広めることを目指した。現在は生産量の4割を輸出し、アメリカを中心に14か国へ届けている。看板商品である「李白」の知名度向上を受け、1993年に代表者の名字を冠した「田中酒造」から「李白酒造」へと商号を変更した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">進取の気性で「日本酒を次世代へつなぐ」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01253__H6A8350.jpg" alt="" class="wp-image-54667" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01253__H6A8350.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01253__H6A8350-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01253__H6A8350-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在、李白酒造の5代目を務めるのは、東京農業大学で醸造学を学び、都内の地酒専門店での修行を経て家業を継いだ田中裕一郎さん。</p>



<p>田中さんが家業に入ったのは2003年。当時、日本酒業界は大きな転換期を迎えていた。焼酎ブームによる市場の変化に加え、長年酒造りを支えてきた職人たちの高齢化が進んでいた。李白酒造も例外ではなく、「このままでは、酒造りができなくなる」 と感じた田中さんは、杜氏中心に行われていた自社の製造体制を見直すことに。安定して酒を造れる仕組みづくりに踏み切った。</p>



<h3 class="wp-block-heading">近代的な設備を導入し、「出雲杜氏」の技を後世へ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01296_142A2320.jpg" alt="" class="wp-image-54668" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01296_142A2320.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01296_142A2320-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01296_142A2320-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>李白酒造の品質は、出雲杜氏の技術によって支えられている。しっかりとした麹づくりと低温でじっくり発酵させる手法により、酸度が高く、力強い味わいを作り出してきた。 しかし、その技術は経験や勘による部分が大きかった。そこで田中さんは、製造工程のデータ化と設備投資を進め、発酵の状態・温度・時間などを数値として管理。再現可能なかたちへと落とし込み、「李白酒造の技術」として確立していった。</p>



<p>一方で、すべてを機械に委ねるわけではない。麹造りなど重要な工程では手作業を重視し、「人間が麹をコントロールする」のではなく、「麹が働きやすい環境を人が整える」方法へとシフトしている。 温度や湿度を細かく見極めながら、麹の状態に応じて手を加えていくことで、その力を引き出す。技術や設備の進歩により、かつては難しかった細やかな管理も可能となり、品質の安定とさらなる向上につながっている。</p>



<p>近年は気候変動により米の品質が変わりやすい。そのため、状態を見ながら毎年改善を図っているという。「調整は尽きないですね。良い酒を届けるため、これからも分析を繰り返します」と現状に満足しない。</p>



<h3 class="wp-block-heading">花酵母を用いて新たな個性を打ち出す</h3>



<p>田中さんが酒蔵に戻るまでは、「五百万石（ごひゃくまんごく）」や「山田錦」といった酒米に、キレのある味わいをつくる「9号系酵母」を掛け合わせた王道スタイルの日本酒をつくっていた。これは、出雲杜氏の技術によって、高品質に造り続けられてきた手法でもある。&nbsp;</p>



<p>その一方で、田中さんは酒米「雄町（おまち）」と花酵母という新たな組み合わせに挑んだ。花酵母とは、自然界に咲く花から分離・培養に成功した、清酒酵母のこと。使用する花の種類によっても酒質は変わるが、華やかな吟醸香や果実感のある風味を生み出しやすいとされ、個性的な酒造りに活用されている。大学時代に花酵母の研究に携わっていた経験を生かし、従来とは異なる酒造りに取り組んだのである。</p>



<p>「出雲杜氏の技とはまた違う、&#8221;李白酒造”ならではの新しい味を打ち出したかったんです」との思いから原料を選び、力強いコクの中に、爽やかな香りと軽やかな酸味を共存させた。華やかな味わいは、女性や日本酒初心者からも好評だ。</p>



<p>こうした試みは、伝統を守っていくための挑戦の一つ。変化を恐れず一歩踏み出す姿勢こそが、次の時代へ日本酒文化をつないでいく原動力になっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本酒を通して、心地よい時間を提供する</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01226__H6A8655.jpg" alt="" class="wp-image-54669" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01226__H6A8655.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01226__H6A8655-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01226__H6A8655-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本の飲酒文化は、神事に由来する神聖な「神と人をつなぐ儀式」として始まり、四季の花鳥風月やコミュニケーションを楽しむ場として独自に発展してきた。そうした文化の中で、日本酒は単なる嗜好品ではなく、人と人をつなぐ存在として常に暮らしのそばにあった。</p>



