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	<title>陶芸 - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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	<title>陶芸 - NIHONMONO</title>
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		<title>現代性の中に見出した、原始の美しさ。陶芸家・小野澤弘一さん／栃木県芳賀郡益子町</title>
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		<pubDate>Thu, 08 Jan 2026 08:24:27 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸家]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3615.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「漆塗り」と聞くと、多くの人が木の素材に漆を施したものを思い浮かべるが、陶器や磁器に漆を施す「陶胎漆器（とうたいしっき）」という技法がある。今では珍しくなった技術を活かして作陶を行う陶芸家・小野澤弘一さんの工房が陶芸のま [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3615.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「漆塗り」と聞くと、多くの人が木の素材に漆を施したものを思い浮かべるが、陶器や磁器に漆を施す「陶胎漆器（とうたいしっき）」という技法がある。今では珍しくなった技術を活かして作陶を行う陶芸家・小野澤弘一さんの工房が陶芸のまち･益子にある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">里山の原風景が残る、陶芸のまち「益子」</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/image-23-1024x683.jpeg" alt="" class="wp-image-53832" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/image-23-1024x683.jpeg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/image-23-300x200.jpeg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/image-23-768x512.jpeg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/image-23.jpeg 1372w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>小野澤さんの工房がある栃木県芳賀郡益子町（ましこまち）。栃木県の南東部に位置する自然豊かなこの町は、「益子焼」の名産地として有名だ。益子焼は江戸時代末期に、笠間で修行した大塚啓三郎が、この土地で良質な陶土を見つけ、窯を開いたことが始まり。</p>



<p>現在益子町には、大小さまざまな窯元が約160、陶器店は50軒あり、毎年5月と11月に開催される「益子陶器市」では地元の作家だけでなく、全国の陶磁器の窯元や、手芸、工芸、アクセサリー作家や飲食店まで多くの人が店を出す。普段は、静かでどこか懐かしい里山の風景を楽しめる町内も、陶器市の開催期間は県内外の車や人でごったがえすほどの賑わいだ。</p>



<p>この陶芸のまち「益子」に、小野澤さんが夫婦で移り住んだのは、2021年のことだった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">縁あって移住した栃木県で、作風のルーツに出会う </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3661.jpg" alt="" class="wp-image-53835" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3661.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3661-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3661-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>小野澤さんの生まれは東京。父が陶器を集めていたこともあり、幼少期から陶芸作品に触れることも多かったという。また、幼いころは粘土をいじったり、絵を描いたりすることも好きで、学生時代には作陶も経験。</p>



<p>心の中ではずっと「陶芸家」という仕事を意識していたそう。大学に入学し、具体的に将来の仕事を考えるようになると「陶芸家になりたい」という気持ちをより強く意識するように。「仕事をするなら、好きなことで頑張ってみよう」という気持ちが固まり、大学卒業後は岐阜県にある「多治見市陶磁器意匠研究所」でやきものに関する技術や知識を学んだ。</p>



<p>卒業後は2年ほどアルバイトをしながら作陶を続けたのち、知人から紹介されて移り住み開窯した場所が、益子から車で１時間ほど北上した場所にある、那珂川町（なかがわまち）の「馬頭（ばとう）」地区だった。</p>



<p>そもそも小野澤さんの作品は「益子焼き」ではない。当時は「関東圏内で、広く家賃の安い物件はないか」と検討していたところ、たまたま縁があったのが馬頭地区の物件だったのである。</p>



<p>しかしこの土地で暮らしたことが、現在の作風を生み出すきっかけにつながった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">縄文土器にも用いられた、<strong>陶胎漆器（とうたいしっき）</strong></h3>



<p>当初小野澤さんが手がける作品は、釉薬をかけず、高温でじっくりと焼く「焼締め」が中心。現在はその焼き締めたあとに、漆を塗って仕上げる「陶胎漆器（とうたいしっき）」という技法を用いた作品を多く生み出している。</p>



<p>当時住んでいた那珂川町の隣には、茨城県大子町（だいごまち）があり、大子町は「大子漆（だいごうるし）」と呼ばれる漆の名産地。茨城県は岩手県に次ぐ国産漆の産地であり、県産漆のほとんどは大子町で作られ、輪島塗などの高級漆器にも使われている。</p>



<p>偶然にも漆を身近に感じることになった小野澤さん。興味が湧いて調べてみると、縄文時代から漆を土器に塗る技法があったと知る。そこで、自分でもやってみようと始めたのが、今の作風のルーツになっているという。</p>



<p>2020年には、東京にもっとアクセスしやすい益子に空き工房を見つけ、2021年に夫婦で引っ越し。そこで日本画家である妻の法子さんと共に、夫婦それぞれが創作活動に励んでいる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">歴史や古いものに惹かれる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3671.jpg" alt="" class="wp-image-53836" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3671.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3671-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3671-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>小野澤さんの作品は、漆だけでなく、漆と共に錫（すず）の粉を施した作品も手がける。「陶胎漆器と言ったほうが分かりやすいので、そのように言いますが、実際はそこにこだわっているわけではありません」。</p>



<p>歴史が好きで、古いものに惹かれるという小野澤さん。特に「弥生土器」が好きで、古代の人が削ったり磨いたりしてできた形は、柔らかさと同時にシャープさも感じられ、自分の作品にも取り入れたいと思うという。「当時の作った人の指跡が残っていたりすると感動しますし、古いものには当時の人の息づかいが聞こえる気がします」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">原始性と現代性の融合を目指して</h3>



<p>作品は、まずろくろを引くところから。ほとんどスケッチはせず、作りながら考えてゆくスタイル。目指しているのは、ろくろで引いた「現代的なシャープさ」と土器のような「原始的なフリーハンドの柔らかさ」が融合したもの。</p>



<p>ろくろを引く際も、完全にシンメトリーなものは目指さない。食器は左右対称で「歪み」のないものが一般的だが、小野澤さんは、あえて歪みを出している。また、どの器も全く同じ歪み方にはせず、１つとして同じものがないように意識。さらには、表面には小野澤さんが好きな「弥生土器」の制作過程で施されていたという、割板や棒などで土器の接合跡を消したり、形を微調整したりする「ハケ調整」やハケ調整でできた線を消していく「ナデ調整」などの古の技法を施し、刷毛のあとや色の濃淡などの手仕事の風合いが残ったマットな質感に仕上げる。そこからさらに、4種5層の泥を塗っては乾かしを繰り返し、漆を塗る。そして最後は、ヤスリで表面を磨くことで、さらなる濃淡や多彩な質感を表現する。</p>



<p>非常に手間と時間のかかる作業ではあるが、機械であるろくろを使った「現代的なシャープ」なフォルムから更に、人間の手ならではの風合いや、古来からの技法を重ねることこそが、小野澤さんが思い描く「現代性と原始性」の融合した造形を実現するために、必要な作業なのだ。</p>



<p>小野澤さんは、自身の作品作りを「時間の経過を封じ込めるような感覚で作っている」と表現する。</p>



<p>実際、古びたものを再現する技術はたくさんある。一般人にも馴染み深いのはテーマパークで、その世界観を表現するために、遺跡や遺物、古い岩肌などを人工的に作り出したものが散見される。現代の技術を凝らした造形には目を見張るものがあるが、しかしそれはあくまで、限りなく本物に“似せた”模造品だ。</p>



<p>単純に古びた陶器の質感を出そうと思えば「層のように重ね塗って、まだらにしたり下地を出したりという変化を見せる技法もある」と小野澤さん。しかしそれで完成するのは、小野澤さんにとっては「表面的な古さ」でしかない。そうではなく、時を重ねた陶器や技術への尊敬を胸に刻みながら、小野澤さんの世界を通して「今」表現されるもの。まるで本当に時を重ねたかのような質感、それでいて古びず現代的な美しささえも感じさせるのは、小野澤さんだからこそ生み出せる、唯一無二の表現ではないだろうか。</p>



<h2 class="wp-block-heading">人や土地の歴史との出会い。先人たちの歩みが“師匠”</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3616.jpg" alt="" class="wp-image-53837" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3616.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3616-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3616-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>誰か特定の人に師事せず、自らの道を歩んできた小野澤さん。</p>



<p>「岐阜にいたときは、美濃の歴史の深さを感じましたし、馬頭にいたときは、益子焼よりも古い小砂焼（こいさごやき）やそれを手掛けている人にも出会いました。師匠という人はいませんが、そういうものを見聞きして、肌で感じて、先人たちがやってきたことを感じるようにしてきました」。</p>



<p>歴史が好き、土器が好きと話す小野澤さん。その言葉からは、単なる「好き」ではなく、どこまでも先人たちの歩みや、歴史への尊敬の念が感じられる。</p>



<p>「益子に実際に住んでみると、地元の人も知らないような歴史を知ることもできました。色々な歴史があって成り立っている土地だと知ることが好きだし、その好きな気持ちは、ここで作品を作るモチベーションにもなりますね」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「ろくろに感じる本質的なものを見出したい」</h3>



<p>国内の個展やワークショップ、海外まで活動の幅を広げる小野澤さんは、「40歳になったので、体力があるうちに、大きな作品を手びねりでやってみたいですね」と話す。</p>



<p>ロダンなど人体彫刻を眺め、その背景に思いを馳せるのも好きだと話す小野澤さんは、「対象を見つめる仕事がしたい」とも。小野澤さん曰く、「電動ろくろには、規則性があって、その中にも美しさがあるという。そのろくろで作ったもの（対象）を見つめながら、手びねりで作品を作りたい」とのこと。</p>



<p>二度手間では？と感じずにはいられないが、それこそが小野澤さんがやりたい「対象を見つめる仕事」なのだそう。「一旦ろくろで作ったもの（対象）をしっかりと“見つめて”、そこから自分が何かを感じ取ろうと向き合うことで、ろくろに感じる美しさの本質的なものが見出だせるのではないかと思うんですよ」。非常に感性的ではあるが、その繊細で美しい感覚や思考こそが、今と古をつなぐような作風の源泉であるのだと思わずにはいられない。</p>



<p>自身で目で見て、感じたこと。新たな学びも発見も、すべて作品へと昇華させてきた小野澤さん。きっとこれからも人類の歴史のように、止まらぬ進化を重ねてゆくことだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53829/">現代性の中に見出した、原始の美しさ。陶芸家・小野澤弘一さん／栃木県芳賀郡益子町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>手をかけ、時間を重ね、表情豊かな器を作り続ける陶芸家･田代倫章さん／栃木県芳賀郡益子町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 10 Dec 2025 07:55:29 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[益子焼]]></category>
		<category><![CDATA[茨城県陶芸美術館収蔵]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4325.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>里山の原風景が残る町、栃木県芳賀（はが）郡益子町（ましこまち）。この町で作陶に励む陶芸家の田代倫章（としふみ）さん。さまざまな独自の技法を用いて、シンプルでありながら独特な質感と深みのある器を生み出している。 縁に導かれ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4325.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>里山の原風景が残る町、栃木県芳賀（はが）郡益子町（ましこまち）。この町で作陶に励む陶芸家の田代倫章（としふみ）さん。さまざまな独自の技法を用いて、シンプルでありながら独特な質感と深みのある器を生み出している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">縁に導かれるように陶芸の道へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4370.jpg" alt="" class="wp-image-53732" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4370.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4370-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4370-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>栃木県南東部に位置する「益子町」。益子焼の名産地として名を馳せ、春と秋に開催される陶器市には、陶器を求める一般客だけでなく、陶芸をはじめとした“ものづくり”を手掛ける作家たちも多く集まる。</p>



<p>そんな益子町に2007年から工房を構えている田代さん。生まれは宮崎県だと言う田代さんが益子町で陶芸家になった背景には、いくつか偶然の重なりがあった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">きっかけは廃部寸前の部活への勧誘</h3>



