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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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		<title>エンジニアから蔵元へ。異例の転身で「京ひな」の名を受け継ぐ「酒六酒造」武知直之さんの挑戦／愛媛県内子町</title>
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		<pubDate>Sun, 18 Oct 2026 09:54:39 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku008.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>江戸時代には植物性の天然ロウ「木蝋（もくろう）」で栄え、今も伝統的な町並みが残る愛媛県内子町（うちこちょう）に、100年以上にわたり酒を醸し続ける蔵がある。大正9年（1920）、複数の小規模酒蔵が集まり誕生した「酒六（さ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku008.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>江戸時代には植物性の天然ロウ「木蝋（もくろう）」で栄え、今も伝統的な町並みが残る愛媛県内子町（うちこちょう）に、100年以上にわたり酒を醸し続ける蔵がある。大正9年（1920）、複数の小規模酒蔵が集まり誕生した「酒六（さかろく）酒造」。「京ひな」のブランドで知られる老舗酒蔵だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">地域の酒蔵が集い、「京ひな」が誕生 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku003.jpg" alt="" class="wp-image-55405" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku003.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku003-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku003-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>江戸時代後期から明治にかけて、木蝋の生産で栄えた内子町。その繁栄を今に伝える白壁の街並みは、国の伝統的建造物群保存地区に選定されている。</p>



<p>そんな歴史情緒薫る町に蔵を構える「酒六酒造」のルーツは、江戸時代までさかのぼる。</p>



<p>小田深山渓谷（おだみやまけいこく）からの良質な水と、中山間部の気候条件が古くから酒づくりに適していたことから、当時、大洲藩だったこのエリアには10数件の酒蔵が存在していた。そのうちの8軒が一緒になり、大正9年（1920）に新工場を建てたのがきっかけだ。旧内子町、五十崎町（いかざきちょう）（現在の内子町）、大洲市（おおずし）の酒蔵が合併し、喜多酒造株式会社として創業した。</p>



<p>「一つひとつは酒造家と呼ばれるほどの小さな蔵でしたから、集まってある程度の規模で酒づくりをやろうという流れになったのではないでしょうか」と話すのは、現蔵元の武知直之さん。</p>



<p>昭和16年（1941）には、県内の八幡浜（やわたはま）で綿織物業を営んでいた酒井繫一郎が蔵を買収し、「酒六酒造」を創立。創業時から続く代表銘柄「京ひな」を受け継いだ。その由来は、京都の名僧にふるまった酒が高く称賛され、その日がひな祭りであったことにちなむという。</p>



<p>「蔵に残っている看板を見ると、喜多酒造の頃は漢字表記の『京雛』（きょうびな）でした。それがいつからか『京ひな』に変わっていったのです。濁酒ではなく清酒を醸す酒蔵ですから濁点をやめたという意図があったのではないかと思います」と武知さんは話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">風土の食文化に寄り添う </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku012.jpg" alt="" class="wp-image-55406" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku012.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku012-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku012-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>瀬戸内の海の幸に恵まれた愛媛では、鯛や白身魚を中心に、素材を生かした料理が並ぶ。<br>「田舎の料理って足し算じゃなくて引き算なんです。素材の味をシンプルに楽しむ。そんな風土の食に合うように、うちのお酒はちょっと辛口でキレがいい。主役ではなく、黒子として食卓を引き立てる。そういうお酒が自分は好きですし、もともと京ひなの味もそうだったんです」と武知さん。</p>



<p>酒六酒造の酒は、食事とともに時間を楽しむ名脇役として愛されてきた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「京ひな」の名を守り継ぐ、武知さんの挑戦 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku007.jpg" alt="" class="wp-image-55407" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku007.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku007-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku007-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>武知さんは、もともと酒六酒造の跡取りではない。先代・酒井冨士夫さんの娘である美佳さんと夫婦になった縁から、蔵を引き継ぐことになったという。</p>



<p>大学を卒業後、東京の電機メーカーに勤め、エンジニアとして充実したサラリーマン生活を送っていた武知さん。そんな折、美佳さんと出会い結婚。彼女の実家が酒蔵だと知っていたが、当時は蔵を継ぐ予定など全くなかった。</p>



<p>だが、転機は突然訪れた。<br>「2010年に先代の義父が急逝しまして、親族で話し合った結果、もう僕たち夫婦が継がないと廃業してしまうということになりまして。それで一肌脱げるなら脱いでみようかということで…。正直、そのときは酒づくりの大変さをわかってなかったんです」と振り返る。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku026.jpg" alt="" class="wp-image-55408" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku026.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku026-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku026-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>酒六酒造では、西宇和郡伊方町（にしうわぐんいかたちょう）を発祥とする伊方杜氏を招き、伝統技術に基づく酒づくりを行ってきた。酒六酒造の代表に就いた武知さんは、彼らに学び、寝食をともにして技術を学んだ。</p>



<p>「とても優秀な伊方杜氏さんがいてくださったことが大きかったですね。先代からの従業員の方々と一緒に、なんとか頑張って『京ひな』を残していこう、という思いで今があります」</p>



<p>先代が大切にしていたのは、大量生産ではなく、品質を追求する手仕事の酒づくり。その姿勢を踏襲し、自らも酒づくりを担うようになった武知さん。その柔軟な姿勢とエンジニアとしての合理性が、蔵を継続に導いたといえるだろう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">継承と革新のはざまで</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku037.jpg" alt="" class="wp-image-55409" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku037.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku037-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku037-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>酒六酒造のメインブランドは「京ひな」。その下にサブブランドとして「一刀両断」や「吹毛剣（すいもうけん）」などの個性ある銘柄が名を連ねる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku009.jpg" alt="" class="wp-image-55410" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku009.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku009-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku009-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>看板は、純米大吟醸辛口「一刀両断」。原料米には愛媛県産の山田錦と松山三井を使用している。精米歩合は50％。磨き上げた米の旨味が口に広がり、後味はすっと切れる。辛口でクリアな味わいながら、ほのかに米の甘みも感じ、飲み飽きしないと評判だ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku011.jpg" alt="" class="wp-image-55411" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku011.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku011-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku011-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>さらに、大吟醸辛口「幸三郎（こうさぶろう）」、純米大吟醸「隠し剣（かくしけん）」、純米吟醸「内子座（うちこざ）」などの個性豊かな銘柄を展開。特に「内子座」は、大正5年（1916）に建てられた芝居小屋・内子座の創建100周年を記念して誕生し、愛媛独自の酵母を用いた意欲作だ。2024年には「SAKE COMPETITION」金賞、「IWC（International Wine Challenge）」SAKE部門、純米酒部門でも銀賞に輝いた。</p>



<p>「お客様が大切な人と食卓を囲み、語らう。そんな時間をつくるパーツのひとつに、うちの酒がなれたら嬉しいですね」。そんな武知さんの思いが通じ、「京ひな」は、海鮮系の居酒屋や焼き鳥屋などからの引き合いも多く、和洋の垣根を越えて幅広い食シーンに寄り添っている。</p>



<p>「ブランディングで悩むところはありますが、義父が築き上げてきたものを守りたいという思いがあり、これらの銘柄は大切に引き継いでいます」。</p>



<p>実は、先代の酒井冨士夫さんは若い頃、東京で映画俳優を目指していた。東宝ニューフェイスの13期だった。</p>



<p>「昔の写真を見るとすごくいい男なんですよ。俳優を引退して帰郷し、家業の酒蔵を継いだそうなんですが、自分にはないセンスの良さがあって。日本酒といえば男性というイメージが強かった頃から、女性が手に取りやすい酒づくりに注力していました。華やかな色のビンにしたり、ネーミングを工夫したり。当時としてはとても斬新なことに挑戦していたと思います」。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku036.jpg" alt="" class="wp-image-55412" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku036.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku036-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku036-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>武知さんは創業時からの木造蔵での手づくりにはこだわりつつ、エンジニアの経験を生かして効率化や設備投資を推し進めた。限られた人員でも安定した品質を保つために機械化を図り、一方で官能評価やもろみの管理など人にしかできない作業にはしっかりと集中できる仕組みを整えたのだ。</p>



<p>「いい酒を作るには手間がかかりますが、かけすぎて蔵が続かなくなるのは本末転倒。品質と経営のバランスを大事にしています」<br>その結果、300石規模の小さな蔵ながらも、中高価格帯の商品で安定した市場を築き、県内外に販路を広げている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">人と人との縁を大切に</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku006.jpg" alt="" class="wp-image-55413" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku006.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku006-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku006-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>酒六酒造の販売スタイルは、昔ながらの顔が見える特約店制。問屋経由ではなく、酒屋との信頼関係を重んじてきた。酒屋からの叱咤激励を糧にしながら歩んできた歴史が、今も生きている。</p>



<p>「酒屋さんから、ときに厳しいアドバイスをいただくこともありますが、はっきり言ってもらえるのはありがたいんです。商いは、やはり人と人とのご縁ですよね」と武知さんは語る。</p>



<p>東京時代の人脈を生かし、試飲会や酒の会を開くなど、蔵元自ら顧客との接点を増やしてきたことも大きい。小さな蔵だからこそ、顔の見える関係性で信頼を築いている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">次の100年を見据え、未来への課題と展望 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku020.jpg" alt="" class="wp-image-55414" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku020.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku020-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku020-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一方で課題もある。老朽化した蔵の建て替え、後継者問題、持続可能な経営体制の構築。酒造りは伝統産業でありながら、経営的な視点を欠かすことはできない。</p>



<p>武知さんは「いい蔵」についてこう語る。<br>「従業員も含めて、ちゃんと食べていける会社であること。100年続いてきた酒蔵の歴史を途絶えさせることなく、次の100年へとつなげていくためには、利益を出し、働く人が誇りをもって続けたいと思える環境をつくる。それが自分の役割です」</p>



<p>その言葉には、経営者としての冷静さと、酒づくりに携わる者としての情熱が込められている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku046.jpg" alt="" class="wp-image-55415" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku046.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku046-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku046-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「日本酒は絶対になくならない文化だと思っていますが、ただ厳しい状況なのは事実。各蔵がそれぞれ試行錯誤していますが、淘汰の先に残る酒は、きっと世界に認められるはず」。</p>



<p>エンジニアから蔵元へ。流れに導かれた武知さんの歩みは、偶然でありながら必然でもある。内子町の自然と人の縁に支えられた酒六酒造は、今日も「京ひな」の名のもと、新たな一歩を刻んでいる。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55392/">エンジニアから蔵元へ。異例の転身で「京ひな」の名を受け継ぐ「酒六酒造」武知直之さんの挑戦／愛媛県内子町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>歴史を継ぎ、再び動き出す。二つの家が支えてきた田部竹下酒造濱崎良太さん／島根県雲南市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 30 Sep 2026 04:10:14 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[酒造]]></category>
		<category><![CDATA[日本酒]]></category>
		<category><![CDATA[理八]]></category>
		<category><![CDATA[かけや酒蔵資料館]]></category>
		<category><![CDATA[竹下本店]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_00996__H6A7602.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>島根県の山あいで受け継がれてきた酒造りが、いま再び動き出している。田部家と竹下家、二つの家が繋いできた歴史を背景に、杜氏・濱崎良太さんがこの土地の水と米に向き合いながら、現代の暮らしに寄り添う酒を醸している。 田部家と竹 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_00996__H6A7602.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>島根県の山あいで受け継がれてきた酒造りが、いま再び動き出している。田部家と竹下家、二つの家が繋いできた歴史を背景に、杜氏・濱崎良太さんがこの土地の水と米に向き合いながら、現代の暮らしに寄り添う酒を醸している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">田部家と竹下家、受け継がれてきた酒造り</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01015__H6A7698.jpg" alt="" class="wp-image-55272" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01015__H6A7698.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01015__H6A7698-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01015__H6A7698-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>島根県雲南市掛合（かけや）にある「田部竹下酒造」は、二つの家の歴史の上に成り立つ酒蔵だ。奥出雲でたたら製鉄を担ってきた田部家と、その酒造りを受け継いだ竹下家。そしていま、再び田部家が事業を継承し、この場所で酒造りが行われている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">たたら製鉄とともにあった酒造り</h3>



<p>島根県の奥出雲・吉田町ではかつて、日本古来の伝統的な製鉄であるたたら製鉄が盛んに行われていた。田部家はその頭取を務め、地域の中心として産業を支えてきた存在だった。製鉄には多くの人手が必要で、最盛期には2万人を超える人々が関わっていたといわれる。</p>



<p>たたら製鉄をはじめ、様々な事業を展開していた中の一つに酒造りがあった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">受け継がれ、そして再び戻ってきた蔵</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01009__H6A7661.jpg" alt="" class="wp-image-55273" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01009__H6A7661.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01009__H6A7661-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01009__H6A7661-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>しかし江戸時代末期、火災によって蔵は焼失する。1866年、酒造免許は雲南市掛合（かけや）の竹下家へと譲られ、酒造りはそこで引き継がれることになった。</p>



<p>第74代内閣総理大臣･竹下登の実家でもある竹下家。「竹下本店」としてその後150年以上にわたり酒造りを守り続けたが、2003年に醸造を休止し、桶買いへと切り替わった。</p>



