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	<title>山形県 - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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		<title>伝統と独創性を併せ持つ唯一無二の山形桐箱 「有限会社よしだ」吉田長芳さん／山形県山形市</title>
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		<pubDate>Thu, 28 Dec 2023 01:00:49 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-035-1024x682-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>山形県山形市で、3代にわたって桐箱を作る「有限会社よしだ」。90年以上受け継がれてきた技術から生み出される桐箱のラインナップは、伝統工芸的なデザインから現代の生活に沿ったものまで幅広い。木、石、ガラス。マテリアルが多様化 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-035-1024x682-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>山形県山形市で、3代にわたって桐箱を作る「有限会社よしだ」。90年以上受け継がれてきた技術から生み出される桐箱のラインナップは、伝統工芸的なデザインから現代の生活に沿ったものまで幅広い。木、石、ガラス。マテリアルが多様化した現代において桐製品がもつ可能性を拡げるため、奮闘している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">祖父から孫へと繋がれる桐箱づくり</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-031-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39767" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-031-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-031-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-031-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-031.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>JR山形駅から徒歩10分程度の山形市五日町に工房を構える「有限会社よしだ」。創業してから90年以上にわたって木箱、とりわけ桐箱を制作している。桐箱というと伝統工芸品といった格式ばったイメージを持つかもしれないが、「有限会社よしだ」の桐箱は一味違う。<strong>熟練の技術に裏打ちされた伝統工芸的な贈答用桐箱はもとより、桐製のブレッドケースやスマートフォンスピーカー</strong>など現代人の生活に溶け込むアイテムまで幅広く、顧客の要望にオーダーメイドで応えてくれるという。従来の「桐箱」のイメージにとらわれない独創的な商品を次々と考案している「有限会社よしだ」の3代目、吉田長芳さんにお話しを聞いた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">食文化の変化が桐箱作りへの道を選ばせた</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-009-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39770" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-009-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-009-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-009-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-009.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>桐箱の制作を始めたのは、吉田さんの祖父である吉田長助さんだ。明治生まれの長助さんは、もともとはお膳や重箱をつくる木地職人だった。しかし段々と食事をとるスタイルがお膳からテーブルに変化したことでお膳の需要が低下。そんな中で始めたのが、地元の桐を用いた桐箱作りだったという。</p>



<p>「お膳を作る量が減ってしまって、さあどうしようかというところで始めたのが桐箱だった。昔は桐も山形でとれたし、大事なものを入れる容器として桐箱には馴染みがあったから」と吉田さん。</p>



<p>初代の吉田長助さんは1930年から桐箱制作を開始。その後、2代目である息子の長四郎さんが「『越中富山の置き薬』桐の引き出し箱」を全国展開するかたわら、地域産業である山形鋳物や米沢織物、さくらんぼをいれる桐箱を作成した。そして、現在の代表である長芳さんが1991年から3代目として従事。伝統的な桐箱にとどまらず、現代の生活に馴染む様々な商品を意欲的に開発している。</p>



<p>その技術は確かなもので、初代の長助さんは1980年に山形市技能功労者褒賞に、2代目の長四郎さんは1993年に同じく山形市技能功労者褒賞、2020年に山形市伝統的工芸産業技術功労者褒章に、3代目の長芳さんは2019年ににっぽんの宝物JAPANグランプリ「工芸・雑貨部門」グランプリ、2022年に山形市伝統的工芸産業技術功労者褒章と、親子3代にわたって数々の賞に輝いている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">大切なものの長期保存に向いている桐箱</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-020-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39771" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-020-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-020-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-020-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-020.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>桐箱の特長は、その<strong>調湿性</strong>だという。湿度のある日本では、昔から大切なものを桐箱に入れて保存することが多かった。桐箱の中は湿度70%を超えることがないためカビが生えづらいからだ。また、果物などの青果物の日持ちもよくなるそうだ。薬にしても同じで、湿度を避けて保存できるという点が薬箱に向いているのだとか。越中富山の薬売りでいうと、元々は紙袋で運搬されていたが、初代が桐下駄の廃材で薬用の箱を作成し、機能面の良さから2代目が「『越中富山の置き薬』桐の引き出し箱」として完成させた。</p>



<p>樹齢30年くらいから使えるという桐の木材は、寒い土地で育ったものの方が目が詰まっていて良いという。地元の桐から始まった山形桐箱が発展したのには、そんな理由もあるのかもしれない。しかし桐にも弱点はある。それは、<strong>柔らかい木なので傷つきやすい</strong>ということ。例えば桐箱の場合、仕上げ時に角を取らないと欠けてしまうのだとか。</p>



<p>「とはいえ、<strong>桐の可能性は無限大</strong>だと思っているし、その人の<strong>大切なものを守り、次の代まで残せる</strong>のが桐箱の良いところ。だからこそ、伝統を守りながらも新しいものにチャレンジしていくことも大事だ」と吉田さん。</p>



<p>そのような姿勢から生まれたオリジナル製品で、「有限会社よしだ」は注目を浴びることとなった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">パスタやパン、御朱印帳をいれる</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-016-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39772" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-016-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-016-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-016-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-016.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>「有限会社よしだ」が今でもメインで制作する贈答用の桐箱は、基本的には市場や顧客の需要によって左右される、いわば「待ち」の商売だ。その状況では今後生き残っていけないのではと約8年前に始めたのが、<strong>「KIRI STYLE」</strong>だ。</p>



<p>どのような要望にも応えるべくオーダーメイドで桐箱を制作する吉田さんが受けた依頼が、米びつ。それが2015年にグッドデザイン賞を受賞したことをきっかけに、<strong>贈答用だけではない桐箱</strong>を考案し始めたという。</p>



<p>また面白いのが、<strong>各商品のネーミング</strong>。例えばパンを入れる桐箱は「吉田パン蔵」、パン専用のまな板は「パンの晴れ舞台」、パスタの保存箱は「吉田パス太」、茶葉を入れる箱は「ティータイム三姉妹」とされ、それぞれ「長女・ヨシダレイコ」、「次女・ヨシダヨウコ」、「三女ヨシダミドリ」といった、思わずくすっと笑ってしまうような名前が付けられている。</p>



<p>特に「パン好きのため」を打ち出した桐製ブレッドケースは、桐の持つ調湿性や抗菌作用、そしてクッション性を活かし、カビや乾燥からパンを守ってくれるという。パンを美味しく長持ちさせられることからフードロス削減にもつながるとあって、パン食を好む一般消費者からのニーズだけでなく、今では山形県内のベーカリーとのコラボ桐箱も販売されている。</p>



<p>そのほか、「Traveler’s KIRIBAKOトラベラーズ　キリバコ」と銘打たれたシリーズでは、御朱印帳を1箱に1冊おさめるユニークな桐箱も。桐の保存性で、旅の思い出を永遠にしてほしいという思いが込められている。そして、「にっぽんの宝物JAPANグランプリ『工芸・雑貨部門』グランプリ」に輝いたのが、「本の正倉院」というシリーズ。本の虫食いに悩むコレクターからの依頼で作った本1冊を入れるためのオーダーメイドの箱というこれまでにあるようでなかったアイテムだ。</p>



<p>「新しい桐箱を始めてから注目されることも増えたし、実際に売上も上がっている。オリジナル商品を作って、自分たちから打って出られるようにしたい。ただ、パンを入れる箱に関しては、作った時はこんなに評判が良くなるとは思わなかった」と吉田さん。</p>



<h3 class="wp-block-heading">桐がもつ艶や特性を大事に</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-015-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39773" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-015-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-015-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-015-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-015.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>多種多様な商品をひとつひとつ手作りで仕上げる吉田さん。社屋の1階で製材を行い、2階で組み立てを行っているという。また2階には仕上げのための機械があるが、箱作りの場以外では見かけない、いわば箱屋専用のものだという。</p>



<p><strong>「つるつるに仕上げないと長持ちしない」</strong>ため、カンナ仕上げにこだわり表面をつるつるにするそうだが、完成した箱を見ると一分の隙も無くぴったりと蓋が閉まっており、どこが開くのかわからないほど。そのような精巧な作りは長年の技術があるからこそ成せるわざで、他の箱屋との違いでもある。</p>



<p>「桐の特性を活かしたものづくりをしているが、逆に言うと<strong>桐の特長を発揮できないものであれば作らない</strong>。そうでないと、桐で作る意味も、うちで作る意味もなくなってしまうから」。</p>



<h2 class="wp-block-heading">成長の証として、毎年ひとつ新しい商品を</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-018-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39776" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-018-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-018-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-018-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/20230210-2-018.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>高齢化などの理由から箱職人は減少しているのに対し、桐箱の需要は上がっていると吉田さんは言う。だからこそ、守りに入ることなく、商品展開を増やそうと試みているという。</p>



<p>「繁盛しているからといってそれだけに没頭すると衰退するが、新しいものにチャレンジすることで道が開けていく」。</p>



<p>そんな吉田さんがこれから作りたいと思っているのは、<strong>「スニーカーを見せながら保管できるケース」や「ヴィンテージジーンズ用の桐箱」</strong>だとか。それはまさに、調湿性にすぐれているといった桐箱の機能面を、若者のライフスタイルの中に最大限に溶け込ませた提案だ。今までに一体誰が、桐箱にスニーカーを入れて飾りながら保管するなどと考えたことがあるだろう。</p>



<p>斬新なアイテムを次々と作るのには、新しいものに挑戦するという目的以外に、「自分の成長の証」の意味もあるそうだ。売れるか売れないかは関係なく、「次は何が売れるか、どんなものにしたら目をつけてくれる人が出るかを考える」のだとか。そしてそのアイディアが形になり商品として完成することで、<strong>1年間の自分の成長を感じている</strong>という。</p>



<p>次はどんな独創的な桐箱が誕生するのか、ぜひ注目したい。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/39745/">伝統と独創性を併せ持つ唯一無二の山形桐箱 「有限会社よしだ」吉田長芳さん／山形県山形市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>「十四代」だからできること。「高木酒造」十五代目髙木辰五郎さん／山形県村山市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 25 Dec 2023 01:00:11 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/top-6.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>山形県村山市。豪雪地帯といえる場所で400年以上も酒づくりを続けているのが「高木酒造」だ。十五代目当主を務める髙木辰五郎さん。「十四代」というあまりに有名な看板を背負いつつも、脈々と紡がれてきた伝統に技術的革新を織り交ぜ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/top-6.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>山形県村山市。豪雪地帯といえる場所で400年以上も酒づくりを続けているのが「高木酒造」だ。十五代目当主を務める髙木辰五郎さん。「十四代」というあまりに有名な看板を背負いつつも、脈々と紡がれてきた伝統に技術的革新を織り交ぜながら飽くなき未来への挑戦を続ける。</p>



<h2 class="wp-block-heading">創業400年を超える老舗酒蔵</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/efade39008673ca3d1b39631faedd1cb-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39726" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/efade39008673ca3d1b39631faedd1cb-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/efade39008673ca3d1b39631faedd1cb-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/efade39008673ca3d1b39631faedd1cb-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/efade39008673ca3d1b39631faedd1cb.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>山形県の中央部に位置する村山市。豪雪地帯ゆえの豊富で清澄な雪解け水に恵まれた場所で、高木酒造は江戸時代初期の1615年より代々酒づくりを行っている。高木酒造といえば、<strong>日本のみならず海外にもその名をはせる銘柄「十四代」があまりにも有名</strong>。日本酒を嗜まない人でも、一度はその名を耳にしたことがあるに違いない。「十四代」を抜きに、高木酒造を語ることはできないだろう。</p>



<p>その高木酒造を杜氏として率いているのが髙木顕統（たかぎ あきつな）氏だ。2022年に父である先代が亡くなったことをきっかけに、2023年4月には代々髙木家の当主が名乗る<strong>「辰五郎（たつごろう）」を十五代目として襲名</strong>したという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「聲（こえ）なきを聴き、像（かたち）なきを視る」酒づくり</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/cf78c715a080a585ab71ab902dda090d-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39727" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/cf78c715a080a585ab71ab902dda090d-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/cf78c715a080a585ab71ab902dda090d-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/cf78c715a080a585ab71ab902dda090d-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/cf78c715a080a585ab71ab902dda090d.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>1年のうちで最も酒づくりに適していると言われるのが、寒さ極まる12月から2月頃だ。日本酒は温度変化に弱く、非常にデリケートなもの。適切な温度管理をしないと劣化してしまうが、それは流通・販売時に限らず、製造過程でも同じだ。髙木さんによれば、気温は大体摂氏0度、室内の温度が6度くらいが良いのだとか。空気が冷たくないと米の中までうまく冷えず、雑菌の繁殖にも繋がってしまう。もちろん夏でも空調により6度まで冷やすことはできるが、やはり自然の寒さと空調によって冷やされた空気は異なる。冬に仕込んだ酒と5月から9月頃に仕込んだものでは、同じ酒でも味が全く違うというから驚きだ。そのため、高木酒造では1月〜2月のいちばん寒い時期に、いちばん大事な酒を集中してつくっているという。</p>



<p>しかし高木酒造があるエリアの冬は極めて過酷だ。12月から2月の最低気温はゆうに0度を下回り、1月や2月には2メートルほどの積雪になるという。「村山は豪雪地帯。冬は厳しいが、その分豊富な雪解け水に恵まれており、酒をつくるには非常に素晴らしい地域。髙木家の先祖はこの地の水の素晴らしさに気づき、ここで酒づくりを始めたのかもしれない」と、髙木さん。</p>



<p>米を洗い蒸しあげてから日本酒となるまで、およそ45日かかるという。その間に様々な工程を経るわけだが、髙木さんが一貫して心掛けているのは、「菌たちの環境をどうよくしていくか」だという。酒を醸す微生物たちは声も形も見せてはくれない。しかし毎日接していると、日々発酵している音の出方や香り、醪の面(つら)で微生物たちが何を訴えているかが分かってくるのだとか。それはまさに、高木酒造が掲げる<strong>「聲なきを聴き、像なきを視る」</strong>という社訓そのものだ。</p>



<p>目に見えぬ微生物の力を最大限に引き出し、他の追随をゆるさない酒づくりを行う髙木さんだが、今に至るまでにはさまざまな紆余曲折があった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">幻の酒「十四代」が生まれるまで</h2>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/batch_0525.jpg" alt="" class="wp-image-39728" style="width:899px;height:599px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/batch_0525.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/batch_0525-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/batch_0525-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高木酒造の敷地内には酒づくりを行う場所の他に、髙木家の母屋、つまり髙木さんが生まれ育った実家もある。かつての酒蔵では、当主は当主、蔵人は蔵人、そして杜氏は杜氏とその役割が分かれていた。「酒蔵のおやじは居間にどんと腰を据えて、酒造り全行程を見ていたのでは」と髙木さんは想像する。実際のところ、30年ほど前は杜氏を雇っていたという。しかしその人物が高齢を理由に引退。それが、髙木さんが実家に戻ってくるきっかけのひとつとなった。</p>



