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	<title>諸工芸 - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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		<title>駿府の職人魂が息づく雛人形。時を重ね、想いを纏わせる「人形工房 左京」の挑戦／静岡県静岡市</title>
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		<pubDate>Wed, 25 Feb 2026 14:29:19 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[雛人形]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100832.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>静岡県の中部、日本有数の大都市である東京、名古屋、大阪を繋ぐ東海道の商圏に恵まれた静岡市。世界有数の総合模型メーカーである株式会社タミヤが本社を構えるこの街がプラモデルや模型の聖地であることは有名だが、古くから続く「伝統 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100832.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>静岡県の中部、日本有数の大都市である東京、名古屋、大阪を繋ぐ東海道の商圏に恵まれた静岡市。世界有数の総合模型メーカーである株式会社タミヤが本社を構えるこの街がプラモデルや模型の聖地であることは有名だが、古くから続く「伝統工芸の集積地」としての一面は意外と知られていない。</p>



<p>県の郷土工芸品に指定されている駿河漆器、駿河蒔絵、駿河挽物（ひきもの）、そして国の伝統的工芸品に指定される駿河竹千筋細工、駿河雛具、駿河雛人形。多岐にわたる工芸がこの地で発展した背景には、徳川家康公の存在と、長い年月をかけて育まれた分業のネットワークがあった。この伝統の土壌に立ち、現代の家族の形に寄り添う新たな雛人形「きおくひとえ」を提案し、全国から注目を集める工房がある。創業から100年以上の歴史を持つ「人形工房 左京（さきょう）」だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「遊ぶ」から「飾る」へ。雛人形のルーツ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/A7_6287.jpg" alt="" class="wp-image-54041" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/A7_6287.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/A7_6287-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/A7_6287-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>雛人形のルーツには諸説あるが、そのひとつが平安時代、宮中の幼女たちが興じた「ひいな遊び」。「ひいな」とは「小さく愛らしいもの」を意味し、当時の貴族の子供たちにとって、現代でいう「おままごと」のような日常的な遊びだった。</p>



<p>この“日常の遊び”に、劇的な変化が訪れたのは江戸時代初期のこと。江戸幕府が、女の子の健やかな成長と幸せを願う行事として3月3日を「上巳の節句（※ひな祭りの正式名称）」に制定すると、それをきっかけに、人形作りの技術は飛躍的に向上。着物や顔立ちは豪華絢爛なものへと進化し、現在の雛人形に至ったと言われている。</p>



<p>その雅な姿から、雛人形の産地として京都を連想するが、じつは人形の出荷額は埼玉県さいたま市岩槻区が日本一。雛具の産地としては静岡県静岡市が日本一を誇っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">天下人が愛した街、駿府に根付く工芸文化</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A3572.jpg" alt="" class="wp-image-54042" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A3572.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A3572-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A3572-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そんな静岡市に工房を構える左京。同市の工芸の歴史に於いて徳川家康公の功績は計り知れない。</p>



<p>江戸時代初期、家康公が隠居として駿府城（現在の静岡市葵区）に入った際、全国各地から宮大工、指物師、塗師、金具職人といった腕利きの職人たちを招集。彼らが城下町に定住し、その技術が脈々と受け継がれていったことが、今日の静岡工芸の礎となっている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_4522.jpg" alt="" class="wp-image-54043" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_4522.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_4522-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_4522-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>なかでも、本物の家具調度品と同じ工程で作られる屏風や長持（嫁入り道具などを収納する木箱）、三宝（お供え物を載せるための四角い台）などの「駿河雛具（ひなぐ）」の存在は圧倒的で、最盛期には国産シェアの9割を占めていたほどだ。</p>



<p>また「駿河雛人形」が工芸として発展する基礎となった雛人形の胴体（胴柄）生産も、静岡県が全国シェアの約7割を占めていた。これは駿河雛具の起こりとは異なり、江戸時代から天神信仰が盛んだった静岡県志太郡（現在の島田市･藤枝市･焼津市の一部）で節句に用いられていた菅原道真公を模った土人形「土天神」に衣装を着せたものがルーツと言われている。特徴は衣装が上下に分かれていること。衣装が一体型になっている京都製の雛人形とは異なり、衣装製作の分業が可能になったため量産化を実現、生産量の拡大に至った。</p>



<p>1994年（平成6年）に「駿河雛具」「駿河雛人形」が、国の伝統的工芸品に指定されて以降は、ブランドとしての地位も確立されてきたが、それ以前はあくまでパーツごとを全国の問屋へ供給するOEMとしての性質が強かったため、生産シェアに相反して産地としての知名度はあまり高くなかった。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A3866.jpg" alt="" class="wp-image-54044" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A3866.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A3866-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A3866-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「静岡にはそれぞれの部品を専門で作る職人がたくさんいたんです。木地を作る人、漆を塗る人、蒔絵を描く人、金具を作る人。それを問屋が回って集めて、形にしていた。」と、同社の3代目･望月和人（もちづき かずひと）会長は話す。</p>



<p>左京のルーツもまた、この職人のエコシステムの中にあり、初代は家具や神輿に使われる金具職人だった。</p>



<p>「雛具には箪笥（たんす）や長持など40種類近い道具があり、それらには精巧な金具が必要です。とはいえ金具は単なる部品ですから、問屋次第で仕事がなくなることもある。それなら自分が雛具全体をまとめる問屋になれば事業も安定するんじゃないかと。それが左京の始まりです」。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/2409270926_10392.jpg" alt="" class="wp-image-54045" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/2409270926_10392.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/2409270926_10392-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/2409270926_10392-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>こうして静岡市内の職人と連携して雛具をまとめる問屋として財を成した初代だったが、雛飾りの主役はあくまで雛人形であり、いずれはそれらも扱いたいと考えていた。</p>



<p>そのため、まず手始めに息子を人形の一大産地である埼玉県岩槻市（現在のさいたま市岩槻区）の職人の下へ修業に送り出した。</p>



<p>その息子こそ、後に2代目となる和人会長の父。2代目は修業先で雛人形作りを学びながら、初代の思惑通り、「雛具だけではなく、雛人形もうちで取り扱えばいいのではないか？」と考えるようになっていった。</p>



<p>というのも、2代目が家業に入った当時、雛人形の胴体部分は天神人形（菅原道真を象った節句人形）作りが盛んだった静岡県内、人形の顔となる「頭（かしら）」は岩槻など、それぞれの産地から部品を調達し、東京の問屋で人形として完成させるのが一般的だったため、これを自社で組み合わせられれば、雛具も雛人形もまとめて収めることができる。</p>



<p>初代の問屋としての仕事ぶりを近くで見て学んだ2代目にとって、これに需要があると考えるのは自然な流れだろう。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_4627.jpg" alt="" class="wp-image-54046" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_4627.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_4627-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_4627-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>しかし、考えや思いつきだけではビジネスとして成立しない。そこは「修業を通じて雛人形職人との関係、一大産地である岩槻との関係が構築できる」という初代の目論見が活きた。</p>



<p>「うちの父は修業時代のツテを使って、岩槻の職人から頭を直接買えるようにしたんです。それが大きかった」と、和人会長。</p>



<p>こうして左京は静岡市ではじめて、雛飾りを一式で扱う問屋となった。</p>



<p>「東京の問屋を介さず、関西の小売業者に一式で納品できれば、関西方面のシェアが狙える。（関東と比較して）関西との距離が近いことは必ず地の利になる」という2代目の流通戦略は、時代背景とともに左京を大きく成長させていくこととなる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">第二次ベビーブームの恩恵</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_9305.jpg" alt="" class="wp-image-54047" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_9305.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_9305-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_9305-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>時代はちょうど高度経済成長期に差し掛かった頃。第二次ベビーブームの影響もあり、雛人形は飛ぶように売れた。</p>



<p>七段飾りが主流で、物量を集めることが最優先とされた時代。バラバラに仕入れることが多かった雛飾りを一式で卸すことで、小売業者にかかる経費と負担を大幅に軽減したのだ。</p>



<p>「年末になると大阪方面から業者の人たちが大きなトラックで仕入れに来るんですよ。腹巻に札束を山ほど入れて、我先にって。」と、和人会長は当時を振り返る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">多品種少量の時代へ。3代目が追求したのは「自分が欲しい雛人形」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/2409270926_10261.jpg" alt="" class="wp-image-54056" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/2409270926_10261.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/2409270926_10261-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/2409270926_10261-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>その後、和人会長が3代目として家業を継いだのは、高度経済成長期も落ち着き、国民の生活が大きく変わろうとしている時期だった。</p>



<p>この頃、あらゆるジャンルに於いて、消費者のニーズに合わせて大量生産から多品種少量生産へと潮流が変化。</p>



<p>そこで和人会長は、「（雛人形を）買う人って私と同じ世代が多いよな。だったら私がほしいものを作ればいいんだ。」と、慣例化されていた雛衣装の色の組み合わせを変えたり、衣装に静岡県の伝統工芸･遠州木綿のコーデュロイや純白の西陣織を使ったり、旧来の枠に囚われない、“自分がほしいと思う雛人形”の開発に勤しんだ。</p>



<p>時代的にも、核家族化が進み、その住宅事情とともに、主力商品も雛壇を豪華絢爛に彩る「段飾り」から「親王飾り（男雛と女雛のみ）」へと変化しており、主役となる男雛と女雛に個性を持たせたことが功を奏し、差別化にも成功。</p>



<p>とはいえ、コンパクトになるということは、セットあたりの雛人形や雛具の数も減るため、単価は下がる。</p>



<p>差別化できたとはいえ、少子化も顕著に進むなか、より明確なブランディングを行っていかなければ、いずれ立ち行かなくなるという危機感もあった。</p>



<p>そんな3代目の危機感を拭ったのが、現在、代表取締役社長を務める4代目であり、息子の琢矢さんだった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">次世代への継承。4代目が見出した新たな可能性</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/sns_profile_compressed.jpg" alt="" class="wp-image-54049" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/sns_profile_compressed.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/sns_profile_compressed-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/sns_profile_compressed-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>4代目･望月琢矢さんが家業を継ぐことになったのは、大学2年生の時。</p>



<p>「元々、左京を継ぐつもりはなかったので大学に進学したんですけど、兄が継がないことになって、『じゃあ、お前か』という軽い感じでバトンが回ってきました」</p>



<p>工房と自宅が離れていたこともあり、作業場に足を踏み入れることもほとんどなく、業界の状況もよくわかっていなかった琢矢さんにとって、雛人形は身近な存在ではなかった。</p>



<p>「伝統産業が右肩下がりだということも知らない状態で入ってしまった。周りは跡継ぎもなく『あと5年で畳もうか』という会社ばかり。そこで、はじめて焦りを感じました。」</p>



<p>大学卒業後、社会勉強も兼ねて都内の不動産関連のシステム会社で2年間営業を経験してから静岡に戻ったものの、待っていたのは前職とは比べものにならないほどアナログな現場だった。</p>



<p>そこで琢矢さんが始めたのがSNSを活用した情報発信。職人としては素人同然だったから、まずはお金をかけずに会社に貢献できることを探す、そんな気概だった。デジタル領域にも携わっていた東京での勤務経験も活きた。</p>



<p>当時、Instagramをビジネスに利用するのはまだ珍しかったこともあり、4ヶ月でフォロワー1万人を獲得。自社のこだわりを、わかりやすいビジュアルで発信しつづけたことで、メディア関係者からの問い合わせも増えていった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">捨てられない想いを形に。「きおくひとえ」の誕生</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100889.jpg" alt="" class="wp-image-54050" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100889.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100889-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100889-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>4代目ならではのビジネスビジョンが見えてきた中で新たな転機が訪れたのは、博報堂のグループ会社「SIGNING（サイニング）」のクリエイティブディレクターからの「子ども服に思い出があって捨てたくないって人が多いんだけど、飾ることもできない。この悩みと雛人形を掛け合わせられないか」という提案。</p>



<p>その人自身、3歳の子を持つ父親で、実体験に基づいた課題だった。こうして、企画から約1年半をかけて、2024年に「きおくひとえ」が誕生。</p>



<p>最大の特徴は、利用者の思い出の子ども服を雛人形の衣装に仕立て直すことだ。Tシャツやワンピース、肌着──どんな布でも、裏打ちという補強を施せば人形の生地として使える。</p>



<p>思い出の服が雛人形に生まれ変わる。その一体一体に込められた物語こそが、「きおくひとえ」の価値なのだ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100860.jpg" alt="" class="wp-image-54051" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100860.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100860-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100860-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>表衣(おもてぎぬ)、重ね、単(ひとえ)、唐衣(からごろも)、襟といった複数の層から成る雛人形の衣装に対し、どの布で仕立てるか、どの柄をどこに配置するかを、利用者と相談しながら決めていく。</p>



