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	<title>染織・織物 - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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	<title>染織・織物 - NIHONMONO</title>
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		<title>琉球紅型の未来を見据えたものづくりをする、知念紅型研究所 知念冬馬さん／沖縄県那覇市</title>
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		<pubDate>Tue, 31 Mar 2026 06:05:52 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-001.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>鮮やかで大胆な配色と図柄、沖縄にいにしえから伝わる染めの技術である琉球紅型（びんがた）。紅型は、琉球王朝の王族の着用品として仕立てられ献上されていた。那覇にある知念紅型研究所の10代目当主・知念冬馬（とうま）さんは、新し [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-001.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>鮮やかで大胆な配色と図柄、沖縄にいにしえから伝わる染めの技術である琉球紅型（びんがた）。紅型は、琉球王朝の王族の着用品として仕立てられ献上されていた。那覇にある知念紅型研究所の10代目当主・知念冬馬（とうま）さんは、新しい風を吹き込みながら紅型と日々向き合っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">王族に紅型を献上していた、紅型三宗家のうちの一家</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-027.jpg" alt="" class="wp-image-54261" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-027.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-027-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-027-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>沖縄に伝わる伝統工芸で、唯一の染め物である紅型。古くは、着用品として琉球王朝の王族のためだけに作られていたものだが、現在は着物や帯、小物などに施され、広く親しまれている。もともとは、「びんがた」と、平仮名表記だったけれど、昭和に入り漢字で紅型と表されるようになったのだそう。</p>



<p>今から120年ほど前までの琉球王朝時代、王族への献上品として紅型を仕立てていたのは、紅型三宗家といわれた城間家、沢岻（たくし）家、そしてこちらの知念家だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">大戦による紅型の衰退と復興</h3>



<p>ところが、廃藩置県や薩摩侵攻などにより王制が解体され、450年ほど代々続いた仕事がなくなってしまった。生業としては継続できないけれど、紅型の技術を途絶えさせてはならないと、明治以降もどうにか制作を続けた家もあった。知念家は他の仕事で生計を立てながら、紅型の道具や資料を大事に守り続けた。時が経ち、昭和の戦後復興の沖縄で、冬馬さんの祖父・貞男さんが紅型を続けていた親戚に知念の紅型を教わり家業として復活させた。</p>



<p>職人たちは、舞踊の琉装やお土産品として紅型の制作をはじめ、沖縄の工芸として復興させていった。1972年頃から、本土から和装として注文が入るようになり紅型界にも活気が戻ってきた。そうして1984年には、「琉球びんがた」として経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">歴史ある琉球紅型を受け継ぐ10代目</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-053.jpg" alt="" class="wp-image-54262" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-053.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-053-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-053-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>那覇空港からほど近い場所に工房を構える知念紅型研究所。現在の当主、知念冬馬さんは、京都でグラフィックデザインの勉強をし、大阪でデザイナーとして働いた後に、アートを深めるためにイタリア・ミラノへと留学した。そこで芸術作品や当たり前に残る歴史ある建物などを日常的に目にするなかで、「自分も、消費されずに残っていくものづくりがしたい。自分の世界を表現したい」という思いがかたまったという。いつかは継ぐつもりでいた家業の紅型、自分が行き着いた想いにぴったりだった。</p>



<p>その決意を胸に沖縄へ戻り、知念紅型研究所で紅型と向き合う日々が始まった。22歳での帰郷は考えていたよりも早かったが、まずは自身の技術を磨くことを第一に考えれば最良の選択だった。しかし、その矢先、これまで工房を守っていた祖父が急逝し、工房に入って数ヶ月で経営まで自分が行わなくてはならなくなった。その数年、本当に必死だったと振り返る。</p>



<p>知念さんは、2021年には日本伝統工芸展日本工芸会の新人賞を受けるなど、いくつもの賞を受賞している。また現在は、琉球びんがた普及伝承コンソーシアムの理事、琉球びんがた事業協同組合の副理事を務めている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">沖縄独特の紅型が生まれる工程</h2>



<p>紅型の製作には、デザインをした図案を彫った型紙を用いる。その型紙を生地にあて、上から防染糊（ぼうせんのり）を塗る。乾かし、糊ののっていない箇所に段階的に顔料（がんりょう）を染め重ねる。次は染めた部分に糊をのせ、最後にそれ以外の地色を染める。色を定着させるため、蒸して水洗いをし乾かして完成だ。大まかに説明するとこうだけれど、きちんとわけると完成までに10以上もの工程がある。</p>



<p>生地の素材に決まりはないが、絹や綿などが用いられることが多い。しばりがない分、多種多様な染め方ができるのだそうだ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-007.jpg" alt="" class="wp-image-54263" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-007.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-007-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-007-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>藍色がきれいなこの図柄は「アメフィーバナ」。沖縄の言葉で雨降り花の意味で、ノアサガオが描かれている。地の青の部分は琉球藍で染められている。琉球藍は本土の藍よりも、青みが強く深みがあるという特徴を持つ。　</p>



<p>背景の地色は植物などから得る天然の染料、柄自体には顔料を用い、発色の強い顔料で紅型の力強さを表現する。染料は水溶性で生地の内部まで入り込むため下地に馴染んだ色となり、顔料は粒子として表面に付着するため、鮮やかな色が表現できる。それぞれの性質を活かした色彩のコントラストがこだわりだ。</p>



<p>知念さんは「顔料が表に出てきて、柔らかさのある染料は少し後ろに下がるんです。それでメリハリのある立体感が生まれて奥深い作品に仕上がっていきます」と語る。さまざまな顔料を使い、色自体もそれぞれの図案ごとに配合していく。</p>



<p>沖縄に戻り、本格的に紅型を始めた当初は、祖父のデザインとは違った、自分オリジナルのものを作りたいという意識が強く、実際いろいろ挑戦してきたけれど、様々な日々の制作を重ねていくごとに、代々伝わる図柄の染めやすさとか、色をつけた時の美しさなどに気づくことも多かったという。</p>



<p>昔から好まれる古典の柄は変わらず好きな人も多いので、歴史ある古典の柄は作り続け、それに加え、若い人たちも親しみやすいようなモダンな柄も意識し、時代の移り変わりとともに長く愛してもらえるような商品を制作する。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-076.jpg" alt="" class="wp-image-54264" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-076.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-076-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-076-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>型置きという、型紙を置き、防染糊をヘラで塗っていく作業を行う。糊でマスキングし、この後に染める染料の色が染まらないようにするためだ。糊をすくい、均等にのばし、そっと型紙をはがし、柄がきちんとつながるように隣に型紙を置く。スピードが遅いと、すぐそばから乾燥して目詰まりしたり、紙を剥がすと穴だらけになってしまったりするのだそう。知念さんの所作は、流れるようになめらか。この作業は、沖縄に戻ってきた年は1日に生地1本しかできなかったのが、今では1日に15本もできるのだとか。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-059.jpg" alt="" class="wp-image-54265" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-059.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-059-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-059-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>もち米やぬかで手作りする防染糊には青い顔料を混ぜている。そうすることによって、後の<s>地</s>染めの時の発色がよくなるのだそうだ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-037.jpg" alt="" class="wp-image-54266" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-037.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-037-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-037-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>細かい色をのせていく「色差し」は2本の筆を同時に持って行う。つけ筆で顔料をのせていき、刷り筆で粒子の粗い顔料を生地に浸透しやすくするために刷り込んでいく。その次の工程では、模様のイメージを強調させるために、さらに色を差しながら筆でぼかしを入れ、ここでも立体感を出していく。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-042.jpg" alt="" class="wp-image-54267" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-042.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-042-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-042-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>筆も、幾種類もあり、生地によって使うものを変える。道具は手作りのものも多い。</p>



<h3 class="wp-block-heading">倍の手間がかかる大作、朧型を毎年手がける</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-017.jpg" alt="" class="wp-image-54268" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-017.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-017-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/chinenbingata-017-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「花降る島」と名付けられたこちらの着物は、異なる図柄の型紙を2枚重ねて染める朧型という技法で作られている。2倍の手間がかかり、高い技術が求められるので、手をつける人は多くはないのだそう。労力はかかるけれど、知念さんはこの朧型が好きで度々手がけるのだそう。この生地は近くの南風原町で作られた、シルクの薄い生地である壁上布が用いられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">SNSでの発信で紅型ファンを増やす</h3>



<p>異業種とのコラボレーションも積極的に行っていて、地元のやきものに紅型の柄を転写させたり、泡盛のラベルデザインに紅型を施したりなどと、沖縄の特産品同士のコラボも手がけている。染め物に興味がない人にも見てもらえる機会となるし、もちろんその逆もあると考える。</p>



<p>現在知念さんは、SNSでの発信を積極的に行っている。制作の工程を動画で紹介したりと、紅型に興味を持ってもらえるような投稿をしている。投稿だけでなく、動画の編集もすべて知念さんが行っているそう。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/image-54-1024x683.jpeg" alt="" class="wp-image-54253" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/image-54-1024x683.jpeg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/image-54-300x200.jpeg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/image-54-768x512.jpeg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/image-54-1536x1024.jpeg 1536w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/image-54.jpeg 1600w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>その効果か、実際、工房を見学に訪れる人の数は増え続けていて、紅型を知らなかった全国の若い世代にもSNSでの発信を見てもらえている様子。</p>



<p>それから、製品を扱ってもらっている本土の呉服屋さんには度々出向いている。接客もしながら、地元沖縄とはまた違った、その土地ごとのお客さんの好みなどを直接聞くことができる。それを持ち帰り制作に活かすことも多い。</p>



<p>現在、知念紅型研究所では、熟練の職人から、紅型職人を目指してやってきた若手まで10人ほどが勤めていて、それぞれの持ち場できびきびと手を動かしている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">琉球紅型の未来を見据えて</h2>



<p>「文化だからとか、伝統だからとか、特別なことじゃなくて、仕事として続けていく。それが歴史文化になっていくと思う」という知念さんの言葉からは、これからの琉球紅型を見据え、背負う覚悟のようなものが感じられる。</p>



<p>「楽しくないと続かないし、難しさがあるからあきずに新しい挑戦ができる。スタッフたちにも自分がチャレンジしていく姿を見せていきたいし、これからも自分を追い込みながら、現代における紅型というものを作っていきたい」とまっすぐな思いが発せられる。</p>



<p>この先も琉球紅型が発展し続けるように継承を続けながら、軽やかにストイックに挑戦を続け、琉球紅型界を明るく牽引してくれるだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54250/">琉球紅型の未来を見据えたものづくりをする、知念紅型研究所 知念冬馬さん／沖縄県那覇市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>自宅工房で紡ぐ伊予絣。伝統工芸を未来へとつなぐ。伊予絣作家･村上君子さん／愛媛県松山市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 08 Mar 2026 09:14:21 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[伊予絣]]></category>
		<category><![CDATA[愛媛県指定無形文化財]]></category>
		<category><![CDATA[日本三大絣]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸品]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-9.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本三大絣のひとつであり、愛媛の伝統工芸品の「伊予絣（いよがすり）」。54歳頃から機織りを始めた伊予絣作家の村上君子さん。伝統工芸展への挑戦、そして伊予絣に向き合う姿勢は、まさに“生きること＝織ること”を体現している。  [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-9.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本三大絣のひとつであり、愛媛の伝統工芸品の「伊予絣（いよがすり）」。54歳頃から機織りを始めた伊予絣作家の村上君子さん。伝統工芸展への挑戦、そして伊予絣に向き合う姿勢は、まさに“生きること＝織ること”を体現している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">50代で出会った機織りと伊予絣</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-37.jpg" alt="" class="wp-image-54151" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-37.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-37-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-37-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>　1948年生まれ、伊予絣作家として活動する村上さん。機織りを始めたのは、意外にも50歳を越えてから。長年アートフラワー講師として活動していたが、手首の故障をきっかけに作品作りが難しくなり、その道を離れることを決意。以後は「人に教えること」からも距離を置き、自分自身が心から楽しめる、新たな表現を探し始めたという。</p>



