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	<title>山口県 - NIHONMONO</title>
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		<title>次世代に目を向け、萩焼のスタイルを進化させる萩焼の若き宗家。「十四世坂高麗左衛門」坂悠太さん/山口県萩市</title>
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		<pubDate>Mon, 31 Jul 2023 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/top-7.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>吉田松陰や伊藤博文ら幕末の志士が学んだ「松下村塾」で有名な歴史深い町、山口県萩市。大河ドラマなどでも度々舞台となり、古都のイメージが根強いこの町に、陶芸家として注目を集める若者がいる。34歳で萩焼の宗家である坂高麗佐衛門 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/top-7.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>吉田松陰や伊藤博文ら幕末の志士が学んだ「松下村塾」で有名な歴史深い町、山口県萩市。大河ドラマなどでも度々舞台となり、古都のイメージが根強いこの町に、陶芸家として注目を集める若者がいる。34歳で萩焼の宗家である坂高麗佐衛門（さかこうらいざえもん）を襲名した坂悠太さんだ。約400年続く萩焼の名跡を継承した若き陶芸家が守り継ぐ、萩焼の魅力とその未来とは。<br></p>



<h2 class="wp-block-heading">国内有数の歴史的城下街・山口県・萩</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46189-1-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38049" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46189-1-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46189-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46189-1-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46189-1.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>そんな人気観光地に古くから伝わる伝統工芸品の<strong>萩焼</strong>。その起源は、慶長9年（1604年）まで遡る。萩藩初代藩主の毛利輝元が広島から萩に城を移し入府。かねてより帯同していた朝鮮人陶工の李勺光・李敬（りしゃっこう・りけい）兄弟が毛利氏の命を受け、萩城下松本村（現・萩市椿東）に萩藩御用窯として開窯したことがはじまりとされる。その後、兄弟は、それぞれ日本に帰化し、兄の李勺光は長門の地で山村家（後の坂倉家名）を名乗り、弟の李敬は寛永2年（1625年）に二代藩主綱広より<strong>「坂高麗左衛門」</strong>の名を授かる。この李敬の末裔にあたるのが、坂窯を守る坂家である。</p>



<h2 class="wp-block-heading">抹茶椀としての萩焼の魅力</h2>



<p>ちなみに萩焼という呼び方が全国に浸透するのは意外にも明治時代以降で、それまでは城下街の地名をとって「松本焼」と称されていた。戦国時代の茶人、千利休が侘茶（わびちゃ）の表現として見出し、抹茶碗として広く普及してきた萩焼。その特徴は、萩周辺で採れる「大道土（だいどうつち）」を胎土とした土味のある素朴さ。砂や小石を含む砂礫が多い大道土を、過剰に焼き締まらないよう短時間且つ、高温で焼き上げることで軽い質感で、水や油の染み込みなど、経年での表情の変化が楽しめる。鉄分の多い「見島土（みしまつち）」、軽さのある白土「金峯土（みたけつち）」を大道土に混ぜることによって生まれる土本来の荒々しさと、きめの細かさの融合がもたらすテクスチャーも魅力だ。</p>



<p>萩焼の抹茶椀は、装飾を極力排し、釉（うわぐすり）のみで表面を仕上げることが多く、抹茶本来の色の美しさとの対比により、茶を存分に引き立てるため“詫びさび”を珍重する茶の道で長年高い評価と人気を得てきた所以だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">2022年6月、34歳で名跡を襲名した若き当代</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46172-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38054" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46172-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46172-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46172-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46172.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>もともと、陶芸に関わる家系だという認識こそあったが、高校生まで陶芸に触れずに育った。坂さんにとって坂窯は単に祖父母の家という感覚だったそうだ。ところが、十二世を継いでいた伯父（母の兄）の急逝により環境が一変。後継者もいないことから、名跡が7年間空位となってしまう事態に、母親の純子さんと共に名門を継ぐことを決め、陶芸家を目指した。<br></p>



<p>重責を担うプレッシャーがなかったかといえば、もちろん多少なりとはあった。しかし、「昔から歴史の分野には大変興味があり、歴史や伝承を支える当事者になれるのだったら、それは面白いと思った」とも語る。</p>



<p>そんな楽天的な考え方に相反し、作陶には真剣に向き合ってきた坂さん。抹茶碗を作るからには、まずお茶に関する工芸や技術が集中している京都で専門的に学びたいと、京都芸術大学（旧・京都造形芸術大学）の陶芸コースを選択した。その後、京都府立陶工高等技術専門校でろくろの技術を1年、産業技術研究所で2年間、焼物の原料を科学的に分析する研究を続け、2013年に萩へ帰郷した。</p>



<h3 class="wp-block-heading">母である十三世の背中</h3>



<p>坂さんが京都で修行している間、母･純子さんが、十三世を襲名。2011年のことだった。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46180-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38057" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46180-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46180-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46180-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46180.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>しかし、程なくして純子さんが急逝してしまう。帰郷後、十三世としての母と過ごした期間はわずか1年半。その仕事をじっくりと見て学ぶ時間などなかったし、当時まだ26歳だった悠太さんにとって、たとえ空位になろうと現状の経験値ですぐに宗家を襲名することはできなかった。そこで、しばらくは陶芸家·坂悠太として活動し、その後、2021年にいよいよ十四世を襲名。当初は先々代の頃から坂窯を支えてきた職人たちに、家内の年中行事など、基本の“き“”から教えを乞い、作陶に励んだ。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">陶芸家·坂悠太として。宗家当主として</h3>



<p>襲名以前、陶芸家·坂悠太として活動していた頃から作品への評価は高く、多くの展覧会で入選を果たしている。</p>



<p>大学時代に学んだオブジェやコンセプチュアルな現代作品にも目を向けており、構図を楽しめる頸（くび）や重心を低くした花器、口の細長い一輪差しなど、萩焼の新たな魅力も提案。伝統に囚われずコーヒーカップなど、新たなジャンルの開拓にも意欲的に取り組んできた。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46400-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38060" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46400-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46400-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46400-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46400.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>その一方で、伝統の抹茶椀は、忠実に蹴ろくろで一つひとつ制作する。できるだけ時間と手数を少なくして、土本来の風合いがしっかり残るよう心掛けている。牛へらで美しく成形する際も、指筋や手の跡をなるべく残したいので、あえてバランスを崩し、味が残る作品を意識している。<br></p>



<p>こうして、新しいアイディアと守り継ぐ伝統技法を掛け合わせた制作が悠太さんの作品の魅力。</p>



<p>口造りと呼ばれる飲み口部分に、高さの切り替えを施した筆洗型（ひっせんがた）抹茶椀は、伝統的な萩焼の基本に、別種の高麗茶碗の形式を融合させている。涼しく縁にうっすらとかかる白釉は、抹茶椀に馴染みがなくても品があり美しく、口に運びたくなる。 高台部分も、土の本来の力強さを強調する「土見せ高台」という、伝統製法も取り入れている。</p>



<p>時に、茶道の専門家から具体的なアドバイスを受け作陶に活かすこともある。最近では、従来1つの盆を回して使うお茶菓子受けだが、近年の新しい生活様式を意識し、個々で使える小ぶりの茶菓子受け「めいめい皿」が好評を得た。次世代に向け、萩焼を進化させるアイデアは、本人の人柄もあってか、周囲の支えを借りながら続々と生まれている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">先代たちの作品に共感し対話する</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46268-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38062" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46268-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46268-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46268-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46268.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>悠太さんは、亡き母の作品を真似るだけではなく、伯父である十二世や祖父の十一世、時にはもっと前の代まで溯り、制作の工夫や表現の意図そのものを感じとりたいと考えている。大切な作品を後世に残し続けてくれているからこそ、その背景や真意を汲み、再解釈を加えた表現ができる。これこそが十四代にわたって伝統を守り繫いできた宗家の最大の強みであり、これからも後世に繋いでいきたい原動力だ。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46363-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38065" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46363-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46363-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46363-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/FXT46363.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>現在は数年かけて、十四世としての作品を作り貯め、個展の開催に向けた準備を精力的に行っている悠太さん。萩焼の基本を抑えながら、新たなチャレンジや表現の工夫を行ったり、時には使う側の視点として茶の湯に知見のある人たちからの声に耳を傾け、繊細な登り窯の窯焚きの技術を探求し続ける。宗家だからこそ、伝統を重んじるばかりでなく、十四世として蓄積したナレッジやノウハウを、先の十五世、十六世となる若者たちに繋ぎ、進化や変化をさせていくことで萩焼の未来を作る。人口減少や古典文化離れもあり、先細っていく茶文化。それを“守る”だけでなく、世界へ“発信”し広げることが萩焼の発展にとって最も重要だと考えている。</p>



<p>最近では茶文化に興味を持ち、わざわざ海外から見学にくる人も増えた。そんな環境を目の当たりにした悠太さん。語らずとも世界中の人が強烈に感動してくれる、そんな作品を作っていきたいと話す。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/38039/">次世代に目を向け、萩焼のスタイルを進化させる萩焼の若き宗家。「十四世坂高麗左衛門」坂悠太さん/山口県萩市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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			</item>
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		<title>自然薯一筋40年。栽培方法を確立し、人の手による普及を目指す「やまいもまつり有限会社」/山口県周南市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 05 Jul 2023 01:00:36 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/top.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>人工的に栽培することが難しいといわれる自然薯（じねんじょ）の栽培に力を入れ、安定して品質の高いものを全国へ普及させることに尽力する「やまいもまつり有限会社」代表取締役を務める井上容一さん。井上さんを自然薯の普及に突き動か [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/37748/">自然薯一筋40年。栽培方法を確立し、人の手による普及を目指す「やまいもまつり有限会社」/山口県周南市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/top.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>人工的に栽培することが難しいといわれる自然薯（じねんじょ）の栽培に力を入れ、安定して品質の高いものを全国へ普及させることに尽力する「やまいもまつり有限会社」代表取締役を務める井上容一さん。井上さんを自然薯の普及に突き動かすその魅力とは、はたして。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本のローカルフード自然薯</h2>



<p>スーパーでも、当たり前のように売られている山芋。あの、独特の粘り気や食感はさまざまな用途に利用されており、日本人であれば、誰しもが一度は口にしたことがあるのではないだろうか？<br>その粘り気から、すりおろして「とろろ」として食べられることが多いが、生で食べられる芋というのは世界的にも珍しく、消化酵素であるジアスターゼがでんぷんの一部を分解し、食べたものを速やかに消化吸収する作用があるので、生で食べても胃がもたれにくい。</p>



<p>また、古くから「山薬」とも呼ばれ、疲労回復や免疫力を高めるといった滋養強壮効果があるため、精進料理や漢方としても使用されていたこの食材、実は“山芋”という品種は正式には存在せず、世界に600種ほどあるヤマノイモ科という、つる性の植物の総称だ。国内では一般的に、長芋やイチョウ芋といった品種が「山芋（大和芋）」として流通している。“大和”という名がついているにも関わらず、そのほとんどが外来種というから驚く。</p>



<p>しかしその中に「ジャポニカ」という学名を持つ山芋がある。それこそが、日本原産種の「自然薯」だ。名前の由来は、その名の通り自然に生えているもの。古い書籍には「自然生」と記載されていたという。</p>



<p>それこそ日本では、米が主食となる以前、自然薯が主食として食べられていたといわれているほど日本人には関わりの深い食材。しかし、その収穫量の低さから次第に栽培がしやすく収穫も安定する外来種に取って代わられてしまった。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/fecd0be10387c317acb521710cfa1d2f-1-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37757" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/fecd0be10387c317acb521710cfa1d2f-1-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/fecd0be10387c317acb521710cfa1d2f-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/fecd0be10387c317acb521710cfa1d2f-1-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/fecd0be10387c317acb521710cfa1d2f-1.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<h2 class="wp-block-heading">やまいもまつりの成り立ちとは</h2>



<p>農業は日々進歩し、あらゆる農作物の栽培方法が確立されているが、自然薯の栽培は不可能といわれてきた。その理由は環境適応力の低さ。自然薯は非常にデリケートな植物で、ちょっとした環境の変化でも腐敗してしまったり、粘度や風味が落ちてしまうため、安定した品質を保った栽培が難しかった。そんな中、自然薯作りに約40年の歳月をかけ、栽培を確立してきた会社がある。山口県の東部、周南市にある「やまいもまつり有限会社」だ。</p>



<p>現在、同社では高品質の自然薯を年間約60トン生産し、出荷している。</p>



<p>この印象的な社名は「祭りごとのようにたくさんの人と関わりを持つ中で、人と人との絆を深め、自然の恵みに感謝し、地域や人々が豊かになっていくように」という創業者の願いが込められているそう。自然薯の生産から販売まで、自然薯専門業者として一途に取り組んできた同社の原動力とは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自然薯作りのキッカケ</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/3cfb763d323e8789a3cdcda03d9a1474-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-37788" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/3cfb763d323e8789a3cdcda03d9a1474-1024x768.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/3cfb763d323e8789a3cdcda03d9a1474-300x225.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/3cfb763d323e8789a3cdcda03d9a1474-768x576.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/3cfb763d323e8789a3cdcda03d9a1474.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>ことのはじまりは、先代が都会に憧れ上京した頃に遡る。都会育ちの友人たちが、休みの日にわざわざ山へ行き、自然薯掘りをするのを目の当たりにし、地元では山も自然薯も身近な存在だった先代は、カルチャーショックを受けたという。その経験から、「天然物が大半で、流通量が圧倒的に少ない自然薯を栽培したら需要があるのでは？」と思い、地元に戻り自然薯の生産に勤しんだ。</p>



