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	<title>大分県 - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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	<title>大分県 - NIHONMONO</title>
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		<title>「美味しい」の一言が茶栽培の原動力。「お茶の川谷園」川谷哲也さん/大分県中津市</title>
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		<pubDate>Mon, 13 Jul 2026 10:10:52 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2804.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大分県北部、険しい岩山と清流が織りなす耶馬溪町（やばけいまち）の山間地に、緑の茶畑が広がっている。ここで茶葉の栽培から販売までを一手に担うのが、「お茶の川谷園」2代目の川谷哲也さんだ。静岡以西では初めて「茶聖」の称号を授 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2804.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大分県北部、険しい岩山と清流が織りなす耶馬溪町（やばけいまち）の山間地に、緑の茶畑が広がっている。ここで茶葉の栽培から販売までを一手に担うのが、「お茶の川谷園」2代目の川谷哲也さんだ。静岡以西では初めて「茶聖」の称号を授かり、大分の茶づくりをリードする存在として知られている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">国の事業をきっかけに、山の土地でお茶を育てる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9371.jpg" alt="" class="wp-image-54855" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9371.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9371-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9371-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川谷園の茶葉生産の歴史が始まったのは、昭和49年のことだ。もともと川谷さんの祖父は山仕事をメインに、炭焼きやシイタケ栽培といった山仕事を営んでいた。そして父の代になった頃、国の事業で茶の栽培が行われることに。祖父の代の山仕事では収益が低かったことに課題を感じていた川谷さんの父が開墾された土地に入ったことがきっかけで、茶業に関わり始めた。当初は、日本の茶畑のおよそ7～8割を占める「やぶきた」をはじめとした3〜4品種だったが、川谷さんがこの世界に入って品種の勉強を重ね、さまざまな品種を取り寄せた結果、現在はさえみどり、あさつゆ、あさのか、はるみどり、やぶきた、おくみどり、さきみどりの7品種に少量の紅ふうきを加えた、計8品種を育てるまでになった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">専門家も猛反対した「あさつゆ」への挑戦</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2697.jpg" alt="" class="wp-image-54856" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2697.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2697-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2697-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そのなかでも、川谷さんの栽培への情熱を象徴する品種がある。その圧倒的な旨みと鮮やかな緑色から&#8221;天然玉露&#8221;とも称される「あさつゆ」だ。極めてデリケートで寒さに弱いこの品種を冬の冷え込みが厳しい耶馬溪で育てることは、専門家の目には「無謀」と映り、試験場の先生からも猛反対を受けたという。それでも川谷さんは耶馬溪の自然が育むお茶の可能性を信じ、その一歩を踏み出した。</p>



<p>「当時は父親も元気だったのですが、先生から頭ごなしに”無理だ”と言われたことで、我々の反骨精神に火が付いたというのも、栽培に踏み切った理由のひとつです」と川谷さん。</p>



<p>川谷園が位置するのは標高およそ550m。茶の栽培には日中の寒暖差がある土地が向いているとされる一方、霜が降りるほど寒すぎると葉がだめになってしまう。川谷園はまさにそのギリギリのエリアであり、実際に霜害に遭うこともある。しかし川谷さんは、「厳しい環境で育った茶葉はまろやかで薫り高い良い芽になる」と言う。寒さに弱いというあさつゆの特徴は、見方を変えれば、厳しい冬を乗り越えた際にとてつもない甘みとコクを蓄えるポテンシャルでもある。逆境が、味わいの深みを生むのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統を礎に、科学で進化させた肥料へのこだわり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9338.jpg" alt="" class="wp-image-54857" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9338.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9338-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9338-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>品種への探究と並走するように、川谷さんが力を注いできたのが土づくりだ。良い茶の栽培には良い土が欠かせない。そして良い土を作るのに欠かせないものといえば、栄養を与える肥料だが、父の時代は、えごまの搾りかす、菜種かす、魚かすをそれぞれ別々に畑に撒き、また新芽を出すためには硫安という窒素肥料も別に与えていた。しかし栽培面積が広がり、肥料やりを一手に担うようになった川谷さんは、すべてを別々に行うことの難しさに気づく。そこで思いついたのが、最初から全ての材料を混ぜてひとつの肥料にする方法だ。時を同じくして、「肥料の中身から、好きなようにやっていい」と父から言われたことが転機となり、自分なりのブレンドへと踏み切ったのが5年ほど前のことだ。</p>



<p>川谷さんが辿り着いた配合には、二つの大きな工夫がある。ひとつは、従来の魚かすではなく、魚の内臓や骨を含む魚粉・骨粉を使うことだ。複雑なミネラルと旨み成分を土に蓄えるためだという。もうひとつは、植物の成長に欠かせない窒素成分を補うために、マイナス196℃の液体窒素を肥料に加えることだ。それにより生まれたのが、内容物のほぼすべてが有機素材で構成された、川谷さん独自の配合肥料である。</p>



<p>さらに、茶の新芽を出す「芽出し」のために液体肥料の「ソリュブル」も取り入れている。ソリュブルは魚の煮汁を濃縮した、ミネラルとアミノ酸が豊富な有機液体肥料で、以前使っていた硫安と比べてもお茶の味の深みや濃さが変わった気がしているという。「ただ、ソリュブルは臭いんです。魚の煮汁なので、皮膚についたら2日間くらいはいくら洗っても取れません。手についていたら、食事の時に全部その味に感じられてしまうくらい強烈で」と、川谷さんは笑いながら話してくれた。</p>



<p>伝統を大切にしながらも、科学的な探究心で磨き上げられた川谷園の一杯には、耶馬溪の厳しい風土と、それに挑み続けた川谷さんの執念が凝縮されている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">一途に続ける、手もみという技</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2812.jpg" alt="" class="wp-image-54858" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2812.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2812-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2812-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川谷園では、手もみ茶も取り扱っている。機械を一切使わず人の手だけで仕上げる手もみ茶は、江戸中期に京都宇治の茶業家・永谷宗円が考案したとされるもので、茶の葉を蒸して柔らかくした後、手でほぐし、転がし、捏ねて揉んでという作業を立ちっぱなしで行った後に乾燥させて仕上げるという工程をおよそ6時間かけて行う。出来上がった茶葉は針のように細長く、機械によって余計な力をかけられていない分、湯に浮かべると摘み取ったときの茶の葉の形に戻るという。煎れた時の色はきわめて薄く、乳白色が最上とされる手もみ茶は、口に含めばその色の薄さからは想像もできないほどの濃厚なうま味が広がる。手数の多さから量産はできず、また熟練の技術が必要なことから揉み手も減っているため、市場に出回れば手もみ茶にきわめて高い値がつく。</p>



<p>川谷さんが手もみ茶と出会ったのは、高校卒業後に国立試験場の研修生として学んでいた19歳のときだった。そこで研修同期だったのが、のちに全国手もみ茶品評会で8度の日本一に輝き、日本で初めて「永世茶聖」の称号を授かった中島毅だ。同い年の2人は切磋琢磨しながら技術を研ぎ澄ませ、やがて川谷さんも品評会の舞台に立つようになる。2011年には農林水産大臣賞（1等1席）を受賞し、静岡以西では初めてとなる「茶聖」の称号を授かった。</p>



<p>手間がかかり量産もできない手もみ茶を、なぜ川谷さんは続けるのか。そこには、過去の後悔がある。これまで2度、品評会を欠場したことがある。1度目は手もみの当日朝にぎっくり腰になったとき、2度目は手もみを続けることへの諦めの気持ちが生まれたタイミングだった。しかし、欠場して楽になった気持ちを1とすれば、「やっぱり出場しておけばよかった」という悔いが50から60ほどあったという川谷さん。品評会の結果云々という話ではなく、その年のお茶がどういうものかを感覚で確かめるためにも手もみをしよう——欠場したことで、逆に手もみの存在を実感したことが、今も川谷さんを手もみ茶へと向かわせている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「お茶らしいお茶」を、一杯の中に</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2768.jpg" alt="" class="wp-image-54859" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2768.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2768-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2768-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川谷園では手もみ茶のほか、煎茶、深蒸し茶、ほうじ茶など幅広いラインナップを揃えており、そのなかには客の声から生まれた商品も少なくない。</p>



<p>川谷さんが目指す味は、「お茶らしいお茶」だ。世の中で「おいしいお茶」といえば、往々にして甘みの強いものが注目されがちで、世間の多くの人もまた、そうした甘味の強いお茶こそを「美味しい」と口にする。かつての川谷さんも、その声に応えるかのように、ひたすらに甘みを追い求める時期があった。しかしその市場で戦い続けることへの疑問が拭えず、考え方を変えた。甘いだけではなく、キリっとした渋みと爽快感が走る。その味わいを理想に据えて辿り着いたのが、上深蒸し茶「翠」だ。毎年最初に仕上げるのもこの「翠」で、前年のものと飲み比べながら納得のいくブレンドを探るため、新茶を摘んでから商品化まで最低でも2週間ほどかかるという。物流が発展した現代では、産地に近い茶舗には摘み取りから3～5日で商品として並ぶ場合もあると考えると2週間はきわめて長いが、川谷さんのこだわりの結晶だともいえるだろう。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2858.jpg" alt="" class="wp-image-54860" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2858.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2858-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2858-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一方、「作らない」と長らく決めていたにもかかわらず、客のリクエストに折れてラインナップに加えた商品もある。玄米茶だ。緑茶は50gや100g単位でパッケージとして売られているのに対し、玄米茶は500gや1kgという大容量である場合が多い。それだけの量があると、一度玄米茶を買ってしまったらしばらくの間ずっと玄米茶ばかりを飲み、緑茶を飲む機会が減るという、川谷さん流に言うと「負の玄米茶ループ」にはまってしまう。それを懸念し、玄米茶は作らないという姿勢を貫いていたものの、熱烈なリクエストを受けるうちに「自分のところで作った玄米を使えばいいのでは」という考えに至り、作ることを決意する。</p>



<p>それが、「my玄米」と名付けられた一品だ。袋を開けて驚くのは、そこに緑茶の葉が一枚も入っていないこと。文字通り、丁寧に香ばしく弾けさせた「玄米だけ」が収められている。あえて緑茶と混ぜ合わせない。この引き算の美学が生んだのは、これまでの玄米茶の常識を覆す自由度だった。玄米茶として味わうならば、緑茶は客が自分で用意する必要がある。「my玄米」においては、「玄米茶を飲み始めると緑茶の消費が減る」という川谷さんの懸念は解決された。加えて、クルトンやあられの代わりにサラダやお茶漬けに使えるという新しい提案により、既存の玄米茶のイメージを軽やかに超えていった。さらにお湯にも水にも溶けるスティックタイプの粉末玄米茶も開発し、こちらも好評を博している。</p>



<p>粉末のお茶は、東京のジェラート屋や千葉のシフォンケーキ教室でも採用されるなど、飲むだけにとどまらない新しい消費者層の開拓にもつながっている。「飲むだけに限らないところが、茶はまだまだ夢がある商品だと感じられる」と川谷さんは目を細めた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">九州のレベルを上げ、若手を育てたい</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9322.jpg" alt="" class="wp-image-54861" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9322.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9322-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF9322-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>茶の有名産地といえば静岡や狭山（埼玉県）が真っ先に思い浮かぶ。大分の名はなかなか前面には出てこない。もし自分が産地の中心で茶を作っていたら、競争に勝てなかっただろうと川谷さんは率直に語る。「おそらく今の九州で、このクラスの手もみ茶を作れるのは自分だという自負はあります。しかし全国の品評会となると歯が立たないこともある。そういう時、九州のレベルがどれだけまだまだなのかを痛感します」と、川谷さん。もちろん九州にも、全国の茶品評会で上位に入る八女市や嬉野市がある。しかし、手もみ茶ではなく別部門においてだ。手もみ茶では、狭山などに遠く及ばない。&nbsp;</p>



<p>だからこそ川谷さんが強く意識しているのが、九州の茶づくりのレベルを上げること、そして若手を育てることだ。品評会に出るには全国組織への加盟が必要だが、大分県にはその組織がなく、川谷さん自身も福岡県・八女の組織に所属している。その八女に育ちつつある若者がいる。その人物と2人で九州の手もみ会を再び盛り上げようというプロジェクトが、今まさに動き始めている。将来的には九州各県に1人ずつ全国に打って出られる作り手を育て、品評会で九州勢が一等に並ぶような未来を、川谷さんは真剣に思い描いている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「おいしいね」の言葉に力がみなぎる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2827.jpg" alt="" class="wp-image-54862" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2827.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2827-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/07/DSCF2827-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川谷園の初代である父が亡くなったのは、2022年のことだ。父が生きていた頃は「自分がやれることを8割の力でやる」という目標を持っていたが、家業をすべて一人でこなすようになった今は、100や120の力を出さなければ間に合わないことを痛感しているという。それは決して楽ではない。しかし、同業者や客から「川谷園のお茶は美味しい」と言われるたびに力がみなぎる。市場の変化は激しく、正解のルートなどないけれど、味わいも含めて柔軟にトライし続けていく。その姿勢を川谷さんは「客の口に入るまでが戦い」と表現した。</p>



<p>ペットボトルの緑茶ドリンクに押され、生の茶葉を売ることをやめてドリンク専用工場へ向かう茶業家も増えているのが現状だ。しかし川谷さんはそこに異を唱える。「学校に行って、茶について深く学んだじゃないか」と。茶の末端価格は野菜のような大きな値崩れが起きにくい。ならば必ず、問屋や社長ではなく茶葉を育てる農家自身が儲かるための突破口があるはずだ。そう言い続け、「生産者のやり方がまだあるはず。それを考えよう」と仲間に呼びかけてきた。</p>



