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	<title>造園 - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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	<title>造園 - NIHONMONO</title>
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		<title>デザインするのは、人と自然の良好な関係。植治次期十二代･小川勝章が見つめる未来／京都府京都市</title>
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		<pubDate>Mon, 30 Jun 2025 10:01:30 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/24_0509_300.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>江戸の宝暦年間（1751〜1763年）に、武士から庭師に転身した小川治兵衞（おがわじへい）。庭園の仕事は家業として代々受け継がれ、国の指定名勝 無鄰菴庭園（むりんあんていえん）や平安神宮神苑などの名だたる庭園を数多く手掛 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/24_0509_300.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>江戸の宝暦年間（1751〜1763年）に、武士から庭師に転身した小川治兵衞（おがわじへい）。庭園の仕事は家業として代々受け継がれ、国の指定名勝 無鄰菴庭園（むりんあんていえん）や平安神宮神苑などの名だたる庭園を数多く手掛けてきた。その志は260余年にわたり襲名という形で継承され続け、現在で十二代目。令和となっても変わらず、小川治兵衞は作庭を通して“人と自然が心を通わせる場所”を生み出している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">時代とともに変わる庭の形、それでも変わらないもの</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/24_0509_261.jpg" alt="" class="wp-image-52908" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/24_0509_261.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/24_0509_261-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/24_0509_261-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>外を眺めたとき、ふと目に入る空の色、風に揺れる植物、遠くの山並み。自然の存在は、私たちの暮らしを潤してくれる。日本では太古の昔から自然と共生してきた。飛鳥時代には最古の日本庭園が造られ、平安時代には池を中心とした「池泉庭園（ちせんていえん）」、室町時代には水を使わずに山や水の流れを表現する「枯山水庭園」、安土桃山時代には茶室に向かうための「茶庭」が誕生。いつの時代も、人々は庭を介して自然との関係を育んできた。</p>



<p>近年では建物の洋風化やライフスタイルの多様化により、庭に求められる役割も変化。それでも、庭は人と自然をつなぐ架け橋のようなものであることは変わらない。日本人の根底に流れる自然への敬意や信仰の心。そうした人と庭の関わり方を見つめなおし、より良い形をつくり上げているのが植治（うえじ）次期十二代･小川勝章さん。「自然の声に耳を傾け、そこに暮らす人との橋渡しをする」をモットーに、心安らかに過ごせる場所を目指す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">代々受け継がれる「小川治兵衞」の志</h3>



<p>初代･小川治兵衞は江戸時代中期に武士から庭師に転身し、刀を脇に携えながら作庭に勤しんでいたそう。屋号「植治」は、植木の“植”と小川治兵衞の“治”を融合させ、職人としての誇りと名を刻んだものだ。「植治」の屋号は子孫らへ受け継がれ、「小川治兵衞」の名は当主が代々襲名している。中でも現代まで活躍ぶりが語られるのは七代目。従来の庭園とは異なり、自然の姿そのものを活かした自然主義的な庭園をつくり、多くの人を魅了。当時開通したばかりの琵琶湖疏水を取り入れることで、生きた風景としての池泉庭園を創造。第3代内閣総理大臣を務めた山県有朋邸（無鄰菴）や住友家、三井家など財界人らの作庭を任され、京都御苑、修学院離宮、桂離宮をはじめとする歴史的建造物の復元修景も手掛けた。その影響もあり、「小川治兵衞」は現在に至るまで数多くの池泉庭園を手がけている。</p>



<p>庭は「つくって終わり」ではなく、「つくってからが始まり」。とりわけ日本庭園は、目の前の景色だけでは語りきれない。ゆるやかな時間軸で生き、四季と共に多彩な表情を見せ、時間をかけて静かに語りかけてくるものだ。</p>



<p>「何十年、何百年先まで、手をかけて大切に育ててもらえる庭を」と語る小川さん。そこには、武士の精神でもある「主君に対する忠義」にも似た、庭と向き合う真っすぐな心が、今も生きている。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>庭のルーツを大切に、次の時代を導く</strong></h3>



<p>約250年にわたり受け継がれてきた「小川治兵衞」の名。手がける仕事は、新たに庭をつくるだけではなく、長い時間を経た庭の修復を依頼されることもある。<br>その際、小川さんが大事にしているのは、「どんな思いで生まれ、これまでどう生きてきたのか」を知ること。その軌跡を踏まえた上で、この先どう育てていくと庭が幸せになるかを見定める。</p>



