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	<title>益子焼 - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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	<title>益子焼 - NIHONMONO</title>
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		<title>手をかけ、時間を重ね、表情豊かな器を作り続ける陶芸家･田代倫章さん／栃木県芳賀郡益子町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 10 Dec 2025 07:55:29 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
		<category><![CDATA[益子焼]]></category>
		<category><![CDATA[茨城県陶芸美術館収蔵]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4325.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>里山の原風景が残る町、栃木県芳賀（はが）郡益子町（ましこまち）。この町で作陶に励む陶芸家の田代倫章（としふみ）さん。さまざまな独自の技法を用いて、シンプルでありながら独特な質感と深みのある器を生み出している。 縁に導かれ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4325.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>里山の原風景が残る町、栃木県芳賀（はが）郡益子町（ましこまち）。この町で作陶に励む陶芸家の田代倫章（としふみ）さん。さまざまな独自の技法を用いて、シンプルでありながら独特な質感と深みのある器を生み出している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">縁に導かれるように陶芸の道へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4370.jpg" alt="" class="wp-image-53732" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4370.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4370-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4370-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>栃木県南東部に位置する「益子町」。益子焼の名産地として名を馳せ、春と秋に開催される陶器市には、陶器を求める一般客だけでなく、陶芸をはじめとした“ものづくり”を手掛ける作家たちも多く集まる。</p>



<p>そんな益子町に2007年から工房を構えている田代さん。生まれは宮崎県だと言う田代さんが益子町で陶芸家になった背景には、いくつか偶然の重なりがあった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">きっかけは廃部寸前の部活への勧誘</h3>



<p>出身は宮崎県だが父が転勤族だったため、大学に入るまでは沖縄や函館、大阪など全国各地で過ごしたという田代さん。</p>



<p>陶芸との出会いは高校時代。当時大阪の高校に通っていた際に友人から部員不足で廃部寸前の陶芸部に誘われたのがきっかけだそう。</p>



<p>「手先は器用だったので向いているかな？と最初は思いました」と当時を振り返る田代さんだが、それから陶芸に惹かれ、大学は奈良芸術短期大学へと進むことになった。</p>



<p>卒業後は製陶所などへの就職も検討したが、その当時2002年ごろは就職氷河期で、製陶所への就職も厳しく、だからといって急に独立して食べていける自信もない。弟子入りを選択肢に入れるべきか悩んでいたところ、父からの「やれるところまでやってみろ。」という言葉と、同級生からの何気ない「合っていると思う。」というふたつの言葉に背中を押され、益子町の陶芸家･今成誠一氏に弟子入りすることにした。</p>



<h3 class="wp-block-heading">外からの人を受け入れやすい益子の空気</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4343.jpg" alt="" class="wp-image-53733" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4343.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4343-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4343-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「益子を選んだのは、日本の焼き物の中でも比較的歴史が浅く、県外の人でも受け入れてもらいやすい風土がありそうと考えたから」と田代さん。</p>



<p>江戸時代末期に大塚啓三郎が窯を開いたことから始まったとされる益子焼の歴史は170年ほどで、備前や美濃、有田など何百年もの歴史を持つ地域と比べては確かに歴史が短い。また首都圏へのアクセスも良好でありながら、自然豊かな地域とあって移住がしやすい地域。陶芸家だけでなく、東京などから移り住んだ人が営むパン屋やカフェなどもあり、そういった人たちも益子の良さを語る際には「外からの人を自然に受け入れる風土がある」ということを挙げる人が多い。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4332.jpg" alt="" class="wp-image-53734" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4332.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4332-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4332-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>また、師匠の今成氏の「感性を磨け」という考え方は、大学で教わった先生の方針や、何より田代さん自身のやりたいことと共通する部分も多かった。</p>



<p>約5年住み込みで働き、特にろくろの扱い方、窯の焚き方などはその時期に習得した部分が大きい。また、土の入手先、作品をどこに卸すかなど「陶芸家」の仕事についても学んだ期間だったそう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">手間も時間もかかるが、目指す焼き物に仕上げるために必要な工程</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4333.jpg" alt="" class="wp-image-53735" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4333.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4333-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4333-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>修行期間を経て、独立を意識しはじめ、関西に戻る事も考えているときに、たまたま現在の工房が見つかったため、益子で独立することにした田代さん。2007年のことだった。</p>