<p>「我々が作っているのは日本酒ではなく、人々の時間を豊かにする&#8221;オアシス&#8221;なんです」と語る田中さん。日本酒が主役になるのではなく、会話や食事を引き立てる存在でありたいという考えだ。</p>



<p>酒はあくまで“きっかけ”。酒があることで会話が生まれ、食事が楽しくなる。そんな場面を支えたいという。そのために、味わいは食事に寄り添うバランスを重視。飲み飽きず、自然と杯が進む酒を目指している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">酒文化を正しく継承するためのこだわり</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01283_142A2248.jpg" alt="" class="wp-image-54670" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01283_142A2248.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01283_142A2248-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01283_142A2248-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>李白酒造では、「酒文化を普及し正しく後世に継承する」という理念のもと、すべての酒に酒造好適米（しゅぞうこうてきまい）を使用している。酒造好適米とは、日本酒の醸造に適するよう品種改良された米のこと。コストはかかるが、雑味が出にくく、食事に寄り添うクリアな味わいを実現しやすい。</p>



<p>また仕込み水は、地域の井戸がひとつと敷地内に3本の井戸があり、すべて同じ水系のため、これらを使って仕込んでいる。やわらかな口当たりとすっきりとした後味は、飲み飽きず、食中酒としての魅力を支えている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">飽くなきチャレンジ精神で、暮らしに潤いをもたらす</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01306__H6A8552.jpg" alt="" class="wp-image-54671" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01306__H6A8552.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01306__H6A8552-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01306__H6A8552-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>伝統を守るために、李白酒造の挑戦は止まらない。</p>



<p>2024年にはパウチ容器での販売を開始。地方の地酒メーカーが自社で開発製造まで行うことはほとんどなく、業界としても革新的なアプローチだ。「軽くて持ち運びやすいため、アウトドアやスポーツ観戦といった新しいシーンで選ばれています。インバウンドのお土産に選ばれることも増えました」。今後はパウチ容器で生酒の販売を目指していくという。</p>



<p>こうした挑戦の先にあるのは、国や文化の違いを越えて、人と人が心地よい時間を分かち合うこと。李白酒造は、その一杯が生み出す豊かさを、これからも世界へ届けていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54656/">伝統を守り、日本酒の魅力を世界へ届ける。「李白酒造」5代目･田中 裕一郎さん</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>日本海に育まれ、手摘みで受け継がれてきた天然岩のり「十六島海苔」樋野峯夫さん／島根県出雲市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54614/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 19 Jun 2026 04:14:22 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[十六島海苔]]></category>
		<category><![CDATA[岩のり]]></category>
		<category><![CDATA[天然]]></category>
		<category><![CDATA[天然岩のり]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_004.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>島根県出雲市の日本海沿いにある十六島（うっぷるい）町。ここで収獲した十六島海苔（うっぷるいのり）は、冬の荒海と向き合いながら手摘みされる天然の岩のりだ。強い風と波の中で育ち、その恵みを受け取るように続けられてきた営みは、 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54614/">日本海に育まれ、手摘みで受け継がれてきた天然岩のり「十六島海苔」樋野峯夫さん／島根県出雲市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_004.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>島根県出雲市の日本海沿いにある十六島（うっぷるい）町。ここで収獲した十六島海苔（うっぷるいのり）は、冬の荒海と向き合いながら手摘みされる天然の岩のりだ。強い風と波の中で育ち、その恵みを受け取るように続けられてきた営みは、いまも変わらずこの場所に根付いている。歴史と自然が重なり合う中で、この海苔は特別な存在として受け継がれてきた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本海の岩場で育まれ、受け継がれてきた十六島海苔</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_019.jpg" alt="" class="wp-image-54621" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_019.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_019-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_019-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>島根県出雲市の日本海に面した町、十六島。その海岸は、岬の先に大岩や奇岩が連なる独特の景観を持つ。日本海の荒波に長い年月さらされてきたその風景は、山陰でも屈指の海岸美とされる場所だ。</p>



<p>その岩場に張り付くようにして育つのが、この地の特産物、十六島海苔である。天然の岩のりで、その歴史は古く、奈良・平安時代には朝廷に献上され、江戸時代には将軍家への献上品として扱われてきたと伝えられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">自然に向き合い続ける収穫の現場</h3>