<p>　陶芸や木彫など新たな手仕事に挑戦する中で、最も心を惹かれたのが「織り」だった。「幼い頃、通学路に絣工場があって。ちょうど石手川（いしてがわ）沿いの土手で糸を張って作業をされていたんです」。その光景は村上さんの中の原風景。藍で染められた糸を使う紺屋（こんや）たちの仕事を時にはこっそり眺め、子どもながらに遊び心を刺激された記憶が、時を経て心を動かした。機織りの作業は幸いにも、故障していた手の動きとも合っており、この先も続けられる手仕事だった。現代の伊予絣作家、白方宣年（しらかた のぶとし）氏が主宰するイオリ工芸の染織教室に入門し、5年間学んだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">手間ひまが生む、親しみやすい絣の魅力</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-12.jpg" alt="" class="wp-image-54152" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-12.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-12-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-12-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>　かつて松山を含む伊予地方では、綿花の栽培が行われており、暮らしのなかに木綿を扱う文化が息づくなかで「伊予絣（いよがすり）」は発展した。</p>



<p>　</p>



<p>　絣（かすり）は、織り出された文様の輪郭にかすれたような表情があらわれるのが特徴の織物。経糸（たていと）や緯糸（よこいと）を部分的に括（くく）ることで染料が染み込まない箇所を作り、藍染めを施す。そして白と藍のコントラストが美しい絣独特の風合いを生んでいる。伊予絣は久留米絣（福岡県）･備後絣（広島県）と並んで「日本三大絣」と称されるが、比較的に緯糸にのみ絣糸を用いて織られた絣模様「横絣（よこかすり）」を中心とした構成が多いという。</p>



<p>　「一反で17メートルの糸を仕掛けた場合、緯糸（よこいと）だけで1000ヶ所以上もの括りが必要となることもある」と村上さん。そのため、経糸（たていと）の括りには約1ヶ月程度を要するのに対し、緯糸（よこいと）の括りは2〜3ヶ月かかるなど、手間が非常にかかる工程になるそう。横絣は模様が横方向に連続して展開されるため、繊細かつ規則的な模様表現が可能となるが、その分制作には高度な技術と時間が必要とされる。この特徴が伊予絣の素朴で親しみやすいデザイン性と密接に結びついており、実用的で日常に根ざした織物としての魅力を生み出している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">好奇心をカタチに、緻密に織り仕上げる</h3>



<p>　村上さんの伊予絣制作の出発点は、花をモチーフにしたデザインが多かった。しかし、制作を続ける中で、日常生活で感動したものをデザインに取り入れるようになったという。「何度も眺めながら仕上げていく」と語るように、村上さんの作品には好奇心が色濃く反映されている。近年では、道後公園の断層や小惑星探査機「はやぶさ2」など、地球や宇宙にまつわるモチーフが新たなテーマとして登場している。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-18.jpg" alt="" class="wp-image-54153" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-18.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-18-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-18-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>　デザインが完成すると、模様を正確に織り出すために、糸の括る位置や量を細かく計算し設計する工程に移る。「仕上げる時にもズレないことを心がけています。絣はズレも味わいのひとつと言われますが、私は計算したものが計算通りに仕上げられないと悲しいんです。私の性格でしょうね」と村上さんは笑顔で話す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">工房は自宅、日常に息づく手仕事</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-34.jpg" alt="" class="wp-image-54154" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-34.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-34-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-34-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>　村上さんは工房を持たず、自宅で全工程を一人で手がけている。機織りの作業は全体の2〜3割程度で、ほとんどの時間を染色や糸の準備に費やす。自室ではデザインを考案し、ガレージでは発酵させた藍を使って染色を行う。湿度や温度、そして染液の酸性･アルカリ性を示すpHを測定しながら、藍を最適な状態に保つのも重要な仕事だ。染色は40回ほど繰り返され、仕上がりまでに約1ヶ月を要する。その後、時間をかけて糸を解き、成形していく。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-14.jpg" alt="" class="wp-image-54155" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-14.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-14-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-14-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>　そしてリビングに置かれた機織り機で織り進める。驚くことに、その機織り機はご夫妻で手作りしたもの。伊予絣会館にあった機織り機を詳しく観察し、村上さんが設計図を描き、ご主人が村上さんの身長に合わせて製作したという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統工芸展への挑戦と伊予絣の伝承</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-7.jpg" alt="" class="wp-image-54156" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-7.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-7-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-7-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>　複数の工程を同時に進めながら、村上さんが1年で仕上げる伊予絣はわずか2～3枚。長い時間をかけて織り上げた作品が完成したときは、胸が高鳴るという。</p>



<p>　2011年には「第45回 日本伝統工芸染織展」にて、伊予紬織着物《薫風の時》が山陽新聞社賞を受賞。その後も完成させた作品を、染色展や日本伝統工芸展などへ積極的に出品している。全国を巡回する日本伝統工芸展への挑戦は、伊予絣を広く知ってもらう貴重な機会。挑戦し続けることが、伝承につながっている。</p>



<p>　2021年には日本工芸会の正会員に認定され、2025年には伊予絣が愛媛県指定無形文化財に指定。村上さんはその技術保持者として認められた。これからも、制作に向き合いながら、伊予絣をカルチャーとして広めていく。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-33.jpg" alt="" class="wp-image-54157" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-33.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-33-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/murakamikimiko-33-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「主婦が台所仕事や掃除の合間に作業をしています。ひとりで少しずつ、楽しみながら。この歳になって打ち込めることがあるのは幸せなことですから」と、村上さんは穏やかに語る。</p>



<p>　50代から始め、「自分が心から楽しめること」を求めてたどり着いた伊予絣。暮らしの中で糸と向き合い、少しずつ仕上げていく作業は、村上さんにとって人生そのものでもある。「いい作品をどれだけ残せるかも挑戦」と語るその姿からは、確かな探究心と、受け継がれてきた伝統工芸の技を未来へとつなげていこうとする意志がにじむ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54143/">自宅工房で紡ぐ伊予絣。伝統工芸を未来へとつなぐ。伊予絣作家･村上君子さん／愛媛県松山市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>繊細な色をたて縞で表現する小倉織。「遊生染織工房」築城則子さん／福岡県北九州市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 02 Feb 2026 11:53:35 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<category><![CDATA[織物]]></category>
		<category><![CDATA[小倉織]]></category>
		<category><![CDATA[小倉 縞縞]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_406.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福岡県の北部、北九州市八幡東区にある「遊生（ゆう）染織工房」は、北九州が誇る伝統工芸・小倉織の工房。主催の築城（ついき）則子さんが、草木で糸を染め、手織りしながら、色彩豊かな小倉織を生み出し続けている。国内外の人々を魅了 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53991/">繊細な色をたて縞で表現する小倉織。「遊生染織工房」築城則子さん／福岡県北九州市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_406.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福岡県の北部、北九州市八幡東区にある「遊生（ゆう）染織工房」は、北九州が誇る伝統工芸・小倉織の工房。主催の築城（ついき）則子さんが、草木で糸を染め、手織りしながら、色彩豊かな小倉織を生み出し続けている。国内外の人々を魅了する、その創作の源とは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">地厚で丈夫。美しいたて縞で魅せる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_416.jpg" alt="" class="wp-image-53997" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_416.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_416-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_416-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>小倉織は経糸（たていと）と緯糸（よこいと）を1本ずつ交差させていくシンプルな織物。しかし、経糸を多く使い緯糸の約3倍の密度があるのが特長だ。そのため緯糸が見えにくく、たて縞が鮮明にあらわれ、見る人を惹きつける美しさを放つ。糸の色の濃淡で立体感を生み出した、なめらかな風合いの唯一無二の織物だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">江戸時代には袴や帯。明治時代には学生服として流通</h2>



<p>江戸時代に豊前小倉藩（現在の北九州市）で生まれた小倉織。この地が木綿の産地であったことから、武家の女性たちが木綿糸で織物を織るようになる。生地に厚みがあり丈夫だったため、次第に武士の袴や帯として織られ各地に広がっていった。徳川家康が鷹狩りで羽織として身につけたことでも知られ、「槍をも通さぬ小倉織」と称えられて重宝された。</p>



<p>明治時代には、黒と白の糸を撚ったグレーの生地「霜降小倉（しもふりこくら）」が、男子学生の夏の制服として全国に広まった。しかし、機械織で安価なコピー商品が各地でつくられるようになり、その波にのまれて小倉での生産は下火に。また小倉は製鉄所で栄える“鉄の町”となり、昭和初期には小倉織の最後の工場が閉鎖となり途絶えてしまう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">骨董店で小倉織の端切れとの運命的な出合い</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_410.jpg" alt="" class="wp-image-53998" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_410.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_410-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_410-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>北九州市八幡東区の静かな里山にある「遊生染織工房」。主宰である染織家の築城則子さんは、小倉織を復活させたその人だ。北九州市で生まれ育ち、文学が好きだった築城さんは大学で能や浄瑠璃などの古典芸能を学ぶなかで能装束の美しさに夢中になる。</p>



<p>京都で西陣織の織元を訪ねた際に、職人技の素晴らしさに感動しつつも自分が表現したいのは文様ではなく“色”なのだと気づいた築城さん。思い切って大学を中退し、染織の世界に身を投じた。北九州市内の織物研究所で糸染めや織りの基礎を身に付けた後、沖縄・久米島に渡り、琉球王国時代から受け継がれる久米島紬（くめじまつむぎ）の工房でおばあ達を手伝いながら紬織を学んだ。久米島は、紬が久米島を起点に全国へ広がったとされる「紬の発祥地」。久米島紬は国の重要無形文化財にも指定されており、染織技術を学ぶには欠かせない場所だった。しかし、なかなかこれだと思う作品はつくれなかった。</p>



<p>ある日、衝撃的な出合いが築城さんに訪れる。たまたま訪れた骨董店で、小倉織の端切れを見つけたのだ。10センチほどの小さな端切れは、織物なのにたて縞しか見えない。驚く築城さんに「江戸時代の小倉織ですよ」と店主は言うが、築城さんにとって小倉織はグレーの学生服というイメージしかなかった。たて縞の美しいグラデーション、厚みがありつつも絹のような質感は、150年ほど前のものと思えないほど新鮮なものとして築城さんの目に映った。「生まれ育った地に、自分の目指す織物があったなんて！とても幸せな出合いでした」と築城さんは目を細める。</p>



<h3 class="wp-block-heading">小倉織を復活、そして再生する </h3>



<p>当時、周囲に江戸時代の小倉織を知る人はおらず、築城さんは工業試験場で端切れを組織分解して調べてもらう。そこで、織物は経糸と緯糸が１対１の割合になるのが一般的だが、小倉織は2対1になり経糸が多いことがわかった。早速、その割合にして織ってみるが、古い端切れのようななめらかさが出ない。さらに調べると、なめらかな風合いは使い続けた経年変化であることがわかった。</p>



<p>築城さんは、経年変化ではなくはじめからなめらかな質感の生地をつくりたいと、糸を細くして本数を増やし、密度を上げることで、木綿の生地でありながら絹のような艶っぽさを完成させる。歴史ある小倉織を築城さんがさらに進化させた「再生」といえるだろう。こうして1984年に小倉織は復活。築城さんは、先人たちに敬意を込めて小倉織として作品を発表しはじめる。一目で「小倉織だ」とわかる色彩豊かな縞模様があるからこそ、多くの人に受け入れられたという。そして、最初の作品は日本伝統工芸展に入選。</p>