<p>しかし、自然薯は栽培方法が確立されていなかったため、試行錯誤する日々が続く。</p>



<p>まず最初にはじめてみたのが、山と同じ環境を田んぼに作ること。しかし、これがなかなかうまくいかない。本来、自然薯は自然の山の中で深く根を伸ばしつづけて育っていくが、やまいもまつり有限会社の栽培環境は人工的に開墾した畑なので土が固く下へと伸びていかないのだ。そこで、自然環境では地中に根を伸ばし続ける習性を利用し、栽培容器に波板を使用することに。波板の畝間（うねま）に沿って根を横に伸ばしていく姿をイメージした。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="602" height="456" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/760e2317bfbd40d41cf85e1b09a45392.jpg" alt="" class="wp-image-37765" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/760e2317bfbd40d41cf85e1b09a45392.jpg 602w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/760e2317bfbd40d41cf85e1b09a45392-300x227.jpg 300w" sizes="(max-width: 602px) 100vw, 602px" /></figure>



<p><a href="https://www.jinenjyou.or.jp/saibaihou01.html" target="_blank" rel="noreferrer noopener">(一般社団法人じねんじょうプロジェクト参照：https://www.jinenjyou.or.jp/saibaihou01.html)</a></p>



<p>波板を使って寝かせた状態にすることで、細い溝に沿って横へまっすぐ育つようになり、見事問題を解決。天然の自然薯は、香りや粘りの強さに個体差があるため、人工的な技術の導入が、安定した生産性や質の高い個体を生産する革新的な一歩となった。</p>



<p>ちなみに、自然薯のような“根もの”と呼ばれる植物は、水が当たるとすぐだめになってしまうため、常に水はけを良くしておかないといけない。波板は水はけも良く、あまり手がかからないというメリットもあった。</p>



<p>また、山中で自然薯を収穫する場合には、土を丁寧に深く掘り起こさないと途中で折れてしまうこともあり収穫するだけでもひと苦労なのだが、波板を使用することで、それをひっくり返すだけで収穫できるため、生産性、美しさともに格段に良くなった。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/f0c5e05acce5f9d460e8f6250c13dade-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37772" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/f0c5e05acce5f9d460e8f6250c13dade-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/f0c5e05acce5f9d460e8f6250c13dade-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/f0c5e05acce5f9d460e8f6250c13dade-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/f0c5e05acce5f9d460e8f6250c13dade.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<h2 class="wp-block-heading">条件がいい圃場（ほじょう）</h2>



<p>自然薯を栽培する畑の土は、野菜を作る畝（うね）としては大きく、1畝2mの幅と約60cmの高さで、育つ地温が外気温が変わってもあまり変化しないように、しっかりと土を当てて作っている。畑は山と違って、様々な農作物を育てるので、土の中にさまざまな雑菌がいるほか、大きく育てようと堆肥を入れると、それを微生物が分解する際にガスが出て、それが原因で自然薯は腐ってしまうこともある。</p>



<p>そのため、良い土壌を作るのに2年くらい休ませる必要があり、連作ができないのが栽培の難点。 かつて、このノウハウが確立できていない頃に、1年で5000本ほど腐らせてしまったことがあり、心が折れそうになったこともあったとか。</p>



<p>それでも未だに、肥料などのバランスの最適解が見つかったとは言い切れないので毎回、測りながら効果を試しているし、水分量には特に気を付けている。</p>



<p>品質にこだわるからこそ、徹底した生育管理と試行錯誤を繰り返している。<br></p>



<h2 class="wp-block-heading">より多くのひとに自然薯を味わってもらいたい</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="768" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/76664be61a65a9e3522bee2dc5acc95c-1024x768.jpg" alt="" class="wp-image-37789" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/76664be61a65a9e3522bee2dc5acc95c-1024x768.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/76664be61a65a9e3522bee2dc5acc95c-300x225.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/76664be61a65a9e3522bee2dc5acc95c-768x576.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/76664be61a65a9e3522bee2dc5acc95c.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>自然薯の商品価値は非常に高く、長芋がキロあたり1000円くらいで販売されているのに対して、自然薯は同サイズで1万円ほど。味や香り、食感はもちろん、風格までもが一般的な長芋を凌駕しており、古くから高級品として扱われてきた。</p>



<p>贈答品としては天然ならではの野趣あふれるコクや粘り気の強さ、杖のような格好の良い曲がりのあるものが人気だが、料理がしやすくアクの少ない真っ直ぐした栽培ものは、普段使いとして需要が高い。</p>



<p>「人の手で育てているから天然物とちがって画一的で面白みは少ないが、食べればほかの山芋とのちがいが一目瞭然でわかる。自然薯のならではの粘りや香りに感動してもらいたいので安定した供給ができるよう研鑽を続ける」</p>



<p>その想いから、少しでも多くの人に自然薯のおいしさを感じてもらえるように加工工場を併設したレストラン「自然薯専門店はなたかめん」の経営もスタートさせた。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="770" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/cf2c22135cfa98b6d4651c791485b8b4-1024x770.jpg" alt="" class="wp-image-37790" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/cf2c22135cfa98b6d4651c791485b8b4-1024x770.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/cf2c22135cfa98b6d4651c791485b8b4-300x225.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/cf2c22135cfa98b6d4651c791485b8b4-768x577.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/cf2c22135cfa98b6d4651c791485b8b4.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>お店で提供している食事に、自然薯を楽しめる工夫がされており、すり鉢でとろろを混ぜる体験が出来る。自然薯の香りや粘りが体感出来るとあって評判だ。更に自然薯のチーズケーキやシフォンケーキなども提供しており、「カフェ」としても楽しめるようになって、このお店は落ち着いた雰囲気で自然薯を思う存分満喫できる空間となっている。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/26ff4555a67f110a1f3037d443e38237-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37779" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/26ff4555a67f110a1f3037d443e38237-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/26ff4555a67f110a1f3037d443e38237-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/26ff4555a67f110a1f3037d443e38237-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/26ff4555a67f110a1f3037d443e38237.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>販売する自然薯商品も人気。ツルにつく実をムカゴというが、自然薯と同じ繊維質を持っていて皮ごと食べられるので、熱を入れるとホクホクしておいしいので塩茹でにすると良い。</p>



<p>また、生パスタ風のオリジナル自然薯麺もモチモチとした食感でリピーターが多い。</p>



<p>中でも一番の人気は、かりんとう。一見すると自然薯とは思えない見た目だが、噛めば噛むほど自然薯ならではの風味が広がっていく。そのほかにも、クッキーや大福、自然薯と米で作った焼酎など、商品バリエーションは豊富だ。<br></p>



<p>「6次産業という言葉が広まる以前から、加工品づくりには力を入れてきた。自然薯に馴染みがなく手が出しにくいという方にも、その美味しさを気軽に味わってもらえたら嬉しい。」と、井上さん。</p>



<p>現状、やまいもまつり有限会社の自然薯は、需要に対して供給が間に合っていない。もちろん、それを課題と捉える一方で、現在の生産量では賄えないほどのニーズがあるという考え方もある。そのニーズに応え、古来より日本人の舌を満足させてきた日本原産種をより多くの消費者へと普及していくため、さらなる技術の向上と、地域や農業の活性化を目指す。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/37748/">自然薯一筋40年。栽培方法を確立し、人の手による普及を目指す「やまいもまつり有限会社」/山口県周南市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>山口県が誇る「フグ」の価値を底上げする仲卸「株式会社畑水産」／山口県下関市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 19 Apr 2023 01:00:26 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[下関市]]></category>
		<category><![CDATA[フグ]]></category>
		<category><![CDATA[山口]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/3769b75bc90efbdf7e7553e7cdc374a0-1-1024x819.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>1958（昭和33）年創業以来、フグの本場である山口県下関市にて、フグ専門の卸問屋として一筋に取り組んできた「畑水産」。希少価値の高い天然ものから養殖まで良質なフグを幅広く扱い、国内のみならず海外にも出荷実績を持つほどの [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/36313/">山口県が誇る「フグ」の価値を底上げする仲卸「株式会社畑水産」／山口県下関市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/3769b75bc90efbdf7e7553e7cdc374a0-1-1024x819.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p class="has-text-align-center"><strong>1958（昭和33）年創業以来、フグの本場である山口県下関市にて、<br>フグ専門の卸問屋として一筋に取り組んできた「畑水産」。<br>希少価値の高い天然ものから養殖まで良質なフグを幅広く扱い、<br>国内のみならず海外にも出荷実績を持つほどの卓抜した加工技術で、フグの魅力を伝える商品を作り続けています。</strong></p>







<p>山口県が誇る全国屈指のフグのトップブランド「下関（しものせき）のフグ」。その地元・山口県下関市にて創業から65年、仲卸として長年フグに携わってきた「<a href="https://hatasuisan.com/" target="_blank" rel="noopener" title="">株式会社畑水産</a>」。下関フグ仲卸のトップランナーが残してきた功績を辿り、下関フグの魅力に迫る。</p>







<h2 class="wp-block-heading">日本で唯一！ ふぐ専門の卸売市場「南風泊市場」</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" width="1024" height="684" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/db7900aaca47ebb99ca374c3c41049e3-1024x684.jpg" alt="" class="wp-image-36329" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/db7900aaca47ebb99ca374c3c41049e3-1024x684.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/db7900aaca47ebb99ca374c3c41049e3-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/db7900aaca47ebb99ca374c3c41049e3-768x513.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/db7900aaca47ebb99ca374c3c41049e3.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></div>


<p><span class="swl-marker mark_yellow">山口県下関市の南風泊(はえどまり)市場は、日本で唯一のフグ専門の卸売市場</span>。そのため山口県内をはじめとした各地の漁場や養殖場から、活きの良い天然物、養殖物が本州最西端の同市場を目指し、陸路や海路、ときには空路を通じて運ばれてくる。</p>



<p>かつては、ほかの魚種も卸されていたのだが、フグの漁場が拡がり、水揚げ量が増えたことにより従来の市場規模では捌ききれなくなったため、フグのみを扱う専門市場として独立することに。こうして南風泊市場は、フグの取引に関する全般が単独で機能している日本で唯一の市場となった。</p>



<p>つまるところ、<span class="swl-marker mark_yellow">下関がフグで有名なのは、漁獲量が多いからだけではなく、各地から集められた様々な種類のフグを目利きする技術と知識を持った職人たちがこの市場に集まっているからなのだ。</span></p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="684" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/496211bd87dab1a39f4c135641fde207-1024x684.jpg" alt="" class="wp-image-36416" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/496211bd87dab1a39f4c135641fde207-1024x684.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/496211bd87dab1a39f4c135641fde207-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/496211bd87dab1a39f4c135641fde207-768x513.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/496211bd87dab1a39f4c135641fde207.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<h3 class="wp-block-heading">独特な南風泊市場のセリ</h3>



<p>そんな南風泊市場のセリでは、フグの大きさ、色味、目の色をチェック。サンプルとして、フグみがき（身欠き）というフグの有毒・不可食部位をすべて除去して可食部位のみにする下処理を施した上で、白子の有無、皮、身、くちばし、内臓など見せておく。これは、その日仕入れるフグがどんなコンディションなのか、捌いたあとの色味や肉質を見て仲買達に判断してもらうためなのだそう。</p>



<p>ちなみに、これは養殖フグに限ってのこと。養殖フグは同時期に同じ養殖場から出荷されるものは種が一緒なので、どこで養殖されたのかがわかれば、その中から一匹捌くだけで同じところから出荷されたほかのフグも大方どのような状態かわかってしまうのだという。 一方、天然のフグはすべて一点ものなので捌いても参考にならない。鮮度だって落ちてしまうから丸のままの状態で判断する。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/2cf7cd8454c3185cb550db44daa5259a-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-36333" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/2cf7cd8454c3185cb550db44daa5259a-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/2cf7cd8454c3185cb550db44daa5259a-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/2cf7cd8454c3185cb550db44daa5259a-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/2cf7cd8454c3185cb550db44daa5259a.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></div>


<p><span class="swl-marker mark_yellow">セリの方法は独特で、筒状の黒い布袋の中で競り人と仲卸人が指を握って値段を決める「袋競り」という方法</span>で南風泊市場の名物となっている。</p>



<p>この手法が誕生した背景には諸説あるようだが、落札をめぐり喧嘩が起こることを防ぐため他社の落札価格が見えない様に隠すようになったという説が有力のようだ。</p>



<p>値段が決まらず同数の時は、じゃんけんで決めるというから面白い。<span class="swl-marker mark_yellow">取材の日の最高額は、天然フグふぐで一箱20万。養殖フグふぐで一箱6万ほどだった。</span></p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" width="1024" height="684" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/a8057eb9a0f936cf745402af9b722a42-1-1024x684.jpg" alt="" class="wp-image-36336" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/a8057eb9a0f936cf745402af9b722a42-1-1024x684.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/a8057eb9a0f936cf745402af9b722a42-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/a8057eb9a0f936cf745402af9b722a42-1-768x513.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/a8057eb9a0f936cf745402af9b722a42-1.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></div>


