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	<title>群馬県 - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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		<title>伊勢崎絣の伝統と技術を伝える、群馬県ふるさと伝統工芸士･齋藤定夫さん／群馬県伊勢崎市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 24 Oct 2025 03:33:36 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<category><![CDATA[織物]]></category>
		<category><![CDATA[伊勢崎絣]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_404.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>古くから織物の町として知られる群馬県伊勢崎市。最盛期には、全国の絣（かすり）生産量の半分を占めるほど人気の伊勢崎絣だったが、現在、製造元としての機屋（はたや）は途絶えてしまっている。そんななか「かすり⼯房さいとう」の齋藤 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_404.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>古くから織物の町として知られる群馬県伊勢崎市。最盛期には、全国の絣（かすり）生産量の半分を占めるほど人気の伊勢崎絣だったが、現在、製造元としての機屋（はたや）は途絶えてしまっている。そんななか「かすり⼯房さいとう」の齋藤定夫（さいとうさだお）さんは、伊勢崎絣の伝統を絶やさぬよう、群馬県ふるさと伝統工芸士として、伝統技術を継承している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">織物の町、群馬県伊勢崎市で作られた銘仙（めいせん）</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_258.jpg" alt="" class="wp-image-53400" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_258.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_258-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_258-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>群馬県伊勢崎市は群馬県のほぼ中央にあり、利根川を挟んで群馬県と埼玉県を結ぶ、自然豊かな土地柄だ。養蚕（ようさん）地帯として栄え、織物の歴史も古く、古墳から6世紀頃の織物が出土されたことも確認されている。</p>



<p>江戸時代に伊勢崎の養蚕農家で、自家用として織られていた太織（ふとり）という普段着用の織物が発展し、素朴な雰囲気でありながら、粋な印象の絣模様や縞模様が注目を集めた伊勢崎絣。明治時代後半には伊勢崎に織物会社が設立され、動力式の織機を導入し一部が工場化された。時代のニーズとともに伊勢崎絣は「伊勢崎銘仙」の名で全国に知れわたり、生産量は大幅に向上していった。それは大正から昭和初期にかけて、日本女性の10人に1人が「伊勢崎銘仙」を着ていたといわれるほどの人気を誇った。</p>



<p>しかし時代は和装から洋装へ。日本人の生活様式の変化とともに生産量は減り、生産者も減少。今では伊勢崎絣を生産する機屋はなくなってしまった。そんな状況に危機感を抱き、伊勢崎絣の伝統技術を残そうと立ち上がったのが、「かすり⼯房さいとう」の齋藤定夫さんだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">分業していた作業⼯程をひとりで手がける</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_311.jpg" alt="" class="wp-image-53401" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_311.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_311-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_311-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>10代から織物業を営む家業を⼿伝い、23歳で職⼈として独⽴した齋藤さん。独立してすぐ、斎藤さんは複雑な伊勢崎絣の作業⼯程をひとりで行い、その伝統技術を守りながら広く人々に伝える活動をはじめた。</p>



<p>その理由として、「伊勢崎絣は、生産量と品質を高めるために作業工程を分業化し、それぞれの工程で人を育て技術を高めてきました。しかし生産量の減少とともに、ひとつの工程で後継者がいなくなると、商品が作れなくなるという問題が生じてきた。」と話す。</p>



<p>このまま伊勢崎絣が作られなくなることを危惧し、図案のデザインから括（くく）りや、⽷染めなど、伊勢崎絣の全工程の技術を学び、すべての工程ができる人間になって作品を作ろうと決めた齋藤さん。</p>



<p>伊勢崎絣を制作しながら、習得した全工程の技術を後進に教え、伊勢崎市内の小学生には伊勢崎絣の機織り体験を行うなど、地域が歩んだ歴史と文化を伝える活動を行っている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">厳格な定義で守られている、伊勢崎絣</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_277.jpg" alt="" class="wp-image-53402" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_277.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_277-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_277-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一時は一世を風靡した伊勢崎絣。その後、生産量は減少の一途を辿るが、このまま貴重な伝統技術が廃れてしまうことを恐れ、1975年に国の伝統的工芸品として申請し、指定される。これをきっかけに、他地域の絣と伊勢崎絣の違いを明確にするための、定義とルールが整理されていく。</p>



<p>「伊勢崎絣の大きな定義は“先染め”、“平織”、“絹糸”です。染色の工程では括り絣、板締（いたじめ）絣、捺染（なっせん）加工などの技法を使って、単純な絣柄から精密な絣模様まで、図案に沿って糸を染めていきます。染め上げた絣糸の柄を手作業で調整しながら、図案に合わせるように織り出します」</p>



<p>常に新しいデザインを表現しようと、齋藤さんは2つ以上の技法を組み合わせるなど、実験的な挑戦を行なっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">織物は糸と向き合い続ける、糸の道</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_410.jpg" alt="" class="wp-image-53403" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_410.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_410-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_410-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>10以上ある作業工程をひとりでやるには、根気強さがなければできないと齋藤さん。</p>



<p>「やっぱり辛抱強い人間じゃないと、伊勢崎絣の作業工程をひとりでやるのは難しいと思います。人真似ではなく、自分で本当に作りたいものを考えて作っていかないと、技術的なレベルは上がっていかないんじゃないかな」</p>



<p>例えばストールを作ろうと思ったとき、太い糸を入れて織ると、巻いたときにその凹凸に空気の層ができて暖かくなる。では、どのように入れたら機能的にもデザイン的にも、誰にも真似できないようなオリジナリティが出せるのか。頭の中で作りたいものを考え、自分の手で作ることでしか解決できないと齋藤さんは言う。</p>



<p>「人が教えられるのは手順ややり方であって、技術力の“力”の部分は、自分でやってみるしかないんですよね」</p>



<p>齋藤さんはこれまでに1,000枚以上の絣の図案をデザインしている。それらは実際に自分が手を動かして生み出した証として、すべて残しているという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">鮮やかな柄を織りなす、経（たて）糸と緯（よこ）糸</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_375.jpg" alt="" class="wp-image-53404" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_375.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_375-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_375-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>布を織る前に糸の段階で色を染めてデザインする先染めの技法のうち、齋藤さんが得意としているのが、括り絣という技法である。</p>



<p>「括り染めは原料糸の染色しない部分をテープなどで縛り、色が入らないようにして染める方法です。糸を括って部分的に染めない部分を作った絣糸を経糸や緯糸に使うことで、染まっていない部分と染めた部分が混ざり合い、かすれたような独特の模様になるんですよ」</p>



<p>経糸と緯糸の両方、またはどちらか一方に絣糸を使い、柄を合わせながら織ることは、高い技術と経験が必要となる。</p>



<p>「絣糸の染めの技法と、経糸と緯糸への使い方と使い所で、他の人には真似できない、絣を表現できるんです」</p>



<p>括り絣の魅力を語ってくれた齋藤さんだが、現在、伊勢崎絣において、括り絣の技術を継承しているのは齋藤さんのみとなっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">伊勢崎絣を絶やさないために</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_360.jpg" alt="" class="wp-image-53405" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_360.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_360-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231213_NIHONMONO_360-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>時代の流れとともに衰退してしまった織物産業だが、一時代を築いた伊勢崎絣は間違いなく、この地域の発展に貢献した産業のひとつである。その複雑な技法と手間のかかる製作過程から今では作り手が減少し、伝統的な工法で伊勢崎絣を作れる人間はほとんどいなくなってしまった。だからこそ齋藤さんは、自分の持つ技術や知識を作品に込め、多くの人に伊勢崎絣を貴重な伝統工芸として伝えようとしている。</p>



<p>「川は流れが速くなったり緩やかになったり、動きがありますよね。自然界にある動きのあるものが面白いですし、⾃然に触れるとアイデアが無限にあふれてきます。絣の滲ませ方など、規則正しくない柄を表現するよう⼼がけています」</p>



<p>伊勢崎絣に限らず、現代の効率重視の流れの中で、時間と手間のかかる伝統工芸はどの分野でも失われつつある。そんななか、手間暇のかかる工程をひとりで行い、継承していくことは無謀とも言えるだろう。それでも、地域に根付き発展した伝統技術を、ひとりでも多くの人に伝え残したいという齋藤さんの思いが、現代の「銘仙」としての伊勢崎絣には込められている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53392/">伊勢崎絣の伝統と技術を伝える、群馬県ふるさと伝統工芸士･齋藤定夫さん／群馬県伊勢崎市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>オリジナルの銘柄を造りたい。「流輝」にかける松屋酒造の想い／群馬県藤岡市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 14 Oct 2025 11:41:25 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[酒造]]></category>
		<category><![CDATA[日本酒]]></category>
		<category><![CDATA[松屋酒造株式会社]]></category>
		<category><![CDATA[流輝]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_197.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>群馬県の南西部に位置し、埼玉県と接する藤岡市にある「松屋酒造株式会社」。酒造りに適した御荷鉾山系（みかぼさんけい）から湧き出す神流川（かんながわ）や鮎川（あゆかわ）の伏流水を使った日本酒「流輝（るか）」は、杜氏である6代 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_197.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>群馬県の南西部に位置し、埼玉県と接する藤岡市にある「松屋酒造株式会社」。酒造りに適した御荷鉾山系（みかぼさんけい）から湧き出す神流川（かんながわ）や鮎川（あゆかわ）の伏流水を使った日本酒「流輝（るか）」は、杜氏である6代目蔵元 松原広幸（まつばら ひろゆき）社長の熱意が造り上げたオリジナルの日本酒として注目されている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">6代目が思い描く、新しい群馬の酒</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_6.jpg" alt="" class="wp-image-53366" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_6.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_6-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_6-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>西部は山岳地帯、東部は関東平野が広がる温暖な気候の群馬県藤岡市。ここで1951年から日本酒を製造している「松屋酒造」は、元々、江戸時代に富山県で米問屋として創業し、明治時代の後期から酒造りを始めた歴史がある。その後、大きな市場である東京に近く、自然環境にも恵まれた群馬県藤岡市に蔵を移し、群馬という土地に合った酒造りを行ってきた。先代の杜氏が高齢のために引退してからは、6代目蔵元 松原広幸社長が自ら杜氏となり製造に携わっている。製造量250石ほどの小さな酒蔵が造り出す、すべて小仕込みで昔ながらの手造りにこだわった日本酒は、時代に合わせた現代的なアプローチで新しい群馬の酒を提案している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">長男の役割を果たすため、地元に戻り6代目に</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_10.jpg" alt="" class="wp-image-53367" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_10.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_10-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_10-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>酒蔵で生まれ育った松原さんだが、子供の頃は酒造りにあまり興味が持てず、大学卒業後はファッションの道を志してストリートブランドで働き始める。2008年、アパレルの仕事を一通り覚え、自分の中でファッションに対する気持ちが一段落した28歳のとき、長男である自覚とともに実家に戻り、家業の酒蔵を継ぐ決断をする。</p>



<p>「一度は家業とは違うことがやりたいと家を飛び出しましたが、自分が長男であることもあり、家業を継ぐことにしました。外の世界で自分の好きなことをやりきったという充実感もあったので、実家に戻って頑張ってみようと素直に思えました」</p>



<p>しかし当時は焼酎ブームの真只中。酒蔵では選挙や結婚式など、祝い事のときに使われる清酒をメインに造っていたが、それだけではいずれ経営が難しくなると感じた松原さん。自分が酒蔵を継ぐからには、飲食店でも扱ってもらえるような酒を造りたいと思い、蔵でオリジナルの酒を造ろうと考えを巡らせるようになる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">時代に合った群馬の酒を造りたい</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_23.jpg" alt="" class="wp-image-53368" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_23.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_23-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_23-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>松屋酒造に入社し、蔵で一から酒造りを学び始めた松原さん。同時にオリジナルの日本酒を造るために、通称「赤煉瓦酒造工場」と呼ばれる、日本の酒造りの発展に貢献してきた東京・王子にある醸造試験所（現在の独立行政法人 酒類総合研究所）に勉強に行ったり、群馬県の技術者交流会で先輩杜氏から学んだりしながら情報を集めていった。</p>



<p>「当時、自分より上の世代では辛口のお酒が好まれており、周りの酒蔵でも多く造られていました。しかし技術者交流会でお世話になった先輩方や、自分と同じ若い世代の造り手が増えるにつれ、市場で好まれるお酒の傾向にも変化が出てきました。私の好きな、フルーティーで香りのあるお酒が注目されるようになってきたのです」</p>



<p>時代に合った酒を模索するなか、尊敬する杜氏にすすめられた飲食店に行き、本を読み、積極的にアドバイスを聞いて回った。そのなかで「マーケティングも大事だが、最後は自分の気持ちが大切」というアドバイスをもらい、人気になりつつあったフルーティーでフレッシュ感のある酒で、自分が飲みたいと思う味わいの酒を造ろうと決意する。</p>