<p>しかし、復元に成功したと言っても、納得のゆく小倉縞の意匠を体得するのに3年かかったという。伝統的な配色にとらわれずにもっと自由に色を使いたいという思いから織った薄紅色の帯「梅の頃」は1991年に西部伝統工芸展で朝日新聞社賞を受賞。現在までに600点を越える作品を生み出し、今では北九州は小倉織の産地として認知され、新しい作り手が数人誕生している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">草木の力をかりて、透明感のある色を表現 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_467.jpg" alt="" class="wp-image-53999" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_467.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_467-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_467-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>工房周辺の草木など、自然のもので木綿糸を染める築城さん。「草木で染めるのはとても面白いんです。例えばローズマリーだと、花が咲く前は黄みがかった色に染まり、花が咲くとオリーブ味が強く染まる。同じ植物でも、時期によって色が変わるんですよ」。</p>



<p>草木染めは化学染料での染色と違って、すぐに染まらず時間がかかるため、濃淡をつくるのにとても適している。追っかけで糸を追加して薄い色にしたり、思いつきやその時の気分を反映しやすくて、人間のリズムにとてもあうのだという。「何より、自然由来のやわらかな色は透明感があります」と築城さんは話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">織る前に何千本もの経糸を準備</h3>



<p>小倉織はたて縞が浮かび上がるという特性上、チェック柄もよこ縞もできない制約が多い織物だ。「でもそれは、小倉織の特色がぶれにくいということでもあります。小倉織は経糸の色だけが見えるので、糸の色がそのまま反映できるのがいいところですね。だからどれだけ“絵の具”を持っているかが勝負になるので、糸は常に染め続けています」。</p>



<p>その糸をデザインに合わせて事前に準備する「整経」も大事な工程だ。経糸を整経機に並べて回転させながら、必要な色を組み合わせ、長さ、張りなどを考慮しながら巻き取っていく。一つの帯を織るのに約2,300本もの経糸を準備するなど、気の遠くなるような作業を重ねる。だからこそ、繊細な色が生み出されるのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">北九州の風土と気質にあった織物</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_485.jpg" alt="" class="wp-image-54000" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_485.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_485-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_485-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>築城さんが織り機で小倉織を織る時、「トントン」という軽やかな音ではなく、「ガンガン！」と大きな音が鳴り響く。繊細な美しさの織物からは、ちょっと想像できないような激しい音だ。「糸の密度を高めるために強い力を入れて織っていきます。やさしく織ると生地がふわふわになって締まりがないし、気を抜くと織りのムラが目立ってくるので、織り始めるととにかくもくもくと集中して進めます」。</p>



<p>「とてもかたくなな織物です」と築城さんは笑みをこぼす。「この地は、一度途絶えたとはいえ、こんなに織りにくい織物を愚直に400年も織ってきました。融通がきかなくて不器用な、北九州らしい織物ですね」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">現代的で洗練された織物が、世界を魅了</h3>



<p>手織りは生産量が少ないため、もっとたくさんの人に小倉織に親しんで欲しいと、2007年から築城さんが監修する機械織りのブランド「小倉 縞縞（こくら しましま）」も展開。手織りではできない幅広の生地をつくれるようになり、家具やインテリア、アートなど大きな作品づくりが可能になった。建築家・隈研吾氏やファッションブランド「ANREALAGE（アンリアレイジ）」の森永邦彦氏など、世界的なクリエイターとのコラボレーションは常に高感度な人々の注目の的だ。</p>



<p>しかし、築城さんの主軸はあくまでも工房での手織り。「どんなに色が重なっても、色同士が尊重しあう、協奏曲を奏でるような世界を目指しています」と語る築城さん。これまで小倉織で抽象的な世界を表現してきたが、ここ２、3年は、その中に具象性を取り入れることに挑戦している。例えばたて縞のなかに、ひとすじ斜めに雨が降るような……。「無機的なたて縞と有機的な自然界のものは相入れないように思えますが、それをたて縞の世界に持ち込みたいと思っています。まだまだ試作を重ねている段階ですが、いつかは完成させたいですね」。</p>



<p>築城さんは小倉織を復元・再生し、さらに新しい表現を模索。のびやかな感性で織り上げる築城さんの緻密で洗練された小倉織が、これからどんな新たなる美しさを見せてくれるのか、世界が待ち望んでいる。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53991/">繊細な色をたて縞で表現する小倉織。「遊生染織工房」築城則子さん／福岡県北九州市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>創設者の想いをつなぐ、南部裂織伝承者･小林輝子さん／青森県十和田市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 02 Feb 2026 11:11:58 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[織物]]></category>
		<category><![CDATA[南部裂織の里]]></category>
		<category><![CDATA[青森県伝統工芸士]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_43.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>そのむかし雪国青森では綿の栽培は難しかったため、布は大切に使われた。着古した着物は最終的に裂き、地機で織り込んで仕事着などを作るようになるが、これが後に南部裂織(なんぶさきおり)と呼ばれるようになる。小林輝子(こばやして [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53950/">創設者の想いをつなぐ、南部裂織伝承者･小林輝子さん／青森県十和田市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_43.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>そのむかし雪国青森では綿の栽培は難しかったため、布は大切に使われた。着古した着物は最終的に裂き、地機で織り込んで仕事着などを作るようになるが、これが後に南部裂織(なんぶさきおり)と呼ばれるようになる。小林輝子(こばやしてるこ)さんは創始者の想いを受け継ぎ、南部裂織の魅力を令和のいまに広めようと奮闘中だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">南部裂織とは</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_42.jpg" alt="" class="wp-image-53958" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_42.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_42-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_42-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<h3 class="wp-block-heading">この土地ならでは、といってもいい南部裂織の歴史的背景</h3>



<p>「物を大切にする女性たちの知恵」から生まれた南部裂織は200年以上の伝統があり、その歴史は江戸時代まで遡る。雪深い青森では綿花が育ちにくく、北前船で運ばれた木綿や古手木綿はとても貴重だったため、その頃の農家は栽培した天然繊維の麻を織物にして着ていた。はぎれも粗末にせずに重ねて刺し子にしたり、最後には裂いて繋いで一枚の布に仕上げたりしていた。南部裂織の原型だ。</p>



<p>明治26年に鉄道が開通すると木綿の着古された布がこの地方にも流通するようになり、農家たちは麻袋を解いた糸を経糸(たていと)に、そして使い古した布を細くテープ状に裂いて緯糸(よこいと)にして地機(じばた)で織り込むようになった。厚くて手触りがゴワゴワとした裂き織りは、冷たい風が吹き荒れるこの地方には親和性があり、仕事着やこたつ掛けとして使われてきたという。「このようにして、この地域の人々は寒さを乗り越えるために様々な工夫をして生きてきたんです」と小林さんは話してくれた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">多種多様であるとともに、全て一点ものという仕上がり</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_3810.jpg" alt="" class="wp-image-53959" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_3810.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_3810-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_3810-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「麻糸と1㎝くらいの幅に裂いた古い木綿を地機で織る」というとてもシンプルな織物なのにもかかわらず、織り方の種類は決して少なくない。最も基本的な平織(ひらおり)、布と糸を交互に織り込むサグリ織り、整経するときに２色の糸を掛けてできる市松織り(いちまつおり)や網代織り(あじろおり)、斜めの目が面白い引き返し織り、布の中に模様をつくる綴れ織り(つづれおり)などと、そのほかにもバリエーションは数多い。</p>



<p>現在では地機を使った伝統的な技法を活かしながら、仕上がりがとてもカラフルなこたつ掛け、トートバック、ベッドカバー、タペストリー、スリッパなど、現代の生活にマッチした様々なアイテムが制作可能だ。</p>



<p>そして南部裂織の大きな魅力のひとつに、「世界のどこにもないオリジナルの物を作ることができる」というものがある。「たとえ同じ布を使ったとしても、どのタイミングで織り込むか、また織る際の力の入れ方によっても、全く風合いは変わってしまうんです。同じものを作ろうと思っても、二度と作れません」と小林さんは笑う。「南部裂織の一つひとつが唯一無二」と言われる所以でもある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">南部裂織保存会のはじまりは奇跡的な出会いから</h2>



<p>それは小林さんの妹、1971年当時35歳の菅野暎子(かんのえいこ)さんが、好きだった叔母の形見分けに臨んだところから始まる。ボロボロで誰もいらない、とでもいうように部屋の隅に紫の裂織の帯が置いてあったが、菅野さんはその味わいのある色と丹念に織られた風合いに強く惹かれてしまい、「誰もいらないなら…」と持ち帰ったという。そしてその帯を見れば見るほど、菅野さんは温もりのある手織りの表情に魅せられて、裂織を知りたいと強く思うようになっていった。</p>



<p>しかしその頃には「着古した衣類やボロを織ることが恥ずかしい」として南部裂織はすでに消滅しかけていたが、そのルーツと織り方を教えてくれる人を根気よく探し歩き、翌年に十和田湖町の”東山きゑ”さんと”赤坂みせ”さんに辿り着く。二人から「裂織なんかやっても一銭にもならないよ」と言われて断られていたが、誠意を持って何度も通っているうちにようやく教えてもらえるようになったという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">燃えるような情熱で南部裂織に捧げる人生</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_4336.jpg" alt="" class="wp-image-53960" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_4336.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_4336-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/hozonkai-_N1_4336-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>菅野さんはもう一度南部裂織の価値を見直すとともに、技術と精神を学んで自らも継承者となり、1975年7月7日の棚機の日に南部裂織保存会を設立。自宅で「さきおり教室」を始め、裂織の普及に心血を注ぐとその功労を高く評価され、「青森県伝統工芸士」に認定されるなど多くの受章に輝く。</p>



<p>また「より多くの方々に南部裂織を知ってもらいたい」との想いから、何年にもわたって十和田市に掛け合い、2002年道の駅「とわだぴあ」の隣に十和田市の施設として、匠工房「南部裂織の里」のオープンにこぎつけた。75台ほどの地機がずらりと並ぶさまは壮観で、そのほとんどは菅野さんが集めたもの。「十和田市内･南部地方はもちろん、情報を聞きつけては福島県などを訪ね歩いて集めた機もあるようです」と、愛おしそうに地機を眺めながら小林さんは教えてくれた。</p>



<p>菅野さんは2003年10月に保存会設立30周年記念南部裂織フェスタin十和田を成功させると、2004年3月に他界した。がんを患っていたが最後まで隠していたという。享年67歳だった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">姉が想いをつなぐ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_38.jpg" alt="" class="wp-image-53961" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_38.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_38-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_38-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ボロを織るのが恥ずかしいと思われる時代だったため、当初世間体が悪く、南部裂織否定派だったという小林さん。ところが菅野さんが南部裂織に携わって10年ほどした頃、ちょっとしたきっかけで南部裂織をやってみるとすぐその魅力に取りつかれる。「織り機に座って、布に触れて織るというのが心底楽しくて、当時疲れていた私には本当に癒やしでした。気づけば夜中の1時、2時なんて当たり前。私が南部裂織に真剣に向き合うようになったのはそれからです」と小林さんは笑う。</p>



<p>現在では南部裂織保存会の会員は130名で、その多くは主婦だ。女性は子育てなど様々な悩みや苦労があるものだが、「それをここに全部捨てていきなさい」という創立者の想いを受け継いでいて、ここに来てストレスをためるようなことは一切ないように努力しているのだそう。また、何時集合･何時解散という決まりが無いという毎週水曜日開催の教室で学ぶ生徒は50名ほどで、仲が良いため常に笑いが絶えず、市の文化祭に向けて1年に1アイテムは作って全員提出できるよう進めている。</p>



<p>教室以外に体験することもでき、外国の方や児童･生徒の団体も多いのだそうだが、「特に子供たちにとっては新鮮らしく、楽しそうに織っているんですよ」と小林さんは目を細める。ここに体験に来て「お父さん、この織り機が欲しいから買ってほしい」とねだった子もいたのだそう。体験した人の数は11,000人を超えたという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">創始者の想う、南部裂織のあり方を守る</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_40.jpg" alt="" class="wp-image-53962" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_40.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_40-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_40-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>緯糸(よこいと)に使う使い古した布は、ホテルや旅館の浴衣が届いたり、相撲部屋など全国からの寄付でまかなっているのだそう。「お婆さんが亡くなった、母親が亡くなった、でも捨てるにもったいないから引き取ってくれますかと言って送ってくれる方もいらっしゃいます。だから、みんなに支えられているんです」と小林さん。</p>