<p>出身は宮崎県だが父が転勤族だったため、大学に入るまでは沖縄や函館、大阪など全国各地で過ごしたという田代さん。</p>



<p>陶芸との出会いは高校時代。当時大阪の高校に通っていた際に友人から部員不足で廃部寸前の陶芸部に誘われたのがきっかけだそう。</p>



<p>「手先は器用だったので向いているかな？と最初は思いました」と当時を振り返る田代さんだが、それから陶芸に惹かれ、大学は奈良芸術短期大学へと進むことになった。</p>



<p>卒業後は製陶所などへの就職も検討したが、その当時2002年ごろは就職氷河期で、製陶所への就職も厳しく、だからといって急に独立して食べていける自信もない。弟子入りを選択肢に入れるべきか悩んでいたところ、父からの「やれるところまでやってみろ。」という言葉と、同級生からの何気ない「合っていると思う。」というふたつの言葉に背中を押され、益子町の陶芸家･今成誠一氏に弟子入りすることにした。</p>



<h3 class="wp-block-heading">外からの人を受け入れやすい益子の空気</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4343.jpg" alt="" class="wp-image-53733" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4343.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4343-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4343-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「益子を選んだのは、日本の焼き物の中でも比較的歴史が浅く、県外の人でも受け入れてもらいやすい風土がありそうと考えたから」と田代さん。</p>



<p>江戸時代末期に大塚啓三郎が窯を開いたことから始まったとされる益子焼の歴史は170年ほどで、備前や美濃、有田など何百年もの歴史を持つ地域と比べては確かに歴史が短い。また首都圏へのアクセスも良好でありながら、自然豊かな地域とあって移住がしやすい地域。陶芸家だけでなく、東京などから移り住んだ人が営むパン屋やカフェなどもあり、そういった人たちも益子の良さを語る際には「外からの人を自然に受け入れる風土がある」ということを挙げる人が多い。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4332.jpg" alt="" class="wp-image-53734" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4332.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4332-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4332-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>また、師匠の今成氏の「感性を磨け」という考え方は、大学で教わった先生の方針や、何より田代さん自身のやりたいことと共通する部分も多かった。</p>



<p>約5年住み込みで働き、特にろくろの扱い方、窯の焚き方などはその時期に習得した部分が大きい。また、土の入手先、作品をどこに卸すかなど「陶芸家」の仕事についても学んだ期間だったそう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">手間も時間もかかるが、目指す焼き物に仕上げるために必要な工程</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4333.jpg" alt="" class="wp-image-53735" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4333.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4333-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4333-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>修行期間を経て、独立を意識しはじめ、関西に戻る事も考えているときに、たまたま現在の工房が見つかったため、益子で独立することにした田代さん。2007年のことだった。</p>



<p>田代さんは、電動ろくろで成形し、手回しろくろで器を仕上げる。電動ろくろも回転速度の調整ができるため、最初は高速や中速、仕上げでは低速にするなど、最初から最後まで電動ろくろを使う陶芸家も多い。しかし、この仕上げを手回しろくろで行うのが、田代さんのこだわり。</p>



<p>「電動ロクロだと、ゆっくり回しても規則的になってしまい、自分の作る器の形だとどうしても冷たい印象になってしまいます。手回しろくろなら時間はかかりますが少し回転が変則的になるので、温かみを持たせる事ができます。」</p>



<p>また田代さんの作る器は、薄づくりで繊細なフォルムのものが主。しかし益子の土は砂気が多く粘性が少なく割れやすい性質があり、そのため「益子焼」は厚みがある見た目のものが多い。そこで田代さんは、益子の土に他の産地の土を混ぜることで、自らの作品に適した粘土を作っている。</p>



<p>「シンプルでありながら質感を重視した『表情豊かな』器作りを心がけています。ただ、あくまでも器は道具で、食材が主役だと思っているので、その器に食材を盛り付けた時にどう映るかに重きを置いています。器自体の主張は控えめにする事。収納のしやすさ。結果、長く付き合って飽きのこないモノになると思います。」と田代さんは話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">素焼きをせずに釉薬をかける「生掛け」</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4349.jpg" alt="" class="wp-image-53736" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4349.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4349-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4349-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「表情豊かで柔らかい質感を出したい」という田代さんは、焼き方にもこだわる。</p>



<p>一般的な陶器の作り方は、土で器の形を作り、乾燥させてから、一度低温で焼く。これを「素焼き」と呼び、素焼きのあとに釉薬をかけ、その後「本焼き」をして色をつけていく（素焼きの後に色を付ける下絵付けという技法もある）。素焼きをすることで、器の強度が高まり吸水性も上がるので、液状の釉薬をかけた際にも器が崩れることはなく、生地に釉薬を密着させることができる。</p>



<p>しかし田代さんは、この素焼きをせず、「生掛け」と呼ばれる器が半乾きの状態で釉薬をかけて、本焼きをする手法を取っている。</p>



<p>しかし、薄いフォルムでしかも、半乾き状態の土で作られた器の強度は低い。そこに液体の釉薬をかければ、形が崩れやすいのも当然だ。また、形を崩さずに釉薬をかけても、その後で問題が起こりやすい。器そのものの土には水分が含まれているので、乾燥、焼成で水分が蒸発し収縮する。しかしその時点で釉薬はさほど収縮しないため、生地から剥離しやすくなってしまう。素焼きをしていれば、吸水性のある状態（乾いた土の器）に液体（釉薬）をかけることになるので、水分を吸い込み、収縮率もほぼ同じなので器と釉薬の密着度は高まるのだが、田代さんあえてそれをしない。</p>



<p>「特殊なことをやっていたので、独立して3年くらいは全然うまくいかなくて…。住み込みで修行していた期間よりずっと辛かったですね」と田代さん。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4378.jpg" alt="" class="wp-image-53737" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4378.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4378-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4378-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>なぜわざわざ、そのような難易度の高い手法を選んだのか。</p>



<p>それは田代さんが師事していた今成氏にあった。もともと陶芸家としての今成氏のルーツは、岡山県の備前焼。備前焼は、素焼きをせず、釉薬もかけずに、高温で長時間焼くのが特徴で、今成氏の元で学んだ田代さんも、この「焼締め」と呼ばれる技法をメインで修行した。その過程で師匠が時折行っていた「生掛け」の技法にも注目。他とは違った自分らしい作風を目指したいという気持ちもあり、独自の表現の幅が広がると考え、焼締めに加えて「生掛け」を積極的に取り入れ始めたのが苦労の始まりだったのだ。</p>



<p>土の配合や釉薬の種類、その濃さや厚み、何度も失敗を繰り返しながら、それぞれの配合を試行錯誤。釉薬を器の内側だけに施す手法をベースにしながら、田代さんの理想の器のフォルムや質感を追求していった。内側だけ釉を施すことで形状を保ち、外側は柔らかな土の質感としている。微調整を重ねながら、現在では外側に刷毛で土を塗り、内側にはコンプレッサーで釉薬を付け足すなど行いながら、田代さんが思い描く「表情豊かな質感」を生み出している。</p>



<p>刷毛で塗ったり、コンプレッサーで吹き付けたりするのは時間と手間がかかる。薄づくりにすると歪みやすいリスクもある。それでも、その手間ひまを乗り越えた先にある仕上がりの質感や風合いの変化を田代さん自身が楽しみながら、目指す器を形にするため日々試行錯誤を重ねている。</p>



<p>その技法に名前があるのか尋ねると「名前は決めていないですね。一発焼きみたいなもので…」と微笑む。</p>



<p>華奢なフォルムに素朴な土の質感。そして均一化された製品には見られることのない、釉薬の濃淡や流れ方。一見シンプルなようでいて、細部まで手をかけ尽くした田代さんの技術と思いを感じずにはいられない。</p>



<h2 class="wp-block-heading">新たなチャレンジも視野に、価値を感じてもらえるものを作る</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4409.jpg" alt="" class="wp-image-53738" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4409.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4409-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4409-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>毎年春と秋に開催される「益子陶器市」にも欠かさず出店している、個展や企画展などの活動も多く、着実に器のファンを増やし続ける田代さん。</p>



<p>今後の展望について尋ねると「昨今の資材等の値上がりから苦労する部分もあります。ただその中でも如何に自分ならではの感性・技術で表現し続け、価値を感じてもらえるものを作ったいけたらと思います。」とのこと。</p>



<p>現在の工房では、妻の鈴木宏美さんも、陶芸家として活動している。お互いに気に入っているこの益子の地で活動を続けたいという。</p>



<p>2022年には「茨城県陶芸美術館」に器と花器（かき）が収蔵された。県内外のフレンチや洋食店でも、田代さんの器を使いたいという依頼もある。</p>



<p>そうしたきっかけから、宇都宮市内のフレンチレストランをはじめ、洋食店などとの付き合いも増えてきた。「“特別な食事をする場所”で自分の器が使ってもらえることは大変うれしい」と話す田代さん。レストランとの打ち合わせや納品で現場に赴いた際、その場所から受ける刺激やインスピレーションは現在の制作コンセプトにも活かされ、試行錯誤の末にたどり着いた器たちは、確実に人の心を魅了するものへとなっている。</p>



<p>これからは器だけでなく、大学生のときに学んでいたオブジェやインテリア関係など造形的な作品を手掛け、自分の幅を広げていきたいという田代さん。新たな展開にも期待が高まる。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53723/">手をかけ、時間を重ね、表情豊かな器を作り続ける陶芸家･田代倫章さん／栃木県芳賀郡益子町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>白と黒のエチュード模様が紡ぐ砥部焼の新境地。「和将窯」山本和哉さん／愛媛県伊予郡松前町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 10 Dec 2025 06:54:01 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
		<category><![CDATA[砥部焼]]></category>
		<category><![CDATA[Washo]]></category>
		<category><![CDATA[LEXUS NEW TAKUMI PROJECT2017]]></category>
		<category><![CDATA[tension]]></category>
		<category><![CDATA[UNLEASH]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_007.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>松山市に隣接した愛媛県伊予郡砥部（とべ）町で砥部焼が作られてから約250年。地域に根付いた伝統工芸品「砥部焼」を、実用性と独創性の両立を兼ね備えた自由なスタイルで実現する、和将窯（わしょうがま）･山本和哉さんの作品づくり [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53705/">白と黒のエチュード模様が紡ぐ砥部焼の新境地。「和将窯」山本和哉さん／愛媛県伊予郡松前町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_007.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>松山市に隣接した愛媛県伊予郡砥部（とべ）町で砥部焼が作られてから約250年。地域に根付いた伝統工芸品「砥部焼」を、実用性と独創性の両立を兼ね備えた自由なスタイルで実現する、和将窯（わしょうがま）･山本和哉さんの作品づくりとは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">幼少期から身近にあった砥部焼</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_002.jpg" alt="" class="wp-image-53714" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_002.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_002-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_002-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>砥部焼の窯元は現在約80軒あり、それぞれが砥部焼の制作基準に沿って独自の作品を制作しており、地域に根ざした伝統工芸として、春と秋に毎年開催される「砥部焼まつり」では全国から多くの人が訪れる。作品ごとに作者の個性や風合いが反映されるのも砥部焼ならではの楽しみだ。和将窯は、砥部町と同じ伊予郡内の松前（まさき）町にあり、1998年山本さんが18歳の頃に父･俊一さんが設立した。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_007-1.jpg" alt="" class="wp-image-53715" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_007-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_007-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_007-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「砥部焼が好きで始めたというより、最初に触れた土が砥部焼だった。ほかの土を試したこともあるけれど、今も手に馴染むのは砥部の土」と山本さんは語る。山本さんにとって砥部焼は、物心ついたときから身近な存在だ。子どもの頃は、親子で砥部町にある福幸窯の福岡先生の元で基礎を学び、陶芸に触れてきた。その後、父･俊一さんが会社勤めを辞め、自宅に窯を購入したことで砥部焼はより身近な存在となった。学生時代はデザイン学校へ通いながら、砥部陶芸館で開かれる教室に通い、さまざまな先生から砥部焼を学ぶ。20歳で「和将窯」を手伝い始めて、本格的に陶芸家の道へと進む。</p>



