<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>青森県 - NIHONMONO</title>
	<atom:link href="https://nihonmono.jp/area/aomori/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://nihonmono.jp</link>
	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
	<lastBuildDate>Fri, 29 May 2026 05:02:24 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=6.8.5</generator>

<image>
	<url>https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/06/cropped-favicon-32x32.png</url>
	<title>青森県 - NIHONMONO</title>
	<link>https://nihonmono.jp</link>
	<width>32</width>
	<height>32</height>
</image> 
	<item>
		<title>350年もの伝統を刃物作りに受け継ぐ「二唐刃物鍛造所」／青森県弘前市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54579/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/54579/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 29 May 2026 05:02:23 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[包丁]]></category>
		<category><![CDATA[よし久]]></category>
		<category><![CDATA[二唐ブランド]]></category>
		<category><![CDATA[オピネルコラボ]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=54579</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_121.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>藩政時代100軒を超える鍛冶屋があったとされる弘前市のなかでも、二唐家は弘前藩から作刀を命じられて以来、350年の伝統を受け継ぐ鍛冶の「名門」として知られている。「良品は声なくして人を呼ぶ」を銘訓とした二唐（にがら）家の [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54579/">350年もの伝統を刃物作りに受け継ぐ「二唐刃物鍛造所」／青森県弘前市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_121.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>藩政時代100軒を超える鍛冶屋があったとされる弘前市のなかでも、二唐家は弘前藩から作刀を命じられて以来、350年の伝統を受け継ぐ鍛冶の「名門」として知られている。「良品は声なくして人を呼ぶ」を銘訓とした二唐（にがら）家の精神は今も刃物作りに生かされている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">刀鍛冶から農具･漁具、そして包丁作りへ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_120.jpg" alt="" class="wp-image-54584" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_120.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_120-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_120-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本刀は主に鉄よりも純度の高い玉鋼（たまはがね）で作られる。西洋の剣は「叩いて切る」のに対し、日本の刀は「切り裂く」という違いがある。その日本刀の技術を受け継いだのが和包丁だ。</p>



<p>二唐刃物鍛造所はもともと弘前城近くにあった。鍛冶屋だったのを5代目の二唐国俊氏が有限会社として、現在の場所に移したのが1949年のこと。その頃は鎌や鉈などの農具のほか、北洋サケ･マス漁船で使われる刃物も作っていたが、その需要も減って来たため、1965年頃から作り始めたのが包丁だった。</p>



<p>その一方、国俊氏は刀匠として全国にも知られ、県の無形文化財にも指定されている。刀作りは6代目二唐俊さんまで続けられていたという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「二唐ブランド」の基礎を築いた６代目</h3>



<p>俊さんは、良い包丁を作るために、職人の勘だけでなく、学問的な裏付けをしながら技術を確立した。金属工学やさまざまな理論を学び、近代化した刃物づくりの技術を遺したのである。これまで培ってきた技術とその精神を込めて和包丁「よし久」を作り世に送り出すと、その人気が高まっていった。「二唐ブランド」の基礎を築いたのである。それは「良品は声なくして人を呼ぶ」を銘訓とした二唐家の精神から生まれたものなのだ。</p>



<p>さらに1974年には建設資材関係の鉄鋼部門を設け株式会社とし、それにより溶接技術が磨かれることになる。</p>



<p>俊さんには後継がいなかったため、甥の吉澤俊寿さんが7代目として継ぐことになったという。「僕の記憶にある俊さんは寡黙な人で、正月の２日に行う『打ち初め』という神事には、父と一緒に刀を打っていました」と話すのは、現社長であり8代目の吉澤剛さん。</p>



<p>「物を創り出すことや、刃物を作る技術は文化です。技術は伝統から生まれ、その技術は先祖たちが生み出したもので、この技術を絶やすことはできません」。</p>



<p>使う人に合わせたオーダーメイドの包丁やアウトドア用のナイフなど用途を広げてきた吉澤さん。こうした二唐ブランドとその精神を今につないだ立役者でもある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">24工程もあるなかで焼き色を見極める</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_28.jpg" alt="" class="wp-image-54585" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_28.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_28-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_28-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「包丁は地鉄（ぢがね）と玉鋼（たまはがね）の２つの素材を合わせて作られるんです」と吉澤さん。それぞれ素材の弱点を補うためなのだが、完成するまで24工程もあるのだという。</p>



<p>第一工場でその２つの素材を接合するための特殊粉薬を振りかけることから始まり、1200度の炉の中に2〜3分ほど入れる。鉄がオレンジ色になったところでコバシで取り出すのだが、この時の焼き色を見極めることが一番難しく大事な工程だと吉澤さん。</p>



<p>炉から取り出した鉄を機械ハンマーで叩きながら延ばし、少しずつ包丁の形にしていく。さらに槌で叩きながら微妙な調整をし、高温で熱し、水に入れて急冷する。それを硬さと粘りのある包丁にするため再び高温で焼き戻しをしていくのだ。</p>



<p>ここまでできたところで、次は研ぎになる。「私はあまり器用な方ではないので、他人の倍以上の努力が必要でしたが、ある程度包丁の形ができるようになるまでに、人にもよりますが最低１年はかかります。でもやりがいはありますよ」と吉澤さんはキッパリ話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">切れ味を良くするための小刃づけ作業</h3>



<p>包丁の形になったところで第二工場で研ぎの工程に入る。ここでの研磨機械は、鉄構事業部の溶接部門で作られたものだという。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_24.jpg" alt="" class="wp-image-54586" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_24.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_24-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_24-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>まず回転砥石に包丁の「あご」と呼ばれる端から切先まで、指で押さえながら研いでいく。この時、包丁を25度ほど傾け、極端に力を加えないように少しずつ横にスライドさせながら研いでいくのである。両面を研いだところで「小刃（こば）づけ作業」に入る。小刃づけとは切れ味を良くするため、先端を両面角度をつけて薄く研いで二段刃にしていくことで、すべての工程が職人技だ。完成した包丁は模様が浮き出て、キラリとした仕上がりになる。</p>



<p>「現在、鉄構事業部門と刃物事業部には合わせて30名の社員がおります。それぞれ熟練度の違いがありますが、基本的に包丁１本を責任を持って一人で仕上げるようにしています。もちろん最終的には先輩職人がチェックします」</p>



<p>二唐刃物鍛造所の大きな特徴は、それぞれの職人たちがデザインなどを自由にチャレンジすることができることだ。それが「二唐ブランド」を生み出す素地にもなっているのだ。またもうひとつの自社ブランドとして言えることは、製品のバラツキがないことだという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ケーキやパイ専用の刃物を作り、さらには職人の技術をつなぐ伝承施設を</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_116.jpg" alt="" class="wp-image-54587" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_116.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_116-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_116-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「ありがたいことに、ここ近年、アジア圏や欧米からの海外需要が伸びており、約95%が輸出されています。それもほとんどは薄くて軽い、しかも切れ味がいいステンレス製の包丁に人気があります」と吉澤さんは話す。</p>



<p>ステンレス包丁もまた2種類の素材を組み合わせて作られるのだが、加工しにくく、鉄と比べて2倍近い作業時間を要するのだ。しかし、軽いうえに錆びにくいのが大きな特徴だという。</p>



<p>さらにまた大きな仕事が舞い込んだ。それはフランスのアウトドアブランド･オピネルとのコラボを組んだことだ。それは日本では初めてのことらしく、手に持つ柄の部分はオピネル、刃の部分は「二唐ブランド」の包丁で、しかも世界で2500本の限定品というものだ。</p>



<p>「今後は、ケーキやパイなどをスパッと切れる刃物に挑戦してみたい。それと将来的には失われつつある職人の技術を次に伝えていく伝承施設をつくれたらと思っています」と吉澤さんの夢は膨らんでいる。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54579/">350年もの伝統を刃物作りに受け継ぐ「二唐刃物鍛造所」／青森県弘前市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/54579/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>東北で唯一の現存天守、弘前城跡を臨む「弘前公園」／青森県弘前市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54478/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/54478/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 07 May 2026 10:24:03 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[弘前さくらまつり]]></category>
		<category><![CDATA[鷹揚園]]></category>
		<category><![CDATA[国の史跡]]></category>
		<category><![CDATA[重要文化財]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=54478</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_66.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「青森県を代表する桜の名所といえば、弘前公園」と言われるほど、東北地方でも有数の桜の名所として知られる弘前公園。この公園は鷹揚園（おうようえん）ともいわれ、津軽10万石の居城「弘前城跡」でもある。総面積約50haと広い園 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54478/">東北で唯一の現存天守、弘前城跡を臨む「弘前公園」／青森県弘前市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_66.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「青森県を代表する桜の名所といえば、弘前公園」と言われるほど、東北地方でも有数の桜の名所として知られる弘前公園。この公園は鷹揚園（おうようえん）ともいわれ、津軽10万石の居城「弘前城跡」でもある。総面積約50haと広い園内には、天守や濠（ほり）、櫓（やぐら）、城門などが残っており、花見の時期になると約2600本の桜が見事な花を咲かせる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">弘前城の歴史</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_70.jpg" alt="" class="wp-image-54486" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_70.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_70-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_70-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>弘前城の天守は江戸時代に建てられた12棟の天守の一つで、東北･北海道では唯一の現存天守 。</p>



