<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>栃木県 - NIHONMONO</title>
	<atom:link href="https://nihonmono.jp/area/tochigi/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://nihonmono.jp</link>
	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
	<lastBuildDate>Thu, 15 Jan 2026 09:11:55 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=6.8.5</generator>

<image>
	<url>https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2021/06/cropped-favicon-32x32.png</url>
	<title>栃木県 - NIHONMONO</title>
	<link>https://nihonmono.jp</link>
	<width>32</width>
	<height>32</height>
</image> 
	<item>
		<title>現代性の中に見出した、原始の美しさ。陶芸家・小野澤弘一さん／栃木県芳賀郡益子町</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/53829/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/53829/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 08 Jan 2026 08:24:27 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[陶胎漆器]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸家]]></category>
		<category><![CDATA[益子町]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=53829</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3615.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「漆塗り」と聞くと、多くの人が木の素材に漆を施したものを思い浮かべるが、陶器や磁器に漆を施す「陶胎漆器（とうたいしっき）」という技法がある。今では珍しくなった技術を活かして作陶を行う陶芸家・小野澤弘一さんの工房が陶芸のま [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53829/">現代性の中に見出した、原始の美しさ。陶芸家・小野澤弘一さん／栃木県芳賀郡益子町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3615.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「漆塗り」と聞くと、多くの人が木の素材に漆を施したものを思い浮かべるが、陶器や磁器に漆を施す「陶胎漆器（とうたいしっき）」という技法がある。今では珍しくなった技術を活かして作陶を行う陶芸家・小野澤弘一さんの工房が陶芸のまち･益子にある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">里山の原風景が残る、陶芸のまち「益子」</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/image-23-1024x683.jpeg" alt="" class="wp-image-53832" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/image-23-1024x683.jpeg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/image-23-300x200.jpeg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/image-23-768x512.jpeg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/image-23.jpeg 1372w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>小野澤さんの工房がある栃木県芳賀郡益子町（ましこまち）。栃木県の南東部に位置する自然豊かなこの町は、「益子焼」の名産地として有名だ。益子焼は江戸時代末期に、笠間で修行した大塚啓三郎が、この土地で良質な陶土を見つけ、窯を開いたことが始まり。</p>



<p>現在益子町には、大小さまざまな窯元が約160、陶器店は50軒あり、毎年5月と11月に開催される「益子陶器市」では地元の作家だけでなく、全国の陶磁器の窯元や、手芸、工芸、アクセサリー作家や飲食店まで多くの人が店を出す。普段は、静かでどこか懐かしい里山の風景を楽しめる町内も、陶器市の開催期間は県内外の車や人でごったがえすほどの賑わいだ。</p>



<p>この陶芸のまち「益子」に、小野澤さんが夫婦で移り住んだのは、2021年のことだった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">縁あって移住した栃木県で、作風のルーツに出会う </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3661.jpg" alt="" class="wp-image-53835" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3661.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3661-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3661-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>小野澤さんの生まれは東京。父が陶器を集めていたこともあり、幼少期から陶芸作品に触れることも多かったという。また、幼いころは粘土をいじったり、絵を描いたりすることも好きで、学生時代には作陶も経験。</p>



<p>心の中ではずっと「陶芸家」という仕事を意識していたそう。大学に入学し、具体的に将来の仕事を考えるようになると「陶芸家になりたい」という気持ちをより強く意識するように。「仕事をするなら、好きなことで頑張ってみよう」という気持ちが固まり、大学卒業後は岐阜県にある「多治見市陶磁器意匠研究所」でやきものに関する技術や知識を学んだ。</p>



<p>卒業後は2年ほどアルバイトをしながら作陶を続けたのち、知人から紹介されて移り住み開窯した場所が、益子から車で１時間ほど北上した場所にある、那珂川町（なかがわまち）の「馬頭（ばとう）」地区だった。</p>



<p>そもそも小野澤さんの作品は「益子焼き」ではない。当時は「関東圏内で、広く家賃の安い物件はないか」と検討していたところ、たまたま縁があったのが馬頭地区の物件だったのである。</p>



<p>しかしこの土地で暮らしたことが、現在の作風を生み出すきっかけにつながった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">縄文土器にも用いられた、<strong>陶胎漆器（とうたいしっき）</strong></h3>



<p>当初小野澤さんが手がける作品は、釉薬をかけず、高温でじっくりと焼く「焼締め」が中心。現在はその焼き締めたあとに、漆を塗って仕上げる「陶胎漆器（とうたいしっき）」という技法を用いた作品を多く生み出している。</p>



<p>当時住んでいた那珂川町の隣には、茨城県大子町（だいごまち）があり、大子町は「大子漆（だいごうるし）」と呼ばれる漆の名産地。茨城県は岩手県に次ぐ国産漆の産地であり、県産漆のほとんどは大子町で作られ、輪島塗などの高級漆器にも使われている。</p>



<p>偶然にも漆を身近に感じることになった小野澤さん。興味が湧いて調べてみると、縄文時代から漆を土器に塗る技法があったと知る。そこで、自分でもやってみようと始めたのが、今の作風のルーツになっているという。</p>



<p>2020年には、東京にもっとアクセスしやすい益子に空き工房を見つけ、2021年に夫婦で引っ越し。そこで日本画家である妻の法子さんと共に、夫婦それぞれが創作活動に励んでいる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">歴史や古いものに惹かれる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3671.jpg" alt="" class="wp-image-53836" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3671.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3671-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3671-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>小野澤さんの作品は、漆だけでなく、漆と共に錫（すず）の粉を施した作品も手がける。「陶胎漆器と言ったほうが分かりやすいので、そのように言いますが、実際はそこにこだわっているわけではありません」。</p>



<p>歴史が好きで、古いものに惹かれるという小野澤さん。特に「弥生土器」が好きで、古代の人が削ったり磨いたりしてできた形は、柔らかさと同時にシャープさも感じられ、自分の作品にも取り入れたいと思うという。「当時の作った人の指跡が残っていたりすると感動しますし、古いものには当時の人の息づかいが聞こえる気がします」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">原始性と現代性の融合を目指して</h3>



<p>作品は、まずろくろを引くところから。ほとんどスケッチはせず、作りながら考えてゆくスタイル。目指しているのは、ろくろで引いた「現代的なシャープさ」と土器のような「原始的なフリーハンドの柔らかさ」が融合したもの。</p>



<p>ろくろを引く際も、完全にシンメトリーなものは目指さない。食器は左右対称で「歪み」のないものが一般的だが、小野澤さんは、あえて歪みを出している。また、どの器も全く同じ歪み方にはせず、１つとして同じものがないように意識。さらには、表面には小野澤さんが好きな「弥生土器」の制作過程で施されていたという、割板や棒などで土器の接合跡を消したり、形を微調整したりする「ハケ調整」やハケ調整でできた線を消していく「ナデ調整」などの古の技法を施し、刷毛のあとや色の濃淡などの手仕事の風合いが残ったマットな質感に仕上げる。そこからさらに、4種5層の泥を塗っては乾かしを繰り返し、漆を塗る。そして最後は、ヤスリで表面を磨くことで、さらなる濃淡や多彩な質感を表現する。</p>



<p>非常に手間と時間のかかる作業ではあるが、機械であるろくろを使った「現代的なシャープ」なフォルムから更に、人間の手ならではの風合いや、古来からの技法を重ねることこそが、小野澤さんが思い描く「現代性と原始性」の融合した造形を実現するために、必要な作業なのだ。</p>



<p>小野澤さんは、自身の作品作りを「時間の経過を封じ込めるような感覚で作っている」と表現する。</p>



<p>実際、古びたものを再現する技術はたくさんある。一般人にも馴染み深いのはテーマパークで、その世界観を表現するために、遺跡や遺物、古い岩肌などを人工的に作り出したものが散見される。現代の技術を凝らした造形には目を見張るものがあるが、しかしそれはあくまで、限りなく本物に“似せた”模造品だ。</p>



<p>単純に古びた陶器の質感を出そうと思えば「層のように重ね塗って、まだらにしたり下地を出したりという変化を見せる技法もある」と小野澤さん。しかしそれで完成するのは、小野澤さんにとっては「表面的な古さ」でしかない。そうではなく、時を重ねた陶器や技術への尊敬を胸に刻みながら、小野澤さんの世界を通して「今」表現されるもの。まるで本当に時を重ねたかのような質感、それでいて古びず現代的な美しささえも感じさせるのは、小野澤さんだからこそ生み出せる、唯一無二の表現ではないだろうか。</p>



<h2 class="wp-block-heading">人や土地の歴史との出会い。先人たちの歩みが“師匠”</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3616.jpg" alt="" class="wp-image-53837" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3616.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3616-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL3616-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>誰か特定の人に師事せず、自らの道を歩んできた小野澤さん。</p>



<p>「岐阜にいたときは、美濃の歴史の深さを感じましたし、馬頭にいたときは、益子焼よりも古い小砂焼（こいさごやき）やそれを手掛けている人にも出会いました。師匠という人はいませんが、そういうものを見聞きして、肌で感じて、先人たちがやってきたことを感じるようにしてきました」。</p>



<p>歴史が好き、土器が好きと話す小野澤さん。その言葉からは、単なる「好き」ではなく、どこまでも先人たちの歩みや、歴史への尊敬の念が感じられる。</p>



<p>「益子に実際に住んでみると、地元の人も知らないような歴史を知ることもできました。色々な歴史があって成り立っている土地だと知ることが好きだし、その好きな気持ちは、ここで作品を作るモチベーションにもなりますね」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「ろくろに感じる本質的なものを見出したい」</h3>



<p>国内の個展やワークショップ、海外まで活動の幅を広げる小野澤さんは、「40歳になったので、体力があるうちに、大きな作品を手びねりでやってみたいですね」と話す。</p>



<p>ロダンなど人体彫刻を眺め、その背景に思いを馳せるのも好きだと話す小野澤さんは、「対象を見つめる仕事がしたい」とも。小野澤さん曰く、「電動ろくろには、規則性があって、その中にも美しさがあるという。そのろくろで作ったもの（対象）を見つめながら、手びねりで作品を作りたい」とのこと。</p>



<p>二度手間では？と感じずにはいられないが、それこそが小野澤さんがやりたい「対象を見つめる仕事」なのだそう。「一旦ろくろで作ったもの（対象）をしっかりと“見つめて”、そこから自分が何かを感じ取ろうと向き合うことで、ろくろに感じる美しさの本質的なものが見出だせるのではないかと思うんですよ」。非常に感性的ではあるが、その繊細で美しい感覚や思考こそが、今と古をつなぐような作風の源泉であるのだと思わずにはいられない。</p>



<p>自身で目で見て、感じたこと。新たな学びも発見も、すべて作品へと昇華させてきた小野澤さん。きっとこれからも人類の歴史のように、止まらぬ進化を重ねてゆくことだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53829/">現代性の中に見出した、原始の美しさ。陶芸家・小野澤弘一さん／栃木県芳賀郡益子町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/53829/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>歴史の中で人の手が作り出した、地下30ｍの巨大地下空間。大谷石の採掘場跡「大谷資料館」／栃木県宇都宮市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/53784/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/53784/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 08 Jan 2026 07:44:29 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[ロケ地]]></category>
		<category><![CDATA[凝灰岩]]></category>
		<category><![CDATA[大谷石]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=53784</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2527.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>宇都宮市の大谷（おおや）地区で採掘される「大谷石」。火に強く柔らかく加工しやすいという特徴から建築資材として多く活用されている。その大谷石の採掘場跡を見学できる「大谷資料館」。地下30ｍにもなる圧巻の巨大地下空間は見る人 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53784/">歴史の中で人の手が作り出した、地下30ｍの巨大地下空間。大谷石の採掘場跡「大谷資料館」／栃木県宇都宮市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2527.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>宇都宮市の大谷（おおや）地区で採掘される「大谷石」。火に強く柔らかく加工しやすいという特徴から建築資材として多く活用されている。その大谷石の採掘場跡を見学できる「大谷資料館」。地下30ｍにもなる圧巻の巨大地下空間は見る人を魅了する。</p>



<h2 class="wp-block-heading">石と自然が織りなす、独特の風景に出会える「石のまち大谷」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2523.jpg" alt="" class="wp-image-53792" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2523.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2523-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2523-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宇都宮市の中心部から車を走らせること25分ほど。建物の多かった景色が一変、緑と山に囲まれた地域にたどり着く。山と言ってもそれは岩山のような独特の風景。ここは宇都宮市の特産物「大谷石（おおやいし）」の一大産地、「石のまち大谷」と呼ばれるエリアである。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「大谷石」とは？</h3>



<p>大谷石とは、2000万年前の火山噴出で堆積した凝灰岩（ぎょうかいがん）で、宇都宮市の大谷地区を中心に産出されたことから「大谷石」と呼ばれるようになった。</p>



