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	<title>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅 - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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		<title>霊峰石鎚に伝わる幻の発酵茶・石鎚黒茶を守り続けるさつき会／愛媛県西条市</title>
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		<pubDate>Sun, 18 Oct 2026 10:19:13 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki019.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>西日本一の標高を誇る石鎚山（いしづちさん）の麓に、弘法大師空海が伝えたといわれるお茶がある。その名も石鎚黒茶。石鎚黒茶さつき会では、江戸時代から続くその製法を受け継ぎ、現在もすべての工程を手作業で行っている。 日本に4つ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki019.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>西日本一の標高を誇る石鎚山（いしづちさん）の麓に、弘法大師空海が伝えたといわれるお茶がある。その名も石鎚黒茶。石鎚黒茶さつき会では、江戸時代から続くその製法を受け継ぎ、現在もすべての工程を手作業で行っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本に4つしかない「後発酵茶」のひとつ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki011.jpg" alt="" class="wp-image-55446" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki011.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki011-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki011-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>西日本最高峰・石鎚山。その山麓、愛媛県西条（さいじょう）市黒瀬（くろせ）地区。この地でつくられる石鎚黒茶は、富山のバタバタ茶、徳島の阿波番茶、高知の碁石茶（ごいしちゃ）と並び、日本にわずか4つしか存在しない後発酵茶の一つだ。</p>



<p>後発酵茶とは、摘み取った茶葉をすぐに加熱して酸化酵素の働きを止めた後、乳酸菌や麹菌などの微生物の力で発酵させるお茶のことだ。</p>



<p>なかでも石鎚黒茶は、空気に触れさせながら有機物を分解・発酵させる1次発酵（好気発酵）と、空気を遮断した無酸素状態で行う2次発酵（嫌気発酵）の「2段発酵茶」という希少な製法が特徴だ。</p>



<p>「2段階で発酵させているお茶は、世界的に見ても碁石茶と石鎚黒茶しか確認されていないと聞いています」。そう話すのは、さつき会会長の戸田久美さん。石鎚黒茶が2018年に無形民俗文化財に指定された背景には、この希少性が大きく関わっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">真夏の山で行われる、すべて手仕事のお茶づくり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki015.jpg" alt="" class="wp-image-55447" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki015.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki015-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki015-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>さつき会では江戸時代から続く製法を守り、すべての工程を手作業で行っている。効率や大量生産とは無縁の、風土と時間に委ねるお茶づくりを貫いているのだ。</p>



<p>石鎚黒茶の製造は、6月の終わりから7月初旬にかけて始まる。品種は、日本茶の代表的な品種である「やぶきた」だ。煎茶とは異なり、発酵茶には硬くなった茶葉「硬葉（こわば）」を使う。そのため、収穫時期も遅く、梅雨明け前後から真夏にかけて作業が集中する。</p>



<p>人の背丈ほどに伸びた茶木から硬葉を枝ごと手作業で刈り取り、ひとまとめにして山から担いで下ろし、軽トラックに積み込む。収穫は朝6時から8時頃まで。1日に軽トラック3台分を刈り取るのだという。なかなかの重労働だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">山の菌に委ねる、一次発酵 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki002.jpg" alt="" class="wp-image-55448" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki002.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki002-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki002-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>山から下ろした茶葉は、作業場で枝を切りそろえ、洗浄し、蒸し工程へと進む。</p>



<p>茶葉が蒸し上がったら発酵用の木桶に詰め、1次発酵（好気発酵）を行う。桶に住み着いた天然の微生物、糸状菌など酸素を好む菌が、酸素を取り込むことで分解・発酵が進んでいく。</p>



<p>お茶の味を決めるのは、その場所に住み着く菌だという。同じようにつくっても、場所が違えば味にも違いが出る。だからこそ久美さんは当時から伝わる製法に強いこだわりを持ち、「石鎚黒茶と名乗る以上、石鎚山系の茶葉、水、発酵場所でなければいけない。これだけは絶対に曲げられません」と言い切る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">石鎚黒茶ならではの揉み作業を経て2次発酵へ</h3>



<p>1次発酵を終えた茶葉は、2次発酵までの間に一度揉み作業を挟む。「揉み作業を行うのは、2段階発酵のお茶の中でも石鎚黒茶だけ。だから世界で一番手間がかかっているお茶だと思っています」と久美さんは自負する。</p>



<p>揉み作業を終えた茶葉は、再び木桶に詰め直され、空気が入らないよう蓋と重石をのせて2次発酵へ。酸素を必要としない乳酸菌による嫌気発酵により、独特の酸味と香りが生まれるのだ。</p>



<p>10日から14日ほどかけて2次発酵を終えた茶葉は、むしろの上に広げられ、太陽の下で天日干しをする。ひっくり返しながら両面を丹念に乾かしていくこの工程にも、2〜3日を要する。</p>



<p>こうして仕上がった石鎚黒茶は、できたてのフレッシュな酸味もいいが、そこから2年、3年と熟成させることで生まれる味わいの変化を楽しむのもいい。「だんだんまろやかになって、甘みが増してきます。10年ものを飲んだときは、本当に甘くて驚きました」。</p>



<h2 class="wp-block-heading">消えかけた文化をつないださつき会</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki001.jpg" alt="" class="wp-image-55449" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki001.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki001-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki001-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>今でこそ石鎚黒茶は「幻のお茶」といわれているが、かつて石鎚山の麓では、どの家庭でも当たり前のようにつくられ、飲まれていたお茶だった。</p>



<p>しかし過疎化とともにその文化は静かに失われていき、1996年当時、製造者はたった一人になっていた。「最後の一軒もやめるという話が出たとき、それではあまりにももったいないということで、地元の生活研究グループが中心になって技術を引き継ぐ話になりました」。</p>



<p>こうして誕生したのがさつき会だ。当初は久美さんの母親世代が中心となり、最後の一軒から製法を受け継ぎ、試行錯誤を重ねながら製造を始めた。</p>



<p>2012年頃からは、初期メンバーの娘世代・嫁世代である久美さんらが製造を引き継いだ。同時期には愛媛大学による研究が進み、石鎚黒茶に整腸作用や免疫力向上などの機能性があることも明らかになった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">かつてのように、暮らしに根づくお茶をめざして</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki032.jpg" alt="" class="wp-image-55450" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki032.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki032-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki032-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>石鎚黒茶は、まだ全国的な知名度が高いとは言えない。だからこそ、さつき会はさまざまな形でPRにも力を入れている。石鎚黒茶を使ったケーキやクッキーを試作する地元の洋菓子店や、商工会の女性部の協力もあるという。西条市内にある愛媛県立小松高等学校との取り組みにも積極的で、学生たちは、夏向けの商品として石鎚黒茶を使ったゼリーを開発。試作を重ね、販売まで行っている。</p>



<p>「高校生のみんなが石鎚黒茶を広めるため、いろんなことに挑戦してくれる。それが本当にありがたいんです」と久美さんは表情を綻ばせる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki021.jpg" alt="" class="wp-image-55451" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki021.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki021-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki021-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>また、地元ラジオ局・FM愛媛とのコラボレーションで誕生した「黒茶大福」も、2024年9月に販売を開始し、大きな反響を呼んだ。</p>



<p>石鎚黒茶をパウダーにして餅生地に練り込み、やさしい甘さの生クリームを包んだ一品だ。表面にも石鎚黒茶のパウダーを贅沢にまぶしている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">全国のサポーターを巻き込み「みんなの石鎚黒茶」に</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki023.jpg" alt="" class="wp-image-55452" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki023.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki023-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki023-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>さつき会では東京などで開催される展示会にも出展し、全国へ石鎚黒茶を伝えるべく動いている。近年の発酵ブームも相まって、健康に関心の高い人々からの反応は上々だ。そうして各地で結んだご縁は、消費者としての広がりにとどまらず、製造現場の助けにもなっている。</p>



<p>石鎚黒茶の製造は、すべて手作業。そのため生産量は年間300キロほどに限られる。人手不足は常に課題だ。しかし近年は、展示会などで石鎚黒茶の魅力に触れた県外の人々が体験に訪れるようになった。2023年には、延べ120人以上が製造に関わったという。「もう、さつき会だけのお茶じゃなくて、来てくれるみんなのお茶。石鎚黒茶がつなげてくれた出会いは、お金にはかえられない財産です」。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki026.jpg" alt="" class="wp-image-55453" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki026.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki026-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki026-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>茶葉の収穫から蒸し、発酵、揉みという一連の作業を体験するだけでなく、「思い出をつくって帰ってほしい」との思いから、作業の合間にみんなで冷えたスイカを食べたり、愛媛の伝統工芸品・砥部焼の絵付け体験をしに出かけたり、メンバーが一丸となっておもてなし。そのあたたかさにひとたび触れたら、きっとまた会いに来たくなるに違いない。</p>



<p>展示会に出れば、体験や過去の展示会でつながった人たちが応援に駆けつける。「私たちは体験に来てくれた方に手ぬぐいをプレゼントしているんですが、それを首に巻いて応援に来てくれたときは、涙が出るくらいうれしくって」と久美さん。東京、千葉、神奈川、京都…、石鎚黒茶を通じて生まれた人の輪が、各地に広がっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">未来を見据え、常に動き続ける</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki006.jpg" alt="" class="wp-image-55454" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki006.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki006-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/satsuki006-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>夏のわずか2カ月ほどしか製造できない石鎚黒茶を広めるために、一年を通して何ができるか。久美さんは常に考え続けている。「これで満足、って思えたことは一度もないんです。次は何ができるか、ずっと考えています」。</p>



<p>最終的にめざすのは、石鎚黒茶が特別な存在ではなく、暮らしの中に溶け込む未来。そして、次の世代が当たり前のように受け継いでいく文化だ。この想いを紡ぎ、2026年には設立30周年を迎えた。</p>



<p>石鎚の山が育て、人の手が仕上げる一杯のお茶。石鎚黒茶は、土地の記憶と人々の営み、さつき会の熱き思いに満ちている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55435/">霊峰石鎚に伝わる幻の発酵茶・石鎚黒茶を守り続けるさつき会／愛媛県西条市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>南高梅を世界へ、次世代へ。「紀州高田果園」高田智史さん／和歌山県日高郡みなべ町</title>
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		<pubDate>Sun, 18 Oct 2026 10:08:27 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/8fec976f201fa3e992d6b4659b3fae11.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>和歌山県みなべ町で、明治35年（1902年）から梅を育て続ける「紀州高田果園」。日本を代表する梅の品種・南高梅（なんこううめ）の発祥農園として、梅の有機栽培や加工を通して“本物の味”を追求する。代表取締役・高田智史さんが [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/8fec976f201fa3e992d6b4659b3fae11.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>和歌山県みなべ町で、明治35年（1902年）から梅を育て続ける「紀州高田果園」。日本を代表する梅の品種・南高梅（なんこううめ）の発祥農園として、梅の有機栽培や加工を通して“本物の味”を追求する。代表取締役・高田智史さんが、梅を世界へ、次世代へ繋ぐために重ねる挑戦とその思いに迫る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">江戸時代から続く梅の栽培地で育む、南高梅</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/703df56be39395255c6ca7df667f3b27.jpg" alt="" class="wp-image-55426" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/703df56be39395255c6ca7df667f3b27.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/703df56be39395255c6ca7df667f3b27-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/703df56be39395255c6ca7df667f3b27-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>収穫量は61年連続1位、国内収穫量の約6割を占める、梅の一大産地・和歌山県。中でも県中部に位置するみなべ町・田辺（たなべ）市一帯は、県内でも随一の梅の生産量を誇り、栽培の歴史は江戸時代にまでさかのぼる。</p>



<p>太平洋に面し、温暖な気候ながら、急傾斜の山林と岩混じりの痩せた土地が多かったことから、稲作には不向きだったみなべ・田辺エリア。江戸時代、このエリアを治めていた紀州藩田辺領主・安藤直次が、政策として、山頂付近に薪炭林（しんたんりん）を残し、山裾に梅林を開墾したのが梅栽培の始まり。</p>



<p>薪炭林が山の保水力を高め、山に生息するミツバチは梅の受粉に大きな役割を持つことから、同エリアの梅はすくすくと育ち、一大産業に。400年以上たった今もなお、地域の人々の暮らしを支える存在だ。2015年には、画期的な農法と梅産業から広がる文化・景観が評価され、「みなべ・田辺の梅システム」として、国連の専門機関・国連食糧農業機関が、世界農業遺産に認定している。</p>



<p>ほのかに紅色に染まった美しい実は大粒で、厚い果肉と柔らかな皮、フルーティーな香りが特徴のみなべ・田辺エリアの主力品種・南高梅。和歌山県が生産する梅の約８割が南高梅で、全国的にも知名度の高い品種だ。</p>