<p>城跡は国の史跡としてはもちろん、現存する天守、櫓、城門は重要文化財にも指定されている。弘前公園は弘前市の中心部に位置し、東西約600m、南北約1000m、面積約50haにも及ぶ広大な敷地で、園内には天守（本丸辰巳櫓）のほかに濠、土塁（どるい）に囲まれた6つの郭（くるわ）、櫓3棟、城門5棟が残されている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_01.jpg" alt="" class="wp-image-54487" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_01.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_01-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_01-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「これだけ大規模な城郭が当時の姿のまま公園として開放されている例は、全国的にも珍しいと思います」と話してくれたのは、弘前市公園緑地課弘前城整備活用推進室主査の東海林 心（しょうじ こころ）さんだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">弘前城が築城となるまでの経緯</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_60.jpg" alt="" class="wp-image-54488" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_60.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_60-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakipark_60-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>1590年までに豊臣秀吉より津軽の領地安堵を得た津軽為信（ためのぶ）が新たな城を築くことを決意し、高岡の地を選定したのが1603年。しかしながら計画は遅々として進まないまま、津軽為信は完成を見ることなく1607年に京で病死してしまう。58歳だった。その後2代目藩主となった三男・信枚（のぶひら）が1611年に高岡城（現在の弘前城）を完成させた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">5層だった弘前城が3層になったわけ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="549" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakijyo-sakura_graph.jpg" alt="" class="wp-image-54489" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakijyo-sakura_graph.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakijyo-sakura_graph-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/hirosakijyo-sakura_graph-768x511.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「天守は築城当初5層で本丸西南隅にあったのですが、1627年に落雷で焼失してしまったんです」と話す東海林さん。天守焼失後、再建の機運が盛り上がったものの計画は途中で頓挫。その後、弘前藩の石高が10万石に高直りしたのを契機に、1810年9代目寧親（やすちか）が本丸辰巳櫓名目で再建したものが天守として残った。旧名「高岡」を現在の「弘前」に改名したのは焼失の翌年で、厄払いの意味があったという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">倒幕の混迷を経て、弘前市民のシンボルへ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="549" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/b676708decfad691aa65485106ff0a4c.jpg" alt="" class="wp-image-54490" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/b676708decfad691aa65485106ff0a4c.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/b676708decfad691aa65485106ff0a4c-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/b676708decfad691aa65485106ff0a4c-768x511.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>やがて明治維新により弘前藩も解体。弘前城は陸軍省の管理下となり、戦時中には兵器や弾薬の補給、保管、管理を担当した陸軍兵器廠（りくぐんへいきしょう）の地方出先機関である兵器支廠（へいきししょう）などに活用されたが、本丸御殿や宝物蔵など一部の施設は解体されたものの、天守や城門、櫓は保護されて残っている。また、太平洋戦争の戦災を免れて当時のまま残っている遺構が多いため、貴重な国の史跡となった。</p>



<p>そんな中、陸軍の火薬庫などとなっていた三の丸を除いた区画は、1895年に弘前公園として市民へと開放された。また、3階建ての天守の高さは約15mで、ここからの景観は素晴らしく、津軽富士とも言われる岩木山と公園内が一望できる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">歴史ある史跡は「観桜会（かんおうかい）」の場から「弘前さくらまつり」へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/3c24204e3497c1e844c1af087a3e3b69.jpg" alt="" class="wp-image-54491" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/3c24204e3497c1e844c1af087a3e3b69.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/3c24204e3497c1e844c1af087a3e3b69-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/3c24204e3497c1e844c1af087a3e3b69-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>人々が冬の重圧から開放された頃、総面積約50haと広い公園内ではソメイヨシノ、八重桜、シダレザクラなど52品種、約2600本の桜が美しく花を咲かせる。雪を頂いた岩木山が望める園内では、春を待ち焦がれた人々による数え切れないほどの車座の酒席が広がり、あちこちから聞こえてくるのは津軽民謡。築城から400年以上経った今でも、弘前城を有する弘前公園は、市民が真っ先に思い浮かべる憩いの場として親しまれ続けている</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54478/">東北で唯一の現存天守、弘前城跡を臨む「弘前公園」／青森県弘前市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/54478/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>伝統を継ぎ、創造に挑む。ねぶた師･竹浪比呂央さん／青森県青森市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54459/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/54459/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 07 May 2026 10:12:47 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[ねぶた名人]]></category>
		<category><![CDATA[ねぶた]]></category>
		<category><![CDATA[青森ねぶた祭]]></category>
		<category><![CDATA[第七代ねぶた名人]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=54459</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_115.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>ねぶた師と呼ばれる大型ねぶたの制作者は、「青森ねぶた祭」の顔を作る職人だ。なかでも竹浪比呂央さんは、長年にわたり高い技術で青森ねぶた祭に貢献した制作者が認定される「ねぶた名人」の称号を与えられた、歴代7人の1人。数百年続 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54459/">伝統を継ぎ、創造に挑む。ねぶた師･竹浪比呂央さん／青森県青森市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_115.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>ねぶた師と呼ばれる大型ねぶたの制作者は、「青森ねぶた祭」の顔を作る職人だ。なかでも竹浪比呂央さんは、長年にわたり高い技術で青森ねぶた祭に貢献した制作者が認定される「ねぶた名人」の称号を与えられた、歴代7人の1人。数百年続く民族行事としてのねぶたの伝統を継承しつつ、ねぶたを造形作品として新たな境地に挑む表現者でもある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">青森市が誇る、日本屈指の火祭り </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_142.jpg" alt="" class="wp-image-54469" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_142.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_142-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_142-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「青森ねぶた祭」は、青森県青森市で毎年8月2日から7日にかけて開催される夏祭り。20数台の大型ねぶたが、「ラッセラー」の掛け声とともに乱舞する跳人（はねと）、笛や太鼓を奏でる囃し（はやし）方とともに、街なかを練り歩く。開催期間中は、100万人を超える人出で賑わう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">眠流の民俗行事から一大祭典へ</h3>



<p>今や日本を代表する巨大祭典だが、その起源は民族行事だ。南部地方を除く青森県内では、各地で独自の“ねぶた”または、“ねぷた”と呼ばれる祭りが行われており、地域によって呼び方や形が異なるがルーツは同じで、七夕の習俗から発展したものと考えられている。諸説あるが、農作業のさまたげとなる眠気を流す「眠り流し」の影響が見られ、「ねぷてー（津軽のことばで眠いの意味）を流す」からねぶた･ねぷたに転じたという説もある。</p>



<p>青森市のねぶたの記録としては、1730年（享保15年）に大浜（現在の青森市油川）でねぶたを出したという古文書が残っている。記録の上ではこれが「青森ねぶた」が記録に現れた最初とされているが、実際にはそれ以上前から、記録に残すまでもない年中行事として行われていたと推察されている。</p>



<p>「青森市を含む県内各地のねぶたは、町衆の思いだけで何百年も伝わってきた。非常に珍しく貴重な祭りだと思います」と竹浪さん。長い時間の中で、世情が変わりまちの形が変わっても、ねぶたは受け継がれ、成長してきた。その裏には、この土地の人々の熱い情熱があるに違いない。</p>



<p>近代では、町内ごとにねぶたが作られ運行されてきたが、観光化の流れにのりどんどん大型化していくと、地域ねぶたの伝統は残りながらも、祭りの中心は企業を母体とする「青森ねぶた祭」へと移行。ねぶた制作者についても、もとは手先が器用なねぶた好きが作っていたものが、大型ねぶたは制作技術を高めた専門の制作者＝ねぶた師が作るようになった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">大型ねぶたの作り手「ねぶた師」</h3>



<p>かつてねぶた･ねぷたは和紙と竹で作り、中にはロウソクを灯していた。人形型や扇形があり、青森ねぶたは主に人形型である。戦後に国道の道幅が広がったことで、現在の横広の形に変わっていき、その後材料も進化。現代は針金に和紙を貼り、照明にはLEDを使っている。</p>



<p>制作者である「ねぶた師」は、2025年現在で十数人おり、竹浪さんもそのひとり。竹浪さんは、祭りが終わる前から次の年の題材を考えるという。題材となるのは歌舞伎や歴史、伝説が主。母体の企業とテーマをすり合わせて、文献や資料を調査し、構想をまとめて原画を描く。この原画の作業が、「ねぶた師の仕事の中で最も重要」と竹浪さん。「同じ題材、同じ場面でも、制作者の個性によって表現が異なります。切り取った場面を絵にする感性、色彩のセンスが問われるんです」と話す。正月頃までには原画の鉛筆デッサンを完成させ、顔や手足などの細部をあらかじめ作っておく。5月になると、「ラッセランド」と呼ばれるねぶた小屋へ移動。角材の支柱をベースに骨組みを作り、照明を取り付け、和紙を貼り、顔や輪郭などを墨で書く「書き割り」へと進んでいく。書き割りもまた、非常に重要な作業で、特に表情が決まる面入れは「何度臨んでも緊張する」と言う。これが終わるとロウで模様を付けて、絵の具や染料を調合した染料を使いハケや筆、スプレーなどで彩色して完成だ。</p>



<p>すべての作業をねぶた師が一人で行うのではなく、大工作業や紙貼り、照明の取り付けは専門家やスタッフが行い、その際ねぶた師は現場監督の役目も果たす。そうしてさまざまな人の手によって完成したねぶたを台車に乗せる「台上げ」の瞬間は、格別の感動があるという。構想から制作まで、実に一年をかけて作り上げるねぶた。竹浪さんもそうだが、複数台を手掛ける人もおり、それだけの力量を求められるのがねぶた師である。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「ねぶたを作るために生まれてきた」。ねぶたに魅了された人生</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_168.jpg" alt="" class="wp-image-54470" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_168.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_168-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_168-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>竹浪さんは旧木造町（現つがる市）の出身。そこにも地域密着型の小さなねぶた祭りがあり、竹浪さんが生まれ育った町内会からも毎年出陣していたという。幼い頃、そのねぶたに魅せられた。「3歳の頃からだったと思います。あまりにもねぶた、ねぶたと騒ぐ子どもだったようで。そのうちに、青森の大きなねぶたを見に連れていってもらったんです。そしたらもう、取り憑かれてしまいましたね」。</p>



<p>19歳から千葉作龍さん（第五代名人）のねぶた小屋に通い始め、手伝うようになる。「たくさんの制作者がいらっしゃる中で、千葉先生のねぶたは、とてもお洒落で新鮮に見えました。それで、この方のお手伝いをしてみたいと。門戸を叩くと、受け入れてもらえたんです」。それからは制作に没頭する日々を送り、1989年、30歳で大型ねぶたデビューを果たす。以降は青森ねぶた祭で毎年制作を手掛けるほか、1996年にブタペスト、1998年に東京ドーム、2007年にロサンゼルスと遠征での出陣ねぶた制作にも関わるなど、業界の中心的な役割を担うようになっていった。2010年、通年活動するための「ねぶた研究所」を立ち上げる。2023年には、63歳で第七代ねぶた名人に認定された。</p>



<p>「子どもにとってのおもちゃのように大事だったものが、大人になってもずっと同じように大事なんですよね。3歳、4歳のときと価値観が変わっていないのかもしれません」と、顔をほころばせる竹浪さん。「今は、ねぶたを作るために生まれてきたのだと思っています」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">立体感と色彩が、ねぶたに命を宿らせる</h3>



<p>竹浪さんは、戦いの場面はあまり好んで描かないという。「邪悪なものを払う、魔を払い除ける守護神のような、金剛力士、仁王像のようなものが多い」と言い、刀を持たせるにしても、武器としての意味合いよりは、魔を払い除けるために持たせることが多いそうだ。これは竹浪さんの個性であり、表現である。「毎年題材を決めるのが本当に大変」と竹浪さんが話す通り、青森ねぶた祭で制作されるねぶたは1年で約23台、10年だと約230台にもなるだけに、過去に作られたねぶたと同じテーマになることもあるし、場面が被ることもある。「創作の世界の中で、誰もが憧れの存在がいて、理想がある中で、自分のものをいかに出せるかが難しい」と胸の内を明かす。</p>



