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	<title>福岡県 - NIHONMONO</title>
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	<description>「にほん」の「ほんもの」を巡る旅マガジン</description>
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	<title>福岡県 - NIHONMONO</title>
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		<title>繊細な色をたて縞で表現する小倉織。「遊生染織工房」築城則子さん／福岡県北九州市</title>
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		<pubDate>Mon, 02 Feb 2026 11:53:35 +0000</pubDate>
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		<category><![CDATA[伝統工芸]]></category>
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		<category><![CDATA[小倉織]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_406.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福岡県の北部、北九州市八幡東区にある「遊生（ゆう）染織工房」は、北九州が誇る伝統工芸・小倉織の工房。主催の築城（ついき）則子さんが、草木で糸を染め、手織りしながら、色彩豊かな小倉織を生み出し続けている。国内外の人々を魅了 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_406.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福岡県の北部、北九州市八幡東区にある「遊生（ゆう）染織工房」は、北九州が誇る伝統工芸・小倉織の工房。主催の築城（ついき）則子さんが、草木で糸を染め、手織りしながら、色彩豊かな小倉織を生み出し続けている。国内外の人々を魅了する、その創作の源とは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">地厚で丈夫。美しいたて縞で魅せる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_416.jpg" alt="" class="wp-image-53997" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_416.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_416-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_416-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>小倉織は経糸（たていと）と緯糸（よこいと）を1本ずつ交差させていくシンプルな織物。しかし、経糸を多く使い緯糸の約3倍の密度があるのが特長だ。そのため緯糸が見えにくく、たて縞が鮮明にあらわれ、見る人を惹きつける美しさを放つ。糸の色の濃淡で立体感を生み出した、なめらかな風合いの唯一無二の織物だ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">江戸時代には袴や帯。明治時代には学生服として流通</h2>



<p>江戸時代に豊前小倉藩（現在の北九州市）で生まれた小倉織。この地が木綿の産地であったことから、武家の女性たちが木綿糸で織物を織るようになる。生地に厚みがあり丈夫だったため、次第に武士の袴や帯として織られ各地に広がっていった。徳川家康が鷹狩りで羽織として身につけたことでも知られ、「槍をも通さぬ小倉織」と称えられて重宝された。</p>



<p>明治時代には、黒と白の糸を撚ったグレーの生地「霜降小倉（しもふりこくら）」が、男子学生の夏の制服として全国に広まった。しかし、機械織で安価なコピー商品が各地でつくられるようになり、その波にのまれて小倉での生産は下火に。また小倉は製鉄所で栄える“鉄の町”となり、昭和初期には小倉織の最後の工場が閉鎖となり途絶えてしまう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">骨董店で小倉織の端切れとの運命的な出合い</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_410.jpg" alt="" class="wp-image-53998" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_410.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_410-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_410-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>北九州市八幡東区の静かな里山にある「遊生染織工房」。主宰である染織家の築城則子さんは、小倉織を復活させたその人だ。北九州市で生まれ育ち、文学が好きだった築城さんは大学で能や浄瑠璃などの古典芸能を学ぶなかで能装束の美しさに夢中になる。</p>



<p>京都で西陣織の織元を訪ねた際に、職人技の素晴らしさに感動しつつも自分が表現したいのは文様ではなく“色”なのだと気づいた築城さん。思い切って大学を中退し、染織の世界に身を投じた。北九州市内の織物研究所で糸染めや織りの基礎を身に付けた後、沖縄・久米島に渡り、琉球王国時代から受け継がれる久米島紬（くめじまつむぎ）の工房でおばあ達を手伝いながら紬織を学んだ。久米島は、紬が久米島を起点に全国へ広がったとされる「紬の発祥地」。久米島紬は国の重要無形文化財にも指定されており、染織技術を学ぶには欠かせない場所だった。しかし、なかなかこれだと思う作品はつくれなかった。</p>



<p>ある日、衝撃的な出合いが築城さんに訪れる。たまたま訪れた骨董店で、小倉織の端切れを見つけたのだ。10センチほどの小さな端切れは、織物なのにたて縞しか見えない。驚く築城さんに「江戸時代の小倉織ですよ」と店主は言うが、築城さんにとって小倉織はグレーの学生服というイメージしかなかった。たて縞の美しいグラデーション、厚みがありつつも絹のような質感は、150年ほど前のものと思えないほど新鮮なものとして築城さんの目に映った。「生まれ育った地に、自分の目指す織物があったなんて！とても幸せな出合いでした」と築城さんは目を細める。</p>



<h3 class="wp-block-heading">小倉織を復活、そして再生する </h3>



<p>当時、周囲に江戸時代の小倉織を知る人はおらず、築城さんは工業試験場で端切れを組織分解して調べてもらう。そこで、織物は経糸と緯糸が１対１の割合になるのが一般的だが、小倉織は2対1になり経糸が多いことがわかった。早速、その割合にして織ってみるが、古い端切れのようななめらかさが出ない。さらに調べると、なめらかな風合いは使い続けた経年変化であることがわかった。</p>



<p>築城さんは、経年変化ではなくはじめからなめらかな質感の生地をつくりたいと、糸を細くして本数を増やし、密度を上げることで、木綿の生地でありながら絹のような艶っぽさを完成させる。歴史ある小倉織を築城さんがさらに進化させた「再生」といえるだろう。こうして1984年に小倉織は復活。築城さんは、先人たちに敬意を込めて小倉織として作品を発表しはじめる。一目で「小倉織だ」とわかる色彩豊かな縞模様があるからこそ、多くの人に受け入れられたという。そして、最初の作品は日本伝統工芸展に入選。</p>



<p>しかし、復元に成功したと言っても、納得のゆく小倉縞の意匠を体得するのに3年かかったという。伝統的な配色にとらわれずにもっと自由に色を使いたいという思いから織った薄紅色の帯「梅の頃」は1991年に西部伝統工芸展で朝日新聞社賞を受賞。現在までに600点を越える作品を生み出し、今では北九州は小倉織の産地として認知され、新しい作り手が数人誕生している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">草木の力をかりて、透明感のある色を表現 </h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_467.jpg" alt="" class="wp-image-53999" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_467.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_467-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_467-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>工房周辺の草木など、自然のもので木綿糸を染める築城さん。「草木で染めるのはとても面白いんです。例えばローズマリーだと、花が咲く前は黄みがかった色に染まり、花が咲くとオリーブ味が強く染まる。同じ植物でも、時期によって色が変わるんですよ」。</p>



<p>草木染めは化学染料での染色と違って、すぐに染まらず時間がかかるため、濃淡をつくるのにとても適している。追っかけで糸を追加して薄い色にしたり、思いつきやその時の気分を反映しやすくて、人間のリズムにとてもあうのだという。「何より、自然由来のやわらかな色は透明感があります」と築城さんは話す。</p>



<h3 class="wp-block-heading">織る前に何千本もの経糸を準備</h3>



<p>小倉織はたて縞が浮かび上がるという特性上、チェック柄もよこ縞もできない制約が多い織物だ。「でもそれは、小倉織の特色がぶれにくいということでもあります。小倉織は経糸の色だけが見えるので、糸の色がそのまま反映できるのがいいところですね。だからどれだけ“絵の具”を持っているかが勝負になるので、糸は常に染め続けています」。</p>



<p>その糸をデザインに合わせて事前に準備する「整経」も大事な工程だ。経糸を整経機に並べて回転させながら、必要な色を組み合わせ、長さ、張りなどを考慮しながら巻き取っていく。一つの帯を織るのに約2,300本もの経糸を準備するなど、気の遠くなるような作業を重ねる。だからこそ、繊細な色が生み出されるのだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">北九州の風土と気質にあった織物</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_485.jpg" alt="" class="wp-image-54000" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_485.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_485-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/02/yuusensyoku_485-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>築城さんが織り機で小倉織を織る時、「トントン」という軽やかな音ではなく、「ガンガン！」と大きな音が鳴り響く。繊細な美しさの織物からは、ちょっと想像できないような激しい音だ。「糸の密度を高めるために強い力を入れて織っていきます。やさしく織ると生地がふわふわになって締まりがないし、気を抜くと織りのムラが目立ってくるので、織り始めるととにかくもくもくと集中して進めます」。</p>



<p>「とてもかたくなな織物です」と築城さんは笑みをこぼす。「この地は、一度途絶えたとはいえ、こんなに織りにくい織物を愚直に400年も織ってきました。融通がきかなくて不器用な、北九州らしい織物ですね」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">現代的で洗練された織物が、世界を魅了</h3>



<p>手織りは生産量が少ないため、もっとたくさんの人に小倉織に親しんで欲しいと、2007年から築城さんが監修する機械織りのブランド「小倉 縞縞（こくら しましま）」も展開。手織りではできない幅広の生地をつくれるようになり、家具やインテリア、アートなど大きな作品づくりが可能になった。建築家・隈研吾氏やファッションブランド「ANREALAGE（アンリアレイジ）」の森永邦彦氏など、世界的なクリエイターとのコラボレーションは常に高感度な人々の注目の的だ。</p>



<p>しかし、築城さんの主軸はあくまでも工房での手織り。「どんなに色が重なっても、色同士が尊重しあう、協奏曲を奏でるような世界を目指しています」と語る築城さん。これまで小倉織で抽象的な世界を表現してきたが、ここ２、3年は、その中に具象性を取り入れることに挑戦している。例えばたて縞のなかに、ひとすじ斜めに雨が降るような……。「無機的なたて縞と有機的な自然界のものは相入れないように思えますが、それをたて縞の世界に持ち込みたいと思っています。まだまだ試作を重ねている段階ですが、いつかは完成させたいですね」。</p>



<p>築城さんは小倉織を復元・再生し、さらに新しい表現を模索。のびやかな感性で織り上げる築城さんの緻密で洗練された小倉織が、これからどんな新たなる美しさを見せてくれるのか、世界が待ち望んでいる。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53991/">繊細な色をたて縞で表現する小倉織。「遊生染織工房」築城則子さん／福岡県北九州市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>古き良き伝統と現代の美意識を融合させた桐箱づくりを目指す「増田桐箱店」／福岡県古賀市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 08 Jan 2026 07:57:17 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[桐箱]]></category>
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		<category><![CDATA[桐製 米びつ]]></category>
		<category><![CDATA[JIDA DESIGN MUSEUM SELECTION]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/masudakiri_381.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福岡県の県庁所在地･福岡市に隣接し、東に緑豊かな山々、西は玄界灘に面し、白砂青松の美しい海岸線が広がる古賀（こが）市。この地にある「増田桐箱店」は、創業以来、国内外から厚い信頼を得てきた桐箱の専門メーカーだ。人間国宝の作 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/masudakiri_381.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福岡県の県庁所在地･福岡市に隣接し、東に緑豊かな山々、西は玄界灘に面し、白砂青松の美しい海岸線が広がる古賀（こが）市。この地にある「増田桐箱店」は、創業以来、国内外から厚い信頼を得てきた桐箱の専門メーカーだ。人間国宝の作品を保管するための特別な桐箱から、日常的に使える桐箱まで幅広い製品を製造している。その魅力や製作へのこだわりとは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">創業以来受け継がれる桐箱づくりの確かな技</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/masudakiri_380.jpg" alt="" class="wp-image-53806" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/masudakiri_380.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/masudakiri_380-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/masudakiri_380-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>創業は1929年。もともと広島の桐箱店で腕を磨いていた藤井さんの曽祖父が、博多人形や博多織など伝統工芸品の箱を作るために本家から分かれて福岡に店を開いたことに始まる。その後、２代目の祖父、そして３代目の藤井さんへと受け継がれ、地元・福岡に根差しながら、年間生産数約120万個を誇り、日本中の工芸品やギフトを収める桐箱を製作する国内最大級の会社に成長した。</p>