<p>「（利用者の）思い入れのあるものにハサミを入れ、新しいカタチにして提供する。大切な思い出ごと預かるわけですから、常に細心の注意と気遣い、そして一人ひとりの思い出に向き合う心遣いを持ってやっています」。</p>



<p>価格は男雛と女雛のセットで約15万円から。相場と比べて安くはないが、1点もののオーダーメイドとして考えれば適正価格、付加価値を考えれば利用者にとってそれ以上の価値となるだろう。</p>



<p>近年、新しい取り組みとして「きおくひとえ」を自分で製作するプランも新設した。</p>



<p>オンラインや郵送でのやり取りだけでなく、直接現地へ思い入れのある服や生地を持ち込み、その場で同社の職人と一緒に雛人形を完成させていく体験型のプランだ。</p>



<p>通常、きおくひとえは制作開始から納品まで4〜6ヶ月程度掛かるが、このプランでは打ち合わせから完成まで、わずか約半日で行う。</p>



<p>本来、複数の作業と並行して製作を行う職人が、その日に限り4～5名体制で体験プランでの作業を最優先したり、普段は外部へ委託する細かな部品の製作や縫製も工房内の職人が一貫して行うなどして、大幅にスケジュールを短縮する。</p>



<p>これらはすべて、わざわざ現地まで足を運んでくれる体験者の貴重な時間を無駄にせず、臨場感のある感動を提供したいという配慮から。</p>



<p>現場の手を止め、多くの職人のリソースをこのプランに集中させるため、通常のきおくひとえよりも高い価格設定にしているが、細かな柄行きの指示や色目のバランスなどをリアルタイムで熟練の職人と相談し、短い時間でディテールまでこだわって仕上げることができる、まさにオーダーメイド商品の極みと言えるプランだ。</p>



<p>思い出を紡ぐ雛人形に自身が手を加えるというエクスペリエンスは、特別感をより一層高める。</p>



<h3 class="wp-block-heading">伝統と革新の間で。父が押す息子の背中</h3>



<p>しかし「きおくひとえ」のような新しい挑戦には、当然ながら批判もある。</p>



<p>そんな同業者からのチクリとした声にも、望月親子は動じない。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100890.jpg" alt="" class="wp-image-54052" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100890.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100890-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100890-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「従来の雛人形を買わなかった人も、きおくひとえだから買ってくれる。慣例から少しくらい外れたって、これをきっかけに雛飾りに改めて目を向けてくれるなら、むしろ良いことではないか」</p>



<p>新しい需要の創出こそが伝統産業の未来を拓く。琢矢さんの挑戦について和人さんはそう確信しているから、どんな批判があろうと、親として、そして師として背中を押すと決めていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">次世代への展開。祝い事から日常のアートへ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A5042.jpg" alt="" class="wp-image-54053" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A5042.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A5042-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A5042-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「きおくひとえ」を軌道に乗せた琢矢さんが次に目指すのは、「雛人形」に「アート」としての需要を持たせること。</p>



<p>その際に払拭しなければいけないのが、日本に根付くアニミズム。全てのものに魂や精霊が宿るという考え方だ。一神教が入らなかった日本だからこそ残った、独特の精神性。</p>



<p>「日本人って人形を捨てられないんですよ。手放すにしたって、ゴミ箱にポイじゃなく、神社やお寺でお焚き上げをして弔う。」</p>



<p>しかし、琢矢さんは先代から「江戸時代の花街周辺には雛人形を売る屋台がたくさんあって、自分の推しに会いに行く前に雛人形を一体買って、手土産にしていた」という話を聞いたことがあった。</p>



<p>節句以外にも需要があったことに驚く一方で、フィギュアがブームとなり世界中で取引価格が高騰している現状を鑑みて、雛人形にも、その可能性があると感じた。</p>



<p>だからこそ琢矢さんは行事としてだけでなく、カルチャーの価値を高めたいと考えたのだ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/NAKA015-7514.jpg" alt="" class="wp-image-54055" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/NAKA015-7514.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/NAKA015-7514-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/NAKA015-7514-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ベンチマークとするのは、福岡県福岡市にある博多人形の老舗「中村人形」4代目を務める人形師･中村弘峰さん。スポーツや怪獣など、博多人形を独自のスタイルで表現する手法で、現在世界中から注目を集めている。</p>



<p>「中村さんの作品がまさにそうだと思うんですけど、『人形=怖い』というイメージを払拭して、アートやインテリアとして飾れるものにしたい。『BE@RBRICK（ベアブリック）』や『LLADRO（リヤドロ）』のように、アートとしてコレクションされるものへ昇華できたら良いんですけどね。」</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/ieyasu_g4.jpg" alt="" class="wp-image-54054" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/ieyasu_g4.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/ieyasu_g4-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/ieyasu_g4-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>これに向けたチャレンジもはじめている。</p>



<p>家康公没後400年の際には、フィギュア制作の権威である大阪芸術大学に家康公の顔を再現した頭を作ってもらい、家康公を象った雛人形を完成させた。また、一般流通する頭の代わりに、AIで合成した両親の顔を将来の子どもに見立てて3Dプリンターで作る構想もある。</p>



<p>このように雛人形の伝統や本質を守りつつ、時代の潮流や技術の進歩を柔軟に取り入れる左京は、徳川家康公が育んだ職人の街で、100年以上にわたり時代に応じた革新を重ねてきた。部品から問屋へ、問屋から製造卸へ、そしてパーソナライズへ。</p>



<p>「雛人形は、まだ日本古来のお祝い事を演出するツールとしての領域を抜け出せていない。もちろん本来の価値を高めていくことも大切だが、これをアートとして世界へ発信し、海外の人たちに『いいね』と言ってもらえるものを作っていくことで、その魅力はより一層高まっていくはず」。そう語る琢矢さんの言葉には、新しい価値を創造していこうという強い意志が宿っていた。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54024/">駿府の職人魂が息づく雛人形。時を重ね、想いを纏わせる「人形工房 左京」の挑戦／静岡県静岡市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>日本とフィンランド。布と陶で二つの原風景を紡ぐ「Mustakivi」石本藤雄さん･黒川栄作さん／愛媛県松山市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 10 Dec 2025 06:08:51 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[フィンランド]]></category>
		<category><![CDATA[石本藤雄]]></category>
		<category><![CDATA[黒川栄作]]></category>
		<category><![CDATA[道後]]></category>
		<category><![CDATA[ライフスタイルブランド]]></category>
		<category><![CDATA[マリメッコ社]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta058.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>マリメッコ社でテキスタイルデザイナーとして活躍し、400種以上のデザインを生み出した石本藤雄さん。50年の北欧生活を経て、故郷･愛媛へ帰ってきた彼が新たな創作の地に選んだのは道後。黒川栄作さんと共に立ち上げたブランド「M [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53654/">日本とフィンランド。布と陶で二つの原風景を紡ぐ「Mustakivi」石本藤雄さん･黒川栄作さん／愛媛県松山市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta058.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>マリメッコ社でテキスタイルデザイナーとして活躍し、400種以上のデザインを生み出した石本藤雄さん。50年の北欧生活を経て、故郷･愛媛へ帰ってきた彼が新たな創作の地に選んだのは道後。黒川栄作さんと共に立ち上げたブランド「Mustakivi（ムスタキビ）」で、人と地域、暮らしに根ざした表現を届けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">二人の故郷、愛媛で生まれた「Mustakivi」<strong> </strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta063.jpg" alt="" class="wp-image-53666" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta063.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta063-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta063-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2017年、石本さんと黒川さんが故郷･愛媛で立ち上げたMustakiviは、テーブルウェアやテキスタイルなどを扱うライフスタイルブランド。Mustakiviはフィンランド語で「黒」を意味する「Musta」と、「石」を意味する「Kivi」から成る造語。二人の名前を重ね合わせた。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta059.jpg" alt="" class="wp-image-53667" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta059.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta059-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta059-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そもそも、二人はいかにして出会ったのか。それは、仕事でフィンランドを訪れた黒川さんが、フィンランド･デザインの魅力に惹かれたことから始まる。帰国後もその想いを深めていった彼は、2013年、愛媛で初個展を開催した石本さんとついに初対面を果たした。</p>



<p>立ち上げ以来、Mustakiviは日本の手仕事と協業しながら、日常生活に寄り添う器や布を制作している。</p>



<p>「単なる物販にとどまらず、文化を生み、発信する存在でありたい」と黒川さん。石本さんの作品を通して、人々が改めて地域の価値に気づく、そんな場所をつくりたいと考えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">愛媛と北欧、二つの原風景が創作の源 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta011.jpg" alt="" class="wp-image-53668" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta011.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta011-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta011-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>釉薬によるデザインが美しい器、自然にあるものをモチーフにした手ぬぐいやタオルなどのファブリック。シックな配色で自然を描いたり、ぼかしの表現を用いたりと、日本の美意識や技法を感じさせる石本さんのデザイン。その源には、故郷･愛媛の原風景がある。</p>



<p>1941年、砥部焼の産地として知られる愛媛県砥部町に生まれた石本さん。6人兄弟の5番目。実家はみかん農家だったが、家の周辺には廃業した登窯の跡や煙突があり、陶器のかけらや窯道具が転がる風景が、後の創作活動の原点となる。</p>



<p>「そのあたりにいっぱい転がっていたうつわの破片を集めては遊び道具にしていました。大人が立ったまま入れるほどの大きな登り窯が3つほどあり、その中でよく遊んだものです」と話す。幼い頃の記憶は、今も鮮明に残っている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta010.jpg" alt="" class="wp-image-53669" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta010.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta010-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta010-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>東京藝術大学で学んだのち、世界各地を旅し、最終的に行き着いたのがフィンランドだ。</p>



<p>1974年から2006年まで、フィンランドを代表するデザインハウス･マリメッコ社でデザイナーとして活躍し、400種を超えるテキスタイルデザインを手がけた。</p>



<p>大胆かつ個性的なテキスタイルデザインを展開し、創業から70年を超えてなお世界中にファンを持つマリメッコ。これまで名だたるデザイナーがマリメッコの根幹を支えてきたが、石本さんも間違いなくその一人といえるだろう。さまざまな技法やスタイルを駆使した彼のデザインは、今もマリメッコの定番として親しまれている。</p>



<p>また、1980年代より陶芸にも関心を向けた石本さんは、フィンランドの伝統的な製陶所･アラビア社のアート部門にも属し、自然のモチーフを取り入れた表現力豊かな陶芸作品を生み出した。</p>



<h3 class="wp-block-heading">故郷･愛媛でのものづくりが始まる</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta043.jpg" alt="" class="wp-image-53670" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta043.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta043-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta043-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「いつかは日本に帰って制作活動をしようと思っていた」という石本さんは2020年、半世紀ぶりに帰国を果たした。長く海外に暮らしているからこそ見えてきた、日本の暮らしに宿る美しさと、故郷の原風景。それらを故郷で表現したいとの思いからだった。</p>



<p>故郷での新たなスタートを支えたのが、黒川栄作さんだった。2021年にアトリエが完成した翌年にショップ兼ギャラリー「Mustakivi gallery&amp;（ムスタキビギャラリーアンド）」を開いた。</p>



<p>アトリエには電気窯を設置し、日々デザインや作陶など創作活動に打ち込む石本さん。「作るのは楽しい。健康のためにもいいんですよ」と笑顔を見せる。</p>



<p>実家は、砥部焼の陶祖といわれる杉野丈助が開いた窯の近くにあった。そこで生まれ育った石本さんが今、やきものに取り組んでいることに偶然とは思えないめぐり合わせを感じる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自然は、思い通りにならないからおもしろい </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta060.jpg" alt="" class="wp-image-53671" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta060.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta060-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta060-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>石本さんのデザインの源泉は、素材がもたらす制限にある。</p>



<p>「フィンランドも日本も、木がもたらしたものは大きいですよね。かつて人々は、身近な木を切り出して自分たちでお皿を作り、使っていた。だからフィンランド人の持っている“かたち”に対する感覚は木にあると思うんです。日本も、木からできたかたちが多いです」</p>



<p>自分では思い通りにならないのが自然。だからこそ、生まれるかたちがある。それは作陶も同じ。自分の意思が全面的に通るわけではない、ある種の制限から生まれるデザインの美しさを、石本さんは楽しんでいるようだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本とフィンランドに共通する、四季を慈しむ心</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta034.jpg" alt="" class="wp-image-53672" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta034.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta034-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta034-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>もうひとつ、フィンランドと日本に共通するものがある。それは四季だ。「フィンランドも四季がはっきりしていて、季節を祝おう、楽しもうという感覚がありますね」と黒川さん。</p>



<p>Mustakiviでは、3カ月に一度、新作の手ぬぐいを発表している。草花、果物、風景、色、かたちなどをモチーフにした手ぬぐいが、季節を彩る。テーブルに敷いたり、壁に飾ったり、暮らしのなかで四季を楽しむアイテムとして取り入れたい。</p>



