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	<title>織物 - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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	<title>織物 - NIHONMONO</title>
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		<title>繊細な色をたて縞で表現する小倉織。「遊生染織工房」築城則子さん／福岡県北九州市</title>
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		<pubDate>Mon, 02 Feb 2026 11:53:35 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[織物]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_406.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福岡県の北部、北九州市八幡東区にある「遊生（ゆう）染織工房」は、北九州が誇る伝統工芸・小倉織の工房。主催の築城（ついき）則子さんが、草木で糸を染め、手織りしながら、色彩豊かな小倉織を生み出し続けている。国内外の人々を魅了 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_406.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福岡県の北部、北九州市八幡東区にある「遊生（ゆう）染織工房」は、北九州が誇る伝統工芸・小倉織の工房。主催の築城（ついき）則子さんが、草木で糸を染め、手織りしながら、色彩豊かな小倉織を生み出し続けている。国内外の人々を魅了する、その創作の源とは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">地厚で丈夫。美しいたて縞で魅せる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_416.jpg" alt="" class="wp-image-53997" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_416.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_416-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_416-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>小倉織は経糸（たていと）と緯糸（よこいと）を1本ずつ交差させていくシンプルな織物。しかし、経糸を多く使い緯糸の約3倍の密度があるのが特長だ。そのため緯糸が見えにくく、たて縞が鮮明にあらわれ、見る人を惹きつける美しさを放つ。糸の色の濃淡で立体感を生み出した、なめらかな風合いの唯一無二の織物だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">江戸時代には袴や帯。明治時代には学生服として流通</h2>



<p>江戸時代に豊前小倉藩（現在の北九州市）で生まれた小倉織。この地が木綿の産地であったことから、武家の女性たちが木綿糸で織物を織るようになる。生地に厚みがあり丈夫だったため、次第に武士の袴や帯として織られ各地に広がっていった。徳川家康が鷹狩りで羽織として身につけたことでも知られ、「槍をも通さぬ小倉織」と称えられて重宝された。</p>



<p>明治時代には、黒と白の糸を撚ったグレーの生地「霜降小倉（しもふりこくら）」が、男子学生の夏の制服として全国に広まった。しかし、機械織で安価なコピー商品が各地でつくられるようになり、その波にのまれて小倉での生産は下火に。また小倉は製鉄所で栄える“鉄の町”となり、昭和初期には小倉織の最後の工場が閉鎖となり途絶えてしまう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">骨董店で小倉織の端切れとの運命的な出合い</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_410.jpg" alt="" class="wp-image-53998" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_410.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_410-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_410-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>北九州市八幡東区の静かな里山にある「遊生染織工房」。主宰である染織家の築城則子さんは、小倉織を復活させたその人だ。北九州市で生まれ育ち、文学が好きだった築城さんは大学で能や浄瑠璃などの古典芸能を学ぶなかで能装束の美しさに夢中になる。</p>



<p>京都で西陣織の織元を訪ねた際に、職人技の素晴らしさに感動しつつも自分が表現したいのは文様ではなく“色”なのだと気づいた築城さん。思い切って大学を中退し、染織の世界に身を投じた。北九州市内の織物研究所で糸染めや織りの基礎を身に付けた後、沖縄・久米島に渡り、琉球王国時代から受け継がれる久米島紬（くめじまつむぎ）の工房でおばあ達を手伝いながら紬織を学んだ。久米島は、紬が久米島を起点に全国へ広がったとされる「紬の発祥地」。久米島紬は国の重要無形文化財にも指定されており、染織技術を学ぶには欠かせない場所だった。しかし、なかなかこれだと思う作品はつくれなかった。</p>



<p>ある日、衝撃的な出合いが築城さんに訪れる。たまたま訪れた骨董店で、小倉織の端切れを見つけたのだ。10センチほどの小さな端切れは、織物なのにたて縞しか見えない。驚く築城さんに「江戸時代の小倉織ですよ」と店主は言うが、築城さんにとって小倉織はグレーの学生服というイメージしかなかった。たて縞の美しいグラデーション、厚みがありつつも絹のような質感は、150年ほど前のものと思えないほど新鮮なものとして築城さんの目に映った。「生まれ育った地に、自分の目指す織物があったなんて！とても幸せな出合いでした」と築城さんは目を細める。</p>



<h3 class="wp-block-heading">小倉織を復活、そして再生する </h3>



<p>当時、周囲に江戸時代の小倉織を知る人はおらず、築城さんは工業試験場で端切れを組織分解して調べてもらう。そこで、織物は経糸と緯糸が１対１の割合になるのが一般的だが、小倉織は2対1になり経糸が多いことがわかった。早速、その割合にして織ってみるが、古い端切れのようななめらかさが出ない。さらに調べると、なめらかな風合いは使い続けた経年変化であることがわかった。</p>



<p>築城さんは、経年変化ではなくはじめからなめらかな質感の生地をつくりたいと、糸を細くして本数を増やし、密度を上げることで、木綿の生地でありながら絹のような艶っぽさを完成させる。歴史ある小倉織を築城さんがさらに進化させた「再生」といえるだろう。こうして1984年に小倉織は復活。築城さんは、先人たちに敬意を込めて小倉織として作品を発表しはじめる。一目で「小倉織だ」とわかる色彩豊かな縞模様があるからこそ、多くの人に受け入れられたという。そして、最初の作品は日本伝統工芸展に入選。</p>



<p>しかし、復元に成功したと言っても、納得のゆく小倉縞の意匠を体得するのに3年かかったという。伝統的な配色にとらわれずにもっと自由に色を使いたいという思いから織った薄紅色の帯「梅の頃」は1991年に西部伝統工芸展で朝日新聞社賞を受賞。現在までに600点を越える作品を生み出し、今では北九州は小倉織の産地として認知され、新しい作り手が数人誕生している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">草木の力をかりて、透明感のある色を表現 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_467.jpg" alt="" class="wp-image-53999" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_467.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_467-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_467-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>工房周辺の草木など、自然のもので木綿糸を染める築城さん。「草木で染めるのはとても面白いんです。例えばローズマリーだと、花が咲く前は黄みがかった色に染まり、花が咲くとオリーブ味が強く染まる。同じ植物でも、時期によって色が変わるんですよ」。</p>



<p>草木染めは化学染料での染色と違って、すぐに染まらず時間がかかるため、濃淡をつくるのにとても適している。追っかけで糸を追加して薄い色にしたり、思いつきやその時の気分を反映しやすくて、人間のリズムにとてもあうのだという。「何より、自然由来のやわらかな色は透明感があります」と築城さんは話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">織る前に何千本もの経糸を準備</h3>



<p>小倉織はたて縞が浮かび上がるという特性上、チェック柄もよこ縞もできない制約が多い織物だ。「でもそれは、小倉織の特色がぶれにくいということでもあります。小倉織は経糸の色だけが見えるので、糸の色がそのまま反映できるのがいいところですね。だからどれだけ“絵の具”を持っているかが勝負になるので、糸は常に染め続けています」。</p>



<p>その糸をデザインに合わせて事前に準備する「整経」も大事な工程だ。経糸を整経機に並べて回転させながら、必要な色を組み合わせ、長さ、張りなどを考慮しながら巻き取っていく。一つの帯を織るのに約2,300本もの経糸を準備するなど、気の遠くなるような作業を重ねる。だからこそ、繊細な色が生み出されるのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">北九州の風土と気質にあった織物</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_485.jpg" alt="" class="wp-image-54000" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_485.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_485-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_485-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>築城さんが織り機で小倉織を織る時、「トントン」という軽やかな音ではなく、「ガンガン！」と大きな音が鳴り響く。繊細な美しさの織物からは、ちょっと想像できないような激しい音だ。「糸の密度を高めるために強い力を入れて織っていきます。やさしく織ると生地がふわふわになって締まりがないし、気を抜くと織りのムラが目立ってくるので、織り始めるととにかくもくもくと集中して進めます」。</p>



<p>「とてもかたくなな織物です」と築城さんは笑みをこぼす。「この地は、一度途絶えたとはいえ、こんなに織りにくい織物を愚直に400年も織ってきました。融通がきかなくて不器用な、北九州らしい織物ですね」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">現代的で洗練された織物が、世界を魅了</h3>



<p>手織りは生産量が少ないため、もっとたくさんの人に小倉織に親しんで欲しいと、2007年から築城さんが監修する機械織りのブランド「小倉 縞縞（こくら しましま）」も展開。手織りではできない幅広の生地をつくれるようになり、家具やインテリア、アートなど大きな作品づくりが可能になった。建築家・隈研吾氏やファッションブランド「ANREALAGE（アンリアレイジ）」の森永邦彦氏など、世界的なクリエイターとのコラボレーションは常に高感度な人々の注目の的だ。</p>



