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	<title>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅 - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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		<title>和歌山の梅を、酒と健康の価値へ。「中野BC」90余年の探究／和歌山県海南市</title>
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		<pubDate>Mon, 17 Aug 2026 08:39:07 +0000</pubDate>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/a7977f16a8ed83312134823d1b216c60.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>熊野三山（くまのさんざん）への参詣道として、多くの人が歩いた熊野古道。そのうち、和歌山を南へたどる「紀伊路（きいじ）」は、海南市にある藤白（ふじしろ）地区を通っている。 近くには、旅人が道中で参拝した「熊野九十九王子（く [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/a7977f16a8ed83312134823d1b216c60.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>熊野三山（くまのさんざん）への参詣道として、多くの人が歩いた熊野古道。そのうち、和歌山を南へたどる「紀伊路（きいじ）」は、海南市にある藤白（ふじしろ）地区を通っている。 近くには、旅人が道中で参拝した「熊野九十九王子（くじゅうくおうじ）」のひとつで、特に格式が高いとされた藤白王子の旧跡･藤白神社があり、その境内には、全国の「鈴木さん」のルーツとされる鈴木屋敷が残る。熊野から移り住んだ鈴木一族は、この地を拠点に熊野信仰を全国へ広めたと伝わり、藤白は古くから人や文化が行き交う場所だった。そんな藤白に居を構え、わずか3代で和歌山県トップクラスの生産量へと成長した酒造会社「中野BC」がある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">酒蔵への夢から始まった、挑戦の歴史</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d70e7cef71d3224f35e01531fec77151.jpg" alt="" class="wp-image-55141" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d70e7cef71d3224f35e01531fec77151.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d70e7cef71d3224f35e01531fec77151-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d70e7cef71d3224f35e01531fec77151-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>中野BCの創業は1932年にさかのぼる。代表取締役社長･中野幸治さんの祖父は酒造りへの夢を抱いていたが、当時、酒蔵を始めるには酒造免許の取得に加え、多額の資金が必要だった。そこでまず、「中野醤油店」として醤油造りを始め、事業の礎を築きながら、酒造りに乗り出す時を待った。</p>



<p>「祖父は酒造りへの憧れを胸に抱きながら、まずは醤油事業で足元を固めたそうです」と、中野さんは、簡単にはかなわなかった祖父の夢と、そのために重ねた歳月を静かに振り返る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">時代に寄り添う酒造り</h3>



<p>創業から17年を経た1949年、醤油事業を通じて酒造りに乗り出す基盤が整い、念願の酒造業へと踏み出した。最初に手がけたのは焼酎。日本を象徴する富士山と、蔵を構える海南市藤白（ふじしろ）の名を重ね、「富士白（ふじしろ）」と名付けた。醤油造りで事業の礎を築きながら、長年待ち続けた創業者の夢が、ようやく形になった。</p>



<p>それから9年後の1958年には、日本酒造りへの参入に伴い、「中野酒造」へ社名を変更。今日まで親しまれている銘柄「長久（ちょうきゅう）」が誕生した。県内で62番目の造り酒屋という後発の蔵で、 当初は販売に苦戦したという。それでも、日々の食卓で親しまれる酒を目指し、品質に磨きをかけながら地道にものづくりを重ねてきた。</p>



<p>受け継がれてきた酒造りも、時代とともにその姿を変えている。現在の日本酒が目指すのは、しっかりとしたうま味がありながら、口の中ですっとほどけるような軽やかさ。料理の味を引き立て、飲み進めても重さを感じさせない酒へと、時代の嗜好（しこう）に寄り添いながら酒質を磨き続けている。</p>



<p>やがて、酒造りの領域は梅酒へと広がり、発酵や抽出などの技術を生かした健康食品の開発にも着手した。酒造会社として積み重ねてきた知識を、酒だけにとどめず、新たな分野へと展開していったのである。</p>



<p>その姿勢を社名にも表したのが、2002年の「中野酒造」から「中野BC」への変更だった。「BC」は、「生化学の創造」を意味する「バイオケミカルクリエーション」に由来する。酒類と健康食品の両分野で研究開発を進め、和歌山の素材が持つ力を引き出し、新たな価値へとつなげていく。そこには、創業以来受け継がれてきた探究の精神が込められている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">年間1000ｔ以上の梅と向き合う</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/3a87169e1ca1ce4e887770c1a3e02fa1.jpg" alt="" class="wp-image-55142" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/3a87169e1ca1ce4e887770c1a3e02fa1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/3a87169e1ca1ce4e887770c1a3e02fa1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/3a87169e1ca1ce4e887770c1a3e02fa1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>醤油醸造から酒造りへと歩みを進めた中野BCが、紀州の梅を原料とする梅酒の製造を始めたのは1979年。現在では、梅酒や梅エキス、梅果汁などの梅関連商品が、収益を支える大きな柱となっている。 毎年1000ｔ以上の梅を仕入れ、用途や品種、収穫時期に応じて加工しているという。&nbsp;</p>



<p>品質を磨き続け、1990年には梅酒が世界的な品質審査「モンドセレクション」で金賞を受賞した。&nbsp;</p>



<h3 class="wp-block-heading">収穫の時期で変わる、梅の香りと味わい </h3>



<p>梅酒蔵に足を踏み入れると、目の前に現れるのは、40基を超える巨大なタンク。中では、梅の香りや酸味が酒へとゆっくり溶け込み、時間を味方につけながら、ひとつの味わいへと育っていく。</p>



<p>同じ品種の梅でも、収穫する時期によって香りや酸味、果実の状態は異なるという。</p>



<p>青さが残る早い時期の梅は、爽やかで若々しい香りを生む。一方、太陽を浴びて紅色に染まった梅は、より華やかで豊かな香りを持つ。中野さんは「造りたい梅酒の味わいを思い描き、それに合ったタイミングで収穫された実を選ぶことが重要だ」と話す。</p>



<p>さらに、理想の味わいだけでなく色も表現するために梅の品種も使い分ける。梅の生産量日本一を誇る和歌山県の梅の中でもとりわけ名が知れた「南高梅」だけに頼らない。梅とスモモを交配して作られ、果肉まで赤く色づく「露茜（つゆあかね）」や、果皮が鮮やかな紅紫色をした小梅「パープルクイーン」など品種ごとの特性を追究 。品種や熟成年数の異なる原酒を、ワインのブレンドのように組み合わせる「アッサンブラージュ梅酒」 の開発にも取り組んでいる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">梅の個性を引き出す、時間と技術 </h3>



<p>基本となる梅酒は、梅、砂糖、ホワイトリカーをタンクに入れて仕込む。</p>



<p>仕込みから半年ほどたったところで梅の実を取り出し、さらに時間をかけて熟成。梅に由来するえぐみが落ち着き、香りや酸味、甘みが調和した梅酒へと育てていく。中には10年以上熟成させた原酒も保管されているそうだ。</p>



<p>梅酒は甘い酒という印象を持たれやすい。しかし、ただ甘くするだけでは飲み飽きてしまう。甘みを支える酸味や、後味を引き締める要素をどのように設計するか。そのバランスに、造り手の経験と技術が表れる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">家庭の味から、世界へ広がる梅酒 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d38a8793da1d2cb5f1bf05795f2cb4b4.jpg" alt="" class="wp-image-55143" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d38a8793da1d2cb5f1bf05795f2cb4b4.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d38a8793da1d2cb5f1bf05795f2cb4b4-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d38a8793da1d2cb5f1bf05795f2cb4b4-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>梅の産地･和歌山では、収穫した梅を家庭で漬ける習慣が根付き、梅酒は長く「家で造るもの」として親しまれてきた。そのため、梅、砂糖、ホワイトリカーで仕込むだけでは自家製との違いを打ち出しにくく、商品として定着させるのは容易ではなかったという。</p>



<p>そこで中野BCは、赤じそや緑茶、果物を組み合わせるなど、家庭では造りにくい味わいを追求。2000年前後には健康志向の高まりを背景に、梅酒が女性を中心に注目されるようになり、日本酒やウイスキーをベースにしたもの、果汁を加えたものなど、楽しみ方も大きく広がっていった。</p>



<p>現在、中野BCが手がける梅酒は約30種類。梅の品種や熟成年数の違いを生かした本格梅酒から、レモンや緑茶などを合わせた親しみやすい商品まで、多彩な味わいを展開している。</p>



<p>その梅酒は、いまや海外事業を支える中心的な存在だ。中国や台湾、香港、韓国をはじめ、タイ、シンガポール、アメリカ、フランス、イタリア、ドイツなど約30カ国へ輸出。梅になじみのあるアジアだけでなく、リキュール文化が根付く欧米でも受け入れられている。</p>



<p>各家庭で育まれてきた梅酒は、造り手の工夫によって商品としての個性を備え、海外で「UMESHU」と呼ばれ、親しまれる存在へ 。和歌山の暮らしに根付いた一杯が、海を越え、新たな飲み手との出会いを広げている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本庭園と酒蔵がつなぐ、ものづくりと観光 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/59f8c19f0832350ce5387febfaaefcc5.jpg" alt="" class="wp-image-55144" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/59f8c19f0832350ce5387febfaaefcc5.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/59f8c19f0832350ce5387febfaaefcc5-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/59f8c19f0832350ce5387febfaaefcc5-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>約1万坪の敷地のうち、半分ほどを占める広大な日本庭園。庭園内にある池は、もともと焼酎を蒸留する際の冷却水を確保するために造られたものだった。その後、酒蔵を訪れる人を迎える場として整備され、現在は錦鯉や白鳥が泳ぐ、緑豊かな風景が広がっている。</p>



<p>池の広さは約3000坪。庭園は創業者自らが手を入れ、長い年月をかけて形づくってきたという。酒造りに欠かせない水を支えた池が、今では酒蔵の歴史と和歌山の豊かな自然を伝える場所となっている。</p>



<p>中野BCは、以前から酒蔵見学などの観光事業にも力を入れてきた。製造現場を開き、酒造りの歴史や技術を伝えることは、訪れる人に楽しんでもらうだけでなく、働くスタッフの意識を高めることにもつながっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">酒蔵を、地域と人が集まる開かれた場所へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/e614da490e2b5107900a5448d31250ce.jpg" alt="" class="wp-image-55145" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/e614da490e2b5107900a5448d31250ce.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/e614da490e2b5107900a5448d31250ce-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/e614da490e2b5107900a5448d31250ce-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p> 2026年4月、中野BCは直営店「長久庵（ちょうきゅうあん）」を、本社向かいに移設し、リニューアルオープンした。以前の売店は酒蔵の敷地内にあり、初めて訪れる人にとっては、少し足を踏み入れにくい場所だったという。</p>



<p>新たな「長久庵」には、日本酒や梅酒、健康食品をはじめ、直営店ならではの商品が並ぶ。試飲を楽しめるコーナーに加え、同じ海南市にある黒沢牧場が手がけたジェラートも登場。牧場のミルクを生かした「ミルク」のほか、梅やまりひめ、三宝柑、ほうじ茶など、和歌山の素材を取り入れた味わいがそろい、酒を飲まない人や子ども連れの家族も楽しめる。</p>



<p>酒を買うためだけの売店から、地域の人や観光客が気軽に立ち寄り、中野BCのものづくりや和歌山の味に触れられる場所へ。酒蔵と人との距離を近づける、新たな入り口が生まれている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自分の手で仕込み、梅の変化を楽しむ </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/fc7e63062e0b0d363f9cd6b3361c581a.jpg" alt="" class="wp-image-55146" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/fc7e63062e0b0d363f9cd6b3361c581a.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/fc7e63062e0b0d363f9cd6b3361c581a-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/fc7e63062e0b0d363f9cd6b3361c581a-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「長久庵」に隣接する梅酒づくり体験施設では、 自分だけの一瓶を仕込む体験も行っている。</p>



<p>まずはボトルを消毒し、梅を一粒ずつ丁寧に拭いて、竹串でヘタを取り除く。下ごしらえを終えた梅と氷砂糖を瓶に重ね、最後にホワイトリカーを注げば、仕込みは完了。</p>



<p>ひとつひとつの作業はシンプルだが、瓶の中では、仕込んだ直後から目に見えない変化が始まる。 砂糖は甘みを加えるだけでなく、浸透圧によって梅に秘められた香りや酸味を引き出す役割も担うとのこと。</p>



<p>使う砂糖の量や種類によって、出来上がる梅酒の表情もさまざま。氷砂糖なら澄んだ甘みに、てんさい糖ならやわらかな風味に、蜂蜜を使えば、ふくよかなコクが加わる。半年後の味わいを思い描きながら仕込む時間もまた、梅酒造りの楽しみだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">味を思い描きながら </h3>



<p>仕込んだ梅酒は自宅へ持ち帰り、最初の約3カ月は瓶を時々上下に返して、砂糖と梅をゆっくりとなじませていく。その後、さらに約3カ月寝かせると、待ちに待った飲み頃に。</p>



<p>瓶の中では、氷砂糖が少しずつ溶け、透明だった液体がゆるやかに琥珀色へと変わっていく。その移ろいを見守る時間も、自分で仕込んだからこそ味わえる楽しみのひとつだ。</p>



<p>酒蔵で育つ一本にも、家庭で漬ける一瓶にも、流れる時間は同じ。梅の香りや酸味をじっくりと引き出し、ひとつの味わいへと育てていく。そこには、昔から受け継がれてきた梅酒造りの知恵が息づいている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">酒造りの技術と研究を、新たな価値へ </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/124428d7dc3f55c707eb2b56a62c8ebf.jpg" alt="" class="wp-image-55150" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/124428d7dc3f55c707eb2b56a62c8ebf.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/124428d7dc3f55c707eb2b56a62c8ebf-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/124428d7dc3f55c707eb2b56a62c8ebf-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>酒造りを通して磨いてきた技術は、酒だけに生かされているわけではない。中野BCでは、発酵や抽出、培養に関する知識を応用し、健康食品や香りを生かした商品へと事業の幅を広げている。&nbsp;</p>