<p>「酒屋の長男なのでいつかは家を継ぐとは思っていたものの、蔵の経営の陣頭指揮だと思っていた。まさか自分で酒を造ることになるとは」と当時の心境を語る。自身の将来を見据えて高校時代から上京し、進学した東京農業大学では醸造を学んだ。とはいえ杜氏を目指していたわけではない。就職の段になり、蔵の経営のために流通を学ぼうと職を得たのは新宿の伊勢丹クイーンズシェフ。酒売場の担当として流通の現場を肌で学んでいた時、父親から一本の電話を受けた。その内容は<strong>「杜氏が引退する。自分は県会議員をやっているので蔵のことは見られない状況だが、どうする？」</strong>というものだった。「帰ってこいとも、会社を継げとも言われなかった。ただ『どうする？』とだけ」と髙木さん。25歳のことだったという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">日本酒への思いが、東京にいたいという気持ちに勝った</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/a25dd7c9d730525fca71d710c55f3823-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39731" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/a25dd7c9d730525fca71d710c55f3823-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/a25dd7c9d730525fca71d710c55f3823-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/a25dd7c9d730525fca71d710c55f3823-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/a25dd7c9d730525fca71d710c55f3823.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>当時主流だったのは淡麗辛口のクリアな日本酒だったが、小さい頃から実家で嗅ぎなれていた酒の香りとは何かが違うとずっと感じていた。そんな折、東京は三軒茶屋の店で、とある一杯の日本酒に出会った。福島県の酒で、山田錦を使った芳醇でうま味のある生酒だったという。その酒に対し「小さい頃にずっと嗅いでいた匂いと似ていると皮膚感覚で思った」という髙木さん。<strong>このような酒を世の中の人に飲んでもらいたい、こういう酒を造りたいという思いが、「東京にいたい」という気持ちを上回った</strong>瞬間だった。</p>



<p>帰郷した髙木さんが目の当たりにしたのは、厳しい蔵の状況だった。地元では酒の値引き合戦が激化。また先代である父は、地元を愛するが故、自分たちの利益を追求した商品を売り出すことにためらいがあったとも。そのような事情に加えて借金まで抱えた状況下で、蔵として出直しを図ることとなった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ひとつだけ特許の名称審議を通過した「十四代」</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/f79bc4f18f9e39a0d3ef57b05982125d-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39734" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/f79bc4f18f9e39a0d3ef57b05982125d-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/f79bc4f18f9e39a0d3ef57b05982125d-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/f79bc4f18f9e39a0d3ef57b05982125d-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/f79bc4f18f9e39a0d3ef57b05982125d.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>「十四代」の名称が誕生したのは、ある意味偶然とも運命ともいえるような流れがあった。元々高木酒造の酒といえば、「朝日鷹」という地元では知られた銘柄だった。しかし朝日鷹とは異なる商標を付けようと思った髙木さんの祖父(十三代 辰五郎)が、「十二代」、「十三代」、「十四代」、「十五代」という名称を携えて特許庁を訪れた。ただ、当時は認可が厳しく、数字は皆が使用するからと却下されたという。その中で審議官が数字ではなく「とよしろ」とでも読んだのか、不思議と<strong>「十四代」のみが審査を通過</strong>した。</p>



<p>十三でもなく十五でもなく、「十四」という響きは不思議なほどすっと頭に入ってくる。そして自分がつくるすべての酒にこの名称をつけたいと先代である父に相談したところ、「その名で勝負しろ」と背中を押された。<strong>「今思えば素晴らしい商標を与えられたと思う」</strong>と髙木さんは語る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">倒れるまでに根を詰めた初めての酒づくり</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/0d271eb10d26efd18c5d021faee9bfce-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39735" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/0d271eb10d26efd18c5d021faee9bfce-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/0d271eb10d26efd18c5d021faee9bfce-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/0d271eb10d26efd18c5d021faee9bfce-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/0d271eb10d26efd18c5d021faee9bfce.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>酒づくりを始めるうえで髙木さんがまずやろうと思ったのは、<strong>米のおいしさを表現すること</strong>だった。米は食べて甘みがあり、ボリュームがある。それを酒においても表現したい。目指すところは綺麗で辛口という当時の主流とは異なり、三軒茶屋の店で出会ったような<strong>旨口の酒</strong>。子どもの頃から見知り、今や年配となった蔵人たちとともに、髙木さんの理想の酒づくりは始まった。ただ、その過酷さは想像を上回っていた。慣れない肉体労働と細切れの睡眠時間、やり直しがきかないプレッシャーにより、髙木さんの肉体は悲鳴を上げた。つくり途中に体調を崩し、完成させた後には一週間ほど入院してしまったのだとか。しかし大学の恩師の助言も受けながら作った酒は、つくり1年目ながら思い描いていた味に近いものだった。「父に飲ませたら『よくやった』と言ってくれた」というその酒が、商品として現在も作り続けられている「十四代 中取り 純米 無濾過」だった。淡麗辛口とは違う、ボリュームのあるフルーティな味わいを持った酒だ。</p>



<p>出来上がった酒は、売る必要がある。髙木さんが向かった先は、東京で働いていた時にお世話になった四谷の酒販店「鈴傳（すずでん）」の会長だった。その酒を口にした会長から出た言葉は、「髙木君よくやった。これは辛口でも甘口でもない、旨口だ。<strong>最高の酒だ。私が売る</strong>」。十四代の快進撃はここから始まる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">次の代に繋げる酒づくり</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/fd6ab9dfe364e5ea76395718b4dea8af-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39736" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/fd6ab9dfe364e5ea76395718b4dea8af-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/fd6ab9dfe364e5ea76395718b4dea8af-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/fd6ab9dfe364e5ea76395718b4dea8af-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/fd6ab9dfe364e5ea76395718b4dea8af.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>確かに高木酒造は「十四代」でその名を全国に轟かせたが、それは一夜にして成し得たわけではない。伝統を守りつつも設備などに改善を重ね、次代へと継いできた。「先祖も父も、良い時も悪い時もあったと思うが、<strong>次の代に繋げるという思い</strong>が大きかったのでは」。そしてそれが、高木酒造の酒づくりでもあると髙木さんは話す。<br></p>



<p>事実、高木酒造では設備投資を惜しまない反面、人の手を使った伝統的なつくりのやり方も残している。それは、手間暇をかけた方が美味しいものができる気がしているからだという。例えば麹造り。麹室（こうじむろ）の中で、蒸しあがった米に麹菌をまき、およそ50時間をかけて麹を作っていくのだが、その作業にも人の手が関わっている。麹を撒くのはもちろん、積み重なった麹蓋（こうじぶた）を数時間ごとに積み替えて温度を一定にするのも人力で行っている。箱の中には麹菌をまかれた米が入っており、その外側を守る麹蓋の年季の入り方が、歴史の長さを感じさせる。髙木さんによれば、これは<strong>元々の酒づくりの基本</strong>だという。出来の良い麹からは栗の香りがすると言われるが、使い込まれた麹蓋を用い、人の手で丁寧に作られた麹からは、より強い栗の香りが漂う。それは手作業で麹を育てたからこそ醸し出されるものだ。排除できる部分でもあるが、あえて残しているのは、このような作り方や麹の香りの違いを社員に体感してほしいからだという。それはまさに、機械化では感じられない、伝統の香りだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">研究を重ねた自社開発米を全国の若手醸造家へ</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/b53ca0ee6647e62e98c92f35cadc90e4-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39737" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/b53ca0ee6647e62e98c92f35cadc90e4-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/b53ca0ee6647e62e98c92f35cadc90e4-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/b53ca0ee6647e62e98c92f35cadc90e4-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/b53ca0ee6647e62e98c92f35cadc90e4.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>高木酒造で刮目すべき点は他にもある。それは<strong>自社で開発した3種の酒米</strong>があることだ。名をそれぞれ<strong>「龍の落とし子」「羽州誉」「酒未来」</strong>という。酒造好適米は食用米と比べてなかなか数が少なく、昔は兵庫あたりから持ってきていたそうだ。しかし、寒い地域でよりおいしい酒を造るためと、先代である髙木さんの父が自社米の開発に着手した。<br></p>



<p>しかし「品種改良にも10年かかる」と言われるなかで、自社米の開発は当然のごとく難航したが、農家の協力を得、試験田を作ったりしながら、髙木さんの代で何とか成功。さらに、初めはその米で酒をつくるのも難しく、麹や酵母に何を使うべきかを見極めるにも数年を要したという。</p>



<p>その努力の結晶の一つである「酒未来」。この酒米は自分たちだけで利用するのではなく、<strong>全国の若手醸造家に渡し、酒づくりに役立ててもらっている</strong>のだとか。それはまさに、これからの日本酒業界を光輝かしいものにしてほしいという願いを込めて髙木さんの父がつけた「酒未来」の名にふさわしい使われ方ではないだろうか。</p>



<h2 class="wp-block-heading">十五代目･髙木辰五郎の矜持</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/5eb6349d59bcef16f22d0269ddf63c90-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39738" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/5eb6349d59bcef16f22d0269ddf63c90-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/5eb6349d59bcef16f22d0269ddf63c90-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/5eb6349d59bcef16f22d0269ddf63c90-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/12/5eb6349d59bcef16f22d0269ddf63c90.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>髙木さんが実家に戻ってきた当時、蔵人は10人いないくらいだったという。それが今や高木酒造の社員は31名、製造は16名にまで増え、蔵人も地元出身の若い世代が多いという。何故地元出身者が多いかというと、やはり村山の厳しい自然に慣れているから。この環境の中で極めようと思える人でないと続けていくのは難しい。何故なら、酒づくりは地道な作業だからだ。毎年米の状況は異なる中で、消費者に美味しいと思ってもらう商品を常に出さなければならない。望む味わいに達しないことがあれば、一歩ずつ改善をしていく。この繰り返しだ。<strong>「日本酒がすごく好きだからこそ、毎年一年生という気持ちで酒づくりに臨み、自分の舌を信じておいしさを突き詰めていくしかない」</strong>と髙木さんは語る。<br></p>



<p>そのおいしさが評判を呼んだ銘柄「十四代」は、今やおいそれと買えないほどのプレミア価格が付くこともある。髙木さんももちろん認知はしている。ビジネス的には人気が出れば供給を拡大しようとなりそうなものだが、大量生産にシフトするつもりはないという。それは、<strong>作り手として納得のいく質の酒だけを世に出し、飲む人を幸せにしたい</strong>からという髙木さんの矜持だ。</p>



<p>「十五代目高木辰五郎を襲名した今、<strong>会社の発展だけでなく地域の発展も考えないと</strong>ならない」と髙木さん。酒の味わいにも流行があり、今の日本酒は飲みやすさや料理とのマリアージュも意識されている。昔と比べてアルコール度数も低くなっている。常に研究を怠らず、飲み手のニーズに合わせた王道の酒をつくり、きちんと流通に乗せて日本だけでなく世界の人に届ける。そしていつの日か、どこか別の国で高木酒造の酒を飲んだ人に<strong>「日本に、山形に行こう」</strong>と思ってもらえるような酒づくりを続けていきたいという。</p>



<p>江戸初期から村山の地で脈々と酒づくりを繋いできた高木酒造。伝統を守りつつも新しい挑戦を続ける酒蔵は、これからも飲み手や日本酒業界に衝撃を与える一本を送り出すに違いない。村山の自然と十五代目の手腕が作り出す清澄な一滴を味わってみようではないか。</p>



<p>※蔵の見学や試飲・販売は行っておりません。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/39721/">「十四代」だからできること。「高木酒造」十五代目髙木辰五郎さん／山形県村山市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>蹴りろくろとの調和が生みだす素朴で力強い「うつわ」陶芸家･鈴木美雲さん／山形県山形市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/39245/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 23 Nov 2023 01:02:51 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[器]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸家]]></category>
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		<category><![CDATA[工芸家]]></category>
		<category><![CDATA[山形県]]></category>
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		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
		<category><![CDATA[陶器]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/FC_20230717_0240-54-1-1024x819.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>鈴木美雲さんは、山形県山形市に工房をかまえる陶芸家です。作陶に使用する足で蹴って回す「蹴ろくろ」は鈴木さんの自作。手数を加えすぎないシンプルなうつわは素朴さの中にも柔らかさがあり、日々の生活の中に自然に溶け込んでくれます [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/39245/">蹴りろくろとの調和が生みだす素朴で力強い「うつわ」陶芸家･鈴木美雲さん／山形県山形市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/FC_20230717_0240-54-1-1024x819.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p class="has-text-align-center"><strong>鈴木美雲さんは、山形県山形市に工房をかまえる陶芸家です。<br>作陶に使用する足で蹴って回す「蹴ろくろ」は鈴木さんの自作。<br>手数を加えすぎないシンプルなうつわは素朴さの中にも柔らかさがあり、日々の生活の中に自然に溶け込んでくれます。</strong></p>







<p>山形県山形市にある工房で作陶を行う陶芸家の鈴木美雲さん。自ら採取してきた土や、蹴って回す自作の「蹴りろくろ」から生み出されるのは、過剰な装飾を排したシンプルな「うつわ」。李朝に心惹かれた鈴木さんの手による作品は、力むことなく生活にすっと馴染む顔を持つ。</p>







<h2 class="wp-block-heading">シンプルで力強いうつわづくりをする若手陶芸家</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-011-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39247" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-011-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-011-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-011-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-011.jpg 1280w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>山形市内で作陶を行う、陶芸家の鈴木美雲さん。元々は千葉の出身だが、両親が東北の出身ということもあって小さいころから東北には馴染みがあったという。そして東北芸術工科大学への進学をきっかけに山形県に移住。現在、アトリエ兼自宅として使っている一軒家は、元々鈴木さんの祖父母のものだった。在学時より住み始め、卒業後に家を譲り受けたそうだ。</p>



<p>鈴木さんが作る作品は、<strong>過剰な装飾を一切取り除いた、ストイックなまでにシンプルなうつわ</strong>。学生時代に厚手でどっしりとした素朴さを特徴にもち、侘び寂びを尊ぶ日本人に愛された李朝の陶磁器に出会い、その簡素な美に影響を受けたという通り、素朴ながら土の質感を感じさせる色味と質感をもつ鈴木さんの作品は、生活の中にすっと入りこむ不思議な魅力を持っている。</p>







<p><strong>住宅街の中にあるアトリエ</strong></p>



<p>鈴木さんのアトリエは、幹線道路に近い住宅街にもかかわらず、不思議なほど静謐な雰囲気に包まれていた。山形市といえば県庁所在地だ。しかも国道に程近い場所とあれば様々な環境音に煩わされそうなものだが、工房兼自宅の敷地に一歩足を踏み入れた瞬間、周囲から隔絶されたような不思議な空間に迷い込んだ気にさせられた。</p>



<p>それは、鈴木さんが裸足で現れたからだった。この理由は後にわかるのだが、当時は2月。雪が降り積もり、外気温は氷点下前後と推測されるような天気のなかで、いくら室内とはいえ裸足で軽やかに歩く姿はとても印象に残った。鈴木さんのアトリエには、窯も併設されている。使っているのは、薪釜に近い焼き方ができる灯油釜。薪釜は昔ながらの焚き方ができるものの、たくさんの木材が必要となり、加えて日数も技術も必要だということで、灯油窯を選んだという。作品の大きさによるものの、一度に30個ほど焼くことができる大きさだ。「住宅が周りにあるので、ご近所には許可を取って設置しました」と鈴木さん。</p>







<h2 class="wp-block-heading">ユニークな手作りの「蹴りろくろ」</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-001-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39249" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-001-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-001-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-001-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-001.jpg 1280w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>鈴木さんのアトリエ内でもう一つ目を惹くのが、<strong>作業場に設置された「蹴りろくろ」</strong>だ。これもある意味、鈴木さんの「作品」ともいえる。なぜかと言えば自作だから。ろくろといえば手動と電動があり、現在、より広く使われているのは電動のもの。事実、鈴木さんが通っていた芸工大でも、電動ろくろは数多く設置されていたが、手ろくろは1台しかなかったという。電動を選ぶ学生が多い中、「李朝の器が好きなら手ろくろを使う方がいい」という講師からのアドバイスをきっかけとして手ろくろを選んだ。さらに、在学中に丸太をもらってきて自ら作ったのが、鈴木さんが現在作業場で使っている「蹴りろくろ」だ。その名の通り、足で蹴ってろくろを回し、手で器を形作っていく。それだけでなく手と足をバラバラに動かす必要があり、その上鈴木さんによれば<strong>「あまり回らない」</strong>のだとか。厳寒の季節にも裸足でろくろを蹴り、しかもその回りが良くないというのなら、もっとスムーズな動きのろくろに変えた方が効率が良いのではと傍から見ていると思ってしまうものの、「今の手ろくろはエアーが入っているので、電動のものとあまり動きが変わらず、スムーズな作陶ができる。ただ私があこがれているのは素朴さや不完全の美しさが宿る昔の器。それを表現するためには、<strong>原始的であまり早く回らないろくろ</strong>が向いているので、あえて蹴りろくろを選んだ」と鈴木さんは語る。</p>