<p>使われなくなった酒蔵は雲南市へ寄贈され、2005年からは「かけや酒蔵資料館」として公開されるようになった。場所としては残りながらも、酒を生み出す場としての役割は一度手放される。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01025_142A1168.jpg" alt="" class="wp-image-55274" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01025_142A1168.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01025_142A1168-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01025_142A1168-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そして2022年、後継者不足という課題に直面した竹下家。そこに事業継承という形で手を差し伸べたのが、かつて酒造免許を託した田部家だった。</p>



<p>二つの家のあいだで受け継がれてきた酒造りの歴史。それを守るべく田部竹下酒造として新たなスタートを切った。</p>



<h2 class="wp-block-heading">杜氏・濱崎良太と、新しい酒のかたち</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01069_142A1380.jpg" alt="" class="wp-image-55275" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01069_142A1380.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01069_142A1380-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01069_142A1380-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そんな田部竹下酒造の杜氏を務めるのは、福岡県出身の濱崎さん。大学では環境微生物について学んでいた。そんなとき、「日本酒はお酒の中で製法が一番難しい」と聞いたのが、日本酒に興味を持ったきっかけだった。</p>



<p>そして酒造りの道へ進んだ濱崎さんは、岡山や愛知の蔵で修行を重ね、現場での経験を積んでいった。</p>



<p>そんな中で出会ったのが、田部竹下酒造の後継者を探すという話だった。「自分の酒造りができるなら、どこへでも行こうと思っていました」その言葉通り、迷いなく島根へ向かうことを決めた。</p>



<p>初めて訪れた掛合は、山に囲まれた静かな土地だった。味噌を手作りする家庭が残るなど、発酵文化が暮らしの中に息づいている場所でもあった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ゼロからの酒造り。目指したのは「山陰の夏の海」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01034_142A0790.jpg" alt="" class="wp-image-55276" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01034_142A0790.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01034_142A0790-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01034_142A0790-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>濱崎さんが蔵を引き継いだとき、この場所ではすでに酒造りは行われていなかった。杜氏は決まっているのに、仕込むための環境が整っていない。まさにゼロからの酒造りだった。</p>



<p>長く使われていなかった蔵を前に、まず取り組んだのは、酒を仕込める状態へと整えること。古い設備の中から使えるものを見極め、残しながら、必要な部分には新たな設備を加えていった。</p>



<p>2022年、ようやく酒造りができる環境が整い、再始動当初は試験醸造を重ねた。酵母や仕込みの条件を探りながら、この土地で目指す酒の輪郭をつくっていく。</p>



<p>その中で濱崎さんが描いたのは、「山陰の夏の海のような透明感のある酒」だった。</p>



<p>そうしてたどり着いたのが「理八」。酒造免許を受け入れた当時の竹下家当主の名を冠し、歴史への敬意を込めた酒だ。</p>



<p>フルーティでクリア、それでいて軽すぎず、飲み続けられる味わい。派手さではなく、日常の中で自然に選ばれる酒を目指している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">酒造りの現場にある感覚</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01050__H6A7847.jpg" alt="" class="wp-image-55277" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01050__H6A7847.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01050__H6A7847-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01050__H6A7847-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>酒造りは、米と水を扱うところから始まる。洗米、蒸し、麹づくり、仕込み、発酵。それぞれの工程が積み重なり、酒の味が決まっていく。</p>



<p>温度や時間の管理はもちろん重要だが、濱崎さんは「あえてデータには頼らない」という。香り、泡の状態、音の変化。そうした細かな違いを五感で捉えながら、重ねた経験を元に酒を醸すことを大切にしている。</p>



<p>夜中に蔵へ足を運ぶこともある。酒は常に変化し続ける存在だからこそ、その動きに付き合い続ける必要があるのだ。</p>



<p>濱崎さんは「お酒を搾った後が本当の酒造り」と話す。酒をつくる工程だけでなく、その後の管理や流通も含めて酒造りは続いていく。そのため田部竹下酒造では、問屋を通さず直接販売を行っている。品質管理と、消費者へ届くまでのスピードを重視した選択だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">次の時代へつなぐ酒造りを</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01072__H6A7925.jpg" alt="" class="wp-image-55278" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01072__H6A7925.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01072__H6A7925-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01072__H6A7925-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そんな田部竹下酒造だが、現在、同市内に約12億円を投じて、新しい蔵を建設中。2027年5月の移転を目指す。新蔵は温度や湿度を完全管理した四季醸造で、高水準で安定した品質の日本酒を年間を通じて供給することができる。2030年9月期までに現在の7倍強の16万1,100リットルまで増やす計画だ。</p>



<p>もちろん規模が変わっても、酒造りの姿勢は変わらない。将来的には、地元の水や米をより深く取り入れ、この土地の中で完結する酒造りも視野に入れている。</p>



<p>今の酒が、50年後も同じ形で求められるとは限らない。それでも、この場所で酒をつくり続けることが、次の世代へとつながっていく。</p>



<p>田部家から竹下家へ、そして再び田部家へ。受け渡されてきた酒造りの時間は、今も続いている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55264/">歴史を継ぎ、再び動き出す。二つの家が支えてきた田部竹下酒造濱崎良太さん／島根県雲南市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>高知の素材と人が醸す、唯一無二のクラフトビール「高知カンパーニュブルワリー」／高知県香美市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 30 Sep 2026 03:58:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[四万十ぶしゅかんエール]]></category>
		<category><![CDATA[日高村フルーツトマトエール]]></category>
		<category><![CDATA[クラフトビール]]></category>
		<category><![CDATA[ブルワリー]]></category>
		<category><![CDATA[龍河洞]]></category>
		<category><![CDATA[和醸]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b132605.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>古くから林業や農業が息づく高知県香美市。この地には、白髪山（しらがやま）を源に土佐湾へ注ぐ一級河川・物部川が流れる。上流の山々から運ばれる清らかな水、扇状地ならではの水はけのよさ、昼夜の寒暖差が大きい内陸気候。そんな恵ま [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55247/">高知の素材と人が醸す、唯一無二のクラフトビール「高知カンパーニュブルワリー」／高知県香美市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b132605.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>古くから林業や農業が息づく高知県香美市。この地には、白髪山（しらがやま）を源に土佐湾へ注ぐ一級河川・物部川が流れる。上流の山々から運ばれる清らかな水、扇状地ならではの水はけのよさ、昼夜の寒暖差が大きい内陸気候。そんな恵まれた環境に魅せられた移住者がブルワリーを立ち上げ、地域とともに唯一無二のクラフトビールをつくっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">大阪から高知へ。「暮らし」に惹かれた移住の始まり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b131708.jpg" alt="" class="wp-image-55253" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b131708.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b131708-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b131708-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>瀬戸口信弥さんが初めて高知を訪れたのは、義兄が高知大学に通っていた縁からだった。</p>



<p>手つかずの自然、身体が喜ぶ食、人情深い人々。そのすべてに心を掴まれ、「まずはこの土地に住みたい」と思ったという。</p>



<p>当時の瀬戸口さんは工業高校から大学院まで理工系学部で学んだエンジニア。電子機器を扱う仕事に携わりながらも、心のどこかで「人生を捧げられる仕事」を探し続けていた。20代後半、迷いと模索の中で出会ったのがクラフトビールだった。</p>



<p>全国のブルワリーを巡り、職人たちの姿勢に触れ、ビールが土地の文化として成立していることを知る。さらにアメリカ・ポートランドで研修を受け、帰国後は島根県の株式会社石見麦酒で1年間修行。「一生つくり続けたいもの」が確かな形を持ち始めた瞬間だった。</p>



<p>クラフトビールは、素材と向き合い、土地と向き合い、人と向き合う仕事だ。瀬戸口さんはその奥深さに魅了され、やがて「自分のビールを、自分の選んだ土地でつくりたい」と強く願うようになった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">地域に支えられた、小さなブルワリーの誕生　</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170350.jpg" alt="" class="wp-image-55254" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170350.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170350-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170350-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高知へ移住して8年後、瀬戸口さんは香美市でブルワリーを開業する。</p>



<p>最初の工房は、地域の人が「ここなら安く貸せるよ」と差し出してくれた古い居抜き物件だった。床を磨き、壁を塗り、設備を自作し、仕込みもすべてひとりでこなす。まさにゼロからのスタートだったが、瀬戸口さんは「この土地でつくる」という決意だけを胸に、黙々と作業を続けた。</p>



<p>やがて新聞やテレビで紹介されると注文が急増。１日２回仕込んでも追いつかず、疲労はピークに達した。</p>



<p>そんな時、「困っちゅうがやろ？」と地域の人が半年もの間、ボランティアでラベル貼りを手伝ってくれた。</p>



<p>移住者である彼を地域が丸ごと受け止めた瞬間だった。瀬戸口さんは「自分はひとりでビールをつくっているのではない。地域と一緒につくっているのだ」と強く感じたという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">高知でしかつくれないビールを。素材を主役に据える哲学</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170714.jpg" alt="" class="wp-image-55255" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170714.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170714-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170714-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>瀬戸口さんのビールづくりの中心には常に「素材」がある。最初に手がけたのは高知産のユズ、棚田米と山椒、土佐文旦だった。</p>



<p>「素材を隠し味ではなく主役にする」という。渋みが出る素材ならビール側の設計で包み込み、香りを立たせたい素材なら発酵温度やホップで輪郭を整える。素材の個性を尊重しながら、ビールとしての調和を生み出す。モルトは現状ドイツ産だが、糖化効率や味の相性を何度も試し、ブレンドを重ねて最適解を探す。</p>



<p>「高知でつくる意味」を素材から逆算して組み立てる姿勢が、ビールに揺るぎない芯を与えている。</p>



<p>瀬戸口さんは「素材の背景まで含めてビールの味になる」と語る。</p>



<p>生産者の想い、土地の風土、季節の移ろい。それらすべてがビールの一部だ。だからこそ、素材を主役に据えることは、高知という土地そのものをビールに封じ込める行為でもある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">コロナ禍で原点回帰「地域限定ビール」の誕生</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-173628.jpg" alt="" class="wp-image-55257" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-173628.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-173628-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-173628-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>順調に成長していたブルワリーを襲ったコロナ禍。売上は半減し、社員を休ませざるを得ない状況に追い込まれた。しかし、この「強制停止」が瀬戸口さんを原点へと立ち返らせた。</p>



<p>「地域のためにビールをつくる」という強い想いが、再び胸に灯った。</p>



<p>こうして「四万十ぶしゅかんエール」「日高村フルーツトマトエール」など地域限定ビールが誕生。新聞掲載をきっかけに県内の道の駅から依頼が相次ぎ、地域コラボビールが次々と生まれていった。</p>



<p>地域の素材を使い、地域の人とつくり、地域で飲まれるビール。</p>



<p>それは単なる商品ではなく、土地の物語を伝えるメディアのような存在だった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">和と洋の発酵文化が交差する「和醸ケルシュ」 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170137.jpg" alt="" class="wp-image-55258" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170137.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170137-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170137-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>瀬戸口さんの工房には、ビール醸造所では珍しい「甑（こしき）」がある。</p>



<p>ここでお米や芋、栗、在来種トウモロコシを「直火」で蒸し、甘酒糖化タンクで48時間かけてグルコースに変える。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-171343.jpg" alt="" class="wp-image-55259" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-171343.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-171343-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-171343-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>さらに、日本酒酵母とビール酵母を掛け合わせた独自の発酵技法「和醸」を考案。</p>



<p>これによって生まれたフルーティーな香りと、すっきりとしたキレのある後味が、ドイツ西部・ケルン地方で伝統的に造られるビールスタイル「ケルシュ」に通じるものがあったため、和醸ケルシュと名付けた。</p>



<p>日本酒酵母の繊細さとビール酵母の力強さが再構成する香りは、料理では決して生まれない発酵の魔法だ。</p>



<p>ホップの代わりに「カヤの実」を使うなど、地域素材を大胆に取り入れた挑戦も続いている。</p>



<p>和と洋の発酵文化が交差するこのビールは、瀬戸口さんの哲学そのものだ。</p>



<p>「土地の素材を使い、土地の水で、土地の人とつくる」。その姿勢が新しい発酵文化を生み出している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">龍河洞の硬水がつくる「抜けの良さ」 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-174124-1.jpg" alt="" class="wp-image-55260" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-174124-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-174124-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-174124-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ブルワリーがある山の上には、日本三大鍾乳洞のひとつ･龍河洞（りゅうがどう）もあるほど、この地域は石灰質な地層をもつ。ブルワリーの井戸水は、この山の水脈を源とするため、1億年以上の時をかけて地底を流れ、ミネラルやマグネシウムを豊富に含んだ中硬水だ。日本の多くのブルワリーが軟水で仕込む中、ここではヨーロッパのエール文化に近い水質で醸造できる。</p>



<p>瀬戸口さんは「水が味の方向性を決める」と語る。</p>



<p>ほどよい硬水は甘み・旨みだけでなく、苦味と渋味の背骨をつくる。香りから後味まで一本の線でスッと抜けていく「抜けの良さ」は、この水が支えている。</p>



<p>龍河洞とも由来を同じくする硬めの水が、高知カンパーニュブルワリーのビールに独特のキレと深みを与え、他にはない個性を生み出している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「分かち合いのビール」。物部川流域ブランド発信！ </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b134117.jpg" alt="" class="wp-image-55261" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b134117.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b134117-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b134117-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>瀬戸口さんの夢は、物部川流域全体をひとつのブランドとして育てることだ。飲食・宿泊・体験を通じて、訪れた人がこの土地の魅力をまるごと味わえる場所をつくりたいと考えている。</p>



