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	<title>福井県 - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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		<title>「白岳仙」ブランドを研ぎ澄まし、今世界を目指す。「安本酒造」安本岳史さん／福井県福井市</title>
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		<pubDate>Fri, 15 Aug 2025 04:38:37 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[白岳仙]]></category>
		<category><![CDATA[FUKUI RICE ONLY]]></category>
		<category><![CDATA[酒造]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/1C1A8642.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「安本酒蔵」のブランド「白岳仙」は、現当主で杜氏の安本岳史さんが2001年に若干27歳で立ち上げた。安本さんは、1853年創業という蔵の伝統に頼らず、データを重視しトライアンドエラーを繰り返しながら「白岳仙」のブラッシュ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/1C1A8642.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「安本酒蔵」のブランド「白岳仙」は、現当主で杜氏の安本岳史さんが2001年に若干27歳で立ち上げた。安本さんは、1853年創業という蔵の伝統に頼らず、データを重視しトライアンドエラーを繰り返しながら「白岳仙」のブラッシュアップを重ねてきた。その歩みは20年を超え、いまだ進化を続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">新しいブランドを作り上げるために</h2>



<p>安本酒蔵がある東郷地区は福井市南東部に位置し、自然と歴史に恵まれた地域だ。北側には足羽川（あすわがわ）が流れ、豊かな田園が広がり、産出される東郷米はその美味しさに定評がある。戦国大名の史跡・朝倉氏遺跡にほど近く、東郷街道と並行して流れる堂田川の沿道には朝倉氏ゆかりの寺院や造り酒屋が立ち、安本酒蔵もその一つとして長い歴史を刻んできた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">創業170年。47代続く安本家の革命児</h3>



<p>平安時代から続くと伝わる安本家はかつて両替商や林業を営んでいた名家で、造り酒屋に転身したのは黒船が来航した嘉永6（1853）年にさかのぼる。安本家の47代目にあたる安本さんは大学の醸造学科を経て、広島県にある「独立法人 酒類総合研究所」に入り、醸造だけでなくマーケティングを学んだ。そこで、全国の名だたる蔵元から集まった同世代の後継者たちと交流し、これからの夢を語り合う中で、自分自身の新しいブランドを立ち上げたいとの思いが強まっていった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">白岳仙ブランドの誕生</h3>



<p>安本さんが福井に戻る前、安本酒造は鑑評会出品用の酒を除き、純米酒や吟醸酒といった特定名称酒ではない普通酒だけを製造していた。当時、特定名称酒制度が導入されてからほぼ10年が経ち、高品質な日本酒を選ぶ基準として認知が広まっており、「このまま今の普通酒を造り続けていては蔵がなくなる」と危機感を抱いた安本さんは、2000年に蔵に入り、翌年には新しいブランド「白岳仙」を立ち上げた。コンセプトは「孤高の食中酒」。料理を引き立てながら飲むたびに口とのどをリフレッシュし、無意識のうちに杯が進んでいく、そんな唯一無二の味を“孤高”という言葉で表現した。また、ブランド名には、「白山水脈伏流水で仕込み、山岳に面した東郷の地で造る酒に、山のように人が集まりますように」との願いが込められている。新ブランドの立ち上げは、安本酒造170年の伝統を守り続けるための新しい挑戦であり、安本さんはこれまでの酒造りや売り方を根底から見直し、データや時流を重視しながら改良を繰り返してきた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">話題性を強める商品ラインアップ</h3>



<p>「白岳仙」は現在、純米酒、純米吟醸、純米大吟醸のレギュラー商品5種に加え、年間を通して季節商品を販売しており、そのラインアップは約15～20種類とかなり豊富だ。日本酒の季節商品は冬から春にかけての新酒や、一度火入れして貯蔵した日本酒を秋に出荷する「ひやおろし」などが一般的だが、「白岳仙」では桜の開花時期や、越前がにが解禁になるシーズンに合わせて季節商品を発売。福井のキラーコンテンツである桜や越前がにを活かす売り方で話題を集めた。</p>



<p>「白岳仙」はこれまで国内線ファーストクラスの機内酒に2度も選ばれ、フランスの日本酒品評会でhは、通算8回連続プラチナ、金賞を受賞するなど国内外で高い評価を得ている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">オール福井の酒造りをブランドに</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="615" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/1C1A8648.jpg" alt="" class="wp-image-53090" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/1C1A8648.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/1C1A8648-300x224.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/1C1A8648-768x573.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>その「白岳仙」の酒瓶には、2022年から福井県産の酒米だけを使っている証である「FUKUI RICE ONLY」のマークが添えられている。安本さんが全量福井県産の酒米での酒造りにこだわったのは、今の時代にプラスアルファの差別化を図るためだった。「現代は美味しい酒が当たり前になりました。それにプラスして安本酒蔵は何を表現するか、長い間考えてきました。そして、福井の水と米、そして風土で醸すオール福井の酒造りにたどり着いたのです」</p>



<h3 class="wp-block-heading">極限にクリアでライトな味わいを目指して</h3>



<p>安本酒造が使用する福井県産の酒米は「五百万石」と「吟のさと」。五百万石は福井県が主要産地の一つとして知られるが、「吟のさと」は九州で開発された酒米で、ここにたどりつくまでには山田錦や雄町（おまち）などさまざまな酒米で試験醸造を行った。「吟醸酒用に米を磨き上げる高精白に耐えられる米で、この地に適した栽培のしやすさやコスト面で最も適していたのが『吟のさと』でした」。吟のさとは九州から苗を福井に移植し、地元の農家に特別栽培を依頼して10年が経つ。近年では、夏場の高温にも耐えうる品種としても注目を集めている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">麹作りの工程をクリーンに</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="546" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/1C1A8956.jpg" alt="" class="wp-image-53091" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/1C1A8956.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/1C1A8956-300x199.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/1C1A8956-768x508.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>安本さんが酒米を2種類に限定しているのは、「まずは使う米を絞り込み、その米に適した酒造りをマスターする」ためだという。その論理的でクリアな思考は、「これからの日本酒に必須なのはライトな味わい。それを安定して出荷するため、試行錯誤を続けています」と安本さんは語る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">よりクリアな味わいを目指して</h3>



<p>「うちの蔵で使っている地下水はミネラルが豊富な中硬水で、酵母の働きが活発になりアルコールが促進されやすい。それをいかにほどよくコントロールするかに細心の注意を払っています」</p>



<h2 class="wp-block-heading">「白岳仙」ブランドで新市場を目指す</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="588" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/1C1A9063.jpg" alt="" class="wp-image-53092" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/1C1A9063.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/1C1A9063-300x214.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/1C1A9063-768x547.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>安本さんが「白岳仙」を立ち上げて純米酒や吟醸酒の酒造りを始めたころ、それまで出荷の実績がなかったことから、販売面でもまさにゼロからのスタートだった。品質管理にこだわる酒販店の情報を雑誌などから集めたり、ほかの蔵元に紹介してもらい、県外にも出て1件ずつ取引先を開拓していった。そして、そのフロンティア精神は今海外に向かおうとしている。現在、安本酒造は出荷量の約1割をアジア向けが占めるようになっており、今後はヨーロッパやアメリカへの進出も見据えている。</p>



<p>最近では、「アッサンブラージュ」に着想を得た純米大吟醸酒や、味が引き立つ「白岳仙」専用のオリジナルグラスも開発した。こうした日本酒をグローバルにする新提案はさらに「白岳仙」のブランド価値を高め、その名を世界に轟かせるに違いない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53089/">「白岳仙」ブランドを研ぎ澄まし、今世界を目指す。「安本酒造」安本岳史さん／福井県福井市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>和紙を現代ものづくりのスタンダードに。「山次製紙所」の挑戦／福井県越前市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 19 Feb 2025 02:11:21 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[浮き紙]]></category>
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		<category><![CDATA[福井県越前市]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A5939.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>山次製紙所は越前和紙の紙漉き工房で、主に美術小間紙を製造している。美術小間紙とは、和小物などに用いられる和紙の総称で、越前和紙特有の技法を用いてさまざまな模様をつけた紙がある。6代目で伝統工芸士の山下寛也さんは、産地の伝 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A5939.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>山次製紙所は越前和紙の紙漉き工房で、主に美術小間紙を製造している。美術小間紙とは、和小物などに用いられる和紙の総称で、越前和紙特有の技法を用いてさまざまな模様をつけた紙がある。6代目で伝統工芸士の山下寛也さんは、産地の伝統技術を受け継ぎながら、「浮き紙」というオリジナルの新しい紙を生み出し、越前和紙の可能性を拓いている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">進化を続けてきた和紙の産地</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A6019.jpg" alt="" class="wp-image-52202" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A6019.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A6019-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A6019-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>山次製紙所は越前市今立地区にある。ここは1500年ほど前に「川上御前」が紙の漉き方を伝えたとされる和紙の一大産地で、今も30近くの工房が残る。山次製紙所もそれらのうちの一つで、川上御前を祀る荘厳な「岡太神社・大瀧神社」の参道からほど近いところにある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">産地が生み出した技法の数々</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A5951.jpg" alt="" class="wp-image-52203" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A5951.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A5951-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A5951-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>1500年もの歴史を持つ越前和紙の産地は、時代に合わせた技術革新によってその伝統を守り続けてきた。昭和初期には金型に紙の繊維を“引っ掛けて”模様をつける「引っ掛け」や、型枠の中に紙の原料を流し込んで模様を作る「流し込み」の技法を生み出し、美術小間紙など美術工芸紙の市場を飛躍的に発展させた。</p>



<p>越前和紙の主流になった美術工芸紙は、ペーパーレス化が進む現代においても、新たな模様紙の開発や造形技術を磨くことで“ものづくりの紙”としての価値を高めてきた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">パルプで上質な和紙を漉く</h3>



<p>古くから和紙の原料は、楮（こうぞ）、三椏（みつまた）、雁皮（がんぴ）などの植物で、それらの外皮のすぐ下にある白皮だけを使う。この白皮の部分を靭皮（じんぴ）といい、繊維が長く強いのが特長だ。山次製紙所では、靭皮<s> </s>だけでなく、洋紙に使われるパルプも原料として活用している。パルプは紙の厚みを出しやすく、加工もしやすいことから、和紙の用途を広げることにつながった。</p>



<p>「うちの工房では、漉いたパルプの上に、楮や三椏、雁皮を薄くのせて“化粧”をしています」と山下さんは言う。</p>



<h3 class="wp-block-heading">稀有な産地を守る一員としての挑戦</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="554" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A5966.jpg" alt="" class="wp-image-52204" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A5966.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A5966-300x201.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A5966-768x516.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>山次製紙所の創業は明治元年（1868年）。創業当初は奉書紙等の無地物の手漉き和紙からはじまり、次第に美術小間紙の製造が主になったという。かつてはハガキも多くつくっていたが、時代の移り変わりによってハガキの需要が落ちてくると酒瓶のラベル紙の受注を増やすなど、時代の変化に合わせた小間紙を製造してきた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">手漉き量産型への転換</h3>



<p>産地では、手で漉いた和紙を1枚ずつ乾かすのが昔ながらのやり方だった。しかし、働き方が変わってきた現代においては、いかに効率を高めるかも重要だ。<s>「</s>うちは「手漉き量産型」と山下さんが言うように、山次製紙所では手で漉いた和紙を連続して乾かすことのできるプレス機を導入している。「和紙の伝統から見れば、邪道といわれるかもしれません。しかし、その伝統が持続していくためには、製紙所が生き残る必要があります。手漉きにこだわりながら、質の良いものをより多く生産するための改善は不可欠だと思います」</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統技法で新しい和紙を開発</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="562" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A5930.jpg" alt="" class="wp-image-52205" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A5930.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A5930-300x204.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A5930-768x523.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>山次製紙所は山下さんの叔父が現代表を務め、山下さんと父親、従業員たちで切り盛りする家族経営の工房だ。山下さんは専門学校を卒業後、京都の和紙工芸品専門店を経て山次製紙所に20年前に戻ってきた。「一度外に出たことで、かえってこの産地のすごさを実感しました。そして、自分たち若い世代も、偉大な先達たちが築いてきた伝統に頼るだけでなく、新しい挑戦を続けなくては」と強く感じたという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「浮き紙」の誕生</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A6413.jpg" alt="" class="wp-image-52206" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A6413.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A6413-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A6413-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>最先端の和紙を生み出そうと考えた山下さんは、和紙に型押しされた家紋のようなマークに着目する。これを連続させて型押しすれば、新しいデザインの和紙ができるのではないか、そうひらめき、父らと共に試してみた。全体に型押しを施した紙は表面にはっきりとした凹凸がついており、浮き上がっているように見えたことから「浮き紙」と名付けた。この新しい和紙は必ず注目されると山下さんは確信した。</p>



<h3 class="wp-block-heading">立体的な柄が豊かな表情を生む</h3>



<p>従来の「エンボス加工」は、同じように紙に型を押して模様を浮き上がらせる技法だが、どうしても角が丸くなる。しかし、浮き紙は模様が直角に立ち上がり、より立体的に浮き上がって見える。柄の凹凸によって陰影が生まれ、光の角度によって見え方が変化するのも魅力だ。</p>



<p>浮き紙は漉いた後で好みの色に染めることもできる。染められるのは1色のみだが、へこんだ部分と浮いた部分で色の濃さが変わるので、美しい2色刷りのような仕上りになる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">新しい和紙で商品開発を目指す</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="556" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A6006.jpg" alt="" class="wp-image-52207" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A6006.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A6006-300x202.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A6006-768x518.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>浮き紙は見本帳に掲載されることになったが、山下さんはそれだけでは飽き足らない気持ちを抱えていた。「今のままでは限られた世界でしか浮き紙が流通しない。浮き紙にはもっと可能性がある、もっと多くの人たちに知ってもらいたい」との思いを強くした山下さんは、浮き紙を使って「山下製紙所」独自の商品開発にとりかかった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">和紙の見本としての商品</h3>



