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	<title>SPOT - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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		<title>歴史の中で人の手が作り出した、地下30ｍの巨大地下空間。大谷石の採掘場跡「大谷資料館」／栃木県宇都宮市</title>
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		<pubDate>Thu, 08 Jan 2026 07:44:29 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[凝灰岩]]></category>
		<category><![CDATA[大谷石]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2527.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>宇都宮市の大谷（おおや）地区で採掘される「大谷石」。火に強く柔らかく加工しやすいという特徴から建築資材として多く活用されている。その大谷石の採掘場跡を見学できる「大谷資料館」。地下30ｍにもなる圧巻の巨大地下空間は見る人 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53784/">歴史の中で人の手が作り出した、地下30ｍの巨大地下空間。大谷石の採掘場跡「大谷資料館」／栃木県宇都宮市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2527.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>宇都宮市の大谷（おおや）地区で採掘される「大谷石」。火に強く柔らかく加工しやすいという特徴から建築資材として多く活用されている。その大谷石の採掘場跡を見学できる「大谷資料館」。地下30ｍにもなる圧巻の巨大地下空間は見る人を魅了する。</p>



<h2 class="wp-block-heading">石と自然が織りなす、独特の風景に出会える「石のまち大谷」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2523.jpg" alt="" class="wp-image-53792" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2523.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2523-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2523-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宇都宮市の中心部から車を走らせること25分ほど。建物の多かった景色が一変、緑と山に囲まれた地域にたどり着く。山と言ってもそれは岩山のような独特の風景。ここは宇都宮市の特産物「大谷石（おおやいし）」の一大産地、「石のまち大谷」と呼ばれるエリアである。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「大谷石」とは？</h3>



<p>大谷石とは、2000万年前の火山噴出で堆積した凝灰岩（ぎょうかいがん）で、宇都宮市の大谷地区を中心に産出されたことから「大谷石」と呼ばれるようになった。</p>



<p>柔らかく加工しやすい特徴を持ち、古くから建築資材として活用され、県内の石塀や古い蔵などは大谷石造りのものが多い。また耐火性や調湿効果もあり、その自然の風合いも人気が高く、近年は一般住宅や店舗などの内装材として使われることも。「大谷石」と聞けば、栃木県で暮らす人ならほとんどは知っている非常に身近な存在の石である。</p>



<h3 class="wp-block-heading">旧帝国ホテルにも使われた大谷石</h3>



<p>大谷石の本格的な採掘が始まったのは江戸時代の中頃と言われている。その頃は機械などないので、ツルハシを使い、重たい石を人力で掘り出していた。当時は県内の神社仏閣や宇都宮城の建築、民家の塀などに使われていたが、明治時代以降は、鉄道など輸送手段の発達に伴って採掘産業も成長。東京や神奈川などにも多く出荷されるようになった。</p>



<p>1922年（大正11年）には、「近代建築の三大巨匠」と呼ばれるアメリカの建築家、フランク・ロイド・ライトが日比谷の旧・帝国ホテルの本館（ライト館）に大谷石を利用した。建築に必要な量を十分に確保できたことと、細やかな彫刻を施しやすい柔らかな石の特徴が選ばれた理由だと言われている。帝国ホテルの開業直後には関東大震災が発生したが、その際にホテルが大きな被害を受けなかったことから、耐震性や耐火性の優秀さも認められ「大谷石」の名前が広く知れ渡ることになった。</p>



<p>その後、採掘機械の導入や高度経済成長期の建築需要の増加も相まって、昭和40年代には年間出荷量は約89万t、採掘事業場は約120ヶ所にも上る最盛期を迎えた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">大谷地区の観光の中核を担う「大谷資料館」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2538.jpg" alt="" class="wp-image-53793" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2538.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2538-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2538-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「大谷石」産業の発展と並行して、大谷地区は観光地としても発展していった。1956年には、岩壁に日本最古の石仏が掘られている大谷寺の南側に位置する採掘場の壁面に、約27mもの巨大な「平和観音」が作られた。それをきっかけに多くの人が大谷を訪れ、周辺には土産物屋やレストラン、ドライブインなども増加。さらなる観光地化が進んだという。その一方で、建築資材の多様化などの影響を背景に大谷石の需要は徐々に低下。そんな中、大谷石の採掘場跡を観光客向けに公開した民間施設が「大谷資料館」だった。今から45年以上昔の、1978年のことだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">人の手によって作り出された、圧巻の地下空間</h3>



<p>「大谷資料館」の中を案内してくれたのは、館長の大久保恭利さん。</p>



<p>地下30ｍ、広さ2万㎡にもなる巨大な地下の採掘場跡は、徒歩で見学ができる。その内部は真夏でも寒さを感じるくらいヒンヤリと涼しく、年間の平均気温は8℃前後。高くそびえる岩肌には、いくつもの細かい線のようなものが刻まれており、これが石を切り出した跡なのだという。</p>



<p>大谷資料館が実際の採掘場として稼働していたのは、1919年（大正8年）から1986年（昭和61年）までの約70年間（現在は採掘は行われていない）。1960年（昭和35年）ごろまでは、ツルハシで石を掘り出し、ときには120kg近くの重い石を人が「背負子（しょいこ）」で背負って外に運び出していた。その後、チェーンソーのような採掘機械が導入され、より効率的に多くの石を切り出せるようになった。岩肌を上から下まで見ていくと、上部の岩肌は全体がぼこぼことして、中間から下部には平らな岩肌に鋭い刃物が入ったような跡に切り替わっている。</p>



<p>さらに上を見上げると、天井はすすけたような黒い色。これは温度の低い坑内で石職人たちが火を燃やし、暖を取ったためではないかと大久保さんは見ている。</p>



<p>最新の技術が反映された近代的な大規模建築ではない。しかし自然が作り出した鍾乳洞とも違う。自然の岩と、人の力が融合してできた独自の空間と歴史を体感できるのが「大谷資料館」なのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">見学だけはない、結婚式やイベント施設としての活用</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2573.jpg" alt="" class="wp-image-53794" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2573.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2573-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2573-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「大谷資料館」は1978年の開業以来、大谷地区の観光の中核を担うスポットであり続けている。大谷地区が、日光への道中に通りやすい位置にあることから、県内外の学生の遠足や修学旅行の立ち寄り先としても選ばれやすかったという。</p>



<p>また、映画やテレビ、ミュージックビデオなどの撮影などにも利用されたことで知名度は上昇。大谷石は火に強いことから、火を使った映画などの撮影にも対応してきた。坑内にはその実績の写真が多数飾られており、「あの作品はここで撮影したのか」と関心を寄せる観光客の姿も多く見られる。</p>



<p>神秘的な地下空間を利用した商品のプロモーションやイベントに使いたいと希望する企業も多く、車や時計、世界的な高級酒ブランドのレセプションなどにも活用された実績も。</p>



<p>また、非公開エリアを特別に開放して結婚式を開催することも可能。上部に空いた穴から入る自然光とろうそく明かりだけで彩られた、幻想的で厳かな思い出が作れる。ただ見学させるだけではなく多様な需要にも応えることで、大谷を代表するスポットになっていったのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">観光客の減少、震災による休館。大谷地区の衰退</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/en/wp-content/uploads/sites/3/2026/01/SOL2522.jpg" alt="" class="wp-image-53795" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2522.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2522-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2522-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>観光施設として、独自の存在感を確立していった「大谷資料館」。しかしそれは「大谷資料館」という１施設の話で、大谷地区全体としては、平成の初期から急激な衰退が始まっていた。</p>



<p>原因の１つは、1989年に発生した陥没事故。地面が大きく陥没したショッキングな映像は人々に「大谷は危険」という印象を与え、本来なら多くの自然や大谷石の岩肌の見える山など、独特の美しい景観を楽しめる地域全体に「負」のイメージが付いてしまったと。さらには、安価な外国製建材など建築資材としての需要減少も年々加速し、採石業者も減るばかり。周辺の飲食店や宿泊施設なども撤退し、見どころ・遊びどころの減った地域からは観光客の足も遠のくのは必然だった。たくさんの観光バスや道を歩く人々の姿は減少し、かつての賑わいは嘘のようになってしまっていた。</p>



<p>それでも大谷資料館は、独自性や地下の大空間を見学できるというインパクトも相まって、なんとか観光施設として営業を継続。</p>



<p>そんな最中の2011年に、東日本大震災が起こってしまう。</p>



<p>大谷資料館のある宇都宮市は震度6強の揺れを記録し、地域の被害も甚大。この未曾有の大災害をきっかけに、大谷資料館は休館することが決定された。</p>



<p>この休館の背景について「震災で物理的なダメージがあったのでは？」と誤解する人も多かったが、実はそうではない。大谷資料館の内部は、戦時中に飛行機の地下軍事工場として使われたほどの頑丈さで、震災による物理的ダメージはなかった。ただ余震も続くなか、来場客が地震に驚いてケガをしたり、不安を感じたりしないようにと当時の館長が休館へと踏み切ったという。</p>



<p>理由はどうであれ、大谷地区を代表する観光施設が休館となったことは、大谷地区の衰退に拍車をかけた。再開の目処も立たず、当時のオーナーも事業の売却を検討するように。そんな中、この資料館を再開し、後世に残すべく経営を引き継いだのが、大久保さんの父･恵一さんだったのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">観光スポットとしての再生の道筋</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/en/wp-content/uploads/sites/3/2026/01/SOL2547.jpg" alt="" class="wp-image-53796" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2547.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2547-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2547-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>それまで、大谷地区で土木・石材業を営んでいた恵一さん。目に見えて衰退していく地域で、しかも未経験の事業を引き継ぐのは、無謀なようにも見えた。しかし、恵一さんの中にあったのは「多くの人で賑わっていた、かつての大谷を取り戻したい」という強い想い。自分の育った地域が賑わっていた頃の風景を、もう1度見たいという、自らの切なる願いに背中を押されたのだ。</p>



<p>当時県外で働いていた大久保さん本人も、そんな父の想いに共感。忙しくなった父を手伝うべく、生まれ育った大谷に戻ることに。</p>



<p>父と息子ではじまった試行錯誤の日々。様々な施策を検討し、中でも華道家の假屋崎省吾氏の作品展示は話題を集め、また、人気アニメとのコラボイベントなどの開催も相まって新たに資料館を知る人が増加。また休館以前は禁止していた写真撮影を可能にしたことで、フォトジェニックなスポットとしても人気を得ることになった。（※許可なく2時間以上の長時間撮影と三脚や自撮り棒などの撮影備品を使用した撮影は禁止）</p>



<p>それらと並行して大谷エリア全体も、「昔のにぎわいを取り戻したい」という人の手によってイベントの開催や新たな店の開業などが進んだこともあり、客足は徐々に回復。現在は、年間来場数が45万人を超え、海外からの観光客を乗せたバスも連日訪れるほどのにぎわいを取り戻すに至った。</p>



<h3 class="wp-block-heading">地下という特殊な環境で、安心して見学してもらうために</h3>



<p>地下という特殊な環境を管理するには苦労も多いという大久保さん。</p>



<p>内部は湿度が非常に高く、常時80％ほど。電気系統も腐食しやすいため、漏電にも細心の注意を払わなければならない。台風など大雨の際は大量の水が流れ込んでしまうため、丸3日かけてポンプで汲み出すこともあった。</p>



<p>また車のイベントなどで車を搬入する際は一酸化炭素中毒にも注意を払う。</p>



<p>近年は地下で密になる不安を解消するため、入口で入場人数をカウントできる機械を導入。内部の滞在人数をリアルタイムで表示できる感染症対策設備も整えている。</p>



<p>そんな中、最も力を注ぐのは安全性の確保。大谷石は軽くて亀裂が入りやすい石質のため、ヒビが入っていないかどうか、熟練の職人が毎月点検を行う。地下の非公開エリアに入っているヒビの幅にも変化がないかも随時チェックし、安心して見学が楽しめる状態を保っている。</p>