<h3 class="wp-block-heading">子供の名前候補から銘柄名を決める</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_109.jpg" alt="" class="wp-image-53369" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_109.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_109-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_109-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>オリジナルで酒を造るなら、香りがあってフルーティーな、自分が憧れている酒に近づけようと決めた松原さん。自分が飲んで衝撃を受けた「十四代」や「鳳凰美田（ほうおうびでん）」のような味わいをイメージし、試行錯誤しながら理想に近づけていった。そうして造った酒を販売店に持って行ったところ、松屋酒造から新しく出す銘柄ならばブランディングからしっかりと考えた方がいいとアドバイスされたという。</p>



<p>「その頃、ちょうど子供が生まれた時期で、子供につけるつもりで考えていた名前の中から、“流れ輝く”という、造りたいお酒のイメージにぴったりな名前があり、新しいお酒の銘柄名を“流輝”と名づけました」</p>



<p>今まで造ってきた「當選」や「平井城」という銘柄に加え、新たに「流輝」と命名し、蔵としてブランドを立ち上げた。「流輝」のラベルの文字は松原さん自身が思いを込めて、何千回も書いて作ったものだという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">水の良さを活かした酒造り</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_117.jpg" alt="" class="wp-image-53370" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_117.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_117-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_117-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「流輝」を造る際、松原さんが最初にイメージした特徴は、香りを楽しんでもらう酒だった。しかし藤岡で造る酒は、思っていたほど香りが出ない。それでいて少し柑橘のような、酸のある酒に仕上がるという。</p>



<p>「このあたりは西毛地区という地域で、うちでは神流川、鮎川の地下水に井戸を掘り、仕込み水に使っています。ドイツ硬度で6くらいの、非常に柔らかい水になります。お米は山田錦を中心に新潟の五百万石など、蔵に適した酒米を使用しています」</p>



<p>最初はなかなか自分のイメージする酒を造ることができず苦労した。さまざまなデータから米や酵母を変え、水との相性などを繰り返し実験するうちに、少しずつ酒の味に変化が見られるようになる。自分が造りたい、香りがあってフルーティーな酒とは違ったが、藤岡という土地が生み出す、香りが控えめで少し柑橘のような酸のある酒という特徴が見えてきた。今ではその個性を最大限に生かす方向で「流輝」を造ろうと考えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">同じルーティンで作る酒</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_130.jpg" alt="" class="wp-image-53371" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_130.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_130-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_130-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>松屋酒造はパートを含め、5人の従業員で酒造りを行なう小さな酒蔵である。人数が少ない分、製造期間を長く取り、いつ何をするか、毎年同じルーティンでやっていくことを意識し、酒造りにおけるリズムを大切にしている。</p>



<p>「従業員は少ないですが、より高品質な酒造りを目指し、伝統的な手造り製法にこだわって小仕込みで生産しています。特に搾りは、引き継いできた昔ながらの機械でゆっくりと圧をかけながら搾ることで、きれいでやさしい酒質を生み出しています」</p>



<p>酒の味わいに影響が出やすい麹造りは、昔ながらの技法を採用している。蒸した酒米を屋外でさらし、風を当てて水分を蒸発させながら、狙った温度にコントロールしていく。醪（もろみ）の発酵を低温でゆっくりと進めるために、50時間以上かけて米の中心部まで菌糸が達する状態の突き破精（つきはぜ）にして、酒質に合ったきれいな麹を造っている。</p>



<p>流行に左右されない昔ながらの麹造りと、組み合わせによる味わいの変化で洗練された日本酒を追求していこうと考えるようになる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">飲食店で扱ってもらえる酒を造る</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_178.jpg" alt="" class="wp-image-53372" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_178.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_178-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_178-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「流輝」をブランディングするにあたり、「飲食店で扱われたい」という思いが強かったという松原さん。造った酒の販売についても、今までの蔵のやり方とは違ったアプローチで販売を試みる。</p>



<p>「“流輝”の販売は、特約店のみの限定流通にしようと考えました。しっかりと売っていただける販売店さんだけを選んで、今も取引しています」</p>



<p>限定流通にはブランドの価値を上げ、差別化できるというメリットがある。しかし、販売店に認めてもらえなければ市場に出すことができないというデメリットもある。</p>



<p>「流輝」を立ち上げたばかりの頃は認めてくれる販売店も少なく、「もっと勉強してこい」と追い返されることもあったという。なかには「3年通ってようやく置いてもらえた販売店もありました」と松原さん。</p>



<h3 class="wp-block-heading">自分で工夫し造りあげた銘柄「流輝」</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="681" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/image-23-1024x681.jpeg" alt="" class="wp-image-53364" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/image-23-1024x681.jpeg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/image-23-300x200.jpeg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/image-23-768x511.jpeg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/image-23.jpeg 1380w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>フレッシュ感を残したフルーティーな味わいで、口の中で流れるように輝くことをイメージして造った「流輝」は、名前が意味する味わいに仕上がりつつあるという。</p>



<p>「まだまだ足りないところはありますが、“流輝”を造り始めて17年が経ち、自分が目指す酒に50パーセントくらいは近づけたのではないかと思っています。だんだん良くなっていると思うのですが、ここからさらに50パーセント上げるには、今の自分の実力以上の経験やアイデア、さらなる努力が必要になってくると思っています」</p>



<p>松屋酒造を継いだ2年後に立ち上げた銘柄「流輝」は、松原さんの狙い通り飲食店を中心に人気となり、今では一般の方にもファンが拡大しつつある。松原さんが杜氏になってから、ずっと向き合ってきたオリジナル銘柄を一から生み出した経験は、松屋酒造が長年造り続けているほかの酒にも良い影響を及ぼし、小さな蔵の未来を明るく照らし始めた。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53355/">オリジナルの銘柄を造りたい。「流輝」にかける松屋酒造の想い／群馬県藤岡市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>上州座繰りを伝承する、座繰り染織家･中野紘子さん／群馬県高崎市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Tue, 14 Oct 2025 11:23:44 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[養蚕]]></category>
		<category><![CDATA[蚕糸絹業]]></category>
		<category><![CDATA[上州座繰り]]></category>
		<category><![CDATA[草木染め]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_233.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>世界遺産となった富岡製糸場のある群馬県は、古くから蚕糸絹業（さんしきぬぎょう）が盛んな土地柄だ。その歴史と繭（まゆ）から糸を生み出す作業に魅了された女性がいる。座繰り染織家の中野紘子（なかのひろこ）さんだ。中野さんは途絶 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_233.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>世界遺産となった富岡製糸場のある群馬県は、古くから蚕糸絹業（さんしきぬぎょう）が盛んな土地柄だ。その歴史と繭（まゆ）から糸を生み出す作業に魅了された女性がいる。座繰り染織家の中野紘子（なかのひろこ）さんだ。中野さんは途絶えかけていた製糸技法「上州座繰り（じょうしゅうざぐり）」を受け継ぎ、伝統的な技法を守りつつ現代のニーズに応える作品を発表している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">群馬県の伝統的な製糸技法「上州座繰り」を継承</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_310.jpg" alt="" class="wp-image-53345" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_310.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_310-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_310-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>昔から養蚕（ようさん）が盛んだった群馬県。明治５年には機械製糸のモデル工場として富岡製糸場が設立され、日本の製糸業の発展に大きく貢献した。そんな群馬県で江戸時代末期に開発された「上州座繰り」は、木製の道具を用いて繭から糸を引く製糸法だ。</p>



<p>お湯で煮た繭から引き出した繭糸（けんし）を目的の太さになるよう、座繰り器のハンドルを回しながら、鼓車（こしゃ）という装置を使用して巻き取っていく。</p>



<p>現在では希少な糸づくりの伝統技術「上州座繰り」を受け継ぐため、中野さんは最初に、日本のシルク糸の60％を生産している日本最大級の製糸工場、碓氷（うすい）製糸株式会社で製糸技術を学んだのち、座繰り染織工房「canoan（カノアン）」を2003年に開設する。</p>



<h3 class="wp-block-heading">群馬に根付く「座繰り」の文化 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_481.jpg" alt="" class="wp-image-53346" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_481.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_481-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_481-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>群馬県高崎市で生まれ育った中野さんが上州座繰りに惹かれた理由のひとつが、江戸時代末期から昭和40年頃まで、群馬県の養蚕農家の手仕事として、それぞれの家庭で女性が繭から糸をつくり、家族の着るものをつくってきた、この土地ならではの歴史的背景だ。</p>



<p>品質を守るために製糸に適さず工場に出荷できなくなった繭を使い、農家の女性の間で行われてきた上州座繰り。明治時代以降、富岡製糸場のような機械化された糸が大量生産される一方で、地元で細々と受け継がれてきた「家族への愛情あふれる営み」を途絶えさせたくないという思いだった。</p>



<p>もうひとつ、上州座繰りに惹かれた理由が、圧倒的な手触りの違いだったという。</p>



<p>「木製の道具を使い、手でゆっくりと回しながら引いた糸でつくる織物の、ふっくらとしながらも滑らかで空気をはらんだ独特のしなやかさは特別です」</p>



<h3 class="wp-block-heading">手作業で繭から生糸を紡ぐ魅力</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_413.jpg" alt="" class="wp-image-53347" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_413.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_413-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_413-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>中野さんの工房では、極細の糸からタペストリーなどの厚物の制作に適している極太の糸まで、繭の特性を活かしてさまざまな繊度（せんど：繊維や糸の太さを表す長さと重量の比）と風合いの座繰り糸を制作している。</p>



<p>通常の糸づくりでは、まず細い糸をつくり、それを何本も撚り（より）合わせて目的の太さにしていくことが多いが、中野さんの糸づくりは最初から糸の太さを決めて、指先で糸の太さを感じながら目的に合わせて繭から直接、調整していく。</p>



<p>着物、帯、スカーフなど、布製品には適した生地の厚さがある。つくるものをイメージし、生地の厚さに合わせて繭からそのまま糸を巻き取っていく工程は、まさに職人技だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">手仕事による豊かな風合いの作品づくり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_269.jpg" alt="" class="wp-image-53348" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_269.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_269-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_269-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一般的に布を作る工程は分業制とされている。養蚕農家が蚕（かいこ）を育てて繭を出荷し、製糸工場で糸をつくる。できあがった糸を染めるのは染めもの屋、染めた糸を織り布にするのは織物工場と分業で行われる。一般の人は布がどうやってできているか、その工程を知ることはほとんどない。</p>



<p>もともと布が好きだったという中野さんは、どうやって布ができるのかに興味を持ち、調べていくうちに上州座繰りに出会う。そして繭から糸をつくり、糸から織物をつくるという工程に強く惹かれていく。</p>



<h3 class="wp-block-heading">自分で糸をデザインし、布を織る</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_365.jpg" alt="" class="wp-image-53349" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_365.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_365-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_365-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「糸からデザインした絹織物を制作したいという思いがあり、上州座繰りをはじめ、繭の特性を活かしたさまざまな質感の製糸技術を学びはじめました。次第に糸を染める染色も気になり、天然の植物による草木染めを勉強しました。きれいな色に染まった糸ができると次は布をつくってみたくなり、絹織物に使われる手織り機の一種である高機（たかばた）の操作を教わり、布を織りはじめました。草木染めと高機による手織りは、地元の染織家に教えていただくこともありましたが、試行錯誤をしながら独学で身に付けました。」</p>



<p>こうして製糸、染色、手織りの技術を次々に習得した中野さんは、分業制では実現できない、肌触りや糸質を大切にした着物や帯、ストールなどの作品づくりをスタートさせる。</p>



<p>「繭から挽いた糸を草木染めで染色し、手織りして布にする。できる限り手作業で、自然のものを使って一貫した布づくりが行える奥深さと神秘性に魅了されています。」</p>



<h3 class="wp-block-heading">天然のものにこだわった草木染め</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_239.jpg" alt="" class="wp-image-53350" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_239.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_239-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_239-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>自然からいただく色はどんな色の組み合わせでも、不思議としっくりと調和するところが草木染めの魅力だという中野さん。</p>



<p>「草木染めの材料を、自ら山に採りに行くこともあります。自然に触れる機会も増え、同じ染料でも育った環境や染める時季、煮出すときの水質などで、染め上がりの色が違ってくるんですよ」</p>



<p>染色性にすぐれた上州座繰り糸を、天然の植物にこだわった草木染めで自然の色に染め上げる。その糸を高機で織ると、繊度や染めの色合いによって奥行きのある豊かな表情となり、ふっくらとしながらも滑らかな、手仕事ならではの美しい絹織物となる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統技法を守りながら、現代の生活で使えるものを</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_338.jpg" alt="" class="wp-image-53351" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_338.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_338-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_338-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>中野さんが取り組んでいる製糸業は、一般的には注目度の低いニッチな産業とされている。</p>



