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	<title>工芸 - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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	<title>工芸 - NIHONMONO</title>
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		<title>350年もの伝統を刃物作りに受け継ぐ「二唐刃物鍛造所」／青森県弘前市</title>
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		<pubDate>Fri, 29 May 2026 05:02:23 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[二唐ブランド]]></category>
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		<category><![CDATA[包丁]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_121.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>藩政時代100軒を超える鍛冶屋があったとされる弘前市のなかでも、二唐家は弘前藩から作刀を命じられて以来、350年の伝統を受け継ぐ鍛冶の「名門」として知られている。「良品は声なくして人を呼ぶ」を銘訓とした二唐（にがら）家の [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_121.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>藩政時代100軒を超える鍛冶屋があったとされる弘前市のなかでも、二唐家は弘前藩から作刀を命じられて以来、350年の伝統を受け継ぐ鍛冶の「名門」として知られている。「良品は声なくして人を呼ぶ」を銘訓とした二唐（にがら）家の精神は今も刃物作りに生かされている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">刀鍛冶から農具･漁具、そして包丁作りへ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_120.jpg" alt="" class="wp-image-54584" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_120.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_120-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_120-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本刀は主に鉄よりも純度の高い玉鋼（たまはがね）で作られる。西洋の剣は「叩いて切る」のに対し、日本の刀は「切り裂く」という違いがある。その日本刀の技術を受け継いだのが和包丁だ。</p>



<p>二唐刃物鍛造所はもともと弘前城近くにあった。鍛冶屋だったのを5代目の二唐国俊氏が有限会社として、現在の場所に移したのが1949年のこと。その頃は鎌や鉈などの農具のほか、北洋サケ･マス漁船で使われる刃物も作っていたが、その需要も減って来たため、1965年頃から作り始めたのが包丁だった。</p>



<p>その一方、国俊氏は刀匠として全国にも知られ、県の無形文化財にも指定されている。刀作りは6代目二唐俊さんまで続けられていたという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「二唐ブランド」の基礎を築いた６代目</h3>



<p>俊さんは、良い包丁を作るために、職人の勘だけでなく、学問的な裏付けをしながら技術を確立した。金属工学やさまざまな理論を学び、近代化した刃物づくりの技術を遺したのである。これまで培ってきた技術とその精神を込めて和包丁「よし久」を作り世に送り出すと、その人気が高まっていった。「二唐ブランド」の基礎を築いたのである。それは「良品は声なくして人を呼ぶ」を銘訓とした二唐家の精神から生まれたものなのだ。</p>



<p>さらに1974年には建設資材関係の鉄鋼部門を設け株式会社とし、それにより溶接技術が磨かれることになる。</p>



<p>俊さんには後継がいなかったため、甥の吉澤俊寿さんが7代目として継ぐことになったという。「僕の記憶にある俊さんは寡黙な人で、正月の２日に行う『打ち初め』という神事には、父と一緒に刀を打っていました」と話すのは、現社長であり8代目の吉澤剛さん。</p>



<p>「物を創り出すことや、刃物を作る技術は文化です。技術は伝統から生まれ、その技術は先祖たちが生み出したもので、この技術を絶やすことはできません」。</p>



<p>使う人に合わせたオーダーメイドの包丁やアウトドア用のナイフなど用途を広げてきた吉澤さん。こうした二唐ブランドとその精神を今につないだ立役者でもある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">24工程もあるなかで焼き色を見極める</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_28.jpg" alt="" class="wp-image-54585" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_28.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_28-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_28-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「包丁は地鉄（ぢがね）と玉鋼（たまはがね）の２つの素材を合わせて作られるんです」と吉澤さん。それぞれ素材の弱点を補うためなのだが、完成するまで24工程もあるのだという。</p>



<p>第一工場でその２つの素材を接合するための特殊粉薬を振りかけることから始まり、1200度の炉の中に2〜3分ほど入れる。鉄がオレンジ色になったところでコバシで取り出すのだが、この時の焼き色を見極めることが一番難しく大事な工程だと吉澤さん。</p>



<p>炉から取り出した鉄を機械ハンマーで叩きながら延ばし、少しずつ包丁の形にしていく。さらに槌で叩きながら微妙な調整をし、高温で熱し、水に入れて急冷する。それを硬さと粘りのある包丁にするため再び高温で焼き戻しをしていくのだ。</p>



<p>ここまでできたところで、次は研ぎになる。「私はあまり器用な方ではないので、他人の倍以上の努力が必要でしたが、ある程度包丁の形ができるようになるまでに、人にもよりますが最低１年はかかります。でもやりがいはありますよ」と吉澤さんはキッパリ話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">切れ味を良くするための小刃づけ作業</h3>



<p>包丁の形になったところで第二工場で研ぎの工程に入る。ここでの研磨機械は、鉄構事業部の溶接部門で作られたものだという。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_24.jpg" alt="" class="wp-image-54586" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_24.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_24-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_24-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>まず回転砥石に包丁の「あご」と呼ばれる端から切先まで、指で押さえながら研いでいく。この時、包丁を25度ほど傾け、極端に力を加えないように少しずつ横にスライドさせながら研いでいくのである。両面を研いだところで「小刃（こば）づけ作業」に入る。小刃づけとは切れ味を良くするため、先端を両面角度をつけて薄く研いで二段刃にしていくことで、すべての工程が職人技だ。完成した包丁は模様が浮き出て、キラリとした仕上がりになる。</p>



<p>「現在、鉄構事業部門と刃物事業部には合わせて30名の社員がおります。それぞれ熟練度の違いがありますが、基本的に包丁１本を責任を持って一人で仕上げるようにしています。もちろん最終的には先輩職人がチェックします」</p>



<p>二唐刃物鍛造所の大きな特徴は、それぞれの職人たちがデザインなどを自由にチャレンジすることができることだ。それが「二唐ブランド」を生み出す素地にもなっているのだ。またもうひとつの自社ブランドとして言えることは、製品のバラツキがないことだという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ケーキやパイ専用の刃物を作り、さらには職人の技術をつなぐ伝承施設を</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_116.jpg" alt="" class="wp-image-54587" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_116.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_116-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nigara_116-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「ありがたいことに、ここ近年、アジア圏や欧米からの海外需要が伸びており、約95%が輸出されています。それもほとんどは薄くて軽い、しかも切れ味がいいステンレス製の包丁に人気があります」と吉澤さんは話す。</p>



<p>ステンレス包丁もまた2種類の素材を組み合わせて作られるのだが、加工しにくく、鉄と比べて2倍近い作業時間を要するのだ。しかし、軽いうえに錆びにくいのが大きな特徴だという。</p>



<p>さらにまた大きな仕事が舞い込んだ。それはフランスのアウトドアブランド･オピネルとのコラボを組んだことだ。それは日本では初めてのことらしく、手に持つ柄の部分はオピネル、刃の部分は「二唐ブランド」の包丁で、しかも世界で2500本の限定品というものだ。</p>



<p>「今後は、ケーキやパイなどをスパッと切れる刃物に挑戦してみたい。それと将来的には失われつつある職人の技術を次に伝えていく伝承施設をつくれたらと思っています」と吉澤さんの夢は膨らんでいる。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54579/">350年もの伝統を刃物作りに受け継ぐ「二唐刃物鍛造所」／青森県弘前市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>日本一の大しめ縄誕生の地･飯南町に受け継がれるしめ縄づくり　出雲大社勧農講社頓原支部／島根県飯南町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 07 May 2026 10:47:39 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[出雲大社]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00979__H6A7254.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>縁結びの神として知られる「出雲大社」。その神楽殿に掲げられた巨大なしめ縄は、訪れる人が思わず見上げる象徴的な存在だ。その大しめ縄を作り続けているのが、島根県飯南町にある「出雲大社勧農講社頓原支部（いずもたいしゃかんのうこ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00979__H6A7254.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>縁結びの神として知られる「出雲大社」。その神楽殿に掲げられた巨大なしめ縄は、訪れる人が思わず見上げる象徴的な存在だ。その大しめ縄を作り続けているのが、島根県飯南町にある「出雲大社勧農講社頓原支部（いずもたいしゃかんのうこうしゃとんばらしぶ）」。神話の地を支えるしめ縄づくりの技術は、町の誇りとともに受け継がれてきた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">山里の作業場から生まれる巨大なしめ縄</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00872_142A0019.jpg" alt="" class="wp-image-54520" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00872_142A0019.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00872_142A0019-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00872_142A0019-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>中国山地の山々に囲まれた島根県飯南町（いいなんちょう）。冬には雪が降り積もり、澄んだ水と豊かな田畑に恵まれた静かな土地だ。その町にある「大しめ縄創作館」で大しめ縄づくりを担っているのが、「出雲大社勧農講社頓原支部」だ。代表を務めるのは和田さん。この土地で長く続いてきた奉納の営みを支えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">山里に受け継がれるしめ縄づくり</h3>



<p>「出雲大社勧農講社頓原支部」では、日本でもひときわ大きな一本のしめ縄の制作を担っている。行き先は、全国から参拝者が訪れる出雲大社の神楽殿だ。長さおよそ13.6メートル、重さはおよそ5トン。初めて目にした人は、その大きさに思わず足を止め、見上げてしまうほどの迫力だ。だが、その壮大なしめ縄が生まれる場所は、観光地の喧騒とは無縁の山里にある作業場である。</p>



<h3 class="wp-block-heading">大しめ縄と飯南町のつながり</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00876__H6A7113.jpg" alt="" class="wp-image-54521" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00876__H6A7113.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00876__H6A7113-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00876__H6A7113-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>飯南町と大しめ縄の関係は、昭和30年代までさかのぼる。当時、この地域には出雲大社分院が置かれていた。その縁から、近隣の住民や信者たちによってしめ縄が作られ、神社へ奉納されるようになったという。</p>



<p>やがて昭和56年、出雲大社神楽殿が建立された際、新たなしめ縄の制作が依頼された。それが長さおよそ13.6メートルに及ぶ巨大なしめ縄だ。神楽殿にふさわしい大きさのしめ縄を作るため、地域の人々が協力して制作に取り組むことになる。当初は頓原小学校の講堂、その後、中学校の体育館へと場所を移しながら、しめ縄づくりは続けられ、平成27年、しめ縄づくりの拠点として「大しめ縄創作館」が完成した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">しめ縄文化を今に伝える「大しめ縄創作館」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00879__H6A7067.jpg" alt="" class="wp-image-54522" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00879__H6A7067.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00879__H6A7067-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00879__H6A7067-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そもそもしめ縄とは、神様が宿る場所と私たちの暮らす世界を隔てる「結界」の役割をもつもの。古来より神社や神棚、家の玄関などに飾られ、日本人の暮らしの中に深く根付いてきた。「大しめ縄創作館」では、そんなしめ縄の歴史を伝える写真や資料などが並び、地域で受け継がれてきたしめ縄づくりの文化を知ることができる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">熟練の技で編み上げられるしめ縄</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00881__H6A7074.jpg" alt="" class="wp-image-54523" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00881__H6A7074.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00881__H6A7074-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00881__H6A7074-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>奥へ進むと、作業場が広がる。そこでは職人たちが実際にしめ縄を編み上げる作業を行っている。編む人、芯を取る人、小さな部材を作る人。それぞれの役割を分担しながら作業が進められる。館内には乾いた稲わらの香りが漂い、束ねたわらをより合わせる音が静かに響く。職人たちはわらを手に取り、力を込めてねじりながら一本の縄へと仕上げていく。</p>



<p>しめ縄づくりは一見単純な作業のようにも見えるが、均一な太さの縄を作るには熟練の技術が必要だ。わらの束をどのくらいの力で締めるか、どの角度でより合わせるか。その加減は、長年の経験によって身につくものだという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">神楽殿に掛けられる巨大なしめ縄づくり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00897__H6A7139.jpg" alt="" class="wp-image-54524" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00897__H6A7139.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00897__H6A7139-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00897__H6A7139-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>普段のしめ縄づくりは創作館の奥のスペースで行われているが、出雲大社神楽殿に掛けられる大しめ縄を制作する際には、館内の様子は大きく変わる。約13.6mもの巨大なしめ縄を作るために、建物全体を使って制作が行われるのだ。</p>



<p>大しめ縄は一本の縄から作られるわけではない。複数の太い縄を編み、それらを組み合わせることで完成する。わらを束ね、より合わせ、さらに組み上げていく作業には多くの時間と人手が必要になる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">縄の素材となる稲づくりも飯南町で</h3>