<p>今では観光客が増加しただけでなく、全国の企業や団体からイベントなどの企画が続々と持ち込まれる。「火は使えるのですが、爆破はやめてほしいと言っていますね」と少し困ったように微笑む大久保さんだが、にぎわいを取り戻した資料館の姿にうれしさを感じているように見えた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">これからも大谷とともに</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/en/wp-content/uploads/sites/3/2026/01/SOL2514.jpg" alt="" class="wp-image-53797" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2514.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2514-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2514-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「ここは世界的に見ても、めずらしい場所だと思います」と大久保さん。好きな作品のロケ地として見学に来る人も多いというが、「子どもたちには、昔の人が頭を使いながら手で採掘をしていた歴史も一緒に学んでくれたら嬉しい」と語る。</p>



<p>かつては「大谷資料館」を見たら帰るという人も多かった大谷地区。ここ10年弱の間に、周辺におしゃれな飲食店やショップなどの出店も相次ぎ、大谷地区全体が楽しめるエリアとして再生してきた。それを担ったのは、大久保さん親子のような、かつての大谷の賑わいを知り、再生の可能性を信じて尽力した人たちの力にほかならない。</p>



<p>父が手を上げたことで始まった観光業としての大久保さんの人生。予想もしなかったことだが、今では色々な人との出会いにおもしろさを感じる毎日だそう。</p>



<p>「見学コースを広げたいという思いもありますが、安全性の面でも難しいことがある。でも、地下だけでなく、季節ごとの地上の風景もきれいです。資料館を見たあとは、大谷エリア全体を見て回ってほしいですね」と大久保さん。</p>



<p>「大谷資料館」だけでなく、大谷地区に多くの人が訪れて地域全体が盛り上がっていくこと。それこそが、この土地の盛衰を目の辺りにしてきた人々の願いなのだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53784/">歴史の中で人の手が作り出した、地下30ｍの巨大地下空間。大谷石の採掘場跡「大谷資料館」／栃木県宇都宮市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>琉球王国最高の聖地として名高い世界遺産「斎場御嶽」／沖縄県南城市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 19 Feb 2025 02:27:36 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[斎場]]></category>
		<category><![CDATA[ニライカナイ]]></category>
		<category><![CDATA[沖縄県南城市]]></category>
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		<category><![CDATA[世界遺産]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/seifautaki-041.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>沖縄には、古くから人々が祈りを捧げてきた聖なる場所「御嶽（うたき）」が今も各地に残る。中でも、琉球王国最高の聖地として知られるのが「斎場御嶽（せーふぁうたき）」だ。岩石や樹木など、自然そのものに神が宿るという「自然崇拝」 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52213/">琉球王国最高の聖地として名高い世界遺産「斎場御嶽」／沖縄県南城市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/seifautaki-041.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>沖縄には、古くから人々が祈りを捧げてきた聖なる場所「御嶽（うたき）」が今も各地に残る。中でも、琉球王国最高の聖地として知られるのが「斎場御嶽（せーふぁうたき）」だ。岩石や樹木など、自然そのものに神が宿るという「自然崇拝」の精神を物語る原始的な空間が、訪れる人たちを魅了する。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自然崇拝が根付く沖縄の歴史を物語る御嶽</h2>



<p>沖縄本島の南部、南城市（なんじょうし）に位置する斎場御嶽。2000年、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコ世界遺産に登録されて以降、国内外に広く知られ、今では年間約40万人以上が訪れる沖縄県屈指の観光地となっている。とはいえ、初めて訪れる人にとってまず戸惑うのが、その読み方だろう。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/seifautaki-008.jpg" alt="" class="wp-image-52214" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/seifautaki-008.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/seifautaki-008-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/seifautaki-008-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「一般的に斎場（さいじょう）と読まれる方が多いので、中には火葬場を観光するの？と思われる方もいらっしゃるようです。名前の由来としては、“斎”には清いという意味があるので、神聖な場所ということで斎場とした説、また、ここの地名“サイハバル”が“せーふぁ”に訛り、当て字で斎場とされたという説があります」</p>



<p>そう説明してくれたのは、斎場御嶽でツアーガイドを務める「アマミキヨ浪漫の会」の石田英明さん。沖縄は、樹木や泉、岩石、井戸など自然を崇める自然崇拝が根付く島。そうした自然の造形物に神が降臨すると考えられているため、本州の神社のようにご神体や拝殿などは存在しない。けれど、よもすれば通り過ぎてしまうような自然の一部に、重要な歴史や、先人たちが大切につないできた精神が宿っている。石田さんは、そんな御嶽の重要性を多くの人に伝えたいと、斎場御嶽のガイドを長年続けてきた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">琉球王国最高の聖地と言い伝えられる理由</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/seifautaki-020.jpg" alt="" class="wp-image-52215" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/seifautaki-020.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/seifautaki-020-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/seifautaki-020-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>石田さんの解説によると、沖縄には、約900の御嶽が存在すると言う。中でも、斎場御嶽が琉球王国最高の聖地と言い伝えられているのはなぜなのか。その理由は、琉球開闢（かいびゃく）の神、アマミキヨによって作られた御嶽だという伝説にある。琉球神話では、アマミキヨが琉球の国作りを行う際、7つの御嶽「琉球開闢七御嶽」を創世したと伝えられている。そのひとつが、斎場御嶽なのだ。</p>



<p>また、斎場御嶽では、「聞得大君（きこえおおきみ）」が最高神職に就任する儀式「御新下り（おあらおり）」が行われていたという言い伝えがある。聞得大君とは、琉球信仰における神女（ノロ）の最高位の呼称。琉球国王と王国全土を霊的に守護する存在で、初代（1470年）から15代（1875年）まで、400年以上にわたり王府の神事を司ったと言う。それほど重要な役割を担う聞得大君の就任儀式とあれば、国をあげての重要な祭祀。斎場御嶽が琉球王国において、いかに特別な御嶽であったかがうかがえる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">女性の神職者のみ入ることを許された神域</h2>



<p>斎場御嶽には、「イビ（神域）」と呼ばれる拝所が6つある。すべてを巡る所要時間は、ゆっくり歩いて1時間ほど。「緑の館･セーファ」からスタートし、一帯すべてが聖域とされる神秘的な森の中を進んでいく。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/seifautaki-002.jpg" alt="" class="wp-image-52216" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/seifautaki-002.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/seifautaki-002-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/seifautaki-002-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>御嶽へ向かう参道の始まりには、東の海に久高島を望む「久高島遥拝所」がある。久高島は、琉球開闢の神、アマミキヨが天から地上に降り立ち最初に作った島とされ、「神の島」とも呼ばれている。琉球では、太陽が昇る東の彼方に、神々が住む世界「ニライカナイ」があると信じられており、人々はニライカナイに向かって祈りを捧げてきた。斎場御嶽から見ると、久高島は東に位置する。そのため、この「久高島遥拝所」は、ニライカナイへのお通し所としても崇拝されてきた。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/seifautaki-010.jpg" alt="" class="wp-image-52217" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/seifautaki-010.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/seifautaki-010-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/seifautaki-010-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>その右側にあるのが、御嶽への入り口「御門口（うじょうぐち）」。ここから先は、かつて首里王府直轄の御嶽として管理されており、国王や神事を執り行う人以外、入ることが許されていなかった。琉球王国時代、神職に就けるのは女性のみだったため男子禁制。定かではないが、国王であっても入るときは女装に改める必要があったと言われている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/sefautaki-003.jpg" alt="" class="wp-image-52218" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/sefautaki-003.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/sefautaki-003-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/sefautaki-003-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「かの聞得大君も歴代女性ですが、なぜ女性だけだったかというと、これは琉球王国時代に根付いた“おなり神信仰”に由来します。おなりとは、姉妹のこと。かつて琉球では、男性は海に出て働き、女性は家に残って男性の無事を祈るという役割がありました。それがやがて、姉妹には兄弟を守護する霊力があるとされ、女性の霊力を信仰する“おなり神信仰”が琉球王国の基盤となったと思われます。これによって女性が神職者として祭祀を司ることになり、斎場御嶽でも神女（ノロ）たちが琉球王国の安寧繁栄、五穀豊穣などの祈りを捧げてきました。誰でも自由に立入れるようになったのは、1879年。琉球王国が滅びた後のことです」</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/sefautaki-001.jpg" alt="" class="wp-image-52219" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/sefautaki-001.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/sefautaki-001-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/sefautaki-001-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>御門口には、石で作られた6つの香炉が置かれている。これは、御嶽内にある6つの拝所の分身。前述のとおり、御嶽内には誰でも入れるわけではなかったので、入ることが叶わなかった人たちはここで祈りを捧げたと言う。</p>



<h2 class="wp-block-heading">祈りが捧げられた御嶽内の6つの拝所</h2>



<p>御門口から、草木が鬱蒼と茂る森の中を登っていくと、左手に見えてくるのが、最初の拝所である「大庫理（ウフグーイ）」。大広間や一番座という意味を持つ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/sefautaki-012.jpg" alt="" class="wp-image-52220" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/sefautaki-012.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/sefautaki-012-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/sefautaki-012-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>奥に巨大な岩があり、前には、一段高く石畳が敷かれた祈りの場（ウナー）がある。ここで、聞得大君が最高神職に就任する儀式「御新下り」が行われたと言われている。</p>



<p>2番目の拝所は「寄満（ゆいんち）」。寄満とは、琉球王府の用語で台所を意味する。とはいえ、ここで調理をしたわけではなく、貿易の盛んだった琉球王国時代、各地から豊穣が寄せ満ちた場所と解釈されている。国王や神女たちは、この大きな岩が頭上にせり出す寄満で王国の繁栄、五穀豊穣を祈願したとされる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/sefautaki-010.jpg" alt="" class="wp-image-52221" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/sefautaki-010.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/sefautaki-010-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/sefautaki-010-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>3･4番目の拝所は、「アマダユルアシカヌビー」の壷、「シキヨダユルアマガヌビー」の壷。2本の鍾乳石からしたたり落ちる水が「聖なる水」とされ、それを受ける2つの壷が置かれている。</p>



<p>「琉球はもともと珊瑚の塊が隆起してできた島。斎場御嶽にある岩は、琉球石灰岩なので、穴がたくさんあります。雨が降ると岩の中に染みこみ、そこにたまった雨水が少しずつ落ちていく。この岩の上には神の植物があると考えられていたので、その植物を潤し岩から落ちてきた水は、まさに神様の水。この水を飲むと健康に過ごせるという言い伝えがあったそうです」</p>



<h3 class="wp-block-heading">巨大な岩が作り出した三角形の神秘的な景観</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/sefautaki-009.jpg" alt="" class="wp-image-52222" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/sefautaki-009.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/sefautaki-009-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/sefautaki-009-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2つの壷の奥にあるのは、見学コースのハイライトと言える5･6番目の拝所「三庫理（さんぐーい）」と「チョウノハナ」。この拝所の前から見る景色は、斎場御嶽のシンボル的な景観で、写真を撮影するのに絶好のスポット。2つの巨大な岩が支え合い、三角形の空間を作り出しており、自然が生み出した神秘的な景観が広がる。</p>



<p>チョウノハナは、聞得大君と深い関係があると言われる拝所で、斎場御嶽の中で最も格式の高い拝所とされている。ここには、15基の香炉が置かれているが、聞得大君が15代だったことから、その人数の分だけ香炉が用意されたと考えられているのだ。現在は、三角形のトンネルの先は立ち入り禁止となっており、この2つの拝所へたどり着くことはできないが、三角形の突き当たりが三庫理、その右側の岩の上がチョウノハナなので、外側からでも手を合わせてみると良いだろう。</p>



