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	<title>栃木県 - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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	<title>栃木県 - NIHONMONO</title>
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		<title>甘みあふれる“完熟いちご”を多くの人に届けたい「Merry Berry Farm」早瀬好人さん／栃木県真岡市</title>
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		<pubDate>Wed, 06 Nov 2024 11:07:24 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[栃木県]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/SOL2040.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>50年以上、いちごの生産量日本一の栃木県。代表的な「とちおとめ」を始め、「スカイベリー」や「とちあいか」など、様々な品種が県内のスーパーや道の駅などで販売されている。そんな栃木県内で、行列のできる直売所を持ついちご農家「 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/SOL2040.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>50年以上、いちごの生産量日本一の栃木県。代表的な「とちおとめ」を始め、「スカイベリー」や「とちあいか」など、様々な品種が県内のスーパーや道の駅などで販売されている。そんな栃木県内で、行列のできる直売所を持ついちご農家「Merry Berry Farm（メリーベリーファーム）」。“陽気ないちご屋さん”という意味で名付けられた今注目のいちご農園だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「<strong>真っ赤に熟した、甘くて大きないちごを食べてもらいたい」</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/SOL1434.jpg" alt="" class="wp-image-50154" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/SOL1434.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/SOL1434-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/SOL1434-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「Merry Berry Farm」の農園がある栃木県真岡市（もおかし）。ここは、いちごの生産量日本一の市。東には八溝山地、西には鬼怒川（きぬがわ）が流れ、水と自然の豊かな地域だ。「いちご狩り」を楽しめる観光農園も多いため、子どもの頃から真岡のいちごに触れてきた県民も多い。「Merry Berry Farm」の農園は、真岡市の旧･二宮町（にのみやまち）のあった場所に位置する。2009年には真岡市に編入合併されたが、それまでは二宮町がいちごの生産量日本一だった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">市場出荷では叶わない、完熟いちごを多くの人に届ける方法</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/SOL1478.jpg" alt="" class="wp-image-50155" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/SOL1478.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/SOL1478-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/SOL1478-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「Merry Berry Farm」の代表、早瀬好人さん。真岡市の農場で「完熟いちご」を栽培し、隣の小山市にある自営の直売所で、採りたての新鮮ないちごを販売している。</p>



<p>子どもの頃からいちごが大好きだった早瀬さん。いちご農家だった祖父母が育てた、甘く大きく完熟したいちごを毎日のように食べていたのが思い出。しかし、甘く熟れた「完熟いちご」は、市場出荷には適さない。ただでさえいちごの表面はデリケートで傷が付きやすい。それがさらに完熟すれば、市場への出荷、スーパーなど小売店への流通の段階で傷んでしまうリスクが大きい。しかも収穫してから消費者の手に届くまでに日数もかかるため、その間に品質が落ちてしまう。そのため市場へ出荷するいちごは、完熟する前に収穫をしなければならない。</p>



<p>しかしそれでは「いちごの本当のおいしさを知ってもらえない」と感じた早瀬さん。「本当においしいものを食べてもらいたい」という想いを源泉に、栽培したいちごを自分たちの直売所で販売することを決めた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">朝採れいちごを、すぐに直売所へ。県内外にもファンが多数</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/SOL2008.jpg" alt="" class="wp-image-50156" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/SOL2008.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/SOL2008-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/SOL2008-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>早瀬さんの朝は早い。いちごの収穫をするのは夜明け前から。１粒１粒の完熟度合いを見極め、傷がつかないようにフリースの手袋を付けて、丁寧に摘み取っていく。収穫したいちごは、車で40分ほどの場所にある小山市の直売所へ搬入。そこで大急ぎで、仕分けやパック詰めを行い、当日中に店頭へ陳列。訪れる人は、朝採れの新鮮ないちごを手に入れることができる。</p>



<p>真岡市に隣接する小山市の店舗がオープンしたのは2021年。早瀬さんが本格的にいちご栽培を始めてから約7年。独学で栽培技術を身に着け、また店舗物件を探すために年月がかかってしまったが、「完熟いちご」の直売所のオープンを目標にいちご栽培を続けてきた早瀬さん念願の実店舗だった。</p>



<p>店内はいちごの甘い香りに満たされ、いちご好きには堪らない空間。冬場の最盛期には、開店直後から行列ができ、16時の閉店までに売り切れてしまう日もあるほど。味の評判とリピーターが自然と増え、地元だけでなく県外からわざわざ足を運ぶ人もいるほか、「遠方から友人が来るので、ぜひここのいちごを食べさせたくて」と嬉しそうに話す人もいるほど。</p>



<p>直売所のオープンまでは市場への出荷も行っていたが、今では収穫したいちごの約95％をこの店舗で販売しているという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">平均糖度15度。口いっぱいに広がる、ジューシーな甘さ</h3>



<p>「Merry Berry Farm」のいちごにファンが多いのは、ただ完熟しているからではない。10年かけて作り出した「Merry Berry Farm」の味わいに惚れ込む人がいるからだ。</p>



<p>「いちご農家ごとに“味付け”がある」と早瀬さんは表現するが、品種が同じだからと言って全く同じ味になるわけではない。もちろん品種ごとの傾向はあるが、使う肥料や土の状態、気候の違い、収穫日や時間によっても、酸味や甘味、実の大きさや硬さ、水分量などの違いが出るもの。それぞれの農家が目指す味によっても異なる。早瀬さんが大切にしているのは、いちごの甘さ（糖度）。日々の試行錯誤を経て、例えば「とちあいか」なら、平均糖度15度、いちごの先端は17～18度ほどを実現し、頬張った瞬間、口いっぱいに広がる幸せな甘さを楽しめる。（いちごの平均糖度は約10度）</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>誰のために、どの品種を育てるのか</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/SOL1435.jpg" alt="" class="wp-image-50157" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/SOL1435.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/SOL1435-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/SOL1435-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>早瀬さんのいちご栽培はほぼ独学。生産に本腰を入れようと決意した際、まずいちご栽培のノウハウがあると思われる企業などに「おいしく作る方法」をたずねてまわったが、明確な回答は得られなかったため自ら研究をすることにした。</p>



<p>現在「Merry Berry Farm」が栽培しているのは、栃木県の品種「とちおとめ」「とちあいか」「スカイベリー」「ミルキーベリー」「とちひめ」と、静岡生まれの品種「紅ほっぺ」、群馬の品種「やよいひめ」の合計7種類。特に「とちひめ」は、実が柔らかいため市場には出回らず、直売所や観光農園の「いちご狩り」でしか口に出来ない希少な品種。また、「紅ほっぺ」は甘さと酸味の両方がしっかりして、いちご本来の甘酸っぱさとコクが味わえる品種で、早瀬さん自身も「初めて食べた時に感動した」と言うほど。どの品種も全国のいちごを食べ比べる中で、早瀬さん自身がおいしいと感じ、多くの人に食べてもらいたいと思った品種を選んでいる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">食べる人の安心のため、自然由来の農薬を使う</h3>



<p>さらに、食べる人に安心してほしいとの想いで、化学合成農薬ではなく天然由来の物質などを使った有機JAS規格に登録のある農薬を中心とした栽培を行っている。</p>



<p>例えばいちごには害虫の「アブラムシ」が発生しやすい。そこでハウス内に天敵である「アブラバチ」をハウスの中に放つことで、薬ではなく、自然の力で害虫を駆除してしまうのだ。また、害虫がいちごに寄生する前に、おびき寄せて捕獲するフェロモン剤の使用や、食品などで使われる天然由来の成分を散布して、害虫の侵入口を封鎖するなどの管理をしている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">土が持つ、自然の力を信じる </h3>



<p>いちご栽培は、地面の土で育てる「土耕栽培」と、１ｍほどの高さのベンチの上で水と液体肥料で育てる「高設栽培（水耕栽培）」とがあるが、「Merry Berry Farm」では土耕栽培を採用。</p>



<p>土作りには、土がフカフカになり水はけも良くなるという堆肥をたっぷり入れ、土の中の微生物の餌となる、牡蠣殻や米ぬかの散布も。「土の中には発見されていない微量な要素があって、それがいちごの味や生育に影響すると思う」と考える早瀬さん。土が持つ可能性を引き出すような「土作り」を大切にしている。<br>天然の甘味料であるハーブ「ステビア」を乾燥させて煮詰め、熟成させたものと、アミノ酸を独自ブレンドした肥料を使うなど、オリジナルの肥料で甘さを引き出す方法を日々研究。「土が会話をしてくれるわけではないので、葉の色や艶で判断するしかない。もっと甘くする方法があるのでは？と思いながら、来年はもっとこうしてみようと考えて、まだまだ試行錯誤の繰り返しです」。<br><br>有機肥料を使えば、それを目当てに寄ってくる虫もいる。いちごが完熟すれば甘い香りに引き寄せられて、また虫が寄ってくる。さらに、小さい実や育ちの悪い実を摘み取って、残った果実に十分な栄養が行き渡るようにする「摘果（てきか）」も行うため、収穫量を増やすのは難しいそう。<br>また、完熟いちごは当日か翌日に食べるのがベストな状態。それゆえに直売所で売れなければすべて廃棄に。多くのロスを出してしまった時期もあった。あえて困難な方法を選んでいるようにも見えるが、それでも早瀬さんを支えたのは「甘くて大きな完熟いちごを、多くの人に食べてもらいたい」という情熱。</p>



<p>試行錯誤の末、当初より日持ちがするようないちごを作ることもでき、店舗からの全国発送も可能に。多くの人が味を認め、こぞって買いに来てくれるまでになった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">想いを継ぐ、息子とともに描く夢</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/SOL1470.jpg" alt="" class="wp-image-50158" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/SOL1470.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/SOL1470-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/SOL1470-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>早瀬さんにはふたりの子どもがいる。ひとりは「Merry Berry Farm」という名をつけた娘のあみさん。そしてもうひとりが、大学を卒業する2025年から農園の後継者として本格的に働きはじめるという息子の乃亜さんだ。</p>



<p>きついというイメージが強く、若い人には避けられ、高齢化問題が叫ばれる農業の世界。しかし、農園を継ぐことを決めた若い乃亜さんの目はキラキラと輝く。「父は、とにかくいちごについて勉強していて、その向上心がすごいんです。自分も今まで手伝いをしながら、大変だけど楽しいと感じたし、直販はお客さんの喜ぶ顔が見られるのが嬉しいです」と話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">食べる人の喜びのために作る、完熟いちご</h3>



<p>全国のおいしい品種探しにも余念がない早瀬さん。来年からは、千葉県で生まれた「真紅の美鈴（しんくのみすず）」、北海道生まれで、桃のような甘く芳醇な香りを甘みが特徴の「桃薫（とうくん）」、愛知県のいちご農家水野賢治氏が育成した品種「みくのか」の3品種を追加し、10品種を生産予定。<br>昨年からは、オフシーズンにいちごのスムージーや削りいちごなどを販売するなど、苗を育てている期間（5月〜10月頃）にもいちごの魅力を知ってもらえる工夫もしている。</p>



<p>早瀬さんの今後の目標は、いちごのおいしさをアピールできる場所にすること。より多くの人にその魅力を伝えるため、現在、いちご狩りができる観光農園の開園を目指し、そのための土地を探している最中だという。いつか宇都宮や東京にも店を構えたいという話も出るなど、大好きな「いちご」を知ってもらいたいという想いが強まるばかり。<br>お客さんの喜ぶ顔を想像しながら、大きく甘い「完熟いちご」を作る早瀬さん親子。2人の愛がたっぷり詰まったいちごは、今日も人を笑顔にさせる。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/50153/">甘みあふれる“完熟いちご”を多くの人に届けたい「Merry Berry Farm」早瀬好人さん／栃木県真岡市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>「鳳凰美田」らしさの先で、米農家の未来を守る「小林酒造」／栃木県小山市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2024 07:10:03 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[栃木県]]></category>
		<category><![CDATA[鳳凰美田]]></category>
		<category><![CDATA[酒造]]></category>
		<category><![CDATA[日本酒]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0576.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>フルーティーな香りと華やかで上質な味わいが幅広い世代に愛される「鳳凰美田（ほうおうびでん）」。この酒を醸すのは、日本酒のみならず和の果物をふんだんに使ったリキュールやスピリッツでも支持を得る栃木県小山市の「小林酒造」だ。 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0576.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>フルーティーな香りと華やかで上質な味わいが幅広い世代に愛される「鳳凰美田（ほうおうびでん）」。<br>この酒を醸すのは、日本酒のみならず和の果物をふんだんに使ったリキュールやスピリッツでも支持を得る栃木県小山市の「小林酒造」だ。伝統ばかりにとらわれず、未来を見据えて挑戦を続ける背景には何があるのだろう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">恵まれた美田（みた）の土地での酒造り</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_IMG_9162_edited.jpg" alt="" class="wp-image-50002" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_IMG_9162_edited.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_IMG_9162_edited-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_IMG_9162_edited-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>小林酒造の本社蔵は栃木県小山市卒島（そしま）に建つ。<br>銘柄の由来ともなった、昭和の初期まで「美田（みた）村」と呼ばれたこの土地は、関東平野の北部に位置し見渡す限りに広がった美しい田園風景と、あちらこちらからの井戸から轟々と汲み上げられる地下水が豊富な日光山系の伏流水に恵まれた土地である。</p>



