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	<title>特別企画 - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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	<title>特別企画 - NIHONMONO</title>
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		<title>南アルプスの深淵で醸される、百年先の森を守るウイスキー。「十山」が紡ぐ物語／静岡県静岡市</title>
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		<pubDate>Sat, 28 Feb 2026 08:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[Dessin]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07776_batch.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>静岡県と山梨県の県境、南アルプスの山林に佇む、日本で最も標高の高い場所にある蒸溜施設「井川蒸溜所」。運営するのは、この地に広大な社有林を持つ特種東海製紙グループの「十山（じゅうざん）株式会社」。なぜ紙造りのプロフェッショ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07776_batch.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>静岡県と山梨県の県境、南アルプスの山林に佇む、日本で最も標高の高い場所にある蒸溜施設「井川蒸溜所」。運営するのは、この地に広大な社有林を持つ特種東海製紙グループの「十山（じゅうざん）株式会社」。なぜ紙造りのプロフェッショナルが、ウイスキーという未知の領域に挑んだのか。そこには、南アルプスの豊かな生態系を次世代へと繋ぐための、壮大な「森の利活用」の物語があった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">電波も届かない山奥で、静かに回る蒸留機</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07743_batch.jpg" alt="" class="wp-image-54068" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07743_batch.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07743_batch-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07743_batch-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>静岡駅から車で4〜5時間。一般車両の進入が制限されたゲートを抜け、さらに奥へと進んだ先に井川蒸溜所はある。静岡県側から向かう南アルプスの入り口に位置する井川地区は、携帯の電波すら届かない深い山の中だ。</p>



<p>インフラが乏しく、生活の利便性が皆無のこの場所では、製造メンバーが山に籠もり、蒸溜機と向き合う。下山できるのは2週間に一度きり。深い森の中で原酒の産声を見守るその生活は、まさに修行僧のようでもある。</p>



<p>ちなみに現在、日本国内には稼働中･準備中を含め、約150カ所のウイスキー蒸溜所があるが、十山が異業種から参入した2020年当時は40〜50カ所程度だったというから、この5年で約3倍に増えた計算になる。</p>



<p>その中でも静岡県は蒸溜所の数が日本で5番目に多く、比較的ウイスキー造りが盛んな地域。</p>



<p>静岡市内には「ガイアフロー静岡蒸溜所」、県東部には、大手飲料メーカーであるキリングループが所有する「キリンディスティラリー」をはじめ、「Distillery Water Dragon」「富士かぐや蒸溜所」など、特色ある蒸溜所が点在するが、井川蒸溜所はその稀有な立地や成り立ち、経営ビジョンから、県内でもひときわ個性を放つ存在となっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">2万4,000ヘクタールの森が、すべての始まりだった</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07787_batch.jpg" alt="" class="wp-image-54069" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07787_batch.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07787_batch-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07787_batch-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そんな井川蒸溜所を運営する十山株式会社（以下･十山）の親会社である特種東海製紙株式会社（以下･特種東海製紙）は、この南アルプス一帯に約2万4,000ヘクタールの社有林を所有。</p>



<p>これは山手線の内側の面積の約4倍に相当し、地続きの単一私有林としては国内最大級の広さを誇り、日本の固有種や希少種が息づく極めて豊かで深い生態系を有する。そのため同社では、この貴重な自然環境を後世に残すため、守っていかなければいけないと考えていた。</p>



<p>しかしながら、この広大な森や生態を維持･保全し続けるには莫大なコストがかかる。かつては伐採した木を川に流して下流でキャッチし、建築資材や紙のチップにするなど資源として利活用していたが、海外産の安価な木材に押され、そのビジネスモデルも半世紀以上にわたって停滞。</p>



<p>「ただ保護するだけでは、持続可能な管理はできない。山の価値を正しく作り出し、保全のための資金を生む事業が必要だ」</p>



<p>そんな長年の課題に対するひとつの答えとして誕生したのが、十山であり、ウイスキー事業だった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">山の恵みが、完璧にそろっていた</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07891_batch.jpg" alt="" class="wp-image-54070" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07891_batch.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07891_batch-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07891_batch-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>山を活用するビジネスを検討した際、最初に着目したのは「水」だった。南アルプスは、人々の暮らしを支える水源地であり、工業用水や生活排水の影響を一切受けない極めてピュアな軟水が湧き出る。この水をそのまま販売する案もあったが、それだけでは付加価値に限界があることは否めなかった。</p>



<p>そこで考え、辿り着いたのが、社有林そのものを活かしたウイスキー造り。</p>



<p>社有林のある井川地区は、1,200メートルという標高の高さと、山林の恩恵を受けた湿潤な気候により、一年を通じて冷涼かつ湿度が高く、樽熟成中の蒸散率が低いため、時間をかけてゆっくりと熟成させた長熟の酒を育むことができる。</p>



<p>この気候や環境はウイスキーの本場･スコットランドによく似ているのだそう。</p>



<p>加えて、こんこんと湧き出る源流水や、ウイスキー樽に多く使用されるミズナラ（オーク）といった素材の優位性もあり、良質なウイスキーが造れる条件がそろっていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">成長の過程を愛でる。「デッサン」という名の物語</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07862_batch.jpg" alt="" class="wp-image-54071" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07862_batch.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07862_batch-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07862_batch-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>こうしてはじまったウイスキー造り。</p>



<p>好きが講じて、さまざまな銘柄を飲み比べてきた蒸溜責任者兼所長の瀬戸さんが目指したのは、派手なインパクトではなく、クリアで飲み疲れしない食中酒のようなウイスキー。</p>



<p>スッキリとした味わいの奥に、上品に素材の味や香りを感じられる、さながら南アルプスの原生林のような“奥ゆかしさ”を表現したいと考えた。</p>



<p>そのためにこだわったのがミルと呼ばれる、原料のモルト（大麦）を粉砕する工程。</p>



<p>クリアな麦汁をとることで、雑味がなくなり井川蒸溜所が求める甘く透明感のある酒質につながるため、この工程では「ハスク（殻）」「グリッツ（粗い粒）」「フラワー（細かい粉）」のバランスに注意し、渋みや重たい口当たりの原因となるフラワーが多くならないように都度、細やかな調整を行っている。</p>



<p>味のコンセプトや製法へのこだわりが明確になり、蒸溜開始から3年が経過した現在、井川蒸溜所からリリースされているのは、完成されたレギュラー品ではない。彼らは、ブランドが誕生して間もない“今しかできない”ラインナップに、独自の哲学を込めている。</p>



<p>最初にリリースされたのは、3年未満の原酒を集めた「ラボ（Lab）シリーズ」。自分たちがどのような「絵の具（原酒）」を持っているかを確認するための実験の記録だ。これに続き、現在展開しているのが「デッサン（Dessin）シリーズ」。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07878_batch.jpg" alt="" class="wp-image-54072" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07878_batch.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07878_batch-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07878_batch-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ラベルには、南アルプスに生息する雷鳥（Fauna）や高山植物（Flora）が線画で描かれている。あえて色をつけないのは、熟成の途上にあり、まだ「未完成」であることを示すため。このデッサンに色がつき、南アルプスの全景がカラーで描かれた時、井川蒸溜所の求める「完成画」としてのウイスキーは誕生する。</p>



<p>「今この瞬間の、井川の自然を味わってほしい。未完成な時間の重なりを楽しめるのも、ウイスキーの醍醐味ですから」と、瀬戸所長は語る。</p>



<h3 class="wp-block-heading">世界を驚かせた、2025年の快挙。井川が証明した「質」の力</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07771_batch.jpg" alt="" class="wp-image-54073" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07771_batch.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07771_batch-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07771_batch-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>近年、その「未完成」なはずのウイスキーが国際的なコンペティションで次々と高い評価を獲得し、世界に衝撃を与えている。</p>



<p>アメリカで開催された「Bartender Spirits Awards 2025」では、デッサンシリーズの「Flora 2024」が「シングルモルト･ウイスキー･オブ･ザ･イヤー」に、「Fauna 2025」が「ジャパニーズ･ウイスキー･オブ･ザ･イヤー」にそれぞれ輝いた。</p>



<p>また、「Flora 2024」は、スピリッツにおける世界三大品評会のひとつと評される「San Francisco World Spirits Competition 2025」や、ウイスキーの本場であるイギリスで開催される「International Wine &amp; Spirit Competition 2025」でもゴールドメダルを獲得し、その品質の高さを証明した。</p>



<p>さらに、品質だけでなく、プロジェクトとしての取り組みも高く評価されており、2025年9月には東京ビッグサイトで開催された「第8回エコプロアワード」にて最高位のひとつである「財務大臣賞」を受賞。12月には環境省主催の「グッドライフアワード」でサステナブルデザイン賞を受賞するなど、ウイスキー造りを通じた森林保全活動が、持続可能な社会のロールモデルとして注目を集めている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「紙造り」のプライドを「ウイスキー」へ。異色の職人集団</h2>



<p>井川蒸溜所は、造り手たちの経歴も異色だ。現場を統括する瀬戸所長をはじめ、スタッフの多くは元々、特種東海製紙で「紙」を造っていた技術者たちである。社内公募で集まったメンバーは、自動車整備士やアルコール製造の経験者など多岐にわたるが、ウイスキー造りに関しては全員がゼロからのスタートだった。</p>



<p>ウイスキー造りの経験といえば、プロジェクトが始まった当時に瀬戸所長が長野県の「マルス信州蒸溜所」で約1年間の修業を積んだ程度。</p>



<p>とはいえ、紙の製造で培われた緻密な工程管理や不具合を見逃さない鋭い観察眼、機械メンテナンスのスキルは、繊細な蒸留プロセスの安定に寄与している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">静岡の宮大工と挑む「国産ミズナラ樽」の再興</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07796_batch.jpg" alt="" class="wp-image-54074" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07796_batch.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07796_batch-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07796_batch-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ウイスキーに特色が出せるようになってきた同社。</p>



<p>次のステップとして考えたのが、社有林に自生するミズナラの間伐材や倒木を使ったウイスキー樽の製造だった。</p>



<p>樽はウイスキーの味わいを決める重要な要素。通常、多くの蒸留所は海外からシェリー樽やバーボン樽の中古を輸入して使用する。だが同社は考えた。「山に木があるのなら、自分たちで樽を造れないか。自社製の、しかも社有林で育った木を使った樽でウイスキーを熟成させることは、大きなアドバンテージとなるはずだ」と。</p>



<p>そこで声をかけたのが、静岡市内の「宮大工」である杉山さん親子だった。</p>



<p>「中古の樽をバラしてみれば、構造もわかるし造れるだろう」</p>



<p>そんな力強い言葉から始まった樽造りプロジェクトは、一筋縄ではいかなかった。宮大工としての誇りを持つ彼らにとっても、液体を漏らさない「樽」という構造は未知の領域だったからだ。</p>



<p>杉山さん親子が音頭を取り、地元の板金屋に「タガ(樽を締める鉄輪)」を依頼し、地元の製材所が丸太を挽く。まさに市内の職人ネットワークを結集した「オール静岡」の樽造りが動き出した。</p>



<p>それから約３年の歳月を掛け、ようやく完成した国産ミズナラの樽は、ウイスキーに、蜂蜜のような甘みや、香木（芳香を放つ木材）の最高峰と言われる伽羅のような独特の香りを与えた。それは、同社が目指す奥ゆかしい「和」のニュアンスそのものだった。</p>



<p>まだ全体の数パーセントではあるが、自社材の樽で熟成された原酒は、専門家からも高い評価を得ている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">百年先の森のために。一献に込められたフィロソフィー</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07798_batch.jpg" alt="" class="wp-image-54075" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07798_batch.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07798_batch-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/DSC07798_batch-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>井川蒸溜所のウイスキーは相場と比較しても、決して安価ではない。それには明確な理由がある。</p>



<p>ひとつは、人里離れた厳しい環境での製造コスト。そしてもうひとつは、この売上の一部が「南アルプスの保全」に直接充てられるという点だ。</p>



<p>このウイスキーを手に取ることは、南アルプスの自然を守り、100年先の森を育む活動に投資することと同義。</p>



<p>同社がつくっているのは南アルプスの情景そのものであり、百年先の森の姿だ。</p>



<p>その挑戦は始まったばかり。今はまだ「デッサン」の段階だが、南アルプスの豊かな水とミズナラ、そして厳しい冬が、原酒を琥珀色へと変えていく。</p>



<p>まだ完成版を世に出す明確な時期は決まっていない。仕込んでいる原酒も樽ごとに個性があり、熟成のピークも異なる上に、未完成とは言いながら現在リリースしている「Flora」や「Fauna」も胸を張っておいしいと言える。だからこそ、長熟による香味も含めて、今あるウイスキーを凌駕する味になった時、この琥珀色の一滴は、いよいよ世界中のグラスを満たし、日本の豊かな森を守る大きな循環を生み出すだろう。守るべき森が、100年後も変わらず美しくあり続けるために、今日も山深くで、蒸留機は静かに回り続けている。</p>



<p class="is-style-icon_announce">2026年、井川蒸溜所は同じ静岡市内にある静岡蒸留所と共同でホッピングツアー「静岡市の水と森を味わう、蒸留所ホッピング」を開催します。同市内とは言えど、距離のある2施設を1泊2日の行程でのホッピング。<br>それぞれのディスティラーによるガイド付きで、醸造方法から地域との共創の仕方まで、ウイスキー作りの真髄を楽しめるツアーです。</p>



<p class="has-xs-font-size">※本ツアーは、積雪のある冬季は開催しておりません。2026年4月以降のツアー開催に向けて、現在準備しておりますので、下記サイトより最新情報をご確認ください。<br>https://travel.daitetsu-adv.co.jp/</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54058/">南アルプスの深淵で醸される、百年先の森を守るウイスキー。「十山」が紡ぐ物語／静岡県静岡市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>駿府の職人魂が息づく雛人形。時を重ね、想いを纏わせる「人形工房 左京」の挑戦／静岡県静岡市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 25 Feb 2026 14:29:19 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[雛人形]]></category>
		<category><![CDATA[駿河雛人形]]></category>
		<category><![CDATA[駿河雛具]]></category>
		<category><![CDATA[きおくひとえ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100832.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>静岡県の中部、日本有数の大都市である東京、名古屋、大阪を繋ぐ東海道の商圏に恵まれた静岡市。世界有数の総合模型メーカーである株式会社タミヤが本社を構えるこの街がプラモデルや模型の聖地であることは有名だが、古くから続く「伝統 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100832.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>静岡県の中部、日本有数の大都市である東京、名古屋、大阪を繋ぐ東海道の商圏に恵まれた静岡市。世界有数の総合模型メーカーである株式会社タミヤが本社を構えるこの街がプラモデルや模型の聖地であることは有名だが、古くから続く「伝統工芸の集積地」としての一面は意外と知られていない。</p>