<p>そして2017年に開発したのが浮き紙を巻いたオシャレな茶缶だ。この商品は、売ることが一番の目的ではなく、浮き紙の可能性を知ってもらうためのいわば見本だった。茶缶は、浮き紙の裏面はフラットで、いろいろなものに張り付けられることを知ってもらうためのものであり、カードケースは浮き紙は丈夫で縫い付けることもできるとアピールするためのものだった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">展示会への出展が奏功</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="592" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A5997.jpg" alt="" class="wp-image-52208" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A5997.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A5997-300x215.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A5997-768x551.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>次に山下さんは浮き紙の認知度を高めるため、2017年から茶缶を、全国から工芸を中心としたものづくりメーカーが集まる展示会に出展。初回はなかなか受注できずに苦しんだが、2回、3回と出展を重ねるごとにバイヤーとのつながりも増え、3回目の2019年には来場者による人気投票で山次製紙所の茶缶が総合1位を獲得した。浮き紙の茶缶は月刊誌「婦人画報」の表紙にも掲載され、「茶缶の山次として知られるようになりました」と山下さん。茶缶が人気を集めたことで、山次製紙所には全国のメーカーから「うちの商品に合わせた浮き紙をつくって欲しい」といった依頼が増えた。「新規の取引先を開拓したことを尊敬する父が褒めてくれて嬉しかった」と山下さんは微笑む。</p>



<h3 class="wp-block-heading">工房としての強みを増やす</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A6014.jpg" alt="" class="wp-image-52209" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A6014.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A6014-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A6014-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2021年、山次製紙所の浮き紙はフランスの高級チョコレートブランド「ゴディバ」のパッケージに採用された。ゴディバの頭文字「G」などをモチーフにした柄も山次製紙所がデザインしたものだ。そのデザインを担当したのは谷口美紗貴さん。谷口さんは学生時代にグラフィックデザインを学び、福井市内のデザイン事務所を経て、2020年に山次製紙所に入社した。今ではデザインの業務と並行して紙漉きも学んでいる。「社内に職人兼デザイナーがいることで、クライアントにより良い提案ができる。うちにとって大きな強みです」と山下さんは期待を寄せる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">和紙がものづくりの可能性を拓く</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="581" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A5984.jpg" alt="" class="wp-image-52210" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A5984.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A5984-300x211.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/1C1A5984-768x541.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>山次製紙所の浮き紙は、型押しという伝統技法から生み出した新しい和紙だ。山下さんは、産地に伝わる様々な技法をアップデートすることで、「今の時代に新しいと感じてもらえる和紙」の開発を目指すと意気込む。</p>



<p>浮き紙のような個性のある和紙は、ものづくりの素材としてまだまだ可能性があるという。「オリジナル商品を開発しつつ、クライアントからの様々な依頼に応えることで、和紙を現代のものづくりのあたりまえにしたい」。</p>



<p>その夢に向かうために、今後は海外とのコミュニケーションやプレゼン能力を磨きたいと語る山下さんによって、「最先端の和紙製紙所」を自負する越前和紙はさらに世界での評価を高めるに違いない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52201/">和紙を現代ものづくりのスタンダードに。「山次製紙所」の挑戦／福井県越前市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>地元の米や水、耕す人々。“永平寺テロワール”で世界に挑む「𠮷田酒造」／福井県永平寺町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 25 Feb 2024 03:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[酒蔵]]></category>
		<category><![CDATA[テロワール]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/ea7988b4aedcad748582fe2e18b3bc04.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>1806年創業の「𠮷田酒造」は、福井県𠮷田郡永平寺町（えいへいじちょう）にある酒蔵。永平寺町の高品質な酒米と豊かな水、そして、この土地の人々の営みと風土も含めて“テロワール”と表現し醸す酒は、老舗酒蔵にとって新たな世界の [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/40754/">地元の米や水、耕す人々。“永平寺テロワール”で世界に挑む「𠮷田酒造」／福井県永平寺町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/ea7988b4aedcad748582fe2e18b3bc04.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>1806年創業の「<a href="https://www.jizakegura.com/" title="">𠮷田酒造</a>」は、福井県𠮷田郡永平寺町（えいへいじちょう）にある酒蔵。永平寺町の高品質な酒米と豊かな水、そして、この土地の人々の営みと風土も含めて“テロワール”と表現し醸す酒は、老舗酒蔵にとって新たな世界の扉を開く。</p>



<h2 class="wp-block-heading">先代が米作りで活路を開く</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/0207171c427725ec095ab936ffa5aeeb.jpg" alt="" class="wp-image-40756" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/0207171c427725ec095ab936ffa5aeeb.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/0207171c427725ec095ab936ffa5aeeb-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/0207171c427725ec095ab936ffa5aeeb-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>銘酒<strong>「白龍」を醸してきた𠮷田酒造</strong>は、雄大な九頭竜川のすぐそばにある。酒造りや米作りに適した良質な水が豊富な地域で、同じ永平寺町には<strong>「黒龍」の黒龍酒造</strong>や<strong>「越前岬」の田辺酒造</strong>など、全国的な知名度を誇る酒蔵が集中する。そんな激戦区で、𠮷田酒造の杜氏を務める𠮷田真子さん。2017年、25歳の若さで杜氏に就任し、当時、<strong>全国最年少女性杜氏として大きな注目を集めた。</strong></p>



<p>現在は母である由香里さんと姉の祥子さん、その夫の大貴さんと力を合わせて酒蔵を営んでいる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">全量永平寺町産の米で純米酒を醸す</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="797" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/d695f238735208a9080db90ec4d859ec.jpg" alt="" class="wp-image-40757" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/d695f238735208a9080db90ec4d859ec.jpg 797w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/d695f238735208a9080db90ec4d859ec-300x207.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/d695f238735208a9080db90ec4d859ec-768x530.jpg 768w" sizes="(max-width: 797px) 100vw, 797px" /></figure>



<p>𠮷田酒造では真子さんが杜氏になった2017年から全量純米酒蔵となった。使う酒米は山田錦、五百万石、ハナエチゼンで、2018年からは、<strong>原材料米のすべてを永平寺町産で賄っている。</strong><br>真子さんが目指すのは、永平寺町産の酒米の特徴を生かしつつ、この土地の水のようにピュアで透明感のある<strong>「食中酒として盃がすすむ酒」</strong>だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">新しい酒蔵で海外向けの酒を</h3>



<p>そして2023年、𠮷田酒造は新しい酒蔵を建て、純米や吟醸といった特定名称酒に頼らない海外向けの新しい酒造りを始める。家族経営の小さな蔵が世界に挑む原動力は、真子さんの父で、8年前に亡くなった6代目蔵元の智彦さんが家族に遺した酒造りへの情熱に他ならない。</p>



<h3 class="wp-block-heading">等級制度の酒造りからの脱却</h3>



<p>智彦さんが𠮷田酒造を継いだ1980年代、造っていた酒は一級酒や二級酒がメインだった。一級酒、二級酒というのは、かつて存在した日本酒の等級制度における呼称で、1992年に廃止され、純米や吟醸といった「特定名称酒」制度に変わった。<br>智彦さんはかつて酒造りの修行を行っていた滝野川醸造試験場での会合で、全国から集めた日本酒を飲む機会があった。会合の参加者が好んで飲み、真っ先に空になったのは、<strong>山田錦を磨き上げた大吟醸</strong>。その光景を目の当たりにし、一級酒や二級酒に依存していたのでは未来はないと感じた智彦さんは、山田錦を使って酒を造ろうと考えた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">米を買えないなら、自分で作る</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="742" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/f26866827339ee59fa2a196d61318745.jpg" alt="" class="wp-image-40758" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/f26866827339ee59fa2a196d61318745.jpg 742w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/f26866827339ee59fa2a196d61318745-300x222.jpg 300w" sizes="(max-width: 742px) 100vw, 742px" /></figure>



<p>1990年、智彦さんは山田錦を酒造組合から購入しようとしたものの、実績がないことを理由に断られてしまう。悩んでいたとき、知人から自分で山田錦を作ったらどうかと提案されて、なるほどな、と思った。当時、𠮷田家は食用のコシヒカリを生産する田んぼをいくつも所有しており、智彦さんは早速、その一部で当時、栽培北限と言われた福井での<strong>山田錦栽培に着手した。</strong></p>



<h3 class="wp-block-heading">酒造りは、土作りから</h3>



<p>コシヒカリを作ってきた田んぼでは化学肥料を使っていたが、山田錦の栽培には、それを一切使わず農薬も極力使わないようにした。そのため、1年目に収穫できたのは田んぼ1反あたりわずか3俵。一般的な食用米が1反で8〜10俵ほど収穫できるというから、出来高は通常の3分の1程度。しかし、まずは無事に酒米が収穫できたことで良しとし、試験的に酒造りに臨んだ。はじめて自分で収穫した米から酒を造ることができる喜びは大きく、せっかく米作りから酒造りまでを、一貫してできるようになったのだから、特別純米酒、純米吟醸酒を造ることに。できた酒は、感慨深く、今後自社が進むべき道を標してくれているようだった。<br>そして、山田錦の栽培に取り組み始めてから3年後、ようやく一定の量と安定した品質の山田錦が収穫できるようになった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">量ではなく質を追求</h3>



<p>智彦さんは、米作りと並行して「白龍」ブランドの強化に努め、商品ラインアップを増やしていった。2006年には<strong>蔵の創業当時の記録に残る「旭泉（あさいずみ）」という幻の酒を復活させ、創業200年の記念酒として「白龍 純米懐古酒 旭泉」を発売。</strong>山田錦を精米歩合85％の低精白に磨き、大昔に飲まれていたであろう米の旨味をしっかりと感じる味わいを再現した。また、大粒の山田錦を磨き上げた純米大吟醸などの高級酒造りにも取り組んだ。蔵の経営そのものは非常に厳しい状況が続いてはいたが、未来への方向性が少しずつ見えてきていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">先代の意志を継いだ家族の挑戦</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="828" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/b2e6e93c6c8a932feca9cd91663330bd.jpg" alt="" class="wp-image-40759" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/b2e6e93c6c8a932feca9cd91663330bd.jpg 828w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/b2e6e93c6c8a932feca9cd91663330bd-300x199.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/b2e6e93c6c8a932feca9cd91663330bd-768x510.jpg 768w" sizes="(max-width: 828px) 100vw, 828px" /></figure>



<p>それから、しばらく経った2014年6月、大学卒業を目前に控えていた真子さんの元へ由香里さんから連絡が届く。「智彦さんの体調がすぐれず、人手が足りない。大学を卒業したら実家に戻り、酒造りを手伝ってくれないか？」という相談だった。そこで真子さんは2015年春、大学を卒業した後、すぐ蔵に入り酒造りを手伝い始める。しかし、その年の暮れ、智彦さんは54歳の若さでこの世を去る。さらに翌年、伝手を頼んでいたベテランの南部杜氏が腰を痛め、高齢を理由に地元に帰ってしまうという事態に。こうした困難が重なり、蔵は未曽有の危機に陥った。</p>



<h3 class="wp-block-heading">母と娘で危機を乗り切る</h3>



<p>杜氏不在のまま、𠮷田酒造は2016年の酒造りをはじめた。多少の知識はあるものの、経験値はほとんどないに等しい状態の真子さん。県の機関である「食品加工研究所」に醪（もろみ）の経過を毎日送り、蔵に来てもらってアドバイスを受けながら、その年はなんとか乗り切ったが、これからの酒造りをどうするかは大きな課題として頭の中をぐるぐる巡っていた。智彦さんの死後、7代目を継いだ由香里さんは、真子さんに「あなたはこの2年間、酒造りを手伝い、蔵の方針をよく理解している。杜氏をやって欲しい」と持ちかけた。しかし、全国新酒鑑評会の開催をはじめ、酒類の分析や鑑定、製造業者に対する講習などを行う「酒類総合研究所」で約1カ月半の研修を受けたものの、まだまだ酒造りに精通していると胸を張って言える状態でなかった真子さんにとって、それは大きな不安となり、「私には無理だ。蔵を辞めよう」とまで思い詰めたという。そんな時、父と付き合いが深かった地酒協同組合の事務局から、北海道の「上川大雪酒造」で夏場の試験醸造に参加しないかとの打診があり、母の強い後押しもあり、真子さんは単身、北海道に向かった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">家族が一丸となった𠮷田酒造</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="765" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/a87570c2307e37028f37cfaadc43aacc.jpg" alt="" class="wp-image-40760" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/a87570c2307e37028f37cfaadc43aacc.jpg 765w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/a87570c2307e37028f37cfaadc43aacc-300x216.jpg 300w" sizes="(max-width: 765px) 100vw, 765px" /></figure>



<p>2017年、<strong>「上川大雪酒造」</strong>の杜氏･川端慎治さんのもとで酒造りを一から学ぶうち、真子さんの心境に変化が起こる。それまでは「ただひたすら酒を完成させる」ことだけを考えていたが、経験豊富な川端さんの教えで酒造りの面白さや奥深さが少しずつ理解できるようになり、「自分が心からおいしいと思える酒を造りたい」という気持ちが湧いてきた。<br>研修を終えた<strong>真子さんは、正式に杜氏になることを決意。</strong>翌2018年には東京のIT企業に勤めていた姉の祥子さんが大貴さんと結婚し、夫婦で𠮷田酒造の力になりたいと入社した。<strong>祥子さんはIT企業で培った知識と経験を生かして蔵の近代化に取り組み、大貴さんは酒米作りの責任者に就任。</strong>亡き父が礎を築いた高品質な酒造りをさらに磨き上げるための体制が整った。</p>