<p>その南高梅の“生みの親”が、1902年からみなべ町で梅栽培を続ける「紀州高田果園」。代表取締役・高田智史さんは、「私の祖父である、創始者・高田貞楠（さだぐす）が植えた梅の苗木が、南高梅の始まりです」と。</p>



<h3 class="wp-block-heading">梅農家が植えた１本の木が、日本を代表する品種「南高梅」に</h3>



<p>南高梅が誕生するまでのみなべ・田辺エリアでは、各農家で栽培する梅の品種は異なり、その数は多岐にわたった。「高田果園も、祖父が植えた梅の木の中でも、美しく大粒の梅が豊かに実る1本を“高田梅”と呼び、接ぎ木をしながら数を増やし、大切に育てていました」と高田さんは振り返る。</p>



<p>そんな中、1950年、産地のブランド力の向上や高品質の梅を安定して生産するため、この地に適した品種を一本化することを目的に「梅優良樹調査委員会」が設立。当時、地域で栽培されていた114種類の品種を対象に、「収穫量の安定性」や「実の品質」「みなべ・田辺エリアの風土への適応性」「栽培のしやすさ」などの観点から、同委員会が優良品種を調査。5年にも及ぶ審査の結果、「最も風土に適した最優良品種」と評価されたのが高田梅だ。その後、繁殖のための母樹（ぼじゅ）選定に協力した地元の高校「南部（みなべ）高校」の“南”と「高田梅」の“高”から、新たな品種は「南高」と名付けられ、1965年に種苗名称が登録。高田果園の1本の梅の木が、いまや「梅干といえば南高梅」といわれるほどの知名度にまで広がった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">南高梅発祥農園として、有機栽培で極上の一粒を</h2>



<p>梅の栽培から加工、販売まで手掛ける高田果園では、10年以上前から有機栽培に取り組み、現在は約9ヘクタールある自社農園の8割で、化学肥料や農薬を使用せず梅を栽培。同社の梅は、自然の力を生かして育てられた農産物に与えられる国家規格「有機JAS」の認証を受けている。</p>



<p>有機栽培を続けるのは、「南高梅発祥農園として、極上の一粒を届けたい」という、高田さんの強い思いからだ。手作りの堆肥で土壌を育て、実に日光が当たるよう剪定し、細かな手間を惜しまず栽培された木には、大粒で美しい実が豊かに実る。</p>



<p>高田果園では、まだ実が固い状態の青梅と、黄色に変わり柔らかな完熟梅の両方を収穫し、それぞれの特性を生かして加工する。例えば、主力商品である梅干には、まろやかな味わいと滑らかな食感に仕上がる完熟梅を。梅酒にはさわやかな香りの青梅とコクを生む完熟梅をブレンドしている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">塩漬けまでのスピードが命。完熟梅の梅干</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/74bfd974ecc7bb2fbdc983a48a0320e2.jpg" alt="" class="wp-image-55427" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/74bfd974ecc7bb2fbdc983a48a0320e2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/74bfd974ecc7bb2fbdc983a48a0320e2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/74bfd974ecc7bb2fbdc983a48a0320e2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>梅干に使用する梅は、木から捥（も）いだものではなく、熟れて自然落下した実だけを使用する。その理由を、高田さんは「樹上でギリギリまで育ち、熟して落ちた瞬間が、我々にとっては“完熟”のサイン。香り・皮・果肉どれをとっても別格です」と話す。生の実を食べてもほのかに甘みを感じるほどだという完熟した梅は、桃のような甘い香りが漂い、薄い皮と柔らかな果肉を併せ持つ。梅干しにすると、まろやかさが際立ち口当たりも滑らかな仕上がりに。</p>



<p>しかし、果肉が柔らかいということは、その分、実が傷むのも早いということ。高田さんたちは、落下した梅を「1秒でも早く」という思いで、天候に関わらず収穫し、必ずその日のうちに塩漬けする。梅農家に言わせると、完熟梅は生ものと同じくらい足が早いものだそうで、スピーディーな収穫と塩漬けが品質に直結する。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/04f3a30ff298fcc5f245d3533e53fbb5.jpg" alt="" class="wp-image-55428" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/04f3a30ff298fcc5f245d3533e53fbb5.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/04f3a30ff298fcc5f245d3533e53fbb5-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/04f3a30ff298fcc5f245d3533e53fbb5-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>梅干は、天然塩だけで仕上げる「蔵出し白干梅」をはじめ、自社で有機栽培する紫蘇（しそ）に挟んで漬けた「昔ながらのしそ梅干」、大粒南高梅とアカシアはちみつを使用した「絹梅」、百花はちみつを使用した「真心」など、全8種類を製造。昨今、保存技術の向上や嗜好の変化から、塩分濃度が低いものや、はちみつ、だしなどの調味液で漬けた調味梅干が好まれる傾向にあるが、同社では蔵出し白干梅や昔ながらのしそ梅干もリピーターが多い人気商品。有機梅のおいしさが際立つよう、ともに塩分は18％。酸っぱさの中にもまろやかなコクが感じられる逸品だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">海外の品評会でも高評価。世界に通用する梅酒を目指して</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="639" height="426" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/ae972e1c4c4254459ffa73181be35f8e.jpg" alt="" class="wp-image-55430" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/ae972e1c4c4254459ffa73181be35f8e.jpg 639w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/ae972e1c4c4254459ffa73181be35f8e-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 639px) 100vw, 639px" /></figure>



<p>2008年、みなべ町は「梅酒特区」に認定。みなべ町産の梅を使って町内で梅酒を作る際は、酒製造免許に必要な最低製造量が緩和されたことをきっかけに、高田果園は2011年から梅酒造りを始めた。</p>



<p>梅酒造りで高田さんが大切にしているのは、素材の味わいがストレートに感じられるシンプルなおいしさ。製造する梅酒は一貫して味・色・香りなどの調整はせず、自社栽培の有機梅と砂糖、アルコールだけを使用。同じ年に収穫した梅だけで仕込むので、香りや酸味、コクなど、製造年ごとの変化が楽しめるのが特徴だ。</p>



<p>現在、同社で製造する梅酒は4種類。その中でも、有機梅と国産のブランデー、氷砂糖で仕込み、7年以上熟成させた「熟成梅酒 高田 TAKADA」は、フランスで開催される、日本の酒類を対象とした品評会「Kura Master（クラマスター）」の梅酒コンクールで、2025年度にプラチナ賞と優秀賞を獲得した自信作の一つ。高糖度による“重み”が強い梅酒が多い中、「熟成梅酒 高田 TAKADA」はしっかりと最後にキレが現れるのが特徴。雑味のない有機梅の良さがブランデーに溶け込んでいる。</p>



<p>高田果園では、2023年以降、自社の梅酒を積極的に国際的な品評会へ出品している。高田さんはその理由を「梅酒は世界で通用するのか？という疑問から」と。ヨーロッパで活躍するソムリエやシェフ、一流ホテルの関係者らが味や香りを審査する「Kura Master」は、欧州市場への発信力が強い品評会でもある。今回、上位３銘柄に与えられる優秀賞に「熟成梅酒 高田 TAKADA」は選ばれたものの、高田さんは「世界の人に梅酒を飲んでもらえているかといえば、まだまだ。常にさらにいい味を求めて、チャレンジは続けていきたいですね」と、さらなる高みを見据える。</p>



<p>そんなチャレンジ精神から生まれたのが、最高級ラインの梅酒「貞楠」だ。創始者の名前を冠した同酒は、有機梅・ブランデー・氷砂糖をオーク樽で熟成させた原酒に、さらに新たな梅を漬け込む二段仕込みを採用。「梅酒の概念を変える一杯」をコンセプトにした、樽由来のバニラ香を感じる、ふくよかで深い味わい。こちらの銘柄は、イタリア人のソムリエらが、イタリア料理との相性・デザインなどを多角的に審査する日本の酒類の国際品評会「ミラノ酒チャレンジ2025」で最上位の「マニフィカ賞（各酒カテゴリーのプラチナ賞の中でも最も優れた一本に贈られる特別賞）」 を受賞している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">本物の味を世界に、次世代に。</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/70464bd542a33091daa8e0620195c8dc.jpg" alt="" class="wp-image-55431" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/70464bd542a33091daa8e0620195c8dc.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/70464bd542a33091daa8e0620195c8dc-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/70464bd542a33091daa8e0620195c8dc-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本では古くから食文化の一つとして親しまれてきた梅だが、その価値は世界でまだ十分に知られていない。南高梅の発祥農家として、梅の魅力を世界へ伝えていくことが、高田さんの大きな夢だ。</p>



<p>梅の木は、植えてすぐに豊かな実を成すものではない。長期熟成の梅酒もまた、完成までに長い年月を要する。今始めた取り組みの成果を、すぐに自身が目にできるとは限らないが、「これからに繋がる仕掛けはどんどんしていきたい」と高田さんは意気込む。実直に梅と向き合い、新たな商品を生み出し、国内外に南高梅の魅力を伝えていく。その挑戦は、梅の木を大切に育ててきた祖父・貞楠の思いを受け継ぎ、次の世代へ渡していくことにも繋がる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/703df56be39395255c6ca7df667f3b27-1.jpg" alt="" class="wp-image-55432" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/703df56be39395255c6ca7df667f3b27-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/703df56be39395255c6ca7df667f3b27-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/703df56be39395255c6ca7df667f3b27-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>南高梅の礎となった母樹は、樹齢130年を超えた今も、高田果園の農園で毎年花を咲かせ、実を結ぶ。一本の梅の木から始まった南高梅の物語は、その枝を世界へ、そして次の時代へと伸ばし続けている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55418/">南高梅を世界へ、次世代へ。「紀州高田果園」高田智史さん／和歌山県日高郡みなべ町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>エンジニアから蔵元へ。異例の転身で「京ひな」の名を受け継ぐ「酒六酒造」武知直之さんの挑戦／愛媛県内子町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 18 Oct 2026 09:54:39 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[酒造]]></category>
		<category><![CDATA[日本酒]]></category>
		<category><![CDATA[京ひな]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku008.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>江戸時代には植物性の天然ロウ「木蝋（もくろう）」で栄え、今も伝統的な町並みが残る愛媛県内子町（うちこちょう）に、100年以上にわたり酒を醸し続ける蔵がある。大正9年（1920）、複数の小規模酒蔵が集まり誕生した「酒六（さ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55392/">エンジニアから蔵元へ。異例の転身で「京ひな」の名を受け継ぐ「酒六酒造」武知直之さんの挑戦／愛媛県内子町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku008.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>江戸時代には植物性の天然ロウ「木蝋（もくろう）」で栄え、今も伝統的な町並みが残る愛媛県内子町（うちこちょう）に、100年以上にわたり酒を醸し続ける蔵がある。大正9年（1920）、複数の小規模酒蔵が集まり誕生した「酒六（さかろく）酒造」。「京ひな」のブランドで知られる老舗酒蔵だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">地域の酒蔵が集い、「京ひな」が誕生 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku003.jpg" alt="" class="wp-image-55405" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku003.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku003-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku003-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>江戸時代後期から明治にかけて、木蝋の生産で栄えた内子町。その繁栄を今に伝える白壁の街並みは、国の伝統的建造物群保存地区に選定されている。</p>



<p>そんな歴史情緒薫る町に蔵を構える「酒六酒造」のルーツは、江戸時代までさかのぼる。</p>



<p>小田深山渓谷（おだみやまけいこく）からの良質な水と、中山間部の気候条件が古くから酒づくりに適していたことから、当時、大洲藩だったこのエリアには10数件の酒蔵が存在していた。そのうちの8軒が一緒になり、大正9年（1920）に新工場を建てたのがきっかけだ。旧内子町、五十崎町（いかざきちょう）（現在の内子町）、大洲市（おおずし）の酒蔵が合併し、喜多酒造株式会社として創業した。</p>



<p>「一つひとつは酒造家と呼ばれるほどの小さな蔵でしたから、集まってある程度の規模で酒づくりをやろうという流れになったのではないでしょうか」と話すのは、現蔵元の武知直之さん。</p>



<p>昭和16年（1941）には、県内の八幡浜（やわたはま）で綿織物業を営んでいた酒井繫一郎が蔵を買収し、「酒六酒造」を創立。創業時から続く代表銘柄「京ひな」を受け継いだ。その由来は、京都の名僧にふるまった酒が高く称賛され、その日がひな祭りであったことにちなむという。</p>



<p>「蔵に残っている看板を見ると、喜多酒造の頃は漢字表記の『京雛』（きょうびな）でした。それがいつからか『京ひな』に変わっていったのです。濁酒ではなく清酒を醸す酒蔵ですから濁点をやめたという意図があったのではないかと思います」と武知さんは話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">風土の食文化に寄り添う </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku012.jpg" alt="" class="wp-image-55406" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku012.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku012-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku012-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>瀬戸内の海の幸に恵まれた愛媛では、鯛や白身魚を中心に、素材を生かした料理が並ぶ。<br>「田舎の料理って足し算じゃなくて引き算なんです。素材の味をシンプルに楽しむ。そんな風土の食に合うように、うちのお酒はちょっと辛口でキレがいい。主役ではなく、黒子として食卓を引き立てる。そういうお酒が自分は好きですし、もともと京ひなの味もそうだったんです」と武知さん。</p>