<p>そんな十六島海苔が収穫できるのは12月から2月にかけての短い期間のみ。強い季節風と荒波という厳しい環境の中で育ち、その条件がそのまま海苔の質を決める。</p>



<p>かつては村内に50軒弱の十六島海苔の生産者がいたが、現在十数軒ほどにまで減少。生産量も年間1トンに満たないと言われている。また、その多くが県内で消費されるため、県外ではなかなか味わうことができない希少な海苔でもある。</p>



<p>樋野峯夫（ひのみねお）さんは、そんな十六島海苔の収穫を続ける一人だ。</p>



<p>十六島海苔に携わってきたのは、およそ70年。一度は大阪へ出たものの、十六島海苔漁師である親からの声をきっかけにこの場所へ戻ってきた。</p>



<p>「十六島海苔は海からいただいているもの」</p>



<p>そう語る言葉には、自然とともにある仕事の本質がにじんでいた。人がつくるというよりも、海が育てたものを受け取る。その意識が、この営みを支えている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">荒波にさらされる岩場での収穫</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_012.jpg" alt="" class="wp-image-54622" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_012.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_012-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_012-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>海苔を摘む岩場へは、まず山道を15分から20分ほど歩いて向かう。細く険しい道を進み、その先に現れるのは、海に向かって傾斜した岩場だ。</p>



<p>遠くから見れば黒い岩にしか見えないその場所に、びっしりと付いているのが十六島海苔だ。近づくと岩は濡れて光り、波が当たるたびにその表情を変える。</p>



<p>岩には波が絶えず打ち付けてくるため、常に注意が必要だ。波は足元まで届き、ときには体にかかることもある。まさに命懸けの作業だ。</p>



<p>樋野さんはカッパと長靴を身につけ、淡々と作業を行う。波を受けても動じることなく、そのまま手を動かし続ける姿は、この場所で積み重ねてきた経験の深さを感じさせる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">長年の経験で波のうねりを見極める</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_024.jpg" alt="" class="wp-image-54623" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_024.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_024-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_024-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>天然の岩のりである十六島海苔の収穫は、自然の状態に大きく左右される。波が強すぎれば海苔はちぎれ、波が弱ければ十分に育たない。</p>



<p>必要なのは、強さと穏やかさが共存するわずかな条件だ。</p>



<p>収穫を行う11月から2月の日本海は、強い季節風によって海が大きく荒れる時期。岩場には絶えず波が打ち付け、海苔のぬめりで岩は滑りやすい。タイミングを見誤れば波に体を持っていかれる危険もあり、一歩間違えれば命に関わる作業だ。</p>



<p>樋野さんは、その波のうねりを見ながら、その合間を縫うようにして海苔を摘んでいく。自然のリズムに合わせて体を動かすその作業は、長年の経験によって支えられている。</p>



<p>この技術は、親の背中を見て覚えてきたものだという。見よう見まねで手伝いながら身につけ、いまもなお、その日の海に応じて判断を重ねている。</p>



<p>海苔を摘む手の感覚も重要だ。力を入れすぎれば繊維が切れ、短くなってしまう。やわらかく、しかし確実に摘んでいく。その繊細な作業の積み重ねが、海苔の品質を左右するのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">自然のままを、手作業で一枚ずつ仕上げる</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_046.jpg" alt="" class="wp-image-54624" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_046.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_046-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_046-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>早朝からの作業を終え、正午ごろに引き上げると、次は海苔を乾燥する工程に入る。</p>



<p>海苔簀（のりす）と呼ばれるすだれに海苔を広げ、自然の繊維や形を残したまま一枚にしていく。乾いたときの厚みを考えながら、手の感覚で均一に整えていく。</p>



<p>出来上がった海苔は黒く、香りが強い。やわらかく口どけの良い一般的な養殖海苔と比べ、天然の岩のりならではのシャキシャキとした歯応えのある食感と、強い磯の風味が特徴だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">出雲の食文化と海苔摘みの技を次世代へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_063.jpg" alt="" class="wp-image-54625" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_063.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_063-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_063-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>十六島海苔は、出雲地方では正月の雑煮に欠かせない存在だ。お餅が入った出汁に浮かべると、磯の香りが広がり、特別な一杯になる。</p>