<h2 class="wp-block-heading">ろくろと李朝が決めた陶芸のみち</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-016-1-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39250" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-016-1-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-016-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-016-1-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-016-1.jpg 1280w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>


<p>鈴木さんを陶芸の道に引き込み、その後の作風を決定づける重要な局面にあったのは、<strong>「ろくろ」と「李朝」</strong>だったという。</p>



<p>陶芸との出会いは、美術系の学校に通っていた高校生の時。ろくろに触れ、「ろくろを回したい、ろくろを続けたい」という思いが芽生え、陶芸を学べる東北芸術工科大学の工芸コースへ進学した。そして、在学中に現在の作風を決定づけることが起きる。過去の作品を学んでいる時にふと目にした<strong>川喜田半泥子（かわきたはんでいし）の粉引</strong>に心惹かれ、その後<strong>「李朝」の陶磁器へたどり着いた</strong>のだ。川喜田半泥子は明治から昭和にかけて活躍した陶芸家。「東の魯山人、西の半泥子」とも称され、伝統をベースにしつつも窯割れやゆがみを活かした自由な表現で知られる。そしてもう一つ、鈴木さんの作風に影響を与えたのが「李朝」だ。うつわを指して「李朝」という時、それは14世紀後半から20世紀後半に朝鮮半島に存在した王朝「李氏朝鮮」で作られた陶磁器を表す。その特徴である歪み、薄手で上品な仕上がりの陶磁器とは対極を成すどっしりとした素朴さが不完全の美となり、侘び寂びを好む日本の通人たちの心をつかんだ。そんな李朝陶磁器の特徴、そして過剰な装飾の無い素朴でシンプルなスタイルに、鈴木さんは心を捉えられたのだという。<strong>「良い意味で綺麗すぎないところが良い」</strong>と、鈴木さんは李朝をそんな風に表現する。</p>



<p>それらに影響を受けた鈴木さんの作風は、いたって素朴。だからこそ土の質感をダイレクトに感じられ、そこに、長石と灰のシンプルな調合で仕上げた釉薬の流れや溜まり具合が表情を持たせている。過剰な装飾がないということが逆に心に残り、自然に手元に置いておきたくなる魅力を放っている。</p>



<p>そんな唯一無二のうつわづくりを行う鈴木さんには、近頃意識していることがあるという。</p>







<h2 class="wp-block-heading">山形だからこそできるものづくりを目指す</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-007-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39251" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-007-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-007-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-007-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-007.jpg 1280w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>鈴木さんが近年心がけているのは、<strong>「山形だからこそできるものづくり」</strong>。地元の原材料を活かし、この土地だからこそできるうつわを作っていきたいと考えているのだとか。</p>



<p>例えば土。基本的に岐阜の方の土を購入して使っているものの、時には鈴木さんが「散歩の途中で見つけた」という近所の山から採ってきた土を使うことも。地元の土は砂っぽくおおよそ陶芸向きの土質ではないが、綺麗な土と一緒に混ぜることで焼き上がったうつわから野趣を感じられるのだという。また、釉薬の調合に使う灰にも地元の原材料を取り入れている。それは、果樹灰。果物王国と言われる山形で採れた色々な果物や果樹が混ざった灰を用いて釉薬を作っているのだそう。窯元や窯業地で作陶をしているわけではない分、<strong>自分が住んでいる土地ならでは</strong>の要素を取り入れていきたいと鈴木さんは考えている。それは、「この土地が好きだから」。陶芸用の土が凍るほどに冷えこむ雪国は、うつわ作りには決して向いていない。しかし、山形のきれいな空気や自然が好きで、その環境の中で祖父母の家をアトリエにして作陶ができるのは、自分にとってとても大きなメリットだと鈴木さん。また、山形の焼き物が最近では少し廃れているのではという危惧も、現在住んでいる土地の特徴や要素を自身の作陶に活かしたいと考える理由の一つだという。</p>







<h2 class="wp-block-heading">目指すのは、生活にすっと馴染んで使いやすい「うつわ」</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-002-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39252" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-002-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-002-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-002-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-002.jpg 1280w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>「生活用のうつわだけれど、茶器などにも使えるような、<strong>ふり幅のあるうつわ</strong>を作っていきたい」と鈴木さんは言う。それはまさに、現地では雑器として使われていた李朝陶磁器が、日本にやって来た後茶器として使われるようになったイメージに近い。確かに鈴木さんが作るうつわには「猪口だが小鉢としても使える」など、元々のカテゴリをゆうに超え、使う人の生活スタイルに合わせて柔軟に使うことができる一面があるように思える。</p>



<p>もう一つ目指すのは、重さや大きさなどからくる「使いやすさ」。ただ、以前は使いやすさをあまり重視していないこともあったという。サイズや形はあまり考えず、うつわは重ければ重いほど良いと考えて作陶していた時期も。しかし、「人の手に取ってもらうためには、使い勝手も考えないとだめだ」という助言を受けたことをきっかけに<strong>「うつわの使いやすさ」</strong>についても頭の片隅に置き、ろくろを回している。とはいえ、まだまだ作りたいうつわに関してはさまよっている部分もあるのだとか。</p>







<h2 class="wp-block-heading">不十分さから生まれる美</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-012-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39253" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-012-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-012-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-012-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/20230210-4-012.jpg 1280w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p><strong>「私の作るうつわは、不十分な中からできたもの」</strong>と鈴木さんは自分のうつわを表現する。それは、割れやすく陶芸向きでない地元の土や、滑らかに回らないろくろといった「何かが足りない」状況から生み出されているものだということ。とはいえ、作陶環境に便利さを欲しているわけではない。足りない状況から出来上がったうつわには、余白や抜けた印象が宿るためだ。その<strong>「余白」</strong>を鈴木さんは大切にしている。</p>



<p>陶磁器というと、「侘び寂び」や「伝統工芸」といった小難しい話題がついて回りがちだが、鈴木さんは自身の作品に関して、あまり分類やカテゴリについては考えていないという。「あくまで<strong>『うつわ』を作っている</strong>」とは鈴木さんの言葉だ。伝統工芸品ではなく、かといって完全に生活に使う陶磁器というスタイルに振っているわけでもなく、まだまだ両者の間をさまよっている。そんな「自身の作品をカテゴライズしない」という姿勢からも、鈴木さんのうつわの魅力の一つである余白がにじみ出ているように思える。</p>



<p>原始的であまり回らない蹴りろくろや陶芸向きでない土といった不完全な環境から生み出される鈴木さんの「うつわ」。その素朴な「うつわ」は、難しいことは抜きにして、一つ手元に置いておきたいと思わせる不思議な魅力を放っている。そして一度手に取れば、わたしたちの生活の中にするりと心地よく馴染んでくれることだろう。</p>






<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/622e5efddb14e09fa5fd4df3f1f05580-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-48714" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/622e5efddb14e09fa5fd4df3f1f05580-1024x683.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/622e5efddb14e09fa5fd4df3f1f05580-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/622e5efddb14e09fa5fd4df3f1f05580-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/622e5efddb14e09fa5fd4df3f1f05580.jpg 1200w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /><figcaption class="wp-element-caption">陶芸家　鈴木美雲さん</figcaption></figure></div>


<p>私は窯業地や窯元にいて作陶をしているわけではありません。だからこそここ最近思うのは、山形ならではのものづくりです。土や釉薬を地元山形産のもので固め、この土地だからこそできるうつわを作っていきたいと考えています。私が作るうつわは、不十分な中から生まれたものです。自分でとってきた近所の山の土は陶芸には決して向いているとは言えない土質ですし、自作の「蹴ろくろ」は電動ろくろなどと比べたら、お世辞にも滑らかに動くとは言えません。そのような何かが「足りない」環境から生まれたうつわからは、良い意味で余白や抜けた印象を感じていただけると思います。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/39245/">蹴りろくろとの調和が生みだす素朴で力強い「うつわ」陶芸家･鈴木美雲さん／山形県山形市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<item>
		<title>京都の名匠の家系に生まれ、山形県の山里で作陶を行う陶芸家･土田 健さん</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 29 Sep 2023 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[工芸家]]></category>
		<category><![CDATA[山形県]]></category>
		<category><![CDATA[山形]]></category>
		<category><![CDATA[作陶]]></category>
		<category><![CDATA[茶陶]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/top-1-1.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>山形県西村山郡西川町で「聴雪窯（ちょうせつがま）」という名の登り窯を構える陶芸家の土田健さん。千利休の子孫である三千家の家元に茶道具を納める京都の名匠の家系に生まれながら、山形のなかでも雪深いエリアのひとつである山形県西 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/38842/">京都の名匠の家系に生まれ、山形県の山里で作陶を行う陶芸家･土田 健さん</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/top-1-1.png" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p class="has-text-align-center"><strong>山形県西村山郡西川町で「聴雪窯（ちょうせつがま）」という名の登り窯を構える陶芸家の土田健さん。<br>千利休の子孫である三千家の家元に茶道具を納める京都の名匠の家系に生まれながら、<br>山形のなかでも雪深いエリアのひとつである山形県西川町の大井沢地区に移り住み、<br>茶陶を中心に意欲的に制作活動を行っています。</strong></p>







<p>お茶が点てられ、美味しく飲めればデザインは自由の茶道具の世界。「手取りがいい」「お茶を点てやすい」と評判の茶陶を作る陶芸家が山形県西川町にいる。京都市で「千家十職」十二代袋師の次男として生まれながら、幼い頃に抱いた夢を実現し、山形の山里で作陶を行う土田健さんだ。</p>







<h2 class="wp-block-heading">日常にあった茶道の世界</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/Tsuchida-2-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38848" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/Tsuchida-2-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/Tsuchida-2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/Tsuchida-2-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/Tsuchida-2.jpg 1280w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>山形県西川町で登り窯「聴雪窯（ちょうせつがま）」を構える土田健さん。京都、そして唐津で修業を積んだ後、2007年に西川町大井沢に移り住み、茶陶を中心に作品を生み出している。</p>



<p>陶芸をはじめた当初は、ただ焼き物に携わる仕事ができればと思っていた。しかし本格的に学ぶうちに陶芸の奥深さに魅了され「自分自身の作品を生み出したい」という情熱が芽生えていったという。そこから茶陶を選んだのは、自然の流れだったと土田さんは振り返る。茶道具を入れる袋を作る「袋師」の家系に生まれ、幼少期から母親の影響でお茶会に連れて行かれることも多く、自身でお茶を点てて飲んでいたほど茶道は常に身近な存在だった。そんな家庭環境も土田さんを茶器に導いた。</p>



<p>とはいえ土田さんは陶芸一家に生まれたわけでもなく、小学生までは陶芸家という職業も知らなかった。そんな土田さんがなぜ陶芸家の道に進むことになったのだろうか。</p>







<h2 class="wp-block-heading">幼い頃に抱いた「陶芸家」の夢</h2>



<p>土田さんは、<strong>茶道の家元として有名な「表千家」「裏千家」「武者小路千家」を総称した“三千家”が好む茶道具を代々にわたって制作している十の家「千家十職」のなかで、茶器を入れる袋やそれを包む服紗（ふくさ）などの製作に携わる袋師･土田家の十二代目当主の次男として</strong>として京都で生まれた。</p>



<p>「僕は次男なので、ずっと兄貴の保険みたいなものだと思っていた」</p>



<p>家業は土田さんの兄が継承しているが、兄に何かがあった時には自分が跡継ぎとなることがずっと頭にあったという。</p>



<p>それもあってか、大学卒業間近になっても将来のビジョンが定まらず、卒業後は自分探しの旅に出ようと考えていたほどだった。そんな時、父親から「ふらふらだけはするな」と見透かされたように言われ、渋々と就職活動に取り組んだ。</p>



<p>大学卒業後、京都市内のお香の製造会社に就職し3年ほど経った頃に転機が訪れた。兄に長男が生まれたことで自身が家業を継ぐ可能性がなくなったと感じたことで、次のキャリアを考えるようになる。</p>



<p>この時、かつての小学校の同窓会での友人の言葉が蘇った。「陶芸家になるという夢はどうなった？」という問いかけだった。</p>



<p>土田さんは小学3年生の頃、将来の夢に「陶芸家」と書いた。その理由は、たまたま見たテレビ番組で職人がろくろを回す様子を見て面白そうだと思ったから。それまでは陶芸家という職業すら知らなかった。担任の先生も当時のことを覚えており<strong>「陶芸家の息子でもないのに、陶芸家になりたいと書いたのは後にも先にもあなただけ」</strong>と言われたという。</p>



<p>そこから「小さい頃の夢を叶えていく生き方もかっこいいかもしれない」と、土田さんは陶芸家を志す。</p>







<h2 class="wp-block-heading">経験“ゼロ”からの作陶活動</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/Tsuchida-8-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38851" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/Tsuchida-8-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/Tsuchida-8-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/Tsuchida-8-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/Tsuchida-8.jpg 1280w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>

<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/Tsuchida-5-3-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38852" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/Tsuchida-5-3-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/Tsuchida-5-3-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/Tsuchida-5-3-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/Tsuchida-5-3.jpg 1280w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>とはいえ焼き物の世界について知見も経験もない土田さんは、働く傍らカルチャーセンターの陶芸教室に通い始める。そこで先生に相談するなかで、本格的に陶芸の道を進むなら京都に訓練校がある、ということを知る。</p>



<p>訓練校で京焼の基礎を学んだ後、より深い技術を身に付けるために、<strong>焼き物の原点である佐賀県の唐津で修行</strong>した。登り窯を学びたかったことも唐津を選んだ理由のひとつだ。いまでは電気やガスで焼く所がほとんどだが、薪で焼いたものを知っているのと知らないのとでは、同じ電気窯を扱うにしても違うのではないかと考えた。</p>



<p>また唐津焼は茶道の世界において、古くから「一楽、二萩、三唐津」といわれ、茶陶としてその地位を確立している。彼が魅了された唐津焼のスタイルは、現在の土田さんの作品にも織り交ぜられている。</p>



<p>当時は独身で自分ひとりが食べていける収入があればいいと思っていたし、陶芸家といえばメディアに出るような成功者しか知らなかったから陶芸家として生きていくことに不安はなかったという土田さん。</p>



<p><strong>しかし父親に陶芸の道に進むと伝えることは一大決心だったようだ。「世の中に絵描きと焼き物屋はごまんといる。それでもやる気か」と大変驚かれたが、父親が「できる限りのことはしたい」と言ってくれたことが、大きな心の支えとなっていく。</strong></p>







<h2 class="wp-block-heading">京都、唐津を経て、自然の流れで山形に移住</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/image-4.png" alt="" class="wp-image-38855" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/image-4.png 941w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/image-4-300x200.png 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/image-4-768x511.png 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>唐津で4年半の修業を経て、土田さんが自身の窯を開いた場所が山形県の西川町大井沢だった。この地に導かれたのも「すべては自然の流れだった」と土田さんは言う。</p>



<p>土田さんは京都生まれだが、母親の実家は山形県山形市にあり「あげつま」という料理屋を営む。登り窯ができる、煙をいくら出しても問題のない場所を探していたときに、もともと祖父が山遊びの別荘として所有していた<strong>西川町の古民家をタイミング良く譲り受けた。</strong></p>