<p>一見すると、それぞれ異なる分野のように見える。しかし、根底にあるのは、素材を丁寧に見つめ、研究を重ねながら、その中に眠る力を引き出そうとする姿勢だ。</p>



<p>掲げる社是は、「衆智を持って常に創造せよ」。社員一人ひとりが持つ知恵や経験を集め、新しい商品や技術、価値を生み出していく。その言葉を体現するように、酒蔵で培われた技術は、和歌山の素材を生かす新たなものづくりへとつながっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">和歌山の恵みを、酒と香りに </h3>



<p>梅だけではない。ミカンや山椒（サンショウ）、ジャバラ、スギ、ヒノキなど、和歌山には土地の風土を映す多彩な素材がある。</p>



<p>中野BCでは、それぞれの香りや味わいを酒に生かしてきた。そのひとつが、富士白蒸留所のクラフトジンだ。「槙‐KOZUE‐」にはコウヤマキを中心に、温州ミカンやレモンの皮、山椒の種を使用。「香立‐KODACHI‐」には、紀州杉や紀州ヒノキ、かんきつの皮、山椒の種などを組み合わせている。温州ミカンと山椒はいずれも、和歌山県が生産量全国一を誇る特産物。紀州杉や紀州ヒノキも、山林に恵まれた和歌山の風土を映す素材だ。 森を思わせる香りに、かんきつの爽やかさや、山椒がもたらす後味の切れを重ね、和歌山の風景を一杯の中に表現している。</p>



<p>酒だけでなく、素材から香りの成分を取り出す技術を生かし、山椒などを使ったアロマオイルの開発にも取り組む。酒では味わいと香りを、アロマでは空間に広がる香りを。それぞれ用途は異なっても、植物の個性を丁寧に引き出す姿勢は共通している。 立ち上る香りまで丁寧に見つめる姿勢は、酒造りにも健康食品にも通じている。</p>



<p>ただ「和歌山産だから」という理由で使うのではない。苦みや渋み、酸味、香りの強さまでを分析し、どのように組み合わせれば素材の魅力が最も引き立つのかを探る。そこには、地域の恵みを研究し、新たな価値へと導く、中野BCならではのまなざしがある。</p>



<h3 class="wp-block-heading">食卓に寄り添い、和歌山を映す日本酒 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d75a9d341e94412e0ffb3e26a08a4f13.jpg" alt="" class="wp-image-55148" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d75a9d341e94412e0ffb3e26a08a4f13.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d75a9d341e94412e0ffb3e26a08a4f13-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/d75a9d341e94412e0ffb3e26a08a4f13-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>中野BCの日本酒を代表するのが、「長久（ちょうきゅう）」「超久（ちょうきゅう）」「紀伊国屋文左衛門（きのくにやぶんざえもん）」だ。</p>



<p>「長久」は、「長く久しく愛される酒に」との願いを込めた銘柄。日々の食卓に寄り添う酒として、長年親しまれてきた。その名を受け継ぐ「超久」は、先代を超える技術で、より質の高い酒を目指そうという思いから生まれた特定名称酒のシリーズだ。読みは同じでも、「長」を「超」に替え、酒造りへの新たな志を表している。</p>



<p>「紀伊国屋文左衛門」は、和歌山ゆかりの豪商の名を冠した銘柄。江戸へミカンを運んだと伝わる人物の物語を重ね、和歌山らしさを日本酒で表現している。</p>



<p>かつては甘みと厚みを感じさせる酒が中心だったが、時代とともに酒質も変化してきた。米のうま味やふくらみを残しながら、口の中ですっと消えるような軽やかさを追求。料理の味を引き立て、次の一口へとつながる食中酒を目指してきた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">酒蔵の枠を越え、和歌山の素材を未来へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/a0592b4d1a83701d74a1c341aefa85cb.jpg" alt="" class="wp-image-55149" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/a0592b4d1a83701d74a1c341aefa85cb.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/a0592b4d1a83701d74a1c341aefa85cb-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/a0592b4d1a83701d74a1c341aefa85cb-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>国内では、日本酒や梅酒の市場が伸び悩み、異常気象による梅の不作も続く。原料を安定して確保し、品質を守りながら、次の世代に選ばれる商品を生み出す。中野BCが向き合う課題は、決して少なくない。</p>



<p>それでも、挑戦は止まらない。熟成やブレンドによって梅酒の新たな味わいを探り、和歌山から海外へ届ける。さらに、酒造りで培った知識と技術を健康分野や新たな素材へ広げ、地域の恵みに、これまでになかった価値を重ねていく。</p>



<p>土地から受け取った素材を、造り手の知恵と技術で磨き、次の時代へと手渡す。醤油造りに始まり、酒、健康食品、香りの分野へと可能性を広げてきた中野BC。その根底にあるのは、地域の素材を見つめ、まだ知られていない力を引き出そうとする姿勢だ。</p>



<p>素材の特徴を知り、工程を読み、何度も試しながら、目指す味や香りを組み立てていく。手掛ける分野は幅広くても、どれも中途半端にはしない。そこに共通するのは、「もっと知りたい」という好奇心と、思い描いたものを形にする技術である。</p>



<p>和歌山の素材に、まだどんな味や香りが眠っているのか。その答えを探し、形にしていくことこそが、中野BCらしいものづくりなのだ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55135/">和歌山の梅を、酒と健康の価値へ。「中野BC」90余年の探究／和歌山県海南市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>より良い暮らしのため、民藝の器づくりを実直に「出西窯」／島根県出雲市斐川町</title>
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		<pubDate>Mon, 17 Aug 2026 08:21:32 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[民藝]]></category>
		<category><![CDATA[縁鉄砂呉須釉皿]]></category>
		<category><![CDATA[ウェットハンドル技法]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
		<category><![CDATA[登り窯]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02118__H6A1961.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日常の道具の中に美を見出す「民藝（みんげい）」。その教えを直接受け継ぎ、今も器づくりを続けているのが島根県にある出西窯（しゅっさいがま）だ。ここで生まれる器には、窯名や作り手の名前が記されていない。それでも人々に選ばれ続 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02118__H6A1961.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日常の道具の中に美を見出す「民藝（みんげい）」。その教えを直接受け継ぎ、今も器づくりを続けているのが島根県にある出西窯（しゅっさいがま）だ。ここで生まれる器には、窯名や作り手の名前が記されていない。それでも人々に選ばれ続け、70年以上も作り続けられてきたのはなぜだろうか。その背景には、器そのものだけでなく、時代の変化に応じて暮らしの在り方まで提案してきた点にある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ライフスタイルから提案する窯元･出西窯</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02093__H6A1783.jpg" alt="" class="wp-image-55126" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02093__H6A1783.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02093__H6A1783-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02093__H6A1783-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>島根県東部、出雲平野の田園風景が広がる出雲市斐川町（ひいかわちょう）に、暮らし全般を発信する複合施設「出西 くらしのvillage」がある。敷地内には器の店やセレクトショップ、ベーカリーカフェが揃い、足を踏み入れると商品がずらりと並ぶ店内へと自然と引き込まれていく。</p>



<p>運営するのは民藝運動の精神を受け継ぐ窯元･出西窯。</p>



<p>「地域の方に楽しんでもらえる場をつくりたかったんです。器を使ってもらったり、洋服を手に取ったり、パンを選んだり。暮らしそのものを体験できる場所にしたくて」と振り返るのは出西窯の代表･多々納 真（たたの しん）さん。たとえば冬のグラタン皿は、実際に使ってみて初めて良さが伝わることも多い。“いいね”となり、そのまま購入につながることは少なくないという。</p>



<p>ここでは、暮らしの中でどう使われるかまで含めて商品提案がなされている。こうした考え方の背景には、戦後に出合った考え方に端を発している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">始まりは戦後。地元で生きる道を模索して築いた共同窯</h2>



<p>出西窯の始まりは1948年。戦時中は物資が乏しく、“贅沢は敵”とされる中で、生活の中の“美しさ”は後回しにされてきた。そうした時代を経て、美しいものをつくりたいと、5人の若者が器づくりに取り組むことに。彼らは幼なじみで、いずれも農家の次男･三男。家業を継がない立場として自分たちの生きる道を模索するなかで、生活も支え合える“共同体”として窯を築く道を選んだ。</p>



<p>創業当初に目指していたのは、美術的価値の高い焼き物だった。しかし1949年、松江市在住の工芸家・金津 滋（かなつ しげる）氏から、“あなたたちには何も志がないみたいだ”と厳しい指摘を受ける。そしてこのとき、金津氏から手渡されたのが、民藝運動の父と呼ばれる柳 宗悦（やなぎ むねよし）の著書『私の念願』だった。自分たちの器づくりを見つめ直す中でこの本を読み込み、その思想に深く感銘を受けた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">民藝運動の牽引者･河井寛次郎との出会い</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02109__H6A1894.jpg" alt="" class="wp-image-55127" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02109__H6A1894.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02109__H6A1894-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02109__H6A1894-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>当時、日本では民藝運動が広がり始めていた。機械化や西洋化が進む中で、手仕事の価値や、暮らしの道具に宿る美しさを見直そうという考え方である。　</p>



<p>そうした民藝の考え方に共鳴した創業メンバーは1950年に京都へ赴き、民藝運動の中心的推進者の一人である河井 寛次郎氏を訪ねた。その後、河井氏は出西窯に足を運び、“毎日の生活道具を徹底的につくりなさい。人に喜ばれるものをつくりなさい”という考えを示し、日々使われる生活道具をつくることの大切さを伝えた。</p>



<p>さらにバーナード･リーチ氏らも、指導にあたった。リーチ氏はウェットハンドル技法と呼ばれる把手付けの技術や、洋食器づくりを伝えた。こうして出西窯は、実用の中に美を見出す「民藝」の思想を軸に据え、歩み始めた。やがて使い心地の良さが評判を呼び、次第に人々の暮らしの中へ広がっていった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">名を刻まない器に宿る価値</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02106__H6A1880.jpg" alt="" class="wp-image-55128" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02106__H6A1880.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02106__H6A1880-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02106__H6A1880-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>出西窯では商品に窯名や作者の名前を記すことはない。それは、民藝の思想に基づき、個人の名声ではなく、名もなき手仕事の積み重ねに価値があると考えているからだ。</p>



<p>1989年、出西窯は第10回日本陶芸展で優秀作品賞を受賞した。国内最大規模の陶芸公募展であり、その評価は出西窯が追求してきた用の美が認められた瞬間でもあった。</p>



<p>受賞作品・縁鉄砂呉須釉皿（ふちてっさごすゆうざら）の人気は高まり、深い青の色合いはやがて出西ブルーと呼ばれるようになる。</p>



<p>しかし、実際に賞を受けたあとも、特定の作者を前に出すことはせず、共同体としてのものづくりを続けてきた。誰か一人の作品ではなく、窯全体で生み出すものとして器を届ける。その姿勢こそが、創業時から変わらない出西窯の在り方だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日常を良くするものを手仕事で</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02166__H6A2101.jpg" alt="" class="wp-image-55129" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02166__H6A2101.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02166__H6A2101-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02166__H6A2101-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>こうして受け継がれてきた民藝の思想は、今なお息づいている。創業80年を目前に控え、職人は16人に増えた。出西窯の器には、土の質感や豊かな色合いがそのまま生きており、手に取ると形･重みがしっくりと馴染む。実用的でありながら、使うほどに愛着が深まるイメージが自然と湧いてくる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">登り窯がつくる、唯一無二の風合い</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02147__H6A2050.jpg" alt="" class="wp-image-55130" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02147__H6A2050.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02147__H6A2050-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02147__H6A2050-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>器の焼き上げには、伝統的な登り窯と現代的な灯油窯･電気窯を使い分けている。なかでも登り窯は、年に3〜4回だけ使われる特別な存在だ。登り窯は、斜面に沿って連なる薪窯で、炎の流れや灰のかかり方によって、器一つひとつに異なる表情が生まれる。だがその分、職人は数日間つきっきりで炎と向き合う必要があり、手間も負担も大きいため、使う窯元は少なくなっている。</p>



<p>「伝統をつなぐことと、炎をコントロールして窯を焚く技術を身につけるためにやっています。器づくりは、粘土から器への変化を覚えることが大事なんです」と多々納さん。窯内の温度が1,200〜1,300度になるとオレンジ色の光に包まれ、まるで神様がいるような幻想的な光景になるという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">使い手に誠実に、暮らし方の提案を多方面から</h2>



<p>1998年には、敷地内に展示販売場くらしの陶・無自性館を設けたことで、窯元に足を運ぶ人が徐々に増えた。器を売るだけでなく、暮らしの中で役立つ道具を届けるという考え方は、こうした場づくりにも受け継がれている。　</p>



<h3 class="wp-block-heading">創業時のデザインを受け継ぎ、新たな可能性も探求</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02102__H6A1868.jpg" alt="" class="wp-image-55131" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02102__H6A1868.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02102__H6A1868-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02102__H6A1868-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>食器を中心に、花器や酒器など幅広い商品を手がける出西窯。なかでも人気は、バーナード･リーチ氏の指導のもとで生まれたモーニングカップだ。100年、200年経っても変わらないものをつくりなさいという教えのもと、70年以上つくり続けている定番である。年間3,000〜4,000個を製作し、すぐに使い手のもとへと渡っていく。</p>



<p>一方で、新しい器づくりにも積極的だ。複数の職人がいる強みを生かし、それぞれが“使い手にとって何が良いか”を考え、形にしている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">実用性をひたすらに追い求めて</h3>