<h3 class="wp-block-heading">暮らしと結びつき、文化が根付いていく </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta026.jpg" alt="" class="wp-image-53673" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta026.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta026-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta026-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「石本先生のデザインを見て、『愛媛出身の方だったんだ、うれしい』と地元の方に言っていただけたときは、私もうれしかったですね」と黒川さん。愛媛の風物をモチーフとした作品から、自分が住んでいる地域の美しさを改めて感じ、故郷に誇りを持てるようになる。「そんな誇りが地域をつなげる団結感の源になっていくのではないか」と考えている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta023.jpg" alt="" class="wp-image-53674" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta023.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta023-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta023-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そんな想いを込めて、2026年には松山城の近くに「石本藤雄デザインミュージアム」を開設予定だという。</p>



<p>「純粋なつながり、人と人との関係を大切に、この地域で、僕らにしかできないことをしっかり長く続けていきたいという気持ちがあります」と黒川さんは、新たな文化的拠点への想いを込める。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日常のしあわせに気づく場所</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta037.jpg" alt="" class="wp-image-53675" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta037.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta037-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/musta037-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>アートとデザインという二つの領域を自在に行き来しながら、日常に潜む小さなときめきをすくい上げ、デザインに落とし込んできた石本さん。その感性を丁寧に受けとめ、ブランドとして結晶化させてきた黒川さん。二人が歩んできた時間と記憶は、「Mustakivi」を通して、今も静かに広がり続けている。</p>



<p>半世紀を過ごしたフィンランドの記憶、そして愛媛の原風景を起点に生まれる作品は、どれも暮らしに寄り添いながら、私たちに新しい景色を見せてくれるだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53654/">日本とフィンランド。布と陶で二つの原風景を紡ぐ「Mustakivi」石本藤雄さん･黒川栄作さん／愛媛県松山市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>昔の「いいもの」現代に伝え、ものづくりの魅力を引き出す「仁平古家具店」店主 仁平透さん／栃木県芳賀郡益子町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 04 Dec 2025 02:04:28 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[雑貨]]></category>
		<category><![CDATA[仁平古道具店]]></category>
		<category><![CDATA[pejite]]></category>
		<category><![CDATA[古家具]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4195.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>栃木県芳賀郡益子町を基点に古道具と生活雑貨のセレクトショップを運営するオーナーの仁平（にへい）透さん。益子町とその隣の真岡市にある「仁平古家具店」と「pejite（ペジテ）」の店舗では、昔ながらの手仕事によって丁寧に造ら [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53609/">昔の「いいもの」現代に伝え、ものづくりの魅力を引き出す「仁平古家具店」店主 仁平透さん／栃木県芳賀郡益子町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4195.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>栃木県芳賀郡益子町を基点に古道具と生活雑貨のセレクトショップを運営するオーナーの仁平（にへい）透さん。益子町とその隣の真岡市にある「仁平古家具店」と「pejite（ペジテ）」の店舗では、昔ながらの手仕事によって丁寧に造られた古家具や、地元を中心とした作家が手掛けた陶器や雑貨などが並び、県外から足を運ぶ人も多い人気のショップだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">益子焼だけではない。人の手仕事や感性を感じられる益子町。</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4206.jpg" alt="" class="wp-image-53615" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4206.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4206-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4206-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>栃木県南東部に位置する益子町。「益子焼（ましこやき）」の名産地として数多くの窯元や陶器の販売店が店を構え、春と秋に開催される「益子陶器市」は最大で40万人もの人々が訪れるビッグイベントだ。</p>



<p>今も昔も「益子町＝益子焼」のイメージが根強いが、陶器市以外の益子エリアは、豊かな自然と日本の里山の風景を感じることのできるのどかな地域。個人で営むオシャレで個性的なカフェやベーカリーも多く、陶器に限らず手仕事の光る作家が手掛ける雑貨やアパレルなども取り扱うギャラリーも点在する。陶芸だけでなく、自然やグルメ、多くの人の手仕事に触れられるエリアでもある。</p>



<p>そんな町に店を構える「仁平古家具店」と「pejite（ペジテ）」。</p>



<p>ここは、仁平透さんがオーナーとして運営する、古家具や焼き物、雑貨などのセレクトショップだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">栃木県内３ヶ所、東京･青山にも店舗を展開</h3>



<p>益子町内にあるのは「仁平古家具店 益子」と「pejite（ペジテ）益子」。隣接する真岡市には「仁平古家具店 真岡」があり、「pejite（ペジテ）」は東京･青山にも店を構えている。</p>



<p>「仁平古家具店」では、明治から昭和初期に作られた希少な古い家具や雑貨を全国から厳正して仕入れ、１点１点水洗い･修理をして、再生したものを手が届きやすい価格で販売。</p>



<p>一方「pejite（ペジテ）」では、古家具だけにこだわらず、益子を中心とした作家の器などの陶器やガラス食器、シンプルで上質な衣服や雑貨など、作り手の技術や想いがこもった「手仕事」が感じられる品を揃えている。</p>



<p>どの店舗も大きな看板はなく、少し奥まった通りにあるなど、決して分かりやすい立地ではないが、県外からわざわざ足を運ぶ人も多い。</p>



<p>店に並ぶ品々は、有名ブランドの商品ではない。また、あっと驚くような華美なデザインでもないが、客足は絶えない。なぜそれらの店は、人の心を掴み続けるのだろうか。そこに至る店の歩みをうかがった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「好きなことをして、生きていきたい」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4296-1.jpg" alt="" class="wp-image-53617" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4296-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4296-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4296-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>オーナーの仁平透さんは高校を卒業してすぐに上京。レコードショップで働き、好きな音楽に触れられる道を選ぶ。しかし23歳のとき、実家の都合により地元に戻ることを余儀なくされた。いわゆる“田舎”には、就職先のバリエーションは多くはないのが現実。仁平さんも“好きな”仕事を選ぶことなく地元の工場で働いた。しかしなかなか肌に合わず、働いては辞めを繰り返す月日が流れる。</p>



<p>鬱屈した日々の中で高まっていったのは「好きなことで食って（生活して）いきたい」という気持ちだった。</p>



<p>同時に仁平さんは、趣味で古い家具や道具などを安く買ってきて、洗ったり補修をしたりしていた。若いころからインテリアに興味があり、古いものに魅力にも魅力を感じていたという。このまま合わない仕事を続けられないと考えた仁平さんは、独立することを決意する。</p>



<p>まずは古物商の免許を取り、自分で買付け、独学で補修･再生した家具や道具をインターネットオークションに出品。さらに東京都内で開催される骨董市などに持ち込んで販売をスタート。そして2009年には実店舗として、益子町の隣の真岡市にて「仁平古道具店」の１号店を開業した。</p>



<p>好きなことに突き進んだ仁平さんだが、「1軒目の店のときは不安でいっぱいでした」と当時を振り返る。それでも「なんとか食えたら、それで幸せ」だと思いながら、店舗と並行してネット販売や東京の骨董市にも出向き続けた。</p>



<p>「そんなことを繰り返していたら、段々とおもしろがられて、雑誌に載せてもらえるようになったんです」。当時は、まだまだ雑誌の影響力もあった時代。旅やカルチャーを取り上げた雑誌に載るとそれを持って店に訪れてくれる人も増えた。</p>



<p>2010年には益子町に「仁平古道具店」の2号店をオープン。個人客だけでなく、ありきたりではないインテリアを求める、店を営むオーナーなどからの需要もあった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「良いもの」だけど、まだ誰も知らないものを伝えるために</h3>



<p>古道具の良さを伝えられるよう邁進していた仁平さんだが、「古道具」を好きな人というのは限られる。また「仁平家具店」では、昔の人が手をかけて作った１点物で、一生使えるものを、手の届く金額で販売することも大切にしている。「古い物だからといって敷居は高くないし、１点物って楽しいよね、っていう感覚を伝えたいんです」と仁平さん。</p>



<p>そこで2014年には、「仁平家具店」とはコンセプトを分けるかたちで「pejite（ペジテ）」をオープン。より大型で高価格な古家具を取り扱うほか、地元益子の作家が手掛けた陶器や手作りの雑貨や衣類などの扱うことをことに。「最初は全国の一級品を販売しようと思っていたのですが、すでに作品が売れている人より、知られていないけれどいい仕事をしている人が、まだまだいることに気がついて…。良いものだけど、誰も知らないものを紹介したいと考えました」。</p>



<p>そして2018年には東京･青山に「pejite（ペジテ）」の2号店をオープン。それまでも都内から栃木へ足を運んでくれる人は多かったが、都内に店を置くことでより益子の魅力に触れてもらいやすくなった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">古きものを愛し、その魅力を蘇らせる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/d7b5668f02e2b60cadca3e92098b1b8b.jpg" alt="" class="wp-image-53618" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/d7b5668f02e2b60cadca3e92098b1b8b.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/d7b5668f02e2b60cadca3e92098b1b8b-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/d7b5668f02e2b60cadca3e92098b1b8b-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>自分ひとりが食っていけるか、いけないか。という不安の中ではじめた事業も、今では従業員も増え、買い付けた古道具は300坪もの広さの工房で管理、7～8人の職人たちの手によって、１つ１つ丁寧に洗浄･修繕が施され、新たな生命が吹き込まれている。</p>



<p>汚れなどは綺麗に落とされているが、それでいて綺麗すぎない。</p>



<p>新品には再現できない、重ねた年月の中で深まった味わいを生かした再生は、高い技術はもとより、はるか昔にその物を手掛けた過去の職人への尊敬の念がなせる、現代の職人の「手仕事」が感じられる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">一過性のブームではない。仁平さんの人生が愛される店を生んだ</h3>



<p>「粗大ごみとか落ちている石とか、拾ってきては喜んでいるような子どもでした」と笑う仁平さん。「幼いころは貧しく、『おもちゃを買って』と言わないほうが良いかな？と思っていたのもあって、それがルーツになっているかもしれません」。</p>



<p>仁平さんの店で取り扱う古家具は、素朴で温かみのある手触りやフォルム、当時の文化や流行が見える細やかな意匠など、言いようのない魅力が詰まっている。</p>



<p>幼少期の境遇と生まれながらの感性が融合し生まれた仁平さんの審美眼。そして古いものへの愛情と尊敬。</p>



<p>時を重ねた物の魅力を引き出し、多くの人から愛される店となれたのは、一過性のブームなどではない。仁平さんの人生そのものがあったからなのだと思わずにいられない。</p>



<h2 class="wp-block-heading">これからも地元を盛り上げるために </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4207.jpg" alt="" class="wp-image-53620" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4207.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4207-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4207-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2023年には、東京駅の目の前、新丸の内ビルディング内に、自社のオリジナルテーブルウエアブランド「汲古（きゅうこ）」のショップを出店。益子の工房で焼き上げた陶器を中心に展開し、さらに益子や手仕事の魅力を伝えていける場所となった。</p>



<p>「町が盛り上がっていかないと人も来てもらえませんから。この地域に、おもしろいことをやりたい人が増えたらいいなと思います」と仁平さん。さらに「今後は栃木県でスモールビジネスをする人たちの力になりたい」と語り、2024年には古民家をリノベーションして店舗をして貸し出す事業も展開。</p>



<p>県内外に複数の店舗を展開するほどに事業を成長させた仁平さんは、ビジネスの成功者にも見えるだろう。しかしその根底にあるのは、育った土地･歴史ある日本の古いもの･人が手間暇かけた手仕事に対する、深い尊敬と愛情ではないだろうか。</p>



<p>「店をはじめた頃の不安でいっぱいだった自分に、15年後は大丈夫だよ、と教えてあげたい」といたずらっぽく笑う仁平さんは、安定を捨て「好きなことで食っていきたい」という想いと行動がなければ実現しなかった未来に立っている。</p>