<p>ときには100歳の庭を101歳に育て、ときには新たな方向を見出すことも。ルーツを守りながら、時代にふさわしい姿へ導くのも庭師の役割。<br>「庭は、愛されてこそ生き長らえます。たとえひとりでも、気にかけてくれる人がいれば、庭はきっと応えてくれます」。</p>



<h2 class="wp-block-heading">七代･小川治兵衞の想いを受け継ぎ、リニューアルした北野天満宮「風月の庭」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/24_0509_271.jpg" alt="" class="wp-image-52909" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/24_0509_271.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/24_0509_271-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/24_0509_271-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>北野天満宮「風月の庭」は、1902年（明治35年）の「千年大萬燈祭（せんねんおおまんとうさい）」に合わせて七代･小川治兵衞が手掛けた庭園だ。それから約120年の歳月を経て、小川さんが改めて庭に息を吹き込んだ。</p>



<p>「風月の庭」は、風月殿をL字型に囲むように広がる。広間の正面には、築山から滝が流れ落ち、やがてカーブを描いて池へとつながる。池では鯉が泳ぎ、歩を進めれば回遊式庭園としてさまざまな景色が立ち現れる。滝石組の先には、学問の神･菅原道真公に縁ある「牛の像」と、牛の姿に見立てた庭石が並ぶ。まるで“牛を守るように”配置されたこの石組みには、信仰の心が息づいている。七代目が好んだ守山石（もりやまいし）など既存の庭石や京都の銘石･貴船石、鞍馬石を活かしながら、新しい庭のために各地から集められた巨石が滝石組から護岸組に用いられている。先代が築いた基盤を守りながら、十二代目は、現代にふさわしい「風月の庭」へと進化させた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">庭は人と自然との“静かな対話”、何度も足を運びたくなる庭へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/24_0509_279.jpg" alt="" class="wp-image-52910" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/24_0509_279.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/24_0509_279-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/24_0509_279-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一歩足を踏み入れると、昨日と違う景色が広がる、それが庭の魅力。</p>



<p>芽吹き、苔がむし、庭の佇まいは日々変わっていく。その変化は、自然や自分自身と向き合う時間でもある。土地の形状や植物の姿を活かす日本庭園には、瞬間的な美しさだけではなく、時の移ろいのなかでにじみ出る“刹那の美”が宿る。一朝一夕に完結するものでなく、小さな変化の連続のなかでこそ見える景色がある。</p>



<p>「日常の何気ない時間の中で、“あの庭で話したな”とか、“あの日の景色がきれいだったな”と思い出してもらえたら嬉しいですね」。新緑や花が咲き誇る季節だけでなく、厳しい冬を越す無骨な姿も庭が見せてくれる表情のひとつ。その瞬間でしか味わえない感覚が豊かさになる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">自分自身と向き合い、より豊かに過ごす</h3>



<p>庭を通して自然に想いを馳せるのは、自己と対峙することでもある。昨日と違う風景に、ときには自身の成長を感じ、ときには衰えを実感することも。自然のなかで生活を営んできた日本人には、それはごく自然な営み。その先に広がる未来は、庭という“自然との対話の場”が、そっと答えを示してくれるはず。</p>



<h2 class="wp-block-heading">つくり手の責任を胸に、未来をポジティブに</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/24_0509_297.jpg" alt="" class="wp-image-52911" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/24_0509_297.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/24_0509_297-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/24_0509_297-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>作庭のプロセスには、山から石や木を掘り起こし、選び抜き、それぞれの命を新たな場所に根づかせることがある。どこに据えるか、どう活かすか、庭師の技術と感性が問われる瞬間だ。庭の持ち主が心安らぐ時間を過ごせるよう幾度となく調整を繰り返す。</p>



<p>&nbsp;「木が大きくなると、その成長を喜ぶ方もいますし、周りの石が覆い隠されることを悲しむ方もいます。正解は一つじゃないので、言葉にならない想いを汲み取り、庭の持ち主にとってのベストを常に模索しています」。</p>