<p>しかし、築城さんの主軸はあくまでも工房での手織り。「どんなに色が重なっても、色同士が尊重しあう、協奏曲を奏でるような世界を目指しています」と語る築城さん。これまで小倉織で抽象的な世界を表現してきたが、ここ２、3年は、その中に具象性を取り入れることに挑戦している。例えばたて縞のなかに、ひとすじ斜めに雨が降るような……。「無機的なたて縞と有機的な自然界のものは相入れないように思えますが、それをたて縞の世界に持ち込みたいと思っています。まだまだ試作を重ねている段階ですが、いつかは完成させたいですね」。</p>



<p>築城さんは小倉織を復元・再生し、さらに新しい表現を模索。のびやかな感性で織り上げる築城さんの緻密で洗練された小倉織が、これからどんな新たなる美しさを見せてくれるのか、世界が待ち望んでいる。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53991/">繊細な色をたて縞で表現する小倉織。「遊生染織工房」築城則子さん／福岡県北九州市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>創設者の想いをつなぐ、南部裂織伝承者･小林輝子さん／青森県十和田市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 02 Feb 2026 11:11:58 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[織物]]></category>
		<category><![CDATA[南部裂織の里]]></category>
		<category><![CDATA[青森県伝統工芸士]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_43.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>そのむかし雪国青森では綿の栽培は難しかったため、布は大切に使われた。着古した着物は最終的に裂き、地機で織り込んで仕事着などを作るようになるが、これが後に南部裂織(なんぶさきおり)と呼ばれるようになる。小林輝子(こばやして [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_43.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>そのむかし雪国青森では綿の栽培は難しかったため、布は大切に使われた。着古した着物は最終的に裂き、地機で織り込んで仕事着などを作るようになるが、これが後に南部裂織(なんぶさきおり)と呼ばれるようになる。小林輝子(こばやしてるこ)さんは創始者の想いを受け継ぎ、南部裂織の魅力を令和のいまに広めようと奮闘中だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">南部裂織とは</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_42.jpg" alt="" class="wp-image-53958" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_42.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_42-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_42-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<h3 class="wp-block-heading">この土地ならでは、といってもいい南部裂織の歴史的背景</h3>



<p>「物を大切にする女性たちの知恵」から生まれた南部裂織は200年以上の伝統があり、その歴史は江戸時代まで遡る。雪深い青森では綿花が育ちにくく、北前船で運ばれた木綿や古手木綿はとても貴重だったため、その頃の農家は栽培した天然繊維の麻を織物にして着ていた。はぎれも粗末にせずに重ねて刺し子にしたり、最後には裂いて繋いで一枚の布に仕上げたりしていた。南部裂織の原型だ。</p>



<p>明治26年に鉄道が開通すると木綿の着古された布がこの地方にも流通するようになり、農家たちは麻袋を解いた糸を経糸(たていと)に、そして使い古した布を細くテープ状に裂いて緯糸(よこいと)にして地機(じばた)で織り込むようになった。厚くて手触りがゴワゴワとした裂き織りは、冷たい風が吹き荒れるこの地方には親和性があり、仕事着やこたつ掛けとして使われてきたという。「このようにして、この地域の人々は寒さを乗り越えるために様々な工夫をして生きてきたんです」と小林さんは話してくれた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">多種多様であるとともに、全て一点ものという仕上がり</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_3810.jpg" alt="" class="wp-image-53959" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_3810.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_3810-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_3810-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「麻糸と1㎝くらいの幅に裂いた古い木綿を地機で織る」というとてもシンプルな織物なのにもかかわらず、織り方の種類は決して少なくない。最も基本的な平織(ひらおり)、布と糸を交互に織り込むサグリ織り、整経するときに２色の糸を掛けてできる市松織り(いちまつおり)や網代織り(あじろおり)、斜めの目が面白い引き返し織り、布の中に模様をつくる綴れ織り(つづれおり)などと、そのほかにもバリエーションは数多い。</p>



<p>現在では地機を使った伝統的な技法を活かしながら、仕上がりがとてもカラフルなこたつ掛け、トートバック、ベッドカバー、タペストリー、スリッパなど、現代の生活にマッチした様々なアイテムが制作可能だ。</p>



<p>そして南部裂織の大きな魅力のひとつに、「世界のどこにもないオリジナルの物を作ることができる」というものがある。「たとえ同じ布を使ったとしても、どのタイミングで織り込むか、また織る際の力の入れ方によっても、全く風合いは変わってしまうんです。同じものを作ろうと思っても、二度と作れません」と小林さんは笑う。「南部裂織の一つひとつが唯一無二」と言われる所以でもある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">南部裂織保存会のはじまりは奇跡的な出会いから</h2>



<p>それは小林さんの妹、1971年当時35歳の菅野暎子(かんのえいこ)さんが、好きだった叔母の形見分けに臨んだところから始まる。ボロボロで誰もいらない、とでもいうように部屋の隅に紫の裂織の帯が置いてあったが、菅野さんはその味わいのある色と丹念に織られた風合いに強く惹かれてしまい、「誰もいらないなら…」と持ち帰ったという。そしてその帯を見れば見るほど、菅野さんは温もりのある手織りの表情に魅せられて、裂織を知りたいと強く思うようになっていった。</p>



<p>しかしその頃には「着古した衣類やボロを織ることが恥ずかしい」として南部裂織はすでに消滅しかけていたが、そのルーツと織り方を教えてくれる人を根気よく探し歩き、翌年に十和田湖町の”東山きゑ”さんと”赤坂みせ”さんに辿り着く。二人から「裂織なんかやっても一銭にもならないよ」と言われて断られていたが、誠意を持って何度も通っているうちにようやく教えてもらえるようになったという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">燃えるような情熱で南部裂織に捧げる人生</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_4336.jpg" alt="" class="wp-image-53960" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_4336.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_4336-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_4336-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>菅野さんはもう一度南部裂織の価値を見直すとともに、技術と精神を学んで自らも継承者となり、1975年7月7日の棚機の日に南部裂織保存会を設立。自宅で「さきおり教室」を始め、裂織の普及に心血を注ぐとその功労を高く評価され、「青森県伝統工芸士」に認定されるなど多くの受章に輝く。</p>



<p>また「より多くの方々に南部裂織を知ってもらいたい」との想いから、何年にもわたって十和田市に掛け合い、2002年道の駅「とわだぴあ」の隣に十和田市の施設として、匠工房「南部裂織の里」のオープンにこぎつけた。75台ほどの地機がずらりと並ぶさまは壮観で、そのほとんどは菅野さんが集めたもの。「十和田市内･南部地方はもちろん、情報を聞きつけては福島県などを訪ね歩いて集めた機もあるようです」と、愛おしそうに地機を眺めながら小林さんは教えてくれた。</p>



<p>菅野さんは2003年10月に保存会設立30周年記念南部裂織フェスタin十和田を成功させると、2004年3月に他界した。がんを患っていたが最後まで隠していたという。享年67歳だった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">姉が想いをつなぐ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_38.jpg" alt="" class="wp-image-53961" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_38.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_38-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_38-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ボロを織るのが恥ずかしいと思われる時代だったため、当初世間体が悪く、南部裂織否定派だったという小林さん。ところが菅野さんが南部裂織に携わって10年ほどした頃、ちょっとしたきっかけで南部裂織をやってみるとすぐその魅力に取りつかれる。「織り機に座って、布に触れて織るというのが心底楽しくて、当時疲れていた私には本当に癒やしでした。気づけば夜中の1時、2時なんて当たり前。私が南部裂織に真剣に向き合うようになったのはそれからです」と小林さんは笑う。</p>



<p>現在では南部裂織保存会の会員は130名で、その多くは主婦だ。女性は子育てなど様々な悩みや苦労があるものだが、「それをここに全部捨てていきなさい」という創立者の想いを受け継いでいて、ここに来てストレスをためるようなことは一切ないように努力しているのだそう。また、何時集合･何時解散という決まりが無いという毎週水曜日開催の教室で学ぶ生徒は50名ほどで、仲が良いため常に笑いが絶えず、市の文化祭に向けて1年に1アイテムは作って全員提出できるよう進めている。</p>



