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	<title>ロケ地 - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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	<title>ロケ地 - NIHONMONO</title>
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		<title>歴史の中で人の手が作り出した、地下30ｍの巨大地下空間。大谷石の採掘場跡「大谷資料館」／栃木県宇都宮市</title>
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		<pubDate>Thu, 08 Jan 2026 07:44:29 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[ロケ地]]></category>
		<category><![CDATA[凝灰岩]]></category>
		<category><![CDATA[大谷石]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2527.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>宇都宮市の大谷（おおや）地区で採掘される「大谷石」。火に強く柔らかく加工しやすいという特徴から建築資材として多く活用されている。その大谷石の採掘場跡を見学できる「大谷資料館」。地下30ｍにもなる圧巻の巨大地下空間は見る人 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53784/">歴史の中で人の手が作り出した、地下30ｍの巨大地下空間。大谷石の採掘場跡「大谷資料館」／栃木県宇都宮市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2527.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>宇都宮市の大谷（おおや）地区で採掘される「大谷石」。火に強く柔らかく加工しやすいという特徴から建築資材として多く活用されている。その大谷石の採掘場跡を見学できる「大谷資料館」。地下30ｍにもなる圧巻の巨大地下空間は見る人を魅了する。</p>



<h2 class="wp-block-heading">石と自然が織りなす、独特の風景に出会える「石のまち大谷」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2523.jpg" alt="" class="wp-image-53792" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2523.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2523-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2523-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宇都宮市の中心部から車を走らせること25分ほど。建物の多かった景色が一変、緑と山に囲まれた地域にたどり着く。山と言ってもそれは岩山のような独特の風景。ここは宇都宮市の特産物「大谷石（おおやいし）」の一大産地、「石のまち大谷」と呼ばれるエリアである。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「大谷石」とは？</h3>



<p>大谷石とは、2000万年前の火山噴出で堆積した凝灰岩（ぎょうかいがん）で、宇都宮市の大谷地区を中心に産出されたことから「大谷石」と呼ばれるようになった。</p>



<p>柔らかく加工しやすい特徴を持ち、古くから建築資材として活用され、県内の石塀や古い蔵などは大谷石造りのものが多い。また耐火性や調湿効果もあり、その自然の風合いも人気が高く、近年は一般住宅や店舗などの内装材として使われることも。「大谷石」と聞けば、栃木県で暮らす人ならほとんどは知っている非常に身近な存在の石である。</p>



<h3 class="wp-block-heading">旧帝国ホテルにも使われた大谷石</h3>



<p>大谷石の本格的な採掘が始まったのは江戸時代の中頃と言われている。その頃は機械などないので、ツルハシを使い、重たい石を人力で掘り出していた。当時は県内の神社仏閣や宇都宮城の建築、民家の塀などに使われていたが、明治時代以降は、鉄道など輸送手段の発達に伴って採掘産業も成長。東京や神奈川などにも多く出荷されるようになった。</p>



<p>1922年（大正11年）には、「近代建築の三大巨匠」と呼ばれるアメリカの建築家、フランク・ロイド・ライトが日比谷の旧・帝国ホテルの本館（ライト館）に大谷石を利用した。建築に必要な量を十分に確保できたことと、細やかな彫刻を施しやすい柔らかな石の特徴が選ばれた理由だと言われている。帝国ホテルの開業直後には関東大震災が発生したが、その際にホテルが大きな被害を受けなかったことから、耐震性や耐火性の優秀さも認められ「大谷石」の名前が広く知れ渡ることになった。</p>