<p>こうして、十六島海苔はハレの日の食として受け継がれてきた。</p>



<p>一方で樋野さんは、「お雑煮だけでなく、いろんな食べ方を知ってほしい」と話す。天ぷらや茶碗蒸し、おにぎりやそばなど、日常の中でもその風味を楽しむことができる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">受け継がれてきた営みを伝えていく</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_021.jpg" alt="" class="wp-image-54626" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_021.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_021-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/0210_nihonmono_hino_021-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>以前は夫婦で収穫作業を行っていたが、妻の美保子さんが足を悪くしてからは樋野さんが中心となって作業を担っている。波が打ち付ける岩場での一人作業は危険を伴うため、現在はともに作業する人が新たに加わり、支え合いながら収穫が続けられている。</p>



<p>この仕事は経験が必要で、簡単に引き継げるものではない。波の見極め、摘み方、作業の判断。そのすべてが長い時間の中で培われてきたものだ。</p>



<p>それでも、十六島海苔を次世代に繋いで行くために、人を育てていくことは欠かせない。ともに岩場に立つ中で、その感覚や判断は少しずつ受け渡されていく。</p>



<p>自然に委ねながら、必要な分だけを頂く。その向き合い方はこれからも変わらない。</p>



<p>この海で摘まれた一枚が、出雲や全国の食卓へ、そしてその先へと渡っていくように。十六島海苔の営みもまた、次の世代へと静かにつながっていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54614/">日本海に育まれ、手摘みで受け継がれてきた天然岩のり「十六島海苔」樋野峯夫さん／島根県出雲市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>最高の一杯を追求し、日常に寄り添うコーヒーを。門脇洋之さん・裕二さん／島根県安来市・松江市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 29 May 2026 04:24:34 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[バリスタ]]></category>
		<category><![CDATA[コーヒー]]></category>
		<category><![CDATA[ワールド・バリスタ・チャンピオンシップ]]></category>
		<category><![CDATA[CAFE ROSSO]]></category>
		<category><![CDATA[CAFFE VITA]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01340_142A2681.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>世界最大級のバリスタ競技会「ワールド・バリスタ・チャンピオンシップ」で準優勝した「CAFE ROSSO（カフェロッソ）」店主･門脇洋之さん（写真右）。島根から世界に挑み、自家焙煎による独自の一杯を追求してきたバリスタだ。 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54537/">最高の一杯を追求し、日常に寄り添うコーヒーを。門脇洋之さん・裕二さん／島根県安来市・松江市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01340_142A2681.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>世界最大級のバリスタ競技会「ワールド・バリスタ・チャンピオンシップ」で準優勝した「CAFE ROSSO（カフェロッソ）」店主･門脇洋之さん（写真右）。島根から世界に挑み、自家焙煎による独自の一杯を追求してきたバリスタだ。「CAFFE VITA（カフェヴィータ）」を営む弟の裕二さん（写真左）も国内コンテストで多数入賞、優勝までも経験し、セミナー講師や審査員としても活躍している。ふたりの拠点は生まれ育った島根県。世界で活躍できる実力を持ちながら、なぜこの地でコーヒーを淹れ続けているのだろうか。</p>



<h2 class="wp-block-heading">将来を描いたのは、コーヒーのある日常から</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01442__H6A9209.jpg" alt="" class="wp-image-54546" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01442__H6A9209.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01442__H6A9209-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01442__H6A9209-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>兄弟の実家の1階は喫茶店で、父・美己（よしみ）さんが毎日コーヒーを淹れていた。学校の行き帰りには必ず店を通る。それが当たり前の光景だった。</p>



<p>「中学2年のとき、お店のコーヒーが自家焙煎に変わって、おいしくなったんです。父と一緒にいろいろなお店を回って飲み比べるうちに、“父にしか出せない味がある”ことが面白くて」と振り返る洋之さん。</p>