<p>その空間に欠かせないのが、同じテーブルを囲み、笑いながら乾杯を分かち合える飲み物である。ビールが好きな人にも苦手な人にも届けられるよう、低アルコールやノンアルコールビールの開発を今後のテーマとしている。</p>



<p>動画制作チームを迎え、素材の背景や生産者の想いを発信していく準備も進む。</p>



<p>感動を共創し、伝える。その理念を胸に、瀬戸口さんは今日も、この土地でしか生まれ得ないビールを醸し続けている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55247/">高知の素材と人が醸す、唯一無二のクラフトビール「高知カンパーニュブルワリー」／高知県香美市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>和歌山の梅を、酒と健康の価値へ。「中野BC」90余年の探究／和歌山県海南市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 17 Aug 2026 08:39:07 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[長久庵]]></category>
		<category><![CDATA[バイオケミカルクリエーション]]></category>
		<category><![CDATA[サワーの素]]></category>
		<category><![CDATA[酒造]]></category>
		<category><![CDATA[梅酒]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/a7977f16a8ed83312134823d1b216c60.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>熊野三山（くまのさんざん）への参詣道として、多くの人が歩いた熊野古道。そのうち、和歌山を南へたどる「紀伊路（きいじ）」は、海南市にある藤白（ふじしろ）地区を通っている。 近くには、旅人が道中で参拝した「熊野九十九王子（く [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/a7977f16a8ed83312134823d1b216c60.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>熊野三山（くまのさんざん）への参詣道として、多くの人が歩いた熊野古道。そのうち、和歌山を南へたどる「紀伊路（きいじ）」は、海南市にある藤白（ふじしろ）地区を通っている。 近くには、旅人が道中で参拝した「熊野九十九王子（くじゅうくおうじ）」のひとつで、特に格式が高いとされた藤白王子の旧跡･藤白神社があり、その境内には、全国の「鈴木さん」のルーツとされる鈴木屋敷が残る。熊野から移り住んだ鈴木一族は、この地を拠点に熊野信仰を全国へ広めたと伝わり、藤白は古くから人や文化が行き交う場所だった。そんな藤白に居を構え、わずか3代で和歌山県トップクラスの生産量へと成長した酒造会社「中野BC」がある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">酒蔵への夢から始まった、挑戦の歴史</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d70e7cef71d3224f35e01531fec77151.jpg" alt="" class="wp-image-55141" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d70e7cef71d3224f35e01531fec77151.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d70e7cef71d3224f35e01531fec77151-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d70e7cef71d3224f35e01531fec77151-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>中野BCの創業は1932年にさかのぼる。代表取締役社長･中野幸治さんの祖父は酒造りへの夢を抱いていたが、当時、酒蔵を始めるには酒造免許の取得に加え、多額の資金が必要だった。そこでまず、「中野醤油店」として醤油造りを始め、事業の礎を築きながら、酒造りに乗り出す時を待った。</p>



<p>「祖父は酒造りへの憧れを胸に抱きながら、まずは醤油事業で足元を固めたそうです」と、中野さんは、簡単にはかなわなかった祖父の夢と、そのために重ねた歳月を静かに振り返る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">時代に寄り添う酒造り</h3>



<p>創業から17年を経た1949年、醤油事業を通じて酒造りに乗り出す基盤が整い、念願の酒造業へと踏み出した。最初に手がけたのは焼酎。日本を象徴する富士山と、蔵を構える海南市藤白（ふじしろ）の名を重ね、「富士白（ふじしろ）」と名付けた。醤油造りで事業の礎を築きながら、長年待ち続けた創業者の夢が、ようやく形になった。</p>



<p>それから9年後の1958年には、日本酒造りへの参入に伴い、「中野酒造」へ社名を変更。今日まで親しまれている銘柄「長久（ちょうきゅう）」が誕生した。県内で62番目の造り酒屋という後発の蔵で、 当初は販売に苦戦したという。それでも、日々の食卓で親しまれる酒を目指し、品質に磨きをかけながら地道にものづくりを重ねてきた。</p>



<p>受け継がれてきた酒造りも、時代とともにその姿を変えている。現在の日本酒が目指すのは、しっかりとしたうま味がありながら、口の中ですっとほどけるような軽やかさ。料理の味を引き立て、飲み進めても重さを感じさせない酒へと、時代の嗜好（しこう）に寄り添いながら酒質を磨き続けている。</p>



<p>やがて、酒造りの領域は梅酒へと広がり、発酵や抽出などの技術を生かした健康食品の開発にも着手した。酒造会社として積み重ねてきた知識を、酒だけにとどめず、新たな分野へと展開していったのである。</p>



<p>その姿勢を社名にも表したのが、2002年の「中野酒造」から「中野BC」への変更だった。「BC」は、「生化学の創造」を意味する「バイオケミカルクリエーション」に由来する。酒類と健康食品の両分野で研究開発を進め、和歌山の素材が持つ力を引き出し、新たな価値へとつなげていく。そこには、創業以来受け継がれてきた探究の精神が込められている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">年間1000ｔ以上の梅と向き合う</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/3a87169e1ca1ce4e887770c1a3e02fa1.jpg" alt="" class="wp-image-55142" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/3a87169e1ca1ce4e887770c1a3e02fa1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/3a87169e1ca1ce4e887770c1a3e02fa1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/3a87169e1ca1ce4e887770c1a3e02fa1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>醤油醸造から酒造りへと歩みを進めた中野BCが、紀州の梅を原料とする梅酒の製造を始めたのは1979年。現在では、梅酒や梅エキス、梅果汁などの梅関連商品が、収益を支える大きな柱となっている。 毎年1000ｔ以上の梅を仕入れ、用途や品種、収穫時期に応じて加工しているという。&nbsp;</p>



<p>品質を磨き続け、1990年には梅酒が世界的な品質審査「モンドセレクション」で金賞を受賞した。&nbsp;</p>



<h3 class="wp-block-heading">収穫の時期で変わる、梅の香りと味わい </h3>



<p>梅酒蔵に足を踏み入れると、目の前に現れるのは、40基を超える巨大なタンク。中では、梅の香りや酸味が酒へとゆっくり溶け込み、時間を味方につけながら、ひとつの味わいへと育っていく。</p>



<p>同じ品種の梅でも、収穫する時期によって香りや酸味、果実の状態は異なるという。</p>



<p>青さが残る早い時期の梅は、爽やかで若々しい香りを生む。一方、太陽を浴びて紅色に染まった梅は、より華やかで豊かな香りを持つ。中野さんは「造りたい梅酒の味わいを思い描き、それに合ったタイミングで収穫された実を選ぶことが重要だ」と話す。</p>



<p>さらに、理想の味わいだけでなく色も表現するために梅の品種も使い分ける。梅の生産量日本一を誇る和歌山県の梅の中でもとりわけ名が知れた「南高梅」だけに頼らない。梅とスモモを交配して作られ、果肉まで赤く色づく「露茜（つゆあかね）」や、果皮が鮮やかな紅紫色をした小梅「パープルクイーン」など品種ごとの特性を追究 。品種や熟成年数の異なる原酒を、ワインのブレンドのように組み合わせる「アッサンブラージュ梅酒」 の開発にも取り組んでいる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">梅の個性を引き出す、時間と技術 </h3>



<p>基本となる梅酒は、梅、砂糖、ホワイトリカーをタンクに入れて仕込む。</p>



<p>仕込みから半年ほどたったところで梅の実を取り出し、さらに時間をかけて熟成。梅に由来するえぐみが落ち着き、香りや酸味、甘みが調和した梅酒へと育てていく。中には10年以上熟成させた原酒も保管されているそうだ。</p>



<p>梅酒は甘い酒という印象を持たれやすい。しかし、ただ甘くするだけでは飲み飽きてしまう。甘みを支える酸味や、後味を引き締める要素をどのように設計するか。そのバランスに、造り手の経験と技術が表れる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">家庭の味から、世界へ広がる梅酒 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d38a8793da1d2cb5f1bf05795f2cb4b4.jpg" alt="" class="wp-image-55143" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d38a8793da1d2cb5f1bf05795f2cb4b4.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d38a8793da1d2cb5f1bf05795f2cb4b4-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d38a8793da1d2cb5f1bf05795f2cb4b4-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>梅の産地･和歌山では、収穫した梅を家庭で漬ける習慣が根付き、梅酒は長く「家で造るもの」として親しまれてきた。そのため、梅、砂糖、ホワイトリカーで仕込むだけでは自家製との違いを打ち出しにくく、商品として定着させるのは容易ではなかったという。</p>



<p>そこで中野BCは、赤じそや緑茶、果物を組み合わせるなど、家庭では造りにくい味わいを追求。2000年前後には健康志向の高まりを背景に、梅酒が女性を中心に注目されるようになり、日本酒やウイスキーをベースにしたもの、果汁を加えたものなど、楽しみ方も大きく広がっていった。</p>



<p>現在、中野BCが手がける梅酒は約30種類。梅の品種や熟成年数の違いを生かした本格梅酒から、レモンや緑茶などを合わせた親しみやすい商品まで、多彩な味わいを展開している。</p>



<p>その梅酒は、いまや海外事業を支える中心的な存在だ。中国や台湾、香港、韓国をはじめ、タイ、シンガポール、アメリカ、フランス、イタリア、ドイツなど約30カ国へ輸出。梅になじみのあるアジアだけでなく、リキュール文化が根付く欧米でも受け入れられている。</p>



<p>各家庭で育まれてきた梅酒は、造り手の工夫によって商品としての個性を備え、海外で「UMESHU」と呼ばれ、親しまれる存在へ 。和歌山の暮らしに根付いた一杯が、海を越え、新たな飲み手との出会いを広げている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本庭園と酒蔵がつなぐ、ものづくりと観光 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/59f8c19f0832350ce5387febfaaefcc5.jpg" alt="" class="wp-image-55144" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/59f8c19f0832350ce5387febfaaefcc5.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/59f8c19f0832350ce5387febfaaefcc5-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/59f8c19f0832350ce5387febfaaefcc5-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>約1万坪の敷地のうち、半分ほどを占める広大な日本庭園。庭園内にある池は、もともと焼酎を蒸留する際の冷却水を確保するために造られたものだった。その後、酒蔵を訪れる人を迎える場として整備され、現在は錦鯉や白鳥が泳ぐ、緑豊かな風景が広がっている。</p>



<p>池の広さは約3000坪。庭園は創業者自らが手を入れ、長い年月をかけて形づくってきたという。酒造りに欠かせない水を支えた池が、今では酒蔵の歴史と和歌山の豊かな自然を伝える場所となっている。</p>



<p>中野BCは、以前から酒蔵見学などの観光事業にも力を入れてきた。製造現場を開き、酒造りの歴史や技術を伝えることは、訪れる人に楽しんでもらうだけでなく、働くスタッフの意識を高めることにもつながっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">酒蔵を、地域と人が集まる開かれた場所へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/e614da490e2b5107900a5448d31250ce.jpg" alt="" class="wp-image-55145" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/e614da490e2b5107900a5448d31250ce.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/e614da490e2b5107900a5448d31250ce-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/e614da490e2b5107900a5448d31250ce-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p> 2026年4月、中野BCは直営店「長久庵（ちょうきゅうあん）」を、本社向かいに移設し、リニューアルオープンした。以前の売店は酒蔵の敷地内にあり、初めて訪れる人にとっては、少し足を踏み入れにくい場所だったという。</p>



<p>新たな「長久庵」には、日本酒や梅酒、健康食品をはじめ、直営店ならではの商品が並ぶ。試飲を楽しめるコーナーに加え、同じ海南市にある黒沢牧場が手がけたジェラートも登場。牧場のミルクを生かした「ミルク」のほか、梅やまりひめ、三宝柑、ほうじ茶など、和歌山の素材を取り入れた味わいがそろい、酒を飲まない人や子ども連れの家族も楽しめる。</p>



<p>酒を買うためだけの売店から、地域の人や観光客が気軽に立ち寄り、中野BCのものづくりや和歌山の味に触れられる場所へ。酒蔵と人との距離を近づける、新たな入り口が生まれている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自分の手で仕込み、梅の変化を楽しむ </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/fc7e63062e0b0d363f9cd6b3361c581a.jpg" alt="" class="wp-image-55146" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/fc7e63062e0b0d363f9cd6b3361c581a.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/fc7e63062e0b0d363f9cd6b3361c581a-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/fc7e63062e0b0d363f9cd6b3361c581a-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「長久庵」に隣接する梅酒づくり体験施設では、 自分だけの一瓶を仕込む体験も行っている。</p>



<p>まずはボトルを消毒し、梅を一粒ずつ丁寧に拭いて、竹串でヘタを取り除く。下ごしらえを終えた梅と氷砂糖を瓶に重ね、最後にホワイトリカーを注げば、仕込みは完了。</p>



<p>ひとつひとつの作業はシンプルだが、瓶の中では、仕込んだ直後から目に見えない変化が始まる。 砂糖は甘みを加えるだけでなく、浸透圧によって梅に秘められた香りや酸味を引き出す役割も担うとのこと。</p>