<p>県の郷土工芸品に指定されている駿河漆器、駿河蒔絵、駿河挽物（ひきもの）、そして国の伝統的工芸品に指定される駿河竹千筋細工、駿河雛具、駿河雛人形。多岐にわたる工芸がこの地で発展した背景には、徳川家康公の存在と、長い年月をかけて育まれた分業のネットワークがあった。この伝統の土壌に立ち、現代の家族の形に寄り添う新たな雛人形「きおくひとえ」を提案し、全国から注目を集める工房がある。創業から100年以上の歴史を持つ「人形工房 左京（さきょう）」だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「遊ぶ」から「飾る」へ。雛人形のルーツ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/A7_6287.jpg" alt="" class="wp-image-54041" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/A7_6287.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/A7_6287-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/A7_6287-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>雛人形のルーツには諸説あるが、そのひとつが平安時代、宮中の幼女たちが興じた「ひいな遊び」。「ひいな」とは「小さく愛らしいもの」を意味し、当時の貴族の子供たちにとって、現代でいう「おままごと」のような日常的な遊びだった。</p>



<p>この“日常の遊び”に、劇的な変化が訪れたのは江戸時代初期のこと。江戸幕府が、女の子の健やかな成長と幸せを願う行事として3月3日を「上巳の節句（※ひな祭りの正式名称）」に制定すると、それをきっかけに、人形作りの技術は飛躍的に向上。着物や顔立ちは豪華絢爛なものへと進化し、現在の雛人形に至ったと言われている。</p>



<p>その雅な姿から、雛人形の産地として京都を連想するが、じつは人形の出荷額は埼玉県さいたま市岩槻区が日本一。雛具の産地としては静岡県静岡市が日本一を誇っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">天下人が愛した街、駿府に根付く工芸文化</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A3572.jpg" alt="" class="wp-image-54042" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A3572.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A3572-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A3572-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そんな静岡市に工房を構える左京。同市の工芸の歴史に於いて徳川家康公の功績は計り知れない。</p>



<p>江戸時代初期、家康公が隠居として駿府城（現在の静岡市葵区）に入った際、全国各地から宮大工、指物師、塗師、金具職人といった腕利きの職人たちを招集。彼らが城下町に定住し、その技術が脈々と受け継がれていったことが、今日の静岡工芸の礎となっている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_4522.jpg" alt="" class="wp-image-54043" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_4522.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_4522-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_4522-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>なかでも、本物の家具調度品と同じ工程で作られる屏風や長持（嫁入り道具などを収納する木箱）、三宝（お供え物を載せるための四角い台）などの「駿河雛具（ひなぐ）」の存在は圧倒的で、最盛期には国産シェアの9割を占めていたほどだ。</p>



<p>また「駿河雛人形」が工芸として発展する基礎となった雛人形の胴体（胴柄）生産も、静岡県が全国シェアの約7割を占めていた。これは駿河雛具の起こりとは異なり、江戸時代から天神信仰が盛んだった静岡県志太郡（現在の島田市･藤枝市･焼津市の一部）で節句に用いられていた菅原道真公を模った土人形「土天神」に衣装を着せたものがルーツと言われている。特徴は衣装が上下に分かれていること。衣装が一体型になっている京都製の雛人形とは異なり、衣装製作の分業が可能になったため量産化を実現、生産量の拡大に至った。</p>



<p>1994年（平成6年）に「駿河雛具」「駿河雛人形」が、国の伝統的工芸品に指定されて以降は、ブランドとしての地位も確立されてきたが、それ以前はあくまでパーツごとを全国の問屋へ供給するOEMとしての性質が強かったため、生産シェアに相反して産地としての知名度はあまり高くなかった。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A3866.jpg" alt="" class="wp-image-54044" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A3866.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A3866-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A3866-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「静岡にはそれぞれの部品を専門で作る職人がたくさんいたんです。木地を作る人、漆を塗る人、蒔絵を描く人、金具を作る人。それを問屋が回って集めて、形にしていた。」と、同社の3代目･望月和人（もちづき かずひと）会長は話す。</p>



<p>左京のルーツもまた、この職人のエコシステムの中にあり、初代は家具や神輿に使われる金具職人だった。</p>



<p>「雛具には箪笥（たんす）や長持など40種類近い道具があり、それらには精巧な金具が必要です。とはいえ金具は単なる部品ですから、問屋次第で仕事がなくなることもある。それなら自分が雛具全体をまとめる問屋になれば事業も安定するんじゃないかと。それが左京の始まりです」。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/2409270926_10392.jpg" alt="" class="wp-image-54045" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/2409270926_10392.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/2409270926_10392-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/2409270926_10392-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>こうして静岡市内の職人と連携して雛具をまとめる問屋として財を成した初代だったが、雛飾りの主役はあくまで雛人形であり、いずれはそれらも扱いたいと考えていた。</p>



<p>そのため、まず手始めに息子を人形の一大産地である埼玉県岩槻市（現在のさいたま市岩槻区）の職人の下へ修業に送り出した。</p>



<p>その息子こそ、後に2代目となる和人会長の父。2代目は修業先で雛人形作りを学びながら、初代の思惑通り、「雛具だけではなく、雛人形もうちで取り扱えばいいのではないか？」と考えるようになっていった。</p>



<p>というのも、2代目が家業に入った当時、雛人形の胴体部分は天神人形（菅原道真を象った節句人形）作りが盛んだった静岡県内、人形の顔となる「頭（かしら）」は岩槻など、それぞれの産地から部品を調達し、東京の問屋で人形として完成させるのが一般的だったため、これを自社で組み合わせられれば、雛具も雛人形もまとめて収めることができる。</p>



<p>初代の問屋としての仕事ぶりを近くで見て学んだ2代目にとって、これに需要があると考えるのは自然な流れだろう。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_4627.jpg" alt="" class="wp-image-54046" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_4627.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_4627-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_4627-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>しかし、考えや思いつきだけではビジネスとして成立しない。そこは「修業を通じて雛人形職人との関係、一大産地である岩槻との関係が構築できる」という初代の目論見が活きた。</p>



<p>「うちの父は修業時代のツテを使って、岩槻の職人から頭を直接買えるようにしたんです。それが大きかった」と、和人会長。</p>



<p>こうして左京は静岡市ではじめて、雛飾りを一式で扱う問屋となった。</p>



<p>「東京の問屋を介さず、関西の小売業者に一式で納品できれば、関西方面のシェアが狙える。（関東と比較して）関西との距離が近いことは必ず地の利になる」という2代目の流通戦略は、時代背景とともに左京を大きく成長させていくこととなる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">第二次ベビーブームの恩恵</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_9305.jpg" alt="" class="wp-image-54047" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_9305.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_9305-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/LO_9305-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>時代はちょうど高度経済成長期に差し掛かった頃。第二次ベビーブームの影響もあり、雛人形は飛ぶように売れた。</p>



<p>七段飾りが主流で、物量を集めることが最優先とされた時代。バラバラに仕入れることが多かった雛飾りを一式で卸すことで、小売業者にかかる経費と負担を大幅に軽減したのだ。</p>



<p>「年末になると大阪方面から業者の人たちが大きなトラックで仕入れに来るんですよ。腹巻に札束を山ほど入れて、我先にって。」と、和人会長は当時を振り返る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">多品種少量の時代へ。3代目が追求したのは「自分が欲しい雛人形」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/2409270926_10261.jpg" alt="" class="wp-image-54056" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/2409270926_10261.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/2409270926_10261-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/2409270926_10261-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>その後、和人会長が3代目として家業を継いだのは、高度経済成長期も落ち着き、国民の生活が大きく変わろうとしている時期だった。</p>



<p>この頃、あらゆるジャンルに於いて、消費者のニーズに合わせて大量生産から多品種少量生産へと潮流が変化。</p>



<p>そこで和人会長は、「（雛人形を）買う人って私と同じ世代が多いよな。だったら私がほしいものを作ればいいんだ。」と、慣例化されていた雛衣装の色の組み合わせを変えたり、衣装に静岡県の伝統工芸･遠州木綿のコーデュロイや純白の西陣織を使ったり、旧来の枠に囚われない、“自分がほしいと思う雛人形”の開発に勤しんだ。</p>



<p>時代的にも、核家族化が進み、その住宅事情とともに、主力商品も雛壇を豪華絢爛に彩る「段飾り」から「親王飾り（男雛と女雛のみ）」へと変化しており、主役となる男雛と女雛に個性を持たせたことが功を奏し、差別化にも成功。</p>



<p>とはいえ、コンパクトになるということは、セットあたりの雛人形や雛具の数も減るため、単価は下がる。</p>



<p>差別化できたとはいえ、少子化も顕著に進むなか、より明確なブランディングを行っていかなければ、いずれ立ち行かなくなるという危機感もあった。</p>



<p>そんな3代目の危機感を拭ったのが、現在、代表取締役社長を務める4代目であり、息子の琢矢さんだった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">次世代への継承。4代目が見出した新たな可能性</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/sns_profile_compressed.jpg" alt="" class="wp-image-54049" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/sns_profile_compressed.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/sns_profile_compressed-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/sns_profile_compressed-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>4代目･望月琢矢さんが家業を継ぐことになったのは、大学2年生の時。</p>



<p>「元々、左京を継ぐつもりはなかったので大学に進学したんですけど、兄が継がないことになって、『じゃあ、お前か』という軽い感じでバトンが回ってきました」</p>



<p>工房と自宅が離れていたこともあり、作業場に足を踏み入れることもほとんどなく、業界の状況もよくわかっていなかった琢矢さんにとって、雛人形は身近な存在ではなかった。</p>



<p>「伝統産業が右肩下がりだということも知らない状態で入ってしまった。周りは跡継ぎもなく『あと5年で畳もうか』という会社ばかり。そこで、はじめて焦りを感じました。」</p>



<p>大学卒業後、社会勉強も兼ねて都内の不動産関連のシステム会社で2年間営業を経験してから静岡に戻ったものの、待っていたのは前職とは比べものにならないほどアナログな現場だった。</p>



<p>そこで琢矢さんが始めたのがSNSを活用した情報発信。職人としては素人同然だったから、まずはお金をかけずに会社に貢献できることを探す、そんな気概だった。デジタル領域にも携わっていた東京での勤務経験も活きた。</p>



<p>当時、Instagramをビジネスに利用するのはまだ珍しかったこともあり、4ヶ月でフォロワー1万人を獲得。自社のこだわりを、わかりやすいビジュアルで発信しつづけたことで、メディア関係者からの問い合わせも増えていった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">捨てられない想いを形に。「きおくひとえ」の誕生</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100889.jpg" alt="" class="wp-image-54050" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100889.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100889-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100889-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>4代目ならではのビジネスビジョンが見えてきた中で新たな転機が訪れたのは、博報堂のグループ会社「SIGNING（サイニング）」のクリエイティブディレクターからの「子ども服に思い出があって捨てたくないって人が多いんだけど、飾ることもできない。この悩みと雛人形を掛け合わせられないか」という提案。</p>



<p>その人自身、3歳の子を持つ父親で、実体験に基づいた課題だった。こうして、企画から約1年半をかけて、2024年に「きおくひとえ」が誕生。</p>



<p>最大の特徴は、利用者の思い出の子ども服を雛人形の衣装に仕立て直すことだ。Tシャツやワンピース、肌着──どんな布でも、裏打ちという補強を施せば人形の生地として使える。</p>



<p>思い出の服が雛人形に生まれ変わる。その一体一体に込められた物語こそが、「きおくひとえ」の価値なのだ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100860.jpg" alt="" class="wp-image-54051" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100860.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100860-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100860-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>表衣(おもてぎぬ)、重ね、単(ひとえ)、唐衣(からごろも)、襟といった複数の層から成る雛人形の衣装に対し、どの布で仕立てるか、どの柄をどこに配置するかを、利用者と相談しながら決めていく。</p>



<p>「（利用者の）思い入れのあるものにハサミを入れ、新しいカタチにして提供する。大切な思い出ごと預かるわけですから、常に細心の注意と気遣い、そして一人ひとりの思い出に向き合う心遣いを持ってやっています」。</p>



<p>価格は男雛と女雛のセットで約15万円から。相場と比べて安くはないが、1点もののオーダーメイドとして考えれば適正価格、付加価値を考えれば利用者にとってそれ以上の価値となるだろう。</p>



<p>近年、新しい取り組みとして「きおくひとえ」を自分で製作するプランも新設した。</p>



<p>オンラインや郵送でのやり取りだけでなく、直接現地へ思い入れのある服や生地を持ち込み、その場で同社の職人と一緒に雛人形を完成させていく体験型のプランだ。</p>



<p>通常、きおくひとえは制作開始から納品まで4〜6ヶ月程度掛かるが、このプランでは打ち合わせから完成まで、わずか約半日で行う。</p>



<p>本来、複数の作業と並行して製作を行う職人が、その日に限り4～5名体制で体験プランでの作業を最優先したり、普段は外部へ委託する細かな部品の製作や縫製も工房内の職人が一貫して行うなどして、大幅にスケジュールを短縮する。</p>



<p>これらはすべて、わざわざ現地まで足を運んでくれる体験者の貴重な時間を無駄にせず、臨場感のある感動を提供したいという配慮から。</p>



<p>現場の手を止め、多くの職人のリソースをこのプランに集中させるため、通常のきおくひとえよりも高い価格設定にしているが、細かな柄行きの指示や色目のバランスなどをリアルタイムで熟練の職人と相談し、短い時間でディテールまでこだわって仕上げることができる、まさにオーダーメイド商品の極みと言えるプランだ。</p>



<p>思い出を紡ぐ雛人形に自身が手を加えるというエクスペリエンスは、特別感をより一層高める。</p>



<h3 class="wp-block-heading">伝統と革新の間で。父が押す息子の背中</h3>



<p>しかし「きおくひとえ」のような新しい挑戦には、当然ながら批判もある。</p>



<p>そんな同業者からのチクリとした声にも、望月親子は動じない。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100890.jpg" alt="" class="wp-image-54052" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100890.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100890-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/01100890-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「従来の雛人形を買わなかった人も、きおくひとえだから買ってくれる。慣例から少しくらい外れたって、これをきっかけに雛飾りに改めて目を向けてくれるなら、むしろ良いことではないか」</p>