<p>高校卒業後の研修で同期と笑い交じりに語り合った夢は、「みんなでベンツに乗って同窓会ができるくらいになろう」というものだった。あれからおよそ25年。その夢は今、「皆で儲けて、皆で幸せに。そして、その環境を取り巻く人たちまでも幸せにしたい」という思いへと深まっている。お茶づくりを通じて人を幸せにしたい。川谷さんのお茶は、その想いとともに今日も山の茶畑から生まれ続けている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54845/">「美味しい」の一言が茶栽培の原動力。「お茶の川谷園」川谷哲也さん/大分県中津市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>間口を拡げて梨の魅力を多くの人に伝えたい。「芳香園」中間朋海さん／大分県日田市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 24 Jun 2026 10:32:16 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[日田の梨]]></category>
		<category><![CDATA[梨酢]]></category>
		<category><![CDATA[晩三吉]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8479.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大分県日田市の山あいで、70年にわたり梨づくりを続ける「芳香園」。3代目の中間朋海（なかまともみ）さんが守り続けるのは、この土地の力が育む甘くみずみずしい梨と、「美味しいものをお客さんにも食べてもらいたい」というぶれない [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8479.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大分県日田市の山あいで、70年にわたり梨づくりを続ける「芳香園」。3代目の中間朋海（なかまともみ）さんが守り続けるのは、この土地の力が育む甘くみずみずしい梨と、「美味しいものをお客さんにも食べてもらいたい」というぶれない一念だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「四季を通して日田の梨」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1426.jpg" alt="" class="wp-image-54698" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1426.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1426-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1426-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大分県の北西部、福岡や熊本と接する九州の内陸に、日田という町がある。山々に抱かれた盆地の奥に広がるこの地は、古くから豊かな水に恵まれ、筑後川の源流域に近いことから「水郷」とも呼ばれてきた。江戸時代には幕府の直轄地として栄え、今もその面影を残す古い町並みや温泉が訪れる人を迎える。そんな自然豊かな日田で、人気の産品がある。梨だ。</p>



<p>「芳香園」の中間朋海さんは、この地で梨づくりに心血を注ぐ3代目だ。「自分が食べておいしいものをお客さんにも食べてもらいたい」という一念で続けてきた梨づくりは、多くのリピーターを生み出し、毎年「今年はまだ？」という問い合わせが届くほどの支持を集めている。</p>



<p>芳香園が梨の栽培を始めたのは今から約70年前の、中間さんの祖父の代のことだ。そして中間さん自身が実家の農園に就農したのは大学を出てすぐのタイミングだった。「跡を継ぐものだと思っていた」という理由からだという。若くして家業に関わり始めた中間さんが今も変わらず向き合い続けているのが、この土地ならではの梨づくりだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">様々な自然条件が梨づくりに適した土地</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8488.jpg" alt="" class="wp-image-54699" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8488.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8488-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8488-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>梨の産地というと、鳥取県や千葉県が真っ先に思い浮かぶ。都道府県別の生産量でいえば、大分県は10位前後にとどまる。しかし日田市では、7月末から12月頃まで出荷できるさまざまな品種が栽培されており、その豊かなラインナップを、地元のJA梨部会は「四季を通して日田の梨」というキャッチフレーズで表現している。</p>



<p>ではなぜ日田市では、良質な梨の栽培が可能なのか。中間さんに聞くと、「それは土地の力」という答えが返ってきた。</p>



<p>盆地である日田市は朝晩の気温差が大きく、夏場は12〜13度に達することもある。夜間の気温が低ければ低いほど、日中に育まれた糖分を果実の中に蓄えておける。これが、寒暖差の大きな土地は果物の生産に向いているといわれる所以だ。さらに水。水質も水量も豊かな日田市は「水が磨く郷」とも称されるほどで、梨の生育にとって申し分のない恵みをもたらす。そして、土。砂地ではなく赤土であるこの地には肥料を蓄える力があり、豊かな実りの土台となっている。寒暖差、水、土。</p>



<p>三つの力が重なり合うことで、日田の梨は生まれている。</p>



<p>芳香園では現在、出荷用として主に6品種を栽培している。幸水に始まり、豊水、新高、あきづき、愛宕、晩三吉（おくさんきち）と続く。特に晩生（おくて）の晩三吉は、かつては日本各地で栽培されていたが、育てるのに手間がかかるため生産者が激減した結果、現在では梨全体の1％未満程度しか生産されておらず、そのほとんどが大分県で生産されたものだそうだ。適度な酸味を内包する晩三吉に対し、最近は酸味の少ない甘い品種が消費者に好まれる傾向があり、品種選びにも時代の変化が反映されている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">梨の木が何を欲しがっているか、見極めながら</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1473.jpg" alt="" class="wp-image-54700" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1473.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1473-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1473-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「木を見て、水を欲しがっているのか、それとも人間でいうサプリメントのような栄養を欲しがっているのか。そういったところを見極めながら、何をするかを考えています」と中間さんは話す。</p>



<p>梨の苗木は植えて3年目頃から少しずつ実をつけ始める。花が咲くのは桜と同じ頃で、1つの場所から7〜8輪が開く様子は、桜の咲き方にも似ている。収穫のピークは樹齢およそ20年で、その後はゆるやかに下降していくものの、樹齢100年を超えてもなお実をつける木もあるという。果実をしっかりと大きくし、光合成で育んだ糖分を甘みへと変えるには、常に畑と木を見守りながら、細やかな配慮を重ねていくほかない。その手間ひまの積み重ねが、甘い梨を実らせる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">重要なのは土づくり</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1476.jpg" alt="" class="wp-image-54701" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1476.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1476-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1476-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>芳香園では、牛糞やノコくずを混ぜた堆肥や魚粉、菜種油粕などの有機質肥料を使っている。 使い続けることで土が柔らかくなり、排水性が上がり、微生物が元気に育つ。鶏糞堆肥を使うという選択肢もあるが、即効性はあっても長続きしないという特性を鑑み、長期的に土壌へ働きかける牛糞堆肥を選んでいる。</p>



<p>また、畑に生えた草には除草剤を使わず、機械で刈る。これによって土中のミミズが豊かに生き、そのミミズの糞が、微生物の餌となる有機物を供給する。さらにミミズが動き回ることで土の中に空気が通り、微生物による有機物分解が促進される。そうして生きた土、肥えた土が出来上がっていくのだ。</p>



<p>しかし、梨づくりの様々な条件が揃ったこの地でもやはり解決しなければならない課題はあると、中間さんは語る。</p>



<h2 class="wp-block-heading">梨栽培に立ちはだかる壁</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8457.jpg" alt="" class="wp-image-54702" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8457.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8457-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8457-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>梨づくりで困難を感じている点を聞くと、気候変化、木の病気、そして人手不足という三つの答えが返ってきた。</p>



<p>気候について言えば、最近の春は気温が高く、梨の開花が早まっている。花の時期は最も繊細で、このタイミングで遅霜が発生すると、めしべが黒くなって枯れ、実がつかなくなる恐れがある。暑すぎる夏、長く続く雨、そうかと思えば短期間に大量に降る雨。近年の天候はどんどん読みづらくなっており、木が弱りやすい状況に拍車がかかっている。天気を見ながら栄養を与え、水の管理をしながら臨機応変に対応するが、それでもなかなか難しいと中間さんは打ち明ける。</p>



<p>木の病気もまた、悩みのひとつだ。おいしさを追求して品種改良を重ねた結果、病気に弱い品種が増えている。農業の世界的な潮流として有機栽培への移行も検討したが、梨で試したところ病気が蔓延し、数年にわたって影響が続いた苦い経験がある。安全性を意識しながら農薬を使う、そのバランスの取り方に頭を悩ませているという。</p>



<p>そして人手不足。芳香園も例外ではない。通常、梨の実は地面からおよそ180cmのところにできる。作業中はずっと顔も手も上に向け続けることになり、首や肩、腰への負担は相当なものだ。以前は地元の年配の方や繁忙期に来てくれる専業主婦の方々に頼ることができたが、今はもう頼める人がいなくなってしまったという。現在は地域の人が数名と、繁忙期だけ県外から来てもらうというスタイルで何とかしのいでいる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">作業者の負担を考え、木の仕立て方を変える</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8494.jpg" alt="" class="wp-image-54703" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8494.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8494-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8494-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>未経験者が多い状況のなかで中間さんが変えたのが、木の仕立て方だ。「普通、木は上に伸びていきます。ただ、枝を30度〜40度くらい倒すと、以前より少し低い場所に実がなります。90cmくらいのところに実ができるようになると、未経験の人も作業がしやすいんです」。</p>



<p>誰でも収穫できる栽培方法へと変えていく。コストを抑えながら、将来的には収穫ロボットの導入も視野に入れる。人がいなくても成り立つ道を、中間さんは着実に模索している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">果物の需要が年々減るなかで</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1388.jpg" alt="" class="wp-image-54704" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1388.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1388-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1388-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>人手不足と並んで中間さんが直面しているのが、果物自体の需要減だ。特に梨は、皮をむかなければ食べられないという点がネックになっている。「梨が好き」という声は多くても、それが購入には必ずしもつながらない。特に若い世代は本当に買わないと実感しており、店頭でも通信販売でも、購入者のおよそ7割は50代以上だという。皮ごと食べられて種もないシャインマスカットのような品種が伸びる一方で、食べるためにひと手間かかるものは、嗜好品としての性質も相まって需要が落ちている。中間さんはそう分析する。</p>



<p>その打開策として中間さんが取り組んでいるのが、梨の間口を拡げる試みだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">梨の魅力を伝えるために</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1401.jpg" alt="" class="wp-image-54705" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1401.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1401-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF1401-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>芳香園では新鮮な梨の販売に加えて、ジュース、ジャム、ドライフルーツといった加工品も手作りで製造している。量はさほど作れないが、年間を通して梨のおいしさに触れられるとあって人気が高い。「加工品づくりは趣味みたいなもの」と中間さんは笑うが、その言葉の裏には、梨の魅力をより多くの人に届けたいという真剣な思いが宿っている。</p>



<p>なかでも珍しいのが「梨酢」だ。その名の通り、梨を原料とした酢である。「ワインからバルサミコ酢ができるなら、梨からでも作れるんじゃないか」というシンプルな発想から生まれたという。こうした珍しい加工品が評判を呼び、芳香園がメディアに取り上げられる機会も増えた。イベントに出展する際は梨も加工品も両方持っていくが、みずみずしい梨を選ぶ人、加工品に手を伸ばす人と、それぞれの出会い方がある。その光景を見るたびに、少しずつ梨の魅力が広がっていることを実感するのだと中間さんは話す。</p>



<h2 class="wp-block-heading">梨づくりの未来のために</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8481.jpg" alt="" class="wp-image-54706" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8481.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8481-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/06/DSCF8481-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>今は日田に100件ほど梨農家があるものの、その数は年々減り続けている。15年ほど前、市場出荷だけでは生活が成り立たないほどの底値がついた時期を経験した世代が、子どもに継がせなくなっているのも一因だという。中間さん自身には息子がいるが、絶対に継いでほしいとは思っていない。「自分がある程度年を重ねて引退するときに、誰か継ぎたい人がいればその人に」というのが正直な思いだ。だからこそ、人手や経験がなくても生産・収穫ができるよう栽培方法を変えるという試みを、今から地道に続けている。</p>



<p>梨の未来がどうなっていくのか、今の時点では誰にもわからない。それでも中間さんは、将来を見据えながら今日も梨と向き合い続けている。「梨が少なくなると寂しいといった声がある限りは続けますよ。&#8221;美味しい&#8221;と買ってくれるお客さんの期待を裏切ることはできないので、絶対に手は抜きません」。</p>



<p>「四季を通して、日田の梨」。その一角を支えているのが、中間さんのような、梨づくりに思いをそそぐ農家の存在だ。今年も梨を心待ちにしている人のために、中間さんは今日も日田の畑に立っている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/54687/">間口を拡げて梨の魅力を多くの人に伝えたい。「芳香園」中間朋海さん／大分県日田市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>大分の海苔、そして日本の海藻文化を未来へつなぐ「鶴亀フーズ」／大分県大分市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 21 Apr 2025 07:40:05 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[食べるJAPAN美味アワード2023]]></category>
		<category><![CDATA[海苔養殖]]></category>
		<category><![CDATA[摘み海苔]]></category>
		<category><![CDATA[料理王国100選]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSCF0627.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>自然豊かな大分県には、海の恵みを受けた関あじ・関さばや、山の幸である椎茸などの農産物が豊富にある。その中でも、今はわずかしかいないという漁師たちが守り続ける「海苔」の存在はあまり知られていない。大分県北部でしか獲れないと [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52725/">大分の海苔、そして日本の海藻文化を未来へつなぐ「鶴亀フーズ」／大分県大分市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSCF0627.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>自然豊かな大分県には、海の恵みを受けた関あじ・関さばや、山の幸である椎茸などの農産物が豊富にある。その中でも、今はわずかしかいないという漁師たちが守り続ける「海苔」の存在はあまり知られていない。大分県北部でしか獲れないという、貴重な海苔を昔ながらの製法で作り続ける「鶴亀フーズ」が後世に伝えたい想いとは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">大分県における海苔養殖業とは</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSCF8074.jpg" alt="" class="wp-image-52726" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSCF8074.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSCF8074-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSCF8074-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「食卓のおとも」として、日本の食文化に欠かすことのできない「海苔」。</p>



<p>現在、海苔の国内生産量の約3〜４割を占めているのは、佐賀県など4県に囲まれた九州有明海の内海で水揚げされたもの。その有明海から見ると外海となる大分県では、周防灘（すおうなだ）に面した北部地方で海苔養殖が行われている。大分県における海苔養殖業は、明治から昭和の時代までは広島県から養殖業者を雇い入れるほど、とても盛んだったという。また、大分の郷土誌「豊後国史」を紐解くと、200年以上昔から海苔は大分の土産として有名なものだったとも言われており、海苔養殖も昔は数百軒、数百人の漁師がいたほど盛んだったが、現在は宇佐市、中津市で5軒のみと激減。停滞してきた原因のひとつとして挙げられるのが、漁師の高齢化だ。一部の若手漁師を除いては、ほとんどが70代、80代の漁師という。その年齢を考えると、大分における海苔養殖業の厳しさに直面する。</p>