<p>庭は、ときに、持ち主が亡くなったあとも生き続ける。だからこそ、据えた石や木々が健やかに長生きできるようにする責任がある。人と自然が共生していける庭であり続けるために、愛おしくなる場所を目指し、今日も小川さんは取り組んでいる。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52907/">デザインするのは、人と自然の良好な関係。植治次期十二代･小川勝章が見つめる未来／京都府京都市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>庭をつくり、はぐくみ、時間までデザインする。南禅寺御用庭師「植彌加藤造園株式会社」／京都府京都市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 17 Aug 2024 03:00:23 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_364_edited.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>嘉永元年（1848年）創業の「植彌加藤造園株式会社（うえやかとうぞうえんかぶしきがいしゃ）」。京都府京都市左京区に本社を構え、170年以上続く歴史の中で、国の名勝に指定されている南禅寺方丈庭園をはじめ、東本願寺の飛び地境 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_364_edited.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>嘉永元年（1848年）創業の「<a href="https://ueyakato.jp/" target="_blank" rel="noopener" title="">植彌加藤造園株式会社</a>（うえやかとうぞうえんかぶしきがいしゃ）」。京都府京都市左京区に本社を構え、170年以上続く歴史の中で、国の名勝に指定されている南禅寺方丈庭園をはじめ、東本願寺の飛び地境内地である渉成園や東山第一と賞賛される同市東山区の智積院の庭園、近年では星野リゾートの最上位ブランドである星のや京都の庭園など、名だたる名園を手掛けてきた。同社の8代目を務めるのは京都芸術大学にて日本庭園分野の教授としても教鞭を執る加藤友規さんだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">経年変化までデザインするランドスケープアーキテクト</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_312.jpg" alt="" class="wp-image-49092" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_312.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_312-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_312-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>加藤さんは、京都市にて神社仏閣の庭園を中心に、日本庭園の作庭や育成管理を行う造園業の家に生まれ育った。初代加藤吉兵衛が創業し、南禅寺の御用庭師を務めて以降、8代に続き造園業を営んできた名門だ。特に前述した南禅寺との関わりは深く、5代目の次郎氏の頃には、息子である彌寿推氏･末男氏とともに国宝に指定されている南禅寺･小方丈に面する西側庭園（如心庭）や北側庭園（六道庭）を、彌寿推氏が6代目を継いでからは、同寺院の華厳庭を作庭した。そんな、偉大なる祖父や父の背中を見て育った加藤さんが造園の道を志すのは当然のこと。</p>



<p>千葉大学園芸学部で学んだ後、家業に入り、20代からずっと造園業に携わってきた。現在では、京都芸術大学で庭園研究の指導に取り組むほか、国内外で多数講演を行い、造園分野に於いて権威ある賞と言われる「日本造園学会賞」をはじめ、受賞歴も多数。まさに仕事の範疇を越え、日本の造園学の発展に貢献する、この分野のエキスパートだ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_372.jpg" alt="" class="wp-image-49093" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_372.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_372-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_372-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>加藤さんは造園業に従事する際、常に心がけていることがある。それが、庭園の個性を最大限に活かし、経年変化までデザインすること。<span class="swl-marker mark_yellow">神社仏閣の多い京都に居を構える造園業として代々培ってきた伝統的な作庭や育成管理の技術に加え、CAD（コンピュータ上で製図を行うためのツール）を用いたデザイン敷石ユニット工法なども積極的に取り入れることで、日本庭園はもとより、近代建築の庭でもそれを表現している。</span></p>



<h3 class="wp-block-heading">つくる、そしてはぐくむ。造園業のあり方</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_330.jpg" alt="" class="wp-image-49094" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_330.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_330-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_330-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>加藤さんが心がける「経年変化までデザインする」というのは、主に植物の手入れのことを指す。<br>これを定義した加藤さんは、<span class="swl-marker mark_yellow">庭という空間をゼロからデザインする作庭の重要性を加味したうえで、造園業に於いてはオーナーの想いやその庭園の個性を読み取り、長い時間をかけて景色を育んでいく育成管理がより大きいウェイトを占める</span>と考えている。</p>