<p>酒六酒造の酒は、食事とともに時間を楽しむ名脇役として愛されてきた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「京ひな」の名を守り継ぐ、武知さんの挑戦 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku007.jpg" alt="" class="wp-image-55407" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku007.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku007-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku007-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>武知さんは、もともと酒六酒造の跡取りではない。先代・酒井冨士夫さんの娘である美佳さんと夫婦になった縁から、蔵を引き継ぐことになったという。</p>



<p>大学を卒業後、東京の電機メーカーに勤め、エンジニアとして充実したサラリーマン生活を送っていた武知さん。そんな折、美佳さんと出会い結婚。彼女の実家が酒蔵だと知っていたが、当時は蔵を継ぐ予定など全くなかった。</p>



<p>だが、転機は突然訪れた。<br>「2010年に先代の義父が急逝しまして、親族で話し合った結果、もう僕たち夫婦が継がないと廃業してしまうということになりまして。それで一肌脱げるなら脱いでみようかということで…。正直、そのときは酒づくりの大変さをわかってなかったんです」と振り返る。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku026.jpg" alt="" class="wp-image-55408" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku026.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku026-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku026-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>酒六酒造では、西宇和郡伊方町（にしうわぐんいかたちょう）を発祥とする伊方杜氏を招き、伝統技術に基づく酒づくりを行ってきた。酒六酒造の代表に就いた武知さんは、彼らに学び、寝食をともにして技術を学んだ。</p>



<p>「とても優秀な伊方杜氏さんがいてくださったことが大きかったですね。先代からの従業員の方々と一緒に、なんとか頑張って『京ひな』を残していこう、という思いで今があります」</p>



<p>先代が大切にしていたのは、大量生産ではなく、品質を追求する手仕事の酒づくり。その姿勢を踏襲し、自らも酒づくりを担うようになった武知さん。その柔軟な姿勢とエンジニアとしての合理性が、蔵を継続に導いたといえるだろう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">継承と革新のはざまで</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku037.jpg" alt="" class="wp-image-55409" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku037.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku037-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku037-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>酒六酒造のメインブランドは「京ひな」。その下にサブブランドとして「一刀両断」や「吹毛剣（すいもうけん）」などの個性ある銘柄が名を連ねる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku009.jpg" alt="" class="wp-image-55410" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku009.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku009-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku009-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>看板は、純米大吟醸辛口「一刀両断」。原料米には愛媛県産の山田錦と松山三井を使用している。精米歩合は50％。磨き上げた米の旨味が口に広がり、後味はすっと切れる。辛口でクリアな味わいながら、ほのかに米の甘みも感じ、飲み飽きしないと評判だ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku011.jpg" alt="" class="wp-image-55411" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku011.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku011-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku011-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>さらに、大吟醸辛口「幸三郎（こうさぶろう）」、純米大吟醸「隠し剣（かくしけん）」、純米吟醸「内子座（うちこざ）」などの個性豊かな銘柄を展開。特に「内子座」は、大正5年（1916）に建てられた芝居小屋・内子座の創建100周年を記念して誕生し、愛媛独自の酵母を用いた意欲作だ。2024年には「SAKE COMPETITION」金賞、「IWC（International Wine Challenge）」SAKE部門、純米酒部門でも銀賞に輝いた。</p>



<p>「お客様が大切な人と食卓を囲み、語らう。そんな時間をつくるパーツのひとつに、うちの酒がなれたら嬉しいですね」。そんな武知さんの思いが通じ、「京ひな」は、海鮮系の居酒屋や焼き鳥屋などからの引き合いも多く、和洋の垣根を越えて幅広い食シーンに寄り添っている。</p>



<p>「ブランディングで悩むところはありますが、義父が築き上げてきたものを守りたいという思いがあり、これらの銘柄は大切に引き継いでいます」。</p>



<p>実は、先代の酒井冨士夫さんは若い頃、東京で映画俳優を目指していた。東宝ニューフェイスの13期だった。</p>



<p>「昔の写真を見るとすごくいい男なんですよ。俳優を引退して帰郷し、家業の酒蔵を継いだそうなんですが、自分にはないセンスの良さがあって。日本酒といえば男性というイメージが強かった頃から、女性が手に取りやすい酒づくりに注力していました。華やかな色のビンにしたり、ネーミングを工夫したり。当時としてはとても斬新なことに挑戦していたと思います」。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku036.jpg" alt="" class="wp-image-55412" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku036.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku036-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku036-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>武知さんは創業時からの木造蔵での手づくりにはこだわりつつ、エンジニアの経験を生かして効率化や設備投資を推し進めた。限られた人員でも安定した品質を保つために機械化を図り、一方で官能評価やもろみの管理など人にしかできない作業にはしっかりと集中できる仕組みを整えたのだ。</p>



<p>「いい酒を作るには手間がかかりますが、かけすぎて蔵が続かなくなるのは本末転倒。品質と経営のバランスを大事にしています」<br>その結果、300石規模の小さな蔵ながらも、中高価格帯の商品で安定した市場を築き、県内外に販路を広げている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">人と人との縁を大切に</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku006.jpg" alt="" class="wp-image-55413" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku006.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku006-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku006-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>酒六酒造の販売スタイルは、昔ながらの顔が見える特約店制。問屋経由ではなく、酒屋との信頼関係を重んじてきた。酒屋からの叱咤激励を糧にしながら歩んできた歴史が、今も生きている。</p>



<p>「酒屋さんから、ときに厳しいアドバイスをいただくこともありますが、はっきり言ってもらえるのはありがたいんです。商いは、やはり人と人とのご縁ですよね」と武知さんは語る。</p>



<p>東京時代の人脈を生かし、試飲会や酒の会を開くなど、蔵元自ら顧客との接点を増やしてきたことも大きい。小さな蔵だからこそ、顔の見える関係性で信頼を築いている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">次の100年を見据え、未来への課題と展望 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku020.jpg" alt="" class="wp-image-55414" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku020.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku020-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku020-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一方で課題もある。老朽化した蔵の建て替え、後継者問題、持続可能な経営体制の構築。酒造りは伝統産業でありながら、経営的な視点を欠かすことはできない。</p>



<p>武知さんは「いい蔵」についてこう語る。<br>「従業員も含めて、ちゃんと食べていける会社であること。100年続いてきた酒蔵の歴史を途絶えさせることなく、次の100年へとつなげていくためには、利益を出し、働く人が誇りをもって続けたいと思える環境をつくる。それが自分の役割です」</p>



<p>その言葉には、経営者としての冷静さと、酒づくりに携わる者としての情熱が込められている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku046.jpg" alt="" class="wp-image-55415" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku046.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku046-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sakaroku046-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「日本酒は絶対になくならない文化だと思っていますが、ただ厳しい状況なのは事実。各蔵がそれぞれ試行錯誤していますが、淘汰の先に残る酒は、きっと世界に認められるはず」。</p>



<p>エンジニアから蔵元へ。流れに導かれた武知さんの歩みは、偶然でありながら必然でもある。内子町の自然と人の縁に支えられた酒六酒造は、今日も「京ひな」の名のもと、新たな一歩を刻んでいる。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55392/">エンジニアから蔵元へ。異例の転身で「京ひな」の名を受け継ぐ「酒六酒造」武知直之さんの挑戦／愛媛県内子町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>「人と違うことをやる」。140種ものリンゴを育てるオンリーワンの果樹園「サンファーム」／岩手県盛岡市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 10 Oct 2026 04:01:21 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[リンゴ]]></category>
		<category><![CDATA[ほぼ日]]></category>
		<category><![CDATA[りんご狩りかもしれない展]]></category>
		<category><![CDATA[ブラムリー]]></category>
		<category><![CDATA[カルビル･ブラン]]></category>
		<category><![CDATA[ムーン･ルージュ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_234_9481.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>岩手県盛岡市と紫波町（しわちょう）を拠点に、果樹やコメを生産している有限会社「サンファーム」。代表の吉田聡さんは「人と違うことをやる」を信念に、希少な海外品種を含むさまざまなリンゴを育てている。その種類はなんと、140品 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55364/">「人と違うことをやる」。140種ものリンゴを育てるオンリーワンの果樹園「サンファーム」／岩手県盛岡市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_234_9481.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>岩手県盛岡市と紫波町（しわちょう）を拠点に、果樹やコメを生産している有限会社「サンファーム」。代表の吉田聡さんは「人と違うことをやる」を信念に、希少な海外品種を含むさまざまなリンゴを育てている。その種類はなんと、140品種。まるでリンゴの博物館だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「土づくり」から岩手にこだわる「サンファーム」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_230_9451.jpg" alt="" class="wp-image-55373" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_230_9451.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_230_9451-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_230_9451-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>岩手県は、青森県、長野県に続くりんごの一大産地だ。栽培の歴史は青森･長野よりも古く、1872年に盛岡市でりんごの栽培が始まったとされる。</p>



<p>　「サンファーム」は、県内一のリンゴ生産量を誇る盛岡市と、その南隣の紫波町を拠点に、リンゴをはじめとする果樹、コメを育てる農業法人。この地で代々続く農家が母体となっており、現在は11代目の吉田聡さんが代表を務める。</p>



<p>「土作りから丸ごと岩手」をコンセプトに、岩手県内で出る堆肥や牡蠣殻を使った循環型農業を実践。リンゴとコメは、農薬の使用量を慣行農業の半分以下に抑えた「特別栽培」の認証を取得している。また、サクランボやブルーベリーの摘み取りができる観光農園も運営しており、地元はもちろん、首都圏や海外からも収穫体験に訪れるという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">元商社マンが手がける、140種のクッキングアップル</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_203_9270.jpg" alt="" class="wp-image-55374" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_203_9270.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_203_9270-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_203_9270-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>吉田さんは新潟県上越市の出身で、山形大学農学部を卒業後、養殖用水産漁具の専門商社に就職。1995年に結婚したことをきっかけに、妻･美香さんの故郷である盛岡市に移住し、義父が営むサンファームに入社した。未経験から農業の世界に飛び込み、栽培技術の習得に励む一方、観光果樹園や直販事業を立ち上げるなど経営改革にも取り組んできた。</p>



<p><br>なかでも注力しているのが、クッキングアップル（調理用リンゴ）だ。酸味の強い希少品種を中心に、約140品種を栽培。「扱う品種の数でいえば、おそらく日本一だと思います」と、吉田さんは胸を張る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">リンゴ農家としては後発。だからこそ、周りとは違うことを。</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_217_9350.jpg" alt="" class="wp-image-55375" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_217_9350.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_217_9350-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_217_9350-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>岩手県盛岡市は、「わい化栽培」を全国に先駆けて導入した地でもあり、その普及率は90%以上。「わい化栽培」とは、植物の成長を抑える性質を持つ「わい性台木」に接ぎ木し、樹高を低く仕立てて育てる栽培方法のことで、果樹がコンパクトな分、栽培管理や収穫などの作業がしやすく、樹のすみずみまで日光が届くため高品質な果実を育てやすいのがメリットだ。</p>



<p>このように、りんご栽培が盛んな土地ではあったが、吉田さんが農園の仕事を手伝いはじめた当時、同園ではりんごの栽培を行っていなかった。「うちは代々続く農家ですが、リンゴ栽培に参入したのは2009年から。周りと比べたらだいぶ後発なんです」と吉田さん。だからこそ「ほかではやっていないこと」を意識し取り組んでいると話す。</p>



<p>「岩手県内のJAが取り扱うリンゴは22品種。多くのリンゴ農家はこの22品種のどれかを栽培し、育てたリンゴは他の生産者のものとひとくくりにされて市場流通に乗っていきます。それだと独自性を発揮しにくいし、面白くないなあって。だったら全く違う土俵で戦おうと、翌年の2010年から、品種を増やし始めました」。</p>



<p>国内で栽培･流通されるリンゴの多くは、ふじやジョナゴールドなど甘みの強い生食用の品種だ。吉田さんは「あえてそれとは逆をいこう」と、酸味が強く調理に向いている品種に着目。加熱調理することで味わいが引き立つ調理用リンゴは、飲食店にこそ大きなニーズがあると考えた。そこで、メインのターゲットをシェフやパティシエに定め、彼らのニーズをつかむべく、全国各地のレストランや菓子店に足を運んだ。<br></p>



<p>「いろいろな料理人の方々に話を伺ううち、焼くなら水分が出にくいもの、ジャムにするなら煮溶けやすいものなど、作りたいメニューや用途によって求められるリンゴの特徴が違うことがわかってきて。それぞれのニーズに適した品種を探すところから始めました」</p>