<p>コロナ禍には、キャットボウルという新たな商品が生まれた。食べやすさや飲みやすさを追求し、食事中に猫のヒゲが当たらず、吐き戻しが起きにくい高さと形状を実現。猫にも飼い主にもやさしい器として支持を集めた。使い手に徹するのが我々の流儀で、お役立ていただける確信がありました、と開発者は迷いのない瞳で語る。今後は、障がい者や子どもなど、多様な使い手にとって使いやすい器づくりにも取り組んでいきたいという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">人々に喜ばれる器を、これからも</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02084__H6A1735.jpg" alt="" class="wp-image-55132" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02084__H6A1735.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02084__H6A1735-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02084__H6A1735-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>出西窯が目指すのは、使う人にとって心地よいかどうか。装飾や個性を競うのではなく、手に馴染み、長く使える実用性を磨き続けてきた。</p>



<p>その器は決して主張しすぎない。それでも、使うほどに良さが伝わり、気づけば食卓にあり、暮らしの中に自然と溶け込んでいく。名を掲げずとも選ばれ続けてきた理由は、そこにあるのかもしれない。</p>



<p>創業以来受け継がれてきたのは、“人に喜ばれる生活道具をつくる”という民藝の精神である。時代が変わっても、健やかで丈夫に、そして長く使い続けられる器を届ける。その思いを受け継ぎながら、出西窯はこれからも暮らしをより豊かにする器づくりを続けていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55117/">より良い暮らしのため、民藝の器づくりを実直に「出西窯」／島根県出雲市斐川町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>高瀬川のほとりで受け継がれる出雲の筒描藍染。「長田染工場」長田匡央さん／島根県出雲市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 17 Aug 2026 08:00:52 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[すくも]]></category>
		<category><![CDATA[筒描藍染]]></category>
		<category><![CDATA[藍染]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_074.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>出雲市を流れる高瀬川のほとりに、藍染の工房「長田染工場」がある。かつてこの川沿いには数十軒もの染め物屋が軒を連ねていたが、今ではその営みを受け継ぐのはこの工房のみとなった。伝統技法「筒描藍染（つつがきあいぞめ）」を守りな [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_074.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>出雲市を流れる高瀬川のほとりに、藍染の工房「長田染工場」がある。かつてこの川沿いには数十軒もの染め物屋が軒を連ねていたが、今ではその営みを受け継ぐのはこの工房のみとなった。伝統技法「筒描藍染（つつがきあいぞめ）」を守りながら、藍と向き合い続ける仕事が、今も静かに受け継がれている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">高瀬川とともに続いてきた出雲の藍染</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_055.jpg" alt="" class="wp-image-55113" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_055.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_055-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_055-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>出雲市の市街地を流れる高瀬川。その川沿いに、「長田染工場」はある。創業はおよそ130年前。現在は5代目の長田匡央さんが4代目と共に工房を守り、藍染の仕事を続けている。</p>



<p>工房の建物には長い年月の積み重ねが感じられ、作業場には染めの道具や布が並ぶ。藍染に使われるのは、島根県西部で作られた石見焼の素焼きの甕（かめ）。創業当時には四十数個の藍甕が並んでいたというが、現在残っているのは８つ。それでも当時から受け継がれてきた甕を今も使い続け、藍染が行われている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">出雲で唯一、筒描藍染を受け継ぐ工房</h3>



<p>川の水は染色の工程に欠かせず、高瀬川が流れるこの地域は染めの仕事に適した場所だった。しかし時代の変化とともに染め物の需要は減り、工房の数も次第に少なくなっていった。全国を見渡しても、伝統技法「筒描藍染」を受け継ぐ工房はわずか三、四軒ほど。そんな中、「長田染工場」は「筒描藍染」という伝統技法を創業当時から道具も技法も、大きく変わることなく受け継いでいる、全国でも数少ない工房だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">手描きの力が残る「筒描藍染」とは</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_051.jpg" alt="" class="wp-image-55104" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_051.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_051-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_051-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>&nbsp;「筒描藍染」は、生地に糊で模様を描いてから藍で染める「後染め」の技法のひとつで、染め上がった生地を水ですすぐことで糊で描かれた部分だけが白く残り、模様が浮かび上がる。同じ模様を繰り返し染められる「型染め」とは異なり、手書きならではのゆらぎとダイナミックさが特徴だ。</p>



<p>制作は、代々受け継がれてきた型紙で下絵を付けることから始まる。そこへ筒袋に入れた糊を手で絞り出しながら、線を描いていく。描き終えたあとには米ぬかを振り、糊を固める。</p>



<p>その後、生地は染めと乾燥を十数回繰り返す。藍は空気に触れて酸化することで少しずつ青く発色していくため、回数を重ねるほどに、色は濃く深くなっていく。</p>



<p>最後に目の前に流れる高瀬川で糊を丁寧に洗い落とし、生地を竹竿に広げて乾かす。もちろん、糊の材料には米粉や米ぬか、塩など自然由来のものを使用するなど、環境への配慮もなされている。こうして一枚の布が完成する。大きなものでは、仕上がりまでに三週間以上かかることもあるという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">線に宿る、筒描の繊細な手仕事</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_041.jpg" alt="" class="wp-image-55105" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_041.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_041-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_041-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>模様を描く糊は、餅米100％で作られている。描き終えたあとには米ぬかをふりかけ、染料が布に入り込まないようにする。</p>



<p>糊を均等な太さで出しながら描き続けるには、長年の経験が必要だ。少しでも力加減が変われば、線の太さが変わってしまう。</p>



<p>下書きはあるものの、その通りにただなぞるだけでは面白くない。長田さんはそう話す。「人を立ち止まらせるような、力のあるものを描きたい」その言葉からは、手描きの仕事への強い思いが伝わってくる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">出雲の暮らしに根付いていた藍染の品</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_003-1.jpg" alt="" class="wp-image-55114" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_003-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_003-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_003-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>かつて出雲の地では、藍染の布は暮らしの中で広く使われていた。とくに婚礼の際には、嫁入り道具として筒描藍染の品が用意されたという。布団や夜具、油たん、風呂敷、提灯袋、傘袋など、日常で使うさまざまな布製品が藍で染められていた。</p>



<p>布の中央には家紋が入り、四隅には鶴や亀、松竹梅などの縁起の良い図柄が描かれるのがスタンダードなデザイン。家の繁栄や夫婦の長寿を願う意味が込められていた。</p>



<p>こうした藍染の布は、暮らしの節目を彩る大切な品でもあった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">使い込むほど深まる藍の色</h3>



<p>現在では婚礼文化としての藍染はほとんど見られなくなったが、風呂敷などにはその名残が残っている。</p>



<p>藍染の布は丈夫で、虫にも強いという特徴がある。使い続けるうちに色が布に馴染み、落ち着いた風合いへと変わっていく。</p>



<p>新品のときの鮮やかな藍色も美しいが、時間とともに少しずつ色がやわらぎ、生活の中に溶け込んでいく。その変化も藍染の魅力のひとつだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">藍という生きた染料</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_037.jpg" alt="" class="wp-image-55109" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_037.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_037-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_037-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「長田染工場」の藍染の染料となるのは「すくも」と呼ばれる天然の藍だ。タデアイの葉を収穫して乾燥させ、発酵と熟成を繰り返しながら、約100日かけて作られる。</p>



<p>長田家は元々、すくもの一大産地である徳島にルーツがあり、以前は徳島産のすくもを使っていた。現在は兵庫県播磨で作られたものを使用している。播磨の藍染は古くから知られているが、かつて一度衰退し、その後約10年前に復活したという。</p>



<p>天然の藍は手間も時間もかかる染料だが、独特の深い色合いを生み出す。長田染工場では、こうした天然藍を使った染めが続けられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「藍は生きている」発酵が生む色の変化</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_030-1.jpg" alt="" class="wp-image-55110" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_030-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_030-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_030-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>藍甕の中では、微生物が働き続けている。温度や湿度によって状態が変わり、染め上がる色合いも微妙に変化する。</p>



<p>藍甕の中をのぞき込みながら、長田さんはこう話す。</p>



<p>「藍は中で生きているんです」</p>



<p>染めの仕事は、藍の状態を見ながら進められる。夏と冬では発酵の進み方も異なり、色の出方も変わるという。長田さんが特に好むのは冬の「寒染め」。冬の冷たい空気の中で染めると、色がきりっと締まり、落ち着いた藍色になるそうだ。</p>



<p>同じ工程であっても、全く同じ色にはならない。その変化を受け止めながら染めていくことが、藍染の難しさであり面白さでもある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">暮らしの中で使われ続ける藍へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_014-1.jpg" alt="" class="wp-image-55111" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_014-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_014-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/0210_nihonmono_nagata_014-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>長田さんは、藍染を特別なものにしたくないと話す。<br>「もともと藍染は、生活の中で普通に使われていたものなんです」</p>



<p>その言葉の通り、工房ではストールやコースター、ブックカバーなど、現代の暮らしに取り入れやすい製品づくりにも力を入れている。かつて日常の中にあった藍を、もう一度、今の暮らしへと手渡していくような取り組みだ。</p>



<p>長田さんにとって藍染は、単なる仕事ではない。人生であり、生活そのものだ。受け継いできた技法を守るだけでなく、いまの暮らしの中で使われるかたちへと少しずつ変えていく。その積み重ねが、これから先の藍染を作っていくのだ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55093/">高瀬川のほとりで受け継がれる出雲の筒描藍染。「長田染工場」長田匡央さん／島根県出雲市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>出雲阿国ゆかりの地に、歌舞伎の灯をともす「出雲歌舞伎むらくも座」／島根県出雲市</title>
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		<pubDate>Mon, 17 Aug 2026 07:42:32 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
		<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[伝統芸能]]></category>
		<category><![CDATA[歌舞伎]]></category>
		<category><![CDATA[出雲阿国]]></category>
		<category><![CDATA[出雲歌舞伎]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2281.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>歌舞伎の始祖・出雲阿国（いずものおくに）ゆかりの地として知られる出雲。この地で、伝統芸能の火を守り続けている人々がいる。1975年に結成された「出雲歌舞伎むらくも座」は、一度途絶えた地域の出雲歌舞伎を復活させ、50年以上 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55081/">出雲阿国ゆかりの地に、歌舞伎の灯をともす「出雲歌舞伎むらくも座」／島根県出雲市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2281.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>歌舞伎の始祖・出雲阿国（いずものおくに）ゆかりの地として知られる出雲。この地で、伝統芸能の火を守り続けている人々がいる。1975年に結成された「出雲歌舞伎むらくも座」は、一度途絶えた地域の出雲歌舞伎を復活させ、50年以上にわたって公演を続けてきた。舞台に立つのはプロではなく、この土地で暮らす人たちだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">神話の里に残る、出雲歌舞伎の系譜</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2365.jpg" alt="" class="wp-image-55083" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2365.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2365-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2365-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>出雲神話の英雄・スサノオ伝説が息づく島根県出雲市佐田町（さだちょう）。古くから神楽や太鼓、歌舞伎など、芸能文化が人々の暮らしと深く結びついてきた。小さな山あいの町でありながら、今なお人々は祭りのたびに舞台を設け、日常の労働の合間に芸を磨いている。<br><s><br></s>歌舞伎の始祖・出雲阿国（いずものおくに）は、大社町（現・出雲市）で生まれ、京都で「かぶき踊り」を演じて一世を風靡。その後は再び故郷へ戻り、生涯を閉じたと伝えられている。現在も阿国の墓は、大社町の小高い丘に静かに佇む。</p>



<p>出雲歌舞伎の起源は江戸時代ともいわれるが、近代に大きく花開いたのは大正時代のことだ。広島出身の歌舞伎役者・嵐美里（あらしみさと）を招き、地域住民たちが本格的な歌舞伎を学んだことがきっかけとされる。祭りになれば地元の人々が舞台に立ち、農作業を終えた夜の芝居小屋には、笑い声と拍手が響いたという。</p>



<p>出雲歌舞伎と阿国を直接結びつける史料は残されていない。しかし、近代に出雲歌舞伎を伝えた嵐美里が持ち込んだ台本や演技の系譜をたどれば、その源流は京都で発展した歌舞伎文化に行き着く。阿国が京で始めた歌舞伎が、時代を超えて人から人へ受け継がれ、巡り巡って故郷・出雲に息づいたと考えると、その歴史は不思議な巡り合わせを感じさせる。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">空白の15年を越えて</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2162.jpg" alt="" class="wp-image-55084" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2162.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2162-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2162-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>戦後、時代は大きく変わる。娯楽の多様化、若者の都市流出、過疎化。さらに連合軍の占領政策により、刀剣などの小道具や台本が没収され、演目の上演は難航。そして1960年、出雲歌舞伎の灯は途絶えてしまう。</p>