<p>新しい需要の創出こそが伝統産業の未来を拓く。琢矢さんの挑戦について和人さんはそう確信しているから、どんな批判があろうと、親として、そして師として背中を押すと決めていた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">次世代への展開。祝い事から日常のアートへ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A5042.jpg" alt="" class="wp-image-54053" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A5042.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A5042-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/S4A5042-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「きおくひとえ」を軌道に乗せた琢矢さんが次に目指すのは、「雛人形」に「アート」としての需要を持たせること。</p>



<p>その際に払拭しなければいけないのが、日本に根付くアニミズム。全てのものに魂や精霊が宿るという考え方だ。一神教が入らなかった日本だからこそ残った、独特の精神性。</p>



<p>「日本人って人形を捨てられないんですよ。手放すにしたって、ゴミ箱にポイじゃなく、神社やお寺でお焚き上げをして弔う。」</p>



<p>しかし、琢矢さんは先代から「江戸時代の花街周辺には雛人形を売る屋台がたくさんあって、自分の推しに会いに行く前に雛人形を一体買って、手土産にしていた」という話を聞いたことがあった。</p>



<p>節句以外にも需要があったことに驚く一方で、フィギュアがブームとなり世界中で取引価格が高騰している現状を鑑みて、雛人形にも、その可能性があると感じた。</p>



<p>だからこそ琢矢さんは行事としてだけでなく、カルチャーの価値を高めたいと考えたのだ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/NAKA015-7514.jpg" alt="" class="wp-image-54055" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/NAKA015-7514.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/NAKA015-7514-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/NAKA015-7514-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ベンチマークとするのは、福岡県福岡市にある博多人形の老舗「中村人形」4代目を務める人形師･中村弘峰さん。スポーツや怪獣など、博多人形を独自のスタイルで表現する手法で、現在世界中から注目を集めている。</p>



<p>「中村さんの作品がまさにそうだと思うんですけど、『人形=怖い』というイメージを払拭して、アートやインテリアとして飾れるものにしたい。『BE@RBRICK（ベアブリック）』や『LLADRO（リヤドロ）』のように、アートとしてコレクションされるものへ昇華できたら良いんですけどね。」</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/ieyasu_g4.jpg" alt="" class="wp-image-54054" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/ieyasu_g4.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/ieyasu_g4-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/ieyasu_g4-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>これに向けたチャレンジもはじめている。</p>



<p>家康公没後400年の際には、フィギュア制作の権威である大阪芸術大学に家康公の顔を再現した頭を作ってもらい、家康公を象った雛人形を完成させた。また、一般流通する頭の代わりに、AIで合成した両親の顔を将来の子どもに見立てて3Dプリンターで作る構想もある。</p>



<p>このように雛人形の伝統や本質を守りつつ、時代の潮流や技術の進歩を柔軟に取り入れる左京は、徳川家康公が育んだ職人の街で、100年以上にわたり時代に応じた革新を重ねてきた。部品から問屋へ、問屋から製造卸へ、そしてパーソナライズへ。</p>



<p>「雛人形は、まだ日本古来のお祝い事を演出するツールとしての領域を抜け出せていない。もちろん本来の価値を高めていくことも大切だが、これをアートとして世界へ発信し、海外の人たちに『いいね』と言ってもらえるものを作っていくことで、その魅力はより一層高まっていくはず」。そう語る琢矢さんの言葉には、新しい価値を創造していこうという強い意志が宿っていた。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54024/">駿府の職人魂が息づく雛人形。時を重ね、想いを纏わせる「人形工房 左京」の挑戦／静岡県静岡市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>輪島塗の原点を見つめ、未来につなぐ。塗師･赤木明登さん／石川県輪島市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 21 Apr 2025 07:08:10 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[漆器]]></category>
		<category><![CDATA[輪島塗]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸品]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_029.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本を代表する漆器のひとつ「輪島塗」。赤木明登（あかぎ あきと）さんが作る器は、洗練されたデザインと温かみのあるたたずまいで多くの人を魅了する。2024年、輪島塗の産地である石川県輪島市は、能登半島地震で甚大な被害を受け [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52714/">輪島塗の原点を見つめ、未来につなぐ。塗師･赤木明登さん／石川県輪島市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_029.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>日本を代表する漆器のひとつ「輪島塗」。赤木明登（あかぎ あきと）さんが作る器は、洗練されたデザインと温かみのあるたたずまいで多くの人を魅了する。2024年、輪島塗の産地である石川県輪島市は、能登半島地震で甚大な被害を受けた。赤木さんは輪島塗の源流を見つめながら、産地の復興と再生に取り組んでいる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">丁寧な手仕事から生まれる、丈夫で美しい輪島塗</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_041.jpg" alt="" class="wp-image-52715" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_041.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_041-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_041-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>能登半島の先端に位置する石川県輪島市は、「輪島塗」の産地として知られている。500年以上の歴史を持つ輪島塗は国の重要無形文化財に指定されており、世界に誇る漆器として名高い。</p>



<p>輪島塗の特徴は優れた耐久性にある。例えば椀の縁などに布を貼る「布着せ（ぬのきせ）」。傷みやすい部分をあらかじめ補強することで、耐久性は格段に向上する。下地材に使う「地の粉（じのこ）」も輪島塗独特の材料だ。地の粉とは、輪島で採掘される珪藻土（けいそうど）を焼いて粉末化したもので、下地の漆に混ぜて塗ることで硬度が上がる。こうした丹念な手仕事によって、「100年もつ」といわれる輪島塗が生み出される。</p>



<h3 class="wp-block-heading">124もの工程を分業制で担う</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_031.jpg" alt="" class="wp-image-52716" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_031.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_031-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_031-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>もうひとつの特徴は、124もの工程を支える分業制だ。器の木地を作る「木地師」、漆を塗り重ねる「塗師（ぬし）」、金粉などで装飾をほどこす「蒔絵（まきえ）師」など、それぞれの工程を専門の職人が担当する。分業制によって産地全体で効率的に生産できるだけでなく、職人は各工程に特化して技術を磨くことができる。こうして輪島のまち全体がひとつの漆器工房のように機能し、優れた品質の輪島塗が完成する。</p>



<h2 class="wp-block-heading">輪島塗と出合い、編集者から塗師に転身</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_047.jpg" alt="" class="wp-image-52717" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_047.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_047-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_047-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>輪島塗の塗師･赤木明登さんは、漆塗りの仕上げである「上塗り」を手がけながら、器作りのディレクションも行っている。全国各地で開く個展はいつも盛況。ドイツのディ･ノイエ･ザムルング美術館に作品が収蔵されるなど、海外での評価も高い。</p>



<p>赤木さんが輪島塗の世界に入ったのは1988年のこと。東京で編集者として忙しい日々を送っていた頃、輪島塗の名工･角偉三郎（かどいさぶろう）氏の器と出合った。</p>



<p>角氏は輪島塗の「異端児」とも「革命者」ともよばれた人物。輪島塗作家として早くから頭角を現して数々の公募展で入選を重ねたが、能登の暮らしに根ざした古い器に魅せられて公募展から退き、日常使いの器を作り続けた。漆器の原点を問い続けた角氏の器は生命力にあふれ、赤木さんはその力強いたたずまいに衝撃を受けたという。</p>



<p>赤木さんは角氏の器の魅力に引き寄せられるように輪島に移り住み、下地職人に弟子入りして技術を学んだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">暮らしに寄り添う器を作る</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_035.jpg" alt="" class="wp-image-52718" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_035.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_035-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_035-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>赤木さんが作るのは、鑑賞するための器ではなく、使うための器だ。そこにはシンプルで洗練された美しさがある。</p>



<p>「輪島塗にはきらびやかな美術工芸品のイメージがありますが、本来は輪島の暮らしと深く結びついた器だったはずです」と赤木さんは言う。「暮らしと深く結びついた器」の形や色にこそ、美しさがある。赤木さんはそう考え、輪島塗がまだ実用の器だった頃、特に江戸時代の器の写しを数多く作ってきた。輪島に息づく美しさ、豊かさとは何か。赤木さんは常にそう問い続けながら、器の形を追求している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">地震で倒壊した工房を再建するプロジェクト</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_013.jpg" alt="" class="wp-image-52719" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_013.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_013-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_013-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2024年の能登半島地震は、輪島塗の産地を直撃した。地震被害を受けた輪島塗事業者は全体の8割超。多くの職人が生活と仕事の場を失い、廃業した人、県外に避難したままの人も多い。</p>



<p>被災した職人の中に、赤木さんとともに美しい形を長年追い求めてきた木地師がいた。86歳の池下満雄（いけした みつお）さんだ。地震の後に赤木さんが池下さんを訪ねた時、工房は無残にも倒壊していた。池下さんは崩れた工房の前に2日間座り込んだまま動かず、3日目に意識を失って救急搬送されたという。「池下さんを絶望したまま死なせるわけにはいかない」。赤木さんはすぐさま工房の再建を決めた。</p>



<p>「池下さんの家は江戸時代から代々木地師。彼の体には古くからの美しい輪島塗の形がしみ込んでいます。だから池下さんと仕事をしていると、彼のご先祖と一緒に仕事をしているように感じられた」と赤木さんは言う。その技術を絶やすわけにはいかなかった。</p>



<p>赤木さんが立ち上げた「小さな木地屋さん再生プロジェクト」には多くの賛同者が集まり、地震から約3ヶ月という早さで池下さんの工房再建が完了。がれきだらけの街の中にひとつの灯りがともった。市外の2次避難所から戻った池下さんは工房の再建を喜び、再び木地を挽き始めた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ひとりの木地師から、次世代にバトンが渡された</h3>



<p>しかし、池下さんには後継者がいなかったため、赤木さんの工房から2人の弟子が出向して木地挽きを教わることになった。「この子たちが一人前になるまで長生きする」と張り切っていた池下さんだったが、再建から間もない2024年7月、静かに息を引き取った。</p>



<p>池下さん亡き後、かつて角偉三郎氏の椀を挽いていた木地師が工房を引き継いだ。しかし被災後の心労が重なっていたのか、椀を20個挽いたところで倒れ、帰らぬ人に。現在はその息子が工房を継いでいる。彼は被災後に木地師をやめて県外で職を得たが、赤木さんの説得もあり、輪島に戻って再び木地を挽くことにしたという。赤木さんの工房から出向した2人の弟子も、新たな親方を得て技術習得に励んでいる。池下さんの技と魂が宿った「小さな木地屋さん」は、こうして次の世代へとつながれた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">失われていく能登の景観を再建する</h2>



<p>赤木さんは地震後、輪島の景観を取り戻す活動にも力を注いでいる。もともと輪島市内で古民家を改修したオーベルジュと出版社を営んでいたが、いずれの建物も地震で損壊。特にオーベルジュの被害は大きく、再建には長い時間がかかると分かった。そこで急遽、海辺の集落にあった出版社の建物を修繕し、オーベルジュの仮店舗をオープンすることにした。</p>



<p>海辺の集落で仮店舗の工事を進めていた赤木さんは、集落の多くの家屋が全半壊し、解体を待っていることを知る。全半壊した建物の解体は全額公費でまかなわれるが、修繕や再建をする場合は自助が原則。高齢化、過疎化が進み、空き家も多い集落で再建はままならず、やむなく公費解体を申請する人も多いという。</p>



<p>この集落では、板張りの外壁に格子をはめ、黒い瓦屋根をのせた伝統的な家屋が多く、統一感のある美しい景観を形作っていた。公費解体が進めばこの景観は失われ、二度と取り戻すことはできない。赤木さんは「能登の景観の歴史的･文化的な価値を守りたい」と仮店舗の周囲にある2軒の家を買い取り、もとの姿に再建することを決めた。</p>



<p>さらに「ここを拠点になりわいを再生すれば、若い人の定住にもつながる」と考え、これらの家を弟子の住まいとブックカフェとして活用する予定だ。</p>



<p>能登半島地震による公費解体の申請数は、2025年3月現在で約3万8,000棟にのぼる。これらの中には修繕すれば住み続けられる建物も少なくない。「このまま景観を考慮することなく解体を進めれば、個性のない画一的な町並みに変わってしまう。景観の価値にもっと目を向けてほしい」。赤木さんが公的支援に頼らずに自力で再建できる範囲は限られているが、能登の伝統的な景観を未来につなぐ大切さを発信し続け、活動の輪を広げたいと思っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">輪島塗のふるさとを未来につなぐ「器屋」でありたい</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_038.jpg" alt="" class="wp-image-52720" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_038.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_038-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/akagiakito_038-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>塗師の仕事と景観の再建は、はたから見れば関連性がないように思うかもしれない。しかし赤木さんの中では、すべて同じ「ものづくり」であるという。「形あるものはいつか壊れる。それは逃れられない運命です。僕にとってのものづくりは、壊れていくもの、失われていくものにあがらい続けることなんじゃないかな。地震を経験してそのことを強く実感しました」。</p>



<p>失われた古い時代の輪島塗の美を掘り起こし、倒壊した木地師の工房を再建して技術をつなぎ止め、消えゆく能登の景観をよみがえらせる。赤木さんの「ものづくり」は、必死にあらがい続ける中で形になっていく。</p>