<p>この三庫理の地下からは、めずらしい金製の勾玉（まがたま）3個を含む、計9個の勾玉が出土しており、国の重要文化財に指定されている。勾玉は、神女が身につける神聖なものであり、ここでは神の怒りを鎮める祈りのために埋められたと言われている。<br>「勾玉が出土するまでは、言い伝えに留まっていましたが、それほど貴重なものが物証として出てきたことで、斎場御嶽が琉球王国時代、いかに神聖視されていたかが証明されました。まさに琉球王国最高の聖地であったことを物語っていると言えるでしょう」</p>



<p>時代を経て今なお、祈りの場として崇拝を集める斎場御嶽。この場所に宿る歴史と、精神文化に思いを馳せながら、鳥のさえずりや、草木が風にそよぐ音、自然の声に耳をすませ、神聖な空間に身を委ねてみてはいかがだろうか。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52213/">琉球王国最高の聖地として名高い世界遺産「斎場御嶽」／沖縄県南城市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>全国にある天満宮の総本宮。1125年の節目へ向かう「太宰府天満宮」／福岡県太宰府市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 13 Nov 2024 05:00:22 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[神社仏閣]]></category>
		<category><![CDATA[太宰府天満宮]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/108db981a62d4a29c44ce4485cc1d0e0.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>博多から車で約40分。福岡県中西部に位置する太宰府市は、7世紀後半から12世紀後半にかけ、九州を統括する行政機関･大宰府が置かれた場所。ここで903年より創祀し、今なお歴史を紡ぐのが、学問の神様として知られる菅原道真公を [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/108db981a62d4a29c44ce4485cc1d0e0.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>博多から車で約40分。福岡県中西部に位置する太宰府市は、7世紀後半から12世紀後半にかけ、九州を統括する行政機関･大宰府が置かれた場所。ここで903年より創祀し、今なお歴史を紡ぐのが、学問の神様として知られる菅原道真公を祀る「太宰府天満宮」だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading"> “天神さま”を祀る天満宮の総本宮</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/9162a811b2ee5a7fb40892ac579e5e73.jpg" alt="" class="wp-image-50358" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/9162a811b2ee5a7fb40892ac579e5e73.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/9162a811b2ee5a7fb40892ac579e5e73-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/9162a811b2ee5a7fb40892ac579e5e73-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「太宰府天満宮」は、全国に約一万社存在する天満宮の総本宮だ。「天満宮」とは、平安時代を生きた菅原道真公（天神さま）を御祭神とする神社。では菅原道真公とは、一体どんな人物だったのか。</p>



<h3 class="wp-block-heading">学問、そして政治にも長けた人物</h3>



<p>845年6月25日、学者の家に生まれた菅原道真は、幼少期から和歌や漢詩に親しみ、青年期には自らも学者としてその才能を開花させた。さらに政治の世界に歩みを進めると、いち早く世界情勢を察知して遣唐使を廃止するなど、先見の明を持って改革を行い、当時の天皇に重用され、朝廷の政務を統括する右大臣としても活躍するようになる。<br>しかしその才能を妬んだ藤原時平の策謀により、京都から遠く離れた大宰府へ流される。それでも道真公は、天を恨まず、人を憎まず、最後まで国の繁栄や天皇の安泰を祈り、903年2月25日、59歳で人生の幕を閉じた。太宰府天満宮は、その菅原道真公の墓所であるとともに、以後、道真公を天神さまとして仰ぐ祈りの場となった。なお墓所と神社が同じ場所であることは、全国的にも珍しい。</p>



<h3 class="wp-block-heading">1125年の節目に向けて</h3>



<p>由緒ある神社では、数年、数十年ごとに神幸祭や社殿の建て替えなどを行う。太宰府天満宮では25年ごとだ。理由は、道真公の誕生日が6月25日、亡くなった日が2月25日と、25という数字に深い縁があるからだ。じつは、左遷の命を受けたのも1月25日なのだとか。そして迎える2027年は、道真公の薨去から1125年という大きな節目。太宰府天満宮では、この年の式年大祭に向け、124年ぶりに重要文化財である御本殿の大改修を行なっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">自然豊かな大宰府の杜から</h3>



<p>大改修は2023年に始まり、約3年続く。その間、参拝者を迎えてくれる場として設けられたのが仮殿だ。屋根の上に、森の一部をそのまま移したような佇まいが印象的で、設計は、国内外で活躍し、2025年大阪･関西万博の会場デザインプロデューサーも務める建築家･藤本壮介氏が担当。太宰府に何度も足を運び、天満宮を囲む杜を目にした感動からイメージを固めていったという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">太宰府天満宮の飛梅伝説</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA017-6932.jpg" alt="" class="wp-image-50359" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA017-6932.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA017-6932-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA017-6932-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>あわせてアイデアの素となったのが、太宰府天満宮に伝わる「飛梅伝説」だ。「飛梅伝説」とは、御本殿そばの御神木である梅の木にまつわる伝説で、道真公が京都を離れる際、それまで自邸の庭で可愛がっていた梅の木に、「東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」（春の風が吹いたら香りを届けておくれ　主人がいなくなっても春を忘れずに咲くのだよ）と別れの歌を詠んだところ、その梅がわずか一晩で大宰府まで飛んできて根を下ろした、というものだ。「広大な森が御本殿の前に飛んできた」という仮殿のコンセプトは、ここから生まれた。</p>



<p>ちなみに太宰府天満宮の境内には約6000本の梅の木があり、毎年1月下旬から3月上旬にかけて美しい花を咲かせる。梅の実は職員によって収穫され、梅干しや梅酒となって「お札お守授与所」にて販売されている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自然と共存する天満宮を形に</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA027-7105.jpg" alt="" class="wp-image-50360" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA027-7105.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA027-7105-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA027-7105-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>仮殿内に張られた御帳（みとばり）と几帳（きちょう）にも注目したい。それらはパリコレなどにも出展しているファッションブランド「Mame Kurogouchi」によるものだ。クロゴウチ氏も太宰府に幾度となく足を運び、さまざまな資料にふれながら構想をまとめた。御帳に描かれた柄は、ある雨の日、境内のクスノキにぽっかりと空いた穴の中で雨宿りをした際に見えた風景。太宰府天満宮と自然との深い関係性も見つめ、素材には境内の梅や草で染めた糸を採用。現代の織り機を使い、古代と現代の交差も表現に織り込んだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">変わらないために、変わり続ける</h3>



<p>そんな仮殿へは、賑わう参道から鳥居をくぐり、道真公の門弟が作ったとされる心字池（しんじいけ）にかかる３つの赤い太鼓橋を渡って向かう。橋は手前から過去、現在、未来を表し、水の上を渡ることで身も心も清らかとなり、天神さまに近づけるという結びの意味もあるという。そして橋を越えると、風格のある朱塗りの楼門がそびえ、通過した先に、自然と一体となった仮殿が姿を見せる。</p>



<p>御本殿の改修が完了したタイミングでこの仮殿は役目を終え、解体されるが、屋根の上の植物たちは、再び森へ帰っていく。太宰府天満宮が大切にする「変わらないために変わり続ける」ということを、この3年間は特に感じることができるかもしれない。参拝はもちろん、仮殿内で神職に祝詞を挙げてもらう祈願によって、天神さまからご神徳をいただく経験も勧めたい。</p>



<h2 class="wp-block-heading">境内でアートに出会う</h2>



<p>参拝、祈願を終えて境内を散策すると、道真公にゆかりのある文化財を所蔵する宝物殿や、宮司が4代･120年にわたり誘致に奔走し開館が叶った九州国立博物館へのアクセストンネルなどが目に入り、文化芸術との距離の近さを感じるはずだ。道真公は学問だけでなく、和歌や漢詩にも優れた人物であったため、文化芸術の神様としても親しまれており、太宰府天満宮もその分野に関わることにさまざまな形で力を注いできた。</p>



<p>2006年からは、国内外で活躍するアーティストを太宰府に招き、神道や天神さま、太宰府天満宮について触れ、感じたことを、100年後、1000年後にも残る作品へと落とし込んでいくプロジェクト「太宰府天満宮アートプログラム」が始まった。プログラムで制作された作品のうち一部は屋外に設置されており、境内を散策しながら鑑賞できることから境内美術館と呼ばれている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ユニークな10作品を巡る</h3>



<p>参道から鳥居をくぐり、右手に見える浮殿（うきどの）には、イギリスのアーティスト、ライアン･ガンダー氏の作品「Really shiny stuff that doesn’t mean anything 本当にキラキラするけれど 何の意味もないもの ©Ryan Gander, 2011 Courtesy of TARO NASU※」が設置されている。これはガンダー氏が、参拝者が「見えないもの」に対し祈っている姿に衝撃を受け、その「見えない力」を磁力で表した作品だ。<br>※神社の行事などにより、展示されていない場合あり</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA031-7465.jpg" alt="" class="wp-image-50361" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA031-7465.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA031-7465-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA031-7465-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /><figcaption class="wp-element-caption">「Everything is learned, VI すべてわかった VI」 ©Ryan Gander, 2011 Courtesy of TARO NASU</figcaption></figure>



<p>また宝物殿そばの梅林には、同じくライアン･ガンダー氏の作品「Everything is learned, VI すべてわかった VI ©Ryan Gander, 2011 Courtesy of TARO NASU」が置かれている。一見、上部がすり減った “岩”だが、ロダンの彫刻作品「考える人」が、この石の上で熟考したのち「すべてわかった」と立ち上がり、去った、という様を表した作品で、想像力を掻き立ててくれる。他にも、アスファルトに直接描かれたローレンス･ウィナー氏の「THE CENTER OF A CENTER ひとつの中心のその中心 ©Lawrence Weiner, 2020 Courtesy of TARO NASU」や、子どもたちの手形の未来に想いを巡らせてくれるサイモン･フジワラ氏の「The Problem of Time 時間について考える©Simon Fujiwara, 2013 Courtesy of TARO NASU」など、境内美術館には2024年4月現在、10作品が展示されている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA032-2263.jpg" alt="" class="wp-image-50362" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA032-2263.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA032-2263-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA032-2263-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /><figcaption class="wp-element-caption">「THE CENTER OF A CENTER ひとつの中心のその中心」©Lawrence Weiner, 2020 Courtesy of TARO NASU</figcaption></figure>



<h2 class="wp-block-heading">天神さまなら、どう考える？</h2>



<p>太宰府天満宮が同プログラムを推進する理由には、常に時代の最先端を見つめた菅原道真公が、もしも現代に生きていたら、どのように考えるか、という思いがある。「アーティストの選定や作品作りの際、迷いが生じた時も、『天神さまに喜んでいただけるだろうか』ということを考えます。そしてプロジェクトがスタートしてからも、神社とアーティストのどちらかが一方的にならないよう、常に歩み寄り、信頼関係を構築していくことを何より大切にしています」と、権禰宜の高山博子さん。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA019-6936-1.jpg" alt="" class="wp-image-50364" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA019-6936-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA019-6936-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/DA019-6936-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>豊かな自然を感じたい人、神道に触れたい人、アートに触れたい人、それらをもっと深めたい人……。<br>太宰府天満宮はこれからも、多くの人の心を動かす「見えないもの」を育みながら、時代とともに歩み続ける。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/50357/">全国にある天満宮の総本宮。1125年の節目へ向かう「太宰府天満宮」／福岡県太宰府市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>現在の城主は猫？ 雲海に浮かぶ、天空の山城「備中松山城」／岡山県高梁市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 03 Nov 2024 01:02:07 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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		<category><![CDATA[山城]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/2A3A1402.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>岡山県の中西部に位置する、高梁市。その市街地の北側にそびえる臥牛山（がぎゅうざん）に建つ、「備中松山城」。江戸時代以前に建設された天守が保存されている「現存12天守」のひとつに数えられる。そのなかで山城として天守が残って [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/2A3A1402.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>岡山県の中西部に位置する、高梁市。その市街地の北側にそびえる臥牛山（がぎゅうざん）に建つ、「備中松山城」。江戸時代以前に建設された天守が保存されている「現存12天守」のひとつに数えられる。そのなかで山城として天守が残っているのはここだけという、大変貴重な城だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「備中松山城」の歴史をたどる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/fe0b0c4d568b9b78e3f771dca38d8788.jpg" alt="" class="wp-image-50094" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/fe0b0c4d568b9b78e3f771dca38d8788.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/fe0b0c4d568b9b78e3f771dca38d8788-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/fe0b0c4d568b9b78e3f771dca38d8788-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /><figcaption class="wp-element-caption">写真提供：（一社）高梁市観光協会</figcaption></figure>