<h3 class="wp-block-heading">桐箱の特性と環境への配慮</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/masudakiri_384.jpg" alt="" class="wp-image-53807" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/masudakiri_384.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/masudakiri_384-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/masudakiri_384-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>桐箱は古くから衣類、書物、宝飾品、茶道具、仏具、食品など、大切なものを保管するために用いられてきた。桐は調湿性、防虫性、耐火性に優れ、木材の中でも軽くて頑丈な特性があるため、持ち運びしやすく、変形することなく中に納められた品物をしっかりと保護してくれる。また、機能面だけでなく木目の繊細さや高級感を感じさせる上品な風合いも長年好まれてきた理由のひとつだ。さらに、杉が成長するのに50年かかる一方で、桐はその半分の25年と非常に成長が早く、丁寧に手入れをすれば何世代にも渡って使用できることから、環境に優しい素材としても注目されている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">用途の変化と桐箱の新たなニーズ</h3>



<p>最近では、ライフスタイルの変化により、桐箱の用途にも変化が見られるようになった。着物や伝統工芸品を入れる桐箱の需要は減少傾向にあるが、一方で日本酒やチョコレート、お茶、牛肉など、贈答品のボックスとしてのニーズが高まり、桐箱はより身近な存在になってきた。</p>



<p>こうした広がる需要に応えるため、「増田桐箱店」では、工芸品に合わせて一つひとつ仕立てる職人の工房と、大量生産を担う工場という従来の二つの組織を統合。ベテラン職人の技を生かしながら、個別対応から多ロット生産まで幅広く対応できる体制を整えた。</p>



<p>桐箱には様々なランクがあり、人間国宝の作品や博物館収蔵品のために作られる一点物の高級箱から、食品や贈答品のパッケージとして使われる手頃な箱まで、材質や仕様によってグレードはさまざま。こうした幅広いニーズに応えられる体制を整えた結果、ギフト用途や海外輸出も増え、生産量は15年前の2倍以上へと伸長している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">受け身から攻めの仕事へ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/masudakiri_377.jpg" alt="" class="wp-image-53808" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/masudakiri_377.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/masudakiri_377-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/masudakiri_377-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>祖父から家業を継ぎ25歳で代表に就任した藤井さん。若い自分だからできること、やるべきことを考え、「もっと桐箱のよさを若い世代に知ってもらう」、「社員の士気を高めるために受注を増やす」、「事業規模を拡大し桐箱の認知度を向上させる」という目標を掲げた。藤井さんは、常に箱は脇役で主役は中身、形も数量もすべてが中身ありきという受け身の姿勢にも疑問を抱き、このままではいけないと一念発起。桐の特長を活かしたオリジナル商品の開発に着手した。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ヒット商品「桐製 米びつ」の誕生</h3>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="683" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/image-12-1024x683.jpeg" alt="" class="wp-image-53801" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/image-12-1024x683.jpeg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/image-12-300x200.jpeg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/image-12-768x512.jpeg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/image-12.jpeg 1207w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>「桐箱をもっと身近に」をテーマに、桐箱の効果を知ってもらうこと、自社で蓄積してきた箱づくりの技術を活かすこと、なによりも欲しいと思える商品を作ること、この３つを目標に新商品の企画がスタートした。</p>



<p>まず、調湿効果と防虫効果、そして軽いという桐材の機能性から思い浮かんだのが「米びつ」だった。日々の食卓でごはんのおいしさ（＝米の品質が変わらないこと）を実感してもらい、桐箱のすばらしさを伝えようと考えた。</p>



<p>次に、現代のキッチンに違和感なく馴染むシンプルで飽きのこないデザインを目指し、何度もプロダクトデザイナーとやりとりをし、デザインの美しさはもちろん、工場で作りやすい形かどうかも職人を交えて検討を重ねる。</p>



<p>最後に一番の悩みどころとなったのが“価格帯”。自分用、贈り物、輸出用など、様々な角度から適正価格を考えた。</p>



<p>こうして主役となる自社商品「桐製 米びつ」が誕生した。2017年、その品質と造形性が高く評価され、優れたデザインを後世に残すことを目的とした「JIDA DESIGN MUSEUM SELECTION」（公益社団法人日本インダストリアルデザイナー協会）Vol.18にも選定。これまでに累計40,000個以上を売り上げるロングセラー商品へと成長している。</p>



<p>購入者からは、米の保存状態が非常によく、米が常に新鮮！　軽くて使いやすい、シンプルなデザインでしゃれているといった声が寄せられている。実際に使った人が家族や友人への贈り物にするケースも多く、桐製 米びつのよさは口コミで徐々に広がっていった。</p>



<p>米びつをきっかけに、桐箱そのものに興味を持つ人や、海外からも問い合わせも増えた。予想以上に米びつが桐箱の魅力を伝える“営業マン”となった。</p>



<p>また、社内でもこれまで目にすることのなかった自作の商品をデパートや感度の高いインテリアショップなどで見られるようになり、もっといい加工ができないか？もっと効率よく作れないか？と、社員が積極的に商品開発に参加するようになった。その後発売した野菜やパンの保存箱や家の形をした本立て「本の家」なども好評を得て、着々とオリジナル商品を増やしている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">パッケージコーディネーターとしてのこれから</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/masudakiri_416.jpg" alt="" class="wp-image-53809" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/masudakiri_416.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/masudakiri_416-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2026/01/masudakiri_416-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>自社商品をつくったことで知名度が上がった「増田桐箱店」。今後は、質の高いものを提供する創業当初からの信念を守りつつ、箱の大きさやデザイン、ロゴの入れ方だけでなく、緩衝材、紐、発送方法や販売システム、宣伝方法などのソフト面も含めた広範な提案を目指している。「イメージ的にはメーカーというよりテイラー。工場のデータをもとに、今どんな商品をどういうパッケージにしたら売れるのか、海外向けにはこうしたらいいというような、顧客にフィットするコンサル的な役割も果たしていきたい」と藤井さん。単なる収納のための道具ではなく、日本の伝統文化と現代のライフスタイルを結びつける存在として、桐箱の新たな可能性を追求している。<br>大切なものを安全に美しく保管するという発想から生まれた桐箱。時代を超えて人々の生活にぴったりとフィットし、暮らしに彩りを添えてくれる自然からの贈り物だ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53799/">古き良き伝統と現代の美意識を融合させた桐箱づくりを目指す「増田桐箱店」／福岡県古賀市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>伝統に新しい解釈を加えた博多人形に世界が注目。人形師・中村弘峰さん／福岡県福岡市</title>
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		<pubDate>Mon, 27 Oct 2025 07:41:47 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[博多人形]]></category>
		<category><![CDATA[2017金沢・世界工芸コンペティション]]></category>
		<category><![CDATA[追憶の呉爾羅]]></category>
		<category><![CDATA[刻の獅子]]></category>
		<category><![CDATA[傀藝堂]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA015-7514.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福岡県福岡市で約400年にわたり作られてきた博多人形。実は博多で作られる粘土製の人形の総称を博多人形と呼び、一口に博多人形と言っても様々なスタイルが存在する。若手の博多人形師、「中村人形」４代目の中村弘峰さんは、そんな博 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA015-7514.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福岡県福岡市で約400年にわたり作られてきた博多人形。実は博多で作られる粘土製の人形の総称を博多人形と呼び、一口に博多人形と言っても様々なスタイルが存在する。若手の博多人形師、「中村人形」４代目の中村弘峰さんは、そんな博多人形界でも特にオリジナリティのある作品を生み、熱い視線を注がれているひとりだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">大正時代より4代続く中村人形</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA030-7724.jpg" alt="" class="wp-image-53444" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA030-7724.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA030-7724-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA030-7724-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>中村人形の始まりは大正時代だ。初代・中村筑阿弥（ちくあみ）氏は、現代でいう投資家、米相場師の裕福な家に生まれた。少年時代には大工や水泳選手に憧れるも、大事な跡継ぎゆえ「危ない」と反対され、ようやく許されたのが人形師になることだったという。13歳で博多人形の名門・中ノ子家（なかのこけ）に丁稚奉公に入り、その9年後、1917年に独立。以降、２代目衍涯（えんがい）氏、３代目信喬（しんきょう）氏、そして４代目弘峰（ひろみね）さんと、父から子へバトンが渡された。</p>



<h3 class="wp-block-heading">人形が持つ魅力、役割とは</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA034-7799.jpg" alt="" class="wp-image-53445" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA034-7799.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA034-7799-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA034-7799-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>博多人形を代々手がけてきた中村家では、人形の役割を独自に見つめ続けてきた。焼き物や織物など、日常の中で用いられる工芸品とは異なり、人形には「使う」ための機能がない。それでもなお、人の心に訴え、文化や時代を映す存在として受け継がれてきた点に、その価値があるといえる。</p>



<p>実は、弘峰さんもこのことについて、幼い頃から関心を抱いていた。しかし人形師として人形と向き合い、３代目とも対話を重ねる中で、「人形にも機能がある」ことに気づいたという。それは「祈る」こと。例えばお雛様や五月人形は、子どもの健やかな成長を祈って作られてきた。またちょこんと置かれた人形が、静かに心を慰めてくれることもある。中村さんはそこに「用の美」があり、だからこそ人形は伝統工芸のひとつとされているのだと理解したのだ。人形とは、人の祈りが形になったもの。そして人形師とは、人の祈りを形にする仕事。<br>中村家の人形づくりは、伝統を受け継ぎながらも自由な発想で生み出される。それは、時代が変わっても、人形が果たす「祈り」の役割は変わらないという信念からだ。人に寄り添って、夢や希望を与えるものを100年以上作り続けている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">東洋と西洋、それぞれの“人形感”</h3>



<p>弘峰さん曰く人形は、「神と人の間にあるもの」でもある。ただしこれは、日本だからこその考え方で、西洋では少し異なるそうだ。西洋ではまず神がいて、神が自分の姿に見せた小さきものとして作ったのが人間であり、その人間が自分の姿に見せた小さきものとして作ったのが人形。つまり神・人間・人形という順で捉えられることが多い。一方、日本を含むアジアの多くは多神教で、自然崇拝も基本にあるため、神＝自然、そこに人がいて、人形はその間を繋ぐために作られたもの。つまり神・人、その間に人形があるという構図で捉えられている。</p>



<p>そうした考え方の違いから、以前、弘峰さんが海外で博多人形を「doll」と表現した際、「地位が低いもの」「アートではないもの」とみなされ、展示を断られるケースがあったという。以来、中村さんは博多人形を「sculpture（彫刻）」または「art」と表現し、この1つのアクションも博多人形の魅力を世界に届ける一歩になると考えている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">海外からも高い評価を受けた「アスリートシリーズ」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA011-7505.jpg" alt="" class="wp-image-53446" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA011-7505.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA011-7505-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA011-7505-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>弘峰さんの代表作と言えば、野球やアーチェリー、プロレスなどの選手をモチーフにした「アスリートシリーズ」だ。注目されるきっかけとなったのは、2016年に金沢で開催された「第3回金沢・世界工芸トリエンナーレ」の「2017金沢・世界工芸コンペティション」で優秀賞を受賞したことだった。</p>