<p>今までは機械でつくった糸の方が整っていてきれいという価値観でしたが、最近は手仕事の良さや伝統技法を残したいという思いを理解してくださる方が増え、そういったご縁のある方と取引させていただいています」</p>



<p>糸の太さを調節しながらデザインするため、オーダーメイドで注文を受けることも多いが、展示会や個展などで自分のつくった作品を販売することもある。座繰り糸でつくる作品をより多くの人に使ってもらうことが、伝統技術の継承と文化的背景の大切さを伝えることにつながると中野さんは考えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">気軽に身につけられる伝統文化を目指して</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_283.jpg" alt="" class="wp-image-53352" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_283.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_283-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_283-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>糸づくりから染色、織りまでをひとりで一貫して行う中野さんは、すべての工程を伝統的な手法を用いて手作業で行うため、つくれる数は自ずと限られてくる。</p>



<p>「多くの人に使っていただきたいという気持ちはあるのですが、量産できるものではないため、お客様になかなか届かないというジレンマはあります」</p>



<p>量産できないものだからこそ、何⼗年も愛⽤される作品づくりを⼼がけている。</p>



<p>「着物は今までにない軽さが特徴で、帯は弾力があり締めやすいと評価をいただいています。スカーフも軽くて暖かく、機械製の製品とは異なる着心地の良さがあります」</p>



<p>つくれる数は少ないが、長く使えば使うほど風合いが増し、使う人に合わせてこなれてくる着心地の良さは、一度使った人からのリピート注文の多さからも伝わってくる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">技術の継承と伝統工芸の可能性</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_469.jpg" alt="" class="wp-image-53353" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_469.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_469-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/231211_NIHONMONO_469-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>糸から布へ、布から作品へ。20年以上前から群馬県の伝統工芸の継承者として、上州座繰りの製糸技術と文化の保存・発信のため、座繰り染織工房を開設し自身のブランドも立ち上げてきた中野さん。</p>



<p>「伝統的な技術や文化を知ってもらうために、ギャラリーの展示会では作品の展示、販売だけでなく、上州座繰りを実演することもあります」</p>



<p>今後は糸から布ができるまでの工程を、よりリアルに伝えられる場所をつくりたいという。そこで絹織物に触れた人々に、今まで知らなかった蚕糸絹業の世界を知ってもらい、体験してもらうことで、伝統技術の認知を広げ、より多くの人に上州座繰りの魅力を伝えていきたいと力強く語ってくれた。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53334/">上州座繰りを伝承する、座繰り染織家･中野紘子さん／群馬県高崎市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>師匠の技を継承し現代の暮らしに溶け込む作品を。江戸小紋師･藍田愛郎さん／群馬県高崎市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/53279/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 29 Sep 2025 09:39:10 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[染物職人]]></category>
		<category><![CDATA[江戸小紋]]></category>
		<category><![CDATA[染色]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_499.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>養蚕の国として発展を遂げてきた群馬県。なかでも高崎市は、箕輪城主の井伊直政が高崎城に移る際、染物職人も一緒に移住したことで染色技術が発達した歴史がある。そんな群馬県の高崎市に、江戸小紋を染める工房がある。先代の藍田正雄氏 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_499.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>養蚕の国として発展を遂げてきた群馬県。なかでも高崎市は、箕輪城主の井伊直政が高崎城に移る際、染物職人も一緒に移住したことで染色技術が発達した歴史がある。そんな群馬県の高崎市に、江戸小紋を染める工房がある。先代の藍田正雄氏が設立した「藍田染工（あいだせんこう）有限会社」だ。現在は弟子である藍田愛郎（あいだ あいろう）さんが受け継ぎ、江戸小紋の伝統・技・心を伝える作品を作り続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">今に生きる江戸小紋を作る</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_642.jpg" alt="" class="wp-image-53290" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_642.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_642-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_642-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>群馬県高崎市にある藍田染工有限会社は、絹織物に関係する産業が発展した群馬県において、「染め」の分野で伝統と職人の技を継承している工房である。</p>



<p>渡り職人として腕を磨き、高崎に戻り1977年に藍田染工を設立した先代の藍⽥正雄氏は、群馬県指定の重要無形文化財保持者の認定を受けたほか、2011年には旭日双光章を、2013年には第60回日本伝統工芸展で第60回記念賞を受賞するなど、江戸小紋の第一人者として活躍した。それと同時に、江戸小紋師の後継者育成はもちろん、江戸小紋に不可欠な伊勢型紙の後継者育成にも尽力した。</p>



<p>2017年に正雄氏が亡くなった後は、弟子だった田中愛郎さんが「藍⽥」の名前と技術を継承し、「藍田愛郎」として伊勢型紙による江戸小紋の美しさや、手染めの素晴らしさを伝えるものづくりを行なっている。師匠である正雄氏がそうであったように、愛郎さんもまた、現代の人々の暮らしに溶け込む作品作りを行なっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">緻密で繊細な江戸小紋</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_550.jpg" alt="" class="wp-image-53291" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_550.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_550-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_550-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>先に糸を染めて柄を織る織物と比べて、反物を後から染める染め物は、より繊細な柄を表現することができる。なかでも江戸時代から伝わる「型染」という技法で染める江戸小紋は、小紋のなかでも特に緻密で精細な型紙を使用する。遠目には無地に見えるほど細かい文様を染めるには高度な技術が必要となり、柄が細かければ細かいほど染め物としての価値が高くなるという。</p>



<p>江戸時代、本来無地であった裃（かみしも）に藩の文様を入れ、武士の裃として着用したのが江戸小紋の始まりといわれており、のちに町人にも拡がったことでさまざまな文様が生まれ、江戸の「粋」の美意識とともに各地に拡がっていった。</p>



<p>明治以降、時代を反映して少しずつ変化していった江戸小紋。愛郎さんの師匠、正雄氏は「伝統だけを大切にするのではなく、時代に合った江戸小紋を作る」をモットーに、自らもぼかし染めを始め、ただ染めるだけではない独自の技法を考案していった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">型彫師との共同作業</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_653.jpg" alt="" class="wp-image-53292" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_653.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_653-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_653-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>工房では正雄氏から受け継いだ貴重な伊勢型紙を用いて、江戸小紋を染めるすべての工程を手作業で行っている。</p>



<p>生前、正雄氏が口にしていたことがある。</p>



<p>「江戸小紋師は技術があっても、型紙がなくては何の仕事もできない。次の世代のことを考えて型紙を残すこと、伊勢の型彫師に少しでも多くの型紙を作ってもらうことも、私の職人としての使命だと思う」</p>



<p>その言葉通り、正雄氏は伊勢型紙の産地である三重県鈴鹿市白子町（しろこちょう）を頻繁に訪れ、人間国宝の児玉博氏に懇願して型紙を作ってもらったこともあったという。その後、児玉氏から貴重な型紙を譲ってもらったり、白子町の型彫師に自分の希望する型紙を作ってもらったりしながら、江戸小紋に不可欠な貴重な型紙の技術も育て、守ってきた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">江戸小紋の魅力に魅せられて</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_729.jpg" alt="" class="wp-image-53293" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_729.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_729-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_729-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>藍田愛郎さんと江戸小紋の出会いは成人式。藍⽥正雄氏の⼀番弟⼦である、愛郎さんの実の母親の⽥中正⼦さんが染めた、藍染めの江⼾⼩紋の着物と羽織を着て成⼈式に出たのをきっかけに、江戸小紋の魅力に引き込まれていった。</p>



<p>「当時、着物のことは何も知らなかったのですが、成人式の着物はとても着心地が良く、最高の一日だったのを覚えています」</p>



<p>そのときの感動が忘れられず、大学卒業後は藍田染工の門を叩き、正雄氏の弟子となる。師匠の背中を見ながら心技を学び、己と真摯に向き合いながら修業時代を過ごしたという。</p>



<p>「技術的なことはもちろん、⼼技にわたってていねいに、師匠の経験を教えていただきました」</p>



<p>正雄氏の教えをみるみる吸収した愛郎さんは、持ち前のセンスと器用さも相まって、江戸小紋師として頭角を表すまでに、さほど時間はかからなかった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">令和の時代に表現したいこと</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_792.jpg" alt="" class="wp-image-53294" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_792.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_792-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_792-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「作るもの自体が、その時代に合わせて使われるものでなければならない」といっていた正雄氏の考えを受け継ぎ、愛郎さんもまた、伝統技術を守りながら新しい作品作りにも積極的に挑戦している。</p>



<p>着物を日常的に着る人が少なくなった令和の今、和装にも洋装にも合うようなものを作りたいと、オーガンジーのストールを江戸小紋で染めるなど、新しい試みにもチャレンジしている愛郎さん。</p>



<p>「師匠はその時代に生きている自分たちが、今、何を表現していきたいか考えろといっていました。それと同時に、基礎ができない限りは何も表現できないともいっていたんです」</p>



<p>職人たるもの、どんなものを頼まれてもしっかりと染められる腕を持って、初めて自分でやりたいものが表現できるようになると教えられてきた。</p>



<p>こういうものを作って欲しいと注文が来たときに、「できない、という職人にはなるな」という教えは、正雄氏から受け継いだ大切なメッセージのひとつである。</p>



<h3 class="wp-block-heading">型紙はいつか破れる</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_716.jpg" alt="" class="wp-image-53295" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_716.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_716-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_716-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p><a href="https://drive.google.com/file/d/1NSUiKfQil0MQQJcyIVIa6TBTRkGyvJRK/view?usp=sharing"> </a>江戸小紋は一反の布を染めるのに、ひとつの型紙を70〜90回繰り返し使って染めるため、地道で緻密な技術が必要とされる。それと同時に、これだけの使用回数に耐えられる型紙でなければならず、縞が潰れず、ムラなくきれいに糊が付けられることが大事なポイントとなる。</p>



<p>江戸小紋で使用される伊勢型紙とは、強靭で保存性の高い美濃和紙に柿渋を塗り、繊維が縦方向と横方向のものを交互に重ねて強度が上がるよう3〜4枚貼り合わせて作った型地紙（かたじがみ）に、文様や図柄を彫り抜いたものである。</p>



<p>なかでも縞彫りという技法は非常に繊細なため、現在では数人の職人しか彫ることができず、型紙職人の高齢化と後継者不足が深刻な問題となっている。</p>



<p>藍田染工には正雄氏が育て守った、貴重な伊勢型紙が多数残っている。使えば摩耗して耐久性が劣化し、いつかは切れて使えなくなってしまう。愛郎さんは江戸小紋を染める際、型紙に負担がかからないよう細心の注意を払いながら、自分の腕を信じて作品作りを行なっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">伝統的な技法を守りながら、新しい表現にも挑戦</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_504-1.jpg" alt="" class="wp-image-53297" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_504-1.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_504-1-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_504-1-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>染めのなかでも江戸小紋という技術を極めてきた藍田正雄氏は、生前、「日本伝統工芸新作展」と「日本伝統工芸染織展」の鑑審査委員を担当し、型紙職人とも深い関係を築きながら江戸小紋の技術継承と発展に尽力してきた。そんな正雄氏の姿を間近で見てきた愛郎さんは言う。</p>



<p>「いつか工房にある貴重な型紙を、自分が納得できる使い方で作品にしてみたいです」</p>



<p>工房の型紙のなかには、こんな型紙を彫った職人が世の中にいるのか、という気持ちになるほど精巧なものがあるという。そんな強敵ともいえる型紙を見ていると、どうやったら面白い作品になるか、考えるだけでワクワクしてくる。と同時に、そういった型紙が工房に残っていることに、師匠の偉大さとその功績に感謝の気持ちが大きくなるという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">オーガンジーを江戸小紋で染める</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_766.jpg" alt="" class="wp-image-53298" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_766.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_766-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_766-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>今、愛郎さんは、伝統的な江戸小紋の着物や反物のほか、シルク100%のオーガンジーに、ひとつの型紙で単色にならないよう染め分けた、ストールの制作も行っている。</p>



<p>薄くやわらかなオーガンジーは、板に貼らないと柄がつけられない。板に貼るということは剥がさないといけないのだが、生地が薄すぎて最初はバリバリと破けてしまった。</p>



<p>「最初は剥がすときに破れたり、生地が軽い分ずれやすかったり、寄ってしまったりと苦労しました。そこから糊の質や量、塗り方などを工夫して、ようやくオーガンジーに江戸小紋の柄がつけられるようになりました」</p>



<p>細かい柄の江戸小紋は、型と型の継ぎ目がわからないようきれいに染めるのが、職人の腕の見せ所でもある。それは薄くて軽いオーガンジーでも同じこと。オーガンジーに江戸小紋をつけることに成功した愛郎さんは、工房にある型紙を使って、さまざまな色や柄をつけていった。</p>



<p>「これも令和の江戸小紋なんだと思います」</p>



<h2 class="wp-block-heading">時代に合わせて人に使われるものを作る</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_733.jpg" alt="" class="wp-image-53299" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_733.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_733-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231211_NIHONMONO_733-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>愛郎さんは今、江戸小紋の伝統的な染色技法を守りながら、新しい表現にも挑戦している。</p>