<h3 class="wp-block-heading">香港の企業と合弁会社を設立</h3>



<p>父亡きあと、𠮷田酒造は父が遺してくれた山田錦の圃場拡大と酒質の更なる向上のために醸造設備の改善を進める。真子さんも年を重ねるごとに醸造技術を進化させ、長年目指してきた雑味がなくクリアでありながら米の旨味をしっかりと感じるな味わいに着実に近づく。<strong>2021年度の全国新酒発表会では「白龍」の純米大吟醸が金賞を受賞</strong>するなど、<strong>2021、2022年度の全国新酒発表会で「白龍 純米大吟醸」が2年連続で金賞を受賞</strong>するなど、近年その評価は定着しつつある。<br>そして2022年6月、𠮷田酒造は大きな挑戦に乗り出した。<strong>日本酒の世界展開を考えていた香港の上場企業「シンフォニー社」との共同出資により、海外向けに日本酒を醸造する新会社「シンフォニー𠮷田酒造株式会社」を設立。</strong>香港、シンガポールなどアジア圏を中心に、品質管理の徹底を図り、日本酒の価値を高めて、グローバル市場の開拓を目指す。<br>また、<strong>2023年には築100年ほどの古民家を改修した「吉峯梅庵（きっぽうばいあん）」が完成。</strong>この施設では、永平寺町産の酒米の魅力を知ってもらうワークショップや杉玉作り体験などのエクスペリエンスを通して、この地に根ざし日本酒を醸してきた酒蔵だからこそ知りうる、永平寺町の文化や風土の魅力を発信していく。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/d8ec8064cbd055e070ebf02828703441.jpg" alt="" class="wp-image-40761" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/d8ec8064cbd055e070ebf02828703441.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/d8ec8064cbd055e070ebf02828703441-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/d8ec8064cbd055e070ebf02828703441-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<h3 class="wp-block-heading">永平寺ブランドを世界へ</h3>



<p>こうして、𠮷田酒造は世界に向けて<strong>「永平寺テロワール」</strong>の素晴らしさを掲げはじめた。テロワールを表現する海外向けの酒には、あえて特定名称は付けず、自らと契約栽培農家が育む山田錦を中心とした酒米のもつポテンシャルを最大限に生かす酒質で勝負する予定だという。実現のためには、今まで以上に高品質な酒米の増産が必要になるが、原料米生産を担当する大貴さんが開催する山田錦生育の勉強会などを通して、つながりを深めてきた永平寺町の農家が𠮷田酒造グループの酒米づくりに参画してくれることで、その課題はクリアできる見通しだ。<br>「永平寺テロワールを表現した酒が海外でどう受け入れられるのか、そこには不安もあるが、期待の方が勝る」と真子さん。海外に向けた挑戦は、今まさにはじまったばかりだが、今後、𠮷田酒造グループが醸す日本酒が海外で評価されることで、永平寺町の認知も高まっていくとも考えられる。例えば有名なワイナリーのあるフランスの小さな町のように、それをきっかけに永平寺町へ足を運ぶ人が増えることも大いにありえるだろう。自分たちの起こしたアクションが、世界中から人を呼ぶ一助になる。そんな未来を目指し、𠮷田酒造の飽くなき挑戦は続く。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/40754/">地元の米や水、耕す人々。“永平寺テロワール”で世界に挑む「𠮷田酒造」／福井県永平寺町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>伝統は革新の連続。300年以上、酢を守り続ける「とば屋酢店」／福井県小浜市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 30 Jan 2024 03:57:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[福井県]]></category>
		<category><![CDATA[小浜市]]></category>
		<category><![CDATA[日本遺産]]></category>
		<category><![CDATA[純米酢]]></category>
		<category><![CDATA[醸造]]></category>
		<category><![CDATA[酢]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/batch_1C1A4754.54.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福井県小浜市にあるとば屋酢店は、江戸時代中期の創業で300年以上も続く米酢の醸造元だ。全国的にも珍しい「壺（つぼ）」で純米酢を仕込む伝統を守り続けながら、情報発信や新商品開発にも積極的に取り組んでいる。とば屋酢店の伝統は [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/40061/">伝統は革新の連続。300年以上、酢を守り続ける「とば屋酢店」／福井県小浜市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/batch_1C1A4754.54.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福井県小浜市にある<a href="https://www.tobaya.com/" title="">とば屋酢店</a>は、江戸時代中期の創業で300年以上も続く米酢の醸造元だ。全国的にも珍しい「壺（つぼ）」で純米酢を仕込む伝統を守り続けながら、情報発信や新商品開発にも積極的に取り組んでいる。とば屋酢店の伝統は、現代に輝きを増している。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>京の食を支えた小浜で酢を醸造</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="799" height="533" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/batch_sasaduke.jpg" alt="" class="wp-image-40064" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/batch_sasaduke.jpg 799w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/batch_sasaduke-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/batch_sasaduke-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 799px) 100vw, 799px" /></figure>



<p>とば屋酢店は若狭湾国定公園の一部を成す小浜湾に面した小浜市にある。日本海の豊かな海産物に恵まれる小浜市は、かつて<strong>「若狭国（わかさのくに）」</strong>と呼ばれ、朝廷に海産物を献上する<strong>「御食国（みけつくに）」</strong>のひとつだった。後の江戸時代には小浜藩となり、北前船の拠点として栄えた。また、小浜でよく獲れたサバを京都に運んだことから、小浜から京都につづく道は<strong>「鯖街道（さばかいどう）」と呼ばれ、現在は日本遺産にも認定</strong>されている。</p>



<p><br></p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>小浜名産に欠かせない米酢</strong></h3>



<p>小浜から京の都に運ばれる海産物は、塩や酢を伴うことによって保存性が高まり、現代まで続く<strong>「小鯛のささ漬け」や「鯖寿司」</strong>といった特産品が生まれた。小鯛のささ漬けは小浜を代表する珍味で、レンコダイともハナオレダイとも言われる小鯛を三枚におろし、うす塩をして酢で締め、笹の葉を添えて小さな杉樽にぎっしりと詰める。小浜で作られている小鯛のささ漬けや鯖寿司の多くに、とば屋酢店の米酢が使われている。</p>



<p><br></p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>「壺（つぼ）」で300年以上仕込み続ける</strong></h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/80815c0cff35504f6eca6ac2e4a855bc.jpg" alt="" class="wp-image-40065" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/80815c0cff35504f6eca6ac2e4a855bc.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/80815c0cff35504f6eca6ac2e4a855bc-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/80815c0cff35504f6eca6ac2e4a855bc-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>とば屋酢店の看板商品である<strong>「壺之酢（つぼのす）」</strong>はその商品名が表すように、一抱え以上もあるような大きな壺の中で仕込む純米酢。酢蔵の床下深くまで敷き詰めたもみ殻の中に、おおよそ300ℓの容量の壺が30個埋められている様子は壮観だ。この壺で発酵・熟成させる酢の造り方をとば屋酢店は300年以上守り続けている。</p>



<p><br></p>



<h3 class="wp-block-heading">お米の旨味と甘味を感じる純米酢</h3>



<p>アルコールに酢酸菌を加えると、発酵する過程でアルコール分が酢酸に変わり、酢ができる。純米酢であれば、一般的に純米酒に酢酸菌を加えて発酵させた後、熟成を経て完成となる。壺之酢も原理は同じだが、とば屋酢店では、「甘酒」と「種酢（たねず）」を使って仕込む独自製法を守り続けている。<br>材料となる甘酒は、福井県産米の「華越前（ハナエチゼン）」を蒸し、自家製米麹、地下からくみ上げる水、純米酒を加えて55℃で丸一日保温して作る。種酢とは前回仕込んだ酢のことで、活きのいい酢酸菌がたっぷりと含まれている。この甘酒と種酢を混ぜた仕込み液を直接壺の中に注ぎ、壺の周囲に敷き詰めて保温しながら1〜2ヵ月発酵させる。このとき、表面に「酢酸菌膜（さくさんきんまく）」が徐々に表れてアルコールを分解していくと酢ができる。表面にきれいな膜が分厚く張っているのが、いい具合に発酵を終えたサインだ。これを<strong>3分の1ほど残して次の仕込みの種酢にする。</strong><br>発酵を終えた酢は、さらに木樽に移して2ヵ月以上熟成させる。熟成後も、材料の甘酒に含まれる蒸し米が大量に残っているため、絞る工程が必要になる。甘酒を濾過せず、そのまま仕込むのはとば屋酢店ならではの伝統製法であり、米の旨味を酢にたっぷりとプラスする狙いがある。その後、ろ過、殺菌の工程を経て、壺之酢となり出荷される。その味わいは、米の旨味と甘味が活きており、酸味も角がなくまろやかだ。料理の味を引き立てるのはもちろん、ツンとこないので薄めてそのまま飲んでも美味しい。</p>



<p><br></p>



<h2 class="wp-block-heading">料理を引き立てる「旨い酢」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/batch_1C1A4766.jpg" alt="" class="wp-image-40066" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/batch_1C1A4766.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/batch_1C1A4766-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/batch_1C1A4766-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大手メーカーなどで取り入れられている一般的な酢の造り方は「連続発酵」という方法で、強制的に空気を送り込むことで発酵を早め、わずか数日で酢が出来上がる。一方、とば屋酢店の壺之酢は「静置発酵（せいちはっこう）」という伝統的な製法で、かき混ぜずにそのまま置き、<strong>酢酸菌の力のみで発酵させる</strong>ので実に４ヵ月以上もの長い時間がかかる。とば屋酢店が現代においても長い時間と手間をかけて壺之酢を造り続けるのは、<strong>「料理を引き立てる旨い酢」</strong>へのこだわりに他ならない。しかし、こだわりは認知されてこそ価値になる。「店への“共感”を広げたい」と語る13代目の中野貴之さんは、とば屋酢店のこだわりや歴史を現代の消費者に知ってもらうための取り組みにまい進してきた。それは壺之酢という商品名が生まれた頃にさかのぼる。</p>



<p><br></p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>300年の伝統を「見える化」する</strong></h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/batch_1C1A4804.jpg" alt="" class="wp-image-40067" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/batch_1C1A4804.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/batch_1C1A4804-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/batch_1C1A4804-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>その後、東京農大の醸造学科に入学した中野さんは、在学中に友人の協力を得てとば屋酢店のホームページを開設した。卒業後は東京大学大学院を経て経営コンサルタント会社に入社。そこで3年間経験を積んだ後、2005年に小浜に戻り、とば屋酢店での勤務を始めた。コンサルタント会社で顧客コミュニケーションの大切さを痛感した中野さんは、とば屋酢店と消費者との距離を縮める取り組みを強化した。まず、学生の頃に作ったまま放置していた<strong>ホームページをリニューアル</strong>し、商品をネット通販で買えるようにした。さらにとば屋酢店の歴史やこだわり、壺之酢を造る工程なども詳細に紹介。その後も、消費者がより見やすく、より買いやすくなるようにリニューアルを繰り返し、新規客の開拓につなげてきた。<br>家族経営の小さな蔵が自力でネット通販に取り組むのは苦労があったという中野さん。やり切れたのはコンサルタント時代の経験が大きかったと語る。付き合いのあった大企業では業務改善のサイクルを繰り返しており、それは企業の規模を問わず重要だと考え、とば屋酢店でも取り組んだ。現在、ネット通販は新しい売上の柱として成長している。</p>



<p><br></p>



<h3 class="wp-block-heading">時代を捉えた新商品を次々に開発</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/batch_IMG_1181.jpg" alt="" class="wp-image-40068" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/batch_IMG_1181.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/batch_IMG_1181-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/batch_IMG_1181-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>さらに中野さんは新商品開発にも力を入れた。壺之酢とアカシア蜂蜜をブレンドした飲む酢「お酢蜜」、簡単に酢の物が作れる「お手間かから酢」、「手作り塩麹キット」など今に続く人気商品を次々に開発していった。<br>新商品の中でも中野さんが特に「可能性がある」と期待を寄せるのがお酢蜜だ。飲料用の酢の市場は黒酢や果実酢などが火付け役となって拡大傾向にあり、全国的にも2020年の家庭用食酢の市場規模調査で飲用が調理用を上回ったほど。<br>中野さんは健康志向の高まりを見据え、飲む酢の商品ラインナップを強化している。最近では、お酢蜜に免疫力を高めると言われる成分を配合した商品や、壺之酢に血糖値が上昇しにくい「マゲイシロップ」と果汁を加えたフルーツ酢は、ネット通販を中心にリピート客をつかみ、売れ行き好調だ。</p>



<p><br></p>



<h3 class="wp-block-heading">海を渡った伝統の純米酢</h3>



<p>とば屋酢店の看板商品である壺之酢の価格は大手メーカーの米酢と比べて倍近い。それでも壺之酢の売れ行きは堅調だ。「壺之酢だからうちの味が出せると使い続けてくれる料理店などの顧客も多い」と中野さんは言う。</p>



<p>現在でも地元・小浜の魚屋やすし屋、料理屋のほとんどがとば屋酢店の得意先だ。地域との支え合いの中で300年以上守り続けた伝統的な酢造りは、とても手間と時間がかかり、他の蔵では見られなくなっている。だからこそ価値があると気付いた中野さんの新たな取り組みによって、とば屋酢店の認知度は高まり、海外からも注目されるようになっている。2010年には、パリのフランス料理店にパイプを持つバイヤーからの要望で「さくら酢」を新たに開発した。『さくら酢』は壺之酢をベースにした甘酢に桜の花びらを1年間漬け込んだもので、ミシュランの星を持つレストランなどで使われた。今も春に数量限定で出荷している。また、壺之酢や飲む酢がバイヤーを通じてヨーロッパやオーストラリア、台湾にも出荷されるようになった。</p>