<p>人の「好き」の力は強い。</p>



<p>きっとこれからも「好きなこと」へ向かって、全力疾走していくのだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53609/">昔の「いいもの」現代に伝え、ものづくりの魅力を引き出す「仁平古家具店」店主 仁平透さん／栃木県芳賀郡益子町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>時代を超えて“祈り”の花火を世界に灯す「和火師　佐々木厳」／山梨県西八代郡市川三郷町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 04 Dec 2025 00:45:29 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[花火師]]></category>
		<category><![CDATA[和火師]]></category>
		<category><![CDATA[和火]]></category>
		<category><![CDATA[inoribi]]></category>
		<category><![CDATA[MARUYA]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/a1ef25229780ec5e25e7acc7647aa40c.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本三大急流「富士川」が流れる山梨県南西部の市川三郷町（いちかわみさとちょう）では、古くから「手漉き和紙（てすきわし）」や「印章（ろくごうのいんしょう）」などの産業が発展してきた。花火師佐々木厳（ささきげん）さんが魅せら [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/a1ef25229780ec5e25e7acc7647aa40c.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本三大急流「富士川」が流れる山梨県南西部の市川三郷町（いちかわみさとちょう）では、古くから「手漉き和紙（てすきわし）」や「印章（ろくごうのいんしょう）」などの産業が発展してきた。花火師佐々木厳（ささきげん）さんが魅せられた「市川花火」もそのうちのひとつである。脈々と受け継がれる伝統技術が世界に新たな光を灯す、「和火（わび）」に込められた作り手の思いとは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">花火の町、市川三郷町</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/export1.jpg" alt="" class="wp-image-53561" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/export1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/export1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/export1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>市川三郷町の花火産業は、戦国時代に作られていた武田氏の軍事用「狼煙（のろし）」の技術が起源とされている。毎年8月に開催される県下最大規模の花火大会「神明の花火」では、地元の老舗花火会社が腕によりをかけて製造する約2万発もの打ち上げ花火が夜空を彩り、その圧巻の光景をひと目見ようと多くの観光客が訪れる。この花火の町で、古くから日本国内でのみ生産されていた「和火」を専門として活動をする佐々木さん。現在は明治維新後に輸入された化学薬品を用い、組み合わせによる炎色反応でカラフルな彩りを演出する「洋火（ようび）」が主流となっているが、「江戸時代から伝わる日本の伝統的な灯りに魅せられた」のだと話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">日本の伝統花火「和火」</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/export4.jpg" alt="" class="wp-image-53562" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/export4.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/export4-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/export4-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>和火の原料は木炭・煙硝（えんしょう）・硫黄といった国内で取れる自然原料のみ。煌びやかな派手さこそはないが、赤やオレンジといった炭火本来の赤褐色（せきかっしょく）に繊細な濃淡が表れ、日本人の「粋」を感じられる風流な花火である。花火大会などにおいても、豪華絢爛な洋火の幕間に和火が打ち上げられることが多い中「私は和火が主役だと思っているので、和火の魅力を感じてもらえるものを作っていきたい」と佐々木さん。山梨の老舗花火会社にて６年間花火の打ち上げから製造までを学んでいたが、独立以降“和火師”という肩書を名乗り、現在は国内外で幅広い活動を展開している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">何のために花火を作り、打ち上げるのか</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/5ec7332724e7138937011708cbde62f3.jpg" alt="" class="wp-image-53563" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/5ec7332724e7138937011708cbde62f3.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/5ec7332724e7138937011708cbde62f3-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/5ec7332724e7138937011708cbde62f3-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /><figcaption class="wp-element-caption">Photo：砺波周平</figcaption></figure>



<p>大学生の頃から日本の伝統的な職業に憧れを抱いていたという佐々木さん。『天国の本屋～恋火』という映画に出会い、天国の恋人に向けて花火を打ち上げる花火師の姿に魅了され、花火の世界を志すことになる。卒業後は全国の花火会社が打ち上げる花火の中でも、特に魅力的を感じた市川三郷町の老舗花火会社にコンタクトを取り、入社。出身地である埼玉県を離れ、洋火の製造から打ち上げまでの全工程を学ぶ。花火作りに打ち込んでいく中、日本三大花火大会の1つとして名高い秋田県の競技大会「大曲の花火」の2012年開催時に準優勝という成績を収めた。高い技術やアイデアを評価されたことに喜びを感じたのと同時に「自分は何のために花火を作り、打ち上げるのか」と自問し、花火師としての自身を顧みることになる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">花火師ではなく、“和火師”へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/export23.jpg" alt="" class="wp-image-53564" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/export23.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/export23-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/export23-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>自身の活動に葛藤が生まれるきっかけとなったのが、2011年に起こった東日本大震災だった。被災地の凄惨な実態を遠くから悼むことしかできず、花火師として何もできなかった無力さがずっと心に引っかかっていたと語る。「社会的に意義のある花火の打ち上げができないか」と、花火について再度学び直した。すると、古くから“慰霊”・“鎮魂”・“奉納”といった“祈り”の際に花火が打ち上げられたことが花火の原点であることを知る。例えば東京で夏の風物詩となっている「隅田川の花火大会」は1733年に開催された両国の川開きが発祥とされている。納涼期間の初日である川開きの日に、享保の大飢饉や疫病で亡くなった人々への慰霊と災厄除去を祈願して花火が打ち上げられたことが始まりだった。また、奉納花火には、神仏や祖先、大自然の恵みに敬意を捧げるという日本古来の風習が受け継がれている。和火にはそうした平和への祈りや感謝の心が込められていたのだ。「華やかでエンターテインメント性の高い洋火ではなく、日本人の精神が宿る和火を突き詰めたくなった」と佐々木さん。2014年に独立を果たし、いよいよ本格的に和火師としての活動を始めることになる。</p>



<p>「自己満足ではなく、誰かを喜ばせるために花火を打ち上げたいという思いが自分を突き動かす原動力でした」<br></p>



<h2 class="wp-block-heading">和火ブランド「MARUYA」の設立</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="799" height="533" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/a1ef25229780ec5e25e7acc7647aa40c-1.jpg" alt="" class="wp-image-53565" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/a1ef25229780ec5e25e7acc7647aa40c-1.jpg 799w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/a1ef25229780ec5e25e7acc7647aa40c-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/a1ef25229780ec5e25e7acc7647aa40c-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 799px) 100vw, 799px" /><figcaption class="wp-element-caption">Photo：砺波周平</figcaption></figure>



<p>独立してまず取り組んだのは、和火を専門としたブランド「MARUYA」の立ち上げだった。線香花火などの「玩具」と呼ばれる手持ち花火から始まり、「庭園花火（ていえんはなび）」という小型の打ち上げ花火や、噴水花火、打ち上げ花火と、徐々に製造の幅を拡大。製造する花火の種類を問わずに様々な形で和火の表現に取り組んでいる。</p>



<p>「自ら自然に分け入り、原料となる炭や硫黄などの素材を手に入れるところから始まる」という佐々木さんの和火作り。炭火本来の色で表現する和火において、原料となる木材選びは最も重要な工程なのだそうだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">“炭”が放つ和火の魅力</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/export8.jpg" alt="" class="wp-image-53566" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/export8.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/export8-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/export8-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>和火作りにおいて最も多く使われるのが松の木材。他に麻や桐など種類は様々であるが、例えば桐炭は赤みの強いオレンジ色といったように、木の性質によって火の粉の色合いが異なる。これには燃焼温度が関係しており、温度が低いほど赤みが強く、高いほど黄色みがかっていくそうだ。</p>



<p>また、炭の粒度によっても表現は変わる。打ち上げ花火では「星」と呼ばれる球状の火薬を形成する前に、一度炭をふるいにかけて粉状にする工程がある。これによって火の粉が噴き出る際の燃え具合に違いを作り出すことができるそうだ。粒が粗いものは火の粉がゆっくりと残り、細かい物はさっと消える。粉状にした炭と、硝酸カリウムや硫黄といった他の原料を組み合わせ配合比率を工夫することで色や火薬の燃焼に強弱を付け、繊細な色味を生み出していく。</p>



<p>緻密なバランス調整が求められる和火には、古くからの花火師たちの知恵や技術が詰まっており、古い配合帳を見ると、違いを見落としてしまうほど微妙な配合パターンが綿密に記されているのだそうだ。「赤褐色のみで表現する花火だからこそ奥深さがある」と佐々木さんはその魅力を語る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">祈りの火</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/6dc7bd0d431f1c363b56d3bf01b0ed4e.jpg" alt="" class="wp-image-53567" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/6dc7bd0d431f1c363b56d3bf01b0ed4e.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/6dc7bd0d431f1c363b56d3bf01b0ed4e-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/6dc7bd0d431f1c363b56d3bf01b0ed4e-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /><figcaption class="wp-element-caption">Photo：砺波周平</figcaption></figure>



<p>和火製造以外に取り組んでいる活動として「inoribi」がある。慰霊や鎮魂の祈りを込めた花火である「祈り火」を意味し、自然災害や戦争に遭った地の慰霊や鎮魂、奉納を目的に各地を巡り、“祈り”をテーマとした和火のプログラムを展開している。初の献灯となったのは2020年7月のコロナ禍における「甲府空襲慰霊花火」で、「追悼慰霊」と新型コロナウイルス収束を祈る「邪気払い」をテーマに祈り火が打ち上げられた。「音と振動、灯りをじんわり感じ、祈りを捧げられるように」。鎮魂の和火は菊を模した「菊型」と呼ばれるもので、当日は10発の和火がゆっくりとした間合いで静寂と交互に打ち上げられた。沖縄や知覧での慰霊鎮魂花火、各地のお祭りでの奉納花火など、徐々に活動の場を広げていく中で、取り組みに賛同する現地の協力者も増えつつあるのだという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">和火の力を信じて</h3>



<p>隣接する富士川町で工房を構え拠点としていたが、2022年、市川三郷町に念願の煙火工場が完成。それまでの8年間は苦労の連続だったと佐々木さんは当時を振り返る。洋火主流の業界で和火を専門に独立を決めた際、周囲からは需要を懸念する声も多く、同業者からは「和火だけじゃやっていけない」と言われることもしばしば。逆境の中で和火の基本となる線香花火から独自で研究を重ね、念願の打ち上げ花火の製造許可を取得するまでに至った時初めて「ようやくスタートラインに立てた」と感じたそう。</p>



<p>「和火は絶対に人を幸せにする力がある花火だという確信めいた気持ちがあった。自分を信じてひたすら突き進んでみようという強い信念がここまで導いてくれたたのかもしれません」</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本の精神を世界へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/e09c9a456ece2388d11f8e42dcba83a7.jpg" alt="" class="wp-image-53568" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/e09c9a456ece2388d11f8e42dcba83a7.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/e09c9a456ece2388d11f8e42dcba83a7-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/e09c9a456ece2388d11f8e42dcba83a7-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /><figcaption class="wp-element-caption">Photo：砺波周平</figcaption></figure>



<p>佐々木さんは今後の展望として2つのテーマに則った活動を見据えている。まずは、「和火を通して日本の精神性・文化を伝えていく」ため、日本文化を味わい尽くせるようなイベントを開催し、その演出として和火を用いること。現在も教育機関や文化関連イベントでの講演、線香花火を作るワークショップなどを開催しているが、より規模を拡大したイベントを展開していきたいと意気込む。そしてもうひとつ欠かせないのが「inoribi」の活動だ。「今後は日本のみならず世界中を巡り、慰霊・鎮魂・平和を“祈る”花火を打ち上げていきたい」と思いの丈を口にした。</p>



<p>「道のりはそれほど長くはないかと思います。強く思いを持っていれば様々な人との出会いがあり、きっかけとなる。そこだけはぶれず進んでいきたいですね」</p>



<h2 class="wp-block-heading">現代で灯し続ける伝統の花火</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/export43.jpg" alt="" class="wp-image-53569" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/export43.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/export43-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/export43-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「炭火の濃淡、火の粉の強弱と残り具合。こういった表現を使ってひとつの世界観を作り出すことが自分の目指していきたいところです」<br>江戸時代から変わらない製法で、現代の夜空に灯る赤褐色の火。そこに秘められた祈りや歴史を知る人はどのくらいいるのだろうか。和火の担い手、文化の継承者として、「打ち上げ花火だけでなく、線香花火でも十分に和火の魅力を感じられます。その時や場所に合わせた和火の形で日本人の精神性を表現していきたいですね」と語る和火師、佐々木さん。その挑戦と揺るぎない信念が実を結ぶ日はそう遠くはないだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53550/">時代を超えて“祈り”の花火を世界に灯す「和火師　佐々木厳」／山梨県西八代郡市川三郷町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>硬さと精煉度と見た目の３拍子が揃う、「火持ちが良い」木炭を目指して。「北部産業」一條幸子さん／岩手県洋野町</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/53375/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 14 Oct 2025 11:51:49 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[岩手木炭]]></category>
		<category><![CDATA[なら炭]]></category>
		<category><![CDATA[たたら製鉄]]></category>
		<category><![CDATA[岩手県木炭品評会]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-27.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>木炭生産量日本一を誇る岩手県。その岩手県内で生産量の約4分の1を占めるのが、県北の洋野町産だ。その洋野町で長年製炭業を営む北部産業には、岩手県木炭品評会で受賞経験を持つ炭焼き職人・一條幸子さんがいる。 製鉄との関わりで発 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-27.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>木炭生産量日本一を誇る岩手県。その岩手県内で生産量の約4分の1を占めるのが、県北の洋野町産だ。その洋野町で長年製炭業を営む北部産業には、岩手県木炭品評会で受賞経験を持つ炭焼き職人・一條幸子さんがいる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">製鉄との関わりで発展した洋野町の製炭</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-4.jpg" alt="" class="wp-image-53383" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-4.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-4-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-4-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>洋野町で木炭生産が盛んな理由のひとつが、木炭の材料である広葉樹が多く自生していること。しかも、広葉樹の生えている山がなだらかなので、切って運び出しやすいのだという。</p>