<p>柔らかく加工しやすい特徴を持ち、古くから建築資材として活用され、県内の石塀や古い蔵などは大谷石造りのものが多い。また耐火性や調湿効果もあり、その自然の風合いも人気が高く、近年は一般住宅や店舗などの内装材として使われることも。「大谷石」と聞けば、栃木県で暮らす人ならほとんどは知っている非常に身近な存在の石である。</p>



<h3 class="wp-block-heading">旧帝国ホテルにも使われた大谷石</h3>



<p>大谷石の本格的な採掘が始まったのは江戸時代の中頃と言われている。その頃は機械などないので、ツルハシを使い、重たい石を人力で掘り出していた。当時は県内の神社仏閣や宇都宮城の建築、民家の塀などに使われていたが、明治時代以降は、鉄道など輸送手段の発達に伴って採掘産業も成長。東京や神奈川などにも多く出荷されるようになった。</p>



<p>1922年（大正11年）には、「近代建築の三大巨匠」と呼ばれるアメリカの建築家、フランク・ロイド・ライトが日比谷の旧・帝国ホテルの本館（ライト館）に大谷石を利用した。建築に必要な量を十分に確保できたことと、細やかな彫刻を施しやすい柔らかな石の特徴が選ばれた理由だと言われている。帝国ホテルの開業直後には関東大震災が発生したが、その際にホテルが大きな被害を受けなかったことから、耐震性や耐火性の優秀さも認められ「大谷石」の名前が広く知れ渡ることになった。</p>



<p>その後、採掘機械の導入や高度経済成長期の建築需要の増加も相まって、昭和40年代には年間出荷量は約89万t、採掘事業場は約120ヶ所にも上る最盛期を迎えた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">大谷地区の観光の中核を担う「大谷資料館」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2538.jpg" alt="" class="wp-image-53793" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2538.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2538-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2538-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「大谷石」産業の発展と並行して、大谷地区は観光地としても発展していった。1956年には、岩壁に日本最古の石仏が掘られている大谷寺の南側に位置する採掘場の壁面に、約27mもの巨大な「平和観音」が作られた。それをきっかけに多くの人が大谷を訪れ、周辺には土産物屋やレストラン、ドライブインなども増加。さらなる観光地化が進んだという。その一方で、建築資材の多様化などの影響を背景に大谷石の需要は徐々に低下。そんな中、大谷石の採掘場跡を観光客向けに公開した民間施設が「大谷資料館」だった。今から45年以上昔の、1978年のことだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">人の手によって作り出された、圧巻の地下空間</h3>



<p>「大谷資料館」の中を案内してくれたのは、館長の大久保恭利さん。</p>



<p>地下30ｍ、広さ2万㎡にもなる巨大な地下の採掘場跡は、徒歩で見学ができる。その内部は真夏でも寒さを感じるくらいヒンヤリと涼しく、年間の平均気温は8℃前後。高くそびえる岩肌には、いくつもの細かい線のようなものが刻まれており、これが石を切り出した跡なのだという。</p>



<p>大谷資料館が実際の採掘場として稼働していたのは、1919年（大正8年）から1986年（昭和61年）までの約70年間（現在は採掘は行われていない）。1960年（昭和35年）ごろまでは、ツルハシで石を掘り出し、ときには120kg近くの重い石を人が「背負子（しょいこ）」で背負って外に運び出していた。その後、チェーンソーのような採掘機械が導入され、より効率的に多くの石を切り出せるようになった。岩肌を上から下まで見ていくと、上部の岩肌は全体がぼこぼことして、中間から下部には平らな岩肌に鋭い刃物が入ったような跡に切り替わっている。</p>



<p>さらに上を見上げると、天井はすすけたような黒い色。これは温度の低い坑内で石職人たちが火を燃やし、暖を取ったためではないかと大久保さんは見ている。</p>



<p>最新の技術が反映された近代的な大規模建築ではない。しかし自然が作り出した鍾乳洞とも違う。自然の岩と、人の力が融合してできた独自の空間と歴史を体感できるのが「大谷資料館」なのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">見学だけはない、結婚式やイベント施設としての活用</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2573.jpg" alt="" class="wp-image-53794" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2573.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2573-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2573-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「大谷資料館」は1978年の開業以来、大谷地区の観光の中核を担うスポットであり続けている。大谷地区が、日光への道中に通りやすい位置にあることから、県内外の学生の遠足や修学旅行の立ち寄り先としても選ばれやすかったという。</p>



<p>また、映画やテレビ、ミュージックビデオなどの撮影などにも利用されたことで知名度は上昇。大谷石は火に強いことから、火を使った映画などの撮影にも対応してきた。坑内にはその実績の写真が多数飾られており、「あの作品はここで撮影したのか」と関心を寄せる観光客の姿も多く見られる。</p>



<p>神秘的な地下空間を利用した商品のプロモーションやイベントに使いたいと希望する企業も多く、車や時計、世界的な高級酒ブランドのレセプションなどにも活用された実績も。</p>



<p>また、非公開エリアを特別に開放して結婚式を開催することも可能。上部に空いた穴から入る自然光とろうそく明かりだけで彩られた、幻想的で厳かな思い出が作れる。ただ見学させるだけではなく多様な需要にも応えることで、大谷を代表するスポットになっていったのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">観光客の減少、震災による休館。大谷地区の衰退</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/en/wp-content/uploads/sites/3/2026/01/SOL2522.jpg" alt="" class="wp-image-53795" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2522.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2522-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2522-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>観光施設として、独自の存在感を確立していった「大谷資料館」。しかしそれは「大谷資料館」という１施設の話で、大谷地区全体としては、平成の初期から急激な衰退が始まっていた。</p>



<p>原因の１つは、1989年に発生した陥没事故。地面が大きく陥没したショッキングな映像は人々に「大谷は危険」という印象を与え、本来なら多くの自然や大谷石の岩肌の見える山など、独特の美しい景観を楽しめる地域全体に「負」のイメージが付いてしまったと。さらには、安価な外国製建材など建築資材としての需要減少も年々加速し、採石業者も減るばかり。周辺の飲食店や宿泊施設なども撤退し、見どころ・遊びどころの減った地域からは観光客の足も遠のくのは必然だった。たくさんの観光バスや道を歩く人々の姿は減少し、かつての賑わいは嘘のようになってしまっていた。</p>



<p>それでも大谷資料館は、独自性や地下の大空間を見学できるというインパクトも相まって、なんとか観光施設として営業を継続。</p>



<p>そんな最中の2011年に、東日本大震災が起こってしまう。</p>



<p>大谷資料館のある宇都宮市は震度6強の揺れを記録し、地域の被害も甚大。この未曾有の大災害をきっかけに、大谷資料館は休館することが決定された。</p>



<p>この休館の背景について「震災で物理的なダメージがあったのでは？」と誤解する人も多かったが、実はそうではない。大谷資料館の内部は、戦時中に飛行機の地下軍事工場として使われたほどの頑丈さで、震災による物理的ダメージはなかった。ただ余震も続くなか、来場客が地震に驚いてケガをしたり、不安を感じたりしないようにと当時の館長が休館へと踏み切ったという。</p>



<p>理由はどうであれ、大谷地区を代表する観光施設が休館となったことは、大谷地区の衰退に拍車をかけた。再開の目処も立たず、当時のオーナーも事業の売却を検討するように。そんな中、この資料館を再開し、後世に残すべく経営を引き継いだのが、大久保さんの父･恵一さんだったのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">観光スポットとしての再生の道筋</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/en/wp-content/uploads/sites/3/2026/01/SOL2547.jpg" alt="" class="wp-image-53796" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2547.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2547-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2547-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>それまで、大谷地区で土木・石材業を営んでいた恵一さん。目に見えて衰退していく地域で、しかも未経験の事業を引き継ぐのは、無謀なようにも見えた。しかし、恵一さんの中にあったのは「多くの人で賑わっていた、かつての大谷を取り戻したい」という強い想い。自分の育った地域が賑わっていた頃の風景を、もう1度見たいという、自らの切なる願いに背中を押されたのだ。</p>



<p>当時県外で働いていた大久保さん本人も、そんな父の想いに共感。忙しくなった父を手伝うべく、生まれ育った大谷に戻ることに。</p>



<p>父と息子ではじまった試行錯誤の日々。様々な施策を検討し、中でも華道家の假屋崎省吾氏の作品展示は話題を集め、また、人気アニメとのコラボイベントなどの開催も相まって新たに資料館を知る人が増加。また休館以前は禁止していた写真撮影を可能にしたことで、フォトジェニックなスポットとしても人気を得ることになった。（※許可なく2時間以上の長時間撮影と三脚や自撮り棒などの撮影備品を使用した撮影は禁止）</p>



<p>それらと並行して大谷エリア全体も、「昔のにぎわいを取り戻したい」という人の手によってイベントの開催や新たな店の開業などが進んだこともあり、客足は徐々に回復。現在は、年間来場数が45万人を超え、海外からの観光客を乗せたバスも連日訪れるほどのにぎわいを取り戻すに至った。</p>



<h3 class="wp-block-heading">地下という特殊な環境で、安心して見学してもらうために</h3>



<p>地下という特殊な環境を管理するには苦労も多いという大久保さん。</p>



<p>内部は湿度が非常に高く、常時80％ほど。電気系統も腐食しやすいため、漏電にも細心の注意を払わなければならない。台風など大雨の際は大量の水が流れ込んでしまうため、丸3日かけてポンプで汲み出すこともあった。</p>



<p>また車のイベントなどで車を搬入する際は一酸化炭素中毒にも注意を払う。</p>



<p>近年は地下で密になる不安を解消するため、入口で入場人数をカウントできる機械を導入。内部の滞在人数をリアルタイムで表示できる感染症対策設備も整えている。</p>



<p>そんな中、最も力を注ぐのは安全性の確保。大谷石は軽くて亀裂が入りやすい石質のため、ヒビが入っていないかどうか、熟練の職人が毎月点検を行う。地下の非公開エリアに入っているヒビの幅にも変化がないかも随時チェックし、安心して見学が楽しめる状態を保っている。</p>



<p>今では観光客が増加しただけでなく、全国の企業や団体からイベントなどの企画が続々と持ち込まれる。「火は使えるのですが、爆破はやめてほしいと言っていますね」と少し困ったように微笑む大久保さんだが、にぎわいを取り戻した資料館の姿にうれしさを感じているように見えた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">これからも大谷とともに</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/en/wp-content/uploads/sites/3/2026/01/SOL2514.jpg" alt="" class="wp-image-53797" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2514.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2514-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/SOL2514-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「ここは世界的に見ても、めずらしい場所だと思います」と大久保さん。好きな作品のロケ地として見学に来る人も多いというが、「子どもたちには、昔の人が頭を使いながら手で採掘をしていた歴史も一緒に学んでくれたら嬉しい」と語る。</p>



<p>かつては「大谷資料館」を見たら帰るという人も多かった大谷地区。ここ10年弱の間に、周辺におしゃれな飲食店やショップなどの出店も相次ぎ、大谷地区全体が楽しめるエリアとして再生してきた。それを担ったのは、大久保さん親子のような、かつての大谷の賑わいを知り、再生の可能性を信じて尽力した人たちの力にほかならない。</p>



<p>父が手を上げたことで始まった観光業としての大久保さんの人生。予想もしなかったことだが、今では色々な人との出会いにおもしろさを感じる毎日だそう。</p>



<p>「見学コースを広げたいという思いもありますが、安全性の面でも難しいことがある。でも、地下だけでなく、季節ごとの地上の風景もきれいです。資料館を見たあとは、大谷エリア全体を見て回ってほしいですね」と大久保さん。</p>



<p>「大谷資料館」だけでなく、大谷地区に多くの人が訪れて地域全体が盛り上がっていくこと。それこそが、この土地の盛衰を目の辺りにしてきた人々の願いなのだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53784/">歴史の中で人の手が作り出した、地下30ｍの巨大地下空間。大谷石の採掘場跡「大谷資料館」／栃木県宇都宮市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/53784/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>手をかけ、時間を重ね、表情豊かな器を作り続ける陶芸家･田代倫章さん／栃木県芳賀郡益子町</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/53723/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/53723/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 10 Dec 2025 07:55:29 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
		<category><![CDATA[益子焼]]></category>
		<category><![CDATA[茨城県陶芸美術館収蔵]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=53723</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4325.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>里山の原風景が残る町、栃木県芳賀（はが）郡益子町（ましこまち）。この町で作陶に励む陶芸家の田代倫章（としふみ）さん。さまざまな独自の技法を用いて、シンプルでありながら独特な質感と深みのある器を生み出している。 縁に導かれ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53723/">手をかけ、時間を重ね、表情豊かな器を作り続ける陶芸家･田代倫章さん／栃木県芳賀郡益子町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4325.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>里山の原風景が残る町、栃木県芳賀（はが）郡益子町（ましこまち）。この町で作陶に励む陶芸家の田代倫章（としふみ）さん。さまざまな独自の技法を用いて、シンプルでありながら独特な質感と深みのある器を生み出している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">縁に導かれるように陶芸の道へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4370.jpg" alt="" class="wp-image-53732" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4370.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4370-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4370-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>栃木県南東部に位置する「益子町」。益子焼の名産地として名を馳せ、春と秋に開催される陶器市には、陶器を求める一般客だけでなく、陶芸をはじめとした“ものづくり”を手掛ける作家たちも多く集まる。</p>