<h3 class="wp-block-heading">下関のフグが日本一と言われる理由</h3>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">セリをした後は2〜3日水槽内で泳がせることで、水揚げから移動までの間にトラフグが受けたストレスをしっかり取り除き、体内に残っている餌や老廃物をすべて排出させる。この工程を「活かし込み」と呼ぶ。そうすることでコンディションが良く、質の高い身になるのだ。</span></p>



<p>こうして、より新鮮で安全な状態で、東京中央卸売市場をはじめとした全国の市場へ送る。朝の5時までに下関を出発すれば、その日のうちに東京などの大都市圏の市場へ届くため、未だに下関では夜中からセリが始まる習慣が根付いている。</p>



<p>ちなみに、フグにはくちばしのように大きく丈夫な歯が4枚あり、サンゴや硬い貝を鋭く噛み砕くほど強い力を持っている。養殖フグふぐの場合は稚魚の頃から折っていることがほとんどだが、天然フグふぐはそのままにしておくと水槽の中で仲間同士噛み合って傷つけ合うため、良いフグは水揚げ後は必ず歯を折っておくのだそう。</p>



<p>そういった細かい気遣いこそ、下関のフグが日本一と称される理由のひとつだろう。</p>



<p>また、フグの種類は世界に約430種いると言われており、生息地は淡水や海水など様々。</p>



<p>日本では海水に生息しているフグしか発見されておらず、約60種のフグ類の分布が確認されているが、食べられる種類は決まっており、時期によって漁獲量も異なる。</p>



<p>なかでも最高級であるトラフグ。もちろん下関の市場においても、その存在は別格だ。</p>



<p>しかし天然ものは非常に少なく、水温が下がると身も締まって白子も大きくなるが、温暖化の影響でそういった品質の高い個体は年々獲れにくくなっており、より一層、希少価値が高まっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">河豚は食いたし命は惜しし</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" width="1024" height="684" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/402a18cc10a5a59e25fe54b82d25e9db-1024x684.jpg" alt="" class="wp-image-36341" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/402a18cc10a5a59e25fe54b82d25e9db-1024x684.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/402a18cc10a5a59e25fe54b82d25e9db-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/402a18cc10a5a59e25fe54b82d25e9db-768x513.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/402a18cc10a5a59e25fe54b82d25e9db.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></div>


<p>フグと言えば毒のあるイメージが強く、取扱には専門の免許が必要なほど。それでもなお、人々を魅了してやまない。</p>



<p>その魅力はずいぶん古くから知られていたようで、日本では縄文時代から食されていたという。</p>



<p>「河豚（フグ）は食いたし命は惜しし」ということわざもあるほど<span class="swl-marker mark_yellow">、その身は高たんぱく、低脂肪であっさりとしているが、旨みと甘みに富み、コリコリとした弾力のある歯ごたえで、ひとくち食べれば忘れられない白身魚の王様として愛されている。</span></p>



<p>ところが安土桃山時代、有毒部位が明確に判明していなかったこともあり、フグ毒による中毒死が続出。そのため豊臣秀吉公が「河豚食禁止令」を出したと言われ、それからしばらくフグは食べてはいけない魚となってしまった。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" width="1024" height="684" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/9b3c39cf72195b5d83c60a58ac1ec4d2-1024x684.jpg" alt="" class="wp-image-36344" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/9b3c39cf72195b5d83c60a58ac1ec4d2-1024x684.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/9b3c39cf72195b5d83c60a58ac1ec4d2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/9b3c39cf72195b5d83c60a58ac1ec4d2-768x513.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/9b3c39cf72195b5d83c60a58ac1ec4d2.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></div>


<p>ちなみにフグ毒の成分であるテトロドトキシンは、フグの学名である（Tetraodontidae）と毒（toxin）の合成語。</p>



<p>テトロドトキシンは、青酸カリの約1000倍の毒性をもち、中毒を起こすと食後平均2時間前後で、唇から舌先、指などにしびれを感じ、嘔吐や頭痛が起き、重症の場合は神経麻痺による呼吸困難で死に至るほど。</p>



<p>毒のある部位はフグの種類によって異なり、毒を持たないフグも存在するため、運悪くその毒に当たれば命を失うという皮肉から、弾に当たると死ぬという意味合いで「鉄砲」と呼ばれていたフグ。その名残で現在でも、フグ刺しのことを「てっさ」と呼ぶのだそう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伊藤博文の心を動かした禁断の味</h2>



<p>危険な毒を持つフグだが、そのおいしさへの中毒性は古くから変わらなかったようで、隠れてフグの食用を続けようとする武士が多かったために一部の藩では、それに対し厳しい処罰を行っていた。</p>



<p>しかし、<span class="swl-marker mark_yellow">隠れてでも食べたくなるほどのものを制限しきれるはずもなく、お上の目が届かない範囲で平然とフグ食文化が発展していったという。</span></p>



<p>そんな禁断の味、フグが公に食用となる転機が訪れる</p>



<p>時は明治時代、初代内閣総理大臣･伊藤博文公が下関を訪れた際、下関で一番おいしい魚を出そうとしたが、ちょうどその時、海は大しけで魚がほとんど獲れなかった。</p>



<p>女将は悩んだあげく、<span class="swl-marker mark_yellow">打ち首覚悟でフグを出したが、それを食べた伊藤博文公は「一身よく百味の相をととのえ」と感嘆。それをきっかけに伊藤博文公が山口県令（知事）にフグ食の推進を働きかけ、1888年に解禁となった。</span></p>



<h2 class="wp-block-heading">解禁後も尽きなかったフグ食の課題</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/8973857a645368705680548a8cc05786-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-36347" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/8973857a645368705680548a8cc05786-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/8973857a645368705680548a8cc05786-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/8973857a645368705680548a8cc05786-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/8973857a645368705680548a8cc05786.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></div>


<p>こうして解禁されたフグ食だったが、解禁になった後もフグ毒による被害者は後を絶たなかったという。</p>



<p>それはなぜなのか？</p>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">じつは、フグは生まれながらに毒を持つ魚ではない。</span></p>



<p>餌となる微生物の中に毒の要素を含む海洋細菌があり、それらをフグが食べていくうちに体内で極めて強い毒が作られる。</p>



<p>そのため、漁獲の場所や季節により毒の含有量にも個体差があることから、解禁後もフグ毒による被害が続いてしまっていた。それでもなおフグに関する研究や管理、中毒防止活動が続けられ、1983年にいよいよ厚生労働省によって食用できるフグ22種を選定。それぞれの有毒部位を明確にした上で、適切な処理により可食できると定められた。</p>



<p>その後、ふぐ調理師試験が行われるようになり、有資格者だけが調理をできるようになったことで、フグ食の安全性はより一層担保されていく。</p>



<h2 class="wp-block-heading">海を超えた畑水産の挑戦</h2>



<p>このように、フグ食普及の歴史の中心にあった山口県下関のなかでも、業界のトップランナーとの呼び声高い仲卸がある。それが3代にわたってフグ専門の仲卸を営む「<a href="https://hatasuisan.com/about/" target="_blank" rel="noopener" title="">株式会社畑水産</a>」だ。その始まりは、創業者である畑栄（はたさかえ）さんが山口県内のとある老舗フグ店の番頭をしていたことがきっかけ。そこで仕入れや加工の技術を学んだことで、フグの魅力に取り憑かれ、その魅力をより一層広めたいと一念発起し、独立。</p>



<p>それからしばらくして、下関のいち仲卸として営業していた畑水産に転機が訪れる。 1984年 、ニューヨークで初めて本格的総檜造りの寿司バー「レストラン日本」を開設したオーナーの倉岡伸欣さんからフグをアメリカへ輸出したいと相談が舞い込んだのだ。栄さんは、その有毒性から海外ではほぼ食用としての需要がなかったフグを輸出するという前代未聞の提案に一度は難色を示したが、今後のフグ食文化の拡大と下関のフグ業界発展を見据えて、挑戦することを決意する。</p>



<h3 class="wp-block-heading">努力の末勝ち取ったフグ輸出の権利</h3>



<p>こうして始まったフグ輸出プロジェクト。1985年にはアメリカ食品医薬品局（FDA）の責任者を招き、毒のある部分を取り除いたフグ刺しを提供したのだが、FDAからは輸出の許可をもらえなかった。</p>



<p>それでもなんとかフグを輸出したいという情熱から、<span class="swl-marker mark_yellow">アメリカ食品医薬品局より求められるフグの安全性に関する調書に対して、一つひとつ丁寧に回答。エビデンスに基づく詳細な資料を5年間にわたり提出し続けた。その結果、下関輸出組合の一員である畑水産で処理されたみがきフグに、FDAから輸出の許可が下りたのだ。</span></p>



<p>いよいよ勝ち取った輸出の権利。1989年3月19日には待望のフグ第一便がニューヨークに到着した。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ニューヨークでも受け入れられた”ふぐ料理”</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full is-resized"><img decoding="async" width="349" height="240" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/concept4.png" alt="" class="wp-image-36350" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/concept4.png 349w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/concept4-300x206.png 300w" sizes="(max-width: 349px) 100vw, 349px" /></figure></div>


<p>まずはその素晴らしさを広く知ってもらうことでフグ食の普及に努めようと考えた栄さん。 <span class="swl-marker mark_yellow">ニューヨークで最初に披露したフグ刺しは見た目も重視し、鶴をあしらった「鶴盛り」にした。</span>皿の模様や色が透けて見えるほどの薄造りは、弾力のあるフグの身の旨みを最大限に味わってもらいたいという栄さんの心意気。長年フグに携わってきた仲卸としてのプライドを込めた一皿。</p>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">その美しさと素晴らしい技術、しっかりとした歯ごたえや甘みを感じるフグのおいしさは海外でも大きな喝采を浴び、現地のグルマンたちにも広く受け入れられた。</span> このフグに対する栄さんの情熱は代々継承され、現在、三代目である栄次さんに受け継がれている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">先代たちの志ごと受け継ぐ三代目</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="560" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/item02-1024x560.png" alt="" class="wp-image-36355" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/item02-1024x560.png 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/item02-300x164.png 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/item02-768x420.png 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/04/item02.png 1114w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>現在、三代目を務める栄次さんは、大学在学中に体調を崩した父を手伝うべく、家業を継ぐことを決意。横浜の大学を卒業した後すぐに山口に戻り、畑水産に入社した。まずは、ベテランの職人たちの仕事を目で見て真似るところからはじまり、来る日も来る日もフグを捌きつづけた。もちろん、社長の息子だからという贔屓は一切なし。しかし、栄次さんのやる気と気概は次第に周囲に認められ、先輩職人たちも「それならば」と、みっちりと仕事を叩き込んでくれたのだそうだ。</p>



<p>入社して8年が経った頃、先代である父が他界。そこからは、いよいよ自分がこの会社を背負って立つという意識が芽生えたという。</p>



<p>入社した当初は、うまくいかなければ店を畳んでしまえばいいという軽い気持ちでいた栄次さんだったが、自分が会社を引っ張る立場になると同時に、自分の甘えで社員を路頭に迷わすわけにはいかないという考え方が備わった。</p>



<p>身を粉にして働いた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">フグをまずは地元の人から受け入れられる食材に</h3>



<p>「自身がこの仕事を通して何を伝えるべきなのか」「先代たちの想いをどう受け継いでいくべきなのか」</p>



<p>たどり着いたのは、<span class="swl-marker mark_yellow">下関が誇るこの“ふく食文化”を、まずは地元である下関から浸透させようという答え。</span>どんなに世界中が下関のフグを認めても、結局地元の人が食べてくれないのでは意味がない。そこで、地元でフグ食を再認知してもらうための活動を行っていった。</p>



<p>早速、出身小学校へ、在校生100人分のふぐ刺しを提供。下関で育ちながらも、フグ刺しを食べた事がないと話す子どもたちにそのおいしさを伝えたいと思ったことがそのきっかけだった。今後は、自社の敷地内に一般の人も見学できるフグの生け簀を設けた施設の建設も計画中。生け簀から魚を上げて、その場でフグを捌き、実際に食べてもらうところまでを体験してもらえる施設にしたいと考えている。すべては地域の人たちにフグのことをより身近に感じてもらいたいという想いから。</p>



<p>まずは、下関の子どもたちが「一番好きな食べ物はフグ！」そう言ってもらうのが栄次さんの当面の目標。<span class="swl-marker mark_yellow">フグが身近な地元の人たちが心から勧めたいと思うような食材になってこそ、本当に最上級といえるのではないだろうか。そのクオリティを目指すための努力は一切惜しまない。その成果として、日本ひいては世界中からの評価は自然と付いてくると思っている。</span></p>



<p>三代目が目指すフグ食の未来は、下関の子どもたちの笑顔の先にくっきりと映し出されている。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full is-resized"><img decoding="async" width="900" height="600" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/27d159effaf641d31ba602beaced6b20.jpg" alt="" class="wp-image-47765" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/27d159effaf641d31ba602beaced6b20.jpg 900w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/27d159effaf641d31ba602beaced6b20-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/07/27d159effaf641d31ba602beaced6b20-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 900px) 100vw, 900px" /><figcaption class="wp-element-caption">株式会社畑水産 代表取締役　畑 栄次さん</figcaption></figure></div>