<p>現在栽培している140品種は、イギリスの定番品種「ブラムリー」や「コックス･オレンジ･ピピン」、フランス原産の「カルビル･ブラン」など。海外品種が中心だが、長野県生まれの「ムーン･ルージュ」など国内の希少品種も扱う。また、園地の一部分を試験区として確保し、毎年、新たな品種を試験栽培しているという。<br><br>「海外品種の原産国の多くは、日本に比べて降水量が少なく、乾燥している気候。高温多湿の日本で育てるのは難しく、栽培を断念したものもあります」と吉田さん。果実の個性の違いを無理に技術で克服しようとするのではなく「日本の気候で育てても、その品種ならではの個性や良いニュアンスが残るものを選び、栽培しています」と話す。<br><br>さらに、栽培している海外品種を親に持つ、サンファームオリジナル品種の育種にも取り組んでいるという。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_231_9457.jpg" alt="" class="wp-image-55376" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_231_9457.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_231_9457-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_231_9457-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>これらのリンゴは、主に三つ星レストランや有名ホテルをはじめとするレストラン、パティスリーに納品されている。一軒ずつ店を回る地道な営業活動から始まり、実際にメニューに使ったシェフの口コミで評判が広がっていったという。また、規格外のリンゴは皮むきやカット、すりおろしといった業務用の一次加工品として卸しており、サンファームにとっては廃棄ロスの削減になり、顧客である飲食店にとっても作業コストの抑制につながる。これに加え、現在は食べチョクなどの産直通販サイトを通じて、一般消費者向けの販売も手がける。<br></p>



<p>「JAなどに出荷すると、流通の仕組み上、うちでやっている希少品種は評価されにくい。でも直接販売なら多品種を扱う強みを活かして細かなニーズに応えることができる」と吉田さん。シェフやパティシエからの信頼は厚く、現在、サンファームの売り上げの9割は直接取引だ。</p>



<p>また国の「ふるさと創生グローバル事業」に参加したことをきっかけに、海外における日本産リンゴの需要も実感したという。その後、フルーツ専門の流通会社と連携し、タイのショッピングセンターでの対面販売やテレビショッピング出演を経験するなどグローバルな市場での日本産リンゴの可能性も肌で感じた。</p>



<p>「特に人気なのは『紅の夢』などの赤肉品種。海外の赤肉品種は生で食べると渋みがありますが、日本のものは食べやすいと喜ばれます」</p>



<h3 class="wp-block-heading">都心でりんご狩りを体験？「ほぼ日」とのコラボレーション</h3>



<p>サンファームの多品種栽培の取り組みは、コピーライター･糸井重里氏が代表を務める「ほぼ日」とのコラボレーションにもつながった。<br><br>「ほぼ日」が、2021年から毎年開催している「りんご狩りかもしれない展」は、渋谷PARCOを会場に、擬似リンゴ狩り体験ができるイベント。サンファームはこのイベントに、毎年さまざまな品種のリンゴを提供している。<br></p>



<p>会場では、甘いものや酸っぱいもの、大きさや色もさまざまな品種を展示。来場者はその中から好きなリンゴを選んで購入し、その場で食べることができる。</p>



<p>「スーパーなどではほとんど見かけることがない品種もたくさん展示しています。お子さんは結構、酸味のあるリンゴも平気な顔で食べたりしますね。保護者の方が『それは酸っぱいよ』と止めても『これが好き』と言ってくれたり。甘い=美味しい、という先入観や価値基準に捉われず、リンゴのいろんな魅力を知ってもらえたら嬉しいなと思います」と吉田さんは笑顔を見せる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">気候変動への対応と、新たな挑戦</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_219_9361.jpg" alt="" class="wp-image-55377" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_219_9361.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_219_9361-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_219_9361-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>名だたるレストランやパティスリーをはじめ、全国各地のシェフ･パティシエの信頼を集めるサンファーム。順調に見える農園経営だが、課題もある。中でも、気候変動への対応は切実だ。</p>



<p>「リンゴもサクランボもここ数年、猛暑による果実の軟化、着色不良などの高温障害に悩まされています。また、春先の気温上昇も問題です。花芽の生育が例年より早く進み、開花と寒の戻りによる降霜のタイミングが重なるようになってきた。特にサクランボの花芽は霜に弱く、霜で花が枯れると実がつきません。そのため防霜ファンを設置したり、特に冷え込みそうな日は、火を焚いて畑全体を温める「燃焼法」を実施しています」</p>



<p>こうした努力で春の霜害を防げても、夏に猛暑が続けば高温障害を引き起こす可能性が高い。このまま温暖化が進めば、将来的にサクランボやリンゴの収量は落ちていくだろう。吉田さんはそれを見越し、モモやネクタリンなど暑さに強い果物の栽培も始めているという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「農業は儲かる」を証明し、次世代に繋げたい</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_227_9425.jpg" alt="" class="wp-image-55378" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_227_9425.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_227_9425-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/sunfarm_227_9425-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「農業は、トライアンドエラーの積み重ね。しかも1年に1回しか試すことができない」と話す吉田さん。サラリーマンから就農しておよそ30年。一つひとつ積み重ねてきた挑戦の先に、どんな景色を描いているのか尋ねてみた。</p>



<p>「自分の子どもたちに農園を継いでもらわなくても構いません。ただ、やりたいと思う社員や次の世代がしっかり受け継げるように、経営の形を整えたい。農業がきちんと儲かるビジネスだと証明できれば、若い人だって自然と入ってきてくれるはずだから」</p>



<p>そんな吉田さんが「今一番やりたいこと」は、この農園の中にカフェを作ることだそう。</p>



<p>「サクランボやブルーベリーの摘み取り体験にいらしたお客様が、体験後も農園に留まって、カフェでくつろいだり、散策してゆっくり過ごせるようにしたいと考えています」</p>



<p>50代半ばを迎えたいま「あと10年ぐらいで、次世代へのバトンを整えたい」と吉田さん。気候が変わっても、担い手が変わっても、この土地でリンゴを育て続けられるように。吉田さんの挑戦は、まだまだ続く。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55364/">「人と違うことをやる」。140種ものリンゴを育てるオンリーワンの果樹園「サンファーム」／岩手県盛岡市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>人をつなぐ炭づくり「土佐備長炭一」／高知県安芸市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 10 Oct 2026 03:49:55 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[備長炭]]></category>
		<category><![CDATA[土佐備長炭]]></category>
		<category><![CDATA[ウバメガシ]]></category>
		<category><![CDATA[択伐]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-141423.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県東部に位置する安芸市は、北に四国山地、南に土佐湾を望む。森林率は89％に達し、山が深く谷が多い地形をしている。そのため、山間部にはかつて炭焼き小屋が点在し、地域の文化を形づくっていた。しかし、燃料としての炭の需要減 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-141423.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県東部に位置する安芸市は、北に四国山地、南に土佐湾を望む。森林率は89％に達し、山が深く谷が多い地形をしている。そのため、山間部にはかつて炭焼き小屋が点在し、地域の文化を形づくっていた。しかし、燃料としての炭の需要減少や産業構造の変化により、やがて炭窯の火は消えていった。</p>



<p>一度途絶えた安芸市の製炭業に、再び火をともした若き炭焼き職人がいる。教員から転身し、2015年7月に「土佐備長炭一」を立ち上げた近藤寿幸さんだ。10年を経た現在も、安芸市で唯一の窯元として製炭を続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">かつての備長炭産地で再始動する</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-144121.jpg" alt="" class="wp-image-55354" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-144121.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-144121-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-144121-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>窯の前に立つと、まず、その綺麗さに驚く。炭焼き小屋といえば、土埃と煤にまみれた現場を想像しがちだ。しかしここは、かつて県と市が建てたものを近藤さんが10年前に手に入れ、修繕しながら守り続けてきたという。整えられた空気には、職人としての矜持が滲む。</p>



<p>炭焼き窯が囲われているのも特徴的だ。全国的にみても、雨除けの屋根が付いた窯は見られるものの、ここまで囲われている窯はなかなか無い。</p>



<p>備長炭の製造で有名な和歌山（紀州備長炭）や宮崎（日向備長炭）も窯は基本的には野ざらしだ。一方、高知（土佐備長炭）では、昔から窯を建物で囲う文化があるという。「雨風が強い高知で、湿気が入って炭が爆ぜるのを防ぐためでしょうね。特にここは僕が厳重に囲っているというのもありますけど」と近藤さん。品質を守るための知恵が形になっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">良質な備長炭の原木を伐るのは、命がけの仕事</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-160622.jpg" alt="" class="wp-image-55355" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-160622.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-160622-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-160622-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>備長炭の原木は大きく分けてウバメガシとカシの二種があり、どちらも硬く、密度の高い木ほど良い炭になる。「原木の密度が高いほど、炭の温度も燃焼時間も伸びるんです」と近藤さんは語る。</p>



<p>ウバメガシは安芸市でも一部の地域で見られるが、広く分布しているのは和歌山県、愛知県の知多半島、高知県の室戸市や東洋町など、ごく限られた地域に限られる。いずれの場所</p>



<p>も、ウバメガシの生育地は平地ではなく、岩場や急斜面といった厳しい環境だ。過酷な土地でゆっくり育つことで木の繊維が締まり、硬く強い、備長炭の原木にふさわしい密度を備えた木へと育っていく。</p>



<p>そのため、原木を伐り出す山は想像を超える険しさとなる。</p>



<p>「高知県の山は勾配がきつく、木は急斜面に生えています。伐採現場は常に命の危険と隣り合わせです」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">個性を持つ備長炭は“料理の相棒”と呼ばれる</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-144816.jpg" alt="" class="wp-image-55356" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-144816.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-144816-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-144816-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>炭には「白炭」と「黒炭」がある。土佐備長炭は白炭に分類され、焼き方と仕上げの工程が大きく異なる。白炭は、1,000度を超える高温で一気に炭化させて窯から真っ赤に焼けた状態で取り出し、灰をかけて急冷する。灰が白く付くため「白炭」と呼ばれる。一方、黒炭は400〜700度の低温でゆっくり焼き、窯の中で密閉して冷やすため炭素が黒いまま仕上がる。</p>



<p>料理の世界では、この炭の個性の違いが、決定的な差を生む。</p>



<p>「白炭は炎が立たず、高温の遠赤外線でじっくり焼けるため、表面を焦がさずに中まで火が通ります。黒炭は炎が立つので、表面が香ばしく焼けるんです。例えば、黒炭を使って焼き上げた焼き鳥は、焦げていなくてもまっ黒な色になりますよね。料理人の方に言わせると、白炭にしか出せない黄金色と、黒炭にしか出せない黒色があるようですね」と近藤さんは言う。</p>



<p>料理人は、火力や温度の上がり方、燃焼時間、香りといったそれぞれの個性を理解し、料理に合わせて使い分ける。備長炭が「料理の道具」ではなく「料理の相棒」と呼ばれる理由が、ここにある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「横くべ」という革新的な窯入れ方法が、高知を生産量日本一へと押し上げた</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-150257.jpg" alt="" class="wp-image-55357" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-150257.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-150257-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-150257-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>土佐備長炭は、製造工程において他にはない独自の窯入れ方法を採っている。和歌山や宮崎が伝統的に行う、木を立てて窯に入れる「縦くべ」に対し、高知では木を寝かせて入れる「横くべ」だ。木を寝かせて積み上げるため、大量の原木を容易に窯の中に積み上げられる。この技術は、実は面白い偶然から生まれた。</p>



<p>燃料革命で炭が売れなくなった時代、気落ちした高知の炭焼き職人が「もうやってられん」と原木を適当に窯へ入れたところ、意外にも美しい炭が焼き上がったという。職人は、そこから工夫を重ね、わずか十年ほどで「横くべ」方式を完成させたのだ。</p>



<p>「横くべ」は窯の大型化を可能にし、高知は9〜12トン級の大窯を扱う、日本最大の備長炭産地へと成長した。</p>



<p>伝統は、ただ守るだけでは続かない。時に偶然が、革新的な発想の転換を生み出す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">良い炭と悪い炭の判断基準 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-145559.jpg" alt="" class="wp-image-55358" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-145559.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-145559-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-145559-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>良い土佐備長炭とは、長さが24〜20センチほどで、叩くと「チンチン」と金属のような澄んだ音が響く、硬度16度以上の炭を指す。</p>



<p>「見ればすぐに分かります。表面がツルッとしていて、滑らかで美しいものが良い備長炭です。逆に、表面がささくれていたり、穴が空いていたりするものは良くありません。割れ目から空気が入り、燃焼時間や温度がまばらになるんです。焼き鳥屋さんや鰻屋さんのように、一定の火力を求めるお客様にとっては扱いにくい炭になってしまう。結果として、良い炭ではないという評価になるわけです」と近藤さんは語る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">障がい者の働ける場所づくりを目指して </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-145049.jpg" alt="" class="wp-image-55359" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-145049.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-145049-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-145049-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>開業して10年が経つ。前職は特別支援学校の教員だった近藤さんは、土佐備長炭を伝統産業とする室戸市にある窯元に弟子入りして2年間で技術を学び、地元の安芸市で開窯したというが、伝統産業は決して甘い世界ではない。何を原動力にここまで続けてこられたのだろうか。</p>