<p>その後、採掘機械の導入や高度経済成長期の建築需要の増加も相まって、昭和40年代には年間出荷量は約89万t、採掘事業場は約120ヶ所にも上る最盛期を迎えた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">大谷地区の観光の中核を担う「大谷資料館」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2538.jpg" alt="" class="wp-image-53793" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2538.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2538-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2538-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「大谷石」産業の発展と並行して、大谷地区は観光地としても発展していった。1956年には、岩壁に日本最古の石仏が掘られている大谷寺の南側に位置する採掘場の壁面に、約27mもの巨大な「平和観音」が作られた。それをきっかけに多くの人が大谷を訪れ、周辺には土産物屋やレストラン、ドライブインなども増加。さらなる観光地化が進んだという。その一方で、建築資材の多様化などの影響を背景に大谷石の需要は徐々に低下。そんな中、大谷石の採掘場跡を観光客向けに公開した民間施設が「大谷資料館」だった。今から45年以上昔の、1978年のことだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">人の手によって作り出された、圧巻の地下空間</h3>



<p>「大谷資料館」の中を案内してくれたのは、館長の大久保恭利さん。</p>



<p>地下30ｍ、広さ2万㎡にもなる巨大な地下の採掘場跡は、徒歩で見学ができる。その内部は真夏でも寒さを感じるくらいヒンヤリと涼しく、年間の平均気温は8℃前後。高くそびえる岩肌には、いくつもの細かい線のようなものが刻まれており、これが石を切り出した跡なのだという。</p>



<p>大谷資料館が実際の採掘場として稼働していたのは、1919年（大正8年）から1986年（昭和61年）までの約70年間（現在は採掘は行われていない）。1960年（昭和35年）ごろまでは、ツルハシで石を掘り出し、ときには120kg近くの重い石を人が「背負子（しょいこ）」で背負って外に運び出していた。その後、チェーンソーのような採掘機械が導入され、より効率的に多くの石を切り出せるようになった。岩肌を上から下まで見ていくと、上部の岩肌は全体がぼこぼことして、中間から下部には平らな岩肌に鋭い刃物が入ったような跡に切り替わっている。</p>



<p>さらに上を見上げると、天井はすすけたような黒い色。これは温度の低い坑内で石職人たちが火を燃やし、暖を取ったためではないかと大久保さんは見ている。</p>



<p>最新の技術が反映された近代的な大規模建築ではない。しかし自然が作り出した鍾乳洞とも違う。自然の岩と、人の力が融合してできた独自の空間と歴史を体感できるのが「大谷資料館」なのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">見学だけはない、結婚式やイベント施設としての活用</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2573.jpg" alt="" class="wp-image-53794" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2573.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2573-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2573-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「大谷資料館」は1978年の開業以来、大谷地区の観光の中核を担うスポットであり続けている。大谷地区が、日光への道中に通りやすい位置にあることから、県内外の学生の遠足や修学旅行の立ち寄り先としても選ばれやすかったという。</p>



<p>また、映画やテレビ、ミュージックビデオなどの撮影などにも利用されたことで知名度は上昇。大谷石は火に強いことから、火を使った映画などの撮影にも対応してきた。坑内にはその実績の写真が多数飾られており、「あの作品はここで撮影したのか」と関心を寄せる観光客の姿も多く見られる。</p>



<p>神秘的な地下空間を利用した商品のプロモーションやイベントに使いたいと希望する企業も多く、車や時計、世界的な高級酒ブランドのレセプションなどにも活用された実績も。</p>



<p>また、非公開エリアを特別に開放して結婚式を開催することも可能。上部に空いた穴から入る自然光とろうそく明かりだけで彩られた、幻想的で厳かな思い出が作れる。ただ見学させるだけではなく多様な需要にも応えることで、大谷を代表するスポットになっていったのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">観光客の減少、震災による休館。大谷地区の衰退</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/en/wp-content/uploads/sites/3/2026/01/SOL2522.jpg" alt="" class="wp-image-53795" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2522.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2522-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2522-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>観光施設として、独自の存在感を確立していった「大谷資料館」。しかしそれは「大谷資料館」という１施設の話で、大谷地区全体としては、平成の初期から急激な衰退が始まっていた。</p>