<p>「文化っていうのはそのときの生活に結びつくものだから、生活の変化とともに文化も変化しないといけないと思っています。伝統的な価値のあるものだからといって、何も変えないことだけが正解ではなく、今の人が欲しいと思う作品を作ることも大切だと思います」</p>



<p>薄手の生地への染色など、伝統を守りつつ、素材や染めの新しい技法の開発にも取り組んでいる。令和に生きている自分たちは、伝統的な江戸小紋の着物だけでなく、ストールやポケットチーフなど、時代に合わせたアイテムも作っていく必要があるという。そんな愛郎さんが作る作品からは、伝統的な技術を持つ職人だから表現できる、時代に合った江戸の「粋」を感じることができる。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53279/">師匠の技を継承し現代の暮らしに溶け込む作品を。江戸小紋師･藍田愛郎さん／群馬県高崎市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>日本の蚕糸業と絹文化を守り、伝える。日本最大の製糸工場「碓氷製糸（うすいせいし）」／群馬県安中市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 29 Sep 2025 09:19:38 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[製糸業]]></category>
		<category><![CDATA[国産生糸]]></category>
		<category><![CDATA[純国産]]></category>
		<category><![CDATA[絹製品]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_721.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>群馬県の西部に位置する安中市松井田町。日本三大奇勝の一つとして知られる妙義山がそびえ、その荒々しい岩肌が創り出した美しい景観は町のシンボルとして親しまれている。雄大な自然に囲まれた静かな山の麓に、碓氷製糸株式会社がたたず [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53258/">日本の蚕糸業と絹文化を守り、伝える。日本最大の製糸工場「碓氷製糸（うすいせいし）」／群馬県安中市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_721.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>群馬県の西部に位置する安中市松井田町。日本三大奇勝の一つとして知られる妙義山がそびえ、その荒々しい岩肌が創り出した美しい景観は町のシンボルとして親しまれている。雄大な自然に囲まれた静かな山の麓に、碓氷製糸株式会社がたたずむ。すぐ近くを流れるのは利根川支流の碓氷川。この清らかで豊富な水が、良質な生糸生産を支えている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">現役で稼働する器械製糸工場</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_620.jpg" alt="" class="wp-image-53268" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_620.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_620-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_620-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2014年に世界文化遺産に登録された近代日本産業の象徴「富岡製糸場」。ここでは役目を終えた自動繰糸機が動くことなく展示されているが、碓氷製糸はこれと同じ機械が今もなお現役で稼働し、繭から生糸を作り続けている。</p>



<p>碓氷製糸は昭和34年（1959年）、周辺地域の農家によって碓氷製糸農業協同組合として設立された。以来60年以上にわたって操業を続けている。近年は農協の組合員数の減少により、県や安中市、富岡市などの出資を受け、平成29年（2017年）に株式会社組織となって今に至っている。</p>



<p>ピーク時には全国に1800以上あった製糸会社。その後は縮小の一途をたどり、現在、日本で操業している現役の器械製糸工場は、わずか２カ所にまで減少してしまった。そのうちの一つが、この碓氷製糸である。</p>



<p>「製糸」とは、養蚕農家が生産した繭から生糸をつくる一連の作業のこと。ここ碓氷製糸には群馬県のみならず、全国各地で生産された繭のうちの約７割が運ばれてくる。つまり碓氷製糸は生糸の生産量ナンバーワンを誇る国内で最大規模の製糸工場なのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">国産生糸は危機的な状況</h3>



<p>とは言え、製糸産業の現状は厳しい。農林水産省のデータによると、平成元年に6000トンを超えていた国産生糸の生産量は、令和5年にはわずか9トンまで落ち込んでいる。生糸の輸入量に目を向けると、令和5年の輸入生糸が175トン。つまり国産生糸は、国内で流通している生糸の５％にも満たないのだ。</p>



<p>産業規模の大幅な減少の背景には、中国やブラジル、インドなどの安価な輸入品による市場での競争力の低下や、化学繊維の普及によって絹製品の需要が減少したことなどが挙げられる。さらにこの状況に追い打ちをかけるのが養蚕農家の減少である。</p>



<p>かつて養蚕は東北以南の各地で行われていたが、現在は関東と東北を中心とする小規模な産地が残るのみとなり、養蚕農家の数は非常に少ない。しかも生産者の高齢化も進んでおり、全国的に後継者不足が深刻な問題となっている。そんな中にあって群馬県は全国の繭生産量の約4割を占めている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">国産生糸にこだわる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_699.jpg" alt="" class="wp-image-53269" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_699.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_699-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_699-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>碓氷製糸が大切にしているもの、それは「純国産」へのこだわり。海外から輸入した繭や生糸を使用しても、日本で加工した絹製品であれば「国産」と名乗ることができるのだが、碓氷製糸で作られる生糸は、単なる国産とは一線を画す。日本で飼育された繭だけを使用した高品質な「純国産」だ。国産繭から生産された生糸のシェアは、わずか1％にも届かないという。この高品質な純国産生糸は主に着物用として出荷・販売されている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">生糸になるまでの工程</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_738.jpg" alt="" class="wp-image-53270" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_738.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_738-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_738-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>工場内を案内してくれたのは代表の安藤俊幸さん。養蚕農家から届いた繭は、中に入ったさなぎが羽化しないように、荷受け後すぐに熱風乾燥させてから繭倉庫で貯蔵するという。</p>



<h4 class="wp-block-heading">選繭（せんけん）</h4>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_664.jpg" alt="" class="wp-image-53271" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_664.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_664-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_664-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>品質の良い生糸を作るため、出庫された繭を選別する作業。2匹の蚕が作った玉繭（たままゆ）、汚れた繭、奇形の繭などを取り除いていく。はじかれた繭も玉糸や絹綿などに加工されるそうだ。ちなみに中のさなぎは肥料や漢方薬などに利用されるらしく「シルクは捨てるところがない」とのこと。</p>



<h4 class="wp-block-heading">煮繭（しゃけん）</h4>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_689.jpg" alt="" class="wp-image-53272" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_689.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_689-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_689-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>選繭の次は、糸のほぐれを良くするためにお湯や蒸気で繭を煮て柔らかくする。約20分かけて繭は高温・低温・蒸気など6つの部屋を通過する。</p>



<h4 class="wp-block-heading">繰糸（そうし）</h4>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_691.jpg" alt="" class="wp-image-53273" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_691.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_691-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_691-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>煮繭から糸口を取り出し、目的の太さになるように数本の糸を撚り合わせていく作業。これこそが製糸工場の核ともいえる工程だ。繭はお湯の中でゆらゆらと運ばれながら、小さなホウキでかき出され、もつれた糸から目に見えないほど繊細な1本を引き出し、自動繰糸機にセットされる。生糸が細くなると繊度を感知し、自動的に繭が追加され、生糸は一定の太さで繰り続けられる。糸が切れた時は、職員が手作業で手際よくつなぎ直す。</p>



<h4 class="wp-block-heading">揚返し（あげかえし）</h4>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_712.jpg" alt="" class="wp-image-53274" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_712.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_712-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_712-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>自動繰糸機で小枠（こわく）に巻き取られた生糸を、乾燥させながら外周150cmの大枠に巻き返す。この作業は後で扱いやすくするために行う。</p>



<h4 class="wp-block-heading">仕上げ</h4>



<p>出来上がった国産生糸は、束にしてねじりを加えて整える。さらにいくつかを束ね、箱に詰めて出荷する。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自動繰糸機は日本の技術力の結晶</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_754.jpg" alt="" class="wp-image-53275" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_754.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_754-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_754-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ちなみに、使用している自動繰糸機は、自動車メーカーの日産が製造した1980年代の機械だという。かつて、トヨタ、日産といった自動車メーカー各社は繊維産業用の機械を世界に先駆けて製造していたそうで、その当時に培われた高い技術力が、今日の自動車産業に受け継がれている。自動繰糸機は、今となっては買い替えはおろか、部品交換ですらままならない貴重な機械。職員が自らメンテナンスをしながらずっと大切に使い続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">碓氷製糸はなぜ生き残ったのか</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_701.jpg" alt="" class="wp-image-53276" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_701.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_701-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_701-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>全国の製糸工場が激減しているにもかかわらず、碓氷製糸はなぜ稼働し続けていられるのか？それは、群馬県はわずかながらも養蚕農家が残り、蚕の飼育を守り続けている地盤があるから。そのうえで、相場に左右されない群馬オリジナルの蚕の品種を扱っていることも理由の一つ。また碓氷製糸は多品種の糸を小ロットで製造できることも強みだ。さまざまな太さの生糸が作れて、顧客の要望にきめ細かく応えられるという。それには高性能な機械と、良き技術者の存在なくしては成り立たない。</p>



<p>「いい糸を作り続けることが事業の継続に繋がると信じています。もしも、この場所が無くなってしまったら、養蚕農家さんも廃業してしまうわけですから責任は重大です」と語る安藤さん。</p>



<h2 class="wp-block-heading">碓氷製糸の目指すべき未来とは</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_774.jpg" alt="" class="wp-image-53277" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_774.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_774-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231208_NIHONMONO_774-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>しかし「５年後、10年後を見据えると、生糸を作るだけでは立ちゆかなくなる」と危機感を抱き、収益の柱となるものを模索している。近年は生糸を利用したオリジナル製品の開発に力を注ぎ、肌着や靴下、ボディタオルなどの身近な絹製品や、生糸から抽出するシルクタンパクを使用したスキンケア用品を販売している。</p>



<p>高品質な絹製品を提供し続けることで、衰退傾向にある日本の蚕糸業において貴重な存在となっている碓氷製糸。今後は、国内外でのニーズに応えるための製品開発や、伝統技術を活かしたブランドの強化、他分野との連携などを通じ、新たな技術と柔軟な発想で伝統産業である製糸業の未来を切り拓いていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53258/">日本の蚕糸業と絹文化を守り、伝える。日本最大の製糸工場「碓氷製糸（うすいせいし）」／群馬県安中市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>農家の地位向上を目指して。農業法人「Vegeta（ベジータ）株式会社」が挑む農業改革／群馬県邑楽町</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 20 Sep 2025 13:18:03 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[農業]]></category>
		<category><![CDATA[白菜]]></category>
		<category><![CDATA[邑美人]]></category>
		<category><![CDATA[むらびじん]]></category>
		<category><![CDATA[テレビ出演]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_549.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>群馬県の南東部に位置し、利根川と渡良瀬川に挟まれた邑楽郡邑楽町（おうらぐんおうらまち）で、主に白菜の生産を手がける、農業法人「Vegeta株式会社」。この地域で作られている白菜のなかでも、厳しい基準をクリアしたものだけを [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53203/">農家の地位向上を目指して。農業法人「Vegeta（ベジータ）株式会社」が挑む農業改革／群馬県邑楽町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_549.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>群馬県の南東部に位置し、利根川と渡良瀬川に挟まれた邑楽郡邑楽町（おうらぐんおうらまち）で、主に白菜の生産を手がける、農業法人「Vegeta株式会社」。この地域で作られている白菜のなかでも、厳しい基準をクリアしたものだけを「邑美人（むらびじん）」というブランド白菜として売り出し、他との差別化に成功している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">農業は面白い。それを証明したい</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_463.jpg" alt="" class="wp-image-53204" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_463.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_463-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_463-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>群馬県の東⽑エリアと呼ばれる地域に位置する邑楽郡邑楽町は、赤城山や榛名山などの噴火で堆積した火山灰で形成された、関東ローム層が広がる地域だ。このエリアは火山灰を起源とする黒ぼく土（有機質土）に恵まれており、有機物を多く含むこの良質な土壌が、赤城山から吹き下ろす「赤城おろし」と呼ばれる寒風と相まって、おいしい野菜を元気に育てている。なかでも、冬場にこの土地で栽培される白菜は大ぶりで柔らかく甘みがあり、邑楽町が誇る特産品となっている。</p>



<p>町の多くの農家が特産品の白菜を作るなか、⼀般的な⽩菜に比べてみかんや梨と同レベルの⾼い糖度の白菜を作る兄弟がいる。それが「Vegeta株式会社」の松島兄弟だ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">周りが反対する中、脱サラして農業へ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_487.jpg" alt="" class="wp-image-53205" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_487.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_487-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_487-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>代々、農業を営んできた松島家。松島章倫（まつしま あきのり）さん、圭祐（けいすけ）さん兄弟も、子供の頃から畑で働く祖父の姿を見て育った。畑に魅力を感じつつも、大学卒業後は会社員として働いていたが、祖父の病気をきっかけに弟の圭祐さんが畑をすべて引き継ぎ、就農した。</p>