<p>そうやってたくさんの人々に支えられながら南部裂織を広めたいと思っている小林さんだが、「芸術家を養成する施設ではないんです、後世に裂織を伝えてつなげていくのが一番です」とも話す。まだ菅野さんが運営していた時、愛好者が多くなった他の自治体から「コンテストをやりたいから企画して審査してください」とオファーがあったそうだが、裂織は絶対に競争するものではないとの信念から、ピシャリと断ったのだそう。小林さんは「裂織は競争するもんじゃない、全て一等賞。自由に、自分の感性で好きなようにやればいいんです。それは妹から引き継いだ強い想いのひとつでもあります」と話してくれた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">会の半世紀の軌跡とこれからの試み</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_39.jpg" alt="" class="wp-image-53963" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_39.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_39-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/nanbusakiorihozonkai-_N1_39-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2025年に南部裂織保存会はちょうど50周年を迎え、その記念事業として「次世代につなぐ」をテーマに記念作品展･無料体験会を開催し、受け継いできた手技を見せる500点以上もの作品、各教室で織りつないだ50mの織布を展示するなど、様々な挑戦も試みている。「南部裂織は地元の誇るべき文化で今後の地場産業にもなりうる」との想いから、伝統的なものに加えて現代にもマッチした裂織も製作･販売中だ。フランス在住の日本人デザイナーから、男性用スーツのための藍染の裂織布地のオーダーがあったことも。</p>



<p>「今はスイッチを押すと電気で何でも動くでしょ。昔と変わらず自分の手足がエネルギーとなって物が作れる、と子どもたちに伝えていかなきゃダメだと思っています。南部裂織が色あせないのは、ものを大事にするという誰もが持ち合わせている気持ちがあるからなんでしょうね。もっとたくさんの人に知っていただくのが私の使命です」と小林さん。南部裂織の伝統と創始者の想いを引き継ぎ、また、誰もが居場所のある社会にするべく、今日も小林さんたちはいろとりどりの経糸(たていと)に、裂いた布を緯糸(よこいと)にして一段一段織りこんでいく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53950/">創設者の想いをつなぐ、南部裂織伝承者･小林輝子さん／青森県十和田市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>着物の美しさを引き立て、伝統を後世へとつなぐ「江戸組紐 中村正」中村航太さん／千葉県松戸市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 27 Oct 2025 07:58:17 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<category><![CDATA[江戸組紐]]></category>
		<category><![CDATA[千葉県指定伝統的工芸品]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>中村航太（こうた）さんは約130年の歴史を持つ組紐（くみひも）工房「江戸組紐 中村正（しょう）」4代目として、主に帯締めや羽織紐を手組みで作る千葉県指定伝統的工芸品製作者。東日本伝統工芸展での入選を重ねる実力派であると同 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53450/">着物の美しさを引き立て、伝統を後世へとつなぐ「江戸組紐 中村正」中村航太さん／千葉県松戸市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>中村航太（こうた）さんは約130年の歴史を持つ組紐（くみひも）工房「江戸組紐 中村正（しょう）」4代目として、主に帯締めや羽織紐を手組みで作る千葉県指定伝統的工芸品製作者。東日本伝統工芸展での入選を重ねる実力派であると同時に、着物の美しさを引き立てる組紐が支持され、百貨店や呉服店での実演も数多くこなす。</p>



<h2 class="wp-block-heading">和装文化を支える江戸組紐</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-2.jpg" alt="" class="wp-image-53461" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>江戸川を挟んで東京と埼玉に隣接している松戸市。市の中心部である松戸駅界隈は江戸時代に水戸街道の宿場が設けられて栄えた歴史があるが、現在の駅前はビルや商店が立ち並ぶ。そんな風景の中にありつつも、伝統工芸の歴史を連綿と受け継いでいるのが、松戸で明治時代から約130年続く江戸組紐の老舗「中村正」である。</p>



<h3 class="wp-block-heading">代々受け継がれてきた江戸組紐 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-6.jpg" alt="" class="wp-image-53462" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-6.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-6-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-6-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>組紐とは文字通り、糸を束ねた紐を複数組み合わせていくことで結びやすくほどけにくい丈夫な紐を作り上げる、約1400年の歴史があるとされる伝統工芸だ。経文を書いた巻物の紐や甲冑（かっちゅう）の紐など多様な用途に活用されてきたが、特に明治時代中頃にお太鼓結びと呼ばれる帯の結び方が流行したことをきっかけに、帯締としての需要が拡大。現代に至ってもなお、昔の町民文化で磨かれた「江戸組紐」は和装文化を支える存在としてあり続けている。</p>



<p>中村正においても帯締めや羽織紐をメインに制作している。「組紐の作り方は代々試行錯誤されてきながら伝承されてきているんです。ですのでこの組紐という仕事は、その受け継がれてきたことを忠実にやる、精度よくやるということに尽きます」と語る中村さん。奇を衒（てら）うことなく、帯や羽織をしっかりと安定させること、そして着物全体の魅力を引き立てること。そうした役割に徹した中村さんの組紐は高く評価され、今では棋士や噺家からも羽織紐の依頼を受けるなどしている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">伝統の中に新鮮さを感じさせる色 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-5.jpg" alt="" class="wp-image-53463" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-5.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-5-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-5-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>中村さんの工房で作る組紐の原料は絹糸で、無地染めのほとんどは中村さん自らが染色作業を行っている。</p>



<p>「組み上がりの形を想定しながら染める」という中村さん。「ちゃんと着物のコーディネートで使える色でないとなりません。昔からあるような色だけれども新鮮な印象も感じさせる…そんな色を常に探しています」。伝統というものを現代においてどう解釈し、ブラッシュアップしていくか。そんな静かな挑戦が、染めの現場から垣間見える。</p>



<h2 class="wp-block-heading">組紐独自の技術と道具 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-3.jpg" alt="" class="wp-image-53458" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-3.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-3-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-3-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>組紐は日本各地で作られており、地域ごとに特色がある。京都の組紐は公家文化を背景に華美な色合いを持つ。これに対し江戸組紐は、武家社会や町人文化を反映し、主張しすぎない落ち着いた色使いや糸と糸の交差から生まれる組み目が独特だ。</p>



<p>組み上げる台は、主に丸台・角台・綾竹台・高台の4種類があり、組紐のデザインや用途により使い分けている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">微細なバランス感覚を要する手組みという技 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-9.jpg" alt="" class="wp-image-53459" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-9.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-9-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-9-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>江戸組紐で最も代表的な台が「丸台」である。作業はまず、糸を紐束にして「組玉」にくくりつけるところから始まる。</p>



<p>ひと束あたりの糸の本数を少なくして、8玉、16玉、24玉…という具合に玉数を増やすほどに、組み上がるまでの時間はかかるが、より細やかな表現ができるようになる。これを中村さんは「組紐の画素数」と現代風に言い表す。</p>



<p>組玉にくくりつけた紐は丸台にかけ、対角上にある紐を交差させながら組んでいく。組むたびに下へ下へと組み上がった組紐が伸びていくのは、丸台の上板にある穴から組んだ紐を重りで吊り下げる構造になっており、そこに重みが徐々にかかっていくから。中村さんが「組紐は力学」というゆえんである。</p>



<p>良いとされる組紐は「程よい締まり加減で、しなやかさを伴った組紐」であり、機械組みの組紐は組み方が詰まりすぎて硬く仕上がってしまう傾向があると話す中村さん。「帯締めはコストや生産性とのバランスもあり、機械の割合が相当多くなりまして、流通しているのはほとんど機械組みの紐ばかり。手組の割合は本当に減っています。だからこそ、組みの技術と使用するおもりの重さの見極め、その両方が備わった手組みに価値が見出されている」のだという。</p>



<p>さらに、糸に強度をつけるための撚（よ）り加減も仕上がりの硬さに影響するため、どの程度撚るのかを一本一本指先で調整しなければならない。「組紐はこうしたさまざまな要素のバランスをどうとっていくかという難しさがあります。でも、そのバリエーションの豊富さはものづくりの面白さでもありますね」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">先人たちの知恵が詰まった道具を受け継ぐ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-8.jpg" alt="" class="wp-image-53460" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-8.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-8-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-8-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>中村さんは丸台のほか「綾竹（あやたけ）台」も積極的に活用している。綾竹台は機織りのように、経（たて）糸に緯（よこ）糸を差すことで組んでいくもの。丸台で組むと組目の美しさが際立つ一方、綾竹台の場合はヘラで打ち込んでいくため厚みがなく、端正で細やかな風合いとなるのが特徴的だ。</p>



<p>また、中村さんは引退した職人から譲り受けたという古い組台の修繕も進めている。木でできた歯車が噛み合い、半自動で紐を組んでくれるからくり構造になった代物だという。先人が残してくれた知恵をつなげていきたいと中村さんは話す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">中村さんが目指す組紐 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-7.jpg" alt="" class="wp-image-53464" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-7.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-7-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-7-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>17歳で組紐を習い始めた中村さんは工芸の専門学校で2年間在籍した後、本格的に家業に携わるようになるが、当初はひたすら紐を組むことに夢中になっていて、その色やデザインにまで深く興味を持つことができなかったという。だが、百貨店や呉服店での実演販売を行うようになってから、中村さんに心境の変化が生まれた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">着姿の美しさを引き立てる帯締め </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-4.jpg" alt="" class="wp-image-53465" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-4.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-4-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-4-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「家で組紐ばかり眺めていた環境から、実演に赴くことで実際に着物の方にお会いするようになったんです。そこからどんどん着物のコーディネートに興味が湧いてきまして、帯締めを作ることにのめり込んでいったんです」。中村さんが今、特に目指している組紐。それはしっかりと締まるという機能面に加えて「帯と組紐を合わせた時に、着姿が美しく見える帯締め」である。</p>



<p>着物や帯とのコーディネートということを念頭に置いた中村さんの帯締めづくりは「柄や色は足し算よりも引き算。色が一色でも充分に表情があると感じられる」ようにすることであり、「帯締めが主張し過ぎてしまうのではなく全体としての着姿の美しさ」が目指す着地点としてあること。そうすることで、「様々な着物に合わせやすい帯締めが生まれる」のだという。</p>



<p>その基本スタンスに現代的な感覚を取り入れるのが中村流。「今はやや細めの帯締めが好まれてます。その方が出で立ちがすっきりとした印象になるんです」。実演で得た観察眼は、自身の感性を豊かにしてくれると中村さんは語る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">組紐の文化を後世につなぐ </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-10.jpg" alt="" class="wp-image-53466" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-10.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-10-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/edokumihimo-10-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>組紐の世界も職人がどんどん辞めてしまっていると打ち明ける中村さん。「若い世代が組紐にせっかく興味を持っても、仕事としては無理と言わざるを得ない状況はもったいない。せめて、なんとかやっていけそうなぐらいは下地作りをしたいと思っています」。伝統工芸展に挑戦し始めたのも実力のブラッシュアップにとどまらず、作品の品質の良さを認知してもらい、確かな販路につなげる意味合いもあるのだ。実際、これまではほぼ問屋との取引のみだったが、興味を持ってくれるきもの店などが増えて販路の多様化に結びついている。</p>