<h3 class="wp-block-heading">白と黒で奏でるエチュード模様</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_009.jpg" alt="" class="wp-image-53716" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_009.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_009-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_009-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>山本さんの代表作は、流れるような「エチュード模様」。陶芸家として歩み始めた当初は、伝統柄を描くことが多かった。時々遊びで描いていたのが、エチュード模様の原点となる伝統柄とは異なる自由な模様だ。「福岡先生がこっちをやった方がいいと背中を押してくれたのがきっかけです」。そこから本格的に作品に取り入れ始める。2007年には愛媛陶芸展で最優秀賞を受賞。白と黒をコンセプトに、独自のデザインアート「Washo」シリーズが誕生し、その道が大きく開けた。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_033.jpg" alt="" class="wp-image-53717" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_033.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_033-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_033-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ロクロ作りやタタラ作りで成形。モチーフは特定のものではないが、子どもの頃に見た地元の海や波などの風景を、自身のフィルターを通してフリーハンドで描く。「描いていて気持ちいい感覚」が制作の核であり、唐草や渦巻きといった伝統柄にとらわれず、自分の感覚を信じて自由に描くスタイルを貫いている。</p>



<p>色使いにも特徴がある。白磁に藍色や青色の印象が強い砥部焼だが、山本さんのエチュード模様は、黒色の発色が強い黒呉須（ごす）で統一。これにより現代的で引き締まった表情を生み出す。また釉薬は薄めにかけて仕上げる。ずっしりと重みがある砥部焼の印象と異なり、「手にとって使う道具として、なるべく軽く仕上げたい」という実用的な狙いと、山本さんのデザインの特徴である白と黒の境界線をくっきりと見せる効果がある。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_016.jpg" alt="" class="wp-image-53718" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_016.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_016-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_016-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「砥部焼よりも白い土は全国探せばあって、そこに黒を入れたらどんな表現ができるだろうという誘惑もありました。だけど砥部の土を使いたい。馴染んでいるというのもあるけれど、新しい表現を受け入れてくれる砥部焼の世界に対してそこだけは守りたい部分です」。こうして砥部焼特有の、やや青みがかったやわらかな白磁と、コバルトを含む深い黒のコントラストが美しい山本さんの作品が生まれる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">実用性と独創性の両立</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_020.jpg" alt="" class="wp-image-53719" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_020.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_020-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_020-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2017年には「LEXUS NEW TAKUMI PROJECT2017」にカップ&amp;皿、ソース入れ＆皿のセット「tension」のプロダクトが選ばれた。器に限らず、実用的なものを考えて作ることが好きだと言う。制作の原動力は「シーンに合うものを作ろう」という実用性を重視した発想だ。日常使いできる道具のなかに、自分なりの新しい要素を加えることを意識している。アイデアが生まれると同時に制作を行うので、作品数は把握できないほどだと言う。</p>



<p>プロダクトは、定番の形をなぞるだけでは物足りなさを感じるときもある。すでにあるプロダクトではなく、一から自分で考えた形や使い方を探求することがひとつの目標だ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_018.jpg" alt="" class="wp-image-53720" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_018.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_018-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_018-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>作風も幅広い。砥部焼を日常に取り入れやすいデザインから、ドクロやドラゴンなどを立体成型し、山本さんの技術を注ぎ込んだ「UNLEASH（アンリーシュ）」シリーズまでさまざま。リクエストから生まれる作品も多く、照明器具や習字道具、骨壺、思い出の人形の再現など、あらゆる依頼が届く。依頼は挑戦状のように感じられ、制作の刺激になっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">砥部焼の自由さと守るべきもの</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_014.jpg" alt="" class="wp-image-53721" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_014.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_014-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/W_014-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>砥部焼は、伝統と革新が共存する自由な土壌だと山本さんは語る。「砥部焼陶芸塾」をはじめ、砥部町には若手が学べる機会が多く、地域全体で育成に力を入れている。自由な表現を受け入れてくれる砥部焼の世界だからこそ、砥部の土を使い、一つひとつ手づくり･手描きで仕上げるという“自由の中の根幹”がある。</p>



<p>また、作り手の育成や後継者問題だけでなく、陶石産地としての持続性など、長く続く伝統工芸品としての未来も見据えている。砥部焼の大先輩たちは今も新しいアイデアを模索し、作品を作り続けている。「まだまだやれることがあると感じさせてくれるのがうれしい。80歳になっても作り続けたい」と山本さんは話す。</p>



<p>「普段使いの道具に、あえて高価な伝統工芸品を選んでもらうことは簡単ではない」。だからこそブランドそれぞれの価値観を伝えていく必要がある。</p>



<p>250年の歴史を積み重ねてきた砥部焼は、過去を守るだけでなく、時代の暮らしに寄り添う形やデザインを生み出し続けている。伝統は変わらずにそこにありながら、使い手の感性や生活様式に合わせて進化していく。その歩みは、この先も絶えることはないだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53705/">白と黒のエチュード模様が紡ぐ砥部焼の新境地。「和将窯」山本和哉さん／愛媛県伊予郡松前町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>砥部の土と共に歩み続けて半世紀。青白磁に新たな表現を求める親子陶工「緑光窯」／愛媛県砥部町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 29 Nov 2025 00:48:50 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
		<category><![CDATA[砥部焼]]></category>
		<category><![CDATA[窯元]]></category>
		<category><![CDATA[青白磁彫文]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou030.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>愛媛県砥部町で生まれ、250年の歴史を誇る「砥部焼」。現在は約80軒の窯元があるが、その一つが亀田茂樹（緑光）さんと、息子の茂友さんが営む「緑光窯」。砥部の土の特性を活かした、これまでにない青白磁の表現を追求している。  [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou030.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>愛媛県砥部町で生まれ、250年の歴史を誇る「砥部焼」。現在は約80軒の窯元があるが、その一つが亀田茂樹（緑光）さんと、息子の茂友さんが営む「緑光窯」。砥部の土の特性を活かした、これまでにない青白磁の表現を追求している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">砥部焼は、250年にわたり手仕事を貫いてきた</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou040.jpg" alt="" class="wp-image-53584" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou040.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou040-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou040-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>愛媛県砥部町周辺で作られる砥部焼は、江戸時代中期から受け継がれる陶磁器だ。その始まりは安永6年（1777年）、この地を治める大州藩主・加藤泰候（やすとき）が、新たな特産品として磁器作りを命じたことから。砥部は古くから「伊予砥」と呼ばれる砥石の産地であり、砥石を切り出す際に出るくず石を原料にできないかと考えたのだ。その開発を任された杉野丈助は、失敗を重ねながらも安永6年（1777）に磁器の焼成に成功。これが砥部焼の始まりとなった。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou001.jpg" alt="" class="wp-image-53585" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou001.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou001-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou001-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>江戸時代には他藩からの情報も少なかったため、独自の技術のみで発展していったが、明治時代には京都や唐津などの技術が導入され、大正初期には「伊予ボウル」と称された茶碗が海外で好評を博し、輸出が生産量の多くを占めるなど大きく発展した。戦後、近代化のあおりを受けて衰退した時期もあったが、昭和28年（1953）に民芸運動の推進者である柳宗悦、浜田庄司らが砥部を訪れたことが転機に。他の産地が機械化に舵を切るなか、手仕事を貫く砥部焼の良さが再評価されたのだ。彼らの指導のもと、厚手の白磁に呉須で唐草文様や菊絵を描く現代の砥部焼の原型ができあがった。昭和51年（1976）、砥部焼（白磁、染付作品、青磁、天目[鉄釉]の4種類）は国の伝統的工芸品の指定を受けた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">半世紀続く、砥部焼の窯元</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou005.jpg" alt="" class="wp-image-53586" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou005.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou005-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou005-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>緑光窯は昭和49年（1974）、茂樹（緑光）さんが開窯した。窯を開いた当初の場所が緑豊かだったこと、また茂樹さんが作陶を学んだ「放光窯」の名前にちなみ、「緑光窯」と名付けられた。</p>



<p>茂樹さんは日本伝統工芸展、日本陶芸展など数々の入選歴を持ち、2019年に愛媛県指定無形文化財に登録された名工だ。現在の工房は砥部町北川毛に構え、販売＆ギャラリーも兼ねている。普段使いの器から夫婦茶碗、大小さまざまな花器まで、また伝統的なものから新しい作風のものまでが幅広く並ぶ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">父を師匠に歩み始めた陶芸家の道</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou004.jpg" alt="" class="wp-image-53587" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou004.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou004-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou004-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>父を師匠に、茂友さんは26歳のときに陶芸家の道を歩み始めた。青白磁彫文の作品により、日本伝統工芸展、日本陶芸展などで多数の入選歴を持つ。</p>



<p>砥部焼の多くは日常に使われる器だ。「うちでも製作のメインは食器です。あとは展覧会へ向けて大作に挑戦しています。器の大きさに迫力がありすぎると、それに負けないデザインをしないといけないので、その匙加減も難しいところです」と茂友さん。</p>



<p>彫刻で文様を施す彫文や、釉薬をグラデーションのように施す釉彩などの多彩な技法を駆使し、新しい表現へと挑戦し続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">土地のものを使う。制約があるからこそ生まれる深み</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou028.jpg" alt="" class="wp-image-53588" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou028.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou028-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou028-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>砥部焼の特長は、透明感のある白く美しい磁肌。これは砥部ならではの土が影響しているという。</p>



<p>「砥部焼は、有田焼のように真っ白ではなく、少しグレーがかっています。なので絵付けも、この土の特長を生かす必要があります。有田焼の土で唐草をやっても、発色が違うのです」と茂樹さん。</p>



<p>砥部の土は鉄分が含まれているため、青く発色しやすい特性があるという。「結局、土に合うものをしていると自然とこの形になった。それが砥部焼」という言葉からは、長年の経験に裏打ちされた確信が感じられる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou036.jpg" alt="" class="wp-image-53589" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou036.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou036-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou036-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>昨今は原料を他から取り寄せる磁器の産地も増えており、真の意味で“産地”というものが失われつつあるように思えるが、二人はあくまでも砥部の土を使うことを徹底している。</p>



<p>「一つの制約があれば、その範囲内で深く追求していくことができる。なので私は制約があった方がいいかなと思います。これまでの砥部焼にはないようなアプローチができれば、自分の新しい表現になる。そこを10年ぐらいは追求しています」と話すのは息子の茂友さん。どこまでも愚直に、自身の表現を突き詰めている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">青白磁の可能性を求め、自分にしかできない表現を</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou031.jpg" alt="" class="wp-image-53590" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou031.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou031-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou031-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>緑光窯の代名詞ともいえるのが、透き通るようなブルーの濃淡が波打つように広がる青白磁。</p>



<p>青白磁は、白い石を原料とした磁器土から作られ、素焼した器に鉄分を少し含んだ釉薬をかけて焼いた作品だ。刻まれた模様の部分に溶けた青色の釉薬がたまって美しい水たまりのような表現を生み出す。</p>



<p>青白磁の難しさは、釉薬をとても厚く塗るため、焼いている間に器に負担がかかり、割れやすいところにある。分厚く釉薬をかけたほうが濃淡が際立って美しいが、かけすぎると意図せぬところに流れてしまう。この見極めが職人の腕の見せ所だ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou026.jpg" alt="" class="wp-image-53591" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou026.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou026-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou026-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>波打つように施された文様は、彫刻によるもの。茂友さんは丸い彫刻刀で彫った後に磨きをかけて滑らかにし、そこへ釉薬をかける。</p>