<p>使う砂糖の量や種類によって、出来上がる梅酒の表情もさまざま。氷砂糖なら澄んだ甘みに、てんさい糖ならやわらかな風味に、蜂蜜を使えば、ふくよかなコクが加わる。半年後の味わいを思い描きながら仕込む時間もまた、梅酒造りの楽しみだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">味を思い描きながら </h3>



<p>仕込んだ梅酒は自宅へ持ち帰り、最初の約3カ月は瓶を時々上下に返して、砂糖と梅をゆっくりとなじませていく。その後、さらに約3カ月寝かせると、待ちに待った飲み頃に。</p>



<p>瓶の中では、氷砂糖が少しずつ溶け、透明だった液体がゆるやかに琥珀色へと変わっていく。その移ろいを見守る時間も、自分で仕込んだからこそ味わえる楽しみのひとつだ。</p>



<p>酒蔵で育つ一本にも、家庭で漬ける一瓶にも、流れる時間は同じ。梅の香りや酸味をじっくりと引き出し、ひとつの味わいへと育てていく。そこには、昔から受け継がれてきた梅酒造りの知恵が息づいている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">酒造りの技術と研究を、新たな価値へ </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/124428d7dc3f55c707eb2b56a62c8ebf.jpg" alt="" class="wp-image-55150" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/124428d7dc3f55c707eb2b56a62c8ebf.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/124428d7dc3f55c707eb2b56a62c8ebf-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/124428d7dc3f55c707eb2b56a62c8ebf-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>酒造りを通して磨いてきた技術は、酒だけに生かされているわけではない。中野BCでは、発酵や抽出、培養に関する知識を応用し、健康食品や香りを生かした商品へと事業の幅を広げている。&nbsp;</p>



<p>一見すると、それぞれ異なる分野のように見える。しかし、根底にあるのは、素材を丁寧に見つめ、研究を重ねながら、その中に眠る力を引き出そうとする姿勢だ。</p>



<p>掲げる社是は、「衆智を持って常に創造せよ」。社員一人ひとりが持つ知恵や経験を集め、新しい商品や技術、価値を生み出していく。その言葉を体現するように、酒蔵で培われた技術は、和歌山の素材を生かす新たなものづくりへとつながっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">和歌山の恵みを、酒と香りに </h3>



<p>梅だけではない。ミカンや山椒（サンショウ）、ジャバラ、スギ、ヒノキなど、和歌山には土地の風土を映す多彩な素材がある。</p>



<p>中野BCでは、それぞれの香りや味わいを酒に生かしてきた。そのひとつが、富士白蒸留所のクラフトジンだ。「槙‐KOZUE‐」にはコウヤマキを中心に、温州ミカンやレモンの皮、山椒の種を使用。「香立‐KODACHI‐」には、紀州杉や紀州ヒノキ、かんきつの皮、山椒の種などを組み合わせている。温州ミカンと山椒はいずれも、和歌山県が生産量全国一を誇る特産物。紀州杉や紀州ヒノキも、山林に恵まれた和歌山の風土を映す素材だ。 森を思わせる香りに、かんきつの爽やかさや、山椒がもたらす後味の切れを重ね、和歌山の風景を一杯の中に表現している。</p>



<p>酒だけでなく、素材から香りの成分を取り出す技術を生かし、山椒などを使ったアロマオイルの開発にも取り組む。酒では味わいと香りを、アロマでは空間に広がる香りを。それぞれ用途は異なっても、植物の個性を丁寧に引き出す姿勢は共通している。 立ち上る香りまで丁寧に見つめる姿勢は、酒造りにも健康食品にも通じている。</p>



<p>ただ「和歌山産だから」という理由で使うのではない。苦みや渋み、酸味、香りの強さまでを分析し、どのように組み合わせれば素材の魅力が最も引き立つのかを探る。そこには、地域の恵みを研究し、新たな価値へと導く、中野BCならではのまなざしがある。</p>



<h3 class="wp-block-heading">食卓に寄り添い、和歌山を映す日本酒 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d75a9d341e94412e0ffb3e26a08a4f13.jpg" alt="" class="wp-image-55148" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d75a9d341e94412e0ffb3e26a08a4f13.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d75a9d341e94412e0ffb3e26a08a4f13-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d75a9d341e94412e0ffb3e26a08a4f13-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>中野BCの日本酒を代表するのが、「長久（ちょうきゅう）」「超久（ちょうきゅう）」「紀伊国屋文左衛門（きのくにやぶんざえもん）」だ。</p>



<p>「長久」は、「長く久しく愛される酒に」との願いを込めた銘柄。日々の食卓に寄り添う酒として、長年親しまれてきた。その名を受け継ぐ「超久」は、先代を超える技術で、より質の高い酒を目指そうという思いから生まれた特定名称酒のシリーズだ。読みは同じでも、「長」を「超」に替え、酒造りへの新たな志を表している。</p>



<p>「紀伊国屋文左衛門」は、和歌山ゆかりの豪商の名を冠した銘柄。江戸へミカンを運んだと伝わる人物の物語を重ね、和歌山らしさを日本酒で表現している。</p>



<p>かつては甘みと厚みを感じさせる酒が中心だったが、時代とともに酒質も変化してきた。米のうま味やふくらみを残しながら、口の中ですっと消えるような軽やかさを追求。料理の味を引き立て、次の一口へとつながる食中酒を目指してきた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">酒蔵の枠を越え、和歌山の素材を未来へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/a0592b4d1a83701d74a1c341aefa85cb.jpg" alt="" class="wp-image-55149" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/a0592b4d1a83701d74a1c341aefa85cb.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/a0592b4d1a83701d74a1c341aefa85cb-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/a0592b4d1a83701d74a1c341aefa85cb-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>国内では、日本酒や梅酒の市場が伸び悩み、異常気象による梅の不作も続く。原料を安定して確保し、品質を守りながら、次の世代に選ばれる商品を生み出す。中野BCが向き合う課題は、決して少なくない。</p>



<p>それでも、挑戦は止まらない。熟成やブレンドによって梅酒の新たな味わいを探り、和歌山から海外へ届ける。さらに、酒造りで培った知識と技術を健康分野や新たな素材へ広げ、地域の恵みに、これまでになかった価値を重ねていく。</p>



<p>土地から受け取った素材を、造り手の知恵と技術で磨き、次の時代へと手渡す。醤油造りに始まり、酒、健康食品、香りの分野へと可能性を広げてきた中野BC。その根底にあるのは、地域の素材を見つめ、まだ知られていない力を引き出そうとする姿勢だ。</p>



<p>素材の特徴を知り、工程を読み、何度も試しながら、目指す味や香りを組み立てていく。手掛ける分野は幅広くても、どれも中途半端にはしない。そこに共通するのは、「もっと知りたい」という好奇心と、思い描いたものを形にする技術である。</p>



<p>和歌山の素材に、まだどんな味や香りが眠っているのか。その答えを探し、形にしていくことこそが、中野BCらしいものづくりなのだ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55135/">和歌山の梅を、酒と健康の価値へ。「中野BC」90余年の探究／和歌山県海南市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>香りを磨き、山を守り、酒を夢見る。「鳥飼酒造」鳥飼和信さん／熊本県人吉市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/55028/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 06 Aug 2026 10:13:26 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[吟香鳥飼]]></category>
		<category><![CDATA[球磨焼酎]]></category>
		<category><![CDATA[草津蒸溜所]]></category>
		<category><![CDATA[酒造]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3684.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>朝露に濡れた野花のように、みずみずしく、澄んだ香りがする米焼酎がある。口に含むとやわらかな甘みが広がり、そして霧のようにスッと消える。造り手の鳥飼和信さんは約10年の月日をかけ、他の米焼酎とは一線を画す味わいを導き出した [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3684.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>朝露に濡れた野花のように、みずみずしく、澄んだ香りがする米焼酎がある。口に含むとやわらかな甘みが広がり、そして霧のようにスッと消える。造り手の鳥飼和信さんは約10年の月日をかけ、他の米焼酎とは一線を画す味わいを導き出した。その酒の名は「吟香鳥飼（ぎんかとりかい）」という。</p>



<h2 class="wp-block-heading">24歳でUターンし、400年続く酒蔵を継ぐ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3702.jpg" alt="" class="wp-image-55034" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3702.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3702-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3702-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>熊本県の南端にある人吉球磨（ひとよしくま）地方。九州脊梁山脈（きゅうしゅうせきりょうさんみゃく）に囲まれた三日月型の盆地で、夏は蒸し暑く、冬は一帯が濃い霧に包まれる。美しくも険しい山々からは良質な水が湧き出し、日本三大急流の球磨川となって盆地の中央を流れ下り、その流域に肥沃な土壌と豊かな水資源をもたらしてきた。盆地特有の寒暖差の大きな気候と豊穣な土地は熊本でも有数の米どころとなり、この米から造る焼酎「球磨（くま）焼酎」は約500年の歴史を誇る。</p>



<p>1949年、鳥飼和信さんは人吉市で400年続く球磨焼酎の酒蔵「鳥飼酒造」に生まれた。鳥飼家は平安時代に京都から移ったとされ、江戸時代には醸造酒、焼酎、酢、味噌、醤油などを製造していた記録が残る。</p>



<p>鳥飼さんは7人きょうだいの末っ子で、地元の高校を卒業後は画家を目指して東京で暮らしていた。酒蔵は次兄が継いでおり、自身が家業に関わることは考えてもいなかったのだ。ところが1973年、24歳の時に、長兄から父親が病に倒れたとの連絡を受ける。この時、家業を継いだ次兄も蔵の経営不振によりその職を退いており、誰が次兄に代わって蔵を守っていくか、兄弟それぞれが別の道を歩んでいる中で、最終的に白羽の矢が立ったのが鳥飼さんだった。こうして鳥飼さんは、​​思いがけず家業を継ぐこととなった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">吟醸香を手がかりに新たな焼酎の開発を目指す</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3222.jpg" alt="" class="wp-image-55035" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3222.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3222-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3222-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>祖父の代には当時37軒あった球磨焼酎の酒蔵の中で5番目の大きさであることにあぐらをかいていた家業は、味や品質、販路開拓などで切磋琢磨する周囲の蔵の勢いに押されていつしか経営が厳しくなっており、鳥飼さんが継いだ頃には34軒中の最下位となっていた。早朝から夜中まで休みなく働き、蔵を維持するために働く毎日が始まった。精米から製麹、仕込み、瓶詰め、空き瓶回収まで何でもやった。</p>



<p>だが、頑張った分だけ売り上げが増えるとは限らないのが商売だ。狭い盆地内での価格競争は年々激しくなり、鳥飼さんは生き残りをかけて消費者への直接販売に踏み切った。さらに、1980年前半に起きた第二次焼酎ブームで、大手との競争も激化。代々造っていた米焼酎「清球（きよたま）」は鑑評会で1位を取ったこともあるが、突出した個性がなく、他の酒蔵の商品に埋もれてしまっていた。そこで、鳥飼さんは新たな焼酎の開発を決意した。</p>



<p>開発の手がかりとしたのは吟醸香。日本酒の酵母の発酵中に生成される果実や花のような香りの元となる成分。それを日本酒の業界では吟醸香と呼ぶ。</p>



<p>「香りは味わいであり、酵母菌の醸し出す香りを蒸留酒に出来ないか」と蒸留家たちが考えた時代だった。以来、古文書や論文を読み解き、名工と呼ばれる杜氏や研究者たちを訪ね歩いて、研究と実験を繰り返した。実験が成功したと思っても、よくよく確かめると理想とする香りとは違っていたり、再現ができなかったり。ようやく求める焼酎が完成したのは1994年。開発を決意してから約10年が経っていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">再生させた自然の中で新しい焼酎を追い求める</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3486.jpg" alt="" class="wp-image-55036" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3486.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3486-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3486-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>完成した会心の作の焼酎は、自身の氏を冠して「吟香鳥飼」と名付けた。米を58％まで磨き上げた吟醸麹と自家培養の酵母から生まれる吟醸香。他に類をみない印象的な味わいの焼酎として「吟香鳥飼」は発売からすぐに注文が殺到し、1996年のモンドセレクション国際食品コンクールではジョニーウォーカーと並んで特別金賞を受賞した。</p>



<p>この反響を受け、鳥飼酒造は「吟香鳥飼」1銘柄に絞り販売を開始。こうすることでブランディング力を高め、人気を落としていた旧銘柄のネガティブも払拭できると考えた。だが、「吟香鳥飼」の完成から約30年、鳥飼さんはまた新しい焼酎を追い求め続けている。その転機となったのが「草津（そうづ）蒸留所」と「斧研（よきとぎ）麹蔵」の竣工だ。</p>



<p>草津蒸留所は、人吉盆地に僅かに残されていた清流である草津川流域に産業廃棄物処理場の計画があることを聞かされ、それをストップさせるため2000年に150haの山林を買い取った。</p>



<p>そして 、過度な森林伐採や土石流で荒廃していた自然を5年がかりで再生させたのだ。会社の事業の一環として、石を積んで護岸を築き、廃木や落石を搬出し、広葉樹を植えて清流を取り戻した。そして2005年、草津蒸留所が完成した。続いて2012年、耕作放棄地と山林を整地した15haの土地に斧研麹蔵が完成する。</p>