<p>出雲歌舞伎が途絶えて15年、佐田町の青年団を中心に結成されたのが「出雲歌舞伎むらくも座」だ。親や近所の人々が演じていた歌舞伎を見て育った世代が、出雲歌舞伎の文化を絶やしたくないと立ち上がった。かつて大人たちが煌びやかに舞った姿は、見ていた子どもたちの記憶の中に、静かに残り続けていたのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading">若者たちが復活させた&#8221;農村歌舞伎&#8221;</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02816__H6A2427.jpg" alt="" class="wp-image-55085" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02816__H6A2427.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02816__H6A2427-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02816__H6A2427-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>若者たちは当時の資料をかき集め、古い台本を読み解き、かつて舞台に立っていた年配者から所作や台詞回しを教わる。練習場所は、廃校になった小学校の教室。仕事を終えた夜に集まり、深夜まで稽古を続けた。衣装や大道具は、手作りのものがほとんど。<br><br>古い台本の読み解き方、足の運び、視線の送り方、独特の節回し。農村歌舞伎は、文字だけでは継承できない。体で覚え、舞台で受け継ぐしかない世界だ。先人たちから直接教えを受けながら、少しずつ失われていた演目を蘇らせては舞台として甦らせていった。その過程で大切にされてきたのは、形の再現だけではない。なぜその所作をするのか、その台詞にどんな感情が宿るのか。意味を理解してはじめて、芸を次の世代へ渡せるのだ。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">小さな体育館から、世界の舞台へ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02752__H6A2206.jpg" alt="" class="wp-image-55086" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02752__H6A2206.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02752__H6A2206-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02752__H6A2206-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>若者たちの中心にいたのが、座長として長年むらくも座を支えてきた渡部良治（わたなべよしはる）さん。舞台演出から広報まで幅広く担いながら、歌舞伎を地域の文化として根付かせるために奔走してきた。この土地で生まれ育った渡部さんにとって、歌舞伎は芸能である以前に、幼少期の思い出であり、先人たちの憧れの姿そのものだったといえるかもしれない。<br><br>はじめての上演は、地元小学校の体育館。15年ぶりの復活上演とあって、会場には大勢の町内客が足を運んだという。座員が増えるとともに、会場規模も少しずつ大きくなり、やがて町内のホール約600席を埋めるまでに成長。1998年にはポルトガル・リスボン万博へ招かれ、地元ゆかりの演目「日本振袖始・簸（ひ）の川大蛇退治の段」を披露した。<br><br>以来、「むらくも座」は毎年秋に定期公演を実施。結成から51年、実に50演目を復活上演している。<br></p>



<h2 class="wp-block-heading">時代の流れを乗りこえて</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02786__H6A2351.jpg" alt="" class="wp-image-55087" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02786__H6A2351.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02786__H6A2351-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02786__H6A2351-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>渡部さんの長男・祥太郎（しょうたろう）さんは、9歳の子役の頃から舞台を踏んできた。受け継いだ芸と、この土地への愛着を胸に、現在は小学校での歌舞伎教室や子役の指導にもあたっている。親から子へ、舞台から客席へ。むらくも座の継承は、血縁と地縁が交差しながら続いてきた。<br><br>現在の座員は20代から90代まで幅広い世代で構成され、役者だけでなく衣装、小道具、舞台設営、音響、照明と、多くの地域住民やボランティアスタッフが舞台を支えている。しかし、歌舞伎人口の減少は全国的な課題であり、過疎化が進む佐田町を拠点とするむらくも座も例外ではない。座員の確保、新たな観客の開拓、県外へのPR。「むらくも座」の歴史が半世紀を越えた今もなお、乗り越えるべき壁は続いている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">笑いと迫力で、客席との距離を縮める</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/DSC_9901.jpg" alt="" class="wp-image-55088" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/DSC_9901.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/DSC_9901-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/DSC_9901-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>むらくも座が一貫して大切にしてきたのは、初めて観る人でも楽しめる演出にこだわること。普段は劇場に足を運ばない地元の人、歌舞伎に縁がなかった人にも、出雲歌舞伎に触れてほしいという意志の表れでもある。</p>



<p>源頼光（みなもとのよりみつ）による土蜘蛛退治（つちぐもたいじ）を描いた舞踊劇では、クライマックスで無数の蜘蛛の糸が舞台いっぱいに放たれる。張り巡らされた巨大な蜘蛛の巣を背景に、役者が低く腰を落とし、両腕を広げる瞬間。その迫力に、客席の子どもたちは思わず身を乗り出す。<br><br>一方、落語「詰込（つめこみ）」を題材にした人情喜劇では、空き巣の泥棒と夫婦の勘違い騒動が描かれ、会場は笑いに包まれる。演目によって表情をがらりと変えながら、むらくも座の舞台は客席との距離を少しずつ縮めてきた。<br><br></p>



<h3 class="wp-block-heading">地元の子どもたちを舞台へ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2434.jpg" alt="" class="wp-image-55089" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2434.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2434-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/MG_2434-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>演出の工夫に取り組む一方、次世代育成への取り組みも欠かせない。地元の小中学生を対象にした歌舞伎教室を継続開催しているほか、定期公演に組み込まれる「子ども歌舞伎」は今や名物となっている。<br><br>昨年上演された演目「白浪五人男（しらなみごにんおとこ）」では、出演する子ども一人ひとりに台詞が用意された。衣装をまとい、白塗りの顔で舞台に立ち、スポットライトを浴びる経験は、芸を覚えるだけでなく、子どもたちがこの土地に伝わる文化を自分ごととして捉える特別な体験でもある<br></p>



<h2 class="wp-block-heading">秋の舞台に、灯がともる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02791__H6A2373.jpg" alt="" class="wp-image-55090" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02791__H6A2373.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02791__H6A2373-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/nih9_02791__H6A2373-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>毎年秋、佐田町のスサノオホールで開催される定期公演の日。会場は提灯の灯りに包まれ、まるで昔ながらの芝居小屋のような空気に変わる。舞台の上に立つのは、特別な職業の役者ではない。普段はこの地域で暮らし、働く人たちだ。だからこそ、芝居にはどこか親近感が漂う。地域の文化を守る覚悟と誇りが、舞台の熱量として静かに客席へ届いていく。<br><br>一度消えかけた出雲歌舞伎の灯は、若者が受け継ぎ、子どもたちへ渡し、地域全体で支えながら、半世紀という時間をつくってきた。出雲阿国ゆかりの地で育まれてきた伝統は、今日も静かに燃え続けている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55081/">出雲阿国ゆかりの地に、歌舞伎の灯をともす「出雲歌舞伎むらくも座」／島根県出雲市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>全国から注文が入るフルーツトマト「うしの恵み」を育てる家族「眞嶋農園」／高知県香南市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 17 Aug 2026 07:25:02 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新着記事]]></category>
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		<category><![CDATA[畜産]]></category>
		<category><![CDATA[フルーツトマト]]></category>
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		<category><![CDATA[野菜ソムリエ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-182718.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県は、「フルーツトマト」と呼ばれる、高糖度トマトの発祥の地と言われており、県内各地で付加価値の高い高糖度トマトが生産・販売されている。県で3番目の生産量を誇る香南市で、「うしの恵」と名付けた「フルーツトマト」のブラン [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55058/">全国から注文が入るフルーツトマト「うしの恵み」を育てる家族「眞嶋農園」／高知県香南市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-182718.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>高知県は、「フルーツトマト」と呼ばれる、高糖度トマトの発祥の地と言われており、県内各地で付加価値の高い高糖度トマトが生産・販売されている。県で3番目の生産量を誇る香南市で、「うしの恵」と名付けた「フルーツトマト」のブランド化に成功しているのが、眞嶋農園だ。眞嶋農園は、高知龍馬空港から約10分、高知県の東部エリアへ伸びる国道55号近くにある。住宅と畑の間に厩舎とビニールハウスが建つ、家族経営の酪農家兼農家だ。牛乳を生産し、牛糞を「濃縮堆肥」にして販売、さらに堆肥を使って旨味のある「フルーツトマト」を育てることに取り組んできた。また、同じ堆肥で、耕作放棄地を活用した青パパイヤ栽培や、飼料にする牧草を育てて、持続可能な循環型の耕畜連携を実践している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">酪農と農業の循環を築き、継承に力を注ぐ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-172203.jpg" alt="" class="wp-image-55069" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-172203.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-172203-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-172203-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>代表の眞嶋順一さんは、「うちは元々、父の代から約60年続く酪農家なんです」と語る。26年前、母の入院をきっかけに、眞嶋さんが妻と息子を連れて県外からUターンして、家業を継いだのだそうだ。</p>



<p>飼育しているのはホルスタイン種という搾乳に特化した牛で、現在は35頭を世話する。しかし、飼料の高騰や、少子化による学校給食での牛乳消費量の減少など、酪農を取り巻く環境は厳しい。「酪農は、家族経営ではだんだん厳しくなっていて、メガファームやギガファームといった大規模化、IT化が進む流れもあります」と眞嶋さんは言う。</p>



<p>そんな環境下で、眞嶋家は、自給飼料への切り替えを図るなどしてコストを下げながら、酪農と農業を循環させる工夫を続けている。今では、主に眞嶋さんが酪農を、野菜ソムリエの資格を取った妻の美加さんがトマト栽培を担い、息子の将さんが夫婦の後継として共に働いている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">超濃縮タイプの“乾燥牛糞堆肥”づくり</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-175214.jpg" alt="" class="wp-image-55070" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-175214.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-175214-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-175214-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>眞嶋さんは父から酪農を引き継いで以降、酪農の副産物である糞尿をどう活かすか試行錯誤を重ねたという。</p>



<p>父が取り組み始めていた堆肥づくりを、販売できるまでにするにはどうすればよいか。本を読むなどしていろいろ調べ、糞尿を乾燥装置で水分10％以下まで落とし、その乾燥堆肥を水分調整材として再利用する独自の手法を編み出した。</p>



<p>「一度出来上がった乾燥堆肥を混ぜることで水分を調整して、また良い堆肥ができる。これを繰り返すことで、オガクズなどを入れることなく、高品質な堆肥を安定的に製造できています。</p>



<p>並行して、父は販売を見据え2000年頃から堆肥の効き目を検証するために『フルーツトマト』栽培を始めていました。トマト農家を営む親戚から栽培について教わり、その2年後に私たち夫婦がノウハウを受け継いだんです。堆肥の投入量の適正化を含め家族で試験を重ねてきました。</p>



<p>トマトが美味しいと言われて売れるようになり、堆肥の品質の良さが証明されたことで、堆肥も売れるようになりましたが、軌道に乗るまで、5～6年かかりましたね」</p>



<p>酪農家が堆肥をつくることは珍しくない。一般的には、糞尿に籾殻やオガクズを混ぜて発酵させることで水分量が60％以上の発酵堆肥が作られている。ただ、眞嶋農園のように糞尿を乾燥させた堆肥を水分調整に用いる例は非常に珍しい。</p>



<p>眞嶋農園の牛糞99.9％という超濃縮タイプの“乾燥牛糞堆肥”は、軽くて扱い易く、肥料としての質が高い。評判が広がるにつれ農家からの注文が増えて、現在は製造が追いつかないほどだそう。</p>



<p>「農作物の肥料として少量でも十分な効果を発揮する点が自慢です」と眞嶋さんは言う。</p>



<h3 class="wp-block-heading">始めは大玉、徐々に高糖度の「フルーツトマト」に仕上げる </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-175636.jpg" alt="" class="wp-image-55071" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-175636.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-175636-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-175636-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そもそも「フルーツトマト」とは特定の品種名ではない。品種やサイズに関わらず、糖度が8以上あるものを「フルーツトマト」と呼ぶ。小ぶりな「ミニトマト」はフルーツトマトと混同されがちだが、ミニトマトはあくまでも形で分類された小さいトマトの総称。規定の糖度を越えなければフルーツトマトとして出荷することはできない。そのため、糖度を上げるための栽培方法が重要になってくる。一般的には、小ぶりな品種のトマトを選び、水分制限して育てると糖度を上げやすいと言われるが、眞嶋農園のトマトは、独自の栽培方法を確立している。</p>



<p>眞嶋農園では、品種は大玉トマトの「桃太郎ファイト」を使う。食味、柔らかさ、皮の硬さなどの観点でいろいろな品種を試した結果、最終的に選んだ。年配の人にも美味しく食べてもらえる皮の食感だという。</p>



<p>「現在も試し続けていますが、ここ数年は今の品種が一番うちの栽培方法にピタッと合っていると思います」と、美加さん。</p>



<h2 class="wp-block-heading">眞嶋流は、どこよりも時間をかける</h2>



<p>何より特徴的なのは、急がず、健康的な株を育ててから“ゆっくりと高糖度に仕上げる”という考え方だ。他所よりも時間をかけて育てるため、「他のフルーツトマトはもう店頭に並んでいるけど、おたくのトマトの出荷はまだなの？」と、お客さんから問い合わせを受けることもあるのだとか。</p>



<p>多くの農家は、根の広がりを制限して水の管理を徹底する「隔離栽培」を行うことで早く糖度を上げて「フルーツトマト」に仕上げようとするのに対し、眞嶋農園では根の広がりを制限しない。むしろ、しっかり根を張った健康的な株を育てることに時間をかける。水を制限するのも段階的だ。敢えて、最初から「フルーツトマト」にしないというのが、こだわりだ。</p>



<p>「そもそもフルーツトマト専用の種はなく、大玉トマトの品種を栽培方法でフルーツトマトに仕上げていきます。うちの場合は接ぎ木をせず、茎を太くして根がいっぱい張るように育てています。さらに堆肥の効果が後まで続くようにと考えて、最初に堆肥を少し多めに入れるため、その効き目が出て、初めは大玉がつきます。そこから、糖度を上げるために徐々に水分を制限することで、結果的に小ぶりになってはいきますが、他より大きめのトマトでも糖度が乗ったものができます。</p>



<p>単に甘いだけでは魅力を感じません。甘み・酸味のバランスを整えた上でのトマトらしい甘みであってほしいし、自家製の牛ふん堆肥による独自の旨みを大事にしています」と、眞嶋さんは言う。</p>



<h3 class="wp-block-heading">トマトの目利きは、妻と息子</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-181810.jpg" alt="" class="wp-image-55072" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-181810.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-181810-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-181810-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>糖度は、実が色づき始めた頃にはほぼ決まっており、そこから追熟が進むと酸味が旨味に変わっていき、甘みも強く感じられるようになり微妙な味わいの変化があるという。</p>



<p>「糖度が上がってくると、トマトの中の果肉が透けて見えるようになります。また、糖度が高くなるひとつの目安に、青いトマトのヘタ部分に入る『ベースグリーン』と呼ばれる濃い緑色のラインがあります。スターマークは知られるようになりましたが、そんなことも目安に日々食味しながらトマトの状態を確認しています。目利きはもう、妻と息子には敵わないです」と、眞嶋さん。続けて、妻の美加さんが言う。</p>