<p>「僕は器屋なんですよ」と赤木さんは言う。「お椀はもちろん、人が入る家も器。たくさんの人が入るまちも器です。ものづくりを通じて輪島の器を未来につなぐことが、器屋の自分に与えられた仕事だと思っています」。50年後、100年後の赤木さんの「器」は、どんな形をしているだろうか。輪島の美しい器をつなぐ物語は、これからも続いていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52714/">輪島塗の原点を見つめ、未来につなぐ。塗師･赤木明登さん／石川県輪島市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>豊かな海で定置網漁を営み、船上処理で魚の価値を高める「日の出大敷」／石川県能登町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 05 Apr 2025 10:01:41 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[定置網漁]]></category>
		<category><![CDATA[能登]]></category>
		<category><![CDATA[神経締め]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_037.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>能登半島の沿岸は、暖流系と寒流系の魚が豊富に獲れる好漁場。能登伝統の定置網漁を受け継ぐ「日の出大敷（おおしき）」では、網元・中田洋助（なかだ ようすけ）さんが鮮度を保つ処理技術を強みに多くの料理人と直接取引を行っている。 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52668/">豊かな海で定置網漁を営み、船上処理で魚の価値を高める「日の出大敷」／石川県能登町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_037.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>能登半島の沿岸は、暖流系と寒流系の魚が豊富に獲れる好漁場。能登伝統の定置網漁を受け継ぐ「日の出大敷（おおしき）」では、網元・中田洋助（なかだ ようすけ）さんが鮮度を保つ処理技術を強みに多くの料理人と直接取引を行っている。中田さんは能登の海に情熱をかけ、今日も船に乗る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">100種類以上の魚がとれる豊かな漁場</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_051.jpg" alt="" class="wp-image-52669" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_051.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_051-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_051-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>春はタイやサワラ、夏はマグロ、秋はカマスにスズキ、冬になればブリ、タラ、イワシ。能登半島沿岸には豊かな漁場が広がり、市場に流通する魚だけでも100種類を超える。</p>



<p>能登で獲れる魚の顔触れは、なぜこれほど多彩なのか。その理由は日本地図を見ると分かる。本州のちょうど中ほどに位置する能登半島沖には、南からの対馬海流が流れており、海流に乗ってイワシやサバなどさまざまな魚がやってくる。一方で北海道沖から南下してくるのはブリをはじめとする回遊魚。南から、北から、多種多様な魚が能登半島沖に集まってくるというわけだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">定置網漁の伝統を継ぐ「日の出大敷」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_078.jpg" alt="" class="wp-image-52670" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_078.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_078-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_078-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>能登半島の先端部に位置する石川県能登町（のとちょう）は、定置網漁がさかんなまち。この地での定置網漁の歴史は室町時代にさかのぼるといわれ、江戸時代の文献『能登名跡志（のとめいせきし）』には「能登一の漁場なり、大漁至極の所なり」と記されている。</p>



<p>能登町鵜川（うかわ）で定置網漁を営み、年間2000tの漁獲高を誇る「日の出大敷」。5代目網元・中田洋助さんは水揚げした魚の品質にこだわり、プロの料理人からも厚い信頼を得ている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">魚を待ち受けて、網の中へと誘い込む定置網漁</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_007.jpg" alt="" class="wp-image-52671" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_007.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_007-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_007-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>午前1時。船は港を出て、エンジンの重低音を響かせながら沖合キロメートルに設置された定置網に向かう。日の出大敷の定置網は全部で2ヶ所。真っ暗な海上を走っていくと、定置網のありかを示す丸い浮き球の列が見えてきた。船がスピードをゆるませると、そこには群れをなして舞うカモメの姿が。「カモメがいるってことは、魚もたくさん入ってる」と中田さんは顔をほころばせる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_028.jpg" alt="" class="wp-image-52672" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_028.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_028-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_028-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>定置網は長さ約500m、幅約100m。この網に対して直角に「垣網（かきあみ）」が張られている。「垣網はカーテンのように海中に垂らした障害物です。長さは1000mくらい。魚の行く手をさえぎって、定置網の中に誘い込む仕組みです」と中田さんが説明してくれた。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_034.jpg" alt="" class="wp-image-52673" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_034.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_034-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_034-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>定置網漁は2隻がペアとなり、片側の船が網のロープをたぐり寄せながら、網の口を小さくしぼっていく。互いの船体が間近に迫った頃、網の奥に追い込まれたイワシの大群が見えてきた。海面をたたく銀色の群れに大きなたも網を入れ、一気にすくい取ってクレーンで引き上げていく。</p>



<h3 class="wp-block-heading">獲れたての鮮度を保つ「神経締め」</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_070.jpg" alt="" class="wp-image-52674" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_070.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_070-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_070-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ひとりの漁師が、網に入っていた魚を1尾取り上げた。細いピックを魚の眉間に刺し、エラに刃を入れ、眉間からワイヤーを通してトロ箱へ。この間わずか数秒。直前まで暴れていた魚は、氷水の中で静かになっていた。</p>



<p>日の出大敷ではマグロやブリ、タラなどの中から状態の良いものを選んで「神経締め（しんけいじめ）」や「血抜き」を行っている。神経締めとは、魚の鮮度を保つ処理方法だ。眉間からピックを刺して脳死状態にした後、背骨に沿ってワイヤーを通して神経を壊し、瞬時に絶命させる。</p>



<p>「神経締めをした魚は死後硬直が遅れます。その分、身に含まれるエネルギー成分が旨みに変わる時間がのびるので、旨みが増える」と中田さん。エラを切って放血する血抜きも鮮度保持に欠かせない処理方法だが、魚の雑味をなくし、香りを際立たせる効果もあるという。</p>



<p>これらの処理を船上で手際よく、確実に行うためには熟練の技術と経験が必要だ。魚の鮮度と味は漁師の腕にかかっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">料理は「獲る」ところから始まる</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_043.jpg" alt="" class="wp-image-52675" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_043.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_043-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_043-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>中田さんは料理人との交流も深い。有名寿司店の大将と一緒に船上処理や温度管理の方法を研究してきた縁で、東京の星付き店のシェフをはじめ数多くの料理人とつながりを持った。</p>



<p>料理人が定置網漁を見に来ることもあるし、中田さんが店に足を運んで料理を味わうこともある。「料理は、魚を獲るところから口に運ぶところまで、分業で成り立っています。僕の仕事はベストの状態で料理人に届けること」。自分が獲った魚がどんな料理になるのかを知ったうえで、最適な処理をする。「料理は船の上から始まっている」というのが中田さんの考えだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">漁業を取り巻く厳しい状況を乗り越えるために</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_077.jpg" alt="" class="wp-image-52676" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_077.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_077-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_077-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>気候変動や乱獲、物価の高騰など、漁業を取り巻く環境は年々厳しくなっている。中田さんによれば「ここ30年で船の価格は2.5倍。そのほかの経費もすべて上がっているのに、魚価は30年前より安い」という。</p>



<p>日の出大敷では近年、神経締めなどの船上処理によって魚の付加価値を高め、「量より質」を目指してきた。定置網に魚群探知機を設置してモニタリングし、無駄な操業を減らすなどの効率化も進めている。</p>



<p>しかし自助努力にも限りがある。「安くて旨いのが当たり前の時代ですが、安いってことは、どこかにしわ寄せが生じている。消費者はそれを知るべきだし、食に関わる仕組みを改善しないと漁業は成り立たなくなる」と中田さんは力を込める。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_060.jpg" alt="" class="wp-image-52677" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_060.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_060-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_060-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>漁業を持続可能な産業として未来につなぐ取り組みも進めている。ひとつは資源保護だ。網に入るのを「待つ」定置網漁は資源にやさしい漁法といわれるが、より積極的に資源を守るために網の目を広げて小さな魚を逃がす工夫をしたり、稚魚が多い夏に2ヶ月の休漁期間を設けたりと、能登の豊かな海と共生する取り組みを行っている。</p>



<p>もうひとつは、子どもたちが「漁師」という職業を選べる未来にすること。日の出大敷では月給制、週休2日制、夏と冬のボーナス支給など、一般の会社員と変わらない待遇を用意している。「地元の小学校に漁業の出張講座に行くと、子どもたちが目を輝かせて聞いてくれる。漁師を魅力ある職業にするのは、僕らの世代の仕事です」と中田さんは言う。</p>



<h2 class="wp-block-heading">能登半島地震からの復興を目指し、いち早く漁を再開</h2>



<p>2024年の能登半島地震では、日の出大敷が拠点とする能登町でも大きな被害が生じた。津波が押し寄せ、インフラは壊滅。人々は避難所で先の見えない生活を送ることになった。</p>



<p>港では岸壁や作業場が損傷したものの、船は無事だった。中田さんは各方面に掛け合って船への給油や氷の手配などの準備を整え、発災後わずか1週間後に漁に出ることを決めた。</p>



<p>「実は漁を再開しようと決めた後も、いろいろ悩んで眠れなかったんです。こんな状況で仕事をしていいのか、誰が喜ぶのかって。その反面、1日でも早く誰かが踏み出さないと、とても復興には向かえないとも思いました」と当時の心境を語る。沖に出て網を上げた時、船上には久々の笑顔が広がったという。日の出大敷が踏み出した一歩は、港町が再び動き出すための一歩になった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">能登の食材に誇りを。新たなまちづくりへの挑戦</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_080.jpg" alt="" class="wp-image-52678" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_080.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_080-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/hinodeoojiki_080-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>能登町では地震後、人の流出が続いている。中田さんは「まちに新たなチャレンジが生まれれば、人は戻ってくる」と考えている。その方法のひとつが「食を通じたまちづくり」だ。能登の魚に価値があること、一流店で通用することを地域の人々に知ってもらい、まちへの誇りを取り戻すきっかけにしたいという。</p>



<p>その方法が飲食店の運営なのか、イベントの開催なのか、形はまだ決まっていない。交流のある料理人たちも巻き込んで「食でまちを楽しくしたい」と、中田さんはさまざまなプランを描いている。</p>



<p>「僕は今、いろんな挑戦をしたくて、うずうずしているんです」。地震後にいち早く出漁した時の経験から、最初の一歩を踏み出せば人の輪や笑顔が広がることを、中田さん自身がよく知っている。まちに誇りと賑わいを取り戻す挑戦は、いま始まったばかりだ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52668/">豊かな海で定置網漁を営み、船上処理で魚の価値を高める「日の出大敷」／石川県能登町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>大豆飴の伝統をつなぐ。「梅屋常五郎」と「鵬学園高等学校」の挑戦／石川県七尾市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 03 Apr 2025 08:17:10 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[石川県七尾市]]></category>
		<category><![CDATA[伝統菓子]]></category>
		<category><![CDATA[和菓子]]></category>
		<category><![CDATA[商品開発]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10394.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>石川県七尾市には、鎌倉時代から伝わる伝統菓子がある。きな粉と水あめで作る和菓子「大豆飴（まめあめ）」。時代を超えて愛されてきたが、近年は和菓子離れが進み、地元でも大豆飴を知らない人が増えている。現状を打開するため、和菓子 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52652/">大豆飴の伝統をつなぐ。「梅屋常五郎」と「鵬学園高等学校」の挑戦／石川県七尾市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10394.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>石川県七尾市には、鎌倉時代から伝わる伝統菓子がある。きな粉と水あめで作る和菓子「大豆飴（まめあめ）」。時代を超えて愛されてきたが、近年は和菓子離れが進み、地元でも大豆飴を知らない人が増えている。現状を打開するため、和菓子店「梅屋常五郎」と「鵬（おおとり）学園高等学校」の生徒たちが新たな挑戦を始めた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">鎌倉時代にさかのぼる「大豆飴」の歴史</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10272.jpg" alt="" class="wp-image-52653" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10272.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10272-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10272-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大豆飴と書いて「まめあめ」と読む。石川県七尾市に古くから伝わる和菓子で、きな粉と水あめを練り合わせた素朴な味わいで親しまれてきた。もっちりとした食感と大豆の香ばしい風味が懐かしさとともに口の中に広がり、思わず顔がほころぶ。</p>



<p>ひと言で「古くから」といっても、その歴史は100年や200年ではない。約800年前の鎌倉時代、能登国（現在の七尾市を含む石川県北部）を治めた武将･長谷部信連（はせべのぶつら）が、主君の源頼朝に大豆飴を献上した記録が残されている。また安土桃山時代に七尾を拠点とした武将･前田利家も大豆飴で豊臣秀吉をもてなしたといわれ、いかに長くこの地に根付いてきたかがうかがえる。</p>



<p>栄養価が高く日持ちすることから、江戸時代から明治時代初期にかけて日本海を往来した北前船の非常食としても重宝されたという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">七尾の伝統菓子･大豆飴を製造する「梅屋常五郎」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="549" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10230_edited.jpg" alt="" class="wp-image-52654" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10230_edited.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10230_edited-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10230_edited-768x511.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>能登半島のなかほどに位置する七尾市は、古来より能登の政治･経済の中心地として栄えた地。室町時代には守護大名･畠山氏（はたけやまし）が、安土桃山時代には前田利家が城下町を築き、大いに繁栄した。こうした背景のもとで茶の湯文化が花開き、和菓子もさかんに作られるようになったという。1915年創業の和菓子店「梅屋常五郎」は七尾の和菓子文化を伝える1軒だ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10241.jpg" alt="" class="wp-image-52655" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10241.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10241-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10241-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>4代目の宮川雅州（みやかわ まさくに）さんは和菓子職人として腕を磨き、2020年に先代の父から店を継いだ。看板商品は大豆飴。時代の移り変わりとともに大豆飴を製造する店が減っていく中、宮川さんは代々受け継いできた素材や製法を忠実に守り、七尾伝統の味を伝えてきた。</p>



<p>一方でこんな思いも抱えていた。「大豆飴を買ってくださる方は年配の方がほとんど。若い世代になると、大豆飴を見たことも食べたこともないという方が多い。どうすれば若い人に大豆飴を買ってもらえるだろうか」。先細りしていく伝統と、時代のニーズのはざまで気持ちは揺れていた。そんな折、地元の高校生からこんなオファーを受けた。「一緒に新しい大豆飴を作ってほしい」。</p>



<h2 class="wp-block-heading">大豆飴になじみがない高校生たちの挑戦</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ootorigakuen_005.jpg" alt="" class="wp-image-52656" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ootorigakuen_005.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ootorigakuen_005-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ootorigakuen_005-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宮川さんに協力を依頼したのは、七尾市にある鵬学園高等学校の生徒たち。鵬学園は自由な校風で知られ、石川県内で唯一の調理科を持つ。</p>



<p>授業の一環として取り組む探究活動で、あるグループが大豆飴に注目した。「七尾の伝統菓子といわれているけれど、若い世代はあまり知らないし、食べたこともない」。それは宮川さんと同じ思いだった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">伝統を絶やさないために、自分たちができること</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ootorigakuen_055.jpg" alt="" class="wp-image-52657" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ootorigakuen_055.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ootorigakuen_055-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ootorigakuen_055-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>生徒たちは大豆飴の認知度を調べるため、七尾市内の小学5･6年生と中学1〜3年生にアンケート調査を行った。結果は「知らない」が92％。「このままでは大豆飴の長い歴史が途絶えるかもしれない」と危機感を抱いた。</p>