<p>保育園時代から「人形師になる」と決めていたという弘峰さんにとって、東京芸術大学で彫刻を学んだのち、歩み始めた人形師の道は、傍から見ると順風満帆に映ったかもしれない。けれど弘峰さん曰く、充実した日々の中にも焦りがあった。</p>



<p>なぜなら中村家では、「代々違うことをする」、「親と似た人形は作らない」ことも受け継がれてきたからだ。父・信喬氏は、伝統や技術を継承しながらも、肖像やモニュメント、博多祇園山笠の人形など幅広い作品を手掛けてきた。中でも、天正遣欧少年使節団を主題とした人形づくりに取り組み、2011年にはローマ法王に謁見して人形を献上した実績を持つ。そのように自らのテーマを追究し、世の中から高く評価される父の背中を見ながら、弘峰さんはいつも「生みの苦しみ」を感じていたという。</p>



<p>「アスリートシリーズ」は、その苦悩を経て、弘峰さんが初めてわが子の五月人形を作るタイミングで生まれた。「伝統的なものばかりに寄ると、芸大時代の友人は無反応、一方、斬新すぎるものに傾くと、人形界からの反応は今ひとつ。その狭間で苦しむうち、“どちらにも響く、突き抜けた作品”を作るタイミングはここしかないと考えました」と弘峰さん。そして五月人形を自ら再解釈。桃太郎や金太郎をモチーフとした五月人形は常に時代の英雄像を描いてきたのではないか、という仮定に至り、それが現代のアスリートの姿と重なった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">博多人形が生まれるまで</h3>



<p>躍動感あふれるフォルムに、細やかで美麗な色彩。弘峰さんの人形が、観る人の心を惹きつけるのは、確かな技術の蓄積の上に新たな発想が重ねられているからだ。</p>



<p>博多人形が出来上がるまでには、伝統的技法によるいくつもの工程を要する。まず粘土を練り、ヘラや指を使って形を整えていく。原型が完成したところで頭や袖などのパーツを全て分割して石膏型を取る。そして出来上がった型に7mmほどの厚みになるよう粘土を指で押し込んでいき。中が空洞の各部位を作成する。これを生地押しと呼ぶ。そして、各生地を再びドベで接着し、成形する。乾燥させて焼成し、焼き上がったものに、膠で溶いた顔料や岩絵具で彩色し、ようやく完成だ。原型から型を作りを経ずに直接原型をくり抜いて中を空洞にする１点ものの制作法を採用することもある。像を遥かに超える、手間と時間を要する人形づくり。工程を頭に入れた上で改めて人形を眺めると、さらに胸が熱くなる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">人形師としてのこれから</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><img decoding="async" width="1024" height="685" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/image-45-1024x685.jpeg" alt="" class="wp-image-53440" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/image-45-1024x685.jpeg 1024w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/image-45-300x201.jpeg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/image-45-768x514.jpeg 768w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/image-45.jpeg 1203w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></figure>



<p>「アスリートシリーズ」で自らの方向性を見出した弘峰さんには、今や様々なオファーが寄せられている。「ゴジラ」70周年記念のために制作した「追憶の呉爾羅（ゴジラ）」（2023）、「グランドセイコーブティック 表参道ヒルズ」のオープニングでショーウィンドウを飾った「刻（とき）の獅子」など、伝統工芸品・博多人形の新しい姿を世の中に次々と送り出している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ニュートラルな受信体でありたい</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA017-7551.jpg" alt="" class="wp-image-53447" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA017-7551.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA017-7551-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA017-7551-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>一方で、博多祗園山笠の帯のデザインや、アニメの原画、3Dモデリングなど、人形づくり以外のオファーにも応えているのが弘峰さんのスタイルだ。そこには中村家に代々伝わる家訓、特に3代目の「ニュートラルな受信体になる」という言葉が大きく影響している。「様々なことに応えることで、見えてくるものがあるんです。それに人形師にはこんなに面白いことだってできる、ということも伝えられると思って」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">現代の人の心に届く人形を</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA005-7487.jpg" alt="" class="wp-image-53448" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA005-7487.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA005-7487-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/10/NAKA005-7487-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>今、弘峰さんは、「江戸時代の人形師が、ひょんなことから現代にタイムスリップしたら」という設定で人形作りに向き合っている。江戸時代、人々は人形を求めて人形店を訪れたが、それは現代で言うなら、フィギュアを求めてフィギュア店を訪れる人々の姿に通じはしないだろうか。<br>「人間が存在する以上、人形には無限の可能性があると思います。人形は、その形状だけでなく、身につける着物、持ち物など、全てに見所を備えた総合芸術。自分の技法や知識を駆使して、その部分をもっと深めていきたいですね。人形に本物の刺繍が施されたスタジャンを着せてみるのも面白いかもしれない。そういう人形遊びをしてみたいです」と話す弘峰さん。2023年4月には、福岡市中央区桜坂にある中村人形工房より徒歩1分の場所に、私設ギャラリー「傀藝堂（かいげいどう）」をオープン。3代目、4代目の作品はもちろん、弘峰さんの妹で書家の中村ふくさん、さらに海外アーティストの作品なども交えながら、ジャンルレスな企画展を行なっている。いち伝統工芸に囚われず、“今”を取り入れ、現代に向き合うニューウェーブの躍進を期待せずにはいられない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53436/">伝統に新しい解釈を加えた博多人形に世界が注目。人形師・中村弘峰さん／福岡県福岡市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>古い絵付けを、今の暮らしに寄り添う器に。「喜器窯」吉田崇昭さん／福岡県筑紫野市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 29 Sep 2025 09:03:37 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[陶芸]]></category>
		<category><![CDATA[磁器]]></category>
		<category><![CDATA[素数文]]></category>
		<category><![CDATA[苦笑文]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI032-9065.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福岡の中西部、天拝山が広がる筑紫野市に佇む「喜器窯（ききがま）」。緑豊かな住宅街に工房兼ギャラリーを構える吉田崇昭 さんは、土づくり、ろくろで造形、絵付け、窯入れまですべてひとりで行っている。その器は古い焼き物のような味 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI032-9065.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福岡の中西部、天拝山が広がる筑紫野市に佇む「喜器窯（ききがま）」。緑豊かな住宅街に工房兼ギャラリーを構える吉田崇昭 さんは、土づくり、ろくろで造形、絵付け、窯入れまですべてひとりで行っている。その器は古い焼き物のような味わいがあり、多くの人を魅了している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">グラフィックデザインから器づくりへ</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI002-8962.jpg" alt="" class="wp-image-53250" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI002-8962.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI002-8962-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI002-8962-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「器のつくり手としては、遅いスタートなんです」と吉田さん。まず大学でグラフィックデザインを専攻するが、在学中に平面のグラフィックデザインではなく、立体のインダストリアデザイン（工業デザイン）に惹かれるようになる。卒業後はグラフィックデザインを立体にもちこんだ仕事ができればと考えていたところ、出合ったのが器だった。</p>



<p>「自分が生まれ育った福岡の隣に、器の産地・佐賀があったことにめぐりあわせを感じました」。当時は器のことを全く知らないゼロの状態で、有田にあった窯業大学校に2年通って基礎を学んだ。その道に進むと決めた以上は、自分が納得できるまで製陶を学びたいと、大学卒業後、さらに滋賀県の信楽へ。国内外の陶芸家のスタジオを擁する「滋賀県立陶芸の森」で学びながら、実際に使えるアートをつくりたいとイスのオブジェの製作に没頭しつつも、「やはり器をつくりながら暮らしていきたい」と器づくりへの思いを深めていった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">唐津の窯元での修業が転機に</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI013-8991.jpg" alt="" class="wp-image-53251" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI013-8991.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI013-8991-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI013-8991-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>吉田さんは「唐津にある 『天平窯（てんぴょうがま）』に弟子入りしたことが、自分のターニングポイントとなりました」と語る。まるで骨董品のような古い雰囲気の器づくりが魅力の窯元で、青色だけで描く「染付」やさまざまな色が入る「色絵」など、素晴らしい絵付けで多彩な器をつくっていた。グラフィックデザインやアート製作など自分が目指す道が何かを追い求めてきた吉田さんは、「師匠である岡晋吾･さつき夫妻からはとても大きな影響を受けました」と話す。味わいのある吉田さんの器づくりの基礎はここで形づくられていった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">独立後は自分の作風を追求</h3>



<p>2007年に独立してからは、400年前の先人たちと同じ材料でつくりたいと有田の山奥に陶石や陶土などの材料を探しに行く日々を送った。「当時は材料探しから行う窯元はそうなかったから、自分が入る余地があると思って突き進んでいましたね」。</p>



<p>「しかしそれはまるで寿司職人が米を栽培して、船でマグロを釣って、寿司を握るようなもの。手間もコストもかかりすぎるし、そうなると酒器や茶器など高額なものをつくらないと採算があわなくなってしまいます」。試行錯誤しながら、吉田さんは自分が本当につくりたい日常の器づくりへ舵を切っていった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">まるで古い焼き物のような器を目指す</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI007-8975.jpg" alt="" class="wp-image-53252" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI007-8975.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI007-8975-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI007-8975-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>吉田さんの器は石を砕いた陶土でつくる「磁器」だが、あたたかみのある自然なフォルムはまるで陶器のようなやわらかな印象を与える。</p>



<p>また骨董品のようにほのかに青みを感じる風合いは、熊本・天草の粘土をベースに吉田さんが掘ってきた石を砕いて混ぜて使ったものだ。</p>



<p>「今の粘土は、白すぎて雑味がないです。昔の陶片を見ると、現在のような鉄分を取り除く脱鉄機というものがなかったため、もっとムラがあって表情があった。私はあえてきれいな器になりすぎないよう、ちょっと汚すような気持ちで自分が掘ってきた石を加えています」と吉田さん。釉薬には有田周辺で掘った石を砕いた灰を使用。石と灰の昔ながらの組み合わせで器をつくっている。</p>



<p>ろくろでの造形時に大切にしているのは勢いだ。「丁寧にろくろを回す高い技術の方が多いですが、自分は勢いにまかせてつくったものが面白いと思っていて。師匠からも言われたのですが、きっちり作りこみすぎず、人が入り込める“余白”があるものに魅力を感じます」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">昔ながらの呉須を使う青一色の絵</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI038-2576.jpg" alt="" class="wp-image-53253" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI038-2576.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI038-2576-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI038-2576-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「喜器窯」を語るうえで、絵付けもはずせない。吉田さんが選んだのは、コバルトを含んだ絵の具、呉須（ごす）を使って描く「染付」と呼ばれる古い技法。焼くと素朴な青色に仕上がるのが特徴だ。</p>



<p>しかし絵はあくまで器の一部分。「絵付けにも余白を感じられるよう、ヘタでもいい、はみ出してもいいと線が生きるように描いています」。描かれるのは、桃山時代から江戸時代の初期にかけての古伊万里のような、小紋や菊花、鳥獣などの伝統的な文様だ。筆の勢いにまかせたのびやかな文様は見ているだけで心が躍るよう。</p>