<p>原因の１つは、1989年に発生した陥没事故。地面が大きく陥没したショッキングな映像は人々に「大谷は危険」という印象を与え、本来なら多くの自然や大谷石の岩肌の見える山など、独特の美しい景観を楽しめる地域全体に「負」のイメージが付いてしまったと。さらには、安価な外国製建材など建築資材としての需要減少も年々加速し、採石業者も減るばかり。周辺の飲食店や宿泊施設なども撤退し、見どころ・遊びどころの減った地域からは観光客の足も遠のくのは必然だった。たくさんの観光バスや道を歩く人々の姿は減少し、かつての賑わいは嘘のようになってしまっていた。</p>



<p>それでも大谷資料館は、独自性や地下の大空間を見学できるというインパクトも相まって、なんとか観光施設として営業を継続。</p>



<p>そんな最中の2011年に、東日本大震災が起こってしまう。</p>



<p>大谷資料館のある宇都宮市は震度6強の揺れを記録し、地域の被害も甚大。この未曾有の大災害をきっかけに、大谷資料館は休館することが決定された。</p>



<p>この休館の背景について「震災で物理的なダメージがあったのでは？」と誤解する人も多かったが、実はそうではない。大谷資料館の内部は、戦時中に飛行機の地下軍事工場として使われたほどの頑丈さで、震災による物理的ダメージはなかった。ただ余震も続くなか、来場客が地震に驚いてケガをしたり、不安を感じたりしないようにと当時の館長が休館へと踏み切ったという。</p>



<p>理由はどうであれ、大谷地区を代表する観光施設が休館となったことは、大谷地区の衰退に拍車をかけた。再開の目処も立たず、当時のオーナーも事業の売却を検討するように。そんな中、この資料館を再開し、後世に残すべく経営を引き継いだのが、大久保さんの父･恵一さんだったのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">観光スポットとしての再生の道筋</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/en/wp-content/uploads/sites/3/2026/01/SOL2547.jpg" alt="" class="wp-image-53796" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2547.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2547-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2547-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>それまで、大谷地区で土木・石材業を営んでいた恵一さん。目に見えて衰退していく地域で、しかも未経験の事業を引き継ぐのは、無謀なようにも見えた。しかし、恵一さんの中にあったのは「多くの人で賑わっていた、かつての大谷を取り戻したい」という強い想い。自分の育った地域が賑わっていた頃の風景を、もう1度見たいという、自らの切なる願いに背中を押されたのだ。</p>



<p>当時県外で働いていた大久保さん本人も、そんな父の想いに共感。忙しくなった父を手伝うべく、生まれ育った大谷に戻ることに。</p>



<p>父と息子ではじまった試行錯誤の日々。様々な施策を検討し、中でも華道家の假屋崎省吾氏の作品展示は話題を集め、また、人気アニメとのコラボイベントなどの開催も相まって新たに資料館を知る人が増加。また休館以前は禁止していた写真撮影を可能にしたことで、フォトジェニックなスポットとしても人気を得ることになった。（※許可なく2時間以上の長時間撮影と三脚や自撮り棒などの撮影備品を使用した撮影は禁止）</p>



<p>それらと並行して大谷エリア全体も、「昔のにぎわいを取り戻したい」という人の手によってイベントの開催や新たな店の開業などが進んだこともあり、客足は徐々に回復。現在は、年間来場数が45万人を超え、海外からの観光客を乗せたバスも連日訪れるほどのにぎわいを取り戻すに至った。</p>



<h3 class="wp-block-heading">地下という特殊な環境で、安心して見学してもらうために</h3>



<p>地下という特殊な環境を管理するには苦労も多いという大久保さん。</p>



<p>内部は湿度が非常に高く、常時80％ほど。電気系統も腐食しやすいため、漏電にも細心の注意を払わなければならない。台風など大雨の際は大量の水が流れ込んでしまうため、丸3日かけてポンプで汲み出すこともあった。</p>



<p>また車のイベントなどで車を搬入する際は一酸化炭素中毒にも注意を払う。</p>



<p>近年は地下で密になる不安を解消するため、入口で入場人数をカウントできる機械を導入。内部の滞在人数をリアルタイムで表示できる感染症対策設備も整えている。</p>