<p>現存天守が標高約430mの高さにある備中松山城。その標高や地形故に“雲海”が発生しやすく、しばしば見ることができる。そこに天守が浮かぶように見える様子が美しく「天空の山城」とも形容されている。</p>



<p>高梁市教育委員会社会教育課･三浦孝章さんによると、「高梁市はすり鉢状の盆地という地形なので、発生した雲海がとどまりやすいという特徴があります。そのため、高い確率で雲海に遭遇できる場所なんです」。なかでも、10月から12月が雲海のベストシーズンとされている。その幻想的な姿は、城の北東部にある、「雲海展望台」から望むことができる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">城主の移り変わりとともに、城も進化</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/2A3A1164.jpg" alt="" class="wp-image-50095" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/2A3A1164.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/2A3A1164-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/2A3A1164-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>備中松山城が建つ臥牛山は、牛が横になっているような形からその名が付けられており、大松山、天神の丸、小松山、前山の4つの峰からなる。<br>1240年、当時の地頭･秋庭重信により大松山に砦が築かれたのが、備中松山城の始まりとされる。その後、三村元親が城主を務めていた1574年には、臥牛山一帯に砦が築かれるまでに。1600年の関ケ原の戦いの後、徳川幕府の支配下に置かれた際には、小堀正次･政一（遠州）親子が奉行として、この地に赴任。御殿と城の修築に着手したと伝わる。</p>



<p>1642年には、水谷勝隆が城主に。その息子、勝宗は1681年から約3年をかけて、城の大規模な修築を行い、櫓や大手門なども建設し、現在残る城の全容が完成した。<br>1868年、明治新政府軍と旧幕府軍が対立した戊辰戦争では、朝敵とみなされた備中松山藩。当時、藩政改革に取り組んでいた、陽明学者･山田方谷らの決断により、無血開城を果たす。そのため、城が壊されることを免れることとなる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">忘れ去られた存在から、町を挙げての保存･修復へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/52cbc593accf5380a5bd21c63a5feec4.jpg" alt="" class="wp-image-50096" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/52cbc593accf5380a5bd21c63a5feec4.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/52cbc593accf5380a5bd21c63a5feec4-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/52cbc593accf5380a5bd21c63a5feec4-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /><figcaption class="wp-element-caption">写真提供：高梁市教育委員会</figcaption></figure>



<p>一度は危機を乗り越えたものの、1873年には、「廃城令」が公布される。備中松山城は国により競売にかけられ、地元住民が購入したと伝わるが、山の上にありすべてを解体するにも費用がかかりすぎることから、そのまま放置されることとなる。以降、その立地のため、誰の目に触れることもなく時が過ぎていく。いつしかその存在自体が忘れ去られ、荒れ果てた城となってしまっていた。</p>



<p>大きな転機が訪れたのは、1927年のこと。備中松山城の歴史を知り、その価値を認識していた地元中学校の教師が中心となり、本格的な城の調査がスタート。住民すら知らなかった城の存在が明らかとなり、次第に保存への気運が高まっていったのだ。<br>そうして1939～40年には、「昭和の大改修」を実施。「その際には地元の小･中学校や女学校の児童･生徒らが、約2万枚もの瓦をかついで山頂にある城まで上がったというエピソードが写真とともに残っています。まさに町を挙げての城の修復であったようです」と、前出の三浦さん。その後、1957年、2000年と、これまでに3度の大きな改修を経て、現在の姿となった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">戦火や自然災害に遭うことなく、往時の姿を今に</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/2A3A1396.jpg" alt="" class="wp-image-50097" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/2A3A1396.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/2A3A1396-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/2A3A1396-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>天守までは、8合目にある「ふいご峠駐車場」から急な山道を20分ほど歩いていく。近づいてくると、自然の岩の上に石を積んだ石垣が現れてくる。なかには約10mのそそり立つ岩盤を取り込むように築いた石垣もあり、その迫力に圧倒される。このように山の地形を生かした石垣もこの城の見どころだ。<br>天守は、木造瓦葺きで、二層二階の建物。高さ約11mと、現存12天守のなかでもっとも低いが、天守の正面の唐破風が特徴的な外観を誇る。</p>



<p>1階には、天守では珍しく、囲炉裏を備えているほか、城主一家の居室になった「装束の間」も残る。2階には、水谷勝宗が城の修築をした際に、自分の守護神を祭る「御社壇（ごしゃだん）」を設置している。城の一番高い場所から高梁の町を守ってもらう意図があったと思われる。<br><br>「戦争で空襲を受けることもなく、地震をはじめとする自然災害も少ない土地であったことも、天守が現在まで残っている理由だと考えています」と、三浦さん。</p>



<h2 class="wp-block-heading">猫城主･さんじゅーろーを迎え、新たな魅力を備えた城に</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/2A3A1162.jpg" alt="" class="wp-image-50098" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/2A3A1162.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/2A3A1162-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/2A3A1162-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>時代の変遷とともに、城主も移り変わってきた歴史を持つ、備中松山城。そして現在、城主を務めるのは、なんと猫！　<br><br>もともと高梁市内で飼われていた猫が、平成30年の西日本豪雨の後に飼い主宅を離れ、この城に住みつくようになったという。すると「お城にかわいい猫がいる」とのうわさが広がり、地元テレビや新聞などで紹介されると、またたく間に人気者に。高梁市観光協会によって保護され、備中松山藩出身で新選組隊士で七番隊の隊長を務めた武士･谷三十郎と、最初に見つかった場所が三の丸であったことから「さんじゅーろー」と命名。城の管理事務所のある「五の平櫓」で暮らすこととなった。</p>



<p>その人気を受け、2018年12月16日には猫城主に就任。さんじゅーろーの体調や気分にもよるが、一日2回、城内を見回りする散歩の際に、その姿を見ることができる。<br>そして現在は、さんじゅーろーに会うために、全国各地から多くの観光客がこの城を訪れている。2024年3月には、備中松山城が建つ臥牛山の南麓に位置する石火矢町の武家屋敷･旧埴原家内に、記念館「猫城主さんじゅーろー あしあと館」がオープン。その人気はとどまることを知らない。</p>



<p>江戸時代の天守が当時のまま現存する、日本唯一の山城である「備中松山城」。雲海に天守が浮かぶ情景は、往時から変わらず訪れた人を魅了する。そんな、当時の人たちも見ていたであろう幻想的な景観と、この城が歩んできた歴史に思いを馳せ、これから先も岡山県が誇るべき景勝として、変わらず守り続けていきたい。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/50093/">現在の城主は猫？ 雲海に浮かぶ、天空の山城「備中松山城」／岡山県高梁市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>吉野川の清流と美馬の自然とが織りなす庭園美が調和する古刹「本楽寺」／徳島県美馬市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 31 Oct 2023 02:37:57 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[庭園]]></category>
		<category><![CDATA[回遊式庭園]]></category>
		<category><![CDATA[徳島県]]></category>
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		<category><![CDATA[本楽寺]]></category>
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		<category><![CDATA[徳島観光]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/top-7.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>徳島県を西から東へと流れる四国最大級の河川・吉野川。その流域に位置する美馬（みま）市に、平安時代初期に創建された寺院「本楽寺」がある。雄大な吉野川の流れを借景とした枯山水と天然の山肌を生かした回遊式庭園、個性あるふたつの [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/top-7.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>徳島県を西から東へと流れる四国最大級の河川・吉野川。その流域に位置する美馬（みま）市に、平安時代初期に創建された寺院「本楽寺」がある。雄大な吉野川の流れを借景とした枯山水と天然の山肌を生かした回遊式庭園、個性あるふたつの庭園を有する古刹は、心洗われるパワースポットとして人気を誇っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">徳島西部の自然を望むロケーション　</h2>



<p>四国の中央部に標高1,000メートル級の山々が連なる四国山地。日本百名山のひとつ「剣山（つるぎさん）」をはじめ、多くの山々が<strong>古くから山岳信仰の霊峰</strong>として栄えてきた。本楽寺は、この四国山地を横断する吉野川の中流域、徳島県美馬市穴吹町にある真言宗御室派の寺院。悠々と流れる吉野川を望む見晴らしのいい高台に建つ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">戦国時代は砦にもなった真言宗の寺院</h3>



<p><a href="https://honrakuji.jp/index.html/" target="_blank" rel="noopener" title="">本楽寺</a>は828年に僧恵運（えうん）が真言の道場として開創、1131年に僧有純が中興したと伝えられる古刹。前には川、背後に山が控える高台という立地から、戦国時代は砦として利用されていたそうだ。“天然の要害”という言葉を彷彿とさせる急な坂道を登り、山門をくぐると、目の前には美しく手入れされた境内が広がっている。右手には枯山水と吉野川の景観、左手には客殿、正面の石畳の向こうに本堂がある。</p>



<h3 class="wp-block-heading">地形を生かした懸け造りの本堂</h3>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img decoding="async" width="602" height="404" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/86a6fcd9e5889fd4b3ad4c4b717a1e77.jpg" alt="" class="wp-image-39183" style="width:899px;height:603px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/86a6fcd9e5889fd4b3ad4c4b717a1e77.jpg 602w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/86a6fcd9e5889fd4b3ad4c4b717a1e77-300x201.jpg 300w" sizes="(max-width: 602px) 100vw, 602px" /></figure>



<p>安土桃山時代、同寺は長宗我部氏の兵火にあい全焼。1863年にも火災にあい、翌年僧有圭により再建された。現在境内には、本堂、護摩堂、天神社、客殿、茶室があるが、すべて平成以降に建て替えや修繕が行われたもの。本堂と護摩堂は<strong>懸け造り</strong>という伝統工法で建てられている。一般的にイメージしやすい例としては、京都の清水寺本堂を思い浮かべてほしい。崖の下から長い柱と梁（はり）が格子状に組まれた上にすっくと建つ姿が壮観だ。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">戦火をまぬがれた阿弥陀如来像</h3>



<p>本楽寺は、江戸時代には徳島藩主・蜂須賀（はちすか）氏の菩提所となり、藩祖・蜂須賀正勝の正室や、同藩家老の稲田家累代の霊位がまつられている。</p>



<p>本堂は青森ヒバが使われた木造建築で、阿弥陀如来像が本尊として安置されている。腹帯を結んだめずらしい姿から鎌倉時代の作とされる寄木造りの坐像で、高さは45cm。柔らかさと厳しさを兼ね備えた表情が印象的だ。ほかにも多数の宝物があったが、先の兵火で消失したとのこと。堂内には他に徳川６代将軍家宣公から伝えられたとされる秘仏・大聖歓喜天や仏画などが収められている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">枯山水と回遊式庭園の２つの庭を寺院の顔として</h2>