<p><br></p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>酢を作るのは、発酵という“神の業”</strong></h3>



<p>変化する時代に合わせた数々の商品開発で、酢のニーズを開拓してきた中野さん。これからも新たな挑戦を続ける一方で、先代から受け継いだ「自然の力に感謝、ありがとうという気持ち」は決して忘れないと力を込める。<br>壺之酢には、発酵という人の技術を超えた「神の業」が働いていると語る中野さんは、「発酵は自然の力。人間にできるのは条件を整え待つこと」との思いで、今日も受け継いだ仕事を繰り返す。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/40061/">伝統は革新の連続。300年以上、酢を守り続ける「とば屋酢店」／福井県小浜市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>究極の呑み口を。「越前うすくち盃」の完成度に挑み続ける越前焼の陶芸家･岩間竜仁さん／福井県越前町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 12 Dec 2023 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/top-3.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「日本六古窯」のひとつに数えられる越前焼の陶芸家として活躍する岩間竜仁さん。代表作である「越前うすくち盃」は、越前焼では不可能とされていた極限の薄づくりに挑んだ平盃で、飲み口をわずか1ミリの厚みに仕上げた。その魅力は、酒 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/39641/">究極の呑み口を。「越前うすくち盃」の完成度に挑み続ける越前焼の陶芸家･岩間竜仁さん／福井県越前町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/top-3.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「日本六古窯」のひとつに数えられる越前焼の陶芸家として活躍する岩間竜仁さん。代表作である「越前うすくち盃」は、越前焼では不可能とされていた極限の薄づくりに挑んだ平盃で、飲み口をわずか1ミリの厚みに仕上げた。その魅力は、酒を飲んだときの比類なき口当たりの良さ。福井を代表する酒蔵「黒龍酒造」も越前うすくち盃に注目し、岩間さんにオリジナルの盃の制作を依頼している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">越前焼でかつてない極薄の平盃が誕生</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="738" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7515-1024x738.jpg" alt="" class="wp-image-39645" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7515-1024x738.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7515-300x216.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7515-768x553.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7515.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>福井市から南西に位置し、<strong>越前海岸に面した越前町</strong>に岩間さんは「竜仙窯」を構えている。近くには<strong>「越前陶芸村」</strong>があり、入村した作家たちはその周辺に工房やギャラリーなどの拠点を置き、創作活動に励んでいる。岩間さんもそうした作家のひとりで、2019年には伝統工芸士に認定された。</p>



<h3 class="wp-block-heading">隆盛、衰退を経て復活を遂げた越前焼</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="729" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7526-1024x729.jpg" alt="" class="wp-image-39648" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7526-1024x729.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7526-300x214.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7526-768x547.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7526.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>越前焼は平安時代末期から始まり、当初は水がめやすり鉢といった日用雑器を中心に生産されていた。室町時代後期には日本海側で最大の焼物産地となり、越前焼は北海道から島根県に至る広い地域で流通していたが、江戸時代中期になると他産地の台頭などで次第に衰退し、明治末から大正時代にかけては窯元の廃業が相次いだ。しかし、1948年に陶磁器研究者の小山冨士夫氏によって越前焼が「日本六古窯」のひとつに数えられたことで再評価がなされ、1971年の越前陶芸村の建設によって再び窯元が増加。1986年には国から伝統工芸品として指定を受け、さらに2017年には日本六古窯として日本遺産認定されるなど復活を遂げてきた。</p>



<p>越前焼は数ある焼物の中でも非常にシンプルで、土の風合いを生かした素朴で温かみのある佇まいが魅力。かつては釉薬を使わないことが特徴だったが、近年では釉薬を使うものも増え、顔料で色付けした化粧土を重ねて焼く鮮やかな色合いのモダンな器も登場している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">飲み口の厚みがわずか1ミリの平盃</h3>



<p>焼き物は陶器と磁器に大別され、岩間さんの手掛ける越前焼は陶器に分類される。 陶器が粘土を主原料とする一方で、磁器は主に陶石をくだいた石粉を使い、1300〜1400℃で焼成。高温で焼成することで、原料の陶石が溶けてガラス化するため、磁器は、陶器に比べて硬く、そして薄く仕上げることができる。</p>



<p>反対に、陶器で磁器のような薄さを再現するのは困難とされてきた。それならば、と岩間さんは磁器をも凌駕する薄い越前焼の製作に挑み、「越前うすくち盃」という作品を完成させた。その最大の特長は、言うまでもなく飲み口の薄さ。わずか1ミリほどという輪郭は、口に当てるとわずかばかり器の質感を感じる程度で、注いだ酒がそのまま自然に口の中に流れ込む。磁器のシャープさと越前焼のナチュラルさを兼ね備えた、いまだかつてない触感の盃だ。</p>



<p>不可能と思われた極薄の越前焼への挑戦は、岩間さんがひとりの作家として生きていくための闘いでもあった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">越前焼に魅せられ、作家の道へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="739" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7469-1024x739.jpg" alt="" class="wp-image-39651" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7469-1024x739.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7469-300x217.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7469-768x554.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7469.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>岩間さんは中学時代に地域の陶芸クラブに入ったことをきっかけに焼物の世界に魅了され、1991年に越前市の窯元に入り、住み込みで働き始めた。その年から1994年まで<strong>4年連続で福井県美展に入選</strong>し、期待の若手として経験を積んでいった。次第に作家としての力量が認められ、越前焼の協同組合が問屋などに向けて発行するカタログに岩間さんの作品が載るようになる。それらを見ての発注がある程度まとまった数になり、独立のメドがたってきた2007年、組合からのすすめもあり、自身の工房を開いた。高価なガス窯などの設備投資に必要な資金を金融機関から借り入れてのスタートだった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">作家として独立。試行錯誤を続ける日々</h3>



<p>独立した当初はご祝儀的な新規の注文も舞い込んだが、2年も経たないうちに注文が来なくなった。メインの取引先である組合からの発注も伸び悩み、越前焼の伝統的な作風だけでは客に飽きられると言われた。そこで、化粧土を使った明るい配色の器を制作するなど試行錯誤を繰り返した。まわりからは「作風がころころ変わる」と言われたが、それは、作家としてのこだわりより、客が求める越前焼を重視した結果だった。作家としての道に迷う岩間さんに組合からある相談が舞い込み、転機が訪れることとなる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ついに極薄の平盃が完成</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="669" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7566-1024x669.jpg" alt="" class="wp-image-39654" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7566-1024x669.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7566-300x196.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7566-768x502.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7566.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>「客が飲み口の薄い平盃を欲しがっている。ごく薄いものをつくれないか」。組合からの依頼を聞いた岩間さんは難しいことを承知の上で、やるしかないと覚悟を決めた。しかし、予想以上の悪戦苦闘。</p>



<p>岩間さんが焼物をつくる工程は、まず「水簸（すいひ）」という不純物を取り除いた粘土をこねて均一にする「菊練り」を行い、ろくろにのせて、上に伸ばし下に縮める「土殺し」という作業で粘土をさらに整えて中心軸をつくる。ここからろくろでの成形に入るが、極薄に伸ばそうとするとどうしてもゆがみが出てしまう。粘土を硬めに調整し、やっとうまく成形できたと思ったがいざ焼くと割れていた。そこで次は成形した後の乾燥時間を長めにとるなど工夫を重ねていった。</p>



<p>ようやく極薄の平盃を完成させたが、<strong>一日作業して成形できたのはわずか数個の日もあった。</strong>岩間さんは、作家として生きていく糧を得るために、どうすれば生産量を増やせるかを日々考えていた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">繰り返しこそ上達の近道</h3>



<p>従業員を雇う余裕がない以上、自分自身の生産性を高めるしか道はないと考えた岩間さんは、とにかく平盃の受注を増やした。薄く伸ばす作業をひたすら繰り返すことで精度を高め、成形のスピードを上げようと考えたのだ。組合とも相談し、平盃の販売価格を破格の1000円以下に設定すると注文が殺到した。必死に成形を続けていると、<strong>1日に数個作れていたのが１時間に４、５個になり、今では１時間あたり10個ほどを成形できるようになった。</strong>成形した後は乾かして高台を削り、さらに適度に乾燥させてから約800度で素焼きし、釉薬をかけて約1200度で本焼きして仕上げる。成形してから焼き上げて完成するまでには早くても2週間以上を要するという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">価値が認められた極薄の平盃</h3>



<p>現在、岩間さんの越前うすくち盃は組合を通して販売され、その価格は独立した当初の5倍近くにもなっている。極薄の平盃を作り始めて3年ほどが経った2016年には、<strong>岩間さんの作品に注目した黒龍酒造がオリジナルの平盃の制作を依頼し「黒龍 平杯」として発売。</strong>越前うすくち盃同様の極薄の仕上がりで、黒龍の冷酒の旨さをより引き立てる盃として人気を集めている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">作品の完成度を追求し続ける</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7530-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-39655" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7530-1024x683.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7530-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7530-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/1C1A7530.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>他人の目から見ればパーフェクトな仕上がりに見える自身の作品を手にとりながら、「飲み口をあと0.1ミリ薄くして、完成度をもっと高めたい」と語る岩間さん。高みに挑み続ける陶芸家としての原点は、かつて通った陶芸クラブで焼物に魅了された体験だ。その岩間さんは今、越前町や組合が主催する親子向けの陶芸体験の講師を務めている。その取り組みによって、子どもたちが焼物と出会い、産地の豊かな未来につながっていくことだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/39641/">究極の呑み口を。「越前うすくち盃」の完成度に挑み続ける越前焼の陶芸家･岩間竜仁さん／福井県越前町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>「越前打刃物」復活のドラマを支えた立役者･加茂勝康さん／福井県越前市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 22 Nov 2023 09:43:22 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M46131.54-1024x819.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福井県越前市が世界に誇る伝統工芸品「越前打刃物」。伝統的な火作り鍛造技術とモダンなデザインを兼ね備えた包丁が高く評価され、国内外の有名シェフから注文が殺到している。しかし50年前までは、現在の隆盛からは想像できないほど産 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/39225/">「越前打刃物」復活のドラマを支えた立役者･加茂勝康さん／福井県越前市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M46131.54-1024x819.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福井県越前市が世界に誇る伝統工芸品「越前打刃物」。伝統的な火作り鍛造技術とモダンなデザインを兼ね備えた包丁が高く評価され、国内外の有名シェフから注文が殺到している。しかし50年前までは、現在の隆盛からは想像できないほど産地全体は衰退し、存続すら危ぶまれていたのだが、あることをきっかけに劇的な復活を遂げる。その立役者が「加茂刃物製作所」の加茂勝康さんだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">唯一無二の「野菜収穫包丁</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M45998-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39228" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M45998-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M45998-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M45998-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M45998.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>「加茂刃物製作所」は、越前市の南東に位置する「タケフナイフビレッジ」内にある。同施設は2020年にリニューアル。“刃物”のイメージを感じさせない正三角形のモダンな建造物が印象的だ。タケフナイフビレッジとは越前打刃物を造る刃物会社13社の共同工房で、全国でも珍しい打刃物の鍛造体験ができるほか、工房の見学や、包丁･ナイフの直売所も併設されており、これらを目当てに国内外から多くの観光客が訪れている。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>産地復活の立役者</strong></h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="732" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/837053ebce712639e9a734af48a1223e-1024x732.jpg" alt="" class="wp-image-39230" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/837053ebce712639e9a734af48a1223e-1024x732.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/837053ebce712639e9a734af48a1223e-300x214.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/837053ebce712639e9a734af48a1223e-768x549.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/837053ebce712639e9a734af48a1223e.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>タケフナイフビレッジの立ち上げに大きく貢献した加茂さんは、1941年生まれ。2008年には伝統工芸士に認定され、同施設立ち上げからタケフナイフビレッジ協同組合の初代理事長も務めている。加茂さんが歩んできた職人としての歴史は、伝統工芸の衰退から復活、そして現在の隆盛に至る歴史そのものでもある。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>菜切り包丁の衰退</strong></h3>



<p>越前市生まれの加茂さんは、菜切り包丁を造っていた父を手伝うため地元の高校を中退し、1956年に打刃物職人の道に進んだ。父のもとで修行を積みながら、この地域特有の「火作り鍛造の2枚広げ」という2枚の鋼の刃を重ねて薄く伸ばす技術を習得。その技術で仕上げた菜切り包丁は刃が薄い。そのため非常に切れ味が良く、1970年代までは加茂さん自身も口にするほど<strong>“飛ぶように売れた”</strong>のだという。しかし、野菜だけでなく肉や魚を切るのにも使える三徳包丁や錆びにくいステンレス製の包丁の登場とともに、次第に使い道の少ない同製品の需要は減少していく。</p>



<h2 class="wp-block-heading">野菜を楽に収穫できる包丁</h2>



<p>時代の変化とともに売上を落としていた菜切り包丁だったが、相変わらず両刃の鋭い切れ味に関しては高い評価を得ていた。</p>



<p>「この技術を生かして、新しい包丁を造れないか」。そう思い悩んでいた加茂さんに、長野県で野菜農家を営んでいたスキー仲間が、菜切り包丁ならば、その需要に合った場所に提案してみてはどうだろうと、長野県内の農協を紹介してくれた。</p>