<p>そもそも、近藤さんは“炭”ありきで炭造の道に入ったのではなかったそうだ。教員を務めながら、障がいのある生徒たちの成長と進路に向き合う中で、高知県東部に障がい者雇用の場がほとんどないという現実に直面していた。そんな時に、趣味の剣道を通じて土佐備長炭の職人に出会い、17工程に細かく分かれた炭焼きの仕事を知る。その中に、「支援があれば障がいのある人でもできる工程がある」と気づき、炭焼き職人への転身を決意したという。</p>



<p>「周囲の反対を全て押し切ってこの世界に飛び込んだのですが、『間違えた』と思いました。もう、しんどいし、きついし、給料は少ないし、休みもない。でも、障がい者を雇用する場をつくりたいと言って学校の先生を辞めた以上、その目標を達成せずに戻ることはできない。意地でも雇用をするまでは辞めないと決めてやってきました」。</p>



<p>ようやく障がいのある人を雇うことができるようになり、しばらく経ったある日、スタッフたちが言った。</p>



<p>「障がい者として生まれてよかったです。」「ずっとネットの世界で生きてきましたが、初めて現実の世界で居場所を得ました」。</p>



<p>近藤さんの歩む道を肯定する言葉だった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">命を懸ける仕事の対価</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-160235.jpg" alt="" class="wp-image-55360" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-160235.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-160235-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-160235-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>土佐備長炭一の備長炭づくりは、伐採・運搬・窯入れ・乾燥10日・炭化10日・窯出しという一連の工程を、約30日かけて進めていく。その後、選別・梱包・出荷へと続く。 これは、近藤さんが10年かけて見つけた、工房の窯に最も適したサイクルだ。安全で習熟しやすい工程は障がいを持つスタッフが担っている。近藤さんはこれまでに障がいを持つ人を４人雇用した経験があり、現在は、５人目のスタッフが一人いて、活躍しているという。</p>



<p>近藤さんは語る。</p>



<p>「多くの人が思い浮かべる炭焼きの風景は、窯の前の静かな作業だと思いますが、備長炭づくりの山での仕事こそ伝えたいです」。</p>



<p>伐採を行うのは、斜度50〜60度の急斜面だ。片側に谷が口を開ける細い山道を、ガタゴトと揺られながら車を運転してたどり着く。スパイク付きの地下足袋をはき、梯子を登って木々の元へ。崩れやすい足場でチェーンソーを操り、木の倒す方向を誤らずに伐る。倒した木は長さ約180cmに切り揃え、１本１本斜面を滑らせて運搬車が入るところまで落とす。</p>



<p>半日で30本、約1トンの原木を運搬車に載せ、軽トラックに積み込み直し、窯へと運ぶ。 山での作業は、一つ誤れば即、命を落としかねない。実際に滑落事故も起きている。</p>



<p>「費用対効果なんて合わないですよ」と苦笑しながらも、真剣な眼差しは揺るがない。</p>



<p>それでも近藤さんが続けるのは、障がい者の働ける場所をつくり、炭を待つ料理人に応え、そして山を守りたいという強い思いがあるからだ。</p>



<p>「今の夢は、そうですね、もうちょっと障がい者の雇用を増やしたいです。現状に満足はしていなくて。僕は、目標が達成できたら、また別の目標を掲げます。自分ができることを追い求めている時が幸せだと感じます」</p>



<h2 class="wp-block-heading">炭焼きで、人と山の未来をつなぐ </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-141748.jpg" alt="" class="wp-image-55361" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-141748.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-141748-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/24ichi-141748-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>近藤さんは、山の未来を守るために、紀州備長炭の生産者が実践してきた「択伐（たくばつ）」を取り入れ、10年サイクルで山を再生させる取り組みを続けている。</p>



<p>択伐とは、森の中から成熟した木だけを選んで伐る方法だ。森全体を残したまま必要な木だけを選んで伐るため、鳥や動物のすみか、水を蓄える土壌など、森が本来持つ働きを保ちながら利用できる。</p>



<p>一方、これまで一般的だった皆伐（かいばつ）は、一定の区画にある木を一度にすべて伐採する方法で、短期間で多くの木材を得られる利点がある。しかし、伐った直後は地面がむき出しになり、光や風の通り方が変わることで、森の環境は大きく変化する。そのため、伐採後には苗木を植え、森を育て直す再造林が欠かせない。</p>



<p>皆伐では、次の木が育つまでおよそ25年かかると言われている。それに対し、択伐なら10年に一度のサイクルで山に戻り、原木を得ることができる。</p>



<p>ただし、どの山でも択伐ができるわけではない。長く人の手が入らなかった山では、木が太く大きく育ちすぎていることがある。そうした大木を伐り倒すと、周りの木に引っかかったり、巻き込んで倒れたりして、重大な事故につながりかねない。安全を優先すると、結果として広い範囲を伐らざるを得ず、皆伐に近い形になる場合もあるという。&nbsp;</p>



<p>近藤さんは言う。</p>



<p>「高知でも択伐を取り入れていけば、資源がなくなることを防げると思って、僕は択伐をしています。今、世界の和食ブームもあって備長炭への問い合わせは多いです。生産者が少ない分、作れば作るほど売れる状況にはあります。ただ、原材料の木を伐りすぎたら、今度は材料がなくなって作れないということになる。資源が無くなり、技術が途絶えるようなことはしたくないので、どうバランスを取っていくかが、とても大事だと思います」</p>



<p>だからこそ近藤さんが大切にしているのは、山を長く放置しないことだ。</p>



<p>「山は、一定の周期で人が入り、木を伐り、また次の木を育てていくことで、次の世代へつないでいけるんです。炭をつくるために木を伐るだけじゃなく、木を使いながら次の山を育てていくところまでが、炭焼きの仕事だと思っています」&nbsp;</p>



<p>今日もまた、土佐備長炭一で一本の木が炭へと生まれ変わっていく。</p>



<p>その営みが、障がいのある人が胸を張って生きられる場所を維持し、未来の山を支えている。近藤さんにとって炭を焼くことは、人と山の未来をつなぐ仕事なのだ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55344/">人をつなぐ炭づくり「土佐備長炭一」／高知県安芸市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>多良木町の米農家11人で作る「こめたらぎ」。「たらぎ田んぼのチカラ研究会」尾形伸一郎さん／熊本県球磨郡多良木町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 10 Oct 2026 03:41:22 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[たらぎ田んぼのチカラ研究会]]></category>
		<category><![CDATA[米･食味分析鑑定コンクール4年連続金賞]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[米]]></category>
		<category><![CDATA[にこまる]]></category>
		<category><![CDATA[百太郎溝]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4088.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>2017年に熊本県球磨郡多良木町の11軒の米農家で結成された米の生産チーム「たらぎ田んぼのチカラ研究会」。代表の尾方伸一郎さんを中心に、農家同士で協力して品質の高い統一ブランド米を育てることで、多良木町全体の農業を盛り上 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55332/">多良木町の米農家11人で作る「こめたらぎ」。「たらぎ田んぼのチカラ研究会」尾形伸一郎さん／熊本県球磨郡多良木町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4088.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>2017年に熊本県球磨郡多良木町の11軒の米農家で結成された米の生産チーム「たらぎ田んぼのチカラ研究会」。代表の尾方伸一郎さんを中心に、農家同士で協力して品質の高い統一ブランド米を育てることで、多良木町全体の農業を盛り上げることを目指している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">先人たちの恩に報いるために誇れる米を作りたい</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4100.jpg" alt="" class="wp-image-55338" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4100.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4100-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4100-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>&#8220;奥球磨（おくくま）&#8221;と呼ばれる熊本県球磨郡（くまぐん）の山深いエリア。そこにある多良木町（たらぎまち）は鎌倉時代初期から明治時代にかけて、武士の相良氏（さがらし）によって統治されてきた。相良氏は約700年もの長きにわたる統治の間に、灌漑（かんがい）用水路の「百太郎溝（ひゃくたろうみぞ）」や「幸野溝（こうのみぞ）」を整備。これによって領内の農業生産力が向上し、九州有数の米どころとして発展したと伝わる。</p>



<p>中でも「百太郎溝」は全長約18kmにも及び、完成までに100年がかかったという難関の大工事。農民総出での手掘りの最中に何度も洪水に襲われ、最終的に人柱となった百太郎の名が付けられている。「今の恵まれた自然環境は血のにじむような苦労をしてくれた先人たちのおかげ。恩に報いるためにはこの土地で米作りを続けなければ」と話す尾方伸一郎さん。「全国に誇れるおいしい米を作りたい」との思いから、発起人となって2017年に米の生産チーム「たらぎ田んぼのチカラ研究会」を結成。熊本県球磨郡多良木町の11軒の米農家で構成される会の代表として農家を取りまとめるほか、自らも米の生産を行っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">農業を未来へつなぐには、地域全体で発展してこそ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4226.jpg" alt="" class="wp-image-55339" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4226.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4226-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4226-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>尾方さんは代々続く多良木町の農家に生まれ、一時は地元を離れて理美容関係の営業職に就いていた。だが、インターネットや通信販売の普及とともに営業の限界を感じ、2009年に帰郷。 地元の農業法人「農業組合法人 多良木のびる」の設立に参加したことで、農家の高齢化や後継者不足などの課題に直面したという。</p>



<p>そこで、同法人の職員として働きながら、「自分にできること」を模索。「個人の農業を発展させるだけでは限界がある。地域全体で発展してこそ、農業を未来へ残せるはず」と考え、「たらぎ田んぼのチカラ研究会」の発起人となった。</p>



<p>その後、「たらぎ田んぼのチカラ研究会」では2011年頃からアドバイザーとして、米･食味分析鑑定コンクールで4年連続金賞、ダイヤモンド褒賞受賞という実績を持つ山形県高畠町の米農家･遠藤五一さんを招き、その指導のもと育苗から収穫まで細かく栽培方法を検討。化学肥料を使わず、魚粉をベースとした有機肥料を用いて、科学的根拠に基づいた栽培管理を行うなど、統一の栽培方法を確立させ、会全体で徹底して遠藤さんの教えを守ることを決めた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">コンクールで何度も優勝するブランド米「こめたらぎ」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4104.jpg" alt="" class="wp-image-55340" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4104.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4104-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4104-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「たらぎ田んぼのチカラ研究会」の主力品種は「にこまる」で、たんぱく質含有量7％未満、ふるいにかけて1.9mm以上のみ選別と、出荷規格を明確に定めるなど、独自の基準をクリアしたものだけを会のブランド「こめたらぎ」として出荷している。たんぱく質の含有量が低いほど、炊き上がりはふっくらと柔らかくなり、甘みが際立つ。粒の大きさを揃えると、炊飯時の熱の入り方が均一になる。これらの厳しい基準をクリアした「こめたらぎ」の米は大粒で食べ応えがあり、粘りがありしっとりとした食感、強い旨みと甘みが特徴だ。</p>



<p>乾燥方法にもこだわりがあり、まずは熱を加えずに一晩循環させながら乾燥させ、粒の中の水分を均一化させる。それから加熱をして乾燥させることで、全体の水分量のバラつきを防いでいる。また、デザイナーとともにブランド設計にも取り組み、ロゴやパッケージデザインにも注力。米のブランド力の向上に努めてきた。</p>



<p>その成果は、九州各地の自治体が米の食味を競う「九州のお米食味コンクール」（福岡県宮若市）にも表れている。2018年の第2回大会では九州163自治体の頂点に立ち、その後も自治体部門で多良木町が連覇を重ねてきた。4連覇を含む、通算<s>で</s>5回のグランプリ。研究会のメンバーが個人総合部門で最高金賞に輝くこともあり、にこまるの品質の高さを裏づけている。ふるさと納税の返礼品としても人気を博すなど、尾方さんは「多良木町の米の認知度が少しずつ上がっているのでは」と手応えを感じている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本の米作りのモデルとなれるように</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4246.jpg" alt="" class="wp-image-55341" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4246.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4246-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/IMG_4246-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「たらぎ田んぼのチカラ研究会」では、これまで規格統一のために生産者が独自の判断で統一栽培方法から逸脱することのないよう規律を設けていた。だが、近年では「にこまる」に加え、「ぴかまる」や「くまさんの輝き」といった新しい品種の栽培を認めるなど規律を緩め、会の活動の幅を広げ始めている。また、水管理にセンサーを導入したり、米の乾燥にAIによる水分管理を適用させたりと、新しい試みにも積極的だ。会の目的は「多良木町での米の生産を次の世代へ受け継ぐこと」であり、そのためには時代に合わせて変化を続けることが必要だと考えているからだ。</p>