<h2 class="wp-block-heading">元の味を、昔ながらの製法をもとに進化</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="681" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/45cba854d1db15112f0809f7558675a8-1024x681.jpg" alt="" class="wp-image-52727" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/45cba854d1db15112f0809f7558675a8-1024x681.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/45cba854d1db15112f0809f7558675a8-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/45cba854d1db15112f0809f7558675a8-768x511.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/45cba854d1db15112f0809f7558675a8-1536x1022.jpg 1536w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/45cba854d1db15112f0809f7558675a8.jpg 2000w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>　そんな大分県の海苔を70年以上、加工販売業として手掛けているのが大分市内に本社を置く鶴亀フーズ。3代目の名を受け継ぐ幸野剛士さんの祖父が創業した、前身会社「鶴亀海苔」から大分県産の海苔にこだわり、その味を追求してきた。海苔の収穫量は自然に左右されるため、一時は他の産地から仕入れることも考えたというが「つくり手の顔が見える商品づくり」を第一に考え、大分県産にこだわる信念は今もなお受け継がれている。そんな鶴亀フーズを代表する商品は、いわゆる一般的によく見る板状の海苔ではなく、「あおさ」のようにフレーク状になった「摘み海苔」。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ec55e33885b7cfaff264ba2b8e66a496.jpg" alt="" class="wp-image-52728" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ec55e33885b7cfaff264ba2b8e66a496.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ec55e33885b7cfaff264ba2b8e66a496-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ec55e33885b7cfaff264ba2b8e66a496-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「バラ干し海苔」とも呼ばれており一見、ふわっとした見た目とは裏腹に、口に入れるとしっかりとした歯応えがあり、濃厚な海苔の旨味が広がっていくのが特徴だ。汁物や、炊き立てのご飯で作る卵かけご飯にプラスすれば、普段の料理が贅沢なひと皿に様変わり。大分市内の飲食店では、鰻屋や蕎麦屋の薬味としても提供されている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">海苔本来の味を求めて誕生した「摘み海苔」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSCF0761.jpg" alt="" class="wp-image-52729" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSCF0761.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSCF0761-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSCF0761-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「摘み海苔」誕生のきっかけとなったのは、今から30年以上前。昭和5、60年代頃から海苔生産の機械化が進み、生産量が伸びたことで供給過多が起こり、売れ残った海苔は焼却処分されていたという。そのような背景から食品ロスへの考慮はもちろんのこと、板状の海苔にはない新たな海苔の形と味を求め、辿り着いた。一般的な板状の海苔は、江戸時代後期頃に浅草和紙の技術を活かし誕生したとされる中、「摘み海苔」は、それ以前の江戸時代中期までに取り入れられていた、昔ながらの製法からヒントを得た。それは、海から摘み取った状態の生海苔を岩場で天日干しにし、乾燥させた後、火鉢で炙るというもの。「これこそが、昔懐かしいようで新しい海苔の食べ方だ」と考えた鶴亀フーズは試行錯誤しながら製品のアップデートを繰り返し、約30年という歳月をかけて、ようやく納得する味に辿り着いた。先人が行ってきたこの製法で作る“古くて新しい”海苔は、機械ではできない工程も多く、そのほとんどが手作業で行われる。手間も時間もかかるが、そこから生まれる風味や歯応えは唯一無二の味わいを生む。また、海苔本来の濃厚な味を味わうだけではなく、良質なタンパク質や葉酸など海本来の持つ栄養をそのまま摂取できることも大きな魅力のひとつである。</p>



<h2 class="wp-block-heading">究極の海苔を追求し、原点回帰</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="800" height="532" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/f46557096e83f1d9878322f0e103dea8.jpg" alt="" class="wp-image-52730" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/f46557096e83f1d9878322f0e103dea8.jpg 800w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/f46557096e83f1d9878322f0e103dea8-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/f46557096e83f1d9878322f0e103dea8-768x511.jpg 768w" sizes="(max-width: 800px) 100vw, 800px" /></figure>



<p>創業から「食卓へおいしいものを届ける」という信念を持つ鶴亀フーズ。数年前から、その原点に返り、海苔本来の持つ究極の味を求め取り入れたのが、宇佐市で海苔養殖を営む漁師・松本泰英さんが獲る海苔だ。それまでも宇佐や中津の海苔を使用していた中で、データや味を集計し比べていくと、松本さんの獲る海苔の味が際立っていることに気が付いたという。「普通、水揚げされた海苔に付く珪藻（けいそう）ですが、松本さんの海苔は丁寧に手入れされているので珪藻が入ることがあまりありません。それから松本さんが獲った海苔だけを仕入れるようにしました。」と幸野さん。また、それまで鶴亀フーズでは獲れた海苔は一度冷凍し使用していたが、生の状態で仕入れるように変えたことで風味や味わいが格段に上がり、味に絶対的な確信が持てたという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">若手漁師が受け継ぐ漁から生まれる“大分の海苔”</h3>



<p>父親の跡を継ぎ、若くして海苔漁師となった松本さんは、海苔養殖を営む家に育った。物心ついた頃から、両親が働く工場の傍らで過ごすことがほとんどだったという。20代の頃、一度は県外で働いていたが、両親の体調不良により帰郷。漁師という職業が大変な仕事であることは理解しながらも、手伝っていく内に“いい仕事だな”と感じることが増え、この仕事で生きる覚悟を決めたと松本さんは当時を振り返る。そんな松本さんが行う養殖方法は、「支柱式」。漁師が海に支柱を打ち込み、支柱と支柱の間に海苔網を張る天然海苔の生育に近い方法だ。潮の満ち引きを活かし、海の水が浸る満潮時には海の栄養素を吸収させ、海苔が海から完全に出る干潮時に日光を浴びた海苔は病気に強く、旨味が凝縮される。「海面が上下することで、海苔が乾燥しすぎることはないか、また水に浸りすぎてはいないかのバランスを常に管理しないといけません。」と、松本さんは毎日、潮の満ち引きを見極めながら網の高さを調節するという作業を繰り返し、大分市内にある鶴亀フーズまで往復4時間をかけてとれたての海苔を運んでいる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">常に前進し、大分の海藻文化を伝え続ける</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSCF8099.jpg" alt="" class="wp-image-52731" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSCF8099.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSCF8099-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSCF8099-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>こうした海苔漁師の過酷な重労働は、確かに高齢化の進む漁師たちには大きな問題ではあるが、それは海苔養殖に限ったことではないと幸野さんは言う。「農業や漁業、小さな産地であればあるほど高齢化、後継者問題は避けては通れない問題。だからこそ今、私たちにできるのは大分の海苔の魅力やおいしさを発信して、海苔の評価を上げること。それが課題解決に繋がればと願い挑戦を続けています。」優れた製品をつくることが魅力となり、後継者を生む。衰退していく海苔養殖業の世界を変えるためには、常に進化し続けなければならないのだ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSCF8095.jpg" alt="" class="wp-image-52732" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSCF8095.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSCF8095-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/DSCF8095-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2020年以降のコロナ禍には売り上げの減少は否めなかったというが、鶴亀フーズは逆境を逆手に取り、代表作である「鶴亀海苔摘み海苔」を様々なコンテストに出品。その結果、2022年には「料理王国100選」で優秀賞、「食べるJAPAN美味アワード2023」では準グランプリを受賞した。全国規模の賞を受賞したことで変わったのは、お客様の商品の受け入れスピードだという。「自分たちのこだわりを伝えることはもちろん大切。ただ受賞したことで、お客様に興味を持ってもらえる速度がかなり早くなりました。」長い歴史の中で培った味に自信はあるが、世の中に訴えるための武器を持ったことで、認知度は増した。</p>



<p>「大分の海苔養殖が最盛期だった頃、私たちの歴史も始まった。だからこそ、この文化を絶やすことなく大分の海藻文化を継承する企業として使命感を持ち、今後の商品づくりに活かしていきたいです。」と幸野さん。</p>



<p>大分生まれ、大分育ち。まさに地元の味にこだわった鶴亀フーズの海苔は今、全国の食卓へと羽ばたいている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52725/">大分の海苔、そして日本の海藻文化を未来へつなぐ「鶴亀フーズ」／大分県大分市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>創造と挑戦の精神を大切に、​信じた味を追求し続ける「四ッ谷酒造」／大分県宇佐市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 11 Mar 2025 04:19:35 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[焼酎]]></category>
		<category><![CDATA[兼八]]></category>
		<category><![CDATA[兼八トヨノホシ]]></category>
		<category><![CDATA[酒造]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF2061.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>八幡宮の総本山、宇佐神宮でも有名な大分県宇佐市。山間部、盆地、平野と自然豊かな環境に囲まれた、古き良き漁師町に並ぶ酒蔵「四ッ谷酒造」。今や、国内でも入手困難とされる焼酎の一つである「兼八（かねはち）」は、どのようにして生 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF2061.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>八幡宮の総本山、宇佐神宮でも有名な大分県宇佐市。山間部、盆地、平野と自然豊かな環境に囲まれた、古き良き漁師町に並ぶ酒蔵「四ッ谷酒造」。今や、国内でも入手困難とされる焼酎の一つである「兼八（かねはち）」は、どのようにして生まれたのか。そのルーツやこだわりを知るため、五代目を担う四ッ谷岳昭（よつやたかあき）さんのもとを訪ねた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">四ッ谷酒造の歴史​​</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF2047.jpg" alt="" class="wp-image-52491" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF2047.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF2047-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF2047-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>四ッ谷酒造の創業は1919年。元々、魚市場の商人だった創業者「四ッ谷兼八」が私設の魚市場を数軒経営しながら、九州各県を巡る中で飲む焼酎の美味しさが忘れられず、副業として焼酎の免許を取得したことに始まる。現在、100年以上続く酒蔵を受け継ぐのは、五代目となる四ッ谷岳昭さん。祖父にあたる三代目が戦死したため、四代目となる父が高校卒業と同時に蔵へ。1975年頃から数年ほど焼酎ブームがきたものの長くは続かず、四代目は自分の代で蔵をたたむ覚悟もしていたという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">憧れていたサラリーマンから蔵人へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF9045.jpg" alt="" class="wp-image-52492" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF9045.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF9045-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF9045-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そんな歴代続く酒蔵の息子として育った岳昭さんだが、その頃は家業に関心もなく大学も理学部の数学科に進学。生まれ育った漁師町では、あまり見ることのなかったサラリーマンに憧れがあったと当時を振り返る。卒業の頃、世の中はバブル絶頂期。松下電器（現パナソニック）のシステムエンジニアとして、順風満帆なサラリーマン生活をスタートした。数年後には海外担当となり、シンガポールやマレーシアを往復する日々。元々お酒を飲むことが好きだったが、飲み慣れた日本の酒ではなくバーボンやスコッチ、ワインなど洋酒にハマり、いろんな国のお酒を飲むのが楽しみだったという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ターニングポイントは「いいちこ」</h3>



<p>順調なサラリーマン生活だったが、仕事にやりがいを見出せずにいた頃。海外で滞在していたホテルの前の小さなウォルマートの酒売り場で見つけたのが、生まれ育った地元・宇佐の酒造メーカー「三和酒類」が手掛ける麦焼酎「いいちこ」だった。”30歳が人生のターニングポイントだ”という自分の中の勝手な想いと、いいちこを見て思い出したのは実家の焼酎蔵。「これだ、帰ろう！」と、ひらめきにも近い感覚があったという岳昭さん。それが帰郷を決意した瞬間だった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">帰郷と厳しい現実</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF2074.jpg" alt="" class="wp-image-52493" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF2074.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF2074-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF2074-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>帰郷したものの四ッ谷酒造の経営はギリギリの状態。従業員も製造石数も最小限だったという。酒造りの初心者である自分がやっていけるのかという不安は過ったが、とにかくまずは酒造りを覚えなくてはいけないという焦りの方が強かったと当時を振り返る。理論ではなく現場で学んできた父は、具体的な指導もなく仕事は現場で覚えろというタイプ。一方、理系でシステムエンジニアをやっていた岳昭さんは何事も理屈で覚える理論派。“職人の感覚”と言われても理解が難しく、一から自分で学んだという。右の左も分からない毎日だったが、岳昭さんは理系で学んできた本領を発揮。ストップウォッチを片手に、酒造りに関わる全ての工程の数値を出し、平均値を取りながら研究を重ねた。酒造りの概論は「本格焼酎製造技術」という本で学んだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">”自分がおいしいと思う酒をつくりたい”</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF9017.jpg" alt="" class="wp-image-52494" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF9017.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF9017-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF9017-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>当時は、味も価格設定に関しても業界大手メーカーに追随していたので、価格も一律。また、大手と同じ減圧蒸留で造られた口当たり軽いタイプのものしか売れないという風潮もあったという。また、焼酎の原料となる大麦の国内自給率は数％しかなく、90％以上は輸入に頼っていた。それは二条大麦のみで、当時、四ッ谷酒造の主軸商品であった「宇佐むぎ」も二条麦を使用。ある程度の安定的な売り上げはあったが、岳昭さんは帰郷後1年ほどで、「今あるものじゃない、自分の好きな酒を造りたい」と、自分が求める味を考えるようになった。</p>