<p>中村さんは現在、助手の育成にも力を注ぐ。「例えば私が亡くなった後でも、後世に伝承されて同じものを作り続けられるということが、伝統工芸の素晴らしい価値だと思うんですね」。そんな中村さんの意志が宿る江戸組紐。これからも人々の装いを美しく演出し続けるに違いない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53450/">着物の美しさを引き立て、伝統を後世へとつなぐ「江戸組紐 中村正」中村航太さん／千葉県松戸市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>伊勢崎絣の伝統と技術を伝える、群馬県ふるさと伝統工芸士･齋藤定夫さん／群馬県伊勢崎市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 24 Oct 2025 03:33:36 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[織物]]></category>
		<category><![CDATA[伊勢崎絣]]></category>
		<category><![CDATA[伊勢崎銘仙]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_404.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>古くから織物の町として知られる群馬県伊勢崎市。最盛期には、全国の絣（かすり）生産量の半分を占めるほど人気の伊勢崎絣だったが、現在、製造元としての機屋（はたや）は途絶えてしまっている。そんななか「かすり⼯房さいとう」の齋藤 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_404.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>古くから織物の町として知られる群馬県伊勢崎市。最盛期には、全国の絣（かすり）生産量の半分を占めるほど人気の伊勢崎絣だったが、現在、製造元としての機屋（はたや）は途絶えてしまっている。そんななか「かすり⼯房さいとう」の齋藤定夫（さいとうさだお）さんは、伊勢崎絣の伝統を絶やさぬよう、群馬県ふるさと伝統工芸士として、伝統技術を継承している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">織物の町、群馬県伊勢崎市で作られた銘仙（めいせん）</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_258.jpg" alt="" class="wp-image-53400" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_258.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_258-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_258-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>群馬県伊勢崎市は群馬県のほぼ中央にあり、利根川を挟んで群馬県と埼玉県を結ぶ、自然豊かな土地柄だ。養蚕（ようさん）地帯として栄え、織物の歴史も古く、古墳から6世紀頃の織物が出土されたことも確認されている。</p>



<p>江戸時代に伊勢崎の養蚕農家で、自家用として織られていた太織（ふとり）という普段着用の織物が発展し、素朴な雰囲気でありながら、粋な印象の絣模様や縞模様が注目を集めた伊勢崎絣。明治時代後半には伊勢崎に織物会社が設立され、動力式の織機を導入し一部が工場化された。時代のニーズとともに伊勢崎絣は「伊勢崎銘仙」の名で全国に知れわたり、生産量は大幅に向上していった。それは大正から昭和初期にかけて、日本女性の10人に1人が「伊勢崎銘仙」を着ていたといわれるほどの人気を誇った。</p>



<p>しかし時代は和装から洋装へ。日本人の生活様式の変化とともに生産量は減り、生産者も減少。今では伊勢崎絣を生産する機屋はなくなってしまった。そんな状況に危機感を抱き、伊勢崎絣の伝統技術を残そうと立ち上がったのが、「かすり⼯房さいとう」の齋藤定夫さんだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">分業していた作業⼯程をひとりで手がける</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_311.jpg" alt="" class="wp-image-53401" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_311.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_311-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_311-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>10代から織物業を営む家業を⼿伝い、23歳で職⼈として独⽴した齋藤さん。独立してすぐ、斎藤さんは複雑な伊勢崎絣の作業⼯程をひとりで行い、その伝統技術を守りながら広く人々に伝える活動をはじめた。</p>



<p>その理由として、「伊勢崎絣は、生産量と品質を高めるために作業工程を分業化し、それぞれの工程で人を育て技術を高めてきました。しかし生産量の減少とともに、ひとつの工程で後継者がいなくなると、商品が作れなくなるという問題が生じてきた。」と話す。</p>



<p>このまま伊勢崎絣が作られなくなることを危惧し、図案のデザインから括（くく）りや、⽷染めなど、伊勢崎絣の全工程の技術を学び、すべての工程ができる人間になって作品を作ろうと決めた齋藤さん。</p>



<p>伊勢崎絣を制作しながら、習得した全工程の技術を後進に教え、伊勢崎市内の小学生には伊勢崎絣の機織り体験を行うなど、地域が歩んだ歴史と文化を伝える活動を行っている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">厳格な定義で守られている、伊勢崎絣</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_277.jpg" alt="" class="wp-image-53402" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_277.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_277-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_277-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一時は一世を風靡した伊勢崎絣。その後、生産量は減少の一途を辿るが、このまま貴重な伝統技術が廃れてしまうことを恐れ、1975年に国の伝統的工芸品として申請し、指定される。これをきっかけに、他地域の絣と伊勢崎絣の違いを明確にするための、定義とルールが整理されていく。</p>



<p>「伊勢崎絣の大きな定義は“先染め”、“平織”、“絹糸”です。染色の工程では括り絣、板締（いたじめ）絣、捺染（なっせん）加工などの技法を使って、単純な絣柄から精密な絣模様まで、図案に沿って糸を染めていきます。染め上げた絣糸の柄を手作業で調整しながら、図案に合わせるように織り出します」</p>



<p>常に新しいデザインを表現しようと、齋藤さんは2つ以上の技法を組み合わせるなど、実験的な挑戦を行なっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">織物は糸と向き合い続ける、糸の道</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_410.jpg" alt="" class="wp-image-53403" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_410.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_410-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_410-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>10以上ある作業工程をひとりでやるには、根気強さがなければできないと齋藤さん。</p>



<p>「やっぱり辛抱強い人間じゃないと、伊勢崎絣の作業工程をひとりでやるのは難しいと思います。人真似ではなく、自分で本当に作りたいものを考えて作っていかないと、技術的なレベルは上がっていかないんじゃないかな」</p>



<p>例えばストールを作ろうと思ったとき、太い糸を入れて織ると、巻いたときにその凹凸に空気の層ができて暖かくなる。では、どのように入れたら機能的にもデザイン的にも、誰にも真似できないようなオリジナリティが出せるのか。頭の中で作りたいものを考え、自分の手で作ることでしか解決できないと齋藤さんは言う。</p>



<p>「人が教えられるのは手順ややり方であって、技術力の“力”の部分は、自分でやってみるしかないんですよね」</p>



<p>齋藤さんはこれまでに1,000枚以上の絣の図案をデザインしている。それらは実際に自分が手を動かして生み出した証として、すべて残しているという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">鮮やかな柄を織りなす、経（たて）糸と緯（よこ）糸</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_375.jpg" alt="" class="wp-image-53404" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_375.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_375-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_375-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>布を織る前に糸の段階で色を染めてデザインする先染めの技法のうち、齋藤さんが得意としているのが、括り絣という技法である。</p>



<p>「括り染めは原料糸の染色しない部分をテープなどで縛り、色が入らないようにして染める方法です。糸を括って部分的に染めない部分を作った絣糸を経糸や緯糸に使うことで、染まっていない部分と染めた部分が混ざり合い、かすれたような独特の模様になるんですよ」</p>



<p>経糸と緯糸の両方、またはどちらか一方に絣糸を使い、柄を合わせながら織ることは、高い技術と経験が必要となる。</p>



<p>「絣糸の染めの技法と、経糸と緯糸への使い方と使い所で、他の人には真似できない、絣を表現できるんです」</p>



<p>括り絣の魅力を語ってくれた齋藤さんだが、現在、伊勢崎絣において、括り絣の技術を継承しているのは齋藤さんのみとなっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">伊勢崎絣を絶やさないために</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_360.jpg" alt="" class="wp-image-53405" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_360.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_360-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_360-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>時代の流れとともに衰退してしまった織物産業だが、一時代を築いた伊勢崎絣は間違いなく、この地域の発展に貢献した産業のひとつである。その複雑な技法と手間のかかる製作過程から今では作り手が減少し、伝統的な工法で伊勢崎絣を作れる人間はほとんどいなくなってしまった。だからこそ齋藤さんは、自分の持つ技術や知識を作品に込め、多くの人に伊勢崎絣を貴重な伝統工芸として伝えようとしている。</p>



<p>「川は流れが速くなったり緩やかになったり、動きがありますよね。自然界にある動きのあるものが面白いですし、⾃然に触れるとアイデアが無限にあふれてきます。絣の滲ませ方など、規則正しくない柄を表現するよう⼼がけています」</p>



<p>伊勢崎絣に限らず、現代の効率重視の流れの中で、時間と手間のかかる伝統工芸はどの分野でも失われつつある。そんななか、手間暇のかかる工程をひとりで行い、継承していくことは無謀とも言えるだろう。それでも、地域に根付き発展した伝統技術を、ひとりでも多くの人に伝え残したいという齋藤さんの思いが、現代の「銘仙」としての伊勢崎絣には込められている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53392/">伊勢崎絣の伝統と技術を伝える、群馬県ふるさと伝統工芸士･齋藤定夫さん／群馬県伊勢崎市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>上州座繰りを伝承する、座繰り染織家･中野紘子さん／群馬県高崎市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 14 Oct 2025 11:23:44 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[養蚕]]></category>
		<category><![CDATA[蚕糸絹業]]></category>
		<category><![CDATA[上州座繰り]]></category>
		<category><![CDATA[草木染め]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_233.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>世界遺産となった富岡製糸場のある群馬県は、古くから蚕糸絹業（さんしきぬぎょう）が盛んな土地柄だ。その歴史と繭（まゆ）から糸を生み出す作業に魅了された女性がいる。座繰り染織家の中野紘子（なかのひろこ）さんだ。中野さんは途絶 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_233.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>世界遺産となった富岡製糸場のある群馬県は、古くから蚕糸絹業（さんしきぬぎょう）が盛んな土地柄だ。その歴史と繭（まゆ）から糸を生み出す作業に魅了された女性がいる。座繰り染織家の中野紘子（なかのひろこ）さんだ。中野さんは途絶えかけていた製糸技法「上州座繰り（じょうしゅうざぐり）」を受け継ぎ、伝統的な技法を守りつつ現代のニーズに応える作品を発表している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">群馬県の伝統的な製糸技法「上州座繰り」を継承</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_310.jpg" alt="" class="wp-image-53345" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_310.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_310-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_310-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>昔から養蚕（ようさん）が盛んだった群馬県。明治５年には機械製糸のモデル工場として富岡製糸場が設立され、日本の製糸業の発展に大きく貢献した。そんな群馬県で江戸時代末期に開発された「上州座繰り」は、木製の道具を用いて繭から糸を引く製糸法だ。</p>



<p>お湯で煮た繭から引き出した繭糸（けんし）を目的の太さになるよう、座繰り器のハンドルを回しながら、鼓車（こしゃ）という装置を使用して巻き取っていく。</p>



<p>現在では希少な糸づくりの伝統技術「上州座繰り」を受け継ぐため、中野さんは最初に、日本のシルク糸の60％を生産している日本最大級の製糸工場、碓氷（うすい）製糸株式会社で製糸技術を学んだのち、座繰り染織工房「canoan（カノアン）」を2003年に開設する。</p>



<h3 class="wp-block-heading">群馬に根付く「座繰り」の文化 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_481.jpg" alt="" class="wp-image-53346" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_481.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_481-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_481-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>群馬県高崎市で生まれ育った中野さんが上州座繰りに惹かれた理由のひとつが、江戸時代末期から昭和40年頃まで、群馬県の養蚕農家の手仕事として、それぞれの家庭で女性が繭から糸をつくり、家族の着るものをつくってきた、この土地ならではの歴史的背景だ。</p>



<p>品質を守るために製糸に適さず工場に出荷できなくなった繭を使い、農家の女性の間で行われてきた上州座繰り。明治時代以降、富岡製糸場のような機械化された糸が大量生産される一方で、地元で細々と受け継がれてきた「家族への愛情あふれる営み」を途絶えさせたくないという思いだった。</p>



<p>もうひとつ、上州座繰りに惹かれた理由が、圧倒的な手触りの違いだったという。</p>



<p>「木製の道具を使い、手でゆっくりと回しながら引いた糸でつくる織物の、ふっくらとしながらも滑らかで空気をはらんだ独特のしなやかさは特別です」</p>



<h3 class="wp-block-heading">手作業で繭から生糸を紡ぐ魅力</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_413.jpg" alt="" class="wp-image-53347" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_413.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_413-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_413-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>中野さんの工房では、極細の糸からタペストリーなどの厚物の制作に適している極太の糸まで、繭の特性を活かしてさまざまな繊度（せんど：繊維や糸の太さを表す長さと重量の比）と風合いの座繰り糸を制作している。</p>