<p>最高のフグを求めて、市場はもちろん仕入先の生産地にも足を運んで数多のフグを目利きしています。原料には独自の活かし込み技術や確かな腕を持つ職人による身欠き技術による処理を施し、最高の状態に仕立ててお届け。最新鋭の急速冷凍技術によって身は引き締まり、鮮度も抜群です。本当においしいフグを、ぜひ味わってみてください。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/36313/">山口県が誇る「フグ」の価値を底上げする仲卸「株式会社畑水産」／山口県下関市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>朝鮮白磁の美しさを日本から発信する山口県の陶芸家 チェ・ジェホ（崔在皓）さん/山口県周南市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 29 Mar 2023 01:00:09 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[白磁]]></category>
		<category><![CDATA[山口県]]></category>
		<category><![CDATA[周南市]]></category>
		<category><![CDATA[李朝]]></category>
		<category><![CDATA[壺]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46672-1-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>現代アートと伝統工芸、相反する2つの表現の場を行き来しながら、美しい白磁の色気を提案するチェ・ジェホ（崔在皓）さん。韓国にルーツを持ちながら、日本を作陶の場に選び、全国での展覧会やアートコラボが話題を呼ぶ白磁作家だ。シン [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/35951/">朝鮮白磁の美しさを日本から発信する山口県の陶芸家 チェ・ジェホ（崔在皓）さん/山口県周南市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46672-1-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>現代アートと伝統工芸、相反する2つの表現の場を行き来しながら、美しい白磁の色気を提案するチェ・ジェホ（崔在皓）さん。韓国にルーツを持ちながら、日本を作陶の場に選び、全国での展覧会やアートコラボが話題を呼ぶ白磁作家だ。シンプルかつ高貴な白磁の常識に、チェ・ジェホさんが加える新たな世界とは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自然豊かな山口県周南市の山間で生まれる陶器</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="771" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/96ECEF1C-7C25-4F3D-BB64-2552C4F3E6BF-1024x771.jpg" alt="" class="wp-image-35956" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/96ECEF1C-7C25-4F3D-BB64-2552C4F3E6BF-1024x771.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/96ECEF1C-7C25-4F3D-BB64-2552C4F3E6BF-300x226.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/96ECEF1C-7C25-4F3D-BB64-2552C4F3E6BF-768x578.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/96ECEF1C-7C25-4F3D-BB64-2552C4F3E6BF.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>山口県東南部に位置する周南市。自然豊かで静かな山間に工房を構えるチェ・ジェホさん。韓国・釜山出身で2004年、自身が33歳の時に日本へ移住。</p>



<p>朝鮮時代に中国より韓国へ伝わったとされる白い素地に透明の釉薬が掛けられたシンプルな焼物「白磁」の作家だ。独自の風合いや柔らかな曲線、チェ・ジェホさんによってのみ生み出される独特な白色が一度手にした人を虜にしてしまう。アンティークの風合いと現代の洗練されたおしゃれ感が同居する作品は日本の白磁界に新風を吹き込んでいる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">日本を表現の場に選ぶ</h3>



<p>チェ・ジェホさんがはじめて日本を訪れたのは31歳の時。日本で行われるグループ展に招かれ、制作のため愛知県瀬戸市にある窯元に2ヶ月ほど滞在する機会に恵まれた。開催されたグループ展で出会った日本人の陶芸に対する熱意が印象的だったのと、はじめて触れた日本の白磁用の土の感触がとても魅力的だった。</p>



<p>「母国韓国では、美術館や博物館に展示されるような美術工芸品と普段使いする民衆的工芸品に対する理解に大きな差がある。日本では両者の境目がどこにあるのかが議論になるほど、工芸を取り巻く環境は円熟しているといえる。華美な装飾をほどこさない白磁にも芸術品としての定評があり、日本人の工芸に対する感性の高さに期待を持った。日本には自分の表現したかった白磁の世界を受け入れてくれる余白があると確信。自身の作陶の拠点を日本に移そうと移住を決めた」と話す。</p>



<p>広島出身の奥様のご家族を頼りに、多少不便でも、音も煙も出す器づくりが気兼ねなくできる工房を構えるためにと、自然の中の古民家を探した。ようやく見つかったのが山口県。韓国に居ながら写真と価格だけで購入を決めた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">アートの世界を目指して陶芸の扉をひらく</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46663-1-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-35959" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46663-1-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46663-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46663-1-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46663-1.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p> </p>



<p>チェ・ジェホさんが白磁に目覚めたのは大学2年生の頃だった。幼いころから絵が好きで、中学でも美術クラブに在籍。特に現代アートに対する興味が強く、絵画を学ぶために韓国国内でも屈指の芸術大学、弘益（ホンイク）大学進学を目指していた。志望していた絵画コースが高難度だったこともあり、3年浪人した。4年目には入学することを優先し、手の届いた同大学の陶芸科に進むことを決意。たとえ希望の学部で学べなくとも、芸術センスあふれる学友たちとの交流が自身にとって良い刺激になることが分かっていたからだ。</p>



<p>そんな人生の選択に導かれるように、陶芸の道に進んだチェ・ジェホさん。現代アートとしての陶芸の基礎を学び、オブジェなどの制作に没頭していた。大学2年生の授業で古典美術に関するレポートの為に国立美術館を訪れ、目にした朝鮮時代（1392年〜1897年）の白磁「満月壺（タルハンァリ）」が、その後のチェ・ジェホさんの進む道を変えたのだという。 なんとも言えない柔らかなラインと表面の質感、そして温かな白に魅せられた。いつか同じような作品を自分でも作ってみたいと、朝鮮・高麗時代の「古典白磁」の世界にはまっていった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">現代アートからはなれ伝統工芸の世界へ</h3>



<p>大学を卒業する頃には、現代アートの作家ではなく白磁の作家を目指すと決意。朝鮮時代の白磁作品から受けた感動を自身の作品で再現する作家になりたいと考えた。韓国では白磁用の土を手に入れることが難しい事もあり、白磁作家自体の数が少ない。弟子入り先を探すのには苦労した。教授のつてを辿り、ようやく見つけた弟子入り先が古美術の修復や古典美術の写しなどを手掛ける専門家だった。学びたかった朝鮮白磁のいろはや古典作品を見極める審美眼を身につけていった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">守り続ける恩師の教え</h3>



<p>師事した恩師の教えは、同世代の現代作家の作品を真似るのではなく、博物館や美術館に展示されている「美しいもの、いいものを見て学べ」だった。時代を越えて人々が残そうとした本物の作品を見て心で感じ、想像を膨らませる。そこから見えてくるバランスと質感を学び、自身の感性が生み出す解釈として表現することが大切だと。自分なりの解釈ができた時に、レプリカではない独自の作品を生み出せるようになるというのだ。</p>



<p>そんな教えを守りチェ・ジェホさんは今でも、個展や商談で訪れる先に美術館や博物館があれば立ち寄るようにしていると話す。東京国立博物館や日本民藝館にもよく訪れるのだとか。オリジナル作品の作陶で忙しい今でも、<strong>インプットする時間を何よりも大切にしている。</strong></p>



<h3 class="wp-block-heading">独立で覚悟を決めた代表作作り</h3>



<p>弟子入りしてから2年半が過ぎたころ、師匠が他界するという不運が訪れた。独立への十分な備えがあったとは言えなかったが、白磁作家としての一歩を踏み出すことに。独立するにあたり、大学時代のレポートで感銘を受けた「満月壺」を自身の代表作に据える覚悟を決めた。この時から今でも理想の曲線と表面の風合いを求め作陶する日々が続く。</p>



<h2 class="wp-block-heading">チェ・ジェホさんの白磁</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46675-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-35962" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46675-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46675-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46675-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46675.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p> </p>



<p>そもそも白磁とは陶芸の中でも「磁器」に分類される焼物で、陶石と呼ばれる石が主な原料。透明の釉薬をかけ白色に焼き上げるのが特徴で、鮮やかな絵付けなどを施した佐賀県の「有田焼」や石川県の「九谷焼」でよく知られている。</p>



<p>チェ・ジェホさんの白磁作品には、鉄分の少ない3種の土を用いる。陶芸用の白磁粘土に佐賀県有田の陶石や作品に独自の白色を引き立たせる韓国の粘土カオリンなどを混ぜる。鉄分を含まない透明釉により素地の白色を乳白色のニュアンスに変化させ光を通すと、白磁の凛としたツヤの中にやさしさを携えた透明感が生まれる。</p>



<p>制作時に、寸法は一切計らない。はじめに重さを計った後は、自身の<strong>手指の感覚のみで、ギリギリまで薄くして、自然的な歪みも含めたラインの美しさを大切にする。</strong>作品として飾るだけではなく、薄く軽いため使い勝手が良いこと。また白の引き算の効果で、草木花を上品に美しく引き立たせることは言うまでもない。</p>



<h2 class="wp-block-heading">代表作「満月壺」</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46686-1-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-35965" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46686-1-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46686-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46686-1-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46686-1.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p> </p>



<p>満月壺とは両腕で抱えるほどの大きさの壺だ。形が満月を思わせるので「満月壺」と呼ばれている。朝鮮王室が白磁を王室専属磁器とされた時代から伝えられる技法で、繊細なラインと大きな膨らみを持つ独特な曲線が見る人に癒しを与える。「胴継ぎ」と呼ばれる制作手法で、2つの椀型の原型を、上下繋ぎ合わせたあと窯で焼く。完全な球体にはならないが、圧倒的な膨らみと自然な歪みがうまれ、素朴な中に温かみと力強さが同居する。壺が放つおおらかな優しさに魅了される人が多く、白磁に魅せられた人々は行きつく先がこの満月壺の所有欲の沼なのだそうだ。</p>



<p>チェ・ジェホさんは満月壺に機械的に造られた綺麗なものには無い、手作りだからこそ生まれる風合いを表現し、朝鮮時代を生きた陶工たちの息遣いを感じさせることを意識している。満月壺からにじみ出る「温かみ」はどこか赤子を抱く母のぬくもりに似たやさしさがある。物でありながら人間らしさを感じさせる魅力は陶工たちがものづくりに込めた思いがこもっているからこそ。これを「色気」と表現し、自分なりの解釈で唯一無二の色気を満月壺に宿すことにこだわる。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46657-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-35968" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46657-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46657-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46657-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46657.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p> </p>



<h2 class="wp-block-heading">日本での成功をつかむまで</h2>



<p>日本に移住して作品作りを始めた当初は、お金もなく細々と手に入れた古民家の改修をしながら作品作りをする毎日。日本での知名度もなく「チェ・ジェホ」の名では作品が売れない。しばらくすると作品を作る原資すら無くなり途方に暮れた。いったい自分は何を目指しているのか、分からなくなる瞬間があったという。</p>



<p>ふと我に返り浮かんだのは「自分の考える、自分らしい白磁を作ろう」という思いだった。何かをまねるのではなく、見たもの感じたものの先にある自分の解釈を表現することが重要だと教えてくれた恩師の言葉を思い出し、朝鮮白磁がこうあるべき、という思い込みを捨てた。自分自身の解釈を投影する作品作りに振り切ったとき、「自分のつくりたい白磁」の解を得た。チェ・ジェホさんの迷いは消えて、作品作りへの自信がみなぎったという。</p>



<p>満を持してたどり着いた自分流の答えをもって、流行の中心である東京のギャラリーやショップへ売り込んでまわる日々が続いた。抱える白磁作家がいるからと断られることがほとんど。そんな中、とある古美術店の店主がチェ・ジェホさんの白磁を気に入り取り扱いが決まった。つづけて同店で個展を開くと、その評判はお客さんを通じて広まり、2008年ごろになると東京でも別のギャラリー主の耳に届くように。とんとん拍子でいくつかの有名ギャラリーで個展が開けるようになっていった。</p>



<p>駆け出しの頃は東京と山口の往復を続けながら、陶芸に強い関心を持つ日本の風土とまだ見ぬ将来顧客との出会いに胸を膨らませて心を弾ませていたと話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">チェ・ジェホの白磁がさらに広く知られたきっかけ</h3>



<p>日本での評価を受けはじめたチェ・ジェホさんの作品は、ギャラリーやショップだけでなくNHKの美術番組でも取り上げられ、注目を浴びることとになった。2020年「白磁」のテーマ回で、白磁界の大家・黒田 泰蔵氏、人間国宝の井上 萬二氏に名を連ねた。両者に並んで40代の外国人作家としての紹介には、本人も驚いたという。これまで自分が信じてのめり込んできた「チェ・ジェホの白磁」を日本が認めてくれたことを実感する瞬間だった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">独自の白が生み出すおしゃれ感をめざす</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46699-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-35971" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46699-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46699-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46699-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/03/FXT46699.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p> </p>



<p>満月壺以外にも、年代を問わず毎日使ってもらえるような「生活に溶けこむ作品」作りも大切にしている。普段使いのマグカップや中皿、酒器、花器、中国茶器など幅広いバリエーションがある。シンプルで独特な質感が、ただの白ではなくおしゃれ感を醸し出す。白といってもその種類は様々で、チェ・ジェホさんが生み出す白は温かみを感じさせる。酒器や皿の中央にぽつんと佇む「人型」のワンポイントシリーズは若い層の顧客を中心に人気がありチェ・ジェホさんの遊び心を感じさせる作品だ。</p>