<p>そんな中で竹浪さんの「自分らしさ」は、ねぶたに奥行き感や立体感を生み出すことだという。「幅9メートル、奥行き7メートル、高さ5メートルの立方体の中に、登場人物の部位をいかに配置して収めるか。置き方一つで見え方がまったく変わってきますから、その部分に特にこだわっています」と話す。さらに、色の配置も重要とのこと。竹浪さんは、好きな赤色のような一つの原色を核として、そこからほかの色彩を散らしていくようなイメージで配置するという。祭り本番で、沿道の観客に遠くからゆらりゆらりとやってくるねぶたが力強く見えるように、色彩で力強さを表現するのだ。「それから、墨の線も存在感のある線を書くように意識します。色を塗るのはスタッフとの共同作業だったりしますが、墨の線だけは全部私が書きます。墨の線で特徴が出ますから」。迫り来るねぶたの勇壮さは、ねぶた師のこうした工夫と努力によって生み出されているといえる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">人に勝つより、自分に負けないこと</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_135.jpg" alt="" class="wp-image-54471" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_135.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_135-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_135-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>竹浪さんは、2025年の青森ねぶた祭において、青森菱友会の「海王（かいおう）」で、ねぶた大賞と最優秀制作者賞を受賞した。「海王」は、次の受賞ねぶたと入れ替わる2026年8月9日まで、「青森市文化観光交流施設 ねぶたの家ワ･ラッセ」で展示されている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_140.jpg" alt="" class="wp-image-54472" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_140.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_140-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_140-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2025年は青森市が開港400年という記念すべき年だった。これをテーマに、海に育まれて発展してきた青森市の歴史を改めて考え、更なる繁栄への願いを込めて、海の守護神ポセイドンの勇姿をねぶたで和の世界観に表現。日本の武者に扮したポセイドンの周囲に、鯱（体が魚、頭が虎の想像上の生き物）や、体が魚の竜を配置。後部には青森の海にもいるイルカを置き、舞台が青森の海であることを纏わせた。「波の色と鯱の黄色系との対比で、色彩のインパクトを出しています。また、墨の部分は、ポセイドンの腕や肋骨を表現する線を、あえて強く、荒っぽく描きました」と竹浪さん。受賞時には、「ガツンと迫力のある、これぞねぶたというのを表現できた」とコメントしている。竹浪さんの個性が存分に発揮されての受賞だった。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_137.jpg" alt="" class="wp-image-54473" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_137.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_137-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_137-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大賞を受賞したねぶたは、ワ・ラッセの「ねぶたホール」の最も人目を引く特等席に据えられる。「海王」の前に立ち、竹浪さんは語った。「来年もまたこの場所に戻ってきたいと、来る度に気合いが入ります。毎年ねぶたを作っていて、毎回本当に悩みますけれども、でもその悩みが楽しみでもある。スポーツのように数字であきらかな結果が出るようなものではないので、人に勝つというより、自分に負けないという、そういう目標を掲げています。自分が作りたいと直感で思ったものを、絶対に妥協しないこと。誰に言うこともないですけれど、自分に負けないっていうのは大事にしています」。</p>



<h2 class="wp-block-heading">未来を想って、ねぶたを新たな造形へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_04.jpg" alt="" class="wp-image-54474" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_04.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_04-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_04-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>竹浪さんがこの世界に入った時代、ねぶた師はまだ職業として確立されていなかった。制作に一年をかけても、それで食べていけるわけではなかったのだ。だが、ねぶたは成長を続け、世界に誇れるほどになった。竹浪さんのもとへも、移住してまでねぶたを作りたいという人がくる。「来てくれる方々は、これからのねぶたを支えていく人たち。ねぶたを未来に繋ぐためにも、そういう方々がねぶた師として食べていけるよう、職業として確立していかなければならない。ねぶたを祭りの道具としてだけでなく、造形作品としての価値を見出すことで、可能性を広げていけないか」。研究所を立ち上げたのは、そんな想いからだったという。</p>



<p>しかし、研究所の設立当初は、風当たりが強かったという。「ねぶたは芸術ではなくて、あくまで祭り」という声が多かったのだ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_03.jpg" alt="" class="wp-image-54475" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_03.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_03-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_03-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>それでも竹浪さんは、｢紙と灯りの造形｣ をコンセプトに、ねぶたの新たな可能性を追求し続けた。ねぶたの技法を使ったインテリア雑貨やアパレルなどのブランド「NEBUTA STYLE」を立ち上げたり、レストランやホテルに飾るオブジェを制作したり。これらを手掛ける造形作家としての側面も持たせることで、生計を立てられる仕組みを作っていった。その上、この新たなプロダクトはねぶたの魅力発信にも繋がる。思い描いた夢が少しずつ叶っていくと同時に、周りの意識も変わってきたと、竹浪さんは感じている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_181.jpg" alt="" class="wp-image-54476" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_181.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_181-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_181-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>竹浪さんのこれからの目標は、ねぶたを日本の文化、和紙の造形作品として、より広く世界に発信していくこと。「これまでに行ったアメリカやブタペストでは、ねぶたに灯りを入れるとどよめきが起こりました。みなさんすごく驚き、喜んでくださるんです。まだねぶたを知らない、ヨーロッパなど別の国にも持っていってみたいですね」。そう語る竹浪さんの眼差しはとても輝いていて、ねぶたに憧れ続けた少年の目が、今もそこにあるかのようだった。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54459/">伝統を継ぎ、創造に挑む。ねぶた師･竹浪比呂央さん／青森県青森市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/54459/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>農家の未来を見据え、儲かる農業を目指す「黄金崎農場」／青森県弘前市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54448/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/54448/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 07 May 2026 10:01:38 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[キャベツ]]></category>
		<category><![CDATA[JGAP認証]]></category>
		<category><![CDATA[おきな]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=54448</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/koganezaki_66.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>全国でもトップクラスの広大な土地で葉物野菜や加工用じゃがいも、種芋など30品種以上の野菜を生産する「黄金崎農場（こがねざきのうじょう）」。取引先には大企業も名を連ね、2025年には、キャベツが青森県初のJGAP認証を取得 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54448/">農家の未来を見据え、儲かる農業を目指す「黄金崎農場」／青森県弘前市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/koganezaki_66.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>全国でもトップクラスの広大な土地で葉物野菜や加工用じゃがいも、種芋など30品種以上の野菜を生産する「黄金崎農場（こがねざきのうじょう）」。取引先には大企業も名を連ね、2025年には、キャベツが青森県初のJGAP認証を取得。地元産野菜の底力を見せ、未来の農家を支える取り組みを続ける。</p>



<h2 class="wp-block-heading">広大な土地と利便性を生かした青森らしい農業</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/koganezaki_27.jpg" alt="" class="wp-image-54454" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/koganezaki_27.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/koganezaki_27-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/koganezaki_27-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>500ha（東京ドーム100個分）の土地に、じゃがいも、キャベツ、大根などのほか30品種以上の種芋を全国へ届けている「黄金崎農場」。取引先は北海道から沖縄までと広く、カルビーポテトや湖池屋など大手企業の名も並び、青森の土地環境を生かした農業を続けている。</p>



<p>規模の大きさや品質以外に、青森ならではの利点があるという。そこに着目したのが、創業者の佐々木君夫さんら4人の農家だった。彼らは、北海道に似た気候と土地の利便性を生かし、持続可能な農業経営を目指したという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">農家でもサラリーマン並の給料を</h3>



<p>佐々木さんが同社を設立したのは、1976年。20代の頃だった。天候や野菜の価格の不安定さを危惧し、「サラリーマンのような安定した収入のある農業はできないか」と仲間4人で話し合い、法人組織を発足。これにより、規模の拡大やコストダウンも期待でき、利益が出れば給料になると考えたのだ。</p>



<p>当初から取り入れたのが、土地利用型農業だ。土地利用型農業とは、広大な土地を利用し、大型機械やスマート農業を導入して作業の効率化や、同じ作物を同じ畑で栽培し続けることで土壌環境が変化して生育が悪くなってしまう連作障害の軽減も期待できる農法で、北海道型の大規模農園を目標とした。北海道のような規模を想定したのは、ひとつは気候が似ていることにある。じゃがいもなどは冷涼な地域が適地の品種が多く、青森の昼夜の寒暖差も高品質なじゃがいも生産に向いているという。</p>



<p>さらに、青森の最大の強みは陸路での流通が可能という点だ。特に葉物野菜は一日でも早く届けることが重要となるため、北海道に比べると関東圏の取引先などは有利といえる。気候と流通の強みを生かし、青森ならではの大規模農園を定着させようと考えたのだ。</p>



<p>佐々木さん達は若者らしい行動力の早さで土地を見つけ、さっそく企業法人経営をスタートさせた。見つけた土地は、西海岸に面した深浦町の「黄金崎」岬の丘陵地で、朝から晩まで開墾をしながら資金繰りを猛勉強する日々だったという。農家の給与面の不安定さは今も昔も課題となっているが、そこを解決することで次世代の若手育成も視野に入れながら、突き進んでいったという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「儲ける農業」から「損をしない農業」へ</h3>



<p>土地を開墾し、じゃがいもやにんじん、メロンにスイカなどさまざまな品種の野菜を作り、市場へ持ち込んだのだが、期待通りの収入にはつながらなかった。そこに冷害などが重なり、生活もままならない状況が続き岐路に立たされた佐々木さんらは、市場への出荷をストップさせる道を選んだ。相場に左右されるよりも、自らが売価を設定して売り込もうと考えたのだ。創業から6年ほど経った頃だった。</p>



<p>営業先は、東京の商社。営業経験はなかったが、良い農産物を大量に安定して仕入れたいという先方の要求と、佐々木さん達の農業形態がうまく合い、交渉は順調に進んだ。「儲け一辺倒」から価格の安定した「損をしない経営」、「作る農業」から「売る農業」へと方向性を変えていったという。</p>



<p>じゃがいもや大根などを中心に契約栽培をし、売上も徐々に伸びていった。利益が出たことで経営面積も増え、黄金崎に250ha、弘前市の岩木山麓に250haという広大な農園に成長していったのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本でも有数な高品質の種芋</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/koganezaki_05.jpg" alt="" class="wp-image-54455" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/koganezaki_05.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/koganezaki_05-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/koganezaki_05-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>取引先を増やすと同時に行ったのが、高品質な種芋（たねいも）の生産。種芋とはじゃがいもなどの繁殖用として植える芋のことで、当初は加工用のじゃがいもを生産していたのだが、使用した種芋の状態が悪く、納得のいく出来にならなかったそう。それならば自分達で種芋から作ろうと考えたのが始まりだという。高品質なじゃがいも栽培には、種芋の品質も重要になってくる。</p>