<p>そんな中、最も力を注ぐのは安全性の確保。大谷石は軽くて亀裂が入りやすい石質のため、ヒビが入っていないかどうか、熟練の職人が毎月点検を行う。地下の非公開エリアに入っているヒビの幅にも変化がないかも随時チェックし、安心して見学が楽しめる状態を保っている。</p>



<p>今では観光客が増加しただけでなく、全国の企業や団体からイベントなどの企画が続々と持ち込まれる。「火は使えるのですが、爆破はやめてほしいと言っていますね」と少し困ったように微笑む大久保さんだが、にぎわいを取り戻した資料館の姿にうれしさを感じているように見えた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">これからも大谷とともに</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/en/wp-content/uploads/sites/3/2026/01/SOL2514.jpg" alt="" class="wp-image-53797" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2514.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2514-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2514-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「ここは世界的に見ても、めずらしい場所だと思います」と大久保さん。好きな作品のロケ地として見学に来る人も多いというが、「子どもたちには、昔の人が頭を使いながら手で採掘をしていた歴史も一緒に学んでくれたら嬉しい」と語る。</p>



<p>かつては「大谷資料館」を見たら帰るという人も多かった大谷地区。ここ10年弱の間に、周辺におしゃれな飲食店やショップなどの出店も相次ぎ、大谷地区全体が楽しめるエリアとして再生してきた。それを担ったのは、大久保さん親子のような、かつての大谷の賑わいを知り、再生の可能性を信じて尽力した人たちの力にほかならない。</p>



<p>父が手を上げたことで始まった観光業としての大久保さんの人生。予想もしなかったことだが、今では色々な人との出会いにおもしろさを感じる毎日だそう。</p>



<p>「見学コースを広げたいという思いもありますが、安全性の面でも難しいことがある。でも、地下だけでなく、季節ごとの地上の風景もきれいです。資料館を見たあとは、大谷エリア全体を見て回ってほしいですね」と大久保さん。</p>



<p>「大谷資料館」だけでなく、大谷地区に多くの人が訪れて地域全体が盛り上がっていくこと。それこそが、この土地の盛衰を目の辺りにしてきた人々の願いなのだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53784/">歴史の中で人の手が作り出した、地下30ｍの巨大地下空間。大谷石の採掘場跡「大谷資料館」／栃木県宇都宮市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>日本の「竹」の復権を。ロケ地や観光地としても注目される竹農家「若竹の杜 若山農場」／栃木県宇都宮市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 02 Jul 2025 02:37:01 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[竹林]]></category>
		<category><![CDATA[ロケ地]]></category>
		<category><![CDATA[曙孟宗竹]]></category>
		<category><![CDATA[姫曙孟宗竹]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4014.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>古来より日本人の身近にあり、縄文時代から日本で生育していたと言われる竹。竹林の美しさはもちろん、たけのこは春の味覚の代表格としても愛されている。栃木県宇都宮市にある広大な竹農場である「若竹の杜 若山農場」は、竹の栽培だけ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4014.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>古来より日本人の身近にあり、縄文時代から日本で生育していたと言われる竹。竹林の美しさはもちろん、たけのこは春の味覚の代表格としても愛されている。栃木県宇都宮市にある広大な竹農場である「若竹の杜 若山農場」は、竹の栽培だけでなく、ロケ地や観光地としても開放し竹の魅力を発信している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">100年以上続く農場を、観光地として活用</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL3982.jpg" alt="" class="wp-image-52929" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL3982.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL3982-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL3982-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>24ヘクタール、東京ドーム約5個分に相当する広大な敷地に栗園と竹林が広がる「若竹の杜 若山農場」。宇都宮郊外に位置するここは、100年以上昔からたけのこと栗の栽培を続けてきた歴史ある農場だ。</p>