<p>大しめ縄の制作は春、田植えから始まる。地元飯南町産の素材で作るのが基本で、町内にはしめ縄専用の田んぼが整備されている。育てるのは「赤穂餅（あかほもち）」という品種の餅米。一般的な餅米よりも粘りが強く、縄に撚ったときに千切れにくいという特徴がある。大しめ縄のような巨大な縄を作るには、こうした丈夫な稲が欠かせない。</p>



<p>食べるための米とは違い、しめ縄用の稲は実がつく前に刈り取られる。まだ青く、繊維が丈夫な状態の方が、強く美しい縄に仕上げられるからだ。刈り取られた稲は乾燥させ、束ねられ、やがて縄へと撚られていく。作りたてのしめ縄には、稲の青みがほのかに残る。時間とともに色が抜け、やがて神社で見慣れた落ち着いた茶色へと変わっていく。</p>



<h3 class="wp-block-heading">今年の夏、神楽殿で架け替えへ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00986_142A0606.jpg" alt="" class="wp-image-54525" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00986_142A0606.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00986_142A0606-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00986_142A0606-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>制作の終盤には「大撚り合わせ」と呼ばれる工程がある。何本もの太い縄を束ね、巨大な一本へと撚り上げる作業だ。機械だけでは難しいため、多くの人の力が必要になる。飯南町ではこの工程に参加する人を募集し、地域の人々や有志が力を合わせて縄を仕上げていく。大しめ縄づくりには、延べ800人もの人々が関わるという。巨大なしめ縄は、職人だけでなく町の人々の力によって完成するのだ。</p>



<p>大しめ縄はおよそ6〜7年に一度、新しいものへと掛け替えられる。神楽殿での架け替え作業は一日がかりで行われ、巨大なしめ縄がゆっくりと吊り上げられていく光景は圧巻だ。次の架け替えは今年、2026年７月。田んぼで育てられた稲が、長い時間をかけて一本の縄となり、再び神楽殿に掲げられることになる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">飯南町から全国へ広がるしめ縄づくり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00981__H6A7264.jpg" alt="" class="wp-image-54526" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00981__H6A7264.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00981__H6A7264-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00981__H6A7264-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>創作館が整備され、制作の様子が公開されるようになると、その技術が広く知られるようになった。現在では日本全国の神社や施設、そして海外からもしめ縄の制作依頼が寄せられているという。</p>



<p>そのため館内では、大しめ縄の制作がない時期でも年間を通してしめ縄づくりが続けられている。サイズも用途もさまざまで、神社に飾られるものから施設の装飾に使われるものまで、出雲で編まれた縄が各地へと届けられている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">地域の誇りを日本全国、そして次世代へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00931__H6A7525.jpg" alt="" class="wp-image-54527" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00931__H6A7525.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00931__H6A7525-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/nih2_00931__H6A7525-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「しめ縄づくりはこの地域の誇りです。」と語る和田さん。ここ飯南町でのしめ縄づくりの技術は、今では全国へと広がり、日本各地の祈りの場を支える存在となっている。</p>



<p>一方で、飯南町は高齢化が進んでいる地域。しめ縄づくりの技術を次の世代へどう繋いでいくかは、大きな課題でもある。それでも、この町では今日も藁が束ねられ、縄が撚られている。その手仕事は、地域の誇りとともに日本各地や海外、そして未来へと受け継がれていこうとしている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54512/">日本一の大しめ縄誕生の地･飯南町に受け継がれるしめ縄づくり　出雲大社勧農講社頓原支部／島根県飯南町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>伝統を継ぎ、創造に挑む。ねぶた師･竹浪比呂央さん／青森県青森市</title>
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		<pubDate>Thu, 07 May 2026 10:12:47 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[ねぶた名人]]></category>
		<category><![CDATA[ねぶた]]></category>
		<category><![CDATA[青森ねぶた祭]]></category>
		<category><![CDATA[第七代ねぶた名人]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_115.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>ねぶた師と呼ばれる大型ねぶたの制作者は、「青森ねぶた祭」の顔を作る職人だ。なかでも竹浪比呂央さんは、長年にわたり高い技術で青森ねぶた祭に貢献した制作者が認定される「ねぶた名人」の称号を与えられた、歴代7人の1人。数百年続 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_115.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>ねぶた師と呼ばれる大型ねぶたの制作者は、「青森ねぶた祭」の顔を作る職人だ。なかでも竹浪比呂央さんは、長年にわたり高い技術で青森ねぶた祭に貢献した制作者が認定される「ねぶた名人」の称号を与えられた、歴代7人の1人。数百年続く民族行事としてのねぶたの伝統を継承しつつ、ねぶたを造形作品として新たな境地に挑む表現者でもある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">青森市が誇る、日本屈指の火祭り </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_142.jpg" alt="" class="wp-image-54469" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_142.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_142-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_142-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「青森ねぶた祭」は、青森県青森市で毎年8月2日から7日にかけて開催される夏祭り。20数台の大型ねぶたが、「ラッセラー」の掛け声とともに乱舞する跳人（はねと）、笛や太鼓を奏でる囃し（はやし）方とともに、街なかを練り歩く。開催期間中は、100万人を超える人出で賑わう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">眠流の民俗行事から一大祭典へ</h3>



<p>今や日本を代表する巨大祭典だが、その起源は民族行事だ。南部地方を除く青森県内では、各地で独自の“ねぶた”または、“ねぷた”と呼ばれる祭りが行われており、地域によって呼び方や形が異なるがルーツは同じで、七夕の習俗から発展したものと考えられている。諸説あるが、農作業のさまたげとなる眠気を流す「眠り流し」の影響が見られ、「ねぷてー（津軽のことばで眠いの意味）を流す」からねぶた･ねぷたに転じたという説もある。</p>



<p>青森市のねぶたの記録としては、1730年（享保15年）に大浜（現在の青森市油川）でねぶたを出したという古文書が残っている。記録の上ではこれが「青森ねぶた」が記録に現れた最初とされているが、実際にはそれ以上前から、記録に残すまでもない年中行事として行われていたと推察されている。</p>



<p>「青森市を含む県内各地のねぶたは、町衆の思いだけで何百年も伝わってきた。非常に珍しく貴重な祭りだと思います」と竹浪さん。長い時間の中で、世情が変わりまちの形が変わっても、ねぶたは受け継がれ、成長してきた。その裏には、この土地の人々の熱い情熱があるに違いない。</p>



<p>近代では、町内ごとにねぶたが作られ運行されてきたが、観光化の流れにのりどんどん大型化していくと、地域ねぶたの伝統は残りながらも、祭りの中心は企業を母体とする「青森ねぶた祭」へと移行。ねぶた制作者についても、もとは手先が器用なねぶた好きが作っていたものが、大型ねぶたは制作技術を高めた専門の制作者＝ねぶた師が作るようになった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">大型ねぶたの作り手「ねぶた師」</h3>



<p>かつてねぶた･ねぷたは和紙と竹で作り、中にはロウソクを灯していた。人形型や扇形があり、青森ねぶたは主に人形型である。戦後に国道の道幅が広がったことで、現在の横広の形に変わっていき、その後材料も進化。現代は針金に和紙を貼り、照明にはLEDを使っている。</p>



<p>制作者である「ねぶた師」は、2025年現在で十数人おり、竹浪さんもそのひとり。竹浪さんは、祭りが終わる前から次の年の題材を考えるという。題材となるのは歌舞伎や歴史、伝説が主。母体の企業とテーマをすり合わせて、文献や資料を調査し、構想をまとめて原画を描く。この原画の作業が、「ねぶた師の仕事の中で最も重要」と竹浪さん。「同じ題材、同じ場面でも、制作者の個性によって表現が異なります。切り取った場面を絵にする感性、色彩のセンスが問われるんです」と話す。正月頃までには原画の鉛筆デッサンを完成させ、顔や手足などの細部をあらかじめ作っておく。5月になると、「ラッセランド」と呼ばれるねぶた小屋へ移動。角材の支柱をベースに骨組みを作り、照明を取り付け、和紙を貼り、顔や輪郭などを墨で書く「書き割り」へと進んでいく。書き割りもまた、非常に重要な作業で、特に表情が決まる面入れは「何度臨んでも緊張する」と言う。これが終わるとロウで模様を付けて、絵の具や染料を調合した染料を使いハケや筆、スプレーなどで彩色して完成だ。</p>



<p>すべての作業をねぶた師が一人で行うのではなく、大工作業や紙貼り、照明の取り付けは専門家やスタッフが行い、その際ねぶた師は現場監督の役目も果たす。そうしてさまざまな人の手によって完成したねぶたを台車に乗せる「台上げ」の瞬間は、格別の感動があるという。構想から制作まで、実に一年をかけて作り上げるねぶた。竹浪さんもそうだが、複数台を手掛ける人もおり、それだけの力量を求められるのがねぶた師である。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「ねぶたを作るために生まれてきた」。ねぶたに魅了された人生</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_168.jpg" alt="" class="wp-image-54470" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_168.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_168-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_168-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>竹浪さんは旧木造町（現つがる市）の出身。そこにも地域密着型の小さなねぶた祭りがあり、竹浪さんが生まれ育った町内会からも毎年出陣していたという。幼い頃、そのねぶたに魅せられた。「3歳の頃からだったと思います。あまりにもねぶた、ねぶたと騒ぐ子どもだったようで。そのうちに、青森の大きなねぶたを見に連れていってもらったんです。そしたらもう、取り憑かれてしまいましたね」。</p>



<p>19歳から千葉作龍さん（第五代名人）のねぶた小屋に通い始め、手伝うようになる。「たくさんの制作者がいらっしゃる中で、千葉先生のねぶたは、とてもお洒落で新鮮に見えました。それで、この方のお手伝いをしてみたいと。門戸を叩くと、受け入れてもらえたんです」。それからは制作に没頭する日々を送り、1989年、30歳で大型ねぶたデビューを果たす。以降は青森ねぶた祭で毎年制作を手掛けるほか、1996年にブタペスト、1998年に東京ドーム、2007年にロサンゼルスと遠征での出陣ねぶた制作にも関わるなど、業界の中心的な役割を担うようになっていった。2010年、通年活動するための「ねぶた研究所」を立ち上げる。2023年には、63歳で第七代ねぶた名人に認定された。</p>



<p>「子どもにとってのおもちゃのように大事だったものが、大人になってもずっと同じように大事なんですよね。3歳、4歳のときと価値観が変わっていないのかもしれません」と、顔をほころばせる竹浪さん。「今は、ねぶたを作るために生まれてきたのだと思っています」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">立体感と色彩が、ねぶたに命を宿らせる</h3>



<p>竹浪さんは、戦いの場面はあまり好んで描かないという。「邪悪なものを払う、魔を払い除ける守護神のような、金剛力士、仁王像のようなものが多い」と言い、刀を持たせるにしても、武器としての意味合いよりは、魔を払い除けるために持たせることが多いそうだ。これは竹浪さんの個性であり、表現である。「毎年題材を決めるのが本当に大変」と竹浪さんが話す通り、青森ねぶた祭で制作されるねぶたは1年で約23台、10年だと約230台にもなるだけに、過去に作られたねぶたと同じテーマになることもあるし、場面が被ることもある。「創作の世界の中で、誰もが憧れの存在がいて、理想がある中で、自分のものをいかに出せるかが難しい」と胸の内を明かす。</p>