<p>驚きなのが、吉田さんは「決して同じ絵付けをしない」と決めていること。「絵付け職人の方は、何十、何百と同じ絵を描いてこそ技術が高いといわれますが、私に同じものを描き続けるのが向いていなくて」と笑う吉田さん。マグカップひとつをとっても、それぞれ文様が異なるため、どれが自分にしっくりくるか選ぶ楽しさがある。</p>



<h2 class="wp-block-heading">素数を漢字であらわした「素数文」を考案</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI042-9213.jpg" alt="" class="wp-image-53254" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI042-9213.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI042-9213-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI042-9213-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「喜器窯」以外にも、古い焼き物のような器づくりをする窯元はいくつもあるなか、吉田さんが生み出した文様がある。それが素数を漢字でランダムに書く「素数文」だ。「素数は、“割りきれない”ものですよね。そこにわりきれない人の心のような情緒を感じて、昔から素数が好きなんです」と吉田さん。ほかにひらがなの“く”の字を並べたユーモラスな「苦（く）笑文」も人気だ。吉田さんの軽やかな感性は、見慣れたものも新鮮に感じさせてくれる。</p>



<h2 class="wp-block-heading">世界に目を向ける吉田さんの挑戦は続く</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI018-9001.jpg" alt="" class="wp-image-53255" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI018-9001.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI018-9001-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/KIKI018-9001-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>今後の展望を尋ねると、「いまは思い通りの器になりやすい、再現度の高いガス窯を使っていますが、ゆくゆくは薪窯に挑戦したいと思っています」と吉田さんは目を輝かせる。「より手間も時間もかかってしまいますが、より昔の焼き物に近づけるのは薪窯ですね。自然の力で焼くのでコントロールが効かないため、ときには陶土や釉薬が思ってもいないような変化をして、想像の上をいくものがつくれることも期待できます。また海外のお客さんは、昔ながらの薪を使って焼くことに付加価値を感じてもらえるようです」。<br>関東や関西、アメリカなど海外からの注文も多く、現在は2年待ちという吉田さんの器。まるで400年前の器のような風合いとのびやかな絵付けが、国境を超えていまを生きる人々の心をつかんで離さない。今日も小さな工房で、暮らしを豊かにする日々の器が生まれている。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53243/">古い絵付けを、今の暮らしに寄り添う器に。「喜器窯」吉田崇昭さん／福岡県筑紫野市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>深い藍色に、光が射す。「藍生庵」松枝崇弘さん／福岡県久留米市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 20 Sep 2025 13:32:37 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[久留米絣]]></category>
		<category><![CDATA[重要無形文化財久留米絣技術保持者]]></category>
		<category><![CDATA[藍建て]]></category>
		<category><![CDATA[藍染め]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_425.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福岡県南部、久留米市田主丸町の里山に、7代続く久留米絣の織元「藍生庵」がある。日本三大絣のひとつに数えられる久留米絣。誕生から200年以上の年月を経て今もなお、木綿の持つ素朴な風合いと絣模様の精巧さ、そして藍染めならでは [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_425.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>福岡県南部、久留米市田主丸町の里山に、7代続く久留米絣の織元「藍生庵」がある。日本三大絣のひとつに数えられる久留米絣。誕生から200年以上の年月を経て今もなお、木綿の持つ素朴な風合いと絣模様の精巧さ、そして藍染めならではの美しい藍色が人々を惹きつけている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">ある少女の好奇心が生んだ久留米絣</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_492.jpg" alt="" class="wp-image-53214" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_492.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_492-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_492-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>福岡県南部、筑後地方にある久留米市。かつてこの一帯では筑後川が育む肥沃な大地のもと、綿花や藍の栽培が盛んに行われ、綿織物が発展した。1800年頃の江戸時代後期には、久留米藩の城下に生まれた井上伝という少女により久留米絣が考案される。</p>



<p>井上伝は、色褪せた古着の斑点模様に興味を持ち、その布を解いて仕組みを探った。すると糸自体に白い斑点があり、これを手がかりに白糸を括り、藍で染めて織ってみると、布の中に白い文様が出現。これが久留米絣の歴史の始まりとなった。1人の少女の好奇心とひらめきが生んだ工芸品である。</p>



<p>それ以降、伝は生涯にわたり、この技術を多くの人に伝え、久留米絣の普及に邁進。そして、農家の農閑期の副業として久留米絣が盛んに織られるようになり、明治以降は庶民の衣服として全国で愛用されるようになった。生産が盛んになった明治初期には、「藍生庵」も織元としての歴史をスタートさせる。</p>



<h3 class="wp-block-heading">約36もの工程を一貫制作する</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_471.jpg" alt="" class="wp-image-53215" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_471.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_471-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_471-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>現在「藍生庵」が工房を構えるのは、耳納(みのう)連山の麓に位置する久留米市田主丸町。30数年前、藍染めに重要な水を求めて、現在の地に工房を移した。豊かな自然に抱かれた工房で、7代目の松枝崇弘さんと、母で6代目の小夜子さんの2人が久留米絣の制作を行っている。</p>



<p>久留米絣は、1957年（昭和32年）に木綿では初めて国の重要無形文化財に指定。「手括りによる絣糸を使用すること」「純正天然藍で染めること」「手織り織機で織ること」の3つが認定要件とされた。作業工程数も多く、図案（柄のデザイン）、括り（防染する作業）、藍染め、水洗い、手織り、乾燥……などなど、およそ36もの工程を経て完成する。最盛期には分業化が進んでいたが、時代や需要の変化とともに職人も減少。現在は20数軒の織元が残り、その多くが一貫制作を行っている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">原料にもこだわり、昔ながらの藍建てを行う</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_539.jpg" alt="" class="wp-image-53216" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_539.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_539-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_539-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>数ある工程の中でも「藍生庵」らしさを物語るものの一つに、藍建ての作業がある。藍建てとは、天然藍を甕の中で発酵させ、糸を染めるための藍液をつくること。水質も染色の仕上がりを左右するというが、織元それぞれ建て方自体も異なる。</p>



<p>「うちでは化学染料や薬品は使わず、室町時代から伝わる技法で藍建てを行っています。藍甕に徳島県産の天然藍と、栄養分となる麦芽糖や純米酒を入れ、微生物の働きで発酵を促進。父もお酒が大好きでしたけど、藍甕もお酒が大好きですね（笑）」と崇弘さんは微笑む。</p>



<p>崇弘さんが、久留米絣に本格的に触れたのは7歳の頃。父の哲哉さんは遊びを交えながら、崇弘さんに糸の染色を手伝わせていたという。染めの工程以外にも、母・小夜子さんの膝の上に乗り、見よう見まねで織りの作業にも挑戦した。暮らしのそばに工房があり、藍の香り、機織りの音に抱かれた幼少期。崇弘さんがこの道を志すのに時間はかからなかった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「藍生庵」ならではの表現方法とは</h3>



<figure class="wp-block-image size-full is-resized"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/DSC_3215_batch.jpg" alt="" class="wp-image-53239" style="width:852px;height:auto" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/DSC_3215_batch.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/DSC_3215_batch-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/DSC_3215_batch-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>久留米絣といえば、経糸と緯糸で表される様々な柄が特徴。糸を染めてから織るため、柄の輪郭がわずかにズレてかすれたようになり、これが絣独特の風合いを生んでいる。さらに、絣の模様は久留米絣の誕生初期には幾何学模様が主流だったが、1839年（天保10年）に染織家・大塚太蔵が、現代にも残っている絵台を用いた伝統的な絵絣の技法を考案。これを機に絣の表現の可能性が大きく広がった。</p>



<p>久留米絣とひと口にいっても、絣の模様には地域性がある。久留米絣の織元が点在する筑後地方の中でも、広川町や八女市では小柄が専門。「藍生庵」の本家のある三潴郡の地域では大柄、中柄、さらには絵絣を制作している。</p>



<p>なかでも絵絣は、崇弘さんの曽祖父、「藍生庵」3代目で人間国宝であった松枝玉記さんが先駆者といわれている技法だ。卓越した技術と、和歌への深い造詣から独自の模様を生み出し、久留米絣の表現の幅をさらに押し広げた。筑後の自然から着想を得た、詩情にあふれた大柄な絵画的文様と、美しい藍色の階調。その創作性は崇弘さんの父であり、重要無形文化財久留米絣技術保持者にも認定された哲哉さんと母・小夜子さん、そして現当主の崇弘さんにも脈々と受け継がれ、現在の「藍生庵」らしさを形づくっている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">父が遺した光を追いかけて</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_456.jpg" alt="" class="wp-image-53218" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_456.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_456-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_456-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>大学を卒業後、地元を離れ、一度一般企業に就職した崇弘さん。2020年、父・哲哉さんの病を機に久留米絣の道に進んだ。崇弘さんにとって久留米絣の工房は生活の一部であり、両親との思い出の場所。実家に戻ることに、全く迷いはなかった。とはいえ当時、哲哉さんは日本伝統工芸染織展や日本伝統工芸展など、工芸界の権威ある展示会で数多くのタイトルを獲得し、全国に名を轟かせる作家。そんな父の跡を継ぐことには多少なりの不安はあったという。</p>



<p>「私にとって久留米絣は慣れ親しんだ世界。後継者として戻ってからも、不安はあってもギャップや違和感は感じませんでしたね。父は、亡くなるまで決してつらい顔は見せず、私と母にありったけの技術と心を伝えてくれました。本当に良い親子の時間でした」と崇弘さんは当時を振り返る。</p>



<p>崇弘さんが実家に戻って間もなく哲哉さんは亡くなったが、その年に行われた日本最大規模の公募展「第67回日本伝統工芸展（令和2年度）」で、奇しくも哲哉さんの遺作となった久留米絣着物「光芒」が文部科学大臣賞を受賞する。この功績は、残された2人にとってこれ以上ない希望の光となった。</p>



<p>して、2人は手を取り合い、前を向こうと必死に涙を拭う。しかし、少しずつ日常を取り戻しつつあった頃、工房を次なる災難が襲った。</p>



<p>2023年夏、大雨による大規模な土砂災害に見舞われた。工房に土砂や泥水が流入。藍甕や織機が被害を受け、貴重な資料なども泥だらけになった。「もうダメかもしれない……」。落胆する母の姿を目にし、崇弘さんも目の前が真っ暗になった。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_459.jpg" alt="" class="wp-image-53219" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_459.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_459-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/09/ranseian_459-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>被災直後、2人は途方に暮れていた。しかし、まもなくして崇弘さんの会社員時代の友人らをはじめ、久留米市や大木町で文化財保護に携わる職員らが工房の片付けに駆けつける。2人は徐々に明るさを取り戻した。「久留米絣の制作は、自己完結する作業が多いだけに、時に孤独を感じる瞬間もあります。しかし、この時の被災でたくさんの人に支えられていることに改めて気付かされました」。</p>