<p>「焼いたときに釉薬が多少溶けて流れるので、山になっているところの釉薬が左右に少し流れる。その流れてきた分が谷の部分にたまって色が濃くなる。それでグラデーションが生まれるんです」</p>



<p>これは海の水と同じ原理だという。「海水をすくったら透明ですが、海自体は青く見えるように。同じ釉薬をかけても、その厚みでこれだけ違いが出るんです」。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou016.jpg" alt="" class="wp-image-53592" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou016.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou016-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou016-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>あらかじめ釉薬の流れ方をイメージして作るものの、焼き上がって窯から引きあげるまで、できあがりはわからない。絵付と違い、色で明確にデザインできないからこその面白みと難しさ。それも陶芸の醍醐味の一つだと二人は口を揃える。</p>



<h3 class="wp-block-heading">手に馴染む器を目指して</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou023.jpg" alt="" class="wp-image-53593" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou023.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou023-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou023-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>砥部焼は日用の器。だからこそ茂友さんは使い手の目線も大切にしている。彼が作る青白磁の湯呑みは、彫刻により表面に凹凸があるため、熱いお茶を入れても全体に手が当たることがなく持ちやすい。そこに用の美を感じる。</p>



<p>「食器は手に持って使いますから、選ぶときはぜひ手に取ってもらい、しっくりと馴染むものを選んでもらいたい」と話す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">次世代へ、技術継承への想い</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou010.jpg" alt="" class="wp-image-53594" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou010.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou010-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/ryokkou010-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>近年、後継者不足、高齢化などで閉業する窯元も増えつつある。「窯元の高齢化は顕著に感じています。次の世代をどう育てていくかが大きな課題ですね」と茂樹さんは危機感を抱く。</p>



<p>砥部焼を修める道のりは長い。特にシンプルなものほど難しく、焼き上がりを想定した細やかな技術が求められる。</p>



<p>「最初は失敗も多く、くじけそうになることもあります。ですが、そこを乗り越えないと技術は身につかないんですよね。自分の表現ができるまでの基礎をちゃんと身につけることが大事。技術の引き出しを用意しておかないと、そのうち行き詰まってきますから」と茂友さん。</p>



<p>砥部の土と共に、伝統を超えて新たな表現を求め続ける。黙々と作陶に取り組む二人の背中からは、250年の歴史を誇る砥部焼への深い愛情を感じた。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53571/">砥部の土と共に歩み続けて半世紀。青白磁に新たな表現を求める親子陶工「緑光窯」／愛媛県砥部町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>古い絵付けを、今の暮らしに寄り添う器に。「喜器窯」吉田崇昭さん／福岡県筑紫野市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/53243/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 29 Sep 2025 09:03:37 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
		<category><![CDATA[磁器]]></category>
		<category><![CDATA[素数文]]></category>
		<category><![CDATA[苦笑文]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI032-9065.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福岡の中西部、天拝山が広がる筑紫野市に佇む「喜器窯（ききがま）」。緑豊かな住宅街に工房兼ギャラリーを構える吉田崇昭 さんは、土づくり、ろくろで造形、絵付け、窯入れまですべてひとりで行っている。その器は古い焼き物のような味 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53243/">古い絵付けを、今の暮らしに寄り添う器に。「喜器窯」吉田崇昭さん／福岡県筑紫野市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI032-9065.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福岡の中西部、天拝山が広がる筑紫野市に佇む「喜器窯（ききがま）」。緑豊かな住宅街に工房兼ギャラリーを構える吉田崇昭 さんは、土づくり、ろくろで造形、絵付け、窯入れまですべてひとりで行っている。その器は古い焼き物のような味わいがあり、多くの人を魅了している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">グラフィックデザインから器づくりへ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI002-8962.jpg" alt="" class="wp-image-53250" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI002-8962.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI002-8962-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI002-8962-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「器のつくり手としては、遅いスタートなんです」と吉田さん。まず大学でグラフィックデザインを専攻するが、在学中に平面のグラフィックデザインではなく、立体のインダストリアデザイン（工業デザイン）に惹かれるようになる。卒業後はグラフィックデザインを立体にもちこんだ仕事ができればと考えていたところ、出合ったのが器だった。</p>



<p>「自分が生まれ育った福岡の隣に、器の産地・佐賀があったことにめぐりあわせを感じました」。当時は器のことを全く知らないゼロの状態で、有田にあった窯業大学校に2年通って基礎を学んだ。その道に進むと決めた以上は、自分が納得できるまで製陶を学びたいと、大学卒業後、さらに滋賀県の信楽へ。国内外の陶芸家のスタジオを擁する「滋賀県立陶芸の森」で学びながら、実際に使えるアートをつくりたいとイスのオブジェの製作に没頭しつつも、「やはり器をつくりながら暮らしていきたい」と器づくりへの思いを深めていった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">唐津の窯元での修業が転機に</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI013-8991.jpg" alt="" class="wp-image-53251" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI013-8991.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI013-8991-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI013-8991-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>吉田さんは「唐津にある 『天平窯（てんぴょうがま）』に弟子入りしたことが、自分のターニングポイントとなりました」と語る。まるで骨董品のような古い雰囲気の器づくりが魅力の窯元で、青色だけで描く「染付」やさまざまな色が入る「色絵」など、素晴らしい絵付けで多彩な器をつくっていた。グラフィックデザインやアート製作など自分が目指す道が何かを追い求めてきた吉田さんは、「師匠である岡晋吾･さつき夫妻からはとても大きな影響を受けました」と話す。味わいのある吉田さんの器づくりの基礎はここで形づくられていった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">独立後は自分の作風を追求</h3>



<p>2007年に独立してからは、400年前の先人たちと同じ材料でつくりたいと有田の山奥に陶石や陶土などの材料を探しに行く日々を送った。「当時は材料探しから行う窯元はそうなかったから、自分が入る余地があると思って突き進んでいましたね」。</p>



<p>「しかしそれはまるで寿司職人が米を栽培して、船でマグロを釣って、寿司を握るようなもの。手間もコストもかかりすぎるし、そうなると酒器や茶器など高額なものをつくらないと採算があわなくなってしまいます」。試行錯誤しながら、吉田さんは自分が本当につくりたい日常の器づくりへ舵を切っていった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">まるで古い焼き物のような器を目指す</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI007-8975.jpg" alt="" class="wp-image-53252" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI007-8975.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI007-8975-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI007-8975-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>吉田さんの器は石を砕いた陶土でつくる「磁器」だが、あたたかみのある自然なフォルムはまるで陶器のようなやわらかな印象を与える。</p>



<p>また骨董品のようにほのかに青みを感じる風合いは、熊本・天草の粘土をベースに吉田さんが掘ってきた石を砕いて混ぜて使ったものだ。</p>



<p>「今の粘土は、白すぎて雑味がないです。昔の陶片を見ると、現在のような鉄分を取り除く脱鉄機というものがなかったため、もっとムラがあって表情があった。私はあえてきれいな器になりすぎないよう、ちょっと汚すような気持ちで自分が掘ってきた石を加えています」と吉田さん。釉薬には有田周辺で掘った石を砕いた灰を使用。石と灰の昔ながらの組み合わせで器をつくっている。</p>



<p>ろくろでの造形時に大切にしているのは勢いだ。「丁寧にろくろを回す高い技術の方が多いですが、自分は勢いにまかせてつくったものが面白いと思っていて。師匠からも言われたのですが、きっちり作りこみすぎず、人が入り込める“余白”があるものに魅力を感じます」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">昔ながらの呉須を使う青一色の絵</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI038-2576.jpg" alt="" class="wp-image-53253" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI038-2576.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI038-2576-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI038-2576-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「喜器窯」を語るうえで、絵付けもはずせない。吉田さんが選んだのは、コバルトを含んだ絵の具、呉須（ごす）を使って描く「染付」と呼ばれる古い技法。焼くと素朴な青色に仕上がるのが特徴だ。</p>



<p>しかし絵はあくまで器の一部分。「絵付けにも余白を感じられるよう、ヘタでもいい、はみ出してもいいと線が生きるように描いています」。描かれるのは、桃山時代から江戸時代の初期にかけての古伊万里のような、小紋や菊花、鳥獣などの伝統的な文様だ。筆の勢いにまかせたのびやかな文様は見ているだけで心が躍るよう。</p>



<p>驚きなのが、吉田さんは「決して同じ絵付けをしない」と決めていること。「絵付け職人の方は、何十、何百と同じ絵を描いてこそ技術が高いといわれますが、私に同じものを描き続けるのが向いていなくて」と笑う吉田さん。マグカップひとつをとっても、それぞれ文様が異なるため、どれが自分にしっくりくるか選ぶ楽しさがある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">素数を漢字であらわした「素数文」を考案</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI042-9213.jpg" alt="" class="wp-image-53254" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI042-9213.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI042-9213-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI042-9213-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「喜器窯」以外にも、古い焼き物のような器づくりをする窯元はいくつもあるなか、吉田さんが生み出した文様がある。それが素数を漢字でランダムに書く「素数文」だ。「素数は、“割りきれない”ものですよね。そこにわりきれない人の心のような情緒を感じて、昔から素数が好きなんです」と吉田さん。ほかにひらがなの“く”の字を並べたユーモラスな「苦（く）笑文」も人気だ。吉田さんの軽やかな感性は、見慣れたものも新鮮に感じさせてくれる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">世界に目を向ける吉田さんの挑戦は続く</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI018-9001.jpg" alt="" class="wp-image-53255" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI018-9001.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI018-9001-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI018-9001-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>今後の展望を尋ねると、「いまは思い通りの器になりやすい、再現度の高いガス窯を使っていますが、ゆくゆくは薪窯に挑戦したいと思っています」と吉田さんは目を輝かせる。「より手間も時間もかかってしまいますが、より昔の焼き物に近づけるのは薪窯ですね。自然の力で焼くのでコントロールが効かないため、ときには陶土や釉薬が思ってもいないような変化をして、想像の上をいくものがつくれることも期待できます。また海外のお客さんは、昔ながらの薪を使って焼くことに付加価値を感じてもらえるようです」。<br>関東や関西、アメリカなど海外からの注文も多く、現在は2年待ちという吉田さんの器。まるで400年前の器のような風合いとのびやかな絵付けが、国境を超えていまを生きる人々の心をつかんで離さない。今日も小さな工房で、暮らしを豊かにする日々の器が生まれている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53243/">古い絵付けを、今の暮らしに寄り添う器に。「喜器窯」吉田崇昭さん／福岡県筑紫野市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>古の名品に挑む。やきものへの興味は尽きることなし「不言窯」／愛媛県今治市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/53074/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 11 Aug 2025 01:59:41 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[ギャラリーラボ]]></category>
		<category><![CDATA[愛媛県今治市]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/batch_IMG_24005.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>愛媛県今治市を拠点に作陶を続ける「不言窯（ふげんがま）」の池西剛さん。奈良・平安から江戸初期にかけての古いやきものを読み解き、翻訳し、自身の感性で編集し表現する。独自の視点でやきものに向き合い、その本質に迫る池西さんの思 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53074/">古の名品に挑む。やきものへの興味は尽きることなし「不言窯」／愛媛県今治市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/batch_IMG_24005.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>愛媛県今治市を拠点に作陶を続ける「不言窯（ふげんがま）」の池西剛さん。奈良・平安から江戸初期にかけての古いやきものを読み解き、翻訳し、自身の感性で編集し表現する。独自の視点でやきものに向き合い、その本質に迫る池西さんの思いに触れた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">偶然の出会いに導かれ、やきものの道へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/batch_IMG_27813.jpg" alt="" class="wp-image-53075" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/batch_IMG_27813.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/batch_IMG_27813-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/batch_IMG_27813-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>池西さんがやきものに出会ったのは、19歳の頃。図書館で偶然手に取ったやきものの本に載っていた一つの茶碗。それは志野焼の「羽衣」という名の茶碗だった。やきものとは無縁の人生を送ってきた池西さんが、数百年前の茶碗に、すっかり心を奪われてしまったのだという。</p>