<p>そんな中で竹浪さんの「自分らしさ」は、ねぶたに奥行き感や立体感を生み出すことだという。「幅9メートル、奥行き7メートル、高さ5メートルの立方体の中に、登場人物の部位をいかに配置して収めるか。置き方一つで見え方がまったく変わってきますから、その部分に特にこだわっています」と話す。さらに、色の配置も重要とのこと。竹浪さんは、好きな赤色のような一つの原色を核として、そこからほかの色彩を散らしていくようなイメージで配置するという。祭り本番で、沿道の観客に遠くからゆらりゆらりとやってくるねぶたが力強く見えるように、色彩で力強さを表現するのだ。「それから、墨の線も存在感のある線を書くように意識します。色を塗るのはスタッフとの共同作業だったりしますが、墨の線だけは全部私が書きます。墨の線で特徴が出ますから」。迫り来るねぶたの勇壮さは、ねぶた師のこうした工夫と努力によって生み出されているといえる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">人に勝つより、自分に負けないこと</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_135.jpg" alt="" class="wp-image-54471" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_135.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_135-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_135-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>竹浪さんは、2025年の青森ねぶた祭において、青森菱友会の「海王（かいおう）」で、ねぶた大賞と最優秀制作者賞を受賞した。「海王」は、次の受賞ねぶたと入れ替わる2026年8月9日まで、「青森市文化観光交流施設 ねぶたの家ワ･ラッセ」で展示されている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_140.jpg" alt="" class="wp-image-54472" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_140.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_140-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_140-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2025年は青森市が開港400年という記念すべき年だった。これをテーマに、海に育まれて発展してきた青森市の歴史を改めて考え、更なる繁栄への願いを込めて、海の守護神ポセイドンの勇姿をねぶたで和の世界観に表現。日本の武者に扮したポセイドンの周囲に、鯱（体が魚、頭が虎の想像上の生き物）や、体が魚の竜を配置。後部には青森の海にもいるイルカを置き、舞台が青森の海であることを纏わせた。「波の色と鯱の黄色系との対比で、色彩のインパクトを出しています。また、墨の部分は、ポセイドンの腕や肋骨を表現する線を、あえて強く、荒っぽく描きました」と竹浪さん。受賞時には、「ガツンと迫力のある、これぞねぶたというのを表現できた」とコメントしている。竹浪さんの個性が存分に発揮されての受賞だった。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_137.jpg" alt="" class="wp-image-54473" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_137.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_137-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_137-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大賞を受賞したねぶたは、ワ・ラッセの「ねぶたホール」の最も人目を引く特等席に据えられる。「海王」の前に立ち、竹浪さんは語った。「来年もまたこの場所に戻ってきたいと、来る度に気合いが入ります。毎年ねぶたを作っていて、毎回本当に悩みますけれども、でもその悩みが楽しみでもある。スポーツのように数字であきらかな結果が出るようなものではないので、人に勝つというより、自分に負けないという、そういう目標を掲げています。自分が作りたいと直感で思ったものを、絶対に妥協しないこと。誰に言うこともないですけれど、自分に負けないっていうのは大事にしています」。</p>



<h2 class="wp-block-heading">未来を想って、ねぶたを新たな造形へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_04.jpg" alt="" class="wp-image-54474" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_04.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_04-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_04-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>竹浪さんがこの世界に入った時代、ねぶた師はまだ職業として確立されていなかった。制作に一年をかけても、それで食べていけるわけではなかったのだ。だが、ねぶたは成長を続け、世界に誇れるほどになった。竹浪さんのもとへも、移住してまでねぶたを作りたいという人がくる。「来てくれる方々は、これからのねぶたを支えていく人たち。ねぶたを未来に繋ぐためにも、そういう方々がねぶた師として食べていけるよう、職業として確立していかなければならない。ねぶたを祭りの道具としてだけでなく、造形作品としての価値を見出すことで、可能性を広げていけないか」。研究所を立ち上げたのは、そんな想いからだったという。</p>



<p>しかし、研究所の設立当初は、風当たりが強かったという。「ねぶたは芸術ではなくて、あくまで祭り」という声が多かったのだ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_03.jpg" alt="" class="wp-image-54475" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_03.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_03-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_03-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>それでも竹浪さんは、｢紙と灯りの造形｣ をコンセプトに、ねぶたの新たな可能性を追求し続けた。ねぶたの技法を使ったインテリア雑貨やアパレルなどのブランド「NEBUTA STYLE」を立ち上げたり、レストランやホテルに飾るオブジェを制作したり。これらを手掛ける造形作家としての側面も持たせることで、生計を立てられる仕組みを作っていった。その上、この新たなプロダクトはねぶたの魅力発信にも繋がる。思い描いた夢が少しずつ叶っていくと同時に、周りの意識も変わってきたと、竹浪さんは感じている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_181.jpg" alt="" class="wp-image-54476" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_181.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_181-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/05/takenami_181-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>竹浪さんのこれからの目標は、ねぶたを日本の文化、和紙の造形作品として、より広く世界に発信していくこと。「これまでに行ったアメリカやブタペストでは、ねぶたに灯りを入れるとどよめきが起こりました。みなさんすごく驚き、喜んでくださるんです。まだねぶたを知らない、ヨーロッパなど別の国にも持っていってみたいですね」。そう語る竹浪さんの眼差しはとても輝いていて、ねぶたに憧れ続けた少年の目が、今もそこにあるかのようだった。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54459/">伝統を継ぎ、創造に挑む。ねぶた師･竹浪比呂央さん／青森県青森市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>自然がつくり出すかけがえのない美しさをそのままに。「山下真珠有限会社 L’ de pearl」／愛媛県宇和島市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 08 Mar 2026 07:59:34 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[養殖]]></category>
		<category><![CDATA[ジュエリー]]></category>
		<category><![CDATA[宇和島真珠]]></category>
		<category><![CDATA[羽根つき]]></category>
		<category><![CDATA[バロック]]></category>
		<category><![CDATA[ドロップ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita013.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>真珠はこれまで“より完全な真円”であることに市場価値を求められてきた。自ら育てた真珠をジュエリーに加工し、「L’ de pearl」というオリジナルブランドで販売する山下奈美さんは、市場価値よりも、一粒ごとの個性を見極め [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita013.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>真珠はこれまで“より完全な真円”であることに市場価値を求められてきた。自ら育てた真珠をジュエリーに加工し、「L’ de pearl」というオリジナルブランドで販売する山下奈美さんは、市場価値よりも、一粒ごとの個性を見極め、その魅力を引き出した唯一無二の価値を創造している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">全国有数の産地で三代に渡り真珠養殖業を営んできた山下真珠</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita006.jpg" alt="" class="wp-image-54098" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita006.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita006-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita006-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>​​1963年創業の山下真珠有限会社は、日本有数の真珠の産地である宇和島市で四代にわたり家族で真珠養殖を営んできた老舗養殖業者だ。四代目にあたる山下奈美さんには、もともと家業に従事しようという明確な意思はなく、大学を出て広島県で一般企業に就職する。しかし、ちょうどその頃に新型コロナウィルスが拡大し、出社どころか郷里に帰ることも儘ならぬ状況に。そんな中、会社の上司や取引先の方々に何気なく「家業があるってすごいことだよね」と言われたことがきっかけとなり、故郷に帰って家業を手伝おう、と思うようになる。ちょうど同じ頃、県外でサラリーマンとして働いていた弟の雄平さんも宇和島に帰ってきたこともあって、家族で力を合わせて真珠養殖に取り組むことになった。</p>



<p>あるとき奈美さんは、友人から「山下真珠の真珠はどこで買えるのか」と尋ねられたという。その何気ない一言をきっかけに、自社で育てた真珠をメーカーに持ち込み、アクセサリーに加工してもらった後、それらがどこでどのように販売されているのか把握していなかったことに気づいた。「自分たちで育てた真珠を、自分たちの手で届けたい」。そうした思いから、アクセサリーの加工から販売までを自ら手がけることを決意。そして2023年には、真珠養殖を手伝いながら、自社の真珠を使ったジュエリーブランド「L’ de pearl」（エルデパール）を立ち上げ、既存の価値観にとらわれない、真珠本来の魅力を生かしたアクセサリーをつくって販売している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">生産者だからこそわかる真珠本来の魅力を伝えたい</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita007.jpg" alt="" class="wp-image-54099" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita007.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita007-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita007-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>​​真珠はアコヤ貝がその胎内で時間をかけて育む天然の宝石であり、同じ色、形、輝きのものは一粒もない。しかし、真珠には昔から“真円であること”を至上とする評価基準があり、どんなに美しい照りや輝きがあったり、個性的でユニークな形をした真珠であっても、市場的には価値が認められることはない。真珠養殖に携わるうちに、ある意味“不遇”な扱いを受けてきた真珠たちを不憫に思うようになり、その魅力に気づいて欲しいという奈美さんの気持ちが「L’ de pearl」の立ち上げにつながっている。</p>



<p>エルデとは、ドイツ語の「erde」に由来しており、“地球、大地、特定の土地”という意味があるという。真珠養殖に適した条件に恵まれた宇和島の海だからこそ逞しく美しく育つ真珠には、アコヤ貝が持っている生命の力、そして大切に育てる人々の愛情が込められている、という思いで名付けられたブランド名だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">祖父である初代はこの地における真珠養殖のパイオニア</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita008.jpg" alt="" class="wp-image-54100" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita008.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita008-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita008-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>山下家がここで真珠養殖を始めたのは今から65年ほど前のこと。奈美さんの曽祖父と祖父の代に遡る。真珠養殖は三重県伊勢志摩地方に始まり、次第に宇和島市をはじめ全国各地へ広がっていくこととなる。三重県の真珠養殖業者が宇和海に進出、最初は、母貝採取の仕事から始まり、その後、真珠養殖のノウハウを教わった奈美さんの祖父は、この地における真珠養殖の第一世代となった。</p>



<p>近年、宇和島市を含む宇和海域では、アコヤ貝の大量死や担い手の高齢化・後継者不足などの問題により、生産量はピーク時と比べると減少傾向にある。しかしさらなる高品質化やブランド戦略などといった、新たな事業展開も進んでいるという。</p>



<p>こうした環境の変化の中で、山下家の真珠養殖を現在支えているのが、雄平さんだ。</p>



<p>現在、山下家の中心となって養殖を行っている雄平さんは「同じ母貝、同じ核、同じ海、同じ育て方でも、作り手によって差が出てきます。昔は技術やノウハウは秘密にしていたけど、今はそんな風潮も少なくなっています。僕は真珠養殖4年目の新人。新入りならではの怖いもの知らずで貪欲に聞いて回っています」と笑いながら言う。そうやって自分たちで試行錯誤しながら一生懸命に育てているからこそ、一粒ごとに異なる真珠の美しさを敏感に感じ取ることができるのかもしれない。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自然の力でしかつくり出せない豊かな色味と美しい輝き</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita043.jpg" alt="" class="wp-image-54101" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita043.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita043-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita043-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>真珠は一般的に、真円でキズやエクボがなく、テリのいいものが価値が高いとされている。しかし、そのような珠は、年間で数万粒が浜揚げされるうちの1〜2％にも満たない。そこで「L’ de pearl」では、市場的な価値は認められなくとも唯一無二の個性を持つ真珠を積極的に使用し、アクセサリーに加工している。真円に近い真珠を使うこともあるが、基本的にはバロックやドロップ、羽根つきといった、ユニークな形をしたものがほとんどだ。また、真珠の品質を保つために必要な加工処理しか施していないため、微妙に色合いが異なる自然の豊かな色味を楽しめる。個性のある真珠はそれ自体がデザインであるため、小ぶりで華奢なパーツを使用し、真珠の美しさを引き立てることを心がけている。「簡単に美しく育ち上がる真珠ではないからこそ、世代を超えて永く受け継いでもらえるものにしたい」という奈美さんの想いだ。</p>



<p>そうした想いを直接届けるため、販売方法にも工夫を重ねている。普段はオンラインショップのみでの販売だが、ポップアップストアや催事などでも販売しており、色も形も大きさもさまざまな真珠の中から、気に入ったものを選んでアクセサリーに仕立て上げるセミオーダーは特に人気が高いという。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita041.jpg" alt="" class="wp-image-54102" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita041.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita041-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita041-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>今まで価値が認められなかった真珠に日の目を当てたいという思いはあっても、老舗の真珠養殖業者であり、日々真珠に接しているプロフェッショナルとしてのプライドがある。形はいびつであってもアコヤ真珠の特徴である奥深い輝きと照り、色の美しさに対するこだわりは譲れないという。「世界にひとつしかない自分だけの真珠、また大切な人へのギフトとして、一粒ずつ選んでいただいている様を見ると嬉しくて。幸せを感じる瞬間です」という奈美さん。冠婚葬祭だけでなく、日常の装いに気軽に取り入れてもらえるよう、デザインや価格も日々試行錯誤している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">世界にひと粒しかない真珠を誰かの特別な輝きに</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita044.jpg" alt="" class="wp-image-54103" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita044.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita044-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/03/yamashita044-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「真珠のアクセサリーは世の中にたくさんあります。だからこそ何を特徴にするか難しいけれど、自分たちが育てた真珠を使っていること、だからこそ真珠本来の魅力をたくさん知っていて、それを生かすことができるということが一番の強みかなと思っています」という奈美さん。その考えのもと、最初はSNSなどを通じてのオンライン販売からスタートし、催事での出展販売、レンタルスペースを活用したポップアップストアでの期間限定販売など、販路も少しずつ広げてきた。</p>



<p>こうした取り組みの中で、様々な輝きを放つ真珠から、自分が好きな深い青色の粒をセレクトし、名前の奈美と海の波をかけて名付けた「NAMIOTO COLLECTION」の展開も始めるなど、ブランドとしても広がりを見せている。</p>