<p>もうひとつの理由が、製鉄との関わりだ。洋野町大野地区は藩政時代、「たたら製鉄」による製鉄業で栄えていた。「たたら製鉄」とは、砂鉄と木炭を粘土製の炉に入れ、空気を送り込みながら燃焼させて「鉄」を作り出す、日本の伝統的な製鉄法のこと。砂鉄が燃焼によって酸化鉄になり、さらに木炭の成分である炭素と結びついて還元されて「鉄」に変わるため、製鉄に木炭は不可欠だったのだ。</p>



<p>明治時代になると西洋式高炉による製鉄が始まり、たたら製鉄は衰退するが、代わりに一般家庭用の燃料として木炭の需要が高まったことから、大野地区では木炭生産が継続された。また、岩手県の他の地域でも農閑期などに木炭を作る農家が多かったこと、東北線が開通して東京の市場へ出荷しやすくなったこと、県が生産を推奨したことなどにより、県全体の生産量は次第に増加。こうして1912年には「木炭生産量日本一」になった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">原料は樹齢20～30年のナラ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-76.jpg" alt="" class="wp-image-53384" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-76.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-76-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-76-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>木炭とは、木材を酸素が無い状態で加熱し、酸素や水素、不純物などを取り除き炭素だけを残して炭化させたもので、800℃以上で炭化させる白炭と、400～700℃前後で炭化させる黒炭の2種類に分けられる。白炭の代表は、主にウバメガシから作られる「備長炭」。一方、岩手で作られているものは黒炭で、原料の木材は県内に多く自生しているナラだ。樹齢20〜30年のものを使うが、それは、「完成する木炭の太さから逆算すると直径20㎝のものが適している」ことが理由のひとつらしい。</p>



<p>「うちのお客様は炉端焼き店や焼き鳥店など飲食店の方が多いため、火持ちの良さが求められる。硬くて密度の高いナラは木炭にすると火持ちが良いので、その点も原料としてナラを使う理由です」と説明するのは、洋野町にある北部産業の代表取締役・佐々木彬さん。同社は1952年創業の「ささき木材店」が前身で、その数年後から製炭業を始めた。現在は16基の窯で、地理的表示（GI）保護制度の登録商品である「岩手木炭」、なら炭、粉炭、木酢液などを生産している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「良い木炭」とは「火持ちが良い」こと</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-1.jpg" alt="" class="wp-image-53385" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一條幸子さんが同社で木炭作りを始めたのは3年前。それまでは完成した木炭を切り揃えたり袋や箱に詰める作業を担当していたが、木炭作りの工程に興味を持ち、「見聞きするだけではなく、自分でやってみたい」と思い、始めたという。</p>



<p>木炭作りは、先輩職人から教わった。まず、ナラの原木を規格の長さ・太さにし、窯の中に立てて入口に火を着け、4日間乾燥させる。その後、窯の入口をふさぎ、通風口と開煙口を動かしながら窯の中の酸素の量を調節して炭化させていく。完全に炭化させたら、すべての口をふさいで酸素を遮断し、消化。1週間ほど冷ましたら完成だ。着火してから消化するまでの期間は、原木の乾燥状態や気候などによって変わるものの、約2〜3週間。つまり完成まで3〜4週間もかかる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">目指すは「硬い」「重い」「製煉度が低い」木炭</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-32.jpg" alt="" class="wp-image-53386" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-32.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-32-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-32-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「窯の中を酸欠状態にするために、原木をまっすぐに隙間なく並べるのが大変。でも一番気を遣うのは、窯の入口をふさいだあと、通風口や開煙口を動かしながら炭化させる作業ですね」と一條さん。というのも、ここで木炭の良し悪しが決まるからだ。一條さんにとって良い木炭とは「硬くて重い」、つまり「密度の高い」もので、それが「火持ちが良い木炭」の条件でもあるという。燃焼（炭化）スピードが早いと密度の低い、スカスカの木炭になってしまうので、開煙口の温度を測りながら炭化スピードを調整するそうだ。</p>



<p>特に、岩手県木炭品評会では「精煉度」が評価基準のひとつになるため、「消化前に開煙口を大きく開け、窯の中の温度を高くして炭化を高める『精煉』の作業は重要」と話す。「精煉度」とは炭の電気抵抗の数値で、低いほど不純物が少なく炭素の純度（炭化）が高い、つまり「上質の炭」とされる。地理的表示（GI）保護制度の登録が認められた「岩手木炭」は、この精煉度が8％以下と決められているので、品評会でもこの数値が基準となるというわけだ。ちなみに、完成した木炭の下部は精煉度が高いため、「岩手木炭」の場合は切り落とされて出荷されるが、北部産業では下部を切り落とさずに自社の基準で検査し、「なら炭」として出荷するという。</p>



<p>「炭焼き職人の先輩方は、『炭化の状態や精煉をかけるタイミングは煙やにおいでわかる』と言いますが、私はまだその域には達していないのでわかりません。ですからいまは、開煙口の温度が320℃になったら精煉をかけています。でもいつかはわかるようになりたい。そのためにも毎日が勉強で、だからこそ日々面白いんです」と一條さんは笑顔を見せる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「見た目」も、品評会での評価の対象に</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-72.jpg" alt="" class="wp-image-53387" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-72.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-72-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-72-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>こうした木炭作りの作業を毎回繰り返すなかで、一條さんは「うまくできた」と思う木炭を見つけ、品評会への出品用として取っておくという。前述の「硬くて重い」「精煉度」に加え、「見た目」も「良い炭」の条件と考えることから、樹皮がきれいに残っているものを選ぶ。その結果、岩手県木炭品評会令和4年度大会では、黒炭切炭の部で農林水産大臣賞を、黒炭長炭の部で林野庁長官賞を受賞。切炭は長さが約6.5㎝、長炭は約30㎝のもので、どちらの賞も最高賞である。</p>



<h2 class="wp-block-heading">木炭作りの技や文化を絶やしたくない</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-37.jpg" alt="" class="wp-image-53388" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-37.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-37-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/hokubu-sangyo-37-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>佐々木さんによると、いま国内では木炭の需要が多く、同社の生産が追い付かない状況だという。コロナ禍ではキャンプ用として、その後は焼き鳥店など飲食店用として注文が増えている一方、生産者の高齢化が進んでいるため、製炭会社として全国的にも規模が大きい同社に注文が集中しているからだ。</p>



<p>「そのような状況でも、常に安定した品質の木炭を作るよう心がけています。それと、どんな注文にも応えたい。例えばお客様の中には、うちの商品の『岩手木炭』や『なら炭』とは品質が異なる、『やわらかくて砕けやすい木炭』がほしいという人もあるので、窯の中を探して納品することもあります」と佐々木さんは胸を張る。<br>一方、一條さんは「木炭を作ると、香炉や火鉢用の灰、煙を冷やしてできる『木酢液』も得られ、無駄がない。そんな木炭作りの技や文化を絶やしたくないので、10年、いや20年は続けたい」と意欲を燃やす。「良い木炭」を作ることだけを心がけ、日々、一つひとつの作業に集中する──。そんな一條さんの姿は、木炭作りを目指す次世代の若者の登場に、きっとつながることだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53375/">硬さと精煉度と見た目の３拍子が揃う、「火持ちが良い」木炭を目指して。「北部産業」一條幸子さん／岩手県洋野町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>日本の蚕糸業と絹文化を守り、伝える。日本最大の製糸工場「碓氷製糸（うすいせいし）」／群馬県安中市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 29 Sep 2025 09:19:38 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[純国産]]></category>
		<category><![CDATA[絹製品]]></category>
		<category><![CDATA[製糸業]]></category>
		<category><![CDATA[国産生糸]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_721.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>群馬県の西部に位置する安中市松井田町。日本三大奇勝の一つとして知られる妙義山がそびえ、その荒々しい岩肌が創り出した美しい景観は町のシンボルとして親しまれている。雄大な自然に囲まれた静かな山の麓に、碓氷製糸株式会社がたたず [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_721.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>群馬県の西部に位置する安中市松井田町。日本三大奇勝の一つとして知られる妙義山がそびえ、その荒々しい岩肌が創り出した美しい景観は町のシンボルとして親しまれている。雄大な自然に囲まれた静かな山の麓に、碓氷製糸株式会社がたたずむ。すぐ近くを流れるのは利根川支流の碓氷川。この清らかで豊富な水が、良質な生糸生産を支えている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">現役で稼働する器械製糸工場</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_620.jpg" alt="" class="wp-image-53268" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_620.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_620-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_620-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2014年に世界文化遺産に登録された近代日本産業の象徴「富岡製糸場」。ここでは役目を終えた自動繰糸機が動くことなく展示されているが、碓氷製糸はこれと同じ機械が今もなお現役で稼働し、繭から生糸を作り続けている。</p>



<p>碓氷製糸は昭和34年（1959年）、周辺地域の農家によって碓氷製糸農業協同組合として設立された。以来60年以上にわたって操業を続けている。近年は農協の組合員数の減少により、県や安中市、富岡市などの出資を受け、平成29年（2017年）に株式会社組織となって今に至っている。</p>



<p>ピーク時には全国に1800以上あった製糸会社。その後は縮小の一途をたどり、現在、日本で操業している現役の器械製糸工場は、わずか２カ所にまで減少してしまった。そのうちの一つが、この碓氷製糸である。</p>



<p>「製糸」とは、養蚕農家が生産した繭から生糸をつくる一連の作業のこと。ここ碓氷製糸には群馬県のみならず、全国各地で生産された繭のうちの約７割が運ばれてくる。つまり碓氷製糸は生糸の生産量ナンバーワンを誇る国内で最大規模の製糸工場なのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">国産生糸は危機的な状況</h3>



<p>とは言え、製糸産業の現状は厳しい。農林水産省のデータによると、平成元年に6000トンを超えていた国産生糸の生産量は、令和5年にはわずか9トンまで落ち込んでいる。生糸の輸入量に目を向けると、令和5年の輸入生糸が175トン。つまり国産生糸は、国内で流通している生糸の５％にも満たないのだ。</p>



<p>産業規模の大幅な減少の背景には、中国やブラジル、インドなどの安価な輸入品による市場での競争力の低下や、化学繊維の普及によって絹製品の需要が減少したことなどが挙げられる。さらにこの状況に追い打ちをかけるのが養蚕農家の減少である。</p>



<p>かつて養蚕は東北以南の各地で行われていたが、現在は関東と東北を中心とする小規模な産地が残るのみとなり、養蚕農家の数は非常に少ない。しかも生産者の高齢化も進んでおり、全国的に後継者不足が深刻な問題となっている。そんな中にあって群馬県は全国の繭生産量の約4割を占めている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">国産生糸にこだわる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_699.jpg" alt="" class="wp-image-53269" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_699.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_699-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_699-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>碓氷製糸が大切にしているもの、それは「純国産」へのこだわり。海外から輸入した繭や生糸を使用しても、日本で加工した絹製品であれば「国産」と名乗ることができるのだが、碓氷製糸で作られる生糸は、単なる国産とは一線を画す。日本で飼育された繭だけを使用した高品質な「純国産」だ。国産繭から生産された生糸のシェアは、わずか1％にも届かないという。この高品質な純国産生糸は主に着物用として出荷・販売されている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">生糸になるまでの工程</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_738.jpg" alt="" class="wp-image-53270" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_738.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_738-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_738-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>工場内を案内してくれたのは代表の安藤俊幸さん。養蚕農家から届いた繭は、中に入ったさなぎが羽化しないように、荷受け後すぐに熱風乾燥させてから繭倉庫で貯蔵するという。</p>



<h4 class="wp-block-heading">選繭（せんけん）</h4>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_664.jpg" alt="" class="wp-image-53271" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_664.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_664-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_664-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>品質の良い生糸を作るため、出庫された繭を選別する作業。2匹の蚕が作った玉繭（たままゆ）、汚れた繭、奇形の繭などを取り除いていく。はじかれた繭も玉糸や絹綿などに加工されるそうだ。ちなみに中のさなぎは肥料や漢方薬などに利用されるらしく「シルクは捨てるところがない」とのこと。</p>



<h4 class="wp-block-heading">煮繭（しゃけん）</h4>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_689.jpg" alt="" class="wp-image-53272" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_689.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_689-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_689-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>選繭の次は、糸のほぐれを良くするためにお湯や蒸気で繭を煮て柔らかくする。約20分かけて繭は高温・低温・蒸気など6つの部屋を通過する。</p>