<p>その父の姿から、コーヒーを生業にする未来は自然と描かれていった。ただ、進路を具体的に考えるようになると、「父のコーヒーは超えられない」という思いも芽生えていく。店を継ぐのではなく、自分にしかできない表現で、自分の店を持ちたいと考えるようになった。その思いから、高校卒業後はスイーツづくりを学ぶため大阪の洋菓子店に就職。パティシエとして6年働き、カフェとしての表現を広げるための土台を築いていった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自分だけの味を追い求めて本場イタリアへ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01403__H6A8955.jpg" alt="" class="wp-image-54547" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01403__H6A8955.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01403__H6A8955-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01403__H6A8955-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>1990年代半ば、日本に外資系コーヒーチェーンが進出し始めた。当時はまだ珍しかったエスプレッソマシンや多彩なメニュー、明るく開放的な店舗は都市部を中心に広がり、コーヒーの楽しみ方に新しい価値観をもたらしていった。それまで日本では、挽いた豆にお湯を注いで抽出するドリップコーヒーが主流。高圧で抽出するエスプレッソは、まだほとんど知られていなかった。「コーヒーの可能性が一気に広がった気がして、“これは流行る”と確信しました」。そのルーツがイタリアにあると知った洋之さんは、本場の味を体験するため現地に足を運んだ。自身のスタイルとして目指すものを見つけたのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">自分だけの軸を作り、育てる</h3>



<p>イタリアのコーヒーは、エスプレッソが主流。洋之さんは、イタリア北部から南部までたくさんのバール（カフェ）を巡り歩いた。味わいだけでなく、店のつくりや客のくつろぎ方まで観察しながら、自分のコーヒーのイメージを少しずつ膨らませていった。帰国後はエスプレッソマシンの操作を習得しながら、父親の店で自家焙煎の技術を学ぶ。そして1999年、自身の店「CAFE ROSSO」を父と同じ安来市（やすぎし）でオープンする。その姿を見ていた弟の裕二さんも、自然とコーヒーの道を志した。兄と同じように洋菓子店で働き、イタリアで自分のスタイルを模索。その後、「CAFFE VITA」を松江市でオープンする。</p>



<h2 class="wp-block-heading">バリスタ・チャンピオンシップへの挑戦</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01357__H6A8705.jpg" alt="" class="wp-image-54548" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01357__H6A8705.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01357__H6A8705-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01357__H6A8705-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>開店から数年後、転機が訪れる。「コンテストがあるので参加しませんか」と取引先から声をかけられた大会は、日本スペシャルティコーヒー協会が主催する「ジャパン・バリスタ・チャンピオンシップ」。高品質なコーヒー文化の普及を目的に開催されている国内最大級のバリスタ競技会だ。スペシャルティコーヒーとは、一定の評価基準を満たした高品質なコーヒーのことで、その味わいを最大限に引き出すにはバリスタの抽出技術が欠かせない。大会では味のクオリティや技術力、ホスピタリティなどを総合的に競う。腕試しのつもりで出場した2003年大会。なんと洋之さんは優勝、裕二さんは準優勝を飾った。自らのスキルが客観的に評価された瞬間だった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">世界大会準優勝。その裏にあった自家焙煎という選択</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01363__H6A8725.jpg" alt="" class="wp-image-54549" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01363__H6A8725.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01363__H6A8725-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01363__H6A8725-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2005年、洋之さんは「ワールド・バリスタ・チャンピオンシップ」に出場する。前述の国内大会優勝者だけが参加できる世界大会で、日本代表としての挑戦だった。審査では、味だけでなく、サービススキル、プレゼンテーションも評価される。当時、欧米のエスプレッソ文化にアジア人が挑むのは簡単ではなかった。</p>



<p>しかし、洋之さんは、自家焙煎した豆を使った独自のプレゼンテーションで準優勝に輝いた。「当時は市販の豆を使う人がほとんど。でも、私は自分で焙煎した豆を使い、オリジナルの味で挑みました」。焙煎で味の基礎をつくり、抽出でそのフレーバーを最大限に引き出したのだ。他と違う味を生み出すための選択で、その経験は、今のコーヒーづくりにも確実に生きている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">コーヒーの味を決める、焙煎へのこだわり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01424__H6A9099.jpg" alt="" class="wp-image-54550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01424__H6A9099.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01424__H6A9099-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01424__H6A9099-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>コーヒーは同じ豆でも、焙煎によって味が大きく変わる。火力や時間のわずかな違いが、酸味や甘み、コクを左右する。「以前、一流バリスタが淹れたコーヒーを飲んだとき、味わいの奥行きにびっくり。『この味を目指そう』と思いましたが、抽出だけでは足りず、焙煎で味を作る必要がありました。そこから本格的に焙煎に取り組むことに」と原点を語る。味の責任を、最後まで自分で持ちたいのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">届けたい味をデザインすること</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01346_142A2747.jpg" alt="" class="wp-image-54551" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01346_142A2747.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01346_142A2747-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01346_142A2747-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>コロナ禍以降、自宅でコーヒーを楽しむ人が増えた。ふたりが営む店でも、コーヒー豆やドリップバッグなども販売している。豆を挽いて淹れるなど、本格的な楽しみ方も広がっている。「おいしく楽しんでもらえるよう、焙煎で味をしっかり整えたものをお届けしています。お店ではバリスタが風味を最大限引き出しますが、ご自宅で同じように再現するのは難しい。そのため、誰が淹れてもおいしくなるよう火を入れるタイミングや表皮の割合を研究しています」と裕二さん。今、目指しているのは、赤茶色の豊かなクレマ（泡）と、ミルクにも負けないコクだという。</p>