<p>しかし西川町大井沢は、東北の名峰月山（がっさん）の麓に広がり、冬には何メートルもの雪が積もる県内でも有数の豪雪地帯。山形に住む人にも「よく雪深いこの地に京都から来る決心をしたね」と言われるほどだ。</p>



<p>移住を決める前、奥様と初めて山形を訪れた。新緑の美しい風景を見て「いいところだね」と言葉を交わした。その後、土田さんが「冬にも行こう」と提案したところ、奥様からは「やめとく。見て行きたくなくなったら困るから」と断られたそうだ。笑い話になりつつも、冬の山形は移住後に初めて味わうことになった。</p>



<p>最初は雪深さに驚いたものの、近所の重機の達人から除雪を手伝ってもらったり、冬の食料不足を心配した近隣の方から野菜をもらったりと、地域の人たちのあたたかさに触れた。</p>



<p>「僕は人に恵まれている」と話すように、山形に移住してから縁が不思議なくらいに次々と繋がっていった。独立後、作品をギャラリーや展示会で売り込む経験は他の作家にとっては一般的だが、土田さんはそのような経験がないという。</p>



<p>ある知り合いが山形市のギャラリーオーナーに「応援してあげて」と土田さんを紹介したことがきっかけで、表千家や裏千家の先生方が工房を訪問する機会が生まれた。そこから個展の話が持ち上がり、2011年に山形市で初めての個展を開くことになった。</p>



<p>この個展を皮切りに、県内はもちろん、仙台や京都、金沢など、全国各地で精力的に展開し、以前勤めたお香の製造会社での作陶展や、十三代当主である兄との兄弟展を開催するなど活躍の場を広げている。</p>



<p>「山奥で作陶をして、じっとしていても誰も見向きもしてくれない」</p>



<p>今後の目標は、規模にはこだわらず、個展を全国47都道府県、そして海外で開くこと。そして若い世代にもっとお茶に気軽に触れて、愉しんでほしいとの熱い思いを抱いている。</p>






<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/image-6.png" alt="" class="wp-image-38859" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/image-6.png 941w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/image-6-300x200.png 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/image-6-768x511.png 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<h2 class="wp-block-heading">こだわらないことが、こだわりである</h2>



<p>山形に暮らして約15年。昔は自分の作るものに対し「こういうものを作らなくてはいけない」という固定観念があった。しかし今は伝統的な技法を守りつつ、自然豊かな作陶環境だからこそ生み出せる、作意が感じられない、自然と共に生まれる作品を目指している。</p>



<p>「子どものスキークラブについて行ってたら、講師から自分も指導を受けるようになって、ライセンスを受けることにしたんです」</p>



<p>一見焼き物と関係ない話だが、ひとつのものにこだわり過ぎる性格のため、作陶に没頭するだけでは周りが見えなくなってしまう。山形での暮らしや遊びの中から生まれるアイデアも、結果的に独りよがりにならない、自由な作陶に繋がっている。</p>



<p>例えば、ある白い釉薬の焼物には、大井沢の風景写真を一緒に飾った。そうすると作品を手にする人々が「この色は雪の白かな」などと独自の解釈を楽しむことができるのだ。</p>



<p>また、茶陶は茶の世界で使われる道具の一つ。土田さんは情熱を表現することも芸術家の仕事だと考える一方、茶道具はあくまでも使いやすいもの、使えるものが大前提だと話す。 気に入ってるから特別な日しか使わないのではなく、日々の暮らしの中でどんどん使ってもらいたい。</p>



<p>「お茶というのはあくまでも人の輪でもありますし、その人たちがその場で作り上げるセッションです。そこで上手く奏で合う、そういった道具になればよい」</p>



<p>そして茶文化が根付く京都のように、どこか優雅で洗練された作品を生み出している。</p>







<h3 class="wp-block-heading">「大井沢焼」の作風は定まっていない</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/Tsuchida-3-2-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38862" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/Tsuchida-3-2-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/Tsuchida-3-2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/Tsuchida-3-2-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/Tsuchida-3-2.jpg 1280w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>2014年には土田さんの作品の名称が、茶道美術品の収蔵で有名な京都市の北村美術館の木村館長から<strong>「大井沢焼」と命名された。</strong></p>



<p>唐津で勉強したためベースは唐津焼、しかし唐津ではない「大井沢焼」の特徴とは何なのか。</p>



<p>「◯◯焼と呼ばれるものは、何百、何千年と時代を重ねていくなかで、いろんなものが削ぎ落とされて、いいものが残る。それが特徴であり、ぼく個人が生きている間に大井沢焼の特徴を語るなんてのはおこがましい。どこかで僕の作品を見た人が『これって大井沢焼だよね』って言ってもらえるような何かができたら良いって思います」と土田さん。</p>



<p>備前焼や唐津焼のように、大井沢焼も時間をかけてその特徴が確立されることを信じている。</p>



<p>登り窯で丹精込めて焼き上げられる土田さんの「大井沢焼」は、使う人たちの日常に寄り添い、長く愛され続けることだろう。</p>






<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/1a97ae8764043b28617695765465d660-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-48973" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/1a97ae8764043b28617695765465d660-1024x683.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/1a97ae8764043b28617695765465d660-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/1a97ae8764043b28617695765465d660-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/1a97ae8764043b28617695765465d660.jpg 1200w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /><figcaption class="wp-element-caption">陶芸家「聴雪窯」　土田健さん</figcaption></figure></div>


<p>京都の袋師の家に生まれ、幼い頃にテレビで見た職人がろくろを回す光景が心に残り続けたためか、自然な流れで陶芸家になり、自然な流れで母方のルーツがある山形に移り住んでいました。2007年からは大自然に恵まれた大井沢の地に「聴雪窯」をかまえ、心のままに作陶に励んでいますが、陶芸家の中では薪を使って焼成するなど、前時代的な仕事の仕方をしているのではないかと思っています。私の作品には茶陶が多いですが、茶の湯の席で使いやすいことはもちろん、他の道具との調和を図りつつも存在感があるような器を理想としています。私の心のままに作った作品が、手に取っていただく誰かの心を和ませたり、気が付けば生活の中に入り込みいつも使ってしまっていたりという存在になれれば幸いです。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/38842/">京都の名匠の家系に生まれ、山形県の山里で作陶を行う陶芸家･土田 健さん</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>高い技術力で食味、食感抜群のきのこを栽培する「最上まいたけ」/山形県鮭川村</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 27 Sep 2023 01:00:05 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/top-6.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>広大な森林を有し、天然のきのこの宝庫として知られる山形県鮭川村。昭和30年代からは菌床栽培が盛んになり、「きのこ王国」とも呼ばれている。高い技術力を駆使して「やまぶしたけ」や「とび色まいたけ」といった希少性の高いきのこを [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/top-6.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>広大な森林を有し、天然のきのこの宝庫として知られる山形県鮭川村。昭和30年代からは菌床栽培が盛んになり、「きのこ王国」とも呼ばれている。高い技術力を駆使して「やまぶしたけ」や「とび色まいたけ」といった希少性の高いきのこを栽培している「株式会社最上まいたけ」を訪ねた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「きのこ王国」の名を持つ山形県鮭川村</h2>



<p>鮭川村は山形県の北部、最上地域に位置する人口約4000人の小さな村。広大な森林を持つこの村は<strong>盆地特有の湿気が多い気候</strong>で、ミズナラやコナラ、ブナなどの広葉樹にきのこが自生している。そのため、昔から<strong>きのこ料理を食べる食文化</strong>があったという。天然のきのこが採取できることに加え、現在では菌床栽培も盛んで、<strong>生産量は県内全体の約6割</strong>を占める。主にナメコ、シイタケ、ブナシメジ等の8種類を常時生産しており、<strong>「きのこ王国」</strong>とも呼ばれている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">冬場の生業として始めたきのこ栽培</h3>



<p>鮭川村の基幹産業は農業で、春から秋にかけては水稲やそばを栽培、冬場に関東に出稼ぎに行くというのが昔からの仕事スタイルだった。しかし、村から関東へは交通の便が悪く、さらに、出稼ぎに出れば数か月の間家族と離れ離れになる。なんとかこの地域で生業を生み出し、通年村内で暮らせないかと考えていた昭和30年代のある時、長野県できのこの菌床栽培をしているという情報を入手。村の農家らは「菌床栽培は施設内でできるため、農閑期の仕事にも最適」と考え、早速長野県に行って栽培技術を習得し、<strong>村全体で試行錯誤しながら栽培</strong>に取り組んだ。最上まいたけは昭和51年、えのきたけの栽培を手掛ける「最上きのこ物産」として創業し、平成2年に社名を変更。現在は<strong>まいたけ、やまぶしたけ、しいたけの3種類を栽培</strong>しており、<strong>山形県きのこ品評会において、最優秀賞である農林水産大臣賞を複数回受賞している。</strong>品評会では、きのこの傘の色や形や大きさ、軸の太さの整い具合が審査され、最上まいたけはこの基準を満たしたことで高い評価を得た。</p>



<h3 class="wp-block-heading">きのこ栽培の基本となる菌床作り</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230211-2-016-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38828" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230211-2-016-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230211-2-016-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230211-2-016-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230211-2-016.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>菌床栽培ではまず、おがくずや栄養体（大豆由来原料など）などを混合して水分調整し、原木の代わりとなる培地を作る。培地にはきのこ以外の菌やバクテリアなどがいて、それらが存在することで菌床からきのこが発生しないだけではなく、ほかの菌床にまで害が及ぶことがある。そのため、<strong>100度以上の高温でしっかり殺菌</strong>することが大切だ。殺菌後の培地は15℃～20℃まで急速冷却。その後、培養した菌糸や胞子の塊などからなる「種菌」を植え付け、温度25度、湿度65％ほどの環境で培養し、菌を蔓延させる。培養期間は品種によって25日ほど、45日ほど、150日ほどとそれぞれだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">きのこにとって心地よい温度、湿度に管理</h3>



<p>培養後は<strong>品種ごとに最適な温度・湿度に設定</strong>することで、きのこを発生させる。例えば、天然物の場合は、まいたけが9月初め、天然なめこが11月後半と、品種によってとれる時期が違う。施設内で栽培する場合は、天然物が育つ環境を考慮し、<strong>それぞれに合わせた気温や湿度に整える</strong>ことが重要となる。複数の種類のきのこを栽培するとなると、それなりの冷暖房設備を整える必要があり、コストが高くなるため、1品種に絞っているところがほとんどだ。しかし、最上まいたけでは、複数の品種の育つ環境を比較して栽培品目を検討し、まいたけ、やまぶしたけ、しいたけの3種類に適応した空調設備などを導入し、栽培している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">独特の食感が人気の「やまぶしたけ」</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230211-2-012-1-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38829" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230211-2-012-1-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230211-2-012-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230211-2-012-1-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230211-2-012-1.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>最上まいたけでは、<strong>全国で3軒のみ生産する「やまぶしたけ」</strong>を手掛けている。中国では昔から高級品として知られており、四大珍味のひとつとして珍重される不思議な食感のきのこ。日本にも自生する品種で、その名は山伏の袈裟についた梵天に似ていることに由来する。</p>



<p>通常、きのこ栽培では種菌を購入するが、最上まいたけでは、より食味の良いきのこを作るという熱い情熱を持ち、<strong>社長の荒木正人さん自らが山からきのこを採取</strong>。そこから培養して生産数を増やしていったという。</p>



<p>最上まいたけのやまぶしたけは苦みが少なく、形が美しいことが特徴。吸い物や八宝菜、うどん、おでんに良く合い、取引先の飲食店では火鍋や薬膳鍋で使われている。スープにするとフカヒレのような食感、揚げると鶏のから揚げのようで、今後代替肉としても注目されているという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">色落ちせず、和食に活躍。風味も食感も抜群の「とび色まいたけ」</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230211-2-018-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38831" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230211-2-018-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230211-2-018-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230211-2-018-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230211-2-018.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>「とび色まいたけ」は、<strong>世界で最上まいたけのみが生産するオリジナルまいたけ</strong>で、名前は鳥のとんびの羽の色に由来するという。</p>



<p>一般的な黒まいたけは汁物に入れると色が落ちて汁の色が黒ずみ、白まいたけは色落ちこそしないものの、風味と歯触りに欠ける。</p>



<p>それに対し、とび色まいたけは<strong>色落ちせずきれいな色を保つことができ</strong>、さらに<strong>風味も歯触りも良い</strong>。柔らかくえぐみもなく、食感もしっかりしていて煮崩れしないと良いことずくめのきのこで、旅館や料亭からも引き合いが強い。</p>



<h3 class="wp-block-heading">社長が山で体感した生育環境を再現</h3>



<p>やまぶしたけと同じく、とび色まいたけも荒木さんが何年も山に足を運んでさまざまなきのこを採取する中で見つけたものだ。汁物に入れても色落ちせず、風味も食感も良いまいたけを探して山に入ったところ、秋の初めに発見したという。その後、栽培するにはどのような環境が最適か確認するため<strong>社長が山に籠り、温度や湿度を肌で体感</strong>。温度24℃、湿度65％の環境で約45日間培養し、<strong>温度18℃、湿度99％以上</strong>の環境で約15日生育させている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">収穫したてのおいしさを保つため、切らずに株ごと販売</h3>



<p>まいたけは通常カットしてパックに詰めて販売されているが、とび色まいたけはカットせず、<strong>株のまま箱に入れて販売</strong>している。その理由は、カットしてしまうと切ったところから細胞が壊れて香りが抜けて味も落ちてしまうから。株ごと販売することで、<strong>収穫したての一番おいしい状態で味わえる</strong>という。また、この販売スタイルは贈り物にも最適だ。美しい形と色の大きなまいたけはインパクトが強く、多くの方に喜ばれているという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">きのこ栽培を通じて、食に、社会に、人に貢献</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230211-2-025-1-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38832" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230211-2-025-1-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230211-2-025-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230211-2-025-1-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230211-2-025-1.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>もっと「食に、貢献、もっと「社会」に貢献、もっと「人」に貢献」をモットーとする最上まいたけは、きのこ文化の新たな価値を創造し、世界に発信している。その手段の一つが加工品製造だ。きのこパウダー、サプリメントなど<strong>人々の健康に貢献できる商品の開発</strong>に積極的に取り組んでいる。また、忙しい現代人が手軽においしくきのこ料理を楽しめるよう、<strong>冷凍舞茸てんぷらなどや炊き込みご飯の素といった商品</strong>も手掛ける。<br>令和2年には新工場である「ならやまファーム」を竣工。しいたけやまいたけの安定生産を目指し、さらに広く社会に貢献していく。</p>



<h3 class="wp-block-heading">築いてきた技術を、次世代へ</h3>



<p>最上まいたけでは、20代の若い世代への技術の伝承が課題で、時代に合わせた指導方法として、動画マニュアルの作成を検討しているという。具体的には、新人社員とベテラン社員それぞれの作業風景を撮影し、その違いを認識してもらうというもの。「<strong>社員とより良い関係を築きながら技術を継承し、これから先もより良いきのこを作っていきたい</strong>」と荒木さんと息子で常務取締役の賢人さんは先を見据える。</p>