<p>田代さんは、電動ろくろで成形し、手回しろくろで器を仕上げる。電動ろくろも回転速度の調整ができるため、最初は高速や中速、仕上げでは低速にするなど、最初から最後まで電動ろくろを使う陶芸家も多い。しかし、この仕上げを手回しろくろで行うのが、田代さんのこだわり。</p>



<p>「電動ロクロだと、ゆっくり回しても規則的になってしまい、自分の作る器の形だとどうしても冷たい印象になってしまいます。手回しろくろなら時間はかかりますが少し回転が変則的になるので、温かみを持たせる事ができます。」</p>



<p>また田代さんの作る器は、薄づくりで繊細なフォルムのものが主。しかし益子の土は砂気が多く粘性が少なく割れやすい性質があり、そのため「益子焼」は厚みがある見た目のものが多い。そこで田代さんは、益子の土に他の産地の土を混ぜることで、自らの作品に適した粘土を作っている。</p>



<p>「シンプルでありながら質感を重視した『表情豊かな』器作りを心がけています。ただ、あくまでも器は道具で、食材が主役だと思っているので、その器に食材を盛り付けた時にどう映るかに重きを置いています。器自体の主張は控えめにする事。収納のしやすさ。結果、長く付き合って飽きのこないモノになると思います。」と田代さんは話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">素焼きをせずに釉薬をかける「生掛け」</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4349.jpg" alt="" class="wp-image-53736" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4349.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4349-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4349-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「表情豊かで柔らかい質感を出したい」という田代さんは、焼き方にもこだわる。</p>



<p>一般的な陶器の作り方は、土で器の形を作り、乾燥させてから、一度低温で焼く。これを「素焼き」と呼び、素焼きのあとに釉薬をかけ、その後「本焼き」をして色をつけていく（素焼きの後に色を付ける下絵付けという技法もある）。素焼きをすることで、器の強度が高まり吸水性も上がるので、液状の釉薬をかけた際にも器が崩れることはなく、生地に釉薬を密着させることができる。</p>



<p>しかし田代さんは、この素焼きをせず、「生掛け」と呼ばれる器が半乾きの状態で釉薬をかけて、本焼きをする手法を取っている。</p>



<p>しかし、薄いフォルムでしかも、半乾き状態の土で作られた器の強度は低い。そこに液体の釉薬をかければ、形が崩れやすいのも当然だ。また、形を崩さずに釉薬をかけても、その後で問題が起こりやすい。器そのものの土には水分が含まれているので、乾燥、焼成で水分が蒸発し収縮する。しかしその時点で釉薬はさほど収縮しないため、生地から剥離しやすくなってしまう。素焼きをしていれば、吸水性のある状態（乾いた土の器）に液体（釉薬）をかけることになるので、水分を吸い込み、収縮率もほぼ同じなので器と釉薬の密着度は高まるのだが、田代さんあえてそれをしない。</p>



<p>「特殊なことをやっていたので、独立して3年くらいは全然うまくいかなくて…。住み込みで修行していた期間よりずっと辛かったですね」と田代さん。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4378.jpg" alt="" class="wp-image-53737" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4378.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4378-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4378-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>なぜわざわざ、そのような難易度の高い手法を選んだのか。</p>



<p>それは田代さんが師事していた今成氏にあった。もともと陶芸家としての今成氏のルーツは、岡山県の備前焼。備前焼は、素焼きをせず、釉薬もかけずに、高温で長時間焼くのが特徴で、今成氏の元で学んだ田代さんも、この「焼締め」と呼ばれる技法をメインで修行した。その過程で師匠が時折行っていた「生掛け」の技法にも注目。他とは違った自分らしい作風を目指したいという気持ちもあり、独自の表現の幅が広がると考え、焼締めに加えて「生掛け」を積極的に取り入れ始めたのが苦労の始まりだったのだ。</p>



<p>土の配合や釉薬の種類、その濃さや厚み、何度も失敗を繰り返しながら、それぞれの配合を試行錯誤。釉薬を器の内側だけに施す手法をベースにしながら、田代さんの理想の器のフォルムや質感を追求していった。内側だけ釉を施すことで形状を保ち、外側は柔らかな土の質感としている。微調整を重ねながら、現在では外側に刷毛で土を塗り、内側にはコンプレッサーで釉薬を付け足すなど行いながら、田代さんが思い描く「表情豊かな質感」を生み出している。</p>