<p>「トマトの見極めは、家族で手分けして行っています。人を育てないと、とは思いますし、画一性を求めるなら人に任せず糖度センサーを入れればいいんでしょうけど、お客さんによって異なる好みに対して、直にお応えしたい。やはり相手の顔が見えている中で販売・やり取りしていますので、大切にしたい部分なんです」</p>



<p>「フルーツトマト」の産地として知られる高知県だけあって、競合も多い。そんな中で、眞嶋農園はきめ細かさで、顧客の要望に応えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">独自の“斜め誘引”と、5,500本を支える手仕事</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180144.jpg" alt="" class="wp-image-55073" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180144.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180144-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180144-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>トマトの圃場に入ると、まず目を引くのが“斜め誘引”という珍しい栽培方法だ。株を斜めに伸ばし、根を自由に張らせているという。「吊るし式も試しましたが、収穫姿勢が厳しく断念しました」と、眞嶋さん。</p>



<p>斜め誘引は、株が成長するにつれ収穫位置が上がり、作業がしやすい。ただし手間は膨大だ。5,500本すべてを紐でくくり、脇芽を取り、毎日手入れをする。繁忙期は家族だけでは手が足りないので、手伝ってもらう。これが最初に教わった方法だったという。以来、20年以上、眞嶋さんはずっと手間を惜しまず、斜め誘引を継承している。</p>



<p>また、ハウスの温度や湿度の管理は、コンピュータ制御ではなく、経験と経験に培われた勘で乗り越えてきた。南国・高知と言われるだけあって、冬でも日中の気温が12〜16℃あって温かい。そのうえ、気候変動でハウス内が30℃になる日も出てきたが、「自分たちの目と感覚で管理しています」と美加さん。手を抜かず、積み上げてきた経験がものを言う。</p>



<h3 class="wp-block-heading">害虫対策は、農薬の使用量を減らして天敵昆虫を使う「環境保全型農業」 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180240.jpg" alt="" class="wp-image-55074" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180240.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180240-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180240-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>さらに、トマト栽培に害をなすコナジラミの対策には、トマト苗生育中に並行して、ごまを育て、天敵昆虫のタバコカスミカメを自家採種。タバコカスミカメの餌植物であるクレオメを植えて自然繁殖させ、害虫の発生を抑制させる。農薬の使用を減らす「環境保全型農業」も実践していた。高知県は全国的に見てもこの「環境保全型農業」への意識と実践が非常に高い。JAが中心となって農薬に頼らない栽培を推進している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">野菜ソムリエ仲間の口コミから広がった、「うしの恵み」の輪</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180527.jpg" alt="" class="wp-image-55075" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180527.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180527-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180527-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>販路拡大のきっかけは、妻の美加さんの野菜ソムリエ資格の取得だった。夫に付き添ってIターンして数年後、美加さんは友人5人と毎週末、高知から香川まで通って野菜ソムリエの資格を取得する。その後に知り合った県内外の野菜ソムリエ仲間がレストランや百貨店と繋いでくれたり、SNSで発信してくれるなど気にかけてくれた。こうして口コミが広がって、県外からの注文が増えていったという。</p>



<p>「お客さんがお客さんを呼んでくれるんです」。<br>営業に出る時間がない家族経営にとって、これは大きな力になった。<br>ハウスの広さは25アール。「もっと広げたら？」と言われるが、品質を守るためにあえて増やさない。</p>



<p>「二人でしっかり見られる限界が25アールなんです」と、夫妻は言う。</p>



<p>規模よりも味。今のお客さまに喜んでもらえることが一番。その姿勢が、ファンを増やし続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">牛を可愛がることが、美味しい牛乳につながる </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-172839.jpg" alt="" class="wp-image-55076" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-172839.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-172839-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-172839-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一方、厩舎を覗くと、乳牛たちが穏やかに牧草を食んでいた。子牛が興味深そうにこちらを見てくる。「さくらちゃん、さくらちゃーん」と、美加さんが声をかける。厩舎の牛たち全頭に名前がついており、赤ちゃんの頃から「かわいいね」と声をかけ続けるのだそうだ。ストレスを与えないことが、美味しい牛乳の第一条件だからとはいえ、美加さんの声は、母親がわが子に呼びかけるように優しい。</p>



<p>牛舎にはミストと大型扇風機が設置され、暑さに弱い牛を守る。角は幼少期に焼いて除角し、怪我を防ぐ。1日4回、1頭25kgの餌を食べ、約30Lの牛乳を出す。繁殖も丁寧だ。生後14ヶ月で初めての種付け、妊娠期間は10か月。出産2か月前からは搾乳を止め、赤ちゃん牛に栄養を回す。</p>



<p>さらに、県の事業として「土佐あかうし」の受精卵移植にも協力。ホルスタインが代理母となり、地域の畜産を支えている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">“去年の美味しさ”を超えるために。続いていく家族の挑戦  </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180853.jpg" alt="" class="wp-image-55077" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180853.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180853-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/24ushi-180853-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>酪農から出た堆肥が、農作物を育て、乳牛たちの飼料になり、美味しい牛乳となる一連の循環が、眞嶋農園を支えている。</p>



<p>眞嶋農園では、トマトの収穫は12月から6月末まで。そこで一旦区切りを設けて、次の植え付けに着手するというが、美加さんは、植え付けからの手入れ期間は「一番楽しい」と笑う。逆に収穫が始まると緊張の日々なのだとか。</p>



<p>「これまでは、良くする努力を重ねてきましたが、おかげさまで、お客さんに付いていただけるようになったので、今度は、できるだけ味を変えない努力をしています。息子が苦労している最中ですが、先の状態を想像しながら管理していくことは、気候変動の中では非常に難しいと、ここ近年感じています」</p>



<p>美加さんは、「お客さんの記憶の中の“美味しい”は年々美化されていきます。だから、それを超えるぐらいの気持ちでトマトを作って、次の年も「美味しい」と言っていただけるようにと想いを込めて作っています」と言う。</p>



<p>水の管理と玉の大きさの調整、機械に頼らずに生育状態を日々自身の目で細かく見極めるなど、味を狂わせないための数々の努力と、家族だけが可能な“目利き”が、今年もトマトを仕上げていく。</p>



<p>牛と堆肥とトマトがつくる“恵みの循環”は、家族の力でこれからも続いていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55058/">全国から注文が入るフルーツトマト「うしの恵み」を育てる家族「眞嶋農園」／高知県香南市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>香りを磨き、山を守り、酒を夢見る。「鳥飼酒造」鳥飼和信さん／熊本県人吉市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 06 Aug 2026 10:13:26 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[酒造]]></category>
		<category><![CDATA[吟香鳥飼]]></category>
		<category><![CDATA[球磨焼酎]]></category>
		<category><![CDATA[草津蒸溜所]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3684.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>朝露に濡れた野花のように、みずみずしく、澄んだ香りがする米焼酎がある。口に含むとやわらかな甘みが広がり、そして霧のようにスッと消える。造り手の鳥飼和信さんは約10年の月日をかけ、他の米焼酎とは一線を画す味わいを導き出した [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3684.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>朝露に濡れた野花のように、みずみずしく、澄んだ香りがする米焼酎がある。口に含むとやわらかな甘みが広がり、そして霧のようにスッと消える。造り手の鳥飼和信さんは約10年の月日をかけ、他の米焼酎とは一線を画す味わいを導き出した。その酒の名は「吟香鳥飼（ぎんかとりかい）」という。</p>



<h2 class="wp-block-heading">24歳でUターンし、400年続く酒蔵を継ぐ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3702.jpg" alt="" class="wp-image-55034" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3702.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3702-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3702-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>熊本県の南端にある人吉球磨（ひとよしくま）地方。九州脊梁山脈（きゅうしゅうせきりょうさんみゃく）に囲まれた三日月型の盆地で、夏は蒸し暑く、冬は一帯が濃い霧に包まれる。美しくも険しい山々からは良質な水が湧き出し、日本三大急流の球磨川となって盆地の中央を流れ下り、その流域に肥沃な土壌と豊かな水資源をもたらしてきた。盆地特有の寒暖差の大きな気候と豊穣な土地は熊本でも有数の米どころとなり、この米から造る焼酎「球磨（くま）焼酎」は約500年の歴史を誇る。</p>



<p>1949年、鳥飼和信さんは人吉市で400年続く球磨焼酎の酒蔵「鳥飼酒造」に生まれた。鳥飼家は平安時代に京都から移ったとされ、江戸時代には醸造酒、焼酎、酢、味噌、醤油などを製造していた記録が残る。</p>



<p>鳥飼さんは7人きょうだいの末っ子で、地元の高校を卒業後は画家を目指して東京で暮らしていた。酒蔵は次兄が継いでおり、自身が家業に関わることは考えてもいなかったのだ。ところが1973年、24歳の時に、長兄から父親が病に倒れたとの連絡を受ける。この時、家業を継いだ次兄も蔵の経営不振によりその職を退いており、誰が次兄に代わって蔵を守っていくか、兄弟それぞれが別の道を歩んでいる中で、最終的に白羽の矢が立ったのが鳥飼さんだった。こうして鳥飼さんは、​​思いがけず家業を継ぐこととなった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">吟醸香を手がかりに新たな焼酎の開発を目指す</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3222.jpg" alt="" class="wp-image-55035" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3222.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3222-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3222-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>祖父の代には当時37軒あった球磨焼酎の酒蔵の中で5番目の大きさであることにあぐらをかいていた家業は、味や品質、販路開拓などで切磋琢磨する周囲の蔵の勢いに押されていつしか経営が厳しくなっており、鳥飼さんが継いだ頃には34軒中の最下位となっていた。早朝から夜中まで休みなく働き、蔵を維持するために働く毎日が始まった。精米から製麹、仕込み、瓶詰め、空き瓶回収まで何でもやった。</p>



<p>だが、頑張った分だけ売り上げが増えるとは限らないのが商売だ。狭い盆地内での価格競争は年々激しくなり、鳥飼さんは生き残りをかけて消費者への直接販売に踏み切った。さらに、1980年前半に起きた第二次焼酎ブームで、大手との競争も激化。代々造っていた米焼酎「清球（きよたま）」は鑑評会で1位を取ったこともあるが、突出した個性がなく、他の酒蔵の商品に埋もれてしまっていた。そこで、鳥飼さんは新たな焼酎の開発を決意した。</p>



<p>開発の手がかりとしたのは吟醸香。日本酒の酵母の発酵中に生成される果実や花のような香りの元となる成分。それを日本酒の業界では吟醸香と呼ぶ。</p>



<p>「香りは味わいであり、酵母菌の醸し出す香りを蒸留酒に出来ないか」と蒸留家たちが考えた時代だった。以来、古文書や論文を読み解き、名工と呼ばれる杜氏や研究者たちを訪ね歩いて、研究と実験を繰り返した。実験が成功したと思っても、よくよく確かめると理想とする香りとは違っていたり、再現ができなかったり。ようやく求める焼酎が完成したのは1994年。開発を決意してから約10年が経っていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">再生させた自然の中で新しい焼酎を追い求める</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3486.jpg" alt="" class="wp-image-55036" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3486.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3486-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3486-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>完成した会心の作の焼酎は、自身の氏を冠して「吟香鳥飼」と名付けた。米を58％まで磨き上げた吟醸麹と自家培養の酵母から生まれる吟醸香。他に類をみない印象的な味わいの焼酎として「吟香鳥飼」は発売からすぐに注文が殺到し、1996年のモンドセレクション国際食品コンクールではジョニーウォーカーと並んで特別金賞を受賞した。</p>



<p>この反響を受け、鳥飼酒造は「吟香鳥飼」1銘柄に絞り販売を開始。こうすることでブランディング力を高め、人気を落としていた旧銘柄のネガティブも払拭できると考えた。だが、「吟香鳥飼」の完成から約30年、鳥飼さんはまた新しい焼酎を追い求め続けている。その転機となったのが「草津（そうづ）蒸留所」と「斧研（よきとぎ）麹蔵」の竣工だ。</p>



<p>草津蒸留所は、人吉盆地に僅かに残されていた清流である草津川流域に産業廃棄物処理場の計画があることを聞かされ、それをストップさせるため2000年に150haの山林を買い取った。</p>



<p>そして 、過度な森林伐採や土石流で荒廃していた自然を5年がかりで再生させたのだ。会社の事業の一環として、石を積んで護岸を築き、廃木や落石を搬出し、広葉樹を植えて清流を取り戻した。そして2005年、草津蒸留所が完成した。続いて2012年、耕作放棄地と山林を整地した15haの土地に斧研麹蔵が完成する。</p>



<p>鳥飼さんはこれらの取り組みに踏み切った理由を「環境の手入れを含むすべてが酒造りである」 と話す。山林と川を蘇らせ、清らかな水を生み出すことが、酒の品質の向上を目指す上で避けて通れない命題であるとの考えだ。今はこの2つの建物で「吟香鳥飼」のブラッシュアップと製造を続けるとともに、新しい焼酎の試作も行っている。かつては蔵の看板商品だった「清球」も、今の時代にそぐわせる形で再生産ができないかと思案している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">夢にまで見る“どこにもない酒”</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3495.jpg" alt="" class="wp-image-55037" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3495.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3495-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_3495-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>鳥飼さんが案内してくれた草津川は、かつて荒廃していたとは思えないほど清らかだった。蒸留所でタンクを洗浄した水は、域外の施設に持ち出して処理している。米は麹蔵で洗ってから、蒸溜所へ運ぶ。手間としか思えない作業を繰り返すのは、たとえ浄化したとしても排水を草津川に流したくないとの思いからだ。目の前の清流はこうした選択の積み重ねによって守られているのだと実感する。</p>