<p>何十年もの間、何度も何度も森林に足を運んできのこを採取して培養したり、森林に籠ってきのこが好む環境を肌で感じたりと、きのこへの熱い情熱を持ち、地道に技術を築いてきた最上まいたけ。きのこが快適に過ごせる環境を試行錯誤する中で、我が子への愛情にも似た気持ちを抱いたのではないだろうか。その愛が実り、全国で唯一となるブランド「とび色まいたけ」の誕生に至った。唯一無二の食味や食感をこの先も多くの方が味わえるよう、築いてきた技術を受け継いでほしい。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/38817/">高い技術力で食味、食感抜群のきのこを栽培する「最上まいたけ」/山形県鮭川村</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>皮も食べられる完全農薬不使用の雪国レモン。「 ハンドレッドベリーズ」石岡浩明さん</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 19 Sep 2023 01:00:51 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[レモン]]></category>
		<category><![CDATA[果樹栽培]]></category>
		<category><![CDATA[果樹園]]></category>
		<category><![CDATA[山形県]]></category>
		<category><![CDATA[山形]]></category>
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		<category><![CDATA[農家]]></category>
		<category><![CDATA[無農薬]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-013-1-1-1024x819.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>山形県山形市の「株式会社ハンドレッドベリーズ」は、レモンやブルーベリーといったフルーツを生産する果樹園です。特に、代表の石岡浩明さんが栽培する農薬不使用で安心・安全な「雪国レモン」は、甘みが強く皮まで食べられると人気を博 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/38618/">皮も食べられる完全農薬不使用の雪国レモン。「 ハンドレッドベリーズ」石岡浩明さん</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-013-1-1-1024x819.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p class="has-text-align-center"><strong>山形県山形市の「株式会社ハンドレッドベリーズ」は、レモンやブルーベリーといったフルーツを生産する果樹園です。<br>特に、代表の石岡浩明さんが栽培する農薬不使用で安心・安全な「雪国レモン」は、<br>甘みが強く皮まで食べられると人気を博しています。</strong></p>







<p>全国有数の果物生産地である山形県で、雪国には珍しいレモンやパッションフルーツ、ブルーベリーの栽培を行うハンドレッドベリーズ。元は会社員という異色の経歴を持つ果樹園オーナーが育てる農薬不使用のフルーツは、皮まで安心して食べられるとして徐々に知名度を上げている。</p>







<h2 class="wp-block-heading">雪降る地でレモンを育てる珍しい果樹園</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-020-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38625" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-020-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-020-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-020-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-020.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>







<p>夏の暑さと冬の厳しい冷え込みによって、全国有数のフルーツ生産地である山形県。寒暖差の激しい気候が果樹栽培に向いているとは言われるが、中には、レモン、パッションフルーツ、ブルーベリーといった雪国のイメージとかけ離れた果物を生産しているユニークな農園もあり、それが今、県内外から注目を集めている。山形市にある「ハンドレッドベリーズ」だ。代表をつとめる石岡浩明さんの両親は米農家。農業に縁が深い家に育ち、自然とその道に進んだのかと思いきや、石岡さんの経歴は極めて異色なものだった。</p>







<h3 class="wp-block-heading">営業畑からフルーツ畑へ</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-010-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38630" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-010-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-010-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-010-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-010.jpg 1280w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>「農業はやりたくなかったんですよ。何しろ作業が大変だから」。</p>



<p>そう語る石岡さんの生まれは、米の専業農家。しかし、若い頃から家族の姿を見て農業の大変さを嫌というほど感じていたことから、大学進学のために山形を離れただけでなく、卒業後は首都圏で就職。茨城県内で営業の仕事をしていた。転機が訪れたのは今から15年ほど前、石岡さんが45歳の頃だった。営業マンとしてずっと働いてきたが、45歳という年齢を迎えて何か新しいことに挑戦したくなったのだとか。</p>



<p>そんな時、石岡さんの息子が学校から一枚のチラシを持ち帰ってきた。</p>



<p>そこに書かれていたのは、「ブルーベリーの木のオーナー募集」。何となく心を惹かれた石岡さんは、会社員を続けたまま1本のブルーベリーの木のオーナーになった。これが後に自身の生き方を大きく変えることになろうとは、当時は全く思っていなかったそうだ。</p>



<p>それからおよそ2年、つくばでブルーベリーの木を育てていた石岡さん。収穫の楽しみを感じるにつれ、「これを山形でやれないだろうか」という思いが強くなっていった。</p>



<p>とはいえ、当時は会社員の身。しかもつくば市では農地の確保も容易ではない。しかし、山形の実家には両親が使っていた農地が残っている。そんなことが後押しともなり、石岡さんは2011年3月を以て会社を辞め、生まれ故郷でブルーベリー栽培に携わることを決めた。そして再び山形の地を踏んだのは、石岡さんが51歳の時だった。</p>







<h3 class="wp-block-heading">ブルーベリーからパッションフルーツへ</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-005-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38633" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-005-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-005-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-005-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-005.jpg 1280w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>生まれ故郷へとUターンをした当時、山形ではブルーベリー栽培をしている農家がいなかったのも地元へ戻ることを決めた理由の一つだという。さらに「皮をむかなくても食べられる」「栄養価が高い」という点から、石岡さんはブルーベリーに将来性を見出していた。実際のところ農家としては駆け出しであったにも関わらず、人生を賭けた思い切った挑戦ができたのは何故だろうか。それは、就農後も3～4年は会社員時代のたくわえで何とかなるのではとの思い、そして、会社員時代の経験を活かして販路を自ら切り開き、価格や利益も自身で決めて行くという覚悟だ。そんな石岡さんが農業のいろはを学んだのは、農業大学校や寒河江にある農業試験場だった。また、全国のブルーベリー農家を訪ね歩いて栽培方法の知見を深めていく中で、「自分が作ったものを自分が食べたらどうなるか」を意識しはじめたという。安全で美味しく、自分が率先して食べたいと思うものを提供するにはと考えた結果、自然な流れでたどり着いたのが無農薬栽培だった。</p>



<p>石岡さんによれば、「農薬を全く使用しないでブルーベリーを栽培することは、知見や農業の経験があればそこまで難しくはない」のだという。もちろん、やってみることで課題が見つかったり、その年によってうまくいくことも、うまくいかないこともある。ましてや当時の石岡さんは、決して農業のベテランという経歴ではなかった。それでも農薬を全く使わず栽培をしてみたのは、「自分が率先して食べたいと思うものを提供したい」という思いに他ならない。その熱意が実り、石岡さんは他のブルーベリー農家から栽培法の知識を習得し、且つ化学肥料も使わない無農薬ブルーベリーの商品化に成功した。そんな石岡さんが次に挑戦したのは、これまた雪国とはイメージが結びつかないパッションフルーツだった。</p>



<p>石岡さんがパッションフルーツに出会ったのは、農業大学校に通っている時のことだったという。実際に栽培をしてみようと決めた理由は、パッションフルーツはそもそも農薬が無くても育つ品種だったことだ。</p>



<p>そんな折、「ゴーヤに代わってグリーンカーテンができるものはないか」という石岡さんの友人の相談をきっかけに「グリーンカーテン」についても興味を惹かれるようになる。</p>



<p>グリーンカーテンとは、一般的にはゴーヤやへちまなどのつる性の植物をカーテンのように軒下に高くはわせたもの。直射日光の侵入を防いで室内の温度上昇を防いだり、光合成のために大気中の二酸化炭素を吸収してくれるといった利点がある。夏場の農作の課題のひとつであるハウス内の高温への対策になるうえ、冷房や扇風機を使うよりも環境にやさしい。ゴーヤなどと同じつる性であるパッションフルーツでもグリーンカーテンが作れるのでは、と調べてみたところ、案の定できることがわかった。</p>



<p>「栽培を考えていた果樹でできるならちょうどいいじゃないか」と早速、自宅とハウスの両方で、パッションフルーツを活かしたグリーンカーテンに挑戦。とはいえ、夏がどんなに暑かろうとも山形は寒冷地。亜熱帯地域を原産とし、国内では鹿児島や沖縄、小笠原といった温暖な地域で収穫されているパッションフルーツが果たして寒冷地の山形で育つのかという疑問もあったが「やってみなければわからない」というチャレンジ精神のもと、石岡さんは栽培に挑戦。１年目にして見事収穫できた上にハウス内の温度上昇を抑制する効果もしっかりと感じられたそうだ。</p>



<p>ブルーベリーとパッションフルーツの両方において農薬不使用での栽培を軌道に乗せた石岡さんのこだわりは、「自分が安心して口に入れたいと思うものを作る」こと。そしてもう一つは、果物のもつ甘さをより引き出せるよう、「樹上完熟」を行っていることだ。「樹上完熟」とは、例えばトマトなどのように、販売のタイミングで熟した状態になるように早採りをする手法とは異なり、実がなった状態のまま熟させることだ。早採りに比べて日持ちしないことから流通が限られてしまうものの、その分果物の甘みが存分にひきだされるという。</p>



<p>味と安全の両方に妥協しないそんな石岡さんの姿勢が呼び寄せたのが、「雪国レモン」との出会いだった。</p>







<h2 class="wp-block-heading">「雪国レモン」の誕生</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-012-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38636" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-012-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-012-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-012-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-012.jpg 1280w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>「レモンが山形で育つわけがない」と思っていた石岡さん。</p>



<p>レモンと石岡さんを結びつけたのは、とある１人の地元男性だった。がんを患っているというその方は療養のために様々な食餌療法を行っており、その中の一つがすりおろした野菜と果物のジュースを毎日飲むことだったという。しかしジュースの材料のうち、にんじんとリンゴは近所の農家で入手できるものの、農薬不使用でノーワックスのレモンがどうしても見つからない。そこで、わずかな希望をもち、農薬不使用のブルーベリーやパッションフルーツ栽培を行っていた石岡さんのもとを訪ねてきたという。</p>



<p>レモンは暖かい場所で採れるもの、と思っていた石岡さん。しかし色々と調べてみたところ、八丈島で栽培されている「八丈フルーツレモン」という寒さにも耐えられる品種にたどり着いた。レモンとオレンジを掛け合わせたマイヤーレモンという品種に近い八丈フルーツレモンは、果皮がオレンジがかっているのが特徴。また、一般的なレモンに比べ、耐寒性だけでなく耐暑性にも優れているということから苗木を山形に持ち帰り、栽培を始めたのが2014年のこと。</p>







<h3 class="wp-block-heading">2年目にして、初の収穫</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-016-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38637" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-016-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-016-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-016-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-016.jpg 1280w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>レモンの農薬不使用栽培を始めた1年目は、ひとつも収穫できなかったそうだ。柑橘類の木には虫が群がると言われるが、石岡さんのレモンも例外ではなく、アブラムシやチョウの幼虫の影響で葉が真っ黒になってしまったという。しかし2年目、初めてのレモンが2つ実った。「雪国レモン」が誕生した瞬間だった。</p>



<p>「内陸の寒冷地で、海も日照時間もないところで本当にレモンができたときは驚いた」と石岡さん。それは、石岡さんが使っている二重のビニールハウスのおかげでもあった。</p>







<h3 class="wp-block-heading">レモン独自の力で育てるような環境づくり</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-004-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38638" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-004-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-004-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-004-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-004.jpg 1280w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>石岡さんのレモン栽培は、「ある程度自然のまま」の状況で行っているという。特徴的なのが、二重のビニールハウスだ。2枚のビニールの間の空気が保温の役割を果たすため、冬場であっても太陽が顔を出せば室外の雪に反射して、外が氷点下だろうとハウス内の温度は、40度近くになるのだとか。逆に夏は、ハウス内が暑すぎて曇ってしまうため、天井を折りたたむことで風通しを良くしている。</p>



<p>そのような自然に近い環境下で育つレモンは、剪定を繰り返されながらどんどん大きく育っていく。通常サイズのレモンは1個150グラム前後といったところだが、雪国レモンは300グラム程度になることも。また、完熟させることで糖度は10度くらいまで上がるだけでなく、果皮の苦みも抑えられる。糖度10度というと、みかんなどの柑橘類やフルーツトマトにも匹敵する甘さだ。さらに無農薬栽培であり肥料もほとんど与えていない。そしてレモン形状維持や防カビのために施されるワックスを使用していないという点が、皮ごと食べられるレモンたる所以だ。</p>



<p>2022年（令和4）は850個ほど収穫することができたそうだ。2023年（令和5）はさらに弾みをつけて1000個くらいを目指すという。良いものを作るために、どうやったら大きくなるか、どうしたらもっと採れるか……と常に考えているのは、石岡さんの喜びでもある。</p>







<h2 class="wp-block-heading">他の人がやっていないことをやる</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-003-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38641" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-003-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-003-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-003-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/09/20230210-3-003.jpg 1280w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>差別化を図ることが大事だ、と石岡さんは言った。石岡さんにとっては、それはすなわち「誰もやっていないことをやる」ことだった。だからこそUターン就農した山形の地でブルーベリー栽培を始めた。それからパッションフルーツとレモンの農薬不使用栽培に果敢に挑戦し、成果を出した。自分が最初に始めたため、県外に赴いて様々な情報を収集した。また、果樹栽培だけでなく、宮城県の酪農家とコラボレーションをしたオリジナルジェラートも手がけている。果実味あふれるジェラートは、実に原料の25%ほどが果物とあって、果物をそのまま食べているかのようなフレッシュさが人気。雪国レモンや山形産パッションフルーツの魅力を伝えるために始めたという。</p>



<p>そんな石岡さんだが、今後やってみたいのは、「ブルーベリー、パッションフルーツ、レモン栽培を突き詰めること」だという。</p>



<p>2011年（平成23）に就農して以来、手探りで進み、様々な困難に直面することも多かったという石岡さん。しかし、山形で育つわけがないと言われたレモンの収穫量が年々増加したり、石岡さんが栽培する無農薬フルーツの知名度があがり、市内のレストランやパティスリーでも重宝されるようになったりと、石岡さんの努力は確実に実を結んでいる。そんな状況に甘えることなく、就農してから10年以上経った今でも、やれる範囲でより良いもの、美味しいものを作るにはどうしたら良いかと、妻と二人三脚で試行錯誤を繰り返しているという。そんな石岡さんが持つ願いは、ゆくゆくは「雪国レモン」を山形県の特産品にすること。</p>



<p>また、自身の農園を観光農園に近づけたいという思いもあるという。既に2022年（令和4）、人数を限定してブルーベリー摘み取り体験を実施。親子連れなどが参加し、とても評判が良かったそうだ。</p>



<p>今後、例えば石岡さんが出荷しているホテルや旅館の宿泊客を対象にした体験の組み立てなども視野に入れていると語る。<br>山形県産の「雪国レモン」。完熟させたことによる甘みと強すぎないさわやかな酸味、そして少し歯ごたえのある皮は、丸かじりするために作られたレモンだといっても過言ではないかもしれない。雪国山形の自然が詰まった甘酸っぱいレモンを、是非味わってみてはいかが。</p>






<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/51ffcb69bb0dad0604090e5f31447c77-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-48705" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/51ffcb69bb0dad0604090e5f31447c77-1024x683.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/51ffcb69bb0dad0604090e5f31447c77-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/51ffcb69bb0dad0604090e5f31447c77-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/51ffcb69bb0dad0604090e5f31447c77.jpg 1200w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /><figcaption class="wp-element-caption">株式会社ハンドレッドベリーズ　代表 石岡浩明さん</figcaption></figure></div>