<p>「今は、父が制作テーマに掲げていた“光”を、私も追いかけているところです。藍染めだけにとどまらず、黄色や緑など様々な草木染めにも挑戦しています。山に吹く風や川のせせらぎ、葉ずれの音など、自然からいろんなヒントを得て、自分だけの久留米絣の表現方法を見つけていきたいです」と、崇弘さんは制作への意欲を語った。父・哲哉さんが遺した光を手がかりに、崇弘さんの探究の旅は続く。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/53213/">深い藍色に、光が射す。「藍生庵」松枝崇弘さん／福岡県久留米市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>シェフの視点でつくる新感覚のパン&#038;ドーナツ。「AMAM DACOTAN」平子良太さん／福岡県福岡市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/52886/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 28 Jun 2025 06:48:45 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[アイムドーナツ？]]></category>
		<category><![CDATA[生ドーナツ]]></category>
		<category><![CDATA[マリトッツォ]]></category>
		<category><![CDATA[ヒラコンシェ]]></category>
		<category><![CDATA[パン]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_116.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>全国的なマリトッツォブームの先駆者となった福岡発のベーカリー「AMAM DACOTAN （アマムダコタン）」。都内にも出店し、さらに姉妹店の「DACOMECCA（ダコメッカ）」、アナザーブランドの「dacō？（ダコー？） [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_116.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>全国的なマリトッツォブームの先駆者となった福岡発のベーカリー「AMAM DACOTAN （アマムダコタン）」。都内にも出店し、さらに姉妹店の「DACOMECCA（ダコメッカ）」、アナザーブランドの「dacō？（ダコー？）」、生ドーナツ専門店「I&#8217;m donut？（アイムドーナツ？）」なども続々とオープン。創造性にあふれたパンを求めて、どの店舗も連日大行列！その人気の秘密とは。</p>



<h2 class="wp-block-heading">美味しいパンが並ぶ、“ワクワク”を生み出す店づくり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_135.jpg" alt="" class="wp-image-52887" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_135.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_135-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_135-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>福岡市の繁華街から少し離れた六本松にある「アマムダコタン」。一歩足を踏み入れると、アンティーク家具を配したおしゃれな空間に、天井からはたくさんのドライフラワーが吊り下げられ、まるでファンタジーの世界に訪れたような気分に浸ってしまう。焼きたてのパンの香りに満ちた店内で、あれも欲しいこれも欲しいと迷うのは至福のひととき！オープンから6年経った今も、開店前から長蛇の列ができるという人気ぶりだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">７畳の小さなパスタ店からスタート</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_231.jpg" alt="" class="wp-image-52888" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_231.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_231-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_231-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「アマムダコタン」を手がける代表の平子良太さんは、実はもともとはパン職人ではなく10年ほどイタリアンで修業したシェフ。独立後、2012年に平尾にパスタ専門店「ヒラコンシェ」をオープンする。「僕一人で料理をつくる、７畳ほどの小さな店でした」と平子さんは懐かしむ。店の繁盛を受けて、警固の広い店舗へ移転し、１階にカフェレストラン、さらに2階にはドライフラワーのショップを開いた。</p>



<p>パンとドライフラワーとはちょっと意外な組み合わせだ。「もともとアンティークが好きだったことから、ドライフラワーの店もやってみたくて」と平子さん。カフェレストランでは、ドライフラワーにする前の生花を天井一面に吊るした美しいビジュアルでも評判となった。自ら壁や床を塗るなど内装にもこだわり、独自の世界をつくりあげた空間は、現在の店づくりの礎になっている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「パンストック」仕込みの生地へのこだわり</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_180.jpg" alt="" class="wp-image-52889" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_180.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_180-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_180-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>もともとパンが好きだったという平子さん。「僕自身もそうなのですが、パンが好きとおっしゃる方って、パンそのものだけでなく、ワクワクしながらパンを選ぶという“パン屋に行くこと”自体が好きだと思うんです」。しかし今から6〜７年ほど前は、まだ品数が数点という店がほとんど。そのなかでパン屋への思いを唯一満たしてくれたのが、福岡市東区にあるベーカリー「パンストック」だったのだそう。豊富な品数だけでなく、生地の味わいにも惚れ込んだ平子さん。自分のレストランでは、すべて手づくりにこだわっていたなか、唯一仕入れていたパンも自分でつくりたいと思い始めるようになっていった。平子さんは心酔する「パンストック」で生地づくりを学び、2018年に六本松でベーカリー「アマムダコタン」をオープンする。</p>



<h2 class="wp-block-heading">シェフの視点から、自由な発想でパンを開発</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_173.jpg" alt="" class="wp-image-52890" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_173.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_173-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_173-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>国産小麦を使い、約15時間かけて熟成した「パンストック」仕込みの生地は、バリッとした食感のなかにもっちり水分をたくわえているのが特徴だ。そこにあふれそうなほどに具材を詰めたサンドイッチや自家製のソーセージをのせたホットドックなど、ボリューミーでフォトジェニックな「アマムダコタン」のパンは、人々の心を鷲掴みにしていった。</p>



<p>「パン職人の方は生地そのものを味わってほしいという思いから、パンに入れる具材はシンプルなものになりがちなんです」と平子さん。「僕はベーカリーに行くと、料理人としてパンを食材としてとらえてしまい、まるで青果店や精肉店に行った気分になっちゃうんです（笑）」。こうしたらもっと美味しくなるのではないか？と常に考えながらパンを見ているうちに、やはり具材もパンも、どちから片方に力をいれるのではなく、両方が高め合うのがベストのバランスだと思い至り、今のボリュームたっぷりのスタイルになったのだそう。</p>



<p>平子さんが目指すのは、具材も美味しく生地も歯切れがよく、すべてが高め合う一体感のあるパン。具材の味わいを主軸に、その受け皿としてパンの食感に重きを置いたシェフ目線でつくるパンを求めて、わざわざ遠方から訪れる人も後を経たない。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_138.jpg" alt="" class="wp-image-52891" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_138.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_138-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_138-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>SNSで「アマムダコタン」を全国的な人気店に押し上げた、イタリアの郷土菓子「マリトッツォ」など新商品が出るたびに注目を集めている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">ブリオッシュ生地を揚げた、新感覚のドーナツ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_221.jpg" alt="" class="wp-image-52892" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_221.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_221-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_221-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>いま話題となっているのがブリオッシュ生地を揚げた「生ドーナツ」だ。ある日「アマムダコタン」の姉妹店「ダコメッカ」のオープンに向けて、新商品の試作を重ねていた平子さん。「僕は『パンストック』のブリオッシュ生地がとくに好きで、パン以外の可能性を常々探っていました」。そこで生地を揚げてみたところ、口のなかでシュワっととけるような、初めての食感に衝撃を受けたという。「スタッフみんなで試食して『これはすごい！』と大興奮したんです」と笑顔をこぼす。そのとけるような新食感にちなみ「生ドーナツ」と名付け、多くの人に食べて欲しいという思いから、生ドーナツ専門店「アイムドーナツ？」をオープンさせた。</p>



<p>「ブリオッシュ生地を揚げる人は、これまでもいたかもしれません。ただ『パンストック』のやわらかな口溶けのブリオッシュ生地だからこそ、この美味しさが叶いました」。まるでフリットをつくる感覚で生地を揚げ、「パンストック」の生地をさらに発展。まさにシェフだからこその視点で、新しいものをつくり続けている。</p>



<h3 class="wp-block-heading">店をつくりあげる面白さを追求したい</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_123.jpg" alt="" class="wp-image-52893" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_123.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_123-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/amam_123-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>そしてついに2021年、満を持して東京・表参道に「アマムダコタン」を初出店。「東京への進出は、昔住んでいて好きな街だったこと、なによりスタッフが未来への可能性を感じられる店でありたいと思い決めました」。さらにアナザーブランドの「ダコー」が3店舗、「アイムドーナツ？」が国内6店舗、海外1店舗、いまや都内だけでも12店舗となり、怒涛の勢いで出店ラッシュが続いている。</p>



<p>しかも驚きなのが、単に同じフォーマットで店を出すのではなく、１店ごとにその土地柄を考慮しながらコンセプトが異なる店をつくりあげているのだ。まずは物件を見て、この図面なら、この土地柄的にはどんな内装がいいかと、イメージしながら平子さんが自ら空間をデザイン。さらにパンのラインナップ、スタッフの制服、BGM、グッズとトータルでプロデュースしていく。例えば「ダコー」のお茶の水店では初となるカフェを併設したり、「アイムドーナツ？」の渋谷店は50種類ものドーナツを並べたり…同じフォーマットにのっとって店を出すほうがコストダウンになるが、「手間がかかって大変でも１店舗ずつ作り上げていくことに、面白さがあります」と平子さんは力を込める。</p>



<h3 class="wp-block-heading">“パン屋に行くこと”を楽しんでほしい</h3>



<p>平子さんの店づくりへの並々ならぬ情熱は、「パン屋に行くことを楽しんで欲しい」という思いゆえ。それがパンや空間、スタッフの接客など店の隅々にあらわれ、訪れる人を感動させ続けている。</p>



<p>「店舗が増えてスタッフも100人を超え、責任も増えました」と平子さん。「でも僕がやりたいことをやっていくのが会社として最も大事なところだと考えています」。現場を長く知るスタッフも育ち、平子さんのクリエイティブの大きな支えになっている。「やりたいことはまだまだいっぱいあるので、整理していきたいですね（笑）」。いつも驚きとときめきを感じさせてくれる、平子さんの新作や新店舗からこれからも目が離せない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52886/">シェフの視点でつくる新感覚のパン&ドーナツ。「AMAM DACOTAN」平子良太さん／福岡県福岡市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>ゼロからの挑戦で自社醸造を復活「ミツル醤油醸造元」城慶典さん／福岡県糸島市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 22 Jun 2025 10:13:56 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[醤油]]></category>
		<category><![CDATA[醸造，醤油，加工食品]]></category>
		<category><![CDATA[オレンジ]]></category>
		<category><![CDATA[生成り、]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/MI009-6620.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>醤油は日本人にとって欠かせない発酵調味料である。しかし昨今、その製造を行う醤油蔵は減少傾向にあり、1955年に約6,000社以上あったメーカーも現在では約1,100社までに減少。伝統産業の衰退が懸念されている。そんな中、 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/MI009-6620.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>醤油は日本人にとって欠かせない発酵調味料である。しかし昨今、その製造を行う醤油蔵は減少傾向にあり、1955年に約6,000社以上あったメーカーも現在では約1,100社までに減少。伝統産業の衰退が懸念されている。そんな中、伝統ある蔵を復活させ、自分の手で醤油を造る挑戦を続けているのが福岡県糸島市の「ミツル醤油醸造元」の城（じょう）慶典さんだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">自社醸造を行っていないことを知り、醤油づくりを決意</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/MI025-6705.jpg" alt="" class="wp-image-52878" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/MI025-6705.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/MI025-6705-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/MI025-6705-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>日本に醤油メーカーは数あれど、自社で原料処理から搾りまでの一貫した醤油製造を行っている会社は少なく、ほとんどのメーカーがもろみを搾ったまま、加熱処理やろ過をしていない「生揚げ（きあげ）醤油」と呼ばれる醤油を、醤油協業組合やメーカーから原料として仕入れ、火入れや味付けのみを自社で行い、製品化している。これは1963年に制定された「中小企業近代化促進法」によるところが大きい。当時、日常に欠かせないものを効率的に生産するために国が地域の組合やメーカーなどを助成。設備投資により大規模生産が加速した一方、小さな蔵の多くは自社醸造をやめ、仕入れに転じた。ミツル醤油もそんな一軒だった。</p>