<p>教室以外に体験することもでき、外国の方や児童･生徒の団体も多いのだそうだが、「特に子供たちにとっては新鮮らしく、楽しそうに織っているんですよ」と小林さんは目を細める。ここに体験に来て「お父さん、この織り機が欲しいから買ってほしい」とねだった子もいたのだそう。体験した人の数は11,000人を超えたという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">創始者の想う、南部裂織のあり方を守る</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_40.jpg" alt="" class="wp-image-53962" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_40.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_40-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_40-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>緯糸(よこいと)に使う使い古した布は、ホテルや旅館の浴衣が届いたり、相撲部屋など全国からの寄付でまかなっているのだそう。「お婆さんが亡くなった、母親が亡くなった、でも捨てるにもったいないから引き取ってくれますかと言って送ってくれる方もいらっしゃいます。だから、みんなに支えられているんです」と小林さん。</p>



<p>そうやってたくさんの人々に支えられながら南部裂織を広めたいと思っている小林さんだが、「芸術家を養成する施設ではないんです、後世に裂織を伝えてつなげていくのが一番です」とも話す。まだ菅野さんが運営していた時、愛好者が多くなった他の自治体から「コンテストをやりたいから企画して審査してください」とオファーがあったそうだが、裂織は絶対に競争するものではないとの信念から、ピシャリと断ったのだそう。小林さんは「裂織は競争するもんじゃない、全て一等賞。自由に、自分の感性で好きなようにやればいいんです。それは妹から引き継いだ強い想いのひとつでもあります」と話してくれた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">会の半世紀の軌跡とこれからの試み</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_39.jpg" alt="" class="wp-image-53963" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_39.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_39-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_39-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2025年に南部裂織保存会はちょうど50周年を迎え、その記念事業として「次世代につなぐ」をテーマに記念作品展･無料体験会を開催し、受け継いできた手技を見せる500点以上もの作品、各教室で織りつないだ50mの織布を展示するなど、様々な挑戦も試みている。「南部裂織は地元の誇るべき文化で今後の地場産業にもなりうる」との想いから、伝統的なものに加えて現代にもマッチした裂織も製作･販売中だ。フランス在住の日本人デザイナーから、男性用スーツのための藍染の裂織布地のオーダーがあったことも。</p>



<p>「今はスイッチを押すと電気で何でも動くでしょ。昔と変わらず自分の手足がエネルギーとなって物が作れる、と子どもたちに伝えていかなきゃダメだと思っています。南部裂織が色あせないのは、ものを大事にするという誰もが持ち合わせている気持ちがあるからなんでしょうね。もっとたくさんの人に知っていただくのが私の使命です」と小林さん。南部裂織の伝統と創始者の想いを引き継ぎ、また、誰もが居場所のある社会にするべく、今日も小林さんたちはいろとりどりの経糸(たていと)に、裂いた布を緯糸(よこいと)にして一段一段織りこんでいく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53950/">創設者の想いをつなぐ、南部裂織伝承者･小林輝子さん／青森県十和田市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>伊勢崎絣の伝統と技術を伝える、群馬県ふるさと伝統工芸士･齋藤定夫さん／群馬県伊勢崎市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 24 Oct 2025 03:33:36 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<category><![CDATA[織物]]></category>
		<category><![CDATA[伊勢崎絣]]></category>
		<category><![CDATA[伊勢崎銘仙]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_404.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>古くから織物の町として知られる群馬県伊勢崎市。最盛期には、全国の絣（かすり）生産量の半分を占めるほど人気の伊勢崎絣だったが、現在、製造元としての機屋（はたや）は途絶えてしまっている。そんななか「かすり⼯房さいとう」の齋藤 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_404.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>古くから織物の町として知られる群馬県伊勢崎市。最盛期には、全国の絣（かすり）生産量の半分を占めるほど人気の伊勢崎絣だったが、現在、製造元としての機屋（はたや）は途絶えてしまっている。そんななか「かすり⼯房さいとう」の齋藤定夫（さいとうさだお）さんは、伊勢崎絣の伝統を絶やさぬよう、群馬県ふるさと伝統工芸士として、伝統技術を継承している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">織物の町、群馬県伊勢崎市で作られた銘仙（めいせん）</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_258.jpg" alt="" class="wp-image-53400" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_258.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_258-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_258-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>群馬県伊勢崎市は群馬県のほぼ中央にあり、利根川を挟んで群馬県と埼玉県を結ぶ、自然豊かな土地柄だ。養蚕（ようさん）地帯として栄え、織物の歴史も古く、古墳から6世紀頃の織物が出土されたことも確認されている。</p>



<p>江戸時代に伊勢崎の養蚕農家で、自家用として織られていた太織（ふとり）という普段着用の織物が発展し、素朴な雰囲気でありながら、粋な印象の絣模様や縞模様が注目を集めた伊勢崎絣。明治時代後半には伊勢崎に織物会社が設立され、動力式の織機を導入し一部が工場化された。時代のニーズとともに伊勢崎絣は「伊勢崎銘仙」の名で全国に知れわたり、生産量は大幅に向上していった。それは大正から昭和初期にかけて、日本女性の10人に1人が「伊勢崎銘仙」を着ていたといわれるほどの人気を誇った。</p>



<p>しかし時代は和装から洋装へ。日本人の生活様式の変化とともに生産量は減り、生産者も減少。今では伊勢崎絣を生産する機屋はなくなってしまった。そんな状況に危機感を抱き、伊勢崎絣の伝統技術を残そうと立ち上がったのが、「かすり⼯房さいとう」の齋藤定夫さんだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">分業していた作業⼯程をひとりで手がける</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_311.jpg" alt="" class="wp-image-53401" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_311.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_311-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_311-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>10代から織物業を営む家業を⼿伝い、23歳で職⼈として独⽴した齋藤さん。独立してすぐ、斎藤さんは複雑な伊勢崎絣の作業⼯程をひとりで行い、その伝統技術を守りながら広く人々に伝える活動をはじめた。</p>



<p>その理由として、「伊勢崎絣は、生産量と品質を高めるために作業工程を分業化し、それぞれの工程で人を育て技術を高めてきました。しかし生産量の減少とともに、ひとつの工程で後継者がいなくなると、商品が作れなくなるという問題が生じてきた。」と話す。</p>



<p>このまま伊勢崎絣が作られなくなることを危惧し、図案のデザインから括（くく）りや、⽷染めなど、伊勢崎絣の全工程の技術を学び、すべての工程ができる人間になって作品を作ろうと決めた齋藤さん。</p>



<p>伊勢崎絣を制作しながら、習得した全工程の技術を後進に教え、伊勢崎市内の小学生には伊勢崎絣の機織り体験を行うなど、地域が歩んだ歴史と文化を伝える活動を行っている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">厳格な定義で守られている、伊勢崎絣</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_277.jpg" alt="" class="wp-image-53402" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_277.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_277-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_277-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一時は一世を風靡した伊勢崎絣。その後、生産量は減少の一途を辿るが、このまま貴重な伝統技術が廃れてしまうことを恐れ、1975年に国の伝統的工芸品として申請し、指定される。これをきっかけに、他地域の絣と伊勢崎絣の違いを明確にするための、定義とルールが整理されていく。</p>



<p>「伊勢崎絣の大きな定義は“先染め”、“平織”、“絹糸”です。染色の工程では括り絣、板締（いたじめ）絣、捺染（なっせん）加工などの技法を使って、単純な絣柄から精密な絣模様まで、図案に沿って糸を染めていきます。染め上げた絣糸の柄を手作業で調整しながら、図案に合わせるように織り出します」</p>



<p>常に新しいデザインを表現しようと、齋藤さんは2つ以上の技法を組み合わせるなど、実験的な挑戦を行なっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">織物は糸と向き合い続ける、糸の道</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_410.jpg" alt="" class="wp-image-53403" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_410.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_410-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_410-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>10以上ある作業工程をひとりでやるには、根気強さがなければできないと齋藤さん。</p>



<p>「やっぱり辛抱強い人間じゃないと、伊勢崎絣の作業工程をひとりでやるのは難しいと思います。人真似ではなく、自分で本当に作りたいものを考えて作っていかないと、技術的なレベルは上がっていかないんじゃないかな」</p>



<p>例えばストールを作ろうと思ったとき、太い糸を入れて織ると、巻いたときにその凹凸に空気の層ができて暖かくなる。では、どのように入れたら機能的にもデザイン的にも、誰にも真似できないようなオリジナリティが出せるのか。頭の中で作りたいものを考え、自分の手で作ることでしか解決できないと齋藤さんは言う。</p>