<p>その変化は、養殖の現場にも影響を与えている。雄平さんは「真円で白く、巻きのいい真珠を育てなければと必死でした。でも、姉がアクセサリーをつくり始めてから、既存の価値基準にこだわらなくていいんだ、活かしてもらえるんだ思うと気が楽になって。同時にもっと良い真珠を育てたいという気持ちにもなったんです」と話す。時代とともに漁業の在り様も人の価値観も変化してきている。多様性の時代と言われる今、「L’&nbsp; de pearl」のアクセサリーは年齢性別関係なく、多くの人たちに受け入れられ、愛される存在になるのかもしれない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54091/">自然がつくり出すかけがえのない美しさをそのままに。「山下真珠有限会社 L’ de pearl」／愛媛県宇和島市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>伝統に新しい解釈を加えた博多人形に世界が注目。人形師・中村弘峰さん／福岡県福岡市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 27 Oct 2025 07:41:47 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[博多人形]]></category>
		<category><![CDATA[2017金沢・世界工芸コンペティション]]></category>
		<category><![CDATA[追憶の呉爾羅]]></category>
		<category><![CDATA[刻の獅子]]></category>
		<category><![CDATA[傀藝堂]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA015-7514.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福岡県福岡市で約400年にわたり作られてきた博多人形。実は博多で作られる粘土製の人形の総称を博多人形と呼び、一口に博多人形と言っても様々なスタイルが存在する。若手の博多人形師、「中村人形」４代目の中村弘峰さんは、そんな博 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53436/">伝統に新しい解釈を加えた博多人形に世界が注目。人形師・中村弘峰さん／福岡県福岡市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA015-7514.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福岡県福岡市で約400年にわたり作られてきた博多人形。実は博多で作られる粘土製の人形の総称を博多人形と呼び、一口に博多人形と言っても様々なスタイルが存在する。若手の博多人形師、「中村人形」４代目の中村弘峰さんは、そんな博多人形界でも特にオリジナリティのある作品を生み、熱い視線を注がれているひとりだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">大正時代より4代続く中村人形</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA030-7724.jpg" alt="" class="wp-image-53444" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA030-7724.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA030-7724-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA030-7724-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>中村人形の始まりは大正時代だ。初代・中村筑阿弥（ちくあみ）氏は、現代でいう投資家、米相場師の裕福な家に生まれた。少年時代には大工や水泳選手に憧れるも、大事な跡継ぎゆえ「危ない」と反対され、ようやく許されたのが人形師になることだったという。13歳で博多人形の名門・中ノ子家（なかのこけ）に丁稚奉公に入り、その9年後、1917年に独立。以降、２代目衍涯（えんがい）氏、３代目信喬（しんきょう）氏、そして４代目弘峰（ひろみね）さんと、父から子へバトンが渡された。</p>



<h3 class="wp-block-heading">人形が持つ魅力、役割とは</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA034-7799.jpg" alt="" class="wp-image-53445" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA034-7799.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA034-7799-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA034-7799-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>博多人形を代々手がけてきた中村家では、人形の役割を独自に見つめ続けてきた。焼き物や織物など、日常の中で用いられる工芸品とは異なり、人形には「使う」ための機能がない。それでもなお、人の心に訴え、文化や時代を映す存在として受け継がれてきた点に、その価値があるといえる。</p>



<p>実は、弘峰さんもこのことについて、幼い頃から関心を抱いていた。しかし人形師として人形と向き合い、３代目とも対話を重ねる中で、「人形にも機能がある」ことに気づいたという。それは「祈る」こと。例えばお雛様や五月人形は、子どもの健やかな成長を祈って作られてきた。またちょこんと置かれた人形が、静かに心を慰めてくれることもある。中村さんはそこに「用の美」があり、だからこそ人形は伝統工芸のひとつとされているのだと理解したのだ。人形とは、人の祈りが形になったもの。そして人形師とは、人の祈りを形にする仕事。<br>中村家の人形づくりは、伝統を受け継ぎながらも自由な発想で生み出される。それは、時代が変わっても、人形が果たす「祈り」の役割は変わらないという信念からだ。人に寄り添って、夢や希望を与えるものを100年以上作り続けている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">東洋と西洋、それぞれの“人形感”</h3>



<p>弘峰さん曰く人形は、「神と人の間にあるもの」でもある。ただしこれは、日本だからこその考え方で、西洋では少し異なるそうだ。西洋ではまず神がいて、神が自分の姿に見せた小さきものとして作ったのが人間であり、その人間が自分の姿に見せた小さきものとして作ったのが人形。つまり神・人間・人形という順で捉えられることが多い。一方、日本を含むアジアの多くは多神教で、自然崇拝も基本にあるため、神＝自然、そこに人がいて、人形はその間を繋ぐために作られたもの。つまり神・人、その間に人形があるという構図で捉えられている。</p>



<p>そうした考え方の違いから、以前、弘峰さんが海外で博多人形を「doll」と表現した際、「地位が低いもの」「アートではないもの」とみなされ、展示を断られるケースがあったという。以来、中村さんは博多人形を「sculpture（彫刻）」または「art」と表現し、この1つのアクションも博多人形の魅力を世界に届ける一歩になると考えている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">海外からも高い評価を受けた「アスリートシリーズ」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA011-7505.jpg" alt="" class="wp-image-53446" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA011-7505.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA011-7505-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA011-7505-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>弘峰さんの代表作と言えば、野球やアーチェリー、プロレスなどの選手をモチーフにした「アスリートシリーズ」だ。注目されるきっかけとなったのは、2016年に金沢で開催された「第3回金沢・世界工芸トリエンナーレ」の「2017金沢・世界工芸コンペティション」で優秀賞を受賞したことだった。</p>



<p>保育園時代から「人形師になる」と決めていたという弘峰さんにとって、東京芸術大学で彫刻を学んだのち、歩み始めた人形師の道は、傍から見ると順風満帆に映ったかもしれない。けれど弘峰さん曰く、充実した日々の中にも焦りがあった。</p>



<p>なぜなら中村家では、「代々違うことをする」、「親と似た人形は作らない」ことも受け継がれてきたからだ。父・信喬氏は、伝統や技術を継承しながらも、肖像やモニュメント、博多祇園山笠の人形など幅広い作品を手掛けてきた。中でも、天正遣欧少年使節団を主題とした人形づくりに取り組み、2011年にはローマ法王に謁見して人形を献上した実績を持つ。そのように自らのテーマを追究し、世の中から高く評価される父の背中を見ながら、弘峰さんはいつも「生みの苦しみ」を感じていたという。</p>



<p>「アスリートシリーズ」は、その苦悩を経て、弘峰さんが初めてわが子の五月人形を作るタイミングで生まれた。「伝統的なものばかりに寄ると、芸大時代の友人は無反応、一方、斬新すぎるものに傾くと、人形界からの反応は今ひとつ。その狭間で苦しむうち、“どちらにも響く、突き抜けた作品”を作るタイミングはここしかないと考えました」と弘峰さん。そして五月人形を自ら再解釈。桃太郎や金太郎をモチーフとした五月人形は常に時代の英雄像を描いてきたのではないか、という仮定に至り、それが現代のアスリートの姿と重なった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">博多人形が生まれるまで</h3>



<p>躍動感あふれるフォルムに、細やかで美麗な色彩。弘峰さんの人形が、観る人の心を惹きつけるのは、確かな技術の蓄積の上に新たな発想が重ねられているからだ。</p>



<p>博多人形が出来上がるまでには、伝統的技法によるいくつもの工程を要する。まず粘土を練り、ヘラや指を使って形を整えていく。原型が完成したところで頭や袖などのパーツを全て分割して石膏型を取る。そして出来上がった型に7mmほどの厚みになるよう粘土を指で押し込んでいき。中が空洞の各部位を作成する。これを生地押しと呼ぶ。そして、各生地を再びドベで接着し、成形する。乾燥させて焼成し、焼き上がったものに、膠で溶いた顔料や岩絵具で彩色し、ようやく完成だ。原型から型を作りを経ずに直接原型をくり抜いて中を空洞にする１点ものの制作法を採用することもある。像を遥かに超える、手間と時間を要する人形づくり。工程を頭に入れた上で改めて人形を眺めると、さらに胸が熱くなる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">人形師としてのこれから</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="685" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/image-45-1024x685.jpeg" alt="" class="wp-image-53440" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/image-45-1024x685.jpeg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/image-45-300x201.jpeg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/image-45-768x514.jpeg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/image-45.jpeg 1203w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>「アスリートシリーズ」で自らの方向性を見出した弘峰さんには、今や様々なオファーが寄せられている。「ゴジラ」70周年記念のために制作した「追憶の呉爾羅（ゴジラ）」（2023）、「グランドセイコーブティック 表参道ヒルズ」のオープニングでショーウィンドウを飾った「刻（とき）の獅子」など、伝統工芸品・博多人形の新しい姿を世の中に次々と送り出している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ニュートラルな受信体でありたい</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA017-7551.jpg" alt="" class="wp-image-53447" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA017-7551.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA017-7551-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA017-7551-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一方で、博多祗園山笠の帯のデザインや、アニメの原画、3Dモデリングなど、人形づくり以外のオファーにも応えているのが弘峰さんのスタイルだ。そこには中村家に代々伝わる家訓、特に3代目の「ニュートラルな受信体になる」という言葉が大きく影響している。「様々なことに応えることで、見えてくるものがあるんです。それに人形師にはこんなに面白いことだってできる、ということも伝えられると思って」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">現代の人の心に届く人形を</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA005-7487.jpg" alt="" class="wp-image-53448" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA005-7487.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA005-7487-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA005-7487-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>今、弘峰さんは、「江戸時代の人形師が、ひょんなことから現代にタイムスリップしたら」という設定で人形作りに向き合っている。江戸時代、人々は人形を求めて人形店を訪れたが、それは現代で言うなら、フィギュアを求めてフィギュア店を訪れる人々の姿に通じはしないだろうか。<br>「人間が存在する以上、人形には無限の可能性があると思います。人形は、その形状だけでなく、身につける着物、持ち物など、全てに見所を備えた総合芸術。自分の技法や知識を駆使して、その部分をもっと深めていきたいですね。人形に本物の刺繍が施されたスタジャンを着せてみるのも面白いかもしれない。そういう人形遊びをしてみたいです」と話す弘峰さん。2023年4月には、福岡市中央区桜坂にある中村人形工房より徒歩1分の場所に、私設ギャラリー「傀藝堂（かいげいどう）」をオープン。3代目、4代目の作品はもちろん、弘峰さんの妹で書家の中村ふくさん、さらに海外アーティストの作品なども交えながら、ジャンルレスな企画展を行なっている。いち伝統工芸に囚われず、“今”を取り入れ、現代に向き合うニューウェーブの躍進を期待せずにはいられない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53436/">伝統に新しい解釈を加えた博多人形に世界が注目。人形師・中村弘峰さん／福岡県福岡市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>伝統に革新を。釜師･3代目畠春斎が目指す新たな茶の湯／富山県高岡市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 17 May 2025 05:36:33 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[日本茶]]></category>
		<category><![CDATA[茶釜]]></category>
		<category><![CDATA[茶道具]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<category><![CDATA[Shimoo Design]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1288_Atari_.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>富山県にある金工の町･高岡で生まれ育ち、そのルーツは加賀藩主･前田利長に仕えた鋳物師（いものし）。3代目畠春斎（はたしゅんさい）として現代解釈を加えた茶釜づくりを行う。伝統を守りながらも、あえて定石を外し、今の暮らしにな [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52753/">伝統に革新を。釜師･3代目畠春斎が目指す新たな茶の湯／富山県高岡市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1288_Atari_.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>富山県にある金工の町･高岡で生まれ育ち、そのルーツは加賀藩主･前田利長に仕えた鋳物師（いものし）。3代目畠春斎（はたしゅんさい）として現代解釈を加えた茶釜づくりを行う。伝統を守りながらも、あえて定石を外し、今の暮らしになじむ茶の湯を提案する。根底にあるのは「多くの人にお茶を楽しんでほしい」という思いだけ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統を守る。恐れずに挑戦する覚悟</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC6666_Atari_.jpg" alt="" class="wp-image-52754" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC6666_Atari_.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC6666_Atari_-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC6666_Atari_-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高岡城跡から歩いて30分ほどにある金屋町は、高岡銅器産業の中心として栄えてきた場所。溶けた金属を型に流し込んで成型する「鋳物（いもの）」や、金属を使って工芸品をつくる「金工（きんこう）」を手掛ける店が軒を連ねます。</p>