<p>そんな益子町に2007年から工房を構えている田代さん。生まれは宮崎県だと言う田代さんが益子町で陶芸家になった背景には、いくつか偶然の重なりがあった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">きっかけは廃部寸前の部活への勧誘</h3>



<p>出身は宮崎県だが父が転勤族だったため、大学に入るまでは沖縄や函館、大阪など全国各地で過ごしたという田代さん。</p>



<p>陶芸との出会いは高校時代。当時大阪の高校に通っていた際に友人から部員不足で廃部寸前の陶芸部に誘われたのがきっかけだそう。</p>



<p>「手先は器用だったので向いているかな？と最初は思いました」と当時を振り返る田代さんだが、それから陶芸に惹かれ、大学は奈良芸術短期大学へと進むことになった。</p>



<p>卒業後は製陶所などへの就職も検討したが、その当時2002年ごろは就職氷河期で、製陶所への就職も厳しく、だからといって急に独立して食べていける自信もない。弟子入りを選択肢に入れるべきか悩んでいたところ、父からの「やれるところまでやってみろ。」という言葉と、同級生からの何気ない「合っていると思う。」というふたつの言葉に背中を押され、益子町の陶芸家･今成誠一氏に弟子入りすることにした。</p>



<h3 class="wp-block-heading">外からの人を受け入れやすい益子の空気</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4343.jpg" alt="" class="wp-image-53733" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4343.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4343-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4343-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「益子を選んだのは、日本の焼き物の中でも比較的歴史が浅く、県外の人でも受け入れてもらいやすい風土がありそうと考えたから」と田代さん。</p>



<p>江戸時代末期に大塚啓三郎が窯を開いたことから始まったとされる益子焼の歴史は170年ほどで、備前や美濃、有田など何百年もの歴史を持つ地域と比べては確かに歴史が短い。また首都圏へのアクセスも良好でありながら、自然豊かな地域とあって移住がしやすい地域。陶芸家だけでなく、東京などから移り住んだ人が営むパン屋やカフェなどもあり、そういった人たちも益子の良さを語る際には「外からの人を自然に受け入れる風土がある」ということを挙げる人が多い。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4332.jpg" alt="" class="wp-image-53734" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4332.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4332-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4332-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>また、師匠の今成氏の「感性を磨け」という考え方は、大学で教わった先生の方針や、何より田代さん自身のやりたいことと共通する部分も多かった。</p>



<p>約5年住み込みで働き、特にろくろの扱い方、窯の焚き方などはその時期に習得した部分が大きい。また、土の入手先、作品をどこに卸すかなど「陶芸家」の仕事についても学んだ期間だったそう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">手間も時間もかかるが、目指す焼き物に仕上げるために必要な工程</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4333.jpg" alt="" class="wp-image-53735" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4333.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4333-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4333-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>修行期間を経て、独立を意識しはじめ、関西に戻る事も考えているときに、たまたま現在の工房が見つかったため、益子で独立することにした田代さん。2007年のことだった。</p>



<p>田代さんは、電動ろくろで成形し、手回しろくろで器を仕上げる。電動ろくろも回転速度の調整ができるため、最初は高速や中速、仕上げでは低速にするなど、最初から最後まで電動ろくろを使う陶芸家も多い。しかし、この仕上げを手回しろくろで行うのが、田代さんのこだわり。</p>



<p>「電動ロクロだと、ゆっくり回しても規則的になってしまい、自分の作る器の形だとどうしても冷たい印象になってしまいます。手回しろくろなら時間はかかりますが少し回転が変則的になるので、温かみを持たせる事ができます。」</p>



<p>また田代さんの作る器は、薄づくりで繊細なフォルムのものが主。しかし益子の土は砂気が多く粘性が少なく割れやすい性質があり、そのため「益子焼」は厚みがある見た目のものが多い。そこで田代さんは、益子の土に他の産地の土を混ぜることで、自らの作品に適した粘土を作っている。</p>



<p>「シンプルでありながら質感を重視した『表情豊かな』器作りを心がけています。ただ、あくまでも器は道具で、食材が主役だと思っているので、その器に食材を盛り付けた時にどう映るかに重きを置いています。器自体の主張は控えめにする事。収納のしやすさ。結果、長く付き合って飽きのこないモノになると思います。」と田代さんは話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">素焼きをせずに釉薬をかける「生掛け」</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4349.jpg" alt="" class="wp-image-53736" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4349.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4349-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4349-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「表情豊かで柔らかい質感を出したい」という田代さんは、焼き方にもこだわる。</p>



<p>一般的な陶器の作り方は、土で器の形を作り、乾燥させてから、一度低温で焼く。これを「素焼き」と呼び、素焼きのあとに釉薬をかけ、その後「本焼き」をして色をつけていく（素焼きの後に色を付ける下絵付けという技法もある）。素焼きをすることで、器の強度が高まり吸水性も上がるので、液状の釉薬をかけた際にも器が崩れることはなく、生地に釉薬を密着させることができる。</p>



<p>しかし田代さんは、この素焼きをせず、「生掛け」と呼ばれる器が半乾きの状態で釉薬をかけて、本焼きをする手法を取っている。</p>



<p>しかし、薄いフォルムでしかも、半乾き状態の土で作られた器の強度は低い。そこに液体の釉薬をかければ、形が崩れやすいのも当然だ。また、形を崩さずに釉薬をかけても、その後で問題が起こりやすい。器そのものの土には水分が含まれているので、乾燥、焼成で水分が蒸発し収縮する。しかしその時点で釉薬はさほど収縮しないため、生地から剥離しやすくなってしまう。素焼きをしていれば、吸水性のある状態（乾いた土の器）に液体（釉薬）をかけることになるので、水分を吸い込み、収縮率もほぼ同じなので器と釉薬の密着度は高まるのだが、田代さんあえてそれをしない。</p>



<p>「特殊なことをやっていたので、独立して3年くらいは全然うまくいかなくて…。住み込みで修行していた期間よりずっと辛かったですね」と田代さん。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4378.jpg" alt="" class="wp-image-53737" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4378.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4378-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4378-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>なぜわざわざ、そのような難易度の高い手法を選んだのか。</p>



<p>それは田代さんが師事していた今成氏にあった。もともと陶芸家としての今成氏のルーツは、岡山県の備前焼。備前焼は、素焼きをせず、釉薬もかけずに、高温で長時間焼くのが特徴で、今成氏の元で学んだ田代さんも、この「焼締め」と呼ばれる技法をメインで修行した。その過程で師匠が時折行っていた「生掛け」の技法にも注目。他とは違った自分らしい作風を目指したいという気持ちもあり、独自の表現の幅が広がると考え、焼締めに加えて「生掛け」を積極的に取り入れ始めたのが苦労の始まりだったのだ。</p>



<p>土の配合や釉薬の種類、その濃さや厚み、何度も失敗を繰り返しながら、それぞれの配合を試行錯誤。釉薬を器の内側だけに施す手法をベースにしながら、田代さんの理想の器のフォルムや質感を追求していった。内側だけ釉を施すことで形状を保ち、外側は柔らかな土の質感としている。微調整を重ねながら、現在では外側に刷毛で土を塗り、内側にはコンプレッサーで釉薬を付け足すなど行いながら、田代さんが思い描く「表情豊かな質感」を生み出している。</p>



<p>刷毛で塗ったり、コンプレッサーで吹き付けたりするのは時間と手間がかかる。薄づくりにすると歪みやすいリスクもある。それでも、その手間ひまを乗り越えた先にある仕上がりの質感や風合いの変化を田代さん自身が楽しみながら、目指す器を形にするため日々試行錯誤を重ねている。</p>



<p>その技法に名前があるのか尋ねると「名前は決めていないですね。一発焼きみたいなもので…」と微笑む。</p>



<p>華奢なフォルムに素朴な土の質感。そして均一化された製品には見られることのない、釉薬の濃淡や流れ方。一見シンプルなようでいて、細部まで手をかけ尽くした田代さんの技術と思いを感じずにはいられない。</p>



<h2 class="wp-block-heading">新たなチャレンジも視野に、価値を感じてもらえるものを作る</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4409.jpg" alt="" class="wp-image-53738" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4409.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4409-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4409-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>毎年春と秋に開催される「益子陶器市」にも欠かさず出店している、個展や企画展などの活動も多く、着実に器のファンを増やし続ける田代さん。</p>



<p>今後の展望について尋ねると「昨今の資材等の値上がりから苦労する部分もあります。ただその中でも如何に自分ならではの感性・技術で表現し続け、価値を感じてもらえるものを作ったいけたらと思います。」とのこと。</p>



<p>現在の工房では、妻の鈴木宏美さんも、陶芸家として活動している。お互いに気に入っているこの益子の地で活動を続けたいという。</p>



<p>2022年には「茨城県陶芸美術館」に器と花器（かき）が収蔵された。県内外のフレンチや洋食店でも、田代さんの器を使いたいという依頼もある。</p>



<p>そうしたきっかけから、宇都宮市内のフレンチレストランをはじめ、洋食店などとの付き合いも増えてきた。「“特別な食事をする場所”で自分の器が使ってもらえることは大変うれしい」と話す田代さん。レストランとの打ち合わせや納品で現場に赴いた際、その場所から受ける刺激やインスピレーションは現在の制作コンセプトにも活かされ、試行錯誤の末にたどり着いた器たちは、確実に人の心を魅了するものへとなっている。</p>



<p>これからは器だけでなく、大学生のときに学んでいたオブジェやインテリア関係など造形的な作品を手掛け、自分の幅を広げていきたいという田代さん。新たな展開にも期待が高まる。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53723/">手をかけ、時間を重ね、表情豊かな器を作り続ける陶芸家･田代倫章さん／栃木県芳賀郡益子町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/53723/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>昔の「いいもの」現代に伝え、ものづくりの魅力を引き出す「仁平古家具店」店主 仁平透さん／栃木県芳賀郡益子町</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/53609/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/53609/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 04 Dec 2025 02:04:28 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[古家具]]></category>
		<category><![CDATA[雑貨]]></category>
		<category><![CDATA[仁平古道具店]]></category>
		<category><![CDATA[pejite]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=53609</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4195.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>栃木県芳賀郡益子町を基点に古道具と生活雑貨のセレクトショップを運営するオーナーの仁平（にへい）透さん。益子町とその隣の真岡市にある「仁平古家具店」と「pejite（ペジテ）」の店舗では、昔ながらの手仕事によって丁寧に造ら [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53609/">昔の「いいもの」現代に伝え、ものづくりの魅力を引き出す「仁平古家具店」店主 仁平透さん／栃木県芳賀郡益子町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4195.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>栃木県芳賀郡益子町を基点に古道具と生活雑貨のセレクトショップを運営するオーナーの仁平（にへい）透さん。益子町とその隣の真岡市にある「仁平古家具店」と「pejite（ペジテ）」の店舗では、昔ながらの手仕事によって丁寧に造られた古家具や、地元を中心とした作家が手掛けた陶器や雑貨などが並び、県外から足を運ぶ人も多い人気のショップだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">益子焼だけではない。人の手仕事や感性を感じられる益子町。</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4206.jpg" alt="" class="wp-image-53615" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4206.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4206-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4206-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>栃木県南東部に位置する益子町。「益子焼（ましこやき）」の名産地として数多くの窯元や陶器の販売店が店を構え、春と秋に開催される「益子陶器市」は最大で40万人もの人々が訪れるビッグイベントだ。</p>



<p>今も昔も「益子町＝益子焼」のイメージが根強いが、陶器市以外の益子エリアは、豊かな自然と日本の里山の風景を感じることのできるのどかな地域。個人で営むオシャレで個性的なカフェやベーカリーも多く、陶器に限らず手仕事の光る作家が手掛ける雑貨やアパレルなども取り扱うギャラリーも点在する。陶芸だけでなく、自然やグルメ、多くの人の手仕事に触れられるエリアでもある。</p>



<p>そんな町に店を構える「仁平古家具店」と「pejite（ペジテ）」。</p>



<p>ここは、仁平透さんがオーナーとして運営する、古家具や焼き物、雑貨などのセレクトショップだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">栃木県内３ヶ所、東京･青山にも店舗を展開</h3>