<p>農場としてたけのこと栗の栽培を続けながらも、2017年からは一般客にも開放。見渡す限り一面に広がる美しい竹林の風景を楽しめる観光地としても注目されている。</p>



<p>また、「るろうに剣心」や「キングダム」などの大ヒット映画やドラマ、著名なアーティストのミュージックビデオ撮影のロケ地にも使われ、聖地巡礼と称して遠方から訪れるファンも多い。農場を運営するのは、株式会社ワカヤマファーム代表取締役の若山太郎さん。若山さんは若山農場の三代目として、竹の魅力の発信に尽力し続けている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">有名映画のロケ地としても注目</h3>



<p>若山さんの祖先がこの土地に移り住んだのは、1670年代ごろ。そこから350年以上農家として土地と自然に向き合ってきた。若山さんの祖父の代で、竹と栗の農家としての歩みがはじまり、研究熱心な父の代では、竹の品種改良などより、より竹と栗に重きを置いた農場となっていった。</p>



<p>若山さんの代には、2013年発売の椎名林檎の「いろはいほへと」のミュージックビデオや、2014年公開の映画「るろうに剣心 伝説の最期編」に、ロケ地として協力をしたことをきっかけに、農場の知名度は急速に上がっていった。手入れの行き届いた美しく広大な竹林の数は多くない現代で、神秘的で雄大、非日常の風景を演出する場として最適だったのかもしれない。話題と評判はすぐに広まり、この後も数々の映画やドラマ、MVやCMなどのロケ地として利用が相次いだ。</p>



<p>かねてから「この美しい竹林の魅力をより多く人に知ってもらいたい」という思いを持っていた若山さんは、自身の思いと、ロケ地として使われた場所を見たいと願うファンからの公開を望む声を受け、2017年2月には観光地としての一般公開をスタートさせた。</p>



<p>2019年には大ヒット映画「キングダム」のロケ地としても利用されるなど、さらなる注目と話題を獲得。観光客は年々増え続け、2024年時点では年間9万人が訪れるように。圧巻の竹林をのんびりと散策できるほか、竹林の中の茶屋で、竹器で抹茶とお菓子を楽しんだり、ブランコに乗ったりもできる。たけのこ狩りや竹工作体験も受付、夜はライトアップされた幻想的な竹林を歩くことも。</p>



<p>また、受付に隣接する建物内には、竹についての解説や伝統工芸品である竹工芸の作品展示もあり、大人から子どもまで楽しめる施設となっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">大きく、早く繁殖する「竹」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL3989.jpg" alt="" class="wp-image-52930" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL3989.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL3989-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL3989-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本で生育する竹、正確にはタケ類と呼ばれるものは20種類ほど。竹は「木」ではなく、「イネ科」に分類されている。2ヶ月で最大20ｍ伸びることもあるほど、成長が早く繁殖力も強い。</p>



<p>地上に生えている木で言う「幹（みき）」の部分は「稈（かん）」と呼ばれ、10年程度で枯れてしまう。しかし地下に網目状に張り巡らせた根（地下茎）が次々とたけのこを生やし、新たな竹として地上で大きく育ってゆく。</p>



<p>若山さんによれば、こういった地下茎によって繁殖するのは、中国や日本など東アジアを中心とした竹の特徴で、それにより「竹林」ができるという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">オリジナルの品種は、都市における植栽への活用も</h3>



<p>若竹の杜 若山農場には約10万本もの竹が生育し、日本を代表する竹であり、日本の竹の中では最大の大きさに成長する「孟宗竹（もうそうちく）」を中心に、日本で古来から自生していた「真竹（まだけ）」や節が交互膨れて亀の甲羅のような模様になる「亀甲竹（きっこうちく）、稈が美しい黄金色になる「金明孟宗竹（きんめいもうそうちく）<strong>」</strong><strong>、「</strong>淡竹（はちく）」など約15種類ほどを栽培している。</p>