<p>米と水に恵まれた場所で誕生した小林酒造の「鳳凰美田」。<br>1872（明治５年）の創業から150年以上が経過した現在、蔵を率いるのは五代目蔵元の小林正樹さんと妻の麻由美さんだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「鳳凰美田」を率いる小林正樹さんと妻の真由美さん</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0555.jpg" alt="" class="wp-image-50004" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0555.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0555-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0555-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>小林さんが蔵に入ったのは今から30年以上前の1991年だった。<br>全国の日本酒蔵元の跡継ぎが集まる東京農業大学醸造学科を卒業後、小林酒造株式会社に入社すると同時に、酒造りの実践を学ぶため旧国税庁の醸造試験所に２年間出向した。<br>そこで小林さん自身と小林酒造にとって運命の人と巡り合うこととなる。後に生涯の伴侶となる麻由美さんだ。<br>麻由美さんは、この時、日本最大の杜氏集団である南部杜氏を率いる（旧）岩手県醸造試験所で酒造りの指導官という立場であり、国の機関で最先端の日本酒の製造技術を会得し将来を嘱望される人材だった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">廃業寸前の蔵を支えた杜氏と妻のチカラ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/5603633946a9ea4e564b2123f83e6328.jpg" alt="" class="wp-image-50003" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/5603633946a9ea4e564b2123f83e6328.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/5603633946a9ea4e564b2123f83e6328-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/5603633946a9ea4e564b2123f83e6328-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>今でこそ数々の銘酒を生み出す蔵として名高い小林酒造だが、小林さんが蔵に戻った当時は仕込みの本数は10本にも満たない、経営的にも非常に苦しい極小の造り酒屋だった。建物は老朽化し、設備投資はおろか酒造りに必要な酒米を買う資金すらままならない状態だったのだ。</p>



<p>そんな状況のもと、当時の「鳳凰美田」の酒造りは、蔵に戻った小林さんと20年以上に渡り小林酒造の酒造りをしてきた現職の藤田徳松杜氏との二人三脚でのスタートだったが、そこには最先端の酒造りの知識を持った麻由美さんの姿は無かった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">杜氏制度のしがらみと決断</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/014ebf2c91a9c79875bb53283deee844.jpg" alt="" class="wp-image-50005" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/014ebf2c91a9c79875bb53283deee844.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/014ebf2c91a9c79875bb53283deee844-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/014ebf2c91a9c79875bb53283deee844-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本酒造りの世界には「杜氏」という制度がある。<br>代表的な杜氏集団は岩手県の南部杜氏、秋田県の山内杜氏、新潟県の越後杜氏などがあり、酒造りの長となる杜氏が、冬季の農閑期にその村や町から酒造りのプロ集団を募りまとめあげ、出稼ぎの仕事として酒造りをおこなっていた。近年は、蔵元杜氏や通年雇用の社員蔵人による酒造りも増えており、技術の交流が盛んにおこなわれている。</p>



<p>だが、当時の日本各地の杜氏集団の間には、門外不出の酒造技術や流派の高い敷居があった。南部杜氏を率いる岩手県醸造試験所で学んだ麻由美さんは、流派の異なる秋田県山内杜氏の藤田杜氏へのケジメとして酒造りに参加していなかったのだ。</p>



<p>小林さんと藤田杜氏、二人での酒造りは上手くいかず、酒質がなかなか向上しないまま5年の月日が過ぎた。<br>ある日、そんな状況を見かねた栃木県内の「鳳凰美田」を取扱う多くの酒屋たちから、夜中に呼び出され「麻由美さんの感性や技術、コネクションを活かさないのはどういうことか！」と苦言を呈される。<br>その熱い言葉に胸を打たれた麻由美さんは「自分には日本酒でお応えするしかない！」と悟ったのだ。<br>これをきっかけに麻由美さんも酒造りに参加することになり、小林酒造に強力な味方が加わることとなった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「鳳凰美田」吟醸酒に特化した酒造り</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/0fa4e36f4b41b6230ca726842f6b8243.jpg" alt="" class="wp-image-50006" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/0fa4e36f4b41b6230ca726842f6b8243.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/0fa4e36f4b41b6230ca726842f6b8243-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/0fa4e36f4b41b6230ca726842f6b8243-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>小林さん、藤田杜氏、麻由美さんが力を合わせた酒造りは「吟醸造り」。<br>「吟醸造り」とは、米の４割以上を糠として精米した白米（精米歩合60％以下）を原料に使用し、低温で長期間発酵させることで、デンプン質の酒米からメロンやマスカット、リンゴなどの果物のような吟醸香を特徴とする酒を醸す醸造法である。</p>



<p>「当時は、いい酒を造ろうとすると必然的に吟醸造りになった」と小林さんはいう。<br>さらに、一般的な機械では圧搾せずに、コンテストなどのみに使用されるもろみを袋に入れ、もろみの自重で自然に滴り落ちる雫を集める「雫しぼり」にこだわった。<br>他のしぼり方より手間はかかるが、飲んだ瞬間に酒造りの丁寧さ、お米の甘味や豊潤な吟醸香がハッキリと感じられるためだ。こうして３人の試行錯誤の末に、銘酒「鳳凰美田」が誕生した。</p>



<p>2004年には日本酒業界の登竜門である「全国新酒鑑評会」で金賞を受賞。その後、２年連続の金賞受賞により「鳳凰美田」の名は全国に知れ渡ったのである。<br>苦しみを乗り越えて生まれた鳳凰美田は、今では国内外のコンテストなどで多くの受賞を重ね、北は北海道、南は鹿児島まで広がり、JAL国内外のファーストクラスでも提供されるようになった。もはや栃木県だけでなく、日本が世界に誇れる日本酒と言っても過言ではない。</p>



<h3 class="wp-block-heading">昔ながらの伝統と酒造りを大切に</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/eea20a6d54fd9dfa34ff6acf7f221d54.jpg" alt="" class="wp-image-50007" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/eea20a6d54fd9dfa34ff6acf7f221d54.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/eea20a6d54fd9dfa34ff6acf7f221d54-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/eea20a6d54fd9dfa34ff6acf7f221d54-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>小林酒造では、昔ながらの伝統を守りながらの酒造りにこだわっている。<br>例えば、酒米を蒸す作業。大量の酒米を蒸し上げるため、近年は一定の火力を安定して出せるボイラー蒸気を多くの酒蔵が利用している。<br>しかし、小林酒造の本社蔵では、昔ながらの和釜を直火にかけ酒米を蒸している。<br>火加減など蒸し具合の調整には技術や手間がかかるが、和釜で直接焚いた火によって生まれた、キレイな蒸気で蒸した酒米は、麻由美さん曰く「何とも言えない良い塩梅の蒸し上がりになる。蒸し上がりの良さは、酒の味へと自然に繋がっていく」と言うのだ。</p>



<p>また、麹も全量手造りで仕上げる。<br>目に見えない麹菌とどの様に向き合えば美味しい日本酒になってくれるのか、身を持って感じ、経験を重ねることが大切でかけがいのない宝となる。<br>最新鋭の製麹装置も造り手の経験の上で操作しなければ何の意味もないという。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0768.jpg" alt="" class="wp-image-50008" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0768.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0768-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0768-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>さらに、発酵を終えたもろみを酒と酒粕に分ける「搾り（圧搾）」の段階でも手作業にこだわる。<br>蔵人たちが何枚もの布袋にもろみを入れて吊るし、自然に滴り落ちる酒を集める「袋吊り」や、もろみを入れた袋を何層にもなるように重ね、上からゆっくりと圧力をかける「佐瀬式」という昔ながらの方法を続けている。<br>全自動の圧搾機も存在するが、長年の経験や感覚を研ぎ澄ませた人の手で作ることで、唯一無二の「鳳凰美田らしい」味わいが作り出せるという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">これからの「鳳凰美田」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/0906d41e45f54691eb618fd4335ea078.jpg" alt="" class="wp-image-50009" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/0906d41e45f54691eb618fd4335ea078.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/0906d41e45f54691eb618fd4335ea078-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/0906d41e45f54691eb618fd4335ea078-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>30年以上、日本酒の道を全力で走り続けてきた小林さんが今見つめているのは、次世代を担う若者たちに酒造りを繋げること。<br>若き日の小林さんは、酒造りに集中するあまり「オレが一人で全てやる」という間違った感情に囚われて、一緒に酒造りをする仲間たちにさえ米を触られるのが嫌な時期もあったのだという。<br>そうして取った金賞には、価値も、仲間と分かち合う喜びも嬉しさもなかったことに気付いてからは、仲間を大切にして若い蔵人たちにも丁寧に酒造りを教え、見守りながら、蔵全体の「和」を大切にしている。</p>



<p>伝統的な酒造りを守り続けているのも、酒の味だけでなく、次世代の人たちに昔ながらの酒造りからしか出来ない経験や感性を体験してほしいという気持ちがあるからだ。<br>その先に、世界にも日本酒の魅力を分かり易く伝えていきたいという想いがある。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0917.jpg" alt="" class="wp-image-50010" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0917.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0917-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0917-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2022（令和4）年5月、小林酒造は隣町の栃木市に「飛翔蔵」を建てた。<br>伝統的な酒造りを行う本社蔵とは全く対照的な最新鋭の蔵だ。</p>



<p>「美味しく、魅力ある日本酒を造るために一番大切なことは、彩り豊かな人間性、魅力やキャラクターを持つ一人一人の造り手がいて…且つ、その造り手が和となり“美味しいお酒を醸し上げる”想いが1つになること。その中で「鳳凰美田」は造り手が育ち、酒造りの基本が叩き込まれた蔵人一人一人が、本蔵をベースに新蔵で新しい扉を開こうとしているところにいる。新しい「鳳凰美田」が誕生するのを楽しみに待っていてほしい」。</p>



<p>若い世代の蔵人たちと伝統を紡ぎながら目指す、新しい「鳳凰美田」に期待が高まっている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/50001/">「鳳凰美田」らしさの先で、米農家の未来を守る「小林酒造」／栃木県小山市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>香り高く味の濃い“選ばれる”野菜「エビベジ／海老原ファーム」／栃木県下野市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 14 Oct 2024 01:20:58 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[野菜農業]]></category>
		<category><![CDATA[栃木県]]></category>
		<category><![CDATA[ブランド野菜]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL1090.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「かんぴょう」の生産日本一の栃木県下野（しもつけ）市にある海老原ファーム。“エビベジ”という名前で、全国の有名レストランなどの料理人から直接注文が絶えず、業界でも注目の存在だ。自分の料理にぜひ使いたいとプロが惚れ込む野菜 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL1090.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「かんぴょう」の生産日本一の栃木県下野（しもつけ）市にある海老原ファーム。“エビベジ”という名前で、全国の有名レストランなどの料理人から直接注文が絶えず、業界でも注目の存在だ。自分の料理にぜひ使いたいとプロが惚れ込む野菜とは、一体どんなものなのだろう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">即位の礼の晩餐会にも採用された、プロが絶賛する野菜</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0986.jpg" alt="" class="wp-image-49961" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0986.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0986-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0986-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>県の中南部に位置する下野市。北は宇都宮市に面し、県内の市では一番面積が小さいながら、首都圏への直通電車が停まる駅が3駅あるなど、都内への交通の便も悪くはない。高低差のあまりない、平坦な土地が広がり、冬に雪が降ることも少ない。年間を通じて温暖な気候で、市の半分以上には田畑が広がる。生産量日本一の「かんぴょう」をはじめ、ほうれん草、きゅうり、トマトなど農作物の栽培が盛んな地域だ。</p>