<p>「人が教えられるのは手順ややり方であって、技術力の“力”の部分は、自分でやってみるしかないんですよね」</p>



<p>齋藤さんはこれまでに1,000枚以上の絣の図案をデザインしている。それらは実際に自分が手を動かして生み出した証として、すべて残しているという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">鮮やかな柄を織りなす、経（たて）糸と緯（よこ）糸</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_375.jpg" alt="" class="wp-image-53404" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_375.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_375-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_375-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>布を織る前に糸の段階で色を染めてデザインする先染めの技法のうち、齋藤さんが得意としているのが、括り絣という技法である。</p>



<p>「括り染めは原料糸の染色しない部分をテープなどで縛り、色が入らないようにして染める方法です。糸を括って部分的に染めない部分を作った絣糸を経糸や緯糸に使うことで、染まっていない部分と染めた部分が混ざり合い、かすれたような独特の模様になるんですよ」</p>



<p>経糸と緯糸の両方、またはどちらか一方に絣糸を使い、柄を合わせながら織ることは、高い技術と経験が必要となる。</p>



<p>「絣糸の染めの技法と、経糸と緯糸への使い方と使い所で、他の人には真似できない、絣を表現できるんです」</p>



<p>括り絣の魅力を語ってくれた齋藤さんだが、現在、伊勢崎絣において、括り絣の技術を継承しているのは齋藤さんのみとなっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">伊勢崎絣を絶やさないために</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_360.jpg" alt="" class="wp-image-53405" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_360.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_360-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_360-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>時代の流れとともに衰退してしまった織物産業だが、一時代を築いた伊勢崎絣は間違いなく、この地域の発展に貢献した産業のひとつである。その複雑な技法と手間のかかる製作過程から今では作り手が減少し、伝統的な工法で伊勢崎絣を作れる人間はほとんどいなくなってしまった。だからこそ齋藤さんは、自分の持つ技術や知識を作品に込め、多くの人に伊勢崎絣を貴重な伝統工芸として伝えようとしている。</p>



<p>「川は流れが速くなったり緩やかになったり、動きがありますよね。自然界にある動きのあるものが面白いですし、⾃然に触れるとアイデアが無限にあふれてきます。絣の滲ませ方など、規則正しくない柄を表現するよう⼼がけています」</p>



<p>伊勢崎絣に限らず、現代の効率重視の流れの中で、時間と手間のかかる伝統工芸はどの分野でも失われつつある。そんななか、手間暇のかかる工程をひとりで行い、継承していくことは無謀とも言えるだろう。それでも、地域に根付き発展した伝統技術を、ひとりでも多くの人に伝え残したいという齋藤さんの思いが、現代の「銘仙」としての伊勢崎絣には込められている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53392/">伊勢崎絣の伝統と技術を伝える、群馬県ふるさと伝統工芸士･齋藤定夫さん／群馬県伊勢崎市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<item>
		<title>手織りの味を求めて糸を紡ぎ、織る。手紡木綿の作り手･北川弘繪さん／岡山県倉敷市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/50959/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 13 Dec 2024 09:04:43 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[織物]]></category>
		<category><![CDATA[手紡木綿]]></category>
		<category><![CDATA[出雲織]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0350.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>北川弘繪（きたがわひろえ）さんは、糸紡ぎから糸染め、絣括りや紋織の構成、機（はた）織りまですべての工程をひとりで行う、手紡木綿（てつむぎもめん）の数少ない作り手のひとり。北川さんが作る精巧な文様の帯や着物は、日本の伝統に [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/50959/">手織りの味を求めて糸を紡ぎ、織る。手紡木綿の作り手･北川弘繪さん／岡山県倉敷市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0350.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>北川弘繪（きたがわひろえ）さんは、糸紡ぎから糸染め、絣括りや紋織の構成、機（はた）織りまですべての工程をひとりで行う、手紡木綿（てつむぎもめん）の数少ない作り手のひとり。北川さんが作る精巧な文様の帯や着物は、日本の伝統に則りながらも、伝統だけに留まらない発想が息づいている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">木綿糸を手紡ぎし、織る手紡木綿</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0385.jpg" alt="" class="wp-image-50962" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0385.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0385-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0385-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>手紡木綿とは、木綿から糸車を使って糸を紡ぎ、その糸を植物等で染色し、手織り機で布地を織ること。岡山県倉敷市の自宅兼工房で手紡木綿の制作をする北川弘繪さんは、手紡木綿で女性ものの帯や着物を織り始めて数十年が経つ。北川さんが手掛ける織物にはファンが多く、問屋に卸せば、すぐに完売してしまうほどだという。彼女の作品は、それほどまでに魅力的であり、需要が高いということだろう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">出雲織との出合い</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0367.jpg" alt="" class="wp-image-50961" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0367.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0367-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0367-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>　手紡木綿を始めるずっと以前から、北川さんは「もの作り」への情熱があった。　趣味で日本画や水彩画、銅版画に親しんでいたが、ある時、知人の勧めで自身の作品を展示会に出展。しかし、いざ自分の作品が他人の目にさらされた途端、裸で壁に吊るされているような恥ずかしさを覚えてしまったという。</p>



<p>「何か表現できることを求めていましたが、『自分』が出ているのを感じた途端、嫌になっていました」と振り返る。</p>



<p>　あるとき書店に立ち寄り、染織に関する業界雑誌を何気なく手にとったところ、出雲織作家の青戸柚美江（あおとゆみえ）さんの工房が研修生を募集していることを知った。出雲織について詳しくは知らなかったが、ひらめくものがあり、すぐに連絡を取って入門が許された。42歳のときだった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">自我が現れない創作</h3>



<p>出雲織は、野良着として使われていた綿絣が元にある。普段着として丈夫なもので、青戸さんの工房のある島根県安来市では、江戸時代から農家の女性が農作業の傍らで木綿から糸を紡ぎ、天然藍で糸を染めて織っていた。こうした昔ながらの絣に近代的な模様をもたらし、「出雲織」として確立させたのが青戸さんだ。北川さんは青戸さんのもとで糸紡ぎから始めて、昔ながらの模様織りを2年間学んだ。</p>



<p>　「表現できること」を求めながら、作ったものに自我が出てしまうことを嫌悪した北川さんだったが、織りものをしている間は、その感覚に悩まされることはなかった。「仕上がりを見たとき、自分らしいものだと思うけれど、『自分』が具体的にあらわれてはいないんです。それは『織り』というルールのなかで創作しているからでしょうね。性に合ったんだと思います」と語る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">17〜18世紀のアメリカの織物を参考に</h3>



<p>出雲織を学んで倉敷に戻ると、青戸さんの紹介で問屋から帯の制作依頼が来るようになった。始めは昔ながらの模様を織っていたが、物足りなさを感じることがあった。そんなときに見つけたのが、17〜18世紀の開拓期にあったアメリカで流行した織物の図案をまとめた本。ベッドカバーや寒さをしのぐための壁掛け、床に敷くラグとして使われていた織物が紹介され、その素朴で自由な模様と色使いに惹かれた。図案をひとりで読み解き、インスパイアされたものを織っていくうち、面白くてたまらなくなった。この気持ちが今も継続し、北川さんの創作のなかで遠い国の柄が日本の伝統と融合している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">織りたいものに合わせて糸を紡ぐ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0402.jpg" alt="" class="wp-image-50963" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0402.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0402-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0402-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>創作は、木綿から糸を紡ぐことから始まる。緯糸（よこいと）となる糸を大量に紡いで染めておき、織り始める段階で使うものを選ぶ。木綿は日本の地綿（じわた）を含め、インド綿、アメリカ産の綿、メキシコ綿などを使い分けている。産地によって木綿の性質は大きく異なり、着物に適しているのは繊維が細く、長い糸が紡げるエジプト綿。それぞれの特性に馴染みながら紡ぎ、織って行く。</p>



<h3 class="wp-block-heading">糸車と一心同体になる</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0388.jpg" alt="" class="wp-image-50964" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0388.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0388-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0388-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>北川さんは、今使っている中古の糸車を「分身」だと言う。実は機（はた）の信頼できるメカニックが身近にいるのだ。倉敷市で手織り機とその付属部品を作る『竹泉堂』の樋口正和さんだ。樋口さんはこれらの構造に精通し、織り手との関係をたちまち見抜く。年数が経った中古品は、それまで使っていた人の癖が出てしまうことが多く、北川さんもそこに悩み、樋口さんに相談した。すると、「自転車の『輪っか』を持っておいで」と言われ、使いづらかった糸車は樋口さんによって自転車の車輪を付けられ、みごとに調整された。</p>



<p>「この糸車を使うと、木綿から出た繊維が、『ほかの繊維と絡みたい、絡みたい』と言っているみたいにすんなりと紡ぐことが出来るんです。夢中になって何日も夜中まで紡いで、もう月まで届くほどやったかなと思って、計算してみたくらい」と北川さんは笑う。</p>