<p>幼い頃から醤油の香りの中で育ってきた城さんは、自然と自分が家業を継ぐと思っていた。しかし、農業高校時代の職業体験で醤油組合の大きな工場を訪れた際、はじめて醤油の具体的な製造方法を知る。「蒸した大豆の匂いを嗅ぎ、麹やもろみについても学んで“醤油ってすごいな”と思ったんです。その反面、自分の家で醸造をやっていないことを寂しく感じ、いずれ自分で醤油をつくりたい！と強く思うようになりました」。高校卒業後は東京農業大学の醸造科に進学。改めて醤油作りを学ぶ日々が始まった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">「学生のうちに！」と全国の醤油蔵を武者修行</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/MI036-6894.jpg" alt="" class="wp-image-52879" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/MI036-6894.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/MI036-6894-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/MI036-6894-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>醤油づくりへの道を歩き始めた城さんだったが、ミツル醤油は醸造をやめてから30数年が経っていたため、家族からノウハウを教えてもらうことも叶わず、工場に醸造設備もなかった。そんな状況の中、学生だった城さんが考えたのは全国の蔵を巡り、醤油づくりを学ぶこと。</p>



<p>「大学に進学した時からやりたいことが明確だったので座学に励む一方、醤油の仕込み期間と重なる春休みなどを利用して、大学の先生に紹介してもらったり、百貨店の催事などで出会った醤油蔵に『1週間だけここで学ばせてください！』と頼み込み、研修を受け入れてもらいました。家業に入ったら、他のメーカーさんに研修をお願いするというのはハードルが高いので、こういう動きは学生の今しかできないと思い、行けるだけ行こうと思ったんです」。</p>



<p>こうして卒業までに7軒の蔵を巡り、各蔵の醤油づくりを学んだ。卒業後は広島の「岡本醤油」で1年間修業し、糸島に帰る前に醤油づくり周辺について学ぶため、東京のフードコーディネーター養成スクールに入学。福岡に戻ってからは事業復活に向けて着々と準備を始めた。</p>



<h3 class="wp-block-heading">眠っていた桶を直し、麹室を建てることからスタート</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/MI029-2139.jpg" alt="" class="wp-image-52880" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/MI029-2139.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/MI029-2139-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/MI029-2139-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>こうして満を持して実家に戻った城さんだったが、培った知識や経験を生かそうにも工場には醸造環境が整っていなかったため、その挑戦はまず設備を整えることから始まった。</p>



<p>職人の手を借りて倉庫に眠っていた木桶を修理し、麹づくりのための室も新たに建てた。「大豆を蒸す釜ひとつなかったので、本当にいろんなプロの手を借りました。木桶は大阪にあり、日本で唯一、伝統的な製法で大型の木桶を製造できる桶メーカー「藤井製桶所」の職人さんに来ていただきました。使えるものは修理してもらいましたが、残っていた5個のうち使えたのは２個だけ。まずはその２個を使い、徐々に増やしていきました」。こうしてしばらく眠っていた桶が生き返り、約40年ぶりに仕込みが始まった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">過去から現在へ。酵母がつなぐ先人からの醤油づくり</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/MI004-6611.jpg" alt="" class="wp-image-52881" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/MI004-6611.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/MI004-6611-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/MI004-6611-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>城さんは大学時代、ミツル醤油が昔、自社醸造を行なっていた際に桶から飛び散ったもろみが付着していた蔵の柱から酵母を取り出し、培養して冷凍保存していた。初めての仕込みの際にはこの酵母も使い、ミツル醤油の歴史をつないだ。そんな効果もあったのだろうか、2013年2月に醸造復活後初となる濃口醤油「生成り、」を発売すると「素晴らしい醤油が誕生した！」と日本各地から賞賛の声が上がった。</p>



<p>「修業先の蔵のみなさんや、東京時代に知り合った料理雑誌の編集長やライターのみなさんなど、食に精通したたくさんの方々がうちのことを紹介してくださいました」。その評判は口コミで広がり、有名寿司店やフレンチレストランなどでも使われるようになった。</p>



<p>ちなみに「生成り、」という銘柄にしたのは「こだわり醤油って“国産大豆”とか“木桶仕込み”とかパッケージに伝えたい情報がたくさん載っていますが、自分はシンプルな感じにしたかったんです。地元糸島の原料で手造りの麹、木桶仕込みという昔ながらの製法ですし、ピュアな印象を表現する言葉として「生成り、」を採用しました」という理由からだそう。</p>



<h3 class="wp-block-heading">原料はメイドイン糸島の原料と沖縄の塩。無農薬醤油や新感覚醤油にもチャレンジ</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/MI033-6789.jpg" alt="" class="wp-image-52882" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/MI033-6789.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/MI033-6789-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/06/MI033-6789-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>初出荷から11年。現在、城さんのつくる醤油は地元福岡や東京を中心に多くの人や飲食店で愛され続けている。原料は地元糸島産の大豆（フクユタカ）と小麦（ミナミノカオリ）、塩は沖縄産のシママースを使用。販売しているのは濃口、うすくち、再仕込みのほか、無農薬の濃口、そしてオレンジと呼ぶ色のうすい醤油だ。「無農薬は仕込みを始めた当初から地元農家の協力でチャレンジしていたのですが、土壌の問題などで生産をストップしていたんですが、料理研究家の辰巳芳子先生とお会いした時に“なんで作らないの！”と喝を入れられました。そんなきっかけをもらい、九州産の無農薬大豆で再びつくり始めたんです。オレンジは2023年から発売を開始した新しい醤油で、もろみが乳酸菌・酵母の発酵を始める前に搾ったものです。醤油の新しい風味を楽しんでいただけると思います」。実際にオレンジを舐めてみると、味はしっかりとしているのに醤油の香りが強くなく、麹独特の甘さが広がる。醤油であって醤油ではない、新しい調味料のような印象だ。</p>



<p>「醤油づくりを始めて、なぜ多くの人が醤油づくりから離れていくのかがよくわかりました。昔ながらの方法で仕込んでもビジネス的に厳しかったり、手間暇もかかる。決して楽な仕事ではありません。でも、自分はやっぱり手造りの自社醸造にこだわりたい。もろみを販売したり、搾りかすをふりかけに加工するなど、醤油づくりの段階でできるものも無駄にせず全部活用したいし、オレンジのような新しい醤油の可能性も追求していきたいと思っています」。今後も大規模化することなく、今の規模感で醤油づくりに励んでいきたいという城さん。今後、ミツル醤油がどんな醤油を発表するのか、醤油業界、料理業界、リピーターたちなど多くの人が注目し続けるのは間違いなさそうだ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52877/">ゼロからの挑戦で自社醸造を復活「ミツル醤油醸造元」城慶典さん／福岡県糸島市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>心穏やかな感動が訪れる一服の力。特別な手間と栽培法でつくられる「星野茶」／福岡県八女市</title>
		<link>https://nihonmono.jp/article/52809/</link>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 28 May 2025 14:04:22 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[日本茶]]></category>
		<category><![CDATA[八女伝統本玉露]]></category>
		<category><![CDATA[全国茶品評会]]></category>
		<category><![CDATA[星野茶]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SEI001-5341.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>茶の名産地として知られる福岡県･八女市。特に標高が高く“奥八女”と呼ばれる星野村では、寒暖差を利用した旨み成分の強いかぶせ茶の生産が盛んだ。日々自然と向き合いながら真摯に茶づくりに向き合うふたりの茶農家を訪ね、日本茶にか [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SEI001-5341.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>茶の名産地として知られる福岡県･八女市。特に標高が高く“奥八女”と呼ばれる星野村では、寒暖差を利用した旨み成分の強いかぶせ茶の生産が盛んだ。日々自然と向き合いながら真摯に茶づくりに向き合うふたりの茶農家を訪ね、日本茶にかける熱い思いに触れた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">美しい山間で作られる伝統技法のお茶</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SEI038-5708.jpg" alt="" class="wp-image-52810" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SEI038-5708.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SEI038-5708-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SEI038-5708-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>九州最大の河川、筑後川と矢部川に挟まれた福岡県筑後平野南部･八女地方。肥沃な土壌と伏流水に恵まれ、雨量が多く、昼と夜の寒暖差が大きいこの地は、茶栽培に適した自然条件を満たし、約600年前から茶の栽培が行われてきた。</p>



<p>中でも標高200mを超える山間地にあり、その名の通り星空の美しさで知られる星野村は、高品質の煎茶や玉露を生産する名産地。「星野茶」は八女茶の中でも質の高い高級茶として知られている。</p>



<p>星野茶の特徴は濃厚な旨み、奥深い芳醇な香り、美しい色にある。中でも日本茶の最高峰である玉露は、全国の茶産地が日本茶の日本一を競う「全国茶品評会」の玉露部門で何度も日本一に輝いている（平成は22回日本一を獲得）。この品評会に出品される「八女伝統本玉露」は「茶樹の枝を収穫後に1度だけ剪定し、秋まで自然に芽を伸ばす“自然仕立て”の木で育っていること」「茶樹を16日以上、稲わらなどの天然資材で覆う“被覆（ひふく）”を施していること」「新芽を手摘みしていること」といった伝統技法を守って育てられる。その美味しさは格別で50〜60度の湯をゆっくり注いで2分程度待つと、茶葉の中に閉じ込められた旨みや甘みが湯の中で解き放たれ、まろやかで甘く深い味わいと気高い香りに感動を覚える。その特別な栽培法や生産地の特性を知的財産として保護するべく「八女伝統本玉露」は2015年に国の地理的表示（GI※）保護制度に茶として初めて登録された。</p>



<p>もちろん伝統本玉露だけが星野茶ではない。星野村では被覆栽培以外に露地栽培も広く行われているが、伝統技法を守り続けてきた茶農家の知識と経験が美味しい茶づくりに結びついてきたことは確かと言えるだろう。</p>



<p>※GI＝GEOGRAPHICAL INDICATIONの略。伝統ある特別な生産方法や気候･風土･土壌などの生産地の特性により、高い品質と評価を獲得するに至った産品の名称(地理的表示)を知的財産として保護する制度</p>