<p>鳥飼さんはこれらの取り組みに踏み切った理由を「環境の手入れを含むすべてが酒造りである」 と話す。山林と川を蘇らせ、清らかな水を生み出すことが、酒の品質の向上を目指す上で避けて通れない命題であるとの考えだ。今はこの2つの建物で「吟香鳥飼」のブラッシュアップと製造を続けるとともに、新しい焼酎の試作も行っている。かつては蔵の看板商品だった「清球」も、今の時代にそぐわせる形で再生産ができないかと思案している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">夢にまで見る“どこにもない酒”</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3495.jpg" alt="" class="wp-image-55037" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3495.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3495-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3495-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>鳥飼さんが案内してくれた草津川は、かつて荒廃していたとは思えないほど清らかだった。蒸留所でタンクを洗浄した水は、域外の施設に持ち出して処理している。米は麹蔵で洗ってから、蒸溜所へ運ぶ。手間としか思えない作業を繰り返すのは、たとえ浄化したとしても排水を草津川に流したくないとの思いからだ。目の前の清流はこうした選択の積み重ねによって守られているのだと実感する。</p>



<p>鳥飼さんはこれまで酒造りや自然との関わり方を感覚だけで決めるのではなく、あらゆる事象を読み解き、多角的に考え抜き、そして信念を曲げることなく前に進んできた。</p>



<p>「酒の優れたところを全て持っていて、どこにもない酒。そんな酒ができた夢を見て、眠りから覚めることがある」。</p>



<p>鳥飼さんが追い求めているのは、単なる「新しい酒」ではないのかもしれない。人吉球磨の風土と自然、人の営みや概念までもを宿した、時空を超えた一滴なのだろう。「完成はそう遠くないと思いますよ」。鳥飼さんの朗らかな声が、奥山の澄んだ空気の中に溶けていった。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55028/">香りを磨き、山を守り、酒を夢見る。「鳥飼酒造」鳥飼和信さん／熊本県人吉市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>伝統と革新を力に「全量純米蔵」を貫く。「喜久盛酒造」藤村卓也さん／岩手県北上市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 24 Jun 2026 10:21:25 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[酒造]]></category>
		<category><![CDATA[日本酒]]></category>
		<category><![CDATA[タクシードライバー]]></category>
		<category><![CDATA[鬼剣舞]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/kikusei_165_9021.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>主力銘柄「タクシードライバー」をはじめ、個性的な日本酒を多く手がける岩手県北上市の喜久盛（きくざかり）酒造。蔵元の藤村卓也さんは、30歳のときに五代目に就任。東日本大震災の苦難を乗り越えながら、岩手県で初めて「全量純米酒 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/kikusei_165_9021.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>主力銘柄「タクシードライバー」をはじめ、個性的な日本酒を多く手がける岩手県北上市の喜久盛（きくざかり）酒造。蔵元の藤村卓也さんは、30歳のときに五代目に就任。東日本大震災の苦難を乗り越えながら、岩手県で初めて「全量純米酒蔵」に舵を切リ、岩手県産の米のみを使うなど、その一つひとつの選択が、現在の喜久盛酒造の個性をかたちづくっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">造り酒屋の五代目として生まれ、30歳で社長に</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/kikusei_156_8941.jpg" alt="" class="wp-image-54680" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/kikusei_156_8941.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/kikusei_156_8941-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/kikusei_156_8941-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>&nbsp;岩手県の中央部に位置し、北上川と和賀川が合流する肥沃な盆地に田園地帯が広がる北上市。その北端に蔵を構える「喜久盛酒造株式会社」は、1894年に藤村酒造店として創業。戦時統制下による酒造会社の統廃合を経て、1951年、現在の社名となり、以来、「喜久盛」「鬼剣舞（おにけんばい）」などの銘柄で、地元に根ざした酒を造り続けてきた。</p>



<p>「三代目だった祖父の時代が最盛期で、1970年代には年間およそ4000石（一升瓶40万本分）のお酒を生産していました。地元消費が９割以上だったこともあり、日常づかいの普通酒をメインに造っていたようです。祖父は地元の観光協会の会長もやっていたので、この地域の伝統芸能である『鬼剣舞』『鹿（しし）踊り』や、ご当地ソングの『北上夜曲』など、地元にちなんだ銘柄のお酒をいろいろ造っていましたね。同じ敷地に醤油の醸造蔵もあり、たくさんの人が働いていて賑やかでした」</p>



<p>そう振り返るのは、喜久盛酒造の五代目･藤村卓也さんだ。明治中期の創業以来、藤村家によって代々守られてきたこの蔵を、物心ついた頃から「いずれは自分が継ぐ」と意識していたと話す藤村さん。「それまでは好きなことをしたい」と、高校卒業後は地元を離れ、専門学校を経て東京のゲーム制作会社でゲームデザイナーとして働いていたが、四代目である父が病に倒れたことをきっかけに帰郷。その３年後、父の逝去に伴い喜久盛酒造の社長に就任した。2003年2月、30歳のときだった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「焼き鳥屋のおやじに好まれる酒を造れ」</h3>



<p>藤村さんが蔵を継いだとき、世の中は本格焼酎ブーム。一方、日本酒の消費量は1974年をピークに右肩下がりで減り続けていた。喜久盛酒造もその影響を受けており「私が社長になった時点で、生産量は500石まで減っていました」と振り返る。かつての活気を失ったこの蔵を、どうしたら守っていけるのか。模索する藤村さんの道しるべとなったのが「鑑評会の先生に評価される酒よりも、焼き鳥屋のおやじに好まれる酒を造れ」という、祖父の言葉だった。</p>



<p>「祖父が蔵を切り盛りしていた頃、従業員によく言っていた言葉だそうです。祖父が考える『良い酒』とは、飲み屋さんで親しまれるような、いわゆる食中酒。なので私もそれを踏襲しつつ、自分なりの解釈で良い酒を造ろう、と思いました」</p>



<p>そのためにまず取り組んだのが、酒造りのあり方を見直すことだった。当時、喜久盛酒造では、水で薄めた醸造アルコールなどでカサ増しする「三倍増醸酒（さんばいぞうじょうしゅ）※」も造っていたが、藤村さんは社長に就任してすぐにその製造をやめ、米･米麹･水のみを原料とする「純米酒」中心の酒造りに切り替えた。</p>



<p>「値段で勝負するのではなく、自分がいいと思うお酒を届けたい」。そんな想いから、藤村さんは「自分の価値観や好みを反映した、新しい銘柄を造ろう」と考えるようになった。</p>



<p class="has-border -border01">※戦後の米不足に対応するため、少ない米で多くの酒を造る目的で導入された製法。2006年の酒税法改正により、現在ではこのような製法は事実上不可能になった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">さまざまなカルチャーを”リミックス”。「タクシードライバー」がブレイクスルーに</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/kikusei_166_9027.jpg" alt="" class="wp-image-54681" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/kikusei_166_9027.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/kikusei_166_9027-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/kikusei_166_9027-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>藤村さんは、元ゲームデザイナーという異色の経歴を持ち、アマチュア格闘家としても活動。また、マニアックな音楽や映画、マンガなどのサブカルチャーにも親しんできた。そんな背景から、新銘柄の第１号は、敬愛する漫画家･根本敬さんに名付けを、プロレスTシャツを多く手がけるグラフィックデザイナー･植地毅さんにラベルデザインを依頼。2004年、純米大吟醸酒「電気菩薩」が誕生した。</p>



<p>そして、その翌年に生まれたのが、現在の喜久盛酒造を代表する銘柄「タクシードライバー」だ。</p>



<p>「アートディレクターの高橋ヨシキさんと、東京の新宿で飲んだのがきっかけでした。高橋さんは私が好きな映画作品のパッケージデザインを手がけた方というのもあり、初対面で意気投合したんです。『新しい日本酒の銘柄を考えよう』と話が盛り上がり、たくさん出たアイデアのひとつが『タクシードライバー』でした。これは実現できそうだ、とその場で商品化が決まり、高橋さんがラベルをデザインしてくれることになりました」</p>



<p>「タクシードライバー」を醸造するにあたり、高橋さんから出されたオーダーは「熱燗で美味しい酒」。</p>



<p>「喜久盛酒造のお酒は、しっかりとした旨味とキレのある酸が特徴の食中酒。もともと熱燗に向いているんです。なので特別な工夫をしなくても、要望に沿えるお酒が造れると思いました」と藤村さん。「濃厚でアルコール度数も高いお酒が好み」という藤村さん自身の嗜好も反映し、風味を調整するための加水をせず、搾ってそのまま瓶詰めする「純米原酒」で醸造。高橋さんが描き下ろしたラベルデザインのインパクトにも負けない、力強い味わいに仕上げた。</p>



<p>その後も喜久盛酒造では、さまざまなクリエイターとコラボレーションし、個性的なネーミングやラベルの日本酒を「ジャケ買いシリーズ」として発売。音楽やゲームといった異なる分野と日本酒の”リミックス”は、ふだん日本酒を飲まない人たちの関心も引き寄せていった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">東日本大震災で被災。蔵を間借りしながら「全量純米蔵」へ。</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/kikusei_159_8956.jpg" alt="" class="wp-image-54682" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/kikusei_159_8956.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/kikusei_159_8956-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/kikusei_159_8956-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>純米酒メインの酒造りと、他分野のカルチャーを取り入れた商品開発やプロモーションで客層を広げつつあった喜久盛酒造。しかし2011年3月に発生した東日本大震災で大きな打撃を受けた。北上市は内陸部のため津波の被害はなかったものの、大きく長い揺れが建物を直撃。幸い、従業員も、仕込んだばかりの酒も無事だったが、酒蔵は半壊してしまった。</p>



<p>「全壊した醤油蔵などを含めると被災の規模は大きく、その後業者さんの見積りで、修繕するにも、解体して建て直すにも莫大なお金がかかることがわかりました。藤村家が代々守り継いできたこの蔵を、５代目の自分でなくすわけにはいかない。そう思ってはいるものの、簡単に調達できるような金額ではありませんでした」</p>



<p>蔵の一部分はかろうじて使える状態だったため、最低限の設備でなんとか酒造りを再開できたものの、あくまで暫定的な復旧に留まっており限界がある。先の見通しが立たないまま３年が経った頃、隣の花巻市にある酒造会社が廃業することになり、その仕込み蔵を貸してもらえることになった。</p>



<p>隣市とはいえ喜久盛酒造とは車で５分ほどの距離で、仕込み水の水質もほとんど変わらない。藤村さんは移転を決意し、仕込みは間借りする移転先の蔵で、出荷作業は元の蔵で行うことにした。</p>



<p>そして2014年春、喜久盛酒造は新天地での酒造りをスタート。それと同時に、純米酒のみを醸造する「全量純米蔵」へと舵を切った。</p>



<h3 class="wp-block-heading">岩手の麹菌と米で造る</h3>



<p>もともと喜久盛酒造では、藤村さんが社長になって以来、純米酒がメインの酒造りをしていた。醸造アルコールを添加した「普通酒」は地元消費用として一部造っていたが、普通酒の需要がある地元消費は年々減り、全国的には消費者の本物志向化から純米酒の人気が上昇。特に震災以降は、復興支援の機運から、純米原酒の「タクシードライバー」が関東や関西でよく売れるようになった。</p>



<p>こうした背景から「純米酒の生産量を増やそう」と製造体制を検討していた矢先、蔵の移転が決まった。藤村さんはこれを機に全量純米蔵に振り切ることを決意。「当時はまだ、岩手県内で全量純米をやっている蔵がほかになかったこともあり、せっかくなら『岩手初』になろう、と思って」と振り返る。</p>



<p>原料となる米は、100パーセント岩手県産。 特筆すべきは、酒造好適米（酒米）ではなく「食用米」をメインに使っている点だ。「以前は酒米を使い、山田錦を他県から取り寄せたりもしましたが、結果的に食用米のほうが自分の好みの味に仕上がったので」と藤村さん。例えば「タクシードライバー」に使われるのは、岩手県オリジナルの食用米「かけはし」。かつては県の奨励品種として普及していたが、現在は新品種の台頭で生産量が激減。しかし藤村さんは「このお米こそが、タクシードライバーの味わいの源」とし、契約栽培でその質と量を守り続けている。</p>



<p>さらに、酒質を左右する重要な要素「麹」にも、岩手県が独自に開発した麹菌「黎明平泉」が使われている。甘みのもととなるグルコース（ブドウ糖）の生成が控えめで、熟成向きの酒質を引き出しやすいこの麹菌は、蔵が理想とする味と合致。こうして醸された純米酒は、その味わいをダイレクトに届けるため、すべて加水調整や濾過を一切行わない「無濾過原酒」として世に送り出される。この搾ったままの力強い酒質は、喜久盛酒造の確固たるアイデンティティとして、全国の日本酒ファンを魅了していった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「四季醸造」の新蔵が完成。再び、創業の地へ。</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/kikusei_154_8938.jpg" alt="" class="wp-image-54683" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/kikusei_154_8938.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/kikusei_154_8938-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/kikusei_154_8938-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>喜久盛酒造の「間借りでの酒造り」は、およそ10年間続いた。</p>



<p>「うちは、北上市に残る唯一の酒蔵。隣の花巻市に一時的に移転はしましたが、創業の地に戻りたいという想いはずっとありました」と藤村さん。しかし被災した酒蔵は増改築を繰り返しているため構造が複雑で、復旧は困難。さらに、2021年には福島県沖地震と豪雪の影響で屋根が落ち、瓶の洗浄や火入れをするためのボイラーが破損するという困難に見舞われた。</p>