<p>益子町内にあるのは「仁平古家具店 益子」と「pejite（ペジテ）益子」。隣接する真岡市には「仁平古家具店 真岡」があり、「pejite（ペジテ）」は東京･青山にも店を構えている。</p>



<p>「仁平古家具店」では、明治から昭和初期に作られた希少な古い家具や雑貨を全国から厳正して仕入れ、１点１点水洗い･修理をして、再生したものを手が届きやすい価格で販売。</p>



<p>一方「pejite（ペジテ）」では、古家具だけにこだわらず、益子を中心とした作家の器などの陶器やガラス食器、シンプルで上質な衣服や雑貨など、作り手の技術や想いがこもった「手仕事」が感じられる品を揃えている。</p>



<p>どの店舗も大きな看板はなく、少し奥まった通りにあるなど、決して分かりやすい立地ではないが、県外からわざわざ足を運ぶ人も多い。</p>



<p>店に並ぶ品々は、有名ブランドの商品ではない。また、あっと驚くような華美なデザインでもないが、客足は絶えない。なぜそれらの店は、人の心を掴み続けるのだろうか。そこに至る店の歩みをうかがった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「好きなことをして、生きていきたい」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4296-1.jpg" alt="" class="wp-image-53617" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4296-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4296-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4296-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>オーナーの仁平透さんは高校を卒業してすぐに上京。レコードショップで働き、好きな音楽に触れられる道を選ぶ。しかし23歳のとき、実家の都合により地元に戻ることを余儀なくされた。いわゆる“田舎”には、就職先のバリエーションは多くはないのが現実。仁平さんも“好きな”仕事を選ぶことなく地元の工場で働いた。しかしなかなか肌に合わず、働いては辞めを繰り返す月日が流れる。</p>



<p>鬱屈した日々の中で高まっていったのは「好きなことで食って（生活して）いきたい」という気持ちだった。</p>



<p>同時に仁平さんは、趣味で古い家具や道具などを安く買ってきて、洗ったり補修をしたりしていた。若いころからインテリアに興味があり、古いものに魅力にも魅力を感じていたという。このまま合わない仕事を続けられないと考えた仁平さんは、独立することを決意する。</p>



<p>まずは古物商の免許を取り、自分で買付け、独学で補修･再生した家具や道具をインターネットオークションに出品。さらに東京都内で開催される骨董市などに持ち込んで販売をスタート。そして2009年には実店舗として、益子町の隣の真岡市にて「仁平古道具店」の１号店を開業した。</p>



<p>好きなことに突き進んだ仁平さんだが、「1軒目の店のときは不安でいっぱいでした」と当時を振り返る。それでも「なんとか食えたら、それで幸せ」だと思いながら、店舗と並行してネット販売や東京の骨董市にも出向き続けた。</p>



<p>「そんなことを繰り返していたら、段々とおもしろがられて、雑誌に載せてもらえるようになったんです」。当時は、まだまだ雑誌の影響力もあった時代。旅やカルチャーを取り上げた雑誌に載るとそれを持って店に訪れてくれる人も増えた。</p>



<p>2010年には益子町に「仁平古道具店」の2号店をオープン。個人客だけでなく、ありきたりではないインテリアを求める、店を営むオーナーなどからの需要もあった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「良いもの」だけど、まだ誰も知らないものを伝えるために</h3>



<p>古道具の良さを伝えられるよう邁進していた仁平さんだが、「古道具」を好きな人というのは限られる。また「仁平家具店」では、昔の人が手をかけて作った１点物で、一生使えるものを、手の届く金額で販売することも大切にしている。「古い物だからといって敷居は高くないし、１点物って楽しいよね、っていう感覚を伝えたいんです」と仁平さん。</p>



<p>そこで2014年には、「仁平家具店」とはコンセプトを分けるかたちで「pejite（ペジテ）」をオープン。より大型で高価格な古家具を取り扱うほか、地元益子の作家が手掛けた陶器や手作りの雑貨や衣類などの扱うことをことに。「最初は全国の一級品を販売しようと思っていたのですが、すでに作品が売れている人より、知られていないけれどいい仕事をしている人が、まだまだいることに気がついて…。良いものだけど、誰も知らないものを紹介したいと考えました」。</p>



<p>そして2018年には東京･青山に「pejite（ペジテ）」の2号店をオープン。それまでも都内から栃木へ足を運んでくれる人は多かったが、都内に店を置くことでより益子の魅力に触れてもらいやすくなった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">古きものを愛し、その魅力を蘇らせる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/d7b5668f02e2b60cadca3e92098b1b8b.jpg" alt="" class="wp-image-53618" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/d7b5668f02e2b60cadca3e92098b1b8b.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/d7b5668f02e2b60cadca3e92098b1b8b-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/d7b5668f02e2b60cadca3e92098b1b8b-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>自分ひとりが食っていけるか、いけないか。という不安の中ではじめた事業も、今では従業員も増え、買い付けた古道具は300坪もの広さの工房で管理、7～8人の職人たちの手によって、１つ１つ丁寧に洗浄･修繕が施され、新たな生命が吹き込まれている。</p>



<p>汚れなどは綺麗に落とされているが、それでいて綺麗すぎない。</p>



<p>新品には再現できない、重ねた年月の中で深まった味わいを生かした再生は、高い技術はもとより、はるか昔にその物を手掛けた過去の職人への尊敬の念がなせる、現代の職人の「手仕事」が感じられる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">一過性のブームではない。仁平さんの人生が愛される店を生んだ</h3>



<p>「粗大ごみとか落ちている石とか、拾ってきては喜んでいるような子どもでした」と笑う仁平さん。「幼いころは貧しく、『おもちゃを買って』と言わないほうが良いかな？と思っていたのもあって、それがルーツになっているかもしれません」。</p>



<p>仁平さんの店で取り扱う古家具は、素朴で温かみのある手触りやフォルム、当時の文化や流行が見える細やかな意匠など、言いようのない魅力が詰まっている。</p>



<p>幼少期の境遇と生まれながらの感性が融合し生まれた仁平さんの審美眼。そして古いものへの愛情と尊敬。</p>



<p>時を重ねた物の魅力を引き出し、多くの人から愛される店となれたのは、一過性のブームなどではない。仁平さんの人生そのものがあったからなのだと思わずにいられない。</p>



<h2 class="wp-block-heading">これからも地元を盛り上げるために </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4207.jpg" alt="" class="wp-image-53620" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4207.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4207-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/12/SOL4207-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2023年には、東京駅の目の前、新丸の内ビルディング内に、自社のオリジナルテーブルウエアブランド「汲古（きゅうこ）」のショップを出店。益子の工房で焼き上げた陶器を中心に展開し、さらに益子や手仕事の魅力を伝えていける場所となった。</p>



<p>「町が盛り上がっていかないと人も来てもらえませんから。この地域に、おもしろいことをやりたい人が増えたらいいなと思います」と仁平さん。さらに「今後は栃木県でスモールビジネスをする人たちの力になりたい」と語り、2024年には古民家をリノベーションして店舗をして貸し出す事業も展開。</p>



<p>県内外に複数の店舗を展開するほどに事業を成長させた仁平さんは、ビジネスの成功者にも見えるだろう。しかしその根底にあるのは、育った土地･歴史ある日本の古いもの･人が手間暇かけた手仕事に対する、深い尊敬と愛情ではないだろうか。</p>



<p>「店をはじめた頃の不安でいっぱいだった自分に、15年後は大丈夫だよ、と教えてあげたい」といたずらっぽく笑う仁平さんは、安定を捨て「好きなことで食っていきたい」という想いと行動がなければ実現しなかった未来に立っている。</p>



<p>人の「好き」の力は強い。</p>



<p>きっとこれからも「好きなこと」へ向かって、全力疾走していくのだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53609/">昔の「いいもの」現代に伝え、ものづくりの魅力を引き出す「仁平古家具店」店主 仁平透さん／栃木県芳賀郡益子町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/53609/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>この先もまっすぐに、真面目な酒造りを。「飯沼銘醸」が生み出す無濾過生原酒「姿」／栃木県栃木市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/53120/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/53120/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 16 Aug 2025 01:00:32 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[無濾過生原酒]]></category>
		<category><![CDATA[杉並木]]></category>
		<category><![CDATA[酒造]]></category>
		<category><![CDATA[日本酒]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=53120</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/SOL2639.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>栃木県の南に位置する栃木市。市の北部、西方町（にしかたまち）の田畑に囲まれたのどかな地域にある飯沼銘醸。ここは地元で愛される「杉並木」、無濾過生原酒にこだわる「姿」の2銘柄を主に、まっすぐな酒造りを行う酒蔵である。 代々 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53120/">この先もまっすぐに、真面目な酒造りを。「飯沼銘醸」が生み出す無濾過生原酒「姿」／栃木県栃木市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/SOL2639.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>栃木県の南に位置する栃木市。市の北部、西方町（にしかたまち）の田畑に囲まれたのどかな地域にある飯沼銘醸。ここは地元で愛される「杉並木」、無濾過生原酒にこだわる「姿」の2銘柄を主に、まっすぐな酒造りを行う酒蔵である。</p>



<h2 class="wp-block-heading">代々の当主が、新たな酒の名を付ける</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/SOL2617.jpg" alt="" class="wp-image-53121" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/SOL2617.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/SOL2617-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/SOL2617-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>飯沼銘醸株式会社代表取締役の飯沼徹典さんは蔵元の9代目。自らも杜氏として酒造りを行っている。</p>



<p>飯沼銘醸の創業は今から200年以上昔の1811（文化8）年のこと。創業者の岩次郎氏は生まれた新潟を離れ、宇都宮の酒蔵で修行したのち、この地で独立した。</p>



<p>代々酒造りを続ける中で様々な銘柄が生まれ、現在は祖父の代で生まれた普通酒の「冨貴（ふうき）」、父の代の「杉並木」、そして9代目となった飯沼さんが生み出した「姿」の3銘柄が残り、中でも「杉並木」と「姿」の2つを主に製造している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">日光杉並木に感動して、その名を酒につけた「杉並木」</h3>



<p>飯沼さんの父、邦利さんが蔵元だった時代。邦利さんは、酒屋への営業などで日光へ足を運ぶ機会も多かったという。</p>



<p>飯沼銘醸のある西方町の東側には「日光例幣使街道（れいへいしかいどう）」が通り、ここは江戸時代に日光東照宮へ向かうための勅使（日光例幣使）が通った道。今でも日光へ行く際には多くの人がこの道を通っており、父邦利さんもそうだった。</p>



<p>この街道は、日光に向かって北上すると、道の両側に約1万2000本もの杉が立ち並ぶ「日光杉並木街道」を通過する。道を通るたびに杉並木の雄大さに感心していた邦利さん。ふと栃木県にはこの素晴らしい名所の名前が付いた酒がないことに気が付き、「杉並木」と名付けた酒を販売することにした。</p>



<p>新潟の越後杜氏が手掛けた「杉並木」の味わいは淡麗辛口。地元の契約農家で作る「山田錦」や「夢さらら」などの地元産の米と県産の酵母で作ることもこだわりだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">蔵の存続のため、自らも酒造りの道へ </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/SOL2621.jpg" alt="" class="wp-image-53122" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/SOL2621.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/SOL2621-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/SOL2621-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現社長の飯沼徹典さんは、県外で働いたのち1994年に飯沼銘醸へ入社。当初は瓶詰めや配達など、直接酒造りには携わらなかった。しかし、新潟から来てもらっていた杜氏も高齢になり、「地元で酒造りをしてくれる人がいないと、このままでは先細りだ」と感じた飯沼さん。地元で採用をするも、１年足らずで辞職を切り出されてしまった。</p>



<p>飯沼さんは言った。</p>



<p>「どうか辞めないでほしい。私も蔵に入るから、一緒に釜屋（※酒造りにおいて、米を洗ったり蒸したりする人の呼称）からはじめよう」。</p>



<p>蔵元自らが、酒造りを行うことを決意した瞬間だった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「搾りたての酒が一番おいしい」。無濾過生原酒へのこだわり</h3>



<p>飯沼銘醸に戻った飯沼さんのもう１つの気がかりは、「杉並木」が日光の酒だと思われてしまうこと。せっかくなら、地元に由来がある銘柄も造りたいと考えたのが「姿」だった。</p>



<p>名前は、西方町（にしかたまち）真名子（まなご）に伝わる「八百比丘尼（おびくに）伝説」ゆかりの地にある「姿見の池」から付けた。当初の「姿」は、それまでの越後杜氏が作る純米吟醸であり、酒を搾った後にろ過、火入れ、加水などを行っていた。それも当然おいしいのだが、飯沼さんは「酒は搾ったままがおいしい！」という思いのほうが強かった。</p>