<h3 class="wp-block-heading">栽培から加工、販売まで。消費者の声を反映し茶づくりに挑む</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SEI003-5350.jpg" alt="" class="wp-image-52811" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SEI003-5350.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SEI003-5350-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SEI003-5350-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>星野村で茶舗「星正園」を営む高木耕平さんは若手のホープと呼ばれる篤（とく）農家だ。静岡県にある「農林技術研究所茶業研究センター」で2年間、茶栽培と加工などを深く学んで帰郷し、現在は約10ヘクタール（甲子園球場約8個分）という広大な畑で茶栽培を行っている。高木さんの茶畑があるのは標高が高い星野村の中でもさらに高い山間。「千枚岩（せんまいがん）」と呼ばれる天然微生物を多く含んだ独特の地層の上にあることから豊かな土壌に恵まれている。そんな地の利に加え、肥料の選定や与える量･タイミング、被覆資材の選定･かけるタイミングと期間、霜対策など、高木さんが人智を尽くして茶栽培に挑み、手間暇を惜しまずに育てた「星正園」の茶は旨みも味も濃厚と人気を集めている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SEI014-5380.jpg" alt="" class="wp-image-52812" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SEI014-5380.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SEI014-5380-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SEI014-5380-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>茶舗を営んでいることは高木さんの茶づくりにいい影響を与えている。一般的に茶農家は収穫後すぐに始まる茶葉の酸化を止めるため、生葉を製茶工場に急いで運び、蒸す･揉む･乾燥を経てつくる「荒茶（あらちゃ）」を茶問屋に納める。その後、茶問屋は「荒茶」を二次加工･ブレンドして商品化するが、高木さんは卸とは別に自ら二次加工･ブレンドも手がける。「自分がつくったお茶の味を確かめられますし、直接お客様から意見を聞ける。毎年自然との闘いなので、品質を一定させるのは大変ですが“今年のお茶はこうだったね”と率直に言ってくださるお客様の声が茶づくりの原動力になっています」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">茶産地としての未来を見据えて</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SEI019-5412.jpg" alt="" class="wp-image-52813" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SEI019-5412.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SEI019-5412-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SEI019-5412-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>星野茶を語るうえで欠かせないもうひとりのキーパーソンがいる。「JA茶業青年の会･星野支部長」を務めている田中将大さんだ。田中さんと高木さんは幼馴染で、ふたりとも家業を継ぎ、互いに切磋琢磨しながら上質なお茶づくりに取り組んできた。「星野村の気候や土壌があるからこそ高品質な煎茶や玉露が生産できる。今後も土地の特性を生かしたお茶づくりを極めていくことが他産地との差別化につながっていくと考えています。しかし、一方で国内ではペットボトルのお茶需要が高まり、急須がない家庭が増えているのも現実。今後、製茶業が持続可能な産業となっていくために、国内外の市場がどういうお茶を求め、どういったターゲット層にアプローチしていくのか、生産の現場からも考えていかなければならない。海外マーケットで求められる有機や無農薬･発酵茶などの可能性を探り、アクションを起こすためには、生産者と茶商が今以上にしっかりと手を組むことが必要になってくる」と星野茶の未来を見つめている。</p>



<h2 class="wp-block-heading">海外へ、国内へ。日本茶の挑戦は続く</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SEI026-5520.jpg" alt="" class="wp-image-52814" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SEI026-5520.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SEI026-5520-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/SEI026-5520-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>昨今海外でも日本茶愛好家は増え、星野茶も輸出されている。しかし、残留農薬濃度の基準が厳しいエリア（EUなど）も多く、国によって基準も異なるため有機･無農薬茶となると取り組める農家は決して多くはない。星野村は高地にあるため虫がつきにくいという利点はあるが、化学肥料や農薬を使わず茶の品質を安定させるとなると最低でも10年はかかるといわれ、農家の負担も大きい。課題は多いが、高木さんは海外との直接取引もあり「彼らは常にいいモノを送ってほしい！とリクエストしてくる」と日本茶が海外で飛躍する可能性も感じている。八女では組合としても海外輸出にも積極的に取り組んでいるため、今後の展開が楽しみだ。</p>



<p>もっと家庭でお茶を淹れてもらえるように活動を続けていくことがこれからの目標です」とおふたり。「小さな子どもにはカフェインの少ないほうじ茶から入ってもらい徐々に緑茶へ。小さい頃に家で淹れるお茶に触れ合っていると、一時お茶から離れても大人になった時に“やっぱり家でお茶を淹れるっていいよね”と帰ってきてもらえることが多い。そういう循環を信じたいですね」と、生活の中に“お茶”がありつづける未来をつくっていきたいのだとか。</p>



<p>国内向けにお茶のある時間の豊かさを伝えつつ、海外の大きなマーケットにも参入していく。若手生産者たちが拓く八女「星野茶」の未来に期待したい。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52809/">心穏やかな感動が訪れる一服の力。特別な手間と栽培法でつくられる「星野茶」／福岡県八女市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>日常を彩る存在となることを目指して。「若波酒造」／福岡県大川市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 17 May 2025 05:48:03 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[日本酒]]></category>
		<category><![CDATA[酒造り]]></category>
		<category><![CDATA[若波 純米大吟醸]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_404.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>筑後川の下流に位置する福岡県大川市に1922年（大正11年）に創業した「若波酒造」。九州一の大河･筑後川のように「若い波を起こせ」と願いを込めて名付けられた酒造は、その名の如く、独自に日本酒のおいしさと世界を開拓していた [&#8230;]</p>
<p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52763/">日常を彩る存在となることを目指して。「若波酒造」／福岡県大川市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_404.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>筑後川の下流に位置する福岡県大川市に1922年（大正11年）に創業した「若波酒造」。九州一の大河･筑後川のように「若い波を起こせ」と願いを込めて名付けられた酒造は、その名の如く、独自に日本酒のおいしさと世界を開拓していた。</p>



<h2 class="wp-block-heading">酒造りが盛んな筑後川流域に創業</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_410.jpg" alt="" class="wp-image-52764" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_410.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_410-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_410-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>酒蔵の前を悠々と流れる、九州最大の河川･筑後川。酒造のある筑後川流域は、阿蘇山を水源とした豊富な伏流水に恵まれ、良質な米を育む広大な筑紫平野が広がる。日本有数の酒どころとして発達し、明治時代の半ばには80を超える酒蔵が存在した。時を同じくして、「若波酒造」の本家である「今村本家酒造」も創業。</p>



<p>「若波酒造」の始まりは、1922年（大正11年）。1895年（明治28年）に創業した「今村本家酒造」から3兄弟がそれぞれ分家し、そのうちの一つとして酒造りを開始する。今では本家を含めて蔵を閉じ、唯一残る「若波酒造」が今村家の酒造史を引き継ぐ形となった。現在は4代目当主の今村嘉一郎さん、姉で製造責任者の今村友香さん、そして9代目杜氏の庄司隆宏さんの3人の造り手を中心に、酒造りに励む。</p>



<p>この3人を中心に酒造りが始まって間もなく、2010年の平成22酒造年度から既存ブランド「若波」の酒質設計を全面的に刷新。限定流通商品として立ち上げ、現在の体制となった。</p>



<h2 class="wp-block-heading">コンセプトは「味の押し波、余韻の引き波」</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_281.jpg" alt="" class="wp-image-52765" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_281.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_281-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_281-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>多くの酒造が集まる筑後川流域の群雄割拠の中、「若波酒造」の酒造りは一目置かれている。2012年（平成24年）から始まった福岡県酒類鑑評会では、第1回から「若波 純米大吟醸」が最高賞である初代県知事賞を受賞。まさに、創業時に掲げられた「日本酒造りで若々しい波を起こせるように」との願いを体現するような、勢いのある船出であった。2023年9月に行われた第11回福岡県酒類鑑評会でも、純米吟醸酒･純米酒の部で「若波 純米吟醸 山田錦」「若波 純米酒」の2銘柄が同賞を受賞する。</p>



<p>「若波酒造」が酒造りのコンセプトとして掲げているのは、「味の押し波、余韻の引き波」。それは、看板銘柄の「若波 純米吟醸」に代表される、口に含んだ瞬間、旨みが波のように押し寄せ、そうかと思うとスッと爽やかに引いていく味わいのことを指す。そんな美しい波のような酒質に、多くの人が魅了されているのだ。</p>



<h3 class="wp-block-heading">酒米が持つ保有水分も徹底して調整</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_383.jpg" alt="" class="wp-image-52766" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_383.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_383-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_383-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>平成22酒造年度に酒質を全面刷新し、限定流通商品として生まれ変わった「若波」シリーズ。当初から「日常に彩りを添える普段使いのお酒を」との思いを掲げ、酒造りを行う。4代目当主の今村嘉一郎さんは、「日々飲んでいただくお酒だからこそ、飽きのこないおいしさを求め、毎年細かなマイナーチェンジを重ねています」と語る。</p>



<p>日本酒の原料となる酒米は、同じ年の同じ品種であっても、米の特性はその都度変化。なかでも米に含まれる水分量の違いは、ほんの1%以下のことではあるものの、酒質に影響があるという。「良いお酒をつくる上で、再現性の高さを大切にしています。そのためにも、米の保有水分の調整はとても重要。例えば同じ品種、同じ精米具合でも、米の保有水分が異なるため、その都度しっかり計測し、その上で去年と今年の米の違いや個性を、造りの部分でどう表現するかを杜氏とともに設計していきます」。</p>



<h3 class="wp-block-heading">酒米は福岡県産を厳選</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_347.jpg" alt="" class="wp-image-52767" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_347.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_347-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_347-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「若波酒造」で使用する酒米は、ほぼすべて福岡県産米。主に「山田錦」、「夢一献」、「寿限無」の3種類の酒造好適米を用いている。</p>



<p>「山田錦」は、一大産地である福岡県糸島産を厳選。上品な香りでふくよかな味わいが特徴だ。「若波酒造」が目指す“味の押し波”の部分をしっかりと表現できるという。福岡県内で広く使われている「夢一献」は、精米歩合50%〜70%の純米酒で使用。すっきりとした味わいで、余韻の軽やかさが出る酒米とのこと。「寿限無」はというと、アミノ酸度が低く、雑味も少ない品種。ともすると、味気ないように思われるが、造りの部分で「若波酒造」が目指す味わいを醸す。米の特性上、よく溶け、割れやすいため、65%に磨いた純米酒をメインに使用。</p>



<p>「目標値に合わせて無理に味わいを造り出すのではなく、米の個性に合わせた酒造りを大切にしています」と今村さん。徹底した水分管理を行うことに加え、杜氏を中心に定期的にディスカッションやテイスティングを重ねるほか、取引のある酒販店からフィードバックをもらうなど、常に味わいの向上を目指している。</p>



<h3 class="wp-block-heading">蔵人たちの和が、良い酒を醸す</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_330.jpg" alt="" class="wp-image-52768" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_330.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_330-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_330-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>さらには、日々の徹底した蔵の清掃や整頓を基本とし、週に一度は醸造機器の分解洗浄を行うなど、衛生管理にも余念がない。また、福岡という温暖な気候のもとでの酒造りには、温度管理も衛生上重要となるため、温度調整を緻密にコントロールできる冷却装置付きのサーマルタンクも導入した。酒質設計はもちろんだが、品質管理も味わいを大きく左右する。</p>



<p>そして、「若波酒造」は少数精鋭。出荷量に対して醸造期間を長く設定し、時間をかけて酒造りを行っている。量産には走らない。「少人数でいかに高品質なものを造れるか、そこに注力していたら必然的に丁寧な酒造りに着地しました」と今村さん。普段使いしたくなる安定のおいしさとは、きっとそういった影の功績に支えられているのだろう。少数精鋭のチームでこそ生まれる若波らしさ。「若波酒造」が信条とする「和醸良酒（わじょうりょうしゅ）」を物語るように、酒造りに誠実な蔵人たちの和が、良い酒を醸し続ける。</p>



<h2 class="wp-block-heading">変わらないために、さらに磨きをかける</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_385.jpg" alt="" class="wp-image-52769" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_385.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_385-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/05/wakanami_385-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>今取り組んでいることの一つに、地元九州の料理との相性の追求がある。各地から話題のグルメや食材を取り寄せ、定番酒などを中心にテイスティングを重ねている。香り、酸味、後味などそこで生まれたアイデアや改善点を、酒造りに反映。日常使いのお酒であることを目指す上で、地元で親しまれている料理とのペアリングは最重要項目と言ってもいいだろう。当たり前にそこにあり続ける日本酒を目指すには、今あるものを磨き続けていく必要がある。</p>