<p>大豆飴を若い世代に知ってもらうためには新しい切り口が必要なのではないか。生徒たちはそう考え、新たな大豆飴の開発を目指して宮川さんに協力を仰ぐことにした。</p>



<p>開発にあたって目標に据えたのは「若い世代に受け入れてもらえる新しい味わいの大豆飴を作る」こと。そこで地方創生にも取り組む中田英寿氏が代表を務めるJAPAN CRAFT SAKE COMPANYに熱意をつづった手紙を送り、監修を依頼した。これまで多くの企業の商品開発を手がけてきた中田氏の知見を借りて、今までにない新しい大豆飴を作りたいと考えたのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">中田英寿氏監修のもと、商品開発がスタート</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10366.jpg" alt="" class="wp-image-52658" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10366.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10366-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10366-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宮川さんと生徒たち、中田氏との間でオンラインミーティングやメールのやり取りを重ねながら、新しい大豆飴の開発に向けた試行錯誤が始まった。「もっと食感を楽しめるように」「味わいのアクセントにふさわしい素材は何か」「もっと食べやすいサイズに」と課題に一つひとつ対応しながら試作を繰り返す。誰ひとり妥協することなく改良を続け、味わいはどんどん磨かれていった。</p>



<p>宮川さんにとって、中田氏のアイデアも生徒たちの発想も固定観念を打ち破る新鮮さにあふれていたという。「思いもよらない発想だったり、ユニークなリクエストだったり。皆さんの意見を取り入れて作ることには難しさもありましたが、職人としてやりがいを感じました」と笑みを見せる。そして何より、試作を重ねるたびにおいしくなっていく過程に宮川さんは大きな喜びを感じていた。</p>



<p>一方、生徒たちは中田氏とのやり取りの中で、商品開発に大切なのはおいしさだけではないことも学んでいた。商品コンセプトや価格の設定、パッケージデザイン、ネーミング、販売戦略などやるべきことはいくらでもあった。商品が完成して終わりではない。多くの人に手に取ってもらい、売れ続ける商品にするための方法を、中田氏のアドバイスのもとで探求し続けた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">約5ヶ月かけて、現代的にアレンジした大豆飴が完成</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10379.jpg" alt="" class="wp-image-52659" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10379.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10379-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10379-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ターゲットに据えたのは、旅行意欲の高い30代女性。素材はできるだけ地元産にこだわり、大豆飴にモダンなエッセンスを加えるためチョコレートを使うことにした。</p>



<p>最も工夫を重ねたのは食感と風味の表現だ。きな粉は香ばしさを際立たせるため、店内で大豆を挽いて鮮度を保持。耳たぶのような柔らかさを追求した生地の中にナッツを入れ、食感の対比を楽しめるようにした。ナッツは風味が異なるクルミ、アーモンド、ヘーゼルナッツの3種類。オーブンで焼いて細かく砕き、キャラメルをからめた後にチョコレートでコーティングすることで味わいに厚みを持たせた。</p>



<p>全体の味を引き締めるアクセントとして選んだのは、能登産の塩と醤油。手間をかけて手作りした大豆飴は、ひとつ、またひとつと、つい手が伸びる味わいに仕上がった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">能登復興への思いを新しい大豆飴にのせて</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ootorigakuen_067.jpg" alt="" class="wp-image-52660" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ootorigakuen_067.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ootorigakuen_067-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ootorigakuen_067-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>実は生徒たちの探究活動には、もうひとつのテーマがあった。2024年の能登半島地震で大きな被害を受けた七尾市を「元気にしたい」という思いだ。七尾市内では数多くの建物が倒壊し、鵬学園の校舎にも陥没や外壁のひびなど大きな傷跡が残る。市内には2次避難先や仮設住宅で暮らす人も多く、街も人も傷ついたまま再建の途上にある。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ootorigakuen_006.jpg" alt="" class="wp-image-52661" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ootorigakuen_006.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ootorigakuen_006-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ootorigakuen_006-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>新しく開発した大豆飴の商品名は「復興の一歩に。そして買ってくれた人に福が来るように」と願い「FUCCO（福来：ふっこ）」に決めた。梅屋常五郎の店頭や金沢駅で販売するほか、全国の多くの人に手に取ってもらえるようにインターネット販売とふるさと納税の販路も確保。売り上げの一部は復興支援金として七尾市に寄付することにした。</p>



<h2 class="wp-block-heading">生まれ変わる大豆飴に、まちの未来を重ねる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10307.jpg" alt="" class="wp-image-52662" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10307.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10307-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10307-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「2024年を、震災が起きた年ではなく『復興元年』に塗り替えたいんです」と生徒たちは力を込める。大豆飴の伝統を新たな形で表現したように、七尾のまちも前向きに復興していけたら。大切なふるさとの未来を描く彼らの思いは、真っすぐで気負いがなく、軽やかだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">800年の伝統をつないできた誇りを復興の力に</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10258.jpg" alt="" class="wp-image-52663" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10258.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10258-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSC10258-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宮川さんは若い世代の感性に触れ、さまざまな学びを得たという。伝統を守ることは、すなわち「想いをつなぐ」こと。「昔ながらの大豆飴のレシピを時代に合わせて変えるのもひとつの方法かもしれませんが、今回のような交流を続けていくことも伝統の継承につながると思います」。新たな交流と視点を広げながら、七尾の誇りである伝統菓子を後世につないでいくことが、これからの宮川さんの目標だ。</p>



<p>生徒たちにとって大豆飴の歴史をたどることは、七尾の歴史をたどることでもあった。鎌倉時代に源頼朝が食べた大豆飴と、宮川さんが受け継いできた大豆飴、そして自分たちが開発した新しい大豆飴。それらが1本の線でつながっていることに、誇らしさを感じたという。「800年も受け継がれているってすごいこと。ポテンシャル高すぎでしょ」と目を輝かせる。</p>



<p>地震の傷跡があちこちに残る七尾市で、和菓子の老舗と地域の高校生たちが挑戦した今回の共同開発プロジェクト。大豆飴を通じた縁から生まれた「FUCCO」は復興への願いをのせて七尾の街へ、そして全国へと広がっていく。</p>



<p>「伝統を守る」とは「思いをつなぐ」ということ。ふるさとに思いをはせて作った「FUCCO」が、傷ついた七尾の街に希望を上書きする新たな伝統菓子となることを、宮川さんも生徒たちも願っている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52652/">大豆飴の伝統をつなぐ。「梅屋常五郎」と「鵬学園高等学校」の挑戦／石川県七尾市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>吹きガラスで美しい「時間」を紡ぐ。ガラス作家・有永浩太さん／石川県七尾市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 29 Mar 2025 08:32:18 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[吹きガラス]]></category>
		<category><![CDATA[ベネチアングラス]]></category>
		<category><![CDATA[能登島]]></category>
		<category><![CDATA[有永式]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_017.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>溶けたガラスが美しい輝きを放つ瞬間。吹きガラスは、その一瞬を切り取る工芸品だ。有永浩太（ありなが こうた）さんは“瞬間の美”ともいえる吹きガラスに、織物の工程に費やされる長い時間のイメージを封じ込める。七尾湾に浮かぶ能登 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_017.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>溶けたガラスが美しい輝きを放つ瞬間。吹きガラスは、その一瞬を切り取る工芸品だ。有永浩太（ありなが こうた）さんは“瞬間の美”ともいえる吹きガラスに、織物の工程に費やされる長い時間のイメージを封じ込める。七尾湾に浮かぶ能登島（のとじま）に工房を構え、ベネチアングラスの技法をもとに独自の世界観を表現する有永さんの思いに触れる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">緻密な繊維を織り込んだような、美しいガラスの世界</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_011.jpg" alt="" class="wp-image-52629" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_011.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_011-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_011-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>不規則な形をした泡のような模様が、今にも動き出しそうな造形。光と影の揺らぎに、はっと息をのむ。本来、無機質なはずのガラスに生命が宿っているようだ。近くで目を凝（こ）らすと、一つひとつの泡に緻密な繊維が見える。泡というより、目の粗い編み物なのか。</p>



<p>イタリアの伝統的なガラス工芸品・ベネチアングラスの技法「レースグラス」に着想を得て、ガラス作家・有永浩太さんが独自の技術で生み出した「netz」。網を意味するこの作品シリーズは、織物をイメージした「gaze」シリーズとともに、有永さんの代名詞となっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ガラスと織物。相反する時間の流れを作品に込める</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_055.jpg" alt="" class="wp-image-52630" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_055.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_055-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_055-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「織物をイメージ」と聞くと、少し不思議に思うかもしれない。織物は、糸を紡ぎ、経糸（たていと）と緯糸（よこいと）を交差させながら時間をかけて織り上げる。一方で、冷え固まる前に成形しなければならない吹きガラスは時間との勝負。ガラスと織物の工程は、まるで正反対のように思える。</p>



<p>有永さんは言う。「膨大な工程を経る織物の時間軸を、吹きガラスの『瞬間』に封じ込めてみたいと思ったんです」。この作品シリーズも、糸を撚（よ）るようにガラスを引きのばし、精密かつ手間のかかる工程を経て生み出される。ガラスと織物の時間軸が重なった時、作品に深い奥行きが生まれる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ベネチアングラスの技法を、日本の美的感覚でアレンジする</h3>



<p>ベネチアングラスは洗練された完璧なフォルムや規則的なデザインを特徴とするが、有永さんの作品には動きやゆがみ、独特の表情がある。目指すのはベネチアングラスの再現ではなく、この技法を「日本人の感覚や美意識で再構築」することだという。</p>



<p>不完全なものに自然の美を見出す、日本人特有の美意識。有永さんは、緻密に計算された高度な技術を用いながら、そうした「破調（はちょう）の美」を表現する。</p>



<h2 class="wp-block-heading">四季を感じる能登島の工房で、日々の器を作る</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_001.jpg" alt="" class="wp-image-52631" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_001.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_001-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_001-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>工房がある石川県七尾市能登島は、豊かな四季の移ろいを感じられる場所。光と緑に包まれた工房で、有永さんは毎日何十個もの器を作る。繰り返し器を作り、体に動きをしみ込ませながら自分の形を作り上げるのだという。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_037.jpg" alt="" class="wp-image-52632" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_037.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_037-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_037-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>有永さんにとって、繊細な技法を凝らした1点ものの大作も、日常の器も、同じものづくりのライン上にある。</p>



<p>「技術や技法は、表現のための道具。だから手入れして磨き続けなきゃいけないし、使い続けないとうまくならない」。手を動かし続けて日常の器を作りながら技術を磨き上げ、自分の形を取り出していく。有永さんの制作スタイルは職人的でストイックだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">使い手の心と暮らしを豊かにする器</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_062.jpg" alt="" class="wp-image-52633" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_062.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_062-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_062-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日々の器作りの中で、有永さんは手を動かしながらさまざまなことを考え、試みる。例えば形が異なる酒器のセット。口が広がった平杯は、グラスの縁と舌が平行に近い角度になり、液体が舌の先端で一旦止まるようになり、甘味と苦味を感じやすい形状。口径が小さいぐい飲みは、すっきりとした味わいを楽しめるという。一方、口の窄（すぼ）まった香杯は、液体が口の中に流れ込みやすい設計となっている。これにより、お酒が横に広がり、味わいを強く感じさせる。口を絞っているため、余韻が長く楽しめるのも特徴だ。</p>



<p>ヒントをくれたのは、ある居酒屋の店主だった。「僕がガラスをやっていると知って教えてくれたんですよ。『盃の形で酒の味がこんなに違うんだ』と」。その店主は、有永さんに向かって終始こんこんと説明するものだから、「その時は全くお酒の味がしなかった」とおかしそうに笑う。器作りに向かっている時にふと居酒屋での記憶が浮かび、それを体感できる酒器を作ってみたのだという。</p>



<p>日常で使う器は使いやすく、心を豊かにするものであってほしい。そう願って生み出した器は、使い手の暮らしに彩りと小さな発見を与えてくれる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">震災後の非日常の中で、器作りの手が止まった</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_060.jpg" alt="" class="wp-image-52634" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_060.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_060-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_060-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2024年1月1日に発生した能登半島地震は、能登島にある工房にも被害をもたらした。800㎏もある窯が大きく動いて床に亀裂が入り、作品のほとんどが割れてしまった。その年に予定していた個展の多くはキャンセルするしかなく、ショックは大きかったという。</p>



<p>「作らなければ収入がないんだから、とにかく作らないと」と工房復旧に取り組んだが、非日常が続く毎日で気持ちばかりが焦ったという。周囲の被害があまりにも大きく、「自分だけが仕事を始めてもいいのだろうか」という迷いもあった。</p>



<p>そんな時に、旧知のギャラリーオーナーから「どんどん作って。私がしっかり売るから」と連絡があった。その声を聞いて「作り始めてもいいんだ」と前を向くことができたという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">割れたガラス破片から、美しいブルーが生まれた</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_008.jpg" alt="" class="wp-image-52635" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_008.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_008-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_008-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>割れてしまった作品は全て一緒にして溶かし、新たな作品に再生した。破片の色合いはばらばらだったが、混ざり合って生まれた色は柔らかなブルー。まるで能登の海を思わせるような色に、地震発生日を冠した「0101（ゼロイチゼロイチ）ブルー」と名付けた。</p>



<p>被災後1年間は創作活動のリズムを取り戻そうと必死だったが、翌年1月1日のあの時間を越えた時に「大変なことがあったんだから、自分のペースや作風が変わっても当然だなと思えたんです」と有永さん。変化を受け入れた時、ふっと肩の力が抜けたという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">コンパクトな次世代型の窯を開発</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_013.jpg" alt="" class="wp-image-52636" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_013.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_013-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_013-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>有永さんには、創作活動と並行して取り組んでいることがある。それはガラス業界の裾野を広げることだ。</p>



<p>ガラス業界で作家として独立するのはハードルが高い。要因の一つが窯の問題。ガラスを溶かす窯は、基本的に一度火を入れたら止めることはない。火を止めるとガラスを溶かすための坩堝（るつぼ）を交換しなければならないし、再び温度を上げる際に時間と燃料費が余計にかかるためだ。火を入れたままの窯を維持するために、長時間不在にすることもできない。</p>



<p>「もっとコンパクトでコントロールしやすく、自由度が高い窯があれば」と考えた有永さんは、窯のメーカーにアイデアを持ち込み、使わない時に火を止められる窯を開発した。</p>