<p>はるばる訪ねてみると、生産者はキャベツなどを1日に数千株も切っており、けんしょう炎になることも珍しくないとのこと。従来の使用方法とは異なるが、野菜をもっと楽に収穫できる包丁を造ったら需要があるかもしれないと、加茂さんは野菜農家と共同で開発に取り組み、1975年に<strong>「野菜収穫包丁」</strong>を完成させた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">農家を助ける様々な工夫</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M46395-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39231" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M46395-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M46395-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M46395-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M46395.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>野菜収穫包丁は、上の写真のように先端まで刃を入れ、刃先でキャベツや白菜の芯を軽く押せば切れるようにした。刃が少し反った形状をしているのは、収穫するときに葉を傷つけないようにするため。使用した農家からは「収穫の負担が減り、出荷する野菜の品質も高まった」と高い評価を得た。さらに、農作業中に畑で包丁を見失ったり、不意に踏みつけてケガをすることもあるという話を聞き、包丁が目立つよう柄を赤色にしたのも加茂さんなりの工夫。次第に特徴的な<strong>赤い柄は「カモレッド」</strong>と呼ばれるようになり、加茂さんの収獲包丁の代名詞になっていった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">全国の野菜産地で愛される包丁</h3>



<p>ユーザーである農家の人たちと直接関わってこそ、本当に必要とされる包丁が造れると確信した加茂さんは、さらに千葉や茨城、岩手、北海道などの野菜産地を回った。当時、栽培農家が増えていたブロッコリーの収獲に適した専用包丁のほか、<strong>左利き用の収獲包丁、女性にも使いやすい軽量モデルも開発</strong>し、全国各地の農協に売り込んでいった。包丁を使ってくれるユーザーのところには定期的に通い、研ぎ直しや柄の修理などメンテナンスも行った。加茂さんの生産者に寄り添う姿勢や越前打刃物ならではの鋭い切れ味は口コミで広がり、野菜収穫包丁は全国30カ所以上で使われるまでに至った。</p>



<p>現在、加茂さんの野菜収穫包丁はキャベツ、レタス、セロリ、ブロッコリー、チンゲン菜、ネギ葉、白菜、大根葉など野菜別のラインナップで、それぞれに形や刃渡りが異なるバリエーションを揃える。これらは50種類を超え、年間約6000本を販売している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">700年の伝統を消さないために</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M46127-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39232" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M46127-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M46127-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M46127-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M46127.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>加茂さんの野菜収穫包丁は、越前打刃物の起源ともリンクしている。およそ700年前、<strong>京都の刀匠「千代鶴国安」が刀剣を造るのに適した場所を求めて越前の地に移り住み、</strong>刀剣に加えて、近隣の農民のために鎌も製作したものを「越前鎌」と呼び、それが起源とされている。それ以来、農業用刃物の一大産地となり、これらは全国への「行商」という形で広まっていった。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">越前鎌を全国に広めた行商</h3>



<p>行商を行ったのは、同じく福井県の伝統工芸として知られる「越前漆器」に使うための漆を求めて全国を行脚していた漆かき職人たち。彼らが行く先々で農家をまわって打刃物を売り歩き、さらに各地から鎌の注文を持ち帰ってくるといったサイクルで全国に広まり、越前鎌は江戸時代の中頃から明治時代まで全国1位の生産量を誇ったと言われている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">越前鎌の切れ味が宿る</h3>



<p>しかし、昭和の高度経済成長期になると、農業や林業の機械化が進み、鎌の需要は減少の一途をたどる。それに伴い、鎌の生産者も次々と廃業に追い込まれていった。</p>



<p>一方で、米と比べて品目や形状が多種多様で斜面や狭い場所での収獲も多い野菜類は機械化が遅れていた。現在でも、白菜やレタス、ブロッコリーなどの野菜の収獲はほぼ機械化されず、手作業が主だ。そこで加茂さんは野菜の収獲専用の包丁に越前打刃物が生き残るための活路を見出し、かつての漆かき職人たちのように、自ら全国の農家を訪ねて収穫包丁を広める行脚を行った。鎌をきっかけに全国の農家に知られた越前打刃物の品質の高さは、野菜収穫包丁によって再び認知されていく。</p>



<h3 class="wp-block-heading">世界的デザイナーとの出会い</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M46403-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39233" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M46403-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M46403-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M46403-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M46403.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>いっとき衰退した伝統工芸を野菜収穫包丁として復活させた加茂さんだったが、地域全体の現状に目を向ければ状況はさほど変わらず、安価な刃物製品との過酷な価格競争にさらされていた。</p>



<p>「このままでは700年の歴史が消えてしまう」。</p>



<p>そこで同地域では1973年に加茂さんをはじめ、越前打刃物の未来へ危機感を抱く刃物会社の後継者たち10人が集まり、これらの課題について考える研究会を発足させた。それからまず同会は、価格競争からの脱却を目指して越前打刃物のブランド化を進めることを中心に活動をスタート。そんな中、付き合いのある工業試験場から<strong>福井県出身</strong>でプロダクトデザインやインダストリアルデザインの分野で世界的に<strong>有名なデザイナー・川崎和男さんを紹介されたことから事態が一気に動き出す。</strong></p>



<p>早速、同会が進めている活動ついて川崎さんへ説明をしたところ、賛同を得ることに成功。川崎さんは伝統的な越前打刃物の基本を守りつつ、現代的なデザインの概念を取り入れた新商品開発をデザイナーの視点から提案してくれた。ところが、加茂さんたちはこれまで見たこともない包丁の形に戸惑ってしまう。</p>



<p>その最たる理由は、その形を職人の手仕事で再現することができるのかということ。</p>



<p>「形だけならプレス加工でできるかもしれない。しかし、伝統の火作り鍛造技術でそのフォルムを造り出してこそ越前打刃物としての価値があるのではないか」と葛藤しつつ、想いを貫き試行錯誤を繰り返しながら、ようやく<strong>刃と柄が一体となったオールステンレスの万能包丁をはじめとした新製品を開発。</strong>これが爆発的ヒットの口火となった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">タケフナイフビレッジの誕生</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M45972-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39234" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M45972-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M45972-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M45972-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/7M45972.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>1983年、いよいよ越前打刃物の未来をかけた斬新なデザインの包丁が完成。<strong>「タケフナイフ」</strong>というブランド名を付け、東京のギャラリーで展示会を開催したのだが、これが驚くほどの反響だったという。その勢いに乗り、全国各地で精力的に展示会を開催。1986年にはニューヨークで開催した展示会においても大成功を収めた。これをきっかけに研究会のメンバーの間で<strong>“力を合わせてやれば何事も達成することができる”という自信が生まれ</strong>、次第に<strong>「包丁のブランド化は軌道に乗った。次は外から越前打刃物をきっかけに人を呼べるの場所をつくろう」</strong>といった機運が高まっていく。</p>



<p>そこで加茂さんたちは、一人あたり3000万円を出資し、1993年に共同工房<strong>「タケフナイフビレッジ」</strong>を完成させた。これにより、広く行き来がしやすい工房と、職人同士が高価な加工機械を共有するというメリットが生まれた。しかし何より、皆で話し合うことで知見が広がり、新たな商品開発に繋がったことの影響は大きい。「当時、みんな借金を抱えました。大きな賭けでしたが決断できたのは、越前打刃物を世界に発信する拠点が絶対に必要だったから。結果、ナイフビレッジをつくったことが産地の復活に繋がったと思います。」</p>



<h2 class="wp-block-heading">越前打刃物が世界のブランドに</h2>



<p>「タケフナイフビレッジ」完成から30年が経った現在、越前打刃物は世界中に知られるブランドとなった。2010年を過ぎたあたりから越前打刃物の切れ味の良さとデザイン性の高さは海外の有名シェフから高い評価を受け、全世界から注文が入るように。こうして現在、タケフナイフビレッジが生産する包丁の70～80％が海外向けとなっている。また、当初は加茂さんを含め10人しかいなかった共同工房で、<strong>現在40名以上の職人が腕を磨いている。</strong></p>



<p>「今、この産地は順風満帆です。値付けに関しても生産者が責任を持つようになり、高価な包丁も増えています。夢のある時代だからこそ手を抜かずきちんとしたものづくりの基本を大切にして、越前打刃物のブランドを守っていきたい」と語る加茂さん。そのもとでは順調に後継者が育ち、県内出身者ばかりでなく、県外から来た若者も修業に励んでおり、裸電球の下で作業をしていた以前の環境が嘘のよう。</p>



<p>伝統工芸の産地復活に挑み続けた加茂さんたちのスピリットは、これからも若い世代に受け継がれ、越前打刃物の歴史に新たな1ページを刻んでいくことだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/39225/">「越前打刃物」復活のドラマを支えた立役者･加茂勝康さん／福井県越前市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>生産者自らが品質管理から加工まで。「そば」の付加価値を高める「ハーネス河合」の挑戦/福井県福井市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 28 Oct 2023 01:00:54 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/top-4.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>米価の低迷や人手不足など農業を取り巻く状況が厳しさを増す中、福井県福井市の農事組合法人「ハーネス河合」は、全国でいち早く集落営農を立ち上げ、米の生産性を飛躍的に向上させた。近年では、「在来種そば」や野菜の栽培も行い、特に [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/39056/">生産者自らが品質管理から加工まで。「そば」の付加価値を高める「ハーネス河合」の挑戦/福井県福井市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/top-4.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>米価の低迷や人手不足など農業を取り巻く状況が厳しさを増す中、福井県福井市の農事組合法人「ハーネス河合」は、全国でいち早く集落営農を立ち上げ、米の生産性を飛躍的に向上させた。近年では、「在来種そば」や野菜の栽培も行い、特にそばの付加価値を高める数々の取り組みが注目を集めている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">地域の農家が生き残るための組合法人</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46708-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39064" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46708-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46708-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46708-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46708.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p><strong>福井市中心部から北へ約10キロに位置する河合地区</strong>は、福井県最大の河川である九頭竜川に接する田園地帯。農事組合法人「ハーネス河合」はそこにある。1998年に地域の103の農家が参加し発足した同名の生産組合が母体で、2011年には法人化を果たした。現在では、150を超える農家が参加しており、「コシヒカリ」や福井県の新ブランド米「いちほまれ」、酒米の「五百万石」、福井県が日本一の生産量を誇る「六条大麦」、ブロッコリーやレタスなどの野菜、そして全国的にも珍しい夏そばや近年人気が高まっている在来種のそばを生産。福井市にある酒蔵に委託して製造するオリジナルブランドの日本酒や焼酎も販売している。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">在来種の栽培に取り組む</h3>



<p>福井県は、たっぷりの大根おろしとそばつゆで食す<strong>「越前おろしそば」</strong>が有名なそば処で、<strong>在来種王国としても全国のそば通から注目を集めている。</strong>在来種とは、昔から特定の地域に伝わり、品種改良されずに栽培され続けてきたそばのこと。福井県には各地域で在来種が数多く残っており、福井県食品加工研究所に残されているだけで22系統もある。これほど多いのは、福井県が在来種を名産品に位置付け、ブランド化に取り組んできたから。そばは多殖性植物なので、近くで他の品種を育てていると容易に入り交じってしまう。一度交じってしまうと固有としての特性を失ってしまう性質があるため、かつては全国各地にあった個性的な在来種は徐々に姿を消していったが、福井県では県をあげて、これらを守ってきた。ハーネス河合では、代表的な在来種である「大野」「美山」「丸岡」「今庄」などの品種を栽培している。 在来種は品種改良されたそばと比べ、小粒で収穫量では劣る。しかし、味が濃く香りも高いのに加え、特定の地域の土壌や水質、寒暖差などによって生じるテロワールが最大の魅力だ。</p>



<p>現在、ハーネス河合でそば担当を務める小倉祟文さんは「ここ数年、福井の在来種のそばの知名度がぐんと上がり、全国から注文が入るようになりました」と顔をほころばせる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">受け継がれる農業への情熱</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46718-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39067" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46718-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46718-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46718-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46718.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>小倉さんは自動車の板金塗装の仕事に長年従事した後、2018年にハーネス河合に入社した。<br>「そばは天候さえよければ比較的すくすく育つ作物です。しかし、水に弱い」。昨今増えている集中豪雨の後などは種をまき直し、なんとか収穫につなげた。また、小倉さんが入社した当初は、まず種を一気にまいてから排水の溝を掘っていたが、最近それを見直し、種まきと溝掘りを平行して行うことで種を踏まないように改善した。</p>



<p>「手間は増えましたが安定して収穫できるようになっています」。良い品質の作物を育てるために試行錯誤も楽しんでいると語る小倉さん。その農業への情熱は、<strong>同組合の立ち上げに尽力した功労者である亡き父･小倉英二さん</strong>から継承したものだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">地区の3集落の農家が集結</h3>



<p>小倉さんの父が中心となり、1996年に河合地区の全3集落参加による「河合を考える会」という地域農業のあり方について話し合う場を設けた。翌年には若手が中心となって「河合地区営農推進委員会」を立ち上げ、週1回、夜中まで話し合って今後の方針や計画を立てていった。それをもとに地域の農家にアンケート調査を行い、それぞれの農家の意向を丁寧に汲み取っていった。</p>



<p>当時、米の価格はピークを越えて、徐々に下落が始まっていた。小倉さんの父たちが中心となって「米価の下落は続くに違いない。将来的に１俵１万円まで下がったとしても経営が成り立つような農業を目指すには、どうすればいいか」と議論を重ねた。その結果、<strong>農地を集約して大区画化し、生産力向上への取り組みを実行するための新たな組織</strong>づくりが必要との認識で地域がまとまり、立ち上げにつながった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">収穫量と作業の効率化を目指して</h3>