<p>北川さんと樋口さんが育った倉敷には、倉敷民藝館付属工芸所として設立された『倉敷本染手織研究所』がある。樋口さんはここで子どもの頃から手織りの世界にふれてきた。また北川さんは高校生のとき、倉敷民藝館の初代館長･外村吉之介（とのむら･きちのすけ）の講演を聞いて、「もの」と「装飾」の関係を熟考した。ふたりは手間をいとわない姿勢が共通している。</p>



<p>たとえば織り手に馴染んだ古い機は、新しい機よりも良い布を仕上げることが度々ある。「要するに、目の前にあるものに合わせてやればいい」という。ふたりとも効率を追わず、材料や使う機械を知って、馴染みながらやって行く術を身につけている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">機に向かうまでが、制作の9割。</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0401.jpg" alt="" class="wp-image-50965" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0401.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0401-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0401-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>思いどおりの色に染まった糸が用意できたら、ようやく機に向かう。このときが、もっとも楽しい時間だと北川さんは語る。ここに至るまでが制作の9割。しかも1時間に１寸から２寸（3〜5センチ）ほどしか進まない手織り。それでも始めると目の前に織ったものが広がっていく。そのよろこびは何ものにも代えがたい。</p>



<h2 class="wp-block-heading">作ったものに自分が映る。</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0400.jpg" alt="" class="wp-image-50966" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0400.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0400-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/12/2A3A0400-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>北川さんが作る帯や女性ものの反物は幅広い世代から求められている。創作で心がけているのは、「自分を清らかに、誠実に生きていくこと」。それは仕事の領域だけでなく、毎日の暮らしにおける姿勢だ。「作ったものにはやはり、作り手が映るんです。しかも私が作るものは身に着けるものですから、清らかなものを手渡したい。作り手がきちんとした生き方をしていなければ、良いものは生まれないと思っています」と語る。</p>



<p>紡いだ糸に合わせて織れば、よく織れる。手間をいとわずやれば、味わいが生まれる。そうして完成させた反物は、着るほどに体に馴染んでいくのだ。動力駆動を用いた紡績により、布地は短時間で大量に生産できる時代となったが、それでも染色から糸を紡いで織るまでを一貫して自身の手で行い、そのナチュラルな風合いやデザインが唯一無二と評される北川さんの作品を求める人は少なくない。そんなニーズに応えるため、そして、何より北川さん自身が手織りにしか生み出せない良さを知っているからこそ、これからも“北川弘繪の感性”を手織綿織物で表現しつづけていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/50959/">手織りの味を求めて糸を紡ぎ、織る。手紡木綿の作り手･北川弘繪さん／岡山県倉敷市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>300年続く奈良ブランド、改革の雄「中川政七商店」／奈良県奈良市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/31637/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 28 Mar 2022 02:29:32 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[奈良市]]></category>
		<category><![CDATA[中川政七商店]]></category>
		<category><![CDATA[麻織物]]></category>
		<category><![CDATA[工芸]]></category>
		<category><![CDATA[奈良県]]></category>
		<category><![CDATA[織物]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/03/main-9.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>これまでの「中川政七商店」の歩み 「中川政七商店（なかがわまさしちしょうてん）」「遊 中川」といえば、奈良の本店を中心に全国各地の商業施設や駅ビルで見かけたことがある人が多いだろう。あるいは、インターネット上でオンライン [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/31637/">300年続く奈良ブランド、改革の雄「中川政七商店」／奈良県奈良市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/03/main-9.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">これまでの「中川政七商店」の歩み</h2>



<p>「<a href="https://nakagawa-masashichi.jp/" target="_blank" rel="noopener" title="中川政七商店">中川政七商店</a>（なかがわまさしちしょうてん）」「遊 中川」といえば、奈良の本店を中心に全国各地の商業施設や駅ビルで見かけたことがある人が多いだろう。あるいは、インターネット上でオンラインショップを見かけた人もいるだろう。これらの店舗・オンラインショップを運営するのは、「日本の工芸を元気にする！」をビジョンにかかげる株式会社中川政七商店だ。</p>



<p>中川政七商店の歴史は古い。<span class="swl-marker mark_yellow">享保元年（1716年）、奈良県で初代中屋喜兵衛が奈良晒（ならざらし）の卸業を創業した。</span>奈良晒は、麻を晒して純白にした手績（う）み手織りの麻織物で、その質の良さから江戸時代に武士の正装や社寺で使用する衣類として重宝された。 しかし、明治維新により最大の消費先である武士が消滅すると、奈良晒の需要は衰退の一途を遂げてしまう。多くの奈良晒屋が商いを変えていく中、中川政七商店は風呂上りの汗取りや産着などの新たな市場を切り拓き麻屋としての生き残りをかけた。戦略は功を奏し<span class="swl-marker mark_yellow">「汗取り」はその高品質さが認められ皇室御用達の栄誉を受けた。</span>また十代・中川政七は、時代の変化により消えかけていた麻織物産業を守る為、それまでの卸業の枠組みを超え、自社工場を建てて作り手を雇用するなど製造業にもたずさわる改革を行った。<span class="swl-marker mark_yellow">1925年のパリ万博では日本の工芸の代表の一つとして「手績み手織り麻のハンカチーフ」を出品</span>、出展を証明する賞状が今でも本店店舗には飾られている。現在では国内工場はなくなったが手仕事によって生まれる風合いを大切にするため、一部の製造を海外に移し手績み手織り麻を守り続けている。</p>



<figure class="wp-block-image"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/03/kiji2-8.jpg" alt="" class="wp-image-27662"/></figure>



<h2 class="wp-block-heading">「中川政七商店」の挑戦</h2>



<figure class="wp-block-image"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/03/kiji3-8.jpg" alt="" class="wp-image-27663"/></figure>



<p>1985年、それまで卸や製造事業を展開していた中川政七商店が、本社の移転に伴い空いた仕事場に「遊 中川」を開業し麻小物の小売をスタートさせた。2002年に十三代社長（現会長）の中川政七さんが入社した当時は、年商12億円のうち約7割が茶道具関連の売り上げで、<span class="swl-marker mark_yellow">麻織物を使った和雑貨の売り上げは全体の約3割程度</span>、かつその内の8割が卸、2割が小売りという状況で市場での「遊 中川」ブランドの認知度が圧倒的に弱い事に危機感を感じた。どうすれば他社との競争に負けないのかを突き詰めていくと、それはブランド力の強化、つまり<span class="swl-marker mark_yellow">顧客との接点を今より格段に増やす</span>ことに行きついた。そうして、<span class="swl-marker mark_yellow">直営店での販売と自社ブランドの開発を加速させ認知度を高めることに成功。</span>麻素材に留まらず、<span class="swl-marker mark_yellow">全国の作り手と協業し日本の工芸をベースにした生活雑貨全般への商品開発を進めていった。</span>中でも綿100％かや織の生地を2枚重ねで仕立てた「花ふきん」はその機能性と見た目の愛らしさから2008年にはグッドデザイン賞金賞を受賞、現在もベストセラーの座に君臨し続けている。現在では全国に約60店舗を構えるまでに成長し、中川さんの入社当時から16年間で、生活雑貨事業の売上高が13倍に拡大した。さらには「日本の工芸を元気にする！」というビジョンのもと、全国の工芸メーカーの経営コンサルティングや流通サポートなど、事業を拡大していった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">工芸に「産業革命」を、「産業観光」で魅力の伝播を。</h3>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">中川さんが目指すものはものづくりの産地全体を元気にすること。</span>工芸は分業制でどこかが途絶えてしまうと全体が止まってしまう。例えば焼き物の産地なら、窯元だけを元気にするのではなく、そこにかかわる生地屋や、型屋もひっくるめ、<span class="swl-marker mark_yellow">すべての工程を一か所で完結できれば、工芸の世界に「産業革命」が生まれるはず。</span>ただそれには膨大な投資が必要。では成立させるためにどうするか。そこで行きついたコンセプトが<span class="swl-marker mark_yellow">「産業観光」</span>だ。<span class="swl-marker mark_yellow">ものづくりの現場を1か所に集めて、お客さまがいつでも来られるように場を整えておけば、その地のものづくりに触れやすくなり、産業観光が成り立つ。</span>産業観光には、ものづくりだけでなく、美味しい食事や宿など、魅力的なコンテンツが必要だ。規模が小さくても良いものを作る人たちが活躍する、地元・奈良らしいスモールビジネスが、いくつも生まれる場所を作りたいと、10年近く構想を練った末、<span class="swl-marker mark_yellow">“奈良を街ごと元気にする”本拠地として2021年４月、3階建複合商業施設「鹿猿狐（しかさるきつね）ビルヂング」をオープンした。</span></p>