<p>使い手に愛され育てられたことによって、後天的に生まれる風合いの変化が美しいとされる朝鮮白磁を基礎に学んだからこそ生まれる発想で作品を生み出していく。</p>



<p>朝昼晩と移りゆく光に映える器を想像し、使い手のあらゆる利用シーンに馴染むよう、自身の感覚を頼りに、あえて指の筋跡を残す。<strong>目で見る凛とした佇まい、持って伝わる柔らかい曲線が醸し出す色気</strong>は、現代デザインとして目の肥えた人にも通用すると考えている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">アートシーンへの挑戦、黒と白の世界</h2>



<p>2019年には、ニューヨークを拠点にペインティングやネオン、写真やビデオといった多岐にわたる素材を用いて制作するアーティスト、グレン・ライゴン氏からの熱烈オファーを受けて、コラボ制作が実現した。ファッションブランド「HYSTERIC GLAMOUR」が運営するギャラリー「RAT HOLE GALLERY」で、ライゴン氏のルーツを表現するものだ。近代美術やコンセプチュアル・アートに基づく作品を制作しているライゴン氏からの依頼は、「象徴的な白の満月壺を『黒』で表現すること」。</p>



<p><strong>白磁作家が紡ぐ、漆黒の満月壺は荒々しい表面感と白磁の満月壺との対比が素晴らしく、話題を集めた。</strong></p>



<h3 class="wp-block-heading">誰もチャレンジしたことのない「黒の世界」</h3>



<p>完成した黒い満月壺は、どこか宇宙を彷彿とさせる。遠くからみると吸い込まれそうなほど漆黒の重みがある。近づいて見ると、光の届かない月面の裏側や、凍った雪の表面のような凹凸があり、力強い作品に仕上がった。仮称として黒磁（こくじ）満月壺と呼んだ。</p>



<p>「静と動」「始まりと終わり」を、黒で出す引き算と白で出す引き算の対比が、現代アートとして象徴的に表現された。従来、満月を思わせる伝統的な形状と乳白色が特徴の満月壺の表現を拡張させることに成功した。</p>



<p>他のどの白磁とも違う、チェ・ジェホさんが生み出す「チェ・ジェホの白磁」は朝鮮が紡いだモノづくりの情熱とそれを新たな時代の表現に昇華させたハイブリッドな存在感で手に取る人の心をなぜか温かくする。</p>



<p>「白磁には色気が無いと魅力がない」とチェ・ジェホさんは語るが、確かにえもしれぬ妖艶さを秘めた温かさの沼にはまっていく。近づけば近づくほど表情を変える壺の魅力は作家チェ・ジェホの人柄を映し出しているようだ。これからも朝鮮白磁の魅力をチェ・ジェホ流の白と質感で表現し続けていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/35951/">朝鮮白磁の美しさを日本から発信する山口県の陶芸家 チェ・ジェホ（崔在皓）さん/山口県周南市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>「萩の土でしか出せない景色を継承」陶芸家 15代新兵衛 坂倉新兵衛さん/山口県長門市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 21 Feb 2023 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[長門市]]></category>
		<category><![CDATA[荻焼]]></category>
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		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/shine_2021_5_205171_350dpi_3500-3-1024x768.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>萩焼は、茶の道で「一楽、二萩、三唐津」と評される名高い茶陶である。萩焼の創世時より400年余り続くルーツを持つ、由緒ある窯元を守るのが、当代の15代坂倉新兵衛（さかくらしんべえ）さんだ。萩の土ならではの魅力を引き出す伝統 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/35397/">「萩の土でしか出せない景色を継承」陶芸家 15代新兵衛 坂倉新兵衛さん/山口県長門市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/shine_2021_5_205171_350dpi_3500-3-1024x768.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>萩焼は、茶の道で<strong>「一楽、二萩、三唐津」と評される名高い茶陶</strong>である。萩焼の創世時より400年余り続くルーツを持つ、由緒ある窯元を守るのが、当代の15代坂倉新兵衛（さかくらしんべえ）さんだ。萩の土ならではの魅力を引き出す伝統的な技法と、先鋭的な表現を使い分け、独自の作風で萩焼の新たな可能性にチャレンジし続け注目される作家だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">萩焼の古き流れのひとつ、深川萩の歴史</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/FXT46485-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-35408" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/FXT46485-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/FXT46485-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/FXT46485-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/FXT46485.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>







<p> </p>



<p>山口県北西部、本州のほぼ西端の山間に位置する長門（ながと）湯本温泉は、県内最古の温泉街として室町時代から数百年の歴史を持つ。今なお観光客が絶えない人気温泉街の喧噪を離れ、谷間に進むと、三ノ瀬(そうのせ)と呼ばれる萩焼の名門、深川（ふかわ）萩の陶工たちの暮らすエリアがある。</p>



<h3 class="wp-block-heading">萩焼の創世から、窯を守り400年</h3>



<p>萩焼は高麗茶碗にルーツを持ち、日本海側が交易の中心であった頃の大陸文化に由来した陶器である。1605年中国地方を治めた毛利輝元が高麗（現在の朝鮮半島）より陶工を呼んだことに端を発し、長らく毛利藩（長州藩の別称）の御用窯として庇護を受け続け、17世紀半ばには萩城下から現在の長門市、深川の地にも分窯された。ここ「新兵衛窯」は「深川（ふかわ）萩」と称され、この深川の地にて<strong>360年に渡り代々続く名窯</strong>だ。</p>



<p>12代新兵衛は明治時代に入り長州藩が解体され、最大の発注者だった藩主を失ったことで、萩焼が歴史上最も困窮した時期に、日本全国に新たな販路を見出し、萩焼の名を後世に残したことで知られる。<strong>「萩焼中興の祖」</strong>と称され、近代に萩焼の名を世に広めた立役者であり当代の祖父にあたる人物だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">萩焼の伝統</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/FXT46578-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-35414" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/FXT46578-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/FXT46578-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/FXT46578-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/FXT46578.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>







<p> </p>



<p>萩焼の特徴は、山口県防府市周辺で採掘される白色の大道（だいどう）土、鉄を多く含む赤みのある見島（みしま）土、そして金峰（みたけ）土の3種を混ぜて使うこと。代々使われてきたこの土の調合にはメリットが多く、砂礫（されき）を多く含むことで焼締まりにくく、“ざっくり”とした萩の土本来の持ち味を残した焼き上がりになる。また茶碗としての軽さと使いなじみの良さ、さらに山間の急斜面を生かした「登り窯」による、高温での焼成においての耐久性・耐火度を発揮する。</p>



<p>また貫入（かんにゅう）と呼ばれる、釉薬と胎土との収縮差で起こる表面のひび割れの美しさや、茶碗を長年使うほどに抹茶がひびに染み込み、さらに美しく「変化する」「使い、育てる」ことを評した「萩の七化け」を楽しむことも萩焼の醍醐味とされる。</p>



<p>新兵衛窯では、この非常に扱いづらく、成形の難しい土の調合を代々受け継ぎ、共生しながら、美しい輪郭を残す「萩の土がつくる景色」「土味」を守っている。本質として「土を生かしているか」を問い続け、焼き上がりの土の風合いが魅力的に表現されているか？とくに「土味（つちあじ）」を生かした表現になっているかを追及し、作陶を続けている。</p>



<p>土味とは、焼物に於いて、焼成後の器に表れている本来の土の持つ魅力のことをいう。土の素朴な風情や荒々しさと、艶のある釉（うわぐすり）や刷毛目、化粧土等の加飾とのデザインの対比が、美しさとして相乗効果で引き出される表現である。萩の土の力強さと、釉の繊細さが作る妙は手にする人を虜にする。</p>



<h2 class="wp-block-heading">長い伝統を継ぐ窯元として、作家として</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/4eb0fa60d2db3963f1f0882f50944b08-1-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-35506" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/4eb0fa60d2db3963f1f0882f50944b08-1-1024x683.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/4eb0fa60d2db3963f1f0882f50944b08-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/4eb0fa60d2db3963f1f0882f50944b08-1-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/4eb0fa60d2db3963f1f0882f50944b08-1.jpg 1035w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>







<p> </p>



<p>当代の15代坂倉新兵衛さんは名門の茶陶を求める全国の茶人からの依頼だけでなく日本各地で個展が開催され人気を集める。長年培われてきた、萩焼の「土の魅力を表現する」という軸を守りつつ、<strong>革新的な作品づくり</strong>を行う希代の作家だ。</p>



<p>名窯を継承する者として、また作家として駆け抜け44年余。2013年には「萩焼」の山口県指定無形文化財保持者に認定された。茶器としてだけでない萩焼の魅力を、芸術の域に引き上げる作品作りを行い、萩焼に進化を与える造形表現を提案し続けている。</p>



<p>東京藝術大学彫刻科への進学は、家業を継ぐというプレッシャーを感じることなく、自身の意思でのことだった。しかし、卒業後ほどなく先代の父が病床に倒れ、息つく暇もないうちに29歳での当代襲名となった。先代の14代とは晩年の数か月しか同じ窯に立つことはできなかったが、小学生までの祖父12代新兵衛との3世代暮らしが陶芸家としての礎となっている。（13代坂倉新兵衛の名は戦死した14代の兄、光太郎氏に贈られている。)</p>



<p>明治維新による、幕藩解体により最大の発注者を失った萩焼。各窯元で新たな手法・販路を見出す必要がある中、窯元の周辺ですら民間には萩焼のことをよく知られていない状況だった。そんな衰退の一途を辿る時期に12代は生まれた。萩焼はそもそもが藩の御用窯という位置づけであったので、作り手が作家として自分の陶印を押すようになったのは、廃藩置県ののち、12代になってからのこと。</p>



<p>12代は行動力と先見の明をもって、より中央へ、より人のいる場へ発信すべきと、半年作品を作っては、残り半年かけて大きな荷物を背負い出かけた。広島、尾道、遠くは大阪、東京にまで旅館や寺を会場に熱心に売り込みに行っていたのだ。</p>



<p>特に京都には足しげく通い、当時茶道人口が増加していく中で、裏千家の御家元に入門し、薫陶を受けながら、「坂倉新兵衛」として格式高い茶道具を数多く作り出し茶陶萩としての評価を確立していった。優れた作家であったとともに、言わばプロデューサーでもあり、素晴らしいマーケッターでもあったのだ。</p>



<p>当代は旅先で立ち寄った旅館などで、祖父が手売りしていた当時の様子を耳にすることもあり、12代から受けた影響は大きく、「作品として後世に形を残してくれている。陶工としても、人間としても尊敬しています」と柔和に穏やかに話す。</p>



<p>先代たちが萩焼の本質が何であるのかを理解し、基軸を守る伝承があったからこそ、現在、自由な表現と飛躍的なチャレンジが出来るのだと。</p>



<h2 class="wp-block-heading">萩焼とはなにか？を追い続けて</h2>



<p>萩焼は、最小限の装飾と手取りの良さが侘茶（わびちゃ）を邪魔しないことが茶道で人気を博す所以である。穏やかな白や淡いピンク、代表的なオレンジがかった枇杷（びわ）色など、柔和な釉薬の色味と持ち心地の良さから、世代を問わず好まれてきた。近年では抹茶椀としてだけでなく、食材を邪魔しない上品さから料理を盛る器として料亭や飲食店、日常使いまでも幅広く重宝される存在だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">土：育てるからこそおもしろい萩焼「てのひらの景色」</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/shine_2021_5_205196__350dpi_3500-2-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-35538" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/shine_2021_5_205196__350dpi_3500-2-1024x683.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/shine_2021_5_205196__350dpi_3500-2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/shine_2021_5_205196__350dpi_3500-2-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/shine_2021_5_205196__350dpi_3500-2.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>







<p> </p>



<p>新兵衛窯の茶碗は艶やかな釉調の美しさとは対照的に、一見するとずっしりと重みのある佇まいである。しかし、持った瞬間に驚くほどの軽さと、両手にすっぽりとなじみ茶碗の方から手に納まりにくるかのような感覚が生まれる。</p>



<p>伝統技法による茶碗を手にした人に「手取りがいい」「持ち上げるとしっくりくる」と評価され、喜んでもらえることこそ、この上ない喜びだという。手のひらの中で包み込む時の茶碗の佇まいと見せる表情は、人を癒す温かみがあるのだという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">窯：” 即興性 ”のある萩焼の魅力</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/FXT46502-1-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-35423" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/FXT46502-1-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/FXT46502-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/FXT46502-1-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/FXT46502-1.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>







<p> </p>



<p>当代は<strong>萩焼のおもしろさを「即興性」</strong>だという。萩茶碗の個性を作る、土や釉薬の一期一会は、萩焼の最大の特徴といえる「登り窯」でこそ出せるものだ。登り窯では油をたっぷり含んだ松薪で、一気に1,200℃以上の高温で焼き上げる。焼成によるさまざまな表面変化、窯変（ようへん）が毎回現れ、窯内の作品の置き場所によっても、色の出かたや釉薬の溶け具合が変わる。登り窯という薪窯ならではの複雑な炉内条件によって生まれる窯変こそが、萩の伝統土の特徴でもある予期しない模様や色、表面感のバリエーションを与え、作品の味わいを深くするのだ。</p>



<p>その分、全く同じ作品に出会えることはなく、失敗も多い。焼きあげた作品の半分が世に出せる作品になっていればいい方。だからこその特長を逆手にとり、釉の調合による焼上がりの妙と、焼成時の灰被りと呼ばれるさらなる変色技法を加えて、即興的な焼成表現に挑戦している。</p>