<p>「弟が先に農業を始めて、その2年後に自分も農業を継ぐことを決め、兄弟で本格的に農業を始めました」と兄の章倫さんは当時を振り返る。</p>



<p>高齢化による農家の跡継ぎがいないことが問題となっている今だからこそ、農業には大きな可能性があるのではないかと思い、農家に転身したという章倫さん。とはいえ当時、引き継いだ畑の大きさは現在の1/100程度。本当に小さな規模からのスタートだった。</p>



<p>「農業を継いだ当初は、誰に相談しても“百姓なんかやるもんじゃない”って、ずっと言われ続けました」</p>



<p>それでも可能性を信じて白菜作りに取り組み、どうしたら「もっとおいしい」白菜が作れるか、試行錯誤の日々が始まった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">やった分だけ返ってくる、農業の面白さ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_475.jpg" alt="" class="wp-image-53206" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_475.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_475-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_475-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>元々、白菜の栽培に適した気候の邑楽町。冬は雨が少なく、「赤城おろし」といわれる北西の強い山風が吹き続けて乾燥する土地柄。朝晩は氷点下まで気温が下がり、「寒さ」というストレスが加わることで、凍らないように白菜自身が糖を蓄え、防衛本能で甘くなる。この乾燥と低温が、良質な白菜を作るのに適した気候となっている。</p>



<p>それに加えて土壌にも力がある。「黒ぼく」といわれる火山灰土は、土壌の団粒構造により相反する性質の保水性と透水性の両方を兼ね備えているため、水捌けがよく肥料の持ちがいい。そのため、畑のエネルギーをたくさん使う白菜が栽培しやすいのだ。</p>



<p>「白菜向きの土壌ですが、作り続けているとどんどん畑の力がなくなってしまうので、畑の力を維持するために牛の堆肥や植物そのものを土壌にすき込んで使用する緑肥を植えて、有機物を入れて微生物を動かしています」と弟の圭祐さん。</p>



<p>同じ気候、同じ土壌で同じ品種を栽培しても、同じ味わいの野菜にならない。そこが面白くて仕方がないという。</p>



<p>「土作りはもちろん、苗作りにもこだわり、種を撒いた瞬間から綿密に水管理を行い、独自の育苗培土を使用して育成しています」</p>



<p>こうして愛情込めて育てられた白菜は、主に邑楽町のブランド白菜「邑美人」として出荷されている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ブランド白菜を、たくさんの人に知ってもらいたい</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_481.jpg" alt="" class="wp-image-53207" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_481.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_481-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_481-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>土作りや苗作りにこだわり、邑楽町のブランド白菜「邑美人」など、高付加価値な白菜を栽培している松島兄弟。まったくの未経験から農業を始めたが、安定して高品質な野菜が出荷できるようになると、愛情込めて作った白菜の素晴らしさを世の中に伝えたいと思い始める。</p>



<p>元々、邑楽町は高品質な白菜の産地だったが世の中には周知されていなかったため、ブランド白菜の特徴を多くの人に知ってもらおうと、自分たちでSNSの発信を開始する。メディアへの出演も率先して行い、邑楽町の白菜をPRしてきた。その甲斐あって現在では、ブランド白菜の知名度がじわじわと広がり、味も良く見た目も大きくインパクトのある白菜の産地として、邑楽町は認識され始めている。</p>



<p>地域ブランドとしての地位を確立した「邑美人」。そのなかでも松島兄弟の作る白菜は、特に甘味が強いと評判になる。そこで販路も含めて、自分たちで作る白菜のブランディングについて模索し始める。</p>



<h2 class="wp-block-heading">独自の販路を開拓し、新しい農業の形を作る</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_553.jpg" alt="" class="wp-image-53208" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_553.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_553-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_553-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>高品質な白菜作り、地域のブランディング、自社ブランドの創造と、未経験で就農したからこそ、思いつく限りのことを何でもやってきた松島兄弟。サラリーマン時代の経験から、普通の農家がやらないような形で農業を「経営」していくことが、今後の農業の発展につながると信じて、2019年に農業法人Vegeta株式会社を設立した。独自に設けた厳しい社内規定や特別な管理の元で、ハウスブランドの「黄芯白菜 極」を完成させ、スーパーと直接契約し独自の販路を開拓していく。</p>



<p>今でこそ「食べチョク」など、農家が直接、消費者に生産物を販売する産直ECという方法があるが、Vegetaを設立した当初は指定された品種を農協に卸すしか販路がなかった時代。農業法人としてホームページを持つこと自体、珍しかったという。市場に出荷しつつ、ホームページを見たスーパーからの問い合わせで直接取引を行うようになると、自社ブランドの白菜の価値をしっかりと伝えようと、スーパーの売り場のPOPを一緒に考えながら、担当者と一緒にブランディングを進めていった。</p>



<p>「おいしさには絶対の自信があったので、とにかく1回食べてもらって、うちの白菜の良さを理解してもらいたいっていう一心でした」</p>



<p>こうした地道な活動が、テレビ出演をきっかけに少しずつ実を結び始める。</p>



<h3 class="wp-block-heading">農地確保と経営規模のバランス</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_532.jpg" alt="" class="wp-image-53209" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_532.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_532-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_532-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>会社設立後は農地を広げて畑の面積を拡大させ、正社員や海外実習生を積極的に採用して、人を育てていくことにも注力していった。松島兄弟の考える「新しい農業」を推し進めていくためには、農地の確保が課題のひとつとなっている。なぜなら、現在Vegetaが所有する畑は東西約15kmの中に180ヶ所ほど点在している状態だからだ。</p>



<p>「新しく広げた畑の隣が耕作放棄地だったりすると、虫が湧いたり木が生えてきてトラクターに当たったりと問題が多い。そうなる前に手入れしたいけど、他人の土地を勝手に耕すことは法律的に禁じられているため、現状は何もできずにいます」と章倫さん。</p>



<p>隣接する畑が購入できないことで農地が集積できず、モザイク状にしか農地が確保できないため、作業をするにも移動距離が長くコストもかかり、管理をするのも大変な状況だ。</p>



<p>「問題は山積みですが、やり方次第でうまくいくこともある。失敗もするけれど、失敗のデータを残しながら前に進んでいきたいし、自分が動いたことで向上していくのを実感すると、やる気が出ますよね」と圭祐さん。</p>



<p>作ったものを市場に出して値段をつけてもらう今までの農業から、今後はお客様が求めることに応じて経営規模を維持できる農家に成長したいという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">農家に対する世間の価値観を変えていきたい</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_554.jpg" alt="" class="wp-image-53210" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_554.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_554-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_554-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>⼀般的な⽩菜の糖度が約6度なのに対し、一番高いときで中心部分の糖度が11度にもなるVegetaの白菜。「フルーツのような野菜」と称されるが、土作りや肥料の設計など、その栽培方法をどうやって後進に伝えていくかが今後の課題でもある。</p>



<p>「同じ地域で同じ品種を作っても、全然甘くない人もいます。昔から感覚的な部分が多い農業でしっかりとデータを残し、今後IT農業なども視野に入れて、白菜の品質をさらに高めて単価を上げていきたいです」</p>



<p>素人だった兄弟が小さな畑から始めた農業は、今では当時の約100倍規模の畑を持つ、町で一番大きな農家となった。</p>



<p>「農業は面白くて、かっこよくて、稼ぐこともできる素晴らしい職業です。地域の未来も明るくする夢のある職業だってことを、多くの人に伝えたいですね」</p>



<p>衝撃と感動の野菜を届ける松島兄弟は、地域の農業を盛り上げ、農業の楽しさと可能性をこれからも発信し続けていく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53203/">農家の地位向上を目指して。農業法人「Vegeta（ベジータ）株式会社」が挑む農業改革／群馬県邑楽町</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>織物の街から世界のファッションを支える、株式会社笠盛の新たな挑戦／群馬県桐生市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 20 Sep 2025 13:02:59 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[OOO]]></category>
		<category><![CDATA[刺繍]]></category>
		<category><![CDATA[カサモリレース]]></category>
		<category><![CDATA[ジャカード刺繍]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_156.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>古くから織物の街として栄えてきた群馬県桐生市（きりゅうし）に、1877年創業の老舗刺繍工房、株式会社笠盛がある。⾼品質な織物と繊維製品を製造する歴史ある街で、笠盛は世界のファッションデザイナーを刺繍で⽀える⼀⽅、⾃社ブラ [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_156.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>古くから織物の街として栄えてきた群馬県桐生市（きりゅうし）に、1877年創業の老舗刺繍工房、株式会社笠盛がある。⾼品質な織物と繊維製品を製造する歴史ある街で、笠盛は世界のファッションデザイナーを刺繍で⽀える⼀⽅、⾃社ブランド「OOO（トリプル・オゥ）」をはじめとする、新しいチャレンジを続けている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">熟練の職人とテクノロジーの融合から生み出されるオリジナル製品</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_2.jpg" alt="" class="wp-image-53193" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_2.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_2-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_2-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>群馬県の南東部に位置し、栃木県との県境にある桐生市は、「⻄の⻄陣、東の桐⽣」と称され、奈良時代から織物の町として繁栄してきた歴史がある。</p>



<p>伝統工芸品の桐生織を主な産業とする機業都市で、帯を織る機屋（はたや）として創業した株式会社笠盛。時代の変遷とともに、1962年にジャカード刺繍機を導入し、織物業から刺繍業へと転身した。織物業で培った熟練の職人技と、レーザーカットなどを用いた刺繍機のテクノロジーが融合したことで生み出される高い技術力をベースに、数々の高品質な製品を生産してきた。</p>



<p>そこには⽼舗特有の守りの姿勢ではなく、未来を見据えてチャレンジを続ける、四代⽬会⻑ 笠原康利（かさはらやすとし)さんの覚悟があった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">和装から洋装へ、時代の変遷に合わせて事業を転換</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_177.jpg" alt="" class="wp-image-53194" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_177.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_177-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_177-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>和装から洋装へ、時代の変遷とともに笠盛の事業も転換を余儀なくされていった。</p>



<p>「帯は仕入れが大きく、糸を買って、その糸を売っているようなもの。一方、刺繍は仕入れがわずかでも、技術力で勝負できる。売上は少なくても利益が残ると、当時、父が言っていました」と、ジャカード刺繍機を導入し刺繍業に転身した背景を、笠原さんが教えてくれた。</p>



<p>刺繍業を始めた当初は靴下のワンポイント刺繍を、次第に和装や洋装も手掛けていくようになった。少しずつだが確実にオリジナルの刺繍技術を確立していき、2006年には独自技術であるチェーン刺繍の「カサモリレース」を開発した。</p>



<p>その後、東京やパリの展示会に出展したところ、その高い技術を利用した服飾付属品や刺繍加工品に注目が集まり、国内外のデザイナーやアパレルメーカーから問い合わせが来るようになったという。</p>



<h2 class="wp-block-heading">世界のファッションデザイナーを陰で支える刺繍</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_135.jpg" alt="" class="wp-image-53195" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_135.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_135-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_135-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>笠盛が刺繍業に転身した1960年代以降、時を同じくして日本人ファッションデザイナーがパリで活躍し始めた。</p>



<p>「三宅一生さんや高田賢三さん、山本耀司さんや川久保玲さんなど、そうそうたる人たちがパリでコレクションを開き、日本のファッション業界を引っ張っていました。当時、私たちは大量生産の仕事をする傍ら、三宅一生さんや川久保玲さんなど、世界的に注目されているファッションデザイナーの方々と仕事をすることになりました」</p>



<p>精密な機械刺繍でありながら、ハンドメイドの温もりがある笠盛の刺繍は、国内外のデザイナーやアパレルメーカーから注目され、さまざまな課題を技術で解決し、高品質な服飾付属品や刺繍加工品として重宝された。</p>



<p>こうして育まれた信頼は揺らぐことなく、現在も人気ブランドとの取引を行なっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">口癖は「刺繍で困ったら連絡してくれ」</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_45.jpg" alt="" class="wp-image-53196" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_45.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_45-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_45-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「当時、コレクションをはじめ、高度な技術を求めているデザイナーに『刺繍で困ったら連絡してくれ』といつも言っていました」と笠原さん。すると難しいものを作ろうという時には、相談が来るようになった。</p>



<p>「テキスタイルデザイナーの須藤玲子さんからも、他でできない技術があると、うちに話が来るようになり、納品したらイメージ通りだと、大変喜んでいただきました」</p>



<p>さまざまな技法で高い機械刺繍の技術を持つ笠盛。最大の強みとなっている技術力の裏には、織物で培った縦と横の糸の運びに、刺繍独自の斜めの変化が加わることで糸の運びの自由度が変わり、仕事の可能性が広がったことにある。</p>