<figure class="wp-block-image"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2022/03/kiji4-8.jpg" alt="" class="wp-image-27662"/></figure>



<p>日本を代表する建築家・内藤廣氏の設計で、ならまちの木造建築にも溶け込む佇まい、ビルの中にあえて路地を作るなど、どこか懐かしい雰囲気がただよい、古いものを大切にしながらも新しくなっていく姿を表現している。「鹿猿狐ビルヂング」に来るため奈良を訪れる、多くの人が集まる場所になること目指して、食やショッピングを楽しむエリアや、中川政七商店のものづくりの歴史を知ってもらうエリアも配した。さらに、奈良の恵まれた文化遺産を背景に、奈良でも何かを始めてみようと思えるきっかけを作りたいと、スモールビジネスを多角的にサポートできる場所「JIRIN」も開設した。経営に関する勉強会を開催しており、そのスペースのすぐ隣には中川さんたちのオフィスを構えた。すでにここから新しいスモールビジネスが誕生し、中川さんが描いたように奈良を元気にする一番星が輝き始めている。 これでもようやく目標の2合目辺りにたどり着いたところだと中川さん。 日本の工芸がその誇りを取り戻すために、中川政七商店の挑戦はこれからも続いていく。<br></p>


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		<title>大島紬を知り尽くした作家 益田勇吉さん／鹿児島県鹿児島市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 20 Dec 2021 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[益田勇吉]]></category>
		<category><![CDATA[大島紬]]></category>
		<category><![CDATA[白泥大島]]></category>
		<category><![CDATA[織物]]></category>
		<category><![CDATA[鹿児島県]]></category>
		<category><![CDATA[鹿児島市]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/12/main-5.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>常識を覆される、白い「大島紬」 着物で人気がある大島紬といえば、車輪梅（シャリンバイ）の木で染色したあと、泥田に漬け込む事で泥の中の鉄と、染料に含まれるタンニンの化学反応で生まれる、美しい黒や紺といった濃色の織物を思い浮 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/12/main-5.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">常識を覆される、白い「大島紬」</h2>



<p>着物で人気がある大島紬といえば、車輪梅（シャリンバイ）の木で染色したあと、泥田に漬け込む事で泥の中の鉄と、染料に含まれるタンニンの化学反応で生まれる、美しい黒や紺といった濃色の織物を思い浮かべる人が多いだろう。だが、鹿児島市の益田勇吉さんはそんな常識を覆す<span class="swl-marker mark_yellow">「白泥大島(はくでいおおしま)」</span>の生みの親として知られる大島紬作家だ。工房に掛けられていた白い紬の着物は、<span class="swl-marker mark_yellow">淡くまろやかな白のトーンが美しく、細やかな紋様</span>に目を奪われる。益田さんが生み出す「白泥大島」は、ほとんどがオリジナルの絵柄。現代の感性に合うようにと創作されており、いわゆる古典柄は少ない。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/12/2.jpg" alt="" class="wp-image-27662"/></figure></div>


<p>「真っ白ではなく、繊細な色みが美しいですね。乳白というか、磁器のようなやさしい白さです」（中田）<br>「まさにそこが出発地点なんです。大島紬は、陶芸の薩摩焼と同じ泥を使うんですが、薩摩焼には黒薩摩、白薩摩があります。大島紬の白も泥でできるのではないかと思い、研究を続けました」（益田さん）</p>



<h2 class="wp-block-heading">「白泥大島」、誕生までの道のり</h2>



<p>益田さんの出身は奄美大島の東に位置する喜界島。21歳の頃、恵大島紬織物に就職し白泥染めの技術の開発に携わるようになる。その中で泥染めの大島紬特有のしっとりとした艶めきや柔らかさを引継いだ白く美しい大島紬を作りたいと長い年月をかけて研究を重ね、白泥染め大島紬を開発、1960年「白泥」で特許を取得した。そうして益田さんが勤める恵大島紬織物でも本格的に白泥染め大島紬の生産を開始すると、1984年、恵美知雄さんによって「白恵泥（はっけいどろ）」の名で白泥染めが商標登録され、恵大島紬織物は店じまいとなった為「白恵泥」の商標は益田さんに受け継がれ、発展を遂げてきた。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/12/4.jpg" alt="" class="wp-image-27662"/></figure></div>


<p>現在の大島紬のほとんどは大手の工場で作られていて、デザインから染めや織りまで分業制となっている。だが、益田さんはすべて自分で行う。ごく一般的なご自宅の奥に、染めるための作業場があり、織り機が置かれていた。<br>「今の色が出るまで9年間模索が続きました。ひとりでやるのはやっぱり大変です。でもだからこそ面白い。昔から職人は経験と勘が頼りと言いますが、コツコツとデータを集めることも大事。昔からの技術に学ぶこともたくさんあります」（益田さん）</p>



<p>染めるだけでも大変だが、デザインに残った絣糸を使う益田さんの織りの技法も、とにかく細かく、時間がかかる。膨大な数のピースから１枚のパズルを作り上げるような作業だ。それでも、益田さんは日々その作業を続けている。<br>これまで自分の作品に満足したことは一度もない。もっといい大島紬を作りたくて研究を続けているんです、と話す益田さん。<br>そう語る顔は満面の笑顔だ。生涯を捧げる仕事を見つけた人は、こんなにもいい顔をするものなのだと知った。</p>


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			</item>
		<item>
		<title>ユネスコ無形文化遺産に登録された唯一の絹織物“結城紬”「奥順」／茨城県結城市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/29830/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 09 Jun 2021 11:50:16 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[ミュージアム]]></category>
		<category><![CDATA[結城紬]]></category>
		<category><![CDATA[特産品]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸品]]></category>
		<category><![CDATA[結城紬とは]]></category>
		<category><![CDATA[結城紬　特徴]]></category>
		<category><![CDATA[お土産]]></category>
		<category><![CDATA[茨城県]]></category>
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		<category><![CDATA[結城市]]></category>
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		<category><![CDATA[ユネスコ無形文化遺産]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/06/main-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>茨城を代表する絹織物「結城紬」 2010年にユネスコ無形文化遺産にも認定された「結城紬」とは 一時間ほど煮た繭から、タライの中で熟練のおばあちゃんが真綿を作る。そこから糸を引き出し“つむぐ”。そんな昔ながらの製法を用いた [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/06/main-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">茨城を代表する絹織物「結城紬」</h2>



<h3 class="wp-block-heading">2010年にユネスコ無形文化遺産にも認定された「結城紬」とは</h3>



<p>一時間ほど煮た繭から、タライの中で熟練のおばあちゃんが真綿を作る。そこから糸を引き出し“つむぐ”。そんな昔ながらの製法を用いた<a href="https://www.city.yuki.lg.jp/kankou/yukitsumugi/page001668.html" target="_blank" rel="noreferrer noopener">結城紬</a>（ゆうきつむぎ）が、茨城県西部の結城市で今でも受け継がれている。茨城を代表する絹織物でもあり、<span class="swl-marker mark_yellow">ユネスコ無形文化遺産にも認定された。</span><br>「真綿から細く糸を引き出したら、自分の唾液で撚り合わせていくんです。唾液に含まれているタンパク質が細い一本一本の繊維を束にすることで１本の糸になっていきます」<br>そう語る森肇さんは、結城紬の伝統を守る職人のひとり。工房には「地機（じばた）」とよばれる織機や、織り上げる前の糸に直接色を染める為の道具、絣くくりの台。結城紬は先染めと言われる技法で柄を表現しており、織る前の縦糸と横糸一本一本をあらかじめ計算した上で染め上げ、縦と横の一本一本の模様が織り合わせられることによって草花や風景が織りだされるのだ。織る前の絹糸に模様を付ける為に、模様として色を残したい所に染料が染み込まないよう木綿の糸で絹糸をくくった後に染め、絣くくりの技法で染め上げられた糸は、織り上げられる前であるのに、糸が並んでいる姿自体が美しく、中田も「これを展示したらかっこよいですね」と話していた。<br>結城紬のクオリティは世界に知られており、これまでも有名ブランドとのコラボレーションで、スーツやインテリアの生地として採用されてきた。明治40年の創業以来、本場結城紬を守り続ける奥順株式会社の5代目、奥澤順之社長がその特徴を語る。<br>「<span class="swl-marker mark_yellow">結城紬は、真綿から手紡ぎした糸を使うことと、地機(じばた)で織るのが特徴です。地機は一般的な織り機よりも低い位置で作業します。独特の形状や人が全身をつかって織る様子から『鶴の恩返し』のモデルになったとも言われています。</span>熟練の職人が真綿から糸を紡ぎ、40以上の工程をかけて作るため、１反できあがるまでは最低でも5ヶ月、柄にこだわったものは数年かかることもあります」</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="426" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/06/kiji2.jpg" alt="" class="wp-image-29833" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/06/kiji2.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/06/kiji2-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">結城紬を伝えるミュージアム</h2>



