新潟イコール淡麗辛口にあらず。純粋に旨い酒を目指す「村祐酒造」

新潟イコール淡麗辛口にあらず。純粋に旨い酒を目指す「村祐酒造」

新潟県中部から北部に位置し美しい田んぼが広がる越後平野、その中央を流れる信濃川沿いの小さな町に「村祐酒造」がある。戦時下のワイン造りからスタートし、昭和23年(1943年)に創業。昭和34年から正式に日本酒免許を取日本酒造りを続けている。100%新潟県産米を使用し、約2km離れた山に掘った横井戸から軟水の湧水を引いている。生産量は約300石(1石=180リットル)。けして大きな蔵ではないが、長年愛され続ける「花越路(はなこしじ)」シリーズをはじめ、限定流通酒の「村祐」シリーズなど、県内外に根強いファンが多い。


村祐酒造を語る際に大きなトピックとなるのが、「新潟の酒といえば淡麗辛口」が当たり前だった地酒ブームの時代に、あえて甘口に挑戦し、市場に新風を吹き込んだことだ。高級和菓子に使用される和三盆糖のようなきめ細かく透き通った上品な甘さをイメージして醸造された「村祐」シリーズは、その甘さの中にあるキリっとキレのある味わいが評判となり、淡麗辛口一辺倒だった当時の新潟清酒のイメージを大きく変えた。同シリーズは新潟県内の居酒屋などで地元の人たちにも人気の銘柄である。


杜氏を務めるのは3代目の村山健輔さん。学校を卒業して1年、外の蔵で修行したのち実家の村祐酒造に戻って来た。22歳のときに初めて仕込んだ「花越路」が全国新酒品評会の金賞に輝き、若くして注目を集めた。しかしその後もすべてが順風満帆にいったわけではない。なかなか評価が上がらず、酒造りに自信をなくしかけたときもあった。しかしあるとき、村山さんは品評会で評価を受けることにこだわることをやめた。「酒の良しあしは審査員が決めるものではなく、お客さんが決めるものだ」と気づいたからだ。ラベルに表示されたスペックを見て酒の価値を判断する風潮にも疑問を感じた。知識や先入観で酒を飲むと、どんなに美味しい酒でもつい粗探しをしてしまう。酒というのは本来、もっと自由に楽しく飲むものだと考え、アルコール度数以外いっさい非公開、自信をもって自分の納得する酒造りの道を行くと決めた。


村山さんの酒造りは、出荷を除きすべての作業において村山さん自身が直接たずさわっている。先代の杜氏が引退してから村山さんが杜氏をつとめ現場をとりしきっているのだ。だからどんなに人気があっても生産できる量は限られてしまう。村山さんの目の行き届く範囲で、じっくりと丁寧に造り込んだ酒だけを送り出したいからだ。納期に間に合わず酒屋さんを待たせてしまうこともある。しかし、村山さんは量産化には興味がない。工業製品のような均一の味も求めない。たとえお客さんが常に同じ味を求めるとしても、その日そのとき同じように仕込んだところでタンクが変わればまた酒の味も微妙に変わるという。お客さんにはそれを受け入れてほしいのだと。そのかわり、村山さんは絶対に手を抜かない。自らの感覚を研ぎ澄ませ、高品質少量生産に徹する。それが村祐酒造の酒造りだ。酒蔵としての未来を訊ねると、「これからはおとなしく暮らしたい、酒造りも少し飽きてきたんですよ」と村山さんははぐらかすように穏やかに笑う。飛行機に乗るのが嫌いで、遠くまで営業に行くこともないという。飄々と今を楽しく生きる、そして人当たりもいい。その個性は村山さんの造る酒と同じ印象だ。


「甘かろうが辛かろうが、大事なのは酒を飲んだそのときの気分。口当たりの柔らかさ、キレの良さ、それに身体に入れるものなので、飲んだときの清潔感は大切にしている」と村山さん。

「村祐」シリーズは、ラベルによってその甘さが違う。精白歩合の違いもあるが、発酵速度のコントロールにより、糖分とアルコールのバランスを調整。同じアルコール度数で糖分が多ければそれだけ原価があがり、飲み手にも理解しやすい違いと言える。

創業以来地元で長く愛されている「花越路」は村祐シリーズに比べ甘さは少し控え目。昔ながらの「いいお酒」とされるものを目指して、綺麗で、やわらかさをあわせ持ち、すっきりとしたあと味が特徴。村山さんが酒造りを始めた当時から丹精込めて仕込んでいる秘蔵っ子のような存在だ。


何かの評価を気にすることなく、ましてや日本酒にランク付けをしたり品定めをするように飲むのでもなく。一緒に食べる料理に舌鼓をうったり、一緒に過ごす人々との会話を楽しむこと。その時の雰囲気に合わせて、純粋に、自由に、酒を飲む喜びを感じながらその時間に身を任せる。そんな当たり前で極上の時間を楽しむことこそ村祐酒造の酒を楽しむ極意といえる。一度はそんな飾らない酒が醸し出す空間に酔いしれてみたい。

ACCESS

村祐酒造株式会社
新潟県新潟市秋葉区舟戸1-1-1
TEL 0250-38-2028