<p>それでも藤村さんは「創業地での再建」を諦めず、クラウドファンディングも活用し本社敷地内に酒蔵と事務所兼倉庫を新設。2024年夏、再び北上で酒造りを始めた。「創業130周年の節目の年に、ここに戻ってくることができた」と、藤村さんは笑顔を浮かべる。</p>



<p>新しい蔵は、最新の設備を備え一年を通した四季醸造が可能に。温度管理ができるサーマルタンクも導入し、仕込みから瓶詰めまで一括してこの蔵でできるようになった。</p>



<p>一方、醪（もろみ）を酒と酒粕に分ける搾りの工程には「佐瀬式」の圧搾機を採用した。佐瀬式とは、袋に詰めた醪を槽（ふね）の中に積み重ね、上から圧力をかけて搾る方法。袋詰めや積み込みなどの手間はかかるが、無理に圧力をかけずにゆっくり搾るため、まろやかで口当たりの良い酒に仕上がるとされる。</p>



<p>決して効率的とはいえない佐瀬式を選んだのは、蔵を間借りしていた10年間、佐瀬式で搾りをしていたのも理由のひとつだ。「間借りしていた蔵の圧搾機は昭和30年代製造の佐瀬式で、タンク1本分の醪を搾るのに最短でも3日、長いときは1週間かかりました」と藤村さん。搾りに時間を要するということは、その分酒が空気に触れて酸化が進むことを意味する。フレッシュでフルーティーな酒を造るには不向きだが、熟成や熱燗向けの旨味の濃い酒造りには功を奏した。また、佐瀬式で搾ることで出てくる上品な滓（おり）も味わいに奥行きを与え、喜久盛の個性のひとつとなった。</p>



<p>「もともとうちの蔵ではどっしりとした味わいのお酒を持ち味としていましたが、佐瀬式の搾りによって、その方向性がより固まったと思います。今の蔵の佐瀬式圧搾機は最新のものなので、搾り自体は１日ほどで終わるのですが、うちは週末に搾り作業を行い、週明けに瓶詰めをしています。あえて数日おくことで以前と変わらない味わいに仕上げる一方、積み替えなどの力仕事は減ったので、だいぶ効率が良くなりました。」</p>



<h3 class="wp-block-heading">この蔵ならでは味わいを、全国、そして世界へ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/kikusei_161_8973.jpg" alt="" class="wp-image-54684" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/kikusei_161_8973.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/kikusei_161_8973-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/kikusei_161_8973-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「新しい蔵ができて、これからやっと生産体制を安定させることができる」と期待を込める藤村さん。かつては地元消費が９割を占めていたが、今は県外が７割。特に大阪での売り上げが半数以上を占めるという。「しっかりとした旨味とキレがある酒質は、関西の方に好まれる傾向にあるようです」と話す。また、近年は海外からのオファーも増え、アメリカ、イタリア、ニュージーランドへの輸出も決まった。</p>



<p>その一方で、東京を中心とした関東の市場での売り先をもっと増やしたい、という想いも。<br><br>「そのためには、酒販店・特約店とのマッチングが課題だと思っています。うちの酒造りの方向性をきちんと理解した上で、それを受け売りでなく自身の言葉でお客様に伝えていただけるところと巡り合いたい。今後の目標のひとつですね」<br><br>そう話す藤村さん。関東の酒販店との新たな接点を模索しながら、すでにつながりのある店やファンとの関係を丁寧に育んでいる。<br><br>この蔵だからできる日本酒を、岩手から全国各地へ、そして世界へ。創業地という「原点」からの再出発を果たした今、喜久盛の酒造りは次の章へと向かっている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54673/">伝統と革新を力に「全量純米蔵」を貫く。「喜久盛酒造」藤村卓也さん／岩手県北上市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>伝統を守り、日本酒の魅力を世界へ届ける。「李白酒造」5代目･田中 裕一郎さん</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 24 Jun 2026 10:03:12 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[酒造]]></category>
		<category><![CDATA[日本酒]]></category>
		<category><![CDATA[出雲の酒造り神話]]></category>
		<category><![CDATA[李白]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01202_142A2039.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>一杯の酒が、大切な人と過ごす時間をより豊かにしてくれることがある。そんなひとときを、島根から世界へ届け続けているのが李白（りはく）酒造だ。創業140年を超える老舗でありながら、その歩みは常に挑戦とともにあった。海外展開が [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01202_142A2039.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>一杯の酒が、大切な人と過ごす時間をより豊かにしてくれることがある。そんなひとときを、島根から世界へ届け続けているのが李白（りはく）酒造だ。創業140年を超える老舗でありながら、その歩みは常に挑戦とともにあった。海外展開がまだ珍しかった時代から販路を拡大し、近年では花酵母を使った酒造りや、時代に合わせた商品展開にも取り組み、日本酒の可能性を広げている。その根底にあるのは、「日本酒を通して楽しい時間をつくる」という一貫した思いである。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「出雲の酒造り神話」が語り継がれる地で酒造り一筋に</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01220__H6A8609.jpg" alt="" class="wp-image-54665" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01220__H6A8609.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01220__H6A8609-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01220__H6A8609-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>島根県松江市。古くから酒造りの文化が息づくこの地には、神々が酒を醸したとされる「出雲の酒造り神話」が語り継がれている。そんな土地で、良質な水と、地元・島根県産米を中心に用いて、土地に根差した芳醇（ほうじゅん）な酒を醸し続けてきた。現在では、自社で造るすべての銘柄に酒造好適米（しゅぞうこうてきまい）を使用し、原料米にこだわった酒造りをしている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">時代の変化とともに歩みを重ねて</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01216_142A2655.jpg" alt="" class="wp-image-54666" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01216_142A2655.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01216_142A2655-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01216_142A2655-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>創業は1882年。封建社会が終わり、日本が西洋文化を取り入れ始めた明治時代に、田中竹次郎が「田中本店」という屋号で酒造りを始めた。当時は現在のような銘柄展開ではなく、近隣の人々が酒器を持って酒を買いに訪れるような、小さな商いだったという。大正から昭和に入ると、全国的に日本酒の流通が整備され始め、各蔵が独自の銘柄を掲げるようになる。このとき、田中本店では「李白」の銘柄を掲げる。その命名は、松江市出身で内閣総理大臣を務めた若槻礼次郎氏。田中本店の酒を愛飲していた若槻氏が、「時代を越えて親しまれる酒であってほしい」という願いを込めて、中国・唐代の詩人に由来する「李白」と名付けた。</p>



<p>そして、戦後は日本酒需要の高まりを背景に、大手メーカーへ原酒を供給する「桶売り」を主体に成長し、1950年に「田中酒造」として法人化。1970年代、まだ大量生産が主流だった時代に、田中酒造は“量より質”へと舵を切る。酒造りに適した米だけを使用し、味わいをとことん追求した自社ブランド「李白」の展開を本格化。試行錯誤を重ねながら品質を高め、やがて数々の賞を受賞するなど評価を獲得し、現在へとつながる基盤を築いた。</p>



<p>その後、1980年代に輸出をスタート。当時はまだ日本酒の輸出が珍しい時代だったが、先代当主が日本酒文化を海外へ広めることを目指した。現在は生産量の4割を輸出し、アメリカを中心に14か国へ届けている。看板商品である「李白」の知名度向上を受け、1993年に代表者の名字を冠した「田中酒造」から「李白酒造」へと商号を変更した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">進取の気性で「日本酒を次世代へつなぐ」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01253__H6A8350.jpg" alt="" class="wp-image-54667" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01253__H6A8350.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01253__H6A8350-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01253__H6A8350-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在、李白酒造の5代目を務めるのは、東京農業大学で醸造学を学び、都内の地酒専門店での修行を経て家業を継いだ田中裕一郎さん。</p>



<p>田中さんが家業に入ったのは2003年。当時、日本酒業界は大きな転換期を迎えていた。焼酎ブームによる市場の変化に加え、長年酒造りを支えてきた職人たちの高齢化が進んでいた。李白酒造も例外ではなく、「このままでは、酒造りができなくなる」 と感じた田中さんは、杜氏中心に行われていた自社の製造体制を見直すことに。安定して酒を造れる仕組みづくりに踏み切った。</p>



<h3 class="wp-block-heading">近代的な設備を導入し、「出雲杜氏」の技を後世へ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01296_142A2320.jpg" alt="" class="wp-image-54668" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01296_142A2320.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01296_142A2320-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01296_142A2320-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>李白酒造の品質は、出雲杜氏の技術によって支えられている。しっかりとした麹づくりと低温でじっくり発酵させる手法により、酸度が高く、力強い味わいを作り出してきた。 しかし、その技術は経験や勘による部分が大きかった。そこで田中さんは、製造工程のデータ化と設備投資を進め、発酵の状態・温度・時間などを数値として管理。再現可能なかたちへと落とし込み、「李白酒造の技術」として確立していった。</p>



<p>一方で、すべてを機械に委ねるわけではない。麹造りなど重要な工程では手作業を重視し、「人間が麹をコントロールする」のではなく、「麹が働きやすい環境を人が整える」方法へとシフトしている。 温度や湿度を細かく見極めながら、麹の状態に応じて手を加えていくことで、その力を引き出す。技術や設備の進歩により、かつては難しかった細やかな管理も可能となり、品質の安定とさらなる向上につながっている。</p>



<p>近年は気候変動により米の品質が変わりやすい。そのため、状態を見ながら毎年改善を図っているという。「調整は尽きないですね。良い酒を届けるため、これからも分析を繰り返します」と現状に満足しない。</p>



<h3 class="wp-block-heading">花酵母を用いて新たな個性を打ち出す</h3>



<p>田中さんが酒蔵に戻るまでは、「五百万石（ごひゃくまんごく）」や「山田錦」といった酒米に、キレのある味わいをつくる「9号系酵母」を掛け合わせた王道スタイルの日本酒をつくっていた。これは、出雲杜氏の技術によって、高品質に造り続けられてきた手法でもある。&nbsp;</p>



<p>その一方で、田中さんは酒米「雄町（おまち）」と花酵母という新たな組み合わせに挑んだ。花酵母とは、自然界に咲く花から分離・培養に成功した、清酒酵母のこと。使用する花の種類によっても酒質は変わるが、華やかな吟醸香や果実感のある風味を生み出しやすいとされ、個性的な酒造りに活用されている。大学時代に花酵母の研究に携わっていた経験を生かし、従来とは異なる酒造りに取り組んだのである。</p>



<p>「出雲杜氏の技とはまた違う、&#8221;李白酒造”ならではの新しい味を打ち出したかったんです」との思いから原料を選び、力強いコクの中に、爽やかな香りと軽やかな酸味を共存させた。華やかな味わいは、女性や日本酒初心者からも好評だ。</p>



<p>こうした試みは、伝統を守っていくための挑戦の一つ。変化を恐れず一歩踏み出す姿勢こそが、次の時代へ日本酒文化をつないでいく原動力になっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本酒を通して、心地よい時間を提供する</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01226__H6A8655.jpg" alt="" class="wp-image-54669" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01226__H6A8655.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01226__H6A8655-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01226__H6A8655-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本の飲酒文化は、神事に由来する神聖な「神と人をつなぐ儀式」として始まり、四季の花鳥風月やコミュニケーションを楽しむ場として独自に発展してきた。そうした文化の中で、日本酒は単なる嗜好品ではなく、人と人をつなぐ存在として常に暮らしのそばにあった。</p>



<p>「我々が作っているのは日本酒ではなく、人々の時間を豊かにする&#8221;オアシス&#8221;なんです」と語る田中さん。日本酒が主役になるのではなく、会話や食事を引き立てる存在でありたいという考えだ。</p>



<p>酒はあくまで“きっかけ”。酒があることで会話が生まれ、食事が楽しくなる。そんな場面を支えたいという。そのために、味わいは食事に寄り添うバランスを重視。飲み飽きず、自然と杯が進む酒を目指している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">酒文化を正しく継承するためのこだわり</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01283_142A2248.jpg" alt="" class="wp-image-54670" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01283_142A2248.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01283_142A2248-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01283_142A2248-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>李白酒造では、「酒文化を普及し正しく後世に継承する」という理念のもと、すべての酒に酒造好適米（しゅぞうこうてきまい）を使用している。酒造好適米とは、日本酒の醸造に適するよう品種改良された米のこと。コストはかかるが、雑味が出にくく、食事に寄り添うクリアな味わいを実現しやすい。</p>



<p>また仕込み水は、地域の井戸がひとつと敷地内に3本の井戸があり、すべて同じ水系のため、これらを使って仕込んでいる。やわらかな口当たりとすっきりとした後味は、飲み飽きず、食中酒としての魅力を支えている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">飽くなきチャレンジ精神で、暮らしに潤いをもたらす</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01306__H6A8552.jpg" alt="" class="wp-image-54671" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01306__H6A8552.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01306__H6A8552-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/nih2_01306__H6A8552-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>伝統を守るために、李白酒造の挑戦は止まらない。</p>