<p>尾方さんは「会を通してたくさんの方に多良木町の米を届けていれば、15年後には“多良木町の米”が世の中で知られる存在になるはず」と信じている。成功すれば会の活動が日本の米作りのモデルとなることも可能となり、さらには“多良木町の米”の認知度が“多良木町の農産物”を広める助けとなるはず、とも。</p>



<p>「先人たちがこの土地の農業のために拓いてくれた百太郎溝。度重なる洪水で堰は幾度となく流され、完工までに約100年を要したと言います。つまり、一代でなく、何代にも亘って築かれてきた、地域の宝とも言える用水路なんです。私たちの生活は、その上に成り立っていることを忘れてはいけない」と尾方さん。多良木町という土地が持つチカラを最大限に引き出し、次世代に受け継ぐために、町の過去と未来を見つめ続けている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55332/">多良木町の米農家11人で作る「こめたらぎ」。「たらぎ田んぼのチカラ研究会」尾形伸一郎さん／熊本県球磨郡多良木町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>フルーツトマト並みの高糖度れんこん栽培を実現「金坂蓮魂」金坂哲宏さん／千葉県長南町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 10 Oct 2026 03:30:24 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[糖度9度]]></category>
		<category><![CDATA[金坂蓮魂]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[高糖度れんこん]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC4169.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>2021年、千葉県長南町産のれんこんが国内トップレベルの糖度9度を記録し注目を集めた。生産者は金坂哲宏（あきひろ）さん。引きこもりを経験するも、業界で著名だった父の死をきっかけに就農。肥料や農薬を使わず、土中の微生物の働 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55319/">フルーツトマト並みの高糖度れんこん栽培を実現「金坂蓮魂」金坂哲宏さん／千葉県長南町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC4169.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>2021年、千葉県長南町産のれんこんが国内トップレベルの糖度9度を記録し注目を集めた。生産者は金坂哲宏（あきひろ）さん。引きこもりを経験するも、業界で著名だった父の死をきっかけに就農。肥料や農薬を使わず、土中の微生物の働きを活かした自然栽培を確立し「金坂蓮魂（れんこん）」というブランド名で自身のれんこんを送り出している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">引きこもりネットゲーマーかられんこん農家へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC3276.jpg" alt="" class="wp-image-55321" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC3276.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC3276-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC3276-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>房総半島の内陸部に位置する長南町は、山あいの谷筋に谷津田が広がる中山間地域で、生産組合も活動する千葉県におけるれんこんの産地である。そんな長南町でれんこんを栽培をする金坂家は親子二代にわたり、れんこん業界に新風を送り続けている。</p>



<p>れんこんは蓮の地下茎（ちかけい）の肥大化した食用部分で、蓮田（はすだ）と呼ばれる泥沼の水面下で育つ。収穫時はこの泥沼の中に入り、ホースで水圧を加えて泥をはじき飛ばしながられんこんを浮かせて収穫するのだが、水面下の様子は泥で見えないため、手探りでの作業になる。そうした環境のなかで傷つけることなく掘り起こさなければならない。「水圧を当てすぎてしまっても、れんこんにあざができてしまいます」と金坂さんはその作業の難しさを語る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">父は品種名に名を残した篤農家 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC3529.jpg" alt="" class="wp-image-55322" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC3529.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC3529-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC3529-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>金坂さんの父である金坂孝澄（たかすみ）さんは、れんこんの新しい品種を育成した篤農家（とくのうか）として、れんこん業界では有名な人物だ。自身の氏名をもとに名付けた最初の「金澄（かなすみ）1号」は1985年に品種登録。その後、2号3号と改良を重ね、今や金澄系品種は関東地方で生産されるレンコンの約7割を占めるにまで至っている。</p>



<p>耐病性、収量性、収穫のしやすさなどに着目して品種を開発した孝澄さんだが、最も意識したのが「食味」であるという。「父は甘さとシャキシャキ感を求めてましたね。子供の頃から父が作ったれんこんの煮物がよく食事に出てきましたが、 鶏肉が入っていない。れんこんの味や食感をチェックするためなんです」。そんな父のもとで育った金坂さんだが、実は引きこもり生活を経験することになるのだった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ネットゲームにのめり込んだ引きこもり時代 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC4011.jpg" alt="" class="wp-image-55323" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC4011.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC4011-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC4011-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>もともと家業を継ごうとは考えていなかった金坂さん。専門学校でプログラミングを学び、IT関係の会社に就職する。ところが、職場は同期が何人も辞めるような過酷な労働環境。気を紛らわすためネットゲームにのめり込み、退職を余儀なくされた。金坂さんは当時のことを「一度人生を諦めたネットゲーム時代。メールを見ることや電話に出ることさえも怖くなっていました」と振り返る。</p>



<p>3年近くに及ぶ引きこもり生活に転機が訪れたのは父親の急逝だった。「兄も姉も、誰も父の跡を継いでいなかったこともあって、亡くなってから父のことをとても意識するようになりました。やっぱり父親という存在を小さい頃からなんとなく感じていたんでしょうね」。孝澄さんの葬儀の時、金坂さんは「もしかしたら自分がれんこん農家を継ぐかもしれない」と、兄に話しかけていた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">著名な父の息子としてのプレッシャーを乗り越える </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC3409.jpg" alt="" class="wp-image-55324" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC3409.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC3409-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC3409-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>だが、本当に就農するかどうかは数ヵ月間悩んだという。引きこもり生活が長かっただけに、継続してやり続けられるかどうか自信がなかった。「周りから『金坂さんのところの息子さん、就農したけど辞めちゃったって』と言われるのが怖かった」。父の存在が大きかっただけに、れんこん農家を引き継ぐプレッシャーが重くのしかかった。</p>



<p>ようやく就農を決意するも、1か月仕事して3か月休み、また1か月仕事して半年休むということを繰り返した。「なぜ自分は頑張れないのだろうと泣いたこともありました」。そんな葛藤の日々が続いたなか、「父が生み出した品種を守るという目的だけでは父を超えられず、農作業は辛いだけでした。自分がやってみたいことに打ち込んで、自分らしさを出してこそ父を超えられる」という考えに至る。自分が夢中になって打ち込めること。金坂さんにとってそれは、れんこんの自然栽培に挑むことだった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自然栽培で国内トップクラスのれんこんに</h2>



<p>長南町は山あいの谷津田が点在する地形のため、広大な平地でれんこんを栽培する国内最大の産地、茨城県には作業効率、収穫量の面で太刀打ちができない。市場においても知名度が高い茨城県産のれんこんの方が千葉県産よりも高い価格がつく。そうした現状を踏まえ、この地で生き残る農業を模索していた金坂さん。たどり着いた結論が、自然栽培で高品質のれんこんを作り、付加価値化させることだった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">微生物を意識した自然栽培 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC4060.jpg" alt="" class="wp-image-55325" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC4060.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC4060-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC4060-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>金坂さんが年配のれんこん農家に昔の農作業のやり方について聞き取りを行う中で、ある気づきがあったという。それは、60年ほど前には農薬や化学肥料を使っておらず、山の落ち葉などを堆肥として使っていたということ。そのことが金坂さんに自然栽培へ興味を持たせるきっかけとなった。そこでまず、落ち葉の代わりに地元で生い茂っていた竹をチップ化して蓮田に投入し基礎となる地力を回復させた。</p>



<p>栽培を続けるなかで、国内トップクラスのれんこん生産者が微生物に着目していることを知り、生育環境における微生物の働きが食味や病害虫の耐性などに影響を与えていると考えた金坂さん。土中の微生物のバランスを維持し、その働きを活性化させるため、徐々に無農薬、無肥料による自然栽培に移行する。れんこんは順調に成長し肥大化したものを収穫できるようになった。金坂さんは「微生物の働きについてはまだわかっていないことが多い」と前置きをしつつも「施肥と農薬を前提とした栽培」とは異なる「微生物を主体とした栽培」として、自身の農法を位置付けている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">糖度９度の国内トップクラスのれんこん </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC4117.jpg" alt="" class="wp-image-55326" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC4117.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC4117-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC4117-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そんな金坂さんの探究した栽培方法は、分析結果としてもその食味の良さが証明された。2021年、金坂さんのれんこんが国内最高レベルの糖度9度を記録。逆に苦味やえぐみのもととされる硝酸イオンの数値は低く抑えられた。一般的なれんこんの糖度が6から7程度とされる中での快挙は注目を浴び、現在ではミシュランで五つ星を獲得したホテルにも食材として採用されている。</p>



<p>一般顧客向け販売にはネットショップを活用する。会社員時代のスキルを活かしラベルデザインなどは自作。「金坂蓮魂」という商品名は引きこもり時代、ネットゲーム仲間に付けてもらったネーミングだ。これまでの葛藤、試行錯誤を乗り越えて作り上げた「魂」の込められたれんこんとして、金坂さんお気に入りのブランド名として採用したものである。</p>



<h2 class="wp-block-heading">さらに課題に挑み、地域の産業に発展させたい </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC3477.jpg" alt="" class="wp-image-55327" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC3477.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC3477-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/DSC3477-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>れんこんの自然栽培技術で実績を残す金坂さんだが、今まで農薬で駆逐できていたザリガニがれんこんに被害を与えるようになるなど「まだ研究しないといけないことがある」と課題は残されている。それでも今は引きこもり時代と違い、自分がこれから取り組んでみたいことが次々と思い浮かんでくる。「これからは引きこもり経験者としての農業体験の受け入れや農泊などの交流事業の整備を進めてみたい。長期的にはれんこんの加工品開発を経て、地域の産業と雇用を守る地域商社に発展させていきたいですね」。今後のさらなる活躍が楽しみでならない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55319/">フルーツトマト並みの高糖度れんこん栽培を実現「金坂蓮魂」金坂哲宏さん／千葉県長南町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>1959年創業、カツオの一本釣り漁業を守り抜き、高知の食文化を支えていく「明神水産株式会社」／高知県幡多郡黒潮町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 10 Oct 2026 03:08:35 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[水産業]]></category>
		<category><![CDATA[ブライン凍結一級品]]></category>
		<category><![CDATA[カツオ]]></category>
		<category><![CDATA[一本釣り漁]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-144306-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県の県魚はカツオであり、その消費量も全国一位。カツオは、県民に深く愛されている。 そんなカツオ県でも、名の知れた存在が、黒潮町の明神水産だ。明神水産のカツオの藁焼きタタキは、ただ美味しいだけではない。一本釣りで乱獲か [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-144306-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県の県魚はカツオであり、その消費量も全国一位。カツオは、県民に深く愛されている。</p>



<p>そんなカツオ県でも、名の知れた存在が、黒潮町の明神水産だ。明神水産のカツオの藁焼きタタキは、ただ美味しいだけではない。一本釣りで乱獲から海の資源を守り、鮮度を極めるための技術は貪欲に取り入れる。タタキを作るための良質な藁を得るために農業法人を立ち上げ、町内の休耕田を再生し、使った藁灰は田んぼの肥料として還元するなど、海と山の循環型モデルを形成している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">県魚であり消費量も日本一。県民のカツオ愛</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-163512-4.jpg" alt="" class="wp-image-55309" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-163512-4.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-163512-4-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-163512-4-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高知市から西へ約90キロメートル。高知県南西部に位置する黒潮（くろしお）町では、土佐沖の黒潮に乗ったカツオを追って、古くから一本釣り漁が盛んであり、「カツオの町」のイメージが定着している。</p>



<p>また、近年は、自然資源を活かした「ホエールウォッチング」などの体験型観光や、土佐西南大規模公園を活用したスポーツツーリズムなどにより、県内外から多数の人が訪れている。</p>



<p>漁船が出航する佐賀（さが）漁港のすぐ近くにあるのが、「カツオの藁焼きタタキ」で有名な「明神水産」の本社だ。</p>



<p>代表取締役であり、一国一城の主となった現在でも、船を出し、趣味でカツオを釣りにいくという明神正一さんがカツオの「タタキ」の由来を教えてくれる。</p>



<p>「そもそもタタキは、冷蔵・冷凍がない時代に鮮度の落ちたカツオを安全に食べるための漁師町の知恵でした。酢と醤油を手のひらに乗せて、軽く炙ったカツオを刺身に切り、その上から叩いて味を染み込ませたのです。その上にネギやタマネギ、ニンニクなどの薬味を乗せていました」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">一本釣り漁をこれからも守っていく</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-163624-2.jpg" alt="" class="wp-image-55310" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-163624-2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-163624-2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-163624-2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>黒潮に乗って、2月から3月頃に土佐湾沖を北上するのが「初カツオ」。その後、千葉沖や東北あたりでたっぷりとアミ（エサ）を食べながら南下して、秋に土佐沖へ戻ってくる頃には脂が乗り、「戻りカツオ」と呼ばれる。</p>