<p>地域の期待を背負って活動を開始したハーネス河合は、まず稲の栽培方法を研究した。福井県農業試験場などの協力を得て栽培方法の違いによる収穫量の実証実験を行い、組合として全面的に取り組むことになったのが乾田直播（かんでんじきまき）栽培だった。乾田直播とは、あらかじめ苗を育てるのではなく、乾いた畑の状態の田んぼに直接種をまき、ある程度育ってから水を入れて水田にするやり方で、作業が効率的になり大区画での栽培に適している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">超大型機械の導入で生産性が向上</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46741-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39070" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46741-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46741-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46741-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46741.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>大区画化した農地を最大限に活用するには、農業機器への設備投資も必須だった。そこで2000年に補助事業を活用し、<strong>超大型のコンバインなど最新鋭の農業機器を大規模に導入。</strong>飛躍的に生産性を向上させた。また、土壌そのものの生産力を高めるため、土を深く掘り起こして反転するプラウ耕や堆肥の投入などを積極的に行ってきた。現在では、化学肥料を使わず、農薬の使用を減らした米の栽培にも取り組んでいる。<br></p>



<h2 class="wp-block-heading">在来種のそばの栽培に挑む</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46793-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39071" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46793-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46793-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46793-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46793.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>2008年頃からハーネス河合が本格的に挑んだのが、<strong>「在来種そば」</strong>の栽培だ。日本のそばはその多くを輸入に頼っており、国内産は全体の約20％ほど。国内産のそばは、手打ちそば店など味にこだわる飲食店からの重要が高く、二毛作で国の助成も受けられることから、大麦を収穫した後の土地を活用してそばの作付けを始めた。さらに休耕地でのそば栽培のために、小倉さんの父の仲間たちが地主を訪ねて説得を続けた。最初は消極的だった地主たちも、同組合が耕す農地にそばが豊かに実っていく様子を見て、次第に土地を提供してくれるようになった。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">夏そばへの挑戦</h3>



<p>福井県内では通常8月に種をまき、10月から11月に収穫を行い、その後1ヵ月ほどが新そばのシーズンになる。現在、小倉さんたちは、福井県が2011年から試験栽培を始めた<strong>「夏そば」</strong>に着目し、改良品種「キタワセソバ」も作っている。夏そばは4月下旬に種をまき、6月下旬から7月上旬の初夏にかけて収穫する。そばのニーズが高まる真夏に新そばとして提供できることから、夏そばの需要はここ数年順調に伸びており、ハーネス河合が生産するそば全体の3割ほどを占めるまでになっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">収穫後の品質管理を徹底</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46907-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39072" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46907-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46907-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46907-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M46907.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>収穫したそばは、収獲がすべて終わった段階でまとめて乾燥させる方が効率的だが、小倉さんたちは「そばの鮮度をより保つため」に、<strong>収穫するコンバインのタンクがいっぱいになる度に乾燥させている。</strong>通常、そばは生産者からJAに出荷され、そこで乾燥させてから流通することが多い。それをハーネス河合ではJAを通さず、自社でベストな状態に乾燥させ、丁寧に不純物を取り除き、玄そばとして冷蔵庫で保管する。収穫後の品質管理の徹底で価値を高めた玄そばは、主に福井や長野、東京の製粉会社などの取引先に卸している。</p>



<p>玄そばとは外皮がついたままのそばで、外皮をむいたものを「丸抜き」や「むき実」などと呼ぶ。取引先は専任のスタッフが全国を営業で回って開拓しており、中には製麺会社やそば店などの飲食店もある。そうした多様な取引先の要望に合わせ、玄そばを丸抜きにしたり、さらには製粉まで行っている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">生産、加工、そしてその先へ</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47168-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39075" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47168-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47168-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47168-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47168.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>ハーネス河合のそば粉加工所では、8台の石臼がごろごろと音を立てながらゆっくりと玄そばをそば粉に挽いている。<strong>石臼挽きは、ロール挽きという高速挽きの機械での製粉に比べて手間と時間はかかるが、熱を持ちにくいのでそばの風味や甘味が損なわれず、高品質なそば粉に仕上がる。</strong><br>最近、小倉さんの提案が受け入れられ、同社ではそばの製麺にも取り組み始めた。「年末に組合員に配付して喜んでいただきました。ゆくゆくは一般のお客さんにそばを提供できるような場所をつくりたい」と話す。</p>



<p>栽培から製粉、製麺そして販売まで一貫して行えるようになれば、より一層、福井県の在来種のそばの魅力を発信することができる。このように同社はこれからも新規事業に挑戦し、試行錯誤を続けていきたいと考えている。もちろん、生産、販売だけでなく、消費者に興味を持ってもらえるような農業体験やイベント活動にも力を入れる予定だ。ハーネス河合では、在来品種を守り育てることに力を注ぎ、どちらかといえば時代に逆行したスタイルの農業を行ってきた。しかし、それが自分たちの強い武器になった現在、組合員の跡継ぎ問題や安定した持続化を考え、今度は未来に目を向け、AIやDX（デジタルトランスフォーメーション）といった農業も取り入れていかなければならないと感じている。自分たちで考え、より良くする環境を整えてきたからこそ、ハーネス河合は時代や消費者ニーズの変化にも対応しつつ、この場所にしかない伝統や文化を多くの人たちに展開していくだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/39056/">生産者自らが品質管理から加工まで。「そば」の付加価値を高める「ハーネス河合」の挑戦/福井県福井市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>創業は戦国時代。福井県の食文化を守り続ける老舗麹屋「國嶋清平商店」/福井県福井市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 18 Oct 2023 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/top.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福井県の県庁所在地である福井市の街中に、1520年創業の「國嶋清平商店」がある。現在では麹をメインに、味噌や塩麹、醤油麹、甘酒などの発酵食品を製造。500年もの間、地元の食文化を支えてきた老舗は、現代において、どのような [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/top.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福井県の県庁所在地である福井市の街中に、1520年創業の「國嶋清平商店」がある。現在では麹をメインに、味噌や塩麹、醤油麹、甘酒などの発酵食品を製造。500年もの間、地元の食文化を支えてきた老舗は、現代において、どのようなビジョンを見据えているのだろうか。</p>



<h2 class="wp-block-heading">江戸から現在まで続く麹づくり</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47332-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38894" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47332-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47332-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47332-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47332.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>「國嶋清平商店」は福井市街地の中心部、順化地区にある。<strong>片町と呼ばれる繁華街が隣接し、すぐ近くには足羽川が流れる、そんな賑やかな場所。</strong></p>



<p>現代において同店のように麹を主に扱う「麹屋」は希少だ。あまり馴染みがないかもしれないが、麹屋とは味噌や甘酒の仕込み用に使う麹を作り販売する店のことで、昭和初期頃まではどの地域にも麹屋があった。かつての日本では味噌などの発酵食品を各家庭で手作りするのが当たり前であり、農家が米や麦を麹屋に持ち込んで麹にしてもらう「賃麹（ちんこうじ）」も盛んに行われていた。しかし、時代と共に家庭で麹を使う機会は減り、麹屋も減少。そうした中で國嶋清平商店は麹のほかに味噌などを製造し、暖簾を守り続けてきた。</p>



<p>ちなみに、麹は米や麦、豆などの穀物を蒸したものに麹菌を付着させて発酵させて作る。麹菌には黄麹菌、白麹菌、黒麹菌などがあり、<strong>同店では地元･福井県産の米を蒸して白麹菌を付け、発酵･熟成させて麹を作っている。スーパーなどで多く流通している乾燥麹のように急激に機械乾燥させず昔ながらの製法で自然乾燥させた同店の麹は、「生の米麹」と呼ばれ、現在でも地域の人たちから重宝されている。</strong></p>



<h3 class="wp-block-heading">福井の歴史との深い関わり</h3>



<p>國嶋清平商店のある順化地区は福井城址から近く、北ノ庄城を築いた戦国武将･柴田勝家や、福井藩初代藩主で福井城を築いた結城秀康ら歴史に名を残す人物が治めた城下町として栄えた地域。じつは、<strong>同店も福井を拠点とした朝倉家と関わりがあるのだという。</strong></p>



<p>「戦国大名の朝倉氏の家臣だった國嶋家の家臣が、朝倉氏滅亡後に商人としてこの地に移り住み、味噌や醤油の製造を始めたことがこの店の起源です」と話す店主の中林久慈さんは國嶋家の18代目にあたる。中林さんによると、同店は幕末の頃には大きな醤油蔵でありながら、両替商も兼ねていた。当主は家柄や功労により名字を名乗り、太刀を腰に差すことができる「名字帯刀」を許されていたほどの人物で、同氏のもとには<strong>福井藩士の橋本左内や儒学者の梅田雲浜</strong>なども頻繁に訪れたというから、相当な豪商だったのだろう。</p>



<p>しかし、1945年の福井空襲、1948年の福井地震で店が焼失。中林さんの祖父であり、現在の屋号にもなっている國嶋清平氏が規模を縮小して店を再建し、麹と味噌に絞った製造販売を行っていった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">郷里に戻り、店の歴史を守る</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47518-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38899" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47518-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47518-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47518-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47518.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>1947年、福井で生まれた中林さんは大学進学で県外に出て、大阪の大手ゼネコンに入社した。父は早くに亡くなり、中林さんの母と叔母が家業を切り盛りしていたが、高齢のため店の将来を考えると不安を拭うことができず、福井に戻って店を継ぐべきか、このまま大阪での仕事を続けるべきか、ずいぶん葛藤したという。</p>



<p>そこで、妻の紀子さんと話し合い、まず紀子さんが当時小学生だった二人の息子とともに福井に移住。店を手伝ってくれることとなった。中林さんも週末などを利用して福井に通いながら、十数年にわたって大阪での仕事を続けた。そして中林さんが定年を迎えた2009年、「店の歴史を絶やしてはならない」と福井にUターンして跡を継いだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統的な製法で作る生麹</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47323-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38902" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47323-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47323-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47323-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47323.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>中林さんは大阪でのサラリーマン生活から一転して、18代目として麹づくりを担うことになった。素人同然の中林さんを救ったのは「幼い頃から間近で見てきた」という伝統的な製法での生麹づくり。</p>



<p>近年、麹は麹発酵機で作る「機械麹」が主流になっており、國嶋清平商店のように<strong>江戸時代から続く製法で、手作りにこだわる、</strong>というケースは稀だ。伝統的な製法で作った麹は、機械を使って急速乾燥などをさせず、自然にじっくりと乾燥させるため、まわりにモフモフとした菌糸がびっしりと付き、それが元となり甘みを生み出す力が強くなる。だからこそ手間が掛かってもこの製法をやめようとは思わないのだという。</p>



<p>中林さんは、<strong>麹蓋（こうじぶた）</strong>と呼ばれる底の浅い小型の木箱に蒸した米を入れて麹菌を付け、<strong>麹室（こうじむろ）</strong>という高温多湿な専門の部屋で丸2日をかけて麹を仕込む。麹室を置く場所によって温度や湿度が若干異なるため、麹蓋を定期的に移動させることで、蒸した米が麹になるまでの条件をできるだけ均一になるように調整する。麹蓋の底が浅く、小型なのはその移動のために持ち運びしやすくするためだ。</p>



<p>中林さんが手間を惜しまず丁寧に作った生麹の賞味期限は寒い時期で10日間ほど。乾燥麹に比べて日持ちはしないが、<strong>「生麹は菌が生きているので発酵パワーが強く、風味も良い」</strong>という。</p>



<h3 class="wp-block-heading">料理教室で麹のレシピとともに魅力を発信</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47524-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38905" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47524-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47524-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47524-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47524.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>麹の魅力を地域で暮らす人たちにもっと知ってもらいたいと考えた中林さんは、2009年、店舗の2階をモダンな内装にリノベーションし、妻の紀子さんが<strong>「麹を使ったうまいもん教室」</strong>を始めた。</p>



<p>その教室では、漬物や味噌作りをはじめ、かぶら寿司、大根とニシンの麹漬け、味噌を使ったシフォンケーキなど、自社の麹を使い、伝統料理から一風変わったスイーツまで様々な料理を発信してきた。特に味噌の仕込みに適しているとされる冬場に、麹の需要はグンと高まる。その時期に先駆けて、紀子さんは毎日のように料理教室を開催し、麹のファンを増やしていった。また、ひとりでも多くの人に麹の魅力を知ってもらうため、料理教室は材料費のみで参加できるようにしている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">発酵ブームが転機に</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47252-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38908" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47252-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47252-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47252-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/7M47252.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>数人の生徒を相手に地道に続けていた麹の料理教室だったが、2011年に<strong>「塩麹」</strong>が一大ブームになったことで一気に注目度が増した。その後も<strong>「甘酒」</strong>が美容や健康に良い“飲む点滴”などと呼ばれて人気が高まるなど麹の人気、需要は高まり続け、教室は開催するたびに多くの生徒たちで賑わうようになった。</p>



<p>中林さん夫妻は、「ピーマン味噌」や「なす辛子漬」などといった麹や甘酒を使った商品を開発。</p>



<p>「ピーマン味噌」は麹に醤油を加えて一晩寝かせた中に細かく刻んだピーマンと青唐辛子を入れ、弱火でじっくり煮て作る。「なす辛子漬け」は代々國嶋家に伝わる料理で、なすを漬ける際に甘酒を加えてアレンジ。ピリッとした辛味に、まろやかな後味を加えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">500年の歴史を観光資源として生かす</h3>



<p>美容や健康への関心が高まっている現代、麹に対する関心も当人たちの予想を超えるほどだ。それに注目した福井県観光連盟が、2024年春の北陸新幹線延伸に向けて発酵食を観光の魅力のひとつにしようと、2022年に<strong>「福井発酵ジェラート」</strong>という企画をスタートさせた。中林さんはそれに賛同し、県内の有名ジェラート専門店の協力を得て、自社の甘酒をベースにしたジェラートを開発。一躍、ヒット商品となった。</p>



<p>それをきっかけに発酵という伝統的な食文化が見直され、観光資源のひとつになっていることを実感した中林さん。創業500年を超える同店の長い歴史も観光に生かそうと考えている。</p>