<p>そんな下野市にある海老原ファーム。ここもまた代々この土地で野菜作りを続けてきた、地元農家の1軒である。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>スーパーには並ばない。海老原ファームの野菜“エビベジ”</strong> </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL1131.jpg" alt="" class="wp-image-49962" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL1131.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL1131-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL1131-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>海老原ファームは、一見すると普通の農家のように見える。ずらりと並ぶハウスには規模の大きさを感じるが、最新鋭の設備があるわけでも、たくさんの農機具があるわけでもない。ところが、ここには県内だけでなく、首都圏の有名レストランやホテルの料理人、百貨店のバイヤーなど数多くの目利きが訪れ、野菜を直接買い付ける契約を結んでいく。舌のこえたプロたちは野菜の味の濃さ、香りの良さ、食感などに惚れ込み「ぜひ自分の料理に使いたい」とこの地を訪れるのだ。2019年にホテルニューオータニで行われた、天皇陛下の皇位継承を国内外に示すための「即位の礼」に伴う晩餐会では、メイン料理の付け合せに海老原ファームの野菜が採用されたほど、味への評価が高い。</p>



<p>海老原ファームで作った野菜は、市場への出荷はせず、レストランやホテル、結婚式場などへ直接販売するのが主。年間で110種類以上の野菜を栽培し、それぞれの取引先から要望される野菜の種類や量などに合わせて生産、販売を行っている。</p>



<p>生産者が直接販売するので、売値を決めるのも海老原ファーム。通常作った人が売値を決めるのが当たり前のように思うが、農業の世界では違う。生産者が自分で野菜に希望の値を付けて販売し続けることは、実はハードルの高いことなのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>農家が自分で作った野菜の値段を「自分で決める」ということ</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL1126.jpg" alt="" class="wp-image-49963" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL1126.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL1126-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL1126-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>スーパーなどに並ぶ野菜は、基本的に全国各地にある「中央卸売市場」を経由している。野菜の生産者なら収穫した野菜を中央卸売市場で買い取ってもらい、その市場の担当者（卸売業者）とスーパーや小売店などが、せりや交渉によって金額を決めていく。スーパーや小売店は、その買い取り価格にさらに自分たちの経費や利益をのせた価格で店頭に並べる。私たち一般消費者が購入する価格は、最初に農家が市場へ販売した金額よりも上がっているのが普通だ。</p>



<p>そう聞くと、野菜を売る際に市場を利用することはデメリットのように感じる人もいるかもしれない。しかしながら農作物は自然のもの。気候の変動によって、生産量は増減する。しかも日持ちがするものではないので、大量に収穫できても一定の期間で売れなければ廃棄しなければならない。市場へ出荷する場合なら、量に関わらず全てを買い取ってくれる「全量買い取り」という制度があるので、無駄が生まれるリスクを排除できる。</p>



<p>また市場を通さず販売をしようとすれば、そこにも手間とコストがかかる。地域の直売所で売るにしても売れ残りのリスクがあり、通信販売なら送料の負担が必要なケースも。直接契約してくれる飲食店がすぐに見つかるとも限らないし、1店舗での必要数はそれほど多くはないだろう。さらには販売や販路拡大に伴う事務作業や交渉事、ときにはクレーム対応まですべて自分たちで行わなくてはいけない。ノウハウだって必要だ。しかし市場で全部買い取ってもらえれば、供給量が多い時期に多少価格が下がることはあっても最低限の利益は確保され、生産に集中できる。</p>



<p>生産に集中して、少ない品目を効率良くたくさん作るというのも1つの方法だ。市場に出荷するかしないかは、どちらが良い悪いと断言できるものではないが、市場を通さず販売するのは簡単なことではないらしい。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>驚きと感動を覚える、“エビベジ”の野菜とは</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL1096.jpg" alt="" class="wp-image-49964" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL1096.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL1096-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL1096-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>海老原ファームは、代表の海老原秀正さんと妻の智子さん、息子の寛明さん夫妻や娘の千秋さん夫妻と家族が力を合わせて運営している。畑を見学させてもらうと、その場でサッと洗った野菜を食べさせてくれた。しっかりとした歯ごたえのあるニンジンは、噛みしめると濃い甘みが口に広がる。カブもジューシーで、野菜というよりむしろフルーツのよう。「カブって、こんなに甘いのか」と感動さえ覚える。</p>



<p>そういう味の特別な品種を育てているのかと思ったが、そうではないらしい。「野菜の品種はめずらしいものではなくて、どこでも売っているもの。違うのは作り方だけですよ」と海老原さんは笑う。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>味の濃い野菜を作る秘訣は「水分量」</strong> </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0993.jpg" alt="" class="wp-image-49965" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0993.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0993-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0993-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>代々農家だった海老原家。40～50年前までは、周囲の農家と同様にかんぴょうやほうれん草を作っていた。海老原さんの代には、きゅうりをメインで生計を立てるようになったが、生産量は少量。そのほかの野菜も頼まれて売れる分を作るだけだった。</p>



<p>当時から見た目や価格を重視した大量生産には疑問を感じ、野菜本来の味や香りを大事にしたいと考えていた海老原さん。何度も研究を重ねる中で発見したのが、水分量のコントロールだった。</p>



<p>早く育てて早く出荷したいと思うのは農家の常。より早く育て、旬の時期よりも早く出荷ができれば、商品価値を上げることもできるからだ。しかし早く育てると野菜本来の味が出てこない可能性に気がついた海老原さんは、あえて時間をかけて育てる方法に舵を切った。さらに試行錯誤する中で多くの野菜において「水加減」が味や香りに影響を与えることに気がついた。</p>



<p>たどり着いたのは、ハウスを利用して日射量は確保しながら、与える水の量を限りなく少なくして育てること。そうすると野菜の生育スピードは鈍化。土は乾いて見え、枯れないギリギリのラインまで水を与えないようにすると、野菜自身が土の中で水分を探し回り自分の中に蓄えようとするという。ハウスで栽培するのは、雨だけでなく夜露で意図しない水分を野菜に与えるのを防ぐため。そこまで徹底した水分コントロールをした結果、野菜は瑞々しく、味も香りも濃いものへ成長を遂げるという。</p>



<p>味を追求しながら少しずつ生産を続ける中、その味を認めてくれたのは料理人たちだった。最初はカブとニンジンを「おいしい」と言ってもらえたのがはじまり。おいしいと喜んでもらえたことで、海老原さん自身も「もっとおいしく出来ないか？」と考えるようになり、より研究に精を出した。</p>



<p>「味が濃い」「甘い」「ジューシー」などの評判は、料理人から料理人へと伝わった。宣伝は一切していない。取引が続いていくと「こんな野菜が欲しい」という要望も出てくる。料理人たちの要望に応えるため、もともとの柱であったキュウリを中心に少しずつ栽培する品種を増やしていき、気がつけば年間110種類を超える品種を扱うほどに。野菜以外にも15〜20種類のハーブも栽培。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>人の手で、野菜に向き合い「少量多品目」で栽培</strong> </h3>



<p>海老原ファームの栽培方法は、限られた品種を効率的にたくさん栽培するのではなく、多くの種類を少しずつ作る「少量多品目栽培」。1つのハウスで約14種類の野菜を同時に育て、収穫が終わればまた別の野菜の種を植える。どのシーズンでも常に30〜40種類の野菜が収穫できるようにし、「エビベジの野菜でサラダボウルが作れること」を目指している。</p>



<p>ここまでたくさんの品種を栽培できるようになるまでは、簡単な道のりではなかった。「ここまで来るのは失敗だらけですよ」と苦笑いする海老原さん。ニンジンひとつとっても、100も150も種類がある。その中から種を選んで実際に育ててみる。ある品種で成功した育て方でも、違う品種になれば同じ作り方でも「おいしく」できるとは限らない。満足できる仕上がりになり、現在も生産を続けている野菜は、過去に栽培を試みた品種の3割にも満たないという。</p>



<p>種類が多ければ多いほど、育て方の把握も大変だ。それでも機械や化学肥料だけに頼った効率的な栽培方法は行わない。栽培や収穫のために用意しているのは管理機とトラクター1台だけ。栽培も収穫も海老原さん家族と、約17名のパートスタッフによる手作業で行う。「おいしい野菜」を育てるためには、1種1種に向き合い、水分量、肥料、気温、湿度など微妙な差し加減を見極め、最適な栽培方法を選ぶことが必要。それらの繰り返しが、数々の料理人から選ばれる“エビベジ”の味につながっている。市場に任せるのではなく、自分たちの納得できるものを世の中に出すこと。これは海老原さんとご家族、スタッフたちの野菜哲学であり、矜持なのかもしれない。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>次世代へつながる、野菜の味と愛情</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0976.jpg" alt="" class="wp-image-49967" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0976.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0976-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/SOL0976-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>“エビベジ”の野菜やハーブは、ホテルニューオータニやリッツカールトン日光など、全国的にも有名なホテルやレストランの料理に使われるほか、伊勢丹新宿店や銀座三越などでも取り扱われている。スーパーなどでは販売していないが、「エビベジ頒布会」を利用すれば自宅に野菜を取り寄せることも可能。</p>



<p>“エビベジ”の評判と味を知り、野菜の販売を求める取引先は年々増えている。各料理人の要望に応えるため、新たな品種を栽培することにも積極的。農業は自然が相手だからこそ、どうしても要望通りの量を出荷できないこともある。それでも代替品や収穫を待ってくれる取引先も多い。送料も負担してくれ、それでも欲しいと注文をしてくれる。そこには、圧倒的な味への信頼があるからだ。</p>



<p>海老原ファームが今までもこれからも、変わらず目指し続けるのは「使う人においしいと認めてもらえる野菜作り」。「もうすぐここは息子たちの代に変わる。それでも、うちの野菜がおいしいのを分かってくれる人たちが食べてくれて、それがつながって、ずっと食べ続けてもらえたら一番いい」と話す海老原さん。</p>



<p>業界では難しいとされる、市場を通さない販売経路だけで経営を成り立たせること。それを成功させたのは、特別な経営術ではない。ただそこに「おいしい野菜」があっただけだ。野菜を語るとき、野菜を食べる人を見る時、海老原さんは心から嬉しそうな顔をする。隣を見ると、息子の寛明さんも同じ表情。海老原さんの深い野菜愛は、次世代にもしっかりと受け継がれているようだ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/49960/">香り高く味の濃い“選ばれる”野菜「エビベジ／海老原ファーム」／栃木県下野市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>日本中の米品評会を席巻する、国立大学発のオリジナル米。宇都宮大学「ゆうだい21」／栃木県真岡市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 30 Sep 2024 07:22:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[栃木県]]></category>
		<category><![CDATA[ブランド米]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0090.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>ゆうだい21は、国立大学大学初の良食味水稲品種で宇都宮大学生まれのオリジナル米。「その姿は、雄大にして壮麗」というキャッチコピーさながらの雄大な姿を持ち、品種登録以来、毎年数多くの品評会で優秀な成績をおさめているお米だ。 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0090.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>ゆうだい21は、国立大学大学初の良食味水稲品種で宇都宮大学生まれのオリジナル米。「その姿は、雄大にして壮麗」というキャッチコピーさながらの雄大な姿を持ち、品種登録以来、毎年数多くの品評会で優秀な成績をおさめているお米だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>国立大学法人初の新品種</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0123.jpg" alt="" class="wp-image-49864" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0123.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0123-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0123-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ゆうだい21が誕生したのは宇都宮大学農学部の附属農場。<br>宇都宮市内にあるキャンパスから南東へ約13㎞程離れた栃木県真岡市の農村地帯にあり、学生たちの移動も苦にならない場所だ。<br>東京ドーム約21個分に値する総面積101haほどの広大な敷地を有し、そこでは、水田･普通畑･野菜畑･果樹園･施設園芸用の温室･飼料畑･放牧地などの教育や研究が行われている。</p>