<p>大きな真綿から細い糸をたぐり出し、手でつむぐ。糸を取るだけでも三カ月の時を用するとは確かに気が遠くなるくらいの作業だ。<br>「繭はお蚕様の生命を守る家。紫外線を通さず、温度や湿度を適度に保ち、さらに防菌効果もあります。この効果は結城紬にも受け継がれていて、着ている時の心地よさはそれに由来していると思います」（奥澤社長）<br>染色も同様に時間のかかる作業だ。糸の束にさらに糸をくくりつけ、“染まらない部分”を模様として作っていく。数ミリごとに糸を束ね、しばる糸の太さを変えながら模様を糸に写し取っていく。しばる強さを常に一定にするように、気をつけなければならない。森さんはこの作業を１日2000回以上繰り返すこともあるという。<span class="swl-marker mark_yellow">とほうもない時間をかけてつくられる軽やかでしなやかな結城紬。その生地で作られた着物に包まれたら、どれほど心地いいのか。中田が新しい和服をつくるとしたら結城紬が最有力候補になりそうだ。</span></p>



<p>奥順では、産地の機屋と連携しながら製造問屋として結城紬の企画やデザイン・販売流通を請け負っているだけでなく、2006年には資料館を含む総合ミュージアム「<a href="https://www.yukitumugi.co.jp/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">つむぎの館</a>」を敷地内にオープン。<span class="swl-marker mark_yellow">結城紬の歴史や高度な技術を伝えるための資料館や、従来のきもの生地に加えて、ストールや小物など、新しい商品の開発にも積極的に取り組み、販売するショップや染織体験ができる施設など、総合文化施設として結城紬の価値を伝えている。</span></p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="426" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/06/kiji4-1.jpg" alt="" class="wp-image-29835" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/06/kiji4-1.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/06/kiji4-1-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/29830/">ユネスコ無形文化遺産に登録された唯一の絹織物“結城紬”「奥順」／茨城県結城市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>世界一薄い絹織物“フェアリー·フェザー”を生み出した「齋栄織物」／福島県川俣町</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/25873/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 16 Jan 2020 08:15:39 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/01/fukushima9main.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>イノベーションで川俣シルクの復権へ 長い歴史をもつ絹織物の産地、福島県川俣町（かわまたまち）に今、世界から熱い視線が注がれている。2012年、ものづくり日本大賞で内閣総理大臣賞を受賞した、世界一薄い絹織物「フェアリー・フ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/25873/">世界一薄い絹織物“フェアリー·フェザー”を生み出した「齋栄織物」／福島県川俣町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/01/fukushima9main.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">イノベーションで川俣シルクの復権へ</h2>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">長い歴史をもつ絹織物の産地、福島県川俣町（かわまたまち）に今、世界から熱い視線が注がれている。2012年、ものづくり日本大賞で内閣総理大臣賞を受賞した、世界一薄い絹織物「<a href="https://saiei-orimono.com/feature/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">フェアリー・フェザー</a>」を生み出し、川俣シルクのイノベーションに挑み続ける、<a href="https://saiei-orimono.com/index.html" target="_blank" rel="noreferrer noopener">齋栄織物</a>（さいえいおりもの）</span>を訪ねた。</p>



<p>「東北の絹織物というと、仙台平（せんだいひら）や米沢織（よねざわおり）の名前をよく聞きますが、福島県にも絹織物の産地があるんですね」<br>工場内を歩きながら、作業風景を見学する中田英寿さん。隣では齋栄織物の常務、齋藤栄太（さいとう・えいた）さんが、生糸が非常に高価だった時代に、川俣では少ない糸で高い価値を生み出す「軽目羽二重（かるめはぶたえ）」の技術が発達したと説明する。<br>現在、川俣町の織物会社は約20社。この薄手で上質なシルクの生産を受け継いできた。<br>「欧米の繊維業界では“KAWAMATA”の地名は、軽目羽二重を指す言葉でもあるそうです」<br>祖父の創業した会社に齋藤さんが入社したのは17年前。当時は、会社の業績もどん底だったと振り返る。</p>



<p>「取引先が限られていて、一社依存率が高い状況でした。関係先が業績不振に陥れば共倒れのおそれがある。裾野を広げたくて、展示会や商談会に積極的に参加し、輸出もアメリカだけでなく、ヨーロッパの販路開拓を始めました」<br>並行して、自社の強みとなるフラッグシップ商品の開発にも乗り出した。たどり着いた<span class="swl-marker mark_yellow">コンセプトは「世界一薄くて軽い先染めの絹織物」。川俣シルクの特長を突き詰めると共に、齋栄織物が得意とする、先染め織物の技術を融合したいと考えたからだ。</span></p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/01/fukushima201901_1.jpg" alt="" class="wp-image-25875" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/01/fukushima201901_1.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/01/fukushima201901_1-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>

<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/01/fukushima201901_2.jpg" alt="" class="wp-image-25876" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/01/fukushima201901_2.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/01/fukushima201901_2-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">ものづくりへの姿勢</h2>



<p>まずは市場にある最も細い生糸を使用して試作するも、営業先の反応は薄かった。そこで見直したのが原料の生糸。通常、蚕（かいこ）は4回脱皮して繭（まゆ）になるが、3回しか脱皮していない「三眠蚕（さんみんさん）」の糸を用い、髪の毛のおよそ6分の1という極細糸を開発した。ピンと張っていなければ、指先ですくっても感触がないほど繊細。当初は糸切れの連続だったが、試行錯誤しながら織機（おりき）を改良。2年以上を費やして、量産化にこぎつけた。</p>



<p>「フェアリー・フェザー」と名付けられた商品の一般販売がスタートしたのは、東日本大震災からちょうど１年後のことだ。テレビで特集されるや、メールはパンク状態に。電話の問い合わせは、1日でファイル2冊分にもなった。同年、<span class="swl-marker mark_yellow">ものづくり日本大賞やグッドデザイン賞を受賞。ヨーロッパの有名ブランドにも続々採用され、店頭に自社製品が並んだ時は喜びが込み上げたと語る齋藤さん。今後は、家庭で洗えてシワになりにくく、ストレッチ性のあるシルク100％の素材を開発したいと意欲を見せる。</span></p>



<p>そうした新たなものづくりの姿勢を称賛する一方で、和装の文化もぜひ残してもらいたいと中田さんは期待を寄せる。<br>「以前、女性は友禅、男性は袴（はかま）をドレスコードに、イベントを開催したのですが、参加者には非常に好評でした。このイベントへの参加をきっかけに着物をあつらえる方も多く、僕も年に1枚は買うようになりました。ものづくりだけでなく、機会をつくること。産地でもバランスよく取り組んで行くことが今後は、大事なのではないかと思います」</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/01/fukushima201901_3.jpg" alt="" class="wp-image-25877" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/01/fukushima201901_3.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/01/fukushima201901_3-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>

<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/01/fukushima201901_4.jpg" alt="" class="wp-image-25878" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/01/fukushima201901_4.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2020/01/fukushima201901_4-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/25873/">世界一薄い絹織物“フェアリー·フェザー”を生み出した「齋栄織物」／福島県川俣町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>“南部裂織”「工房 澄」井上澄子さん／青森県八戸市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 12 Jun 2015 03:13:39 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/sumi_main.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>古くなった布を再生する“南部裂織” 裂織と書いて「さきおり」と読む民芸品。読んで字のごとく、古くなった布を細かく裂いて、ほかの糸とともに織り上げたもののことを指す。もともとは綿や絹などの繊維製品が貴重だった江戸時代中期に [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/sumi_main.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">古くなった布を再生する“南部裂織”</h2>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">裂織と書いて「さきおり」と読む民芸品。読んで字のごとく、古くなった布を細かく裂いて、ほかの糸とともに織り上げたもののことを指す。</span>もともとは綿や絹などの繊維製品が貴重だった江戸時代中期に東北地方で始まったものといわれている。青森県東部の南部地方でも、綿は希少な素材で、寒冷な気候に対応するために裂織が織られるようになった。それが現在でも伝わる<a href="https://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/shoko/chiikisangyo/aomori_dento-kogei_nanbusakiori.html" target="_blank" rel="noreferrer noopener">南部裂織</a>（なんぶさきおり）だ。今回は南部裂織工房「澄」を開き、地方の伝統を織り続けている井上澄子さんにお話を聞いた。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/sumi_1.jpg" alt="" class="wp-image-21341" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/sumi_1.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/sumi_1-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">明治時代に織られた南部裂織</h2>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">南部裂織は衣料品だけでなく、こたつがけなど大きなものから装身具やかばんなど小さなものまで様々なものがある。</span>「これプレゼントに織ってきたんです」と井上さんが中田にくださったのは名刺入れ。もとは丹前だったという名刺入れは、ほっと心が温まるようだった。そして井上さんが「これはね」といって見せてくれたのが、150年前に織られたという裂織。「これは150年ぐらい前、明治のときに織られたものです。だから、ここで使われている元の布そのものは江戸時代のものなんです」という。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="213" height="320" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/sumi_2.jpg" alt="" class="wp-image-21342" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/sumi_2.jpg 213w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/sumi_2-199x300.jpg 199w" sizes="(max-width: 213px) 100vw, 213px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">人々の生活に思いをはせる</h2>