<p>刺繍デザインに対する糸の向きや縫い方など、糸の運びによって変わる刺繍の表現を、誰よりも楽しみ面白がっているのが笠原さんだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自分で値段がつけられる、自社ブランドの立ち上げ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_26.jpg" alt="" class="wp-image-53197" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_26.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_26-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_26-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>パリの展示会に積極的に出展していた頃、本社まで行って話をした世界的ブランドとの商談が印象に残っているという笠原さん。</p>



<p>「ハイブランドは利益を大きくするためにわざわざ高い値段をつけて、たくさんのプロモーションをやりながら、ブランド自体の価値を上げているんだと言っていました」</p>



<p>この話を聞いて笠原さんは、自分で作ったものに自分で値段をつけていかないと、将来、生きていけなくなるのではないかと思い、自社ブランドを持つことを考え始めたという。</p>



<p>長い時間、試行錯誤を繰り返しながら、2008年に本格的に自社ブランドを作ろうと決意する。そして2010年、念願の⾃社ブランド「OOO」を立ち上げる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「布から解放された刺繍」という、新しい概念</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_212.jpg" alt="" class="wp-image-53198" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_212.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_212-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_212-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在「OOO」のブランドマネージャーである⽚倉洋⼀（かたくらよういち）さんは、2005年に株式会社笠盛に入社後、笠原さんから自社ブランド設立のミッションを託される。</p>



<p>「刺繍を通して、作り手も買い手もワクワクするような、刺繍の新しい価値を作りたいと言われ、正直戸惑いました。何から始めればいいのかわからず、とにかく自分たちの強みを見つけようと、他社と差別化できるものを探すところから始めました」</p>



<p>笠盛には元々、国内のファッションブランドのOEMでアクセサリーを作っていた経験があった。難しい刺繍をこなす技術力とアクセサリーを結びつけることで、自分たちの強みが出せるのではないかと、片倉さんは考えた。</p>



<p>そして「布から解放された刺繍」というイメージが湧き、さまざまなプロダクトを作りながらお客様の反応が良かった、糸で作るアクセサリーに落ち着いていった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">特許取得の球体状アクセサリー</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_139.jpg" alt="" class="wp-image-53199" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_139.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_139-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_139-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日々の装いに「糸のアクセサリ」という、まったく新しい選択肢を作るために、「糸だけでここまでできるのか」と思わせるようなものを目指した片倉さん。</p>



<p>「糸で作るのに、糸とは思えないものを作りたいと思いました。いい意味で裏切るというか、糸ならではのチープさをなくすために、必要な糸が売っていなければ自分たちで糸から作り、地域の職人さんを巻き込みながら技術開発をしていきました」</p>



<p>何を作りたいのかを先に決めて、必要なものがなければ作るところからチャレンジする。これは既成概念にとらわれず、自由な発想でアクセサリー作りを行う「OOO」が掲げる3つのこだわり「発想・素材・技術」そのものでもある。</p>



<p>糸だけで本物のジュエリーにより近づけるため、緻密なプログラミングと職人の手仕事の融合で完成した「立体刺繍」。この糸だけで球体を作る技術は「OOO」の特許であり、大きな強みとなっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「できない」を「できる」にする技術力</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_127.jpg" alt="" class="wp-image-53200" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_127.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_127-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/231213_NIHONMONO_127-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>チェーン刺繍用のミシンで水に溶ける不織布に刺繍をし、お湯で不織布を洗い流して糸だけを残す「カサモリレース」は、何度も挑戦を繰り返して辿り着いた技術である。図案に合わせてプログラミングしたミシンを、その日の温度や湿度まで考慮して調整できる、職人の経験と感覚があって初めて、オリジナルのものづくりとなる。</p>



<p>片倉さんは「OOO」で、シルクの糸だけで真珠のネックレスのようなアクセサリーを作ろうと思った時、「絶対できない」と何度も言われたという。それでも「できない」をどう作るかを考え続け、「OOO」にしかできない特許製法を生み出した。そこには、刺繍業に転身し技術で利益を高めるために「できない」を「できる」に変えてきた、笠盛の経験がある。</p>



<p>伝統を守るだけでなく、新たな価値を創り出す挑戦こそが未来を拓く。笠原さんの思い描く、地域の職人と共創しワクワクするものづくりを原動力に、これからも笠盛の刺繍は革新を重ね、「OOO」のような魅力あるオリジナルのものづくりを、地域を挙げて発信していく。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53192/">織物の街から世界のファッションを支える、株式会社笠盛の新たな挑戦／群馬県桐生市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>指物＋漆で作る漆工の世界。指物師•吉澤良⼀さんの挑戦／群馬県沼田市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/52735/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 21 Apr 2025 08:05:35 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[藤原盆]]></category>
		<category><![CDATA[指物]]></category>
		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
		<category><![CDATA[漆工]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_803.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>群馬県沼田市で、100年続く指物店の3代目として活躍している吉澤良一さん。指物とは釘や金具を使わずに、木を組み合わせて家具や建具を作る、日本古来の伝統技術のこと。吉澤さんはその指物に漆塗りを組み合わせた“漆工”という世界 [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52735/">指物＋漆で作る漆工の世界。指物師•吉澤良⼀さんの挑戦／群馬県沼田市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_803.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>群馬県沼田市で、100年続く指物店の3代目として活躍している吉澤良一さん。指物とは釘や金具を使わずに、木を組み合わせて家具や建具を作る、日本古来の伝統技術のこと。吉澤さんはその指物に漆塗りを組み合わせた“漆工”という世界で、人とのつながりを大切にした新しいものづくりに挑戦している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">100年続く老舗指物店が挑戦する、新しい作品作り</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_799.jpg" alt="" class="wp-image-52736" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_799.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_799-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_799-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>指物師である吉澤良⼀さんの祖父が、指物を生業とするために、群馬県の北部に位置する沼田市で「吉澤指物店」を約100年前に創業した。2代目である父親の元で指物の技術を学ぶうちに、指物の木目を強調する漆の技術をプラスしようと、18歳で東京･東向島の漆屋で1年間修業。当時は木地（きじ）に生漆（きうるし）を塗って布で拭き取る“拭漆（ふきうるし）”という、指物でよく使われる木目を美しく見せる塗り方で、父親や自分が作った指物に漆を塗っていたという。</p>



<p>お客様から注文をいただき、注文通りに仕上げるというやり方で仕事を行っていた40代前半、2代目である父親が他界する。3代目として店をやっていくにあたり、自分の仕事に対するスタンスを見直そうと思っていた矢先に、東日本大震災が起こる。この震災<s>は</s>で人と人との絆の大切さを目の当たりにした吉澤さんは、今までのお客様との関係を振り返り、これからどんなふうに仕事と向き合い、どんなものづくりをしていきたいのか、自問自答し始めた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">既存の指物という枠にとらわれない、自由な発想</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_960.jpg" alt="" class="wp-image-52737" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_960.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_960-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_960-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「息子が高校3年生の進路面談で、先生から『将来どうしますか？』って聞かれて『指物店を継ぐ』って答えたんです。その一言で、一緒にやってくれるんだと思って。それなら何かいろいろなものを、一緒に楽しみながら残していきたいなって、自分の気持ちが大きく動きました」</p>



<p>お客様との関係を再構築するための仕事を考えていた吉澤さんにとって、子どもの後継ぎ宣言は否が応でも仕事に対する考え方を変えていった。</p>



<p>お得意様の多くが高齢になっていく中で、息子がこの先も良い仕事を続けていけるのか、不安もあったという。息子の未来のために、今まで通りのやり方でお得意様に向けた作品を作る方がいいのか、自分に残された職人人生で自由に作品を作ることが許されるのか。考えた吉澤さんは、自分の未来も息子の未来も一緒に作っていける方法はないかと模索し始める。</p>



<p>そこでたどり着いたのが、関わる人との対話を大切にし、お客様と一緒にアイデアを出し合いながら、一緒に作品を作っていく“過程を重視したものづくり”だった。</p>



<p>伝統的な指物の枠にとらわれず、自由に作品を作るときこそ最も楽しさを感じるという吉澤さん。職人として伝統を守るだけではなく、表現することを楽しむクリエイターへと変化する姿勢が、吉澤指物店の新たな魅力となり、新規の顧客開拓へとつながっていった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">縄文時代からある接着剤、漆の力　Made with Earth</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_796.jpg" alt="" class="wp-image-52738" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_796.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_796-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_796-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>吉澤さんが既存の指物の枠にとらわれず、自由に作品を作るために見直したのが“漆”だ。</p>



<p>「基本的には木に漆を使います。漆にはいろいろなものを有機的につなげるという役目もあり、縄文の頃は接着剤としても使われてきました。そのため思いつくままに、さまざまなものを漆で貼り付けています」</p>



<p>言葉通り、米の籾殻や石の粉、なかには木ではなく、焼き物や鉄に漆を焼き付けたものもある。拭漆だけでなく、漆に顔料を混ぜることでさまざまな色の漆を作る、“色漆”を本格的にスタートさせたのもこの頃だ。</p>



<p>「漆塗りの工芸品は“漆器”と言われることが多いですが、“漆器”というと漆屋さんの仕事になってしまうので、自分では“漆工”と言うようにしています。指物と漆塗り、どちらも同じだけ大切に考えてものづくりをしているので、私の作品は“漆工”と言っています」</p>



<p>指物と漆の出会いは、さまざまな土地のものをつなげて作品となり、その作品を通して人とものがつながっていく。そしてそのつながりは人と人とをつなげ、さらに大きなうねりとなっていく。</p>



<h3 class="wp-block-heading">お客様を絞り、やりたい仕事につなげていく</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_877.jpg" alt="" class="wp-image-52739" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_877.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_877-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_877-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>今、仕事をする上で、“誰と仕事をするか”をすごく絞るようにしているという吉澤さん。そのため国内外の料理人や建築士などと、指物師として提案をしながら一緒に作っていく仕事が増えている。</p>



<p>「これを作ってくださいという依頼先行の仕事ではなく、プロジェクトに参加して、なんかおもしろそうなの作ってくれない？みたいな、そんな仕事が増えています（笑）」</p>



<p>ものを作るにあたってお客様とたくさん会話をし、相⼿の求めているイメージをキャッチして、クリエイティブな発想で形にしていく吉澤さんのものづくりは、ターゲットを絞ったからこそ本当に自分が仕事をしたいと思う人とつながり、ジャンルを超えて広がりを見せている。</p>



<p>「技術や技法を説明するより、なんかおもしろいね、これ誰が作ったの？って言われる仕事の方が自分には合っていて、今そういう仕事ができていることが本当に楽しいです」</p>



<h2 class="wp-block-heading">人との出会いから、クリエイティブな挑戦が始まる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_807.jpg" alt="" class="wp-image-52740" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_807.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_807-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_807-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>吉澤さんがターゲットを絞って仕事をするようになるきっかけとなった料理人との出会いがある。それはイタリアでミシュランの星を2度獲得している「bistrot64」の能田耕太郎シェフが、食材を探しに利根沼田エリアに来るので案内してほしいと友人に頼まれたことから始まった。</p>



<p>もともと酒と料理と人が大好きで、若い頃から蓄積してきた知識もあった吉澤さん。能田シェフとともに2泊3日で農家を回りながら、利根沼田の農産物を案内して回った。案の定、案内している間中、大いに盛り上がり、ついにはみなかみ町のスキー場で、能田シェフが1日限定のダイニングをするという話になる。そのダイニングで吉澤さんの作品が器として使われ、能田シェフにとても気に入ってもらえたという。</p>



<p>その後も、何か新しいものを一緒に作ろうと話が盛り上がり、能田シェフの銀座資生堂「FARO」の総料理長になった折に料理を提供するのに使う漆工の箱のオーダーを受ける。イタリアと日本の文化が重なり、料理、器、空間が作り出すレストランというクリエイティブな世界。その一端を担う器をどうするか、能田シェフと対話を重ねながらアイデアを出し合い、ふたりだから辿り着ける世界観を考えている時間はとても楽しかったという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">やり過ぎないこと、やらな過ぎないこと</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_980.jpg" alt="" class="wp-image-52741" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_980.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_980-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_980-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>能田シェフとの出会いをきっかけに自分のターゲットを狭めたことで、さまざまなジャンルの料理人から相談が来たり、逆に相談に行ったりしながら、料理を彩る器を作る機会が増えている。</p>



<p>「器を製作し使うということは、自分を光らせてはいけないということだと思っています。器には必ず料理があって、料理人のクリエイティブを活かすためには器が出過ぎてはいけない。そこの塩梅が一番大切でとても難しいですね」<br><br>やり過ぎて伝統工芸の技ばかりが目立ち、“ザ･伝統”が前面にくるようなものには、あまりおもしろさを感じない。逆に足らな過ぎても「もう少し、こうしておけば」という後悔が残る。その中間くらいで仕事ができたとき、自分の中では一番しっくりくるという。</p>



<p>「いろいろなジャンルのシェフと仕事をしていて思うのは、私のクライアントのシェフたちは、すごくクリエイティビティが高いことです。洋食のシェフも和食のシェフも自分の様式を理解した上で、何かワクワクするような、新しい自分の表現を求めているんですよね」</p>