<p>2011年（平成23）に脱サラし、故郷の山形にUターンして始めたブルーベリー栽培。あれからもう12年が経ちました。手探りで始めた無農薬の果樹栽培で、当初は「レモンが1個も収穫できなかった」といった苦労もありましたが、畑作りから栽培方法など多くの生産農家の方々や苗木業者等の方々を参考にしながら今日までやってきました。今でも常に試行錯誤の連続ですが、「安心・安全で、もっと美味しいものを提供したい」との思いで日々果樹栽培に取り組んでいます。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/38618/">皮も食べられる完全農薬不使用の雪国レモン。「 ハンドレッドベリーズ」石岡浩明さん</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>世界が認めた自然栽培。山形の自然が育んだ「米の匠 みのりガーデン」の米</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 29 Jul 2023 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[山形県]]></category>
		<category><![CDATA[山形]]></category>
		<category><![CDATA[自然栽培]]></category>
		<category><![CDATA[米]]></category>
		<category><![CDATA[米農家]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/top-6-2-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>山形県新庄市の「米の匠みのりガーデン」は、農薬や肥料を使わない「自然栽培」で米を育てる農家です。そのフィールドは、さまざまな動植物が棲む自然豊かな山間地。かわいい我が子を育てるように愛情を込めて稲と向き合い、自然の力を最 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/38013/">世界が認めた自然栽培。山形の自然が育んだ「米の匠 みのりガーデン」の米</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/top-6-2-1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p class="has-text-align-center"><strong>山形県新庄市の「米の匠みのりガーデン」は、農薬や肥料を使わない「自然栽培」で米を育てる農家です。<br>そのフィールドは、さまざまな動植物が棲む自然豊かな山間地。かわいい我が子を育てるように<br>愛情を込めて稲と向き合い、自然の力を最大限に引き出しながらおいしい米を作っています。<br>にほんものストアの商品は全て【受賞ほ場限定】の希少なお米です</strong>。</p>



<p>2022年、「米・食味分析鑑定コンクール国際大会」「お米日本一コンテストinしずおか」といった国内最大級の米のコンクールで立て続けに金賞を受賞した「米の匠 みのりガーデン」。自然に恵まれた山形県新庄市の山間地にある水田を舞台に、農薬や化学肥料、有機肥料を使わない“自然栽培”で、世界が認めるおいしい米を育てている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自然環境に恵まれ、米作りに最適な山形県新庄市</h2>



<p>山形県新庄市は県の北東部に位置し、月山や神室山などの山々に囲まれた日本屈指の豪雪地帯。山から流れる<strong>雪解け水にはミネラルが豊富</strong>に含まれており、昔から<strong>おいしい米ができる土地</strong>として知られている。稲に実が入る登熟期に朝晩の寒暖差が激しくなる気候は稲にとって好条件で、<strong>日中に太陽の光を浴びて旨味成分を作り</strong>、冷え込む夜間から朝方に旨味を閉じ込める。</p>



<p>五十嵐家は新庄市の標高150メートルの山間部を中心に約15ヘクタールの水田を所有する<strong>米農家</strong>。<strong>江戸寛政の頃より代々米作りを生業とし、</strong>現在は8代目にあたる五十嵐成生さんを中心に家族で協力し農業に励んでいる。</p>







<h3 class="wp-block-heading">米のおいしさに惚れ込み、一念発起して農家に</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230211-1-007-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38024" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230211-1-007-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230211-1-007-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230211-1-007-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230211-1-007.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></div>


<p>成生さんは秋田県の大曲市(現・大仙市)出身だが、大学進学を機に山形県に移住。卒業後、塾講師をしていた時に妻の恵利子さんと出会い、婿に入った。</p>



<p>成生さんは農家ではなかったものの、実家が仕出し料理屋を営んでいたため、おいしい米は食べ慣れていた。しかし、初めて五十嵐家の米を食べた際、<strong>そのおいしさに衝撃を受けた</strong>という。「後継者がいないので、私の代で離農しようと思っている」という義父の言葉を聞き、成生さんは「こんなにおいしい米が作れるのに辞めるなんてもったいない。自分が継いで、この米のおいしさを次世代に残していこう」と決意し、就農。8代目となり、農業ライフをスタートさせた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">人間の自然なサイクルで生きる幸せ</h3>



<p>五十嵐家の稲作スタイルは、代々農薬や化学肥料を使用する慣行栽培。農業未経験だった成生さんは、義父から教わりながら農機具の使い方や作業の仕方などを1年かけてゼロから学んだ。機械の運転が好きなこと、自分次第で自由な時間がとれること、自分で勉強しながら改良していけることなど、成生さんの性格にフィットすることが多く、農業こそ天職だと感じたという。フィールドである山間部の田んぼにいれば動物の声が聞こえ、風が通れば<strong>四季の移り変わりを肌で感じる</strong>ことができる。早朝5時前に起きて作業をはじめ、日暮れとともに作業を終える。そんな<strong>自然のサイクルで生きている感覚</strong>が成生さんにとって新鮮で幸福な時間だった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自らの手で販路を切り拓く</h2>



<p>とはいえ、幸せなことばかりではない。成生さんは五十嵐家を継いで、初めてひっ迫した経営状況を知る。代々続いているし、順調だと思っていた経営だが実際はカツカツで、早急に改善が必要な状況だった。</p>



<p>「もっと収益を上げなければ生活すらできなくなってしまう。それなら、販売を業者に頼るのではなく、自分たちで販路を開拓していったら良い」と考え、まず手始めに地域で行われていたマルシェに参加。このとき、<strong>来場者がどんな商品を売っているのかがわかるように「米の匠 みのりガーデン」という屋号をつけ</strong>、自分たちの手で直接、米を販売をした。その結果、おいしいと評判で売れ行きは好調。<strong>消費者の声も直に聞くことができ</strong>、独自の販路開拓に大きな手応えを感じた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「幼い子どもに食べさせたい」そんな気持ちで始めた自然栽培</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" width="1024" height="769" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/f470ecac932000fe5a8dfd123084d891-1024x769.jpg" alt="" class="wp-image-38027" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/f470ecac932000fe5a8dfd123084d891-1024x769.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/f470ecac932000fe5a8dfd123084d891-300x225.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/f470ecac932000fe5a8dfd123084d891-768x577.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/f470ecac932000fe5a8dfd123084d891.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></div>


<p>塾講師をしていただけあって勉強熱心な成生さんは、農業に関するさまざまな勉強会に参加。学びを深めるとともにほかの農家との繋がりを広げていった。そんな中、大きなターニングポイントが訪れる。<strong>自然栽培を行っている農家との出会い</strong>だ。</p>



<p>五十嵐さん夫妻はその当時、子育てをしていたこともあり、<strong>なるべく安心で安全な食べ物を子どもに食べさせたい</strong>と考えていた。そのため、農薬を使用せず、作る側の健康にもつながる自然栽培は、<strong>消費者と農家、双方のためになる最善の栽培方法に思えたのだ。</strong></p>



<p>一般的には米の食味向上や病気予防のために、農薬や肥料を使用する慣行栽培が普及しているが、自然栽培ではそれらを加えずに<strong>自然の力だけで作物を育てる</strong>。言うは易しだが、良い米作りのために開発された農薬や肥料をあえて使用せずに米を作ることは決して簡単なことではなかった。</p>



<p>もちろん、いきなりすべてを自然栽培にするわけにはいかないから、テニスコート5面ほどの広さである１０アール程度の小さい田んぼで山形県産品種「はえぬき」の自然栽培に挑戦。しかし、元々背丈が低い性質のはえぬきは自然栽培では丈が伸びきらず、コンバインで刈り取る際に穂が落ちてしまい、収穫すらできなかったという。そこで、翌年は背丈があり食味も良いコシヒカリで再チャレンジをした。</p>



<h3 class="wp-block-heading">大変な除草作業にも丁寧に向き合う</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" width="1024" height="576" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/184e1fbbe38c6fb97ef918a7cd7090a8-1024x576.jpg" alt="" class="wp-image-38028" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/184e1fbbe38c6fb97ef918a7cd7090a8-1024x576.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/184e1fbbe38c6fb97ef918a7cd7090a8-300x169.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/184e1fbbe38c6fb97ef918a7cd7090a8-768x432.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/184e1fbbe38c6fb97ef918a7cd7090a8.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></div>


<p>手押し除草機を使い、田んぼの隅々まで丁寧に除草している</p>



<p>しかし、成生さんたちがはじめた自然栽培では除草剤を使用しないため、みるみる生い茂る雑草をどうやって取り除くかが大きな課題となる。</p>



<p>義父は、方針に対してとやかく言わず自由にさせてくれる人だったから、自然栽培をはじめたことは事後報告で良いと思っていたが、草が生い茂る水田を見た際には、さすがの義父もショックを受けていたという。それでも自然栽培を続けたいという想いを汲んでくれた義父の期待に応えるよう、五十嵐さん夫妻は精一杯の努力をした。例えば、稲の根は傷めないように<strong>手押し除草機で除草</strong>する。<strong>土に酸素を行きわたらせるよう</strong>足を踏み入れてかき混ぜながら作業する大変な仕事。最初は10アールからはじめた自然農法の水田も、技術の向上とともに徐々に水田面積を広げ、現在は東京ドーム4分の1ほどの広さである1.2ヘクタールにまで拡大した。しかし、その広さともなると1回の除草作業で24〜36時間かかる。それを1シーズンで3回行い、さらに残った草は手で1本1本摘み取る。暑さや寒さから稲を守るため、<strong>水量の細かな管理</strong>も必要となるから、慣行栽培に比べたら、作業は圧倒的にハードだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">全国規模のコンクールへの挑戦</h2>



<p>こうして、粛々と自然栽培を続けてきたみのりガーデンに好機が訪れる。「米・食味鑑定士協会」の会長が新庄市に講演に訪れたのだ。その際、みのりガーデンの作った「<strong>自然栽培コシヒカリ」</strong>の食味値を計測。一般的に食味値が70以上で十分においしい米といわれているが、なんと、<strong>みのりガーデンの米の食味値は85以上</strong>。すぐさま、同協会が主催する<strong>「米・食味分析鑑定コンクール 国際大会」</strong>への出品を勧められた。早速、慣行栽培の米と自然栽培米の両方を出品したところ、<strong>自然栽培の米の数値が圧倒的に高く</strong>、ふたりは自然栽培の大きな可能性を感じたという。最初の年は一次審査すら通過できなかったのだが、それから毎年高品質の米を生産できるよう研鑽を重ねていき、その結果、<strong>みのりガーデンの自然栽培コシヒカリの食味値は90を超えるまでになった。</strong></p>



<h3 class="wp-block-heading">10年目にして3品種で金賞を受賞</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230211-1-012-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-38029" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230211-1-012-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230211-1-012-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230211-1-012-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230211-1-012.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure></div>


<p>そして、自然栽培をはじめて10年目、ついに「米･食味分析鑑定コンクール 国際大会」で金賞を受賞した。その後は、周りの人たちの勧めもあり、<strong>「お米日本一コンテストinしずおか」</strong>へ出品。<strong>つや姫、コシヒカリ、ゆうだい21の3品種が金賞を受賞</strong>した。また、金賞の中でもひと握りしか認定されないという<strong>「東洋ライスの世界最高米の原料米」</strong>にも認定され、これをきっかけに全国的に知られる米農家となっていく。</p>



<h3 class="wp-block-heading">農業を志す若者を増やしたい</h3>



<p>炊きあがりのつやや香り、味が良いみのりガーデンの米は、食べる人を笑顔にするパワーがある。それは、成生さんのたゆまぬ努力の結果だ。全国の自然栽培農家と情報交換して技術を磨き、丁寧な除草作業や自家採種といった地道な作業を続けることで年々おいしさが増している。それが食味という数値になって表れ、素晴らしい賞に結びついたのだ。成生さんの次なる目標は、「『米・食味分析鑑定コンクール　国際大会』でダイヤモンド褒章を受賞すること」。ダイヤモンド褒章は、このコンクールで５回以上金賞を受賞し、かつ３回連続総合部門金賞を受賞した生産者に贈られる<strong>「最高峰の米作りの匠」</strong>の証だ。「この賞を受賞することで、農業という仕事に憧れ、農家を志す若者が増えたら。農業の魅力を自分の後ろ姿で伝えていきたい」と話す成生さん。今後ますます栽培技術を向上させ、農業界の未来を明るく照らしていく。</p>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/fb1b25aa0a9aeadf03e4010ee2a19dff-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-48408" style="width:825px;height:550px" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/fb1b25aa0a9aeadf03e4010ee2a19dff-1024x683.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/fb1b25aa0a9aeadf03e4010ee2a19dff-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/fb1b25aa0a9aeadf03e4010ee2a19dff-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/fb1b25aa0a9aeadf03e4010ee2a19dff.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /><figcaption class="wp-element-caption">米の匠みのりガーデン　代表 五十嵐 成生さん</figcaption></figure></div>


<p>花火の町、秋田県大曲市(現・大仙市)出身で大学進学を機に山形へ。縁あって米農家に婿入りしました。実家では両親が仕出し屋をしており、普段からおいしいご飯を食べていました。しかし、五十嵐家のご飯を初めて食べた時、そのおいしさにものすごく感動し、「自分も人を感動させられるようなお米を作りたい！」と強く思い八代目になりました。私にとって、農業は子育てのようです。毎日田んぼに通い、稲の表情を観察していますが、稲が気持ちよさそうに育っていると幸せを感じます。農薬も肥料も使わず、自然の中ですくすくと育った我が子のようなお米をぜひ皆さまに味わっていただきたいです。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/38013/">世界が認めた自然栽培。山形の自然が育んだ「米の匠 みのりガーデン」の米</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>土地の歴史や個性を味へと昇華する東北最古のワイナリー「有限会社酒井ワイナリー」/山形県南陽市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 25 Jul 2023 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/top-4.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>ワインの製造で100年以上の歴史を持つ「有限会社酒井ワイナリー」。明治期に南陽市赤湯の地でぶどう畑を開墾し醸造を始めて以来、ろ過機を使わないノンフィルター製法や、この土地に存在する自然酵母や微生物を利用した昔ながらのワイ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/top-4.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>ワインの製造で100年以上の歴史を持つ「有限会社酒井ワイナリー」。明治期に南陽市赤湯の地でぶどう畑を開墾し醸造を始めて以来、ろ過機を使わないノンフィルター製法や、この土地に存在する自然酵母や微生物を利用した昔ながらのワインづくりをする傍ら、複数種のワインをブレンドした「まぜこぜワイン」など、斬新な取り組みも行っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">酒井ワイナリーのあゆみ</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="681" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-001-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-37962" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-001-1024x681.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-001-300x199.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-001-768x511.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-001.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>山形県南東部に位置する南陽市は、盆地特有の昼夜の寒暖差や丘陵地の水はけのよさなどから江戸の頃よりぶどう栽培が行われ、特に南陽市赤湯産のデラウェア品種は糖度日本一と言われるほど、品質の良いぶどうが育つことでも知られる。また、赤湯は開湯930年以上の歴史を持つ温泉地としても有名。平安時代後期から現在に至るまで、訪れる多くの人を癒している。<br></p>



<p>そんな南陽市は、小規模なワイナリーが集うワインの生産地でもある。じつに、<strong>山形県内に18か所あるワイナリーのうち6つが南陽市に存在しており、</strong>その中のひとつ、醸造所とショップを併設する<strong>「有限会社酒井ワイナリー」</strong>は100年以上の歴史を持つ老舗のワイナリーだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">すべてはぶどう畑の開墾から始まった</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="681" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-037-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-37963" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-037-1024x681.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-037-300x199.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-037-768x511.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-037.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>1892年に創業し、<strong>東北最古のワイナリーでもある酒井ワイナリー</strong>。代々酒井家が営んできた醸造会社であるが、ワイン製造のきっかけとなったのは創業以前の1887年。山形県の初代県令が果樹栽培を推進したことにより、酒井家十六代目当主であった酒井弥惣（やそう）氏がぶどう畑を開墾したことに始まる。</p>



<p>ぶどう栽培を始めたころの酒井家は温泉旅館業も営んでおり、宿泊業のかたわら5年の月日をかけてぶどうを育て、1892年からはワインの醸造を開始した。当初は観光客向けの商品が主で、 甘口のポートワインでないと売れなかったという。また、終戦後は日本酒が好んで飲まれ、ワインの販売数は伸び悩んだ。しかしワイナリーの四代目であった酒井又平氏の頃、食卓への洋食の浸透や、いわゆる「イタメシブーム」も手伝って、ついにワインが脚光を浴びることとなる。そして2004年、酒井家二十代目当主であり、現在酒井ワイナリーの代表をつとめる酒井一平さんが東京農業大学で醸造学を修め、山形にUターンをしたタイミングで代替わりをした。</p>