<p>その町で、茶の湯で使われる茶釜を製造する家に生まれたのが畠さん。幼い頃から祖父や父の仕事ぶりをそばで見て育ちました。その家系は、加賀藩2代目藩主・前田利長が高岡に居城した際に、金屋町に移住した鋳物師・釜屋彦兵衛（かまやひこべえ）の末裔。2010年に祖父と父が代々名乗ってきた「畠春斎」を襲名した。</p>



<h3 class="wp-block-heading">用いる素材は鉄のみ、感性と美意識が生きる茶釜</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC6670_Atari_.jpg" alt="" class="wp-image-52755" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC6670_Atari_.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC6670_Atari_-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC6670_Atari_-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>伝統を重んじる茶道の世界において、近年では茶釜にステンレス陶器などさまざまな素材が用いられている。そうしたなか、畠さんが使用するのは鉄のみ。代々鋳物を家業としてきた背景もあり、あえて素材を限定し鉄だからこそできる表現を追求。「茶室の中で際立つ、鉄ならではの存在感を示していきたいですね」と力強く語る。</p>



<p>この潔い選択が、新たな挑戦を後押しする。制約こそイノベーションの源。ひたむきに鉄と向き合い、3代目畠春斎としての歩みを止めない。</p>



<p>ここ最近の作品は、なめらかな質感と親しみやすさ、そしてどこか凛としたスタイリッシュさを兼ね備えている。鉄の多彩な表情を軽やかに引き出しているようだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">見て、触れて、感じて。常にセンスを磨く</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1245_Atari_.jpg" alt="" class="wp-image-52756" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1245_Atari_.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1245_Atari_-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1245_Atari_-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>作品づくりで大事にしているのは、さまざまなものを見て、触れて、感性を養うことだそう。茶釜はいうまでもなく、茶道道具や他の美術工芸品などから日々インスピレーションを得て、価値観のアップデートをしている畠さん。ときには遠方まで足を運び、作り手と語らいながら学びを深めることも。</p>



<p>また、祖父や父の作品を振り返ることもそのひとつ。自身の作品と見比べ、違いを自問自答し続ける。年代やジャンルを問わず多様なものに触れ、作品に少しずつ昇華させる。釜師としての矜持を胸に、毎日が試行錯誤の連続だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">コラボレーションで広げる新スタイル</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1268_Atari_.jpg" alt="" class="wp-image-52757" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1268_Atari_.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1268_Atari_-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1268_Atari_-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本人の精神と美意識が詰まった茶道。なかでも茶会は、大切な人と過ごす時間を豊かにする場として長く親しまれてきた。しかし文化庁の調査によると、茶道人口は1990年代の600万人をピークに減少し、現在は180万人以下という。</p>



<p>この現状を受け、畠さんは釜づくりに取り組む傍ら、茶道の魅力を広げる活動にも積極的だ。「格式が高くて難しそう」というイメージを払拭すべく、他の作り手と協力してさまざまなイベントを企画。ターゲットは茶道離れが進む若い人たち。興味を持つきっかけづくりを模索する。その原動力は、「多くの人にお茶を楽しんでほしい」という思いだけ。</p>



<p>茶道の魅力は、お茶を味わうことはさることながら、一期一会の交流ができること。茶席で掛け軸や工芸品を眺めたり、茶室の外に広がる景色を愛でたり、時間を共有することで心が満たされる。</p>



<p>最近では、富山の人気木作家「Shimoo Design」や現代アーティストであり造形作家のミヤケマイとの共創を実施。伝統を大切にしながら現代に即したアレンジを提案する。伝統品だから価値がある”ではなく、&#8221;本質的に魅力を感じられる”クリエーションに勤しんでいる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">茶会をより魅力的に。決して目立たず、世界観を表現する</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1276_Atari_.jpg" alt="" class="wp-image-52758" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1276_Atari_.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1276_Atari_-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1276_Atari_-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>畠さんの茶釜が放つ独自の存在感。それは、造形の美しさに加え、茶釜という道具の“役割”を深く理解しているからこそ生まれるものだ。茶会では、亭主が来客にあわせて調度品を並べる。それぞれがバランスよく存在することで、亭主は心からのもてなしができる。悪目立ちすると、世界観をガラッと変えてしまうこともある。</p>



<p>「茶釜は、家における柱のようなものだと考えています。奇を衒うものではなく、でもそれでいて気高い存在感も求められます」。<br>茶釜は茶会の中心に佇み、世界観を支える役割を担っている。個性を宿しながらも、茶会の一部として程よい存在感のある茶釜を製造する畠さんには、作品のオファーが絶えない。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統の枠を超え、自由で親しみやすい茶の湯を</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1270_Atari_.jpg" alt="" class="wp-image-52759" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1270_Atari_.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1270_Atari_-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC1270_Atari_-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>歴代の畠春斎も、時代に合わせて製造を行ってきた。初代は戦争体験を通して「生きているうちに良いものを残したい」との信念を持ち、茶釜づくりに傾倒。2代目は初代の教えをもとに、斬新な感覚を取り入れて新風を吹き込んだ。そして、3代目は現代的なエッセンスを加えて、茶釜の新たな魅力を引き出す。</p>



<p>「使う素材は鉄ですが、重厚感だけではない作品を目指しています」と、やわらかな笑顔で語る畠さん。洗練されたデザインを引き立てるなめらかな質感は、あたたかみを感じさせる。茶道に明るくない人でも「素敵だな」と思わず手を伸ばしたくなるような親しみやすさを纏っているかのよう。</p>



<p>重く固いイメージを抱かれがちな鉄だが、実は強さとしなやかさを併せ持ち、熱を加えることで自在に姿を変える素材である。畠さんが行うのは、その特性を十二分に生かした作品づくり。伝統を重んじる世界に新たな作品が加わることで、これまで茶道に縁がなかった人たちの関心をひく一手になりうるだろう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">伝統は、変わりながら続いていく。茶の湯をラフに楽しむ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC6694_Atari_.jpg" alt="" class="wp-image-52760" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC6694_Atari_.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC6694_Atari_-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/DSC6694_Atari_-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>お茶の作法には、一つひとつに意味がある。それでも、昔は武士の嗜みとされていた茶道が庶民にも普及したように、時代とともに常に変化してきた。</p>



<p>大量生産大量消費の時代は終わり、一人ひとりの要望に寄り添うことが求められる時代。生活様式や価値観の変化に柔軟に形を変えていくことが伝統継承につながる。畠さんの作品には、そうしたクラフトマンシップが深く根付いている。</p>



<p>茶の湯は元来、大切な人と楽しい時間を過ごすためのもの。作法はもちろん大事だが、根底にあるのは相手を思いやり、心からもてなすという気持ち。茶の湯の本質を捉え、若い人たちがよりお茶に親しんでもらうため、畠さんの挑戦は続く。これからもどんな作品を生み出すのか楽しみだ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52753/">伝統に革新を。釜師･3代目畠春斎が目指す新たな茶の湯／富山県高岡市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>臼杵（うすき）の町から世界へ。幻の焼き物を今に伝える「USUKIYAKI研究所」／大分県臼杵市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 26 Feb 2024 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[うつわ]]></category>
		<category><![CDATA[工芸品]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/157_top_USUKIYAKI_main5.4.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大分県臼杵市に拠点を構える「USUKIYAKI研究所」。ここでつくられる「臼杵焼（うすきやき）」という器は、江戸時代後期に臼杵藩の御用窯として存在しながらも、わずか十数年で途絶えた焼き物が起源とされています。自然豊かな環 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/40185/">臼杵（うすき）の町から世界へ。幻の焼き物を今に伝える「USUKIYAKI研究所」／大分県臼杵市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/157_top_USUKIYAKI_main5.4.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p class="has-text-align-center"><strong>大分県臼杵市に拠点を構える「USUKIYAKI研究所」。<br>ここでつくられる「臼杵焼（うすきやき）」という器は、江戸時代後期に臼杵藩の御用窯として存在しながらも、<br>わずか十数年で途絶えた焼き物が起源とされています。<br>自然豊かな環境の中で育まれる想いを器を通じて発信し、臼杵の歴史を受け継ぎながら新しい未来へ繋げています。</strong></p>







<p>大分県の東南部に位置し、磨崖仏（まがいぶつ）として日本初、彫刻としては九州で初めて国宝に指定された臼杵石仏や、歴史薫る城下町など文化の風情漂う町、臼杵。独特の雰囲気を持つ臼杵の町に残された焼物文化に魅了され、新たな歴史を刻む宇佐美裕之さんのもとを訪れた。</p>






<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/35269cd8cb946aeab7c2e9014c6e375f.jpg" alt="" class="wp-image-40224" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/35269cd8cb946aeab7c2e9014c6e375f.jpg 540w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/35269cd8cb946aeab7c2e9014c6e375f-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<h2 class="wp-block-heading">「臼杵」という町が持つ文化</h2>



<p>大分県臼杵市は豊かな自然環境や、二王座歴史の道に代表される城下町など様々な歴史や文化が残る町。中でも、海のもの、山のものがある「食の町」としても広く知られている。代表されるのは、人々が伝統を守りつつ改良を加えてきた味噌･醤油･酒造りの醸造業。また、江戸時代に起きた天保の改革の発令により生まれた「質素倹約」の精神が育まれる中、知恵を絞って生まれた郷土料理など、多様な食文化が発展し存続している。2021年には、これまで守り続けてきた食文化が評価され、<strong>2021年ユネスコ創造都市ネットワーク食文化部門に加盟認定された。</strong>　</p>



<p>そんな歴史ある臼杵で今から約200年前の江戸時代後期、臼杵藩の御用窯として島原（長崎）小石原（福岡）小峰（宮崎）の陶工たちが迎えられ陶器と磁器がつくられたが、窯が開かれ十数年ほど栄えたのち、衰退したとされている窯業。その幻の窯業文化に着目したのが「<a href="https://usukiyaki.com/" title="">USUKIYAKI研究所</a>」代表の宇佐美裕之さんだ。</p>







<h2 class="wp-block-heading">「USUKIYAKI研究所」の設立までの道のり</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/801af2cfac4e04c2041991a1f2734145.jpg" alt="" class="wp-image-40225" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/801af2cfac4e04c2041991a1f2734145.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/801af2cfac4e04c2041991a1f2734145-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/801af2cfac4e04c2041991a1f2734145-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>


<p>美大時代に焼き物と出会った宇佐美さん。在学時から専攻していたアートと焼き物を融合し、手掛けたいという想いは常にあったという。卒業後は地元･臼杵に戻り、実家が営む郷土料理レストランを継ぐかたわら、観光の仕事にも携わっていた。料理の器などを扱うなかで、今は途絶えている焼き物が地元にあることを知り、<strong>「自分がもつ焼き物の技術とうまく結びつけて、臼杵独自のブランドを一歩でも前進させたい」</strong>と考えるように。またそれと同時に、途絶えてしまった臼杵の窯業文化を復興したいという想いもあり、大分で作陶をしていた仲間とともに2015年に立ち上げたのが<strong>「<a href="https://usukiyaki.com/" title="">USUKIYAKI研究所</a>」</strong>だ。かつてあった臼杵の焼物文化を自分たちでリニューアルし、一から作り上げたいという想いのもと誕生した。</p>







<h3 class="wp-block-heading">楚々とした美しき白磁の輪花</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/a0f0726fc4ca7e7e2e10a400b7c693d5.jpg" alt="" class="wp-image-40226" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/a0f0726fc4ca7e7e2e10a400b7c693d5.jpg 718w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/a0f0726fc4ca7e7e2e10a400b7c693d5-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>


<p>わずか十数年で途絶えた臼杵の焼き物は、当時の窯場が末広善法寺地区（通称･皿山）にあったことから地元では「末広焼」または「皿山焼」と呼ばれていたという。宇佐美さんが最初に出会った「末広（皿山）焼」は、アイスクリームを入れたらちょうどいいくらいの小鉢。菊の形をした白磁の輪花（りんか）を見た瞬間、「いいな」と惹きつけられた。昔から「質素倹約」の精神が育まれている臼杵の文化と、シンプルだが品がある白磁の輪花は、自分たちの手掛けたい器のイメージにぴったりだと直感したという。宇佐美さんは、<strong>菊や蓮の伝統的なモチーフからなる白磁の輪花や稜花シリーズを展開させたい</strong>という想いと、臼杵という町の地域活性化への願いを込めて<strong>「臼杵焼（うすきやき）」</strong>と名付けた。</p>