<h3 class="wp-block-heading">吹きガラスの可能性を広げるモデルケールになりたい</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_009.jpg" alt="" class="wp-image-52637" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_009.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_009-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_009-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>作り手が減れば、窯や坩堝、道具を作る人もいなくなる。ガラス業界全体が立ち行かなくなったら「みんなが困るし、僕も困る」と有永さんは言う。作家としてスタートを切る時に使いやすい窯があれば、作り手を増やせるかもしれない。実際に若手作家を中心に「有永式」の窯の導入が広がり、改良も進んでいるという。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_003.jpg" alt="" class="wp-image-52638" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_003.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_003-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/arinagakota_003-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>自身が開発に携わった「有永式」の窯でガラスと向き合う日々。「この窯で『こんな表現ができるんだ』と知ってもらうためにも、もっと自分の仕事の幅を広げていきたい」と思いはふくらむ。</p>



<p>ガラスの糸を紡ぎ、織り上げていく。「時間軸」をガラスに封じ込めた有永さんの作品には、未来へとつながる時間も織り込まれているように感じられた。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52628/">吹きガラスで美しい「時間」を紡ぐ。ガラス作家・有永浩太さん／石川県七尾市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>風土が生んだやきものの炎を絶やさない。珠洲焼作家･篠原敬さん／石川県珠洲市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 29 Mar 2025 08:10:22 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
		<category><![CDATA[焼物]]></category>
		<category><![CDATA[珠洲焼]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_003.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>力強く表情豊かな黒色と、シンプルで美しいフォルムを特徴とする珠洲焼（すずやき）。石川県珠洲市（すずし）を産地とするこのやきものは、約500年前に途絶え、「幻の古陶（ことう）」とよばれた。珠洲焼作家･篠原敬（しのはらたかし [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52615/">風土が生んだやきものの炎を絶やさない。珠洲焼作家･篠原敬さん／石川県珠洲市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_003.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>力強く表情豊かな黒色と、シンプルで美しいフォルムを特徴とする珠洲焼（すずやき）。石川県珠洲市（すずし）を産地とするこのやきものは、約500年前に途絶え、「幻の古陶（ことう）」とよばれた。珠洲焼作家･篠原敬（しのはらたかし）さんは、昭和になって再びよみがえったやきものに人生をかけ、今日も土と向き合う。</p>



<h2 class="wp-block-heading">平安時代を起源とする幻の古陶</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_021.jpg" alt="" class="wp-image-52616" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_021.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_021-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_021-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>中世を代表するやきものでありながら、室町時代に忽然（こつぜん）と姿を消した珠洲焼。能登半島の最先端に位置する石川県珠洲（すず）市は、かつてやきものの一大産地だった。</p>



<p>やきもの産地が成立する条件はいくつかある。やきものに適した土がとれること、輸送手段があること、燃料となるアカマツの薪が豊富に確保できること、そして生産を支援するスポンサーがいること。珠洲は、それらの条件を満たしていた。</p>



<p>現代の珠洲市は半島の行き止まりにある“さいはて”の街だが、かつては海路を通じた物流･交易の拠点だった。また珠洲焼が成立した12世紀なかごろは、貴族が各地に荘園を広げた時代。珠洲市周辺には京都の名門貴族･九条家（くじょうけ）の荘園がおかれ、荘園経営の手段として珠洲焼が生産されたと考えられている。荘園領主の後ろ盾を得た珠洲焼は、日本海側に大きく商圏を広げた。</p>



<p>珠洲焼が途絶えたのは15世紀末で、ちょうど荘園の衰退と時期が重なる。幻の古陶となったのはスポンサーを失ったため、というのが有力な説となっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">昭和中期、地域をあげて珠洲焼を再興</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_014.jpg" alt="" class="wp-image-52617" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_014.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_014-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_014-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>珠洲市内では昔から、街のあちこちに黒いやきものの破片がころがっていたという。釉薬をかけずに硬く焼き締めた肌合いから、これらは古墳時代に大陸から伝わった須恵器（すえき）と思われていた。しかし昭和中期の調査で窯跡（かまあと）が見つかり、中世にやきものの一大産地だったことが分かった。</p>



<p>中世から続くやきもの産地として越前、瀬戸、常滑、信楽、丹波、備前の「日本六古窯（にほんろっこよう）」が知られるが、珠洲焼はこれらに並ぶ歴史を持つやきものだった。地域の人々の間で珠洲焼再興の機運が高まり、1979年、およそ500年ぶりに珠洲焼が復活した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">珠洲焼の潔い美しさに魅せられて</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/b55d019b717704e630a010952605c6a5.jpg" alt="" class="wp-image-52618" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/b55d019b717704e630a010952605c6a5.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/b55d019b717704e630a010952605c6a5-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/b55d019b717704e630a010952605c6a5-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>篠原さんが珠洲焼と出合ったのは、珠洲焼再興から10年後のこと。実家の寺を継ぐために勤め先を辞めて帰郷した頃のことだった。当時、珠洲市では原発計画が持ち上がっており、推進派と反対派でまちは大きく割れていた。篠原さんは美しいふるさとを守るために反対運動に参加しながらも、もやもやとした思いを抱えていたという。「推進派と反対派が論争に明け暮れるなかで、僕は心によろいをまとって理論武装をして、無理をしていたんだと思う」。そんな時に、開館したばかりの珠洲焼資料館にふらりと立ち寄った。</p>



<p>展示室に足を踏み入れた時、珠洲焼の美しい立ち姿が目に飛び込んできた。凛とした黒、装飾のない潔さ。原発反対運動の中で心ががんじがらめになっていた篠原さんは、いにしえの陶工たちが作った珠洲焼の飾り気のない美しさに見とれ、「自分もこの器みたいに裸になって、一から何かを生み出したい」と思った。それが、珠洲焼への道を歩み始めたきっかけだという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「黒」と「美」を追求したやきもの</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_033.jpg" alt="" class="wp-image-52619" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_033.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_033-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_033-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>珠洲焼の特徴のひとつが、独特の表情をみせる黒肌だ。珠洲焼は、1200度以上の高温で焼き締めた後に窯を密閉する「強還元焼成（きょうかんげんしょうせい）」という方法で焼き上げる。窯の中が酸欠状態となるため、土に含まれる鉄の酸素が奪われ、還元反応で黒く発色する。</p>



<p>珠洲焼を、珠洲焼たらしめているのは、この「黒」なのだと篠原さんは言う。「この色を出すためには燃料が大量に必要だし、とても効率が悪い。ほかの産地は、技術革新をして生産性をどんどん向上させたけど、珠洲はそれをしなかった。黒を守り通したんですね」。</p>



<p>篠原さんはさらに続ける。「珠洲焼の古陶は、小さな底から立ち上がるフォルムが特徴的。安定感がないから大量生産には向きませんが、この美しい形を変えなかった」。珠洲焼は荘園領主というスポンサーを失い、産地競争に負け、「黒」と「美」を守りながら滅びていった。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_011.jpg" alt="" class="wp-image-52620" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_011.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_011-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_011-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>珠洲焼の古陶に魅せられた篠原さんの作品も、華奢（きゃしゃ）にも見える小さな底からふくれ上がっていく美しいフォルムが表現されている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">再建したばかりの薪窯が3度目の被災</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_001.jpg" alt="" class="wp-image-52621" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_001.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_001-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_001-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2024年元旦に発生した能登半島地震。工房がある珠洲市は震度6強の揺れに襲われ、レンガを積み上げて築いた薪窯（まきがま）は全壊した。</p>



<p>珠洲市では2022年6月に震度6弱、2023年5月に震度6強の地震があり、「窯が崩れたのは3度目」だという。2023年の地震後、全国の支援者とともに半年かけて窯を再建し、年明けにようやく新たな灯を灯そうと思っていた矢先の震災だった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「あたわり」を受け入れる</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_022.jpg" alt="" class="wp-image-52622" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_022.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_022-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_022-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>何度レンガを積み直しても、何度ろくろを回しても、地震がすべてを奪い去っていく。その試練を、篠原さんは「あたわり」という言葉で表現する。「あたわり」とは、与えられた運命やめぐり合わせを意味する北陸地方の言葉だ。「厳しい自然と折り合いをつけながら生きてきた土地です。自然にあらがうことなんてできません。すべて『あたわり』なんですよ」。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_056.jpg" alt="" class="wp-image-52623" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_056.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_056-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_056-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>篠原さんは薪窯を焚く時、温度計を使わない。炎の表情を見ながらアカマツの薪をくべ、経験と勘で焼き上げる。「いったん火を入れたら、あとは結局、自然に身をゆだねるしかない」と篠原さんは言う。人智が及ばない炎が生んだ珠洲焼もまた、自然の「あたわり」だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">誰かの心に寄り添う工芸でありたい</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/batch_IMG_1700.jpg" alt="" class="wp-image-52624" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/batch_IMG_1700.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/batch_IMG_1700-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/batch_IMG_1700-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>地震の後、篠原さんはある高齢女性から声をかけられた。その女性は倒壊した自宅のがれきの中に、珠洲焼の小さな一輪挿しを見つけたという。それを仮設住宅に持ち帰って道端に咲く野花を活けたところ、絶望していた心が少しほどけ、前を向けるようになったと話してくれた。</p>



<p>それは篠原さんの作品ではなかったかもしれない。しかし「珠洲焼が誰かの心を救った」という事実に、思わず涙があふれたという。</p>



<p>「工芸は生活必需品じゃないかもしれないけど、人が心豊かに生きていく力になれる」と篠原さんは信じている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">次世代のために、再び珠洲焼の窯を築く</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_016.jpg" alt="" class="wp-image-52625" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_016.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_016-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/shinoharatakashi_016-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>珠洲焼作家の団体「創炎会（そうえんかい）」には39人が所属している。地震を機に廃業した人や、市外に移住した人もいるが、「珠洲焼の未来はそんなに暗くない」と篠原さんは晴れやかな表情を見せる。なぜなら、ここ数年の間に珠洲焼作家を目指して移住してきた若者たち全員が、珠洲に残って創作活動を続けると決めたからだ。</p>



<p>現在、篠原さんは仮設住宅で暮らしながら窯の再建に取り組んでいる。工房では崩れたレンガがきれいに分類され、元の場所に積み上がるのを待っていた。完成予定は2025年夏。秋には火を入れたいと思っている。</p>



<p>窯の再建は自分のためだけでなく、次世代のためでもある。崩れた窯を築き直し、「若い子たちが育っていく窯にしたい」と願う篠原さん。厳しい自然が育んだ風土のもとで、珠洲焼の炎は何度でも、何度でも立ちのぼる。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52615/">風土が生んだやきものの炎を絶やさない。珠洲焼作家･篠原敬さん／石川県珠洲市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>共同醸造から始まる酒蔵再建。「櫻田酒造」と「車多酒造」が描く未来／石川県珠洲市･白山市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 27 Mar 2025 04:48:40 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[共同醸造]]></category>
		<category><![CDATA[石川県白山市]]></category>
		<category><![CDATA[山廃仕込み]]></category>
		<category><![CDATA[石川県珠洲市]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_060.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>石川県珠洲市にある酒蔵「櫻田酒造」は、2024年の能登半島地震で酒蔵が全壊する被害に遭った。一度は廃業を考えた蔵元杜氏の櫻田博克（さくらだ ひろよし）さんだが、多くの励ましの声に背中を押され再建を決意。約150㎞離れた石 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52603/">共同醸造から始まる酒蔵再建。「櫻田酒造」と「車多酒造」が描く未来／石川県珠洲市･白山市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_060.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>石川県珠洲市にある酒蔵「櫻田酒造」は、2024年の能登半島地震で酒蔵が全壊する被害に遭った。一度は廃業を考えた蔵元杜氏の櫻田博克（さくらだ ひろよし）さんだが、多くの励ましの声に背中を押され再建を決意。約150㎞離れた石川県白山市にある車多（しゃた）酒造の設備を借り、「共同醸造」という形で酒造りを再開している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">厳しくも美しい能登の風土が生んだ酒</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_002.jpg" alt="" class="wp-image-52604" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_002.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_002-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_002-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本海に突き出した能登半島の先端、珠洲（すず）市。厳しい自然と人々の実直な営みが、この“さいはて”の街の美しい風景を形作ってきた。</p>



<p>古くから漁師町として栄えた蛸島（たこじま）も、珠洲の歴史や文化を色濃く残す地域のひとつ。櫻田酒造は、このまちで大正時代から酒造りを営んできた小さな酒蔵だ。代表銘柄は「大慶（たいけい）」と「初桜」。いずれも長年にわたり、地元の漁師に愛されてきた。漁の後、疲れた体にしみわたる甘口の酒。蔵元と杜氏を兼ねる櫻田博克さんは「蛸島の漁師さんたちが、毎日飲んでも飲み飽きない酒」を造り続けてきた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">能登半島地震で酒蔵が全壊</h3>



<p>2024年1月1日に発生した能登半島地震。震源に近い蛸島も強烈な揺れに襲われ、櫻田酒造の酒蔵と店舗は全壊した。櫻田さんと家族は無事だったが、崩れ落ちた酒蔵を目の当たりにして「廃業」を覚悟したという。前年にも震度6強の地震があり、壊れた土壁の修理を終えたばかり。新年を迎えて心機一転、酒造りを始める矢先のことだった。</p>



<p>1月中旬、失意の中にいた櫻田さんの心に灯をともす出来事があった。ボランティアが、がれきに埋もれていた酒米を運び出してくれたのだ。無事だった酒米を見て、櫻田さんは「もう一度、酒を造ろう」と決意。すぐさま30年来の友人である車多酒造8代目·車多一成（しゃた かずなり）さんに連絡し、協力を依頼した。</p>



<h2 class="wp-block-heading">山廃仕込みで知られる老舗蔵·車多酒造</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_044.jpg" alt="" class="wp-image-52605" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_044.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_044-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_044-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>珠洲市から南に約150㎞。石川県白山市、加賀平野のなかほどに蔵を構える車多酒造は、1823年創業の老舗。霊峰白山の伏流水で醸す銘酒「天狗舞（てんぐまい）」が代表銘柄だ。車多酒造の特長である「山廃仕込み」は、蔵付きの乳酸菌を取り入れ、ゆっくりと時間をかけて発酵させる伝統的な酒母の製法。じっくりと手間と時間をかけ、ふくらみのある豊かな味わいの酒を醸す。</p>