<h4 class="wp-block-heading">繰糸（そうし）</h4>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_691.jpg" alt="" class="wp-image-53273" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_691.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_691-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_691-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>煮繭から糸口を取り出し、目的の太さになるように数本の糸を撚り合わせていく作業。これこそが製糸工場の核ともいえる工程だ。繭はお湯の中でゆらゆらと運ばれながら、小さなホウキでかき出され、もつれた糸から目に見えないほど繊細な1本を引き出し、自動繰糸機にセットされる。生糸が細くなると繊度を感知し、自動的に繭が追加され、生糸は一定の太さで繰り続けられる。糸が切れた時は、職員が手作業で手際よくつなぎ直す。</p>



<h4 class="wp-block-heading">揚返し（あげかえし）</h4>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_712.jpg" alt="" class="wp-image-53274" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_712.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_712-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_712-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>自動繰糸機で小枠（こわく）に巻き取られた生糸を、乾燥させながら外周150cmの大枠に巻き返す。この作業は後で扱いやすくするために行う。</p>



<h4 class="wp-block-heading">仕上げ</h4>



<p>出来上がった国産生糸は、束にしてねじりを加えて整える。さらにいくつかを束ね、箱に詰めて出荷する。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自動繰糸機は日本の技術力の結晶</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_754.jpg" alt="" class="wp-image-53275" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_754.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_754-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_754-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ちなみに、使用している自動繰糸機は、自動車メーカーの日産が製造した1980年代の機械だという。かつて、トヨタ、日産といった自動車メーカー各社は繊維産業用の機械を世界に先駆けて製造していたそうで、その当時に培われた高い技術力が、今日の自動車産業に受け継がれている。自動繰糸機は、今となっては買い替えはおろか、部品交換ですらままならない貴重な機械。職員が自らメンテナンスをしながらずっと大切に使い続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">碓氷製糸はなぜ生き残ったのか</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_701.jpg" alt="" class="wp-image-53276" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_701.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_701-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_701-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>全国の製糸工場が激減しているにもかかわらず、碓氷製糸はなぜ稼働し続けていられるのか？それは、群馬県はわずかながらも養蚕農家が残り、蚕の飼育を守り続けている地盤があるから。そのうえで、相場に左右されない群馬オリジナルの蚕の品種を扱っていることも理由の一つ。また碓氷製糸は多品種の糸を小ロットで製造できることも強みだ。さまざまな太さの生糸が作れて、顧客の要望にきめ細かく応えられるという。それには高性能な機械と、良き技術者の存在なくしては成り立たない。</p>



<p>「いい糸を作り続けることが事業の継続に繋がると信じています。もしも、この場所が無くなってしまったら、養蚕農家さんも廃業してしまうわけですから責任は重大です」と語る安藤さん。</p>



<h2 class="wp-block-heading">碓氷製糸の目指すべき未来とは</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_774.jpg" alt="" class="wp-image-53277" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_774.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_774-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_774-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>しかし「５年後、10年後を見据えると、生糸を作るだけでは立ちゆかなくなる」と危機感を抱き、収益の柱となるものを模索している。近年は生糸を利用したオリジナル製品の開発に力を注ぎ、肌着や靴下、ボディタオルなどの身近な絹製品や、生糸から抽出するシルクタンパクを使用したスキンケア用品を販売している。</p>



<p>高品質な絹製品を提供し続けることで、衰退傾向にある日本の蚕糸業において貴重な存在となっている碓氷製糸。今後は、国内外でのニーズに応えるための製品開発や、伝統技術を活かしたブランドの強化、他分野との連携などを通じ、新たな技術と柔軟な発想で伝統産業である製糸業の未来を切り拓いていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53258/">日本の蚕糸業と絹文化を守り、伝える。日本最大の製糸工場「碓氷製糸（うすいせいし）」／群馬県安中市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>織物の街から世界のファッションを支える、株式会社笠盛の新たな挑戦／群馬県桐生市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 20 Sep 2025 13:02:59 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[OOO]]></category>
		<category><![CDATA[刺繍]]></category>
		<category><![CDATA[カサモリレース]]></category>
		<category><![CDATA[ジャカード刺繍]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_156.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>古くから織物の街として栄えてきた群馬県桐生市（きりゅうし）に、1877年創業の老舗刺繍工房、株式会社笠盛がある。⾼品質な織物と繊維製品を製造する歴史ある街で、笠盛は世界のファッションデザイナーを刺繍で⽀える⼀⽅、⾃社ブラ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53192/">織物の街から世界のファッションを支える、株式会社笠盛の新たな挑戦／群馬県桐生市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_156.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>古くから織物の街として栄えてきた群馬県桐生市（きりゅうし）に、1877年創業の老舗刺繍工房、株式会社笠盛がある。⾼品質な織物と繊維製品を製造する歴史ある街で、笠盛は世界のファッションデザイナーを刺繍で⽀える⼀⽅、⾃社ブランド「OOO（トリプル・オゥ）」をはじめとする、新しいチャレンジを続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">熟練の職人とテクノロジーの融合から生み出されるオリジナル製品</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_2.jpg" alt="" class="wp-image-53193" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>群馬県の南東部に位置し、栃木県との県境にある桐生市は、「⻄の⻄陣、東の桐⽣」と称され、奈良時代から織物の町として繁栄してきた歴史がある。</p>



<p>伝統工芸品の桐生織を主な産業とする機業都市で、帯を織る機屋（はたや）として創業した株式会社笠盛。時代の変遷とともに、1962年にジャカード刺繍機を導入し、織物業から刺繍業へと転身した。織物業で培った熟練の職人技と、レーザーカットなどを用いた刺繍機のテクノロジーが融合したことで生み出される高い技術力をベースに、数々の高品質な製品を生産してきた。</p>



<p>そこには⽼舗特有の守りの姿勢ではなく、未来を見据えてチャレンジを続ける、四代⽬会⻑ 笠原康利（かさはらやすとし)さんの覚悟があった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">和装から洋装へ、時代の変遷に合わせて事業を転換</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_177.jpg" alt="" class="wp-image-53194" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_177.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_177-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_177-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>和装から洋装へ、時代の変遷とともに笠盛の事業も転換を余儀なくされていった。</p>



<p>「帯は仕入れが大きく、糸を買って、その糸を売っているようなもの。一方、刺繍は仕入れがわずかでも、技術力で勝負できる。売上は少なくても利益が残ると、当時、父が言っていました」と、ジャカード刺繍機を導入し刺繍業に転身した背景を、笠原さんが教えてくれた。</p>



<p>刺繍業を始めた当初は靴下のワンポイント刺繍を、次第に和装や洋装も手掛けていくようになった。少しずつだが確実にオリジナルの刺繍技術を確立していき、2006年には独自技術であるチェーン刺繍の「カサモリレース」を開発した。</p>



<p>その後、東京やパリの展示会に出展したところ、その高い技術を利用した服飾付属品や刺繍加工品に注目が集まり、国内外のデザイナーやアパレルメーカーから問い合わせが来るようになったという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">世界のファッションデザイナーを陰で支える刺繍</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_135.jpg" alt="" class="wp-image-53195" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_135.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_135-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_135-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>笠盛が刺繍業に転身した1960年代以降、時を同じくして日本人ファッションデザイナーがパリで活躍し始めた。</p>



<p>「三宅一生さんや高田賢三さん、山本耀司さんや川久保玲さんなど、そうそうたる人たちがパリでコレクションを開き、日本のファッション業界を引っ張っていました。当時、私たちは大量生産の仕事をする傍ら、三宅一生さんや川久保玲さんなど、世界的に注目されているファッションデザイナーの方々と仕事をすることになりました」</p>



<p>精密な機械刺繍でありながら、ハンドメイドの温もりがある笠盛の刺繍は、国内外のデザイナーやアパレルメーカーから注目され、さまざまな課題を技術で解決し、高品質な服飾付属品や刺繍加工品として重宝された。</p>



<p>こうして育まれた信頼は揺らぐことなく、現在も人気ブランドとの取引を行なっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">口癖は「刺繍で困ったら連絡してくれ」</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_45.jpg" alt="" class="wp-image-53196" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_45.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_45-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_45-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「当時、コレクションをはじめ、高度な技術を求めているデザイナーに『刺繍で困ったら連絡してくれ』といつも言っていました」と笠原さん。すると難しいものを作ろうという時には、相談が来るようになった。</p>



<p>「テキスタイルデザイナーの須藤玲子さんからも、他でできない技術があると、うちに話が来るようになり、納品したらイメージ通りだと、大変喜んでいただきました」</p>



<p>さまざまな技法で高い機械刺繍の技術を持つ笠盛。最大の強みとなっている技術力の裏には、織物で培った縦と横の糸の運びに、刺繍独自の斜めの変化が加わることで糸の運びの自由度が変わり、仕事の可能性が広がったことにある。</p>



<p>刺繍デザインに対する糸の向きや縫い方など、糸の運びによって変わる刺繍の表現を、誰よりも楽しみ面白がっているのが笠原さんだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自分で値段がつけられる、自社ブランドの立ち上げ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_26.jpg" alt="" class="wp-image-53197" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_26.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_26-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_26-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>パリの展示会に積極的に出展していた頃、本社まで行って話をした世界的ブランドとの商談が印象に残っているという笠原さん。</p>



<p>「ハイブランドは利益を大きくするためにわざわざ高い値段をつけて、たくさんのプロモーションをやりながら、ブランド自体の価値を上げているんだと言っていました」</p>



<p>この話を聞いて笠原さんは、自分で作ったものに自分で値段をつけていかないと、将来、生きていけなくなるのではないかと思い、自社ブランドを持つことを考え始めたという。</p>



<p>長い時間、試行錯誤を繰り返しながら、2008年に本格的に自社ブランドを作ろうと決意する。そして2010年、念願の⾃社ブランド「OOO」を立ち上げる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「布から解放された刺繍」という、新しい概念</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_212.jpg" alt="" class="wp-image-53198" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_212.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_212-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_212-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在「OOO」のブランドマネージャーである⽚倉洋⼀（かたくらよういち）さんは、2005年に株式会社笠盛に入社後、笠原さんから自社ブランド設立のミッションを託される。</p>



<p>「刺繍を通して、作り手も買い手もワクワクするような、刺繍の新しい価値を作りたいと言われ、正直戸惑いました。何から始めればいいのかわからず、とにかく自分たちの強みを見つけようと、他社と差別化できるものを探すところから始めました」</p>



<p>笠盛には元々、国内のファッションブランドのOEMでアクセサリーを作っていた経験があった。難しい刺繍をこなす技術力とアクセサリーを結びつけることで、自分たちの強みが出せるのではないかと、片倉さんは考えた。</p>



<p>そして「布から解放された刺繍」というイメージが湧き、さまざまなプロダクトを作りながらお客様の反応が良かった、糸で作るアクセサリーに落ち着いていった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">特許取得の球体状アクセサリー</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_139.jpg" alt="" class="wp-image-53199" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_139.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_139-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_139-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日々の装いに「糸のアクセサリ」という、まったく新しい選択肢を作るために、「糸だけでここまでできるのか」と思わせるようなものを目指した片倉さん。</p>



<p>「糸で作るのに、糸とは思えないものを作りたいと思いました。いい意味で裏切るというか、糸ならではのチープさをなくすために、必要な糸が売っていなければ自分たちで糸から作り、地域の職人さんを巻き込みながら技術開発をしていきました」</p>



<p>何を作りたいのかを先に決めて、必要なものがなければ作るところからチャレンジする。これは既成概念にとらわれず、自由な発想でアクセサリー作りを行う「OOO」が掲げる3つのこだわり「発想・素材・技術」そのものでもある。</p>



<p>糸だけで本物のジュエリーにより近づけるため、緻密なプログラミングと職人の手仕事の融合で完成した「立体刺繍」。この糸だけで球体を作る技術は「OOO」の特許であり、大きな強みとなっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「できない」を「できる」にする技術力</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_127.jpg" alt="" class="wp-image-53200" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_127.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_127-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_127-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>チェーン刺繍用のミシンで水に溶ける不織布に刺繍をし、お湯で不織布を洗い流して糸だけを残す「カサモリレース」は、何度も挑戦を繰り返して辿り着いた技術である。図案に合わせてプログラミングしたミシンを、その日の温度や湿度まで考慮して調整できる、職人の経験と感覚があって初めて、オリジナルのものづくりとなる。</p>



<p>片倉さんは「OOO」で、シルクの糸だけで真珠のネックレスのようなアクセサリーを作ろうと思った時、「絶対できない」と何度も言われたという。それでも「できない」をどう作るかを考え続け、「OOO」にしかできない特許製法を生み出した。そこには、刺繍業に転身し技術で利益を高めるために「できない」を「できる」に変えてきた、笠盛の経験がある。</p>