<p>また、植栽用の品種の栽培・販売も国内で唯一専門に行っていると言い、若山さんの父の品種改良の結果生まれた「曙孟宗竹（あけぼのもうそうちく）」や「姫曙孟宗竹（ひめあけぼのもうそうちく）」は若竹の杜 若山農場オリジナルの品種。特に「姫曙孟宗竹」は最大でも高さは9mほどで、植栽にも適しており、首都圏など敷地の限られた施設に美しい竹の風景を作り出すことを可能にした。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「食」としても魅力も発信</h3>



<p>若竹の杜 若山農場の竹は見るだけのものではない。三代100年以上に渡って作り続けてきたたけのこや栗は市場での販売のほか、旅館やレストランなどのプロからも評価が高い。</p>



<p>「農業とは土づくりに在り」の言葉を信条に、化学肥料に極力頼らない自然循環農法を取り入れている。また関東の土である「黒ボク土」は、有機物が集積した黒い色の土。保水性や親水性も高く、ふかふかした感触で有機物が蓄積しやすいため、栄養価が高いたけのこが出来上がるという。</p>



<p>たけのこや栗の加工品も、農場のショップ内やオンラインで販売しており、2023年には敷地内にカフェ&amp;レストランをオープンし、自分たちのたけのこや栗だけでなく、地元の食材の旬の食材をふんだんに使った料理を提供している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">サスティナブルな竹の魅力を、もっと伝えていく</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4073.jpg" alt="" class="wp-image-52931" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4073.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4073-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4073-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>竹の魅力発信に大成功しているように見える若竹の杜 若山農場だが、若山さん曰く「竹の良さを理解してもらうためには、まだまだ一歩一歩頑張っていかないと」とのこと。</p>



<p>なぜなら、近年全国各地で放置された竹林が問題になっていて、繁殖力の高い竹が山に生えた木々を侵食し枯らしてしまうことなどから「竹害」とも呼ばれ、マイナスなイメージもある。「昔はどこでも春になるとたけのこ掘りをしたが、今は取らないから、どんどん増えてしまう」と若山さん。</p>



<p>しかし実際は、地面に薄いゴムのシートを入れるだけで、地下茎が無作為に伸びてしまうことを簡単に防ぐことができるという。周囲の木々に悪い影響を及ぼすことなく植栽としても活用できるのだ。またSDGsにおける「脱プラスチック」の観点でも耐久性に優れ、さらに抗菌効果もあるため、皿やスプーンなどへの活用も進む。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/b3d63e1343345e64e6a4f67492afb2b8.jpg" alt="" class="wp-image-52932" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/b3d63e1343345e64e6a4f67492afb2b8.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/b3d63e1343345e64e6a4f67492afb2b8-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/b3d63e1343345e64e6a4f67492afb2b8-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>若竹の杜 若山農場でも、竹林の中の茶屋で提供する抹茶を入れる竹器は、持ち帰って自宅で再利用してもらえるように、という計らいも。<br>真の意味で「竹の魅力を伝える」ということは、良い面を伝えるだけでなく、ネガティブなイメージの解消や起こっている課題を１つ１つ解決していくことも必要不可欠なのだろう。</p>



<p>大変な道のりにも思えるが、「竹に関する食も文化も多くの人に知ってもらって、有効的に活用してもらいたいです。少しでも竹の魅力を伝えて、もう一度竹と人が共存できるようにしたい」と話す若山さんの声は力強く前向きだ。<br>「竹」という新たな魅力の発信者としての活動は、これからも続いてゆく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52924/">日本の「竹」の復権を。ロケ地や観光地としても注目される竹農家「若竹の杜 若山農場」／栃木県宇都宮市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>世界一長い木造歩道橋「蓬莱橋」／静岡県島田市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 27 Dec 2021 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[島田市]]></category>
		<category><![CDATA[パワースポット]]></category>
		<category><![CDATA[ギネス世界記録]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/12/main-7.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>世界一長い木造歩道橋「蓬莱橋」 江戸時代、東海道屈指の難所といわれ「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と詠われた大井川。静岡県・長野県・山梨県の県境に位置する標高3,000ｍ以上の南アルプスに源流を持ち、静岡 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/31215/">世界一長い木造歩道橋「蓬莱橋」／静岡県島田市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/12/main-7.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">世界一長い木造歩道橋「蓬莱橋」</h2>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">江戸時代、東海道屈指の難所といわれ「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と詠われた大井川。</span>静岡県・長野県・山梨県の県境に位置する標高3,000ｍ以上の南アルプスに源流を持ち、静岡県の中央を流れ最終的には駿河湾にそそぐ一級河川である。昔から大雨が降ると水かさが増し、川止めとなることもしばしば。</p>