<p>さて、このように長い歴史を持つ本楽寺だが、現在、ここを訪ねる人の大半は美しい庭が目当てではないだろうか。<span class="swl-marker mark_yellow"><strong>枯山水と回遊式庭園</strong>。特徴あるふたつの庭園は、作庭家であり古庭園･寺院境内研究家でもある<strong>齋藤忠一（ただかず）氏</strong>が手掛けたもの。</span>日本各地の庭園の作庭や監修、修復を行い、上田宗箇（そうこ）流家元の露地（広島）や松寿院の庭園（静岡）、廣澤美術館“つくは野の庭”（茨城）など、自然石を用いた高い精神性が感じられる庭を多数生み出す作庭家だ。同寺院の庭園は齋藤氏によって昭和後半から平成初め頃に作庭されたとされている。</p>



<p>「もともと檀家の庭師の方が手がけた枯山水の庭があったのですが、『もっと人が呼べる寺に』という思いから、前住職だった父が齋藤先生に作庭を依頼したんです」と住職の吉田宥玄さんは話す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">国内唯一？ 川を借景にした石庭</h2>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img decoding="async" width="602" height="404" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/884cabc3ccb72b24787d72d09fb5351b.jpg" alt="" class="wp-image-39186" style="width:900px;height:604px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/884cabc3ccb72b24787d72d09fb5351b.jpg 602w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/884cabc3ccb72b24787d72d09fb5351b-300x201.jpg 300w" sizes="(max-width: 602px) 100vw, 602px" /></figure>



<p>そもそも枯山水とは、水を一切使わず、自然の風景を表現した庭園の形式を指す。<span class="swl-marker mark_yellow">本楽寺の枯山水「鶴亀の庭」は、<strong>すぐ目の前を流れる吉野川と背後に広がる阿讃（あさん）山脈の眺めを借景にした庭園</strong>だ。山ではなく、川を借景にした庭園は日本ではここだけといっても過言でないだろう。</span>中国の道教思想に基づき、水を表す白砂と、鶴亀に見立てた石組みを中心に構成されている。阿波特有の青石を使い、吉野川に向かって左手から亀石組み、鶴石組み、そして不死の妙薬を運ぶ舟石を配置。左端の蓬莱島を表す多重塔に、鶴と亀が向かう姿が表現されており、そこには不老長寿や繁栄、慶祝への願いが込められている。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">四国八十八景にも選定</h3>



<p>「鶴亀の庭」は、客殿から見たとき、もっとも美しく見えるように計算してつくられているとのこと。客殿の廊下から改めて庭を見渡す。ダイナミックな石の造形と、さざなみや流水、渦などを表す砂紋を施した白砂の対比。そこに雄大な吉野川の景色が重なり、どこか大陸的なゆったりと広がりのある世界観に引き込まれる。ここからの眺めは、<span class="swl-marker mark_yellow">四国らしい風景や街並みを指定して、その魅力を発信していくプロジェクト<strong>「四国八十八景」</strong>のひとつに選定されている。</span>「特に雨の日は雰囲気がいいですよ」と吉田さん。</p>



<h2 class="wp-block-heading">緑と岩肌が織りなす庭園美</h2>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img decoding="async" width="602" height="404" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/02c57748c70af702145a8150d674a884.jpg" alt="" class="wp-image-39191" style="width:899px;height:603px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/02c57748c70af702145a8150d674a884.jpg 602w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/02c57748c70af702145a8150d674a884-300x201.jpg 300w" sizes="(max-width: 602px) 100vw, 602px" /></figure>



<p>境内を山手のほうに進むと、もうひとつの庭、<strong>回遊式庭園</strong>がある。<span class="swl-marker mark_yellow">こちらはゴツゴツとした山肌が迫る地形を生かしながら、石組みや石段、植栽が施され、まるで<strong>大自然の縮図のような景観</strong>をつくり出している。</span>庭園の中央にあるのは、もともとの岩肌を生かした滝石組みの「龍門瀑（りゅうもんばく）と鯉魚石（りぎょせき）」。落差約６メートルの滝のまわりをめぐるように石段や小径が設けられ、滝の頂にかけられた石橋を渡って回遊できる造りとなっている。ちなみに龍門瀑とは、中国の鯉が黄河の滝を登って竜になるという故事“登竜門”にちなんだ石組みの様式を表す。</p>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">庭園内は、天然の岩と石組みが織りなす荘厳さと、斜面をおおう苔や木々の緑が調和し、心が浄化されるような庭園美に浸ることができる。</span>また庭内にはモミジが多く、紅葉のシーズンはあでやかな雰囲気も楽しめそうだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">岩盤の上に建つ茶室でほっこり</h3>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img decoding="async" width="602" height="404" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/bac1ee21c464ff951ab82ac2abfa442d.jpg" alt="" class="wp-image-39194" style="width:900px;height:604px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/bac1ee21c464ff951ab82ac2abfa442d.jpg 602w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/bac1ee21c464ff951ab82ac2abfa442d-300x201.jpg 300w" sizes="(max-width: 602px) 100vw, 602px" /></figure>



<p>滝の頂から小径を歩くと、<strong>数寄屋造りの茶室</strong>「一二三（ひふみ）庵」にたどり着く。敷石に前述の青石を使った趣ある露地を通って茶室へ。建物は大きな岩盤の上に建てられているため、大きな窓から迫力ある岩肌やその下にある本堂、客殿、庭園などを一望できる。</p>



<p>すがすがしくしつらえた茶室は、本格的な茶事に使用できるほか、気軽にお抹茶で一服することもできる。季節の彩りを借景に、丁寧に点てられたお抹茶と茶菓子を味わい、ゆっくりとした時間の流れに身を委ねるのもいい。</p>



<h3 class="wp-block-heading">五感で味わう精進料理も</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="687" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/DSC_0010-1024x687.jpg" alt="" class="wp-image-39195" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/DSC_0010-1024x687.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/DSC_0010-300x201.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/DSC_0010-768x515.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/DSC_0010.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>さらに本楽寺の魅力を深く体感できるのがお料理。旬の野菜の風味を最大限に引き出し、丁寧に仕上げられた<strong>懐石精進料理</strong>は、一品一品が芸術作品のよう。季節を映す上品な味わいが、穏やかで豊かな気持ちへと誘ってくれる。</p>



<p>「私は、お寺も人々から愛される魅力を持たなければならないと思っています。庭園と料理を通じて、芸術の向上や人々の幸せに貢献したいのです」 そんな思いを実践する吉田さんは、現在も齋藤氏の指示を受けながら、庭づくりをコツコツと継続中。料理も自らが腕をふるうそうだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">繰り返し訪れたい、自分を見つめ直せる空間</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="687" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/DSC_0076-1024x687.jpg" alt="" class="wp-image-39196" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/DSC_0076-1024x687.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/DSC_0076-300x201.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/DSC_0076-768x515.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/DSC_0076.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="686" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/y_edited-1024x686.jpg" alt="" class="wp-image-39197" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/y_edited-1024x686.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/y_edited-300x201.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/y_edited-768x515.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/10/y_edited.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>「庭には多くの精神の物語があり、作庭家は庭に様々な意味を込めて造ります。（中略）ですから<strong>庭は繰り返し見ることが大事</strong>です。それは優れた小説を繰り返し読むことと同じ行為といえます」<br>これは、齋藤氏が庭のあり方について語った一節。四季折々の自然と人の手が創り出したものが見事にコラボレーションした本楽寺は、何度訪れても違った発見があり、そのたびに今の自分を見つめ直せる、そんな場所に違いない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/39172/">吉野川の清流と美馬の自然とが織りなす庭園美が調和する古刹「本楽寺」／徳島県美馬市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>お大師さんの足跡をたどり、祈りを紡ぐ。四国遍路のスタート地点「霊山寺」/徳島県鳴門市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 26 Jul 2023 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/top-5.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>四国４県に点在する弘法大師ゆかりの霊場88ヶ所をめぐる四国遍路。信仰目的以外にも、観光や健康増進、アウトドア感覚で“お遍路さん”を始めた、という人も多いという。徳島県鳴門市にある霊山寺（りょうぜんじ）は、この四国遍路の一 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/top-5.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>四国４県に点在する弘法大師ゆかりの霊場88ヶ所をめぐる四国遍路。信仰目的以外にも、観光や健康増進、アウトドア感覚で“お遍路さん”を始めた、という人も多いという。徳島県鳴門市にある霊山寺（りょうぜんじ）は、この四国遍路の一番札所。幾多の人々が祈りや思いを抱いてその出発点を訪れる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">修行のメッカだった四国</h2>



<p>近年、霊場巡りがちょっとしたブームだという。西国三十三所観音や坂東三十三観音、熊野古道伊勢路など全国に数多くの巡礼路があり、シニア世代を中心にたくさんの人々が、聖地へと足を運んでいる。</p>



<p>その中でも人気が高いのが、<strong>四国八十八ヶ所霊場</strong>ではないだろうか。<strong>1,200年以上の歴史を持ち、全行程約1,460kmにおよぶ壮大な回遊型巡礼路</strong>で、日本遺産にも認定されている。 ちなみに四国八十八ヶ所霊場巡りは、<strong> “お遍路” </strong>とも呼ばれる。由来は、険しい山々が連なる四国は、奈良や京都の都から遠く、修行の場に適した“辺土（へんど）”といわれていたから。それがのちに“遍路”に変化したものと考えられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">四国の玄関口・鳴門市を出発点に</h3>



<p>この四国遍路は、阿波（徳島県）、土佐（高知県）、伊予（愛媛県）、讃岐（香川県）と、<strong>札所番号の順に巡拝するのが基本</strong>とされる。そのスタート地点にあたるのが<strong>霊山寺</strong>だ。 同寺のある鳴門市は、大阪・兵庫から淡路島を経由して四国に入る玄関口に当たる都市で、霊山寺はその南西部に位置する。</p>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img decoding="async" width="602" height="401" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/322dd3b5baddb9fed4640634f21a6fae.jpg" alt="" class="wp-image-37992" style="width:899px;height:599px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/322dd3b5baddb9fed4640634f21a6fae.jpg 602w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/322dd3b5baddb9fed4640634f21a6fae-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 602px) 100vw, 602px" /></figure>



<h2 class="wp-block-heading">２度の火災に見舞われた古刹</h2>



<p>霊山寺の開創は天平年間。聖武天皇から信頼の厚かった僧行基が、天皇の命を受けて開いたと伝えられる。かつては荘厳な伽藍（がらん）が立ち並び、室町時代には阿波三大坊のひとつとして栄えたが、1582年、長宗我部（ちょうそかべ）元親の兵火により全焼。阿波藩主・蜂須賀光隆によって復興したものの、1891年には出火により本堂と多宝塔以外の建物を再び焼失している。今、私たちが目にする霊山寺は、100年あまりの歳月をかけて、当時の姿へと再建されたものだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">四国霊場の生みの親・弘法大師とは？</h2>



<p>この霊山寺に深い関わりのある人物が、平安時代初期の僧で、名筆家としても知られる<strong>弘法大師（空海）</strong>。全国にゆかりの地や逸話も多く、今なお「弘法さん」「お大師さん」と親しみをこめて呼ばれる仏教界のスーパースターだ。</p>



<p>774年に現在の香川県善通寺市で生まれた弘法大師は、804年に遣唐使の留学僧として唐に渡り、２年間密教を学んだ。帰国後は真言宗を開創し、日本国内で仏教の布教活動に力を注ぐとともに、民衆のための教育施設「綜芸種智院（しゅげいしゅちいん）」の設立や、香川県の農業用貯水池の修築工事など教育や社会事業にも取り組んだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">“いちばんさん”になった理由</h3>



<p>弘法大師はたびたび生まれ故郷の四国で修行を行った。そして42歳のとき、人間の持つ88の煩悩をなくそうと、88ヶ所の寺院を選び札所としたことが、四国八十八ヶ所霊場の始まりとされている。</p>