<p>刷毛で塗ったり、コンプレッサーで吹き付けたりするのは時間と手間がかかる。薄づくりにすると歪みやすいリスクもある。それでも、その手間ひまを乗り越えた先にある仕上がりの質感や風合いの変化を田代さん自身が楽しみながら、目指す器を形にするため日々試行錯誤を重ねている。</p>



<p>その技法に名前があるのか尋ねると「名前は決めていないですね。一発焼きみたいなもので…」と微笑む。</p>



<p>華奢なフォルムに素朴な土の質感。そして均一化された製品には見られることのない、釉薬の濃淡や流れ方。一見シンプルなようでいて、細部まで手をかけ尽くした田代さんの技術と思いを感じずにはいられない。</p>



<h2 class="wp-block-heading">新たなチャレンジも視野に、価値を感じてもらえるものを作る</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4409.jpg" alt="" class="wp-image-53738" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4409.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4409-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4409-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>毎年春と秋に開催される「益子陶器市」にも欠かさず出店している、個展や企画展などの活動も多く、着実に器のファンを増やし続ける田代さん。</p>



<p>今後の展望について尋ねると「昨今の資材等の値上がりから苦労する部分もあります。ただその中でも如何に自分ならではの感性・技術で表現し続け、価値を感じてもらえるものを作ったいけたらと思います。」とのこと。</p>



<p>現在の工房では、妻の鈴木宏美さんも、陶芸家として活動している。お互いに気に入っているこの益子の地で活動を続けたいという。</p>



<p>2022年には「茨城県陶芸美術館」に器と花器（かき）が収蔵された。県内外のフレンチや洋食店でも、田代さんの器を使いたいという依頼もある。</p>



<p>そうしたきっかけから、宇都宮市内のフレンチレストランをはじめ、洋食店などとの付き合いも増えてきた。「“特別な食事をする場所”で自分の器が使ってもらえることは大変うれしい」と話す田代さん。レストランとの打ち合わせや納品で現場に赴いた際、その場所から受ける刺激やインスピレーションは現在の制作コンセプトにも活かされ、試行錯誤の末にたどり着いた器たちは、確実に人の心を魅了するものへとなっている。</p>



<p>これからは器だけでなく、大学生のときに学んでいたオブジェやインテリア関係など造形的な作品を手掛け、自分の幅を広げていきたいという田代さん。新たな展開にも期待が高まる。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53723/">手をかけ、時間を重ね、表情豊かな器を作り続ける陶芸家･田代倫章さん／栃木県芳賀郡益子町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>曖昧さを愛し、変化する人生を器に投影する陶芸家･宮澤有斗さん／栃木県芳賀郡益子町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 07 Jul 2025 04:13:55 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
		<category><![CDATA[益子焼]]></category>
		<category><![CDATA[痕定手]]></category>
		<category><![CDATA[積化象嵌]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4084.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「益子焼（ましこやき）」の産地として有名な栃木県芳賀（はが）郡益子町。自然に囲まれた森の中にある工房で作陶に勤しむ、陶芸家の宮澤有斗さん。あえて制作過程の手の痕跡を残す「痕定手（こんじょうて）」という独自の技法で生み出す [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4084.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「益子焼（ましこやき）」の産地として有名な栃木県芳賀（はが）郡益子町。自然に囲まれた森の中にある工房で作陶に勤しむ、陶芸家の宮澤有斗さん。あえて制作過程の手の痕跡を残す「痕定手（こんじょうて）」という独自の技法で生み出す器には、１つひとつ異なる奥深さや豊かな表情を見出すことができる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">幼いころから陶芸家の父の仕事を見て育つ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4080.jpg" alt="" class="wp-image-52982" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4080.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4080-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4080-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>益子町で生まれ育った宮澤さん。陶芸家の宮澤章さんを父に持ち、20年以上前に父が建てた工房を借り、作陶に励んでいる。</p>



<p>幼いころから父の姿を間近で見ながら「ものを作る人」として憧れの気持ちを抱いていた宮澤さん。土を触ることも日常だった。</p>



<p>地元の高校へ進学し美術部に入部。金属を溶かして、型に入れて器や美術品を作る「鋳金（ちゅうきん）」をやってみたことで、美術の楽しさをもっと学びたいという意欲が湧いてきた。それと同時に、最も身近でものづくりを行う父の存在を改めて意識するようになったという。「焼き物」の手順や技法などのプロセスを父に教えてもらったのもこの頃だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">鋳金から陶芸の道へ</h3>