<p>洋之さんもまた、「イタリアのナポリで飲んだコーヒーの感動を届けたい」と理想の味づくりにブレはない。</p>



<p>コーヒーを通じて幸せを提供する。焙煎はそのためのひとつの手段なのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">どんなシーンにも寄り添うコーヒーを作り続ける</h3>



<p>そして近年は、産地にこだわったスペシャルティコーヒーへの関心も高まっている。特定の地域で生産された豆を使うシングルオリジンコーヒーは個性が際立つ。一方、複数の産地の豆を組み合わせるブレンドは、調合により多彩な表情を見せるのが魅力。</p>



<p>店舗では、アラビカ種とロブスタ種という2種類のコーヒー豆を扱っている。華やかな香りとフルーティーな酸味を持つアラビカ種に対し、ロブスタ種は苦味が強く、深いコクが特徴。それぞれの産地や個性を見極めながら、最適な味わいをつくり出している。</p>



<p>コーヒー豆の高騰が進む今、「日常はお求めやすいブレンドでいろんな味を楽しみ、特別な日はシングルオリジンコーヒーで贅沢な気分を味わうのもいいですね」と幅広い楽しみ方も提案している。</p>



<p>ふたりが提供するコーヒーは、&#8221;すごさ”を押しつける味ではなく、「おいしい」と自然に言葉が出る一杯だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">茶の湯文化が根付く町で、コーヒー一筋に</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01353__H6A9290.jpg" alt="" class="wp-image-54552" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01353__H6A9290.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01353__H6A9290-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_01353__H6A9290-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>松江市周辺は、江戸時代に藩主・松平不昧公（ふまいこう）が茶道を広めたことでも知られている。茶の湯文化が根付くこの町では、日常の一服が大切にされてきた。コーヒーもまた、日々の暮らしの中で自然に楽しむもの。彼らが追い求めるのは、驚きよりも“また飲みたくなる”味だ。</p>



<p>今後の展望を聞くと、「自分だけのコーヒーを追求して、全国へ届けたいですね。『こんなおいしいコーヒーがあるんだ』と、思ってもらえる味を目指しています」と語る洋之さん。「いろんな角度からコーヒーを楽しむ提案をしていきたいですね。カフェだけでなく、コーヒーマシンのデモンストレーションやセミナーも実施しているんです」と裕二さんも続ける。</p>