<p>通常の糸づくりでは、まず細い糸をつくり、それを何本も撚り（より）合わせて目的の太さにしていくことが多いが、中野さんの糸づくりは最初から糸の太さを決めて、指先で糸の太さを感じながら目的に合わせて繭から直接、調整していく。</p>



<p>着物、帯、スカーフなど、布製品には適した生地の厚さがある。つくるものをイメージし、生地の厚さに合わせて繭からそのまま糸を巻き取っていく工程は、まさに職人技だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">手仕事による豊かな風合いの作品づくり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_269.jpg" alt="" class="wp-image-53348" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_269.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_269-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_269-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一般的に布を作る工程は分業制とされている。養蚕農家が蚕（かいこ）を育てて繭を出荷し、製糸工場で糸をつくる。できあがった糸を染めるのは染めもの屋、染めた糸を織り布にするのは織物工場と分業で行われる。一般の人は布がどうやってできているか、その工程を知ることはほとんどない。</p>



<p>もともと布が好きだったという中野さんは、どうやって布ができるのかに興味を持ち、調べていくうちに上州座繰りに出会う。そして繭から糸をつくり、糸から織物をつくるという工程に強く惹かれていく。</p>



<h3 class="wp-block-heading">自分で糸をデザインし、布を織る</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_365.jpg" alt="" class="wp-image-53349" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_365.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_365-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_365-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「糸からデザインした絹織物を制作したいという思いがあり、上州座繰りをはじめ、繭の特性を活かしたさまざまな質感の製糸技術を学びはじめました。次第に糸を染める染色も気になり、天然の植物による草木染めを勉強しました。きれいな色に染まった糸ができると次は布をつくってみたくなり、絹織物に使われる手織り機の一種である高機（たかばた）の操作を教わり、布を織りはじめました。草木染めと高機による手織りは、地元の染織家に教えていただくこともありましたが、試行錯誤をしながら独学で身に付けました。」</p>



<p>こうして製糸、染色、手織りの技術を次々に習得した中野さんは、分業制では実現できない、肌触りや糸質を大切にした着物や帯、ストールなどの作品づくりをスタートさせる。</p>



<p>「繭から挽いた糸を草木染めで染色し、手織りして布にする。できる限り手作業で、自然のものを使って一貫した布づくりが行える奥深さと神秘性に魅了されています。」</p>



<h3 class="wp-block-heading">天然のものにこだわった草木染め</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_239.jpg" alt="" class="wp-image-53350" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_239.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_239-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_239-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>自然からいただく色はどんな色の組み合わせでも、不思議としっくりと調和するところが草木染めの魅力だという中野さん。</p>



<p>「草木染めの材料を、自ら山に採りに行くこともあります。自然に触れる機会も増え、同じ染料でも育った環境や染める時季、煮出すときの水質などで、染め上がりの色が違ってくるんですよ」</p>



<p>染色性にすぐれた上州座繰り糸を、天然の植物にこだわった草木染めで自然の色に染め上げる。その糸を高機で織ると、繊度や染めの色合いによって奥行きのある豊かな表情となり、ふっくらとしながらも滑らかな、手仕事ならではの美しい絹織物となる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統技法を守りながら、現代の生活で使えるものを</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_338.jpg" alt="" class="wp-image-53351" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_338.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_338-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_338-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>中野さんが取り組んでいる製糸業は、一般的には注目度の低いニッチな産業とされている。</p>



<p>今までは機械でつくった糸の方が整っていてきれいという価値観でしたが、最近は手仕事の良さや伝統技法を残したいという思いを理解してくださる方が増え、そういったご縁のある方と取引させていただいています」</p>



<p>糸の太さを調節しながらデザインするため、オーダーメイドで注文を受けることも多いが、展示会や個展などで自分のつくった作品を販売することもある。座繰り糸でつくる作品をより多くの人に使ってもらうことが、伝統技術の継承と文化的背景の大切さを伝えることにつながると中野さんは考えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">気軽に身につけられる伝統文化を目指して</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_283.jpg" alt="" class="wp-image-53352" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_283.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_283-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_283-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>糸づくりから染色、織りまでをひとりで一貫して行う中野さんは、すべての工程を伝統的な手法を用いて手作業で行うため、つくれる数は自ずと限られてくる。</p>



<p>「多くの人に使っていただきたいという気持ちはあるのですが、量産できるものではないため、お客様になかなか届かないというジレンマはあります」</p>



<p>量産できないものだからこそ、何⼗年も愛⽤される作品づくりを⼼がけている。</p>



<p>「着物は今までにない軽さが特徴で、帯は弾力があり締めやすいと評価をいただいています。スカーフも軽くて暖かく、機械製の製品とは異なる着心地の良さがあります」</p>



<p>つくれる数は少ないが、長く使えば使うほど風合いが増し、使う人に合わせてこなれてくる着心地の良さは、一度使った人からのリピート注文の多さからも伝わってくる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">技術の継承と伝統工芸の可能性</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_469.jpg" alt="" class="wp-image-53353" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_469.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_469-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_469-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>糸から布へ、布から作品へ。20年以上前から群馬県の伝統工芸の継承者として、上州座繰りの製糸技術と文化の保存・発信のため、座繰り染織工房を開設し自身のブランドも立ち上げてきた中野さん。</p>



<p>「伝統的な技術や文化を知ってもらうために、ギャラリーの展示会では作品の展示、販売だけでなく、上州座繰りを実演することもあります」</p>



<p>今後は糸から布ができるまでの工程を、よりリアルに伝えられる場所をつくりたいという。そこで絹織物に触れた人々に、今まで知らなかった蚕糸絹業の世界を知ってもらい、体験してもらうことで、伝統技術の認知を広げ、より多くの人に上州座繰りの魅力を伝えていきたいと力強く語ってくれた。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53334/">上州座繰りを伝承する、座繰り染織家･中野紘子さん／群馬県高崎市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>師匠の技を継承し現代の暮らしに溶け込む作品を。江戸小紋師･藍田愛郎さん／群馬県高崎市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 29 Sep 2025 09:39:10 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[江戸小紋]]></category>
		<category><![CDATA[染色]]></category>
		<category><![CDATA[染物職人]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_499.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>養蚕の国として発展を遂げてきた群馬県。なかでも高崎市は、箕輪城主の井伊直政が高崎城に移る際、染物職人も一緒に移住したことで染色技術が発達した歴史がある。そんな群馬県の高崎市に、江戸小紋を染める工房がある。先代の藍田正雄氏 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_499.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>養蚕の国として発展を遂げてきた群馬県。なかでも高崎市は、箕輪城主の井伊直政が高崎城に移る際、染物職人も一緒に移住したことで染色技術が発達した歴史がある。そんな群馬県の高崎市に、江戸小紋を染める工房がある。先代の藍田正雄氏が設立した「藍田染工（あいだせんこう）有限会社」だ。現在は弟子である藍田愛郎（あいだ あいろう）さんが受け継ぎ、江戸小紋の伝統・技・心を伝える作品を作り続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">今に生きる江戸小紋を作る</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_642.jpg" alt="" class="wp-image-53290" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_642.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_642-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_642-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>群馬県高崎市にある藍田染工有限会社は、絹織物に関係する産業が発展した群馬県において、「染め」の分野で伝統と職人の技を継承している工房である。</p>



<p>渡り職人として腕を磨き、高崎に戻り1977年に藍田染工を設立した先代の藍⽥正雄氏は、群馬県指定の重要無形文化財保持者の認定を受けたほか、2011年には旭日双光章を、2013年には第60回日本伝統工芸展で第60回記念賞を受賞するなど、江戸小紋の第一人者として活躍した。それと同時に、江戸小紋師の後継者育成はもちろん、江戸小紋に不可欠な伊勢型紙の後継者育成にも尽力した。</p>



<p>2017年に正雄氏が亡くなった後は、弟子だった田中愛郎さんが「藍⽥」の名前と技術を継承し、「藍田愛郎」として伊勢型紙による江戸小紋の美しさや、手染めの素晴らしさを伝えるものづくりを行なっている。師匠である正雄氏がそうであったように、愛郎さんもまた、現代の人々の暮らしに溶け込む作品作りを行なっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">緻密で繊細な江戸小紋</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_550.jpg" alt="" class="wp-image-53291" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_550.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_550-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_550-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>先に糸を染めて柄を織る織物と比べて、反物を後から染める染め物は、より繊細な柄を表現することができる。なかでも江戸時代から伝わる「型染」という技法で染める江戸小紋は、小紋のなかでも特に緻密で精細な型紙を使用する。遠目には無地に見えるほど細かい文様を染めるには高度な技術が必要となり、柄が細かければ細かいほど染め物としての価値が高くなるという。</p>



<p>江戸時代、本来無地であった裃（かみしも）に藩の文様を入れ、武士の裃として着用したのが江戸小紋の始まりといわれており、のちに町人にも拡がったことでさまざまな文様が生まれ、江戸の「粋」の美意識とともに各地に拡がっていった。</p>



<p>明治以降、時代を反映して少しずつ変化していった江戸小紋。愛郎さんの師匠、正雄氏は「伝統だけを大切にするのではなく、時代に合った江戸小紋を作る」をモットーに、自らもぼかし染めを始め、ただ染めるだけではない独自の技法を考案していった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">型彫師との共同作業</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_653.jpg" alt="" class="wp-image-53292" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_653.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_653-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_653-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>工房では正雄氏から受け継いだ貴重な伊勢型紙を用いて、江戸小紋を染めるすべての工程を手作業で行っている。</p>



<p>生前、正雄氏が口にしていたことがある。</p>



<p>「江戸小紋師は技術があっても、型紙がなくては何の仕事もできない。次の世代のことを考えて型紙を残すこと、伊勢の型彫師に少しでも多くの型紙を作ってもらうことも、私の職人としての使命だと思う」</p>



<p>その言葉通り、正雄氏は伊勢型紙の産地である三重県鈴鹿市白子町（しろこちょう）を頻繁に訪れ、人間国宝の児玉博氏に懇願して型紙を作ってもらったこともあったという。その後、児玉氏から貴重な型紙を譲ってもらったり、白子町の型彫師に自分の希望する型紙を作ってもらったりしながら、江戸小紋に不可欠な貴重な型紙の技術も育て、守ってきた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">江戸小紋の魅力に魅せられて</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_729.jpg" alt="" class="wp-image-53293" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_729.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_729-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_729-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>藍田愛郎さんと江戸小紋の出会いは成人式。藍⽥正雄氏の⼀番弟⼦である、愛郎さんの実の母親の⽥中正⼦さんが染めた、藍染めの江⼾⼩紋の着物と羽織を着て成⼈式に出たのをきっかけに、江戸小紋の魅力に引き込まれていった。</p>



<p>「当時、着物のことは何も知らなかったのですが、成人式の着物はとても着心地が良く、最高の一日だったのを覚えています」</p>



<p>そのときの感動が忘れられず、大学卒業後は藍田染工の門を叩き、正雄氏の弟子となる。師匠の背中を見ながら心技を学び、己と真摯に向き合いながら修業時代を過ごしたという。</p>



<p>「技術的なことはもちろん、⼼技にわたってていねいに、師匠の経験を教えていただきました」</p>



<p>正雄氏の教えをみるみる吸収した愛郎さんは、持ち前のセンスと器用さも相まって、江戸小紋師として頭角を表すまでに、さほど時間はかからなかった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">令和の時代に表現したいこと</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_792.jpg" alt="" class="wp-image-53294" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_792.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_792-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_792-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「作るもの自体が、その時代に合わせて使われるものでなければならない」といっていた正雄氏の考えを受け継ぎ、愛郎さんもまた、伝統技術を守りながら新しい作品作りにも積極的に挑戦している。</p>