<p>フランス·パリで開催された「Kura Master日本酒コンクール2024」では、「天狗舞 山廃仕込純米酒」が「クラシック酛（もと）部門審査員賞」と「アリアンスガストロノミー賞」をダブル受賞するなど世界での評価も高い。</p>



<h3 class="wp-block-heading">設備を提供し、「共同醸造」で酒造りを支援</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_012.jpg" alt="" class="wp-image-52606" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_012.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_012-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_012-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「震災直後、何か力になれないかと電話した時に、『もう諦めた』って彼は言ったんですよね」と車多さん。だからこそ「もう一度、酒造りをしたい」という櫻田さんの決意はうれしかったという。友人として、酒造りの仲間として、櫻田酒造再建への道をともに歩み出すこととなった。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_018.jpg" alt="" class="wp-image-52607" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_018.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_018-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_018-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>蒸し上げた酒米から立ち上る湯気の中で、きびきびと作業を進める蔵人たち。その中に櫻田さんの姿があった。活気に満ちた蔵の中で、その表情は明るい。</p>



<p>2024年3月から始まった共同醸造は、車多酒造の設備を間借りする形で行い、完成した酒の一部は車多酒造の流通ルートで販売している。珠洲で新しい蔵を再建するまでの間、車多酒造の蔵人たちの力も借りながら酒造りに取り組むつもりだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ふるさと能登の味わいを追い求める</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_023.jpg" alt="" class="wp-image-52608" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_023.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_023-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_023-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>水や温度、風通しといった環境は、日本酒の味や香りに影響を与える。いわゆる「蔵癖（くらぐせ）」が酒蔵ごとの個性を生むといわれるが、共同醸造で「櫻田酒造の味」をどのように表現しているのだろうか。</p>



<p>「確かに環境が違いますから味わいは変わります。ただ後味がね、やっぱりうちの酒なんですよ」と櫻田さん。櫻田酒造では、麹（こうじ）と蒸米を3回に分けて仕込む三段仕込みに加え、最後の四段目にもち米を使う。この工程によって蛸島の漁師好みの甘口に仕上げるが、それだけが決め手ではないらしい。ふるさと珠洲の人々の顔を思い浮かべながら醸す酒は、力強くパンチの効いた味わい。酒の個性は、環境や技術もさることながら、造り手の思いからこそ生まれるのだと櫻田さんは教えてくれた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">共同醸造が2つの酒蔵にもたらしたもの</h2>



<p>櫻田さんは、蔵人として車多酒造の酒造りにも参加している。そのノウハウに触れる毎日は「新しい発見ばかり」だという。技術や設備、酒造りへの姿勢、すべてが櫻田さんにとって新鮮に映る。</p>



<p>なかでも大きな学びを得たのは麹造りだ。車多酒造では、米の旨みを引き出し、立体的な味わいを生み出す麹を育てることに力を注いでいる。その麹造りの技術を、櫻田さんは再建する酒蔵で取り入れたいと考えている。「車多流のエッセンスを加えてうまい酒を作りたい。そしてそれを車多酒造の皆さんに飲んでもらうのが私の夢になりました」。そう言って櫻田さんは笑顔を見せた。</p>



<p>一方、車多さんも共同醸造によって酒造りへの思いを新たにしたという。「能登の人は下を向かない。櫻田さんはその典型です。日本酒業界が低迷するなか、私たちも前を向いて進まなければならない。いつも社員たちとそんな話をしています」。その思いは酒質にもいい影響を与えるはずだと車多さんは言う。</p>



<h2 class="wp-block-heading">能登杜氏を生んだ酒造文化を守るために</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_041.jpg" alt="" class="wp-image-52609" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_041.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_041-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_041-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>車多酒造は地震による直接的な被害こそ少なかったものの、「酒造りの担い手」という面で大きな危機感を抱いているという。</p>



<p>車多酒造では、代々蔵元と「能登杜氏」が二人三脚で酒造りを行ってきた。杜氏とは、酒造りの職人集団を率いる最高責任者のこと。酒の味を左右する重要な立場でもある。能登の人々は古くから農閑期になると全国の酒蔵に出向いて酒造りを行い、彼らが醸す酒は「濃厚で華やかな味わい」と評された。現在も全国各地の酒蔵で多くの能登杜氏が活躍しており、その技術は日本有数との呼び声が高い。</p>



<p>能登半島地震では、能登にある11の酒蔵のうち9蔵が全壊、2蔵が半壊という被害をもたらしただけでなく、能登杜氏や蔵人たちの暮らしにも大きな打撃を与えた。住まいを失い、他所へ移住した人も少なくないという。</p>



<p>能登から酒造りに関わる人材が流出することは、能登杜氏を中心とした酒造文化を失うことにもつながる。「伝統の酒造文化をどのように継承していくのか。大きな課題だと思っています」と車多さん。能登出身の杜氏や蔵人の暮らしを守り、後継者を育成すること、そして「能登杜氏の酒」を国内外に発信することは、石川県の酒蔵の使命でもあると車多さんは考えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">父と息子が力を合わせ、酒蔵再建を目指す</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_017.jpg" alt="" class="wp-image-52610" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_017.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_017-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_017-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一方で明るい話題もある。櫻田さんの長男·愼太郎（しんたろう）さんが家業を継ぐ決意をしたのだ。苦難を乗り越え、もう一度立ち上がろうとする父の姿を見て「よし、やってやろうじゃないか」と奮い立ったという。</p>



<p>東京農業大学で醸造を学ぶかたわら、休暇を利用して車多酒造に住み込み、父とともに共同醸造に取り組む愼太郎さん。幼い頃から酒造りの光景は身近にあったが、車多酒造でさまざまな作業に携わることで学ぶことも多いという。「震災で注目してもらえることを、逆にチャンスととらえたい」と力強く前を向く。</p>



<h2 class="wp-block-heading">能登の未来に向けて造る新しい日本酒</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_061.jpg" alt="" class="wp-image-52611" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_061.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_061-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/sakuradasyuzo_061-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>さらに前向きな話題がもうひとつ。2025年、愼太郎さんと、車多一成さんの長男で9代目の蔵元となる予定の車多慶一郎（しゃた けいいちろう）さんが中心となり、新世代の酒造りがスタートした。コンセプトは「若い世代が楽しめる日本酒」。加えて「能登・櫻田酒造の『大慶』を知ってもらう」という大きな目標も掲げ、2つの酒蔵によるコラボレーション日本酒「大慶×天狗舞」を醸す。</p>



<p>プロジェクトには2人の次期蔵元だけでなく、車多酒造の若手蔵人たちも参加。若い感性を存分に生かした酒造りが進んでいる。</p>



<p>素材には、石川県のオリジナル酒米「百万石乃白（ひゃくまんごくのしろ）」と、石川県生まれの「金沢酵母」を選んだ。「石川県、そして能登の魅力を発信するために、オール石川で造ろうと決めました」と慶一郎さん。旨みと酸味が一体となったフレッシュな味わいに仕上げ、日本酒を楽しむ人の裾野を広げたいという。</p>



<p>伝統に裏打ちされた技術で造る、モダンな日本酒。酒銘は「能登を紬（つむ）ぐ」に決まった。共同醸造から始まった新たな未来。若き醸造家たちによる挑戦は、能登の新しいアイデンティティをつむぐ第一歩となる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">共同醸造で未来への希望を醸す</h3>



<p>がれきから救出した酒米でスタートした共同醸造は2025年、2期目を迎えた。櫻田酒造は今期、車多酒造のはからいで調達した珠洲市産酒米を原料の一部に使っている。櫻田さんは「こうして支えてくれる車多酒造さんの優しさが、今年の酒の味わいに表れるんじゃないかな」と共同醸造によって進化する味わいに期待を込める。</p>



<p>当初、櫻田酒造の再建を目指して始まった共同醸造は、酒蔵の枠を超えて若手の挑戦を生み、「能登の酒を進化させる」という新たなフェーズに入っている。櫻田・車多両酒蔵の思いはひとつ。それは「能登杜氏とともに育んできた石川県の酒造文化を守り、さらに磨き上げて未来へつなぐ」ことだ。支援のための共同醸造から、ともに未来を醸す共同醸造へ。櫻田さんと車多さんは、希望を感じられる味わいの酒を多くの人に届けたいと願っている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52603/">共同醸造から始まる酒蔵再建。「櫻田酒造」と「車多酒造」が描く未来／石川県珠洲市･白山市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>美しきリアス海岸を望む奥能登の隠れ家。「能登九十九湾 百楽荘」／石川県能登町</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/52589/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 27 Mar 2025 04:30:02 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[能登九十九湾]]></category>
		<category><![CDATA[石川県能登町]]></category>
		<category><![CDATA[能登]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_028.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大小の入り江からなる九十九湾（つくもわん）は、日本百景にも選ばれた景勝地。深く入り組んだ湾を見下ろす丘の上に、創業から90年以上の歴史を刻む旅館「能登九十九湾 百楽荘（ひゃくらくそう）」がある。海と緑が織りなす絶景ととも [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_028.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大小の入り江からなる九十九湾（つくもわん）は、日本百景にも選ばれた景勝地。深く入り組んだ湾を見下ろす丘の上に、創業から90年以上の歴史を刻む旅館「能登九十九湾 百楽荘（ひゃくらくそう）」がある。海と緑が織りなす絶景とともに、スローな時間を過ごす贅沢。宿がうたう「百の楽しみ」が、旅の印象を美しく彩る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">穏やかな入り江が続く九十九湾</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_049.jpg" alt="" class="wp-image-52590" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_049.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_049-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_049-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>能登半島の先端に近い石川県能登町（のとちょう）。海沿いに点在する港町を東へたどった先に、能登有数の景勝地「九十九湾」がある。<br>九十九湾は、入り組んだ海岸線が総延長13㎞にわたって続くリアス海岸だ。湾の奥行きは最大1,200mにもおよび、湖のように穏やかな湾内に小舟が浮かぶ。いくつもの入り江が描く風景は四季折々に美しく、見飽きることがない。<br>「能登九十九湾　百楽荘」は、湾を眼下におさめる高台の宿。風情ある門をくぐって山道を登っていくと、宿の端正なたたずまいが見えてくる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日常の喧騒から離れ、能登の隠れ家で過ごす</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_001.jpg" alt="" class="wp-image-52591" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_001.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_001-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_001-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>創業は1934年。美しい海のたもとで、長年にわたって旅人をもてなしてきた老舗旅館だ。九十九湾を一望のもとに見渡すロケーションもさることながら、非日常をコンセプトとした空間作りや、つかず離れず、寄り添うような心地よい接客など、上質のもてなしが多くのリピーターを生んでいる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">石工が3年かけて手掘りした洞窟風呂</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_008.jpg" alt="" class="wp-image-52592" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_008.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_008-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_008-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>この宿の名物は、地下30mにある洞窟風呂。フロントからエレベーターで地下2階におりると、約50年前にひとりの石工が3年の歳月をかけて掘り進めた洞窟がある。</p>



<p>かつてこの一帯は、かまどや囲炉裏などに使われた「小木石（おぎいし）」の産地で、昭和のなかごろまで大勢の石工が活躍していたという。小木石の採掘が終焉（しゅうえん）を迎えた頃、「最後の石工」とよばれた職人が、宿の依頼でこの洞窟を掘った。岩肌に残るつるはしの跡は、能登の歴史でもある。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_025.jpg" alt="" class="wp-image-52593" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_025.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_025-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_025-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>足元を照らす灯りをたよりに歩みを進め、いよいよ洞窟風呂へ。岩に囲まれた浴槽には、九十九湾の沖合、水深320mからくみ上げた海洋深層水のお湯がなみなみと満たされている。深海に眠っていた海洋深層水は肌当たりがよく、ゆったりと浸かれば心も体もたちまちほどけていく。</p>



<p>洞窟風呂は2024年6月にリニューアルし、九十九湾を望む露天風呂と、間接照明が幻想的な洞窟サウナが加わった。非日常の極みともいえるこの空間を目当てに訪れる人も多いという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">静かな海景をひとり占めできる客室</h3>



<p>客室はスタンダードからアッパースイートまで全26室。露天風呂付き、テラス付きなど客室ごとに趣向を凝らし、選びぬいた調度品や照明が上質なくつろぎを演出する。そして何より、客室から望む九十九湾の眺望こそ、日常を忘れさせてくれる最高のごほうび。静かな入り江は朝に夕に表情を変え、何もしない贅沢を心ゆくまで堪能させてくれる</p>



<p>館内にはダーツやビリヤードを楽しめるゲームラウンジや、5つの貸切風呂、スイート専用のプレミアムラウンジなど、思い思いのひとときを過ごせる場所が随所に。宿泊客それぞれが「百の楽しみ」と出合えるようにと、毎年のように少しずつ改装を重ねてきた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">能登半島地震で被災し、一時休館</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_019.jpg" alt="" class="wp-image-52594" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_019.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_019-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_019-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2024年1月1日元旦、ほとんどの宿泊客がチェックインを終えてくつろいでいた時に能登半島地震が発生した。スタッフが手分けして宿泊客を安全な場所に誘導したが、宿に続く道路が地割れで通行できなくなり孤立。不安な一夜を過ごしたという。道路は、宿のスタッフがブロックなどを使って懸命に応急復旧を行い、翌日にはなんとか宿泊客全員を見送ることができた。</p>



<p>総支配人の熊谷穂乃美（くまがや ほのみ）さんは、当時の思いをこう語る。「お客様の安全が最優先でした。無事にお帰りになったお客様から連絡をいただいた時は、心底ほっとしました」。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_005.jpg" alt="" class="wp-image-52595" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_005.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_005-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_005-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>宿の被害で最も大きかったのは、海辺の施設だ。釣った魚を夕食で提供するサービスで人気を集めていた釣り桟橋（さんばし）は、津波で流失。同じく海にせり出すように設けていた離れの食事処も、基礎ごと波にさらわれてしまった。高台に立つ建物に大きな損傷はなかったものの、多くの設備や備品が壊れ、水の供給も完全にストップ。熊谷さんは当分の間、営業は難しいと判断した。</p>



<h3 class="wp-block-heading">復旧作業に取り組むスタッフたちに力をくれたもの</h3>



<p>水道が復旧したのは地震の翌月。しかし近隣ではまだ断水が続いており、避難所で暮らす人も多かった。営業再開に向けて客室修繕などの復旧作業を進める中、スタッフたちから「地域のためにできることをしたい」との声が上がり、近隣住民に食事と入浴をふるまう催しが企画された。</p>