<p>鳥飼さんはこれまで酒造りや自然との関わり方を感覚だけで決めるのではなく、あらゆる事象を読み解き、多角的に考え抜き、そして信念を曲げることなく前に進んできた。</p>



<p>「酒の優れたところを全て持っていて、どこにもない酒。そんな酒ができた夢を見て、眠りから覚めることがある」。</p>



<p>鳥飼さんが追い求めているのは、単なる「新しい酒」ではないのかもしれない。人吉球磨の風土と自然、人の営みや概念までもを宿した、時空を超えた一滴なのだろう。「完成はそう遠くないと思いますよ」。鳥飼さんの朗らかな声が、奥山の澄んだ空気の中に溶けていった。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55028/">香りを磨き、山を守り、酒を夢見る。「鳥飼酒造」鳥飼和信さん／熊本県人吉市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>夢の機械を創る、100年企業が描く農業と未来。「井関農機株式会社／株式会社ISEKI M&#038;D」／愛媛県松山市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 06 Aug 2026 10:02:18 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[農業機械]]></category>
		<category><![CDATA[スマート農業]]></category>
		<category><![CDATA[ISEKI　Dream　Gallery]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-27.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本を代表する農業機械メーカーのひとつである、井関農機株式会社。創業者、井関邦三郎氏は、北宇和郡三間（みま）村（現宇和島市）生まれであり、三間はおいしい米（三間米）の産地としても知られる農村地域である。 農家を過酷な労働 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-27.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本を代表する農業機械メーカーのひとつである、井関農機株式会社。創業者、井関邦三郎氏は、北宇和郡三間（みま）村（現宇和島市）生まれであり、三間はおいしい米（三間米）の産地としても知られる農村地域である。</p>



<h2 class="wp-block-heading">農家を過酷な労働から解放したい</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-31.jpg" alt="" class="wp-image-55019" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-31.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-31-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-31-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>創業者･井関邦三郎氏、誕生の地である愛媛県。松山市にある「ISEKI　Dream　Gallery」では、井関農機株式会社の歴史や技術を展示している。井関邦三郎氏は、幼いころから家業である農業に携わっていた。当時の農作業は重労働であり、「農家を過酷な労働から解放したい」という強い想いを抱いていたという。人の手から機械へと移り変わる時代の中で、より良いものを追求する情熱が原動力となり、1926年に松山市で「井関農具商会」を創立。最初に手がけた農機は「全自動籾すり機」だった。その後も農業の機械化と近代化に貢献し、戦後の食料増産や高度経済成長を支える企業へと発展していく。</p>



<h3 class="wp-block-heading">農業の未来を動かす、松山発のモノづくり</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-5.jpg" alt="" class="wp-image-55020" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-5.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-5-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-5-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>1936年に、松山市に工場を設立。戦後の食料増産、高度経済成長を支える、農業の機械化･近代化に貢献する数々の農業機械を開発･生産してきた。1978年には松山工場にて大型トラクタ生産を開始。長い歴史を持つ同工場は、現在も「株式会社ISEKI M&amp;D」としてISEKIグループの農業機械の製造部門を担っている。ISEKIグループにおける「スマート農業」「環境保全型農業」といった取り組みにおいて、製造面から支える、モノづくりの中核拠点だ。</p>



<p>「人の手作業から機械化へと変えていくなかで、本当に役立つ機械を作りたい。“ええもんを作ろう”という創業者の理念を、今も受け継いでいます」と、株式会社ISEKI M&amp;D 代表取締役社長の酒井正弘さんは話す。</p>



<p>ISEKI M&amp;Dで製造する農業機械は小規模農地向けから130馬力の高出力トラクタまで幅広く、海外で活用される芝刈機や、雑草抑制･農薬肥料散布･土壌水分保持などを行う乗用管理機など、多様な製品を手掛ける。部品加工から塗装、組み立てまで社内で一貫して行う体制を整えているため、多品種少量の製品に素早く対応でき、農家にとって使いやすく、手に取りやすい製品づくりにつながっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">スマート農業と野菜作機械化一貫体系</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/eb49b87ebc41ecad7a20bce4a0993fcb.jpg" alt="" class="wp-image-55021" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/eb49b87ebc41ecad7a20bce4a0993fcb.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/eb49b87ebc41ecad7a20bce4a0993fcb-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/eb49b87ebc41ecad7a20bce4a0993fcb-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>農業を取り巻く現実は厳しい。従事者の高齢化や後継者不足で、人手はどんどん減少している。収穫や植え付け、管理といった作業は、季節や天候に合わせて短期間で集中して行う必要があるため、限られた人手ではとても追いつかない。こうした現場で求められているのは、少ない労力で確実に収量を確保できる農業機械の技術だ。</p>



<p>ISEKIは、農業の効率化と環境保全を両立させる「スマート農業」に注力している。ITやセンサー、GPS、ロボットといった最新技術を活用し、作物の状態やほ場の条件に応じた作業を可能にすることで、少ない人手でも高い生産性を実現する。</p>



<p>スマート農業技術を搭載したトラクタやロボットトラクタの開発･生産も行う。たとえば、GPSを利用した位置測位により、トラクタはほ場内での直進走行をアシストできる。これは作業者がステアリングで細かく舵を切る必要がなくなるため、疲労を軽減できるというものだ。また、ロボットトラクタは有人監視のもと、人と協調して作業を行うことで、作業効率の向上にも貢献している。</p>



<p>ほかにも、ほ場内の状態に応じて肥料量を調整する「可変施肥技術」を2015年に開発。肥料の無駄を抑えながら、生育のばらつきを少なくし、品質や収量の安定につなげるなど、環境負荷の軽減と生産性向上の両立を目指している。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/788A9720.jpg" alt="" class="wp-image-55022" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/788A9720.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/788A9720-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/788A9720-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p><strong> </strong>1990年頃には機械化の進展により、稲作における労働時間が1960年の4分の1となる一方で、野菜作に関しても省力化のニーズが高まる。田植機･コンバイン･乾燥機など、機械化一貫体系が進んでいる稲作に比べると、当時の野菜作は機械化が遅れており、軽労化･省力化が求められてきた。ISEKIは、全自動野菜移植機「ナウエルPV101」の商品化に始まり、「野菜作機械化一貫体系」に力を入れてきた企業でもある。</p>



<p>実は野菜作りは、地域ごとに作業のやり方が大きく異なるという特徴があるそうだ。たとえばネギの場合、一口に「長ネギ」と言っても、地域ごとに品種や栽培方法が異なる。畝（うね）の幅や植え付けの間隔にも地域性があり、ISEKIではそれぞれの地域に合わせて、畝幅や植え付け間隔を調整できる機械を開発している。</p>



<p>　さらに、だいこん･玉ねぎ･キャベツ･ブロッコリー･サトイモ･ニンジン･レタス･枝豆･ネギ･かんしょなど、幅広い作物に対応できる機械や資材をそろえ、「野菜作機械化一貫体系」を確立。苗の育成から植え付け、管理、収穫、選別まで、野菜作り全体の工程を一貫して機械化できる体制を整えている。これにより、多品種少量の生産や地域ごとの栽培条件の違いにも柔軟に対応でき、少人数でも効率的かつ品質の安定した農作業が可能になる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">創業100年、技術と人で未来の農業をつなぐ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-47.jpg" alt="" class="wp-image-55023" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-47.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-47-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/iseki-47-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現場の解決につながる技術開発を積み重ね、ISEKIはトラクタや田植機、コンバインなど農業機械の開発に関わる技術をはじめ、約2,200件の特許権を保有している 。培ってきた技術力が、スマート農業の進化を支え、現場の農業をより確実で、より負担の少ないものに変えている。</p>



<p>ISEKI M&amp;Dで製造されている新型機種もそのひとつ。GPSなどのデジタル技術を活用したスマート農業にも取り組んでいる。こうした技術は、長年の経験で培われてきた農作業のノウハウをサポートするものだ。例えば、熟練者が感覚で行っていた正確な作業を機械が補助することで、経験の浅い作業者でも一定の品質で作業しやすくなる。人から人へ受け継がれてきた農業技術を、デジタルの力で次世代へつないでいくことで、担い手不足の解消や持続可能な農業の実現を支えている。&nbsp;</p>



<p>農業現場の人手の減少や、気候変動の影響もあり、農業現場の人手は減少。効率化と環境への配慮は欠かせない。国の「みどりの食料システム戦略」も追い風となり、省力化や有機農業など、持続可能な農業への転換が求められている。</p>



<p>ISEKIは2026年に創立100年を迎え、長年の技術と経験を誇る企業としてこの課題に向き合う。大型･先端･畑作･環境対応の農業機械を開発し、省力化と環境保全を両立。電動化をはじめとする環境対応技術を拡充し、高品質な農機を通じて生産性の高い持続可能な農業を後押しする。</p>



<p>さらに次世代の技術者育成にも力を注ぐ。設計や製造、最新技術に触れる実践の場で課題解決力や判断力を磨き、長年培われた技術や知恵を学ぶ姿勢も大切にしている。こうして育まれた人と技術の力が、農業の効率化や環境配慮に直結し、より持続可能で豊かな農業を支えていく。技術と人が紡ぐものづくりは、これからも農業に新しい可能性を届けるだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/55014/">夢の機械を創る、100年企業が描く農業と未来。「井関農機株式会社／株式会社ISEKI M&D」／愛媛県松山市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>土地にある自然の“色”と“形”を作品に落とし込む染織作家「Snow hand made」／青森県弘前市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 06 Aug 2026 09:48:11 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[染織作家]]></category>
		<category><![CDATA[アクセサリー]]></category>
		<category><![CDATA[藍染め]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_42.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>沖縄で人生が変わった佐々木亮輔さん・由貴さんの2人が手がけるのは、伝統的な技法を取り入れたデザイン性の高いものばかり。手に取った人が思わず笑顔になるような作品の裏には、二人らしい自然体の生き方があった。 波照間島の暮らし [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_42.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>沖縄で人生が変わった佐々木亮輔さん・由貴さんの2人が手がけるのは、伝統的な技法を取り入れたデザイン性の高いものばかり。手に取った人が思わず笑顔になるような作品の裏には、二人らしい自然体の生き方があった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">波照間島の暮らしから得た創作の心と生き方</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_15.jpg" alt="" class="wp-image-55006" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_15.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_15-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_15-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>街並みや文化に城下町の名残がある青森県弘前市は、津軽塗やこぎん刺しなどの伝統工芸が今も根強く残っている。その弘前市に工房を構える「Snow hand made」は、亮輔さん・由貴さん夫婦が分業で制作を行う染織作家だ。</p>



<p>亮輔さんが藍（あい）や紅花（べにばな）を染料にして布や糸を染め、由貴さんが織物やかぎ針編みのアクセサリーを作っていく。手織りとは思えない緻密で繊細なデザインと鮮やかな色合いが人気となり、新作が出るたびに購入する人も多いという。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_43.jpg" alt="" class="wp-image-55007" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_43.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_43-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_43-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>染料は自家栽培しているものから、近隣の山にある竹、桜の枝などを原料としている。自然モチーフのアクセサリーと相性が良く、流行り物のデザインとは違った魅力がある。長く使ってもらえるもの、というのが2人の創作のコンセプトでもあるそうだ。</p>



<p>「彼女は感性で作っていくんです。その感覚がすごい」「染めは原理が分かっても望んだ色が出ない時もある。でも彼は考えて、その色に近づけるんですよ」と、お互いを称える２人。それぞれの技術を認め合い信頼しているからこそ、ハイクオリティな作品が生まれるのだろう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">導かれるように訪れた沖縄での出会い</h3>



<p>神奈川県出身の亮輔さんと弘前市出身の由貴さんが出会ったのは、有人島として日本最南端にある沖縄県波照間島（はてるまじま）。亮輔さんは学生時代に波照間島を訪れた際に人や島の風土に惹かれて移住を決意し、同時期に知り合いを訪ねて来た由貴さんと出会った。</p>



<p>「染物や陶芸の技術を得たいと思っていました。最初に訪れた時に、沖縄の鮮やかな自然をどうにか残せないかと思って道端の花で糸を染めたことがあったんです。それが薄紫色に染まった時に感動したんですよ。『自然の色って残せるんだ』って」と話す亮輔さん。</p>



<p>由貴さんも同様に手に職をつけたいと考えていた時、知り合いを通して紹介してもらったのが、隣の西表島（いりおもてじま）で活動をする染織家・石垣昭子先生だった。石垣先生は、紬糸を用いて織り上げる絹織物、紬織（つむぎおり）の人間国宝・志村ふくみ氏に師事し、西表島の染織文化を掘り起こすため40年以上活動している人だ。</p>



<p>しかし、まったく知識のない２人の指導をすることは難しいと、波照間島にいる原始機（げんしばた）を使える人を紹介されたという。原始機とは、経糸の一端を織り手の腰にまわした「腰あて」につなぎ、腰の力で経糸の張り具合を調整する織物の基本ともいえる織り機だ。</p>



<p>そこで指導を受けたのが、後に一緒に工房を立ち上げる２人だった。その２人に原始機を教わり、学んだことを忘れないよう自宅でも織り続け、織ったものは石垣先生の工房へ持ち込むことも。そこから課題を与えられたり、４人で先生の工房に住みこみで学ぶなど、必死にくらいついていった。</p>



<p>中でも織りの技術は由貴さんが抜きん出ており、突出した才能を見せたという。</p>



<p>「子どもの頃から編み物や絵を描くのが好きだったんです。その影響もあると思いますが、沖縄に来て変わったのが大きいです。沖縄ではみんなが私の作ったものに興味を持ってくれたり、認めてくれた事が自信にもつながったのかもしれません」。由貴さんの創作は、沖縄で自分らしい生き方を知り、それを少しずつ積み重ねて今につながっているという。</p>