<p>宇都宮大学農学部の前身である「宇都宮高等農林学校」は、1922年の創立。<br>国立大学農学部の中でも老舗であり、現在では「生物資源科学科」「応用生命化学科」「農業環境工学科」「農業経済学科」「森林科学科」の5学科で多岐に渡る教育研究がなされており、広大な農場で実践的な教育と先進的な研究を通じ、持続可能な農業と環境保全を目指し、地域社会と連携しながらグローバルな視野を持つ人材を育成している。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>ゆうだい21が生まれた奇跡</strong></h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0211.jpg" alt="" class="wp-image-49865" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0211.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0211-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0211-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「生まれたことが奇跡」と称されるゆうだい21。</p>



<p>その理由は、ゆうだい21の基になった株が偶然発見されたものだったからだ。<br>1990年、当時農学部の助教授だった前田忠信名誉教授が、試験栽培を行っていた附属農場の試験田にひと株だけ、とりわけ大きな稲穂を発見。このひと株を20年の歳月をかけて栽培研究と、選抜･固定を行い、2010年に新たな品種として登録を行った。</p>



<p>何千株もの中に、少しだけ大きく実った稲穂、そして、それを見逃さなかった前田名誉教授との偶然の出会い。これが20年後、全国の米品評会を席巻することになるとは、一体誰が想像できただろうか。<br>ちなみに、品種登録される前は「U21L」と系統名で呼ばれていたゆうだい21。「U」は宇都宮大学のU、「L」は大きい穂を示す「LARGE」に由来している。</p>



<p>この系統名を元に、はじめて見つけた稲穂の大きさと附属農場の雄大さ、そして宇都宮大学の呼称である「うだい」と「雄大」を結びつけ、「ゆうだい21」という名が付けられた。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>「米・食味分析鑑定コンクール」で頭角を現す</strong></h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0072.jpg" alt="" class="wp-image-49866" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0072.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0072-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0072-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>品種登録後、日本で一番規模の大きい米の品評会とされる「米・食味分析鑑定コンクール国際大会」の特別優秀賞に、ゆうだい21がはじめて登場したのが2013年に開催された第15回のこと。それを皮切りに、第16回のコンクールにて、国際総合部門の金賞にノミネート、第23回には国際総合部門金賞5名、特別優秀賞4名が同品種を出品し受賞。</p>



<p>その後も、第24回には国際総合部門金賞4名、特別優秀賞3名、第25回にいたっては、国際総合部門で金賞18名中10名、特別優秀賞は24名中10名と、賞の約半数以上をゆうだい21が占めるなど、その評判は年々高まっている。<br>ゆうだい21が頭角を現す以前は入賞する米の半数以上をコシヒカリが占めていたが、わずか10年でコンクールの状況は一変した。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>冷めてもおいしい、ゆうだい21の食味</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0259.jpg" alt="" class="wp-image-49867" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0259.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0259-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0259-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>品評会を席巻するゆうだい21。その食味はどのようなものか。宇都宮大学農学部･高橋行継教授によると、うま味が強くてバランスが良く、噛むほどに甘みを感じられるのが大きな特長だという。</p>



<p>また、炊き上がりから6時間経過しても、炊飯直後の軟らかさが保たれる。つまり、おにぎりや弁当など冷めた状態で食べる場合には、その真価が発揮されるということだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>ゆうだい21の特徴とコシヒカリとの違い</strong></h3>



<p>コシヒカリと比較栽培しながら開発が進められてきたゆうだい21は、コシヒカリよりやや大粒なため、食べ応えがある。炊飯直後の粘りはコシヒカリの5.5倍もあり、古米でも粘りの低下は3割未満だという。これはコシヒカリの古米と比較すると、3倍以上の粘り。</p>



<p>これらのデータから、多くの生産者から「コシヒカリを超える品種になるのでは」と期待されている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ゆうだい21がもつ可能性</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0214.jpg" alt="" class="wp-image-49868" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0214.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0214-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0214-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>もうひとつ、ゆうだい21の大きな強みとして、暑さに強いという特徴がある。</p>



<p>これは研究当初からある程度わかっていたことだったが高橋教授をはじめ、宇都宮大学農学部･長尾慶和教授らゆうだい21に関わる大学のメンバーも、実際にどこまで暑さに強いのかは把握しきれずにいた。<br>しかし、2023年。その年の夏は平均気温が統計開始以降最高を記録し、猛暑日地点数の積算数も2010年以降最多を更新するなど、驚くほどの猛暑が続いた。</p>



<p>それを乗り越えた2023年の米・食味分析鑑定コンクールで、ゆうだい21はコシヒカリを上回る入賞数を記録。<br>暑さに弱いコシヒカリに対して、ゆうだい21は猛暑を乗り越えた上で、食味や特色をしっかりと出すことができた。これにより、相当な暑さにも対応しうる力があるということを実証できた同品種。今後も温暖化による気温上昇が予想される日本に於いて、より普及していく可能性を秘めているのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ゆうだい21が向かう先</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0074.jpg" alt="" class="wp-image-49869" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0074.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0074-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch__SOL0074-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>これほどまでに、強みが多く、将来性が高いゆうだい21だが、栽培方法が難しい特徴がある。</p>



<p>その理由は、ゆうだい21の稲は背丈が高く、昨今の天候によっては強くなびくことがある。茎が折れることはないが、生育が旺盛になり、稲が倒れると収穫作業が困難になり、収穫量が減ったり、品質の低下に繋がってしまう。栽培が難しいとなると生産量も増えにくい。そのため、環境や天候に合わせたより良い栽培方法を確立するため、宇都宮大学では栽培研究を継続して行っている。<br>数々のコンクールで高評価を獲得するゆうだい21の次なるフェーズは、コシヒカリや、つや姫のようなおいしいブランド米として、市場流通のシェアを拡大し、ビジネスモデルとしていくこと。そのためにも課題をクリアし生産量を増やすことで、誰でも手に入りやすく、全国の食卓で気軽に食べられる品種にする。宇都宮大学の挑戦はこれからも続いていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/49863/">日本中の米品評会を席巻する、国立大学発のオリジナル米。宇都宮大学「ゆうだい21」／栃木県真岡市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>好奇心と飽くなき探求心が変化に富んだ作風を生み出す陶芸家･松崎健さん／栃木県芳賀郡</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/49778/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 24 Sep 2024 08:14:55 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
		<category><![CDATA[人間国宝]]></category>
		<category><![CDATA[栃木県]]></category>
		<category><![CDATA[益子町]]></category>
		<category><![CDATA[島岡達三]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama2.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>陶芸の重要無形文化財技術保持者、いわゆる人間国宝である島岡達三氏を師に持つ陶芸家の松崎健さん。師である島岡氏の下で民芸陶器として栄えた益子焼を学び、そのまま民芸の道に進むと思いきや、まったく違った方向へ進んでいった松崎さ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/49778/">好奇心と飽くなき探求心が変化に富んだ作風を生み出す陶芸家･松崎健さん／栃木県芳賀郡</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama2.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>陶芸の重要無形文化財技術保持者、いわゆる人間国宝である島岡達三氏を師に持つ陶芸家の松崎健さん。師である島岡氏の下で民芸陶器として栄えた益子焼を学び、そのまま民芸の道に進むと思いきや、まったく違った方向へ進んでいった松崎さんの作風。「面白そう」からはじまり、「どうやったらできるのだろう」と考え、常に試行錯誤してきた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">益子で「やりたいことをやってきた」から作れた作品</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama27.jpg" alt="" class="wp-image-49779" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama27.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama27-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama27-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本ばかりでなく、ニューヨーク・ボストやイギリスなど海外でも活躍を見せる陶芸家･松崎健氏が栃木県益子町に「遊心窯」を開窯してから約半世紀。同氏が手がける焼き物は多岐に渡るが、なかでも薪を使った原始的な穴窯で焼き、窯の炎が生み出す偶然の色彩が魅力の「穴窯窯変（あながまようへん）」は力強くて圧巻であり、特に目を見張る。</p>



<p>人間国宝･島岡達三氏に師事し民芸の道を極めるかと思われた松崎さんが、なぜ窯変に惹かれていったのか。</p>



<h3 class="wp-block-heading">陶芸の里「益子」</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama4.jpg" alt="" class="wp-image-49780" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama4.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama4-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama4-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>栃木県と茨城県の境にあり丘陵地である益子町は、「益子焼の産地」として全国に名を馳せる。益子焼は江戸時代末期、黒羽藩の藩主が益子の陶工に土地を与え、生産量を着実に増やしたことで御用窯（ごようがま）となった。御用窯とは広義になるが、藩が陶工･窯業を保護や育成をして援助したものをいう。明治維新で徳川幕府が無くなり、廃藩置県により藩の庇護を失ったあとは各窯が経営し販路を拡大。火鉢やすり鉢、かめや釜などの日用品として生産されていたのが益子焼だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">益子焼の陶工から人間国宝に認定</h3>



<p>益子には、1955年（昭和30年）第1回の重要無形文化財保持者（人間国宝）に認定された濱田庄司氏がいた。濱田氏は「民芸運動」の中心的活動家。さらに濱田氏以外にも人間国宝に認定された人物がもう一人。松崎さんの師匠である島岡達三氏だ。同氏は「日本民藝館」を訪れたことがきっかけで民芸に目覚め、1940年に濱田の門下に入り、1954年に益子で窯を開き本格的な作陶を開始した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">父の影響で幼い頃から民芸に親しみ、いつしか陶芸の道へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama15.jpg" alt="" class="wp-image-49781" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama15.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama15-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama15-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>松崎さんの父は日本画家であり、民芸の収集家だったと話す松崎さん。幼いころから身の回りには江戸時代や明治時代のものがあり、骨董市に連れて行ってもらっては売買の様子に興奮したそう。そんな父の影響もあってか、高校の美術の授業でろくろを挽いたことがきっかけで陶芸にのめり込んでいく。</p>



<h3 class="wp-block-heading">高校の先生のすすめで変えた進路</h3>



<p>陶芸の授業がきっかけで芸術科への進学をすすめられた松崎さんは、玉川大学芸術科に入学して陶芸を専攻。授業の課題は早々に終わらせて、1時間に湯呑を何個つくれるか友人と競争をし、20個以上はろくろで挽いたそうだ。ろくろの基礎は大学1年の時には身についたという。「自分の中に作家と職人がいる」と自らを分析する松崎さんだが、大学時代に身につけたスピード感は今の職人の部分に活きているのだろう。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>島岡達三氏へ師事</strong></h3>



<p>父の知り合いだった島岡達三氏の下で修行することを大学在学中に決めて、卒業後に弟子入り。約束していた3年と延長してもらった2年の合計5年、島岡氏の下で陶芸に対する考え方や物を創る時の姿勢には哲学的なものが大切だと学ぶことができたという。</p>



<p>延長の2年間ではオリジナルの食器作り、文様の研究や白化粧泥の試験を重ね、 独立したときには自分の型ができていた。この間に創りあげた呉須釉鷺文（ごすゆうさぎもん）、白掛線文（しろがけせんもん）、鐵地刷毛目文（てつぢはけめもん）、青地刷毛目文（あおぢはけめもん）、葡萄文（ぶどうもん）、兎文（うさぎもん）、筒描流水文（つつがきりゅうすいもん）、その他オリジナルの文様がその後十五年間の松崎さんを支えることになる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">島岡氏から離れて、自分のやりたいことに挑戦</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama59.jpg" alt="" class="wp-image-49782" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama59.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama59-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama59-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>独立し、順調に進んでいたかと思われた松崎さんだが、ある日、海外の美術関係者に自身の作品を「島岡氏のコピー」と言われたことで、これまで考えたこともなかった疑問が湧いた。以来、「釉薬と形が似ていて模様だけが違う。そうなると模様を変えた時に誰の作品なのだろうか？」という考えばかりが、頭の中をぐるぐると回るようになり仕事すら手につかなくなった。そして、当時つかっていたろくろや益子の材料をやめて手びねりに変えるなど新たな技術の習得に奔走することになる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">古田織部の思想に憧れて学ぶ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama60.jpg" alt="" class="wp-image-49783" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama60.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama60-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama60-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>島岡氏の下で学んだ技法や作風から距離を置くことにした松崎さん。間もなくして、古田織部の思想や織部の作風が「日本のルネッサンス」だと考え、面白いと思うようになった。古田織部とは、桃山時代の武将であり、茶人としても有名だった人物。その名を冠した織部は斬新な造形と意匠が特徴的な焼き物で、同氏がその模様や形状、色調を好んだことが由来となっている。</p>