<p>「無濾過生原酒のおいしさを伝えたい」と思い立った飯沼さんは、「姿」に関しては、酒を搾った後にろ過・火入れ・加水などをしない「無濾過生原酒」をメインで造ることにした。今から20年ほど前のことだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">県内だけでなく、北海道米も使った酒造り</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/SOL2760.jpg" alt="" class="wp-image-53123" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/SOL2760.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/SOL2760-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/SOL2760-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在「杉並木」は、地元産の「山田錦」「五百万石」「夢さらら」など地元農家で作ってもらった米で造ることにしているが、「姿」は地元産のほか兵庫県産の「愛山（あいやま）」、岡山県産の「雄町（おまち）」、そして北海道米の「吟風（ぎんぷう）」「彗星」「きたしずく」も使っている。</p>



<p>北海道米を積極的に使うのは、「姿」が好きで懇意にしてくれている北海道の居酒屋のオーナーから「北海道のお米で作った“姿”も飲んでみたいよなぁ」とポツリと言われたことがきっかけ。</p>



<p>「北海道の米は硬いかなと思いましたが、しっかり作れば味もちゃんと出るし、おいしいですよ」と飯沼さん。米の汲水にはコツや経験が必要となるそうだが、「キレイな味が出る」と話す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日光から流れる川の恵みを酒に活かす</h2>



<p>飯沼銘醸の水は、日光を流れる大谷川（だいやがわ）の伏流水と言われている。日光の雄大な山々を源とする大谷川は、日本三大名瀑の1つである「華厳の滝」を経て日光市内を流れたのち、鬼怒川へと合流する一級河川。</p>



<p>地下14ｍから汲み上げた伏流水は軟水で、その水で造る酒は豊かな香りや風味が感じられ、口当たりもまろやか。地元企業による水質調査に協力した際には「ここの水は、富士山の湧き水の成分と似ている」と報告されたほどだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">この味を求めて、飲み続けてくれる人のために</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/SOL2782.jpg" alt="" class="wp-image-53124" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/SOL2782.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/SOL2782-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/08/SOL2782-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「姿」の銘柄で造る酒のほとんどは「無濾過生原酒」。無濾過生原酒は、できたてそのままのフレッシュで旨味の強い、濃厚な味わいも魅力だが、その濃厚さやアルコール度数の高さから、消費者の好みが分かれる場合もある。</p>



<p>重さを感じさせないように、度数を下げたり、味わいを軽くしたりする手法を取る酒蔵もいる中「うちは“まっすぐ”作らないとダメですね」と飯沼さん。</p>



<p>「最近は、スッキリした呑み口で甘い酒も多く出ていますが、もっと“くどい”酒が欲しいという人も必ずいます。その人たちのために、うちみたいな酒蔵があるんだと思っています」と笑う。</p>



<h3 class="wp-block-heading">流行に流されず、いつまでも「まっすぐに」醸す酒 </h3>



<p>現在の製造量は約550石（一升瓶で約5万5,000本）で、地元産の米と酵母で造る淡麗辛口の「杉並木」は約300石、北海道産米など厳選した米の個性を活かし、しっかりとした香りと味わいの無濾過生原酒の「姿」は約250石だそう。</p>



<p>飯沼さんに今後の展望を聞くと、大きく製造量を増やす予定はなく「作ったものを売り切って、いかに蔵を長く続けられるかですね」と謙虚な答え。</p>



<p>毎年、各酒販店にはサンプルを送り「本当においしかったら注文してください」と添えるという飯沼さん。営業手法にも、酒造り同様の真面目さが感じられる。</p>



<p>これからも大事にしたいのは「自分たちの味をブラさない」ことだと言い、「飲んだときに“これは飯沼んとこの酒だな”って分かってもらえる酒を作り続けたいです」と話す飯沼さんの表情は、終始にこやか。</p>



<p>決して気取らず柔和な雰囲気でありながら、ふと感じられる芯の強さ。飯沼さん自身が、自ら造る酒の姿を体現しているようにも見える。</p>



<p>豊かな自然と空気、水に恵まれた土地でまっすぐに造られる酒。この真面目さこそが、飯沼銘醸の酒が愛され続ける理由でもあるのだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53120/">この先もまっすぐに、真面目な酒造りを。「飯沼銘醸」が生み出す無濾過生原酒「姿」／栃木県栃木市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/53120/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>曖昧さを愛し、変化する人生を器に投影する陶芸家･宮澤有斗さん／栃木県芳賀郡益子町</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/52981/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/52981/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 07 Jul 2025 04:13:55 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
		<category><![CDATA[益子焼]]></category>
		<category><![CDATA[痕定手]]></category>
		<category><![CDATA[積化象嵌]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=52981</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4084.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「益子焼（ましこやき）」の産地として有名な栃木県芳賀（はが）郡益子町。自然に囲まれた森の中にある工房で作陶に勤しむ、陶芸家の宮澤有斗さん。あえて制作過程の手の痕跡を残す「痕定手（こんじょうて）」という独自の技法で生み出す [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52981/">曖昧さを愛し、変化する人生を器に投影する陶芸家･宮澤有斗さん／栃木県芳賀郡益子町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4084.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「益子焼（ましこやき）」の産地として有名な栃木県芳賀（はが）郡益子町。自然に囲まれた森の中にある工房で作陶に勤しむ、陶芸家の宮澤有斗さん。あえて制作過程の手の痕跡を残す「痕定手（こんじょうて）」という独自の技法で生み出す器には、１つひとつ異なる奥深さや豊かな表情を見出すことができる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">幼いころから陶芸家の父の仕事を見て育つ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4080.jpg" alt="" class="wp-image-52982" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4080.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4080-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4080-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>益子町で生まれ育った宮澤さん。陶芸家の宮澤章さんを父に持ち、20年以上前に父が建てた工房を借り、作陶に励んでいる。</p>



<p>幼いころから父の姿を間近で見ながら「ものを作る人」として憧れの気持ちを抱いていた宮澤さん。土を触ることも日常だった。</p>



<p>地元の高校へ進学し美術部に入部。金属を溶かして、型に入れて器や美術品を作る「鋳金（ちゅうきん）」をやってみたことで、美術の楽しさをもっと学びたいという意欲が湧いてきた。それと同時に、最も身近でものづくりを行う父の存在を改めて意識するようになったという。「焼き物」の手順や技法などのプロセスを父に教えてもらったのもこの頃だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">鋳金から陶芸の道へ</h3>



<p>大学は岩手大学へ進学。硬いものを溶かしてカタチにすること、経年変化などにもおもしろさを感じて、１･２年生のうちは主に「鋳金」を学んでいたという。</p>



<p>ところが、3年生へ進学する際、より専門性の磨くために所属の研究室を決める段階で、宮澤さんは陶芸への道を選択する。「一番の理由は、鋳金で食べていくことの難しさを感じたことです」。</p>



<p>「鋳金は制作に時間がかかりますし、岩手にいて南部鉄器の世界の話を聞く機会もあったのですが、大変そうだと感じて…。でも、父を身近に見ていたせいもあり、陶芸なら食べていけそうだ、とイメージができました」と宮澤さん。</p>



<p>子どもの頃から、最も身近な陶芸家である父の仕事を見ながら土に触れ、高校時代から焼き物の基礎も技術も教わっていたこともあってか、陶芸への移行はもちろん、技術の上達に大きな壁はなかった。</p>



<p>在学中にもいくつかの陶芸の賞を受賞し、宮澤さん本人も「いけるんじゃないか」という自信を持った。陶芸家人生はスムーズなスタートを切ったかのように見えた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">順風満帆な陶芸家人生がはじまったのか？</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4143.jpg" alt="" class="wp-image-52983" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4143.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4143-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4143-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大学卒業前には都内のギャラリーを回り、卒業後すぐに自身初の個展を開く。その結果得たものは「食べていけるほどではないかもしれない」という現実だった。</p>



<p>また、ギャラリー巡りをしている際に訪れた有名なギャラリーのオーナーから「今の年齢でこの作品を作れていることに違和感がある。身内に関係者がいるのでは？」と問われ父のことを伝えると「もっと色々な世界を見てきた上で、また作品を持ってきて」と言われたという。当時は技術さえあれば良いと思っていた宮澤さん。その時はオーナーの真意を理解することはできなかったが、今でもその言葉が強く心に残っているという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「自分は恵まれている」がゆえの苦悩</h3>



<p>初の個展を経て、「どういう作品を作って、どうやって生活していこうか」と考えるようになった宮澤さん。まずは父の工房を借り、そこで作品づくりをすることに。「自分は恵まれている、と思いました」。</p>



<p>ところがそれこそが苦悩を生み出してしまった。「自分は準備されたものの中でやっている。中身のなさを感じてしまい、悩むようになってしまったんです」。</p>



<p>そんな最中の2011年。東日本大震災が起こった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">無力感。作陶の手が止まる</h3>



<p>東北地方を中心に甚大な被害をもたらした東日本大震災。宮澤さんの住む益子町でも震度5強もの揺れがあり、町内の販売店でも山になるほど大量の陶器が割れ、窯が崩れてしまった窯元も多かった。</p>



<p>日本全体が未曾有の大災害を乗り越えようと尽力する中で、宮澤さんは「自分は何もできない。周りの力になることもできない」という無力感に苛まれていった。</p>



<p>答えのない思考を巡らせているうちに、いつの間にか作る時間より悩んでいる時間のほうが多くなっていた。</p>



<p>立ち止まっていた宮澤さんに声をかけたのが、那須塩原市の板室温泉にある温泉旅館「大黒屋」16代目社長の室井俊二（現在は会長）さんだった。「宿のスタッフとして働いてみないか？」という打診。</p>



<p>大黒屋は、室町時代の1551年に創業した老舗旅館でありながら「保養とアート」をキーワードした温泉宿として注目を浴びている。現代芸術家･菅木志雄の個人美術館『菅木志雄倉庫美術館』を併設し、庭園も菅木氏が作庭している。館内では様々な作家、写真家、芸術家などの個展が随時開催され、豊かな自然と温泉、アートを楽しめる知る人ぞ知る名宿だ。</p>



<p>宮澤さんの父･章さんも陶芸家として大黒屋で個展を開催するなどつながりがあり、その父からの紹介。</p>



<p>もう、焼きものに手がつかない状態だった宮澤さんは誘いをありがたく受け止め、働くことにした。</p>



<h2 class="wp-block-heading">人生の転機。陶芸家ではなく、老舗温泉宿で働く</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4135.jpg" alt="" class="wp-image-52984" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4135.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4135-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4135-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大黒屋では陶芸家ではなく温泉宿のいちスタッフとして働き、その4年間、全く陶芸作品を作ることはなかった。陶芸作品を作りたいという気持ちにもならなかったという宮澤さんだが、むしろしっかりと器と距離を置いたことが、改めて「器の面白さ」に気がつくきっかけになった。</p>



<p>「毎月いろいろな作家さんや写真家さん、彫刻家さんなどアートの方が個展を開きに来て、その作品を見るのがとても刺激になりました。人と関わることも常に新鮮で楽しかったです」。</p>



<p>自身とはジャンルの異なるものに触れることによって、自分の「こういうものが好き」という感覚はどこから来ているのかを見つめ直すことができたのだという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">心機一転、新たな一歩</h3>



<p>大黒屋で働くのは当初3年の約束だった。当時の社長も「3年たったら自分の好きなことをやりなさい」と言ってくれていた。人員の関係で辞めるのを1年伸ばし4年にはなったが、宮澤さんは「卒業」をむかえた。</p>



<p>もうそこには、ドロドロとした悩みの渦に飲まれていた宮澤さんの姿はない。「これから何が僕から出てくるのか楽しみな気持ちでした」。</p>



<p>新たな経験と人との出会いによって、宮澤さんが大きく前進した瞬間だった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">本当に自分のやりたいことは何か？</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4150.jpg" alt="" class="wp-image-52985" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4150.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4150-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4150-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大黒屋を出た宮澤さんがまずはじめたのが「父を消す作業」だった。それまでの宮澤さんの作風は、父･章さんの技法に影響を受けていたそう。章さんは手びねりで土を積み重ね、焼いたあとに表面を剥がして磨く「積化象嵌（せっかぞうがん）」という独自の技法で作陶している。</p>



<p>「白い土を使って、無地のものを作りました。味気ないものを作る作業をして、父を消した上で自分のゆずれないものは何かを見つけたかったのです」。そして2年ほどこの作業を続け、自身と向き合う時間を経て、今度は自然と父･章さんの技法へ近づいていった。</p>