<p>そう気付かされたのは、仕事終わりに父と酒を酌み交わす時間だった。酒造りだけではなく、様々なことを語り合う中で当時主流だった飲みやすい焼酎ではなく、自分が好きだと思う香ばしく、奥深い味わいを造ることを決意した。「造るのはいいが、造ったものに自分で責任を取れ」という父からのメッセージを受け、試験的に造り始めたのが兼八の原点となる焼酎の始まりだった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">地元の麦を使い「兼八」にたどり着くまでの覚悟</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF9036.jpg" alt="" class="wp-image-52495" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF9036.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF9036-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF9036-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そうして酒造りを始めた2000年当時。自分が求める味わいを求めていた岳昭さんが着目したのは、宇佐平野で減反政策の一環として、一部の田んぼに植えていた六条大麦、つまり裸麦（ハダカムギ）だ。大麦の中でも栄養成分も豊富で希少なこの麦が日本古来の品種であることと、どうせならこの麦を使って地元の農家さんを応援したいという想い。「この麦はおいしい焼酎になるんですよ」と伝えたい気持ちから、地元産の六条大麦を使うことを決めた。六条大麦は二条大麦と比べて粒が小さく、デンプン含有率が低い。つまり糖化が少なく、アルコール取得量が少ない上、作業効率も悪い。だから酒造りには嫌煙されてきた部分もあるが、岳昭さんが造りたかった強い香ばしさを追究するため、試験的に一度使うことを始めた。</p>



<p>麦の一粒一粒を大切にしたいという想いや味へのこだわりから、常圧蒸留機もオリジナルの仕様で作った。何度もトライアンドエラーを重ね、約2年の歳月をかけた酒は、これまで味わうことのなかった唯一無二の味となり完成。「不安がなかったと言えば嘘になる」と岳昭さん。これが売れなかったら自分には酒造りのセンスがないと諦め、転職すると決めた覚悟から四ッ谷酒造の創業者である四ッ谷兼八の名前を頂き、その酒を兼八と名付けた。この覚悟こそが、時代の流行りに流されず、“主流ではない焼酎造り”を貫いた証だった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">​​“幻の焼酎”と呼ばれる起点となった新聞記事</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF9010.jpg" alt="" class="wp-image-52496" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF9010.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF9010-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF9010-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2002年、四ッ谷酒造に大きな転機が訪れる。当時はまだ「宇佐むぎ」の方が売れていたにもかかわらず、日経新聞のコーナー内にある「専門家が薦める焼酎」という回で、兼八が10位にランクインした。何も知らなかった岳昭さんにとっては青天の霹靂。中には、通常の焼酎とは味わいが違うという耳障りの悪い声も聞こえたが、その味わいを好む声が大きく上回り話題を呼んだ。これをきっかけに兼八の人気は跳ね上がると、全国から注文が殺到するようになった。飲む人によっては、”香ばしさ＝焦げ臭さ”だという人もいるため、通常の酒蔵ではそのクセを抑え造ることが多いというが岳昭さんは違う。「香ばしさ全開でいきたかった。ただ、自分がこっちの方が好きなだけですよ。」と笑うが、その信念にも似たこだわりを追求した結果が、世の中に評価され、兼八の人気は不動のものとなった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">焼酎専用大麦「トヨノホシ」の開発</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF9058.jpg" alt="" class="wp-image-52497" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF9058.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF9058-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF9058-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「兼八」がヒット商品となった後も、岳昭さんの挑戦は終わらない。大分県の酒造組合で生産技術委員会・委員長の経歴を持つ岳昭さんは、焼酎専用の大麦の開発も手掛けた。昔は輸入の二条大麦と言えば、俗称「ビール麦」。ビールメーカー主導で使われていたため、焼酎はビールで使っている麦を使ったものだというイメージが業界内でもあり、それが悔しかったという。その想いを胸に、地元の蔵元たちとプロジェクトを立ち上げ、完成したのが「トヨノホシ（豊の星）」という新品種の麦。自然豊かな宇佐市は温暖少雨な地域であることから、麦の栽培に適した町。そんな宇佐の地でゼロから育てたトヨノホシは、その土壌の影響を受け栄養価も高く、一般的な二条大麦に比べしっかりした甘味とコク深い風味が特徴だ。約10年の歳月をかけて誕生したトヨノホシを使い造られた酒は、どの蔵の酒であろうが商品名にトヨノホシと名前を付けブランド化している。当然、兼八にも、このトヨノホシを使った「兼八トヨノホシ」があり、酵母には大分県の名産である「カボス」から抽出した大分県独自酵母「焼酎用大分酵母」を使用。麦の香ばしさの中にある、カボスの酸味が後を引く味わいだ。</p>



<p>”斬新でトラディショナルな焼酎づくり”を目指す四ッ谷酒造はヒット商品に胡座をかくことなく、日夜新たな商品開発にも余念がない。だがそれは、「焼酎造りを突き詰めていきたい」という想いだけだと岳昭さんは笑顔を見せる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本、そして大分が誇る酒を世界へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF2108.jpg" alt="" class="wp-image-52498" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF2108.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF2108-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/03/DSCF2108-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>今や「SAKE」と言えば、海外では日本酒を意味し和食の世界的ブームに伴って、日本酒の輸出量も伸びている。しかしながら焼酎は、と言えばまだまだ下火。そもそも焼酎は蒸留酒のため、海外でも食中酒として蒸留酒を飲む習慣がない。今後はヨーロッパやアメリカ圏にどう伝えていくかが課題だと岳昭さんは言う。「シンガポールに暮らしていた時に、仲間たちに自分は日本に帰り焼酎を造るんだと話すと「焼酎」という言葉が通じませんでした。「SAKE」なら理解してもらえるのに、ウイスキーやジンのような味と説明しても通じず、悔しかったですね。」日本酒と同じくらい「焼酎」を世界共通言語にすることが岳昭さんの夢のひとつだ。</p>



<p>また、今後は次の世代の人たちが表現しやすいような種まきをしたいとも話す。原料や樽、酵母の研究をして、若き後輩たちがクリエイティブなことができる環境をつくりたいと岳昭さん。</p>



<p>”自分が最終表現者じゃなくていい。”</p>



<p>兼八を造った者としての自信と実績を胸に、四ッ谷酒造は次世代の酒造りの未来を切り拓いていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52490/">創造と挑戦の精神を大切に、​信じた味を追求し続ける「四ッ谷酒造」／大分県宇佐市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>日田から全国へ。スイカで人々に笑顔を届ける「ふりや重石農園」／大分県日田市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 24 Sep 2024 07:29:36 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[大分県]]></category>
		<category><![CDATA[日田市]]></category>
		<category><![CDATA[日田天領水]]></category>
		<category><![CDATA[スイカ]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1310.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「水郷（すいきょう）ひた」とよばれ、水資源に富んだ大分県日田市。盆地特有の大きな寒暖差と周囲の山から流れ込む豊富な水資源は、多くの農作物をはじめスイカ栽培に最適な地域なのだという。この地でスイカ農園を営む「ふりや重石農園 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/49740/">日田から全国へ。スイカで人々に笑顔を届ける「ふりや重石農園」／大分県日田市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1310.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>「水郷（すいきょう）ひた」とよばれ、水資源に富んだ大分県日田市。盆地特有の大きな寒暖差と周囲の山から流れ込む豊富な水資源は、多くの農作物をはじめスイカ栽培に最適な地域なのだという。この地でスイカ農園を営む「ふりや重石農園」は、品質にこだわり、高い糖度やしゃりしゃりとした口触りの良い食感を追究し続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">苦手なスイカを大好きに</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1152.jpg" alt="" class="wp-image-49741" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1152.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1152-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1152-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大分県日田市で「ふりや重石農園」を営む重石公章さん。糖度が高く、食感の良いスイカにこだわり、近年ではさまざまな品種の栽培にも力を注ぐ日田市産スイカ農家のホープだが、じつは彼、昔からスイカが苦手だったのだそう。</p>



<p>祖父の代から農園を営んでおり、そこでもスイカを栽培していたため馴染みはあったが、何度食べてみてもおいしいと感じることはなかったという。そのため、重石さん自身が農園を継いだ際もスイカ栽培に興味はなく、挑戦しようとすら思っていなかった。</p>



<p>ところが、たまたまが知人からスイカの苗を譲り受ける機会があり育ててみたところ、周囲からの評判が良かった。それがなんとなくうれしくて、いつの間にか、スイカ栽培の魅力に取りつかれていった。</p>



<p>ただ、重石さんがスイカをつくり始めた当時、祖父は他界しており、この分野に関しては手探り。素人同然だったため、独学ながら参考資料を読み漁り、トライアンドエラーを繰り返した。</p>



<p>また日田市自体、全国的に知られるスイカの名産地に比べれば知名度や出荷量、作付面積も遠く及ばないのが現状。だからこそ品質で勝負し、とにかく“おいしいスイカ”を届けたいという気持ちを胸にスイカ栽培と向き合う日々がはじまった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">白菜と土と水からなる味</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1174.jpg" alt="" class="wp-image-49742" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1174.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1174-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1174-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ふりや重石農園がスイカ栽培を始めて20年余り。高品質で糖度が高いスイカを育てるためには「裏作（うらさく）」が重要だとわかってきた。裏作とは、主要な農作物を収穫した後に、次の作付けまで違う作物を栽培すること。同じ作物をつくり続けていることで根っこの部分に緊密度が高まり、葉や蔓が枯れる「連作障害」を防ぐために行う工程だ。ここでは、スイカの裏作として相性の良い白菜をつくる。夏や秋にスイカをつくったあと、冬に白菜を植えることが栄養面でもいい影響を与え、土壌のバランスを保つのだという。また、日田の土壌は肥料もちがよく排水のよい赤土であることが特徴のひとつ。その利便性を活かしながら、なるべく化成肥料に頼らず、牛糞堆肥もしくは牛の飼料となる牧草である緑肥を鋤き込んで土を肥沃にしている。畑ごとにスイカと白菜、緑肥とローテーションで場所を変えながら土壌改良することが、スイカに適した土づくりにつながっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">水の町だからできる農業</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="640" height="427" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/batch_IMG_8206.jpeg" alt="" class="wp-image-49743" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/batch_IMG_8206.jpeg 640w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/batch_IMG_8206-300x200.jpeg 300w" sizes="(max-width: 640px) 100vw, 640px" /></figure>



<p>また、土づくりと同じくらい重要になるのが水。スイカに限らず農作物は、必要な時期にしっかり水を与えられ、潅水設備が整っていることが大事となるが、ここ日田は昔から水とともに栄えてきた町。日田の地下深層部から汲み上げられ、ミネラルを多く含んだ天然水「日田天領水」はその代名詞ともいえる。</p>



<p>その要因として、日田が由布岳や九重連山など山々に囲まれた盆地であることや、原生林が多く残されていることで、ここに自生する樹木から落ち、腐葉土となったものが堆積した地層が自然のフィルターとなり、これを通った雨水が長い年月を掛けてろ過されるため、不純物が取り除かれた清らかで良質な水が豊富なことが挙げられる。</p>



<p>これが、農業をする上では大きな味方となっているのだ。ただ、スイカの糖度を上げるためには存分に水を与えるのではなく、収穫前に水を断つことも重要な作業となる。露地栽培でのスイカ栽培は、水分量の調節のほか天候に左右される難しさも併せ持つ。また「葉っぱと蔓をどういう風につくっていくか、コントロールしていく難しさは大きい」と重石さんはいう。良質なスイカを作るには蔓づくりは大きなポイントとなり交配期の蔓の状態が、収穫まで影響する。蔓が弱いと草勢（そうせい）も弱く玉の肥大も小さく、強すぎると雌花の充実が悪く着果性が劣るのだ。重石さんは365日スイカと向き合い、天候と戦いながら「完全に作れないのも農業の魅力」だと笑顔をみせる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">こだわりの糖度・シャリ感を生むために</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1374.jpg" alt="" class="wp-image-49744" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1374.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1374-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1374-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>スイカの種類は数多くあるが、主にふりや重石農園で扱っている品種は、2016年頃に新品種として誕生した羅皇（らおう）という銘柄。ここでは一玉に十分な栄養と甘さが行き届くよう、一つの苗から一玉しか収穫しない一株一果（ひとかぶいっか）取りの栽培法を行う。そのため出荷数としてはまだ多くはないが、そのおいしさから注目を集め、ここ数年で全国各地へ広がりをみせているスイカ界の大注目株だ。糖度が高く、しゃりしゃりとした口触りの良い食感「シャリ感」が感じられることが最大の特長である「羅皇ザ・スウィート」や、黄色いスイカの概念を変えた高糖度の「金色羅皇（こんじきらおう）」は今や農園の顔。通常、スーパーで見かけるスイカの糖度は９〜11度のものが一般的だが、ふりやのスイカは12度を切らない。食味が濃く、皮ぎわまで甘いと評判だ。</p>



<p>個体差はあるものの、昨年の最高糖度は高級メロンに引けを取らない17度を記録した。その甘さの秘訣は台木と呼ばれる接ぎ木苗の根となる土台にあるという。通常、病気や害虫に強いスイカを育てるため台木をつくる。その際、一般的には他の野菜の台木を使用するが、同園では濃厚なスイカの旨みを最大限引き出すため、スイカそのものの台木を使用して掛け合わせるのが特徴。これは極めて難しく、高い栽培技術と多くの手間が必要とされるが、それにより食味が濃く、まろやかな甘みも増す。また、一玉ひとたまの品質を高めるためには生産量をあえて減らしたり、どのスイカがいつ植えられ、何日経過しているかもすべて把握できるよう記録している。これらの丁寧な仕事が、質の高いスイカ栽培に繋がっているのだ。</p>



<p>また羅皇シリーズ以外にも「紅孔雀」という品種も手掛ける。羅皇に比べると食感は柔らかく、爽やかな甘みが特徴。様々な品種がある中で羅皇にこだわるのは、自分たちが食べておいしいと感じることが一番の理由だと重石さん。「昔は柔らかい食感が人気だったが、今は少し固めのシャリ感を求めるお客様が増えてきた。時代により好まれる味や食感も視野に入れるが、何より作り手の私たちが好きなスイカを提供していきたい。」固さもあるため、カットした時の角の美しさも羅皇の素晴らしさだという重石さんの言葉の端々には、スイカへの惜しみない愛情が溢れている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">市場出荷へのジレンマ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1154.jpg" alt="" class="wp-image-49745" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1154.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1154-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1154-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>こうして試行錯誤の末に、ようやく納得いく品質となった「ふりや」のスイカ。現在ではブランドスイカとして高い人気を誇るが、栽培を始めた当初は、想いが先行しすぎて気持ちが折れそうになったことも何度もあったと振り返る。</p>