<p>2024年にはパウチ容器での販売を開始。地方の地酒メーカーが自社で開発製造まで行うことはほとんどなく、業界としても革新的なアプローチだ。「軽くて持ち運びやすいため、アウトドアやスポーツ観戦といった新しいシーンで選ばれています。インバウンドのお土産に選ばれることも増えました」。今後はパウチ容器で生酒の販売を目指していくという。</p>



<p>こうした挑戦の先にあるのは、国や文化の違いを越えて、人と人が心地よい時間を分かち合うこと。李白酒造は、その一杯が生み出す豊かさを、これからも世界へ届けていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54656/">伝統を守り、日本酒の魅力を世界へ届ける。「李白酒造」5代目･田中 裕一郎さん</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>伝統を守り、挑戦を続ける。心と記憶に残る２つの銘柄で魅了する「宮泉銘醸」の宮森義弘さん、大和さん／福島県会津若松市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 29 May 2026 04:49:48 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[冩樂]]></category>
		<category><![CDATA[會津宮泉]]></category>
		<category><![CDATA[酒造]]></category>
		<category><![CDATA[日本酒]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9584.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>品質の高さで全国の地酒ファンの人気を集める「冩樂（しゃらく）」と創業時から地元で愛されてきた「會津宮泉（あいづみやいずみ）」。二つの銘柄で理想とする酒づくりを追及し続ける「宮泉銘醸」。豊かな水源と酒造りに適した風土の中で [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54554/">伝統を守り、挑戦を続ける。心と記憶に残る２つの銘柄で魅了する「宮泉銘醸」の宮森義弘さん、大和さん／福島県会津若松市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9584.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>品質の高さで全国の地酒ファンの人気を集める「冩樂（しゃらく）」と創業時から地元で愛されてきた「會津宮泉（あいづみやいずみ）」。二つの銘柄で理想とする酒づくりを追及し続ける「宮泉銘醸」。豊かな水源と酒造りに適した風土の中で、４代目蔵元の義弘さん（兄・写真右）と専務の大和さん（弟・写真左）が「もっとうまい酒をつくりたい」と熱い思いで挑む。日々変わる蔵内の温度・湿度・香りを入念に確認しながら酒質を突き詰め、宮森さん兄弟を中心にチーム一丸となって酒づくりに取り組んでいる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">酒処・会津で400年にわたる歴史を受け継いできた酒蔵</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9551.jpg" alt="" class="wp-image-54563" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9551.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9551-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9551-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>東北有数の酒処、会津若松市。四方を山々に囲まれた会津盆地は季節ごとの寒暖差が大きく、冬場は寒冷で雑菌が少ないなど、日本酒づくりに適した気候風土に恵まれている。また、城下町として栄えたことで、江戸時代から多くの酒蔵が建ち、競い合うように酒づくりの技術を磨いてきた歴史がある。</p>



<p>名城・鶴ヶ城のほど近くにある風情ある蔵が、1955年（昭和30年）創業の「宮泉銘醸」。数百年の歴史を持つ酒蔵も少なくない中、歴史が浅いように思われるかもしれないが、それは違っていた。宮泉銘醸は、1718年（享保3年）創業という会津若松市でも指折りの老舗「花春酒造」から分家独立した蔵元であり、会社としての歴史は短くとも、400年にわたる酒造りの歴史が受け継がれている。</p>



<p>城下町の情緒ある街並みに溶け込む外観は歴史的景観指定物にも数えられ、蔵の敷地内も趣のある空間が広がっている。もともとは小さな造りだったそうだが、増築を重ねて今の姿が出来上がっていった。屋根の高さや壁の材質の違いも個性になり、様々な表情を見せている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">4代目として蔵の立て直しと新たな酒づくりに挑む</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9556.jpg" alt="" class="wp-image-54564" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9556.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9556-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9556-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>兄・義弘さんと弟・大和さんは大学卒業後、それぞれがシステムエンジニア（SE）として働いていたという異色の経歴を持つ。2002年、義弘さんが実家である宮泉銘醸の経営を立て直すために、SEを辞めて福島に戻ることになる。26歳の時だった。</p>



<p>「それまで行ってきた酒づくりや製造環境を一から見直しました」と振り返る義弘さん。「それまでにも全国新酒鑑評会で何度か金賞を獲得していましたが、出品酒で培った技術が他の酒に全く反映されていなかったので、通常の市販酒にも出品酒の酒づくりの知識を投入して、リニューアルしたいという思いが強くなりました」。</p>



<p>当時は、経営責任者を社長、製造責任者を杜氏が担っていたが、「経営者が酒づくりにも携わることで理想の味に近づけるのでは」と考え、自ら酒質が高いと思った全国の酒蔵を巡り、優れた技術を取入れながら新たな味の追求を進めていった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">兄弟の絆が酒蔵に新風を吹き込んだ</h3>



<p>大和さんはSEとして勤務した後、国会議員の秘書となったが、先に実家に戻っていた兄の義弘さんにある日、「大和、一緒に酒づくりをしないか」と誘われたという。「いつか兄と一緒に仕事をしてみたいと思っていたので全く迷いはありませんでした」と大和さんに笑顔があふれる。</p>



<p>「しっかりと高いレベルの酒をつくっていきたいと思い、少しずつ石数が増えていたので、「會津宮泉」という地元銘柄の質を上げていくためには弟の力が必要だと思いました」と義弘さん。そこから兄弟を中心とした酒づくりの新たな歴史が始まった。</p>



<p>近年ではおもに、義弘さんを中心に「冩樂」を、大和さんを中心に「會津宮泉」の造りを担い、二つの銘柄で理想を追い求めている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">一度は途絶えかけた「冩樂」をつないで蔵の改革を</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9598.jpg" alt="" class="wp-image-54565" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9598.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9598-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9598-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>もともと「冩樂」という銘柄は、宮森酒造一族の大元の本家であった宮森文次郎商店の流れを汲んだ蔵元「東山酒造」のものだったという。会津の人々から人気を集めていたが、東山酒造が2009年に惜しまれながら廃業することに。そこで、起源を同じくする宮泉銘醸が「冩樂」の銘柄を引き継ぐことになった。</p>



<p>「冩樂という銘柄を引き継ぎましたが、全国に通用する酒を造りたかったので、自分で培ってきた酒づくりのノウハウを注いで新しい酒を造りました」と話す義弘さん。その結果、一度は歴史が途絶えかけていた「冩樂」が全国で人気を誇る日本酒に成長。2014年には、日本で最もおいしい市販酒を決めるイベント「SAKE COMPETETION」において、純米酒・純米吟醸の両部門で1位を獲得。その確かな実力を全国に知らしめた。その後もさらなる品質向上に努め、今やさまざまな品評会において金賞受賞の常連となるほどの銘酒となっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">技術のチャレンジを続ける「會津宮泉」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9600.jpg" alt="" class="wp-image-54566" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9600.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9600-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9600-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>福島県内の出荷をメインとしている「會津宮泉」。味や出来栄えは「冩樂」に肩を並べる銘酒と言われ、2018年には「SAKE COMPETETION」の純米酒部門で全国１位、国際的な日本酒コンテストでも数々の賞を獲得するなど、輝かしい成績を収め、全国的にも注目される存在に。「代々蔵元が守り続けてきた銘柄を大切にしたい」との一心で、醸造のクオリティを底上げしてきた。</p>



<p>「會津宮泉は常に理想の酒造りを目指して、技術のチャレンジを続けていきたい」と話す大和さん。「伝統を守る」だけでなく、新たなる酒づくりへの挑戦も止まるところを知らない。酒造好適米には福島県が開発した「夢の香」や「福乃香」をはじめ、「渡船２号」「山田穂」「山酒四号」「雄山錦」などを使用し、多彩な酒づくりを行ってきた。「今後もやってみたい造りや醸造があります」と大和さんがうれしそうに笑う。</p>



<h2 class="wp-block-heading">良質な水と米で、妥協を許さない酒づくりを</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9727.jpg" alt="" class="wp-image-54567" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9727.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9727-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9727-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本酒の品質はもちろん、蔵内の衛生管理においても評価が高い。美しく磨かれた木造の廊下、存在感を放つタンク、静かに時を重ねる麹。貯蔵についても、常温貯蔵やタンク貯蔵をする酒蔵が多い中、宮泉銘醸では、空気による酸化防止と常温劣化を防ぐため、上槽後の即瓶詰、全量瓶による冷蔵貯蔵を徹底している。</p>



<p>「地下水を汲上げ、酒づくりの全ての過程で利用する仕込み水を作る工程から始まり、原材料、醪（もろみ）の管理、上槽（醗酵の終わったもろみを清酒と粕に分離する操作）、貯蔵、出荷に至るまで、酒質向上に係わる作業や環境づくりを妥協せずに行っています」と話す大和さん。</p>



<h3 class="wp-block-heading">データの管理と蓄積で高い水準の美酒を目指す</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9752.jpg" alt="" class="wp-image-54576" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9752.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9752-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9752-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>蔵内にはまるでラボのように異才を放つ空間がある。さまざまな分析機械が並ぶ「分析室」には、アルコール度数、酸度、日本酒度（糖度）、酸度など、原酒になる前の醪の発酵度合いを見極めるのに必要なデータを計れる分析器が並んでいた。</p>



<p>義弘さんも大和さんも大学は理系なので、データ化にこだわる。いつでも検証できるようにするためだ。「良い酒は積み重ねでしかできない」と考え、酒づくりをより進化させるための研究や、実際につくられたお酒の全てのデータが管理されている。これにより、宮泉銘醸はより高い水準で高品質のおいしい酒づくりを追求しているのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">世界を視野に、楽しみながら挑戦は続いていく</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9679.jpg" alt="" class="wp-image-54568" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9679.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9679-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/XXXX9679-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「今の蔵が理想の規模感に達しています。以前はタンク10本分も造っていないほどの蔵でしたが、今は150本造っており、2000石ぐらいの蔵が自分たちの目が行き届くので理想的です」と微笑む義弘さん。「今後は国内だけでなく、世界の人々にもおいしいと思われるような日本酒を届けたいと考えているので輸出への挑戦も視野に入れています。世界で見つけてもらえるような日本酒になれればいいなと思っています」と新たな夢を語る。</p>



<p>「兄と一緒に仕事をしていてとても充実しています。、この先に広がる面白い世界を兄の社長と見たいと思っています」と目を輝かせる大和さん。「これからどんどん人口が減り、飲酒人口も減っていく中で、世界へ発信していくことは大切だと思います。「また、宮泉が魅力あることをやっているね」と言われるように、新しいことにはどんどん挑戦していきたいです」と決意を新たにする。</p>



<p>ポジティブな挑戦が続く限り、宮泉銘醸の未来はまだまだ面白くなりそうだ。どんな日本酒ができるのか想像しただけで胸が躍る。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54554/">伝統を守り、挑戦を続ける。心と記憶に残る２つの銘柄で魅了する「宮泉銘醸」の宮森義弘さん、大和さん／福島県会津若松市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>目指すのは瀬戸内の風土と空気を感じさせるワイン。「大三島みんなのワイナリー」／愛媛県今治市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 10 Apr 2026 10:51:13 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[伊東豊雄]]></category>
		<category><![CDATA[ドメーヌ]]></category>
		<category><![CDATA[ワイナリー]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_055.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>愛媛県の大三島に単身移住し、自らぶどうを栽培してワイン造りを行なっている「大三島みんなのワイナリー」の川田佑輔さん。北から南まで全国のワイナリーを巡ってワインの勉強をしてきた川田さんが大三島で造りたいのは、島の魅力を表現 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54325/">目指すのは瀬戸内の風土と空気を感じさせるワイン。「大三島みんなのワイナリー」／愛媛県今治市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_055.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>愛媛県の大三島に単身移住し、自らぶどうを栽培してワイン造りを行なっている「大三島みんなのワイナリー」の川田佑輔さん。北から南まで全国のワイナリーを巡ってワインの勉強をしてきた川田さんが大三島で造りたいのは、島の魅力を表現する味わいのワインだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>​​</strong>ワイン産地としてのポテンシャルを感じて大三島に移住</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_001.jpg" alt="" class="wp-image-54342" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_001.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_001-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_001-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ワイン造りに興味があって日本ワインの一大産地である山梨県の大学に進学し、在学中に全国の著名なワイナリーを回って研修を重ねてきたという川田さん。大学卒業間際に建築家の伊東豊雄氏が立ち上げた「大三島を元気にするプロジェクト」に関わる機会があったことがきっかけとなり、大三島でのワイン造りに関心を持ったそう。</p>



<p>伊東氏は国内外で数多くの建築賞を受賞し、世界的な評価を受ける一方で、建築の枠を超えて地域再生にも積極的に取り組んできた人物。島の風景や資源を生かし、新たな産業や人の流れを生み出そうとするその構想が、川田さんの心を動かした。</p>



<p>ワイン造りをする上で良質なぶどうが採れるということは必要不可欠な条件だ。川田さんは大三島の気候が日本一のワイン産地である山梨県勝沼とよく似ていることに気が付き、この土地なら良いぶどうができるに違いないと、伊東氏らとワイン造りに取り組むことを決意したという。</p>