<p>霊山寺が一番札所になったのは、四国の東北角から右回りに霊場を開くべく、彼がこの地を訪れたことに由来する。仏法を説く老師を弟子たちが取り囲む姿を見て、釈迦如来が天竺（インド）の霊鷲山（りょうじゅせん）で行った説法の様子と似ていると感じた。そこで天竺の霊山を大和（日本）に移すという意味で、「竺和山 霊山寺」と名づけ、霊場開設の成就を祈ったそうだ。地元では同寺のことを親しみをこめて「いちばんさん」と呼ぶ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">地域に根ざした接待文化</h3>



<p>当初四国遍路は、修行僧が中心だったが、弘法大師信仰が高まるにつれて、日本全国から、そして世界各国からも人が訪れるようになった。宗教、国籍、性別、年齢等を越えて、誰でもいつでも遍路を始められる門戸の広さが魅力といえよう。</p>



<p>また四国遍路が人の心をとらえる理由の一つに<strong>「お接待文化」</strong>がある。<strong>地域全体で四国遍路を支える行い</strong>のことで、お遍路さんにお菓子や飲み物、宿などを無償で提供したり、「がんばってください」「ご苦労さまです」などと応援の声をかけることが、ごく自然に行われている。長い歴史の中で継続されてきたあたたかい風習が、厳しい巡礼の旅を続けるエネルギーになっているのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">お遍路スタイルで参拝を</h3>



<p>ふつうにお参りするのもいいが、この機会にお遍路を始めたい人、お遍路気分を味わいたい人は、白衣、金剛杖、袈裟、菅笠など最低限の巡礼の衣装で参拝してはどうだろう。</p>



<p>金剛杖は1.5mほどの白木の杖で、お大師さまの化身とされる神聖な用具。休むときは先を洗って合掌する、トイレなど不浄なところには持っていかないなどのルールがある。<br>菅笠（すげがさ）は日除け、雨傘代わりに。笠に書かれた「同行二人（どうぎょうににん）」とは、お大師さんと常に一緒であるという意味である。</p>



<p>数珠や教本、納経帳、納札（おさめふだ）、線香、ろうそく、ライターなどの持ちものは、頭陀袋（ずたぶくろ）に入れて持ち歩くが、容量が大きく疲れにくいリュックを代用してもOK。靴はスニーカーなど歩きやすいものを。</p>



<p>お遍路グッズは、霊山寺の駐車場横の総合案内所でそろえることができる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img decoding="async" width="602" height="401" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/ef8cb521a368c1fcfeed38b5fe4aa02c.jpg" alt="" class="wp-image-37995" style="width:901px;height:600px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/ef8cb521a368c1fcfeed38b5fe4aa02c.jpg 602w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/ef8cb521a368c1fcfeed38b5fe4aa02c-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 602px) 100vw, 602px" /></figure>



<h2 class="wp-block-heading">訪れる人をあたたかく迎える境内</h2>



<p>さて霊山寺の最寄りはJR高徳線の板東駅。駅を降り立つと、さっそく白装束に菅笠姿の人があちこちに見受けられる。</p>



<p>駅から徒歩で約10分、風格ある入母屋（いりもや）楼門造りの仁王門から境内へ。左手には縁結び観音や手水舎、鐘楼堂、右手には錦鯉が泳ぐ放生池とその向こうに大師堂が見える。池のそばの地蔵菩薩像に向かって、６体の童子像が水面で祈りを捧げる姿がどことなく愛らしい。厳かでありつつもおおらかな雰囲気に“いちばんさん”の懐の深さを感じる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img decoding="async" width="602" height="400" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/9ff2fb952e72fcb691d7fe3d3905ee6d.jpg" alt="" class="wp-image-38070" style="width:900px;height:598px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/9ff2fb952e72fcb691d7fe3d3905ee6d.jpg 602w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/9ff2fb952e72fcb691d7fe3d3905ee6d-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 602px) 100vw, 602px" /></figure>



<h3 class="wp-block-heading">読経が響く荘厳な本堂</h3>



<p>手水舎で手と口を清め、鐘楼ではお参りしたことを告げる意味で鐘を１回つく。そして境内の一番奥にある本堂へ。</p>



<p>本堂は、1964年四国開創1150年に合わせて改装され、拝殿に奥殿を増築した造りとなっている。本尊の釈迦如来像は、左手に玉を持つ身の丈４尺（約120cm）の坐像。これは弘法大師が修法の際に刻んだものと伝えられている。ほかに地蔵尊菩薩三尊像、賓頭盧（びんずる）行者坐像、納札を固めて作られた納札大師が安置されている。</p>



<p><strong>天井を多数の吊り灯籠で埋め尽くされた本堂</strong>は、柔らかい光に照らされてなんとも幻想的。拝殿中央の天井にはダイナミックな龍の絵が描かれ、空間の神秘性をさらに高めている。線香の燻りやお遍路さんの読経の響きの中、手を合わせれば、おのずと心が引き締まる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">漆黒のお大師さんをまつるお堂も</h3>



<p>お遍路の参拝手順にのっとるなら、本堂のあとは大師堂へお参りしたい。放生池に面した方形造りの端正な仏堂で、全身漆黒の弘法大師の像を拝むことができる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">故人や先祖をおだやかに見守る十三仏</h3>



<p>本堂に向かって左手には、等身大の十三仏が並んでまつられた堂がある。十三仏は亡くなった人を見守り極楽に導いてくれる13人の仏様とされ、先祖や亡くなった人への供養のために訪れた参拝者は、特に心を込めて拝んでいくようだ。</p>



<p>十三仏の中で不動明王だけは隣の不動堂に。カッと目を見開き、怒りの表情を浮かべているが、これは衆生を厳しく教え、導く心の表れであり、煩悩退散、厄除け等のご利益があるとされる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img decoding="async" width="602" height="401" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/5c46685301af52c3d134e198b786c221.jpg" alt="" class="wp-image-37997" style="width:898px;height:598px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/5c46685301af52c3d134e198b786c221.jpg 602w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/5c46685301af52c3d134e198b786c221-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 602px) 100vw, 602px" /></figure>



<h3 class="wp-block-heading">同寺最古。風格漂う多宝塔</h3>



<p>十三仏堂と鐘楼との間には、<strong>約600年前の姿を今に残す多宝塔</strong>がそびえる。下層は方形、上層はお椀をかぶせたような円形をした木造二重塔で、中には五智（ごち）如来がまつられている。内部を見ることはできないが、歴史を感じさせる風格のある佇まいは外観だけでも訪れた人の目を引き付ける。</p>



<h3 class="wp-block-heading">さまざまなご縁を結ぶ観音さまが人気</h3>



<p>仁王門から入ってすぐ左側、手水舎のそばにひっそりと立つ縁結び観音は、お参りする人が多いスポット。男女の縁だけではなく、健康や仕事などさまざまな縁をもたらすと信じられている。お賽銭だけでなく、水でお清めしながら真摯に祈るのがポイント。</p>



<p>すべてのお堂を回ったら、総合案内所横の納経所で御朱印を授けてもらおう。これから四国遍路を始める励みにもなるし、旅が終わったあとの思い出にもなりそうだ。</p>



<p>弘法大師は「一人ひとりが能力や才能をじゅうぶんに活かし切る生き方ができるよう努力しなさい」と説いたという。それは宗教的な縛りを越え、わかりやすく、現代の私たちにも通じる教え。霊山寺は、その教えを肌で感じ、すがすがしい気持ちで新しい自分へと踏み出せる、そんなパワーに満たされている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/37986/">お大師さんの足跡をたどり、祈りを紡ぐ。四国遍路のスタート地点「霊山寺」/徳島県鳴門市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>古くから親しまれる山岳信仰の地。富山県随一のパワースポット「大岩山 日石寺」</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 29 Jun 2023 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/top-7.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>富山県といえば、黒部館山の雄大な山々と美しい富山湾、そして薬売りの文化によって育まれたというガラスのアートが有名。しかし、寺院数が日本で3番目に多いというのは意外と知られていないのではないだろうか。そんな仏教が根付く都市 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/top-7.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>富山県といえば、黒部館山の雄大な山々と美しい富山湾、そして薬売りの文化によって育まれたというガラスのアートが有名。しかし、寺院数が日本で3番目に多いというのは意外と知られていないのではないだろうか。そんな仏教が根付く都市のなかでも、人気パワースポットとして全国から多くの人が訪れる、新川郡上市町の「大岩山 日石寺」を訪れた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">1300年の歴史を誇る真言密宗の大本山「大岩山 日石寺」</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/DSC0379_Atari_-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37722" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/DSC0379_Atari_-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/DSC0379_Atari_-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/DSC0379_Atari_-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/DSC0379_Atari_.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p> </p>



<p>今から約1300年前、725年に創建され、不動明王を本尊としている真言密宗大本山の寺院「大岩山日石寺」。同寺が位置する富山県中新川郡上市町は、東南部に標高2,999メートルの剱岳（つるぎだけ）を主峰とする北アルプスの山々を眼前に望む、豊かな自然と文化が共存する町。剱岳は古くから山岳信仰の山として寺社が身近であり、日石寺もパワースポットとして地元の人たちから親しまれてきた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「大岩のお不動さん」と呼び親しまれてきた寺院の魅力</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/95eea896a870b946d55c4aebfac9d373.jpg" alt="" class="wp-image-37727" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/95eea896a870b946d55c4aebfac9d373.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/95eea896a870b946d55c4aebfac9d373-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/95eea896a870b946d55c4aebfac9d373-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p> </p>



<p>パワースポットとされる理由としてまず挙げられるのは、日石寺のなかに存在する仏像や建造物のバラエティの豊かさではないだろうか。そのひとつ、<strong>国指定史跡であり重要文化財</strong>の「大岩山日石寺磨崖仏（まがいぶつ） 不動明王像」は<strong>北陸一の規模</strong>を誇る石仏。巨大な凝灰岩（ぎょうかいがん）の壁に刻まれた高さ313cmの不動明王像と214cmの二童子像は平安時代後期の作品で、山岳仏教の遺物として知られている。やや前傾に彫られた巨大な不動明王像はまるで、何かを語りかけてくるような迫力がある。</p>



<p>そのほか、<strong>富山県内最古</strong>の三重塔、恋愛成就や子授かりに御利益のある愛染堂（あいぜんどう）、厄除けに御利益のある阿覚窟（あがくくつ）、延命寿命に御利益のある地蔵堂、縁結びに御利益のある夫婦岩など、日石寺にはご利益のある伽藍がたくさんあり、ここ一箇所で参拝客の幅広い願いを引き受けてくれるという点もパワースポットたる所以ではないだろうか。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/9017252dea2d71bf9beac8cd7f1fbbe3.jpg" alt="" class="wp-image-37731" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/9017252dea2d71bf9beac8cd7f1fbbe3.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/9017252dea2d71bf9beac8cd7f1fbbe3-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/9017252dea2d71bf9beac8cd7f1fbbe3-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/312cc498c0f61ad82e40c32018e2b0f1-1.jpg" alt="" class="wp-image-37732" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/312cc498c0f61ad82e40c32018e2b0f1-1.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/312cc498c0f61ad82e40c32018e2b0f1-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/312cc498c0f61ad82e40c32018e2b0f1-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p> </p>



<p>本堂向かって左奥には御霊水「藤水（ふじみず）」があり、これは<strong> “とやまの名水66選” </strong>に選ばれている。藤の木から湧き出ているため藤水と呼ばれ、眼にご利益のある御霊水としても有名。今から300年ほど前、目の不自由な百姓が、夢で「日石寺の藤の木の根のところから湧き出ている水で目を洗うといい」というお告げを受け、早速その水で目を洗ったところ、たちまち目が開いたという話が「越中旧事記」に記されているのだそう。</p>



<p>そんな逸話もあり、<strong>加賀藩には“名医は多いが眼医者がいない”と言われるのは、大岩のお不動さんが目を治してくださるからだ</strong>、とも言われている。藤水は無料で汲むことができ、毎日多くの人が訪れている。ちなみに、この水を汲み取るときは不動明王の真言を唱えると<strong>より</strong>良いと言われているので、ぜひ試してほしい。</p>