<p>なにせ店は風情ある伝統的な造りだし、床には貴重な笏台石（しゃくだにいし）が一面に敷き詰められているのだから、そのような考えに至るのも一理ある。ゆくゆくは、この歴史的な建物を保護していくだけではなく、店の近くには自身が所蔵する歴史的な品を展示した多目的スペースもつくりたいのだそう。創業の頃から受け継ぐ歴史的価値を現代、そして未来に伝える拠点としての価値を見出しつつ、地元の老舗麹屋として福井の発酵文化を牽引するため、日々邁進している。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/38890/">創業は戦国時代。福井県の食文化を守り続ける老舗麹屋「國嶋清平商店」/福井県福井市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>大量生産の産地で「作家」として生きる。越前漆器の塗師・中野知昭さん</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 26 Sep 2023 01:00:24 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[漆器]]></category>
		<category><![CDATA[食器]]></category>
		<category><![CDATA[器]]></category>
		<category><![CDATA[福井県]]></category>
		<category><![CDATA[塗師]]></category>
		<category><![CDATA[日本工芸]]></category>
		<category><![CDATA[工芸家]]></category>
		<category><![CDATA[越前漆器]]></category>
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		<category><![CDATA[河和田塗り]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/1C1A7427-1-1024x819.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>塗師・中野知昭さんは、福井県鯖江市にて「河和田塗り（越前漆器）」の制作を行う作家です。熟練の技と経験から生み出される中野さんの作品は、漆ならではの温かく優しげな質感とふっくらした手触りが特長。どこから見ても美しい一生物の [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/38790/">大量生産の産地で「作家」として生きる。越前漆器の塗師・中野知昭さん</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/1C1A7427-1-1024x819.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p class="has-text-align-center"><strong>塗師・中野知昭さんは、福井県鯖江市にて「河和田塗り（越前漆器）」の制作を行う作家です。<br>熟練の技と経験から生み出される中野さんの作品は、<br>漆ならではの温かく優しげな質感とふっくらした手触りが特長。<br>どこから見ても美しい一生物の器が、生活に優しく寄り添います。</strong></p>







<p>中野知昭さんは、福井県鯖江市の河和田地区で同地の伝統工芸である「越前漆器」を制作している。越前漆器はホテルやレストランなどで使われる業務用漆器の分野で圧倒的なシェアを誇っているため、旅先や外食した先で手にしたことがある人も多いのではないだろうか。そんな大量生産に優れた越前漆器を作品の域にまで昇華させ、数を絞ってでも手塗りを徹底。マスプロダクツではなく、高付加価値の漆器に仕上げ、作家として生きる道を選んだ。</p>







<h2 class="wp-block-heading">福井県で現代の暮らしに合う漆器</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/1C1A7316-1024x694.jpg" alt="" class="wp-image-38796" width="825" height="550"/></figure></div>






<p>中野さんの工房は、県道18号線･通称<strong>「うるしの里通り」</strong>からすぐ近くにある。この通りの名称の由来は、通り沿いに漆器の絵付け体験などができる<strong>「うるしの里会館」</strong>があり、周辺には古くから漆器の工房や職人の家屋が数多く建ち並んでいるから。</p>







<h3 class="wp-block-heading">漆器作りのすべてに関わる</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/1C1A7412-1024x742.jpg" alt="" class="wp-image-38799" width="825" height="550"/></figure></div>






<p>漆器作りには、大きく分けて「木地作り」、「下地塗り」、「中塗り･上塗り」などの工程があり、各工程を請け負う職人が異なる分業制が一般的。しかし中野さんは、<strong>自らデザイン画を書いて木地職人に発注し、下地塗りから仕上げの上塗りまですべて自分で行う。</strong>木地を発注してから完成品の漆器として出荷するまでには、なんと１年もかかるという。顧客からの注文に応じて、それぞれが専門的に仕事をこなす中で、一貫して自分の手で作品を作り上げる中野さんは、稀有な存在だ。</p>







<h3 class="wp-block-heading">全国のギャラリーから注目を集める</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/de6e25618cce23a0aa871c10df13c7cf-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-38802" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/de6e25618cce23a0aa871c10df13c7cf-1024x683.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/de6e25618cce23a0aa871c10df13c7cf-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/de6e25618cce23a0aa871c10df13c7cf-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/de6e25618cce23a0aa871c10df13c7cf.jpg 1280w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>中野さんの作品はシンプルながらも漆ならではの気品があり、美しい。その評判は日本中に轟き、展示会は年間で10を超えるようになった。今や中野さんは、<strong>全国のギャラリーなどから熱い注目を集める気鋭の漆器作家だ。</strong></p>







<h3 class="wp-block-heading">仕上げの美しさで魅了する</h3>



<p>中野さんが制作する漆器の中でも特に人気が高いのが、<strong>華美な装飾を廃した椀</strong>。冠婚葬祭やハレの日だけでなく日常の食卓で使いやすいデザインや、美しいフォルムの中に温かみを感じる質感が、モダンな感性を持つ消費者から支持されている。その独特の質感を生み出しているのが<strong>「真塗り」という仕上げ。</strong>真塗りは、上塗りの最後に磨きをかけずそのまま仕上げるため、熟練した塗りの技術が求められる。中野さんは、「越前漆器は上塗りが得意」と言われるほど、職人たちの上塗りの技術が総じて高い同エリアにて、27年間、塗りの技術を磨き続けてきた。</p>







<h3 class="wp-block-heading">上塗り用の漆も手仕事にこだわる</h3>



<p>漆器の上塗りには<strong>「上塗用の漆」</strong>が使われる。上塗漆を作る作業は「手黒目（てくろめ）」と呼ばれ、昔は産地でよく行われていた。しかし、手作りの「上塗漆」は4～5年寝かせる必要があるなど時間も手間もかかる。そのため、時代と共に既製品を購入する職人がほとんどになっていたが、中野さんは<strong> “手仕事こそ、漆器の価値を高める”</strong>と考え、2004年から年に一度のペースで生漆（きうるし）を日光に当てて水分を蒸発させ、上塗り用の漆を作る、手黒目を行っている。</p>







<h2 class="wp-block-heading">作家として生きるために</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/1C1A7339-1024x731.jpg" alt="" class="wp-image-38805" width="825" height="550"/></figure></div>






<p>鯖江市で生まれ育った中野さんは高専を卒業後、土木設計の仕事に就いたのだが、越前漆器の上塗り師として産地の仕事を請け負う父が病に倒れ、それを機に父の仕事を手伝うことになった。幸いなことに父はその後、病から回復し、塗りの技術を父から学ぶことができた。</p>



<p>その基礎が今に生きているんだという。「当時はお陰様で仕事も忙しくて、色々なものを塗らせてもらいました。この産地の上塗り師は、<strong>丸いものを塗る丸物師と四角いものを塗る角物師</strong>とに分かれます。父の工房は丸物が得意でしたが角物を扱うこともあり、両方の幅広い技術が身に付きました」。</p>







<h3 class="wp-block-heading">産地の仕事に感じた違和感</h3>



<p>父の工房で修業を積んでいた中野さんは、樹脂の器に漆を塗ったり、化学塗料で下地をしたものに上塗りをしたりする仕事に疑問を抱くようになる。「漆器と呼ばれるものの中にはスプレーガンで塗料を吹き付けるものもありますが、私はあくまで手塗りでしか出せない美しい仕上げにこだわりたかった」。中野さんは仕事と並行して自分自身の作品を作り始める。その作品をコンテストに出品したところ、<strong>「酒の器展」大賞、「椀One大賞」優秀賞、「越前漆器展覧会」福井県知事賞</strong>など権威ある賞を次々と受賞。作家として才能が開花していることは誰の目から見ても明らかだった。</p>







<h3 class="wp-block-heading">憧れの作家の存在</h3>



<p>父のほかにも中野さんに大きな影響を与えた人物がいる。中野さんと同じく福井を拠点に漆器作家として活動していた山本英明さんだ。山本さんは、今でこそよく耳にするようになった<strong> “普段使いの漆器” </strong>という言葉が広まるきっかけをつくったと言われる人。自分で考えた木地に下地をしっかりと塗り、無地のお椀や重箱に仕上げる山本さんのスタイルに中野さんは強く惹かれたという。山本さんが「手黒目の漆」を作っているのを見て、中野さんも同じく作り始めた。山本さんはすでに亡くなってしまったが、その作品づくりのスピリッツは、現在でも中野さんの心に深く刻まれている。</p>







<h3 class="wp-block-heading">営業や展示会で人脈を増やす</h3>



<p>中野さんは山本さんの死後、同氏に倣って自分自身の仕事を楽しむために、作家として生きていく道を選んだ。その当時、「家庭画報」や「婦人画報」といった女性誌から人気ギャラリーの情報を集め、作品を大きなリュックに詰め込み、そのギャラリーをめがけて営業に回ったりもした。その成果もあってか、長野県松本市で開催されている全国でも最大規模の工芸展示会<strong>「クラフトフェアまつもと」</strong>に出展。そこに集まる器屋やギャラリーとのつながりを広げていった。</p>







<h3 class="wp-block-heading">自分の工房を構えて独立</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/1C1A7376-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-38808" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/1C1A7376-1024x683.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/1C1A7376-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/1C1A7376-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/1C1A7376.jpg 1280w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>営業まわりやイベントへの出展を続ける中で、少しずつギャラリーから個展やグループ展への誘いが増え、作家として食べていける目処がたってきた。そこで<strong>2014年に現在の場所に小さな展示室を備えた工房を構えて独立。</strong>父の仕事は兄が継承した。</p>



<p>中野さんの個展やグループ展は年を追うごとに回数を増やし、2019年には年に10回を数えるまでになっていた。現在は、一度の個展で2〜300の漆器を用意する。</p>







<h3 class="wp-block-heading">パートナーの大きな支え</h3>



<p>中野さんは個展に合わせて常に1、2点の新作を発表する。期間中はギャラリーになるべく在廊するようにして来場者にその魅力を直接語り伝えることでファンを増やしている。最近ではギャラリーの要望に応えて、漆器では珍しいオーバル皿やスプーンなども制作。<strong>妻の柳子さんが個展やグループ展の準備、事務作業などをサポートし</strong>てくれることも創作活動の大きな助けとなっている。</p>







<h3 class="wp-block-heading">ただ良いものを作り続ける</h3>



<p>「最初に出会う漆器の良し悪しで、その人が漆器を長く使うようになるかどうかが決まるからこそ、良いものを作り続けたいんです」と話す中野さん。</p>



<p><strong>個展では、過去に購入してもらった漆器を持ち込んでもらえれば、それの塗り直しも行なっている。</strong>丁寧に使い込まれた器が自分のもとに戻ってくることは中野さんにとって最上の喜びだという。「漆器は洗う度にきちんと拭くと美しいツヤが出てきます。それを見るのが一番うれしい。毎日使ってもらってきれいに育ったな、と感じる」と顔をほころばせる。</p>



<p>中野さんが心血を注ぐ漆器は、<strong>使った人の生活を反映し、その人ならではの個性が生まれる。</strong>やがて、使う人の暮らしになくてはならない存在となり、その食卓、ひいては生活までも豊かにしてくれることだろう。</p>






<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/cc774ec255a82feda573df88bfe42da2.jpg" alt="" class="wp-image-47747" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/cc774ec255a82feda573df88bfe42da2.jpg 960w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/cc774ec255a82feda573df88bfe42da2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/cc774ec255a82feda573df88bfe42da2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /><figcaption class="wp-element-caption">塗師　中野知昭さん</figcaption></figure></div>


<p>漆器というと扱いが難しいと思われがちですが、毎日の生活で気軽にお使いいただけるよう、手間暇をかけ、丈夫で実用性の高い漆器を制作しております。手入れも簡単で、万が一に傷んだ際は修理が出来るのも、漆器の利点です。末長く使える漆器を、ぜひ日常に取り入れてみてください。</p>



<p><br></p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/38790/">大量生産の産地で「作家」として生きる。越前漆器の塗師・中野知昭さん</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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			</item>
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		<title>原点回帰とアップデート。現代のニーズに合わせた新たな醤油を追求する「野村醤油」</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/37376/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 16 Jun 2023 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[福井県]]></category>
		<category><![CDATA[大豆]]></category>
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		<category><![CDATA[麹]]></category>
		<category><![CDATA[醤油蔵]]></category>
		<category><![CDATA[福井]]></category>
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		<category><![CDATA[伝統]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43410-1-1024x819.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>“天空の城”として知られる「越前大野城」の城下町・大野市は、名水百選の「御清水」など湧き水の宝庫。その名水で醸す「野村醤油」は、全国でも数少ない麹から自社製造にこだわる醤油蔵です。この産地ならではの甘い味わいの醤油、地元 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/37376/">原点回帰とアップデート。現代のニーズに合わせた新たな醤油を追求する「野村醤油」</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43410-1-1024x819.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p class="has-text-align-center"><strong>“天空の城”として知られる「越前大野城」の城下町・大野市は、名水百選の「御清水」など湧き水の宝庫。<br>その名水で醸す「野村醤油」は、全国でも数少ない麹から自社製造にこだわる醤油蔵です。<br>この産地ならではの甘い味わいの醤油、地元産の大豆のみで作る醤油など、<br>大野の風土が生きた醤油をお楽しみください。</strong></p>







<p>「野村醤油」は明治初期に創業した老舗の醤油蔵。6代目蔵元を務める野村明志さんは、先達が築いてきた蔵の伝統をしっかりと受け継ぎつつ、時代の変化をとらえた柔軟な発想で次々に新商品を開発し、醤油業界に新風を吹き込んでいる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">“名水のまち”で醸す伝統の醤油</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43436-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37380" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43436-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43436-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43436-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43436.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></div>