<p>当時は東京で生活しており、音楽活動に情熱を傾けていたが、気付けば骨董店を巡るようになっていた。最初に手に入れたのは、李朝時代（1392年〜1910年まで続いた朝鮮王朝）のひび割れた壺。その壺を手に取り、時間さえあれば眺め続けたという。</p>



<p>「どうしてこんな質感や造形の線が出るのだろう」と、見れば見るほど疑問はふくらむばかり。骨董屋やギャラリーでたずねてみても納得のいく答えは得られず、書籍を読んでもどこか腑に落ちない。そうしてあるとき「だったら自分で作ってみれば、わかることがあるかもしれない」と思い至り、土に触れはじめたという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">技法より、体感を通して学びを得る</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/batch_IMG_31191.jpg" alt="" class="wp-image-53076" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/batch_IMG_31191.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/batch_IMG_31191-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/batch_IMG_31191-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「知識は決して興味を上回ってはいけないと思っているので、とにかく体感を求めました。今でもそうですが、自分の仕事から教わることって多いんですよ」。</p>



<p>池西さんのやきものに対するスタンスは、理論ではなく実体験に基づいている。</p>



<p>瀬戸美濃や丹波備前、そして韓国など、さまざまな産地をたずね歩き、古くからの技法を守る窯元で土に触れ、火にあたり、道具を手にした。「現場で何を感じ取れるか」が、作陶における最大の学びだと考えている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/tougei025.jpg" alt="" class="wp-image-53077" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/tougei025.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/tougei025-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/tougei025-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そのうちに作品を欲しいという人が現れ、個展の声がかかるようになった。やきものに本腰を入れ、作陶を生業にすることに決めたのは27歳のときだった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">東京から、ゆかりの深い地・愛媛へ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/batch_IMG_40151.jpg" alt="" class="wp-image-53078" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/batch_IMG_40151.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/batch_IMG_40151-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/batch_IMG_40151-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大阪に生まれ、東京で音楽活動に打ち込んだ池西さんだが、やきものを続ける中で、自身のルーツに立ち返るように、親の故郷でもある愛媛県へと拠点を移した。高校時代には西条市で過ごした経験があり、移住はまったくの未知というわけではなかった。</p>



<p>自然に囲まれた土地と静かな環境は、ものづくりに没頭するにはうってつけだったのだろう。</p>



<p>以降、現在まで愛媛県今治市に窯を構え、制作を続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">やきものに刻まれた人間の営み</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/tougei010.jpg" alt="" class="wp-image-53079" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/tougei010.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/tougei010-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/tougei010-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>池西さんにとって、やきものは人間の情報が凝縮された存在であるという。</p>



<p>「やきものは、人が手を動かしたそのままが焼き固められています。時代背景や、使われた環境、作り手の思いまで、すべてがそこに記録されている。これほど人間の情報を持ったものは他にないのではないかと、やればやるほど思うようになりました」。</p>



<p>特に関心を抱くのは、奈良・平安時代から江戸前期にかけてのやきもの。その時代には文献資料は乏しいが、「もの」が残っていることにこそ意味があるという。</p>



<p>「作品を見ることは、情報を読み解き、引き出す作業。その意思さえあれば、やきものはいくらでも情報を提供してくれるのです」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">作陶は翻訳であり、確認作業</h3>



<p>古のやきものを見つめ、自身が惹かれたものを自分なりに翻訳し、現代の感性で編集する。池西さんにとっての作陶は、確認作業だという。</p>



<p>「ただ人様に見せる必要がないのであれば、読み取って自己満足していればいいんです。でも人前に出す以上は、それを編集して翻訳しなくちゃいけない。翻訳とは、感じたことをそのまま伝えるのではなく、形にしてまとめる作業。人様に買っていただくうえでは、自分が良いと思うものの領域に入れなくては、と否が応でも思います。同等とか上回るとか、そんなおこがましいことではなくてね」。</p>



<p>はじめから陶芸家を目指したわけではなく、これまでに目指した覚えもない。</p>



<p>あくまで「陶磁器製作者」と自身の肩書きを語るのは、やきものとの出会いから変わらぬ姿勢があるからだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">やきものは素材がすべて。僕らは編集するだけ</h2>



<p>やきものの出来は素材に左右される。窯選びも、詰め方も、焼き方も、すべては素材ありきで決まる。</p>



<p>素材を活かすことこそが作陶の要。そう考える池西さんは、それぞれの産地、素材から見直すことに取り組んでいる。</p>



<p>不言窯には、窖窯（あながま）、登り窯、小型のガス窯の3種類がある。素材や表現したいやきものに応じて使い分ける。ガス窯の方がむしろ難しく、思い通りに焼くには繊細な調整が必要だという。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/tougei007.jpg" alt="" class="wp-image-53080" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/tougei007.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/tougei007-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/tougei007-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「焼成によって生じる窯変（ようへん）は、まさに天然の化学反応の妙。昔の人は、考えるよりも前に、そこにあるものを生かしていた。それを今の人たちは現代に即した技法で見ようとするから難しくなる。現代はおそらく、人間の動物としての能力が衰えたぶん、化学などが発達するというバランスになっているのだと思います」。</p>



<h2 class="wp-block-heading">同じ熱量で付き合えるギャラリーと共に</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/tougei001.jpg" alt="" class="wp-image-53081" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/tougei001.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/tougei001-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/tougei001-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在、作品を直接取り扱うギャラリーは、愛媛県西条市の「ギャラリーラボ」の他、信頼できる2か所に絞っている。さまざまなギャラリーと関わってきたが、やきものへの熱量が釣り合う関係でなければ長くは続かないと感じてきた。</p>



<p>「作る側と売る側、立場は違ってもやきものに対する思いが同じでなければ、良い関係は築けない。商売ではあるけれど、人間同士のやり取りでもあるから、共鳴できるパートナーが必要なのです」。</p>



<p>たとえ知識的には詳しくなかったとしても、それを伝えようという熱意があるか。見る人とやきものの間に立つギャラリーは、作り手にとっても大切な存在だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">２度と同じことはしない。それが自分のルール</h2>



<p>作陶の原点が「確認作業」であることから、二度と同じ方法ではやらないというのも池西さんのルールだ。</p>



<p>「土を触ってない時間には、素材の合わせ方、焼き方や造形の細部なんかを考える。これはなかなか重要なことで、実際の作業よりも大切だと思っています」。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/batch_IMG_40112.jpg" alt="" class="wp-image-53082" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/batch_IMG_40112.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/batch_IMG_40112-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/batch_IMG_40112-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>素材、道具、技法…、すべての要素が絡まり合うこの世界で、毎回一度きりの作陶に臨む。</p>



<p>窯変も、偶然ではなく必然であり、コントロールする技術と感性が求められる。そのために「見る、翻訳する、編集する」という確認作業を重ねている。</p>



<p>「やればやるほど、自分が今までさほど興味のなかったやきものにも興味が出てくるし、新たな発見がある。だから飽きるということはないですね。ですが、作ることは嫌ではないけれども特に楽しいと思ったこともない。本当はやきものを作るより、見たり使ったりするほうが遥かに好きなんです」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">やきものを見て、使って日々を過ごす至福</h3>



<p>「自分がやきもの作りを生業にしているお蔭で、ほかのやきものを買ってきたり、古いやきものを手に入れたりすることができる。自分で作ったものを人様が買ってくださる。私はそのお金でやきものを手に入れて、そこから情報を得て、その情報を自分が編集した上で形にする。それをまた人様が買ってくださる。作る行為と、手に入れる行為とが循環していくわけですよね」。</p>



<p>そうして手に入れた器を最初に使う瞬間、それが人生最大の喜びなのだとか。</p>



<p>「その日の仕事が終わって、お酒を飲むときに、今日はどの徳利とぐい呑みを選ぼうかなとか、もうこれが最高に楽しいわけです」。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/tougei026.jpg" alt="" class="wp-image-53083" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/tougei026.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/tougei026-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/tougei026-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>公私共にやきもの一直線な池西さんの好奇心は、尽きることはないのだろう。</p>



<p>「まだまだやらなきゃならないことが多すぎて際限ないので、今後何をやるかではなく、何をやらないか？ということが難題です」。その言葉の奥には、静かに燃え続ける情熱と、果てなき探求心が宿っている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53074/">古の名品に挑む。やきものへの興味は尽きることなし「不言窯」／愛媛県今治市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>金銀彩で文化の美しい心象風景を器に宿す高橋朋子さん／千葉県八街市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 25 Jul 2025 09:53:30 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[金銀彩]]></category>
		<category><![CDATA[第8回菊池ビエンナーレ奨励賞]]></category>
		<category><![CDATA[現代茶陶展TOKI織部優秀賞]]></category>
		<category><![CDATA[日本工芸会会員賞 飛鳥クルーズ賞]]></category>
		<category><![CDATA[箔]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3610.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>上澄（うわずみ）と呼ばれる厚みのある箔を白磁（はくじ）に焼き付ける、独自の金銀彩の技法を確立した高橋朋子さん。作品には常に、これまで触れてきた土着の文化へのリスペクトと、現地の人たちへ向けられたあたたかい眼差しが美しさと [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3610.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>上澄（うわずみ）と呼ばれる厚みのある箔を白磁（はくじ）に焼き付ける、独自の金銀彩の技法を確立した高橋朋子さん。作品には常に、これまで触れてきた土着の文化へのリスペクトと、現地の人たちへ向けられたあたたかい眼差しが美しさとなって宿っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">金銀彩と白磁の調和を目指して</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3665.jpg" alt="" class="wp-image-53046" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3665.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3665-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3665-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>白磁の表面に施された上絵（うわえ）の上に、上澄と呼ばれる箔よりも厚みのある金や銀を貼り付けて焼き付ける「金銀彩」の技法で知られる陶芸家、高橋朋子さん。繊細な幾何学模様の加飾に浮かぶ金銀の輝きは、朧（おぼろ）さを宿した月明かりのようであり、どこかエキゾチシズムを感じさせる。</p>



<p>そんな器を作り続ける高橋さんの工房は、千葉県のほぼ中央、落花生の生産で有名な八街（やちまた）市にある。</p>



<h3 class="wp-block-heading">多彩な上澄や金属箔を使い分ける </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3720.jpg" alt="" class="wp-image-53047" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3720.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3720-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3720-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ロクロ成形した白磁（白い素地に透明な釉薬をかけた磁器）の上に上絵具で色を加え、金や銀の上澄をのせていく、高橋さんの金銀彩。その技法のなかで最も特徴的なのが上澄という素材だろう。</p>



<p>上澄は箔として打ち伸ばす前の素材で、例えば金の上澄だと金箔の10～13倍ほどの厚みがある。金箔を使うと焼成時に焼けてなくなってしまうが、上澄であればその心配はない。だが、箔より厚みがあるといっても0.001ミリほどの薄さ。扱いが難しいことには変わりはない。その上澄を一枚一枚切り出し、糊付けして貼り付けていくという、気の遠くなるような作業が続く。</p>