<p>松崎さんは織部様式の基本を学びつつ、織部様式が京都から西に一気に広がったエネルギーを独自に解釈し、黄瀬戸、瀬戸黒、志野までを織部として捉えて試行錯誤を重ねていった。師匠を持たずに自分が興味を持つことを試しながら身につけることで、真似事ではない作風を手に入れることになると考えたそうだ。それらは師匠である島岡氏にも言わずに始めたことで、知られた後は2年くらい音信不通になったそうだが、その後、展覧会のレセプションで島岡氏に再開した際に「本来ならば破門だが……」と含みながら言われたことで、ずいぶんと気が楽になったと話す。</p>



<p>1978年からは毎年のように京王百貨店新宿店にて個展を開き、それが評判となり、次第に国内だけでなくニューヨークやボストンとイギリスなどでも個展を開催するようになっていった。</p>



<p>その後、1980年に国展･野島賞を、1984年に国展･会友優作賞を受賞。華々しい受賞歴も残した。</p>



<h3 class="wp-block-heading">終着点は定めずに土のエネルギーを感じ取る</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama44.jpg" alt="" class="wp-image-49784" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama44.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama44-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama44-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ひとつの技法を貫き通す人が多い陶芸の世界で、色々なことを敏感に感じ取り、常に変化していけばいいかという考えで作品をつくる。「僕みたいに色んなことをやる人はあまりいないんだけど、自分はそういう風にしかできない」と話す松崎さん。ただ、土のエネルギーというものはずっと求めてきた。面白い土に出会えたら「なんとか表現できないかな」と思い、さらに「早く器にしたいな」と思うそう。「ちょっと面白いな」と思って新たな試みをはじめる姿は今も健在だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">見えてきたスタイルこれからも</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama25.jpg" alt="" class="wp-image-49785" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama25.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama25-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama25-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>時代が変われば求められるものも変わるのではないか。変化を受け入れて自らも変化する。益子の作家と料理人とで創る器、新しい解釈で器をつくるプロジェクトGENDOを立ち上げた。普段つくっている作風とはまた違うデザインの器だが、作家と職人が自分の中にいると話す松崎さんの職人の部分がでてきて「やっていて楽しい」という。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ずっと未完だから、終わらない挑戦</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama54.jpg" alt="" class="wp-image-49786" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama54.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama54-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/yuushingama54-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>新しい土が手に入ると、何を作って穴窯のどこに置いて焼こうか考えるとワクワクする。</p>



<p>「自分は、やっぱりやりたいことを最後までやろうかなって思ってます。いろんなチャレンジを続ける。着地点を求めてやってるわけじゃないので、ずっと未完成でいいかなっていう感じですかね」と話す松崎さんの挑戦はまだまだ終わらない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/49778/">好奇心と飽くなき探求心が変化に富んだ作風を生み出す陶芸家･松崎健さん／栃木県芳賀郡</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>全国の “旨い日本酒”を支える麹室メーカー「日東工業所」／栃木県鹿沼市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 28 Jun 2024 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[日本酒]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/SOL3010-1-1024x819.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本酒作りにおける大切さを順に表した「一麹、二酛（もと）、三造り」という格言。麹を作る部屋は「麹室（こうじむろ）」と呼ばれ、その重要さ故に、神聖な場所とも考えられてきた。ではその麹室はどこで、どのように作られているのだろ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/SOL3010-1-1024x819.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本酒作りにおける大切さを順に表した「一麹、二酛（もと）、三造り」という格言。麹を作る部屋は「麹室（こうじむろ）」と呼ばれ、その重要さ故に、神聖な場所とも考えられてきた。ではその麹室はどこで、どのように作られているのだろう。じつは、そんな麹室の設計･施工のトップメーカーが栃木県鹿沼市にある。</p>







<h2 class="wp-block-heading"><strong>「麹室」のトップメーカーを生んだ「木工のまち･鹿沼」</strong></h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/SOL2960-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-47422" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/SOL2960-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/SOL2960-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/SOL2960-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/SOL2960.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></div>






<p>栃木県鹿沼（かぬま）市。栃木県の西側に位置し、市内の約7割が森林に覆われる自然豊かな地域は「木工のまち」とも呼ばれている。今も昔も良質な杉やヒノキなどの木材資源が豊かで、江戸時代、日光東照宮造営の際には日光西街道･例幣使街道（れいへいしかいどう）の宿場町としても賑わった。その当時全国から集まった腕利きの職人たちがこの地に木工技術を伝え、その後も関東大震災や戦後の復興などの需要拡大により木工の生産が拡大。それらの発展を続ける中で「木工のまち」となっていった。<br>そんな鹿沼市に本社を置く「<a href="http://www.bc9.ne.jp/~nittou/" target="_blank" rel="noopener" title="">日東工業所</a>」。<strong>1972年の創業から50年以上、杉板造りの「麹室」の設計･施工</strong>を手掛け、その数は累計500以上。<span class="swl-marker mark_yellow">全国で麹室を専門に手掛ける会社は2社しかなく、その1社として、「十四代」で有名な髙木酒造や「鳳凰美田」で知られる地元の小林酒造など、名だたる蔵元から厚い信頼を得ている。</span></p>







<h2 class="wp-block-heading"><strong>日本酒造りにおける「麹室」の役割</strong></h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/SOL0709-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-47423" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/SOL0709-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/SOL0709-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/SOL0709-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/SOL0709.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></div>






<p><strong>日本酒作りに欠かせない「麹」を作る工程。この工程は「製麹（せいきく）」と呼ばれ、製麹を行う部屋を「製麹室（せいきくしつ）」または「麹室（こうじむろ）」と呼ぶ。</strong><span class="swl-marker mark_yellow">日本酒における麹とは、精米した米を蒸し、蒸した米に麹菌を振りかけ、米の中で菌を繁殖させたもの。</span></p>



<p>日本酒に限らずお酒を作るには、主原料に酵母を加え、酵母が原料内の糖をアルコールと二酸化炭素に分解する「アルコール発酵」が必要不可欠。ところが日本酒の原料である米には、アルコールのもとになる「糖」が含まれていない。そのためまず、米の中のデンプンを糖に変化させることのできる麹の力を借りる必要がある。麹は日本酒を作る最初の一歩のために欠かせない存在であり、麹がなくては何も始まらない。</p>



<p>麹が完成したら、麹と蒸した米、水、酵母、乳酸菌を合わせ「酒母（しゅぼ）」または「酛（もと）」と呼ばれるものを作る。ここで作られるのがアルコール発酵に必要な大量の酵母で、この酵母が「日本酒のもと」となるのだ。完成した酒母に、さらに水、麹、蒸し米を加えることで、アルコール発酵とデンプンの糖化が行われる。この発酵過程の液体が「もろみ」と言われ、このもろみを絞ったり、ろ過をしたり、火入れをするなどの工程を経て、日本酒が出来上がる<span class="swl-marker mark_yellow">。<strong>麹は、日本酒作りの各工程において必須のものだからこそ、その出来が味わいに大きな影響を及ぼす</strong>のだ。</span></p>







<h3 class="wp-block-heading"><strong>「麹菌」は生き物。彼らが喜ぶ環境とは？</strong></h3>



<p>麹にはデンプンを糖に変える（糖化）だけでなく、タンパク質をアミノ酸に分解する酵素が含まれる。そこで生まれたアミノ酸は、日本酒の旨味や深みのもとになり、味への影響も大きい。<span class="swl-marker mark_yellow">「良い麹」とは、糖化やアミノ酸への分解酵素の生成が盛んな、元気な麹菌がたくさん繁殖していることも重要だ。</span></p>



<p>しかし、<strong>麹菌は「コウジカビ」というカビの一種であり繊細な生き物</strong>。良い麹は、菌が米の表面だけでなく中心に向かって菌糸をのばし、生成する成分を中心部までしっかり溜め込めるような繁殖ができたものとも言われているが、生き物が人間の都合の良く勝手に「いい塩梅で」繁殖してくれたりはしない。</p>



<p>だからこそ<span class="swl-marker mark_yellow">麹作りでは徹底した保温･換気･温度管理をし、細かなコントロールが重要</span>だという。麹菌の繁殖に適した環境は、温度は約30℃、湿度が約60℃と言われている。しかも麹菌が呼吸をする際に熱と炭酸ガスを発生させるため、温度が上がりすぎないよう細かな調整と換気も大切になってくる。また当然、他の菌が入り込んでしまうことにも注意しなければならない<span class="swl-marker mark_yellow">。特に納豆菌は繁殖力が強く、侵入を許せば麹菌より先に繁殖してしまい、麹が納豆のようになってしまうリスクも。しかも、１度入った納豆菌は熱湯殺菌でも取り除くことが難しいのだ。だから今も昔も、酒蔵の人たちは酒造りの期間中は納豆を食べず、特に麹室は杜氏（とうじ）や限られた蔵人（くらびと）しか入れない神聖な場所とされていた。</span></p>



<p>室内の環境をどう保つか、調整するかが「麹菌」という生き物の繁殖に大きく影響する。だからこそ、麹室はただの隔離された部屋ではいけない。外気温の影響を受けにくい高い断熱性能だけでなく、温度･湿度を保てる換気、空気の流れなど<strong>「生きている」麹菌の状態を見極めながら微細な調整ができる設備</strong>でなければならない。</p>







<h2 class="wp-block-heading"><strong>良質な木材が作り出す、人も麹も心地よい空間</strong></h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/SOL2994-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-47424" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/SOL2994-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/SOL2994-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/SOL2994-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/SOL2994.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></div>






<p><strong>日東工業所が手掛ける「麹室」は、杉板造りが特徴。壁、床、天井のすべてに自然の杉材を使い、木の温もりに包まれるような空間を提案</strong>している。現在会社を率いるのは、2代目社長の大塚一史さん。今から50年以上昔、まだ全国に麹室を手掛ける会社が4～5社あったころ、そのうちの1社から独立したのが大塚さんの父だった。創業当初から会社のある鹿沼市は「木工のまち」。その地元で木材の製材･加工が盛んだったことや、材木店を営む親類から日本全国の良質な木材を仕入れやすかったことが、杉板を使った麹室を手掛けるきっかけになった。</p>



<p>あらゆる木材の中で、日東工業所が選んだのは「秋田杉」だった。<span class="swl-marker mark_yellow"><strong>寒い地域でゆっくりと時間をかけて成長する「秋田杉」は年輪が細かく、ねじれや狂いが少ない良質な建築材</strong>とされている。</span>そのため、高温・多湿の麹室で使うのにも適していると考えた。</p>







<h3 class="wp-block-heading"><strong>麹室に木を使う必要性はあるか</strong></h3>



<p>「麹室自体は、杉板以外の材料でも作ることは可能です」と大塚さん。確かに世の中にはステンレスパネル製の麹室も多く存在する。ステンレスなら、木材のねじれや狂いといった自然由来の変化の心配もないのだろう。しかしそれでも大塚さんがまず勧めるのは、杉板の麹室だという。その背景にあるのは、<strong>木の呼吸作用による自然な調湿効果</strong>。そしてもう１つは<strong>「麹は生き物」</strong>という強い思い。人間が自然の中で過ごすと心地よさを感じるように、生きている麹も同じなのではないか。<strong>居心地の良い空間で育った麹は、より良いものになるのではないか</strong>という思いが、杉板造りの麹室を提案する源泉となっている。</p>



<p>日東工業所がこだわるのは「杉板」だけではない。酒造りが行われる冬場において、<strong>どんなに外が寒くても、麹室の中の温度を暖かく保てる気密･断熱性も非常に重要</strong>。例えばずっしりと、そしてピッタリと閉まる扉も、気密性を上げるために必要な仕様だ。微細な空気の流れは実際に麹作りがスタートして初めて気がつくこともある。そのため酒造りが始まってから再度調整を行うなど、気密・断熱性への対応も徹底している。</p>



<p>日東工業所の麹室作りの技術は年を追うごとに向上しているという。工法や使用する釘やビスに至るまで改善を繰り返し、工期も短縮された。北は北海道、南は九州まで、施工の際は従業員が現地に１カ月以上泊まり込んで行う。過去には冷気が入りすぎるなどの失敗も経験したが、今では「温度が上がりやすくなった」などと褒められることも。木製とステンレス製の両方の麹室を採用する酒蔵もあるが、やはり昔ながらの自然の調湿効果が期待できる杉板造りの麹室への信頼は厚い。携わった酒蔵から別の酒蔵を紹介されることも増え、日東工業所に施工してもらったことを誇らしく掲げる酒蔵もいる。何百年もかけて麹作りに向き合ってきた杜氏や蔵人たち。日東工業所が多くの酒蔵から支持されるのは、彼らの厳しい目や大きな期待に応え続けた証なのだろう。</p>