<p>入浴してさっぱりとくつろいだ人々の笑顔と、ほんのひとときの館内の活気は、スタッフたちの大きな力になったという。</p>



<p>宿にはリピーターをはじめ、全国から多くの応援の声が届いていた。「地域の方々、百楽荘を愛して下さるお客様に支えられていることを、改めて実感しました」と熊谷さんはしみじみと振り返る。</p>



<p>営業を再開したのは、地震から約3ヶ月半がたった4月19日。客足が戻る見込みはなかったが、ひとりでも多くの人に能登に来てもらうことが復興への力になると考えての決断だった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">豪雨災害で、戻りつつあった客足が再び遠のく</h3>



<p>営業を再開したばかりの頃は被災地入りを自粛するムードもあり、宿泊客は少なかったという。しかし再開を待ちわびていたリピーターや、能登への応援を兼ねて宿泊する人が少しずつ増え、ハイシーズンとなる夏休みにはようやく賑わいを取り戻した。</p>



<p>ところがその年の9月、能登を再び災害が襲う。能登半島地震に次いで2度目の激甚（げきじん）災害となった能登半島豪雨だ。高台にある宿に直接的な被害はなかったものの、予約のキャンセルが相次ぎ、再び客足が遠のいてしまった。これから復興に取り組んでいこうとしていた矢先の豪雨災害。取引している農家にも大きな被害が出て、宿には重苦しさが漂ったという。「能登の広い範囲に被害があり、それを思うと胸が詰まるようでした」と熊谷さん。それでもスタッフたちは訪れた宿泊客を精一杯もてなし、また応援の声に勇気づけられながら日々を過ごした。</p>



<p>地震から1年、豪雨から3ヶ月が過ぎたその年の年末年始、客室はようやく満室に。「能登復興を応援するために来ました」と声をかけてくれる宿泊客も多く、熊谷さんは地域に根ざす宿の使命を改めてかみしめたという。「私たちがほんの少しでも能登復興のお役に立てているなら、この1年を頑張って積み重ねてきてよかったと思います」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">能登の生産者とともにある宿を目指して</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_036.jpg" alt="" class="wp-image-52596" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_036.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_036-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_036-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>能登の豊かな産物を盛り込んだ料理は「能登九十九湾 百楽荘」の自慢のひとつだ。しかし地震で多くの生産者が被災し、食材をさばく市場や流通の機能も麻痺してしまった。日頃から取引している生産者は「漁に出られない」「作っても売れない」「出荷できない」といった苦境に立たされていた。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_039.jpg" alt="" class="wp-image-52597" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_039.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_039-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_039-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>手に入らない食材は能登以外の場所から取り寄せることもできたが、総料理長の島田大輔（しまだ だいすけ）さんは「できる限り、能登の食材を使う」と決めた。食材を仕入れるために生産者のもとに足を運び、「出荷先を探している人がいる」と聞けば紹介してもらった。こうして生産者と宿の取引ネットワークをしっかりとつなぐことで「能登の生産者と豊かな恵みを守りたい」と島田さんは言う。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_038.jpg" alt="" class="wp-image-52598" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_038.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_038-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_038-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>この日、食膳にのぼったのは、能登町宇出津（うしつ）港で買い付けた天然ブリと、珠洲市蛸島（すずし たこじま）港で揚がったばかりの加能（かのう）ガニ。「素材がいいから、余計な手は加えません。能登の食材の魅力を存分に堪能していただきたいですね」と島田さんは笑顔を浮かべた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">本当の意味で「復興」と言える日まで</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_034.jpg" alt="" class="wp-image-52599" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_034.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_034-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/hyakurakusou_034-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>営業再開から約1年が過ぎたが、津波で失った釣り桟橋や食事処は手つかずのまま。施設の復旧に向けた取り組みは今も続いている。</p>



<p>一方で「施設の完全復旧がゴールではない」と熊谷さんは考えている。能登全体ではインフラや暮らしの再建が少しずつ進んでいるが、傷跡は大きい。本当のゴールは、この宿を訪れた人が「元気を取り戻した能登をめぐって、新しい魅力や楽しみを実感できた時」だと熊谷さんは言う。</p>



<p>能登をめぐっていると、「今の能登を見てほしい」「たくさんの人に来てほしい」という声を聞く機会は多い。ひとりでも多くの人が能登を訪れることが、復興への力となる。その旅の起点となる「能登九十九湾 百楽荘」は、本当の意味での復興に向けてこれからも前向きに進んでいく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52589/">美しきリアス海岸を望む奥能登の隠れ家。「能登九十九湾 百楽荘」／石川県能登町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>赤土で育つ野菜の滋味。全国のシェフに愛される「NOTO高農園」／石川県七尾市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 27 Mar 2025 03:53:12 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[能登]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen012.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>石川県七尾市能登島（のとじま）で、野菜の有機栽培を行う「NOTO高農園（たかのうえん）」。農園を営む高利充（たか としみつ）さん、博子（ひろこ）さん夫妻は土作りに力を注ぎながら、レストランやホテル向けの野菜を専門に栽培し [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52567/">赤土で育つ野菜の滋味。全国のシェフに愛される「NOTO高農園」／石川県七尾市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen012.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>石川県七尾市能登島（のとじま）で、野菜の有機栽培を行う「NOTO高農園（たかのうえん）」。農園を営む高利充（たか としみつ）さん、博子（ひろこ）さん夫妻は土作りに力を注ぎながら、レストランやホテル向けの野菜を専門に栽培している。能登島の赤土の力で育てる野菜は、濃い味わいと豊かな香りで星付き店のシェフたちを魅了する。</p>



<h2 class="wp-block-heading">世界農業遺産に認定された能登の暮らし</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen020.jpg" alt="" class="wp-image-52568" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen020.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen020-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen020-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「能登はやさしや、土までも」。能登の人情深い土地柄を表す時に、よく使われるフレーズだ。</p>



<p>能登半島は三方を日本海に囲まれ、面積の大半を山地が占める。能登の自然は豊かな恵みをもたらすが、時折容赦（ようしゃ）のない荒々しさを見せる。人々は自然の豊かさ、厳しさと折り合いをつけながら、互いに寄り添って生きてきた。能登の「やさしさ」は、こうした環境のもとで培われたものだ。</p>



<p>厳しくも美しい自然と人々の営みが形作る「能登の里山里海」は、2011年、国連食糧農業機関によって日本初の「世界農業遺産」に認定された。四季折々の自然と対話しながら営む農業のあり方は、古くからの能登の暮らしそのもの。石川県七尾市の「NOTO高農園」も、能登の自然と共生する農業を実践してきた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">能登島へ移住し、農業を始める</h3>



<p>能登半島の中ほど、東に向けてぽっかりと口を開ける七尾湾に小さな島が浮かんでいる。人口約2000人の能登島だ。起伏に富んだ島の西部、海を遠望する高台にNOTO高農園はある。</p>



<p>農園を営む高利充さん、博子さん夫妻が能登島にやって来たのは25年前のこと。福岡県で会社員として働いていたふたりは、利充さんの「農業をやりたい」という言葉をきっかけに就農を決めた。「ふたりとも食べることが大好きだったから」と博子さんは笑うが、ゼロからの新規就農、縁もゆかりもない土地への移住は、かなり思い切った決断だ。</p>



<p>どこで農業をやるか。候補地は全国にいくつかあったが、有機農業を行う知人の伝手（つて）を頼って能登島を訪れた時に「ここだ」と感じた。のびやかな山と海の眺め、ゆったりと流れる時間、美しい四季の移ろい、そして人のやさしさと温かさ。島の環境に一目ぼれしたという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">能登島の野菜は、赤土でゆっくり育つ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen062.jpg" alt="" class="wp-image-52569" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen062.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen062-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen062-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>能登島の土は赤い。鉄分を多く含む赤土はきめが細かく、保水力がある。野菜は赤土の中で時間をかけて根を伸ばし、ゆっくりと養分を吸収して育つため、凝縮した味わいになるという。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen011.jpg" alt="" class="wp-image-52570" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen011.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen011-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen011-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>NOTO高農園では農薬や化学肥料をほとんど使わない。土壌分析を行って草や緑肥を土にすき込み、貝化石やカキ殻など海のミネラル分を入れながら丁寧に土作りを行ってきた。</p>



<p>「動物性の堆肥が手に入りづらい場所だったこともありますが、なるべくこの土地にあるもので土作りをしようと思って」と利充さん。環境に寄り添い、人にも畑にも優しい農業を続けてきた結果、害虫や病気の発生も少なく、農薬が不要な環境になっているという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">雪の下でじっと耐え、甘みを蓄える</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen017.jpg" alt="" class="wp-image-52571" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen017.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen017-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen017-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>真冬の農園を訪れると、畑は一面雪で覆われていた。雪の下には、秋に種をまいたカブや大根が植わっている。「土の中で凍らないように、野菜は自ら糖分を蓄えるんです」と博子さんが教えてくれた。能登島の厳しい寒さのもとで、冬野菜はぐっと甘みを増す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">シェフたちの要望に応える「少量多品種栽培」</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen006.jpg" alt="" class="wp-image-52572" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen006.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen006-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen006-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ハウスの中をのぞくと、香り豊かなハーブやみずみずしい葉物野菜、色とりどりのエディブルフラワーが所狭しと並び、まるで植物園のような賑わいだ。</p>



<p>現在、NOTO高農園で栽培する野菜は300種類以上。能登島の赤土で丹念に育てた野菜はプロの料理人の間で評判をよび、星付きレストランをはじめ全国100軒以上の飲食店やホテルなどから注文が入る。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen007.jpg" alt="" class="wp-image-52573" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen007.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen007-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen007-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>時にはシェフ自ら農園に足を運び、栽培のリクエストをすることも。「シェフのニーズに応えているうちに、どんどん種類が増えてしまって」と笑う利充さん。ふたりでレストランに出かけて野菜の使い方や見せ方などを学び、栽培に生かすことも多いという。</p>



<p>少量多品種栽培というスタイルは、「愛される野菜を作りたい」というふたりの情熱から生まれたものだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">地震と豪雨、2度の被災。復旧の遅れが大きな負担に</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen015.jpg" alt="" class="wp-image-52574" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen015.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen015-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen015-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2024年1月1日に発生した能登半島地震は、能登島も大きく揺らした。島と半島を結ぶ2本の橋は通行止めとなり、島内の道路はあちこちで崩落。NOTO高農園でも納屋や作業所が損壊、ハウス内のコンテナはひっくり返り、畑には大きな地割れが発生した。</p>



<p>特に水の問題は切実で、灌漑（かんがい）設備が壊れて畑に水が届かなくなったため、畑に水をやることも、出荷前に野菜を洗うこともできなくなった。幸い、近隣の農家が地下水を提供してくれることになったため、タンクに水をくんでトラックで運ぶことになったが、毎日数往復の運搬や人力での水やりは大きな負担となっている。</p>



<p>地震から1年以上が過ぎた今も、状況はほとんど変わっていない。灌漑設備は地域の農家が共同で管理しているため、全員の合意がなければ復旧工事に着手すらできないという。後継者がいない高齢農家も多く、合意形成は簡単ではない。能登島の農業の未来を見据えて話し合いを重ね、ようやく合意の道筋が見えてきたばかりだ。&nbsp;</p>



<p>さらに人手不足による負担ものしかかる。NOTO高農園には9人のスタッフがいたが、家の損壊やインフラ復旧の遅れなどを理由に、5人が泣く泣く農園を離れて島外に引っ越していった。復旧の長期化は人を流出させ、事業の再建をはばむ原因となる。&nbsp;</p>



<p>さらに同年9月、農園は再び災害に見舞われた。後に激甚（げきじん）災害にも指定された能登半島豪雨だ。地震後に整地をした畑の一部が崩れ、芽を出したばかりのカブや大根が流されてしまった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">取引先のシェフたちが前を向く力をくれた</h3>



<p>地震に豪雨と、たび重なる苦難にくじけそうになる利充さんと博子さんの支えとなったのは、取引のあるシェフたちの存在だ。地震後すぐに、あるシェフから「力になりたい。野菜を洗う水がないなら土付きのままで構わないから、今ある野菜を引き取らせてほしい」と連絡があった。「大丈夫、俺たちがついてるから」と畑にやって来て作業を手伝ってくれるシェフもいた。</p>



<p>豪雨災害の後、ふたりは野菜を待ってくれている人たちのために全力で畑を復旧し、祈るように種をまいた。無事に収穫できた野菜はいつもより小さなサイズだったが、取引先のシェフたちは「小さい野菜も使いやすいね」と喜んでくれたという。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen025.jpg" alt="" class="wp-image-52575" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen025.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen025-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen025-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「たくさんの人とのつながりが、心の支えだったよね」と顔を見合わせてうなずくふたり。前を向く力をくれた人たちにおいしい野菜を届けることで、感謝を伝えたいと願う。</p>



<h2 class="wp-block-heading">NOTO高農園のこれから</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen001.jpg" alt="" class="wp-image-52576" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen001.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen001-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/takanouen001-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>能登島で農業を始めて25年。時間と手間と愛情をかけて土を作り、豊かに実る畑となった。今ふたりが目指しているのは、50年後、100年後もこの畑が続いていく環境づくりだ。「25年前に能登島の人たちが温かく受け入れてくれたように、後に続く人のためにこの赤土をつないでいきたい」。今、歩みを止めないことが、農園を支えてくれた人々と能登島への恩返しになると考えている。</p>



<p>能登島での農業を持続可能な形で次世代に渡すため、災害復旧がひと段落した後にやってみたいことがあるという。それは「人がつながる拠点」を作ることだ。シェフが滞在して野菜の味見をしたり、農業に関心を持つ人が作業体験をしたり。さまざまな人と人とがつながって、農業の可能性が広がっていく。そんな拠点となる農泊施設を整備したいという。利充さんと博子さんが描く未来には、温かな人のつながりと豊かな赤土がある。</p>



<p>「能登はやさしや、土までも」。</p>



<p>NOTO高農園で育つ野菜は、やさしく、滋味深く、力強い。その味わいは、能登の風土そのものだ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52567/">赤土で育つ野菜の滋味。全国のシェフに愛される「NOTO高農園」／石川県七尾市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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