<p>また、上澄にはさまざまなバリエーションがあり、それぞれ色調や鮮やかさに個性がある。そうした上澄の使い分けのほか、高橋さんは金銀以外の金属箔も作品に取り入れることもある。例えば銅箔は「釉薬との反応で黒くなったり、少しグリーンがかったりすることもあって面白い」という。技術の引き出しの豊富さが、多彩な作品を生む素地になっているのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">金銀と調和するぬくもりある白磁を焼く</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3635.jpg" alt="" class="wp-image-53048" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3635.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3635-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3635-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>上澄をのせ終えたら、上絵の焼成温度よりも低い700〜800度で焼き付けていく。</p>



<p>器の焼成はおおまかに、窯への酸素供給を制限する「還元焼成」と、酸素を送り込む「酸化焼成」の2パターンに分類されるが、高橋さんは試作を重ねた結果、「仕上がりのぬくもりのある白」に惹かれて酸化焼成を選んだ。「還元焼成だと硬質な質感、青みの強い白ができるんですが、白磁という器の雰囲気の中では、やわらかい色合いの方が金や銀の存在が馴染むと思っています」。そうした白磁と上澄の調和があってこそ、凛としつつも奥行きのある金や銀の輝きが生まれるのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">高橋さん独自の金銀彩が生まれるまで</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3768.jpg" alt="" class="wp-image-53049" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3768.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3768-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3768-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>端正な幾何学模様が並ぶ高橋さんの金彩や銀彩。「さまざまな土地の文化をこれまで目にしてきた中で、具象的なものよりも抽象的な表現で宗教的な思いや信仰を伝える幾何学模様のようなものに、私は神秘的なものや幸せを感じるんです」。そう語る高橋さんの、今に至るものづくりの背景を辿ってみたい。</p>



<h3 class="wp-block-heading">土着文化の中に箔の美しさを見出す</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3890.jpg" alt="" class="wp-image-53050" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3890.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3890-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3890-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高橋さんが本格的に陶芸に関わるようになったのは、沖縄県立芸術大学に入学してから。大学で土を掘り出すところから始める土器づくりの授業があり、「原初的な焼き物の流れを体験できた」ことから、陶芸への興味が強くなったと振り返る。</p>



<p>もともと、陶芸に興味があったというよりは「沖縄という文化自体に興味があった」ことが、高橋さんにとって沖縄に向かう動機だった。こうした土着の文化に向ける眼差しこそが、現在に至るまで高橋さんの作風に影響を与えているのだが、特に大きな転機になったのが、大学生時代に訪ねたミャンマーであった。</p>



<p>とある寺院に安置されていた仏像に、現地の人たちが次々とあるものを貼り付け、祈りを捧げていた。その貼り付けていたものこそが箔だった。「経済的には決して豊かではないだろう方たちが、その箔をわざわざ買って祈っている。その人々の姿にとても感動してしまったんです。箔がきれいだなとかそういうことではなくて、その光景が美しくて無性に箔に惹かれてしまって。当時、千円もしない小さな金箔をひと束、大切に持ち帰りました」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">北出不二雄さんとの出会い</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3691.jpg" alt="" class="wp-image-53051" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3691.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3691-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3691-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そんな高橋さんの大学生時代にもうひとつ、大きな出会いがあった。それが沖縄県立芸大に非常勤で来校した北出不二雄先生。その当時、金沢美術工芸大学学長を務めていた人物である。</p>



<p>北出先生との出会いは、上絵の基礎を学ぶだけでなく、九谷焼技術研究所の職員を紹介してもらって釉裏金彩の原理や上澄（厚箔）を購入できる箔屋を教えてもらうなど、現在の仕事につながる多くのきっかけを生んだ。ミャンマーで描かれた大切な心象風景と、「箔」という技術が一本につながった瞬間だった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自らが信じた道を進んでいく</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3917.jpg" alt="" class="wp-image-53052" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3917.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3917-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/Takahashi-Tomoko_DSC3917-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2001年より親戚の縁があった八街市に工房を構え、小学校教員として勤めながら釉裏金彩に挑み続けた高橋さん。個展を開いたり公募展に応募するなどしていたが「すでに大家の方たちがいらっしゃる中、この道で何かを極めることは無理だな思ってしまった」と、スランプに陥ってしまう。</p>



<p>やがて「箔にかける釉薬をなくして、前面に顕（あらわ）れる金や銀、そして白磁自体の美しさで勝負していこう」と、少しずつ独自のやり方へと気持ちが移り変わっていく。そして東日本大震災をきっかけに、ゆるやかだった気持ちの切り替わりは「これからは本当に自分がやりたいことをやろう」と確固たる決意へと変わり、勤めていた仕事をすべて辞めて陶芸一本に絞った。</p>



<p>「そこから5年くらいはクラフトフェアの出店でも手売りでも、もうなんでもやって必死でした」と振り返る高橋さん。独自の金銀彩の技術にほぼ独学で向き合い続けた結果、徐々に日本伝統工芸展で入選を重ねるようになり、第8回菊池ビエンナーレ奨励賞受賞をはじめ、現代茶陶展TOKI織部優秀賞を複数回受賞するなど、活躍の場が広がっていく。作品の一部は東京国立近代美術館や茨城県陶芸美術館のパブリックコレクションになったほか、2024年には第2回「日本工芸会会員賞 飛鳥クルーズ賞」も受賞している。</p>



<p>「何も期待せずただ追い込むように制作していた中で、不意に天から流れ星のように降ってきた出来事でした。ほんとうに大きな励みになっております」と高橋さん。次の日本伝統工芸展に向けては「私がお世話になっている箔屋さんでは、10種類ほどの金上澄を扱っていらっしゃいますけれども、それぞれに彩度や表情の繊細さが違っていたりと、その個性が面白いんです。そうした素材ごとに表現の可能性が無限にあると思っていますので、チャレンジを続けて行きたいですね」。今後、器にどんな美しい世界観を宿してくれるのか、ますます楽しみである</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53045/">金銀彩で文化の美しい心象風景を器に宿す高橋朋子さん／千葉県八街市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>曖昧さを愛し、変化する人生を器に投影する陶芸家･宮澤有斗さん／栃木県芳賀郡益子町</title>
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		<pubDate>Mon, 07 Jul 2025 04:13:55 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
		<category><![CDATA[益子焼]]></category>
		<category><![CDATA[痕定手]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4084.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「益子焼（ましこやき）」の産地として有名な栃木県芳賀（はが）郡益子町。自然に囲まれた森の中にある工房で作陶に勤しむ、陶芸家の宮澤有斗さん。あえて制作過程の手の痕跡を残す「痕定手（こんじょうて）」という独自の技法で生み出す [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4084.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「益子焼（ましこやき）」の産地として有名な栃木県芳賀（はが）郡益子町。自然に囲まれた森の中にある工房で作陶に勤しむ、陶芸家の宮澤有斗さん。あえて制作過程の手の痕跡を残す「痕定手（こんじょうて）」という独自の技法で生み出す器には、１つひとつ異なる奥深さや豊かな表情を見出すことができる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">幼いころから陶芸家の父の仕事を見て育つ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4080.jpg" alt="" class="wp-image-52982" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4080.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4080-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4080-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>益子町で生まれ育った宮澤さん。陶芸家の宮澤章さんを父に持ち、20年以上前に父が建てた工房を借り、作陶に励んでいる。</p>



<p>幼いころから父の姿を間近で見ながら「ものを作る人」として憧れの気持ちを抱いていた宮澤さん。土を触ることも日常だった。</p>



<p>地元の高校へ進学し美術部に入部。金属を溶かして、型に入れて器や美術品を作る「鋳金（ちゅうきん）」をやってみたことで、美術の楽しさをもっと学びたいという意欲が湧いてきた。それと同時に、最も身近でものづくりを行う父の存在を改めて意識するようになったという。「焼き物」の手順や技法などのプロセスを父に教えてもらったのもこの頃だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">鋳金から陶芸の道へ</h3>



<p>大学は岩手大学へ進学。硬いものを溶かしてカタチにすること、経年変化などにもおもしろさを感じて、１･２年生のうちは主に「鋳金」を学んでいたという。</p>



<p>ところが、3年生へ進学する際、より専門性の磨くために所属の研究室を決める段階で、宮澤さんは陶芸への道を選択する。「一番の理由は、鋳金で食べていくことの難しさを感じたことです」。</p>



<p>「鋳金は制作に時間がかかりますし、岩手にいて南部鉄器の世界の話を聞く機会もあったのですが、大変そうだと感じて…。でも、父を身近に見ていたせいもあり、陶芸なら食べていけそうだ、とイメージができました」と宮澤さん。</p>



<p>子どもの頃から、最も身近な陶芸家である父の仕事を見ながら土に触れ、高校時代から焼き物の基礎も技術も教わっていたこともあってか、陶芸への移行はもちろん、技術の上達に大きな壁はなかった。</p>



<p>在学中にもいくつかの陶芸の賞を受賞し、宮澤さん本人も「いけるんじゃないか」という自信を持った。陶芸家人生はスムーズなスタートを切ったかのように見えた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">順風満帆な陶芸家人生がはじまったのか？</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4143.jpg" alt="" class="wp-image-52983" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4143.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4143-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4143-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大学卒業前には都内のギャラリーを回り、卒業後すぐに自身初の個展を開く。その結果得たものは「食べていけるほどではないかもしれない」という現実だった。</p>



<p>また、ギャラリー巡りをしている際に訪れた有名なギャラリーのオーナーから「今の年齢でこの作品を作れていることに違和感がある。身内に関係者がいるのでは？」と問われ父のことを伝えると「もっと色々な世界を見てきた上で、また作品を持ってきて」と言われたという。当時は技術さえあれば良いと思っていた宮澤さん。その時はオーナーの真意を理解することはできなかったが、今でもその言葉が強く心に残っているという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「自分は恵まれている」がゆえの苦悩</h3>



<p>初の個展を経て、「どういう作品を作って、どうやって生活していこうか」と考えるようになった宮澤さん。まずは父の工房を借り、そこで作品づくりをすることに。「自分は恵まれている、と思いました」。</p>



<p>ところがそれこそが苦悩を生み出してしまった。「自分は準備されたものの中でやっている。中身のなさを感じてしまい、悩むようになってしまったんです」。</p>



<p>そんな最中の2011年。東日本大震災が起こった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">無力感。作陶の手が止まる</h3>



<p>東北地方を中心に甚大な被害をもたらした東日本大震災。宮澤さんの住む益子町でも震度5強もの揺れがあり、町内の販売店でも山になるほど大量の陶器が割れ、窯が崩れてしまった窯元も多かった。</p>



<p>日本全体が未曾有の大災害を乗り越えようと尽力する中で、宮澤さんは「自分は何もできない。周りの力になることもできない」という無力感に苛まれていった。</p>



<p>答えのない思考を巡らせているうちに、いつの間にか作る時間より悩んでいる時間のほうが多くなっていた。</p>



<p>立ち止まっていた宮澤さんに声をかけたのが、那須塩原市の板室温泉にある温泉旅館「大黒屋」16代目社長の室井俊二（現在は会長）さんだった。「宿のスタッフとして働いてみないか？」という打診。</p>



<p>大黒屋は、室町時代の1551年に創業した老舗旅館でありながら「保養とアート」をキーワードした温泉宿として注目を浴びている。現代芸術家･菅木志雄の個人美術館『菅木志雄倉庫美術館』を併設し、庭園も菅木氏が作庭している。館内では様々な作家、写真家、芸術家などの個展が随時開催され、豊かな自然と温泉、アートを楽しめる知る人ぞ知る名宿だ。</p>



<p>宮澤さんの父･章さんも陶芸家として大黒屋で個展を開催するなどつながりがあり、その父からの紹介。</p>



<p>もう、焼きものに手がつかない状態だった宮澤さんは誘いをありがたく受け止め、働くことにした。</p>



<h2 class="wp-block-heading">人生の転機。陶芸家ではなく、老舗温泉宿で働く</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4135.jpg" alt="" class="wp-image-52984" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4135.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4135-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4135-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大黒屋では陶芸家ではなく温泉宿のいちスタッフとして働き、その4年間、全く陶芸作品を作ることはなかった。陶芸作品を作りたいという気持ちにもならなかったという宮澤さんだが、むしろしっかりと器と距離を置いたことが、改めて「器の面白さ」に気がつくきっかけになった。</p>