<p>大野市は福井県の北東部に位置し、天空の城”として雲海による絶景で全国的な知名度を誇る「越前大野城」の城下町としても知られている。また<strong>湧き水の宝庫</strong>としても有名で、市街地には環境省が指定する名水百選に選ばれている「御清水」をはじめ、湧水地がいくつもある<strong>清らかな水の郷</strong>。その中心部に野村醤油の蔵があり、昔から地元のおいしい水で醤油を醸し続けている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">甘くてさらっとした福井の醤油</h3>



<p>現在、福井県内には野村醤油をはじめ、20社ほどの醤油メーカーが存在する。福井でつくられる醤油について野村さんは「福井を含む北陸の醤油には特徴があります。それは<strong>&nbsp;“甘い”醤油が多い</strong>こと。想像にはなりますが昔は甘いものが貴重で、甘い醤油は“おもてなし”のひとつだったのかもしれません」と話す。</p>



<p>ちなみに九州の醤油も甘いが、それがとろみを感じるテクスチャーなのに対し、福井の醤油はさらっとしている。基本的に色の薄いほうが塩分濃度が高いと言われる醤油。福井の醤油の色は濃口醤油と薄口醤油のちょうど中間くらいだ。甘くて程よくしょっぱい“良い塩梅（あんばい）”の醤油として、長く地元の人たちに親しまれてきた。野村醤油の定番商品「大野のおしょうゆ」も、甘くてさらっとした北陸ならではの醤油だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">麹から作る稀有な蔵</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43106-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37381" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43106-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43106-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43106-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43106.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></div>


<p>醤油ができるまでの工程は、まず蒸した大豆と炒った小麦を混ぜ、種麹を加えて「麹」を作る。これを塩水と一緒にタンクで仕込んで「もろみ」を作り、攪拌を重ねて発酵・熟成させてから搾ったままのものが「生揚醤油（きあげしょうゆ）」と呼ばれる。この生揚醤油に火入れして瓶詰したものが製品として流通する。生揚醤油に火入れをする際、砂糖や水あめといった糖類やアミノ酸などの調味料を加えると甘い醤油に仕上がる。</p>



<p>かつてはそれぞれの醤油蔵が生揚醤油から製造していたが、高度経済成長期に入ると大量生産･大量消費に対応するため、中小の蔵が組合を作り共同で生揚醤油を製造するケースが増えた。共同で作った生揚醤油を各蔵が仕入れ、火入れや味の調整を行って独自の商品に仕上げる方が設備投資のリスクを抑えることができ、コストも下がるので大手との価格競争を乗り切る上でもメリットがあった。</p>



<p>「全国には1000社近くの醤油メーカーがありますが、うちのように麹から作っている醤油蔵は各都道府県で１、2社しかない」と野村さんが言うように、現在においても野村醤油は<strong>麹から自家製</strong>にこだわり続けている。</p>



<p>「麹から作る蔵が少なくなったからこそ、自家製の麹が味の個性になる」と話す野村さんは、年間で気温変化の少ない冬場に麹を仕込む。それでも、最も気温が低い1月と春を迎える3月では条件が大きく変わるから、その変化に応じても種麹の量を調整し、醤油に最適と考える麹を作るのだそう。そして、発酵・熟成を進めるための温度調整は一切行わず、大野の四季の温度変化を生かして生揚醤油を作っている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">日本の大豆で醤油づくりを</h3>



<p>2013年に和食がユネスコ世界無形文化遺産に登録されて以降、和の料理に欠かせない醤油は、海外からの注目も高い。しかし、醤油の原材料である「大豆」の収穫はその年や地域によってばらつきが大きく、栽培する農家の数も減少しており、飼料用を含む全体の自給率はわずか6%。食用だけでも20%程度にとどまるのが現状だ。</p>



<p>「大豆の自給率の低さは、醤油業界が抱える大きな課題です。うちの蔵でも定番商品に使っているのはインド産の大豆がメインですが、国産の大豆を使った高単価の醤油づくりにもチャレンジしています」と野村さんは話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">伝統製法を「個性」に</h3>



<p>野村醤油の伝統を受け継いだ先代のもとで専務を務めていた野村さんは2007年、地元で青大豆を育てる農家からうちの大豆を醤油に使ってもらえないかと相談を受け、<strong>「青豆しょうゆ」というオリジナル商品</strong>を開発した。安価な醤油は粉砕した大豆で仕込むので早く作れるが、大豆を丸のまま仕込む「青豆しょうゆ」は発酵に時間がかかる。また、仕込みの際、温度を上げることで発酵は早く進むが、温度調整をしない野村醤油の蔵では、夏の暑い時期に発酵・熟成がゆっくりと進み、仕込みは2年がかりになる。希少な青大豆は仕入れ値も高く、製造に時間がかかるため販売価格は定番商品の約7〜8倍にもなるが、現在まで続くロングラン商品となっている。同商品は、火入れの際に糖類もアミノ酸も加えないので、青豆本来の特徴である自然な甘みが活きる。昨今の醤油業界で高く評価されているアミノ酸が多い醤油とはちがうが、今は、昔ながらの製法が個性になる時代。幸運なことに、野村醤油は昔からの製法を絶やさずに受け継いできた。それこそが、かけがえのない財産だと、野村さんは言う。</p>



<p>製造技術の進歩により、手頃な価格で手に入る大手メーカーの醤油は食卓にあって当たり前の調味料となった。逆に考えれば、地域ごとに存在する小規模な醤油蔵の商品を目にする機会は減っているということ。</p>



<p>それゆえ、蔵ごとに異なった醤油の個性を比較するということが、あまり現在ではなくなってしまった。青豆しょうゆは、その<strong>&nbsp;“昔の当たり前”&nbsp;</strong>に戻ることを付加価値にした商品だ。しかし原点回帰だけでは時代の変化に対応できないという危機感も持ち合わせていた野村さんは、新しい取り組みも進めていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">新商品で醤油の未来をひらく</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43325-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37384" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43325-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43325-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43325-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43325.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></div>


<p> </p>



<p>「ちょうど私が生まれた1973年をピークに、醤油の出荷量は減少を続けています」と野村さんが言うように、ひとり当たりの年間消費量も1973年から2021年の約50年でおおよそ半分まで減少した。「極端な言い方にはなりますが、うちの定番商品のような糖類やアミノ酸を加える醤油はこれ以上伸びることはない」と野村さんは断言する。食の多様化、単身世帯の増加、外食や中食の台頭といった時代変化の中で、家庭で下ごしらえが必要な調理をする機会は大きく減少。醤油は卓上に置いてかけるだけ、という使い方が圧倒的に増えた。そんな中で野村さんが活路を見出したのは、何にでも合う醤油ではなく、<strong>「この料理にはこの醤油」</strong>というニッチな新商品の開発だった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">福井名物専用の醤油ダレを開発</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43541-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37385" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43541-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43541-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43541-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43541.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></div>


<p>新商品は認知されるまでに時間がかかる。しかも野村醤油のように小さな蔵は、新商品を大々的にPRしたり、発売のタイミングに合わせてスーパーなど小売店の棚を確保するのは難しい。そこで野村醤油は、地域で知られている名物料理の味わいをさらにアップするような専用の醤油ダレを作ることに取り組み、蔵としての認知度を向上させる施策に打って出る。</p>



<p>その先駆けとなったのが、2003年に先代が福井県内のほかの醤油蔵と共同で開発し商品化した、<strong>福井名物「おろしそば」の専用つゆ</strong>。醤油をベースに甘味を抑え、そばの香りやおろしの辛味が活きるような味わいに仕上げた。</p>



<p>その後、2009年に先代から蔵を継いだ野村さんが福井名物であるソースカツ丼から着想を得た「醤油カツ丼」を考案し、福井県内50以上の飲食店でメニュー化させることに成功。自ら普及させた醤油カツ丼専用の<strong>「アッサリたれ 醤油カツ丼」</strong>の商品化を皮切りに、新商品開発を加速させていく。</p>



<p>醤油蔵がこのようなつゆやたれを開発できたのは、父である先代が野村さんがまだ幼い頃から研究を重ねてきたから。付き合いのあった製麺所からそばつゆを作れないかと相談を受けた先代は手鍋での試作から始め、大手食品メーカー出身の専門家にコンサルを依頼。レシピ開発や必要な設備、衛生管理などの助言を受けながら開発に取り組んだ。そして何より、つゆやたれの主たる原料である「醤油」がすぐ手元にあるのが大きかったと野村さんは言う。「これが食品メーカーさんだと醤油を仕入れなくてはなりませんが、うちにはそれこそ醤油だけなら売るほどあります。それに醤油は瓶詰めしてからも賞味期限が１年以上あるので、出荷が減って増えた在庫をつゆやたれに活用して新しい価値を生み出せるのも強みです」</p>



<h3 class="wp-block-heading">大野名物を生かした醤油ダレも</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43463-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37386" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43463-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43463-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43463-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43463.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></div>


<p>2014年には、地元である大野市に根付いた名産に目を向けた「焼魚にあうおしょうゆ」を発売。大野には夏至から数えて11日目の「半夏生（はんげしょう）」に丸焼きのサバを食べる風習があり、そのサバに合うようにと旨味を強くした商品だ。また、2017年には<strong>「里芋ころ煮だし」</strong>と<strong>「舞茸ポン酢」</strong>を開発。里芋のころ煮だしは、500ｇの里芋に加えて煮るだけで、水を使わず簡単に大野の郷土料理「里芋のころ煮」を作れる簡単調味料。一方、舞茸ポン酢は、大野名産の「九頭竜（くずりゅう）まいたけ」を加工するメーカーから大量に出る煮汁を活用し、舞茸の旨味たっぷりで酸味がまろやかなポン酢に仕上げたアイデア商品だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">消費者との関わりを活発に</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43117-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37389" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43117-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43117-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43117-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/7M43117.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></div>


<p>福井名物に特化した新しい醤油商品の開発に手応えを得た野村さんは、福井の醤油を身近に感じてもらうための取り組みも開始。2016年には野村醤油の敷地内に<strong>「体験蔵 重右ェ門（じゅうえもん）」を</strong>オープンした。熟成中のもろみを櫂（かい）棒を使ってかき混ぜる「櫂入れ」を体験したり、熟成した「諸味」を搾る様子を目の前で見られる施設で、子どもから大人まで幅広い層に伝統的な醤油づくりを伝えることができる。</p>



<p>2019年には、インターネット通販を手掛ける地元の会社と共同で<strong>「名前のない生醤油」</strong>を発売した。スーパーなどに並ぶ一般的な醤油は火入れして発酵をとめたもので、味に丸みがあり香ばしさを感じる。また、「生醤油」と書かれていても火入れはしていないが発酵を進める菌を取り除いている場合が多い。一方、「名前のない生醤油」は搾ってから火入れも菌も取り除いていない「生揚醤油」を瓶詰めする。生醤油は味が濃厚で、フレッシュな酸味があるのが特徴だ。「名前のない生醤油」の材料には、大野在来品種の「大だるま」という大豆、福井県産の小麦「ふくこむぎ」、そして大野の水を使用。これも大豆を丸のまま仕込み、温度調整をせずに発酵・熟成させるので、完成までに2年を要する。そこで、発売の2年前から福井市のそば店の協力を得て「生醤油倶楽部（きじょうゆくらぶ）」というコミュニティをつくり、料理への生醤油の使い方や、醤油の伝統的な製法、原材料へのこだわりをイベントやSNSを通して発信を続けた。併せてクラウドファンディングにも挑戦し、目標金額を大きく上回った。まさに、“モノ”だけでなく“ヒト”や“コト”も動かすプロジェクトとなった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">醤油の魅力を未来に</h3>



<p>小さな蔵の挑戦の数々は知名度を着実に高め、次第に県外の有名シェフや高級ブランドからコラボの話が舞い込むようになった。2020年、北陸･東北･北海道新幹線のグランクラスの軽食メニューに使う醤油として野村醤油の商品が採用された。監修したのは、ミシュランで2つ星を獲得した「日本料理 一凛」の橋本幹造シェフ。シェフから野村さんに「日本食再発見」をテーマにした献立に合う醤油が欲しいとのオファーがあり、「名前のない生醤油」を特別に火入れして提供した。</p>



<p>2021年には、チョコレートの高級ブランド「ゴディバ」が展開する「GODIVA café Tokyo」にて、福井県とのコラボで提供した「ビーガンサラダヌードル」の食材として舞茸ぽん酢が採用された。こうして次々とフィールドを広げていく野村醤油。</p>



<p>蔵元の野村さんは「これからも醤油作りの原点を大切にしながら、“いま求められる”醤油を追求していきます」と語る。</p>



<p>醤油は蔵ごとに個性があり、料理によって使い分けることでより味わいが引き立つ。この“古くて新しい”醤油の魅力を、野村醤油はこれからも伝えていく。</p>


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<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/91d84d13d94aa0ce9e3dcbda5718098b-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-48469" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/91d84d13d94aa0ce9e3dcbda5718098b-1024x683.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/91d84d13d94aa0ce9e3dcbda5718098b-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/91d84d13d94aa0ce9e3dcbda5718098b-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/91d84d13d94aa0ce9e3dcbda5718098b.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /><figcaption class="wp-element-caption">野村醤油6代目　野村明志さん</figcaption></figure></div>


<p>「野村醤油」が創業した明治初期と現代では、醤油造りを取り巻く状況は大きく異なります。大豆は輸入に頼るようになり、麹造りから醤油を作るメーカーはわずかになりました。伝統を守る蔵の一つとして、「野村醤油」が作り出す味はどうあるべきかを日々模索しています。また、美味しいが当たり前になった今、プラスアルファの魅力も創造してまいります。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/37376/">原点回帰とアップデート。現代のニーズに合わせた新たな醤油を追求する「野村醤油」</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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