<p>宮澤さんはろくろを使い、土灰（どばい）を利用した釉薬を用い、1270度の高温で焼き上げる。窯から出したら、粗めのヤスリで表面を削っていく。手作業で削ることで、１つひとつの表面には違った表情が生まれる。自然の「土」の奥深さも感じられ、どこか温かく、それでいて野性味も感じさせる、唯一無二の風合いだ。</p>



<p>作っているのは、日常で使える器が中心で「器って、空っぽの枠を作るみたいなもので、できたものをどうやって使ってもいい。ひっくり返して使ってもいいし、それってすごく魅力的だと思っています」と、「器」を通してできる表現の幅に最も興味があるという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">曖昧さも揺らぎも、作品に込めて。 </h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4103.jpg" alt="" class="wp-image-52986" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4103.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4103-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4103-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>自分が今後、どのような作品を作っていきたいかは、まだまだ模索中だという宮澤さん。その背景には、曖昧なもの、空っぽのものに魅力を感じ、自身も常に曖昧でいたい、揺れ動いていたいという思いがあるからだそう。</p>



<p>しかし、それを「やりたいこと」として据えると、そこに想いが強くなってしまい、それはもう「空っぽ」ではなくなる矛盾も感じる。</p>



<p>だから変化をし続けて「自分の癖（へき）」も探し続けたいという。</p>



<p>「焼きものは、最初は技術だと思っていましたが、そこには生き方がにじみ出るものだと感じるようになりました」という宮澤さん。大学卒業間際、都内のギャラリーのオーナーが言った「もっと色々な世界を見てきて」という言葉の意味は、ここにあったのかもしれない。</p>



<p>「一人で作っていると閉鎖的になってしまうので、もっと人やものに関われる状況を作りたいし、それができるような余白や間（ま）を持っておきたいです」。</p>



<p>気さくな笑顔で話をする宮澤さんは、何かに固執する素振りは感じられない。穏やかで柔軟。それでいて芯の強さや落ち着きがある。優柔不断とは違う。曖昧さや揺らぎを愛し、自ら求める宮澤さんの深い思考や想いは、味わい深い器の表情に反映されているようにも見える。</p>



<p>これから先、宮澤さんがどこへたどり着くのかまだ分からない。だからこそ、目が離せない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52981/">曖昧さを愛し、変化する人生を器に投影する陶芸家･宮澤有斗さん／栃木県芳賀郡益子町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/52981/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>日本の「竹」の復権を。ロケ地や観光地としても注目される竹農家「若竹の杜 若山農場」／栃木県宇都宮市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/52924/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/52924/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 02 Jul 2025 02:37:01 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[竹林]]></category>
		<category><![CDATA[ロケ地]]></category>
		<category><![CDATA[曙孟宗竹]]></category>
		<category><![CDATA[姫曙孟宗竹]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=52924</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4014.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>古来より日本人の身近にあり、縄文時代から日本で生育していたと言われる竹。竹林の美しさはもちろん、たけのこは春の味覚の代表格としても愛されている。栃木県宇都宮市にある広大な竹農場である「若竹の杜 若山農場」は、竹の栽培だけ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52924/">日本の「竹」の復権を。ロケ地や観光地としても注目される竹農家「若竹の杜 若山農場」／栃木県宇都宮市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4014.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>古来より日本人の身近にあり、縄文時代から日本で生育していたと言われる竹。竹林の美しさはもちろん、たけのこは春の味覚の代表格としても愛されている。栃木県宇都宮市にある広大な竹農場である「若竹の杜 若山農場」は、竹の栽培だけでなく、ロケ地や観光地としても開放し竹の魅力を発信している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">100年以上続く農場を、観光地として活用</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL3982.jpg" alt="" class="wp-image-52929" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL3982.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL3982-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL3982-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>24ヘクタール、東京ドーム約5個分に相当する広大な敷地に栗園と竹林が広がる「若竹の杜 若山農場」。宇都宮郊外に位置するここは、100年以上昔からたけのこと栗の栽培を続けてきた歴史ある農場だ。</p>



<p>農場としてたけのこと栗の栽培を続けながらも、2017年からは一般客にも開放。見渡す限り一面に広がる美しい竹林の風景を楽しめる観光地としても注目されている。</p>



<p>また、「るろうに剣心」や「キングダム」などの大ヒット映画やドラマ、著名なアーティストのミュージックビデオ撮影のロケ地にも使われ、聖地巡礼と称して遠方から訪れるファンも多い。農場を運営するのは、株式会社ワカヤマファーム代表取締役の若山太郎さん。若山さんは若山農場の三代目として、竹の魅力の発信に尽力し続けている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">有名映画のロケ地としても注目</h3>



<p>若山さんの祖先がこの土地に移り住んだのは、1670年代ごろ。そこから350年以上農家として土地と自然に向き合ってきた。若山さんの祖父の代で、竹と栗の農家としての歩みがはじまり、研究熱心な父の代では、竹の品種改良などより、より竹と栗に重きを置いた農場となっていった。</p>



<p>若山さんの代には、2013年発売の椎名林檎の「いろはいほへと」のミュージックビデオや、2014年公開の映画「るろうに剣心 伝説の最期編」に、ロケ地として協力をしたことをきっかけに、農場の知名度は急速に上がっていった。手入れの行き届いた美しく広大な竹林の数は多くない現代で、神秘的で雄大、非日常の風景を演出する場として最適だったのかもしれない。話題と評判はすぐに広まり、この後も数々の映画やドラマ、MVやCMなどのロケ地として利用が相次いだ。</p>



<p>かねてから「この美しい竹林の魅力をより多く人に知ってもらいたい」という思いを持っていた若山さんは、自身の思いと、ロケ地として使われた場所を見たいと願うファンからの公開を望む声を受け、2017年2月には観光地としての一般公開をスタートさせた。</p>



<p>2019年には大ヒット映画「キングダム」のロケ地としても利用されるなど、さらなる注目と話題を獲得。観光客は年々増え続け、2024年時点では年間9万人が訪れるように。圧巻の竹林をのんびりと散策できるほか、竹林の中の茶屋で、竹器で抹茶とお菓子を楽しんだり、ブランコに乗ったりもできる。たけのこ狩りや竹工作体験も受付、夜はライトアップされた幻想的な竹林を歩くことも。</p>



<p>また、受付に隣接する建物内には、竹についての解説や伝統工芸品である竹工芸の作品展示もあり、大人から子どもまで楽しめる施設となっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">大きく、早く繁殖する「竹」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL3989.jpg" alt="" class="wp-image-52930" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL3989.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL3989-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL3989-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本で生育する竹、正確にはタケ類と呼ばれるものは20種類ほど。竹は「木」ではなく、「イネ科」に分類されている。2ヶ月で最大20ｍ伸びることもあるほど、成長が早く繁殖力も強い。</p>



<p>地上に生えている木で言う「幹（みき）」の部分は「稈（かん）」と呼ばれ、10年程度で枯れてしまう。しかし地下に網目状に張り巡らせた根（地下茎）が次々とたけのこを生やし、新たな竹として地上で大きく育ってゆく。</p>



<p>若山さんによれば、こういった地下茎によって繁殖するのは、中国や日本など東アジアを中心とした竹の特徴で、それにより「竹林」ができるという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">オリジナルの品種は、都市における植栽への活用も</h3>



<p>若竹の杜 若山農場には約10万本もの竹が生育し、日本を代表する竹であり、日本の竹の中では最大の大きさに成長する「孟宗竹（もうそうちく）」を中心に、日本で古来から自生していた「真竹（まだけ）」や節が交互膨れて亀の甲羅のような模様になる「亀甲竹（きっこうちく）、稈が美しい黄金色になる「金明孟宗竹（きんめいもうそうちく）<strong>」</strong><strong>、「</strong>淡竹（はちく）」など約15種類ほどを栽培している。</p>



<p>また、植栽用の品種の栽培・販売も国内で唯一専門に行っていると言い、若山さんの父の品種改良の結果生まれた「曙孟宗竹（あけぼのもうそうちく）」や「姫曙孟宗竹（ひめあけぼのもうそうちく）」は若竹の杜 若山農場オリジナルの品種。特に「姫曙孟宗竹」は最大でも高さは9mほどで、植栽にも適しており、首都圏など敷地の限られた施設に美しい竹の風景を作り出すことを可能にした。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「食」としても魅力も発信</h3>



<p>若竹の杜 若山農場の竹は見るだけのものではない。三代100年以上に渡って作り続けてきたたけのこや栗は市場での販売のほか、旅館やレストランなどのプロからも評価が高い。</p>



<p>「農業とは土づくりに在り」の言葉を信条に、化学肥料に極力頼らない自然循環農法を取り入れている。また関東の土である「黒ボク土」は、有機物が集積した黒い色の土。保水性や親水性も高く、ふかふかした感触で有機物が蓄積しやすいため、栄養価が高いたけのこが出来上がるという。</p>



<p>たけのこや栗の加工品も、農場のショップ内やオンラインで販売しており、2023年には敷地内にカフェ&amp;レストランをオープンし、自分たちのたけのこや栗だけでなく、地元の食材の旬の食材をふんだんに使った料理を提供している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">サスティナブルな竹の魅力を、もっと伝えていく</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4073.jpg" alt="" class="wp-image-52931" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4073.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4073-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/SOL4073-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>竹の魅力発信に大成功しているように見える若竹の杜 若山農場だが、若山さん曰く「竹の良さを理解してもらうためには、まだまだ一歩一歩頑張っていかないと」とのこと。</p>



<p>なぜなら、近年全国各地で放置された竹林が問題になっていて、繁殖力の高い竹が山に生えた木々を侵食し枯らしてしまうことなどから「竹害」とも呼ばれ、マイナスなイメージもある。「昔はどこでも春になるとたけのこ掘りをしたが、今は取らないから、どんどん増えてしまう」と若山さん。</p>



<p>しかし実際は、地面に薄いゴムのシートを入れるだけで、地下茎が無作為に伸びてしまうことを簡単に防ぐことができるという。周囲の木々に悪い影響を及ぼすことなく植栽としても活用できるのだ。またSDGsにおける「脱プラスチック」の観点でも耐久性に優れ、さらに抗菌効果もあるため、皿やスプーンなどへの活用も進む。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/b3d63e1343345e64e6a4f67492afb2b8.jpg" alt="" class="wp-image-52932" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/b3d63e1343345e64e6a4f67492afb2b8.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/b3d63e1343345e64e6a4f67492afb2b8-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/07/b3d63e1343345e64e6a4f67492afb2b8-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>若竹の杜 若山農場でも、竹林の中の茶屋で提供する抹茶を入れる竹器は、持ち帰って自宅で再利用してもらえるように、という計らいも。<br>真の意味で「竹の魅力を伝える」ということは、良い面を伝えるだけでなく、ネガティブなイメージの解消や起こっている課題を１つ１つ解決していくことも必要不可欠なのだろう。</p>



<p>大変な道のりにも思えるが、「竹に関する食も文化も多くの人に知ってもらって、有効的に活用してもらいたいです。少しでも竹の魅力を伝えて、もう一度竹と人が共存できるようにしたい」と話す若山さんの声は力強く前向きだ。<br>「竹」という新たな魅力の発信者としての活動は、これからも続いてゆく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52924/">日本の「竹」の復権を。ロケ地や観光地としても注目される竹農家「若竹の杜 若山農場」／栃木県宇都宮市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/52924/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>古材や廃材を組み合わせて温かみのある家具をつくる木工作家･高山英樹さん／栃木県益子町</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/52896/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/52896/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 30 Jun 2025 02:06:11 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[ワイナリー]]></category>
		<category><![CDATA[家具]]></category>
		<category><![CDATA[益子町]]></category>
		<category><![CDATA[古材]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=52896</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>益子町で建築の内装や家具の制作を手がけている木工作家･高山英樹さん。高山さんは京都の歴史的建造物「旧京都中央電話局」の再開発で、隈研吾氏が建築デザインを監修した「エースホテル京都」の建築プロジェクトなどにもたずさわり評価 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52896/">古材や廃材を組み合わせて温かみのある家具をつくる木工作家･高山英樹さん／栃木県益子町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san1.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>益子町で建築の内装や家具の制作を手がけている木工作家･高山英樹さん。高山さんは京都の歴史的建造物「旧京都中央電話局」の再開発で、隈研吾氏が建築デザインを監修した「エースホテル京都」の建築プロジェクトなどにもたずさわり評価を得ている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">人との繋がりを大切にして人と空間をイメージ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san20-1.jpg" alt="" class="wp-image-52898" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san20-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san20-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san20-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高山さんがつくる作品は、古材や廃材などを組み合わせた木材の経年変化を楽しめる家具。木の質感を大切にした温かみが感じられる作品だ。</p>