<p>「酸化炎で焼けば黄色に、還元炎であれば青色に、中性にしてそのミックスした色の妙を表現できるんです」と、するするっと滑らかに話す口調は、よどみない創作意欲と、どこか実験を楽しむ化学少年のようでもあった。</p>



<p>萩の土の特長と、釉薬の変化をその場そのときの一期一会で表現する。化学反応として楽しめる萩焼の即興的な魅力に、一番惹きつけられているのは当代なのかもしれない。</p>



<h3 class="wp-block-heading">表現：萩の土をポイントとして生かす先鋭的な手法</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/f57befbf2a6425437b30a181a0163b58-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-35426" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/f57befbf2a6425437b30a181a0163b58-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/f57befbf2a6425437b30a181a0163b58-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/f57befbf2a6425437b30a181a0163b58-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/f57befbf2a6425437b30a181a0163b58.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>







<p> </p>



<p><strong>萩焼の「土味」を生かすことへの飽くなき追求。</strong>当代は萩の土をより際立たせたいと考えた。壁状の広い面に花の絵を施すことにより、焼成による変化で生み出された奥行きと空間性が対比となり、より魅力的にその土味を表現できるのではないか。30代頃からはじめた造形表現である。また細かい刻みを筋状に加えるデザインでは、土の表面に粗々しさをプラスしながらも同時に緻密な印象も受ける。掛け分けの花器では、土台の土に、化粧土、2～3種類の釉を重ねていくことでコントラストが生まれ、どことなくモダンな雰囲気を演出する。</p>



<h3 class="wp-block-heading">油絵で使われるペインティングナイフ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="1000" height="750" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/IMG_6361-2.jpg" alt="" class="wp-image-35537" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/IMG_6361-2.jpg 1000w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/IMG_6361-2-300x225.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/IMG_6361-2-768x576.jpg 768w" sizes="(max-width: 1000px) 100vw, 1000px" /></figure>







<p> </p>



<p>萩焼の絵付けは当時<strong>異例の技法</strong>だった。花の絵は絵具ではなく化粧土を盛り付けて描いていて、陶芸としては珍しい、ペインティングナイフを使用する。</p>



<p>生乾きの段階で土を貼り付け、象嵌（ぞうがん）と呼ばれる立体的に美しい絵を浮かび上がらせる手法も取り入れ、萩の土を昇華させる方法を模索し、試作と思考を重ね続けた。萩焼ならではの無骨な土台の色に、ふわっと浮き上がる百合や椿、菖蒲（あやめ）の装飾は、自生する野花とふいに目があった瞬間のような自然な美しさを表現する。</p>



<p>仕上げとなるガラス質の透明釉は極力うすくかけ、下の土肌やレリーフ状に盛り上がった化粧土による絵付の立体感を生かすことで、土の凹凸が正直に現れる。さらに窯変の美しさをダイナミックに表現するため、あえて火の近くに置き、灰を花器の半分程度まで深く被らせる灰被り技法を用い、器の肌・表面感の豊かな表情を造り上げていく。土味と表現のコントラストの妙に引き込まれる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">創作意欲の原点とこれからへの想い</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/650da1fa450f9fd605f18d3d5c3c6b43-1-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-35507" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/650da1fa450f9fd605f18d3d5c3c6b43-1-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/650da1fa450f9fd605f18d3d5c3c6b43-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/650da1fa450f9fd605f18d3d5c3c6b43-1-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/650da1fa450f9fd605f18d3d5c3c6b43-1.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>







<p> </p>



<p>当代は萩焼の将来について、家族や窯元単位でなく萩焼文化そのものの更なる繁栄を目指したいと考えている。その理由は、かつて萩焼の苦境を脱し、人気を再加速させた12代の祖父を思い、創作意欲の原点とするからこそ。</p>



<p><strong>かつて祖父の手腕と努力で得てきた今日の萩焼の定評と品位を、守り続けたい</strong>と語る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">継承、そして次の世代へ</h3>



<p>萩の窯元は全体人口が多くなく、京都の窯業試験場のような専門的な学校が地元地域にないことから、どうしても一度は県外に学びに出ることになる。東京や京都で学び、<strong>同世代の作家たちと切磋琢磨したことで得た学びの多様性が、今の萩焼の表現に生かされてきた。</strong>現在は、かつての当代本人もそうであったように、長男である16代となる正紘（まさひろ）さんと窯を共にし、またお孫さんの元気な姿も窯場付近で見ることができた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">京都・樂家との交流とさらなるチャレンジ</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/6615030413c6444cb52823d59945dd1d-1-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-35508" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/6615030413c6444cb52823d59945dd1d-1-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/6615030413c6444cb52823d59945dd1d-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/6615030413c6444cb52823d59945dd1d-1-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/6615030413c6444cb52823d59945dd1d-1.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>







<p> </p>



<p>作家としての伝統作品を発表するだけでなく、工芸・アートとしての発信も精力的に行っている。代表的なのは、滋賀県にある佐川美術館で2016年に開催された<strong>「吉左衞門X（エックス）新兵衛の樂　吉左衞門の萩」</strong>である。当時話題になったのをご存じの方もいるかもしれない。</p>



<p>日本を代表する名窯元の当代2人のアートコラボレーション。<strong>樂焼・15代樂吉左衞門（直入）氏</strong>とは、偶然にも藝大陶芸科の同窓であり、現在も家族ぐるみで食事をするなど付き合いがあるという。美術界の話題や注目をよそに、構想数年で実現した世紀のコラボでは、当人同士はお互いの窯場で相手の土を使って制作するという趣向を大いに楽しんだ。新鮮な環境下でのものづくりでは、新たな発見があり、童心に戻るかのような体験ばかり。お互いの工房を取り換えて、収縮率の違う樂焼と萩焼、焼成方法も異なるなかでお互いの作品を作り発表する刺激は、本人たちだけでなく居合わせた仲間や、鑑賞者、なにより後進の若き陶芸家たちにも影響を与えたはずだ。</p>



<p><strong>「百万一心」</strong>と書いて<strong>「一日、一力、一心」</strong>と読む。毛利家が代々伝える、皆が心を一つにして物事を積み重ねることの大切さを説く言葉である。</p>



<p>御用窯から民窯となり、使い手の期待に応えて一日一日積み重ねてきた、その陶工たちの改良・研究の歴史が、15代新兵衛へ脈々と受け継がれ、今、私たちがてのひらに納めることができる。歴史と背景を知り、使い育てることで、萩焼の躍動を後世に伝える、歴史の担い手になれるかもしれない。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/FXT46553-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-35558" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/FXT46553-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/FXT46553-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/FXT46553-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/FXT46553.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/35397/">「萩の土でしか出せない景色を継承」陶芸家 15代新兵衛 坂倉新兵衛さん/山口県長門市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>世界中で愛される銘酒「獺祭」を生む旭酒造が目指す先にあるもの／山口県岩国市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 09 Feb 2023 01:00:06 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[日本酒]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/9960f1316d42334acf6de1a6cf97ff44-1024x682.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本国内のみならず海外でも日本酒ブームの火付け役となった旭酒造株式会社。銘酒『獺祭（だっさい）』の名でよく知られる酒造メーカーだ。酒造メーカーとして型破りな方法で飛躍し国内外で愛され続け、もはや頂点をみたようにも思える『 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/9960f1316d42334acf6de1a6cf97ff44-1024x682.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本国内のみならず海外でも日本酒ブームの火付け役となった旭酒造株式会社。銘酒『獺祭（だっさい）』の名でよく知られる酒造メーカーだ。酒造メーカーとして型破りな方法で飛躍し国内外で愛され続け、もはや頂点をみたようにも思える『獺祭』は、今もなお進化しようとあくなき挑戦を続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ピンチをチャンスに変える日本酒造り</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/33d2f8497b76d774fb237a78a8795b66-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-35251" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/33d2f8497b76d774fb237a78a8795b66-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/33d2f8497b76d774fb237a78a8795b66-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/33d2f8497b76d774fb237a78a8795b66-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/33d2f8497b76d774fb237a78a8795b66.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p> </p>



<p>山口県東部に位置する岩国市。県道5号線の山中をひたすら車で進むと、突如として現れる12階建てのビル。この酒蔵として珍しい近代的な蔵は、1770年創業、200年以上の歴史を持つ<a href="https://www.asahishuzo.ne.jp/" target="_blank" rel="noopener" title="">旭酒造株式会社</a>の本社蔵だ。ここで世界的にその名を知られる銘酒<strong>「獺祭」</strong>が作られている。</p>



<p>「獺祭」生みの親である現会長、桜井博志（さくらいひろし）さんは、大学卒業後、大手酒造メーカーに勤務。その後旭酒造へ入社したが、先代との考え方の違いから一度は退社し、石材業を営んでいた。</p>



<p>1984年。先代が亡くなり3代目として旭酒造に戻ってきたものの、日本は空前の焼酎ブームで、日本酒の売り上げは激減。とにかく安く多く販売し消費するという時代。 地方の小さな酒蔵で製造できる数も少なかったため、当時の看板商品であった「旭富士」は売れず、旭酒造の業績は、年々下降するばかりだった。どうにかしようと奔走するも、地元の問屋も相手にしてくれない状況。</p>



<p>しかし、桜井さんはこの大きなピンチに直面したことで、日本酒造りの本質的な問題を、一つひとつ整理していく。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="1000" height="667" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/89c7dfaf5a0213d4e054dd04fd15c8c0.jpg" alt="" class="wp-image-35256" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/89c7dfaf5a0213d4e054dd04fd15c8c0.jpg 1000w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/89c7dfaf5a0213d4e054dd04fd15c8c0-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/89c7dfaf5a0213d4e054dd04fd15c8c0-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 1000px) 100vw, 1000px" /></figure>



<h3 class="wp-block-heading">本当においしい日本酒「獺祭」の誕生</h3>



<p>生き残り戦略として取り組んだのが<strong>「本当においしい日本酒」</strong>をつくること。山口の片田舎で名前も知られない酒蔵が、当時日本酒業界の主流だった薄利多売で勝負をしても勝ち目はない。そこで選んだのは単価が高く価値を訴求しやすい<strong>「純米大吟醸」</strong>だった。</p>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">日本酒は、原料や精米歩合などの違いによって種類が分けられている。その中でも、純米大吟醸というのは、米・米麹・水だけで造られる。</span></p>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">精米歩合が50%以下の米を、低温で長期間発酵させ、米本来の旨味やコクがあり、吟醸香といわれる<strong>フルーツのような甘い香りをまとう</strong>のが特徴。</span>低温でじっくりと熟成させる造りは、コストも手間もかかるため、お酒の値段は高くなる。価値あるおいしいお酒を造ることで商品価値をあげていくのが狙いだ。</p>



<p>しかし、いくら良いものを造っても、「旭富士」のままでは手に取ってもらえない。新たな銘柄が必要だった。酒蔵がある獺越（おそごえ）という地名は、獺（かわうそ）が山を越えてやってきた場所という古い言い伝えに由来していて、そこにヒントを見出した。</p>



<p>獺が獲った魚を河原に並べて置く独特な行動が、神仏にお供え物を祀る（＝祭る）ように見えたことから生まれた「獺祭」という中国の故事があった。そこに明治の文学界に革命を起こした正岡子規の俳号の一つ「獺祭書屋 主人」にちなみ、この山奥から革新的な酒造りに挑戦する酒の名前にピッタリだと、「獺祭」と名付けることとした。</p>



<h2 class="wp-block-heading">本当に美味しいと思える酒をつくるための苦闘</h2>



<p>とはいえ、新卒で大手酒造メーカーに勤めた経験はあるが、酒造りはまったくの素人。そのため、評判の高い蔵元を回ったり、おいしいと言われる吟醸酒を真似してみたり、やれることはかたっぱしから試した。桜井さんがかき集めてきた情報を元に杜氏が酒造りをおこない、すべてを数値化し、データを元にトライアンドエラーを繰り返していった。大学の先生からは純米大吟醸を量産するなんて言うことは、杜氏の気持ちを冒涜している、と叱られた事すらあったが、<strong>経験に勝る強みはない</strong>のだ。</p>



<p>着手から6年の歳月を経て、1990年ようやく、精米歩合50%と45％の純米大吟醸酒の販売にこぎつけた。完成にたどり着くまでは「地べたを這いつくばる想いで耐え忍んだ」。そう桜井さんは当時を振り返る。</p>



<p>開発当初からマーケットは東京へと決めていた。地元の小さな商圏では売り上げが先細りすることは目に見えていたからだ。桜井さん自身も酒販店や飲食店を回って積極的に営業活動をおこなった。発売当時バブルがはじけたばかりで、銀座の一等地は閉店したバーなどに置き換わって居酒屋ができ始めていた頃。獺祭のような高価格帯の日本酒を好んで置く店が多かったのもラッキーだった。また東京にいる山口県民などの間で少しずつ話題になると、取り扱ってくれる飲食店も増え滑り出しは好調といえた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">業界トップクラスの純米大吟醸造りへの挑戦</h2>



<p>日本酒業界は古くから、問屋を介して飲食店などの消費者へと商品が届けられてきたため、問屋との関係性が販売量を大きく左右してきた。売れている酒が必ずしも消費者の求めている酒とは限らないのが実情だった。</p>