<p>洋之さんは“味”を磨き、裕二さんは“文化”を広げる。日常に寄り添う姿勢は通底しながらも、それぞれのこだわりで、コーヒーのある生活をよき方向へ導いている。島根から生まれる一杯が、これからも多くの人の日常を豊かにしていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54537/">最高の一杯を追求し、日常に寄り添うコーヒーを。門脇洋之さん・裕二さん／島根県安来市・松江市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>日本一の大しめ縄誕生の地･飯南町に受け継がれるしめ縄づくり　出雲大社勧農講社頓原支部／島根県飯南町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 07 May 2026 10:47:39 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[出雲大社]]></category>
		<category><![CDATA[大しめ縄創作館]]></category>
		<category><![CDATA[大しめ縄]]></category>
		<category><![CDATA[注連縄]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00979__H6A7254.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>縁結びの神として知られる「出雲大社」。その神楽殿に掲げられた巨大なしめ縄は、訪れる人が思わず見上げる象徴的な存在だ。その大しめ縄を作り続けているのが、島根県飯南町にある「出雲大社勧農講社頓原支部（いずもたいしゃかんのうこ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54512/">日本一の大しめ縄誕生の地･飯南町に受け継がれるしめ縄づくり　出雲大社勧農講社頓原支部／島根県飯南町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00979__H6A7254.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>縁結びの神として知られる「出雲大社」。その神楽殿に掲げられた巨大なしめ縄は、訪れる人が思わず見上げる象徴的な存在だ。その大しめ縄を作り続けているのが、島根県飯南町にある「出雲大社勧農講社頓原支部（いずもたいしゃかんのうこうしゃとんばらしぶ）」。神話の地を支えるしめ縄づくりの技術は、町の誇りとともに受け継がれてきた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">山里の作業場から生まれる巨大なしめ縄</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00872_142A0019.jpg" alt="" class="wp-image-54520" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00872_142A0019.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00872_142A0019-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00872_142A0019-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>中国山地の山々に囲まれた島根県飯南町（いいなんちょう）。冬には雪が降り積もり、澄んだ水と豊かな田畑に恵まれた静かな土地だ。その町にある「大しめ縄創作館」で大しめ縄づくりを担っているのが、「出雲大社勧農講社頓原支部」だ。代表を務めるのは和田さん。この土地で長く続いてきた奉納の営みを支えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">山里に受け継がれるしめ縄づくり</h3>



<p>「出雲大社勧農講社頓原支部」では、日本でもひときわ大きな一本のしめ縄の制作を担っている。行き先は、全国から参拝者が訪れる出雲大社の神楽殿だ。長さおよそ13.6メートル、重さはおよそ5トン。初めて目にした人は、その大きさに思わず足を止め、見上げてしまうほどの迫力だ。だが、その壮大なしめ縄が生まれる場所は、観光地の喧騒とは無縁の山里にある作業場である。</p>



<h3 class="wp-block-heading">大しめ縄と飯南町のつながり</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00876__H6A7113.jpg" alt="" class="wp-image-54521" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00876__H6A7113.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00876__H6A7113-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00876__H6A7113-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>飯南町と大しめ縄の関係は、昭和30年代までさかのぼる。当時、この地域には出雲大社分院が置かれていた。その縁から、近隣の住民や信者たちによってしめ縄が作られ、神社へ奉納されるようになったという。</p>



<p>やがて昭和56年、出雲大社神楽殿が建立された際、新たなしめ縄の制作が依頼された。それが長さおよそ13.6メートルに及ぶ巨大なしめ縄だ。神楽殿にふさわしい大きさのしめ縄を作るため、地域の人々が協力して制作に取り組むことになる。当初は頓原小学校の講堂、その後、中学校の体育館へと場所を移しながら、しめ縄づくりは続けられ、平成27年、しめ縄づくりの拠点として「大しめ縄創作館」が完成した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">しめ縄文化を今に伝える「大しめ縄創作館」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00879__H6A7067.jpg" alt="" class="wp-image-54522" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00879__H6A7067.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00879__H6A7067-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00879__H6A7067-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そもそもしめ縄とは、神様が宿る場所と私たちの暮らす世界を隔てる「結界」の役割をもつもの。古来より神社や神棚、家の玄関などに飾られ、日本人の暮らしの中に深く根付いてきた。「大しめ縄創作館」では、そんなしめ縄の歴史を伝える写真や資料などが並び、地域で受け継がれてきたしめ縄づくりの文化を知ることができる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">熟練の技で編み上げられるしめ縄</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00881__H6A7074.jpg" alt="" class="wp-image-54523" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00881__H6A7074.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00881__H6A7074-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00881__H6A7074-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>奥へ進むと、作業場が広がる。そこでは職人たちが実際にしめ縄を編み上げる作業を行っている。編む人、芯を取る人、小さな部材を作る人。それぞれの役割を分担しながら作業が進められる。館内には乾いた稲わらの香りが漂い、束ねたわらをより合わせる音が静かに響く。職人たちはわらを手に取り、力を込めてねじりながら一本の縄へと仕上げていく。</p>