<p>「市場に出荷する場合、糖度などの品質もある程度は評価されるが、結局はキロ単価。自分たちがどれだけ品質にこだわり納得いくものができたとしても、どの農家のスイカも同じ土俵に立たされることに疑問を感じることもありましたね。」品質にこだわり、必死にがんばっても報われない。そんな悩みが重石さんの心に重くのしかかっていたのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">お客様に選ばれる、ふりやのスイカが完成</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1146.jpg" alt="" class="wp-image-49746" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1146.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1146-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1146-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>それでも諦めず、こだわりを持った栽培を続けた成果は、10年以上経った頃にようやく実を結んできた。ふりやのスイカを食べた人からの口コミが広まり、「あそこのスイカは味が良い」と、自社のインターネットサイトや直売所で次々にスイカが売れ始めたのだ。</p>



<p>また、インターネットでの販売が好調になったことで、消費者からのレコメンドや要望が直接聞けるようになり、それをスイカ栽培に反映できるという好循環が生まれた。いよいよ評判は全国へと広がり、「ふりやスイカ」がブランドとして選ばれるようになっていった。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1359.jpg" alt="" class="wp-image-49747" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1359.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1359-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/09/DSCF1359-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>こうしてスイカ栽培を確立させた重石さん。これまで想いやこだわりがなかなか理解されず苦しい思いもしてきたが、量より質を求める人も増えたこと、何より自分たちのスイカをおいしいと感じてくれた人が広がり、ブランディングできている実感もある。今後はもっと多くの品種にチャレンジし、多くの人にスイカの魅力を伝えていきたいと意気込む。そのためには法人化を含め、後継者を育てるための組織づくりも大切になると言葉を重ねた。</p>



<p>「いつかは世界中に需要を拡大し続けるシャインマスカットのように、スイカも品種名で愛される果物になること。そして、日本各地でみんなが笑顔でスイカを食べるシーンを増やしたい。」</p>



<p>ふりや重石農園はこれからも、たくさんの人に選ばれるスイカづくりを目指し、思い描く未来へ向かい挑戦を続けていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/49740/">日田から全国へ。スイカで人々に笑顔を届ける「ふりや重石農園」／大分県日田市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>日本で唯一の有機かぼすをつくり続ける「大分有機かぼす農園」國枝剛さん／大分県臼杵市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 18 Aug 2024 00:30:16 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF9528.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>全国における「かぼす」生産量の内、95％を占めている大分県。大分県民は肉や魚はもちろん、お味噌汁やアルコール、麺類にもかぼすをひと絞り。様々な食材の素材の味を引き立てる名脇役「かぼす」は、大分の食卓に欠かせない調味料だ。 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF9528.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>全国における「かぼす」生産量の内、95％を占めている大分県。大分県民は肉や魚はもちろん、お味噌汁やアルコール、麺類にもかぼすをひと絞り。様々な食材の素材の味を引き立てる名脇役「かぼす」は、大分の食卓に欠かせない調味料だ。そんな大分県の特産果樹を化学肥料や農薬を使用せず、有機栽培でつくり続ける「大分有機かぼす農園」が、大分県の東端、臼杵（うすき）市にある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">もっと、かぼすを知ってもらうために</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF2950.jpg" alt="" class="wp-image-49115" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF2950.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF2950-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF2950-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大分県におけるかぼすの歴史は長く、始まりは江戸時代。宗玄という医師が京都から苗を持ち帰ったことが始まりといわれている。現在は県内全域で栽培が行われているが、産地として有名な臼杵市内には、樹齢300年という古木が存在する。今もなお、他県にはない樹齢200年前後の古木も点在しているという。</p>



<p>「ほかの柑橘類に比べると、かぼすはまだまだ知られていない。それが私の起業の起点になった。」そう話すのは、大分有機かぼす農園を営む國枝剛さん。</p>



<p>東京でサラリーマンをしていた國枝さんは、35歳の時に実家である大分へUターン。当初はかぼす園を営む実家を手伝いながら、兼業農家として生活していたが50歳になり、勤めていた会社の部署の廃業をきっかけに実家の農園を引き継ぐことを決めた。人生の節目に、自分に今できることは何だろうと考え浮かんだのは、幼い頃から身近にあった「かぼす」だったという。</p>







<h3 class="wp-block-heading">勇気を持ち踏み込んだ有機の世界</h3>



<p>農園を始めた当初は、高齢化など様々な理由で耕作放棄地となった畑を借りながら、少しずつ園地を広げていった國枝さん。大分県は昔からかぼす栽培が盛んな地域ではあったが、それだけでは生活できない現実にも直面した。そこで目を付けたのが「有機栽培」という栽培法。以前から少しだけ有機栽培も手がけていたこともあり、それにより出来たかぼすを関東向けに出荷するのはどうだろうと考えたという。また周りに有機栽培をしている人がいなかったことも大きなきっかけになった。</p>



<p>「誰もやってないなら、やっちゃえ。」</p>



<p>前例がないだけに、周りからは無農薬でつくることは難しいのではという声もあったが、國枝さんは自分を信じて挑戦したという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「有機JAS」認定へ。不可能を可能にする努力</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF2936.jpg" alt="" class="wp-image-49116" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF2936.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF2936-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF2936-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「通常の栽培は除草剤や化学合成肥料も使う。人間で言えば体に点滴を打っているような感じ。今までそう育ってきた木を急に有機栽培に変えるのは、時間もかかるし相当な覚悟が必要でしたね。」簡単ではなかった有機への挑戦。木に有機質肥料を与え、土の中の土壌菌が分解したものを吸い取らせることで免疫力の高い、丈夫な木をつくることからスタートした。畑の雑草はすべて刈り切らずに土壌菌を育て、土をふかふかにすることで養分を吸収した木に葉や実がなっていく。そのサイクルを繰り替えし定期的に草を刈り、堆肥を与え、あとは自然の力を借りながら有機栽培という農法は完成していくと國枝さん。有機栽培に変えたばかりの頃は貧弱だったというかぼすの木も、15年経った今ではのびのびと育っている光景が広がっている。中には40年以上経つ木もあるという。毎年剪定をしながら新陳代謝を促し、新しい芽を出していくということを繰り返しながら、少しでも長く生きていってほしいと、國枝さん。かぼすへの大きな愛情と願いを込め、日々畑へ足を運んでいる。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF9491.jpg" alt="" class="wp-image-49117" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF9491.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF9491-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF9491-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>トライアンドエラーを繰り返しながら、辿り着いた有機栽培の道。畑の管理など、通常の栽培よりも手間暇がかかる上に周りにも前例がないため、試行錯誤の日々を重ねた國枝さん。その努力が認められ2011年には、農林水産大臣が定める国家規格「有機JAS」に認定された。これは農薬や化学肥料などの化学物質に頼らず、自然界の力で生産された食品に与えられる資格だが、全国でもかぼす栽培における有機JAS認定はここ大分有機かぼす農園だけ。“誰もやってないことをしよう”と誓った國枝さんの努力が実を結んだ証となった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">農業で生活することの難しさ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF2958.jpg" alt="" class="wp-image-49118" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF2958.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF2958-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF2958-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>有機栽培を始めしばらくは金銭的にも苦労が絶えなかったが、様々な工夫とアイデアでその道を開拓した。オーガニック志向の人が増えている昨今、ネット販売などにも取り組みながら販路を全国へ拡大させているが、最初から順調だったわけではなかったという。ネット販売と一言にいえど、全国的にも知名度の低いかぼすは最初はなかなか広がらなかった。また青果販売はサイズ面でも農協や市場の基準があるが、有機栽培のかぼすは農薬を使用しない分、その条件に満たないものが多いため、自分で販路を持たなければ成り立たないという。</p>



<p>「つくることだけではなく、売れて初めて生活が成り立つ。その仕組みを上手く作れないと生活はできない。私は運が良かったのかな。」そう國枝さんは笑顔を見せるが、雨の日も風の日も畑に向かいかぼすと向き合いながら、販路開拓に挑んだ努力があり今があるのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">緑も黄色も。余すことなくかぼすを愛する</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_25411887_m.jpg" alt="" class="wp-image-49119" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_25411887_m.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_25411887_m-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_25411887_m-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「かぼすの旬は、1年に2度ある」と國枝さんはいう。</p>



<p>一般的に知られている緑色のかぼすは、5月に花を咲かせてから８月のお盆以降に旬を迎える。青々としたこの時期のかぼすは爽やかな香りを放つが、10月の終わりから少しづつ黄色く色付きはじめ、12月頃再び旬を迎える。通称「黄かぼす」と呼ばれるが、夏のかぼすよりも果汁に溢れ、ほどよい酸味の中に甘味もあるので冬の鍋物などにもピッタリの調味料になるのだ。「15年ほど前までは、黄かぼすは見た目的にも売り物にならないと捨てられていた。でも作り手の私たちはそのおいしさを知っていたので、自分たちで食べてたんですよ。」</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF2897.jpg" alt="" class="wp-image-49120" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF2897.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF2897-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF2897-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大分有機かぼす農園では、その黄かぼすも含め余すことなく青果販売するほか、果汁としても販売をしている。國枝さんは就農当初から、かぼす栽培だけでは生きていけないとされている現状を変えたいと8月から12月までの青果販売だけでなく、1年中販売ができる果汁にも挑戦した。搾汁機を導入し、それまでの手作業では成し遂げられなかった量を生産する。有機かぼす果汁100％のボトルは今、全国各地へと届けられている。</p>







<h2 class="wp-block-heading">若者の可能性と共に、更なる未来へ挑戦する</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF2968.jpg" alt="" class="wp-image-49121" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF2968.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF2968-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/batch_DSCF2968-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大分県内の農家も高齢化が進んでいる今、人員不足は深刻な問題だという。</p>



<p>「かぼすだけでは生活は厳しいので、椎茸やタバコ、お米を作ったりもしなくてはならない。需要はあるが供給のバランスが取れていないので、今後も人員の確保が大事になる。」</p>



<p>若いスタッフも在籍する中で、時代に沿った働き方をしながら若い人たちが楽しんで働き、生活ができること。そして公私ともに自分たちの好きなことができる環境をつくってあげたいと國枝さん。また、若い人たちの才能や可能性を最大限に活かせる組織でありたいと、未来を見据え動いている。「夏場の草刈りは非常に過酷だが、そこに喜びがあればいいのかなと思っている。草を刈ると結果が出て、目に見える満足感となる。その感情を大切にしながら、スタッフ全員で楽しんで働くことができたらうれしいですね。」</p>



<p>國枝さんの有機かぼすを求める客層のほとんどがリピーターだという。</p>



<p>「まずは知ってもらうこと。美味しさを知ってもらうことができれば、お客様は必ず返ってきてくれる。」</p>



<p>大分の豊かな自然と、國枝さんの愛情を一身に受け育った有機かぼす。そのおいしさはもちろん、安心安全に特化したかぼすの可能性は無限に広がっていくばかりだ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/49114/">日本で唯一の有機かぼすをつくり続ける「大分有機かぼす農園」國枝剛さん／大分県臼杵市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>「器は、使う人により育つもの」唯一無二の作品をつくり続ける 陶芸家 三笘修さん／大分県日田市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 16 Apr 2024 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[日田市]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
		<category><![CDATA[器]]></category>
		<category><![CDATA[うつわ]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<category><![CDATA[焼き物]]></category>
		<category><![CDATA[大分県]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/2eefd4f7e37fe9cb31df172540bb37e9.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大分県北西部に位置する日田市。自然豊かな日田の灰や土を使い釉薬をつくり、人々の生活に寄り添う器を手掛ける陶芸家･三笘修（みとまおさむ）さん。日々の暮らしの中で生まれる「美しいもの」や「魅力的なもの」を追求、表現し続けてい [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/42162/">「器は、使う人により育つもの」唯一無二の作品をつくり続ける 陶芸家 三笘修さん／大分県日田市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/2eefd4f7e37fe9cb31df172540bb37e9.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大分県北西部に位置する日田市。自然豊かな日田の灰や土を使い釉薬をつくり、人々の生活に寄り添う器を手掛ける陶芸家･三笘修（みとまおさむ）さん。日々の暮らしの中で生まれる「美しいもの」や「魅力的なもの」を追求、表現し続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">焼き物との出会い</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/bad54813021563ac901dc4938b07a78f.jpg" alt="" class="wp-image-42164" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/bad54813021563ac901dc4938b07a78f.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/bad54813021563ac901dc4938b07a78f-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/bad54813021563ac901dc4938b07a78f-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2007年、故郷である日田に築窯した三笘さん。高校卒業までを日田で過ごし、デザインを学びたいという想いから、<a href="https://www.u-gakugei.ac.jp/" title="">東京学芸大学</a>の教育学部に進学し美術を専攻した。当時は、車などの工業デザインに興味があったというが、大学で才能ある人たちにふれて、自分の未来に悩んでいた時に授業で出会ったのが焼き物。その面白さにどんどん惹かれ、のめり込んでいくようになったという。生まれ育った九州は焼き物も盛んで、日田では一子相伝で受け継がれる「小鹿田焼（おんたやき）」や、近県である佐賀の「有田焼（ありたやき）」も国内外から高い人気を誇る。三笘さんの手掛ける作品とはテイストは違えど、小さい頃から陶磁器に触れるという意味では焼き物は常に身近にあったといえる。三笘さんが焼き物と出会い、地元に戻り工房を構えるという人生は、ある意味偶然ではないのかもしれない。</p>