<p>古布を使うということは、つまりその布には使っていた人がいるということだ。「ものを大事にする」といってしまえば、なんとなく道徳的な響きがしてしまうかもしれない。でも前に使っていた人々の生活に思いをはせてみるとその言葉の意味もまた違ってくる。本当の意味でつながっているのだ。しかもそれが<span class="swl-marker mark_yellow">古くなってしまったものではなく、新しく、しかも美しいものとして目の前にある。そしてふとした瞬間に人の姿が思い浮かぶ。これ以上のリサイクルがあるだろうか。</span></p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/sumi_3.jpg" alt="" class="wp-image-21343" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/sumi_3.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/sumi_3-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>

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				<div class="p-blogCard__inner">
					<span class="p-blogCard__caption">NIHONMONO &#8211; 「にほん」の「ほんも&#8230;</span>
					<div class="p-blogCard__thumb c-postThumb"><figure class="c-postThumb__figure"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/aomori_akebi_main.jpg" alt="" class="c-postThumb__img u-obf-cover" width="320" height="180"></figure></div>					<div class="p-blogCard__body">
						<a class="p-blogCard__title" href="https://nihonmono.jp/article/21382/" target="_blank" rel="noopener noreferrer">使い込むほどに味が出る。生活のための民芸品「あけび蔓細工」渋谷悦さん／青森県弘前市 &#8211; NIHONMONO</a>
						<span class="p-blogCard__excerpt">温かな雰囲気のあけび蔓細工 津軽地方の伝統工芸といえば大名の令によって生まれた津軽塗があるが、それとは反対に庶</span>					</div>
				</div>
			</div>
		</div>

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				<div class="p-blogCard__inner">
					<span class="p-blogCard__caption">NIHONMONO &#8211; 「にほん」の「ほんも&#8230;</span>
					<div class="p-blogCard__thumb c-postThumb"><figure class="c-postThumb__figure"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2015/06/top_-tsuchita.jpg" alt="" class="c-postThumb__img u-obf-cover" width="320" height="180"></figure></div>					<div class="p-blogCard__body">
						<a class="p-blogCard__title" href="https://nihonmono.jp/article/21599/" target="_blank" rel="noopener noreferrer">津軽塗を支える木地「つちだ工房」土田亙さん／青森県弘前市 &#8211; NIHONMONO</a>
						<span class="p-blogCard__excerpt">青森を代表する工芸品、津軽塗 津軽を代表する工芸品である津軽塗。江戸時代の中期に弘前藩藩主の津軽信政の治世に始</span>					</div>
				</div>
			</div>
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		<title>山形に伝わる、地域の色たちが織り成す美「米沢織」染織家･新田源太郎さん／山形県米沢市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 30 Apr 2013 07:40:07 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[織物]]></category>
		<category><![CDATA[山形県]]></category>
		<category><![CDATA[米沢織]]></category>
		<category><![CDATA[米沢市]]></category>
		<category><![CDATA[染織家]]></category>
		<category><![CDATA[工芸]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/09/18501_main.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>山形に伝わる米沢織 江戸時代のはじめには、すでにからむしや紅花などの栽培が盛んだった米沢だが、それら繊維業を産業として勃興させたのは直江兼続だ。これらの特産物を藩の買い上げ制とし、さまざまな織物産地に売って藩の財政の基盤 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/18501/">山形に伝わる、地域の色たちが織り成す美「米沢織」染織家･新田源太郎さん／山形県米沢市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/09/18501_main.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">山形に伝わる米沢織</h2>



<p>江戸時代のはじめには、すでにからむしや紅花などの栽培が盛んだった米沢だが、それら繊維業を産業として勃興させたのは<a href="https://www.city.nagaoka.niigata.jp/kankou/rekishi/ijin/kanetsugu/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">直江兼続</a>だ。これらの特産物を藩の買い上げ制とし、さまざまな織物産地に売って藩の財政の基盤とした。<br>時代が下って1700年代の後半に米沢藩主となった上杉鷹山は、財政立て直しの施策の一環として繊維業、織物業を盛んにした。越後から縮師を呼んだり、養蚕業にも力を入れるなどして、米沢織の基盤を作った。以来、200年以上の歴史を持つのが米沢織だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">米沢織の特徴</h3>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">特徴は自然の染料を活かして染められて浮かび上がる色彩だ。</span>ただし、近年は研究が進み、伝統の草木染めだけでなくさまざまな色が出てきている。さらには化学繊維を織り込むといった技術も取り入れて、伝統をさらに進めていく試みがとられている。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="212" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/09/18501_img01.jpg" alt="" class="wp-image-18680" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/09/18501_img01.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/09/18501_img01-300x198.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">いいものには“パワー”がある</h2>



<p>お話を伺ったのは1884年に創業され、130年ほどの歴史を持つ織物屋、株式会社新田の新田源太郎さん。新田さんは1980年生まれの33歳。2003年に京都の老舗帯屋に入り、基礎を学び、2005年から米沢を拠点に活躍している。<span class="swl-marker mark_yellow">2011年には全国日本伝統工芸展で日本工芸会新人賞を獲得した。</span><br>受賞した作品は袴。縞袴の織物に金糸を入れた斬新な袴が評価され受賞した。「袴は柄に決まりごとがありますが、自分は自由に作るということを始めたかったんです。本当にこだわった人のためのこだわった袴を作りたかったんです」と新田さんは話す。<br>「いいものには何というか“パワー”みたいなものがあるんです。これは感覚でしかないんですけど、きっと誰にでも伝わる感覚。やわらかさとかあとは私は“甘さ”といっていますが、手にとったとき、着たとき、見たとき、それが伝わってくるんです」</p>


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<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="213" height="321" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/09/18501_img02.jpg" alt="" class="wp-image-18679" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/09/18501_img02.jpg 213w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/09/18501_img02-199x300.jpg 199w" sizes="(max-width: 213px) 100vw, 213px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">さまざまな色で染め上げる米沢織</h2>



<p>米沢織の織りを専門とする工房では、染め場を持たないことが多い。しかし、新田さんの工房では、織りだけではなく染めの作業から一貫して着物作りをしている。そのため、自分たちでイメージした最終的な姿に近づけることができる。もともとの糸をどうすればいいか。それをどう織っていけばいいか。それをすべて研究、実践していくことができるのだ。<br>新田さんが「これは祖父母が発表したものなんです」といって見せてくれたものがある。それは紅花で染めた、紅花紬。「まだ匂いもするんですよ。紅花でしか染めていない。これは世界で見てもほかではできない自信があります。暗いところで光にかざすと赤が浮き出てくるんですよ」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">繊維の総合生産地となった米沢</h3>



<p>現在、米沢市には撚り糸製作を専門とする工房から、織り、縫製を行う工房まで、すべてが揃っている。これは全国的にも京都を除いては大変珍しい。いわば米沢は繊維の総合生産地というわけだ。<span class="swl-marker mark_yellow">それぞれの工房が日々、新しい技術、新しいアイディアが紡ぎ出されている。</span>その米沢で生まれる作品にこれからも注目していきたい。</p>


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<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="212" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/09/18501_img03.jpg" alt="" class="wp-image-18678" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/09/18501_img03.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/09/18501_img03-300x198.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>

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<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="212" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/09/18501_img04.jpg" alt="" class="wp-image-18677" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/09/18501_img04.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/09/18501_img04-300x198.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/18501/">山形に伝わる、地域の色たちが織り成す美「米沢織」染織家･新田源太郎さん／山形県米沢市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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