<p>ターゲットを狭めつつも本当におもしろい人と出会うために、年に1回、県内外のものづくりの人々を集めて、古い酒蔵で「秋、酒蔵にて」という展示会を開催している。そこでは作品の展示はもちろん、料理人を呼んで日替わりでランチやディナーを作ってもらい、食べることと器を使うことを複合的に見て感じてもらうことで、使い方や使用感を実感してもらっているという。今では星付きとなったシェフたちも変わらず参加してくれています。</p>



<h3 class="wp-block-heading"> 還暦になってやりたいこと</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_902.jpg" alt="" class="wp-image-52742" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_902.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_902-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_902-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>冬場は豪雪地帯として知られる群馬県みなかみ町に、藤原地区というエリアがある。かつてそこで作られていた「藤原盆」という、木製の表面に放射線状の模様をノミで削った盆がある。このエリアにある豊かな木材を冬場の収入につなげようと、江戸時代の中期に始まった工芸品だという。古くは皇室に献上されていた骨董好きな人垂涎の名品も作られていました。</p>



<p>しかし数年前には継承者が亡くなり伝統が途絶えてしまっている。吉澤さんも若かりし日に見たときはその魅力が分からず、古臭い工芸に思えて、だから人気がなくなり衰退してしまったのだと思っていた。しかし40代を過ぎてからは、見る度にかっこいいと思うようになり、還暦を迎えるにあたり復活プロジェクトをスタートさせた。</p>



<p>また、ものづくりをする人は往々にして、一人称を大切にする傾向にあると吉澤さんは感じている。だからこそ二人称三人称で考える機会を作り、他者との関わりからものづくりを捉えて三人称のその先にある、新しいチャレンジについてみんなで考える場を設けている。</p>



<p>「古いものをよく見て、古いものの良さを自分なりにちゃんと解釈していかないと、新しいものはできないのではないかと思っています。今やる人はいないけれど昔あった技法とか、参考になるものがたくさんありますからね」</p>



<p>古いものや伝統的なものも表現方法のひとつとして自分の中に落とし込み、お客様との対話から導き出したイメージに合わせて提案する。自分なりの解釈で表現する“吉澤さんらしさ”には、伝統に裏付けられた確かな技術と現代的なモダンさが、直感的なかっこよさとして同居している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自分を広げてくれる仲間の存在</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_864.jpg" alt="" class="wp-image-52743" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_864.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_864-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/231212_NIHONMONO_864-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>能田シェフとの仕事を皮切りに「食と農」について考え、話す機会が増えたという吉澤さん。新しい出会いがおもしろい人との交流を生み、刺激的なたくさんの人々とつながっていく。そうした人々とプロジェクトを通してたくさん話をすることで、自分の世界を広げてもらっているという。</p>



<p>「歳を取ってくると年下の人と話すときに、年上の役目として、その子の世界をもっと広げてあげるような会話をしたいと思っています。しかし、自分の世界を広げてくれる人がだんだんいなくなっている恐怖があります」</p>



<p>自分の知らない世界をおもしろく語り、視野を広げてくれる人との関わりは、ものを作る人間にとって絶対に必要だという。</p>



<p>伝統的な技術と仲間からの刺激が吉澤さんの中でつながったとき、またひとつ、今までに見たことのないおもしろい作品が生まれるだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52735/">指物＋漆で作る漆工の世界。指物師•吉澤良⼀さんの挑戦／群馬県沼田市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>バーナーワークで作る繊細な器と大胆なデザインが魅力のガラス作家･河野千種さん／群馬県高崎市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 24 Nov 2024 08:34:25 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[ガラス工芸]]></category>
		<category><![CDATA[ガラス工房]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_957.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>群馬県高崎市内の自宅兼工房で、日常使いの器類を作りながらアート作品も製作しているガラス作家の河野千種さん。河野さんはガラス製作ではめずらしい、バーナーワークという手法を用いて創作活動を行っている。薄く繊細なガラスの器と、 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_957.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>群馬県高崎市内の自宅兼工房で、日常使いの器類を作りながらアート作品も製作しているガラス作家の河野千種さん。河野さんはガラス製作ではめずらしい、バーナーワークという手法を用いて創作活動を行っている。薄く繊細なガラスの器と、その表面に描かれるモチーフを点と線で表現する河野さんの作品は、オリジナリティーあふれる作品として注目されている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ガラス作家として独立するまで</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_901.jpg" alt="" class="wp-image-50587" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_901.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_901-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_901-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>群馬県で生まれ育ち、現在は高崎市に工房を構えるガラス作家の河野千種さん。そもそもガラスに興味を持ったきっかけが、「本多孝好さんの短編小説に出てくるガラス作家に憧れて、ガラス作家になりたいと思った」からだという。<br>その後、テレビでガラス製作の特集を見る機会があり、ガラスへの興味が加速していく。<br>家族をはじめ、回りにガラスはおろかアートに携わる人間はおらず、どうしたらガラス作家になれるかわからなかったため、ガラス工芸が学べる美大を目指し、多摩美術大学に入学した。</p>



<h3 class="wp-block-heading">基礎を学び、やりたいことが見えてきた大学時代</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_855.jpg" alt="" class="wp-image-50588" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_855.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_855-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_855-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>在学中は誰かに師事した訳ではなく、いろいろな人に教わりながらガラスを学んでいったという河野さん。ガラス工芸というと息を吹き込んで形成する宙吹きや型吹きなどの吹きガラスや、グラインダーでガラスの表面を切削して文様を表現するカットグラスのイメージがある。しかし河野さんは、酸素バーナーでガラス管を熱して作品を作るバーナーワークという手法に興味を持ち、さまざまな人に教わっては自分で試してやり方を模索していったという。</p>



<p>当時、通っていた大学にバーナーワークを常駐で教える講師がいなかったため、休みの度に大学以外のワークショップなどに通い、そこで学んだことを元に自分なりに試行錯誤して作品を作り続けた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">金沢卯辰山工芸工房で学んだ3年間</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_878.jpg" alt="" class="wp-image-50589" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_878.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_878-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_878-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>2013年、多摩美術大学大学院博士前期課程ガラス工芸領域を修了後、一度は就職するも「もう一度、本腰を入れてガラスを製作したい」と創作活動を再開する。そんなとき、古くから工芸の街として知られる金沢で、優れた伝統工芸の継承発展と文化振興を図るための総合機関である、金沢卯辰山工芸工房の技術研修者に応募し、見事合格した。</p>



<p>「工房での3年間は、創作をしながら展示の機会を与えていただいたり、作品の販売をしたりと、本当に貴重な体験をたくさんさせていただきました」と河野さん。</p>



<p>さまざまな経験を経て視野が広がり、今までの創作活動に工房での経験が加わったことで、作品に対して少しずつ反響が得られるようになっていく。工房での3年間が終わる頃には自分の進みたい方向性も決まり、ガラス作家としての生活がスタートした。</p>



<h2 class="wp-block-heading">バーナーワークの難しさ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_868.jpg" alt="" class="wp-image-50590" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_868.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_868-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_868-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>自分の作風を確立し、イメージを形にできるようになるまでトライ＆エラーを繰り返してきた河野さんは、バーナーワークで器を作るという独自の手法を編み出し、表面に植物を中心としたモチーフをガラスで描き、独自の世界観を作り上げていく。</p>



<p>「デザインが決まったら土台となる器を作るために、筒状の細いガラス管を両手で持てるように自分で加工します」</p>



<p>バーナーワークでの器作りは、150cmのガラス管を使いやすい長さに切り、火で溶かして加工し、材料としてのガラスを自分で下ごしらえするところからスタートする。<br>一般的なガラスの器作りの大半を占める吹きガラスでは、ガラスを溶かす溶解炉や長い吹き竿に息を吹き込んで形成するため、制作にはかなりの広さが必要となり、大きな工房や専用の工場を構えて制作している場合が多い。</p>



<p>しかし、手元のバーナーを使ってガラスを加工する河野さんのスタイルは大きな工房を必要とせず、自宅内の一室ですべてが完結する特殊なスタイルでもある。</p>



<h3 class="wp-block-heading">1日3個が限界の創作活動</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_875.jpg" alt="" class="wp-image-50591" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_875.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_875-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_875-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>河野さんの作品は、ガラスの繊細な薄さと独創的なデザインでガラスの美しさを表現している。この繊細な薄さの秘訣は耐熱ガラスでの製作である。耐熱ガラスは吹きガラスよりも硅砂の割合が多いため、通常の吹きガラスを溶かすのに必要な約1,300℃よりも高い、約2,000℃の高温が必要となる。それでも耐熱ガラスは加工途中で割れるリスクが少ないため、河野さんの作品の特徴である、薄く繊細な器を作るのに適しているという。<br>自分で下ごしらえをしたガラス管に息を吹き込み、最初に描いたラフスケッチ通りに土台となる器を製作していく。<br>土台の器作りから表面のデザインまで、高温のバーナーでガラス管を熱しながら常に回し続ける作業は、目や肩への負担が大きい。</p>



<p>「大きめのグラスですと、1日に3個しかできなかったりします。1つ作るのに２時間かからないくらいなのですが、ものすごく体力を消耗するので、3個くらいにとどめています」</p>



<p>クオリティーを保つためにもしっかりと休息を取り、次の日にやった方が効率よく作業できるという。</p>



<h3 class="wp-block-heading">点と線が作り出すガラスの世界</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_866.jpg" alt="" class="wp-image-50592" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_866.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_866-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_866-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>イメージした器ができたら、表面にガラスの点と線でモチーフを描き、独自の世界観を表現していく。表面に施した独創的なデザインは植物を中心としたモチーフが多く、シリーズ化されているものもある。</p>



<p>「植物が好きですね。昆虫や動物もいいですけど、草や木、花や種など、植物をモチーフにすることが多いです」</p>



<p>器の表面にガラスでモチーフを描くには、土台となる器を温めてから装飾用のガラス棒の先端を溶かし、ガラス棒が点になるように器に乗せていく。すると装飾用のガラスの点が土台の器と馴染む瞬間があるので、そのまま火の中でガラスを切り、ガラスの点と土台の器が融合して整っていくのを確認する。この作業を繰り返し、ある程度ガラスでモチーフを描けたところで全体をバーナーで温めて息を吹き込み、境目をなじませてから再び絵を描いていく。</p>



<p>ガラスの線も同様に、バーナーで溶かしたガラス棒を温めた器に置き、そのまま塗るようにガラス棒を引っ張りながら器に乗せ、息を吹き込んで境目をなじませていく。</p>



<p>ラフスケッチ通りに器を作り、表面のデザインまで終わったら、火の中で口側のガラス管が自然とちぎれるまで引っ張って落とし、口を広げて整えて仕上げていく。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日常使いの器とアート作品</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_851.jpg" alt="" class="wp-image-50593" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_851.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_851-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_851-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>ガラス作家の中には、実用的な器を作る人とアート作品を作る人がいる。どちらか一方に特化する人が多い中で、河野さんは両方の作品を作り続けている。</p>



<p>「どちらかを追求する方もいますが、私は両方をやっていた方が自分の中でバランスが取れるんです。アート作品を作ることで器の方にも良い影響がありますし、日常使いの器を作ることでアート作品にも良い影響があるので、あまり区別することなく作品を作っています」</p>



<p>ギャラリーや百貨店の展示販売会などからも、器類とアート作品の両方を出展して欲しいとリクエストがくることもあるという。</p>



<p>「世界観をアートで見せなければいけない、という縛りがない」という河野さん。ガラスに対する柔軟な姿勢が、彼女の作品の魅力にもつながっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">器の使い方、捉え方は自由</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_890_edited.jpg" alt="" class="wp-image-50594" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_890_edited.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_890_edited-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_890_edited-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>河野さんの作品のひとつに、飲み口をガラスの点で仕上げた器がある。最初はちょっとした出来心で、口が真っ直ぐでなかったのを整えるために、ガラスを足したり減らしたりできる“点”で、真っ直ぐに見えるようにしたいというところから始まったという。</p>



<p>「意外とみなさん、この点々の口当たりが良くて癖になると言ってくださいます（笑）」</p>



<p>重厚感のあるヨーロッパのアンティークゴブレットのような河野さんのデザインにマッチした飲み口の処理と、薄く繊細な器のギャップに驚かされる人も多い。さらに耐熱ガラスのため、熱い飲み物にも使用できるという使い勝手の良さも、日常使いの器として重宝されている。</p>