<p>一本の釣竿でカツオを釣り上げる土佐伝統の「一本釣り漁」を土佐湾沖で行ってきたのが明神水産で、創業は1959年だ。</p>



<p>「全国的にはカツオ＝高知というイメージがあるかもしれませんが、実は水揚げ量は決して多くないんです。静岡や鹿児島など他県では、大量に漁獲できる巻き網漁が中心で、一度に100トンを超えるなど、カツオを一網打尽にして漁獲します。私たちは1日40から50トンが限界。今でも高知と宮崎は伝統的な一本釣り漁で、群れがエサを食べなければそこで終わり、他の場所を探します。獲り過ぎない、自然に優しい、持続可能な漁法です」と、明神さんは強い誇りを持って語る。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/9645000799c78b5773ecd92240a0d6c3.jpg" alt="" class="wp-image-55311" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/9645000799c78b5773ecd92240a0d6c3.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/9645000799c78b5773ecd92240a0d6c3-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/9645000799c78b5773ecd92240a0d6c3-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>返し（かえし）のない擬餌針（ぎじばり）を使い、高々と跳ね上げられたカツオは、その軌跡の頂点で針から外れるため、連続して釣ることができる。リズム良く釣り上げるには3年ほどの熟練が必要だ。大物のカツオになるほど扱いが難しく、技術の差が出てくる。</p>



<p>一本釣りは魚体を傷めず品質が良いため、網漁と比べて1キログラムあたり3〜4倍と高い単価で取引される。そのため、水揚げ自体が少なくても漁業を成立させてきた。</p>



<p>現在では自社で4隻の近海船とグループ会社で3隻の大型冷凍船を保有しており、その冷凍船は遠洋で操業できる「勝栄丸」だ。 この船は「B-1船」と呼ばれ、釣れたカツオは一匹ずつ即座に魚槽の「食塩ブライン溶液」と呼ばれるマイナス20度前後の高濃度の食塩水に投入、生きたまま急速凍結して鮮度が落ちる隙を与えない。</p>



<p>さらに、ベテラン漁師は2秒に1匹のペースで釣り上げる。釣り過ぎで魚槽をいっぱいにして冷凍スピードを落とさないよう漁労長が漁獲量を見極め、ストップをかけるという。</p>



<p>「ほんまに一気に釣れる時は１時間半から２時間もぶっ続け。重量で言うたら55トンとか60トン、キロ数にして６万キロがバンバンバンバン釣れるきね」と、長年にわたり漁労長を務めた明神さんが熱く語る。</p>



<p>一本釣りを極める明神水産のカツオは、「B-1（ブライン凍結一級品）」として、全国的に高評価を得ている。</p>



<p>一方、巻き網漁では、例えば100トン捕ったら、その100トンもの大量のカツオを一気に船内の魚槽へ入れて凍らせるため、魚体の中心温度がゆっくり下がる緩慢（かんまん）凍結になり、魚の肉質が落ちやすい。</p>



<p>明神水産では、B-1船で獲れた最高グレードのカツオをすべて藁焼きタタキにするが、それでも、自社製造のタタキに使うカツオの年間量のまだ半分くらいだという。</p>



<p>部長で広報を担当する富岡健太さんは、「例えばうちの船が釣っていて、脂の乗ったとても良いカツオだった場合、その漁場にいる他社の船の獲物も同じ品質と考えられます。それを買い付けすれば、良い原料ばかりを選んで集められます」と話す。</p>



<p>明神さんも「燃料代の高騰や後継者問題もあり、漁船も年々減ってきています。素人目からするとライバルが減って有利になると思うかもしれませんが、漁師から見ると、船が減れば余計に釣れなくなる。広大な太平洋に散らばって漁をしているからこそ、漁師同士、送られてくるデータをもとに漁場を探していくんです」という。</p>



<p>カツオ船は1日3回、今どこで漁をしていて、どれだけの漁獲高があるかを情報共有する決まりがあり、これらの情報はすべてオープンになっている。富岡さんにスマートフォンを見せてもらうと、AIS（船舶自動識別装置）を使って「勝栄丸」の操業場所がすぐに把握できた。船の安全性のこともあるだろうが、ライバルでありながら共存共栄する漁の世界は面白い。</p>



<h2 class="wp-block-heading">藁焼きの迫力と美味しさは比例する</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-162817-2.jpg" alt="" class="wp-image-55312" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-162817-2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-162817-2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-162817-2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>明神水産が水産物の加工販売、およびカツオの藁焼きタタキの製造・販売を始めたのは1986年。本場高知のタタキの美味しさを全国の人に知ってほしいという思いからスタートした。</p>



<p>藁は一気に燃え上がり、すぐに灰になるため、表面だけを焼き、中は生のままに仕上げられる。ガス焼きでは再現できない香りと食感が生まれるのだ。冷凍でありながら鮮度抜群のカツオと、その藁焼きの香りこそが、明神水産のタタキの魅力である。</p>



<p>その魅力を一気に有名にしたのが、高知市の観光名所「ひろめ市場」にある店舗「明神丸」だ。藁焼きの実演をしながら、その場で出来立てを食べてもらう。そのカツオのタタキの香ばしさ、美味しさが評判となり、今や県内外に飲食店を構えている。また、黒潮町にある「道の駅なぶら土佐佐賀」の運営も行っており、そこでも同じようにカツオの藁焼きタタキの食事ができるようにしている。</p>



<p>現在、明神水産では高知県内に6店舗、東京に5店舗、大阪・岡山に2店舗、四国に2店舗を展開している。これら飲食店では、良質な藁を得るために運営を始めた自社農園「明神ファーム」で育てた藁を使用してタタキを焼き上げ、そこで獲れた米を使っている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">巨大な藁倉庫に、スタッフの苦労が伝わる</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-160413-2.jpg" alt="" class="wp-image-55313" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-160413-2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-160413-2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-160413-2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>明神水産はカツオの確保と合わせて、藁の確保に力を注いできた。</p>



<p>当初は、スタッフが近隣の市町村をはじめ、県内、四国内の農家から藁を集めていたという。しかし、高齢化のため米作りをやめる人も多く、藁不足は深刻な課題となった。そこで明神さんが「それなら自分たちで米を作ろう」と、2014年に「明神ファーム」を立ち上げた。耕作放棄地を借り、年々規模を拡大。地域農家と協力し、伝統的な稲木干しなどの技術も継承している。</p>



<p>乾燥した藁をさらに除湿し、燃え上がりの良い状態で保管するための専用倉庫も用意した。巨大な藁倉庫に案内してもらったが、実は6か所ほど倉庫があり、そこにストックされているという。しかし、それでも年間使用量の4万束には足りないため、スタッフは高知県内で藁の確保に走り回っている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">マイナス50度のすごさを体感</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-155128-2.jpg" alt="" class="wp-image-55314" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-155128-2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-155128-2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-155128-2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>加工場を案内してもらう。鮮度を維持しているカツオを保管している超低温倉庫はマイナス50度。超低温で保管しているため賞味期限が長く、年間を通して切らすことなくカツオの提供を可能にしている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-155913-1.jpg" alt="" class="wp-image-55315" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-155913-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-155913-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-155913-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>この凍結したままの状態で、1人前、2人前などニーズに合わせてカット加工を行う。それからオリジナルの藁焼き専用機を使い、その日の気温、湿度、カツオの脂の乗り具合を確認しながら、使用する藁の量を調整して表面を5分から6分ほど焼いていく。それをギフト用、セット用などにパックし、ラインで仕分けをした後、マイナス35度の「液体瞬間凍結」を行って冷凍保管する。</p>



<p>製造の8割から9割がタタキであり、残りはマグロを使用した丼を製造しているそうだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統的な漁法「一本釣り」で未来を拓いていく</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-160737-1.jpg" alt="" class="wp-image-55316" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-160737-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-160737-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/10/23myouzin-160737-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>明神さんは「うちの強みは、役員をはじめ漁労長や飲食部門の責任者に兄弟や親せきといった身内がおり、絆が強いところですね」と話す。「船があれば頑張っていけるし、カツオの安定的な確保には自社船が欠かせない」とも言う。</p>



<p>今、新しいカツオ船の建造計画がある。海を知り尽くした会社からは、常に進化していく覚悟が感じられる。明神さんは、今の課題をこう語る。</p>



<p>「それがね、僕が28歳の時から71歳まで漁労長をやってきた中で、どう考えても海を見るたびに魚が減っていく。近年の漁場は、30代40代の時に見た群れの大きさと比べたら雲泥の差がある。魚自体が枯渇することはおそらくないとは思うけれど、少なくなっていることは確か。自社でカツオを確保していかないと、いくら「明神のたたきは美味しい」と言っても、原料が無くなったらどうしようもない。遠洋の漁をもっと増やさないと」</p>



<p>明神水産が海の資源を守る一本釣りを続けることには揺るぎが無い。海の変化に立ち向かいながら、次の世代へバトンを渡そうとしている。私たちが美味しいカツオを食べ続けられるために、この古から続く漁法が絶えることなく、むしろ広がりをみせてほしいと願わずにはいられない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55299/">1959年創業、カツオの一本釣り漁業を守り抜き、高知の食文化を支えていく「明神水産株式会社」／高知県幡多郡黒潮町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>歴史を継ぎ、再び動き出す。二つの家が支えてきた田部竹下酒造濱崎良太さん／島根県雲南市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 30 Sep 2026 04:10:14 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[酒造]]></category>
		<category><![CDATA[日本酒]]></category>
		<category><![CDATA[理八]]></category>
		<category><![CDATA[かけや酒蔵資料館]]></category>
		<category><![CDATA[竹下本店]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_00996__H6A7602.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>島根県の山あいで受け継がれてきた酒造りが、いま再び動き出している。田部家と竹下家、二つの家が繋いできた歴史を背景に、杜氏・濱崎良太さんがこの土地の水と米に向き合いながら、現代の暮らしに寄り添う酒を醸している。 田部家と竹 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55264/">歴史を継ぎ、再び動き出す。二つの家が支えてきた田部竹下酒造濱崎良太さん／島根県雲南市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_00996__H6A7602.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>島根県の山あいで受け継がれてきた酒造りが、いま再び動き出している。田部家と竹下家、二つの家が繋いできた歴史を背景に、杜氏・濱崎良太さんがこの土地の水と米に向き合いながら、現代の暮らしに寄り添う酒を醸している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">田部家と竹下家、受け継がれてきた酒造り</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01015__H6A7698.jpg" alt="" class="wp-image-55272" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01015__H6A7698.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01015__H6A7698-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01015__H6A7698-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>島根県雲南市掛合（かけや）にある「田部竹下酒造」は、二つの家の歴史の上に成り立つ酒蔵だ。奥出雲でたたら製鉄を担ってきた田部家と、その酒造りを受け継いだ竹下家。そしていま、再び田部家が事業を継承し、この場所で酒造りが行われている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">たたら製鉄とともにあった酒造り</h3>



<p>島根県の奥出雲・吉田町ではかつて、日本古来の伝統的な製鉄であるたたら製鉄が盛んに行われていた。田部家はその頭取を務め、地域の中心として産業を支えてきた存在だった。製鉄には多くの人手が必要で、最盛期には2万人を超える人々が関わっていたといわれる。</p>



<p>たたら製鉄をはじめ、様々な事業を展開していた中の一つに酒造りがあった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">受け継がれ、そして再び戻ってきた蔵</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01009__H6A7661.jpg" alt="" class="wp-image-55273" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01009__H6A7661.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01009__H6A7661-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01009__H6A7661-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>しかし江戸時代末期、火災によって蔵は焼失する。1866年、酒造免許は雲南市掛合（かけや）の竹下家へと譲られ、酒造りはそこで引き継がれることになった。</p>



<p>第74代内閣総理大臣･竹下登の実家でもある竹下家。「竹下本店」としてその後150年以上にわたり酒造りを守り続けたが、2003年に醸造を休止し、桶買いへと切り替わった。</p>



<p>使われなくなった酒蔵は雲南市へ寄贈され、2005年からは「かけや酒蔵資料館」として公開されるようになった。場所としては残りながらも、酒を生み出す場としての役割は一度手放される。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01025_142A1168.jpg" alt="" class="wp-image-55274" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01025_142A1168.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01025_142A1168-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01025_142A1168-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そして2022年、後継者不足という課題に直面した竹下家。そこに事業継承という形で手を差し伸べたのが、かつて酒造免許を託した田部家だった。</p>



<p>二つの家のあいだで受け継がれてきた酒造りの歴史。それを守るべく田部竹下酒造として新たなスタートを切った。</p>



<h2 class="wp-block-heading">杜氏・濱崎良太と、新しい酒のかたち</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01069_142A1380.jpg" alt="" class="wp-image-55275" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01069_142A1380.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01069_142A1380-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01069_142A1380-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そんな田部竹下酒造の杜氏を務めるのは、福岡県出身の濱崎さん。大学では環境微生物について学んでいた。そんなとき、「日本酒はお酒の中で製法が一番難しい」と聞いたのが、日本酒に興味を持ったきっかけだった。</p>



<p>そして酒造りの道へ進んだ濱崎さんは、岡山や愛知の蔵で修行を重ね、現場での経験を積んでいった。</p>



<p>そんな中で出会ったのが、田部竹下酒造の後継者を探すという話だった。「自分の酒造りができるなら、どこへでも行こうと思っていました」その言葉通り、迷いなく島根へ向かうことを決めた。</p>