<p>また、石垣先生からは、技術を磨くこと以上に「染織は工芸品ではない」という、ものづくりの原点ともいえるものを学ぶ。先生自身が糸から染め、織った生地を手ぬぐいにしているそうで、生活の一部だという意識を大事にしているそう。工芸品として残すことも必要な取り組みではあるが、“暮らしの中から生まれたもの”であることを学ぶ大切な時期だったと話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">工房立ち上げから独立。弘前で2人らしい創作を</h3>



<p>石垣先生の後押しもあり、2008年には4人で染織工房も立ち上げた。そこは食堂も兼ねていたのだが、こだわりの食材や手の込んだ仕出しが評判となり染織との両立が難しくなってきた。仲間とも話し合った結果、染織作家としてさらに本腰を入れたいと、亮輔さんと由貴さんは工房から独立することを決意。そこで選んだのが弘前市だったのだ。</p>



<p>「妻の故郷なので馴染みがあったことと、やはり工芸品が多い土地なことも決め手です。正直、弘前以外の選択肢はなかったかもしれません」と2人は笑う。</p>



<p>飛行機は使わず、あえて鹿児島から弘前市まで車で北上することに。各地の知り合いを訪ねつつ、自分達の感性も磨きたいと、世界遺産などにも立ち寄りその土地の違いを感じ取っていった。土地が変われば気候や風土も変化する。ものづくりは土地と自分に合ったものを取り入れることも石垣先生からの教えだった。</p>



<p>その言葉を受け、自分らしく、その土地だからこそ生まれる作品づくりをしたいという想いで弘前へ向かい、Snow hand madeが誕生した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">手間を惜しまず、素材の特性を生かす技法</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_graphaomori1.jpg" alt="" class="wp-image-55008" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_graphaomori1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_graphaomori1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_graphaomori1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「藍染めは色落ちや色移りがしやすいと思う人も多いですが、本来はそうじゃないんです。そこを追求したら、昔のやり方に落ち着きました」</p>



<p>Snow hand madeの藍染めは、地獄建て・正藍染（しょうあいぞめ）という室町時代に確立された技法。藍の葉を乾燥させた後、そこに水を打ちながら2〜3カ月かけて発酵、切り返しをしながら土（堆肥状）にし、天日干しすると蒅（すくも）という藍染めの原料が出来上がる。出来上がった蒅は、りんごの木灰からできた灰汁でよく練っていく。この木灰は近隣のリンゴ畑で剪定・伐採した枝で、冬の薪ストーブで燃やして灰にして保管している。熱湯を入れて撹拌した後、上澄みだけを取った灰汁だ。残った木灰は釉薬としても活用できるため、知り合いの焼物屋に譲っているそうだ。</p>



<p>「この循環がやりたかったんです。全く無駄がない」と、亮輔さんは嬉しそうに話す。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_24.jpg" alt="" class="wp-image-55009" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_24.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_24-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_24-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>藍染めの中でも重要になるのが、藍建て（あいだて）といわれる染液をつくる工程だ。藍甕（あいがめ）に蒅と灰汁を入れて、10日ほどかけて少しずつ嵩（かさ）を上げて発酵させて染液をつくっていくのだが、水を大量に使うことと、水と藍の相性が悪いと藍が建ちづらいこともあるという。そのため、弘前で物件を探す際も井戸水が使える場所が第一条件だった。現在の場所は湧水が豊富で、藍との相性も良く、土地の運にも恵まれているようだ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_28.jpg" alt="" class="wp-image-55010" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_28.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_28-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_28-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>染液が完成し、ようやく藍染めの工程になる。灰汁に漬けた生地を空気を入れないようにそっと藍甕の中に浸していく。染めたものは水で洗い、天日干しにして再度洗う。この工程が１セットとなり、目当ての色が出来るまで繰り返していく。最後はよく天日で焼き、灰汁の雑味を抜いて完成だ。</p>



<p>藍は自家栽培もしているため、種まきから刈り取り、天日干しの作業も含めると1年以上。現在は日本で高い生産量を誇る徳島の蒅・阿波藍（あわあい）もブレンドしているが、将来的には弘前藍だけで染めるのが夢だという。2人だけで作業しているため規模を広げることは簡単ではないが、いつか実現したいと試行錯誤中だ。</p>



<p>ここまで手間をかけるのは、藍の効能を最大限に引き出したいという想いからだ。本来の藍染めは色褪せも色落ちもしにくく消臭・抗菌効果も高い。時間はかかるが、藍本来の良さを引き出す一番の技法だと考えているそうだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">デザインのインスピレーションは自然</h3>



<p>染めた糸は由貴さんの手で形作られていく。かぎ針編みの他、原始機（げんしばた）と呼ばれる機織り機（はたおりき）を使い、ストラップや紐を織り上げる。波照間島時代から使用しているもので、糸の一端を織手の腰につなぎ、腰の力で糸の張り具合を調整しながら織っていく原始的ともいえる機（はた）だ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_graphaomori2.jpg" alt="" class="wp-image-55011" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_graphaomori2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_graphaomori2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/snowhandmade_graphaomori2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>モチーフは、自然。沖縄にいた頃から島の人達がお守りとして島の素材で作ったアクセサリーを付けていたことが印象的で、自分の作品づくりにも大きく影響しているという。顕微鏡で見るミクロの世界や宇宙など、自然にできたものが規則正しく並んでいたり、美しいと思えるような世界観を作品に落とし込んでいる。だからこそ、由貴さんのデザインは手仕事とは思えないような緻密な美しさがある。</p>



<p>染めも織りも、すべて身の回りにあるものから出来上がっている。これがSnow hand madeの作品づくりの原点ともいえる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">良いものを取り入れながら自分達らしく</h2>



<p>伝統的な技法で作品づくりをする2人だが、昔の技法だけにこだわっているわけではない。現代の技術を用いた染めも取り入れ、自分達がイメージする作品づくりに生かしている。</p>



<p>「いいとこ取りをしている感じです。それぞれの良さを生かして、植物が持っている本来の持ち味を生かすのが一番ですね」と話す亮輔さん。技法も材料も、概念にとらわれず、良いと思ったものを取り入れている。自然体でいることこそ2人にとって重要なのかもしれない。</p>



<p>「これからのひとつの目標としては、ここで採れた藍だけで染めたい。ここの土と水と空気で育った唯一無二の作品づくりをするために、どういったシステムを組むか考え中です」と話す亮輔さんに、「売り物以外の作品も手がけたいです。以前広いスペースを借りて大きな作品を展示したんですが、自分達が表現したいものを好きなように作って本当に楽しかった。初心を思い出すことができたので、そういった展示もしていきたいですね」と笑顔の由貴さん。伝統技法に気負うことなく、生活の一部として創作に向き合う2人。Snow hand madeの作品には2人の生き方そのものが表れている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54998/">土地にある自然の“色”と“形”を作品に落とし込む染織作家「Snow hand made」／青森県弘前市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>伝統を継承し、再構築した焼きものを。「高田焼 竜元窯」江上晋さん／熊本県八代郡氷川町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 06 Aug 2026 09:30:31 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[高田焼]]></category>
		<category><![CDATA[青磁象嵌]]></category>
		<category><![CDATA[焼締象嵌]]></category>
		<category><![CDATA[白磁釉象嵌]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4392.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>まるでガラスのような透明感。陶芸家・江上晋（しん）さんの作品群のひとつ「白磁釉象嵌（はくじゆうぞうがん）」は、焼きものでありながら透明感を湛えた表情が印象的だ。熊本を代表する伝統工芸「高田焼」の流れを汲む窯元に生まれた江 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4392.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>まるでガラスのような透明感。陶芸家・江上晋（しん）さんの作品群のひとつ「白磁釉象嵌（はくじゆうぞうがん）」は、焼きものでありながら透明感を湛えた表情が印象的だ。熊本を代表する伝統工芸「高田焼」の流れを汲む窯元に生まれた江上さんは、伝統を継承しながらも新たな可能性を探り、自分なりの表現を追究している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">父親が開いた窯を受け継いで陶芸家に</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4397.jpg" alt="" class="wp-image-54991" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4397.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4397-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4397-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>八代平野にある湧水池のほとりにある「高田焼 竜元窯（こうだやき りゅうげんがま）」。江上さんは「高田焼 竜元窯」の二代目。熊本県美術協会展や西部伝統工芸展、日本伝統工芸展などで受賞歴を持つ。</p>



<p>江上さんは地元の高校を卒業し、熊本市内の大学へ進学。1987年に「高田焼 竜元窯」を開いた父親の元（げん）さんから窯を継ぐように言われたことは一度もなく、自宅と工房が離れていたため元さんの作陶の様子を見たこともほとんどなかった。だから、焼き物をしようと考えたこともなかったという。そんな晋さんの転機となったのは、就職活動だった。</p>



<p>「自分のしたい仕事は何かと考えてみたら、洋画家だった祖父との思い出が蘇ってきました」と江上さん。幼い頃に遊びに行ったアトリエで目にした油絵や彫塑（ちょうそ）の美しさに心を動かされた記憶から、心のどこかでものづくりへの憧れと興味を抱いていた自分に気付いた。そして、自分は陶芸をするのに最適な環境にいるのだと、初めて認識したのだった。</p>



<p>大学を卒業後は佐賀県立有田窯業大学校で陶芸の基本を学び、26歳で帰郷。「高田焼 竜元窯」で父親とともに作陶に打ち込む日々が始まった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">“肥後の御用窯”の系譜を継ぐ「竜元窯」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4248.jpg" alt="" class="wp-image-54992" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4248.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4248-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4248-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「高田焼 竜元窯」は熊本を代表する伝統工芸・高田焼の流れを汲む。高田焼の歴史は古く、江戸時代初期の1632年に尊楷（そんかい）によって現在の八代市に窯が築かれたとされる。尊楷は1602年に豊前小倉藩主・細川忠興によって召し抱えられた朝鮮の陶工で、当初は忠興が治める上野（現在の田川郡福智町）で築窯したものの、細川家の領地移転にともなって八代へ。高田焼は「八代焼」とも呼ばれ、肥後藩の御用窯として保護されてきたが、明治維新後に保護を失う。現存する高田焼の窯元は宗家である「上野窯（あがのがま）」と、「伝七窯（でんしちがま）」「竜元窯」の3つ。江上さんの父親の元さんは「伝七窯」での修行を経て、「竜元窯」を開いた。</p>



<p>高田焼は陶土から成形した素地に模様を彫り込み、そのくぼみに白土を埋め込む「象嵌（ぞうがん）」と呼ばれる技法が特徴だ。中でも代表的な作品群が青磁釉をかけて焼き上げる「青磁象嵌」で、灰色がかった青磁釉から透けて見える象嵌模様が優美な雰囲気を醸し出している。だが、象嵌技法そのものの難度が高いだけでなく、素地と象嵌部分の収縮率が異なるために焼成時に割れや歪みが生じるリスクもあり、優美さの裏側で作り手には高い技術力が求められる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">伝統を再構築し、新しいものを生み出す試み</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4464.jpg" alt="" class="wp-image-54993" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4464.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4464-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4464-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>江上さんの父親の元さんは古来の伝統技法を受け継ぎながら、型にとらわれない高田焼を目指した。そして江上さんもまた、伝統を継承しながらも高田焼の新たな可能性を探り、自分なりの表現を追究している。</p>



<p>江上さんは「高田焼を構成する“土・釉薬・象嵌”の3つの要素を守りながらも再構築することで、“今の高田焼”を見せられるのではないかと考えています」と話す。三要素は高田焼に欠かせない核であり、作品づくりの出発点でもある。</p>



<p>中でも土づくりは大きなこだわりのひとつだ。現代では市販の陶土を使う陶芸家も少なくないが、江上さんは自ら山へ行き、原土を掘り出す。原土は工房へ運び、水を混ぜ、目の細かい網に通して不純物を除去する。一連の作業は時間も手間もかかるが、自分の目で土を選び、自分の手で精製することで、市販品よりもきめの細かな粘土が生まれる。そしてその粘土が、斑点などのノイズのない作品へと姿を変える。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4419.jpg" alt="" class="wp-image-54994" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4419.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4419-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4419-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>江上さんの思想は作品群にもあらわれている。作品は「青磁象嵌」「焼締象嵌」「白磁釉象嵌」の大きく3つに分けられる。受賞作品の多くを占める「青磁象嵌」は、自作のブラウンの土と、それを引き立てる独自調合の青磁釉の対比が象徴的だ。「焼締象嵌」は象嵌を施した生地に釉薬をかけずに穴窯で焼くことで、温もりと力強さを感じられる肌合いに。そして冒頭でも触れた「白磁釉象嵌」は、白磁に施したくぼみに釉薬を流し込み、ガラスのような透明感と、くぼみ部分に表れる陰影が幽玄の美を生み出している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統とは守るものではなく、作り出していくもの</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4452.jpg" alt="" class="wp-image-54995" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4452.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4452-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/08/IMG_4452-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>江上さんは2018年に、日本伝統工芸展で4回以上の入選を果たした作家だけに認められる「日本工芸会正会員」に認定されている。日本工芸会は、重要無形文化財保持者、いわゆる人間国宝を中心に構成される団体で、正会員は全国でも約1,300人ほどしかいない狭き門だ。日本伝統工芸展は国内最高峰の工芸公募展とされ、その中で4回以上の入選を果たすというのは、一時的な評価ではなく技量が継続的かつ公的に認められたことを意味する。だが、江上さんは満足することなく、今も新たな表現を模索し続けている。</p>