<p>「型作り」で表現されるゆらぎ</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/e7244d8f66584d0349e7c08133abdf80.jpg" alt="" class="wp-image-42165" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/e7244d8f66584d0349e7c08133abdf80.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/e7244d8f66584d0349e7c08133abdf80-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/e7244d8f66584d0349e7c08133abdf80-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>三笘さんの主な技法は、「型作り」。ろくろは使わず、型による成形や手びねりだけで器をつくっている。大学の授業でろくろも体験したが、技術が身に付くまでに数年という時間を要するうえ、頭の中の理想のイメージと出来上がりのギャップが大きく、ろくろは性に合わなかったという。自分らしいスタイルを見つけるため、様々な雑誌を読み、展覧会を巡りながら見つけたのが「型作り」だった。また同じ頃、京都で人間国宝である石黒宗麿（いしぐろむねまろ）の作品を見る機会があった。その作品の中に、型でつくられているものがあり、「これがいいな」と直感的に思ったことが決め手となった。そのまま京都の型作りの先生のもとに弟子入りし、本格的に型作りを学び始めた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">手で生み出されるニュアンス</h3>



<p>三笘さんの器づくりは、まずイメージをスケッチしてデザインすることから始まる。描いたものを立体的になる様を見比べながら粘土を成形し原型をつくり、石膏で型をとる。型を張り合わせ、ひとつひとつ指で押さえてなめらかにし、特に口の部分はかなり薄めに仕上げるのが特徴のひとつ。また、器を持ったときに重心が下にある方が持った時の感触が良いため、腰の部分はわざと厚めにしメリハリをつけているという。すべてが手作業なため時間は要するが、それでもこの技法にこだわるのは、型作り独特の「ゆらぎ」を表現するため。型作りは、生地を型に当て上から叩くことで粒子が乱れムラができ、焼成後に予測できないような動きがプラスされる。ろくろ挽きでも勿論ゆらぎは出来るが、型作りの工程の中で生まれるゆったりとしたリズムや指の圧力、そして手掛ける時間が、唯一無二の個性に繋がっていると三笘さん。彼が手掛ける器の魅力となる柔らかな揺らぎ、美しい歪みはすべてを手でつくることで生まれている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「こだわらない」こだわり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/edc8cbcc8fea82d6697ab19ed537e23e.jpg" alt="" class="wp-image-42166" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/edc8cbcc8fea82d6697ab19ed537e23e.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/edc8cbcc8fea82d6697ab19ed537e23e-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/edc8cbcc8fea82d6697ab19ed537e23e-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>“一つとして同じものがない” それが三笘さんのつくる作品の大きな特徴でもある。</p>



<p>型おこしをする段階では端正な形を意識してシャープにつくるが、焼成することで独特のゆがみやゆらぎが出ると三笘さん。指圧ひとつで仕上がりに大きな影響を与えるが、それがまた面白いのだと笑顔をみせる。「毎回思い通りにいかず、コントロールできないのが陶芸の楽しさのひとつ。1から100まで人間の思い通りにつくったものは、あまり面白くないかな。」と三笘さんは言う。陶芸を始めた当初は、自分のデザイン通りにつくりたいという思いがあったが、月日を重ねていくうちに思い通りにいかない事も魅力だと感じるようになったという。また、器は使う人によって育つものだと言われ「焼物はこうあるべき」というルールは持たないが、唯一こだわるのは釉薬。陶磁器の表面を覆う釉薬は焼成することで様々な表情を生むが、三笘さんは地元の天然原料を使って地味(ちみ)ある器を作りたいと思っている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自然からなる釉薬で伝えたいもの</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/f687307ee4aba4ff42ee75ed36c40b22.jpg" alt="" class="wp-image-42167" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/f687307ee4aba4ff42ee75ed36c40b22.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/f687307ee4aba4ff42ee75ed36c40b22-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/f687307ee4aba4ff42ee75ed36c40b22-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>独立してすぐの頃は、自分の作品に個性を出さなければという想いが強く、あえて使い勝手の悪い形や色の器を作ってみるなど、紆余曲折の日々が続いた。釉薬も市販のものを使用していたという。そんな折、知り合いから経筒（きょうづつ）を作ってほしいと依頼があり、たまたま人からいただいた天然灰で釉薬をつくると、とてもやさしい色合いの器が完成した。その方から、「その釉薬が一番あなたらしいよ」と言われたことがきっかけとなり、天然灰などの自然の原料にシフトするようになったという。自然の原料と言えど同じ木でも、幹と枝の部分では出る色が変わってくる。また土地が違えば養分も違う。更には同じ釉薬で焼いても、還元焼成と酸化焼成で焼き方が変われば仕上がりは大きく変わってくるが、毎回違った表情が見られるのが焼き物の一番の魅力であり三笘さんの個性に繋がっている。</p>



<p>また三笘さんの釉薬は、地元の山から採ってきた材料を手で砕き、自作しているため長い時間を要する。すべての工程を1人で行っているため生産量が少なく、「手に入らない作家」として知られている。手間ひまをかけ完成される作品は、色や濃淡、釉薬からなる表情、焼いた後のゆがみやゆらぎ、そのすべてが唯一無二の存在となる。他と一線を画す独特のオーラを放ち、無駄なものを省いた繊細なエッジなど、シンプルな中に個性を求める人に愛されているのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">使う人の想いをつなぐ、結ぶ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/67f6588237c881466b90d19ac51e6640.jpg" alt="" class="wp-image-42168" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/67f6588237c881466b90d19ac51e6640.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/67f6588237c881466b90d19ac51e6640-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/04/67f6588237c881466b90d19ac51e6640-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>今から15年ほど前、台湾のお茶の先生と知り合ったことをきっかけに中国茶器も手掛ける三笘さん。中国や台湾にも足を運び、先生が持つ宋の時代や明の時代の器を見せてもらい、実際に使わせてもらった経験は大きかったという。「焼き物や作品を、どれだけ多く見るかが経験となり目を養うことにつながる。器や急須は、使っていくと育つもの。日本独特の文化「金継ぎ」もそのひとつだが、古くなるのではなく紡いでいくことで味が出る。」焼き物に限らず、詩や彫刻なども本物を感じられるものが好きだという三笘さん。中国や韓国、ヨーロッパなどの古い美術品からインスピレーションを受けつくられる作品は、日本のどの焼き物文化にも属さない独創性がある。</p>



<p>自分で作って美しいと思うものを見た瞬間、日常で仕事に集中できているとき、想像していないものが出来上がったとき。そんな日常のワンシーンが喜びであり、最大の癒しになると三笘さんは笑顔をみせる。「淡々と過ごす日々の中で、美しいものや偶然できた産物に出会い、充足の繰り返し。そこに、作家の主張はいらないのかな。」</p>



<p>作り手の想いだけはなく、ただ、使う人や見る人の想いを反映できるようなものを作りたい。そう言いながら、三笘さんは今日も５坪の工房で、人々の生活に寄り添い愛される作品をつくり続ける。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/42162/">「器は、使う人により育つもの」唯一無二の作品をつくり続ける 陶芸家 三笘修さん／大分県日田市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>臼杵（うすき）の町から世界へ。幻の焼き物を今に伝える「USUKIYAKI研究所」／大分県臼杵市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 26 Feb 2024 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[臼杵焼]]></category>
		<category><![CDATA[器]]></category>
		<category><![CDATA[うつわ]]></category>
		<category><![CDATA[工芸品]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<category><![CDATA[焼き物]]></category>
		<category><![CDATA[大分県]]></category>
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		<category><![CDATA[ユネスコ]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
		<category><![CDATA[USUKIYAKI]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/157_top_USUKIYAKI_main5.4.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大分県臼杵市に拠点を構える「USUKIYAKI研究所」。ここでつくられる「臼杵焼（うすきやき）」という器は、江戸時代後期に臼杵藩の御用窯として存在しながらも、わずか十数年で途絶えた焼き物が起源とされています。自然豊かな環 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/40185/">臼杵（うすき）の町から世界へ。幻の焼き物を今に伝える「USUKIYAKI研究所」／大分県臼杵市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/157_top_USUKIYAKI_main5.4.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p class="has-text-align-center"><strong>大分県臼杵市に拠点を構える「USUKIYAKI研究所」。<br>ここでつくられる「臼杵焼（うすきやき）」という器は、江戸時代後期に臼杵藩の御用窯として存在しながらも、<br>わずか十数年で途絶えた焼き物が起源とされています。<br>自然豊かな環境の中で育まれる想いを器を通じて発信し、臼杵の歴史を受け継ぎながら新しい未来へ繋げています。</strong></p>







<p>大分県の東南部に位置し、磨崖仏（まがいぶつ）として日本初、彫刻としては九州で初めて国宝に指定された臼杵石仏や、歴史薫る城下町など文化の風情漂う町、臼杵。独特の雰囲気を持つ臼杵の町に残された焼物文化に魅了され、新たな歴史を刻む宇佐美裕之さんのもとを訪れた。</p>






<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/35269cd8cb946aeab7c2e9014c6e375f.jpg" alt="" class="wp-image-40224" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/35269cd8cb946aeab7c2e9014c6e375f.jpg 540w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/35269cd8cb946aeab7c2e9014c6e375f-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<h2 class="wp-block-heading">「臼杵」という町が持つ文化</h2>



<p>大分県臼杵市は豊かな自然環境や、二王座歴史の道に代表される城下町など様々な歴史や文化が残る町。中でも、海のもの、山のものがある「食の町」としても広く知られている。代表されるのは、人々が伝統を守りつつ改良を加えてきた味噌･醤油･酒造りの醸造業。また、江戸時代に起きた天保の改革の発令により生まれた「質素倹約」の精神が育まれる中、知恵を絞って生まれた郷土料理など、多様な食文化が発展し存続している。2021年には、これまで守り続けてきた食文化が評価され、<strong>2021年ユネスコ創造都市ネットワーク食文化部門に加盟認定された。</strong>　</p>



<p>そんな歴史ある臼杵で今から約200年前の江戸時代後期、臼杵藩の御用窯として島原（長崎）小石原（福岡）小峰（宮崎）の陶工たちが迎えられ陶器と磁器がつくられたが、窯が開かれ十数年ほど栄えたのち、衰退したとされている窯業。その幻の窯業文化に着目したのが「<a href="https://usukiyaki.com/" title="">USUKIYAKI研究所</a>」代表の宇佐美裕之さんだ。</p>







<h2 class="wp-block-heading">「USUKIYAKI研究所」の設立までの道のり</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/801af2cfac4e04c2041991a1f2734145.jpg" alt="" class="wp-image-40225" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/801af2cfac4e04c2041991a1f2734145.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/801af2cfac4e04c2041991a1f2734145-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/801af2cfac4e04c2041991a1f2734145-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>


<p>美大時代に焼き物と出会った宇佐美さん。在学時から専攻していたアートと焼き物を融合し、手掛けたいという想いは常にあったという。卒業後は地元･臼杵に戻り、実家が営む郷土料理レストランを継ぐかたわら、観光の仕事にも携わっていた。料理の器などを扱うなかで、今は途絶えている焼き物が地元にあることを知り、<strong>「自分がもつ焼き物の技術とうまく結びつけて、臼杵独自のブランドを一歩でも前進させたい」</strong>と考えるように。またそれと同時に、途絶えてしまった臼杵の窯業文化を復興したいという想いもあり、大分で作陶をしていた仲間とともに2015年に立ち上げたのが<strong>「<a href="https://usukiyaki.com/" title="">USUKIYAKI研究所</a>」</strong>だ。かつてあった臼杵の焼物文化を自分たちでリニューアルし、一から作り上げたいという想いのもと誕生した。</p>







<h3 class="wp-block-heading">楚々とした美しき白磁の輪花</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/a0f0726fc4ca7e7e2e10a400b7c693d5.jpg" alt="" class="wp-image-40226" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/a0f0726fc4ca7e7e2e10a400b7c693d5.jpg 718w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/a0f0726fc4ca7e7e2e10a400b7c693d5-300x200.jpg 300w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>


<p>わずか十数年で途絶えた臼杵の焼き物は、当時の窯場が末広善法寺地区（通称･皿山）にあったことから地元では「末広焼」または「皿山焼」と呼ばれていたという。宇佐美さんが最初に出会った「末広（皿山）焼」は、アイスクリームを入れたらちょうどいいくらいの小鉢。菊の形をした白磁の輪花（りんか）を見た瞬間、「いいな」と惹きつけられた。昔から「質素倹約」の精神が育まれている臼杵の文化と、シンプルだが品がある白磁の輪花は、自分たちの手掛けたい器のイメージにぴったりだと直感したという。宇佐美さんは、<strong>菊や蓮の伝統的なモチーフからなる白磁の輪花や稜花シリーズを展開させたい</strong>という想いと、臼杵という町の地域活性化への願いを込めて<strong>「臼杵焼（うすきやき）」</strong>と名付けた。</p>







<h2 class="wp-block-heading">長く、大切に使ってもらえる製品を作りたい</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/5b8435b8ee723c7d837f1910032e1f0b.jpg" alt="" class="wp-image-40227" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/5b8435b8ee723c7d837f1910032e1f0b.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/5b8435b8ee723c7d837f1910032e1f0b-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/5b8435b8ee723c7d837f1910032e1f0b-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>「臼杵焼」のモチーフとなるのは、臼杵の町にある豊かな自然。草花や風、海や山からなる風景など、様々なものからインスピレーションを受けている。陰翳が美しいマットな白と、菊や蓮（はす）など、古くから臼杵に根付く伝統的なモチーフを現代的にアレンジしたデザインが特徴だ。残された数少ない資料や現存する作品を元に、生の粘土板を石膏型に乗せて型を移し取る「型打ち（かたうち）成型」と「ろくろ挽き」を組み合わせてつくられている。その多くは手作業により作り上げられるため、手仕事の風合いを纏いながら完成する「臼杵焼」の器。マット感のある釉薬を使用することで、手にした時に感じる柔らかな手触りが心地良い。完成までに時間はかかるが、「USUKIYAKI研究所」では限られた資源を大切に使い、手間を惜しまず、人々に長く使ってもらえるものを目指している。豊かな自然が生み出した、この土地ならではの産物は<strong>「つくる人」と「つかう人」</strong>の双方が大切に育ててこそ完成されるのだ。</p>