<p>しかし、「じゃがいも栽培以上に、種芋栽培は難しい」と言われるほどで、病害管理が非常に厳しくウイルスや細菌に感染させないことが絶対条件となる。また、冷涼で災害発生が少ない立地であることや、異なる品種が混同しないよう距離をあけるなど、品質管理の徹底が必要なのだ。難しい分野への挑戦ではあるが、国産じゃがいもの品質を守りたいと、試行錯誤を繰り返した。</p>



<p>その中でも同社の強みとなったのが、広大な土地だ。異なる品種の種芋を植えても混同するリスクが少なく、連作障害も防げる。</p>



<p>その努力が徐々に実を結び、今では全国のじゃがいも農家へ黄金崎農場の種芋を届けるほどになった。特に多品種の種芋を栽培している農場は数少ないため、日本のじゃがいも生産を支えているといっても過言ではないのかもしれない。</p>



<p>「今では黄金崎農場といったら芋という方もいるほど定着しています。ただ、品種の特性を把握したり、風乾及び冷蔵保存できる施設が必要にもなります」と話すのは現代表取締役社長の東正浩さん。企業の担当者と連携してアドバイスをもらうなど、安定供給できる仕組みづくりを続けているそうだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">次世代へとつなぐ想い</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/koganezaki_10.jpg" alt="" class="wp-image-54456" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/koganezaki_10.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/koganezaki_10-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/koganezaki_10-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「昨年、加工用のキャベツがJGAPを取得しました。これは、企業や消費者の方の信頼にもつながると思っています」と話すのは、専務取締役の大倉和則さん。JGAPとは「Japan Good Agricultural Practice（日本の良い農業の取り組み）」の頭文字を取った日本発の農業生産工程管理の認証制度で、農業におけるリスク（農薬管理、異物混入、労働災害など）を減らし、安心・安全な農産物を安定的に生産するための基準だ。</p>



<p>主にカット野菜用で出荷しているキャベツは「おきな」という品種で、スーパーなどでよく見かける千切りキャベツなどにも使用されている。コールスローなどみじん切りに近い状態でもボリュームが出る固めの葉で、パリッとしていて歯ごたえがある。全国的に展開しているチェーン店の餃子にも使用されているそうだ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/koganezaki_78.jpg" alt="" class="wp-image-54457" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/koganezaki_78.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/koganezaki_78-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/koganezaki_78-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「土づくりが重要になりますが、広さもあって時間もかかります。18ha／枚くらいある大きな畑だとトラクターで何周もしないといけないので、そこをAIなどで自動化できないかと考えています」と大倉さん。コスト面の問題もあるが、規模が大きいからこそドローン（令和8年5月7日納品）や機械の導入などは積極的に取り入れ、時代に合わせた仕組みづくりをし、環境整備を考えていきたいと話す。</p>



<p>また、広大な土地だからこそ、さまざまな品種にチャレンジできるメリットもある。昨年挑戦した玉ねぎは納得のいく出来にはならなかったが、大倉さんは「原因は必ずあるので、解決できればうまくいくと思っています。いつか産地になるかもしれません」と、意欲的だ。失敗を恐れるのではなく、そこから学んでいく姿勢が黄金崎農場をここまで成長させたのかもしれない。</p>



<h3 class="wp-block-heading">佐々木さんからつなぐ未来の農業</h3>



<p>実は大倉さんは茨城県からの移住者で、佐々木さんの想いに魅せられ入社を決意したという。「以前は30年ほど営業職をしていました。でも、佐々木さんの人柄と想いに惹かれてここに来たんです」。</p>



<p>長年農家の未来を願い、つなげようと奮闘した佐々木さんの姿は、さまざまな人の気持ちを動かしたようだ。大倉さんが勤めて間もなく亡くなったそうだが、次世代へとバトンをつないでほしいと、その想いごと託されたのだという。</p>



<p>「人手不足や高齢化など、農業の課題はまだまだあるかもしれません。それでも、国産野菜の重要性、日本の食を支える手助けをするため、地域農業の発展に貢献していきたいですね」。</p>



<p>佐々木さんが思い描いた農家の夢は、今の世代へとしっかり受け継がれている。日本の食を支える人達が、これからも継続し続けられる仕組みづくりは、今後さらに広がりをみせてくれそうだ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54448/">農家の未来を見据え、儲かる農業を目指す「黄金崎農場」／青森県弘前市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/54448/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>青森のりんご農家を支える「地方独立行政法人青森県産業技術センターりんご研究所」／青森県黒石市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54394/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/54394/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 20 Apr 2026 11:55:38 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[りんご]]></category>
		<category><![CDATA[りんご生産量]]></category>
		<category><![CDATA[ふじ]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=54394</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/DSC_0205.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>全国でのりんご生産量が約60％を占めており、日本一のりんご王国と言われている青森県。県内では、甘さと酸味のバランスが良い「ふじ」や、果汁が多く柔らかい「つがる」などをメインに約50種類が栽培されている。りんごの収穫量を維 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54394/">青森のりんご農家を支える「地方独立行政法人青森県産業技術センターりんご研究所」／青森県黒石市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/DSC_0205.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>全国でのりんご生産量が約60％を占めており、日本一のりんご王国と言われている青森県。県内では、甘さと酸味のバランスが良い「ふじ」や、果汁が多く柔らかい「つがる」などをメインに約50種類が栽培されている。りんごの収穫量を維持していくためには、病害虫対策や品種改良が不可欠となる。その研究を行うのが青森県黒石市にある「地方独立行政法人青森県産業技術センターりんご研究所」（以下、青森県産業技術センターりんご研究所）。同施設は、今や青森県のりんご農家にとってなくてはならない施設となっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">県内りんごの品質を支え、守り続ける施設</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0123.jpg" alt="" class="wp-image-54401" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0123.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0123-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0123-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>りんごの原産地は中国の天山山脈からロシアのコーカサス地方にかけてといわれている。そのりんごがギリシャやローマ、ヨーロッパ、やがてアメリカへと広がっていった。その頃、日本では明治政府が外国から様々な果樹の苗木を取り寄せ全国に配布。当時、りんごは主にアメリカやフランス、イギリスなどから輸入されており、本県に配布されたのが生食に向いたアメリカ産りんごの苗木だった。このことがきっかけとなり、青森県で、生食用りんごを主とした栽培が始まったのだ。特に県の西部に位置する黒石市や弘前市などの津軽地方は、冷涼な気候と、昼夜の寒暖差があることで糖度が高まるため、りんご栽培には適した地域となっている。</p>



<p>しかし、明治30年代から栽培が進むにつれて病害や害虫により、収穫が困難となり廃園する農家も増えてきた。そこで、病害虫の対策がしっかりと出来るように、昭和6年「西洋から渡来したりんご」という意味の「苹果（へいか）試験場」を設立。平成21年に「青森県産業技術センターりんご研究所」と名前を変え、病害虫の対策の他、新品種の開発なども行っている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">毎年一定量の収穫が出来るように、研究結果を農家と共有  </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0329.jpg" alt="" class="wp-image-54402" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0329.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0329-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0329-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>青森県産業技術センターりんご研究所は、青森県黒石市の自然豊かな環境にあり、敷地内には24.8ヘクタールの農地も保有している。「ここでは消費者の需要が高く、栽培率も高い『ふじ』『王林』『ジョナゴールド』など多種多様な（実際、数百種類のりんごを栽培しています）りんごを栽培しています。年間を通して木の状態や実の付け方、農薬の散布と虫の発生するタイミングなどの研究を行い、その結果を農家と共有することで、安定した収量を上げられるようにしています」と話すのは、所長の福田典明さん。</p>



<p>気温の変化や降水量、日照期間、積雪量を数値化し、落葉、発芽、発育状況、熟度経過、品質など細かく研究していく。「県内でも気候が違うので、地域ごとに調査しています。地道な作業ですが、とても大事な調査ですね」と話すように、細かいデータがあるからこそ、りんごの栽培方法を的確に農家に伝えることができるのだろう。</p>



<p>りんご栽培は、冬の間に日当たりを考えながら剪定を行い、春に花が咲いたタイミングで花の数を制限する。この作業をすることで、一つひとつに十分な栄養が行き渡るという。そして、秋には実に接している葉を取り、“玉回し”といって実を回転させることでまんべんなく日光を当て全体を均等に赤くする。こういった手入れを丁寧に行う事で毎年同量の収穫が出来るようになっていく。</p>



<h3 class="wp-block-heading">害虫と闘いながら農薬を減らす取り組みも</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0260.jpg" alt="" class="wp-image-54403" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0260.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0260-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0260-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「りんごは病害虫が最大の弱点で無農薬栽培は厳しいと言われています。もちろん減農薬を望む農家もいるためサポートはしていますが、温暖化などの影響でこれまで発生がみられなかった虫や病気も確認されているので、減農薬も簡単ではないですね。」と現状を話す。</p>



<p>葉に寄生して光合成を抑制してしまう「ハダニ」をはじめ、最も厄介なのが果実の中に侵入する「モモシンクイガ」だという。食害されると商品にならなくなってしまうため、農家にとって天敵だ。防除する方法として、農薬や交尾の抑制が主な対処法だが、高齢化や担い手不足により管理されず放置された状態のりんご園が増えていることで、発生源がなくならないことが現在の大きな問題となっていると福田さんは話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">これまで発生がみられなかった病気にも負けない農薬を研究し続ける</h3>



<p>害虫だけではなく、病気対策の研究も行っている。カビを発生させ亀裂や奇形を引き起こす「黒星病」への対策はもちろん、最近は温暖化の影響で、これまで青森県ではみられなかった、早期落葉や樹勢低下を招く「褐斑病（かっぱんびょう）」、果実を腐らせる病気、「炭疽病（たんそびょう）」や「輪紋病（りんもんびょう）」など暑い地域でしかみられなかった病気も出てきているという。</p>



<p>病気は気候などで変化することもあるため、常に同じ対策では農薬が効かなくなることもある。そのため、発生した病気に対しどんな農薬が効くのか、どの時期に何回散布するのが効果的かなど研究を続けていく必要があり、終わりなき闘いなのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">後継者不足の解消にも力を入れた取り組み</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0251.jpg" alt="" class="wp-image-54404" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0251.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0251-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0251-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「放任園を増やさないために、様々な取り組みもしています」と話すように、りんご研究所では、新規就農者が参入しやすいよう、農薬を散布する時期や病害虫の対策を分かりやすく明記した「りんご病害虫防除暦」を作成。これは、ベテランの農家の方からも好評で、今ではりんご農家には必要不可欠なものになっているという。</p>