<h2 class="wp-block-heading"><strong>今でもこれからも、すべては「お蔵さん」のために</strong></h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/SOL3006-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-47425" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/SOL3006-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/SOL3006-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/SOL3006-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/SOL3006.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></div>






<p>大塚さん曰く、麹室作りとはあくまで酒蔵ありきの商売なのだという。その酒蔵がどれほどの酒量を製造したいのか、そのためにはどのくらいの米を麹室に引き込むのか、そしてどのような麹を作りたいのか、酒蔵ごとの方針や価値観に寄り添い、図面を引いていく。「若いころからお蔵さんには、たくさんのことを教えてもらいました。本当にそれが財産となっていますね」と大塚さん。今後は、お世話になった酒蔵の役に立てることをしたいと、その方法を思案中だそう。</p>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">現在の取引先は日本酒業界が9割。現在全国には約1100の酒蔵があるが、日東工業所では累計500を超える施工実績を持つ。</span>日本酒以外では、味噌やお酢の醸造元からの依頼もあるという。また近年は、麹室そのものの設計･施工だけでなく、室の中で使う麹箱などの木製品の製造･販売にも力を入れている。こういった製品の注文をもっと伸ばすこと、そして日本酒以外の業界の仕事も手掛けられるようにしたいというのが、これからの課題であり目標だ。トップメーカーでありながらも決して驕ることなく蔵元の思いに寄り添い続ける日東工業所。杉に囲まれ、自然の優しい温もりにあふれる麹室は、そんな会社の姿を現しているように見える。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/47419/">全国の “旨い日本酒”を支える麹室メーカー「日東工業所」／栃木県鹿沼市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>いちご王国・栃木の未来を担う。「栃木県農業総合研究センターいちご研究所」／栃木県栃木市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 26 Apr 2024 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[栃木県]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/acdd3624b9ead3349adaa03aa9eb7c6c.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>1968年から55年連続いちごの収穫量全国1位に君臨し続ける栃木県。今では自らを「いちご王国・栃木」と名乗り、全国的にも名高いいちごの名産地となった。なぜ栃木県でこれほどまでにいちごの生産が発展し続けたのか。「栃木県農業 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/acdd3624b9ead3349adaa03aa9eb7c6c.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>1968年から55年連続いちごの収穫量全国1位に君臨し続ける栃木県。今では自らを「いちご王国・栃木」と名乗り、全国的にも名高いいちごの名産地となった。なぜ栃木県でこれほどまでにいちごの生産が発展し続けたのか。「<a href="https://www.pref.tochigi.lg.jp/g61/" title="">栃木県農業総合研究センターいちご研究所</a>」におもむき、その理由にせまった。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>「とちおとめ」や「スカイベリー」を生んだ、いちご専門研究機関</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="733" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/ef05f0528a02fa21a03cec6674da1642.jpg" alt="" class="wp-image-42246" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/ef05f0528a02fa21a03cec6674da1642.jpg 733w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/ef05f0528a02fa21a03cec6674da1642-300x225.jpg 300w" sizes="(max-width: 733px) 100vw, 733px" /></figure>



<p>県庁所在地である県央の宇都宮市から車で南へ45分ほど。豊かな田園風景の中に見える赤い屋根が「いちご研究所」の目印。この施設がいちご専門の研究所になったのは2008年のこと。それまでは宇都宮市にある農業試験場の分場としていちごを含む複数の農作物の研究を行っていたが、組織見直しのタイミングに、県が運営する全国で唯一のいちご専門研究機関に生まれ変わった。</p>



<p>研究所は大きく2つの機能を持ち、ひとつはいちごに関する流通や消費者の動向などマーケティングの調査分析、そしてもうひとつは、新しい品種や栽培方法・技術の研究、開発だ。</p>



<p>研究所の前身の組織まで含めると、その歴史は50年以上<strong>。1985年に開発された「女峰（にょほう）」からはじまり現在にいたるまで、県として10の品種を開発してきた。</strong>全国的に名高い「とちおとめ」や贈答用にも適した「スカイベリー」。観光いちご園でしか味わえない「とちひめ」や夏秋期に収穫できる「なつおとめ」、白い果実の「ミルキーベリー」など、栃木のいちごの顔ぶれは多彩。そして2018年に生まれた「とちあいか」は今、「いちご王国・栃木」の未来を担う存在にまで大きな成長を遂げている。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>なぜ栃木県は、全国一のいちごの名産地になれたのか</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/84d12cbd7d37676cdda733272fd98d1a.jpg" alt="" class="wp-image-42247" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/84d12cbd7d37676cdda733272fd98d1a.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/84d12cbd7d37676cdda733272fd98d1a-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/84d12cbd7d37676cdda733272fd98d1a-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そもそも、なぜ栃木県でこれほどまでにいちごの栽培が盛んになったのだろうか。いちごの収穫量ランキングの2位以下を順に見ていくと、<strong>「あまおう」が有名な福岡県</strong>、「ゆうべに」や「恋みのり」を有する<strong>熊本県</strong>、「とちおとめ」や「章姫」などの他県で開発された品種も多い<strong>愛知県</strong>、「ゆめのか」が栽培の大半を占める<strong>長崎県</strong>へと続く。比較的温暖な気候の地域が多く、関東圏でも寒さ厳しい栃木県とは、気候条件が異なるように見える。</p>



<p>いちごは、江戸時代末期に<strong>オランダから長崎へ伝わったのがはじまり</strong>と言われている。しかしすぐに普及することはなく、本格的な栽培がはじまったのは明治時代。ところが当時のいちごは高級品で、庶民の手が届くようになったのは昭和になってから。そのころは屋外の畑で栽培する「露地栽培」が中心で、収穫時期は5月から6月の初夏に限られていた。</p>



<p>栃木県がいちごの生産を拡大したのは戦後のこと。農家の収益を上げるため、稲の裏作になる作物として、いちごに注目した人物がいた。それが御厨（みくりや）町（現在の足利市）の町議会議員だった<strong>仁井田（にいだ）一郎</strong>だ。当時のいちご栽培は神奈川県が北限で、栃木県での栽培は難しいと思われていた。そんな中、いちご栽培の先進地であった静岡県や神奈川県に何度も視察に出向き、失敗を繰り返しながらも栃木県の環境に適した栽培方法を探求し続けた。その背景にあったのは<strong>「農家の人の収入を増やし、暮らしを楽にさせたい」という情熱</strong>。10年近くの時間をかけ、昭和30年代には栽培を広げることに成功。東京や北海道、新潟などにも出荷を拡大していった。</p>



<p>まだハウス栽培が普及してない当時、春から初夏にかけてが旬だったいちご。仁井田氏は収穫時期を早めることにも挑んだ。いちごは、日が短く気温が下がる秋になると、花のもととなる「花芽」を付け、もっと寒くなると休眠状態になる。そして5℃以下の低温状態を一定期間経過すると休眠から目覚め、春の気温上昇とともに花を咲かせ実を付ける特性を持っている。いちご栽培には、寒い季節も重要だったのだ。しかし当時は、機械的に温度調節ができるハウス栽培が普及する前。そんな中、仁井田氏と仲間たちが試行したのは、苗を夏から秋かけて日光戦場ヶ原など標高が高く寒い地域に持っていく「高冷地育苗（こうれいちいくびょう）」だった。苗を今までより早く低温状態に置くことで、花芽を付ける時期を早め、収穫時期を早めようとした。他の地域より収穫時期が早くなれば、それもまた農家の収益を押し上げることにもつながるからだ。その挑戦は実を結び、その後従来5月から6月に収穫されていたいちごは、年内にまで出荷を早めることに成功。さらに昭和40年代半ばには、ビニールハウスでの栽培が可能になったことも、生産拡大の追い風になったという。</p>



<p><strong>本来は初夏の果物だったいちご</strong>。その後も栽培技術の研究や品種改良の積み重ねにより、出荷時期はさらに早まり、現在ではすっかり冬の果物のイメージになった。出荷時期が早まっていった背景には、最もケーキの需要が高まるクリスマスシーズンの影響も大きいと見られている。農家の収益に貢献するために、市場のニーズに応え続けた先人たち。彼らの挑戦の結果が、クリスマスケーキの上で艷やかに輝く、真っ赤ないちごなのだろう。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>いちごの生育に適した気候と作り手たち</strong></h3>



<p>仁井田氏らの尽力により、栽培の基礎が築かれた栃木のいちご。その上で<strong>栃木県の自然環境は、いちごの生育に適して</strong>いたのだと研究所は言う。</p>



<p>いちごにとって栃木県は冬の日照時間が長く、たっぷりと降り注ぐ光はいちご栽培には欠かせない。さらには、日光連山をはじめとした山々から流れる上質な地下水によって育まれた肥沃な土地も、農作物の栽培に適している。さらには夏と冬、朝と夜の大きな寒暖差もいちごの甘さを強めることにつながるというのだ。</p>



<p>さらに研究所ではそれらの気象条件に加え、県の農家の「実直で真面目」な気質もいちご栽培を成長させた要素であったと見ている。<strong>いちごの収穫は1粒1粒の完熟度や形を見極め、傷をつけないよう手作業で行う。店頭に並ぶ美しいいちごは、作り手の地道な作業の賜物でもある。</strong>数多くのいちごを栽培、出荷をし続けるためには、作り手の根気強さや丁寧さは必須条件だと言えよう。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>新しい栃木のいちごを開発するための、長い道のり</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="733" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/c2250f626a8e56fdc6ae4fc8dd58895e.jpg" alt="" class="wp-image-42248" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/c2250f626a8e56fdc6ae4fc8dd58895e.jpg 733w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/c2250f626a8e56fdc6ae4fc8dd58895e-300x225.jpg 300w" sizes="(max-width: 733px) 100vw, 733px" /></figure>



<p>研究所の大きな役割である「いちごの品種改良」。敷地内のハウスでは、さまざまな特長を持つ品種を交配させ、新たな品種を生み出すための研究を重ねている。品種改良において重視する項目は<strong>「甘くておいしい」</strong>という観点や、<strong>「たくさん収穫ができるか」</strong>と<strong>「病気になりにくいか」</strong>ということ。その上で「甘くておいしい」という味の観点や<strong>「実が固く、店頭に並ぶまでの流通の過程で傷がつきにくいこと」「店頭で日持ちがすること」なども重要</strong>だ。そういった条件をクリアし、2018年に完成したのが新品種「とちあいか」。農家にとっての栽培のしやすさと、酸味が少なく甘さが際立つ味の良さも相まって、現在の県内作付面積においては新品種の「とちあいか」が全体の約6割を超え、長年首位にいた「とちおとめ」を抜いてしまった。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>「とちあいか」も厳しい選抜を勝ち抜いた精鋭</strong></h3>



<p>いわゆる「良い品種」が開発できれば、栃木県のいちごの発展に大きく貢献できる。しかしながら、<strong>新たな品種を世の中に出すためには、最短でも7年を要する</strong>という。まずは交配によっていちごを栽培していくわけだが、例えば甘さの強い品種に対しても、病気に強い品種をかけ合わせたり、収穫量の多い品種をかけ合わせたり、交配のパターンはさまざま。育てたいちごは、職員によって何度も選抜を繰り返し、それらをクリアした品種だけが世に出ることを許される。例えば、栽培して1〜2年目に行う「食味選抜」では、担当職員が実際に1種1種を見て食べて、選抜していく。1〜2年目の選抜を勝ち抜いたいちごは、3年目以降に糖度検査などの数値的な検査によって再び選抜される。しかもいちごは育てた季節によって味が変わるので、季節ごとの味の変化も加味した総合的な評価もクリアすることが必要。いちごの品種開発もまた、農家によるいちご栽培と同様に地道な作業の連続である。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>土耕栽培と高設栽培。いちご栽培におけるテクノロジーの必要性</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/27120174bf757b3dd2144eb3e678a426.jpg" alt="" class="wp-image-42249" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/27120174bf757b3dd2144eb3e678a426.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/27120174bf757b3dd2144eb3e678a426-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/27120174bf757b3dd2144eb3e678a426-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>研究所では、いちご栽培のテクノロジーの開発も行っている。ハウスにおけるいちご栽培の多くは、地面の土で育てる「土耕栽培」と、１ｍほどの高さのベンチの上で栽培する「高設栽培」に分けられる。<strong>「高設栽培」は、腰を曲げながら収穫をする身体的な負担から解放されるメリットもあるが、栃木県では、導入コストを懸念して多くの農家が「土耕栽培」を選んでいるのが現状。</strong>また「土耕栽培」のほうが、土壌成分の吸収や地温が安定するとの考えから、味に良い影響を与えるという見方も根強い。しかしながら研究所としては、高設栽培でもしっかりとした環境制御を行うことにより、土耕栽培と同様の品質のいちごが育てられ、属人的になりがちな栽培方法をマニュアル化しやすいメリットもあると考えている。</p>