<p>伝統を守るだけでなく、新たな価値を創り出す挑戦こそが未来を拓く。笠原さんの思い描く、地域の職人と共創しワクワクするものづくりを原動力に、これからも笠盛の刺繍は革新を重ね、「OOO」のような魅力あるオリジナルのものづくりを、地域を挙げて発信していく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53192/">織物の街から世界のファッションを支える、株式会社笠盛の新たな挑戦／群馬県桐生市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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			</item>
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		<title>繊細で奥深い輝きと透明感のある光沢。希少価値の高い越し物真珠。「天成真珠」山本 正徳さん／愛媛県宇和島市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/53022/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 25 Jul 2025 09:20:25 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[アコヤ貝]]></category>
		<category><![CDATA[越し物]]></category>
		<category><![CDATA[宇和島真珠]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei040.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>市場に出回る真珠の大部分が養殖期間が1年未満で出荷する当年物のなか、「越し物」と呼ばれる2年ものの真珠にこだわり、自社で加工・販売まで行なっている天成真珠。会長である山本正徳さんはアコヤ真珠の特長は美しいテリであり、宇和 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53022/">繊細で奥深い輝きと透明感のある光沢。希少価値の高い越し物真珠。「天成真珠」山本 正徳さん／愛媛県宇和島市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei040.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>市場に出回る真珠の大部分が養殖期間が1年未満で出荷する当年物のなか、「越し物」と呼ばれる2年ものの真珠にこだわり、自社で加工・販売まで行なっている天成真珠。会長である山本正徳さんはアコヤ真珠の特長は美しいテリであり、宇和島市由良半島の美しい海だからこそ高品質な真珠ができると語る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">巻きが厚く深みのある繊細な光沢が見事な越し物真珠</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei030.jpg" alt="" class="wp-image-53023" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei030.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei030-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei030-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>天成真珠の養殖場がある愛媛県宇和島市の最南端に位置する由良半島の海は、かつて真珠養殖には向いていないと言われていたという。しかし山本さんの父が数人の仲間たちと果敢に挑戦し、成功させたことが現在の天成真珠の礎となっている。</p>



<p>市場に流通している真珠の大部分が当年物であるのに対し、天成真珠が生産する真珠のほとんどが、2年間かけてゆっくり育てられた「越し物」と呼ばれる希少な真珠だ。豊かな海という自然の恩恵を受けながら、アコヤ貝の生命力と人の技術によって産み出される高品質な真珠は、一つひとつの個性を最大限に引き立てつつ自社ブランドのジュエリーに加工される。</p>



<h3 class="wp-block-heading">豊かな海の恵みと人の手による技術で健やかに育まれる真珠</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei046.jpg" alt="" class="wp-image-53024" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei046.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei046-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei046-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>真珠は貝の体内でできる天然の宝石だ。アコヤ貝や黒蝶貝といったある種の貝の体内に異物が入り、貝が異物から身を守ろうと真珠層を分泌して異物を包み込むことで真珠となる。</p>



<p>真珠の養殖は、アコヤ貝の中に真珠の芯となる核を入れる「核入れ」に備え<s>て</s>、母貝となるアコヤ貝の活性を低下させることから始まる。母貝に核を入れる「珠入れ」は、貝にとって手術であり大きな負担となるため、活性を下げて眠らせた状態にすることで核を入れる際のショックを和らげるのだそう。</p>



<p>母貝の活性が十分下がったことを見極めたら、専用の器具を使って貝の口を開け、母貝の神経や組織を傷つけないよう細心の注意を払いながら、素早く正確に核を挿入する。この珠入れには非常に高度な技術が必要とされ、珠入れの良し悪しが真珠の形や傷に影響するのだという。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei036.jpg" alt="" class="wp-image-53025" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei036.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei036-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei036-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>​​珠入れを終えた約50,000個の母貝は籠に入れられ、波の穏やかな湾内で母貝の体力が回復するまで養生させ、養生を終えたら栄養分の豊富な沖に出して核に真珠層が巻いていくのを待つ。しかし、ただ待つだけではなく、母貝の表面に付着して貝の成長を妨げる要因となるフジツボや海藻を取り除いたり、水温の変化に合わせて貝を沈める水深を変えたり、貝の状態を見て筏の場所を移動したりするなど、母貝にとって最適な環境を維持するため日々の世話や気配りが欠かせない。その上で天成真珠では過密養殖による漁場環境の悪化や赤潮、病害の発生、水質汚染などに配慮して養殖量を抑制し、自然環境に負荷をできるだけ与えないよう、少量高品質な真珠の生産を目指している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">色彩を伴った深みのある輝きがアコヤ真珠の真骨頂</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei003.jpg" alt="" class="wp-image-53026" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei003.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei003-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei003-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>真珠は主に、大きさ、色、照り、巻き（核の周りに形成される真珠層の厚さ）、傷、形という6つの観点で評価され、白く光沢があって巻きが厚く、傷がなく真円に近いほど価値が高いとされる。中でも照りと巻きは真珠を評価する上で非常に重要な要素だと山本さんは言う。照りとは複雑で豊かな色合いに変化する輝きであり、巻きとは真珠層の厚さのことを示す。美しく透明感のある強い輝きはアコヤ貝が分泌する真珠層の厚みと密接な関係があり、養殖期間の長さと真珠層の巻きの厚みは正比例するため、「越し物」は当年物より一層深みのある輝きを放つ極上の真珠となる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">浜上げのタイミングの見極めは真珠職人の極意</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei035.jpg" alt="" class="wp-image-53027" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei035.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei035-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei035-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2年間育てると言っても、長く育てるということは母貝の生存率の低下や、自然にできてしまうえくぼや傷などのリスク拡大にも直結している。山本さん曰く「巻きは漁場、照りは浜上げ（母貝から真珠を取り出すこと）のタイミング」だという。アコヤ貝は冬になるとより緻密な真珠層を分泌し始め、「化粧巻き」と呼ばれる淡く美しい色が付いてくる。由良半島の海は早めに水温が下がるため、自ずと真珠層を分泌する時間が長くなり、化粧巻きが厚くなる。その化粧巻きが最表面に出てくるタイミングで母貝から真珠を取り出すことによって、照りの強い美しい真珠となる。「白蝶真珠や黒蝶真珠といった南洋珠は、水温の高い海で養殖されるため化粧巻きが出ないんです。複雑に変化する繊細な輝きはアコヤ真珠ならではの魅力ですね。通常、真珠は『匁』という単位で量り売りされますが、その中に飛び抜けたものがあります。それをジュエリーに加工することで付加価値をつけていきたいんです」と話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">真珠養殖を取り巻く環境の変化にどう対応していくか</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei018.jpg" alt="" class="wp-image-53028" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei018.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei018-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei018-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>由良半島の美しい海だからこそ、安心して越し物を育てることができるとはいえ、近年の温暖化の影響等もあって海の環境が不安定になり、苦労は絶えないという。赤潮や台風で一瞬にして全滅するというリスクも当然あるし、平成7年に発生したアコヤ貝の大量へい死も記憶にまだ新しい。「海をいい状態にしなければいけないけれど、自分だけの力ではできない。他の産地ではアコヤ貝が育たなくなってきているところも出てきています。今は温暖化に耐え得る母貝を育てようとしています」。</p>



<p>また母貝業者の後継者が減少しているという問題もある。母貝を育ててくれる人がいるからこそ良い珠をつくることに集中できるため、母貝業者の減少は深刻だ。真珠養殖業者としての良い珠づくりと平行して、産業を維持する方法を考えていかなければと仲間たちにも訴えかけている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">次の世代へと紡がれ、世界へと広がる天成真珠の物語</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei017.jpg" alt="" class="wp-image-53029" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei017.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei017-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/tensei017-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>それぞれの養殖業者によって養殖技術には差がある。かつては“自分たちの技術を守っていこう”というスタンスだったが、今は情報を共有して業界全体で盛り上げようとしているという。「人口も減って市場の需要も下がってきているけれど、熱心なファンはいます。日本には昔からおばあちゃんやお母さんが、孫や娘が成人したら真珠を贈るという文化があります。ダイヤモンドにはない文化であり、大事にしていきたい。今はまだ自分たちで泥臭くやっていますが、首都圏に“宇和島の真珠”として認めていただいているし、質のいい真珠を求めるお客さまがいらっしゃるから商売が続いていると思っています」と話す。</p>



<p>真珠を育てるかたわら自分たちで販売方法を模索し、イベントや催事以外にインターネットで販売する手段も確立した。アジアでの需要が増えてきていることもあり、海外で販売する機会をつくりたいとも考えているという。産地によって目指すところは異なるが、「越し物」の照りと巻きにこだわった「宇和島の珠」を出したい、良い物を届けたいという山本さんの想いは強い。生産量日本一を誇ってきた宇和島真珠のブランドを守るため、また地域のためにも真珠産業を残したいと、真珠の魅力を発信し続けている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53022/">繊細で奥深い輝きと透明感のある光沢。希少価値の高い越し物真珠。「天成真珠」山本 正徳さん／愛媛県宇和島市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>高品質の木炭作りと後進育成に励む「谷地林業」谷地司さん／岩手県久慈市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 17 May 2025 06:13:04 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[木炭]]></category>
		<category><![CDATA[製炭技士]]></category>
		<category><![CDATA[チャコールマイスター]]></category>
		<category><![CDATA[キャンプ]]></category>
		<category><![CDATA[アウトドア]]></category>
		<category><![CDATA[岩手木炭]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-34.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>岩手県の木炭の生産量は日本一で、国産の約3割を占める。その生産者として、また品評会の審査員や、25人しかいない県認定の製炭技士（チャコールマイスター）として岩手の製炭業を支えているのが、谷地林業の窯長･谷地司さんだ。後進 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-34.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>岩手県の木炭の生産量は日本一で、国産の約3割を占める。その生産者として、また品評会の審査員や、25人しかいない県認定の製炭技士（チャコールマイスター）として岩手の製炭業を支えているのが、谷地林業の窯長･谷地司さんだ。後進を指導しながら、「着火しやすく火持ちする」木炭作りに励んでいる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">質も量も一級品の「岩手木炭」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-31.jpg" alt="" class="wp-image-52780" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-31.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-31-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-31-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>木炭とは、酸素が無い、または、少ない状態で木材を加熱し、酸素や水素、不純物などを取り除いて炭素だけを残したもの。燃やしても煙やにおいがほとんどでないという特長があり、昔から燃料として使われてきた。岩手の木炭の歴史は、平泉遺跡群発掘調査などにより1100年前後までさかのぼるといわれている。それ以降も豊富な山林資源を利用して作られ、1891年には東北線の開通を機に東京市場に向けて生産量･出荷量が増加。1905年には大凶作の救済対策として県が木炭生産を奨励し技術を導入したことから、1912年には「木炭生産量日本一」の地位が確立された。さらにその後、高品質のものを安定して供給するため、岩手県木炭協会の主導で窯や技術の研究が行われ、現在の「岩手大量窯」が出来上がった。これらの取り組みから2018年には「地理的表示（GI）保護制度」の登録が認められた。これにより「岩手木炭」の名称が保護され、県内の窯と木材を使い、精煉度8％以下のものだけが「岩手木炭」として出荷されている。ちなみに精煉度とは炭の電気抵抗の数値で、低いほど炭素の純度が高い、つまり良質の炭とされる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">飲食店やキャンプで人気</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-16.jpg" alt="" class="wp-image-52781" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-16.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-16-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-16-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>木材を使った木炭は主に、800℃以上で炭化させる白炭と、400〜700℃前後で炭化させる黒炭に分けられる。前者は着火しにくいものの火持ちが良く火力調整しやすい点が特徴で、飲食店で使われる「備長炭」はその代表格だ。一方の後者は着火しやすく火力が強く、岩手木炭はこちらに含まれる。本州一の面積を誇り、その約77％が森林という岩手では、主に樹齢20〜25年のナラを使って作られる。ナラが豊富に生育していること、他の木材と比較して硬いので、火持ちが良い木炭になる点が理由のようだ。</p>



<p>黒炭のなかでも岩手木炭は、着火しやすい、火持ちが良い、煙やにおいが出にくく弾けにくいなど、利点が多い。着火しやすいのは、樹皮が付いているから。これは岩手木炭の大きな特徴で、備長炭を使う飲食店が着火剤代わりに使うこともあるという。また、手作業で原木を切ることで樹皮がはがれるのを防ぐ点もポイント。はがれると空気が入り、弾けやすい木炭になるからだ。さらに、仕上げとして高温で燃焼する「精煉」の作業をしっかり行うことで、煙やにおい、「はぜ（弾け）」の原因となる不純物を燃やす。このとき重要なのが、最高で約800度にまで燃焼して「炭化度」を上げること。これにより、煙やにおいが出にくく弾けにくい木炭ができあがる。</p>