<p>また一般の人にりんごをもっと身近に感じてもらい、新規就農のきっかけにもなればと、年1回「りんご研究所参観デー」を開催している。このイベントで地元も果物にも関心を持てるように、農地の一般公開や研究成果の展示、果樹栽培の相談も行っている。「少しでもりんご農家に興味を持ち、自分でもやってみたいという人が増えていけば嬉しいですね」と期待を寄せている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">味や栽培方法などをクリアし、次世代を担う品種改良にも挑戦</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0300.jpg" alt="" class="wp-image-54405" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0300.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0300-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/ringokenkyujo-_N1_0300-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>りんごは多くの品種があり、中でも現在は「ふじ」の売れ行きが最も良く、次いで「つがる」「ジョナゴールド」「王林」の4種類が約8割を占めているという。「この次にヒットするようなりんごを作りたい」という想いで、近年「紅はつみ」という新しい品種が開発された。味が濃くて酸味がある後味が特徴だ。</p>



<p>新しい品種ができるまでには、硬さや酸味のバランス、果汁の多さを総合的に評価しながら新品種の開発を進めていく。何年もの歳月をかけて完成した「紅はつみ」は、これからもっと生産者を増やし、消費拡大を目指して行きたいと福田さんは意気込みを見せる。栽培技術の研究や病害虫の研究、そして農家の指導など、様々なことを行っているりんご研究所。りんごの研究は緻密なものが多く、一年間で出せる成果は限られているという。しかし、その研究結果こそがりんご農家には欠かせない情報であり、次世代に繋げていくものにもなっている。現在、気候変動や病気にも強い新品種の改良が進められているので、今後どんな美味しいりんごが誕生するのか期待が高まっていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54394/">青森のりんご農家を支える「地方独立行政法人青森県産業技術センターりんご研究所」／青森県黒石市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/54394/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>創設者の想いをつなぐ、南部裂織伝承者･小林輝子さん／青森県十和田市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/53950/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/53950/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 02 Feb 2026 11:11:58 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[織物]]></category>
		<category><![CDATA[南部裂織の里]]></category>
		<category><![CDATA[青森県伝統工芸士]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=53950</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_43.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>そのむかし雪国青森では綿の栽培は難しかったため、布は大切に使われた。着古した着物は最終的に裂き、地機で織り込んで仕事着などを作るようになるが、これが後に南部裂織(なんぶさきおり)と呼ばれるようになる。小林輝子(こばやして [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53950/">創設者の想いをつなぐ、南部裂織伝承者･小林輝子さん／青森県十和田市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_43.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>そのむかし雪国青森では綿の栽培は難しかったため、布は大切に使われた。着古した着物は最終的に裂き、地機で織り込んで仕事着などを作るようになるが、これが後に南部裂織(なんぶさきおり)と呼ばれるようになる。小林輝子(こばやしてるこ)さんは創始者の想いを受け継ぎ、南部裂織の魅力を令和のいまに広めようと奮闘中だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">南部裂織とは</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_42.jpg" alt="" class="wp-image-53958" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_42.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_42-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_42-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<h3 class="wp-block-heading">この土地ならでは、といってもいい南部裂織の歴史的背景</h3>



<p>「物を大切にする女性たちの知恵」から生まれた南部裂織は200年以上の伝統があり、その歴史は江戸時代まで遡る。雪深い青森では綿花が育ちにくく、北前船で運ばれた木綿や古手木綿はとても貴重だったため、その頃の農家は栽培した天然繊維の麻を織物にして着ていた。はぎれも粗末にせずに重ねて刺し子にしたり、最後には裂いて繋いで一枚の布に仕上げたりしていた。南部裂織の原型だ。</p>



<p>明治26年に鉄道が開通すると木綿の着古された布がこの地方にも流通するようになり、農家たちは麻袋を解いた糸を経糸(たていと)に、そして使い古した布を細くテープ状に裂いて緯糸(よこいと)にして地機(じばた)で織り込むようになった。厚くて手触りがゴワゴワとした裂き織りは、冷たい風が吹き荒れるこの地方には親和性があり、仕事着やこたつ掛けとして使われてきたという。「このようにして、この地域の人々は寒さを乗り越えるために様々な工夫をして生きてきたんです」と小林さんは話してくれた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">多種多様であるとともに、全て一点ものという仕上がり</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_3810.jpg" alt="" class="wp-image-53959" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_3810.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_3810-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_3810-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「麻糸と1㎝くらいの幅に裂いた古い木綿を地機で織る」というとてもシンプルな織物なのにもかかわらず、織り方の種類は決して少なくない。最も基本的な平織(ひらおり)、布と糸を交互に織り込むサグリ織り、整経するときに２色の糸を掛けてできる市松織り(いちまつおり)や網代織り(あじろおり)、斜めの目が面白い引き返し織り、布の中に模様をつくる綴れ織り(つづれおり)などと、そのほかにもバリエーションは数多い。</p>



<p>現在では地機を使った伝統的な技法を活かしながら、仕上がりがとてもカラフルなこたつ掛け、トートバック、ベッドカバー、タペストリー、スリッパなど、現代の生活にマッチした様々なアイテムが制作可能だ。</p>



<p>そして南部裂織の大きな魅力のひとつに、「世界のどこにもないオリジナルの物を作ることができる」というものがある。「たとえ同じ布を使ったとしても、どのタイミングで織り込むか、また織る際の力の入れ方によっても、全く風合いは変わってしまうんです。同じものを作ろうと思っても、二度と作れません」と小林さんは笑う。「南部裂織の一つひとつが唯一無二」と言われる所以でもある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">南部裂織保存会のはじまりは奇跡的な出会いから</h2>



<p>それは小林さんの妹、1971年当時35歳の菅野暎子(かんのえいこ)さんが、好きだった叔母の形見分けに臨んだところから始まる。ボロボロで誰もいらない、とでもいうように部屋の隅に紫の裂織の帯が置いてあったが、菅野さんはその味わいのある色と丹念に織られた風合いに強く惹かれてしまい、「誰もいらないなら…」と持ち帰ったという。そしてその帯を見れば見るほど、菅野さんは温もりのある手織りの表情に魅せられて、裂織を知りたいと強く思うようになっていった。</p>



<p>しかしその頃には「着古した衣類やボロを織ることが恥ずかしい」として南部裂織はすでに消滅しかけていたが、そのルーツと織り方を教えてくれる人を根気よく探し歩き、翌年に十和田湖町の”東山きゑ”さんと”赤坂みせ”さんに辿り着く。二人から「裂織なんかやっても一銭にもならないよ」と言われて断られていたが、誠意を持って何度も通っているうちにようやく教えてもらえるようになったという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">燃えるような情熱で南部裂織に捧げる人生</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_4336.jpg" alt="" class="wp-image-53960" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_4336.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_4336-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_4336-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>菅野さんはもう一度南部裂織の価値を見直すとともに、技術と精神を学んで自らも継承者となり、1975年7月7日の棚機の日に南部裂織保存会を設立。自宅で「さきおり教室」を始め、裂織の普及に心血を注ぐとその功労を高く評価され、「青森県伝統工芸士」に認定されるなど多くの受章に輝く。</p>



<p>また「より多くの方々に南部裂織を知ってもらいたい」との想いから、何年にもわたって十和田市に掛け合い、2002年道の駅「とわだぴあ」の隣に十和田市の施設として、匠工房「南部裂織の里」のオープンにこぎつけた。75台ほどの地機がずらりと並ぶさまは壮観で、そのほとんどは菅野さんが集めたもの。「十和田市内･南部地方はもちろん、情報を聞きつけては福島県などを訪ね歩いて集めた機もあるようです」と、愛おしそうに地機を眺めながら小林さんは教えてくれた。</p>



<p>菅野さんは2003年10月に保存会設立30周年記念南部裂織フェスタin十和田を成功させると、2004年3月に他界した。がんを患っていたが最後まで隠していたという。享年67歳だった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">姉が想いをつなぐ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_38.jpg" alt="" class="wp-image-53961" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_38.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_38-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_38-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ボロを織るのが恥ずかしいと思われる時代だったため、当初世間体が悪く、南部裂織否定派だったという小林さん。ところが菅野さんが南部裂織に携わって10年ほどした頃、ちょっとしたきっかけで南部裂織をやってみるとすぐその魅力に取りつかれる。「織り機に座って、布に触れて織るというのが心底楽しくて、当時疲れていた私には本当に癒やしでした。気づけば夜中の1時、2時なんて当たり前。私が南部裂織に真剣に向き合うようになったのはそれからです」と小林さんは笑う。</p>



<p>現在では南部裂織保存会の会員は130名で、その多くは主婦だ。女性は子育てなど様々な悩みや苦労があるものだが、「それをここに全部捨てていきなさい」という創立者の想いを受け継いでいて、ここに来てストレスをためるようなことは一切ないように努力しているのだそう。また、何時集合･何時解散という決まりが無いという毎週水曜日開催の教室で学ぶ生徒は50名ほどで、仲が良いため常に笑いが絶えず、市の文化祭に向けて1年に1アイテムは作って全員提出できるよう進めている。</p>



<p>教室以外に体験することもでき、外国の方や児童･生徒の団体も多いのだそうだが、「特に子供たちにとっては新鮮らしく、楽しそうに織っているんですよ」と小林さんは目を細める。ここに体験に来て「お父さん、この織り機が欲しいから買ってほしい」とねだった子もいたのだそう。体験した人の数は11,000人を超えたという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">創始者の想う、南部裂織のあり方を守る</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_40.jpg" alt="" class="wp-image-53962" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_40.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_40-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_40-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>緯糸(よこいと)に使う使い古した布は、ホテルや旅館の浴衣が届いたり、相撲部屋など全国からの寄付でまかなっているのだそう。「お婆さんが亡くなった、母親が亡くなった、でも捨てるにもったいないから引き取ってくれますかと言って送ってくれる方もいらっしゃいます。だから、みんなに支えられているんです」と小林さん。</p>