<h2 class="wp-block-heading">長く、大切に使ってもらえる製品を作りたい</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/5b8435b8ee723c7d837f1910032e1f0b.jpg" alt="" class="wp-image-40227" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/5b8435b8ee723c7d837f1910032e1f0b.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/5b8435b8ee723c7d837f1910032e1f0b-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/5b8435b8ee723c7d837f1910032e1f0b-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>「臼杵焼」のモチーフとなるのは、臼杵の町にある豊かな自然。草花や風、海や山からなる風景など、様々なものからインスピレーションを受けている。陰翳が美しいマットな白と、菊や蓮（はす）など、古くから臼杵に根付く伝統的なモチーフを現代的にアレンジしたデザインが特徴だ。残された数少ない資料や現存する作品を元に、生の粘土板を石膏型に乗せて型を移し取る「型打ち（かたうち）成型」と「ろくろ挽き」を組み合わせてつくられている。その多くは手作業により作り上げられるため、手仕事の風合いを纏いながら完成する「臼杵焼」の器。マット感のある釉薬を使用することで、手にした時に感じる柔らかな手触りが心地良い。完成までに時間はかかるが、「USUKIYAKI研究所」では限られた資源を大切に使い、手間を惜しまず、人々に長く使ってもらえるものを目指している。豊かな自然が生み出した、この土地ならではの産物は<strong>「つくる人」と「つかう人」</strong>の双方が大切に育ててこそ完成されるのだ。</p>







<h3 class="wp-block-heading">「臼杵焼」のビジョンに共感したプロフェッショナル集団</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/ab5d72e8bc936e2589b2152e98e777fa.jpg" alt="" class="wp-image-40228" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/ab5d72e8bc936e2589b2152e98e777fa.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/ab5d72e8bc936e2589b2152e98e777fa-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/ab5d72e8bc936e2589b2152e98e777fa-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>そんな「臼杵焼」を手掛けるのは、陶磁器だけでなく様々な分野のプロフェッショナル集団。最初は少人数で始めた工房だったが、現在はスタッフも増え<strong>「USUKIYAKI研究所」と、「アトリエ皿山」</strong>の２か所で製造をしている。地元の人や移住者、世代や性別のほか、国籍も異なるメンバーで分業し作品を完成させている。「あまり難しい作業にすると職人の数も増えないので分業できる方法を模索し、今の「型打ち」という方法に落ち着きました。」臼杵で焼き物の仕事をつくりたいという想いから、研究所を立ち上げた宇佐美さんは、分業制にすることで職人活動の裾野を広げている。</p>







<h3 class="wp-block-heading">​​​​​​「うつわは料理の額縁」という信念</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/2d11b40c50ac1c454f75fbf68bf69771.jpg" alt="" class="wp-image-40229" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/2d11b40c50ac1c454f75fbf68bf69771.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/2d11b40c50ac1c454f75fbf68bf69771-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/2d11b40c50ac1c454f75fbf68bf69771-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>シンプルながら趣のある「臼杵焼」は料理をより華やかに彩る器だ。</p>



<p>「臼杵の食を広く知っていただくための道具として、臼杵焼が役に立てば嬉しい」と宇佐美さん。国内でも珍しい取り組みだが、臼杵は土づくりセンターを設置し、有機野菜の為の堆肥を作っている町。そのような理由から「臼杵で農業をしたい」と、<strong>全国から若い農家さんが移住する</strong>ケースも少なくないという。宇佐美さんはそんな地域の取り組みを盛り上げるべく、地元で採れた有機野菜を使った創作料理も提供する郷土料理レストラン<strong>「USAMI」</strong>と季節のお菓子と本格中国茶を楽しめる<strong>「皿山喫茶室」</strong>を通じ、人々に臼杵の味を発信している。</p>



<p><strong>「うつわは料理を盛ってこそ生き生きするもの。うつわは料理の額縁」</strong>という研究所の信念。器は人の生活の中から生まれ、生活の中で使われるもの。「臼杵焼」は白く美しいだけでなく、どんな生活にも溶け込む素直さや使いやすさなど多面的な魅力を備えている。</p>







<h2 class="wp-block-heading">「臼杵焼」のその先に</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/0eb4538c423905be057b25c76deb7275.jpg" alt="" class="wp-image-40230" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/0eb4538c423905be057b25c76deb7275.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/0eb4538c423905be057b25c76deb7275-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/0eb4538c423905be057b25c76deb7275-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>宇佐美さんは言う。「臼杵焼」を通して一番伝えたいのは、臼杵という町に興味を持ち、<strong>臼杵という土地に足を運んでもらいたい</strong>ことだと。</p>



<p>2020年以降コロナ禍の間、臼杵を訪れる人が減った一方で、器のネット注文は増加した。ちょうど海外展開を考えていたタイミングであったが、出向かずとも商品の展示や発送、コミュニケーションはネットでも十分とれるということが分かった。一方で注文品を作るのに追われ、地元に来てもらい、実際に器に触れ、見てもらいながら販売したいという本来の想いが果たせなかったという。その経験からショップだけでなく、器に関する体験や食事、お茶を嗜む時間をゆっくりと持つための場所を求め、食と器の体験空間<strong>「うすき皿山」</strong>を完成させた。ここでは「臼杵焼」の展示販売をするギャラリーや、型打ちや金継ぎの体験や製造の見学ができるアトリエのほか、喫茶室や焼き菓子工房で構成されており<strong>「つくる･みる･ふれる」がすべて体験できる</strong>。年間を通じて、器や季節の食事を楽しめる様々なイベントが開催され、お客様との新たなコミュニケーションの場として温かな時間が流れている。</p>






<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/fd4a95a29305cda4b5381c1f76dbfdc7.jpg" alt="" class="wp-image-40231" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/fd4a95a29305cda4b5381c1f76dbfdc7.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/fd4a95a29305cda4b5381c1f76dbfdc7-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/fd4a95a29305cda4b5381c1f76dbfdc7-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>どんな時も宇佐美さんの胸にあるのは「臼杵という小さな町を全国に、そして世界へ発信したい」という想い。それは「臼杵焼」を手掛けるにあたり、世界中に暮らす大分、臼杵出身の方たちからエールをもらったことが活動の原点となり、その人たちへ恩返しをしたいという想いからなる。</p>



<p><strong>臼杵を愛し、臼杵と共に歩む</strong>人々の想いをのせた「臼杵焼」は、これからも世界とつながってゆく。</p>






<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/157_kao_usami2-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-49009" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/157_kao_usami2-1024x683.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/157_kao_usami2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/157_kao_usami2-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/157_kao_usami2.jpg 1200w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /><figcaption class="wp-element-caption">USUKIYAKI研究所　代表 宇佐美裕之さん</figcaption></figure></div>


<p>臼杵の町に息づく天然の素材からインスピレーションを受け、自然や意匠を焼き付けてつくる「臼杵焼」。使う人がいつも楽しくなる器となることが、僕と仲間たちの願いです。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/40185/">臼杵（うすき）の町から世界へ。幻の焼き物を今に伝える「USUKIYAKI研究所」／大分県臼杵市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>「匙（さじ）」だけを作り続けて25年。木工作家･さかいあつしさん／岡山県瀬戸内市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 22 Feb 2024 03:30:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[匙]]></category>
		<category><![CDATA[木工]]></category>
		<category><![CDATA[工芸]]></category>
		<category><![CDATA[岡山県]]></category>
		<category><![CDATA[瀬戸内市]]></category>
		<category><![CDATA[カトラリー]]></category>
		<category><![CDATA[スプーン]]></category>
		<category><![CDATA[オリーブ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/e4668b66a3a5c5953af5ae5525f40d7b.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>瀬戸内海に面した小さな港町で、木製のスプーンを一人でコツコツと作り続ける、木工作家のさかいあつしさん。彼の工房では、道具としてのスプーンから、まるでアートのようなスプーンまで、形はさまざま、温かみのある作品が数多く生み出 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/40207/">「匙（さじ）」だけを作り続けて25年。木工作家･さかいあつしさん／岡山県瀬戸内市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/e4668b66a3a5c5953af5ae5525f40d7b.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>瀬戸内海に面した小さな港町で、木製のスプーンを一人でコツコツと作り続ける、木工作家のさかいあつしさん。彼の工房では、道具としてのスプーンから、まるでアートのようなスプーンまで、形はさまざま、温かみのある作品が数多く生み出されている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">導かれるように匙屋に</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/6L8A5060.jpg" alt="" class="wp-image-40209" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/6L8A5060.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/6L8A5060-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/6L8A5060-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>岡山県の南東部に位置し、穏やかな瀬戸内海に面した瀬戸内市牛窓町。江戸時代には北前船や韓国からの外交使節団･朝鮮通信使の寄港地として栄えた歴史を持つ港町だ。その古い町並みを残す通りに、さかいあつしさんは工房「<a href="https://www.sajiya.jp/" title="">匙屋</a>」を構える。その向かいでは、さかいさんの作品の販売や企画展などを行うギャラリーショップ「sajiya studio」を妻のかよさんが営んでいる。</p>



<p>大学卒業後、東京で2年間ほど会社勤めをしていた、さかいさん。しかし、自分にはこの生活が向いていないと感じる日々だった。改めて自分が何をしたいのかを考えたときに、彼の心に浮かんだのが、「ものを作って生きていきたい」という思い。そして、1994年、妻が背中を押してくれたこともあり、独学で木工品の製作をスタートする。最初は、看板や表札、椅子など、知人からオーダーを受けたものを手がけていた。そのうち、「木を削っているなら、スプーンを作ってみたら？」、「スプーンなら漆を塗ったらいいんじゃない？」など、節目節目で製作のアドバイスをしてくれる人たちに出会う。その言葉に導かれるように進んでいくうち、気づけば手がけるアイテムが木製のスプーンに集約されていった。</p>



<p>そこで、2000年頃、屋号を匙屋とし、<strong>木製のスプーンを専門に作ることを決意</strong>した。当時は、作家ものの手仕事の器がギャラリーやショップなどで注目を集め始めた頃。器に合わせる木製スプーンの需要も高まっていた。その時流に乗るかのようにスプーン作りに専念し、2006年には、東京都国立市に店舗兼工房を開いた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">自分が作るものにピントを合わせなければ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/6L8A5126.jpg" alt="" class="wp-image-40210" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/6L8A5126.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/6L8A5126-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/6L8A5126-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>転機となったのは、2011年の東日本大震災。何があってももの作りを続けていくためにはどうすればいいかを自問し、移住を決断。仲間がいたことや工芸が根付いた地であることから、岡山県が候補のひとつに。「地元の人は何もないところと言うけれど、穏やかな環境にこそ漠然とした可能性を感じた。」という<strong>瀬戸内市牛窓町に、2013年8月に移住</strong>を果たした。</p>



<p>それを機に、さかいさんのもの作りにも変化が訪れる。東京では展示会に合わせてスプーンを製作するという活動のサイクルだった。そのなかで、展示内容や見栄えを重視した作り方をしている自分に気づく。<strong>「自分が作っているスプーンそのものに、もっとちゃんとピントを合わせなきゃと思ったんです」</strong>と、さかいさんは振り返る。どんな材料でどんな道具を使って作り、どんな人に届けたいのか、を改めて見つめ直し、それからは自分のペースでのもの作りが基本となっていったのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">削る手をどこで止めるかはいまだに悩む</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/6L8A5068.jpg" alt="" class="wp-image-40211" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/6L8A5068.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/6L8A5068-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/6L8A5068-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一人で製作する工房内には、素材となる大小さまざまな木片や枝、さまざまな道具類が並ぶ。道具のなかには、ヨーロッパで木靴職人が使っていたものを参考に、自己流で作ったものまで。それらの道具を駆使して、まずは木片からスプーンの大まかな形を削り出していく。どんなに技術があっても木目には逆らえないので、常に木目を意識しながらの作業となる。そして最後は、ナイフでくぼみを削ってスプーンの形に仕上げていく。いまだに、どこで完成とするかは探り探りだと言う、さかいさん。その言葉に、いかに真摯に一つひとつのスプーンに向き合ってきたが、うかがえるようだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">3つのカテゴリーでスプーンを展開</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/6L8A5106.jpg" alt="" class="wp-image-40212" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/6L8A5106.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/6L8A5106-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/6L8A5106-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在、さかいさんが手がけるスプーンは、大きくわけて3つのカテゴリーに分類される。ひとつ目は、日常使いの定番品。素材には細工しやすくて丈夫な<strong>サクラの木をメイン</strong>に用い、口触りが滑らかになるように漆を塗っては拭き上げるのを数回繰り返して仕上げている。スプーンは繊細な口に入れる道具である。しかも、離乳食期の赤ちゃんから、金属のスプーンを重く冷たく感じてしまう高齢者まで、実に幅広い人々が暮らしに用いるものだ。</p>