<p>大学は岩手大学へ進学。硬いものを溶かしてカタチにすること、経年変化などにもおもしろさを感じて、１･２年生のうちは主に「鋳金」を学んでいたという。</p>



<p>ところが、3年生へ進学する際、より専門性の磨くために所属の研究室を決める段階で、宮澤さんは陶芸への道を選択する。「一番の理由は、鋳金で食べていくことの難しさを感じたことです」。</p>



<p>「鋳金は制作に時間がかかりますし、岩手にいて南部鉄器の世界の話を聞く機会もあったのですが、大変そうだと感じて…。でも、父を身近に見ていたせいもあり、陶芸なら食べていけそうだ、とイメージができました」と宮澤さん。</p>



<p>子どもの頃から、最も身近な陶芸家である父の仕事を見ながら土に触れ、高校時代から焼き物の基礎も技術も教わっていたこともあってか、陶芸への移行はもちろん、技術の上達に大きな壁はなかった。</p>



<p>在学中にもいくつかの陶芸の賞を受賞し、宮澤さん本人も「いけるんじゃないか」という自信を持った。陶芸家人生はスムーズなスタートを切ったかのように見えた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">順風満帆な陶芸家人生がはじまったのか？</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4143.jpg" alt="" class="wp-image-52983" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4143.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4143-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4143-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大学卒業前には都内のギャラリーを回り、卒業後すぐに自身初の個展を開く。その結果得たものは「食べていけるほどではないかもしれない」という現実だった。</p>



<p>また、ギャラリー巡りをしている際に訪れた有名なギャラリーのオーナーから「今の年齢でこの作品を作れていることに違和感がある。身内に関係者がいるのでは？」と問われ父のことを伝えると「もっと色々な世界を見てきた上で、また作品を持ってきて」と言われたという。当時は技術さえあれば良いと思っていた宮澤さん。その時はオーナーの真意を理解することはできなかったが、今でもその言葉が強く心に残っているという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「自分は恵まれている」がゆえの苦悩</h3>



<p>初の個展を経て、「どういう作品を作って、どうやって生活していこうか」と考えるようになった宮澤さん。まずは父の工房を借り、そこで作品づくりをすることに。「自分は恵まれている、と思いました」。</p>



<p>ところがそれこそが苦悩を生み出してしまった。「自分は準備されたものの中でやっている。中身のなさを感じてしまい、悩むようになってしまったんです」。</p>



<p>そんな最中の2011年。東日本大震災が起こった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">無力感。作陶の手が止まる</h3>



<p>東北地方を中心に甚大な被害をもたらした東日本大震災。宮澤さんの住む益子町でも震度5強もの揺れがあり、町内の販売店でも山になるほど大量の陶器が割れ、窯が崩れてしまった窯元も多かった。</p>



<p>日本全体が未曾有の大災害を乗り越えようと尽力する中で、宮澤さんは「自分は何もできない。周りの力になることもできない」という無力感に苛まれていった。</p>



<p>答えのない思考を巡らせているうちに、いつの間にか作る時間より悩んでいる時間のほうが多くなっていた。</p>



<p>立ち止まっていた宮澤さんに声をかけたのが、那須塩原市の板室温泉にある温泉旅館「大黒屋」16代目社長の室井俊二（現在は会長）さんだった。「宿のスタッフとして働いてみないか？」という打診。</p>



<p>大黒屋は、室町時代の1551年に創業した老舗旅館でありながら「保養とアート」をキーワードした温泉宿として注目を浴びている。現代芸術家･菅木志雄の個人美術館『菅木志雄倉庫美術館』を併設し、庭園も菅木氏が作庭している。館内では様々な作家、写真家、芸術家などの個展が随時開催され、豊かな自然と温泉、アートを楽しめる知る人ぞ知る名宿だ。</p>



<p>宮澤さんの父･章さんも陶芸家として大黒屋で個展を開催するなどつながりがあり、その父からの紹介。</p>



<p>もう、焼きものに手がつかない状態だった宮澤さんは誘いをありがたく受け止め、働くことにした。</p>



<h2 class="wp-block-heading">人生の転機。陶芸家ではなく、老舗温泉宿で働く</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4135.jpg" alt="" class="wp-image-52984" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4135.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4135-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4135-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大黒屋では陶芸家ではなく温泉宿のいちスタッフとして働き、その4年間、全く陶芸作品を作ることはなかった。陶芸作品を作りたいという気持ちにもならなかったという宮澤さんだが、むしろしっかりと器と距離を置いたことが、改めて「器の面白さ」に気がつくきっかけになった。</p>