<p>「毎月いろいろな作家さんや写真家さん、彫刻家さんなどアートの方が個展を開きに来て、その作品を見るのがとても刺激になりました。人と関わることも常に新鮮で楽しかったです」。</p>



<p>自身とはジャンルの異なるものに触れることによって、自分の「こういうものが好き」という感覚はどこから来ているのかを見つめ直すことができたのだという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">心機一転、新たな一歩</h3>



<p>大黒屋で働くのは当初3年の約束だった。当時の社長も「3年たったら自分の好きなことをやりなさい」と言ってくれていた。人員の関係で辞めるのを1年伸ばし4年にはなったが、宮澤さんは「卒業」をむかえた。</p>



<p>もうそこには、ドロドロとした悩みの渦に飲まれていた宮澤さんの姿はない。「これから何が僕から出てくるのか楽しみな気持ちでした」。</p>



<p>新たな経験と人との出会いによって、宮澤さんが大きく前進した瞬間だった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">本当に自分のやりたいことは何か？</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4150.jpg" alt="" class="wp-image-52985" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4150.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4150-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4150-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大黒屋を出た宮澤さんがまずはじめたのが「父を消す作業」だった。それまでの宮澤さんの作風は、父･章さんの技法に影響を受けていたそう。章さんは手びねりで土を積み重ね、焼いたあとに表面を剥がして磨く「積化象嵌（せっかぞうがん）」という独自の技法で作陶している。</p>



<p>「白い土を使って、無地のものを作りました。味気ないものを作る作業をして、父を消した上で自分のゆずれないものは何かを見つけたかったのです」。そして2年ほどこの作業を続け、自身と向き合う時間を経て、今度は自然と父･章さんの技法へ近づいていった。</p>



<p>宮澤さんはろくろを使い、土灰（どばい）を利用した釉薬を用い、1270度の高温で焼き上げる。窯から出したら、粗めのヤスリで表面を削っていく。手作業で削ることで、１つひとつの表面には違った表情が生まれる。自然の「土」の奥深さも感じられ、どこか温かく、それでいて野性味も感じさせる、唯一無二の風合いだ。</p>



<p>作っているのは、日常で使える器が中心で「器って、空っぽの枠を作るみたいなもので、できたものをどうやって使ってもいい。ひっくり返して使ってもいいし、それってすごく魅力的だと思っています」と、「器」を通してできる表現の幅に最も興味があるという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">曖昧さも揺らぎも、作品に込めて。 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4103.jpg" alt="" class="wp-image-52986" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4103.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4103-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4103-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>自分が今後、どのような作品を作っていきたいかは、まだまだ模索中だという宮澤さん。その背景には、曖昧なもの、空っぽのものに魅力を感じ、自身も常に曖昧でいたい、揺れ動いていたいという思いがあるからだそう。</p>



<p>しかし、それを「やりたいこと」として据えると、そこに想いが強くなってしまい、それはもう「空っぽ」ではなくなる矛盾も感じる。</p>



<p>だから変化をし続けて「自分の癖（へき）」も探し続けたいという。</p>



<p>「焼きものは、最初は技術だと思っていましたが、そこには生き方がにじみ出るものだと感じるようになりました」という宮澤さん。大学卒業間際、都内のギャラリーのオーナーが言った「もっと色々な世界を見てきて」という言葉の意味は、ここにあったのかもしれない。</p>



<p>「一人で作っていると閉鎖的になってしまうので、もっと人やものに関われる状況を作りたいし、それができるような余白や間（ま）を持っておきたいです」。</p>



<p>気さくな笑顔で話をする宮澤さんは、何かに固執する素振りは感じられない。穏やかで柔軟。それでいて芯の強さや落ち着きがある。優柔不断とは違う。曖昧さや揺らぎを愛し、自ら求める宮澤さんの深い思考や想いは、味わい深い器の表情に反映されているようにも見える。</p>



<p>これから先、宮澤さんがどこへたどり着くのかまだ分からない。だからこそ、目が離せない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52981/">曖昧さを愛し、変化する人生を器に投影する陶芸家･宮澤有斗さん／栃木県芳賀郡益子町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>風土が生んだやきものの炎を絶やさない。珠洲焼作家･篠原敬さん／石川県珠洲市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 29 Mar 2025 08:10:22 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
		<category><![CDATA[焼物]]></category>
		<category><![CDATA[珠洲焼]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_003.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>力強く表情豊かな黒色と、シンプルで美しいフォルムを特徴とする珠洲焼（すずやき）。石川県珠洲市（すずし）を産地とするこのやきものは、約500年前に途絶え、「幻の古陶（ことう）」とよばれた。珠洲焼作家･篠原敬（しのはらたかし [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_003.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>力強く表情豊かな黒色と、シンプルで美しいフォルムを特徴とする珠洲焼（すずやき）。石川県珠洲市（すずし）を産地とするこのやきものは、約500年前に途絶え、「幻の古陶（ことう）」とよばれた。珠洲焼作家･篠原敬（しのはらたかし）さんは、昭和になって再びよみがえったやきものに人生をかけ、今日も土と向き合う。</p>



<h2 class="wp-block-heading">平安時代を起源とする幻の古陶</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_021.jpg" alt="" class="wp-image-52616" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_021.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_021-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_021-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>中世を代表するやきものでありながら、室町時代に忽然（こつぜん）と姿を消した珠洲焼。能登半島の最先端に位置する石川県珠洲（すず）市は、かつてやきものの一大産地だった。</p>



<p>やきもの産地が成立する条件はいくつかある。やきものに適した土がとれること、輸送手段があること、燃料となるアカマツの薪が豊富に確保できること、そして生産を支援するスポンサーがいること。珠洲は、それらの条件を満たしていた。</p>



<p>現代の珠洲市は半島の行き止まりにある“さいはて”の街だが、かつては海路を通じた物流･交易の拠点だった。また珠洲焼が成立した12世紀なかごろは、貴族が各地に荘園を広げた時代。珠洲市周辺には京都の名門貴族･九条家（くじょうけ）の荘園がおかれ、荘園経営の手段として珠洲焼が生産されたと考えられている。荘園領主の後ろ盾を得た珠洲焼は、日本海側に大きく商圏を広げた。</p>



<p>珠洲焼が途絶えたのは15世紀末で、ちょうど荘園の衰退と時期が重なる。幻の古陶となったのはスポンサーを失ったため、というのが有力な説となっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">昭和中期、地域をあげて珠洲焼を再興</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_014.jpg" alt="" class="wp-image-52617" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_014.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_014-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_014-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>珠洲市内では昔から、街のあちこちに黒いやきものの破片がころがっていたという。釉薬をかけずに硬く焼き締めた肌合いから、これらは古墳時代に大陸から伝わった須恵器（すえき）と思われていた。しかし昭和中期の調査で窯跡（かまあと）が見つかり、中世にやきものの一大産地だったことが分かった。</p>



<p>中世から続くやきもの産地として越前、瀬戸、常滑、信楽、丹波、備前の「日本六古窯（にほんろっこよう）」が知られるが、珠洲焼はこれらに並ぶ歴史を持つやきものだった。地域の人々の間で珠洲焼再興の機運が高まり、1979年、およそ500年ぶりに珠洲焼が復活した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">珠洲焼の潔い美しさに魅せられて</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/b55d019b717704e630a010952605c6a5.jpg" alt="" class="wp-image-52618" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/b55d019b717704e630a010952605c6a5.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/b55d019b717704e630a010952605c6a5-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/b55d019b717704e630a010952605c6a5-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>篠原さんが珠洲焼と出合ったのは、珠洲焼再興から10年後のこと。実家の寺を継ぐために勤め先を辞めて帰郷した頃のことだった。当時、珠洲市では原発計画が持ち上がっており、推進派と反対派でまちは大きく割れていた。篠原さんは美しいふるさとを守るために反対運動に参加しながらも、もやもやとした思いを抱えていたという。「推進派と反対派が論争に明け暮れるなかで、僕は心によろいをまとって理論武装をして、無理をしていたんだと思う」。そんな時に、開館したばかりの珠洲焼資料館にふらりと立ち寄った。</p>



<p>展示室に足を踏み入れた時、珠洲焼の美しい立ち姿が目に飛び込んできた。凛とした黒、装飾のない潔さ。原発反対運動の中で心ががんじがらめになっていた篠原さんは、いにしえの陶工たちが作った珠洲焼の飾り気のない美しさに見とれ、「自分もこの器みたいに裸になって、一から何かを生み出したい」と思った。それが、珠洲焼への道を歩み始めたきっかけだという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「黒」と「美」を追求したやきもの</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_033.jpg" alt="" class="wp-image-52619" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_033.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_033-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_033-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>珠洲焼の特徴のひとつが、独特の表情をみせる黒肌だ。珠洲焼は、1200度以上の高温で焼き締めた後に窯を密閉する「強還元焼成（きょうかんげんしょうせい）」という方法で焼き上げる。窯の中が酸欠状態となるため、土に含まれる鉄の酸素が奪われ、還元反応で黒く発色する。</p>



<p>珠洲焼を、珠洲焼たらしめているのは、この「黒」なのだと篠原さんは言う。「この色を出すためには燃料が大量に必要だし、とても効率が悪い。ほかの産地は、技術革新をして生産性をどんどん向上させたけど、珠洲はそれをしなかった。黒を守り通したんですね」。</p>



<p>篠原さんはさらに続ける。「珠洲焼の古陶は、小さな底から立ち上がるフォルムが特徴的。安定感がないから大量生産には向きませんが、この美しい形を変えなかった」。珠洲焼は荘園領主というスポンサーを失い、産地競争に負け、「黒」と「美」を守りながら滅びていった。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_011.jpg" alt="" class="wp-image-52620" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_011.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_011-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_011-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>珠洲焼の古陶に魅せられた篠原さんの作品も、華奢（きゃしゃ）にも見える小さな底からふくれ上がっていく美しいフォルムが表現されている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">再建したばかりの薪窯が3度目の被災</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_001.jpg" alt="" class="wp-image-52621" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_001.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_001-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_001-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2024年元旦に発生した能登半島地震。工房がある珠洲市は震度6強の揺れに襲われ、レンガを積み上げて築いた薪窯（まきがま）は全壊した。</p>



<p>珠洲市では2022年6月に震度6弱、2023年5月に震度6強の地震があり、「窯が崩れたのは3度目」だという。2023年の地震後、全国の支援者とともに半年かけて窯を再建し、年明けにようやく新たな灯を灯そうと思っていた矢先の震災だった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「あたわり」を受け入れる</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_022.jpg" alt="" class="wp-image-52622" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_022.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_022-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_022-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>何度レンガを積み直しても、何度ろくろを回しても、地震がすべてを奪い去っていく。その試練を、篠原さんは「あたわり」という言葉で表現する。「あたわり」とは、与えられた運命やめぐり合わせを意味する北陸地方の言葉だ。「厳しい自然と折り合いをつけながら生きてきた土地です。自然にあらがうことなんてできません。すべて『あたわり』なんですよ」。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_056.jpg" alt="" class="wp-image-52623" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_056.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_056-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_056-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>篠原さんは薪窯を焚く時、温度計を使わない。炎の表情を見ながらアカマツの薪をくべ、経験と勘で焼き上げる。「いったん火を入れたら、あとは結局、自然に身をゆだねるしかない」と篠原さんは言う。人智が及ばない炎が生んだ珠洲焼もまた、自然の「あたわり」だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">誰かの心に寄り添う工芸でありたい</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/batch_IMG_1700.jpg" alt="" class="wp-image-52624" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/batch_IMG_1700.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/batch_IMG_1700-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/batch_IMG_1700-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>地震の後、篠原さんはある高齢女性から声をかけられた。その女性は倒壊した自宅のがれきの中に、珠洲焼の小さな一輪挿しを見つけたという。それを仮設住宅に持ち帰って道端に咲く野花を活けたところ、絶望していた心が少しほどけ、前を向けるようになったと話してくれた。</p>