<p>初めて訪れた掛合は、山に囲まれた静かな土地だった。味噌を手作りする家庭が残るなど、発酵文化が暮らしの中に息づいている場所でもあった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ゼロからの酒造り。目指したのは「山陰の夏の海」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01034_142A0790.jpg" alt="" class="wp-image-55276" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01034_142A0790.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01034_142A0790-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01034_142A0790-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>濱崎さんが蔵を引き継いだとき、この場所ではすでに酒造りは行われていなかった。杜氏は決まっているのに、仕込むための環境が整っていない。まさにゼロからの酒造りだった。</p>



<p>長く使われていなかった蔵を前に、まず取り組んだのは、酒を仕込める状態へと整えること。古い設備の中から使えるものを見極め、残しながら、必要な部分には新たな設備を加えていった。</p>



<p>2022年、ようやく酒造りができる環境が整い、再始動当初は試験醸造を重ねた。酵母や仕込みの条件を探りながら、この土地で目指す酒の輪郭をつくっていく。</p>



<p>その中で濱崎さんが描いたのは、「山陰の夏の海のような透明感のある酒」だった。</p>



<p>そうしてたどり着いたのが「理八」。酒造免許を受け入れた当時の竹下家当主の名を冠し、歴史への敬意を込めた酒だ。</p>



<p>フルーティでクリア、それでいて軽すぎず、飲み続けられる味わい。派手さではなく、日常の中で自然に選ばれる酒を目指している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">酒造りの現場にある感覚</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01050__H6A7847.jpg" alt="" class="wp-image-55277" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01050__H6A7847.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01050__H6A7847-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01050__H6A7847-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>酒造りは、米と水を扱うところから始まる。洗米、蒸し、麹づくり、仕込み、発酵。それぞれの工程が積み重なり、酒の味が決まっていく。</p>



<p>温度や時間の管理はもちろん重要だが、濱崎さんは「あえてデータには頼らない」という。香り、泡の状態、音の変化。そうした細かな違いを五感で捉えながら、重ねた経験を元に酒を醸すことを大切にしている。</p>



<p>夜中に蔵へ足を運ぶこともある。酒は常に変化し続ける存在だからこそ、その動きに付き合い続ける必要があるのだ。</p>



<p>濱崎さんは「お酒を搾った後が本当の酒造り」と話す。酒をつくる工程だけでなく、その後の管理や流通も含めて酒造りは続いていく。そのため田部竹下酒造では、問屋を通さず直接販売を行っている。品質管理と、消費者へ届くまでのスピードを重視した選択だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">次の時代へつなぐ酒造りを</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01072__H6A7925.jpg" alt="" class="wp-image-55278" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01072__H6A7925.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01072__H6A7925-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/nih2_01072__H6A7925-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そんな田部竹下酒造だが、現在、同市内に約12億円を投じて、新しい蔵を建設中。2027年5月の移転を目指す。新蔵は温度や湿度を完全管理した四季醸造で、高水準で安定した品質の日本酒を年間を通じて供給することができる。2030年9月期までに現在の7倍強の16万1,100リットルまで増やす計画だ。</p>



<p>もちろん規模が変わっても、酒造りの姿勢は変わらない。将来的には、地元の水や米をより深く取り入れ、この土地の中で完結する酒造りも視野に入れている。</p>



<p>今の酒が、50年後も同じ形で求められるとは限らない。それでも、この場所で酒をつくり続けることが、次の世代へとつながっていく。</p>



<p>田部家から竹下家へ、そして再び田部家へ。受け渡されてきた酒造りの時間は、今も続いている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55264/">歴史を継ぎ、再び動き出す。二つの家が支えてきた田部竹下酒造濱崎良太さん／島根県雲南市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>高知の素材と人が醸す、唯一無二のクラフトビール「高知カンパーニュブルワリー」／高知県香美市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 30 Sep 2026 03:58:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[クラフトビール]]></category>
		<category><![CDATA[ブルワリー]]></category>
		<category><![CDATA[龍河洞]]></category>
		<category><![CDATA[和醸]]></category>
		<category><![CDATA[四万十ぶしゅかんエール]]></category>
		<category><![CDATA[日高村フルーツトマトエール]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b132605.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>古くから林業や農業が息づく高知県香美市。この地には、白髪山（しらがやま）を源に土佐湾へ注ぐ一級河川・物部川が流れる。上流の山々から運ばれる清らかな水、扇状地ならではの水はけのよさ、昼夜の寒暖差が大きい内陸気候。そんな恵ま [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55247/">高知の素材と人が醸す、唯一無二のクラフトビール「高知カンパーニュブルワリー」／高知県香美市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b132605.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>古くから林業や農業が息づく高知県香美市。この地には、白髪山（しらがやま）を源に土佐湾へ注ぐ一級河川・物部川が流れる。上流の山々から運ばれる清らかな水、扇状地ならではの水はけのよさ、昼夜の寒暖差が大きい内陸気候。そんな恵まれた環境に魅せられた移住者がブルワリーを立ち上げ、地域とともに唯一無二のクラフトビールをつくっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">大阪から高知へ。「暮らし」に惹かれた移住の始まり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b131708.jpg" alt="" class="wp-image-55253" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b131708.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b131708-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b131708-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>瀬戸口信弥さんが初めて高知を訪れたのは、義兄が高知大学に通っていた縁からだった。</p>



<p>手つかずの自然、身体が喜ぶ食、人情深い人々。そのすべてに心を掴まれ、「まずはこの土地に住みたい」と思ったという。</p>



<p>当時の瀬戸口さんは工業高校から大学院まで理工系学部で学んだエンジニア。電子機器を扱う仕事に携わりながらも、心のどこかで「人生を捧げられる仕事」を探し続けていた。20代後半、迷いと模索の中で出会ったのがクラフトビールだった。</p>



<p>全国のブルワリーを巡り、職人たちの姿勢に触れ、ビールが土地の文化として成立していることを知る。さらにアメリカ・ポートランドで研修を受け、帰国後は島根県の株式会社石見麦酒で1年間修行。「一生つくり続けたいもの」が確かな形を持ち始めた瞬間だった。</p>



<p>クラフトビールは、素材と向き合い、土地と向き合い、人と向き合う仕事だ。瀬戸口さんはその奥深さに魅了され、やがて「自分のビールを、自分の選んだ土地でつくりたい」と強く願うようになった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">地域に支えられた、小さなブルワリーの誕生　</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170350.jpg" alt="" class="wp-image-55254" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170350.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170350-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170350-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高知へ移住して8年後、瀬戸口さんは香美市でブルワリーを開業する。</p>



<p>最初の工房は、地域の人が「ここなら安く貸せるよ」と差し出してくれた古い居抜き物件だった。床を磨き、壁を塗り、設備を自作し、仕込みもすべてひとりでこなす。まさにゼロからのスタートだったが、瀬戸口さんは「この土地でつくる」という決意だけを胸に、黙々と作業を続けた。</p>



<p>やがて新聞やテレビで紹介されると注文が急増。１日２回仕込んでも追いつかず、疲労はピークに達した。</p>



<p>そんな時、「困っちゅうがやろ？」と地域の人が半年もの間、ボランティアでラベル貼りを手伝ってくれた。</p>



<p>移住者である彼を地域が丸ごと受け止めた瞬間だった。瀬戸口さんは「自分はひとりでビールをつくっているのではない。地域と一緒につくっているのだ」と強く感じたという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">高知でしかつくれないビールを。素材を主役に据える哲学</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170714.jpg" alt="" class="wp-image-55255" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170714.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170714-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170714-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>瀬戸口さんのビールづくりの中心には常に「素材」がある。最初に手がけたのは高知産のユズ、棚田米と山椒、土佐文旦だった。</p>



<p>「素材を隠し味ではなく主役にする」という。渋みが出る素材ならビール側の設計で包み込み、香りを立たせたい素材なら発酵温度やホップで輪郭を整える。素材の個性を尊重しながら、ビールとしての調和を生み出す。モルトは現状ドイツ産だが、糖化効率や味の相性を何度も試し、ブレンドを重ねて最適解を探す。</p>



<p>「高知でつくる意味」を素材から逆算して組み立てる姿勢が、ビールに揺るぎない芯を与えている。</p>



<p>瀬戸口さんは「素材の背景まで含めてビールの味になる」と語る。</p>



<p>生産者の想い、土地の風土、季節の移ろい。それらすべてがビールの一部だ。だからこそ、素材を主役に据えることは、高知という土地そのものをビールに封じ込める行為でもある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">コロナ禍で原点回帰「地域限定ビール」の誕生</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-173628.jpg" alt="" class="wp-image-55257" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-173628.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-173628-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-173628-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>順調に成長していたブルワリーを襲ったコロナ禍。売上は半減し、社員を休ませざるを得ない状況に追い込まれた。しかし、この「強制停止」が瀬戸口さんを原点へと立ち返らせた。</p>



<p>「地域のためにビールをつくる」という強い想いが、再び胸に灯った。</p>



<p>こうして「四万十ぶしゅかんエール」「日高村フルーツトマトエール」など地域限定ビールが誕生。新聞掲載をきっかけに県内の道の駅から依頼が相次ぎ、地域コラボビールが次々と生まれていった。</p>



<p>地域の素材を使い、地域の人とつくり、地域で飲まれるビール。</p>



<p>それは単なる商品ではなく、土地の物語を伝えるメディアのような存在だった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">和と洋の発酵文化が交差する「和醸ケルシュ」 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170137.jpg" alt="" class="wp-image-55258" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170137.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170137-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-170137-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>瀬戸口さんの工房には、ビール醸造所では珍しい「甑（こしき）」がある。</p>



<p>ここでお米や芋、栗、在来種トウモロコシを「直火」で蒸し、甘酒糖化タンクで48時間かけてグルコースに変える。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-171343.jpg" alt="" class="wp-image-55259" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-171343.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-171343-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-171343-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>さらに、日本酒酵母とビール酵母を掛け合わせた独自の発酵技法「和醸」を考案。</p>



<p>これによって生まれたフルーティーな香りと、すっきりとしたキレのある後味が、ドイツ西部・ケルン地方で伝統的に造られるビールスタイル「ケルシュ」に通じるものがあったため、和醸ケルシュと名付けた。</p>



<p>日本酒酵母の繊細さとビール酵母の力強さが再構成する香りは、料理では決して生まれない発酵の魔法だ。</p>



<p>ホップの代わりに「カヤの実」を使うなど、地域素材を大胆に取り入れた挑戦も続いている。</p>



<p>和と洋の発酵文化が交差するこのビールは、瀬戸口さんの哲学そのものだ。</p>



<p>「土地の素材を使い、土地の水で、土地の人とつくる」。その姿勢が新しい発酵文化を生み出している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">龍河洞の硬水がつくる「抜けの良さ」 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-174124-1.jpg" alt="" class="wp-image-55260" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-174124-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-174124-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-174124-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ブルワリーがある山の上には、日本三大鍾乳洞のひとつ･龍河洞（りゅうがどう）もあるほど、この地域は石灰質な地層をもつ。ブルワリーの井戸水は、この山の水脈を源とするため、1億年以上の時をかけて地底を流れ、ミネラルやマグネシウムを豊富に含んだ中硬水だ。日本の多くのブルワリーが軟水で仕込む中、ここではヨーロッパのエール文化に近い水質で醸造できる。</p>



<p>瀬戸口さんは「水が味の方向性を決める」と語る。</p>



<p>ほどよい硬水は甘み・旨みだけでなく、苦味と渋味の背骨をつくる。香りから後味まで一本の線でスッと抜けていく「抜けの良さ」は、この水が支えている。</p>



<p>龍河洞とも由来を同じくする硬めの水が、高知カンパーニュブルワリーのビールに独特のキレと深みを与え、他にはない個性を生み出している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「分かち合いのビール」。物部川流域ブランド発信！ </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b134117.jpg" alt="" class="wp-image-55261" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b134117.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b134117-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/09/25setoguti-b134117-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>瀬戸口さんの夢は、物部川流域全体をひとつのブランドとして育てることだ。飲食・宿泊・体験を通じて、訪れた人がこの土地の魅力をまるごと味わえる場所をつくりたいと考えている。</p>



<p>その空間に欠かせないのが、同じテーブルを囲み、笑いながら乾杯を分かち合える飲み物である。ビールが好きな人にも苦手な人にも届けられるよう、低アルコールやノンアルコールビールの開発を今後のテーマとしている。</p>



<p>動画制作チームを迎え、素材の背景や生産者の想いを発信していく準備も進む。</p>



<p>感動を共創し、伝える。その理念を胸に、瀬戸口さんは今日も、この土地でしか生まれ得ないビールを醸し続けている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55247/">高知の素材と人が醸す、唯一無二のクラフトビール「高知カンパーニュブルワリー」／高知県香美市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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