<p>「毎月いろいろな作家さんや写真家さん、彫刻家さんなどアートの方が個展を開きに来て、その作品を見るのがとても刺激になりました。人と関わることも常に新鮮で楽しかったです」。</p>



<p>自身とはジャンルの異なるものに触れることによって、自分の「こういうものが好き」という感覚はどこから来ているのかを見つめ直すことができたのだという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">心機一転、新たな一歩</h3>



<p>大黒屋で働くのは当初3年の約束だった。当時の社長も「3年たったら自分の好きなことをやりなさい」と言ってくれていた。人員の関係で辞めるのを1年伸ばし4年にはなったが、宮澤さんは「卒業」をむかえた。</p>



<p>もうそこには、ドロドロとした悩みの渦に飲まれていた宮澤さんの姿はない。「これから何が僕から出てくるのか楽しみな気持ちでした」。</p>



<p>新たな経験と人との出会いによって、宮澤さんが大きく前進した瞬間だった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">本当に自分のやりたいことは何か？</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4150.jpg" alt="" class="wp-image-52985" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4150.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4150-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4150-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大黒屋を出た宮澤さんがまずはじめたのが「父を消す作業」だった。それまでの宮澤さんの作風は、父･章さんの技法に影響を受けていたそう。章さんは手びねりで土を積み重ね、焼いたあとに表面を剥がして磨く「積化象嵌（せっかぞうがん）」という独自の技法で作陶している。</p>



<p>「白い土を使って、無地のものを作りました。味気ないものを作る作業をして、父を消した上で自分のゆずれないものは何かを見つけたかったのです」。そして2年ほどこの作業を続け、自身と向き合う時間を経て、今度は自然と父･章さんの技法へ近づいていった。</p>



<p>宮澤さんはろくろを使い、土灰（どばい）を利用した釉薬を用い、1270度の高温で焼き上げる。窯から出したら、粗めのヤスリで表面を削っていく。手作業で削ることで、１つひとつの表面には違った表情が生まれる。自然の「土」の奥深さも感じられ、どこか温かく、それでいて野性味も感じさせる、唯一無二の風合いだ。</p>



<p>作っているのは、日常で使える器が中心で「器って、空っぽの枠を作るみたいなもので、できたものをどうやって使ってもいい。ひっくり返して使ってもいいし、それってすごく魅力的だと思っています」と、「器」を通してできる表現の幅に最も興味があるという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">曖昧さも揺らぎも、作品に込めて。 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4103.jpg" alt="" class="wp-image-52986" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4103.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4103-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4103-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>自分が今後、どのような作品を作っていきたいかは、まだまだ模索中だという宮澤さん。その背景には、曖昧なもの、空っぽのものに魅力を感じ、自身も常に曖昧でいたい、揺れ動いていたいという思いがあるからだそう。</p>



<p>しかし、それを「やりたいこと」として据えると、そこに想いが強くなってしまい、それはもう「空っぽ」ではなくなる矛盾も感じる。</p>



<p>だから変化をし続けて「自分の癖（へき）」も探し続けたいという。</p>



<p>「焼きものは、最初は技術だと思っていましたが、そこには生き方がにじみ出るものだと感じるようになりました」という宮澤さん。大学卒業間際、都内のギャラリーのオーナーが言った「もっと色々な世界を見てきて」という言葉の意味は、ここにあったのかもしれない。</p>



<p>「一人で作っていると閉鎖的になってしまうので、もっと人やものに関われる状況を作りたいし、それができるような余白や間（ま）を持っておきたいです」。</p>



<p>気さくな笑顔で話をする宮澤さんは、何かに固執する素振りは感じられない。穏やかで柔軟。それでいて芯の強さや落ち着きがある。優柔不断とは違う。曖昧さや揺らぎを愛し、自ら求める宮澤さんの深い思考や想いは、味わい深い器の表情に反映されているようにも見える。</p>



<p>これから先、宮澤さんがどこへたどり着くのかまだ分からない。だからこそ、目が離せない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52981/">曖昧さを愛し、変化する人生を器に投影する陶芸家･宮澤有斗さん／栃木県芳賀郡益子町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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