<p>人との繋がりを大切にし、「縁がなければ注文は受けない」という高山さんは、依頼者とのコミュニケーションを経て思いを受け取り、「どこに置き、なにをするか」をイメージして家具をカタチにしていく。だからその空間に自然に溶け込み、しっくりとくる家具ができるのだろう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">先進的な空間に似合う、古材を活かした家具</h3>



<p>そんな高山さんの世界感を強く感じられる場所がある。それが、京都･三条通近くにある「新風館」。同施設は、関西や京都初の新業態店舗に加え、京都ならではの店舗をラインナップし、最新の流行に京都らしさが出会う唯一無二の商業空間。その「新風館」にある「エースホテル京都」は、「East Meets West」をコンセプトにアジア初のエースホテルとしてつくられた。「エースホテル京都」内のレストラン「Mr. Maurice’s Italian」で、高山さんがカスタム･デザインしたオーバルテーブルやベンチが見られる。</p>



<p>さらに、「新風館」にオープンしたBEAMSが取り扱う「Pilgrim Surf+Supply KYOTO（ピルグリム サーフ+サプライ）」。ニューヨーク･ブルックリン発のセレクトショップ「Pilgrim Surf+Supply」は“自然と都会のデュアルライフ” をコンセプトに、サーフィンを中心としたアウトドアアクティビティのあるライフスタイルをアメリカ東海岸のカルチャーというフィルターを通して提案。その「Pilgrim Surf+Supply KYOTO」のメインテーブルを手がけたのも高山さんだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">移り住んだ益子で自宅をセルフビルド</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san30.jpg" alt="" class="wp-image-52899" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san30.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san30-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san30-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>陶芸の里である益子。栃木県南東部に位置する町で、江戸時代末期から陶器の産地として全国的にも有名な町だ。木工作品や家具などを手がける高山さんの自宅とアトリエは、益子町の中でも自然豊かで緑あふれる地区にある。</p>



<p>自宅は家族3人で今もつくり続けているというセルフビルド。2002年に益子に移り住み、今もなお家づくりはとまらない。</p>



<p>「ここに移る前、農家の手伝いをした時にビニールハウスを建築したんです。それが意外と快適な空間で。そこでビニールハウスみたいな家をつくりたいと思いつきました。この土地を見つけた時に、プレハブでガラス面を多くしたら似たような効果が期待できるんじゃないかと思ってつくり始めたんです」。</p>



<p>大きな窓から見えるのは一面に広がる田園風景。田植えの季節になると家の周りの田んぼに水が張られて、まるで湖のようになる。そして林の向こうの丘にはぶどう畑が見える穏やかな景色だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">益子にたどりついたきっかけ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san15.jpg" alt="" class="wp-image-52900" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san15.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san15-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san15-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>益子に住み始めて22年の高山さんの出身は石川県七尾市。文化服装学院を卒業後、東京でステージ衣装や1点ものの洋服をつくり、収入が入ると海外旅行に出るということをしていたそう。そんな時に「益子に面白い人が集まっている」という噂を聞く。</p>



<p>「子どもが生まれる前からどこか良い所はないか探していて…子どもが生まれたらふるさとをつくってあげたかったんですね。ここは、実家の風景にもどことなく似ていて気に入りました」という。</p>



<p>地元の人たちの、ものづくりへの理解や様々なことにチャレンジする人を見守る文化にも「良かった」と、益子町を知り移住するきっかけや実際に住んで見て思ったことを教えてくれた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自宅つくりとともに始まった益子での暮らし。そして、家具づくり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san19.jpg" alt="" class="wp-image-52901" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san19.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san19-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san19-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高山さんの家具づくりのスタートは、宇都宮でレストランを開いていた方が益子にカフェをオープンするにあたって、内装などを手がけるために店づくりに参加したのがきっかけだった。</p>



<p>内装だけでなく、廃材などでテーブルなどの家具を設える必要があり、そこで家具作りに触れた。</p>



<p>偶然のように始まった高山さんの家具作り。しかし、「縁」を大切にする高山さんらしい家具作りのスタートだ。木材を巧みにあやつり、空間に自然とマッチする高山さんの家具だが、家具づくりは人に習ったものではない。</p>



<p>「習うことは、型にはまること」と、ファッションの仕事をしていた時を教訓にして「自分で思ったことをやってみよう」と独学ではじめたそうだ。高山さんにとって、家具作りは自身の生き方の表現である。</p>



<p>依頼は人と人との「縁」がなければ受けないこともひとつの表現だろう。デザインよりも、家具が置かれる空間や使う人との関係性、そこで生まれる会話や時間まで想像して制作する。</p>



<p>家具は生活に溶け込み、人と空間を繋ぐ必然性から生まれるべきだと考えているのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">人との繋がりがきっかけを生む</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san3.jpg" alt="" class="wp-image-52902" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san3.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san3-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san3-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>益子には、1998年にオープンした「身の回りにあるもの、手の届く範囲で、心地よく暮らす。」をコンセプトにした「starnet（スターネット）」という人気のライフスタイルショップがある。</p>



<p>高山さんは、縁あって「starnet」のテーブルも制作したという。さらには、「starnet」での人との繋がりから、高山さん家族は息子の源樹（げんき）さんを中心にしてワイン作りに発展した。</p>



<p>益子の地で「家具づくりという手仕事をやっていこうと思っていたら、『今度はワイン』なんて話になってしまいました」と笑いながら話す高山さん。</p>



<p>なんとも、人の繋がりを大切にする高山さんらしいストーリーだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ワイン造りへの挑戦</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san41.jpg" alt="" class="wp-image-52903" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san41.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san41-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san41-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高山さんの息子である源樹（げんき）さんが高校生の時、「starnet」のオーナー友人に「夏休みになったら手仕事と芸術を見るためにどこかへ行きたいんですけど、どこかおすすめの場所ありますか」と質問をした。</p>



<p>すると返答は「フィレンツェに行っておいで」。</p>



<p>海外かと驚きながらも、せっかくのきっかけだからと夏休みの1カ月間をイタリアで過ごし、30種類くらいの手仕事と10箇所くらいのミュージアムを見て回ったそう。</p>



<p>そこで最後に見たワイナリーに芸術性を感じ衝撃を覚えた。そこで高校を卒業するとワインに関わる仕事をしたいと、イタリアに渡った。</p>



<p>薦められたとはいえ、高校在学中に1人でイタリアに学びに行かせる柔軟な考えは、高山さん自身の若い頃の「収入が入ると海外旅行に出る」という行動があってこそだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">家族3人でつくるぶどう畑</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san40.jpg" alt="" class="wp-image-52904" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san40.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san40-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/takayama-hideki-san40-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>帰国後、源樹さんはワインの勉強をするうえで、自分が惹かれているワインは「地域との関係性がバックグラウンドにあるワイン」だと気づく。</p>



<p>では、どこでワインをつくったらいいのかを考えた時に「益子でつくる」と考えにいたった。</p>



<p>先輩や知人などが栃木県足利市にある指定障害者支援施設こころみ学園のワイン醸造場「ココ･ファーム･ワイナリー」に繋げてくれて、学びや協力を得ることができた。<br>「ココ・ファーム・ワイナリー」とは、栃木県足利市にあり、国際的なサミットの晩餐会で採用されるなど、日本を代表するワイナリーとして全国的に知られている。</p>



<p>さらに、地元の方と連携をとることができ、高齢化で管理ができず荒れ始めていた土地を家族3人で開墾。源樹さんの想いが少しずつ現実のものになっていく。3年目になる今は、赤ぶどうをメインに11種･300本弱の木が植えられているぶとう畑。今後は土地の性質などにもあわせて、白ぶどうも増やしていきたいと話す。</p>



<p>父である高山さんも一緒になって、今後のブドウ畑やワインについて目を輝かせていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">地域の人たちと育む「ものづくり」と収穫祭</h2>



<p>源樹さんを中心とした高山さん家族のワインへの挑戦は始まったばかりだ。ぶどうの収穫には5〜7年かかる見通しで、地域の人たちとともに時間をかけて「ものづくり」をしたいと考えている。</p>



<p>「収穫祭をやりたいんです」と家族3人でにこやかに語る夢が叶う日も、そう遠くないかもしれない。</p>



<p>ワイン造りという新たな挑戦もまた、高山さんが大切にしてきた「人との繋がり」から生まれたものだ。<br>しかし、その活動の原点であり、核となるのは、やはり木と向き合う家具作り。</p>



<p>依頼主との対話、空間との調和を重んじ、古材の一つひとつに新たな命を吹き込む。これからも高山さんは、使う人の暮らしにそっと寄り添う温かな家具を、この益子の地で作り続けていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52896/">古材や廃材を組み合わせて温かみのある家具をつくる木工作家･高山英樹さん／栃木県益子町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/52896/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>弛まぬ努力と研究で、新しい味へ挑戦しつづける「渡邉酒造」／栃木県大田原市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/52772/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/52772/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 17 May 2025 05:58:55 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[貴醸酒]]></category>
		<category><![CDATA[旭興 貴醸酒 百]]></category>
		<category><![CDATA[日本酒]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=52772</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SOL3119.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>製造した酒の約9割が地元や栃木県北で消費され、同じ栃木県であっても県南ではめったにお目にかかれない日本酒「旭興（きょくこう）」。八溝山（やみぞさん）より流れる武茂川（むもかわ）の伏流水や地元の高品質な米を仕込みに使い、冷 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52772/">弛まぬ努力と研究で、新しい味へ挑戦しつづける「渡邉酒造」／栃木県大田原市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SOL3119.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>製造した酒の約9割が地元や栃木県北で消費され、同じ栃木県であっても県南ではめったにお目にかかれない日本酒「旭興（きょくこう）」。八溝山（やみぞさん）より流れる武茂川（むもかわ）の伏流水や地元の高品質な米を仕込みに使い、冷涼な気候のもとで丁寧につくられている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">八溝山から流れ出る良質な水でつくる、歴史ある酒蔵</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SOL3075.jpg" alt="" class="wp-image-52773" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SOL3075.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SOL3075-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SOL3075-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>渡邉酒造は栃木県大田原市、旧黒羽町の須佐木という山間の集落にある酒蔵。車を10分も走らせれば、すぐ茨城県に入る場所だ。地酒をつくる小さな酒蔵であるが歴史は古く、創業は1892年（明治25年）。新潟県を発祥地とする、日本酒を造る杜氏集団である越後杜氏として酒造りをしていた初代が農家の納屋を間借りして日本酒の製造を始めたのがルーツだ。明治45年に今の場所へ移転し、それまでの蔵から東に移動したことで「朝日（旭）が昇る（興る）」と縁起を担ぎ、銘柄名を「旭興（きょくこう）」としたのだそう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">栃木県でもなかなかお目にかかれない幻の酒</h3>



<p>「地元に愛される酒が『地酒』。 地方で造っただけの酒ではない」を社訓として、五代目･渡邉英憲(わたなべひでのり)さんが中心となり杜氏を担い酒造りをおこなっている。</p>



<p>「地元に根付いて愛される日常の酒」という想いは渡邉酒造の流通にも現れており、現在最大で900石の生産があるというが、その9割が地元で販売され、それも30分で行けるところがほとんどだという。1石で一升瓶（1.8リットル）約100本分とされるから、81,000本の一升瓶が30分圏内で販売されているということになる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">全国でも評価が高く、地元･大田原を代表する</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SOL3092.jpg" alt="" class="wp-image-52774" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SOL3092.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SOL3092-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SOL3092-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>八溝杉で有名な地にある小さな酒蔵だが、最近では、全国140の酒蔵から吟醸酒312点、純米酒325点が出店された「第103回 南部杜氏自醸清酒鑑評会」の吟醸酒の部で首席第1位、純米酒の部で第2位に輝くなど、素晴らしい成績を収めている。実は第100回も吟醸酒の部で首席第1位を収め、知る人ぞ知る名酒。</p>



<p>なかでも、第103回 南部杜氏自醸清酒鑑評会の受賞した吟醸酒は、地元大田原の佐久山産100％の酒米･山田錦を使用。「大田原を少しでも盛り上げようとつくった酒。県内一の米どころが、酒米の質の良さでも高く評価された」と話す。大田原は栃木県内一の米作りが盛んな土地。まさに地元･大田原が詰まった、大田原を代表する酒なのである。</p>



<h2 class="wp-block-heading">顧客のニーズを捉えながらつくる酒</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SOL3095.jpg" alt="" class="wp-image-52775" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SOL3095.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SOL3095-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SOL3095-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>主力商品は何かと聞かれると「今では純米酒」と答える渡邉さん。小売店や飲食店の売りやすさを考え、四季折々の商品をつくるようにしているという。また、「これは生でだそう」など、飲み手の立場になって商品をつくっていく。その結果、「旭興」の中でも数々の銘柄が流通し、地元の人々に愛されている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">研究が好き。研究を続け、色々と試したい</h2>