<p>着物を日常的に着る人が少なくなった令和の今、和装にも洋装にも合うようなものを作りたいと、オーガンジーのストールを江戸小紋で染めるなど、新しい試みにもチャレンジしている愛郎さん。</p>



<p>「師匠はその時代に生きている自分たちが、今、何を表現していきたいか考えろといっていました。それと同時に、基礎ができない限りは何も表現できないともいっていたんです」</p>



<p>職人たるもの、どんなものを頼まれてもしっかりと染められる腕を持って、初めて自分でやりたいものが表現できるようになると教えられてきた。</p>



<p>こういうものを作って欲しいと注文が来たときに、「できない、という職人にはなるな」という教えは、正雄氏から受け継いだ大切なメッセージのひとつである。</p>



<h3 class="wp-block-heading">型紙はいつか破れる</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_716.jpg" alt="" class="wp-image-53295" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_716.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_716-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_716-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p><a href="https://drive.google.com/file/d/1NSUiKfQil0MQQJcyIVIa6TBTRkGyvJRK/view?usp=sharing"> </a>江戸小紋は一反の布を染めるのに、ひとつの型紙を70〜90回繰り返し使って染めるため、地道で緻密な技術が必要とされる。それと同時に、これだけの使用回数に耐えられる型紙でなければならず、縞が潰れず、ムラなくきれいに糊が付けられることが大事なポイントとなる。</p>



<p>江戸小紋で使用される伊勢型紙とは、強靭で保存性の高い美濃和紙に柿渋を塗り、繊維が縦方向と横方向のものを交互に重ねて強度が上がるよう3〜4枚貼り合わせて作った型地紙（かたじがみ）に、文様や図柄を彫り抜いたものである。</p>



<p>なかでも縞彫りという技法は非常に繊細なため、現在では数人の職人しか彫ることができず、型紙職人の高齢化と後継者不足が深刻な問題となっている。</p>



<p>藍田染工には正雄氏が育て守った、貴重な伊勢型紙が多数残っている。使えば摩耗して耐久性が劣化し、いつかは切れて使えなくなってしまう。愛郎さんは江戸小紋を染める際、型紙に負担がかからないよう細心の注意を払いながら、自分の腕を信じて作品作りを行なっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統的な技法を守りながら、新しい表現にも挑戦</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_504-1.jpg" alt="" class="wp-image-53297" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_504-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_504-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_504-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>染めのなかでも江戸小紋という技術を極めてきた藍田正雄氏は、生前、「日本伝統工芸新作展」と「日本伝統工芸染織展」の鑑審査委員を担当し、型紙職人とも深い関係を築きながら江戸小紋の技術継承と発展に尽力してきた。そんな正雄氏の姿を間近で見てきた愛郎さんは言う。</p>



<p>「いつか工房にある貴重な型紙を、自分が納得できる使い方で作品にしてみたいです」</p>



<p>工房の型紙のなかには、こんな型紙を彫った職人が世の中にいるのか、という気持ちになるほど精巧なものがあるという。そんな強敵ともいえる型紙を見ていると、どうやったら面白い作品になるか、考えるだけでワクワクしてくる。と同時に、そういった型紙が工房に残っていることに、師匠の偉大さとその功績に感謝の気持ちが大きくなるという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">オーガンジーを江戸小紋で染める</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_766.jpg" alt="" class="wp-image-53298" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_766.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_766-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_766-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>今、愛郎さんは、伝統的な江戸小紋の着物や反物のほか、シルク100%のオーガンジーに、ひとつの型紙で単色にならないよう染め分けた、ストールの制作も行っている。</p>



<p>薄くやわらかなオーガンジーは、板に貼らないと柄がつけられない。板に貼るということは剥がさないといけないのだが、生地が薄すぎて最初はバリバリと破けてしまった。</p>



<p>「最初は剥がすときに破れたり、生地が軽い分ずれやすかったり、寄ってしまったりと苦労しました。そこから糊の質や量、塗り方などを工夫して、ようやくオーガンジーに江戸小紋の柄がつけられるようになりました」</p>



<p>細かい柄の江戸小紋は、型と型の継ぎ目がわからないようきれいに染めるのが、職人の腕の見せ所でもある。それは薄くて軽いオーガンジーでも同じこと。オーガンジーに江戸小紋をつけることに成功した愛郎さんは、工房にある型紙を使って、さまざまな色や柄をつけていった。</p>



<p>「これも令和の江戸小紋なんだと思います」</p>



<h2 class="wp-block-heading">時代に合わせて人に使われるものを作る</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_733.jpg" alt="" class="wp-image-53299" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_733.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_733-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_733-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>愛郎さんは今、江戸小紋の伝統的な染色技法を守りながら、新しい表現にも挑戦している。</p>



<p>「文化っていうのはそのときの生活に結びつくものだから、生活の変化とともに文化も変化しないといけないと思っています。伝統的な価値のあるものだからといって、何も変えないことだけが正解ではなく、今の人が欲しいと思う作品を作ることも大切だと思います」</p>



<p>薄手の生地への染色など、伝統を守りつつ、素材や染めの新しい技法の開発にも取り組んでいる。令和に生きている自分たちは、伝統的な江戸小紋の着物だけでなく、ストールやポケットチーフなど、時代に合わせたアイテムも作っていく必要があるという。そんな愛郎さんが作る作品からは、伝統的な技術を持つ職人だから表現できる、時代に合った江戸の「粋」を感じることができる。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53279/">師匠の技を継承し現代の暮らしに溶け込む作品を。江戸小紋師･藍田愛郎さん／群馬県高崎市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>深い藍色に、光が射す。「藍生庵」松枝崇弘さん／福岡県久留米市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 20 Sep 2025 13:32:37 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[重要無形文化財久留米絣技術保持者]]></category>
		<category><![CDATA[藍建て]]></category>
		<category><![CDATA[藍染め]]></category>
		<category><![CDATA[久留米絣]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_425.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福岡県南部、久留米市田主丸町の里山に、7代続く久留米絣の織元「藍生庵」がある。日本三大絣のひとつに数えられる久留米絣。誕生から200年以上の年月を経て今もなお、木綿の持つ素朴な風合いと絣模様の精巧さ、そして藍染めならでは [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_425.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福岡県南部、久留米市田主丸町の里山に、7代続く久留米絣の織元「藍生庵」がある。日本三大絣のひとつに数えられる久留米絣。誕生から200年以上の年月を経て今もなお、木綿の持つ素朴な風合いと絣模様の精巧さ、そして藍染めならではの美しい藍色が人々を惹きつけている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ある少女の好奇心が生んだ久留米絣</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_492.jpg" alt="" class="wp-image-53214" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_492.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_492-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_492-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>福岡県南部、筑後地方にある久留米市。かつてこの一帯では筑後川が育む肥沃な大地のもと、綿花や藍の栽培が盛んに行われ、綿織物が発展した。1800年頃の江戸時代後期には、久留米藩の城下に生まれた井上伝という少女により久留米絣が考案される。</p>



<p>井上伝は、色褪せた古着の斑点模様に興味を持ち、その布を解いて仕組みを探った。すると糸自体に白い斑点があり、これを手がかりに白糸を括り、藍で染めて織ってみると、布の中に白い文様が出現。これが久留米絣の歴史の始まりとなった。1人の少女の好奇心とひらめきが生んだ工芸品である。</p>



<p>それ以降、伝は生涯にわたり、この技術を多くの人に伝え、久留米絣の普及に邁進。そして、農家の農閑期の副業として久留米絣が盛んに織られるようになり、明治以降は庶民の衣服として全国で愛用されるようになった。生産が盛んになった明治初期には、「藍生庵」も織元としての歴史をスタートさせる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">約36もの工程を一貫制作する</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_471.jpg" alt="" class="wp-image-53215" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_471.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_471-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_471-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在「藍生庵」が工房を構えるのは、耳納(みのう)連山の麓に位置する久留米市田主丸町。30数年前、藍染めに重要な水を求めて、現在の地に工房を移した。豊かな自然に抱かれた工房で、7代目の松枝崇弘さんと、母で6代目の小夜子さんの2人が久留米絣の制作を行っている。</p>



<p>久留米絣は、1957年（昭和32年）に木綿では初めて国の重要無形文化財に指定。「手括りによる絣糸を使用すること」「純正天然藍で染めること」「手織り織機で織ること」の3つが認定要件とされた。作業工程数も多く、図案（柄のデザイン）、括り（防染する作業）、藍染め、水洗い、手織り、乾燥……などなど、およそ36もの工程を経て完成する。最盛期には分業化が進んでいたが、時代や需要の変化とともに職人も減少。現在は20数軒の織元が残り、その多くが一貫制作を行っている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">原料にもこだわり、昔ながらの藍建てを行う</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_539.jpg" alt="" class="wp-image-53216" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_539.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_539-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_539-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>数ある工程の中でも「藍生庵」らしさを物語るものの一つに、藍建ての作業がある。藍建てとは、天然藍を甕の中で発酵させ、糸を染めるための藍液をつくること。水質も染色の仕上がりを左右するというが、織元それぞれ建て方自体も異なる。</p>



<p>「うちでは化学染料や薬品は使わず、室町時代から伝わる技法で藍建てを行っています。藍甕に徳島県産の天然藍と、栄養分となる麦芽糖や純米酒を入れ、微生物の働きで発酵を促進。父もお酒が大好きでしたけど、藍甕もお酒が大好きですね（笑）」と崇弘さんは微笑む。</p>



<p>崇弘さんが、久留米絣に本格的に触れたのは7歳の頃。父の哲哉さんは遊びを交えながら、崇弘さんに糸の染色を手伝わせていたという。染めの工程以外にも、母・小夜子さんの膝の上に乗り、見よう見まねで織りの作業にも挑戦した。暮らしのそばに工房があり、藍の香り、機織りの音に抱かれた幼少期。崇弘さんがこの道を志すのに時間はかからなかった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「藍生庵」ならではの表現方法とは</h3>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/DSC_3215_batch.jpg" alt="" class="wp-image-53239" style="width:852px;height:auto" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/DSC_3215_batch.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/DSC_3215_batch-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/DSC_3215_batch-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>久留米絣といえば、経糸と緯糸で表される様々な柄が特徴。糸を染めてから織るため、柄の輪郭がわずかにズレてかすれたようになり、これが絣独特の風合いを生んでいる。さらに、絣の模様は久留米絣の誕生初期には幾何学模様が主流だったが、1839年（天保10年）に染織家・大塚太蔵が、現代にも残っている絵台を用いた伝統的な絵絣の技法を考案。これを機に絣の表現の可能性が大きく広がった。</p>



<p>久留米絣とひと口にいっても、絣の模様には地域性がある。久留米絣の織元が点在する筑後地方の中でも、広川町や八女市では小柄が専門。「藍生庵」の本家のある三潴郡の地域では大柄、中柄、さらには絵絣を制作している。</p>



<p>なかでも絵絣は、崇弘さんの曽祖父、「藍生庵」3代目で人間国宝であった松枝玉記さんが先駆者といわれている技法だ。卓越した技術と、和歌への深い造詣から独自の模様を生み出し、久留米絣の表現の幅をさらに押し広げた。筑後の自然から着想を得た、詩情にあふれた大柄な絵画的文様と、美しい藍色の階調。その創作性は崇弘さんの父であり、重要無形文化財久留米絣技術保持者にも認定された哲哉さんと母・小夜子さん、そして現当主の崇弘さんにも脈々と受け継がれ、現在の「藍生庵」らしさを形づくっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">父が遺した光を追いかけて</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_456.jpg" alt="" class="wp-image-53218" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_456.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_456-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_456-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大学を卒業後、地元を離れ、一度一般企業に就職した崇弘さん。2020年、父・哲哉さんの病を機に久留米絣の道に進んだ。崇弘さんにとって久留米絣の工房は生活の一部であり、両親との思い出の場所。実家に戻ることに、全く迷いはなかった。とはいえ当時、哲哉さんは日本伝統工芸染織展や日本伝統工芸展など、工芸界の権威ある展示会で数多くのタイトルを獲得し、全国に名を轟かせる作家。そんな父の跡を継ぐことには多少なりの不安はあったという。</p>