<p>そうやってたくさんの人々に支えられながら南部裂織を広めたいと思っている小林さんだが、「芸術家を養成する施設ではないんです、後世に裂織を伝えてつなげていくのが一番です」とも話す。まだ菅野さんが運営していた時、愛好者が多くなった他の自治体から「コンテストをやりたいから企画して審査してください」とオファーがあったそうだが、裂織は絶対に競争するものではないとの信念から、ピシャリと断ったのだそう。小林さんは「裂織は競争するもんじゃない、全て一等賞。自由に、自分の感性で好きなようにやればいいんです。それは妹から引き継いだ強い想いのひとつでもあります」と話してくれた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">会の半世紀の軌跡とこれからの試み</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_39.jpg" alt="" class="wp-image-53963" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_39.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_39-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_39-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2025年に南部裂織保存会はちょうど50周年を迎え、その記念事業として「次世代につなぐ」をテーマに記念作品展･無料体験会を開催し、受け継いできた手技を見せる500点以上もの作品、各教室で織りつないだ50mの織布を展示するなど、様々な挑戦も試みている。「南部裂織は地元の誇るべき文化で今後の地場産業にもなりうる」との想いから、伝統的なものに加えて現代にもマッチした裂織も製作･販売中だ。フランス在住の日本人デザイナーから、男性用スーツのための藍染の裂織布地のオーダーがあったことも。</p>



<p>「今はスイッチを押すと電気で何でも動くでしょ。昔と変わらず自分の手足がエネルギーとなって物が作れる、と子どもたちに伝えていかなきゃダメだと思っています。南部裂織が色あせないのは、ものを大事にするという誰もが持ち合わせている気持ちがあるからなんでしょうね。もっとたくさんの人に知っていただくのが私の使命です」と小林さん。南部裂織の伝統と創始者の想いを引き継ぎ、また、誰もが居場所のある社会にするべく、今日も小林さんたちはいろとりどりの経糸(たていと)に、裂いた布を緯糸(よこいと)にして一段一段織りこんでいく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53950/">創設者の想いをつなぐ、南部裂織伝承者･小林輝子さん／青森県十和田市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/53950/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>顧客の好みに合わせたオーダーメイドの魚を。未来を見つめて漁師と切磋琢磨する「塩谷魚店」／青森県青森市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/53871/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/53871/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 14 Jan 2026 06:37:25 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[Coastal Craftsmen: Northern Japan Nerve-Squeezing Association]]></category>
		<category><![CDATA[Fishing Industry]]></category>
		<category><![CDATA[Nerve Squeezing]]></category>
		<category><![CDATA[Michelin Guidebook]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=53871</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2161.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本海、太平洋、津軽海峡、陸奥湾の4つの漁場を持つ青森県。その中央に位置する青森市で、鮮魚の卸･小売店「塩谷（しおや）魚店」を営む五代目の塩谷孝さんと息子の直紀さんは、神経締めなど高度な技術を用いて、県内外の料理人一人ひ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53871/">顧客の好みに合わせたオーダーメイドの魚を。未来を見つめて漁師と切磋琢磨する「塩谷魚店」／青森県青森市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2161.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本海、太平洋、津軽海峡、陸奥湾の4つの漁場を持つ青森県。その中央に位置する青森市で、鮮魚の卸･小売店「塩谷（しおや）魚店」を営む五代目の塩谷孝さんと息子の直紀さんは、神経締めなど高度な技術を用いて、県内外の料理人一人ひとりの要望に合わせた魚を届けている。根底にあるのは、漁業の衰退を食い止め漁師に恩返しがしたいという強い想いだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">青森が誇る魚を、最高のクオリティで届ける</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2243.jpg" alt="" class="wp-image-53879" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2243.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2243-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2243-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>三方を海が囲む青森県は、日本海側、津軽海峡、太平洋側、そして内湾である陸奥湾の4つの異なる性質の漁場を持つ魚介類の宝庫だ。日本海側では対馬暖流が北上し、その一部が津軽海峡に入って津軽暖流になり、太平洋側へと抜けていく。津軽暖流と北からの親潮、南からの黒潮は八戸沖でぶつかる。青森県の各漁場で多種多様の漁があり、漁師たちは海と向き合い伝承してきた技術を用いて、質のいい水産物を水揚げしている。</p>



<p>そんな豊かな青森の海の恵みを、豊富な知識と高度な技術、そして何より熱い想いで最高品質の商品に仕上げて料理人や消費者に届けているのが、青森市の鮮魚の卸･小売店「塩谷魚店」だ。店を切り盛りする五代目の塩谷孝さんは、「浜の仕事人 北日本神経〆師会」の代表でもある。同会は孝さんが発起人となり、青森県、北海道、岩手県、宮城県などの神経締めに取り組む漁業関連者で結成された組織。神経締めとは、魚の鮮度を保つために魚の死後硬直を遅らせる技術のことだ。これにより、離れた場所にも鮮度の高い魚を届けることができる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">悔しさを力に変えて辿り着いた神経締め</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2377.jpg" alt="" class="wp-image-53880" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2377.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2377-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2377-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>孝さんが神経締めに取り組むようになったきっかけは、青森から遠く離れた西日本で「青森の魚は鮮度が悪く美味しくない」と言われたことだったという。1933年（昭和8年）に魚屋4軒が集まり始まった「塩谷魚店」は、孝さんが入った頃には近隣の飲食店やホテルが主な取引先だった。「美味しい青森の魚を県外の人にも食べてもらいたい」と考えた孝さんは、40代半ばを過ぎた頃、全国展開に挑戦。しかし遠方への輸送は時間がかかり、先の言葉を耳にすることになる。</p>



<p>「なんとか青森の魚を新鮮なままで全国に届ける方法がないか」と、悔しさをバネに勉強と研究を重ねて辿り着いたのが神経締めだった。さらには直紀さんとともに佐井村や深浦町など県内の漁村の漁師のもとに出向き、知識や技術を漁の現場と共有することにも力を注いだ。締めるときの魚の状態が美味しさに直結するため、いかに漁師がいい状態で魚を獲り、適切な処理を施すかが重要になるからだ。関係者が一体となって高みを目指すために、情報交換や技術向上の機会を創出しようと立ち上げたのが「浜の仕事人 北日本神経〆師会」であり、その決起のときには、愛媛や神奈川などから神経締めのプロフェッショナルがレクチャーしに来てくれたという。塩谷さん親子の熱意に心を動かされ、二人と想いをひとつにした漁師は少なくない。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ワンチームでオーダーメイドの魚を作る</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2197.jpg" alt="" class="wp-image-53881" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2197.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2197-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2197-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>独自のスタイルに進化させた技術を駆使して、青森の漁師たちと塩谷魚店がワンチームで作る魚には、いまや全国の名だたるシェフが注目している。求めた通りか、それ以上の魚が届くからだ。塩谷魚店では、注文が入るとあらかじめ信頼できる漁師に「こういう魚が欲しい」と説明をする。すると漁師は締めるタイミングが船の上のほうがいいのか活魚のまま送るのがいいのか、生簀をどんな状態にしておくのがベストなのか、要望に応えるべく都度見極める。そうして届いた魚は塩谷魚店でも管理を徹底し、その魚が何を食べているかまで考慮しながら、神経締めなど適切な処理を選択する。両者のプロフェッショナルな仕事の連携が、塩谷魚店が大切にする「お客さん一人ひとりに合わせたオーダーメイドの魚」を作ることを可能にするのだ。</p>



<p>「オーダーメイドのスーツを着るとぴったりだと満足できるように、値段以上の満足感を感じてもらいたい」と孝さんは話す。「食感重視か、それとも香りかというように、料理人それぞれに欲しい要素は異なります。私たちは魚ごとの個性を熟知したうえで、料理するタイミングまで計算してその要望に応えていく。そして食べる方が口に入れたときに最高に美味しいと思う魚を作ることが、オーダーメイドの魚を作るということ。神経締めは、そのための手段のひとつなのです」。</p>



<h2 class="wp-block-heading">魚種、状態、要望によりプロセスを変える、塩谷さんの神経締め</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2580.jpg" alt="" class="wp-image-53882" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2580.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2580-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2580-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>神経締めは脊髄を破壊する処理であり、脳を破壊する悩殺、血を抜く放血、のふたつの処理を一緒に行うのが一般的。孝さんの卓越しているのは、届いた魚の種類や状態、顧客の要望によって悩殺を優先するか放血を優先するかを見極めて、味や鮮度を調整することだ。「悩殺優先では血抜きよりも先に脳を破壊し神経締めすることで、ある程度の血を残します。あえて血を残したほうが香り、旨みがでてくるので、届いたらすぐに使うというお客様には悩殺を優先しています。一方放血優先は血抜きに特化した手法です。血が残ると身の劣化が早まるので、寝かせたいなどの理由ですぐに調理をしないお客様にはこちらで行います」と話すのは直紀さん。孝さん直伝の職人技で、悩殺をレクチャーする。</p>



<p>ワイヤーで脊髄の神経を破壊するのが神経締めだ。どこに神経が通っているかは魚種によって異なるため、経験と感覚が頼りの職人技である。「ワイヤーは螺旋状になっていて、神経をからめとるような感じ」と直紀さん。神経を抜くと、活きのいい魚では一気に色が引く。美味しい魚かどうかの目安にもなるという。​​</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2984.jpg" alt="" class="wp-image-53883" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2984.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2984-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_2984-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>放血のやり方はさまざまあるが、魚の心臓の力だけで抜くのが塩谷さん流。ここでも魚がいかに元気であるかが重要になるという。活きのいい魚であれば、内部までしっかり冷やすと10分ほどで血がほとんどが抜けて、透明感ある状態に仕上がる。</p>



<p>どの処理を行うにしても、前提として魚の状態がよくなければならない。「漁師さんが徹底して管理する魚を扱わせてもらうから、私たちもより高みを追求できる。漁師さんあってこその仕事なんです」と、孝さんも直紀さんも、感謝の気持ちを口にする。</p>



<h2 class="wp-block-heading">魚価を上げて漁業の衰退を食い止め、食文化を繋げていきたい</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_3007.jpg" alt="" class="wp-image-53884" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_3007.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_3007-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/shioyagyoten-_N1_3007-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「全国でも通用できる魚を作りたい。ミシュランガイドブックに載るシェフたちに認めてもらえるような魚を」。当初はそんな夢を持っていた孝さんだったが、いつしか「漁師たちに恩返しがしたい」という想いが強くなっていった。「漁師さんから学んだ部分がすごく多いし、今こうしてやっているのも、一緒に歩んでくれる漁師さんあってこそ。受けた恩を返す番」と、孝さん。魚がどんどん少なくなっているのを肌で感じ、危機感を抱いているのだ。</p>



<p>「浜に行くとよく、息子が跡を継ぎたいと言っても水揚げがないと食べさせる余裕がなく断念してもらう、という残念な話を聞きます。繰り返しになりますが、私たちの生業というのは地元の漁師さんあってこそ。漁師さんによって生かされているんです。それに、この地の魚食文化も途絶えかねません。じゃあどうするのかというと、魚価を上げるしかない。特に底値を上げなければ」というのが孝さんの考えだ。「そのために、これまでに得た知識や技術を県全域に広めていって、県全体で魚の価値を高めていきたい」と考えている。</p>