<p>ちなみに<a href="https://ueyakato.jp/" target="_blank" rel="noopener" title="">植彌加藤造園株式会社</a>では、庭園の育成管理のことを「フォスタリング」と呼ぶ。その語源は「foster＝育てる･養育する」で、同社では樹木の姿をただ維持するのではなく「景色を育成することこそ真の管理である」、という意味合いを込めて、このように呼んでいるのだそう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">重要文化的景観の在る地域に根ざして</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_366.jpg" alt="" class="wp-image-49095" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_366.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_366-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_366-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そんな植彌加藤造園の育成管理を語るうえで欠かせないのが初代の頃から携わってきた南禅寺の各庭園だろう。なかでも特別公開などのタイミング以外では一般に向けた公開を行っていない「大寧軒（だいねいけん）」の庭園は、池泉回遊式庭園と呼ばれる池を中心に景観を観て回るスタイルで、石や岩で水の流れを表現した枯山水や、茶室に入るための通路として設けられた簡素な造りの露地庭園とはちがった、水の流れや植物が美しい自然の景観が豊かな庭。植彌加藤造園株式会社が代々育成管理に携わってきた同社きっての自慢の庭だ。<br>もちろん加藤さん自身も職人見習いの頃から大寧軒と関わり、ここで先輩たちが行う仕事を手本として、植物や自然景観のはぐくみを学んできた。</p>



<p>そもそも南禅寺の周辺は「京都岡崎の文化的景観」として、地域全体が重要文化的景観に選定されているほど、伝統的な建築と美しい庭園が多いエリア。<br></p>



<p>その理由として大きいのが、明治4（1871）年、窮迫する幕府財政を補強するために大名や旗本の領地を取り上げようと公布された上知令だ。<br>これによって社寺が持つ広大な領地が召し上げられ、約20万坪ほどあった南禅寺の敷地も同様に公有地化された。そこに第3代内閣総理大臣を務めた山縣有朋が別荘「無鄰菴（むりんあん）」を建て、明治23（1890）年に京都側へ引かれた琵琶湖疏水を利用し、躍動的な水の流れを加えた自然豊かな日本庭園を作庭。<br>眼前に望む東山の借景も相まって、まるで自然を切り取ったような景観に当時の人々は強く惹かれたという。それを皮切りに同エリアでは、現代風に謂うところの“近代日本庭園付き高級分譲住宅”の需要が拡大。旧財閥家や大企業の社長など、富裕層の別荘が急増し、後に名園と称される庭園が多くつくられた。</p>



<p>このような場所で修行に励み、研鑽を積んできた加藤さん。長年に渡る経験から得た、この地に根ざす造園業ならではの知見も山ほどある。</p>



<h3 class="wp-block-heading">庭の持つ個性と向き合い、寄り添う</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_324.jpg" alt="" class="wp-image-49096" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_324.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_324-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_324-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>というのも京都には個性が際立つ庭が多い。上方として古くからの文化人も多く、その歴史ごとの文化、地形や季節など、その組み合わせの数だけオリジナリティもあるという。<br>何百年も前に作庭され、作庭者がすでにこの世を去っているケースもあるから、育成管理だけを任されることも多い。</p>



<p>その際、<span class="swl-marker mark_yellow">加藤さんは作庭時から現在に至るまでの歴史の中でその庭が最も美しかった頃、つまるところの“黄金期”を見つけるよう心がけている。この庭にはどのような黄金期があって、それをどのように表現し、育成するのがベストなのかを考えるという。</span><br>また、作庭にはお茶や生け花のような流派はないが、その時代ごとの生活様式が反映されていることが多いから、その意図を読み取ることができれば再現性も高まる。<br>例えば禅の時代にはその思想が反映された飾り気のないストイックな庭が好まれ、一方、安土桃山時代には時の権力者の威厳を示すように豪壮で絢爛な庭が好まれた。もちろん社寺の宗派によってもスタイルはさまざま。<br>これらの要素を踏まえながら、先人の仕事に敬意をもって寄り添うことでインスピレーションが湧いてくるんだとか。</p>



<h2 class="wp-block-heading">代々受け継ぐ「あんじょうよろしゅう」のマインド</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_380.jpg" alt="" class="wp-image-49097" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_380.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_380-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_380-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>では、こうした知見や技術はどのように受け継がれてきたのだろうか。<br>加藤さんも日本最古の作庭書である「作庭記」をはじめ、造園に関する文献はひととおり読み漁ってきたが、仕事をする上での基本的な学びは先代、先々代の頃から変わらず、ほとんど口伝。</p>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">松の葉ひとつにしても「ここをこのように剪定すれば、成長過程でこのように開いていく」など、経験に基づいた感覚を口頭や身振り手振りで先輩から伝え聞き、それを実践していく。修行時代には「伝統から学ぶ、仲間から学ぶ」をキーワードとして意識し、文字にできないことをフィーリングで感じ取っていたという。</span><br>現代社会では、明確な基準もなく仕事をするなんて時代遅れだと言われるかもしれないが、これは造園業に限らず、日本のものづくり全般に言えることだと理解している。<br>先輩からの「あんじょうよろしゅう＝いい感じに仕上げなさい」を自分なりに分析し、日々の仕事に励んできた。</p>