<p>高設栽培のハウス内では、光合成を促進するCO2の発生装置、気温や湿度、地温をモニタリングして自動換気できるシステムなどを導入。品種ごとに最適な各装置の使い方なども含めて研究を重ね、設備を導入する農家へのアドバイスにも役立てている。「これからのいちご栽培には最新のテクノロジーも必要」と考える研究所が、その土台づくりを担っているのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>いちご王国・栃木のこれから</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="733" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/97abe15119bf82153e4ba1a45db00b17.jpg" alt="" class="wp-image-42250" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/97abe15119bf82153e4ba1a45db00b17.jpg 733w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/97abe15119bf82153e4ba1a45db00b17-300x225.jpg 300w" sizes="(max-width: 733px) 100vw, 733px" /></figure>



<p>「研究所の職員はみんな『毎年、今までのいちごを超える良い品種を出したい』という気持ちで取り組んでいます」と話す特別研究員の三井さん。それでも、「とちあいか」を超える品種を作るのは非常に難しいことだという。<strong>消費者のためには甘さと酸味のバランスが良い品種を、その上でたくさんの量が作れることも生産者の収益性を上げるためには絶対に必要。そこに病気にも強く、傷がつきにくいなどの要素も兼ね備え、現状の「とちあいか」を超えるレベル</strong>を実現するのは、より困難な道のりとなる。それでも決して諦めることなく、毎年コツコツと研究を続ける職員たち。今もこれからも、彼らが目指しているのは<strong>「もっと魅力的ないちごが作れるようになり、農家の収益性が上がり、若い人がいちご栽培に参加してくれる」こと</strong>だという。今後は海外への輸出へも力を入れていきたいという目標もある。</p>



<p>自分たちの在職中に新品種が出せるとは限らない。それでも技術と想いをつなぎながら、何十年にも渡って研究を続けていく。高齢化や人口減少による生産者の減少、気候変動、消費者動向の変化など、今後も乗り越えるべき課題は出てくることだろう。それでもここには、かつて仁井田一郎が苦労を重ねて築いたいちご栽培の基礎を受け継ぎ、発展させた人たちが数多くいる。農家を想い、消費者が喜ぶいちごを作る。そんな彼らがいる限り「いちご王国・栃木」の未来は明るい。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/42244/">いちご王国・栃木の未来を担う。「栃木県農業総合研究センターいちご研究所」／栃木県栃木市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>かごのある里山の風景を世界の人に見せたい。竹工芸収集家･斎藤正光さん／栃木県塩谷町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 22 Apr 2024 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[栃木県]]></category>
		<category><![CDATA[塩谷町]]></category>
		<category><![CDATA[コレクター]]></category>
		<category><![CDATA[竹工芸]]></category>
		<category><![CDATA[工芸品]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<category><![CDATA[鑑賞]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/1d34275d6f27c044cac151008c6c843a.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>世界的にも有名な竹工芸品の収集家が栃木県の塩谷町にいる。古代から現代の美術品･民具･衣服･装飾品をヨーロッパ以外の世界から集めて所蔵するパリのケ･ブランリ美術館でコレクションの展覧会を開催。また、世界最大級の規模を誇るニ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/42197/">かごのある里山の風景を世界の人に見せたい。竹工芸収集家･斎藤正光さん／栃木県塩谷町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/1d34275d6f27c044cac151008c6c843a.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>世界的にも有名な竹工芸品の収集家が栃木県の塩谷町にいる。古代から現代の美術品･民具･衣服･装飾品をヨーロッパ以外の世界から集めて所蔵するパリのケ･ブランリ美術館でコレクションの展覧会を開催。また、世界最大級の規模を誇る<a href="https://www.metmuseum.org/plan-your-visit/met-fifth-avenue" title="">ニューヨークのメトロポリタン美術館</a>では竹かご展開催に協力するなどの功績が輝かしいコレクターだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>竹工芸収集家･斎藤正光さんとはどんな方なのだろうか</strong></h2>



<p>竹工芸収集家･斎藤正光さんは<s>、</s>前述の美術館の他にも、日本の竹工芸品コレクターのパイオニアであるロイド・コッツェン氏の東京や大分をはじめとする国内6カ所でおこなわれた「竹の造形 ロイド･コッツェン･コレクション展」や国内外の美術館でおこなわれる展覧会のコーディネートをおこない、多数の出版物やNHKの「美の壺」の「竹かご」編などにも携わるなど多彩な経歴をもっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">生まれ育った栃木県塩谷町</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/847234b3d33a06d20bb381ebabaccefb.jpg" alt="" class="wp-image-42199" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/847234b3d33a06d20bb381ebabaccefb.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/847234b3d33a06d20bb381ebabaccefb-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/847234b3d33a06d20bb381ebabaccefb-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>世界屈指の竹工芸コレクターである斎藤さんが生まれ育ったのは、栃木県塩谷町。周辺の日光、那須塩原、矢板にまたがる高原山（たかはらさん）のふもとに位置する塩谷町は湧水の里として知られる。高原山は「水源の森百選」に選ばれ、環境省によって名水百選の一つに選定されている「尚仁沢湧水（しょうじんざわゆうすい）」があり、日本有数の名水が湧き出ている土地だ。</p>







<h3 class="wp-block-heading">塩谷の里山に訪れたケ･ブランリの館長</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/b1c4da82ce282c60f5deca6039751d26.jpg" alt="" class="wp-image-42200" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/b1c4da82ce282c60f5deca6039751d26.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/b1c4da82ce282c60f5deca6039751d26-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/b1c4da82ce282c60f5deca6039751d26-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>緑ゆたかで里山の原風景が残るこの地に佇む古民家が、斎藤さんの栃木の拠点である。その古民家の空間に、ぴったりと似合うコレクションの数々が用意されていた。美しい竹かごを前にしてうっとりと眺めていたら、驚くことを斎藤さんは口にした。「ケ･ブランリ美術館の館長もここにきて、かごを選んでいったんですよ」。<strong>ケ･ブランリ美術館の館長自ら</strong>が、この<strong>塩谷町の古民家を訪れて</strong>、用意しておいたコレクションの中から<strong>展覧会に出す品を選んでいった</strong>のだという。まさか栃木の片田舎で、世界中が注目する展覧会のやり取りがおこなわれていたと誰が想像できようか。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>江戸時代から注目されていた日本の竹工芸</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/7bdbba6e071d1b4565508e0246521d63.jpg" alt="" class="wp-image-42201" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/7bdbba6e071d1b4565508e0246521d63.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/7bdbba6e071d1b4565508e0246521d63-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/7bdbba6e071d1b4565508e0246521d63-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>かごは古くから生活道具としてあったが、斎藤さんが収集しているかごはそれらとは別の系統のもので、室町時代に中国から渡ってきたという「花籠（はなかご）」。中国から入ってきた花籠は唐物（からもの）と呼ばれ、江戸時代の終わりから明治時代にかけて煎茶の道具として広まったが、その人気に対して数が足りなくなったため、唐物の写しをつくる日本人がでてきたとされる。「唐物より繊細につくられた花籠に、作家が名前を入れるようになったのが日本の竹工芸の始まりなのです」と、斎藤さん。生活用品から作品へと昇華した<strong>日本製のかごは、江戸時代から海外に輸出されるようになっていった。</strong>シーボルトのコレクションの中にも日本の竹かごがたくさんあり、今でもオランダのライデン国立民族学博物館、<strong>日本製のかごが世界で評価されている</strong>ことがうかがえる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">なぜ栃木県は竹工芸で有名なのか</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/320c7b089a33410c51ec727f185f2824.jpg" alt="" class="wp-image-42202" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/320c7b089a33410c51ec727f185f2824.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/320c7b089a33410c51ec727f185f2824-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/320c7b089a33410c51ec727f185f2824-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p><strong>じつは、栃木県は日本で竹工芸が盛んで有名な場所のひとつ</strong>。その理由として考えられるのは、明治23年栃木市に生まれ、戦前戦後に活躍した、<strong>飯塚琅玕斎（いいづかろうかんさい</strong>）という竹工芸の作家がいたからだ。琅玕斎の家は代々竹工をなりわいにし、近隣では知られたかご師一家だった。父は初代 飯塚鳳齋（いいづか ほうさい）、兄は二代目 飯塚鳳齋。その弟子筋の人たちが栃木にはたくさんいて、さらに広まり、栃木県が竹工芸で有名になっていったのではないかと思われる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">飯塚琅玕斎がつくるかごや竹工芸とは</h3>



<p>飯塚琅玕斎のかごとはどのようなものなのか。琅玕斎は1925年に<strong>パリ万国博覧会で銅賞を受賞</strong>。さらに、1933年に<strong>シカゴ万国博覧会に出品</strong>している。大正天皇の即位式用品や昭和天皇の大礼献上品などの製作もした作家である。斎藤さんの研究によると、琅玕斎のかごは、日本的な解釈でかごをつくった上で外国の要素を取り入れるなど、他の作家とは少しアプローチが違うという。パリ万博で有名になった琅玕斎のかごは、一躍有名になり海外からも注目された。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>無名のものを世に知らしめる仕事を竹工芸の世界に</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/099c54814c66900118ab077b9f17a26e.jpg" alt="" class="wp-image-42203" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/099c54814c66900118ab077b9f17a26e.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/099c54814c66900118ab077b9f17a26e-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/099c54814c66900118ab077b9f17a26e-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本の古い竹工芸品は文献のないものが多く、斎藤さんは収集をする一方で研究を重ねた。自ら工芸品をつくった方の遺族に会いにいきデータを収集、それらをまとめるなどして竹工芸品を美術品の域まで高めて展覧会に尽力。斎藤さんの活動があったからこそ、世界の名だたる美術館で展示される価値のあるものになったのではなかろうか。</p>