<p>木製ならではの口触りのよさを大切にしつつ、道具としての機能性にも心を配る。スプーンの膨らみをどのくらい残すか、どの位置を一番深くするか、食べ物がスプーンに残らないようにはどうすればいいかなど、試行錯誤を繰り返し、見た目のよさと使い心地のよさを兼ね備えた現在の形状にたどり着いた。</p>



<p>そして<strong>サイズは、25種類を展開</strong>。「使い手の要望や用途に合わせていたらこんなにも増えてしまった」と、優しく微笑むさかいさん。メンテナンスにも対応しており、道具としてのスプーンに対するさかいさんの誇りが詰まったシリーズだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">余さず作る、そして木を生かして作る</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/6L8A5212.jpg" alt="" class="wp-image-40213" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/6L8A5212.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/6L8A5212-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/6L8A5212-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2つ目のカテゴリーは、移住後に始めた、<strong>間伐材を用いたシリーズ</strong>。先に述べた定番のスプーンには、銘木店から購入した木材を素材に用いるが、スプーンに使うのはほんの一部だけ。そこに、長年、どこかうしろめたさのようなものを感じていた。</p>



<p>間伐材のスプーンは、木材を見て、使える形状のスプーンを削り出す。残った余白の部分からは小さいバターナイフを作る。もったいないというよりは、<strong>木材を余さず作るにはどうしたらいいかという視点でのもの作り</strong>だ。さらに、このシリーズは、使っていくうちに変化する様子も目で見て楽しめるように、漆を塗らないのもこだわりだ。</p>



<p>そして3つ目が、牛窓の特産品である<strong>オリーブの間伐材で作る、アート作品のようなシリーズ</strong>。2018年から<strong>「瀟木子（しょうぼくし）」</strong>と名付けて展開している。その作り方は独特だ。「枝の形状を見て、そこにスプーンの形を無理やり当てはめて作るイメージ。そうすることで、木の枝の変わった造形や皮の色、木の繊維の様子などが生かされる。木の精妙さを感じたくて作っています。道具としての使いやすさはないですが、作っていておもしろいんです」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">目標は、長く作り続けること</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/6L8A5076.jpg" alt="" class="wp-image-40214" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/6L8A5076.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/6L8A5076-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/6L8A5076-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>今から約25年前、30歳で匙屋になると決めたさかいさん。その決断に後悔はない。そのおかげで、いろいろな場所に出かけ、いろいろな人に出会えた。木製スプーンを媒介に、自分と世の中のつながりを実感する日々だ。</p>



<p>2023年には、毎月工房で開催する「spoon club 4U」と名付けた、スプーン作りのクラブ活動を始めた。さかいさんが一方的に教える教室ではなく、みんなで時間を共にするクラブというスタンス。スプーンを作ってみたいという人にこの場所で出会えたことも創作の刺激となっている。</p>



<p>今後の目標を尋ねると、大小2つの答えが返ってきた。小さな目標は、小ぶりの木のボウルを作ってスプーンとセットにした展開をすること。それに向け、ボウル作りを少しずつ練習中だ。そして、大きな目標は、<strong>匙を少しでも長く作り続ける</strong>こと。ひたすらに匙に向き合い続けてきたさかいさんがこれから生み出す匙はいったいどんな世界を私たちに見せてくれるのだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/40207/">「匙（さじ）」だけを作り続けて25年。木工作家･さかいあつしさん／岡山県瀬戸内市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>山陰の雪の色をイメージして作る温かみのある白磁。人間国宝･前田昭博さん／鳥取県鳥取市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 31 Jan 2024 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[鳥取県]]></category>
		<category><![CDATA[鳥取市]]></category>
		<category><![CDATA[白磁]]></category>
		<category><![CDATA[日本陶芸展]]></category>
		<category><![CDATA[人間国宝]]></category>
		<category><![CDATA[磁器]]></category>
		<category><![CDATA[重要無形文化財]]></category>
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		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/top-5.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>白色と形だけで表現をする磁器、白磁（はくじ）。この白磁の重要無形文化財保持者、人間国宝に認定されているのが、鳥取市河原町に窯を持つ前田昭博（まえたあきひろ）さんだ。真っ白な磁器である白磁を選び、ひとり制作を続けたその歴史 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/40071/">山陰の雪の色をイメージして作る温かみのある白磁。人間国宝･前田昭博さん／鳥取県鳥取市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/top-5.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>白色と形だけで表現をする磁器、白磁（はくじ）。この白磁の重要無形文化財保持者、人間国宝に認定されているのが、鳥取市河原町に窯を持つ前田昭博（まえたあきひろ）さんだ。真っ白な磁器である白磁を選び、ひとり制作を続けたその歴史と、前田さん独自の作品づくりに迫る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">中国から伝わった「白磁」</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9954-1-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-40082" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9954-1-1024x683.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9954-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9954-1-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9954-1.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>白磁は中国で生まれた磁器のひとつで、<strong>絵付けや色付けをしない</strong>ことが特徴。形によって陰影が変わり、さまざまな表情を見せる。真っ白な器は食材や花を映えさせ、どんな場面でも使いやすい。日本では佐賀の有田焼や、長崎の波佐見焼などが名産地として知られているが、前田さんは故郷の鳥取で師匠をとらず、ひとりで向き合う道を選んだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">土のような柔らかさ、雪のような白さ</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9949-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-40087" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9949-1024x683.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9949-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9949-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9949.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>前田さんは白磁のことを「<strong>白瓷（はくじ）</strong>」と表現している。瓷（じ）は「かめ」や「かたく緻密に焼いた焼き物」という意味があり、本場中国では磁器のことを指す。単なる壺ではなくアートとしての作品を作りたい、<strong>土のような柔らかい白磁</strong>を目指したいという想いを込めた。</p>



<p>たしかに前田さんの作品を見ていると、磁器とは思えないほどの柔らかさやあたたかみを感じる。光の当たり具合や、曲面から生まれる影によって、灰色や青い色合いもあわせ持つ。「<strong>手本にしているのは、山陰の雪の白</strong>。冷たいけれど、どこか温もりも持っている。そして、雪に穴を開けると、少し青みがかったように感じる。そんな雪のような、しっとりした感じの白を目指しています」。</p>



<h2 class="wp-block-heading">陶芸、そして白磁との出会い</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9962-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-40090" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9962-1024x683.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9962-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9962-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9962.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>幼い頃、趣味で木版画を刷っていた父親の背中を見て育った前田さんは、自然と美術への興味を深めていった。絵を描くのが好きで、高校では美術部に、大学は工芸学科へと進学。そこで何気なく受講した陶芸の授業を通し、<strong>ろくろに魅了される</strong>。「日に日に上達する様子が自分でもわかる。昨日より大きいものを作ろう、と夢中になりました」。</p>



<p>また、白磁と出会ったのも大学生の頃。その美しさに感動した。</p>



<p>「鳥取では冬に雪が1、2度降る。朝、窓を開けると辺り一面真っ白。<strong>あのときの感動と、絵も色もない白磁を見たときの感動が重なり</strong>、他のものに感じない魅力を感じたんです」。</p>



<p>卒業しても陶芸をしたいという想いを膨らませていた前田さんは、「好きなことをして飢え死にした人はいない」と恩師に背中を押され、卒業後に実家へ戻り、窯を開いた。窯の名前は「やなせ窯」。目の前に悠然とそびえる梁瀬山（やなせやま）が由来だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">鳥取で白磁を作る</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A0262-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-40093" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A0262-1024x683.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A0262-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A0262-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A0262.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>鳥取県は民芸が盛んで、土の風合いを生かした味のある焼き物が多い。だが前田さんは他の窯へ弟子入りをせず、白磁への憧れとろくろを極めたいという想いから、<strong>ひとりで白磁に向き合う道</strong>を選んだ。しかし、ひとりでの作陶はそう甘くはなかった。通常は基本の技術や工程を習得してから、独自の作品を作る。しかし自分には基礎がない。とにかく自分が美しいと思う形を目指しながら、ろくろの稽古を続けた。<br></p>



<p>鳥取に帰ってきてから数年が経った頃、好きなだけでは無理かもしれないと思い悩んだこともある。毎日白磁と向き合う中で、嫌になり、絵や装飾をつける他の焼き物に取り組んだこともあった。しかし、<strong>どうしても白磁への憧れは消せない</strong>。</p>



<p>「やはり飢え死にするのではないか」と思うほど厳しい日々だったが、両親との暮らしや地域の人の励ましに支えられ、創作を続けられた。また、結婚して子どもが生まれたときには、創作活動の傍ら、祖父母が営む果樹園の手伝いをしたことも。どんなに大変なときでも、年に一度ギャラリーを借りて個展を開くことと、陶芸のコンクールに出品して自分の技量を問うことだけは辞めなかった。そうして少しずつ入選を繰り返し、応援してくれる人も増えていった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">37歳で訪れた転機</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9935-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-40098" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9935-1024x683.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9935-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9935-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9935.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>そうして14年間、白磁を作り続けた前田さんに転機が訪れる。陶芸界で1番大きなコンクールといわれる「日本陶芸展」で、<strong>大賞に次ぐ優秀作品賞</strong>を受賞したのだ。</p>



<p>「同世代の人は自分よりも素晴らしい仕事をしているだろうと引け目を感じてきた。でも、賞をいただいて、自分も一生陶芸ができるかもしれないと思えました」。</p>



<p>その後も前田さんは、さまざまなコンクールで受賞していった。国内のみならず、海外でも個展やワークショップを開催し、多くのファンを獲得。</p>



<p>2013年には、前田さん独自の技法「面取り技法」によって生み出された、平面と曲面のあるなめらかな白磁が評価され、<strong>白磁の重要無形文化財保持者として人間国宝に認定</strong>された。「教わったものではなく独自に作り出したものなので、その点も含めて評価してもらえたのではないか」と振り返る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">失敗から生まれた「面取り技法」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="940" height="627" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/image-2.png" alt="" class="wp-image-40101" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/image-2.png 940w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/image-2-300x200.png 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/image-2-768x512.png 768w" sizes="(max-width: 940px) 100vw, 940px" /></figure>



<p>独特な柔らかさや丸みを帯びた形は、前田さんが失敗しながら編み出した「<strong>面取り技法</strong>」によるものだ。白磁を作る際は、ろくろで形作ったものをそのまま焼成することが一般的。それに対し、面取り技法ではろくろで形成し土が乾くタイミングを見計らいながら、<strong>直接指で押して変形させる</strong>。磁器の土は押さえたり変形させたりすると、のちに傷が出るのだが、その基本を知らなかったからこそ生まれた方法だった。</p>



<p>「最初は形を変形するために板で叩いていたけど、乾燥のときにヒビが入ってしまったんですよ。そこで、少しずつ指で押さえてみたら収まりがよかったんです。そこからこの技法が自分の表現になっていきました」。</p>



<p>点描画のように複数回、細かく指で押した後は、さらに乾燥させ、カンナで削る。これによって、くっきりとした面が浮かび上がるのだ。</p>



<p>若い頃、面取をしたり等分割するときに、定規を使って均等にしるしをつけていたという。しかしどうにも面白くない。年数が経つに連れて、フリーハンドで線を引くようになり、左右どちらかに偏っている部分や、波打っている部分に魅力を感じられるようになってきた。</p>



<p>「こちらの方が自分らしい線や面になっていくんだなと。そのわずかなことを、何年もかけて許せるようになるといいますか。<strong>定規以上に魅力的な線を引くことができるのが人間</strong>じゃないかなと感じます」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">歳月と鳥取の風土がもたらした世界観</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A0154-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-40104" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A0154-1024x683.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A0154-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A0154-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A0154.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>長い間作品づくりに携わっていると、アイデアも尽きてくるのではないかと思える。実際に、年に1度の個展が終わると、「もう作れない」という気持ちになるという。しかし、新たに創作を始めると、作ってみたい作品のイメージが浮かんでくるのだ。また、創作途中で偶然にできた形や、いいなと思う「何か」が生まれ、それを形にしていくこともある。前田さん自身の感性と偶然。その両方で作品が生まれ、作る幅も広がってきた。</p>