<p>漁師たちがいい状況で代々続いていくことで、直紀さんの代もこの仕事を続けていける。さらには先人たちから伝わってきた食文化を守っていくこともできる。これが孝さんの描く未来だ。「最後はやっぱり青森の魚を美味しく食べてもらうこと。また食べたいと思える魚を、これからもたくさんの人に届けていきたいですね」。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53871/">顧客の好みに合わせたオーダーメイドの魚を。未来を見つめて漁師と切磋琢磨する「塩谷魚店」／青森県青森市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/53871/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>創業250年、変わらぬ心で次世代へ「八戸酒造株式会社」／青森県八戸市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/53769/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/53769/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 08 Jan 2026 07:14:44 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[陸奥男山]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=53769</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1116.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>1775年の創業以来250年の間、酒を造り続けてきた「八戸酒造」。1910年（明治43年）に「陸奥男山」を商標登録。そして現在の当主である八代目の駒井庄三郎さんのもと、1998年（平成10年）には銘酒「陸奥八仙」を世に送 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53769/">創業250年、変わらぬ心で次世代へ「八戸酒造株式会社」／青森県八戸市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1116.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>1775年の創業以来250年の間、酒を造り続けてきた「八戸酒造」。1910年（明治43年）に「陸奥男山」を商標登録。そして現在の当主である八代目の駒井庄三郎さんのもと、1998年（平成10年）には銘酒「陸奥八仙」を世に送り出した。現在は八代目の二人の息子である専務の秀介さん、杜氏の伸介さん兄弟が中心となり、伝統を守りながらも次世代に向けて挑戦を続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">道を切り開き、銘酒を生んだ八代目</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1155.jpg" alt="" class="wp-image-53777" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1155.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1155-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1155-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「八戸酒造」の歴史は、元文年間、近江の国を出て陸奥の地で酒造りの道へ入った初代駒井庄三郎が、安永4年（1775年）に青森県南部地方に開いた酒蔵に始まる。明治期に八戸へ蔵を移転。現在も使われている蔵は、大正期に建てられたものだ。新田川のほとりにあり、湊町の象徴的な存在として、長く親しまれている。</p>



<p>ちなみに、現当主である八代目、駒井庄三郎さんが後継者として蔵入りした1984年頃、駒井家はひとつの酒蔵としてではなく、戦時下に発せられた企業整備令のもとに結合された組合のような組織の中で酒造りを行っていた。</p>



<p>この企業整備令では、戦前に16軒あった造り酒屋を5つに集約して再編。</p>



<p>しばらくこの体制に従ってきたが、組織の状態はあまり芳しくなく、駒井家がつくる「陸奥男山」を除けば、売れ行きはあまり良くなかったという。</p>



<p>その現状を目の当たりにし、「このままではいずれ、駒井家の酒造りも立ち行かなくなる」と危機感を抱いた庄三郎さんは、組織からの独立を模索。新たに蔵を借り、新会社「八仙酒造」を設立した。</p>



<p>その後、新銘柄「陸奥八仙」を生み出し、1999年に社名を「八戸酒造」に変更。2009年には、借りていた蔵から現在の蔵へ戻り、陸奥男山と陸奥八仙を柱に新たなスタートを切った。</p>



<h3 class="wp-block-heading">多彩な味わいの「陸奥八仙」</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1222.jpg" alt="" class="wp-image-53778" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1222.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1222-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1222-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「八仙」の名前は、中国の故事、酔八仙（八人のお酒の仙人の物語）に由来する。「酔仙たちが繰り広げる逸話や、興味深いお酒の楽しみ方が語られており、感銘を受けました。このお酒も酔仙の境地で楽しんで頂きたいとの思いを込めて名づけました」と、庄三郎さんは話す。</p>



<p>「華やかでフルーティー」というモダンなブランドコンセプトをベースに、アイテム数を幅広く展開。定番酒と季節限定酒は常時20種類以上を揃え、スパークリングや貴醸酒、高酸度酒などの新しいタイプも続々と生み出している。ファンを存分に楽しませており、名前に込めた思いも形にしている。</p>



<p>「大事なのはオリジナル性」と庄三郎さん。「全国の蔵が続々と美味しいお酒を出す昨今の日本酒業界を生き抜いていくためにも、八戸酒造らしさを明確に出していきたい。青森県の蔵であるという特徴を出すために、八仙を造ったときから、お米はすべて青森県産に変えました。酵母も青森県のオリジナル酵母です。さらに地元の名水で仕込むなど、土地の風土を出すことで、地の酒らしさを出せれば」と話す。米においては農家と直接契約を結び、酒造りのパートナーとして共に歩んでいるそうだ。「ただ、例えばワインの葡萄と比べると、日本酒は米で差を出すのが難しい。その中で独自性をどう出していけるのか。八仙は幅広い商品開発にチャレンジできるブランドですから、常に研究しています」。</p>



<p>その研究の成果は、受賞歴にも表れているようだ。ここ数年は、フランスの日本酒コンテスト「Kura Master」やロンドンの「International Wine Challenge」など、国外のコンクールでも高い評価を受けている。「今後はより海外を意識して、発信を続けていく」と庄三郎さん。。現在すでに28カ国に市場を広げており、50を目指しているとも。「一方で、縮小している国内での需要喚起も努力したいですね。日本の食文化と共に日本酒も世界に認められているのですから」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">シンプルさで魅せる「陸奥男山」</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1185.jpg" alt="" class="wp-image-53779" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1185.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1185-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1185-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>（1185）</p>



<p>「陸奥男山」はこの蔵の創業ブランドである。昔から名酒ブランドとして全国の蔵が使ってきた「男山」の名称を付けた、全国初の商標だ。商標登録から100年以上、蔵を支えてきた主力で、八仙ブランドとは対照的に、伝統的なブランドラインとして位置付けている。「陸奥男山は、地元の酒として長く親しまれてきた歴史があります。昔からの『男山といえば辛口』というイメージを踏襲しつつ、漁師町に根差したものであることも意識して、晩酌で食中に飲んでいただくためのお酒。飲み飽きせず、すっきりとキレがある仕上がりです」と、庄三郎さんは話す。</p>



<p>クラシックラベルと超辛ラベルの2種類が基本という、シンプルさも特徴だ。根強いファンに支持され続けているブランドであり、海外の話をすれば、ドライ系を好む傾向にあるアメリカなどでは良い評価を受けているという。</p>



<p>多彩な陸奥八仙との違いは明確で、ブランドごとの方向性が確立されているから、ファン層も幅広い。この蔵の何よりの強みだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">兄弟で挑む、令和の時代の酒造り</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1432.jpg" alt="" class="wp-image-53780" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1432.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1432-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1432-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>庄三郎さんの二人の息子、兄の秀介さんと弟の伸介さんにとって、蔵は小さな頃から慣れ親しんだ場所だった。遊び場であり、仕事を手伝うこともあったという。そんな駒井兄弟は現在、秀介さんが専務、伸介さんが杜氏として蔵の実務を担っている。</p>



<p>兄の秀介さんは2002年（平成14年）に蔵入り。庄三郎さんの試練の時代も近くで見ており、そこから現在に至るまで、庄三郎さんの信頼のパートナーとして20年近く、一緒にやってきた。</p>



<p>弟の伸介さんは東京の大学を卒業後、都内の飲料メーカーに就職していたが、2009年に蔵に戻る。冬場だけの季節雇用での酒造りから、年間雇用の社員体制への変革のため、急遽蔵入りになったという。その4年後にはそれまでの杜氏と入れ替わり、責任者として歩むこととなる。</p>



<p>兄弟二人で本格的に酒造業を切り盛りするようになり10数年。それぞれが勉強と研究を重ねて、八戸酒造の酒造りは日々進化を遂げている。</p>



<p>「基本的には綺麗なお酒を作りたい。飲みやすく、わかりやすく、美味しいお酒。うちの蔵は商品構成が幅広いですが、どれを飲んでもちゃんと美味しい、加えて透明感があるものをと日々考えて造っています」と伸介さん。「時代のトレンドというものもあり、今は甘くて酸味があるものがまだまだ売れていると感じます。その中でも、甘さに頼らないように意識はしていますね」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">青森の酵母や米を使い、青森の地酒らしさを出す</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1357.jpg" alt="" class="wp-image-53781" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1357.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1357-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1357-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>庄三郎さんも述べていた通り、酒造りには青森県産米と青森県のオリジナル酵母を使っている。米の基本の5種類は、「まっしぐら」、「レイメイ」、「吟烏帽子」、「華想い」、「華吹雪」。まっしぐらとレイメイは飯米、吟烏帽子と華想い、華吹雪は酒造好適米だ。飯米の2種はスッキリとキレのある飲み口にする場合に選ぶという。最も多く使うのは、綺麗な味わいと華やかな香りが特徴の華吹雪。「青森県の米はどれも味が出やすい傾向にある中、華吹雪は最後に米の旨みが極限まで引き出されて、よくなるパターンが多いように思います」と、伸介さんは話す。</p>



<p>青森県のオリジナル酵母は4種類あるものを使い分け、単体やブレンドをして味を決める。八仙は、リンゴや梨に例えられるフレッシュでみずみずしい香りの香気成分「カプロン酸エチル」を高生産する「まほろば吟」、バナナやメロンのようなフルーティな香りを持つ香気成分「酢酸イソアミル」を高生産する「まほろば芳(かぐわ)」を主体に華やかに仕上げ、男山は酢酸イソアミル系ながらも香りの穏やかな「まほろば華」を使い食中向きに仕上げている。</p>



<p>八戸の名水「蟹沢の清水」を仕込み水としている点も、まさにオリジナリティーだ。八戸酒造にしか出せない味わいで、らしさを追求している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">250年の歴史と、これから</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1500.jpg" alt="" class="wp-image-53782" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1500.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1500-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/hachinoheshuzou-_N1_1500-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>（1500）</p>



<p>作り手の遊び心から、「地元の素材を使って、日本酒だけでなくさまざまなお酒を作りたい。うちのお酒だけでテーブルが済んでしまうようなラインナップができたら面白いのではないかと思いますね」と微笑む伸介さん。</p>



<p>総括する立場の秀介さんも、「日本酒がベースではありますが」と前置きしつつ、「種類の幅が広いというのがうちの蔵の強みのひとつ。陸奥八仙ブランドで、コース料理を食前から食後まで楽しめるような、そんな商品設計を作っていきたいですね」と目を細める。兄弟の息はぴったりだ。</p>