<p>川幅の広さや勾配などの地形による問題から当時の技術では橋が掛けられなかったことに加え、徳川家康が隠居していた駿府城の西の守りとして機能しており、橋を架けることはもちろん渡し船も禁止されていた。そのため、大井川を渡るには川越人足（おおいがわのかわごしにんそく）に肩車をしてもらうか、輦台（れんだい）という神輿のような乗り物に乗せてもらうなどして川を渡るしかなかった。また、川の両側の島田と金谷には川会所（かわかいしょ）と呼ばれる「川越し」の料金所が設けられ、それぞれ大井川を渡河する拠点の宿場町として発展。最盛期には約1000人にものぼる川越人足が存在し、川会所や宿場町にも莫大な利権を生み出したという。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="427" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/12/06212020_tabi_0859.jpg" alt="" class="wp-image-31218" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/12/06212020_tabi_0859.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/12/06212020_tabi_0859-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">パワースポットとして親しまれる観光地「蓬莱橋」</h2>



<p>そんな大井川も明治に入ると架橋がゆるされ、各所に橋が架けられるようになると、1872(明治12)年に<a href="https://www.city.shimada.shizuoka.jp/kanko-docs/houraibasi.html">蓬莱橋</a>が架けられただ。架橋以来、何度となく氾濫の被害に見舞われてきた蓬莱橋だが、<span class="swl-marker mark_yellow">1997年、ギネスブックに「世界最長の木造歩道橋」として認定されると映画やドラマなどの撮影にも利用され、多くの観光客が訪れる観光スポットとして、また、橋の全長897.4メートル「厄なし（やくなし）」の語呂から縁起もよいパワースポットとしても人気を集めている。</span></p>



<p>もともとは島田宿と牧之原台地を結ぶ農道だったというが、いまでは、近隣にカフェや土産店が並び、いわゆる観光地のようになっている。島田宿側から見ると、向こう岸に見える山の緑に向かって、まっすぐ幅2.4メートルの橋が伸びているだけで、ゴール地点はまったく見えない。多くの観光客が通行料100円（大人）を払ってこの橋を渡っていく。ガイドブックに載るような観光地を訪ねることは珍しい中田になぜここに来たかったのか理由を訊くと、「なんとなく景色がいいんじゃないかと思って」と。歩き始めてみると、これがなかなか楽しい。手すりが低く、視界を遮るものはなにもない。確かに見事な景色だ。歩行者と自転車しか渡ることができないこの橋は、ほぼ平坦で、視界も低い。水がすぐ目の下を流れ、その音も聞こえてくる。まるで大井川の真ん中に立っているかのような感覚だ。日差しは強いが、川をわたってくる風が心地よい。特に目的もなく橋を往復するだけ。ゆっくり歩いても往復30分くらいの川の上の散歩は、新鮮な体験だった。観光地を侮るなかれ。もっというならば、数ある観光地のなかから「ここは行くべき」というポイントを選ぶ中田の慧眼に感服した。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="427" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/12/06212020_tabi_0856.jpg" alt="" class="wp-image-31219" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/12/06212020_tabi_0856.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/12/06212020_tabi_0856-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/31215/">世界一長い木造歩道橋「蓬莱橋」／静岡県島田市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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