<p>「以前は個人向け販売が9割を占めていたが、現在は個人が3割で酒販店や飲食店が7割。また最近の傾向としてはは輸出が増え、東南アジアや、アメリカ、スウェーデンなどでも流通している」と酒井さん。そんなところからもワインに対する時代の変化を感じ取っているという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">土地に合った自然農法</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="681" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-017-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-37966" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-017-1024x681.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-017-300x199.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-017-768x511.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-017.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>酒井ワイナリーの自社畑は、現在では赤湯の地に15か所ほど。一番近いもので、ワイナリーから車で5分程度のところにあるという。しかし、酒井さんがUターンをした2004年当時は1か所のみ。それも、立つことが困難なほどの急斜面にあったこともあり、耕作放棄地になっていたのだとか。赤湯のぶどう畑は他も似たような地形のため、<strong>少子高齢化によって畑の維持が困難となり、同じように耕作放棄された土地も出てきていた。</strong></p>



<p>そのような土地を買い取り、自社畑を増やしていった酒井ワイナリーは、今ではさまざまな品種を栽培している。そのラインナップは甲州、デラウェア、メルロー、カベルネ・ソーヴィニヨン、シャルドネ、マルベックなど、昔からある品種から近代になって開発された品種まで幅広い。その理由は、気候変動に耐えられるぶどうを目指して色々な種類を取り入れているから。というのも、近年、山形県では酷暑と言えるほど夏場の気温が上がっており、収穫時期が早まる、畑によってはぶどうの病気が蔓延し全く収穫できないことがあるなど、深刻な問題が出てきているから。</p>



<p>「気候が変われば植生が変わるのは当たり前。気候変動を受け入れたうえで、個性的といえるワインをつくりたい」と、酒井さん。</p>



<p>そんな酒井ワイナリーのユニークな試みは、<strong>現代の技術を以て100年前の農家のやり方を再現すること</strong>。そのひとつが、<strong>自社畑にいる羊</strong>だという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">自社畑に拡がる小さな生態系</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="681" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-026-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-37969" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-026-1024x681.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-026-300x199.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-026-768x511.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-026.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>2004年に酒井ワイナリーの代表に就いた後、2007年頃から様々な勉強会に出席。それまで自社で使っていた<strong>化学系殺虫剤の使用をやめ、無農薬栽培に切り替えた</strong>。それは、ぶどうが無理せずその土地で生き、無理せずにワインになるという流れを作るため。その一環としてさらに取り入れたのが羊だという。</p>



<p>羊の役割は、<strong>除草と堆肥</strong>。急斜面の自社畑には機械が入れないため、草や絞ったぶどうの滓を食む羊が除草の役割を担っている。加えて、雪解け水が土の中の栄養を流してしまう丘陵地の難点を、羊のフンが堆肥となることで補っている。</p>



<p>雑草やワイナリーから出たぶどうの搾りかすを食べた羊が排出するフンが畑に栄養を与え、ぶどうが育つ。それはまさに、<strong>ぶどう畑とワイナリーをスムーズに結びつける小さな生態サイクル</strong>だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">無濾過へのこだわり</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="681" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-028-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-37972" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-028-1024x681.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-028-300x199.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-028-768x511.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-028.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>羊以外にも、酒井ワイナリーがこだわっていることがある。それが、<strong>土地に根差した昔ながらの製法を続けている</strong>ということ。<br></p>



<p>例えば道具。赤湯の栗の木で作られた「かい入れ棒」や木製の樽は、昔のものをそのまま使っているという。ずっと使い続けることでその蔵の酵母がつき、ワインに個性を与えるのだとか。また、琺瑯（ほうろう）製のタンクも、味に深みが出るため70年ほど使い続けているそうだ。</p>



<p>また、創業当時から続けているのが<strong>ノンフィルター製法</strong>。フィルター機材を使わず、ワインの澱（おり）が自然にタンク内で沈殿するのを待ち、その後上澄みをすくってさらに沈殿を待つ。これを繰り返し、最後は澱とともに日本酒の一升瓶を使って熟成させる。「タンクで貯蔵するより、一升瓶の方が底面積が広くなるため、澱とワインが触れやすくなる」のが、一升瓶を使う理由だそう。非常に手間がかかるが、澱は発酵を終えた酵母。澱が作り出す旨味はその土地の個性をワインに与えるため、酒井ワイナリーではこの製法をずっと続けている。</p>



<p>加えて、<strong>3年ほど前からは完全に野生酵母だけを使って醸造をしている</strong>という。野生酵母とは、ブドウの皮などに元々付着している自然のもの。いわば、その土地に根差した酵母だ。戦後から酒井さんの父である先代までは乾燥酵母がなかったため、必然的に野生酵母を使ったワインづくりを行っていたものの、酒井さんに代替わりした頃は世の中に普及していた乾燥酵母を使って仕込んでいた。しかし10年以上前、ちょうど無農薬栽培に切り替えた頃と時を同じくして再度野生酵母に戻す取り組みを開始。今では、ワイン造りの原点ともいえる野生酵母のみを使った醸造を行っている。</p>



<p>最新の技術はもちろん優れているが、それだけでは個性が生まれない。昔は自然任せだった手法を現代の技術で再現できるようになったため、それを利用することで良い意味で隙のある、<strong>赤湯という土地ならではの文化や個性がワインに反映される</strong>ようになったという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">赤湯の魅力が詰まった銘柄</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="681" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-004-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-37975" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-004-1024x681.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-004-300x199.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-004-768x511.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-004.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>様々な品種のぶどうを栽培する酒井ワイナリーは、醸造するワインも多岐にわたる。また、その名称も興味深い。「バーダップワイン（BIRD UP）」は、ワイナリー創業者の酒井弥惣がぶどうを植えた「鳥上坂（とりあげざか）」の地名を英語に訳したもの。「雨狸（あめだぬき）」は「雨霊沢（うるいざわ）」と「狸沢（むじなざわ）」にある自社畑でとれたぶどうを使っていることから名づけられた。土地の名前がついているのは、<strong>どの畑でとれたぶどうを使ったワインなのかという特徴がわかるように</strong>、との思いからだという。</p>



<p>多くの銘柄がある中で最初の1本におすすめと酒井さんが薦めるのは、<strong>「小姫（こひめ）」</strong>。可愛らしいその名前は、地元の農家が使っていたデラウェアの呼称。かつてデラウェアを使ったワインが人気となり農家が潤ったため、姫という呼び名を付けて親しんだのだとか。</p>



<p>また、名前もさることながら製法もユニークなのが「まぜこぜワイン」。品種も収穫年もコントロールせずに樽に入れて熟成させたワインだ。どの品種が何パーセント含まれているかがわからないため、逆に土地が持つ香りが強く出るのだとか。</p>



<p>さらに、赤・白・ロゼに続く4番目のカテゴリーとして近年認知度が高まっているオレンジワインにも挑戦。日本人の口に合い手に入りやすいものの、山形では100年以上甘口ワインでしか使われていなかったデラウェアを用い、辛口に仕上げた。白ワインを赤ワインの製法で作るというオレンジワインには、今までの白ワインでは引き出せなかった魅力があり、これから進化する可能性を感じていると酒井さんは語る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ゆるがない存在を目指して</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="681" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-008-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-37978" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-008-1024x681.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-008-300x199.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-008-768x511.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/07/20230207-3-008.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>赤湯の地で、100年以上にわたってワイン製造に代々従事してきた酒井家。今後目指すのは、<strong>「揺るがない存在になること」</strong>だそう。</p>



<p>自分たちの生きる土地にしがみつき、畑や周辺環境を俯瞰してぶどうの力を借り、ワインを作る。この土地でやり続けることに意味があるため、他の人と比較しても仕方がないと酒井さんは考えている。実際のところ、100年以上続く酒井ワイナリーは、世界大戦すら乗り越えた。そのように、<strong>外の事象に影響されないワイナリーでありたい</strong>という。</p>



<p>個人的には、今やっとスタート地点に立ったと感じているという酒井さん。気候変動という新たな問題への対策、羊以外にもこの地に昔からいたであろう動物を畑で飼うなど、やるべきこと、やりたいことは多くある。そんな中でも、<strong>「これが酒井ワイナリーのワインだ」</strong>という確信は既に持っていると語る。</p>



<p>昔ながらの製法を守りつつ新しい挑戦を続けていく酒井ワイナリーから、目が離せない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/37958/">土地の歴史や個性を味へと昇華する東北最古のワイナリー「有限会社酒井ワイナリー」/山形県南陽市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>雪の重みに耐えて甘みを増す山形県の伝統野菜「山形赤根ほうれんそう」柴田吉昭さん/山形県山形市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 14 Jun 2023 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/top.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>近年、山形県内のメディアでも目にする機会が増えた「山形赤根ほうれんそう」。在来種として根付き、冬の積雪にも負けないこのほうれん草は、えぐみがなく甘みが強いというのが特長。そんな県産伝統野菜のひとつである「山形赤根ほうれん [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/top.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>近年、山形県内のメディアでも目にする機会が増えた「山形赤根ほうれんそう」。在来種として根付き、冬の積雪にも負けないこのほうれん草は、えぐみがなく甘みが強いというのが特長。そんな県産伝統野菜のひとつである「山形赤根ほうれんそう」の生産者である柴田吉昭さんを訪ねた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">この地で生きられるように“進化”した、ほうれん草</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="681" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-003-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-37317" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-003-1024x681.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-003-300x199.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-003-768x511.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-003.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>山形市中心部から車で20分程の場所にある風間地区。ここで、親子3代にわたって赤根ほうれん草を栽培しているのが、柴田吉昭さんだ。</p>



<p>今でこそ山形県の伝統野菜として知名度を上げている赤根ほうれん草だが、柴田さんが農業を営む風間地区では、ほうれん草といえば以前から根が赤いものだったという。柴田さんの祖父が物心ついた頃には既にあったらしく、<strong>100年以上はこの地に根付いているのでは</strong>と柴田さんは言う。</p>



<p>赤根ほうれん草の外見的な特徴は、何よりまず、目を惹く赤い根とそのサイズだ。スーパーなどで日常的に見かける品種よりひと回りもふた回りも大きく、<strong>一株で300g近く</strong>に育つこともあるという。そして70cm近い根としなやかな茎は、赤根ほうれん草の育ち方に関係している。と、いうのも地中にしっかりと根を張り、50cmほどの積雪の重みに折れることなく育つため、茎の柔軟性が非常に高いのだとか。<br><br>もうひとつの大きな特徴である味について、「<strong>赤根ほうれん草が甘いのは、雪の影響</strong>だと思う」と柴田さんは言う。<br></p>



<h3 class="wp-block-heading">フルーツに肩を並べる糖度</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="681" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-024-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-37321" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-024-1024x681.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-024-300x199.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-024-768x511.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-024.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>赤根ほうれん草の茎部分は、非常に甘みがあることで知られている。<strong>糖度計で調べてみるとおよそ18度。メロンやシャインマスカットに匹敵する高さ</strong>だという。<br></p>



<p>もちろん果物のように特化した甘さがあるわけではないが、ひと口味わってみれば、口内に拡がる甘み、そしてえぐみの無さに驚くに違いない。ここまで糖度が高くなるのは、冬の間に凍ることを防ぐため、デンプン質を糖に変えるからだという。</p>



<p>やはり<strong>残るには理由がある</strong>。この地で生きていくように進化してきたのだろう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">露地とハウスと意地</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="681" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-025-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-37322" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-025-1024x681.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-025-300x199.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-025-768x511.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-025.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>赤根ほうれん草は、マスコミで注目されるようになってから生産者が増えたという。しかし、手間暇をかけて雪の中で栽培をしない限り、甘くはならない。また、病気や地下水にも弱く、収穫間近で雨が数日降れば黄色に変色して出荷できなくなる。そもそも量を採ることが難しいなど、非常に扱いづらい品種なのだ。</p>



<p>それなのに何故、柴田さんは赤根ほうれん草の栽培を続けるのだろうか。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「風間の赤根っ子」の変わらぬ畑</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="681" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-010-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-37323" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-010-1024x681.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-010-300x199.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-010-768x511.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-010.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>地元のほうれん草といえば赤い根のものだった時代、風間地区で栽培されていたほうれん草は<strong>「風間の赤根っ子」</strong>と呼ばれ、人々に親しまれていた。それが時代を経て、収穫量が多い西洋種のほうれん草が日本の食卓のスタンダードとなり、赤根ほうれん草のような作りづらい日本在来種ともいわれる東洋種は次第に姿を潜めていった。<br></p>



<p>風間地区でも現在、赤根ほうれん草を栽培している農家は10軒あるかないか。その中で柴田さんは、露地栽培とハウス栽培の両方を続けている。</p>



<p>11月から2月に旬を迎える赤根ほうれん草だが、露地物の収穫が終わるのは1月半ば。雪がとけ始めて水たまりになると傷んでしまうため、1月半ば以降はハウス物が主流になるという。ハウスで栽培する赤根ほうれん草にあえて雪をかぶせることはしないものの、内部は土が凍り、茎がくたっとなるほど気温が下がるのだとか。また、露地とは環境が異なることから、根が甘くならないというトラブルに見舞われたこともあるという。露地では雪に、ハウスでは凍り付くような気温に耐えながら栽培し収穫をするのだから、並大抵の手間ではない。しかも、扱いづらい品種ときている。それでも生産を続けている理由は、もはや<strong>意地でしかない</strong>と柴田さんは言う。</p>



<p>「祖父の代から100年以上続く畑は、祖父の代そのまま。当時も今も、ここでとれる赤根ほうれん草を待っていてくれる人がいる。それならば作らないと、という意地がある。<strong>伝統野菜栽培は意地でもないとできないよ</strong>」。</p>



<p>まだハウスが無かった昭和50年代。周囲の農家は冬期間の出稼ぎで家を留守にしていたが、柴田さんの家では必要なかったという。それは、冬の間でも赤根ほうれん草の収穫ができたから。家族の歴史を支えてきた赤根ほうれん草を絶やしたくないという想いが、モチベーションにも繋がっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">望むのは「美味しく食べてもらう」こと</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="681" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-016-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-37326" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-016-1024x681.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-016-300x199.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-016-768x511.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-016.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>赤根ほうれん草は、<strong>収穫したてが一番甘い</strong>という。<br></p>



<p>生食用に栽培されたものでない限り茹でるイメージがあるものの、赤根ほうれん草は生のままでも食べられるという。特に茎の赤い部分の甘みは採れたてのみずみずしさと相まって、果物のようにも感じられる。かつて、イタリア料理店「アル・ケッチァーノ」の奥田政行シェフが柴田さんの畑に来た時は、挨拶もそこそこに、収穫したてのほうれん草を生のまま味見したのだとか。</p>



<p>「おいしいと食べてもらえるのは、やはり嬉しい。消費者にはおいしく食べてもらいたいから」と思うものの、生産量を増やし全国に流通させるのは難しいという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">伝統野菜と大量生産の相性</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="681" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-020-1-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-37330" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-020-1-1024x681.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-020-1-300x199.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-020-1-768x511.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-020-1.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>手間がかかり、種も自分たちで自家栽培をしていかないとならず、ひとつの種から採れるのは1束のみという赤根ほうれん草。量産するのは至難の業だが、そのおいしさに目を付けた大手スーパーマーケットチェーンから声がかかったことがあるという。<br></p>



<p>流通に乗れば日本全国に赤根ほうれん草を届けられるという話だったが、「年間20リットル収穫するのも大変なのに、2000リットルくれと言われたのだからとうてい無理だった」とのことで実現せず。</p>