<h2 class="wp-block-heading">五感で、身も心も清める本格的な「滝行」体験</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/ed7963173e9369e4e4ec086f63573a9e.jpg" alt="" class="wp-image-37735" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/ed7963173e9369e4e4ec086f63573a9e.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/ed7963173e9369e4e4ec086f63573a9e-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/ed7963173e9369e4e4ec086f63573a9e-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p> </p>



<p>山岳信仰や修験道の名残から、滝行をはじめ、写仏体験や八十八箇所霊場巡礼、護摩祈祷見学など、さまざまな<strong>修行体験</strong>が行われていることでも有名な日石寺。本堂のすぐ横にある六本滝では白装束に身を包み、仏の教えで眼根、耳根、鼻根、舌根、身根、意根を総じた「六根」によって生じる欲望「六欲煩悩（ろくよくぼんのう）」を洗い落とし、心身を清める。ここならではの厳かで非日常的な滝行体験は、よりパワースポットとしての効果を高めてくれるだろう。ちなみに、滝が流れ落ちる6つの竜頭は地、水、火、風、空、識を現しており、人々の六根を清浄するという意味が込められているという。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/DSC0392_Atari_-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37736" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/DSC0392_Atari_-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/DSC0392_Atari_-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/DSC0392_Atari_-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/DSC0392_Atari_.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p> </p>



<p>日石寺は約1300年の長い歴史を積み重ねて現在に至るが、当然その間には火災などの様々な困難にも遭っている。しかし、現在に至るまで不動明王磨崖仏が完全な姿を保っているのは、その時代ごとに新しい知恵や技術を取り入れてきたからではないかと住職を務める中田弘乘（なかたこうじょう）さんは話す。</p>



<p><strong>「お寺こそ、新しい物に対する知識をしっかり学習し、先人の技術との比較をした上で、ひとつの考えに執着せず、さまざまな物の考え方をしていかねばなりません。これからも、そのような考え方を排除せずに、その時代にあったお寺にしていこうと考えています。」</strong> 心身ともに清められるパワースポットとして、現代の人たちに親しまれる日石寺。そもそも“パワースポット”という言葉自体、古くからあるものではなく、潮流やメディアが作り上げたもの。それを求めて日石寺を訪れる参拝客には、宗派はもちろん、宗教的な偏りすらないだろう。しかし、これが現代の参拝のスタンダードならばそれも良し。もちろん、修験道に倣って滝行に訪れるのも良い。ダイバーシティが謳われている現代だからこそ、多様性を持って人を迎える場所となることが、住職の言う<strong> “その時代にあったお寺” </strong>なのだろう。喧騒を離れ、心安らぐ時間をここで過ごしながらパワーを充電してみてはいかがだろうか。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/37713/">古くから親しまれる山岳信仰の地。富山県随一のパワースポット「大岩山 日石寺」</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>親鸞800年の教えを紡ぐ三重県初の国宝建造物、「高田本山専修寺」/三重県津市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 19 May 2023 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/top-2.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>三重県で最も有名な神社仏閣といえば伊勢神宮だが、同社は国宝ではない。じつは県内で国宝に指定されている建造物はふたつ。そのいずれも県庁所在地である津市にある浄土真宗高田派の総本山･専修寺にあることをご存知だろうか？ また、 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/top-2.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>三重県で最も有名な神社仏閣といえば伊勢神宮だが、同社は国宝ではない。じつは県内で国宝に指定されている建造物はふたつ。そのいずれも県庁所在地である津市にある浄土真宗高田派の総本山･専修寺にあることをご存知だろうか？ また、それらふたつの国宝建造物に加え、国宝の法宝物や国指定の重要文化財も数多く有する専修寺。その歴史と魅力について紹介していく。<br></p>



<h2 class="wp-block-heading">親鸞と高田本山専修寺の歩み</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7415-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37088" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7415-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7415-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7415-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7415.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>「阿弥陀如来の力を信じ、『南無阿弥陀仏』と念仏を唱えることですべての人は極楽浄土へ往生することができる。」</p>



<p>今から約800年前、<strong>親鸞（しんらん）</strong>によって開かれた浄土真宗の教えだ。 現在、浄土真宗は信者数1000万人、宗派は十派に分かれ、日本で最も多くの信者数を誇っている。</p>



<p>その中の一派、「真宗高田派」は三重県の中ほど、津市一身田町に本山を構える。それが「高田本山専修寺(せんじゅじ)」だ。</p>



<p><strong>三重県初の国宝建造物</strong>を有し、津市の観光名所にもなっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">浄土真宗を開いた親鸞上人</h2>



<p>親鸞は1173年、京都の日野の里（現在の京都市伏見区）に生まれた。</p>



<p>時は平安時代末期、人々は戦乱や災害、疫病や飢饉により苦しい生活を強いられた。心の拠り所として加持祈祷（かじきとう）が盛んに行われていたが、農民や一般民衆には高額な祈祷料の支払いや厳しい修行をする余裕もない。</p>



<p>そんな中で人々の心を救ったのは、念仏を唱えるだけで極楽浄土へ阿弥陀如来様が導いてくれる「専修念仏」という教え、<strong>法然上人が開いた浄土宗</strong>だった。</p>



<p>9歳の時に出家して以降、約20年以上にわたって修行や勉学に励んだが、なかなか悟りの道を見出すことができずにいた親鸞は、法然の元を尋ね、<strong>浄土宗の門下</strong>となる。</p>



<p>しかし、それから6年が経った1207年、後鳥羽上皇の命により専修念仏を説いていた京都の僧侶たちは捕えられ、専修念仏の禁止が通達されてしまう。</p>



<p>修行を必要としない浄土宗の異端さは、他の仏教勢力からの弾圧を引き起こしていた。さらには法然の弟子である住蓮（じゅうれん）、安楽（あんらく）が後鳥羽上皇が寵愛していた女官たちと密通し、上皇の留守中に彼女たちが出家してしまったことにより、後鳥羽上皇の逆鱗に触れてしまったのである。</p>



<p>捕えられた11名のうち、7名は流罪、残る4名は死罪となる。</p>



<p>宗祖である法然は讃岐（現在の香川県）へ、その愛弟子であり、教えに傾倒する熱心な浄土宗門下であった親鸞は、越後（現在の新潟県）へと流されてしまう。</p>



<p>それから5年後、2人は赦免されるが、さらに1年後に法然が亡くなってしまう。法然との再会を待ち望んでいた親鸞であったが、法然の死を知ったため京都へは戻らず、越後で2年を過ごす。</p>



<p>その後、常陸（茨城県）の稲田を中心に20年に渡って関東に教えを伝えていくのであった。</p>



<p>そして1224年、親鸞の教えが全て書かれた「教行信証（きょうぎょうしんしょう）」の完著により、<strong>浄土真宗が立教</strong>されたと伝えられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">高田本山専修寺の歴史</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7464-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37089" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7464-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7464-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7464-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7464.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>関東各地に布教を続けていた親鸞は、仏教において”太陽・月・星”を意味する三光天子のひとつで菩薩の一尊である虚空蔵菩薩の化身で、金星を仏格化した明星天子の夢告を得て<strong>栃木県真岡市高田</strong>に寺院を健立する。<br></p>



<p>その寺こそが、専修寺と呼ばれるものだった。</p>



<p>真岡市高田に建てられた専修寺は本寺と呼ばれ、そこを中心に活動した教団が<strong>高田派 </strong>として知られるようになる。</p>



<p>さらに第10代である<strong>真慧（しんね）</strong>の代になると、その勢力を大きく拡大していくのであった。</p>



<p>真慧は東海・北陸方面へと教化を拡げていき、三重県津市一身田（いっしんでん）にも専修寺を健立。</p>



<p>あくまで伊勢国内の中心寺院として建てられた一身田の専修寺であるが、1522年に<strong>栃木の本寺が兵火によって炎上</strong>したため、次第にこちらの専修寺に高田派では、浄土真宗を開いた親鸞に次いで徳が高いとされる歴代上人が居住するようになり、1550年前後に本山として定着した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">専修寺を彩る数々の見どころ</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7422-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37092" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7422-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7422-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7422-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7422.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>高田本山専修寺は<strong>東京ドーム約2個分</strong>と広大な境内を誇り、年間約30万人もの人が参拝に訪れる。国宝のお堂2棟は中に入ることができるため、間近でその様相を見られる。</p>



<p>もともとは現在の1/3程度の大きさだったが、1635年に専修寺15代堯朝上人のもとに、伊勢津藩初代藩主･藤堂高虎公の長女･糸姫が嫁ぎ、専修寺と藤堂家が姻戚関係になり、深いつながりになったことで次第に敷地が拡がったのだという。</p>



<p>広い境内には、国宝建造物である「御影堂」と「如来堂」が並び、宝物館には親鸞の直筆書物や、国宝に指定される「西方指南抄（さいほうしなんしょう）」と「三帖和讃（さんじょうわさん）」が収められている。</p>



<p>ここだけで4つの国宝を見ることができるというのだから、専修寺の歴史的価値は相当なものだ。</p>



<p>御影堂の裏手には、”中ノ島をもつ北寄りの池庭”と”二つの小島をもつ南の池庭”を折れ曲がった配置とし、中央の細い流れをもってつないでいる池泉回遊式（ちせんかいゆうしき）の庭園、<strong>「雲幽園（うんゆうえん）」</strong>も造られている。</p>



<p>また雲幽園の中には、千利休の長男である道安と、織田信長の弟であり国宝の茶室「如庵」の作者でもある織田有楽斎の合作とされる茶室「安楽庵」が建つ。</p>



<p>専修寺は高田派の本山として厳かに、そしてきらびやかに歴史を繋いでいるのである。</p>



<h3 class="wp-block-heading">三重県初の国宝建造物、「御影堂」と「如来堂」</h3>



<p>境内の中核をなすのは、2017年に<strong>三重県初の国宝</strong>に指定された「御影堂」と「如来堂」だ。</p>



<p>御影堂は純和様建築であり、質素だが落ち着いた外観を醸し出している。全国の国宝木造建築の中でも5番目と、非常に大きな堂なのである。屋根の端部分全体を銅板張りとし、屋根と壁の間にある破風板は金色に輝く五七桐紋の金具を貼りつけることで落ち着いた重厚感を感じさせる。江戸幕府御用大工が好んだ構造をしていることから、お堂の棟梁と江戸幕府の関係が良好であったことが推測される。</p>



<p>また、堂内は段差があり、中陣と広大な外陣を持つ真宗寺院ならではの規格だが、本願寺系の本堂とは大間が横長になっている点・両余間の床が奥寄りのところで一段高くなっている2点で異なる。これらの影響により、この後の高田派寺院建築の特徴となった。その御影堂の西に位置するのが、如来堂だ。</p>



<p>建築面積は御影堂に比べるとおよそ半分程だが、阿弥陀如来の仏殿にふさわしい華麗な建築となっている。面積こそ御影堂より小さいものの、屋根を二層にすることで棟の高さは御影堂とほぼ等しくなっており、本堂としての威厳が示されている。そのため外観は二階建てのように見えるが、下層の屋根は裳階（もこし）と呼ばれる三種の庇（ひさし）になっている。</p>



<p>また、上層の屋根の軒は″詰組（つめぐみ）″と呼ばれる唐様の建築手法によって建立されている。象・龍・獏の彫刻がみられることや、中国の故事に基づいた人物の彫刻が組み入れられるなど、実に手の込んだ精巧な建築物となっている。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7366-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37095" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7366-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7366-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7366-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7366.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<h3 class="wp-block-heading">親鸞直筆の2つの書物</h3>