<p>「自分の考えていることや思っていることを形にしたり、行動にしたりするしかない。その結果がいい作品にならなくても、責任を持って、自分のやりたい姿勢で最後まで行くしかないんです。だからこそ、<strong>素敵なものを作りたいという想いだけは、24時間頭の片隅にはありますね</strong>」。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9980-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-40107" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9980-1024x683.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9980-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9980-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A9980.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>また、鳥取の風土も作品づくりに大きく影響した。「鳥取はわりと曇り空で湿度が高い。<strong>しっとりとした釉薬にごだわり、作品に柔らかな陰影が生まれたのは、風土的なもの</strong>」と振り返る。当初はひとりで技術を習得するのに苦労した場所だが、白磁の産地ではない分、自分から取りにいかない限り情報は入ってこない。だからこそ、前田さんにとっては心地よく、「白磁を最後まで作り続けたい」という想いを持ち続けられたのだという。</p>



<p>さまざまな失敗や経験、環境から、前田さんにしかできない独特な表現や造形が生まれたのだろう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「”無い”ことの魅力」を感じてもらえる作品を求めて</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A0061-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-40110" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A0061-1024x683.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A0061-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A0061-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/0J2A0061.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>白瓷とは何か。その問いに、前田さんは「 <strong>”無い”ことの魅力を持つもの</strong>」だと教えてくれた。中国の唐の時代に繁栄し、日本にも伝わり、現在まで続いている。華美な装飾や色の変化は無い。それでも今なお続いているのは、<strong>「何も無い状態」でもフォルムや釉薬に豊かな魅力があるから</strong>ではないか。多くの情報や色、考え方が溢れている現代だからこそできる白瓷を作りたいと前田さんは言う。<br></p>



<p>「九谷焼や有田焼などの日本的な絵付けも美しいなと思う。同時に、そういうものが”無い”世界もあっていい。僕は作品の省略をしていきながら、あるものと同じぐらいか、<strong>それを超えるようなものを作りたい</strong>。”無い”ことの魅力というものを伝えていけたら、この白瓷を継承して、次の人に渡すことができるのかなと。だから、ただ白い焼き物じゃなくて『白瓷』という定義がある。そう思ってますね」。</p>



<p>そう言いながら、前田さんは今日もろくろに向かう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/40071/">山陰の雪の色をイメージして作る温かみのある白磁。人間国宝･前田昭博さん／鳥取県鳥取市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>“弛まず”、心が“ゆれる”グラス作り「COMAKI GLASS」／山梨県甲州市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 19 Jan 2024 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[吹きガラス]]></category>
		<category><![CDATA[ガラス]]></category>
		<category><![CDATA[山梨県]]></category>
		<category><![CDATA[ガラス工芸品]]></category>
		<category><![CDATA[工芸品]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/top-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>山梨県の北東部、日本百名山のひとつ「大菩薩嶺（だいぼさつれい）」に代表される豊かな自然と、重要伝統的建造物群保存地区「塩山下小田原上条」の集落や、江戸後期の国宝・重要文化財「旧高野家住宅」などの豊富な歴史的資産に恵まれた [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/39859/">“弛まず”、心が“ゆれる”グラス作り「COMAKI GLASS」／山梨県甲州市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/top-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>山梨県の北東部、日本百名山のひとつ「大菩薩嶺（だいぼさつれい）」に代表される豊かな自然と、重要伝統的建造物群保存地区「塩山下小田原上条」の集落や、江戸後期の国宝・重要文化財「旧高野家住宅」などの豊富な歴史的資産に恵まれた甲州市塩山地域。その山間に佇むガラス工房「<a href="https://www.instagram.com/komakikohei.pecori/" title="">COMAKI GLASS（コマキグラス）</a>」を訪ねると、右へ左へと「<strong>ゆれる」</strong>ようにボウルを傾ける<strong>グラス</strong>が並んでいた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">山間の農村に息づくガラス工房</h2>



<figure class="wp-block-image size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export45-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39866" width="900" height="599" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export45-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export45-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export45-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export45.jpg 1280w" sizes="(max-width: 900px) 100vw, 900px" /></figure>



<p> </p>



<p>甲州市塩山地域の工房の周辺には、古くは畑作や養蚕業が営まれた風情を残す民家と風光明媚な山合の景観を望む農村集落が広がる。「製作に没頭した後にはこの景色と涼やかな空気に癒されています」。額に大粒の汗を浮かべながら窓の外を眺めるガラス作家の小牧広平（こまきこうへい）さん。高温で溶かしたガラスを吹き竿に巻き付け、息を吹き込む「吹きガラス」による作品製作を手がけている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「思いもよらない」吹きガラスの魅力</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export6-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39867" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export6-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export6-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export6-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export6.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p> </p>



<p>一口に<strong>「吹きガラス」</strong>といっても、その技法は2通りに分かれる。ひとつは型にガラスを差し込み息を吹き入れることで、同形状のものを効率的に製造することができる<strong>「型吹き（かたぶき）法」</strong>。もうひとつが、<strong>COMAKI GLASS</strong>で用いられている」<strong>「宙吹き（ちゅうぶき）法」</strong>だ。空中で空気を吹き込み、ガラスに働く重力と吹き竿を回す遠心力だけで成形するため型吹き法に比べて製造効率は落ちるが、その分、職人の技量や加減で仕上がりに個性が表れ、つくり手が意図しない偶然の産物が産まれるのもこの技法の魅力。</p>



<p>「ガラス自らが思いもよらない形を作っていくところが、<strong>宙吹き法</strong>の面白いところ」と話す小牧さん。“独創的”と評されるCOMAKI GLASSのワイングラスやビアグラスには、個体によって硬さがあり比較的熱が冷めやすい<strong>「再生ガラス」</strong>が使用されているものもあり、透明感の中に表れるほのかな色味や、短時間で冷え固まる素材の特性を活かした味わい深い様相の作品も見られる。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export19-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39868" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export19-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export19-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export19-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export19.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p> </p>



<p>「<strong>それぞれのグラスに性格が出るんです。</strong>同じものはひとつとして作れないし、敢えてそのガラス自身が形作ったフォルムや様相を活かした表現を心がけています」</p>



<p>首を傾げるように曲げられた<strong>ステム（脚）</strong>や、違った口当たりをもたらす湾曲した飲み口など、まさにその形状は唯一無二。「並んだグラスを眺めていると、まるでゆれながら愉快に踊っているようにも見える」と、愛おしそうに作品を見つめる。</p>



<p>元々、陶芸や木工、絵画などが好きだったという小牧さん。写実的で精巧なものというよりは、見て感じるもの、特に抽象画や独創的な表現に心が動かされるのだとか。ガラス作りをはじめ、こうした美術品や工芸品に関心を持つようになった背景には、幼き日に見た祖父の存在がある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">祖父の言葉と、ガラス作家･舩木倭帆さんとの出会い</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export31-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39869" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export31-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export31-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export31-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export31.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p> </p>



<p>幼い頃から趣味で絵を描く祖父の姿が身近にあったという小牧さん。美術品や工芸品に引き込まれていく中で、「もし若返ることができるならガラス作りをしてみたい」と日頃から口にしていた祖父の言葉を受け、次第に<strong>ガラス職人</strong>になることを夢見るようになっていく。</p>



<p>ようやくガラスに触れるようになったのは大学生の時。一般向けに設備を提供していた工房を見つけ、念願のガラス作りをスタートさせた。その後、本格的にガラス作りの道へ進もうと考え始めた頃、<strong>後の師匠となるガラス作家･舩木倭帆（ふなきしずほ）氏の作品に出会う。</strong></p>



<p><strong>「優しく温かみのあるフォルムの中にもガラス特有の清涼感があり、見ていると心が澄んでいくような感覚があった」</strong>と話す小牧さん。すぐに手紙で舩木氏への師事を願い出たところ偶然アシスタントの欠員があり、卒業と同時に広島県深安郡神辺町へ転居。<strong>舩木氏の工房「グラスヒュッテ舩木」で本格的にガラス作りを学ぶ修業期間が始まった。</strong></p>



<h3 class="wp-block-heading">偶然を予期すること、真面目に生きること</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export15-1-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39870" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export15-1-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export15-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export15-1-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export15-1.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p> </p>



<p>花瓶･皿･鉢･グラス･茶碗など、素材の特性を生かし、デザインから仕上げまで一貫製作の手仕事によって生み出される舩木氏の作品は、実用性の高い堅牢さを備えつつ、温かみを帯びたアーティスティックさが特徴。他界した今もなお工芸業界内外から高い評価を受けつづけている。「アシスタントとして阿吽の呼吸を合わせられるようになるまでにかなりの苦労があった」と6年間を振り返る小牧さん。円熟した技術を持ちながらも、常に謙虚な姿勢で作品と向き合う舩木氏について小牧さんは「愛情深い優しさがありつつも<strong>作品製作に対しては厳しくストイックな方だった」</strong>と語る。</p>



<p><strong>「『偶然を予期すること』『真面目に生きること』、舩木さんから学んだことは今も作品作りの根幹に生かされていると思います」。</strong>修業を通して技術と作家としての在り方を学んだのちに独立。ガラス製作をするのに適した広々とした場所を求め、父親の故郷である山梨県南アルプス市に自身の工房を構えることとなる。</p>



<p>「ようやく自身の作品のみで生活できるようになったのはここ数年のこと。思えば『売ること』についてはほとんど学ばなかった」と、苦笑いを浮かべる。独立してすぐはアルバイトをしながら製作活動に当たっていたそうだ。各地のギャラリーなどで個展を開き、少しずつ同じ価値観を持つ人たちとの繋がりを広げていく。そうした地道な活動を通して、次第に製作依頼も増えていったのだという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「たまたま」が心を動かす</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export28-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39875" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export28-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export28-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export28-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export28.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p> </p>



<p>2020年にはさらに広い作業スペースを求め、現在の<strong>甲州市塩山へ工房を移設。</strong>技術的･表現的な<strong>「面白さ」</strong>を追求し、今や代名詞となった<strong>独創的な脚付きグラス（ステムグラス）の製作に力を入れていく。</strong></p>



<p><strong>「唇に触れる面積や口当たりの質感でその味わいは変化するんです」</strong>、小牧さんはビールを注いだ自らのグラスを傾ける。工房には数多くのグラスが並べられているが、実はそのほとんどが試作品。例えば厚みの調整や模様付けを行うのにも、洋ばし（ジャック）と呼ばれる金属器具の僅かな力加減によって、仕上がりは大きく変わってくるのだ。いくら技術を磨き続けても、自分がいいと思う作品に出会える瞬間はいつも<strong>「たまたま」</strong>なのだという。</p>



<p>「暮らしの中で、使うシチュエーションや目的によって印象は変わる。自分が作ったグラスは自分で使ってみたいし、人からも積極的に感想を聞くようにしています」。多くの試作品から、実際に自分が使ってみることで改善点やヒントを模索していく。こうしたストイックで柔軟な姿勢が、見る人、使う人の心を動かす作品を生み出しているのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">流されがちな日々に、ふっと</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export30-1-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39876" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export30-1-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export30-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export30-1-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export30-1.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p> </p>



<p>積極的に地域のコミュニティなどとも関わりを持つようにしている小牧さん。地元の味噌屋や瓦職人、ワイナリーなど、地域で自身の活動を応援してくれる人と出会えたのは大きかったのだそうだ。そうした関わりの中で得られるヒントや刺激は多く、ランプシェード製作など今までに無かったオーダーも次第に舞い込むように。近年地域の飲食店などからも「脚の曲がったグラスが欲しい」と依頼を受けることも増えてきたのだという。</p>



<p>少しずつ自身の作品が浸透していることを実感しながらも、こうした交流や、各地で行われる個展での出会い、旅先で偶然目にするものなど、様々なインプットを通してアイディアや自身の感性に磨きをかけていきたいと、今後の展望を語る。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export44-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39879" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export44-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export44-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export44-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export44.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p> </p>



<p><strong>「きっと僕の心も曲がっているんですよ。思ってもみなかった形になるって面白いじゃないですか」</strong></p>



<p>と最後に小牧さんは笑う。地に足をつけ、弛まずにつみあげた信念がありながらも、どこか掴みきれない“ゆらぎ”をはらんだ眼差しがとても印象的だった。<strong>COMAKI GLASSの作品には、まさにそういった小牧さん自身のパーソナリティが吹き込まれているのだろう。</strong>企画製品や、大量生産品が目まぐるしく生産･消費される時代だからこそ、暮らしの中にふっとひと息。日々の移ろいや季節の変化に寄り添う、<strong> “ゆれる”一点もの</strong>を愛でるひと時を楽しんでみてはいかがだろうか。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export18-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39880" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export18-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export18-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export18-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/export18.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/39859/">“弛まず”、心が“ゆれる”グラス作り「COMAKI GLASS」／山梨県甲州市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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