<p>全国に届けられるほどの量を生産するには柴田さんだけでは無理だが、周りの農家も一緒なら可能なのでは、とも考えた。とはいえ、皆が同じ大きさや太さのほうれん草を栽培しないと出荷時のロットとしてまとまらず流通に乗せられない、という問題もある。また赤根ほうれん草の場合は通常のほうれん草よりもかさがあるため、重量はないものの場所をとるという点で輸送コストも一般的なものより余計にかかるという。栽培が難しい伝統野菜ではそのような大量生産の体制をとるのは現実的でないということが、今だに県内の流通程度に留めている理由だという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">シンプルな調理が味を引き立てるほうれん草の「おひたし」</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="681" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-030-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-37333" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-030-1024x681.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-030-300x199.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-030-768x511.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-030.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>そんな赤根ほうれん草のおいしい食べ方を柴田さんに聞いてみたところ、「レシピとはいえないが、<strong>シンプルにおひたしが抜群においしい</strong>」という。<br></p>



<p>さっと茹でただけのほうれん草に、かつお節と醤油を少々。余計なものは加えない昔ながらの調理法により、ほうれん草自体がもつ香りを強く感じることができる。また、調理しても赤みの残る茎部分の甘みが醤油の塩味により引き出され、なるほど通常のほうれん草とは全く違うと納得せざるをえない。口の中にえぐみを感じることもなく、大皿一杯あっても食べられそうなほど軽やかな味わいだった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">続けてきたからこそ見えるもの</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="681" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-031-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-37336" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-031-1024x681.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-031-300x199.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-031-768x511.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/06/20230207-2-031.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>意地で露地栽培とハウス栽培の両方を続けている柴田さんは、赤根ほうれん草の栽培を<strong>「あと20年はやり続ける、やれるのではないかと思っている」</strong>と語る。</p>



<p>伝統野菜を守るというのは簡単なことではない。種も自分たちで採り、収穫するまでに多大な努力を要するため、採算はあまり考えていないのだとか。しかし、この地域に昔から存在し、あれこれ無理をしないでも残るのが伝統野菜であり、残るには残るなりの理由があるのではとも言う。</p>



<p>ただ、今では赤根ほうれん草栽培のみで生計を立てていくのはなかなか難しい。特に農家の場合は気候変動や市場の値付けに影響され、資材費が上がったのに値段に反映されないという類の苦難も抱えている。柴田さんは「親がやってきたから」と農家を継いでいるが、現に柴田さんのお子さんは勤めに出ている。</p>



<p>「だから、意地でもないと伝統野菜づくりはできない」と柴田さん。ただ、そんな親の背中を見ているからか、勉強していずれは赤根ほうれん草づくりに関わりたい、と柴田さんのお子さんは考えているようだ。</p>



<p>そして柴田さん自身はというと、今の生活に充足感があるという。</p>



<p>それこそ赤根ほうれん草と向き合い、今日も1日無事に終わったと思って眠りにつく。そんな日々を繰り返すのが理想的で、それが実際にできているからだ。</p>



<p>「ただ、<strong>ひとつのことをずっと続けてきた</strong>からこそ、山形赤根ほうれん草が注目されたり、取材という形を通して色々なひとと会う機会を持てたりというのは、<strong>昔の自分から見たら夢のようだ</strong>」と柴田さんは語った。</p>



<p><br><br>まだこれから20年は続けるという柴田さん。風間の地で根付いた赤根ほうれん草という伝統は、柴田さんから次の代へ、そしてその先へと、脈々と繋がれていくことだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/37310/">雪の重みに耐えて甘みを増す山形県の伝統野菜「山形赤根ほうれんそう」柴田吉昭さん/山形県山形市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<item>
		<title>安心安全で、持続可能で揺るがない産業を目指す「舟形マッシュルーム」/山形県最上郡</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/37252/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 30 May 2023 01:00:51 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/6cb9935110a556481edaf4df03f82acd.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>山形県舟形町で生産される「舟形マッシュルーム」。無農薬で栽培され、生でも食べられる安心･安全な食材として、近年その人気と知名度は全国区になりつつある。最上地方の美しい自然の中で舟形マッシュルームの生産販売と加工販売を行う [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/37252/">安心安全で、持続可能で揺るがない産業を目指す「舟形マッシュルーム」/山形県最上郡</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/6cb9935110a556481edaf4df03f82acd.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>山形県舟形町で生産される「舟形マッシュルーム」。無農薬で栽培され、生でも食べられる安心･安全な食材として、近年その人気と知名度は全国区になりつつある。最上地方の美しい自然の中で舟形マッシュルームの生産販売と加工販売を行う「有限会社舟形マッシュルーム」を訪ねた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">冬季間の出稼ぎ替わりに始まったマッシュルーム栽培</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-037-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37258" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-037-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-037-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-037-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-037.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>山形県北東部の最上地方南部に位置する舟形町。町の中央を流れる最上小国川の清流で育った香り高い鮎や、国宝「縄文の女神」の発掘場所としても知られている。豊かな自然に囲まれた人口およそ5,100人のこの場所で近年注目を浴びている農産物が<strong>「舟形マッシュルーム」</strong>。</p>



<p>2018年には<strong>マッシュルーム業界では初めて有機JAS認証を取得</strong>し、県内のみならず首都圏の飲食店などにも流通する「舟形マッシュルーム」を生産しているのが「有限会社 舟形マッシュルーム」だ。</p>



<p>現在、専務取締役をつとめる長澤大輔さんは3代目。マッシュルーム栽培を始めたのは長澤さんの祖父だという。元々農業や養蚕などを地元産業としていた舟形町は、積雪が2メートルを超えるほどの豪雪地帯。かつては冬になると農作物が収穫できず収入がなくなってしまうため、東京など大都市に出稼ぎに行くことで生計を立てている人も多かった。そんな中、出稼ぎの替わりにと地域の農家が始めたのがマッシュルーム栽培。稲わらを使って栽培できるというマッシュルームの特性は、米の生産をしていた舟形町にとって、地域の未利用資源を使えるという点で理想的であった。また、県内にはマッシュルームの水煮を取り扱う食品加工会社があり、マッシュルームに関する知見がすでにあったという。そのような事情から、雪や外の寒さの影響を受けずに栽培･収穫ができるマッシュルームは冬場の貴重な収入源になり、長澤さんの祖父も小規模ながら小屋の中で栽培を始めたのだとか。</p>



<p>数あるきのこの中で、なぜマッシュルームだったのか。それは「出会いでしかない」という。人間が快適だと思う温度で育つマッシュルームは、舟形町の冬の気候に合っているとは決していえない。しかし、きれいな地下水や豊富な雪解け水を使えることは、マッシュルーム栽培にとって非常に恵まれている。その後、長澤さんの父の代になり、世間の洋食ブームも相まって通年栽培にシフト。県内の食品加工会社に勤めていた経験やツテを活かし、地元舟形町で事業を拡大させたのだとか。</p>



<p>その後、2001年に法人化。当時は栽培に農薬を使用して水煮に仕上げることが主流であった一般的なマッシュルームとの差別化を図るため無農薬栽培に挑戦し、現在の生産スタイルになったという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">山形へのUターンを経て農場の仕事に</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-008-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37261" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-008-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-008-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-008-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-008.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>「学生の頃はマッシュルームの仕事はやりたくないと思っていた」と、長澤さんは語る。その理由は「世界が狭まると思った」から。</p>



<p>舟形町で生まれ育ち、学校を卒業してそのまま地元で農業に携わって暮らしていくより、もっと広い世界に出たい。そう思った長澤さんは、東京にあるWeb関連会社で3年ほど会社員をしていたという。しかし、いつしか「形ないものを作り続ける」というインターネットの世界よりも、実体のあるものを作っていく仕事に心惹かれるようになり、頭に浮かんだのが家業のマッシュルーム栽培だった。</p>



<p>そして10年前、故郷にUターンして農業に従事するようになったが、意外なほど「世界が狭まる」ことはなかった。栽培指導や技術交換など、海外とのやり取りを行うことも多く、逆に長澤さんの世界は拡がっていった。そんな中、長澤さんにはひとつだけ後悔していることがあるという。</p>



<p>それは、実際にやってみたら<strong>マッシュルーム栽培がとても難しかったこと</strong>だ。</p>



<p>「もっと早くこの仕事に就いていたら、もっと上手にマッシュルームを育てられたかもしれない。」</p>



<p>外に出て世界を広げようとした結果、逆に農業が持つ無限の可能性と向き合う時間が少しだけ遅くなってしまった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">舟形マッシュルームの難しさとユニークさ</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-003-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37264" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-003-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-003-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-003-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-003.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>本社農場の広大な栽培場には奥行きが30メートルほどもある栽培舎が48棟、近くの第2農場には20棟が並び、年中無休で稼働している。創業当時は小屋ひとつからはじまったマッシュルーム作りが、現在ではこれほどまでに拡大。しかし一つひとつのマッシュルームにかける手間は昔と変わらない。</p>



<p>常に摂氏17～18度に保たれた栽培舎の中にはマッシュルームの栽培棚が天井近くまでみっしりと設置され、収穫前のマッシュルームがぽこぽこと顏を出す。栽培棚に敷き詰められた<strong>堆肥も自社農場内で製造されたもの</strong>。馬厩肥やコーヒーの搾りかす、石膏など複数の資材を発酵させたものだという。その上にミズゴケ類やヤナギなどの植物が堆積・腐食した「ピートモス」を置き、その中にマッシュルームの種菌を植えていく。</p>



<p>菌床が入ってからマッシュルームが発生するまでには6週間ほどかかるが、マッシュルームは成長が早く、翌日には倍くらいの大きさになるという。そして収穫までにかかる期間はおよそ3週間。1つの栽培舎は9週間のサイクルで成り立っている。</p>



<p><strong>収穫を終えると部屋ごと蒸気で殺菌を行い、堆肥も全て入れ替えを行う</strong>。非常に手間がかかるが、栽培サイクルが後期になると菌のバランスが崩れ良いマッシュルームが育たなくなるため、周期の終わりには栽培環境を全て変える必要があるのだとか。</p>



<p>「適切な温度管理や菌の状態のチェックにはとても気を遣う」と、長澤さん。また、栽培棚の中できのこ同士の距離が近すぎると形が崩れてしまうことも。都度小さな失敗を重ねながら進んできたが、今も変わらずマッシュルーム栽培の難しさを感じているという。</p>



<p>その中で、長澤さんが心がけていることがある。それは、<strong>「廃棄をしないこと」</strong>だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">不利用素材を使う、捨てない、という選択</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-019-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37267" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-019-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-019-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-019-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-019.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>マッシュルーム栽培を通して、収穫物も資材も「廃棄をしない」ことにこだわる長澤さん。それは、環境や地域社会への配慮だという。他の場所でもう使わなくなった資材を再利用し、自身の農場で使い、使い終わったら再び使ってくれる誰かへ渡すことで<strong>資材の循環を図るという「ゼロエミッション」を経営方針のひとつに掲げている</strong>。</p>



<p>例えば堆肥。稲わらはJRAの厩舎から、コーヒーの搾りかすは長澤さんの父が勤めていた食品加工会社から、石膏は県内の企業からといったように、各所でもう使わなくなった資材を引き取り農場で手を加えて使っている。そして使い終わった堆肥は、地元の農家へと渡る。「稲わらが主な原料なので、畑がふかふかになる」と、評判は上々だ。</p>



<p>また、収穫時にどうしても残ってしまうマッシュルームの柄（え）の部分。味は良いものの堆肥を落とすのが難しく出荷には回せないため、長澤さんが自宅で料理に使うこともあるという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">マッシュルーム産業の栄枯盛衰と復活</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-031-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37270" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-031-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-031-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-031-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-031.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>ここ最近、大都市のホテルやレストランでも舟形マッシュルームが提供されているという。水煮缶ではなく生食可能なフレッシュマッシュルームの需要が伸びているのだとか。それこそ、農薬不使用で安心安全を心掛けてきた舟形マッシュルームのブランディングが実を結んだ結果ではないだろうか。</p>



<p>水煮がメジャーすぎて意外に思うかもしれないが、マッシュルームは生食可能。しかし、今から30～40年前に個人の農家が栽培を行っていた時期は、収穫期間を長くするために農薬を使い、水煮にすることが主流だった。当時は年間2万トンほどあった収穫量だが、農薬法の改正によって韓国や中国に水煮マッシュルームのシェアが奪われるという事態が起き、個人農家だけでなく企業も次々と手を引いていった。そして10年前には年間生産量は5000トンにまで落ち込んだものの、フレッシュマッシュルームの需要などにより今は日本中で年間8000～1万トン生産されるまでに回復した。</p>



<p>「マッシュルーム栽培は一度廃れた産業なので、ここまで復活できてうれしい」と長澤さん。かつては個人でマッシュルーム栽培を行っている農家が舟形町に4軒いたが、皆やめてしまったという。しかし今でも間接的に手を貸してもらっており、そのおかげで<strong>地域でのマッシュルーム生産量はおよそ1500トン。現在では全国シェアの20%程度を占める</strong>までに成長した。</p>



<h3 class="wp-block-heading">生のままサラダでも食べられるレシピ豊富なマッシュルーム</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/IMG_5006-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37273" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/IMG_5006-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/IMG_5006-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/IMG_5006-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/IMG_5006.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>舟形マッシュルームの特徴は、舟形町の清らかな雪解け水が育てた<strong>えぐみのなさ、そして甘みとうまみの強さ</strong>。ホワイトマッシュルームは生のまま食べられるほど優しい甘みと味のバランスに優れ、ブラウンマッシュルームはワイルドな香りとパリッとした食感により煮込み料理に向いているという。また、<strong>「マッシュルームを食卓の主役にしたい」という思いで改良された、時に直径10cmを超える「ジャンボマッシュルーム」</strong>の迫力があり、目を惹く。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-035-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37276" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-035-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-035-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-035-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-035.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>栽培場の一角にある直営レストラン「マッシュルームスタンド舟形」では、これらのマッシュルームを使ったメニューを味わうことも可能だ。中でもピザは、フレッシュマッシュルーム乗せ放題とあって高い人気を誇っている。サクッとした食感と鼻腔に拡がる香りは、「マッシュルームといえば水煮」という概念をひっくり返してくれる。<br></p>



<h2 class="wp-block-heading">マッシュルームづくりを持続可能で強い産業に</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-015-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-37280" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-015-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-015-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-015-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/05/20230208-1-015.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>長澤さんは、「農業は輸出入や流行、資材高騰など様々な要因に影響を受け、安定しないものが多い。だからこそ私たちがマッシュルーム栽培で目指すのは、<strong>どんな地政学的事象が起きても揺るがない強い産業にすること」</strong>と語る。<br></p>



<p>とくに、現在日本中の農家が頭を悩ませている資材の高騰はマッシュルーム栽培にとっても例外ではなく、見直しも検討しているという。そして環境への配慮。使用しているピートモスは、二酸化炭素を排出するとして規制が入り始めた国も出てきているため、代替品を探し始めているのだとか。そのため長澤さんが考えているのは、<strong>地域で出た資材のみを地域で循環させるより強固な仕組み</strong>だ。現在、マッシュルーム栽培には地元以外の資材も使っているが、地域資源だけで成り立たせるというサイクルを実現させることで、<strong>マッシュルーム栽培が地域で完結できる産業となる</strong>。それが目標だ、と長澤さん。</p>



<p>「マッシュルームといえば水煮」というイメージを覆し、食べ方においても様々な提案や新商品の開発をしている舟形マッシュルーム。安心して生食できるオーガニックなマッシュルームが日本全国の食卓に浸透する日も近いのかもしれない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/37252/">安心安全で、持続可能で揺るがない産業を目指す「舟形マッシュルーム」/山形県最上郡</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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