<h2 class="wp-block-heading">伝統技術にハイテクを取り入れ、日本庭園は未来へ、そして海外へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_321.jpg" alt="" class="wp-image-49098" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_321.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_321-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_321-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>近年では、海外のクライアントも増えてきた。とはいえ、外国人が日本庭園に興味を持つようになったのは今に始まったことではない。<br>安土桃山時代には日本で布教活動を行っていたポルトガル人宣教師のジョアン･ロドリゲスが堺の日本庭園を訪れた際に耳にした「市中の山居」という言葉を文献に残した。当時大変栄えた大都市のど真ん中に、まるで山中かと錯覚するような景観を庭で表現してしまう日本ならではの美の概念を賞賛したという逸話だ。<br>現在でも、世界中でその美意識が高く評価されているからこそ、先人の教えを守って地形や方位を読み取り、日本の固有種が育たない海外の地ではその土地の草木を使い、日が昇る方角や気候を取り入れ、ジャパンクオリティを追求した日本庭園を作庭している。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_364_edited.jpg" alt="" class="wp-image-49099" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_364_edited.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_364_edited-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_364_edited-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>このように、伝統を重んじる加藤さんだが、現代のテクノロジーを邪険にしているわけではない。<br>むしろ最新技術が造園業にもたらした恩恵もある。<br>例えば、<span class="swl-marker mark_yellow">重機によって従来よりもはるかに少人数かつ短期間で庭をつくることができるようになったし、測量機の活用によって発掘された古い時代の庭園も景石の取り外し後、再設置時のズレを10㎜未満に抑える精度の高い復元が可能になった。</span>従来は庭石ひとつでも完璧にもとあった場所に戻せなければ「文化財の破壊」と言われてしまったが、現代の技術と伝統技法を組み合わせることで、その課題は解決できる。</p>



<p>夢窓疎石（むそうそせき）や小堀遠州（こぼりえんしゅう）など、加藤さんが尊敬してやまない旧時代の名だたる庭の賢人たちにもできなかったことができるようになったわけだから、最新鋭の技術だって素晴らしいとは感じる。</p>



<p>ただ、なんでもかんでもそれに頼ってしまうのは伝統技術の損失にも繋がりかねないし、日本庭園に携わる以上は、高度成長期以前の古い作庭技法も大切にしたいとも思う。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_322.jpg" alt="" class="wp-image-49100" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_322.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_322-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_24_0509_322-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>







<h2 class="wp-block-heading">伝統とノウハウを未来へ。後世に繋ぐバトン</h2>



<p>加藤さんは常々「伝統を重んじつつ、できる限り革新的なチャレンジもしていきたい。」と考えている。</p>



<p>現代では革新的なチャレンジだったことも、それが100年後に伝統技術と呼ばれるようになっていたら、後世に何かを残せたことになるんじゃないか、というポジティブ思考だ。<br>職人として完全燃焼することも大事だが、自分が生涯をかけて積んできたものを後世に継承していけたらもっと良い。幸いにも現在、伝統産業に興味を持ち、造園業に就きたいと手を挙げてくれる若者たちが増えてきた。</p>



<p>そんな令和の職人たちの心意気も大切にしながらも、<span class="swl-marker mark_yellow">次代へ繋ぐためには若者でも理解しやすい仕組みへとアップデートすることも必要だと考え、会社全体でSECIモデル（個人が持つ知識や経験を組織全体へ共有するフレームワーク）の実践にも取り組んでいる。</span></p>



<p>「あんじょうよろしゅう」と声を掛けつつ、現代の若者にも寄り添ったやり方も交えて自分がこれまで学んできた伝統的な技術や知見、想いまでを余すことなく伝えることで、造園という仕事を通して、京都ならではの自然が織りなす景観美、歴史文化まで後世に残していけるよう、力を注いでいる。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/49091/">庭をつくり、はぐくみ、時間までデザインする。南禅寺御用庭師「植彌加藤造園株式会社」／京都府京都市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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