<p>「私にとって久留米絣は慣れ親しんだ世界。後継者として戻ってからも、不安はあってもギャップや違和感は感じませんでしたね。父は、亡くなるまで決してつらい顔は見せず、私と母にありったけの技術と心を伝えてくれました。本当に良い親子の時間でした」と崇弘さんは当時を振り返る。</p>



<p>崇弘さんが実家に戻って間もなく哲哉さんは亡くなったが、その年に行われた日本最大規模の公募展「第67回日本伝統工芸展（令和2年度）」で、奇しくも哲哉さんの遺作となった久留米絣着物「光芒」が文部科学大臣賞を受賞する。この功績は、残された2人にとってこれ以上ない希望の光となった。</p>



<p>して、2人は手を取り合い、前を向こうと必死に涙を拭う。しかし、少しずつ日常を取り戻しつつあった頃、工房を次なる災難が襲った。</p>



<p>2023年夏、大雨による大規模な土砂災害に見舞われた。工房に土砂や泥水が流入。藍甕や織機が被害を受け、貴重な資料なども泥だらけになった。「もうダメかもしれない……」。落胆する母の姿を目にし、崇弘さんも目の前が真っ暗になった。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_459.jpg" alt="" class="wp-image-53219" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_459.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_459-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_459-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>被災直後、2人は途方に暮れていた。しかし、まもなくして崇弘さんの会社員時代の友人らをはじめ、久留米市や大木町で文化財保護に携わる職員らが工房の片付けに駆けつける。2人は徐々に明るさを取り戻した。「久留米絣の制作は、自己完結する作業が多いだけに、時に孤独を感じる瞬間もあります。しかし、この時の被災でたくさんの人に支えられていることに改めて気付かされました」。</p>



<p>「今は、父が制作テーマに掲げていた“光”を、私も追いかけているところです。藍染めだけにとどまらず、黄色や緑など様々な草木染めにも挑戦しています。山に吹く風や川のせせらぎ、葉ずれの音など、自然からいろんなヒントを得て、自分だけの久留米絣の表現方法を見つけていきたいです」と、崇弘さんは制作への意欲を語った。父・哲哉さんが遺した光を手がかりに、崇弘さんの探究の旅は続く。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53213/">深い藍色に、光が射す。「藍生庵」松枝崇弘さん／福岡県久留米市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>究極の目標は「食べられるタオル」をつくること「IKEUCHI ORGANIC」／愛媛県今治市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 25 Jul 2025 08:36:14 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[今治タオル]]></category>
		<category><![CDATA[オーガニックコットン]]></category>
		<category><![CDATA[ORGANIC120]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_047.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>世界に認められたジャパンブランド「今治タオル」の中で、安全と環境に配慮したタオルの製造に独自のスタンスで取り組むIKEUCHI ORGANIC。創業70年を超える老舗企業の独創的な取り組みは、代表の池内計司（いけうちけい [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_047.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>世界に認められたジャパンブランド「今治タオル」の中で、安全と環境に配慮したタオルの製造に独自のスタンスで取り組むIKEUCHI ORGANIC。創業70年を超える老舗企業の独創的な取り組みは、代表の池内計司（いけうちけいじ）さんの強い信念に基づいたもの。同社の原点でもある創業時の工場を改装した今治ファクトリーストアだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">改めて「今治タオル」とは何なのか</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_032.jpg" alt="" class="wp-image-53003" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_032.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_032-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_032-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ヨーロッパから日本にタオルが入ってきたのは明治初期の頃。江戸時代から綿織物の生産が行われていた今治市では、明治27年にタオル製造が始まった。タオルの製造には大量の水を要するため、水が豊富であることが産地の条件となる。今治市の中心部を流れる蒼社川（そうじゃがわ）の伏流水は軟水で、糸や生地にやさしく綿本来のやわらかさを引き出すことができ、色が鮮やかに発色するということも、今治市がタオルの産地になった背景にあるという。現在、全国のタオル生産量の98%を今治市と大阪の泉州市で生産しており、今治市は撚糸工場（ねんしこうじょう）、染色工場、織り工場など、200近くものタオル関連工場が集まる一大産地となっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ブランドに込められた今治タオル品質</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_006.jpg" alt="" class="wp-image-53004" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_006.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_006-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_006-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>とはいえ今治市で製造されたタオルが全て「今治タオル」を名乗れるわけではない。今治タオル工業組合に所属する75社の組合企業が製造した、組合が定める厳しい品質基準をクリアしたタオルだけが「今治タオル」を名乗ることができる。わかりやすいのはタオルの吸水性を保証する「5秒ルール」。1cm角に切ったタオル片を水に浮かべたとき、5秒以内に沈み始めたら合格となる。</p>



<p>その他にもパイル保持性、対光性、摩擦や引張強さ、寸法変化率など、複数の厳しい品質基準があり、その全てをクリアしたタオルだけが、今治タオルと呼ばれるのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">創業時からタオル先進国に認められるクオリティを追求</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_042.jpg" alt="" class="wp-image-53005" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_042.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_042-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_042-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>​​オーガニックにこだわり、安全と環境負荷低減を追求し続けているIKEUCHI ORGANICの創業は1953年。その当時、まだ日本では普及していなかったバスタオルを製造し、中東や欧米に向けて輸出を始める。タオル先進国である欧米に認められる製品をつくるため、他社に先駆けて最新の織機を導入するなどの企業努力を重ね、輸出専業のタオル製造会社として、その地位を確かなものにしていった。</p>



<p>現在、代表を務める池内計司さんが2代目の代表取締役社長に就任したのは1983年。創業者である父親に引き続きCADシステムの導入、ジャカード織りの超高速化や電子化など、業界初の取り組みに次々と挑戦してきた。さらに1989年には、始まったばかりのエコマーク制度の認定もいち早く取得している。池内さんの心に環境配慮型の製品開発に向けた火が灯ったのはこの頃だったのかもしれない。</p>



<h2 class="wp-block-heading">モノづくりの根底にあるのは品質に対する誠実さ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_027.jpg" alt="" class="wp-image-53006" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_027.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_027-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_027-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>池内さんは「高品質なタオルは吸水性にすぐれていて、肌ざわりがやわらかくさらっとしている」と言う。原糸に含まれる細かい不純物や油脂をしっかり取り除いたり、織機で加工しやすいように原糸につけた糊を織り上げた生地から抜いたり、一つひとつの手間を惜しまずきちんとつくれば吸水性の良いタオルができる。しかし、製造の合理性を優先すると水を吸わないタオルができてしまう。</p>



<p>また肌ざわりをやわらかくしたいなら、原糸のヨリをほどいて原綿に近い状態にしていけば良いのだそう。しかしそうすると、肌ざわりは良いが毛羽落ちしやすかったり、耐久性が落ちてしまったりするという。池内さんは、吸水性・使い心地・耐久性のバランスを重視し、使う人それぞれのニーズに真剣に向き合いながらIKEUCHI ORGANIC としての“高品質”を追求している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">世界のコットン生産量の1%しかない希少なオーガニックコットンを使用</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_015.jpg" alt="" class="wp-image-53007" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_015.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_015-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_015-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>​​そして高品質であることを前提に、IKEUCHI ORGANICでは「最大限の安全と最小限の環境負荷」を企業理念に掲げている。かつてはオーガニックで栽培されていた綿花だが、生産効率を求めて農薬や化学肥料が使われ始め、次第にそれらの多用が問題視されるようになっていく。しかしタオルは日用品であるからこそ、池内さんは世界一安全なタオルをつくりたいと考えるようになっていった。故に現在IKEUCHI ORGANICでは、タオルの原料として3年以上農薬や化学肥料が使われていない畑で、遺伝子組換えではない種子から栽培した、フェアトレードなオーガニックコットンのみを採用している。</p>



<p>畑での栽培方法から紡績工程まで、全ての製品のトレーサビリティを公開しているのも、誠実なモノづくりの表れだ。そのポリシーに共感する熱心なファンも多く、創業70周年記念の年には、有志がサプライズでIKEUCHIORGANICの応援広告ポスターを京都市営地下鉄に出稿してくれたこともあったという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">製造過程から販売後まで環境負荷の低減を徹底</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_028.jpg" alt="" class="wp-image-53008" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_028.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_028-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_028-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>社内で使用する電力を全て風力で賄う、染色工場の廃水を世界一厳しいとされる瀬戸内海の排水基準に合わせて整えるなど、製造の背景にも環境への配慮が行き届いている。「最大限に安全なものをつくるのにはクリーンなエネルギーでなければダメだ」という池内さんの思いの現れだ。</p>



<p>製造した後の、タオルの使われ方にも環境への配慮を忘れていない。タオルは消耗品ではなく、長く使い続けられる愛用品であるという考えのもと、永久定番製品の開発と同時に、製品寿命をのばすモノづくりを行っている。</p>



<p>さらに購入されたタオルのメンテナンスも行なっている。社内に専門のクリーニング師を置いて、顧客から持ち込まれたIKEUCHI ORGANIC製のタオルを本社工場でメンテナンスし、購入時に近い状態に戻すサービスを提供している。また、大手家電メーカーの洗濯機の監修をしたこともあったという。いずれもタオルをより良い状態で長く使用してもらいたいがための取り組みだ。言葉だけの環境対策ではなく、幅広い視点からの堅実な活動に驚かされる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">目指すのは唯一無二の「食べられるタオル」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_025.jpg" alt="" class="wp-image-53009" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_025.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_025-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_025-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「創業120周年となる2073年までに食べられるタオルをつくる」。創業60周年に際して、当時代表取締役社長を務めていた池内さんが宣言した目標だ。とはいえ現時点でネームタグもミシン糸も99.9%オーガニックを達成している。縫製に使う糸を完全にオーガニックにすることが難しいのだという。「実は一部の製品ではすでに達成できていますが、全製品で100%を達成するにはまだまだ時間がかかると思っています。しかし、必ず達成するつもりです」と池内社長は語る。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_021.jpg" alt="" class="wp-image-53010" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_021.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_021-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/I_021-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>1953年の池内タオル創業時に使われていた歴史ある木造の建物を改装した「今治ファクトリーストア」には、吸水性や肌ざわり、色やデザイン、サイズなどが異なる様々なIKEUCHI ORGANIC製のタオルが並んでいて、実際に触れてみたり、スタッフに手伝ってもらったりしながら、その違いを確かめて選ぶことができる。先に紹介したIKEUCHI ORGANIC製のタオルメンテナンスもこちらで行なっている。専用の洗濯機を使って高温を維持しながら洗濯することで、タオルがリフレッシュし、本来のやわらかさや吸水性を取り戻すのだ。高品質で安全なタオルは、結婚や出産のお祝い、気の利いたギフトとしても喜ばれているという。また、窓から工場の織機が動いている様子を見学することもできる。</p>



<p>2024年にはIKEUCHI&nbsp; ORGANICが初めて開発したオーガニックコットンタオル「ORGANIC120」が『グッドデザイン賞』（主催：公益財団法人日本デザイン振興会）を受賞した。発売から25年、つくり手としての理想を追求しながら、環境問題やオーガニックコットンへの知識を深め、進化を遂げてきたことが高く評価されての受賞だという。「タオルは毎日使うもの。安全であることを食品のレベルにまで近づけ、食べ物を選ぶようにタオルを選んでもらえるようにしたい」と語る。</p>



<p>食べられるタオルという理想を追いかけ、池内さんとIKEUCHI ORGANICの挑戦はこれからも続いていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53002/">究極の目標は「食べられるタオル」をつくること「IKEUCHI ORGANIC」／愛媛県今治市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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