<p>「瀬戸内の風景は本当に素晴らしい。僕が生まれ育った静岡にも良く似ていて、海が近くて気持ちが良くて、住んでいる人もやさしい。ここでぶどうを育ててワインを造ってみたいと思ったんです」。川田さんは2015年に単身で大三島に移住してきて、島の課題にもなっていた耕作放棄地を借りて苗木を植え、ぶどうの栽培を開始した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">試行錯誤の連続は困難でもあるが面白くもある</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_009-1.jpg" alt="" class="wp-image-54335" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_009-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_009-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_009-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ワインへの造詣は深くとも、ぶどう栽培は川田さんにとって初挑戦。まずは土地を詳しく知る地元の農家さんに情報をもらって、ぶどう栽培に適した良質な畑を選ぶところから始まった。「大三島の土質は花崗岩が風化してできた真砂土で、水はけが良くてぶどう栽培には適しています。しかし一方で水持ちが悪いという面もあるのでそこは考えなきゃいけない。土中の微生物を活性化させるために堆肥を入れるとか、地元の農家さんにもいろいろ教えてもらいながらやっています」という川田さん。肥料も地元のものにこだわっているのは、土地の味わいを大切にしたいという思いがあるからこそ。ぶどう棚に使う資材も地元の造船所に協力してもらって手作りするなど、この土地にこだわったぶどう栽培を大切にしている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_008.jpg" alt="" class="wp-image-54336" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_008.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_008-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_008-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>栽培するぶどうの品種は人気の高いシャルドネを始め、日本で最初に開発されたマスカットベリーA、瀬戸内に気候が似ているスペインやポルトガルの海に近い場所を原産地とするアルバリーニョなど、さまざまな品種のぶどうが栽培されている。「シャルドネを選んだのは日本全国で栽培されているので、土地の個性がわかりやすいのかなと思って。甲州も有名な品種ですが、名前に縛られてしまう気がして今のところ作っていません。病気に強くて収量のあるもの、島に合う品種を探して色々試していますけど、答えが出るまでにはかなり時間がかかりますね」という。栽培方法も品種選びも常に試行錯誤の繰り返しだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">海辺の小さな醸造所から生まれる島育ちのワインたち</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_029-1.jpg" alt="" class="wp-image-54338" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_029-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_029-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_029-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2015年に植えたぶどうの苗木は2016年に初めての実を付けたが、残念なことに全てイノシシに食べられてしまい、翌2017年が待望の初収穫となる。収穫したぶどうは県外のワイナリーで醸造してもらい、記念すべき大三島初のワインが誕生した。さらに2019年には昔の小学校を改装した宿泊施設「大三島憩の家」の敷地内に醸造所を開設。名実ともに100％大三島産のワイン造りが可能になった。</p>



<p>設計上さまざまな制限があるなかで、醸造所には川田さんが今まで学んできたことを注ぎ込み、できる限りのこだわりを実現した。高低差を利用してタンクや熟成容器に原材料を移動させるグラビティ・フローシステムもそのひとつだ。ポンプを使うより負担が少ないため、ぶどう本来の味を引き出せるのだという。タンクもホーロー、樹脂、コンクリートなど、それぞれメリット・デメリットを吟味した上で、最終的にスロベニア製のオーダーステンレスタンクを採用した。フレンチオークの樽も5年物と3年物を導入。新しい樽は木の香りが強く出る一方、使い込むほどに香味は穏やかになり、ワインとの調和が深まっていく。年数ごとの個性を見極めながら使い分けるのも、川田さんのこだわりのひとつだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">まずはより多くの人に受け入れてもらえるワインを</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_027.jpg" alt="" class="wp-image-54339" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_027.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_027-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_027-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川田さんが目指しているのは“日本らしい”ワインだ。「欧米の基準に並ぶことを目指すよりも、日本で育てられたぶどうで、日本の風土の中から生まれる味わいを大切にしたい。そこから生まれる“日本らしいワイン”にも、確かな価値があると思っています。かつては“水のようだ”とも言われた軽やかさは、裏を返せば、どんな料理にも寄り添える柔らかさでもある。肩肘張らず、食卓の中で生きる。それが、日本らしいワインなのではと感じています。」と話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ぶどうとワインと共にある大三島での心地よい暮らし</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_035.jpg" alt="" class="wp-image-54340" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_035.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_035-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_035-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川田さんが大三島に移住してきて10年。ぶどう栽培やワイン造りにおける変化も大きいが、川田さん自身にとってもいろいろなことがめまぐるしく変わった10年間だったという。</p>



<p>「単身で大三島に来ていたのが、奥さんと出会って結婚して子どもが生まれた。ぶどうの栽培とワイン造りに来ていたのが “ここで暮らす”に生きる意味が変わった10年でした。インフラ面などで不便を感じることは少しあっても、毎日が充実していて、心から大三島での生活に満足しています」という。</p>



<p>現在の島民は約5,000人。もともとの住民は減少傾向にある一方で、島外からの移住者は増えてきているという。移住の理由は人それぞれだが、瀬戸内海に住みたい、地域おこし協力隊のようにこの島で何かしてみたい、旅で来て気に入ったのでここに住みたい、というものが多いという。移住しなくとも、住所や仕事を残したままで2拠点生活をしている人もいて、そのうち島を出ていく人の数と移住してくる人の数が逆転するんじゃないだろうか？と川田さんは笑いながら言う。</p>



<h2 class="wp-block-heading">​​瀬戸内海の小さな島から発信するドメーヌワイン</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_038.jpg" alt="" class="wp-image-54341" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_038.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_038-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/O_038-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>たくさんの魅力がある大三島ではあるものの、一方で問題もある。近年の温暖化による気候への対応は深刻な課題だ。特に2024年の夏は命に関わるほどの猛暑で、人間もぶどうも乗り切るための苦労を余儀なくされたという。</p>



<p>さらに川田さん曰く、ぶどうもワインも品質・技術ともにまだまだ満足できるレベルには達していないという。「“大三島の味”というものをまだ自分の中に確立できていないんです。なのでまずはそれをはっきりさせたい。目指すのは大三島の空気感を表現したワイン。親しみがあって味わい深く、大三島の海や風を感じられるようなワインを目指したいんです」と話す。</p>



<p>納得できる味わいのワインを造ること、そしてワインを飲む習慣のない島の人たちに自分たちのワインを飲んでもらえるようになること。その上で、日本ワインコンクールで賞を取ることが当面の大きな目標であり、その先には海外コンクールへ挑戦してみたい。川田さんの夢は広がっていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54325/">目指すのは瀬戸内の風土と空気を感じさせるワイン。「大三島みんなのワイナリー」／愛媛県今治市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>この土地の恵みを大事に、川敬商店でしか味わえない日本酒を。「川敬商店」7代目･川名由倫さん／宮城県遠田郡美里町</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/54289/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 10 Apr 2026 09:51:07 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[酒造]]></category>
		<category><![CDATA[日本酒]]></category>
		<category><![CDATA[山廃仕込み]]></category>
		<category><![CDATA[黄金澤]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0108.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>川敬商店の代表兼杜氏として酒造りを行っている川名由倫（ゆり）さん。伝統を重んじながらも、新しい技術や挑戦を取り入れ、「伝統は攻めてこそ守られる」という姿勢で酒造りに向き合っている。特に主要銘柄「黄金澤（こがねさわ）」は、 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54289/">この土地の恵みを大事に、川敬商店でしか味わえない日本酒を。「川敬商店」7代目･川名由倫さん／宮城県遠田郡美里町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0108.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>川敬商店の代表兼杜氏として酒造りを行っている川名由倫（ゆり）さん。伝統を重んじながらも、新しい技術や挑戦を取り入れ、「伝統は攻めてこそ守られる」という姿勢で酒造りに向き合っている。特に主要銘柄「黄金澤（こがねさわ）」は、芳醇な香りとスムースな口当たりで、日本酒初心者から愛好家まで多くの人を魅了。選ばれる酒造りのために、由倫さんが大切にしていることとは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">創業120年。伊達家ゆかりの商家がはじめた「川敬商店」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0004.jpg" alt="" class="wp-image-54296" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0004.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0004-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0004-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>1902年、初代･川名敬治が宮城県北東部の遠田郡涌谷町（わくやちょう）で創業した「川敬商店」。そのルーツは、仙台藩･伊達家出入りの金物商にある。地租改正により自作田を得たことをきっかけに、涌谷町の南に位置する美里町へ移転。米の生産が盛んで、土地の肥沃さが古くから知られていた美里町だが、川名家が取得した土地は沼地が多く、稲作には不向きだったという。そのため、農業に頼らない生業として酒造業に着目し、蔵を構えることを決めた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">山廃仕込みでオリジナリティのある酒造りを続ける</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0587.jpg" alt="" class="wp-image-54297" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0587.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0587-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0587-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川敬商店は創業時から、自然の乳酸菌の働きを利用して酒母（しゅぼ）を育成する「山廃仕込み」にこだわってきた。酒母とは酵母を増やして発酵の土台をつくる工程で、日本酒の味わいを左右する重要な要素。時間も労力もかかり高い技術が必要とされる造り方のため、一時期は生産を6割ほどにとどめて、人工的に作られた乳酸を直接添加する「速醸造り」でまかなっていた。しかし、今では山廃仕込みの酒が生産の9割を占める。その理由を由倫さんは「山廃仕込みは蔵ごとの個性が出やすく、川敬商店らしい味わいを表現できます。今の川敬商店には欠かせないと感じています」と話す。</p>



<p>地元の米と水にこだわり、丁寧に醸された「黄金澤」は繊細で上品な味わいが特徴で、食事とともに楽しめる日本酒として高く評価されている。冷や、ぬる燗、熱燗とどんな温度でも美味しく味わえるのも人気の理由。名前の由来は、金の採取で有名な涌谷町の商人が醸したことにある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本酒離れの時代に育った一人娘の役割</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0599.jpg" alt="" class="wp-image-54298" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0599.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0599-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0599-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>由倫さんにとって子どものころから蔵が身近にあることは当たり前の風景ではあったが、そこにどのような歴史や技術が詰まっていたのか、関心を持つことはなかったという。だが、年齢を重ね、地域や家族の記憶に触れる中で、次第にその重みを理解するようになる。</p>



<p>多感な時期に日本酒の消費量が激減したこともあって、酒造りは「報われない仕事」と思っていた。しかし、その考えを変えたのは、2011年3月に発生した東日本大震災。実家が倒壊し、復旧にも時間がかかったこともあって、酒蔵を営む家の一人娘として生まれた意味を考えるようになったのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">酒造りのすべてを“一から”学び、杜氏を志す</h3>



<p>震災を機に、川敬家の一人娘である由倫さんは家業を継ぐことを考え始めた。本当に継ぐかどうかはともかく、酒造りとはいったいどういうものなのか知ってみようと、酒類総合研究所東京事務所（2015年に広島県にある本部に統合）で行われた40日間の講習会に参加した。酒類総合研究所は、酒類の品質や醸造技術を研究する国の研究機関で、全国の酒造関係者が学びに訪れる教育プログラムも提供している。「やってみたら、酒造りもけっこうおもしろかった」と笑って振り返る。</p>



<p>その感覚が酒造りをイチから学ぶ後押しとなり、2012年に「川敬商店」へ入社。最初は何もわからず戸惑ったそうだが、周囲の人々に教えてもらいながら、少しずつ酒造りの面白さに気づいていったという。そして、お父さまの亡き後、2019年に杜氏として酒造りの責任を背負うことになった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">素材の状態を見極め、おいしい酒に仕立てる</h3>



<p>由倫さんがこだわっているのは、米を手で研ぐこと。一部機械も使用してはいるが、5kgずつ手で研ぐことで、米の割れや吸水状態を細かく確認でき、狙った酒質に近づけやすいという。近年は米の硬化傾向があり、その洗い方によって酒の質も変化してしまうため、最新の注意を払う。洗う時には、食用米のように強く研ぐのではなく、優しく糠を取り除くイメージで洗うのだという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">より良い酒造りを目指し、川敬商店の新たな味を探求</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_B_6452.jpg" alt="" class="wp-image-54299" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_B_6452.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_B_6452-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_B_6452-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在の川敬商店の酒造りは、「飲んでくださる方を想い、心清らかに醸す」をテーマに掲げている。そのために、麹作りから酒母、醪（もろみ）まで、長期低温発酵させる「吟醸造り」にすることを徹底。そうすることで、きれいな味の酒に仕上がるから。</p>



<p>ただ、「他社の麹と比較すると、ややおとなしい印象があるため、今後は力強い麹造りにも挑戦したい」と話す。目指すのは、透明感としっかりとした骨格を持つ酒だという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">コロナ禍で見つめ直した「黄金澤の立ち位置」</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0027.jpg" alt="" class="wp-image-54300" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0027.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0027-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/04/kawakei_A_0027-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>コロナ禍で日本酒需要が落ち込む中、由倫さんはあえてブランドの見直しに時間をあてた。その結果、「黄金澤」が持つ魅力や位置づけがより明確になったそうだ。どんな料理にも合わせられる“食卓に調和する酒”を追求し、人々に寄り添う存在であり続けること。そのために、「常に新しい挑戦を続け、より美味しい酒をつくりたい」と意気込む。</p>



<p>華美ではないが、料理を引き立て、飲み手の時間を豊かにする。その積み重ねこそが、川敬商店が120年守り続けてきた価値なのだろう。「黄金澤」はこれからも進化し続け、愛され続けていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54289/">この土地の恵みを大事に、川敬商店でしか味わえない日本酒を。「川敬商店」7代目･川名由倫さん／宮城県遠田郡美里町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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