<p>以前、季節限定で出して好評だった銘柄「若波 純米吟醸 TYPE-FY2」を、一年を通して販売するにあたり、使用する米を加工用米から「山田錦」100%に変更したことがあった。その際、「山田錦」らしい上品できれいな味わいにまとまったことで、それ以前の味を好んでいた人にとって「物足りなくなるのではないか？」と、蔵人たちは米の変更を一時思い悩んだという。しかし、計画通り販売すると予想に反して好評。「この進化も含めて、今の若波だと感じ取っていただける1本になったと思います」と今村さんは当時を振り返る。</p>



<p>コンセプトは変えずとも、アップデートは重ねていく。「日常を彩る存在になるために、普段使いの酒質向上に努める」という「若波酒造」の思いは、変わらず飲み手に伝わっているはずだ。小さな波が、いつしか大きな波となり、日本酒の世界に新たなうねりを起こす日も、そう遠くはないかもしれない。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52763/">日常を彩る存在となることを目指して。「若波酒造」／福岡県大川市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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		<title>鶏に寄り添い、手間隙かけてブランド卵を生産「板垣ファーム」／福岡県糸島市</title>
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		<dc:creator><![CDATA[devnakata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 21 Apr 2025 06:44:25 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[「にほん」の「ほんもの」を巡る旅]]></category>
		<category><![CDATA[鶏卵]]></category>
		<category><![CDATA[てつやとのりこ]]></category>
		<category><![CDATA[養鶏]]></category>
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					<description><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA008-6119.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>海と山、両方の魅力を兼ね備えた人気観光地･福岡県糸島市。その美しい水と空気に恵まれた雷山（らいざん）のふもとで養鶏を営む「板垣ファーム」では百貨店や高級スーパーなどで取り扱われているブランド卵「てつやとのりこの玉子」を生 [&#8230;]</p>
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										<content:encoded><![CDATA[<p><img src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA008-6119.jpg" class="webfeedsFeaturedVisual" /></p><p>海と山、両方の魅力を兼ね備えた人気観光地･福岡県糸島市。その美しい水と空気に恵まれた雷山（らいざん）のふもとで養鶏を営む「板垣ファーム」では百貨店や高級スーパーなどで取り扱われているブランド卵「てつやとのりこの玉子」を生産している。</p>



<h2 class="wp-block-heading">日本一の卵をつくりたい！とブランド卵を開発</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA009-6121.jpg" alt="" class="wp-image-52706" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA009-6121.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA009-6121-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA009-6121-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>福岡市中心地から車か列車で約30〜40分。豊かな自然と美味しい地産品を求め、毎日多くの人が訪れる福岡県糸島市。新鮮な野菜やフルーツ、漁獲高日本一の鯛や養殖が盛んな牡蠣などの魚介類、地元で育てられた牛･豚･鶏などが有名で“糸島産”の地産品は福岡市内の人気飲食店でも多くのシェフたちに愛されている。「板垣ファーム」があるのはそんな糸島市の中でも少し山側に位置する雷山のふもと。美しい水と空気に恵まれた場所だ。</p>



<p>ここで養鶏家･板垣徹さんの祖母が養鶏を始めたのが60年以上前。その後、父･悊也（てつや）さんが事業を拡大し、現在の土台を築き上げた。「父は羽数も増やし、いい卵をつくって会社を大きくしようとしていましたが、どれだけこだわって美味しい卵をつくっても業者に安い値段で引き取られていました。そこでちょっと値段は高くても「ここの卵はいいね！」と思ってもらえる日本一の卵をつくろうと思い立ったそうです。それから通常の飼料にナラやブナの樹液（木酢）、備長炭、海藻、乳酸菌などを加えた独自の飼料を与えて完成させたのが〈てつやとのりこの玉子〉です」。ちなみに〈てつやとのりこ〉は両親の名前。卵の向こうにいる生産者のことを知ってほしいという悊也さんの思いが込められている。こうして誕生したブランド卵を直接お客様に届けるべく、徹さんが営業担当として家業に加わった。</p>



<h3 class="wp-block-heading">飛び込み営業に東奔西走。徐々に口コミで人気に</h3>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA003-6110.jpg" alt="" class="wp-image-52707" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA003-6110.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA003-6110-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA003-6110-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>「父が完成させたこだわりの卵を広めたい！」と青果店やパティスリー、飲食店などを片っ端からまわり、飛び込み営業に明け暮れた板垣さん。養鶏場から直接届く鮮度抜群でコクのある卵の美味しさはプロたちの目にとまり、徐々に取引先が増えていった。「5年くらいは営業に明け暮れました。ありがたいことに“修業先で使っていた卵を独立してからも使いたい”と言ってくださるシェフがいたり、新しい取引先をご紹介いただけたり、人から人へご縁が広がっていきました。少しずつこちらから懸命に営業をしなくてもいい状況になり、私自身も養鶏に携わることになりました」。いいものをつくり、懸命に伝える努力をした結果「板垣ファーム」の卵は人気に。今では遠方からわざわざ養鶏場に直接卵を買いにくる人も少なくない。</p>



<h2 class="wp-block-heading">羽数を減らし、人にも鶏にも優しい養鶏場をつくる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA025-6216.jpg" alt="" class="wp-image-52708" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA025-6216.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA025-6216-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA025-6216-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>板垣さんが養鶏に携わるようになって10年。少しずつ取り組んできたのが羽数の減少だ。父･悊也さんの時代に6万羽ほどいた鶏は現在約4万5000羽に。飼料高騰などの外的要因もあるが、そこには「売れるから大量生産する」という考え方をよしとしない板垣さんの思いがある。「大量生産し、残った分を業者に引き取ってもらうというビジネスモデルでは結局赤字が続きます。何より鶏の世話に手が回らなくなって、卵の質が落ちるのが一番よくない。自分は“鶏飼い”なので鶏をいい環境で育てることを何よりも優先したい」。取引先を増やすことで、注文･配達･管理などの業務が増え、その分飼育に手が回らなくなることを板垣さんは一番懸念している。</p>



<p>鶏ファーストの板垣さんが大切にしているのは、鶏舎の環境づくりだ。鶏糞はマメに除去し、処理場で堆肥にして農家に納めている。エサも箱に入れっぱなしにせず、1日3回、一羽一羽の体調を見ながら適量を与える。湿度が高いと鶏舎の中に匂いが籠るようになるからと、天候に合わせた換気をこまめに行っているのも板垣さんの鶏たちへの愛情からだ。「卵は鶏がどんな飼料を食べたかで殻や黄身の色、味が決まると言われますが、環境も同様に大切だと思う。鶏にとってストレスが少ない環境が整っていれば産卵率も高くなり、コクのある味わいで、殻もしっかりとし、表面がつるっとしたキレイな卵を長く産んでくれます。反対に環境が悪いと鶏が体調を崩しやすくなり、味が薄く、殻も薄くて表面がザラッとした卵になる」。鶏の健康は鶏冠（とさか）がバロメーターといわれ、不健康だと鶏冠が小さく、横に垂れることもあるが「板垣ファーム」の鶏たちの鶏冠は大きくピン！と立っている。板垣さんが手間隙を惜しまず、愛情をかけて鶏たちを育てている証だ。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA013-6140.jpg" alt="" class="wp-image-52709" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA013-6140.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA013-6140-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA013-6140-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>また、「板垣ファーム」では収穫を手作業で行うことにこだわっている。ローラーで収穫し、機械によるパック詰めを行う養鶏場もあるが「鶏同様に卵も生き物。余計に動かすことでストレスをかけたくない」というのが板垣さんの考え方だ。当然のことながら、生き物相手の仕事なので養鶏場に休みはなく、鶏の世話や出荷は毎日行われている。1日に採れる卵は約40,000個だが、現在のところ余ることなく出荷され、取引先からも変わらぬ信頼を集めている。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA032-6380.jpg" alt="" class="wp-image-52710" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA032-6380.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA032-6380-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA032-6380-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>試行錯誤を重ねて完成させた飼料を与えた鶏から生まれた卵はミネラルやビタミンが豊富に含まれている。しっかりと硬い殻を割ってみると、プリッと盛り上がった白身の上に色が濃く高さのある黄身が乗り、ひと目で鮮度の良さが伝わってくる。「うちでは卵が産める生後4ヶ月程度の鶏を仕入れて育てますが、この卵を産ませるようにするのは生後6ヶ月くらいから。その時期からの鶏の卵が一番質がいい。つまり、鶏が一生のうちに産む一番いい時期の卵だけが〈てつやとのりこの玉子〉になるのです」。実際に食べてみると、ほんのりとした塩味と重厚感のあるコクが感じられ、いつも食べている卵とは明らかに違うのがわかる。「卵かけご飯がオススメです。個人的には九州の甘い刺身醤油をかけるのが好きですね。だし醤油だと味のない卵でも美味しく感じてしまうので」。卵本来の美味しさを味わうのならば、旨み成分の入っていない醤油で試すのがオススメだ。</p>



<h2 class="wp-block-heading">鶏は、かけた労に報いてくれる</h2>



<figure class="wp-block-image size-full"><img decoding="async" width="825" height="550" src="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA027-6259.jpg" alt="" class="wp-image-52711" srcset="https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA027-6259.jpg 825w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA027-6259-300x200.jpg 300w, https://nihonmono.jp/wp-content/uploads/2025/04/ITA027-6259-768x512.jpg 768w" sizes="(max-width: 825px) 100vw, 825px" /></figure>



<p>養鶏に携わって15年、なんと板垣さんは丸1日仕事を休んだことがないのだとか。「卵は野菜のように豊作や不作もなく安定生産できますが、生き物なので毎日世話は必要です」。とはいえ、10年かけて羽数を減らしてきた結果、最近やっと週に1回、半日程度の休みがとれるようになった。時間がとれるとバイクや自転車で出かけ、自然に癒されている。「精神的にも肉体的にも大変な仕事なので、養鶏に携われるのは60歳くらいが限界かなと考えています。でも、それまではしっかりと鶏たちと向き合って、これからもいい卵をつくり続けていきたい。やるからには責任持ってやりたいし、ちゃんと世話をすれば鶏たちが労に報いてくれます。自分がやることで鶏に迷惑をかけると思ったら潔くリタイヤして、その時に手を上げてくれる若い世代がいれば継いでもらいたい。そして、趣味のバイクや自転車で旅をする時間を持ちてたらいいなと思っています」。</p>



<p>父が開発した卵を初めて食べたときに感じた「美味しい！」という感動を胸に、日々鶏たちに寄り添い、美味しい卵を生産する板垣さん。1個の卵に込められた生産者の思いを感じながら卵を食べるとより一層美味しく感じられ、感謝の気持ちも湧いてきそうだ。</p><p>The post <a href="https://nihonmono.jp/article/52705/">鶏に寄り添い、手間隙かけてブランド卵を生産「板垣ファーム」／福岡県糸島市</a> first appeared on <a href="https://nihonmono.jp">NIHONMONO</a>.</p>]]></content:encoded>
					
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