<p>それは篠原さんの作品ではなかったかもしれない。しかし「珠洲焼が誰かの心を救った」という事実に、思わず涙があふれたという。</p>



<p>「工芸は生活必需品じゃないかもしれないけど、人が心豊かに生きていく力になれる」と篠原さんは信じている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">次世代のために、再び珠洲焼の窯を築く</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_016.jpg" alt="" class="wp-image-52625" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_016.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_016-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_016-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>珠洲焼作家の団体「創炎会（そうえんかい）」には39人が所属している。地震を機に廃業した人や、市外に移住した人もいるが、「珠洲焼の未来はそんなに暗くない」と篠原さんは晴れやかな表情を見せる。なぜなら、ここ数年の間に珠洲焼作家を目指して移住してきた若者たち全員が、珠洲に残って創作活動を続けると決めたからだ。</p>



<p>現在、篠原さんは仮設住宅で暮らしながら窯の再建に取り組んでいる。工房では崩れたレンガがきれいに分類され、元の場所に積み上がるのを待っていた。完成予定は2025年夏。秋には火を入れたいと思っている。</p>



<p>窯の再建は自分のためだけでなく、次世代のためでもある。崩れた窯を築き直し、「若い子たちが育っていく窯にしたい」と願う篠原さん。厳しい自然が育んだ風土のもとで、珠洲焼の炎は何度でも、何度でも立ちのぼる。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52615/">風土が生んだやきものの炎を絶やさない。珠洲焼作家･篠原敬さん／石川県珠洲市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>「作りたい」という想い、“作品”としての器へ。陶芸家･渡辺国夫／山梨県南都留郡山中湖村</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 17 Feb 2025 09:49:09 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[日本伝統工芸展]]></category>
		<category><![CDATA[山梨県南都留郡山中湖村]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export13.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>富士五湖の中で最も富士山に近く、景勝地として知られる山中湖で工房を構えるのは、陶芸作家の渡辺国夫（わたなべくにお）さん。伝統技法を用いた「磁器」の制作を一筋に続け、今や伝統工芸の世界に名を連ねる作家の一人となった。伝統的 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52182/">「作りたい」という想い、“作品”としての器へ。陶芸家･渡辺国夫／山梨県南都留郡山中湖村</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export13.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>富士五湖の中で最も富士山に近く、景勝地として知られる山中湖で工房を構えるのは、陶芸作家の渡辺国夫（わたなべくにお）さん。伝統技法を用いた「磁器」の制作を一筋に続け、今や伝統工芸の世界に名を連ねる作家の一人となった。伝統的でありながらも個性が光る、渡辺さんの感性を突き動かす原点とは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">工芸の道を歩み続けて</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export1.jpg" alt="" class="wp-image-52183" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一言で陶芸といっても、「土もの」と呼ばれるように粘土の原料を土とする「陶器」と、岩石を原料とする「磁器」とに大別される。山梨県南都留郡山中湖村で工房を構える渡辺さんが制作するのは磁器で、色彩豊かな幾何学（きかがく）や市松模様（いちまつもよう）を施した作品が特徴的。焼成した上に絵具で色付けをする「色絵（いろえ）」、金・銀を粉末にして溶いた泥や箔で装飾を施す「金彩（きんさい）・銀彩（ぎんさい）」といった伝統的な技法を用いる。</p>



<p>渡辺さんは、これまでに国内最大級の工芸公募展と称される「日本伝統工芸展」において20回以上の入選を経験。日本伝統工芸展を主催し、伝統工芸の技術保存・伝統文化の向上を目的とする「公益社団法人日本工芸会」の正会員でもある。百貨店やギャラリーなどでの個展の他、作品は海外の美術館にも収蔵されたことも。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export2.jpg" alt="" class="wp-image-52184" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「今思えば、手の中で考えて作り出すことがしたかったんでしょうね」</p>



<p>現在では日本工芸会の一員となった渡辺さんだが、工芸の道へ進むきっかけとなったのは、ある偶然の出来事だった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ゼロからの出発</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export17.jpg" alt="" class="wp-image-52185" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export17.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export17-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export17-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>山梨県富士吉田市出身で進学校の普通科に通っていた渡辺さんは、理系大学の受験に挑んだものの、結果は思うようにいかなかった。そこで当時相談のために向かった進路指導室で見かけたパンフレットで、美術予備校の存在を知ることに。「たった一冊のパンフレットで、僕の人生が変わったんです」。「美術大学に行きたい」という想いが湧き、美術予備校に通うことを決心。「デザイン・工芸専攻」を選択し、デッサンからものづくりまで幅広く美術の世界を学んでいくことになる。全くの未経験から始まった浪人生活だったが、「絵を描くこと、物を作るということがすごく楽しかった」と、当時を懐かしむ。手を動かす傍らで、自身の見聞を広げるために美術館や展覧会にも足を運び、漠然としていた興味が徐々に“工芸”に向かって行ったという。4年間の受験生活を経て、東京藝術大学工芸科に見事合格を果たした。</p>



<p>「工芸科」と一括りにしても染織や漆芸など専攻は様々。中でも大学1、2年次の間で一通りの専攻を体験した渡辺さんが最終的に決めたのが、陶芸だった。「窯に入れて焼くと、全く想像していないものが出来上がってくる。まるで自分の手の届かない所にあるように感じて、これは面白いなと思いました」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">“焼き物の地”で器を作り続けた10年間</h3>



<p>在学中、陶芸をより突き詰めたいと考えるようになり、同大学大学院美術研究科陶芸専攻へ進学することを決意。大学院修了後は、愛知県瀬戸市にある瀬戸窯業（ようぎょう）高等学校（現 瀬戸工科高等学校）で、セラミック科の教員として赴任した。瀬戸市は「瀬戸焼（せとやき）」で知られる“焼き物の地”であることから、制作活動を続けるにも最適の環境であった。更に多くの陶芸作家が瀬戸市で活動しており、中でも織部焼の名匠である加藤作助（かとうさくすけ）氏が、この地を窯元としていたのは有名な話だ。渡辺さんは大学の教員に勧められ、当時愛知県立芸術大学の教授を務めていた加藤氏の元へ、真っ先に挨拶へ向かった。そうした縁もあり、後に渡辺さんは愛知芸大出身の同世代の作家達とグループ展を催していくことになる。</p>



<p>「陶芸は器が基本、とにかく器を作りなさい。それが作助先生の教えでした」</p>



<p>その教えに則り、学校に勤めながら展覧会に向けて日々制作に励んだ。環境や人との繋がりに恵まれ「充実した10年間を過ごした」と渡辺さんは当時を振り返る。独立を決めてからは故郷の山梨に戻り、現在の工房を構えることとなった。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">色彩が織りなす文様の制作過程</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export15.jpg" alt="" class="wp-image-52186" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export15.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export15-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export15-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>渡辺さんの作る器に見られる多彩な色使いや模様は、マスキングテープを用いた技法で生み出されている。マスキングテープを貼り、器体の形に合わせた模様を切り抜いて、色を乗せて剥がしては焼く、という工程を5、6回程度繰り返すのだという。色は一度に厚く重ねると剥離や縮れを起こすため、薄く何度も重ねる必要があるそうだ。辛抱強く行う作業となるが、「あと2回、1回となってくると出来上がりが楽しみでワクワクしてくるんです」と、その魅力を語る。途中段階は色を定着させることを目的に低温で焼き、「色絵」技法の仕上げとしてガラス化させるため、最終的には約800度まで温度を上げて焼き付けていく。このように全ての工程に丹念な手間暇が掛けられて、ようやく絶妙な色味や緻密な文様が完成する。</p>



<h3 class="wp-block-heading">憧れから自分らしさへ</h3>



<p>現在の作風に至るきっかけとなったのは大学で陶芸を専攻した当初に、陶芸家･前田正博（まえだまさひろ）氏の作品と出会ったことだった。前田氏のマスキング技法を駆使し、絵具を何層も重ねる技法や、「ふくろう」をはじめとする動植物をモチーフにした絵柄など、当時の工芸界に革新を与えた作品は数多く、「焼き物でこんなにも鮮やかな色が出せるのか」と、カルチャーショックを受けたという。手探りで技法を試しながら技術を磨いていく過程で、「前田さんの作品でみるような絵柄は描けないから、自分が作っていて楽しいと思うことをやっていこう」と、自分なりに編み出した幾何学柄の表現が生まれていった。前田氏に作品が似ていると言われたこともあったそうだが、「技術を身に付けていく中で、自分でも意識をしない間に段々と“渡辺のカラー”になってきたと言ってもらえるようになりました。試行錯誤する中で、前田さんの作品に対する憧れから離れ、徐々に自分のスタイルとして自覚ができるようになっていったのかもしれません」と、嬉しそうな笑顔を浮かべる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">新たな“色”</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export7.jpg" alt="" class="wp-image-52187" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export7.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export7-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export7-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>これまで、「自分が作りたいものを作ってきた」と渡辺さん。器においても、食事との相性を考えた色合いというよりは、色彩を主役に仕立てた作品の印象が強い。しかしながら最近は、“白”にも魅力を感じるようになってきたそう。白を基調に模様を施したり、光の角度で輝き方に変化をつける、「ラスター彩」と呼ばれる技法を用いたりと、新たな表現に踏み込み始めた。「白は色が乗せやすく、安定感がある。少しずつ良さがわかってきました」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">感性の根源とは</h3>



<p>展覧会に向けて制作に打ち込む一方で、時間に追われてしまい自身を模索する余裕がなくなっていることに、引っかかりを感じるという渡辺さん。ふと、浪人時代に休みが来るたびに足繫く展覧会へと通っていた頃を思い出す。「展示を見ては自分の感想を書き残していたんです」。浪人時代に抱いていた工芸に対する純粋な熱意が、自分の感性を磨いていたのではないか、あらためてそんな想いが湧き起こる。</p>



<p>「やりたいことはいっぱいあります。だからこそ時間を作って取り組んでいかなければいけないと思います」</p>



<p>現在はろくろを用いた制作が基本となっているが、積極的に造形へ変化を加えていきたいという。「手びねりや土物も試してみようと思っていた時もありました。手を出せずにいましたが、時間はかかってもいろんなことに挑戦する必要はあると感じています」。新たな可能性にも目を向けながら、伝統工芸というものに縛られず、自分の持つ造形力と表現力を活かせる物を作っていきたいと、今後の展望について語る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">実用品ではなく、“作品”としての器を</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export23.jpg" alt="" class="wp-image-52188" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export23.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export23-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/export23-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>山中湖で工房を構えてから19年が経った今、これからの方向性として「実用性だけではなく、より“作品”としてのクオリティを追求していきたい」と意気込む。安定した収入を得る反面、仕事と自身の制作に多忙を極めていた教員時代と、独立を決意した当時の気持ちを振り返り、「“自分が作りたいものを作る”」ことに、改めて重きを置きたいと、強い決意を表情に滲ませた。自身の中に秘められている、未だ生み出されていない新たな“作品”の可能性。それを見つけるために、陶芸家･渡辺国夫は今日も感性を磨き続けている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52182/">「作りたい」という想い、“作品”としての器へ。陶芸家･渡辺国夫／山梨県南都留郡山中湖村</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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