<p>そんな2人は蔵の250年の歴史を背負っており、地域との関係性を酒造りと同じくらい大切にしている。「ここ、湊エリアは人口がどんどん減っていて、大きな祭りがなくなるなど衰退傾向にあります。そういう意味では、地域をもう一度盛り上げていけるような存在になれないかという思いがある。でもそれは、自分たちが力をつけないと実現できません。例えば蔵見学を受け入れているのですが、より多くの人を呼ぶためには、知名度をもっと上げなければなりません。また、地元に雇用を増やすということにおいては、売り上げを増やさなければなりません。これらを実現していくためにも、まずは蔵として、自分たちの足元をしっかりと固めていきたいですね」と、秀介さん。強い決意が、力強い眼差しで語る姿から感じられた。継承、そして世界にも目を向けているふたりの、今後の活躍が楽しみだ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53769/">創業250年、変わらぬ心で次世代へ「八戸酒造株式会社」／青森県八戸市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/53769/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>青森の文化と伝統を感じるホテル「星野リゾート 界 津軽」／青森県大鰐町</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/21692/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/21692/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 14 Jul 2015 13:11:32 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[ホテル]]></category>
		<category><![CDATA[界　津軽]]></category>
		<category><![CDATA[星野リゾート]]></category>
		<category><![CDATA[青森県]]></category>
		<category><![CDATA[大鰐町]]></category>
		<guid isPermaLink="false">http://nihonmono.jp/?p=21692</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/07/aomori_kai_main.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「界 津軽」の樹齢2000年を超える古代檜の湯殿 星野リゾート 界 津軽の大浴場には、樹齢二千年を超える湯殿が内湯にある。 床に敷き詰められたヒバの木も、肌ざわりがなめらかですべりにくく、大人から子供まで安心して入浴でき [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/21692/">青森の文化と伝統を感じるホテル「星野リゾート 界 津軽」／青森県大鰐町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/07/aomori_kai_main.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">「界 津軽」の樹齢2000年を超える古代檜の湯殿</h2>



<p><a href="https://hoshinoresorts.com/ja/hotels/kaitsugaru/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">星野リゾート 界 津軽</a>の大浴場には、樹齢二千年を超える湯殿が内湯にある。 床に敷き詰められたヒバの木も、肌ざわりがなめらかですべりにくく、大人から子供まで安心して入浴できる。森林浴をしているかのような香りに包まれる湯浴みは、入浴しているだけで日常を忘れ、ゆったりとした気分になれるだろう。 弘前の地・大鰐温泉の開湯は古く、約８００年の歴史があると言われる。１１９０年頃、円智上人が病になった際、大日如来の分身が夢枕に立ち、この地に湧き出る温泉に沐浴すれば病が治ると御告げがあり大鰐温泉の発見につながったという説があり、その後歴代の津軽藩主たちが湯治場として整備したのである。 <span class="swl-marker mark_yellow">大鰐温泉の泉質は無色透明の少しとろみのある湯で、肌にしっとりとやわらかさが伝わる。</span>古くから多くの旅人や商人にも利用されてきた。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/07/aomori_kai_01.jpg" alt="" class="wp-image-21687" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/07/aomori_kai_01.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/07/aomori_kai_01-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">「界 津軽」のご当地部屋</h2>



<p>星野リゾートの温泉旅館ブランド「界」では、その地域で活躍する伝統工芸の作家とコラボレーションした世界に１つしかない「ご当地部屋」を創っている。 界 津軽のご当地部屋は、室町時代に衣服の強度と保温性を高める工夫として生まれ、次第に美しい装飾として陸奥（現：青森県）の人々の着物を飾るようになった、 <span class="swl-marker mark_yellow">青森の伝統工芸品「津軽こぎん刺し」をプロデュースする青森県出身のkoginアーティスト・山端家昌氏とともに、津軽こぎん刺しの魅力をふんだんに盛り込んだ「津軽こぎんの間」である。</span> 昔ながらの製法で丁寧な作業で作り上げられるどこかあたたかみのある風合いを、目で見て、手で触れて楽しむことができる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「界 津軽」の食事は四季の移ろいを楽しむ</h3>



<p>また、食事は四季の移ろいと共に、地域にこだわった食材を、時に伝統的に、時に革新的な調理法で提供している。 旅の楽しみは何といっても食にあり！あっと驚くような味つけ、こだわりの盛付け、目と舌の記憶に残る青森の旅会席が味わえる。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/07/aomori_kai_04.jpg" alt="" class="wp-image-21697" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/07/aomori_kai_04.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/07/aomori_kai_04-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">名画の前で披露される津軽三味線</h2>



<p>日本各地には個性的な音楽、工芸、芸能、食などたくさんの文化がある。ここでは、温泉旅館に泊まることで、それぞれの地域の特長的な魅力を楽しんでいただけるよう、おもてなしをご用意している。界 津軽では、津軽三味線全国チャンピオンの渋谷幸平氏と、その手ほどきを受けた当館スタッフによる津軽三味線の生演奏を、毎晩21:00よりロビーにて開催している。<br>春には、雪解けとともに訪れる青森の春を祝って、お祝いの席でよく演奏される「津軽あいや節」を披露。また、春を象徴する「さくらさくら」はもちろん、桜が散った後に咲くりんごの花に思いを馳せて、青森名産のりんごを歌った「りんご節」も演奏される。喜びに満ちた春の青森を、演目からも体感することができる。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/07/aomori_kai_03.jpg" alt="" class="wp-image-21689" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/07/aomori_kai_03.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/07/aomori_kai_03-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/21692/">青森の文化と伝統を感じるホテル「星野リゾート 界 津軽」／青森県大鰐町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/21692/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>ウミネコの繁殖地として有名な「蕪嶋神社」／青森県八戸市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/21649/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/21649/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 23 Jun 2015 23:44:43 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[株]]></category>
		<category><![CDATA[蕪島神社]]></category>
		<category><![CDATA[青森県]]></category>
		<category><![CDATA[八戸市]]></category>
		<category><![CDATA[ウミネコ]]></category>
		<category><![CDATA[開運]]></category>
		<category><![CDATA[商売繁盛]]></category>
		<category><![CDATA[子宝]]></category>
		<category><![CDATA[かぶしま]]></category>
		<guid isPermaLink="false">http://nihonmono.jp/?p=21649</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/top_umineko.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>ウミネコの島、蕪島 青森県八戸市にある島、蕪島（かぶしま）。1942年に埋め立て工事が行われ、本土と地続きになったが、それまではその名のとおり海で隔てられた島だった。ウミネコの繁殖地として知られ、大正時代に「蕪島ウミネコ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/21649/">ウミネコの繁殖地として有名な「蕪嶋神社」／青森県八戸市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/top_umineko.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">ウミネコの島、蕪島</h2>



<p>青森県八戸市にある島、蕪島（かぶしま）。1942年に埋め立て工事が行われ、本土と地続きになったが、それまではその名のとおり海で隔てられた島だった。ウミネコの繁殖地として知られ、<span class="swl-marker mark_yellow">大正時代に「蕪島ウミネコ繁殖地」として国の天然記念物に指定されている。</span>その蕪島にあるのが今回訪れた蕪島神社だ。その始まりは約750年前。海中から浮かび上がってきた財弁天の尊像御鏡を「蕪嶋大明神本地辨財天」として祀ったとされている。<span class="swl-marker mark_yellow">以来、開運や子宝、商売繁盛、漁業安全の神社として、「蕪島の弁天様」と呼ばれて信仰されてきた</span>。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ウミネコの鳴き声からつけられる「運」</h2>



<p>中田が訪れたときも、ウミネコの声が響いていた。想像以上の数、想像以上の声の大きさで中田も驚いていた。「ウミネコがこれだけいると大変なこともあるでしょう」と中田が聞くと、「フンです」とすぐに答えが返ってきた。「やはり参拝者の方がフンが落ちてくるのを気にされていたんです」と言う。無料で貸出している傘もすぐに破損してしまうそうだ。そこで、<span class="swl-marker mark_yellow">フンがついた人は「運」が降ってきたとして、ウミネコのフンがついた人は一年間は神様のご利益があるように運気向上の証明書を出したのだという。</span>それがまた蕪島神社の名を広く知らしめることとなった。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/2_umineko.jpg" alt="" class="wp-image-23970" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/2_umineko.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/2_umineko-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">ウミネコの鳴く蕪島神社の読み方とは</h2>



<h3 class="wp-block-heading">「かぶ」という読み方から「株」が上がると人気な神社</h3>



<p>また最近では、「かぶしま」神社というその名前に「かぶ」という言葉が入っていることから、株があがると人気になり、多くの人が訪れるようになったそうだ。評価があがるというだけでなく、株価があがるとして投資家なども多く訪れる。蕪島神社は最初にも言ったように弁財天を祀ったところ。弁財天は音楽などの芸能の神様であるが、江戸時代以降は蓄財の神様としても進行されるようになったのだから、一般人が勝手に語呂合わせで考えついたものなのかもしれないが、あながち間違っていないのかもしれない。<br>社殿では、<span class="swl-marker mark_yellow">ウミネコの鳴く声</span>が途切れることはなかった。<span class="swl-marker mark_yellow">しんと張り詰めた空気の神社とはまた違う、自然と融和していくような心の落ち着く空間がそこにはあった。</span></p>


<div class="swell-block-postLink">			<div class="p-blogCard -external" data-type="type3" data-onclick="clickLink">
				<div class="p-blogCard__inner">
					<span class="p-blogCard__caption">NIHONMONO &#8211; 「にほん」の「ほんも&#8230;</span>
					<div class="p-blogCard__thumb c-postThumb"><figure class="c-postThumb__figure"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/top_iwakiyama.jpg" alt="" class="c-postThumb__img u-obf-cover" width="320" height="180"></figure></div>					<div class="p-blogCard__body">
						<a class="p-blogCard__title" href="https://nihonmono.jp/article/21595/" target="_blank" rel="noopener noreferrer">岩木山そのものが神様「岩木山神社」／青森県弘前市 &#8211; NIHONMONO</a>
						<span class="p-blogCard__excerpt">青森を見下ろす岩木山神社 弘前市の北西部にある岩木山。青森県最高峰の標高1625メートル。日本百名山にも選ばれ</span>					</div>
				</div>
			</div>
		</div>

<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/3_umineko.jpg" alt="" class="wp-image-23971" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/3_umineko.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/3_umineko-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/21649/">ウミネコの繁殖地として有名な「蕪嶋神社」／青森県八戸市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/21649/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
	</channel>
</rss>