<h3 class="wp-block-heading">竹工芸との出会いから収集にいたるまで</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/163f4bff042ff3e1766b4bf8686686ea.jpg" alt="" class="wp-image-42204" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/163f4bff042ff3e1766b4bf8686686ea.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/163f4bff042ff3e1766b4bf8686686ea-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/163f4bff042ff3e1766b4bf8686686ea-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>世界で活躍する斎藤さんが、そもそも竹工芸品の収集をはじめた理由は約40年前にさかのぼり、偶然出会った一人のかご作家がはじまりだったという。「彼に見せてもらったかごがとても綺麗で、現代美術品に見えたんです」。てっきり、現代美術品をつくっている人なのかと思いきや、その作家は現代美術を知らなかった。斎藤さんは「現代美術を知らなくても、こういった美しいものが作れるのか！」と衝撃を受け、興味を持ち、そこから今にいたるまでの長い収集の道が始まった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">モノを集めるより、モノを伝えたい</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/af785dbbf64fdca3acdbcb5df90b3498.jpg" alt="" class="wp-image-42205" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/af785dbbf64fdca3acdbcb5df90b3498.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/af785dbbf64fdca3acdbcb5df90b3498-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/af785dbbf64fdca3acdbcb5df90b3498-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>はじめてかごを見た時に感じた「<strong>工作としての素晴らしくて高い技術と造形美</strong>」は、現代美術品にも勝るという確信に変わり、現代美術の文脈にこのかごを持ち込んだらおもしろいと閃いた。そこからは、竹工芸作家の展覧会を現代美術の画廊でおこなうなどの活動を開始。すると、アメリカでも同じように竹かごをたくさん集めている人たちがいて、出会うきっかけにもなった。交流を深めると彼らに影響を受けるようになり、「展覧会をやるにはもっと集めないと」とさらに収集が進んでいき、気がつけば40年の月日が流れていたそう。「展覧会をやる為には数が必要なので集めましたが、<strong>集めるより伝えたい気持ちが強かった</strong>のかもしれません」。斎藤さんは20代の頃にレコード会社へ勤めた経験からプロモーションの知識があった。そのノウハウでテレビや雑誌で特集を組むなど、意図的にメディアを使ったプロモーションを行い、展覧会などを軒並み成功させていった。今ほど有名ではない時代から、竹工芸の魅力を広められた秘訣はこのあたりにあるのではないだろうか。もちろん苦労もあったと思うが「結局は楽しいからやってこれたんです」と笑顔で話す。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>古民家を中心に里山を整備して、海外や国内から人をよびたい</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/38eafdaa18ccebb6d6cba3765ed10b94.jpg" alt="" class="wp-image-42206" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/38eafdaa18ccebb6d6cba3765ed10b94.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/38eafdaa18ccebb6d6cba3765ed10b94-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/38eafdaa18ccebb6d6cba3765ed10b94-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>しなやかで繊細な竹を工芸として扱うのは、世界を見ても日本だけだろうと話す斎藤さん。しかし、竹工芸品をコレクションするのは主に海外の方だという。それは、アメリカを中心に故ロイド･コッツェン氏のコレクションが竹工芸の素晴らしさを人々に伝えてくれたからだろう。コレクションは現在、サンフランシスコのアジア美術館に寄贈され、今も見ることができる。その影響もあり、現在はアメリカやヨーロッパ、中国をはじめとするアジアでコレクターが増えているという。それらをふまえて、竹工芸を美術品として価値を高めながら、マーケットがどこにあるかを見極めて多方面に挑戦してみたいと語る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">竹工芸とファッションや建築のコラボ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/639ae2806743886b75e4e1f3f03393db.jpg" alt="" class="wp-image-42207" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/639ae2806743886b75e4e1f3f03393db.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/639ae2806743886b75e4e1f3f03393db-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/639ae2806743886b75e4e1f3f03393db-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>竹工芸はテキスタイルや建築とも通じるとし、ファッションや建築物などとのコラボなどを考案中。作家に提案したり、オーダーしたりして、<strong>竹の可能性を無限大に探る</strong>。それでいて、身近なものであってほしいとも願う。竹工芸は技術力を必要とし、難易度が高く数がつくれない上に高価だ。それを異なる素材の組み合わせやデザインでカバーし、竹工芸を新しく身近なものにしていく。コンセプトやデザインを際立たせることで、若い人にも手にしてもらいたいとアイデアを巡らせて、竹工芸の世界を広げるという豊かな発想だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">竹かごが本来「あるべき所」にある姿</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/f05fd7afa727044d48da0294804f2023.jpg" alt="" class="wp-image-42208" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/f05fd7afa727044d48da0294804f2023.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/f05fd7afa727044d48da0294804f2023-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/f05fd7afa727044d48da0294804f2023-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>竹工芸を求めるコレクターはもちろん、興味を持っている外国人や日本人すべての人にかごの「あるべき姿」を見てもらいたいと斎藤さんは語る。本来「あるべき姿」とは、この塩谷町に残るような「里山の風景に自然と置かれる姿」。それは、昔懐かしい日本の風景。その想いを実現させるために、この古民家や敷地内を整備して人を呼べるようにしたいと考える。竹かごの世界を身近に感じてもらうための斎藤さんの夢は計り知れない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/42197/">かごのある里山の風景を世界の人に見せたい。竹工芸収集家･斎藤正光さん／栃木県塩谷町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>銀色に輝く鋳金作品。「鋳金作家 正田忠雄」／栃木県佐野市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 19 Dec 2011 02:56:23 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2012/04/3108_main.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>1000年以上の歴史を持つ”天明鋳物” 栃木県佐野市は古くから鋳物の産地として知られる街。その歴史は今から1000年以上も前にさかのぼる。平安中期に唐沢城の城主となった藤原秀郷（ひでさと）が鋳物師を河内国丹南郡日置荘（現 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/3108/">銀色に輝く鋳金作品。「鋳金作家 正田忠雄」／栃木県佐野市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2012/04/3108_main.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">1000年以上の歴史を持つ”天明鋳物”</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter"><img decoding="async" src="/rnp/files/2012/04/3108_img04.jpg" alt=""/></figure></div>


<p>栃木県佐野市は古くから鋳物の産地として知られる街。その歴史は今から1000年以上も前にさかのぼる。平安中期に唐沢城の城主となった藤原秀郷（ひでさと）が鋳物師を河内国丹南郡日置荘（現在の大阪府 堺）から連れてきて製造させたのが始まりと言われている。それ以来、日用品から花器まで様々なものが作られるようになり、<a href="https://tenmyoimono.jimdofree.com/" target="_blank" rel="noopener" title="">天明鋳物</a>と呼ばれて人気を得ていた。<span class="swl-marker mark_yellow">かの千利休も天明鋳物の茶釜を愛用していたともいわれている。 </span>今回お話を伺った正田忠雄さんは、平安中期に移り住んできた鋳物師・正田又右衛門藤原国光のご子孫。天明鋳物の歴史を脈々と受け継いできた作家なのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading">先祖代々受け継がれる技術。</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter"><img decoding="async" src="/rnp/files/2012/04/3108_img05.jpg" alt=""/></figure></div>


<p>これまで数々の賞を受け、国内外で高い評価を得ている正田さんだが、「自分がこの世界に入るとは思っていなかった」という。平安時代から続く鋳物師の子孫というプロフィールからは想像ができないが、学校を卒業したあと数年のサラリーマン生活を経てから鋳物師の道に入ったそうだ。それでもいまから振り返るとやはり「先祖を抜きにしては自分はないと思いますね」と語る。サラリーマン生活が肌に合わなかったときに考えたのは、やはり最初は鋳物師の道ではなく小説家を目指して修行していた父のことだったという。そして同じように鋳物の道を選び、父のもとで修行を始めた。</p>



<p>「私どもの仕事は先人の知恵がないとどうにもできない。例えば、鋳造するときに溶かした金属のなかに不純物を吸着して取り除くためにわら灰を入れるんです。これはなぜか、わら灰が一番いい。この技術を先人は自ら生み出した。その技術を現代の私どもも利用しているわけです。そういったことがこの仕事にはたくさんあるんです」 現代のセンスで現代の作品を作る工程にも、先人たちが切り開いた技術が多分に織り込まれているのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">Polished to Shine</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter"><img decoding="async" src="/rnp/files/2012/04/3108_img01.jpg" alt=""/></figure></div>


<p>鋳物というと、茶系統の色の茶の湯釜のようなものが頭に浮かぶが、<span class="swl-marker mark_yellow">正田さんがこだわりをもっているのが、朧銀（おぼろぎん）という材質が導き出す銀色。単にきらびやかな銀色とは違い、どこかずっしりと重みのある光を感じさせる銀色だ。</span>正田さんの作品は銅合金を使ったものだが、銅が３、銀が１の割合だと、このずっしりとした銀色が出るのだという。もう30年以上もこの朧銀の色を追求してきた。その結果、正田さんならではの美しくも重厚感のある花器や香炉が出来上がったのだ。</p>



<p>この色を出すためには焼きあがったものを紙ヤスリ等で磨くという作業が必要になる。まさに作品の持つ”色”を決定づける、もっとも力の入る工程だ。すべて丁寧に磨き出さなければ、正田さんの銀色は出ない。中田も体験させてもらったが、これがなかなか難しい。丹念に、そして根気強く磨いていかなくては、あの独特の銀色は出ないのだ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/3108/">銀色に輝く鋳金作品。「鋳金作家 正田忠雄」／栃木県佐野市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>天然氷を育てる。「四代目氷屋徳次郎　山本雄一郎」／栃木県日光市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/3106/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 19 Dec 2011 02:52:40 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[天然氷]]></category>
		<category><![CDATA[食事処]]></category>
		<category><![CDATA[栃木県]]></category>
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		<category><![CDATA[かき氷]]></category>
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		<category><![CDATA[氷屋徳次郎]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2012/04/3106_main.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>ふわふわのかき氷を作る天然氷とは 「どうぞ、召し上がってください」と目の前に置かれたかき氷。スプーンをいれると”さくっ”ではなく、”ふわっ”とした感触が伝わってくる。中田は氷を口に入れると「わたあめみたい」と感想をもらし [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2012/04/3106_main.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">ふわふわのかき氷を作る天然氷とは</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter"><img decoding="async" src="/rnp/files/2012/04/3106_img021.jpg" alt=""/></figure></div>


<p>「どうぞ、召し上がってください」と目の前に置かれたかき氷。スプーンをいれると”さくっ”ではなく、”ふわっ”とした感触が伝わってくる。中田は氷を口に入れると「わたあめみたい」と感想をもらした。 「<span class="swl-marker mark_yellow">製氷機で作った氷じゃなくて、天然の氷を使うと、こういうふうに柔らかく作っても溶けないんですよ</span>」と話すのは「四代目氷屋徳次郎」の山本雄一郎さん。このふわふわのかき氷は雑誌やテレビも特集され、夏になると行列ができるほどの人気だという。 「<a href="https://tokujiro-4th.com/" target="_blank" rel="noopener" title="">四代目氷屋徳次郎</a>」という名前の通り、こちらは天然氷を製造して販売する氷屋さんなのである。<span class="swl-marker mark_yellow">山からの伏流水を池に流し込み、機械ではなく自然の寒さで水を凍らせる天然氷は、ミネラルが多いためほんのりと甘い。そして最大の特徴はその透明さ。実際に見せてもらうと、製氷機で作ったような白さがまったくなく、向こうが透けて見えるほど。</span></p>



<h3 class="wp-block-heading">”日輪”を刻む氷。</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter"><img decoding="async" src="/rnp/files/2012/04/3106_img01.jpg" alt=""/></figure></div>


<p>「天然氷はこういう線が入るんですよ」と山本さんが指さしてくれた。たしかに線がある。これは何かというと、木でいうところの年輪。「これは氷の層で、夜から朝にかけて凍った印。次の線が翌日の夜に凍った部分なんです」。年輪ならぬ日輪が刻まれる。天然といっても放っておけばできるものではない。毎日毎日、手をかけて育てていくものなのだ。</p>



<p>天然氷作り一番の大敵は、雪。一度張った氷の上に雪が降ると、布団をかぶったような状態になり、冷気が行き届かずにきれいな氷ができなくなってしまうそう。だから雪が降ると”雪かき”をする。大きな製氷池の端から端までをせっせとかいていく。雪のシーズンになると、気が気でないという。 見学当日は、薄く張った氷を割って流し出す作業をしていた。こうすることで、池の不純物を取り除いて、きれいな水を作るという。中田もお手伝いをさせてもらったが、これが重労働。長い引っかき棒のようなもので氷を引き寄せ、割っていく。こうした作業の繰り返しで丁寧に氷を”育てていく”のだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">熱意が人を動かす。</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter"><img decoding="async" src="/rnp/files/2012/04/3106_img04.jpg" alt=""/></figure></div>


<p><span class="swl-marker mark_yellow">現在、天然氷を製造する会社は全国にも数軒しかない。古くから製氷業の盛んであった日光にも3軒しか残っていない。</span>実は氷屋徳次郎も、先代の吉新さんが高齢のために2006年を最後に製造を打ち切ろうとしていた。しかし、日光の文化を残したいと強く思った山本さんが経営を引き継ぎたいと申し出たのだという。</p>



<p>見学の最後に顔を見せてくれた吉新さんは当時のことを振り返って「この仕事はとても無理だからやめたほうがいいって断ったんですよ」と言う。 「でも最終的には継がせた。その理由は？」と中田が質問すると、吉新さんは「んー、まあ、しつこかったからね」と笑っていた。山本さんは何度断られても諦めることなく、何度も吉新さんのもとを訪ねたという。</p>



<p>日光の文化を残したいという山本さんの思い。でも半端な気持ちでは仕事を継ぐことは無理という、職人としての吉新さんの気持ち。なかなか交わることのなかった思いをひとつにしたのは”熱意”だった。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter"><img decoding="async" src="/rnp/files/2012/04/3106_img05.jpg" alt=""/></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/3106/">天然氷を育てる。「四代目氷屋徳次郎　山本雄一郎」／栃木県日光市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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