<p>しかし、このままいくと日本酒業界は衰退の一途を辿ってしまう。古い仕組みを見直し、本当においしいものを多くの人に届ける方法を考えた桜井さんは、<span class="swl-marker mark_yellow">自分たちの造った酒を適切な状態で販売してくれる酒販店に限定して直接取引を始めることにした。</span>全国の売り場に社員が直接出向き、販売環境を確認して回ることも惜しまなかった。自分たちの目で見て、肌で感じた市場感と敏感に向き合ったのだ。</p>



<p>おいしい酒というのは全国どこにでもある。その中でも自分達の売りとなるものを強く打ち出すため、次に挑戦したのは<strong>業界トップクラス</strong>23％の精米歩合を誇る純米大吟醸<strong>「獺祭磨き二割三分」</strong>の開発だった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">徹底的にかける手間とコスト</h3>



<p>玄米を表面から77%削り取った状態の米を使うことで、雑味のないクリアな味わいと、奥深いおいしさを表現できる。しかしそれは簡単なことではなかった。磨きすぎると面白みのない味になる。</p>



<p>そのため、機械を使う方が再現性の高い作業、人の手でしかできない繊細な作業など、細部に渡って検証を重ねた。効率や導線、微妙な変化などを徹底的に突き詰め改善してきた。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="1000" height="667" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/ea8ca1facd6d5f67e27a9e8f4c36dee1.jpg" alt="" class="wp-image-35261" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/ea8ca1facd6d5f67e27a9e8f4c36dee1.jpg 1000w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/ea8ca1facd6d5f67e27a9e8f4c36dee1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/ea8ca1facd6d5f67e27a9e8f4c36dee1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 1000px) 100vw, 1000px" /></figure>



<p> </p>



<p>また使用する米はすべて山田錦。</p>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">山田錦は、脂質やたんぱく質といった余分な成分が少なく、大粒で砕けにくいため精米しやすいのが特徴。</span>吸水性も高く良い麹をつくりやすいため、酒米の王様といわれるほどバランスが良く、造り手の意思を反映したお酒になりやすい。</p>



<p>だが、同じ米でも採れる畑によって吸水力などさまざまな違いがあるため、洗米はその微妙な違いに対応できるよう、人の手で行う。</p>



<p>そのほかに、蒸した米を床台まで移動させる際は水分バランスが崩れて米の品質が変わらないよう、すべて人の手で運ぶ。</p>



<p>麹造りは酒造りに50%以上影響するといわれているため、毎日麹の状態を機械で分析して、人の手で微調整をおこなうのだ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="1000" height="668" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/a4b1c0e4dcc528e068cab1ec51387fa8.jpg" alt="" class="wp-image-35262" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/a4b1c0e4dcc528e068cab1ec51387fa8.jpg 1000w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/a4b1c0e4dcc528e068cab1ec51387fa8-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/a4b1c0e4dcc528e068cab1ec51387fa8-768x513.jpg 768w" sizes="(max-width: 1000px) 100vw, 1000px" /></figure>







<h3 class="wp-block-heading">人と機械のバランスから誕生した「獺祭磨き二割三分」</h3>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">このように、人の経験や勘と、データや機械のバランスにこだわったことで、誕生した唯一無二の純米大吟醸「獺祭 磨き二割三分」は旭酒造の金看板となった。</span></p>



<p>雑味がなくフルーティーな飲み口で、日本酒を飲まなかった若年層や女性にも受け入れられだすと飛躍的に業績を伸ばしていくことになる。ただひたむきに「自分たちが美味しいと思える酒を造る」ことを追求してきたことが市場に受け入れられたのだ。</p>



<p>「獺祭」ブランドの派手なPRもせず、原点を大切にする。そんな酒造りの姿勢はじわじわと口コミでに知られるようになり、メディアでも取り上げられるようになると評判が評判を呼び絶大な知名度とブランド力を持つようになった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">成功の裏にあった杜氏制との決別</h2>



<p>日本酒造りは一般的に季節仕事で、蔵人たちは仕込みの季節だけ出稼ぎにきて、終わると農業などの本業に戻るケースがほとんど。本業が終わらないと酒造りに参加できないなど、融通が利きにくく、自由な酒造りの足かせになることもあった。高齢化も課題になっていて、杜氏の属人的な技術を継承していくには、若く優秀な人材にバトンを渡していく必要がある。</p>



<p>しかしそれには安定した通年雇用が必須条件。桜井さんは夏場にも仕事があれば安定雇用を約束した人員確保ができると考え、1999年地ビール事業に参入を決めた。夏場に忙しくなる地ビール製造と冬場の酒造りをかけ合わせれば、通年雇用が可能となり製造分野に若い人材の採用が見込めると考えたのだ。</p>



<p>ところがたった3ヶ月で失敗、多額の借金だけを抱えることとなった。経営難の噂を聞きつけたベテラン杜氏がその年、蔵を去ってしまった。</p>



<p>自力での酒造りを迫られ、杜氏の役割を桜井さん自身が担い、蔵人の役割を社員5人でまかない、純米大吟醸造りをスタートすることに。幸い、時代の流れが杜氏に頼らない酒造りを意識しはじめていたこともあり、桜井さんも蓄積したデータを元にマニュアル化を進めていた。<span class="swl-marker mark_yellow">マニュアルを元に杜氏のいない酒造りを始めると、「こんな酒をつくってみたい」といったこれまでにない自由な発想が可能になった。</span>これを機に桜井さんは一年中造れるよう四季醸造に舵をきった。その結果、通年雇用が可能となり、若い世代の雇用が進むようになった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">真においしい酒とは</h2>



<p>以前より製造能力の限界を超えていたため、10年かけて、精米工場、新蔵、新冷蔵庫、第二蔵を建設。2015年に12階建ての本社蔵が完成した。</p>



<p>本当は、藪に沿って建てたかったが、酒蔵を立てるほどの広い平地の確保が難しかったため縦に伸ばす他なかった。しかしこれが生産効率を上げていき、生産能力は一升瓶400万本を超えた。かつて地元岩国でも売上下位だった旭酒造は、2016年度には<strong>清酒メーカー売上高トップ10にランクイン</strong>し、名実ともに大手酒造メーカーの仲間入りを果たした。</p>



<p>旭酒造は現在、全社員240名中、製造スタッフ170名以上という人数で、酒造りを行っている。社員の平均年齢28歳というから驚きだ。若い力が、地元からはもちろんのこと、全国からも続々と集まっている。もちろん経験がものを言うようなポジションには、ベテランの実経験者を入れてバランスを保つことも意識しているという。</p>



<p>酒造りのプロとして経験を積むことのできる環境は、古いルールに縛られず、不器用ながら取り組んできたからこそ出来上がったシステムだと桜井さんは笑う。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="1000" height="668" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/8017b8aa683b97914b958d5d6cc55d7a.jpg" alt="" class="wp-image-35267" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/8017b8aa683b97914b958d5d6cc55d7a.jpg 1000w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/8017b8aa683b97914b958d5d6cc55d7a-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/8017b8aa683b97914b958d5d6cc55d7a-768x513.jpg 768w" sizes="(max-width: 1000px) 100vw, 1000px" /></figure>







<p> </p>



<p>みんな最初は素人。この世に在るものはどんなものでも変化するものだから、変化をしてもおいしいものを追求して提供できるようにと、<strong>今も進化の途中</strong>なのだという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">大切だからこそ変えていくべきもの</h3>



<p>そんな桜井さんはこう考えていると言う。古くから続く伝統手法や文化を、大切に継承していきたいと思うなら、逆に古くから伝わるものだからと理由を考えずに惰性でやってはいけない。大切だからこそ<strong>進化しなければならない</strong>と。</p>



<p>そんな想いから始めたのが<strong>「最高を超える山田錦プロジェクト」</strong>だ。2019年から始めたこの取り組みは<strong>酒米農家にも夢をもってもらうきっかけに</strong>なればと、旭酒造が契約する全国の山田錦農家を対象に開催するコンテストとした。今までの山田錦を超えるものに挑戦すると銘打っている。</p>



<p>応募数100件ほどの中から、優勝者の米を1俵50万円という相場の25倍ほどの値段で買い取るというもの。50俵（3トン）以上の出品単位となっているため実質約2,500万円以上の賞金が与えられることになる。</p>



<p>コンテストで優勝した米は<strong>獺祭の最上級酒</strong>を造る原料にあてられる。<span class="swl-marker mark_yellow">このコンテストをきっかけに、これまで山田錦を積極的に作らなかった地域でも<strong>「獺祭のための山田錦」</strong>が生産されるようになった。</span>山田錦を取り巻く環境に新しい風を吹かせ、良い酒造りができる好循環を生んでいる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">世界が認める日本酒へ</h2>



<h3 class="wp-block-heading">ニューヨークでの現地製造の挑戦</h3>



<p>高級ワインで知られるロマネコンティは1本100万円以上の値がつく。日本酒にも引けを取らない価値がある。しかし、その価値を認めてもらうには、価格が高くても評価してもらえる土壌があることを業界全体にも、消費者にも知ってもらう必要があった。そのためには海外の市場で獺祭が認められることが近道だと桜井さんは考えていた。</p>



<p>獺祭が軌道に乗り始めた2000年代初頭、ニューヨークの和食店で獺祭のリピーターがたくさんいることを耳にした桜井さんは、日本の人口減も見越し、2003年ごろから海外でのマーケット拡大を開始した。台湾から始まり、アメリカ、フランスとその規模を着実に広げ、獺祭の知名度は狙い通り世界クラスの階段を登り続けた。</p>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">2018年にはパリで、<strong>フレンチの巨匠ジョエル・ロブション氏</strong>とのコラボレーションも実現。日本が誇る獺祭は、<strong>食のジャンルを越えて愛されるおいしい酒</strong>であることを世界的に発信することにも成功。2022年には約30ヶ国へ出荷され、「美味しい日本酒」としての正当な価値を世界中が認め続けている。</span></p>



<p>そして次なる挑戦はアメリカでの<strong>現地製造</strong>だ。本当においしいものを飲んでもらうため、輸出品ではない現地製造にこだわりたいと、2019年ニューヨークに酒蔵を建設開始。なんと7000石（一升瓶で70万本）の製造能力を予定しているという。</p>



<p>現地に居てこそ感じられる市場の変化や求められるものを瞬時に捉え、対応できる体制をつくりたいという。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="1000" height="667" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/5ea82fbc5a966b17b69f8c98ffea2953.jpg" alt="" class="wp-image-35277" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/5ea82fbc5a966b17b69f8c98ffea2953.jpg 1000w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/5ea82fbc5a966b17b69f8c98ffea2953-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/02/5ea82fbc5a966b17b69f8c98ffea2953-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 1000px) 100vw, 1000px" /></figure>







<p> </p>



<h3 class="wp-block-heading">これからの思い</h3>



<p>「私は、3周遅れのランナーです。不器用ながらに真っ直ぐひたむきに走ってきた。成功は時の運だが、成功する確率が高いものを選んでいくのも必要なことだと思う。世界を巻き込んで飲む人を幸せにするような、おいしい酒をこれからも造り続けたい」と、桜井さんはいう。</p>



<p>「夢は月で酒造りをすること。無理だって思わずにとにかくやってみること」そう語った桜井さんの屈託のない笑顔には、酒の味だけではなく、酒造りにかける型破りなこの情熱が、多くの人々を魅了してきたのだと確信させられる不思議な力があった。</p>


<div class="swell-block-postLink">			<div class="p-blogCard -external" data-type="type3" data-onclick="clickLink">
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					<span class="p-blogCard__caption">NIHONMONO &#8211; 「にほん」の「ほんも&#8230;</span>
					<div class="p-blogCard__thumb c-postThumb"><figure class="c-postThumb__figure"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/07/top_gokyo.jpg" alt="" class="c-postThumb__img u-obf-cover" width="320" height="180"></figure></div>					<div class="p-blogCard__body">
						<a class="p-blogCard__title" href="https://nihonmono.jp/article/22890/" target="_blank" rel="noopener noreferrer">木桶造り。岩国の日本酒「五橋 極味伝心 生もと木桶造り 純米大吟醸」／山口県岩国市 &#8211; NIHONMONO</a>
						<span class="p-blogCard__excerpt">木桶による手間をかけた岩国の酒 山口県岩国市にある酒井酒造の創業は明治4年。山口県最大の清流「錦川」の伏流軟水</span>					</div>
				</div>
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		</div>

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					<span class="p-blogCard__caption">NIHONMONO &#8211; 「にほん」の「ほんも&#8230;</span>
					<div class="p-blogCard__thumb c-postThumb"><figure class="c-postThumb__figure"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/05/main-2.jpg" alt="" class="c-postThumb__img u-obf-cover" width="320" height="180"></figure></div>					<div class="p-blogCard__body">
						<a class="p-blogCard__title" href="https://nihonmono.jp/article/29637/" target="_blank" rel="noopener noreferrer">継承と革新、進化しつづける澄川酒造場「東洋美人」／山口県萩市 &#8211; NIHONMONO</a>
						<span class="p-blogCard__excerpt">全国で愛される王道の日本酒「東洋美人」 山口県萩市にある創業1921（大正10）年の澄川酒造場。代表銘柄「東洋</span>					</div>
				</div>
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		</div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/35245/">世界中で愛される銘酒「獺祭」を生む旭酒造が目指す先にあるもの／山口県岩国市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>継承と革新、進化しつづける澄川酒造場「東洋美人」／山口県萩市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 17 May 2021 04:39:13 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[酒造り]]></category>
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		<category><![CDATA[日本酒]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/05/main-2.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>全国で愛される王道の日本酒「東洋美人」 山口県萩市にある創業1921（大正10）年の澄川酒造場。代表銘柄「東洋美人」は、程よい甘さをたたえた上品な味わい、スタイリッシュなラベルデザインや名前の美しさも相まって、全国的に人 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/05/main-2.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">全国で愛される王道の日本酒「東洋美人」</h2>