<p>1962年、親鸞の生誕700年を記念し、天観室と収蔵室の二棟の宝物館が建造された。</p>



<p>特に厳重な防湿構造となっている収蔵室には、親鸞の恩師法然の遺文集で、現存する最古の書物である<strong>「西方指南抄（さいほうしなんしょう）」</strong>と親鸞が生涯に撰述した和讃 <strong>「三帖和讃（さんじょうわさん）」</strong>という親鸞直筆の2点の<strong>国宝書物</strong>が収蔵されている。</p>



<p>「西方指南抄」は上中下の3巻からなり、親鸞の師匠である法然の法語・消息などが記された書物だ。「三帖和讃」は「浄土和讃」「浄土高僧和讃」「正像末法和讃」の三帖からなっており、日本の言葉で菩薩や高僧の徳をたたえた讃歌となっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">美しい35種の蓮</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7455-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37098" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7455-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7455-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7455-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/290A7455.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p><strong>蓮の花の名所</strong>としても名を馳せる専修寺。</p>



<p>35種類100鉢以上が咲き競うその景色を見に、毎年夏には多くの人が見学に訪れるという。蓮は、極楽浄土に咲く花とされているが、同時に人間を表しているともされているとも言われている。泥の中のレンコンから育ち、水面より上に茎を伸ばして花を咲かせる蓮だが、水面から上はいっさい“泥”という印象を感じさせることなく美しい。</p>



<p>「この泥は、私たち人間が煩悩(妬んだり、怒ったり、羨んだりする心)を持ちながら、生きている現世(社会)を表しております。その泥を生き抜いて、往生(死を迎える）すると、阿弥陀如来様の本願力により仏弟子となり救われていき蓮の花のように綺麗な花を咲かせますが、そのためには泥がないと育ちません」と、専修寺の住職は話してくれた。</p>



<p>専修寺を訪れた際には、その美しくも力強く咲き誇る蓮を見て、これまでの自分を振り返ってみるのも良いかもしれない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/37074/">親鸞800年の教えを紡ぐ三重県初の国宝建造物、「高田本山専修寺」/三重県津市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>江戸の姿が残る世界遺産「姫路城」／兵庫県姫路市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 18 Apr 2023 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/02/11770_main.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>山陽の要所に佇む姫路城の歴史 現在、国宝に指定されている城は4つ。長野の松本城、滋賀の彦根城、愛知の犬山城、そしてもう1つがここ兵庫の姫路城だ。城といえば戦国時代かと思いきや、姫路城の歴史は14世紀、南北朝時代にまで遡る [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/36249/">江戸の姿が残る世界遺産「姫路城」／兵庫県姫路市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/02/11770_main.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">山陽の要所に佇む姫路城の歴史</h2>



<p>現在、国宝に指定されている城は4つ。長野の松本城、滋賀の彦根城、愛知の犬山城、そしてもう1つがここ兵庫の<a href="https://www.city.himeji.lg.jp/castle/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">姫路城</a>だ。城といえば戦国時代かと思いきや、姫路城の歴史は14世紀、南北朝時代にまで遡る。<br><span class="swl-marker mark_yellow">1333年に護良親王の命を受けた赤松則村が、京に兵を進める途上で姫山に築いた砦が、姫路城の始まりであるらしい。</span></p>



<p>山陽道上に位置している姫路城は、室町、戦国、江戸時代を通じて、西国統治の最重要拠点として大きな役割を果たした。戦国時代には、中国攻略のために羽柴秀吉が居城し、江戸時代には姫路藩の藩庁として池田氏や本田氏など多くの譜代大名が入城した。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/02/11770_img01.jpg" alt="" class="wp-image-11898" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/02/11770_img01.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/02/11770_img01-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">世界文化遺産にも登録された姫路城</h2>



<h3 class="wp-block-heading">国内外から多くの人が訪れる観光地</h3>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">白く塗られた壁が、白鷺（しらさぎ）の羽ばたく美しい姿にも見えることから、「白鷺城」との別名もある姫路城。</span>その現在の姿がほぼ完成したのは、江戸幕府が開幕されてすぐのこと。関ヶ原の戦いでの功績が認められて姫路城に入城した池田輝政の大改築による。江戸時代からの天守が現存している城は、いまやたった12城しかない。<br>姫路城は、その後も大きな戦にまみえることもなく、当時の天主がいまに残る貴重な城のひとつである。ちなみに、<span class="swl-marker mark_yellow">第二次世界大戦では、姫路城にも焼夷弾が落とされたが、それが奇跡的に不発だったという。</span></p>



<p>現在、<span class="swl-marker mark_yellow">姫路城はユネスコ世界遺産にも登録され、国内外から多くの観光客が訪れる。</span>江戸の姿のまま、現在の世を見下ろしている城。城好きならずとも、大きな青い空に浮かぶその美しい姿には、息をのむこと間違いないだろう。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/02/11770_img02.jpg" alt="" class="wp-image-11899" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/02/11770_img02.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/02/11770_img02-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>

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					<span class="p-blogCard__caption">NIHONMONO &#8211; 「にほん」の「ほんも&#8230;</span>
					<div class="p-blogCard__thumb c-postThumb"><figure class="c-postThumb__figure"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/02/11772_main.jpg" alt="" class="c-postThumb__img u-obf-cover" width="320" height="180"></figure></div>					<div class="p-blogCard__body">
						<a class="p-blogCard__title" href="https://nihonmono.jp/article/11772/" target="_blank" rel="noopener noreferrer">いぶし銀に輝く瓦「光洋製瓦」／兵庫県姫路市 &#8211; NIHONMONO</a>
						<span class="p-blogCard__excerpt">強く美しい「いぶし瓦」 「光洋製瓦」のある姫路市船津町周辺は、溶質の粘土が多い土地。その特性を活かして、古くか</span>					</div>
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		<title>かの葛飾北斎の傑作を仰ぎ見る、栗の町長野県小布施町の「岩松院」/長野県小布施町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 22 Mar 2023 01:00:14 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/main-2.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>長野県上高井郡の人口一万人ほどの小さな町に、一度は訪れるべき寺院がある。栗を使った菓子などで有名な小布施町にある曹洞宗の寺「岩松院（がんしょういん）」だ。江戸時代に一世を風靡した浮世絵師葛飾北斎の傑作が見られるこの寺には [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/main-2.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>長野県上高井郡の人口一万人ほどの小さな町に、一度は訪れるべき寺院がある。栗を使った菓子などで有名な小布施町にある曹洞宗の寺「岩松院（がんしょういん）」だ。江戸時代に一世を風靡した浮世絵師葛飾北斎の傑作が見られるこの寺には、四季を通じて多くの観光客が訪れている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">観光や栗を使った菓子処で人気の小布施町</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5706_2400-sRGB-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-35879" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5706_2400-sRGB-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5706_2400-sRGB-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5706_2400-sRGB-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5706_2400-sRGB.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>岩松院のある小布施町は、スキーなどでも有名な白馬村と同じ長野県北部に位置し、県内で最も面積の小さい自治体ながら、歴史や古い文化を色濃く残している。美しい街並みと、そこに軒を連ねる<strong>特産品の栗を使った菓子処が人気を博しており、県内有数の観光地</strong>としても知られている。この岩松院も、そんな小布施町の観光名所のひとつとして、シーズンには連日、観光バスが押し寄せる。<br></p>



<h2 class="wp-block-heading">小林一茶が自身と重ねた句を詠んだ舞台「岩松院」</h2>



<p>「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり」。これは信濃国（現在の長野県）出身で、松尾芭蕉や与謝蕪村と並んで江戸時代を代表する俳人と言われた小林一茶の句。痩せた小さな蛙が、体格の良い蛙と異性の蛙を巡って争う様子を詠んだもの。<strong>一茶が自分自身の置かれた境遇に重ね、自身を鼓舞するために詠んだ句</strong>とも言われている。この句の舞台となった池があるのが岩松院だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">岩松院の歴史</h2>



<p>1472年に開基したこの寺院は、火災による二度の焼失など、幾多の変遷を経て現在に至る。豊臣秀吉の腹心で「賤ヶ岳七本槍」の一人としても知られる戦国武将・福島正則の先祖代々の墓があるお寺、菩提寺（ぼだいじ）としても有名だ。</p>



<p>元々、豊臣側の家臣だった福島正則が、徳川側に与（くみ）するようになってしばらく経った1619年、武家諸法度に抵触したとして、当時領主を務めていた広島藩の領地を没収、今で言うところの左遷に近い減転封（げんてんぽう）という刑罰で信越地方に領地を移された。その際、禅の信仰にあつかった福島正則が転封先の菩提寺に定めたと言われている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">観光客の目当ては葛飾北斎の傑作</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5718_2400-sRGB-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-35880" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5718_2400-sRGB-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5718_2400-sRGB-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5718_2400-sRGB-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5718_2400-sRGB.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>ここを訪れる<strong>観光客の目当ては、大間の天井に描かれている「八方睨み鳳凰図」</strong>だ。これは、富嶽三十六景など多くの名作を世に残した浮世絵師･葛飾北斎の作品。北斎が晩年、小布施町に滞在していた際に手掛けたものだ。当時88歳だった北斎は、かつて江戸で知り合い、縁のあった小布施の豪商・高井鴻山（たかい こうざん）全面援助のもと、実娘で浮世絵師の葛飾応為（かつしか おうい）や職人たちの力を借りて、約1年かけてこの画を完成させた。<br></p>



<p><strong>天井一面に描かれた巨大な鳳凰図は北斎作品のなかでも最大</strong>と言われ、今にも動き出しそうな躍動感のある力強いタッチと、完成後は一度も塗り替えを行っていないというのが信じられないほど鮮やかな色彩は見る人を魅了する。しかし全国的には寺院の天井に描かれている聖獣といえば「龍」のイメージが強いのではないだろうか。</p>



<p>では、なぜ岩松院では鳳凰なのか。</p>



<h3 class="wp-block-heading">岩松寺を守る住職、渡辺正巳さんの考える「八方睨み鳳凰図」</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5770_2400-sRGB-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-35883" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5770_2400-sRGB-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5770_2400-sRGB-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5770_2400-sRGB-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/c_DSC5770_2400-sRGB.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>住職の渡辺正巳さんに聞けば、文献などには残っていないから正確なことは言えないが、この作品の制作を北斎に勧めた人物であり、プロジェクト最大の協力者である高井鴻山の当時の思考にヒントがあると言う。高井鴻山は、“世の中に常は無く、変化し続けている”という意味を持つ仏教用語の「無常」を、その当時の世に強く感じていた。それを汲み取った<strong>北斎が、「無常」という言葉の対となる「永遠なるもの」を表現</strong>する「鳳凰」を描いたのではないかと考えている。あくまで渡辺さんの想像ではあるが、想像通りだったとすれば、北斎と孫ほどの年の差があった高井鴻山との間に築かれた信頼関係の強さと、それが長野県に世紀の超大作を残すこととなったドラマに胸が熱くなる。<br></p>



<h2 class="wp-block-heading">住職渡辺正巳さんと岩松院</h2>



<p>住職歴は今年で8年目となる渡辺さん。住職になるまでの14年間は、サラリーマンをしていた。大学も経済学部出身。特に仏教を専攻して学んでいたわけではない。ただ、母親の実家がこの岩松院だったため、小さい頃から禅に慣れ親しんでおり、興味は持っていた。<br>その興味をより深めたのがサラリーマン時代に経験したバックパッカー旅。キリストやイスラム圏を訪れる中で、様々な宗教に触れ、改めて仏教や自身のルーツである禅について考えるきっかけになった。こうして、岩松院の住職となった現在は、仏門に入るまでの社会人経験、時には旅人として見てきた様々な経験を生かし、何百年も続く禅の文化に倣いつつも自分なりの解釈も加えた説法を説いていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/35871/">かの葛飾北斎の傑作を仰ぎ見る、栗の町長野県小布施町の「岩松院」/長野県小布施町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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