<p>渡邉さんは東京農業大学 農学部 醸造学科卒。大学では「酵母の泡」の研究をおこなっていた。今も研究を続けたい気持ちが強く、酵母の研究設備を蔵内に持つほどである。地方で研究室を持っている酒蔵はめずらしく、酒に対する研究の想いは貴醸酒（きじょうしゅ）にも表れている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">研究を重ねて開発した人気の貴醸酒</h3>



<p>渡邉さんは東京農業大学在学中に「貴醸酒の研究をしたい」と話したら、教授に「時代遅れだ」と言われた。貴醸酒とは、水の代わりに酒で仕込んだ酒で、独特のとろみのある甘口の日本酒である。</p>



<p>貴醸酒の研究を諦めきれなかった渡邉さんは自分の蔵に戻り、貴醸酒で人気のある蔵に自ら連絡し、教えを乞うた。さらに、「教えてもらったことと同じことをやっては二番煎じ」だと考え、フレッシュな貴醸酒に挑戦。<br>持ち前の研究熱心さから、貴醸酒に使う米から吟味し、身体に吸収されやすい消化性タンパク質（グルテリン）の含量が低いという特性をもった品種・低グルテリン米を使うことで、「甘みがあるがスッキリとしたカジュアルな味」になることを突き止めた。<br><br>このようにして生まれた酒「貴醸酒･百」は、今や渡邉酒造の人気商品である。気になることやアイデアが湧けば迷わず試す。味や品質への探求に余念がないのが渡邉酒造の強みなのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">面白いと思ったら、まずは挑戦する姿勢</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SOL3110.jpg" alt="" class="wp-image-52776" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SOL3110.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SOL3110-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SOL3110-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>渡邉さんの挑戦は「貴醸酒の研究」への想いから生まれた「旭興 貴醸酒 百」だけではない。</p>



<p>「水も米も地元のものを使い、酒を仕込む容器も地元のものを使いたい。地元のためにも、『八溝杉を使った商品』を知ってもらいたい」という気持ちから生まれた商品もある。その酒は、杉の産地でもある八溝山地の裏山の杉で樽をつくり、その樽に酒を仕込むのだ。</p>



<p>「あれができるなら、これはどうか」など毎年挑戦に余念がない渡邉さんの酒の研究に終わりはない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52772/">弛まぬ努力と研究で、新しい味へ挑戦しつづける「渡邉酒造」／栃木県大田原市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/52772/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>ゆずの可能性を示し、北緯36度の「宮ゆず」を世界へ。床井柚子園／栃木県宇都宮市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/52435/</link>
					<comments>https://nihonmono.jp/article/52435/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 27 Feb 2025 12:59:12 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[宮ゆず]]></category>
		<category><![CDATA[ゆべし]]></category>
		<category><![CDATA[新里町]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://nihonmono.jp/?p=52435</guid>

					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/246b5797645ce9dc19ff774f2d96457c.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>秋から冬にかけて、黄色く色付くゆず。宇都宮市新里町（にっさとまち）で栽培されている「宮ゆず」は、その豊かな風味で、有名レストランのシェフたちの評価も高い。ゆずは西日本で栽培が盛んだが、北関東で育ったゆずにはどんな違いがあ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52435/">ゆずの可能性を示し、北緯36度の「宮ゆず」を世界へ。床井柚子園／栃木県宇都宮市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/246b5797645ce9dc19ff774f2d96457c.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>秋から冬にかけて、黄色く色付くゆず。宇都宮市新里町（にっさとまち）で栽培されている「宮ゆず」は、その豊かな風味で、有名レストランのシェフたちの評価も高い。ゆずは西日本で栽培が盛んだが、北関東で育ったゆずにはどんな違いがあるのか。「宮ゆず」を栽培する、床井柚子園を訪れた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">北関東の冷涼な気候で、ゆずを育てる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/SOL3926.jpg" alt="" class="wp-image-52436" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/SOL3926.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/SOL3926-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/SOL3926-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宇都宮市の北西部に位置する、新里町（にっさとまち）。三方を山に囲まれ、地域の大半が山林。平地では農業が盛んで、里芋や、江戸時代から栽培されてきた伝統的な曲がりねぎ「新里ねぎ」の名産地でもある。</p>



<p>そんな新里町にある床井（とこい）柚子園。ここには現在約250本のゆずの木が植えられ、約10ｔのゆずの実を栽培、収穫後は農園内の施設で加工を行っている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">父が植えた、100本のゆずの木</h3>



<p>農園を経営するのは代表の床井光雄さん。床井農園は1964年（昭和39年）に、床井さんの父・忠雄さんが100本のゆずの木を植えたことが始まりだった。戦後の高度経済成長期の中で、変化していく人々の志向に合わせ、食べるだけではない、嗜好品として香りを楽しめる「ゆず」に着目。この地を産地化しようとした。</p>



<p>しかし、柑橘類であるゆずは、暖かい地域での栽培に適した果実。現在も、ゆずの生産量は高知県が半数を超え、次に徳島県、愛媛県と続き、温暖な西日本が中心。当時も県内では本格的な栽培をしている農家はおらず、高知県や埼玉県の先駆者から指導を受けたそう。</p>



<p>試行錯誤を重ね、10年目となる1974年（昭和49）年に初出荷を達成。新品種の導入や「ゆずの低温貯蔵庫」を造るなど、一時期は各地から視察が相次ぐ注目の産地にまでなったそうだが、次第に西日本の暖かい地域のゆずが多く関東にも流通するようになると、価格が買い叩かれるように。<br>生産者たちも意欲を失い、地域では放置されるゆずの木が増加。床井さんの言葉を借りれば「産地間競争に負け」てしまったのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ゆずは風呂に入れるもの？</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="828" height="552" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/f39d21c8129b65ba1d28f9afc1024cd5.jpg" alt="" class="wp-image-52437" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/f39d21c8129b65ba1d28f9afc1024cd5.jpg 828w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/f39d21c8129b65ba1d28f9afc1024cd5-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/f39d21c8129b65ba1d28f9afc1024cd5-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 828px) 100vw, 828px" /></figure>



<p>大変厳しい状況の中、2010年に父・忠雄さんが亡くなり、床井さんが農園を継ぐことに。この時の床井さんの頭にあったのは、「この地域を守らなければ」という想いだけだったという。当時は全く儲からなくなっていたゆず栽培。地元でも「ゆずは風呂に入れるもの」という感覚しかないため、二束三文でしか売れない。</p>



<p>そのため、もっと広く、ゆずについて発信していかなければいけない。もっとPRをしないといけないと考え、ゆずの「食べ方や使い方を提案」することに、力を入れることにした。</p>



<p>そこで、床井さんと同じ地域のゆずの生産者たちと共に手を取り合い、それまでの「新里ゆず生産出荷組合」という名前を「宇都宮ゆず組合」に改め、「宮ゆず」という名前で地域ブランド化を目指した。</p>



<h3 class="wp-block-heading">皮の厚いゆずの特徴を「魅力」へ転換</h3>



<p>暖かい地域で育つゆずは果汁が多いのが特徴。しかし冷涼な気候で育ったゆずは、やや小ぶりで皮が厚くなってしまう。しかしこの皮の厚みこそが、「宮ゆず」の魅力となった。</p>



<p>ゆずの皮には、ビタミンCやヘスペリジンやリモネンなどの血流を改善する効果のある成分も多く含まれると言われている。さらに、ゆずの香り成分は皮に多く含まれるため、厚い皮のゆずは香りが強くなる。</p>



<p>床井柚子園では、ゆずを生のまま出荷することはほぼない。収穫した9割は鮮度を保ったまま冷凍し、加工品として出荷している。一般消費者向けのドレッシングやゆずこしょう、ゆべしなどもあるが、それらに加え、冷凍スライスした皮や粉末、果汁などの一次加工品を、ホテルやレストランへ販売することが多い。</p>



<p>もちろん最初から順調に売れていたわけではない。ゆずを使いたい料理人や企業との商談の中で、どういう風に使いたいのか、どのような加工をすれば使ってもらえるのかをヒアリングし、商品に活かしていった。それを何度も繰り返すことで、買ってくれる先は増えていった。そうすると、今度はまた「もっとこれに使いたい」という意見がもらえるようになり、それがさらに商品開発に生かされるようになった。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="828" height="552" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/6bfbdea560882323b867ef6562fa9a31.jpg" alt="" class="wp-image-52438" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/6bfbdea560882323b867ef6562fa9a31.jpg 828w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/6bfbdea560882323b867ef6562fa9a31-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/6bfbdea560882323b867ef6562fa9a31-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 828px) 100vw, 828px" /></figure>



<p>また、手間暇がかかり大量生産が出来ないため、一部のホテルやJR四季島などにしか販売していないが、11世紀頃から日本で作られてきた歴史もある珍味の「ゆべし」も製造している。</p>



<p>地元では「冬の風呂に入れるもの」くらいの認識だったゆずだが、「一次加工までして初めてマッチングが生まれたんです」と床井さんは微笑む。</p>



<h3 class="wp-block-heading">海外の評価を体感したことが自信になった</h3>



<p>ゆずの原産地は中国の揚子江上流で、奈良時代前後に日本に伝わったと言われている。現在は、日本が生産量世界一で、中国や韓国、オーストラリア、スペイン、イタリア、フランスでも栽培が進んでいるが、日本のゆずは海外のゆずと比べても香りが高いのが特徴だという。</p>



<p>2018年と2019年には、国による日本食の販路を海外へ拡大するための事業の一貫で床井さんに声がかかり、フランス・パリへ渡った。そこで床井さんは、「日本のゆずって、こんなにフランスで評価されているのか！」と心から驚いたという。</p>



<p>また、タイのバンコクに行った際も「タイの人って、ゆずの味がわかるのだろうか」と思っていた床井さんだが、そこでも「タイの人たちのゆずに対しての真剣味が違う」と感じた。</p>



<p>現地にはゆず専門店が20店舗ほどあったそうで「海外の人のほうが、日本人よりゆずを評価してくれているんだ」という実感と共に、自信にもつながった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">地方の小さな農園だからできること</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/SOL3944.jpg" alt="" class="wp-image-52439" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/SOL3944.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/SOL3944-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/SOL3944-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>床井柚子園の柚子の木は、日当たりと風当たりがよくなるよう、こまめな剪定を行うため背が低い。そうすることで、良い実がなって、病気にもなりにくくなるという。実が青いうちに摘果し、その実のほとんどは柚子こしょうにされる。そのままではニーズの少ない青柚子も、捨てずに無駄なく有効活用しているのだ。現在農園では、2品種を栽培。ひとつは、香りが強くゆずらしい苦みも持つ「大実柚子」。そして、レモンのように果汁が多く、種のない「多田錦」。<br>毎年11月中旬ごろには実が黄色く色づくので、１ヶ月ほどの間に一気に収穫。霜が降りる前に収穫を完了させる。収穫をしたら、2〜3日の間には加工を行う。収穫から加工までの時間を短くすることで、香りの良い状態を保てるという。「小さな産地だからできることかもしれません」と床井さん。栽培も収穫も加工も、自身の目と手が届く範囲で行っていることこそ、良いゆずを育てる秘訣なのかもしれない。<br><br>「ゆずはこの土地の気候風土が育ててくれているもので、私たちはそのお手伝いをさせてもらっている感覚です」と床井さん。キャッチコピーを「光と風が育む北緯36度宮ゆず」としているのは、そのためだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">宮ゆずを知りに、地方へ来て欲しい</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/SOL3898.jpg" alt="" class="wp-image-52440" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/SOL3898.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/SOL3898-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/02/SOL3898-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在、床井柚子園のゆずは、「ザ・リッツ・カールトン日光」や「日光金谷ホテル」、「パレスホテル大宮」など一流ホテルのレストランでも多く使われている。評判が評判を呼び、現在の生産量では追いつかないほどのオファーがあるという。<br><br>しかし、今後も大規模にやるつもりはないという床井さん。「実際に柚子園を見てもらって、宮ゆずの良さを理解した人に使ってもらいたい。シェフたちとも、本音で話し合いができるようになってきました。宮ゆずにふさわしい商品や料理を作って欲しい想いがありますし、そのためにお互いにはっきり意見を言い合える付き合いがしたいです」。2024年には、長らく宇都宮大学と行っていたゆずの成分研究の結果を活かし、宮ゆずの香りを再現したルームフレグランスと、宮ゆずの香りをベースに調合した、抗ストレス作用があるとされる香料で作ったルームスプレーも発売。<br><br>「食」だけにとどまらず、宮ゆずの魅力はこれからも広がっていくのだろう。  </p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52435/">ゆずの可能性を示し、北緯36度の「宮ゆず」を世界へ。床井柚子園／栃木県宇都宮市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://nihonmono.jp/article/52435/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
	</channel>
</rss>