<p>最近、マレーシアで寿司屋を営んでいる方が、河野さんのステムグラスに醤油を入れて、握った寿司にハケで醤油を塗って出しているのをSNSで見たという。</p>



<p>「この小さな工房で生まれたものがマレーシアまで行って役目を果たしていると思うと、自分の作ったものが旅しているような感じがしておもしろいです」</p>



<p>自分の作品が海を渡り、購入した人がそれぞれの使い方で日常を彩る。それも河野さんが望む、作品の在り方のひとつである。</p>



<h3 class="wp-block-heading">建築空間にアート作品を置きたい</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_859-1024x683.jpg" alt="" class="wp-image-50595" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_859-1024x683.jpg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_859-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_859-768x512.jpg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_859-1536x1024.jpg 1536w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/11/231211_NIHONMONO_859-2048x1365.jpg 2048w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>サンドブラストや金彩、パール彩やプラチナ彩を施してアート作品を制作している河野さん。将来的にはマンションやホテルのエントランスなど、建築空間の一部にアート作品を置かせてもらう機会を増やしたいという。<br>「アート作品を個人のコレクターの方々に買っていただくのもすごくうれしいしいのですが、公共のスペースでたくさんの方に見ていただける機会が増えたらいいなって思います」<br>現在、携わっている建築空間では、小さな作品の集まりを作り、その組み合わせでサイズの大きさや疎密を考え、バランスを見ながら設置している。<br>こういう作品を作りたいという気持ちや、作品を手にした方がこういう気持ちだったらいいなという希望が、最近徐々に増しているという河野さん。</p>



<p>「最初はガラス製作だけで生活できるようになりたいというのが目標でした。そこから少しずつ生活が安定し、できることが増えるたびに目標が増えている感じです」<br>今、若手ガラス作家として、ギャラリーや百貨店の展示販売会などで注目を集めている河野さん。創作活動をする上で、日常使いの器類とアート作品をバランス良く作り続けていきたいという。そして自分の作った作品を受け取った人が、自由な発想でその人の日常を彩り、豊かな気持ちになるような作品を作っていきたいと豊富を語る。</p>



<p>「今後は公共のスペースでも自分の作品を見ていただけるよう、自分の世界観を大切にしながら新しい作品にも挑戦していきたいです」<br>バーナーワークという独自の技法で、薄く繊細な器にデコラティブな装飾を施した河野さんの作品は、独特の世界観を放ちながら、より個性を際立たせている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/50586/">バーナーワークで作る繊細な器と大胆なデザインが魅力のガラス作家･河野千種さん／群馬県高崎市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>コンクール連続金賞のブランド米から始まった「株式会社雪ほたか」の米作り改革／群馬県利根郡川場村</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 07 Oct 2024 08:50:26 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[金賞]]></category>
		<category><![CDATA[群馬県]]></category>
		<category><![CDATA[ブランド米]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_342_edited.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>群馬県北部に位置する川場村（かわばむら）は、武尊山(ほたかやま)から流れる薄根川(うすねがわ)など四本の一級河川が村を形成する、人口3,000人ほどの農山村だ。米所のイメージのない群馬県で、川場村のコシヒカリ「雪ほたか」 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_342_edited.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>群馬県北部に位置する川場村（かわばむら）は、武尊山(ほたかやま)から流れる薄根川(うすねがわ)など四本の一級河川が村を形成する、人口3,000人ほどの農山村だ。米所のイメージのない群馬県で、川場村のコシヒカリ「雪ほたか」と新品種「ゆうだい21」は、国内最大級の米のコンクール「米･食味分析鑑定コンクール」で金賞を連続受賞するなど、その品質の高さが注目されている。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>米作りに最適な環境で育った“幻の米”</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_335.jpg" alt="" class="wp-image-49916" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_335.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_335-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_335-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>武尊山の南麓に位置し田園風景が広がる川場村は、昔から稲作が盛んな土地柄で村民の多くが農業に携わっている。村のシンボルでもある武尊山の冷たい雪解け水と、標高500mの寒暖差など、おいしい米作りに適した条件がそろう川場村の米は、長い間、地元でのみ流通し消費されてきた。</p>



<p>そのため村の人々は、いつも食べている米がどのくらいおいしいか意識したこともなく、このまま自分たちが食べる分だけを作り続けていければいいと思っていたという。</p>



<p>しかし平成の大合併で周辺の市町村と合併することなく自主自立の道を選んだ川場村は、村の主要産業である農業も自立しなければ、村が衰退してしまうのではないかという危機感を抱き始める。</p>



<p>そこで自分たちがおいしいと思って食べている川場村の米をブランド化し、たくさんの人に届けることで農業を自立させていこうと、村を上げての挑戦が始まった。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>数々のコンクールで金賞を連続受賞した「雪ほたか」と「ゆうだい21」</strong></h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_278.jpg" alt="" class="wp-image-49917" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_278.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_278-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_278-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>地元でのみ流通していた川場村のコシヒカリをブランド化して、たくさんの人に届ける。そのために村の人々が行ったのが、もともと生産していた米を武尊山の雪解け水で育てたことから「雪ほたか」と命名してブランド化し、同時に雪ほたかの生産組合を立ち上げることだった。</p>



<p>「私たちがおいしいと思っている『雪ほたか』は、村外からどのように評価されるのか試してみようということになり、2006年に初めて「お米日本一コンテスト」に出品しました。そうしたら、いきなり３位入賞という、すごくいい成績が取れた。これは自分たちだけではなく、他者からも評価されるお米なのだと、すごく自信になりました」と、株式会社雪ほたかで米を作る小林仁志さんは振り返る。</p>



<p>2007年からは国内最大級の米のコンクール「米･食味分析鑑定コンクール」に出品し、毎年高評価が得られたことでさらに自信をつけ、生産組合は法人登記を変更し、株式会社雪ほたかとなる。現在では米の販売、集荷、袋詰めなどを行い、川場村のブランド米が会社を通して品質管理できるよう体制を整えている。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>地域の特性を活かした、基本に忠実な米作り</strong></h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_330.jpg" alt="" class="wp-image-49918" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_330.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_330-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_330-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>総出品数5,000検体以上の「米･食味分析鑑定コンクール」のなかでもメインとなる国際総合部門は、毎年18名前後の金賞受賞者を輩出している。初出品から17年間で12人の金賞受賞者と19回の金賞受賞という実績からも、この土地がいかに米作りに適しているのかがわかる。土地の持つ環境の良さを活かすために、基本に忠実な米づくりを行なうのと並行して、毎年少しだけチャレンジングな試みをすることで、常により良い米作りを目指しているという。<br>宇都宮大学が開発したコシヒカリの突然変異の新品種「ゆうだい21」へのチャレンジもそのひとつだ。</p>



<p>「2020年は10月に入ってから高温の日が続いたこともあり、8年連続で金賞を受賞していた米･食味分析鑑定コンクールで、5年ぶりに『雪ほたか』が金賞を逃したことがありました。それと同時に、収穫後にお米が割れたり砕けたりする“胴割れ”を起こすお米が多かった。そうしたことから、将来的に川場村もコシヒカリを作ることが厳しくなるかもしれない、という危機感を持ちました」</p>



<p>昨今の異常気象を鑑みて、小林さんをはじめとした米の生産者は、なんとかしなければと思い、試験的に、雪ほたか･川場村･金翔会（金賞受賞者の会）の三者共同のプロジェクトとして、現在メインで作っているコシヒカリより収穫時期が遅く、胴割れに強い「ゆうだい21」を作ってみた。すると、1年目で米･食味分析鑑定コンクールで金賞受賞という成績を残すことができたのだ。最近では川場村の米として「ゆうだい21」が同コンクールで金賞を連続受賞している。</p>



<p>このチャレンジがなければ、地域の気象や環境と相性の良い新品種を見つけることができず、川場村の米が築いてきた米･食味分析鑑定コンクールでの連続金賞受賞も途絶えたままだったかもしれない。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>無名だった群馬の米が世界で認められるまで</strong></h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_298.jpg" alt="" class="wp-image-49919" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_298.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_298-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_298-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>東洋ライス株式会社が企画し、世界一高級な米としてギネス世界記録に認定されている「世界最高米」。その原料米として選ばれるわずか6名の生産者に選考されるなど、数々のコンクールでの華々しい受賞歴とともに名前が知られるようになった「雪ほたか」。そして現在、「ゆうだい21」も新しい川場村の米として注目されている。<br>「約20年前に『雪ほたか』というブランドを作ったときは、群馬の米なんて誰も知らなかった。米所のイメージがなかった分、賞を獲ることでいろいろな人に知ってもらえたのは、すごくありがたかったです」<br>小林さんの米作りへの意識を変えるきっかけとなったのも、川場村で開催された米･食味分析鑑定コンクールだったという。</p>



<p>「そのときのコンクールで川場村の先輩が3人、金賞を取りました。いつも顔を合わせている人が日本で最高峰の米作りを行っていると評価されているのを見て、俺にもできるんじゃないかって。そういうお米を作りたいって思いました」<br>コンクールで評価を受けることがひとつの目標となり、村の生産者全体の品質や意識の向上につながっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>米の品質管理のために、村が作った“川場村ライスセンター”</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_460.jpg" alt="" class="wp-image-49920" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_460.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_460-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_460-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>おいしい米作りにおいて大切なのは、土地の環境が7割、生産管理が2割、残り1割が収穫後のシステムだという。どんなに良い米が採れても、その後の管理次第で品質が悪くなることがある。<br>川場村はいわゆる大規模農家が少なく、小さな農家が寄り添って米作りを行っているため、個人で高額な設備投資をすることは難しい。そこで村が大規模設備投資をして、共同で使える“川場村ライスセンター”を作った。これも産地として生き残るための、ひとつのチャレンジだ。</p>



<p>「川場村は山間地域のため、一つひとつの田んぼが小さく、収穫量も多くありません。そうした不利な条件を“質”でカバーするために、生産者一人ひとりが品質と値段と収穫量のバランスを調整しながら、米作りに集中できる仕組み作りをしています」と、川場村ライスセンターを指定管理で運営している、株式会社雪ほたか専務取締役の星野孝之さんは話す。</p>



<p>米の等級やスコアによって買い取りの価格が大きく変わるため、ライスセンターでは生産者ごとに乾燥、調製し、それぞれの米の情報をフィードバックして、個々の改善や創意工夫を促している。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>官民連携で米作りを進める「株式会社雪ほたか」</strong></h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_444.jpg" alt="" class="wp-image-49921" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_444.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_444-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_444-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川場村の米生産者は、ライスセンターに持ってくれば必ず買い取ってもらえるというハード面と、コンクールでの受賞実績による「おいしい米を作りたい」というモチベーションアップというソフト面から、安心して米作りに集中できる環境が整っている。生産者自身が農業によって自立し、収穫量が少ないという弱みを高品質な米を作ることで解消している。<br>川場村ライスセンターで買い取った米の売り先や価格、販路の開拓についても株式会社雪ほたかが行っている。</p>



<p>「さまざまなコンクールでの高評価が全国に広まり、ブランド米として『雪ほたか』の価値は高まっています。今、市場の1.5倍くらいの価格で生産者から買い取っていて、そこから流通に乗せていくので、店頭に並ぶときには一般のお米の２倍くらいの値段になります」と星野さん。<br>この高品質･高付加価値で、高単価を維持するために、年に６回ほど栽培講習会を行い、生産者の意思統一と栽培技術の統一化を目指している。</p>



<p>株式会社雪ほたかは川場村のブランド米「雪ほたか」を作る人が正当な利益を得られるように、自社で品質を管理し価格設定まで行っている。官･民が協力して地域で独自の仕組みを作り、村の農業が自立できるようシステム化した、ひとつの成功例だと言える。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>川場村のスローガン“農業＋観光”の実現</strong></h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_475.jpg" alt="" class="wp-image-49922" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_475.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_475-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2024/10/batch_231212_NIHONMONO_475-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>川場村が50年前に掲げた村作りのスローガンは、“農業＋観光”だ。</p>



<p>現在、“観光”の部分では全国の道の駅の中でもトップクラスに位置付けられる、道の駅 川場田園プラザが人気の観光スポットとして、年間約250万人の来場者を集めている。<br>“農業”の部分では「雪ほたか」でコンクールに挑み、品質や知名度を高めて強いブランド力を築いた。そして高品質、高付加価値で高単価を実現し、田んぼが小さく収穫量が少ないという山間部の問題を解決した。</p>



<p>そこには自分たちで生産組合を立ち上げた後、株式会社として運営し、ブランド米を販売も含めて管理するという、農業の自立がある。川場村の米が高品質で強いブランド力を維持し続ける限り、この村に広がる田園風景は村の人々がしっかりと守っていく。そして美しい田園風景に癒やされたい人々が訪れることで、道の駅 川場田園プラザにもさらに多くの人が集まるという好循環が生まれている。</p>



<p>農業も観光も、この土地がもともと持っていた魅力や環境を最大限に活かした結果であり、そのことがこれからも村の人々の誇りと自信になっていくだろう。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/49915/">コンクール連続金賞のブランド米から始まった「株式会社雪ほたか」の米作り改革／群馬県利根郡川場村</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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