<p>そんな岩手木炭はキャンプ用、バーベキュー用としても人気が高く、特にキャンプでは、火持ちが良いことから持参する量が少なくて済むので重宝されているという。一方で、生産量の多さは前述のとおりで、その背景にあるのが、岩手県木炭協会が開発した「岩手大量窯」だ。火を回しやすくして一度に良質の木炭を大量に作ることができるよう、高さや形が工夫されている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">内閣総理大臣賞受賞の製炭の技とは</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-60.jpg" alt="" class="wp-image-52782" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-60.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-60-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-60-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>岩手木炭の生産は県北部が中心で、その代表が久慈市山形町だ。同町は面積の約80％が山林。冬は寒く雪が多いことから農閑期が長く、その間に製炭で稼ぐ農家が多いこと、また、炭窯に適した土が豊富なことが、製炭が盛んな理由と考えられている。</p>



<p>この地で1916年に創業した谷地林業も、創業当時から地元の木材を使って木炭を作っている。三代目窯長の谷地司さんは岩手県木炭品評会で何度も受賞経験があるほか、2018年度農林水産祭天皇杯で木炭では史上初の内閣総理大臣賞を受賞した腕前だ。</p>



<p>「木炭づくりは20年やっていますが、いつも『備長炭に近い黒炭を作りたい』と思ってきました」と谷地さん。前述のとおり、白炭の備長炭は黒炭に比べて火持ちが良い。そこで、黒炭の「着火の良さ」「火力の強さ」はそのままに、備長炭により近い火力と火持ちの良さを特徴とする炭を目指しているという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「前焚き」でゆっくり乾燥させるのがポイント</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-28.jpg" alt="" class="wp-image-52783" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-28.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-28-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-28-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>谷地林業では県内の他の製炭業者同様、規格の長さ･太さに切り割りしたナラの原木を窯に入れ、前焚きして乾燥させたあと着火し、窯内の酸素の量を調節しながら炭化させて炭を作る。各工程の日数は、だいたいの目処はあるものの、原木の乾燥具合や製造時の気温･湿度･燃焼状態などによって調整が必要だ。そのタイミングの見極めが大事で、生産者の経験や勘に頼る部分が大きい。そしてそれが完成する木炭の質を左右する。</p>



<p>工程のなかで谷地さんがもっとも重要視しているのが、「前焚き」だ。これは、窯の入り口付近で薪を燃やして窯の温度を上げ、ナラを乾燥させる作業。このときナラの水分が一気に外に逃げないようゆっくり薪を燃やすことがポイントで、これによって密度が高く、硬く縮みの少ない木炭に仕上がり、火持ちが良く崩れにくいものになるという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">それぞれのクセを理解して複数の窯を使いこなす</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-12.jpg" alt="" class="wp-image-52784" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-12.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-12-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-12-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>谷地さんはほかに、窯でのナラの立て方や積み方、消火のタイミングなども独自に工夫。その結果が、品評会等での受賞につながっている。岩手県木炭品評会に関しては受賞回数が多いことから、やがて出品する側から審査する側にまわり、2018年には岩手県製炭技士（チャコールマイスター）に認定された。</p>



<p>チャコールマイスターには、製炭だけでなく窯造りの技術も求められる。「窯って同じように作っても、それぞれにクセがあるんですよ。我が社には12基の窯があるので、炭を作るたびにメモをとって作業のしかたや窯選びの参考にしています」と谷地さんは説明する。なかには「品評会用の木炭をつくるときに必ず使う」という窯もあるそうだ。</p>



<p>完成した木炭は規格の長さにカットし、できるだけ隙間ができないよう専用の枠に並べて梱包する。すべて専任のスタッフによる手作業。躊躇無く手早く並べる手際の良さは、熟練の技そのものだ。なお同社では、1袋3kg入りと6kg入りの「岩手切炭」と合わせて、自社独自ブランドである「黒炭（KUROSUMI）」でも木炭を出荷している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">地域の伝統産業である製炭業の未来のために</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-41.jpg" alt="" class="wp-image-52785" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-41.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-41-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-41-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>谷地さんは今、自分の技術や知識を若い人たちに伝えたいと後進の指導に力を入れている。値段の安さから国内で流通している木炭の約8割が輸入品というなかで、岩手木炭の需要は多いのだが、県内の生産者が高齢化などで減少して供給が追いついていないという。そこで若い生産者を育て、生産量アップにつなげたいと考えているのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「燃料用以外の木炭」作りにも取り組む</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-2.jpg" alt="" class="wp-image-52786" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/yachi-ringyo-2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>また会社としては今後、燃料以外で使う木炭の生産を計画している。木炭には無数の小さな穴があり、それが不純物や有害物質を吸着したり、その中に微生物が棲みつくことから、水や空気の浄化、土壌改良に役立つとされる。また吸着性とともに放出性もあるので、湿度を調節する働きもある。谷地林業ではこうした木炭の効能を利用し、調湿用や脱臭用、農業と連携した土壌改良用の木炭を作り、以前から森林に放置され課題とされてきた枝葉などの「未利用材」の有効活用にもつなげるつもりだ。地域の伝統産業であり、会社として長年携わってきた製炭事業を持続可能なものにするために、谷地さんは今日も「木炭作り」に真摯に向き合う。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52779/">高品質の木炭作りと後進育成に励む「谷地林業」谷地司さん／岩手県久慈市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>ミニマリズムが根底に流れる「KITAWORKS」木多隆志さんの家具／岡山県津山市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 27 Mar 2025 04:10:21 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[ARTS & SCIENCE]]></category>
		<category><![CDATA[家具]]></category>
		<category><![CDATA[ミニマリズム]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/2A3A0734-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>父が始めた溶接工場を原点とする「KITAWORKS」の木多隆志さん。鉄やステンレス、銅、真鍮などの金属と木材を組み合わせて作り出す家具は「ミニマリズムが自分の根底にあり、それが反映されている」と語る。数々の空間デザイナー [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/2A3A0734-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>父が始めた溶接工場を原点とする「KITAWORKS」の木多隆志さん。鉄やステンレス、銅、真鍮などの金属と木材を組み合わせて作り出す家具は「ミニマリズムが自分の根底にあり、それが反映されている」と語る。数々の空間デザイナーを惹きつけるデザイン、繊細な加工技術はどのように生まれてきたのだろう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">注目を集めるプロダクト</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/2A3A0744.jpg" alt="" class="wp-image-52586" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/2A3A0744.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/2A3A0744-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/2A3A0744-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>１枚のステンレスのパンチング板を曲げて座面と背面に造形したイス、極限まで薄くしたスチールのフレームに木材の天板をのせたテーブル、真鍮のフレームのキャビネットなど、「KITAWORKS」がデザイン、製造する店舗の什器や住宅用家具、インテリアは、デザインはもとより、細部にまで突き詰めた加工が施されている。これらはソニア･パークがクリエイティブ･ディレクターを務める「ARTS &amp; SCIENCE」の京都の直営店や、「暮らすように過ごせる」をコンセプトにホテル、カフェ、バー、ダイニング、ショップを併設した「LOG」、東京･恵比寿ガーデンプレイスの『VERVE COFFEE ROASTERS』等で導入され、インテリアメーカー『AXCIS』とは照明器具などのプロダクトを共同で製作している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">原点は父が創業した鉄工所</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/2A3A0754.jpg" alt="" class="wp-image-52581" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/2A3A0754.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/2A3A0754-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/2A3A0754-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「KITAWORKS」のある津山市は岡山県北東部に位置する岡山第3の都市。古くから交通の拠点だった地域で、戦国時代に津山城が築かれて以降、周辺地域の中心的機能を果たし、城下町の風情が今も色濃く残っている。</p>



<p>「KITAWORKS」の原点は、木多隆志さんの父が1978年に創業した鉄工所だ。父の時代には、地元にあったグローバル企業の工場の機械設備製造を請け負い、隆志さんは21歳のときから働いていた。30歳のとき、自宅を建てることになり、新しい家に合った家具や建具を自分でつくろうと木工を独学することにした。鉄工所でつくるフレームと木材を組み合わせたものをいくつか作ると、それを見た友人から作って欲しい、と言われるようになった。折しも機械設備の受注製造が減っていた時期で、仕事になるなら、と本格的に取り組むことを決めた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">機能性と見た目の折り合いを探す</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/2A3A0748.jpg" alt="" class="wp-image-52582" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/2A3A0748.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/2A3A0748-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/2A3A0748-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>機械設備の製造から、家具やインテリア製造へと方向転換をする際、ポイントとなったのはプロダクトとしての機能と見た目の折り合いだった。たとえば工場に納入するイスは、不具合のない丈夫なものが求められる。しかし生活の中で使うイスは、機能を保ちながら同時にスタイリッシュでありたい。その折り合いを模索することから「KITAWORKS」のスタイル形成は始まった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">根底にあるミニマリズム</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/2A3A0745.jpg" alt="" class="wp-image-52583" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/2A3A0745.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/2A3A0745-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/2A3A0745-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>木多さんが新しく家具のデザインを考える時はフォルムから考えることが多い。そのフォルムを実現する構造の強度の保ち方に「KITAWORKS」らしさが現れる。鉄のフレームにガラス板をはめ込んだキャビネットを例に挙げると、ガラスをはめ込むための細いフレームに「受け」となる部分を作る。鉄に溝を作り、ガラスの四辺を固定ゴムに包んではめ込むが、厚みが約2cmの鉄に溝を掘るとこと自体が技術的に非常に難しい。しかし木多さんはそこを軽々とクリアして、さらに全体の見た目をすっきりさせるため固定ゴムを外側から見えないよう、隠してしまう。より深い溝を掘って、ガラスを深くはめ込めばそれが叶う。</p>



<p>この作業は、「無駄な線や厚みを消してしまうイメージ」だと言う。キャビネットを作り始めた頃、ガラス業者からどこまで加工できるかアドバイスをもらい実現させた細部の仕上げだ。思いついたフォルムは現実の形にしたい。だから一度作って、足りない部分があれば修正し、補強する。ちょっとした装飾や、ラインの美しい角度を探すことはプロセスのひとつであり、「突き詰めればミニマムになってくるという感覚が直感的にあります。ミニマリズムが自分の根底にあって、それが作るものに反映されていると思います」と語る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">この工場でできることがオリジナリティ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/2A3A0731.jpg" alt="" class="wp-image-52584" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/2A3A0731.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/2A3A0731-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/2A3A0731-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2009年に「KITAWORKS」をスタートさせ、岡山県倉敷市で毎年５月、全国からクラフト作家が集まる「フィールドオブクラフト倉敷」というイベントへの出展を通じて、認知が広まった。「こういうもの、作れますか？」という具体的なオーダーが多く、一度注文した人が知り合いに紹介して口コミで広がり、広島や東京から注文が来るようになった。</p>



<p>現在、よく使っている材料は鉄で、ほかにステンレス、アルミ、真鍮などをオーク材と組み合わせることが多い。鉄にペイントをして仕上げた家具も特徴的で、大量生産に対して、手間暇を掛けて少量生産でも良いものに仕上げることを意識した“スローデザイン”の模範として国際的に高く評価されている「スタジオ・ムンバイ」が手がけた尾道市の「LOG」のバーに納めたテーブルには、初めて漆を塗った。天板は木材で脚は鉄だが、全体に重ね塗りして漆がきちんと乗るともとの素材も違いもわからなくなり、1960年代初頭のアパートメントから創造した空間のなかで正体不明の渋い味わいを見せる。</p>



<p>家具を作るようになって、世界の家具や建築を見るようになり、デンマークのハンス･ウェグナーのYチェアなど名作といわれる家具も実際に使ってみた。好きなヴィンテージ家具も増えていった。それでも「こういうものが面白いんじゃないか」と作り進めていくという点でデザインソースは自分のなかにある。「僕が住んでいるのは岡山県北部の山寄りの場所ですが、そこで感じている自然なんかを突き詰めればミニマルになって、それが家具にも反映されているのかなと思います。この工場で出来ることは限られています。でも逆にそれが個性になっているのかもしれませんね」と語る。</p>



<p>「LOG」のテーブル制作をきっかけに「KITAWORKS」の名前は世界に広がった。国内だけでなく海外からのオーダーもあり、現在は受注制作と自主制作が半々の割合だ。思いついたアイデアは工場ですぐに試行錯誤できることが強みで、時には遊び心のまま照明器具やキャンドルホルダーやトイレットペーパーホルダーなどを作り、機能と装飾とオブジェクト感の折り合いを模索する。</p>



<p>「KITAWORKS」のものづくりにはミニマリズムを軸に「見てかっこいいものを作る」という造形へのこだわりと、父の鉄工所をルーツとした機能性への追求が共存している。素材の特性を生かし組み合わせる感性と細部の陰影にいたるまで計算した加工技術を育むプロセスで唯一無二のスタイルを確立したことにより、今や世界から注目を集める工房となっている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52579/">ミニマリズムが根底に流れる「KITAWORKS」木多隆志さんの家具／岡山県津山市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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