<p>しめ縄づくりは一見単純な作業のようにも見えるが、均一な太さの縄を作るには熟練の技術が必要だ。わらの束をどのくらいの力で締めるか、どの角度でより合わせるか。その加減は、長年の経験によって身につくものだという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">神楽殿に掛けられる巨大なしめ縄づくり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00897__H6A7139.jpg" alt="" class="wp-image-54524" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00897__H6A7139.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00897__H6A7139-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00897__H6A7139-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>普段のしめ縄づくりは創作館の奥のスペースで行われているが、出雲大社神楽殿に掛けられる大しめ縄を制作する際には、館内の様子は大きく変わる。約13.6mもの巨大なしめ縄を作るために、建物全体を使って制作が行われるのだ。</p>



<p>大しめ縄は一本の縄から作られるわけではない。複数の太い縄を編み、それらを組み合わせることで完成する。わらを束ね、より合わせ、さらに組み上げていく作業には多くの時間と人手が必要になる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">縄の素材となる稲づくりも飯南町で</h3>



<p>大しめ縄の制作は春、田植えから始まる。地元飯南町産の素材で作るのが基本で、町内にはしめ縄専用の田んぼが整備されている。育てるのは「赤穂餅（あかほもち）」という品種の餅米。一般的な餅米よりも粘りが強く、縄に撚ったときに千切れにくいという特徴がある。大しめ縄のような巨大な縄を作るには、こうした丈夫な稲が欠かせない。</p>



<p>食べるための米とは違い、しめ縄用の稲は実がつく前に刈り取られる。まだ青く、繊維が丈夫な状態の方が、強く美しい縄に仕上げられるからだ。刈り取られた稲は乾燥させ、束ねられ、やがて縄へと撚られていく。作りたてのしめ縄には、稲の青みがほのかに残る。時間とともに色が抜け、やがて神社で見慣れた落ち着いた茶色へと変わっていく。</p>



<h3 class="wp-block-heading">今年の夏、神楽殿で架け替えへ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00986_142A0606.jpg" alt="" class="wp-image-54525" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00986_142A0606.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00986_142A0606-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00986_142A0606-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>制作の終盤には「大撚り合わせ」と呼ばれる工程がある。何本もの太い縄を束ね、巨大な一本へと撚り上げる作業だ。機械だけでは難しいため、多くの人の力が必要になる。飯南町ではこの工程に参加する人を募集し、地域の人々や有志が力を合わせて縄を仕上げていく。大しめ縄づくりには、延べ800人もの人々が関わるという。巨大なしめ縄は、職人だけでなく町の人々の力によって完成するのだ。</p>



<p>大しめ縄はおよそ6〜7年に一度、新しいものへと掛け替えられる。神楽殿での架け替え作業は一日がかりで行われ、巨大なしめ縄がゆっくりと吊り上げられていく光景は圧巻だ。次の架け替えは今年、2026年７月。田んぼで育てられた稲が、長い時間をかけて一本の縄となり、再び神楽殿に掲げられることになる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">飯南町から全国へ広がるしめ縄づくり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00981__H6A7264.jpg" alt="" class="wp-image-54526" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00981__H6A7264.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00981__H6A7264-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00981__H6A7264-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>創作館が整備され、制作の様子が公開されるようになると、その技術が広く知られるようになった。現在では日本全国の神社や施設、そして海外からもしめ縄の制作依頼が寄せられているという。</p>



<p>そのため館内では、大しめ縄の制作がない時期でも年間を通してしめ縄づくりが続けられている。サイズも用途もさまざまで、神社に飾られるものから施設の装飾に使われるものまで、出雲で編まれた縄が各地へと届けられている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">地域の誇りを日本全国、そして次世代へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00931__H6A7525.jpg" alt="" class="wp-image-54527" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00931__H6A7525.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00931__H6A7525-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00931__H6A7525-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「しめ縄づくりはこの地域の誇りです。」と語る和田さん。ここ飯南町でのしめ縄づくりの技術は、今では全国へと広がり、日本各地の祈りの場を支える存在となっている。</p>



<p>一方で、飯南町は高齢化が進んでいる地域。しめ縄づくりの技術を次の世代へどう繋いでいくかは、大きな課題でもある。それでも、この町では今日も藁が束ねられ、縄が撚られている。その手仕事は、地域の誇りとともに日本各地や海外、そして未来へと受け継がれていこうとしている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54512/">日本一の大しめ縄誕生の地･飯南町に受け継がれるしめ縄づくり　出雲大社勧農講社頓原支部／島根県飯南町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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