<h3 class="wp-block-heading">「臼杵焼」のビジョンに共感したプロフェッショナル集団</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/ab5d72e8bc936e2589b2152e98e777fa.jpg" alt="" class="wp-image-40228" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/ab5d72e8bc936e2589b2152e98e777fa.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/ab5d72e8bc936e2589b2152e98e777fa-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/ab5d72e8bc936e2589b2152e98e777fa-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>そんな「臼杵焼」を手掛けるのは、陶磁器だけでなく様々な分野のプロフェッショナル集団。最初は少人数で始めた工房だったが、現在はスタッフも増え<strong>「USUKIYAKI研究所」と、「アトリエ皿山」</strong>の２か所で製造をしている。地元の人や移住者、世代や性別のほか、国籍も異なるメンバーで分業し作品を完成させている。「あまり難しい作業にすると職人の数も増えないので分業できる方法を模索し、今の「型打ち」という方法に落ち着きました。」臼杵で焼き物の仕事をつくりたいという想いから、研究所を立ち上げた宇佐美さんは、分業制にすることで職人活動の裾野を広げている。</p>







<h3 class="wp-block-heading">​​​​​​「うつわは料理の額縁」という信念</h3>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/2d11b40c50ac1c454f75fbf68bf69771.jpg" alt="" class="wp-image-40229" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/2d11b40c50ac1c454f75fbf68bf69771.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/2d11b40c50ac1c454f75fbf68bf69771-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/2d11b40c50ac1c454f75fbf68bf69771-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>シンプルながら趣のある「臼杵焼」は料理をより華やかに彩る器だ。</p>



<p>「臼杵の食を広く知っていただくための道具として、臼杵焼が役に立てば嬉しい」と宇佐美さん。国内でも珍しい取り組みだが、臼杵は土づくりセンターを設置し、有機野菜の為の堆肥を作っている町。そのような理由から「臼杵で農業をしたい」と、<strong>全国から若い農家さんが移住する</strong>ケースも少なくないという。宇佐美さんはそんな地域の取り組みを盛り上げるべく、地元で採れた有機野菜を使った創作料理も提供する郷土料理レストラン<strong>「USAMI」</strong>と季節のお菓子と本格中国茶を楽しめる<strong>「皿山喫茶室」</strong>を通じ、人々に臼杵の味を発信している。</p>



<p><strong>「うつわは料理を盛ってこそ生き生きするもの。うつわは料理の額縁」</strong>という研究所の信念。器は人の生活の中から生まれ、生活の中で使われるもの。「臼杵焼」は白く美しいだけでなく、どんな生活にも溶け込む素直さや使いやすさなど多面的な魅力を備えている。</p>







<h2 class="wp-block-heading">「臼杵焼」のその先に</h2>


<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/0eb4538c423905be057b25c76deb7275.jpg" alt="" class="wp-image-40230" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/0eb4538c423905be057b25c76deb7275.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/0eb4538c423905be057b25c76deb7275-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/0eb4538c423905be057b25c76deb7275-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>宇佐美さんは言う。「臼杵焼」を通して一番伝えたいのは、臼杵という町に興味を持ち、<strong>臼杵という土地に足を運んでもらいたい</strong>ことだと。</p>



<p>2020年以降コロナ禍の間、臼杵を訪れる人が減った一方で、器のネット注文は増加した。ちょうど海外展開を考えていたタイミングであったが、出向かずとも商品の展示や発送、コミュニケーションはネットでも十分とれるということが分かった。一方で注文品を作るのに追われ、地元に来てもらい、実際に器に触れ、見てもらいながら販売したいという本来の想いが果たせなかったという。その経験からショップだけでなく、器に関する体験や食事、お茶を嗜む時間をゆっくりと持つための場所を求め、食と器の体験空間<strong>「うすき皿山」</strong>を完成させた。ここでは「臼杵焼」の展示販売をするギャラリーや、型打ちや金継ぎの体験や製造の見学ができるアトリエのほか、喫茶室や焼き菓子工房で構成されており<strong>「つくる･みる･ふれる」がすべて体験できる</strong>。年間を通じて、器や季節の食事を楽しめる様々なイベントが開催され、お客様との新たなコミュニケーションの場として温かな時間が流れている。</p>






<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/fd4a95a29305cda4b5381c1f76dbfdc7.jpg" alt="" class="wp-image-40231" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/fd4a95a29305cda4b5381c1f76dbfdc7.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/fd4a95a29305cda4b5381c1f76dbfdc7-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/02/fd4a95a29305cda4b5381c1f76dbfdc7-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure></div>






<p>どんな時も宇佐美さんの胸にあるのは「臼杵という小さな町を全国に、そして世界へ発信したい」という想い。それは「臼杵焼」を手掛けるにあたり、世界中に暮らす大分、臼杵出身の方たちからエールをもらったことが活動の原点となり、その人たちへ恩返しをしたいという想いからなる。</p>



<p><strong>臼杵を愛し、臼杵と共に歩む</strong>人々の想いをのせた「臼杵焼」は、これからも世界とつながってゆく。</p>






<div class="wp-block-image">
<figure class="aligncenter size-large is-resized"><img decoding="async" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/157_kao_usami2-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-49009" width="825" height="550" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/157_kao_usami2-1024x683.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/157_kao_usami2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/157_kao_usami2-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/08/157_kao_usami2.jpg 1200w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /><figcaption class="wp-element-caption">USUKIYAKI研究所　代表 宇佐美裕之さん</figcaption></figure></div>


<p>臼杵の町に息づく天然の素材からインスピレーションを受け、自然や意匠を焼き付けてつくる「臼杵焼」。使う人がいつも楽しくなる器となることが、僕と仲間たちの願いです。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/40185/">臼杵（うすき）の町から世界へ。幻の焼き物を今に伝える「USUKIYAKI研究所」／大分県臼杵市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>大分が誇る、関あじと関さば。ブランドを守り続ける「大分県漁業協同組合 佐賀関支店」／大分県大分市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 25 Jan 2024 01:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[関あじ]]></category>
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		<category><![CDATA[一本釣り]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0587.54-1024x819.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大分県大分市にある佐賀関（さがのせき）地区は、昔から漁業の盛んな町だ。大分県と愛媛県の間にある「豊後水道」に面しており、そこで獲れる真鯵（まあじ）と真鯖（まさば）は、それぞれ「関あじ」「関さば」と名付けられ、国内有数のブ [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/39939/">大分が誇る、関あじと関さば。ブランドを守り続ける「大分県漁業協同組合 佐賀関支店」／大分県大分市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0587.54-1024x819.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>大分県大分市にある佐賀関（さがのせき）地区は、昔から漁業の盛んな町だ。大分県と愛媛県の間にある「豊後水道」に面しており、そこで獲れる真鯵（まあじ）と真鯖（まさば）は、それぞれ「関あじ」「関さば」と名付けられ、国内有数のブランド魚として広く知られている。ある一定の厳しい管理工程をクリアし誕生する関あじ、関さばのルーツと、それに関わる人たちの想いとは。</p>



<div style="height:50px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<h2 class="wp-block-heading">豊後水道が生んだブランド魚</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0448-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39945" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0448-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0448-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0448-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0448.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>全国屈指の好漁場としても知られる「豊後水道」は、質の高い魚が種類豊富に獲れることで有名な海域だ。栄養豊富な瀬戸内海の寒水と、太平洋からの黒潮の暖水がぶつかり合い発生するプランクトンを求めて、多くの魚介類が集まってくる。その中でも特に潮の流れが早いのが、佐賀関半島と愛媛県の佐田岬に挟まれた<strong>「速吸の瀬戸（はやすいのせと）」</strong>と呼ばれるエリア。<br>そこに生息するアジやサバは、他の海域の魚とあまり交わることがなく、独立した群れを成すのが特徴のひとつ。早い潮の流れの中でたくましく育つため、例えばアジなら頭は小さく、身のよく太った魚に育つ。またサバは、他魚との交流が少ない事から寄生虫であるアニサキスの含有量がほぼなく、生で食せる事が一番の特徴となっている。その様子が漁師たちの間で別格視されたことが関あじ、関さばの始まりとされている。</p>



<div style="height:50px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<h2 class="wp-block-heading">関あじ、関さばになるためのルール</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0518-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39948" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0518-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0518-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0518-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0518.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>関あじ、関さばが一般的な魚とは何が違うのか。それは「速吸の瀬戸」という場所でのみ釣られたものという条件に始まるほか、「<a href="https://sekiajisekisaba.shop-pro.jp/" title="">大分県漁業協同組合 佐賀関支店</a>」が<strong>魚の品質や鮮度保持を第一に考えた一連のルール</strong>にあった。それは釣り方一つにしても違ってくる。例えば、潮の流れが早いこの地域では、効率を考えれば妥当とされる網漁は適していない。網を使うことで魚どうしや網と擦れ合うことにより傷が付き、品質を保てないことから関あじ、関さばにおいては、魚体へのダメージを最小限に抑えるため一尾ずつ釣り上げる「一本釣り」という手釣りを用いるようになったという。</p>



<p>また「一本釣り」を用いる理由で大切なのは魚の品質だけではなく、漁場の自然保護の意味も持ち合わせる。「速吸の瀬戸」は、決して広くはないため、大量漁獲せずに漁師同士で限りある資源を分け合い釣ることで、漁場を守ることにも繋がるのだという。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0587-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39951" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0587-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0587-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0587-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0587.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>また、釣ったばかりの魚は興奮状態にあるため、ほかの魚と同じいけすに入れると魚を傷付けることから、新魚専用のいけすへ入れ<strong>一日休ませるという独自の方法</strong>を用いている。一般的によく聞く”獲れたての魚が一番美味しい”というイメージを持つ人も少なくないが、ここでは魚の乳酸やストレス物質をなくすため一旦落ち着かせることで、うまみ成分を上げてから出荷するというこだわりを持つ。そこには管理する手間やリスクも伴うが、徹底した品質管理と鮮度保持、何より美味しい魚を届けるため、昔から守り続けている工程なのだ。</p>



<div style="height:50px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<h2 class="wp-block-heading">手間隙を惜しまず、鮮度保持にこだわる</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0561-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39954" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0561-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0561-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0561-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0561.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>漁港に戻ってまず行われるのは、<strong>国内でもこの漁協でしか行われていない「面買い（つらがい）」</strong>と呼ばれる工程。それは漁師たちが釣ってきた魚を、漁協の職員が船の生簀で泳ぐ魚をタモですくった瞬間に目視で大きさを判別し、100g単位でカウントし値付けをするという買取方法。漁獲した魚をタモですくった瞬間の目視で、その重さを量り、漁師から買い取るという数多くの経験により熟練された技術を持つ職員にしかできない神技だ。同じ工程を機械で計量すれば魚体へのダメージも大きく、また同じ時間に漁協に戻ってくる船も集中するため待機時間が長くなり、魚への負担は更に増す。全ては魚の鮮度保持を考えてのこと。その後も、鮮度を保つため魚の血を抜く「活け締め」や、最大12時間死後硬直を遅らせることができる「神経抜き」などの処理を一匹一匹手作業で、丁寧に施したものが、ブランド魚関あじ、関さばとして認められる。買取から処理、出荷作業までを漁師ではなく漁協の職員がすることもまた、この業界において非常に稀なケースである。</p>



<p>このように、ここでは漁場や漁法、漁師の所属や処理の仕方、全てがルール化されている。その背景には魚の品質保持はもちろん「漁師たちの生活の安定」を目的とした想いがあった。</p>



<div style="height:50px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<h2 class="wp-block-heading">漁師たちの生活のために守り続けるブランド</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF8039-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39955" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF8039-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF8039-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF8039-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF8039.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>関あじ、関さばが商標登録を受け、ブランド化されたのは昭和と平成の間にあたる1990年頃。「大分県漁業組合 佐賀関支店」が本格的に事業化した1番の理由は、<strong>漁師たちの生活を守ることにあった</strong>という。当時は、漁師が地元の仲買人と直接取引を行っていたが、取引のタイミング等による価格のバラつきがあった。またそれは、漁師たちの収入面にも問題を生んでいた。漁獲物に正当な評価がなされていないことに危機感を感じるようになり、漁師たちの生活、また魚の味を守るために一元化されたルールを決め、品質を保つことに着手した。そうしてブランディングされた関あじ、関さばは、その品質や味はもちろん、<strong>日本の水産業の中でもブランド魚の先駆け的存在</strong>となった。</p>



<p>「関あじ、関さばというブランドは私たちの先輩方が作ってくれたもの。今は、それを守り続けていくのが私たちの使命であり、同時にその難しさも同時に痛感しています。」と話すのは大分県漁業協同組合 佐賀関支店の高瀬大輔さん。ブランディングを始めた頃にはなかったシステムの導入で漁獲から卸までのデータ化も進み、魚の品質は格段に上がっているという。</p>



<div style="height:50px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<h2 class="wp-block-heading">魚の生食文化を伝え、新たな後継者へ繋ぐ</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF8008-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39958" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF8008-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF8008-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF8008-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF8008.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>一方で、避けては通れない切実な課題となるのが、気候変動による不漁や漁師たちの高齢化問題。現在、この漁協に所属する漁師たちは約400名。聞けば、その平均年齢は70歳だという。生涯現役で海に出ることができる職業ではあるが、その年齢の高さに驚きは隠せない。</p>