<p>山口県萩市にある創業1921（大正10）年の<a href="https://toyobijin.jp/" target="_blank" rel="noreferrer noopener">澄川酒造場</a>。<span class="swl-marker mark_yellow">代表銘柄「東洋美人」は、程よい甘さをたたえた上品な味わい、スタイリッシュなラベルデザインや名前の美しさも相まって、全国的に人気のある日本酒だ。</span>「東洋美人」とは、初代が亡き妻にあてた想いが込められている、と蔵に伝わっている。</p>



<p>社長兼杜氏の4代目・澄川宜史氏に酒づくりのモットーと聞くと、「王道の日本酒造り」と答えた。現代では多種多様な日本酒が出回り、さまざまなニーズが存在するが、「東洋美人」はあくまでも奇をてらわず、美味しさと品質両面で自らが「100%、満点の酒だ」と自信を持って出せるものであることを強く意識しているという。</p>



<p>澄川氏が実家である澄川酒造場に戻り、「東洋美人」が現在のような人気を得るまでの道のりは順風満帆ではなかった。東京農業大学で醸造を学び、3年生のとき「十四代」を醸す高木酒造に実習に訪れた。当時「十四代」は、同校を卒業した高木顕統氏が当時主流であった淡麗辛口の味わいではなく、フルーティで瑞々しい日本酒をリリースし「日本酒の新時代」を確立し、すでにスター的存在であった。高木酒造で共に酒づくりをする中で、「十四代」の他の追随を許さぬおいしさを知り、経営を立て直そうと必死で、精魂込めた酒造りをする高木氏の姿を目にして、澄川氏は一気に酒造という仕事に魅了された。実家である酒蔵に戻り、自らおいしい酒を造ることを決心したが、当時の澄川酒造場は醸造設備など環境が良いとは決して言えず、経営も厳しい状況におかれていた。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="426" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/05/kiji1-2.jpg" alt="" class="wp-image-29639" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/05/kiji1-2.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/05/kiji1-2-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div>

<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="426" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/05/kiji2-2.jpg" alt="" class="wp-image-29640" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/05/kiji2-2.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/05/kiji2-2-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">ファンによって復興した東洋美人</h2>



<p>それでも高木氏の教えを忠実に守り、丁寧に酒づくりをした。営業にあまり経費をかけられなかったので、澄川氏自ら、酒を担いで夜行バスに乗って東京の酒販店に営業回りするなど、地道な活動を続けた。その甲斐あって、徐々に口コミも広がっていった。名実ともに認められる人気銘柄へと成長。</p>



<p>順調に見えたさなか、2013年に発生した山口・島根豪雨が、澄川酒造場の萩市一帯を襲い、酒蔵の一階部分が土石流に飲まれ流されてしまう。醸造機器の水没や大量の出荷在庫を失うなど甚大な被害を受けたため、廃業も考えるほどの危機に立たされたが、「東洋美人」ファン、関係酒販店、酒造関係者など1500人を超える人々がボランティアで駆けつけたのを見て、一念発起。翌2014年に新蔵を建設した。</p>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">多くの方々への感謝ともう一度酒造りができる喜びとを胸に「東洋美人　原点」と名付けた酒を、新蔵で製造しリリース。2015年以降は「東洋美人　ippo」と名を改め（原点からの一歩という意）、いまでも製造販売し続けている。 </span>水害から３年経った2016（平成28）年12月、ロシアのプーチン大統領が来日した際、安倍首相の地元である山口県長門市で行なわれた会談の席で「東洋美人 純米大吟醸 壱番纏」が供され、プーチン大統領から絶賛を受けた。このニュースを見て、澄川酒造場だけでなく多くの応援者たちが沸いた。</p>



<p>澄川氏は今後について「伝統製法を守り、酒質・品質の両立した王道の日本酒を醸造していきたい」と答えてくれた。澄川氏が蔵に戻った当時と比較して約１０倍の製造規模になり、年間2500石（一石=一升瓶100本換算）を製造・出荷する中規模の酒蔵へと成長。数々の困難に見舞われながらも、応援され、多くの人から愛され続ける「東洋美人」。事前予約で蔵見学もできるので、おいしさの真髄と不屈の精神にぜひ触れてみて欲しい。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="426" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/05/kiji3-2.jpg" alt="" class="wp-image-29641" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/05/kiji3-2.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/05/kiji3-2-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div>

<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="640" height="426" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/05/kiji4-1.jpg" alt="" class="wp-image-29642" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/05/kiji4-1.jpg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/05/kiji4-1-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/29637/">継承と革新、進化しつづける澄川酒造場「東洋美人」／山口県萩市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>木桶造り。岩国の日本酒「五橋 極味伝心 生もと木桶造り 純米大吟醸」／山口県岩国市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 16 Jul 2016 07:29:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[五橋]]></category>
		<category><![CDATA[五橋 極味伝心]]></category>
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		<category><![CDATA[岩国市]]></category>
		<category><![CDATA[日本酒]]></category>
		<category><![CDATA[酒井酒造株式会社]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/07/top_gokyo.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>木桶による手間をかけた岩国の酒 山口県岩国市にある酒井酒造の創業は明治4年。山口県最大の清流「錦川」の伏流軟水と契約栽培された山田錦を酒米とし、良質な水と米、そして蔵人の技術が三位一体となって“岩国の清酒”を造る。酒井酒 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/22890/">木桶造り。岩国の日本酒「五橋 極味伝心 生もと木桶造り 純米大吟醸」／山口県岩国市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/07/top_gokyo.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">木桶による手間をかけた岩国の酒</h2>



<p>山口県岩国市にある酒井酒造の創業は明治4年。<span class="swl-marker mark_yellow">山口県最大の清流「錦川」の伏流軟水と契約栽培された山田錦を酒米とし、良質な水と米、そして蔵人の技術が三位一体となって“岩国の清酒”を造る。</span>酒井酒造では一般的なタンクではなく、木桶による酒造りも行われている。木桶造りとはお酒の仕込みを金属製のホーロータンクではなく、木桶を使って造られたお酒のこと。温度管理が難しく、手間はかかるが独特の味わいがでるのが特徴だ。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/07/1_gokyo1.jpg" alt="" class="wp-image-22949" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/07/1_gokyo1.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/07/1_gokyo1-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">岩国の酒は“木の精”</h2>



<p>蔵には大きな木桶が並び、その内の一つにはしごをかけ、醸造の様子を見せてもらう。香りが立ちあがり、「木の香りと酵母の香りが合いまって、なんとも言えないよい香りだ」と中田は驚く。杜氏の仲間史彦・取締役は「同じ木桶で同じ条件で仕込んでも、雅な香りだったり荒々しいやんちゃな香りだったりする。それがまた面白いところだ」と話す。同じお米と水を原料にしても、ホーロータンクで造るのと違いはあるか尋ねると、「気のせい＝“木の精”かもしれないが、ほっと安心感があるものだ。簡単に酔える酒は造れるが、手間をかけ、汗をかいたほうが面白いという感覚を皆持っている」と答えてくれた。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/07/2_gokyo.jpg" alt="" class="wp-image-22944" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/07/2_gokyo.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/07/2_gokyo-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">他とは違う純米大吟醸</h2>



<p>蔵人が想いを込めて造った酒を利き酒する。＜Free Style 部門＞1位となった「五橋 極味伝心 生もと木桶造り 純米大吟醸」だ。中田はお酒の味を確かめて頷きながら、「純米大吟醸というと、どうしてもさらっとした軽いお酒のイメージがあるが、これはぐっとくる」と話した。「木桶造りは歴史的に古く江戸時代にすでに確立された醸造法なので、今様々なタイプのお酒を造るのは、発見になるし勉強になる」と代表取締役社長の酒井秀希さんは話した。海外展開の話になると、「日本の人口は減っているが、海外の人口は増えている。<span class="swl-marker mark_yellow">和食の発展とともに日本酒も世界市場に打ってでられるのでは</span>」と。中田とともに日本酒の展望を語り会った。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/07/3_gokyo.jpg" alt="" class="wp-image-22945" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/07/3_gokyo.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2016/07/3_gokyo-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/22890/">木桶造り。岩国の日本酒「五橋 極味伝心 生もと木桶造り 純米大吟醸」／山口県岩国市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>室町時代からの伝統の塩。自給自足の古民家宿「百姓庵」／山口県長門市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 31 Aug 2009 06:00:30 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[長門市]]></category>
		<category><![CDATA[宿]]></category>
		<category><![CDATA[古民家]]></category>
		<category><![CDATA[山口県]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/07/15780_main.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>自給自足の古民家の宿 山々に並ぶ風車と青く透き通った海を横目に車を走らせると、岬の先に築100年の古民家が見えてくる。そこは、永山本家酒造の杜氏・永山さんに紹介された自給自足の宿「百姓庵」。「天地返し」という特殊な技法で [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/15780/">室町時代からの伝統の塩。自給自足の古民家宿「百姓庵」／山口県長門市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/07/15780_main.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">自給自足の古民家の宿</h2>



<p>山々に並ぶ風車と青く透き通った海を横目に車を走らせると、岬の先に築100年の古民家が見えてくる。<br>そこは、永山本家酒造の杜氏・永山さんに紹介された自給自足の宿「<a href="https://hyakusho-an.com/">百姓庵</a>」。<span class="swl-marker mark_yellow">「天地返し」という特殊な技法で、室町時代からの伝統の塩を作っているところだ。</span><br>30年間空き家だった古民家を、宿の主人が2年がかりで改装したという宿の中は、アジア旅行が趣味だという主人が、アジア各地で買い集めた置物がズラリと並べられ、その他に主人の奥さんの趣味だという中国茶を楽しめる部屋や、手作りの五右衛門風呂など、こだわりの空間が広がる。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/07/15780_img01.jpg" alt="" class="wp-image-16526" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/07/15780_img01.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/07/15780_img01-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div>


<h2 class="wp-block-heading">特殊な技法で作られる伝統の塩</h2>



<p>伝統の塩の名前は「百姓の塩」。この宿で買うことが出来る。<br>海水をただ煮詰めて作った塩は、海水と出来上がりで、含まれるミネラルバランスが変わってしまう。それを防ぐために、<span class="swl-marker mark_yellow">「天地返し」という特殊な“混ぜ”の技法を行うことで、海水とまったく同じミネラルバランスの塩を作る事が出来るのだ。</span><br>「生活に必要なものは、できるだけ自分で作る」をテーマに、好きなものに囲まれ、お金に固執せず、食べる分だけの野菜や米、塩を作り生活する宿の人々の姿に、人間本来の生活スタイルを見た気がした。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="320" height="213" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/07/15780_img02.jpg" alt="" class="wp-image-16527" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/07/15780_img02.jpg 320w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/07/15780_img02-300x199.jpg 300w" sizes="(max-width: 320px) 100vw, 320px" /></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/15780/">室町時代からの伝統の塩。自給自足の古民家宿「百姓庵」／山口県長門市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>プライベート空間で楽しめる川棚温泉「小天狗 さんろじ」／山口県下関市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 31 Aug 2009 05:38:44 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/07/15786_main.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>源泉掛け流しの川棚温泉を満喫する「小天狗 さんろじ」 江戸時代から歴史と共に湧き続けてきた「川棚温泉」にある1日8室限定の小天狗さんろじ。山の小路を抜ければ、露地に並ぶ箱のようなゲストルーム。全室に露天風呂が付き、しかも [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/15786/">プライベート空間で楽しめる川棚温泉「小天狗 さんろじ」／山口県下関市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2013/07/15786_main.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><h2 class="wp-block-heading">源泉掛け流しの川棚温泉を満喫する「小天狗 さんろじ」</h2>



<p><span class="swl-marker mark_yellow">江戸時代から歴史と共に湧き続けてきた「川棚温泉」</span>にある1日8室限定の<a rel="noreferrer noopener" href="https://koteng-sanroji.com/" target="_blank">小天狗さんろじ</a>。<br>山の小路を抜ければ、露地に並ぶ箱のようなゲストルーム。全室に露天風呂が付き、しかも源泉かけ流し。24時間温泉が楽しめる。<br>夕食は会席コース料理で、山陰の食材を堪能できる。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="360" height="280" src="https://swell.nihonmono.jp/wp-content/uploads/2009/08/15786_img01_main.jpg" alt="" class="wp-image-27298" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2009/08/15786_img01_main.jpg 360w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2009/08/15786_img01_main-300x233.jpg 300w" sizes="(max-width: 360px) 100vw, 360px" /></figure></div><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/15786/">プライベート空間で楽しめる川棚温泉「小天狗 さんろじ」／山口県下関市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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