<p>「高田焼という枠組みの中で、“これまでにない焼きもの”を追究したい。伝統は守るものではなく、作り出していくものだと思うから」と江上さん。この言葉は、地域に根差した工芸だからこそ生まれる緊張感の中で紡がれてきたものだ。首都圏の百貨店で新作を発表する一方、地元・八代市での個展も毎年欠かすことなく続けている。そこには、約390年続く高田焼を見守ってきた地元の“目”がある。「八代には、高田焼を地元の誇りとする方々がいます。父の作品についてもよくご存知で、私よりも長い時間、高田焼を見つめてきた方々です」。新しい作風に厳しい声が向けられることもあるが、江上さんはそれを退けるのではなく、次の一歩のための学びとして受け止めている。</p>



<p>伝統工芸の世界では、変化は必ずしも歓迎されるとは限らない。だからこそ、守るべきものを見極めながら新しい表現に挑む姿勢そのものが、後に続く作り手たちの指針になる。父親の作品と自身の作品を見つめながら語る江上さんの目は、過去を敬いながらも、しっかりと未来を見据えている。地域に根ざした一つの窯の挑戦は、約390年続く伝統をどう次の世代へ手渡していくかという、工芸全体が向き合う普遍的な問いにも重なっていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54984/">伝統を継承し、再構築した焼きものを。「高田焼 竜元窯」江上晋さん／熊本県八代郡氷川町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>世界初の地下海水を使った青のりの陸上栽培で、海藻の食文化と豊かな海の継承を目指す「合同会社シーベジタブル」／高知県高知市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 28 Jul 2026 02:40:13 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[陸上栽培]]></category>
		<category><![CDATA[すじ青のり]]></category>
		<category><![CDATA[黒海苔]]></category>
		<category><![CDATA[青のりしょうゆ]]></category>
		<category><![CDATA[シーベジスタンド]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-145615-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>近年、海水温の上昇により海藻が海で育たない「磯焼け」という現象が世界的に海洋環境の問題となり、日本国内の海の天然の藻場（もば）は年間で東京ドーム千二百個分が消えているとも言われる。海の生態系の土台が揺らぎ、漁業全体に影響 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-145615-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>近年、海水温の上昇により海藻が海で育たない「磯焼け」という現象が世界的に海洋環境の問題となり、日本国内の海の天然の藻場（もば）は年間で東京ドーム千二百個分が消えているとも言われる。海の生態系の土台が揺らぎ、漁業全体に影響を及ぼしている現状に危機感を覚えた高知県の「合同会社シーベジタブル」（以下、シーベジタブル）は、2016年に世界初となる地下海水を用いた青のりの陸上栽培をスタートさせた。全国各地に地域のパートナーと共に海藻ファームを展開して意欲的に陸上栽培と海面栽培に取り組むことで、豊かな海と海藻の食文化を残そうとしている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">四万十川から消えた青のりを陸上栽培する</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-143652.jpg" alt="" class="wp-image-54929" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-143652.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-143652-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-143652-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>青い空から降り注ぐ強い日差しと温暖な気候で知られる高知県。東西に細長い地形で、南側は太平洋に面し北側には四国山脈がそびえる。シーベジタブルの陸上拠点では、青のりの中でも最高級品種として知られる「すじ青のり」が世界初の陸上栽培技術で育てられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">大学時代から抱いた、大好きな海への想い</h3>



<p>共同代表の蜂谷潤さんは岡山県出身で、高知大学に在学中から“海洋深層水を活用したアワビ類及び海藻類の複合養殖”ビジネスプランを構想。共同代表の友廣裕一さんの協力を得て、事業化に向けた実証研究を行っていた。海洋深層水とは、高知県の室戸沖の水深320〜374メートルの深さから汲み上げるため、年間を通して約10度と低温で安定している海水だ。</p>



<p>蜂谷さんは、もともと海に潜り、間近で見る魚を獲ることが好きだったという。「毎年同じ場所に潜るたびに、魚の数が目に見えて減っていきました。魚が多く集まる場所には必ず海藻があると気づき、海に魚を戻したいという想いから海藻の研究に打ち込んでいきました」。</p>



<p>温暖化による海水温の上昇は、魚の生息域を変え、高知県の海藻産業にも影響を及ぼしていた。最後の清流と呼ばれる四万十川（しまんとがわ）の河口付近の、淡水と海水が混じり合う汽水域（きすいいき）は、国内一の「すじ青のり」の天然漁場だったが、2020年には漁獲量がほぼゼロになった。河口域の水温の上昇と、水揚げの低下が比例しているとされている。<br></p>



<p>蜂谷さんは、天然で採れなくなったすじ青のりを復活させようと、立ち上がった。海域で海藻が育たなくなったのであれば、陸上で育てよう、海藻の食文化を絶やさないために挑戦をしてみようと、想いは深まっていったという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">太平洋のそばに造られた大水槽で、すじ青のりが漂う</h3>



<p>太平洋を臨む海沿いにあるシーベジタブルの陸上拠点を訪ねると、いくつも並ぶ巨大な円形水槽に驚かされる。一番大きいものは直径が約25メートルと、小学校のプール程度の長さがある。</p>



<p>すじ青のりは、成長が驚くほど早く、条件が整えば一日で倍ほどの大きさになることもあり、朝と夕方で姿が変わるほどの生命力を持つのだそうだ。水槽は4つのサイズがあり、約1週間ごとにサイズの大きな水槽へ育ったすじ青のりの移し替えを行う。</p>



<p>「収穫するサイズがこれぐらいだったら美味しいという大きさがありまして、その大きさに育つように逆算して４つのサイズの円形水槽を造りました」と、蜂谷さん。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「地下海水」を汲み上げ、攪拌を続ける</h3>



<p>水槽には「地下海水」が満たされ、海藻の成長に理想的な環境が一年を通して維持されているという。地下20メートルから汲み上げる「地下海水」は、海から砂などの地層を通ることで自然に濾過され、清浄で安定した水温を保つことができるのだ。また、雨が降れば淡水が混ざり、晴れれば光合成が進む。海と川が交わる汽水域を好む海藻にとって、この場所は自然に近い環境なのだ。</p>



<p>さらに水槽に張られた「地下海水」は、ゆっくりと円を描くように回っていた。すじ青のりは藻体の表面から栄養を吸収し、光合成によって成長するため、常に水が流れ、光が均等に当たる環境が欠かせないという。そもそも海藻は通常は石や岩などの基物に付着器を張ることで正常に育つが、ここのすじ青のりは、海藻同士を互いに付着させている。根の位置にあたる付着器を中心に放射状に広がり、まるで細い糸が束になったような姿で水中を漂わせて育てることで、均一な大きさに育っていくのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">海での栽培とは異なる可能性を秘める、陸上栽培</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/30f7a9072ee79892718673e85bbd30c0.jpg" alt="" class="wp-image-54930" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/30f7a9072ee79892718673e85bbd30c0.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/30f7a9072ee79892718673e85bbd30c0-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/30f7a9072ee79892718673e85bbd30c0-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>水槽に手を入れさせてもらうと、緑のすじ青のりが、ふわりと揺れて指先に触れた。生のまま口に含むと、みずみずしい青さが広がる。乾燥させたすじ青のりはより鮮やかな緑色に変わり生よりも香りが強いという。生のすじ青のりを天ぷらにして食べると聞いたが、いずれにしても海藻本来の清々しさが際立ちそうだ。</p>



<p>すじ青のりは、北海道から沖縄まで広く分布するため、同じ種でも温度に対する耐性や成長速度など性質が地域によって違う。シーベジタブルは、高知で陸上栽培を始めるにあたって、性質特性はもちろん、食材としての香りや食感に優れたエリートの株をにこだわり、全国のすじ青のりの中から選抜を行い、試行錯誤を重ねてきたそうだ。</p>



<p>今度は、蜂谷さんのお勧めの食べ方を試してみる。袋に入った薄い塩味のポテトチップスに陸上栽培したすじ青のりの粉末を振りかけると、磯の旨味や深い香りが感じられた。陸上で育てることで栄養管理が行き届き、香りや旨味がより濃くなるという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">青のりだけにとどまらない、未来への展望</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-155658.jpg" alt="" class="wp-image-54931" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-155658.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-155658-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-155658-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>海藻は胞子で増えるため、種類ごとに発芽や成長の条件が異なる。シーベジタブルでは一つひとつの特性を解き明かしながら、最適な育成方法を探る研究が続けられている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">黒海苔の栽培も本格始動</h3>



<p>日本の食文化を支えてきた黒海苔の陸上栽培技術も確立した。2025年度には、黒海苔の陸上栽培での量産（乾燥重量300kg以上）に成功し、2026年度から量産に向けた準備に入る予定だという。</p>



<p>蜂谷さんは、「黒海苔に関しては世界に向けてすごく大きなマーケットがあるので、まず、陸上で生産する技術を確立して、その技術を沿岸部で仕事を失いつつある漁師さんや企業の方々に提供することで新たな生業を生み出したい。並行して、日本は地域ごとに独自の海藻が存在しており絶滅の危機にある種類も少なくないのですが、そうした海藻を再び陸上で種苗を育て、それぞれの地域で海に戻して養殖藻場をつくっていくことも考えています」という。最終的には、海に海藻がある状況を取り戻したいのだ。</p>



<p>ただ、日本人の一人あたりの海藻の消費量は、食の多様化とともに30年前の約半分ほどにまで落ち込んでいる。かつては和食とともに自然に食卓へ上がっていた海藻も、洋食や中華が日常に広がる中で存在感を失いつつある。蜂谷さんは「海藻の可能性は和食にとどまりません。青のりはピザにもよく合い、ポテトチップスに振りかければ驚くほど豊かな香りが広がります。これまで試してこなかったジャンルにこそ、消費の落ち込みという課題を解決するヒントがあると感じているので、いろいろ検証を行い発信していきたいです」と語る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">すじ青のりでつくる醤油を開発、海藻専門店をオープン</h3>



<p>新たな挑戦のひとつが、すじ青のりからつくる「青のりしょうゆ」だ。大豆や小麦を使わず、青のりと塩、米だけを発酵させてつくる調味料だ。淡い琥珀色を帯びている。口に含むと海の香りが立ち上がり、魚介との相性は抜群だ。グルテンフリーで大豆も不使用であることから海外からの問い合わせも多く、海藻の新たな価値を示す存在となっている。</p>



<p>東京駅近くには、海藻料理を専門に扱う「シーベジスタンド」をオープンさせた。すじ青のりポテト、熊本などで昔から食されてきた幻の赤い海藻「みりん」を使った料理、海藻を贅沢にのせたラーメンなど、海藻の魅力を多角的に伝える拠点だ。海藻を“食べる文化”を再び広げる試みが、ここから始まっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">成功の鍵を研究者が握る</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-160456.jpg" alt="" class="wp-image-54932" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-160456.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-160456-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/26TV-160456-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>シーベジタブルの事業の鍵を握るのがラボだ。ラボは、すじ青のりの陸上栽培を支える最重要な第一工程を担う。ラボで、採取・育成された青のりは約1ヶ月で陸上拠点に移り、さらに1ヶ月間育てられた後に収穫されるという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">気の遠くなるような、胞子の選り分け作業</h3>



<p>「陸上栽培を成功させるためには、まず、すじ青のりの親から出てくる胞子を安定的に取り出して、それを死なせず生き残らせて育てていくということが一番大事です。そこで死んでしまうと、当然、栽培場に送り出すものがなくなるわけですから。バクテリアとか青のりの胞子に害を与えるようなものを取り除いて、育て上げるということが重要になってきます」と話すのは研究者の和（にぎ）さん。</p>



<p>すじ青のりの栽培において最も困難なのは、年間を通じて安定して胞子を供給するために、親株を常に健康な状態で維持し続けること。そして、親株から胞子を取り出し、死なせずに安定して成長させるプロセスだという。胞子を健全に育てるためには、バクテリアなどの有害な不純物を徹底的に排除し、適切な温度管理を行う必要がある。</p>



<p>和さんが、小さなシャーレを手に言う。「最初は本当に10ミクロンぐらいの、丸いつぶつぶなんです」。10ミクロンとは、0.01ミリ。肉眼では見えない胞子も、顕微鏡を覗けば確認することができ、数日後には青のりらしい姿で生長する様子が見られるそうだ。</p>



<p>和さんは、ピペットで約10ミクロンの胞子を丁寧に吸い取ることを何度も繰り返して“純度の高い胞子”だけを取り出していく気の遠くなるような繊細な作業を行っていた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">シーベジタブルを支える研究者</h3>



<p>さらに、和さんは「天然の海苔は秋から春先までが収穫期で、夏は成長が止まるため収穫には適しませんでした。ですが、陸上栽培で施設を最大限稼働させるためにも、温度耐性の違う株を組み合わせて育てる必要があります。ですので、同じすじ青のりでも、北海道から沖縄までさまざまな株を100株ほど試し、適したものを見つけてきました」と話す。</p>



<p>一般的に陸上栽培は設備投資やランニングコストが大きく、採算性が重要になる。だからこそ、環境に強く、効率よく育つ株を選び抜くことが、産業として成立させるための鍵となる。研究者たちはその課題に向き合いながら、海藻の未来を切り開こうとしている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">海藻が戻ると、海の未来が変わる</h3>



<p>海藻は、海の生態系の土台を支える存在だ。天然の藻場が減少する中、一般社団法人グッドシーの調査報告書では、陸上で育てた種苗を用いて海面栽培を行うことで、栽培していない海域と比べて魚の個体数が最大約36倍に増加するという驚くべき結果が示されている。</p>



<p>海藻が増えれば魚が戻り、海が再び豊かさを取り戻す。海藻の栽培は、食文化を守るだけでなく、海の未来を支える取り組みでもある。シーベジタブルは、日本という枠を超えて、豊かな海を次の世代へ手渡す確かな力になろうとしている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54923/">世界初の地下海水を使った青のりの陸上栽培で、海藻の食文化と豊かな海の継承を目指す「合同会社シーベジタブル」／高知県高知市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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