<p>現在の日本における漁業に限らず、農業や様々な分野においても高齢化･後継者問題は大きな課題である。「日本には魚の生食文化が根付いているため、<strong>全国どこでも生で食べてほしい</strong>という想いはあります。それには鮮度にこだわること。そこはうちだけではなく、日本の漁村全体にもあるはずですが、上手く伝えられていないのが現状なのかもしれません。」どのようなプロセスを経てこのようなブランド魚が生まれているのか、生産者の気持ちも含めてもっと伝えていくことが大切だと高瀬さん。単純に美味しい魚を届け、魚を食べる人を増やすことで作り手にも還元できる。日本で魚を食べるという文化が、もう一度再熱すれば後継者不足の解消にも繋がるのではないかと言葉を重ねた。</p>



<div style="height:50px" aria-hidden="true" class="wp-block-spacer"></div>



<h3 class="wp-block-heading">命懸けの漁が生み出す味、届けたい想い</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0591-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39961" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0591-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0591-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0591-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0591.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /><figcaption class="wp-element-caption"><br></figcaption></figure>



<p>関あじ、関さばを口にすると魚の持つ臭みは一切なく、しっかりとした身の弾力や甘さの中にある透明感のある味わいを感じる。大袈裟に聞こえるかもしれないが、今までのアジやサバの概念を覆される人も多いだろう。その美味しさは、徹底された品質管理や独自のルールにより生み出された努力の賜物だ。その影には、この味を守るため、<strong>命懸けで漁に出る漁師たちの存在を忘れてはいけない</strong>と高瀬さんはいう。一本釣りは1人で海に出る「漁」。多くのリスクはあるが<strong>「一番良い状態でお客様の元へ届けたい」</strong>という使命にも似た気持ちが、漁師たちとこの漁協で働く全員の胸には刻まれている。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0538-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39964" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0538-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0538-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0538-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/01/DSCF0538.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p><strong>「生で食してこそ、美味しい」</strong></p>



<p>産地や漁法により一概には言えないが、一般に流出するアジやサバの2〜5倍の価格となる関あじ、関さば。その価格には変えられない美味しさ、その確かな品質と漁師たちのプライドこそが、誕生から30年以上多くの人に変わらず愛されている理由に繋がっている。</p>



<p>大分が誇る関あじ、関さばの持つ可能性は歴史を守り進化を遂げながら、これからも無限に広がっていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/39939/">大分が誇る、関あじと関さば。ブランドを守り続ける「大分県漁業協同組合 佐賀関支店」／大分県大分市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>重ねてきた歴史と品質。歩を止めず、常にチャレンジを続ける「三和酒類株式会社」／大分県宇佐市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/39438/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 30 Nov 2023 06:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/top-3.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>代表商品である麦焼酎「いいちこ」を筆頭に、日本酒「和香牡丹」や「安心院（あじむ）ワイン」など、多くの商品を手掛ける三和酒類。原料や製法にこだわりながら、より高い品質づくりを目指している。その原点となる場所で新たに取り組む [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/top-3.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>代表商品である麦焼酎「いいちこ」を筆頭に、日本酒「和香牡丹」や「安心院（あじむ）ワイン」など、多くの商品を手掛ける三和酒類。原料や製法にこだわりながら、より高い品質づくりを目指している。その原点となる場所で新たに取り組む試みや、企業として目指す先とは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本酒から始まった三和酒類の原点</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF9226-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39445" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF9226-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF9226-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF9226-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF9226.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>日本の麦焼酎を代表すると言っても過言ではないほど有名な「いいちこ」。誰もが一度は目にし、耳にしたことがあるのではないだろうか。それを製造している「三和酒類株式会社」本社があるのは大分県北部にある宇佐市。人口約5万人と大分県の中でも決して大きくはない町だが、緑豊かな山々に囲まれ、<strong>県下最大級の穀倉地帯として米や麦などの農業</strong>が盛んに行われている。</p>



<p>全国放送されるテレビ番組の間にもいいちこのコマーシャルが放映され、三和酒類に対する世間の印象は「かの有名な“下町のナポレオン”を製造するメーカー」というのが圧倒的だが、じつは同社が日本酒やワインなども手掛けているということは、あまり知られていないのではないだろうか。</p>



<p>もっと言えば、<strong>三和酒類が創業時に手掛けていたのは焼酎ではなく、日本酒</strong>。そして日本酒の次に手掛けたのがワイン。現在でも同社では「和香牡丹がお父さん、安心院ワインはお母さん、息子はいいちこ」と表現されているそうだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">宇佐平野の蔵元が大手銘柄に対抗する手段として</h3>



<p>1958年にスタートした同社。蔵元が多くあった宇佐平野で、それぞれで日本酒の醸造を行っていた「赤松本家酒造」「熊埜御堂酒造場」「和田酒造場」の三社が、灘や伏見などの大手銘柄の普及による影響を受けて悪化した経営状況を改善するため協業したのがその歴史のはじまりだ。<strong>「三社が手を取り合って良い酒を造る」</strong>をテーマに<strong>“三和” </strong>の屋号を付け、それとともに赤松本家酒造が造っていた「和香牡丹」を三社の統一銘柄として採用。翌年には「西酒造場」が加わるも、闇雲に複数の銘柄を展開するのではなく、地元で認知度が高かった銘柄に絞って販売する、という経営戦略を立てた</p>



<p>とはいえ、四社で同じ味や香り、酒質の酒を造ることはなかなか難しい。そのため、当時はそれぞれの蔵が造った原酒をブレンドしたものを瓶詰めし、和香牡丹のラベルで販売。しかし、酒造りだけで生計を立てるのはまだまだ厳しく、当時、宇佐市でも盛んだったミカンの栽培を手掛けるほか、1966年、国営のパイロット事業による農地整備で宇佐市に隣接する安心院町のブドウづくりが盛んになったことをきっかけに、同社の遊休蔵の活用や年間を通じた仕事の創出を見据え、1971年に果実酒製造免許を取得。ワイン醸造もはじめた。もちろん、どの事業もすぐに大きく成功を収めるということはなかったが、決してあきらめることなく細々とチャレンジを続けていった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">社運をかけた「いいちこ」誕生の背景</h3>



<p>こうして、日本酒事業に次いでワイン醸造も加わった同社に、麦焼酎「いいちこ」が誕生したのは創業から約20年後。それまでも粕取り焼酎の製造は行っていたのだが、麦焼酎には未着手だった。しかし、同じ大分県にある「二階堂酒造」が麦100％の本格焼酎を誕生させ、それが大きな話題となったことから県内各社が一斉に麦を使った焼酎に注目。もちろん同社もこの潮流にのり、社運をかけて麦焼酎の開発に取り掛かっていく。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF3863-1-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39450" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF3863-1-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF3863-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF3863-1-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF3863-1.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



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<p>ちなみに、大分県北部は瀬戸内気候に属し二毛作が盛んで、宇佐市でも昔から麦の栽培は行われていた。また麦味噌を使った食文化があり麦は身近な存在。麹造りの独特の技術も持ち合わせていたが、麹を米ではなく麦で造る焼酎製造に於いては、未経験分野のため、ゼロからの製造技術の開発が必要だった。</p>



<p>そこで三和酒類では、研究も含め技術の基礎を造るため、酒造りの技術者として知見の広かった創業者の一人、和田昇さんを製造責任者に据えた。こうして同社では、和田さんのもと麹造りや発酵の技術を活かした麦焼酎製造が本格的にスタート。その集大成こそ、1979年に誕生した「いいちこ」。発売当時、焼酎ブームだったことも一助となり、和田さんがこだわり続けたすっきりとした呑み口は世間に広く支 持され、瞬く間に大ヒット商品となった。麹にこだわり、すっきりと飲みやすい味わいを追求したいいちこの評判は上々だったが、それを安定的に再現性よく製造することは容易ではなかったため、発酵技術の研究や発酵に必要な酵母の研究者だった下田雅彦さんを醸造技術者として迎え、味の安定化や均一化をテーマに長い年月をかけて研究を重ねていった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">麹にこだわり、日本ならでは蒸留酒を目指して</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF2594-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39491" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF2594-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF2594-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF2594-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF2594.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>焼酎では蒸留方法に合わせた麹の適性を見極めることが重要と考える同社。創業以前から日本酒を造ってきたプライドもあり、麹の使い方にはとことんこだわっている。例えば、低い気圧で蒸留することで香りの成分が多く残る<strong>「減圧蒸留」</strong>と、昔ながらの製法で原料の風味や旨みが活かされる<strong>「常圧蒸留」</strong>があるが、下田さんは<strong>両方のブレンド</strong>によりいいちこの味わいを引き上げた。減圧と常圧、どちらの蒸留技術にも麹を使った発酵技術を最大限に活かすため麦麹を極め、<strong> “他社より1ミリでも上にいけるように” </strong>という信念で技術を磨き、自分たちの目指す麹を使った<strong>日本ならではの伝統的な蒸留酒造り</strong>に邁進した。</p>



<p>そして、製造技術開発に大きく貢献し、今のいいちこブランド確立を支えてきた下田さんは現在、取締役会長を務めている。</p>



<p>製品のクオリティを磨き続けながら同社が目指したのは、消費者に向けたブランディング。そのため、地下鉄のマナーポスターなどをデザインして第一線で活躍していた<strong>アートディレクター河北秀也さんを、実姉が三和酒類に勤めていたというご縁を頼りに、</strong>ボトルデザインや販促用のポスター、キャッチコピーやCMまで、PRに係るすべてを依頼した。これが功を奏し、いいちこのビジュアルやコピーは見る人の心に残り、記憶に刻まれていく。</p>



<p>また同氏が手掛けた「いいちこフラスコボトル」や「いいちこスペシャル」はグッドデザイン賞を受賞。品質にこだわった中身と洗練されたデザイン力が合わさり、その人気は不動のものとなっていった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">全国初の「日本酒特区」宇佐市から発信する「辛島 虚空乃蔵」</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF2393-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39455" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF2393-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF2393-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF2393-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF2393.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>そんな三和酒類の新しい拠点となるのが<strong>「辛島 虚空乃蔵（からしま こくうのくら）」</strong>。</p>



<p>宇佐市が<strong>全国で初めて「日本酒特区」</strong>として認定されたことで、創業から大切にしてきた「麹と醗酵の文化を宇佐から世界へ伝えたい」という想いを胸に、2022年、同施設をオープンさせた。ここは酒造りの楽しさや、麹と醗酵文化を体験できる場であり、酒蔵の見学やきき酒などの体験プログラムを来場者と一緒に楽しむことができる。「三和酒類は『いいちこ』だけの会社ではないということを伝えたい。つくり手と色々な会話ができる場所として、多くの人に楽しんでもらいたい。<strong>三和酒類っておもしろいなと</strong>感じてもらいたい。」下田さんは辛島 虚空乃蔵に自分たちの今やりたいことをすべて詰め込んだと言う。</p>



<p>場所は本社から程近い、旧本社跡地。創業者やこれまで三和酒類に関わってきたすべての人たちの想いが詰まった土地だ。それは1958年の創業以来、守り続けてきた伝統やつくり手、生産者たちの想いを礎にしてきた同社が、<strong>新たな歴史を築いていきたいという挑戦</strong>の表れだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">原点に返り、日本酒の新しい価値を提案する</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF2423-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39458" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF2423-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF2423-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF2423-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF2423.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>施設内には発泡酒を造る「麦の蔵」、日本酒を手掛ける「米の蔵」とされる醸造場が併設されている。どちらも驚くほど小規模だが、すべてはお客様のために作られた場所だと辛島 虚空乃蔵を担当する執行役員の古屋浩二さんはいう。「ここに足を運んでくれた人たちが、実際に日本酒を造る工程を見て触れて、興味を持ってもらうことが大事。またつくり手と会話できる場所はそうないので、様々な観点から<strong>自分たちにしかできない日本酒の提案</strong>をしていきい。」新しいスタートは、三和酒類の原点である日本酒に立ち返ると同時に、お客様への感謝を伝える場所でありたいという。</p>



<p>そんな想いから、<strong>お客様のオーダーで造る日本酒</strong>にも対応していく予定だ。更にはユーザーが実際に酒造りに参加し、共に麹を造る取り組みも視野に入れている。日本酒の新しいファンを増やすためとはいえ、企業としてはかなり思い切った挑戦だ。小仕込みの蔵ならではのアイデアは尽きることはない。ただそこには、自分たちの技量が必要となる。完全オーダーを実現させるためにも、毎日が勉強の連続になるが神聖なイメージの強い日本酒にまず触れ知ってもらいながら<strong>日本酒というお酒が身近なものになってほしい</strong>と古屋さん。また、蔵を構えている宇佐市や、自然の恵みに感謝しながら地元の味を活かした酒造りを多くの人へ発信していきたいと言葉を重ねた。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF2518-1-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39461" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF2518-1-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF2518-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF2518-1-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF2518-1.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<h2 class="wp-block-heading">複合酒類メーカーとしての挑戦は続く</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="682" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF9254-1024x682.jpg" alt="" class="wp-image-39464" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF9254-1024x682.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF9254-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF9254-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2023/11/DSCF9254.jpg 1280w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p><strong>「いいちこ、やさしい酔いです」</strong>というキャッチコピーがある。</p>



<p>1993年から広告を通じて、心地よくお酒を味わう楽しさや、自分に合ったほどよい飲酒を唱えてきた三和酒類。世界的に飲酒量が減少している昨今。一人ひとりに合わせたお酒の楽しみ方を尊重し、酒量ではなく、適度な楽しみ方を提案していきたいという。「量では補えない満足感をお客様に提供していくことが自分たちの使命だ」と下田さん。<strong>いいちこのクリアで膨らみのある繊細な味わいは、創業以前から同社が造りつづけてきた日本酒の醸造からインスパイアされたものであり、会話を弾ませる食中酒としても最適だ。</strong>商品それぞれの持つスピリットや地域性、そこに通じる多様性や嗜好性、そして何より“人”を大事にしながら三和酒類はこれからもチャレンジを続けていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/39438/">重ねてきた歴史と品質。歩を止めず、常にチャレンジを続ける「三和酒類株式会社」／大分県宇佐市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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